chats
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stringlengths 163
3.16k
| meta
dict |
---|---|---|
[
[
"ほら、いつか兄さんが教えて下さったじゃないの。人間の眼の底には、たったいま見た景色が消えずに残っているものだって。",
"とうさんのお話なんか、忘れたわ。たいてい嘘なんですもの。",
"でも、あのお話だけは本当よ。あたしは、あれだけは信じたいの、だから、ね、あたしの眼を見てよ。あたしはいま、とっても美しい雪景色をたくさんたくさん見て来たんだから。ね、あたしの眼を見て。きっと、雪のように肌の綺麗な赤ちゃんが生れてよ。"
],
[
"兄さんの眼なんか見ていると、お嫂さんは、胸がわるくなるって言っていらしたわ。",
"そうでもなかろう。おれの眼は、二十年間きれいな雪景色を見て来た眼なんだ。おれは、はたちの頃まで山形にいたんだ。しゅん子なんて、物心地のつかないうちに、もう東京へ来て山形の見事な雪景色を知らないから、こんな東京のちゃちな雪景色を見て騒いでいやがる。おれの眼なんかは、もっと見事な雪景色を、百倍も千倍もいやになるくらいどっさり見て来ているんだからね、何と言ったって、しゅん子の眼よりは上等さ。"
],
[
"でも、とうさんのお眼は、綺麗な景色を百倍も千倍も見て来たかわりに、きたないものも百倍も千倍も見て来られたお眼ですものね。",
"そうよ、そうよ。プラスよりも、マイナスがずっと多いのよ。だからそんなに黄色く濁っているんだ。わあい、だ。",
"生意気を言ってやがる。"
]
] | 底本:「ろまん燈籠」新潮文庫、新潮社
1983(昭和58)年2月25日発行
1998(平成10)年7月20日第21刷発行
初出:「少女の友」
1944(昭和19)年5月号
入力:みやま
校正:鈴木厚司
2000年11月24日公開
2009年3月2日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "001573",
"作品名": "雪の夜の話",
"作品名読み": "ゆきのよのはなし",
"ソート用読み": "ゆきのよのはなし",
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"原題": "",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2000-11-24T00:00:00",
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"名": "治",
"姓読み": "だざい",
"名読み": "おさむ",
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"姓ローマ字": "Dazai",
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"生年月日": "1909-06-19",
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} |
[
[
"用意は?",
"できている。"
]
] | 底本:「太宰治全集2」ちくま文庫、筑摩書房
1988(昭和63)年9月27日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
1975(昭和50)年6月~1976(昭和51)年6月
入力:柴田卓治
校正:小林繁雄
1999年9月11日公開
2004年3月4日修正
青空文庫作成ファイル:
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| {
"作品ID": "000279",
"作品名": "懶惰の歌留多",
"作品名読み": "らんだのかるた",
"ソート用読み": "らんたのかるた",
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"初出": "「文芸」1939(昭和14)年4月",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "1999-09-11T00:00:00",
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"姓読み": "だざい",
"名読み": "おさむ",
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"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "太宰治全集2",
"底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房",
"底本初版発行年1": "1988(昭和63)年9月27日",
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"底本の親本名1": "筑摩全集類聚版太宰治全集",
"底本の親本出版社名1": "筑摩書房",
"底本の親本初版発行年1": "1975(昭和50)年6月~1976(昭和51)年6月",
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} |
[
[
"リイズってのは、どんな画かね。",
"ほら、真白い長いドレスを着た令嬢が、小さい白い日傘を左手に持って桜の幹に倚りかかっている画があったでしょう? あれは、令嬢かな? マダムかな? あれはね、ルノアルの二十七八歳頃の傑作なのですよ。ルノアル自身のエポックを劃したとも言われているんです。僕だって、もう二十八歳ですからね、ひとつ、ルノアルと戦ってみようと思っているんですよ。いまね、モデルが仕度していますから、ああ、出来た、わあ、これあひどい。"
],
[
"おや、君は、はだしですね。僕はドレスと一緒に靴をそろえて置いた筈なんだが。",
"あの靴は、少し小さすぎますので。"
],
[
"それあ、そうでしょう。ちょっと、ひどかったですものね。それで、あのひとは? どうしたのです。まだ、ここにいるようですね。",
"女中さんがわりにいてもらう事にしました。どうして、なかなかいい子ですよ。おかげで私も大助かりでございます。いま時あんな子は、とても見つかりませんですからねえ。",
"なあんだ。それじゃお母さんは、女中を捜しに上野まで行って来たようなものだ。"
]
] | 底本:「太宰治全集3」ちくま文庫、筑摩書房
1988(昭和63)年10月25日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
1975(昭和50)年6月~1976(昭和51)年6月刊行
入力:柴田卓治
校正:渥美浩子
2000年4月27日公開
2005年10月27日修正
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "000292",
"作品名": "リイズ",
"作品名読み": "リイズ",
"ソート用読み": "りいす",
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"初出": "1940(昭和15)年",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2000-04-27T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
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"姓": "太宰",
"名": "治",
"姓読み": "だざい",
"名読み": "おさむ",
"姓読みソート用": "たさい",
"名読みソート用": "おさむ",
"姓ローマ字": "Dazai",
"名ローマ字": "Osamu",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1909-06-19",
"没年月日": "1948-06-13",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "太宰治全集3",
"底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房",
"底本初版発行年1": "1988(昭和63)年10月25日",
"入力に使用した版1": "",
"校正に使用した版1": "1998(平成10)年6月15日第2刷",
"底本の親本名1": "筑摩全集類聚版太宰治全集",
"底本の親本出版社名1": "筑摩書房",
"底本の親本初版発行年1": "1975(昭和50)年6月~1976(昭和51)年6月刊行",
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"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"田舎の中学校の先生をします。結婚するかも知れません。",
"もう、きまっているのか。",
"ええ。中学校のほうは、きまっているのです。",
"結婚のほうは、自信無しか。極度の近視眼は結婚のほうにも差支えるか。"
]
] | 底本:「太宰治全集5」ちくま文庫、筑摩書房
1989(平成元)年1月31日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
1975(昭和50)年6月~1976(昭和51)年6月
入力:柴田卓治
校正:高橋真也
2000年4月1日公開
2005年10月30日修正
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "000314",
"作品名": "律子と貞子",
"作品名読み": "りつことさだこ",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
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"姓": "太宰",
"名": "治",
"姓読み": "だざい",
"名読み": "おさむ",
"姓読みソート用": "たさい",
"名読みソート用": "おさむ",
"姓ローマ字": "Dazai",
"名ローマ字": "Osamu",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1909-06-19",
"没年月日": "1948-06-13",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "太宰治全集5",
"底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房",
"底本初版発行年1": "1989(平成元)年1月31日",
"入力に使用した版1": "",
"校正に使用した版1": "",
"底本の親本名1": "筑摩全集類聚版太宰治全集",
"底本の親本出版社名1": "筑摩書房",
"底本の親本初版発行年1": "1975(昭和50)年6月~1976(昭和51)年6月刊行",
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"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "柴田卓治",
"校正者": "高橋真也",
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[
[
"出征したのよ。",
"誰が?"
],
[
"馬鹿だね、君は。なんて馬鹿なんだろう。そのひとは、宿屋の令嬢なんかじゃないよ。考えてごらん。そのひとは六月一日に、朝から大威張りで散歩して、釣をしたりして遊んでいたようだが、他の日は、遊べないのだ。どこにも姿を見せなかったろう? その筈だ。毎月、一日だけ休みなんだ。わかるかね。",
"そうかあ。カフェの女給か。",
"そうだといいんだけど、どうも、そうでもないようだ。おじいさんが君に、てれていたろう? 泊った事を、てれていたろう?"
]
] | 底本:「太宰治全集4」ちくま文庫、筑摩書房
1988(昭和63)年12月1日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
1975(昭和50)年6月~1976(昭和51)年6月
入力:柴田卓治
校正:青木直子
2000年1月29日公開
2005年10月27日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "000311",
"作品名": "令嬢アユ",
"作品名読み": "れいじょうアユ",
"ソート用読み": "れいしようあゆ",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「新女苑」1941(昭和16)年6月",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2000-01-29T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/card311.html",
"人物ID": "000035",
"姓": "太宰",
"名": "治",
"姓読み": "だざい",
"名読み": "おさむ",
"姓読みソート用": "たさい",
"名読みソート用": "おさむ",
"姓ローマ字": "Dazai",
"名ローマ字": "Osamu",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1909-06-19",
"没年月日": "1948-06-13",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "太宰治全集4",
"底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房",
"底本初版発行年1": "1988(昭和63)年12月1日",
"入力に使用した版1": "",
"校正に使用した版1": "1988(昭和63)年12月1日第1刷",
"底本の親本名1": "筑摩全集類聚版太宰治全集",
"底本の親本出版社名1": "筑摩書房",
"底本の親本初版発行年1": "1975(昭和50)年6月~1976(昭和51)年6月刊行",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
"入力に使用した版2": "",
"校正に使用した版2": "",
"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "柴田卓治",
"校正者": "青木直子",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/311_ruby_20050.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2005-10-28T00:00:00",
"テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"テキストファイル文字集合": "JIS X 0208",
"テキストファイル修正回数": "1",
"XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/311_20051.html",
"XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2005-10-28T00:00:00",
"XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"おばあさん、花が見えるでしょう?",
"ああ、綺麗だね。",
"なんの花ですか?",
"れんげだよ。",
"おばあさん、一ばん好きなものは何ですか?",
"おまえだよ。"
],
[
"おまえというのは、誰ですか?",
"和夫(末弟の名)じゃないか。"
],
[
"お前は、その家来たちとわかれて、淋しいのかい?",
"淋しいさ。",
"お城へ帰りたいのかい?",
"ああ、帰りたいな。"
],
[
"ありがとう、ラプンツェル。君を忘れやしないよ。",
"そんな事、どうだっていいや。ベエや、さあ、走れ! 背中のお客さまを振り落したら承知しないよ。",
"さようなら。"
],
[
"また、しくじったね。お前は、よく出来もしない癖に、こんな馬鹿げた競争にはいるからいけないよ。お見せ。",
"わかるもんか!"
],
[
"せいせいしたわ。お城の中は暗いので、私は夜かと思っていました。",
"夜なものか。君は、きのうの昼から、けさまで、ぐっすり眠っていたんだ。寝息も無いくらいに深く眠っていたので、私は、死んだのじゃないかと心配していた。"
],
[
"あたしも、やはり、子供を産んで、それからお婆さんになるのでしょうか。",
"美しいお婆さんになるだろう。"
],
[
"君は、まだ、あのいまわしい森の事を忘れないのか。君のいまの御身分を考えなさい。",
"ごめんなさい。もう綺麗に忘れているつもりだったのに、ゆうべの様な淋しい夜には、ふっと思い出してしまうのです。あたしの婆さんは、こわい魔法使いですが、でも、あたしをずいぶん甘やかして育てて下さいました。誰もあたしを可愛がらないようになっても、森の婆さんだけは、いつでも、きっと、あたしを小さい子供のように抱いて下さるような気がするのです。"
],
[
"だめだよ。兄さんなんか、だめだよ。兄さんにはね、才能が、無いんですよ。兄さんが書くと、いつでも、演説みたいになってしまう。",
"そんな悪口を言っては、いけません。兄さんの書くものは、いつも、男らしくて立派じゃありませんか。お母さんなら、いつも兄さんのが一ばん好きなんだけどねえ。",
"わからん。お母さんには、わからん。どうしたって、今度は僕が書かなくちゃいけないんだ。あの続きは、僕でなくちゃ書けないんだ。お母さんお願い。書いてもいいね?",
"困りますね。あなたは、きょうは、寝ていなくちゃいけませんよ。兄さんに代ってもらいなさい。あなたは、明日でも、あさってでも、からだの調子が本当によくなってから書く事にしたらいいじゃありませんか。"
]
] | 底本:「太宰治全集4」ちくま文庫、筑摩書房
1988(昭和63)年12月1日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
1975(昭和50)年6月~1976(昭和51)年6月
入力:柴田卓治
校正:kumi
2000年3月14日公開
2005年10月28日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "000315",
"作品名": "ろまん灯籠",
"作品名読み": "ろまんどうろう",
"ソート用読み": "ろまんとうろう",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「婦人画報」1940(昭和15)年12月~1941(昭和16)年6月",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2000-03-14T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/card315.html",
"人物ID": "000035",
"姓": "太宰",
"名": "治",
"姓読み": "だざい",
"名読み": "おさむ",
"姓読みソート用": "たさい",
"名読みソート用": "おさむ",
"姓ローマ字": "Dazai",
"名ローマ字": "Osamu",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1909-06-19",
"没年月日": "1948-06-13",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "太宰治全集4",
"底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房",
"底本初版発行年1": "1988(昭和63)年12月1日",
"入力に使用した版1": "",
"校正に使用した版1": "1988(昭和63)年12月1日第1刷",
"底本の親本名1": "筑摩全集類聚版太宰治全集",
"底本の親本出版社名1": "筑摩書房",
"底本の親本初版発行年1": "1975(昭和50)年6月~1976(昭和51)年6月発行",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
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"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "柴田卓治",
"校正者": "kumi",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/315_ruby_20040.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2005-10-28T00:00:00",
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} |
[
[
"あなたは?",
"僕ですか?"
],
[
"まあ、一介のデリッタンティとでも、……",
"何かご用ですか?",
"ファンなんです。先生の音楽評論のファンなんです。このごろ、あまりお書きにならぬようですね。",
"書いていますよ。"
],
[
"近代音楽の堕落は、僕は、ベートーヴェンあたりからはじまっていると思うのです。音楽が人間の生活に向き合って対決を迫るとは、邪道だと思うんです。音楽の本質は、あくまでも生活の伴奏であるべきだと思うんです。僕は今夜、久し振りにモオツアルトを聞き、音楽とは、こんなものだとつくづく、……",
"僕は、ここから乗るがね。"
],
[
"そうです。こないだは、ありがとう。",
"いいえ、こちらこそ。",
"どちらへ?",
"あなたは?"
],
[
"音楽会。",
"ああ、そう。"
],
[
"毎日、たいへんですね。",
"ええ、疲れますわ。"
],
[
"でも、いまは民主革命の絶好のチャンスですからね。",
"ええ、そう。チャンスです。",
"いまをはずしたら、もう、永遠に、……",
"いいえ、でも、わたくしたちは絶望しませんわ。"
],
[
"男女合戦、と直しました。",
"男女合戦、……"
],
[
"売れましてね。",
"え?",
"売れたんですよ、あの原稿が。"
],
[
"題が面白いですものねえ。",
"ええ、時代の好みに合ったというわけなんです。"
],
[
"あるにはあるんですけど、そこは、ちょっと高いんですよ。案内して、あなたに後で、うらまれちゃあ、……",
"かまいません。三千円あったら、大丈夫でしょう。これは、あなたにお渡し致しますから、今夜、二人で使ってしまいましょう。",
"いや、それはいけません。よそのひとのお金をあずかると、どうも、責任を感じて僕はうまく酔えません。"
],
[
"ここですか?",
"ええ、きたないところですがね、僕はこんなところで飲むのが好きなんです。あなたは、どうです。",
"わるくないですね。",
"はあ、趣味が合いました。飲みましょう。乾杯。趣味というものは、むずかしいものでしてね。千の嫌悪から一つの趣味が生れるんです。趣味の無いやつには、だから嫌悪も無いんです。飲みましょう、乾杯。大いに今夜は談じ合おうじゃありませんか。あなたは案外、無口なお方のようですね。沈黙はいけません。あれには負けます。あれは僕らの最大の敵ですね。こんなおしゃべりをするという事は、これは非常な自己犠牲で、ほとんど人間の、最高の奉仕の一つでしょう。しかも少しも報酬をあてにしていない奉仕でしょう。しかし、また、敵を愛すべし。僕は、僕を活気づける者を愛さずにはおられない。僕らの敵手は、いつも僕らを活気づけてくれますからね。飲みましょう。馬鹿者はね、ふざける事は真面目でないと信じているんです。また、洒落は返答でないと思ってるらしい。そうして、いやに卒直なんて態度を要求する。しかし、卒直なんてものはね、他人にさながら神経のないもののように振舞う事です。他人の神経をみとめない。だからですね、余りに感受性の強い人間は、他人の苦痛がわかるので、容易に卒直になれない。卒直なんてのは、これは、暴力ですよ。だから僕は、老大家たちが好きになれないんだ。ただ、あいつらの腕力が、こわいだけだ。(狼が羊を食うのはいけない。あれは不道徳だ。じつに不愉快だ。おれがその羊を食うべきものなのだから。)なんて乱暴な事を平然と言い出しそうな感じの人たちばかりだ。どだい、勘がいいなんて、あてになるものじゃない。智慧を伴わない直覚は、アクシデントに過ぎない。まぐれ当りさ。飲みましょう、乾杯。談じ合いましょう。我らの真の敵は無言だ。どうも、言えば言うほど不安になって来る。誰かが袖をひいている。そっと、うしろを振りかえってみたい気持。だめなんだなあ、やっぱり、僕は。最も偉大な人物はね、自分の判断を思い切り信頼し得た人々です、最も馬鹿な奴も、また同じですがね。でも、もう、よしましょうか、悪口は。どうも、われながら、あまり上品でない。もともと、この悪口というものには、大向う相手のケチな根性がふくまれているものですからね。飲みましょう、文学を談じましょう。文学論は、面白いものですね。ああ、新人と逢えば新人、老大家と逢えば老大家、自然に気持がそうなって行くんですから面白いですよ。ところで一つ考えてみましょう。あなたがこれから新作家として登場して、三百万の読者の気にいるためには、いったい、どうしたらよいか。これは、むずかしい事です。しかし、絶望してはいけません。これはね、いいですか? 特に選ばれた百人以外の読者には気にいられないようにするよりは、ずっと楽な事業です。ところで、何百万人の気にいる作家は、常にまた自分自身でも気にいっているのだが、少数者にしか気にいられない作家は、たいてい、自分自身でも気にいらないのです。これは、みじめだ。さいわい、あなたの作品は、あなたご自身に気にいっているようですから、やはり、三百万の読者にも気にいって、大流行作家になれる見込みがあると思う。絶望しては、いけません。いまはやりの言葉で言えば、あなたには、可能性がある。飲みましょう、乾杯。作家殿、貴殿は一人の読者に千度読まれるのと、十万の読者に一度読まれるのと、いったい、いずれをお望みかな? とおたずねすると、かの文筆の士なるものは、十万の読者に千度読まれとうござる、と答えてきょろりとしていらっしゃる。おやりなさい、大いにおやりなさい。あなたには見込みがあります。荷風の猿真似だって何だってかまやしませんよ。もともと、このオリジナリテというものは、胃袋の問題でしてね、他人の養分を食べて、それを消化できるかできないか、原形のままウンコになって出て来たんじゃ、ちょっとまずい。消化しさえすれば、それでもう大丈夫なんだ。昔から、オリジナルな文人なんて、在ったためしは無いんですからね。真にこの名に値いする奴等は世に知られていないばかりでなく、知ろうとしても知り得ない。だから、あなたなんか、安心して可なりですよ。しかし、時たま、我輩こそオリジナルな文人だぞ! という顔をして徘徊している人間もありますけどね、あれはただ、馬鹿というだけで、おそるるところは無い。ああ、溜息が出るわい。あなたの前途は、実に洋々たるものですね。道は広い。そうだ、こんどの小説は、広き門、という題にしたらどうです。門という字には、やはり時代の感覚があるそうですから。失礼します、僕は、少し吐きますよ。大丈夫、ええ、もう大丈夫。ここの酒は、あまりよく無いな。ああ、さっぱりした。さっきから、吐きたくて仕様が無かったんです。人を賞讃しながら酒を飲むと、悪酔いしますね。ところで、そのヴァレリイですがね、あ、とうとう言っちゃった、汝の沈黙に我おのずから敗れたり。僕が今夜ここで言った言葉のほとんど全部が、ヴァレリイの文学論なんです、オリジナリテもクソもあったものでない。胃の具合いが悪かったのでね、消化しきれなくなって、とうとう固形物を吐いちゃった。おのぞみなら、まだまだ言えるんですけどね、それよりは、このヴァレリイの本をあなたにあげたほうが、僕もめんどうでなくていい。さっき古本屋から買って、電車の中で読んだばかりの新智識ですから、まだ記憶に残っているのですけど、あすになったら、僕は忘れてしまうでしょう。ヴァレリイを読めば、ヴァレリイ。モンテーニュを読めば、モンテーニュ。パスカルを読めば、パスカル。自殺の許可は、完全に幸福な人にのみ与えられるってさ。これもヴァレリイ。わるくないでしょう。僕らには、自殺さえ出来ない。この本は、あげます。おうい、おかみさん、ここの勘定をしてくれ。全部の勘定だぜ。全部の。それでは、さきに失敬。羽毛のようでなく、鳥のように軽くなければいけない、とその本に書いてあるぜ。どうすりゃ、いいんだい。"
]
] | 底本:「太宰治全集9」ちくま文庫、筑摩書房
1989(平成元)年5月30日第1刷発行
1998(平成10)年6月15日第5刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
1975(昭和50)年6月~1976(昭和51)年6月発行
入力:柴田卓治
校正:かとうかおり
2000年1月25日公開
2004年3月4日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[
[
"幸さん! しっかりしなよう! もう大丈夫だあ! 今医者様が来るでなあ! すぐに医者様が来るでなあ!",
"お内儀さん! 大丈夫だぞう! 妹さんは助かったぞう! 気をしっかり持ちなせえよう! 大丈夫だからしっかりしなせえよう!"
]
] | 底本:「橘外男ワンダーランド 怪談・怪奇篇」中央書院
1994(平成6)年7月29日第1刷発行
初出:「新青年」
1937(昭和12)年10月
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年12月3日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "049868",
"作品名": "生不動",
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"姓読みソート用": "たちはな",
"名読みソート用": "そとお",
"姓ローマ字": "Tachibana",
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"生年月日": "1894-10-10",
"没年月日": "1959-07-09",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "橘外男ワンダーランド 怪談・怪奇篇",
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} |
[
[
"ハッキリと申しますれば、私まだ、貴方を愛する気持にはなっておりませんのよ。どうかして愛するような気持になりたいとは望んでおりますし、またそう努めるつもりではおりますけれど。まだちょっと、今のところではね……",
"奥様、どんな条件でも……どんな条件でも、御遠慮なく、……御遠慮なく、お付けになっていただきます。私でお役に立ちますことならば、どんなことでもいたしまして……私は……ソノ奥様の……",
"条件なぞと、……そんな難しい言葉をお使いになるほどのことではありませんけれど"
],
[
"別段躊躇っているというわけではないが……それほどの家柄でもないのに、金ピカの制服もあまり大ゲサすぎると思ってね。それに父の代から私の家はこういう質素な暮しをしていたものだから、昔の習慣をそう急に改めるのもと思っていたからさ。ちょっとマジャルドーにも相談しにくかったものだからね",
"マジャルドーに御相談……?"
],
[
"そして私帰りにプラツア・デ・カタルニアへ行って買いたいものがありますの……貴方にもぜひ手伝っていただきたいと思ってますのよ",
"いいともいいとも、何でも手伝って上げるとも! では、すぐに出掛けようかね。ちょうど銀行の方も……"
],
[
"……ああもしもし……また混線して……ですから貴方、私と一緒にプラツア・デ・カタルニアへ一緒に行って下さいません? 私どうしても手に入れたいものがありますのよ",
"いいともいいとも! 容易ないことだよ! 今すぐそちらへ行くからね。大体あのルロイ・ソレルの夫人というのはお前ばかりじゃない、私も昔から虫が好かんのだよ。顔は綺麗かも知れないが、高慢で高ぶって見識張っていて……"
],
[
"口留料くらいの金は、私だって充分出す積りだよ。高が犬の一匹くらいまさか売ってくれんこともないだろう",
"お金よりもその犬を売ってもらうことが面倒なんですって、さっきから何遍も私申し上げてるのに、どうしてお飲み込めになれませんの? 気に入らなければお金なんか何百万ペセタ積んだって売ってくれないんですって申し上げてるじゃありませんか",
"金で売らなければ何で売るんだね?",
"ですから、私そう言ってるじゃありませんか! 主人の気分一つで売るんですって! どうして貴方はそう感がお悪いんでしょう。一を聞いて十を知るって言いますのに、貴方のは十を聞いてやっと一がお飲み込めになれますのね"
],
[
"私たちはルロイ・ソレルの夫人から教わって来たんですが。お宅でお売りになるという……あの……珍しい犬というのをちょっと見せていただけませんの?",
"可笑しいですね。ルロイ・ソレル夫人がそんなことを仰るわけはないはずだが……"
],
[
"……見せていただけません?",
"へえ……見せるのはお見せしてもかまいませんがね……一体どちらから貴方がたはお出でになったんでしょうかね?"
],
[
"ロデスの夫人とグラナドスの夫人御存知でしょう? あの方たちわざわざ買いにいらしたのに、いくらお金を出すからと仰っても、どうしても売ってもらえなかったんですってよ",
"あの時も手許にもう一匹しかないと言ってたから、全部売り切れてしまったんじゃないのかね?",
"……と誰だって考えますでしょう。ところがそうではありませんのよ。あとからいらしたモリナーレの夫人だってアルベルトオの夫人だってちゃんと買っていらしたんですものね。もっともお金も随分お費いになったようですけれど……",
"そんなに方々へ売ってしまうんなら、ルロイ・ソレルの夫人なんぞ口留料を出しただけ莫迦を見たようなもんじゃないか! ハハハ! ともかくあの犬屋のオヤジときたら気難し屋らしかったからね。何か気に入らないことがあって売らなかったんだろう"
],
[
"そうね、……銀行の頭取でもあの恰好じゃねえ……お察しするわ、ドローレス",
"でしょう? だから私、夜寝室の鍵だけはどうしても掛けずにはいられないのよ。ね、わかる、シリオン! 私の気持が? まるで悲哀を二匹飼っているようなものよ。動物園だわ、家の中は!"
],
[
"え? 何て仰いまして? 今貴方は",
"…………",
"動物園とかって……それは何のことなんですの? 私には飲み込めませんけれど……"
],
[
"家の中を動物園にしたくないと言っただけなのだ……お前のことではないよ",
"私のことではありますまいけれど、……どういうことなのでしょうか? 何のことやら私には、サッパリわかりませんのよ",
"わからんことはない! 私は別段そんなことに決して腹を立ててはいないのだよ。腹も何も立ててはいないが、ただ悲哀の仲間にはなりたくないというだけなのだ!",
"まあ、貴方は! まあ、貴方という方は!"
],
[
"立ち聞きなさいましたのね? まあ! 立ち聞きするなんて男らしくもない。それで貴方は紳士なのでしょうか? まあ……紳士のくせに立ち聞きをなさるなんて……",
"いいや! それは違うのだ。私は立ち聞きなんぞしたのではない……書庫へ本を調べに行った時に……誤解してもらっては困る。誤解をされては困るのだ……私はその……調べ物のために……",
"いいえ、御弁解は伺いたくありませんの。私、男の方が御弁解なさるとは考えたくありませんのよ。……そして貴方も御弁解なされば、御自分のなすったことに一層醜い色をお付けになるようなものですわ。それでやっと私にも腑に落ちましたわ……",
"弁解ではない! 決して弁解ではないのだ。お前に誤解してもらっては困るのだ。……ほんとうにドローレス、私は、調べ物のために……",
"お調べ物のために立ち聞きなさいましたのでしょう? よくわかりましたの。それで……それで貴方は何の罪もない悲哀をあんな酷い目にお合わせになりましたのね? 仰ることがおありでしたら、なぜ面と向って私に仰いませんのでしょう……? 可哀そうに何の罪咎もない悲哀にお当りになるなんて! まあなんて卑怯な方なんでしょう"
],
[
"何事が始まったのでございましょうか? これは一体……",
"いやソノ……なに……悪く思ってくれては困るのだ……どうも……つい……ソノ……",
"つい……その……どう遊ばしたのでございましょう?",
"私は、実にどうもソノ、申訳ないと思っている。……何と言ってお前に謝ったらいいか……私にできる謝罪なら、どんな謝罪でもしてと……私は……",
"謝罪だとか、申訳ないとか、そんなことを仰っても私には、少しもわけが飲み込めませんが、何かそんな私にお謝りにならなければならぬようなことでも、なさいましたのでしょうか?",
"実はその……私を許してもらいたいと思っているのだ……私は実に重大な侮辱をお前に与えたと……ソノ"
],
[
"……恥ずかしく思ってる……",
"つまり御自分の妻というものをお信じになれないのでございますわね",
"そ、そう誤解されては困るのだ。決してそんなわけではない……信じないどころか! 私は深く深くお前を愛して……それなればこそ……",
"いいえ、結構でございますわ、そんなことを伺いませんでも、御疑念がお起りでしたら、またいつでもどうぞ! ともかくお疑いがお晴れになりましたら、これでお引取りになりましたら? 跡を片付けさせますから",
"そ……それでは困るのだ。私がお前に重大な侮辱を与えておきながら私の疑念が晴れるとか、晴れんとか……そんなところではない。私はどうかしてお前に許してもらいたいと……",
"許すも許さぬもございませんわ。妻ならば夫に疑念がお起りの時はどんな目に遭わされましたからとて……"
],
[
"ところがそうはいかねえ事情がありやしたんで……旦那、私ゃもう馘でやんすよ",
"馘? 馘とはなんだ?"
],
[
"だから何にも話を知らんのだから、お前がよく私に飲み込めるように筋道立てて話をしてくれたらいいじゃないか。……私に得心さえいけば金をやろうと言ってるじゃないか。……そこで家内が悲哀を可愛がってると……それは私にもよくわかっているが、それが一体どうしたと言うんだね?",
"旦那、奥様は悲哀を可愛がってなさるんじゃねえんでやす。奥様あ悲哀を抱いてなさるんでやす"
],
[
"……そうか",
"……お食事のお支度ができておりますから",
"よろしい……スグ行く!"
],
[
"そうですか……取り扱ってはいただけなくなったのですか……",
"まことにお気の毒ですが",
"では、……仕方がありません"
],
[
"ロドリゲス・アレサンドロさんではいらっしゃいませんか?",
"そうです、アレサンドロですが",
"おう! これはこれは……失礼しました。私マルセ・モネスです。どうもお姿が、会長さんらしいと思いましたが、やはりそうでしたな。……何か御用でも?",
"少し御依頼したいことがありまして、……実は"
],
[
"私はユアンではありません",
"何を言う! お前がユアンでなかったら、誰がユアンなのだ?"
],
[
"そうです……しかしお約束した日には……二十日の朝には、帰って来るつもりですが",
"恐れ入りますが、別荘へお出になりましたら、用事をお拵えになって小間使のテレサを呼んでいただけますまいか。三、四時間あの女を留守にさせていただきたいのですが",
"テレサを?",
"そうです。もうちょっとのところで仕上げを終るのですが、どうもあの女が眼を光らせていて困るのです。ほんの三、四時間で結構なのですが",
"畏まりました。何とか考えて……そういうことにしましょう……そして妻は潔白だったでしょうか? 妻は……?"
],
[
"………悲哀を御覧になったと………今仰いましたか? どこで一体御覧になったのでしょうか?",
"もちろんお宅へ伺ってですよ"
],
[
"先週の終りから今週へかけて………そうですね、ちょうど貴方がサンタルシアが丘へお出掛けになる前くらいに支配人のアロンゾ・マジャルドー氏が続けて三度ばかりお宅へ伺っているのを御存知でしょうな?",
"ハ知っておりますが………",
"その三度ともマジャルドー氏は貴方とはお話をせず、ただ召使に何か注意を与えただけで帰りましたな?",
"ハ……そうです",
"マジャルドー氏のこういうことは、別段珍しいことではありませんな?"
],
[
"珍しいことではありませんが……しかしマジャルドー氏の伺うのは、いつも夜分のことで銀行の勤務時間中にはあまり伺いませんでしょう?",
"そ……うです。何の用があったのだろうと、それでまことに不思議に思っていたのですが"
],
[
"御調査を願ったり、またお話を途中で遮ったり……まことに我儘勝手のようですが……どうかこの程度で……もうこれ以上のことは伺わぬでも充分私にも腑に落ちましたから",
"…………"
],
[
"仰るまでもないことです。向うにおりまして法廷喚問に応じられません場合には、もちろん書証をもって立証いたします。証拠力は同じことですから……こういう調査というものは一歩を誤ればただに御夫婦間に水を差すというくらいのことでは止まりません。被調査者からは重大なる名誉毀損の罪に問われねばなりません。充分確たる資料を握っての上ですからその点は御信頼下さい",
"決してお疑いするわけではありませんが、何か一つその資料というものを見せていただくわけにはまいりますまいか? ……充分御信頼はいたしておりますが……どうも平素の妻の性格から考えてあまりにも信じ難いお話で……実はまだ私は茫然といたしております。決して貴方のお言葉を疑うわけではないのですが……どうか哀れな愚昧な夫を救ってやるとお思いになって"
],
[
"資料は私共の証拠材料として保存しておきまして、調査依頼者へは必要の場合ただ写しだけを差し上げることにいたしておりますが、よろしゅうございます。お見せいたしましょう。その代り一つだけでよろしいでしょうな? 幾つ御覧になりましてもかえってお気持をお悪くなさるだけのことと思いますが",
"結構です。一つだけ拝見させていただけますれば……"
],
[
"どうもつい……存じませんでしたもので……頭取がおいでになるとは、つい存じませんでしたので……",
"巡視かね?",
"ハイ……"
],
[
"……さあ……では、そろそろ帰るとしようかね?",
"お車をお呼びいたしますでございますか?",
"なあに……それには及ばん……",
"ついどうも存じませんで……頭取がおいでとは夢にも存じませんでしたので……庶務の方から何の知らせもなかったものですから……つい存じませんで……あ、表玄関の方はもう閉まっておりますから唯今お開けいたしますから",
"いや、裏門から出て行くからかまわん"
],
[
"私はいつぞや君のところから犬を買ったアレサンドロというものだが、ちょっと主人に話したいことがあって来たのだが",
"どういう御用でしょうかね? もう店を閉めてしまいましたから、明日の朝にしてもらえませんかね?",
"そういかんのだ。家内が是非今夜中に話して来てもらいたいと家で待ってるんでね。……手間は取らせぬからちょっと話したいのだが",
"どんな御用でしょうかな? ここで仰ることはできませんかい?",
"手間は決して取らせんと言っているのだ……表で話すというわけにもならんのだが",
"そうですかい……じゃ仕方がない……お名前は何とか仰いましたな?",
"アベニイダ・フロリダ街のロドリゲス・アレサンドロ……いつぞや犬を買ったことがある……帳面を見てくれればわかるはずだが……",
"そうですかい……ちょっと待ってて下さい……"
],
[
"フリオ・ベナビデスさんはいるかね?",
"フリオは私ですがね……一体何の御用ですかい?"
],
[
"犬でも御入用だと仰るのでしょうかな?",
"私の顔に見覚えがあるかね?",
"いつぞや奥様も御一緒にいらした……ルロイ・ソレルの夫人からの御紹介だとか仰った……",
"そうだ! 覚えていたね。……実はあの時、君のところから買った犬のことで、少し話があって来たんだがね",
"あの犬がどうかしましたかい?",
"そう……あの犬のことで、君にくれぐれも礼を言ってもらいたいと家内が言ってるのだ",
"…………",
"手を挙げたまえ! ベナビデス君"
],
[
"お、呀っ!",
"卓子の側を離れたまえ! 愚図愚図していると弾が飛ぶかも知れぬよ!"
],
[
"これからとっくりと礼を言いたいのだが……その前に一言聞かせてもらいたいね、あの犬の売れ残りはまだあるかね?",
"し……下階に……下階にいる",
"そこへ案内してもらいたいね、向う向きになってね! もっと手を高く挙げてね!"
],
[
"電気を点けたまえ!",
"階段の下になっているから",
"では……先へ降りて点けたまえ!"
],
[
"犬はどこにいるんだね?",
"そ……そこにいる……そことそこに……"
],
[
"では……もう一つ君に聞きたいが、君の店で一番高価な犬はどこにいるかね? ハッキリと教えてくれたまえ! 嘘を吐くと危険だからね",
"そ……それと……それだけだ!"
],
[
"呀ッ、貴方は! 貴方は!",
"声を挙げるんじゃないよ、ベナビデス君! 騒ぐと君にも飛ぶといけないからね! これだったね、もう一匹の方は!"
],
[
"ベナビデス君! 答えてくれたまえ! 君はどういう怨みがあって、ああいう犬を売って私の家庭を破壊してくれたのかね? そのわけを聞かせてくれたまえ!",
"…………",
"言えないのかね? 言えなければ撃とうかね?"
],
[
"みんな差し上げます……どんな謝罪でもします……ご、後生ですから……い……命だけはお助け下さい",
"そんなに命が惜しいのかね?",
"ご、後生……一生のお願いですから命だけはお助け下さい……命さえ助けて下されば、も、……もう、どんな御相談にでも乗ります……ど……どうぞお願いですからお助け下さい、お願いです"
],
[
"狙いを付けられていると苦しいかね?",
"気が違いそうだ……後……後生一生のお願いです、どんなことでもしますから……た……助けて……"
],
[
"畏まりました。旦那様早速そう申し伝えるでございます。さぞみんな喜びますことでございましょう",
"そうそう奥さんがそう言っていた。テレサが寝室の鍵を預かっているそうだから、それを受け取っておくようにとのことだった。後で私のところまで届けさせて欲しい",
"畏まりました。旦那様"
],
[
"明朝は必ず八時までに帰ってまいりますから",
"ああいいとも……いいとも"
],
[
"旦那様……全部仰せのとおりに致しました。みんな喜んでまいりましたが、門番夫婦はいかが致しましょうか?",
"どうもこれだけは門の開閉をするのだから出て行かれては困るな、金だけをやっておいてもらおうか"
],
[
"畏まりました。では私もお言葉に甘えまして明朝八時までには必ず帰ってまいりますが、そういたしますると奥様お帰りまではお邸の中は、旦那様お一人ということになりますから、もしまた裏門の方からでも誰かまいりますとお困りでございましょう。台所口、裏門の方は全部私鍵をかけておきましてございますが、それでよろしゅうございましたでしょうか?",
"ああそうしておいてくれたら都合がいいな、ではお前にも気の毒だから、さ、少し早いようだが食事にしてもらおうかな!"
],
[
"お前は知るまいが、今夜は奥さんの友達が大分家へ来て泊っている。召使たち全部には朝八時まで一晩の休暇をやることにしたから、お前にもその休暇をやる",
"ハイ!",
"これはわずかだが……みんなにもやったことだから"
],
[
"旦那様はどちらかへお出かけでございましょうか?",
"なに、私は庭をブラ付いとるだけだ",
"そうしますと……ほんとうにこのまま出かけましてもよろしいのでございましょうか?",
"かまわん、かまわん! むしろその方がよろしいのだ"
],
[
"今夜は少し心祝いがあってな……みんなに少しずつだがやったのだ。無人だからスグ門を閉めてもらおうか。今夜だけは誰が来ても……仮に召使たちが帰って来ても、明日の朝までは絶対に開けんようにな。私がそう言ったと言えばいいから決して門を開けてはならぬぞ!",
"畏まりました……でも旦那様何かお邸でございますのでしょうか?",
"なあに何にもあるわけではないさ……偶にはみんなにも息抜きをさせたいからだハハハ……"
],
[
"…………",
"俺を毒殺したいと、女優のアロセメナに手紙を書いた不貞な妻を今夜は必ず殺すのだ!",
"ま……待って下さい……お願いです……大変な誤解です……貴方の誤解です、今そのわけを言いますからちょ……ちょっと待って……お願いですからロドリゲス! 拳銃を降ろして……"
],
[
"殺すと言ったら何としても殺すのだ。……ただしこれから心を入れ換えて俺の言うことを聞くというのなら貴様の命を取ることだけは許してやろう。厭か応か心を決めて返事しろ!",
"きっと……きっと聞きます……どんな仰ることでも……ロドリゲス助けて! ……助けてさえ下されば……どんなことでも聞きますから……お願いです! 拳銃だけは降ろして!"
],
[
"言うことを聞くと言うたな? ようし俺が一から三まで勘定する間に俺の言うとおりにしろ! しなかったらすぐに撃つ! わかったな! ドローレス! わかったら全部着物を脱げ! ……一!",
"ロドリゲス……どんなことでも聞きますから……そんな……そんな無理なことだけは……",
"……二……"
],
[
"もっと大きな声を出して呼べ! 躊躇してれば撃つぞ!",
"ト…リス…テサ!"
],
[
"もっと大きな声で呼ぶんだ! もっと大きく……",
"トリステサ!",
"撃つぞ! もっと大きな声で烈しく呼べ! 一! 二!"
],
[
"殺して下さい……こんな恥ずかしい思いをさせて……もう沢山です……もう充分です! ……貴方はさぞ御満足でしょう…さあ一思いに私を殺して下さい……死にたい…ね……早く殺して……",
"殺せと頼まれなくても殺す時が来れば殺してしまうのだ! 騒ぐな! 今更泣いて騒ぐくらいなら貴様は一体誰に頼まれて犬の夫人になったのだ? 今日までやっぱり泣きながらこうして犬の夫人になってたのか? おい……犬の伯爵夫人! 顔を挙げろ! 顔が見れるものなら……おい、顔を挙げて真正面に俺の顔を見てみろ!"
],
[
"被告の申し立てはことごとく幻奇奇怪を極めた申し立てであって、裁判官には被告の心状が正当なる状態にあるとはいかにしても受け取り難い筋がある。そこで被告! 改めて被告に訊ねるが、それほどまでに被告が自己の信念に立脚して、自己の陳述の正当性を主張するならば誰か被告のために、被告の執った行為を当然なりと立証してくれる証人を有するか? 有するならば、その証人の姓名を挙げよ。どんな遠隔の地にあろうとも裁判所はその証人を呼んで、被告の陳述の妥当性をもう一度吟味することにしよう",
"もちろんある! 二人あります。バルセローナ市の有名な私立探偵マルセ・モネスとその助手ルカ・ロザリオ……この二人をお呼び下さい。亜留然丁の警視庁顧問として現在ブエノスアイレスにいるはずです。この二人は喜んで、私の信念に誤りないことを立証してくれるでしょう"
]
] | 底本:「橘外男ワンダーランド 人獣妖婚譚篇」中央書院
1994(平成6)年11月28日第1刷
初出:「ホープ」
1946(昭和21)年10月~1948(昭和23)年9月
※「迂潤」と「迂闊」、「萠」と「萌」、「纏」と「纒」、「呀ッ」と「呀っ」、「麪包」と「麺麭」、「逍遙」と「逍遥」、「……」と「………」の混在は、底本通りです。
※「衿持」に対するルビの「きんじ」と「きょうじ」、「飾電灯」に対するルビの「シャンデリヤ」と「シャンデリア」の混在は、底本通りです。
入力:門田裕志
校正:江村秀之
2018年9月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "051243",
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[
[
"どこから出て、どこへ行く?",
"乗員は船を見棄てて、ただちに待避せよ!"
],
[
"開けてみたとて差し支えないじゃないか! 元のとおりにちゃんと蓋さえしておけば",
"そうはいかんさ。これだけ厳重に警察へ届けろと書いてあるのに、そんな勝手な真似はできんぜ!",
"律義にも程があるぞ。だってあんな老耄の警官に、何がわかるもんか!",
"こうしたら、どうだろうね? 発見したのはあの子供たちだが、解読してやったのは僕らなんだから、結局僕らは発見者と同様な立場にある。そこで一つ発見者の面子を立てて、警官に来てもらって、ここで開けてみてもらったらどうだろう?"
],
[
"どんな大変なことになるんです?",
"時節柄、もしこれが漂流してきた爆薬だったらどうします? 我々の身体は木っ端微塵ですぞ!"
],
[
"わあっ! 木乃伊だぞう!",
"木乃伊だ! 木乃伊だ! 埃及の木乃伊だぞ!"
],
[
"一体こういうことが、世の中にあり得ることか、あり得ぬことか……どうも儂には腑に落ちんよ!",
"あんたさんにわからんことはないでしょうが、散々腹暇かかって読んでいたくせに!"
],
[
"読んでいられたのだから、こうこういうことが書いてあったくらいは言えるでしょうが",
"言えんね……そんな簡単な、一朝一夕に言えるような問題じゃないね、これは!"
],
[
"誰が見ても、これが簡単に言えるものじゃないね。読んでいるうちに、儂まで頭がおかしくなってきたようだ",
"そんな狂人みたいなことが書いてあるんですかい?"
],
[
"誰に見てもらっても、普通の史学の学者では歯が立たんよ。それよりも今ブエノスアイレスの大学に英国からケネディ博士という羅馬古代史の学者が来ているからね。この博士ならば、ハッキリしたことも決めてくれるだろう。一度博士に来てみてもらったらどうかね?",
"あんたさんに読めんと言わっしゃるならそうするほかがないが"
],
[
"が、何もブエノから、わざわざ外国人の先生を呼ぶにも当らんでしょうが。独逸語で書いてあるもんなら、独逸語の先生に読んでもらえばスグ分るでしょうが! バヒア・ブランカにだって独逸語の学校がねいわけじゃあるめいし",
"君たち話にならんね。語学ができるできぬの問題じゃないね、これは。決定が付けられるか付けられぬかの問題だよ。普通の史学の教授なら儂と五十歩百歩だね。これに断定の下せる人は、学者多しと言えどもまずケネディ博士くらいなものだろう。その他の学者なら、招ぶだけ時間と費用の損だね。それに海洋学者にも来てもらう必要があるね"
],
[
"お国では、国の宝とでも言ったような貴重な物品を指定したり保存したりする仕事は、何という役所でやっておりましょうかな?",
"さあ、……それは財務管理局でやっとりましょうと思いまするですが",
"では、お手数ですが、スグその役所へ電話なり電報なりを打って、お役人に出張してもらっていただけまいか?"
],
[
"呀っ! 先生! この木乃伊が!",
"ほう! へえ! この木乃伊が独逸人だったのですか?",
"そうです。それがワイゲルトという中尉なのですが、……それは純粋の木乃伊ではありません。特殊の薬剤を注入して……ま、そんなことはいずれ明日でも詳しく申し上げるが、……そのワイゲルトという中尉の姉がある貴族のところに縁付いて、独逸のケムニッツ市に住んでいる。その姉に渡すようにと書いてありますからもしその本人が生存していれば、まあ、その人のものになるのではないかと思われますな。私には、そういう方面のことはよくわからぬが"
],
[
"もちろん金貨の値打ちも大したものでしょう。しかしそんなものは高々何十万か何百万ペソ、……まあそんなところでしょう。が、ほんとうの値打ちというものはむしろ、皆さんが洟も引っかけずにいられるそこにある函や、鋸屑のような詰物、絵やこの巻物なぞの方にあるのですよ",
"と仰有いますると……?",
"それらのものは何千万ペソと言っていいか何億ペソと言ってよろしいやら、到底金で換算することも何もできぬ莫大な価値を持っているのです。財務管理局と、言いましたかね……そのお役人を呼んでいただきたいと私共が申し上げているのも、決してそんな金貨なぞを問題にしているのではありませんよ。函、油絵、鋸屑、それからこの巻物……そうしたものを、大切に保存していただこうと思っているからお願いしたわけなのです"
],
[
"後退、後退!",
"全速!",
"取舵一杯!"
],
[
"水雷室の艙口を閉めろ! スパイキを持って来い! スパイキを! 甲板と艙口の間に、スパイキを突っ支え!",
"おうい、排水だぞ! 排水だ! 全員、排水に取り掛かれ!",
"手動喞筒を廻せ! 手動喞筒を廻せ! おうい、喞筒を第一防禦甲板へ搬べ!"
],
[
"隊長! 入隊前スマトラにおりまして、インドネシア語が少しわかるのですが",
"おお! やってみてくれ、やってみてくれ",
"隊長、私は馬来語が少し……",
"おお頼む",
"隊長、自分はオマーンにおりまして、亜剌比亜語を",
"オマーンというのはどこだ!",
"亜剌比亜の東端で波斯湾岸であります",
"妙な所にいたな! かまわぬ、やってみてくれ",
"私は支那語を四つばかり……",
"四つとは心細いな。しかし、物はためしだ!"
],
[
"貴方がいらして下さってから、こんなにも楽しくなって、みんな喜び切っていますのに……どうして貴方おひとりはそんなに淋しそうな顔をしていらっしゃいますの?",
"貴女や御父様のお陰で、こうして幸福に私は毎日を送っていますけれど、何にも知らずに姉がさぞ私のことを案じているだろうと……故国にいる姉を、また、今、想い出していたところなのです……",
"…………"
],
[
"奴隷のクレテは、この国切っての函作りの名人と言われていますわ……クレテの作った函は、何年たっても、何十年たっても決して水が洩らないと言われていますわ。私、クレテに言い付けて、丈夫な函を作らせようと思っていますのよ……何年たっても何十年たっても、水の透らぬような浮き函を……",
"…………",
"そうしたら、貴方のお国の言葉で、貴方は書いて下さいますわね? この函を拾った方は、どうぞ私の姉のところへお届け下さるようにと……そのお礼には、函の中の宝石をお取り下さるようにと……私、函の中へ、ミレネアの花瓶も……エスキリネの鏡も……金も銀も宝石も一杯に入れておきますわ",
"…………",
"私、貴方のために鵞ペンをたくさんに削りますわ。奴隷のアヌッスに言い付けて、紙草もたくさんに拵えさせましょうね。……渦の中に何年捲き込まれても、何十年捲き込まれても、そして流れて流れて、何年かたてば……何十年かたてば……"
],
[
"海が連れてきた幸福を、どうして海がまたお姉様のところへ、連れて行ってくれないことがあるでしょう?",
"おお、貴女は何という優しい、そして賢い方なのでしょう"
],
[
"みんなで来てくれと言ってるんじゃないでしょうか?",
"どうもそうらしいな。じゃ一つ、みんなで行ってみようか"
],
[
"が、そのうちに私は、おや! と気が付きました。さっきから他愛もない話にさりげなく微笑んではいましたが、父という気持に映ってくるものがありましたのです、お前は……お前は……と、私は思わず抱いていた手を話して娘の顔を瞶めました。お父様……何にも仰有らないで! と娘は犇と私の手に縋り付きました。今は真夜中で侍女たちはみんな昼の疲れで眠っております。どうかお騒ぎにはならないで! あれたちの眠りを醒まさせないで下さいまし。私はお父様と二人っきりでこうしてお話していれば、もうこれで何の思い残すところもございません。お父様、私の眠ります時までにまだ時間はございます。その時のくるまで、どうぞ、このままで……このままで私を抱いていて下さいましと、娘は堅く私の手を握って放さないのです。そうか! あの方が亡くなってから、いつか一度はこういう日がくるのではないかと、私も胸を痛めていたのだが、到頭その日がきたのかと私は長嘆息しました。やがて一時か二時の後には、たとえそれが娘の言うように、仮の別れであろうとも、この最愛の娘に別れねばならぬのかと思いますと、今更ながら年甲斐もなく狼狽せずにはいられなかったのです。この老いたる年をして最愛のものを失って、これからは何を力に生きてゆけるだろうかと思うと、まことに身勝手のようですけれどもう一度翻意してもらえるものならばすぐにでも侍女たちを呼び起して、医者のプラチウスでもリカルトスでも、この国のありとあらゆる名医たちを呼んで手当てを加えてもらおうかと考えずにはいられなかったのです。しかしあの方が亡くなってから、娘はすでにこの世の幸福というものを失い切っているのです。たとえそうして娘に生き永らえてもらって私は幸福であっても、すでに魂を失って形だけ生きている娘は不仕合せであり、私はもはや老い先短い身体ではあるが、行く末長い娘の身をそんな老人の犠牲として生き永らえさせておくよりも、娘自身こんなにも仕合せだと喜んでいるのですから、思い切って娘の選んだ道へこのまま赴かせようかと考えてみたり……さりげなく娘を抱いてはいましても、肚の中では膏汗を流さんばかりの気持で、千々に心が乱れておりました",
"……お察しいたします"
],
[
"ともかく、娘に聞いてみました。お前が仕合せになる道として選んだのならお父様も決してお前を妨げようとはしないから、一語だけハッキリと教えておくれ。毒薬はどれを飲んだのかと聞きますと、娘は黙って枕許の小皿を指ざしました。それがさっきお眼にかけましたあの青い透き徹った薬なのです。先程も申し上げましたようにこれはパピリラといいまして、この国で一番の猛毒として人に恐れられている毒薬です。この薬には死の苦しみもなければ、屍体に何の徴候をも残しはしませんが、誤って微量を嚥下しましても、もはやいかなる名医でも、匙を投げるよりほかはないとされているものでした。服毒後三時の間には、必ず死ぬものと恐れられている毒薬です。私は思わず嘆息しました。そしていつ頃飲んだのかと聞いたのです。お父様をお呼びする一時ばかり前に飲んだという返事です。私を呼ぶ一時前に服毒したとすれば、私が来てからでさえもはや一時近くはなっておりましたでしょう。この猛毒を飲んでからもう二時余りになっていたのでは、今更何としても助かりっこはありません。私は溜息を吐きました。もうそれほどまでに深い覚悟をしていたのなら、もはや私も娘の決心を妨げることはしないでおこうと心に決めました。そして、せめては娘の残りすくない時間をできるだけ楽しませてやろうと考えを決めましたのです",
"……",
"もうそれほどまでに心に決めたのならば、お父様も決してお前の行く手を遮ることはしない。しかしもう時聞もないことだし、お父様に頼んでおきたいと思うことがあったら今のうちにみんな話しといたらいいだろう、とこう申しますと、自分はこうして仕合せに死んでゆける身の上で何の心残りもありませんけれど、自分のいない後にお父様がどうして日々をお暮しなさるかと思うと、それが心残りだと私の胸へ顔を埋めて初めて涙を流しました。どうぞ不孝な娘を許して下さいましと頼むのです。そしてこの不孝な娘の頼みを、一つだけ聞いて下さいましと……おお……何なりとも遠慮なく言うがいいと……そして娘は初めてその頼みを打ち明けましたのです。実はこの娘の頼みをお願いするためにこうして皆様にもいらしていただいたわけなのです"
],
[
"それまでなさらぬでもよろしいのではないかと思われますが。そのお気持だけにして、姫はもちろんのこと、我々の友達もせっかくあすこへ葬られていることですし……中尉の遺骸もあのままにしておいた方が、かえって故人も喜ぶのではないかと考えます。骨にしてというならばともかくも、今更生々しい屍体を送り届けましても……よしんばそれが無事に向うへ到着しましたにしても、中尉の令姉の方でもかえって、有難迷惑のような……",
"しかし、娘はあんなにもそれを冀って死んだことです。……私もまたハッキリと請け合って娘にそれを約束したことですし……御迷惑だと仰有るならば致し方もありませんが、もしそれが御迷惑でなくて、何とか取り計らっていただけるものでしたら、何とか御配慮を願えれば我々親子の気持も救われますのですが……",
"迷惑だなぞと決してそんなことは……今も申し上げますとおり、姫のお気持は我々としても、何ともお礼の申し上げようもありません。……これを聞きましたら中尉の令姉もさぞかし落涙して感謝されるだろうとは考えるのですが、……ただ、屍体を送るということが、あまりにも何かこう……"
],
[
"さぞ、お腹もお空きになりましたでしょう。別室にはお食事のお支度もできておりますから。おい、これ、アロンゾ! 何をボヤボヤしとる。早く先生方を御案内しないか!",
"なあに、腹も何も空いてはおりません。ただ、ちょっと休息させてもらえれば結構なのでして"
]
] | 底本:「橘外男ワンダーランド 幻想・伝奇小説篇」中央書院
1995(平成7)年4月3日第1刷
初出:「読物時事」
1947(昭和22)年5月~12月
入力:門田裕志
校正:荒木恵一
2017年9月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "051248",
"作品名": "ウニデス潮流の彼方",
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"初出": "「読物時事」1947(昭和22)年5月〜12月",
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[
[
"薬のことか? 今の薬のことか?",
"そうだ! 一つだけ副作用のあるのを忘れていた!"
],
[
"大したことはないが、一時熱が出て眩暈がするだけだ",
"それが大したことでないどころか!"
],
[
"実に弱った。外のことならかまわんが、身体のことだけはどうにも俺には堪えられん。OH! 早く見てくれ、服用後何時間内に発熱すると書いてあるか?",
"そのことについては別段書いてない",
"不届きな薬なんぞ消えっちまえ! それだから日本の薬は信用ができんと言うのだ!"
],
[
"今帰っては困る! しばらくいてくれ! もう少しの間ここにいてくれ! 君にも責任がある。俺の眼が廻ってきたら誰が介抱してくれるだろう。心細いからしばらくいてくれ、訳のわからん東洋の薬なんぞ飲んで今に発熱したり眩暈がすると思うと、俺には堪えられん",
"俺が好意で君に薬を勧めているのに、君はそんなことを言って人を脅かす気か",
"脅かすんではない、心細くて堪らんから、君に頼んでいるのだ! 何でもいいから、しばらく一緒にいてくれ"
],
[
"どうも、私の見たところでは中毒らしい症状も見えませんがね",
"しかし先生、不思議です、たった今計った時には三十九度からあったんですが",
"三十九度あっても、どうも私の体温計では熱が上がってきませんがね"
],
[
"その悪漢めが俺に毒を飲ませたのだ! 人が厭だと言うのに、無理に毒を飲ませてしまったのだ! あ、手が麻痺れる",
"何と言っていられるのです? 大分昂奮していられるようですが"
],
[
"手が麻痺れると言ってるんです",
"可笑しいね、手が麻痺れるわけがないが。……感じますか? あんた、聞いてみて下さらんか、これが感じるかどうか?",
"感じるかと医者が聞いている",
"この腐れ医者めは何をしていやがるのだ! 痛くて仕様がありゃせん!",
"痛いと言っています",
"じゃ大して麻痺れてるわけでもありませんな"
]
] | 底本:「橘外男ワンダーランド ユーモア小説篇」中央書院
1995(平成7)年12月4日第1刷
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年12月3日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "050075",
"作品名": "葛根湯",
"作品名読み": "かっこんとう",
"ソート用読み": "かつこんとう",
"副題": "",
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"初出": "",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2010-01-04T00:00:00",
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"人物ID": "001397",
"姓": "橘",
"名": "外男",
"姓読み": "たちばな",
"名読み": "そとお",
"姓読みソート用": "たちはな",
"名読みソート用": "そとお",
"姓ローマ字": "Tachibana",
"名ローマ字": "Sotoo",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1894-10-10",
"没年月日": "1959-07-09",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "橘外男ワンダーランド ユーモア小説篇",
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[
[
"夏のマドリードの雷は、酷きや?",
"オウ! ……時々……"
],
[
"バルセローナは?",
"ヤッパリ、時々……",
"どのくらい酷きや? 卒倒するくらいか?",
"ワタシ雷デ引ッ繰リ返ッタコト、ナイカラ、ワカラナイ。チョウドココグライ……モット酷イコトモアル"
],
[
"リスボンは?",
"葡萄牙ハ、ワタシ行ッタコトナイカラ、少シモ知ラナイ。西班牙デ、一番酷カッタノハ、カステイルノ高原……",
"智利のサンティアゴは?",
"娘ダッタカラ、ワカラナイ!",
"ヴァルパライソは?",
"オウ、テリブル!"
]
] | 底本:「橘外男ワンダーランド ユーモア小説篇」中央書院
1995(平成7)年12月4日第1刷
初出:「旅」
1952(昭和27)年8月
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年11月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "050076",
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[
[
"そういうわけで、一つ存分に、お骨折り願って……いかがでしょう? こちらにもちょっと見当をつけてるところはありますが、取り返して下さる自信は、おありでしょうね?",
"ハ、お話を伺ってみなければ、ハッキリした御返事も申し上げられませんけれど、……わたくしできるだけのことはいたしまして",
"できるだけのことなぞと、そんな頼りない御返事では、困ります。できてもできなくても、必ず取り返してやる……と"
],
[
"……いかが? アイネス嬢、ハッキリと引き受けてもらえましょうかね?",
"では奥様、わたくし責任を持ちまして必ず、……ともかく、事件の顛末を、お聞かせ下さいまし",
"わたし共の方こそ、篤くりと一つ、聞いていただかなくてはなりません"
],
[
"では、七時半から十一時半までの間に――宴会が始まってから舞踏会が終るまでの間に、お奪られになったということに、なりますね。その間に、御気分でも悪くて、しばらく席を外しておいでになったというようなことは、おありになりませんでしたか? 軽い眩暈でも、なさったとか……",
"ありません。倅や嫁が一緒におりましたから、この二人が、よく知っております",
"思いがけなく誰か、寄り添ってきたというようなことでも? ……出合い頭に、誰かブツカッタというようなことでも、ございませんでした?"
