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# リスク学研究 30(4): 203-206 (2021) Japanese Journal of Risk Analysis doi: 10.11447/jjra.SRA-0356 【特集:新型コロナ感染症関連 情報】 # 2020 年 3 月期決算企業に起きた監査上のリスク* Auditing Risks with Fiscal Year Ending March 31, 2020 上野 雄史**,中村 元彦*** Takefumi UENO and Motohiko NAKAMURA \begin{abstract} This paper showed the audit risk of financial statements for the fiscal year ending March 31, 2020. Many companies did not significantly delay their normal audit schedules in the Covid-19 disaster. They emphasized the timeliness of the information. As a result, auditors had to perform their work online. To date, no accounting fraud has been detected this fiscal year. However, as Lamberta et al. (2017) demonstrated, time pressure has a negative impact on earnings quality. We must explore this audit quality. \end{abstract} Key Words: auditing risks, Covid-19, timeliness ## 1. 緊急事態宣言で財務諸表監査はどう なった? 本論の目的は, 2020 年 3 月期決算の財務諸表監査において生じた監査上のリスクについて論じ,今後の課題,問題点を整理することにある。 新型コロナ禍で私たちの生活, 経済面に大きな影響を与えた意思決定は, 2020 年4月7日夜に,政府が特別措置法第32条に基づき発出した緊急事態宣言であろう。この時点において対象となる範囲は, 関東の 1 都 3 県 (東京都, 神奈川県, 千葉県, 埼玉県)と, 大阪府, 兵庫県, 福岡県であった。その後, 感染拡大に伴い4月16日に全国に対象が拡大された。さらに, 政府は重点的に感染拡大防止の取り組みを進めていく必要があるとして,4月7日時に緊急事態の宣言対象とした7 都府県に, 北海道, 茨城, 石川, 岐阜, 愛知, 京都の6 道府県を加えた13の都道府県を,重点的に感染拡大防止の取り組みを進めていく「特定警戒都道府県」と位置付けた。その後, 5 月 14 日に北海道 - 東京 - 埼玉 - 千葉 - 神奈川 - 大阪 - 京都兵庫の 8 つ都道府県を除く, 39 県で緊急事態宣言を解除することを決定し, 5 月 25 日に首都圈 1 都3県と北海道の緊急事態宣言を解除した。政府の新型ウイルス対策専門家会議メンバーから人との接触を最低 7 割極力 8 割, 三密回避が提示され, リモートワークが急拡大した。医療・福祉従事者,配送関係,公共交通機関,スーパーマーケット・コンビニエンス・ストア, 各種製造現場などで働くエッセンシャルワーカーを除き, 人との接触をしない形での業務が求められた。これは財務諸表監査においても例外ではない。 財務諸表監査は,決算業務を経て作成された財務諸表を保証する重要なプロセスである。財務諸表監査では, 企業経営者の責任の下で作成された財務諸表に対して, 独立した第三者である公認会計士または監査法人(以下,公認会計士等)が監  査することで,適正な会計処理基準に基づいて財務諸表が作成されていることを保証し, 監査の結果を監査報告書として企業に提出する。株式市場に上場している企業等ならびに監査が義務付けられている大会社(資本金 5 億円以上または負債総額 200 億円以上の会社)は,金融商品取引法(以下,金商法),会社法に基づく監査が義務付けられており,公認会計士等による監査が必要になる。 監査ならびに決算に関わる作業は年間を通じて行われているとはいえ, 年度ごとの決算を取りまとめ, 監査に関わる業務が集中的に行われる(いわゆる繁忙期)のは決算日以後である。金商法で提出が義務付けられている有価証券報告書は, 事業年度経過後 3 か月以内が提出期限となっており, そこから逆算して, 金商法監査における監査報告書の提出期限も決まる。会社法監査も, 決算の承認を得るために開催される株主総会から逆算して決まる。通常 6 月中に開催される株主総会の招集通知ならびに決算日後,3か月以内に監査報告書の添付した有価証券報告書の提出が求められる。 決算期については海外子会社とのデー夕連携で 12 月期に変更,繁忙期を避ける形で3 月以外の決算日に変更する企業もあるものの, 東京証券取引所によると 3 月期決算企業は 3,712 社中, 2,333社であり,決算期は 3 月に集中している。当然, 監査業務もこの時期に集中することとなる。 緊急事態宣言下において,前例のない対応も財務諸表を作成する企業側, 公認会計士等側の双方に求められることになった。 本論では, この状況下において, 決算・監査スケジュールを巡る企業と公認会計士等側との立場が,コロナ禍でどのように鮮明になったのか。そのことによりどういったリスクに直面したかを整理していきたい。 ## 2. 緊急事態宣言下で始まった決算業務・監査 緊急事態宣言の発出と合わせて,公認会計士の業界団体である日本公認会計士協会(以下,会計士協会)は, 会長声明「緊急事態宣言の発令に対する声明」を2020年4月7日付けで財務諸表監査に従事する会員・準会員に対して, 『当協会は, 会員・準会員に対し, 政府等の要請を遵守した行動をとるよう要請します。』 と政府からの要請に応じた形での業務遂行を求めた。 4月7日の発出前の 4 月 3 日に金融庁は「新型コロナウイルス感染症の影響を踏まえた企業決算・監査等への対応に係る連絡協議会」を設置し, 関係者間で現状の認識や対応に関する情報共有の場が設けられた。事務局は, 金融庁が行い, メンバーとしては, 会計士協会, 企業会計基準委員会, 東京証券取引所, 日本経済団体連合会, 日本証券アナリスト協会, オブザーバーとして, 全国銀行協会, 法務省, 経済産業省の各代表者が集まっている。 4月15日に「新型コロナウイルス感染症の影響を踏まえた企業決算・監査及び株主総会の対応について」(金融庁 (2020)) という共同声明が発出されている。本声明の要点は以下の 3 点にある。 (1)有価証券報告書, 四半期報告書等の提出期限について,9月末まで一律に延長する内閣府令改正が行われること等を踏まえ, 関係各位の安全確保に十分な配慮を行いながら, 例年とは異なるスケジュールを想定して, 決算・監査の業務を遂行すること。 (2) 3 月期決算において, 通常 6 月末に開催される株主総会の運営に関し, 新型コロナウイルス感染拡大防止のためにあらかじめ適切な措置を検討すること。定時株主総会を開催することを後ろ倒しにすることは可能であること。 (3)資金調達や経営判断を適時に行うために当初子定した時期に定時株主総会を開催する場合には,例えば, 当初予定した時期に定時株主総会を開催し, 継続会において, 計算書類, 監査報告等の情報を提供する説明を行うこと。 こうしたことを声明とともに, 関係各位への連絡を徹底しながら, 理解を得る形で決算・監査業務を遂行していくことが参加者の間で確認された。 さらに, 会計士協会は, 4 月 15 日に手塚会長が記者会見を行い『当初予定したスケジュールの形式的な遵守に必要以上に拘泥しようとすれば, 現場では適切な監査手続が行えず, さらに審査のための十分な時間も確保できず, 監査の品質を確保できない懸念が生じます。』と発言しており,慎重な対応を会員, 準会員だけでなく, 被監査会社 (監査を受ける企業等)に要請した。監査法人内で感染者が出ることによる監査業務への支障, 拙速な監査手続により監査の質を低下させることによる公認会計士等ならびに財務諸表への信頼の低 下などの懸念が強調されており, 同類のメッセー ジを新聞でのインタビューでも揭載している。 こうした声明を行う背景には監査業務が企業側からの要請により行うという事情がある。つまりクライアントである企業が,通常通りの決算スケジュールを求めた場合,公認会計士側はそれを配慮し動かざるを得ない。その一方で,慣れない環境下で拙速な監査を行えば公認会計士による保証業務そのものの信頼を低下させることになる。コロナ禍における監查業務の進行は,公認会計士がこうしたジレンマを抱えていることを改めて認識させるものであった。本声明と合わせて会計士協会は,4月15日までに「監査上の留意事項」について3種類公開している。 新型コロナウィルス感染症に関連する監查上の留意事項(その1)3月18日公表 $\cdot$ 実地棚卸の立会(実地棚卸日以後に販売されたことを示す記録や文書の閲覧など) $\cdot$ 残高確認(確認回答の複写を電子経路で入手) $\cdot$内部統制監査に関しては, 経営者の評価手続が実施できない場合,当該範囲を除外して財務報告に関わる内部統制評価結果を表明する $\cdot$ 監查スケジュールの延長等 新型コロナウィルス感染症に関連する監查上の留意事項(その2)4月10日公表(5月12日更新) $\cdot$ 不確実性の高い環境下における監查の基本的な考え方(公共の利益を勘案して,監查意見の形成局面において慎重な判断が求められること) ・会計上の見積りの監査(適用される財務報告の枠組みの理解,会計上の見積りの合理性の検討) $\cdot$ 継続企業の前提 新型コロナウィルス感染症に関連する監查上の留意事項(その3)4月15日公表 $\cdot$ 有価証券報告書等の提出期限の延長について $\cdot$会社法計算関係書類の監査について 会長声明後も,「新型コロナウィルス感染症に関連する監査上の留意事項」は追加され, 4 月 22 日公表の「その4」で操業,営業停止中の固定費等の会計処理,銀行等金融機関の自己査定及び償却・引当金, 2020 年 5 月 8 日公表の「その 5」で除外事項付意見に関する留意点, 経営者確認書に関する留意事項について言及している。これらは制限された状況下で監査業務を行う会員・準会員 に対する実質的な対応指針となった。各留意事項で共通しているのは, 代替的な監查手続を提示しつつ, 監査証拠の信頼性を勘案した慎重な対応を求めている点にある。代替的な監査手続は, あくまでも正規の監查手続が行えない場合の緊急手段であり,望ましい方法とは言えない。信頼性の高い監査手続に基づき監查証拠を積み上げていき,監查意見を形成していくことが重要であることが留意事項の中では重ねて確認されている。 ## 3. 大きく遅れなかった決算業務, 監査手続 決算業務と監查業務は並行しながら行われている。一般的には, 先行して決算発表が行われた後に, 監查意見報告書が作成され, 計算書類等の報告もしくは承認が株主総会で行われる。決算業務と監查業務は常に連動しているわけではないが,決算業務が一通り終わらなければ監査業務を終えることは出来ない。 先行して行われる決算発表がどの程度遅延したかを (株) 東京証券取引所が 2020 年 6 月 2 日に公表した「2020年 3 月期決算発表状況の集計結果について」((株)東京証券取引所(2020))からみてみよう。 この集計結果によると, 平均所要日数 (5月末までに決算発表を実施した会社のみ集計)は43.4 日となり,1,357社 (61.4\%) が前年の所要日数 39.7日を上回った。ただし, 全体として大きな遅延が生じる事態にはならなかった。感染症の影響により決算手続き等に制約が生じる中でも, 決算期末後 45 日以内に 1,728 社( $74.1 \%$, 前年同期比 $\triangle 22.9$ ポイント),5月末までに2,246社( $96.3 \%$,前年同期比 $\triangle 3.6$ ポイント) が決算発表を実施し, 5 月末時点で決算発表が未了の会社は, 海外拠点においてロックダウンの影響を受けた会社など 87社(3.7\%)に留まった。 株主総会の開催日をみてみると, 多くの企業が例年通り6月末までに株主総会を終えている。 2,278社中,6月末までに株主総会を終えた企業は 2,258 社 (99.3\%), 7 月以降 16 社 (0.7\%), 8 月以降4社(0.17\%)となっている。このように決算発表,株主総会を大幅に延期した企業はごく少数にとどまった。 具体的な開催日も確認してみよう (Table 1参照)。 6月中旬から下旬にピークを迎える定時株主総会はTable 1のような日程で開催されていた。2020年 Table 1 Date of General Shareholders' Meeting (listed company on a Tokyo stock exchange) 3 月期は6月26日,2019年3月期は6月27日が集中日となっている。多くの企業が例年通り6月末までに終えていることが改めて確認できる。6月29日 96 社,30日30社と月末にシフトした企業は多くなったものの,ほぼ例年通り株主総会を開催しており, 継続会を利用して株主総会の審議事項の一部を先送りした企業は 30 社程度に留まった。 ## 4. コロナ禍における監査リスク 緊急事態宣言があったことで 1 週間程度の遅れはあったものの,その後,決算業務,監査業務のスケジュールは滞りなく進んでいたことが分かる。このことから代替的な手段による監査が行われたことが推察される。慎重な対応や延期が求められていた中で,多くの企業がスケジュールを遵守しようとしたのはなぜであろうか。 これは決算業務・監査業務における適時性が重視されていたためと考えられる。適時性は, 関係者に対してタイムリーな情報を提供するという考え方である。適時性と正確性はトレードオフである。正確性を重視するあまり,適時な情報が適用できなければ,結果的にその情報は意思決定に值しない情報と扱われる可能性がある。さらに,多くの企業は業績予想こそ控えたものの,決算発表を急いだ背景には,この状況において決算・監査業務を遅らせることが企業評価のマイナス材料となりうるということがあったと考えられる。また決算を確定しなければ株主への配当なども確定できない。決算を遅らせれば,企業は次年度以降の経営計画を示すことは出来ず,経営上の支障もきたす可能性がある。 会長声明で懸念されたような監査の質を低下させるような事案は現在確認されていない。ただし, 監査の質に全く影響がなかったといえば,そうでなかった可能性もある。たとえば, Lambert et al. (2017)では, 時間的なプレッシャーを課す SEC(米国証券取引委員会)規則の変更が, 収益の質にマイナスの影響を与えていることを実証的に検証している。会計基準の複雑化に伴い, 金融商品, のれん, 資産の減損の有無など, 判断が難しく慎重な検討が必要な場合が多くなっている。 コロナ禍の制約下で行われた監査の質がどうであったかは精査し, 今後に繋げていく研究結果の蓄積を行っていく必要があろう。 ## 謝辞 本研究は, 科学研究費助成事業 (基盤研究 (C):課題番号 19K02016)の成果の一部である。 ## 参考文献 Tokyo Stock Exchange, Inc. (2020) Statistics on Annual General Shareholders Meeting Dates for Companies with Fiscal Years Ended March 2020, https://www.jpx.co.jp/english/news/1021/2020060501.html (Access: 2021, June, 3)(in Japanese) (株) 東京証券取引所(2020)2020年 3 月期決算発表状況の集計結果について, https://www.jpx. co.jp/news/1023/20200602-01.html(アクセス日: 2021 年2月26日) FSA (2020) Establishment of the Networking Group on the corporate disclosure, financial reporting and audit of listed companies in Consideration of the Impact of the COVID-19 (Novel Coronavirus) Infection, https://www.fsa.go.jp/en/news/2020/ 20200414_networking_group.html (Access: 2021, June, 3)(in Japanese) 金融庁(2020)新型コロナウイルス感染症の影響を踏まえた企業決算・監査等への対応に係る連絡協議会, https://www.fsa.go.jp/singi/coronakansa kyougikai/index.html(アクセス日:2021年2月26日) Lamberta, T. A., Jones, K. L., Brazel, J. F., and Showalter D. S. (2017) Audit time pressure and earnings quality: An examination of accelerated filings, Accounting, Organizations and Society, 58, $50-66$.
risk
cc-by-4.0
Society For Risk Analysis Japan
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# \begin{abstract}At the 2020 annual meeting of The Society of Risk Analysis Japan, we hosted a special session focusing on novel coronavirus disease (COVID-19) as an emerging risk. In the context of the COVID-19 pandemic, the regulatory science perspective is very important as countermeasures have to be decided in a very limited time and without sufficient scientific knowledge. The objective of the session was to discuss the contribution of risk science to countermeasures against COVID-19. The topics were as follows: (1) science and policy under the risk governance; (2) risk assessment at mass gathering events; (3) regulatory science of the infection risk management and the regulatory framework issue; (4) comparison of mortality risk and economic impact. \end{abstract} Key Words: COVID-19, Risk governance, Solution-focused risk assessment # # 1.はじめに 2020 年に世界中で猛威を振るった新型コロナ ウイルス感染症(COVID-19)のようなエマージン グリスクの対策においては,限られた時間の中で 十分な科学的知見のない状態で対策の意思決定を 行う必要があるため, レギュラトリーサイエンス の視点は非常に重要である。COVID-19対策をめ ぐっては,以下に示すようなこれまでリスク学の 中で広く議論されてきた課題が繰り返し現れた: ・純粋科学と政策の間を埋めるレギュラトリーサ イエンスの位置づけの明確化 $\cdot$専門家の役割の明確化(リスク評価とリスク管理の分離,助言性の向上) ・受け入れられるリスクの大きさ(安全目標)の ## 設定 $\cdot$ 現状ではなく将来予測に基づいた先回り対策 $\cdot$規制ガバナンスのギャップ検出と修正 ・選択肢間のリスクトレードオフの考慮 ・リスクコミュニケーションの司令塔の不在 つまり,これまでに経験したことのないエマージ ングリスクの対策においても,早期に課題を絞り 出し, 不確実性の中の意思決定への羅針盤として リスク学の知見の蓄積は大きく役立つと考えられた。 日本リスク学会のレギュラトリーサイエンスタスクグループは, 2013 年の発足以降これまで年次大会において継続的に企画セッションを開催し,様々なレギュラトリーサイエンスの事例を整  理してきた(永井ら, 2016; 藤井ら, 2017)。2020 年度の年次大会ではエマージングリスクとしての COVID-19を取り上げて企画セッションを開催することとした。リスク学の考え方が新型コロナウイルス対策に貢献できる部分を議論することを目的として, 本企画セッションでは以下の4つの話題を取り上げた: $\cdot$専門家の位置づけとして科学と政治の関係 $\cdot$予測に基づく対策としてオリンピックなどの大規模イベントのリスク評価 ・規制ギャップとしてのウイルス対策製品リスクガバナンスの未整備検証 ・リスクトレードオフとしてコロナウイルスの死亡リスクと経済影響の比較 ## 2. 新型コロナウイルスのリスクガバナン スにおける科学と政治(永井孝志) 2020 年 6 月 23 日におこなわれた新型コロナウイルス感染症対策専門家会議メンバーによる会見において,副座長の尾身茂氏は専門家会議の政治からの独立性について「コロナウイルス対策は純粋な科学ではない」と発言した。リスク学の分野では, 純粁科学と政策の間にあるものは「レギュラトリーサイエンス」として整理している(小野, 2013; 永井ら, 2016; 藤井ら, 2017)。今回,特に以下に示すような線引き問題においてレギュラトリーサイエンスと同様の概念に基づく事例が見られた: ・フィジカル (ソーシャル) ディスタンスの距離 $\lceil 1 \sim 2 \mathrm{~m}\rfloor$ $\cdot$発熱後の職場復帰の目安「発症 8 日後」 $\cdot$ 相談・受診の目安「37.5 ${ }^{\circ} \mathrm{C}$ 以上が 4 日間続く」 $\cdot$都道府県ごとの自沜緩和基準 これらはすべて, 科学的ファクトを基にきっちり線引きできるものではなく, 科学と社会の共同作業的な面があった。ここではファクトと推論の境目を明示することが重要となる。 また,上記の会見では専門家助言組織のあり方の反省として以下のような言及があった。 ----以下引用 だが,こうした活動を通じて,専門家会議の役割に対して本来の役割以上の期待と疑義の両方が生じたものと思われる。すなわち, 一部の市民や地方公共団体などからは, さらに詳細かつ具体的な判断や提案を専門家会議が示すものという期待を高めてしまったのではないかと考えている。その反面, 専門家会議が人々の生活にまで踏み込んたと受け止め, 専門家会議への警戒感を高めた人もいた。また, 要請に応じて頻回に記者会見を開催した結果, 国の政策や感染症対策は専門家会議が決めているというイメージが作られ,あるいは作ってしまった側面もあった。 ---引用終わり この発言からは, 専門家が担うべき範囲はどこからどこまでか, という位置づけの明確化が必要であったことが示唆される。 現状のリスク評価は問題志向であり, 例えば 「コロナウイルスはどれくらい怖いのか?」が問いになっている。例えば対策なしなら42万人が死亡するというリスク評価があったとしても,リスク管理側が知りたい情報は感染症対策と経済影響のバランスをどの辺で取るべきかということであり, リスク評価側は必要とされる情報を提示できなかった。これに対して, 解決志向リスク評価は「実行しようとしている対策はどれくらい良い対策なのか」が問いになる(永井, 2013)。実行可能な対策オプションをいくつか用意し, それらを実行した場合の感染者数や死者数, 経済への影響などをモデルによって予測して, 選択肢を提示する。行政や政治など対策の意思決定者は, それぞれの対策のメリットデメリットを比較しながら最終的にどの対策を実行するかを決定する。つまり,リスク評価と管理を分離するのではなく, 意思決定のための情報の解析(リスク評価や管理オプション評価を含む)と,どの管理オプションを選択するかという意思決定そのものを分離させることが特徴である。これはこれまでのリスク評価とリスク管理の位置づけを再構成するものとなる。解決志向リスク評価が専門家の役割と考えると, 専門家組織の在り方も大きく変わってくるであろう。 ## 3. 新型コロナウイルス感染症に関する大規模イベントのリスク評価(村上道夫) COVID-19の流行に伴い, 日本を含む多くの国で, Physical distancing, 自粛, 学校の閉鎖などの様々な社会的対策が取られた。さらに,スポーツや祭りなどの大規模イベントが感染拡大における重要な経路と考えられたため, これらのイベントの自粛や延期といった措置がとられてきた。とりわけ,2020年に開催を予定していた東京オリンピック・パラリンピックは, 2021 年7月まで延期 となった。 このような大規模イベントにおける感染リスク評価の重要性が増している (McCloskey et al., 2020)。東京オリンピック以前にも,大規模イベントにおける感染対策の重要性は指摘されているが(Tam et al., 2012), COVID-19流行下において求められるのは,どのような問題があるかといった問題焦点型のリスク評価ではなく,対策などの効果の評価も含めた選択肢の評価を可能とするような解決志向のリスク評価である (Finkel, 2011)。 著者は, McCloskey et al. (2020)による指摘以来, 東京オリンピック・パラリンピックの開催にあたっては,科学と技術に裏打ちされた議論と意思決定が必要であると考え,COVID-19の解決志向型の感染リスク評価を進めている。研究チームは, リスク学, 環境学, 医学, 統計数学, 理学などの多様な分野で, 福島県立医科大学・東京大学・長崎県立大学などの大学, 産業技術総合研究所のような研究機関, 医療機関, 花王株式会社や NVIDIA Japan といった企業のメンバーから構成される。 具体的には主に以下の4つに取り組んでいる。 1)選手村や競技などにおける選手・スタッフのリスク評価 2)スタジアム内の観客のリスク評価 3)スタジアム外での移動に伴うリスク評価 4)入国に伴うリスク評価 重要なのは時宜にかなったリスク評価とともに社会実装を進めることである。また,どのように社会実装を進めたかということ自体を学術的に共有したり,評価したりする取り組みも必要であろう。今後は,解決志向リスク学を深めるべく,本課題に基づいた実践例を積み,知の共有に貢献する。 ## 4. 新型コロナウイルス除染対策のレギュ ラトリーサイエンスと国際法規制(藤井健吉) 本演題では,日用品による環境表面のコロナウイルス除染による予防型レギュラトリーサイエンスの設計図を示し,リスク学会参加者と意見交換を進めた(藤井, 2020a)。2020年の 1 年間, 国際社会では COVID-19パンデミックへの公衆衛生的な対抗措置として, 多種多様なものが考案され社会実験的に実行された。リスク課題に対する対抗策には,様々な階層的アプローチがあることを示 す実践例として,後世に残るだろう。日本リスク学会レギュラトリーサイエンスタスクグループの有志は, 2020 年 3 月初旬から SARS-CoV-2 感染経路のリスク分析を開始,公衆衛生的な対策措置の本質的優先順位を検討した(日本リスク学会理事会, 2020;横畑ら,2020)。当時, COVID-19の主たる感染経路は, 中国・韓国事例から「飛沫感染, 接触感染の 2 経路が特定されており, 空気感染 (飛沫核感染) については低換気空間では可能性がある」という状況であった。新型コロナウイルスの市中感染は「感染者の飛沫に含まれる SARS-CoV-2ウイルスの伝播」に由来するとのデータから, 本質的な対策のターゲットは伝播遮断にある。リスクマネジメントの観点から,市中感染防御で優先されるべきは主要感染経路(飛沫曝露・飛沫落下点の接触曝露) のウイルス伝播の遮断であると考えられた。2020 年 3 月当時, 日本国内では「マスク推奨」,「手洗い」そして「三密回避」が推奨され始めた時期である。筆者らは, ウイルス伝播回避策として社会認識が不足していた接触感染経路のリスク対策に焦点を絞り「環境表面のウイルス除染ガイダンス」を公表した(日本リスク学会理事会, 2020)。 ガイダンスに示したCOVID-19感染リスク経路分析は, (1)飛沫由来のコロナウイルスは周囲 $1 \mathrm{~m}$半径に大半が落下し環境表面に付着する, (2)環境表面に付着したコロナウイルスは, 室温では数日間は感染性を維持する(温度・素材により変動 /低温ではより長期に感染性を維持),(3)適切な濃度のアルコールおよび界面活性剤によりコロナウイルスは容易に破壊し感染性をなくすことができる,というものであった(日本リスク学会理事会, 2020; 戸高ら, 2020; 藤井, 2020b)。リスク評価を踏まえ, 「(a)手洗い, 手指消毒, (b) 接触部位の消毒除染により,接触感染経路からのウイルス伝播は十分に制御できる」と感染リスクマネジメント指針をまとめた。これらは,マスクと三密回避による飛沫感染制御, 換気による飛沫核感染制御とならび,モノ表面由来の接触感染経路への対策指針として社会的知見となった。 今回の学会発表では, 上記を踏まえ接触感染経路に対するリスク管理措置の意義・社会的波及度について会場と質疑応答が盛況となった。日用品を用いた感染リスクの遮断・回避は, ウイルス対抗製品(日用掃除用品)の規制状況により社会的実効性に大きく差が生じる。例示した米国の場 合, FIFRA規制(米国連邦殺虫剤殺菌剂殺鼠剂法)によりウイルス対抗製品が許認可制で運用されており「COVID-19の感染予防のためのSARSCOV-2 除染製品」が国内市場に出回っている。他方, 日本ではFIFRA規制に相当するウイルス対抗製品の扱いが規制上「空白」で取り残されている。ウイルス対抗製品規制が未整備の結果として, 薬機法 68 条のもと「感染症予防のため」「ウイルスを消毒」という日用品有効性訴求が, 残念ながら無認可医薬品扱いになる規制運用となっている。本ガイダンスが示した「COVID-19感染症予防のための環境表面のウイルス除染」が感染対策の公衆衛生手段の一つとして社会実装されるためには,法規制が手段を阻害しないことが必要。日用品によるウイルス除染対策は, 米国制度のもとでは明示的に運用可能なアプローチである。一方, 日本制度のもとでは対策製品が隠され, 「手段はあれど規制が阻害する状況」が生じた(横畑ら,2020)。これは2020年の感染リスクにたいする社会制度ガバナンス上の盲点であり,情報伝達が止められたことは「国民への見えない負担」を生んだと言える。 接触感染リスクは,マスクを外して生活する日常場面でこそ高まる。日本社会では職場・公共空間でのマスク着用率は十分であるため, 最大の接触感染リスクは家庭内(生活空間へのウイルス飛沫落下)と食事中(食品表面へのウイルス飛沫落下)の2場目に絞られてきている。その意味で 2020 年 4 月に公開した「環境表面のウイルス除染ガイダンス」は, 2021 年に引き続く家庭内感染の制御技術を先駆的に示唆していた。規制未整備により後手にまわる社会状況の中, 日本社会ではリスクガバナンスの再構築が課題となるだろう。 ## 5. 新型コロナウイルスの死亡リスクと経済影響の比較(松田裕之) COVID-19は無症状でも比較的高い感染力があり, かつ死亡率が比較的高い感染症である。集団免疫獲得を目指せば多くの感染死者が出るといわれる。他方,4月-5月の緊急事態措置は一時的に感染者を激減させることに成功したが,その個人消費減少は東京都だけで 1 日 100 億円ともいわれる。まだ基本再生産数 $\mathrm{R}_{0}$ さえ不正確な情報不足の中で, 経済活動の維持と封じ迄めのトレードオフは極めて悩ましい。封じ込め策を検討する際に SIR モ゙ルで行動抑制の程度が試算されたが, 確認感染者は隔離されるため, 新たな感染には貢献しない。また, 無発症者の検査による隔離も考慮 L, 未感染者 $S$, 未発症感染者 $I$, 未発症隔離者 $\mathrm{Q}_{1}$, 発症隔離者 $\mathrm{Q}_{2}$, 回復者 $\mathrm{R}$ を区別し, それらを考慮したSIQQRモデルを提案する。このモデルはSとI以外をすべてRとみなせば数学的にSIR モデルと同値である。しかし, 実デー夕の解釈が とになる。行動抑制の度合い (介入係数f) の関数として, 隔離による労働損失額, および感染死者数と個人消費損失 $(\mathrm{G})$ の関係を試算する。 $\mathrm{G}$ は $\mathrm{f}$ の下に凸の増加関数と考えられる。ここでは仮に 2 年後にワクチン等で事態が医薬的に解決すると仮定し, 病床数 $\mathrm{Q}_{\mathrm{c}}$ が東京都の現状の 3000 床の場合と 25000 床の場合を考えて病床数を超えた患者数と死者数が比例すると仮定し, 基本再生産数 $\mathrm{R}_{0}$ が約 2.5 と 1.4 の 2 通りの場合を試算する。 $\mathrm{R}_{0}=$ 2.5 の場合は数か月~ 2 年で集団免疫が獲得されるが, 病床数が25000あっても医療崩壊は避けられない。介入係数をよほど増やさない限り感染死者数を半減させることは難しく, 封じ达めか無介入かの選択を迫られるかもしれない。 $\mathrm{R}_{0}$ が約 1.4 の場合には, 介入措置を増やすことである程度感染死者数を減らすことができる。ほどほどの介入措置を行うか, 検査隔離率を増やすか病床数を増やすことで,医療崩壊を起こさないで医薬的解決を待つことができる。また,検査隔離率を増やすことは, 数学的には行動抑制と同等の効果を持つ介入手段の一つである。 さらに, こうした対策を続ける中で, より正確な $\mathrm{q}$ の值, $\mathrm{f}=0$ の場合の $\mathrm{R}_{0}$, 行動抑制と $\mathrm{f}$ の関係の知見を更新しつつ, $\mathrm{f} の$ 值を順応的に調整させる順応的管理のリスク評価(水産資源管理でいう管理戦略評価)を行うことができるだろう。重要なことは, 上記パラメータ等の設定次第で緩和策, 封じ込め策, 折表策のそれぞれの長所短所が定性的に評価できる共通のツールを提供し, 論点を整理することであろう。 ## 6. まとめ 4つの話題提供の内容に共通して見られることは, 問題志向のリスク評価ではなく解決志向のリスク評価が重要という点である。永井は意思決定への専門家の関わり方について,村上はオリンピック等の大規模イベントにおける対策について, 藤井は表面除染による接触感染対策につい て,松田は感染対策と経済影響のバランスについて,それぞれ解決志向リスク評価が貢献できることを示した。解決志向リスク評価は, 早い段階で複数の管理対策オプションを考え,それぞれの効果を予測することに特徵がある。もともとリスク評価は不確実性の高いものであり, リスク評価での科学的妥当性を追求しすぎると対策の実行が遅れてしまう。重要なことは, 正確さのみの追求ではなくどの対策を選択すればよいのかの判断材料を出すことである。パンデミック下のような危機的状況ではもちろんであるが,現実のリスクに関する問題は時間スケールが違うものの基本的には同様の考え方が必要である。 解決志向リスク評価はリスクコミュニケーションの視点からもメリットがある。解決志向リスク評価では,リスクをコミュニケーションするのではなく, 複数の管理オプションの(リスクを含む)利点と欠点をコミユニケーションすることに重点をおく。従来では, リスクは高い or 低いという情報を一方的に提供し, 納得してもらうためのリスクコミュニケーションが行われることが多い(これは本来適切なやり方でない)。 $\mathrm{A}, \mathrm{B}, \mathrm{C}$ と対策が3案あったとして, なぜ $\mathrm{A}$ や Bでなく $\mathrm{C}$ 案を採用するのか,という意思決定のプロセスの妥当性を共有することに解決志向リスク評価の意義がある。 ## 参考文献 Chin, A., Chu, J., Perera, M., Hui, K., Yen, H., Chan, M., Peiris, M., and Poon, L. 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# 【特集:日本リスク学会第33回年次大会 情報】 ## 企画セッション開催報告 \\ 福島からCOVID-19を,COVID-19から福島を考える* Thinking about COVID-19 from Fukushima and Fukushima from COVID-19 \author{ 村上道夫**, 小林智之**, 越智小枝***, 後藤あや**, 五十嵐泰正**** \\ Michio MURAKAMI, Tomoyuki KOBAYASHI, Sae OCHI, \\ Aya GOTO and Yasumasa IGARASHI } \begin{abstract} A planning session was held at the 33rd Annual Meeting of the Society for Risk Analysis, Japan, with the aim of sorting out the similarities and differences between the Fukushima disaster and the COVID-19 pandemic, and discussing the implications for social policy. This paper reports on the planning session, entitled “Thinking about COVID-19 from Fukushima and Fukushima from COVID-19." This paper reports on the topics including "Risk perception, psychological distress and social division at the Fukushima disaster and COVID-19 pandemic," "Why Japanese people pursuit null-risk?: Lessons learned from the two disasters," "Risk perception and resilience among mothers: Data from the Fukushima nuclear accident and COVID-19 pandemic," and "Perspectives on societal risk trade-offs: Nuclear accident/pandemic." Although the disaster and the pandemic have different characteristics, it was confirmed that there are many findings that need to be shared regarding various individual and societal risk issues, risk trade-offs, and measures to recognize and adapt to these risks. The significance of interdisciplinary and bird's eye view disaster risk research across disaster types and disciplines was highlighted. \end{abstract} Key Words: Fukushima, COVID-19, disaster ## 1.はじめに わざわいにはそれぞれに固有の特徴があり,単純な類型化には注意を要する。しかしながら,新型コロナウイルス感染症(COVID-19)禍において,我々は,福島での焱害での経験から,ある種のデジャヴュを感じることがあり,福島での経験からCOVID-19禍に関する対策を考えることや, COVID-19禍での事例から原子力災害への対応のあり方を考えることは決して少なくない。一方 で,福島での姼害において,被ばく以外の二次的な健康影響が大きな課題たったからといって, COVID-19禍においても感染症以外の二次的な健康影響が重篤であるとは単純には言えないにもかかわらず, 我々は, 意識していないと, ついそのように考えてしまいがちなところもある。そこで, 福島での災害と COVID-19禍の共通点と相違点を整理するとともに, 社会政策上の示唆を議論することを目的に, 第33回日本リスク学会年次  大会において企画セッションを開催した。本稿は,その企画セッションの開催報告である。 ## 2. 福島災害と COVID-19からリスク認知,心理的苦痛および分断を考える(村上道夫,小林智之) 福島災害が,放射線被ばくのみならず,多様な身体的, 社会的心理的な健康影響をもたらしたことは,これまでも報告されてきた(村上, 2019a)。身体的な健康影響の例として, 例えば,肥満や生活習慣病が挙げられ(Ohira et al., 2017),社会心理的な影響として, 心理的苦痛, 差別 - 偏見,コミュニティの分断などがあり,最悪の影響として自殺がある(Maeda and Oe,2017)。 COVID-19流行下における実態については不明な点が多いが,感染症予防とともにこれらの多様な健康リスクについての対応もまた不可欠である。 そのように考えると, COVID-19流行の早期から,家に打ける運動の推奨やSNSを用いたつながりを維持する活動・取り組みが進められた (Yamaguchi et al., 2020)ことは,大きな意義があった。その一方で, COVID-19禍における心理的苦痛の発生も報告され(Fukase et al., 2021),また, COVID-19の感染者個人の特定, 関連施設や職業,地域への差別や偏見など,痛ましい事例もある。 福島災害においては,放射線リスク認知・放射線不安に関する調査・研究が多数行われ,しばしば,放射線リスク認知と心理的苦痛に強い正の関連があることが報告されてきた(Suzuki et al., 2015)。さらに,放射線リスク認知の違いが,意思決定や行動に対する意見の相違とともに家族間,コミュニティ間,社会間での分断(あるいはその危機)を招いた一因となったことも指摘される。たとえば, 福島県産などの食品への回避, 県内の仕事からの離職,避難や帰還への意思や行動などは放射線のリスク認知との関連が示されている (Takebayashi et al., 2017; 村上, 2019b)。 放射線被ばくに関する健康影響の科学的知見 (United Nations Scientific Committee on the Effects of Atomic Radiation, 2014)とは反して, 遺伝的影響が生じる可能性が高いと多くの住民が認知している(Maeda et al., 2019)。放射線不安は人間としてごく自然な感情であり,正しい・間違っているといった類のものではない。リスク認知が心理的苦痛,偏見,分断などとも関連することを踏まえ て,社会はどのように取り組むべきかを考えることが重要である。 リスク認知へのアプローチには3つあると考えている。第一に,リスク認知そのものへの取り組みである。知識の伝達がもたらす効果には限界があるが,それでもなお,とりわけ,遺伝的影響を含めた健康・社会的措置に関する科学的知見の伝達には意義がある (Shirai et al., 2019)。第二に, 全般的な健康不安やアウトカムそのものへの取り組みである。たとえば,心理的苦痛は放射線リスク認知よりも全般的健康不安との関連の方が強いことが報告され(Kashiwazaki et al., 2020),また,放射線リスク認知が変わることなく, 精神健康の向上が可能であることが介入研究によって示されている(Imamura et al., 2016)。第三は, リスク認知とアウトカム (心理的苦痛, 偏見, 分断など) との関連そのものを軽減する取り組みである。 価値観,規範観,立場などの違いが意見や意思決定の相違を生むことはしばしばある。くわえて, 価値観, 規範観, 立場などの違いはリスク認知の相違を生み, とりわけ重大なイベント発生時における意見や意思決定の差異を強調することで,分断の根になることが考えられる。 これに対する一つのアプローチは, 差別や偏見そのものを軽減することである。差別や偏見への対処方法の一つは差別や偏見を生じないように自制するである。自制は重要であるが,自身の処理能力を超過する場合もあり,限界がある(Macrae et al., 1994; Apfelbaum et al., 2008)。一つの有用な方法は, エンパシーを高めたり, 相互の依存関係の認識を深めることである (Zaki, 2019; 小林,及川, 2015; Kobayashi et al., 2021)。 もう一つのアプローチは, 意見が相違する中でも, 可能な範囲で対話の機会を持ち, 集団間接触によって,分断にまで発展しないようにすることである。集団間接触においては, 対立を助長させないための注意が必要であり, (1)対等な立場であること, (2)共通の目標があること, (3)競争がなく, 協力関係であること, (4)法や権威, 文化でサポートされていること,といった条件を守ったうえで, 対話の機会を持つことが重要である (Allport,1954)。具体的には,とりわけ,価值観や㚘範観に差異があったとしても,共有できる目標や協力できる点はあらう。それらを見出す試みが有用である (佐野, 2013)。さらに, 意見の相違をもって相手の全人格否定とならないような, 議論のルールやある種の規範の醸成もまた重要たと思われる(Murakami et al., 2018)。是々非々での議論の進め方,議論の場を離れた交流,各論から解放され,私達が生きたいと思うような目指すべき社会像の共有が求められよう。 ## 3. ゼロリスク信仰は何故生まれるのか:2 つの災害の経験から(越智小枝) 福島第一原子力発電所事故と COVID-19パンデミックでは,見えないハザードに対する恐怖が社会混乱を来した。この2災害におけるリスクコミュニケーションの際,共通して見られた障壁が幾つかある。代表的なものが「ゼロリスク信仰」「歪んだ正義感」「専門家依存」だ。これらの障壁は,医療現場の日常診療でもしばしば見られることから,そこには科学リテラシーの欠如や学校教育の問題だけでない日本の文化的背景があるように見える。 1つは, 平安時代より続く「穢れ」の文化だ。一定期間の隔離(物忌み)や水・火により浄化できる穢れは神道により高度に儀式化され,今も日本社会に根付いており, リスクを「浄化できるもの」「特定グループを排斥すれば解決するもの」 とする背景となっているようにみえる。 2つ目は,江戸時代に完成し今も日本の社会システムに残る封建制度だ。特に「科学者」「教授」 の発言を絶対とする知のヒエラルキーは,このような肩書を持つ者たちによる多くのインフォデミックを生んだ。 3つ目は, 明治時代に輸入された科学と科挙制度た。科学が出世の道具としてヒエラルキーのトップに置かれることにより,行動選択や目標設定までも科学に頼むという過度の科学依存が生じ,暮らしにおけるリスク選択までを専門家に依存する傾向を生んでいる。 これらの要素は相互に絡み合いながら日本特有のリスク認知を形成し(図1),高い公衆衛生概念や統制の取れたリスク回避行動も生む一方, 2 つの災害や医療現場など様々な場面で繰り返されるゼロリスク信仰, 責任追及志向, 専門家依存の元ともなっている。日本におけるリスクコミュニケーションの障壁を回避するためにはこれらの背景を考慮し,西洋合理主義とは異なった対策を追求する必要があるだろう。 図1 日本のリスク認知の背景 ## 4. 母親のリスク認知とレジリエンス:福島災害とCOVID-19のデータから(後藤あや) 災害は人間のライフサイクルに大きく影響する。次世代のスタートとなる妊娠の意図から出産後の育児にも影響を及ぼし,特に子どもを持つ母親は震災時のハイリスクグループとされる。一方で, 危機の経験はその程度によりポジティブな行動を促すことも報告されている(Neuberger et al., 2011)。ここでは,母親の不安がヘルスプロモー ションにつながるという仮説について考察する。第一に,福島県での原子力災害後に母親から収集したデータを用いて,次回娃娠の意図,育坚の不安,そして支援の状況を振り返る。第二に, COVID-19蔓延後に4都県で実施した調査のデー 夕から,母親の不安と予防行動の関連を提示する。 福島県での原子力災害後に県が福島県立医科大学に委託して県民健康調査がスタートした。その一部である妊産婦に関する調査からこれまでに発表されたデータを振り返る。次回妊娠の意図は,初産の母親に比べると経産の方がより早い時期に上昇しており,より若い母親の方が躊躇する時間が長いことは合理的な結果である (Goto et al., 2019)。また,震災に関連する項目(放射線の不安と避難)は,母親のうつ傾向に関連したが,育児の自信には関連しなかった(Goto et al., 2017)。 さらに,妊産婦に関する調査で主にうつ傾向の母親に提供している電話支援では, 多くのケースが傾聴で支援終了している(石井ら,2017)。これ らの結果は,母親のレジリエンスを示唆するものである。 愛知医科大学が主幹で, 福島県立医科大学と鹿児島大学の研究者が参加して, COVID-19の不安や予防行動について,4都県で調查を実施した (一般市民の意識や行動変容に関する調查, 2021)。回答者のうち 20-40代で子供がいる女性のデータを分析したところ,7割の母親が明らかな不安を持っていた。この明らかな不安を持っている母親の方が,手洗いとマスク着用を常にしており,外食や旅行を控えていることが分かった。 また,自由記載の結果から,目に見えないリスクに恐怖を感じ,特にテレビからの情報の解釈に戸惑いつつ, 自粛を心がけ,子どもの外遊びにも気を使っていた。 未知の見えないリスクに対して,母親が子ども心配をするのは自然な反応である。保健医療従事者は心配を受け止め,ともに対策を考える前向きな姿勢を持つことが大切である。現在,全世界が直面している健康危機について,その悪影響のみに注目するのではなく,大きな問題に直面した時のポジティブな反応についても, 探求する研究が必要である(Tamiolaki and Kalaitzaki, 2020)。 ## 5. 社会的リスクトレードオフをめぐる視座:原発事故/パンデミック(五十嵐泰正) ## 5.1 放射線防護と防疫におけるリスクトレード オフ メディア報道等を通じて,一つのリスクが人々に大きく意識される一方で,当該リスクを回避しようとすることが,かえって別の医学的・経済的・社会的等のリスクを呼び达んでしまう場合がある。そうした状況においては,個人に係るリスクトレードオフと,異なる利害をもった社会集団の間での社会的リスクトレードオフの双方を視野に入れることが必要になるという意味で,ともに社会的関心が集中した原発事故後の放射線リスクと,今般のCOVID-19パンデミックに打ける感染症リスクには共通点があり, その経験から相互に学ぶべきことは多いと思われる。たた,それらのリスクが影響を及ぼす空間的範囲の違い,他害性の有無, 災害としての推移の違いなどから, 両者における社会的リスクトレードオフをめぐる言説はかなり異なることに注意が必要である。中でも,歷史上類をみない津波・地震との複合災害だった一方で, 基本的には事故発生時から状況は時系列的に改善していく放射線災害に対し,流行の波を繰り返す感染症では, 緊急対応から復興支援へと至る時系列的なフェーズ認識と,それに応じた短期的・長期的な施策の戦略立案がきわめて困難であるという,社会的な対応を考えるうえでの災害の性質に特に留意が必要である。 ## 5.2 「補償しえないもの」に社会はどう向き合う か前記の災害としての感染症の性質は, 補償とい うイシューをめぐってとりわけ焦点化する。 そもそも補償という社会政策は, リスク低減 (放射線防護/防疫)か経済か,というリスクト レードオフの発生を可能な限り緩和しようとする もの, と位置付けることができる。実際, 日本に おけるCOVID-19 の最初の拡大局面だった2020年 3月のインターネット上では, 「\#自肃と補償は セットだろ」というタグが広まり,そうした国民 の声を前に, 国民一律の特別給付金, 事業者対象 の持続加給付金や家貸支援給付金, さらには各自治体が独自に導入した支援制度などの施策が実現 した。 ただ補償や給付の拡充は, 経済活動の制限を伴う施策の前提として不可欠ではあるものの, 被災の長期化とともに,当該産業に係る技能やモ于ベーション維持の困難, 後継者離れを含む人的ネットワーク・社会関係資本の毀損, 市場構造の変化への対応の遅れなどの難題をもたらす。さらに,対象範囲を確定することが必要な補償というスキームでは,被害が想定される業種を起点とした複雑なネットワーク全体への支援は難しく, 地域を支えてきた産業構造は大きなダメージを受ける。 原発事故後の被災地で観察されたこれらの課題 (小山, 2015; 大森, 2017) について, 一般的に議論が深まっているとは言い難いが,短期/長期の峻別が難しいパンデミックの性質を鑑みれば,「補償しえないもの」がさらに巨大な損失となることは避けられない。そうである以上, 補償と給付で感染症流行終息まで「しのぐ」戦略は, 社会経済的には受け入れ難く, だからこそ, 経済と防疫というリスクトレードオフを正面から議論しなければいけないという前提を, 確認する必要がある。 ## 5.3 2つの社会的リスクトレードオフ 一般的に経済/防疫のリスクトレードオフは, GO TOキャンペーンなどの政策過程で検討されるものと理解されているが, 社会的リスクトレー ドオフにはもう一つの次元がある。すなわち,経済/防疫のバランスを図って人々が行動できる範囲を定め,補償や補助金・罰則等で誘導するという,政府の意思決定に係る社会的リスクトレードオフ(1)のほかに,人々の行動選択において,年齢・既往症や経済状況などに照らした個人のリスクトレードオフと併存する,自身の行動が社会的にいかなる影響を及ぼすのかを考慮する社会的リスクトレードオフ(2)を想定できる(図2)。 原発事故後の食品選択においては,被災地支援感情が,放射線・原発不安を低減させ,福島県産品購買意欲の増大をもたらすことが報告されている(工藤,中谷内, 2014; 法理ら,2017)。その背景には,微細なリスクを避けようとする自身の行動が, 被災地の復興を遅らせる悪影響を及ぼすことを防ごうとする,(一般的には「食べて応援」 という形で言語化されることが多い) 社会的リスクトレードオフ(2)の感覚があると推測できる。 しかし, COVID-19パンデミックにおいては,感染拡大リスクを避けて外出を自粛すれば,どこかの店舗や誰かの生活に悪影響を及ぼし,一方で経済への悪影響を慮って活動的な生活を送れば,感染拡大を起こして医療従事者らに負担をかけてしまうという,どう行動しても誰かには悪影響を及ぼしてしまうことは確実な構造がある。こうした状況下では, 結局のところ, 感染症のリスク認知の違いに起因する社会的な分断が進み, 自らと違う行動をとる他者を非難する「自粛警察」や, リスクを過大に見積もっているとみなした他者を 「コロナ脳」と揶揄するような現象が起こりやすい。たた,厳しいリスクトレードオフ状況の中で,STAY HOMEすることは経済に対してフリー ライドすることであり,外に出かけることは防疫 図2 リスクトレードオフの理念図 に対してフリーライドすることであるとも言える。そう捉え直せば,自分と異なる個人のリスクトレードオフの選好から,異なる行動をする他者は,自分にはとれない経済/防疫への悪影響を緩和する存在たとも言え,こうした発想の転換が相互のリスク判断の尊重につながる可能性を提起したい。 ## 6. まとめ 福島災害と COVID-19には, いくつかの相違点がある。福島災害が,その影響範囲は広くあいまいであるにせよ,基本的には,既知のリスクによるある地域における事象であったのに対し, COVID-19は未知のリスクで,他国の状況を踏まえながら対策を取ることができるが,他国の状況に影響されるといった点である。これに対し,福島災害では, 原子力発電所が制御されているという前提下においては,放線量が減衰していくことから,急性期,慢性期といった時間スケールに応じた対策立案しやすかったのに対し, COVID-19 では,いつ終息するかが不明であり,長期的な戦略をとりにくいといった特徴がある。経済活動, コミュニティ内ネットワークも含めた生活全般の見通しのなさに連動するという課題がある。 とはいえ,本稿でみてきたように,個人や社会的に生じる多様なリスク課題, リスクトレードオフ課題,それらのリスクへの認知と適応策については,共有するべき知見も少なくない。例えば,村上と小林は, 心理的苦痛や分断に関する課題を解決するうえで,(1リスク認知そのものへの取り組み, (2)全般的な健康不安やアウトカムそのものへの取り組み, (3)リスク認知とアウトカム (心理的苦痛,偏見,分断など)との関連そのものを軽減する取り組み,の3つのアプローチへと整理した。越智は,ゼロリスク信仰,責任追及志向,専門家依存に対する根源として, (1)穢孔文化, (2)封建制度, (3)科学と科挙制度が関連することを指摘した。後藤は,母親のリスク認知とレジリエンスに着目し,災害時に発生する悪影響のみではなく, ポジティブな反応についても探究する重要性を言及した。五十嵐は, 政策などの政府の意思決定に関わる社会的リスクトレードオフ(1)の他に,自身の行動が社会にもたらす影響を考慮する社会的リスクトレードオフ(2)を指摘し,自身と異なる行動をとるものが社会的リスクトレードオフを相互的に補完する役目を持っているという認識の重 要性を提起した。 災害の種類や分野を超えた学際的,俯瞰的な贸害リスク研究の意義は,世界中の人々の生活が影響を受けているCOVID-19の事例を通じてその実践的意義がより認識されるとともに今後ますます高まると思われる。 ## 参考文献 Allport, G. 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risk
cc-by-4.0
Society For Risk Analysis Japan
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# リスク学研究 $30(4): 207-212$ (2021) Japanese Journal of Risk Analysis doi: 10.11447/jjra.SRA-0364 【特集:新型コロナ感染症関連 情報】 # ウイルス感染症対策としての $\mathrm{CO_{2}$ 濃度の利用にむけた 値の解釈について* } Interpretation of Carbon Dioxide Concentration Values for } Applying It as a Management Index of Infection Control ## 奥田 知明 $* *$, 村上 道夫***, 内藤 航****, 篠原 直秀****, 藤井 健吉***** \\ Tomoaki OKUDA**, Michio MURAKAMI***, Wataru NAITO****, Naohide SHINOHARA $^{* * * *$ and Kenkichi FUJII****} \begin{abstract} Since airborne transmission has been considered as a possible infection route for the novel coronavirus in addition to contact and droplet infection routes, ventilation is an important measure against airborne route. In this paper, we describe the history of setting regulatory standard values and the interpretation of $\mathrm{CO}_{2}$ concentration as a measure against infectious diseases. Although the standard value of $1,000 \mathrm{ppm}$ is not intended originally for infection control, it is practically useful as a guide value for potential infection risk management. \end{abstract} Key Words: SARS-CoV-2, COVID-19, Airborne Transmission, Aerosol Infection, Ventilation ## 1. はじめに 新型コロナウイルス(Severe Acute Respiratory Syndrome Coronavirus 2, SARS-CoV-2) による感染症 (COVID-19)は,本原稿執筆時点の2021年3月においてなお世界中で流行が続いている。SARS-CoV-2 の主要な感染経路は, contact transmission(接触感染) と droplet transmission(飛沫感染) が考えられている (World Health Organization (WHO), 2020; 横畑ら, 2020)。これに加えて, airborne transmission(空気感染・飛沫核感染・エアロゾル感染と呼ばれる ことが多いが,本稿ではエアロゾル感染と表記す る)も無視できない感染経路であるといわれている (Morawska and Milton, 2020)。これら感染経路の概略図をFigure 1 に示す。具体的な感染経路は,接触感染は感染者と直接的に接触する経路の他に, 飛沫落下などによりウイルスが付着した床,食卓, ドアノブやスイッチ類, タブレットやスマートフォンなどの環境表面を介して間接的に接触移行する経路が考えられる。飛沫感染は, 感染者の口から放出されたウイルスを含む飛沫(ここ * 2021 年 3 月 16 日受付, 2021 年 3 月 31 日受理, 2021 年 4 月 30 日 J-STAGE早期公開 ** 慶應義塾大学理工学部応用化学科(Department of Applied Chemistry, Faculty of Science and Technology, Keio University) ***福島県立医科大学医学部健康リスクコミュニケーション学講座 (Department of Health Risk Communication, Fukushima Medical University School of Medicine) **** 産業技術総合研究所安全科学研究部門 (Research Institute of Science for Safety and Sustainability, National Institute of Advanced Industrial Science and Technology) ***** 花王株式会社安全性科学研究所 (RD-Safety Science Research, Kao Corporation) Figure 1 Possible transmission routes of SARS-CoV-2 では重力によって短時間で落下するサイズである粒径 $5 \sim 10 \mu \mathrm{m}$ 以上の粒子・液滴を指す場合が多い)を非感染者が直接吸引するか,その飛沫が直接もしくは間接的に目鼻口などの粘膜に付着する経路である。これらの飛沫感染や接触感染は, 環境表面を介する場合を除いて感染者と非感染者が近接した状態(一般に,手を伸ばして相手に届く,または飛沫が直接相手に届くとされる約 $2 \mathrm{~m}$以内にお互いがいる状態) で発生することが想定される。一方で,SARS-CoV-2ウイルスが付着した粒子(エアロゾル)が空気中を浮遊しながら移動し, 感染者から物理的に(約 $2 \mathrm{~m}$ 以上)離孔た位置にいた非感染者に感染が成立したと考えられる場合が多く報告されている(例えばLi et al., 2020; Hwang et al., 2021)。このエアロゾル感染の確率を低減させるには, ウイルスが付着した粒子が空間中に長時間滞留しないようにする,すなわち 「換気状態を良くする」ことが有効であると考えられる。しかしながら,換気状態は人間の目や五感で正しく判断できるものではないため,対象空間の換気状態をどのように知るのか,という問題がある。 空間の換気状態を知る手段として,人間の呼気中に約 4\%含まれる二酸化炭素 $\left(\mathrm{CO}_{2}\right)$ に着目する方法がある。これは, 一般的な屋外大気中 $\mathrm{CO}_{2}$ (約 $400 \mathrm{ppm}=0.04 \% ) の$ 約 100 倍もの高濃度であることから,換気が悪い,すなわち外気の取り入れが不十分であり,かつ人間が存在する空間では $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度が上昇することを利用して,空間の換気状態を把握しようとする考え方である。例えば国内では, 厚生労働省 (2020a)が報道発表資料において「二酸化炭素濃度の測定は, 多人数が利用する空間における不十分な換気を明らかにするための効果的な方法である」と言及した。しかし,換気状態を把握する際の $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度の解釈については, その根拠が本稿執筆時点では広くは一般に知られていないように思われる。厚生労働省 (2020b)では,(1)建築物内の換気による感染症予防の効果に関する文献,(2)米国疾病予防管理センター (Centers for Disease Control and Prevention, $\mathrm{CDC})$, WHO の隔離施設等の換気等の基準, (3)建築物における衛生的環境の確保に関する法律(ビル管理法)の基準,(4)高性能粒子フィルターによる室内空気の循環,をふまえて,「ビル管理法における空気環境の調整に関する基準に適合していれば,必要換気量 (一人あたり毎時 $30 \mathrm{~m}^{3}$ の外気量)を満たすことになり,「換気が悪い空間」には当てはまらない」との考えから,ビル管理法の $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度基準値 $1,000 \mathrm{ppm}$ を換気状態を把握する際の目安として提示した。なお,ここでは, 「換気の悪い密閉空間」はリスク要因の1つに過ぎず,一人あたりの必要換気量を満たすたけで,感染を確実に予防できるということまで文献などで明らかになっているわけではないことに留意が必要がある」との注釈が付いている。 従って, ビル管理法の $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度基準値である $1,000 \mathrm{ppm}$ が設定された根拠と, 換気状態を把握する際の $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度の解釈方法について整理しておくことは, COVID-19をはじめとする感染症の感染リスク管理およびリスクコミュニケーションの観点から重要である。そこで本稿では, ビル管理法打よびその他の室内 $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度の基準值設定の経緯について概説し, 次いで感染症対策という観点からの $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度の解釈について記述した。 ## 2. 室内 $\mathrm{CO_{2}$ 濃度の基準値設定の経緯} ビル管理法による $\mathrm{CO}_{2}$ の環境衛生管理基準は $1,000 \mathrm{ppm}$ である。ビル管理法が制定・施行された1970年よりも前の1966年に,ビルディングの環境衛生基準に関する研究が行われている(昭和 40 年度厚生科学研究, 1966)。そこでは, 換気の評価方法として CO $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度の使用に関する記載に加えて, 一般事務ビルの室内空気污染に関する有害ガスの基準として, $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度について, 目標値 (設計時に目標とすべき基準)として $1,000 \mathrm{ppm}$, 推奨値(現在の施設を改造する場合は目標値を満足するように設計すべきであるが,現在その施設を維持する上では普通承認されるべき中間的基準) として $1,500 \mathrm{ppm}$, 許容限度 (安全確保, 健康維持という観点から基本的に要求される最低限度の線で, 主として法規により規制することが必要であ らの値については, 生活環境における全般的な化 学物質の空気污染の許容濃度は「労働衛生の領域において慣行されている有害許容濃度の1/10~ $1 / 100$ 程度」とするという日本公衆衛生協会の公害問題に対する答申,ならびに, American Conference of Governmental Industial Hyginist (ACGIH), The Imperial Chemical Industries, Ltd., 日本産業衛生協会許容濃度部会の勧告値, ソ連の許容濃度から勘案されたとある。 ビル管理法による $\mathrm{CO}_{2}$ の環境衛生管理基準の設定の経緯は東(2018)に詳しく, それによると, $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度は空気清浄度の 1 つの指標として従来より測定されてきたこと,人間の活動(呼吸・喫煙・炊事・調理など)により変動しやすいこと, そして $1,000 \mathrm{ppm}$ 超えると人間に対する有害な影響(倦总感・頭痛・耳鳴り・息苦しさ)が見られ,また疲労度が高くなること,などの知見を総合的に勘案して設定されたとのことである。 なお日本では,明治時代から対象空間の換気状態を知るために $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度を計測することが行われており,三島(1902)では既に学校教室内の $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度が $1,000 \mathrm{ppm}$ 超えると有害である可能性が示されていることは特筆に値する。また先述の東 (2018)では諸外国における $\mathrm{CO}_{2}$ の室内空気質ガイドラインにも言及されており,多くの国で $1,000 \mathrm{ppm}$ が採用されていることが示されている。 たたし,いくつかの国では何段階かに分かれた基準となっている場合もあり,例えばドイッでは $1,000 \mathrm{ppm}$ 未満(無害とみなされる),1,000〜 $2,000 \mathrm{ppm}$ (有害性が上昇する), $2000 \mathrm{ppm}$ 超(許容できない)となっており,基準値の設定にはある程度の幅がある。 日本における公衆を対象とした $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度のもう 1つの基準値として, 学校保健法の学校環境衛生基準による $1,500 \mathrm{ppm}$ がある。しかしこの基準値については,「換気の基準は,二酸化炭素の人体に対する直接的な健康影響から定めたものではない。教室内の空気は, 外気との入れ換えがなければ,在室する児童生徒等の呼吸等によって, 教室の二酸化炭素の量が増加するとともに, 同時に他の污染物質も増加することが考えられる。このため,教室等における換気の基準として,二酸化炭素濃度は $1,500 \mathrm{ppm}$ 以下であることが望ましいとしている」となっているが, その明確な根拠は示されていない(文部科学省,2018)。ただし, 例えばイギリスでは日本と同じ $1,500 \mathrm{ppm}$ であるなど,諸外国と比較して特に大きく異なるわけでは ない(日本建築学会,2015)。なお,学校であつてもその校舎が特定建築物である場合(例えば延べ面積が $8,000 \mathrm{~m}^{2}$ 以上)は先述の建築物環境衛生管理基準による管理となり, その際は $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度基 一方, 労働衛生上の $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度の基準は, 労働安全衛生法の事務所衛生基準規則によって $5,000 \mathrm{ppm}$ (空気調和設備により調整可能な場合は $1,000 \mathrm{ppm}$ )と定められている。5,000 ppmは産業衛生学会での勧告に準拠しており, ACGIHの長期安全限界, チェコでの産業作業場の平均許容限界などを総合的に勘案したものである(許容濃度等委員会, 1973)。以上より, 日本における室内 $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度の基準值は, $\mathrm{CO}_{2}$ そのものの人体への影響という観点と換気の指標という面の両方を総合的に勘案して定められたと考えられる。たたし,感染症対策としての換気の指標として使うという明確な意図があって $1,000 \mathrm{ppm}$ という基準値が設定されたわけではない, ということは言えるであろう。 ## 3. 感染症対策という観点からの $\mathrm{CO_{2}$ 濃度 の解釈} $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度を換気の指標として用いて, 感染症の対策とする考え方自体は従来より報告がある。例えば症例事例からの後ろ向き検証例では, Shigematsu and Minowa (1985) は, 建物内で16人の結核集団感染がおきたビルの環境要因を, $\mathrm{CO}_{2}$ と浮遊粉塵を用いて測定し, 換気不十分な環境が集団感染の要因となることを指摘した。また前向きシミュレーション研究例としては, Rudnick and Milton (2003)により, 複数人で共有して使用する室内 $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度を $500 \sim 2,000 \mathrm{ppm}$ に管理した場合の麻疹 (はしか) ・インフルエンザ・ライノウイルスの基本再生産数(非感染者全員が免疫を持っていない集団の中で 1 人の感染者から平均で何人が感染するか) を推定し, 麻疹やインフルエンザでは $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度を低く管理しても効果は薄いが, ライノウイルスの場合は感染を抑える効果が期待できる,という結果を示している。前述の通り, 厚生労働省 (2020a, b)では, CDC (2003)や WHO (2009) が根拠とする, 換気回数 (対象空間の容積に対する一時間当たりの外気の給気量)が 2 回/h以下となったときに, 結核と麻疹の拡散に有意な関連があったという報告(Bloch et al., 1985; Menzies et al., 2000)をふまえ, 一人あたり毎時 $30 \mathrm{~m}^{3}$ は,「換気の悪い密閉空間」を改善するための必要換気量として一定の合理性を有する,という考え方を支持しており,またこの換気量は $\mathrm{CO}_{2}$濃度にして $1,000 \mathrm{ppm}$ に相当する,としている。 しかしながら,この結論に至るまでの過程を追うと, 対象空間の $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度を $1,000 \mathrm{ppm}$ に保つことにより感染症を予防する明確なエビデンスに基づいているわけではなく, どちらかと言うと, 現行のビル管理法による $\mathrm{CO}_{2}$ の環境衛生管理基準 $1,000 \mathrm{ppm}$ が守られていれば少なくとも「換気の悪い密閉空間」とは言えないだろう,というものであることには一定の注意が必要であると思われる。 感染症対策,特に COVID-19対策としての $\mathrm{CO}_{2}$濃度の利用を考える上で重要なことは, 対象としたい空間の $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度と比較して, 実際に COVID-19のクラスター感染が発生した空間の $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度がどの程度であったのか,ということであると思われる。その後者の実測值を得ることは極めて困難であるため, 本稿ではその推定の一例として, 89 名のうち 10 名が実際に SARS-CoV-2 に感染した条件(Li et al., 2020)より, 当該空間の $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度のシミュレーションを行った。同論文より, 空間容積 $431 \mathrm{~m}^{3}$, 換気回数 0.8 回 $/ \mathrm{h}$ (論文中では $0.56 \sim 0.77$, その上限値を四捨五入して採用), 活動量計数を 2 (発言の多い会議程度) として, その他のパラメータおよび計算式は日本産業衛生学会 (2020)の「換気シミュレーター ver 1.0」によった。 その結果, 空間内の $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度は $9,000 \mathrm{ppm}$ を超え,換気量は一人当たり毎時 $4 \mathrm{~m}^{3}$ を下回っていたと推定された。ただし,この条件では飛沫核感染が疑われてはいるが,それ以前の前提として,接触感染や飛沫感染であった可能性は十分にある。この条件なら必ず飛沫核感染が起こると言うことも, これ以下なら安全と言うこともできないが, 1つの目安として, このように極端に換気状態が悪い空間を作らないようにする努力は必要であると考えられる。 ## 4. $\mathrm{CO_{2}$ 濃度モニタリングによる感染対策の 実例} $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度を換気の指標として用いて,感染症対策を行った実例を紹介する。著者の1名が所属する大学の教室において,2020年度の10月(秋学期の開始時期に相当)より約 1 ヶ月間の $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度モニタリングを実施した(Figure 2)。なお $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度計には非分散型赤外分光法(Non-dispersive Infrared,NDIR)の原理による装置を用いた。測定の結果, 多くの教室においては $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度に顕著な上昇は見られなかったが,一部の教室(教室 $\mathrm{E}$ ) ではある決まった曜日時限に $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度が顕著に上昇することがわかった。この結果を受けて教員や学生課などと相談し, 11 月より授業教室を変更した。 また,石垣(2021)はライブハウスなどの様々な音楽会場における換気状態を調查した結果, $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度は 575 10,891 ppm と極めて幅が大きかったことを報告している。すなわち,一見似ているように見える空間であっても実際の換気状態は多様であり, $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度モニタリングにより換気状態を把握することで,実際に使用状況に即した換気による感染症対策を進めることができると考えられる。 オフィス空間の $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度の上昇を抑制する方法としては, 今回のコロナ禍を機に種々の方法が提案されている。密や扉を開放して室内空気と外気 Figure $2 \quad \mathrm{CO}_{2}$ monitoring results on a university campus との交換を促す方法, サーキュレーターで直進性の気流を送り強制換気を促す方法,など換気率と換気時間を工夫することで $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度を介入的に管理することは可能である。その管理目標値として $1,000 \mathrm{ppm}$ 採用した組織は少なくない。会議室やオフィス空間など,人の滞在利用率に応じて $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度が上昇する空間において,換気の実施規範と利用人数制限をかけることは, 感染リスク管理の1つのオプションとなる。たたし,上述のように $1,000 \mathrm{ppm}$ が感染リスクを念頭に置いて定められた数値でないことに加えて,燃焼型調理機器を使用する飲食店など室内で $\mathrm{CO}_{2}$ の発生がある場合や大規模施設内の小空間など取り込む空気中の $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度が外気より高い場合などもあり,管理基準値として $1,000 \mathrm{ppm}$ 運用することは, 感染リスクの安全基準と同義ではない。この点を理解することが,オフィス現場などにおける $\mathrm{CO}_{2}$ 測定値の柔軟な運用につながると思われる。 なお $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度センサは現在様々な型の製品が市販されているが,このうち NDIR や光音響方式の原理によるものは一定の信頼性が期待できる一方で, 半導体式や電気化学式センサーの一部には測定値の精度や妥当性が疑わしい製品も存在するため, 購入$\cdot$利用時には注意が必要である(石垣, 2021)。 ## 謝辞 本稿の執筆にあたり,有志研究チームMass gathering Risk Control and Communication (MARCO: 大学や研究所等の他に, 花王株式会社およびNVIDIA Japanの研究者が参画) のメンバーの助言に感謝いたします。また,慶應義塾大学KGRI実践的メドテックデザインプロジェクト (K-Med), 慶應義塾大学理工学部・新川崎 $\left(\mathrm{K}^{2}\right)$ 夕ウンキャンパス超実践型人間環境化学社会実装プロジェクト,ならびに花王感染症リスクアセスメントプロジェクトの皆様のご協力に感謝いたします。 ## 参考文献 Architectural Institute of Japan (2015) Gakkou niokeru onnetu kuuki kankyou nikansuru genjou no mondaiten to taisaku, http://news-sv.aij.or.jp/ kankyo/s7/school_air_guide.pdf (Access: 2021, Feb, 12) (in Japanese) 日本建築学会 (2015) 学校における温熱・空気環境に関する現状の問題点と対策, http://news-sv. aij.or.jp/kankyo/s7/school_air_guide.pdf(アクセス日:2021年2月 12 日) Azuma, K. 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# 【巻頭言】 ## ニューノーマル時代のリスク学を求めて** ## For the Next Stage of Risk Research in the "New-Normal" Age ## 村山 武彦** ## Takehiko MURAYAMA 1988 年の本学会発足から 30 年余りが経過し, 2020 年度の年次大会も第 33 回を迎えた。 10 年を区切りとして考えれば本学会は第4期に入っており,今年に入って急速に大きな問題となった新型コロナウィルス感染症 (COVID-19)は, この10年の本学会の活動を特徴づけるリスク分野の一つになると考えられる。 2019 年に発行された『リスク学事典』では,本学会の歩みを付録としてまとめている(村山, 2019)。1983年に当時の筑波研究学園都市で開催された「リスク評価とリスク管理の日米比較」と題する日米共同ワークショップに始まる「学会前史と設立趣旨」の後,第 1 期(1988 年~1998 年) を「「安全の科学」から「リスクの科学」へ」, 第 2 期(1999年~2009年)を「国際展開とリスク概念の普及」,第 3 期(2010年以降)を「一般社団法人化と東日本大震災対応を含めた活動の深化」 とした。 第4期が2019年から始まるとすれば,本学会において3冊目となるリスク学事典はますます広がりをみせるリスク分野を網羅しようとした自信作であり,初版の 1,000 部が完売し重版されたことがそのことを物語っている。たたし,今回の感染症の問題は正面から取り上げられていなかったことも事実である。2000年と2006年にそれぞれ発行されたリスク学事典の初版および増補改訂版の内容を確認したところ,感染症を扱った個別項目 はみられるものの,やはり主要な分野とはなっていない。感染症リスクに対する取り組みは本学会にとっても新たな領域といえる。 しかし,本学会が取り組んできたリスク研究のアプローチを通じてCOVID-19の課題を扱うことが可能な部分は少なくない。例えば,リスクと不確実性の峻別,リスクとベネフィットの比較衡量,リスク評価とリスク管理の仕分け,規制のあり方を検討するレギュラトリーサイエンスの視点, ELSI と呼ばれる倫理・法・社会的課題とリスクとの関わりなどが挙げられる。これらに加えて,リスク学に新たな視点を加えていく必要が求められているように思われる。筆者は,機会を得てこの点に関する考察をまとめ,次の 3 点を指摘した(村山,2020)。すなわち,これまで一つのリスク問題に対してエンドポイントを設定した管理方策から,感染から重症化に至る多段階のリスク管理が求められていること,疑いがある人を含めて感染者の診断や治療が医療や病院経営, ひいては地域社会に新たなリスクをもたらすというリスクチェーンの側面,リスク問題を集団から個人に視点を移し個人が受ける様々なリスクを総合的に扱う必要性である。 さらに, これまで本学会では比較的扱ってこなかった視点からも検討を深めていく必要があると感じている。この中には,第33回年次大会の公開シンポジウムでテーマとなった科学的評価と政  治的意思決定との関係のほか, 企画セッションで扱った不確実な問題を対象とした法制度のあり方, リスク管理の主体としての国と地方自治体との関係, さらに, 感染症の当事者が特定されることに伴って生じるリスク問題と匿名性を扱うような社会倫理といった視点が含まれるであろう。また, ニューノーマルが求められる感染症対策では新たな生活様式が必要とされているが, 生活様式の変化は文化にも影響を与えると考えられる。その意味で, リスクと文化との関係も検討課題の一つになるかもしれない。今後, 問題が深化することによりその他の視点も注目されるようになるであろう。 こうした視点による検討は,感染症リスクだけでなく他のリスク分野における議論でも活用できる可能性がある。COVID-19を対象とした検討が進むことにより他のリスク分野の管理にも波及的な効果があるとすれば, 互いの相互作用により様々なリスクの管理方策が向上していくことが期待される。今回の感染症問題が 1 日も早く収束することを望むとともに, リスク学が新たな時代を切り開く契機となることを期待している。 ## 参考文献 Murayama, T. (2019) Progress of Society for Risk Analysis, Japan, The Society for Risk Analysis, Japan(ed.), Maruzen publishing, The Encyclopedia of Risk Research, 692-695 (in Japanese) 村山武彦(2019)一般社団法人日本リスク研究学会の歩み, 日本リスク研究学会 (編) リスク学事典, 丸善出版, 692-695. Murayama, T. (2020) Changing viewpoints of risk management due to COVID-19, Accounting, 71(11), 1 (in Japanese) 村山武彦(2020) 新型コロナウイルス問題で変わるリスク管理の視点, 企業会計, 71(11), 1.
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# 【巻頭言】 ## リスク学事典編纂の現代的意義を振り返る* ## The Contemporary Impacts of SRAJ Encyclopedia of Risk Research 2019 \author{ 藤井健吉**,*** } ## Kenkichi FUJII \begin{abstract} The Society for Risk Analysis Japan have compiled "the Encyclopedia of Risk Research" as our society's $30^{\text {th }}$ anniversary of foundation.in 2019. Risk Research has confronted various risks in the humanities, natural sciences, and social sciences. Each academic field have been developed its own risk concept based on their own need. Thus, there are wide variety of definition for risk assessment, art of risk management, and needs of risk communication in each field. Due to the increasing interoperability and interdependence of the global society, there is an essential need to establish a cross-sectional insight of the risks. Our Encyclopedia of Risk Research 2019 contain the comprehensive aspects of the Risk Research based on four parts, 13 chapters, and 195 sections in order to clarify the current needs of risk research and the practical challenges in contemporary society. 13 chapters are here; Social Changes around Risk (Chapter 1), The art of Risk Assessment (Chapter 2), The art of Risk Management (Chapter 3), The art of Risk Communication - dialogue of risks (Chapter 4), Risk Finance - Relocation of risks (Chapter 5), Health and Environmental Risks (Chapter 6), Social Infrastructure Risks (Chapter 7), Climate Change and Natural Disaster Risks (Chapter 8), Food Safety (Chapter 9), Family, Domestic and Social Risks (Chapter 10), Financial and Insurance Risks (Chapter 11), Risk Education and Human Resource Development (Chapter 12), Emerging Risks and Social Responses (Chapter 13). This is frontend of contemporary risk research to re-review the definition of risk across disciplines. This preamble records a belief history of how to establish the Encyclopedia of Risk Research". \end{abstract} Key Words: encyclopedia of risk, risk research, contemporary risk concept, regulatory science ## 1.リリスク学を体系化する試み $ \text { 私たちが考える「リスク学」とは, 人文科学, } $ 社会科学, 自然科学の多様な分野を含む学際的な学問であり,リスクに対する様々なアプローチの集合体ではないか。リスクの定義の分野差異や多様性を否定せず,包括的枠組みとして扱うことにより,リスク学の学術的体系化が可能となる。リ スクの取扱いを巡る個人・組織・社会の意思決定に関わる多様な学問の集合体を「リスク学」と呼ぶことができよう。 このようなリスク学を学術体系として取り䌂めてきたのが,私たち日本リスク学会(旧名日本リスク研究学会, 2019年名称変更)である。本学会では「リスク学事典(初版)」を2000年に編  纂し, その後「増補改訂版リスク学事典(第2 版)」を2006年に発刊, そして, 今回2019年6月に,章立てから全項目までを新たに見直す形で 「リスク学事典(実質第3版)」を編纂刊行するに至った (日本リスク研究学会, 2019)。リスク学はその対象も分析アプローチも拡大の一途をたどり,近年ではさらなる展開を見せている。時代とともに変貌するリスク学を体系化するためには,常に時代の新興リスク事象を組み达まなければならなかった。リスク学事典編集委員会には, 時代の潮流をくみ取り,章立てに配列化する俯瞰力が求められた。リスク学事典の初版から 3 版までの 20 年,私たちを取り巻く社会のリスク課題も大きく変貌を遂げた。編集委員の久保英也, 岸本充生, 小野恭子, 藤井らが議論した点を挙げると, まず第 1 に 2001 年の同時多発テロ以降,リスク学の対象が悪意をはじめとする意図的な脅威(セキュリティー問題)に広がった。第 2 に,ガバナンスへの関心の高まりが挙げられる。政府だけなく, 事業者や一般の人々などの民間部門が重要な役割を果たすようになりつつあり,ESG投資などが国際社会を動かす駆動力になっている。3点目は, グローバル化や情報通信技術 (ICT) 化により,物理的にも情報的にも, リスクの相互依存性や相互連結性が強まったことが挙げられる。4点目に, 2009年に国際標準化機構 (ISO) からリスクマネジメント規格「ISO31000」が発行されたことがあげられる。そこでは,リスクは「目的に対する不確かさの影響」と定義された。第 5 に, 守りたいものが人の健康や安全にとどまらず,プライバシーや人権,選択の自由,民主主義などへ広がりつつある点が挙げられる。第6亿, 持続可能な発展目標 (SDGs)への対応が挙げられる。SDGsのグローバル 17 目標は, 逆に言うと, 国際社会が優先的に対処すべきグローバルなリスク課題であるとも言える (藤井, 2019; 岸本, 2019a, b; 久保, 2019)。 この様な社会状沉を踏まえ,「リスクの複合化」「リスクの市民化」、「残余リスク」と「リスクの移転」など,新たなリスク用語や概念, そして, リスク対応技法や仕組み,も数多く派生するに至った。リスク学事典を英名The Encyclopedia of Risk Research と定め, これらの社会的課題, 新たな枠組みにどう応えていくのかを提示したいと考えた。リスク学事典編集委員会では, リスク学分野の諸課題を俯瞰的視野で体系化するには,分野間の異同を認め合う受容性, 見落とされがちな分野のサーベイ, といった「学際化, 分野横断化」が必要不可欠であるとの課題認識があった (久保, 2019)。 ## 2. リスク学事典編集委員会 日本リスク学会 (旧名日本リスク研究学会) は,1988年に創設以来,リスクに関わる諸分野を横串で繋ぐ分野横断的な学会構成を有する。 2016年から始動したリスク学事典の編纂にあたっては, 当学会理事会のもと, 新旧理事を中心とする 21 名のリスク学専門家からなるリスク学事典編集委員会が設立された。委員長は学会長の久保英也先生, 事務局は丸善出版, 各章を担当する編集委員, 編集アドバイザー(編集顧問)といった編纂体制が有機的に組みあがり,2017-19 年の主だった編纂体制が機能した。編集委員会では,まず,リスク学の現代的スコープを見える化するべく, 図1に示した195事項の中項目を選抜した。各項目の執筆に際しては, 学会員を中心にリスク学の観点から諸課題に取り組む国内外の 162名の専門家の知見を集約した。編集委員会による全項目查読を経て,195事項を113章に配置した (図1)。21名からなる編集委員の役割は,編纂フェーズに応じて機能ユニット化し, 特に全章を通読査読し全体構成とバランスを俯噉する主幹 (通読) 編集委員 4 名は, 大規模な事典を集約させていく腕力を担うこととなった。これらの編纂を通して, リスク学という人文科学, 社会科学, 自然科学の多様な分野を含む学際的な学問を体系化した。リスク学事典の発刊は2019年6月,日本リスク学会第 30 回総会の 1 週間前であった。 2019年7月に催された第49回安全工学シンポジウム (日本学術会議主催, 日本リスク学会ほか 48学協会共催)では, リスク学事典編集委員会を代表して, 藤井, 岸本, 小野, 久保の 4 名が登壇し「学際的リスク学分野の体系化〜リスク学事典編纂」をテーマとするオーガナイズドセッションを催した。このシンポジウムはリスク学事典の打披露目の場となり, 共催学会 (安全・安心に関わる多彩な国内学協会) の代表者らと「リスク学の社会的・現代的意義」について討論を深めることとなった。また, 2019年度南アフリカで開催されたWorld Congress of Riskでは, 本学会広報委員長の小野恭子理事によりリスク学事典のコンセプトについての国際溝演があった。分野横断的なリスク学のEncyclopediaは世界でも類がなく, ## 第一部 リスク学の射程 第 1 章リスクを取り巻く環境変化 [担当編集委員: 前田恭伸]..1-1 リスク学とは何か/1-2 リスク概念の展開と多様化/1-3 リスク学の歴史/1-4 私たちを取り巻くリスク (1):マクロ統計からみるリスク/1-5 私たちを取り巻くリスク (2): 身近に隠れた日常生活リスク/1-6 リスクを俯瞰する試み/1-7 複合リスク/1-8 リスクの固定化と市民化/1-9 リスク学の社会実装 (1):行政編, 1-10 (2):企業編/1-11 SDGs とESG/1-12 5 つの原発事故調査報告書と被ばく線量の安全基準値/1-13 世界金融危機の構造と監督当局の対応/1-143 つのシステミックリスクからの示唆/1-15 新たな社会実装の試み (1): 水害対策の先進事例, 1-16 (2):保青園とアスベスト/ ## 第二部 リスク学の基本 第 2 章リスク評価の手法:リスクを測る [担当編集委員: 島田洋子・米田稔]2-1 リスク評価の目的/2-2 リスク評価の朹組み/2-3 リスクの定量化手法/2-4 社会経済分析 $/ 2-5$ データの不確実性と信頼性評価/2-6 用量一反応関係の評価 $/ 2-7$ 曝露評価とシミュレーション技法/2-8 疫学研究のアプローチ $/ 2-9$ 生態リスクの評洒 $/ 2-10$ 工学システムのリスク評価 $/ 2-11$ 定性的リスク評価 $/ 2-12$ 原子力発電所 $の$ 確率論的リスク評価 $/ 2-13$ IT システムのリスク評価/2-14 金融リスクの評価/2-15 気候変動リスクの評価/2-16 災害リスクの評価/ 第 3 章リスク管理の手法:リスクを最適化する [担当編集委員: 小野恭子・岸本充生] $\ldots 3-1$ リスクガバナンスの概念と杵組み/3-2 リスクマネジメ゙ 卜規格 ISO31000/3-3 エ学システムにおけるリスク管理の国際規格/3-4 リスク管理の基準とリスク受容/3-5 基淮値の役割とレギュラトリーサイエンス /3-6 リスク削減対策の多様なアプローチ/3-7 法律に組み込まれたリスク対応/3-8 合理的なリスク管理のための行政決定/3-9 裁判におけるリスクの取扱い/3-10 予防原則・事前警戒原則/3-11 予防原則の要件と適用/3-12 制度化された社会経済分析/3-13 消費者製品のリスク管理手法/3-14 リスク比較/3-15 リスクトレードオフ/3-16 リスクの相互依存と複合化への政策的対応/3-17 産業保安と事故調查制度/3-18 化学物質管理の国際规格と国際戦略/3-19 環境アセスメント/3-20 医薬品のガバナンスとレギュラトリーサイエンス/3-21 国際基準と国内基漼の調和: 放射線のリスクガバナンス/3-22 日本の危機管理体制/3-23 企業の危機管理とリスク対策 第 4 章リスクコミュニケーション:リスクを対話する [担当編集委員:竹田宜人$\cdot$広田すみれ] $\ldots$ 4-1 東日本大震菼とリスクコミュニケーション/4-2 リスクコミュニケーションの社会実装に向けて/4-3 リスクコミュニケーション/4-4 不確実性下における意思決定/4-5 リスク認知とヒューリスティック/4-6 リスク認知とバイアス ( 1):知識と欠如モデル/4-7 リスク認知とバイアス(2):専門家と市民,専門家同士/4-8 リスクに関する対話とリテラシー/4-9 科学技術とコミュニケーション/4-10 リスクガバナンスにおける対話の発展/4-11 情報公開とリスク管理への参加/4-12 対話の技法:ファシリテーションテクニック/4-13 リスクの可視化と対話の共通言語/4-14 手続き的公正を満たす合意形成にむけたプロセスデザイン/4-15 対話とマスメディア/4-16 対話とソーシャルメディア/ 第 5 章リスクファイナンス:リスクを移転する [担当編集委員:久保英也] $\ldots$ 5-1 リスクフアイナンスと残余リスク/5-2 統合リスク管理と部門別資本配賦/5-3 事業継続マネジメント/5-4 リアルオプション/5-5 巨大地震と再保険制度/5-6 CAT ボンド/5-7 環境リスクフアイナンス/ ## 第三部 リスク学を構成する専門分野 第 6 章環境と健康のリスク[担当編集委員: 緒方裕光$\cdot$神田玲子] ...6-1 環境と健康/6-2 労働環境/6-3 放射線の健康リスク/6-4 放射線利用のリスク管理/6-5 電磁波のリスク/6-6 大気環境/6-7 室内環境における健康リスク/6-8 喫煙/6-9 上下水道・水環境の健康リスク/6-10 上㙥污染の健康リスク/6-11 重金属の健康リスク/6-12 農薬の環境・健康リスク/6-13 工業化学物質のリスク規制(1): 歴史と国内動向/6-14 工業化学物質のリスク規制 (2): 海外の動向/6-15 化学物質の安全学の考え方と過去の事例からの教訓/6-16 新たな感染症のリスク/6-17 ワクチンと公衆衛生 /6-18 環境問題と健康リスク/6-19 化学物質による生態リスク/6-20 循環型社会におけるリスク制御/ 第 7 章社会インフラのリスク [担当編集委員: 岸本充生]...7-1 重要インフラストラクチャーのリスクとレジリエンス/7-2 工学システムと安全目粯 7-3 インフラの老朽化リスク/7-4 プラント保守におけるリスクベースメ゙テナンス/7-5 航空安全におけるリスク管理/7-6 海上交通におけるリスク/フエネルギーシステムとセキュリティ/7-8 社会インフラとしての原子力発電システムのリスク/7-9 サプライチェーン途絶のリスク/7-10 災害の経済被害 /7-11 IT リスク学/7-12 宇宙開発利用をめぐるリスク/7-13 安全保障(セキュリティ)リスク/7-14 核のリスク/ 第 8 章気候変動と自然災害のリスク[担当編集委員:藤原広行・臼田裕一郎]...8-1 大規模広域災害時 $の$ 国と地域の連携/8-2 気候変動$\cdot$自然災害リスクの概念と対策 $/ 8-3$ 気候変動に対する国際的な取り組み・ガバナンス/8-4 自然災害に対する国際的な取り組み・ガバナンス/8-5 気候変動に対する国内の取り組み・ガバナンス/8-6 自然災害に関する国内の取り組み・ガバナンス/8-7 気候変動の現状とその要因/8-8 気候変動による, ザードの変化/8-9 気候変動による大規模な変化/8-10 気候変動による生態リスク/8-11 気候変動による社会・人間系へのリスク/8-12 気候変動リスクへの対応:ネガティプエミッション技術の持続可能性評価/8-13 極端気象リスク/8-14 地震リスク/8-15 津波リスク/8-16 火山噴火リスク/8-17 地盤・斜面リスク/8-18 自然災害のマルチリスク/8-19 リスクとレジリエンス/8-20 残余のリスクと想定外への対応/ 第 9 章食品のリスク [担当編集委員: 新山陽子]...9-1 リスクアナリシス:リスクの概念とリスク低減の包括的朹組み/9-2 食品安全の国際的対応伜組み $/ 9-3$ 主要国の食品安全行政と法 $/ 9-4$ 化学物質の包括的リスク管理 $/ 9-5$ 食品中の化学物質のリスク評侕/ $/ 9-6$ 微生物の包括的リスク管理 /9-7 微生物学的リスク評価/9-8 ナノテクノロジー, 遗伝子組換えと食品の安全評価,規制措置/9-9 動物感染症と人獣共通感染症のリスクアナリシス/9-10 食品現場の衛生管理とリスクベースの行政コントロール/9-11 食品由来リスク知覚と双方向リスクコミュニケーション/9-12 食品トレーサビリテイとリスク管理/9-13 䁂急事態対忘と危機管理/9-14 食品分野のレギュラトリーサイエンスと専門人材育成/9-15 食品摂取と健康リスク/ 第 10 章共生社会のリスクガバナンス [担当編集委員:長坂俊成] $\ldots 10-1$ 共生社会を取り巻くリスク/10-2 社会的排除と貧困/10-3 女性の社会的排除と男女平等参画/10-4 子どもをもつ家庭の貧困と社会的排除/10-5 障害者との共生を阻むリスク/10-6 認知症高觜者の意思決定支援と権利䵓護/10-7 性的マイリリティーの差別/10-8 定住外国人の社会的排除と多文化共生/10-9 雇用社会のリスク/10-10 消費生活のリスク/10-11 地域社会の崩壤と再生/10-12 高レベル放射性廃棄物処分: 地域と世代を超えるリスクのガバナンス/10-13 リスクの地域的偏在: 沖縄米軍基地の事例 10-14 被災者と地域の自己決定:東京電力福島第一原子力発電所事故/10-15 疫学的証明とリスクガバナンス:水俣病事件/ 第 11 章金融と保険のリスク [担当編集委員: 津田博史]...11-1 リスクの経済学の系譜/11-2 バブルの歴史とその生成の仕組み/11-3 金融$\cdot$保険分野のリスクの概念とリスク管理/11-4 価格変動リスクの評価/11-5 ヘッジと投機/11-6 信用リスクの評価/11-7 証券化とそのリスク/11-8 保険会社の健全性リスクの評俩/11-9 モラル・ハザードと逆選択/11-10 金融監督の国際基準とガバナンス/11-11 フインテックとインシュアテック/ ## 第四部 リスク学の今後 第 12 章リスク教育と人材育成, 国際潮流 [担当編集委員: 村山武彦]..12-1 リスクリテラシー向上のためのリスク教育/12-2 大学のリスク教育:食品 /12-3 社会人を対象とするリスク教育/12-4 リスク管理のための人材育成/12-5 アジアの化学物質管理:規制協力と展望/12-6 ア悭力における研究動向/12-7 国際機関, EU などの国際的なりスク管理に関する研究動向 第 13 章新しいリスクの台頭と社会の対応 [担当編集委員: 岸本充生]...13-1 新興リスクの特徴/13-2 新興リスクのためのガバナンス/13-3 グロ一バルリスクへの対応/13-4 ナショナルリスクアセスメント/13-5 ELSI(倫理的・法的・社会的課題/問題)とは何か/13-6 プライバシーリスクとプライハ八シー影響評価/13-7 リスクの分配的公平性/13-8 リスクと世代間の衡平性/ 図1リスク学の体系化する195事項 World Congress参加者からは英語・中国語等での翻訳出版の要望が出された。2020年末時点で, リスク学事典は丸善出版のもと重版がかかっており,今後 10 年間のリスク関連事項の主要リファ レンスとして認知が広まっている。 ## 3. リスク学事典の構成と公共性・実用性 リスク学事典編集委員会は,国際比較を含めた リスク研究の今日的な到達点とリスク研究を実践するうえでの課題を明らかにし,現代社会が直面するリスクに対して問題解決の一助となることを目指した。リスク学事典の中項目選定は, 編纂の重要事項であった。2017年から選抜がはじまり,最終的に全 195 項目の配置が確定したのは, 発刊直前の2019年4月であった。事典は4部構成となり,第一部がリスク学の射程,第二部がリスク学の基本, 第三部がリスク学を構成する専門分野, そして,第四部がリスク学の今後,とした。第一部にはリスクを取り巻く環境の変化(第1章)を置き, 第二部では, リスク評価の手法 (第2章), リスク管理の手法 (第3章), リスクコミュニケー ション:リスクを対話する (第4章), リスクファイナンス:リスクを移転する(第 5 章)など,適切なリスクガバナンスを考えるうえで必要な構成要素を解説した。第三部では, 健康と環境リスク (第6章), 社会インフラのリスク (第7章), 気候変動と自然焱害のリスク(第 8 章),食品のリスク (第9章), 家庭と社会のリスク (第 10 章), 金融と保険のリスク(第 11 章)など, リスク学の主な対象分野を配した。そして, 第四部は, リスク教育と人材育成 (第12章), 新しいリスクの台頭と社会の対応(第13章)とし, 次世代のリスク学につながる内容とした。執筆は各項目の専門家に委ね,特にいくつかの項目は,今後分野を担うことが期待される若手・中堅研究者に執筆に挑戦いただき, 学問継承と分野活性化, 分野横断化の機会醇成を狙った。 ## 4. リスク学事典のエッセンス(1リスク学 の基本要素の顕在化 リスク学事典編纂の醍醐味は,多様なリスク分野を読み解く事により,それらの共通項を見いたすことにある。そこで,ここからは筆者と岸本編集委員, 小野編集委員, 久保編集委員長の4 名が話題提供した第 49 回安全工学シンポジウム「学際的リスク分野の体系化〜リスク学事典編纂 (2019年7月3日)」の講演内容から,コアエッセンスを紹介したい。この4名による講演は, リスク学事典の面白さを口頭で説明した貴重な記録と云える。まずエッセンス(1)は「リスク学の基本要素」について。そして,4つのエッセンスに興味がわいたら,ぜひリスク学事典を手に取って読み進めてみてほしい。 「すべてリスクは不確実な未来に関わる。そし て,リスクを“リスク”として認識し,制御してみようという意思が生じて初めてリスク学が生まれる。リスクは守りたい何か, すなわち価値があって初めて生ずる(岸本, 2019a)」。 その守りたい価値も,それらの価値を务かすものも, 文化や時代によって変化するため, 両者が掛け合わされるリスクも多様たらざるをえない。守りたい価値は, 生命や健康, 財産, 生態系, 美しい景観, 人としての尊厳, プライバシー, 時間,未来など多様であり,それらを务かすものは, 自然現象, 不注意を含む事故, 人為的な务威などが挙げられる。リスクとは一般的に, こうした务威により守りたいものへの影響が発生する可能性と,その事象が実際に起きた際の影響の大きさの2つの要素からなる。これがリスク学の基本要素である。 また, 様々な脅威は単にリスクと呼び変えられることも多いが, それらがリスク学の対象として扱われる場合は,ある/ないの二分法ではなく,定量的あるいは定性的に, その間のどこかとして示される。そうして初めて,リスクは,他のリスクや同じリスクの過去と比較することが可能となり, リスクを減らすための費用を加味したうえでどこまでリスクに対処するべきかという議論が可能になる。この指摘は, 今後のリスク学の適応を理解するうえで重要であろう。 ## 5. リスク学事典のエッセンス(2)リスク学 の基本的アプローチ 「様々な分野のリスク学に共通する要素からリスクへの基本的アプローチを抽出することができる。最初のステップは,何を守りたいかを明確にするとともに,それを脅かす要因を発見すること。次に,その要因が発生する可能性や,それが発生した場合の影響の大きさを見積もる。このステップはリスク評価と呼ばれる。次に,それらのリスクを様々なアプローチを用いて管理する ${ }^{[4]}$ 。保険や金融もリスク管理の重要な手法である。リスク管理の仕組みは, リスク評価に基づく基準値など,様々なレギュラトリーサイエンスの技法により,現代社会に実装されている。そして,重要なのは,リスク評価から社会実装までのすべてのディメンジョンにおいて,継続的にステークホルダー との対話を重ねる必要があるということである (藤井ら, 2017; 岸本, 2019a, b, 2019; 久保, 2019;小野, 2019)。」 リスク学を構成する学術分野としては, 方法論での分類(リスク○○学)と, 対象での分類 (○○リスク学)がある。リスク学は, 方法論である横糸と,対象である縦糸が組み合わさったスコープの広い体系を基盤としている。さらに,科学技術や社会生活の変化に伴い,守りたい価値もそれらを脅かす脅威も次々と変化・拡大し,このことが逆に方法論にも影響を与えていく。リスク学は, 生きている学問, すなわち対象と方法が共進化していく学問と言える。それゆえ, その知見も常に陳腐化のリスクを抱光,定期的な見直しを迫られる運命にある (岸本, 広田, 2019)。 ## 6. リスク学事典のエッセンス(3)リスク学 の歴史的展開とその多様な展開 「リスクを不確実な未来を少しでも確実なものに近づけたいと考える人間のはかない思いだとすると,未来が神による定めであると認識されている限り、リスクの評価や制御についての動機は生まれない。リスクを計測する試みは,ロンドンの商人グラントが人々の多様な死因に関心を持ち “生命表” と呼ばれる形式でまとめ1662 年に出版したことを起点とする。これは現代数学としての確率がパスカルとフェルマーの往復書簡のなかで編み出された 1660 年前後と時期を同じくする。 1921 年には,英国ではケインズが,米国ではナイトがそれぞれ不確実性に関する書籍を刊行。ケインズは“確実性”, “蓋然性(確率)”,“不確実性” を区別し,“不確実性”は他の2つの間に来るものではなく, 両者の領域を超える基礎概念であるとした。ナイトは, “先験的確率” と “統計的確率” をともに確率分布で表すことができるものを“リスク”と呼び,測定がもはや不可能な“高次元の漠然とした世界”を,真の意味での”不確実性” とした。第二次世界大戦後、リスク学は様々な分野で花開いた。放射線防護分野では,国際放射線防護委員会が1950年代にリスク概念を導入し, 1977 年には原爆被爆生存者の疫学調查に基づいて発がんリスクの定量化が行われた。1960年代から英国や米国では原子力発電所を対象として,確率論的リスク評価(PRA)の手法開発が進められた。リスク学の先駆者としては, ベネフィット概念を定量的に導入したスター,リスク比較を提唱したウィルソン,リスク認知研究を切り開いたスロービックやフィシュホフ,トランスサイエンス概念を提示したワインバーグ,リスクホメオス夕 シス理論のワイルドなどが挙げられる。1970年代からは, ヒト健康リスク分野, 特に発がん分野に定量的なリスク評価手法が導入され始めた。その後も,リスク行政において,“重大なリスク”概念, 比較リスク評価, “リスクの耐容性”枠組み, ALARA や ALARP 概念, LNT 仮説, BAT 概念,事前警戒(予防)原則などが生み出された。 さらに1989年には全米科学アカデミーからリスクコミュニケーションに関する報告書が出版された(岸本, 広田, 2019)。」 このようにリスク学は,人類学,社会学,政治学といった様々な分野において, 独自の進化を遂げた。その際,リスク概念は様々な分野で次々と社会実装され,独自に発展したため,リスクという用語の現時点での使われ方やリスク分析方法は,分野ごとに共通点とともに差異が存在する。 そのため, リスク学事典では, 機械安全, 自然災害, 工業化学物質, 食品安全, セキュリティ, 感染症,金融・保険,組織,社会学など,多様な分野でのリスク定義や用語の使い方の特徵を,リスク学事典 1-2 項に提示した。各分野の固有のリスク概念を知っておくことは,分野横断的なりスク対話を有意義なものにする。また,他の分野のリスク管理手法を自分の課題解決のために積極的に取り込むことに繋がる。分野横断化の試みは,各分野で孤立するリスク学を個別発展の歷史から解き放つ鍵となる ## 7. 次期リスク学事典の編纂体制構築にむ けて 筆者は, リスク学事典編纂を通して, リスク学の存在意義は, 基礎的科学研究と現代社会の問題解決をつなぐ部分を可視化・定量化することにあると考えるに至った。リスク学が不確実性を含む課題への意思決定に関わる以上, リスク学の多くの部分はレギュラトリーサイエンスと呼ばれる分野に属するといえるだう(藤井ら,2017; 岸本, 2019a; 久保, 2019; 永井ら, 2016; 小野, 2019)。諸分野がリスクに対応する仕組みを深め,他分野のリスク技術の転用・汎用を試みる段階にあっては,リスクの考え方を共有化する人財の協働の場が社会的に重要となる(村山,2019)。リスクへの注目度が高まった現代社会において,分野ごとに細分化された知見を、リスク学体系として再構築することは,リスク学の社会的責務であろう。少子高齢化,経済低成長の常態化,リスクの複合 化・市民化にともない,対処するべきリスクのスコープは拡大した。リスクの定義を分野横断的に見つめ直し, 現代社会の課題に対応できる実学に成熟させることは,まさに時宜にかなうと思う。 次期リスク学事典の刊行は, 6-8年後となるたろう。編集体制の刷新, 日本リスク学会員のより広範な協働体制の構築, テーマの偏りの修正, 未収載分野へのアウトリーチなど,新時代にむけて手を付けるべき課題は残っている。日本リスク学会では「リスク学事典次期編集委員会準備タスクグループ」を 2020 年に立ち上げた。リスクの本質を解決志向性のある学問として,また社会実装の両面から深く語り合えるSocietyが望まれる。事典項目の再編成がきっかけとなり, 日本リスク学会が学際的な連携のゆるやかなプラットフォー ムとなり, それが皆様のリスク学の研究と実践に活かされればと思う。どうぞ集ってください。そして皆様の問題意識に沿って, 次期リスク学事典の頁を書き始めてください。お待ちしております。 ## 参考文献 Fujii, K., Kohno, M., Inoue, T., Hirai, Y., Nagai, T., Ono, K., Kishimoto, A., and Mukrakami, M. (2017) Solution-focused approach of regulatory science and its compatibility with risk science: practical suggestion from case studies on pharmaceutical affairs, food safety and chemical management, Japanese Journal of Risk Analysis, 27(1), 11-22. (in Japanese) doi: 10.11447/sraj.27.11 藤井健吉, 河野真貴子, 井上知也, 平井祐介, 永井孝志, 小野恭子, 岸本充生, 村上道夫 (2017) レギュラトリーサイエンス (RS) のもつ解決志向性とリスク学の親和性 - 薬事分野・食品安全分野・化学物質管理分野の事例分析からの示唆 -, 日本リスク研究学会誌, 27(1), 11-22. doi: 10.11447/sraj.27.11 Fujii, K. (2019) 1-10 SDGs (Sustainable Divelopmental Goals) and ESG, The Society for Risk Analysis, Japan (ed.), Encyclopdeia of Risk Research, Maruzen, 40-41. (in Japanese) 藤井健吉 (2019) 1-10 SDGs (持続可能な開発目標)とESG投資,日本リスク研究学会(編) リスク学事典, 丸善出版, 40-41. Kishimoto, A. (2019a) 1-1 The Risk - principle and difinision, The Society for Risk Analysis, Japan (ed.), Encyclopedia of Risk Research, Maruzen, 4-5. (in Japanese) 岸本充生 (2019a) 1-1 リスク学とは何か, 日本リスク研究学会 (編) リスク学事典, 丸善出版, $4-5$. Kishimoto, A. (2019b) 1-2 The core-concept of Risk Risk - development and divergence, The Society for Risk Analysis, Japan (ed.), Encyclopedia of Risk Research, Maruzen, 6-9. (in Japanese) 岸本充生 (2019b) 1-2 リスク概念の展開と多様化, 日本リスク研究学会 (編) リスク学事典,丸善出版, 6-9. Kishimoto, A., and Hirota, S. (2019) 1-3 The historical science of Risk, The Society for Risk Analysis, Japan (ed.), Encyclopedia of Risk Research, Maruzen, 10-17. (in Japanese) 岸本充生, 広田すみれ(2019) 1-3 リスク学の歴史, 日本リスク研究学会 (編) リスク学事典,丸善出版, 10-17. Kubo, H. (2019) Preface for the Encyclopedia of Risk Research, The Society for Risk Analysis, Japan (ed.), Encyclopedia of Risk Research, Maruzen, pre i-iii. (in Japanese) 久保英也(2019)刊行にあたって, 日本リスク研究学会 (編) リスク学事典, 丸善出版, pre i-iii. Murayama, T. (2019) Chap. 12 Risk Education and Human resource development, The Society for Risk Analysis, Japan (ed.), Encyclopedia of Risk Research, Maruzen, 618-635. (in Japanese) 村山武彦(2019) 12章リスク教育と人材育成,国際潮流, 日本リスク研究学会 (編) リスク学事典, 丸善出版, 618-635. Nagai, T., Fujii, K., Hirai, Y., Mukrakami, M., Ono, K., Yasutaka, T., Kohno, M., Inoue, T., and Kishimoto, A. (2016) The case studies of "Regulatory Science" for chemical risks and related fields - activity report on the Regulatory Science Task Group in the Society for Risk Analysis Japan - , Japanese Journal of Risk Analysis, 26(1), 13-21. (in Japanese) doi: 10.11447/sraj.26.13 永井孝志, 藤井健吉, 平井祐介, 村上道夫, 小野恭子, 保高徹生, 河野真貴子, 井上知也, 岸本充生 (2016) 化学物質のリスクを中心としたレギュラトリーサイエンスの事例解析 - レギュラトリーサイエンスタスクグループ活動報告 - ,日本リスク研究学会誌, 26(1), 13-21. doi: 10.11447/sraj.26.13 Ono, K. (2019) 3-5 The role of Regulatory Standards and Regulatory Science, The Society for Risk Analysis, Japan (ed.), Encyclopedia of Risk Research, Maruzen, 148-151. (in Japanese) 小野恭子(2019) 3-5 基準值の役割とレギュラトリーサイエンス, 日本リスク研究学会 (編) リ スク学事典, 丸善出版, 148-151. The Society for Risk Analysis, Japan (2019) The Encyclopedia of Risk Research, Maruzen, 1-804. (in Japanese) 日本リスク研究学会編 (2019)リスク学事典, 丸善出版, 1-804.
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# リスク学研究 30(4): 187-188 (2021) Japanese Journal of Risk Analysis doi: 10.11447/jjra.SRA-E304 # 【巻頭言】 ## リスクを発現させないことによるリスク* ## New Risks Arising from the Suppression of Current Risks ## 上野 雄史** ## Takefumi UENO 起こりうるリスクに備えて,リスク・コントロール(リスク回避・予防,リスク低減)か,リスク・ファイナンス (リスク保有,リスク移転) のいずれかで対応することが望ましい。ただし, そのリスクがいずれ,『何らかの形』で発現するならば,いつまでも回避し続けているわけにはいかない。損害額を最小限にする形でマネジメントすることが求められる。つまりリスクを発現させないことによる新たなリスクも,マネジメントの上で考える必要がある。 これを執筆しているのが2021年4月26日,前日の 25 日から,東京,大阪,兵庫,京都の 4 都府県を対象にした 3 回目の緊急事態宣言の期間に入った。新型コロナウィルスの感染者数は 4 月 24 日に東京 876 人で 2 回目の緊急事態宣言解除後,最多となり,大阪では 5 日連続の 1,000 人超え,兵庫,京都でも過去最多となっている。その他の都道府県でも感染者数は増え,全国で5,606人となっている。3回目の緊急事態宣言は 5 月 11 日までという期限を設けていることもあり,従来にない厳しい自粛要請を行っている。たとえば東京では 1,000 平方メートルを超えるデパートなどの大型商業施設や,酒類やカラオケ設備を提供する飲食店などに休業を要請し,酒類を提供しない飲食店には午後 8 時までの営業時間の短縮を要請している。これに加えて,東京都の小池知事は,宣言期間中の午後 8 時以降の街頭の照明を伴う明るい看板,ネオン,イルミネーションの停止を要請し ている。関西の 3 府県でも, 東京と同様に酒類, カラオケ設備を提供する飲食店に休業を要請し, それ以外の飲食店についても営業時間を夜 8 時までとする要請を行い, 生活必需品を販売する小売店を除いた施設のうち 1,000 平方メートルを超えた施設には休業を要請している。こうした対応に加えて緊急事態宣言下にある4都府県でのイベントは規模や,場所に関わらず無観客での開催を要請している。 そもそも 2020 年 2 月 28 日に始まった全国一斉の学校臨時休校以降, 日本全国で恒常的な自粛を求められ,自由な移動,集まっての飲食を伴う会合を「してはならない」という社会的な雾囲気は醕成されており,こうした生活が 1 年 2 か月以上続いていることになる。 こうした状態下で,わが国の経済は大きな打撃を受けている,はずであるが,実は実態経済の数値としてはその『リスク』は発現していない。 東京商工リサーチが 2021 年 4 月 8 日に発表した 2020 年度(2020 年 4 月 2021 年 3 月)の全国企業倒産状況によると,倒産件数は 30 年ぶりの 8,000 件割れとなった注 1 。同調査によると, 2020 年度の全国企業倒産は前年度比 $17.0 \%$ 減の 7,163件であり,2019年9月から2020年4月の期間では,人手不足,消費増税,暖冬などの影響で倒産件数の増加が続いたものの,新型コロナウィルス感染拡大に伴う緊急避難的な資金繰り支援策が功を奏して,2020年7月以降,9か月連続で倒産は大幅に  ** 静岡県立大学 (University of Shizuoka) 減少した状態となっている。7,163の倒産件数は 1971 年以降の過去 50 年間で4番目に低い水準である。 日経平均株価もコロナ禍であるにも関わらず上昇し続けている。2020年3月19日, 日経平均株価は 1 万 $6,995.77$ 円と 2016 年 11 月 9 日以来の安值を記録した。これは新型コロナウィルス感染症が企業業績に与える影響からリスク回避の売りが続いたためである。しかしながら,そこから上昇に転じ, 2021 年 2 月 8 日の終值は, 2 万 $9,388.50$ 円と, バブル期の 1980 年 8 月から約 30 年ぶりの高值を記録した。この状況下でも日経平均が上昇している背景には, 日本銀行がETF (上場投資信託) を購入し続けていることが起因している。日本銀行は, 2020 年 3 月 16 日,「新型感染症拡大の影響を踏まえた金融緩和の強化について」の中で,新型コロナ禍で金融市場の安定を図るため, 金融緩和を強化することを決定した。その政策の一つとして,「ETFおよびJ-REITについて,当面は,それぞれ年間約 12 兆円,年間約 1,800 億円に相当する残高増加ペースを上限に,積極的な買い入れを行う」ことを決定した注 2 。日本銀行のこうした政策の後押しを受け,大量の緩和マネーが株式市場に流れ达んでいることなども株高に影響している。 新型コロナ禍において,実態経済に及ぼす影響を最小限にするためにあらゆる手段が講じられている。現在の状況下で, 大量の企業倒産が発生すれば社会不安に繋がりかねず,緊急避難的な措置を講じることは必要である。では, こうした措置の副作用はないのであろうか。 Caballero et al. (2008)は, 日本のバブル崩壊後の長期経済低迷の要因分析を行い,経営再建の見迄みが少ない, ゾンビ企業を金融機関の追加的な融資により,存続させたことがバブル崩壊後の日本経済の回復を遅らせる要因の一つになったとする検証結果を示している。ゾンビ企業, つまり経営が実質的に破たんし続けている企業を支援によって存続させることが, 経済, 雇用の循環を妨げ,結果的に経済を低迷させるリスクがある。 倒産発生の抑制は社会不安を抑えるためには必要だとしても,実質的に倒産している企業に対しても資金をいつまで投下し続けるのであろうか。 リスクを回避し続けることにより生じる新たなリスクが起こる事を, 我々は認識しなければならない。 Caballero et al. (2008)の研究結果から考えれば,実質的に倒産している企業に対して資金を投下し続けるのは,投資機会の損失を意味する。どこかで決断をして, 政策の出口を探る必要がある。もち万ん, 公的な支援を行わないということは倒産を許容することであり, 雇用, 経済に打撃を与え, 失業者が一時的に大量に出ることを意味する。セーフティーネットを万全にして備える必要がある。 ## 参考文献 Caballero, R. J., Hoshi, T., and Kashyap, A. K. (2008) Zombie lending and depressed restructuring in Japan, American Economic Review, 98(5), 19431977. ## 注 注1東京商工リサーチ「2020年度(令和2 年度) の全国企業倒産7,163 件:https://www.tsr-net. co.jp/news/status/year/2020.html 注2 日本銀行「新型感染症拡大の影響を踏まえた金融緩和の強化について」(2020年3月16日) https://www.boj.or.jp/whatsnew/index.htm/
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# 【特集:新型コロナ感染症関連レター】 ## The Importance of Providing Systematic Mental Health Care in the COVID-19 Pandemic: Reflecting on the 2011 Fukushima Nuclear Accident* \author{ Arinobu HORI**, Toyoaki SAWANO***,****, \\ Akihiko OZAKI***** and Masaharu TSUBOKURA**** } \begin{abstract} Healthcare workers are at additional risk of Severe Acute Respiratory Syndrome coronavirus 2 (SARS-CoV-2) infection, and there have been extensive discussions on their mental health consequences. We draw attention to four observations in disaster relief workers (DRWs) coping with the aftermath of the Great East Japan Earthquake (GEJE) in 2011 to inquire this problem profoundly. 1. The uplift and exhaustion of DRWs in the honeymoon phase after a disaster 2. The denial of trauma and depression in the acute post-disaster period 3. Little awareness of the importance of grief care among disaster survivors 4. Manifest of mental distress during the post-disaster restoration phase, when social disparities emerge 5. The importance to guarantee the economic activities of DRWs to maintain their livelihoods DRWs tend to be left in a vulnerable position to respond to a disaster. Deliberate support for such DRWs is decisively required in the context of COVID-19 pandemic. \end{abstract} Key Words: Covid-19, Fukushima nuclear accident, the Great East Japan Earthquake (GEJE), disaster relief worker, Mental Health As of October 2020, the number of people with coronavirus disease (Covid-19) and related fatalities globally has exceeded 40.7 million and 1.12 million, respectively (WHO, 2020). Healthcare workers are at additional risk of Severe Acute Respiratory Syndrome coronavirus 2 (SARS-CoV-2) infection, and there have been extensive discussions on their physical and mental health consequences. To facilitate the discussion, we draw attention to five observations in disaster relief workers (DRWs) coping with the aftermath of the Great East Japan Earthquake (GEJE) in 2011. In the case of coronavirus pandemic and nuclear accidents, both are characterized by the fact that the disaster does not easily become a past event but remains an existing threat for a long time. In that case, many disaster survivors are hardly to reflect on the suffering of the past and are expected to continue to serve the community as DRWs. In the field of disaster mental health, trauma and grief are major issues, and depression as a response to them is likely to be of interest. However, more attention should also be paid to manic responses to trauma and grief by those who must work as DRWs in disaster areas.  ## 1. The uplift and exhaustion of DRWs in the honeymoon phase after a disaster Firstly, an elevated sense of community unity and morality known as the Honeymoon Phase occurs soon after disasters, and altruistic behavior emerges (Raphael, 1986). The passion and dedication of DRWs usually declines in some months, as they carry out their rescue and reparation work, in appalling and often dangerous conditions. However, a nuclear accident or pandemic requires that it would be sustained for longer periods. While highly motivated local DRWs carried out their long, arduous, and thankless tasks, a lack of a systematic support system made them especially vulnerable to mental disorders and other physical health problems (Sawano et al., 2016; Tanisho et al., 2016). ## 2. The denial of trauma and depression in the acute post-disaster period and the neglect of self-care Secondly, in Fukushima after the GEJE, researches have shown that not a few populations were in denial about the pain associated with their loss, trauma, and changes in the lives of people like the DRWs. Those with depression and post-traumatic stress disorder (PTSD) peaked in the immediate aftermath of GEJE and gradually declined (Yabe et al., 2014). Nonetheless, the number of depressed survivors who visited mental clinics soon after the disaster decreased (Hisamura et al., 2017; Hori et al., 2016). The number of patients in a manic state increased in psychiatric institutions in Fukushima Prefecture during 2011 (Hisamura et al., 2017). The manic state includes denying one's own plight or that of the community while despising the importance of self-care. A case of bipolar disorder and PTSD while working as a DRW for a local municipality after the earthquake, tsunami, and nuclear power plant accident, which he himself experienced harshly was reported (Hori et al., 2020). Sakuma et al. (2020) conducted a survey on long-term trajectories for PTSD symptoms in local municipality and hospital medical workers in Miyagi Prefecture, which was severely damaged by the tsunami following the GEJE. According to the survey, $6.7 \%$ of respondents showed a course of fluctuating or chronic trajectory with long-term social functioning decline (Sakuma et al., 2020). Some of these people may need specialized psychiatric treatment However, there is still no systematic intervention for trauma-related problems with disaster survivors in Japan. The fact that the post-GEJE suicide rate in Fukushima Prefecture has not decreased is of the utmost concern (Takebasyashi et al., 2020). ## 3. Little awareness of the importance of grief care among disaster survivors Thirdly, there was little awareness of the importance of grief care among survivors including DRWs. Psychological interventions for PTSD and bereavement from the loss of family members require specific expertise, (Sun et al., 2020) and thus have not been sufficiently implemented in response to the GEJE. Such measures should be implemented especially for DRWs in other areas that have encountered disasters ## 4. Manifest of mental distress during the post-disaster restoration phase, when social disparities emerge Fourthly, the mental distress of DRWs following the GEJE who had been overloaded with work began as the Honeymoon Phase ended, and the restoration work proceeded. Of note, this phenomenon was accompanied by problems derived from social disparities (Raphael, 1986). Systemic mental health care, such as countermeasures for PTSD and depression, was provided to those working for public organizations or large companies such as the Tokyo Electric Power Company, (Tanisho, 2016) but was insufficient for those working for small associations or private organizations. In the case of COVID-19, comprehensive mental health measures should be developed, especially for health care workers who do not work for large organizations. ## 5. The importance to guarantee the economic activities of DRWs to maintain their livelihoods Finally, in addition to psychological support for DRWs, it is also necessary to guarantee the economic activities of DRWs to maintain their livelihoods. For example, those who have returned to the areas ordered to be evacuated as a result of the nuclear accident will have to conduct business in areas where the population is declining and where there are negative reputations about the effects of radiation. Likewise, hospitals treating Covid-19 patients may face discrimination from the public against their staff for fear of infection, and at the same time, the number of patients with nonCovid-19 diseases may decrease. Whether returning to the disaster area or accepting treatment for Covid-19 patients, by contributing to the response to the disaster, they are assuming a significant risk to the economic activities of their daily lives. Legislators and policy makers should make decisions that reward the contributions of DRWs. DRWs tend to be left in a vulnerable position to respond to a disaster. However, DRWs themselves often deny their own need to be cared for, as they often uplift themselves to recover from disasters. The consequences of the denial could be seen years later. Deliberate support for such DRWs is decisively required. ## References Hisamura, M., Hori, A., Wada, A., Miura, I., Hoshino, H., Itagaki, S., Kunii, Y., Matsumoto, J., Mashiko, H., Katz, C. L., Niwa, S. I. (2017) Newly admitted psychiatric inpatients after the 3.11 disaster in Fukushima, Japan, Open J. Psychiatr, 7, 131-146. doi:10.4236/ojpsych.2017.73013 Hori, A., Hoshino, H., Miura, I., Hisamura, M., Wada, A., Itagaki, S., Kunii, Y., Matsumoto, J., Mashiko, H., Katz, C. L., Yabe, H., Niwa, S. I. 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Society For Risk Analysis Japan
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# リスク学の社会実装に向けての一提案一べトナム賓困農村部への 相互型マイクロインシュアランスの提供事例一* ## A Proposal for the Social Implementation of Risk Studies: ## A Case Study of Mutual Microinsurance for Poor Rural Areas in Vietnam ## 久保 英也** Hideya KUBO \begin{abstract} Developing countries in Asia, such as Vietnam, have rural poverty behind the economic growth, and the risk gap is growing. Since the local insurance companies have left this market from the viewpoint of efficiency, it is necessary to establish the new rural living safety net. This paper shows (1) whether Vietnam will become a commercial market for insurance in the long run by quantitative market estimation. As a result, the life insurance market in Vietnam will expand to $9 \%$ of the huge Japanese market in 2040. And the commercialization of market is possible. In order to deliver the security system to poor rural areas, (2) by means of "P2P insurance" using the Insuretech method, we propose "the mutual microinsurance system" that clears in supervisory and regulatory constraints. \end{abstract} Key Words: micro insurance, peer to peer insurance, macro coverage rate ## 1.はじめに マイクロインシュアランスは, 開発途上国の低所得者層向けに設計された,低価格・低コストで提供される保険で,国の社会保障制度の補完や貧困削減手段,自然焱害に対する金銭的準備などを目的とする。アジアでもフィリピンは,都市部を中心に人口の 4 分の 1 がこれに加入しているとされる。これに対し, 本稿が取り上げるべトナムは,日本企業が投資したい国のトップ3(他は,米国,中国)に入るにもかかわらず,2018年の 1 人あたり名目GDPは, 日本の 15 分の 1 , 中国の 4 分の 1 と貧しく, 社会保障の適用範囲も全国民の $20 \%$ にとどる。アジアの保険市場をまとめ たTable 1 の点線以下の新興 8 か国について, 1 人あたり収入保険料のトレンドラインを計測する (理論値と表示, 推計誤差もある) とフィリピンは保険会社が関与しないマイクロインシュアランスが多いため, 保険会社の情報しか反映していない「実績」が理論値を大きく下回っている。一方, ベトナムの2つの値がほぼ同じ值を示している通り, マイクロインシュアランスの存在感は薄い。その理由の一つに, (1)収益性の高い都市部だけで営業する保険会社が人口の 3 分の 2 を占める農村部を放置, (2)後述する農村部の協同組合組織や農業銀行が閉鎖的かつ旧態依然の共同体に留まる,などがある。  貧困に直面する農村という切り口で見ると,日本も半世紀の時間を卷き戻せば,実は似たような状況であった。当時, 日本の農村部で協同組合運動を進めた賀川(1941)は,「貧困の原因は主として,自然的災厄と人間的災厄の 2 つからくる $\cdots$ とし, 相互扶助の思念 (精神) により救済することは『人類』にとって殆ど本質的なもの」とする相互扶助思想を説き,全国に共済を拡げた。 しかし, ベトナムには,このような理念や精神的支柱はない。人口規模(2016年べトナムの9,270 万人, 1960 年日本の 9,342 万人) や農村の状況とが日本と酷似するべトナムに日本の相互扶助の理念と日本の経験を活かしたセーフティネットを届けたいと考える。しかしながら,そのためには,現実問題として,「国をまたいだ」相互扶助の提供可能性や日越両国の現行の監督$\cdot$規制との調整, そして,商業化の可能性の検証が必要となる。 そこで,本稿は,まず,(1)べトナムが長期的にみて保険の商業市場として成り立つかを計量的な市場推計により検証する。そして, (2)インシュアテックの「P2P 保険(peer to peer insurance)」の手法を活用し,これらの制約下でも機能する「相互型マイクロインシュアランス」を提案することを目的とする。本稿の構成は, 先行研究を紹介した後に, 第 3 節で「マクロ保障倍率」という尺度を用い, 日越生保市場を計量的に分析し, 第4節ではこの結果を用いて, 両国の将来市場を予測する。第 5 節では, 現在のベトナム農村部で展開されているマイクロインシュアランスの現状を説明する。そして, 第 5 節で,「相互型マイクロインシュアランス」の具体像を提案する。 ## 2. 先行研究 Biener and Eling (2012) はマイクロインシュアランスに関する131本の論文を精査する中で9つの保険引き受けに際してのリスクを抽出し, Guarnaschelli et al. (2012)は, 発展途上国のマイクロインシュアランスの提供者とその普及方策を紹介している。また, ベトナムのマイクロインシュアランスについては, Nghiem and Duong (2012)が多くの事例を紹介し, Ramm and Ankolekar (2015) は,マイクロインシュアランスと社会保障制度の相互補完性について分析している。また, ベトナムの保険市場については, Kubo and Nga (2015)がベトナムの死亡保障市場を分析し, べトナムの農村事情や農業金融については, 秋葉(2015)に詳し い。また, Munich Re Foundation, Microinsurance Network (2016)は, モバイルインシュランスのアジアでの動向を詳細に調査している。一方, 日本における創生期の協同組合については, 賀川 (1941) が欧米の調查に基づき協同組合保険の理念や必要性を唱え, 同時期の日本の共済の現状や課題については大田原 (2007) に詳しい。インシュアテックのスキームである $\mathrm{P} 2 \mathrm{P}$ 保険については, 吉澤(2018)が法制面も含め詳しく解説している。 ## 3. ベトナムと日本の生命保険市場の構造 ベトナムの保険市場は, 2018 年の損害保険の収入保険料が 20 億ドル (約 2,100 億円), 生命保険が 38 億ドル(4,000億円)であり,両市場合わせた世界市場シェアはわずか $0.1 \%$ と小さい。損害保険市場において既に日本を凌駕した中国の規模(各々 2,615 億ドル,3,134 億ドル)の 100 分の 1 にも満たない。しかしながら, 2007年から 10 年で両市場とも 5 倍以上に成長し, 今後も $6 \%$ 程度の経済成長や地方都市での保険販売の拡大が見达めるとされている。 2016年度のベトナムの生命保険会社の数は 18 社で, 大手 5 社のシェアが 8 割を超える煴占市場である。損害保険分野でも同シェアが5割を超之, 日本の保険会社も積極的に進出している。例えば,2007年に進出した第一生命は2016年の収入保険料で第 4 位の生保となり, 住友生命も第 2 位の現地資本 Vao Viet社に $18 \%$ 出資している。 ベトナム生命保険市場は, 養老保険や投資型保険が主体とされてきたが,所得の上昇に伴い死亡保障市場も拡大している。2018年の 1 人あたり生命収入保険料は 39 ドル (生損保合計でTable 1 の通り 61 ドル)と現在の日本の2,630 ドル(同 3,470 ドル)と比較すべくもないが,その日本も 1960 年の同値はわずか 7.3 ドルであった。同様に, べトナムの2004年の国民1人あたりの名目 GDPは 495 ドルと日本の 1960 年の同 496 ドルとほぼ同水準であり, また, 個人保険・個人年金の収入保険料の対名目 GDP比も 2017 年のベトナムの $1.2 \%$ は日本の1960年の同 $1.4 \%$ に近しい。 つまり,半世紀の「時間軸」をずらせば,両国の保険市場に大きな差はなく, 生命保険市場の萌芽期はどの国もこのような状況である。当然, 生命保険市場に影響を与える, 例えば, 経済成長率, 家計所得, そして, 社会保障制度の整備状況などにより,その後の市場の姿に差が出てくる。 そこで, ベトナムの生命保険市場を日本との 「時間差」を利用して予測する。生命保険市場は,他の財市場と同様に需要と供給で決まる。需要側 Table 1 Insurance Marketability in Southeast Asian Countries (2018) } & \multicolumn{2}{|c|}{} & \multirow{2}{*}{} \\ (注1)理論値は,破線以下の 8 か国について,一人当たり収入保険料のトレンドラインを算出。理論値= 0.0544 *(一人当たりGDP) -79.897 ,決定係数: 09573, による。 (出所) Swiss Re「Sigma」(2019年3号), 外務省海外在留調査統計 $(\mathrm{H} 30)$ などから筆者が作表。 は,(1)働き手の病気,死亡リスクに対する家族への保障ニーズや(2)高齢化に伴う長生きリスクへの備えなどで, 購入額は消費者の家族構造や所得水準などにより決定される。 一方, 供給側は, 保険会社の商品戦略, 販売チャネルなどにより決まる。協同組合も保険会社も永続的な事業継続のための利益確保を目標の1つとしており, 商品戦略は, 利益率の最も高い保障性商品の販売優先順位が高い。しかし, この供給側の論理を需要側の消費者が受け入れるかは別であり,保険会社はその溝を埋める経営努力を行うというのが単純化した生命保険市場の構造である。 そこで,市場予測を行うにあたり第1の手がかりを保障性商品の市場に求め, 国区分と時系列とのクロスセクションによるプーリング分析を行う。保障市場の指標として, 生命保険の保障額 (個人保険と個人年金の合計)を名目GDPで除した「マクロ保障倍率」という概念を用いる。 Figure 1 にその結果を示した。日本の 1961 年の位置に,べトナムの2004年を据え, ベトナムのマクロ保障倍率の今後の変化が日本の成長の軌跡と合わせ観察できるようにした。細い点線で示した日本の約 50 年間のマクロ保障倍率は, 30 年間の大きな上昇過程とその後の 20 年間の調整過程を描いている。同倍率は, 1974年に名目GDP と同規模の 1 倍を超え, 90 年代半ばにピークの 2.8 倍に達する。その後日本の保険会社は, (1)国民所得 Figure 1 Long-term macro coverage structure in Japan の増加率を超える保障市場の獲得, (2)高齢化に伴う死亡保障から医療・年金ニーズへの取り达みに戦略変更, (3) 90 年代後半に発生した生命保険会社約 20 社中 8 社の経営破綻への対応,などを進めてきた。ただ,消費者ニーズの構造的な変化は大きく, 2016年度の日本のマクロ保障倍率は, 1.6 倍程度まで低下している。 また,家計消費支出に占める生命保険料の支出割合は, 1960 年の $2.1 \%$ から約 $10 \%$ まで上昇していることから,消費者ニーズを取り込み続けた半世紀であったとも言えよう。一方,太い点線が示す 2017 年のベトナムの同倍率は 0.4 倍と 1960 年度の日本の 0.35 倍に近く, 現段階では所得制約から未だ市場は潜在化している。ただ,その値は,直近では上昇に転じていることが見て取れる。 一方, 生命保険産業はその加入者数や规模からみて国民経済的な産業であり,その市場は1国の経済規模や所得水準, 社会保障制度との役割分担,などにより決まる。1産業でありながら国民経済的な産業であることから, マクロ保障倍率を分解することにより保険市場の構造変化を把握できる。 すなわち, マクロ保障倍率:【個人保険と個人年金の保有契約高/名目GDP】=【同保有契約高/同収入保険料】 $\times$ 【同収入保険料 $/$ 個人消費 $\rfloor \times$ 【個人消費/名目GDP】に分解できる。右辺第1項を「保障単価」, 第 2 項を「消費者の保険選好」と呼ぶ。各要素は, Figure 1の棒グラフの内訳に示した。 実線は日本のマクロ保障率の前年度からの伸び率を,棒グラフの白抜き部分は「保障単価」の,斜め線のシャドウ部分は「保険選好」の, 各々対前年伸び率がマクロ保障倍率の伸び率に対する寄与度を示している。 マクロ保障倍率は, 1960 年代から 70 年代にかけて, 保障単価と保険選好の上昇により押し上げられた。保障性商品は豊かな生活を失いたくないという国民のリスク感覚に合致した一方, 国民の死亡率はトレンド的に低下し, 保険料の引き下げが連続的に可能であった事情がこれを後押しした。 しかし, バブル清算とその後の経済の低迷により,これら 2 つの要素は逆に同倍率を引き下げる方向に転じ,マクロ保障倍率も長期的に低下した。 Figure 2 に同じくべトナムのマクロ保障倍率の構造を示した。外資系保険会社の市場開拓力を梃に保障市場は拡大し,ここ 5 年間のベトナムのマ Figure 2 Long-term macro coverage structure in Vietnam クロ保障倍率の構造(Figure 2 の丸囲み部分)は,日本の1960 年代(前出 Figure 1 の丸囲み部分)と同じく, 保障単価(白抜き)と保険選好(斜めシャドウ)が共にプラスに働き, 経済成長率以上の保障市場の拡大が続いている市場構造がみられる。 ## 4. 日越生命保険市場の予測 このマクロ保障倍率を用いて将来のべトナムの生命保険市場を推計してみよう。マクロ保障倍率を決定する要素(説明変数)の候補としては,(1)保険の購買力 (名目GDPなどで代用), (2)家庭の主な働き手を䨤失した時の労働代替性(女性の労働参加率, 男女の労働参加率格差など), (3)保障ニーズから老後の長生きリスクへの転換度(高齢化率など), (4)社会保障の充実度(社会保障給付費のGDP 比率など), (5)他の金融機関との競合度 (保険会社の売上高や利益の金融業全体に対する比率,外資の参入規制,などが候補として考えられる。 また,推計に際しては日越のクロスセクションデータ(日本が1960年度から2016年度, ベトナムが2001年から2017年の計 74 個の時系列デー 夕)を利用し, 計量ソフトとしてSPSS Vearsion14 を使用した。多くの試行の結果, 最終的には決定係数や赤池情報量基準等により Table 2 にある 4 本の推計式を選択した。ただ,最小二乗法による重回帰分析の推計式1-A,1-B,1-Cについては, 説明変数を $\log$ 付きや対前年伸び率に変換するなど工夫したものの, ダービン・ワトソン比が十分に改善せず, 系列相関を起こしている可能性が残る。そこで, 推計式 2 の残差の自己回帰モデルを採用することとした。最終的に使用した説明変数は, (1)自然対数化した 1 人あたり名目 GDP と(2)同労働参加率の男女間格差であり, 残差はLjungBox検定の結果,ホワイトノイズである。 (出所)筆者が推計,作表。 Figure 3 Forecast of macro coverage ratio in Japan and Vietnam Figure 3 に同推計式の推計値(破線)を実績值 (実線)と併せ示した。実績値をよく追えているため, これを用いて, まず日本の今後24年間 (2017年~2040 年度)の保障市場を予想する。なお,予測期間の外挿値については,2017年度以降の 1 人あたり名目 GDPが2016年度の38,968ドルから毎年 $0.5 \%$ で増加し, また, 男女の労働参加率格差については, 2016 年度の 20.0\%(男性 $70.4 \%$, 女性 50.4\%) から女性の同参加率が毎年 0.2 ポイント上昇することにより同格差は 0.2 ポイントずつ低下すると想定した。結果は, 日本のマクロ保障倍率は, 今後も緩やかに低下し, 2030 年度に 1.49 倍, 2040 年度は 1.33 倍となる。 $ \text { 次にベトナムの今後 } 23 \text { 年間(2018年~2040年) } $ の同倍率を予測する。同様に外挿値については, 2017 年度以降の 1 人あたり名目 GDPが2017年の 2,306ドルから毎年 6\%で増加し,男女の労働参加率格差は同 $10.8 \%$ (男性 $83.5 \%$ ,女性 $72.7 \% )$ から経済成長に伴い男性の同参加率が毎年 0.2 ポイン卜上昇するとした。一方,女性の労働参加率は,農業から他産業への移転が起こると想定(72.7\% のまま)した。この結果, ベトナムのマクロ保障倍率は, 2017 年の 0.4 倍が 2030 年に 0.58 倍, 2040 年に 0.81 倍に上昇する。当然のことながら,外挿 值の与え方により,予測値は変化するが,両国市場のトレンドに大きな変化はない。 以上から, 2040 年のベトナムの生命保障市場規模は, 世界第2位の日本市場の9.1\%に相当する豊潤な保障市場となることがわかる。ただし,それには, 現在全人口の3分 2 が住む農村部まで保険が浸透することが前提である。今回検討するべトナム農村部のセーフティネットの構築は, この農村部への保険の浸透を企図するものである。当初は農村市場の非効率性から社会貢献の意味合いが強くとも, 長期的に取り組めば, 商業保険市場,事業としても十分成立するものと考えられる。 ## 5. ベトナムにおけるマイクロインシュア ランスの現状 現在のベトナム農村部のマイクロインシュアランスの状況を見てみよう。Ramm and Ankolekar (2015)なとによれば,Table 3のとおり,TYM, MPA など8つの団体による小規模な提供に留まっている。 取り扱う商品や販売チャネルなどは異なるもの の, 生保分野では少額の医療保険と定期保険, 損保分野では融資負債を相殺する信用保険と作物被害を保障する農作物保険,などが主に提供されている。マイクロインシュアランスは, 通常の保険事業以上に, (1)モラルハザード, 逆選択の混入, (2)アクセスの困難性, (3)高い取引コスト, (4)保険数理デー夕の不足と不十分なりスク評価, などの課題が大きい。(1)と(2)を抑制するため上部組織の資源を活用するが, (3)と(4)については経営資源が限られるため, 後回しの対応とされることが多い。 最大手の TYM (Tinh Thuong One-Member Limited Liability Microfinance Institution Fund) Mutual Assistance Fund でも保険料収入は日本円で約 18 億円に過ぎず,都市部で展開するプルデンシャル社の 30 分の 1 と圧倒的に小規模である。このため,財政基盤は弱く, 販売地域も限定されリスク分散も不十分となる。また,相互組織のマイクロインシュアランスの法制・監督が未だ未整備という事情なども足かせとなっている。 TYMについて詳しく見てみよう。同社は, 農 Table 3 Major micro insurances in Vietnam & TYM & \\ (出所) Ramm et al. $(2014,2015)$ と各組織のアニュアルレポートなどから,筆者作成。 村部の大衆組織であるべトナム婦人会 (Vietnam Women's Union: VWU) と組んだ貧民層を対象にしたマイクロインシュアランス組織である。フォー ド財団 (Ford Foundation), シティ財団 (City Foundation), アジア開発銀行, 国際労働機関 (ILO),南部アフリカ開発共同体(SADC),フィリピンのマイクロインシュランス組織である RIMANSI战, 財源提供と保険数理分野・商品開発の支援を受けている。1996年から「Mutual Assistance Fund」という商品を販売, 週200ドン (約1セント)の保険料で,(1)20万ドンの医療費, (2) 50 万ドンの葬儀費用, (3)債務者死亡時の借入金債務の相殺保障,を提供している。会員数は, 1996年の 7.2 万人から 2011 年には 23 万人に増加 L, 商品も医療保険や高齢者向けの年金, 生命保険に拡大している。 2009年には大手保険会社 Manu life と組み,9州において貧困層よりやや所得の高い準貧困層を対象に事故死亡や疾病を保障する少額・廉価な保険の販売を開始。保険料は一般的な保険契約の約半分(月15ドル:USD)で既に8万件を販売し, Manu lifeの総保険料収入の $6 \%$ を占める。また,貧困世帯でも比較的保有率の高い携帯電話による保険料支払い実験も進行中である。 一方, CFRC (Community Finance Resource Center) の母体であるMPA (Mutual Protection Association) projectは, 2007年4月に発足したNGOでM7ネットワーク(ベトナムの3大マイクロファイナンス組織の1つ)を通じ,筫民・準筫困層, べトナム北西部のマイノリティ住民にマイクロファイナンスを提供している。2015年迄の累計で2,968 人の女性実業家を生み, 融資残高は 35 億ドン, 事業収益による費用カバー率(OSS)117\%,30日以上の延滞率 $0.18 \%$ と経営は健全である。保険事業は,2014年から財務省保険監督局の試験プロジェクトとして稼働し, 商品は主にローン残高の $0.4 \%$ の保険料で提供する死亡時の債務相殺保障の「Loan Protection」と少額生命保険の「Protection of Basic Life」の2つである。後者は保険料 3,000 ドン(定額)で, (1)医療保障:治療費 1 日 30,000 ドン(外来,入院,年間で7日間まで支給),(2)高度障害, (3)死亡保障: 本人 100 万ドン (配偶者 50 万ドン, 子供・両親 30 万ドン),である。 ## 6. セーフティネットの普及に向けた3つの 半場チャネル候補 国際協力機構(JICA) (2016)によれば, バングラデシュの中堅マイクロファイナンス企業 UDDIPANが監督官庁の許可を得て行った保険の試験販売(農村部3地域, 準市部2か所)は, 少額の養老保険(保険期間6力月,予定利率 6\%) の販壳件数が会員 8,022 名に対し 5,826 件 (加入率 72.6\%)の販売と大きな成功を収めたとしている。加入者は, 定期預金の金利が $8 \sim 12 \%$ の中で, 死亡保障の意味を理解した上で加入したとされており, 強い保険ニーズの存在とマイクロファイナンス組織の地域密着度の高さが証明されている。 マイクロインシュアランスを貧しい農村地域に届ける確実な方法は, おそらく, 多くのアジア諸国で既に浸透しているグラミン銀行などの民間のマイクロファイナンス組織をパートナーとし, 既に出来上がった組織ネットワークを販売チャネルとし保険を提供することである。たとえば,グラミン銀行の母国であるバングラデシュでは, 2014 年の同組織総数は 511 , 総顧客数が 3,587 万人, 融資残高 4,321 億 $\mathrm{BDT}$ (約 5,000 億円)と全人口の $22 \%$ をカバーし,規制や監督体制が整えば,このルートを活用した保険の提供が最適である。 しかしながら, べトナムでは民間最大手のマイクロファイナンス企業であるTMYでさえ2014年末の資産残高は,9,436億 $\mathrm{VND}$ (日本円で約 45 億円),融資残高は 2,542 億 $\mathrm{VND}$ (同 12 億円)と小さく, 同じく, 大手のM7-MFIが融資残高5.5 億円,同じくThanh Hoa MFIが7.0億円(共に2014年末) であることから,その拡がりは限られる。 そこで,他の3つの候補を検討する。第 1 に, ベトナムにおける準公的機関である農業銀行(以下,VBSP と呼ぶ)である。たた,秋葉(2015) らの現地でのアンケート調查から, (1)個人の事業適性より村における役職の軽重が優先される融資基準, (2)固定的かつ連続的に行われる融資形態, (3)融資後のモニタリングや監査が不十分, (4)グループを構成する農民に連带債務の感覚がない, など効率的な資金配分や多様な金融機関の参入を阻害していると指摘している。いわば,伝統的な大衆団体(フランスからの独立を目指す非武装闘争組織である統一戦線の流れを汲み, 祖国の発展という共通目標の下に様々な活動に国民を動員するための組織) によるやや偏った融資システムとなっており,マイクロインシュアランスの展開の すべて委ねる存在ではないと考えられる。 第 2 が,携帯電話を活用したモバイルインシュアランスである。携帯料金と一緒に保険料を徴収するスキームが魅力的で,スタートアップ商品の販売は比較的容易と考えられる。たた,本格的な保険商品を販売するには保険商品の説明や保険料の徴収などに制約がある。 第 3 に, ベトナム農村部の協同組合が考えられる。2つの組織が存在するが, 伝統的な官製協同組合 (大型生産組織) である「合作社」は, 硬直的な組織運営から 2001 年の 7,513社から 2011 年には6,302社に減少している。これに代わり自由度が高く,高生産性のビジネスモデルを有する小規模の協同組合である「協力社」が台頭している。協力組は 2000 年の同 15 万社が 2011 年には 37 万社に増加している。たた,協力社は農業ベンチャー とも言え規模が小さい。協力社はべトナム農村部の生産性の引き上げには貢献する一方, 合作社が従来提供してきた日本の農業協同組合が提供した農村のセーフティネット機能は有していない。 ## 7. ベトナム相互マイクロインシュアラン スの提案 このように, ベトナム既存組織は一長一短があり, どこかと全面提携をして, マイクロインシュアランスを提供できるという状況にはない。それぞれの組織をプラットファームの上で再整理し,新しいシステムとして構築する必要である。 また, その大規模展開には,(1)監督規制が未整備というハードルを越え,かつ, (2)Biener and Eling (2012)が指摘する保険事業リスクの9条件を満たす保険事業運営リスクを克服する新しい仕組みも求められる。その9条件とは, (1)リスク事象の独立性, (2)大きな保険母集団, (3)平均ロスへの収斂, (4)コストをカバーする保険料水準, (5)妥当な引き受け限度, (6)情報の非対称性への対応, (6)最大リスクに対する十分な資本, (8)社会の理解, (9)規制に合致,である。 そこで,1つの対応として,(1)日本の相互会社 (会社構成員 $=$ 契約者の利益の最大化を経営目標とし, 株主の利益の最大化を目的としない会社)形態の保険会社や農業協同組合が有する相互扶助の理念や農業技術, そして, 中小企業融資審査スキルを持ち迄み, (2)大衆団体, 農業銀行と連携して保険小集団を展開する「相互型マイクロインシュランス」を提案する。Table 4 に9つの事業運営リスクを回避する仕組みをまとめた。それは,日越の保険法制や監督規制との整合性をとるため, 2 つ段階で展開する。 第1段階は, インシュアテックの $\mathrm{P} 2 \mathrm{P}$ 保険の仕組みを大衆団体に持ち迄み, 同組織内の人的関係が強すぎる閉鎖的なシステムを合理的で透明性の高い保険の仕組みに洗い替えることを目指す。 $\mathrm{P} 2 \mathrm{P}$ 保険は, プラットフォーマー(システム全体を企画, 運営する主体) が相互扶助制度の枠組みを提供するもので, 組合員の有するリスクは保険者には移転せず,構成員相互間でリスク負担 (リスク引き受けの第1レイヤーとなる) を行う仕組みである。共済の原型である相互扶助だけを目的とした「講」のようなもので, 構成員は, 地縁, 職域, ソーシャルネットワークなど多様なネットワークでつながる「個人」である。相互扶助の仕組みであるから, 組合員が保険事故に遭遇しなければ, 保険料の徴収はなく, 組合員の誰かが保険事故にあえば,他のメンバーの事前拠出で損失を填補する。このため, 情報の非対称性が生まれにくく, 従来型の保険・共済で起こりがちな保険契約者と保険会社の利益相反や逆選択のリスクは大きく低下することになる。このいわば原始的な仕組みを現代的なインフラ(オンライン上のネットワークや保険料に代わる電子マネーなど) に持ち込み実現するのが P2P保険である。ちなみに, ベトナム政府は2020年までに現金使用率を 10\%以下にするという目標を掲げ, 電子決済優遇措置により2018年のモバイルネットの普及率は $48 \%$ に達し, 今後農村部にも拡大すると考えられている。 ベトナムの「相互型マイクロインシュランス」 は, (1) P2P保険の構成員を大衆組織あるいは農業銀行の小グループに属する農民とし, (2)事前拠出 (組合員のプール財源)を生産農作物の一部や労働力,もしくは,電子マネーとしたものである。 それを運用するプラットフォーマーは, 日本の農業協同組合や保険相互会社などである。具体的には, 既に存在する大衆団体の農村部組織(現在, (1)べトナム農民会, (2)べトナム労働総連合, (3)ベトナム婦人連合会, (4) べトナム退役軍人会, (5)ホーチミン共産青年団, (6)祖国戦線の6つがある)や農業銀行の融資グループを保険小集団 (10〜20世帯, 以下, 小グループと呼ぶ)として組成し, 組合員相互でリスクを分担しあう。各小グループのリスクを大きく超えるリスクについて Table 4 Direction of "mutual type microinsurance" that satisfies 9 conditions & 保険事業の9条件 & 具体的な仕組み \\ (出所)筆者作成。 はこれらを束ね,別途超過リスク保険の大きな保険母集団を形成する。このリスクを引き受けるいわば第2レイヤーは, ベトナムで既に事業認可を受けている保険会社や再保険会社となる。これにより Table 4のとおり前述のBiener and Eling (2012)の9条件の内,(1)~(4)条件をクリアーする。また,プラットフォーマーは,自身が有する財務健全性や日本の保険数理ノウハウなどを移入しリスクを適正に反映した保険料や保険金額の上限の設定,超過リスク保険の設計などを行うことにより,同(5)(7)も満たす。同(8についてはべトナム政府に推進意欲が既に強いことから問題はなく,(9)については,後述するように2段階方式により監督規制との整合性をとる。これに,日本の農業技術,中小企業の審査スキルを組み合わせ提供することで,生産性の高い協力社への融資機能をVBSP と協力する形で併設する。融資自体は Figure 4 Role of platformer VBSP の専管事項となるが,保険会社は融資に伴う信用保証保険を提供する。 プラットフォーマーの役割をより具体的に Figure 4 に示した。まず,大衆団体に属する農民を地区ごとにグループ $(\mathrm{A}, \mathrm{B} \cdots)$ に分け,小グルー プを構成する。農民は助け合い用に収穫物や労働力, 電子マネーを事前拠出, 1 年間無事故の場合はすべて返却(もしくは次年度保険料に充当) し,事故が発生すればメンバー全員の投票制により査定した額を当該農民に支給する。この仕組みが円滑に進むように,プラットフォーマーは, (1)相互扶助の啓蒙, (2)農民の入会基準やグループ保険規約の作成:(i) 事前拠出用の生産物量もしくは, 提供労働日数, もしくは電子マネーの決済額, (ii) グループでプールする保障上限, (iii) 保険事故発生時の査定基準 : 組合員の投票基準, 保険金支払いルール, (iv) 超過リスク保険の支払要件, など, (3)超過リスクを引き受ける再保険会社, 保険会社(第2レイヤー)の選定, (4)VBSP との連携(融資情報の連携,信用保証保険の提案), などを行う。 なお,小グループにおける助け合い行為(相互扶助)自体は保険ではなく,それを超える超過リスク保障部分が一般的な団体保険となる。したがって,理論的には日越両国の監督規制と整合性が取れる。吉澤(2018)は, 保険法 2 条 1 項において, 「保険は, 当事者の一方が一定の事由が生じたことを条件として財産上の給付を行うことを約し, 相手側がこれに対して当該一定事由の発生の可能性に応じた保険料を支払うことを約する契約」としている。しかし, P2P保険は, (1)給付を行う相手方が存在せず,かつ(2)保険料ではない現物農作物や仮想通貨を拠出している。すなわち,保険者がいない「相互扶助制度」であり,金銭の徴収もないことから保険ではないとしている。 この第1ステップが軌道に乗り,かつべトナムで保険事業が可能となる 10 年経過した段階で第 2 ステップに移行する。べトナムにおける保険業の外資規制は, ベトナム政令 73/2016/NĐ-CPに基づき,外国組織の保険会社は以下の条件を充たす必要がある。(1)外国の監督機関がべトナムで予定する分野の事業活動を許可している,もしくは,外国保険企業からべトナムで保険企業設立に出資することを委任され,同企業の海外投資機能を持つ子会社であること, (2)ベトナムで参入予定の分野に最低の 10 年間の活動経験があること, (3)ライセンス申請前の直近事業年度の総資産が最低でも 20 億米ドル以上あること, (4)ライセンス申請前の直近 3 年間に本国や他の法律規定に重大な法令違反がないこと, である。 日本の協同組合や保険相互会社は,10年目までの同制度のプラットフォーマーの役割に加え,保険事業者となる。保険対象は, 超過保険部分や農民の自由契約保険部分, そして, 農業銀行融資に伴う信用保証保険などである。 日本の協同組合の場合, 海外居住の農民を組合員とする規定がないことから,「員外利用(日本の農業協同組合法および中小企業等協同組合法では, 組合員(正規組合員+準組合員)の利用分量の2割を超えない範囲で認めている)」とする。員外利用分の保険事業については区分経理を行う。 第2ステップの実現可能性については,(1)べトナム政府が既に官民の共同試験取り組みを推進し貧困農民の救済を急いでいること, (2)国際協同組合同盟の「貧困削減における協同組合の使命」に合致すること,(3)国連のSDGsに貢献すること, など国際世論も重要となる。 実現性を更に高める方策として,第1ステップの取り組み段階から,イギリスFCA(Financial Conduct Authority)のレギュラトリー・サンドボックスや日本経済再生本部の「規制のサンドボックス制度」を用いて,その実績を基に第2ステップをその延長として進めることなども考えられる。 ## 8. 結語 ベトナムにおける協同組合活動の歴史は, 1961 年にVietnam Cooperative Allianceの創設にさかのぼるが, 貧困世帯の多い山間部の農村の多くは活動範囲からはずれ,また,官製協同組合である合作社は農業生産性を高められず, 硬直的な組織運営も相俟って農民の支持を失っている。それは,合作社が従来担ってきた農村部のセーフティネッ卜機能の大きな低下を意味し,それに代わる新たなセーフティネットの提供が喫緊の課題である。 一方, 日本における協同組合保険事業は, 相互扶助で, 組合員の顔が見える特定組織内だけで,国内だけでと考えられてきたが,同事業と実質的に同じ機能を果たすアジアのマイクロインシュアランスやモバイルインシュアランスの事業者は貧困があれば国を超え,「国境」を感じさせない。更に, ベトナムにおいても, IOT, 電子決済など広範な情報通信の技術革新により,インシュアテックを活用しやすくなり,規制と整合性をとりつつ自由度の高い事業展開が可能になりつつある。 今回提案した相互型マイクロインシュランスは, ベトナム大衆組織や農業銀行についての更に深い実態調査の必要性や現行保険規制との調整について詰めるべき課題を残している。これらは今後の研究課題としたい。 世界の協同組合保険の先駆者であり十分な資力と能力を有する日本の協同組合や保険相互会社はこれを踏み台に国際的な貧困撲滅に寄与するマイクロインシュランスを検討の组上に挙げて欲しい。それは, 前出の賀川豊彦が唱える相互扶助の精神の実践であり,協同組合や保険相互会社における真の国際化であると考えている。 ## 参考文献 秋葉まり子(2015)ベトナム農村の組織と経済, 弘前大学出版会, 1-171. Biener, C., and Eling, M. (2012) Insurability in microinsurance markets: An analysis of problems and potential solutions, The Geneva Papers, 37, 77107. GSMA (2016) 2015 Mobile Insurance, Savings \& Credit Report, Part1, Part2, 1-15, 50-56. Guarnaschelli, S., Cassar, G., and Dalal, A. (2012) Selling more, selling better: A microinsurance salesforce develoment study, Microinsurance Paper, No. 16, 1-34. 賀川豊彦(1941)協同組合保険論, 叢文閣, 1-256.国際協力機構 (JICA), 富国生命保険相互会社, プラネットファイナンスジャパン(2016)バングラデシュ国マイクロ保険事業の展開に係る事業準備調査(BOPビジネス連携促進)報告書, $1-109$. Kubo, H., and Nga, N. (2015) Improvement of life insurance policyholders' protection corporation with emphasis on consistency with Vietnamese market, Journal of Economics and Development, 17(2), 5-27. Munich Re Foundation, Microinsurance Network, (2016) Insights on Mobile Network Operators as a distribution channel for microinsurance in Asia. Nghiem, S. H., and Duong, A. H. 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Society For Risk Analysis Japan
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# 【原著論文】 # 住民の避難行動意図にリスク認知および 自己関連づけ情報が及ぼす影響* The Effect of Risk Perception and Self-Reference Information to Residents' Evacuation Intention ## 元吉 忠寛** Tadahiro MOTOYOSHI \begin{abstract} The present study examined the effects of high risk perception and information presentation consistent with self-schema on the intention to evacuate in weather-related disasters. In Experiment 1, mothers of young children were assigned to one of the following conditions: risk (high, low) $\times$ message (control, evacuate with the child, protect the child's life). The results showed they had enhanced evacuation intentions under the high-risk conditions. We also found that information consistent with their self-schema (evacuate with the child condition) strengthened evacuation intentions. In Experiment 2, females and males living with a person in need of assistance during a disaster were assigned to one of the following conditions: risk (high, low) $\times$ message (control, evacuate with those in need, protect the lives of those in need). People living with a person in need of assistance during a disaster had enhanced evacuation intentions under high-risk conditions. Males showed that information consistent with their own schema (evacuate with those in need condition) strengthened their evacuation intentions. On the other hand, females did not change their evacuation intentions by changing the way the information was presented. \end{abstract} Key Words: risk perception, self-schema, self-reference effect, evacuation intention ## 1.はじめに 災害発生時における人々の行動を検討した研究では,住民が適切な避難行動を取らないことが繰り返し指摘されている(田中,2005)。片田ら (2002)は,東海豪雨災害時の住民の避難行動の意思決定を分析し,避難情報の取得は避難行動の促進に大きな効果を持つが,避難情報を取得しない住民が一定数存在することや,避難情報を取得しても避難しない住民が多くいることを明らかにしている。また,及川ら(2005)は,避難行動を導くためには住民に避難情報を伝えて危機意識を形成 させることが重要であると指摘している。多くの研究では,避難行動を促進するには,避難情報を住民に適切に伝え,住民に危機意識を形成させることが重要であるとしている。しかし近年の姼害研究では,広範なレビューによってリスク認知が人々の適切な防災行動に与える影響はそれほど大きくないことが明らかになってきた(Solberg et al., 2010)。また,災害に対するリスク認知が高い場合でも,実際の対処行動が必ずしも生じるとは限らないというリスク認知のパラドックス (Risk perception paradox) も指摘されている(Wachinger et  al., 2010)。2012年7月の北部九州豪雨災害の被災地域である熊本県阿蘇市や南阿蘇村で実施されたアンケート調査においても,リスクを高く認知している住民が,避難行動意図を形成したり,実際に避難するとは限らないことが確認されている (柿本ら, 2016)。 一般的に避難行動を導くためには, リスク情報を適切に人々に伝えなければならないと考えられており,2013年から注意報や警報よりも上のレベルで災害への警戒を呼びかける情報である「特別警報」の運用が始まった。特別警報が発表された場合には,ただちに地元市町村の避難情報にしたがうなど,適切な行動を取ることが求められているが,はたして住民は警戒レベルの違いを適切に認識しているのだ万うか。牛山(2014)は, 特別警報の名称を認知している者は多いが,意味を適切に理解している者は 4 割程度にとどまり, 実際の定義より弱い意味に受け止めている者が存在することを指摘している。また,リスク認知のパラドックスからすると, 特別警報の発表によって住民のリスク認知を高めても, 避難行動の促進には限界がある可能性も考えられる。 そこで本研究の目的の一つとして,まず警報レベルと特別警報レベルのリスクの違いによって,人々の避難行動意図に違いがあるかどうかを実験的に検討する。 また近年,適切な防災行動を促進するためにはリスク認知以外の要因に着目することが必要であると指摘されている(Solberg et al., 2010)。そこで本研究では, リスク情報に加えて, 自己スキーマ (Markus, 1977)に着目した情報提示の効果についても検討する。自己スキーマとは,自己についての認知的包括物であり,個人の社会的経験の中で自己に関係した情報を体制化したり,解釈したりする働きを持つものである。自己スキーマに一致した情報は, 判断が速く, 記憶成績もよいことが明らかにされている。そこで本研究のもう一つの目的として, 自己スキーマに一致した避難情報, すなわち,その情報が自分に向けられているということを明示的に提示すること,すなわち自己関連づけによって, 人々の避難行動意図が高まることをシナリオ実験によって検証する。防災においては,わがこと意識が大切であると指摘されており (木村,2015), 避難情報が自分に対して出されているということを意識することができれば,避難行動は促進されると予測することができる。具体的には, 子ども, 高齢者や障がい者などの避難行動要支援者と同居している家族に対して,単なる「避難指示」という情報に加え「避難行動要支援者(子ども,高龄者,障がい者)と同居している方は」という情報を提示することにより,自己スキーマが活性化し,わがこと意識が刺激され,避難行動意図が高まるかどうかを検討する。 また近年, 大雨特別警報の発令時には, 避難行動を促進するために, テレビなどで「命を守る行動をとってください」というメッセージが伝えられるようになった。これは,「命を守る」というインパクトの強いメッセージが効果的であると考えられているため使用されていると考えられる。 しかし「命を守る行動をとってください」というメッセージが避難行動に与える効果について, これまでに実験的に検討が行われているわけではない。そこで本研究では, このメッセージの効果についても合わせて検討することにした。自己スキーマが活性化される条件に,さらに「命を守る」という情報が付加されたときに, もっとも避難行動意図が高まるかどうかを検討する。 ## 2. 実験 1 ## 2.1 目的 まず,「大雨特別警報 (高リスク条件)」と「大雨警報(低リスク条件)」という異なるレベルのリスク情報を提示した場合に, 住民の避難行動意図に違いがあるかどうかを検討する。また,自己スキーマに一致する情報提示については, 二つの条件を設定した。一つは, 小学生以下の子どもを持つ母親に対して, 単なる「避難指示」という情報だけではなく,「お子様のいらっしゃる方は,速やかに避難を開始してください(子どもと避難)」という自己スキーマに一致する自己関連づけ情報を付加する条件である。もう一つは,自己スキーマに一致した自己関連づけ情報に加えて,特別警報が発令された際にテレビなどで使用されている「命を守る」という表現を提示する条件である。「速やかに避難することでお子様の命を守ることができます (子どもの命)」というメッセージを提示した場合に, 避難行動意図をより高める効果的なメッセージとなっているかどうかを確認する。統制群と比較して, 自己スキーマに一致した情報, さらに「命を守る」というメッセー ジを付加した情報の避難行動意図への効果について検討する。 ## 2.2 方法 インターネット調査会社にモニター登録している未就学児または小学生の子どものいる女性に実験への参加を求めた。本実験対象者のスクリーニング条件としては,(1)自宅が台風や集中豪雨により浸水することがあると思う,(2) 自宅が浸水する可能性がある際に安全な避難場所を決めているという二つの質問に対して「はい」と回答した者とした。スクリーニング条件を満たした回答者に対して,後日あらためて電子メールを送信して本実験への参加を求めた。な押,インターネット調查では,文章をきちんと読んでいない場合があるため(三浦,小林,2015),提示された情報をきちんと読んでいたことを確認する問題を,実験の最後に実施し, その問題に正解した者のみを分析の対象とした。最終的に 418 名 (20歳から45歳, $M=36.2, S D=4.75 )$ のデータが得られた。 実験参加者は, リスク情報 $2($ 高・低 $) \times$ 避難情報 3 (統制・子どもと避難・子どもの命) のいずれかの条件に割り当てられた。実験では,まずリスク情報を文章で提示した。高リスク条件では 「ある日の夕方,自宅でテレビを見ていると,あなたの打住まいの地域に「大雨特別警報」が出ていることを知りました。テレビでは,「これまでに経験したことのないような大雨となっています。重大な危険が差し迫った異常状態です。河川の増水や氾監による重大な災害がすでに発生していてもおかしくない状況です。地元市町村の避難情報にしたがって,適切な行動を取ってください。と言っています。スマートフォンを見ると, あなたの扮住まいの地区(○○市 $\triangle \triangle$ 地区)には 「防災情報」が出されていました。というシナリオを,低リスク条件では「ある日の夕方,自宅でテレビを見ていると,あなたの推まいの地域に 「大雨警報」が出ていることを知りました。テレビでは,「河川の増水や氾濫による重大な災害が起こるおそれがある状況です。地元市町村の避難情報にしたがって,適切な行動を取ってください」と言っています。スマートフォンを見ると, あなたのお拄まいの地区(○○市 $\triangle \triangle$ 地区)には 「防災情報」が出されていました。というシナリオを提示した。いずれのシナリオも,実際にテレビなどで使用されている表現を参考にして作成した。 次に,スマートフォンの画面のイラストによって避難情報を提示した。統制条件では「避難指示」というメッセージのみを提示した。自己ス キーマに一致する自己関連づけ情報としては,「避難指示」に加えて「扔子様のいらっしゃる方は速やかに避難を開始してください。というメッセージ(子どもと避難条件)を提示した。また「速やかに避難することでお子様の命を守ることができます。」というメッセージ(子どもの命条件)を提示した。メッセージの提示後,このような状況における避難行動意図について,「1.絶対に避難しないと思う」から「7.絶対に避難すると思う」までの7件法で回答を求めた。さらに,実験操作であるリスク認知のチェック項目 3 項目 (河川の汇濫の可能性,自宅の浸水可能性,自宅の危険性)およびそのような状況に対する認知 4 項目(不安を感じるか,安全な場所に行くことの必要性を感じるか,被害が出なかったとしても避難することが大切だと思うか, 避難することが面倒だと思うか)についても「1. 全くそう思わない」から「7. 非常にそう思う」までの7件法で回答を求めた。最後に, 文章を読んでいることを確認するための問題(お住まいの地域に出ていた災害情報の種類は何だったか) を行った。 ## 2.3 結果と考察 まず,実験操作の確認として,それぞれの状況におけるリスク認知をたずねた3項目(河川の氾濫可能性,自宅の浸水可能性,自宅の危険性)の合計得点を算出し $(\alpha=.82)$, リスク情報の高低で比較を行った。その結果,高リスク条件である大雨特別警報 $(M=15.1, S D=3.56)$ は,低リスク条件てある大雨警報 $(M=13.7, S D=3.34)$ よりも,リスク認知が高かった( $t(416)=4.06, p<.001, r=.20 )$ 。次に,避難行動意図を従属変数として,リスク情報 $2($ 高・低 $) \times$ 避難情報 3 (統制・子どもと避難・子どもの命) の二要因分散分析を行った (Figure 1)。 その結果,リスク情報の主効果 $(F(1,412)=11.72$, $p<.001, \quad \eta^{2}=.03$ ) 打よび避難情報の主効果( $F$ $(2,412)=3.95, p<.05, \eta^{2}=.02 )$ が有意であり交互作用は確認されなかった $(F \quad(2,412)=0.10, \mathrm{~ns})$ 。 Tukey法による多重比較の結果,統制条件よりも,子どもと避難条件の避難行動意図が高いことが確認された。すなわち,「大雨特別警報」というリスクが高い状況に打いて避難行動意図が高まること,さらに自己スキーマに一致した自己関連づけ情報を付加した条件において避難行動意図が高まることが示された。 「大雨特別警報」というリスクが高い情報は, Figure 1 Means of evacuation intention 単なる「大雨警報」に比べて人々の避難行動意図を高めることが明らかになった。これは,「危険」 という表現よりも「きわめて危険」という表現の方が,避難しようとする人の割合が増えるという先行研究の結果と一致した (田中, 加藤, 2011)。 また,子どもを持つ母親に「お子様のいらつしゃる方は,速やかに避難を開始してください」 という自己スキーマと一致するメッセージを付加することによって,避難行動意図を高めることができることが明らかになった。このことから情報の受け手となる個人の状況に合わせた自己スキー マに一致した自己関連づけ情報の提示が有効である可能性が示唆された。 一方,自己スキーマに一致した情報に「命を守る」という情報を付加した「速やかに避難することでお子様の命を守ることができます。」という情報提示の方法は「お子様のいらっしゃる方は,速やかに避難を開始してください。」という条件よりも効果的ではない可能性が示された。特別警報の発令時にテレビなどで実際に使用されている 「命を守る」というメッセージが,もしも有効でないとしたらこのようなメッセージの発信については注意する必要があると考えられる。 しかし,母親だけを対象とした今回の一回の実験結果のみで,そのような結論を出すことは危険である。このため, 実験1のような結果が再現されるかどうかを確認するために,さらなる検証を行う必要がある。 ## 3. 実験 2 ## 3.1 目的 実験1では子どもを持つ母親を対象としてシナリオ実験による検討を行い,自己スキーマに一致した自己関連づけ情報の提供が避難行動を促進することが示された。しかし, 自己スキーマに一致 した情報に「命を守る」という実際に使用されてるメッセージを付加した「速やかに避難することでお子様の命を守ることができます。」という情報が「抺子様のいらっしゃる方は, 速やかに避難を開始してください。」という情報と比較すると,相対的には避難行動意図を形成しにくい可能性が示唆された。そこで実験2では, 避難行動要支援者の対象を, 高齢者や障がい者などの避難行動要支援者と同居している者へ広げ,また女性だけではなく男性にも対象を広げて実験の追試を行い,避難行動意図が高まるのかについて改めて検討する。な扔、これまでの多くの研究においてリスク認知には性差があることが指摘されているため (Slovic, 1999), 男女別に検討を行う。 ## 3.2 方法 実験 1 と同様にネット調査会社にモニター登録している成人に実験への参加を求めた。本実験対象者のスクリーニング条件としては,(1)自宅が台風や集中豪雨により浸水することがあると思う,(2) 自宅が浸水する可能性がある際に安全な避難場所を決めているという二つの質問に対して 「はい」と回答し,さらに,災害が発生したときに,一人で避難することが困難であり,支援が必要な高齢者や障がい者などと同居していると回答した者を対象とした。スクリーニング条件を満たした回答者に対して, 後日あらためて電子メールを送信して本実験への参加を求めた。なお, 提示された情報をきちんと読んでいたことを確認する問題を実験の最後に実施し, その問題に正解した者のみを分析の対象とした。最終的に男女各 240 名,合計480名 (20歳から69歳, $M=47.1, S D=11.32)$ のデータが得られた。 実験参加者は,男女ともに,リスク情報2(高・低) $\times$ 避難情報 3 (統制・要支援者と避難・要支援者の命) の6条件のいずれかの条件に40名ずつ割り当てた。実験 1 と同様の手続きで情報を提示し, このような状況における避難行動意図について,「1. 絶対に避難しないと思う」から「7. 絶対に避難すると思う」までの 7 件法で回答を求めた。 さらに, 実験 1 と同様に, 実験操作であるリスク認知のチェック項目 3 項目 (河川の氾濫の可能性,自宅の浸水可能性,自宅の危険性)およびそのような状況に対する認知4 項目(不安を感じるか,安全な場所に行くことの必要性を感じるか, 被害が出なかったとしても避難することが大切だと思 うか,避難することが面倒だと思うか)についても「1. 全くそう思わない」から「7. 非常にそう思う」までの7件法で回答を求めた。最後に,文章を読んでいることを確認するための問題(お住まいの地域に出ていた災害情報の種類は何だったか)を行った。 ## 3.3 結果と考察 まず,実験操作の確認として,それぞれの状況におけるリスク認知をたずねた3項目(河川の氾濫可能性,自宅の浸水可能性,自宅の危険性)の合計得点を算出し $(\alpha=.82)$, リスク情報の高低で比較を行った。その結果,高リスク条件である大雨特別警報 $(M=15.2, S D=3.96)$ は,低リスク条件である大雨警報 $(M=13.4, S D=3.74)$ よりも,リスク認知が高かった $(t(478)=5.30, p<.001, r=.24)$ 。 また,リスク認知の性差を確認したところ,男性 $(M=13.7, S D=4.20)$ よりも, 女性 $(M=14.9, S D=$ $3.60)$ の方がリスク認知が高かった $(t(478)=3.51$, $p<.001, r=.16)$ 。このため, 同じシナリオを提示しても,男性と女性とではその状況認識が異なっていたことから,男女を分けて分析することにした。 避難行動意図を従属変数として男女別に,リスク情報 $2($ 高・低 $) \times$ 避難情報 3 (統制・要支援者と避難・要支援者の命)の二要因分散分析を行った。その結果, 男性では, リスク情報の主効果 $\left(F(1,234)=51.34, p<.001, \eta^{2}=.10\right)$ およびメッセー ジの主効果 $\left(F(2,234)=4.40, p<.05 \quad \eta^{2}=.04\right)$ が有意であった(Figure 2)。Tukey法による多重比較の結果, 統制条件より要支援者と避難条件の方が,避難行動意図が高かった。女性では, リスク情報の主効果 $\left(F(1,234)=14.58, p<.001, \eta^{2}=.06 )\right.$ のみ有意であった(Figure 3)。つまり,リスク情報の主効果は, 実験 1 や先行研究の結果と一致し, 性別にかかわらず,「大雨警報」よりも「大雨特別警報」の方が,避難行動意図が高まることが確認された。 一方,男性は「高齢者や障がい者と一緒にお住まいの方は,速やかに避難を開始してください。」 というメッセージで避難行動意図が最も高まるが,女性ではどの条件でも避難行動意図は変わらなかった。男性の結果は実験1の結果と一致するものであったが,女性については実験1 とは異なるものであった。そこで,男女で提示した状況の認知に違いがあるかどうかを確認したところ,男 Figure 2 Means of evacuation intention(Male) Figure 3 Means of evacuation intention (Female) 性よりも女性の方が,不安 $(t(478)=4.80, p<.01$ $r=.21)$, 避難の) 必要性 $(t(478)=3.10, p<.01, r=.14)$,避難の重要性 $(t(478)=2.45, p<.05, r=.11 )$ などの認知は高いが,コスト認知である避難することが面倒であるという認知 $(t(478)=1.81, p=.07, r=.08)$ についても,女性の方が高い傾向があった。また,避難行動意図と避難することが面倒であるというコスト認知の項目には負の相関 $(r=-.24, p<.001)$ があり, コスト認知は, 避難行動意図を妨げていた。すなわち, 女性は自宅にとどまることが不安で避難の必要性を認識しているにもかかわらず,要支援者と避難することに困難さを感じているため避難行動意図が高まらないということが示唆された。 ## 4. 総合的考察 本研究では, 気象災害を題材としてリスク情報のレベルの違いや自己スキーマに一致した自己関連づけ情報を与えることで避難行動意図が高まるかどうかをシナリオ実験によって検討した。実験 1では子どもを持つ母親を対象とした実験を行い,「大雨特別警報」という「大雨警報」よりも高いリスク状況下において避難行動意図が高まることが確認された。また,子どもを持つ母親に対 して,子どもに関する情報を避難情報に付加するという自己スキーマに一致した自己関連づけ情報の提示が避難行動意図を高めることも示された。 実験 2 では子どもだけではなく, 避難行動要支援者の対象を,高齢者や障がい者などと同居している者に広げシナリオ実験を行った。その結果,実験 1 と同様に「大雨特別警報」という「大雨警報」よりも高いリスク状況下において,避難行動意図が高まることが確認された。また,男性においては「高齢者や障がい者と速やかに避難を開始してください。」という条件で避難行動意図が高まることが示されたが,女性においては同条件においては, 避難行動意図が高くはならなかった。 リスク認知のパラドックスでは,災害に対するリスク認知が高い場合でも,実際の対処行動が生じるとは限らないと指摘されている。しかし, 本研究の結果からは,大雨警報よりもリスクの高い大雨特別警報において,避難行動意図が高まることが示された。Solberg et al. (2010)は, 地震の防災対策についてのレビューにより, リスク認知の影響は小さいと指摘しているが, 気象災害の緊急時の避難については、リスク認知を高めることによって避難行動の促進につながる可能性が確認できた。 気象庁は, 2019 年に防災気象情報と警戒レベルの対応についての発表を行った。警戒レベルを 5 段階に分け,大雨特別警報を警戒レベル 5 相当に位置づけている。このようなリスク情報を段階に分けることで,災害リスクが高い時には,住民の避難行動意図を高める効果が見达めるといえる。 また,子どもを持つ母親に対して子どもに関する情報を付与することで自己スキーマが活性化し, 避難行動を促進させる可能性が確認された。 さらに, 男性においては, 避難行動要支援者に関する情報を付与することで自己スキーマが活性化し, 避難行動を促進させる可能性が再確認された。しかし, 実験2では女性においては, 自己スキーマに一致した情報を付与しても避難行動意図は高くならなかった。これは,女性にとって高齢者や障がい者などの避難行動要支援者と一緒に避難するということは現実としては負担が大きく,困難であるという避難行動のコスト認知が大きいことによる影響であることが示唆された。ただし, 本研究では、コスト認知を「避難することが面倒たと思うか」という単一項目で測定している こと,また男女において $10 \%$ 水準の差であったことには注意が必要である。しかし, 実際の災害時の避難行動を促進するためには, 要支援者と避難する場合の困難さを低減させることや, 避難先の快適さを高めるなどの工夫が必要であ万う。本研究では,「命を守る」という情報を付与することで避難行動意図が高まるかどうかについても検討したが, 実験 1 でも実験 2 でも,「避難を開始してください」という条件よりも避難行動意図は低いという結果になった。これは, 「避難を開始してください」という具体的な行動を指示する表現の方が,「命を守ることができます」という抽象的な表現で訴えるよりも効果があることによるという可能性が示唆された。ただし,このような結果が,メッセージの具体一抽象の要因によるものであるか,命を守るという表現によるものであるかどうかは本研究の結果だけでは結論づけることはできない。そのためさらなる検証が必要である。 気象庁は,防災気象情報をもとにとるべき行動として, 警戒レベル5では, 命を守るための最善の行動をとることを求めている。しかし, 本研究の結果からは,このような情報を提示しても,住民に適切な行動を取ってもらうことは困難である可能性が否定できなかった。なぜなら,どのような行動を取ることが命を守ることにつながるのかは人により異なるからである。本研究の結果では,「命を守る」という抽象的な表現で避難情報を伝えることで,適切な行動を導くことは困難であることを示唆している。つまり緊急時において, 抽象的な表現で行動を導こうとするのではなく, それ以前に, 住民一人ひとりが自分にとって命を守る行動とはどのような行動なのかをきちんと考え具体化してもらうこと, さらに緊急事態には,その具体的な行動を実行に移してもらうという取り組みが必要であると考えられる。 最後に, 本研究の限界について述べておく。本研究では, 自己スキーマに一致した自己関連づけ情報として, 避難行動要支援者と同居している者を対象とした実験を行った。しかし, 自己スキー マに一致した条件において, 統制条件に比べて,提示したメッセージが自分自身に対して出されているものだときちんと認識していたかという操作チェックは実験の不備により行えなかった。また, 自己スキーマに一致するメッセージに緊急時に情報を出す場合, 自己スキーマに一致する条件 として,本研究で用いたような対象者を限定するという以外の適切な条件を設定することは難しい。さらに,自己スキーマに一致しない人にとっては逆に避難の遅れを発生させてしまう可能性もある。このため,わがこと意識を高め,自己スキーマを活性化させるためには,どのような人を対象に,どのようなメッセージを伝えることが効果的かについてはより丁寧に検証していく必要がある。そして本研究で得られた知見を社会実装するためにはさらなる検討や工夫が必要である。 また本研究で扱っているのは,避難行動意図であり,単一項目で測定していること,また実際の行動でないことにも注意が必要である。今回のようなシナリオ実験では実際の行動を測定することはできないため,避難行動意図をたずねて条件間の比較を行い,その効果について検証した。その結果,「大雨特別警報」が発令されたリスクの高い状況下や,自己スキーマに一致した自己関連づけ情報が提示された場合には,避難行動意図が高まることは確認できたが,この実験結果がそのまま実際の避難行動につながるかどうかは,また別の問題である。避難行動が実際にとられるかどうかは,災害時のさまざまな状況にも大きく依存する(片田ら,2002)。したがって,今回のようなシナリオ実験だけではなく,災害時の人々の行動についてもより詳細な検証をしていくことが求められる。 ## 謝辞 本研究は JSPS 科研費 26380861 および20H3321 の助成を受けている。貴重なご意見をいただいた査読者に感謝いたします。 ## 参考文献 Kakimoto, R., Ueno, Y., and Yoshida, M. 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risk
cc-by-4.0
Society For Risk Analysis Japan
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# リスク学研究 31(1): 11-30 (2021) 【原著論文】 # 水道の水質異常時の給水停止や飲用制限に対する 住民意識調査* Public Perception Survey on the Suspension of Water Supply and "Do Not Drink" Alerts in Case of Abnormal Tap Water Quality } 金見 拓**, 浅見 真理***, 秋葉 道宏***,大野 浩一**** Taku KANAMI, Mari ASAMI, Michihiro AKIBA and Koichi OHNO \begin{abstract} More than 100 water quality accidents caused by source water contaminants are reported annually in Japan. In the case of significant accidents, water suppliers have to decide whether to maintain water supply with a "Do Not Drink" alert or to suspend it. To acquire the basic data for decision-making, we conducted an internet questionnaire on public perception. The answers and properties of 1,104 respondents were collected considering area, age and gender distribution in Japan. And they were statistically analyzed with or without precedent conditions. The respondents were more likely to prefer water supply continuity when information was provided on its health effects compared to when there was only an announcement on the exceedance of the water quality standards. The confidence on ordinary tap water quality did not relate to the preference of water supply continuity. Meanwhile, elderly people and those who wanted to avoid toilet flush failure tended to choose water supply continuation. The preference of water supply suspension was more likely to be affected by the information provided than the respondents' properties. Therefore, water suppliers need to consider the information provision in both before and after issuing an alert. \end{abstract} Key Words: Drinking water, Risk perception, Tap water suspension ## 1.はじめに 水道水供給に影響を与える災害には,震災,水害などによるシステムの停止や施設の破壊の他に,化学物質などによって水源の水質が污染される事故が含まれる。 水道事業者及び水道用水供給事業者(以下,「水道事業者等」)は,供給する水道水が水質基準を超過するおそれがある場合,給水を停止するか,飲用等を控えるよう摂取制限を勧告した上で給水を続けるか, それぞれの環境に応じて, 総合的に判断しなければならない。 施設の破壊等により不可抗力的に給水ができな くなる災害と異なり,多くの場合,水質事故によ る水質異常の場合には, 給水継続か停止かの判断が水道事業者等に委ねられる。その判断を誤れば人災となりかねない。 これに関し,摂取制限をしつつ給水継続が行われた2011年の原発事故に伴う水道水の放射能污  染や翌2012年の利根川流域大規模水質污染による給水停止事故を受けて,2018年3月厚生労働省が考え方を通知した(厚生労働省,2018)。この通知により,それまで不明確であった,水道水の摂取を控えるよう広報しつつ, 給水を継続すること(摂取制限を伴う給水継続)が可能であることが明示された。なお,厚生労働省の通知文においては摂取制限の語を用いているが,本論文のアンケート等においては, 飲用制限が一般的な言葉として伝わりやすいと考え,以下,飲用制限に統一する。 近年, 自然災害に伴う水質異常の事例も生じている。2018年新潟県長岡市においては, 7 月の猛暑と少雨により河川流量減少による水質悪化が生じ, 水道水中のトリハロメタン濃度が水質基準の $80 \%$ を超え, 注意喚起を行った(長岡市水道局, 2018)。また,2018年 8 月愛媛県宇和島市において, 豪雨による土砂災害にあった浄水場の代替浄水場の水道水が, 消毒副生成物の水質基準を超過した。代替浄水場からの給水を開始した8月 3 日から9月11日まで, 飲用不可とした上で給水が行われた(松本,2019)。原因としては, 代替水源のため池の水が有機物を多く含み,豪雨後の高温少雨が続いたことが挙げられた。 このような水道水の水質異常は, 国内で年間百件以上報告されており,今後の発生も見达まれる (厚生労働省, 2020)。 このように水道事業者等が置かれた状況で対応を判断するために比較する社会的なリスクとして, 例えば給水を継続した場合は飲用した時の住民への健康影響,断水した場合はトイレ等の使用不可による衛生・健康状態の悪化,都市機能の維持 (病院, 事業場等), 消火活動への影響, 水道施設の維持復旧(断水による水質の悪化, 復旧の遅れ等) が挙げられる。 断水時にも給水車で賄えられる小規模な範囲であれば,給水停止の判断も容易である。一方,大規模な水道事業者等の場合, 広域の断水は生活用水だけでなく都市活動への影響も多大なものとなり,給水停止の判断には困難が伴う。 水道事業者等が給水停止等の判断に対し, ステークホルダーである給水区域の住民の意識・意向もまた影響を与える。海外でも,水質事故対応におけるリスクコミュニケーションが重要視されており (Hartmanna et al., 2018; EPA, 2013),混乱を避け住民の理解を得て的確な対応を実施するため に,事前に給水停止に対する住民の意向を把握することが重要である。厚生労働省厚生科学審議会生活環境水道部会において, 水道利用者代表として, 主婦連合会と全国地域婦人団体連絡協議会にヒアリングを行っている(厚生労働省生活環境審議会,2015)。水質基準超過時の給水について,「日本の水道水については, $100 \%$ に近い信頼性があるので, それと同じ水道管から水質基準を超過した水がでることについて,利用者としては抵抗があり,感覚的に受け入れづらい。」との回答がある一方「生活用水だけでも送りたいとする行政の考えも理解できる。」との回答がアンケートで得られており, 給水継続, 給水停止どちらの意見もあることが示されている。 そこで本研究では, 水質基準超過時に給水停止か断水かの住民の意識・意向を調査し, 既存調査との比較や他の属性との関係を解析し, 水道事業者等が啓発や広報戦略等を検討する基礎データを得ることを目的に調查研究を行った。 調査検討にあたって2012年の利根川水系における大規模な断水を伴った水質污染事故後に行った大野 (2013)の調查(以下「2012年調査」)を参考とした。 ## 2. 調査の方法 2019年 3 月 1 日 5 日 Web調査(株式会社日経リサーチ)によるアンケートを行い1,104名からの回答を得た。 人数は, 2012 年調查と同程度とし, 実施時期については,2012年調査が8月21日〜9月11日と夏季に実施したのに対し,季節を変えることで影響が出るか,約半年ずらした時期に実施した。 日経リサーチへの調査依頼は, 回答者が登録時に属性等が把握されており, 属性の信頼性や不誠実な回答が少ないと期待されること, 地域別等層別調査に柔軟に対応できるということと, 2012 年調査との比較を行うという観点から, 同じ調査会社である同社を選択した。 回答者数は,年齢構成(20 代 177 名, 30 代 213 名, 40 代 262 名, 50 代 205 名, 60 代 247 名), 性別(男性555名,女性549名)及び全国を6地域 (北海道・東北,関東,中部,関西,中国 ・四国,九州・沖縄)に分割した時の概ね人口比と同程度となるよう割り付けた。 アンケート項目については, 質問順に上記の性別, 年齢, 居住都道府県に続き, 浄水器の使用の 有無, 主な飲用水の種類, 調理用水の種類, 水道水飲用に対する抵抗感, 水の備蓄水量(3Lを一日分として何日分か), 備蓄水の種類, 普段の飲用水の種類,水道水が断水となった時に困るもの (トイレ, 飲用水等), 水質基準超過時に給水継続を望むか断水を望むか(後述の 3 問,以下,「『給水継続希望』等の問」), 飲用制限などの情報伝達手段, 同居人数, 同居の子供 (乳幼児, 未就学児, 小学生等), 年収, 職業, 健康への配慮の程度, 30 分以上運動する頻度の計 20 項目とした。 20 項目の質問文及び回答カテゴリーを,付録に揭載する。 給水継続等に対する意識については, 問の前揭文として,「水質事故などで一時的に水道水の水質が悪化して, 水道水の水質基準(健康に関連する基準項目)を満たさない場合,水道事業体は,社会的状況を考慮して, 水道水の給水を停止して断水とするか,飲用を控えるよう広報しつつ給水を継続(飲用制限)するか判断することとなります。」を付与したのち,「飲み水としての水道水の水質基準を満たさないため数日間断水するとしたら,以下についてどのようにお考えになりますか。」と問い,以下の3問について,「はい」,「いいえ」,「わからない」の回答を得た。 問1「水質基準を満たしていなければ不安なので断水してほしい」(以下,「問 $1 」$ )は, 基準超過の程度等の条件を示さず,単に基準超過の事実を提示している。概念的には,極度に污染され,摄取制限を知らずに誤って飲んでしまった場合,健康に影響がある可能性も含まれる問である。 問 2 「水質基準を満たさないとしても,数週間飲んでも健康影響がない程度であれば断水しないでほしい」は,断水期間の想定である数日であれば飲用による健康影響がないことを明示する条件である。 問 3 「飲み水と調理用水はペットボトルや給水車で確保するので, 洗濯やトイレに利用できる水質であれば断水しないでほしい」は,代替飲用水確保の明示をすることにより,さらに飲用によるリスクが低いことが明示された条件となっている。 以下の集計にあたっては,問 1 と問 2 ,問3の 「はい」、「いいえ」の意味する内容が異なってい を「給水継続希望」, 問 1 の「はい」と問 2 , 問 3 の「いいえ」を「断水希望」とする。 2012年調査と比較するため, 給水継続等の問の文面と同じとした。ただし,前揭文については,2012年調査では上記前掲文の下線部が「原則として断水となります。」と, 当時の厚生労働省通知に基づく記載となっており, 原則に沿うべきという回答へのバイアスの発生が考えられた。今回は, 新たな水質事故対応に関する厚生労働省 (2018)の通知に沿い,前提文を上記のとおりとした。 また,質問の提示の順として,2012年調查と同様, トイレや飲用水等水道水が断水となった時困るものは何かの質問の後に水質基準超過時の質問しており, 回答者に断水によって生じる事態を意識させている。 ## 3. 結果 ## 3.1 「給水継続希望」等の問の回答結果 問 1 から問 3 の回答結果をFigure 1 に示す。 問 1 よりも,問 2 ,問 3 と,提示する条件が増元飲用による健康リスクが低いことが明示されるに従い,「給水継続希望」の割合が大きくなり,「断水希望」と「わからない」の割合が小さくなった $\left(\mathrm{n}=1104\right.$, 問 $1 \mathrm{vs}$ 問 2 , 問 $2 \mathrm{vs}$ 問 3 の $\chi^{2}$ 検定 $p<0.0001$,以下,記載のない $p$ 値はすべて $\chi^{2}$ 検定 $p$ 値)。なお, 多重比較のクロス集計値の $\chi^{2}$ 検定において, ボンフェローニ法等の $p$ 値の調整は行っていない (以下同様)。上記では, $p$ 値が十分小さく, 調整の有無で解釈は変わらないと考える。 また, 問 1 , 問 2 , 問3のクロス集計結果をTable 1 に示す。「給水継続希望」と「わからない」を 3 問一貫して選択する回答者 (Table 1の灰色掛け欄) が多く(それぞれ全体の $31.4 \% , 12.3 \%$ )また,飲用リスクが低くなるに従い,「断水希望」や 「わからない」から「給水継続希望」に変更する Figure 1 Proportions of respondents on perception of water suspension Table 1 Cross tabulation between questions about the perception about water suspension Figure 2 Proportions of respondents on perception of water suspension by age group in Question 1 者(Table 1 の斜線掛け闌)も合計 $30.7 \%$ となった。一方で,飲用に伴う健康リスクが低くなるほど「断水希望」に変更する回答者(黒地白抜き文字欄)も一部存在した(合計 $4.1 \%$ )。 ## 3.2 他の設問とのクロス集計結果 「給水継続希望」等の問と他の設問についてクロス集計し,解析を行った。一部の設問のクロス集計において,中立的な回答である「わからない」の結果に系統立った傾向が見られた。 例として「給水継続希望」等の問と年代のクロス集計問 1 の結果のグラフを Figure 2 に示す。年代が上がるに従い,「給水継続希望」が増加し,「わからない」の回答が減少した。「わからない」 を含めた場合「「給水継続希望」の割合について, 20 代と 60 代の差は $14.6 \%$ となった。しかし,「わ功ない」を除いて,「給水継続希望」と「断水希望」を比較した場合,20代と 60 代の差は $8.5 \%$ と小さくなった。その他の属性においても「わからない」を含めた形で解析を行うと,「給水継続希望」と「断水希望」のどちらを希望するかについて過大または過小評価する可能性が考えられた。 そこで,各属性とのクロス集計については,「給水継続希望」と「断水希望」の比率の変化を見るために「わからない」を除いた割合の算出と $\chi^{2}$ 検定を行った。また,各属性と中立的な回答の 「わからない」との関係を把握するため,意見を明確にした数,すなわち「給水継続希望」と「断水希望」の合計数と「わからない」の回答数との割合の算出と $\chi^{2}$ 検定を行った。更に各属性等のカテゴリー数が3以上の場合, 残差分析を行い, どのカテゴリーで差が生じているかについても解析を行った。 結果の抜粋を Table 2 に示す。Table 2 には,クロス集計結果の $\mathrm{N}$ 数,上記算出方法による「給水継続希望」の割合と $\chi^{2}$ 検定の $p$ 値,「わからない」 の割合と $\chi^{2}$ 検定の $p$ 値を示した(以下,本文中の 「給水継続希望」と「わからない」の割合及び $\chi{ }^{2}$検定の $p$ 値も同様)。また, 残差分析を行った項目で,有意差が出たものについて, $5 \%$ の有意差を*, $1 \%$ 有意差を**, で示している。 ## 3.3 基本的属性 ## 3.3.1 性別,年齢 性別について,「給水継続希望」は問 1 において女性が有意に少なく, 問 2 , 問3では逆転する傾向が見られた。女性の方が「わからない」の割合が高いが,問 1 から問 3 にかけて差が小さくなる傾向にあった。 年齢について,10歳每に集計しクロス集計を行った。年代が上がるに従い,「給水継続希望」 が増加する傾向にあり,飲用リスクが少ない問2 において,60代において「給水継続希望」の割合が多かった (残差分析 $5 \%$ 有意)。問3においては,年代全体の有意な差が得られた $(p=0.0006)$ また,「わからない」については,年齢が上がるほど減少する傾向が顕著であり,問 1~3亿おいて有意な意な差が得られた $(p<0.0001 \sim p=$ 0.0015) ## 3.3.2 居住地域 全体的には居住地域による大きな違いは見いた リスク学研究 Japanese Journal of Risk Analysis Vol. 31, No. 1 金見ら:水道の水質異常時の給水停止や飲用制限に対する住民意識調查 金見ら:水道の水質異常時の給水停止や飲用制限に対する住民意識調查 リスク学研究 Japanese Journal of Risk Analysis Vol. 31, No. 1 せなかった。 問1において中国・四国地方が,問3において関西が,他地域と比べて「給水継続希望」が少ない傾向にあった。また,「わからない」については,地域による明確な違いは見られなかった。 ## 3.3.3 職業,年収 職業については, 問 3 において有意な差が得られ,「専業主婦・主夫」において,「給水継続希望」の割合が高いことが示された。 年収については,全体的には「給水継続希望」 に有意差が得られなかったが,問 1 において年収 1000 万円以上の回答者に「給水継続希望」を選択する傾向が見られた。年収の質問に対して「わからない」の選択に明確な有意差が見られ $(p<$ 0.0001)特に年収を「答えたくない・わからないと回答した者は,「わからない」を選ぶ傾向が強かった。 ## 3.4 家族構成 世帯人数に比例した違いは見られなかった。問 1 において,「わからない」の割合の有意差が得られた。問 3 の「給水継続希望」において, 単身者と 2 人世帯が真逆の傾向を示し,単身者は他よりも「給水継続希望」の割合が少なく, 2 人世帯は他よりも多い結果となった。 乳幼児との同居の有無について,全体での集計結果も,乳幼览との同居数が多い 30 代(乳幼児との同居者の $62 \%$ )を抜き出して比較した結果も, 同居者と非同居者で有意な違いは得られなかった。 ## 3.5 水道水質への信頼性 普段の水道水質への信頼と関連する「水道水を飲む事に抵抗があるかどうか」,「浄水器設置の有無」,「主な飲用水の種類」,「調理用水の種類」について, 問13とクロス集計を行った。全体として水道水質への信頼が高ければ,給水継続を望むという,明らかな傾向は見られなかった。 水道水を直接飲むことに抵抗感がある回答者が,抵抗感がない回答者よりも「わからない」を多く選択していた。 浄水器設置の有無については, 問 2 のみ浄水器設置有の「給水継続希望」が有意な差が見られた $(p=0.011)$ が,その他については差が見られなかった。 主な飲用水については,問 3 において,水道水 をそのまま飲む者が「給水継続希望」が他よりも少なく, 水道水で作った飲料水を飲む者が他よりも多い等,一貫した傾向が見られなかった。 調理用の水に関しては,普段から市販のボトル水を使っている者が,問3において「給水継続希望」が他より少なかった(全体 $88.9 \%$ に対し $76.6 \%$ )。それ以外は大きな違いが見られなかった。 ## 3.6 災害対応 ## 3.6.1 断水時に困るもの 水道水が数日間使えない場合に困ることについて,3つまでの選択可の複数回答の結果,トイレ $(74.3 \%)$, 飲み水, $(57.8 \%)$, お風呂・シャワー・手洗い $(48.6 \%)$ ,の回答が順に多かった。トイレが困る場合,飲用に適さない水でも水道水が供給されれば支障がないため,給水継続を望む割合が増加すると想定した。 クロス集計の結果,断水が発生するとトイレが使えなくなると困ると回答した者は,給水継続を希望するという有意な結果が得られた(問2 $p=$ 0.0031)。ただし,問 2 の飲用リスクが低いと考えられる状況でも,トイレが困ると答えながらも,全体の $21.2 \%$ が断水を希望する結果となった。 ## 3.6 .2 備蓄水の確保日数 備蓄水保管量が多い程,飲用水に関する対応に余裕があるため,給水継続等に対する意識への影響があるものと考え,備蓄量の質問を設けた。結果としては備蓄量に比例した給水継続等に関する回答の変化は見られなかった。「備蓄なし」の回答者の「わからない」の回答の比率が有意に高かった。 ## 3.6.3 情報伝達手段 自身の家庭に,より確実に情報が伝わる手段については,2つまで選択可能の複数回答の結果,携帯メールによる緊急情報通知サービス(以下,「緊急携帯メール」) (44.4\%), テレビ(43.5\%),広報車 $(33.9 \%)$, 自治体の屋外スピーカーによる放送 $(22.5 \%)$ の順に回答が多かった。問 1~3とのクロス集計について,緊急携帯メールとテレビを比較すると,テレビは全体とほぼ同じであったのに対し,3つの問いにおいて緊急携帯メールを選択した者の「わからない」の割合が少ない結果となった $(p<0.0001 \sim p=0.0008)$ 。 ## 3.7 健康意識 健康意識に関連する「健康への配慮」と「30 分以上の運動の頻度」について, クロス集計を行った。 「健康への配慮」については,「給水継続希望」 と「わからない」ともに, 問 1 と問 3で有意差が見られた。「運動の頻度」については,「給水継続希望」は, 問 3 のみ,「わからない」は, 問 $1 \sim 3$ において有意差が見られた。 しかし, どちらも健康への配慮の程度や運動の頻度に比例した傾向とはならなかった。 ## 4. 考察 ## 4.1 既存研究との比較 問 1 から問 3 の「給水継続希望」等の割合について,2012年調査と同様の傾向が得られた。どの問においても,「給水継続希望」の割合が一番多く,飲用リスクが低いと提示するよりも,代替水の確保条件提示の方が大幅に「給水継続希望」 が増加した。問 2 に関しては断水による社会的リスクや他の衛生悪化のリスク発生,ボトル水や応急給水等の飲用水の代替手段が存在することを考慮すれば,広報した上での給水継続が総合的なりスクが低く,大規模な水道事業者等であれば妥当な対応と考えられる条件である。しかし,2012 年調查と同様に全体で $20 \%$ を超えるものが断水を希望する結果となった。異なる点として, 今回調査の方が「わからない」の比率が,平均 8.2 ポイント多かった。2012年調查では, 摂取水量の調査(Ohno et al., 2018)を,のべ3 日間実施した後に行ったアンケートであり,意見の明確化に対するなんらかの意識づけがなされた可能性が考えられる。今回はそのような意識づけとなるプロセスがなかったため「わからない」が増加した可能性も考えられる。 当初, 水道水の需要が増える夏季の方が「給水継続希望」割合が高いと想定したが,そのような傾向は見られず,季節による影響は小さいか,他の要因の影響に隠れたものと考える。 ## 4.2 基本的属性 男女別の「給水継続希望」については,問 1 で女性の割合が大きく,条件の提示で逆転したことは,女性の方がリスクを高く見積もる一方で,対策に対する期待値が高いという既存の研究結果 (岡部ら,2011)の傾向に沿うものと考える。 職業において「専業主婦・主夫」が他と異なる傾向が見られたのは, 188 名中 185 名が女性であり,その傾向が強く出たためと考える。 年代については,若年層の方がリスクを高く見積もる傾向があるとの知見(天野ら,2013)があるが,今回の結果でもその傾向が得られた。意見の明確化については,年齢による違いが顕著であり,安定して見られる傾向と考える。 居住地域については, 調査前年の2018年に西日本豪雨災害で大きな被害のあった中国・四国地方において,「給水継続希望」が他より少なめだった。既存の研究では3日程度までであれば断水経験者の方が断水を受け入れ,それ以上長期間になると断水を避ける傾向が得られている(吉澤ら,2015)。今回の設問の条件である「数日」については, 山下ら(2003)のアンケート調査によると $2 \sim 3$ 日を想起するものが多く, 平均 3.4 日とのことであり,断水経験者の受け入れ傾向が変化する日数であった。断水経験と給水継続希望との関係を把握するためには,別途,断水経験の有無と断水日数の設問を設けた調査が必要となる。 高収入の回答者が,「給水継続希望」が多い傾向は,高収入者がリスクを低く見積もる傾向(天野ら,2013)に沿うものである。また,年収を 「答えたくない・わからない」を選んだ者の,問 1〜3における「わからない」の割合が顕著に大きかった。問 1 3のクロス集計で常に「わからない」を選択したものが多かったことも併せて考えると,意見の明確化を避ける傾向のある者が存在すると考える。中立的な回答は, 第一に中間的, 中立的立場の表明, 第二に判断不能, 第三に賛否などの態度や意見の判断にともなう負担の回避があると言われている(石田,2016)が,どれに該当するかは, 他の調査などによる検証が必要である。 ## 4.3 家族構成 世帯人数により,「給水継続希望」や「わからない」が, 人数には比例しない形で差が出たことに関しては, 他の属性等の影響があったものと考える。特に年代の影響が考えられ,単身者は, 20 代が $29.6 \%, 60$ 代が $15.5 \%$ に対し, 2 人世帯は, 20 代が $8.0 \%, 60$ 代が $38.7 \%$ となった。 乳幼览との同居の有無によって,「給水継続希望」に関して顕著な差が得られなかったことは,幼い子供がいると水質基準超過への恐れが強くな り,断水を望むというような単純な構図にはならないことが示された。 ## 4.4 飲用水としての水道水への信頼性 普段の水道水が飲用水として信頼があれば,多少の水質基準超過を気にしないか, むしろ信頼が高いだけに異常值に対して過敏に反応することも想定されたが,どちらの傾向も明確には見られなかった。一方で問 1 問3の結果のように提示条件を変えることで,「給水継続希望」が増加したことは, 水道事業者等は, 普段の水道水質の安全性を訴えるだけでなく, 水質基準超過時の伝達の仕方や対応方法を周知することの重要性を示している。 浄水器設置有の回答者が問 2 において「給水継続希望」の割合が,設置無よりも多かったことは,浄水器による有害物の除去を考慮したと考元れば,リスクに対するコントロール感を持つ方が水道水質に対する不安が低い(平山ら,2005)という傾向に沿うものである。また,断水時に困るものとして飲用水を選択した回答者も同じように,問2のみ,飲用水を選択しなかった者と比べて有意に「給水継続希望」割合が高かった $p=$ 0.0036)。 このことから, 水質基準を超過した水道水であっても,リスクが低ければ浄水器などを活用しながら飲用する意思のある者が一定数いると考えられる。 ## 4.5 災害対応 2012年調查と同様, 断水時に困るものは何かの質問の後に「給水継続希望」に関する質問をし, 回答者に断水によって生じる事態を意識させている。水道水は様々な用途に必要であるため,断水時トイレに困るを選択した者が「給水継続希望」の割合が多くなるのは, 当然の結果である。一方で,トイレが困るとした者でも断水を希望する者が 2 割も存在していたことは, 水質基準超過時に, 水道事業者等がリスクは低いと判断して給水継続した場合でも,反対する住民がいることを念頭に対応しなければならないことを示唆している。 「備蓄水なし」は,「わからない」の割合が多く, 防災意識の高さは, 意見の明確化に関連していると考える。有効な情報伝達手段で緊急携帯メールを選択した者は,「わからない」の割合が 少なく,防災意識が高いと考えられる。 ## 4.6 健康意識 健康意識に関する設問で有意な結果が得られたものの, 比例した関係が得られていなかった。このことは,中立的な回答を選ぶ傾向等他の傾向が影響し,必ずしも健康意識の高さが飲用リスクを高く見積もる傾向に直結していない結果となったと考える。 ## 5. まとめ 水質事故時等の水道水の水質基準超過には, 断水よりも給水継続を希望する割合が多く, 飲用の安全性が示される条件や代替水の提供条件によりその割合が増加した。web 調査であるためバイアス存在は否定できないものの(岸川ら,2018),この傾向は2012年調査と同じであり普遍性が高い。回答者の属性等の回答への影響に関しては,年代が上がるほど,また,断水時にトイレが困ると考えるものほど給水継続を望む傾向が見られた。一方, 乳幼坚との同居や健康意識の高さが飲用リスクと高く見積もる傾向は見られなかった。いずれにしても各属性等の違いの影響よりも,健康影響や代替水等の条件を示すことによる給水継続を望む傾向の違いが大きく,住民の不安解消には,情報の付与の仕方が重要であることが示された。すなわち, 水質異常発生時の対応に関する事前の啓発や,情報提供のための適切なメッセージを作成する等, 発生時対応の事前準備が重要となる。水質異常発生時に問い合わせや苦情が寄せられるが,苦情等を申し出ないものを含めた住民の全体的な意向を非常時に知ることは困難である。今回得られた傾向などを参考に広報戦略などの検討を深めていくことが水道事業者等に望まれる。 ## 謝辞 本研究は, 国立保健医療科学院研究課程の一環として, 東京大学大学院工学系研究科附属水環境工学研究センターとの共同で行われました。ご関係の方々に謝意を表します。 ## 参考文献 Amano, I., Kurisu, K., Nakatani, J., and Hanaki, K. 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# 【原著論文】 ## コロナ感染症に対峙する 3 つの新指標の提案一実質新規陽性者数, ARMAモデルによる短期予測,地理的時間ラグを用いた長期予測—* ## Proposal of Three New Indicators to Combat Coronary Infections: \\ Real Number of New Positive Cases, Short-term Prediction Using ARMA Model, Long-term Prediction Using Geographic Time Lag 久保英也** Hideya KUBO \begin{abstract} To confront COVID-19 infections, which are highly uncertain, it is important, as a precondition for implementing countermeasures, to (1) understand the current status of the number of new positive cases by removing the effects of increases or decreases in the number of tests, and (2) secure a time margin for implementing policies so that they do not follow the status quo. In this paper, we will discuss (1) the "real number of new positive cases" to accurately recognize the current situation, (2) the "short-term forecast using the ARMA (autoregressive moving-average) model" to contribute to appropriate decision-making, and (3) the "long-term forecast using the geographical time lag which ensures long-term preparation time for medical infrastructure development. \end{abstract} Key Words: COVID-19, real new positive cases, ARMA model ## 1. はじめに 日本におけるCOVID-19新型コロナウィルス感染症は, 2021 年 1 月に東京都の 1 日の新規感染者が 2,000 人を超えるなど大都市圈での先行拡大と地方への広範な波及が進行している。高齢重症者と大規模クラスターの増加は,病床数ではアメリカを上回るもののアメリカの 5 分の 1 とされる集中治療病床やそれに従事する医師の少なさから医療体制に軋みを生んでいる。 その中で,気になることが2つある。第1が, このような事情からか新規陽性者数より重症者病床使用率が重要とする政治家が多いことである。確かに死亡者数の抑制は最終目標としては理解できるものの, 新規陽性者数は, (1)重症者数や重症者病床使用率に先行, (2)医療資源はこれに連動して投入,(3)国民,市民の高い注目度,などを勘案すると政策の重要な中間目標として欠かせない。 さらに,政府が政策発動するまでの時間の確保や医療ネットワークなどのインフラ作りなどを考えると,新規陽性者数のコントロールこそが効果的でより優先度の最も高い政策目標となる。 第 2 が,新規陽性者の増加は検査数の増加による当然の帰結とし,新規陽性者数自体を直視しない論調がみられることである。第3波(日本の感  染拡大の波について定義はないが,本稿では, 2020 年 10 月 23 日の人口 100 万人あたりの 1 週間平均の日本計の新規陽性者数がボトムの日を起点とする感染増加の波をいう)の新規感染者数は,確かに検査数の増加と連動している。しかしながら,第 1 波(同,2020年 4 月 17 日ピーク), 第 2 波(同,2020年 8 月 8 日ピーク)に比べて新規陽性者が増えた原因が,(1)単に検査数の増加による既に市中に埋もれていた潜在感染者の掘り出し (発見)を意味するのか,それとも(2)潜在感染者も含めた実際の市中感染規模の拡大を意味するのかは定かではない。仮に,(1)であれば医療供給体制の整備を,(2)であれば,(1)に加え,国民の行動変容を求める医療の需要側に強く働きかける政策が必要になる。この曖昧さの放置は, 政府の政策選択基準や発動意図が国民・市民へ届かず,政策への疑念や政府への信頼感の丧失を惹起する可能性が高い。 新型コロナウィルス感染症は変異を繰り返しながら,おそらく人類が集団免疫を獲得するまでは,拡大と収縮を波のように繰り返す循環性を特徵としている。その対応は,まず,すべての対策の始点となる新規陽性者の実態を検査数などの変化に惑わされず,正確に把握することから始まる。 次に,重症者病床の確保や病院間ネットワークの構築など医療体制づくりのための時間を稼ぐために長期予測に基づく展望が必要とある。そして, 緊急事態宣言の発出や解除など, 足元の感染症の動きと意思決定が直結する場面において,比較的精度の高い短期予測が必要になる。これにより,国と地方自治体政府の意思決定に時間的余裕を与え,正しい政策選択と国民へのリスクコミュニケーションの確保を可能とする。 そこで,本稿では不確実性の高い新型コロナウィルス感染症に対峙するために, (1)的確な現状認識を行う「実質新規陽性者数」, (2)適切な意思決定に資する「ARMA (autoregressive moving-average model)モデルによる短期予測」, (3)医療インフラ整備などの長期の準備時間を確保するための「地理的時間ラグを用いた長期予測」,の3つの指標を提案する。なお,予測区分は,短期予測が先行き 1 か月以内, 中期予測は同 1 か月超から3 か月以内,長期予測が3か月超から6か月である。 ## 2. 新規陽性者と検査数, 陽性率の関係性 新規陽性者数は,基本的には人の接触頻度によつて決まることから,その頻度が圧倒的に高い大都市圈において先行的に広がる。Figure 1 は,2つの大都市について,第2波初期の7月 1 日から 12 月 16 日までの間の新規陽性者数(1週間移動平均値)の前日からの伸び率を示している。大阪府については細い実線(茶色),東京都については太い実線(青色)で,また,大阪府と東京都との差異(大阪東京)については棒グラフで示した。 2つの大都市は同じような動きを示しているが,(1)第2波では,東京都が大阪府に 2 週間程度先行したものの,第 3 波では,逆に大阪府が 1 か月程度先行するなど必ずしも東京都が感染の起点になるわけではない,(2)東京都の7 割程度の人口規模である大阪府は,感染の拡大局面においても縮小局面においても東京都以上にその変動幅が大きく,動きも急である。さらに,人口規模の小さい北海道 (札幌市), 沖縄県, 広島県 (広島市),宮城県(仙台市)などは大阪府より変動が激しいことから,逆に見れば,人口規模の大きい自治体ほど感染の動きは緩慢で,感染の起点を見出しにくく, 政策発動時期が遅延するリスクが高くなる可能性が高い。そのため, より早く, 感染爆発の起点となる予兆を正確にとらえる必要がある。 その予兆を探してみよう。新規陽性者数は,検査数の増減と市中感染の広がり度合の2つから影響を受けると仮定し,ここでは後者に陽性率を用いる。本稿では, 陽性率 $=$ 新規陽性者数 (1 週間累計 $) \div$ 検査数(同) (1) (出典) 新型コロナウイルス感染症対策プロジェクト\#StopCOVID19JP,厚生労㗢省 Figure 1 Persentage change in new COVID-19 cases in Osaka and Tokyo とした。すなわち, 新規陽性者数 $=($ 検查数 $) \times($ 新規陽性者数 と定義式で表せるので,その寄与度は,両辺について,前日からの伸び率(以下,\%RCLという) をとると $\% \mathrm{RCL}($ 新規陽性者数) $\doteqdot \% \mathrm{RCL}($ 検查数 $)+\% \mathrm{RCL}$ (新規陽性者数/検查数) となる。 すなわち,右辺第 1 項は検査数の寄与度,同第 2 項はを市中感染の広がりの寄与度とみなすことができる。この2要素の寄与度を Figure 2 に示した。 検査数の増減(柄なし棒グラフ)は, 確かに新規陽性者数の増減に影響するが,その動きは一律ではなく, 感染局面により新規陽性者数への影響度が異なる。 概して,点線で丸囲いを付した格子柄で示した陽性率(寄与度)は,実線で丸囲いを付した新規陽性者のピーク,ボトムに先行し,いわば,転換点を多くの場面で示している。具体的には,陽性率のピーク:7/13 $\Rightarrow$ 新規陽性者のピーク:7/16,同ボトム:8/30 $\Rightarrow$ 同:8/31, 同ボトム:9/17 $\Rightarrow$ 同 : 9/22, 同ピーク:10/27 $\Rightarrow$ 同 10/29, 同ピーク: 11/17 $\rightarrow$ 同:11/23,などが確認できる。 一方, 前出 $8 / 31$ の新規陽性者のボトムは, それに先行する陽性率の低下に加え8/31 9/4までの検査数の減少がこれを更に下押しすることにより生じている。同じく, 10/29の新規陽性者のピー クも同 10/27の陽性率がピークを打った後に, 10/28 11/1 の検査数の大幅増加により発生している。すなわち,新規陽性者の変化は,まず陽性率の変化が先行し,次に検査数の増加がこの動きを加速させることにより生まれることになる。 政策の発動にはどうしても時間を要することから,機動的に政策を打ち出すためには,常に先行性のある陽性率の動きに着目し,その転換点の予兆を見つけた段階で,次節で触れる指標などを活用し感染の規模感に目途をつけることが重要になる。国民に対し,感染爆発の可能性などについて過剩な不安や誤解を排して伝えるにはその根拠を計量的に示し情報提供を行うことが求められる。 Figure 2 Contribution of the number of tests and the number of new COVID-19 cases ## 3. 的確な現状認識に資する実質新規陽性者数 新規陽性者数と検査数は相互に影響するため,感染が加速するかどうかの判断は,現実にはそう簡単ではないかもしれない。そこで,感染の規模感に目途を付ける,検查数増減の影響を取り除いた新規陽性者の動きを把握する方策を検討する。陽性率とは別に市中感染の広がりを把握する指標として,「実効再生産数」がある。このデータを日々公表している東洋経済新報社コロナダッシュボードは, 西浦博京都大学大学院医学研究科教授による簡易的な計算式として, 実効再生産数 $=$ (直近 7 日間の新規陽性者数/その前 7 日間の新規陽性者数)^(平均世代時間/報告間隔) を示している。平均世代時間は 5 日,報告間隔は 7日と仮定し,速報性を重視するため報告日ベー スの数字を採用している。ここでは,大阪府を取り上げ,これに做い実効再生産数を計算し,新規陽性者の増加が, 実効再生産数が示す感染の広がりによるものか,単に検査数の増加によるものかを重回帰分析を用いて明確にする。 推計の対象期間は, 各府県発表の検査数が安定し,第2波の起点でもある 2020 年 6 月 15 日から 2020 年 12 月 2 日とし,被説明変数である新規陽性者数は,人口 10 万人あたりの 1 週間の移動平均値(日次データ)とする。一方,説明変数である検査数は同じく 1 週間の移動平均値,実効再生産 数は, 前述の東洋経済新報社の簡易計算式を用いて算出した値とした。多くの試行の結果から,全変数に自然対数を取るモデルの精度が高い。 たた,Table 1 上段に示したとおり,重回帰分析では, 自由度調整済み決定係数や各説明変数の $\mathrm{t}$ 值は高いものの, ダービン・ワトソン検定值が 0.213 と低く, 誤差項間に正の自己相関がある可能性が高い。これを回避するために,重回帰分析に残差の自己回帰モデル組み合わせる方式により推計を行った。そして, 試行の中から各説明変数の $\mathrm{t}$ 値が高くかつ赤池情報量基準(AIC) が最も小さい構造式を選択することとした。 なお,自己相関関数,偏自己相関関数を検定した結果,共に残差はホワイトノイズであることを確認している。 実効再生産数と検査数は共にパラメータが 0.6 弱程度であることから, 実効再生産数の $1 \%$ の上昇もしくは検査数の $1 \%$ 増加は,各々新規陽性者数を平均 $0.6 \%$ 程度押し上げることがわかる。大阪府の直近 12 月 16 日までの 1 か月間の検査総数 は, 12.4 万件と第 2 波ピークの 8 月 7 日までの同検査総数 4.3 万件の約 3.1 倍となっていることから,その 6 割弱に当たる 1.8 倍分は検査数の増加による新規陽性者の増加とみなすことができる。 そこで,このパラメータを用いて,検査数の増減を勘案した新規感染者数, いわば,経済学で使う名目值と実質値の概念のように,公表される新規陽性者を名目上の新規陽性者(以下,名目新規陽性者という)とし,これとは別に実質上の新規陽性者数(以下,実質新規陽性者という)を算出する。すなわち, 実質新規陽性者数 $=\lceil$ 名目新規陽性者数」: 「検査数デフレーター」 で表すことができる。なお,検査数デフレーター は推計期間の中央にあたる 10 月 8 日の累計検査数 197,287件を基準値とし,各日の検査数を同数で除したものであるが,検査数は新規感染者に対し Table 1 のパラメータのとおり 0.579 分しか効かないので,これを反映した。こうして計算した実質新 Table 1 Estimated results of the number of real new COVID-19 cases in OSAKA } & \multicolumn{2}{|c|}{ (参考) 重回帰分析 } \\ Figure 3 Real and Nominal (published) number of new COVID-19 cases 規陽性者数(点線の折れ線グラフ)と名目新規陽性者数(実践の折れ線グラフ)を Figure 3に示した。 これを見ると,第3波の直近ピークである 12 月 4 日の名目新規陽性者数は 4.27 人(1 週間移動平均値,人口 10 万人あたり)と第 2 波の同 2.48 人 (同)からほぼ倍増する一方,実質新規陽性者数は,逆に 3.06 人と第 2 波のピーク 3.84 人を下回る。また, 直近では, 名目新規陽性者数はほぼ横這いだが,実質新規陽性者数はピークアウトの兆候が見える。また,棒グラフで示した陽性率は第 2 波と第 3 波のピーク水準がほぼ同水準であることに加え,ピークアウトを示していることから,実質新規陽性者数との連動性があることがわかる。 今後の名目新規陽性者数は再度上昇する可能性があり慎重に見る必要があるものの,計測時点で第 3 波の実質新規陽性者数が第 2 波を下回るのであれば,名目新規陽性者が増加していたとしても本来的には安心できるはずである。 しかしながら, 現状は, 名目新規陽性者の増加が重症者数の増加や重症者病床のひっ迫など医療体制に大きな負担をかけている。これには,医療インフラのボトルネックと統計データ不足による推計上の技術的課題の 2 つが要因と考えられる。 まず第 1 に,感染実態は実質値が表すので,本来は実質値の水準に応じて医療資源を投入すればよいはずであるが, (1)新型コロナウイルス感染症は感染症法上の「指定感染症」となっており, 危険度ランク 5 段階中 2 番目の「2類相当」に位置付けられることから入院措置が求められる, (2)重症, 中等症, 軽症患者に応じた病院や療養ホテルとの効率的なネットワークが未完成である,(3)そもそも新型コロナウイルスに対応・協力する病院の絶対数が少ない, などからコロナ患者を受け入れている特定病院に患者が集積することになる。 また保健所や救急現場において, 患者の振り分けなどに多くの労力と時間のロスが生まれている。 いわば医療体制のボトルネックが名目新規陽性者の増減に合わせ医療資源を投入をせざるを得ない状況を惹起している。本来, 感染者の 8 割は無症状あるいは軽症であるので,これらの患者をコロナ対応病院から切り離し, 広範で相互支援的な病院・ホテルネットワークを起動させることにより,このボトルネックを解消することができる。 そのような状態になれば,実質値が示す感染実態に応じ医療資源を投入すれば済むことになる。 第 2 は,新型コロナウィルスの特性や人間行動の関する統計データが少ないことから起こる推計パラメータの不安定性という技術的な課題である。 まず,第3波は,それまでの波とは異なり,冬季という環境にある。それは, 低温化に伴う,(1) ウィルス生存期間の長期化による接触感染の増加や(2)換気機会の減少などによる飛沫感染の増加, などのリスクが上昇する時期である。日本と異なる感染対策をとり,第2波をうまく抑え达んできた韓国や欧州諸国でも冬季に感染爆発が起こっている。一方, 季節が逆の南半球に位置するオーストラリア(以下,豪州と呼ぶ)などは感染が落ちついていることから,冬季リスクは相当大きいと考えられるが, 残念ながらその程度は不明である。 次に,感染症の主体である防衛する側の人間と攻撃する側のウィルスの双方の変化を計量化しにくい点である。人間側は,自粛や感染に対する緊張は長くは続かず,また政府や自治体への信頼感の低下が起こる。一方の攻める側のウイルスは,生存確率を引き上げるために感染力や致死力を増減させる变異を頻繁に繰り返し, 確率的に比較優位を作りだしていると考えられる。これらを解明するには統計データの更なる蓄積を待ち,パラメータの再推計を繰り返し行っていく必要がある。 しかし,たとえこのような状況下であっても実質新規陽性者の指標が必要な理由がある。それは, 新型コロナウィルス感染禍のように循環的に起こる事象に対する対策の規模・中身や発動夕イ ミングを見極めるには,連続的かつ同じ尺度で感染状況の実態認識ができることが必須であるからである。公表されている名目新規陽性者数に影響する検査数は,人々の不安が高まれば増大し,弱まれば減少するので,名目新規陽性者数は,真の感染者状況やその深刻度を示していない。 政策の規模や発動タイミングは,過去に発動した政策を参考に決められることも多く,時点間でその基礎となる感染状況の認識が摇れていては正しい政策発動が困難となる。実質新規陽性者数は,日々の検査数の増減に左右されず新規陽性者の実態を連続的に表わすので,時点を問わず,かつ同一尺度で感染状況を評価できる。 東京都は, 2021 年 1 月に入り連日 2,000 人を越える急激な新規陽性者の急増に直面したが,それは,感染状況の悪化以上に都民がその直前までの新規陽性者数の上昇を警戒し積極的に検査を受けたことが大きな要因の1つである。2021年1月9日の検査数は 12,450 件(1 週間の移動平均値)であり,12月上旬の同6,700 件前後から倍増している。検査数の増加は,従来は市中に埋もれていた陽性者を顕在化させ名目新規陽性者数を自動的に急上昇させた。この時, 東京都は国による緊急事態宣言の発出が不可欠とし, 自身の政策の限界を露わにしたが,本来は,急増する新規陽性者数を前に,都民に対しまずは冷静な判断を促すことが必要であったのではないかと感じている。この時,実質新規陽性者数の指標があれば,東京都の目線が定まり,むしろ,「慌てないで。感染はコントロールできているので, 協力して乗り切って欲しい」と逆の訴求を行い,都民の信頼獲得に動けたと考えている。 確かに,名目値の急上昇は政府や国民に緊張感を与えるという意味では役立つものの,パンデミックへの対処でもっと重要なことは,国民に冷静さを求めることであり,それには,政策担当者がぶれない尺度を有することが何よりも重要である。 ## 4. ARMA モデルによる短期予測 自粛疲れの国民に再度コロナへの警戒感を惹起させ,行動変容に至らせるには政府への高い信頼感と政府からの十分な情報提供が不可欠である。 そのためには,政策判断の妥当性や強い意志を伝える必要があり,先行きに不確実性を有していたとしても将来の見通しと当該政策をセットで示しリスクコミュニケーションをとる必要がある。一般に,感染症の新規感染者数などの予測には伝統的な Susceptible-Infectious-Recovered モデル (以下,SIRモデルと略す)もしくはその改良型が使われている。SIRモデルは, Susceptible(感染予備軍), Infected(感染者), Recovered(回復者) の関係を構造化したモデルで 1920 年代に完成している。感染者は一定の確率で感染予備軍を感染させ,回復した人は免疫を持ち,感染者を上回ると感染者数は減少する集団免疫の仕組みを説明できる。たた,少ない変数でシミュレーションが容易という特徴は,新型コロナウイルスの無症状者の存在や潜伏期間内での感染力の変化などを反映できないことから,十分な予測精度を担保できていない。これを補うSIRモデルの改良型モデルは,コロナウィルスの特性を鑑み,変数を追加 L, Giordano et al. (2020)にみるように,未感染者, 無症状感染者, 無症状確定診断者, 有症状感染者,有症状確定診断者,重症者,回復者,死亡者の 8 変数で構成し,ロックダウンよりソーシャルディスタンスの優位性を証明するなど成果を上げている。具体的には,2020年2月20日から同 4月20日(45日間)のイタリアのデータを用いて, 2020 年 3 月 9 日以降に発動されたロックダウンや段階的規制強化,社会的距離の維持政策,検査の拡大政策,などの有効性を検証している。その結果,社会的距離の維持政策による 1 年間の推定死亡者数は約 2.5 万人と部分的ロックダウン政策の同7万人より明らかに少ないとしている。たた,一方でモデル構造が複雑すぎパラメータの修正が柔軟にできない課題も指摘されている。感染事象の仮説を複数の数式で表すSIRモデルなどの構造モデルとは一線を画した予測手法として,統計データそのものの動きを分析する自己回帰モデルがある。為替,株価などの金融指標の予測によく使われるが,新型コロナ感染症への応用は,新規陽性者数の初期のデー夕量の不足や各国のデータ基準のばらつきなどデータの量質共に課題があり,見送られてきた。 突如登場した新型コロナ感染症の感染予測は困難を極めるが,現状追認型の政策では感染拡大を許してしまうことから,現状の感染状況を直前まで追いながらも政策発動の決断時間を確保する必要があり,そのためには予測が必須となる。前節で用いた単純な「重回帰モデル+残差の自己回帰モデル」でも予測は可能であるが政策判断に際し使用するのであれば,短期間でより精度の高い予 測が求められる。 そこで,データ蓄積が進んできた第 2 波以降の大阪府の公表データを用いて自己回帰モデルによる予測の可能性を検討する。 今回採用したARMAモデルは,当期( $\mathrm{t}$ 期)の実績値が,前期( $\mathrm{t}-1$ 期 $\mathrm{t}-\mathrm{n}$ 期)までの過去実績と推計誤差との影響を受けていると考え,そのパラメータを最尤法により求める手法である。ここでは,2020年6月8日から同12月2日までの 178 個の日次データを用いて, 同モデルにより定常時系列に変換した残差 $u(t)$ を推計した。 多くの試行を繰り返し, 残差がホワイトノイズである候補式のうちから赤池情報量基準値が低くフィットのよいモデルを採用した。推計結果は前出 Table 1の下段に示している。また, 残差が定常時系列に転換できたかどうかは自己相関係数と偏自己相関係数により確認済みである。 Figure 4 に同モデルによる 1 日先の大阪府の新規陽性者の予測ライン(細い実線)と実績値(細い点線)をプロットしたが,予測値は実績值をよく追えている。当然, ARMAモデルによる予測の利用価値は,それを使う主体の利用目的と予測誤差をどの程度まで容認できる環境かにより決まる。 大阪府の場合,新規陽性者数の変動は日々 10 人程度はあるので, 平均母数 100 人とすれば誤差率 $10 \%$ 程度までは容認できる。たた,重大な意思決定, たとえば緊急事態宣言の発出や解除のタイミングなどでは,誤差率を $5 \%$ 以内に収めたい。 そこで,このモデルを使って先行きの2020年 12 月 2 日から2021年1月1日までの1か月間の日次予測を行い,実績との誤差率を検証する。その結果を Table 2 に記載した。当然のことながら,予測に使用する実績データ期間 (今回は約6か月) や予測する時点により, 誤差率は変動する。 Table 2をみると 1 日先の 12 月 2 日の予測誤差率は $3.62 \%$ (絶対値で表示, 以下同じ), 8 日までの第 1 週の平均誤差率は $1.96 \%$, 同じく第 2 週は同 $1.89 \%$, 第 3 週は同 $3.68 \%$, 第 4 週は同 $10.42 \%$, そして,1か月後の1月 1 日の誤差率は $7.82 \%$ となる。 1 か月を通じ,まずまずの予測精度だが,重大な意思決定における誤差率 $5 \%$ 以内を条件と考えると第 3 週までが範疇となる。できれば週に 1 回程度は直近までの実績値を使用して再推計を行うなど新しい予測值を更新しながら使用するというのが実際の運用においては好ましい。 Figure 4 Prediction of the number of new COVID-19 cases by ARMA model in Osaka 分析の通り 3 週間程度の予測が誤差率 $5 \%$ 以内で使えるのであれば, 新規陽性者数と重症者用病床使用率との約 1 か月の時間ラグと併せると約 2 か月弱の時間の確保ができる。また, 実績をぎりぎりまでみて緊急事態宣言や飲食店の営業時間規制などを発出・解除する時期を決める意思決定のための時間確保にも十分貢献できるのではないかと考えている。 また, 府民に向けては, 予測は外れるかもしれないことを前提としつつも, 政策の基礎とした感染見通しを明確化することができ,これらを踏まえてリスクコミュニケーションをとれば府民の納得感も大きく向上すると考えられる。 ## 5. 地理的時間ラグを用いた長期予測 一方,医療体制などのインフラ整備には,走りながら整備する部分もあるが, できれば事前に長期の準備時間を確保したい。そのためには, 長期の予測が必要になる。新規陽性者の中長期の予測については,前述のとおりSIRモデルをそのまま持ち込むには課題もあることから, 方向としては, (1) Kobayashi et al (2020)が示すSIRモデルに状態空間モデルを組み合わせ, 時系列の観測デー 夕を柔軟にとらえるように修正するか,もしくは, (2)冬季の感染対応が重視される中で, 南半球に位置する豪州などと北半球諸国との夏冬逆転の気候を利用して感染状況を予測するという方法, などが考えられる。 前者は高度な計量技術が求められ, 地方自治体での活用は難しいと考えられることから,ここで Table 2 Prediction accuracy by ARMA model (出典) 2020/6/8 2020/12/2までの 178 個の日次デー夕を用いて筆者が推計したもの。 は簡便な後者の方法を検討する。 日本にとって夏冬逆転となる国は南半球諸国となるが,その中で日本の先行指標となる国を選ぼうとすると, 南半球においてある程度の経済水準を備えたOECD加盟国となる。豪州とニュージー ランドが候補となるが,豪州の方がニュージーランドより経済規模が大きい。また,豪州は新規陽性者の第 1 波のピーク時(1 週間移動平均:2020 年 3 月 30 日)の実効再生産数が 1.32 と数か月後の日本の第2波のピーク時(2020年8月7日)の同 1.05 人と近しい。また,第 2 波のオーストラリアの新規陽性者のピーク時(2020年8月6日)の同 1.07 とこれに対応する日本の第 3 波のピーク時 (2021年1月 11 日)の 1.19 ともほぼ同水準など変動はあるものの,豪州と日本の感染のレベルが似ていることも参考にしやすい。 南半球に位置する豪州の季節の先行性を探るため, Figure 5 に同国の人口 100 万人あたりの 1 週間移動平均値で示した新規陽性者数を 4 か月遅行させたものを棒グラフで,また,日本全体の新規陽性者数の同じ動きを太い折れ線で示した。これを見ると,豪州は日本に対し $4 \sim 5$ か月程度先行し,日本の次の冬季の感染状況の方向性を示している。 一方で,大きな矢印で示した通り,豪州は第 1 波の後,同新規陽性者数を 10 人以下まで完全に抑 Figure 5 Short-term prediction accuracy and medium-to-long prediction of new COVID-19 cases え込んだのに対し,日本は同 50 人程度にとどまることから,日本の第 3 波のピークは豪州のピー ク水準より高まる可能性が高いことを示している。 したがって,太い破線で示した日本の新規陽性者数についての長期予測(予測の起点は2020年 12月17日,それ以前は実績値)は,先行きを示す豪州の釣り鐘型のラインを目途とするが,そのピーク水準は豪州のピーク水準から大きく上振れし, 同時に同ラインは釣り鐘形状を維持することからピークの位置が右方向に移動する。そして, ピークアウト後に,再び同釣り鐘形状の下降部分を追うように低下していくことになる。この予測の方向性を同図右上部の実線矢印で示した。 また,大阪府の新規陽性者数の長期予測は,日本の新規陽性者の動きと相関が強いことから,この連動性を用いて先行きを予測することになる。 予測は,政府の感染対策の実践,もしくは意思決定の時間確保と国民に最もわかりやすく政策意図を説明できる貴重なツールになりうる。しかしながら,それでも,大きく外れるかもしれないという不安,あくまでも理論上の予測を現実の政策に結合させることに漠然とした懸念を覚える政策担当者も多いと思われる。確かに予測は外れるこ ともあるが, (1)複数の予測と対策をセットで示し, (2)最も蓋然性の高いと考える予測とそれに見合う最適な政策を組み合わせ,そして,(3)その選択をした確信について十分に説明する。また, (4)予測の見直しと共に政策も見直していくという柔軟な姿勢をとれば問題は少ないと考える。 一方,国民に危機的な状況を伝え,あら女動摇や不安を引き起こすことは好ましくないと考える政策担当者もいよう。しかしながら, 政策担当者が感染の先行きを読めるほどコロナ感染症の実態は明確になっていない。予測を避けることは, 現状追認型の政策をほぼ自動的に進めることを意味し, 新型コロナ感染症の強い感染力や頻繁な変異を勘案するとそれ自体が大きなリスクとなる。 まず,新規陽性者の動向について,政策とセットにした中長期の大きな局面予想を示し,次に,直近この先 1 週間程度の短期予測を更新しながら新規感染者の先行きを国民,市民と共に確認していく。短期の予測ラインが実績から離れる場面があれば 1 週間ごとに見直し, 同時に必要に応じ長期の局面予測も 1 か月ごとに見直す。この予測で稼いだ時間を利用して政策候補を綿密に準備し,局面に応じた政策を選択していくことが望まし $\omega$ 。 国民や市民が一番動摇するのは,状況も知らされないままに,いきなり重大政策の発動や変更に直面することであろう。少なくとも,予測を誤ったことだけで,政府の信任が摇らぐことはない。 ## 6. 結語 新型コロナ感染症が確認され約 1 年が経つが,日本は, 同じ巨大災害である東日本大震災の反省やクルーズ船の感染対応など世界に先がけて獲得できた多くの教訓を有していた。にも関わらず, その後のコロナ政策にそれらを十分生かすシステムが働いていない。 東日本大震贸などの突然やってくる巨大自然災害などへの対応は手探りながら進めている。このリスクに比べれば,ある程度の予測が可能な新型コロナウィルスへのリスク対応はむしろ講じやすいと考える。また,感染対策だけでなく,市民の精神的ケアの必要性や情報提供を含めたリスクコミュニケーションの重要性は, 東日本大震災などにおいてみられた複合リスクへの対応と全く同じである。久落しているリスクコミュニケーションを取り戻すために, 実質新規陽性者数などの新しい感染尺度の導入し, 最適な短期, 長期の予測を組み合わせることにより, 判断基準が明確で, 納得感の高い政策の積み上げが今後進むことを期待したい。 ## 主要参考文献 Data on COVID-19 (coronavirus) by Our World in Data (2021) https://github.com/owid/covid-19-data/ tree/master/public/data (Access: 2021, 3, 20) Kobayashi, G., Sugasawa, S., Tamae, H., and Ozu, T. (2020) Predicting intervention effect for COVID-19 in Japan: State space modeling approach, BioScience Trends, 1-8, doi: 10.5582/ bst. 2020.03133 Giordano, G., Blanchini, F., Bruno, R., Colaneri, P., Filippo, A. D., Matteo, A. D., and Colaneri M. (2020) Modelling the COVID-19 epidemic and implementation of population-wide interventions in Italy. Nature Medicine, 26, 855-860.