],
[
"舞踏は、どなたかと?",
"少々糖尿の気がありましてね、医者から禁じられていますから、一切しません。禁じられなくても、もうこの年ではね"
],
[
"では奥様、実物の頸飾りの恰好を、お話し下さいませ。この偽物と実物は、どの点がどういう風に違っているのか、宝物は幾カラットくらいのものが、どこについていたとか? そういう点をできるだけ細かに、……もし奥様だけの御記憶でなんでしたら、若奥様もお呼び下さいまして。写真でもあれば、なお結構なのですが",
"さあ、特別に頸飾りだけを、撮したというものもねえ",
"ございませんでしたら、奥様のお写真で、結構ですわ。頸飾りをおかけになりましたところを"
],
[
"大奥様は、殿下の向って左……このお席でございます。そのお隣りがスタッセン英国大使様、御当主様は、ここへお就きになりまして、……ハイ、若奥様はあの辺でございました。手前は、この辺に立っておりました。最初の前菜の時は、あすこでスチュワートたちとお客様方の御接待をいたしておりましたが、三鞭になりましてからは、ここに立っておりました",
"お客様方のお名前はおわかりでしょうね?",
"ハイ、御招待の控えが、手前のところにございますから",
"後で大奥様のお手許まで出して下さいな、拝見したいと思いますから",
"畏まりました"
],
[
"失礼ですが、奥様、どなたにでも、記憶違いということはございますから、奥様はそう仰有いますけれど、いつの間にか金庫の中で、スリ変っていたと……奥様がほんものだとお思いになって、お着けになった時はもう、偽物だったということは、ございますまいかしら?",
"わたし何度でも、ハッキリと断言しますが、着物を着換えて階下へ降りた時には、間違いなくほんものだったのです。長年見慣れていますから、わたしに見損いなぞということは絶対にありません",
"奥様が階下へお降りになってから、お客様方がお帰りになるまで時間にして、ほんの四時間ばかりということになりますが、お客様方の眼の前で、おかけになっていらっしゃる頸飾りが取り換えられたということは、普通では考えられぬ、魔術のような早業だということになります。やっぱり、金庫の中で換わっていたのでは、ございませんかしら?",
"絶対に、間違いはありません、アイネス嬢! まだ疑いがお晴れにならなければ、一つ証拠を御覧に入れましょうかね"
],
[
"では、実物と偽物の違いは、……ほんの一度か二度、奥様のおかけになってるところを見ただけでも、拵えられる程度だと仰有いますのでしょうか?",
"そのとおりです",
"かなり重さのあるものが、大体、似ているとすれば、……一度くらい自分の手に取って見たのでなければ、見当がつきませんでしょう?",
"それは、そうですね。しかし、この程度の粉い物なら、一度手に取って見れば、スグ拵えられますよ。ほんの見たところだけの、ごく大ザッパな模造ですから",
"奥様、今日までに頸飾りに興味を持って、見たいと仰有った方たちの、お名前は、おわかりでしょうか? 手に取って御覧になった方たちの、お名前だけで結構でございますが",
"さあ、それは……"
],
[
"大勢ですから、思い出すのも容易じゃありませんね",
"では、後程で結構ですから、お思い出しになりましてから、お聞かせ下さいまし。……ともかく、この偽物から考えられますことは"
],
[
"これほどの周到な犯人が、ただ迂闊に、手を抜いた模造品を拵えるとは思われませんから、この犯人が実物を、微細な点までは知らない人間か、さもなければ奥様のお気付きになるのが、そう長い後でなくても、ほんのお客様方のいらっしゃる間だけでも、お気付きにならなければいいというくらいのつもりで、拵えたものではなかろうかと思われます。わたくしには、この犯人は自分の立場というものに、よほどの自信を持っている、生易しい身分の方ではないような気がいたします",
"そ……そうですよ、そのとおり、さすがは探偵でいらっしゃる"
],
[
"たとえ王弟殿下でいらっしゃろうとも、そんな忌まわしい噂の、お立ちになっていられる方を、わたし共好んで、お招きしたわけではありません。でも、国王陛下の御名代として、御臨席下さいますものを、わたし共御辞退はできないではありませんか。ところが、たちまちこういうことが起って! このことをあなたは、どうお考えになります?",
"…………",
"確たる証拠もないのに、わたし共何も、殿下をお疑いしてなぞいませんよ。しかし殿下は、今恐ろしい世間の噂の、中心になっていられるお方ですよ。その方がおいでになったら、わたし共の頸飾りが、たちまちこんな不思議な紛失り方をしたとなると、あなたは一体、このことを、どうお考えになります? アイネス嬢",
"…………"
],
[
"殿下が、アンネマリー姫と御婚約なすっていらっしゃりながら、かれこれ一年近くもなるのにまだ、御結婚の御予定がないと新聞なぞで大分騒いでいるのは、あなたも御存知でしょうね",
"存じております"
],
[
"いいえ、男の方ばかりでございます。お一人は副官様でいらっしゃいましたが、そのお方は宴席の方へおいでになりましたから、家職の方御三人が詰めていらっしゃいました",
"殿下のお帰りになるまで、その方たちは、一体何をして、待ってたのでしょうね?",
"さあ、……手前がお食事を運ばせました時は、皆さんで将棋を指して、おいでになりました"
],
[
"夫人、お相手を願えまいか?",
"ハ、恐れ入ります、殿下"
],
[
"お顔色が、優れぬように思われるが……",
"ハ、別段に、大したことも……"
],
[
"……時々何か、……茫っと、いたしますような……",
"それはいけぬ。今宵は、大分温かい、逆上せられたのかも知れぬ。では、さ、あちらへ抜けてまいろう。少し夜気にでもお当りになったら、よろしかろう"
],
[
"夫人、これでも召し上って、もうしばらくじっとしていられたがいい。しばらくそうして休んで",
"まあ、こんなお心遣いまで、していただきまして……申し訳ございません"
],
[
"でも、……その時殿下ではなくて、誰か殿下と瓜二つの人間が、殿下を装ってビョルゲ夫人の相手をしたものがある……とそう考えて、その方面をもっともっと、調べてみる人はなかったのでしょうか?",
"フィリップ殿下と聞くと、丁抹中の若い女が顔色変えるが、名探偵! お前もソロソロ顔色が変ってきたじゃないか!"
],
[
"奥様! 奥様はヨアンネス様と、お話をしていらっしゃいましたと伺いましたが、その時の模様を、お話し下さいませんでしょうか?",
"アイネス嬢、相手はヨアンネスですよ、子供のヨアンネスと話していたことが、あなたに何の参考になります?",
"でも、一応、お伺いしませんと! ……",
"バカバカしいじゃありませんか、親が子供と話していたことなんぞ……"
],
[
"お母様! まだ足りないものがあるの、どうしても僕、発動機をもう一つ、買わなくちゃ! お金をもう少し欲しいの、お金が、足りなくなっちまったんですもの",
"なんですよ、そんなバカバカしいことを今! 後だって、いいじゃありませんか",
"ううん、だってもうでき上りかけてるんですもの。発動機さえ入れれば、もう明日学校へ、持って行けるんですもの。もう一万クローネばかり、頂戴よ。……サーラに、買いに行かせるんだから",
"大奥様は、おいででございませんかしら?"
],
[
"失礼なことを伺いますが、その時何かいつものヨアンネス様と、お変りになっていらした感じでも、なさったでしょうか?",
"……別段に……",
"もう一つ……では、ヨアンネス様はそういうことが、たびたびおありでしょうか? そういう時に、お小遣いを貰いにおいでになると、いうようなことが……?",
"わたし共では子供に別段、小遣いといっては渡してありません。入用なものがある時、その都度都度に召使に、買いにやることにしています。執事に言えばいいのでしょうが、金額が張ると思ったから、一応わたしの許しを受けに来たのでしょう"
],
[
"坊っちゃんの今お拵えになっているのは、何の飛行機ですの?",
"…………",
"独逸旅客機に似てますけれど、違いますかしら?",
"ルフト・ハンザは、翼がここから付いている……僕、端典旅客機を作ってるんです",
"そうそう、スカンディアでしたね。まあ、随分よくできてること",
"小母さんはいつから家へ来てるの?"
],
[
"小母さんは、坊っちゃんのお家の人じゃ、ないんですのよ。坊っちゃんお聞きになったことがある? 坊っちゃんのお家で、ちょっと紛失ったものがあって、それを調べに来てるんですのよ",
"……ああ頸飾り……",
"まあそんなものですわ。……でも坊っちゃんのお家には、大切なものね。小母さんはそれを探しに来てるんですけれど、坊っちゃんその話詳しく、お聞きになったことある?",
"僕知らないや! 僕に関係ないもの……"
],
[
"僕要りませんよ。知らない人から何か貰うと、叱られるもの",
"小母さんは別よ、小母さんは坊っちゃんのお母様から頼まれて、御用をしてるんですから、叱られませんけれど……でも、いいわ、そんなこと! 小母さんが何か持って来てからにしましょうね。それよりも、忘れていましたけれど坊っちゃん、お足もうよろしいんですの? こないだはお出にならなかったんですってね。その飛行機を、お作りになっていらしたの……?",
"だから、こんなにでき上っちまったんですよ"
],
[
"でも……発動機買っていい? って、お母様のところへいらしたんでしょう? その発動機は、もう付いたんですの?",
"もう疾っくに、入っちゃってますよ! だから僕、大笑いしちゃったんですよ。お母様ばかりじゃないや、発動機なんて先から持ってるのに、お兄様もお義姉様も……マリーヤだって、エーディトだってみんなでそんなバカなことばかり言ってるから、だから僕みんな頭どうかしてるんだって、レギイネ先生と大笑いしてるんですよ"
],
[
"そう……それじゃ坊っちゃんは、お母様のところへ発動機のことなんか、お話にいらしたんじゃありませんね?",
"行きませんよ! もう持ってるんだもの、行く用なんかありゃしないや"
],
[
"でも、もしかすると坊っちゃんのお友達で誰かそんな真似をして、悪戯した人があるかも知れませんわね? 坊っちゃんのお友達みんな飛行機作ってらっしゃる?",
"みんな作ってるよ、英国旅客機だってジェットだって、スカンディアだってジャンジャン拵えてるよ",
"その中で、坊っちゃんより上手に、作ってるお友達あります?"
],
[
"僕一番上手ですよ、……だけどゲイエルの方が、ちょっと僕より上手かな?",
"坊っちゃんのお友達で、坊っちゃんの真似をして、お母様のところへ行ってお小遣い頂戴なんて、びっくりさせる悪戯っ子あります?",
"僕の友達なんて、みんな僕のお母様を怖がってるから、誰も口なんて利きゃしませんよ",
"だけど……偶にはそんな悪戯っ子だって、いるでしょう?",
"そんなバカな奴、一人だっていやしませんよ"
],
[
"第一お母様なんて、大きな眼球してピリピリしてるんだもの、怖なくて誰も、寄っ付く奴なんかいませんよ",
"そう……どこにだって、悪戯っ子はいるんだけれど……じゃ、坊っちゃんのお友達には、そんな悪戯っ子なんかいないのねえ……"
],
[
"時に坊っちゃんは……レギイネ先生はお好き?",
"そりゃ、好きさ!",
"先生は厳ましい?",
"勉強は厳ましいけれど、遊ぶ時は一緒に遊んでくれるから、僕大好きだよ",
"坊っちゃんは、ウソなんかお吐きにならないでしょうけれど……吐いたら厳ましい?",
"知らない……そんなこと一度もないから、僕知らない……",
"おやおや……坊っちゃんとお話してると面白いもんだから、わたしうっかりして随分坊っちゃんのお部屋で、長居しちゃった。御免なさいね……じゃ今度来る時、何かいいもの、持って来て上げましょうね"
],
[
"あなたは当夜七時二、三十分頃――殿下が二階の廊下をお一人で歩いていられるのを見たと、言われるそうですね。殿下はどこから出て、どこへ行かれるところでしたか、もう一度話してみて下さいな",
"それはわかりませんです。わたくし大階段を降りておいでになりましたところで、お眼にかかりましたのですから",
"その時あなたは、何をしておいでになったの?",
"ダーリンさんの言い付けで……ダーリンさんは料理人長さんです。地下室から若様やレギイネ先生のお食事を、運んでまいりましたのです",
"そう……あなたはあの晩お客様方のお席へは、出られなかったのでしたね。それで、地下室から出て階段へかかろうとするところで、二階から降りておいでになったフィリップ殿下にお逢いになったわけですね。その殿下は、どんな御様子でした? 何か、お急ぎにでもなっていられるような……?",
"別段、ふだんとお変りになったところは、ございません。ゆっくりと、降りておいでになりました",
"そして……?",
"わたくし脇へ避けて、頭を下げておりましたから……",
"殿下がお降りになってから、あなたは二階へお上りになったわけですね?",
"ハイ",
"では、お降りになってから殿下が、どちらの方へおいでになったか、気が付きませんでしたか?",
"ハイ、わたくしそのまま、お二階へ上ってしまいましたから……",
"あなたのほかに、その時殿下のお姿を見た人はありませんか?",
"誰もいませんでしたから、見たものはなかったかも知れません",
"あなたは今仰有ったことを、大奥様の前でもハッキリと仰有られますね?",
"ハイ、ほかのことは存じませんけれど、知っておりますことはどなたの前でも……",
"でも、大奥様は、当夜の主賓でいらっしゃるから始終お側にいられましたが、殿下が席をお離れになったことは、一度もないと言ってらっしゃるのですよ。第一殿下が、そんな母屋の二階へなんぞ、お上りになられるわけがないと言ってられるのですがね、ロヴィーサさん、何かあなたの思い違いじゃないのでしょうかね?",
"でもわたくし、確かにお眼にかかったんですから、思い違いじゃございませんです",
"では、ようござんす、ちょっとそこにいて下さい、オーゲ、大奥様をお呼びして頂戴"
],
[
"奥様、このお女中さんはいくたび聞いても、前言を翻しません。失礼ですが、奥様の方のお間違いじゃ、ございませんでしょうか?",
"ロヴィーサや、お前が家へ来てからちょうど、二年とちょっとになります。お前がウソ出鱈目をいうような人でないことは、わたしがようく知っている。しかし、今お前のお言いのことだけは、何かお前の思い違いじゃないのかえ? もう一度考えてごらん!"
],
[
"お前が殿下にお眼にかかった七時二、三十分頃といえば、ちょうどわたしにも覚えがある。食堂の開くスグ前で、……わたしは殿下に腕をお貸しして、廊下を食堂へと御案内申し上げていた時刻ですよ。そしてその前には、わたしはヨアンネスと控えの間裏で話をしていましたが、殿下はあの棕櫚の置いてあるあたりで、外相様や米国大使様方とお話をしていらっしゃった。どこに殿下が、二階へなぞお上りになる暇があるでしょう……何かお前の勘違いじゃありませんかえ?",
"大奥様、わたくし確かに殿下と、擦れ違いましたんです。決して、間違いではございませんです、紅い筋の入った、緑色の洋袴をお召しになりまして",
"お靴は、長靴でしたかえ?",
"いいえ、普通のお靴を……金色の拍車の付いた、普通のお靴をお召しになりまして……そしてお胸には……ハッキリ覚えておりませんけれど、銀色の勲章飾りをお着けになりまして……",
"ではやっぱり、殿下に違いないわ!"
],
[
"その時殿下は、白い手袋を持っておいでになりましたのです",
"そう……白い手袋をねえ……"
],
[
"ホホホホホホ、その御学友は俳優にでもおなりでしたの?",
"なんのなんの……俳優どころか! 歴としたお方ですから、今ではクラーグ造船の、重役におなりですわい"
],
[
"ルンド様?",
"いいや、あの人は社長の子息……",
"どなたかしら? ステーンセン伯爵様……?"
],
[
"……そう……そう……あの方の、御幼少の時でしたかな。たしか、十六くらいにおなりだったかな?",
"御学友たちは、大勢いらっしゃいましたの?",
"なんの、……その方お一人ですわい"
],
[
"それどころじゃないのよ、ラルフお前すぐ、場所を変えておくれでないか? クラーグ造船の、ステーンセンという人のところへ!",
"クラーグ造船のステーンセンてえと?",
"ほら、美術館脇に、大きな邸を構えてる伯爵の……",
"ようがす、じゃこれから、スグにかかりやしょう",
"今のところは全部引き揚げて、お前の手の内みんなで、かかってみておくれな",
"合点だ! だが姐御、声が可笑しいやね、心浮き浮きてえところじゃねえのかね?"
],
[
"では奥様、恐れ入りますがハンブルグまで、このお嬢様と御同室でどうぞ! あいにく込み合っておりますもんですから",
"奥様、失礼いたします"
],
[
"お嬢様は、どちらまで、おいでになりますの?",
"ハ、わたくし、あの……巴里まで、まいります",
"まあ巴里まで、わたくしブレーメンまでまいりますのよ、ではしばらく御一緒に、まいれますわね。……いいですわ、今頃おいでになりますと、巴里はまだまだ暖かですから、シャンゼリゼーなぞ、さぞ賑っておりますでしょう、いいですわねえ"
],
[
"キョーベンハムは、どちらにお住まいでいらっしゃいますの?",
"ハア、王貴街に父の官舎がございますもんですから……でもわたくし叔父がボストンにおりまして、子供の時分から永らく、向うへ行っておりましたの。亡くなりましたもんですから、帰ってまいりましたら自分の故国でもなんだかまるで、よその国へでも行ったような気がいたしましてオホホホホホホ"
],
[
"わたくし、ローレンス街に、住まっておりますのよ。御存知でいらっしゃいましょう? グリプトテークの美術館のございます所、あの広場の脇のごく閑静な所ですわ。……わたくしイェルヴァ・ステーンセンと申しますの。伯爵ステーンセンと、お聞き下さいますればスグわかります。お帰りになりましたら、ぜひどうぞ、お訪ね下さいまして",
"わたくしこそ、これを御縁に、どうぞ! わたくし、クラーラ・オールセンと申しますの"
],
[
"時計ですの。……歌い時計なんですの!",
"時計にしては、大分重いようですな",
"その中に……その中に少し実は、わたくしの装身具類を、詰めてきたものですから",
"いけませんな、そういうことをしては! 税関の眼を晦ますためだと、誤解されても仕方がありませんぞ! 中を開けて、お見せなさい"
],
[
"いけません、いけません、これは奥様、禁制品じゃありませんか。このまま、お通しするわけにはゆきません。いったん、税関で、調べた上でのことになります",
"そうすると……没収になるのでしょうか?",
"没収になるか、還付になるか、調べた上でなければ、御返事はできかねます。ともかくあなたも、このままお通しするわけにはゆきませんから、一応税関まで御同行下さい。次の駅で、下車する用意をしておいて下さい。これはともかく、税関でお預りします"
],
[
"せっかくですけれど、奥様、もうわたくし、奥様のお煙草は、いただかないことにしましたの。御遠慮申し上げますわ",
"おや! 妙なことを仰有る、どうなすって?"
],
[
"次の駅で、……フレンスブルグでお降りになる前に、麻酔を下さろうなんて、随分奥様もお人が悪いじゃございませんの?",
"…………"
],
[
"ようし、姐御、あっしが引き受けた",
"お嬢さん、退きなさい! 後は引き受ける",
"危ない、危ない! 危ないから、入ってはいけぬ、入ってはいけぬ、レオンティーヌ! まだ、手を動かすか!"
],
[
"血を止めろ、早く血を! いかんいかん、誰か医者はいないかア、医者は? 列車を止めろう!",
"車掌、車掌! 車掌はいないかア?",
"女探偵だ、女探偵だ!",
"密輸入を挙げたんだ、密輸入を!"
],
[
"次長殿、職務中の税関吏を、しょっ引いてもかまいませんか!",
"かまいません"
],
[
"職務中にこの女と、結託していたんです。身許もわかっています。早く早く! 盗品を隠してしまってからでは、間に合わない。早く早く、抑えて来て下さい……",
"ようし、捕まえて来い!"
],
[
"あなた方は、何の権利があって、こういう無茶な真似をする、理由もなく……理由もなく、通関検査中の税関吏を、逮捕できるのか? 国家警察局の次長ともあろうものが、物のわからぬにも程がある。こうしている間にも、密輸出がどんどん行われている、この始末を一体、誰がつけるのだ? 理不尽な理不尽な! ようし私は税関長に上申して、行政裁判庁に提訴する。いかに国家警察局とても、最大の侮辱だ!",
"そんなに、昂奮なさることはないでしょう。お断りしておきますが、我々はあなたを、逮捕したのではありません"
],
[
"緊急已むを得ぬ事情で、この婦人の取調べのため、あなたのお持ち去りになった、そのボール函の内容を見せていただきたくて、おいでを願ったのです",
"だからそれならば、私はボール函包みの内容が禁制品だから、一応税関で預ると、言ったではないか! この婦人にも次駅で降りて、税関へ同行すると、申し渡してあるではないか。それをあなた方はまるで私が好き勝手で、この婦人と諜し合わせてでもいるかのような、口吻ではないか",
"ラルフ! かまわないから、そのボール函を調べてごらん!"
],
[
"この婦人、この婦人と、あなたはいかにも見知らぬ人のように、仰有いますけれど、この婦人夫婦の手であなたが、税関へお勤めになった場合には、まんざらあなたがこの御婦人と、赤の他人だとはわたくし共思いませんのよ。それだからここへ来ていただいたんですわ。……ラルフ、何をしてるの? 早く、お調べといったら!",
"何? 私がこの婦人と、まんざら見知らぬ仲ではないと……?",
"そうではございませんの? まだ白ばくれておいでになりますのね、モーゲンス・ノルビーさん!",
"…………"
],
[
"あなたは昨年の三月まで、何をしておいでになりましたの? フィリップ殿下の……スヴェン・フイリップ殿下の、家扶をしておいでになりましたでしょう? 殿下の御改革で、宮家をお離れになって、ここにおいでになる御婦人の旦那様のペーデル・ステーンセン伯爵の手で、ヴェステルバーゲン税関へお勤めになれば、わたし共まんざらあなたが、この御婦人と赤の他人の関係とは、考えませんのよ",
"…………"
],
[
"おう、頸飾りだ!",
"ビョルゲ夫人のものらしいぞう!",
"組み立ててみなくてはわからぬが、そうらしいぞ",
"ようし、それならば、海蛇もビョルゲ夫人の腕環も、まだみんな、伯爵邸にあるな?"
],
[
"運転手さん、あなたはヴェステルバーゲン税関の車に、間違いありません?",
"そ、そうですよ、お嬢さん!",
"あなたは、何にも知らないのだから、少しも心配することはないの。ただ、わたしのお聞きすることにありのまま、正直に答えてさえ下されば、いいのよ! 少し事情があって、ここにおいでの方は、国家警察局の次長さん……そして探偵さんたち。では、その前にちょっと名前を、言ってもらいましょう"
],
[
"では、ハンセンさん、ありのままに言って頂戴ね。あなたは誰に頼まれて、今夜ここに待ってたの?",
"モーゲンス・ノルビーさんて方でさあ。……そこに立ってられるじゃありませんか"
],
[
"ノルビーさんは、どこへ行って欲しいと、言われたの?",
"この先の、ケンペルスホーフの飛行場までと言ってられたっけが……",
"そのほかには、何とも言われなかった?",
"八時十五分とかの汽車で、キョーベンハムから来る人があって、その人を飛行場までお連れしなくちゃならんから、間に合うように車を、廻しとけってことでした",
"そう、よくわかりましたわ。でも、乗る飛行機や何かのことは、何にも言われませんでした?",
"さあ、別段何にも……あ、そうそう、八時四十分に、リオデジャネイロ経由で、モンテヴィデオ行きの旅客機が出るから、それに間に合わせなくちゃならんて、言ってられましたっけ",
"有難う、ハンセンさん、それでもういいの。ここから飛行場まで、どれくらいあります?",
"さあ、十哩くらいでしょうかね……もうちょっと、あるかしら?",
"ハンセンさん、あなたはもう、帰っていいの、お客様は都合で、来られなくなったから、あなたはもうお帰りなさい。あ、ちょいとちょいと、これに署名してもらいたいんですって"
],
[
"国家警察局のものです",
"しばらくお待ち下さい"
],
[
"何にも申し上げなくとも、もう、おわかりでしょう。御身分を思いますから、手荒なことはいたしません。どうぞ、穏やかに我々の指図にお従い下さい",
"何のことやら、君のいうことはサッパリわからぬ。物々しい様子は、わしに縛に就けというのか?"
],
[
"伯爵、あなたを捕縛はいたしません。国外追放の勅諚が、出ております。我々の処置に従って、穏やかに御退去下さればそれでよろしいのです",
"……"
],
[
"こんな目に……こんな目に遭ったじゃありませんか! 早くあなたが、王族だということを、この人間共に仰有って下さったら、いいじゃありませんか! 汚らわしい、こんな木っ端役人にかかって、こんな浅ましい目に遭って",
"黙れ、五月蠅い! 自分が間抜けだから、そういう目に遭ったのだ! ツベコベ騒ぐな! なんだ、この期になって見苦しい"
],
[
"そんなことを仰有って……今更あなたは、わたしだけに、罪をお被せになるつもりですか? あなたも同罪じゃありませんか! さ、早く、こいつらに言って、わたしの手錠を取らせて下さい! 汚らわしい、汚らわしい、こんなものを嵌めて!",
"黙れ、バカ女! 自分がドジを踏んで、ノメノメとこんな人間共を、案内しくさって! 今更貴様の騒ぎ立てるところが、どこにある!"
],
[
"よろしい、受けようではないか。追放するとならば、追放を受けようではないか。わしもステーンセン伯爵だ。今更になって、その女のような見苦しい騒ぎはせぬ",
"では、伯爵、お身体を改めさせていただきます"
],
[
"見下げ果てた、意気地なし! 大きなことばかり言って、なんだい、その態は! 男の面汚し! 片棒担いでくれ、栄耀栄華は思いのままだ、俺は国王陛下の弟だ、と年中大口叩いてたのは、どこの誰だい! 女蕩しのカタリ犬め! よくもよくも、人を騙しやがって!",
"ほざくな!"
],
[
"慌てずに、まア、掛けたまえ! 諸君の手数を省いて、どこから出たかを説明しよう。それに少し言いたいこともある。ゴンザレツ! 三鞭を、持って来い。皆さん方へも、一杯差し上げたらどうだ!",
"伯爵、家宅捜索をしますから、お話はなるべく簡単に願いたい"
],
[
"我々は遊びに来ているのではないのだから一切頂戴しない",
"まア、そう堅苦しいことを言わんで、もう少しゆったり、構えたらどうだ。諸君の向い合ってるのが、コソ泥棒でないとしたら、もう少し諸君も相手の気持を、尊重したらどうだ。諸君の方で逮捕なぞと、野暮を言わぬからわしも諸君の手数を省こうと言うとるのだ。もそっと前へ、出たまえ! 全部解きほぐしてある。その一番前のが、一九四六年ヘンメル家から、頂戴して来たものだ。その上のが"
],
[
"ウヌ、何をするか! コイツ",
"命冥加の雌猫め!"
],
[
"貴様ら政府の犬共が、眼を付けてるのは違っているぞ! 俺の背後には保守党首領の、アムンダゼンがいるぞう! 丁抹王室があるぞう! 貴様らふざけた真似をすると、許さんぞう! 無礼……ものめが……",
"おかしいな! 呂律が、廻らなくなってきたぞ",
"毒を飲みましたのよ、ついさっき",
"毒を飲んだと? おい、それじゃ早く、医者を呼べ! 医者を!",
"抛っておけ! その方が安泰だ、医者を呼ぶには当らんぞう",
"貴様たち、よく聞け! 大悪漢は、フィリップだ……スヴェン……フィリップだ……"
],
[
"アトロピンを飲んだのかな? バカに早いようだが、……コカインかな?",
"残酷いようだが、この方が伯爵にとっても幸福だろう"
],
[
"老人の屍体でしょう……?",
"そうです、そうです、もう七十幾つとも思われる……"
],
[
"フィリップ殿下に……フィリップ殿下に……わたくし、殿下にお眼にかかりたいのです、大急ぎで。お耳に入れたいことがありまして……",
"お気の毒ですが、殿下は今日はどなたにもお逢いになりません。少しお差し支えがありまして",
"特別の用事があって、大至急、お眼にかかりたいのです。ステーンセン伯爵のことでと仰有って下さいませ",
"どちら様で、いらっしゃいますか?",
"わたくし私立探偵の"
],
[
"イングリード・アイネス……殿下に伺ってみて下さい……伺って……",
"何と仰せられますか、伺ってみましょう。しばらくお待ち下さい"
],
[
"わたくしは、フォーゲル街に住んでおりますイングリード・アイネスと申す私立探偵でございます。ドラーゲ公爵家の御依頼で、紛失いたしました頸飾りの捜査のため、ステーンセン伯爵様御夫妻の探査をいたしました。真犯人たることを御自白の上、伯爵様は唯今、自殺遊ばされました",
"…………"
],
[
"そして伯爵夫人は、一昨日出奔の御途中でフレンスブルグ駅で国家警察局員の逮捕を、お受けになり、首都へ還送になりました。仏蘭西人でいらっしゃいますので、身柄はやがて仏蘭西政府へ、引き渡されるようなお話に、承っております",
"…………"
],
[
"イングリード嬢とか、申されたな。御好意をうれしく感謝している",
"長い間、さぞ、御辛労でいらっしゃいましたでしょう、お察し申し上げます",
"わたしの辛労なぞは、取るに足らぬこと。あなたこそ、いろいろお骨折りだったろう。おかけなさい、では詳しく、顛末をお聞きしたい"
]
] | 底本:「橘外男ワンダーランド 幻想・伝奇小説篇」中央書院
1995(平成7)年4月3日第1刷
初出:「小説新潮」
1954(昭和29)年9月~10月
※「ベーデル」と「ペーデル」、「白皙」と「白※[#「析/日」、第3水準1-85-31]」の混在は、底本通りです。
※「三鞭」に対するルビの「シャンペン」と「ポールロジェ」の混在は、底本通りです。
入力:門田裕志
校正:荒木恵一
2017年9月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "051249",
"作品名": "グリュックスブルグ王室異聞",
"作品名読み": "グリュックスブルグおうしついぶん",
"ソート用読み": "くりゆつくすふるくおうしついふん",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「小説新潮」1954(昭和29)年9月〜10月",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2017-10-10T00:00:00",
"最終更新日": "2017-09-28T00:00:00",
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"人物ID": "001397",
"姓": "橘",
"名": "外男",
"姓読み": "たちばな",
"名読み": "そとお",
"姓読みソート用": "たちはな",
"名読みソート用": "そとお",
"姓ローマ字": "Tachibana",
"名ローマ字": "Sotoo",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1894-10-10",
"没年月日": "1959-07-09",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "橘外男ワンダーランド 幻想・伝奇小説篇",
"底本出版社名1": "中央書院",
"底本初版発行年1": "1995(平成7)年4月3日",
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[
[
"あ、そうそう、わたしも聞いていた。お前さん日野様の坊っちゃんだよ。それに違いないよ。わたしはとんと気がつかなかった!",
"旦那様、日野様という偉い女の音楽の先生のお墓でございましょう。そんな綺麗な坊っちゃんとおっしゃればちょっと外には思い当りもしませんが、日野様ならば別荘もここから一里ばかり離れたところに建っておりますが",
"日野さん? 日野さんというと?"
],
[
"まさか日野涼子という人ではあるまいね?",
"そ、それでございますよ。なんでも涼子たらおっしゃいましたっけ! そこの坊っちゃんに違いございません。私どもはよくも存じませんが、小さい坊っちゃんを一人お残しになって、もう半年ばかり前にあすこにお墓が建ったとか聞いておりましたから! 偉いお方だそうでございますが、旦那様もお聞きになったことはございませんか?",
"聞いている! 聞いている! 名前だけは聞いて知っている!"
],
[
"何? 死んでる人?",
"旦那様のお逢いになったとおっしゃる方たちはみんな幽霊でございます!",
"莫迦な! 今時そんな莫迦な話が!"
],
[
"綺麗は綺麗でも、これほど綺麗な子供じゃない! 第一、もっと眼の怖い、顔の円い子供だった。茂十さん、やっぱり私の見たのは日野さんのお墓じゃなかったように思いますが",
"やっぱり違っていましたかね!"
],
[
"兄さん、僕は決して発狂したわけでも何でもありませんよ。……しかしこういう妙な目にばかり逢っていたら、僕もしまいには発狂する! 僕はそれが恐ろしいのです。兄さん、今にあなたがまた変な顔をする……それが僕には厭なのだ! 兄さんだれかいませんか? 僕の側に、だれかこう小さな子供のようなものが坐っているような気がしませんか? 今はいなくても……今にちょっとでもそれが見えたら僕にすぐそう言って下さい。僕は言ってやることがあるんだ! 僕に何の恨みがあってこういう変な目にばかり逢わせるのだか!",
"…………"
],
[
"何を莫迦なことを言ってるんです、兄さん! ふざけちゃいけませんよ! 兄さんに僕の言っていることがわからないのですか?",
"いいや、わかってる! わかってるのだ! お前の言ってることはちっとも間違っとりはせん! 間違っとりはせん! ちょっとそうしてろ!"
],
[
"兄さん医者なんぞ呼ばないで下さい! 早くとめて下さい……僕はどこも何ともないと言ってるのに……困ったな、兄さん! 僕が悪かったんだ! 僕の説明があんまり短兵急だったから兄さんにはわからなかったんだ! 初めっから僕はようく兄さんの納得のゆくように説明しますから",
"わかっている、わかっている! わかっているんだからしばらくじっとしとれ!",
"わかっているわかっていると兄さんあなたには何がわかっているんですか?",
"わかっているから大丈夫だ……付いている……付いているよ! お前の側にはちゃんとお前の言ってるような人が付いている!"
]
] | 底本:「橘外男ワンダーランド 怪談・怪奇篇」中央書院
1994(平成6)年7月29日第1刷
初出:「新青年」
1937(昭和12)年8月
入力:門田裕志
校正:江村秀之
2019年9月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "049869",
"作品名": "逗子物語",
"作品名読み": "ずしものがたり",
"ソート用読み": "すしものかたり",
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"副題読み": "",
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"初出": "「新青年」1937(昭和12)年8月",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"公開日": "2019-10-10T00:00:00",
"最終更新日": "2019-09-27T00:00:00",
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"姓読み": "たちばな",
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"姓ローマ字": "Tachibana",
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"生年月日": "1894-10-10",
"没年月日": "1959-07-09",
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"底本名1": "橘外男ワンダーランド 怪談・怪奇篇",
"底本出版社名1": "中央書院",
"底本初版発行年1": "1994(平成6)年7月29日",
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} |
[
[
"その音色が澄んでね、人の心の中へ溶け入って事情を知らない人が聞いても、しんみりと涙の湧いてくるような気持がする時分にね、御家老が御殿から帰っていらしたんだよ",
"ほう、誰か尺八を吹いてるな"
],
[
"姉の死んだことなのです",
"へえ、あなたに姉さんがおありでしたか? ちっとも知りませんでしたねえ",
"あったんですよ、子供の時から脇へ預けてありましたから、あなた方は御存知なかった"
],
[
"お、お前!",
"お、お嬢様!"
],
[
"み、美代や、どうしてこんな浅ましい姿に",
"お嬢様、なんてお情けない、お嬢様! そんならそうとなぜ一言……"
],
[
"そして今でもまだあなたは、なぜ姉さんがそんな自殺をなさったのか、そのわけがわからないのですか?",
"わからないんです。迂闊なようですが、今でもサッパリ見当がつかないんです。淋しそうな顔はしていても、父でも母でも姉のことは決して口にしませんし……元から無口な父でしたが、それ以来、一層口数が尠い人になってしまって……余計なことを言い出して、親の暗い顔を見るのは厭ですから、僕も何にも言いませんし……おまけに小作人の妻まで、間もなく病気で死んでしまったもんですから……",
"そうですか、あなたにお姉さんがおありだということも、私は知りませんでしたし、ましてそういう亡くなり方をなさったということも……あなたが一高へおはいりになった時は、さぞお父様もお喜びだったでしょう",
"父はそのずっと前に亡くなっているのです。姉が死んでから、三、四年もたってから死んじまったんですが",
"それからお母様とずっとあの家に",
"そうです",
"へえ! よくまあ淋しくないもんですね",
"馴れてますから何ともないですよ"
],
[
"そりゃあなた、この子だって東京へ帰って聴診器を持たせたら、立派な先生様ですもんな。親はいつまでたっても子供を五つ六つにしか考えませんけれど",
"そうかそうか、なるほどなア。子供が大きくなるのはわかっても、親は自分たちの年を取るのはサッパリわからんもんだのう"
],
[
"……そうでがすよ……",
"大阪にいられる棚田さんの……",
"旦那様は大阪じゃねえでがす、名古屋にいられるだが",
"そうそう名古屋、名古屋……そういう知らせが来ていたが……",
"失礼でやすが、どなた様でいられやしょうかにイ?",
"なアにわたしは別段用のあるものじゃない。昔お宅の御主人と友達で、ついこの先に住んでたものだが……",
"……では今東京でお医者様をしてござらっしゃるとか……?",
"そう……その医者は私なのだが、棚田さんにでも聞いたことがあるのかね?",
"ありやすだとも! そうですか、そりゃようこそお訪ね下せえましたが、さ、ちょっくら、ま、お上がり下せえやして……"
],
[
"誰のです? あれは",
"ここは旦那様のお部屋でして……"
],
[
"旦那様が帰んなすった時にお弾きになるでがす。旦那様アもう一つ名古屋にも持ってござらっしゃるだが、とてもお好きだで、ああやって大事にしまってあるでがす。お帰りになった時しょっちゅう鳴らしなさるだで",
"奥さん?",
"いんね、旦那様でがすよ",
"ほう、棚田さんがねえ、ピアノをねえ、ちっとも知らなかったが……へえ! ピアノをねえ!"
],
[
"何をそんなに弾いているんだね?",
"さあ、わし共にゃサッパリわからねえでがすが"
],
[
"旦那様は譜をお作りになるでやして……それでピアノをお弾きになるでがす",
"へえ、棚田さんがねえ――"
],
[
"ほう、棚田判事とお友達でしたか? 安井君! こちらは小さい時分に棚田判事とお友達でいらしたそうだ",
"ほほう、それはお珍しい! 私は研修所に勤めているもので"
],
[
"もちろん棚田さんの人格については云々しませんさ! しかし僕はあの人は道を誤られたんじゃないかと思うのですよ。あの人は作曲家になって自分一人の天分をコツコツと掘り下げて行くべきはずだったと思うんです。芸術家として生きるように、運命づけられた方じゃなかったかと思うんですがね。だからあの方は自分でも意識せずに、随分悩んでられるんじゃないでしょうか?",
"へえ! あの人は作曲をするんですか?"
],
[
"我々のようなガサツな人間にはわからんですがね、その方には素晴らしい才能を持ってられるらしいですよ。もう大分発表してるんじゃないでしょうかね?",
"へえ、そいつは知りませんでしたな。そういう才能を持ってたんですかねえ? ……あの人が!"
],
[
"独逸へ帰って来ていられるんですがね。今夜我々と会食した後で、ピアノを聞かせて下さることになってるんですよ、どうです、その時リーゼンシュトックさんに棚田さんの作曲を一つ弾いてもらおうじゃありませんか? あなたも御一緒にいらっしゃいませんか?",
"ああそれがいい、それがいい……お待ちしてますからいらっしゃいよ"
],
[
"コレハ大変ナ曲デス……コノ作者ハモノニ憑カレテイマス。恐ロシイ曲デス……ワタクシ、コンナ曲ヲ弾イタコトガナイ……土井サン、コノ作者ハドウイウ人デスカ?",
"本名は棚田といって……棚田晃一郎という判事です。現職の……",
"オウ、判事! 現職ノ……! 判事サンナラワタクシヲ縛ルカモ知レマセン。ワタクシカマイマセン……恐ロシイ曲デス。……コノ人憑カレテイマス……人間ノ作ッタ曲デナイ……コノ人モウ長クハ生キナイデショウ……"
],
[
"アナタ聞キタイ? コノ曲ヲ?",
"先生が御迷惑でなかったら……",
"カマイマセン、アナタガ聞キタケレバ……よろしい! 弾キマショウ、恐ロシイ曲デス"
]
] | 底本:「橘外男ワンダーランド 怪談・心霊篇」中央書院
1996(平成8)年6月10日第1刷発行
初出:「オール読物」
1953(昭和28)年5月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※図版は、松野一夫による初出誌のものを模して、かきおこしました。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年12月8日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "050070",
"作品名": "棚田裁判長の怪死",
"作品名読み": "たなださいばんちょうのかいし",
"ソート用読み": "たなたさいはんちようのかいし",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「オール読物」1953(昭和28)年5月",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
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"姓": "橘",
"名": "外男",
"姓読み": "たちばな",
"名読み": "そとお",
"姓読みソート用": "たちはな",
"名読みソート用": "そとお",
"姓ローマ字": "Tachibana",
"名ローマ字": "Sotoo",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1894-10-10",
"没年月日": "1959-07-09",
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"底本名1": "橘外男ワンダーランド 怪談・心霊篇",
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"底本初版発行年1": "1996(平成8)年6月10日",
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} |
[
[
"わずか五十銭ばかりの金で、頭の憂さをすっかり吹き払って、アルコオルなしで楽しむことのできる所へ!",
"どこにそんな面白い所があります?"
],
[
"映画",
"そう穿じくらないで、ついて行くのならさあ行こう! その代り私はあとで美味しいものをあなたにご馳走してあげる"
],
[
"切符は全部五十銭ばかりなのでしょうか?",
"なぜそんなことを聞く?",
"私はあなたの御好意は感謝しています。まだこうして東京市中をゆっくり散歩したことがありませんから、大変愉快を感じているのです。ですけれどなぜこの劇場は、切符を一番高いのと中くらいのと安いのと三通りくらいに分けておかないのでしょうか。そうすれば誰でもゆっくりと映画が楽しめると思うのです。全部五十銭というのは平民的に見えますけれど、かえって不便ではありませんか。その身分に応じて人は楽しむのがいいと思うのですけれど、あなたは何とお考えになるでしょうか"
],
[
"誰がそれを作るのです。あなたのお父様が……?",
"いいえ、私が作るのです。そして、姉も少し出してくれるはずになっています。ですからこれができ上ったら劇場の名前には姉の名を冠せるつもりでいます",
"あなたはそんなお金持なのですか?"
],
[
"ヴィルプールという国から来たんだ。カシミールの側の",
"ヴィルプール? ヴィルプールの王子か"
],
[
"これには御住所も何もありませんな",
"住所は杉並区……ようござんす書きましょう",
"書いて下さい!"
],
[
"立ち入ったことを伺うようですが、どうしてあなたはこの方たちを御存知なのでしょうか?",
"友達です!",
"そうするとあなたは以前印度にでもいらしたとか",
"印度へ行ったことはありませんが、貿易の商売に関係しているものですから、それでここにいるカパディア氏と知り合っています。その紹介で私は友達になりました",
"失礼ですが、お店の名は?",
"それは必要ないと思いますが。私の店が保証するのではありませんから。それにこの頃はあまり店へも行きませんから",
"と仰有ると何かほかにご商売でも?"
],
[
"理屈ではちっともありません。私の言うことがわかりませんか、保証人に不満があるのなら無理に私を保証人にさせて下さいとは頼んでいないのです。しかし私だけの関係で私はどうしてもこの人たちを助けなければなりませんから、あなたの方の御満足のゆく保証人を探して上げようと思っているのです。あなたの方の会社のためではありません。この人たちのためです。今日中にでも私はそれをしますから、それですから急に四、五日間の調査を要するようになった原因は、私のためかこの印度の人たちのためかそれをハッキリと仰有っていただきたいというのです",
"つまり私共の方ではこの方たちは相当な階級の印度の方々と思いますからこの人たちはですなフガフガ英国の総領事館へでも行って、然るべき日本人の保証人を世話してもらわれたらどうかと思うのです。",
"絶対に不可能です。この人たちは英国人の前に乞食同然に頭は下げたくないのです。説明することはさし障りありますが、印度ではもっと高い地位にある。それなら第一なぜあなたは日本人を一人連れて来いと仰有ったのです!",
"つまり私共の方ではですな、あなたをお疑いするわけではないけれども一応保証人たるべき方の身元を調査してからでないと困るというのです",
"私がマヤカシものだと言われるのですか"
],
[
"わかりました。社会的地位のある人を探してこの人たちを助けてやります",
"たとえば電車通りに店舗を持ってフガ商売をしているとか何とかですな"
],
[
"東京大阪の市長は知りませんが、たとえば横浜の市長なら保証人としての資格はありましょうか?",
"結構ですな! フガ横浜の市長ならばもちろん結構ですな。フガ"
],
[
"誰がそう申しました?",
"MR・カパディアがそう言いました。MISS・キャゼリンから聞いたと言って!",
"大使館がそういう意向だというのですか"
],
[
"ではよく来て下さいました。MR・タチバナ、あなたもお身体をお大切になさって!",
"殿下! 私はお発ちになる前にもう一度船までお見送りいたします"
],
[
"我々の太子殿下は囚人ではない!",
"英人は何故かくも印度王族の自由を束縛するのか!"
]
] | 底本:「橘外男ワンダーランド 幻想・伝奇小説篇」中央書院
1995(平成7)年4月3日第1刷
初出:「文藝春秋」
1938(昭和13)年2月
入力:門田裕志
校正:荒木恵一
2017年6月13日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "051250",
"作品名": "ナリン殿下への回想",
"作品名読み": "ナリンでんかへのかいそう",
"ソート用読み": "なりんてんかへのかいそう",
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"原題": "",
"初出": "「文藝春秋」1938(昭和13)年2月",
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[
[
"それは兄さん、不公平だ! そんなバカな話が、あるものか! 俺も亮三郎も、兄さんのお蔭でこうして学校も出て、好きなこともしていられる。兄さんこそ、したいことも我慢して、家の仕事に骨を折って、それをみんなに分けてやるなんて……兄さんのお蔭で、こうやって二人ともいくらかのものでも、国から貰えるようになったのだし",
"わしが出すんじゃなえ、わしはただ阿母さまから預かってるものを、返すだけなんじゃ"
],
[
"要らんよ、そんなに。どうしてもくれたいのなら兄さんが、取るだけ取って後を、俺と亮三郎に分けたらいい",
"人がやるという時にゃ、黙って貰うとけや、いくら持っとっても、邪魔にゃならんけえ"
],
[
"要らんよ、子供の時から、歩きつけてる道だもの",
"倫敦や、巴里でばかり暮らしとって、ようこねな山ん中を、忘れずにいたもんだな"
],
[
"兄が、どうかしたのかい?",
"いいや、別段に……どうして?",
"だって君は、さっきから兄のことばかり、気にしてるじゃないか"
],
[
"それはわかっている、君の悪気でないことは、よくわかっているが、僕のいうのは悪意とか悪意でないとか、そんなことじゃないんだ。何か兄のことで、君の気になることがあるに違いないと、いってるんだよ。だから、それを聞かせて欲しいといってるんだ",
"そねえなこというたって、無理じゃなえかなア! なんの考えもなえに、口から出たことを責めたって……"
],
[
"そりゃ聞きたいさ、兄のことだもの、気になるよ",
"困ったなア……ところが、そねえな生易しい話じゃなえんだよ"
],
[
"ええよ、新さんと俺との間だもん、いうよ、いうけどが、こいつあ決して俺が、そう思うとるわけじゃなえんだぜ。ただ、村でそういうことを、いうとるもんがあるちう話だけなんだ。俺がそいつを、取り次ぐだけの話なんだ。ええね?",
"…………"
],
[
"なら、いうけんど……どねえなことをいうても、新さん、気にしちゃいけんぜ。そねえなことのあろうはずは、絶対ねえことじゃけん……",
"…………",
"実は、村で噂しとるのは……兄さんには女が、でけとるちう話なんじゃ。寄居の町かどこかにでも、囲うてあるような按排で……時々通うて行く姿を、見たもんがあるちう噂なんだ……",
"…………",
"それと、もう一つは……困ったことにゃ……"
],
[
"新さんのお母さんは、病気で亡なったということになっとるが……そいつは表向きのこんで、……実際は兄さんが、どうかしたんじゃなえかと……毒でも飲ませて、殺したんじゃなえか……と",
"なに? 毒殺?"
],
[
"そ、そいだから困ると、いうとるじゃなえか。何も顔色変えることは、ないじゃないか。ただ、そういう蔭口をきいとる人間が、あるちうだけの話じゃなえか! ……だから俺はいうのが厭だというとるに貴方がいえいえと無理にいわせといて……",
"だから、だから、僕はうれしい……と"
],
[
"君なればこそ、いってくれると感謝してるんだ! だが、仮にその噂がほんとうとしても……僕には解せん……兄に、母を殺すなんの理由が、あるんだろう? 兄はあんな、親孝行だし……",
"そ、そがあな声を出して! そうなんだ、そうなんだ! この春あたりから、噂が立ち出した時から、俺にもどうしても、思い当るところがなえんだ。お母さんはあの通り、確かりもんには違いなえが、兄さんでもお嫂さんでも、みんなと仲がええし……無理なことなんぞ、一言だっていわれる方ではなえ"
],
[
"どこを探したって、思い当るところがなえんだ。たとえば、お母さんが実権を握って、兄さんに金が自由にならんちうなら、考えるところもあるけんど、兄さんは若え時から跡を取って、金でもなんでも自由になるんだし……かえって相談かけられると、お母さんの方が迷惑がって逃げとられたんだ。兄さんとお母さんの間に、物事の食い違ったような話も、聞いとらんし……",
"意見が違うどころか! 兄は昔から、母のいうことに逆らったことなぞ、一度もない",
"そしてお母さんは、なんでも兄さんを立てとってじゃけえ、衝突の起る理由がなえじゃないか",
"いつから、そういう噂が立ってるんだ?",
"俺の耳へ入ったのは、この春頃からだが、村の奴は寄ると触ると、ヒソヒソそういう噂ばかりしとる……",
"そういう噂を、兄は知ってるだろうか?",
"兄さんの耳へ入るわけは、なえじゃないか。近郷切ってのお大尽様で、立っとるんだもん。兄さんの耳へ入れる奴がどこにある?",
"兄は、村では評判が、悪いんだろうか? そんな噂まで立てられて……",
"悪いどころか! 誰だって、賞めとるよ。ようでけた心の広えお方じゃと……あの人柄だもん、悪くいわれるところなんぞ、なえじゃなえか……",
"評判が悪くなくて、それでそういう噂を立てられて……"
],
[
"……うん……まあ……",
"風邪はどうけゃ?",
"……それも直ったが……",
"せえだらええが……わしはまた、ブリ返しじゃなえかと、心配しとったんだ。……なんだか、元気がなえのう。無理せずに、も少し寝とったらええんじゃなえかな?",
"……兄さん、少し話があるんだが……どこかへ出掛けるのかね?",
"組合へ、顔出しゅしょうかと思うとったが。ナニ、すりゃ、後だってええんだ。何けえ? 話ってのは?",
"せえじゃ、話が済んだら、お飯にしようじゃなえの"
],
[
"何けえ? 用てのは?",
"うん……ちょっと、話したいことがあるんだ!……外へ出られんかね?",
"外へ?"
],
[
"構わねえが、ま、お前飯でも食うたらどうけゃ?",
"……食べたくないんだ。……出よう",
"朝っぱらから、仰山な用だのう"
],
[
"この辺も、昔とちっとも変るまあが?",
"兄さん、少し俺には、腑に落ちんことがあるのだが……"
],
[
"こないだ兄さんは、俺に……俺と亮三郎に財産を分けてやるといったね? あれは、どういう意味だろう? どうも俺には、腑に落ちんのだが",
"何が、腑に落ちんのけえ? 世の中が変って、もう長男が、一人で親の財産を、受け継ぐ時世でもなえし、阿母さまも、お亡なりなさったで……ちょうどお前は帰って来たし、ええ機会じゃから、そういうたんだが。民法も、変っとるでなア",
"兄さんから、民法の講釈なんぞ、聞きたくない……俺が帰って来たら、急にそんなことをいい出すなんて、何か俺の機嫌を取るようで、変じゃないか?",
"別段、お前の機嫌なんぞ、取るわけじゃなえ。変なことなんぞ、ちっともなえじゃないけゃ! わしは先から、そう考えとったんじゃ。……だが、なんじゃえ、急にそねえなことをいい出して、こねえなところまで呼び出して! 一体新次郎、どうしたんけゃ?"
],
[
"何かわしのすることに、不満でもあるんけゃ? 分け方が足りんとでも、いうんけゃ?",
"そんなことを、いっとりはせん! 第一、財産なんぞ……亮三郎だって、そうだろうと思うのだ。別段俺の方から欲しいともいわんのに人の顔を見るといきなり、そんなことをいい出すのは、変じゃないか! ……何か兄さんは、俺に隠してることでもあって……",
"せえだから、なんのためにわしが、お前の機嫌を取る必要がある? と聞いとるじゃなえか! 第一、わしが分けてやろうというんじゃなえ。阿母さまの、お考えなんだ。兄弟三人で、仲ようして……",
"そんなことはどうでもいい、俺の聞いてるのは……聞いてるのは……"
],
[
"何か兄さん、そこにあるんじゃないのかい? 口に出せないようなことが……それだから、財産を分けてやるなんて、俺や亮三郎に謝って……",
"じゃけえ、お前や亮三郎に、謝ることが何があると、さっきから聞いとるじゃなえけゃ、お前は妙なことをいい出したなア、新次郎! なんのことやらサッパリわからんが、わしはお前や亮三郎に謝るようなことを、なんにもしとりゃせん",
"しとるかしとらんか、だから聞いてるんだ。俺は……俺は、そんな妙な財産なんぞ、欲しくはない!",
"痛くもねえ腹を探られて、わしもお前に、貰ってもらいたくはなえ!"
],
[
"フウン……兄さんが、商売をする? なんの商売をするんだい?",
"手離すというたところで、右から左に買い手が付くもんじゃなえし、……まだそこまで考えてもおらんが、どうせわしのような学問もなえ人間のすることだ。なんず手に合うた……たとえば、金物屋とか荒物屋のような……",
"…………"
],
[
"甲午堂は夜逃げをしたから、もう村にはおらん。お母さまは、腎臓病のうちでも性質の悪い、萎縮腎というてな。大沢だとか蒲原だとか、そがあな藪医者どもに、何が手におえるけえ! せえだから浜田から、土屋さんてえ専門の医者に、来てもろうたんだ。その先生の紹介で、松江から亀井さんてえ博士の方にも、二、三度応診してもろうたろ。お亡なりなさる一日前にも、確か二人で来て下さったはずだ",
"死亡診断書は、だれが書いてくれたんだ?",
"その土屋さんてえ医者が、書いてくれた。たった一人の親じゃけえ、わしもできるだけの手は、尽したつもりだ。お前からかれこれいわれるような真似は、しとらんつもりだ",
"そんなら、村には先祖代々の寺があるのに、なぜあんな遠方の、宗源寺なぞへ、葬ったんだ?",
"前にそのわけは、話したつもりだがな"
],
[
"阿母さまの、お望みなんだ。そこの方丈さまの法話を、お聞きなされて、死んだらあすこへ葬ってもらいてえと、しょっちゅう仰言ってだったから、あすこへ葬ったんだ",
"お母さんの病中の心覚えを……たとえば、医者の払いだとか、葬式の費用だとか、……そういうものは、残してあるのかね……?",
"細けえことも誌けとったが、取っといても仕様なえから、もうなんにもなえじゃろう? みんな、燃やしてしもうただろ"
],
[
"探してもらえるのかね?",
"見たけりゃ、探してみよう、が、多分もう取ってもなかろ",
"弟二人に、後で見せるためにも、そういうものは取って置くべきものだと思うんだが、兄さん違うかね?",
"そねえな必要もなえじゃろう、後で兄弟に金の負担でもかける気なら、取って置くかも知んなえが、そうでなけりゃ、死んだ後で、帳面ばかし眺めてたって、なんになる? 亡なった仏さまア、生きて返るわけでもあるめえしさ……"
],
[
"それならお母さんの葬式には、どういう人たちが来たのか、聞かせてくれ",
"そねえなことが、お前に何の必要があるんけえ?……みんな来たさ。新屋の茂吉つぁんも、長原のおかんさんも、豊田の叔父つぁんも、寛右衛門さんも、新兵衛伯父も、……一々並べられはせん、村中みんな、集まって来たろ、立派なお葬式だった",
"そんなことを、聞いてるんじゃない。人が亡なった時には、お湯を使わせて経帷子に着換えさせて……湯灌ということを、するだろう? その湯灌には、どういう人が立会ったのか、それを聞いてるんだ",
"死んでから、身体に触られるのは厭だから、あれだけはしないどくれと仰言ってだったから、しなかったはずだ……もっともあれは、女たちの役目だが……"
],
[
"組合へ顔出しするというに、さも用ありげにこねえなところまで、呼び出して……、なんだ、下らん話ばかり! バカのバカの、大たわけの奴ちゃ、肉身の兄を疑ぐりよって!",
"逃げるのか、兄さん!……ハッキリ答えられんから、逃げるのか? あれも遺言、これも遺言と……",
"お前から逃げる必要がどこにある"
],
[
"…………",
"いつまで妙な真似を、しとるんけえ? 早う出て来え!",
"…………",
"隠れとるつもりかも知れんが、おい! そこから廻しの袖が、見えとるぞう!",
"…………",
"これだけいうても、まだ、意地を、張っとるんけえ? そこまで思い詰めとるもんなら、もうわしも隠しゃせん! 早う出て来え!"
],
[
"要らん!",
"じゃ、わしも後にしよう"
],
[
"仕方がなえ、思った通りに、するがええ。もうわしも隠しゃせん。お前だけは、仕合せに暮さしてやりてえと思うとったが、もうわしの力じゃ手におえん。来たらええだろう",
"兄さんは……兄さんは"
],
[
"阿母さま、新次郎でござりますぞい……",
"な……何? お母さん?",
"口癖にいうていなされた新次郎が、仏蘭西から帰って参りましたぞい。逢うてやって、つかあされ! 阿母さまはもう頭に来てなさるで、お前がおわかりにならぬだろ!",
"こ……こ……これが、お母さんか! お……お……お母さん……だったのか?"
]
] | 底本:「橘外男ワンダーランド 怪談・怪奇篇」中央書院
1994(平成6)年7月29日第1刷
初出:「小説新潮」
1955(昭和30)年5月
※「入」に対するルビの「はえ」と「へえ」の混在は、底本通りです。
入力:門田裕志
校正:江村秀之
2020年6月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "049870",
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[
[
"では、これから、お伺いしましょう!",
"まあ、これからスグに?",
"いけませんか?",
"いいえ、飛んでもない! そうお願いできますれば、もうこの上ございませんけれど……でも、それではあんまり、押し付けがましいようで……"
],
[
"手紙が書けないものですから……使いにわけを話して……お迎えに上げたのですが……私のいうことが、ちっとも伝わりませんで…",
"…………"
],
[
"もう……わたくしも……そう長い命ではありません。……昨日も母が……しておきたいことがあったら、何でもして上げるから……遠慮なくおいい! といいますので……先生のことを話しましたら……今日早速……いってくれまして……",
"御事情を、存ぜぬものですから……御病気ならお直りになってから、御用を手紙で仰しゃって下さったらよろしいと、その時は失礼なことを申上げました。しかし、今日、お母様にお眼にかかって、御事情もよくわかりました。こんなことなら、もっと早くに伺って、私のできることは何なりと、いたして差上げればよかったと、後悔しております"
],
[
"しかし、もうこうやって伺っているのですから、そんな済んだことなぞはどうでもよろしいじゃありませんか! 私の方でも勘違いしていたことがあり、貴方の方にも、御意志の伝わらなかった点があったでしょうが、済んだことはもう、お触れにならないで、それより私にどういう御用がおありになるのか? それを伺って、できることは喜んで、致そうと思っています。御用を、仰しゃってみて下さいませんか",
"そういって下されば……この上もありませんけれど……"
],
[
"いい加減なことをいってると……先生はお思いになるか知れませんけれど……先生、ウソではないのです……私は決して……ウソを申上げてはいないのです……",
"わかりました……わかりましたから、そう昂奮してはいけません"
],
[
"貴方のお話が、ウソなぞと決して思いません。思うくらいなら、こうやってお話を伺ってはおりません。……ただ……ただ、お聞きしたところで私には、何のお役にも立つことができませんが、しかしそれで貴方のお胸が晴れるのなら、喜んで伺わせてもらいましょう。どうぞ、気の済むまで、お聞かせ下さい。……それから、その土地へ行って貴方の仰しゃったお墓を、見るということ。外国では困りますが日本国内なら、どこでも結構です。都合なんぞかまいません、スグ行ってみることにしましょう。行って貴方の代りに、見て来ましょう。ハッキリとお約束します",
"先生、もう何にも……何にも……申上げる言葉が……ありません……"
],
[
"僕は、小浜へ行きたいんです……",
"小浜は、向うよ"
],
[
"まだ六里もありますわ",
"六里?"
],
[
"じゃ、仕方がありません、どこかこの近所に……食事をさせて、休ませてくれるようなところは、ないでしょうか?",
"食事?"
],
[
"村へ行けば、ないことはありませんけれど……でも、一番近い村だって、三里ぐらいはありますわ",
"三里……? まだ三里も?"
],
[
"ここは何というところですか?",
"東水の尾……水の尾村の東水の尾というところよ……でも、ここは、わたしの家があるだけよ。村のあるところは、もっとずっと向うですわ"
],
[
"そんなところ、僕、知りません。僕は雲仙から来たんです。南有馬へ出るつもりで、道を間違えて……",
"まあ、雲仙から?",
"道を間違えて、面倒臭いから小浜へ出ようと思ったら、また間違えて、昨夜は野宿しちまったんです"
],
[
"実際不思議です、僕にはそれが、不思議でならない……どこを見ても、誰一人人はいやしないし……なぜ、こんな淋しいところに、住んでらっしゃるんですか?",
"だって、父がここが好きで、住んでるんですもの、仕方ありませんわ"
],
[
"わたしたちもう七年も、ここに住んでますけれど、淋しいなんて感じたことなんか、ありませんわ",
"へえ!"
],
[
"よく、淋しくないもんですね! 僕なんか意気地がなくて、とても住んでられやしない……",
"ペリッがいますわ! ペリッがいれば、もう怖い人が十人くらいかたまって来たって、何ともありゃしませんわ。夜だって、見回ってくれますし……わたしたち碌々、戸締りなんかしたこともありませんのよ"
],
[
"オシエックというところで、生まれましたの、クロアティアの",
"クロアティア?",
"ええ、クロアティアの……ユーゴ・スラヴィアの……"
],
[
"欧州のユーゴ・スラヴィア……? へえ! そんな遠いところから、お買いになったんですか?",
"買ったんではありませんの、持って来たんですわ。……わたしたち帰る時、一緒に連れて来ましたの、ですからもうお爺さんですわ……",
"じゃ、貴方がたは、ユーゴ・スラヴィアに……? そんな遠いところに、お住いだったんですか?",
"ええ、日本へ帰るまで、ずっと向うにいましたの、向うで生まれたんですもの……ですからわたしたち、日本のどこも知りませんのよ"
],
[
"そうそう……この奥の方に……家から半道ばかりいったところに、綺麗な湖がありますのよ。柳沼っていって……回り一里半ばかりの、小さな湖なんですけれど、水門を作ってそこから開墾地まで、溝渠が拵えてありますのよ。ほんとうは、開墾地へ水を送るために作ったんですけれど、向うにも池があって……水の上を下れるようにって、半分はウォーターシュート用の娯楽に作ってありますの。娯楽にしない時は、荷物運搬用にもなるようにって! とても面白いんですのよ、明日の朝、いって御覧になりません?",
"ほう!"
],
[
"大したもんですね、……いってみましょう、見せて下さい……明日、連れてって下さい……でも、夜になると困るから、朝のうち連れてって下さい。そして、昼っから、僕、発とう!",
"お発ちになるの、かまわないじゃありませんか? よろしかったら、ごゆっくりなさいな……"
],
[
"何です、これは、一体? 何を作るはずだったんです?",
"父はここに、ホテルを作るつもりだったんですわ。地下一階の、地上四階の、……一時にお客が、四、五百人くらいも泊れるような……"
],
[
"東洋一の観光地を作るんだって、随分、楽しみにしていましたけれど……でも、もうそれも、パパの夢物語になってしまいましたわ。止めたんですの……止めたというよりは、お金が続かなくて、できなくなったんですわ",
"悲観しなくたっていいわよ、パパですもの、このまま引っ込んでおしまいに、なりはしないわ。またきっと、立派にやり遂げなさるわ! わたし、パパを信じているわ……今にマンガンが当れば、こんなもの、造作なくでき上がるわ",
"それは、そうでしょうけれど、……でも今のところは、一時立ち腐れね",
"ほう、東洋一の観光ホテルを!",
"そして、ここから大野木を抜けて小浜まで、自動車道路を作るつもりで、予定していたんですけれど……"
],
[
"もともと父は、帰りっ切りに日本へ帰るつもりはなかったのです。せっかく帰って来たのだから、三、四年くらいいてまたユーゴへ戻ろうって! ……そして二、三年おきにユーゴと日本をいったり来たりするつもりでいましたの。ですから初めはこの家もこんなところへ住むつもりではなくて、ホテルを作るのに、父が出入りに不自由なもんですから、ほんの夏場の別荘のつもりで、建てただけなんですの。温泉が湧くものですから、やがてユーゴへ帰ったら、また祖父をつれて遊びに来るつもりで……",
"ほうここに、温泉が湧くんですか?",
"お気づきになりませんでして……?"
],
[
"それで貴方がたは、ここへお移りになったんですか?",
"それは、もっとほかの事情からですわ……ヤキモキしているうちにやがて亜米利加と、戦争になってしまいましたでしょう? もう外国人は、本国へ帰ることも自由に国内を旅行することも、できなくなってしまいましたの。……でも、それだけならば、わたくしたちまだこんなところへは引っ込んでしまいはしませんけれど……"
],
[
"面白くもない話……おイヤだったでしょう?",
"お気の毒だと、思っています……何といったらいいかと、さっきから僕は考えていたところです"
],
[
"迷惑どころじゃありませんわ……もう、わたくしたちみんな、楽しくて……このままお別れ、できないような気持ですわ。……初めていらした時から……初めていらした時から……わたし……いい方がいらして下さったと……",
"え?"
],
[
"あれが、自家発電所になってますの。あすこで、電気を起して水門の調節をしたり、家へ電気も点くように、なってるんですけれど、戦争中からやってませんの。じゃ、今、爺やに捲き揚げさせますわね……あ、何か板切れでも、あるといいんだけれど……",
"嬢さま、これじゃ、どげんもんじゃろうかね?"