risk
cc-by-4.0
Society For Risk Analysis Japan
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# リスク学研究 31(2): 89-101 (2021) Japanese Journal of Risk Analysis doi: 10.11447/jjra.SRA-0359 【特集:新型コロナ感染症関連 原著論文】 # 新型コロナウイルス感染症拡大下における 災害時避難への社会的関心の傾向 一テキストマイニングによるWeb記事分析を通じて一* Trends of Social Interest in Disaster Evacuation and Sheltering with COVID-19: Through the Analysis of Web Articles Using Text Mining Method 佐野 浩彬**, 千葉 洋平**, 前田 佐知子**, 池田 千春**, 三浦 伸也**,臼田 裕一郎** Hiroaki SANO, Yohei CHIBA, Sachiko MAEDA, Chiharu IKEDA, Shinya MIURA and Yuichiro USUDA } \begin{abstract} The authors employed a text mining method based on published web articles to analyze how social interest in disaster evacuation and sheltering with COVID-19 changed over time. To understand social interest, the authors divided the number of COVID-19 positive cases in Japan into five phases. The results revealed a vague concern about the need for measures taken by local governments in Phase I. Furthermore, there were descriptions of actual countermeasures and training based on the heavy rain in July 2020, typhoon No. 9 (Maysak), and typhoon No. 10 (Haishen) in Phase III. Finally, in Phase V, it was possible to grasp how the social interest shifted to specific content. \end{abstract} Key Words: COVID-19, Evacuation and sheltering, Text mining method, Social interest, Web articles ## 1. 背景と目的 本研究の目的は新型コロナウイルス感染症(以 下,COVID-19)が広がる日本国内において,自然災害時の避難に対する社会的関心の傾向を把握することである。日本国内におけるCOVID-19の急速な拡大は,生活様式の変化をもたらした(厚生労働省,2020)。それは日常生活における変化はもちろんだが,非日常である自然災害の発生時においても同様に変化をもたらすものと考えられる。特に自然災害からの避難という視点で考えれば,従来のように安全な場所へ移動し,危険を回避するまで安全な場所にとどまるといった行動 (Evacuation) が避難者間の接触を生み, COVID-19 感染を誘発する危険性があると考えられる。また, COVID-19下では密閉空間 - 密集場所 - 密接場面の3つの“密”を避けることが推奨されているが(首相官邸・厚生労働省, 2020), 避難所での生活(Sheltering)は推奨される3つの条件を満たすことが困難であると容易に想像される。 従来は自然災害リスクのみを踏まえて避難を考えることが主たっったが,現在は自然災害リスクだけでなく,COVID-19という新たな感染症リスク  も踏まえて災害時避難を考えることが必要となつている(石川, 2020; 高田, 2020; 室崎, 2020)。 もち万んCOVID-19の拡大以前にも, 既往研究で避難所等における感染症問題やその対策の重要性は指摘されている(例えば,川村ら,2017;栗田ら,2018; 大倉ら,2019など)。しかし,多くの自治体や住民にとって COVID-19下での避難は未知のリスク(いわゆる「エマージングリスク」 (上野,2019)に対する判断が求められるものであり,課題に対する明確な答えがない中での対応が求められている (岸本, 2020)。こうした未知のリスクや課題に対応していくためには利害関係者間の健全なコミュニケーションを確保しつつ,認識の差異を情報化して関係者の要求内容や関心を理解し, 社会的意思決定の正統性を確保することが求められる (小林,2013)。本研究では関係者の要求内容や関心を理解するために,インター ネット上で発信されたWeb記事を収集し,テキストマイニング手法を用いて,時期ごとに COVID-19 下での災害時避難に関する社会的関心がどのように変化したのかを分析する。 また,全国で行われている実践や検討の経験知,専門的知見を踏まえつつ,それを自らの地域で導入・実践していくことも重要である。内閣府 (防災担当) ・総務省消防庁・厚生労働省では COVID-19が拡大する中で自然災害に備えることを目的として,都道府県や保健所設置市・特別区等に対して「避難所における新型コロナウイルス感染症への対応について」(2020年4月1日扔よび4月7日)の通知を公表した(内閣府ら, 2020a,2020b)。この通知では,「災害が発生し避難所を開設する場合には, COVID-19の状況を踏まえ,感染症対策に万全を期することが重要」 (4月1日通知)であるとし,「平時の事前準備及び燚害時の対応の参考」として, (1)可能な限り多くの避難所の開設, (2)親戚や友人の家等への避難の検討, (3)自宅療養者等の避難の検討, (4)避難者の健康状態の確認, (5)手洗い, 咳エチケット等の基本的な対策の徹底, (6)避難所の衛生環境の確保,(7)十分な換気の実施、スペースの確保等, (8)発熱, 咳等の症状が出た者のための専用スペースの確保,(9)避難者が新型コロナウイルス感染症を発症した場合の9項目に整理した留意事項を提示している(4月7日通知)。 専門的知見からも COVID-19下での災害対応に関する情報が発信されている。小山らは国内でも いち早くCOVID-19下における水害発生時の防災・災害対策を考えるためのガイドを作成し,インターネット上で公開した (小山ら,2020)。土木研究所ICHARMではCOVID-19 下で起こりうる事例と望ましい対策についてまとめた「(別冊)水害対応ヒヤリ・ハット事例集(新型コロナウイルス感染症への対応編)」を2020年6月 25 日に公開した (土木研究所ICHARM,2020;大原ほか, 2021)。人と防災未来センターでは, 避難所・福祉避難所 - 合理的配慮 - 外国人への対応といった 4つのテーマでの臨時レポートをまとめている (人と防災未来センター, 2020)。さらに, 研究機関においても COVID-19 下での災害時避難に関連する情報の収集・整理・アーカイブといった取り組みが進められている(三浦ら,2020)。海外でも,アメリカ気象学会が2020年4月9日に「Tornado Sheltering Guidelines during the COVID-19 Pandemic」を公開し, 避難所での感染対策等の注意を呼びかけている (A Statement of the American Meteorological Society, 2020)。また, 全米知事協会は連邦政府へ送った「Planning for Concurrent Emergencies」(2020年6月1日)において, COVID-19下での災害時避難の課題等について言及している (National Governors Association, 2020)。FEMAは2020年のハリケーンシーズンに向けて,「COVID-19 Pandemic Operational Guidance for the 2020 Hurricane Season」を作成した (FEMA, 2020)。米国疾病予防管理センター(CDC)は避難所での感染リスクを下げるため, その準備に関するヒントをWebサイトで公開している (Centers for Disease Control and Prevention, 2020)。 以上の COVID-19 下での災害時避難に関する動向を踏まえつつ, 本研究では広く社会で発信されているWeb情報から, 「COVID-19下での災害時避難」という未知のリスクに対する社会的関心がどのように変化しているかを明らかにする。 ## 2. 方法 ## 2.1 COVID-19下での災害時避難に関する情報収集 筆者らは分析を行うにあたり,COVID-19下での災害時避難に関する情報について,インター ネット上で発信されているWeb記事を収集した。 ここでいう Web 記事とは, 新聞社, 通信社, 放送局, インターネットメデイア等といった組織が発信している情報のことを指す。Web記事を対象 とした理由は, 紙面記事と違い「締め切り」がなく速報性が高いこと,長い文章でも掲載できるため詳細な内容が記述されている場合があること等 (沼田ら,2011), 社会的関心の傾向を時系列で把握することに適していると考えられるためである。 具体的な収集方法としては,検索エンジンを用いて「コロナ and 避難」のキーワードで検索を行い,結果としてヒットした一覧から内容に合致する Web情報を収集した。なお,自然災害の視点から見た日本語の“避難”という用語には, 英語の Evacuation と Sheltering の両方の意味が含まれるが (林, 2020), 本研究ではそれらの意味を分別して整理せず,“避難”という用語をそのまま用いて分析を行った。また, 避難というキーワー ドを含めてWeb検索を行うと,例えば「家庭内暴力(ドメスティックバイオレンス)からの“避難”者への給付金」に関する記事など,自然災害とは関わりがない記事も合わせて検索結果に表示された。例えば, 次のような産経ニュースや朝日新聞デジタルの記事が該当する。 新型コロナウイルスの緊急経済対策で実施す る現金 10 万円の一律給付で,().DV被害を証明する書類とともに避難先の市区町村に申し出れば, () 申し出の際は, DV被害を理由に避難していることを確認するため $(\cdots)$ この確認書類を添付し,避難先の市区町村に申し出書を提出する。( $\cdots) \Gamma \mathrm{DV}$ 被害者への 10 万円給付手続き開始 30 日まで, 避難先自治体に」(産経ニュース2020年 4 月 24 日, https://www.sankei.com/politics/news/200424/ plt2004240046-n1.html)(原文ママ, 下線部は筆者) 新型コロナウイルスの感染拡大に対応して政府が打ち出した 1 人 10 万円の現金給付について, () 内閣府によると 1 年以内の避難で, $(\cdots)$ 住民票を移さないまま 1 年以上前に避難した人も必要な書類の発行が受けられない可能性があるという。()「DVで別居, 10 万円受け取り可能に自治体に申し出を」(朝日新聞デジタル 2020 年4月24日, https://www. asahi.com/articles/ASN4S32 V9N4RUTFL00G. html)(原文ママ,下線部は筆者) Table 1 Web article source (5 articles or more) 注)なお, 5 件以下の情報ソースは以下の通りである。 FNN, tenki.jp,茨城新聞,中国新聞,福井新聞(以上 4 件),TBS,紀伊民報,市民夕イムス,東海テレビ,南日本新聞,毎日新聞 (以上 3 件), KHBニュース, LIFULL HOME'S,TOKYO FM, テレビ山梨, ヒューモニー, わかやま新報, 下野新聞, 京都新聞, 高知新聞, 埼玉新聞, 山陰中央新報, 秋田魁新報社, 神戸新聞NEXT, 神奈川新聞, 千葉日報, 南海日日新聞,福島民報,北國新聞,琉球新報,両丹日日新聞(以上2件)@DIME,47NEWS, ABCニュース, ABS 秋田放送, AERA, AFP, BBC, Bloomberg, CBC News, DIAMOND online, Forbes JAPAN, Hotel Bank, Impress watch, IoTNEWS, KBS 京都, Lmaga.jp, LNEWS, NHK NEWS WEB, PR TIMES, Web東奥, YOU Yokkaichi, ぎふチャンDIGITAL,サンテレビNEWS, シブヤ経済新聞,ダ・ヴィンチニュース,ダイバーシティ研究所,テレビ愛媛,テレビ岩手,テレビ高知,テレビ静岡, テレビ朝日,ハーバービジネスオンライン,ベネッセ教育情報サイト,メーテレ,リスク対策.com,愛媛新聞,関西テレビ,岩手めんこいテレビ,岩手県$\cdot$いわて未来づくり機構,岩手日報,岩手放送,岐阜新聞,宮崎ニュースUMK,九州朝日放送,熊本放送,建設通信新聞,高砂経済新聞,山形新聞,産経ニュース,産経フォ卜,秋田放送,信毎web,寝屋川つ一しん,新潟日報,逗子葉山経済新聞,瀬戸内海放送,胆江日日新聞,中国放送,長野日報,東大新聞オンライン, 徳島新聞, 奈良新聞, 南海放送, 南日本放送,日テレ,日医オンライン,日刊工業新聞,日経 BP,日経メデイカル, 日本医師会, 日本農業新聞, 函館新聞, 房日新聞, 北海道新聞, 北海道文化放送, 北鹿新聞社, 北日本新聞社, 北日本放送,旅行新聞,和歌山放送ニュース(以上 1 件) こうした自然災害時の“避難(Evacuationや Sheltering)”とは関係ないWeb 記事については,収集した一覧から除外した。 Web 記事は,内閣府防災等による通知(内閣府ら,2020a)が出された2020年4~12月までの期間を対象に収集した。その後,有料記事や会員登録が必要で全文を閲覧できないものを除き,結果として496件のWeb記事を対象とした。Table 1 は収集したWeb 記事の情報ソースを示したものである。これらをテキストマイニング分析の基礎データとして使用した。 Figure 1 は日本国内におけるCOVID-19陽性者数の推移と収集したWeb記事を発刊日ごとに集計したものと累積数を示している。本研究では COVID-19の陽性者数の推移を踏まえて,5つの時系列フェーズに分ける。まず,フェーズIは 4 月 1 日を起点として, 1 都 1 府 5 県に緊急事態宣言が出された 2020 年 4 月 7 日前後に 1 回目のピークを迎え,4月16日に全都道府県への緊急事態宣言が適用されたことで収束に向かい,緊急事態宣言の一部解除が実施された 5 月 14 日までとする。次に,フェーズII 5 月 15 日から陽性者が 100 人を超えた6月28日までとする。フェーズ III は陽性者が増加傾向に転じ, 8 月 7 日に 1,595 人の陽性者を記録する 2 回目のピークを記録した後は減少傾向に転じた 8 月 31 日までとする。フェーズIVは陽性者の推移が約 500 人前後で横ばいを示す 9 月 1日から11月4日までとし, フェーズVは11月5 日以降, 再度増加傾向に転じ, 4,322人の陽性者を記録した 12 月 31 日までとする。また, 1 日当たりのWeb記事数が特出している日付を見ると,岐阜県が避難所運営ガイドラインを発表した記事等 $(5 / 12: 9$ 件 $)$, 令和 2 年 7 月豪雨に関する記事等 $(7 / 7: 12$ 件, $7 / 8 : 10$ 件),「防災の日」に関連する各地の訓練記事 $(8 / 31 : 10$ 件), 10 月中旬は 2019年房総半島台風 ・東日本台風に絡めた記事 (10/13:7件) などが挙げられる。なお, 各フェー Figure 2 Number of Web articles by phase $(N=496)$ 注) 数値は Web 記事数, カッコ内の数値は全 Web 記事数に占める割合を示している。なお,発刊日不明の Web 記事が 1 件ある。 Figure 1 Changes in the number of COVID-19 positives in Japan, cumulative number and publication date number of Web articles 注)陽性者数は厚生労働省のオープンデータ(https://www.mhlw.go.jp/stf/covid-19/open-data.html)を使用した。 ズごとの Web 記事件数を Figure 2 に示す。 ## 2.2 テキストマイニング手法 Web 記事分析を通じてCOVID-19下での妆害時避難に関する社会的関心の傾向を把握するため,収集したWeb 記事をテキストマイニング手法を用いて分析した。テキストマイニング手法分析を用いる意義として,1つはデータ探索による気付き,すなわち分析者が想定していない視点の発見があり,もう1つはデータを自分の言葉だけではなく,誰が操作しても同じ結果になる図表を示すことで,分析の信頼性向上や客観性を確保することが可能となることが挙げられる(樋口,2017;堀越ら,2019)。 Table 2 Basic data to be analyzed 本研究ではテキストマイニング分析を行うツー ルとして幅広く用いられているフリーソフトウェア「KH Coder3」(樋口,2020)を利用し,収集したWeb記事の本文を基礎データとして, COVID-19下での災害時避難に関する頻出語の抽出や共起ネットワーク分析,コレスポンデンス分析(対応分析)の3つを実施した。その際,2.1 で述べた5つのフェーズを踏まえて時系列での特徴的な語の変化にも注目した。 Table 2 はKH Coder3での分析に利用した基礎データの内容を示したものである。本研究の分析対象である Web 記事は新聞社等が公表したものが多く,木原ほか(2016)で指摘されているように本文中の誤字脱字は少ないと考えられるため, アンケート調査などの自由記述を対象とする際に行われる同義語の変換処理や誤字等の削除・訂正は実施していない。また,デー夕を取り込む際には,KH Coder3に備わっている「テキストのチェック」機能を活用した。なお,例えば「新型コロナウイルス感染症」は「新型」「コロナ」「ウイルス」「感染症」などのように,語として分割されることが考えられる。そのため,「新型コロナウイルス感染症」,「新型コロナウイルス」,「新型コロナ」,「避難所」,「避難場所」,「福祉避難所」の6つは抽出語の取捨選択において強制抽出 Table 3 Extracted words that appear frequently (top 60) する語として設定した。また,文章内に頻出する 「年」「月」,「日」については分析対象の語からは除外した。 ## 3. 結果 ## 3.1 COVID-19下での災害時避難に関するWeb 記事の頻出語抽出 Table 3はKH Coder3に登録したテキストデー夕における抽出語を出現頻度上位 60 位まで示したものである。語の出現頻度としては,検索時のキー ワードとしても活用した「避難所 (3674回)」「避難 (3084 回)」「新型コロナウイルス (635 回)」が上位に出現している。その先の順位を見ていくと,「感染 (2019回)」「災害(1598 回)」「対策(1218 回)」「人 (823 回)」「防災 (712 回) 」といったキーワードが続いていく。60位の「体育館」でも 238 回の出現回数であるため, 共起分析および対応分析では出現回数が 200 回以上の語を対象とした。 Table 4 は各フェーズごとに高い確率で見られる語のリストを示したものである。フェーズごとに頻出する語の特徴が変わっていることが分かる。詳細については,3.3にて分析を行う。 ## 3.2 共起関係からみる Web記事の全体像 出現パターンの似通った語,すなわち共起の程度が強い語を線で結んたものを「共起ネットワー ク図」と呼ぶ。Figure 3 は COVID-19×災害時避難に関するWeb記事データをもとに,Jaccard 係数を用いて計測した共起ネットワーク図である。 Jaccard 係数とはある 2 の語のうち,少なくとも 1つが含まれるテキストに対して,両方の語が現 れるテキストの割合を示す係数である。また,共起ネットワーク関係を示すために, “modularity” に基づく比較的強く互いに結びついている部分 (サブグラフ)を検出する手法により描画した。 なお, Figure 3では分析結果として, 語の数(Node) は44,共起関係の数(Edge)は60, 密度(Density)は .063, 最も弱い共起関係の Jaccard 係数の値 (Min. Coef)は.075が抽出された。検出されたサブグラフは9つである。サブグラフはそれぞれ,新型コロナウイルス感染症の拡大防止と避難 (避難所) 対策 (01), 市職員の避難所運営・開設訓練 (02), 密(密集)を避ける (03), スペース確保 (04), ホテル施設の活用と協定 (05), 豪雨被害 (06), 危険な場所や自宅の安全な場所 (07),想定地震発生 (08), 消毒・マスク (09) といったグループに分類できると考えられる。 ## 3.3 コレスポンデンス分析と共起分析による Web 記事内容の時系列傾向の把握 本節では, COVID-19陽性者数の推移に従って 5つに分類したフェーズごとに, Web記事の内容について分析を行う。まず,基礎デー夕をもとに,コレスポンデンス分析(対応分析)を行った (Figure 4)。コレスポンデンス分析とは, 語と語の関係性を散布図として視覚的に表現する方法である。どの記事にも現れるような語は原点付近に, 特定の記事に偏って現れる語は原点から離れた場所に布置される。原点付近には,「避難」「避難所」「対策」「発生」といった, 多くの記事に共通する語が布置している。こうしたキーワードは共起ネットワーク図のサブグラフの 01 と対応している。 Table 4 Frequent words by phase & .056 & 運営 & .053 & 訓練 & .042 & コロナ & .047 \\ Figure 3 Co-occurrence network diagram of Web articles in Evacuation and Sheltering with COVID-19 注)図中の○の大きさは単語の出現回数(Frequency)を表している。単語間で結ばれている線(Edge)は共起関係を表しており,共起関係を解釈しやすくするため最小スパニング・ツリーを強調表示する設定を行っている。 Figure 4 で外部変数の位置を見ると分散していることから,本研究で分類した5つのフェーズでは異なる語の傾向が見られることが分かった。時系列の傾向を見ていくと,フェーズIでは「自治体」「場所」「拡大」「場合」「検討」などの語が近くに布置している。「自治体」や「検討」という語から推測するに,またこの段階では各地域におけるCOVID-19下での災害時避難に関する検討が始まった時期であると考えられる。共起ネットワーク図のサブグラフでは 01 に該当する。 フェーズ IIでは,「自宅」「マスク」「避ける」「スペース」などの語が布置している。フェーズII なると, 自宅避難やマスクの確保, 避難所スペー スの確保などにより, COVID-19の感染を防ぐ方策の具体例が現れ始めている。共起ネットワーク図のサブグラフでは $03,04,07,09$ が該当する。 フェーズ IIIの付近では,「被災」「豪雨」「施設」「運営」「設置」「体調」「段ボール」「防止」などの語が布置している。フェーズIII鹿览島県で 2020 年 7 月 4 日に大雨特別警報が発令されるなど, 令和 2 年 7 月豪雨が発生し, 実災害に伴うCOVID-19下での災害時避難に関する状況を示す語が見られる。共起ネットワーク図のサブグラフでは 02,06 が該当する。フェーズIVでは,「地域」「支援」「状況」「台風」「ホテル」などが付近に布置している。この記事は2020年台風9号および台風 10 号の九州接近予報により, マスコミ等で盛んに報道が行われ, 九州地方ではホテルへの避難を選択する人が多数存在した。共起ネットワーク図のサブグラフでは 05 が該当する。 最後に,フェーズVでは「協定」「訓練」「想定」「確認」「話す」などが布置している。共起ネットワーク図のサブグラフでは $02,05,08$ が該当する。出水期・台風期を過ぎた時期ではあるが, 自治体等では台風 10 号時のホテル避難を踏まえて, ホテル事業者との協定を締結する動きがみられる。これは, 8 月7日に内閣府等から地方公共団体へ出された事務連絡, ならびに厚生労働 Figure 4 Correspondence analysis of Web articles in Evacuation and Sheltering with COVID-19 注)図中の○ (単語), $\square$ (外部変数) の大きさは出現回数(Frequency)を表している。成分 1,2 のカッコ内の数値は(固有値,寄与率)であり,固有値は各軸(成分)が含んでいる情報の大きさを示す指標, 寄与率はその軸(成分)によって多次元空間における語の分布の何\%が表現されているかを表している(堀越ほか,2019)。なお,この図は原点付近を係数2で拡大表示している。 省・観光庁から全日本ホテル旅館協同組合に出された協力依頼の「新型コロナウイルス感染症対策としての災害時の避難所としてのホテル・旅館等の活用に向けた準備について」や,台風第 10 号等での状況を踏まえて(フェーズIV),自治体等がホテル事業者との協定締結を進めた結果ではないかと推察される。その理由として, COVID-19 の感染拡大を防ぐためには接触機会を減らすことが重要であり,既存の避難所のみではその対策を十分に実現できないことが挙げられる。さらに,宿泊施設の避難所利用については笔害救助法適用により,避難者ひとり1泊あたりの計算で国からの支援が行われる(石川,2020)。こうした制度の活用も動きがあった要因として考えられよう。 また,実際にCOVID-19下での防災訓練を行っている自治体もあるが,一方でCOVID-19感染への懸念から訓練が実施できないという悩みを抱えるところもある。 Figure 5は5つのフェーズを外部変数として設定し, 語の共起関係が解釈しやすくなるよう, 最小スパニング・ツリー (minimum spanning tree)のみを表示した共起ネットワーク図である。「避難所」という語はどのフェーズとも強い共起関係を示している。フェーズの変数に紐づている語を見ると,フェーズIでは「自治体」「必要」などの語から徐々に自治体での対策の必要性が指摘されつつある傾向が見られ,フェーズIIでは「確保」「感染」などの語から感染拡大防止のためのスペース確保といった具体的な方策への関心が見られる。フェーズ III は令和 2 年 7 月豪雨を受けて 「運営」「対策」といった語が頻出し, フェーズ IVでは「台風」への関心が高まっている。最後 Figure 5 Co-occurrence network diagram with words and external variables of Web articles in Evacuation and Sheltering with COVID-19 注)図中の○の大きさは単語の出現回数(Frequency)を表している。単語間で結ばれている線(Edge)は共起関係を表しており,共起関係を解釈しやすくするため最小スパニング・ツリーのみを強調表示する設定を行っている。な㧍,この共起ネットワーク図の分析結果として, 語の数(Node) は 29 , 共起関係の数(Edge) は 28 , 密度(Density) は.069, 最も弱い共起関係の Jaccard係数の値(Min. Coef) は. 038 が抽出された。 にフェーズVでは,「情報」「確認」「訓練」「協定」など,より具体的なCOVID-19下での災害時避難に関する方策についての社会的関心が高まっていると考えられる。 ## 4. 考察一まとめにかえて一 本研究では,インターネット上で発信された Web 記事をもとにテキストマイニング手法を用いて,時期ごとにCOVID-19下での災害時避難に関する社会的関心がどのように変化したのかを分析した。その結果, COVID-19陽性者数の推移に基づき分類した5つのフェーズにおいて,「自治体」「人」「対策」「必要」(フェーズI)という用語からも推察されるように,初めは曖昧な関心が見られる時期を経て, 徐々に自宅避難やマスクの確保,避難所スペースの確保など,COVID-19の感染を防ぐ方策の具体例が現れ始め(フェーズII),令和 2 年 7 月豪雨や 2020 年台風 9 号, 10 号の災害を踏まえて(フェーズIII,IV),実際の対策や訓練等に関する語が見られるようになり(フェーズ V), 具体的な内容の社会的関心へと移り変わっていく様子が把握できたと考えられる。特に, 出水期前に該当するフェーズIににおいて,「自宅」「マスク」「避ける」「スペース」などの語が布置していることは,災害時避難における COVID-19の感染対策を意識している様子が窺える。さらに, フェーズIIIでは「段ボール」、フェーズIVでは 「ホテル」など, 避難所における COVID-19の感染対策を意識した単語が布置する結果も見られた。以上より,Web記事分析を通じてCOVID-19下における災害時避難への社会的関心の傾向が日を追うごとに変化していること, 具体的には, まず感染対策を示す単語が頻出し始め, 豪雨災害の経験を踏まえた訓練や他自治体との協力関係を構築す る流れへとつながっている傾向が把握できた。 一方で, フェーズ IIIの「豪雨」「被災」,フェー ズIVの「台風」,フェーズVの「訓練」などの語は梅雨や台風期,防災の日(9月 1 日)などの季節性や慣例から,該当する時期に頻出する語であるとも考えられる。そのため, これらの語は必ずしもCOVID-19下での災害時避難というテーマにおいてのみ,特徴的に見られる語ではない可能性があることに留意する必要がある。本研究では, あくまでCOVID-19が広がり始めた2020年以降の Web 記事を対象としているため,「豪雨」「台風」「訓練」などの季節性を示す用語がCOVID-19下での災害時避難において頻出したのか, 従来から Web 記事において頻出する用語だったのかを分別することができなかった。この点は, COVID-19 が拡大する 2020 年以前の Web 記事に基づいて,災害時避難への社会的関心の傾向を分析し,その結果と比較して考察する必要があろう。 このように,Web記事に基づいてエマージングリスクに対する社会的関心を把握することにより, どのような視点から課題解決を実現していくべきか,言い換えれば社会にとって効果的な結果をもたらす方向性を推測できる。フェーズIに見られた曖昧な関心が見られる時期には専門家からの知恵(専門知)の提供が有効になる。一方で,地域での経験や実践が行われ始めると,それらの情報(経験知)を共有することが有効になる。社会的関心が高い事象に対して,時勢に応じて経験知や専門知を意識的に提供することで,効果的な知の共有が図られ, 課題解決につながると考えられる。 また,今後は,社会的関心を把握するための分析対象をWeb 記事以外にも拡充する必要がある。 マスメディアの報道内容と社会意識の間には, 強い関連ないしは類似性が生じている(樋口, 2011)と考えられているが,Web記事はマスメディア等によってあらかじめ咀嚼されたものであり, 細部の社会的関心を掘り下げてはいない。すなわち, Web記事分析のみでは社会的関心の傾向をおおまかに把握することはできても,その関心の詳細を深く掘り下げて把握することは困難である。特に,ある単語がなぜ頻出したのかという要因についてはWeb記事だけでなく,その他の情報源も加味した分析が必要である。そのためには, Web 記事分析を併用しながら, 行政文書といった公的情報や,ソーシャルネットワーキング サービス (Social networking service: SNS)の投稿記事による個人単位で発信される情報(奥村, 2012)なども基礎データとして分析し, 複数の分析結果を組み合わせて社会的関心をより深く掘り下げていくための方法論が必要であろう。これらについては今後の課題としたい。 ## 謝辞 本研究におけるデー夕収集及び整理では,防姼科学技術研究所防災情報研究部門および総合防災情報センター自然災害情報室のスタッフの皆様にご協力をいただきました。また, 匿名の査読者からは本稿の改善に関する貴重なご指摘をいただきました。ここに厚く感謝申し上げます。 ## 参考文献 A Statement of the American Meteorological Society (2020) Tornado Sheltering Guidelines during the COVID-19 Pandemic (Adopted by the AMS Council on Council 9 April 2020), https://www. ametsoc.org/index.cfm/ams/about-ams/amsstatements/statements-of-the-ams-in-force/tornadosheltering-guidelines-during-the-covid-19pandemic/ (Access: 2021, Jan, 25) Cabinet Office, Fire and Disaster Management Agency, Ministry of Health, Labor and Welfare (2020a) Hinanjo ni okeru Shingata Corona Virus heno Taiou ni tsuite (2020, April, 1 Jimu Renraku), http://www.bousai.go.jp/pdf/korona.pdf (Access: 2021, Jan, 25) (in Japanese) 内閣府 (防災担当), 総務省消防庁, 厚生労働省 (2020a)避難所における新型コロナウイルス感染症への対応について (2020年4月 1 日事務連絡), http://www.bousai.go.jp/pdf/korona.pdf (アクセス日:2021年1月25日) Cabinet Office, Fire and Disaster Management Agency, Ministry of Health, Labor and Welfare (2020b) Hinanjo ni okeru Shingata Corona Virus heno Saranaru Taiou ni tsuite (2020, April, 7 Jimu Renraku), http://www.bousai.go.jp/pdf/korona.pdf (Access: 2021, Jan, 25) (in Japanese) 内閣府 (防災担当), 総務省消防庁, 厚生労働省 (2020b) 避難所における新型コロナウイルス感染症への更なる対応について (2020年4月7日事務連絡), http://www.bousai.go.jp/pdf/hinan_korona. pdf (アクセス日:2021年1月25日) Centers for Disease Control and Prevention (2020) Public Disaster Shelters \& COVID-19, https://www. cdc.gov/disasters/hurricanes/covid-19/publicdisaster-shelter-during-covid.html (Access: 2021, Jan, 25) Disaster Reduction and Human Renovation Institution (2020) Rinji Report Shingata Corona Virus Taisaku Tokusetsu Page, https://www.dri.ne.jp/research/ reports/special/ (Access: 2021, Jan, 25) (in Japanese)人と防災未来センター (2020) 臨時レポート新型コロナウイルス対策特設ページ, https://www. dri.ne.jp/research/reports/special/(アクセス日: 2021 年 1 月 25 日) FEMA (2020) COVID-19 Pandemic Operational Guidance for the 2020 Hurricane Season (June 5, 2020), https://www.fema.gov/sites/default/ files/2020-07/fema-2020-hurricane-pandemic-plan english.pdf (Access: 2021, Jan, 25) Hayashi, H. 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Society For Risk Analysis Japan
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# 【特集:日本リスク学会第33回年次大会総説論文】 ## 新型コロナウイルス感染症流行対策に対する 2020 年 8 月までの市民の対応* Response of the Japanese to COVID-19 till August 2020 \author{ 土田昭司 ${ }^{* *}$, 元吉忠寛**, 近藤誠司**, \\ 静間健人***,浦山郁***,小村佳代*** \\ Shoji TSUCHIDA, Tadahiro MOTOYOSHI, Seiji KONDO, \\ Taketo SHIZUMA, Kaoru URAYAMA and Kayo OMURA } \begin{abstract} Response of the Japanese to COVID-19 was investigated with 2 online questionnaire surveys conducted on May $2020[N=1,200]$ and on August $2020[N=6,000]$. The results showed that high anxiety led sense of discrimination and adopting prevention behaviors against infection. People in metropolitan areas seemed estimating infection risk of long rage transport lower than people in rural areas. And response to Covid-19 of the Japanese residing outside of Japan was investigated with an online survey on August 2020 [N= 116]. The results showed that in many countries the respondents answered that their local governments' policies against COVID-19 were better than the Japanese policy because of swiftness, leadership, public relations, ICT use, and so on. \end{abstract} Key Words: COVID-19, anxiety, new normal life styles, people flow, social networking service (SNS) 2020年2月にクルーズ船ダイヤモンド・プリン セス号の乗客に新型コロナウイルス感染者が確認されて, 日本における新型コロナウイルス感染症流行が始まった。日本では感染判明者数, 入院治療等を要する者の数などにもとづけば 2020 年 4 月に第一波,同年 8 月に第二波のピークがあった (厚生労働省,2020)。これに対して第一波では日本政府は2月27日に一斉休校を宣言し, さらに, 4月7日には7都道府県を対象として緊急事態宣言を発令し,4月16日にはその対象エリアを全国に拡大し,広く国民に感染症流行対策として自弗行動を取るように呼びかけた。第一波における緊急事態宣言は5月14日に39県において,5月25 日に全国において解除された。8月を中心とした ナウイルス感染症流行対策として都市封鎖 (lockdown)などの私権を強く制限する強い防御措置がとられたのに対して, 日本では政府や自治体から自粛を国民に呼びかけられただけではあったが, それらの自粛要請は人々の生活や行動に大きな影響を与えた。具体的には, 国民に求められた感染症流行対策としての「自肅」行動は大きく次の3つに分類される。1) 手指衛生 (手洗い, 消毒用アルコールなど),2)飛沫対策(マスク,アクリル板など),3)対人接触制限(身体的接触制限, いわゆる三密の回避, 通勤・通学を含む外出・移  動制限,外食・旅行制限など)。このうち対人接触制限は外食産業, 旅行産業, 運輸産業などにきわめて深刻な悪影響を与えるとともに非正規雇用を中心に雇用の減少をもたらした。 日本における新型コロナウイルス感染症流行対策としての自粛要請が, 2020 年 8 月までに人々の行動と心理にどのような影響をおよぼしたかを,質問紙調査研究にもとづいて検討する。特に, 新型コロナウイルス感染症流行に対する不安, 差別や偏見, 自粛の受容, 自粛に伴う新しい生活様式の受容に着目した検討を行う。 さらに,諸外国との比較のために,海外に居住する日本人を対象とした質問紙調査研究も合わせて検討した。 ## 1. 2020 年 5 月における日本の市民の感染症流行対策行動の実態 元吉 $(2020,2021 a, 2021 b)$ は,新型コロナウイルス感染症流行第一波の緊急事態宣言が全国において解除された 2020 年 5 月 25 日の翌日である 26 日から 2 日間にオンラインによる質問紙調査を実施した。回答者はインターネットモニターで, 岩手県, 東京都, 大阪府に在住の 20 歳から 69 歳までの男女 1,200 名であった。この調査では, 新型コロナウイルス感染症流行に対する自粛行動, 不安, 過去 1 ケ月間の心理的ストレス, 自肅をしない他者に対する嫌要感, 回避行動, うわさやデマへの認知などについて質問した。 調査の結果,手指衛生として30秒の手洗いをしていた人は $59.8 \%$ ,家に帰ったとき顔を洗っていた人は $25.1 \%$ ,飛沫対策としてマスクをしてい た人は $77.2 \%$ ,咳エチケットを徹底していた人は $80.4 \%$ ,正面を避けて会話をしていた人は $40.8 \%$,対人接触制限としていわゆる三密を避けていた人は 83.3\%であった。感染症流行対策行動には男女差がみられ, 多くの行動において男性よりも女性が感染症流行対策をとっていた(Table 1)。元吉 (2020, 2021a, 2021b) は新型コロナウイルスに「自分自身が感染する不安」と「日本でウイルスが広がることの不安」を質問した。その結果,自分自身の感染不安を全体で $70.2 \%$ (女性: $76.0 \%$,男性:64.3\%)が肯定した。日本に広がる不安には全体で $82.4 \%$ (女性:88.0\%, 男性:76.8\%)が肯定した。多くの人が不安を覚えていたといえる。男性よりも女性のほうが不安を覚えている人が有意に多かったが, 岩手県, 東京都, 大阪府の間に有意差はみられなかった。一般に女性は男性よりも危険を不安視する傾向が強い (cf. Flynn et al., 1994)が,新型コロナウイルス感染症流行においてもこの傾向は顕著であった。また,この時期に, 自分の近くで感染者が多く報告されているかに関わらず不安が高まっていたといえる。 さらに元吉 $(2020,2021 a, 2021 b)$ は, 不安度と自肅行動の関連を分析した。不安度が高いほど自沜行動をするという中程度の相関があった。また,行動免疫システム(感染症に対して,罹患リスクを高める対象への嫌覀・不安を高めることで罹患リスクを回避しようとする心理的適応機能: Schaller and Duncan, 2007)による予測から, 不安度と逸脱行動をする者への嫌悪感と差別行動との関連も分析した。不安感は嫌悪感とは相関があったが,具体的な差別行動とは相関がなかった。 Table 1 Gender differences of self-restraint behaviors in response to COVID-19 on May 2020 ${ }^{* *} p<.01{ }^{* * *} p<.001$ (means of 5-point-scale) [source: Motoyoshi(2021a)] Table 2 Regional differences of anxiety and effectiveness perception of avoiding outings and long range transport on August 2020 (means of 5-point-scale) [source: Tsuchida et al.(2020)] ## 2. 2020 年 8 月における日本の市民の感染症流行対策行動の実態 土田ら(2020)・土田(2021)は,新型コロナウイルス感染症流行の第二波の期間であった 2020 年 8 月27日から3日間にオンラインによる質問紙調査を実施した。回答者はインターネットモニター で,東北地方(6県),東京都,大阪府,中国$\cdot$四国地方(9県)に在住の20歳から69歳までの男女 6,000 名であった。各地域毎に総務省による 2019年 10 月 1 日現在の人口推定にほぼ応じて性年齢別に回答者が割り当てられた。この調査では,2020年 8 月における帰省・旅行,新型コロナウイルス感染症流行に対する不安とリスク認知,自粛行動, 過去 1 ケ月間と感染症流行前である 1 年前の情報行動, 差別的行動, 新しい生活様式への対応などについて質問した。 調査の結果,「自分自身が感染する」不安は全体で $65.2 \%$ (女性: $71.4 \%$, 男性: $59.1 \%$ )の人が肯定した。「同居家族が感染する」不安は全体で $70.8 \%$ (女性:77.5\%,男性:63.8\%)の人が肯定した。女性の不安感は男性よりも有意に高かった。 さらに,地域差がみられ,大都市圈(東京都,大阪府)において地方圈(東北地方,中国 - 四国地方)よりも不安感が有意に高かった(Table 2)。 対人接触制限のうち外出の自粛の有効性は, 大都市圏(東京都,大阪府)において地方圏(東北地方,中国・四国地方)よりも高く認識されていたが,他の都道府県への移動の自粛の有効性は逆に低く認識されていた(Table 2)。 2020 年 8 月中に帰省をした人は, 東北地方で $15.3 \%$, 東京都で $10.9 \%$, 大阪府で $13.7 \%$, 中国・四国地方で $14.1 \%$ であっ。また同月中に旅行をした人は,東北地方で $10.9 \%$, 東京都で $12.5 \%$, 大阪府で $14.4 \%$, 中国・四国地方で $8.8 \%$ であった。 2020 年 8 月に帰省をした人の帰省先は,地方圈 (東北地方,中国・四国地方)では,ほとんどの人が圏内 $($ 東北 $\rightarrow$ 東北, 中国 $\cdot$ 四国 $\rightarrow$ 中国 $\cdot$ 四 Table 3 Destinations for HOMECOMING on August 2020 \\ 東北 & $8.6 \%$ & $0.0 \%$ & $\mathbf{8 6 . 9 \%}$ & $0.5 \%$ \\ 関東 & $\mathbf{4 9 . 7 \%}$ & $4.9 \%$ & $5.7 \%$ & $0.5 \%$ \\ 関西 & $8.0 \%$ & $\mathbf{7 5 . 6 \%}$ & $0.9 \%$ & $3.3 \%$ \\ 中国$\cdot$四国 & $3.7 \%$ & $9.3 \%$ & $0.4 \%$ & $\mathbf{9 1 . 0 \%}$ \\ 沖縄 & $0.6 \%$ & $0.0 \%$ & $0.4 \%$ & $0.0 \%$ \\ その他 & $25.7 \%$ & $9.2 \%$ & $4.4 \%$ & $4.8 \%$ \\ [source: Tsuchida et al.(2020)] Table 4 Destinations (incl. planned ones) where those who traveled on August 2020 & 東京都 & 大阪府 & 東北 & \\ 東北 & $4.8 \%$ & $3.2 \%$ & $\mathbf{8 3 . 5 \%}$ & $2.3 \%$ \\ 関東 & $\mathbf{6 0 . 1 \%}$ & $7.4 \%$ & $12.8 \%$ & $6.1 \%$ \\ 関西 & $4.8 \%$ & $\mathbf{5 0 . 5 \%}$ & $0.6 \%$ & $9.1 \%$ \\ 中国・四国 & $2.1 \%$ & $16.2 \%$ & $1.2 \%$ & $\mathbf{6 6 . 7 \%}$ \\ 沖縄 & $9.6 \%$ & $4.2 \%$ & $1.2 \%$ & $2.3 \%$ \\ その他 & $32.4 \%$ & $27.3 \%$ & $6.1 \%$ & $15.9 \%$ \\ (MA) [source: Tsuchida et al.(2020)] 国)であったが,大都市圏(東京都,大阪府)では,特に東京において全国各地に帰省をしていた (Table 3)。この傾向は旅行先・旅行希望先の結果においてより顕著であった。Table 4 は2020年 8 月に旅行をした人の旅行先と旅行希望先である(複数回答)。地方圈においては,多くの人が圈内を旅行先・旅行希望先にあげたが, 大都市圏では旅行先・旅行希望先が各地に分散していた。この結果は,帰省については大都市には多数の地方出身者がいるのに対して, 地方圏では地元の人が多数であることが反映された結果であると解釈できるが,帰省と旅行の結果を合わせて考えると,大都市圈では地方圈よりも遠距離の移動による感染リ Figure 1 Anxiety of infection and self-restraint behaviors on August 2020 (means of 5-point-scale) [source: Tsuchida et al.(2020)] Figure 2 Anxiety of infection and annoyance by people who did not self-restrain on August 2020 (means of 5-point-scale) [source: Tsuchida et al.(2020)] スクが低く認識されたのではないかと解釈できる。 2020 年 5 月末の調査結果(元吉, 2020,2021a, 2021b)と同様に 2020 年 8 月においても感染不安が高いほど自粛行動をしている関連があった (Figure 1)。 感染不安は,逸脱行動をしている人へのいらたちとも同様に関連があった(Figure 2)。平均値では,感染不安が低い群では逸脱行動をしている人へのいらだちは否定的であったが,感染不安が高い群では逸脱行動をしている人へのいらだちに肯定的であった。 逸脱行動をしている人への抗議意図は, 平均値では否定的であり, 感染不安が低い群ほど抗議意図が低いという関連があった(Figure 3)。 ソーシャルメディア(SNS)に打いて,感染者や Figure 3 Anxiety of infection and complaints about people who did not self-restrain on August 2020 (means of 5-point-scale) [source: Tsuchida et al.(2020)] 逸脱行動をしている人への非難についての分析結果を Table 5 に示した。 2020 年 8 月中に SNS の投稿を読んだは $74.8 \%$, SNSに投稿したと回答した人の割合は $34.6 \%$ であった。どちらも大都市圈が地方圈よりも有意に高かった。 2020 年 8 月中にSNS の投稿を読んだ人のうち,感染者が非難されても仕方がないと思った人は $43.8 \%$ であった。また, 逸脱行動をしている人が非難されても仕方がないと思った人は約半数であった。これらに地域差はほとんどなかった。 2020年 8 月中に SNS の投稿をした人のうち, 感染者や逸脱行動をしている人を非難する投稿をした人は1割強であった。地域差はほとんど無かった。 この結果は, 新型コロナウイルス感染者や自粛をしない逸脱行動をする人を非難する差別的な心理が潜在的にせよあったことを示していると解釈できよう。特に, SNS 投稿者の 1 割強が感染者や逸脱行動をしている人を非難する投稿をしたと回答したことは留意すべきであろう。 ## 3. 新型コロナウイルス感染症流行にとも なう新常態への人々の対応 静間ら(2020)は, 新型コロナウイルス感染症流行によって社会に普及した新しい生活様式(新常態) への人々の適応を一種の異文化適応 (Sam et al., 2010)であるととらえて, 生活様式の実施とそれに伴う気づきが新常態への適応に影響するかを検討した。土田ら (2020) ・土田(2021)と同じ2020 年 8 月末の調査デー夕をもとに, 同居家族がいる人のみ $(\mathrm{N}=4,613)$ を対象として, Figure 4 に示した分析をした。 Figure 4の各要因についての測定変数を Table 6, Table 7, Table 8, Table 9, Table 10 に示した。 Table 5 Blaming people who did not self-restrain and COVID-19 infected persons on SNS on August 2020 [source: Tsuchida et al.(2020)] Figure 4 Causal model of adjusting NEW NORMAL life-styles on August 2020 $\left(\chi 2(4)=74.38, \mathrm{p}<.001, \mathrm{GFI}=.99, \mathrm{CFI}=.99\right.$, RMSEA=.06) (Standardized Coefficient, $\left.{ }^{*}: \mathrm{p}<.001\right)$ [source: Shizuma et al.(2020)] Table 6 Anxiety of infection on August 2020 [source: Shizuma et al.(2020)] Table 7 Anxiety of uncertain source of infection on August 2020 [source: Shizuma et al.(2020)] 「感染不安」と「感染源が不明暸である不安」 が「新しい生活様式の実施度」を規定し, さらに,それが「新しい生活様式における気づき」と「新しい生活様式の容認」を規定し,また,「新しい生活様式の容認」は「新しい生活様式における気づき」からも規定されるとの Figure 4 のモデル Table 8 Adjustment of NEW NORMAL life-styles on August 2020 [source: Shizuma et al.(2020)] Table 9 Awareness of NEW NORMAL life-styles on August 2020 & .85 & .72 & 3.18 & 0.89 \\ [source: Shizuma et al.(2020)] Table 10 Positive evaluation of NEW NORMAL life-styles on August 2020 & .74 & .55 & 3.73 & 0.86 \\ [source: Shizuma et al.(2020)] へのデータのあてはまりがよいことが確認された。Figure 4 に示した各パスは有意であった。 さらに,東北地方,東京都,大阪府,中国・四国地方の各地域について Figure 4 のモデルの多母集団同時分析を行ったところ,「新しい生活様式における気づき」が「新しい生活様式の容認」を規定する関係は東京都において特に強いことが明らかになった。 Table 11 Evaluation (scoring 100) of the government where respondents resided and difference between that of the Japanese government \\ ベトナム & 21 & 89.1 & 51.2 \\ タイ & 17 & 84.3 & 47.2 \\ フィリピン & 12 & 41.3 & -10.8 \\ インドネシア & 11 & 43.6 & 1.4 \\ 中国 & 11 & 82.3 & 25.5 \\ マレーシア & 7 & 86.4 & 45.0 \\ インド & 7 & 47.1 & -21.4 \\ [source: Kondo and Tsuchida(2021)] ## 4. 新型コロナウイルス感染症禍における 在外邦人の実態 近藤,土田 $(2020,2021)$ は,新型コロナウイル入感染症流行のなかで海外に駐在・在住する日本人を対象として,現地における新型コロナウイル入感染症流行の日本人としての影響と,現地から日本がどのように見えているのかをGoogle フォームによるオンライン質問紙調査によって調べた。調査回答者は関西大学卒業生により構成されている校友会の海外支部メンバー116名であった。調査期間は2020年8月1日から同月23日 (JST)。回答者の駐在・在住国は,アメリカ(22 名), ベトナム (21名),タイ (17名),フィリピン (12名),インドネシア(11名),中国(11名)、マレーシア (7名),インド (7名),ミヤンマー (2名), ブラジル (2名), 台湾 (2名), カンボジア (1名)。 ラオス(1名)であった。滞在年数は, 3 年未満 $44.0 \%, 3 \sim 10$ 年 $32.8 \%, 10$ 年以上 $23.3 \%$ であった。 駐在・在住国政府と日本政府それぞれの新型コロナウイルス感染症対策について 100 点満点で主観的に評価を求めた。駐在・在住国政府への評価は平均値 67.9( $S D=24.9)$ であったのに対して,日本政府への評価は平均値 $45.0(S D=21.6)$ であった。回答者が7名以上の駐在・在住国毎の結果を Table 11 に示した。インド,フィリピンでは,現地政府よりも日本政府の対策がよいと評価されていたが、ベトナム,夕イ,マレーシアでは,圧倒的に現地政府の対策の方がよいと評価されていた。 なぜこのような評価をしたのかの自由回答を求めたところ次の 8 つの評価基準が抽出された。 1) 対応の迅速さ 2) リーダーシップ 3)広報の在り方 4)中央政府と地方政府の方針の統一性や責任の所在 5)優先順位の付け方 6) ICT(情報通信技術)の活用度 7)施策の帰結・結果 8)[日本政府に限定した評価基準として]海外在住邦人への支援策が見えないこと さらに,駐在・在住国政府の対策の良い点/畽い点について自由回答を求めたところ,次の 3 つのカテゴリが抽出された。 1)ガバナンスの在り方の違い。「法的拘束力がある」,「徹底している」,「罰則があることで実効性がある」,「軍まで関与してくれている」,「強いリーダーシップが発揮されている」など 2)医療とICTなどの科学技術の違い。医療は日本が優れているとの回答が多くの国であったが,ICTは駐在・在住国のほうが優れているとの回答が多かった。 3)社会・文化的な特性。相互扶助の風習が駐在・在住国の良い点とあげられた一方で,貧富の格差や外国人への偏見などが悪い点としてあげられた。 次に,日本人として駐在・在住国において差別的な扱いを経験したかについては, $75.9 \%$ がそのような経験は無かったと回答した。 最後に,新型コロナウイルス感染症流行に打いて最もストレスに感じていることの自由回答を求めたところ,次の5つのカテゴリが抽出された。 1)自分や同居家族が感染するのではないかとの不安などの健康に関するストレス 2)仕事,経済,雇用,買い物・娛楽・会食などができないなど生活全般が不自由なこと,子どもの教育など暮らしに関するストレス 3)国の方針が理解できない,情報が不足している,あるいは,治安の悪化など社会に関するストレス 4)日本でまだ感染が拡大していることから,日本への帰国ができないことに関するストレス 5)新型コロナウイルス感染症流行のゴールが見えないことのストレス ## 5. 総合的考察 新型コロナウイルス感染症流行は,世界的に多 くの感染者と死者を出している。人々はその対策としてインフルエンザなどに打いて求められる手指衛生や飛沫対策だけではなく, 対人接触制限というこれまでに経験したことのない自肃行動を求められることになった。これは「恐ろしさ」と 「未知性」が高い(Slovic,1987)事象であることから危険性が高く認識され, そのため強い不安を喚起したと考えられる。さらにその影響は社会的に増幅されて(Kasperson et al., 1988), 日常生活様式のさまざまな変更,経済的損失など社会全体に大きなインパクトを与えたと解釈できる。 感染症流行の第一波直後である 2020 年 5 月末の調查 (元吉, 2020, 2021a, 2021b) においても, 第二波中である 2020 年 8 月末の調查 (土田ら, 2020;土田,2021)においても,自分や同居家族が感染するのではないかとの不安をほとんどの人が持っていることが明らかになった。なお, 2020 年 5 月末の調査では地域差はみられなかったが, 2020 年 8 月末の調査では大都市圈において地方圈よりも感染不安が高かった。調査対象地域が一部異なるので即断はできないが,第二波の時点では人々に感染症流行への慣れが生じて特に地方圈において感染不安が下がった可能性もあると考えられる。 2020 年 8 月末の調査において, 対人接触制限のうち他の地方・国へ行く遠距離の移動についてのリスク認知には地域差がみられた。地方圏, 特に東北地方では,8月中の帰省・旅行は比較的に近距離の圈内にとどまっていたのに対して,大都市圈, 特に東京都では, 8 月中の帰省・旅行として遠距離の移動が多くみられた。大都市圈では地方圈よりも感染不安は高かったものの, 少なくとも遠距離の移動による感染については対応行動があまり伴っていなかったのではないかと思われる。 新型コロナウイルス感染症流行の第四波(2021 年4月以降)になって人々のなかにいわゆる「自粛疲れ」が生じたと指摘されている (内閣府, 2021)。上記の2つの調查研究結果をみれば「自粛疲れ」の兆候は第二波(2020年夏)の頃からあったと推察することができるであろう。 感染不安の個人差は自粛行動の個人差に反映していたことが2020年 5 月末の調査(元吉, 2020, 2021a,2021b)と2020年 8 月末の調查(土田ら, 2020;土田,2021)において共に確認された。すなわち, 感染不安が強い人ほどさまざまな自粛行動をより行っていた。さらに,2020年8月末の調查では,自肃行動を取ることが新常態への適応を促していたことも確認された(静間ら,2020)。 社会に打ける感染不安の広まりは, 元吉 (2021a)が指摘しているように, 行動免疫システム(Schaller and Duncan, 2007)などによって, 感染症対策からの逸脱行動をしている人への嫌悪感や差別意識を高めたと考えられる。実際,2020年 5 月末の調査と 2020 年 8 月末の調査において共に感染不安が強い人ほど逸脱行動をしている人への嫌悪感が高かった。2020年 8 月末の調査では, 全般的に差別意識は低かったが, 感染不安が低い人ほどより差別意識が低いことが明らかになった。 以上の調査研究結果から, 多くの人々が新型コロナウイルス感染症流行の第一波, 第二波の時期において不安を感じていたことは確かであろう。不安の高さは感染症対策行動すなわち自肃行動を促したといえる。さらに, 感染症流行に対する不安が対策行動を取らないことを逸脱行動とみなして嫌悪感や差別意識を生じさせていたことは重視しなければならないと考える。 実際に,2020年 8 月末の調査(土田ら,2020;土田,2021)では,8月中にソーシャルメディア (SNS)の投稿を読んた人のほぼ半数が逸脱行動をしている人が非難されてもしかたがないと思っていた。潜在的にせよ差別意識あるいは独善意識があったことがうかがえる。さらに、ソーシャルメディアに投稿した人の 1 割強が逸脱行動をしている人を非難する投稿をしたと回答した。ソーシャルメディアにおける情報の拡散力を考慮すれば投稿した人の1割強が差別的行動あるいは独善的行動をしたことは社会として今後の課題とすべきであろう。 日本の新型コロナウイルス感染症流行対策が海外からはどのように評価されるか,あるいは,海外において日本人に対する新型コロナウイルス感染症流行ゆえの差別があるのかを確認するために, 在外邦人を対象とした調查 (近藤, 土田, 2021)を検討した。この調査は, 比較的に少数のサンプルであり, かつ, 一大学の卒業生組織会員のみを対象としていたことから, 調査結果を一般化して解釈することには慎重にならなければならないが, 駐在・在住している多くの国の日本人が現地政府の新型コロナウイルス感染症対策のほうが日本政府の対策よりも優れていると回答した。 その理由として, 対応の迅速さ, リーダーシップ,広報の在り方,ICT(情報通信技術)の活用 などがあげられた。また,在外邦人がコロナ禍において日本人であることによる差別を経験した事例は少数であった。この研究は, 日本と海外における新型コロナウイルス感染症流行対策に相違があり,また,人々の新型コロナウイルス感染症流行に対する心理や行動にも日本と海外では異なっていた可能性を示唆している。今後, 新型コロナウイルス感染症流行に伴って日本社会において生じた現象を客観的に評価するために海外との比較研究が深まることが望まれる。 ## 謝辞 本取組の一部は, 2020 年度関西大学教育研究緊急支援経費において,課題「新型コロナウイルス感染症とその対策にかかる社会における情報流通の問題点と市民の行動:国際比較も視野に入れて」として支援経費を受け,その成果を公表するものである。 ## 参考文献 Cabinet Office, Japan (2021) Shingata-Koronauirusu kansensho no eikyoka niokeru seikatsuishiki-koudou no henka nikansuru chosa, https://www5.cao.go.jp/ keizai2/manzoku/pdf/result3_covid.pdf (Access: 2021, Jun. 26) (in Japanese) 内閣府 (2021) 新型コロナウイルス感染症の影響下における生活意識・行動の変化に関する調査, https://www5.cao.go.jp/keizai2/manzoku/pdf/ result3_covid.pdf(アクセス日:2021年6月26日) Flynn, J., Slovic. 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Society For Risk Analysis Japan
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# 【資料論文】 ## 新型コロナウイルスの感染リスクに基づく感染対策の評価* ## Evaluation of Infection Control Based on Infection Risk of Novel Coronavirus \author{ 藤長愛一郎**, 岸川洋紀***, 村山留美子**** \\ Aiichiro FUJINAGA, Hiroki KISHIKAWA and Rumiko MURAYAMA } \begin{abstract} Since Coronavirus disease 2019 (COVID-19) was spread in the world, we have been compelled to do infection controls such as putting a mask on, washing hands, avoiding contact to other people, and so on. However, it is difficult to know how effective the infection controls are. Therefore, the purpose of this study is to provide the information about the evaluation of the infection controls based on infection risk. In this study, infection risk was calculated semi-quantitatively. As a result, it is numerically shown that air-mediated routes such as droplets and aerosols are important for the infection. And also, it is effective to put a mask on, take social distancing, and ventilate as infection controls. If people could understand what infection controls are effective on the infection risk, the people would continue the infection controls in order to control COVID-19. \end{abstract} Key Words: COVID-19, infection, risk, control ## 1. はじめに ## 1.1 背景 新型コロナ感染症(COVID-19)(以下「新型コロナ」) は,中国武漢市で患者が報告された 2019 年 12 月以後, 全世界に広がった。日本でも 2020 年3月 2 日から春休みまで全国の小・中・高校が休校となった。また, 社会全体でも予定されていたイベントが次々と中止され,4月7日からは首都圈, 大阪府, 兵庫県, 福岡県で, 緊急事態宣言が1カ月間出された。それ以降も日本だけでなく全世界で,感染対策のための制限が課せられ,新型コロナが流行る以前に行っていた「不要不急」 である仕事以外の趣味や休養目的の活動は制限せざるを得なくなった。 また, 働き方としては,会議がオンラインで行 われるようになり,出張がほとんどなくなった。 そして,首都圈を中心に在宅勤務も行われるようになった。これらは, 感染者と遭遇する機会をできるだけ減らし, 感染経路を断つためであり, 人の移動を 8 割削減できれば, 急速に感染者数が減少するという計算結果が話題になった(日経サイエンス, 2020)。そして, 外出する際には, マスクを着用すること, また人と人との距離(ソー シャルディスタンス) を最低 $1 \mathrm{~m}$ は取ること,また換気を暑くても寒くても十分にすることが推奨された。これらは飛沫やエアロゾルによる感染を防ぐ対策である(厚生労働省,2020a)。 ここでいう「飛沫」は粒径 $5 \mu \mathrm{m}$ 以上とされて いて, $5 \mu \mathrm{m}$ 未満のものは「飛沫核」と呼ばれる。 また,「エアロゾル」は粒径が $1 \mathrm{~nm} \sim 100 \mu \mathrm{m}$ とさ  れているが, 飛沫とエアロゾルの境界は明確ではない。感染に関して, 飛沫の特徴は,「マスクでほぼ除去される」,「すぐに床に沈着する」,「直接粘膜に入る・一部吸入される」ことである。また,エアロゾルの特徴は,「マスクで一定割合除去される」,「一定時間浮遊する」,「吸入される」 である(西村, 2020; 竹川, 2021; WHO, 2020a)。 会話やせき, くしゃみなどで生じる飛沫は, すぐに床に沈着し,マスクでほぼ除去される。そのため, 飛沫感染は, 空気感染とは区別されている。新型コロナの場合, 当初, WHOは病院などで大量のエアロゾルが発生する場合を除いて, 空気感染は起こらないとしていた(WHO, 2020a)が, 2020年7月には換気の悪い空間における空気感染の可能性を認めている(WHO, 2020b)。 また,手洗いについては,感染者から発せられたウイルスを含んだ飛沫を手に付着させて感染しないために, 洗剤 10 秒もみ洗い, その後, 15 秒すすぐことが推奨された (厚生労働省, 2020b)。 さらに, 使用された机などをアルコールで消毒することなども推奨された。 一方で,行動制限をするということは,通常の活動ができず,経済や教育などにマイナスの影響となる。また, 個人でできる感染予防対策も費用や手間がかかり,今まで必要なかったコストや時間がかかる。また,心理的なストレスもかかり, いつまで我慢すればいいのか,どこまで対策すればいいのか,終わりが見えずストレスに感じている人は多い (ニフティニュース,2020)。 そのため, 感染対策をいつまで, どれ位すべきなのか把握できないと, 対策を行うことに疲れてしまうと予想される。そこで,普段実施している感染対策がどの位効果があるのか, 提示することができれば,対策を継続するモチベーションになると考えられる。 ## 1.2 研究目的 現在, 実際に感染対策として実施されている (1) マスク,(2)人との距離, (3)換気, (4)手洗い, (5)消毒,および(6)接触回避による感染予防効果を,リスク評価の手法を用いて比較検討する。そして,各感染対策はどの程度効果があるのかを半定量的に把握する手法を提案する。 Figure 1 Exposure routes of COVID-19 from an infected person to a susceptible person ## 2. 方法 ## 2.1 感染経路 新型コロナの感染リスクを求めるためには, 新型コロナウイルスのばく露量を求める必要がある。そのため, 感染者と接触した場合に, ウイルスのばく露経路として, 空気を媒体とする経路, また机や椅子などのモノに付着した飛沫などを手などで接触する経路を考えた(Figure 1)。そして,各人がどのような感染対策をしているのかを,質問に答えることにより感染リスクの概算ができるような表を作成した(Table 1)。 ## 2.1.1 飛沫・エアロゾル感染 空気中の飛沫やエアロゾルによる感染経路であり, 感染者および未感染者がマスクを着用することで, どちらも空気中への放出を削減することができる。たたし, マスクにも粒子状物質を95\%捕集できるN95マスク, 通常使い捨ての不織布マスク, 布マスク, 呼吸のしやすいウレタンマスクなどがある。しかし, マスクの性能を保つには, マスクの形がマスクをつける人の顔の形に合い,密閉性が保たれる必要がある。 ## 2.1.2 接触感染 感染者の飛沫や触った場所を未感染者が手などで触れて, それが口などを経由して感染する経路である。一旦, モノに付着したウイルスを, 未感染者が接触することで感染するため, 接触する場所が重要である。よって, 接触する前にウイルスが付着した場所を消毒するか, 接触しても手で口などを触る前に手を洗っていれば,接触感染は防げると考えられる。 ## 2.2 感染リスクの計算式 新型コロナウイルスによる感染リスクを式(1) と式(2)で表す。ウイルスによる感染リスクは, Table 1 Questionnaire for parameter of the exposure routes } & \multirow[t]{2}{*}{ 数値記入 } & \multirow{2}{*}{ 単位 } \\ Risk 計算結果 $=\mathrm{P} \times\left(\mathrm{M}_{\text {空気 }}+\mathrm{M}_{\text {接虫 }}\right)=$ まずウイルスの発生源を特定して,対象となる未感染者がどの位ばく露するかを推定する。そして用量-反応の関係式を用いて,感染の確率を求めるものである(WHO,2016)。例えば,下水道処理場由来のロタウイルスやノロウイルスなどの感染リスクは,用量一反応式を用いた推計結果が報告されている(Pasalari et al., 2019)。しかし, SARS コロナウイルスの用量-反応関係は報告されている(Watanabe et al., 2010)ものの, 新型コロナウイルスの用量-反応式はまだ明確ではない。新型コロナウイルスの用量-反応式の代わりに,SARS コロナウイルスの式を用いて類推した報告がある (Zhang and Wang, 2020)が, 本研究では用量-反応の式を用いることはせずに, 感染者との遭遇確率に比例して感染が増加するとして, 感染リスクを計算する。 なお,ここで取り扱う感染リスクの「感染」とは, 行政が発表する感染者数に対応した概念であり,PCR検查で陽性と判断されることを表す。 よって, 必ずしも感染による症状 (発熱, 下痢,咳など)が現われている「症状がある状態」とは限らず,通常の感染症リスクとは異なる取り扱い となる。しかし, 新型コロナの感染拡大防止のために, 無症状や軽症の「感染」も含めた感染リスクを抑制することが重要であると考えられるため, 本研究では「感染」を症状の有無ではなく,検査で陽性とされることとして取り扱う。 そこで,感染リスクをリスクの概念に基づいて式(1)を作成した。リスクは有害な影響が生じる確率であるため (日本リスク研究学会, 2019), ウイルスによる感染リスクは,「ウイルスを発する感染者と接する確率」と「ウイルスが存在する場合の感染割合」との積で表されるとして作成した。 ## Risk $=\mathrm{P \times \mathrm{M}$} ここで, Risk: 感染リスク P: 1 日に感染者と接する確率 M: ウイルスが存在する場合の感染対策後の感染割合で,空気経由と接触により以下の式(2)で表される。 $ M=M_{\text {空気 }}+M_{\text {接触 }} $ ここで, $\mathrm{M}_{\text {空気 }}$ 飛沫やエアロゾルなど空気(air) 中にコロナウイルスがある場合の感染割合(マスクなどの対策なしに感染者と共にいると, 必ず感染するとして1とする。感染者はマスクなどのウイルスを出さないようにする対策をしていないとする。) $\mathrm{M}_{\text {接触 }}$ コロナウイルスが付着している場合の接触による感染割合(感染者の飛沫が落下などして付着したモノを手で触れて,口などに触れて, コロナウイルスが体内に入り感染するリスクを 1 とする) なお, 式(2)は本来, 感染しないリスク $(1-M)$ を考えて, $1-\mathrm{M}=\left(1-\mathrm{M}_{\text {空気 }}\right) \times\left(1-\mathrm{M}_{\text {接触 }}\right)$ より, $M=M_{\text {空気 }}+M_{\text {接触 }}-M_{\text {空気 }} \times M_{\text {接触となるが }}$ 初気 $\times$ $M_{\text {接触 }}$ 比較的かなり小さい場合が多いので無視できるものとする。もし,Mが1を超える場合 を差し引いて,Mの最高値は 1 とする。 I. 飛沫・エアロゾルによる感染割合の式 $ M_{\text {空気 }}=M_{\text {マスク }} \times M_{\text {距離 }} \times M_{\text {換気 }} $ ここで, 空気中の飛沫やエアロゾルによる感染割合 $M_{\text {空気 }}$ は,それらを呼吸により吸入した量に比例すると仮定する。吸入量は,マスクの種類,感染者との距離,換気量,それぞれによって独立して削減できるので, $\mathrm{M}_{\text {空気 }} \mathrm{M}_{\text {マスク, }}, \mathrm{M}_{\text {距離, }}, \mathrm{M}_{\text {換気 }}$ それぞれの積で表す。 $\mathrm{M}_{\text {マスク:マスクの種類による吸い达み時のウイル }}$ ス透過割合(飯田,2020)で,(1)N95マスクや医療用マスクを 0.1 , (2)不織布マスクを 0.3 , (3)布マスクを 0.6 , (4)ウレタンマスクを 0.65 , (5) フェイスシールドやマウスシールドはエアロゾルの吸入は防げないとされているため 1 とする。 al., 2020)は, (1) $2 \mathrm{~m} を 0.25$, (2) $1 \mathrm{~m} を 0.5$,また (3)取らないを 1 とする。 Quantaを用いた式 (4)(倉渕,2021)で計算した。 (1)一般病室レベルの換気による場合, 外気2回/時か $30 \mathrm{~m}^{3}$ (時・人) での換気条件 (厚生労働省,2020a; HEAJ, 2013)で0.64となる。換気を窓の開放で行う場合は, 30 分に 1 回以上, 数分間密を全開にすることとされている(厚生労働省,2020a)。 $ M_{\text {換気 }}=1-\mathrm{e}^{-\mathrm{I} \times \mathbf{q} \times \mathrm{p} \times \mathrm{t} / \mathrm{Q}}=1-\mathrm{e}^{-1 \times 7.0 \times 0.54 \times 8 / 30}=0.64 $ ここで, I: 室内にいる一次感染者数(1人とする) $\mathrm{p}: 1$ 時間あたりの呼吸量 $\left(0.54 \mathrm{~m}^{3} /\right.$ 時 $)$ q: Quanta生成率(事務作業で会話の比率 10\%の場合: 7.01 /時) $\mathrm{t}$ : 感染者との接触時間(8時間とする) $\mathrm{Q}$ : 外気による換気量 $\left(30 \mathrm{~m}^{3}\right.$ /(時・人))(この值は 1 人あたりの換気量であるが,使用する部屋の換気量や使用人数を把握することは現実的に難しいので,この値を使用する) (2)通常換気の場合, $20 \mathrm{~m}^{3}$ /(時 - 人)(建築基準法, 2020)や,シックハウス対策の基準 0.5 回/時 (国土交通省,2003)を使用すると,0.78となる。 (3)換気なしの場合を 1 とする。 II. 接触による感染割合の式 $ M_{\text {接触 }}=M_{\text {手洗 }} \times M_{\text {表面 }} \times M_{\text {接触率 }} $ 10 秒もみ洗い後, 15 秒すすぎで残存割合が 0.0001となり, (3)手洗いを洗剤なしでも 15 秒すすぎがあれば 0.01 となる(厚生労働省, 2020b)。一方で,手洗いの頻度も関係するので,場所を移動するごとに手洗いする場合は, この残存割合が維持されるが,手を1日に数回しか洗わない人は,上記の割合をそれぞれ,(2) 100 倍して0.01,(4) 10 倍して 0.1 とする。 $\mathrm{M}_{\text {表面 }}$ 机な椅子などの表面をエタノールなどにより 1 分程度接触させる,またはふき取る消毒によるウイルス残存割合は 100 分の 1 以下であるので(日本リスク学会理事会,2020), (1)使用する度に消毒する場合は 0.01 , (2) 1 日に 1 回から数回, 時々であれば 0.1 , (3)しない場合は 1 とする。 (今回設定) で,(1)作業机,会議や食堂の座席など自分が接触するモノがほぼ固定されている場合を 0.01 , (2)座席など自分が接触するモノが固定されていない場合を 0.1 , (3)他人の接触部位を素手で接触する場合を 1 とする。 なお,移動中に $\mathrm{N}_{\text {人数 }}(1$ 日に接する人の人数)以外の他人の飛沫などが付着した場所の接触感染は考慮していない。これは,移動中の電車の中ではマスクをしていて,素手で自分の口や鼻に触れることはないと考えたためである。 $ \mathrm{P}=\mathrm{P}_{\text {地域 }} \times \mathrm{N}_{\text {人数 }} $ ここで, P: 1 日に感染者と接する確率 ている割合(感染者数の人口に対する割合であり,新規感染者は最大 14 日間感染させるので, 14日間隔離対策が必要とされている (WHO, 2021)ことから,直近 1 週間の 10 万人あたりの新規感染者数 $\mathrm{a}$ 人を 2 倍した割合 $\mathrm{P}_{\text {地域 }}=\mathrm{a} \times 2 / 10^{5}$ である) 間接するか(1 m以内に近づく可能性があり, 15 分以上同じ場所で過ごす人を対象とする)。 なお,本来であれば,この $\mathrm{P}$ は, $\mathrm{P}=1-(1-$ が $2 \times 10^{-4} \sim 4 \times 10^{-3}$ で, $\mathrm{N}_{\text {人数が } 10 \text { 人の場合, } \mathrm{P} の}$ $\times \mathrm{N}_{\text {人数 }}$ の線形性が保たれていた(回帰係数 $\pm 95 \%$信頼区間の半値幅:0.986 $\pm 0.002) 。$ Table 1を用いて, リスク評価を実施する対象者に各項目について記入してもらい,その回答に応じて,新型コロナに感染するリスクを推定する手法を提案する。今回は,例として,同じ地域で同じ職場で働き,感染対策が違う3名を想定した 3 ケース(A: 一般人の最高の対策レベル, B: 平均的な対策レベル, $\mathrm{C}$ : マスク以外何もしない最低限のレベル)について計算した結果から提案した手法の妥当性を検証した。 ## 3. 結果と考察 ## 3.1 リスク計算例(ケースB) 大阪府の建設業の建設現場で 10 名の作業員とチームで働いていて,以下の感染対策をしている人を平均的なケースとして想定した。 新規感染者数は,大阪府の2021年7月9日の直近の一週間の 10 万人あたりの 9.84 人(朝日新聞, 2021; NHK, 2021)を使用した。 いつも不織布のマスクをしていて $\mathrm{M}_{\text {マスクが } 0.3 \text {, }}$ 現場事務所で通常換気 $20 \mathrm{~m}^{3}$ /(時・人) をしてい $1.2 \times 10^{-1}$ となる。次に接触に関する $\mathrm{M}_{\text {接触 }}$ とついては,石䀡などは使わず 15 秒洗い流すことを場 のアルコール消毒は 1 日 1 回位はするので $\mathrm{M}_{\text {表面が }}$ 0.1,また作業場所や使用する椅子などは固定さ $0.01 \times 0.1 \times 0.1=1.0 \times 10^{-4}$ となる。この条件を式 $(1)$ に代入すると以下のように感染リスク(Risk)が計算できる。 $ \begin{aligned} & \text { Risk }=\mathrm{P} \times \mathrm{M} \\ & \begin{aligned} & \mathrm{P}= \mathrm{P}_{\text {地域 }} \times \mathrm{N}_{\text {人数 }} \\ & \mathrm{P}_{\text {地域 }}=9.84 \text { 人 } \times 2 / 100000 \text { 人 }=2.0 \times 10^{-4} \\ & \mathrm{~N}_{\text {人数 }} \text { が } 10 \text { 人より }, \\ & \mathrm{P}=2.0 \times 10^{-4} \times 10=2.0 \times 10^{-3} \\ & \mathrm{M}_{\text {空気 }}=\mathrm{M}_{\text {マスク }} \times \mathrm{M}_{\text {距離 }} \times \mathrm{M}_{\text {換気 }} \\ &=0.3 \times 0.5 \times 0.78 \\ &=1.2 \times 10^{-1} \\ & \mathrm{M}_{\text {接触 }} \mathrm{M}_{\text {手洗 }} \times \mathrm{M}_{\text {表面 }} \times \mathrm{M}_{\text {接触率 }} \\ &=0.01 \times 0.1 \times 0.1 \\ &=1.0 \times 10^{-4} \end{aligned} \end{aligned} $ $\mathrm{M}=\mathrm{M}_{\text {空気 }}+\mathrm{M}_{\text {接触 }}$ $=1.2 \times 10^{-1}+1.0 \times 10^{-4}$ $\doteqdot 1.2 \times 10^{-1}$ よって, Risk $=2.0 \times 10^{-3} \times 1.2 \times 10^{-1}$ $ =2.4 \times 10^{-4} $ この大阪府での平均的な感染リスクとして想定したケースBでの感染リスクの推定値 $2.4 \times 10^{-4}$ は, 2021 年7月9日における大阪府での実際の感染者数の割合 $2.0 \times 10^{-4}$ に近い値であった。このことより,この感染リスク手法に妥当性があるといえる。 一般的な対策としてできる限りの対策をしているケース $\mathrm{A}$ ,平均的な対策をしているケース $\mathrm{B}$, またウレタンマスクと手洗いを日に数回する以外は対策をしていないケースCを含む感染リスクの計算例を Table 2 に示す。感染リスク(Risk)の結果 をみると,ケースAは $9.4 \times 10^{-5}$ となり平均的なケース $\mathrm{B}\left(2.4 \times 10^{-4}\right)$ の約 0.4 倍となった。また, ケースCの感染リスクは $1.5 \times 10^{-3}$ となりケース B の約 6 倍となった。またケースAの感染リスクは, ケースCの約 0.06 倍となり, 感染対策を積極的に行うと積極的に行わない場合の 10 分の 1 以下に低減できるといえる。 また, $M_{\text {空気 }}$ 的接触を比較すると,どのケースも $\mathrm{M}_{\text {空気 }}$ の方が $\mathrm{M}_{\text {接触 }}$ りかなり大きく, ケース $\mathrm{A}$, $\mathrm{B}, \mathrm{C}$ では,それぞれおよそ $10^{6}$ 倍, $10^{3}$ 倍,7倍となった。このことより,空気媒体に関する対策であるマスク,距離,および換気を強化することにより, 直接的な感染リスクの低減効果が現れる可能性が示唆された。 一方,接触による感染リスクは,空気媒体よりもかなり小さくなる場合が多いこと,また手洗いや消毒などの対策などの効果が高いことが分かっ Table 2 Examples of calculated infection risk assessment 感染リスク $($ Risk $)=P \times\left(M_{\text {空気 }}+M_{\text {接触 }}\right)$ & & 9.84 & 人 $/ 10$ 万人 \\ & 0.0001 & & 0.01 & & 0.1 \\ た。これらのことは, 米国CDCが間接的な接触リスクは主な感染ルートでないとしていることと,矛盾しない(CDC, 2020)。 感染防止対策に対するLINE と厚生労働省のアンケート (2020)(回答者数1540万人) では, 手洗いやマスクの着用などについての感染防止対策への取り組みについて,10項目からなる複数回答で,「三密を避ける」が7割,「マスクをする」が 8 割,「手洗いをする」が9割であった。これらのことより,全般的に多数の人が感染対策を実施していることがわかる。 本研究で示した各対策の効果に基づいて,対策を再検討すれば,各自の目的に応じた対策ができ, 今後, 新規感染者数が減少した後にも継続すべき対策を検討できると考える。 ## 3.2 感度解析 Figure 2 に Table 2 に示した対策レベルが平均的なケース $\mathrm{B}$ の感染リスク $\mathrm{R}_{\mathrm{B}}$ を基準として, 感染対策 6 つ(マスク, 距離, 換気, 手洗, 消毒, 接 Figure 2 Sensibility of infection risk rate $\left(R / R_{B}\right)$ by variation of exposure parameters of infection controls (choice of $1-3$ or $1-5$ ) (R: infection risk of each infection control, $R_{B}$ : infection risk of Case $B$ as a standard case)種率)から1つ選び,その選択肢 1 から5, または1から3に変化させた場合の感染リスクの $\mathrm{R}_{\mathrm{B}}$ に対する割合 $\left(R / R_{B}\right)$ の感度を示す。 スクの割合は,選択肢による変化がほとんど見られなかった。これは, 今回提示する感染リスクの計算式 (式(2)) は, 飛沫やエアロゾルによる感染割合 $\left(M_{\text {空気 }}\right)$ と接触による感染割合 $\left(M_{\text {接触 }}\right)$ が同時に発生する想定であり, $\mathrm{M}_{\text {接触が }} \mathrm{M}_{\text {空気 }}$ りり 次に, 感染リスクの割合に最も影響を与えるのは,マスクの種類 $\left(\mathrm{M}_{\text {マスク }}\right.$ ) である。これは, ウイルス吸い达み率が $0.1 \sim 1$ と幅が最も大きいためである。次に距離 $\left(\mathrm{M}_{\text {距離 }}\right)$, その次に換気の程度 $\left(\mathrm{M}_{\text {換気 }}\right)$ となっている。これらは, 選択肢の数値が直接, $\mathrm{R} / \mathrm{R}_{\mathrm{B}}$ に反映されているためである。 $\mathrm{M}_{\text {換気 }}$ については,換気によるウイルスの残存割合は 8 時間滞在する条件で計算されているが, Table 1 の質問表では, 接触する人や接触時間を計算に考慮しておらず,このことは課題である。 ## 3.3 感染者が対策した場合 本研究では, 未感染者が感染するのを防ぐことを目標とした感染リスクを試算した。そのため,感染者は対策をせずに,通常の行動をしていることを仮定した。しかし, 感染者が増加する傾向が見られた場合や, 身近に感染者が発生した場合に直ぐに,マスク, 距離, 換気, 手洗い, 消毒などの対策を実行するなら,感染リスクが低く抑えられることになる。 ## 4 課題 ## 4.1 感染者と接する確率 感染者と接する確率に (式(6)), 新規感染者数の隔離による感染者数の低減を考慮していない。 もし,新規感染者が感染初期に確実に隔離されるなら,感染を拡大することなしに抑えられるので,このことも感染対策となり得る。 ## 4.2 用量反応関係 (1)感染割合は, 用量反応関係に基づき求めるべきである。しかし, 6つの対策(マスク,距離,換気, 手洗, 消毒, 接触率) で実際の感染事例を基に設定しているのは, 距離と換気だけである。その他は, ウイルス量と相関があると思われる物理的な残存割合に基づき,それに比例す るとして感染割合を計算していて,直接ウイルス量を用いた計算ではない。 (2)飛沫やエアロゾルの空気中での挙動は粒径に依存するので,マスク,距離,換気の対策は,飛沫とエアロゾルとで分けて考えるべきである。粒径の大きい飛沫は, 感染者から吐き出されたものが直接未感染者に到達して, 顔などに付着する場合が主な経路と考えられる。よって, 空気感染対策の内,マスクと距離が重要と考えられる。一方で,エアロゾルは粒径が小さく空気中に漂うので,呼吸で吸い达むことでウイルスを摂取するため, マスクと換気が重要と考えられる。 しかし, 距離に応じて感染リスクが減少することを示した文献(Chu et al., 2020)は, 飛沫とエアロゾルの寄与を分けて示していない。また,本論文では,感染者と非感染者の接する状況を個別に設定していないので,飛沫とエアロゾルによるウイルスの摂取量を分けるのは困難である。よって, 飛沫とエアロゾルを区別しない感染割合として, 空気中の感染割合 $M_{\text {空気 }}=$ $\mathrm{M}_{\text {マスク }} \times \mathrm{M}_{\text {距離 }} \times \mathrm{M}_{\text {換気を用いている。これは,飛 }}$沫とエアロゾルはどちらも距離と換気の効果があることになる。 (3)換気によるウイルスの除去効果は, ウイルスを含む飛沫やエアロゾルの粒径に左右されることが分かっている(Yang, 2011)。しかし, 本研究では粒径の違いによる除去率の差を考慮できておらず,全体として取り扱っている。 ## 4.3 接触感染 接触による感染経路では,どのようなモノと接触するかを設定する必要があるが,一般化するの 職業ごとに値を設定することも考えられるが,例え職業が同じでも個人差が大きく, 一般化する場合の課題である。 ## 4.4 感染者数 本研究で対象とした新型コロナウイルス感染者というのは,PCR検査を受けて陽性だった人のこととした。しかし, 日本でPCR検査を受けたのは, 感染拡大初期のころは濃厚接触者や新型コロナウイルス感染症の症状が出た人に限られていた。よって, 無症状や軽度の症状を含めた感染者はPCRを受けておらず,発表されている感染者数は実際より少ないと考えられる。また, 抗体検査や PCR検査が個別に受けられるようになると,検査をする人が多くなり,年間を通じての正確な感染者数を把握するのは困難である。 今回は都道府県ごとの新規感染者数を利用して, 感染者と接する割合を設定した。しかし, 個人レベルで見れば,生活パターンや職業などにより, 感染者と接する状況は大きく異なると考えられる。特に, クラスターが発生しているのは, 三密(密閉,密集,密接)となっている場所であることが多いことが指摘されている(鈴木, 西浦, 2020)。よって,都道府県ごとの新規感染者数が,自分に関係する地域の感染状況を表していると必ずしも言えない。 ## 4.5 許容リスク 許容される感染リスクは, 一般的に $10^{-4} /$ 年とされている(金子,2004)。米国環境保護庁(U.S. EPA)は, 水道水質に関して, この許容感染リスクの値を提示している (小林ら, 2016 ; U.S. EPA, 1998)。 新型コロナウイルスの場合, 米国では, 感染者約 4505 万名, 死亡者数約 73 万名(2021 年 10 月 19 日時点) (Johns Hopkins, 2021) を人口約 3 億 3 千万名で除した感染割合は 0.14 , 死亡割合は $2.2 \times 10^{-3}$ となる。さらにこれを 2021 年 3 月から 2021 年 10 月までの期間 1 年 8 カ月で除して, 1 年あたりの感染リスクは, 感染と死亡でそれぞれ, $8.4 \times 10^{-2}$ /年, $1.3 \times 10^{-3} /$ 年となる。 また, 日本では PCR 陽性者数約 171 万名, 死亡者数 1 万 8 千名(2021 年 10 月 17 日時点)(厚生労働省,2021)を人口約 1 億 3 千万名で除した感染割合と死亡割合は,それぞれ, $6.5 \times 10^{-3}, 1.2 \times 10^{-4}$ となる。よって, 1 年あたりの感染リスクはと死亡リスクはそれぞれ, $3.9 \times 10^{-3}$ /年, $7.2 \times 10^{-5}$ /年となる。 1 年間あたりの新型コロナウイルスの感染許容リスクを $10^{-4}$ 年として, 実際の感染リスクを許容リスクと比較すると, 米国では約 800 倍, 日本では約 4 倍の値となる。感染リスクの許容レベルは, 現状ではコンセンサスが得られているとは言い難いが,許容レベルを目安に対策方法を検討するのは合理的であると考えられる。 ## 5. 結論 本研究では,新型コロナウイルスの感染対策の 効果を簡易な表を用いることで,数値的に把握できる方法を提案した。この方法は, リスクアセスメント手法を応用して, 半定量的とはいえ, 感染リスクの対策効果の評価を試みるものである。その結果,飛沫やエアロゾルなど空気を媒体とした経路の対策が重要であり, マスク, ソーシャルディスタンス,換気などの対策が感染リスクの低減に直接効果があることが数値的に示せた。 今回示したように,感染対策の効果を数値で示すことにより,人々が日常的に行っている感染対策の効果を把握し,今後,感染対策を継続するモチベーションにつながることを願っている。 ## 参考文献 Asahi Shinbun (2021) The number of the infected person per hundred thousand people in each prefecture, Infection status of Novel Corona virus, https://www.asahi.com/special/corona/?iref=comtop_ urgent_lnk (Access: 2021, July, 9) (in Japanese) 朝日新聞 (2021) 都道府県別の 10 万人あたり感染者数, 新型コロナウイルスの感染状況, https:// www.asahi.com/special/corona/?iref = comtop_ urgent_lnk(アクセス日:2021年7月9日) Centers for Disease Control and Prevention (CDC) (2020) COVID-19 spreads less commonly through contact with contaminated surfaces, How COVID-19 Spreads, Updated Oct. 28, 2020, https:// www.cdc.gov/coronavirus/2019-ncov/preventgetting-sick/how-covid-spreads.html (Access: 2021, March, 14) Chu, D. 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risk
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Society For Risk Analysis Japan
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# リスク学研究 31(2): 103-111 (2021) Japanese Journal of Risk Analysis doi: 10.11447/jjra.SRA-0366 # 【特集:新型コロナ感染症関連原著論文】 ## 新型コロナウイルス感染症拡大防止のための 感染予防行動に影響を与える要因* \author{ Factors Affecting Preventive Behaviors against COVID-19 Infection } ## 平山 奈央子** ## Naoko HIRAYAMA \begin{abstract} The pandemic of COVID-19 has not reached convergence yet. Risk perception and willingness to cooperate measures are important for preventing the spread of infection. This study aimed to clarify the factors affecting preventive behaviors against COVID-19 infection. A questionnaire survey was conducted both in prefectures under special warning status and other prefectures and 256 responses were analyzed by structural equation modeling. As a result, people who checked the information by governments and trusted the government tended to have high normative awareness and to refrain from going out. People who have government information and higher knowledge about COVID-19, higher financial distress, or greater anxiety for unknown risk highly perceived the risk of COVID-19. Those people frequently implemented preventive measures. In thirteen prefectures under special warning status, the anxiety of unknown risk directly affected the frequency of countermeasure implementation and going out. \end{abstract} Key Words: risk perception, risk-avoiding behavior, structural equation modeling, infectious diseases ## 1. はじめに 新型コロナウイルス感染症(以下,新型コロナ)は2019年 12 月に原因不明の肺炎症例として WHOに報告され,本論文を執筆している 2021 年 3 月時点で収束の兆しを見ない。本研究の調査を実施した 2020 年 4 月中旬の感染拡大状況として,世界の感染者数は約 194 万人,死亡者数は約 12 万人,日本国内における PCR 検査陽性者数は 8,842 人,死亡者数は 136 人(2020 年 4 月 15 日時点)であった。この時点でワクチンや治療薬は開発されておらず,季節性インフルエンザに比して死亡リスクが高いことや,医療提供体制がひっ迫していることなどが発表されていた(首相官邸,2021)。 日本政府の感染症対策として, 2020 年 3 月 26 \begin{abstract} 日に新型インフルエンザ等対策特別措置法を新型コロナに読み替えて適用することとし, 同法に基づき政府対策本部(首相官邸,2021)が設置された。同本部によって,4月7日に7都府県を対象として新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言 (以下,緊急事態宣言)が発出され,4月16日には対象区域が全都道府県に拡大された。感染症対策として,「三つの密」を避ける,マスクを着用する, 手指衛生などが呼びかけられている。たたし, 政府対策本部において三密回避などの具体的な感染症対策が初めて言及されたのは2020年4月 7 日であり(首相官邸,2021),本研究の調査実施時点でそれらの対策は定着していない状況であった。 \end{abstract}  感染症に関するリスク認知研究として, Rudisill (2013)は2009年から2010年にかけて流行した豚由来の新型インフルエンザH1N1に関して,リスク認知とワクチン接種行動の間に正の関係があることを,van der Weerd et al. (2011) は H1N1の流行初期では政府への信頼, 感染症への不安が高いほどワクチン接種の意向が強く, 感染流行時期では地方自治体の医療サービスからの情報がワクチン接種を含む感染症対策の受け入れに影響を与えることを明らかにした。また, de Zwart et al. (2009)は2002年から2003年にかけて流行したSARS と他 8 つ感染症に対するリスク認知について国際比較を, Leppin and Aro (2009) は SARS と鳥インフルエンザに関するリスク認知研究のレビューを行ったが,リスク認知に影響を与える要因については十分に明らかにされていない。 新型コロナに関するリスク認知について, Cori et al. (2020) はこれまでのリスク認知研究の成果を踏まえ, 新型コロナの特徴を非自発的リスク,未知の感染症, 不可視であるためリスクを高く見積もられる傾向にあるとし,リスク管理者への信頼や知識の共有がリスクに対する恐怖を軽減すると述べている。リスク認知や感染予防行動に関する意識構造を定量的に分析した研究として, Raude et al. (2020)によるフランス, Li et al. (2020) による台湾, He et al. (2021)による中国, Bae and Chang(2020)による韓国での調査が挙げられる。 しかし,感染症に関するリスク認知の傾向は国によって異なることを明らかにした研究もあり (de Zwart et al., 2009), 諸外国の研究成果が日本において同様の分析結果, 傾向を示さない可能性がある。一方, 日本で実施された調査から, 榊原, 大園(2020)は日本人の感染予防行動は性別や協調性, 自己および他者の感染リスクに起因していることを, Zhang (2020) はリスク認知が行政等の要請に対する受容度に影響を与え,それが旅行の自肃や日常生活の変化に繋がることを明らかにした。さらに, 廣井 (2020) は感染拡大地域では宣言発表以前から外出が自肅されていたことなどを明らかにした。 日本では他国で実施されている強制的な行動制限ではなく, 自粛要請など個人の意思決定に委ねる対策が講じられている。社会全体で対策を効果的に進めるため,個人の意識やそれに影響を与える要因を明らかにする必要がある。また, 国内では変異株の感染者数が増加傾向にあること(首相官邸, 2021), 新型コロナの特徴として発症前に感染性のピークがあること(忽那,2021)などから,未だ感染の収束を見迄むことができない。 そこで本研究では, 緊急事態宣言下における個人の感染症対策の実施に影響を与える意識構造を明らかにすることを目的とする。研究の意義として, 今後新たな感染症が流行した際, 地域の感染拡大状況に応じて感染症対策促進策や経済支援策等を検討するための参考となることが期待できる。 ## 2. 研究方法 ## 2.1 仮説モデルの設定 既往研究から明らかにされたリスク受容・回避行動に影響を与える要因を参考にFigure 1 に示す仮説モデルを設定した。モデルは感染症対策の実施頻度を目的変数とし, それに影響を与える可能性のある要素を「(感染症対策への) 直接的影響要因」と「基盤的要因」の2 階層に分けた。なお,調査実施時点では一般的なリスク認知研究の知見を参考に仮説モデルを設定し,設問を設計したが, 分析時点で新型コロナに関する研究をレビューし, それらの知見を踏まえて仮説モデルを再設定した。 まず, 直接的影響要因とリスク回避行動の関係について, Raude et al. (2020) は新型コロナ対策の有効性評価が予防行動に, 佐藤(2008)はワクチン接種の有効性認知が感染予防意識に影響を与えることを明らかにした。また, リスク回避行動に関する研究成果として, 澤村ら(2018)は規則を遵守しようとする規範意識などがドライバーの速度規制遵守意識に影響を与えることを明らかにした。さらに, Zhang (2020)はリスク認知が旅行の自粛や日常生活の変化に繋がることを, Bae and Chang (2020)は自身の感染リスクが直接的に,家族の感染リスクが間接的に,旅行に関する考え方に影響を与えることを明らかにした。これらの知見から,[対策の有効性][規範意識][リスク認 Figure 1 Research framework 知」が感染症対策に影響を与えると仮定した。 次に,新型コロナは未知性が高いため情報の更新スピードが速く,それらの情報は主に行政から提供されている。そのため, 本研究では基盤的要因のうち[行政情報]と[行政への信頼]が感染症対策に与える影響に着目する。これに関連し, van der Weerd et al. (2011) はH1N1の流行初期では政府への信頼が高いほどワクチン接種の意向が強いことを, 山墒, 吉川 (2010) は行政等への不信が鳥(新型)インフルエンザに対する不安に影響を及ぼすことを明らかにした。また,村上(2013) は情報の信頼性が節電意識と行動に影響を与えるとしており,感染症対策を社会的配慮行動と捉えるとこの知見を参考にできる。先行研究では, 信頼の対象として「情報」と「情報を発信する主体 (行政)」を明確に区別していない。また, 感染症対策に与える直接的・間接的影響の両方を確認していない。そこで, 本研究では [行政情報]と [行政への信頼] が直接的に,また,[対策の有効性][規範意識]1リスク認知]を介して間接的に,感染症対策に与える影響を確認する。 さらに,[リスク認知]に影響を与える要因について, 三橋(2004)は集団感染症の知識がリスク認知に影響を与えるとしたほか, 山嵪, 吉川 (2010)は鳥(新型)インフルエンザの感染の不安は健康面や経済面, 未知性の不安によって構成されることを明らかにした。経済面の不安に関連 L, Li et al. (2020) は家族や友人, 同僚からの支援に満足している人は感染症リスクを過小評価し, 感染症対策レベルが低い可能性を指摘した。一方, 佐藤 (2008) はワクチン接種に関する知識が感染予防意識に影響を与えること, van der Weerd et al. (2011)はH1N1の感染の不安が高いほどワクチン接種の意向が強いことを明らかにした。これらの知見では知識や不安が[リスク認知]を介さずリスク回避行動へ直接的に影響を与えるとしている。以上の通り,感染症対策に与える直接的および間接的要因は十分に明らかにされていない。本研究では, [知識 $]$ [健康への自信 $]$ [生活困窮度]未未知性の不安]がリスク回避行動に直接的に,[リスク認知]を介して間接的に与える影響を確認する。 なお, 感染が拡大している地域の居住者ほど感染や日常生活への不安が高まること, 規範意識やリスク認知が高いことなどが想定される。これについて, 感染拡大状況の違いによる影響要因の差異を多母集団同時分析によって確認する。本研究の仮説モデルの特徵は,一般的なリスク認知や感染症リスクに関する先行研究の知見が新型コロナに適用できるのかを確認すること, 影響を与える可能性のある全ての要素間において直接的・間接的な関係を確認すること, 行政情報や行政への信頼が感染症対策に与える影響を確認することにある。 ## 2.2 アンケート調査の概要 新型コロナ感染拡大下における個人の感染症対策に影響を与える要因を把握するため, 2020 年 4 月 17 日から 5 月 5 日にアンケート調査を実施した。調査開始時, 多くの人が未知のウイルスに対して不安を感じ, また, 全国を対象とした緊急事態宣言によって個人の行動が制限されていた。さらに,未知の感染症であるため地域や属性による回答傾向の違いを予測することが難しかった。そのため, 被験者の心理的負担に配慮し, 金沢大学, 京都大学, 山形大学, 滋賀県立大学の教職員や学生, 卒業生有志の協力の元にオンライン形式で調査票を配布し,調査の趣旨に同意した者から回答を得ることとした。 仮説モデル内の各要素について把握するため,調査内容は感染症対策の実施実態としてマスクの着用等 4 種類の対策の実施頻度, 3 月中旬から半月ごとの 1 週間 (3/16-22, 3/30-4/5, 4/13-19) における外出頻度を把握した。続いて, それらの行動に影響を与える要因として,対策の有効性,規範意識, リスク認知, 行政情報, 行政への信頼, 知識, 健康への自信, 生活困窮度, 未知性の不安について把握した。各設問の回答方法は基本的に6段階のリッカート形式とした。知識については国内の感染者数や感染拡大地域, 外務省の渡航制限, 海外の感染拡大状況, ワクチン開発に関する 5 問を出題し~○×形式で回答することとした。調査項目の詳細を結果と共に後述する Table 1 に示す。 調査の結果, 有効回答数は 256 件であった。本調査では居住地域の感染拡大状況によって回答傾向が異なると考え, 4 月16日の時点で特定警戒区域に指定された 13 都道府県 (東京都, 北海道, 大阪府, 京都府, 茨城県, 埼玉県, 千葉県, 神奈川県, 石川県, 岐阜県, 愛知県, 兵庫県, 福岡県) とそれ以外の県に分けて分析することとした。特定警戒区域について, 回収数は 144 件, 被験者の属性に関する結果の内訳として, 性別は男性 $56.3 \%$, 女性 $43.7 \%$, 年齢は 30 歳未満が $63.9 \%, 30$ 歳以上 60 歳未満が $29.2 \%, 60$ 歳以上が $6.9 \%$, 主な居住都道府県は石川県が $29.2 \%$ と最も多かった。非特定警戒区域について回収数は 112 件, 性別は男性 $51.8 \%$, 女性 $48.2 \%$, 年齢は 30 歳未満が $76.8 \%, 30$歳以上 60 歳未満が $22.3 \%, 60$ 歳以上が $1 \%$, 主な居住都道府県は滋賀県が69.6\%と最も多かった。 ## 2.3 分析方法 分析の前処理として, リッカート形式で回答されたものについて, 肯定的評価もしくは強く当てはまるほど高得点になるよう得られた回答結果を数値化した。外出頻度については減点方式とし,期を経るごとに減点割合が高くなるよう第 1 期 (3/16-22) は 1 倍, 第2期(3/30-4/5)は2倍, 第3 期(4/13-19)は3倍として数値化した。外出頻度を確認した 3 期間では期を経るにつれ感染が拡大していた。本研究では感染拡大状況が悪化している期間に外出している方が「対策実施レベルが低い」と評価するため,期間によって重みを変え,期を経るほど点数が低くなるよう設定した。知識については 5 点満点として正解数の合計とした。 次に, 仮説モデル内の各要素について記述統計の結果および下位尺度の妥当性を確認した上で共分散構造分析を行った。なお,分析ではモデルの識別性確保のため潜在変数から下位尺度の観測変数へのパスのうち, 図上で最も上または左にあるパス係数を 1 に固定する制約を課し,最尤法により解を求めた。また, 居住地域の感染拡大状況によって感染症対策実施に至る構造の差異を確認するため,母集団を特定警戒区域と非特定警戒区域に分け多母集団同時分析を実施した。 ## 3. 結果と考察 ## 3.1 感染症対策の実施や外出自绊に関する結果 感染症対策として, マスクの着用など 4 種類の対策の実施頻度について, 特定・非特定警戒区域別の結果を Figure 2に示す。図より,全ての対策において特定警戒区域の実施頻度が高い他,換気と消毒はマスクの着用, 石鹸での手洗いに比べて実施頻度が低い傾向にあることが分かる。次に3月中旬から半月ごとの 1 週間における外出頻度を Figure 3 に示す。図より,期を経るごとに外出頻度が減っている他,非特定警戒区域の分布は 2 週間前の特定警戒区域の分布と近似していることが分かる。 ## 3.2 感染症対策に影響を与える要因 前述した感染症対策の実施に関する結果を含め, 仮説モデル内の構成要素に関するアンケート回答結果を Table 1 に示す。回答結果から, 要素内の過半数の項目の平均点が 5 点を超え, かつ,天井効果を示している[対策の有効性]を Figure 1 の仮説モデルから削除し, 分析モデルを Figure 4 の通り決定した。図中の長方形は観測変数,楕円は潜在変数であることを示し,記号はTable 1 の code と対応している。各要素において尺度の内的整合性を示すクロンバック $\alpha$ 係数を確認したところ,[リスク認知]のみ 0.649 と一般的な基準である 0.70 よりも低いが項目数が少ないため採用することとした。また, これ以外の要素では全て 0.70 を上回り,下位尺度の妥当性を確認した。 Figure 2 Frequency of preventive measures for infection 【毎日 ఐほとんど毎日口週の半分以上 22,3 日日1日のみ ■全〈外出しなかった Figure 3 Frequency of self-imposed isolation Figure 4 Structural model for assessment Figure 5 Result of model assessment 共分散構造分析を実施した結果,5\%水準で有意となったパスのみを Figure 5 に示す(パス係数を記載するため, Figure 4から一部配置を変更している)。分析モデルの適合度は, $\mathrm{CFI}=0.930$, RMSEA=0.061であった。適合度の水準として, CFIは狩野, 三浦 (1997), West et al. (2012) では 0.95 以上が望ましいとされている。RMSEAは Kline (2004) では 0.05 未満を Close fit, 0.05-0.08を fair, 0.08-0.1を Mediocre, 0.1 以上をPoorとされている。以上より, CFIは望ましい水準に達していないが,RMSEAは 0.1 未満であり,本分析結果は一定の適合度を示したと捉える。なお, 潜在変数から下位尺度の観測変数へのパス及び誤差変数間,撹乱変数間のパスは全て有意となった $(p<0.01)$ 。 分析結果より, [行政情報][行政への信頼]は [規範意識 $]$ と正の関係が,[行政情報 $]$ [知識 $]$ [生活困窮度]未未知性の不安]は[リスク認知]と正の関係が,[健康への自信]は[リスク認知]と負の関係があることが分かった。また, [生活困窮度] [リスク認知]は [対策実施頻度 $]$ と, [規範意識] は [外出頻度]と正の関係があることを確認した。 つまり, 行政情報を確認する人, 行政を信頼している人ほど規範意識が高い傾向にあること, 知識点数が高い, 健康への自信が低い, 生活困窮度が高い, 新型コロナの未知性による不安が大きい人ほど新型コロナのリスクを高く評価する傾向にあることが明らかとなった。なお, 生活困窮度は直接的・間接的の二経路で対策実施頻度に影響を与えていた。また,リスク認知が高い人ほど手洗いや換気などの感染症対策を実施する傾向があること, 規範意識が高い人ほど外出を控える傾向にあることを定量的に確認することができた。 パス係数の値から,[行政情報]は[規範意識 $]$ に特に強い影響を与え,それが外出自粛に繋がっていた。この理由として, 調査実施時, 政府や東京都知事等がマスメディアにて三密回避と外出自粛を繰り返し呼びかけていた。特に,イベントの参加や旅行などは, 個人の行動が他者の目に触れ Table 1 Mean scores and standard deviation るため,規範意識が働いたことが考えられる。また,自身の感染リスクや他者に感染させるリスク (リスク認知)に対して強く影響を与えた要因は [生活困窮度 $]$ と [未知性の不安 $]$ であった。調査実施時,日本全国が緊急事態宣言下であったため感染症対策として外出や会食の自肅が要請されていたが飲食店等の営業は可能であった。経済的余裕がなく生活困窮度が高い人は,仕事内容や勤務形態の選択の自由が少ない可能性がある。それらの人は感染リスクの高い仕事であると認識している,もしくは,勤務先の感染症対策に不安を感じていても勤務を継続せざるを得ないことが考えられる。先行研究では,コロナ禍において従来からのアルバイトを継続している学生が約 $60 \% \omega$ ることが確認されている(飯田ら,2021)。また,生活困窮度が高い人は感染によってさらに深刻な経済的損失を被る可能性がある。以上の理由から,[生活困窮度]が高まることによって自身の感染リスクや他者を感染させるリスク認識が高くなると考えられる。[未知性の不安]については,同僚や友人と会う機会が少なく,他者に相談しにくい状況が不安を増大させた可能性がある。調査実施時, ワクチンや治療薬がない中, 専門家でさ え確証の高い知見を多く持ち合わせていなかった。インターネット上では様々な情報が発信されていたがその確からしさを判断することも難しく, 未知のウイルスに対する不安がリスク認知を高めたと考えられる。 ## 3.3 感染拡大状況による対策実施傾向の差異 感染拡大状況による感染症対策の実施に至る意識構造の差異を検証するため,特定/非特定警戒区域によって母集団を分け,同一の因子構造が成立するかを検証した。Figure 4 の分析モデルを用い,配置不変を仮定して分析を行った結果,特定警戒区域のモデルの適合度は $\mathrm{CFI}=0.919, \mathrm{RMSEA}=$ 0.061,非特定警戒区域のモデルでは $\mathrm{CFI}=0.903$, RMSEA $=0.076$ といずれも一定の適合度が得られた。また,潜在変数から下位尺度の観測変数へのパス,および摚乱変数間のパスは全て有意となった $(p<0.01)$ 。これを踏まえ,母集団間のパス係数の差を検証するため, 潜在変数から下位尺度の観測変数へのパス,および摚乱変数間のパスに等值制約を設定し,2つの母集団で多母集団同時分析を行った。その結果から得られたパス係数を Table 2 に示す。灰色のセルは共分散構造分析の Table 2 Result of multiple group structural equation modeling ${ }^{* *} \mathrm{p}<0.01,{ }^{*} \mathrm{p}<0.05$ RMSEA $=0.049 \quad$ CFI $=0.911$ 結果において有意なパスであったことを示す。モデルの適合度は $\mathrm{CFI}=0.911$ , $\mathrm{RMSEA}=0.049$ と一定の適合度が得られた。 分析の結果, [行政情報 $] \rightarrow[$ 規範意識 $]$, [未知性の不安 $] \rightarrow[$ リスク認知 $],[$ 生活困窮度 $] \rightarrow[$ 対策実施頻度]は両母集団で有意なパスとなった。これらのパスは共分散構造分析の結果でも有意であったが,いずれのパス係数も非特定警戒区域の方が大きく, 同地域において影響の度合いが強いことが分かる。 次に,特定警戒区域においてのみ有意であった関係は [行政への信頼 $] \rightarrow[$ 規範意識 $],[$ 未知性の不安 $] \rightarrow$ [対策実施頻度 $]$ と [外出頻度 $]$ であった。特に後者について, 非特定警戒区域では [未知性の不安 $] \rightarrow[$ リスク認知 $] \rightarrow$ [対策実施頻度 $]$ の間に有意な関係があるのに対し,特定警戒区域では[リスク認知]を介さずに[未知性の不安]から両対策へ直接的に影響を与えていた。先行研究において,不安によって同調傾向が高まること (Taylor, 1953)や,コロナ禍における手洗い行動の規定因として同調の説明力が最も高いことなどが明らかにされている (中谷内ら,2021)。前述した通り(Figure 2), 特定警戒区域では対策実施頻度が比較的高く,他者の対策実施を目にする機会も多い。不安の増大によって他者の行動に同調し, 両対策の実施に繋がったことが考えられる。 一方,非特定警戒区域においてのみ有意であった関係は [リスク認知 $] \rightarrow[$ 対策実施頻度 $],[$ 規範意識 $]$ [行政への信頼 $] \rightarrow$ 外出頻度 $]$ であった。 この理由として,非特定警戒区域ではリスクの捉え方が個人によって差があり、リスクを高く見積もる人は個人の意思によって感染症対策を実施するが,少の逆の傾向を示す人も一定程度いることが考えられる。また, 非特定警戒区域は大都市圈以外の地域が多く, 比較的人口規模が小さいもしくは地域内のつながりが多いため, 他者からの視線が気になること (規範意識) や基礎自治体との心理的距離が近いこと(行政への信頼)が影響し,外出自粛につながる可能性がある。 ## 4. 結論 本研究では, 新型コロナに関する個人の感染症対策の実施に影響を与える意識構造を明らかにすることを目的としてアンケート調査を実施した。得られた256件の回答を用いて共分散構造分析および多母集団同時分析を行った。それらの結果か ら次の 4 点が明らかになった。 ・行政情報を確認する人, 行政を信頼している人ほど規範意識が高く,それらの人は外出を控える傾向にある ・行政情報を確認する, 知識点数が高い, 健康への自信が低い, 生活困窮度が高い, 新型コロナの未知性による不安が大きいほどリスクを高く評価し, それらの人は手洗いや換気などの感染症対策を実施する傾向にある $\cdot$ 特定警戒区域では, 未知性の不安が対策実施頻度と外出頻度に直接的に影響を与える $\cdot$ 非特定警戒区域では, リスク認知が対策実施頻度に, 規範意識と行政への信頼が外出頻度に影響を与える 本論文を執筆している 2021 年 3 月 15 日現在,調査実施時点よりも多くの知見が積み重ねられ, ワクチン接種が開始され, 新しい生活様式が定着しつつある一方で, 外出や経済活動が制限されている地域もある。本研究の結果を逆の視点から見た場合,規範意識が低い,もしくは,感染リスクに対して不安を感じていないほど感染症対策の実施頻度が低いとも言える。後者については, 先行研究 (Li et al., 2020)でも同様の傾向が明らかにされている。感染症対策の実施レベルが低い人は経済活動に貢献する可能性があり, 感染症対策と経済活動のバランスの取り方が難しい。いずれも政府や地方自治体によって方針が示されるが,社会に受容されなければそれらの効果は限定的である。本研究の結果から, 居住地域の感染拡大状況によって感染症対策の実施に影響を与える要因が異なることが明らかとなった。また, 同一の都道府県内でも地域によって感染拡大状況が異なる。 そのため,周辺地域の状況も踏まえた上で,より小規模な地域単位で規制と緩和の柔軟な切り替えが必要ではないかと考える。 本研究の課題として, 調查対象の抽出方法が挙げられる。調查を開始した2020年4月17日は国内外の感染拡大状況や政府の感染症対策, 医療現場の状況などが刻々と変化していた。その様な状況の中, 地域や属性による感染症対策実施の傾向を予測できずサンプル抽出条件を設定することができなかった。そこで本研究では試行的な調查として,被験者の心理的負担に配慮しつつ,できる限り多くのサンプル数を集めることに重点を置いた。このような手続きで実施された調査であるため, 分析結果を慎重に解釈する必要がある。 なお, 本研究は所属大学の研究倫理委員会における承認を受けている。 ## 謝辞 COVID-19の感染拡大により勤務や学業が大変な時期に回答および調査票の配布にご協力いただきました皆様に深く御礼申し上げます。また,審査委員ならびに編集委員の先生方から示唆に富むご指摘をいただき論文を仕上げることができました。ここに感謝の意を表します。 ## 参考文献 Bae, S. 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Society For Risk Analysis Japan
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# 【特集:新型コロナ感染症関連原著論文】 ## SIR モデルを用いた南海トラフ巨大地震発生時における COVID-19感染動向の推定と病床不足数の推算* \author{ Projection of COVID-19 Outbreak and Estimation of Bed Shortages \\ During the Nankai Trough Earthquake by SIR Model } \author{ 山上堸太**, 伊藤理彩***, Dos Muchangos Leticia***, 東海明宏*** \\ Sota YAMAGAMI, Lisa ITO, Leticia DOS MUCHANGOS and Akihiro TOKAI } \begin{abstract} A massive earthquake would occur even under the pandemic of coronavirus disease 2019 (COVID-19); therefore, it is necessary to estimate the impacts of complex disasters like this and it prepare for these in advance. Since COVID-19 has been caused outbreaks in closed and dense spaces, there is a concern that the infection may spread at shelters during the Nankai Trough Earthquake. Furthermore, after the massive earthquake, it is expected that the infected people will not receive adequate medical care due to the collapse of medical care system by physical damage of the facilities and increase in medical demand from injured people. Therefore, in this study, the outbreak of infection and bed shortages were estimated based on the SusceptibleInfected-Recovered (SIR) mathematical model to address the prevention of medical collapse in the earthquake. As a result, it was found that the maximum shortage of hospital beds would be 266,000 beds and the maximum shortage period would be 350 days. \end{abstract} Key Words: COVID-19, Earthquake, SIR model ## 1. 緒言 2019年 12 月に中華人民共和国湖北省・武漢市で初めて検出された新型コロナウイルス感染症 (COVID-19)は世界各地へ感染が拡大し, 2020 年1月には世界保健機関(WHO)による「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態 (PHEIC)」が宣言された (WHO,2020)。COVID-19は三密と呼ばれる「密集・密接・密閉」の空間で集団感染を引き起こすため, 三密が形成されやすい避難所における感染拡大の恐れが危惧されている(厚生労働省, 2021b)。近年, 日本で発生すると予測されている大規模自然焱害に南海トラフ巨大地震がある。南海トラフ巨大地震は2018年時点で30 年以内の発生確率が70 80\%と推算されており,避難生活者は 460 万人を超えると想定されている(地震調査研究推進本部地震調査委員会, 2020 ; 内閣府防災担当, 2019)。また, 震災時には医療機関設備の損傷や, ライフライン被害による医療機能の低下,負傷者による医療需要の増加等により感染者へ十分な医療が供給できなくなる医療崩壊のリスクが増加することが予想される(厚生労働省,2016)。  Figure 1 Systematic literature review COVID-19による医療崩壊は贸害が発生していない状況でも世界各国で発生しており(例:Lemos et al., 2020; Das and Paital, 2020; CNN, 2021),災害時の医療崩壊への対策は必須と言える。対策を行うためには,災害時のCOVID-19の流行の規模を被災前の段階から想定し, 予備的検討をしておくことが必要となる。しかし, 災害(震災) 時の COVID-19の流行に対する研究について, Web of Scienceのキーワード検索で2019年〜2021 年に出版された学術専門誌を絞りこむと, COVID-19に対する文献は260,310件該当したが,COVID-19 and Earthquakeに対する文献は 3,475 件にとどまった (Figure 1)。また, “Medical resource”のキーワー ドで最終的に絞り込まれた 32 の出版物の中にも,感染症の流行を示すのに広く使われている数理モデルであるSusceptible-Infected-Recovered (SIR) モデル(Kermack and McKendrick, 1927; Cooper and Chris, 2020; Chen et al., 2020) を用いて医療資源に対して定量的に不足数の推算を行った研究はなかった。 以上より,震災時の新型コロナウイルス感染症の拡大規模を推定し,医療資源(病床)の不足数の規模感を明らかにする手法を早急に確立することは重要である。そこで本研究では, 南海トラフ巨大地震時のCOVID-19の感染の流行を推定するモデルを構築し, 病床不足数を推算することを目的とした。 ## 2. 本研究の概要 まず,対象地区を選定した後,SIRモデルを用いて, 震災時の新型コロナウイルス感染症の拡大規模を推定するモデルを Analytica 5.4 (Lumina Decision Systems, USA, https://lumina.com/, 以下 Figure 2 Analysis flow of this study Analytica)で構築し,入力する対象地区のデー夕とCOVID-19のパラメータを設定した。次に構築したモデルより算出した感染者数と, 年齢構成データ(大阪府毎月推計人口, 2021 年 1 月 1 日時点), 年代別重症化率データ (厚生労働省, 2020a) を用いて重症病床と軽症者向け病床 (軽症中等症病床と宿泊療養施設) の不足数を推算した (Figure 2)。 ## 3. 対象地区の選定とシナリオ設定 本研究では, 医療崩壊リスクが最大となると予想される地区を対象として解析を行った。そこで,対象とする地区を選定するために,避難人口の多さ, 人口に対する感染者の割合の高さ, 確保病床数の少なさに着目し, 以下の指標 $\mathrm{V}$ を設定した。そして, この指標 $\mathrm{V}$ を用いて各都道府県を評価した(式(1))。 $ V=\frac{p \cdot r}{b} $ $ \begin{gathered} V: \text { 評価指標 }[\text { 人/床 }] \quad p \text { : 避難人口 }[\text { 人 }] \\ r: \text { 人口に対する感染者の割合 }[-] \end{gathered} $ $ b \text { : 確保病床数 [床 }] $ 避難人口は「南海トラフ巨大地震の被害想定について(施設等の被害)【定量的な被害量(都府県別の被害)】」(内閣府防災担当,2019)の各シナリオの発災 1 日後の值の平均値, 感染者割合は 「都道府県ごとの感染者数の推移」(NHK, 2021)の累計感染者数 (2021年 8 月 15 日時点), 病床数は厚生労働省の「療養状況等及び入院患者受入病床数等に関する調査について」(厚生労働省, 2020c) の確保病床数の値(2021年 8 月 15 日時点)を用いた。計算結果の上位三府県を以下の Table 1 に示す。 よって本研究では, 大阪府を対象とし, コロナ禍で本地震が起こった場合の病床不足数の推算を行った。 Table 1 Top 3 Prefectures in Index $V$ 南海トラフ巨大地震は地震動, 津波, 時間帯,風速をパラメータとした被害想定が既に行われている(内閣府防災担当,2013)。本研究で用いた大阪府における避難人口が最大となるシナリオの詳細を以下に示す。 まず,地震動は「陸側ケース」と呼ばれるプレートの陸側(プレート境界面の深い側)に強振動が発生すると設定されており,そのときの大阪府での最大震度は 6 強と想定されている (内閣府, 2013)。また,津波は駿河湾から紀伊半島沖にかけて,大すべり域と超大すべり域が設定されたシナリオ(内閣府防災担当,2013)を採用した。このときの大阪府での最大津波高は $5 \mathrm{~m}$, 津波最短到達時間は発災 59 分後, 最大浸水深は $2 \mathrm{~m}$ 以上で,浸水深が $1 \mathrm{~m} \sim 2 \mathrm{~m}$ となる面積が 740 ha, $2 \mathrm{~m}$ を超える面積が 120 ha と想定されている(内閣府防災担当,2012a)。次に時間帯は,住宅,飲食店などで火気使用が最も多い時間帯で, 出火件数が最も多くなる冬夕方 (18 時), 風速は比較的風が強く火災の広まりやすい $8 \mathrm{~m} / \mathrm{s}$ のシナリオを採用した(内閣府防災担当,2012b)。この条件での大阪府における火災による全壊棟数は約 5 万棟と想定されている(内閣府防災担当,2012b)。 ## 4. 震災時における病床不足数の推定方法 4.1 感染推定モデルの構築 ## 4.1.1 SIR モデル 本研究ではSIR モデル (Kermack and McKendrick, 1927)をもとに震焱時の新型コロナウイルス感染症の拡大規模を推定するモデルを構築した。SIR モデルとは, 感受性者 (Susceptible), 感染者 (Infectious), 免疫獲得者 (Recovered) の3クラスを持ち, これらの3クラス間の遷移について, 単位時間当たりに感染, 回復する割合を示すパラメー 夕を用いて微分方程式で記述する感染症数理モデル (Kermack and McKendrick, 1927) である。ここでモデルに用いる変数とパラメータを以下の Table 2 に示す。 また, SIRモデルのモデル方程式を以下の式 (2)(4)に示す。式(2)は感受性者 $S$ の時間変化 Table 2 SIR model variables and parameters (感染による減少)を表しており, 式(3)は感染者 $I$ の時間変化(感染による増加と回復による減少), 式(4)は免疫獲得者 $R$ の時間変化(回復による増加)を表している。SIRモデルは,一度免疫を獲得したものは再感染しないモデルとなっている(Kermack and McKendrick, 1927)。 $ \begin{gathered} \frac{d S}{d t}=\frac{-\beta I S}{N} \\ \frac{d I}{d t}=\frac{\beta I S}{N}-\gamma I \\ \frac{d R}{d t}=\gamma I \end{gathered} $ ## 4.1.2 震災時の感染推定モデル 本研究では, 震災時の新型コロナウイルス感染症の拡大規模を推定するため, 避難所における感染を考慮できるモデルをAnalyticaを用いて構築した。構築したモデルの Analytica上での表示画面を以下の Figure 3 に示す。本モデルでは, 避難所内と外界(避難所以外の場所)でそれぞれ SIR モデルを構築し, 2 空間同士の人の移動も微分方程式内に記述したものである。 Analyticaは定量的意思決定モデルを作成,分析,伝達するためのビジュアルソフトウェアパッケージであり, 関係者間でのコミュニケーション促進支援に用いられている。避難所生活者は自宅の復旧による帰宅や,受け入れ先(親戚宅など)が見つかることにより移動する。また, 感染者は病院の許容量範囲内で入院する。以上を考慮して避難所 $($ Shelter $/ S)$, 外界 (Outside/O) の2つの空間に分割してSIRモデルを構築した。このとき, 感染力 $\beta$ の値もそれぞれの空間で設定した (Figure 4)。 外界におけるSIR モデルのモデル方程式を以下の式 (5)(7) に示す。たたし,添え字の $O, S$ はそれぞれ外界, 避難所を表す。外界のSIR モデルで Figure 3 Model in Analytica Figure 4 Overview of Infection Prediction Models は式(2)(4) で示した通常の感染フローに加え,避難所からの帰宅フローを設定した。このとき,避難人口の減少率を帰宅率 $\varepsilon\left[\right.$ day $\left.^{-1}\right]$ と設定した。 避難所におけるSIR デルのモデル方程式を以下の式(8)(10)に示す。避難所のSIR モデルは外界と同様に,避難生活者の帰宅を考慮したモデルとした。 $ \begin{gathered} \frac{d S_{o}}{d t}=-\frac{\beta_{o} I_{o} S_{o}}{N_{o}}+\varepsilon S_{s} \\ \frac{d I_{o}}{d t}=\frac{\beta_{o} I_{o} S_{o}}{N_{o}}-\gamma I_{o}+\varepsilon I_{s} \\ \frac{d R_{o}}{d t}=\gamma I_{o}+\varepsilon R_{s} \\ \frac{d S_{s}}{d t}=-\frac{\beta_{s} I_{s} S_{s}}{N_{s}}-\varepsilon S_{s} \\ \frac{d I_{s}}{d t}=\frac{\beta_{s} I_{s} S_{s}}{N_{s}}-\gamma I_{s}-\varepsilon I_{s} \\ \frac{d R_{s}}{d t}=\gamma I_{s}-\varepsilon R_{s} \end{gathered} $ ## 4.2 病床不足数の推定 本研究では, COVID-19患者を重症者と軽症者に分類し,それぞれ病床不足数を推定した。まず, 重症者数と軽症者数は4.1.2 項で構築した感 Table 3 Number of suppliable hospital beds in the event of an earthquake (Osaka, 2021) 染推定モデルによって算出された感染者数 $I$ に年齢構成データ(大阪府毎月推計人口, 2021 年 1 月 1 日時点), それぞれの年齢別重症化率 (厚生労働省,2020a)を乗ずることで算出した。重症と軽症の病床不足数はそれぞれ重症者数, 軽症者数と供給可能な重症病床, 軽症病床の差分とした。このとき, 重症病床を重症者が利用し, 軽症中等症病床,宿泊療養施設を軽症者が利用するとした。供給可能病床数を Table 3 に示す。 震災時に供給可能な病床数は, 大阪府が COVID-19感染者に対して確保している病床 - 宿泊療養部屋数(大阪府, 2021)から南海トラフ巨大地震による損失分を引いたものとした。この際病床損失率は南海トラフ巨大地震による建物倒壊率と等しいと仮定した。建物倒壊率に関する設定については4.3.3 項で詳しく述べる。 ## 4.3 パラメータの設定 ## 4.3.1 感染者の割合別のケース設定 本項では震災発生時の人口に対する感染者と免疫獲得者の割合の設定方法について述べる。初めて感染が確認された2020年2月16日から2021年 2月26日現在までにおける日本国内の人口に対する感染者の割合の平均值は $9.88 \times 10^{-3} \%$ あ゙り,最大値は $5.72 \times 10^{-2} \%$ であった(厚生労働省, 2021c)。よって, 本研究では発災時の感染者の割 Table 4 Percentage of infected people at the time of the disaster 合を以下の Table 4のように,感染者の割合が高い場合 (ケース(1), 感染者の割合が中程度の場合 (ケース(2)), 感染者の割合が低い場合(ケー ス(3))の3パターン設定した。 ケース(3)の値は, ケース(2)値がケース(1)とケー ス(3)の相乗平均となるように設定した。 また,免疫獲得者の割合は2020年2月26日時点で $0.323 \%$ であった (厚生労働省, $2021 \mathrm{c}$ )。本モデルでは再感染を考慮しないため, 免疫獲得者の割合は今後増加し続けることとなる。 免疫獲得者の割合が高くなるほど,感染は広まりにくくなるため, 本研究では最悪のケースを想定し, 発災時の免疫獲得者の割合を 2020 年 2 月 26 日時点と同じく $0.323 \%$ と設定した。 ## 4.3.2 COVID-19の感染力, 回復力に関するパラ メータの設定 本節では, COVID-19の感染力 $\beta$ (外界と避難所の 2 種)と回復率 $\gamma$, 年齢別重症化率の設定について述べる。SIRモデルでは回復率 $\gamma$ は平均感染期間の逆数で表される(西浦, 稲葉, 2006)。 COVID-19の感染期間は9~12日とされているため (厚生労働省, 2020b), その平均値である 10.5 日を用いて, 回復率 $\gamma$ の値は $9.52 \times 10^{-2}$ とした。 また,SIRモデルでは総人口に対する感染者の割合が十分に小さい場合, 感染力 $\beta$ は感染者数の単位時間あたりの対数増加率 $\lambda$ を用いて以下の式 (11)のように示される(西浦, 稲葉, 2006)。 $ \beta=\gamma+\lambda $ ここで,感染者数の単位時間あたりの対数増加率入は最小二乗法を用いて以下の式 (12)で算出した。 $ \lambda=\frac{\sum_{t}(\ln I-\overline{\ln I})(t-\bar{t})}{\sum_{t}(t-\bar{t})^{2}} $ 外界感染力 $\beta_{o}$ は, 以下に述べるとおり, 日本国内の感染者数データ(厚生労働省,2021c)より式(11)を用いて推算した。日本において, 長期にわたる感染者数の増加は 3 回起こっている(厚 Table 5 Comparison of infection control measures 生労働省, 2021c)。感染が確認された2020年 2 月 16 日から2020年4月 21 日までの感染者の増加を第 1 波, 2020 年 6 月 23 日から 2020 年 8 月 9 日までの増加を第 2 波, 2020 年 10 月 20 日から 2021 年 1 月 17 日までの増加を第 3 波とした。本研究では,検査体制が最も整い,感染の流行を正確に示していると考えられる第 3 波のデータを用い, 外界感染力 $\beta_{o}$ の值は 0.123 とした。このとき, 感染者数は最大で人口の $5.72 \times 10^{-2} \%$対する感染者の割合が十分に小さいため, 式 (11) が適用可能である。 避難所感染力 $\beta_{s}$ は,限定された空間での集団生活により感染が拡大した事例である 2020 年のクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号での感染データを用いて推算した。ここで,クルーズ船で行われていた感染対策と避難所で推奨されている感染対策を以下の Table 5 にまとめる。クルーズ船での感染対策は「新型コロナ対応民間臨時調査会」(一般社団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ,2020)を,避難所で推奨されている感染対策は「新型コロナウイルス感染症対策に配慮した避難所運営のポイント (第2版)」(内閣府, 2021)を参照した。 クルーズ船では乗員乗客が個室で生活し, 隔離が徹底されていたため (一部乗員は限定的な業務を実施),テントやパーテーションで隔離される避難所に比べ,対策効果が高いと考えられる。また,クルーズ船ではマスクや消毒液が配布され,衛生管理教育が行われるなど, 避難所の感染対策と同等かそれ以上の対策が伺える。しかし,クルーズ船の感染対策は遅く, 少なくとも1名の陽性者が船内に存在していた日から,11日後に上 記の対策を行っている。これらの要素を定量的に比較することは困難である。そこで,本研究では,避難所でクルーズ船と同等な感染が発生すると仮定して $\beta_{\mathrm{s}}$ の推算を行った。しかし,この仮定は不確害性が大きいと考えられるため, $\beta_{\mathrm{s}}$ の大きさが感染者数に与える影響を 4.5 節で言及する。 クルーズ船では乗員・乗客 3711 人中 712 人の感染が確認された(国立感染症研究所,2020)。しかし総人口に対する感染者の割合が大きいため,式(11)を用いることができない。そこで,本研究では, 人口 3711 人, 回復率 $\gamma$ 解 $9.52 \times 10^{-2}$ の条件で, 累計感染者数が 531 人となる感染力 $\beta_{s}$ を Excelのソルバー機能を用いて算出した。結果,避難所感染力 $\beta_{s}$ は 0.350 とした。また, 本研究のモデルで用いたCOVID-19 の年齢別重症化率(厚生労働省, 2020a)を以下の Table 6 亿示す。 ## 4.3.3 大阪府の人口・建物倒壊率に関する設定 本モデルでは人口 (年齢構成), 人口に対する避難人口の割合, 帰宅率 $\varepsilon$, 病床数, 建物倒壊率を設定した。本研究で対象とする大阪府は人口が 8,815,191 人であり(大阪府毎月推計人口, 2021 年 1 月 1 日時点), 年龄構成は Table 7 に示すとおりである。建物倒壊率は, 倒壊の原因を大阪府の被害 Table 6 Severe disease rate by age (MHLW, 2020) Table 7 Age structure of Osaka as of January 1st, 2021 (Osaka, 2021) 想定(大阪府,2014)に従い,地震の摇れ,液状化現象, 津波, 急傾斜地倒壊, 火災の合計值として7.08\%と設定した。 ## 4.3.4 大阪府における南海トラフ巨大地震によ る避難人口 大阪府における南海トラフ巨大地震による避難人口を推定するために, 大阪府の避難所の総受容可能者数と想定避難人口の比較を行った。総受容可能者数は以下の手順で推算した。 第一に, 平時(震災, COVID-19の影響がない場合)の総受容可能者数を算出した。おおさか防災ネット (http://www.osaosakabou.net/pref/RefugePlace List.html)に記載されている避難所の最大受容者数の総和を平時の総受容可能者数とした。このとき,受容可能者数が不明な避難所に関しては, 受容可能者数が示されている避難所の平均值を用いて計算を行った。第二に, 津波の影響を考慮し, 津波浸水が想定される市区町村の避難所は使用できなくなるとした。内閣府による津波浸水想定 (2019) では,大阪府の17の市区町村で津波浸水を想定している。これらの市区町村における避難所の受容可能者数を 0 と設定した。第三に, 地震の影響を考慮し, 耐震性の低い避難所は倒壊し, 使用できなくなるとした。大阪府の最大震度は6強であることから(内閣府防災担当,2012b),当震度に対して耐震基準を満たしていない $5.8 \%$ (総務省, 2020)の避難所が倒壊することを仮定した(総務省, 2020)。第四に, 新型コロナウイルス感染症の影響を考慮し, 三密を避けるために, 避難所の受容可能者数が減少するとした。大阪市の避難所開設・運営ガイドライン (2021)では,一人当たりのスペース基準を,一般避難者については 2.50 倍,熱咳等症状者については3.75倍にすると示されている。ここでは, 大阪府における療養者の割合が 0.12\%(2020年 8 月 11 日時点)であることから,加重平均をとり,一人当たりのスペースは 2.50 倍になるとした。ここから, 受容可能者数は面積に比例して減少し, 従来の $40.0 \%$ まで減少するとした。以上の推算方法を以下の Figure 5 にまとめる。 これらの仮定の下, 総受容可能者数を推算した結果,85.4万人であることがわかった。 また,想定避難者数についても,新型コロナウイルス感染症の影響を考慮して計算を行った。株式会社サーベイリサーチセンターが行った「新型コロナウイルス感染症に関する国民アンケート」 平時の総受容者数 Figure 5 Method for estimating the total number of acceptable persons Table 8 Evacuated Population in Osaka Prefecture (Cabinet Office, 2019) & \\ 1 週間後 & 760,000 & 480,000 \\ 1 ヶ月後 & 380,000 & 240,000 (2020)では,指定避難所へ避難しないと回答した人が $24.9 \%$ ,指定避難所へ避難するかわからないと回答した人が $24.0 \%$ であった。避難するかわからないと回答した人の半数が実際に避難しない選択を取ると仮定した場合,式(13)らり $63.1 \%$ の人々が新型コロナウイルス感染症の流行下でも,指定避難所へ避難すると考えられる。 内閣府防災担当 (2019b) による想定避難人口の最大値は 76.0 万人である。よって, 76.0 万人に新型コロナウイルス感染症の流行下でも避難する人口の割合である $63.1 \%$ を乗じると,想定避難人口は最大 48.0 万人と推定された。これらの結果から, 想定避難人口は総受容可能者数よりも少ないことが予想される。そこで, 本研究では避難者数の値として,想定避難人口(新型コロナウイルス感染症の影響を考慮したもの)を用いることとした (Table 8)。 $ p=1-(a+0.5 b) $ $p$ : 平時の避難人口のうち,新型コロナウイルス感染症流行下でも指定避難所へ避難する人口の割合 [-] $a$ : 避難しないと回答した人の割合 $[-]$ $b$ : 避難するかわからないと回答した人の割合 $[-]$ Table 8 より,大阪府の人口に対する発災 1 日後の避難者数の割合は $6.44 \%$ とし, 帰宅率 $\varepsilon$ は発災後7 日間が-2.04×10 ${ }^{-2}$ day $^{-1}, 7$ 日経過以降が 2.97 $\times 10^{-2}$ day $^{-1}$ と設定した。 ## 4.4 モデルの精度検証 本研究で構築したモデルの精度検証を行った。精度検証は,第 3 波の感染者数の増加に対して震災は発生しない条件で本モデルを適用し,実際の感染者数データ(厚生労働省,2021c)との差を,決定係数 $\mathrm{R}^{2}$ を用いて評価した。決定係数はモデルの精度を評価する指標で $0 \sim 1$ の値をとり, 1 に近い程モデルの精度が高い。決定係数は以下の式 (14)で算出される。ここで, $I_{r}$ は実際の感染者数, $I_{e}$ はモデルによって推定された感染者数とした。 $ R^{2}=\frac{\left.\{\sum_{t}\left(I_{r}-\overline{I_{r}}\right)\left(I_{e}-\overline{I_{e}}\right)\right.\}^{2}}{\left.\{\sum_{t}\left(I_{r}-\overline{I_{r}}\right)^{2}\right.\}\left.\{\sum_{t}\left(I_{e}-\overline{I_{e}}\right)^{2}\right.\}} $ ## 4.5 感度分析 本モデルでは多くの仮定を設けており,推定結果の不確実性を検討する必要がある。そこで, パラメータの変動が結果をどれほど変動させるのかを把握し, 最大感染者数の推定結果を大きく変動させるパラメータを特定するために感度解析を行った。各パラメータ(感染力 $\beta$, 回復率 $\gamma$, 帰宅率 $\varepsilon$ ,人口に対する避難人口の割合)をそれぞれ $10 \%$増減させ, 最大感染者数 $I_{\text {max }}$ [人]の変動率 $\Delta I_{\text {max }}$ [-] を推算した(式(15))。ここで, $I^{\prime}{ }_{\text {max }}$ [人] はパラメータの値を $10 \%$ 増減させたときの最大感染者数を示す。 $ \Delta I_{\max }=\frac{I_{\max }^{\prime}-I_{\max }}{I_{\max }} $ また, 避難所感染力 $\beta_{\mathrm{s}}$ については, 算出方法に不確実性が大きいことを考慮して,追加の感度分析を行った。 $\beta_{\mathrm{s}}$ の値を $65 \%$ まで $5 \%$ ずつ段階的に減少させ,最大感染者数の変動率を推算した。ここで, $65 \%$ は $\beta_{\mathrm{s}}$ が $\beta_{\mathrm{o}}$ と同等の値となる減少率である。密閉空間である避難所での感染力は外界に比べ大きいと考えられる。そこで $\beta_{\mathrm{s}}$ の下限は $\beta_{\mathrm{o}}$ とした。また, クルーズ船のケースから学び,避難所における感染対策はより強化されることを考慮し, $\beta_{\mathrm{s}}$ の上限はクルーズ船のケースから算出された値とした。 Figure 6 Number of infected people projected by the model and actual one Figure 7 Comparison of the number of infected people and the number of hospital beds in Osaka after the earthquake ## 5. 結果 ## 5.1 モデルの精度検証結果 モデルによって推定した感染者数と実際の感染者数を以下の Figure 6 に示す。精度検証の結果,決定係数 $R^{2}$ は 0.966 となり, 本モデルは感染者数の増加について説明できていると考えられる。しかし, 感染者数の減少については, 感染者数が減少に転じた後もモデルによる推定感染者数は増加を続ける傾向にあった。実際には緊急事態宣言等の減少に寄与する要因が働くことでパラメータが変動することから, 感染者数の減少については場合に応じてさらなる検討を行う必要がある。本考察については, 6.1 節で詳しく述べる。 ## 5.2 感染推定結果と病床不足数の推算結果 発災後は,まず避難所での感染が拡大し,40~ Table 9 Maximum number of infected people & 最大感染者数 & \\ ケース(2) & 247,988 人 & 153 日 \\ ケース(3) & 244,429 人 & 172 日 \\ Table 10 Maximum bed deficiency and bed shortage periods 60 日後に避難所での感染者数が最大となった (Figure 7)。さらに, 避難所で感染した感染者が帰宅することで外界における感染も拡大し,発災 130~180日後に全体の感染者数が最大となることが推算された (Figure 7, Table 9)。 ケース(1)~(3)を比較すると,最大感染者数はケース(1)でケース(2)の 1.060 倍, ケース(3)でケー ス(2)の0.986倍となった (Table 9)。初期感染者数の割合はケース(1)がケース(2)の 16.8 倍,ケース(3) がケース(2)の 0.0595 倍である。最大病床不足数においても, 重症病床, 軽症病床ともにケース(2)に対するケース(1),(3)の比は $0.985 1 .03$ に収まる結果となった (Table 10)。以上より, 初期感染者数が最大感染者数や最大病床不足数へ与える影響は小さいと考えられる。また, 病床不足数が最大になるまでの日数は感染者数の初期値が小さいほど遅れる結果となり, 病床不足期間は感染者数の初期値が小さいほど長くなった (Table 10)。 ## 5.3 感度分析結果 感度解析を行った結果, 回復率 $\gamma$ と外界感染力 $\beta_{o}$ が感染者数に対して $40 \%$ 以上(最大 $75.7 \%$ )の影響を与えることが分かった (Figure 8)。回復率 $\gamma$ は平均感染期間を用いて算出しているため不確実性は小さいと考えられるが,近似と最小二乗法によって求めた感染力 $\beta$ の不確実性については, 今後の実際の感染状況を考慮し, 更なる検討が必要である。 Figure 8 Sensitivity analysis results Figure 9 Sensitivity analysis results about $\beta_{\mathrm{s}}$ また, 避難所感染力 $\beta_{\mathrm{s}}$ について追加の感度分析を行った結果を以下の Figure 9 に示す。避難所感染力 $\beta_{\mathrm{s}}$ を $65 \%$ の範囲で減少させても, 最大感染者数は $10 \%$ の減少に留まる結果となった。 ## 6. 考察 ## 6.1 感染力 $\beta$ の不確実性と感染者の減少に対す るモデルの適用可能性 感染力 $\beta$ の不確実性について考察する。感染力 $\beta$ の不確実性の要因として,i)近似・最小二乗法といった算出過程による不確実性,ii)感染者数を完全に把握できないことによる不確実性,iii)実際に感染力 $\beta$ の值が変化していると考えられることによる不確実性の3つが考えられる。 まず,近似・最小二乗法といった算出過程による不確実性について考察する。本研究ではSIR モデルの感染者数 $I$ の変化率 $d I / d t$ について $(\beta S / N-\gamma)$ $I \approx(\beta-\gamma) I$ すなわち $S / N \approx 1$ の近似を行った。本研究で用いたデータでは $S / N \geq 0.994$ であり, 近似による誤差は+0.576\%であった。 また,最小二乗法による誤差は,95\% 信頼区間で土3.76\%であった。以上より,感染力 $\beta$ の算出過程における不確実性は $+4.34 \%,-3.76 \%$ である。 次に,感染者数を完全に把握できないことによ る不確実性について考察する。COVID-19は感染しても症状の出ない無症状感染者が存在するため, 感染者を完全に把握することが難しい。無症状感染者の割合は感染者全体の $17 \%$ であり,無症状感染者の感染性は症候性感染者より $42 \%$ 低いとされている (Byambasuren et al., 2020)。無症状感染者の存在は他者への感染が増加するだけでなく, 免疫獲得者の人数にも影響を与えるため,影響を考慮することが難しい。今後の課題として,無症状感染者を考慮に入れ,症状ごとに固有の感染力 $\beta$ を設定したモデルを構築することで,推定の精度を高めることができると考える。 最後に,実際に感染力 $\beta$ の値が変化していることによる不確実性について考察する。本研究では感染力 $\beta$ の値を定数で設定したが,実社会においては経時変化していると予想される。5.1節で述べたように,モデルによって推定した感染者数と実際の感染者数データ(厚生労働省,2021c) を比較すると,モデルで推定された感染者数は増加し続けているのに対し, 実際は感染者数が減少に転じている。これは,2021年1月7日より発令された緊急事態宣言や,感染者数が增加したことによる国民の危機意識が自粛等の行動を促し,感染力 $\beta$ の値が減少したためと考えられる。震災時においては,震災の被害を抑えるためにCOVID-19への対策意識が薄れ, より感染力 $\beta$ が高まる危険性がある。今後の課題として, 感染力 $\beta$ が決定される要因を明らかにし,変数としてモデルに組み达むことが重要であると考える。また, 感染力 $\beta$ が変化する他の要因としてウイルスの変異とワクチンの接種状況が考えられる。実際にCOVID-19においてもウイルスの変異は確認されており, 感染力が増加したケースも存在する (PHE,2020)。また, ファイザー社のワクチンについて,2回目の接種後 7 日以降に $95.0 \%$ の発症予防効果が認められている(厚生労働省,2021d)。対象地区におけるワクチンを接種し終えた人口の割合が感染力 $\beta$ に与える影響を考慮する必要がある。 ## 6.2 COVID-19の再感染性について 本研究ではCOVID-19の再感染を考慮しないモデルを用いたが,実際には再感染が確認されており,その抗体は $3 \sim 6$ 力月継続するとされている (Yamayoshi et al., 2021)。しかし, 3 力月で再感染するケースは稀であるため(例えば,イタリアに打ける COVID-19患者 804 人中 3 力月で再感染し たのは1名のみであり,かつ無症状性であった) (Mumoli et al., 2020), 本モデルのCOVID-19への適用期間は約 6 力月程度と推定される。 ## 7. 結論 本研究では, 南海トラフ巨大地震時の大阪府でのCOVID-19の流行を,SIRモデルを用いた感染モデルで推定し, 病床不足数を推算した。推算結果は設定条件に依存しているが,感染の規模感の提示を通して今後の対策に一定の示唆を与えるものと推察している。 結果として,大阪府で被害が最大規模となる南海トラフ巨大地震シナリオ下(内閣府防災担当, 2019)で,コロナウイルスの感染力 $\beta$ の值が外界において第 3 波と同様かつ, 避難所においてはクルーズ船と同様であり,さらにその値が一定かつ再感染が発生しなかった場合において, 感染者数は最大 26 万人に上り, 病床不足数は重症病床で約 8,000 床, 軽症病床で約 24.5 万床発生すると推定された。これは大阪府が確保している病床数を大きく上回っているため,発災時に備えて病床をさらに確保するとともに,感染対策を一層強化する必要がある。また,震災時には被災による負傷者が増大するため, COVID-19患者への対応を行う医療従事者が不足することが想定される。これにより,医療対応を受けられないCOVID-19患者数は上記の病床不足数を更に上回る可能性がある。 本研究結果では,発災時の感染者数が少ないほど感染者数の最大値は小さくなり, 感染の収束までは長引いた(病床不足期間が長くなった)。 よって, 感染者数の初期値にかかわらず, 病床数の確保と感染対策(感染力 $\beta$ の減少)を行うことにより, 最大感染者数が供給可能な病床数を上回らないようにすることが求められる。 ## 謝辞 本研究は, (独)環境再生保全機構の環境研究総合推進 (JPMEERF18S11702)により実施した。 ## 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risk
cc-by-4.0
Society For Risk Analysis Japan
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# リスク学研究 31(1): 3-10 (2021) Japanese Journal of Risk Analysis doi: 10.11447/jjra.SRA-0368 【特集:日本リスク学会第33回年次大会 情報】 # 環境污染情報のコミュニケーションの最新動向* ## Latest Trends in Communication of Environmental Pollution \author{ 竹田宜人**, 高村昇***, 保高徹生 ${ }^{* * * *}$, 万福裕造 \\ Yoshihito TAKEDA, Noboru TAKAMURA, Tetsuo YASUTAKA and Yuzo MANPUKU } \begin{abstract} This paper summarizes the outline of the planning session held to share knowledge on the role of stakeholder participation and communication in the consideration of sustainable environmental restoration, by providing topics such as consensus building with stakeholders on the recycling of removed soil, etc., in environmental restoration related to the accident of the Fukushima Daiichi Nuclear Power Station of Tokyo Electric Power Co., Inc., human resource development activities utilizing online lectures and workshops, and examples of dialogue with local communities in the former evacuation zone. \end{abstract} Key Words: risk communication, environmental restoration, Fukushima Daiichi nuclear power plant ## 1. 背景 近年, 土壌污染対策や環境修復事業において, ステークホルダーの参画を含めた多面的評価に基づく合意形成やコミュニケーションの必要性が指摘されている。一方で, ステークホルダーの参画については,その範囲や代表性の担保,制度面も含む参画方法等について課題も多く,現場において悩みも深い。本企画セッションは,東北地方太平洋沖地震に伴う東京電力福島第一原子力発電所の事故(以下,原発事故という)に関係する環境修復における除去土壌等の再生利用に関するステークホルダーとの合意形成, 本件に関連したオンライン講義やワークショップを活用した人材育成活動,旧避難区域における地域社会との対話の事例等について実践に携わる関係者に話題提供を頂き,持続可能な環境修復を考える上でのステー クホルダーの参画やコミュニケーションが果たす役割について,知見を共有するために行ったものである。 ## 2. 企画セッションの概要 本企画セッションは第 33 回日本リスク学会年次大会において,2020年11月22日(日)9:00~ $10: 30$ に開催し, 15 分 4 テーマ, 総合討論 30 分合計 90 分で構成した。演者と発表内容は以下のとおりである。 (1) 除去土壌等の管理・減容化・再生利用事業と人材育成 * 2021 年 4 月 14 日受付, 2021 年 6 月 2 日受理 **北海道大学大学院工学研究院 (Faculty of Engineering, Hokkaido University) *** 長崎大学原爆後障害医療研究所 (Atomic Bomb Disease Institute, Nagasaki University) **** 独立行政法人産業技術総合研究所地質調査総合センター (Geological Survey of Japan, National Institute of Advanced Industrial Science and Technology) ****** 独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構農業環境変動研究センター (Institute for AgroEnvironmental sciences, National Agriculture and Food Research Organization) 万福裕造 (農業・食品産業技術総合研究機構) (2)次世代を担う人材への除去土噇等の管理 $\cdot$減容化・再生利用に関する教育・・ウィズコロナのワークショップ 竹田宜人 (北海道大学大学院工学研究院) (3)旧避難区域における住民とのコミュニケー ションの変遷と果たした役割 保高徹生(産業技術総合研究所) (4) 福島復興に向けた継続的リスクコミュニケーションの取り組み 高村昇 (長崎大学大学院医歯薬学総合研究科) ## 3. 発表内容 本稿は,オーガナイザー(筆者)が各演者の発表内容を要旨と発表資料に基づき記述した節と総括としてその共通点や課題に関して論じた節から構成している。 (1)除去土鎄等の管理・減容化・再生利用事業と人材育成 万福裕造 (農業・食品産業技術総合研究機構)原発事故からの早期環境回復のため除染が実施され,演者が派遣されている飯舘村では,農地除染により約 200 万 $\mathrm{m}^{3}$ の除去土壤が発生している。 除去土壤は福島県全域で約 1,400 万 $\mathrm{m}^{3}$ と推定され,2016年より中間貯蔵施設への輸送を開始した。(2021年 3 月で $75 \%$ が搬入された。筆者注) これは法で定められた「中間貯蔵開始後 30 年以内に,福島県外で最終処分を完了するために必要な措置を講ずる」が根拠となっている。一方,全量をそのまま最終処分する難しさは,必要な規模の最終処分場の確保等の観点から実現性が乏しいとの指摘もあり, 最終処分地の選定は今後, 大きな課題になるものと思われる。 演者の問題意識は, このような関連事業に係わった経験によるものである。公共事業等の計画や事業実施に関して,行政と住民間での対話において対立関係となり,社会問題となることも多いが, 原発事故後の説明会も同様であり, 住民の関心は放射能や人体影響,避難,保障,生活に関することから,除染や仮置場,除染後の復旧に関することまで多岐にわたり,さらに情勢の変化により変遷していくという。このことは講演 3でも指摘されており, 行政側の説明目的とミスマッチになることも多く, 実際の課題解決の場における多様性と複雑さを示している。 行政側は事業を実施する上での課題を整理し, キーとなる住民代表や関係者を探し万全の準備を試みるが,必ずしも,参加者の満足を得たものではなかったという。これは,ステークホルダーの拡大と住民の安全への要求の変化を示しており,従来の事業者と地域社会との係わり方とは状況が変化していることを示唆しているといえよう。 しかし,行政側が多様な立場を想定した資料を作成し,想定問答を繰り返し検討するなどの周到な準備を行うことの重要性や,信頼されている方からの説明と初対面の方から聞く説明では, 信頼や理解度に差が生じること,これまでリスクコミュニケーションと称してきた住民説明会やHP での情報公開だけでは目的が達せられないこと, などへの気づきは,一方向かつアドホックな住民説明会では十分な対話の効果は期待できず,周到な計画と準備, 充分な時間的余裕が必要であることを指摘している。 演者は, これらの経験により, 除去土壌等の適切な管理・減容化・再生利用等の推進には, 技術面だけではなく, 社会的な背景や地域の現状, 経済的な課題が理解できる人材 (技術者, 行政担当者)の育成が必要であることを指摘し,技術の適切な社会実装のために必要なスキルとして, 新たな人材育成プログラムの提案に結び付けている。 (1) 人材育成プログラムの紹介 このような背景を踏まえ, 演者は「JESCO 除去土壤等の減容等技術実証事業(その1)次世代を担う人材への除去土壤等の管理 ・減容化 $\cdot$ 再生利用等の理解醇成」で実施されている, 若手人材 (大学生, 企業等の技術者) を対象にした人材育成プログラムについて報告している。 プロジェクトの概要は Figure 1 の通りであるが構築されたカリキュラムは,これまでのリスクコ Figure 1 Development of human resource development programs ミュニケーションの経験や反省,最新の知見を取り入れたものである。 これまでのリスクコミュニケーションに関する研修や演習では,基本的な考え方とノウハウ,テクニックを提供することが主であり,受講者のニーズもそこにあることが多いが,ここでは扱うリスクへの理解を深めることで,より適切なリスクコミュニケーションの構築が可能になることを考慮したものと考えられる。 演者は, この人材育成プログラムの目的として,以下の項目を掲げている。 $\cdot$ 技術的内容への理解を深める。 ・本件に関わるステークホルダーの多面性,価値観の多様性を理解し総合的に見られるようになる。 ・再生利用をすることを前提とするのではなく,自らで考える。 $\cdot$我々の世代だけで解決できなくても,前に進めることができる。 技術的な内容を深めるためには,リスクの本質を理解することが重要であり,演者が,リスク情報そのものが持つ曖昧さが住民の多様な関心を生むとしているところは, 経験に基づく知見として重要である。さらに, 食品安全委員会がリスク管理は,「科学的なりスク評価や技術的な実行可能性,費用対効果,国民感情など様々な事情を考慮する必要がある」とした記述を引用し,そのためには関係者との十分な対話と協働が不可欠で,最も大事にしなければならないとしていることは興味深い。 以上のような,現場で得た経験から得た知見を伝えるには,座学だけでは不十分で,本カリキュラムでは, Figure 2 に示すように現地を見学し,その経験を生かしたワークショップに参加することでより参加者が深く考察する機会を提供している。 \section*{人材育成ア゚ロク゚ラムー全体概要 \\ 回暨要 性を理解し、綕合的に見うれるようたなる。』とを目的として、以下を実施した。 Figure 2 Outline of human resource development program しかし,令和 2 年度はコロナ禍の制限を受けたため,オンラインによる講義,ワークショップ, フォローアップと短時間の現地見学に変更となつた。その内容は次の演者が報告している。 (2) 今後の展開 演者は飯舘村における除去土滾の再生利用に関する実証事業を踏まえ,以下のように結んでいる。 「再生利用に対し立証された安全性に関する科学的な検証は重要な要素であるが, 安全の判断は個人の価値観や感覚に依抛するところが大きく,特に放射能の課題は,安全と安心を表裏の様に安易に考えることはできない。専門家による丁寧でわかりやすい説明や,その人の立場で理解できる不安など,多面的な相互理解の展開が必要である。長泥地区での実証事業開始は,受け入れた住民の理解と協力,相互の協働が極めて大きい。このような経験を通じ,事業実施等に伴う住民説明会にリスクコミュニケーションの概念を取り入れ, 一人一人の不安の払拭への配慮や, 事業内容等のわかりやすい説明,整備後の維持管理について自治体と住民の協働が継続して必要と考える。本カリキュラムを受講した若手人材がこのような場においてその能力を発揮することを期待している」 ここでは,対話とともに住民との協働に着目しているのが興味深い。演者は経験の中から,対話の結果を理解の増進や納得だけではなく,協働まで発展することで,地域社会の課題を発展的に解消することへの気づきを示している。 (2)次世代を担う人材への除去土滾等の管理$\cdot$減容化・再生利用に関する教育 筆者は(1)で紹介されたカリキュラムにおいて, リスクコミュニケーションに関する講義とワークショップを担当している。令和 2 年度は多くの大学でそうだったように, 新型コロナウィルス対策として, オンラインでの講義となった。ワークショップは, 参加者同士のディスカッションと共同作業により教育効果が高まる講義手法であるが, オンラインの場合, 複数の参加者による双方向性の対話に制約が生じ,充分なディスカッションができない。しかし,運営方法の工夫により,ある程度の成果を上げることができたので,報告する。 (1) プログラムの構成 ア講義 講義の項目は以下のとおりであり,まずリスク の本質を技術的な側面から提供している。レベルは, 理工学系の学部 3 年〜大学院であれば関心をもって取り組める内容であるが,実績として文科系の学生も無理なく参加している。 $\cdot$東日本大震災からこれまで ・土の中の放射性セシウムの挙動 ・除染および除去土壤等の管理・保管 $\cdot$ 除去土壤等の減容化技術・再生利用 $\cdot$ 県外最終処分 ・リスクコミュニケーション イ現地見学 (中間貯蔵施設や関連施設の見学) ウワークショップ 現地見学の経験を踏まえ, 福島県内で行う。令和 2 年度は講義と連続してオンラインで実施した。 エ知識定着や気付きに向けたフォローアップワークショップ形式による,学生の参加報告に基づく振り返りや気付きと今後に向けた発展的な議論を行う。 なお, 令和 2 年度は, 北海道大学, 福島大学,茨城大学, 横浜国立大学, 東京大学, 京都大学,京都府立大学, 大阪大学, 神戸大学, 広島大学,九州大学, 長崎大学等が参加している。 (2) コロナ禍のワークショップ アプログラムの見直し 講義は, 複数校合同のLIVE方式で, 各担当教員が行った。当初計画では, ワークショップは現地見学終了後, その体験を踏まえ, 除去土壌の最終処分について参加学生が現地で班別に議論するものであったが,感染症対策を考慮すると,その実施は難しいものであった。 そこで,講義に現地の紹介動画を追加し,現地見学の補完を行うとともに, ワークショップの内容を講義中で行うなどの工夫を行った。なお, 本プログラムに不可欠な現地見学は少人数による短時間かつ複数開催に変更し, 学生が福島の現場に触れる機会を確保している。 $ \begin{aligned} & \text { イオンラインによるワークショップ } \\ & \text { コロナ禍において, オンラインのワークショッ } \end{aligned} $ プは様々な分野で実践されており,感染症対策を行った対面式との併用も徐々に行われつつある。 オンラインによるワークショップの運営に関する技術的なガイド等はウェブでも掲載されているが,その効果や課題については,今後,検証されていくものと考えている。 本ワークショップは,講義において学んだリス 2020年O月O日のWSスケジュール Figure 3 Beginning of the workshop クコミュニケーションの基本を背景に,対話の場の疑似体験をするものであり,人々の意見の多様性に気づくことも目的の一つである。その次第は Figure 3 の通りであり,対面式が可能な場合は, 6 人程度の班に分かれ,テーブルファシリテータのリードでワークを行う。グループワーク1では, 扱う課題(本事業では, 除染土壤の再利用と最終処分)について,復習としてのレクチャを行った後,除去土滾の再利用や最終処分において,関係するステークホルダーを抽出するものである。グループワーク 2 では, ステークホルダー を意識しつつ,技術的な選択肢におけるメリット,デメリットを抽出し,各班で適切と考える選択肢を理由とともに選ぶものである。グループワーク 2 は社会における意思決定を簡略化し, 模擬したものともいえる。 対面式が可能であれば,この後に,住民向けの説明会を企画し, 想定される $\mathrm{Q} \& \mathrm{~A} の$ 作成, 模擬対話に発展していく。 ウワークショップの進め方 対面式のワークショップでは, その記録を模造紙や付箋を用いて行うが, 本ワークでは以下に示すようにZoomのチャット機能を用いた。 班分けはブレイクアウトルーム機能を活用し,教員がそれぞれのルームでファシリテーターを務めた。記録者は,以下に示すような参加者が書き込んだチャットのテキストを Figure 4, Figure 5 に示したパワーポイントの資料にコピーし,参加者と個別の対話を行いながら䌂め, ワークの最後に画面共有をしながら班の代表が説明する方法である。 多くの場合,記録者はファシリテーターが行ったが,人数に余裕がある場合は参加者が担当した場合もあった。 ## グループワーク1:最終処分地の選定に関する ステークホルダーは誰 ? Figure 4 Group Work 1 オプションのメリット・デリットを考えてみて下さい (5分)。 Figure 5 Group Work 2 ## ○から全員に:02:30 PM 処分先の地域住民, 地方自治体, 処分の委託企業 ○から全員に:02:30 PM 総理大臣, 污染土壌専門家, 大臣, 市長 ○から全員に:02:30 PM 住民,行政の職員,技術者,輸送業者,観光業関係者 ## 工 成果と課題 リスクコミュニケーションにおいて,重要なことの一つに関係者の抽出がある。ワーク1で,その多様性に気付くことは,ワーク2における各ケースのメリット,デメリットを具体化するために必須の作業ともいえ,実際の場の設計において,不可欠な作業と言えよう。 ワーク2では,オプションA「1箇所で集中管理」, オプション B「各県 1 箇所 46 箇所で分散管理 , オプション $1\lceil 1300$ 万 $\mathrm{t}$ の低濃度土壌」, 才プション2「5万 $\mathrm{t}$ の高濃度濃縮物」からなるマトリックスにおいて,そのメリット,デメリットを ワーク 2 で使用するパワポグループワーク2:ク゚ループで考えをまとめる(3) Figure 6 Results of Group Work 2 考察する。その際には,技術的,社会的側面の両方を考慮する必要があり, Figure 6に示すように,多様な意見があることを知ることができる。時間的余裕があれば,上記の条件以外の方法の検討へ発展することも可能で,事例では,無人の離島や宇宙空間での管理などの案が提案され,技術的な可能性と外国や国際機関との関係などステークホルダーの拡大に気付くこともできた。 最後に,本手法の課題を参加者のアンケート結果から抽出する。主なコメントは以下の通りである。 (1)全体の意見を知りたい。一人ひとりに話題をふるのではなくアンケートアプリ等をもちいて,全体の意見が知れるようにすると更によいかなと思いました。 (2)参加者同士のグループ討論,意見交換が必要。 せっかく, たくさんの大学生が参加していたので,大学生同士のグループ討論や意見交換もあったらもっと若い方々の考えや意見を聞けたのではないでしょうか。 (3)グループ討論の充実。もう少しグループ討論みたいなものをしたかったです。話し合いの時間をもう少し増やしてほしいです。 (4)グループワークの消化不良感。グループワークはオンラインであるが故の消化不良感がありました。対面式の方が良い。 (5)直接対面でお話が伺えたらな,と思いました。 また,住民説明会での様子など,実際に同席した方にしか分からないお話を更にお聞きしたかったです。 (6)対面がよい。今回はzoomでの講義だったが,是非対面でディスカッションを行いたいと感じた。 (7)交流の時間が短い。交流の時間が短くて,もっと効率が高い方法が必要と思います。 (8)オンラインでは講義の形態がアドホックであ り,構成する際に質問等のフォローアップが必要である。 (9)遠隔授業で不慣れな点があったと思いますが,事前に zoomの使い方や模擬練習など行ってスムーズに授業が進められればよかったと思う。 以上のアンケート結果から, オンラインでの開催直後は,教員が各班のファシリテーターとしての取りまとめ役を行っていたが,この場合,対話が行われたとしても,一対一の対話になりがちで,グループワークとしての目的を果たせていないことが推測された。また,学生同士の交流の機会の確保への要望も同じ原因が想定される。そこで,後半では教員がファシリテーションを行わず,学生に進行を任せる等の工夫を行った。 本稿を作成した2021年3月現在において,コロナ禍の収束は見通せておらず,令和 3 年度も対面式とオンラインの併用の可能性がある。その際には, 令和 2 年度の経験を踏まえ, 内容と方法のアップデートを考えている。 (3)旧避難区域における住民とのコミュニケー ションの変遷と果たした役割 保高徹生(産業技術総合研究所) 本発表は,避難指示が発せられた高濃度污染区域において,住民が帰還前から様々な研究者と連携して放射性物質に関する環境調査等を実施,またはそれらに協力し,その地域の生活圈における放射能污染の実態を踏まえて課題と向き合う取り組みに関する報告である。 演者らは, 阿武隈高地に位置する農村地域である福島県川俣町山木屋地区において水中の放射性 ## Phase1:避難初期2012 2013年 ・ 住民と研究者が違う方向を向いている。 Figure 7 Interest of Residents, Governments, and Researchers (Early Evacuation) セシウムの動態研究や山林における放射性セシウムの挙動評価, 山菜やキノコ中の放射性セシウム濃度の測定,個人線量等の調査・研究を実施している。ここで重要なことは,演者らの研究が,住民の関心や懸念事項に立脚していることにある。 Figure 7 は当日の発表資料からの引用であるが,震災直後は, 研究者と住民の関心事にはギャップがあったことが指摘されている。 講演者が指摘する Phase 1 の経験は,得られた調査結果を住民ヘフィードバックするとともに,最新の住民の懸念・不安事項を知るために,地域住民との対話を継続して実施することの重要性への気づきに発展している。市民科学との共通性も感じられるが, ここで印象的なのは,研究や観測の一端を市民が担うばかりではなく,住民や社会の課題解決のためのアジェンダセッティングにおいて,対話を位置付けたことにあるだうう。 その結果, Figure 8 に示すように住民との環境污染情報伝達に関するコミュニケーションは一方型から双方向型へ移り変わり,演者も指摘している既存の住民説明会での「話しにくさ」の解消にも繋がっていく。 それらの経験は,帰還後における地域住民のニーズの変化を踏まえて開始した,地域住民と外部との積極的な交流を基盤とした双方向型学習交流プログラム「山木屋学校」の継続と発展に繋がっている。2019年度までに約 30 回開催された山木屋学校(500人参加)の内容は, 農業ボランティア,地域学習(例えば,地元の方と地域視察, 味増作り等), 山菜採取・濃度測定・結果の共有等の活動)の多岐にわたり,地域の様々な関心事への対応を図っている。 演者は, 2019年度の本学会発表で, 被災地域 ## Phase2 避難中期 後期2014 2016年 ## 双方向性のアプローチの取り組み 住民説明会の票囲気って話Lにくいですなね 1.みんなが話しやすい雾团気を作る。そもそも理解していただけ 2. 住民の興味・関心を知る。開心がかいことを門かされても。 解しておく必要がある。 3. 研究対象をステークホルダーの意見を踏まえて一緒に考える。新しい研究テーマが住民との対話から生まれることもある。 災害㻴境研究は地元フケーストになれ可か?が梄内て五 4. 一緒に調査をする。調查を一粕にすると仲良くなれます。 5. 研究成果をフィードバックする。 Figure 8 Collaboration between residents, government, and researchers 環境に関する社会とのコミュニケーションに向けた「個人的な」所感 ・「環境」に関する情報は重要だが、全てではない。「社会」、「経済」的な要素も含めて考える必要がある。 ・コミコニケーションをする相手の知りたいこと、価値観を理解する。 ・情報公開$\cdot$調査結果のフィードバックの徹底 ・腑に落ちるポイントの理解 ・双方向型の対話を常に意識すること ・未来を見据えて考える Figure 9 Communication with society regarding the environment の研究では,直接的もしくは間接的に地元住民にとっての便益が必要であること,環境研究により得られる最新のモニタリングデータは,最新の科学的な知見の蓄積という科学への貢献たけでなく,国や自治体の施策への貢献,さらに地元住民が安全性を判断するための情報提供等の「社会のための科学」の役割の重要性について指摘している。 演者は,この経験をFigure 9のようにまとめているが,この指摘は様々なリスク管理に共通しているということができる。 (4)福島復興に向けた継続的リスクコミュニケーションの取り組み 高村昇 (長崎大学大学院医歯薬学総合研究科)福島県川内村は事故前に比較して8割以上の住民が帰還しており,住民,自治体それに専門家が協力して復興にあたる「原子力災害からの復興モデルケース」と言われている。その背景には, 長崎大学が2011 年の東京電力福島第一原子力発電所事故(福島原発事故)直後から,福島における原子力災害医療体制の確立や住民へのクライシスコミュニケーションを行い,その後事故の収束に伴い,避難した自治体の中でいち早く帰還を開始した川内村の復興支援を行ってきたことがあり,他地域のみならず,他のリスク管理においても参考となる事例である。 具体的には,環境放射能の測定や個人被げく線量,食品や水等のモニタリングを通じた住民の外部被ばく,内部被ばくの評価,そしてそれらの結果をもとにした住民とのリスクコミュニケーションであり,先の発表にも登場したキノコの環境放射能測定(Figure 10)は,住民の関心に答える形で行われたものであり,興味深い。 また,対話の場として行われた車座集会は,教 Figure 10 Environmental Radioactivity Measurement of Mushrooms 大熊町放射線健康リスクコミュニケーション支援, おry. ## 【町内での車座集会の開催 10月22日、大熊町住民福祉ゼター にて、車座集会を開催。 $\cdot$「自分が釣つた魚の検査結果があるが、 この結果をどのように解䣋すればよいか。」 $ \rightarrow \text { 今後も継続的な町内外での) } $ 車座集会の実施を計画する Figure 11 Content of “車座” Meetings and Dialogue 室形式等の関係者が一方向を向くものではなく,話しやすさを考慮した形式であり,この名称から住民を主役とした企画といえ,不安や懸念の低減において,このような工夫が地域に受け入れられてきた理由の一つと言えよう (Figure 11)。 もう一つの特徴は,行政との連携である。2013 年 4 月には川内村内に長崎大学・川内村復興推進拠点を設置し保健師を常駐させ,2016年には川内村に隣接する富岡町との連携協定を締結し, 2017年の同町の帰還にあわせて町内に長崎大学・富岡町復興推進拠点を設置しているという。2020 年には大熊町とも連携協定を締結し,長崎大学・大熊町復興推進拠点を設置している。演者は川内村, 富岡町, 大熊町は復興のフェー ズが大きく異なっていると指摘し, Figure 12 に示すようなフェーズ毎の支援の在り方を提案している。放射線焱害をアドホックなものではなく,今後も起こりうるとして備えること, 各地域の復興の現状に目を配り,住民,自治体と緊密に連携しながら復興支援を継続的に進めるには,制度や組織の確立も不可欠であり対話がリスク管理の中に計画的に位置付けられることの重要性を示している。演者は,発表の最後にリスクコミュニケーショ Figure 12 Preparing for Radiation Hazards ンを丁寧に行うことで「戻ってきてよかった」と思えるような,そして「戻万うかどうか迷っている」住民が安心して戻ることのできる環境づくりを,町役場との緊密な連携の下で進めていく,と結んでいる。これは, リスクコミュニケーションはリスクを被るものが主体であり,事業を行う行政や研究機関を巻き达んた協働の重要性を改めて認識すべきであろう。 ## 4. 総括 2021 年は東日本大震災から 10 年の節目であるが,パンデミックという新たな災害の中で迎えることになった。そのような背景において,人々の様々なリスクへの気づきと関心の高まりは, リスクを管理する者(行政,事業者,研究機関等)とリスクを被る者(住民など)の対話の必要性を増大させていることは言うまでもない。そのため,本稿で取り上げた原子力災害と除染に係る様々な問題(除去土壌の最終処分など)だけではなく,化学物質による土壌污染や原子力発電所からの高レベル放射性廃棄物の処分地選定など,様々な地域で住民や行政等のステークホルダー間での対立が生まれている。扱うリスク情報の不確実さなど,過去の公害問題との類似点を指摘することはできるが,ステークホルダーの範囲とそれらの間で取り交わされる情報量や質は格段の違いがあり,過去の経験やノウハウだけでは解決に結びつ かず,分断の解消に至らないケースも多く,そのために費やされる人材,資金,時間や社会的なストレスは年々増加しているように感ずる。今回,発表をお願いした,万福,保高,高村の三氏は,福島の復興における除染後の農地復旧・除去土壌の再利用,地域のニーズに合わせた研究とフィードバック,行政と連携した住民帰還への取り組みなど,それぞれのフィールドは異なるものの,原発事故後の放射線災害のそれぞれの側面における住民ニーズに根差した実践活動に取り組んでいる研究者である。 共通するものは,多様性と継続の重要性への理解である。行政や企業の活動は, ステークホルダーに合わせるものではなく,その組織の都合で動くことが多い。その結果,その計画における時間軸は住民側の価値観の多様性や生活感とは相いれないことが多く,対立構造に陥った時はそのリカバリは困難を極める。そこで,最初からステー クホルダーの参画や,細かいところでは,話しやすく継続することを想定した対話の場の設計が求められるが,実践になると,内部的な調整から困難をきたすことも多い。 その解決には, 多くの関係者が社会的な課題を理解するためのスキルを身に着ける必要があり,本セッションでも,その学びとしてカリキュラムの提案が含まれている。多くの学生がリスクガバナンスやリスクコミュニケーションの考え方を知ることは,彼らが行政や事業者で課題に向きあう立場になった時それを理解するきっかけとなり,社会の適切なリソースへの再配分に結び付き,社会全体での利益の向上に資することになるだろう。 ## 謝辞 本セッションの発表の一部は,「JESCO 除去土壤等の管理 - 減容化 - 再生利用事業と人材育成で得られた知見を活用しています。改めて, 関係者の皆様に御礼申し上げます。
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Society For Risk Analysis Japan