],
[
"じゃそれをうかべて頂戴! 流すんだから",
"ようごぜえますか? じゃ、水を、出しますだよ……よっこらしょと! ――"
],
[
"嬢さま……まだ出しますだかね?",
"どう? もっと出しましょうか?",
"もういいわよ、スパセニア! そんなに出したって、今水遊びするわけじゃ、ないんですもの",
"有難う、爺や! じゃ、もう、いいわよ! ……ついでにジュールも、厩へ繋いどいて頂戴!"
],
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"岸に腰かけて……木の幹に腰かけて、ジーナと随分長いこと、話してらっしゃったわね? ……何のお話、なさってらしたの?",
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],
[
"貴方は、知ってたんですか……?",
"どうしても六蔵が見つからないから、諦めて戻ろうとしたら、お話してらっしゃったでしょう? ですからわたし……お邪魔しちゃ悪いと思って、もう一遍六蔵を探しにいきましたの。ジーナと仲よく話してらっしゃるの、わたし、うれしかったから……もっと、話してらっしゃればいいって思って……",
"……別段……どうっていう話でもないけれど……貴方たちがユーゴから帰っていらした時のことや、長崎にいらした時分の話を聞いてたんです……",
"…………"
],
[
"そりゃ、僕……好きですよ……",
"ジーナも、仲よくして上げてね。ジーナは優しいいい人ですわ。誰にでも親切で、素直で……パパにも孝行で……よくできるのよ、学校なんか、いつも一番でしたわ……ピアノも上手ですし……ジーナのピアノ、お聞きになったことある?",
"いいえ……まだ……",
"じゃ、帰って来たら、聞いて御覧なさい……とても上手よ",
"貴方は……?",
"わたしは駄目なの、何にもできやしませんわ……"
],
[
"……ジーナも、仲よくして上げてね……わたし、ジーナを幸福にして上げたいの……学校も何も止めたのに、わたし本が読めるようになったの、みんなジーナのお陰ですわ。……ジーナの恩は、一生忘れませんわ……ジーナと、仲よくして頂戴ね……",
"僕のできることは、何でもしますけれど……でも……僕は貴方も、好きだな……貴方のような方も、大好きだな……"
],
[
"ピアノができなくたって、学校なんかできなくたって、いいじゃありませんか、かまわないじゃありませんか! 貴方は綺麗なんだもの……おまけにそんな美しい心を持ってれば、誰だって貴方が好きになる……",
"わたし……なんか……誰にも、好かれやしませんわ……",
"だって……だって……僕は……僕は……貴方が好きだもの……",
"まあ! 貴方が? 貴方が……? ほんとうに?"
],
[
"何を騒いでるんだい?",
"厭でございますねえ、若様!"
],
[
"若い女が泣きながら、お邸の中を覗いてるんだそうでございますよ",
"若い女が? どうしてだい?",
"さ、どうしてでございましょうか? 二、三日前にも、薄闇くなってから門の前に立って、じろじろお邸の中を、覗き込んでたそうでございますがね。……またその女が覗いてるとかって……みんなで、騒いでるんでございますよ",
"……へえ! フウン"
],
[
"とても綺麗な、混血児のお嬢さんですとか……",
"何? 混血児?"
],
[
"どうだ退屈したか?",
"退屈はかまいませんけれど……お父様! 僕は少しお父様に、相談があるんです。……友達のところへ、ここへ来てるといってやったら、ここまで来てるんなら、寄ってくれたっていいじゃないか? といって来たんです。僕、いって来てもいいか知ら?",
"いって来たらいいじゃないか!"
],
[
"だっていけばスグには帰れませんから、三日ぐらいかかりますよ、かまわないか知ら?",
"三日?"
],
[
"なんだ、ここじゃないのか?",
"山口県の宇部というところなんです。一緒に宇田中の温泉へ行こうと、楽しみにして来てるんです。特別親しくしてるもんですから……",
"宇部とは遠いのう! お父さんひとりスッポカシテ、そんなところへ行かんだっていいじゃないか! お母さんだって、お前ひとりやれば心配されるだろうし……",
"もう、僕だって子供じゃなし……お母様は、あんまりいつまでも、子供扱いされるんで、困るんです! お父様は、わかって下さるけれど……",
"お前が大切だから、アレもつい、度を過ごすのだろう。ま、お父さんは、もう一人前の人間と思うとるから、あまりこまかいこともいわんようにしとる"
],
[
"そうだ! そこを左の方へ曲って……もうちょっと行ったところで……そこだそこだ! そこを右手へ曲って、もう一度左へ行って……",
"この辺にゃ、誰も住んじゃいねえんですかい? ……酷く荒れたところですな……こんなところは来たこともないが、旦那、こりゃ何方かの、地所内ですかい?"
],
[
"貴方がたのお住居を調べるために、これから水の尾村へ行って、明日は村役場へ行ってみるつもりでいたんです。しかし、貴方がたに逢えば、もうその必要はない。これで安心した……さ、どこにお住居です? 連れてって下さい……今どこに……?",
"わたくしたち、火事に遭いまして……それに父も亡くなりまして……",
"お、お父様が、お亡くなりになったんですか……知らなかった、知らなかった……それで今、どこにいるんです?",
"このずっと先に……みんなで小さな家を建ててくれまして……二人で、そこに住んでおりますの……",
"じゃ、さあ、行きましょう、そんなら何も、水の尾なぞに、行く必要はないんです"
],
[
"ではもう、いいですよ……もうわかりますから……明日は早く訪ねて行きますから、さ、貴方がたはもう、お帰りなさい、帰りが大変だから……",
"でも、わたくしたち……この辺は慣れていますから……もう少し行きましょう"
],
[
"では明日また、この辺までお迎えに上がりますから",
"いいえ、いいんです、いいんです! こんな遠くまで……では、明日は早くいきますよ……さっきお逢いした、あの木の下を左へ曲ったところですね……家が建ってるのは……?"
],
[
"ほう、珍しいところを通っておいででございましたな? どなたかあの辺に、お知り合いでも……?",
"そう……ちょっとあったんだけれど……今度来てみたら、そこがすっかり焼けてしまってね……驚いたよ。おまけに亡くなったんだって聞かされて……",
"ほう! 旦那様、よう御存知で……どこでお聞きになりました?",
"なあに、やっと出逢ってね、その人の娘さんが、そういったよ",
"へえ……お嬢様が……? お嬢様にお逢いになって……?",
"君の家も、その娘さんたちに教えられて……"
],
[
"そう……お父さんはたしか、石橋弥七郎とかいわれた……",
"石橋様のお嬢様とすれば……たしか……アノ……向うのお方で……?",
"そう……混血児だよ……教えてくれただけじゃない……あすこの橋のところまで……村の入り口に、石の橋が架かってるだろう? あすこまで、送って来てくれたよ",
"あの……橋のところまで送っていらして……ではつかぬことをお伺いいたしますが、旦那様は東京で、大学へいっていらっしゃいますんで",
"そう、僕は大学生だけれど?"
],
[
"幽霊でございます……石橋様のお嬢様の、幽霊に違いございません",
"…………",
"旦那様、どちらの方でございます? 上のお嬢様でございましょうか? 下のお嬢様でいらっしゃいましょうか?",
"二人で送って来てくれたよ! ……生きてるのに、幽霊なぞと……そんなバカなことが、あるものか!",
"生きてではございません。お二人とももう……",
"何……?"
],
[
"……何でも、東京の大学生とかを、えらく怨んでたという噂でございましたが……ああ、やっぱり噂のとおりだった……恐ろしいこんで……恐ろしいこんでございます。よっぽど、御用心なさらぬといけません……。旦那様、それはもう容易ごとではございません",
"しかし……しかし……あの木の下から曲ったところで……赤名山という山の麓を曲った辺に家を拵えて住んでるといった……確かにそういった……",
"家ではございません……お嬢様のお墓がそこにございます……お墓が二つ、並んで建っております……ああ、旦那様は魅込まれておいででございます……旦那様があの道をお通りになったんで、それでお嬢様たちが出ていらしたに違いございません……ともかく旦那様、えらいことでございます。詳しいことを知っておりますものが、スグ向うに住んでおりますから……今、その人間を呼んでまいりますから、チョックラお待ち下さいまし"
],
[
"お嬢様たちはいつもわたしたちはあすこが一番好きだから、死んだらあすこへ埋めてもらうのよ! と口癖のようにいってなさっただから、今度警察の許可を貰うて、葬れえ直すことにしただ。済まねえが一つ墓を彫ってくんどという頼みでやしたから、わっしが字を彫ったでがす……",
"その伊手市どんの彫った墓が、旦那様がお逢いになったというあの笹目沢と赤名山との間の、栃の木の下の分れ道になってるところを、何でも十二、三町ばかり下っていった原っぱに、建ってるんだそうでして……私はいって見たこたアございませんが、松の木が二、三本生えてる根っ子で、えらく景色のいいところだとか……",
"そして、墓は何と彫ったのです……?",
"お嬢様の名前でやすが……何てったっけなア……えらくムズカシイ名前で……石橋……スサ……バンナ……スサバンナ……てったっけなア……?",
"スパセニアでしょう?",
"そうそう……スパセニア……スパセニア……石橋スパセニアの墓……もう一つ……これは覚えとるでがす。石橋ジェンナの墓……",
"……ジーナ……",
"そうでやす、そうでやす……ジーナ……ジーナ……石橋ジーナの墓……"
],
[
"明日またいらっしゃるなぞとは、飛んだことでございます。絶対に、いらっしゃってはなりましねえ。旦那様をお連れするために、出ていらしたに違えございません。旦那様は、魅込まれてらっしゃる! 恐ろしいこんだ……恐ろしいこんだ! 旦那様、決していらっしゃっちゃなりましねえ……命はごぜいましねえ!",
"しかし、幽霊なぞと……そんなバカなことが! 信じられん……どうしても、僕には信じられん!",
"いくら旦那様が仰しゃっても、幽霊が出たものは、仕方ねえじゃごぜいやせんか? では、早い話が旦那様! 旦那様はさっき仰しゃいましたでしょうが! 村の境の石橋のところまで、送って来てくれたと。それでございます。……一体その時刻は何時でございます? その時間に、いくら星は出ていても、この暗の中さ、山ん中へ、あれから二里も三里も、弱い女の足で、どうして帰れるでやしょう? 足はともかくとしても、恐ろしくて若い女なぞに、どうしてあの山ん中へ……",
"でもこの辺は慣れてるといってた……",
"冗談じゃございません。いくら慣れてるとこだって、この真っ暗な晩に、人っ子一人通らぬ山ん中へ、三里も四里も……さっきそれを伺った時から、もうからだがゾクゾクして……ああ恐ろしい! こげんに恐ろしいこたアわしも初めてだ……"
],
[
"あの道でやしょう? 旦那様! 出て来たと仰しゃるのは……?",
"そう……あの木の下あたりから……",
"間違えねえ、旦那様! 確かにお嬢さんの幽霊だ! ほら、早く来て御覧なせえ! ……そこを駈け上ると、見えまさア! ずっと向うにお墓がある!"
],
[
"じゃ、貴方がたが御覧になった石橋さんという方の、欠点とでもいったようなものは……一口にいったら、どんなところでしょうか?",
"わし共、有難てえ方だと思ってやすで、別段欠点といったことも、気が付いたこたアねえでやすが……そうでやすな……"
],
[
"あ、旦那様、足許がお危のうごぜえます……",
"貴方が、あのお嬢さんたちのお墓を彫ったんだそうだね?",
"へえ、左様でごぜえます。手前が……",
"お嬢さんたちは、生前ここが大好きだったから、それでここへ葬ったとか……",
"旦那様は、大層よう御存知で……",
"ここからあすこまで、どのくらいあるのかね?",
"近くに見えとるでやすが、さ、まだ七、八町の余もごぜえましょうか?"
]
] | 底本:「橘外男ワンダーランド 怪談・心霊篇」中央書院
1996(平成8)年6月10日第1刷
初出:「小説春秋」
1956(昭和31)年4~5月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年12月24日作成
2020年1月18日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"お父つぁん! お前ほんとうにその値で買いなすったのかえ?",
"そうともよ! この値で買わずにどの値で買う? ハハハハハ彦吉! 魂消たか! 年は取っても父つぁんの腕金には筋金がへえっていらあ! この秋東京には仕入れに上った仲間内は八百人や千人はあるだろうが、まずこのくれえの掘出し物をしたのはそう言っちゃなんだが父つぁんくれえなものだろう!"
],
[
"おや! 阿母さん、だれか叩いている!",
"そのようだね"
],
[
"不思議なことがあるもんだ。今女の人が来たんだよ",
"女の人が来たって? 何も不思議なことはないじゃないか! 何の用で?"
],
[
"それがお前、お父つぁんが今夜お帰りになるからって今知らせに寄って下さったんだよ",
"え! お父つぁんが?"
],
[
"お父つぁんが今夜帰って来るというのかい? だってお父つぁんは大胡の友さんの寄合いに行ったんだろう? 明日でなければ帰れないじゃないか?",
"だから阿母さんが今考えているんだよ。お父つぁんが、用事の都合で急に今夜お帰りになることになったから、それで知らせに来て下さったんだとさ!",
"それじゃお父つぁんは帰って来るんだろう。だれが知らせに来てくれたんだい?",
"それがお前、わたしが今まで一度も見たことも聞いたこともない方なんだよ。丸髷に結って、綺麗なとても綺麗な、わたしはだれか花曲輪の芸妓衆でもあろうかと思ったくらい、なんともいえぬ綺麗な奥さんが……それがお前真っ青な顔をして……",
"阿母さんお止しよ! そんな妙な顔をして! なんだってそんな真似をするんだ!",
"いいえ、それがお前!"
],
[
"おおかた夢に魘されたのだろう?",
"でもわたし、宵の口からまだ少しも眠ってはいませんでしたもん"
],
[
"たださえ去年の秋から商売の方も旨く行っていねいのに、またこんな噂でも立った日にはよけい商売の方にも響いてくるし、弱ったもんだ",
"それにしても彦吉が幽霊というわけでもあるまいに、なにもお前さんが彦吉までを怖がることもないだろうにね"
],
[
"お父つぁん、眼が醒めているのかい?",
"魘されているようだな"
],
[
"なんだな大きなことを言って! だから止せばいいのに、から意地はねえじゃねいか! 彦吉! 起してやりねえ!",
"よし起して来てやろう"
]
] | 底本:「橘外男ワンダーランド 怪談・怪奇篇」中央書院
1994(平成6)年7月29日第1刷
初出:「オール読物」
1937(昭和12)年9月
※表題は底本では、「蒲団《ふとん》」となっています。
※「吻《ほ》っと」と「吻《ほっ》と」の混在は、底本通りです。
入力:門田裕志
校正:江村秀之
2020年9月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[
[
"まァ、どうしたんでしょうね? あんなにほえて! 吉蔵さん、早く、追ってあげて……",
"これ五郎丸! てめえ、いいかげんにしねえかい! ほえるんじゃ、ねえったら! ふだんめったにほえねえのに、今夜にかぎって、どうしたってんだ! これ! やめろったら!",
"だめよ、そんなことぐらいじゃ! 早く、つれていってしばってよ",
"これ! もうだまれったら、だまんねえか!"
],
[
"ちょっくらうかげえやすけんど……久住先生のお屋敷は、こちらさまでごぜえやしょうか?",
"ハァ、久住はこちらですけど……あなたは?",
"おらがは東戸松在から、めえったもんでごぜえやす。……先生さまおいでやしたら、ちょっくらこの赤ン坊さみていただきてえと、思えやんしてな夜分におうかげえして、もうしわけねえでごぜえやすけんど……"
],
[
"よし、すぐにいくよ。……だいぶうすら寒いようだから、部屋をあたためておくように……",
"まァ、かわいそうに、そんなにぬれてるの?"
],
[
"でも、いまのお婆さんはおそろしい人ね……わたし、身ぶるいしてしまいましたわ! そっと奥まではいりこんできて、部屋のなかをのぞきこむんですもの……とても気味の悪い人よ",
"部屋のなかをのぞきこんでた? ……そういえば、あのお婆さんはどうしたんだろう? ……",
"いまごろ、そんなことをおっしゃったって、もう、いやしませんわ、わたしがいま、送りだしたばっかりなんですもの"
],
[
"ほんとうに恐ろしくて、わたしふるえてしまいましたわ",
"うむ、山奥の婆さんだからね、礼儀もなにも知らないのだろう。……それにしても、ぼくたちふたりして眠りこんでしまうなんて、ふしぎだね。……なんだか怪談みたいだね。ふしぎな晩だよ。おまけに雨がショボショボふって、まるでむかしのおばけ話にそっくりじゃないか!"
],
[
"ど、どうした! 吉蔵!",
"だ、だんなさま! た、たいへんなものが飛んで!",
"とんだ? なにが?",
"ひ、人魂が……と、飛んでいきやしたが……",
"バカ! あんなものは、人魂じゃない! ばかなことをいわずに、早くやってくれ!"
],
[
"ど、どうしたんだ! 吉蔵!",
"うごかねえだ! 誰かくるまをうしろからおさえていますだ!"
],
[
"あなた! また、あのこわいお婆さんがきましたのよ。ゆうべの、あのお婆さんが……そして五郎丸が、血をはいて死んでますのよ",
"五郎丸が? ど、どこで死んでいる?",
"裏の出口の下の……茶畑のなかで……血まみれになって死んでますんです"
],
[
"……さっき、あのこわいお婆さんがきたとき、またゆうべのように、気がちがったかと思うほどほえてましたけど、それからおもとさんがご飯をやろうとして、いくらよんでもこないもんですから……さがしにいきましたら、茶畑のなかで……",
"ようし……いってみてこよう! 吉蔵、おまえすまんが、懐中電灯をもって、ついてきてくれないか!"
],
[
"ど、どうした? なぜあかりをつけちゃいけないんだ?",
"あなた……さっきから、だれか、家のまわりを歩いているのよ……ほら! きこえるでしょう? あら、だんだんまたこっちのほうへくるわ……あなた、どうしたらいいでしょう?",
"なあに大丈夫だよ、近所の野良犬かもしれんよ!"
],
[
"あなた……だれか、家をねらってるのよ……ど、どうしましょうか? 金ダライでもたたいて、さわぎましょうか? それとも吉蔵を起してくださる……?",
"ま、ちょっと待ってごらん! へたに騒ぎだすと、にげてしまうから、……うむ! たしかに人だ! ……"
],
[
"ようし! 頼子、おまえここにじっとしておいで、……ちょっといってみてくる",
"あぶないわ。あなた、やめてよ! 相手がどんな人間だか、わかりませんもの……それよりおねがいですから、早く吉蔵たちを起してちょうだいよ……",
"いいや、大丈夫だ。どんな人間か、ちょっとみてくるだけだ。そのようすでは、すぐみんなを起す……"
],
[
"だんなさま、泥棒がへえったそうでやすが、寝とりまして、いっこうにぞんじませんで、……えら、申しわけねえこんでごぜえやした",
"あなた、どこまで追ってらっしゃったの? やっぱり泥棒でしたの? どんなかっこうしてまして?",
"暗いから、よくわからなかった。追ってったんだが、雑木林のなかへにげこんじゃってね",
"夜があけやしたら、村の駐在所までしらすことにいたしやしょう。またやってくるといけねえだから",
"なあに、何かとられたわけでもないから、まあ、いいさ。さ、みんなも寝なさい。……どうせコソ泥棒だ、もうきもせんだろう"
],
[
"あら、あなたの寝巻に血が……、まァ……手の甲から血がたれて……どうなさったの?",
"うむ、いまあいつを追ったときに、そこでつまずいたから、茨ででもひっかいたんだろう"
],
[
"俺にはどうも、解せねえことがありやすだ。ちょっくら、きてみておくんなさらねえだか",
"なんだい? 吉蔵、朝っぱらから",
"だんなさまは、ゆんべ泥棒がへえったとおっしゃいましただなあ?",
"ああいったよ。だが、それがどうしたんだね?",
"泥棒なら、人間でやんしょう? ところがけったいなことに、人間の足跡なんてえものはちっともねえでやす。あるものはだんなさまのばかりでやんすがな……",
"だって、俺がこの目で見たんだからね、まちがいはないよ",
"だんなさま、そりゃなにか、だんなさまのかんちげえじゃ、ねえでやんしょうかな? 大きな獣の足跡が、……クマみてえな足跡ばかりがあるでやんす"
],
[
"ようし、吉蔵、俺にはすこし考えがあるから、このことだけは、だれにも話すなよ。人にけっしてしゃべるんじゃないぞ!",
"話すでねえとおっしゃれば、しゃべりはしましねえが、……だんなさま、やっぱり、クマでごぜえやしょうがな? この足跡はクマでなけにゃ、ほかに見当もつかねえだ",
"だから、それをしらべるまで、だまっているんだというんだ"
],
[
"もうそれからは、家内はまた子どもをかくされやしねえかと、半狂人みてえになっとりやして、仕事も何も手につかねえでやす。そこでわしもきょうは野良を一日休んで町さきで、医者さまのとこさ軒なみにきいてまわっとるでやすが、もうこれで五人の先生さまに、うかがったでやす。こちらの先生さまいれて、六人目になるでやすが……",
"ほう!……フウム……"
],
[
"わしどものとこから、ここまで十里近くありやすだ……でやすから、赤ン坊の見えなくなった、ほんの三時間や四時間ぐらいでは、いくら足のはやいもんでも、先生さまのお宅までくるわけのねえことはようくわかっとでやすが、どこできいても知んねえ知んねえおっしゃってでやしたから、念のため、うかげえにあがりましたようなわけで……",
"ちょっとお待ちなさい。わたしにも、すこし思いあたるところがある……"
],
[
"……東彼杵郡、東戸松村、字白上、津田まさ長女二歳……これだ! たしかにわたしのところへきている。……わたしが赤ちゃんの手当をしてあげているが……この津田まさという人は?",
"それが、わしの家内の名前でやすが……へえ? 先生さまのところへめえっておりやしただか? で、だれが、つれてめえりやしたでしょうな?",
"お婆さんですよ。こわい顔をした、六十くらいのお婆さんがね",
"へえ! 六十くらいの婆さんが? 先生さま、すりゃふんとうでごぜえやしょうかな?"
],
[
"何か先生さまの、お考えちげえじゃねえでやしょうかな",
"いや、そのお婆さんにたのまれて、わたしがこの手で、あなたの赤ちゃんのできものを切開してあげたんですから、まちがいはないです。しかし女だから、家内や看護婦のほうがわたしより、もっとよくおぼえているかもしれません。念のため、呼んできいてみましょう"
],
[
"ど、どういう模様の、単衣もんでやしょうな? じつはそのとき、外にほしといた家内の単衣が、二枚なくなってたでやす。洗いざらしの、ボロでやすが……",
"下の単衣はわかりませんけど、上のは、あらい十字絣の……まるで三十二、三の女がきるような、派手な柄でしたわ。……お婆さんが、ずいぶん派手なゆかたをきてらっしゃると、それでいまでもおぼえてるんですわ",
"あ、奥さま! それでやす、とられたのは、その十字絣で! わしどもの家内は二十七になりやすから、それにまちがいはねえでやす",
"まァ! それではあのお婆さんは、お宅からとったきものをきて……お宅の赤ちゃんをつれてきたんでしょうか? まァおそろしいこと……なんてお婆さんなんでしょうね!"
],
[
"おそろしいわね",
"とても、こわいわ……わたし……"
],
[
"まさかいまごろ、妖怪変化がでるとも思われないし、……しかしきみのたのみは、しょうちしたよ。あんなところにすんでたら、さぞ淋しかろうと、内々ぼくも気にかかっていたんだよ",
"わたしも、こんな話をもちこんだら、さぞ義兄さんに笑われると思ってたんですが、そうかといってほかに相談する人もないし、また話したところでなかなかわかってもらえませんからね。ですが、もうこのままにはしておけないのです。第一、あのからだの弱い頼子が心配ですからね"
],
[
"靖彦君……きみの話の腰をおるようですまんが、どうだい? ここから半道ばかり奥に、了福寺という寺があるんだが、いまからぼくといっしょにそこまで、いってくれないかね?",
"なぜ、そんなところへいくんです?"
],
[
"健一さん、このお若いかたは、おつれかいな?",
"ハ、まだおひきあわせもしませんでしたが、義弟でして……妹のつれあいなのです……",
"いかんな…これはいかんな……"
],
[
"と、おっしゃいますと?",
"このお若いかたのうしろに、ゆだんのならぬものがついとるんじゃよ……あんた、このごろうちから、なにか恐ろしい目におうてなさるじゃろが?",
"ハ、じつはそのことについて、きょう義兄のところへ相談にまいって、こちらへうかがおうということになりまして……",
"そうじゃろ、そうじゃろ、あんたには恐ろしいものがついとる。いかん、いかん! 早くしまつしてしまわにゃいかん! さあさ、はやく靴をぬいで……おあがり! できることはご相談にのってしんぜよう"
],
[
"ときにあんたは、その老婆がなにものか、見当がついておいでかな?",
"ハ、それがいっこうにわかりませんので……",
"健一さん、これはあんたの、大失策じゃよ。わしがあの家は悪因縁のまつわっとる家じゃから、こわしてしまいなされと三年まえにすすめたときに、なぜそのとおりになされなかったのじゃ? わしもできるだけのことはしてしんぜるが、そのかわりわしのいうことだけは、守らにゃいけませんぞ。さもないと、その老婆にかかって、命をおとさにゃならぬ",
"その、老婆というのは、いったい何者でしょうな?"
],
[
"わしの見るところでは、人間ではないな",
"人間でないとおっしゃると……?",
"わしは怨霊じゃろと見ている。怨霊も怨霊、よほど劫をへた獣の怨霊じゃな",
"怨霊?……へえ! 怨霊とはおどろきましたね。で……では、この災難を、どうしたら救っていただけるでしょうか?",
"ま、お待ち……それはわしもいまから頭をひねるんじゃが。そんな怨霊が、なんのためにあんたたちに祟りをしとるのか? いま住んでなさる家の由来から、話をしてあげんことには、あんたたちにものみこめなさらんじゃろ。ま、ききなさい、こういうわけなのじゃ。が、そのまえに……健一さん、こんどはあんたもわしの話を、ばかにしてはききなさらんじゃろな?"
],
[
"およびでいられましょうか?",
"そこにいたら、なぜ、返事をせぬ? うかつものめが!"
],
[
"おおかた、主人がいねむりでもしていると心得て、貴様までがそこでいねむりしていたことであろう。不届千万な!",
"おそれいります!",
"ただおそれいっておったのではわからん! 竜胆寺どのはまだおみえにならぬのか? 竜胆寺の小金吾どのは?"
],
[
"ハ! まだおみえになりませぬようで……",
"たわけものめ!"
],
[
"ヌケヌケと昼寝なんぞしおって、おみえになったかならぬか、どうして貴様にわかる! 横着者め! はようといっておむかえしてこんか! たわけものめが!",
"ハ! では、た……ただいま、……ただいまよりおむかえにいってさんじまする"
],
[
"そちどもの迷惑も察せぬではないが、こまったことに、母が三、四日来の病気でのう。病はさしたることもないが、なにせ親ひとり子ひとり……ことに、目の見えぬ母をかかえていることとて、よろずに心細がってわしばかりをたよりにあそばさるる。許してくれい、佐平治とやら! なかなかぬけだしてくることが、できんかったのじゃ",
"それはそれは、ぞんじませんで、ついてまえのことばかり申しあげまして……ま、あのようなお気質の主人でございますれば、しょうちしてはおりましても……そこはつい、その……おいでがございませんと、いちずにかんしゃくがつのるようなわけでござりましょう……"
],
[
"わしは他人じゃからかまわぬが、そちども召使たちには、わしのきようがおそいと、とんだ迷惑をかけるのう。では、……さ、佐平治とやら、そちはひとあしさきに将監どののお邸へもどってな、わしが参着したと、先ぶれしてはどうな? さもないとまた気がきかぬやつとしかられるかもしれぬぞ。わしにかまわずに、さ、ひとあしさきにもどってはどうな?",
"おそれいります。さようなれば、てまえは一足おさきへごめんこうむりまして……",
"そう、遠慮はいらぬ。そういたせ、そういたせ"
],
[
"ただいまも、左平治とやらお召使にもうしたるごとく、母微恙のため、いささかお約束の時刻より遅参いたしましたるだん、ご容赦くださいますよう",
"いやいや、そのごあいさつではいたみいります。そのおとりこみのなかをわざわざご光来、拙者のほうこそおそれいります。ささ、まずまずお通りくだされい! さあ、さあ、……これ、八重! なにをまごまごしとる! 小金吾どののお腰のものでもおあずかり申しあげぬか? なに? 陽がおちると、広書院のほうがかえってすずしいと? それならそれで、なぜ早く席をそちらのほうへうつさん?"
],
[
"御母君のごようすはいかがかと、じつは拙者もないないお案じ申しあげとる。なんせ、この暑気ではな……ごようすはいかがでござるな? どんなごあんばいで?",
"病はさしたることもありませんが、ごしょうちのように不自由なからだ、召使どもはおりましても、心ぼそがって一刻もてまえをはなしたがらぬにはこまります",
"ごもっとも、ごもっとも! ごむりもないことじゃ、ごむりもないことじゃ!"
],
[
"そ、その石だけは、ちょっと待ってもらいたい! ちょっと……その石だけは!",
"なりませぬ!"
],
[
"さ、つぎをお打ちください",
"ちょ、ちょっと、待ってもらいたい……そうせかされても……"
],
[
"御家老! てまえは、これで失礼をいたします",
"な、な、なんとめさるこの一局をかたづけずに?",
"さよう! 卑怯なかたのおあいては、てまえには、つとまりかねます",
"ひ……ひ、卑怯とは……?",
"さようではござりませぬか! てまえの打った石におどろいて、すでにお打ちになったごじぶんの石をとりのけようとは、卑怯ではございませぬか",
"しかし、まだ石を打たぬのだから、さしつかえないではないか! 拙者が石を打ちおろさぬうちに、そこもとが打ちおろされた。いわば、はやまってそこもとが打ちおろされたも同然……拙者、とりのけたからとて、いっこうさしつかえないと思うのじゃが",
"恥をお知りなされませ、御家老! 若年とあなどっておいいくるめなされますか! 戦場で弓矢をあわせながら、敵のいきおいにおどろいて、あわてて軍勢のたてなおしをなされますか? 卑怯未練なおかたのおあいては、てまえにはつとまりかねます",
"…………"
],
[
"いまの声をおききになりました? どうしたんでしょうねえ? たしかにいまのは、だんなさまのお声のようでしたけれど……",
"竜胆寺さまの若さまと、何かいさかいでもなすったのかしら? きょうはだいぶ、癇がたっておいでのようですから"
],
[
"ウウヌ、佐平治! 貴様見おったな? やい、こら、みおったな!",
"だ……だんなさま、こ……これは……とんだことをなされまして……",
"は、早く……そ、そこのふすまをしめえ! な、なにをしとる! は、早く、なかへはいって、ふすまをしめえというに!"
],
[
"見られた以上は、不愍なれども、貴様を生かしておくわけにいかぬ。命がおしくば、わしに手つだうか、どうじゃ? さ、心をきめて、返事をせい! 手をかせば、わしも悪うは計らわぬ。手つだうか、手つだわぬか、はよう返事をせい!",
"だ……だんなさま……お、お手つだいを……いたします……お手つだいを……いたし……ま……する",
"けっして余人には、もらさぬな?……一言でももらしたが最後、貴様の素っ首を、そのままにはしておかぬぞ!"
],
[
"ど……どうぞ、ごかんべんを! お、お手つだいいたしまするだんでは、ござりませぬ。お、お手つだいを……",
"ようし、その儀ならば、将監心にとめて、ふくみおくぞ!"
],
[
"召使どもは、なにをいたしおる? 感づいた模様か?",
"ご安心なされませ、だんなさま! まだ、感づいてはおりませぬ。お勝手口にひしかたまってふるえております",
"一同を、勝手口に封じこめておけ! かりそめの碁の勝ち負けより、竜胆寺どのといさかいを生じ、ひきとむるをきかず、小金吾どのは、血相かえてかえられた。将監癇癖つのって、納戸よりこちらへちかづきくるものは、だれかれの容赦なくブッタ斬ると、召使一同にふれておけ! 竜胆寺どの若党が、供侍部屋にひかえておるはず。このものにも左様申しきかせて、追いかえしてしまえ! そして貴様は、早く手桶を用意して、血のりをあらいさってしまえ!……おっつけ伜新之丞ももどりくるはず、新之丞のかえらぬうちに、さ、さ、早く早く、しまつをつけねばならぬ",
"だ……だんなさま、おどろきましたひょうしに、腰がぬけまして、……た、たつことができませぬ",
"いくじのない奴、これしきのことに! さ、たちおらぬか!"
],
[
"そなた、その話は、城代どのごけらいから、きいておいでなのかえ? ならば、気のどくながらもういちど、城代どのお屋敷へとってかえして、このたびは石藤左近将監どのお口からじきじきにきいてきてくださらぬか? 老母いささか腑におちかねるところあり、まことに心痛いたしておりますればと、ようくこちらの事情を申しあげての……遠い道をそなたにはまことに気のどくながら……",
"なんのなんの、てまえ若さまのお供をいたしながら、まことにお供甲斐もござりませぬしまつで……ご隠居さま、どうぞお許しなされてくださりませ。このとおりでござります"
],
[
"どうしました、小金吾そのかわりはてたすがたは――",
"……"
],
[
"早月はおりませぬか? 早月は……?",
"ご隠居さま、およびでいられましょうか?"
],
[
"そこに、だれかおりませぬかえ?",
"え、いいえ、どなたもべつだんに……",
"そのへんに、血でもたれてはおりませぬかえ?",
"え、血が?"
],
[
"では、それでいいのだよ、ご苦労でした。わたしは目が見えないから、それをおまえにたしかめてもらいたかったのです。それでわかりました。さ、もういいから、いっておやすみ!",
"ご隠居さま、ほかに何か、ご用でも?",
"いいえ、もうそれでいいのです。さあさ、行って早くやすんでおくれ!"
],
[
"早月、早月! 早月はおりませぬかえ? いなければだれでもよい、ちょっときておくれ!",
"早月さんのすがたがちょっと見えませぬが……なんぞご用でいらせられましょうか?"
],
[
"早く早く、これを見ておくれ。わたしには小切れのように思えるのだが、なんでしょう……?",
"紗の小切れでございますが……あっ、ご隠居さま黒血と泥が……"
],
[
"では、これを見ておくれ! これはなんの小切れでしょう?",
"麻の切れはし……三蓋菱のご紋がついております……これには泥も血もついてはおりませんが"
],
[
"無類のかんしゃくもち、いったん癇がたったとなれば、なんとしてもききわけるかたではござりませぬ。いかがでござりましょう? きょうのところは一応おひきとりくださいまして、またのお越しをねがわれますまいか?",
"おだまりめされ! 家来までが、相手が女とあなどって、無礼をいわるるか? 竜胆寺小金吾の母! 亡夫竜胆寺妥女が妻! わざわざこちらより左近将監づれが家へ足をはこんできたさえあるに、会えぬ、かえせ、の無礼なあいさつで、おめおめひきとらりょうか! あいてを見てものをいいなされ!"
],
[
"ご隠居さま……どうぞ……粗茶などおめしあがりくださいまして……",
"ああああ……世が世ならば竜胆寺妥女の妻! 家老石藤左近将監風情の軒さきに、乞食のごとくにうずくまりもせぬものを!"
],
[
"ご家老さま! 梶平三郎お手つだいにさんじました!",
"門馬光春、まいりました!",
"豪太夫、ご助力申しあげまする!"
],
[
"ご城代さま、おけがはござりませぬか?",
"ごぶじでこざりましたか?"
],
[
"このはやわざにはおどろきましたな!",
"なんでしょうな? この傷口は……?"
],
[
"だ……だんなさま……た、たいへんでござります",
"臆病者め! またたいへんか? 貴様のたいへんにはききあきとるぞ!",
"いえ、もう……これこそたいへんで! ご門前で腰元風の若い女をあいてに、若侍が切りあいをはじめておりまして!",
"なに? 若い女あいてに、侍が切りあいをはじめたとな?"
],
[
"当藩のものか?",
"いえいえ、遠国の侍らしく……通りがかりに、なにか親の仇呼ばわりをして、女のほうからきりかけましたようすで……",
"当家は、大村藩城代家老の邸、当家門前の切りあいはめいわくいたす、と、追っぱらってしまえ!",
"じょ……じょ……ご冗談でござりましょう。なかなかもちましてわたしごときに、そんな真似のできるものではござりませぬ。双方真剣で切りあっておりまして……それそれ、こういうまにもきこえてくるでござりましょう。あの刃の音が!"
],
[
"刀をひかれえ! 双方とも、刀をひかれえ! 拙者は当家のあるじ、いかなる意趣、遺恨かは知らねども、拙者門前にての斬りあいは、はなはだもって迷惑いたす。べつだんに拙者、あつかいをいたす所存もござらねば、おのおのがたは、ところをかえてぞんぶんにいたされえ!",
"ご当家おんあるじと見て、おすがり申しまする!"
],
[
"それなるものは、わたくし父の仇にて、柳三之介と申しまするもの。ただいまご当家ご門前にてそれなるすがたを見かけ、なのりをあげましたるしだい。あわれおなさけにしばらくのあいだ、ご門前を汚しまするだん、お許しねがわれますまいか?",
"アイヤご主人! ただいまそれなる女の申すごとく、拙者その女の父を、武士道の遺恨やむにやまれぬ仕儀によって、討ちはたしたるものには相違ござらねども、それにはそれだけの理由のあること、しばらくこの場において、勝負の儀ご容赦ねがわれまじくや? なのりあげられたるうえからは、ふびんなれどもこの場において、かえり討ちにいたす所存にござれば……",
"それが迷惑だというのでござる。場所をかえられたい。拙者門前が迷惑だというのでござる。そうそうほかの場所へうつられたい",
"それなれば、これほどお願い申しあげましても、ご当家おん主にはお許しくださらぬのでござりますな。女ひとり永年艱難辛苦の末、ようやくにしてたずねあてたる父のかたきにめぐりあい、優曇華の花咲くここちいたしておりまするに、この場において仇討ちならぬとおおせられまするか?",
"さよう、迷惑なこと。おてまえのご苦心などは、拙者知ったことではござらぬ。拙者門前でさえなくば、それでけっこうでござる"
],
[
"これは血も涙もなきお人……そこなる柳三之介どのに申す。あまりと申せば冷酷無情……いかがでござりましょう。わたくしども両人、勝負を決すべきところなれども、まずこれなる邪魔ものをおたがい心をあわせてかたづけて、それより心しずかに勝負を決しましては、いかがでござりましょうな?",
"ごもっともなるおいいぶん……合点いたしてござる",
"では……柳どの",
"しからば浪路どの……",
"いざ!",
"いざ、いざ!"
],
[
"お藤さんちょいとあんた! さっきたのんどいたものを、魚政にいっといてくれたかしら?",
"ええおさしみでしょう、さっきいっときましたよ。きのうは海がしけて、だんなさまのお召しあがりになるようなお魚がないから、店へかえって何か見つくろって、スグおとどけいたします、っていってましたからね。もうお台所のほうへきてるんじゃないでしょうかねえ"
],
[
"お八重さん、あなたは殺されたいか?",
"何を冗談いってるのよ。世のなかに殺されたい人間がひとりでもいますかよ"
],
[
"だんなさまは、あんたを手討ちにするとおっしゃっていられるんだそうだよ",
"わたしがお手討ちになる? わたしがお手討ちになるんですって? お手討ちになるようなわるいことを、何をわたしがしたというんでしょう?"
],
[
"だ、だ、だれがそういったの? だれからあなたはきいてきたの?",
"いま若党の佐平治さんが、ひとあしさきにとんできて……は、早くあなたをにがしてしまえって、わたしにおしえてくれたのよ。だからわたし早くあなたにおしえてあげようと思って……こうして、荷物をもってきてあげたのよ。さ、早くお逃げなさい! もうおっつけだんなさまがおかえりになる。おかえりになったらもう間にあわない。さ、早く早くこの荷物をもって!",
"ああ、ああ……もうわたし……どうしたらいいんでしょう?……なんにも悪いこともしてないのに?"
],
[
"そんなことをいくらいったってはじまらない! 癇癖がお起きになれば、見さかいなく人をブッた斬りなさるだんなさまのご気質は、あんただって知ってるでしょう? さ、もうおっつけだんなさまもおかえりになる。わたしもこうしてはいられない。さ、もうわたしはお玄関のほうへいくよ",
"あ、お藤さん待って、待って、ちょっと待って……後生だからちょっと待って!",
"あんたをたすけたことがわかれば、わたしまでも同罪よ。あんたのまきぞえを食うのはわたしもいやだからね。さ、もうわたしはいくよ",
"待って! 待って! 待ってちょうだいったら! 後生だからお藤さん、待ってちょうだいよう……わたしはいったいどうしたらいいんでしょう?",
"だから、殺されるのがいやだったら早くお逃げといってるじゃないか!……人がせっかくしんせつにおしえてあげてるのに!",
"お藤さん、わたしがにげたあとで、あんたにご迷惑がかからないかしら"
],
[
"さあ、それじゃこうしてはいられない!……お藤さん。あんたにはいろいろお世話になって……お礼はことばにはいいつくせない! いまにきっとご恩返しはしますから……",
"よけいなことはいいから、さ、早く裏から逃げて……町のほうへ逃げてはいけないよ、だんなさまと途中であったらたいへんだから! 命はありませんから!……道へでたらお小姓街道をスグ右のほうへお逃げ!"
],
[
"人にきかれるとたいへんなことになる。もっとそばへおより!",
"おら、なんだか、今夜のおまえさまはこわいような気がするだなァ"
],
[
"なにもこわいことはありません。もっとそばへおより!……人にきかれたらたいへんだから",
"なんの話だかね……おら、気が小せえほうだから、あんまりおどかさねえでくらっせえよ"
],
[
"おまえ助かりたいかえ?",
"お八重さま、後生一生のおねがいだァ、助けてくだせえまし……おらは在所に年をとった父つァまとふたりッきりだァ……死んだら父つァま、どんなに嘆くかわかんねえだべなァ……お八重さま、一生ご恩にきるだァ。助けてくだせえまし……"
],
[
"では、わたしが内証で助けてあげる! すぐおにげ! そこはそのままでいいからスグおにげ!",
"逃げますだ! 逃げますだとも! おらもう、こんなおそろしいお邸には一刻もいられましねえだ……",
"だんなさまにみつかると、おまえもう命はないよ。反対の道へおにげ! お小姓街道を村のほうへおにげ! さ、ここにお給金もわたしがもってきてあげた。手をおだし!",
"お八重さま……おら……もう……ほんとうに、おまえさまのごしんせつには……"
],
[
"ウウウウおのれは左近将監! にくさもにくし石藤左近将監、よくもよくも竜胆寺小金吾さまをたばかり殺しおったな",
"なに! 竜胆寺小金吾! さてはさては……藤! 刀をよこせ! 早く刀をだせ! ウーム"
],
[
"だんなさま、やはり何かないないでだんなさまのお耳へいれたいことがあると、当人はたってお目通りをねがっておりますが……",
"うるさいやつじゃな。……左近将監をなんと心得おる!"
],
[
"やはりいけません。だんなさま! 当人はなんとしても、だんなさま以外のお耳へはいれられぬ話だ、と申しまして……もしだんなさまおききくださらずば、何事も申しあげずに、このままお暇をねがいたいなどと申しおりまして……てまえなどへは、何ひとつ話すものではござりません。なにかよほどこみいった話がございますようで……",
"たわけものめ!"
],
[
"……申しあげようか申しあげまいか……事ご隠居さまのおん身にかかわりますことなれば、なんにも申しあげずと、このままお暇ねがおうかとずいぶん考えましたなれど……ほかならぬ大恩うけたご主人さまおん家にかかわる一大事とぞんじまして……だんなさまご立腹をもかえりみず、たびたび押しかえしてお目どおりねがいまして……お許しくださりませ",
"前置きがくどい! さっさと思うことをいうたらどうじゃ!"
],
[
"だんなさま……一大事でございます。ご隠居さまのこのごろのごようすが、なんとしてもわたくしの目には腑におちぬことだらけでございます。わたくしの目には、ご主人なれど、このごろのごようすは、もはや妖怪変化か魔性のものが、かりにご隠居のおすがたをかりているとしか、どうしても思われなくなりました……",
"な、な、なんと!"
],
[
"そちにとっては主人の身、わしにとっては大恩ある母上を、妖怪変化か魔性のものとはききずてならぬ一言! 里! 主人なり主人の母の悪口雑言をみだりにいたせば、いかなる酬いがくるか、そちにもそれはわかっておるじゃろうな?",
"それなればこそだんなさま……きょうまでわたくしは、お耳へいれようかいれまいかと、どんなに悩んでおったかわかりません。……もしお耳へいれてもおききいれなくばと……きょう申しあげようか、あすは申しあげようかと……",
"くどい! そちの悩んだ話などどうでもよいわい! それだけの覚悟あっての話かどうか、わしは問うておる! 主人の親をさして妖怪変化とはよういならぬ一言! よもや一時の思いつきや、たわむれではあるまいな"
],
[
"こういう食べかたをしては悪いとお里はいいやるのかえ!",
"いえいえ、めっそうな! 悪いなどとけっしてそんな!",
"ではどんな食べかたをしてもよいではないかえ? じつは伜左近将監がわたしの身を気づかって、からだを丈夫にするにはこうして食べなされとおしえてくれたのだよ。わたしもまだまだからだを丈夫にして、とうぶん長生きをして、伜左近将監のゆくすえを見とどけなければなりませんからの"
],
[
"だんなさま! だんなさまはご隠居さまに、そういうめしあがりかたをおすすめになりましたでしょうか?",
"バ、バカなことをいえ! 猫や犬ではあるまいし……どこの世界にそういう妙な食べかたを親にすすめるバカものがある!"
],
[
"なんと? 黒装束の男とな?",
"ハイ、まっくろな装束をつけたおかたがふたり、ご隠居さまをかこんで……しかもご隠居さまはあんどんのかげで片肌おぬぎになって、疵の療治をなさっていらっしゃるのでございます",
"疵の療治を?"
],
[
"たしかにそうじゃ。右ななめから斬りおろして手ごたえを感じたから、そうじゃ。傷はあいての左肩から乳へかけて、左ななめに斬りつけているはずじゃ",
"なら、だんなさま、たしかにご隠居さまはそのときの曲者にそういございません。疵は左ななめに乳の上へかけて、よほどの深傷のように見うけられました",
"フームそうか!"
],
[
"だんなさま後生でございます。お助けなされてくだされませ。お屋敷の一大事と思い、ご注進いたしましたなれど、あいては尋常一様の曲者ではござりませぬ。わたくしがおしらせにまいりましたことは、きっともう感づいていて、立ちかえりましたなら、どんな目にあわされるかわかりませぬ。だんなさまお助けなされてくださりませ!",
"よしそれならば、そちはしばらくここにとどまっておれ。すぐに乗りこんで成敗いたすつもりなれど、せっかくしんせつに知らしてくれたそちの身に、危害くわわることも将監の本意ではない。手不足のおりからじゃ。よいよい、そち、こちへとどまって八重の仕事でもいたしおれ"
],
[
"さようでござりますな。両三度ばかりも、お使いにまいったでござりましょうか?",
"あの屋敷にキツネか猫のたぐいが、それもだいぶ年をへたやつらしいが、いたかどうじゃ?",
"キツネか猫が……"
],
[
"さて……と。てまえはだんなさまのご用でまいりましても、いつもお玄関さきで立ちかえっておりましたから、ついぞあのお屋敷のなかまでは……いっこうにぞんじませんでしたが",
"たわけものめ! 主人の使いでいったら、なぜそれくらいのことに心をとめておかん?"
],
[
"しかたがない! では、大いそぎで生前小金吾の屋敷へしたしく出いりいたしおったるもの……そうじゃ、お小姓頭の但馬隼人正……御近習役の中西勝左衛門……わしは知らぬが、あとは但馬か中西へそちがいってきいたらわかるじゃろう。その生前したしくしておった家中のもののあいだをかけまわって、竜胆寺にはキツネか猫でもいたかどうか? そのへんをよくたしかめてこい。いそぐのじゃぞ! 待っとるのじゃから、大いそぎでいってこい!",
"ハ、かしこまりました。ではただいまスグに"
],
[
"やっぱり利巧な猫がおりましたそうでございます。お亡くなりになりました若さまがたいそうおかわいがりになっておりましたそうで……それが竜胆寺のご隠居さまがお亡くなりになりましたときから、プッツリとすがたを見せませぬそうで……",
"おう、やっぱり猫がいたか! フウム、なるほど怪猫じゃったのか。そうかそうか、怪猫のしわざじゃったのか!"
],
[
"コリャ佐平治! 仲八、権六、定吉どもをよびあつめい! よびあつめて、めいめいに鋤、鍬、鎌なんでもかまわん! 手なれた柄物をもたせ、身じたくさせい! わしのあとからついてこさせえ!",
"だんなさまどちらへお供いたしますので?",
"そちだけにはおしえておく。臆病者ぞろいのやつらじゃ。やつらにまえもって話してはならぬぞ! よいか、わかったな? これからわしが隠居所へいく。そちはやつらに指図して、隠居所の出口出口をかためさせるのじゃ! そしてわしが斬りつけて、もし老母がにげだしてきたがさいご、きょうこそわしが許す。たとえわしの老母たりともくるしゅうない、一同で柄物をふるってその場をさらせず滅多打ちにうちころしてしまえ! わかったな? わしの老母だとえんりょしてひるんだがさいご、そちたちの命はないぞ! えんりょは無用じゃ! そちが指図をしてその場をさらせずうちころしてしまうのじゃ!",
"だ、だんなさまそれでは、ご、ご隠居さまをわたくしどもが、お殺めもうしますので?",
"たわけものめ、いまになってもまだ腑におちぬか? わしの老母ではない! 老母にすがたをかえた怪猫なのじゃ! 過日来飯炊きにばけてわしに仇をなし、……ソレ、そちにも手傷をおわせたであろうがな? 竜胆寺めの怪猫が、わしの老母をくいころして、いまわしの老母にばけこんでいるのじゃ。わかったか?",
"そ、それではだんなさま! 竜胆寺さまの怪猫めが、ご隠居さまをくいころして、ただいまご隠居さまにばけておりますんで",
"ゆだんすな、けっしてぬかるでないぞ!",
"これは、おどろきましたな。いやハヤおそろしいことで、なんともハヤもう身の毛のよだつようなお話でござりますな"
],
[
"だんなさまでいられましょうか?",
"おう、そちは幾か?"
],
[
"いまごろどこへゆく?",
"ハイ、ご隠居さまのおいいつけで、だんなさまのお屋敷まで、ちょっとまいります",
"なんの用事じゃ?",
"お香を拝借にあがります。ご隠居さまのおおせには、今夜かならず左近将監が見えるほどに、お茶といっしょに香をたかねばならぬが、あいにく香がきれたによって、そなたちょっと藤のところまでいって、香をかりてきよ、とおおせられましたので、お屋敷までいってさんじます",
"ほう! 今夜かならずわしがくるとおおせられてか? フウム……"
],
[
"香などたくにおよばん! ひきかえせ、ひきかえせ!",
"でも……ご隠居さまのおいいつけで……"
],
[
"おや、だんなさま! これはおかしゅうございますぞ! 血がたれておりますぞ! おや! ここにも血がながれている。ワァーッ! こりゃたいへんだ! お屋敷まで血がつづいておりますぞ! だれか、この道をひきずられていったらしゅうございますが",
"人を斬れば血がでるのはあたりまえじゃ! 血ぐらいにおどろくなら、人間をやめたらいいじゃろう!"
],
[
"だ……だんなさま! た、たいへんでございます! こ、これは若さまのご印籠でございましょう",
"な、なに新之丞の印籠とな? どれ、どれ、みせい!"
],
[
"お、たしかに新之丞の印籠じゃ! 佐平治! もそっと灯をみせい! お、血がついとるな",
"だんなさま、だんなさま!"
],
[
"こ、ここにお刀がおちております。これは若様のお脇差ではござりませぬか?",
"お、これも新之丞の脇差じゃ! あ、これはいかん! 血がついとる"
],
[
"佐平治、佐平治! あかりをみせい! 血ではないか",
"おう、だんなさま、たいへんな血が! お、若さまのおはかまのひもがここに切れております。これはだんなさま、よういならぬことで!"
],
[
"だ……だ……だんなさま、若さまがここにたおれておいでになります。あ、いけません! こんなにべっとりと血まみれになって……",
"なにっ、新之丞が? は、はやく、佐平治! あ、あかりをみせいというに!"
],
[
"うおーっ……だんなさま……ワ、若さまが曲者にくいころされて、ウワーッ、お顔がはんぶんありません……",
"な、な、なにをいたしておる、佐平治! はやくだきおこさぬか……し、新之丞! 新之丞! しっかりいたせ!"
],
[
"だんなさま、嬶がくいころされておりますだァ!",
"はやく手燭をつけい! 玄関の戸をけやぶって、あかりをつけい! なんじゃ新之丞、武士のせがれともあろうものが、曲者ふぜいに! これしきの傷に……し、新之丞……新之丞……"
],
[
"たいへんです、たいへんです、だんなさま、だんなさま!……お屋敷のなかはまるで血の海でございます。お藤どんもお里どんも、みんなくいころされて……目もあてられませぬ",
"なに、お藤もお里もくいころされておる? おのれ、けだものめ! よくもよくも左近将監のうらをかきおって……"
],
[
"おのれ、くせもの! この期におよんで、まだ逃げる気か?",
"え、なにくせもの"
],
[
"無礼ものめ、曲者よばわり奇怪な! 名をなのれ! 拙者は御書院番多治見数馬、人からうらみをうけるおぼえはないぞ",
"おのれ、くせもの、思い知ったか!",
"名をなのれ、名を!……ほほう、これはめずらしい! 貴様はそうとうにつかえるな"
],
[
"無礼もの! 貴様は間庭無念流のつかい手だな! これはおもしろい! ようし、いくぞ! 拙者もいくぞ!",
"怪猫のぶんざいをもって、間庭無念流をみぬくとは、小癪千万な! 老母のかたき、伜の仇! 城代石藤左近将監の刃をうけてみよ",
"お、その声は御城代!"
],
[
"御城代! 刀をおひきくだされい! 拙者は御書院番多治見数馬でごさる! 御城代! 刀をおひきくだされい",
"怪猫のくせに、御書院番とはほざいたりやな! おのれ、思い知ったか!"
],
[
"卑怯のようなれど、拙者、御家老と刀をあわせる気はござらぬ。これでおひきもうす。ごめん",
"おのれ、曲者、にげる気か! 待てえ曲者ひきかえせ"
],
[
"御用心めされや、かたがた! 御城代石藤左近将監殿が乱心めされたぞ! 血刀ひっさげて拙者のあとよりおうてまいらるる。そうそうに、おさけあれや!",
"なに? 御家老ご乱心とな? おう、かしこまってござる。ほれ、かたがた!"
],
[
"が、わしもわるかった。あのとき、ただこわせ、こわせとばかりすすめずに、これこれこういうわけじゃから、こわしてしまいなされ! とわけを話してあげればよかったのじゃが、そこまでうちあけなかったから、あんたもひと思いに、こわす気にもなれんかったのじゃろう……これはわしも失敗じゃ。わしにも大きな責任がある。が、いまからでもおそうはない。悪いことはいわん! こんどこそこれにこりて、ひと思いにこわしてしまいなされ",
"もちろん、もう和尚さんが、のこしておけとおすすめになっても、こわしてしまいます。さっきからお話をうかがっておりますあいだ、もうそればっかりかんがえておりましたが。……しかし、それにしてもどうも、なんとも……からだ中のさむくなるようなお話で……"
],
[
"なんのなんの……百七十年もむかしの怪猫が、どうして生きているわけがあろう",
"では、さっきから怪猫のたたりとおっしゃいますのは?"
],
[
"あんたの家の屋号は、むかしから和泉屋といっていられるが、……その和泉屋をひらいた一番のご先祖の名前は、ごしょうちかな?",
"くわしいことはしりませんが、たしか佐平治とか、申したようにきいておりますが",
"さ、それじゃよ、それであんたにもおわかりじゃろう?"
],
[
"先生さま! 心配さっしゃるこたァねえでがすヨ。吉浦のだんなさまは、妹思いのおかただでえらく心配してござらっしゃるようだが、なあに幽霊がでようが鬼がでようが、おれたち三人もいりゃあ、気のきいた化物ァむこうでおどろいて、ひっこんじまうでがさァ",
"そうともそうとも! 八のいうとおりでやす。おれたちにゃ、けえって猫の化物めがでてくれたほうが、ありがてえくれえのもんだァ! でやがったら畜生! 薪雑棒でブッぱたいてくれて半殺しにあわしてくれるでがさァ",
"山吉! てめえの半殺しにした猫の化物を、吉浦さひっぱってって、見世物にしたら、さぞ見物がきて、もうかるべえなァ"
],
[
"若奥さま、しばらくでごぜえやす",
"若奥さま、今晩は!"
],
[
"先生! おもとさんやみんなが、もうこまりきってるんですけど……ちょっといらしてみていただけませんでしょうか",
"どうしたんだ?"
],
[
"あの……奥さまが……なんだか妙なことをなさいまして……",
"なに頼子が?"
],
[
"どうしたんだ、頼子が?……はやくいわないか? 笠井くん!",
"奥さまが、さっきあの西のお離れへおはいりになりましたっきり、でていらっしゃらないって、もうおもとさんたちがこまっているんです"
],
[
"あんなところへいく用がないじゃないか",
"でも……もう三十分もまえに、あの部屋へおはいりになったっきり、でていらっしゃらないってみんなさわいでいますんです。おはいりになるときも妙なことをおっしゃって、わたしたいせつな用があってよばれてるから、あの部屋までいって話をしてくるけれど、あとからおまえたちついてきたらきかないよ! って怖いお顔をなさって、おもとさんをおにらみになったっていうんです。そしておはいりになったら、ごじぶんであの離れの戸をなかからおしめになって……いつまでたってもでていらっしゃらないもんですから、みんないまさわいでいますんです",
"もう半時間も、あの部屋へはいっている? なぜもっと早くにわたしにしらせてこないんだ? たいせつな話によばれたと? いったいだれによばれたんだ?"
],
[
"だんなさま! 奥さまが変なことをおっしゃいまして……なかから鍵をかけておしまいになりまして……",
"なぜ、よんでみないんだ……?",
"いくらおよびしても、ご返事をなさいませんのです",
"おい頼子! 頼子"
],
[
"だれもいやしないじゃないか",
"いいえ、たしかにおはいりになって、なかから戸をおしめになりましたんです……もう三、四十分もまえに、こわい顔をなさいまして",
"おい頼子! おーい頼子……"
],
[
"あっいけねえ、先生、奥さまが!",
"何! 頼子が? ど、どうした?"
]
] | 底本:「橘外男ワンダーランド 怪談・怪奇篇」中央書院
1994(平成6)年7月29日第1刷
初出:「少女の友」
1951(昭和26)年8月~1952(昭和27)5月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「まア」と「まァ」、「さア」と「さァ」の混在は、底本通りです。
※初出時の表題は「山茶花屋敷物語」です。
※初出時の署名は「藤崎彰子」です。
入力:門田裕志
校正:津村田悟
2021年6月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "049872",
"作品名": "亡霊怪猫屋敷",
"作品名読み": "ぼうれいかいびょうやしき",
"ソート用読み": "ほうれいかいひようやしき",
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"初出": "「少女の友」1951(昭和26)年8月~1952(昭和27)5月",
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[
[
"何? 類人猿?",
"ハムラ、そちらへ行ってはいけません! 危ない! 類人猿は恐ろしいです"
],
[
"エミーラ、誰でも儂の研究の邪魔をした奴は、儂の敵だということは知っているであろうな!",
"…………"
],
[
"ウェンデル、何をするのです! あんまり失礼な真似をすると承知しませんよ! 早く離して下さい!",
"お嬢さん……決して乱暴するのではないのです……私は……お嬢さんに向うともう口がきけなくなるのです! 聞いて下さい、お願いですから、私の言うことを聞いて下さい……",
"用があったら面と向って言ったらいいでしょう! こんな失礼な真似をして"
],
[
"…………",
"ね、わかってくれたかい? エミーラ"
],
[
"ね、お立ち上りなさいよ。男のくせにそんなに自分を卑屈にしてしまうものではありませんわ。それは、どうせゆくゆくは結婚するお互いなんですもの、ちゃんとここで結婚してもかまいませんよ",
"それでは、……それでは……エミーラ、君は承知してくれるのかい?",
"でも、今ああやって父様はお仕事で必死になっていらっしゃるところを、私自分の口からそんな呑気なことなんかは言えませんわよ。ですから貴方から頼んで下さい。父様さえいいとおっしゃれば、私には決して異存はありませんわ",
"駄目だ! 駄目だ! 君はまだそんなことを言ってるのか! それでは駄目なんだ!"
],
[
"今の僕は、ただ君だけに引き摺られて、こんなところに止まっているんだ。その君は、僕にできないことを言い出してただ僕だけを困らせているんだ! お願いだ! エミーラ、僕と一緒に逃げておくれ! ね、お互いはまだ若いんだ! 青春をこんな蛮地で、ゴリラと一緒に暮す運命なんか、考えたって真暗になる!",
"それこそできない難題ではありませんの! 何のために逃げるんです。お互いに、父様の許して下さった立派な婚約者同士ではありませんの! 人目を忍んで逃げる必要なんか少しもありませんわ!",
"君にはわからないんだ! 何にも君にはわかってないんだ! 今に君に恐ろしいことが起こりそうで、僕は不安で不安でたまらないんだ!",
"いいえ、わからないことはありませんの! それが貴方の病気ですわ! そういう、起こりそうもない妙な恐怖観念なぞに捉えられているということが、きっと神経衰弱なのですわ。私から父様に頼んで、しばらくお仕事お休みになるといいわ",
"駄目だ! 君にはわからないんだ! 何にも君にはわかってないんだ。もしこれが今の僕の病気だとすれば、その病気をなおしてくれる唯一の君はそうやって僕を突っ放す! そういう無慈悲なことを言うのなら、エミーラ、僕はもう君には絶対に頼まない"
],
[
"無茶です。たとえ先生のなさることでも、まるでもう狂気の沙汰です。僕は絶対不賛成です",
"要らざるお切匙だ! 儂が娘に言いつけることに君は何の権利があって嘴をいれる! 黙って見ておればそれでよろしい",
"しかしそんな無茶なお話は、同国人として見ていられますか! 御自分の令嬢をまるで類人猿の見世物になさるようなものです。それが我々として見ていられますか!",
"儂のすることに何の権利があって君は容喙すると、さっきから言ってるのに君にはわからんのか! いったいこの頃の君の態度は儂にはいささか腑に落ちん! 断っておくが、君は儂の一介の助手にすぎん。儂たち親子の問題に、君はこの頃いささか立ち入りすぎる嫌いがある!",
"私は先生に対しては助手であるかもしれません。しかし御令嬢のことに関しては、私は将来の夫たるべき婚約者の立場から、どうしても口を出さずにはいられないのです",
"気の毒だが君の婚約者という資格は取り消したのだ。なるほどある時代には公認したこともあった。しかし、いささか君を見損って、そういうことを口に出した軽率さを儂は後悔しておる。ともかく、取り消しだ! 君に通告するのを忘れていたから、今この機会にハッキリと言っておこう"
],
[
"そんな乱暴なことが……できることかできないことか! エミーラ、考えてみたまえ! 君はきっと今に後悔する!",
"私後悔なんぞ決してしませんわ! 親の研究のためならば毒を飲む娘さえもあるんですもの、それくらいのことで済むのならば、別段何でもありませんわよ"
],
[
"父様、この入口には父様が立ってて下さいますね……",
"そんなことに懸念は要らん! 儂がちゃんと見張っててやる! いいか!"