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# 土砂災害を起因とした化学物質流出事故のリスク評価 と対策の費用便益分析* Risk Assessment and Cost-benefit Analysis of the Countermeasure of Chemical Release Accident Triggered by Landslides } 森口 暢人**,伊藤 理彩 ${ }^{* * *}$, 東海 明宏*** } Nobuto MORIGUCHI, Lisa ITO, and Akihiro TOKAI \begin{abstract} In Japan, landslides have tended to increase along with an increase of precipitation; therefore, the damage to industrial and economic activities due to landslides should be concerned. However, previous research on Natural-hazard triggered technological accidents (Natech) has not been focused on landslides. Considering such backgrounds, we established a landslide risk assessment method for industrial facilities and conducted the cost-benefit analysis for the countermeasure option. Specifically, we picked up an industrial facility handling chemical substances located in the landslide hazard-prone area and also evaluated the health risk caused by the chemical release accident triggered by the landslide. Here, we selected n-hexane as a target chemical substance and calculated the atmospheric concentration after the accident. We calculated construction costs for countermeasure and accident costs such as compensations under the assumed scenario based on the Acute Exposure Guideline Level. The results showed that compensation for victims accounted for about $97 \%$ of the accident costs and efficiency of proactive countermeasures considering the cost-benefit ratio. \end{abstract} Key Words: Chemical release, Landslide, Natech, Countermeasure, Cost-benefit analysis ## 1. はじめに 近年,日本では自然災害を起因とした化学物質流出事故や工場の爆発事故など,複数の産業事故が発生し,大きな被害をもたらしている(厚生労働省,2011; 北後,2019)。このような自然災害を起因とした産業事故は Natural-hazard triggered technological accidents (Natech) と呼ばれ, 国際的に研究が進められている(例, Suarez-Paba et al., 2019; Mesa-Gómez et al., 2020)。Natech研究が対象としている災害は地震や津波, 噴火, 土砂災害 など地質に関連する災害と豪雨や竜巻,洪水,雷,異常気温など気象に関連する災害の大きく2 つに分かれる。その中でも地震はNatech研究の初期から注目されており,近年は気候変動に対する注目から洪水や豪雨などの気象災害に関連する研究がこれまでに発生した事故の分析やリスク削減の観点から進んでいる (Suarez-Paba et al., 2019)。 これらの災害の中でも土砂災害は毎年のように日本各地で発生し,大きな被害をもたらしている。特に近年では, 平成 30 年 7 月豪雨や令和元年台風  19 号,令和 2 年 7 月豪雨などの記録的な降雨事象を起因とした土砂災害が頻繁に発生しており, 2018年の土砂災害発生件数は1982年の集計開始以来最多の3,459件となった (国土交通省,2019)。実際に豪雨の増加に同調するように,国内の土砂災害発生件数は増加傾向が見られる(国土交通省,2020a)。このように土砂荻害の発生件数が増加傾向にある中で,日本では人的被害や家屋に対する被害だけではなく, 産業施設への被害として,広島県江田島にある火薬などの生産施設への被害が実際に確認されている (Kumasaki and King, 2020)。この事例は事前対策として擁壁の補強を行うことでNatechのような産業事故には至らなかったが (Kumasaki and King, 2020),土砂災害を起因とした産業事故が将来的に発生する可能性があることを示唆している。また,西ヨーロッパの経済協力開発機構 (OECD) 加盟国では土砂災害によって原油や石油製品を輸送するパイプラインが破損し,これらの物質が流出するという事例が確認されている (Girgin and Krausmann, 2015)。 このように自然災害を起因とした産業事故が懸念される中, 日本では国土強勒化基本計画が 2014年6月に閣議決定され,事前防災と減災,迅速な復興復旧の考え方のもと,ナショナル・レジリエンスの具体化が進められている。同計画の施策分野の1つである環境分野には有害物質の拡散や流出を防止するための対策や対応体制を構築することが明記されており(内閣官房,2018),災害発生時において, 最悪の事態を想定した化学物質流出リスクの評価及び事前対策の立案が求められる。さらに,国や地方公共団体,事業者はこのような産業事故の事前防止対策を限られた予算の中で実施しなければならない。したがって,合理的な判断を行うためには対策の経済性を定量的に評価することが必要となる。特にNatechの事前防止対策を評価するためには,自然災害と産業事故という $2 \supset の$ 事象を考慮することが必要であり,評価に必要な項目や情報を整理することが求められる。 しかし,土砂災害や噴火,異常気温に関する研究は海外を含めて進んでおらず(例,Suarez-Paba et al., 2019; Cruz and Suarez-Paba, 2019),土砂荻害を起因とした数少ないNatech研究の 1 つに Alvarado-Franco et al. (2017) が行った土砂災害を起因としたパイプライン破損確率の評価モデルの構築に関する研究があるが,パイプライン破損に よる化学物質流出リスクの評価は行われていない。このように現状では,土砂災害を対象とした Natech研究の課題として, 具体的な事故のシナリオに基づき,産業事故のリスクを定量的に評価している事例が少ないことが挙げられる。 そこで本研究では, これまでのNatech研究の中で定量的なリスク評価が進んでいない災害の 1つであり,日本において増加傾向にある土砂姼害を取り上げ,土砂災害を起因とした化学物質流出事故のリスク評価法を具体的な事例をもとに構築することを目的とする。また,最悪と考えられるシナリオを想定したリスク評価も行い,そのリスク評価に基づいた対策の費用便益分析を行うことで,評価に必要な項目や情報を整理し,Natech に対する事前対策の評価の一例を示す。 ## 2. 研究の枠組み 研究の枠組みを Figure 1 に示す。まず具体的な事例に基づいたリスク評価を行うため,土砂災害により被災し,化学物質が流出する可能性のある事業所を選定した。次に選定した事業所において想定される事故シナリオを設計し, Areal Locations of Hazardous Atomsphere (ALOHA) Version Figure 1 Research framework 5.4.7 (US EPA, 2016) を用いて, 化学物質流出によるヒト健康リスクを評価した。対策の評価では,流出防止対策と土砂災害対策を取り上げた。前者ではヒト健康リスクをどれくらい減らすことができるのかという観点から評価を行い,後者では,選定した対策の施工費用と化学物質流出リスクの評価結果を踏まえた事故による損失額を算出し,費用便益分析を行うことで対策の経済性を評価した。 ## 3. 対象事業所 土砂妆害により被焱する可能性のある事業所を選定する際に必要となる情報は,土砂災害が発生する可能性のある「場」の特性を表す情報と産業施設の情報である。本研究では,前者として土砂災害防止法に基づき各都道府県で作成されており,国土数値情報(国土交通省,2020b)において整備が進んでいる土砂災害警戒区域の情報を用い, 後者として, 化学物質を取り扱う事業所を示す情報である Pollutant Release and Transfer Register (PRTR) 制度で収集された事業所の情報を用いた。 ## 3.1 対象事業所の選定手順 まず,2007~2016年の土砂災害平均発生件数上位8都道府県を選択した(国土交通省,2018a)。次にArcMap(Esri)を用いて,これらの都道府県で作成されている土砂災害警戒区域と PRTR届出事業所の位置データから,土砂焱害警戒区域に立地する PRTR届出事業所を抽出した。土砂災害警戒区域の GISデー夕は,デー夕基準日が2019年 8 月1日のデータを国土数値情報から入手した。 PRTR届出事業所の GIS データは2017 年度の独立行政法人・製品評価技術基盤機構(NITE)のデー 夕を用いた(製品評価技術基盤機構,2020)。この時点で,選択された 8 都道府県(鹿児島県,新潟県, 神奈川県, 山口県, 島根県, 静岡県, 熊本県, 広島県)OPRTR届出事業所6,308 事業所は 355 事業所まで絞り达まれた。さらにGoogle Map を用いて,i) 事業所内の設備・施設が屋外にあり,ii)土砂災害警戒区域内に存在し,iii)事業所の周囲 $100 \mathrm{~m}$ 以内に住宅が存在する事業所を目視で絞り达んだ。その結果,355事業所から 10 事業所まで絞り达まれた。抽出された 10 事業所から, PRTR届出物質の排出量が最も大きく, 他の事業所と比べて化学物質を多く取り扱っていると考えられる事業所として,新潟県の原油・天然ガス鉱 Figure 2 Target office and surroundings Table 1 PRTR specified substances of the target office (2018) 業の事業所を選定した (Figure 2)。Figure 2から,事業所内にある屋外貯蔵タンクの1つが土砂災害警戒区域に該当していることがわかる。また,事業所から北へ約 $100 \mathrm{~m}$ のころに住宅地が存在し, 化学物質が流出した場合, 周辺住民への健康被害が発生する可能性が考えられる。 ## 3.2 解析対象の化学物質 対象事業所が排出している PRTR届出物質とその2018年度の排出量及びそれぞれの物質の大気分布割合を Table 1 に示す(環境省,2002,2003, 2020)。対象事業所は Table 1 に示す物質を全て大気へ排出している。また, これらの物質の大気分布割合は全て $90.0 \%$ 以上であることから (Table 1),化学物質が流出した場合,大気へ拡散し,従業員や周辺住民に対する曝露が考えられる。本研究では,対象事業所が排出している物質の中で最も排出量が大きいノルマルヘキサンが土砂災害警戒区域に該当するタンクに貯蔵されていると仮定した。 ## 4. 方法 ## 4.1 化学物質流出リスクの評価 ## 4.1.1 事故シナリオの全体設計 事故シナリオの全体像を Figure 3 に示す。事故シナリオとして, 屋外貯蔵タンクが土砂災害に Figure 3 Accident scenarios よって破損し, タンク内の化学物質が流出するシナリオを想定した。近年降雨の増加とともに土砂災害の発生件数が増加傾向にあることを踏まえ (国土交通省,2020a),土砂災害の発生要因として,降雨を想定した。また本研究では事前対策として,斜面の崩壊を防ぐための土砂災害対策を取り上げた。本対策を導入していた場合は土砂災害が発生せず,設備・人的被害は発生しないとした。一方,本対策を導入していない場合は,土砂災害によってタンクが破損し,化学物質が流出するシナリオを想定した。降雨による土砂災害の発生前には,降雨の状況によって事前に大雨警報や土砂災害警戒情報に基づいた避難勧告が発令される場合がある(気象庁,2021a)。実際,平成 30 年7月豪雨における土砂贸害の実態では, 避難軼告が避難の理由になっていることが示されている (国土交通省,2018b)。したがって,本研究では避難钦告によって住民や従業員が事前に避難する場合を想定し,避難した場合は人的被害が発生せず,施設被害のみが発生するとした。化学物質の流出シナリオとしては, 消防法で導入が義務付けられている事業所内の防油堤が機能する (土砂災害によって防油堤が壊れない)場合と機能しない (土砂災害によって防油堤が壊れる)場合に分け,前者では化学物質が防油堤内にとどまり,後者では防油堤外に流出すると仮定した。また,どちらのシナリオにおいても従業員や周辺住民への健康被害が考えられるため, 本研究では事業所が稼働しており,従業員に対する被害が最も大きくなる可能性のある平日の日中に事故が発生すると想定した。 ## 4.1.2 流出ケース 対象事業所に設置されているタンクは, 土砂災害警戒区域図から(新潟県,2021), 直径が約 $5 \mathrm{~m}$, Google map から高さが約 $6 \mathrm{~m}$ と推定されるた 一方, タンクは物理的に入れることができない容量が存在するため,大阪ガス株式会社(2018)の資料から,およそ 8 割が貯蔵されていると想定した。したがって, 本研究では, ノルマルヘキサンが $100 \mathrm{~kL}$ 貯蔵され, 同量が流出すると仮定した。 また,ノルマルヘキサンは常温で液体であるため, 液体の状態で貯蔵されていると仮定した。本研究では土砂災害によるタンクの破損ケースとしてTable 2 に示す2ケースを想定し,防油堤の機能の有無を考慮して計4つの流出ケースを設定した。タンクの転倒ケースは、タンクが転倒することで化学物質が速やかに流出する最悪のケースを考え,化学物質が広がった状態 (プール状態) からの揮発を想定した。また,プールの大きさは,防油堤が機能する場合は防油堤の面積から夕ンク等の構造物の面積を除いた面積 (約 $1,100 \mathrm{~m}^{2}$ ) に等しいと設定し,防油堤が機能しない場合は事業所全体まで広がるとして,事業所全体の面積から構造物の面積を除いた面積(約 $11,000 \mathrm{~m}^{2}$ )を設定した。これらの面積は, 対象事業所付近の土砂災害警戒区域図(新潟県,2021)とGoogle mapをもとに算出した。タンク付属配管の破損ケースは流出孔の直径を $0.2 \mathrm{~m}$, 高さを $0 \mathrm{~m}$ として設定した。流出孔の直径はGoogle mapから,タンクに付属している配管の直径を見積もり, その配管が破断するとして設定した。また最大プール面積は, 付属配管破損ケースの設定のもとで, ALOHAにより算出された値 (約 $11,100 \mathrm{~m}^{2}$ ) (Table 2)を本研究のシナリオに適用した。 ## 4.1.3 解析モデルと解析条件 本研究で使用したALOHAは可燃物質や有害物質などの漏洩による影響を評価するためのソフトウェアとして用いられている。これまでの研究においても、リスク評価のソフトウェアとして Table 2 Chemical release cases ALOHAが用いられた例は複数存在する(Hanna et al., 2008; 横浜国立大学,日本海事検定協会,2014; Pilone and Demichela, 2018)。一方, 解析対象時間が最大で 60 分であることや周辺の建物等の影響が考慮できないことが短所として挙げられる。 ALOHAにおいて用いられる大気拡散モデルは正規型プルームモデルとスラブモデルの 1 つであるDEGADIS モデルの改良型である(US NOAA, 2013)。本研究で対象とするノルマルヘキサンは空気よりも重い物質であるため,計算過程においてDEGADIS モデルが選択されたことを確認した。また, ALOHAでは屋外濃度だけではなく,室内濃度を算出することができる。室内濃度は建物の全ての窓が閉められており, 屋外濃度と室内濃度が均一で,環境条件が変わらないという仮定の下で算出される。 ALOHAは Direct(直接流出), Puddle(プール状態からの揮発), Tank (タンクからの流出), Pipeline (パイプラインからの流出)の4種類の流出モデルを設定することができる (US NOAA, 2013)。本研究では, 流出モデルとしてタンク転倒ケースでは Puddle,タンク付属配管破損ケースではTankを用いた。 ALOHAの解析条件を Table 3 に示す。風速と気温については,対象事業所がある新潟県柏崎市の過去 30 年間の 6 月から 10 月までの観測データの月ごとの平年値を平均した値を用いた(気象庁, 2021b)。当該期間を選択した理由として,2017 年から 2019年における6月から 10 月までの 1 月当たりの土砂災害平均発生件数は約 432 件であり, 1 年全体での 1 月当たりの平均発生件数約 194 件を大きく上回るためである(国土交通省,2018c;国土交通省,2019;国土交通省,2020c)。また, 6月から 10 月は梅雨前線や台風によってもたらされる降雨を起因とした土砂災害が多く発生する期間である。風向は最悪のシナリオとして, 周辺住民が化学物質に曝露することを想定し, 事業所から住宅方面に風が吹くことを想定した。また,土 Table 3 Analysis condition 砂災害が発生する状況下では雨が降っている可能性が高いと考えられるが,ALOHAは雨天の想定がされていない。一方, 本研究で対象としているノルマルヘキサンは水溶性が低いとされているため (環境省,2002),雨の影響を大きく受けないと考えられる。本研究では,できる限り雨が降っている状態に近い設定において, 化学物質の拡散を計算するために,湿度は設定できる最大の值である $99 \%$ を用い,天候は量りとした。大気安定度は気温, 風速, 天候の条件から, 中立と設定された。地表面粗度については事業所周辺に建物が密集しておらず,また事業所から住宅方面には農地が広がっているため,化学物質が拡散しやすい 「Open Country」とした (US EPA, US NOAA, 1999)。流出する地表面は化学物質の揮発量に影響を及ぼす。本研究では,事業所内での流出を想定しているため, 流出地点の地表面をコンクリートと設定した。地表面の設定は化学物質の揮発量に影響を及ぼす。室内濃度を算出する際に必要となる建物の種類は民家と事業所を想定し,双方とも2階建てとした。以上の条件を反映した結果,空気交換率(屋内と屋外の空気が完全に入れ替わる 1 時間当たりの回数)はALOHAにおいて0.17が選択さ れた。 ## 4.1.4 急性毒性影響指標 急性曝露の影響を評価するための代表的な指標としてはERPGやAEGL, TLV-STEL, IDLHなどが挙げられる (宮田, 2005)。本研究では事業所内の従業員だけではなく,周辺住民に対する吸入曝露による急性影響を評価するために,感受性が高い人を含めた一般的な公衆を対象とした指標である Acute Exposure Guideline Level (AEGL)を用いた(US EPA, 2020a)。具体的に, AEGLは気体あるいは揮発性物質を主体とした急性毒性物質を対象に, 5 つの曝露時間 (10分, 30 分, 1 時間, 4 時間, 8 時間)のそれぞれに対し想定される健康被害を3段階のレベルに分類し,空気中濃度で表している(US EPA, 2020a)。AEGL-1 は「不快なレべル」で公衆に対し不快感を与える濃度とされ, AEGL-2 は「障害レベル」で公衆に対し避難能力の久如や重篤な影響を与える濃度とされ, AEGL-3 は「致死レベル」で公衆の生命が脅かされる健康影響を与える濃度とされる(国立医薬品食品衛生研究所, 2020)。ノルマルヘキサンの AEGL-1 は十分なデータが揃っていないため,定義されていない (US EPA, 2020b)。一方, AEGL-2, AEGL-3の60分值はそれぞれ $2,900 \mathrm{ppm}, 8,600 \mathrm{ppm}$ と設定されている (US EPA, 2020b)。本研究では, ALOHAのデフォルト值として設定されている AEGLの 60 分値を用いてヒト健康リスクを評価した。 ## 4.1.5 被災者数の算出 ヒト健康リスクはAEGL-2, AEGL-3 の濃度に曝露すると考えられる被災者の数を算出することによって評価した。 被害を受ける集団として,事業所の従業員と周辺住民を想定し, 避難倠告によって避難した場合は両方の集団とも AEGL-2, AEGL-3の濃度に曝露しないとした。一方, 避難搉告が出されていない状況において, 土砂災害が発生した場合, 従業員は避難や状況確認のために屋外に出ると考えられるため, 本研究では最悪と考えられるシナリオを想定し, 従業員全員が屋外の濃度に曝露するとした。 また,避難勧告が出されていない状況において, 周辺住民は日常的な生活を送っていると想定し, 平日の日中に屋外にいる人の割合を求めることで, 予想被災者数を算出した。平日の日中の時間帯の定義として, 平日の在宅行為者率が $40 \%$以下となる 9 時から 16 時の間 (NHK放送文化研究所,2016a)と設定した。この時間带における屋外滞在割合は,NHK国民生活時間調査から得られた各行動の平均行為者率 (NHK放送文化研究所,2016b)と廣瀬, 藤元 (2016) が推定した値を用いて算出した。NHK国民生活時間調査は「ながら」の行動を含んでいるため, 各行動の平均行為者率の合計は $100 \%$ を超える。よって, 本研究では各行動の平均行為者率の合計が $100 \%$ となるように, 各行動の平均行為者率に 100 / (平均行為者率の合計)を乗じ, それらの値に廣瀬, 藤元 (2016)が推定した各行動の屋外滞在率を乗じることで屋外滞在割合を求めた。周辺住民の数は AEGL-2, AEGL-3の超過範囲に該当する住宅数から, 1 住宅に 1 世帯が住んでいると仮定して算出した。1世帯当たりの人数は柏崎市の人口と世帯数(柏崎市, 2020a) から求めた。最後に, 求めた住民数に屋外滞在割合を乗じることで被災者数を算出した。 ## 4.1.6 化学物質流出によるヒ卜健康リスクの感度解析 本研究では, 化学物質流出リスクに対する感度解析を実施し, 最終結果の不確実性に影響を与える要因を分析した。感度解析はタンク付属配管破損における防油堤が機能しないケースを対象として, 貯蔵量と流出孔の高さ, 気象条件の変化がヒ卜健康リスクの不確実性に与える影響を分析した (Table 4)。上方, 下方は各変数の値がそれぞれ最大,最小に振れる場合を表している。ただし,大気安定度については上方が安定,下方が不安定な側に振れるとした。 貯蔵量は最大量を $80 \%$ ,最低量を $20 \%$ として評価を行った。タンクの貯蔵量 $80 \%$ は物理的に入れることができるおおよその上限値であり,タンクの貯蔵量 $20 \%$ はポンプによって引くことができる容量のおおよその下限値である(大阪ガス株式会社, 2018)。流出孔の高さは急傾斜地崩壊に伴う土石等の移動の高さを上限とした。土石等の Table 4 Sensitivity analysis 移動の高さは土砂災害警戒区域を指定する際に用いられ, 埼玉県の基礎調査マニュアル(埼玉県, 2021)ではこれまでの災害履歴から $1.0 \mathrm{~m}$ とされている。本研究ではこれに従い, 流出孔の最大高さを $1.0 \mathrm{~m}$ とした。気象条件の不確実性については大気安定度と風速,気温を取り上げた。大気安定度の範囲は不安定 (A) と安定 (F) として取り上げた。風速の下限値はALOHAの解析条件の下限值である $1.0 \mathrm{~m} / \mathrm{s}$ と, 上限値は柏崎市の 2011 年から2020年までの観測データにおいて,6月から 10 月までの最大風速の中の最大值である $14.2 \mathrm{~m} / \mathrm{s}$ を用いた (気象庁, 2021c)。気温については, 柏崎市の 2011 年から 2020 年までの観測データから, 6月から 10 月までの最高気温の最大値 $\left(37.4^{\circ} \mathrm{C}\right)$ と最低気温の最小値 $\left(3.3^{\circ} \mathrm{C}\right)$ を用いた (気象庁, 2021c)。 ## 4.2 費用便益分析 ## 4.2.1 費用便益分析の全体像 費用便益分析とは,社会的目的を達成するためのいくつかの代替案(プロジェクト)の取捨, 優劣の順序付けを国,地域全体から考えた経済的視点から行うための手法の1つである(土木学会, 1996)。 日本では公共事業の費用便益分析の指針として,「公共事業評価の費用便益分析に関する技術指針 (共通編)」が出されている(国土交通省, 2009)。これは各事業分野において,費用便益分析の実施に係る計測手法や考え方について定めたものである。また, これをもとに「急傾斜地崩壊対策事業の費用便益分析マニュアル(案)(国土交通省,2021)」が出されており, 具体的な便益の計算手法などがまとめられている。 さらに,産業事故防止を防止するための安全対策に関する費用便益分析も存在する。牧野 (2014) は国内外の論文を調査し,安全対策に関する費用便益分析の現状をまとめている。実際に海外では安全対策の評価に関して, 費用便益分析が用いられている例が複数存在している(例, Gavious et al., 2009; Jallon et al., 2011; Reniers and Brijs, 2014; Chen et al., 2020)。 本研究で対象とするNatechは自然災害を起因として発生する産業事故であるため,その対策を評価するためには安全対策を評価するための枠組みが必要である。一方, Natechは東日本大震姼による原発事故のように社会・経済に大きな影響をもたらす可能性があり, 対策の評価として, 社会全体の便益や費用を考慮する必要がある。そこで, 本研究では牧野 (2014) や Gavious et al. (2009), Reniers and Brijs (2014) などがまとめた安全対策の評価項目に対し, 公共事業を評価するための便益計測手法を用いることによって, Natechに対する安全対策の費用便益分析を行った。公共事業の評価手法を用いることができない項目については社会的な便益として評価できると考えられる計測手法を用いた。この計測手法に関しては4.2.3 項で詳しく述べる。 本研究では式(1)(国土交通省,2020d)を用いて,土砂災害対策の費用便益分析を行った。 $ \text { 費用便益比 }=\frac{\sum_{t=1}^{n} B_{t} /(1+i)^{t-1}}{\sum_{t=1}^{n} C_{t} /(1+i)^{t-1}} $ ここで $n$ : 評価期間, $B t: t$ 年次の便益 (円), $C t: t$年次の費用 (円), $i$ : 社会的割引率である。便益は安全対策を導入した場合と導入しなかった場合の損失の差を表している。 評価期間は,コンクリートの悪条件下における寿命が 50 年程度とされていることから(国土交通省,2014)55年間とした。また,割引率は国土交通省所管公共事業の費用便益分析で適用されている値を適用し, $4 \%$ とした(国土交通省, 2020d)。費用便益分析における費用は最初の年に施工費用が発生し, 次の年から維持管理費用が 50 年間発生するとした。また, 便益については対策を施工した次の年から 50 年間発生するとした。 ## 4.2.2 対策施工費用と維持管理費用の算出 本研究で対象とする事業所は急傾斜地崩壊の危険性がある場所に立地しているため, 急傾斜地崩壊対策が求められる。急傾斜地崩壊対策は(1)「のり切」, (2)「急傾斜地の崩壊を防止するための施設」,(3)「急傾斜地の崩壊が発生した場合に生じた土石等を堆積するための施設」の3 種類が挙げられる(国土交通省,2001)。(1)は土砂災害を防ぐうえで最も確実性が高いが,施工の想定が難しい。(3)は主に擁壁や盛土が挙げられ, 斜面と建築物との間にスペースが必要となるが, 対象事業所の屋外貯蔵タンクは斜面との距離が近いため,土石等を堆積するための施設は適していないと考えられる。したがって,本研究では (2) を土砂災害対策を採用した。その中でも, 本研究ではのり面を保護する施設として,現場打ちコンクリート Figure 4 Concrete frame work枠工を採用し(国土交通省北海道開発局,2021;広島県,2016),安定性を高めるためにアンカー を設置する対策を想定した。また, この対策の施工費用を算出するため, 本研究では対策の施工工程として足場工, アンカー工, 型枠工, コンクリート工,中詰工の5つの工程を取り上げ,積算を行った。本研究で想定した現場打ちコンクリー 卜枠工を Figure 4 に示し, Table 5 に積算に必要な労務費と材料費の根拠資料を, Table 6 積算に必要な各工程の想定と根拠資料を示す。 工事全体の費用を算出するためには,工事目的物 Table 5 Materials to calculate labor and material costs \\ Table 6 Details of concrete frame work and materials to calculate construction costs Figure 5 Calculation of contract construction cost (modified from Ministry of Land, Infrastructure, Transport and Tourism, 2020f) Table 7 Evaluation items for accident cost \\ の施工に直接必要な費用である直接工事費に加え,間接工事費や一般管理費等, 消費税相当額を計上する必要がある (Figure 5) (国土交通省,2020f)。本研究では, 土木工事積算基準第 1 編土木工事積算基準等通知資料からそれぞれの経費率を得た。共通仮設費率と現場管理費率は工種を砂防・地すべり等工事として, 一般管理費率は算出の基準の前払金支出割合(35\%を超え,かつ $40 \%$ 以下)とした。消費税は $10 \%$ として,消費税相当額を計上した。 土砂災害対策の維持管理費用は大阪府の施設補修・日常維持費の2010年度予算(大阪府,2011) を参考に算出した。全体の予算から日常維持費と各対策の補修費の割合を乗じてそれぞれの予算を算出し, 対象施設(箇所)数で除すことで1箇所当たりの補修・維持費を算出した。日常維持の該当施設数は, 施設補修費の対象となっている箇所 (急傾斜, 砂防堰堤, 地すべり) の合計とした。本研究では, 日常維持費と各施設補修費の合計額 を維持管理費用として用いた。 ## 4.2 .3 便益の算出 本研究では4.1.1 項でも述べたとおり, 土砂災害対策を施工することで土砂災害が発生せず,その結果として事故が回避できると仮定した。ここで便益は土砂災害対策を導入した場合と導入しなかった場合の損失の差を表しており, 本研究では以下の式(4)を用いて便益の期待値を算出した。 $ B=L \times\left(P_{\text {前 }}-P_{\text {後 }}\right) $ ここで, $B$ : 便益の期待値, $L$ : 事故による損失, $P_{\text {前 }}$ 対策導入前の発生確率, $P_{\text {後 }}$ 対策導入後の発生確率である。 事故による損失額の評価項目として, Table 7 に参照とすべき 13 項目(11~(13))を取り上げた (Gavious et al., 2009; Jallon et al., 2011; 牧野, 2014; Reniers and Brijs, 2014; みずほ情報総研株式会社 (経済産業省委託事業), 2018)。本研究では定量的に評価できると考えられる項目として, (1) (4) と 8)(10の項目を取りあげ,それぞれの流出ケー スごとに事故による損失額を算出した。したがって,現時点で情報が得られていない(5)〜(7),(11)〜 (13)の項目を評価に含めると,算出した損失額よりも大きくなると考えられる。本不確実性については,5.6節に詳しく述べる。 (1)は急傾斜地崩壊対策事業の費用便益分析マニュアル (案)(国土交通省,2021)を参考に算出した。対象事業所付近の土砂災害警戒区域図より,土砂災害によって被災すると考えられる施設はタンク等の償却資産のみであると考えられる。該当業種の償却資産評価額は, 従業員数と従業員 1 人当たりの償却資産評価額(16,503千円)(国土交通省,2020h),被害率を乗じることで求められる。対象事業所の従業員数は, 22 人と設定した (環境省,2020)。被害率については, 堆積土砂厚 $50 \mathrm{~cm}$ 未満, $50 \mathrm{~cm}$ 以上 $100 \mathrm{~cm}$ 未満, $100 \mathrm{~cm}$ 以上における,それぞれの被害率から平均をとった値 (0.473)(国土交通省,2021)を設定した。算出された費用は全ての流出ケースに打いて一律に生じるとした。 (2)については救急費用と入院費用を算出した。救急費用は, 消防白書(消防庁,2020)から得られた職員数と消防費を用いて,救急に係る費用を算出した(佐藤,2013)。さらに,救急に係る予算を 1 年間の救急出動件数 $6,608,341$ 件 (2018 年度)(消防庁,2020)で除すことで,救急 1 件当たりの費用を算出した。ここで, 救急件数は障害レベル (AEGL-2)と致死レベル (AEGL-3) の濃度に曝露する人数とした。 入院費用は,入院日数を損傷,中毒及びその他の外因の影響における 35 歳から 64歳の平均在院日数20.1 日と仮定した(厚生労働省,2019)。入院にかかる費用は, 令和元年度の入院 1 日当たりの医療費(37,890円)(厚生労働省,2020)加算出した。入院数は障害レベル (AEGL-2) の濃度に曝露する人数とした。 (3)は対象事業所の有価証券報告書(2020年 3 月期)から得られた平均年間給与から平均日額給与を算出した。この日額給与の 6 割が従業員 22 人に 3 日間支給されるとして給与支払いの費用を算出した。この費用は全ての流出ケースにおいて一律に生じるとした。 (4)に関しては,公共事業評価の費用便益分析に関する技術指針(共通編)(国土交通省,2009)にしたがって,人的損失額として評価した。技術指針(国土交通省,2009)では, 人的損失額は財産的損害額と精神的損害額の和として定義され,また財産的損害額は逸失利益と医療費の和として定義されている。本研究では(2)において,医療費を算出しているため, 精神的損害額と財産的損害額を評価した。精神的損害額は 1 人当り 2.26 億円が適用されているため, この值を用いて, 致死レべル (AEGL-3) の濃度に曝露する人数を乗じることで算出した。逸失利益については以下の式(5) (国土交通省,2009) から,従業員と住民に分けて算出した。 $ X=a \times\left.\{1-(1+r)^{-b}\right.\} / r $ ここで, $X$ : 逸失利益 (円),$a$ : 各期間ごとに発生する収入額(年間収入 - 生活費)(円), $b$ : 労働可能期間満了時 ( $b$ 年後), $r$ : 年利率 (法定利率 5\%)である。 $a$ に関して, 従業員の年間収入は該当企業の 2020 年度の有価証券報告書より値を得た。生活費については, 2019年度の家計調査 (総務省, 2021)から,実収入に対する消費支出(総世帯のうち勤労者世帯)の割合(約 $55 \%$ )を用いて算出した。住民の収入と生活費は「にいがた県統計ボックスの令和元年家計調查年報」(新潟県, 2020)から, 2 人以上の世帯のうち勤労者世帯の実収入の平均 652,636 円 $/ 1$ 世帯 $/ 1$ ケ月を収入として用い, 同様に消費支出の平均314,427円/ 1 世帯 / 1 ケ月を生活費として用いた。年間収入,年間生活費に換算する際は実収入, 消費支出ともに 12 倍した。bに関しては, 従業員,住民ともに平均年齢から定年までの期間とした。従業員の平均年齢は有価証券報告書より值を得た。住民の平均年齢は柏崎市の年齢別統計人口 (柏崎市, 2020b)から值を得た。定年は令和 3 年 4 月から施行されている改正高齢者雇用安定法より, 雇用確保が義務化される 65 歳 (厚生労働省,2021)とした。 (8),営業停止損失(式(6))(国土交通省,2021) として評価した。 $ A_{i}=M_{i} \times\left(n_{0}+\frac{n_{1}}{2}\right) \times p_{i} $ ここで $A$ : 営業停止損失 (円), $i$ : 産業大分類, $M$ : 従業者数 (人), $p$ : 付加価值額(円/人/日), $n_{0}$ : 営業停止日数 (日), $n_{l}$ : 営業停滞日数 (日) である。 鉱業における付加価値額は,「治水経済調査マニュアル(案) 各種資産評価単価及びデフレー ター」(国土交通省,2020h)より,令和元年度の値で 72,240 円/人 /日となる。停止日数, 停滞日数は, 崩土の堆積厚 $50 \mathrm{~cm}$ 未満, $50 \mathrm{~cm}$ 以上 $100 \mathrm{~cm}$ 未満, $100 \mathrm{~cm}$ 以上における, それぞれの停止, 停滞日数の平均をとった値 (停止日数:8.3 日,停滞日数:17.9日)(国土交通省,2021)を用いた。営業停止損失は全ての流出ケースで一律に生じるとした。 (9)に関する情報は一般に公開されておらず,得ることが困難である。本研究では大まかな費用を算出するため,航空,鉄道及び船舶の事故における事故調査費用を用いた。これらの事故等調査報告書 1 件当たりの費用は令和元年度の値で約 154,000 円である(国土交通省 2020i)。これを事故調查費用として, 全てのケースに一律に生じるとした。 (1)については,事故の「予見可能性」が罪に問われるかどうかの 1 つの判断基準となる。土砂災害の予見可能性については, 対象事業所は土砂災害警戒区域に該当しているため, 事業者は土砂災害の発生を予見することができると考えられる。一方,土砂災害によるタンクの破損,化学物質流出,ヒトへの曝露が予見できたかどうかが論点になる。本研究では最悪のシナリオを想定することの重要性を鑑み,想定した事故シナリオが予見可能であるとした。また, 急傾斜地崩壊対策は基本的に土地の保有者もしくは急傾斜地の崩壊によって被害を受けるおそれのある者が施工することとなっている(国土交通省,1969)。したがって,事業者は事故の発生を予見できたのにも関わらず,事故の発生を防ぐための適切な対策を行わなかったことで,業務上過失致死傷罪に問われる可能性がある (法務省, 1907)。本研究では該当する刑法(法務省,1907)に従い,罰金100万円が課されるとした。一方, 避難ありのケースなど被災者数が 0 の場合は罰金が課されないとした。 最後に式(4)で示した通り, 算出された損失額の合計に対策導入前の発生確率と対策導入後の発生確率の差を乗じることで便益の期待値を算出した。本研究では, 1 年当たりの土砂災害発生確率を事故の発生確率として, 便益の期待値を算出した。土砂災害発生確率に関する既往研究は複数存在し(川越ら,2008; 杉原ら,2011)それぞれの研究には対象としている素因と誘因に大きな違い がある。本研究では降雨による土砂災害を対象とした。土砂災害特別警戒区域に該当するメッシュにおいて1996年から2019年までの約24年間に 1 回以上の土砂災害が発生する確率は松田, 中谷 (2020)の研究より,7.94\%となったことが報告されている。対象事業所は土砂災害特別警戒区域が存在するメッシュに該当しているため, 当該区域に該当するメッシュにおける 1 年当たりの土砂災害発生確率を式(7)を用いて算出した(松田,中谷, 2020)。 $ P_{T}=1-\left(1-P_{24}\right)^{\frac{T}{24}} $ ここで, $P_{T}: \mathrm{T}$ 年間で 1 回以上土砂災害が発生する確率である。 土砂災害対策を導入した場合は事故が発生しないと仮定しているため, 対策導入後の発生確率を 0 として, 便益の算出を行った。 ## 4.3 費用便益分析の感度解析 不確実性下での費用便益分析に関する評価手法は複数存在する。防災の) 経済分析 (多々納, 高木,2005)によると,1)損失予測の不確実性を考慮し, 安全側を評価する必要がある場合にはべー 夕確率分布に打ける90パーセンタイル損失值を用いる方法が一般的であると述べられている。また,不確実性下での便益評価手法は2) システムの状態の違いに対する支払意思額の期待値を用いる方法と3)プロジェクトの実施に対する支払意思額を用いる方法があるとされている (多々納,高木, 2005)。また, 安全工学の分野では, 4)不確実性のもとで費用便益分析を行う際に disproportion factorという値を導入し, 費用/便益 $<$ disproportion factorの場合,つまり費用と便益の比がある値を超えない場合, 安全対策が合理的に実施可能であるとみなす考え方も存在する (Goose, 2006; Reniers and Brijs, 2014; Talarico and Reniers, 2016)。これは便益にdisproportion factor という係数を乗じることで,便益を大きく見積もり,事業者が対策を行うための動機を持たせる意図が含まれていると解釈できる。さらに,国土交通省の技術指針(国土交通省,2009)では,5)不確実性を考慮した事業評価を行う際に, 感度解析を行うことが示されている。事業者が意思決定を行う際には, 安全側の評価を行うだけではなく,不確実性を考慮し, 費用便益比がどれくらいの幅 をとるか検討する必要があると考えられる。 本研究では, 4.2.3 項で示す通り,国土交通省の技術指針(国土交通省,2009)の評価手法をもとに費用便益分析を行っているため,その一貫性を考慮し,不確実性がもたらす影響を評価するために,費用便益分析に対する感度解析を採用した。具体的には4.1.6項で示した化学物質流出影響の感度解析をもとに, 結果に大きな影響を与えると考えられる被災者数の変動による費用便益比の変動を評価した。また,現在一般的に用いられている割引率 $4 \%$ に関しても複数の議論が存在することから(国土交通政策研究所,1999;国土交通省,2020j)4.1.6項で示した感度解析の項目に,割引率を加えて感度解析を行った。割引率は本研究で用いた $4 \%$ のケースに加え, $2 \% , 6 \%$ のケース(国土交通省政策研究所,1999)で評価を行った。 ## 5. 結果と考察 ## 5.1 化学物質流出リスクの評価 タンク転倒ケースにおける濃度分布を Figure 6 と Figure 7に示す。ALOHAにおけるAEGL超過範囲は, ground-levelにおける濃度がAEGLの値を超える範囲を表す (US NOAA, 2013)。 防油堤が機能しないケースでは事業所と住宅 4 軒がAEGL-3の超過範囲に該当することがわかる (Figure 6)。また, 周辺の住宅 24 軒が AEGL-2の超過範囲に含まれるという結果となった。一方,防油堤が機能するケースでは事業所のみが AEGL-2,AEGL-3の超過範囲に該当する結果となった (Figure 7)。この結果から, 防油堤によってノルマルヘキサンの広がる面積が制限され,揮発量が減少することで, AEGLを超過する範囲が縮小することが示された。 次に,タンク転倒ケースに打ける濃度の時間変化について,防油堤が機能しないヶースでは,事業所付近の屋外濃度は流出から5 分以内に AEGL-3 を超えることがわかった (Figure 8)。また, 屋内濃度は流出から 20 分以内にAEGL-2を超える結果が得られた (Figure 8)。さらに, 住宅地付近の屋外濃度は 5 分以内にAEGL-2を超過することがわかった (Figure 9)。これらの結果から, 屋外にいる従業員はAEGL-3の濃度に曝露する可能性が高く, 屋内に避難したとしても AEGL-2の濃度に曝露する可能性が高い。また, 屋外にいる周辺住民も AEGL-2 の濃度に曝露する可能性が高い。 Figure 6 Concentration distribution in tank falling case that oil retaining wall dose not work Figure 7 Concentration distribution in tank falling case that oil retaining wall works 防油堤が機能する場合においても,事業所付近の屋外濃度は AEGL-3を超過するため, 屋外にいる従業員はAEGL-3の濃度に曝露する可能性が高い(Figure 10)。 続いて, タンク付属配管破損ケースにおける濃度分布を Figure 11 と Figure 12 に示す。 タンク付属配管破損ケースにおいて, 防油堤が機能しない場合はAEGL-3 の超過範囲に事業所と住宅3軒が該当し, AEGL-2の超過範囲には住宅 21 軒が含まれるという結果となった (Figure 11)。一方, 防油堤が機能する場合は事業所のみが AEGL-2, AEGL-3 の超過範囲に該当した (Figure 12)。次にタンク付属配管破損ケースにおける濃度の時間変化について, タンク転倒ケースと同様に事業所付近の屋外濃度は 5 分以内に AEGL-3 を超過しており,屋外にいる従業員はAEGL-3を超える濃度に曝露する可能性が高いことが分かった (Figure 13)。また, 住宅地付近の屋外濃度は流出地点から約 30 分後に AEGL-2の濃度を超過した Figure 8 Time change of concentration at $50 \mathrm{~m}$ from release point that oil retaining wall dose not work Figure 9 Time change of concentration at $250 \mathrm{~m}$ from release point that oil retaining wall dose not work Figure 10 Time change of concentration at $50 \mathrm{~m}$ from release point that oil retaining wall works (Figure 14)。したがって, 30 分以内に流出地点から $330 \mathrm{~m}$ 以上離れる,もしくは屋内に避難することでAEGL-2 の濃度における曝露を防ぐことが二次的な人的リスクを回避する上で有用な手段となることが示された。 さらに,防油堤が機能する場合においても事業所内の屋外濃度は 5 分以内に AEGL-3 の濃度を超過した (Figure 15)。したがって,タンク転倒ケー スと同様に,屋外にいる従業員はAEGL-3 の濃度に曝露すると可能性が高いといえる。 ## 5.2 被災者数の算出結果 周辺住民について,平日の日中(9時から16時 Figure 11 Concentration distribution in piping rupture case that oil retaining wall dose not work Figure 12 Concentration distribution in piping rupture case that oil retaining wall works まで)に屋外にいる人の割合を求めた結果,約 $24 \%$ となる結果が得られた (Table 8)。周辺住民の数は, 柏崎市の人口と世帯数(柏崎市, $2020 a$ )より,人口が 81,836 人,世帯数が 34,883 世帯であるため, 1 世帯当たりの人口は約 2.3 人となった。 ここまでの結果から,被災者数を流出ケース,曝露濃度ごとに Table 9 に示す。タンク転倒ケー スでは,流出地点から半径約 $344 \mathrm{~m}$ 以内に住んでいる住民のみがAEGL-2の濃度に曝露すると考えられる。タンク付属配管破損ケースでは, 流出地点から約 $333 \mathrm{~m}$ 以内に住んでいる住民がAEGL-2 の濃度に曝露すると考えられる。一方,AEGL-3 の濃度に曝露すると考えられるのは従業員 22 人と周辺住民である。防油堤が機能する場合は,夕ンク転倒,付属配管破損の両ケースともに従業員のみがAEGL-3の濃度に曝露すると考えられる。 この結果から,防油堤が機能することで,被妆者の数がおよそ 4 割減少することが示された。防油堤は消防法によって, 屋外貯蔵タンクの周囲に設 森口ら:土砂災害を起因とした化学物質流出事故のリスク評価と対策の費用便益分析 Figure 13 Time change of concentration at $50 \mathrm{~m}$ from release point that oil retaining wall dose not work Figure 14 Time change of concentration at $250 \mathrm{~m}$ from release point that oil retaining wall dose not work Figure 15 Time change of concentration at $50 \mathrm{~m}$ from release point that oil retaining wall works 置することが義務付けられている(消防庁,1959)。本研究で示した結果から,この法律の有効性を示すことができたといえる。 ## 5.3 化学物質流出によるヒト健康リスクの感度解析結果 Figure 16 に化学物質流出影響の感度解析結果を示す。風速の不確実性が結果に最も影響を及ぼす要因であり,曝露人数は最小で 0 人,最大で 46 人となった。風速は化学物質の拡散に大きな影響を与える要因であり, 風速が小さい場合は化学物質が拡散しにくく, 周辺の化学物質濃度が高くなる。また,大気安定度の不確実性による曝露人数 Table 8 Estimation of outdoor stay ratio Table 9 Number of people considered to be damaged & \\ Figure 16 Sensitivity analysis results of health risk caused by the chemical release の変化の幅は最大で 22 人,気温では最大で 18 人となり,これらの要因も結果に影響を与えることが示された。以上の結果から, 化学物質が拡散しにくく, AEGLの超過範囲が最も大きくなる最悪の気象条件は風速が小さく,大気が安定かつ気温. が高い気象条件であると考えられる。さらに,貯蔵量の不確実性も曝露人数に影響を与え, 貯蔵量が減少すると曝露人数が最大で 14 人減少することが示された。また, 事故発生時における従業員の数など, 事業所の操業状況が曝露人数に不確実性をもたらすと考えられる。一方, 流出孔の高さの変化による曝露人数の変化は 3 人にとどまり,推定曝露人数の結果に与える影響は小さいことが示された。 ## 5.4 費用便益分析結果 対策施工費用の算出結果を Table 10 に示す。全体の工事費用である請負工事費は9,579,000円となった。また, 本研究は急傾斜地の崩壊対策を対象としているため, Table 11 より, 維持管理費用は 1 年当たり 148,900 円となった。 続いて,便益の算出結果を流出ケースごとに Table 12 に示す。便益の期待値は式(7)によって算出された 1 年間の土砂災害発生確率 $0.344 \%$ を乗じて算出された。防油堤が機能する場合は, タンク転倒ケース,付属配管破損ケースともに被災者数が同じとなるため, 事故による損失額は同額となった。損失額の評価項目の中で最も金額が大きくなった項目は被贸者への補償であり,本研究で行った試算では被災者の数が損失額の合計に大き な影響を与えるという結果となった (Table 12)。 また,防油堤が機能する場合は防油堤が機能しない場合と比べて,損失額が約 5 億円減少していることがわかる。これは防油堤によって,化学物質の影響範囲が縮小し, 被災者数が減少したことが反映された結果である。また, 避難あり(被災者が0)のケースでは,費用便益比が 1.20 となった。 この結果から,被災者が 0 の場合でも対策導入による便益が費用を上回り,対策が経済的に合理的であるという結果となった。 総じて全ての流出ケースにおいて, 便益が費用を上回ることが分かった (Table 12)。したがって,法律で定められている防油堤設置に加え, 導入費用は高額となるが,土砂崩れそのものを防ぐ事前対策も, 事故が起きる確率を考慮すると経済的にも合理的な対策であることが分かった。 また,本研究では対策の効果を際立たせるため Table 11 Repair and daily maintenance cost per facility (Osaka Pref., 2011) Table 12 Results of benefit calculation and cost benefit analysis (Unit: Thousand yen) & & \\ に対策導入後の発生確率を 0 としたが,対策により発災のリスクを完全に0にすることは難しいため, 想定した対策により, どの程度まで土砂災害発生確率を低減できれば費用便益比の観点から有用であるかを検討した。具体的には式(4)から,対策導入後の発生確率を変数として, 費用便益比がおよそ1となる確率を求めることで,対策に求められる効果を検討した。その結果,土砂災害発生確率を避難ありのケースでは約 $0.0551 \%$ 以下,避難なしのケースは約 $0.335 \%$ 以下まで低減させることができれば,費用便益比の観点から本対策は合理的な対策であるといえることがわかった。 ## 5.5 費用便益分析の感度解析結果 Figure 17 に費用便益比の感度解析結果を示す。被災者数の不確実性により,費用便益比が最小で 1.20, 最大で 65.4 まで変化するという結果となつた。この結果から,5.3節で示した化学物質流出影響の感度解析結果と同様に, 風速や大気安定度, 気温といった気象条件による不確実性が感度解析結果にも大きな影響を与える要因であることが分かった。さらに, 風速が想定される最大の値 をとり,被災者数が0(Figure 16)の場合においても,費用便益比が 1.20 であり,便益が費用を上回ることが分かった。割引率に関しては, $6 \%$ のケースで費用便益比が $33.2,2 \%$ のケースで 53.5 となり, 割引率も費用便益分析の結果に少なからず影響を与えることが分かった。したがって, 現状の $4 \%$ に加え, 複数の割引率で費用便益比を算出することは対策導入の意思決定を行う際に必要であると考えられる。 Natechのような大きな不確実性が伴う事象に対する事前対策の費用便益分析を行う際には, 事故のシナリオやリスク評価に用いるモデルの不確実性などを考慮し, 感度解析を行うことで, 意思決定に対する信頼性を高めることが重要である。 ## 5.6 モデルの不確実性 モデルの不確実性評価として, 5.3 節と 5.5 節で気象条件やシナリオの不確実性による被災者数の変動とそれに伴う費用便益比の変動を評価した。一方, 本研究では4.2.3 項でも述べたように, 事故による損失の評価項目として, 企業イメージの悪化や訴訟費用など,定量的な評価が困難な項目 Figure 17 Sensitivity analysis results of cost-benefit analysis が含まれておらず,そこに不確実性が生じ得る。実際にこれらの費用が加算された場合には,事故による損失額はより大きくなる可能性がある。 また,本研究では土砂妆害の発生確率のみを用いて評価を行っており, タンクの破損確率や気象条件の発生確率などを考慮することができていない。本研究で想定したような約 $60 \sim 70$ 億円の損害が生じる, 石油コンビナート等の化学プラントにおける事故の年間発生確率は, 主に人的要因や設備・システムを要因として, $10^{-5}$ 以上 $10^{-2}$ 未満を取ると推定されている(中村,2016)。このことから, 本研究で算出した 1 年当たりの便益の期待値は, 石油コンビナート等の化学プラントで推定されている,自然災害を除く年間当たりの事故発生確率の最大値付近を乗じたことに相当する。しかし, 屋外貯蔵タンクの破損確率や風向などの気象条件の発生確率を考慮すると,実際の事故の発生確率は本研究での推定結果より小さくなる可能性もある。その場合, 便益の期待値が本研究の推定値の 10 分の 1,100 分の 1 になる可能性も考えられるため, 事故発生確率の精度の高い評価方法の検討は今後も必要となる。 さらに,対策の効果についても定量的な評価ができておらず,本研究では対策の効果を明確にさせるために土砂災害対策を導入した場合は発生確率を 0 としている。5.4節で示したように,費用便益分析の観点から,合理的な対策であるといえる発生確率はケースによって変わるため,対策による効果を定量的に評価することも今後検討すべき課題であるといえる。 ## 6. 結論 本研究では, これまでのNatech研究において取り組まれてこなかった土砂災害を起因とした化学物質流出事故の具体的な想定シナリオを作成し, Natechの定量的なリスク評価から対策の立案,評価までの一連の評価の方法論を構築した。 ここでは,最悪と考えられるシナリオにおける評価の 1 例を示した。また,費用便益分析を用いて対策の経済性を評価し,Natechという枠組みにおける事前対策の必要性を議論するための材料を提示した。 対象事業所の選定過程では,過去に土砂災害によって被災した事業所も抽出することができ,土砂災害の危険性がある事業所を抽出する 1 つ方法を示した。 また,化学物質流出時に防油堤が機能した場合には, 化学物質流出影響の範囲が縮小し, 周辺住民への AEGL-2の濃度における曝露を防ぐことができるという結果が得られ, 事前対策として, 防油堤の重要性を確認することができた。さらに化学物質流出影響に対する感度解析の結果から, 風速が化学物質流出リスクの不確実性に最も影響を与える要因であることが示された。事故による損失額においては,被災者への補償額の割合が最も大きくなり,AEGL-2,または 3 レべルの化学物質濃度に曝露される被災者の推定数が損失額の算出に大きな影響を与えることが示された。本研究で行った便益の算出により, 今後Natech の費用便益分析を行う際に必要な情報と算出される便益の目安を提示した。また, 費用便益分析結果及び感度解析結果から, 本研究で想定した土砂 災害対策は経済的に合理的な対策であることが示された。一方, 本研究の費用便益分析では, 土砂災害対策の妥当性,対策施工費用や便益を算出する際の不確実性, 発生確率の扱いなどの課題がある。しかし感度解析を通じて, 限られた範囲ではあるが,想定したシナリオの不確実性がヒト健康リスクと費用便益比に与える影響を示した。 今後は全国の事業所を対象に,取り扱う化学物質や排出量などでグループ分けを行い,ケーススタディを実施することで,より一般化されたリスク評価法の構築が期待できる。また, より現実の設定に基づいたタンクの破損規模などを反映させた流出ケースの構築や, 周辺の建物の影響などを考慮した大気中濃度の算出を行うことで, さらに精度の高いリスク評価を行うことが可能になると見込まれる。 ## 謝辞 本研究は, (独)環境再生保全機構の環境研究総合推進 (JPMEERF18S11702)により実施しました。 また,土砂災害発生確率等に関する重要なご助言をいただいた,中谷洋明氏(国土交通省国土技術政策総合研究所土砂災害研究室長)に記して謝意を示します。 ## 参考文献 Alvarado-Franco, J. 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risk
cc-by-4.0
Society For Risk Analysis Japan
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# 新型コロナウイルス感染症に関する流言流布の実態と 心理的要因* Exploratory Study on the Spread of Rumors and Psychological Factors Related to COVID-19 } 石橋 真帆**, 関谷 直也*** Maho ISHIBASHI and Naoya SEKIYA \begin{abstract} The current study aims to figure out factors related to "Infodemic" (spread of rumors) from the perspective of social psychology. We conducted an online survey on 2000 participants (age range: 15-59) from May 8 to May 11, 2020. We found that $88.7 \%$ of participants used TV to get information about COVID-19. It seemed that the people were relatively serious about COVID-19 information considering that they used about three information sources on average and easily did not trust information sources except for scientists. Besides, we found three results relating to infodemic. First, the extent of spreading rumors depended on what the rumors described. Our results showed that participants were aware of and trusted rumors which described victims nearby. Second, consumption of official online news media was associated with awareness of rumors. Third, infection anxiety and distrust for administration or media had an association with spreading rumors. \end{abstract} Key Words: COVID-19, rumor, infodemic, anxiety, distrust ## 1. はじめに 2019年末から2020年にかけて流行が急拡大し,全世界に社会的混乱をもたらした新型コロナウイルス感染症は,健康被害と同時に様々なリスクをもたらした。中でも,2月のミュンヘン安全保障会議にて世界保健機構 (WHO) のテドロス事務局長により公言された「インフォデミック (infodemic)」 (WHO,2020)すなわちうわさや誤報の氾監に関する問題は本邦におけるメディア報道でも頻繁に取り上げられた。 確かに,大規模自然災害等の社会混乱時には,流言が流布しやすい(三上,2004, p. 41)。古典的 な流言研究で知られる Allport and Postman (1947= 1952)は,誤った流言の流布は,対峙する問題の曖昧さとその個人的な重要さに比例すると指摘しているが (p. 54),妆害時は瞬時に情報を取得したくとも難しい,まさに曖昧な状況である。実際に,2011年の東日本大震災時にも真偽不明のうわさが流布したとされる(関谷,2011)。新型コロナウイルス・パンデミックは自然災害と同一視はできないものの, 社会不安が高まる点では類似している。事実, このような社会的, 学術的背景を踏まえ, すでにパンデミック下の流言に関する調査がいくつか行われている。例えば,  Table 1 Terms relating to "Rumor" in Social Psychology 本邦では総務省(2020)が流言への接触やその拡散等の全般的状況について調査を行っている。また,福永 (2020) は2020年2 3 月頃に発生したトイレットペーパーの買いだめ事例に焦点を当て,当時の「トイレットペーパーが不足する」という流言に対する人々の心理や情報源,およびTwitter や報道の動向をも含めて包括的な考察を行っている。これらの調査はいずれも記述的性質が強く,流言を信じたか否か,どこから情報を得たか,その後どう行動したかという実態はおおよそカバー されている。しかし,2021年4月現在において学術的関心を中心に据えた本邦の研究論文は未だ数少ない。ゆえに,なぜ「信じ」「拡散する」のかについては深く掘り下げられていないのが実情である。 よって, 本研究では新型コロナウイルス・パンデミック下の流言に関わる心理的諸要因を探索的に検討する。加えて,先述の既存調查との整合性の確認や付加的情報の記述という目的から,情報源や流言認知等の実態も併せて検討する。なお,真偽不明の情報に関する呼称はデマ, フェイクニュースなど,多様に存在する。本研究では,社会学, 社会心理学, 社会情報学分野の既存文献における使用例 (Table 1) に準じ,「流言」という呼称にて統一する。 ## 2. 調査概要と基礎的分析 ## 2.1 調査概要 流言を対象とした研究の中では,Twitter等のソーシャルメディアのデータを用いて解析を行うものが散見される (e.g. Gallotti et al., 2020; Zhang et al., 2021)。しかし, 本研究は流言に接触する個人に紐づいた要因に関心があり,加えてソーシャ Table 2 Detail of the Online Survey $\mathrm{n}=2000$ Figure 1 Information Source about COVID-19 (multiple answers) ルメディア利用に伴う流言の流布のみならず,俯瞰的に流言のダイナミズムを捉えることを志向する。よって,個人の信念等が予め構造化された形で得やすい,かつ情報源に関わりなく回答が得られる自己回答式の調査デー夕を用いて分析を行う。 調查概要を Table 2 に示す。データ収集は, 情報流通に関する意識全般について実態把握を行う目的の下,LINEユーザーを対象にしたスマートフォン Web調査によって行われた。本調査はモニター調査のため,2000票を上限として回収を実施した。 なお,調査はNHK(日本放送協会)と筆者らの共同調査として実施されており,調査票の設計は筆者らが行った。このような LINEユーザーへの限定的な調査は, 統計的分析の観点から注意が必要だが,コロナウイルス感染拡大初期のデータとして一定の意義を有するものである。 ## 2.2 「情報の受け手」の実態 最初に,新型コロナウイルス・パンデミック下の情報行動について基本的な把握を行う。 まず,回答者がどこから新型コロナウイルスに関する情報を得ていたのか尋ねた (Figure 1)。結果 として,おおよその人がテレビから情報を得ていたことが分かった $(88.7 \%)$ 。次に回答率が高いものはニュースサイト・アプリである $(69.4 \%)$ 。その他では, 3 割程度の人がSNS $(34.9 \%)$, 家族や友人との会話 $(33.9 \%)$ から情報を得ていた。トラディショナルなマス・メディアである新聞の利用率は $23.2 \%$ と低い。情報源間の相対的な傾向は総務省 (2020) とおおむね一致していた。 また,参照した情報源の数,および「新型コロナウイルスに関して見聞きした時間」(以降新型 Table 3 Mean and Median of Information Behavior Index $\mathrm{n}=2000$ $\mathrm{n}=2000$ Figure 2 Reliable Information Source about COVID-19 (multiple answers) コロナ情報接触時間と表記)についても把握した。なお, 情報源の数については, Figure 1 における「その他」以外の情報源を全て合算して算出した。 結果として, 参照情報源の数は平均 3.12 , 中央值 3.00 であり, 多くの人が 3 つ程度の情報源を利用して新型コロナウイルスの情報を収集していたことが分かった。 また,コロナ情報接触時間に関しては,理解を容易にするために順序尺度を比例尺度に変換し (「全く見聞きしなかった」=0 時間, 「30分未満 $=0.5$ 時間, $\lceil 30$ 分以上 2 時間未満 $\rfloor=1.25$ 時間, $\lceil 2$時間以上 4 時間未満 $\rfloor=3$ 時間, 「4時間以上 6 時間未満 $\rfloor=5$ 時間, $\lceil 6$ 時間以上 8 時間未満 $\rfloor=7$ 時間, 「8時間以上 10 時間未満 $\rfloor=9$ 時間, 「 10 時間以上 12 時間未満 $\rfloor=11$ 時間, 「 12 時間以上 $\rfloor=12$時間), 平均値を算出したところ,1.57時間となった。各代表値をまとめたものを Table 3 示す。 さらに,信頼できる情報発信者について尋ねた (Figure 2)。最も回答率が高かったのは「新型コロナウイルスについて発信している科学者・研究者」 であった $(26.0 \%)$ 。しかし, 同程度の割合で「信頼できるものはない」という回答も見られた $(24.7 \%)$ 。「テレビや新聞, メディアやジャーナリスト」に対する回答は相対的には2番目に高い割合を示しているが, 決して高い値ではない $(13.7 \%)$ 。 次に,「新型コロナウイルスに関する情報について感じていること」を尋ねた (Figure 3)。結果として, 大半の人が「どれが信頼できる情報か見 $\mathrm{n}=2000$ Figure 3 Feeling for Information Environment during the COVID-19 Pandemic (multiple answers) 分けるのが難しい」と回答した $(58.8 \%)$ 。また,「誤った情報やデマが広がっている」(39.5\%)「感染拡大につながるような楽観的な情報は危険たとと思う」 $(38.8 \%)$ と一定の人が情報流通に対する警戒感を示す様子が見られた。 また,「真実が報道されていないように思う」 $(32.8 \%)$,「真実がわざと隠されているように思う」 (26.1\%) と,公的メディアや機関に対し不信感を抱くような回答も見られた。 なお,「新型コロナウイルスの情報に関して, 自分がほしい情報を入手できていない」について回答率は低く $(16.7 \%) ,$ 回答者にとって「情報不足」 の状態は比較的生じていなかったと推測される。 ## 3. 流言流布の実態 本章では,パンデミック下の流言に人々がどのように接したか,前章の結果を踏まえて分析する。 ## 3.1 流布した流言の実態 まず,調査時の2020年 5 月時点で,真偽不明と見なした 4 の情報「自分が住んでいる市区町村で, 『O○ (場所) で感染者が出た』『 $\times \times($ 名前 $)$ が感染したらしい』など,感染源を特定する情報」「『新型コロナウイルスは武漢のウイルス研究室で作られた』など, 新型コロナウイルスの発生理由に関する情報」「『政府はPCR 検査数を抑え感染者数を少なく見せている』など,国や公的機 $\mathrm{n}=2000$ Figure 4 Proportion of Rumors Awareness関を批判する情報」「『10秒息を止められれば感染していない』など, 新型コロナウイルスの治療・予防に関する情報」(以降,それぞれ「居住する市区町村で感染源を特定する情報」「新型コロナウイルスの発生理由に関する情報」「国や公的機関を批判する情報」「新型コロナウイルスの治療・予防に関する情報」と記述)について,「聞いたことがあり, 本当のことだと思った」「聞いたことがあるが,本当のことだとは思わなかった」「聞いたことはない」の3 択にて回答を求めた (Figure 4)。 結果として,「聞いたことがあり,本当のことだと思った」と回答した人が比較的多かったのは 「居住する市区町村で感染源を特定する情報」で半数程度の人が当該情報を信じていた $(52.0 \%)$ 。一方で「新型コロナウイルスの治療・予防に関する情報」は半数以上の人が「聞いたことはない」 $(72.0 \%)$ と回答している。なお,前者については認知者ベースで割合を算出した上でも,信じた人の割合が高かった (75.4\%:Figure 5)。 ## 3.2 流言流布関連要因の探索的検討 次に, 先の4つの流言について, (1)認知(2)信頼 (3)伝達という3つの情報処理レベルに分割して,心理的諸要因との関連性を探索的に検討する。 ## 3.2.1 変数 ## 流言認知数 $\cdot$ 信頼数 $\cdot$ 伝達数 流言について回答者が認知・信頼・伝達した数をそれぞれ合算し,流言認知・信頼・伝達スケー ルを作成した。さらに, 分析に応じて, 各流言スケールを程度の大小を示す 2 值に再カテゴリー化し (中央値より下の値を $\bigcirc$ 低群, 中央値以上の値を○○高群とした) 利用した (Table 4)。 情報行動変数(利用情報源 - 参照情報源数 - 新型コロナ情報接触時間) 言うまでもなく,流言は情報行動を介して伝わる。よって, 流言の認知や信頼が特定の情報行動 Figure 5 Proportion of Rumors Trust と関連するか否かを検討することは,その拡散プロセスを考える上で重要である。 分析に際しては,2.2で用いた利用情報源(利用/非利用の 2 值カテゴリー変数) ・参照情報源数・新型コロナ情報接触時間を用いた。なお, 新型コロナ情報接触時間については,時間換算をしていない順序尺度のものを分析に用いた。 ## 新型コロナ情報への認識 特定の心理的傾向性と流言流布の関連を把握するため, 2.2 で用いた「新型コロナウイルスに関する情報について感じていること」を「該当/非該当」の2 値カテゴリー変数として用いた。 ## 感染への不安 不安感は流言流布の基本的要因と考えられている (Rosnow and Fine, 1976=1982)。本研究では「新型コロナウイルスに,ご自身が感染する可能性について,どう感じますか?」と尋ね,7件法(「とても不安を感じる」〜「まったく不安を感じない」,分析時には「全く不安を感じない」を 1 ,「とても不安を感じる」を7ポイントとなるように得点化) Table 4 Detail about Rumors Scale and Rumors Categories & 中央値 & カテゴリー \\ 信頼 & 341 \% & $0-4$ & 2.0 & \\ 伝達 & 341 \% & $0-4$ & 1.0 & \\ ※流言信頼と流言伝達を用いる分析は,4つの流言を全て認知した人 $(n=341)$ のみを対象とする。 にて回答を得たものを順序尺度として用いた。 ## デモグラフィック要因 分析に応じて年代(10代~50代の 5 段階)を含めた検討を行った。 ## 3.2.2 (1)流言の認知一どこで知ったか 人々は一体流言をどこで知ったのか。特定の情報源の利用と流言認知に関連性があるか, 流言認知カテゴリーを用いてクロス集計表および $\chi 2$ 検定により関連性を検証した (Table 5)。なお, 後述の「4. 結論」においても再度言及するが, 本研究のようにサンプルサイズが大きく, 自由度の小さい条件で $\chi^{2}$ 検定を行う場合には検定結果が有意となりやすい。ゆえに, 以降の分析全体を通して解釈には十分注意を払う必要がある。 結果として,0.1\%の有意水準で「テレビ・新聞社の Webサイト・アプリ」 $\left(\chi^{2}(1)=18.797\right) 「 ま$ とめサイト」 $\left(\chi^{2}(1)=13.615\right) 「 ニュ ー スサイト ・$ アプリ」 $\left(\chi^{2}(1)=35.365\right), 1 \%$ の有意水準で「家族や友人とのメールやメッセンジャー」 $\left(\chi^{2}(1)=\right.$ 8.352)「家族や友人との会話」 $\left(\chi^{2}(1)=9.045\right)$ の利用者について流言認知高群が多い傾向が見られた。なお,「新聞」 $\left(\chi^{2}(1)=3.507\right) 「 ラシ ゙ オ 」\left(\chi^{2}(1)\right.$ $=3.741 )$ は $10 \%$ 水準で有意傾向となった。本結果を踏まえると,前述の情報源を使用することで流言を認知した可能性が高い。 なお, 関連性が認められたインターネット・メディアに関して, 併用による疑似相関も疑われる。つまり, 公式インターネット・メディア(テレビ・新聞社のWebサイト・アプリ, ニュースサイト・アプリ) は非公式である「まとめサイト」 の併用や家族・友人とのやりとりによって, あたかも流言認知と関連するように見えた可能性があ Table 5 Association of Rumors Awareness with Media Consumption (Chi-squared Test) $\mathrm{n}=2000,{ }^{* * *} \mathrm{p}<.001,{ }^{* *} \mathrm{p}<.01, \dagger \mathrm{p}<.10$, セル内は各情報源利用者/非利用者に占める認知高群の割合 石橋・関谷:新型コロナウイルス感染症に関する流言流布の実態と心理的要因 Table 6 Controlling Table 5 Results by Non-official Media (Chi-squared test) \\ $\mathrm{n}=2000,{ }^{* *} \mathrm{p}<.001,{ }^{* *} \mathrm{p}<.01,{ }^{*} \mathrm{p}<.05$, セル内は各情報源利用者 /非利用者に占める認知高群の割合 る。 そこで,3重クロス表にて「まとめサイト」「家族や友人とのメールやメッセンジャー」「家族や友人との会話」利用を統制したところ,「テレビ・新聞社のWebサイト・アプリ」と「ニュースサイト・アプリ」の双方について流言認知との関連性が部分的に消失した (Table 6)。詳しくは,「まとめサイト」と「家族や友人とのメールやメッセンジャー」利用者において公式インターネット・ メディアと認知の関連が見られなくなった。つまり,これらの利用者は, 当該非公式メディアによって流言を認知している可能性が高い。しかし, 前述の非公式メディア非利用者と「家族や友人との会話」については統制後も傾向が変わらず,公式ネット・メディアからも流言を認知しているケースは存在すると考えられる。 このように,ニュース系の公式インターネット・メディアで流言認知との関連が見られたことは本結果の特徴と言える。家族・友人とのやりとりに関して関連が見られることは,口伝えのコミュニケーションを元祖とする流言の性質として何ら驚くことではないが,公式ニュースメディアは本来流言を淘汰するものである。本結果の解釈としては,流言そのものに接触した可能性,および「流言に対する注意喚起」の内容に接触した可能性が挙げられる。よって,流言が認知された文 Table 7 Correlation between Generation, Anxiety, Information Behavior and Rumors Trust (Spearman Rank Correlation) \\ 脈を考慮した上で再度流言の「送り手」が何だつたのか検証する必要がある。 ## 3.2.3 (2)流言の信頼一だれが信じたのか 次に,流言を認知した上で信じたか,否かに焦点を当てる。先述の4つの流言について全て認知した人(n=341)を分析対象として,参照情報源数,新型コロナ情報接触時間,感染への不安感,年代のそれぞれについて,流言信頼スケールとのスピアマンの順位相関係数 $\rho$ を求めた (Table 7)。結果として,感染への不安感が $0.1 \%$ 水準で有意な正の相関係数を示した $(\rho=0.242)$ 。 すなわち, 回答者は感染への不安感が高いほと多くの流言を信じる傾向を持っている。しかし,値は決して大きなものではなく,因果関係も不明であることに注意が必要である。つまり,感染への不安が高いから,多くの流言を信じてしまうのか,多くの流言を信じることによって不安になっているのか,本結果からは分からない。なお,年 Table 8 Association of Rumors Trust with Feeling for Information Environment (Chi-squared Test) $\mathrm{n}=341,{ }^{*} \mathrm{p}<.05,{ }^{* *} \mathrm{p}<.01,{ }^{* * *} \mathrm{p}<.001$, セル内は各項目該当者/非該当者に占める信頼高群の割合 代に関しても $5 \%$ 有意水準で正の相関係数を示した $(\rho=0.121)$ 。しかし, 不安感と同様に順位相関係数の値は小さく,結果は慎重に見るべきだろう。 次に, クロス集計と $\chi^{2}$ 検定によって新型コロナ情報への認識と流言信頼カテゴリーとの関連性を検討した (Table 8)。結果として,「どれが信頼できる情報か見分けるのが難しい」 $\left(\chi^{2}(1)=4.00, \mathrm{p}\right.$ $<.05)$ ,「真実が報道されていないように思う」 $\left(\chi^{2}(1)=8.50, \mathrm{p}<.01\right)$, 「真実がわざと隠されているように思う」 $\left(\chi^{2}(1)=15.15, \mathrm{p}<.001\right)$ について,当該項目への該当/ 非該当と信じた流言数の多葟に関連が見られた。「真実が報道されていないように思う」「真実がわざと隠されているように思う」 は報道機関や政府等への不信感を表す項目であり、いずれもあてはまる人の方が流言を信じていた。すなわち,公式の情報を信頼しない人がより流言を信じやすい可能性が示唆されており,当然の結果と言える。 また,「どれが信頼できる情報か見分けるのが難しい」にあてはまる人も,流言信頼高群への該当割合が高い傾向にあった。よって, 情報の判断に困難を感じる人ほど容易に流言を信じやすいと解釈できる。あるいは,情報リテラシーの低さという第 3 変数が流言信頼の高さ,および情報判断への苦手意識双方に影響を与えている可能性もある。 ちなみに,利用情報源と流言信頼の関連性につ 意な差異は確認されなかった(結果は省略)。先の分析結果を踏まえると,情報源の種類や情報への接触時間と言った外在的な要素よりも不安感や,政府・メディア等への不信感,情報判断の難しさの認知と言った内在的な要素の方が流言を信じることにつながる可能性が高い。 ## 3.2.4 (3流言の伝達一だれが広めたのか 最後に,流言の伝達について分析した。まず, ここまで言及してきた 4 の流言について他者に伝達を行った回答者の割合を示す (Table 9)。「居住する市区町村で感染源を特定する情報」 $(56.3 \%)$以外は誰かに伝えた人の割合が比較的低いことが分かった。 次に流言について,4つ全て認知した人 $(\mathrm{n}=341)$ を母数とし,参照情報源数、コロナ情報接触時間,感染への不安,年代のそれぞれについて,流言伝達スケールとの順位相関係数 $\rho$ を算出した (Table 10)。結果として,「感染への不安」についてのみ弱い有意な正の相関係数を示した $(\rho=$ 0.184, $\mathrm{p}<.01$ )。この傾向は流言を信じるか否か検討した際と一貫しており,不安感が流言の流布の要因として関わっている可能性を示唆している。伝達の場合,逆の因果の方向性,すなわち流言の伝達を行うことでかえって不安になることは通常の感覚からは考えにくいが,本結果を基盤として再度因果の検証を行う必要がある。次に,クロス集計と $\gamma^{2}$ 検定によって情報に対する意見と流言伝達の関連性を検討した結果を示す (Table 8)。結果として,「真実が報道されていないように思う」 $\left(\chi^{2}(1)=4.687, \mathrm{p}<.05\right)$ について,該当者に流言伝達高群が多いことが分かった。 また,「誤った情報やデマがひろがっている」 $\left(\chi^{2}(1)=3.063, \mathrm{p}<10\right)$ と「真実がわざと隠されているように思う」 $\left(\chi^{2}(1)=3.049, \mathrm{p}<.10\right) \quad$ との関連も $10 \%$ 水準で有意傾向となった。「誤った情報やデマがひろがっている」については非該当者の方が,「真実がわざと隠されているように思う」については該当者のほうがやや伝達高群に該当する回答者が多いという結果であった。 ## 4. 結論 本研究の結果を以下にまとめる。 【情報の受け手の実態】新型コロナウイルス・パンデミックにおいて人々の多くはテレビから情報を得ていた。また,インターネット上のニュースサイト・アプリ等から情報を得る人も多かった。回答者は平均的に約 3 つの情報源を利用し,新型コロナ情報の収集に1日約 1 時間半を費やしていた。 信頼できる情報発信者としては科学者や研究者が筆頭に挙がり,その他については全般的に信頼が低かった。いずれの情報発信者も信頼しないという人も科学者・研究者と同程度存在した。 情報の信頼性判断については大半の人が難しいと感じていた。一方で,情報不足を感じている人は $20 \%$ 以下と少なかった。 Table 9 Proportion of Rumors Transmission & & \\ & $\mathrm{n}=561$ & $23.2 \%$ \\ & & \\ & $\mathrm{n}=1664$ & $29.0 \%$ \\ & & \\ & $\mathrm{n}=1503$ & $29.5 \%$ \\ Table 10 Correlation between Generation, Anxiety, Information Behavior and Rumors Transmission (Spearman Rank Correlation) \\ 【流言流布の実態】「居住する市区町村で感染源を特定する情報」については認知し,かつ信じた人が全体の半数程度存在した。「新型コロナウイルスの治療・予防に関する情報」はそもそも認知した人が全体の4分の 1 以下であった。 (1)認知:流言の認知と関連する情報源を分析したところ,インターネット上のニュースメディアやまとめサイトおよび身近な人との個人的やり取りが関連する可能性が高いという結果になった。 (2)信頼:流言の信頼には感染への不安感の高さと,年代の高さが若干関係している可能性が見られた。また, 情報への認識との関連では, 情報判断への難しさを感じることと政府やメディアへの不信感につながる項目が流言信頼の高さと関連していた。 (3)伝達 : 流言を認知した人のうち他者に伝達した人は「居住する市区町村で感染源を特定する情報」以外は $30 \%$ 以下と比較的少なかった。流言の伝達には感染に対する不安感の高さが若干関連していた。また, 情報への認識との関連では,流言信頼とほほ同様に政府・メディアへの不信感につながる項目の1つが関連を示し,不信感が流言拡散の一要因となり得ることが示唆された。以上の分析結果から指摘できるのは次の 3 点てある。第一に,「インフォデミック」という表現の不適切性である。本調査は日本国民が対象であり,世界的な事情には言及し得ないが,少なくとも日本において情報が氾濫し,混乱が起きているといった状況を漠然と捉えることには注意を要する。実際, 居住地域の感染者に関する流言は一定程度信じられ拡散していたが,その他の流言は混乱をきたすほどに拡散したとは言い難い。さらに,受け手は平均的に 3 つ程度の情報源を参照してい Table 11 Association of Rumors Transmission with Feeling for Information Environment (Chi-squared Test) & $65.6 \%$ & $69.7 \%$ & $.398(1)$ & \\ $\mathrm{n}=341,{ }^{*} \mathrm{p}<.05, \dagger \mathrm{p}<.10$ セル内は各項目該当者/非該当者に占める伝達高群の割合 た上,情報源全般に対する信頼が低かった。よって,断定はできないが,人々は情報に対して比較的慎重になっていたと推測される。もち万ん,流言による実害を測る絶対的な指標など存在しないため混乱がなかったとは言えないが, 本研究における各流言の相対的な信頼, 拡散度合から考元て, ファクトチェック等で対策すべき流言に優先順位を付すべきではないかと考える。 第二に,身近な人との会話だけでなく,ニュー スメディアから流言を認知する人がいる可能性への対応である。本研究では流言認知について,流言それ自体と流言に関する注意喚起の情報(例えば,「『新型コロナウイルスは中国の生物兵器』という情報はデマである」という情報)を区別していない。そのため,公式ニュースメディア利用者において流言認知者が多かったのは,注意喚起情報も同時に考慮されたからという解釈もまた可能である。今後の研究では, 内容分析等により各メディア内の流言顕現の文脈を把握する必要がある。 なお,流言流布の文脈で語られることが多い (e.g. WHO, 2020) ソーシャルメディア利用について本研究で関連性は認められなかった。Galloti et al.(2020)は国による差はあれど,概して感染状況が悪化する際にはTwitter上で信頼できる情報が優勢となり,インフォデミックのリスクが小さくなると指摘する。このような自浄作用も緊急時の情報環境整備にあたって考慮していくべきだろう。 第三に,流言流布の要因としての不安感および不信感である。先行研究の知見と同様に不安感の高い人はやや流言を信頼,伝達する程度が高かった。よって, 改めて不安感は流言流布の際に考虑すべき主要な要因である可能性が高いと言える。 しかし, 本研究では「感染への」不安感にしか触れておらず,パンデミック下で経験する経済面への不安など多様な側面にアプローチすることはできなかったため,今後の検討を要する。 また, 政府・メディア等への不信感について考える際には,Knapp (1944) が参考になる。Knapp (1944)は流言を口伝えで情報を伝えるものであり,また感情,特に願望,恐怖,敵意を発露させるものと捉えている。よって,日頃政府・メディアに対し不信感を持つ人,あるいはそれらのパンデミック下の対応について不信感を持つ人がストレス状況下に置かれた際,流言として敵意を噴出させることはもっともらしい反応であると言え る。 不安感や不信感に対してはコントロールできる類の要因ではなく, 実践的な対策を行うことは難しい。そもそも,感情を昇華させる,カタルシス的行為として流言の伝達が為される場合, 直接的な流言対処という姿勢から再考が必要だろう。 以上のように,本研究ではパンデミック下に掠ける流言の実態と蓋然性の高い関連要因を導出した。しかし, 本研究の限界として, 統計的分析で大規模サンプルを扱ったため,ごく小さな傾向によって帰無仮説が棄却されてしまった可能性があ子(保田, 2004)。由えに, 有意確率 $5 \%$ や $10 \%$ といった比較的「緩い」基準における検定結果は参考程度と見なさざるを得ない。加えて, LINE ユーザーに限定した標本抽出からも, 統計的一般化は難しい。しかしながら, 本研究はパンデミック初期段階の流言流布の状況と心理を捉えた研究として少なくとも 1 つの研究の方向性を示すことには成功した。本研究を足掛かりとして, さらなる妥当性の検証, そして, 要因や因果関係に関するより踏み达んだ知見の報告が期待される。 ## 謝辞 執筆に際し, 三浦將太氏 (東京大学大学院学際情報学府)にはソーシャルメデイア研究の観点から, 先行研究等について貴重な助言をいたたいた。ここに記して謝意を表す。 ## 参考文献 Allport, G. 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Society For Risk Analysis Japan
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# 【資料論文】 ## ドイツにおける高レベル放射性廃棄物の地層処分方策および サイト選定手続が地層処分施設の立地受容に与える効果* \author{ Effects of Management Strategy and of Site Selection Process \\ for High-level Radioactive Waste Disposal \\ on Acceptance of Siting Repository in a Germany Case \\ 大澤英昭**, 広瀬幸雄***, 大友章司****, 大沼進***** \\ Hideaki OSAWA, Yukio HIROSE, Shoji OHTOMO and Susumu OHNUMA } \begin{abstract} This study examined effects of a management strategy and of site selection process for high-level radioactive waste disposal on acceptance of siting repository in a German case. Data from 1,000 German residents, assigned by population composition ratio of 16 states, were collected in 2018 by internet survey. We considered evaluation of two policies: management strategy and site selection process. We also hypothesized own and national evaluations of the policies were relevant factors on the acceptance of siting repository. Results indicated that own evaluation of management strategy and site selection process directly had an effect on acceptance of siting repository, while own and national evaluation of management strategy had effects on own and national evaluation of site selection process, respectively. In addition, latent variables affected by the policies were different depending on which policy and/or which evaluation. National evaluations of both policies had effects on personal benefit, while own evaluations of both policies had effects on social benefit. Own evaluation of management policy had an effect on intergenerational subjective norms, while national evaluation of site selection process has an effect on stigma. \end{abstract} Key Words: public acceptance, distributive fairness, procedural fairness, interpersonal fairness ## 1.はじめに NIMBY(Not In My Back Yard) とは,必要な施設 ではあるものの,自分の住む地域の近くに建設されると迷惑がられる施設の立地に対し,当該市民の意識や態度を表す「我が家の裏庭ではダメ」と いう意味の言葉である (Burningham et al., 2006)。 この特徴を有する施設立地の合意形成は, 社会全体での便益 (受益) と周辺住民のリスク(受苦) との不均衡があるため容易ではないとされる。本稿では,NIMBY的特徴を有する施設の中でも,  最も忌避的な施設と考えられている (Easterling, 2001) 高レベル放射性廃棄物(High-Level Radioactive Waste,以下 HLW)の地層処分施設の立地を取り上げる。 HLW地層処分施設の立地に関しては, 1990 年代,欧州では事業主体により「“Decide,announce and defend" model」というやり方で立地が進められていたが,地域社会との対立が生じ,その計画が遅延した経緯がある。その後,「“Engage, interact and co-operate" model」という双方向的な市民参加手法を取り入れて改めてサイト選定が進められ (OECD Nuclear Energy Agency, 2021), フィンランドやスウェーデンなどでは処分サイトが決まり, フランス,スイス,カナダなどで処分地選定のための調査が進められてきている(経済産業省資源エネルギー庁,2021)。 このような NIMBY 的特徴を有する施設の一つである HLW地層処分施設の立地に関し, 総論である地層処分方策と各論であるサイト選定手続の評価の状況が立地の受け入れに与える影響を明らかにし,その解決に向けた取り組みやリスクガバナンス構築に向けての知見を提示することは,リスク研究分野の一つの課題と言える。 ## 2. HLW地層処分施設の立地受容の規定因 とプロセスモデル HLW 地層処分施設の立地受容プロセスのモデルについては,手続き的公正,分配的公正および対人的公正の 3 つの側面を含めた包括的なモデルが検討されてきた (Besley, 2010, 2012; Ohtomo et al., 2020)。 まず,立地受容プロセスモデルにおいては,決定プロセスの進め方の公正さとして手続き的公正が受容に影響すると仮定されている(大友ら, 2014)。公正研究の分野において, 公正な手続き (例えば,透明性,参加機会,意見反映)によって決められた場合,たとえ望まれない結果になったとしても,人々がその決定を受容する傾向があることを示している (Lind and Tyler, 1988)。中.低レベルの放射性廃棄物の貯蔵管理施設の事例において,市民が関与できる公正な手続きが保証されると感じられる場合に処分の必要性を認めるなど,立地の決定において重要であることが指摘されている(Krütli, et al., 2010)。 次に,分配的公正に関する要因として便益評価については, 自分の住む地域に HLW 地層処分施設が立地されるような場面では, 便益評価が施設の受け入れにほとんど影響を及ぼさないとされている (Flynn et al., 1992)。一方, 先行研究 (大友ら,2014;大澤ら,2016)が検討する立地受容プロセスモデルでは, 便益評価を社会的便益と個人的便益に区分してその影響が検討されている。日本の HLW 地層処分の事例(大友ら,2014)においては, 個人的便益が受容に与える影響は小さいが, フランスの事例では社会的便益より個人的便益の方が受容に影響を及ぼしている(大澤ら, 2016)。さらに, 英国の HLW 地層処分施設の立地を事例とし, 個人的便益が社会的便益に影響を与えるモデルが提案されている (Ohnuma et al., 2015)。 また,立地受容プロセスモデルの対人的公正に関する要因として, スティグマ, 世代間主観的規範が仮定されている(大友ら,2014;大澤ら, 2016)。放射性廃棄物の問題では, 倫理的な観点から反発が生じることがあり (Seidl et al., 2013),特に, 放射性廃棄物を処分することによる長期の安全性の問題が,将来世代に影響を与えることになることから,世代間の公正が問題となると指摘されている (Mackerron and Berkhout, 2009)。このような観点から, 地層処分施設を受け入れることで「放射能で污染された町」と見られる懸念であるスティグマや,世代を超えた影響に対する責任である世代間主観的規範は, 受容の大きな阻害要因として考えられる。また, フランスのHLW地層処分の事例で,スティグマが立地受容に影響を与える結果 (大澤ら, 2016) となる一方で, 日本の HLW地層処分を事例では, スティグマは受容に直接的に影響を与えていないものの, 世代間主観的規範を介して受容に影響を与える結果 (大友ら, 2014)となっている。 最後に, リスク研究分野では, 科学技術分野の受容の要因として, リスク認知, 信頼, 感情があげられている。リスク認知は, 放射性廃棄物の施設立地に関しても,その受容に影響を及ぼすとされてきた (Slovic et al., 1991)。日本の HLW 地層処分の事例では, リスク認知が受容に直接影響を与えていた (大友ら,2014)。一方で,フランスあるいは英国を事例とした先行研究 (Ohnuma et al., 2015; 大澤ら,2016)ではリスク認知は直接受容には影響を与えず,スティグマや世代間主観的規範を介して受容に影響を与えるとしている。信頼は様々な科学技術分野で, その受容を左右する重 要な規定因であることが指摘されている(Earle, 2010; Poortinga and Pidgeon, 2006; Slovic, 1999)。 HLW 地層処分施設に関する立地の研究でも,信頼がリスク認知とスティグマに影響を及ぼすことが確認されている (Flynn et al., 1992)。一方,先行研究 (大友ら,2014; 大澤ら,2016)では, 信頼はスティグマに影響を与えず,手続き的公正や社会的便益に影響を与える結果となっている。また,感情は,様々な認知にバイアスを生じさせる。これまで, Keller et al. (2012) や Siegrist et al. (2006)は感情的評価と原子力発電の選好との関連を示唆し,Besley (2012) は,原子力政策の受け入れにおいて,感情的評価が公正性の判断を左右することを指摘している。HLW地層処分施設に関しても,否定的な感情を持つ人は,より不公正で信用できないと感じ,その政策に反対する傾向を示すとされている (Slovic et al., 1991)。先行研究 (大友ら,2014;大澤ら,2016)では,感情は手続き的公正や分配的公正の一つである社会的便益に影響を与える結果となっている。このように,立地受容プロセスモデルでは,リスク認知,信頼, 感情は, 他の要因に先立ち様々な要因に影響を及ぼすと仮定されている(大友ら,2014)。 ## 3. 本研究の目的と調査対象 ## 3.1 本研究の目的 HLW 地層処分事業を進めるためには,総論である地層処分方策の選択と,各論であるサイト選定手続の選択の意思決定が必要になる。そもそも地層処分方策やサイト選定手続きに自ら納得していなければ,立地も受け入れられないことも想定される。しかし, 先行研究 (例えば, 大友ら, 2014 ; 大澤ら,2016)では, HLW地層処分施設の立地受容の規定因とそのプロセスモデルに関する研究が行われてきているが,総論である地層処分方策あるいは各論であるサイト選定手続の評価が,実際に自分の住む地域がサイトとして選定された場合の立地の受け入れにどのように影響するのかについては検討されていない。 また, 総論, 各論の各政策が立地受容プロセスモデルの個々の規定因に与える影響が異なるかもしれない。さらに, 総論, 各論の各政策の評価の状況,具体的には自らその政策を納得しているという状況と,国民全体が賛同している状況では,立地の受け入れやそのプロセスモデルに与える影響が異なる可能性がある。例えば,サイト選定手続については,その方法や手続きを国民全体が賛同している状況であれば,その手続きに従い進められることが公正だと感じ,自分の地域がサイトとして選ばれた際,より受け入れざるを得ないと判断するかもしれない。また,これまでの先行研究 (Di Nucci and Brunnengräbe, 2017; 飯野ら, 2019など)によると,金銭的補償が逆効果になるか,あるいは効果がないとされており,自らの利益(個人的便益)を意識するのは非倫理的と感じると推察される。このような状況の中でも,地層処分方策およびサイト選定手続が国民全体で賛同されていると推測できれば,個人的便益も感じられるのではないかと推測される。さらに,上記の流れで個人的便益が感じられれば, Ohnuma et al.(2015)が示すように,より社会的便益も感じられ,立地受容にも影響を与える可能性も考えられる。 そのため, 本研究では, 総論である地層処分方策の自らの評価(以下,地層処分方策の評価)や国民全体での評価の状況(以下,地層処分方策の国民評価),各論であるサイト選定手続の自らの評価(以下,サイト選定手続の評価)や国民全体での評価の状況(以下,サイト選定手続の国民評価)が立地受容プロセスモデルの個々の規定因や立地受容にどのような影響を与えるのか,を明らかにすることを目的とする。 ## 3.2 ドイツにおける地層処分事業の概要 本研究では,地層処分方策とサイト選定手続を改めて見直したドイツを調查対象とする。ドイツでは,「"Decide, announce and defend” model」というやり方でゴアレーベンの岩塩ドームがHLW地層処分施設の候補地とされたことに対しデモや封鎖が多数行われるとともに,様々な調査が行われてきたが,科学者の間でも立地の適性などに関し様々な論争があった(シェアツベアクら,2018)。日本における 2011 年の福島第一原子力発電所事故を受け, 1998年に成立した連立政権の下で進めてきた脱原子力政策がさらに進められた。また,「安全なエネルギー供給のための倫理委員会」 において将来のエネルギー政策に関する重点課題の一つとして放射性廃豪物処分が取り上げられ,「極めて厳格な安全要件に基づいて, 回収可能な方法を用いて処分を行うことを御告する。これによって, 国内で最終処分サイトとしての適性調査を行う対象地域が,ゴアレーベンだけでなく,拡 大されることになる。」(原子力環境整備促進・資金管理センター, 2011)とされた。そして, 2013 年には「発熱性放射性廃棄物の最終処分場のサイ卜選定に関する法律」(2017年に「高レベル放射性廃棄物の最終処分場のサイト選定に関する法律」に名称変更)が制定,高レベル放射性廃棄物処分委員会が設置され,2016年に当委員会の勧告を含む最終報告書が取りまとめられた(経済産業省資源エネルギー庁,2021)。当委員会では,高レベル放射性廃棄物の処分の解決策のオプションが評価され,長期にわたって高レベル放射性廃棄物の安全を担保するためには, 地下深部の地層に最終処分することが唯一の方法であることが確認された(原子力環境整備促進・資金管理センター,2016)(Appendix (1)を参照)。 さらに, 本委員会でサイト選定手続や基準,公衆参加の方法などが改めて示され,これまで候補地とされていたゴアレーベンは白紙となり,改めてサイト選定が行われることとなった。2017年には実施主体がサイト選定を開始したことを公表し,ドイツ各地では情報提供イベントが行われた (経済産業省資源エネルギー庁,2021)(Appendix (2)を参照)。これにより,「“Engage, interact and co-operate" model」という双方向的な市民参加手法を取り入れた新たなサイト選定が開始されることとなった。なお, HLW地層処分施設のサイト選定に関連する組織等はAppendix (3) に示すとおりである。 ドイツのサイト選定は,ドイツ全土を対象として, 特定の場所を初めから優先したり除外したりしたりしないという白地図の原則に従い,放射性廃棄物を長期にわたって閉じ达めるために,最大限可能な安全性を保証するサイトを段階的に絞り达んでいくこととされた。広瀬ら(2018)では, このサイト選定手続では, HLW地層処分施設の候補地となりうる地域の住民は,「自分の地域の属性(どんな安全基準に該当しているか)」を知らず, 誰もが当事者となりうる(どの地域も候補地となりうるということで, 負の遺産の分配が均等)という前提で開始されることになるとされている。そのような状況で, 地層処分施設建設の選定基準として何が重要かについて共通の認識を持つことができれば,「もしも自分の地域が候補地に選定されたとしても,その手続きは公正だとあらかじめ合意していたので,その結果を受け入れざるを得ないと判断する」(広瀬ら,2018),と いった考えに相当するものと解釈されている。大澤ら(2019)では, これらについて, ロールズ (2010)が提唱した無知のヴェールの下での原初状態という考え方に基づいいる,と解釈することができる方法で, 現在スイスで進められているサイト選定手続とも同じ考え方に基づくものであるとされている。 本稿では,以上に示すように,「“Decide, announce and defend" model」という過去のやり方を一新し,「“Engage, interact and co-operate" model」という双方向的な市民参加手法を取り入れた新たな立地プロセスが開始され,国民にアナウンスされた時期を捉えてアンケート調査を実施した。 ## 4. 方法 調查は, 2018 年 11 月, インターネット調查会社クロス・マーケティング社を介して, ドイツの調査会社のモニターから 16 州を人口構成比で割付募集し,1,000名に達した時点で調査を終了した (有効回答票数は 1,000 )。な㧈, 無効回答は調查会社が確認した上で除外しており, 納品データに含まれていなかった。その結果, 回答者の平均年齢が 52.8 歳, 男性 $50.6 \%$, 女性 $49.4 \%$ であった。質問紙の翻訳に関しては, 最初に調查会社が日本語からドイツ語に翻訳, 次に調査の趣旨を知らない別の個人に依頼し, ドイツ語から日本語に翻訳 (back translation) した。さらにそれを研究者らが確認し, 元の日本語と異なる意味になっていた場合は英語表現を含めて調査会社へ修正を依頼, 再度, 調查の趣旨を知らない別の個人が日本語に翻訳し (back translation) した。最後に, 研究者らが元の日本語と back translation されたものが同一内容であることを確認した。な打, 本調査の内容については北海道大学社会科学実験研究センター 研究倫理委員会の承認を得ている(受付番号; 03-09)。 ## 4.1 調査手続き 調查では, これまでのドイツの HLW地層処分事業(原子力発電により発生したHLWを地下深部に埋設する事業)とこれまでの経緯とサイト選定手続を示した概略的な説明 (Appeidix(1)および (2)を提示し,地層処分方策の評価,地層処分方策の国民評価,感情評価,リスク認知について測定した。次に, HLW地層処分事業に関わる組織の説明(Appendix (3))をした後に, 処分事業 に関わる組織の信頼,サイト選定手続の評価,サイト選定手続の国民評価を測定した。さらに,「もしあなたの暮らす地域がHLW地層処分施設の建設地に選ばれた」という場面設定をし,個人的便益,社会的便益,スティグマ,世代間主観的規範, 手続き的公正,立地受容の測定を行った。 ## 4.2 調査項目 個人属性と感情的評価を除く調査項目は, “1.全くそう思わない”から“5.非常にそう思う”の 5 段階評価で測定した。なお, ドイツでは, アンケート調査の実施時期には,各政策に関し国民投票などは実施されてはいなかったため,地層処分方策およびサイト選定手続の国民評価は,各々の回答者が,地層処分の方針 (Appendix (1)),サイ卜選定(Appendix (2))の規範的手続の考え方に関し,国民がどのように反応すると推測するのかを回答者に尋ねた。 1)地層処分方策の評価:「私は,ドイツ国内のどこか適切な場所に高レベル放射性廃棄物を地層処分するという政策を受け入れられる」「高レベル放射性廃棄物をドイツのいずれかの地域に地層処分するというする政策について,私は受け入れる」,「私は,高レベル放射性廃车物の地層処分に関する政策を支持する」の3 項目を測定した $(\alpha=.71)$ 。 2)地層処分方策の国民評価:「高レベル放射性廃棄物をドイツのいずれかの地域に地層処分することへの国民全体の合意は得られている」,「ドイツで, 科学的特性を精查しながら, 高レベル放射性廃棄物の処分地選定調査を進めていくことに国民は合意している」の2 項目を測定した $(\alpha=.73)$ 。 3)サイト選定手続の評価:「ドイツ国内から最も安全な場所を地層処分地として選定する役割を専門家に委任することに,私は納得できる」,「地層処分に最も安全な場所と選定された地域の住民はそれを受け入れるべきと事前に決めておくことに,私は納得できる」,「候補地選定プロセスが始まる前に,ドイツ国内のすべての場所が地層処分の候補地に含まれるということを私は納得できる」の3 項目を測定した $(\alpha=.65)$ 。 4)サイト選定手続の国民評価:「ドイツ国内から最も安全な場所を地層処分地として選定する役割を専門家に委任することへの国民全体の合意は得られる」,「地層処分に最も安全な場所として選ばれたら,その地域はそれを受け入れるべきだという国民全体の合意は,選定プロセスが始まる前の段階で得られるだろう」,「候補地選定プロセスが始まる前に,ドイツ国内のすべての地域は地層処分の候補地から除外されないことへの国民全体の合意は得られる」の3 項目を測定した $(\alpha=.79)$ 。 5)感情的評価:高レベル放射性廃棄物の地層処分の印象について, 「よい-わるい」,「きらいなすきな」,「好ましい—好ましくない」,「感じのわるい-感じのよい」,「必要な-不必要な」,「危険な一安全な」,「無害な一有害な」,「不安定な一安定な」,「あぶなくない-あぶない」,「問題のある-問題のない」を用いた SD尺度を 5 段階評価で尋ねた。点数が高くなるほど肯定的な評価になるよう得点化した $(\alpha=.93)$ 。 6)信頼:HLWの処分事業や事業に関わる組織対する信頼として,「地層処分事業の実施主体である連邦放射性廃棄物機関 (BGE) は信頼できる」,「処分計画の策定や事業の承認を行う連邦放射性廃棄物処分安全庁 (BfE) は信頼できる」,「処分計画の策定や事業の承認を行う連邦政府・議会は信頼できる」,「地層処分に関わるドイツの科学者は信頼できる」,「地域会議は信頼できる」の 5 項目で測定した $(\alpha=.89)$ 。 7)リスク認知:「地下での高レベル放射性廃棄物の埋設作業中に, 事故や不測の事態が起きるだろう」,「地層処分施設への高レベル放射性廃棄物の輸送中に事故が起きるだろう」,「地震や火山活動により,高レベル放射性廃棄物から放射性物質が放出されるリスクがある」の3 項目で測定した $(\alpha=.77)$ 。 8)スティグマ:「私や私の住む地域は,世間から偏見をもたれる」,「私や私の住む地域が,悪いイメージで世間から見られる」,「私や私の住む地域は,世間から避けられるだろう」、「私や私の住む地域は不当な評価を受けるだ万う」の 4 項目で測定を行った $(\alpha=.81)$ 。 9)世代間主観的規範:「地層処分施設の建設地になることを受け入れると自分の将来の子孫に申し訳ない」,「自分の孫や子孫から地層処分施設の建設地になることを受け入れないよう期待されていると思う」, 「自分の家族から地層処分施設の建設地になることを受け入れないよう期待されていると思う」の3 項目で測定を行った $(\alpha=.92)$ 。 10)手続き的公正:「地層処分の地上施設などについての住民の意見は反映できると思う」,「住民の意見を表明する機会は十分に設けられると思う」の2 項目について測定を行った $(\alpha=.68)$ 。 11)便益評価:社会的便益は「ドイツの社会全体の利益のためになることだ」、「ドイツの社会全体に貢献することができる」,「私の住む地域がドイツのエネルギー事業の大事なパートナーとなる」 の3 項目を測定した $(\alpha=.83)$ 。個人的便益は「新しい仕事に就き,収入も増える」、「私や家族の生に貢献することができる」の2 項目の測定を行った $(\alpha=.79)$ 。 12)立地受容:「自分の地域が地層処分に最も適した場所と決まった時には,私はその決定を受け入れる」,「自分の地域が地層処分の建設地に選げれたことを,私は受け入れられる」の2項目を測定した $(\alpha=.92)$ 。 ## 5. 結果 サイト選定手続の評価およびサイト選定手続の国民評価が立地受容プロセスモデルにどのような影響を与えるのかを明らかにするために,地層処分方策の評価,地層処分方策の国民評価,サイト選定手続の評価,およびサイト選定手続の国民評 Table 1 Correlations among latent variables **. 相関係数は $1 \%$ 水準で有意 (両側) *. 相関係数は $5 \%$ 水準で有意(両側) Figure 1 Structural model for acceptance of siting repository considering effects of management strategy and of site selection process for HLW disposal NOTE; Thick lines indicate paths from own and national evaluations of management strategy and site selection process for HLW disposal. Dot-lines indicates deleted paths due to no effect $(p>.05)$ or contradictory with positive/negative of correlation coefficient. Table 2 Means and standard deviation 価を立地受容プロセスに組み达んで,構造方程式モデリングによる分析を行った。その結果, Figure 1 に示すモデルが得られた $\left(\chi^{2}(374)=1186.47\right.$, $p<.001$, GFI=.92, CFI=.95, RMSEA=.05)。Table 1 に各変数の相関を Table 2 に各変数の平均値および標準偏差を示す。 その結果,地層処分方策およびサイト選定手続の評価が立地受容に直接影響を与えていた。地層処分方策の評価は, 立地受容の他, サイト選定手続の評価に影響を与えるとともに,世代間主観的規範,社会的便益に影響を与元,地層処分方策の国民評価は,サイト選定手続の国民評価,個人的便益に影響を与えていた。サイト選定手続の評価は,立地受容の他,社会的便益に影響を与え,サイト選定手続の国民評価は,手続き的公正,個人的便益,スティグマに影響を与えていた。 地層処分方策の評価,地層処分方策の国民評価, サイト選定手続の評価,およびサイト選定手続の国民評価に対して,感情評価からの直接の影響が認められたのは地層処分方策の評価のみ、リスク認知から直接の影響が認められたのは地層処分方策の国民評価のみであり,それに対して信頼はこの4つ全てへの直接の影響が認められた。なお, 先行研究 (大友ら,2014; 大澤ら,2016)の立地受容プロセスモデルで認められていたリスク認知,スティグマから立地受容, 感情評価から手続き的公正への影響は認められなかったためモデルから削除した。また,信頼から社会的便益およびリスク認知のパスの標準化推定値の正負が 2 相関係数 (Table 1) と矛盾する結果を示したため (Figure 1),上記の全てのパスを含めたモデルの適合性 $\left(\chi^{2}(368)=1163.49, \quad p<.001, \quad \mathrm{GFI}=.92\right.$, $\mathrm{CFI}=.95, \mathrm{RMSEA}=.05 )$ と削除したモデルの適合性 $\left(\chi^{2}(374)=1186.47, \quad p<.001, \quad \mathrm{GFI}=.92, \quad \mathrm{CFI}=.95\right.$, RMSEA=.05)が大き人変わらないこと確認し,モデルから削除した。 立地受容に最も大きな影響を与えたのは手続き公正であり,その他,世代間主観的規範,地層処分方策の評価, サイト選定手続の評価, 社会的便益, 個人的便益, 感情評価の順に影響を与えていた。 ## 6. 考察 ドイツでは, 「高レベル放射性廃棄物の最終処分場のサイト選定に関する法律」に基づき設置された高レベル放射性廃棄物処分委員会により, 長期にわたって高レベル放射性廃棄物の安全を担保するためには,地下深部の地層に最終処分することが唯一の方法であることが改めて確認(地層処分方策)された。さらに全国を対象とした新たなサイト選定手続が提示され, 実施主体がサイト選定の開始を公表, 各地で情報提供イベントなどが開始された。本稿では,このような新たな立地プロセスが開始され,国民にアナウンスされた時期を捉えてアンケート調查を実施し, 地層処分方策の評価, 地層処分方策の国民評価, サイト選定手続の評価,およびサイト選定手続の国民評価が,立地受容プロセスに与える影響について検討した。その結果,立地受容に直接影響を与えていたのは地層処分方策およびサイト選定手続の評価であった。また, 地層処分方策の評価はサイト選定手続の評価に,地層処分政策の国民評価はサイト選定手続の国民評価に影響を与えていた。このことは, 立地を受け入れるためにも,まずは地層処分政策およびサイト選定手続に自ら納得することが重要な要因となることを示唆している。 また,各政策の評価および国民評価が手続的公正に与える影響については, サイト選定手続の国民評価のみ,手続き的公正に直接的に影響を与えていた。サイト選定手続を国民全体で賛同されていると推測できれば, 市民は立地プロセスにおいて自分たちの意見がより反映される,意見を表明する機会が十分設けられるという期待に繋がるとの認識の表れと考えられる。 さらに,分配的公正については, 地層処分方策およびサイト選定手続の国民評価は個人的便益に, 一方で地層処分方策およびサイト選定手続の評価は社会的便益に影響を与えていた。このことから, 個人的便益の感じ方は, 自らの政策の判断より,国民全体が政策をどのように判断しているのかに依存しているのではないかと推測される。 これまでの先行研究 (Di Nucci and Brunnengräbe, 2019;飯野ら,2019など)によると,金銭的補償が逆効果になるか, あるいは効果がないとされており,自らの利益(個人的便益)を意識するのは非倫理的と感じると推察される。このような状況の中でも,地層処分方策およびサイト選定手続が国民全体で賛同されていると推測できれば,個人的便益も感じられるのではないかと推測される。 また,本稿の結果では,サイト選定手続の国民評価からスティグマを介して個人的便益に負の影響のパスが認められた。これらから, サイト選定手続の国民全体で賛同されていると推測できれば, スティグマが生じるとの認識は緩和され,個人的便益も感じられると推測される。 対人的公正である世代間主観的規範には地層処分方策の評価が影響を与え,スティグマにはサイ卜選定手続の国民評価が影響を与えていた。地層処分方策の意思決定では, 将来世代への責任として「将来の世代に問題を残してはならない」(地層処分方策に賛成)あるいは「取り返しのつかない段階に踏み达んではならない」(地層処分方策に反対)といった世代間公正に関わる相対する二項対立の議論が焦点になる(大澤ら,2019)。世代間主観的規範への地層処分方策の評価の影響は, 将来世代に問題を残さないよう, 解決策として地層処分方策に納得することにより,子孫(子供や孫)や先祖に迷惑をかけることにはならないだろうという認識の表れであると推測される。一方で, サイト選定手続は, 自分の住む地域が地層処分施設の候補地になるか否かを左右する政策であり,自分の住む地域へのスティグマが発生するかどうかに直結する。他の地域から偏見を持たれる,忌及嫌われるといったスティグマは他者から刻印を押されることで起きるもので,一旦候補地となってしまえば,スティグマが生じるかどうかは自らでは如何ともしがたい。サイト選定手続の国民評価がスティグマに影響を与えているのは, サイト選定手続そのものが国民全体で賛同されていると推測されれば,スティグマが緩和されるのではないかといった認識の表れではないかと推察される。 手続き的公正は, 地層処分方策の評価, 地層処分方策の国民評価,サイト選定手続の評価,サイ卜選定手続の国民評価を組み达んだ立地受容プロセスモデルでも,立地受容に最も影響を与える規定因となっている。HLW地層処分施設は長期に わたって同世代だけでなく将来世代にもリスクをもたらす可能性のあるものであり,そのリスクに見合うだけの公正さを示す上で, 手続き的公正が不可欠と考えられる。実際に, 社会的便益や個人的便益は立地受容に影響を及ぼしているものの,世代間主観的規範や感情評価が立地受容に与える影響と比較し大きくなく, それらのみでHLW 地層処分施設を受けいれることによって生じる世代間主観的規範やその背景にあるスティグマの問題に見合うだけの保償や感情評価を補うことは困難であると考えられる。そのため,立地受容において, 手続き的公正が誰もが望まない決定を受けいれる重要なプロセスとして, 先行研究 (大友ら, 2014)のモデルにおいても機能しているものと考えられる一方で, 本稿ではサイト選定手続の国民評価が手続き的公正に大きな影響を与えていることから, サイト選定手続の国民評価により公平性が担保されるという期待が,立地プロセスにおいて自分たちの意見がより反映される,意見を表明する機会が十分設けられるとの期待に繋がり,それが立地受容に影響を与えているとも解釈できる。 以上, 本稿の結果は, ドイッで改めて地層処分政策拈よびサイト選定手続きが見直され,サイト選定が開始される時期の時間断面での各政策の立地受容プロセスモデルへの影響を示したものである。そのため, 段階的に進められる地層処分方策, サイト選定手続きの意思決定や, 今後進められるサイト選定の各時間断面で, その影響も,その時々の取り組みの状況で変化する可能性もあり, 本調査結果だけで各政策の影響を限定的には推論できない。また, 本調査では立地受容などに関し,「もしあなたの暮らす地域がHLW 地層処分施設の建設に選ばれたとしたら」と質問しているが,まだサイトの候補地があがっている段階ではなく,「各論」と言えるほど具体性のあるものと回答者が捉えているかという課題もある。しかし, 少なくとも各政策が公表され, サイト選定が開始される時点では,地層処分方策およびサイト選定手続きの評価が立地受容に影響を与えており,まずは地層処分政策およびサイト選定手続に自ら納得することが一つの重要なポイントになることを示唆している。また,各々の政策が立地受容プロセスの各規定因に与える影響が異なるとともに, 各々の政策の評価の状況, すなわち自らその政策を納得しているという状況と,国民全体で 賛同されていると推測される状況でも,影響を与える規定因が異なることを示している。今後,ドイツでは連邦,地域横断,地域の様々なレベルで市民代表や各地域の住民などで構成される公衆参加が行われることになっており,そのような場を介して,地層処分方策およびサイト選定手続きの自らの,国民全体で賛同されるような状況を促進し,立地受容プロセスの各々の規定因を高めるよう,人々の多様な価値観を反映させるような参加型のプロセスによるコミュニケーションが重要なことを示唆するものと考えられる。 なお,本研究ではサイト選定手続きの国民評価など新たな観測変数を導入するとともに, その他の観測変数の内容が必ずしも先行研究の観測変数と全て一致はしていず,概念とモデルの直接的な比較をすることは難しく, 今後の課題としたい。 また, 本研究は, 全土を対象として白地図の原則に従い,最大限可能な安全性を保障するサイトを段階的に絞り达んでいくというサイト選定手続を採用したドイツを対象として調査を行ったもので,サイト選定手続の方法やその進展状況などが異なる全ての国にあてはまるものではない。また, 本来であれば総論である地層処分方策の意思決定の後に各論であるサイト選定手続の意思決定が行われることになるが,今回の研究ではこの段階を経た意思決定の各々の時期に応じて,2つの政策の評価の状況が立地受容にどのような影響を与えるのかについては把握できていない。これらについては, 異なる政策の国で社会調査を行うとともに,シナリオ実験やゲーミングなどにより各々の意思決定の時期に応じた立地受容への影響を調査して行く必要があり, 今後の課題としたい。 ## 謝辞 本研究は文部科学省科学研究費基盤 $\mathrm{B}$ (課題番号 16H03011, 研究代表者広瀬幸雄)の補助を受けて実施された。 ## 参考文献 Besley, J. 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risk