]
] | 底本:「橘外男ワンダーランド 人獣妖婚譚篇」中央書院
1994(平成6)年11月28日第1刷
初出:「オール読物」
1939(昭和14)年3月
※「咆《ほ》え」と「哮《ほ》え」の混在は、底本通りです。
※「凝乎」に対するルビの「じっ」と「じいっ」の混在は、底本通りです。
入力:門田裕志
校正:江村秀之
2019年6月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "051246",
"作品名": "令嬢エミーラの日記",
"作品名読み": "れいじょうエミーラのにっき",
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[
[
"ええ、旦那扇子が落ちましたよ",
"ハイ、御親切に有難う御座います。シテ、あなた様のご尊名は……"
],
[
"さあ、何ですか、主人が不在でわかりませんが、……そういえば兄は昨日帰ってから、そんなことを一寸言っているようでした。何にしても、お話はよくわかりましたから、帰り次第、その旨申伝えて置きましょう",
"ではどうぞ宜しく御伝え下さいませ。実は課長が伺うのですが……それからこれは昨日の切手代にお納め下さいますように、甚だ失礼では御座いますが……では御免下さい"
],
[
"あなた、マア、どうなすったんです。急に独りで勝手に下りちまって……私、困るじゃありませんか。小さい坊やだけでも大変なのに、芳子ちゃんでしょう。それにあなた、御自分だけ回数券を切って下りちまってさ。私、後であんなに困ったことありませんでしたわ。生憎又、お金が細かいのが足りないんでしょ。仕方がないから五円紙幣出したの……",
"馬鹿ッ。お前は俺の家内じゃないか。日頃釣銭の原則位は……",
"だって、あなたが悪いのよ。回数券を持ってる癖に、置いてって下さらないんですもの",
"俺は急いだから、つい、その……",
"なにも、うさぎ屋の最中位、子供や私達を放置して買う程のことないでしょう",
"買ったっていいじゃないか。お前が一番余計食べる癖に……",
"あなた、何を人中でおっしゃるの……外聞もない……",
"だって、俺は真実のことを言うんだ",
"それどころですか。私、ひどい目にあっちゃった。もう懲々、これからはもう御一緒に伴れて来て頂きませんわ"
],
[
"五円のお両替はして頂くし、芳子ちゃんは抱ッこして下ろして貰うし、ほんとに助かったわ",
"へえ、彼女がか……",
"ええ、何もそんな事虚言いわないわ。それに仲々美人よ"
],
[
"馬鹿ッ。お前までそんなことをいう",
"なにさ、あの姉ちゃん、知ってんの……"
],
[
"オイ、あれが、その、あの……あれだよ",
"なんですの?",
"わからない奴だな。あれが、それ、去年の夏、俺が憤慨した女車掌なんだよ",
"マア、そう。――だって、あんな親切な車掌さん、めったにないわ。不思議ね",
"そこが、それ、憤慨居士の功徳だろうさ"
]
] | 底本:「探偵小説の風景 トラフィック・コレクション(上)」光文社文庫、光文社
2009(平成21)年5月20日初版1刷発行
初出:「新青年」
1929(昭和4)年1月
入力:sogo
校正:noriko saito
2018年6月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "056514",
"作品名": "青バスの女",
"作品名読み": "あおバスのおんな",
"ソート用読み": "あおはすのおんな",
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"初出": "「新青年」1929(昭和4)年1月",
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"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"名": "九紫",
"姓読み": "たつの",
"名読み": "きゅうし",
"姓読みソート用": "たつの",
"名読みソート用": "きゆうし",
"姓ローマ字": "Tatsuno",
"名ローマ字": "Kyushi",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1892-07-16",
"没年月日": "1962-08-06",
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"底本名1": "探偵小説の風景 トラフィック・コレクション(上)",
"底本出版社名1": "光文社文庫、光文社",
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[
[
"久しぶりだな、全く。",
"久しぶりどころじゃないね、五十年ぶりだもの。"
],
[
"先刻、電車の中で、どうして俺だってことが判ったんだい? こっちはまるで気がつかなかったんだが、向い合って腰をかけているお爺さんから、いきなりYちゃんじゃないか? と言われた時に、初めて俺は五十年前の記憶が一時に甦って来たので、Nちゃんだったね、と言ったら、君が、やっぱりそうだったか、と言ったね。",
"俺は俺で、腰を下して向い合った時から、Yちゃんだな、とは思ったんだが、腮の左側に見覚えの黒子が無いので、或は間違いではないかとも考えたが、結局思い切って訊いてみたのだ。",
"黒子は顔を剃る時に邪魔になるので、もう疾うの昔、薬で焼いてしまったよ。ところで、Nちゃん、君と判ってから、直ぐに思い出したことがあるんだが。覚えていないかな。俺たちが高等二年の時だった。その頃、尋常二年か三年に、飯田の雪ちゃんという可愛いお嬢ちゃんがいたのを忘れたかい?",
"覚えているとも、雨の日のことだろう。あれは忘れられないよ。",
"そうか、そいつは驚いたね。"
]
] | 底本:「日本の名随筆 別巻44 記憶」作品社
1994(平成6)年10月25日第1刷発行
底本の親本:「辰野隆随想全集5 忘れ得ぬことども」福武書店
1983(昭和58)年9月15日初版発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2015年1月16日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "056861",
"作品名": "記憶ちがい",
"作品名読み": "きおくちがい",
"ソート用読み": "きおくちかい",
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"分類番号": "NDC 914",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
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"姓": "辰野",
"名": "隆",
"姓読み": "たつの",
"名読み": "ゆたか",
"姓読みソート用": "たつの",
"名読みソート用": "ゆたか",
"姓ローマ字": "Tatsuno",
"名ローマ字": "Yutaka",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1888-03-01",
"没年月日": "1964-02-28",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "日本の名随筆 別巻44 記憶",
"底本出版社名1": "作品社",
"底本初版発行年1": "1994(平成6)年10月25日",
"入力に使用した版1": "1994(平成6)年10月25日第1刷",
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"底本の親本名1": "辰野隆随想全集5 忘れ得ぬことども",
"底本の親本出版社名1": "福武書店",
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"入力者": "門田裕志",
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} |
[
[
"スチームは通らないのか。",
"通ってはいる。然し寒いんだ。何しろ安価いんだからね。来てから俺の部屋を眺めまわして喫驚するだろうとは思っていたが、やっぱり喫驚しているね。一寸いい気味だな。貴様の部屋は今、掃除をさせている。俺の部屋と似たものだから、掃除しても大して綺麗にもならないが、まあ我慢するさ。斯うした学生町の安下宿にくすぶらなくては本統のパリは解らない。上等なホテルに泊って、凱旋門を拝んで、淫売を買うなんざあお上りさんの定石だぜ。"
]
] | 底本:「日本の名随筆 別巻31 留学」作品社
1993(平成5)年9月25日第1刷発行
底本の親本:「辰野隆随想全集4 ふらんすとふらんす人」福武書店
1983(昭和58)年8月15日初版発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2015年1月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "056864",
"作品名": "二人のセルヴィヤ人",
"作品名読み": "ふたりのセルヴィヤじん",
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"名": "隆",
"姓読み": "たつの",
"名読み": "ゆたか",
"姓読みソート用": "たつの",
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"姓ローマ字": "Tatsuno",
"名ローマ字": "Yutaka",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1888-03-01",
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"底本初版発行年1": "1993(平成5)年9月25日",
"入力に使用した版1": "1993(平成5)年9月25日第1刷",
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"底本の親本名1": "辰野隆随想全集4 ふらんすとふらんす人",
"底本の親本出版社名1": "福武書店",
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} |
[
[
"前の車屋の親方が聞いて来てくれたよ、お前が出しぬけに引越したものだから、俺、お大師さんから帰ってまごまごしてると、車屋の親方が来て、お前さんとこの息子は、とんでもねえ奴だ、親を棄てて逃げるなんて、警察へ云ってくが宜い、俺がいっしょに往いてやろうと云うから、俺がそいつはいけねえ、あれもこれまで商売してて、旨く往かなかったから、都合があって引越したのだ、そいつはいけねえと断ったよ",
"あたりまえよ、不景気で借金が出来たから、ちょと逃げてるのだ、警察なんか怖いものか",
"そうとも、そうとも、だから俺、あの親方が、家へ来いと云ってくれたが往かなかったよ",
"よけいなおせっかいだ",
"そうとも、俺は癪にさわったよ、お前さんとこの息子もいけないが、あの女がいけねえのだ、ちゃぶ屋を渡り歩いた、したたかものだ、とっさんが傍にいると……"
],
[
"ま、ま、ま、お前さん、俺は、お前さんの悪口を云うのじゃない、車屋の親方の云ったことを、云ってるところじゃ……",
"どうせ私は、そうですよ、ちゃぶ屋を渡り歩いた、したたかものですよ"
],
[
"そ、そ、そりゃわるい、そりゃ俺がわるいが、俺は姐さんの悪口を云われたから、癪にさわって、それで云ってるところじゃ、だから車屋の親方が、家へ来て、飯も喫え、家におれと云ってくれたが、癪にさわったから往かなかったよ",
"それじゃ、どうして知った",
"車屋の壮佼に、荷車の壮佼を知った者があってね",
"そうか"
],
[
"どこかへ往くのか",
"ちょっとそこまで往って来ますわ",
"どこだね",
"ちょっとそこですわ",
"飯を喫ってからにしちゃ、どうだね、俺も往くよ",
"でも、私、ちょっと歩いて来ますわ",
"じゃ、俺も散歩しよう",
"でも、家は",
"家は留守番が出来たから宜いよ",
"そう"
],
[
"腹が空いたら飯を喫ったら宜いだろう、ちょっと往って来るから",
"宜いとも、宜いとも、往って来るが宜い、俺は遅く物を喫ったから、何も喫いたくない"
],
[
"困ったなあ",
"困っちゃったわ",
"田舎へでも往こうか",
"そう、ね、え",
"田舎ならよう来ないだろう",
"でもあんなにしても、判るのだから",
"そうだ",
"どこか穴の中へでも入れとかないかぎりは、追っかけて来るのですわ",
"そうだよ、ほんとに穴倉の中へでも入れときたいね",
"そうよ"
],
[
"紺屋の瓶のようだね",
"大きいわ、ね、え",
"紺屋の瓶なら大きいよ",
"往ってみましょうか",
"そうね"
],
[
"小供が入ったらあがれないのね",
"そりゃあがれないだろう",
"重いでしょうか",
"さあ"
],
[
"小供を入れたら出られないでしょうか",
"さあ"
],
[
"宜いの",
"宜いさ"
],
[
"寄席へ往こうと思って、呼びに来た、往こうじゃないか",
"ほう、俺を寄席へ伴れてってくれるか、そいつはありがたいや、何だかかってるのは",
"落語だよ",
"そうか、姐さんも往くか",
"往くよ",
"そいつはありがたい、伴れてってくれるか",
"じゃ飯を喫って往こう、お父さん喫ったのか",
"俺は喫いたくない、遅く蕎麦を喫ったのだから、ひもじけりゃ帰って来て喫うよ、お前達が喫うが宜い",
"じゃ喫おう"
],
[
"お父さん",
"ほい",
"ちょと話がある",
"どんな話だ",
"ちょと蹲みなよ",
"宜いとも"
],
[
"宜いのか",
"宜いわ"
],
[
"警察から来たのだが、あなたは、芝の浜松町×××番地にいて、一昨昨日、ここへ越して来たのですか",
"そうです",
"お父さんと何故いっしょに来なかったのです",
"それは、いろいろ、それは商売のことで、やりくりがあるものですから、何人にも知らさずに引越して来たのです、それは爺親も知っております、爺親に聞いてくれたら判ります",
"たしかにそうかね",
"たしかにそうです",
"じゃ、君は未だ知らないね、君のお父さんは、君が引越した晩に、君のいた家の二階で変死したのだよ",
"え"
],
[
"君はお父さんは何故変死したと思うね",
"私が、私が、新宿の方でカフェーをやって失敗してから、あっちこっちと引越すことは、爺親も承知のうえのことでございました"
]
] | 底本:「日本怪談大全 第二巻 幽霊の館」国書刊行会
1995(平成7)年8月2日初版第1刷発行
底本の親本:「日本怪談全集 第一巻」改造社
1934(昭和9)年
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年5月2日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "052246",
"作品名": "藍瓶",
"作品名読み": "あいがめ",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"公開日": "2012-06-11T00:00:00",
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"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
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"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
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} |
[
[
"爺や、お前に聞きたいが、家のお母さんと家内は、どこにいるだろう、お前は知らないのか",
"旦那様は、まだ御存じがないのですか",
"知らない、どうした、お母さんと家内は、どうしたというのだ"
],
[
"どうした、早く言ってくれ",
"旦那様、びっくりなされちゃいけません、大奥様は御病気でお亡くなりになりますし、若奥様は苗軍の盗人のために、迫られて亡くなられました、なんとも申しあげようがございません"
],
[
"旦那様、しっかりなすってくださいませ、大奥様が御病気になりますと、若奥様が夜も睡らないで御介抱なさいました、お亡くなりになってからも、若奥様がほとんどお一人で、お墓までおこしらえになりましたが、苗軍がやってきて、劉万戸という盗人が、若奥様を見染めて、迫りましたので、若奥様は閤へ入ってお亡くなりなさいました",
"そうか、俺が旅に出たばかりに、こんなことになった、俺が悪い、爺や俺は馬鹿者だ"
],
[
"お前はお母さんのお世話をしてくれたうえに、わしのために節を守ってくれて、なんともお礼の言いようがない、わしは、今、更めて礼を言うよ",
"賤しい身分の者を、御面倒を見ていただきました、お母様は私がお見送りいたしましたが、思うことの万分の一もできないで、申しわけがありません、賊に迫られて自殺したのは幾分の御恩報じだと思いましたからであります、お礼をおっしゃられては恥かしゅうございます",
"いや、お礼を言う、それにしても、お前を賊に死なしたのは、残念で残念でたまらない、今、お前は冥界におるから、お母さんのことも判ってるだろうが、お母さんは、今、どうしていらっしゃる",
"お母様は、罪のない体でしたから、もう人間に生れかえっております",
"お前は、何故、いつまでもそうしておる",
"私は、私の貞烈のために、無錫の宋という家へ、男の子となって生れることになっておりますが、あなたに情縁が重うございますから、一度あなたにお眼にかかるまで、生れ出る月を延ばしております、が、もうお眼にかかりましたから、明日は往って生れます、もしあなたがこれまでの情誼をお忘れにならなければ、一度宋家へ往って、私を御覧になってくださいまし、笑ってその験をお眼にかけます"
]
] | 底本:「中国の怪談(一)」河出文庫、河出書房新社
1987(昭和62)年5月6日初版発行
底本の親本:「支那怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2004年12月14日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "001639",
"作品名": "愛卿伝",
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"分類番号": "NDC 913 923",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"公開日": "2005-01-13T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-18T00:00:00",
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"姓": "田中",
"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "中国の怪談(一)",
"底本出版社名1": "河出文庫、河出書房新社",
"底本初版発行年1": "1987(昭和62)年5月6日",
"入力に使用した版1": "1987(昭和62)年5月6日初版",
"校正に使用した版1": "1987(昭和62)年5月6日初版",
"底本の親本名1": "支那怪談全集",
"底本の親本出版社名1": "桃源社",
"底本の親本初版発行年1": "1970(昭和45)年11月30日",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
"入力に使用した版2": "",
"校正に使用した版2": "",
"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "Hiroshi_O",
"校正者": "noriko saito",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/files/1639_ruby_17065.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2004-12-14T00:00:00",
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[
[
"どうもこの比は、浮かない顔をしているが、どうしたかね",
"別にどうしたと云うこともありません",
"しかし、何かあるだろう、どうもお前さんは、この比浮かない顔をしている",
"別に何もないんですよ",
"あるだろう、無いことはない、私の考えでは、彼がお前さんをかまわないと思うが、そうじゃないかね",
"いえ、そんなことはありませんよ",
"なら何かね、云ってごらん、お前さんの力になってやるよ"
],
[
"壮い姝な女ですよ、藍微塵の衣服を着て、黒襦子の帯を締め、頭髪は円髷に結うております",
"何か云うかね",
"何も云わずに、白い痩せた手をしとやかに突いて、私の方へ向いてお辞儀するのですよ"
]
] | 底本:「日本怪談大全 第二巻 幽霊の館」国書刊行会
1995(平成7)年8月2日初版第1刷発行
底本の親本:「日本怪談全集 第四巻」改造社
1934(昭和9)年
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年5月2日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "052247",
"作品名": "藍微塵の衣服",
"作品名読み": "あいみじんのきもの",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2012-06-11T00:00:00",
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"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/card52247.html",
"人物ID": "000154",
"姓": "田中",
"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "日本怪談大全 第二巻 幽霊の館",
"底本出版社名1": "国書刊行会",
"底本初版発行年1": "1995(平成7)年8月2日",
"入力に使用した版1": "1995(平成7)年8月2日初版第1刷",
"校正に使用した版1": "1995(平成7)年8月2日初版第1刷",
"底本の親本名1": "日本怪談全集 第四巻",
"底本の親本出版社名1": "改造社",
"底本の親本初版発行年1": "1934(昭和9)年",
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"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
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"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "川山隆",
"校正者": "門田裕志",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/files/52247_ruby_47305.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2012-05-02T00:00:00",
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"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"あなたは、どちらです、遠いのですか",
"近いのですよ",
"どうです、散歩しませんか、どっか暖い物をたべる家でも好いのですが",
"そうね、でも、もう遅いから、私の家へまいりましょう",
"往っても好い、かまわないのですか",
"私、一人ですから好いのですよ",
"下宿でもしているのですか",
"間借をしているのですよ、二階の屋根裏の穢い処よ",
"けっこうですな"
],
[
"もう何も売ってやしませんわ、好いでしょう、家へ往きゃ何かつまらん物がありますから",
"そうですか"
],
[
"暖いわ、ね",
"会があって今まで飲んでいたから、暖かいでしょう",
"お酒をおあがりになって",
"すこし飲むのです",
"じゃ、お酒をあげましょうか",
"ありますか"
],
[
"ここにいる女の方といっしょに来たのですが、どこへ往ったのでしょうか",
"ここにいるって、ここには何人もいないが、何人にも貸してないから",
"おかしいな、僕はそこの蕎麦屋の前でいっしょになってやって来て、棚に酒があると云って女が執ろうとしたが、棚が高くて執れないから、私が執ってやろうとすると、女が凭れかかって来る拍子に、そこの天井からさがってた青い紐が、首へかかって、それっきり知らなくなったのですが"
]
] | 底本:「日本怪談大全 第二巻 幽霊の館」国書刊行会
1995(平成7)年8月2日初版第1刷発行
底本の親本:「日本怪談全集 第一巻」改造社
1934(昭和9)年
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年5月2日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "053859",
"作品名": "青い紐",
"作品名読み": "あおいひも",
"ソート用読み": "あおいひも",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2012-06-11T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-16T00:00:00",
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"人物ID": "000154",
"姓": "田中",
"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "日本怪談大全 第二巻 幽霊の館",
"底本出版社名1": "国書刊行会",
"底本初版発行年1": "1995(平成7)年8月2日",
"入力に使用した版1": "1995(平成7)年8月2日初版第1刷",
"校正に使用した版1": "1995(平成7)年8月2日初版第1刷",
"底本の親本名1": "日本怪談全集 第一巻",
"底本の親本出版社名1": "改造社",
"底本の親本初版発行年1": "1934(昭和9)年",
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"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "川山隆",
"校正者": "門田裕志",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/files/53859_ruby_47309.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2012-05-02T00:00:00",
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"テキストファイル文字集合": "JIS X 0208",
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"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"あなたは、どちらです、遠いんですか、",
"近いんですよ、",
"どうです、散歩しませんか、どつか暖い物をたべる家でも好いんですが、",
"さうね、でも、もう遅いから、私の家へまゐりませう、",
"往つても好い、構はないんですか、",
"私、一人ですから好いんですよ、",
"下宿でもしてゐるんですか、",
"間借をしてゐるんですよ、二階の、屋根裏の穢い所よ、",
"結構ですな、"
],
[
"もう何も売つてやしませんわ、好いでせう、家へ往きや何かつまらん物がありますから、",
"さうですか、"
],
[
"暖いわ、ね、",
"会があつて今まで飲んでたから、暖かいでせう、",
"お酒をおあがりになつて、",
"すこし飲むんです、",
"ぢや、お酒をあげませうか、",
"ありますか、"
],
[
"此処にゐる女の方と一緒に来たんですが、何処へ往つたんでせうか、",
"此処にゐるつて、此処には何人もゐないが、何人にも貸してないから、",
"おかしいな、私は其処の蕎麦屋の前で一緒になつて、やつて来て、棚に酒があるといつて、女が取らうとしたが棚が高くて取れないから、私が取つてやらうとすると、女が凭れかゝつて来る拍子に、其処の天井からさがつてる青い紐が首へかゝつて、それつきり知らなくなつたんですが、"
]
] | 底本:「伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典」学研M文庫、学習研究社
2003(平成15)年10月22日初版発行
底本の親本:「黒雨集」大阪毎日新聞社
1923(大正12)年10月25日
入力:川山隆
校正:門田裕志
2009年8月12日作成
2012年5月24日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "047990",
"作品名": "青い紐",
"作品名読み": "あおいひも",
"ソート用読み": "あおいひも",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字旧仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2009-09-10T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-21T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/card47990.html",
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"姓": "田中",
"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典",
"底本出版社名1": "学研M文庫、学習研究社",
"底本初版発行年1": "2003(平成15)年10月22日",
"入力に使用した版1": "2003(平成15)年10月22日初版",
"校正に使用した版1": "2003(平成15)年10月22日初版",
"底本の親本名1": "黒雨集",
"底本の親本出版社名1": "大阪毎日新聞社",
"底本の親本初版発行年1": "1923(大正12)年10月",
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"XHTML/HTMLファイル修正回数": "1"
} |
[
[
"磧なら焼鮎ができるが、ここじゃ、膾より他にはできない、膾でやろう",
"それでは料理をしようか"
],
[
"これからどこへ身を隠そう",
"尾州へ往って、織田殿に身を寄せてもよいが"
],
[
"は",
"は",
"しかし、竹腰には縁がない、道家一人が来るがよかろう",
"は",
"は"
],
[
"それはさぞ、御難儀でございましょう、ここはかがみと云う処でございます、むさくろしい処でおかまいなければ、野の中の一軒家で、夜は涼しゅうございます、お泊りになってくださいませ",
"それでは休ましてもらいたい、食物は持参しておる",
"どうぞお入りくださいませ",
"しからば、一時休ましてもらおう"
]
] | 底本:「日本怪談大全 第一巻 女怪の館」国書刊行会
1995(平成7)年7月10日初版第1刷発行
底本の親本:「日本怪談全集 第一巻」改造社
1934(昭和9)年
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年3月8日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "052248",
"作品名": "赤い土の壺",
"作品名読み": "あかいつちのつぼ",
"ソート用読み": "あかいつちのつほ",
"副題": "",
"副題読み": "",
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"初出": "",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2012-04-29T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-16T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/card52248.html",
"人物ID": "000154",
"姓": "田中",
"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "日本怪談大全 第一巻 女怪の館",
"底本出版社名1": "国書刊行会",
"底本初版発行年1": "1995(平成7)年7月10日",
"入力に使用した版1": "1995(平成7)年7月10日初版第1刷",
"校正に使用した版1": "1995(平成7)年7月10日初版第1刷",
"底本の親本名1": "日本怪談全集 第一巻",
"底本の親本出版社名1": "改造社",
"底本の親本初版発行年1": "1934(昭和9)年",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
"入力に使用した版2": "",
"校正に使用した版2": "",
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"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "川山隆",
"校正者": "門田裕志",
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"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"君は物知りだが、このすぐ前に、杉浦と云う別荘があるが、あれはどうした家か知らないかね",
"あ、杉浦、杉浦なら知ってますよ、ありゃあ、有名な御用商人じゃありませんか、きっとそれでしょう",
"そうかも判らないね、昨夜、海岸へ散歩に往ってて、そこの女らしい女を見たよ",
"じゃ、たしかにその杉浦だ、佳い女でしょう、お気に入ったら、お貰いになったら如何です",
"しかし、ただちょっと見かけただけだよ",
"それでもお目にとまったら、好いじゃありませんか",
"そりゃ、交際をしてみて、先方の気質が好いとなりゃ、貰わないにも限らないが、君は知ってるかね",
"好く知ってます、二人で遊びに往ってみようじゃありませんか",
"主人はこっちにいるだろうか",
"細君の体が弱いから、この一二年、女をつけて、こっちに置いてありますから、しょっちゅうこっちへ来ております"
],
[
"あすこの家には、何か大きな祟りがあるだろう",
"なんの祟りだ",
"先代もやっぱり、ああして、ただ斃れて死んでたと云うことだ",
"よっぽど因縁のある家と見えるぞ、なんだろう"
],
[
"お旗下の葛西さんか、知ってるとも、私なんかは、あすこの構え内の林ん中へ入って、雉や、兎をとったもんだ",
"そんじゃちょうど好い、聞きたいことがあるが、あすこの家は、昔から何か変なことがある家じゃないかね",
"ああ、そう云やあ、葛西の大旦那は、裏の林の中で、理の判らない死方をしてたよ",
"大旦那と云やあ、今の旦那のお祖父さんだね、じゃ三代、変な死方をしたと云うのだね、こりゃ、いよいよただごとじゃないよ",
"すると、大旦那の息子も、その孫も不思議な死方をしたと云うかね",
"何かお前さんに思い当ることはないかね",
"そう、他に思い当ることはないが、一つ怪しいことがあるんだ、今、乃公があの林で雉や兎をとったと云ったね、その時分じゃ、ある時、林の中へ往ってみると、昨日までなかった処に、土を掘りかえして、物を埋めたような処ができて、そのまわりの落葉へ生なました血が滴れていたがね、それから二三年して、大旦那が死んだとき、人に聞くと、どうもそのあたりらしかったよ、どうも、乃公は、あの血が怪しいと思ってる"
],
[
"じゃ、お爺さんは、その血のあったあたりを覚えてるかね",
"もう御一新前のことじゃで、はっきり覚えないが、方角位はつくだろうよ"
]
] | 底本:「日本怪談大全 第一巻 女怪の館」国書刊行会
1995(平成7)年7月10日初版第1刷発行
底本の親本:「日本怪談全集 第二巻」改造社
1934(昭和9)年
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年3月8日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "052249",
"作品名": "赤い花",
"作品名読み": "あかいはな",
"ソート用読み": "あかいはな",
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"副題読み": "",
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"初出": "",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"公開日": "2012-04-29T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-16T00:00:00",
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"姓": "田中",
"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "日本怪談大全 第一巻 女怪の館",
"底本出版社名1": "国書刊行会",
"底本初版発行年1": "1995(平成7)年7月10日",
"入力に使用した版1": "1995(平成7)年7月10日初版第1刷",
"校正に使用した版1": "1995(平成7)年7月10日初版第1刷",
"底本の親本名1": "日本怪談全集 第二巻",
"底本の親本出版社名1": "改造社",
"底本の親本初版発行年1": "1934(昭和9)年",
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"入力に使用した版2": "",
"校正に使用した版2": "",
"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "川山隆",
"校正者": "門田裕志",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/files/52249_ruby_47103.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2012-03-08T00:00:00",
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"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"あなたはどなたです、斯うして寝てをる所へ、何しに来たんです、何しに来たんです、",
"私は赤ん坊を見に来たんですよ、",
"赤ん坊を見に来たんですつて、誰にことわつて、寝てゐる所へ這入つて来たんです、失礼ぢやありませんか、早く出て行つて下さい、"
],
[
"昨夜、面白いことがあつたんですよ、",
"どうした、"
],
[
"昨夜海岸の砂丘をおりて行くと、ちひさな川があつて、それに板橋が架つてゐるんですよ、その橋を渡ると、向ふに小石を敷いた広い通りがあつて、その通りに沿うて二三軒の家があるぢやありませんか、私はくたびれたから、ちよつと休まうと思つて、船板の門をした家へづんづん這入つて行くと、玄関があつて、それが四畳半位でしたよ。其所で両足を投げ出して休みながら見ますと、壁に西洋人の額が懸つてをるぢやありませんか、それが、何時かあなたに見せて戴いた、トルストイですかね、偉い露西亜の小説家の肖像ですよ、",
"何んだ、それは夢か、"
],
[
"それがどうも夢のやうぢや無いんですよ。松の木の色も、葉の色も、波の音も、家の様も、なんでもかでも、ちやんと分つてゐるんですよ、",
"それが夢さ、宵に海岸の話をしてゐたから夢に見んだらう、",
"でも夢ぢやないやうよ、それで玄関で休んでゐると、赤ん坊の泣声がするぢやありませんか、私は赤ん坊が見たくなつたので、右の方から這入つて見ると、茶の間があつて、その先に縁側がありますから、縁側に出て見ると、赤ん坊は直ぐ次の室に寝てゐるやうですから、其所へ這入つて見ると、御夫婦が寝てゐて、奥様は円顔の女優髷にした、それはきつさうな方ですよ、私が赤ん坊を覗いてゐると、眼を覚まして、どなた、何しに来たのだつて怒るんですよ、私は平気で、赤ん坊を見に来たと云つてやると、その奥様が怒つちやつて、大声で旦那を起したもんだから、旦那が寝ぼけて跳び起きたんですよ、私もそれにびつくらした拍子に、何が何やら分らなくなつたんですが、その時が夢の覚めた時でせうよ、",
"だから夢と云つてるぢやないか、夢さ、海岸のことが頭にあつたから、そんな夢を見たんだよ、矢張り体のせいだ、来月は行こう、翻訳の方もその時分に出来上るから、一ヶ月位はゆつくり行つて遊んで来よう、其所で仕事をすれば好い、"
],
[
"夢でも見たのかね、うなされてゐたよ、",
"どうも夢ではないんですよ、赤ん坊を抱きに行つて、ひどい目にあつたんですよ、奥様に髪を掴まれて顔を滅茶滅茶に摘ままれたり、旦那は旦那で跳び起きて来て私の咽喉を締めつけるんですもの、"
],
[
"矢張り体のせいだ、体が悪いと深刻な夢を見るもんだ、",
"夢ぢやないんですよ、本当ですよ、顔を滅茶滅茶に摘ままれたんだから、どうかなつてゐやしない、未だに顔から頸の廻りが痛いんですよ、"
],
[
"どうもなるもんかね、なつてゐやしないよ、夢ぢやないか",
"でも本当よ、昨夜の家へ又行つて赤ん坊を抱かうとすると、やられたんですよ、何んだか口惜しいんです、",
"それが、矢張り体の具合さ、",
"でも、夢であんなことがあるんでせうか、今でも口惜しいんですよ、あの奥様をどうかして、赤ん坊を取つて来て、投げつけてやりたいと思つたんですよ、",
"やつぱり体だ、体が好けれや、そんな夢は見ないよ、"
],
[
"夢でせうか、本当に恐ろしかつたんですよ、",
"夢さ、神経衰弱がひどくなると、つまらん夢を見るもんだよ、"
],
[
"此所へ来たことは無いんですよ。お父さんもお母さんも、昔気質で、旅行なんかしなかつたから来やしないんですよ、",
"さうかなあ、"
],
[
"何だね、",
"いつかの家ね、この家のやうよ、"
],
[
"家つて何んだね、",
"あの夢の家ですよ、"
],
[
"そんな馬鹿なことがあるもんか、",
"でも、さうですよ、小松の生えた丘の具合から、この板橋の具合まで、そつくりですよ、だから見覚があると私が云つたんですよ、",
"そんなことは無いさ、無いが、門が閉まつて空家らしいね、空家なら借りたいもんだが、"
],
[
"俥屋さん、この家は空いてるかね、",
"空いてます、",
"一ヶ月位貸さないだらうか、",
"貸さないことは無いでせうが、この家は、変な家ですよ、先月まで此所にゐた東京者が、赤ん坊を妙な女に締め殺されたつて、借り手が無いんですよ、"
],
[
"旦那、今の男があの家の家主ですよ、",
"さうかね、"
],
[
"近頃は、もう、警察がどなたにでも会ひに来て、煩さくて困るんですよ、此所へ通しませうか、",
"では通して貰はう、",
"本当にお気の毒でございます、"
]
] | 底本:「伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典」学研M文庫、学習研究社
2003(平成15)年10月22日初版発行
底本の親本:「黒雨集」大阪毎日新聞社
1923(大正12)年10月25日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:川山隆
校正:門田裕志
2009年8月12日作成
2012年5月24日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "047991",
"作品名": "あかんぼの首",
"作品名読み": "あかんぼのくび",
"ソート用読み": "あかんほのくひ",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字旧仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2009-09-10T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-21T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/card47991.html",
"人物ID": "000154",
"姓": "田中",
"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典",
"底本出版社名1": "学研M文庫、学習研究社",
"底本初版発行年1": "2003(平成15)年10月22日",
"入力に使用した版1": "2003(平成15)年10月22日初版",
"校正に使用した版1": "2003(平成15)年10月22日初版",
"底本の親本名1": "黒雨集",
"底本の親本出版社名1": "大阪毎日新聞社",
"底本の親本初版発行年1": "1923(大正12)年10月",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
"入力に使用した版2": "",
"校正に使用した版2": "",
"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "川山隆",
"校正者": "門田裕志",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/files/47991_txt_35602.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2012-05-24T00:00:00",
"テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"テキストファイル文字集合": "JIS X 0208",
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"XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/files/47991_35941.html",
"XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2012-05-24T00:00:00",
"XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
"XHTML/HTMLファイル修正回数": "1"
} |
[
[
"伜の死骸の在る処を知っておられると云うのは、貴君かな",
"はい",
"伜は虎に喫われて死骸が無いことになっておるが、それでも貴君は知っておられるかな",
"これに就きましては、いろいろ申しあげたいことがございますが、兎に角、御子息の死骸をお眼にかけたうえで、申しあげます",
"そうか、それでは、その死骸はどこに在るかな",
"山寺に登る路の中程の、巌窟の中に在ります"
],
[
"これは昨夜、御子息が、夢に私にお話になりましたから、知っております",
"ほう、伜が",
"そうでございます、御子息が私の夢にあらわれて、まだ他にもいろいろお話がありました",
"それでは、伜は、虎に喫われたのじゃないだろうか",
"虎ではありません、悪漢の手にかかったものであります"
],
[
"おお、玉を、埋めてある玉を、私にくださいます、それはありがとうございますが、お父さまがお手をくださなくっても、何人かに申しつけましょう",
"いや、こんなことはまちがいの起り安いものだから、乃公がする",
"でも、そんな軽がるしいことは"
],
[
"どうしたとお云いだ",
"……私の汚れ物を皆入れてありますから、それを除ける間、ちょっとお母さまのお房でお待ちしてくださいませ、すぐ執り除けますから",
"そんなことは好い、ちょっとそこを退いてくれ",
"でも"
],
[
"お判りになりましたか",
"よく判りました",
"それさえ覚えておれば、必ず及第いたします"
]
] | 底本:「日本怪談大全 第二巻 幽霊の館」国書刊行会
1995(平成7)年8月2日初版第1刷発行
底本の親本:「日本怪談全集 第一巻」改造社
1934(昭和9)年
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年5月2日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "052250",
"作品名": "悪僧",
"作品名読み": "あくそう",
"ソート用読み": "あくそう",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2012-06-16T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-16T00:00:00",
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} |
[
[
"ひどいことをしやがる婆あだ",
"婆さん、後生の悪いことをするない"
],
[
"門跡様のお手が触れた、ありがたいことだ、なむあみだぶ、なむあみだぶ",
"彼の婆さんの頭に、門跡様のお手が触れた、なむあみだぶ、なむあみだぶ",
"ありがたいことだ、ありがたいことだ",
"もったいない、もったいない、なむあみだぶ、なむあみだぶ"
]
] | 底本:「日本の怪談(二)」河出文庫、河出書房新社
1986(昭和61)年12月4日初版発行
底本の親本:「日本怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「頭をお駕籠の中へ突き入れました」の箇所は、底本では「頭をお駕籠へ中へ突き入れました」でしたが、親本を参照して直しました。
入力:Hiroshi_O
校正:小林繁雄、門田裕志
2003年8月2日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "003679",
"作品名": "尼になった老婆",
"作品名読み": "あまになったろうば",
"ソート用読み": "あまになつたろうは",
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[
[
"死んだも同じことさ、今は仙台にいる小供の処で、一合のおしきせを貰ってるよ、伯の歿くなった時には、ちょうど腎臓が悪くて、生きるか死ぬかと云う場合だったから、つい見舞状も出さなかった、今度は久しぶりで宇都宮へやって来たところで、新聞で知ったからやって来たんだ、多分君にも逢えるだろう、逢えなかったら、明日あたり伯爵家へ往って、君の居処を訊いて尋ねて往こうかと思ってたところだ、どうだね、君は相変らず、椽大の筆を揮ってるじゃないか、時どき雑誌で拝見するよ",
"近比は浪人の内職が本職になってね、文章を書いて飯を喫うとは思わなかったよ、お互いに大臣になるか、警視総監になるか、捨売にしても、知事位にはなれると思ってたからね"
],
[
"金硫黄と塩酸加里を交ぜ合した物を持って、三田辺をうろついたこともあったね",
"金硫黄と云や、鯉沼君はどうだね、まだ無事だろうか",
"さあ、他にちょっと用事があって、鯉沼君のことを訊いてみなかったが、まだ県会議員でもしているのじゃないかね、僕が加波山の事件を免れたのは、鯉沼君に云いつけられて、宇都宮へ県庁の落成式が何時あるか、ないかを調べに往ってたためなんだ、鯉沼君は乱暴だね、爆弾の糸を鋏で摘み切ってたまるものかね、あの爆弾が事の破れさ、鯉沼君は隻手を失うし、富松君は加波山へ立て籠るしさ、とにかく、壮い血気の時でなけりゃできないことさ、なにしろ、お互に壮かったね、なんだか今思ってみると、己のことでなしに、伝奇小説でも読むような気がするじゃないか",
"皆大臣の夢を見ていたからね、大臣になれりゃ、毎晩、新橋へも往けると思っていたからね、僕の知った男だが、牛肉屋へ往って、大臣になれりゃ、毎晩ここへ来られるねって云ったよ、今日祭る政友の中にも、だいぶ大臣になって、牛肉を毎晩喫いたいと云う連中があったよ",
"なんだ、政友会の話じゃないか、俺は自由党は好きだが、政友会は大嫌いだよ"
],
[
"君は、今日、帰りを急ぐかね",
"急ぎはしないよ、久しぶりで、例の牛肉でもつッつこうじゃないか",
"僕もそう思っているところだ、ゆっくり二人で飯を喫いながら話そうじゃないか",
"そうだ、そうしよう"
],
[
"さっきも何人かが云ってたね、大臣になって、毎晩牛肉屋へ往きたいって、僕もやっぱり牛肉の方が好いね",
"そうか、じゃ小さい汚い家だが、僕の往きつけで、ちょっと牛肉を喫わせる家があるから、そこへ往こうか"
],
[
"木内君かね、そうさ、ありゃ、どうしても、青木寛に罪があると思うね、僕は、一昨年、油井伯が歿くなった時分、木内君の夢を見たが、木内君がありありと出て来て、その話をしたよ、青木の奴、去年庭を歩いてて、卒中でひっくりかえって歿くなったが、どうせあんな奴は、ろくな死に方はしないよ、今どこかの病院の院長をしてる彼の小供も、この間、病人の手術が悪かって、病人を殺したので、告訴沙汰になってるのだ",
"そうかな、いくら爵位を得ても、それじゃしかたがないね"
],
[
"有一館の時代だったら、金硫黄と塩酸加里で覘われるところだったね",
"そうだなあ、曰く伊沢道之、曰く山田三造、そう云う壮士に、いの一番に覘われているところだったね"
],
[
"どうだ、お気に入りましたかね",
"いやよ、あんないけ好かない男ったらあるものですか、今の新聞記者って云うものは、皆あんなものでしょうか",
"まあ、そう悪く云うなよ、可愛い男じゃないか、あんな男は家を持ったら、家のことはきちんとするよ、細君になる者は安心だよ",
"でも、厭ね、あんな男は、いくら金があったって、学問があったって、私なんかは厭だね",
"甚く悪く云うな、では、ふられたね"
],
[
"好きは好きだが、毎晩、一合のおしきせがやっとだよ、もう弱ったね、年老ったからなあ",
"僕も何んかの場合には、三合ぐらいなら飲むこともあるが、少し過ぎるとすぐ二日酔をやってね、いけないのだ、やはり年だね",
"そうだ、年は老りたくないね、壮いうちに早く死ぬる方が、人にも惜まれて好いな、今日の追悼会の人達も生きておる時は、つまらん奴が多かったが、死んでしまや、国士だ、落伍者になって、煤ぶって死ぬるのはいけないね",
"そうさ、玉砕さ、人間は玉砕に限るよ"
],
[
"木内先生でございますか",
"ああ、木内だ、君とは一昨年、君が油井伯の遺稿を編纂している時、逢ったことがあるね、吾輩はあの時、青木寛の一家に復讐した話をして、もうこれから永遠の安静に入ると云ったが、今日は君達はじめ、当年の政友から追悼を受けたので懐かしくなって来た、やって来たついでに、また君に逢いたくなったからね"
],
[
"ここは一体どこだ",
"ここは銀座の尾張町の角だよ",
"何時ここへやって来た",
"三十分ぐらい前にやって来たが、君は一体何を云ってるのだ"
]
] | 底本:「日本怪談大全 第二巻 幽霊の館」国書刊行会
1995(平成7)年8月2日初版第1刷発行
底本の親本:「日本怪談全集 第三巻」改造社
1934(昭和9)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年5月2日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "052286",
"作品名": "雨夜続志",
"作品名読み": "あまよぞくし",
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"姓ローマ字": "Tanaka",
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"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
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"底本出版社名1": "国書刊行会",
"底本初版発行年1": "1995(平成7)年8月2日",
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[
[
"行くわよ、",
"何をそんなに考へ込んでるの、昨夜のあの方のこと、"
],
[
"なんだい、その真似は、何人がそんなことをするんだ、云つてごらんよ、何人だね、",
"運転手のハイカラさんよ、",
"運転手つて、自動車か、",
"さうよ、",
"それがどうしたんだ、",
"面白いのよ、昨夜……、"
],
[
"御冗談ばつかし、",
"冗談ぢやないよ、本当だよ、先月亡くなつたんだよ、だからかうして飲みに来るんぢやないか、"
],
[
"本当、",
"本当とも、だから可愛がつてくれないといけないよ、",
"お気の毒ですわ、ね、え、",
"お気の毒でございますとも、"
],
[
"一杯ささう、おなじみになる標だ、",
"さう、では、ちよと戴きます、",
"ちよつとは駄目だよ、多く飲まないと忘れて標にならないよ、"
],
[
"すぐこの近所でございますの、",
"すぐ其所だよ、先月越して来たばかしなんだ、深川の方にゐてね、",
"大変遠方からいらつしやいましたね、",
"さうだ、深川の方で工場をやつてたが、厭になつたからね、家に使つてる奴に譲つてしまつたんだよ、"
],
[
"人を使つてやる仕事は煩さいもんでね、金にはかかはらないよ、",
"さうでございませうね、"
],
[
"なんの工場でございます、",
"つまらん工場さ、針工場だよ、"
],
[
"針工場つて、どんなことをする工場……、",
"メリヤスを織る針だよ、"
],
[
"お前さんは何所だね、",
"私、愛知県よ、",
"では、名古屋かね、",
"名古屋の在ですよ、",
"兄弟があるかね、",
"えゝ、兄が二人と、妹が一人あるんですよ、お百姓よ、",
"お前さん、何処かへお嫁にでも行く約束があるの、",
"そんな所ありませんわ、",
"ないことはなからう、お前さんのやうな好い女を、そのままにはしておかないよ、",
"行く所がなくつても、好い人はあるだらう、"
],
[
"私のやうな者は見向いてくれる方もないんですよ、",
"あるよ、あつたらどうする、……あつたら困るだらう、",
"あつたら有難いんですわ、",
"本当、"
],
[
"お幸ちやんぢやあるまいし、あたいにや、若旦那は無いんだよ、",
"あるわよ、針工場さんがあるわよ、",
"馬鹿、"
],
[
"針工場つて、何人だい、あの肥つた親爺かい、好く祝儀をくれる、",
"さうよ、針工場の旦那よ、親爺なんて云ふとお菊さんが怒つてよ、"
],
[
"何方様でございませう、",
"はじめてですがね、この先の赤いポストの所を入つて、突きあたつてから、左へ曲つて行くと、寺がありますね、その寺について右に曲つて行くと、もう寺の塀が無くならうとする所に、右に入つて行く露次があるがね、その露次の突きあたりだよ、北村つて云ひます、"
],
[
"北村さん、宜しうございます、お料理は何に致しませう、",
"魚のフライと、他に一ツなんでも好いから見つくろつておくれよ、家の旦那は時々此方へ来るさうだ、"
],
[
"魚のフライに、お見つくろいが二品、あはして三品でございますね、",
"さうだよ、早く持つて来ておくれよ、旦那が、今晩は外へ出るのもおつくうだから、家であがるつて待つてるからね、"
],
[
"遅くなつてすみません、",
"旨い物はさう手取早く出来るもんではないよ、へ、へ、へ、さあ此方へお出でよ、"
]
] | 底本:「伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典」学研M文庫、学習研究社
2003(平成15)年10月22日初版発行
底本の親本:「黒雨集」大阪毎日新聞社
1923(大正12)年10月25日
入力:川山隆
校正:門田裕志
2009年8月12日作成
2012年5月24日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "047992",
"作品名": "雨夜詞",
"作品名読み": "あめよことば",
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"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典",
"底本出版社名1": "学研M文庫、学習研究社",
"底本初版発行年1": "2003(平成15)年10月22日",
"入力に使用した版1": "2003(平成15)年10月22日初版",
"校正に使用した版1": "2003(平成15)年10月22日初版",
"底本の親本名1": "黒雨集",
"底本の親本出版社名1": "大阪毎日新聞社",
"底本の親本初版発行年1": "1923(大正12)年10月",
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[
[
"それ逃げたぞ",
"叩き殺せ"
]
] | 底本:「日本怪談全集 ※[#ローマ数字2、1-13-22]」桃源社
1974(昭和49)年7月5日発行
1975(昭和50)年7月25日2刷
底本の親本:「日本怪談全集」改造社
1934(昭和9)年
入力:Hiroshi_O
校正:大野裕
2012年9月25日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "042321",
"作品名": "怪しき旅僧",
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"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"公開日": "2012-11-07T00:00:00",
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"名読み": "こうたろう",
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"底本の親本名1": "日本怪談全集",
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[
[
"お前さんは何人であったかな、俺はものおぼえが悪いから",
"お前さんは知らないかも判らない、私は近比この村へ来た者だから",
"そうか、それなら、これからおつきあいをしよう、さあ、おあがり",
"そんじゃ、あげてもらおうか"
],
[
"お前さん、国はどこだね",
"東の方だ、東の方からぶらぶらやって来たが、この辺はいい処だね、漁もあるだろう",
"もとはあったが、近比はめっきり無くなった",
"そうかなあ",
"それにこの二三日は、すこしもないので、今晩はすきな酒も廃めている",
"そうか、それはいかんなあ",
"二尺の鯉を二疋獲ってくれと、二三日前から頼まれて、この広い湖へ片っ端から網を入れているが、鯉は愚か、雑魚もろくろくかかりゃしない",
"そんなことは無い、私は近比来た者だが、それでも鯉の二疋や三疋は、買手を待たして置いても獲って来る"
],
[
"お前さんが嘘と思うなら、私がこれから往って獲って来てやろう、網はどこにあるかな",
"網は外の柿の木に乾してあるが、お前さん、狐にでも撮まれているじゃないか、俺はこの浦で二十年来漁師をやっているが、買手を待たして置いて獲る程鯉は獲れないよ",
"嘘と思うなら私が獲って来てやろう、待ってるがいい"
],
[
"名はなんでも好いじゃないか、これから朋友になったから、ちょいちょい飲みに来るよ",
"好いとも、飲もう"
],
[
"なんとも思っていないよ、俺はお前さんが、鬼でも蛇でもかまわないよ",
"私は人間じゃない",
"どうせ、そんなことだろうと思った、なんだな",
"水におる者だ",
"河童か",
"河童じゃないが、まあ、そんな者さ",
"それも好かろう",
"ところで、私は不自由だから、ひとつ人間になりたいと思っている",
"どうして人間になる",
"人間の体を借りるつもりだ",
"何時借りる",
"明日、午の比、この傍の路を旅人が通るから、その笠を飛ばして、それを執りに水に入って来るところを引込んで、その体を借りるつもりだ",
"そうすると、その人はどうなる",
"その人間は死ぬるが、私がその体を借りるから、他の人には判らない",
"そんなくだらんことは廃せ、やはり今までどおりで飲もうじゃないか"
],
[
"なんだ、なんのことだ",
"なんのことだ、おい勘作さん、とぼけちゃいけないよ、今日、俺が旅人の笠を飛ばして、旅人を引込んで、人間になろうとしていると、お前さんが走って来て、そこには魔者が住んでおる、入られんと云ったのを忘れたのか、おい勘作さん、忘れたとは云わせないよ",
"ああ、そのことか、そのことなら覚えている",
"だから、なんの怨みがあって、そんなことをしたかと云っているんだ、それを云ってもらおう",
"そうか、そのことか、そりゃお前さんがいけねえ、お前さんが人間になりたいと思って、他の人間を殺すのは道にはずれている、そりゃ、いくらお前さんと朋友でも、そんなことはいけねえ、それとも、お前さんは、道にはずれていると思わないのか",
"そりゃ、罪もない人間を殺すのは、ちと気の毒じゃが、それ位のことは、眼をつぶらねばいけない",
"それは己かっての理窟じゃ、そんな道にはずれたことはいけない、まあお前さんもつまらん望みを起さずに、今までどおりにつきおうて、旨い酒を飲もうじゃないか、まああがるがいい"
],
[
"今度こそ人間になる決心をした、人間になったら、お前さんの処へ来られる",
"どうして人間になる",
"夫婦喧嘩をしている者があって、女房の方が家を飛び出して来ることになっているから、それを引込むつもりだ",
"そうか、どこでやる",
"この傍へ来る、明日の晩の亥の刻じゃ"
],
[
"お前さんも又、殺生なことまでして何故人間になりたいのだ、そんなことは、ふっつり思い切ったらどうだ",
"思い切れないからこそ、やってるじゃないか、何故邪魔をする",
"お前さんは、そんなことを云うが、お前さんに生命を奪られて体を借られる人間の身になってみたらどうだ、俺が邪魔をするわけも判るよ",
"そりゃ、人間には可哀そうさ、だが私の身になったらどうだ",
"お前さんのことは道にはずれているから、そんなことは話にならんさ",
"お前さんは意地悪で困る",
"まあ、酒でも飲もう、宵のあまりがあるから、そいつを飲みながら話そう"
]
] | 底本:「日本怪談大全 第二巻 幽霊の館」国書刊行会
1995(平成7)年8月2日初版第1刷発行
底本の親本:「日本怪談全集 第二巻」改造社
1934(昭和9)年
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年5月2日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "052291",
"作品名": "ある神主の話",
"作品名読み": "あるかんぬしのはなし",
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"名読み": "こうたろう",
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"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
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[
[
"帰ろうよ",
"お母さんに叱られるわ"
],
[
"おかしな奴だな",
"なんだ、あれは"
]
] | 底本:「伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典」学研M文庫、学習研究社
2003(平成15)年10月22日初版発行
底本の親本:「新怪談集 実話篇」改造社
1938(昭和13)年
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2010年10月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "045523",
"作品名": "虎杖採り",
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[
[
"毒流し……魚を捕る毒流しかの",
"そうじゃ",
"それは殺生じゃ、釣る魚なら、餌のために心迷いのしたものじゃから、まあまあ好いとして、毒流しは、罪咎のないものまで、いっしょに根だやしにすることになるから、それは好くないことじゃ"
],
[
"お前さんは、どうもやるつもりらしいが、殺生をしてはいかん、魚でも人間でも、生命の欲しいことは一つじゃからな",
"私がひとり、どうと云うことはない、相談して皆がやめると云えば、やめても好い",
"どうぞ殺生しないように、物の生命をとったものは、きっとその報いが来るからな",
"皆と相談します"
]
] | 底本:「伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典」学研M文庫、学習研究社
2003(平成15)年10月22日初版発行
底本の親本:「日本怪談全集」改造社
1934(昭和9)年
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2010年11月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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| {
"作品ID": "045572",
"作品名": "岩魚の怪",
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"底本名1": "伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典",
"底本出版社名1": "学研M文庫、学習研究社",
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[
[
"好い処とも、それは好い処だよ、磯には球にする木が生えていたり、真珠を持った貝があったりするから、黄金ときれいな衣をどっさり積んだ商人船が都の方から来て、それと交易して往くことがあるよ",
"球にする木と、真珠を持った貝、何故またそんな好い処を捨てて、こんな地獄のような処へやって来た",
"人買に掠奪われたのさ",
"お前もやっぱりそうか、俺もそうだが、俺は小供の時だった、故郷は判らないが、どうもここから東北のように思われる、やっぱり海があって、海の中には数多の島があった、掠奪われた日は、暑い日の夕方だ、磯へ一人出て遊んでいると、珍らしい船が着いた、俺は何船だろうかと思って、傍へ往ってみると、顔の赧い男が出て来て、好い物を見せてやろうと云うから、うっかり船へあがって往くと、そのまま船底の室へ投り込まれて伴れて来られた、お前はどうして掠奪われた",
"俺か、俺は、人魚を見に往って掠奪われた"
],
[
"何故そんなことを云います、あなたは何か私に憤っておりますか",
"何も憤ることはありませんが、こんなことが父さんに知れたら大変ではありませんか",
"どうせ一度は知れることではありませんか"
],
[
"来ては悪いですか",
"困ります、父さんの留守に……"
]
] | 底本:「日本怪談大全 第二巻 幽霊の館」国書刊行会
1995(平成7)年8月2日初版第1刷発行
底本の親本:「日本怪談全集 第二巻」改造社
1934(昭和9)年
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年5月22日作成
青空文庫作成ファイル:
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| {
"作品ID": "052287",
"作品名": "宇賀長者物語",
"作品名読み": "うかのちょうじゃものがたり",
"ソート用読み": "うかのちようしやものかたり",
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"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
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"姓ローマ字": "Tanaka",
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"底本の親本名1": "日本怪談全集 第二巻",
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} |
[
[
"はい",
"僕は路に迷ってるのですが、ここは牧場ですか",
"そうでございますよ、あなたはどちらへいらっしゃいますの",
"僕は――町へ帰るのですが、どちらへ往ったらいいのでしょう",
"――町、それはたいへんですよ、いっぷくなすって、ゆっくりお帰りになるがよろしゅうございますよ、お茶でもあげましょう"
],
[
"ありがとうございます",
"ほんとにお入りなさいましよ、こんな時には、気をおちつけになるのがよろしゅうございますよ",
"御迷惑じゃないでしょうか",
"なに、お嬢さんと二人ぎりでございますから、よろしゅうございますよ、お入りなさいましよ"
],
[
"それじゃ、すみません",
"そこからいらしてくださいましよ、その扉はよせかけてありますから",
"そうですか"
],
[
"すみません、ちょっと休ましてください",
"さあ、どうぞ、雨でたいへんだったでしょう",
"えらい雨でしたね"
],
[
"そうです",
"お酒がお好き"
],
[
"すこし飲みます",
"では、お酒をあげましょうか"
],
[
"どうか、水を一ぱいください",
"水もあげますが、お酒もあげましょうよ"
],
[
"お酌したことがございませんから、恰好がへんですが、お一つ",
"すみません"
],
[
"お酌しつけないものがお酌しては、かえってお酒がまずうございましょうから、あなたがどうかごかってに",
"それじゃ、かってにいただきます、すみません"
],
[
"お酒がたいへんお好きのようでございますね",
"酔っぱらいで困るのです",
"どれ位めしあがりますの",
"さあ"
],
[
"そうでもないのです",
"今晩はどこであがっていらっしゃいました",
"友人の下宿で昼間から飲んでましたが、ビールとウイスキーで、帰りに日本酒を飲みたかったのですが"
],
[
"金がなかったから、下宿へ帰って飲むつもりで帰ってたところですよ",
"そう、ほんとにお好きねえ、それじゃうんといただいてくださいましよ、お酒はどっさりありますから"
],
[
"そんなにおいしゅうございますの",
"旨いですよ",
"わたしも、お酒がいただけるなら、いいと思うことがあるのですよ",
"酒は飲まないのですか",
"一滴もいただけないですよ",
"そうですか、ねえ、旨いのですが、ねえ"
],
[
"おあがりなさいましよ、お嬢さんが淋しがっておりますから、おあがりになって、ゆっくりなすってくださいましよ、それとも待ってらっしゃる方がおありなさいますの",
"そんなものがあるものですか",
"では、おあがりくださいましよ、お酒のおあいてはわたしがいたしますから"
],
[
"足が泥だらけですから",
"おふきしますから、こっちへいらしてくださいましよ",
"そうですか、それでは"
]
] | 底本:「日本怪談大全 第一巻 女怪の館」国書刊行会
1995(平成7)年7月10日初版第1刷発行
底本の親本:「日本怪談全集 第三巻」改造社
1934(昭和9)年
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年3月8日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "052252",
"作品名": "馬の顔",
"作品名読み": "うまのかお",
"ソート用読み": "うまのかお",
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"副題読み": "",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2012-05-02T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-16T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/card52252.html",
"人物ID": "000154",
"姓": "田中",
"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "日本怪談大全 第一巻 女怪の館",
"底本出版社名1": "国書刊行会",
"底本初版発行年1": "1995(平成7)年7月10日",
"入力に使用した版1": "1995(平成7)年7月10日初版第1刷",
"校正に使用した版1": "1995(平成7)年7月10日初版第1刷",
"底本の親本名1": "日本怪談全集 第三巻",
"底本の親本出版社名1": "改造社",
"底本の親本初版発行年1": "1934(昭和9)年",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
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"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "川山隆",
"校正者": "門田裕志",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/files/52252_ruby_47117.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2012-03-08T00:00:00",
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} |
[
[
"お嬢さまには、すこしも科はございません、どうぞてまえを",
"いえいえ、わたしが悪うございます。どうぞわたしを"
],
[
"伴蔵、俺の首が落ちてやしないか",
"そうですねえ、船べりで煙管を叩くと、よく雁首が川の中へ落ちますよ",
"そうじゃない、俺の首だよ、何処にも傷が附いてやしないか",
"じょうだん云っちゃいけませんよ、何で傷がつくものですか"
],
[
"引きとりますとも、あなたが勘当されたら、私はかえってしあわせですよ。しかし、貴女は一人娘のことですから、勘当される気づかいはありますまい。後になって、生木を裂かれるようなことがなければと、私はそれが苦労でなりません",
"あなたより他に所天はないと存じておりますから、たとえお父さまに知れて、手討ちになりましてもかまいません、そのかわり、お見すてなさるとききませんから"
],
[
"どうかしたのか",
"どうのこうのって騒ぎじゃございませんよ、萩原さまの処へ毎晩女が泊りに来ます",
"壮い独身者のところじゃ、そりゃ女も泊りに来るだろうよ。で、その女が悪党だとでも云うのか",
"そう云うわけではありませんが、じつは"
],
[
"へえ、私が",
"しかたがない、必ず死ぬ"
],
[
"あれは牛込の飯島と云う旗下の娘で、死んだと思っておりましたが、聞けば事情があって、今では婢のお米と二人で、谷中の三崎に住んでいるそうです。私はあれを、ゆくゆくは女房にもらいたいと思っております",
"とんでもない、ありゃ幽霊だよ、死んだと思ったら、なおさらのことじゃないか"
],
[
"占いで、来ないようにできますまいか",
"占いで幽霊の処置はできん。彼の新幡随院の和尚はなかなか豪い人で、わしも心やすいから、手紙をつけてやる、和尚の処へ往って頼んでみるがいい"
],
[
"お嬢さま、昨夜のお詞と違って萩原さまは、お心変あそばして、あなたが入れないようにしてございますから、とてもだめでございます。あんな心の腐った男は、もうお諦めあそばせ",
"あれほどまでにお約束をしたのに、変りはてた萩原さまのお心が情けない。お米や、どうぞ萩原さまに逢わせておくれ、逢わせてくれなければ、私は帰らないよ"
],
[
"毎晩あがりまして、御迷惑なことを願い、まことに恐れいりますが、まだ今晩もお札が剥れておりませんから、どうかお剥しなすってくださいまし",
"へい剥します、剥しますが、百両の金を持って来てくだすったか",
"はい、たしかに持参いたしましたが、海音如来のお守は",
"あれは、他へかくしました",
"さようなれば百両の金子をお受け取りくださいませ"
]
] | 底本:「怪奇・伝奇時代小説選集3 新怪談集」春陽文庫、春陽堂書店
1999(平成11)年12月20日第1刷発行
底本の親本:「新怪談集 物語篇」改造社
1938(昭和13)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2004年9月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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| {
"作品ID": "004950",
"作品名": "円朝の牡丹灯籠",
"作品名読み": "えんちょうのぼたんどうろう",
"ソート用読み": "えんちようのほたんとうろう",
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"原題": "",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2004-10-18T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-18T00:00:00",
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"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "怪奇・伝奇時代小説選集3 新怪談集",
"底本出版社名1": "春陽文庫、春陽堂書店",
"底本初版発行年1": "1999(平成11)年12月20日",
"入力に使用した版1": "1999(平成11)年12月20日第1刷",
"校正に使用した版1": "1999(平成11)年12月20日第1刷",
"底本の親本名1": "新怪談集 物語篇",
"底本の親本出版社名1": "改造社",
"底本の親本初版発行年1": "1938(昭和13)年",
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} |
[
[
"おや、金公か、釣に往くのか、何処だ",
"お竹蔵の池さ、今年は鮒が多いと云うじゃねえか",
"彼処は、鮒でも、鯰でも、たんといるだろうが、いけねえぜ、彼処には、怪物がいるぜ"
],
[
"いたら、ついでに、それも釣ってくるさ。今時、唐傘のお化でも釣りゃ、良い金になるぜ",
"金になるよりゃ、頭からしゃぶられたら、どうするのだ。往くなら、他へ往きなよ、あんな縁儀でもねえ処へ往くものじゃねえよ",
"なに、大丈夫ってことよ、おいらにゃ、神田明神がついてるのだ",
"それじゃ、まあ、往ってきな。其のかわり、暗くなるまでいちゃいけねえぜ",
"魚が釣れるなら、今晩は月があるよ",
"ほんとだよ、年よりの云うことはきくものだぜ",
"ああ、それじゃ、気をつけて往ってくる"
],
[
"釣りのおかえりでございますか",
"そうだよ、其所の池へ釣に往ったが、爺さん、へんな物を見たぜ",
"へんな物と申しますと",
"お妖怪だよ、眼も鼻もない、のっぺらぼうだよ",
"へえェ、眼も鼻もないのっぺらぼう。それじゃ、こんなので"
]
] | 底本:「怪奇・伝奇時代小説選集3 新怪談集」春陽文庫、春陽堂書店
1999(平成11)年12月20日第1刷発行
底本の親本:「新怪談集 物語篇」改造社
1938(昭和13)年
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2004年8月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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| {
"作品ID": "004949",
"作品名": "おいてけ堀",
"作品名読み": "おいてけぼり",
"ソート用読み": "おいてけほり",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2004-09-25T00:00:00",
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"人物ID": "000154",
"姓": "田中",
"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
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"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
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"底本名1": "怪奇・伝奇時代小説選集3 新怪談集",
"底本出版社名1": "春陽文庫、春陽堂書店",
"底本初版発行年1": "1999(平成11)年12月20日",
"入力に使用した版1": "1999(平成11)年12月20日第1刷",
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"底本の親本名1": "新怪談集 物語篇",
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[
[
"私は隴西の書生で辛道度という者ですが、金がなくなって食事に困っております、御主人にお願いして食事をさせていただきたいのですが、お願いしてくれませんか",
"あ、御飯を、では、ちょっと、待っていらっしゃい、願ってあげますから"
],
[
"私はまだ、あなたが、どういう方であるかというようなことを、考えたことはありません",
"私は秦の閔王の女でございましたが、この曹の国に迎えられてきて、二十三年間、独りでおる者でございます"
],
[
"あなたがお厭でなければ、夫婦になりましょう",
"でも、あなたは、たっとい御身分の方ですから"
]
] | 底本:「中国の怪談(一)」河出文庫、河出書房新社
1987(昭和62)年5月6日初版発行
底本の親本:「支那怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年11月30日発行
※「沒くなって二十三年も経って」は、底本では「没くなって二十三年も経って」ですが、親本を参照して直しました。
入力:Hiroshi_O
校正:小林繁雄、門田裕志
2003年9月17日作成
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "001617",
"作品名": "黄金の枕",
"作品名読み": "おうごんのまくら",
"ソート用読み": "おうこんのまくら",
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"分類番号": "NDC 913 923",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2003-10-06T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-18T00:00:00",
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"人物ID": "000154",
"姓": "田中",
"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "中国の怪談(一)",
"底本出版社名1": "河出文庫、河出書房新社",
"底本初版発行年1": "1987(昭和62)年5月6日",
"入力に使用した版1": "1987(昭和62)年5月6日初版",
"校正に使用した版1": "1987(昭和62)年5月6日初版",
"底本の親本名1": "支那怪談全集",
"底本の親本出版社名1": "桃源社",
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"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"この、すぐ、前方の谷陰にいる者でございます",
"では、ここへ、何しにきました",
"月が綺麗なものでございますから、つい、ふらふらと歩いてきました"
],
[
"送ってあげましょう、私も猟にきて帰れないので、しかたなしにここに寝ておりますものの、ゆっくり睡れないのですから、貴女の家の簷の下でも拝借しましょう",
"では、お願いいたします"
],
[
"何かまたきっと悪戯をなされたでしょう",
"ほんとうは悪戯したのよ、この方が睡っていらっしゃるから、咽喉の辺をさすったのよ"
],
[
"お嬢さんは、まだねんねえでございますから、ほんとうにすみません",
"いや、どういたしまして、私は獣でも来て嘗めたと思いましたから、払い除ける拍子に、何か手端に触りましたから、一生懸命に掴んで見ますと、それがお嬢さんの手でした、私こそ寝ぼけてて、お嬢さんを甚い目に遭わして、お気の毒ですよ"
],
[
"でね、この方が、送ってくださると言ってらしたところよ",
"それは、どうもすみません"
],
[
"お嬢さんは、私がもうお伴れいたしますが、貴方様は、これからどうなされます、もし、おかまいがないなら、私の方へお泊りなされては如何でございます",
"いや、それは、今もお嬢さんにお願いしてたところです、私はこの下の村の猟師ですが、獣を追駈けてるうちに、日が暮れてしまって、しかたなしに寝てた者ですから、お嬢さんをお送りして、簷の下でも拝借しようと思っておりました",
"それでは、どうぞ、何もおかまいいたしませんが、私の方はお嬢さんと二人きりで他に何人もおりませんから"
],
[
"そうですか、それはたいへんでしたね",
"なに、私もおよばずながら、旦那様と奥様に、御恩報じをいたしたいと思うてやっておることでございますから、苦しいとも何とも思いませんが、時たま、女ばかしでは困るので、貴方のような、若いしっかりしたお友達があるならいいがと、思うことがあります、どうかこれを御縁に、これからお友達になってくださいまし",
"私でかまわなければ、これからどんなことでもいたしましょう"
],
[
"私は、親もない兄弟もない、独身者の自由な体だ",
"では、どこにいらしてもかまわないのですね",
"そうですとも、どこにおってもかまわないのです",
"では、私達といっしょにいらしてくださいませんか",
"いいですとも"
],
[
"どこかへ往ってるでしょう、隠さなくてもいいじゃありませんか",
"ほんとうは、この前方の山に、お嬢さんの叔母さんになる方が隠れておりますから、そこへ遊びに往きます"
],
[
"彼処には、狼がおるじゃありませんか、あぶないですよ、今度往く時には、私が送ってあげましょう",
"いや、二人は慣れておりますから大丈夫ですよ、狼が来ても巧く逃げますから",
"いや、それはあぶない、いくら慣れておっても、女ではいつどんな目に遭うか判りません"
]
] | 底本:「中国の怪談(一)」河出文庫、河出書房新社
1987(昭和62)年5月6日初版発行
底本の親本:「支那怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年11月30日発行
入力:Hiroshi_O
校正:門田裕志、小林繁雄
2003年8月3日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "001627",
"作品名": "狼の怪",
"作品名読み": "おおかみのかい",
"ソート用読み": "おおかみのかい",
"副題": "",
"副題読み": "",
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"初出": "",
"分類番号": "NDC 913 923",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2003-08-19T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/card1627.html",
"人物ID": "000154",
"姓": "田中",
"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "中国の怪談(一)",
"底本出版社名1": "河出文庫、河出書房新社",
"底本初版発行年1": "1987(昭和62)年5月6日",
"入力に使用した版1": "1987(昭和62)年5月6日初版",
"校正に使用した版1": "1987(昭和62)年5月6日初版",
"底本の親本名1": "支那怪談全集",
"底本の親本出版社名1": "桃源社",
"底本の親本初版発行年1": "1970(昭和45)年11月30日",
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} |
[
[
"師匠、これを、わっしに",
"形見だから、執っといてくんねえ、乃公の後を継いでくれるのは、おめえだけだ"
]
] | 底本:「伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典」学研M文庫、学習研究社
2003(平成15)年10月22日初版発行
底本の親本:「新怪談集 実話篇」改造社
1938(昭和13)年
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2010年10月20日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "045525",
"作品名": "お化の面",
"作品名読み": "おばけのめん",
"ソート用読み": "おはけのめん",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2010-11-26T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-21T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/card45525.html",
"人物ID": "000154",
"姓": "田中",
"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典",
"底本出版社名1": "学研M文庫、学習研究社",
"底本初版発行年1": "2003(平成15)年10月22日",
"入力に使用した版1": "2003(平成15)年10月22日初版",
"校正に使用した版1": "2003(平成15)年10月22日初版",
"底本の親本名1": "新怪談集 実話篇",
"底本の親本出版社名1": "改造社",
"底本の親本初版発行年1": "1938(昭和13)年",
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"底本出版社名2": "",
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"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "Hiroshi_O",
"校正者": "noriko saito",
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"テキストファイル最終更新日": "2010-10-21T00:00:00",
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"XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"直ぐ御食事になさいますか",
"さあ、たいして腹も空いていないが、とにかく持って来てもらおうか"
],
[
"おい、此処は一人だよ",
"でも奥さんは",
"冗談じゃない、俺は一人だよ",
"でも、さっき、たしかにお伴れ様が"
],
[
"今まで其処にいられましたが",
"え"
],
[
"鼠が出て来て煩さいから、追ったのだよ",
"鼠ぐらいで、そう乱暴されちゃ困ります"
]
] | 底本:「怪奇・伝奇時代小説選集3 新怪談集」春陽文庫、春陽堂書店
1999(平成11)年12月20日第1刷発行
底本の親本:「新怪談集 物語篇」改造社
1938(昭和13)年
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2004年9月25日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "042270",
"作品名": "阿芳の怨霊",
"作品名読み": "およしのおんりょう",
"ソート用読み": "およしのおんりよう",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2004-10-15T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-18T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/card42270.html",
"人物ID": "000154",
"姓": "田中",
"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "怪奇・伝奇時代小説選集3 新怪談集",
"底本出版社名1": "春陽文庫、春陽堂書店",
"底本初版発行年1": "1999(平成11)年12月20日",
"入力に使用した版1": "1999(平成11)年12月20日第1刷",
"校正に使用した版1": "1999(平成11)年12月20日第1刷",
"底本の親本名1": "新怪談集 物語篇",
"底本の親本出版社名1": "改造社",
"底本の親本初版発行年1": "1938(昭和13)年",
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"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
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"校正者": "noriko saito",
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} |
[
[
"でも、へんだね",
"どんなにへんだろう",
"何かあったのじゃないか、また、自動車にでも乗ってて、人でも轢いたのじゃないかね"
],
[
"どうしたの、尾形さん、何かまたやったの",
"そ、そんなことがあるものか",
"じゃ、どうしたの、いつもの尾形さんじゃないじゃないの"
],
[
"どうしたと云うの、燈は点けてあげるが、おかしいじゃないの",
"べつになんでもないのだ、ただ暗いのが厭だから"
],
[
"なに、すこし気分が悪いからだよ、神経衰弱かなんかだろう",
"そうかね、警察ざたかなんかでなけりゃいいや",
"そんなことがあるものか、そんなことは決してない",
"そんなことなら良いが、へんだからさ、そんじゃもう寝るがいい",
"そうだ、もう寝よう"
]
] | 底本:「日本怪談大全 第一巻 女怪の館」国書刊行会
1995(平成7)年7月10日初版第1刷発行
底本の親本:「日本怪談全集 第一巻」改造社
1934(昭和9)年
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年3月8日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "052283",
"作品名": "女の怪異",
"作品名読み": "おんなのかいいい",
"ソート用読み": "おんなのかいいい",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"最終更新日": "2014-09-16T00:00:00",
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"姓ローマ字": "Tanaka",
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[
[
"痴",
"だって、旦那がそう云ってたぜ",
"へッ、痴にするない、御人体がちがってらあ",
"その御人体でせっせと捜すが好いや",
"お前も捜しな"
],
[
"もし何かおありになるようなら、遠慮なしに云ってください、私もこう云う性分だ、できるだけのことはしましょう、あなたは何時当地へいらっしたのです",
"今日の夕方の汽車でまいりましたが、かってが判らないものでございますから",
"それはお困りでしょう、どちらからいらしたのです",
"水戸のさきの方から参りました",
"知った方でもあるのですか",
"奉公しようと思って、家を飛び出してまいりましたが、知人がありませんから、困っておるところでございます",
"奉公しても好いのですか、家からなんとも云って来やしないのですか",
"家の方はどう云うかも知りませんが、すこし事情があって、家にはもう帰らないつもりでございます",
"じゃ、どんな処へ奉公するつもりです",
"どこでもよろしゅうございます、相当の処があるなら、往きたいと思います、ありましょうか",
"ありますとも、まあ、私の家へいらっしゃい、あなたのお話を伺いましょう、すぐそこです、人の家の二階を借りてるのです"
],
[
"人が来たのです、あちらへ往きましょう、煩いから",
"はい"
],
[
"すぐそこです、いらっしゃい、私一人ですから、遠慮するものはないのです",
"すみません"
],
[
"好いとも、なんだね",
"親子を二つ執ってもらいたいが",
"好いとも"
],
[
"おとり膳でやろうと云うのだね",
"まあ、そんなもんだね"
],
[
"今日はまんが好かったよ、ちょと好い女だろう",
"好い、好い、あれならしこたま入るのだね、やっぱり田舎かい",
"そうさ、水戸のさきから飛び出して来たと云うのだ",
"口はあるかい",
"千葉の方にも、このあたりにもあるよ",
"彼奴は、三百両から下ではだめだぜ",
"そうだな、こっちのほうの口なら、それくらいは出すだろう、しかし、まだ海のものとも山のものとも判らないや"
],
[
"なに、新ちゃんの手にかかっちゃ、のがれっこはないさ、新ちゃんと来ちゃ、凄腕だからね、今度はうんとおおごりよ",
"おごるとも、だから、親子を頼んだよ"
],
[
"あなたの名は何と云うのです、名を聞くことを忘れてたのですが",
"わたし、わたしは佐藤秀子と申します",
"ああ、佐藤秀子さんですね",
"年は幾歳です",
"二十歳になります"
],
[
"ここへ置きますよ、お茶も持って来ました",
"ありがとう"
]
] | 底本:「日本怪談大全 第一巻 女怪の館」国書刊行会
1995(平成7)年7月10日初版第1刷発行
底本の親本:「日本怪談全集 第一巻」改造社
1934(昭和9)年
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年3月8日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "052282",
"作品名": "女の首",
"作品名読み": "おんなのくび",
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[
[
"杖頭もないのに厭なこった",
"まあ、そんなことを云わずに往こうじゃないか、今晩はきっと美人がいるぜ",
"杖頭がないのに、美人を見たら、尚おいけない、厭だ、厭だ",
"人のすすめる時には往くものだよ",
"厭だ、厭だ、人の汗なんか嗅いで歩るくのは、御苦労なこった"
],
[
"どうして、何かあったのか",
"君等が出て往った後で、蚊帳へ入って、少し睡って、今度眼を覚まして枕頭を見ると、蚊帳の外に女が坐っていた"
],
[
"だからいっしょに出よと云うに出ないからだよ",
"とにかく、僕は厭だ、君等が出ないなら、僕一人で出て往くよ"
]
] | 底本:「日本怪談大全 第二巻 幽霊の館」国書刊行会
1995(平成7)年8月2日初版第1刷発行
底本の親本:「日本怪談全集 第二巻」改造社
1934(昭和9)年
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年5月22日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "052285",
"作品名": "女の姿",
"作品名読み": "おんなのすがた",
"ソート用読み": "おんなのすかた",
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"初出": "",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2012-07-05T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-16T00:00:00",
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"人物ID": "000154",
"姓": "田中",
"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "日本怪談大全 第二巻 幽霊の館",
"底本出版社名1": "国書刊行会",
"底本初版発行年1": "1995(平成7)年8月2日",
"入力に使用した版1": "1995(平成7)年8月2日初版第1刷",
"校正に使用した版1": "1995(平成7)年8月2日初版第1刷",
"底本の親本名1": "日本怪談全集 第二巻",
"底本の親本出版社名1": "改造社",
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[
[
"これ、これ、",
"あ、二つ、ね、",
"うん、"
],
[
"なにかおあつらへを、",
"野菜サラダが出来るかね、",
"出来ますわ、",
"ぢや、それと、ナマを貰はうか、",
"はい、ナマと野菜サラダでございますね、"
],
[
"あの晩も蝶が来ましたね、蝶と御縁がありますのね、",
"ああ、さうだね、この間も来たね、しかし、蝶と御縁があつたところで仕方がない、姐さんとでなくつちや、",
"御戯談ばつかり、"
],
[
"まだ飲むの、そんなに飲んでて、",
"ふざけるない、"
],
[
"可哀想だから、帰りに逃がしてやらうと思つて、此所へ、ね、",
"まあ、"
],
[
"なあに、お酒、お酒をつけるの、",
"お前さんぢやねえや、お幸ちやんだ、",
"随分だわ、ね、私だつて好いぢやないの、",
"いけねえ、あのお嬢さんのよそ行の恰好が見たいんだ、"
],
[
"お早いぢやありませんか、どうぞごゆつくり、",
"これから、ちよいちよいやつて来るよ、",
"どうかお願ひ致します、"
],
[
"行つても構はないこと、",
"行かう、誰にも会はないやうに行けば好いだらう、"
],
[
"おや、月がありますのね、",
"もう、梅雨もあがるかも判らないのね、"
],
[
"もうなにも宜しうございます、直ぐお暇いたしますから、",
"あんたの家のやうな御馳走ではないが、ちよいと好いもんだよ、花から取つた物だと云ふんだ、"
],
[
"では戴きます、",
"飲んで御覧、なんでもないよ、"
],
[
"どうだね、ちよいと好い物だらう、",
"本当に好い匂ですこと、"
],
[
"もう、どうぞ、店をそのままにしてありますから、直ぐ失礼します、",
"さうだ、あれが好い、一つ友達から土産に貰つた化粧箱がある、あれをあげよう、",
"もう、どうぞ、何も沢山でございます、",
"好いぢやないか、人に貰つた物だ、"
],
[
"そんな物を戴いてはすみません、",
"好いぢやないか、あんたが構はないなら取つて行つたら好いだらう、",
"でもあんまりですわ、"
],
[
"誰かゐるやうぢやなくて、",
"誰がゐるもんかね、この室には誰も来ないから大丈夫だよ、",
"でも、何だか話をしてゐたやうですわ、",
"そんなことがあるもんか、さあ、お出でよ、"
],
[
"誰もゐないぢやないか、誰がゐるもんかね、",
"でも、蒲団があるぢやなくつて、",
"蒲団はさつき客に出して、そのままになつてゐるんだ、"
],
[
"おや、蛾がゐるんですよ、",
"何所に、",
"お蒲団の上にですよ、",
"さうかね、"
],
[
"お幸ちやん、お客さんよ、",
"た、ア、れ、"
],
[
"どうかなさいまして、",
"すこし焼傷をしてね、",
"それは、いけませんね、"
],
[
"お痛みになりますか、",
"大したことはないがね、どうかすると痛いよ、",
"ひどいお怪我でしたか、",
"大したこともないが、それでもちよいと焼いたよ、",
"それはいけませんね、",
"今日はソーダ水を貰はうか、"
],
[
"では、失敬する、大事になさいよ、",
"はい、どうぞ、貴君こそお大事に、"
]
] | 底本:「伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典」学研M文庫、学習研究社
2003(平成15)年10月22日初版発行
底本の親本:「黒雨集」大阪毎日新聞社
1923(大正12)年10月25日
入力:川山隆
校正:門田裕志
2009年8月12日作成
2012年5月24日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "047995",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字旧仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2009-09-10T00:00:00",
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"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
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"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典",
"底本出版社名1": "学研M文庫、学習研究社",
"底本初版発行年1": "2003(平成15)年10月22日",
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"XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2012-05-24T00:00:00",
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"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
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} |
[
[
"お粥が出来がよくないよ、",
"なに、やはらかくなつてるなら好い、すまねえな、小母さんがまた何か云つたんぢやないか、",
"お母さんは、今晩、山田さんの婚礼へ、呼ばれて行つたから、ゐないよ、",
"あァさうか、山田の信次郎さんの婚礼か、信次郎さんは、俺より二ツ下だから、廿二だな、",
"あなたも早く、好いお嫁さんをお貰ひよ、",
"俺か、俺よりか、お前の方はどうだ、お前が早くお嫁に行くなり、婿を取るなりしなくちやいかんぢやないか、",
"私なんか駄目よ、"
],
[
"どうした、",
"誰か人が来たやうよ、",
"あれは、風だよ、",
"そうだらうか、"
],
[
"小母さんも、芳さんもゐなかつたやうだが、何所かへ行つたかね、",
"お母さんは、芳を連れて、林さんとこの、たのもしに行つたよ、ちよつと帰りやしないから家へお出でよ、",
"行つても好いが、また帰つて来て、厭味を云はれるからね、",
"大丈夫よ、",
"その大丈夫が、時々大丈夫ぢやないぢやないか、",
"ではどうする、",
"氏神さんの方へ行かう、彼所なら、ゆつくり話が出来る、",
"何時かのやうに、若衆に見付かりはしない、",
"大丈夫だよ、"
],
[
"芳松を一人前の男にしてやるためだ、お前も諦めろ、好いか、家のことを忘れてはならんぞ、",
"で、源ちやんは、どうする、",
"どうするもんか、俺も今云つたやうに、樺太へ人夫に雇はれて行く、",
"何時行くの、",
"明日の朝、一番の馬車で、停車場まで行くことにして、馬車屋へ行つて、もう約束をして来た、",
"私も一緒に行きたい、行つては悪い?",
"連れて行つて好いやうなら、お前の家のことを思はないなら、どんなことでもして、お前と一緒になる、それも芳公さへなけりや、どうでも好いが、芳公が可愛想だ、俺も諦めた、お前も諦めろ好いか、家のためぢや、つまらん気を出してはいかんぞ、",
"あい、",
"では、もう別れよう、俺は池の傍を通つて帰る、お前は鳥居を抜けて行くが好い、"
],
[
"源ちやん、",
"なんだ、",
"源ちやん、",
"もう好い、何も云ふな、綺麗に別れよう、"
],
[
"源ちやん、",
"よし、判つた、云ふな、もう何事も心の中に押し付けてしまはう、"
],
[
"お高、",
"源ちやん、"
],
[
"母さんから、何かことづけはなかつた、着物のことは何も云はなかつた、",
"着物は、明後日でないと出来ないから、出来次第、お母が持つて来ると云つてたよ、",
"さう、その他に、何もことづけはなかつた、",
"何も云はなかつたよ、……源吉さんが病気だ、",
"どんな病気、何時から、",
"昨日の晩から妙な病気になつて、たはことを云つてると、お母が云つたよ、",
"たはことつて、どんなことを云つてるだらう、熱でもあるだらうか、",
"人夫から戻つて、仕事もせずに、酒ばかり飲んで、のらこいてるから、何か悪い物にとツツかれたものだらうと、お母が云つたよ、"
],
[
"源吉さんは、この頃、人の寝た後にも、お宮の中を歩いたり、海の方へ来たり、馬鹿のやうに、ひよいひよい歩いてるから、狐にでもとツツかれたもんだよ、",
"お前も、源ちやんの歩いてるところを、見たことがある、",
"俺は見ない、お母や、前の小母さんが話しをしたよ、"
],
[
"源ちやんは、家へ来る、",
"来ないよ、"
],
[
"貴様は、あの怪物か、やつて来たな、",
"私は、お高ですよ、気を沈めておくれ、"
],
[
"源ちやん、源ちやん、気を確に持つておくれ、お高だよ、",
"そのお高が怪物だ、一昨日の晩、正体を見届けた、怪物奴、",
"怪物ぢやないよ、お高だよ、気を確に持つておくれよ",
"まだそんなことを云ふか、怪物奴、",
"まア、お前さんは、"
],
[
"何故、そんなことを云ふの、お高だよ、怪物ぢやないよ、",
"怪物だ、正体をちやんと見届けてあるぞ、",
"何を見届けたの、云つておくれ、何んで私が、怪物だよ、",
"怪物だ、怪物と云つたら怪物だ、"
],
[
"病気だよ、お前さん、病気だから、そんなことを云ふんだよ、早く病気を癒しておくれ、",
"まだ、そんなことを云ふか、この怪物、殺してしまうぞ、"
],
[
"殺されても好いよ、私は殺されても好いが、お前さんの病気が心配だ、早く癒しておくれよ、お金は私がどうでもする、",
"この怪物、本当に殺してしまふぞ、"
],
[
"夢を見たのか、",
"ええ、厭な夢を見ました、",
"どんな夢だ、"
],
[
"おい、おい、どうした、どうした、",
"大変です、大変です、助けてください、",
"夢だよ、夢だよ、夢を見てゐるから、起きるが好い、",
"助けてください、助けてください、殺しに来たんですよ、殺しに、",
"夢だよ、夢だよ、夢を見てゐるんだよ、それ、夢だから覚めるが好い、"
],
[
"夢だよ、夢を見てゐたんだ、誰が殺しに来るもんか、",
"夢でせうか、",
"夢だよ、誰に追つかけられたんだ、"
],
[
"何人だ、お高さんとこのおつ母か、",
"よく覚えてるな、畜生、鬼、何の恨みがあつてお高を殺したんだ、云つてみろ"
],
[
"この鬼、畜生、何の恨みがあつてお高を殺した、さア云へ、その恨みを云へ、",
"小母さん、お前は何を云ふんだ、俺がお高さんを殺した、",
"白ばくれるな、その手でお上を欺したらう、本当なら、手前は人を殺したから殺される所だが、偽狂人になりやがつて、俺はその手には乗らんぞ",
"小母さん、それでは俺がお高さんを殺したのか、",
"白ばくれるな、鬼、畜生、偽狂人になつて、よくもよくも殺したな、お高の仇は俺が打つぞ、"
]
] | 底本:「伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典」学研M文庫、学習研究社
2003(平成15)年10月22日初版発行
底本の親本:「黒雨集」大阪毎日新聞社
1923(大正12)年10月25日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:川山隆
校正:門田裕志
2009年8月12日作成
2012年5月24日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[
[
"よいしょウ、よいしょウ",
"おもいぞ、おもいぞ",
"いそぐな、いそぐな",
"急いでもわれんぞ、急ぐな急ぐな",
"居るぞう、居るぞう",
"怕いぞ、怕いぞ"
],
[
"お聞きになりましたか",
"何じゃ",
"今、人足が云った事でございますが",
"何と云った",
"居るとか怖いとか、口ぐちに云っておりましたが",
"あれか、あれは何じゃ",
"あれは、彼の釜礁の事でございます"
],
[
"釜礁がどうしたのか",
"此の二三日、彼の釜礁は、竜王が大事にしておるから、とても破れない、また破っておいても、翌日になると、元のとおりになっておるとか、いろいろの事を云っております",
"そうか、そんな事を云っておるか"
],
[
"在りますか",
"在るとも"
],
[
"どうした事じゃ",
"礁の上から転びました",
"転んだぐらいで、そんな負傷をしたか",
"物の機でございましょう、下に鋸の歯のようになった処がございまして、その上へ落ちたものでございますから",
"そうか"
],
[
"それは可哀そうな事をした、早く役所へ伴れて往って手当をしてやれ",
"虎馬の方は此方でもよろしゅうございますが、銀六の方は、安田へ往かんと手当ができませんから、いっその事、二人を伴れて往かそうと思いますが",
"そうか、それがええ、それでは早いがええ"
],
[
"うむ",
"妙な事を云う者がございますよ",
"どんな事じゃ",
"どんなと云いまして、妙な事でございますが、旦那はお聞きになっておりませんか"
],
[
"あれじゃないか",
"あれとは、あれでございますか",
"礁の事じゃないか",
"何人かにお聞きになりましたか",
"聞いたと云う理でもないが、釜礁の事じゃろう"
],
[
"今、総之丞から聞いたが、何か確乎した事を見た者でもあるか",
"乃公が見たと云う者はありませんが、妙な事を云いますよ",
"どんな事を云っておる",
"取りとめのない事でございますが、礁へ石鑿を打ちこむと、血が出たとか、前日に欠いであった処が、翌日往くと、元の通りになっておったとか、何人かが夜遅く酔ぱらって、此の上を歩いておると、話声がするから、声のする方へ往ってみると、彼の礁の上に小坊主が五六人おって、何か理の解らん事を云っておるから、大声をすると河獺が水の中へ入るように、ぴょんぴょんと飛びこんだとか、いろいろの事を云いまして",
"うむ",
"それに二三日、負傷をする者がありますから、猶更、此の礁は竜王様がおるとか、竜王様の惜みがかかっておるとか申しまして",
"そうか",
"それに、一昨日も昨日も負傷はしましたが、石の破片が眼に入ったとか、生爪を剥がしたとか、鎚で手を打ったとか、大した事もございませざったが、今日はあんな事が出来ましたから、皆が怕がって仕事が手につきません。私も傍におりましたが、二人で礁の頂上へあがって玄翁で破っておるうちに、どうした機かあれと云う間に、二人は玄翁を揮り落すなり、転び落ちまして、あんな事になりましたが、銀六の方は、どうも生命があぶのうございます",
"どうも可哀そうな事をしたが、あれには両親があるか",
"婆と女房と、子供が一人ございます",
"田畑でもあるか",
"猫の額ぐらい菜園畑があるだけで、平生は漁師をしておりますから",
"そうか、それは可哀そうじゃ、後が立ちゆくようにしてやらんといかんが、それはまあ後の事じゃ、とにかく本人の生命を取りとめてやらんといかん",
"そうでございます",
"それから、一方の手を折った方は、あれは生命に異状はなかろう",
"あれは、安田の柔術の先生にかかりゃ、一箇月もかからんと思います",
"しかし、可哀そうじゃ、大事にしてやれ、何かの事はつごうよく取りはかろうてやる",
"どうもありがとうございます"
],
[
"松蔵",
"へい"
],
[
"松蔵、岩から血が出るの、小坊主が出るのと云うのは、迷信と云うもので、そんな事はないが、神様は在る。神様はお在りになるが、神様は決して邪な事はなさらない、神様は吾われ人間に恵みをたれて、人間の為よかれとお守りくだされる。従って良え事をする者は神様からお褒めにあずかる。此の港は、此の土佐の荒海を往来する船のために、普請をしておるからには、神様がお叱りになるはずはない。此の比暫く大暴風もせず、大波もないが、これは神様のお喜びになっておる証拠じゃ。それに此の普請は、此の釜礁を砕いてしまえば、すぐにりっぱな港になる。一日でも早くりっぱな港を作ることは、神様はお喜びにこそなれ、お叱りになることはないと思うが、其の方はどう思う",
"へい"
],
[
"判ります",
"それでは、礁を破るに憚る事はないぞ",
"そりゃ、そうでございます",
"それが判ったなら、皆に其の事を云え",
"云いましょう、云います",
"云え、云い聞かせ",
"へい"
],
[
"話がすんだようでございますが",
"うん"
],
[
"かからんようでございますが、話が判りますまいか",
"判らん、困ったものじゃ",
"愚な者どもでございますから、物の道理が判りません",
"うん"
],
[
"何か用か",
"用どころか、お殿様じゃ"
],
[
"なに、おとのさま",
"二十人も三十人も馬に乗って、氏神様のお神行のようじゃ",
"藩公が来られたか",
"はんこうか、鮟鱇か知らんが、高知の城下から来たそうじゃ",
"真箇か。真箇ならお出迎いをせんといかんが",
"早川さんが、早く往って呼うで来いと云うたよ、早川さん、歯の脱けた口をばくばくやって、周章てちょる",
"くだらん事を云うな"
],
[
"これは御家老様でございますか",
"おお、権兵衛か",
"承わりますれば、殿様がお成りあそばされたそうで、さぞお疲れの事と存じます",
"なに、急に御微行になられる事になって、今朝城下を出発したが、かなりあるぞ",
"二十里でございますから、お疲れになられましたでございましょう、それで殿様は",
"東寺へずっとお成りになった"
],
[
"それでは、私もこれからお御機嫌を伺いにあがります",
"今日は来いでもええ、明日此処へお成りになる事になっておる",
"さようでございますか、それでは、今日はさし控えておりましょうか"
],
[
"お呼びになりましたか",
"呼んだ",
"何か御用でございますか",
"総之丞はおるか",
"浜の方へ出て往きましたが、何か御用が",
"それじゃ、総之丞でなくてもええ、神様のお祭をするから、白木の台と、あ、台は普請初めの時にこしらえたものがある、それから雉子か山鳥が欲しいが、それは無いかも知れんから、鶏の雌と雄を二羽買い、蜜柑も柿もあるまいから、芋でも大根でも、畑に出来る物を三品か四品。幣束も要る、皆と相談して調えてくれ",
"何時お祭をします",
"すぐ今晩するから急いでくれ",
"何処でします",
"港の口じゃ。供物が出来たら、港の口へ幕を張って、準備をしてくれ",
"よろしゅうございます"
],
[
"待て",
"へい",
"それから、供物の台は、沖の方へ向けて、つまり海の方へ向けるぞ",
"承知しました",
"普請初めの時のようにすればええ。判らん処があれば、総之丞が知っておる、総之丞に聞け",
"よろしゅうございます",
"それから、松明の準備もしておいてくれ"
],
[
"湯か",
"後がつかえるから、早う入ってもらいたいが",
"俺は今日は、入らん、今井さんに入れと云え",
"殿様が来ておるに、湯に入って垢を落とせばええに"
],
[
"あ",
"何事じゃ",
"何人じゃ",
"彼の鎧武者は"
],
[
"一木殿お疲れでございましょう、さあ、どうぞお食事を",
"飯は後でええ、此処をかたづけてくれ"
],
[
"礁がうまく除れておるじゃないか",
"そうでございますか、それは結構なことでございます",
"うむ"
],
[
"旦那、神様のお蔭がございますよ",
"そうか、割れるか",
"どんどん割れます、今、鬨の声があがりましたろう",
"あがった",
"あれでございますよ、最初なんか、児鯨ほどの物が割れましたよ",
"児鯨はぎょうさんなが、そうか、そうか、それはよかった",
"此のむきなら、十日もやれば、割れてしまいますよ",
"大きな礁じゃ、そう早くもいくまいが、緒口が立てば大丈夫じゃ"
],
[
"今日は暑いぞ",
"そうでございますよ、彼の波の音が曲者でございますよ",
"そうじゃ、波の音がいかんぞ"
],
[
"やっぱり早いな",
"これまで、普請で、仕事がありましたが、これから当にならん漁に出んとなりませんから、気が気じゃございませんよ",
"其のかわり漁があれば、一日で一箇月分の夫役になるじゃないか",
"それがなかなかそういきませんから、漁師は昔から貧乏と相場が定まっておりますよ",
"そうか、そうかも知れん"
],
[
"御存じでございませんか、今の男は、夫役に来て縄を綯うておりました者でございますが",
"そうか気が注かざったが、彼の鼻のひしゃげた老人か"
],
[
"五体が痺れた",
"痺れた、御病気でございますか",
"病気かも知れんがおかしいぞ",
"何か食物の啖いあわせではございますまいか",
"其の方たちと同じ物を啖ったじゃないか、他には何も啖わん、啖いあわせなら其の方だちも同じようになるはずじゃが",
"そりゃそうでございます。それでは、とにかく、気つけをあげましょう",
"そうじゃ、拙者の印籠に気つけがある、取ってくれ",
"よろしゅうございます"
],
[
"御苦労、御苦労",
"御気分は如何でございます",
"気分は何ともない、筋のぐあいであろう",
"それでは、馬にお乗りになりますか",
"馬には乗れまい、今日は引返そう"
],
[
"彼の時、馬にお乗りになったら、よかったかも知れませんよ",
"そうじゃ、馬に乗って往けば、そのうちに癒ったにきまっておる"
],
[
"気分は何ともない",
"それでは、また気つけでも",
"いや、待て"
],
[
"それでは、馬にお乗りになりますか",
"すこし考える事がある、気の毒じゃが、また戸板へ載せて引返してくれ"
],
[
"早速そういたしましょう、お願のかけっぱなしはいけません",
"それでは頼む"
]
] | 底本:「怪奇・伝奇時代小説選集3 新怪談集」春陽文庫、春陽堂書店
1999(平成11)年12月20日第1刷発行
底本の親本:「新怪談集 物語篇」改造社
1938(昭和13)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2004年9月25日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[
[
"お侍さん、どんなことがありました",
"今朝、山へあがる時に、茨の中から、猿とも嬰児とも知れない者が出て来て、俺の顔を見るなり、草の中へ隠れたから、今日は朝からみょうな日じゃと思っておったところが、この山の上へ往くと、鶴が松にとまっておる、鶴は捕られんことを知っておるが、他に何人もおらんし、かまうまいと思うて、焼き撃ちにするように撃って、手応えもあったが、鶴は平気な顔をして、動きもしなければ飛びもせん、朝のこともあるし、今日はろくなことはないと思うて、渓の方へおりかけてみると、その辺一面が雛壇になって、雛が一ぱいに見えるじゃないか、びっくりして、その雛壇を、この鉄砲で、叩き割りながらやって来たところが、この家が見えだすと、雛壇が無うなった、それにしても、今日はみょうなことだらけじゃ"
],
[
"ああ、もう帰る、今日はもう何をするのも厭になった",
"それがよろしゅうございます、こんな日に、ぐずぐずしよると、まちがいが起らんものでもありません、早うお帰りなさいませ",
"帰る、帰る、もう厭になった"
],
[
"もう一ぱい如何でございます",
"これはありがたい、では、もう一杯もらおうか"
]
] | 底本:「伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典」学研M文庫、学習研究社
2003(平成15)年10月22日初版発行
底本の親本:「日本怪談全集」改造社
1934(昭和9)年
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2010年10月20日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "045576",
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[
[
"お勤め御苦労に存じます、見らるるとおりの荒寺で、茶もろくろくおあげすることもできませんが、それで宜しければ、ゆっくり御逗留なさいますように",
"なに、粮米の用意もある、今晩一晩御厄介になれば、明日はすぐ出発します"
],
[
"お前さんは、私の顔に見覚えはないのか",
"ありません"
],
[
"厨の隅に生血の附いた脚絆があったから、坊主を押えて詮議しようとすると、坊主が逃げ出したから、押えて縄をかけました",
"女はどうした",
"あれも逃げようとしますから、いっしょに縄をかけました"
],
[
"此処は何処でございましょう、私はどうしております",
"お前は勝沼在の寺にいる、どうした、この様は"
]
] | 底本:「日本の怪談」河出文庫、河出書房新社
1985(昭和60)年12月4日初版発行
底本の親本:「日本怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年初版発行
入力:大野晋
校正:松永正敏
2001年2月23日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 | {
"作品ID": "001611",
"作品名": "怪僧",
"作品名読み": "かいそう",
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"作品著作権フラグ": "なし",
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"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "日本の怪談",
"底本出版社名1": "河出文庫、河出書房新社",
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} |
[
[
"ああ君か",
"君は、いったい此所で何をしているのだ"
],
[
"散歩に来たところなのだ",
"そうかね、じゃ、いっしょに帰ろうじゃないか"
],
[
"水仙廟で逢った公主というのですか",
"そうでございます、公主から貴郎のお供をしてくるようにという、お使いでございます",
"公主とは、どうした方です",
"いらしてくだされたら、お判りになります",
"では、行ってみましょう"
],
[
"此所は何所でしょう",
"此所は広寒香界でございます、あなたのような俗人は、長く此所にいることはできないのです、早くお帰りなさい"
],
[
"貴郎は、物に怖れない方だから申しますが、私は水仙王の娘で、荷の花の精でございます、貴郎が情の深いことを知りましたので、こうしてお眼にかかることになりましたが、私は舅さんの世話になっております、舅さんは非常に物堅い方ですから、もし舅さんに知られると、もうお眼にかかることができません、どうか舅さんに知られないように、夜そっといらして、朝も早く夜が明けない内に帰ってください",
"舅さんは、どうした方です",
"蟹の王ですよ、今この西湖の判官になっております"
],
[
"姪の室に人がきているというので、貴君とは知らずに大変無礼をいたした。時に貴君は何方の生れです",
"私は南昌の者で彭徳孚と申します",
"貴君は許婚の人でもありますか",
"ありません",
"では、良縁だ、私の姪と結婚して貰いたい"
],
[
"やあ",
"君は、いったい何所を歩いてるのだ、君の家から手紙がきたから、僕はこの間中、君の居所を捜していたのだよ"
],
[
"それはすまなかったね",
"では手紙を渡すよ"
],
[
"ありがとう",
"では明日にでもまた逢おう、やってきたまえ",
"ああ、行くよ"
],
[
"貴郎",
"お前か"
],
[
"家がなくなっているが、どうしたのだ",
"家が焼けたものですから、雷峰塔の下へ移りました",
"そうか、ちっとも知らなかった"
],
[
"私はこの子の成長を見ることができませんから、貴郎が好く面倒を見てやってください",
"何故そんなことを言うのだ",
"私は紫府の侍書でしたが、貴郎とこういうことになったために、その罪で黄岡の劉修撰の家の児に生れかわることになりました"
]
] | 底本:「中国の怪談(二)」河出文庫、河出書房新社
1987(昭和62)年8月4日初版発行
底本の親本:「支那怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2004年11月3日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "001642",
"作品名": "荷花公主",
"作品名読み": "かかこうしゅ",
"ソート用読み": "かかこうしゆ",
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"名読み": "こうたろう",
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"姓ローマ字": "Tanaka",
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"生年月日": "1880-03-02",
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"底本名1": "中国の怪談(二)",
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} |
[
[
"今、来ていやはりましたやろ、あの人だす、上手でおますやろ",
"そうですか、あの姐さんですか"
],
[
"まだ好い女と云うてくれなはって",
"そうだす、姝な姐さん云いなはりやったわ、おごりなさい"
],
[
"何を覗いていやはります",
"琵琶が鳴っているように思ったから"
],
[
"姝な姐さんを覗いていやはりましたか、さっきまで弾いていやはりましたが、やめました",
"今、むこうから見ると弾いていたようですが",
"それはさっきだすやろ",
"おかしいな"
],
[
"私は帰る処ですが、おかまいなければ、これから私の家へ遊びに往きませんか、何人も他におりません、独身者ですから",
"かまいませんか",
"かまいませんとも、往きましょう"
],
[
"ここはどこですか",
"弁天島だよ、弁天島の姝な後家神に、いたぶられたろう、ぐずぐずしよると生命がないぜ"
]
] | 底本:「日本怪談大全 第一巻 女怪の館」国書刊行会
1995(平成7)年7月10日初版第1刷発行
底本の親本:「日本怪談全集 第二巻」改造社
1934(昭和9)年
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年3月8日作成
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "053860",
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"作品名読み": "かきぶね",
"ソート用読み": "かきふね",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"公開日": "2012-05-07T00:00:00",
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"名読み": "こうたろう",
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"姓ローマ字": "Tanaka",
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"底本名1": "日本怪談大全 第一巻 女怪の館",
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} |
[
[
"今、来てゐやはりましたやろ、あの人だす、上手でおますやろ、",
"さうですか、あの姉さんですか、"
],
[
"まだ好い女と言うてくれなはつて、",
"さうだす、綺麗な姉さん言いなはりやつたわ、おごりなさい、"
],
[
"何を覗いてゐやはります、",
"琵琶が鳴つてゐるやうに思つたから、"
],
[
"綺麗な姉さんを覗いてゐやはりましたか、さつきまで弾いてゐやはりましたが、やめました、",
"今、向ふから見ると弾いてゐたやうですが、",
"それはさつきだすやろ、",
"をかしいな、"
],
[
"私は帰る所ですが、お構ひなければ、これから私の家へ遊びに行きませんか、何人も他にをりません、一人者ですから、",
"構ひませんか、",
"構ひませんとも、行きませう、"
],
[
"此所は何所ですか、",
"弁天島だよ、弁天島の綺麗な後家神に、いたぶられたらう、ぐずぐずしよると生命がないぞ、"
]
] | 底本:「伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典」学研M文庫、学習研究社
2003(平成15)年10月22日初版発行
底本の親本:「黒雨集」大阪毎日新聞社
1923(大正12)年10月25日
入力:川山隆
校正:門田裕志
2009年8月12日作成
2012年5月24日修正
青空文庫作成ファイル:
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| {
"作品ID": "047994",
"作品名": "牡蠣船",
"作品名読み": "かきぶね",
"ソート用読み": "かきふね",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字旧仮名",
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"公開日": "2009-09-13T00:00:00",
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"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
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"没年月日": "1941-02-01",
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"底本名1": "伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典",
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} |
[
[
"厭伏ってどんなことですか",
"なんでもない、ちょいとしたことなのです、家へいらしてくださいますなら、すぐ解ります"
],
[
"私で能ることなら、往っても良いのですが",
"それはどうも有難うございます、どうかお願いいたします",
"何方ですか",
"すぐですが、車を持っておりますから"
],
[
"あの車ですか",
"そうでございます、どうかあれで"
],
[
"ここはどこですか",
"いらしてくだされたら、すぐお解りになります",
"そうですか",
"では、いらしてください、まいりましょう"
],
[
"私は盗尉部の下吏でございます",
"名は何という",
"――といいます",
"年は幾歳",
"――でございます",
"両親があるか",
"――――",
"毎日、どんなことをしてる、面白いことがあるか",
"貧乏で、食物のことに困っておりますから、面白いことはございません",
"食物に何故困る、何でも食べる物があるではないか",
"それが貧乏人でございますから",
"それでは、私が困らないようにしてあげよう、お前には家内があるか",
"家内もございません、貧乏でございますから、持つことが能ません",
"それは可哀そうである",
"は",
"これから、もう何も困ることはない、私が幸せにしてあげる",
"有難うございます",
"そんなに、頑くるしくしないが良い、お前とは天縁がある"
],
[
"お前、もう飽いたならあっちへ往こう",
"は"
],
[
"その仙妃というのは、どんな女であったのか、美しい女であったか",
"あまり美しい女ではありません、背の低い肌の青黒い女でありました",
"他にどこか、これという特徴があったか"
]
] | 底本:「中国の怪談(一)」河出文庫、河出書房新社
1987(昭和62)年5月6日初版発行
底本の親本:「支那怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年11月30日発行
入力:Hiroshi_O
校正:門田裕志、小林繁雄
2003年8月3日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "001626",
"作品名": "賈后と小吏",
"作品名読み": "かこうとしょうり",
"ソート用読み": "かこうとしようり",
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"分類番号": "NDC 913 923",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2003-08-19T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
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"姓": "田中",
"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
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"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "中国の怪談(一)",
"底本出版社名1": "河出文庫、河出書房新社",
"底本初版発行年1": "1987(昭和62)年5月6日",
"入力に使用した版1": "1987(昭和62)年5月6日初版",
"校正に使用した版1": "1987(昭和62)年5月6日初版",
"底本の親本名1": "支那怪談全集",
"底本の親本出版社名1": "桃源社",
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"テキストファイル最終更新日": "2003-08-03T00:00:00",
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} |
[
[
"其処に老人がいると聞いておるが、達者だろうか",
"老爺はもう死んで五六年になるが、老婆はまだぴんぴんしておりますが、その老婆という奴がみょうな奴で、息子の嫁をまぜだしたりして、村でもとおり者でございます"
],
[
"私は佐喜の浜の鍛冶屋へ、馬の靴を打ってもらいに往きよるが、あすこのお婆さんは達者かな",
"庄鍛冶の老婆か、彼奴は達者すぎて、庄が困っておる"
],
[
"鍛冶屋さんは知るまいが、私は昔この辺に来たことがあるから、お前さんの家も好く知っておる、お父さんもお母さんも、まだに達者かな",
"親爺は、六年前に死にましたが、母はまだ生きております",
"そうか、お父さんは年に不足もなかろうが、それは惜しいことをした、お母さんは達者かな",
"どうも達者すぎてこまります",
"それは目出たい、今日は留守のようだな",
"いや、昨夜、遅く便所へ往きよって、ひっくりかえって鍋で額を怪我して、裏の木炭納屋で寝ております",
"なに、鍋で額を切った、よっぽど切ったかな",
"私は眠っておって知らざったが、母が起すから庭へおりてみると、額を切ったと云うて、衣を破いて巻いておりました、我慢の強い人じゃから、見せえと云うても見せませんが、今日は飯も少ししか喫わんところを見ると、よっぽど切ってたろうと思いますが、見せんからこまります"
],
[
"それはいかん、どうかして、傷を見てから、薬をつけんといかん、私の印籠の中には、好い金創の薬があるから、つけてあげよう",
"そうですか、それはありがとうございます、どうかつけてやってつかあされませ",
"好いとも、それじゃ、これから二人で往って、私がつけてあげよう",
"それはどうもありがとうございます"
]
] | 底本:「日本の怪談(二)」河出文庫、河出書房新社
1986(昭和61)年12月4日初版発行
底本の親本:「日本怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「一面に物騒がしくがさがさと鳴りだした」「土佐の方へ往く者」の箇所は、それぞれ底本では「一面に物騒がしくがさがさがと鳴りだした」「土佐の方へ住く者」でしたが、親本を参照して直しました。
入力:Hiroshi_O
校正:小林繁雄、門田裕志
2003年8月2日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "003677",
"作品名": "鍛冶の母",
"作品名読み": "かじのはは",
"ソート用読み": "かしのはは",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2003-08-17T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/card3677.html",
"人物ID": "000154",
"姓": "田中",
"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "日本の怪談(二)",
"底本出版社名1": "河出文庫、河出書房新社",
"底本初版発行年1": "1986(昭和61)年12月4日",
"入力に使用した版1": "1986(昭和61)年12月4日初版",
"校正に使用した版1": "1986(昭和61)年12月4日初版 ",
"底本の親本名1": "日本怪談全集",
"底本の親本出版社名1": "桃源社",
"底本の親本初版発行年1": "1970(昭和45)年",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
"入力に使用した版2": "",
"校正に使用した版2": "",
"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "Hiroshi_O",
"校正者": "小林繁雄、門田裕志",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/files/3677_ruby_11932.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2003-08-02T00:00:00",
"テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"テキストファイル文字集合": "JIS X 0208",
"テキストファイル修正回数": "0",
"XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/files/3677_11951.html",
"XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2003-08-02T00:00:00",
"XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"お種はそこで、何をぼんやりしよる、はよう飯を喫たらいいじゃないか",
"うウ"
],
[
"はよう飯を喫て、与平さんのところに湯が沸いたと云うから、もろうて入って来た",
"あい"
],
[
"今晩は、ふだんのように飯を喫わんが、心地でもわるいか",
"わるうない、なんともない"
],
[
"なんともなけりゃ、これから往て、湯に入って来た",
"あい",
"おそうなったら、湯がきたのうなる、はやいがいい",
"あい"
],
[
"嫌やせんよ",
"嫌わなけりゃ、私の話を聞いてもらいたい"
],
[
"どんな話",
"べつにどんな話でもない、こちへ来てみい",
"何処へ往く",
"此処でいい、もすこし中へはいり、人に見える",
"いやよ、そんな処へ往くは、用事があるなら翌日の午聞く"
],
[
"いや、なにをする",
"そんなに嫌うもんじゃないよ"
],
[
"どうしたろう",
"この二三日、どうもおかしい"
],
[
"一枚二枚はめんどうじゃないか、明日またいっしょに洗うたらいいじゃないか",
"いっしょになったらうるさい、洗うてくる",
"お前がうるさいなら、わしが洗うてやる、今日はやすんだら、どう、麦を刈る時分は時候がわるい、やすんだらいいじゃないか",
"ついでに洗うてくる"
],
[
"それなら洗うて来た、はようもどったよ",
"あい"
],
[
"はようもどったよ",
"あい"
],
[
"池を見よ",
"池でどんなことがあるかも判らん"
],
[
"なるほど櫛じゃ",
"何人か見覚えはないか"
],
[
"どうしても他じゃない",
"どうしてあげる",
"鉤のようなものを入れるか",
"はやけりゃ助かるかも判らん",
"何人か胆力の強い者はないか、入ってもらいたいが"
],
[
"そうか入ってくれるか",
"そりゃいい"
]
] | 底本:「日本の怪談(二)」河出文庫、河出書房新社
1986(昭和61)年12月4日初版発行
底本の親本:「日本怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:Hiroshi_O
校正:小林繁雄、門田裕志
2003年7月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
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[
[
"や、これはお坊さんだな、まあ、どうかお掛けなさい",
"ちょっと覗かしてもらいます"
],
[
"今日は負けるはずじゃなかったが、どうした",
"どうも"
],
[
"お坊さん、どうだね、私はどうも駄目だ",
"私も好きだが、どうも下手でな",
"同じ対手より、ちがった対手が面白いものじゃ、ひとつやったらどうだな"
],
[
"ひとつ願いましょうか",
"とてもお対手になりますまいが"
],
[
"それはいかん、私が先で往く",
"まあ、今度はこれで願いましょう"
],
[
"では、またお対手が願えますな、なんなら明日あたり、またお対手が願えますまいか",
"まいりましょう、私は碁と聞くとたまらない、明日も明後日も、気が向いたら、毎日でも来てお対手をしましょう",
"それはかたじけない、私は退屈で毎日困っておるところじゃで",
"では、復た明日お目にかかります"
],
[
"何か坊主について、かわった話でもあるかな",
"へえ、おかしな話がありますよ、この山の中に、怪しいお坊さんがいて、そのお坊さんのことを云う者があると、そのお坊さんに生命を奪られると云いますが、それがどんなことやら、べつに何人が生命を奪られたと云う者もなければ、そのお坊さんを見たと云う者もないが、そんな噂をする者がありますよ",
"そうかな、まあ、まあ、怪しい坊主でも、碁が上手なら良いな"