cc-by-4.0
Society For Risk Analysis Japan
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# 【原著論文】 ## COVID-19の予防行動に対する知識, リスク認知,責任感の影響* \author{ The Effect of Knowledge, Risk Perception, and Responsibility \\ on Preventive Behavior of COVID-19 } ## 塩谷 尚正** Takamasa SHIOTANI \begin{abstract} This study examined the effects of knowledge on infectious disease preventive behavior, risk perception, and responsibility for the ripple effects of infection. The ripple effect of infection implies that an individual is infected with an infectious disease and then infects another person, with the result that the infection spreads further, and various effects are exerted on society. The more strongly an individual has the expectation of responsibility for the ripple effect, the more likely the individual will take preventive action. Similarly, the amount of the knowledge has a promotive effect on preventive behavior, while risk perception is expected to have a weaker influence. Based on the above predictions, a web-based survey was conducted during the period of the spread of COVID-19. Data obtained from 1238 people were analyzed by classifying them into two regions according to the time when the state of emergency was issued. The results indicated the main effect of knowledge and sense of responsibility was significantly positive influence on preventive behavior regardless of the region. In addition, the interaction between knowledge and sense of responsibility was significant; the effect of sense of responsibility became stronger when knowledge was low. The importance of knowledge and sense of responsibility for infectious disease prevention behavior is discussed. \end{abstract} Key Words: COVID-19, preventive behavior, knowledge, responsibility, risk perception ## 1. 本研究の目的 ## 1.1 感染の予防行動の規定因 2020 年 1 月に国内初の感染者が確認された COVID-19(新型コロナウィルス感染症) は感染の拡大を続け,緊急事態宣言の発出や局所的な医療の逼迫の発生,「新しい生活様式」の推奨など,人々の社会生活に甚大な影響をおよぼした。その間にCOVID-19というリスクに対して,感染を予防する行動がすべての市民に求められる社会的規範となった。本研究は, COVID-19の予防行動の ## 規定因を検討する。 リスクへの対処行動を促進するために,まず知識の必要性が挙げられる。知識は自然災害の準備行動 (片田ら, 1999; Lindell and Whitney, 2000) や対処行動意図(小林,田中,2017)を高める。 COVID-19では, 当初は情報が曖昧かつ, 従来の日常生活にて多くの人が行わなかった行動(無症状でのマスク着用, 身体的距離の確保など)や,人によって必ずしも定着していなかった習慣(手指消毒, うがいの徹底など)が予防行動として示 * 2021 年 5 月 21 日受付, 2022 年 3 月 9 日受理 ** 梅花女子大学心理こども学部(Faculty of Psychology and Child Education, Baika Women's University) された。このような時期には, マスク着用が同調行動として広がったことが示されている (Nakayachi et al., 2020)。その後は徐々に情報の確度が高まっていき, 知識の個人差も生じていったと考えられる。そうした中では自然焱害と同様に,知識を有する人ほど主体的かつ有効に予防行動を実施できるようになったであろう。 次に行動の実施には,相応のリスクとして COVID-19が認知される必要があるであろう。ただし,リスク認知とリスクの対処行動との関連は強くない (Wachinger et al., 2013; Johnston et al., 2004;柿本ら,2017; 尾崎, 中谷内,2015)。自然災害(地震)の対処行動の規定因を多面的に検討したLindell and Whitney (2000)では,対処行動との間で知識が正の相関を示した一方で,リスク認知がほぼ無相関となった。その背景として,責任感の媒介があるとみなす議論がある。Terpstra (2009)は,リスク認知が高い場合でも責任感が他者に転移されることによって対処行動が実施されない可能性を示唆した。たたし,その交互作用が統計的仮説検定によって示されたわけではない。 ## 1.2 感染の予防行動と責任感 自らが感染せず,かつ他者に感染させないようにすることは,感染の予防行動を個人の責任として自覚することといえる。そこで「もしも予防行動を実施せずに感染してしまったら」という予期に基づく責任感が,予防行動の実施に影響をおよぼすことが想定される。自然災害の対処行動において,被災に対する個人の責任の認知は対処行動を促進する (Dubal and Mulilis, 1999; Lindell and Whitney, 2000)。ただしCOVID-19においては, 個人の感染から社会全体の広範囲への多元的な悪影響の波及が想定される。つまり,一人の感染者から身近な人を介して多数に感染が広がり,ひいては地域の医療の逼迫や, 社会・経済的活動の沈滞など,社会全体の混乱と損失へとリスクが波及していく可能性がある(cf., Kasperson et al., 1988)。 そのようなリスクの波及過程に対して責任感をもちうるであろうか。 社会心理学では, 出来事の結果に対する責任感の規定因が議論されてきた。ある行動を求められる人が同時に多く存在するほど,責任が拡散され個人ごとの責任の評価は小さくなる (Williams et al., 1981)。しかし自己を集団のメンバーとしてとらえることで,集団における自己の責任はより大きく評価される (Ross and Sicoly, 1979)。責任感の対象範囲にも個人差がある。個人と個人を相互に独立した存在としてみなす人々よりも,個人を集団や他者との関係性に位置づけて把握する人々の方が, 出来事のより遠位の波及的影響にまで, 発端となる主体の責任を見出しやすい (Anagondahalli and Turner, 2012; Maddux and Yuki, 2006)。 以上の知見から, COVID-19の予防行動においては, 自己の感染のみならずその波及的影響にまで責任を感じるほど, 予防行動が促進されると考えられる。ただしリスクの対処行動の規定因として責任感の主効果, およびリスク認知との交互作用に関する知見は十分に得られておらず,その検証は重要な意義があるといえよう。 ## 1.3 本研究の目的 以上の議論から, 本研究ではCOVID-19の予防行動の規定因として, 知識, リスク認知, および感染の波及的影響に対する責任感の効果を検討する。仮説として,COVID-19に関する知識が高いほど,予防行動の実施度が高くなるであろう。また感染の波及的影響に対する責任感は,高くなるほど予防行動を促進するであろう。一方でリスク認知は対処行動との関連の低さが指摘され (e.g., Wachinger et al., 2013; Johnston et al., 2004; 柿本ら, 2017; 尾崎, 中谷内, 2015), 効果の予測は難しいため, 探索的検討とする。以上の要因の主効果に加えて,交互作用効果も同時に検討する。リスク認知と責任感の交互作用は Terpstra(2009)に基づき, 責任感が高い人はリスク認知によって対処行動が高まり,責任感が低い場合にはその効果が見られないと仮説だてされる。本研究でのその他の交互作用については, 先行研究において知見が得られておらず演繹的に予測することが難しく,探索的検討となる。また,COVID-19の感染状況には地域差が存在することから,感染の予防行動の実施やその規定因についても, その地域差を検討する。さらに,性別や年齢の影響が想定される (cf., 樋口ら,2021)ことから,本研究ではこれらを統制変数として扱う。 ## 2. 方法 ## 2.1 調査時期 2020 年 5 月 29 日から 6 月 3 日に実施された。 ## 2.2 調査対象者 インターネット調査会社NTTコムリサーチの保有モニター 217 万人から,新型コロナウィルス陽性の判定を受けていない18-79歳を調査対象者とし,Web調査を実施した。年齢層と性別でほぼ等しい割合となるように 1000 名分の回答収集を委託し,1238名から回答が得られた(Table 1)。調査内容に十分な注意を払わずに回答するSatisfice 行動(三浦,小林,2015)を検出するために,「この項目は『まったく当てはまらない』を選んでください」と指示した2項目を含めた。この指示に反した回答者はいなかった。 ## 2.3 地域 調査実施当時は全国を対象とした最初の緊急事態宣言(2020年4月16日から)が全国で解除された後であったが,先立って7都府県(東京・神奈川 $\cdot$ 埼玉 - 千葉 - 大阪 - 兵庫 - 福岡。以降,「緊急事態宣言先行地域」と記す。)に同宣言が発出され (同 4 月 7 日から), 解除時期も複数に分けられたように,地域によって感染拡大状況に差異があった。そのことを考慮して, 回収サンプル数 Table 1 Age groups and gender の目標として緊急事態宣言先行地域で 600 人, その他全国(以降,「その他地域」と記す。)で 400 人の割り当てを目標とし, その範囲内で人口統計に準じた割合となるように回答の募集をした。結果として緊急事態宣言先行地域716名, その他地域 522 名の回答数となった。 ## 2.4 調査項目 感染の予防行動:厚生労働省による「新型コロナ対策のための全国調査」(厚生労働省, 2020a) に使用された項目とその一部改変, および 2020 年 4 月末当時の厚生労働省 $\mathrm{HP}$ (厚生労働省, 2020b)を参考にした独自の計 10 項目を作成し,「最近一ヶ月を振り返って, 各項目をどの程度実行しているか」を 5 件法でたずねた(1:まったく実行していない-5:完全に実行している)。項目内容と,その記述統計を Table 2 に示す。項目別では天井効果を示す項目が見られた。ただし本研究では, 項目別の特徴ではなく総合的な実施の程度に対する諸変数の影響力に着目する。10項目を尺度化するために内的整合性としての信頼性を確認した結果, $\alpha=.91$ と十分に高い水準であった。 かつ 10 項目の平均値と標準偏差は明確な天井効果とはいえない値となり, 平均値を感染の予防行動の得点とした。 知識 : 知識の測定においては, 科学的真実を正誤判断で問う客観的知識の測定と, 自らの知識量の自己報告や自己評価を測定する主観的知識の測定の 2 種類がある(高木, 小森, 2018)。2020年 4 月当時においてCOVID-19に関して科学的真実の特定は難しかったことから,一定の信頼性がある Table 2 Descriptive statistics on measures of infection preventive behavior 注 : 厚生労働省 (2020a)から項目 $2 \cdot 3 \cdot 5$ を引用, 項目 1 ・4は一部改変, その他は厚生労働省 (2020b)の情報に基づいて独自に作成した。 Table 3 Descriptive statistics on measures of subjective knowledge & 2.60 & 0.57 \\ 注:厚生労働省 (2020c) の公開情報やニュース報道(e.g., 日本放送協会,2020)などに基づき独自に作成した。 情報として厚生労働省 $\mathrm{HP}$ (厚生労働省, 2020c) の公開情報やニュース報道 (e.g.,日本放送協会, 2020)などを参考にして,独自に14項目を作成した(Table 3)。その項目群に対して「調査時点でどの程度知っていたか」をたずねる主観的知識量を測定した。 3 件法(1:知らなかった-3:ほぼ正確に知っていた)で,14項目の得点を総和して知識得点とした。 リスク認知:調査時期に感染者数が常に報道されていたことから, 本研究では感染の主観的確率をリスク認知の指標として測定した。「あなた自身が新型コロナウィルスに感染する可能性を $0 \%$ から $100 \%$ までの間で表現するとしたら」とたずね,数値の回答を求めた。 波及的影響に対する責任感:自分自身の感染から波及していく影響の可能性として, Maddux and Yuki (2006)を参考にして「いま, 自分が新型コロナウィルス陽性であることが判明し, 入院することになった」と教示したうえで,その影響として想定されうる以下の 4 つ場面「自分から家族や親しい人に感染させる可能性がある」「過去 2 週間以内の行動範囲の中で,他の誰かに感染させた可能性がある」「入院することで,他の患者の治療を遅らせることになる」「地域(都道府県)の感染拡大の収束が遅れてしまうかもしれない」に対する責任感の程度を 5 件法(1:まったく責任は Table 4 Descriptive statistics on each indicator & その他地域 \\ 感染の予防行動 & $M$ & 4.29 & 4.16 \\ & $(S D)$ & $(0.64)$ & $(0.68)$ \\ 知識 & $M$ & 32.61 & 32.43 \\ & $(S D)$ & $(6.16)$ & $(6.13)$ \\ リスク認知 & $M$ & 32.65 & 31.15 \\ & $(S D)$ & $(23.90)$ & $(24.21)$ \\ 責任感 & $M$ & 3.42 & 3.49 \\ & $(S D)$ & $(0.94)$ & $(0.94)$ \\ 注: 得点範囲は感染の予防行動と責任感が $1-5$, 知識が 14-42, 感染の主観的確率が $0-100$ であった。 ない-5:完全に責任がある)で測定した。信頼性は $\alpha=.87$ となり, 十分に高い内的整合性が確認されたため,4項目の平均値を算出した。これを以降の分析では「責任感」の得点とする。 ## 2.5 倫理的配慮 本研究は所属機関の倫理委員会の承認を受けた (承認番号 2020-0175)。 ## 3. 結果 ## 3.1 地域による平均値の比較 感染の予防行動, 知識, リスク認知, 責任感の各指標の記述統計を Table 4 に示す。それらの指標 リスク学研究 Japanese Journal of Risk Analysis Vol. 31, No. 4 Table 5 Results of hierarchical multiple regression analysis Table 6 Effect of each variable on infection preventive behavior } & \multicolumn{2}{|c|}{ 非標準化係数 } & \multirow{2}{*}{} & \multicolumn{2}{|c|}{$\beta$ の $95 \% \mathrm{CI}$} & \multirow[b]{2}{*}{$p$} & \multirow{2}{*}{ VIF } \\ の地域差を検討する多変量分散分析を行った。その結果,地域の主効果が有意 $(F(4,1233)=4.62, p$ $<.01$ ,偏 $\eta^{2}=0.01 )$ で,感染の予防行動にのみ有意差が認められた。両地域ともに高い予防行動の実施度で,特に緊急事態宣言先行地域の方が高かった $\left(F(1,1236)=11.78, p<.001\right.$ ,偏 $\eta^{2}=0.01 ) 。$知識 $\left(F(1,1236)=0.27, n s\right.$, 偏 $\left.\eta^{2}=0.00\right)$, リスク認知 $\left(F(1,1236)=1.18, n s\right.$, 偏 $\left.\eta^{2}=0.01\right)$, 責任感 $(F(1$, 1236 $)=1.32, n s$, 偏 $\eta^{2}=0.01 )$ では有意差はなかつた。 ## 3.2 重回帰分析 データを緊急事態宣言先行地域とその他の地域とに分類し,感染の予防行動を目的変数とする重回帰分析を行った。多重共線性を避けるために,説明変数はすべて中心化された。分析において性別と年齢層を統制変数とし,それらのみを投入したStep 1, さらに説明変数として知識, リスク認知,責任感の主効果を投入したStep 2, さらに説明変数の 1 次の交互作用を投入したStep 3 という階層的重回帰分析の結果を Table 5 と Table 6 に示す。2つの地域ともに, Step 3 の適合度がもっとも高く, VIF 指標(1.01-1.12) から多重共線性の問題はないと判断された。統制変数では性別が有意で,女性の方が感染の予防行動が高かった。年齢層は非有意であった。説明変数では,まず両地域において, 知識と責任感の正の主効果が有意であった。また,知識と責任感の交互作用が有意であった。次に,リスク認知の正の主効果が緊急事態宣言先行地域においてのみ有意であった。たたし,その効果は弱いものであった。また,リスク認知と責任感の交互作用が緊急事態宣言先行地域 責任感 緊急事態宣言先行地域 -----知識-1SD ——知識+1SD 責任感 その他地域 Figure 1 Influence of knowledge and responsibility on infection preventive behavior (Error bars represent SE) でのみ有意であった。 ## 3.3 単純傾斜分析 有意となった交互作用について単純傾斜の検定を行った。まず緊急事態宣言先行地域での知識の 行った (Figure 1左)。その結果, 責任感の傾きは知識が低い場合 $(\beta=.36, p<.001)$ も, 知識が高い場合 $(\beta=.14, p<.01)$ も有意で,前者の方がより大きい傾きであった。すなわち, 知識が低い場合の方が,責任感が高いほど感染の予防行動が高かった。次にその他地域では,知識が低い場合に責任感の傾きが有意で $(\beta=.30, p<.001)$ ,責任感が高いほど感染の予防行動が高かった(Figure 1右)。一方で, 知識が高い場合は責任感の傾きが非有意であった $(\beta=.01, n s$.$) 。また, 緊急事態宣言先行地域$ 単純傾斜検定を行った(Figure 2)。その結果,責任感が低い場合にリスク認知の傾きが有意であり $(\beta$ $=.17, p<.001)$, リスク認知が高いほど感染の予防行動が高かった。一方で責任感が高い場合にはリスク認知の傾きは非有意であった $(\beta=-.03, n s$.$) 。$ ## 4. 考察 ## 4.1 得られた知見と示唆 本研究ではCOVID-19の感染予防行動の規定因として, 知識, リスク認知, および感染の波及的影響に対する責任感の効果を検討した。重回帰分析の結果, 緊急事態宣言先行地域とその他の地域の両方に共通して, 知識と責任感が高いほど感染 リスク認知 緊急事態宣言先行地域 Figure 2 The Influence of risk perception and responsibility on infection preventive behavior in preceding areas of emergency declaration (Error bars represent SE) の予防行動の実施度が高くなることが示された。 これらの主効果は仮説と一致するものであった。 また, 緊急事態宣言先行地域において責任感が低い場合にリスク認知によって予防行動が促進される効果が認められた。これは仮説に反し, 責任感が低いとリスク認知が対処行動に結びつかないという論考(Wachinger et al., 2013; Terpstra, 2009) と矛盾するかのようである。ただし本研究と Terpstra (2009)とで,まず行動の実施度と行動意図という測定概念の相違がある。意図は必ずしも行動に結びつかないことがあるため (e.g., Sheppard et al., 1988), Terpstra (2009) と本研究の直接の比較は難しい。次に, 本研究では「他者や社会におよぼ す広範な影響」の責任感を対象としたことに重要な特徴があり, 責任感の対象範囲によって行動との関連が異なる可能性がある。さらに状況の違いとして, 本研究は感染の被害が拡大している中での予防行動が対象であり,洪水の事前対策の行動意図を対象としたTerpstra (2009)よりも事態の切迫感が高かったと考えられる。以上のように,責任感とリスク認知,および対処行動との関連については概念の操作的定義,および対象のリスクを精緻に照合あるいは統制したうえで今後の知見を積み重ねていくことが必要であろう。 探索的分析のうち, まずリスク認知の主効果は, 緊急事態宣言先行地域において有意となったものの弱い効果で,その他地域では有意ではなかった。Table 4 に示された記述統計から,リスク認知は個人差が大きいものの調査時の感染率 (国内の人口 100 万人当たりの累積感染者数は 2020 年 5 月 1 日時点で 115.1 人, 2021 年 2 月 1 日時点で3099.0人)よりもおおむね高く見積もられていた。にもかかわらず,その個人差が感染の予防行動に明確な影響力を示さなかったことは, リスク認知と行動の関連の弱さを示す数々の知見 (e.g., Wachinger et al., 2013; Johnston et al., 2004; 柿本ら,2017; 尾崎, 中谷内,2015)と一致する。 次に, 知識と責任感の交互作用が両地域において有意となった。両地域ともに, 知識が少ない場合に感染の予防行動に対する責任感の正の影響が有意となり,知識が多い場合には責任感の影響が比較的弱い,または非有意となった。このような効果は, 予防行動が従来の習慣と異なる新奇性を含むことや情報が曖昧であったことから,実行のために何らかの基準を要することを示していると考えられる。知識はその有力な基準となりうるが, 知識が少ない場合は行動に対する責任感が,予防行動の促進を補強するのであろう。Nakayachi et al. (2020) によって示された同調行動としてのマスク着用も, 予防行動の基準が曖昧な状況で他者の行動が取り入れられたものとして解釈可能であり, 本研究の結果と整合的である。 最後に, 緊急事態宣言先行地域とその他地域との比較からは, 前者の方が感染の予防行動の実施度が高いことが示された。それ以外の指標では地域差が認められなかった。加えて, 既述のように緊急事態宣言先行地域でのみリスク認知が感染の予防行動を促進する効果が有意となったことと照らし合わせるとリスク認知と対処行動の結びつ きの弱さの理由を推察する一つの手がかりになる。すなわち, 緊急事態宣言先行地域とその他地域とでは緊急事態宣言の発出期間や地域内の感染者数が異なり,測定されたリスク認知には表れにくい因子として切迫感の相違があった可能性が考えられる。リスク認知が高かったとしても,それが現前にあるという切迫感が低ければ対処行動との関連は弱くなるであろう。このような切迫感の調整効果の検討は, 今後の課題の一つに挙げられる。 ## 4.2 実践における課題 COVID-19のように新奇で未知性の高いリスクに関しては, 顕現化の初期には行動の基準を形成しえないために予防行動が実施されにくい事態が想定される。そのような場合に,未知性が含まれるとしても,できる限り明確な情報を発信して知識を高めることは予防行動の促進のために重要になる。その情報発信は, 行動に対するリスク認知の影響力の弱さが先行研究と同様に本研究でも示されたことから,危険性に関するものだけでなく, 具体的な行動の基準となるものであることが重要といえよう。ただ主観的知識量と客観的知識量とで,行動に対して異なる影響や交互作用をおよぼす可能性があり (cf.,高木,小森,2018), その観点からさらに精査の余地がある。 同時に, 知識の獲得が十分でない人にとって,「他者に感染させない」という責任感に訴えることは,感染の予防行動を促進する一定の効果をもつと考えらえる。ただし,そうしたリスク・コミュニケーションは弊害を伴う可能性もある。すなわち, 出来事の責任を不当に行為者に帰属させる「過度の責任帰属」(Walster, 1966)のような認知的バイアスによって, 感染者への非難や差別が生じないように慎重に配慮されなければならない。 ## 謝辞 本研究は科学研究費補助金(代表:塩谷尚正,課題番号20K03304)の助成を受けた。また本稿の執筆にあたり辻川典文先生(神戸親和女子大学)に有益な助言をいただいた。記して心よりの謝意を表します。本研究の一部は日本社会心理学会第61回大会で発表された。 ## 参考文献 Anagondahalli, D., and Turner, M. 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risk
cc-by-4.0
Society For Risk Analysis Japan
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# 【原著論文】 ## 接触確認アプリ $(\mathrm{COCOA)$ の利用を規定する要因の検討*} ## Prescriptive Factors of COVID-19 Contact-Tracing Technology (COCOA) in Japan \author{ 高木彩**,武田美亜***,小森めぐみ**** \\ Aya TAKAGI, Mia TAKEDA and Megumi KOMORI } \begin{abstract} Digital contact tracing applications have been promoted as a tool to address the COVID-19 pandemic. The effectiveness of these applications depends on their rate of adoption. However, this appears to be low. Therefore, this study investigated the psychological factors associated with the use of a contact tracing application (COCOA) in Japan. An online survey was administered to 1000 participants living in the Tokyo metropolitan area. Respondents were classified into three groups: advocates, critics, and undecided. Our results indicated that perceptions of risk, benefit, cost, social norm and knowledge were significant prescriptive factors of COCOA usage. The results revealed that the critics group perceived low benefit and social norms appeared to hinder application adoption relative to the undecided group. \end{abstract} Key Words: COVID-19, contact tracing, technology acceptance, risk perception, knowledge ## 1. 問題 ## 1.1 背景 本論文では,新型コロナウイルス感染症 (COVID-19)対策の一環として推奨されている先端科学技術の1つである, 接触確認アプリの利用の規定因を検討する。 社会全体の感染拡大防止を目指すツールとしてわが国では,接触確認アプリCOCOA(COVID-19 Contact Confirming Application)が開発され, 2020 年6月19日に導入された。接触確認アプリが感染拡大の抑制効果を発揮するためには,多くの人々に利用される必要がある。Hinch et al. (2020)が行ったイギリスのデータに基づくシミュレーション結果によると,接触確認アプリが人口の $56 \%$以上によって使用されたとき,流行を抑制できる と報告している。しかし現状では,その効果を期待できるほどの導入は進んでいない。 接触確認アプリの開発と社会的導入には,公衆衛生学的観点だけでなく, 社会的, 法的, 倫理的問題を伴い(岸本,工藤,2020),その受容は公衆衛生と社会経済活動に寄与する一方で,プライバシーの面でリスクマネジメントをどうするかが問われる。令和 2 年版情報通信白書によると,接触追跡/暴露通知アプリに関して,「デジタル感染追跡のための個人情報に関する情報(パーソナルデータ)の収集に関して各国の姿勢は異なっており,GPS等を用いて直接的に個人の移動履歴を収集する方法と,Bluetooth等を用いて陽性者との接触を把握する方法の大きく2つに分かれている(総務省,2020,p.148)」と述べている通り,  国により接触把握方法も異なれば,個人情報取得の有無, 陽性者のデータ管理方法も異なる。 COCOAでは,個人が特定される情報は記録せず,Bluetoothにより接触の検知を行い,近接に関する情報は端末内のみで保持されるため, プライバシーに最大限に配慮した仕組み(厚生労働省,2020)としている。その一方でGPS等を用いた方法に比べて個人の行動追跡が難しいという面もある(毎日新聞,2020)。 接触確認アプリの社会的受容に関しては, 他国でもアプリの利用意図や行動を規定する要因の研究が進められているが(Walrave et al., 2021),それらの研究が指摘するように,国により利用意図や行動を規定する要因や傾向が異なる可能性があるため,わが国でも検討が求められている。 ## 1.2 本研究の目的 本研究では, $\mathrm{COCOA} の$ 利用を規定する可能性が考えられる心理的要因について先端科学技術の受容に関する先行研究 (Raue et al., 2019) を参照し検討する。 加えて, COCOAの非利用者に関しては, COCOAの利用に対する態度が未決定の場合と明確に拒否をしている場合とでは, 異なる特徴を有することも考えられ, 支持層, 未決定層, 拒否層の3 層に分けた分析も行われているため (Bonner et al., 2020; Trang et al., 2020), 合わせて検討し, 未決定層と拒否層の差異を明確化させる。 なお, $\mathrm{COCOA} の$ 利用に対して,主たる予測因として考えられるリスク認知, ベネフィット認知, $\operatorname{COCOA} の$ 性能に対する信頼感に加え, 知識要因と感情要因等の心理的要因に主眼をおいた検討を行う。知識要因は, 自己評価に基づく主観的知識と実際の知識量である客観的知識とではリスク認知や受容に対する影響が異なることや, 両者の相互作用効果も指摘されているため(高木,小森,2018),それらを踏まえ検討する。COCOAは COVID-19の感染拡大抑制などを目指して導入されたツールであるため, その起点となっている COVID-19への知識や感情要因も考慮する。 その中でも特に, COCOAの利用において感情的な要因がどの程度影響を及ぼしているのかを検討する。これまでリスク認知やリスクの判断に対する感情要因の影響を扱った研究は, ポジティブノネガティブの感情価の次元に焦点を当てたものと, 怒りや悲しみといった個別感情の効果に焦点 を当てた研究(Lerner and Keltner, 2001)の流れとに分けて考えることができる(Tompkins et al., 2018)。 しかし, 自動運転の研究においても, 旧来の自動車を運転時に抱く感情が自動運転の受容の判断に影響を及ぼすこと,また同じポジティブ感情においても,その種類によって自動運転に対する認知に異なる関連が認められており (Raue et al., 2019), COCOAにおいても個別感情に基づいた検討は, さらなる感情要因の影響の詳細を解明する上で寄与するものと考える。また, $\operatorname{COCOA} のよ ~$ うな新しく社会に導入される先端科学技術の場合, 評価対象が直接喚起させる関連感情よりも,日頃の感情経験に関する個人差に基づき新しい技術を評価することもありうるだろう。具体的には, COCOAに対してネガティブな感情や嫌悪感, 穢孔忌避, 畏怖の感情を持つ人や, 日ごろからこうした感情を抱きやすい人は, アプリの利用を控えるかもしれない。 そこで本研究では,接触確認アプリが導入された社会に対する嫌悪感情と穢れ忌避感情, 畏怖やこれらの感情の日常的な喚起しやすさに関わる要因を取り上げて探索的に検討した。 以上の検討に際し, COCOAの社会規範認知, コストの認知, COCOAに関して所管である厚生労働省への信頼感を合わせて検討するとともに,性別と学歴の変数(cf. Chauvin, 2018)を統制変数として加えた分析結果を以下では報告する。 ## 2. 方法 ## 2.1 調査対象者と調査時期 東京都, 埼玉県, 千葉県, 神奈川県の一都三県の 20 代から 60 代までの成人男女 1000 名(男女各 500 名, $M=44.81, S D=14.03$, 性別と年齢による均等割り付けし, 職種が「電力会社・電力関連会社」「情報 ・通信」「官公庁 - 団体」「新聞 - 雑誌など」「市場調査」に該当する者は調査対象から除外)に回答を求めた。調査対象者が株式会社クロス・マーケティングが有する回答者パネルから協力を募り,2020年11月20,21日に回答を求めた。 ## 2.2 調査項目 調査では, 冒頭でデモグラフィック変数に回答を求めた後,COVID-19に関する調查項目, COCOAに関する調査項目, 感情経験の個人差要因の順に回答を求めた(Table 1a, Table 1b)。 Table 1b Descriptive statistics and reliability values for the scales regarding COCOA & $1=$ 全く感じない $5=$ 非常に感じる & & & \\ (1)COCOAに関する主な項目は, COCOAの利用状況 (1 項目), 主観的知識 (4 項目), 客観的知識 (4 項目),リスク認知項目 (1 項目),コスト認知(2 項目),ベネフィット認知 (2 項目),COCOAの性能に対する信頼感(1項目),COCOAに対する感情 (6項目), 社会規範認知 (2 項目),厚労省に対する信頼感(2項目)であった。 (2)COVID-19に関する調查項目としては,小森ら (2020)の主観的知識 (4 項目 5 件法),感染予防行動 (14 項目 6件法),リスク認知(5 項目7件法), COVID-19に関する感情(5 項目 7件法)と,客観的知識(問7~問 10 を除外した 10 項目 3 件法)を用いた。 (3)感情経験の個人差要因に関しては, 畏怖尺度 (6項目:Shiota et al., (2006) と武藤(2016)を元にした項目)で測定した。調査への回答協力者の回答負担に配慮し, 嫌悪感情については日本語版嫌悪尺度(岩佐ら,2018)内の中核的嫌悪に関する 8 項目を使用した。穢れ忌避については, 穢れ忌避尺度(北村 - 松尾,2019)内の「清浄志向」と 「信仰尊重」の15項目を用いた。 なお, 性別や学歴といったデモグラフィック変数以外にも, COCOAに関する項目が含まれていたが,分析で扱わないため説明を割愛する。 ## 3. 結果 ## 3.1 分析対象者 COVID-19関連の項目において次の3つの条件のいずれかに該当する者を除外した913名を対象とした。除外条件の詳細は次の通りである。(1) COVID-19主観的知識の尺度項目において反転項目があるのに全て同じ値(3は除く)であった回 Predictors of COCOA Usage Note) Gender was coded $0=$ male, $1=$ female. Education was coded $0=$ high school and below. $1=$ college and above ${ }^{* * *} p<.001,{ }^{* *} p<.01,{ }^{*} p<.05,{ }^{\dagger} p<.10$ 答者 $n=22$, (2) COVID-19 の客観的知識において全項目に同じ値の回答者 $n=60$ 。ただし, COVID-19 の主観的知識の全項目で「全くわからない」(項目1〜3は1,項目4は5)とし,COVID-19の客観的知識の全項目にも「3.わからない」とした回答者2名は除外対象としなかった。(3) COVID-19感染予防行動で全項目同じ値の回答者 $n=13$ 。 ## $3.2 \mathrm{COCOA$ 利用状況} 調査時にCOCOAをインストール済みの回答者は全体の26.2\%であった。最も多かったのは COCOAをインストールするかどうかを未定とする回答者であり,28.7\%を占めていた。それに対し, 明確にCOCOAのインストールを拒否している回答者は $20.9 \%$ であった。また, COCOA 自体を知らない回答者は65名で,7.1\% と全体を占める割合は少ないものの, $\mathrm{COCOA} の$ 存在自体を知らない人もいることが確認されたため,以降の分析対象からは除外した。 ## $3.3 \operatorname{COCOA$ の利用を規定する要因} COCOA の利用を規定する要因を検討するため Table 3 Multinomial Logistic Regression Note) Reference group of gender is "male". Reference group of education is "high school and below". Reference category is undecided. ${ }^{* * *} p<.001,{ }^{* *} p<.01,{ }^{*} p<.05,{ }^{\dagger} p<.10$ に, 現在の $\mathrm{COCOA}$ 利用有無 (利用者 $=1$, 非利用者=0)を目的変数としたロジスティック回帰分析を実施した(Table 2)。Raue et al. (2019)にならい,利用の有無は,主にCOCOAに対するリスク認知とべネフィット認知,信頼感により規定される部分が大きいと想定しまず投入した。次いで, COVID-19 に関する変数, COCOA に関する変数 (知識要因, 感情要因, コスト認知, 社会規簲認知, 厚労省への信頼感), 最後にデモグラフィック変数として年齢と学歴を投入した。知識要因については交互作用項を含めたため,全ての説明変数は中心化したものを使用した。 この分析に先立ち, COCOAに対する感情の 6 項目について探索的因子分析(最尤法,プロマックス回転) を行った。因子数は固有値の減衰パターン $(3.045,1.544,0.509, \cdots)$ 及び因子の解釈の可能性を考慮して2 因子とした。第 1 因子に負荷が高かった項目(とその因子負荷量)は,「ネガ ジティブな感じ(.674)」であったため,「ネガティブ感情」と命名し,「ポジティブな感じ」の逆転 処理後に 3 項目平均を算出し投入した $(\alpha=.81)$ 。第2因子は,「ばちがあたりそうな感じ(892)」「社会がけがされるような感じ(.723)」「すぐれた芸術を見たときのような圧倒された感じ(.710)」であったため「敬遠感情」と命名し, 3 項目平均を投入した $(\alpha=.79)$ 。両者の相関は $(r=.34, p<.001)$ であった。 ロジスティック回帰分析の結果, COCOAのリスク認知の負の効果 $(b=-.46, S E=.13, p<.001)$, べネフィット認知の正の効果 $(b=.56, S E=.19, p<.01)$ が有意であった。それらは予測と一致していたが, COCOAの性能に対する信頼感については負の効果が有意傾向で確認され ( $b=-.30, S E=.16, p$ <.10), 予測に反するものであった。その他の変数で有意であったのは, COVID-19の主観的知識 $(b$ $=-.55, S E=.16, p<.001), \mathrm{COCOA}$ のコスト認知 $(b$ $=-.33, S E=.13, p<.05), \mathrm{COCOA} の$ 主観的知識 $(b$ $=.95, S E=.16, p<.001), \mathrm{COCOA}$ の客観的知識 $(b$ $=.52, S E=.11, p<.001)$, 厚労省への信頼感 $(b=$ $-.16, S E=.08, p<.05)$ と, COCOAへの社会規範認知 $(b=1.04, S E=.15, p<.001)$ であった。COVID-19 の主観的知識の水準, $\mathrm{COCOA}$ のコスト認知, 厚労省への信頼感が低く, COCOAの主観的知識と客観的知識, $\mathrm{COCOA}$ の利用を支持する社会規範認知が高いほど, $\mathrm{COCOA}$ の利用者である割合が高いという関連が確認された。また, デモグラフィック変数については, 学歴のみ有意であり ( $b$ $=.57, S E=0.22, p<.01)$, 大学卒業以上である場合に,利用者である割合が高かった。 ## $3.4 \mathrm{COCOA$ 利用の支持層, 未決定層, 拒否層 を規定する要因} 次に, 非利用者のうち, COCOAの利用について態度を現時点で定めていない未決定層と, 拒否層とでは, 心理的傾向に差異があるのかを検討するために, $\mathrm{COCOA} の$ 利用状況への回答に基づき,支持層(回答選択肢 1 あるいは 2 の選択者の計 $n=267$ )と未決定層(回答選択肢 60選択者 $n=262$ )と拒否層(回答選択肢3あるいは4への選択者の計 $n=222$ ) の3グループに分けた。 まず,支持層を参照カテゴリーとした多項ロジスティック回帰分析を行った結果, 多項ロジスティック回帰分析においても, 未決定層と拒否層の両方に共通して有意であったのは, 主要変数ではCOCOAのリスク認知であった (未決定層 $b=.38$, $S E=.15, p<.05$; 拒否層 $b=.44, S E=.15, p<.01)$ 。そ の他に COCOA の主観的知識 (未決定層 $b=-97$, $S E=.17, p<.001$ ;拒否層 $b=-.51, S E=.17, p<.01)$ と客観的知識(未決定層 $b=-.65, S E=.12, p$ $<.001$; 拒否層 $b=-.42, S E=.12, p<.001)$, 社会規範認知(未決定層 $b=-.98, S E=.18, p<.001$; 拒否層 $b=-1.35, S E=.19, p<.001$ ), コスト認知 (未決定層 $b=.28, S E=.15, p<.10$ :拒否層 $b=.38, S E=.15$, $p<.05 )$ の効果が改めて確認された。 次に, 未決定層と拒否層のどちらか一方のみに確認された結果は以下の通りであった。まず未決定層に関しては, 支持層に比べ厚労省への信頼感が高く $(b=.20, S E=.09, p<.05)$, 欌れ忌避得点が高く( $b=.29, S E=.15, p<.05)$, 大卒未満が多く( $b=$ $-.83, S E=.24, p<.001)$, COVID-19 の) 主観的知識 ( $b$ $=.35, S E=.17, p<.05), \mathrm{COCOA}$ に対する敬遠感情 $(b=.30, S E=.16, p<.10)$ が高かった。 拒否層に関しては, 支持層よりもべネフィット認知が低 $<(b=-.75, S E=.22, p<.001)$, COVID-19 に関する感情は否定的であった $(b=-.22, S E=.11$, $p<.10$ )。 さらに, 未決定層を参照カテゴリーとした多項ロジスティック回帰分析を行って未決定層と拒否層の差異を直接比較した。拒否層は未決定層よりベネフィット認知が低 $(b=-.51, S E=.18, p<.01)$, $\mathrm{COCOA}$ の主観的知識 $(b=-.46, S E=.15, p<.01)$ と客観的知識が高く $(b=.23, S E=.10, p<.05)$, 社会規範認知が低 $<(~ b=-.37, S E=.15, p<.05)$, 大卒以上 $(b=.46, S E=.21, p<.05)$ が多かった(Table 3)。 ## 4. 考察 本研究では, $\mathrm{COCOA} の$ 利用を規定する要因について検討し,さらに非利用者のうち未決定層と拒否層の差異を明確化した。以下では, 利用/非利用を規定する要因と未決定層と拒否層の特徴を整理し, 最後に実践的示唆と今後の課題を報告する。 ## 4.1 $\operatorname{COCOA$ 利用を規定する要因} COCOA の利用に対して主要変数とした $\mathrm{COCOA}$ リスク認知, ベネフィット認知, 性能への信頼感の 3 要因の中で有意な規定因となっていたのはべネフィット認知とリスク認知であり,性能への信頼感は有意傾向であった。先行研究 (Walrave et al., 2021)においてもアプリの利用意図を最も予測していた要因はパフォーマンスへの期待であり, この要因は本研究のベネフィット認知 に相当するため, 本研究でも先行研究と同様の傾向が確認されたと言えよう。また, プライバシー の侵害という面でのリスク認知も,予測通り利用を抑制する要因としての関与が磪認される結果となった。 これらの主要変数の他に $\mathrm{COCOA}$ 利用との関連が確認されたのは, 知識要因, 社会的規範認知, 厚労省への信頼感, コスト認知であった。 まず知識要因に関しては,COVID-19の主観的知識, $\mathrm{COCOA}$ の主観的知識と客観的知識の効果が確認された。COVID-19に関する知識が少ないほど,そしてCOCOAについては知識が多いほど利用に結びついていたことが示された。COCOA の知識水準に関しては, 客観的知識の正答数の平均值は低く,主観的にもそれを反映する形で平均值も低めになったと考えられる。したがって, COCOAの利用促進にあたっては, COCOAがどのようなツールであるのかを情報提供し,べネフィット認知を高め,プライバシーの侵害に対する懸念に対しても,ツールがどのようにプライバシーの保護に努めているのか,市民に向けてより積極的に情報提供が必要であることを示唆してい ため,その情報提供においては, COCOAのインストールや利用に伴うコスト(通信量や負荷の増大)に関しても可能な限り説明することにより,誤った知識に基づくコストの過大評価を回避するような配慮が求められるだう。 社会規範認知については, 先行研究 (Walrave et al., 2021) と整合的な傾向にあり, 支持層が最も COCOA の利用を奨励する社会規範を認知し $(M=$ 3.18), 次いで未決定層 $(M=2.55)$, 拒否層 $(M=2.28)$ の順に認知していた $(F(2,748)=91.32, p<.001)$ 。また, $\mathrm{COCOA}$ 利用には学歷の効果も有意であり,大卒以上の人がより利用している傾向にあり,それも先行研究と整合的であった。 なお, 厚労省への信頼感に関しては予測と異なり利用の有無に対して負の効果が確認された。これについては本研究のデータのみから明確な答えを出すことが困難であるが,利用を規定する主要変数(リスク認知,ベネフィット認知,性能への信頼感)との相関分析では予測通りに厚労省への信頼感が高いほど, リスクを低く $(r=-18$, $p<.001)$, ベネフィット $(r=.29, p<.001)$ と性能への信頼感 $(r=.39, p<.001)$ は高く評価する関連が認められた。そのため,主要変数を介して利用を促進 する効果を除外した直接効果として負の効果が認められた可能性があると思われる。また, 本研究で測定した厚労省への信頼感は, COVID-19への対応におけるものであったため, COCOAのみにおける信頼感を測定していない。したがって, 本研究における厚労省への信頼感は, COCOA 以外も含めた厚労省の実施するCOVID-19対策全般を考慮し, 信頼感が評価されたものと考えられる。 そのため, 厚労省に対する不信感があり社会レべルの感染拡大の抑制効果が望めないと考えることにより, 個人レベルでの感染対策の必要性を感じ, $\mathrm{COCOA} の$ 受容に至っているということもありえるだろう。 ## $4.2 \mathrm{COCOA$ 利用に対する支持層,未決定層,拒否層間の比較} 非利用者を未決定層と拒否層に分けた分析結果からは,各層に異なる特徴が確認されたため,以下で整理し考察する。 まず,拒否層に打いて最も特徴的であったのは, べネフィット認知と社会規範認知が支持層と未決定層よりも低かったことである。拒否層の COCOA に関する知識水準は主観的知識と客観的知識いずれも 3 層の中では中間に位置しており,学歷も支持層との比較では有意な関連は確認されていなかったことを考えると, 支持層よりも肯定的評価に結びつく知識の欠如, あるいは支持層とは異なる否定的情報の知識がベネフィットが低いという認知を導くとともに,周囲の人々も $\mathrm{COCOA}$ 利用率が低いという認知によって $\mathrm{COCOA}$ の利用拒否を示すに至っているのかもしれない。 次に, 未決定層の特徴としては, COCOAに対する知識水準が主観的知識と客観的知識の两方において低かったことと, 学歴 (大卒未満) が挙げられる。COCOAに対する知識量が少なかったために, COVID-19 関する主観的知識や, COCOAに対する敬遠感情の効果が有意傾向であったり, 日頃の穢れ忌避感情の経験に関する個人差要因が支持層との比較において有意に関連することとなったものと考えられる。そのため, COCOAを利用するか否かに関して未決定の人々においては,単純にポジティブとネガティブだけでとらえきれない個別感情(敬遠感情)の関与があり, それらによって $\mathrm{COCOA} の$ 利用への態度を定めることなく, 非利用に至っている可能性があ るかもしれない。 ただし,これらの知見は相関的データに基づく ため, COCOAの利用と有意な関連が確認された変数間の因果関係の解釈は慎重を期すべきである。例えば社会規範認知に関しては, フォルスコンセンサス効果のように, 社会規範認知が原因側ではなく帰結側の変数であることも十分にありえる。 また, 本研究では穢れ忌避の効果が未決定層で確認されたが, この結果の解釈では, 調査項目数の制約から,嫌悪感情や穢れ忌避について尺度内の特定因子の項目のみを採用している点に留意が必要である。以上を踏まえつつ, 本研究の知見からどのような実践的示唆を得ることができるのかを次節でまとめる。 ## 4.3 実践的示唆 COCOAの利用を促進するためのコミュニケー ションを考える際には,以下のことが考えられる。 まず, $\mathrm{COCOA} の$ 主観的知識と客観的知識の水準を高めることと, 社会規範要因からのアプロー チを主軸に,性能への信頼感を高め, プライバシーの侵害に対する懸念を抑制するように働きかけることの有効性である。 $\mathrm{COCOA} の$ 正しい知識を周知し人々のべネフィット認知を高めることにより,利用の促進が期待される。それによって $\mathrm{COCOA}$ の知識の少なさが, COCOAに対するリスク認知や(特に未決定層において)敬遠感情に結びつかないよう努めたほうがよいたろう。また,信頼感も考慮が必要であるが, 厚労省やCOCOAの信頼感は Androidで数か月機能していなかった問題等から,本研究の調査時より低下している可能性は否めない。べネフィット認知や社会規範認知の効果に比べるとその規定力については弱いことが想定されるが,それでもやはり信頼感を高めるように努める必要があるたろう。COCOAのリスク認知に関しては,コスト認知とも有意な正の関連があるため,コスト負担に関する情報提供からもリスクとコスト認知の低減を試みることは一考の余地がある。 以上のような取り組みや検討を通じて,先端科学技術への誤解に基づく不必要な摩擦や拒絶, 決定の留保が減ることにより, 危機対処に資する先端科学技術の受容が円滑に進むことが望まれる。 ## 謝辞 本研究は, JSPS 科研費 JP18K13274, JP21K02967 の助成を受けたものです。 また,接触確認アプリの技術性能の説明に関してご助言を頂いた今野将先生(千葉工業大学)に記して感謝いたします。 ## 参考文献 Bonner, M., Naous, D., Legner, C., and Wagner, J. 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Society For Risk Analysis Japan
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# リスク学研究 31(2): 133-137 (2021) Japanese Journal of Risk Analysis doi: 10.11447/jjra.SRA-0378 【資料論文】 # 養鵎飼料への野鳥混入事例と対策のポイント* The Cases of Chicken Feed Contaminated with Carcasses of Wild Birds and the Points of Countermeasures 川崎 武志** Takeshi KAWASAKI \begin{abstract} From December 2018 to December 2019, body fragments of wild birds were found in the feed tank of three poultry farms in Japan. Morphological examination and Polymerase chain reaction analysis revealed that all three cases of the wild bird's body fragments discovered in feeds were rock pigeons (Columba livia). This report indicates that the risk of wild birds entering the feed before arriving the poultry farm. Countermeasures for contact between chickens and pathogen vectors must be ensured in poultry farms and all supply processes for all materials used in poultry farms. \end{abstract} Key Words: poultry, feed contamination, rock pigeon, wild birds ## 1. はじめに 養鵎場における高病原性鳥インフルエンザ (HPAI) などの感染症の発生や鶏卵・鶏肉の食中毒起因微生物による污染を予防するためには,これらの病原体や食中毒起因微生物が養鶏場に侵入する危険因子を明らかにし,予防策を確実に講じる必要がある。しかし, 人は病原体や食中毒起因微生物を肉眼で直接見ることができないため, それらがいつどのように鶏群に侵入したかをその場で知ることは不可能である。 一部の陸生野鳥は, HPAIウイルスに感染する可能性があり, それらの捕食者が自然環境における HPAIウイルスの効率的な中間媒介者でもある可能性が示唆されている(Fujimoto et al., 2015)。 また, げっ歯類はほとんどの養鶏場とその周辺に豊富に生息しているだけでなく, 水鳥と生息地を共有していると考えられており,鳥類の病原体を養鶏場の鶏に感染させる可能性がある(Verkers et al., 2017)。日本では,鶏舎への野鳥やげっ歯類の侵入防止対策や農場周辺の内水域に生息する水鳥のアクセス制御がHPAI発生対策として強調されている(Shimizu et al., 2018)。また, 養鶏用飼料は, バラ積みしたり, 破れやすい紙袋を床や地面に平積みして保管したりすると,げっ歯類や鳥の糞の影響を受けやすく, 家畜の病原体伝播の重要な潜在的経路になる可能性がある (Daniels et al., 2003)。野鳥やげっ歯類をはじめとする野生生物の鶏舎への侵入リスクと病原体が鶏舎内に侵入するリスクとの関連性についてはこれまで繰り返し言及されてきている。しかし, 野生動物が飼料タンクや飼料輸送ラインの養鶏飼料に侵入するリスクについての議論はほとんどない。筆者は,わが国においても家畜や家禽の配合飼料から野鳥やその体の一部が発見される事例が散見されることを以前から認識していたが,混入物の回収に至ることがほとんどなく, また, 回収できても具体的な発見場所 * 2021 年 6 月 1 日受付, 2021 年 9 月 7 日受理, 2021 年 11 月 5 日 J-STAGE早期公開 ** 人と鳥の健康研究所 (Research Office Concerning The Health of Humans and Birds) や発見状況を確認できず,これまで混入の背景について調查することができなかった。 数年前から折をみて国内養鵎場に対して飼料混入異物を発見した際に連絡するよう依頼していたところ,2018年12月から2019年12月にかけて,国内養鵎場の飼料タンク内で野鳥の死骸断片が発見された。これらの死骹断片は,発見された状態を保持したまま直ちに回収・凍結され,当研究室に届けられた。 本報告では,これらの野鳥の死骸断片から形態学的観察とポリメラーゼ連鎖反応 (PCR) による特異的遺伝子マーカーの検出によって鳥種を特定し, 飼料に野鳥が混入する背景要因と有効な対策について検討した。 ## 2. 事例 事例 $1 : 2018$ 年 12 月,飼料タンクを清掃しているときに見つかった鳥の死骸(Figure 1A)。頭,胴体,両側の翼,羽が発見・回収されたが,後肢は発見されなかった。回収された死骸片は,全体が飼料で覆われ, ミイラ化し, 半生状態に乾固収縮していた。頭の直径は約 $3 \mathrm{~cm}$, 嘴の長さは約 $1.5 \mathrm{~cm}$ 。上嘴の遠位端の半分が削ぎ落されていたが,下嘴は大部分が残っていた。前胸部を覆う羽は,灰黒色で後胸部から尾側の羽の大部分は脱落。舌は淡い桃色。正羽の羽弁は,外側が灰黑色, 内側が薄灰色から灰白色, 羽軸は灰白色, 軸長は約 $12 \mathrm{~cm}$ 。外観からは,鳥の種類を特定することができなかった。 事例 $2 : 2019$ 年 8 月,飼料タンク内で発見された鳥の死骸(Figure 1B)。頭䫀部打よび右翼欠失。 Figure 1 Three carcasses of wild birds found in feed tanks体長約 $10 \mathrm{~cm}$ 。全身の羽や皮䖉は飼料にまみれた状態。後肢は橙赤色。正羽は, 羽軸長約 $12 \mathrm{~cm}$,外側は茶灰色, 内側上端は灰色, 羽軸縁は灰白色。腹部は柔らかく, 開腹すると, 臟器は腐敗していたが,原形は保たれていた。筋胃内容物は主にとうも万こし,小石,プラスチック片であった。後肢の形状と色合い,体幹の大きさ,正羽の特徴から死骸はカワラバト (Columba livia) と推定された。 事例 $3 : 2019$ 年 12 月, いくつもの断片に破砕された鳥の死骸が養鵎場の給飰タンク内の飼料上面に散らばっている状態で発見された(Figure 1C)。死骸の断片のうち,頭部と体幹の一部の外形がよく保存されており,外観の特徴からカワラバトと推定された(Figure 1D)。 事例 1 では, 死骸が混入した飼料はほとんどが飼育されていた䳕に給与されていた。事例 2 と事例3では,死骸発見後,直ちに給飰が中止され,死骸が混入した飼料はすべて廃棄され,飼料タンク内の清掃と消毒が実施された。当該飼料が与えられたこれらの鶏群では,飼育期間を通じて特異な健康異常を認めることはなかった。 ## 3. PCRによる鳥種の確認 鳥種をPCRによって確認するために, Insta GeneMatrix(Bio-Rad,USA)を用いてそれぞれの死骸の組織片からDNAを抽出した。また, 研究室に保存されていたハシブトガラスとハシボソガラスの凍結組織片からも同じ方法によってDNA を抽出し, 陰性対照とした。今回 3 事例に共通した羽毛の外形的な特徴から,いずれもカワラバトである可能性が疑われたため, カワラバトの遺伝子マーカーとして作製した 2 種類のプライマーペアを用いてPCRを実施した(Table 1)。 CLCYTB-FとCLCYTB-Rのペアは, Dybus and Knapik(2005)によって報告されたものを用いた。 また, C.livia_cytb_1FとC.livia_cytb_1Rのペアは,今回の調査のために, Columba livia Cytochrome b 遺伝子(GenBank KC675 195.1)をべースにPrimer3 を使用して新たにデザインした。 PCR反応は, KAPA Taq EXtra PCR Kit(KAPA biosystems, USA)を使用して $94^{\circ} \mathrm{C} 2$ 分 (初期変性), $94^{\circ} \mathrm{C} 30$ 秒(変性), $55^{\circ} \mathrm{C} 30$ 秒(アニーリング), $72^{\circ} \mathrm{C} 60$ 秒 (伸長), 35 サイクル, $72^{\circ} \mathrm{C} 2$ 分 (最終伸長)の条件で実施した。増幅産物は,TAEバッファーをべースにした Midori Green Advance(日本 Table 1 The size of the rock pigeon-specific DNA amplification product amplified by each primer pair \\ CLCYTB-R & $5^{\prime}$-GAGGACAAGGAGGATGGTGA-3' & \\ C.livia_cytb_1R & $5^{\prime}$-GGGTCATTAGGGGGAGGAGT-3' & $560 \mathrm{bp}$ \\ Figure 2 Results of PCR using two primer pairs. Numbers 1, 2, and 3 in the figure are DNA samples from Cases 1,2, and 3 , respectively. $\mathrm{F}$ is a DNA sample from feathers (not shown in the present study) found on the poultry house feeding line. CC; DNA sample from a carrion Crow (Corvus corone), CM; DNA sample from a jungle Crow (Corvus macrorhynchos), M; molecular marker ジェネティクス,東京)混合 $2 \%$ アガロースゲルで泳動し, LEDトランスイルミネーター (LEDBSBOXH, オプトコード,東京)を使用して視覚化した。 PCRの結果, 3 例ともに 2 種類のプライマーペアの特異遺伝子領域に相当するサイズの増幅産物が得られたことから,3例の死骸はいずれもカワラバトであることが確認された(Figure 2)。 ## 4. カワラバトの死骸は養鶏場で侵入した ものではない HPAIウイルス感染実験に関してこれまでの報告では,カワラバトはウイルスの影響を受けにくく, HPAIウイルスに感染したカワラバトは他の鳥への接触感染のリスクが少ないことが示唆されている(Boon et al., 2007; Śmietanka et al., 2011; Panigrahy et al., 1996)。しかし, いくつかの野外調査では,HPAIウイルスがカワラバトから低率で分離されていることも事実である(Ellis et al., 2004; Kou et al., 2009; Yu et al., 2007)。カワラバトがHPAIウイルスに感染したときに軽症または無症状であるという事実は,カワラバトがウイルス を保有したまま自由に活動できることを意味する。また,アジア圈で分離された H5N1 ウイルスをハトに実験感染させた研究では,一過性の感染が起こることが確認されており,他の動物への感染源になる可能性が示唆されている(Jia et al. 2008)。すなわち HPAIウイルスに感染した軽症あるいは無症状のカワラバトが自由に飛び回り,誤って飼料輸送ラインや飼料タンクに落ちたときには,鶏がHPAIウイルスに感染したカワラバトの死骸を直接摂取する機会になるということでもある。 カワラバトについては,HPAI以外にも鶏の飼育衛生上無視できない病原微生物との関係性をいくつか挙げることができる。例えば,カワラバトに病原性を示す Paramyxovirus 1(ニューカッスル病ウイルス)は,鶏に感染を繰り返すことで鶏に病気を引き起こす可能性が指摘されている (Kommers et al., 2001; Shirai et al., 1988)。また, カワラバトにおいては Salmonella属菌, 大腸菌、 Mycobacterium 属菌の感染や保菌がしばしばみられること (Helm et al., 2004; Karim et al., 2020; Klumpp and Wagner, 1986; Pasmans et al., 2003; Tanaka et al., 2005)などからカワラバトが鶏に給与される飼料に混入することは,鶏に対する直接的な健康障害リスクだけでなく人獣共通感染症リスクや食品衛生リスクとも関係する。 今回 3 事例のカワラバトの死骸は,いずれも体が断片化した状態で養鶏場の飼料タンク内の飼料に分散していた。養鵎場の飼料タンク内は平滑単純な中空構造であるので,当該カワラバトが生きた状態で迷入したのであれば,飼料に埋没することはあっても死骸は破砕されることなく丸ごと発見されるはずである。しかし,発見された 3 事例の死骸は,いずれも養鶏場の飼料タンク内において発見された時点で複数の体部位に破砕・断片化し,一部は培失していた。したがって,カワラバ卜は養鶏場で飼料タンクに侵入したのではなく,飼料の荷下ろしに際して飼料運搬車 (バルク車) の飼料タンク内側底面から飼料搬送投入用アームに至る搬送ラインに装備されているスクリューコンベアに巻き込まれ,体が破砕された後,養鶏場の飼料タンクに入ったことが明白であった。また, 事例 2 と事例 3 では混入してからの経過時間が数日以内であることも死骸の死後変化の状態から明らかであった。さらに,事例3では,死骸が飼料タンク内飼料の上面に散らばっていたことか ら, 飼料運搬車の飼料タンク内でも飼料上面にあったことと,荷下ろしの最後までスクリューコンベアに巻き込まれていないことから,飼料運搬車の飼料タンク内では生きていた可能性もあると考えられる。これらのことから, カワラバトは飼料の積み达み前あるいは積み达み時に飼料運搬車の飼料タンク内に入ったものと推定された。 今回例示した飼料混入野鳥は, 養鵎場の飼料夕ンク内において体の外形がある程度保たれた状態で発見・回収されたことから鳥種の特定およびその侵入経路の推定に至ったものである。今回の事例以外にも鶏以外の鳥類の羽毛や細片が鷄舎内の給餌器などから発見されることはしばしば経験されている。一般的にバラ積みで養鵎場に納入される飼料は, 鶏舎内の給餌器に至る給餌搬送ラインが接続されている飼料タンクにバラのまま投入される。この給䬽搬送ラインは, 長く強力なスパイラルコンベアで構成されており,養舀場の飼料夕ンクから鶏舎の給餌器に到達するまでには, 長いスパイラルコンベアで搬送される。よって, 飼料運搬車のスクリューコンベアで破砕された飼料混入野鳥の死骸は, これによりさらに細かく破砕されてしまうため, 最終的に発見されない大きさに細片化されて飼料に練り达まれてしまう場合も少なくないと考えられる。 ## 5. 混入リスク対策のポイント バラ積み配送される飼料は, 飼料工場のタンクから伸びた吐出口から飼料運搬車の飼料タンク上面に開放した投入口を介して積み达まれる (Figure 3A)。また, 養鶢場では, 飼料運搬車から伸ばされた飼料搬送用アームから鶢舍につながる飼料タンクの頂部に開口した投入口を介して荷下万しされる(Figure 3B)。こうした開放式での飼料の取り扱いは, 積み下ろし場所やその周囲に飼料や飼料の粉を飛散させる要因となる。飛散した飼料は穀物食性あるいは雑食性の野鳥を引き寄せる Figure 3 Bulk feed loading at feed factories (A) and unloading at farms (B)誘因となり,飼料タンク内などへの野鳥の迷入リスクをもたらす。 飼料への野鳥混入事故を確実に防止することは, HPAIウイルスなどの鶏の病原体だけでなく,鶏を介して人や動物の健康への危害をもたらす有害性微生物が鵎舎へ侵入するリスクの対策として無視することができない重要な視点である。積み下ろしの際に飼料に野鳥が混入することを防止するうえで最も有効な対策は, 飼料タンクの吐出口, 移送管口, 開口部を相互に連結できる仕様にすることである。また, 現状の設備仕様で当面確実性の高い措置を実行していかなければならないとすれば, 少なくとも飼料工場の飼料積み込み場所を二重扉などで閉鎖して野鳥の侵入を完全に防止し, 養鷄場におおいも, 飼料タンクの蓋を開放したまま長時間放置したり,こぼれた飼料を放置したりしないように作業マニュアルで徹底することが極めて重要である。 ## 謝辞 本研究は, 生産の安定と品質の維持向上のための労を惜しまない養鵎場従事者と生産現場に対して日々鋭い視点で衛生指導を続ける獣医師の方々のご協力によって実施することができました。ご協力いただいた皆様に心からお礼を申し上げます。 ## 参考文献 Boon, A. 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# On Equilibrium Analysis in Common-Pool Resource Game with Population Uncertainty 宮下 春樹** ## Haruki MIYASHITA \begin{abstract} In this study, we examine the effects of population uncertainty on the equilibrium in common-pool resource game. We create a hypothetical strategic environment where each player was randomly drawn from a pool of potential players. It shows that the equilibrium investment is higher when the number of opponents is a common knowledge than when the number of opponents is uncertain. Moreover, population uncertainty in common-pool resource game might prevent the tragedy of the commons. \end{abstract} Key Words: common-pool resource game, population uncertainty, the tragedy of the commons ## 1.はじめに 森林や水産資源のように社会の構成員によって共同で所有され,利用される資源がある。それらの資源は,共同利用資源 (common-pool resources) と呼ばれている。各個人が共同利用資源を過剩に利用することにより, 社会的な損失が生じることは, 共有地の悲劇(the tragedy of the commons) として知られている (Hardin, 1968)。共有地の悲劇に焦点を当てたゲーム理論の研究は数多く行われている。例えば,Ostrom et al. (1994)は,共同利用資源ゲーム (common-pool resources game)を定式化し,そこでのナッシュ均衡を導出している。各プレイヤーは,資源を獲得するための投資額を選択し, その投資額に依存して各自の資源の利用量が定まるとしてモデル化している。ナッシュ均衡の下でのプレイヤーの均衡総投資額は,パレート最適な水準を上回ることが示されている。 Ostrom et al. (1994) は, プレイヤーの人数がプレイヤー間の共有知識であると想定して分析している。つまり, 所与のプレイヤー人数のもとで各 プレイヤーが合理的に投資額を選択した結果,共有地の悲劇が起きると言える。しかし,ゴールドラッシュ時代のカルフォルニア州において金を採掘する個人の人数が急増したように共同利用資源を利用する個人の人数が不確実な状況もあるだろう。このような不確実な状況の下でプレイヤーが限定合理的に投資額を選択する場合に共有地の悲劇が起きるかどうかは興味深い問題である。本論文では, Ostrom et al. (1994)のモデルの拡張を試みる。我々は, プレイヤーの人数が確率的に選択される共同利用資源ゲームを定式化し,そこにおける均衡投資額を導出する。Kahana and Klunover (2015)は,プレイヤー人数の不確実なレントシー キングコンテストの均衡を分析している。本論文では, Kahana and Klunover (2015)に準拠する形でプレイヤー人数の不確実な共同利用資源ゲームを定式化する。プレイヤーの人数がプレイヤー間の共有知識となっている場合の均衡投資額は,プレイヤー人数が不確実な場合の均衡投資額を上回ることが示される。これは, Kahana and Klunover * 2021 年 6 月 14 日受付, 2021 年 11 月 8 日受理, 2021 年 12 月 25 日 J-STAGE早期公開 ** 城西大学経済学部(Faculty of Economics, Josai University) (2015)のモデルと同様の結果となる。 ## 2. モデル 有限人数のプレイヤーからなる不完備情報ゲー ムを考える。Ostrom et al. (1994) pp. 109-114のモデルに準拠し,各プレイヤーは投資額を選択することにより,共同利用資源を利用すると仮定する。その投資額に依存して各自の資源の利用量が定まるとする。Ostrom et al. (1994)と異なり,本論文では,共同利用資源を利用するために母集団の一部のプレイヤーが対戦プレイヤーとして確率的に選ばれる状況を想定する。各プレイヤーは, プレイヤーの人数に対する信念を形成し,投資額を選択すると仮定する。このような不確実な状況下では,プレイヤーの集合は確率変数となるため,自然数を用いて各プレイヤーを区別することができない。そこで, Myerson and Wärneryd (2006)およびKahana and Klunover(2015)に準拠し, 対戦プレイヤーとして選択されたあるプレイヤーの戦略に注目してモデル化を行う。プレイヤー母集団の人数を $m \in N$ と表記する。プレイヤーの人数の集合を $I=\{0,1,2, \ldots\}$ と表記する。対戦プレイヤーのメンバーとして選択された各プレイヤーは,投資を行う前にプレイヤーの人数を予想するとしよう。プレイヤーの人数が $n$ 人となる確率は,ポアソン分布(Poisson distribution)にしたがうと仮定する。つまり,この確率は $ \pi(n)=\frac{\mu^{n}}{n !} e^{-\mu} $ である。ただし,$n<m$ であり,$\mu$ はプレイヤー人数の期待値である。我々はKahana and Klunover (2015)に準拠し, $\mu \geq 2$ のケースを想定して分析を進める。対戦プレイヤーのメンバーとして選択された各プレイヤーは,投資を行う際,プレイヤー 人数に対する信念を更新する。プレイヤーの人数が $n$ 人となる事後確率 (posterior probability)を $\tilde{\pi}(n)$ と表記する。Myerson and Wärneryd (2006)は, この事後確率を $ \tilde{\pi}(n)=\frac{\pi(n) \times \frac{n}{m}}{\sum_{n^{\prime}=0}^{\infty} \pi\left(n^{\prime}\right) \times \frac{n^{\prime}}{m}}=\pi(n) \times \frac{n}{\mu} $ で与えている。式(1)の $\pi(n)$ を式(2)の右辺の $\pi(n)$ に代入することにより, $ \tilde{\pi}(n)=\frac{\mu^{n-1}}{(n-1) !} e^{-\mu}, \forall n \geq 1 $ となる。ただし, $\tilde{\pi}(0)=0$ であるとする。 対戦プレイヤーのメンバーとして選択された各プレイヤーは, 各対戦相手が共通の投資額を選択すると予想し,各自の投資額を選択するとしよう。各プレイヤーの最大投資額を $r>0$ と表記し,各プレイヤーの投資費用を $x \in[0, r]$ と表記する。 与えられるとする。ただし, $y \in[0, r]$ は,各対戦相手の投資費用である。すると,共同利用資源の総投資額は, $x+(n-1) y$ となる。以下,これを $X=x+(n-1) y$ と表記する。共同利用資源の総利用量 $F: X \rightarrow \boldsymbol{R}_{+}$は, 以下の生産関数によって与えられるとしよう: $ F(X)=a X-b X^{2}, a, b \in \boldsymbol{R}_{++} . $ Ostrom et al. (1994)は, 共同利用資源ゲームを模した経済実験を行うために式(4)の生産関数を導入している(詳細はOstrom et al. (1994) pp. 114$120 を$ 参照のこと)。 各プレイヤーの資源の利用量は, $\frac{x}{X} F(X)$ で与えられる。この資源の利用量は,対戦プレイヤー の人数に依存するため, 各プレイヤーの期待利得は, $ E u(x, y)=\left.\{\begin{aligned} & \sum_{n=1}^{\infty} \tilde{\pi}(n) \frac{x}{X} F(X)-x: X>0 \\ & 0 \quad: X=0 \end{aligned}\right. $ となる。プレイヤーの人数が $\mu$ であることが各プレイヤーの共有知識になっている場合の均衡投資額を $x_{c}^{*}$ と表記する。その一方, プレイヤーの人数が不確実な場合の均衡投資額を $x_{u c}^{*}$ と表記する。 命題 1. 共同利用資源ゲームのプレイヤー人数がポアソン分布にしたがい,共同利用資源の総利用量が $F(X)=a X-b X^{2}$ で与えられる場合, $x_{c}^{*}>x_{u c}^{*}$, $\forall \mu \geq 2$ となる。 証明. 投資額に関する一階条件より, $ a-b \sum_{n=1}^{\infty} \tilde{\pi}(n)\{2 x+(n-1) y\}=0 $ を得る。プレイヤーの人数が $\mu$ であることが各プレイヤーの共有知識になっている場合, $\tilde{\pi}(n)$ は 1 となり, $n$ は $\mu$ となる。この場合, 均衡において各プレイヤーは $x_{c}^{*}$ をプレイしているため, $x=y=$ $x_{c}^{*}$ となる。したがって, 式(6)は次式で置き換え られる。 $ \begin{aligned} & a-b x_{c}{ }^{*}-b \mu x_{c}{ }^{*}=0 \\ & \Leftrightarrow x_{c}^{*}=\frac{a}{b} \frac{1}{1+\mu} . \end{aligned} $ その一方,プレイヤーの人数が不確実な場合,均衡において各プレイヤーは $x_{u c}^{*}$ をプレイしているため, $x=y=x_{u c}^{*}$ となるしたがって,式(6)は次式で置き換えられる。 $ \begin{aligned} & a-b x_{u c}^{*}-b x_{u c}^{*} \sum_{n=1}^{\infty} \tilde{\pi}(n) n=0 \\ & \Leftrightarrow x_{u c}^{*}=\frac{a}{b} \frac{1}{1+\sum_{n=1}^{\infty} \tilde{\pi}(n) n} . \end{aligned} $ 式(3)の $\tilde{\pi}(n)$ を式(10)の右辺の $\tilde{\pi}(n)$ に代入することにより,次式を得る。 $ \begin{gathered} \sum_{n=1}^{\infty} \tilde{\pi}(n) n=e^{-\mu} \sum_{n=1}^{\infty} \frac{\mu^{n-1}}{(n-1) !} n \\ =e^{-\mu} \sum_{n=0}^{\infty} \frac{\mu^{n}}{n !}(n+1) \\ =\sum_{n=0}^{\infty} \frac{\mu^{n} e^{-\mu}}{n !} n+e^{-\mu} \sum_{n=0}^{\infty} \frac{\mu^{n}}{n !} . \end{gathered} $ 式(13)において $\sum_{n=0}^{\infty} \frac{\mu^{n} e^{-\mu}}{n !} n=\mu, \sum_{n=0}^{\infty} \frac{\mu^{n}}{n !}=e^{\mu}$ であるから,次式を得る。 $ \sum_{n=1}^{\infty} \tilde{\pi}(n) n=1+\mu $ したがって,式(10)は, $ x_{u c}^{*}=\frac{a}{b} \frac{1}{2+\mu} $ となる。式(15)の右辺と式 (8) の右辺に注目することにより $, x_{c}^{*}>x_{u c}^{*}, \forall \mu \geq 2$ であることが分かる。 命題 1 は, プレイヤーの人数がプレイヤー間の共有知識となっている場合の均衡投資額は, プレイヤーの人数が不確実な場合の均衡投資額を上回ることを述べている。これは,プレイヤー人数の不確実なレントシーキングコンテストにおいて効率的な均衡が実現することを示したKahana and Klunover (2015) と同じ帰結になっている。 ここで,プレイヤーの人数が各プレイヤーの共有知識になっている場合の均衡総投資額を $X_{c}^{*}$ と書き, プレイヤーの人数が不確実な場合の均衡総投資額を $X_{u c}^{*}$ と書こう。式(8)と式(15)より,これらの均衡総投資額はそれぞれ $ \begin{aligned} & X_{c}^{*}=\frac{a}{b} \frac{\mu}{1+\mu}, \\ & X_{u c}^{*}=\frac{a}{b} \frac{n}{2+\mu} \end{aligned} $ となる。下記命題が示すようにプレイヤーの人数が期待值を上回る場合, プレイヤー人数が不確実なときの総投資の限界生産力 $F^{\prime}\left(X_{u c}^{*}\right)$ は, プレイヤー人数がプレイヤー間の共有知識となっているときの総投資の限界生産力 $F^{\prime}\left(X_{c}^{*}\right)$ を下回る。 命題 2. $F^{\prime}\left(X_{u c}^{*}\right)<F^{\prime}\left(X_{c}^{*}\right) \Leftrightarrow n>\mu$ 証明. Figure 1 に総投資額と総投資の限界生産力の対応関係を示す。 $F(X)$ は規模に関し収穫擩減であるから, Figure 1 に示されているように $F^{\prime}\left(X_{u c}^{*}\right)<F^{\prime}\left(X_{c}^{*}\right) \Leftrightarrow X_{u c}^{*}>X_{c}^{*}$ となる。式(16)および式(17)に基づく計算により, $ X_{u c}^{*}>X_{c}^{*} \Leftrightarrow n>\mu+\frac{\mu}{1+\mu} $ を得る。ここで,$\mu+\mu /(1+\mu)>\mu$ であるから,$X_{u c}^{*}>$ $X_{c}^{*} \Leftrightarrow n>\mu$ となる。したがって, $F^{\prime}\left(X_{u c}^{*}\right)<F^{\prime}\left(X_{c}^{*}\right)$ $\Leftrightarrow n>\mu$ となる。 ## 3. ディスカッション プレイヤー人数の不確実な共同利用資源ゲームの均衡を分析した。プレイヤーの人数がプレイヤ一間の共有知識となっている場合の均衡投資額 ## 総投資の \\ 限界生産力 $\boldsymbol{F^{\prime}(\boldsymbol{X})$} Figure 1 The graph of $F^{\prime}(X)$ with respect to $X$, when $X_{u c}^{*}$ is greater than $X_{c}^{*}$ は,プレイヤーの人数が不確実な場合の均衡投資額を上回ることが示された。また,プレイヤーの人数が期待值を上回る場合, プレイヤー人数が不確実なときの総投資の限界生産力は, プレイヤー 人数がプレイヤー間の共有知識となっているときの限界生産力を下回ることが示された。本論文の分析に用いた生産関数は規模に関して収穫逓減であるため, プレイヤーの人数が不確実な場合の総投資の限界生産力は,プレイヤー人数がプレイヤー間の共有知識となっている場合の総投資の限界生産力と比べて小さくなる可能性がある。すると, プレイヤー達は投資をしても利得を高めにくくなり,投資費用を小さくするインセンティブを持つようになるだろう。その結果, プレイヤー人数が不確実な場合の均衡投資額は,プレイヤーの人数がプレイヤー間の共有知識となっている場合の投資水準よりも小さくなると考えられる。つまり, プレイヤーの人数が不確実な場合, 各プレイヤーの共同利用資源の利用量は小さくなり, 共有地の悲劇を回避できる可能性がある。Ostrom (1990)は,共同利用資源の利用権を持つ個人を特定化できる場合, 共有地の悲劇を回避できる可能性があると述べている。我々のモデルの結果は,共同利用資源の利用権を持つ個人の人数が確率的に選択される場合にも共有地の悲劇を回避できる可能性があることを示唆している。 本論文では,プレイヤーの人数を選択する確率 は, ポアソン分布にしたがうと仮定して分析を進めた。今後, 我々はプレイヤーを選択する確率分布がプレイヤー間の共有知識になっていないような共同利用資源ゲームの定式化を試みる。そこにおいて, 本論文と同様の結果が導かれるかどうかは興味深い問題となるだうう。 ## 謝辞 本研究は JSPS 科研費JP19K23198 の助成を受けた研究成果の一部である。本論文の執筆に当たっては, 匿名の查読者の先生方に有意義なご指摘をいただいた。ここに記して謝意を表したい。 ## 参考文献 Hardin, G. (1968) The tragedy of the commons, Science, 162(3859), 1243-1248. Kahana, N., and Klunover, D. (2015) A note on Poisson contests, Public Choice, 165(1), 97-102. Myerson, R. B., and Wärneryd, K. (2006) Population uncertainty in contests, Economic Theory, 27(2), 469-474. Ostrom, E. (1990) Governing the Commons: The Evolution of Institutions for Collective Action, New York: Cambridge University Press. Ostrom, E., Gardner, R., and Walker, J. (1994) Rules, Games and Common-Pool Resources, Ann Arbor, MI: University of Michigan Press.