],
[
"何時も私の方へばかり来ていただいてはすまない、ぶらぶら遊びかたがた、私も一度伺いたいと思うておるが",
"私の庵は、山の中の狼や狐のおる処で、べつに眺望も何もない、厭な処だから、どうか来るのはよしてくだされ",
"御迷惑ならなんだが、一度私からも伺わないとすまないから",
"いや、その御心配は無用にしてくだされ、私の処は、とても人の来る処じゃないから、折角だがそれはお断りしておきます",
"そうですかな"
],
[
"どこだ",
"あすこでございます"
],
[
"どなたでございます",
"毎日、俺の処へ碁を打ちに来るお坊主さ",
"あのお坊さんは、お寺にはおりませんか",
"寺にはいない、庵におるそうだ、ついするとあすこかも判らない、往ってみようか、山番の小屋だったところで、良いじゃないか、どうせ腹こなしだ"
],
[
"もし、もし、しょうしょう、伺います",
"どなた"
],
[
"いや、わざわざ参ったのではござらんが、今日は、貴殿が見えられないし、退屈でたまらないから、若党を伴れて、眺望の佳い処へ参ろうと思い、この下の谷の処まで来るとこの庵が眼に注き、貴殿のことを思いだして、ついこうした処におられるかと思って、立ち寄った次第だ",
"じゃ、まあ、まあ、おあがりくだされ、お茶でもさしあげよう"
],
[
"これを、あの仏壇の中へ入れてくれ",
"へい"
],
[
"どうした",
"首がございます、生首が",
"そうか"
],
[
"今まで火があった釜だで、すぐ沸く",
"どうか、もうすぐお暇をするから、おかまいないように"
],
[
"では、一杯いただいてから、すぐお暇をしよう",
"まあ、まあ、そう急がなくても",
"いや、路が面倒だから、すぐお暇をします",
"そうかな"
],
[
"ひどく御厄介をかけたが、これでお暇します、また明日でもお暇があれば、手合せを願います",
"それではお帰りかな、じゃ、また明日でも伺おう"
],
[
"お前はどうした",
"私は捨てました",
"そうか、捨ててよかった、あんな処の茶なんか、決して飲むのじゃない、俺も飲むふりをして、捨ててしまった"
],
[
"今日は、豪い目に逢うた、主翁、お前は、あの毎日碁を打ちに来る坊主を、何んと思う",
"何か御覧になりましたか",
"見たとも、あの庵へ通りかかって、たいへんなものを見たぞ"
],
[
"そ、それを云ってはなりません、あなたはきっと不思議な目にお逢いなされたでしょう、何もおっしゃらずに、すぐここをお発ちになるが宜しゅうございます、決して何人にも云ってはなりません、そのことを云うと、生命にかかわります",
"それにしてもおかしいじゃないか",
"ま、ま、もう、そんなことを云っては、駄目でございます、私は決して嘘を申しません、早く早く"
],
[
"俺が帰ることをどうして知った",
"昨日、四十位のお坊さんが来て、門番の衆に、こちらの旦那様は、箱根から急にお帰りになってるから、明日はお邸へお帰りになる、私は頼まれてそれを知らせに来たと申しますから、急にお迎えにあがりました",
"なに四十位のお坊さん",
"黒い破れた法衣を着たお坊様でございます"
]
] | 底本:「伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典」学研M文庫、学習研究社
2003(平成15)年10月22日初版発行
底本の親本:「日本怪談全集」改造社
1934(昭和9)年
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2010年11月13日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[
[
"そうです、ここを往って、突きあたりを左へ折れて往きますと、すぐ、右に曲る処がありますから、そこを曲ってどこまでもまっすぐに往けば、電車の終点です、私も電車へ乗るつもりです",
"どうもありがとうございます、この前に私の親類もありますが、この道は、一度も通ったことがありませんから、なんだか変に思いまして……、では、そこまでごいっしょにお願いいたします"
],
[
"往きましょう、おいでなさい",
"すみませんね"
],
[
"そうですね、悪い道ですね、あなたはどちらからいらしたのです",
"山の手線の電車で、この前へまでまいりましたが、市内の電車の方が近いと云うことでしたから、こっちへまいりました、市内の電車では、時どき親類へまいりましたが、この道ははじめてですから",
"そうですか、なにしろ、場末の方は、早く寝るものですから"
],
[
"ほんとうにお淋しゅうございますのね",
"そうですよ、僕達もなんだか厭ですから、あなた方は、なおさらそうでしょう",
"ええ、そうですよ、ほんとうに一人でどうしようかと思っていたのですよ、非常に止められましたけれど、病人でとりこんでいる家ですから、それに、泊るなら親類へ往って泊ろうと思いまして、無理に出て来たのですが、そのあたりは、まだ数多起きてた家がありましたが、ここへ来ると、急に世界が変ったようになりました"
],
[
"こっちですよ、いくらか明るいじゃありませんか",
"おかげさまで、助かりました",
"もう、これから前は、そんなに暗くはありませんよ",
"はあ、これから前は、私もよく存じております",
"そうですか、路はよくありませんが、明るいことは明るいですね",
"あなたはこれから、どちらへお帰りなさいます",
"僕ですか、僕は本郷ですよ、あなたは",
"私は柏木ですよ",
"それは大変ですね",
"はあ、だから、この前の親類へ泊まろうか、どうしようかと思っているのですよ"
],
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"そうですな、もう遅いから、親類でお泊りになるが好いのでしょう、そこまで送ってあげましょう",
"どうもすみません",
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"では、すみませんが",
"その家はあなたが御存じでしょう"
],
[
"このつぎの横町を曲って、ちょっと往ったところです、すみません",
"なに好いのですよ、往きましょう"
],
[
"僕はここにおりますから、お入りなさい、あなたがお入りになったら、すぐ帰りますから",
"まあ、ちょっと姉に会ってください、お手間はとらせませんから",
"すこし、僕は用事がありますから",
"でも、ちょっとならよろしゅうございましょう"
],
[
"ありがとうございます、が、今晩はすこし急ぎますから、ここで失礼いたします",
"まあ、そうおっしゃらずに、ちょっとおあがりくださいまし、お茶だけさしあげますから",
"ありがとうございます、が、すこし急ぎますから",
"待っていらっしゃる方がおありでしょうが、ほんのちょっとでよろしゅうございますから"
],
[
"もう、そんな堅くるしいことは、お互によしましょう、私はこうした一人者のお婆さんですから、お嫌でなけりゃこれからお朋友になりましょう",
"僕こそ、以後よろしくお願いいたします"
],
[
"お嬢さんは、なんだかお気もちが悪いから、もすこしして、お伺いすると申しております",
"気もちが悪いなら、私がお対手をするのだから、よくなったらいらっしゃいって"
],
[
"もうどうぞ、すぐ失礼しますから",
"まあ、およろしいじゃありませんか、何人も遠慮する者がありませんから、ゆっくりなすってくださいまし、このお婆さんでおよろしければ、何時までもお対手をいたしますから"
],
[
"折角のなんですけれど、僕は、すこし、今、都合があって急いでいますから、これを一ぱいだけ戴いてから、失礼します",
"まあ、そんなことをおっしゃらないで、こんな夜更けに何の御用がおありになりますの、たまには遅く往って、じらしてやるがよろしゅうございますよ"
],
[
"どんなことです、僕は非常に急いでるのですから、こちらの奥さんの止めるのも聞かずに、逃げて帰るところですから、なんですか早く云ってください、どんなことです",
"ここではお話ができませんから、ちょっと次の室へいらしてください、ちょっとで好いのですから"
],
[
"では、ちょっとなら聞いても好いのです",
"ちょっとで好いのですよ、来てください"
],
[
"そんなに邪見になさるものじゃありませんよ",
"なんですか",
"まあ、そんなにおっしゃるものじゃありませんよ、あなたは、家の奥さんの心がお判りになったのでしょう",
"なんですか、僕にはどうも判らないのですが",
"そんな邪見なことをおっしゃらずに、奥さんは、お一人で淋しがっていらっしゃいますから、今晩、お伽をしてやってくださいましよ、こうして、お金が唸るほどある方ですから、あなたの御都合で、どんなことでも出来るのですよ",
"だめですよ、僕はすこし都合があるのですから",
"洋行でもなんでも、あなたの好きなことができるのじゃありませんか、私の云うことを聞いてくださいよ",
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"あんたは慾を知らない方ね",
"どうしても、僕はそんなことはできないのです",
"御容色だって、あんなきれいな方はめったにありませんよ、好いじゃありませんか、私の云うことを聞いてくださいよ",
"そいつはどうしてもだめですよ"
],
[
"だめです、僕はそんなことは厭だ",
"好いじゃありませんか、年よりの云うことを聞くものですよ"
],
[
"どうなったの、お前さん",
"だめだよ、なんと云っても承知しないよ",
"やれやれ、これもまた手数をくうな",
"野狐がついてるから、やっぱりだめだよ"
],
[
"強情はってたら、返してくれるとでも思ってるだろう、ばかな方ね、家の姉さんが見込んだ限りは、なんとしたって、この家から帰って往かれはしないよ、お前さんはばかだよ、私達が、こんなに心切に云ってやっても判らないのだね",
"強情はったら、帰れると思ってるから、おかしいのですよ、ほんとうにばかですよ、また私達にいびられて、餌にでもなりたいのでしょうよ"
],
[
"そんな無理なことを云うものじゃありませんよ、あなたの御用って、下宿に女の方が待ってるだけのことでしょう",
"そんなことじゃないのです",
"そうですよ、私にはちゃんと判ってるのですよ、その女よりか、いくら家の奥さんが好いか判らないじゃありませんか、ほんとうにあなたは、慾を知らない方ね、こっちへいらっしゃいよ、いくら逃げようとしたって、今度は放しませんよ、いらっしゃいよ"
],
[
"放してください",
"だめよ、男らしくないことを云うものじゃありませんよ"
]
] | 底本:「日本怪談大全 第一巻 女怪の館」国書刊行会
1995(平成7)年7月10日初版第1刷発行
入力:深町丈たろう
校正:小林繁雄
2002年12月3日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "001615",
"作品名": "蟇の血",
"作品名読み": "がまのち",
"ソート用読み": "かまのち",
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"副題読み": "",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2002-12-29T00:00:00",
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"姓": "田中",
"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "日本怪談大全 第一巻 女怪の館",
"底本出版社名1": "国書刊行会",
"底本初版発行年1": "1995(平成7)年7月10日",
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"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "深町丈たろう",
"校正者": "小林繁雄",
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[
[
"さうです、此所を行つて、突きあたりを左へ折れて行きますと、すぐ、右に曲る所がありますから、其所を曲つて何所までも真直に行けば、電車の終点です、私も電車へ乗るつもりです、",
"どうも有難うございます、この先に私の親類もありますが、この道は、一度も通つたことがありませんから、なんだか変に思ひまして……、では、其所まで御一緒にお願ひ致します、"
],
[
"行きませう、お出でなさい、",
"すみませんね、"
],
[
"さうですね、悪い道ですね、あなたはどちらからゐらいらしたんです、",
"山の手線の電車で、この先へまでまゐりましたが、市内の電車の方が近いと云ふことでしたから此方へまゐりました。市内の電車では、時々親類へまゐりましたが、この道ははじめてですから、",
"さうですか、なにしろ、場末の方は、早く寝るもんですから、"
],
[
"本当にお淋しうございますのね、",
"さうですよ、僕達もなんだか厭ですから、あなた方は、なほさらさうでせう、",
"ええ、さうですよ、本当に一人でどうしやうかと思つてゐたんですよ、非常に止められましたけれど、病人で取込んでゐる家ですから、それに、泊るなら親類へ行つて泊らうと思ひまして、無理に出て来たんですが、そのあたりは、まだ沢山起きてた家がありましたが、此所へ来ると、急に世界が変つたやうになりました、"
],
[
"こつちですよ、いくらか明るいぢやありませんか、",
"お蔭様で、助かりました、",
"もう、これから先は、そんなに暗くはありませんよ、",
"はあ、これから先は、私もよく存じてをります、",
"さうですか、路はよくありませんが、明るいことは明るいですね、",
"あなたはこれから、どちらへお帰りなさいます、",
"僕ですか、僕は本郷ですよ、あなたは、",
"私は柏木の方ですよ、",
"それは大変ですね、",
"はあ、だから、この先の親類へ泊まらうか、どうしやうかと思つてゐるんですよ、"
],
[
"さうですな、もう遅いから親類でお泊りになるが好いでせう、其所まで私が送つてあげませう、",
"どうもすみません、",
"好いです、送つてあげませう、",
"では、すみませんが、",
"その家はあなたが御存じでせう、"
],
[
"この次の横町を曲つて、ちよつと行つたところです、すみません、",
"なに好いんですよ、行きませう、"
],
[
"僕は此所にをりますから、お這入りなさい、あなたがお這入りになつたら、すぐ帰りますから、",
"まあ、ちよつと姉に会つてください、お手間は取らせませんから、",
"すこし、僕は用事がありますから、",
"でも、ちよつとなら好いでせう、"
],
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"有難うございます、が、今晩はすこし急ぎますから、此所で失礼致します、",
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"有難うございます、が、すこし急ぎますから、",
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],
[
"もう、そんな堅くるしいことは、お互いによしませう、私はかうした一人者のお婆さんですから、お嫌でなけれやこれからお友達になりませう、",
"僕こそ、以後よろしくお願致します、"
],
[
"お嬢さんは、なんだかお気持が悪いから、もすこしして、お伺ひすると申してをります。",
"気持が悪いなら、私がお相手をするんだから、よくなつたらいらつしやいつて、"
],
[
"もうどうぞ、すぐ失礼しますから、",
"まあ、好いぢやありませんか、何人も遠慮する者がありませんから、ゆつくりなすつてくださいまし、このお婆さんでよろしければ、何時までもお相手致しますから、"
],
[
"折角のなんですけれど、僕は、すこし、今晩都合があつて急いでゐますから、これを一杯だけ戴いてから、失礼します、",
"まあ、そんなことをおつしやらないで、こんな夜更けに何の御用がおありになりますの、たまには遅く行つて、じらしてやるがよろしうございますよ、"
],
[
"どんなことです、僕は非常に急いでゐるんですから、此方の奥さんの止めるのも聞かずに、逃げて帰るところですから、なんですか早く云つてください、どんなことです、",
"此所ではお話が出来ませんから、ちよつとこの次の室へゐらしてください、ちよつとで好いんですから、"
],
[
"では、ちよつとなら聞いても好いんです、",
"ちよつとで好いんですよ、来てください、"
],
[
"そんなに邪見になさるもんぢやありませんよ、",
"なんですか、",
"まあ、そんなにおつしやるもんぢやありませんよ、あなたは、家の奥さんの心がお判りになつたんでせう、",
"なんですか、僕にはどうも判らないですが、",
"そんな邪見なことをおつしやらずに、奥さんは、お一人で淋しがつてゐらつしやいますから、今晩、お伽をしてやつてくださいましよ、かうしてお金が唸るほどある方ですから、あなたの御都合で、どんなことでも出来るんですよ、",
"駄目ですよ、僕はすこし都合があるんですから、",
"洋行でもなんでも、あなたの好きなことが出来るんぢやありませんか、私の云ふことを聞いてくださいよ、",
"それは駄目ですよ、",
"あんたは慾を知らない方ね、",
"どうしても、僕はそんなことは出来ないんです、",
"御容色だつて、あんな綺麗な方は滅多にありやしませんよ、好いぢやありませんか、私の云ふことを聞いてくださいよ、",
"そいつはどうしても駄目ですよ、"
],
[
"駄目です、僕はそんなことは厭だ、",
"好いぢやありませんか、年寄の云ふことを聞くもんですよ、"
],
[
"どうなつたの、お前さん、",
"駄目だよ、何んと云つても承知しないよ、",
"やれやれ、これもまた手数を食ふな、",
"野狐がついてゐるから、やつぱり駄目だよ、"
],
[
"強情張つてゐたら、返してくれると思つてるだらう、馬鹿な方だね、家の姉さんが見込んだ限りは、なんとしたつて、この家から帰つて行かれはしないよ、お前さんは馬鹿だよ、私達がこんなに心切に云つてやつても判らないんだね、",
"強情張つたなら、帰れると思うてるから、可笑しいんですよ、本当に馬鹿ですよ、また私達にいびられて、餌にでもなりたいのでせうよ、"
],
[
"そんな無理なことを云ふもんぢやありませんよ、あなたの御用つて、下宿に女の方が待つてるだけのことでせう、",
"そんなことぢやないんです、",
"さうですよ、私にはちやんと判つてるんですよ、その女よりか、いくら家の奥さんが好いか判らないぢやありませんか、ほんとうにあなたは、慾を知らない方ね、此方へゐらつしやいよ、いくら逃げやうとしたつて、今度は放しませんよ、ゐらつしやいよ、"
],
[
"放してください、",
"駄目よ、男らしくないことを云ふもんぢやありませんよ、"
]
] | 底本:「伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典」学研M文庫、学習研究社
2003(平成15)年10月22日初版発行
初出:「黒雨集」
1923(大正12)年10月25日
※底本の「ス井ッチ」を、「スヰッチ」と入力しました。
入力:川山隆
校正:門田裕志
2009年8月12日作成
2012年5月24日修正
青空文庫作成ファイル:
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| {
"作品ID": "047996",
"作品名": "蟇の血",
"作品名読み": "がまのち",
"ソート用読み": "かまのち",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字旧仮名",
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"公開日": "2009-09-13T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-21T00:00:00",
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"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
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"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
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"底本名1": "伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典",
"底本出版社名1": "学研M文庫、学習研究社",
"底本初版発行年1": "2003(平成15)年10月22日",
"入力に使用した版1": "2003(平成15)年10月22日初版",
"校正に使用した版1": "2003(平成15)年10月22日初版",
"底本の親本名1": "黒雨集",
"底本の親本出版社名1": "大阪毎日新聞社",
"底本の親本初版発行年1": "1923(大正12)年10月",
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"校正者": "門田裕志",
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"XHTML/HTMLファイル修正回数": "1"
} |
[
[
"どう諦めたの",
"牢屋へ往くか、死んで申しわけするか、其の二つあいじゃ"
],
[
"なんぼ天から授った金でも、女を売ろうと云うには、よくよくのことがあったからじゃ、こんな金をとっては、神様のお叱りを受けるよ",
"それもそうだな、困っておるだろうなあ",
"困っておるとも、子を売った金じゃないか",
"そんじゃどうしよう",
"捨てた人に戻してやりよ",
"捨てた人が判るもんか、雁が首へかけておったじゃないか",
"四日市屋と書いてあるから、旅籠屋仲間に往って聞きゃ、判るよ"
]
] | 底本:「日本怪談全集 ※[#ローマ数字2、1-13-22]」桃源社
1974(昭和49)年7月5日発行
1975(昭和50)年7月25日2刷
底本の親本:「日本怪談全集」改造社
1934(昭和9)年
入力:Hiroshi_O
校正:大野裕
2012年9月25日作成
2012年11月18日修正
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| {
"作品ID": "042323",
"作品名": "雁",
"作品名読み": "がん",
"ソート用読み": "かん",
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"分類番号": "NDC 913",
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"公開日": "2012-11-11T00:00:00",
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"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
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"底本名1": "日本怪談全集 Ⅱ",
"底本出版社名1": "桃源社",
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"入力に使用した版1": "1975(昭和50)年7月25日2刷",
"校正に使用した版1": "1970(昭和45)年8月10日",
"底本の親本名1": "日本怪談全集",
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[
[
"御親切なお詞に対して、何ともお礼の申しあげようもございませんが、兄が御成敗になった以上、男として生ながらえておるわけにはまいりません、何とぞ如何ようにも御成敗くださるように、おとりはからいをねがいます",
"立派なお覚悟でござる、然らば武士の面目の立つように、おとりはからいいたそう",
"それでは家へ帰って、何分の御沙汰を待ちましょうか"
],
[
"夢でも見たのではないか、そんなことがあるものか",
"それでも、あ、あすこに立っております"
],
[
"私が今日参上いたしましたは、他のことでもございません、紀州の師匠から、弓の免許状を送って来ることになっております、もしまいりましたなら、何とぞ封のままで火の中に入れてくださるように、これを申しのこしたから、重ねておねがいにあがりました",
"委細承知いたした、しかし、もう飯時でござるから、水漬なりと進ぜよう、ゆるゆる話して往かるるがいい"
],
[
"他にまだ云いのこすことはござらぬか",
"もう他には、何もございません"
]
] | 底本:「日本の怪談」河出文庫、河出書房新社
1985(昭和60)年12月4日初版発行
底本の親本:「日本怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年
入力:大野晋
校正:地田尚
2000年5月30日公開
2011年5月27日修正
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "000820",
"作品名": "義人の姿",
"作品名読み": "ぎじんのすがた",
"ソート用読み": "きしんのすかた",
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"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"姓": "田中",
"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
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"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "日本の怪談",
"底本出版社名1": "河出文庫、河出書房新社",
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"校正者": "地田尚",
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} |
[
[
"何か御用でございますか",
"へんなことがあったからね"
],
[
"どんなことでございます",
"どんなって、寝てて、なんだかへんだから、起きてみると、人が寝ているじゃないかね、突き出そうとすると、跳び起きて往っちゃったが、何処も開けたようでないのに、いなくなったよ",
"そりゃ、このあたりの野良でございますよ、旦那がお留守になったものだから……、巫山戯た奴ですよ、何処かそのあたりに隠れておりますよ、酷い目に逢わしてやりましょう、癖になりますからね"
],
[
"不思議だね、たしかに壮い男がいて、起きて逃げる拍子に笑ったのだが",
"おかしゅうございますね"
],
[
"お媽さん、知ってたのですか",
"知らなかったよ、なんだろうね、うす鬼魅が悪い",
"そうでございますよ、たしかに男でしたが"
],
[
"来たのかい",
"お媽さんがいないのですよ、何処かへ往ったのでしょうかね"
],
[
"見てお出でって、坊ちゃん、こんな時には、うっかり出られませんよ",
"だって、お母さんがいないじゃないか",
"便所へでも往ってるか判りませんよ、もすこし待って見ましょう"
],
[
"お母さんだ",
"あら、お媽さん"
],
[
"姨さん、お母さんはへんだね",
"そうでございますよ、どうもへんですよ、昨夜のことと云い、へんな男が襖を開けずに入って来たり、おかしいのですよ",
"何だろうね",
"どうも人間じゃないのですよ",
"なんだろう",
"そうねえ、しかし、たしかに人間じゃありませんよ、人間なら、襖を開けるなり、戸を開けるなりしますよ",
"お父さんが早く帰ってくれると、好いなあ",
"そうでございますよ、旦那様さえ早く帰ってくださるなら、どうかなるのでしょうが",
"そうだ、お父さんが帰ってくれると、好いなあ"
],
[
"煩いよ、何故此処へ来て邪魔をするのだね、彼方へお出でよ",
"まいりますがね、お媽さんの心地は、何ともありませんか",
"煩いったら煩いよ、彼方へお出でよ"
],
[
"お母さんはどうしているの",
"睡っていたのですが、やっぱりおかしいのですよ",
"おかしいって、どうなのだ",
"やっぱり昨夜のように、彼方へ往けって、私を怒ったのですよ",
"そうかい、へんだなあ"
],
[
"でも、すこしおあがりになっては",
"いらないと云ったらいらないよ",
"でも、御飯をおあがりにならないと、お体のために悪うございますよ、では、此処へ持って来ときますから、何時でも好い時にあがってくださいよ",
"煩い"
],
[
"この痴、何しに来たのだ、邪魔すると承知しないぞ",
"お母さんの笑い声が聞えたから、また彼奴が来たと思って起きたのです",
"彼奴とはなんだ、ばか、余計なことをすると承知しないぞ",
"でもお母さんが笑ったから",
"煩い"
],
[
"お母さんの笑い声がしたがら、往ってみたが、何にも見えなかったよ",
"そうですか、笑い声なんかするのは、おかしいのですね",
"おかしいよ、何が来るだろう",
"さあ"
],
[
"此処へ持ってまいりましょうか",
"煩いったら煩いよ、余計なことをお云いでないよ"
],
[
"姨さん何だろうね、お母さんの処へ来るのは",
"さあね、私にゃ判らないが、なにか魔物が来ますね",
"魔物って何だろう"
],
[
"狐か狸か、そんな物が来てお媽さんに憑くのじゃないかと思いますがね、どうしても人間じゃないのですよ",
"そうかなあ、狐だろうか",
"早く旦那様が帰ってくださると好いのですが……",
"そうだなあ、お父さんが帰ってくれると、狐でも狸でもよう来ないだろうに",
"そうですとも"
],
[
"今晩は、坊ちゃんは、茶の間へ寝てください、私は奥へ寝ます、そして、どんなものが来るか、気を注けていようじゃありませんか",
"好いとも、おいらが茶の間で寝よう、そして、へんな奴が来たなら斬ってやる",
"そうですよ、かまうことはない、怪しい奴が来たなら、それこそ斬っておやりなさい",
"斬ってやるよ"
],
[
"それじゃ、やっぱり狐だ、傷をしたから、もうおっかながって来ないかも判りませんよ",
"そうかなあ"
],
[
"たしかに唸ったがなあ",
"ぜんたい何処にいるのだろう"
],
[
"姨さん、何にもいなかったよ",
"お寺の中にはおりませんよ、お祖師様が、そんな悪いものは置きませんから",
"そうかなあ"
],
[
"お媽さんは今朝はよくやすんでますよ、悪いものが離れたかも判りませんよ",
"そうかなあ",
"今晩験してみたら判りますよ"
],
[
"あれで来なくなると好いがなあ",
"もう来ませんよ"
],
[
"ああ、もう夜が明けたかい、お母さんはどうだろう",
"昨夜、遅くまで起きて、蒲団の上に坐ってたようでしたが、独言も云いませんでしたよ、坊ちゃんの処には、変ったことはなかったのですか",
"ああなかったのだよ",
"じゃ、やっぱり憑物が離れたのですね、これで二三日すりゃ好いのですよ",
"では、彼奴、死んじゃったろうか",
"そうですね、どうかなったのでしょうよ"
],
[
"新ちゃん、この間うち、ちっとも来なかったが、何うしていたのだ",
"おいらは、お母さんに狐が憑いたから、それで来なかったよ",
"なに、狐が憑いた、ほんとうかい",
"ほんとうとも、嘘を云うもんか、おいらは、その狐を斬ったよ",
"嘘云ってら、狐が斬れるものか",
"でも、斬ったのだよ",
"じゃ、死んじゃったかい",
"逃げちゃったよ、彼奴を殺したかったよ、どうかして、あんな奴を殺せないかなあ",
"狐は化けるから殺せないよ、家のお父さんが云ったよ、狐でも狸でも、銀山の鼠取を喫わせりゃ、まいっちまうって",
"そうかい、銀山の鼠取かい、鼠取ならおいらの家にもあるよ"
],
[
"やあ、お父さん",
"おお、新一か"
],
[
"未だほんとうじゃないね",
"どうかいたしましたか",
"俺が声をかけると、ちょっと眼を開けて見といて、すぐ彼方向きになって返事もしないのだよ",
"それでもおとなしくなりましたよ、初めのうちは、どうしようかと思いましたよ、ねえ、坊ちゃん",
"そうだよ、狂人のようにあばれてたなあ"
],
[
"やっぱり悪いのか、それとも俺が判らないのか",
"ものを云うのが煩いよ",
"そうか、体が悪いならしかたがない、ゆっくり寝てるが好い、土産を買って来てあるが、なおってからにしよう"
],
[
"邪魔すると承知しないぞ、痴、ひょっとこ、彼方へ往きあがれ",
"俺も往くから、お前も此方へ入って、寝るが好いだろう、お前は体が悪い、しっかりせんといかんよ",
"煩い",
"煩くっても、そんな処へ寝ていちゃいけない、入んな",
"お前さんのような奴が、其処にいちゃ入れないよ、痴",
"じゃ、俺は彼方へ往くから、入んな",
"煩いよ、余計なことを云うない"
],
[
"お父さん、また狐が来たのだね",
"そうだろう、狐だろう"
]
] | 底本:「日本の怪談」河出文庫、河出書房新社
1985(昭和60)年12月4日初版発行
底本の親本:「日本怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年初版発行
入力:大野晋
校正:松永正敏
2001年2月23日公開
2012年5月23日修正
青空文庫作成ファイル:
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| {
"作品ID": "001609",
"作品名": "狐の手帳",
"作品名読み": "きつねのてちょう",
"ソート用読み": "きつねのてちよう",
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"副題読み": "",
"原題": "",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"公開日": "2001-02-23T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
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"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "日本の怪談",
"底本出版社名1": "河出文庫、河出書房新社",
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[
[
"いい陽気じゃないか、一つ伊勢詣にでも往こうじゃないか",
"往きたいには往きたいが、近いうちに、うちの和尚さんの身に、変ったことがありそうだから",
"そうかね、おまえさんは、和尚さんに助けられた恩義があるからね"
],
[
"何でしょう",
"さあ"
]
] | 底本:「怪奇・伝奇時代小説選集3 新怪談集」春陽文庫、春陽堂書店
1999(平成11)年12月20日第1刷発行
底本の親本:「新怪談集 物語篇」改造社
1938(昭和13)年
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2004年8月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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| {
"作品ID": "042272",
"作品名": "義猫の塚",
"作品名読み": "ぎびょうのつか",
"ソート用読み": "きひようのつか",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2004-09-25T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-18T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/card42272.html",
"人物ID": "000154",
"姓": "田中",
"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "怪奇・伝奇時代小説選集3 新怪談集",
"底本出版社名1": "春陽文庫、春陽堂書店",
"底本初版発行年1": "1999(平成11)年12月20日",
"入力に使用した版1": "1999(平成11)年12月20日第1刷",
"校正に使用した版1": "1999(平成11)年12月20日第1刷",
"底本の親本名1": "新怪談集 物語篇",
"底本の親本出版社名1": "改造社",
"底本の親本初版発行年1": "1938(昭和13)年",
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"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "Hiroshi_O",
"校正者": "noriko saito",
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} |
[
[
"ぜんたい、君はなんだね",
"べつになんでもありませんよ、あなたのような独身者ですよ",
"同じ独身者にしても、君の方はいろいろの芸を持ってるが、僕の方は、酒を飲むより他に芸はないのだ",
"あなたは、お酒がすきなの",
"好きだけれども、台所の残り酒しか飲まれないのだ",
"あなたは、暢気ね",
"暢気じゃないが、しかたがないよ",
"暢気が好いのですよ、私好きよ、まだお酒が飲みたいのですか",
"飲みたいね",
"じゃ、おあがりなさいよ、あなたにあげようと思って持って来たのですから",
"そうか、そいつはありがたいな"
],
[
"あなたは、ぜんたい何人ですか",
"何人でもありませんよ、そんなことは好いから、おあがりなさいよ",
"それじゃ聞くまい、聞いたところで、食客ではなんにもならないから",
"そうですよ、聞いたってなんにもなりませんから、聞かずにいらっしゃい、私が時どきお酒を持って来てあげますから",
"そいつはありがたい"
],
[
"今晩もお酒を持って来ましたよ",
"酒、そいつはありがたいな"
],
[
"真澄さん、あんたは、近比体でも悪くはないかね",
"べつに悪くはありません",
"でも、あんたは、この比、夜が来ると、独言を云ってるそうじゃないか",
"そんなことはありませんよ",
"でも叔父さんが昨夜遅く便所へ往ったついでに、あんたの室の前まで往って覗いてみると、あんたは蒲団の上へ坐って、何か云ってたと云うじゃないかね、どこか悪いでしょう、おかしいじゃないかね"
],
[
"病気じゃありませんよ、女が毎晩ごちそうを持って来てくれるから、話しているのですよ",
"あんたなんかの処へ、何人が酔狂にごちそうまで持って来るものかね、ほんとにあんたは、どうかしてるよ",
"叔母さんこそ、どうかしてるのですよ、嘘と思や、今晩十二時比に来てごらんなさい、きっと来てますから",
"往かなくったって好いよ、あんたは独言を云ってるから、それがほんとなら、今晩来た時に、その方から証拠になるものを貰っておきなさいよ",
"櫛か、指環か、なんか貰っておきますよ",
"でもおかしいのだね、ほんとにあんたは病気じゃない",
"病気じゃありませんよ、大丈夫ですよ"
],
[
"指環、私の指環",
"ああ、その指環だ、一晩貸して貰えば好い、明日の晩には返すよ",
"指環をどうするの",
"叔母が、君と毎晩こうして話しているのを聞いて、病気で独言を云ってると、怪しからんことを云うから、君のことを打ち開けたが、それでもほんとうにしないから、証拠に、君から櫛か指環かを借りて、それを見せてやると云ってあるのだ",
"そんな、つまらんことは好いじゃありませんか、ほんとうにしなけりゃしない方が、今のうちはかえって好いじゃありませんか",
"叔母が失敬なことを云うから、見せてやろうと思うのだ、一晩貸して貰おう、好いだろう、一晩ぐらい、売って酒を飲むようなことはないよ"
],
[
"では、明日の晩まで待って頂戴、明日の晩、好い方のを持って来ますから、これは駄目ですから",
"明日の晩じゃいけない、今晩でないと、叔母がばかにするから、好いだろう、証拠になりゃなんでも好い"
],
[
"そんなことはないのですけど、これは、すこし理があって、ちょっとでも抜かれないのですもの",
"お願でもしているのか",
"そんなことはありませんよ",
"じゃ、好いだろう、貸しておくれよ"
],
[
"あれからさっぱり来なくなったが、憤ったかね",
"憤りはしないのですが、あなたと別れる時期が来ましたから、もう往かなかったのですよ、でも、今晩は、お名残りに、私の家へ往って話しましょう",
"往っても好いかね",
"好いのですよ、何人も他にいないのです、私、一人ですから",
"じゃ、往こう、遠いかね",
"すぐですよ、いらっしゃい"
],
[
"まあ、お酒を出しましょうね",
"今日はもう好い、うんと酔ってるから",
"では、また後にあげましょう、今晩はお名残に泊っていらっしゃい"
]
] | 底本:「日本怪談大全 第一巻 女怪の館」国書刊行会
1995(平成7)年7月10日初版第1刷発行
底本の親本:「日本怪談全集 第一巻」改造社
1934(昭和9)年
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年3月8日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "052280",
"作品名": "岐阜提灯",
"作品名読み": "ぎふちょうちん",
"ソート用読み": "きふちようちん",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"姓読み": "たなか",
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"姓ローマ字": "Tanaka",
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"生年月日": "1880-03-02",
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[
[
"ありがたいことじゃ、ないないかような大難に逢うて、天主様の御救けに与り、天国へ生れて、安楽な活計に、ひもじい目にも逢わず、瓔珞をさげていたいと願うていたところじゃ、早う打ち殺して、天国へやってくだされ",
"せんす、まる、まる",
"天国、天国",
"後生は見て来んことじゃから、それはおってのこと、こうひもじゅうては、眼が舞いそうじゃ、そのうえ、この間中の談議ごとに、大難に逢うときは、百味の御食をくだされて、天の上へ引きあげてくだされるとのことじゃったが、この大難に煎餅一枚もくだされないとは何事じゃ",
"上から押しっけられ、持ち重りがして、どうにも呼吸が切れてしかたがない、義理も外聞も云ってはおられん、早う転ばしてくだされ"
],
[
"さようでございます、もと南蛮寺におりました入留満が、九条の片ほとりに隠れておることを、愚僧は仔細あってよう存じております、この入留満は、邪法を使う稀代の悪僧で、時ならぬに枯木に花を咲かせ、ある時は、客人を待たしおいて天の川へ往って魚を捕って来るなんぞ申し、竹子笠を着、腰に魚籠をつけて、縁端から虚空に姿を消すかと思えば、間もなく腰の魚籠に鯉鯰の類をいっぱい持って帰るなど、奇怪至極の邪法を使いまする、これを召捕らんことには、仮令在家の老若を何千人何万人召捕らるるとも、邪法の種を絶やすことはできんと思います",
"そうか、それは大儀であった、では、その悪僧を召捕る、その方、案内をいたせ"
],
[
"まあ騒がずに聞くがよい、今日は天下に人も無いように宗門を迫害しておるが、明日になれば、大久保忠隣をはじめ、伊賀守も、また、その方も地獄の苦しみを受けねばならぬぞよ",
"それ、その売僧を逃がすな"
],
[
"や、や",
"や"
],
[
"私は母方の親類を尋ねて往くところでございまするが、土地不案内のうえに、夜になりまして、難儀をしております",
"それは、さぞお困りであろう、何はともあれ、今晩は拙者の許に一泊して、明日ゆっくりと尋ねて往くがよろしかろう",
"それはどうも、御親切にありがとうございますが、見ず知らずの方に、それでは余り不躾にございますから",
"なに、そのような遠慮はいらぬ、さあ、拙者といっしょに来なさるが宜い"
],
[
"持病とあれば左程案じることもなかろう、癒るまで逗留して、それから出発せらるるが宜い",
"お詞にあまえるようで、心苦しゅうございますが、どうぞ乳母の病気が癒りまするまで、お助けに預かりとうございます"
],
[
"そんな遠慮は入らない、十日でも二十日でも、お乳母さんの体が好くなるまでいなさるが宜い",
"お助けにあずかります"
],
[
"なに、病気と云う程でもないが、すこし気分がすぐれないから、こうしておるところじゃ、私よりゃ、お乳母さんの方は、どうじゃ",
"やっぱり体の疲れが癒らないで困ります、持病はすっかり癒っておりますに、どうしたと云うのでございましょう。ほんとうに旦那様や奥様に対して、なんとも申訳がございません",
"なに、何時も云うとおり、そんな遠慮は入らない、私の家はべつに小供はなし、浪人暮しで窮屈な思いをするところもないし、遠慮せずにゆっくり養生をさして、それから出発せらるるが宜い、それともお前さんの都合で、一生ここにおりたいと云うなら、世話をしてあげても宜い",
"ありがとうございます、まだ一度も逢ったことのない叔母を便って往くよりは、御当家のような処で、婢端女のかわりに使われて、一生を送りとうございますが、まさかそんなお願いもできませず",
"なに、お前さんが、こんなところにいても宜いと云う気なら、何時でも世話をしてあげる",
"ほんとうにそんなお願いをしてもよろしゅうございましょうか",
"よいとも、武士の詞に二言はない",
"ありがとうございます"
],
[
"乳母にも話しまして、二人で相談しましたうえで、お願いいたします",
"宜いとも"
],
[
"石ころに向って印を結ぶと、それが黄金になったり、杖を立てると、それに枝が出、葉ができて、みるみる大木になると云うし、恐ろしい妖術ではありませんか",
"この間は浜松で、その伴天連の一人が来て、傍に遊んでいる小供の頭を撫でると、それが犬になったと云いますよ",
"昨日小田原から戻った人の話に、天狗のように鼻の高い異人が、御所車のような車に乗って、空をふうわりふうわりと東から西に向って通っていたと云いますが、それもやはり伴天連でしょう",
"何時、どんな風をして、その伴天連が来ないとも限りませんから、お互に油断がなりませんよ"
],
[
"確にそうじゃ",
"なにか思い当ることがありますか"
]
] | 底本:「日本怪談大全 第一巻 女怪の館」国書刊行会
1995(平成7)年7月10日初版第1刷発行
底本の親本:「日本怪談全集 第四巻」改造社
1934(昭和9)年
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年3月8日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "052253",
"作品名": "切支丹転び",
"作品名読み": "きりしたんころび",
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"姓ローマ字": "Tanaka",
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"底本名1": "日本怪談大全 第一巻 女怪の館",
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[
[
"実は、その父も、母も、歿くなりまして",
"なに、お父さんも、お母さんも歿くなった"
],
[
"そうです、父は宣徳府の理官を勤めておりましたが、三年前に歿くなりました、母の方は、父よりも二三年前に歿くなりました",
"そうか、それは知らなかった、それでは、どこもかしこも不幸だらけじゃ、しかし、よく帰ってきてくれた、力を落してはいかんよ",
"いや、もう私も諦めております",
"そうじゃ、諦めなくちゃいかん、諦めるに就いては、まだ一つ諦めて貰わなければならないことがある",
"え"
],
[
"あんたと許嫁になっていた興娘も、病気でなくなったのじゃ",
"え、興娘さんが"
],
[
"申しわけがありません、父なり私なりが、早く迎えにあがるはずでしたが、母が歿くなりましたので、その喪でも明けたらと思っておりますと、また父が歿くなりましたので、またまた喪に籠りまして、喪が明けるなり急いで参りましたが、申しわけがありません",
"いや、こうなるのも運命じゃ、しかし、あれは歿くなっても、わしはやっぱりあんたの婦翁じゃ、いつまでも助けあって暮そう、それにあんたも、もうお父さんもお母さんもないから、わしの家にいるがいい",
"はい",
"では、あれの位牌に、あんたの帰ったことを知らしてやろう"
],
[
"あなたはどなたです",
"わたし、慶よ、さっき、肩輿の中から釵を落したのよ、あなた、あれを拾ってくだすって",
"拾ってあります、すぐ追っ駈けて往って、お渡ししようとしましたが、御門が締りましたから、朝お届けしようと思いまして、持っております"
],
[
"私はお父さんに大恩があります、どうか私のために帰ってください",
"帰りませんよ、わたしをここへ連れてきたのは何人です、あなたじゃありませんか、わたしは帰りませんよ"
],
[
"困りますよ、そんなことをおっしゃっては、お父さんの耳へ入ったら、大変じゃありませんか",
"でも、あなたが連れてきたのじゃありませんか、連れてきといて、帰れとはひどいじゃありませんか"
],
[
"そんな、そんな大きな声をされては困ります",
"それが困るなら、わたしと彼方へ参りましょう、お厭ならこれから帰って、あなたが、わたしを連れ出したと、お父さんに言いつけますわ"
],
[
"今日までは、何人にも知れずに済みましたが、このさき、どんなことで露われるか判りません、もしそんなことになると、お父さんはああいったような厳格な方だから、どんなに怒るか判りません、私は覚悟をきめておりますから、引き分けられて、一室に監禁せられても諦めますが、あなたの御身分にかかわりますから、二人でどこかへ往って、人の目に著かない処で、静かに暮そうじゃありませんか",
"そうです、私もそう思っていたのですが、これという知己の者がなくて困っております、ただ私の家にもと使っていた金栄という男が、鎮江で百姓をしているということを父から聞いてますが、それは義理がたい男だそうですから、それでもたよって往ってみようじゃありませんか"
],
[
"どうか今までの罪を、お許しを願います",
"あんたにはわるいことはない、わしは、あんたが黙って出て往ったから、わしの待遇がわるかったじゃないかと思って、心配しておった、よく帰ってきてくれた",
"誠に申しわけがありません、どうかお許しを願います"
],
[
"あんたは何か考え違いをしてるだろう、あんたには何も罪はないじゃないか",
"そうおっしゃられると、私は穴にでも入りとうございます、私は、お嬢さんとあんなことになりまして、二人で鎮江の方へ逃げておりましたが、お二人のことが気になりますので、お叱りは覚悟のうえで、帰って参りました、どうか二人の罪をお許しください"
],
[
"あんたは夢でも見ているのではないか、慶娘は一年ばかりも病気で寝ておる、あんたは確かに夢を見ておる",
"お家の恥辱になることですから、そうおっしゃるでしょうけれども、夢でも作り事でもありません",
"そんなばかばかしいことはない、確かに女は寝ておる",
"いや、お嬢さんは私といっしょに帰ってきて舟の中に待っております",
"そんなばかばかしいことがあるものか、あんたはどうかしておる、女は奥で寝ておる",
"でも舟におります"
],
[
"どうだ、調べさしたか",
"調べましたが、どの舟にもお嬢様の姿は見えないそうです、まさかそんなことはないでしょう",
"そうとも、慶娘は家におる、夢でも見ていなければ、何か為にすることがあって、そんな事を言ってるだろう"
],
[
"興哥さんとの縁が尽きないものですから、一年の許しを受けて、興哥さんと夫婦になっておりました、どうか私の今のお願いを聞いてください",
"よし、では、慶娘と興哥さんをいっしょにして、この家を譲ることにする"
]
] | 底本:「中国の怪談(一)」河出文庫、河出書房新社
1987(昭和62)年5月6日初版発行
底本の親本:「支那怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2004年11月3日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "001634",
"作品名": "金鳳釵記",
"作品名読み": "きんぽうさいき",
"ソート用読み": "きんほうさいき",
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"初出": "",
"分類番号": "NDC 913 923",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2004-12-03T00:00:00",
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"姓": "田中",
"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
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"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "中国の怪談(一)",
"底本出版社名1": "河出文庫、河出書房新社",
"底本初版発行年1": "1987(昭和62)年5月6日",
"入力に使用した版1": "1987(昭和62)年5月6日初版",
"校正に使用した版1": "1987(昭和62)年5月6日初版",
"底本の親本名1": "支那怪談全集",
"底本の親本出版社名1": "桃源社",
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"XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/files/1634_16885.html",
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[
[
"おめでとう、やられたろう",
"やられた、君もか",
"そうだ"
],
[
"M兵曹か",
"そうだ",
"どうしたのだ",
"さあ",
"どこからいなくなったのだ",
"箱根へかかるまでは確かにいたのだが",
"それはたいへんだ"
],
[
"○○機が墜落しました",
"なに、○○機が"
]
] | 底本:「伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典」学研M文庫、学習研究社
2003(平成15)年10月22日初版発行
底本の親本:「新怪談集 実話篇」改造社
1938(昭和13)年
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2010年10月20日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "045527",
"作品名": "空中に消えた兵曹",
"作品名読み": "くうちゅうにきえたへいそう",
"ソート用読み": "くうちゆうにきえたへいそう",
"副題": "",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2010-11-30T00:00:00",
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"姓": "田中",
"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典",
"底本出版社名1": "学研M文庫、学習研究社",
"底本初版発行年1": "2003(平成15)年10月22日",
"入力に使用した版1": "2003(平成15)年10月22日初版",
"校正に使用した版1": "2003(平成15)年10月22日初版",
"底本の親本名1": "新怪談集 実話篇",
"底本の親本出版社名1": "改造社",
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} |
[
[
"臨海亭へ魚を持って往くところだが、黒い犬のようなものが跟いて来て歩けないのだ、なんだろう、狐だろうか",
"なに犬さ、どこにいるのだ",
"もういなくなったよ、お客さんを見たから逃げたのだろう",
"怖いのか",
"怖かあないが、とうせんぼうするようにして歩けないのだよ",
"君が怖い怖いとおもってるのだから、そんな気がするのだ、いっしょに伴れてってやろうか",
"好いのだ、おいらはお母が待ってるから、急ぐのだ"
],
[
"ありがとう、ここに家があったのですか、ね、え、二三回とおったのですが、ちっとも気が注かなかったのですよ",
"こんな小屋がけでございますから、木の陰になって見えなかったのでございましょう"
],
[
"どうかおかけくださいませ、むさくるしいところでございますが",
"すこしお邪魔さしていただきましょうか"
],
[
"穢い蒲団をあげましょう、どうかお敷きくださいませ",
"いや、どういたしまして、蒲団は好いのです",
"それでも冷えますから"
],
[
"そうです、東京からまいりました",
"御勉強にでもいらっしゃいまして",
"なに、すこし暇ができましたから、一週間位前に来て遊んでいたのですよ、それが家が忙しいものですから、親爺に呼ばれて、明日は一番の汽車で帰るのです",
"東京は好い処でございましょうね、私は一度も東京へ往ったことがございません",
"そうですか、では、一度是非いらっしゃい、でも住んでるとうるさい処ですよ",
"そうでございましょうか、私達のような一度も往ったことのない田舎漢は、どうかして東京に住みたいと思いますわ、花のように着飾った姝な方が、ぞろぞろと街いっぱいになって歩いておりましょう、ね"
],
[
"まさか、そうでもありませんよ、私達のような汚い奴も歩いてるのですよ",
"でも"
],
[
"お邪魔じゃないのですか",
"家は、今、何人もおりませんから、何時までおいでくださいましても宜しゅうございます",
"そうですか"
],
[
"たくさん、たくさん、そんな茶なら一生飲まなくても好い",
"ひどく見縊るね、じゃ、まあ、さすまい、で、なんだね、名吟ができたかい、どうも昔から下戸に名吟がないと云うぜ",
"あるとも、僕は毎日海岸へ出たり、あの芒の穂の出た旅館の裏手の草の中を歩いてたよ、あの草っぱらに夕月の射したとこは好かったよ",
"そうだ、あの草っぱらは好いな、あちこちに犬小屋のような小屋がけをして、婆さんがいるじゃないか、厭な婆あだよ",
"婆あって、婆あじゃないじゃないか、壮いじゃないか",
"あれが壮いもんか、もう六十だろう、狼のように痩せた婆あじゃないか",
"そんなことはない、二十二三だよ、背のすらりとした好い女だよ",
"おい、おい、ばかなことを云うなよ、なにが二十二三の好い女だい、あんな狼婆あを、おい、寝とぼけちゃいかんよ",
"寝とぼけるものか、君こそ、女を六十婆あだなんて、君こそ寝とぼけてるよ",
"君はどうかしてるよ、あの銀の針金のような白髪と、木彫のような皺とがわからないかい、なにが女なのだ、六十の狼女かい",
"君はけしからん、君はちょっと遠くから見た位だから、見ちがえてるだろう、僕はその女としみじみ話してるから、まちがえっこはないよ",
"じゃ、君は、あの、婆あも女も区別ができなかったのだろう、笑わかすなよ",
"痴、君のような下等な奴には、もうなにも云わない、ばか",
"僕も君のような痴な奴とは、絶交だ、六十の婆あと、女の区別がつかないような奴なんかと、朋友になってるのは恥辱だ",
"なに云ってるのだい、君こそ女も婆さんも判らないじゃないか、痴"
],
[
"好いとも、明日往こうか",
"明日はすこしつかえるから、明後日の朝の一番にしようじゃないか",
"好いとも、だが、僕がきっと勝つよ"
],
[
"家、そこの草っぱらですか、家なんかありませんよ",
"ないことがあるものか、小さな家だよ、家のあることは事実だが、その家にいる者が問題だよ、姐さんは近比ここへ来たのだね",
"でも、もう三年になりますよ、家なんかがあるのでしょうか、私たちは狐が怖いのですから、夜なんか通ったことがありませんが",
"おかしいぞ、だが、姐さんは、通らないから知らないかも判らない、まあ、後で往ってみよう"
],
[
"爺さん、ここに家があったように思うが、あったのか",
"家なんかありませんや、もっとも、まだ臨海亭の出来ない時、さあ三十年にもなりますかね、このあたりに漁師の家が一軒あって、そこの主翁が漁に往って歿くなったと云う、壮い女が住んでたことがありますよ"
]
] | 底本:「日本怪談大全 第一巻 女怪の館」国書刊行会
1995(平成7)年7月10日初版第1刷発行
底本の親本:「日本怪談全集 第二巻」改造社
1934(昭和9)年
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年3月8日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "052259",
"作品名": "草藪の中",
"作品名読み": "くさやぶのなか",
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[
[
"ほんとにおっ母が来るの",
"来るよ、乃公が泣いてると、おっ母が来て、乳を飲ましてくれたり、抱いてくれたりするよ"
]
] | 底本:「日本怪談大全 第二巻 幽霊の館」国書刊行会
1995(平成7)年8月2日初版第1刷発行
底本の親本:「日本怪談全集 第三巻」改造社
1934(昭和9)年
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年5月22日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "052278",
"作品名": "車屋の小供",
"作品名読み": "くるまやのこども",
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"底本の親本名1": "日本怪談全集 第三巻",
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} |
[
[
"ああ、散髪屋さんですか、",
"今晩は涼しいではございませんか、何所かのお帰りでございますか、",
"ああ、中野の方へ行つてまして、ね、……散歩ですか、",
"ひと廻りして来やうと思ひまして、ね、",
"ぢや、さよなら、"
],
[
"おや、中野へ、それは大変でございましたね、お暑かつたでございませう、",
"暑いですな、それでも今晩は涼しいぢやありませんか、"
],
[
"今日は、割合にお涼しうでございますね、まあ、ちとおかけくださいまし、",
"有難う、……叔父が夕方になつて見えなかつたでせうか、",
"山本の旦那さまでございますか、お見えにならなかつたやうでございます、が、"
],
[
"……山本の旦那さま、お見えにならないやうだよ、お女中さんは、夕方ゐらしたのか、帰るところをちらと見かけたが……、",
"さう、"
],
[
"さうでしたかね、明後日が一周忌だもんですから、中野のお寺へ行つてたんですよ、",
"さうでございますか、もう一周忌、お早いものでございますね、",
"早いもんですよ、今日、お寺へ行つて、夕方に帰つて来るのを、道寄してましたから、叔父が待ち遠しがつて、来たんぢやないかと思ひましてね、ぢや、自分に来ずに女中をよこしたもんでせう、"
],
[
"殺しちや駄目よ、粉が落ちるんですから、殺さずに追つてくださいよ、",
"こん畜生、出て行かないのか、こらッ、こらッ、こらッ",
"おやゐなくなつたよ、ゐなくなつたぢやありませんか、何処へ行つたんでせう、不思議ぢやありませんか、"
],
[
"僕だよ、もう何時だね、",
"お帰りなさいまし、ちようど十一時でございます、"
],
[
"お女中さんが夕方にゐらして、明後日の支度は好いかつて、おつしやいましたよ、お暑かつたでせう、",
"今日はそれほど暑くなかつたね、お寺へ行つたけれど、和尚さんが留守だつたから、また明日の朝行くことにして来たが、何時かお墓参りに行つた時に云つてあるし、行かなくつても好いが、叔父が喧しいから、ちよツと行つてこやう、叔父とこからはそれだけか、",
"それだけでございました。それぢや明日も一度お寺へゐらつしやいますの、それが宜しうございますね、やはり和尚さんに、ぢきぢきお逢ひになつておきますと、手違ひがなくて宜しうございますね、",
"さうだ、明日の朝、行つてこやう、それから、あれ、魚吉の亭主はどうした、"
],
[
"夕方になつて一度、夜になつてもまたまゐりましたが、お帰りがないもんですから、朝また来ると行つて帰りました。人数も若旦那がおつしやつたやうに申して置きましたから、朝でも結構でございますよ、",
"さうかね、十八と云つたかね、",
"さうでございますよ、",
"折りのことも云つたかね、",
"申しました、",
"幾等ぐらゐと云つたかね、",
"一切で六円ぐらゐとおつしやつたでせう、これくらゐにおつしやつてらしたと申しておきましたよ、",
"さうか、それで好い、"
],
[
"叔父さんのところへ行つてこやうか、",
"お疲れでございませうが、ちよつと行つてゐらつしやるが宜しうございませう、",
"さうだね、やつぱり行つてこやう、喧しいからな、",
"それが宜しうございますよ、では、お浴衣を出しませうか、",
"好い、このままで行つて来る、",
"さうでございますか、では、ちよつと行つてゐらつしやいまし、",
"行つてこやう、"
],
[
"まだ起きてるだらうな、",
"旦那様なら、まだお起きになつてをりますよ、"
],
[
"遅くなつてすみません、叔父さんは、もうお休みですか、",
"起きてますよ、",
"さうですか、遅くなつたもんですから、"
],
[
"叔父さんは、どちらです、",
"お座敷の縁側にゐらつしやるんですよ、",
"さうですか、"
],
[
"義直か、",
"遅くあがつてすみません、",
"寺から何時帰つた、",
"五時頃に帰りましたが、途で友人に逢つたもんですから、其所へ寄つて、つい話し込んでゐる内に遅くなりました、"
],
[
"此所へでもお坐りなさい、もう女中が寝ますから、お茶もあげませんよ、",
"もう結構です、遅いんですから、"
],
[
"あらかた出来ましたが、今日は和尚さんが留守でしたから、明日の朝、念のために、も一度行つてまゐります、",
"何時頃に行つた、",
"三時過ぎでしたよ、",
"三時過ぎと云ふと、三時半頃か、それとも過ぎてゐたのか、",
"さうですね、三時半になるかならんかでした、"
],
[
"さうか、お寺の方は、それで好いとして、料理の方はどうだ、",
"それもあらかた定まつてをります、",
"呼ぶ人の通知の方も好いんだね、",
"十八にしておきました。",
"さうか、準備の方はそれで好いとして、金はどうだ、料理から、お寺への布施から、それもいつさい好いのか、",
"その金ですが、誠にすみませんが、それをお願ひしたいと思つてをりますが、",
"その金つて、明後日の費用か、",
"さうです、",
"十円か二十円なら、手許にあるが、そんな沢山な金は無いね、ぜんたい幾等入るんだ、",
"二百円ぐらゐはかからうと思ひますが、",
"その二百円を俺に出せと云ふのか、",
"それをお願いしたいと思つてるんですが……",
"駄目だよ、そんな金は無いよ、お前には、もう百四五十円も行つてる筈だが、金をたゞ湧くものゝやうに思つてもらつちや困るな、宮原の財産がすこしあるとしたところで、そんなに見界なしに金を使つちや困るぢやないか、今度の金は一周忌の金なんだから、言い訳は立つやうなものゝ、なんでもなしに思つてゐちや困る、だいち、俺の身寄の者を養子にしておいて、それが無駄費ひをするのを黙つて見てゝは、藤村の方へ対してもすまないし、世間に対しても申訳がないぢやないか、"
],
[
"ぢや行く時に、何人か連があつたのか、",
"ありません、",
"いけないよ、そんな嘘を云つたつて、駄目だよ、今日お前が、――公園のベンチで、変な女と凭れ合つて眠つてゐたところを、見て来た者があるんだ、馬鹿、何と云ふ醜態だ、女なんかに引つかゝつて、本を買ふとか、油絵の道具を買ふとか俺を騙してゐたんだらう、馬鹿、することにことを欠いで、昼間、女なんかと凭れ合つて、恥晒をして眠つてゐると云ふことがあるか、貴様の醜態を見て来た者が、黒い大きな蝶が来て、貴様の着てゐる帽子の上にとまつてたことまで、見てゐるんだぞ、馬鹿、なんと云ふ恥晒しだ、"
],
[
"ぢや行きませうね、ぐず〴〵しないで、",
"ぐず〴〵は此方ぢやないわよ、",
"此方でもないわよ、"
],
[
"ぐず〴〵しつこなしよ、",
"さうよ、ぐず〴〵しつこなしよ、"
],
[
"そんなことはありませんよ、おんなじですよ、",
"ぢや、いよ〳〵、家にゐて、持つて来て貰ふが好いな、かうなると独身者が羨ましい、",
"独身者が何故羨しいんですの。",
"美人に酒肴持参で来て貰へますからね、",
"さう、ね、",
"私もこれから何所かの二階間を借りますよ、そして、夜、好い時間を見て、註文に来ますからね、",
"では、お借りなさいましよ、私が持つてあがりますわ、",
"好いなあ、正宗の二合罎が一本とおでんが一皿で、美人が手に入りますからね、"
],
[
"どうです、老人は旨いことを考へませう、",
"旨いんですね、"
],
[
"先生、そんなことを若い人に教へては困りますね、",
"さうですね、若い人には教へられないところでしたね、"
],
[
"ああ、",
"どうしたんだね、お前、",
"掌をすこし切つたんですよ、あの坂で……",
"倒れたんだね、",
"さうよ、",
"なんで切つたんだらう、",
"倒れる拍子に、石の出つぱてる上へ手を突いたもんですからね、……これから岡崎先生へ行つて来ますよ、"
],
[
"ちよとね、",
"それはいけませんね、",
"ちよと岡崎先生へ行てまゐります、どうぞゆつくり、"
],
[
"どんな所です、",
"どんなつて、彼所は、昔からいろんなことを云ひますよ、",
"いろんなつて、どんなことです、",
"彼所は、遠藤さんね、彼の大きな構への、彼所の屋敷内でしたよ、路が出来たのは、私が子供の時でしたから、五十年位のもんですか、彼所は遠藤の旦那が、自分の云ふことを聞かないと云つて、女中を手打ちにした所だと云つて、遠藤の家内が死んだとか、馬が倒れたとか、いろんなことを云ふんですよ、娘などに云ふと、おつかながるから、黙つてるんですが、へんな所ですよ、",
"さうですか、なあ、",
"雨の降らない時でも、彼所の下を通ると、雨がばらばらと落ちて来たり、風の無い時でも、どうかすると、風が吹くんですよ……"
],
[
"生があるかね、",
"ございます、",
"では、生を一杯貰はふか、",
"はい、"
],
[
"お待ちどほさま、",
"有難う、"
],
[
"お判りになりませんか、",
"判らないね、",
"すぐお判りになりさうなもんですが、",
"判らないね、場所も判らなければ、時間も判らないね、",
"どうかなされていらつしやるんですね、",
"どうかしてゐるか、それも判らないんだ、",
"ぜんたいどうなすつたんです、",
"それが判らないね、云つておくれ、場所と時間を早く云つておくれ、それが判れば、思ひだせるだらう、",
"そんなつまらないことが判らなくつたつて、好いぢやありませんか、",
"つまらないことぢやない、大事のことなんだ、早く場所と時間とを知らしてくれ、ぜんたい此所は何所なんだ、そして幾時なんだ、"
],
[
"あゝ、あなたか、",
"何時、此所へいらしたんです、",
"今のさき来たばかりなんだ、ぜんたい、今、幾時です、",
"さあ、幾時ですか、まあ、そんなことは好いぢやありませんか、",
"時間と場所を聞かないと、何が何やらさつぱり判らなくなつてゐるんです、云つて下さい、",
"そんなことは好いぢやありませんか、私は、睡れないから曹達水でも戴かうと思つてまゐりましたよ。"
],
[
"ビールを飲んだから好い、そんなことより、此所は何所です、どうしても僕には判らないんです、云つてください、場所と時間が判らないと、僕の頭は何にも思ひだせないです、",
"そんなつまらないことは好いぢやありませんか、"
],
[
"つまらないことぢやないです、僕にとつては大事のことなんです、云つてください、",
"私が云はないたつて、今に知れますよ、ぢつとしてゐらつしやい、",
"駄目ですよ、何故あなたは、私がこんなに頼むのに云つてくれないのです、"
],
[
"そんな無理を云ふものぢやありませんよ、あまり無理を云ふと、私は行つちまひますよ、",
"ぢや、どうしても云つてくださらないですか、",
"それが無理ですよ、ぢつとしてゐらつしやい、"
],
[
"何故云つてくれないです、僕はあなただけが判つてゐて、他のことが何も判らないです、",
"では、三階へゐらつしやい、判るやうにしてあげますから、"
],
[
"では、すぐ三階へ行きませう、",
"まゐりませう、"
]
] | 底本:「伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典」学研M文庫、学習研究社
2003(平成15)年10月22日初版発行
底本の親本:「黒雨集」大阪毎日新聞社
1923(大正12)年10月25日
入力:川山隆
校正:門田裕志
2009年8月12日作成
2012年5月24日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "047998",
"作品名": "黒い蝶",
"作品名読み": "くろいちょう",
"ソート用読み": "くろいちよう",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字旧仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2009-09-13T00:00:00",
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"人物ID": "000154",
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"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
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"生年月日": "1880-03-02",
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"底本の親本名1": "黒雨集",
"底本の親本出版社名1": "大阪毎日新聞社",
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"入力者": "川山隆",
"校正者": "門田裕志",
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"XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2012-05-24T00:00:00",
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"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
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[
"お前か、タスキンはいないのか",
"タスキンは、薪を割らしているのよ",
"そうか、では、ジンを一杯コップへ入れて、持っておいで"
],
[
"見つかりましたとも、そこが私ですよ、ローゼンのお嬢さんが、午後になると、時どき馬に乗って、山の方へ散歩に往くことまで、調べて来たのです、そのうえ、そのお嬢さんが、今もその馬で、家を出たことを突きとめて来たのです、偉いでしょう、署長さん、国事犯の書生っぽを捕えたよりゃ、功があるのでしょう",
"好いとも、二倍の賞与を出してやる、ついでに、これから俺を山へ伴れて往け、機を失しないうちに、すぐ実行する",
"すぐこれからですか",
"幸運は、後に毛がないと云うじゃないか",
"よろしゅうございます、では、やっつけましょう、そのかわり、二倍の賞与は戴けましょうね",
"いいとも、旨く往けば、また別に出してやる"
],
[
"どなたか存じませんが、御用なら宅でお目にかかります、ここでは困ります",
"そんなにお嫌いになる方じゃありませんよ、立派な方ですよ、お逢いになれば、すぐ判ります、地位のある方ですよ"
],
[
"でも困ります、こんな野の中では",
"まあ、そう、そんなにおっしゃるもんじゃありませんよ、貴女にしても、関係がない方とは云えませんから",