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# リスク学研究 31(1): 49-53 (2021) Japanese Journal of Risk Analysis doi: 10.11447/jjra.SRA-0380 【レター】 # 産業施設の耐震化に係る諸問題の検討* ## Study of Various Problems Related to Earthquake-Resistant Structures \\ of Production Facilities ## 望月 智也** Tomoya MOCHIZUKI \begin{abstract} In the event of earthquake damage to production facilities, there are a variety of possible effects, such as the impact on nearby residents due to secondary disasters such as fires, explosions, and leaks, and the impoverishment of people's lives due to stagnation of economic activities and bankruptcy of companies. Although the government and local governments have made progress in earthquake-resistant buildings designed according to the old earthquake resistance standards, the progress of production facilities has been slow. This paper examines and shows the problems of production facilities in order to provide incentives for their seismic retrofitting. \end{abstract} Key Words: factory buildings, old seismic standards, aging, building remodeling, incentives for seismic retrofitting ## 1. 序論 自然災害がもたらす産業への影響は,建物等の構造物に損傷を及ぼす一次被害(物理的な被害) の他,国内外の経済活動の低下や停滞,さらには二次被害(建物被害に伴う企業の事業中断や周辺住民への影響,あるいは経済的な損失等)があり,住民の生活困窮を招く可能性もある。未曾有の大震災を引き起こした東北地方太平洋沖地震では,津波により壊滅した地域の人々が長期間の避難生活を余儀なくされ,その間経済活動も停滞した。実際に企業の震焱関連の倒産状況は,地震が発生した 2011 年が 544 件,翌年の2012年には333 件が倒産し, その後も震災の影響が続き, 2021 年 2 月においての累計倒産数は 1,979 件に達している(東京商エリサーチ,2021)。また,2016年に発生した熊本地震では, 被災地域が限定的で あったにも関わらず,被災後の約 2 年間で 28 社が倒産しており(産経新聞ホームページ,2021),地震被害が如何に経済活動に甚大な影響を与えるかがわかる。 近年は産業施設(本報では民間の生産施設を指す)の波及被害による深刻な状況も起きている。 いずれも豪雨災害であるが,アルミ工場の溶解炉の水蒸気爆発で周辺住居にも被害が波及した(産経新聞ホームページ,2019),また,浸水時に工場から流出した大量の油が農作物などに被害を及ぼす事態も生じた(佐賀新聞LIVE,2019)。何れも適切な対策等で防ぐことができた被害である。 このような実状を勘案すると,産業施設では物理的な被害の軽減とともに,二次被害を防止・軽減するための事前対策と事後対応双方の準備が必要である。事前対策については, 建物や設備の耐  震化に代表されるハード対策,製造ラインや電気・水などのインフラ設備の圥長化, 一方の事後対応は, ソフト対策として事業継続計画 (BCP; Business Continuity Plan)の策定が効果的な手段の一つであり,現に多くの企業がBCPの策定に取り組んでいる。内閣府 (2018)が公開する2017年度時点の BCP 策定状況に関する実態調査によれば,大企業のうち $81.4 \%$ が,中堅企業では $46.5 \%$ がBCPを策定済みか策定中と回答している(有効回答:1,985社)。また想定するリスクについては, 自然災害, 新型インフルエンザ,テロ・紛争および火災・爆発などがあるなかで,地震を想定している企業が最も多い。但し, 昨今は平成 30 年 7月豪雨に代表されるように水害が多発し,現状は極めて深刻な新型コロナウイルス (COVID-19) の流行があり,企業が意識するりスクが今後大きく変わることも容易に想像がつくところである。 しかしながら,南海トラフ巨大地震に代表されるような突発的な巨大災害の脅威は誰もが認識しており,地震被害への対応が地域防災における注力事項であることに依然変わりはない。 ここで地震に対するハード対策を考えると,旧耐震基準(1981年6月1日に改正された建築基準法以前の耐震基準)で設計された建物は耐震診断を行い,この結果に応じて耐震補強を実施することが必要になる。通常, 木造住家の場合は耐震評価点 (Iw 值) が 1.0 未満, 鉄筋コンクリート造扮よび鉄骨造の建物の場合は,二次または三次診断レベルで構造耐震指標(Is値)が 0.6 未満の場合に耐震補強が必要と判断される。 一方, 産業施設の耐震補強に着目すると, 基本的には木造以外の建物が対象となる。産業施設には, 建設から半世紀以上経過した老朽化施設も数多く存在する。さらには塩害が懸念される沿岸部に立地する,あるいは製造過程で用いる薬液や廃液などに曝される施設も多いことから, 腐食・劣化が著しく進展している状況も推察される。したがって,産業施設においては,耐震補強を念頭においた更新は急務である。 以上の背景のもと, 本報は, 様々な地震リスク軽減策のなかでも重要度が高い, 建物の耐震化の動機づけとなることを目的として,産業施設における建物の耐震性の現況について検討し, 明らかにするものである。 ## 2. 建物の耐震性に係る実態 2.1 建物の耐震化率 建物の耐震化率の現況について, 国土交通省のホームページ (2018)には,「工場を含む住宅以外の建物(多数の者が利用する建物)の耐震化率は 2013年の推計値で約 $85 \%$ ,2020年には $95 \%$ を目標とする」とある。但し,これらの内訳は示されていないため, 産業施設に限定した耐震化の実態は把握できない。一方、レジリエンス確保に関する技術検討委員会 (2018)では, 「平成 25 年 12 月に強くしなやかな国民生活の実現を図るための防災・減災などに資する国土強鞒化基本法(以下,国土強勒化基本法)が成立し, 道路 - 鉄道 - 港湾・河川など主要な社会インフラの強勒化事業は進められているものの, 産業施設については, 強勒化は遅々として進んでいないのが現状である」 と指摘している。またその理由に「産業施設は民間施設で社会インフラではないため, 公的資金が投入し難いこと」,「リスク評価が行われていないこと」を挙げている。 ## 2.2 情報公開に関する実情 建物の强勒化が遅延している一方で, 国土強勒化基本法成立の影響もあり,地震防災や BCPの策定に向けたリスク評価等の取り組みはある程度進渉している状況にある。しかしながら,この取り組みついては意外なほど公表されていない。レジリエンス確保に関する技術検討委員会 (2018) は,その理由を「(産業施設において) リスク評価が行われている場合, 企業の短期的な利益を護るという理由で,これらのリスク情報は一般に公表されることはない」としている。もう少し一般的に考えれば,産業施設には製造ラインや製品等々, 社外には漏らすことができない企業独自のノウハウが数多くあり, それらのノウハウが盛り达まれたリスク情報は秘密保持の観点から基本的に公開されることはない。もち万ん損害保険会社などが第三者として係る際,種々の情報を企業側から開示されることもある。但し,その場合は NDA(Non-Disclosure Agreement; 秘密保持契約) などが結ばれる。 ## 3. 建物の耐震性に係る諸問題 3.1 産業施設の耐震化に係る問題 前述の 2.2 が事由と推察されるが, 産業施設の耐震性に係る固有の問題を取り上げた調查・研究 は見当たらない。このため, 経験的見解に基づく筆者の既発表資料(望月,2010,2019)を拡充し,産業施設特有の諸問題を以降にまとめる。 ## 3.1.1 設計図書の不足 産業施設においては, 設計図書が全て揃っていないことが多々ある。この主な理由として,古い施設の増改築を繰り返す過程における一部設計図書の紛失,施設を他社から購入した際の引き継ぎの不備,設計図書の一部を保有していた設計・施工会社が現存していないなどが挙げられる。設計図書がない場合は,耐震診断や補強・補修のために改めて図面を起こすことになり,これには多大な時間と費用を要する。 この他にも,図面の著しい劣化や折り达みで扱いづらい製本形式など,資料があったとしても, それらを参照できる情報にするまでに時間を要する問題もある。 ## 3.1.2 設計図書と実際との乘離 産業施設では,市場ニーズや経済状況に応じて製造ラインの変更が度々行われる。その際,ブレースなど,建物の構造部材の一部を切断・撤去してしまっている場合がある。これは,企業側が建物の耐震化を損なう行為だとは認識せずに,製造ラインに関連する設備の設置や作業時の動線確保のため犯してしまう過誤である。 また,前述したように,著しい腐食・劣化により建設当初の耐震性を有していない建物や,当初考慮していた設計荷重以上の重量設備が設置されている建物もある。これらはいずれも設計図書では確認できないため, 耐震診断などにおいて詳細な現地調査が必要となる。 ## 3.1.3 旧耐震規準で設計された鉄骨造の建物 施設規模が大きい石油精製・化学プラントや機械・電子機器の加工・組み立て工場などには,旧耐震基準で設計された鉄骨造の建物が数多く存在する。 一般に,鉄骨造の建物の耐震診断は,鉄筋コンクリート造の建物よりも診断時間を要し,費用も掛かる。これは,鉄筋コンクリート造の建物の耐震診断が簡易な一次診断から最も詳細な三次診断まであるのに対して,鉄骨造の建物については,詳細(三次)診断しかないことが主な理由である。その他にも,構造図がない場合や屋根などが特殊構造である場合はさらに費用が嵩む。常時稼働中の産業施設においては,診断時間の長期化は生産活動の障害となり,過大な費用の発生は,経営的な負担となる。このことが企業側が耐震化に消極的になる一つの理由と考える。 ## 3.2 建物の耐震補強に係る問題 産業施設に限らず,耐震診断に基づく補強は,現行の設計基準相当, すなわち震度 6 強から 7 程度の大規模の地震動で倒壊・崩壊しないこと(人命と財産の保護)が目標であり, 発災後の事業継続性の確保・向上までは考慮していない。このため,BCPで定める目標復旧時間を満足するためには, ソフト対策の効果にもよるが, 耐震補強の要否の判断基準 0.6 よりも大きな目標を設けて補強を行う必要もあり, 関連したタスクフォースも発足している(日本建築学会,2019)。 ## 4. 結語 産業施設は社会を担う重要な施設であり, 地震により被害が発生した場合は,物理的な被害(一次被害)の他,二次被害による影響が考えられる。国や自治体などの取り組みにより,旧耐震基準で設計された建物の耐震化は進んでいるものの,産業施設に関しては遅延している状況も伺える。社会的影響を最小限に抑えるためにも産業施設の耐震化の実施は急務である。また施設の特殊性や重要性から, 事務所ビルなど一般の建物よりも高い耐震性能が求められる場合もある。以上より,本報では産業施設の背景にある建物の耐震性に係る実態や諸問題を検討,明らかにした。以下に結果をまとめる。 ・産業施設には建設から半世紀以上が経過している施設が存在し, 周辺環境や施設の特徴から老朽化が著しい施設が多数あることが推察される。一方で,BCPの策定状況からは,地震リスク評価や地震対策に関する取り組みは行われているように見受けられるが, 秘密保持の観点からその詳細は必ずしも公開されず, 実態が確認できない。 ・産業施設は社会的に供給責任が高く, 二次被害は地域や周辺住民へ甚大な影響を与える。企業側の地震に対する早期対応が望まれるが,地震対策実施のインセンティブになることも踏まえ,今後は国土強勒化基本法に基づく公費枝の拡大,あるいは日本政策投資銀行の $\mathrm{BCM}$ 格付融資のように,金融機関による融資制度などの組成も必要と考える。 なお,序論で言及した産業施設の二次被害およ び倒産等の問題は, 建物の耐震化のみで軽減される問題ではない。したがって,地震災害全体を軽減するためには,本報で明らかにした耐震化の諸問題を解決するだけでなく, 社会インフラの強勒化,さらには防災マニュアルやBCPの策定,あるいは企業向けの地震保険やその他リスクファイナンスの活用等,ソフト対策も必要となる。 また,防災マニュアルやBCPの策定においては,今後COVID-19などの感染症対策を踏まえることも肝要である。 ## 謝辞 本報の執筆にあたり,株式会社イー・アール・ エスの古澤靖彦博士,水越熏博士,若林亮氏には温かいご指導ご鞭撻を受け賜りました。心より感謝申し上げます。 ## 参考文献 Architectural Institute of Japan (2019) Resilient architecture task force, https://www.aij.or.jp/ kaimukankei/W097-19.html (Access: 2021, June, 10) (in Japanese) 日本建築学会 (2019) レジリエント建築タスクフォー ス, https://www.aij.or.jp/kaimukankei/W09719.html (アクセス日:2021年6月10日) Cabinet Office, Government of Japan (2018) Survey on Business Continuity and Disaster Prevention Efforts by Corporations in Fiscal 2017, 112. 内閣府 (2018) 平成 29 年度企業の事業継続および防災の取組に関する実態調査, 112 . 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risk
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Society For Risk Analysis Japan
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# 【資料論文】 ## 新型コロナ対策専門家 Twitterアカウントにおける ツイートの特徵と情報発信内容* ## What Did "Experts in the Cluster Taskforce for COVID-19" Post on Twitter? \author{ 古口凌太郎**, 石橋由基***, 田谷元 $^{* * * *}$, \\ 安保悠里子**, 伊豆藏栞**, 奈良由美子*****, 堀口逸子** \\ Ryotaro KOGUCHI, Yoshiki ISHIBASHI, Hajime TAYA, \\ Yuriko ANPO, Shiori IZUKURA, Yumiko NARA and Itsuko HORIGUCHI } \begin{abstract} In 2020, COVID-19 had a huge impact worldwide. The Ministry of Health, Labor and Welfare of Japan organized a "cluster countermeasure group" comprising public health and infectious diseases experts. They provided information about COVID-19 on Twitter. In this study, the text analysis software "KH Coder" was used to confirm the kind of information posted by these experts on the Twitter account. Scientific information, such as explanations of terms, future predictions of the spread of infection, and public health measures, were provided. Twitter account had played a role in providing scientific information. That is, we practiced risk communication. It helped to increase the trust of the account by receiving genuine certification from Twitter Inc. Text analysis helped assess risk communication. \end{abstract} Key Words: Twitter, COVID-19, text mining, risk communication, KH Coder ## 1. はじめに 新型コロナウイルス感染症対策において, 厚生労働省は2020年2月25日, 大学や研究所に所属する公衆衛生や感染症の専門家を集め,「クラスター対策班」を組織した(厚生労働省,2020)。 クラスター対策班は, 日本国内における新型コロナウイルス感染症の流行状況やその対策などのデータの収集分析を行い,クラスター発生の原因を明らかにした。そして,国民へ「密接」、「密集」,「密閉」のいわゆる 3 密を避けるよう, 行動変容を促した。(前田,押谷,2020) クラスター対策班に所属した大学教員などの研究者は, クラスター対策専門家として, 特に若年層への情報提供が必要と考えた。クラスター対策専門家から情報発信媒体についての相談を受けた著者らは, Twitterの利用を提案した。まず, Twitterは今回ターゲットとしたい若年層の利用率が高いとされている(石野, 2015)。また, 感染状況が時々刻々と変化し, 新しい科学的知見が次々に明らかになってくるフェーズにおいて, 遅  滞することなく情報を発信する手段として,即応性のあるTwitterは適していると考えられた。双方向性もあり,テキスト・画像・動画など使用できる情報形態の自由度も高い。さらには,ハッシュタグ(#)機能の活用やリツイート機能による情報の拡散も期待された。実際,災害時の情報伝搬の要としてSNSが有効性をもつことが, 2011 年に起こったオーストラリアでの豪雨災害時の Twitter分析により示されている(Cheong and Cheong,2011)。世界では災害時の Twitter利用に関するアプリケーションの開発も進んでいる (Hossmann et al., 2011)。これらのことから新型コロナクラスターに関する情報発信においても, Twitterの利用は有効な手段であると考えられ,新型コロナ対策専門家 Twitterアカウント (Figure 1)を 2020 年 4 月 3 日に開設した。4月20日にフォロワーが40万人を超過し,5月1日には新型コロナ対策専門家 Twitterアカウントに公式マークが付与された。 新型コロナ感染症流行初期において, この Twitterアカウントの運営がどのような可能性を持ち得たのかの検討としては,ひとつには「数」に着目し, ツイートのインプレッション数やリッイート数,フォロワー数を見るという方法がある。 これについては, 共同研究者が時間経過との関係におけるこれらの数值の変化に関する研究を行った。もうひとつには「質」に着目し, どのような内容の情報が発信されていたのかを見ることも重要である。そこで, 本研究では計量テキスト分析ツールを用いて, 新型コロナ対策専門家 Twitter $ア$ カウントのツイートについて,どのような情報が提供されたか確認することを目的とした。 ## 2. 対象と方法 本稿で用いたデータは,クラスター対策専門家らのもと開設されたTwitterアカウントから発信されたツイートを対象とした。期間は,2020年 4月3日から5月29日で,全89件である。Twitter 社が提供している Twitter Analytics (Twitter)の機能を用いて,2020年6月10日にデー夕を取得した。 データ内には同一のツイート 1 件があったため,分析には88件を用いた。 ツイートの文章に用いられている「語」は茶筌 (日本語自然言語処理システム)を用いた。前処理として, 分析に利用したい重要な語が, 自動抽出ではうまく1つの語として抽出されない場合に Figure 1 Twitter Account 強制的に 1 つ語として抽出するための複合語強制抽出(樋口,2020)を行い,「新型コロナ」,「クラスター」, 「緊急事態宣言」,「齋藤智也」,「西浦」,「実効再生産数」,「基本再生産数」を複合語として追加した。また, 国立保健医療科学院を「NIPH」と置き換え,分析を行った。 Twitterでは,文章に加え,画像または動画をツイートに添付することができる。本研究ではツイートの「情報形態の種類」として, 文章のみのツイート (以下「文章のみ」と記す), 画像が添付されたツイート(以下「画像添付」と記す),動画が添付されたツイート(以下「動画添付」と記す)の3 種類に分類した。 また,ツイートの文章である「内容」を「科学的情報」,「訂正」,「お願い」,「自己紹介」の 4 種類に分類した。さらに「科学的情報」に関しては 「リスク管理」,「リスク評価」,「用語の定義」の 3つに分類した。分類は投稿を担当した著者を含む共著者内でTwitterの投稿文を見ながらディスカッションにより行い,コードを決定した。複数のカテゴリーに当てはまるツイートに関しては共著者内で話し合い, 優先度の高いコードを割り当てた。緊急事態宣言が4月7日に発令されたため,「期間」をアカウントの開設日である 4 月 3 日から 4月6日までの「緊急事態宣言発令前」,4月7日 から 5 月 25 日の「緊急事態宣言発令中」, 5 月 26 日から 5 月 29 日までの「緊急事態宣言解除後」の 3つに分類した。なお,4月7日のTweetは「緊急事態宣言発令中」に含めた。また「緊急事態宣言解除後」のツイートが 3 件であったため, これらは「緊急事態宣言発令中」に含めた。 分析は,1)頻出語の抽出,2)共起ネットワー ク,3)対応分析を行った。共起ネットワークとは,一つひとつの文書で出現する頻出語のうち,語と語の関連性の強さを表す距離(Edge)が近いか遠いかを計算し,図示したものである。また, Edge はJaccard 係数によって計算される。Jaccard は両方を含む「テキスト」のうち, Aと $\mathrm{B}$ 両方を含む「テキスト」の割合のことである。対応分析は,ツイートの情報形態の種類,内容,期間を外部変数とした。また, 最小出現回数を 5 回として分析を行った。 分析にはKH Coderを用いた。KH Coderとはテキストデータを統計学的に分析し,「計量テキストデータ」や「テキストマイニング」に対応したソフトウェアである(樋口,2020)。 本研究は, 東京理科大学倫理審査委員会の承認を得ている(承認番号20023)。 ## 3. 結果 頻出語の抽出から順に結果を示す。 ## 3.1 頻出語の抽出 頻出語の分析では, 助詞や助動詞など, どのような文章においても出現する一般的な語は分析から除外されるようになっている。88件のツイー トのうち, 語を抽出したところ, 分析データに含まれる全ての語の延べ数である「総抽出語数」は 4552 語であった。そのうち分析に用いられた出現回数 5 回以上の「使用語」は 1907 語であった。言語学における語彙論的な単語として区別し, 数えた場合の語の種類を示す「異なり語数」は914 語, そのうち分析の対象としてKH Coderが認識している語を示す「使用語」は689語であった。 出現回数が 3 回以上の抽出語を Table 1 に示した。出現回数が多い順に,「対策」68回,「新型コロナ」 63 回,「クラスター」 62 回,「感染」 61 回であった。 5 番目の「ウイルス」は一番多い 「対策」の 24 回と $1 / 3$ 以下となった。 出現回数が 10 回以上の語は 19 語で全体の 2.8\%,5 9回の語は 41 語で全体の $6.0 \%, 3 \sim 4$ 回の語は 69 語で全体の $10.0 \%, 2$ 回の語は 121 語で全体の $17.6 \%, 1$ 回の語は 439 語で全体の $63.7 \%$ であった。 ## 3.2 頻出語における共起ネットワーク 本研究では最小出現回数を 5 , Jaccard 係数を 0.2 以上として分析を行った。単語の出現頻度に応じてバブルプロットが大きく描かれる。KH Coder Table 1 List of Extracted Words that Appeared 3 Times or More \\ Figure 2 Co-occurrence network of tweet contents で自動的にグループ分けされるが, 同じグループに含まれる語は実線で結ばれるのに対して,異なるグループに含まれる語は破線で結ばれる。比較的強くお互いに結びついている部分を自動的に検出してグループ分けが行われている。結果を Figure 2 に示す。 共起ネットワークは10のグループ, Subgraph 01 から Subgraph 10 に分類された。Subgraph 01, 03,07,10は線で結ばれて関連づけられていたのに対して, Subgraph 02, 04,05,06,08,09はそれぞれが独立していた。バブルプロットが大きく描かれた語が多く含まれているのはSubgraph10で, その中で最も出現回数が多い語は「対策」で, その次に「新型コロナ」「クラスター」「感染」があった。「ゼミ」「解説」も比較的大きなバブルプロットであった。Subgraph 10 に関連する Subgraph 01 では,一つ一つの語のバブルプロットは小さく出現回数が少ないが,関連のある語が 11 あり, その他の Subgraphより多かった。ここでは,「西浦」を中心として「行動」「割」「制限」「必要」 が関連していた。「ゼミ」と関連して「質問」が あり,そこから「多い」「回答」「専門」と共起していた。Subgraph 07では主に保健所での積極的疫学調査を示す「調査」を中心とした共起関係が見られた。また「調査」は, Subgraph 10の「ウイルス」と共起していた。 subgraph 03では「緊急事態宣言」を中心に「国立保健医療科学院 (NIPH) 」,「対象」「拡大」といった単語が見られた。「緊急事態宣言」については,「NIPH」と共起している。Subgraph 04 は「押谷」と「お願い」 が共起していた。 Jaccard 係数は,「定義」一「用語」0.94であり,最も大きな値を示した。「情報」一「発信」は 0.88 ,「対策」一「クラスター」は 0.87 , 「新型コロナ」一「クラスター」は 0.68 ,「新型コロナ」一「感染」は 0.53 ,「ウイルス」—「感染」は 0.46 であった。 ## 3.3 対応分析 結果をFigure 3-1から3-4に示す。また, 外部変数別に代表的なツイート例を Table 2 に示す。 グラフ中の 2 本の点線が交差した点を原点といい,偏りの小さい項目は原点付近に,一方で偏り リスク学研究 Japanese Journal of Risk Analysis Vol. 31, No. 3 Figure 3-1 Correspondence analysis of tweet contents (External variables: Types of information form) Figure 3-2 Correspondence analysis of tweet contents (External variables: contents) 古口ら:新型コロナ対策専門家 Twitter アカウントにおけるツイートの特徵と情報発信内容 Figure 3-3 Correspondence analysis of tweet contents (External variables: details) Figure 3-4 Correspondence analysis of tweet contents (External variables: term) Table 2 Typical tweet by external variable & 日付 \\ の大きい項目は原点から遠くに示される。原点付近に示された語は特徴のない語であり, 原点から遠ざかるほど強い特徴がある。また, 互いに関連の強い項目どうしは, 原点からみて同一方向に示される。 ツイートの「情報形態の種類」(「文章のみ」,「画像添付」,「動画添付」)を外部変数とした結果をFigure 3-1に示す。原点付近に示された単語は 「新型コロナ」,「クラスター」,「対策」,「ウイルス」であった。「文章のみ」では「用語」,「定義」,「情報」,「発信」,「感染」などが特徴的な単語として示された。また「画像添付」では「読む」,「行う」,「データ」,「示す」などが, 「動画添付」 では「考え方」,「解説」,「研究」,「動画」,「西浦」,「押谷」などが特徴的な単語として示された。 ツイートの文章である「内容」の「科学的情報」,「お願い」,「訂正」,「自己紹介」の4つを外部変数とした結果を Figure 3-2に示す。 「科学的情報」の部分に多くの語が集約していた。そのため「科学的情報」をさらに「リスク管理」,「リスク評価」,「用語の説明」に再度分類し, 合計 6 種類の内容に分類したものを外部変数として対応分析を行った結果を Figure 3-3に示す。 ツイート数はそれぞれ科学的情報 63 ツイート, そのうちリスク管理 29 ツート, リスク評価 17 ツイート, 用語の定義 17 イートであった。また, 訂正7ツイート, 損い7ツイート, 自己紹介 12 イートであった。 原点付近に示された語は「新型コロナ」,「クラスター」,「対策」,「感染」,「説明」であった。「リスク管理」「リスク評価」に関連する語は原点付近にあった。「訂正」がもっとも原点からは離れていた。「お願い」では「押谷」「皆様」「お願い」,「自己紹介」では「チーム」「動画」「訂正」 では「平均」「分かる」「情報」「発信」「例」「投稿」が特徴的な語として示された。 ツイートの「期間」(「緊急事態宣言発令前」,「緊急事態宣言発令中」)を外部変数として対応分析を行った結果を Figure 3-4 に示す。「緊急事態宣言発令前」は「平均」「特定」「用語」が特徴的な単語として示された。それに対して「緊急事態宣言発令中」は「考え方」「解除」「対象」「研究」「チーム」が特徴的な単語として示された。 ## 4. 考察 ツイートにおいてどのような語が使用されたか, 出現回数 60 回以上の上位の抽出語は「対策」「新型コロナ」「クラスター」「感染」の4つであり (Table 1), Twitterアカウント名にも含まれている。アカウント名と情報提供内容との䶞齬がないと考えられる。次いで20回程度出現していた 「定義」,「用語」,「ゼミ」は, ハッシュタグ(#) をつけて,「\#新型コロナクラスター対策用語定義」としてクラスター対策の用語解説をツイートしていること,「\#新型コロナクラスター対策ゼミ」として専門家の動画がツイートされていることと関連していると考えられる。ハッシュタグとは, #の後ろに語を並べることで, 特定の話題を示すものである。東日本大震焱の発生時には, Twitterでのハッシュタグの利用が安否確認や被災生活に関わる情報交換に有効であったことが示されている(村井, 2013)。ハッシュタグを付けたツイートは, 新型コロナウイルス感染症のクラスター対策を理解するために必要不可欠な情報である。ハッシュタグはフォロワー以外の他のユー ザーに投稿が見てもらえる可能性が高まるため, より多くの人に情報提供ができる。また, 同じハッシュタグを付けることで特定のツイートをまとめて閲覧することができるため, 用語集のように利用することが可能であることにより, 有益であったと考えられる。「質問」は8回出現しており,十分ではないにしろコミュニケーションの双方向性を目指していたと考えられる。「実効再生産数」は7回,「基本再生産数」は 5 回出現しており,これは数理モデルを解説する際に必要な専門用語からである。数理モデルを使った新型コロナウイルス感染症の流行予測について解説していたことがわかる。これより, サイエンスに関するコミュニケーション(科学技術社会連携委員会, 2019)とリスクに関するコミュニケーションの両方の側面を持っていたと考えられる。「外出」,「距離」は 4 回, 「移動」,「密」は3回と行動変容に関連する語は少なかった。また, 接触感染予防のための「手洗い」は2回未満であった。これは, いわゆる公衆衛生対策に関する情報提供であり, サイエンスに関する情報ではない。公衆衛生対策よりも数理モデル等のクラスター分析に関する情報に重点を置いたツイートが多く見られていることから, サイエンスに関するコミュニケーションの意味合いが強かったと考えられる。 ツイートの全体像を把握するための共起ネットワーク(Figure 2)では, Subgraph 10 が最も大きなバブルプロットを示し, 情報提供内容の中心であったことがわかる。その Subgraph 10 には「対策」,「新型コロナ」,「クラスター」,「感染」が含まれ,Jaccard係数が $0.53 \sim 0.87$ と高値を示したことから,語彙間の関連性も高いことが示された。過去の感染症対策で用いられたことのない「クラスター」の語彙が特徴的であることが示唆された。Subgraph 01 では,「西浦」,「行動」,「割」,「制限」,「必要」が共起関係を示した。これは 8 割の行動制限(Normile, 2021)を求めた一連のツイートからであると考えられる。数理モデルの解説で使用されたSubgraph 08 の語彙と,モデルから導きだされた対応策である行動制限などは異なるSubgraphで分類された。これは, ツイート全体のなかで,数理モデル関連と,それに基づく対策との情報量が各々多く発信されていたと考えられる。クラスター対策や数理モデルとは関係性がないSubgraphのうち Subgraph 02 の「皆様」から,本アカウントでは単なる情報提供たけけでなく, フォロワーへの呼びかけを行っていたことが明らかである。呼びかけは,フォロワーへの感謝のツイート,公式マークが付いた際に喜びのツイートなどであり,認証マークやいわゆる「中の人」がわかることにより信頼を得られ,40万人を超えるフォロワーを獲得できたのではないかと考えられる。フォロワーとのコミュニケーションを行うアカウントはフォロワー数の増加率が高い(吉村, 井上, 2012)ということが示されている。こうした点から,Subgraph 02 に位置付けられた頻出語を用いたツイートがフォロワー数増加の最大の要因だと考えられる。Subgraph 04 の「押谷」 と「お願い」は,本アカウントで東北大学の押谷仁教授による「皆様に伝えたいメッセージ」のツイート,いいね数 87388 , リツイート数 57648 , インプレッション数1280万からである。Subgraph 05 として別に分類されるほど多くの反響があった。対応分析に関して外部変数を情報形態の種類とした場合(Figure 3-1),原点付近には「ウイルス」「新型コロナ」「クラスター」の用語が見られ,ツイート全体のなかで情報形態の種類に関わらず用いられていたことがわかる。Twitterアカウントの名称に用いられている語でもあり,本アカウントで最も中心的に情報提供された内容と考えられる。Twitterアカウントの開設の目的と合致してい る。「文章のみ」では「用語」,「定義」,「情報」,「発信」が示された。これより, 用語の定義の多くが文章のみで情報発信されていたことがわかった。 Ritchey(1980) らの研究では, 単語で示すよりも画像で示した方が,記憶成績が優れるという画像優位性効果について示されている (Ritchey, 1980) ため,用語の定義も画像を利用するなど,視覚的に情報提供する方がわかりやすいと考えられる。特に緊急時の対応でなけれげそのような工夫が必要である。専門用語の解説など,内容が変わらないものに関しては,一般の方向けにあらかじめわかりやすく用語をまとめておくなど,緊急時に備えて体制を整えておく必要がある。今回のような緊急時は時間が限られており,即座に対応することが必要であった。「画像添付」では「読む」,「行う」,「データ」,「示す」が見られた。これより,データを示す際に画像を用いることが多かつたことがわかった。「動画添付」では「考え方」,「解説」,「研究」,「動画」,「西浦」,「押谷」が見られた。これは西浦博教授,押谷仁教授による動画での解説によるものと考えられる。これらのことから,情報提供の内容によって「文章のみ」「画像添付」「動画」を使い分けていたことがわかった。 次に外部変数を「内容」とした場合(Figure 3-2), 原点付近に多くの単語が集中していた。そしてそれは「科学的情報」に関するツイートであることがわかった。これより,本アカウントは,公衆衛生対策よりも,科学的な情報を提供していたことが明らかであり,サイエンスに関するコミュニケーションの意味合いが強いと考えられた。さらに「科学的情報」を「リスク管理」,「リスク評価」,「用語の定義」に再分類した分析結果 (Figure 3-3)からは,「リスク管理」が「リスク評価」よりも原点付近により近かった。「リスク管理」はいわゆる対策であり,数理モデルによる分析結果である「リスク評価」に基づいた内容になる。「科学的情報」として「リスクの性質」よりも「リスク管理」の情報が中心的であることから,リスクコミュニケーションの要素も多く含まれていることが考えられる。科学的情報のリスク評価やリスク管理以外の情報として「自己紹介」,「お願い」,「訂正」が原点から離れて存在している (Figure 3-2,3-3)。リスクコミュニケーションにおいて重要なことは,情報発信者が受け手に信 頼されることである。「自己紹介」の動画によるツイートによって, 情報発信者がクラスター対策班に所属する研究者であることがわかり, 偽アカウントでないことを明らかにすることができた。 しかしながら信頼を得られたかどうかは不明である。「訂正」は, 緊急時に開設したアカウントであり,研究者が運営し,誤った投稿も散見され, それを訂正したツイートが分類された(Table 2)。緊急時には注意を払っていても誤った情報を発信する可能性が否定できない。Twitterの特徴として,一度投稿したツイートを訂正することができない。また, ツイートを削除することはできるが, 削除されたことによって受け手は様々な推測をする。そのため, リスクに関する情報提供において削除することは望ましくない。Twitterでは,訂正する場合には訂正内容を再度投稿することしか対処できない。渡邊ら (2013)は訂正情報の収束までの時間を決める要因として, 有効な訂正情報が早期に表れたことを挙げた(渡邊ら,2013)。今回は誤りが発覚した時点で, すぐに訂正情報を追加でツイートしたため, 誤情報が広く拡散されることはなかった。 緊急事態宣言前後の「期間」別の分析(Figure 3-4)は,宣言前と宣言中のツイート数に偏りがあるため,直線上のグラフとなったと考えられる。本アカウントは4月 3 日にアカウントを立ち上げ,その後,4月7日に緊急事態宣言が発出, 5 月 25 日に解除された。そのため, 緊急事態宣言発令中の方が緊急事態宣言発令前よりも期間が長く, 期間の長さが異なるため,「宣言中」が「宣言前」よりバブルプロットが多く出現したと考えられる。解除後含む「宣言中」では「考え方」「ゼミ」などの用語から,宣言発令への理解に必要な情報を提供するために, 用語の定義や解説が多く情報発信されたと考えられる。 Table 2 にある再生産数に関するツイートについて,4月4日には文章, 4 月 30 日には画像を用いて説明し,5月10日には動画を用いて重ねて説明をしていた(Table 2)。専門用語を使った情報提供では,情報の受け手がその専門用語についてあらかじめ理解しておくことが必要になる。この例では, 緊急事態宣言の直前では文章で説明し, その後, より理解を促すために画像や動画を用いていたと考えられる。共起ネットワーク (Figure 2) において, Subgraph 10 として分類されており, この Twitterアカウントからの情報提供では, 重要な用語と考えられた。 ## 5. 結論 リスクコミュニケーションとしてTwitterアカウントを利用した情報提供の中心は, テキスト分析の結果から科学的情報の発信, いわゆるサイエンスに関するコミュニケーションと考えられた。 しかしながら科学的情報の発信内容は, リスク管理に関する情報がわずかにリスク評価よりも多いことが示唆され, リスクに関するコミュニケー ションの要素も同等にあることがわかった。情報発信の内容によって, 画像や動画といった情報形態の使い分けがされていたことが確認できた。一方, 科学的な情報以外も発信され, アカウントの信頼の獲得につながったと考えられた。緊急時に情報発信と同時に情報内容を精査することは困難であるが,よりよきリスクコミュニケーションを実践していくために, 発信されたテキストを分析することは必要と考えられる。 ## 参考文献 Claster Countermeasure Group (2020) COVID-19 Cluster Countermeasure Group Twitter Account, https://twitter.com/ClusterJapan (Access: 2020, August, 5) (in Japanese) 厚生労働省クラスター対策班 (2020) 新型コロナクラスター対策専門家 Twitterアカウント, https:// twitter.com/ClusterJapan(アクセス日:2020 年 8 月 5 日) Cheong, F., and Cheong, C. 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# 【特集:日本リスク学会第34回年次大会 情報】 ## 企画セッション開催報告次期リスク学事典について考える* ## Thinking about the Next Encyclopedia of Risk Research \author{ 村上道夫**, 永井孝志***,清水右郷****, \\ 竹林由武*****,藤井健吉 } ## Michio MURAKAMI, Takashi NAGAI, Ukyo SHIMIZU, Yoshitake TAKEBAYAHI and Kenkichi FUJII \begin{abstract} With the publication of the encyclopedia of risk research in 2019, there have been discussions about the next encyclopedia, in addition to introducing and reviewing the content of the 2019 encyclopedia at the annual meeting. This paper reports on the planning session, entitled "Thinking about the next encyclopedia of risk research." The topics included "An overview of the risk science using structural topic model and its relationship to the encyclopedia of risk research", "Analyzing public risk concern using social listening and its relationship with the encyclopedia of risk research", "Evaluation of the encyclopedia of risk research through comparing similar books in related fields", and "The next perspectives after the encyclopedia of risk research 2019". The session highlighted that it is worthwhile to incorporate risk events that are substantially related to risk, even if the word "risk" is not used, in the next encyclopedia. \end{abstract} Key Words: multidisciplinary survey, structural topic model, text mining, the encyclopedia of risk research ## 1.はじめに 日本リスク学会(旧名:日本リスク研究学会, 2019年名称変更)が編纂してきたリスク学事典は計 3 冊ある(日本リスク研究学会,2000,2006, 2019)。まず「リスク学事典(初版)」を2000年に編纂し, その後「増補改訂版リスク学事典(第 2版)」を2006年に発刊した。そして2019年に,全体的に構成を改め,リスク学の体系化を目指す形で「リスク学事典(実質的に第3版に相当)」 を刊行した。2019年事典の編纂やその内容, 意図について既報で報告された他(藤井,2021), その書評の中で次期事典のあり方についても論じられている(村上,2019)。 次期リスク学事典に関するタスクグループでは,そのような経緯を踏まえて,次期事典の構想や望ましいあり方を多角的に検討することを目標として,活動を進めてきた。2021年度の年次大会企画セッションでは,構造トピックモデリング  を用いたリスク分野の俯瞰とリスク学事典の関係,ソーシャルリスニングを用いたリスク認識の分析とリスク学事典の関係,他のリスク関連の事典との比較,2019年事典と今後のあり方についての話題提供とともに, 次期事典について参加者間で議論した。そこで,本稿では,その企画セッションの開催について報告する。 ## 2. 構造トピックモデリングを用いたリス ク分野の俯瞰とリスク学事典との関係 (村上道夫,竹林由武) リスク学事典の重要な意義として, リスク分野の俯瞰と体系化を目指した点にある。一方で,リスクを扱う論文を網羅的にトピックを分類・抽出する方法論として,構造トピックモデリングがあり (Roberts et al., 2014), そういった解析結果とリスク事典の内容を比較することは, 事典の構成と網羅性を議論するうえで有用である。 2020年までに刊行されたRisk Analysis と Journal of Risk Researchのすべての論文, Scienceの中で夕イトル,抄録,キーワードに riskを含む論文のうち,抄録が空欄の論文を除く合計6111 報の論文の抄録を対象に,構造トピックモデリングを用いることで,用語の共起性に基づいたトピック分類を行った。 解釈可能性や統計上の分類指標に基づいてトピックを 23 に分類したところ,「食品」「気候変動」「疾病・遺伝子」「感染症」といったりスク事象に関するトピックと,「情報・対話」「意思決定・管理」「用量反応・モデル」のようにリスク分析のアプローチに関するトピックの二つに大き 〈分けることができた。リスク学の専門誌である Risk Analysis と Journal of Risk Research は, Science よりも,リスク分析のアプローチに関する論文の割合が高かったのに対し,Scienceでは,「疾病。遺伝子」に関する論文の割合が高かった。 2019年事典と比較すると, 事典の第1-4章(第一部及び第二部)がリスク分析のアプローチに関するトピックに,6-9章(第三部)がリスク事象に関するトピックに対応していた。この一方で, 5 章(第二部;リスクファイナンス),10-11章 (第三部;共生社会のリスクガバナンス,金融と保険のリスク)12-13章(第四部;リスク教育と人材育成,国際潮流,新しいリスクの台頭と社会の対応)については関連したトピックがなかつた。また,「疾病・遺伝子」のトピックに対応す る事典の章はなかった。このように,構造トピックモデリングによるリスク分野の構造化は,リスク分野の俯瞰のうえで有用な知見を提供でき,次期事典作成のうえで参考になる見达みを持つと考えられた。 ## 3. ソーシャルリスニングを用いた世間の リスク認識の分析とリスク学事典の関係 (永井孝志) リスク学事典を一般の方にも活用してもらうためには,一般の方の興味に基づいた構成にするということも一案として考えられる。世間のニ一ズ,人々の生の声を収集する方法の一として, ソーシャルメディアの会話等を分析するソーシャルリスニングという方法がある(五藤,2012)。本手法は,一般の人々がいつ・どこで・どんな 「リスク」に興味・不安があるかという分析に応用できる。そこで,Google Trends やYAHOO! 知恵袋,Twitter のデータを対象とし,どのような 「リスク」が注目さているかを調査し,その結果と2019年事典のカバーする範囲を比較した。 Google Trends と YAHOO! 知恵袋, Twitterのいずれのツールにおいても,2019年までは多様なリスクについての話題が挙がっていたが, 2020 年にはほぼ新型コロナウイルスの話題一色となつた。さらに,2021年になると新型コロナウイルスそのものよりもワクチンに関する話題が多くなった。 これらのツールにて抽出したリスク要因と 2019年事典がカバーする範囲を比較すると, 2019年事典ですでにカバーできている項目も多いが,それでもなおリスクの専門家がとらえるリスクと一般の人々が認識しているリスクの間にはギャップがあった。2019年事典でカバーされなかったリスク要因は以下のようにまとめられる。 ・道路交通リスク ・国際関係によるリスク - 人生選択リスク(受験,就職, 結婚, 育児, 副業,起業,マネープラン) $\cdot$女性のリスクとしての妊娠・出産 $\cdot$表に出にくい(相談しにくい)リスク(性行為, 風俗, 不倫, 隠し事, 違法薬物, 不正行為,犯罪行為) ・治療ではなく何かを得るための医療的なりスク (レーシック手術,整形手術,サプリメント,医薬品まがいのもの) Table 1 Characteristics of books similar to the encyclopedia of risk research & & $\$ 1,794$ & アルファベット順 & 統計関連 & \\ $\cdot$その他(仮想通貨,危険な動植物,医療崩壊) このように,世間のニーズに合ったリスク要因の洗い出しの方法の一つとしてソーシャルリスニングが有用であることが示された。 ## 4. 類書との比較を通じたリスク学事典の 位置付け(清水右郷) リスク学事典がどのような特徴を備えるべきかについて,過去の事典編纂者は考えてきたにしても,公にはあまり検討されてこなかったように思われる。一般にイメージされる事典の特徴としては,例えば,次のような特徴がありうる。 ・当該分野の知識が網羅されている ・通読の必要がないよう, 情報が整理され, 検索も容易になっている $\cdot$書かれている内容が正しい しかし,事典の歴史を紐解けば,事典の様々な特徴が示唆されることを指摘した。古代ローマのプリニウスによる『博物誌』は,傑出した知識人としてのプリニウスの見聞に基づき,自然や技術や神話に関する記事が独特の世界観に従ってまとめられていた。18世紀前半には,英国においてジョン・ハリスの『技術事典』やイーフレイム・ チェンバーズの『サイクロペディア』といったアルファベット順の事典が人気を博し,とりわけ記事間の相互参照を導入した『サイクロペディア』 は画期的なアイデアとして評価された。18世紀後半になると, 仏国ではディドロとダランベールにより『百科全書』が編纂される。総勢 184 人の知識人が啓蒙主義色の濃い論争的記事を執筆したことで, 同書の編纂は社会の変革につながったと評されるほど重要な仕事となった。 事典に様々な特徴がありうるとすれば,リスク学事典にも多様な可能性があり, その可能性を探るためリスク学事典の類書を比較検討するという アプローチを試みた。本発表では(1) Melnick and Everitt (2008) (2) Burgess et al. (2016) (3) Roeser et al. (2012) (4) Löfstedt and Bouder (2013)の四つを対象に, (a) 巻数・ページ数 (b) 值段 (c) 目次の構成 (d)編著者の専門 (e) 内容の特徴の 5 項目を取り上げて報告した(Table 1)。 「リスク学事典はリスク学に関わる人々のアイデアや期待を積極的に反映するという特徴を持つ」こともリスク学事典の可能性の一つであり, リスク学事典のあり方や類書比較の方針について学会参加者との意見交換に努めた。 ## 5. 学際的リスク分野を編纂したリスク学事典 2019 の課題と今後のあり方(藤井健吉) 2019年事典の編纂における編集委員会設立経緯, 事典の構成に関する考え方, 今後のあり方についての詳細について, 既報の内容(藤井, 2021)に基づいて本セッションにて紹介した。 2019年事典編集においては,編集委員会のもとで主テーマの検討,構成・項目の検討,執筆者の検討,査読と採否・校正などが執り行われた。したがって,本企画セッションで議論された事典の構成の課題や新たにリスク学事典に取り上げるべき章・中項目,より革新的な事典のあり方などの諸々のアイディアは, 次期事典の編集委員会に知見として統合されていくべきだろう。また, 2019 年事典編集委員会では, 参照文献・見出し語索引・欧文事項索引・人名索引の網羅的な設定により,章・中項目間の情報横断性をより高めることが工夫された。このような事典機能は, 情報統合性の観点から重要であり, デジタル技術の併用など更なる検討の意義がある。将来への課題としては, 分野ごとに異なる用語・訳語の違いを欧文事項索引から整理できる状態になること, 人名索引 をより成熟させることでリスク学分野の歴史的積み上げを人物からも検証可能とするリスク史的検証を深めること,などが編纂課題として挙げられた。また,本企画セッションにおけるそれまでの発表や議論に基づいて,人生選択に関するリスクやリスクに関する論争や歴史などを紹介した章をリスク学事典として組み込むことの可否について論じた。とりわけ,2019年事典の第 10 章「共生社会のリスクガバナンス」において多様なリスク事例をまとめたことに言及した。 ## 6. まとめ 本企画セッションでは4件の発表をもとに,以下のような議論があった。 ・構造トピックモデリングについては,対象雑誌を広げ,かつ,近年刊行された論文のトピックの変化を特に注目することで,エマージングなリスク事象を見いだせる可能性がある。 ・ソーシャルリスニングで示された個人の人生選択リスクや明示的に議論されないような暗部のリスクも重要である。リスク学として論じられているトピックであれば,次期事典でも扱うことは可能である。 $\cdot$類書との比較に関する発表では,リスク学に関わる人々の多様なアイディアを示すことの意義が再確認された。異なる解決策の提示例など,多様な意見を記述した章やリスクに関する論争や歴史を記述する章を考慮することの重要性が指摘された。 $\cdot$ 2019 年事典編纂における課題と今後のあり方での議論を通じて,リスクという言葉が使われていなくても本質的にはリスクに関連するような事柄も,射程に入りうることが述べられた。次期事典編纂にあたっては,書籍販売の位置づけや日本リスク学会員の専門性やその活動範囲など, 今後の社会や学会の変化に依存する部分もあ万う。幅広い関係者への呼びかけとともに,不断の議論が期待される。 ## 参考文献 Burgess, A., Alemanno, A., and Zinn, J. (eds.) (2016) Routledge Handbook of Risk Studies, Routledge. Fujii, K. (2021) The contemporary impacts of SRAJ encyclopedia of risk research 2019, Japanese Journal of Risk Analysis, 30, 119-125. (in Japanese)藤井健吉(2021)リスク学事典編纂の現代的意義を振り返るリリク学研究,30, 119-125. Goto, H. (2012) Socio-informatics and business: Social media and data-intensive science, SocioInformatics, 1(2), 27-35. (in Japanese) 五藤寿樹 (2012) 社会情報とビジネスーソーシャルメディアとデータ集約型科学, 社会情報学, 1(2), 27-35. Löfstedt, R., and Bouder, F. (eds.) (2013) Risk (Critical Concepts in the Social Sciences), Routledge. Melnick, E. L., and Everitt, B. S. (eds.) (2008) Encyclopedia of Quantitative Risk Analysis and Assessment, Wiley. Murakami, M. (2019) Book review: The encyclopedia of risk research (edited by the Society for Risk Analysis, Japan, Maruzen Publishing, 2019), Japanese Journal of Risk Analysis, 29, 147-149. (in Japanese) 村上道夫 (2019) 書評『リスク学事典(日本リスク研究学会編, 丸善出版, 2019年)』日本リスク研究学会誌, 29, 147-149. Roberts, M. E., Stewart, B. 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# 【総説論文】 ## トピックモデルを用いたリスク分野の俯瞰と リスク学事典との関係* ## An Overview of the Risk Science using Topic Model and Its Relationship to the Encyclopedia of Risk Research \author{ 村上道夫 ${ }^{* *, * * *}$, 竹林由武** } ## Michio MURAKAMI and Yoshitake TAKEBAYASHI \begin{abstract} Structuring the topics of risk-related articles is expected to lead to understanding the characteristics of various risk sciences. Here, we used structural topic modeling to analyze the topics of risk-related articles, and compared each topic with the content of the encyclopedia of risk research. The target journals were Risk Analysis (RA), Journal of Risk Research (JRR), and Science published up to 2020. For RA and JRR, all articles were included, and for Science, articles that included risk in the title, abstract, or keywords were selected. 3761 RA articles, 1403 JRR articles, and 947 Science articles were included. Articles were classified based on the cooccurrence of terms used in the abstract. The 23 classified topics can be divided into three types of topics: risk events, risk analysis approaches, and risk sociality and communication. RA and JRR contained more articles on topics related to risk analysis approaches and risk sociality and communication in general, while Science included more articles on topics such as "diseases and genes." In comparison with the encyclopedia, chapters 1-4 of the encyclopedia corresponded to topics on risk analysis approaches and risk sociality and communication, and chapters 6-9 corresponded to topics on risk events. The encyclopedia also had other chapters on finance and other topics. On the other hand, there was no chapter in the encyclopedia corresponding to the topic of "diseases and genes." Analyzing the risk science by structural topic modeling can provide useful knowledge for overviewing the risk science fields and preparing the next encyclopedia. \end{abstract} Key Words: risk science, structural topic model, the encyclopedia of risk research ## 1. はじめに リスクは様々な学術分野において扱われてお り,そのトピックは幅広い。リスクを扱った論文のトピックを構造化し, リスク分野を俯瞰することは,多様な学術体系の特徴の理解につながるも のと期待される。これまで, リスク分野の俯瞰に対する取り組みとして, 少数の著者による総説論文(リスクベース防護基準専門研究会,2000),多数の著者による原稿を編集した事典(Melnick and Everitt, 2008; 日本リスク研究学会,2019)な  どの媒体で刊行されてきた。これらの取り組みの多くは,ナラティブレビューに基づくものであるが,リスクを扱う論文を網羅的かつ体系的にまとめる取り組みも重要である。網羅的かつ体系的にまとめる方法として, 文献検索エンジンにキー ワードを入れ,抽出された多数の論文を対象に内容を精査することでまとめるシステマティックレビューやスコーピングレビューの他に(Peters et al., 2015), 近年では, 論文の抄録に用いられた用語の共起性に基づいて研究テーマを分類するトピックモデル (Roberts et al., 2014)を適用して領域を俯瞰する方法も提案されている。このような手法を学際的な領域であるリスク分野に適用することは,体系化のために有用な方法として期待できる。 日本リスク (研究) 学会では, リスク分野の俯瞰を標榜したリスク学事典を2000年, 増補改訂版を2006年(日本リスク研究学会,2000,2006) に刊行しており,2019年には最新版として内容を一新した (日本リスク研究学会, 2019)。リスク学事典の内容とリスクを扱う論文を網羅的に構造化した解析結果と比較することは, 事典の構成と網羅性を議論するうえでも意義がある。リスク学事典は, 今後も定期的な刊行が期待されるとこ万であり,構造トピックモデリングによるアプローチとの比較は今後の事典編集のうえで一定の示唆を与えるものと期待できる。 そこで,本研究では,リスクに関する論文を対象にトピックモデルを用いることで,リスク分野のトピックを抽出した。次に,これらのトピックについて,掲載雑誌によるトピックの違いを調べた。さらに,トピックの分布に関する経時的な変化を評価し, どのようなトピックの論文が増加・減少傾向にあるのかを明らかにした。最後に, 各トピックと2019年に刊行されたリスク学事典の内容を比較した。 ## 2. 方法 対象雑誌は, リスクに関する専門誌である Risk Analysis(以降, RA) とJournal of Risk Research (JRR)に加えて, 学際的なハイインパクト雑誌であるScienceとした。日本リスク研究学会誌・リスク学研究は, 英語の抄録の一括ダウンロードができないため, および,日本人著者による英語の文章表現の偏りを回避するために対象外とした。 2021 年 5 月 24 日にScopusを用いて2020年までに刊行された論文を検索した。RAとJRRについては全ての論文を,Scienceについては,夕イトル,抄録, キーワードにriskを含む論文を抽出した。 なお, RAは1981年, JRRは1998年, Scienceは 1880 年に刊行された雑誌である。 対象となったのは, RA 4537 報, JRR 1510 報, Science 3033 報, 計 9080 報であった。抄録が空闌の論文は対象外とし, RA 3761 報, JRR 1403 報, Science 947 報, 計 6111 報の論文を対象に, 構造トピックモデル (structural topic model; STM) (Roberts et al., 2014)によって抄録に用いられた用語の共起性に基づいて論文の背景に潜在するトピックを抽出し論文を分類した。 STMは文書生成プロセスを表現した確率モデルであり,各文書(ここでは論文の抄録内)において任意に指定した数のトピックにおいてそれぞれが出現する確率である topic prevalence $(\gamma)$ と, それぞれのトピック下での単語の出現確率である topic content $(\beta)$ が主要なパラメータである。ここでのトピックとは, 同じ文書で現れやすい用語の集合のことを指す。 $\gamma$ との推定だけであれば, トピックモデルの代表的なモデルである latent Dirichlet allocation (LDA) modelで可能であるが, STMはLDAを拡張し, $\gamma$ と $\beta$ に影響を与える共変量をモデルに含み,その影響度を推定できる利点がある。本研究では出版年を共変量に含めて推定を行なった。推定にはRのstmパッケージを使用した(Roberts et al., 2019)。 トピックの分類数は, held-out likelihood, residuals, semantic coherenceの指標と解釈可能性から判断した。 個々の論文の各トピックに対する生起確率のうち,最大值を示したトピックを当該論文が所属するトピックと見なした。雑誌ごとに, 分類された 23 のトピックに対する各トピックに所属する論文の割合を算出し, $\mathrm{z}$ 検定 (Bonferroniの調整あり)を用いて比較した。また, トピックの分布に関する経時的な変化については, 論文の掲載された年に基づいて1990年まで, 1991-2000年, 2001-2010年, 2011-2015 年, 2016-2020 年の 5 分類したうえで各トピックに所属する論文の割合を算出し, 傾向性の検定 (Mantel-Hanszel test for trend)を用いて分析した。1990年までの論文は 532 報(全体の 8.7\%)と少なかったため,ひとまとめにした。経時的な変化については,3雑誌をまとめて行ったほか, 雑誌ごとにも解析した。 IBM SPSS Statistics 24 を用いて解析した。 リスク学事典の1から 13 までの章に書かれている内容と分類された各トピックの対応関係を整理することで,リスク学事典と分類されたトピックの比較を実施した。 ## 3. 結果 ## 3.1 分類されたトピックの特徵 構造トピックモデリングの結果, held-out likelihood, residualsは20-25でおおむね安定し, semantic coherenceの指標は21-25くらいまでで安定した(Figure 1)。20から 25 までのトピックの分類数と各トピックの頻出用語を比べ,トピックの解釈可能性をみたところ,20から23までは解釈可能な新たなトピックが登場し,23から24の過程で一部のトピックが消失し, 24 から 25 の過程で24にあったトピックの一部が消失し, 23 にあったトピックが再登場した。以上のことから, (a) Number of Topics (K) (b) (c) Figure 1 Diagnostic values by number of topics. (a) Held-out likelihood, (b) residuals, (c) semantic coherence.分類数は 23 が適切と判断した。 23 の各トピックに高頻度で用いられる用語を Figure 2 に示す。これらの用語から,それぞれのトピックは $1\lceil$ 情報・対話」,2「システム・セキュリティ」,3「健康評価」,4「安全・事故」,5「食品」, 6「疾病 - 遺伝子」, 7「費用 - 便益」, 8「水環境 $\cdot$土壤」,9「大気污染」, 10「意思決定 $\cdot$ 管理」, 11 「公衆・対話」, 12「洪水$\cdot$災害」, 13「化学物質規制」,14「用量反応・モデル」,15「不確実性・モデル」, 16「生態系」, 17「原子力・放射線」, 18「認知 $\cdot$ 信頼」, 19「感染症」, $20\lceil$ 気候変動」, 21「原則・概念」,22「がん」,23「健康・公衆」に関連すると考えられた。 これらの23のトピックは,リスク事象に関するトピック(2「システム・セキュリティ」,3「健康評価」,4「安全 - 事故」,5「食品」,6「疾病 - 遺伝子」, 8 「水環境 - 土壤」, 9「大気污染」, 12「洪水$\cdot$災害」, 13「化学物質規制」, 16「生態系」, 17 $\lceil$ 原子力 $\cdot$ 放射線」, 19「感染症」, 20「気候変動」, 22 「がん」, 23 「健康・公衆」), リスク分析のアプローチに関するトピック(7「費用・便益」,10「意思決定・管理」, 14「用量反応・モデル」, 15「不確実性・モデル」, 21「原則・概念」), リスクの社会性・コミュニケーションに関するトピック(1「情報・対話」, 11「公衆・対話」, 18「認知・信頼」) に分けることができた。なお,食品安全分野ではリスク低減を進める朹組み全体を risk analysis とし,リスク管理,リスク評価,リスクコミュニケーションの3つのコンポーネントによって構成するが(World Health Organization, 1995), 分野によってリスク分析という用語の意味が異なることを考慮し(日本リスク研究学会,2019),本稿では, リスク分析のアプローチに関するトピックとリスクの社会性・コミュニケーションに関するトピックは明示的に区別して分類した。各雑誌間のトピックに所属する論文の割合を Figure 3 に示す。RAやJRRは,1「情報・対話」,7 「費用 - 便益」, 10「意思決定 - 管理」, 11「公衆 $\cdot$対話」, 14「用量反応・モデル」, 15「不確実性・モデル」, 18 認知・信頼, $21\lceil$ 原則・概念」など,全般的にリスク分析のアプローチやリスクの社会性・コミュニケーションに関するトピックの論文が多かったのに対し, Scienceでは6「疾病・遺伝子」, 16「生態系」, 19「感染症」, 20 「気候変動」, 23 「健康・公衆」に関する論文が多かった。特に, 6「疾病・遺伝子」については, ScienceがRAや $\beta$ Figure 2 High frequency words for each topic. The numbers in gray boxes represents the topic. $\beta$ represents topic content parameter, which reflect the probability of a term being generated by the topic. Figure 3 Comparisons in distributions of each topic among journals. Green underlined fonts represent topics related to risk sociality and communication. Blue fonts represent topics related to risk analysis approaches. Red italic fonts represent topics related to risk events. Different letters represent significant differences among three journals $(P<0.05)$. JRRよりも顕著に多かった。 トピックの分布に関する経時的な変化を Figure 4 に示す。1「情報・対話」,2「システム・セキュリティ」,5「食品」,11「公衆・対話」,12「洪水 $\cdot$ 災害」, 18 認知 $\cdot$ 信頼」, 19 感染症」, 20 「気候変動」,21「原則・概念」が増加傾向だったのに対し, $3\lceil$ 健康評価」, 6「疾病 ・遺伝子」, 8「水環境・土滾」,9「大気污染」, 14 「用量反応・モデル」, Figure 4 Temporal trends for distributions of each topic. Green underlined fonts represent topics related to risk sociality and communication. Blue fonts represent topics related to risk analysis approaches. Red italic fonts represent topics related to risk events. " + " represents a significant increase trend $(P<0.05)$. and " - " represents a significant decrease trend $(P<0.05)$. 15 「不確実性・モデル」, 17「原子力・放射線」, 22 「がん」,23「健康公衆」が減少傾向にあることが明らかとなった。なお,雑誌ごとに同様の解析を行うと(data not shown), Scienceでは6「疾病・遺伝子」, 16「生態系」, 19「感染症」, $20\lceil$ 気候変動」 が増加傾向, $3\lceil$ 健康評価」, 9「大気污染」, 14「用量反応・モデル」, 17 「原子力・放射線」, 22 「がん」,23「健康公衆」が減少傾向であった。一方, RAでは $1\lceil$ 情報・対話」,2「システム・セキュリティ」, 5「食品」, 12「洪水・災害」, 19「感染症」, 20 「気候変動」,21「原則・概念」が増加傾向, 3 「健康評価」, 6 「疾病・遺伝子」, 8 「水環境 -土壤」, $9\lceil$ 大気污染」, 14「用量反応・モデル」, 15「不確実 減少傾向,JRRでは 1 「情報・対話」, 12「洪水・災害」が増加傾向,7「費用・便益」,9「大気污染」 が減少傾向であった。このように,雑誌間で増加・減少傾向するトピックが異なった。 ## 3.2 分類されたトピックとリスク学事典との比較 分類されたトピックとリスク学事典の各章の対応関係を Table 1 に示す。リスク学事典は, 四部構成となっており, 第一部が第 1 章, 第二部が第 2-5 章, 第三部が第 6-11 章, 第四部が第 12-13 章に分かれており, 第一部と第二部でリスク学に関する基本的事項をまとめた後で, 第三部で個々の専門分野におけるリスク事象,第四部にて次世代以降のリスク学につながる内容が紹介されている。 リスク学事典の第 1 章「リスクを取り巻く環境変化」は,その内容から分類されたトピックの 21「原則・概念」が対応すると考えられた。同様に,第2章「リスク評価の手法:リスクを測る」 は7「費用・便益」, 14「用量反応・モデル」, 15「不確実性・モデル」,第3章「リスク管理の手法: リスクを最適化する」は10「意思決定・管理」,第4章「リスクコミュニケーション:リスクを対話する」は1「情報・対話」, 11「公衆・対話」, 18 村上・竹林:トピックモデルを用いたリスク分野の俯瞰とリスク学事典との関係 Table 1 Comparison in contents between Encyclopedia of Risk Research and topics identified by the model. Green underlined fonts represent topics related to risk sociality and communication. Blue fonts represent topics related to risk analysis approaches. Red italic fonts represent topics related to risk events. } \\ 3. 健康評価, 8. 水環境。土壌,9.大気污染, 13 . 第6章環境と健康のリスク化学物質規制, 16. 生態系, 17. 原子力$\cdot$放射線, 19. 感染症, 22. がん, 23. 健康.公衆 第7章社会インフラのリス 2. システム・セキュリティ, 3. 安全$\cdot$事故 第8章気候変動と自然災 12. 洪水$\cdot$災害,20. 気候害のリスク変動 第9章食品のリスク 5 . 食品 第10章共生社会のリスク ガバナンス 第11章金融と保険のリス ク 第四部リスク学の今後 第12章リスク教育と人材 育成, 国際潮流 第13章新しいリスクの台 頭と社会の対応 ## 6. 疾病$\cdot$遺伝子 「認知・信頼」, 第6章「環境と健康のリスク」は $3\lceil$ 健康評価」, 8 「水環境・土壤」,9「大気污染」, $13\lceil$ 化学物質規制」, 16「生態系」, 17「原子力・放射線」, 19「感染症」, $22\lceil か ゙ ん 」, 23\lceil$ 健康・公衆」,第7章「社会インフラのリスク」は2「システム・ セキュリティ」,4「安全・事故」,第 8 章「気候変動と自然災害のリスク」は12「洪水・災害」, 20 「気候変動」, 第9章「食品のリスク」は5「食品」 がそれぞれ対応すると考えられた。一方, 第 5 章「リスクファイナンス:リスクを移転する」, 第 10 章「共生社会のリスクガバナンス」, 第 11 章「金融と保険のリスク」, 第12章「リスク教育と人材育成,国際潮流」,第 13 章「新しいリスクの台頭と社会の対応」については,対応するトピックはなかった。一方で,6「疾病・遺伝子」のトピックに対応する事典の章はなかった。 ## 4. 考察 本論文では,構造トピックモデリングを用いることで,RA,JRR,Scienceにおいて扱われたリスクに関するトピックに分類した。その結果, 23 のトピックに分類でき,その内容からリスク事象に関するトピック, リスク分析のアプローチに関するトピック,リスクの社会性・コミュニケー ションに関するトピックへと区分することができた。雑誌間による各トピックの分布の違いを見たところ,RAやJRRが Science と比べて全般的にリスク分析のアプローチやリスクの社会性・コミュニケーションに関するトピックの割合が多い一方で, Scienceには6「疾病・遺伝子」, 16「生態系」, $19\lceil$ 感染症」,20「気候変動」,23「健康・公衆」の割合が高かった。RAやJRRは、リスクに関する専門誌であるのに対し, Scienceはより広範囲の内容を対象とする学際性の高い学術雑誌である。 Scienceよりも,リスクに関する専門誌において, リスク分析のアプローチやリスクの社会性・コミュニケーションに関するトピックの割合が高いのは, 各雑誌の狙いや特性から考えて妥当な結果であるといえる。一方, Scienceでは, 社会的な注目を集める論文が掲載されることが多いために, $6\lceil$ 疾病・遺伝子」, 16「生態系」, 19「感染症」, 20 「気候変動」,23「健康・公衆」といったリスク事象に関するトピックの割合が高かったと考えられる。 各トピックの分布に関する経時的な変化には,個々のリスク分野に対する注目の推移が反映されていると考えられる。RA, JRR, 3雑誌全体における解析において,1「情報・対話」,12「洪水・災害」が増加傾向, Science, RA,3雑誌全体における解析において,19「感染症」,20「気候変動」が増加傾向にあるという共通性が見られた。一方, $6\lceil$ 疾病・遺伝子」はScienceでは増加傾向である のに対して,RAや3雑誌全体における解析では減少傾向にあるといった違いがみられた。ここで,各トピックの割合に関する経時的な増減傾向が,必ずしもそれぞれのリスクの大きさの増減を意味するのではないことに注意が必要である。例えば,9「大気污染」の割合は,個々の雑誌および 3雑誌全体における解析のいずれにおいても減少傾向を示したが,世界の疾病負担研究によれば, 87のリスク事象による世界における疾病負担の寄与の内,大気中粒子物質の負荷は1990年時点の 13 位から 2019年時点において7位に上昇している(GBD 2019 Risk Factors Collaborators, 2020)。 分類されたトピックとリスク学事典の章構成を比べると,リスク学事典では,6「疾病・遺伝子」 を除く全てのトピックをカバーしていた。とりわけ,第一部と第二部の第2章,第3章はリスク分析のアプローチに関するトピック,第二部の第 4 章はリスクの社会性・コミュニケーションに関するトピック,第三部はリスク事象に関するトピックから構成されるという特徴があった。さらに, リスク学事典では,構造トピックモデリングで特定されたトピック以外の内容についても扱っていた。これらは, リスク学事典における四部の構成が適切であるとともに,扱う範囲の広域性を示している。本論文で対象としたのは,RA,JRRにおける全ての論文と Scienceに掲載されたタイトル,抄録,キーワードに riskを含む論文である。したがって,これらの雑誌が扱わなかったり,掲載数が少なかったりする分野については, トピックとして特定されない可能性がある。このように, トピックとして特定されなくても, 編者による判断によってリスク学事典として扱うべき分野も含むことができたといえる。その一方で, 構造トピックモデリングには,統計解析に基づくトピック分類に伴う利点がある。たとえば,6「疾病・遺伝子」はリスク学事典では該当する章がなかったが, 次期事典を議論する際には, 扱うべき分野として検討する意義があろう。また, 第6章「環境と健康のリスク」には,多くのトピックが含まれており,章構成を分けるなどの検討の余地がある可能性を示唆している。このように,構造トピックモデリングによるリスク分野の構造化は,リスク分野の俯瞰と次期事典作成のうえで有用な知見を提供できることが示された。 ## 付記 本論文は, 第34回日本リスク学会年次大会で発表した内容(村上, 竹林 (2021); 村上ら (2022)) に加筆したものである。 ## 謝辞 本研究を進めるにあたり,次期リスク学事典に関するタスクグループのメンバーから有益なコメントを頂戴した。ここに謝意を示す。 ## 参考文献 Ad-hoc Expert Group on Risk-Based Radiation Protection Standards (2000) Risk concepts in various fields including radiation protection: A historical review and some recent topics, Jpn. 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# 【情報】 ## 2021 年度 「グッドプラクティス賞」受賞にあたって 規制と自主管理のベストミックス \\ -SAICM 社会実装一* ## Well-balanced Regulations and Self-initiatives for the Chemical Safety Based on SAICM 長谷恵美子**, 北野 $大 * * *$ Emiko HASE and Masaru KITANO \begin{abstract} Authors reviewed the stakeholders' efforts especially by governments, industries and academia on the sound chemicals management. The chemical management should be based on the well-balanced regulations and self-initiatives, and it will be enhanced by the engagement of relevant stakeholders through communication. This report proposes the needs for the further communication and education among stakeholders to establish the safer sustainable society. \end{abstract} Key Words: chemical management, SAICM, communication, engagement 本稿では, 2021 年度日本リスク学会「グッドプラクティス賞」受賞にあたり,受賞者である 「SAICMにかかる産官学ステークホルダー(代表者北野大)」のこれまでの取組を振り返りつつ,今後我が国の化学物質管理が社会的な価値として認められ,全てのステークホルダーとともに安全で安心な社会を実現していくにあたり, 次世代に期待するところを述べてみたい。 ## 1.はじめに 化学物質管理の重要性が国際的に認識されたリ才宣言(Agenda21第19章)から,2022年で30 年目を迎える。この間, 化学物質を取り巻く社会 .環境の変化は大きく加速化してきた。公害問題や事故・災害をはじめとする地域の問題は,気候変動や生物多様性喪失といった地球規模の課題に発展している。私たちの豊かな生活を育んできた化学物質との新しい付き合い方が求められていると いっても過言ではない。 化学物質は「諸刃の剣」である。洗剤や化粧品は清潔や美を保ち, アルコール消毒剂は衛生課題に貢献するなど, 化学物質は社会的価値をもたらす。他方, 化学物質はその不適切な使用・管理により人健康や環境に負の影響を与える場合がある。このため, 化学物質に関わるそれぞれのステークホルダーがそれぞれの役割を認識し, リスクとベネフィットを対話を通じて共有すること, そして一般市民を含む全ての人々が正しく理解し化学物質の恩恵を享受することで安全・安心な社会につながる。 以下, 世界の課題に対し, 国内の産官学が互いの対話の場の創出から, 課題の共有と解決策に向けた共通認識の社会発信に至った取組を紹介する。  ## 2. SAICM とは SAICMは,2006年に首脳レベルで合意された国際的な化学物質管理のための戦略的アプローチ (Strategic Approach to International Chemicals Management: SAICM) である。“2020年までに化学物質が健康や環境への悪影響を最小限とする方法で生産・使用されること”を目標に掲げ,世界が取り組んできた共通目標ともいえる。歴史的には, 1992 年, リオ宣言 (Agenda21の19章) において化学物質管理の重要性が国際的に認識され,10年後の 2002 年にWSSD(World Summit on Sustainable Development)において2020年目標が合意され, 4 年後の 2006 年にアプローチ,すなわちSAICM が採択された(環境省,2021)。この間,化学物質の不適切な取扱いにより新たな労働安全衛生問題の発生及び地球環境問題の深刻化が生じた。ヒ卜の健康や環境への悪影響が顕在化しており,化学物質の不当な使用が経済成長を妨げかねないことが国際的に認識され取組まれてきたものである。 SAICMは,次の3つの文書から構成される。 ・WSSD2020年目標を確認する30項目からなるハイレベル宣言である「ドバイ宣言」 $\cdot$ SAICM の対象範囲, 必要性, 目的, 財政的事項,原則とアプローチ,実施と進渉の評価について定めた「包括的方針戦略」 $\cdot$SAICMの目的を達成するために,様々なステークホルダーが取り得る 273 の行動項目等をリストアップした「世界行動計画」 ## SAICMの概要 Figure 1 Brief summary of SAICM (MOE) ## 3. 国内外SAICM 進渉の評価 ## 3.1 国外 SAICMの進渉管理は,マルチステークホルダーの参加の下で 3 年ごとに開催される国際化学物質管理会議の下で行われてきた。2009年に開催された第 2 回国際化学物質管理会議(ICCM2)では,SAICMにおける重点取組課題として,「新規政策課題」,「その他懸念される課題」を特定し,関係主体のパートナーシップの下で取組を進めていく朹組みが作られた。これまでに,塗料中鉛,製品中化学物質,ナノテクノロジー及び工業用ナノ材料, 電気電子機器のライフサイクルにおける有害化学物質, 内分泌かく乱作用を有する化学物質, 環境残留性のある医薬污染物質, ペルフルオ口化合物の管理と安全な代替物質への移行,毒性の高い農薬の 8 項目が新規政策課題等として特定されてきた。 2015 年に開催された第 4 回国際化学物質管理会議(ICCM4)において,2020年以降の枠組みを検討するための会期間プロセスが開始された。第三者評価が行われ,ボランタリーアプローチによる多様なステークホルダーの参加や,新規政策課題の特定など優先順位をつけた課題への取組などが SAICMの強みとして特定されたが,一方で,リソース不足,学術界や産業界の限定的な参加,適切な進渉管理手法の欠如などが課題として挙げられている。 本年はCOVID-19感染拡大による昨年からの才ンライン会議(一般公開)を継続し,来る 2022 年以降に 2030 年目標 (beyond SAICM の化学物質管理に関する新たな国際枠組み)が採択される予定である(UNEP,2021)。すでにSAICM2020年目標は未達であったとされており (UNEP, 2019),その課題をふまえた次の 10 年のより戦略的な枠組みの採択に注目が集まりつつある。2021年7月には,COVID-19により延期となったICCM50代わりに「2030年に向けた持続可能な化学物質管理に関するベルリンフォーラム」が開催され,国連事務総長からは“解決法はあるが全てのステークホルダーを巻き达んでもっと野心的な世界レベルでの取組が必要”との提言がなされた。 昨今のCOVID-19による社会の価値観やライフスタイル (生活様式) の変化を受け,国連SAICM 事務局のウェブサイトではより幅広いステークホルダーからの声を積極的に集める取組が続けられており,化学物質管理分野への新たな期待が反映されることも予想される。 ## 3.2 国内 国内では,第三次環境基本計画(2006年 4 月閣 議決定)に打いて,SAICMに沿って国際的な観点に立った化学物質管理が位置づけられ, 第四次環境基本計画(2012年4月閣議決定)でも引き続き上記位置づけのもと,国内実施計画を策定・実施するとともに, 国際的なSAICMの実施にも貢献することとされた。現行の第五次環境基本計画 (2018年4月閣議決定(環境省,2018))では,重点分野の一つとして揭げられている化学物質管理の中で, WSSD2020目標の達成を目指しSAICM 国内実施計画(2012 年 9 月 SAICM 関係省庁連絡会議(環境省,2012)に基づいた化学物質管理に取り組むこととされている。 また,産業界は,法対応のみならず,レスポンシブルケア活動やプロダクトスチュワードシップ活動を通じて,自主的なリスクベースの化学物質管理に努めてきた。 しかしながら, 化学物質は原料調達から使用,廃棄,リサイクルまで多くのステークホルダーが関わるため,個々の役割を果たすだけではリスクの最小化・ベネフィットの最大化には不十分である。このため我が国日本では,次項に示すように各主体の対話の場の創出と継続的な対話が進められてきた。 ## 4. 対話の場の創出と共通認識に向けて ## 4.1 化学物質と環境円卓会議の背景(環境省, 2001) 「化学物質と環境円卓会議」は, 化学物質の環境リスクについて,国民的参加による取組を促進することを目的として,市民,産業,行政の代表による化学物質の環境リスクに関する情報の共有及び相互理解を促進する場として2001年に設置された。主な役割として, 以下を揭げ2010年まで26回にわたって市民団体,産業界,行政が公開で議論を続けてきた。 〈円卓会議の役割〉 1. インターネットの活用や地域フォーラムの開催により,国民各界の意見・要望を集約し, 2.これらの意見・要望を踏まえた対話を通じて,環境リスク低減に関する情報の共有と相互理解を深め, 3. 会議での議論やそこで得られた共通認識を市民・産業・行政に発信します。 【出典】http://www.env.go.jp/chemi/entaku/index.html 設置の背景には,化学物質がもたらす環境りス クに対する国民の不安が大きくなっていることが国レベルで認識されたことにあった。化学物質は, 私たちの生活を豊かにし, また生活の質の維持向上に久かせないものとなっている一方で,日常生活の様々な場面, 製造から廃棄に至る事業活動の各段階において, 環境を経由して人の健康や生態系に悪影響を及ぼすおそれがある。不安を解消するための情報・意見の共有を目的として,ステークホルダーの協議の場の創設が,平成 13 年 7 月の「21世紀『環の国』づくり会議」(内閣総理大臣主宰)報告書で提言された。 Table 1 Meeting Report on Creation of "Wa-nokuni" for $21^{\text {st }}$ 「21世紀『環の国』づくり会議」報告書(抄)化学物質による環境污染に対する国民の不安を解消するためには,行政,産業,市民が情報を共有し,共通認識を持って合理的な行動が取れるような社会的枠組みを作ることが必要です。このため,行政,産業,国民の代表による協議の場を設けるなどにより,化学物質による環境リスク低減のための国民的参加による取組を促進することが望まれます。 円卓会議においてはじめは個々の立場に応じた発言が多く一方向的な意見も少なくなかったが,化学物質を正しく理解することで安全・安心な暮らしが実現できるという共通の価値観が共有され, 次第に互いの意見を尊重し, 課題の解決に向けた議論がなされるようになった(Table 4 and 5)。最後の第 26 回では,これまでの成果物として,「今後のリスクコミュニケーションのあり方について」共通の認識が文書化された。 Table 2 Approachies to Risk Communication in future (Aug. 31, 2010) 今後のリスクコミュニケーションのあり方について(2010年8月31日) 1. 化学物質と環境円卓会議は, 相互理解の場として一定の成果はあった。 2. 化学物質の安全性に関する生活者の不安を減らすため (1)これまで化学物質管理が深化してきたことを踏まえつつも, (2)今後も, わかりやすく一元化された情報提供と,ライフサイクルにわたり,すき間のない総合的な化学物質対策の推進が必要。 3. 各主体は,それぞれイニシアティブを持ってリスクコミュニケーションに地道に取り組むことが必要。特に, 市民参加と企業の取組, 地域レベルでの取組が重要。 4. 今後の方向性としては, (1)国及び地域レベルでのリスクコミュニケー ション推進 (2)「円卓会議」から「政策対話」へ(各主体の参加と政策提言(例:SAICM国内実施計画) $)\rfloor$ ## 4.2 化学物質と環境に関する政策対話の背景 (環境省,2012) 「化学物質と環境円卓会議」を通じてその目的である「化学物質の環境リスクに関する情報の共有及び相互理解を促進」することは達成された。 このため円卓会議を発展的に解消し,「国民,事業者, 行政, 学識経験者等の様々な主体が参加する意見交換,合意形成の場」として政策対話が 2012年に新設された。最終的には, 化学物質に関する国民の安全・安心の確保に向けた政策提言を目指すこととし,メンバーは,学識経験者, 市民団体, 労働団体, 産業界, 行政から構成された。 ・趣旨及び第 1 回当時の構成メンバー http://www.env.go.jp/chemi/communication/ seisakutaiwa/dialogue/01/mat01.pdf 2020 年の WSSD目標最終年を迎え,第 16 回政策対話では, SAICM国内実施計画の進渉として,行政, 地方公共団体, 業界団体 - 労働団体, 市民団体・消費者団体からそれぞれ,これまでの取組と成果が報告され, 前項に挙げた環境省による SAICM 進渉の評価として取りまとめられた(環境省, 2020)。 Table 3 Review Results on SAICM National Implementation Plan of Japan (Jan. 1, 2020) SAICM 国内実施計画の点検結果概要(2020年 1 月 30 日) 取組状況の総括 >ICCM やOECD等における国際的な動向もふまえつつ, 科学的なリスク評価及びライ フサイクル全体でのリスクの削減を着実に進めていくために,化審法の改正や化管法の見直し等を行うとともに,より円滑に運用するための体制整備に努めてきた。さらに,予防的取組方法の考え方に基づき,化学物質の内分泌かく乱作用やナノ材料の評価手法等の検討, 環境中の化学物質による子どもの心身の健康への影響等の未解明の問題に係る取組を進めてきた。 >関係主体間の緊密な連携の下, 各法令(リスク評価に係るもの、リスク管理に係るもの)に基づき,人健康・生態影響に関する様々な化学物質のリスク対策が着実に進められた。 > 国際協定への対応としては,ストックホルム条約,ロッテルダム条約,バーゼル条約等, SAICM国内実施計画に記載されている国際条約への貢献に加え,水銀に関する水俣条約の早期発効に尽力した。国内においては包括的な水銀対策を着実に実施し,海外に対しては我が国の優れた水銀対策技術の海外展開を図り, 水俣病経験国として世界の水銀対策の推進に貢献した。 >国以外の主体においても,各主体における自主的な取組事例や,各主体間連携による取組等, 多くの独自の積極的な取組が確認された。 多様な主体・領域において,WSSD2020年目標の達成に向けた取組が網羅的かつ着実に実施されてきた。こうした「総合的な取組の実施」は,我が国におけるSAICMに対する大きな取組成果である。 ## 今後の課題 〉 各主体におけるSAICMの認知度が十分ではなかったと考えられる。今後も継続的・着実にSAICMの取組を推進するうえでは, SAICMの具体的な内容や達成すべき目標を十分に認知させる必要がある。 つさらに, 次期枠組みの検討状況を踏まえつつ, 2020 年以降における我が国の化学物質管理のあり方についての将来ビジョンを明確化するとともに達成すべき目標,そのためのマイルストーンを設定し, 各主体に十 分に周知・浸透させる取組が必要である。 今後の取組の加速化が期待される個別の課題としては,「未解明の問題への対応」があげられる。この課題については,新たな科学的知見もふまえつつ, 事後的な対応であってはならないとの考え方に基づき,引き続き着実に取組を推進させる必要がある。 〉また, 近年大规模な自然災害が頻発しており,災害・事故時における化学物質漏洩対策等の必要性が高まっている。平時に打ける災害・事故発生時の被害防止・被害拡大防止のための取組,災害対応時における迅速な対応,災害・事故発生後における追跡調查のあり方等について, 制度検討 ・取組強化が必要である。 > 現在検討が進められている次期枠組みにおいては,「化学物質と廃棄物に関する適正管理」が強調されており,ライフライクル全体での更なる取組推進のため, 廃棄段階とのインターフェースの強化が必要である。 2020 年 1 月の第 16 回以降,政策対話は未開催であるが,第五次環境基本計画の進渉確認とともに,ポストSAICMの国際目標採択後の国内実施計画の策定に向けたより幅広いステークホルダー の参画による対話が繰り広げられることが期待される。またそれらの対話の成果が,政策対話の最終目標である「化学物質に関する国民の安全・安心の確保に向けた政策提言」となると考えられる。 ## 5. 規制と自主管理のベストミックス 円卓会議と政策対話を通じて,化学物質に関する国民の安全・安心を確保するための各ステークホルダーの役割が認識された。化学物質の管理は,行政当局による規制政策と,事業者による自主的取組からなる。そして,全てのステークホルダー;行政当局,事業者に加え,市民,アカデミ了,地域社会(工場周辺住民),NGO/NPO,投資家等のエンゲージメントによる継続的なコミュニケーションを行うことが,化学物質を正しく理解し, 正しく選択し, 適切に使用することにつながり,その恩恵を社会全体が享受できる。 そこで, 日本学術会議が毎年開催している安全工学シンポジウムに 2021 年度, 日本リスク学会から, 化学物質管理への取組が社会にもたらす価值について議論することを提案し,パネルデイスカッションとして採用された(日本学術会議, 2021)。本パネルデイスカッションでは, 前項の化学物質と環境に関する政策対話で議論・共有された,各主体のSAICM 進渉に関する取組と成果を,化学物質管理の主管当局である環境省,経済産業省, 厚生労働省と,化学物質を取り扱う産業界の代表として日本化学工業協会, 川上事業者 (住友化学)及び川下事業者(花王)からそれそれ講演した。最後に,こうした全ての取組が社会にもたらした価値及び問題点について, 今後の課題とともに議論し,国際社会における「2030年に向けた化学物質管理」を牽引する日本の戦略的取組の立案・実行につなげるための仕組みについて共通認識に至った。共通認識一2030年に向けて 1) 最終ゴール 日本の化学物質管理の取組を通じて, 国民の安全・安心を確保する (社会実装) 2) 背景 $\cdot$社会・環境の変化, 多様化のなかで規制の限界, 自主管理への期待増加 $\cdot$ 製造から廃棄まで, 化学物質ライフサイクルの循環の必要性 3) 必要なアクション ・規制なしでもサプライチェーンに打いてモノが循環し,情報が価値伝達され,知見が継承される次世代体制づくり 4) そのための手段 ・行政(官)がステークホルダーとの対話を通じて仕組みを創り,その仕組みを産業界及び消費者が自律的に活用する。 ・“情報”の価値を転換するため,より幅広いステークホルダー間での対話の場を創出する。化学物質に関する情報がネガティブではなく,安全確保のための価値ある情報であることを共有する $\cdot$行政(官)が, 法令で取り締まる化学物質の優先順位を統合し実態に即した高リスク化学物質を選定する。産業界は法令に基づく評価と管理に加え,自主的なりスク管理を推進する 長谷・北野:2021年度「グッドプラクティス賞」受賞にあたって規制と自主管理のベストミックス Table 4 Brief summary of Roundtable for Chemicals and the Environment (http://www.env.go.jp/chemi/entaku/past.html) & & 北野 \\ リスク学研究 Japanese Journal of Risk Analysis Vol. 31, No. 3 Table 4 Continued & & 原科氏 \\ 長谷・北野:2021年度「グッドプラクティス賞」受賞にあたって規制と自主管理のベストミックス Table 5 Brief summary of Policy Dialogue for Chemicals and the Environment (http://www.env.go.jp/chemi/ communication/seisakutaiwa/index.html) & さん付け, 公開する, コミットはしない & 北野 \\ ## 6. 終わりに SAICM採択以前から, 円卓会議や政策対話を通じて各主体の対話の場が創出され,規制,科学, 社会のそれぞれの課題が共有されてきたこと,そしてリスクコミュニケーションのあり方や理解力の向上に向けた共通認識が文書化されたこと, さらに 2021 年度第 51 回安全工学シンポジウムで,これまでの産官学の成果の共有及び 2030 年に向けた社会実装のための共通認識に至ったことは大きな成果である。国連はUNEA-5において,「化学物質と污染は気候変動と生物多様性喪失と並べて三重の劦威である。解決策はあるが, より広いステークホルダーによる,野心的な,包括的な取組が化学物質と廃棄物の適正管理には必要である。そしてそれらの取組はSDGsの実現に資する」と明言している(UNEP, 2021)。我が国の化学物質管理が産官学連携により推進され, 社会的価値として認知されることにより,国際的な大きな社会環境課題の解決に貢献できると考えられる。 そして何よりも大切なことは,次世代を含む全ての人々が化学物質を正しく理解し, 身近な化学製品を正しく選択し,大切に正しく使い続けることである。そのためには,持続可能な社会に関する学校教育の充実と,わかりやすい情報開示,透明性と説明責任の担保,対話を通じた信頼醇成が求められる。 ## 謝辞 長年にわたって化学物質の安全な管理に向けて努力されてきた行政,産業界及び学会の関係の皆様に心から感謝します。 皆様の努力により今回の受賞に至りました。ありがとうございました。 ## 参考文献 Ministry of Environment (2021) SAICM in brief, https://www.env.go.jp/chemi/saicm/ (Access: 2021, Dec, 6) (in Japanese) 環境省 (2021) SAICM関連ウェブサイト, https:// www.env.go.jp/chemi/saicm/(アクセス日:2021年 12月6日) Ministry of Environment (2001) Roundtable for Chemicals and the Environment, http://www.env. go.jp/chemi/entaku/past.html (Access: 2021, Dec, 6) (in Japanese) 環境省 (2001) 化学物質と環境円卓会議, http:// www.env.go.jp/chemi/entaku/past.html(アクセス日:2021年 12 月 6 日) Ministry of Environment (2012) Policy Dialogue for Chemicals and the Environment, http://www.env. go.jp/chemi/communication/seisakutaiwa/index. html (Access: 2021, Dec, 6) (in Japanese) 環境省 (2012) 化学物質と環境に関する政策対話, http://www.env.go.jp/chemi/communication/ seisakutaiwa/index.html(アクセス日:2021年 12 月6日) Ministry of Environment (2012) SAICM National Implementation Plan of Japan (in Japanese) 環境省 (2012) SAICM国内実施計画. Ministry of Environment (2018) $5^{\text {th }}$ Basic Environment Plan in Japan (in Japanese) 環境省 (2018) 第 5 次環境基本計画. Ministry of Environment (2020) $16^{\text {th }}$ Policy Dialogue for Chemicals and the Environment, http://www.env. go.jp/chemi/communication/seisakutaiwa/siryou/16 . html (Access: 2021, Dec, 6) (in Japanese) 環境省 (2020) 第 16 回化学物質と環境に関する政策対話, http://www.env.go.jp/chemi/communication/ seisakutaiwa/siryou/16.html(アクセス日:2021年 12月6日) Science Council of Japan (2021) 51th Symposium on Safety Engineering, https://www.scj.go.jp/ja/event/ 2021/312-s-0630-0702.html (Access: 2021, Dec, 6) (in Japanese) 日本学術会議 (2021) 第 51 回安全工学シンポジウム, https://www.scj.go.jp/ja/event/2021/312-s0630-0702.html(アクセス日:2021 年 12 月 6 日) UNEP (2019) Global Chemicals Outlook-II. UNEP (2021) SAICM in brief, http://www.saicm.org/ Portals/12/Documents/Messages/2021-02-01_SAICMmessage-to-stakeholders.pdf (Access: 2021, Dec, 6) UNEP (2021) $5^{\text {th }}$ session of the Unite Nations Environment Assembly, https://www.unep.org/ environmentassembly/unea5 (Access: 2021, Dec, 6)
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Society For Risk Analysis Japan
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# 【情報】 ## 2021 年度 「グッドプラクティス賞」受賞にあたって 「食品安全情報」の提供について* \author{ My Work on Providing "Food Safety Information" } ## 嘼山智香子** ## Chikako UNEYAMA \begin{abstract} I received the 2021 The Society for Risk Analysis Japan's Good Practice Award for my "continuous dissemination of information on food safety over many years". The following is a summary of the activities that received the award. \end{abstract} Key Words: food safety, risk analysis, risk communication ## 1.はじめに このたび「食品安全に関する長年にわたる継続的な情報発信」に対して「2021年度日本リスク学会グッドプラクティス賞」をいただた。私は日本リスク学会の会員ではないため, リスク学会会員の皆様にはあまり馴染みがないかもしれない,受賞対象とされた活動の概略を紹介する。 ## 2.「食品安全情報」の位置づけ 食品の安全性確保は国にとって重要な課題の一つである。日本では2001年に国内で初めて牛海綿状脳症(BSE)の発生が確認されたことなどをきっかけに,2003年に食品安全基本法が公布・施行された。この法律により内閣府食品安全委員会が設置され,リスク評価とリスク管理が明確に区別されることとなった。同時期に食品衛生法の改正等も行われ,2003年4月に厚生労働省の所管する国立医薬品食品衛生研究所ではそれまであった化学物質情報部を安全情報部と改組し,「食品の安全性に関する情報の収集,加工,解析,評価, 蓄積および提供並びにこれらに必要な情報の調査及び研究を行うこと」を所掌事務とすることになった (厚生労働省組織規則)。これにより食品の安全性に関する国際機関や各国機関の最新情報,アラート情報,規制情報,評価情報などの科学的情報を専門家の立場から調査・分析し, 厚生労働省担当部局, 農林水産省, 食品安全委員会等の関係機関や一般に提供することを目的とする 「食品安全情報」の発行が始まった。それ以降現在に至るまで 18 年余,情報収集と 2 週間に一回の 「食品安全情報」発行を続けている。この業務には厚生労働省の事業として「食品の安全性に関する情報の科学的 - 体系的収集, 解析, 評価及び提供に係る研究事業費」が計上されており, 行政事業レビューを受けている。 ## 3.「食品安全情報」の内容 現在「食品安全情報」は微生物と化学物質の二つのファイルに分けて提供している。私が主に担当しているのは化学物質なので以降化学物質の情報について述べるが,基本的には微生物も同様である。  「食品安全情報」の主な情報源は海外の食品安全を扱う公的機関である。具体的には世界保健機関 (WHO: World Health Organization), 国連食糧農業機関 (FAO: Food and Agriculture Organization of the United Nations), 欧州委員会食品安全 (EC: Food Safety),欧州食品安全機関(EFSA: European Food Safety Authority),英国食品基準庁 (FSA: Food Standards Agency), ドイツ連邦リスクアセスメント研究所(BfR: Bundesinstitut fur Risikobewertung), 才ランダRIVM(国立公衆衛生環境研究所:National Institute for Public Health and the Environment),フランス食品・環境・労㗢衛生安全庁 (ANSES: Agence Nationale de Sécurité Sanitaire de L'alimentation, de L'environnement et du Travail), 米国食品医薬品局 (FDA: Food and Drug Administration), 韓国食品医薬品安全処 (MFDS: Ministry of Food and Drug Safety) 等である。韓国を除き基本的には英語で公表されている情報を収集している。なおフランス語, ドイツ語, スペイン語, 中国語等の情報が必要な場合には食品安全委員会の食品安全関係情報(食品安全委員会,2003)が参考になるかもしれない。公的機関が公表した食品のリスクに関する情報(警告や注意喚起,リスク評価の結果等) が主な収集対象である。さらに米国科学アカデミ一のような, 政府から諮問される学術団体の報告書, 重要な学術論文等も情報収集対象にしている。通常は毎日情報収集と内容の紹介のための要約作成を行い,2週間分を整理して「食品安全情報」とし, メールでの関係者への送付は隔週水曜日,木曜日には研究所ウェブサイト (国立医薬品食品衛生研究所安全情報部,2003)に揭載している。 ## 4. 食品安全情報 blog 「食品安全情報」には公的機関による公式発表を主に収載しているが,実際はそれより多くの雑多な情報源からの情報も収集している。食品関連の問題が起こったとき,最初の情報はニュースとしてもたらされることが多く,公的機関の情報は正確であろうとして確認を経るためどうしても遅れる。また民間団体が問題を提起して公的機関が対応する場合など,公的機関の発表だけでは背景情報まではわからないこともあるからである。また食品安全情報の発行間隔の2 週間は,何かの問題が起こった時に日々更新される情報に追いつくためには少し長すぎる。そうした,日の目をみな い情報や早く欲しいだろう情報を機動的に提供する場として個人で開設したブログ(食品安全情報 blog)を使ってきた。個人サイトなので時には個人的見解を含む解説を加えることもある。2004 年 5 月から 17 年以上のアーカイブが現在も利用できる(食品安全情報 $b \log 2$ ,2018)。 総務省の令和元年度情報通信白書(総務省, 2019)によると日本のインターネットの歴史では 2003-2010年がブログが盛んだった時代で, その頃が食品安全情報blogのアクセスが最も多かった時代である。おそらく食品安全関係業務に従事していないだろう一般の人にも相当読まれたことは今にして思えば幸いであった。食品のリスクについての一般の理解を深めることに一定の効果があったと考える。2021年現在のブログの毎日のアクセスは 3-400程度で, 読者は仕事で食品中化学物質の安全性業務に携わる人たちがメインだろう。インターネットの閲覧も机に座ってパソコンでテキストベースの文書を見る時代から,移動や何かのついでにスマートホンでSNSや動画をチェックする時代に移行しているため, それが仕事ではない人に複雑な事象を説明した長い文章を理解してもらうのは今の時代の方が困難だと感じている。 ## 5. 書籍 「食品安全情報」のための情報収集の成果として各種総説や解説を執筆してきたが,さらにまとまったものとして単行本も発行してきた。共著もいくつかあるがここでは4冊の単著を紹介する。 ほんとうの「食の安全」を考える一ゼロリスクという幻想一(2009年, 化学同人),「安全な食べもの」ってなんだろう?一放射線と食品のリスクを考える一(2011年, 日本評論社),「健康食品」のことがよくわかる本 (2016年, 日本評論社), 食品添加物はなぜ嫌われるのか一食品情報を「正しく」読み解くリテラシー—(2020年, 化学同人), である。なお「健康食品」のことがよくわかる本」は2017年に台湾で翻訳本が,「ほんとうの 「食の安全」を考える」は2021年に内容の一部を更新して文庫として発刊された。 根拠の薄弱な食品の危険性を訴える書籍は書店に溢れていて「買ってはいけない」のような 100 万部以上売れるような例があるため次々と同様の本が出版されている。「ほんとうの「食の安全」 を考える」はそうした状況に一石を投じたものと して好意的に受け入れられたと考えている。発刊後も長い間少しずつ増刷されて第7刷まで発行され,2021年末には一部情報を更新して文庫本として発刊された。一般の人が書店や図書館に行ったときに, 食品の安全のコーナーに根拠の疑わしい本しかない状況が少しでも改善されるのに役立ったとすれげ本望である。 ## 6. 講義・講演 私は公務員なので基本的に地方自治体や公的機関あるいは公益団体からの依頼による講演が主な活動である。地方自治体では食品安全条例を制定してリスクコミュニケーションイベントを開催することを定例行事にしているところが多いので,多くの自治体で話をしてきた。講演依頼が特に多かったのは食品中の放射性物質に関心が高まった東日本大震災後しばらくの間であった。震災後からこれまでの講義・講演の回数は 250 回を超えた。講演会等は参加者の反応が直接感じられるのが醍酔味であるが,ここ $1-2$ 年はオンラインでの講義・講演も多くなった。オンラインの良さは遠隔地の人も参加できることであるが,双方向のコミュニケーションはとりにくい印象がある。対面と同じような話のしかたでいいのかどうかもまた手探りであり,今後もいろい万な試みがなされていくのだ万う。またテーマに関しては震災から 10 年が過ぎ,現在食品の放射能污染にはあまり関心が高くはないようである。ここ数年は健康食品関連の話題に関心が高い。 ## 7. おわりに 食品の安全性確保にリスクコミュニケーションが重要な役割を果たすことは,知識としては広く普及していると思われる。しかし食品の場合, 関係者は「全ての人」であり、リスクを理解した上で適切な行動につなげるところまでがリスクコミュニケーションの目的であることを考えると到底十分な実践ができているとは言い難い。食品は誰にとっても身近なものであるため,十分な知識がないにもかかわらず知っているつもりになっていることが学びの妨げになっている場合も多々見られる。そして食は文化でもあり時代とともに変わるものでもある。これまでの活動を通じて言えることがあるとすれば,リスクコミュニケーションのやりかたにたった一つの正解のようなものはない,ということである。科学的事実が一つで あったとしても,それを受けとる人間が多様であれば,最も適切な,実行してもらうための伝え方は変わる。伝える人間の得意分野やパーソナリティーとの相性もあるのでコミュニケーターも多様な方がいい。私たちの提供している情報が現場で消費者と直接向き合っている人たちのコミュニケーションに役立ったと言ってもらえることがとても嬉しい。 現在世界が直面している新型コロナウイルス感染症パンデミックでは,虚偽や誤解を招くものも含めた情報過多であるインフォデミックが伴って状況を悪化させているとされ(WHO,2020),適切な情報の重要性が改めて強調されている。全ての人に必要な情報を届けるミッションはそれを専業とする人たちだけではなく, それぞれの立場でできる範囲で行うことでより確実になると考える。適切な情報は力である。より多くの人たちをエンパワメントすべく,それぞれの現場での取り組みを勧めたい。 ## 謝辞 グッドプラクティス賞とこの原稿発表の機会をいただいた日本リスク学会に感謝します。これまで続けられたのは国立医薬品食品衛生研究所安全情報部の皆様はじめ関係者の助力があったからです。改めて感謝申し上げます。 ## 参考文献 Food Safety Commision (2003) Syokuhin Anzen Kankei Jyoho Data Base, https://www.fsc.go.jp/ fsciis/foodSafetyMaterial (Access:2021, Dec, 28) (in Japanese) 食品安全委員会(2003)食品安全関係情報データべ — ス, https://www.fsc.go.jp/fsciis/foodSafety Material(アクセス日:2021年 12 月 28 日) Ministry of Internal Affairs and Communications (2019) Reiwa Gan Nendo Jyoho Tsusin Hakusyo, https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/ whitepaper/ja/r01/htm1/nd $111120 . h t m 1$ (Access:2021, Dec, 28) (in Japanese) 総務省(2019)令和元年度情報通信白書, https:// www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r01/ $\mathrm{html} / \mathrm{nd} 111120 . \mathrm{html}$ (アクセス日:2021 年 12 月 28 日) National Insititute of Health Sciences Division of Safety Information (2003) Shokuhin Anzen Jyoho. http://www.nihs.go.jp/dsi/food-info/foodinfonews/ index.html (Access: 2021, Dec, 28) (in Japanese)国立医薬品食品衛生研究所安全情報部 (2003)「食品安全情報」, http://www.nihs.go.jp/dsi/foodinfo/foodinfonews/index.html(アクセス日:2021 年12月28日) Shokuhin Anzen Jyoho Blog2 (2018) https:// uneyama.hatenablog.com/ (Access: 2021, Dec, 28) (in Japanese) 食品安全情報blog2(2018)https://uneyama.hatena blog.com/(アクセス日:2021年12月28日) WHO (2020) Infodemic, https://www.who.int/healthtopics/infodemic\#tab = tab_1 (Access:2021, Dec, 28)
risk
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Society For Risk Analysis Japan