"でも困ります、それに、すこし用事もありますから、これで失礼いたします"
],
[
"まあ、ちょっとおりてください、ちょっとでいいのですよ、そんなにするもんじゃありません",
"困ります、放してください、こんなところでは、どなたにもお眼にかかりません",
"あまり強情じゃありませんか、それじゃおためになりませんよ",
"かまいません、はなしてください、失礼じゃありませんか",
"そんなに云わずにちょっとおりてください、貴女が嫌いなら、私が馬を伴れて往きましょう"
],
[
"何をなされるのです、失礼じゃありませんか",
"そんなに云うものじゃありませんよ、私は貴女にお話したいことがありましたから、お呼びしましたけれど、貴女が逃げるじゃありませんか",
"何の御用ですか、云ってください、御用なら、口で云って判るでしょう、放してください"
],
[
"いやです、私は脅迫せられて、己の意志を曲げるのは嫌いです",
"脅迫なんかしやしないじゃありませんか、貴女があのとき、馬から降りてくだされりゃ、こんなかけっくらなんかしなくてもすんだのですよ",
"そんなことをおっしゃっても駄目ですよ、脅迫じゃありませんか、私は嫌です、どなたのおっしゃることでも聞きません、放してください、私は嫌です"
],
[
"署長さん、この女は口で云っても駄目ですよ",
"よし、あっちへ伴れて往け"
],
[
"貴様は警察の署長だな、署長ともあろう者が、その容は何事だ",
"貴様は何人だ",
"名を云う必要はない、その女を知っておる者だ",
"では、貴様と、媾曳に来たところだな、この女は",
"黙れ",
"不埒者奴、貴様が黙れ",
"何"
],
[
"今、馬に餌をやる時に見ると、好い室があるようですよ、談判して入ろうじゃありませんか",
"どこだね",
"私達がはいって来たところから、左寄に室がありましたね、そこから折れ曲った処ですよ、広い室らしいですよ",
"では主人に談判しようじゃないか",
"往って来ます"
],
[
"怪しいって、どんなことなのだね、怖がり屋が、己の影法師なんかを見て、なにか云うのだろう",
"そんなこともありましょうが、なにしろ変なことがありますから、何人も入れないことにしてありますよ",
"俺達が好いなら、かまわないだろう、そこへ入れて貰らおうか",
"お客さんさえ宜しければ、私の方はかまわないですが、また変なことでもありますと、お気の毒ですから"
],
[
"それが宜しゅうございますね、なに大したことはないでしょう",
"お客さんがたってとおっしゃるなら、お入りになってもよろしゅうございますが、変なことがありましても、私の家では責任を負いませんよ"
],
[
"今晩はゆっくり飲もう、もう、ここへ来るなら、日本人も来やしない、大丈夫だ",
"そうですね、ここなら大丈夫ですね、やりましょう、好い室があるが、残念なことには、美人がおりませんね",
"いつかの、林の中の美人がおると好いがね"
],
[
"しかし、好い女でしたね、生かしておきたかったですね",
"そうだな"
],
[
"奥さんやお嬢さん達を、ちょっと見てまいります",
"好いよ、もすこし後でも好い",
"でも、かってが判らない宿屋ですから、お困りになるようなことがあってはなりません、ちょと見てまいります"
]
] | 底本:「日本怪談大全 第二巻 幽霊の館」国書刊行会
1995(平成7)年8月2日初版第1刷発行
底本の親本:「日本怪談全集 第三巻」改造社
1934(昭和9)年
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年5月2日作成
2012年6月22日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "052277",
"作品名": "警察署長",
"作品名読み": "けいさつしょちょう",
"ソート用読み": "けいさつしよちよう",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
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"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
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"底本名1": "日本怪談大全 第二巻 幽霊の館",
"底本出版社名1": "国書刊行会",
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} |
[
[
"そうだ、桐島さんだ、何時も胴忘れをしましてね、で、絹漉は、ちりか何かになされるので",
"どうですか、やっこに切ると云ってましたよ",
"そうですか、やっこに、では、すぐお届けいたします"
],
[
"いらっしゃいまし、どうも御苦労さんでございます、殿様が大変お悪いと聞きましたが、如何でございます",
"どうも腎臓が悪うございましてね、今晩も夜伽に来てくれた方が、寒いから温い物で、酒を出すと云っておりますよ",
"そうですか、それは大変でございますね、ほんとにね、どんなことでもできるご地位でも、病気はしかたがございません",
"博士の二人もついていて養生しているのですが、面倒な病気になりますと、すぐ治らないのですからね",
"ほんとにね",
"僕が貰って往きましょうか"
],
[
"僕が貰って往っても好いのですよ、遅いし、雨も降ってますから",
"なに、よろしゅうございます、すぐお届けいたします"
],
[
"出入のお邸じゃないか、大事のお顧客様だ、そう云うなよ",
"お顧客だって、お邸だって、書生さんなら好いじゃないか、持って往きよ",
"まあ、そう云うなよ、大事なお顧客様だ、しかたがない、お前持って往け",
"私、厭だよ、お前さんが持ってくと云ったから、持って往きよ",
"まあ、そう云うなよ、お前持ってって来い、大事なお顧客様だ",
"それ、よう往かないでしょう、月夜の晩でさえ、お寺の傍が恐いとか何とか云ってるじゃないか、今晩は真暗だよ、それに雨も降ってるし、私だって恐いじゃないか、お前さんが持って往きよ",
"そんなことを云うなよ、お前が往って来い、暗けりゃ、提燈があるじゃないか",
"お前さんが、その提燈で、持ってお出でよ"
],
[
"なんだ、なんだ",
"帰りに、あすこの曲り角の電信柱の処まで来ると、青い鬼火がふわふわと飛んで来て、ぶっつかったのですよ"
],
[
"まだ早いじゃねえか、そんなに早く起きたってしかたがねえ",
"早くはないのだよ、もう四時だよ、さっさとお起きよ",
"四時になってからでも好いよ",
"いけないのだよ、早くしないと、日の短い時は、何もする間がないじゃないの、お起きよ"
],
[
"飯のあとで好いじゃないか",
"好かあないよ、仕事の定がつかないから、お開けよ"
],
[
"おや、桐島さんの書生さんですか",
"ああ、桐島だがね、今日、また沢山注文するから、ちょっとこれから、お邸までいっしょに往ってくれないかね"
],
[
"じゃまいりましょう、それにしても、ばかに早いじゃありませんか",
"殿様が御病気だから、家の者は皆寝ずにいるのだ、だから、宵も朝も無くなっているのだ"
],
[
"ああ、そうですね、大変ですね、殿様の病気は、ちと宜しい方でございますか",
"どうも、よくなくって困っているのだ"
],
[
"怖がることはない、俺の云いつけどおりするなら、怖がることも何にもない",
"は、はい"
],
[
"これを殿様の頸に捲いて来い、ただ捲いて来さえすれば好い、お前がどんな音をさしたって、起きる者は無いから、大丈夫だ、捲いて来い",
"は、はい",
"早く、云うとおり捲いて来い、云うことを聞かないのか、早く捲いて来い、ただ捲いて来さえすれば好い、べつに何もしなくても好い"
],
[
"どう云うものか、放ねかえって捲きつきません",
"そうか、捲きつかんかも判らない、ではこれを枕頭に置いて来い"
],
[
"伯爵が病気になったのを好いことにして、二人でこうして媾曳しているのだ、これも、俺が復讐にさしていることだ",
"それは、またどうしたわけでございます",
"もとの起りは、やっぱしこの不品行な夫人さ、俺と夫人との関係が知れると、あの悪党奴、ここにいるこの運転手に云いつけて、夜、俺が早稲田の先輩の家から帰るのを待ってて、石切橋の傍で轢殺したものだ、世間では、俺が主の知れない自動車に轢殺されたと云うことになってるが、悪党のやった仕事さ、あの悪党奴、夫人と俺との関係を発きたてて、夫人を追っ払って、下谷に置いてある妾を引きずりこもうと思ったが、養子という弱身があるので、いろいろ考えた末に、まず俺だけ葬って、夫人の方は後まわしにしたのだ、もすこし待っておれ、あの悪党奴に復讐する時が来たのだ"
],
[
"ぜんたいどうしたんだ、俺には判らねえが",
"では、気もちが好いのだね",
"なんともないよ、どうしたのだ",
"お前さんが表の戸を開けに往って、ひっくり顛ったきりで、判らなくなったから、お隣の方に来てもらったり、お医師を頼んだりして、大騒ぎしていたのだよ"
]
] | 底本:「日本怪談大全 第二巻 幽霊の館」国書刊行会
1995(平成7)年8月2日初版第1刷発行
底本の親本:「日本怪談全集 第一巻」改造社
1934(昭和9)年
※「微暗《うすくら》い」と「微暗《うすぐら》い」の混在は、底本通りです。
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年5月22日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品名": "黄灯",
"作品名読み": "こうとう",
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} |
[
[
"そんな同情があるなら、買い取って逃がしてやったらどうだ",
"無論売ってくれるなら、買って逃がしてやるよ"
],
[
"あの興行師が、あなたを手放すでしょうか",
"明日は手放す機会をこしらえます、来て買い取ってください",
"いいとも、買い取ってあげよう"
],
[
"この畜生、爺親を噛み殺したから、殺すところだ",
"そうか、それは気のどくだが、お父さんを殺されたうえに、虎を殺したら、大損じゃないか、それよりか、俺に売れ、その売った金でお父さんの弔をしたらどうだ"
],
[
"どうする、売ってくれるか",
"十万銭なら、売りましょう",
"よし、買った、銭を渡すから何人か一人、いっしょに来てくれ",
"私がまいります"
],
[
"それでは、この虎を放してくれ",
"ここへ放すと、またどんなことになるかも判りません、あんたに売ったから、あんたが山の中へ伴れてって放してください"
],
[
"お休みなさいまし",
"ありがとう、あんたはいくつ",
"十六よ",
"もう、お婿さんがきまっておりますか"
],
[
"や、どうもすみません、僕を呼びつけているものですから、ついうっかり言いました",
"いいのよ、お茶を召しあがるだろうと思って、こしらえてあったのですもの"
],
[
"何がひどいの",
"ひどいのよ"
],
[
"貴女のお婿さんは、どうなっているの",
"あなたは奥さんをもらうの",
"もらいますとも"
],
[
"なるほど大雪だ",
"とても、二三日はたたれませんよ、ゆっくり御逗留なさい"
],
[
"甚だ失礼ですが、お宅のお嬢さんは、何処かへ、もう、縁談がおきまりになっておりますか",
"まだきまっておりません、何処かもらってくれる方があれば、いいがと思っておりますが、まだそうした家が見つかりません",
"甚だ失礼ですが、私にくださいますまいか",
"ほんとうにあなたがもらってくださるなら、喜んでさしあげます"
]
] | 底本:「中国の怪談(二)」河出文庫、河出書房新社
1987(昭和62)年8月4日初版発行
底本の親本:「支那怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年発行
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2004年11月3日作成
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "001644",
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[
[
"僕と胡先生とは、もう莫逆の友になっております、結婚なんかしなくてもいいでしょう、それに児は、もう許婚になっておりますから、どうかあなたが僕に代って、胡先生に話してください",
"しかし令嬢は、確かにまだ許婚になっていないことを知っておりますが、なぜ胡先生と結婚さすのをお嫌いになります"
],
[
"何が無礼だ",
"けしからんことをおっしゃる",
"何がけしからん",
"けしからんです"
]
] | 底本:「中国の怪談(二)」河出文庫、河出書房新社
1987(昭和62)年8月4日初版発行
底本の親本:「支那怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2004年9月25日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "001654",
"作品名": "胡氏",
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"底本出版社名1": "河出文庫、河出書房新社",
"底本初版発行年1": "1987(昭和62)年8月4日",
"入力に使用した版1": "1987(昭和62)年8月4日初版",
"校正に使用した版1": "1987(昭和62)年8月4日初版",
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} |
[
[
"どうしたかと思って、心配してたのですよ",
"少し病気でしてね",
"もう好いのですか"
],
[
"なんですか",
"法衣を貸してくれませんか",
"貸してあげましょうが、それをどうするのです",
"少し入用です"
]
] | 底本:「日本の怪談(二)」河出文庫、河出書房新社
1986(昭和61)年12月4日初版発行
底本の親本:「日本怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年初版発行
入力:Hiroshi_O
校正:門田裕志、小林繁雄
2003年7月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "004479",
"作品名": "法衣",
"作品名読み": "ころも",
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[
[
"どうもありがとうございました、御厄介をかけて相すみません",
"お嬢さんが、お困りになってらっしゃるのを、私の主人が見まして、お送り申せと申しますので、お送りいたしました、あの馬に乗ってるのが、私の御主人でございます"
]
] | 底本:「中国の怪談(一)」河出文庫、河出書房新社
1987(昭和62)年5月6日初版発行
底本の親本:「支那怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年発行
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2004年11月3日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[
[
"いや獲れる、この潮時に獲れずにいつ獲れる、見ておれ",
"それでも、未だ早いじゃないか",
"早いことがあるもんか、去年は十日も早かったじゃないか"
],
[
"鮭を獲るのを気の毒じゃと云うてやめたら、こちとら夫婦が餓死せにゃならん",
"それもそうじゃが、物の生命をとるのは殺生じゃ、決して好い報いは来ない",
"好い報いが来ないと云うても、親譲りの漁師じゃ、他にしようもないことじゃ",
"それもそうじゃが、せめてこの二三日でも、やめたらどうじゃ",
"二三日位ならやめても好いが、二三日魚を獲らなかったところで、その後で獲りゃあ同じことじゃないか",
"そうじゃない、この二三日の潮時に、多くの鮭は皆登るから、それでも罪業が軽くなるわけじゃ",
"お坊さんは、この二三日の潮時に、鮭の登ると云うことを、どうして知っているのじゃ",
"そんなことは、私には、ちゃんと判っている"
],
[
"じゃ、二三日は見合すとしようか",
"それが好い、それが好い、出家は悪いことは云わない"
],
[
"そうじゃろうか",
"どうせそんなことじゃよ、それでのうて、彼のお坊さんが、漁のことを知るもんかね",
"それもそうじゃ、じゃ、やっぱりやるとしようか",
"そうとも、あんな者に欺されてたまるもんかね"
]
] | 底本:「日本の怪談(二)」河出文庫、河出書房新社
1986(昭和61)年12月4日初版発行
底本の親本:「日本怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年初版発行
入力:Hiroshi_O
校正:小林繁雄、門田裕志
2003年7月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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[
[
"お見かけすると、隣の室に酒宴の準備をしてあるようですが、全体どういう事情で、貴女は泣いていらっしゃるのです",
"私は今晩、神様の人身御供になりますから、それが悲しゅうございます"
],
[
"人身御供、何という神の人身御供になります",
"この村に、烏将軍という神様がございまして、毎年毎年、女を一人、人身御供にあげております、もし、それをあげないと、村に災難が起ります、私のお父さんは、五百貫の金が欲しさに、私を人身御供の女に売りました、酒宴もその神様にあげるものでございます",
"村の者は皆どうした",
"私をここへ置いてから、皆逃げて帰りました、どうぞ私を助けてくださいませ"
],
[
"よし、助けてやろう、どんな神か知らないが、人身御供を求めるような神は邪神だ、助けられなかったら、いっしょに死のう",
"どうか、助けてくださいませ",
"その邪神は、いつくる",
"夜半比にくるということでございます",
"では、運を天にまかして、邪神を待とう、心配しないで、ここに待っていなさるがいい"
],
[
"相公は、何故、ここにいらっしゃいます",
"今晩は、目出度い婚礼の酒宴があるということを路で聞いたから来た"
],
[
"貴郎は、鹿の脯をおあがりになりますか",
"鹿の肉は好きだが、この辺は鹿があまりいないから、喫べられない"
]
] | 底本:「中国の怪談(一)」河出文庫、河出書房新社
1987(昭和62)年5月6日初版発行
底本の親本:「支那怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年11月30日発行
入力:Hiroshi_O
校正:小林繁雄、門田裕志
2003年9月17日作成
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "001629",
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"姓読み": "たなか",
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[
[
"それでも、初春の松の内を、血でお穢しなさるのはよろしくないと思いますが",
"そうか、さらば十五日過ぎてからにする"
]
] | 底本:「怪奇・伝奇時代小説選集13 四谷怪談 他8編」志村有弘編、春陽文庫、春陽堂書店
2000(平成12)年10月20日第1刷発行
入力:Hiroshi_O
校正:門田裕志
2003年7月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "004484",
"作品名": "皿屋敷",
"作品名読み": "さらやしき",
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"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
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"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "怪奇・伝奇時代小説選集13 四谷怪談 他8編",
"底本出版社名1": "春陽文庫、春陽堂書店",
"底本初版発行年1": "2000(平成12)年10月20日",
"入力に使用した版1": "2000(平成12)年10月20日第1刷",
"校正に使用した版1": "",
"底本の親本名1": "",
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"底本の親本初版発行年1": "",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
"入力に使用した版2": "",
"校正に使用した版2": "",
"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "Hiroshi_O",
"校正者": "門田裕志",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/files/4484_ruby_8048.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2003-07-24T00:00:00",
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"テキストファイル文字集合": "JIS X 0208",
"テキストファイル修正回数": "0",
"XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/files/4484_11820.html",
"XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2003-07-24T00:00:00",
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"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
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} |
[
[
"女子の知ったことか、だまれ",
"だまらんよ、私はそんなことは嫌いじゃ、そんな恐ろしいことは……",
"あほう、何をぬかす、だまれ、だまらんと豪い目に逢わすぞ",
"逢わされてもかまわん、私はそんなことは嫌いじゃよ"
],
[
"お民、もうええ、云うな、云わいでもええ",
"そんなら伯父さん、私の頼みを聞いてくれますか",
"ええ、判っちょる、云うな"
],
[
"明日は大丈夫じゃ、この雲は夜中比から晴れて、二番鶏時分から風になるよ、潮もなおるし、明日は日の高いうちに豊橋へ着く、今日のように、潮の悪いことはめったにない",
"そうかなあ、舟の上が長いとたまらない、明日は早く豊橋へ帰りたいもんじゃが",
"帰れるとも、飯でも喫て、ゆっくり休むが良え、朝、眼を覚した時分には、舟はもう走りよる、飯は途中で炊いて、ぬくぬくを喫わせる",
"そう云ってくれると、云うことはないが、しかし、海に巧者な船頭さんの云うことじゃ"
],
[
"なに、売るも売らんもない、昨夜の飲み残りがあるからあげましょう、私と伯父は、買いに往くが面倒じゃから、これから陸へあがって飲うで来る",
"陸に飲む処があるかな",
"ありますとも、船頭の骨休めをする処じゃ、なんでもありますよ",
"そうかなあ、昼だとちょとあがって見て来るが、夜はめんどうじゃ、その酒を売ってもろうて、一杯やって寝るとしよう"
],
[
"なに",
"俺と伯父さんとは、これから陸へ往って来る、お客さんが、飯がすんだら、蒲団をかけて、苫を立ててあげろ、苫を立てんと風邪を引く",
"良いよ、私が良いようにしてあげるから、そのかわり私がさっき頼んだことを聞いておくれよ"
],
[
"あの船頭さんは、年老った方の船頭さんは、お前さんの伯父さんかね",
"伯父でございます、一人は兄でございますが、二人とも困ったものでございます"
],
[
"二人が大酒でも飲むかな",
"大酒と云うでもありませんが……"
],
[
"そうでございます、道楽をしたり、酒を飲んだり、困ります",
"まあ、こうした商売をしておると、すこしはしかたがないだろうが、姐さんは、何時もこの舟におるかな",
"はい、家に何人もおりませんから、舟におります",
"家はどこだな",
"鳥羽の近くでございます",
"鳥羽の近く"
],
[
"飯をやったらどうだ",
"喫べましょう"
],
[
"わしも飯をもらおう。良い気もちになった",
"まだお酒がすこしありますが、沸かしましょうか",
"もうけっこう、わしは一合で多すぎるくらいじゃ",
"では、ここへ飯鉢と茶を置きますから、どうぞごゆっくり"
],
[
"今晩、一晩の辛抱じゃ、明日の晩は、ゆっくりと手足を延ばして休めるぞ",
"陸へあがりたいなあ",
"こんな処で、宿屋へ入ったら、高い金を執られる、もう一晩の辛抱じゃ",
"宿屋じゃありませんよ、ただ陸へあがって歩きたいですよ",
"道の不案内な処は油断がならんよ",
"なに、こんな狭い処じゃ、迷うてもそれほどのことはありませんよ",
"お前が往きたけりゃ、往っても良いが、足もとがあぶないぞ",
"往っても良いなあ、ちょっとその辺を見て来ましょうか"
],
[
"海の中へ落ちんように、気を注けて往って来い",
"往きましょうか",
"それなら往け、しかし、つまらんものを買うちゃいかんぞ",
"なにも買やしませんよ",
"それならちょと往って、その辺を見てすぐ戻って来い",
"往って来ます"
],
[
"なにか、私に",
"どうしても話さねばならないことがありまして",
"どんなことです",
"すこしみょうなことでございますから"
],
[
"なんですか",
"すこしみょうなことでございますから"
],
[
"なんですか",
"すこしみょうなことでございます"
],
[
"なんですか",
"こんなことを申しますと、貴郎はびっくりしましょうが、私の伯父と兄は、真人間じゃありません、伯父と兄は、恐ろしい盗人でございます、船頭になって貴郎方を伴れて来て、殺してものを奪ろうとしております"
],
[
"私がおりますから、どんなことがあっても、貴郎方の御迷惑になるようなことはありませんが、ほんとうは恐ろしい盗人でございます、早く貴郎に知らそうと思いましたが、知らして陸から逃げて往くようなことがあると、陸には仲間がおって見張をしておりますから、却てあぶのうございます、それであなたに、先ず知らした後で、お父さんに話して、伯父と兄をどうかしておいて、貴郎方を舟で逃がそうと思うております、これから舟へ往って、三人で相談しましょう、どうか騒がずにいてくださいませ",
"じっとしておるよ、じっとしておるとも、大丈夫だろうか"
],
[
"大丈夫でございますが、私も貴郎方に、伯父と兄の悪いことを知らしたからには、もう伯父や兄と顔を逢わせることができません、どうかその時は、私を助けてくださいませ",
"助けるとも、お前さんの世話をきっとするよ、私は豊橋の山村と云う者じゃ、もし逃がしてくれたらどんなお礼でもするよ",
"とにかく、これから舟へ往って、貴郎のお父さんに話して、相談しましょう、こわいことはないから、騒がないようにしてくださいませ",
"良いよ、騒がないよ、では、早う往こう"
],
[
"どうした",
"大変なことがあります、起きてください"
],
[
"なんだ",
"この舟の船頭は盗人じゃと云います",
"なに、盗人"
],
[
"私の伯父と兄は恐ろしい盗人で、今晩貴郎方を殺して、金を奪る目論見をしておりますが、決して指一本も差させませんから、静に寝ておってくださいませ、私に考えがございます",
"この人が、伯父さんと兄さんと喧嘩した後には、何人も世話になる者がないから、世話をしてくれと云います、お父さん、世話をしてやろうじゃありませんか"
],
[
"よし、良いとも、ここを逃がしてくれるなら、お前と夫婦にしても良い",
"どうか静にして、お二人とも横になっておってくださいませ、刃物もさっき海の中へ捨てましたから、たとえあがって来てもまちがいはありませんが、舟へは一足もあげさせないようにします"
],
[
"では、姐さんにまかして、横になっておろう、大丈夫だろうか",
"大丈夫でございます、どうか寝ておってくださいませ",
"それでは横になろう"
],
[
"なんだ、まだ寝ずにおるか",
"寝ておって眼が覚めたところよ、伯父さんもいっしょ",
"いっしょとも、伯父さんがぐでんぐでんに酔ったから、肩にかけて戻ったところじゃ",
"そんなら静に舟へ乗りなさいよ",
"乗るとも、さあ伯父さん、橋板じゃよ"
]
] | 底本:「日本怪談大全 第二巻 幽霊の館」国書刊行会
1995(平成7)年8月2日初版第1刷発行
底本の親本:「日本怪談全集 第四巻」改造社
1934(昭和9)年
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年5月22日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "052275",
"作品名": "参宮がえり",
"作品名読み": "さんぐうがえり",
"ソート用読み": "さんくうかえり",
"副題": "",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
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"姓": "田中",
"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "日本怪談大全 第二巻 幽霊の館",
"底本出版社名1": "国書刊行会",
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"入力に使用した版1": "1995(平成7)年8月2日初版第1刷",
"校正に使用した版1": "1995(平成7)年8月2日初版第1刷",
"底本の親本名1": "日本怪談全集 第四巻",
"底本の親本出版社名1": "改造社",
"底本の親本初版発行年1": "1934(昭和9)年",
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"入力者": "川山隆",
"校正者": "門田裕志",
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} |
[
[
"おお、おお、睡っているな、可愛い可愛い顔をして",
"今、睡ったばかりよ"
],
[
"これはありがたい、晩には煮て、お爺さんにもあげよう、籠を借りて置いてもかまわないかな",
"かまいませんよ、この次に貰って往きますから"
],
[
"お婆さんは、出掛だけれど、ちょっと話がありますが",
"どんな話だよ、かまわない、話があるなら話してみな"
],
[
"私のことじゃない、お婆さんのことじゃが、お婆さんが我家に来ないもんじゃから、我家の作造が心配して、お婆さんは何か私に気に入らないことがあって、それで来ないかも判らん、よくお婆さんの腹を聞いてくれ、私のいたらん処はなおすと云うて心配しておりますよ、お婆さんは何故我家へ来ません",
"なに往くとも、どうせお前等二人に世話になろうと思うておるが、四十九日の間は、魂魄が家の棟を離れないと云うことじゃからな、四十九日でもすんで、そのうえでと思うておるところじゃ、作造さんになんの気に入らんことがあるものか",
"そんなら、四十九日がすんだら、我家へ来るの",
"四十九日でもすんだなら、そのうえで定めようと思うておるが、まだお婆さんはこのとおり体が達者だから、当分一人で気楽にこうしておっても好い",
"お婆さんは気楽で好いかも知れんが、お婆さんを一人置くと、私等が心配でならん、それに第一用心が悪いじゃないか",
"なに大事な物は、本家に預けてあるし、病に罹りゃすぐ目と鼻との間じゃ、近処の衆が、一走りに知らしてくれるし、心配はないよ",
"それは、そうでも、お婆さんを無人の家へ一人置くことは、世間の手前もありますから、四十九日がすんだら我家へ来たらどう",
"往っても好い、私はべつにどうと云うことはないしな",
"それでは、来て貰いますよ"
],
[
"頼もう、頼もう",
"はい、はい"
],
[
"できます、できます、手許にはないが、親類にあずけてありますから、じき執って来ます、どうぞちょっと待ってくだされ",
"すぐ執って来るなら待ってやっても好いが、遅くはないだろうな"
],
[
"ど、ど、して、遅くなりますものか、小半時もかかりません、どうぞ、ちょっと待ってくだされ、お爺さんがいとしい",
"しかし婆さん、俺達は地獄の使じゃ、こんなことを他の人間に話したりすると、俺達も此処にこうしていられん、そんなことは云わずに、金を持って来んといかんぜ"
],
[
"それは、もう、そんなことをなにしに申しましょう、黙って執って来ますから、どうぞ待ってくだされ",
"そんなら好い、待ってやる"
],
[
"旨くいったな",
"うむ、旨くいった"
],
[
"脱いでも好いだろう",
"そうじゃ、脱いでもいいな"
],
[
"旨くいったな",
"大丈夫じゃ"
]
] | 底本:「日本の怪談(二)」河出文庫、河出書房新社
1986(昭和61)年12月4日初版発行
底本の親本:「日本怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年初版発行
※「私はまた何人《だれ》かと」「庖厨《かって》の庭から入り」は、底本では「私はまだ何人《だれ》かと」「疱厨《かって》の庭から入り」ですが、親本を参照して直しました。
入力:Hiroshi_O
校正:門田裕志、小林繁雄
2003年7月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "004478",
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[
[
"気の毒だが、湧金門までやっておくれ、保叔塔へ焼香に往ってて雨を喫ったところだ",
"そいつは大変でしたね、早くお乗んなさい、わっしも湧金門へいくところじゃ",
"そうか、そいつはちょうど宜い、乗っけてもらおう"
],
[
"張さん、乗っけてやろうじゃないか、困ってるじゃないか",
"そうですな、ついでだ、乗っけてやりましょうや"
],
[
"過軍橋の黒珠巷です。許と云う姓で、名は宣と云います、あなたは",
"私は、白と申します、私の家は白三班で、私は白直殿の妹で張と云う家へ嫁いておりましたが、主人が歿くなりましたので、今日はその墓参をいたしましたが、こんな雨になって、困っているところを、お蔭さまでたすかりました",
"そうでしたか、私も両親を早く歿くしておりますので、今日は保叔塔寺へ往ったところで、この雨で、困って湧金門まで舟を雇おうと思って、来て見ると知己の舟がいたので乗ったところでした、ちょうど宜しゅうございました"
],
[
"今朝、家を出る時に、急いだものですから、おあしを忘れてまいりました、誠に恐れ入りますが、どうか船賃を拝借させていただきとうございますが、家へ帰りましたなら、すぐお返しいたしますが",
"そんなことは宜いのですよ、私が払いますから"
],
[
"もう遅うございますから、またこの次に伺います",
"そうですか、……それでは、また、お眼にかかります、どうも有難うございました"
],
[
"や、あなたでしたか、さっきは失礼しました",
"さきほどは有難うございました、どうも雨がひどいものですから、婢に傘を執りに往ってもらって待っているところでございます",
"そうですか、それは……、では、この傘を持っていらっしゃい、私はすぐそこですから、傘が無くっても宜いのです"
],
[
"有難うございますが、それではあんまりでございますから、宜しゅうございます、もう、婢がまいりましょうから",
"なに、宜いんです、私は、もう、すぐそこですから、傘をさすほどのことはないのです、さあお持ちなさい、傘は私が明日でも執りにあがりますから",
"でも、あんまりですわ",
"なに、宜いのです"
],
[
"おや、いらっしゃいまし",
"傘をもらっていこうと思って、今、来たところですが、どこです"
],
[
"よくいらっしゃいました、昨日はまたいろいろ御厄介になりまして有難うございました",
"いや、どういたしまして、今日はちょっとそこまでまいりましたから、お住居はどのあたりだろうと思って、何人かに訊いてみようと思ってるところへ、ちょうど婢さんが見えましたから、ちょっとお伺いいたしました"
],
[
"何もありませんが、お一つさしあげます",
"いや、そんなことをしていただいてはすみません、これで失礼いたします",
"何もありません、ま、お一つ、そうおっしゃらずに"
],
[
"なに、傘はそんなに急ぎませんよ、また明日でも執りにあがりますから、今日わざわざでなくっても宜いのです",
"では、明日、私の方からお宅へまでお届けいたしますから",
"いや、私があがります、店の方も隙ですから",
"では、お遊びにいらしてくださいまし、私は毎日対手がなくて困っておりますから",
"それでは明日でもあがります、どうも御馳走になりました"
],
[
"ようこそ、さあどうかお入りくださいまし、今、奥様とお噂いたしておったところでございます",
"今日は傘だけいただいて帰ります、傘をください、ここで失礼します"
],
[
"さあ、どうぞ、お入りくださいまし、もしかすると、今日いらしてくださるかも判らないと思って、朝からお待ちしておりました",
"今日はもうここで失礼します、毎日お邪魔をしてはすみませんから",
"私の方は、毎日遊んでおりますから、お客さんがいらしてくださると、ほんとに嬉しいのですわ、お急ぎでなけりゃ、お入りくださいましよ",
"私もべつに用事はありませんが、毎日お邪魔をしてはすみませんから",
"御用がなけりゃ、どうかお入りくださいまし、さあ、どうか"
],
[
"何かお話が、……あまり長居をしましたから",
"お話ししたいことがありますわ、では、もう一杯いただいてくださいまし、それでないと申しあげにくうございますから"
],
[
"そんなことはありませんが、私は、家も無い、何も無い、姐の家に世話になって、それで、日間は親類の舗へ出ているものですから",
"他に御事情がなければ、他に御事情があればなんですが、そんなことなら私の方でどうにでもいたしますから"
],
[
"それをいただきましては",
"宜いじゃありませんか、費用ですもの"
],
[
"どんなことだ、さきに云ってみるが宜い",
"まあ、二三杯あがってください、ゆっくり話しますから"
],
[
"私は、これまで御厄介をかけて、こんなに大きくなりましたが、その御厄介ついでに、も一つお願いしなくてはならないことがあります、私は、結婚をしたいと思います",
"婚礼か、婚礼は大事だから、一つ考えて置こう、なあお前"
],
[
"姐さん、この間のことを、兄さんと相談してくれましたか",
"まだしてないよ",
"なぜしてくれないんです",
"兄さんが忙しかったからね",
"忙しいよりも、兄さんは、私が婚礼すると、金がかかると思って、それで逃げてるのじゃないでしょうか、金のことなら大丈夫ですよ、ありますから"
],
[
"あれは、何人かと約束しているのですよ、親元になって、儀式さえあげてやれば宜いのですよ、早く婚礼をさそうじゃありませんか",
"じゃ、この金は、女の方からもらったものだね"
],
[
"いつわるな、その方が邵大尉の庫の中の金を偸んだと云うことは、その方が姐に預けた、五十両の金が証拠だ、あの金はどこにあったのじゃ",
"あの金は、荐橋双茶坊巷の秀王墻対面に住んでおります、白と云う女からもらいました"
],
[
"この盗人、俺をこんな目に逢わしておいて、またここへ何しに来たのだ",
"私は、決して、そんな悪いものではありません、それをあなたに弁解したくてまいりました"
],
[
"臥仏寺前の道人がそう云ったものだから、彼奴俺をからかったな",
"ほんとに道人がそんなことを云ったなら、明日二人で往ってみようじゃありませんか、怪しいか怪しくないか、すぐ判るじゃありませんか"
],
[
"ちょうど宜い、ここに皆さんが見ていらっしゃる、私が怪しい者で、お前さんの符水がほんとうに利いて、私の正体が現れると云うなら飲みましょうよ、さあください、飲みますよ",
"よし飲め、飲んでみよ"
],
[
"詐りを云うな、そのほうがいくら詐っても、その衣服と扇子が確な証拠だ、それでも家内がくれたと云うなら、家内を伴れてくる、どこにおる",
"家内は吉利橋の王主人の家におります",
"よし、そうか"
],
[
"どうしたと云うのです",
"あの女にひどい目に逢わされたのです、今、家におりましょうか"
],
[
"まあそんなにおっしゃらないで、私の云うことを聞いてくださいよ、二度もあなたをまきぞえにしてすみませんが、あの衣服と扇子は、私の前の夫の持っていたものですよ、決して怪しいものじゃありません、だから疑いが晴れたじゃありませんか",
"それじゃ、俺が王主人の所へ帰った時に、何故いなかったのだ",
"それは、あなたの帰りが遅いものですから、婢と二人で、あなたを探しに往ったところで、あの騒ぎでしょう、私は恐ろしくなったから、船で婢の母の兄弟のいる、この家へ来ていたのです"
],
[
"今晩は、みょうに気もちがわるいから、来たのですよ",
"今晩は御馳走になって宜い気もちじゃないか",
"宜い気もちじゃありませんよ、あなたは、ここの旦那を老実な方だと云いましたが、どうしてそうじゃありませんよ、私が東厠へ往ってると、後からつけて来て手籠めにしようとしたのです、ほんとに厭な方ですよ",
"しかし、べつにどうせられたと云うでもなかろう、まあ宜いじゃないか、早く帰ってお休みよ",
"でも、私はあの旦那が恐いわ、これからさき、またどんなことをせられるか判らないのですもの、それよりか、私が二三十両持ってますから、ここを出て、碼頭のあたりで小さな薬舗を開こうじゃありませんか"
],
[
"そうだな、小さな舗が持てるなら、そりゃその方が宜いが",
"では持とうじゃありませんか",
"そうだね、持っても宜いな、じゃ、暇をくれるかくれないか、明日旦那に願ってみよう"
],
[
"法海禅師にお眼にかかりたいのですが",
"法海禅師は、一度もこの寺へいらしたことはないです"
],
[
"どうか私の一命を救うてくださいまし",
"では、また彼の孽畜が纏わって来たとみえるな、どこにおる",
"姐の夫の李幕事の家に来ております",
"よし、では、この鉢盂をあげるから、これを知らさずに持っていって、いきなりその女の頭へかぶせて、力一ぱいに押しつけるが宜い、どんなことがあっても、手をゆるめてはならない、わしは、今、後から往く"
],
[
"和尚さんが、怪しい者を捉りに来たと云って見えたよ",
"それは法海禅師です、早くお通ししてください"
],
[
"その方は、何故に人に纏わるのじゃ",
"私は風雨のときに、西湖に来た蠎蛇です、青魚といっしょになっておりましたところで、許宣を見て心が動いたので、こんなことになりました、それでも、曾て物の命を傷うたことがございませんから、どうか許してください",
"淫罪がもっとも大きいからいけない、それでも千年間修練するなら命は助かる、とにかく本の形を現すが宜い"
]
] | 底本:「怪奇・伝奇時代小説選集14 累物語 他10篇」春陽文庫、春陽堂書店
2000(平成12)年11月20日第1刷発行
底本の親本:「怪談全集 歴史篇」改造社
1928(昭和3)年発行
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2006年6月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "042319",
"作品名": "蛇性の婬 ",
"作品名読み": "じゃせいのいん ",
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"副題": "雷峰怪蹟",
"副題読み": "らいほうかいせき",
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"分類番号": "NDC 913 923",
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"底本名1": "怪奇・伝奇時代小説選集14 累物語 他十篇",
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"入力に使用した版1": "2000(平成12)年11月20日第1刷",
"校正に使用した版1": "2000(平成12)年11月20日第1刷",
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[
[
"俺は東郷大将だぞ、ロスケに負けるものかい",
"汝はクロバトキンだろう",
"やっつけろ、クロバトキンをやっつけろ"
],
[
"なんだ、暢気そうに睡ってるじゃねえか",
"終夜稼いだお疲れか"
],
[
"俺に用があるのか",
"あるとも、俺を盗児と云ったのは、何人だ",
"ぬすっと、何人が汝さんを盗児と云ったのだ"
],
[
"云わねえ、云うものかい、盗児と云うものかい",
"云わねえことがあるか、終夜稼いだと云やがったくせに、云やしないもすさまじいや"
],
[
"野郎",
"こん畜生"
],
[
"く、く、く",
"う、う、う",
"む、む、む",
"う、う、う"
],
[
"何云ってるのだ、爺さん、俺の云ってるのは、今、喧嘩のとき、仲へ入ってくれた女のことだよ、何人だい、ありゃ、なんだか俺を知ってるような口ぶりだったじゃねえか、この辺の人かい",
"なに、喧嘩の時、仲へ入った女、そ、それが水神様じゃないか",
"水神様だなんて、神様じゃないよ、色の白い、夫人のような女じゃねえか、判らなかったかい",
"判ってるから、水神様だと云ってるじゃないか、まさか汝さんがそれを拝むのじゃねえだろう"
],
[
"谷さんと朋友かい",
"朋友だとも、だから痴にするものじゃないよ、こう見えても、経書はもとより、史子百家の書に通じてるのだ、つまり王道に通じているのだ、この王道とはとりもなおさず神の道だ、今度の日露の戦争だってそうだ、日本には神の道に通じているものがいるから、夷狄の露西亜に勝ったのだ、鉄砲を打ったり、人を殺すことが豪かったから、勝ったと云うわけのものでない、王道つまり神の道だ、だから私には水神様が時どきお姿を拝ましてくだされるのだ"
],
[
"爺さん",
"ほい"
],
[
"前刻の女って、なんだな",
"俺が喧嘩してた時に、仲へ入ってくれた女さ、ありゃこの辺の女じゃないかね",
"見かけない女だよ"
],
[
"そうかね、ほんとに知らないかね",
"知らないよ",
"そうかね"
],
[
"汝は知らないのか",
"それでございますよ"
],
[
"どうしたと云うのだろうな、汝はどう思う",
"そうでございますよ、旦那が御心配なされているようだし、私もへんに思いますから、せんだって、それとなしに聞いてみたのですが",
"聞いたら、何と云った",
"俺は、べつに何もないのだ、兄は俺を小供のように面倒をみてくれるし、不足も何もあるものかと云うのですよ"
],
[
"それじゃ、何だろうね、凱旋して来た当座は、やっぱり昔のとおりだったが、どうしたと云うのだろうな",
"それでございますよ。若旦那がへんにしだしたのは、昨年の暮比からでございますよ、元は無邪気で、きびきびして、始終旦那に小遣をねだって、旦那が煩がると、私が仲へたってもらってあげるものだから、戦争から帰ってらしても、私に、今日は兄の機嫌はどうだなんて、よく仰しゃってたものですよ、それが昨年の暮比からみょうに黙りこんで、厭な物でも眼前にいるようにしてるのですよ",
"女のことじゃないだろうか",
"旦那がせんだっても、そう仰しゃるものですから、それとなしに壮佼に聞かしたのですが、何人も知らないのですよ",
"そうか、この比は、私に顔をあわすのも厭と云うように、私をさけるのだよ",
"ほんとにどうしたと云うのでしょう、あんな無邪気な、きびきびしてた方が",
"どうしたと云うのだろうな、それで、昨夜から帰らないのか",
"そうでございますよ",
"そうか"
],
[
"それじゃ、明日は雨だな",
"そうでございますとも、神様がお出ましになったら、雨でございましょうよ",
"今朝から生暖かい、どうも天気が落ちたと思ってたが、やっぱりそうだったか",
"御神酒をあげましょうか",
"そうだ、そうしてくれ",
"へい"
],
[
"おい、お高、お高",
"呼んだのですか"
],
[
"ちょっとお出で",
"ちょっと待ってくださいよ",
"何かしてる",
"衣服の始末をしてるのですよ",
"衣服ならいいじゃないか、ちょっとお出で、お出ましになったのだから、あの楓の",
"そう",
"だから、ちょっとお出でよ",
"ちょっと待ってくださいよ",
"衣服は後でもいいじゃないか",
"だって"
],
[
"定七、塩もいいか",
"よろしゅうございます",
"そうか"
],
[
"定七、上を見てみな",
"へい"
],
[
"どうだ",
"神様がお出ましになったから、きっとおつれあいも"
],
[
"おう、やっぱり",
"いらっしゃるか",
"いらっしゃいます",
"そうか",
"あらそわれないものでございますよ"
],
[
"出たのですの",
"そうだよ、お出ましになったのだ",
"どこ"
],
[
"ああ、そうね",
"ありがたいことだ、もったいない"
],
[
"我家がこうしていけるのも、神様のおかげだ、おろそかに思ってはならない",
"そうね"
],
[
"夫人、おつれあいも、お出ましになっておりますよ",
"そうかね",
"お庭へ、ちょっとお出でになっては"
],
[
"すぐでございますか",
"すぐさ、こうして持ってるじゃないの",
"よろしゅうございます、それでは、平吉を呼んでまいります",
"すぐだよ",
"よろしゅうございます",
"それじゃ、わたしは、土蔵の前にいるからね",
"へい"
],
[
"ちょっと手間がかかるのですが、ほかに用はないのですか",
"ない",
"それじゃ、ちょっと手間がかかりますよ",
"いい"
],
[
"鍵が見つからなかったものだから",
"鍵が見つからないなんて、平生の処に置いてあるじゃないの"
],
[
"弱虫ね、このひとは",
"だって、なかなか、この戸は、ね",
"男の癖に、そんな戸が重いなんて、だめだよ"
],
[
"だめだよ、口端できいたふうな事を云ったって、からっきしだめじゃないか、しっかりおしよ",
"へッ"
],
[
"鼠が入るから、早く入って、お締めよ",
"へい"
],
[
"用心がわるいから、鍵をかけるのだよ",
"へい"
],
[
"かけたの",
"へい",
"それじゃ、二階へ往って窓を啓けておくれよ",
"へい"
],
[
"へい",
"そうじゃないの",
"へい"
],
[
"ぼやぼやしてると落っこちるよ",
"へいッ"
],
[
"啓けたのですよ",
"そう"
],
[
"ここへ",
"そうよ"
],
[
"ここには、御一新前からの埃があるからね",
"へい",
"気をつけてね",
"へい"
],
[
"云わないことか、それ、こんなに埃が立つじゃないの、しっかりおしよ",
"へい",
"へいじゃないよ、ほんとだよ",
"へい"
],
[
"黴じゃないの",
"黴でしょうか"
],
[
"黴の匂ですか",
"そうよ、黴の匂を嗅いで、何か思いだしやしないこと",
"べつに、何も",
"ないの",
"ねえのです",
"私は思いだすよ、私は黴の匂を嗅ぐと、娘の時のことを思いだすよ",
"へえ",
"汝はぼくねんじんね",
"へえ",
"痴ねえ、この人は",
"へえ"
],
[
"あの引抽だよ、上から二番目だよ",
"へい"
],
[
"そっくり脱いて来ておくれよ",
"へい"
],
[
"へえ",
"これをすましたら、佳い物を見せてあげるから、ね",
"なんです",
"立ってもいてもたまらないと云うものだよ、どう",
"へえ"
],
[
"ぼんやりしてないで、引抽を元へやっておくれよ、佳い物を見せてやるじゃないの",
"へい"
],
[
"それじゃ、ついでに蒲団を出しておくれ、洗濯しなくちゃならないからね",
"へい"
],
[
"その中に入ってるのを、皆出しておくれよ",
"へい"
],
[
"どう",
"臭いのです",
"佳い匂じゃないの、私はこたえられないよ",
"好奇だなあ"
],
[
"そこへですか",
"そうよ"
],
[
"佳い匂じゃないの",
"へえ",
"汝もお坐りよ",
"へい"
],
[
"どう、こたえられない匂じゃないの、私ゃ、この匂を嗅ぐと気が壮くなるよ",
"好奇だ",
"好奇かも判らんが、私は好きさ、佳い匂じゃないの、この匂を嗅いでると、人が恋しくなるよ",
"へえ",
"そうだった、汝に見せてやるものがあったね、それでは見せてあげるから、わたしを伴れてっておくれよ"
],
[
"どこです",
"どこでもいいから、私を負っておくれよ"
],
[
"そんな、へんな顔をするものじゃないよ",
"へい",
"負っておくれよ",
"へい"
],
[
"あっち向くのだよ、こっち向いてちゃ、負われないじゃないの",
"へい"
],
[
"重い",
"なあに"
],
[
"ここよ",
"へい"
],
[
"それじゃ、帰るのだよ",
"へい"
],
[
"いや、何かおぼしめしがある、そんなもったいないこと",
"へい、これは、どうも",
"そうじゃ"
],
[
"もったいない",
"ほんとに、もったいないことでございます"
],
[
"汝は、も一つお神酒とお洗米を持って来てくれないか、お倉の方へな",
"よろしゅうございます、すぐ持ってまいります",
"それじゃ、俺は前へ往ってるから",
"それじゃすぐ持ってまいります"
],
[
"鼠はいいかな",
"よろしゅうございます",
"彼奴は油断もすきもできないから",
"そうでございますよ"
],
[
"それでは、三宝をとりかえてくれ",
"へい"
],
[
"よろしゅうございます",
"それでは"
],
[
"お塔は",
"そうでございますよ",
"拝見しよう"
],
[
"うん",
"どこへ往ってらしたのです",
"うん",
"ほんとにどこにいらしたのです、皆さんが心配してらっしゃるのよ、ほんとにどこにいらしたのです"
],
[
"まあ、いい",
"御飯はどうなさいました",
"喫えるのか",
"おすみになっておりませんか、すぐ出来ますよ",
"それじゃ喫おう",
"もすこしお待ちになると温い御飯も、お菜もできますが",
"お菜はどうでもいい",
"それでは、すぐめしあがりますか",
"うん",
"それでは"
],
[
"おつけしましょうか",
"いい"
],
[
"なに",
"品川でしょう、それとも大森",
"なに",
"ほんとに若旦那は、この比へんじゃありませんか、若旦那は、どんなりっぱな家からでも、ものによっては、華族のお嬢さんでも、奥さんにもらえるじゃありませんか、つまらない遊びはよして奥さんをもらったらどうです、旦那さまも御心配になっておりますよ",
"ふん"
],
[
"ほんとですよ、山県さんとか伊藤さんとか、豪い方の奥さんは、歌妓だと云いますから、歌妓でもお妓でも、それはかまわないようなものの、お宅は物がたい家ですから、堅気のうちからお嫁さんをもらわなくちゃなりませんが、どうかしてるのですか、奥さんも心配してらっしゃいますよ",
"へッ"
],
[
"ほんとですよ、奥さまが、心配してらっしゃいますよ、今朝も奥さまがいらしたのですよ",
"俺、己の女房は、己でもらうんだ、他の世話にならないや"
],
[
"そ、そんなことをおっしゃるものじゃありませんよ、奥さまや旦那さまが、貴下を我が子のように、可愛がってるじゃありませんか",
"あまり可愛がられたくないや、俺、嫌いだ"
],
[
"ああかい、ゆうひに、てらされて、とうもは、のずえの、いしの、した、――まっさき、かあけて、とっしんし――",
"ひろぼうか"
],
[
"あぶない、茶がかかる",
"かかったって、いいや"
],
[
"茶が眼にでもかかったら、眼が潰れるぞ",
"潰れたっていいや、東郷大将だ",
"眼が潰れたら、軍人になれんぞ、軍人になれなきゃ、東郷大将にも、乃木大将にもなれんぞ",
"なれるのだい、なれるのだい、眼が潰れたって、なれるのだい"
],
[
"痴、お町の痴やあい",
"だって、そうじゃありませんか、眼が潰れて、鉄砲が打てなけりゃ、按摩さんになるより他に、しようがないじゃありませんか",
"なに云ってやがるのだ、お町の痴の、婆あやあい"
],
[
"坊ちゃん、叔父さんは、お疲れになってるのですよ",
"疲れるものかい、叔父さんは、昨夜、品川のお妓楼へ往ったのだい"
],
[
"そうか、そうか、叔父さん、品川へ往ったのか",
"往ってたのだあい、品川のお妓楼へ往ってたのだあい",
"何人がそんなことを云ったのだ",
"お母さんが云ってたのだあい",
"なに、お母さんが",
"云ったのだあい、云ったのだあい"
],
[
"おい、ひろ坊",
"うん",
"この木の上へほりあげてやろうか"
],
[
"厭だい",
"それじゃ、天へほりあげてやろうか",
"厭だい",
"そんな弱いことで、どうする、男は何時でも、腹を切らなくちゃならんが、汝は腹が切れるか",
"厭だい",
"厭だ、怕いのか",
"怕くなくっても、厭だい",
"怕くないのに厭だと云う奴があるか、弱虫、しっかりしろ",
"しっかりしてるのだい",
"しっかりするものか、しっかりしてないよ、ほんとにしっかりしないと、たいへんだぞ、お父さんは人が好いから、どんなことになるかもわからんぞ、汝になにを云ってもわかるまいが、ほんとにしっかりせんと、鮫洲の大尽の山田も、屋根へぺんぺん草が生えるぞ、しっかりしろよ、しっかり",
"しっかりするのだい",
"そうかしっかりするか、しっかりせんといかんぞ、お父さんは人が好いから、どんなことになるかも判らんぞ、しっかりしろよ、汝はまだ何も判らんが、困った奴を背負いこんだものだ、畜生、弟にまでふざける奴だ、兄貴が可哀そうだ",
"あにきって何人だい",
"何人でもいいから、しっかりしろよ、汝がしっかりしてくれんと、ぺんぺん草だぞ",
"ぺんぺん草って、なんだい",
"ぺんぺん草は、草だよ、家が潰れて、貧乏になると、ぺんぺん草が生えるのだよ",
"自家は、富豪だい",
"さあ、その富豪が、しっかりしないと潰れるのだ、家が潰れないようにするには、皆が人の道を守って、子は親に孝行するし、兄弟は仲好くするし、女房は女房で、所天を大事にしなくちゃならん、その女房が所天を痴にして、品行の悪いことをしよると、家が潰れるのだ",
"女房ってなんだい",
"お媽さんのことだよ",
"おかみさん、それじゃ自家のお母さんも、女房かい",
"そうだよ",
"それじゃ、自家のお母さんが、自家を潰すのかい",
"お母さんが潰しはしないさ、これは物の譬だよ、しかし、お母さんだって、悪いことをすりゃあ、自家が潰れるのだよ",
"そう",
"そうさ、だから、お母さんもお父さんを大切にして、痴にしちゃならんよ",
"うん",
"判ったか",
"判ったのだい",
"よく覚えとれ",
"うん"
],
[
"いいのだい、叔父さんはいいのだい",
"重いのですよ、叔父さんは、苦しいのですよ",
"いいのだい、いいのだい、叔父さんはいいのだい"
],
[
"厭だい、厭だい、びっくりさして、厭だい",
"そんなことで、びっくりする奴があるかい",
"だって、だって、黙っててやるじゃないか、厭だい、厭だい、どうしても降りないやい"
],
[
"叔父さん、そんな小供、うっちゃりなさいよ",
"うっちゃられるものかい、厭だい、厭だい"
],
[
"痛い、痛い、降参、降参",
"厭だい、厭だい、痴"
],
[
"降参、降参、降参だよ",
"厭だい、厭だい"
],
[
"どうだい、もう動けないだろう",
"動けるのだ、動けるのだ"
],
[
"ほんとに、叔父さんがくるしいじゃないの、おりなさいよ、それに今日は、まだ復習をしないじゃありませんか",
"厭だい、厭だい",
"この坊主、どこかへおっぽり出せ"
],
[
"それは、人がちがってましょう。おいらは、いや、わたしは、鮫洲の山田広巳ですが",
"人違いではございません、貴郎でございます"
],
[
"だが、わたしは、そんな方は知らないですが",
"お入りくださいましたら、すぐお判りになります"
],
[
"何人です",
"貴郎の御迷惑になるような方ではございません、お姓名を申しあげても、貴郎は御存じないと思いますから"
],
[
"ほんとに、わたしですか、人違いじゃないですか",
"けっして人違いではございません、どうかお入りくださいまし",
"そうですか、じゃ"
],
[
"さあ、どうぞ",
"は"
],
[
"他には何人もいないのよ、ささ、どうぞ",
"は"
],
[
"さあ、どうぞ",
"おあがりなさいましよ"
],
[
"さあ、お坐りなさい",
"は"
],
[
"お茶じゃ、話ができないから、あれを持っていらっしゃい",
"は"
],
[
"どうか、それは",
"なに、こんな処ですから、何もありませんよ"
],
[
"どうか、それは",
"いいでしょう、めしあがれ、貴郎は、私をあまり御存じないでしょうが、私はよく存じておりますわ",
"は",
"まあ、そう堅っくるしくしないで、めしあがれ、それじゃ話がしにくいじゃありませんか",
"は",
"男子の癖に、遠慮なんかするものじゃないことよ、貴郎は、日露戦役の勇士じゃありませんか、それに、この間はね"
],
[
"私が判りまして",
"ああ",
"とにかく、一つめしあがれ、話がしにくいじゃありませんか"
],
[
"でも、貴郎は、私が判らないでしょう",
"そうです",
"今に判りますよ、判らなくたって、これからお知己になりゃ、いいでしょう",
"あ"
],
[
"あ",
"いけないの"
],
[
"どう",
"へ",
"厭なの",
"そ、そんな",
"それじゃ、なってくれるの",
"あ",
"どう、はっきりおっしゃいよ、まだ御酒がたりないじゃないの"
],
[
"もう、酒はたいへん",
"でも、はっきり返事ができないじゃないの"
],
[
"どう",
"もう、たいへん酔いました",
"酔ってるなら云えるじゃないの、それともこんなお婆さんとお朋友になるのは、厭",
"そ、そんな"
],
[
"それじゃ、なってくれるの",
"なります",
"なってくれるの、うれしいわ、ねえ、それじゃわたしに盃をくださいよ、かための盃をしようじゃないの",
"は"
],
[
"それをいただきますよ、それがいいのよ",
"でも、これは",
"いいじゃないの、貴郎のめしあがったものじゃないの"
],
[
"それじゃ、貴郎がお酌をしてくださいよ",
"は"
],
[
"けんちゃんか",
"暢気じゃないか、こんな処で寝るなんて"
],
[
"ここはどこだ",
"判らないのか",
"さあ",
"困った男だな、ここは海晏寺の前の榎の傍じゃないか",
"なに"
],
[
"君、そんな処に寝ていちゃ毒だよ",
"ああ",
"何時比から寝ていたのだ",
"さあ、あちこち飲んでたから",
"判らないのか",
"ああ",
"暢気だなあ",
"ああ",
"もう、十二時まわってるよ、早く往って寝たらどうだ"
],
[
"おい、けんちゃん、つきあわないか",
"どこへ往くのだ",
"品川さ",
"じょうだんじゃない、これから往ったら、夜が明けるじゃないか、早く往って寝るがいい",
"あんな処へ帰るものか、厭だい、往こう、なに、おおっぴけは、二時じゃないか、往こう"
],
[
"そうか",
"往こう、ビールでも飲もうじゃないか",
"そうだな"
],
[
"そんなことはないだろう、君んとこは、金はあるし、兄さんはあんないい人だし、へんじゃないか",
"そりゃ、兄貴はお人好しで、俺を児のように可愛がってくれるが、他がいけないのだ",
"他と云ったところで、姉さんばかりじゃないか、姉さんといけないのか、君を可愛がるじゃないか",
"いかん、あれはいかん",
"どうした"
],
[
"まさか、そんなことはないだろう、華美ずきで、あちこちへ往くようだが、てきぱきして、家のことでもなんでも、兄さんにかわってやってるじゃないか",
"それがいけないのだ、出しゃばって、華美好きな女なんて、ろくなことはしないのだ",
"無駄づかいでもするのか",
"無駄づかい、無駄づかいも、衣裳道楽とか、演劇道楽とか、そんな道楽なら、たいしたこともないが、いけないのだ",
"それじゃ、素行でもわるいのか、演劇なんかへ往ってると、俳優と関係があるとかなんとか、人はへんなことを云いたがるものだよ、何かそんな噂でもあるのか",
"そりゃ聞かないが、あんな女だから、そんなことを云われてもしかたがないよ、困った奴よ、児は小さいし、もし、兄貴でも死んだら、どうなるか判らないからね",
"兄さんが死んでも君がありゃ、大丈夫じゃないか、君が広坊の後見をして、しっかりやるなら、なんでもないじゃないか、それとも姉さんが、君を邪魔者にして、兄さんにたきつけるのか",
"そうでもないが、姉貴はじめ、家の雰囲気が厭なんだ"
],
[
"俺は、今、細君をもらう気がしないのだ",
"何故だ",
"何故と云うこともないが、もらう気がしない"
],
[
"うん",
"どんな夢だ"
],
[
"へんな夢だよ、俺が歩いてると、二人の女の子が出て来て、奥さんがお待ちかねだと云うから、往ってみると、奥さんらしい女がいて、響応になってると、女が盃をくれと云うので、やろうとしているうちに、二人の女の子は鵜になって飛ぶし、女は内裏雛のようになったのだよ",
"それで、びっくりしたのか"
],
[
"女の子が鵜になった、鵜になるはへんだね、なにかい、この比鵜を見たことがあるかい",
"見た、何時か品川の帰りに、あすこの八幡様へ入ってみると、天水桶さ、あの拝殿の傍にある鋳鉄の縁に、鵜がいて、ばさばさやってたのだ、ありゃあすこの池にいるだろうか",
"さあ、それは知らないが、それを見たのか",
"そうだよ",
"蒲鉾にいろいろの魚を入れるように、夢も見た材料で出来るのだね",
"そうだなあ",
"それじゃ、その奥さんのような女は、どうだ"
],
[
"人間と判っとるなら、おかっぽれかも判らないが、それがへんだよ",
"どうしたのだ",
"それがおかしいのだ、まだ寒い時、俺が今往ってた榎の傍を通ってると、二十七八の上品な佳い女が通ってたのだ、夜一人で通ってるから、どこかそのあたりの人だろうと思っていると、鵜を見た日なんだ、くたびれたから、休んでると、へんな奴が二人来て、俺を盗人が午睡してると云うから、撲りつけて諍闘になったところへ、その女が来て仲裁してくれたのだ、それで俺は八幡様を出て来たものの、その女の素性を確めようと思って、引返してみると、女はいないで、諍闘の時にいた社務所の爺さんが、拝殿の横に腰をかけて、仮睡してたから、聞いてみると、あれは水神様だ、人間じゃないと云うのだ、それだよ、夢に出て来たのは",
"君んとこは、すこしへんだぜ、蛇が出て来たり、蟻の塔が出来たり、どうかしてるのじゃないか、神様が出て来て諍闘の仲裁なんかするものか"
],
[
"そうだよ、俺の家には、魔がさしているのだよ",
"まさか、そうでもないだろうが、あまり迷信はいけないね",
"そうとも"
],
[
"どうもしねえが、聞いてみたところさ、だしぬけに往って来ると云うから、どこへ往くか聞いたじゃねえか",
"だから、聞いてどうすると云ってるじゃないの",
"どうもしねえが、聞いたっていいじゃねえか、家の細君の往く前ぐらい聞いたっていいじゃねえか",
"家の細君を、一人で出すのが心配になるとでも云うのかい",
"そうじゃねえ",
"それじゃ、毎日遊んで、細君に稼がしては気のどくだから、たまにはかわりに往ってくれるとでも云うのかい"
],
[
"なにをよ",
"なにって、家の旦那さまが、家の細君の往く前ぐらい、聞いたっていいじゃないかとおっしゃるのだよ",
"そう、心配になるでしょうよ",
"なに、毎日細君に稼がして、家で無駄飯を喫ってはすまないから、かわりにでも往ってくれるだろうよ",
"それじゃ、往ってもらったらいいじゃないの、とんとん走って往くでしょうよ",
"往ってもらおうかね、家には、皆りっぱな男が揃ってるから、何かの時にゃたのもしいよ",
"そうねえ、矜羯羅のように走る男もあれば、千里眼の人もあるし、何かのばあいは、心丈夫だよ",
"稼ぎは出来るしね、わたしも安心だよ"
],
[
"なんだね",
"まあさ",
"まあさがどうしたと云うのだね",
"まあ、ちょっと坐れ",
"坐れ、このせわしいのに、どうしようと云うの",
"まあさ、ちょっとだ",
"ちょっと、どうするの",
"ちょっとでいいから坐ってくれ、話がある",
"なんの話なの",
"なんでもいい、ちょっとでいい",
"また愚痴かい",
"愚痴じゃない",
"煩いね",
"まあ、そう云うな、話だ",
"出かけなくちゃならないに、困るじゃないの",
"そんなに、てまをとることじゃない",
"てまをとられてたまるものかね",
"まあ、いい、たった一口云えばいい"
],
[
"なんだね、なにを云うかと思や",
"いや、いかん、それは云うものじゃねえぞ",
"なにも、べつに云やしないじゃないか",
"いや、いかんぞ、そいつは、いいか",
"だって、なにも云やしないじゃないの",
"云わなけりゃいいが、云うなよ、いいか、頼むぞ",
"判ったよ",
"いいか、それじゃ云うのじゃねえぜ、人の嫌がることを云ったり、したりするものは、ろくなことはない、雷さんの悪口を云ってて、天気もわるくないのに、雷さまが落っこちたと云うからな"
],
[
"いいよ",
"おまえは、遅い",
"わたしも奥さんのつごうで、どうなるか判らないよ、解き物があると云ってらしたから",
"そうかい、それじゃ往くがいい"
],
[
"小栗さんか",
"そうよ"
],
[
"どう、どうしたのだ",
"お、おじさん、お、おいらは、叔父さんにすまないが、きょう、かぎり、叔父さんとこを出るのだ"
],
[
"ど、どうして、そ、そんな、そんなことを云うのだ、そんなことを",
"おじさん、叔父さんの親切は、おいらは、死んでも忘れないが、叔父さん、おいらはつくづく考えた、叔父さんにはすまないが、おいらは、今日かぎり、出て往くのだ",
"そりゃ、判ってる、判ってる、判ってるがここが忍耐だ、まあ、気を大きくして、時節を待て、よく判ってる、あの二人は人間じゃない、おまえが居づらいのは判ってる、すまない",
"いや、叔父さん、おいらこそ、叔父さんにすまない、おいらがいるために、叔父さんが板ばさみになっているのだ、叔父さんにすまない、おいらは諦めた",
"ま、待ってくれ、つらかろうが、もすこし忍耐してくれ、そのうちには、叔母さんも考えてくる",
"叔父さん、もういい、おいらは、おいらが世話になっているために、眼の不自由な叔父さんが、なお苦しんでいるのだ、おいらは叔父さんにすまない",
"待て、待て、なに、叔母さんも何時までもあんなじゃない、そのうちには考えて来る、おまえもそのうちには、何かいい目が出る、人間は忍耐が第一じゃ、忍耐してくれ、それでお鶴も、考えなおしてくれたら、二人で世帯を持って、おいらと叔母さんの面倒を見てくれ"
],
[
"すまない、叔父さんにはすまないが、おいらはもう諦めた",
"まて、これ"
],
[
"そう、それじゃいいね",
"よろしゅうございますとも、待っていられないから、前へ出かけて往ってるかも判りませんよ",
"どうだか",
"ほんとでございますよ",
"前方は大丈夫だろうね",
"大丈夫でございますよ、あすこは裏門から出入ができますからね",
"そう、それじゃ大丈夫だね、厭な奴に見られちゃ困るからね",
"大丈夫でございますよ",
"それじゃ、出かけようかね",
"お宅の方は、よろしゅうございますか",
"いいとも、今日も、また、あの蛇が出て、大騒ぎをしてるから、いいのだよ",
"そうでございますか"
],
[
"私の方は、これまで我慢をしておったが、前方の行為が怪しからんから、今度と云う今度は、断然処分をすると云って、とっても鼻息が荒いのだ、それで君の方は、これまでさんざ、利息を執っといて、それも前方に有って払わないならともかく、前方は商売に失敗して困ってるところじゃないか、俺だちは義によって、解決しようとしているのに、それを聞かないでやるようならやってみるがいい、俺だちは生命を投げだしてやってることだから、承知しない、もし、邪魔になると思や、警察なり、どこなり、云って往けって、たんかをきってやったのだ",
"それで、奴さん、何と云った",
"何人が何と云っても、今度は承知しない、これは何人に聞かしても、私の方が正当だから、断然処分する、どうかこの事は、ほうっといてくれと云うのだ",
"そうか"
],
[
"そうだな、君がまた三四月往って来るか",
"どうせ往かなけりゃ、物になるまい",
"今なら往っても、暖かいからいいな",
"俺をやっといて、おめえは、新井宿の奴の家で、納ろうと云うのかい"
],
[
"大将、俺が一度往ってみようか",
"待て、おめえは、まだいけねえ",
"だって、俺が往って、二つ三つ撲りとばしたら、話が早くつくじゃねえか",
"待て、待て、俺に考えがある",
"どんな考えだ",
"待て、待て、ゆっくり飲みながら話そう"
],
[
"そうね、半鐘ね",
"そうだよ、それで酒の時は三つばんだ",
"肴の時は",
"肴は二つか",
"それじゃ、あの時は"
],
[
"もすこし待たしとけ、だって彼奴、線香代をつけてもらって、かってに遊んでる方がいいだろう",
"そう",
"肴がない、何か見つくろって持って来い",
"そうね、どんな物がいいでしょう",
"旨いもので、早く出来て、それで金がかからなけりゃ、なおいいや",
"ずいぶん、ねえ"
],
[
"おめえでも、風景が判るかい",
"判るさ、俺はこれでも、漢詩の平仄を並べたことがあらあ、酔うて危欄に倚れば夜色幽なり、烟水蒼茫として舟を見ず、どうだい、今でも韻字の本がありゃ、詩ぐらいは作れるぞ"
],
[
"作る田がないから、東京へ来て強請をやってるだろう",
"お互さまだよ",
"お互さまじゃねえや、俺はもとからの破戸漢だ、おめえは学生から、おっこちて来たのだ、物が違わあ、いっしょにせられてたまるものかい"
],
[
"知るものかい、俺は堅気の商人だ",
"堅気の商人だ、何の商人だ"
],
[
"それ、みな、云えないだろう",
"ふざけるない、おい、おめえは、俺が、後暗いことでもやってると思ってるのか"
],
[
"これだと思ってるが、やらないのか",
"やるもんか、俺は、堅気の商人だ、そんなへんなことは知らねえや"
],
[
"さあ、ねえ、彼奴とっても堅い奴だから、博奕なんか知らないだろう",
"そうだろう、口じゃいいかげんなことを云っても、おもが堅蔵だから"
],
[
"便所の中で、賽ころを揮ってるじゃないか",
"まあいいや、廊下とんびでもやってるだろう"
],
[
"おい、半ちゃん、八千代が、便所へ往って賽ころを揮ってるのだと云ってたぜ",
"うん"
],
[
"大将、ちょっと、また話が出来たのだよ",
"どんな話だ",
"ちょっとね",
"秘密の話か",
"そうなのだ",
"そうか",
"また八千代に気のどくだが",
"おってはいけねえのか",
"いけねえ"
],
[
"それじゃ、あっちへ往ってもいいのですか",
"いいとも"
],
[
"なんだ",
"なんだって、豪いものを見つけた",
"どんなことだ",
"どんなって、こいつあ、金の蔓だよ",
"そうか、云ってみろ",
"鮫洲の山田って云う家を知ってる",
"山田、どうした家だ",
"それ、地主で、家作持で、商売もしてる、鮫洲の大尽と云や、あの界隈じゃ、知らない者はねえぜ",
"ああ、鮫洲の大尽か、知ってる、主翁は脚がわるいと云うじゃないか",
"そうだよ、俺は知ってるのだ",
"それが、どうした"
],
[
"男は、どんな奴だ",
"俳優だな、したっぱの、品川あたりで見かけたことがあるのだ",
"壮いか",
"二十二三と云うところだ",
"二人で宜しくやってるのか",
"婆さんが跟いて来てるのだ",
"どんな婆さんだ",
"どんなって、俺が知ってる婆さんだ、お杉って云うのだ、厭なばばあだ",
"それじゃ、三人で飲んでるのか",
"婆さんは、次の室で、一人で飲んでるのだ、あのばばあ、酒くらいだ",
"どうして知ったのだ",
"婆さんを、廊下で見かけたから、そっと往って覗いたのだ",
"どこだ",
"上の段の、あの湯殿のついた室があるだろう、あそこだ",
"そうか"
],
[
"どうだ、大将、金の蔓だろう",
"うん",
"なんとかしようじゃねえか"
],
[
"それじゃ、どうする",
"あの婆さんを、半ちゃんが往って、歎して伴れて来るのだ、それで婆さんを伴れて来たら、今度はあの色男を伴れて来るのだ",
"それで、どうする",
"それから演戯だ"
],
[
"よし",
"そうか"
],
[
"それじゃ、婆さんを伴れて来い、ちょっと逢いたい人があるからって、いいかさとられるな",
"いいとも、それじゃ往って来る"
],
[
"おめえは、障子を締めて、外へ出て、婢に気をつけとるがいい",
"いいとも"
],
[
"それでは、馬の脚だろう、伴れて来い",
"うん"
],
[
"じたばたしたら、殴き殺すのだから、奴さん、動かれないのだ",
"そうか、そうだろう、ふざけたことをしやがってるから、だいち、その婆あがいけねえ、いい年をして、聞きゃ出入だと云うじゃねえか、大恩を忘れやがって、馬の脚なんかをとり持つなんて、不埒千万だ"
],
[
"あの媽あは、どうしたのだ",
"みっちりかけあった、他の亀鑑にならなくちゃならない富豪の細君ともあろうものが、怪しからんと云って、みっちり意見をしたものだから、あの女、泣いてあやまりやがった",
"そりゃ、そうだろう、当然のことだ、苟も有夫の女じゃないか、言語道断だ、それをまたとりもつ婆あは、一層言語道断だ、天人ともに赦さざる奴だ"
],
[
"待て、待て、半ちゃん、そんなことをしてもしかたがない、待て",
"この野郎、生意気だ",
"まあ、いい、坐れ"
],
[
"小厮、痛い目に逢わないうちに、返事をしろ、字が書けるか",
"書けます",
"そうか、それじゃ書け、婆あは、どうだ、婆あは書けまい"
],
[
"私は、どうもね、その",
"くどい、書けんか",
"書けません"
],
[
"婢じゃいかん、半ちゃんが往ってくれ",
"よし"
],
[
"つるは",
"うん",
"いいのか",
"いいとも",
"そうか"
],
[
"そうだとも、義のためには生命もいらない俺だちだ",
"わりにあわない商売だよ",
"損得を云ってられないのだ、が、考えてみりゃ、損な商売だなあ",
"そりゃ、しかたがない、これもお国のためだ、日露戦争で討死した軍人も、俺だちのすることも、することは変ってても、おんなじことだぞ",
"そうだとも"
],
[
"なにが、お国のためだい",
"なにさ、俺だちが、こうして悪い奴をとっちめるのも、やっぱりお国のためだと、今、大将と話したところだ"
],
[
"鶴坊か",
"どこへいらっしゃるの",
"ちょっとそこだ",
"そこって、どこですの、いい人のとこ"
],
[
"そんな処じゃないよ",
"それじゃ、どんなとこ"
],
[
"うう",
"ううなんて、ほんとに邪慳よ"
],
[
"そんなに邪慳にするものじゃないことよ、そんなに何時も邪慳にするなら、わたし、若旦那に知らしてあげたいことがあるが、云わないことよ",
"なんだ"
],
[
"聞かなくてもいいの、ほんとのことよ",
"なんだ",
"いい方のことよ",
"何人だ",
"云わないことよ、若旦那が、わたしに邪樫にしないようになったら、何時でも云ってあげるわ",
"嘘だろう",
"嘘なら嘘にしとくがいいわ、聞きたくなけりゃ",
"ほんとなら、云ってみなよ",
"厭よ、若旦那が、わたしに邪慳にしないようになったら、何時でも云ってあげるわ、ほんとよ、それも徒の裏町のお媽さんや娘じゃないことよ、りっぱな地位のある方よ、若旦那がいくら気ぐらいが高くっても、その方の前へ出たらぞんざいな口が利けないから",
"何人だ",
"云わないことよ、云わないわ",
"云えないだろう、嘘だから",
"嘘なら嘘にしとくがいいわ、若旦那のことを思ってらっしゃる方だから",
"まさか",
"ほんとよ、ほんとだから、云わないことよ"
],
[
"嘘だよ、俺にはそんな心あたりがないよ",
"嘘なら、心あたりがなけりゃ、それにしとくといいことよ",
"だから、それにしとくのだよ",
"それがいいわ、そのかわり後になって、私を恨んでも知らないことよ、若旦那の家には、お銭がたくさんあって、鮫洲大尽と云や、界隈で知らないものはないのだけど、そんな地位のある方には、こっちからどう思ったところで、どうすることもできない方だから",
"いやに大きく出るじゃないか、ぜんたい、そりゃ、何だい",
"粋で、上品で、地位のある方よ、それで若旦那のことを思ってらっしゃる方よ",
"痴にするない",
"あれ、まだ、私がかつぐと思ってらっしゃるの",
"そうだよ、担いでるのだよ",
"痴、ねえ、若旦那は、ひとが親切に云ってあげてるに",
"それじゃ、はっきり云ったら、どうだ、ほんとなら、はっきり云えるじゃないか",
"そりゃ、云えますよ、云えますが、若旦那が邪慳だから云わないことよ",
"何時、俺が、汝を邪慳にしたのだよ",
"平生邪慳よ、私が何か話そうと思っても、逃げっちまうじゃありませんか",
"そんなことはないさ、逃げたことはないじゃないか",
"逃げることよ、何時かもお宅の御門の処で往きあうと、私を見ないふりをして往っちまったじゃないこと",
"そんなことがあるものか",
"あったわ、私、ほんとにあの時は、若旦那を恨んだわ",
"俺は知らないのだよ",
"知らんことないわ",
"ほんとに知らんよ、それとも俺が、何か考えごとをしてたから、判らなかったかも知れない、ほんとに知らんよ",
"知らんことないわ",
"そりゃ無理だよ"
],
[
"若旦那",
"もうたくさん",
"ほんとよ、若旦那、聞かなくってもいいの",
"たくさん、たくさん、あばよだ",
"いやな人ね、ひとが云ってあげると云うのに",
"たくさん、たくさん"
],
[
"おぼえてらっしゃい、若旦那",
"たくさん、たくさん"
],
[
"お客さんか",
"はい"
],
[
"松山良蔵、どんな男だ",
"二人来ております、その名刺を出した人は、揉あげの長い壮士のような人ですよ"
],
[
"聞きませんが、聞きましょうか",
"そうだ、どんな用事か聞いてみよ",
"はい"
],
[
"聞いたか",
"はい",
"何だ",
"当方の家庭のことで、お話ししたいことがあって、わざわざあがったと云いますが",
"当方の家庭のことで、家のことでか",
"そうだそうです"
],
[
"それでは、旦那さま",
"そうか、それじゃ茶を持って往け、俺は後から往く",
"はい"
],
[
"はじめてお眼にかかりますが、何か当方のことで、いらしてくださいましたそうで",
"そうだ",
"どんなことでしょうか、当方の家庭のことと申しますと",
"すこし、へんなことだから、他の者に聞かしたくない、何人もこの室の中へ通さないようにしてもらいたいが"
],
[
"そ、それは、私が呼ばなければ、呼ばなければ、何人も来ませんから",
"そうかね"
],
[
"それでは、話をするに当って、云っておくことがあるが、僕だちは東洋義団と云う結社のものだが、この東洋義団と云うのは、国家のために不義不正を摘発して、弱者は授け、悪人は懲して、社会を覚醒している結社だと云うことを承知してもらいたい",
"は、東洋義団、社会を覚醒なされる、結社の方でございますか",
"そうだ、その結社のものだ、だから僕だちは、金銭利得によって動くものじゃない、これもあらかじめ承知してもらいたい",
"それはもう、なんでございますから",
"よし、それが判ったら、用件に移るが、僕だちは、今も云ったように、国家のために社会の不義不正を摘発しているところで、不幸にして、ここな家庭が紊乱しておるから、それを摘発に来たのだ"
],
[
"わたくしの、家庭が、紊乱しておると申しますか",
"そうだ、紊乱しておる、紊乱しておるから、それを粛正さすために来たのだ"
],
[
"種と云いますか",
"そうだ種だ、種があがっておる、鮫洲の大尽と云や、人に知られた家で、人の亀鑑になる家だ、その家が紊乱さしては、けしからんじゃないか"
],
[
"それは、どうも、それは、何かの",
"だめだ、幾何隠したって証拠がある、それとも君は、それを知らないのか、町内に知らぬは主翁ばかりなり、君は気が注かんのか、おめでたい人間だな"
],
[
"ああ、定七か",
"定七かじゃありませんよ、どこにいらしたのです、心配しておりましたよ",
"心配することは、家にいる妖怪じゃ、乃公は大丈夫だよ"
],
[
"壮士のような奴が二人来た",
"だから往ってください",
"めんどうだよ",
"そんなことを仰しゃらないで、往ってください、旦那さまは、気がお弱いから、きっと困ってるのですよ",
"そうか"
],
[
"いや、決して、そんなことはありません、調べると云ったのは、本人の口から白状さして、そのうえで話をつけようと思いまして",
"そうか、それで細君をどうするつもりだ",
"それは親類の者にも相談して、そのうえで離縁するなり、なんなり、それは私の方で話をつけます",
"私の方で話をつける、私の方で話をつけるから、他人はおせっかいをよせと云うのか、いやしくも人の亀鑑になるべき者が、不義不埒なことをしているに、うやむやにして、知らん顔をするつもりか",
"そんなことはありません、決して",
"それではどうする",
"それは、今も申しましたように、親類の者とも相談しまして、そのうえで話をつけます",
"話をつけるとは、うやむやにして、そのままにするつもりだろう、そうはいかねえや"
],
[
"そ、それでは、どうしたら",
"人の亀鑑になる者だ、社会風教上、よろしくない、叩きだせ",
"それは、私も、いざとなれば、離縁するなり、なんなりいたしますがいろいろ事情もありまして",
"事情じゃなかろう、ほれてるから、踏みつけられても、尻にしかれても、どうすることもできないだろう"
],
[
"番頭のようなものでございます",
"ようなものとは、なんだ",
"番頭のようにしておりますが、番頭だと云うことを主人から云われておりませんから",
"そうか、それで、俺だちにどんな話があるのだ",
"隣の室で、主人の云いつけで、帳面をあわしておりましたので、前刻からのお話を伺いましたが、それについて、ちょっと私から申しあげたいことがございまして",
"どんなことだ、云ってみろ",
"それでは申しあげますが、今承われば、当方の奥さまが、何かまちがいをしでかしまして",
"言語道断だ",
"それにつきまして、私がてまえ主人に代りまして、お願いでございます",
"なんだ",
"それは奥さまが一時の心得ちがいから、皆さまに御心配をかけましたにつきましては、それ相当のことをいたしまして、今回だけは、大目にみていただいて、みっちり意見をいたしまして、元の奥さまにしたいと思いますが",
"だめだ、あんな女は",
"ではございましょうが、てまえ奉公人といたしましては、円く収めたいのでございます、どうか、皆さまも、お腹もたちましょうが、どうかてまえに免じてお赦しくださいますように"
],
[
"そうか、奉公人として、汝がそう云うのは、もっとものことだ、奉公人としては、主人のためにそうしなくてはならんが、苟も人の亀鑑になる家のことだ",
"ではございましょうが、そこが御堪忍でございます、どうかてまえに免じて、今回だけは、お眼こぼしを願います、それにつきましては、汚いことを申しあげてはすみませんが、皆さまにそれ相当のことをいたしまして、皆さまの御親切にお礼をいたしたいと思います、どうか今回だけは、お眼こぼしを願います",
"そうか、汝が主人のためを思うて、そう云うならいけないとも云えないが",
"どうぞお願いいたします、それにつきまして、てまえ主人にちょっと申したいことがございますから、ちょっとお赦しを願います",
"よし、相談があるなら、往ってもいいが、長くはいけないぞ、それに俺だちを欺しといて、警察なんかに云いつけたら、承知しないぞ",
"決して、そんなことはいたしません",
"云いつけるなら云いつけてもいい、ここな署長なんか、東洋義団の連中とは朋友だから、そんなことは驚かんが、もし、へんなことをすると、結社には命知らずが幾人もいるのだ、殺してしまうからそう思え"
],
[
"さけ、どうするのです",
"どうでもいい、持って来い"
],
[
"あがるのですか",
"判ってらあ",
"それでは、お燗をつけますか",
"そんなことはいい、早く持って来い",
"そうですか"
],
[
"瓶子のままでいいのですか",
"いい、持って来い",
"お銚子と猪口はいらないですか",
"いらない、瓶子と茶碗を執れ"
],
[
"これでいいのですか",
"いい"
],
[
"お小夜さん",
"なんだね"
],
[
"汝さん、知らない",
"なんだね",
"たいへんよ",
"どうしたの",
"お座敷の方で、大きな声がしてたでしょう",
"そうね、何人か来てるの",
"へんな、壮士のような男が、二人来てるのだよ",
"それが、どうしたの",
"それがたいへんよ",
"どうしたの",
"どうって、ここの奥さんよ",
"奥さんが、どうしたの"
],
[
"まあ、奥さんが",
"そうよ、大森の料亭かなんかで、男といっしょにいるところを、今来てる男に見つかって、書きつけを執られたって",
"ほんと",
"ほんとだとも、だから、人の亀鑑になる家のお媽さんが、男をこしらえるなんて、ふざけてる、追んだしてしまえと云ってるのだよ",
"旦那にそんなことを云ったの",
"云ったとも、それに奥さんと男の執りもちをしたのは、あのお杉さんだって",
"まあ、お杉さんが、呆れた人だね、それで、男って何人だろうね",
"馬の脚、馬の脚って云ってたから、俳優じゃないだろうかね",
"そうね、馬の脚って云や俳優だろう、だが奥さんがそんなことをするだろうかね",
"判らんが、奥さんはへんだから、店の平どんだって、どうしてるか判らないよ、よく伴れて歩くじゃないか",
"そうね、お蔵なんかへ伴れて往くことがあるね",
"そうだよ",
"それで、奥さんは、どうしてるの",
"いないのだよ",
"どこへ往ったろうね",
"いたたまれないで、逃げだしたかも判らないよ、前刻居室で新聞かなんか読んでたが、いないのだよ",
"里へ往ったろうかね",
"まさか里へは往かれないよ",
"それじゃ、どこだろう",
"杉本さんじゃないの",
"あの弁護士の杉本さん",
"そうよ、奥さんは、あの杉本さんとも、へんよ",
"まさか",
"ほんとよ、私は見たことがあるもの",
"ほんと",
"ほんとだとも、正月の比よ、旦那がお蔵へ往ってる時に、杉本さんが来て、奥さんの室へ入って、秘密ばなしをして、二人で笑ったりなんかしてたよ",
"そう、そんなことがあったの、ずいぶん、ねえ",
"ずいぶんよ"
],
[
"おい、旨くいったな",
"いったとも、吾輩が蘇張の弁をもってすれば、天下何事かならざらんやだ、どうだい",
"また、ちんぷんかんぷんか、悪い癖だよ、よしなよ、そんなことを云って、威張ったところで、どうせ人をおどして金を執る悪党じゃねえか",
"悪党じゃないよ、国家のためだよ、国家のためにやってることだよ",
"国家のために、好いことをしてる奴を、ふんづかめえて、さんざ撲りつけたうえに、金を執るだろう"
],
[
"まあ、そんなものさ、鑵詰の中へ石ころを入れて、兵隊に喫わしても、国家のためだと云う実業家があるじゃないか、それに較べりゃ、姦通をつかまえて、悪いことをさせないようにするのは、たいした違いじゃないか、天と地との違いだよ、すこし位、金を執ったっていいだろう",
"それもそうだが、裁判の紛糾を横あいから往って、裁判所で両方を撲りつけて、金を執るなんざ、あんまりなあ"
],
[
"半ちゃん、車がほしいな",
"そうだ、車があるといいな",
"川崎屋へでも往きたいなあ",
"川崎屋は面白くねえや、やっぱり松浅だよ、それに自由も聞くじゃねえか",
"そりゃ判ってるが、遠いや",
"なにすぐだよ",
"かなりあるぜ",
"そりゃ、すこしは遠いが、大将が来るからな",
"だから、まあ、往くようなものさ、この雨の中をぴちゃぴちゃ歩くのは気が利かないや、それに癪じゃないか、俺だちに婆あと馬の脚の番をさしといてよ、大将はふざけてるぞ",
"しかたがねえや、そこが仮父の役得だ",
"そりゃそうだよ、だからはやく仮父にならなけりゃいかんぜ",
"そうとも、おめえは、乃公とちがって、学があるから、すぐ仮父になれるさ、岡本さんの後は、おめえがつぐんだ",
"ついでもいいが、乃公は、こんな狭い日本じゃだめだ、満州へ往って、馬賊にでもなろうと思ってるのだ",
"満州なんかだめだよ、酒は高粱の酒で、喫うものは、豚か犬かしかないと云うじゃねえか、だめだよ、魚軒に灘の生一本でなくちゃ"
],
[
"うぬ",
"野郎"
],
[
"野郎",
"なにを"
],
[
"よかあないことよ、いやよ、帰るのは",
"帰るのはいやって、大事の旦那さまが嫌いかね",
"嫌いよ、あんな跛なんか、見たくもないわ、飽き飽きしたから、杉本さんにどうかしてもらうわ",
"それはお門違いだろう、あれじゃないか",
"痴",
"だってそうじゃないか、それで事件が起ったじゃないか、やっぱり男に生れるなら、壮い、きれいな俳優のような男に生れたいものだな",
"痴",
"痴は、ないでしょう",
"痴、痴、痴よ、そんなことを云うものは、ただ、お杉が知ってると云うから、いっしょに飯を喫ってたじゃないの、それをあの悪党が、二人を伴れだして、一札をかかしたじゃないの、無実の罪よ、貴方は弁護士じゃないの、そんな無実の罪の弁護するのが、職務じゃないの",
"だから、すぐ往って、旦那に逢って、奥さんは、決してそうじゃないと云って、旦那の誤解をといて、今晩伴れて往くと云うことにして来たじゃないか、りっぱに、弁護士の職務をつくして来たじゃないか",
"だめよ、貴方の弁護士は、女を口説く弁護士よ",
"ところが、僕は女を口説くが拙なのだ",
"だめよ、そんなことを云ったって、ちゃんと種があがってるから",
"それこそ無実の罪だ、こりゃ何人かに弁護を頼まなくちゃいけない",
"頼んだってだめよ",
"こいつは困ったぞ",
"困ったっていいよ、他を痴にするのだもの、今日も私の家へ往って、何を云ったかも知れやしないことよ",
"こいつは驚いた、奥さまは品行方正だ、そこは私が受けあうからと云って、旦那をなだめたじゃないか"
],
[
"受けあえるさ、現に受けあって来たじゃないか",
"だから、貴方は狸よ",
"すると、夫人は、狐か",
"痴",
"痴はもうたくさん、これから飯でも喫って帰ろうじゃないか",
"いやよ、帰らない、帰らないで、今晩は、貴方を引っぱり出して、どこかへ往くから",
"うちの夫人に叱られる",
"叱られたっていいわ、そんなこと"
],
[
"もう、一杯注いでくれ",
"もう一杯だなんて、おまえさん、もう三杯飲んだじゃないか、そんなに飲んじゃ、体の毒だよ",
"なけりゃいいが、あるなら、もうちょっぴりくれ",
"二合買ってあるから、ないことはないが、毒だよ"
],
[
"今日は、ばかに佳い気もちだ、ちょっぴりくれ",
"毎日あげ膳すえ膳で、飯を喫わしてもらってて、それで、悪い気もちになられちゃ、かなわないよ"
],
[
"酒は惜しくないが、また、せんきでも起されちゃ、困るからね",
"一杯ぐらい、いいじゃないか、一杯ぐらいで、せんきも起らないだろう",
"そうは云われないよ、何時かもおこったことがあるのだよ",
"だって、まあ、今晩は、いいじゃないか、注いでおやりよ、そんなことを云うものじゃないよ"
],
[
"何云ってるのだ、家へ入れるものは、ちゃんと入れてあるのだ、白粉を買おうと、香水を買おうと、己のはたらきで、己がするのだ、へんだ",
"そうそう、己のはたらきで、買い喫いもすれば、男狂いもするのだよ、みあげたお嬢さんだ"
],
[
"お鶴、まあ、これ、みっともない、そ、そんなことを云うものでねえ、みっともない、他へ聞えるのだ",
"聞えたっていいわよ",
"いいことはねえ、他に笑われる、そんなことを云うものでねえ、だいち、親子が喧嘩するなんて、みっともないことじゃ、やめろ",
"やめないわ、わたし、あんなことを云われて、親だって何だって、承知しないから",
"そりゃ、いけねえ、みっともない、いけねえぞ"
],
[
"お鶴、お鶴、そんなことを云うものでねえ、これ、お鶴",
"いやだよ、こんな家に何人がいるものか"
],
[
"おまえさん、いいよ、出て往きたけりゃ、出て往かすがいいよ、好きな男の傍へでも往くだろうよ",
"そ、そんなことを云うものでねえ、そんなことを云うものでねえ、そんなことを云うから喧嘩になるのだ、お鶴を呼びなよ",
"いやだよ、わたしは"
],
[
"うっちゃっておきよ、あんな奴は、くせになるよ",
"そうはいけねえ、娘の子だから、どんな不了見を起すかも判らねえ",
"元から不了見だよ、あれは",
"そんなに云うものでねえ、親子じゃねえか、親は子を可愛がり、子は親を大事にしなくちゃならねえ",
"あれが、親を大事にしたことがあるの",
"大事にするじゃねえか",
"おまえさん、ばかだよ、あれで、大事にしてくれると思ってるの"
],
[
"今晩は",
"何方さまでございましょう",
"わっしは、山田から来たのだが"
],
[
"や、やまだ",
"そうだよ",
"何か御用で",
"あの、旦那からだが、理由は覚えがあるだろうから何も云わないが、今日かぎり、出入をしないようにって、そう云いつかって来たのだが"
],
[
"わっしは、何も知らないが、それだけ云えば、判ると云うのだから、それを云いに来たのだ",
"そう、ですか",
"判ってるかね",
"判りました",
"それじゃ、これで",
"まあ、いいじゃありませんか",
"まだ一軒まわる処がある、それじゃ"
],
[
"何の御用だね",
"やかましいや"
],
[
"どうしたのだ、何をそんなに腹をたてるのだ",
"煩いよ"
],
[
"やかましい、どう盲人のくせに引込んどりよ",
"引込んでてもいいが、心配になるから聞いてるのだよ、どうしたのだ",
"聞きたけりゃ、云ってやるよ。今日かぎり、山田さんへ出入をしないことになったのだよ"
],
[
"お、おい、そ、そりゃ、いけねえ、いけねえぞ、今まで御恩になった処じゃねえか、かんちがいをされたことがありゃ、りっぱに明しをたてなくちゃ、いけねえ、そんなことを云うものでねえぞ",
"やかましい"
],
[
"お、叔母さん、叔母さん、それは",
"やかましい、黙ってろ、不具者のくせに、引込んでろ"
],
[
"何人だ",
"やっぱり破戸漢ですよ",
"そうか"
],
[
"そんなことはない",
"それじゃ、警察へは云ってやらんのか、しかし、云ってやろと思えば、云ってやってもいいよ、ほんとを云や、吾輩も悪いのだ、罪悪を犯しておいて、それに未練があって、細君をもらいに来ているのだから、君に怒られて、まかりまちがえば、警察へ突き出されて、赤い衣服を被せられるかも知れんと思って、それを覚悟で来ているのだ"
],
[
"関係があるから、渡せと云って来ているのか",
"そうですよ",
"けしからんぞ",
"云いがかりですよ",
"いや、ほんとかも判らん、あれは、そんなことをする畜生だ"
],
[
"聞えますよ",
"聞えたっていいや",
"ま、若旦那"
],
[
"おい、何時まで黙ってるのだ、しびれがきれるぜ、御主人、鮫洲の大尽君、女をくれるか、厭か、返事をしてくれないのか",
"返事もしますが、家の家内が、何日、どこで、そんなことをしたでしょうか",
"日か、五六日前だ、入用がありゃ云ってやる",
"五六日前",
"そうだ",
"それはどこでしょうか",
"大福帳へでも書きつけるつもりかね"
],
[
"書きつけたけりゃ、はっきり云ってやるが、場所は、池上の魁春楼だよ",
"池上の魁春楼",
"そうだよ、その日、君の細君は、婆さんを伴れて、壮い馬の脚をくわえこんでいるところを、壮い奴にひどい目に逢わされて、困ってたから、吾輩が慰めに往ってやって、すまないがそれからだよ",
"そうか",
"判ったかね"
],
[
"乱暴するか",
"この破戸漢、ふざけやがるな、ここをどこだと思ってるのだ"
],
[
"広巳、そ、そんなことをしては、広巳",
"いけねえ"
],
[
"乱暴するか",
"なにを"
],
[
"汝は、泪橋の下で、壮い奴をひどい目に逢わした奴だな",
"やかましいや、この破戸漢",
"破戸漢であろうと、なんであろうと、そんなことに用はない、ここな奥さんをもらって往けば、それでいい、痴なことをしないで、旦那にそう云って、奥さんを俺にくれるようにしてくれ",
"あんな腐った女は欲しくはないが、汝なんかに渡すものか、渡すようなら、首にして渡さあ",
"こりゃ面白い、首にして渡してくれるか、受けとろう、俺も、男の意地だ、こうなりゃ、首でも体でも、渡してもらわなくちゃ帰らない",
"なに"
],
[
"いけない、いけない、若旦那、そ、そんなことをしては、いけない、若旦那",
"なに、今日は、この家の邪魔をする妖魔を斬っちまうのだ",
"いけない、若旦那、あなたは"
],
[
"たいへんだ、たいへんだ、何人か来てくれ",
"広巳、広巳、そ、そんな",
"あれ、あれ",
"何人か来てくれ"
],
[
"あれ、あれ、たいへん、たいへん",
"あれ、あれ"
],
[
"月の晩に、海晏寺の前でお眼にかかりました",
"ああ"
],
[
"その節でございます、暫くでございました",
"どうも暫くだ、暫くだから、ゆっくり話もしたいが、今日はとりこみがあって、ゆっくりしていられない、明日でも、また",
"これは、どうも失礼いたしました、それでは、また、明日にでもあがります"
],
[
"それでは、若旦那、まいりましょう",
"うん"
]
] | 底本:「日本怪談大全 第一巻 女怪の館」国書刊行会
1995(平成7)年7月10日初版第1刷発行
底本の親本:「日本怪談全集 第四巻」改造社
1934(昭和9)年
※「三宝《さんぽう》」と「三宝《さんぼう》」の混在は、底本通りです。
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年5月2日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "052276",
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"昨夜裏の方で犬が啼くから、出て往って見ると、ちらと人影が見えたが、板女かも判らない",
"某家の主人が、夜遅く帰っていると、某家の横で女と擦れ違ったと云うが、それがどうも板女らしい",
"一昨日の晩、某家の庭前に板女が立っていたので、そこの主人が刀を執って追っかけたが、そのまま見えなくなった、きっと傍のはめ板へ引附いていたろう",
"某町では、昨夜板女に、五十両盗まれた",
"某家では、板女が衣類を持って逃げようとするところを知って、妻女が長刀を持って切りかけると、壁厨の戸板へ引附いて消えてしまった",
"今朝、某寺の前を某が通っていると、板女らしい姝な女が来るから、手執りにしようとすると、寺の板壁へ引附いて、そのまま見えなくなった",
"昨日の午、板女らしい女が、旅人の風をして通って往った",
"板女は数多の手下を伴れているらしい",
"板女の手下にも、やっぱり頭と同じように、はめ板へ引附いて、姿を隠す術を使う者がある",
"板女は切支丹の残党らしい",
"板女は所天のような壮い姝な男を伴れている",
"一昨日の夕方、板女のような姝な女が、某家の前を通って往くので、見ていると、その女が揮り返って、莞と笑った"
],
[
"なんでもないよ",
"だって、がさがさと音がしたじゃないの"
],
[
"板女が来た、板女が来た、何人か来て……",
"板女……板女……",
"板女……"
],
[
"おかしいな",
"何人だろう",
"道通りだろうか",
"それにしても、何人もいないのは不思議じゃないか"
],
[
"どうしたと云うのでしょう、何者かが人を愚弄するために、こんなことをやっておりましょうか",
"さればさ、城下の者が板女の噂をしておるにつけ込んで、人を弄ぼうとする白痴の所為かも知れませんぞ",
"それにしてもたしかに、声は婦人だと思いますが",
"さればさ"
],
[
"怪しい女子を見かけはしなかったろうか",
"怪しい女子と"
],
[
"渡船からちょっと来た処の蘆の中へ、女子が入って往くのを見ましたが、それでございますか",
"どんな女子だろう",
"色の白い女子のように思いましたが",
"いよいよそれだ、その女子だ、その場所を教えてもらいたい"
],
[
"それ逃がすな",
"討ちとれ"
]
] | 底本:「日本怪談大全 第一巻 女怪の館」国書刊行会
1995(平成7)年7月10日初版第1刷発行
底本の親本:「日本怪談全集 第四巻」改造社
1934(昭和9)年
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年3月8日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "052274",
"作品名": "女賊記",
"作品名読み": "じょぞくき",
"ソート用読み": "しよそくき",
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"副題読み": "",
"原題": "",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2012-05-17T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-16T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/card52274.html",
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"姓": "田中",
"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
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"底本名1": "日本怪談大全 第一巻 女怪の館",
"底本出版社名1": "国書刊行会",
"底本初版発行年1": "1995(平成7)年7月10日",
"入力に使用した版1": "1995(平成7)年7月10日初版第1刷",
"校正に使用した版1": "1995(平成7)年7月10日初版第1刷",
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"底本の親本出版社名1": "改造社",
"底本の親本初版発行年1": "1934(昭和9)年",
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"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"君は夢でも見たのか、をかしな奴だな、つまらんことをいはずに、飲め、",
"つまらんことをいはんがな、あれを貰ふというてまうがな、",
"馬鹿だなあ、電車のパスしかなかつたといつてるぢやないか、欲しけれやくれてやらう、",
"ヘツ、ヘツ、ヘツ、ヘツ、"
],
[
"馬鹿、",
"馬鹿でも阿呆でも宜しいがな、あれを貰へば、",
"パスならやるよ、",
"ヘツ、ヘツ、ヘツ、ヘツ、",
"しやうのない奴だな、ぢや何をくれといふんだ、",
"野猪貰ひまほか、",
"まだあんなことをいつてる、野猪も鹿もあるもんかね、パスだよ、パスといつてるぢやないか、煩さいな、",
"煩さいというたかて、あたい黙りまへんぜ、あんたが野猪くれるまで、"
],
[
"しつこい奴だな、好いかげんにしろ、君は俺がごまかしてるとでも思つてるのか、何か証拠でもあるのか、",
"証拠はありやへん、あたいは見てへんから、",
"見てゐないに、君は怪しからんことをいふぢやないか、",
"ヘツ、ヘツ、ヘツ、ヘツ、",
"馬鹿、人が笑つてるぜ、"
],
[
"あたい何もいひたい事ありやへんがな、あんたがけたいな事をいふよつて、笑つとりまうがな、",
"もう好い、よせ、俺は手前達に、おどかされるやうな男ぢやない、ぐづ〳〵いふと承知しないぞ、",
"さうだつか、あたいも承知しまへんがな、あんたが江戸つ子なら、あたいは大阪つ子や、",
"手前は、俺に向つてそんなことをいふのか、承知しないぞ、野郎、",
"そないなことをいうて、おどかしたかて、あたい、こはくはありまへんがな、",
"よし、好い、野郎、出て来い、外へ出よう、"
],
[
"千吉か、",
"大変だつせ、有馬も、峰本も、皆な縛られましたがな、美風団に手が入りましたがな、",
"さうか、",
"早く逃げるが宜しうまつせ、"
]
] | 底本:「伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典」学研M文庫、学習研究社
2003(平成15)年10月22日初版発行
底本の親本:「黒雨集」大阪毎日新聞社
1923(大正12)年10月25日
入力:川山隆
校正:門田裕志
2009年8月12日作成
2012年5月24日修正
青空文庫作成ファイル:
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| {
"作品ID": "047997",
"作品名": "白いシヤツの群",
"作品名読み": "しろいシヤツのむれ",
"ソート用読み": "しろいしやつのむれ",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字旧仮名",
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"名読み": "こうたろう",
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"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
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"底本名1": "伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典",
"底本出版社名1": "学研M文庫、学習研究社",
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"底本の親本名1": "黒雨集",
"底本の親本出版社名1": "大阪毎日新聞社",
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} |
[
[
"何、此の路は、わけはありませんよ、いっしょにまいりましょう、お前さんは何方まで……",
"私は、直ぐ山のむこうまででございます",
"それでは私といっしょにいらっしゃい、私もむこうの在所まで帰ります",
"どうかお願い申します、これで助かりました、私は一人でどうしようかと思いました",
"何、こんな山は、眼をつぶってても歩けますよ、さあ、参りましょう"
],
[
"お婆さん、もう駄目ですよ、あとは小供に執ってってやらないと、小供が待っておりますから",
"私は餅でも喫べないと、お腹が空いて歩けない、も一つ貰いたい"
],
[
"私はどうもお腹が空いて空いて、歩けないよ、も一つ貰いたい",
"お婆さん、困るじゃないか、小供が待ってると云ってるじゃないか、十二三になる子と、八つになる子と、五つになる子が、一日留守番をして、私の帰るのを待ってるじゃないか、小供に可哀そうじゃないか"
],
[
"お媽さん、も一つ貰いたい",
"餅はやってしまったじゃないか、もう他に何もないよ",
"お媽さんの生命だ"
],
[
"ほんとうにお母さんですか",
"ほんとうとも、ほんとうとも、お前たちが待ちかねているだろうと思って、急いで帰って来た",
"それでもお母さんは、日が暮れたら泊って来ると、約束してたじゃありませんか",
"約束はしてったが、お前たちのことが気にかかってしようがないから、帰って来た、早く開けておくれ"
],
[
"ほんとうのお母さんですか",
"判ってるじゃないか、ほんとうのお母さんか嘘のお母さんか、顔を見れや判るじゃないか、開けておくれ"
],
[
"お母さんの手じゃない、お母さんの手は、こんながさがさした手じゃない",
"それは、今日お餅を搗いたなりで、まだ洗わないから、がさがさしてるが、洗ったらとろとろしだすよ、……じゃ、ちょっと洗って来るから、待っといで"
],
[
"これでもお母さんの手じゃないか",
"お母さんの手よ"
],
[
"お前は何処へ往く",
"おしっこに往く",
"姉さんが戻るまで待つが好い",
"でも往きたいもの",
"其処へしたら好い",
"汚いじゃないか",
"そんなら早く往って姉さんといっしょに入って来るが好い"
]
] | 底本:「日本怪談全集 ※[#ローマ数字2、1-13-22]」桃源社
1974(昭和49)年7月5日発行
1975(昭和50)年7月25日2刷
底本の親本:「日本怪談全集」改造社
1934(昭和9)年
入力:Hiroshi_O
校正:大野裕
2012年9月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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| {
"作品ID": "042325",
"作品名": "白い花赤い茎",
"作品名読み": "しろいはなあかいくき",
"ソート用読み": "しろいはなあかいくき",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
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"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
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"底本名1": "日本怪談全集 Ⅱ",
"底本出版社名1": "桃源社",
"底本初版発行年1": "1974(昭和49)年7月5日",
"入力に使用した版1": "1975(昭和50)年7月25日2刷",
"校正に使用した版1": "1970(昭和45)年8月10日",
"底本の親本名1": "日本怪談全集",
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} |
[
[
"ああ",
"お前が倉知さんへ往っていると云うから、ついでに挨拶して来ようと思って、あがらずに来た、何故そんな、つまらない真似をするのだ",
"わ、わたしは、申訳のないことをしているのです"
],
[
"地所かなんかどうかしたのか",
"申訳がありません、昨年の八月に、義隆と千鶴がチブスになって、入院したものですから、倉知の奥さんに頼んで地所を抵当にして、金を借りてもらったのですが、奥さんは他処から借りてやるから、ちょっとした証書を作って、宛名は書かずに持って来いと云うものですから、そのとおりにして持ってって、二回に三百円借りて、二度利あげをしたなりで、倉知さんの金だろうから、盆と暮のボーナスまで待ってもらって払おうと思ってるうちに、今朝、兄さんのお帰りになると云う手紙が来たものですから、地所のことが気になって、今晩往ってみると、あの金は××町の木村と云う地所の売買をしてる人から借りてたが、そのままにしてあったものだから、流れたって云うのです、わたしは困って、どうかならないものだろうかと云うと、今なら六百円あればどうにでもなると云うのです",
"よし、六百円か、六百円位で先祖から伝わっている地所を流すは惜しい、じゃ、これから往ってとり戻して来よう、金はある"
],
[
"おや、山岡さん、暫くでございました",
"どうも暫くでございました、務はじめ留守許は平生御厄介になります",
"いや、手前こそ山岡さんには、平生御厄介になっております",
"いや、どういたしまして、まだこまごまと御礼を申しあげるはずですが、すこし急を要することですから、まず要件だけを申します、それは他でもありませんが、弟の手を経てお願いした金のことですが",
"はあ"
],
[
"もう今晩は遅いのですから、こまかいことはそのうちにゆっくり伺います、どうか証書を出してください",
"そうですか、では"
]
] | 底本:「日本怪談大全 第二巻 幽霊の館」国書刊行会
1995(平成7)年8月2日初版第1刷発行
底本の親本:「日本怪談全集 第四巻」改造社
1934(昭和9)年
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年5月22日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "052255",
"作品名": "白っぽい洋服",
"作品名読み": "しろっぽいようふく",
"ソート用読み": "しろつほいようふく",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2012-07-10T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-16T00:00:00",
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"人物ID": "000154",
"姓": "田中",
"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "日本怪談大全 第二巻 幽霊の館",
"底本出版社名1": "国書刊行会",
"底本初版発行年1": "1995(平成7)年8月2日",
"入力に使用した版1": "1995(平成7)年8月2日初版第1刷",
"校正に使用した版1": "1995(平成7)年8月2日初版第1刷",
"底本の親本名1": "日本怪談全集 第四巻",
"底本の親本出版社名1": "改造社",
"底本の親本初版発行年1": "1934(昭和9)年",
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"入力者": "川山隆",
"校正者": "門田裕志",
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"XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"何も知らない者でございますから、無礼ばかりいたしました、どうか、その罪をお許しくだされて、道の教をお授けくださいますように",
"その方の志は好くわかっておる、しかし、わしは、今晩のうちに己の住家へ帰らねばならぬ、その方も仙道を修めたいと思うなら、これから、わしといっしょに往こう"
],
[
"有難うございます、では、お供を仕ります",
"では、わしに跟いて来るがよかろう"
],
[
"不肖は河野久と申す者でございますが、これからお弟子になされてくださいませ、一体ここは何と云う処でございましょう",
"ここは、吉野山の奥で、昔から人跡の到らない処であるから、仙道修行にはまたと無い処じゃ、わしはもと大和の国の神官で、山中と云う者であったが、わしが人間界におった時は、足利義満や義持が将軍になって、言語道断な振舞をするから、慷慨の余りに山へ入ったのじゃ、わしは応永初年の生れであるから、山へ入ったときは四十あまりであった、初めは富士山へ登って、富士山の神仙について、数百年の間、道を学び真を修めたから、その功が満ち行が足って、照道大寿真と呼ばれるようになっておるが、近ぢかのうちに、地仙の籍を脱して、天仙になることになっておる、この霊窟は、それまで住んでおる仮りの住家じゃ、ここへその方を伴れて来たのは、その方の精神に感じてのことじゃから、気を置かずに休息するがよかろう"
],
[
"今朝私が戴きました薬は、どうした薬でございましょうか",
"草木を見ればよくわかる"
],
[
"未熟な身が、何時までもこの霊窟におりますのは勿体のうございますから、お別れいたしたいと思いますが、このうえとも御指教を願います",
"それでは、今日は帰るがよかろう、そこまで見送ってやろう"
],
[
"長い間の行でございましたから、後の養いが大事でございますよ",
"有難う"
],
[
"あなたは、神仙のあることをお信じになって、これを編輯なされておりますか、それとも、ただ面白い記録として編輯なされておりますか",
"実在を信じておりますから、こうして数年にわたって編輯しております",
"そうでございますか"
]
] | 底本:「日本怪談大全 第一巻 女怪の館」国書刊行会
1995(平成7)年7月10日初版第1刷発行
底本の親本:「日本怪談全集 第二巻」改造社
1934(昭和9)年
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年3月8日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "052272",
"作品名": "神仙河野久",
"作品名読み": "しんせんこうのひさし",
"ソート用読み": "しんせんこうのひさし",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "",
"分類番号": "NDC 913 172",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2012-05-22T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-16T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/card52272.html",
"人物ID": "000154",
"姓": "田中",
"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "日本怪談大全 第一巻 女怪の館",
"底本出版社名1": "国書刊行会",
"底本初版発行年1": "1995(平成7)年7月10日",
"入力に使用した版1": "1995(平成7)年7月10日初版第1刷",
"校正に使用した版1": "1995(平成7)年7月10日初版第1刷",
"底本の親本名1": "日本怪談全集 第二巻",
"底本の親本出版社名1": "改造社",
"底本の親本初版発行年1": "1934(昭和9)年",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
"入力に使用した版2": "",
"校正に使用した版2": "",
"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "川山隆",
"校正者": "門田裕志",
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} |
[
[
"おうウイ",
"おうウイ",
"おうウイ",
"おうウイ"
],
[
"こりゃ、いかん",
"此のままにしておかれない",
"負けたら、大変だ",
"山の者を皆呼んで来い"
]
] | 底本:「伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典」学研M文庫、学習研究社
2003(平成15)年10月22日初版発行
底本の親本:「新怪談集 実話篇」改造社
1938(昭和13)年
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2010年10月20日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "045530",
"作品名": "死んでいた狒狒",
"作品名読み": "しんでいたひひ",
"ソート用読み": "しんていたひひ",
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"分類番号": "NDC 913",
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"公開日": "2010-11-26T00:00:00",
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"姓": "田中",
"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
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"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典",
"底本出版社名1": "学研M文庫、学習研究社",
"底本初版発行年1": "2003(平成15)年10月22日",
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"校正に使用した版1": "2003(平成15)年10月22日初版",
"底本の親本名1": "新怪談集 実話篇",
"底本の親本出版社名1": "改造社",
"底本の親本初版発行年1": "1938(昭和13)年",
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"底本の親本初版発行年2": "",
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[
[
"如何にも私は幸若だが、お前さんは",
"やれ、やれ、それでは幸若先生でございましたか、昨日から此処で、貴客様の御出ましになるのを待っておりましたじゃ"
],
[
"これは御初にお目にかかります、承わりますれば、永の御病気とのことでございますが……",
"二十年来の患いで、見らるるとおり衰え果てて、世にあるのも今年ばかりと覚悟したところで、其処許が都に登らるる風聞があったから、舞の一手を所望して、此の世の思出にしたいと、家の者をして御願いした次第だが、御出でくだされてかたじけない",
"未熟な私奴の芸を、それほどまでに御所望くださいまして、ありがとうございます、して貴君様の御病気とは、どんな御病気でございますか、おさしつかえがなければ、知らして戴きとうございます",
"こうして御厄介をかけるうえは、拙者の身のうえも、病気の原因も打ち開ける所存でござるが、まあまあ、其処許がゆっくり準備を済ましてからにしよう"
]
] | 底本:「日本怪談全集 ※[#ローマ数字2、1-13-22]」桃源社
1974(昭和49)年7月5日発行
1975(昭和50)年7月25日2刷
底本の親本:「日本怪談全集」改造社
1934(昭和9)年
入力:Hiroshi_O
校正:大野裕
2012年9月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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| {
"作品ID": "042326",
"作品名": "人面瘡物語",
"作品名読み": "じんめんそうものがたり",
"ソート用読み": "しんめんそうものかたり",
"副題": "",
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"原題": "",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2012-11-17T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-16T00:00:00",
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"姓": "田中",
"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "日本怪談全集 Ⅱ",
"底本出版社名1": "桃源社",
"底本初版発行年1": "1974(昭和49)年",
"入力に使用した版1": "1975(昭和50)年7月25日2刷",
"校正に使用した版1": "1970(昭和45)年8月10日",
"底本の親本名1": "日本怪談全集",
"底本の親本出版社名1": "改造社",
"底本の親本初版発行年1": "1934(昭和9)年",
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} |
[
[
"私は好い薬をもっております、手創が治るばかしでなしに、それを飲むと、不老不死が得られます",
"そうか、それは天が神医を与えてくだされたのじゃ、大王申陽侯が昨日遊びに往かれて、流矢に当って苦しんでおられる、お前の薬を頼みたい、こっちへきてくれ"
],
[
"私にも霊薬をいただかしてくだされ",
"あなたは神様だ、どうかその霊薬をくだされ",
"どうぞ、それを分けてくだされ"
],
[
"お前達は、どこからきた者だ",
"私は府城からきた者でございます"
],
[
"では、銭家の者か",
"そうでございます、どうか助けて、私を家へ送ってくださいますなら、どんなお礼でもいたします"
],
[
"お礼などはいらない、その代り、帰る路を教えておくれ",
"それは、訳のないことでございます、眼をおつむりになるがよろしゅうございます"
]
] | 底本:「中国の怪談(一)」河出文庫、河出書房新社
1987(昭和62)年5月6日初版発行
底本の親本:「支那怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年11月30日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:Hiroshi_O
校正:門田裕志、小林繁雄
2003年8月3日作成
青空文庫作成ファイル:
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| {
"作品ID": "001638",
"作品名": "申陽洞記",
"作品名読み": "しんようどうき",
"ソート用読み": "しんようとうき",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "",
"分類番号": "NDC 913 923",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2003-08-19T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/card1638.html",
"人物ID": "000154",
"姓": "田中",
"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "中国の怪談(一)",
"底本出版社名1": "河出文庫、河出書房新社",
"底本初版発行年1": "1987(昭和62)年5月6日",
"入力に使用した版1": "1987(昭和62)年5月6日初版",
"校正に使用した版1": "1987(昭和62)年5月6日初版",
"底本の親本名1": "支那怪談全集",
"底本の親本出版社名1": "桃源社",
"底本の親本初版発行年1": "1970(昭和45)年11月30日",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
"入力に使用した版2": "",
"校正に使用した版2": "",
"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "Hiroshi_O",
"校正者": "小林繁雄、門田裕志",
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} |
[
[
"何んとも、何人も云わないようですが",
"そうかね、空耳だったろうか"
],
[
"何杯目だろう",
"今度おつけしたら、三杯でございます",
"では、もう一杯やろうか"
],
[
"もう一つ如何でございます",
"もうたくさん",
"では、お茶を"
],
[
"どこから来たのだろう、持って来たのかね",
"俥屋が持ってまいりました"
],
[
"お渡ししたら好いと云って、帰ってしまいました",
"そうかね、何人だろう、今日の委員か有志だろうが"
],
[
"よし、ありがとう",
"お判りになりましたか",
"ああ",
"では、また御用がありましたら、お呼びくださいまし",
"ありがとう"
],
[
"そうです、私が山根ですが",
"どうもすみません、私はさっき手紙をさしあげて、ごむりを願った者でございます",
"あなたですか",
"はい、どうも御迷惑をかけてあいすみませんが、今日、先生の御講演を伺いまして、どうしても先生にじきじきお眼にかかりたくてかかりたくて、しかたがないものですから、先生のお宿を聞きあわして、お手紙をさしあげました、まことにあいすみませんが、ちょっとの間でよろしゅうございます、私の宅までお出ましを願いとうございます",
"どちらですか"
],
[
"あの丘の端を廻った処でございますが、舟で往けば十分もかかりません",
"舟がありますか",
"ええ、ボートを持って来ております",
"あなたがお一人ですか",
"ええ、そうです、お転婆でございましょう"
],
[
"婢と爺やよりほかに、何人も遠慮する者はおりませんから",
"そうですね、すぐ帰れるならまいりましょう",
"すぐお送りします",
"ではまいりましょう",
"それでは、どうかこちらへ"
],
[
"あれでございますよ、滑稽でしょう",
"面白いですな"
],
[
"あなたが前へお乗りなさい、私が漕ぎましょう",
"いいえ、このボートは、他の方では駄目ですから、私が漕ぎます、どうかお乗りくださいまし"
],
[
"いえ、私はこのボートで、毎日お転婆してますから、楊枝を使うほどにも思いませんわ",
"そうですか、では、見ておりましょうか",
"四辺の景色を御覧くださいましよ、湖の上は何時見ても好いものでございますよ"
],
[
"このボートで往ってると、湖の魚が皆集まってくるのでございますよ、でも、あまり多く集まって来るのも煩いではございませんか",
"鯉でしょうね、私はこんな鯉を、はじめて見ましたね、この湖では鯉をとらないでしょうか",
"とりますわ、この湖で鯉を捕って生活している漁夫は数多ありますわ",
"そうですか、そんなに鯉を捕ってるのに、こんなに集まって来るのは、鯉がたいへんいるのですね",
"先生をお迎えするために集まったのでしょうが、もう、帰りましたよ"
],
[
"死んだんでしょうか、あの鯉は",
"あれは、先生に肉を饗応した鯉でございますわ",
"え",
"いいえ、先生は、今晩宿で鯉こくを召しあがったのでございましょう、このあたりは、鯉が多いものですから、宿屋では、朝も晩も鯉づくめでございますわ"
],
[
"私といっしょにずんずんお歩きになりましたよ、よく夜なんか、知らないところへまいりますと、狐につままれたようにぼうとなるものでございますわ、ほんとうに失礼いたしました、こんな河獺の住居のような処へお出でを願いまして",
"どういたしまして、静な、理想的なお住居じゃございませんか"
],
[
"まねごとをいたしますが、とてもだめでございますわ",
"そんなことはないでしょう、こう云う処にいらっしゃるから",
"いくら好い処におりましても、頭の中に歌を持っておりません者は、だめでございますわ"
],
[
"そんなことはないでしょう、私もこんな処に一箇月もおると、何か纏まりそうな気がしますね",
"一箇月でも二箇月でも、お気に召したら、一箇年もいらしてくださいまし、こんなお婆さんのお対手じゃお困りでございましょうが"
],
[
"お茶のかわりに赤酒をさしあげます、お嫌いじゃございますまいか",
"すこし、戴きましょう、あまり飲めませんけれど",
"婢を呼びますと、何か、もすこしおあいそもできましょうが、めんどうでございますから、どうか召しあがってくださいまし、私も戴きます"
],
[
"私は判りませんけれども、今日先生がなさいました、恋愛に関するお話は、非常に面白うございました。あのお話の中の女歌人のお話は、非常な力を私達に与えてくださいました。もっともこんなお婆さんには、あの方のような気の利いた愛人なんかはありませんが、あのお話で、つまらない世間的な道徳などは、何の力もなくなったような気がしますわ",
"あなたのように、心から、私のつまらない講演を聞いてくだされた方があると思うと、私も非常に嬉しいです、しかし、私がほんとうの講演ができるのは、まだ十年さきですよ、まだ、何も頭にありませんから",
"そんなことがあるものでございますか、今日の聴衆という聴衆は、先生のお話に感動して、涙ぐましい眼をして聞いておりましたわ",
"だめです、まだこれから本を読まなくては、もっとも、これからと云っても、もう年が往ってますから",
"失礼ですが、お幾歳でいらっしゃいます",
"幾歳に見えます"
],
[
"そいつはおごらなくちゃなりませんね、六ですよ",
"三十六、そんなには、どうしても見えませんわ",
"あなたはお幾歳です",
"私、幾歳に見えます",
"さあ、三ですか、四にはまだなりますまいね",
"なりますよ、四ですよ、やっぱり先生のお眼はちがっておりませんわ",
"お子さんはおありですか",
"小供はありません、一度結婚したことがありますが、小供は出来ませんでした"
],
[
"それでは、目下はお一人ですか",
"そうでございますわ、こんなお婆さんになっては、何人もかまってくださる方がありませんから、一人で気ままに暮しておりますわ",
"かえって、係累がなくって気楽ですね",
"気楽は気楽ですけれど、淋しゅうございますわ、だから今日のように、我ままを申すようなことになりますわ",
"こんな仙境のような処なら、これから度たびお邪魔にあがりますよ"
],
[
"そうですね",
"私の我ままをとおさしてくださいましよ"
],
[
"咽喉をなにかで突かれているのですね",
"いたずらをして突かれたものでしょう、それよりか、次の金曜日にはきっとですよ",
"好いです"
],
[
"何時いらしったのです",
"今の汽車でまいりました、ちょうど好かったのですね",
"どこへいらしったのです",
"銚子の方へ往こうと思って、家を出たのですが、先生にお眼にかかりたくなりましたからまいりました、これからお宅へあがろうと思いまして、ぶらぶら歩いてまいりましたが、なんだか変ですから、ちょっと困っておりました",
"そうですか、それはちょうど好かった、飯はどうです",
"まだです、あなたはもうおすみになって",
"すこしくさくさすることがあって、まだです、どこかその辺へ往って飯を喫おうじゃありませんか",
"くさくさすることがあるなら、いっそ、これから銚子へ往こうじゃありませんか",
"そうですね、往っても好いのですね"
],
[
"野本君か、野本君、君に頼みがある。妻室がすこし怪しいから、急いで医師を呼んで来てくれないかね、ここを出て、右に五六軒往ったところに、赤い電燈の点いた家がある、かかりつけの医師だから、僕の名を云えばすぐ来てくれる",
"どうしたんだ",
"痴なまねをして、なにか飲んだようだ",
"よし、じゃ、往って来る、君は気をつけてい給え"
],
[
"先生はすぐ来る、どうだね、大丈夫かね",
"吐いた、吐いた、吐いたら大丈夫だと思うのだ",
"吐いたのか、吐いたら好い"
],
[
"吐きましたね",
"吐いてます、まだ吐かしたら好いと思って、今この茶碗に一ぱい水を飲ましたところです"
],
[
"どれくらいになりますか",
"私が気がついて、まだ二十分ぐらいにしかならんと思いますが",
"そうですか"
],
[
"なんですか",
"舟に乗る時ですよ"
],
[
"舟に乗る時って、一体こんな処にかってに乗れる舟がありますか、舟に乗るなら、宿へでもそう云って拵えて貰わなくちゃ",
"大丈夫ですよ、私が呼んでありますから",
"ほんとうですか",
"ほんとうですとも、そこをおりましょう"
],
[
"おりられるのですか",
"好い路がありますわ"
],
[
"なるほどありますね",
"ありますとも"
],
[
"蛍ですね",
"さあ、どうですか"
],
[
"おかしな舟ですね、ボートですか",
"なんでも好いじゃありませんか、あなたを待ってる舟ですよ"
],
[
"お乗りなさいよ",
"乗りましょう"
],
[
"お乗りなさいよ",
"綱は好いのですか",
"好いからお乗りなさいよ"
],
[
"この舟は一体なんです、変じゃありませんか",
"変じゃありませんよ",
"でも、機械もなにもないのに動くじゃありませんか",
"機械はないが、数多の手がありますから、動きますよ",
"え",
"今に判りますよ、じっとしていらっしゃい",
"そうですか"
]
] | 底本:「日本怪談大全 第二巻 幽霊の館」国書刊行会
1995(平成7)年8月2日初版第1刷発行
底本の親本:「日本怪談全集 第四巻」改造社
1934(昭和9)年
入力:川山隆
校正:門田裕志
2012年5月22日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "053861",
"作品名": "水郷異聞",
"作品名読み": "すいごういぶん",
"ソート用読み": "すいこういふん",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2012-07-10T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-16T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/card53861.html",
"人物ID": "000154",
"姓": "田中",
"名": "貢太郎",
"姓読み": "たなか",
"名読み": "こうたろう",
"姓読みソート用": "たなか",
"名読みソート用": "こうたろう",
"姓ローマ字": "Tanaka",
"名ローマ字": "Kotaro",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1880-03-02",
"没年月日": "1941-02-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "日本怪談大全 第二巻 幽霊の館",
"底本出版社名1": "国書刊行会",
"底本初版発行年1": "1995(平成7)年8月2日",
"入力に使用した版1": "1995(平成7)年8月2日初版第1刷",
"校正に使用した版1": "1995(平成7)年8月2日初版第1刷",
"底本の親本名1": "日本怪談全集 第四巻",
"底本の親本出版社名1": "改造社",
"底本の親本初版発行年1": "1934(昭和9)年",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
"入力に使用した版2": "",
"校正に使用した版2": "",
"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "川山隆",
"校正者": "門田裕志",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/files/53861_ruby_47351.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2012-05-23T00:00:00",
"テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"テキストファイル文字集合": "JIS X 0208",
"テキストファイル修正回数": "0",
"XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000154/files/53861_47938.html",
"XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2012-05-23T00:00:00",
"XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"何んとも、何人も云はないやうですが、",
"さうかね、空耳だつたらうか、"
],
[
"何杯食つたかね、",
"今度つけたら三杯目でございます、",
"では、もう一杯やらうか、"
],
[
"もう一つ如何でございます、",
"もう沢山、",
"では、お茶を、"
],
[
"何所から来たんだらう、持つて来たのかね、",
"俥屋が持つて参りました、"
],
[
"お渡しゝたら好いと云つて、帰つてしまひました、",
"さうかね、誰だらう、今日の委員か有志かだらうか、"
],
[
"よし、有難う、",
"お判かりになりましたか、",
"あゝ、",
"では、また御用がありましたら、お呼びくださいまし、",
"有難う、"
],
[
"さうです、私が山根ですが、",
"どうも相済みません、私は先つき手紙を差しあげて、御無理を願つた者でございます、",
"あなたですか、",
"はい、どうも御迷惑をかけて相済みません、ですが、今日、先生の御講演を伺ひまして、どうしても先生にぢき〳〵お眼にかゝりたくてかゝりたくて、仕方がないもんですから、先生のお宿を聞き合して、お手紙を差しあげました。まことに済みませんが、ちよつとの間でよろしうございます、私の宅へまでお出でを願ひたうございます、",
"何方ですか、"
],
[
"あの丘の端を廻つた所でございますが、舟で行けば十分ぐらゐもかゝりません、",
"舟がありますか、",
"えゝ、ボートを持つて来てをります、",
"あなたがお一人ですか、",
"えゝ、さうですよ、お転婆でせう、"
],
[
"女中と爺やより他に、何も遠慮する者はをりませんから、",
"さうですね、すぐ帰れるなら参りませう、",
"すぐお送りします、",
"では、参りませう、",
"それでは、どうか此方へ、"
],
[
"あれでございますよ、滑稽でせう、",
"面白いですな、"
],
[
"あなたが先へお乗りなさい、私が漕ぎませう、",
"いゝえ、このボートは、他の方では駄目ですから、私が漕ぎます、どうかお乗りくださいまし、"
],
[
"いえ、私はこのボートで、毎日お転婆してますから、楊枝を使ふほどにも思ひませんわ、",
"さうですか、では、見てをりませうか、",
"四辺の景色を御覧くださいましよ、湖の上は何時見ても好いものでございますよ、"
],
[
"このボートで行つてると、湖の魚が皆集つて来るのでございますよ。でも、あまり多く集つて来るのも煩いではございませんか、",
"鯉でせうね、私はこんな鯉をはじめて見ましたね、この湖では鯉をとらないでせうか、",
"とりますわ、この湖で鯉をとつて生活してゐる漁夫は沢山ありますわ、",
"さうですか、そんなに鯉をとつてるのに、こんなに集つて来るのは、鯉も大変ゐるんですね、",
"先生をお迎へするために集つたのでせうが、もう、帰しましたよ、"
],
[
"死んだんでせうか、あの鯉は、",
"あれは、先生に肉を御馳走した鯉でございますわ、",
"えツ、",
"いゝえ、先生は、今晩宿で鯉こくを召しあがつたでございませう。このあたりは、鯉が多うございますから、宿屋では、朝も晩も鯉づくめでございますわ、"
],
[
"私と一緒にずんずんお歩きになりましたよ、よく夜なんか、知らないところへ参りますと、狐に撮まれたやうにぼうとなるものでございますわ。本当に失礼致しました。こんな河獺の住居のやうな所へお出でを願ひまして、",
"どう致しまして、静かな、湖に臨んだ理想的なお住居ですね、"
],
[
"真似事を致しますが、とても駄目でございますわ、",
"そんなことはないでせう。かう云ふ所にゐらつしやるから、",
"いくら好い所にをりましても、頭の中に歌を持つてをりません者は、駄目でございますわ、"
],
[
"そんなことはないでせう、私達もこんな所に一箇月もをると、何か纒まりさうな気がしますよ、",
"一箇月でも二箇月でも、お気に召したら、一箇年もゐらしてくださいまし、こんなお婆さんのお相手ぢやお困りでございませうが、"
],
[
"お茶の代りに赤酒を差しあげます、お嫌ぢやござんすまいか、",
"すこし戴きませう、あまり飲めませんけれど、",
"女中を呼びますと、何か、もすこしおあいそも出来ませうが、面倒でございますから、どうか召しあがつてくださいまし、私も戴きます、"
],
[
"私は判りませんけれど、今日先生がなさいました、恋愛に関するお話は、非常に面白うございました、あのお話の中の女歌人のお話は、非常な力を私達に与へてくださいました。もツともこんなお婆さんには、あの方のやうな気の利いた愛人なんかはありませんが、あのお話で、つまらない世間的な道徳などは、何の力もなくなつたやうな気がしますわ、",
"あなたのやうに、心から、私のつまらん講演を聞いてくだされた方があると、私も非常に嬉しいです。しかし、私が本当の講演が出来るのは、まだ十年の先ですよ、まだ、何も頭にありませんから、",
"そんなことがあるものでございますか、今日の聴衆と云ふ聴衆は、先生のお話に感動して、涙ぐましい眼をして聞いてをりましたわ、",
"駄目です、まだこれから本を読まなくては、もつとも、これからと云つても、もう年が行つてますから、",
"失礼ですが、お幾歳でゐらつしやいます、",
"幾歳に見えます、"
],
[
"やあ、それはおごらなくちやなりませんね、六ですよ、",
"三十六、そんなには、どうしても見えませんわ、",
"あなたはお幾歳です、",
"私、幾歳に見えますか、",
"さあ、三ですか、四にはまだなりますまいね、",
"なりますよ、四ですよ、矢張り先生のお眼は違つてをりますわ、",
"お子さんはおありですか、",
"子供はありません。一度結婚したこともありますが、子供は出来ませんでした、"
],
[
"それでは、目下はお一人ですか、",
"さうでございますわ、こんなお婆さんになつては、何人もかまつてくださる方がありませんから一人で気儘に暮してをりますわ、",
"却つて、係累がなくつて気楽ですね、",
"気楽は気楽ですけれど、淋しうございますわ、だから今日のやうな我儘を申すやうなことになりますわ、",
"こんな仙境のやうな所なら、これから度度お邪魔にあがりますよ、"
],
[
"さうですね、",
"私の我儘を通さしてくださいましよ、"
],
[
"咽喉をなにかで突かれているんですね、",
"いたづらをして突かれたもんでせう。それよりか、次の金曜日にはきつとですよ、",
"好いんです、"
],
[
"何時いらしつたんです、",
"今の汽車で参りました。ちやうど好かつたんですね、",
"何所へいらしつたんです、",
"銚子の方へ行かうと思つて、家を出たんですが、先生にお眼にかかりたくなりましたから参りました。これからお宅へあがらうと思ひまして、ぶらぶらと歩いて参りましたが、なんだか変ですから、ちよつと困つてをりました、",
"さうですか、それはちようど好かつた。飯はどうです、",
"まだです、あなたはもうお済みになつたでせう、",
"すこしくさくさすることがあつてまだです。何所か其辺へ行つて飯を喫はうぢやありませんか、",
"くさくさすることがあるなら、いつそこれから銚子へ行かうぢやありませんか、",
"さうですね。行つても好いですね、"
],
[
"野本君か、野本君、君に頼みがある、家内がすこし怪しいから、急いで医者を呼んで来てくれないかね、此所を出て、右に五六軒行つたところに、赤い電燈の点いた家がある。かかりつけの医者だから、僕の名を云へばすぐ来てくれる、",
"どうしたんだ、",
"馬鹿な真似をして、なにか飲んだやうだ、",
"よし、ぢや、行つて来る。君は気をつけてゐ給へ、"
],
[
"先生はすぐ来る、どうだね、大丈夫かね、",
"吐いた、吐いた。吐いたから大丈夫だと思ふんだ、",
"吐いたのか。吐いたら好い、"
],
[
"吐きましたね、",
"吐いてます。まだ吐かしたら好いと思つて、今この茶碗に一杯水を飲ましたところです、"
],
[
"どれくらいになりますか、",
"私が気が付いて、まだ二十分ぐらいしかならんと思ひますが、",
"さうですか、"
],
[
"なんですか、",
"舟に乗る時ですよ、"
],
[
"舟に乗る時つて、一体こんな所に勝手に乗れる舟がありますか、舟に乗るなら、宿へでもさう云つて拵へて貰はなくちや、",
"大丈夫ですよ。私が呼んでありますから、",
"本当ですか、",
"本当ですとも、其所をおりませう、"
],
[
"おりられるんでせうか、",
"好い路がありますよ、"
],
[
"なるほどありますね、",
"ありますとも、"
],
[
"螢ですね、",
"さあ、どうですか、"
],
[
"をかしな舟ですね。ボートですか、",
"なんでも好いぢやありませんか、あなたを待つてる舟ですよ、"
],
[
"お乗りなさいよ、",
"乗りませう、"
],
[
"お乗りなさいよ、",
"綱は好いんですか、",
"好いからお乗りなさいよ、"
],
[
"この舟は一体なんです。変ぢやありませんか、",
"変ぢやありませんよ、",
"でも、機械もなにもないのに動くぢやありませんか、",
"機械はないが、沢山の手がありますから、動きますよ、",
"え、",
"今に判りますよ、ぢつとしてゐらつしやい、",
"さうですか、"
]
] | 底本:「伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典」学研M文庫、学習研究社
2003(平成15)年10月22日初版発行
底本の親本:「黒雨集」大阪毎日新聞社
1923(大正12)年10月25日
入力:川山隆
校正:門田裕志
2009年8月12日作成
2012年5月24日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"この指輪も貰ったのだが、鬼だろうか",
"待て、よ"
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"どうして、三娘ということが解ってるのだ",
"この南の村に、寇という富室があるのだ、三娘は其所の女だ、きりょうが良いので評判だったが、二三年前間違えて水莽草を食って死んだのだ、きっとこれが魅をしているのだ"
],
[
"お前の家内というのは、どうした方かね",
"それは寇三娘です、寇の両親は、みすみす私を殺したから、私は三娘を生れ代らせないようにしようと、三娘のいる所を探していると、友達の庚伯さんが教えてくれたので、往ってみると、三娘はもう任侍郎の家の児に生れ代っていたのですが、無理に捉えて伴れてきたのです、それが今の私の家内ですが、二人の間は仲が良いのですから、のんきです"
],
[
"お前と同時にお茶を飲ましてた媼さんは何人だね",
"あれは倪という家のお媼さんですよ、自分で心にはじるから、私にやらしたのですわ、今は、もう郡城の漿を売る家の児に生れてるのです"
],
[
"お前も、何故、人を取って生れ代らない",
"私は、こんなことをする者に対して恨みがあるのですから、そんな奴を皆追いのけてしまいたいのです、くだらんことをしたくないのです、それに私はこうしてお母さんにつかえていれば良いのです、生れ代りたくはないのです"
]
] | 底本:「中国の怪談(二)」河出文庫、河出書房新社
1987(昭和62)年8月4日初版発行
底本の親本:「支那怪談全集」桃源社
1970(昭和45)年発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2004年9月25日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "001662",
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"名ローマ字": "Kotaro",
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