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# 【情報】 ## 2021 年度 「グッドプラクティス賞」受賞にあたって 大規模集会(Mass Gathering Event)を対象とした 解決志向リスク学の実践* \author{ Implementing Solution-focused Risk Assessment and Control for Mass \\ Gathering Events \\ MARCO (MAss gathering Risk COntrol and COmmunication)** } \begin{abstract} Since the outbreak of the novel coronavirus disease (COVID-19), MARCO has been established as a volunteer research team of researchers from various fields of expertise for the purpose of risk control and communication at mass gathering events. Here, we introduce some of MARCO's activities for the quantitative evaluation of infection risk and effectiveness of infection control based on the latest scientific findings and various measurements conducted by MARCO members at the stadiums of the Tokyo Olympic and Paralympic Games and other events such as professional baseball and football. \end{abstract} Key Words: COVID-19, Mass gathering event, risk assessment, solution-focused approach 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的な拡大を受け,2020年3月24日に東京大会 2020 オリンピック・パラリンピック競技大会(以降,オリパラ)の1年程度の延期が決定した。その約 1 ヶ月後, The Lancet 4 月 18 日号に“A riskbased approach is best for decision making on holding mass gathering events”という題目の短報論文が発表され,オリパラの延期についても言及されていた(McCloskey et al., 2020)。我々は「日本で開催されるオリパラにおいてCOVID-19感染リスクの評価は日本の責任である」と考え,有志研究チー ム MARCO (MAss gathering Risk COntrol and COmmunication)を2020年 4 月に結成し研究を開始した。コロナ禍のため研究ミーティングはオンラインとし,全体ミーティングを木曜19時から 21 時までのおおよそ 2 時間,2022年となった現在までお盆と正月を除き毎週開催し議論を深めてきた。MARCOとして活動する 20 数名の研究者の学問的背景は, 医学, 工学, 理学, 数学, 統計 \begin{abstract} 学, バイオインフォマティクス,ハイパフォーマンスコンピューティングなどにわたり実にさまざまである。 オリパラのCOVID-19感染リスク評価を行うに当たって, まず取り組む対象イベントはすぐに決まった。オリンピック開会式である。予定通りであれば約 6 万人の観客, オリパラ運営関係者, アスリートが参加する開会式は,最もシンボリックなイベントであろう。我々はまず開会式での観客の感染リスクを評価できるシミュレーションモデルを構築し,それをオリパラの他の競技に適用していく戦略をとった。それでは,シミュレーションモデルを構築しなければならないが,大規模集会における感染リスクを分析することが可能な一般的なものはなかった。そこで我々は, 環境曝露モデルの朹組みに従い,COVID-19の感染経路として, 感染性保有者からの直接曝露, 直接吸引,環境表面接触,空気経由の4つを考慮し,観客のさまざまな行動とウイルス曝露量について積み上 \end{abstract}  ** 代表 : 井元清哉 (東京大学医科学研究所) げ式にモデルを構築していった。しかし,このモデル構築は一筋縄ではいかなかった。膨大な数の不明なパラメータが,考えれば考えるほど出てきたのだ。例えば,スポーツ観戦中に同行者とどれくらいの頻度で会話をするだろうか? マスクをしているにも関わらず飛沫はどれくらい漏れ出るだ万うか? トイレにはどれくらい並ぶだ万うか?我々はひたすら文献を調べ,モデルのパラメータとしてある程度の妥当性を持った値をそのエビデンスとともに収集していった。また,マスクの効果などは MARCOメンバーの実験室に構築された実験設備を用いて,マスクから漏れ出す飛沫粒子の超高速カメラを用いた観測データも得て参考值とした。一方,このコロナ禍に打いて観客が無防備に開会式に参加することはないだ万うとメンバーの誰もが思った。その中でのリスク評価においては,さまざまな感染対策を施すことでどれくらいの感染リスク低減効果が見迄めるのかをシミュレーションを行い見積るというアイデアがディスカッションの中で出てきた。この考えが我々 MARCO の進める解決志向リスク学に繋がっている。感染拡大とともにオリパラ開催の是非がメディアを賑わせたが,我々はオリパラ開催の是非を評価しようとしているのではなく, 感染対策とその効果についての科学的な評価が目的であるとさまざまなところで繰り返し説明した。 オリンピック開会式のリスク評価は, 2021 年 3 月21日に Microbial Risk Analysis誌から論文として発表された(Murakami et al., 2021a)。この研究によって,人と人の間の距離を保つ,除染,換気,パーティショニング,マスク,手洗い,髮の防御(後部座席からの飛沫防止)という感染対策を個別に行ってもそれぞれの効果は高くはないことが分かった。また, それらを運営側の対策, 観客側の対策と分類し, 運営側の対策をすべて行っても,観客側の対策すべてを行っても大きな感染リスク低減には至らなかった。しかし, これらの対策をすべて実行すると,対策しない場合に比べて99\%の感染リスク低減が達成されることが分かった。このことは, 上述した $4 つの$ 感染経路をすべて遮断することが感染対策において重要であることを意味している。 スタジアムでの感染リスク評価モデルの研究を進めている中, 日本プロ野球機構 (NPB) ・日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)から感染対策に協カして欲しいという旨の連絡を受けた。記憶に新 しいが2020年,NPBはシーズンの開幕を6月まで遅らせ無観客試合にて開始, Jリーグはシーズン途中での公式戦一時中止を経験し感染対策は契 同で隔週行っている感染対策の会議(オンライン)に2020年夏より出席しMARCO の研究成果も活用しNPB $\mathrm{J} リ$ リグの実際の感染対策に協力するようになった。 2020 年 10 月末から 11 月にかけ横浜スタジアムと東京ドームにて当時上限 5,000 名(または収容可能人数の $50 \%$ )に制限されていた観客収容数を緩和し,スタジアム内,掠よび周辺を含む人流や観客の行動傾向の調査が行われた。このような実際のデータは, 研究を進めていたスタジアムでの観客の感染リスク評価モデルのパラメータ設定において活用できる可能性があり重要であった。さらに,オリンピック開会式の会場である新国立競技場で行われる2020JリーグYBCルヴアンカップ決勝(当初予定 11 月 7 日が延期され2021年 1 月 4 日に開催)においても実際のデー夕を得る機会を得た(産業技術総合研究所, 2021a)。我々は, これらのスタジアムにおける観客の行動などに関するデータの取得をきっかけとして, Jリーグを中心として多くのイベントに执いて実データを計測した (産業技術総合研究所, 2021b)。以下に取得したデータの例をあげる。 1. 換気状況: $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度計を最大 40 台程度設置し,スタジアムの観客席,コンコース,卜イレ, ロッカールームなどに設置。さまざまな場所の換気や密の状況の実態を調査した。 2. 人流と3密: スタジアム入り口にレーザー レーダーを設置し入退場時の人流と人と人の間隔(3密)を計測。分散退場の効果やワクチン接種証明・陰性証明の確認作業時間なども検証できた。 3. マスク着用率: 個人情報を取得しない解像度でのスタジアムの観客映像から人工知能 (AI)を用いマスク着用率を自動計測する。 4. 声:マイクロホンアレイを用い非意図的な㴶声や応援状況をモニタリングする(坂東ら, 2021)。 このような実データを参考値としてマスク着用率や観客收容割合によって変化する感染リスクについてのシミュレーションも実施している (Yasutaka et al., 2021)。なお, これらの実デー夕計 測技術は, 2021 年秋以降の政府のワクチン検査パッケージを利用した大規模イベントでの技術実証において,感染対策ガイドラインの遵守状況の確認にも広く用いられることになり(産業技術総合研究所, 2021c), 日本の取組を国際的にも発信している (Murakami et al., 2021b)。さらに, $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度においては, 感染症対策としての $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度の利用方法を提言する成果に繋がっている(奥田ら, 2021)。 $\mathrm{NPB}$ J リリーグでは,定期的な感染対策の会議にて専門的観点からの助言を行うたけでなく, 取得した実デー夕と解釈の説明を常に行ってきた。 また, MARCOの研究成果について非専門家に分かりやすく伝える勉強会も 2021 年4月から 5 月にかけてオンラインにて行い,イベントの運営側の方々にシミュレーション結果や実データの解析から見えてきた感染対策のポイントを伝えるように努めている。 オリパラでの感染対策に話を戻そう。上記で培った大規模集会感染制御プロファイルの応用として, 東京都オリンピック・パラリンピック準備局と連携し,オリパラに関連したマスギャザリングイベントについても,感染対策評価を検討した。また,オリパラにおいては,スタジアムでの感染対策に加えて海外から来日寸るアスリートや大会関係者の来日時の検査戦略が課題であった。 この問題に対して我々は, 航空機で入国するシナリオにおいて, 出国前にどの夕イミングでPCR 検查陰性を確認すると,感染率の低減に繋るかを評価した(Kamo et al., 2021a)。さらに, 着陸後2 週間隔離して入国する方法(む万ん日本には隔離前に入国しているのだが,ここでは説明の簡略化のためこのように記載した)と一定期間隔離し検查陰性を確認後に入国する方法をシミュレーションによって比較した。その結果, 検査感度を 0.7 (PCR 相当を想定)とした場合, 出国 3 日や 7 日前など, 複数回検査を行ってもその感染リスク低減効果は限定的であり,できるだけ出国直前に検査陰性を確認することが効果的であることが分かった。さらに,入国後に打いては,7〜8日隔離後に検査陰性を確認することが2 週間隔離とほぼ同等の感染抑制効果となることが分かった。2022 年1月現在, オミクロン株の出現により世界的な感染拡大が続いているが, コロナ禍からの社会の回復時にどのように渡航先からの帰国者を検査すればウイルスの持ち迄みリスクを低減することが できるか,またその実装について十分に議論し計画しておくべきであろう。 一方,このような方針で空港検疫を実施しても,陽性者を完全に捕捉することは難しい。また,日本国内においてアスリートが感染するリスクもある。そこで,入国時には陰性であったアスリートについても今回のオリパラでは選手村において喠液抗原検査 (定量) を毎日受けることが公式プレイブックにより定められた(https://www. tokyo2020.jp/image/upload/production/\%E5\%85\%AC $\% \mathrm{E} \% \mathrm{BC} \% 8 \mathrm{~F} \% \mathrm{E} 3 \% 83 \% 97 \% \mathrm{E} 3 \% 83 \% \mathrm{AC} \% \mathrm{E} 3 \% 82$ $\%$ А4\%Е3\%83\%96\%Е3\%83\%83\%Е3\%82\%AF\%EF\% ВС\%88\%Е3\%82\%А2\%Е3\% $82 \%$ В $9 \%$ Е $3 \% 83 \% A A \%$ Е3\% $83 \%$ ВC\%Е $3 \% 83 \% 88 \%$ Е $3 \% 83 \%$ BB $\%$ Е $3 \% 83 \% 8$ $1 \% \mathrm{E} 3 \% 83 \% \mathrm{BC} \% \mathrm{E} 3 \% 83 \% \mathrm{~A} 0 \% \mathrm{E} 5 \% \mathrm{BD} \% \mathrm{~B} 9 \% \mathrm{E} 5 \% 9$ 3\%A1\%EF\%BC\%89.pdfの p. 31 参照)。選手村での検查の流れを説明しよう。選手村では,毎日指定された時刻に抗原検査のための喠液検体を提出する。抗原検査陽性, もしくは結果が不明確の場合は, 同一唾液検体を用いてPCR 検査がすぐに実施される。PCR検査が陽性,もしくは結果が不明確の場合には, 組織委員会にその結果が戻される。その間, 約 12 時間である。唾液検体での PCR 検查でも陽性であったアスリートは,鼻咽頭から新たに検体を取得され PCR 検査が実施される。この追加 PCR 検査で陽性であった場合,陽性者として報告がなされるという段取りであった。このようなある程度の隔離状態にある小集団における検査戦略は, オリパラ選手村のみならずプロスポーツクラブなどにおいても科学的な視点から有効な検査方法を立案することが望まれている。 我々は100名からなる小集団に対して,1)国内リーグのような 1 シーズンに定期的な試合を繰り返す場合,2)国際大会へ参加するために選手団として渡航し集団で行動する場合の 2 つのシナリオにおいて検査頻度と感染抑制の関係をシミュレーションによって調べた(Kamo et al., 2021b)。前者においては, 例えばJリーグで行っている 2 週間に一度の定期PCR検査の有効性や更なる改善の可能性について検証したものである。後者においては, 現在渡航後 2 週間の隔離が行われることが基本であるが,その間の検査体制と隔離後の試合に出場してしまう陽性者数をシミュレーションにより調べている。 これまでの話は, 被験者の唓液や鼻咽頭から得 られた検体を用いて抗原検查やPCR検査を実施し陽性者を発見するという手順にそった検査戦略をどのように立案するかという視点に立ったものであったが,このような方法は大規模イベントにおいてはコスト面の課題や被験者に対する負担もある。つまり,より安価にかつ非侵襲的に特定の集団における感染状況をモニタリングする事のできる技術が求められている。その 1 つが下水疫学調査である (Kitajima et al., 2020)。新型コロナウイルス (SARS-CoV-2) は, 主に呼吸器にて感染増殖するウイルスであるが,腸管での増殖も知られている。すなわち感染者の糞便にはSARS-CoV-2 が混入していることが多く,下水から検出することが可能である。さらに日々の手洗いや歯磨きなどの行動によっても感染者由来の SARS-CoV-2が下水中に排出される。海外では, オランダや米国などで先行した調查がすでに行われていた。下水を調べるため, 一人ひとりに検査を行う必要が無く, また無症状感染者からもウイルスが排出されていることから, 症状のある方や濃厚接触者からの検体の検查からは分からない隠れた感染拡大も検出できる可能性があり大きな注目を集めている。 しかしながら, 我が国における感染者数は海外に比べて少なく, それに伴い下水中のウイルス濃度も低いことが想定される。その場合, 感度の低い検査方法では下水中のSARS-CoV-2を検出できず,日々の陽性者数との相関なども解析することができない。一方, 海外においてはウイルス濃度が比較的高値であったため下水からのウイルス検出が進み,陽性者数との相関解析や感染拡大の予測などが次々に研究されていた。高感度な下水疫学調査の技術が我が国では必要であった。そのためには低濃度であるが確実にSARS-CoV-2を含む下水サンプルを用いる必要がある。我々が得たアイデアは, 軽症者待機施設として利用されているホテルの下水をサンプリングさせてもらうことであった。この研究を実現するため, 軽症者待機所となっているホテル, 厚生労働省, 検疫所などと調整し2020年の秋より数ヶ月にわたって下水をサンプリングする機会を得た。この下水サンプルを使うことで,従来法より100倍の感度を有する下水疫学調査の技術検証ができたのだ。これまでの感度が低い検査では検出限界以下であった下水からも陽性の結果が得られ, 濃度の高低が陽性者数と相関することも確認することができた 。さらに, 下水から得られたウイルスゲノムのシークエンス解析によって変異株についての情報も得られた。。 我々は, この高感度な下水疫学調查の技術を才リパラ選手村に実装し, 日々のヒト検体を用いた検査の結果と合わせて選手村内の感染状況をモニタリングすることをオリパラ組織委員会に提案した。その結果,2021年7月14日から9月8日(8 月 12 16日はオリンピックとパラリンピックの入れ替わり期間であり下水疫学調査は実施していない)の52日間に渡って選手村にて下水疫学調査を実施した(Kitajima et al., 2022)。毎日午前9~ 10 時の扔掠よそ 1 時間の間に, 選手村内 3 つのマンホールに流入する計7つの水路から採水を行つた。これは, 選手村を7つのエリアに分け, それぞれからサンプルを得たことになり, 選手村内のすべての居住棟がカバーされている。また,採水においては,グラブサンプリングに加えてパッシブサンプリングの 2 種類の方法を実施した。結果については, 原則, 各サンプリング日の翌日までにSARS-CoV-2 RNA 濃度を組織委員会に報告した。また, この下水疫学調査の結果を, 2021 年 9 月28日に行われた「新型コロナ対策専門家ラウンドテーブル振返り」において報告した。結果の概要を以下に示す。 ## オリンピック・パラリンピック共通 $\cdot$ 陽性者の報告がないエリアの下水からも検出される場合が多くあったが,その理由として今回の下水調査に使用した手法の検出感度が高く,一般的に感染性がないとされている既感染者やウイルス量の少ない不顕性感染者から排出されたウイルスRNAも検出していたことなどが考えられる。 $\cdot$下水(パッシブサンプリング)から3日間連続して検出されなかった場合は, 概ね人からも検出されなかった。 ・ゲノム解析によりSARS-CoV-2 配列を確認し,変異株が検出された。 ## オリンピック $\cdot$ 競技期間中, 下水からの検出地点数, およびウイルス濃度が持続的に增加し続けることはなかった。 ・選手村内居住者における持続的な感染拡大が起こらなかったことと合致する結果であると考え られる。 ## パラリンピック ・開村期間中毎日下水から検出され,オリンピック期間に比べて検出率,濃度ともに高い傾向にあった。 ・オリンピック期間中と比較して既感染者等のウイルス保有者が多かったことを示唆する結果と考えられる。 組織委員会は,毎日の検査から発見される陽性者情報や当該下水疫学調查の結果などのモニタリング状況を把握し,市中感染の状況等を総合的に勘案することで,「パラリンピック期間中,アスリートと定期的に接触する選手村内スタッフは原則毎日検査とするなど検査頻度を高め,更なる感染防止対策を実施した。」と2021年 12 月 22 日第 48 回理事会資料【東京 2020 大会の振り返りについて】 において述べている (https://www.tokyo2020.jp/image/ upload/production/\%E6\%9D\%B1\%E4\%BA\%AC2020 $\%$ Е5\%A4\%A7\%Е4\%BC\%9A\%E3\%81\%AE\%Е6\%8C $\%$ AF\%Е3\%82\%8A\%E8\%BF\%94\%E3\%82\%8A\%E3\% 81\%AB\%E3\%81\%A4\%E3\%81\%84\%E3\%81\%A6.pdf のp. 268参照)。なお,本理事会の同資料p. 235-236 には,専門家ラウンドテーブルでの論点がまとめられており,全6回中MARCOメンバーから第 3 , 4,6回に報告があったことが記録されている。 本稿においては,オリパラやプロ野球,Jリー グなどのスポーツイベントを中心とした大規模集会における感染リスク評価において,環境曝露モデルを構築し,さまざまな感染対策やシナリオに対してシミュレーションを行いその効果を比較検討することで,より有効な感染対策に繋げていく 「解決志向リスク学」についてMARCOが実践してきた事例を紹介した。新興感染症においては, シミュレーションモデルの多くのパラメータは未知であり,また人の行動などの曖昧さを含む状況下で,課題解決のため積み上げ的にモデルは構築される。実データを取得することでモデルを改良しつつ,その時々において効果的な対策を探索し実践することが求められている。このためには研究分野の垣根を越えた新たな融合研究が必要であった。MARCOはその一つの実践であると言えるであろう。 新型コロナウイルス感染症パンデミックによって世界中で大規模イベントは中止や延期の判断がなされた。しかしながら, 2021 年にワクチン接種率の上昇とともに規制を緩和する動きがさまざ まな国で見られた。その中で海外のいくつかのイベントにおいて感染抑制のための規制は急激に緩和されたと感じている。例えば,2020年から 2021 年に延期されたEURO2020では,決勝戦(2021年 7 月 11 日)では約 67000 人の観客数が参加し(施設のキャパシティの $75 \%$ \%),結果として 2294 人が開催時点ですでに感染, 3404 人が開催時に感染した可能性があったと報告された 。なお, EURO2020は, Event Research Programmeと名付けられた政府主導の調査事例の1つであった 。一方,我が国においては, 収容人数上限に見られるように段階的に規制を緩和し大規模イベントを回復させていくような方向性がうかがえる。我々は,その段階的な緩和を行うか否かを判断するための情報の1つとしてリスク評価を用いる事ができると考えている。シミュレーションについてはマスク着用率や非意図的な歓声の程度など未知のパラメータが常に存在する。これらを実データとして観測することでシミュレーションは実際に近い感染リスクを評価することができるであろう。 スポーツイベントを中心にMARCO の活動について紹介してきたが,学校,飲食の場,電車などの公共交通機関などのリスク評価,エージェントベースモデルを用い100万以上のエージェントが生活する仮想都市を計算機の中に構築し,さまざまな感染対策をシミュレーションし効果を推計するようなリスク研究についても進めている。 MARCOの活動にご興味を持たれた方は是非 MARCO の webぺージをご覧頂きたい (https:// staff.aist.go.jp/t.yasutaka/MARCO/index.html)。 ## 付記 MARCOメンバー:井元清哉 (東京大学); 片山琴絵 (東京大学); 坪倉正治(福島県立医科大学); 斎藤正也 (長崎県立大学); 村上道夫(大阪大学); 北島正章 (北海道大学); 西川佳孝 (京都大学); 奥田知明 (慶應義塾大学); 三浦郁修 (愛媛大学); 保高徹生 (産業技術総合研究所); 内藤航(産業技術総合研究所);篠原直秀(産業技術 総合研究所); 加茂将史 (産業技術総合研究所);岩崎雄一 (産業技術総合研究所); 大西正輝(産業技術総合研究所); 島津勇三(福島県立医科大学); 尾崎章彦 (ときわ会常磐病院); 小橋友理江 (福島県立医科大学);澤野豊明(福島県立医科大学); 阿部暁樹(総合南東北病院); 園田友紀(ときわ会常磐病院);藤井健吉(花王株式会社);西尾正也(花王株式会社); 横畑綾治(花王株式会社); 成瀬彰(NVIDIA Japan); 阮佩穎(NVIDIA Japan) 協力: 坂東宜昭 (産業技術総合研究所); 竹下潤一 (産業技術総合研究所); 小野恭子(産業技術総合研究所) ; 藤田司 (産業技術総合研究所);空野すみれ (ロンドン大学・長崎大学); 片山浩之 (東京大学); 山口貴世志 (東京大学); 岩本遼(塩野義製薬株式会社) ## 参考文献 Bando, Y., Onishi, M., Naito, W., and Yasutaka, T. (2021) Acoustic event analysis of large crowds in stadiums, IPSJ SIG Technical Report, 51, 1-5. (in Japanese) 坂東宜昭, 大西正輝, 内藤航, 保高徹生 (2021) スタジアムにおける大規模群集の音響イベント分析, 情報処理学会研究報告, 51, 1-5. Kamo, M., Murakami, M., and Imoto, S. (2021a) Effects of test timing and isolation length to reduce the risk of COVID-19 infection associated with airplane travel, as determined by infectious disease dynamics modeling, Microbial Risk Analysis. doi:10.1016/j.mran.2021.100199 Kamo, M., Murakami, M., Naito, W., Takeshita, J., Yasutaka, T., and Imoto, S. (2021b) COVID-19 testing systems and their effectiveness in small, semi-isolated groups for sports events, medRxiv. doi:10.1101/2021.11.18.21266507 Kitajima, M., Ahmed, W., Bibby, K., Carducci, A., Gerba, C. P., Hamilton, K. A., Haramoto, E., and Rose, J. B. 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(2021a) COVID-19 risk assessment at the opening ceremony of the Tokyo 2020 Olympic Games, Microbial Risk Analysis, 19, 100162. doi:10.1016/j.mran.2021.100162. Murakami, M., Yasutaka, T., Onishi, M., Naito, W., Shinohara, N., Okuda, T., Fujii, K., Katayama, K., and Imoto, S. (2021b) Living with COVID-19: Mass gatherings and minimizing risk, QJM: An International Journal of Medicine, 114(7), 437-439. National Institute of Advanced Industrial Science and Technology (2021a) Investigation into preventing COVID-19 infections at J.League stadiums and clubhouses (first report) [translated by the authors], https://www.aist.go.jp/aist_j/new_research/2021/ nr20210112/nr20210112.html (Access: 2022, Jan, 5) (in Japanese) 産業技術総合研究所 (2021a) Jリーグのスタジアムやクラブハウスなどで新型コロナウイルス感染予防のための調査 (第一報), https://www. aist.go.jp/aist_j/new_research/2021/nr20210112/ $\mathrm{nr} 20210112 . \mathrm{html}$ (アクセス日:2022年 1 月 5 日) National Institute of Advanced Industrial Science and Technology (2021b) Investigation into preventing COVID-19 infections at J.League stadiums and clubhouses (third report) [translated by the authors], https://www.aist.go.jp/aist_j/new_research/2021/ nr20210511/nr20210511.html (Access: 2022, Jan, 4) (in Japanese) 産業技術総合研究所 (2021b) Jリーグのスタジアムやクラブハウスなどで新型コロナウイルス感染予防のための調査 (第三報), https://www. aist.go.jp/aist_j/new_research/2021/nr20210511/ nr20210511.html (アクセス日:2022年 1 月4日) National Institute of Advanced Industrial Science and Technology (2021c) Surveys of governmental technology demonstration regardomg infectious prevention measures at mass gathering events (first report) [translated by the authors], https://www.aist. go.jp/aist_j/new_research/2021/nr20211110/ nr20211110.html (Access: 2022, Jan, 4) (in Japanese)産業技術総合研究所 (2021c) 政府の技術実証による大規模イベントでの感染予防対策の調査(第一報), https://www.aist.go.jp/aist_j/new_research/ 2021/nr20211110/nr20211110.html(アクセス日: 2022 年 1 月 4 日) Okuda, T., Murakami, M., Naito, W., Shinohara, N., and Fujii, K. (2021) Interpretation of carbon dioxide concentration values for applying it as a management index of infection control, Japanese Journal of Risk Analysis, 30(4), 207-212. doi:10.11447/jjra.SRA-0364 (in Japanese) 奥田知明, 村上道夫, 内藤航, 篠原直秀, 藤井健吉 (2021) ウイルス感染症対策としての $\mathrm{CO}_{2}$ 濃度の利用にむけた値の解釈について, リスク学研究, 30(4), 207-212. doi:10.11447/jjra.SRA-0364 Yasutaka, T., Murakami, M., Iwasaki, Y., Naito, W., Onishi, M., Fujita, T., and Imoto, S. (2021) Assessment of COVID-19 risk and prevention effectiveness among spectators of mass gathering events, medRxiv. doi:10.1101/2021.07.05.21259882
risk
cc-by-4.0
Society For Risk Analysis Japan
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# リスク学研究 31(3): 145-150 (2022) Japanese Journal of Risk Analysis doi: 10.11447/jjra.SRA-0393 【特集:日本リスク学会第34回年次大会 情報】 企画セッション開催報告 マスギャザリングイベントにおけるリスク評価・管理 一検査とワクチンを事例として一* Risk Assessment and Management at Mass Gathering Events: Case studies of Testing and Vaccination \author{ 保高 徹生 ${ }^{* *}$, 村上 道夫***, 仲村健太郎****, 加茂 将史**, \\ 内藤航**, 竹下 潤一**, 井元 清哉*****, 大竹 文雄***, \\ 井出 和希 ${ }^{* * *}$, 岸本 充生 ${ }^{* * *}$, 䉼川 準二****** \\ Tetsuo YASUTAKA, Michio MURAKAMI, Kentaro NAKAMURA, \\ Masashi KAMO, Wataru NAITO, Jun-ichi TAKESHITA, Fumio OHTAKE, \\ Kazuki IDE, Atsuo KISHIMOTO and Junji KAYUKAWA } \begin{abstract} As the novel coronavirus disease continues, attention has been focused on holding mass gathering events while protecting the safety of spectators, players and staffs. In this session, we discussed the implementation of frequent antigen testing and PCR testing for players and staffs in the J-League, a model evaluation of the effectiveness of infection risk reduction, and the incentives and ethical and social aspects of vaccination and testing packages. We deepened our knowledge of effective testing systems, strategies to improve vaccination coverage, and ethical and social aspects of vaccination and testing packages, and confirmed that countermeasures against novel coronavirus disease can be organically linked in actual practices such as the J-League. \end{abstract} Key Words: COVID-19, mass gathering event, vaccination; testing # # 1. 企画セッションの趣旨 新型コロナウイルス感染が続く中, 観客や選手 の安全を守った状態でイベントを開催することに 注目が集まっている。 選手に対する検査についても様々な取り組みが続いている。例えば,東京オリンピック・パラリ ンピックでは, アスリートについては, 防疫上の 措置として,出国前に2回検査を受検するととも に,滞在期間中は原則毎日検査を行うことが義務付けられていた(東京オリンピック・パラリン  ピック競技大会組織委員会・国際オリンピック委員会・国際パラリンピック委員会, 2021)。一方,公益社団法人日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)等では,シーズン期間中に選手に対して2週間に 1 度,公式検査としてPCR 検査が実施されている が, Jリーグ(2021)によると, 公式検査で陽性判明した割合が $24 \%$ とどまる(57\%はクラブ自主検査)など,クラスターを発生させない検査頻度・体制について検討が必要であった。 また,観客に目を向けると大規模イベントの入場制限は, 2021 年 11 月までは, 声出し応援あり のイベントでは,スタジアムの収容人員の $50 \%$ を 基本とし, 緊急事態宣言やまん延防止等重点措置 が発令されている都道府県では, 5000 人が上限と なっていたが,11月16日の政府分科会において は,感染防止安全計画を策定およびワクチン・検査パッケージ制度の適用により収容定員までの人数制限の緩和が提案され,その後, 政府によって 本案は承諾された (Table 1)。また, 10 月からは政府のワクチン・検査パッケージに関する技術実証 が開始され,ワクチン・検査のオペレーションの 実効性等の検証がスタートするなど,観客に対す るワクチン接種や検査による制限緩和の検討が進 んでいる。ワクチン接種率は 2 回接種完了者数は 2021 年 12 月 28 日時点で $98,660,175$ 人(接種率 $77.9 \%$ )と高い状態であるが,10代から30代の接種率は $70 \%$ 程度に留まっている(首相官邸, 2021)。ワクチン・検査パッケージの導入につい ては, ワクチン接種率の向上だけでなく, 導入に 関する倫理的視点の検討も重要であろう。 本セッションでは, 選手への頻回抗原検査や PCR 検査に関して, Jリーグでの実施例および感染リスク低減効果のモデル評価事例, ならびに, ワクチン接種やワクチンパスポートに関するイン センティブや倫理的視点から話題提供するととも に,課題解決のあり方について議論した。 ## 2. JリーグでのPCR 検査やワクチン接種 について(仲村健太郎) コロナ禍と呼ばれる状況の下, Jリーグは, 新型コロナ感染症の感染が国内に及んだ 2020 年 2 月下旬には, 試合の延期を決定し, J2, J3は6月 27 日,J1は7月4日まで中断したが,年内に予定されていた公式試合をほぼ開催した。開催を支えた背景として, Jリーグでは, 1 月 22 日に各クラブ担当窓口設置の決定を皮切りに対策を開始し, 同年 3 月には, 日本野球機構 (NPB) と共同でコロナウイルス対策連絡会議を発足した。同会議は, 専門家チームの意見をもとに, 感染防止に関する情報や対策などを両法人間で共有し, 試合開催などの判断に役立てることを目的として,2021年 12 月 13 日までに 45 回の開催を重ねてきた。また,「Jリーグ新型コロナウイルス感染症対応ガイドライン」の策定・公開, およびJリーグ公式検査 Table 1 The number of people to be limited at the time of holding an event (Subcommittee on Novel Coronavirus Disease Control, 2021) } & & 5000 人 & 5000 人 & なし & なし* & 21 時 \\ (まん防:まん延防止等重点措置地域,緊急:緊急事態措置区域) *都道府県知事の判断により要請を行うことがあり得る。 **飛沫抑制, 手洗い, 換気, 密集回避, 飲食制限, 出演者らの感染防止策, 参加者の把握$\cdot$管理など。5000人超のイべントに適用。大声なしが前提。 の実施等,これまで様々な対策に取り組んできた。さらに,選手のワクチン接種を促進する手立ても講じている。本発表では,これまでのJリー グ感染対策の中で,PCR検査とワクチン接種に関する取り組みについて整理した。 2020 年度の再開・開幕に先立ち,6月19日から,Jリーグの公式検査が開始された。同検査は, $\mathrm{J} リ$ リーカの検査センターが民間の検査機関と連携し,約 2 週間に 1 回の頻度で唾液検体による PCR 検査を 12 月のシーズン終了まで定期的に実施した。Jリーグの選手・スタッフを対象とした公式検査(臨時検査も含む)の実施件数は,2020 年度 44,612 件であり,そのうち,陽性確定は 10 件,2021年度は 68,225 件であり,陽性確定は 41 件だった。2021年は, 公式検査, 臨時検査以外に,キャンプ地にウィルス流入を防ぐための開幕前検査も行った。さらに,「チーム内に陽性者が出た場合や, 試合の直前に感染の可能性がある症状が出た場合,公式試合へのエントリー可否を判断するために,試合当日に行う抗原定性検査によるオンサイト検査を導入した。 Jリーグ加盟57クラブに対して,「(1)Jクラブのワクチン接種データの収集と分析を行い,今後の感染症予防対策につなげる, (2)ワクチン接種のデータを共有することで,更なるワクチン接種を推進する」ことを目的として,ワクチン接種に関するアンケートを 2 回実施し,各 8 月末, 9 月末までの予定も含む接種状況について $100 \%$ の回答を得た。集計の結果, 2 回目のアンケートでは, $98 \%$ のクラブで 1 回以上の接種が確認できた。また, $65 \%$ のクラブで各 $70 \%$ 以上の選手が接種済であることが把握できた。一方で,未接種の場合に,副反応による練習・リハビリへの影響,家族からの反対, DNA・生殖機能への影響などの忌避理由が挙げられたため, 今後の課題として,現在接種している選手の副反応情報や,ワクチン接種の影響に関する科学的な情報および,陽性者のワクチン接種済み・未接種の感染状況と症状に関する情報の共有を促進することが挙げられる。 2021 年 10 月より,全国的に緊急事態宣言,まん延防止等重点措置が解除される中で,「ワクチン・検査パッケージ」を使った観客制限緩和の技術実証を実施し,計 31 試合実施済みである。重要な点として専門家から指摘されているワクチン未接種者のフォロー, 精度も含めた検査体制の検証を確実に実施しながら,産業技術総合研究所と連携した行動変容の調査(産業技術総合研究所, 2021)も含めて実施した。 なお, 本発表の詳細なデータについては, J. LEAGUE PUB Report 2021 (Jリーグ, 2021)を参照されたい。 3. 選手に対する PCRや抗原検査システムによる感染リスク制御の評価(加茂将史, 村上道夫, 内藤航, 竹下潤一, 保高徹生, 井元清哉) 大規模集会におけるコロナ感染症対策とその効果を調べた。本研究では, 一般社会から隔離された,二種類の集団における感染症動態を考えた (Kamo et al., 2021)。一つは, スポーツチームのように一シーズン中ほぼ同じ地点に留まり, 何度も試合を繰り返す集団である(定置型集団と呼ぶ)。 もう一つは,オリンピックのナショナルチームのように各国から一つの地点に集まり,限られた数の試合を行い,試合終了後帰国するという集団である(移動型集団と呼ぶ)これら二つの集団において,標準的に取られている対策の効果を評価した。 定置型集団の検査体制では,陽性確認者を隔離した後, 集団中に残る感染者の数(リスク)は, 1.986 人であった。陽性確認が行えたシミュレー ションの内,症状の確認による隔離者は $73.2 \%$ であった。つまり,PCR検査で陽性確認できることは全体の約 $1 / 4$ にしか過ぎず,その検査効率は高くないことがわかった。これは 2 週間に 1 回の検査では頻度が低いことが原因であると考えられる。 移動型集団の検査体制では, 試合に出場する選手の平均人数(リスク)は, PCR検査のみでは $0.15 \times 10^{-3}$ (人), 抗原検查のみでは $0.26 \times 10^{-3}$ (人) であった。抗原検査およびPCRによる確定検査では $0.49 \times 10^{-3}$ (人) と,この検査体制が最もリスクが高かった。このリスクは, PCR検査のみで約 4 割の検体取得ミスが生じる場合と等量, 抗原検査のみで約 3 割のミスが生じる場合と等量であった。この集団においては,2週間の隔離の間で,いつ感染持ち込みが起きるかがリスクに影響し,持ち込みが遅いほどリスクが低くなることも明らかとなった。この結果は, 隔離開始当初の集団内における感染者の数をできるだけ減らすことが,リスク低減にとって重要であることを示している。 ## 4. 新型コロナ感染症のワクチン接種率向上策 (大竹文雄) 前述のとおり,2021年12月 28 日時点の日本の新型コロナワクチン接種率は, 2 回接種で $77.9 \%$ である(首相官邸,2021)。かなり高い数字にはなってきた。しかし,デルタ株やオミクロン株の基本再生産数は 5 以上で,ワクチンの感染予防効果は $75 \%$ 以下という研究結果に基づけば,単純な感染モデルでは集団免疫は獲得できない。ワクチン未接種者には, いくつかの背景がある。第一に,ワクチン接種の意思があるが接種していない人である。この中には,接種方法についての情報を入手できていない人,接種券を紛失してしまって再発行の方法がわからない人,接種や副反応のための休みが取れない人などのタイプがある。第二に,接種を保留・先延ばししている人である。 この中には, 様子をみている人, 感染リスクや周囲の接種率で決める人, 接種の必要性で決める人がいる。第三に,接種しない強い意思をもっている人である。接種率の向上策は, 第一と第二の人に有効であるが,それぞれのボトルネックによって対策が異なる。 このタイプの人には,リマインダーを送付することが有効である。米国で行われた大規模実験でもリマインダー・メールを送ることが効果的であった(Dai et al., 2021)。なお, ワクチン接種促進メッセージとしては,「あなたのワクチンが確保されています」という所有権を強調するメッセー ジの有効性が確認されている。日本の場合は, 接種券がこの役割を果たしていると考えられる。リマインダーの中に,リマインダー持参で接種可能にするなど,接種券を紛失した場合の対策を明記する。休みが取れない人への対策としては,夜間・休日の接種時間を設定する。 接種のためのわかりやすい情報提供や接種意欲を高める情報提供が効果的である。佐々木ら (2021)によれば, 同じ世代の接種率が高いという情報を提供することは接種意欲を高める。Sasaki et al. (2022)では, 高齢層には「あなたの接種が周囲の人の接種を後押しします」というメッセージが効果的であることが示されている。 金銭的インセンティブについてスウェーデンでの研究では, 24 ドルの金銭的報酬で $4 \%$ ポイント接種率が高まったことが報告されている (ComposMerdae et al., 2021)。佐々木ら (2021)で行った日本の調査でも接種を希望しない人に対しては,金銭的インセンティブで接種率が高まることが示されている。一方, 接種希望者の一部の接種意欲を低下させる。 ワクチン・検査パッケージは,金銭的インセンティブと同様に未接種者の接種率を高めると考えられる。 ## 5. 新型コロナウイルス感染症に対するワ クチン接種および接種証明の倫理的・社会的側面 (井出和希) 新型コロナウイルス感染症に対するワクチン接種は, 臨床試験や関連する知見から発症予防の目的で有用であると考えられる。現在, 12 歳以上を対象とした接種が推進されており,2021年 12 月 28 日時点で, 2 回接種者は $77.9 \%$ に達している (首相官邸,2021)。 また,感染対策のための制限措置の緩和を目的として,ワクチン接種証明を活用した技術実証についても検討が進められている。 これらの取り組みが進められるなか, 人々の多様な考え方や立場に目を向け, 倫理的・社会的側面について検討を進めることも重要である。 接種は副反応を伴うことがある。 $50 \%$ 以上のひとで接種部位の痛みが現れるほか, 発熱(37.5度以上,接種 2 回目)は,ファイザー社製ワクチンにおいて $38.1 \%(n=19,592)$, 武田/モデルナ社製ワクチンにおいて $78.9 \%(n=5,584)$ において認められたとの報告もある(国内における成人を対象としたコホート調査 (厚生労働科学研究, 2021) を参照)。 また,接種そのものは強制ではない。努力義務であり, 本人の意思に基づいて為されるものである。一方, 偏見や差別に対する懸念も存在する。 この懸念への対策として, 8 県が未接種者差別を禁止した条例を定めている。加えて, 労働に関連した論点として, 厚生労働省の企業向け $\mathrm{Q} \& \mathrm{~A} を$参照すると, 接種拒否を理由に解雇や雇止めをすることは許されないことが示されている。一方,配置転換については, 慎重な対応が求められるものの, 正当性が担保された一定の条件下で認められる。また,接種を採用条件とすることについて,そのものを禁じる法令はない。 偏見や差別, 労働に際しての不利益については国や自治体に相談空口が設置されているが, 具体的な事例の公開は進んでいない。 内閣官房(新型コロナウイルス感染症対策推進 室)は現在,「ワクチン接種が進む中における日常生活の回復に向けた特設サイト」を開設し, 制限の段階的な緩和に向けた取り組みについて情報を発信している。そのなかで,接種証明を活用した取り組みとして,「ワクチン・検査パッケージ」 が挙げられる。これは, 飲食店や大規模イベント,ライブハウス$\cdot$小劇場,旅行等を対象として検討が進められているものである。 ワクチン接種歴または検査のいずれかを確認する仕組みは接種歴のみに基づく仕組みに比較して倫理的・社会的懸念は低減されるものと考えられるが,費用負担等についても考慮する必要がある。 ## 6. 議論 報告の後に岸本充生, 粥川準二が本セッションに対してコメントし,その後, ディスカッションおよび質疑を行った。 選手の感染予防の視点では,ワクチン接種の目的は感染や重症化を低減することであり, 検査の目的は感染者数を減らすこと, クラスターを発生させないことである。検査については,加茂らの報告より,選手については 2 週間に 1 回の検査の効果は限定的であることが示され, 仲村からは検査方法・頻度を見直すことを検討していることが述べられた。また, 選手のワクチン未接種については理由が多様であることが仲村から述べられ, その対応として大竹からは未接種理由に応じた対応やインセンティブの付与が有効であることが述べられた。 また, 観客の感染予防の視点から整理すると, ワクチン・検査パッケージの目的は, 感染および重症化リスクの低減である。ワクチン・検査パッケージの導入において, ワクチン接種/未接種での偏見・差別に繋がる可能性があるが,井出からは, 今回実施されているワクチン・検査パッケー ジのように,ワクチン接種歴または検査のいずれかを確認する仕組みは接種歴のみに基づく仕組みに比較して倫理的・社会的懸念は低減されると述べられた。一方で, ワクチン・検査パッケージによりイベント開催者等への差別に繋がる可能性, また,主催者の確認できる情報制限と目的外使用の制限等についても検討が必要であることが指摘された。 また, 岸本より, ワクチン・検査パッケージの対象を拡大していくために,「技術実証」からさ らに広く,「社会実証」という枠組みが必要になること,また,ワクチン・検査パッケージを導入した場合, 感染状況が落ち着いた段階で「やめる技術 (基準)」を事前に構築しておくことの重要性が指摘された。粥川からは,ワクチン未接種について, (1)接種の意思があるが未接種の人, (2)接種保留者, (3)接種しない強い意思を持っている人に分類されるが,(3)に対しての対応についてどのようにするべきか, との質問があった。大竹からは,正しい情報提供および説明方法を重ねることが重要であるが,まずは(1), (2)の人に対して対応をすることが大切とのコメントがあった。さらに未接種者への配慮を強調するだけでなく, 未接種者と接触する人への配慮についても検討をしていく必要があるとの意見が寄せられた。 ## 7. おわりに 本企画セッションは,「マスギャザリングイベントにおけるリスク評価・管理一検査とワクチンを事例として一」と題して,マスギャザリングイベントにおける選手・観客における検査およびワクチン接種に関して, 実務, 数理モデル, 行動経済学, 倫理的・社会的側面から議論した。効果的な検査体制,ワクチン接種の向上策および倫理 $\cdot$社会的側面における知見の深まりとともに, J リーグのような実現場において新型コロナウイルスに関する対策が有機的に連動しうることが確認された。今回の企画セッションの議論を踏まえ,日常を取り戻すために,関係各所と連携を取りつつ研究活動を進めていきたい。 ## 参考文献 Campos-Mercade P., Meier, A. N., Schneider, F. H., Meier, S., Pope, D., and Wengström, E. (2021) Monetary incentives increase COVID-19 vaccinations, Science, 374(6569), 879-882. Dai, H., Saccardo, S., Han, M. A., Roh, L., Raja, N., Vangala, S., Modi, H., Pandya, S., Sloyan, M., and Croymans, D. M. (2021) Behavioural nudges increase COVID-19 vaccinations, Nature, 597(7876), 404-409. J. League (2021) J. LEAGUE PUB Report 2021. (in Japanese) Jリーグ (2021) J. LEAGUE PUB Report 2021. Kamo, M., Murakami, M., Naito, W., Takeshita, J., Yasutaka, T., and Imoto, S. 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# 【特集:日本リスク学会第34回年次大会情報】 ## 企画セッション開催報告 \\ 市民の社会参加へのコロナ禍の影響* ## Impact of COVID-19 Pandemic on Citizens' Social Participation ## 前田恭伸**,淺野敏久***,犬塚裕雅****,福森義之****,森保文***** \\ Yasunobu MAEDA, Toshihisa ASANO, Hiromasa INUZUKA, Yoshiyuki FUKUMORI and Yasuhumi MORI \begin{abstract} The COVID-19 pandemic has affected various social activities. One of them is social activities by citizens. In the symposium "Impact of COVID-19 Pandemic on Citizens' Social Participation" in SRA Japan 34th Annual Meeting, four speakers presented researches about impacts of COVID-19 on activities by Japanese NGOs, NPOs, and volunteers. Maeda et al. (2021) reported the result of nation-wide survey of impacts on environmental NGO/NPOs. Asano (2021) showed the findings from interviews with environmental NGO/NPOs in Hiroshima prefecture. Inuzuka and Fukumori (2021) indicated results of surveys of citizen groups in Kawasaki. And Mori et al. (2021) discussed results of a series of surveys of volunteers in before-pandemic and during-pandemic conditions. \end{abstract} Key Words: NGO, NPO, volunteer, COVID-19 ## 1. はじめに 2019 年に発見された新型コロナウイルスの感染拡大は,わが国のみならず,世界中に大きな影響を与えた(国立感染症研究所,2021)。この感染症は, 咳, くしゃみ、会話等のときに排出される飛沫やエアロゾルの吸入,接触感染等が感染経路と考えられている。そのため、いわゆる「3つの密」の回避,人と人との距離の確保,マスクの着用等の感染対策が重要とされている(新型コロナウイルス感染症対策本部,2021)。 これらの感染対策の実施は,人と人とが会うことを前提とした様々な社会活動に影響を与えるこ とになった。実際,医療,観光,飲食業等の経済活動は大きなダメージを被った。しかし影響を被ったのは経済活動だけではない。環境,福祉,教育等の分野で市民の社会参加のための活動を行っているNPOやNGO,そしてその活動に参加しているボランティアたちも同様である。 そこで,日本リスク学会第34回年次大会企画セッション「市民の社会参加へのコロナ禍の影響」において,この問題を取り上げることにした。コロナ禍がNPO, NGO 活動, ボランティア活動に与えた影響について,異なる視点から調べた 4 つの調查研究を取り上げた。本論文ではそれ  Figure 1 Impact of COVID-19 on the number of activities ( $N=827)$ コロナ禍に関係なく、新しく使い始めた $2 \%$ Figure 2 Use of online meetings $(N=827)$ らについて報告する。 前田ら(2021)は,全国の環境 $\mathrm{NGO} \cdot \mathrm{NPO} の$ コロナ禍の影響について,それら団体へのアンケート調査を行った結果について報告した。淺野 (2021)は,広島県内の環境 NGO・NPOに対し, コロナ禍の影響についてインタビュー調査を行った。犬塚,福森(2021)は,神奈川県川崎市において,市民活動を支える中間支援組織の視点から,市内のNGO・NPOへの影響について調査した。 そして森ら(2021)は,そういった市民活動に参加するボランティアを対象に,コロナウイルス感染拡大の前と感染拡大の後の時点でアンケート調査を行った結果について分析した。 ## 2. 環境団体の活動へのコロナ禍の影響一全国の団体への調査から一(前田ら,2021) 前田ら (2021)は, 独立行政法人環境再生保全機構の「環境 $\mathrm{NGO}$ ・NPO 総覧オンラインデー夕ベース」(環境再生保全機構,2015)に掲載されている民間団体のうち,連絡先が明記された 3,365団体を対象に,アンケート調査を行った。期間は 2021 年 2 月 28 日から 3 月 29 日であった。項目としては, 団体の活動内容等の属性, コロナ禍の活動への影響,コロナをきっかけにして新たに始めたことなどについて質問した。 結果として,発送した 3,365 通のうち宛先不明が 346 通あり, 有効発送数は 3,019 となった。そのうち 827 団体から回答を得た(有効回収率 $27.4 \%)$ 。「2020年 4 月以降に実施した活動回数は, 3 月以前から予定していた回数に対してどの程度でしたか」という質問への回答を Figure 1 に示す。予定通り,予定以上という回答は約 10\%でほとんどの団体は活動回数を縮小せざるを得ず,すべて中止したと回答した団体も $8 \%$ あった。 また,活動した団体に「コロナ禍の中でどのような方法で実施したのか」を質問したところ,「換気,広い会場の確保,手洗いなどの対策」,「規模を縮小」,「リモート形式で実施」など,様々な対策を施したうえで,活動を実施している様子がうかがえた。 一方,コロナ禍をきっかけとして新たに始められたこともあった。Figure 2 はコロナ禍でzoomな Figure 3 New activities どのオンライン会議を使い始めた状況を示している。 コロナ禍収束後の活動の展望について聞いた結果,コロナ禍以前と同じ活動を中心にするという回答が $71.4 \%$ であったが,これを機に活動を中止・休止,縮小という団体も合わせて $8.2 \%$ あった。「これを機会に新しい活動に切り替える」「その他」と回答した団体は,合わせて $8.8 \%$ (73 団体)あったが,それら団体の自由記述の回答を KJ法で整理したのがFigure 3である。この図はこれら団体の新しい活動の方向を示唆しているように見える。これを見ると,縮小・解散した団体もあるものの,別の活動にシフトしたり,むしろオンラインを活用することによって活動の範囲を広げるなど,対応は様々であることがわかった。 以上をまとめると,次のようなことがわかった。 ・コロナ禍によって活動を縮小した団体が多かった。 ・感染症対策等を付加して実施して団体が少なくない。 ・これを機会にzoom等のオンライン会議を導入した団体が多い。 ・コロナ禍後への対応については,縮小するところから,オンラインを活用して拡大を狙うところまで,方向性が分かれた。 ## 3. 環境団体の活動へのコロナ禍の影響一広島県内の環境市民団体の事例から一(淺野, 2021) これまでにNPO 活動の中間支援組織等が,各地のNPOやコミュニティ組織に対して,状況を確認する多くの調査を行っている。例えば,日本 NPOセンターが事務局となっている「新型コロナウイルス」NPO支援組織社会連帯は, 2020 年の4月と 8 月の 2 度「新型コロナウイルス感染拡大への対応及び支援に関するNPO緊急アンケー 卜」を実施した。そこでは,事業においては $88 \%$ の組織に影響が出ており,事業の縮小や休止を余儀なくされていること, 経営においては, 寄付減少や委託事業の中止など約半数の組織で事業収入が減っていること,新事業を開始または予定している組織が $24 \%$ あ一方で,活動の休止または解散を検討している組織が $5 \%$ に及゙ことなどが示された(CIS, 2020)。これらの調査は活動分野を問わないNPOを対象としたものたが,環境保全や環境配慮行動を目的する活動でも同様であろう。むしろ環境系の団体は野外で集団行動するものが多いので影響はより深刻と思われる。 ただし,これらのアンケート調査では,現場の実情を十分に知ることができないので,聞き取り調査等で情報を補うことが必要になる。本報告では,広島県内で活動する環境に関わる市民団体や中間支援組織に対して行った聞き取りで得られた知見を紹介した。 コロナ禍下において,広島県内のNPOでは, ネットをうまく生かし,新しい活動を展開できたところと,活動がほぼ停止したままのところに二分された。後者では, 1 年目は自粛したものの 2 年目はコロナに対応した行動を試みるようになっているところと,活動が終了してしまいそうなところに分かれている。ネットをうまく生かした団体では,距離の制約という地方の不利を克服し,新たな活動の広がりを獲得している。特に,条件不利地域の環境団体ではコロナ禍以前から ICTを活用してきたものが活発な活動を行ってお り,地域のインフラが許す範囲ではあるが,ネットを都市部の環境団体より活用していた。ネットを活用するにあたっては,事業面と運営面での利用が想定される。事業面では, オンラインの講座・セミナー・フォーラムや, 個人でできる活動のオンラインでの普及が全国的に行われているが, 広島県の場合, 積極的に活動している環境市民団体でも自らが発信源になるものはなかった。県外発のオンライン・イベントに有志が参加する程度であった。運営面では, ICT 技術の共有化・向上を団体間・メンバー間で行うことが試みられ,総会資料をYouTube動画で配信するなど,コロナ禍を機にオンライン化が積極的に図られている。 オンライン化は既存のメンバー間や他団体間のコミュニケーションを促したが, 情報の流れやネットワーク化は従来以上にクチコミ(SNSを介した知人間でのクチコミ)的になっており,新しいメンバーの獲得を難しくする弊害もあった。いずれにしてもコミュニケーションの方法が変わったのは間違いなく, 今後の変化を前提とした活動を行っていることが大切だと思われる。 ## 4. 川崎市における新型コロナウイルス感染防止に係る団体活動等への影響調査 (犬塚, 福森, 2021) (公財)かわさき市民活動センター(以下,センター)は, 新型コロナウイルス感染拡大の下,川崎市内の市民活動団体に対する有効な支援を講じるため,「新型コロナウイルス感染防止に係る団体活動等への影響調査」(以下,影響調査)を 2020 年から 21 年にかけて 3 回実施した。ここでは, 3 回目の調査結果を主軸に述べる。 影響調査は, センターがメールアドレスを把握している市民活動団体を対象にグーグルフォームへ回答してもらう方法で実施した。1回目は, 2020 年 3 月 25 日から 31 日の期間で 487 団体を対象に実施し, 回答が 123 団体であった。 2 回目は, 2020 年 6 月 30 日から 7 月 5 日の期間で 898 団体を対象に実施し, 回答が 121 団体であった。 3 回目は, 2020 年 12 月 24 日から 2021 年 1 月 11 日の期間で 1,006 団体を対象に, 回答が 171 団体であった。 調査項目について3回目の調査では, 現時点でのコロナの影響(活動, 財政, 運営)、コロナに対する取り組み, 支援制度の活用状况, デジタル化の取り組みに係る調査項目を用意した。なお, Figure 4 Impact of COVID-19 on Organizations in Kawasaki コロナの影響は各回に共通の調査項目である。 3 回目の調査では, コロナの影響について「ある」が96\%であった(Figure 4)。その内容は, 活動の中止または規模縮小, 実施方法の変更などの回答が多くあった。事業収入の減少, 事業計画の見直し, 会員やメンバーの意欲低下などの影響も出ていた。 団体の活動および運営への影響が, 財政状況に表れている。先の 2 回の調査で, 事業収入や会費収入の減少, 3 密対策経費の増大などで苦しい財政状況にあるのがわかったが, 3 回目の調査においては, 緊急事態宣言下の 2020 年 5 月時点と比べて, 法人, 任意団体とも6 割近くが「変わらない」状況であった。一方で, 任意団体で悪化(かなり十少し)した団体が3割となった。それらのことから, 3 回目の調查時点でも財政的に苦しい状況が続いている,もしくは悪化している様子が見える。 コロナ禍の影響を受けた市民活動団体に対する支援策として,国や民間などが助成金・補助金・給付金, 融資など各種の支援制度を打ち出した。団体の維持や活動補助のためそうした支援制度を利用した団体は $19 \%$ で, 法人で 5 割近く, 任意団体で 1 割弱であった。 コロナ禍の影響で, 人が集まって何かをするやり方が困難となり, 2020 年春ごろは活動が停滞するところが多く見受けられたが,その中でもいち早くオンライン会議や動画配信などを活動に導入し,活動を再開するところが現れてきた。2020 年の夏ごろになると, オンライン会議や動画配信などデジタルやICTを活用することが一般化してきた。そこで, 3 回目の調査で団体の活動や運営のデジタル化やICT化(オンライン会議の導入な Figure 5 Do you have any intention to utilize ICT? ど)を進める意向を見ると,「ある」が $63 \%$ になり,とくに法人では 8 割近くになる (Figure 5)。 市民活動団体のオンライン活用(Zoom, YouTubeなど)が広がってきた。その点について影響調査で見たところ,2回目と 3 回目の影響調査の結果からオンライン化に取り組む団体と,才ンライン化に距離を置く団体に分かれた。 センターと関わりのある団体でオンラインに取り組んだ団体は,当初はコロナ禍に対応する受け身的なところから始めたが,それを機にオンラインを活用して団体の活動や運営を刷新する能動的なところも少数ながら出ている。コロナ禍においてセンターが実施した支援策のひとつに「コロナのピンチをチャンスにする伴走支援助成」があり,それを活用した団体でそういう動きが認められた。 オンライン化に距離を置く団体については,センターが団体と個別にやり取りして得た知見に拠るが,団体の担い手が高齢化し,恒常的な人手不足になっているところに多く認められた。また,子ども食堂のように食事の場を介して子どもたちとの温かみあるコミュニケーションなどを活動の本質としているところでは, オンラインは馴染まないと考えている様子が認められた。 コロナ禍で市民活動団体の活動が停滞して団体の求心力や会員の意欲が低下し,なかにはそれが引き金となって団体を解散するところが出る負の影響があった。その一方で,活動が停滞している時間の中で団体自身が自分たちの存在意義や価値を振り返り、コロナ禍の影響が薄らいだ後に備えてチカラを蓄える団体が出てくるなど,市民活動団体の粘り強さを実感した。 ## 5. ボランティア活動参加に与える新型コ ロナウイルス禍の影響(森ら,2021) 本研究では, ボランティア参加の状況について, 新型コロナウイルスの感染拡大以降とそれ以前を比較して, 参加の増減や, コロナ禍に関係す る活動をした人の特徴を明らかにする。 Webを用いた質問紙調査を2019年3 月 19 日から22日(t1),2020年2月26日から28日(t2)および 2020 年 10 月 22 日から 26 日 (t3)にかけて実施した。 1 回目の依頼数は 25,438 サンプルで, 有効回答数は 6,266 サンプル(回答率 $25 \%$ )であった。 2 回目は 1 回目の回答者 5,730 サンプルに依頼し,有効回答数は 4,047 サンプル(回答率 $71 \%$ ) であった。 3 回目は 2 回目の回答者 4,000 サンプルに依頼し, 有効回答数は 3,433 サンプル(回答率 86\%)であった。欠測のあるサンプルを除いて, 3,114サンプルを解析に用いた。すなわち, 同一人物の $\mathrm{t} 1$ から $\mathrm{t} 3$ にかけての変化を追跡した。設問は,ボランティア活動の参加回数や参加した活動, ボランティア活動の情報源, 社会背景的要因および心理的要因である。またt3では手作りマスクの制作などコロナ禍に関連するボランティア活動への参加状況の質問を加えた。 ボランティア活動に参加している人の割合は, $\mathrm{t} 1$ および 2 では $14 \%$ 程度であったが, $\mathrm{t} 3$ では, 9\%であった。コロナ禍のため参加できなかった人が $3 \%$ 程度あった。コロナ禍によって, ボランティア活動の参加が妨げられたとみられた (Figure 6)。 マスクの作成・配布など,コロナ禍に関係するボランティア活動を実施した人のほとんどは, $\mathrm{t} 1$ または圤においてボランティア活動をしていた人であった(Figure 7)。またコロナ禍に関係する活動をしている人の 8 割は他の活動も実施していた。他の活動をしている人の半数はその活動に専念していたので,コロナ禍に関係する活動は掛け持ちの多い活動といえた。 分散分析において,コロナ禍に関係するボランティア活動を実施した人はその他の活動を実施した人に比べ,年齢が若く,家にいる時間が長くなり, 共感性が高い傾向が認められたが, その効果は無視できる程度であった。 コロナ禍による外出自粛やイベントの中止は, ボランティア活動参加を大幅に減少させていた。 コロナ禍に関係する活動は発生していたが,その実施者のほとんどはすでにボランティア活動をしている人なので, コロナ禍が新しくボランティアを増やすということはなかった。 また, 個人的に自宅で実施でき, オンラインでできる活動であっても,それに参加する人の特性に特別な特徴はなく, 新しく参加者を増やす効果 t1 t2 t3 Figure 6 Percentage of people participating in volunteer activities Figure 7 Past volunteer activity experience and current volunteer activity はないと推定された。 ## 6. おわりに 新型コロナウイルスの感染拡大がわが国の市民活動に与えた影響について,4つの異なる視点から調査を行った。その結果,以下のようなことがわかった。 ・NGO・NPOの活動は,コロナ禍によって大きな打撃を受けた。 $\cdot$その影響への対応として,多くの団体ではオンライン会議や動画配信など,ICT の導入を進めた。 ・ただその対応は多様である。ICT化を進めるところもあれば,これを機会に活動を縮小・停止するところや,あえて従来の事業を継続するところもあった。 ・ICTを積極的に進めている団体では,このピンチをむしろチャンスとして生かそうとしているところもあった。もともと交通の不便な地方ではむしろ積極的にICTを活用することで活動を活性化しているところもあった。 ・一方で,こども食堂のように対面でのコミュニケーションを重視している活動や,自然観察会のように現場を重視する活動としている団体では,むしろこれを機会に自分たちの事業の価値を再確認し,従来の事業をどのように継続するかを考えていた。 $\cdot$ SNS などオンラインの機能は, 既存のつながりのコミュニケーションを促したが,新メンバー の獲得を難しくする弊害もみられた。 $\cdot$ 個々のボランティアの参加にも,はやりコロナ禍の影響による減少がみられた。 ・これを機会に,マスクの作成・配布などコロナ禍に関する活動を始める人々もみられたが,彼らは新たにボランティア活動を始めたのではなく,別の活動をしていた人々がコロナ禍対応の活動も始めていた。 これらの結果は主に 2020 年度のコロナ禍の状況に基づくものである。だがこの原稿を執筆している 2021 年 12 月も,社会はコロナ禍の中にある。引き続き社会の状況を注視する必要がある。 ## 謝辞 これら調査の一部は, 科学研究費(基盤研究 B:ボランティア参加機構を活用したボランティア獲得のための情報システムの展開と拡張, 18H01657)の補助を受けている。 ## 参考文献 Asano, T. (2021) Impact of Covid-19 on the environmental activities: From the case of citizen groups in Hiroshima prefecture, Program of the SRA Japan 34th Annual Meeting, 34, 49. (in Japanese) 淺野敏久 (2021) 環境団体の活動へのコロナ禍の影響 - 広島県内の環境市民団体の事例から - ,日本リスク学会第 34 回年次大会講演論文集, 34, 49 . CIS (2020) Zenkoku No NPO Houjin Anke-to Syuukei Kekka, https://www.npo-covid19.jp/ (Access: 2021, Dec, 22) (in Japanese) 「新型コロナウイルス」NPO支援組織社会連帯 (CIS)(2020)全国のNPO法人アンケート集計結果, https://www.npo-covid19.jp/(アクセス日: 2021 年 12 月 22 日) Inuzuka, H., and Fukumori, Y. (2021) A study on the impact of COVID-19 on citizen action groups in Kawasaki city, Program of the SRA Japan 34th Annual Meeting, 34, 50. (in Japanese) 犬塚裕雅,福森義之 (2021) 川崎市における新型コロナウイルス感染防止に係る団体活動等への影響調査, 日本リスク学会第 34 回年次大会講演論文集, 34, 50 . 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Society For Risk Analysis Japan
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# 【特集:日本リスク学会第34回年次大会情報】 ## 企画セッション開催報告食品中の杞憂のリスクを議論する* \author{ Discussing the "No Need to Worry" Risks in Foods } \author{ 山嵪毅**, 小島正美***, 佐々義子****, \\ 田中豊*****,大瀧直子**,山口治子****** } ## Takeshi YAMASAKI, Masami KOJIMA, Yoshiko SASSA, Yutaka TANAKA, Naoko OHTAKI-SHIMAUCHI and Haruko YAMAGUCHI \begin{abstract} Risk perception biases on the food hazards are often generated by consumers even when food safety experts evaluate them as safe. It is also possible that it makes other major risk to the society. In this session, we aimed to verify the effect of risk communication technique on four typical types of "No Need to Worry" risks in foods: (1) the Sound-Bite Communication for radioactive tritium water disposed from the 1st Fukushima Nuclear Power Plant, (2) the psychological model to risk communication on Genome-Editing foods, (3) the Smart Risk Communication (SRC) concerning residual pesticides, and (4) the practical implementation in society for the SRC on food additives. The way of risk communication against the risk perception biases on typical tolerable risks in foods was discussed. \end{abstract} Key Words: food hazards, risk perception bias, risk communication ## 1.はじめに 2020 年初頭より新たに発生した新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は,無症状でも伝播するという厄介な性質とともに,感染すると 100 人に 2 人が亡くなるという重篤性から大きな健康リスクと評価できたし,実際リスクマネジメントが機能しないと世界中で多大な健康被害/死亡者を生み出していることは周知の事実だ。これに反して, 食品中のハザード 4 つ(食品添加物, 残留農薬,放射性物質污染,ゲノム編集食品)に関して は, 現在国内でのリスク評価\&リスク管理が包括的に機能しており, 許容範囲のリスク=安全と思われる。しかし,これらのリスクを懸念してリスク認知バイアスに陥った消費者がいまだに多いことが消費者意識調査などで認められるため,本企画セッションでは, これら食品中の杞憂のリスクに関するリスクコミュニケーションの在り方をそれぞれ議論した。  ## 2. トリチウム水問題を「サウンドバイト」 で語る実験(小島正美) 物事の本質,構図を 1 分以内(文字数にして最大で300 400字:テレビのナレーションでも放送できる聞いてすぐに理解できる分量)で伝える説明を「サウンドバイト型説明」と呼び,福島第一原発敷地内にたまるタンク水の本質とそのリスクをどのように伝えれば,海洋放出の正当性が国民に理解してもらえるのか,その説明の手法を実験的に試してみた(小島,2021)。 ## 2.1 第 1 話:林立するタンクの7割は不完全な 処理水 福島第一原発にあるタンクは 1000 基余り,多核種除去施設(ALPS)で処理された3割のタンクの処理水は海へ放出してもよい状態たが,残る 7 割のタンクはまだ環境基準を超える 62 種類の放射性物質が残っている。東京電力や国は,この7 割のタンクの処理水が合格水に変わっていく過程を,常にビジュアルに見せていくことが重要と考える。 ## 2.2 第2話: 世界中の原子力施設でトリチウム 水を放出 世界中の原子力施設でトリチウムを含む処理水を海や川・大気へ放出しており,福島のタンク水だけが特別なのではない。 海外の原子力施設から放出されているトリチウム量を地図で見れば一目瞭然だ。 ## 2.3 第 3 話: 飲料水よりも低い基準で放出 海へ流してもよい合格水 (ALPS 処理水) は海水で 100 倍以上に希釈して放出される。放出時のトリチウム濃度は1リットルあたり1500ベクレル未満で,これはWHOの飲料水基準の1万ベクレルよりも低い。飲料水基準よりも低くして海へ流すので,環境や人体への影響もないのは自明だ。 ## 2.4 第 4 話:海洋放出水の「持ち帰りシェア運動」 福島の放出水が特別なものではないことを示すためにも,みなで放出水を詰めたペットボトルを持ち帰り,全国の海へ流す運動を始めようという動きがある。福島の痛みを全国民で分かち合うためにも,また福島産の食品だけに風評被害を発生させないためにも放出水のシェア運動はよいアイ デアだろう。 3. ゲノム編集食品をめぐるリスクコミュニケーションへの心理モデルの活用 (佐々義子, 田中豊) ## 3.1 社会実装が進むゲノム編集技術の受容 ゲノム編集を用いて作られた, 高GABA 蓄積トマトのオンライン販売や肉厚のタイの試験販売が始まり,日本で開発されたゲノム編集食品は私たちの食卓に近づいている。現在,実用化が進んでいるのは,ゲノム編集技術の中でも最終製品において自然突然変異由来かの判断ができないもので,遺伝子組換え作物・食品に求められる安全性審査や環境への影響評価が不要になったが,これは義務表示の対象にできないことにつながり,消費者の選ぶ権利を脅かすなど,不安を持っている消費者も少なくない。 ## 3.2 ゲノム編集技術をいかに説明するか リスクリテラシー醇成には,リスクとべネフィットを説明して消費者が納得して先端科学技術の恩恵を選べるようにするだけてなく, 感情面,生命倫理観にも働きかけることが重要である。田中ら(2016)拈よびTanaka(2017)は, ゲノム編集技術の受容を規定する因子として, リスク認知, べネフィット認知,信頼,生命倫理観,不安,怒りの6因子を見出した。またグループデイスカッションを行い,この6因子のそれぞれについてその具体的な内容を明らかにし,因子ごとに項目としてまとめて合計20項目に整理した(Table 1)。 ## 3.3 心理モデルの活用 筆者らは20項目を基にアンケートを作成した。予備調查として大学生にゲノム編集技術の学習の前後に「はい」「いいえ」「わからない」の3 3 選択肢で回答してもらった。リスク認知,ベネフィット認知に関わる項目では「わからない」の減少が大きく, 信頼, 生命倫理観などに関わる項目の変化は小さかった(Figure 1)。 ゲノム編集技術に関する学習会を計画している生協からは, 25 項目から7項目に絞ったアンケー 卜を学習会前後に実施することが,自分のゲノム編集技術に関する知識の客観視,学習会の効果測定に役立つと期待されている。今後,アンケートへの回答を 5 段階にして被検者への影響をより精確にとらえるようにし,情報提供の内容の変更が Table 1 Representative items for each factor 注. ベネフィット認知について,個人的受容では(1)(4)(5)を,社会的受容では(1)(2)(3)を使用した Figure 1 Representative questionnaire which decreased in the number of the persons answered "I don't know". アンケート結果に影響するかを調べていきたい。 ## 4. 残留農薬のスマート・リスクコミュニ ケーション(大瀧直子, 山口治子, 山㟝毅) 山㟝ら $(2018,2020)$ は本学会において, 食品添加物やゲノム編集食品に対する消費者の不安に共感する設問をべースとしたスマート・リスクコミュニケーション(SRC)をインターネット調査により実施し,リスク認知バイアスの補正を認めたことを報告した。SRCは,まず不安要因に共感した設問を投げかけたうえで,当該不安にピンポイントでわかりやすく学術的説明を提供するリスコミ手法であり,ゴールは消費者を「説得」することではなく「理解を促す」ことである。 残留農薬は主要な食品由来のハザードであるが, リスクアナリシスの枠組みの下,厳格なリスク評価・リスク管理がなされているにも関わらず,いまだに消費者は残留農薬を不安に感じ,リスク認知バイアスが生じている。本研究では, 残留農薬に関して上述の SRC 手法の効果を検証するためインターネット調査を行った。 ## 4.1 方法 インターネット上に登録された全国のモニター のうち,3049歳の女性で,料理を週 1 回以上す る, そして, 買い物の際に食品表示をチェックすると回答した消費者の中から,「農薬を使用して栽培された野菜や果物はできれば食べたくない」 と回答した 100 人を抽出して,本調査を実施した。 まず残留農薬を不安に思う理由を9項目挙げ,共感する不安要因を選択していただいた(複数回答可)。次に, これら各不安要因に対する食品安全の専門家による学術的説明の理解度を確認のうえ, 最後に農薬を使用して栽培された野菜や果物を安心して食べられそうか,その安心度を調査した。 ## 4.2 結果および結語 残留農薬が不安に思う要因として挙げた 9 項目について,何人の回答者が共感して選択したかを Table 2 に示す: 次に, 食品安全の専門家による学術的説明文に対する理解度調査の一部を Table 3 に示す: 理解を示した項目はA2-2 (70\%), A2-1 (62\%)の順に多く,全体として 43~70\%に分布した。最後に不安要因 9 項目に対する学術的説明を読んたうえで,農薬を使用して栽培された野菜や果物でも安心して食べられそうだとの項目を選択した回答者数を Table 4 に示す(複数回答可): 9項目の各不安要因が補正され, 安心して食べ Table 2 Results of Questionnaire \#1 (Q1): Percentage of respondents who select the reason why they have health concerns on pesticides $(n=100)$ & $59 \%$ \\ Table 3 Results of Questionnaire \#2 (Q2): Percentage of respondents who understand the scientific explanation about the accurate risk information on pesticides by food safety expert (partially indicated, $n=100$ ) Q2 「農薬」の安全性に関する専門家の説明について理解できたと回答した人の割合 将来,想定外の毒性が発現するのではとのご心配があるとのこと,お気持ちは理解できます。ただ,国の独立したリスク評価機関である内閣府食品安全委員会の専門家が将来の毒性発現の可能性についてどう評価しているかご存知でしょうか。様々な動物試験により毒性が出ない摂取量(無毒性量) A2-1を求め, それに安全係数(通常は100分の1)を乗じて,ヒトが一生涯食べ続けても健康に悪影響が出ない量(許容一日摂取量:ADI)を求めたうえで,さらに十分低いレべルに農薬の残留基準値が設定されています。残留基準値から,農薬の使用量,使用回数,使用方法が決められ,生産者はそれを遵守していますので,想定外の毒性が現れることはない,と専門家は評価しているのです。 無農薬栽培が必ずしも安全であるとは言えません。例えば,農薬を使用しないことで,作物が害虫にを使用しないために,環境中の細菌やウイルスにより作物が病気になり,作物そのものが人体に有害な物質を産生する場合もあり,農薬を使わないことによる健康リスクを考える必要があります。 発がんリスクとは「グリホサート」などの情報をみられたのでしょうか。一部の農薬について発がし性が疑われるとのことですが,国が承認した農薬は登録の際,安全性試験として,様々な種類の遺伝毒性試験(遺伝子に影響して突然変異を引き起こす性質を調べる試験)や発がん性試験(マウス,ラットのほぼ一生,約2年にわたってできるだけ多量に摂取させて,ガンができるかどうかを A2-3調べる試験)が行われ,発がん性のリスクがくわしく評価されています。その結果,変異原性(遺伝毒性)と発がん性がともに認められた場合は間値が設定できないと判定され,そのような農薬については1日許容摂取量が設定できないと判断されて, 使用が認められません。試験をパスしたものだけが農薬として登録され,散布方法が厳格に定められていますので,食卓に上る時点において残留農薬が問題になることはありません。 られそうだと肯定的な回答を選択した回答者数は各項目で23〜48\%となり,A3-1からA3-9のうちいずれかに回答した人の総和は $83 \%$ に達した (「すべての説明が納得できない」ことを示唆する否定的な回答A3-10は17\%であった)。 本研究から, 残留農薬のリスクに関しての消費者の不安に寄り添った丁寧な説明がリスク認知バイアスの解消に役立つことが示唆された。食品添加物・ゲノム編集食品に続いて, 残留農薬でも $\mathrm{SRC}$ の有効性が検証され,今後の食のリスクコミュニケーションでの有効活用を期待したい。 ## 5. 食品添加物に関するリスクコミュニ ケーションの社会実装例(山㠃毅) 20 世紀後半から「カネミ油症事件」などの食品添加物に関連した食中毒事故や「複合污染」「食べるな危険‥」などといった人気書籍の影響により,国民の食品添加物に対する忌避感が助長されていたが,それに呼応して加工食品に「無添加」「保存料 ・合成着色料不使用」などの表示が常態化し,消費者の食品添加物に対するリスク認知バイアスが社会問題化した。 その反面,今世紀に入って国による食品のリスクアナリシス(リスク評価/リスク管理/リスク コミュニケーション)が機能し始め,専門家だけでなく科学的に中立な市民団体も食品添加物が杞憂の健康リスクであることに気付き,科学的に適正なリスコミを展開した。われわれも,2018年に公表した上述のSRC 手法を食品添加物のリスコミに応用し,以下のような社会実装を継続的に推進しているところである: ## 5.1 食品添加物のリスクに関する Q\&Aを公開 $\mathrm{Q}$ :食品添加物は身体によくないという記事をよく見かけますが本当なのでしょうか? A:それは誤りです。日本国内で認可されている食品添加物の安全性はFAO / WHO 合同食品添加物専門家会議(通称:JECFA)により国際的に評価されたデータに,日本人の食経験などを加味して,その使用基準が決められたもので,きわめて安全性の高いリスク管理がされています。(後略)http://www.nposfss.com/cat3/faq/post_59.html * Slovic $の 「 未$ 知性因子」に配慮した回答。 ## 5.2 食品添加物の誤情報をファクトチェック 週刊誌に掲載された「食品添加物の配合種類が多い加工食品ほど発がんリスクが高い」という誤情報をファクトチェック。 山﨑ら:企画セッション開催報告食品中の杞憂のリスクを議論する Table 4 Results of Questionnaire \#3: Percentage of respondents where their health concerns on pesticides are cleared by the scientific explanation $(n=100)$ & $48 \%$ \\ Figure 2 Animation video concerning the risk of food additive Image of "The Story of Food Additive." http://www.nposfss.com/cat3/fact/shincho_20190131. html * Slovicの「未知性因子」に配慮した広報活動。 ## 5.3 食品添加物のリスコミ動画の監修 $\mathrm{SRC}$ 手法を応用したアニメーション動画「食品添加物のおはなし」をYouTube 配信(主催:加工食品食育推進協議会, 監修:山﨑毅)(Figure 2)。 https://youtu.be/8RgK3la0Bx0 ## 5.4 德島県消費者大学校大学院リスコミ講座 令和 2 年の徳島県消費者大学校大学院食品安全リスクコミュニケータ養成講座にて,仮想グルー プワークで $\mathrm{SRC}$ 手法を食品添加物のリスコミに応用した。 https://www.npo-tokushohi.net/docs/2020082200011/ ## 5.5 食品添加物不使用表示の規制開始 国内の加工食品市場において食品添加物が杞憂のリスクとの科学的認識が定着し, 現在消費者庁の食品表示検討会にて「食品添加物の不使用表示 (任意)」を制限するガイドライン策定が検討中であることは感慨深いところだ。これまで常態化していた加工食品の「無添加表示」が消費者のリスク認知バイアスを助長していたことは明白であり,これが規制されることで,消費者のリスクリテラシー向上につながることが大いに期待されるところだ。 ## 6. 企画セッションの総合討論 (山﨑)ゲノム編集食品のリスコミの際に,「外来遺伝子が残らないので安全」という説明をしてしまうと,遺伝子組換え(GM) 食品が危ないもののように伝わってしまう懸念がある。 (佐々) GMOの研究者からもそのような懸念を伺っている。実際,現時点で実用化されているゲノム編集技術でできる品種改良は範囲が限られており,種を超えた遺伝子操作だら成長ホルモンなどもできた。なので GMもゲノム編集食品も,安全性/リスク情報の伝え方が重要だ。 (山﨑)ノーベル賞学者たちがGMを推進すべきとのキャンペーンをされているので,サイエンスがわかっている方々ほど今後の食糧危機問題などを考慮するとGMは不可欠との見解だった。 (佐々)SDGs対応を考えると GM/ゲノム編集食品の応用は大きなべネフィットとなる。 (山㠃)農薬も登録の際に環境への影響が評価されるが,ゲノム編集食品でもそのあたりの環境りスクに関するコミュニケーションはどうなのか。 (大瀧)ゲノム編集食品は環境や生物多様性への影響を気にする市民が多いと思う。 (佐々)外来遺伝子が残る場合はDNA 組換え技術応用食品に分類され,カルタへナ法の対象となるので国により環境リスクが詳しく評価される。ただし, 外来遺伝子が残らない現在実用化されているゲノム編集食品ではカルタへナ法の対象とならないため,国はリスク評価しないものの,開発者が自ら評価したデータを厚生労働省のホームペー ジに公開しているので参照してほしい。 (山嵪)上市されたばかりのゲノム編集トマトたが,開発者による安全性/環境影響の評価デー夕を厚労省/農水省に事前に届出しており,また市民モニター 4000 人に無償で苗を配布して,ラインで情報共有するマーケティング手法もよかった。 (佐々)市民がまず自ら栽培して身近な存在の食品として意識できるようになった。この新技術を理解した消費者市民から苗を配り始めたところがポイントだったように思う。 *新技術食品をいちはやく市場に浸透させるためには,まずは新たな科学技術に抵抗感のない市民に対してリスク情報/ベネフィット情報を開示 し,理解を求めながら徐々に試してもらうことが成功の条件ではないか。市民のリスクリテラシー を向上させていく際にも,できるだけ市民へのリスク情報を隠すことなく開示していき,義務表示や法規制をかけるよりも自由なリスク判断ができるような環境をつくるほうがよいだろう。 ## 参考文献 Kojima, M. (2021) Minnade Kangaeru Tritium-sui Mondai, Energy Forum, 196-229. (in Japanese) 小島正美 (2021) みんなで考えるトリチウム水問題,エネルギーフォーラム, 196-229. Tanaka, Y., Sasakawa, Y., and Sassa, Y. (2016) Psychological model predicting acceptance of NBT (New breeding techniques) crops, Proc. 2016 SRA Japan The 29th Annual Meeting, 187-192. (in Japanese) 田中豊,笹川由紀,佐々義子 (2016) NBT 利用農作物の受容を規定する心理モデル,日本リスク研究学会第 29 回年次大会講演論文集, 187192. Tanaka, Y. (2017) Risk Perception and Public Acceptance of New Breeding Techniques Crops, Saarbrücken, Germany: LAMBERT Academic Publishing, 5-32. Yamasaki, T., Ohtaki-Shimauchi, N., Tomioka, S., Hirota, T., and Yamaguchi, H. (2018) Development of smart risk communication targeting the risk perception bias, Proc. 2018 SRA-Japan 31th Annual Meeting, 254. (in Japanese) 山㟝毅,大瀧直子,冨岡伸一,広田鉄磨,山口治子 (2018) リスク認知バイアスをターゲットとした食のリスクコミュニケーション手法の開発ならびに効果検証, 日本リスク研究学会第 31 回年次大会講演論文集, 254 . Yamasaki, T., Sassa, Y., and Yamaguchi, H. (2020) The smart risk communication concerning genetically engineered foods, Proc. SRA-Japan 33rd Annual Meeting, 46. (in Japanese) 山㟝儫, 佐々義子, 山口治子 (2020) ゲノム編集食品のスマート・リスクコミュニケーション, 日本リスク学会第 33 回年次大会講演論文集, 46 .
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# リスク学研究 31(3): 273-275 (2022) Japanese Journal of Risk Analysis doi: 10.11447/jjra.SRA-0396 # 【書評】 ## 災害情報 一東日本大震災からの教訓一* ## 菅原 慎悦(評者)** ## Shin-etsu SUGAWARA なかなかに痛快な書である。災害にまつわる様々な「神話」が, 社会心理学的な調査・分析によって次々と解体されていく。 東日本大震妆焦では,発生当初に報じられた予想津波の高さが低かったために多くの人が避難しなかったという教訓から, 具体的な数值を示さずに警報を出す形へと変更された。ところが調べてみると,実際に津波高さの数値を聞いたから逃げなかったという人は,決して多くない(第1章)。都市部が災害に遭うと,多くの人々が身勝手にも買いだめに走るためにモノ不足が起きてしまうから,「買いだめをやめよう」という呼びかけが盛んになされる。しかし調査データからは,実際にはごく少数の購買行動しか発生しておらず,買いだめではなく物流システムの問題からモノ不足が起きていることが示唆される (第9章)。この他にも, 自家用車避難(第 2 章),災害流言(第7 章), 帰宅困難者(第 10 章), ソーシャルメディアの災害時利用(第 15 章)など,多くの「素朴な思い込み」が分析の组上に載せられ, 複数の調查結果から浮かび上がる「実態」によって, 鮮やかに反駁される。 20 もの章から成る大部の本書であるが,最終章を除くほとんどの章において, 何らかの社会調査の結果が参照されている。しかも, それらの調査の多くに著者が主体的に関与していることに驚かされる。調査系の社会心理学を専門とする著者の,「実証的分析」の強みが遺憾なく発揮されて いる。のみならず,上記のように「実態」とは異なる「思い込み」が社会的に広まっていく集合的なメカニズムについて, 社会心理学やメディア研究の概念を用いた理論的説明が随所に登場する。本書は, 社会調査の実践と社会科学の学術的理論との接合によって説得力を増すことに成功している,稀有な例と言えよう。 さらに著者は, 十分な検証を経ていない「思い迄み」に基づいて様々な防災の施策や制度がつくられ, 同型の問題が繰り返される日本の防災の構造的課題を,「想定主義」「精神主義」「仮説主義」「平等主義」として定式化する。特に, 防災の課題を人々の防災意識の欠如に求める「精神主義の跋扈」や,防災対策における全ての課題に対応しなければならないという「平等主義」への批判的視点は, エビデンスを重視して適切な優先順位付けを行いながらリスクに向き合うという, 本学会員諸氏の多くが共有するリスク観とも通底するだろう。また, 行政と研究者が共同で災害の想定を行い,それを過度に重視して災害に備えようとする「想定主義」や「科学的災害観」(第20章) に対する一種の相対化は, ベック以降のリスク社会学の視点とも重なりうる。その意味で本書は, 災害研究の専門家のみならず, 広い意味でリスク学に関わる読者にとって, 多くの刺激をもたらしてくれるはずである。 まことに個人的な印象で恐縮だが,原子力分野に軸足を置く評者からすると,本書の著者は,い * 関谷直也著, 東京大学出版会, 629ページ, ISBN 978-4-13-056126-6, 2021 年 ** 関西大学社会安全学部(Faculty of Societal Safety Sciences, Kansai University) わゆる「風評被害」研究の先駆者というイメージが強かった。東日本大震災の直後に刊行された 『風評被害一そのメカニズムを考える』(関谷, 2011)は,この問題を考える上での必読文献となっている。それゆ光, 原子力災害や風評被害については「議論する内容が異なることと, 紙幅が足りないこと」から記述しないという本書冒頭の宣言は,評者にとってはいささか意外であった。 が,本書を読み進めていくと,風評被害にも災害情報にも共通して貫かれている視点に気付かされる。それは,「人々の心の問題」と見なされがちな諸問題に学術的検証のメスを入れ, それが本当に人々の受け止め方の問題なのか, それともメディア,行政組織,流通システム,サプライチェーンなどの抱える構造的課題に由来する現象なのかを,実証的に明らかにしようとする視点である。例えば,災害報道や行政・企業の広報・ PR, デジタルサイネージなどを扱った本書の第 III 部では, 報道機関や広告代理店などの“業界事情”をも具体的な分析対象としており,社会心理学の専門書としては異色にも思える。ここには,災害時の集合現象としての人間の「心理」を,狭い意味での「心の問題」のみならず,これをとりまく様々な社会システムや情報環境の布置のなかで解き明かそうとする,著者の立場が明示されていると受け止めるべきであろう。政策がうまく進まないことの要因を「人々の理解不足」の所為にしがちな原子力関係者にとっては,まことに耳の痛い分析であるが,それゆえに豊かな示唆を与えてくれる。 上記のように浩潮な本書の内容を踏まえた上で, 今後の研究の展開可能性について, 以下に 3 点ほど記しておきたい。 一つは,著者が強調する「想定主義」に対する乗り越えを,どのように実現するかという点である。本書では,日本の防災対策の基礎にある「災害の可能性を想定して, それに備える」という発想の限界と,災害を経験して「想定」が厳格化されることはあっても「想定を置いて対策を立てるという枠組みはまったく変わっていない」ことを鋭く批判する (第 1 章)。一方, 個別の問題に対する分析では,“○○も想定した上で防災対策を考えるべし”という語り口が繰り返し見られる。例えば,津波避難ビルが安全な避難場所であるためには,津波高さ,津波火災の発生,津波による鉄筋コンクリートの倒壊など,「想定以上の被害 を考えておくこと」が必要と論ずる(第2章)。都市部における買いだめとモノ不足問題では, 政府や流通業界が,「危機が発生することをあらかじめ想定し」, 情報提供やコミュニケーションの諸方策を考えておくことが重要と述べる(第9 章)。一見すると, これらの対応策は, 「想定」の考慮事項を拡充し新たな「想定」によって災害に対応しようとする,本書が批判する「想定主義」 を再生産しているようにも思えなくはない。著者のいう,「『想定』を重視するのではなく行動の規範を考えることが重要」(第 1 章)とは具体的に何を意味するのか,それは単に想定を厳格化したり拡充したりすることとはどのように差異化されうるのか,より明確な言語化が望まれる。 二点目は,本書で多用されている社会調査の 「実証」の持つ意味合いについてである。近年,防災に係る人文・社会科学の「アクション・リサーチ」では, 研究者が第三者として研究対象者の行為や心理を「客観的」に観察・測定するという構図自体を批判的に見つめ直し,両者の「共同構築」として「現実」を捉え直そうとする動きがある。この立場からすると,例えば,避難しなかったという住民の振る舞いの原因は,しばしば事後的な社会調查によって「正常化の偏見」にあるとされるが,これをもって「正常化の偏見」が 「実証」されたと捉えるのではなく, 防災研究者が調査という行為を通じて人々に sense-making $の$仕方を事後的に促している側面をも適切に認識すべきとされる(矢守, 2009)。本書の著者は, 上記のような見方に言及しつつも,あくまで「認知バイアスとしての議論」(第 5 章) に拘って論を進めているが,この点は詳細な検討に值すると思われる。本書で引用されている調査では, 「避難に際して自家用車を利用したか?」という問いのように, 研究者と対象者との相互作用を前提にせずとも理解しうる質問項目が多く,これらに対して「共同構築」を持ち出す必要はないだ万う。一方で,今後の望ましい情報提供のあり方や,あの時どうすれば良かったかといった問いについては,社会調查によってそのように問いかけること自体が, 回答者の意味付けを特定の方向に促す側面を持つようにも思われる。調査の内容や質問項目に応じて「共同構築」的な視点をも分析に組み达むことにより,本書が重きを置いている「実証」の意味合いが, 一層豊かなものとなることが期待される。 いま一つは,リスク学の立ち位置と関わるものである。本書では, 地震動予測地図の事例に顕著に見られるように,伝えるメッセージ自体の真偽は問題とせず,メッセージの表現が人々の心理に与える効果のみを分析の対象としている(第 17 章)。また,地震学などへの理解(サイエンス・ コミュニケーション)と,地震などの可能性を理解すること(リスク・コミュニケーション)と,防災の3つを明確に分ける必要性を強調する(第 20 章)。たしかに, 説得的コミュニケーション研究の流儀に則れば, 内容の真偽と表現の効果とは独立に論じうるし,災害に関する知識云々よりも 「人の命を救う情報」を目指すという,著者の目指すところも十分に理解できる。ただ,リスク学の一学徒である(そして科学技術社会論を少々䍴っている)評者からすると,リスクの表現形式の問題と,リスク評価に伴う不確かさや専門家判断の度合いとは,個別よりも統合的に検討することの利が大きいようにも思われる。近年のリスク学では, リスク分析を成り立たせている知識の側面に焦点を当て,リスクの特徴づけ(risk characterization)において「知識の強さ」(strength of knowledge)をより明示的に考慮しようとする流れが顕著である(例:Aven,2015)。災害情報についても,その表現形式とともに,災害情報が科学知や専門家判断を駆使して構築される過程に立 ち入って, 初めて見えてくる示唆や課題もあるだ万う。この点はむしろ,本書を踏まえた上で,リスク学の側が展開していくべき課題かもしれない。 このほか, 誤記や読み下し難い文章表現が散見される点は, いささか惜しい。また, 複数の章にわたって重複する記述が多く, 全編を通して読むと冗長さも感じられる。さりながら, 本書はその名の(特に英語名“Disaster Information and Social Psychology”の)示す通り, 災害情報に関する社会心理学の基礎文献として必読であるし,災害と関わりのある多くのリスク研究者や実務者にとっても示唆的な書である。 ## 参考文献 Aven, T. (2015) Risk Analysis: Second Edition, Wiley. Sekiya, N. (2011) Fūhyōhigai: Sono mekanizumu wo kangaeru, Kobunsha. (in Japanese) 関谷直也 (2011) 風評被害 - そのメカニズムを考える -, 光文社. Yamori, K. (2009) Revisiting the concept of normalcy bias, The Japanese Journal of Experimental Social Psychology, 48(2), 137-149. (in Japanese) 矢守克也 (2009) 再論 - 正常化の偏見 -, 実験社会心理学研究, 48(2), 137-139.
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# リスク学研究 31(3): 277-278 (2022) Japanese Journal of Risk Analysis doi: 10.11447/jjra.SRA-0400 # 【書評】 ## リスク心理学 \\ 一危機対応から心の本質を理解する一* ## 上野 雄史 (評者)** ## Takefumi UENO 新型コロナウィルス(以下,新型コロナ)禍でリスク対応について考える必要がない,という人は皆無であろう。つまり,『一億総リスク対応社会』になったといっても過言ではない。家庭,学校,職場などの,あらゆる場面において,全ての人たちが,新型コロナ禍でのリスク対応を求められている。 私たちが新型コロナ禍におけるこれまでの自分自身のリスク対応について振り返ってみると, 「自身の心理」が様々な出来事で摇れ動いていたことに気づかされる。ニュース・ $\mathrm{TV} \cdot$ 新聞報道・ SNS 上での情報, 身近な人の感染, 著名人の感染や死亡,などなどが,我々のリスク判断に影響を与えていた。しかしながら, 新型コロナ禍では,何らかの心理的な作用がリスク判断に強く影響していることは「直感的」には理解できたとしてもそれを論理的に説明することは難しい。 本書は,新型コロナ禍で『私たちの心理がどう摇れ動き,リスク判断に影響を与えていたのか』 を理解する上で,有益な書である。本書は,著者がこれまで積み重ねてきた学術上の知見を土台として執筆されており,リスク心理学の本質的な内容まで理解することができる。 第一章リスクと心理学 第二章判断を決める「二つのシステム」 第三章「恐ろしさ」と「未知」 第四章直感のしくみ一ヒューリスティクス第五章人それぞれの不安 第六章リスクに向き合う社会 第一章は,本章の序論ともいうべき章である。専門家は,リスク評価を通じて, リスクの程度を定量的に測定している。しかしながら,悩ましい問題は, こうしたリスク評価は, 前提次第で数值が大きくも小さくも振れ,個人の未来を確約するものではない,ということである。リスク心理学の中心にあるリスク認知研究は,「確率」と「深刻さ」 の枠組みにとらわれず,私たちのリスクに対する感覚的な側面を明らかにしようとするものである。本書の基盤となる理論は,第二章で説明されている二重過程理論である。二重過程理論は,私たちの判断や意思決定が, 直情径行型で, 直感的,無意識的に判断を進める大雑把なシステム 1 と,慎重居士型で腰が重く,データや論拠,論理を重視して筋の通った判断を行おうとするシステム 2 という二つの思考モードで支えられている,と考える。 新型コロナ禍における私たちの心理状態を的確に捉えているのは,第三章で説明されているリスク認知の「恐ろしさ」と「未知」の二因子モデルである。新型コロナ流行時の映像やニュースが人々の「恐怖を喚起」し, ウィルス感染の特徴が,科学的に分かっていないことが多くあることから,「未知性因子」を持つものであったことは,新型コロナというハザードがリスク認知の二因子  に当てはまりよいものと考えるに十分であろう。 私たちが普段行っている直感的な判断である “ヒューリスティクス”の仕組みについて説明されているのが第四章である。この章では, 利用可能性ヒューリスティック,“天然の方が良い” ヒューリスティック,アンカリング効果,感情ヒューリスティック,の四種類の特徴と問題点が説明されている。ヒューリスティクスは,そこそこ妥当な判断を導くことは出来るものの, 経験則や思い达み,感情に影響を受け,リスクを過大評価したり,過小評価したりすることがある。その事を,私たちがリスク判断を行う際に留意しておくべきであろう。 リスク対応について個人差があることは,私たちは新型コロナ禍でも実感しているところである。リスク対応策の有効性認知が“人それぞれ” であることが説明されているのが第五章である。 リスク認知の個人差を説明する要因として,女性は男性よりもリスク認知が高く, リスク回避傾向が強いことが過去の研究から繰り返し確認されているものの, 人の認識は社会的, 文化的に構成されるものであり, リスク認知の男女差も社会的,文化的に形作られているという考え方も紹介されている。基本的な要因として取り上げられる人口統計学的要因 (年齢, 性別, 家族構成, 収入, 教育, 職業など), 性格要因などあるものの, リスク認知の個人差を明確に説明することは難しいことが説明されている。この個人差の解釈に関する問題は, 私も含めた研究者が常に悩まされる課題であろう。 最も読み応えがあるのが,第六章である。新型コロナ禍における偏見, ステレオタイプ的なカテゴライズ,因果応報的な見方で差別や偏見を正当化する公正世界誤謬,正しいという情報を積極的に手に入れることで生じる確証バイアスなどの社会心理学の理論やモデルにより, 医療従事者や感染者, 飲食店などに攻撃の矛先が向かう理由を理論的に説明している。本章では,「日本人がなぜ強制もされずにマスクを着用しているのか」という要因についても説明している。著者の研究室が実施した全国調査では,「同調」が人々の心理に強く作用しているという結果が示されている。たたしこの調査結果を持って日本人が同調しやすい民族だ,と解釈するのは誤りであり,「同調」は,日本人のみに特有なものではなく, 社会的動物としての基本的な性質と考えることが出来る,とい うことも述べている。 二重過程理論でみれば,リスクを削減するための社会的制度や規制, 法律の制定が, 私たちの選択肢を狭め,窮屈な思いをするかもしれないが,長期的に先々の利得や損害を計算するシステム 2 として機能し,目先の利益を考えるシステム1を抑え达んでいる。個人対応だけに任せていては困難なことも,社会として取り組むことで実現できる。たた,今後起こりうるリスクに対応するためには,長期的な視点として機能するシステム 2 に依存するだけでは限界がある。となれば,システム1を中心とする人の心のありようを理解することが必要となる, として, 今後の著者の研究上の決意が示されていることは, 同じ研究者として大いに刺激を受けた。 本書は順を追って読み進めていかなければ全体を理解できない専門書としての色彩を持っている。特に第一章,第二章を熟読の上で,第三章以降を読み進めていくことをおススメする。合間に紹介されている研究者紹介は, 私たちにも馴染みのある著名なリスク認知の研究者たちが紹介されており,著者との研究上の交流についても時に記されている。こうした研究を身近に感じる工夫がされている点も本書を読み進めていく上で助けになる。 本書を通読し,書評を書き進めていく中で思い浮かんだことは, リスク心理学は,「一見分かりやすそうで実は複雑で,奥深い」ということである。昨今では,単に「分かりやすい」という事を念頭に書かれている本も多い中, 基本的な理論を簡潔, かつ丁寧に説明しつつ, 直近の事例, 最新の研究を示している新書は稀少である。研究論文を出すだけではなく,一般向けにも自身の成果を積極的に出される著者の精力的な活動には敬意を表したい。 最後に「これがあればよかったな」ということを指摘させていたたく。本書の副題である「心の本質」とは何であったのか,という疑問である。私たちの心は不安定であり, 常に摇れ動いている。不安定な心は, 危機対応により, 一層不安定化することを,東日本大震災や新型コロナ禍で多くの人が体感したであろう。危機対応もフェーズが進んでいくに従い変化し,初期の新型コロナの流行時と今では,私たちのリスク対応に対する心のありようも変わっている。この点については, おそらく著者の今後の研究によりさらに解き明かされ,結果が示されていくことを期待している。
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# 【特集:日本リスク学会第34回年次大会 情報】 ## 企画セッション開催報告 \\ 経済・経営リスクとレジリエンス* ## Resilience to Risk in Economics, Business and Management ## 前田 祐治** Yuji MAEDA \begin{abstract} This paper summarizes our discussion in the planned session titled "Resilience to Risk in Economics, Business and Management" which was held online on November 20 in the $34^{\text {th }}$ conference of Society of Risk Analysis-Japan Section. We had four researchers who presented their results of studies followed by active discussions on the theme. Informative discussions were presented both in English and Japanese as we had three international and one Japanese researcher who presented the achievement among other participants. \end{abstract} Key Words: Resilience, Risk Management, Equity Crowd Funding, Risk Disclosure, Liquidity Risk ## 本論では,2021年11月20日-21日にオンライ ン開催された日本リスク学会の企画セッションB 会場「経営・経済リスクのレジリエンス」につい て総括する。本セッションでは,国際的な研究者 が幅広い研究エリアで, 日本語と英語を織り交ぜ ながら議論し,リスクに関する研究成果を発表 し,質疑応答が活発に行われた。 ## 1. Adel GUERRAM (関西学院大学)「Success Factors in Equity Crowdfunding: An Evidence in Japan」 Equity Crowdfunding (ECF)は,近年のネット (クラウド)上でお金を募る,クラウドファンディングの一つである。特にECFは,起業のために資金を提供するものであり,起業家への新たな資金提供のツールとして話題になっている。オンライン上のプラットフォームを通じて資金を募集する点で,起業家は比較的簡素な手続きで資金調達できるし,投資家も気軽にベンチャーに投資できるという利点がある(Ahlers et al., 2015)。こ の新たな資金調達が日本に導入された第一号「Fundino」(2015年設立)の 63 ものプロジェクトの実証データを分析することで, ECFで資金調達を成功させるための要素を分析し明確化した。この分野の研究は日本ではまだ行われていない。 $ \text { サンプルデータにおいて重回帰分析を行った結 } $ 果, (1)プロの投資家の関与, (2)起業のサイズ, (3)技術的なプロジェクト, (4)特許, (5)Exit時の予想売上といった5つの要素が, ECFで資金を成功裏に集めることに寄与できるということが判明した。一方, ジェンダーの要素, 女性による起業, メンバー内に女性がいる事や Exit戦略といった要素は, ECFの資金集めには寄与しないことが分かった。 ## 2. Arafate Joao DO ROSARIO (関西学院大学) 「Japanese City Banks vs. Regional Banks: Liquidity Creation Perspectives」 本論文では日本において, 都市銀行, 1 階層地域銀行,2階層地域銀行の3つのクラスター間の流動性リスクの違いと, そのリスクが銀行の業績 * 2022 年 2 月 2 日受付, 2022 年 2 月 3 日受理 ** 関西学院大学経営戦略研究科教授 (Institute of Business and Accounting, Kwansei Gakuin University) (たとえば,正味の金利収入や不良債権)とどのように関係性を持つのかについて議論した。銀行が確保する流動性の尺度として, Berger and Bouwman (2009)が用いた手法を利用した。 標本として,2000年から2021年までの公表データを基に実証分析をした。大規模な都市銀行は流動性を多く確保でき,小規模な銀行はそれほど多くの流動性を確保できない。大規模な銀行は資本市場へのアクセスが良く,流動性の観点からリスクに対する耐性があり,さらにビジネス成果に優位性がある。 ## 3. Ekote Nelson Nnoko(関西学院大学)「Analyzing the Impact and Risk of Natural Resources on Economic Growth: Analysing the Resource Curse in Sub-saharan Aftica」 本稿では,サブサハラアフリカ地域における自然資源と経済成長性の関係性について分析した論文である。特に,自然資源,オランダ病,そして自然資源と経済成長の間に位置するメカニズムについて注目する。また,自然資産が多いということのリスクと,自然の豊かさが経済成長の疎外要件になっている要因についても分析した。 本研究で判明したことは,自然資源が多いということが経済成長の遅い原因であるといったパラドックスは,実は真実ではなく,逆に自然資源を経済成長につなげることができるという事実である。いわゆる「資源の呪い(paradox of plenty)」 (Carmignani and Chowdhury,2010)を克服するには,この地域における適切なガバナンス機能を充実させることが必要である ## 4. 上野雄史(静岡県立大学)「リスク情報 の開示は企業の業績を高めるか?」 本稿では,リスク情報の開示の実態を検証し,企業の業績を高めることに貢献しうるのか,について考察した論文である。2019年1月「企業内容等の開示に関する内閣府令」が改正され,2019 年 3 月 31 日以後に終了する事業年度から適用された。従来から開示が義務付けられていた「事業等のリスク」では,顕在化する可能性の程度や時期リスクの事業へ与える影響の内容,リスクへの対応策などが求められることになった。 今回のサンプル対象とした企業は,日本を代表とする企業であり,3月期決算企業187社中,104社が内閣府令に準じた開示になっていた。しかいながら、リスクへの対応策についての記述は「発生した場合に早期対応に努める」「適時適切に対応する」など,抽象度の高い記述に留まっている企業が 45 社もあった。一方で, 残りの 59 社は積極的に開示を行っており,損失規模・影響度と発生可能性をリスクマップなどの形で図示して,関連する機会とリスク,主な取組について示すなどの記載を行っている企業もあった。 コーポレートガバナンス改革も含めた情報開示の強化,行動指針の明確化は,企業の中長期的な企業価值の向上に貢献することが期待されている。リスク情報開示の促進のためには,今後は中長期的なパフォーマンスとの関連性をより検証する必要がある。 ## 5. おわりに 本セッションでは, 経営・経済学の視点からのリスク学,リスクに対する耐性(Resilience)をいかに確保することが重要か, について議論した。グローバル化が進展した社会では,様々なリスクに見舞われ,適切にリスクに対応しないと国,地域,個人,企業レベルでの発展が阻害されると報告された。 日本社会と世界のつながりにおいて,リスクマネジメント論とリスクファイナンス論から「リスク耐性」について討論した本セッションでは,日本社会はまだまだリスクに対して脆弱であるとの指摘があった。企業におけるリスクマネジメントも同様である。再度,リスクを洗い出し,社会・企業・経営レベルでの統合リスクマネジメントへの転換が求められる。今後, この分野の実地調査やデータの収集と分析が期待される。 ## 参考文献 Ahlers, G. K. C., Cumming, D., Günther, C., and Schweizer, D. (2015) Signaling in equity crowdfunding, Entrepreneurship Theory and Practice, 39(4), 955-980. doi:10.1111/etap. 12157 Berger, A. N., and Bouwman, C. (2009) Bank liquidity creation, Review of Financial Studies, 22(9), 37793837. doi:10.1093/rfs/hhn104 Carmignani, F., and Chowdhury, A. (2010) Why are natural resources a curse in Africa, but not Elsewhere? UQ Economics Discussion Paper 406, School of Economics, University of Queensland.
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# リスク学研究 31(4): 313-315 (2022) Japanese Journal of Risk Analysis doi: 10.11447/jjra.SRA-0408 # 【書評】 ## ナチュラルミステイク* \\ 一食品安全の誤解を解く一 関澤純 $\left(\right.$ 評者) ${ }^{* *}$ ## Jun SEKIZAWA 本書は, James T. MacGregor の “Natural Mistake” (2019)を特定非営利法人ILSI Japan食品リスク研究部会 (林真, 森田健監訳)が訳し,2021年に出版したものである。原著者 MacGregorは, 医薬品及び食品の開発, 安全性評価, 規制に携わり,米国毒性委員会の専門委員, 政府毒性学者協会会長, 米国食品医薬品局 (FDA) の薬物評価研究センター所長を務め, 多数の論文や著書を発表している。ILSI Japanは米国に本部をおく「国際生命科学研究機構(ILSI)」の日本支部として 1981 年に設立, 国際的活動以外に国内で研究会など日本独自の問題にも取り組んでいる。監訳者の林, 森田両氏は, 国立医薬品食品衛生研究所の变異遺伝部長, 安全情報部室長をそれぞれ務め, 内閣府食品安全委員会の専門委員などとして活躍している。 本書の目次は,以下のようである。 1 はじめに 2 植物は人にやさしくはない 3 毒性の原因特定は難しい:重篤な毒性でも見逃される理由 4 規制の枠組み:法による規制の違い 5 自然のものは安全と考える間違い:問題点と事例 6 ハーブサプリメントと「機能性食品」: 学び, そして忘れられた教訓 7 機能性食品への医薬品や生物活性物質の違法 ## な添加:深刻な事例 8 食品, 添加物および残留農薬の規制 9 栄養補助食品, 医薬品, 化粧品の規制一植物由来サプリメント(法律に基づく特別なケー ス) 10 立証責任:FDAの権限と限界 11 有毒化学物質:ハザードとリスク 12 最も大事なこと:健康的な食事とライフスタイル 13 消費者及び立法機関と規制当局の皆さんへ MacGregorは, 『自然食品, オーガニック食品,植物由来製品は人々が考えるほど安全ではない理由を米国の現状から紐解き, 自然食品, オーガニック食品, 植物由来製品は通常の食品や医薬品より安全であるとの誤解について述べる。すなわち米国の法律は多くの自然食品についてほとんど安全を保証しておらず,オーガニック食品は通常の食品より安全で栄養豊富である保証はない。植物由来のサプリメントは安全性試験を要求されておらず, 危険な化学物質の添加も見られる。他方人々が恐れる食品添加物, 医薬品, 農薬は厳重な試験がなされ,安全が確認された量でしか用いることはできない。』と言う。 本書は米国の規制と現状,1994年に制定された栄養補助食品健康教育法(Dietary Supplement Health and Education Act: DSHEA)の問題点に触れ  ていることに注意が必要である。2019年当時に米国の栄養補助食品は約 5 万 8 万種類となり, 1994 年の DSHEA 制定時に推定製品数が約 4 千種類であったことに比し, 飛躍的に増加した。FDA は, “natural”,“all-natural” と言う用語の定義を示しえてないが,ナッツに混入するカビが生産する微量で強力な発がん物質Aflatoxin は natural(天然物)のひとつである。 米国では栄養補助食品の安全性と有効性の立証責任はFDAが負っているが, 30 人未満の栄養補助食品局職員と,70億円少しの予算では困難である。植物由来製品では医薬品の販売に必要な安全性, 化学的同一性, 不純物含量の詳細な要求が不足している。健康な 10 代少女が植物由来製品を摂取し始めた後,突然死した事例では少女が実際摂取した製品は入手できず,同製品と死亡の因果関係を示す追加の証拠なしに法的措置はとれなかった。このため本書では, 規制当局への改善措置の提案が記されている。 『天然のサプリメントとハーブ薬品は大手製薬企業が製造した医薬品より安全かつ有効で,有機食品は, 農薬, 人工肥料を使用して栽培されたものより健康に良いと広く信じられている。自然食品による深刻な毒性や死亡事例が報告されているが,自然食品は本来健康を増進するという思い达みは次の誤った仮定によると思われる。“ハーブ療法に重大な毒性報告もなく何百年も使用されているが医薬品に副作用があることは知られている”。暴露直後に起きる急性毒性は容易に見つかるが遅れて発生する毒性や他の要因や健康状態との相互作用の検出は非常に困難である。医薬品は上市前に多くの毒性について徹底的に試験され臨床用量とかけ離れた高用量まで試験され, 適切な安全域と使用量が評価されている。(引用は一部文章を中略) 手掛かりがあっても原因特定が難しい一例として本書からアリストロキア酸腎症を引用する。限られた集団に認められた特定の製品への暴露が原因であるという強力な証拠があったにも拘わらず,立証に大変な手間を要した。毒性原因のアリストロキア(ウマノスズクサ)は漢方薬として,数百年以上使用されドナウ河沿いの小農村で2万 5 千人に珍しい腎臟病が発生し, 環境, 食物あるいは水に含まれる物質への暴露が疑われたが 50 年間原因不明だった。1996年にベルギーでアリストロキアを含む漢方薬が減量用ハーブ製品に誤用され, 特定クラスターに重度の腎障害を引き起こし原因が特定された。 日本では 2015 年に「機能性表示食品」という制度が発足し飛躍的に売り上げを伸ばしている。「機能性表示食品」の機能性と安全性について届出の指針があり届出内容と表示のチェックはあるが,消費者庁長官による科学的根拠の個別審査はなく, 事業者の届出に頼る。消費者庁の担当職員は兼務を含め 10 名前後で届出確認業務の外部化も検討されている。指針の基準が緩やかなだけでなく, 公表された試験内容から見て科学的に必ずしも十分適切なレベルに達していない例があり,摂取による被害情報の収集と消費者庁への報告は事業者の自主判断に任され, 医薬品のような被害者救済制度はない。これらの理由から東京弁護士会(2016)は制度の廃止を含めた見直しの意見書を公表している。 内閣府食品安全委員会は2015年に『いわゆる 「健康食品」について』という報告書(食品安全委員会,2015)を「健康食品」としての安全性などにつき19の注意メッセージと共に公表している。メッセージでは, 『「天然」「自然」「ナチュラル」などのうたい文句は「安全」を連想させますが,科学的には「安全を意味するものではありません」』と注意が記されている。『健康食品」ウソ・ホント』(高橋,2016)は「蔓延する機能性幻想」について, 『これ, 食べたらからだにいいの』(関澤, 2010) は, 簡単に瘦せられることを売り文句にしたダイエット食品のウソや被害事例を紹介している。メディアやSNS上の宣伝・広告は動画も駆使し巧みに高齢者や若者を誘い, メディアも広告主に不利な記事は載せず耳触りよい情報があふれている。米国のDSHEAでは法律の名称に, 健康補助食品の教育が織り达まれ FDAが消費者教育に責任を持つとされているが,日本では消費者庁でなく国立健康・栄養研究所が「健康食品」の安全性・有効性情報を市民向けに公表している。筆者は本書をSociety for Toxicology(米国毒科学会) の MacGregor 氏Webinar(2022 年 2 月 9 日)で知った。日本の現状を考えると本書から学ぶべき点は多く, 食と健康の関係やリスク情報の適切な理解推進に学校教育や消費者教育の充実が必要でメディアリテラシー向上セミナー開催など本学会が取り組むべき課題のひとつではないか? ## 謝辞 高橋久仁子群馬大学名誉教授からいただいた適切なご助言に感謝します。 ## 参考文献 Food Safety Commission of Japan (2015) Iwayuru kenkousyokuhin ni tuite. (in Japanese) 食品安全委員会(2015) いわゆる「健康食品」について. Sekizawa, J. (2010) Kore Tabetara Karadani Iino?, COOP Syuppan. (in Japanese) 関澤純(2010)これ, 食べたらからだにいいの, $ \text { コープ出版. } $ Takahashi, K. (2016) Kenkousyokuhin Uso Hontou, Kodansha Buru-bakkusu. (in Japanese)高橋久仁子(2016)「健康食品」ウソ・ホント, 講談社ブルーバックス. Tokyo Bar Association (2016) Kinousei Hyouji Seido ni Taisuru Ikennsyo, https://www.toben.or.jp/message/ ikensyo/post-422.html (Access: 2022, Feb, 22) (in Japanese) 東京弁護士会 (2016) 機能性表示食品制度に対する意見書, https://www.toben.or.jp/message/ikensyo/ post-422.html(アクセス日:2022年2月22日)
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# リスク学研究 31(3): 139-140 (2022) Japanese Journal of Risk Analysis doi: 10.11447/jjra.SRA-E313 # 【巻頭言】 ## 2021 年の覚書* ## A Memorandum for 2021 ## 東海 明宏** ## Akihiro TOKAI 2021 年度年次大会の会告において次のような文章を学会ホームページに掲載いたたいた。 『「Risicare〜勇気をもって試みる〜混迷の時代に生きるための基盤」2021年度の年次大会は,新型コロナウイルスの世界的流行のため昨年の方式を踏襲し,オンライン開催となりました。これも,今後続くかもしれないアフターコロナの学会活動の一つの姿になっていくかもしれません。リスクが日に新たに発生している現代,冷徹にそれを評価する目と,温かい気持ちでそれとつきあい管理していく気持ちの両方が望まれているのでしょう。これを通じて「リスクを自分ごと化」していくことが,本来のリスクリテラシーと言えるのではないでしょうか。世の中を動かす原動力に占める,「リスク」の役割は小さくありません。 むしろ支配的ですらあると考えられます。すなわち, リスクへの気づき, 共考, 評価と意思決定, そして対策発動・行動誘発という一連の営みが社会を動かしていると考えられます。リスクとの関わりを持たない分野はないといってもいい現代において,いまここにあるリスク,新興リスク,見えにくいリスクについて,仲間内での議論を超えて, 真に, 学際的な議論のために,本大会にご参集いただけることを願っております。』 さて,大会終了後,自分自身への備忘録として,順不同に以下のような気づきをまとめてみた。 ・リスクへの向き合い方が,日々の生活に影のごとく響きをもたらしているのが最近のリスクの観察を通じて気づいたことである。この向き合い方には,国レベルでの政策決定,機関毎の決定,そして,個人の決定があるだろう。 ・ひとたび,リスクが現実のものとなり,クライシスの状態になると, 向き合い方は, いっそう迫真のものとなる。そしてディザスターの後は,復旧・復興に向けた歩みとなる。このように考えると, リスクとは, 平時から有事を経てまた新しい平時に戻る,というサイクルの一断面を強調した用語であり,迫りくるレベルに応じて,リスク, クライシス,ディザスターと,専門分化することで,社会に高度の安全を実現してきた一方で,リスクを社会のいたるところに分散または散在させてしまったともいえるだろう。 $\cdot$どこで切っても,ひとまとまりの分野にはおさまらないところが,リスクを対象とする問いの立て方であり,そこが他の多くの確立した分野との違いであるからこそ, あらためて, 学際的な, 率直な議論ができるこの学会の特色が際立ってくるのである。 ・このようなリスクへのかかわり方, リスク研究アプローチの手作りの強みがあるからこそ, 得体の知れない問題に真っ先に取り組めるのではないだろうか? $\cdot$対応のガイドラインができあがった事象には,成熟した(定型的な)リスク管理が可能だろうが,「生きているリスク」は,複合かつ構造的なリスクであるからこそ, その把握のためには, 必  要となる知見を他所から借りてでも,言い換えれば領空侵犯をおそれずに,とりくむ必要がある。多方面からの向き合いかたが必要であるから, どこで境界線を引いて向き合いかたを決めるかが,核心的な問いになる。 ・いかなるリスクを取り上げようとも,環境・技術・社会制度を通じて互いにつながりあっているからこそ,一見するとつながりが判然とはしない事象に対し,リスクを読み取っていくことにこそ他の学会にはない本学会の特徵があるのではない加。 ・設立の経緯によって分化発展した集団や学問領域間で,類似の概念があることに気づく。学問分野の類型比較をしながら, 良い意味での領空侵犯を認め合うことが相互の発展につがなるのではないだろうか? 以上の気づきを踏まえて, 巻頭言として,「2021年の覚書」を,以下のようにまとめを残そうと考えていた。 『すなわち, リスク学において, 勇気をもって試みる対象が確実に広がったのがこの 10 から 20 年の間のリスクを取り巻く状況といえる。新興リスクが潜みつつ広がるなか, リスクから, クライシス,そしてディザスターへつながっていくなか で,端緒としてのリスク,あるいは生きているリスクを対象にするには,まず,「リスカーレ」に立ち戻り, 分化のみでもない, 統合のみでもない 「リスクの自分ごと化」につながる知見や知恵の創出が, リスク学の定着化のための核心であるといえるだ万う。さらに言えば,「リスカーレ」に立ち戻ることは, リスクの進化への対応を通じた,学問の再編成を示唆することにつながるのではないかっ』 締め切りを過ぎてしまったことから, 今そこにある更なるリスクに遭遇している。2022年 1 月 13 日の国立感染研のホームページでのお知らせによると, オミクロン株による症状はこれまでの株に比べて軽減したといわれているが, これまで経験したことのない速さで新規感染者数の拡大がもたらす社会への広範な被害・影響拡大の可能性への備え,そして1月15日に発生した島国トンガでの凄まじい火山の爆発と放射状に広がった衝撃波でふきとばされた大気・津波の到着であった。現地での激甚な災害に何もなしえない自身に歯がゆさを感じるとともに, 改めて, 平穏であることが偶然の産物であるという気づきを新たにしたことをもって『2021年の覚書』としたい。
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# リスク学研究 31(4): 279-280 (2022) Japanese Journal of Risk Analysis doi: 10.11447/jjra.SRA-E314 # 【巻頭言】 ## コロナ禍における地域防災上のリスク対応を考える* ## Risk on Regional Disaster Prevention in the Era of COVID-19 ## 李 泰榮 ## Tai-young YI ## 1. はじめに 新型コロナウイルス感染症(COVID-19,以下, コロナという)に対し,日常生活におけるさまざまな対応策が講じられている。代表的なものとしては,クラスター(集団)の発生を防止するために,日常生活での「三密」(1)密閉空間, (2)密集場所, (3)密接場面) が重ならない工夫(首相官邸・厚生労働省,2020)があげられる。 このような状況の中, 自然災害の発生リスクが高い地域,または,今後の首都直下地震や南海卜ラフ巨大地震のような緊迫した贸害リスクが潜んでいる地域においては,日常のコロナ対策を取り入れた防災活動(平時)や災害対応(贸害時)が求められている。 近年の災害対応の経験から,コロナ禍における効果的な災害対応のポイントが整理され (内閣府, 2020), 各地の地域防災の現場では, これらの知見を踏まえた効果的な対応策がすでに講じられつつあるが,ここに改めて,コロナ禍での地域防災上の課題とリスク対応の考え方について整理しておきたい。なお,ここでいう「地域防姼」とは,地域防災上の「自助」「共助」「公助」のうち,地域住民や地域コミュニティが取り組む「自助」「共助」の防災活動と災害対応を指している。 ## 2. 防災活動上の課題 平時の防災活動においては, 安否確認訓練, 消火訓練, 避難訓練, 避難所運営訓練など, 参加型・対面型の取り組みが欠かせない。しかし, この数年, 前述した「三密」防止のために,地域住民の集まる機会が大幅に減少し,防災活動のみならず,対面型の活動のほとんどが停滞している。筆者も長年にわたり,数多くの地域で防災活動に協力してきているが,コロナ禍を理由に延期・中止せざるを得ない状況である。 テレワークやオンライン会議等が定着し始めている今, 一部の地域においては, オンライン形式の非対面での防災訓練(例えば,メールでの情報伝達訓練や避難所運営シミュレーションなど)が取り組まれているケースもしばしば目にするが,防災活動の担い手の多くが,地域の実態・実情をよく把握している高齢者であるため, オンライン技術を駆使したコミュニケーションや会合等に不慣れであることから,コロナ禍での防災活動が容易ではない状況といえる。 ## 3. 災害対応上の課題 災害時の安全確保をはじめ, 情報収集, 安否確認, 避難や避難所運営など, 地域住民に必要な災害対応の中でも, コロナ禍においては特に「避難」が課題になっている。  今まで「災害時に避難する」といえば,行政が指定している「避難所へ立ち退き避難する」との認識が強かった。しかし, 近年のコロナ禍で発生した災害対応の事例では,避難所での三密状態の形成によってコロナ感染症が拡大する恐れがあることから, 避難所での避難者の受け入れが打ち切られたり,感染症対策が不十分な避難所が閉鎖されるなど,避難所への避難に関する課題が浮き彫りとなった。そのため, 自宅の安全な場所にとどまる在宅避難をはじめ,友人宅や親戚の家などへの縁故避難,高層階のホテルへの避難,高いところへの車中泊,地域住民が決めた安全な場所への自主避難など,そもそも避難所へ行かない「分散避難」のさまざまな形態が多く報告されている (内閣府,2021)。風水害だけでなく地震災害に対しても,例えば,首都直下地震が差し迫っている東京都は,コロナ感染症の対応としてだけでなく, そもそも行政が指定している避難所への受け入れ避難者数の限界からも「分散避難」を推奖している (東京都, 2021)。 ## 4. コロナ禍の災害リスク対応 従来まで,前述した「避難」を課題とした防災活動においては, 各種災害ハザードマップの確認や防災まちあるきなどを通じて,地域の災害危険性を確認したうえで, 安全な避難先と経路, 避難方法などを検討することが一般的であった。しかし,効果的な防災活動の実践にあたっては,地域で起こりうる災害リスクを理解(リスク特定) し,災害時に地域社会が直面しうる事態と課題を見極めた(リスク評価)うえで,受容できる災害リスクのレベル (回避, 軽減, 抑制) に応じて,実効性のある対応策を講じる(リスク対応)ことが重要である。 このようなリスク対応の考え方に加え,昨今のコロナ禍を勘案し,かつ,令和 3 年度に改正された災害対策基本法において,「屋内安全確保」「緊急安全確保」「立退き避難」のいずれも身の安全を確保する避難行動として規定(災対法第60 条第 3 条)されたことからも,「避難」対応の検討においては,単なる地域の災害危険性に加え,より複雑なりスク対応の検討が必要である。具体的には,まず,「避難」という行動を、(コロナ感染の危険性が高い) 避難所へ行かない避難, つまり前述した「分散避難」を前提とし, 地域の災害危険性(想定浸水深等)に対する自宅の構造や階数(垂直避難の可能性), 高齢や障がい,持病などの身体の健康状態やこれに対する近所付き合い等による避難支援の可能性 (水平避難・立ち退き避難の可能性)など,自分自身を取り巻く状況から「Evacuation」に伴うリスクの特定と評価を行ったうえで対応を検討する。そして,電気・水道・ガスなどのライフラインの途絶時においても, 自宅や避難先にてしばらく生活できる防災備蓄の程度をはじめ,三密状態の形成によるコロナ感染症の拡大, プライバシーの露出によるストレス, 夏の暑さや冬の寒さなどによる健康状態の低下, アレルギー疾患の発生, 盗難・犯罪などの各種トラブルの発生など,「Sheltering」に伴う様々なリスクを視野に入れた対応を検討する。 このようなリスク対応の検討においては,様々なデジタルコンテンツを活用し, 前述したコロナ禍での対面型, 訓練型の防災活動の限界から,才ンライン形式の会合を通じて各個人や地域状況に応じた「避難」が検討できる活動が望ましい。 ## 参考文献 Cabinet Office (2020) Points for disaster response based on the COVID-19. (in Japanese) 内閣府 (2020) 新型コロナウイルス感染症を踏まえた妆害対応のポイント. Cabinet Office (2021) Collection of cases for COVID-19 measures at shelter. (in Japanese) 内閣府 (2021) 避難所における新型コロナウイルス感染症対策等の取組事例集. Prime Minister's Office $\cdot$ Ministry of Health, Labor and Welfare (2020) Guidance for avoiding the three Cs. (in Japanese) 首相官邸・厚生労働省 (2020) 3つの密を避けるための手引き. Tokyo Metropolitan Government (2021) Tokyo Disaster Prevention Plan 2021. (in Japanese) 東京都 (2021) 東京防焱プラン 2021.
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# 【特集:東日本大震災 10 年レター】 ## 福島第一原子力発電所の処理水と 風評被害に関する取り組みへの展望* ## Perspectives for Measures against Harmful Rumors regarding Treated Water from Fukushima Daiichi Nuclear Power Station \author{ 村上道夫**,五十嵐泰正*** } Michio MURAKAMI and Yasumasa IGARASHI \begin{abstract} There is concern about harmful rumors associated with the discharge of treated water from the Advanced Liquid Processing System from the Fukushima Daiichi Nuclear Power Station into the ocean, scheduled for the spring of 2023. This letter briefly introduces the mechanism of harmful rumors about foods after the Fukushima Daiichi Nuclear Power Station accident, and discusses perspectives for measures for production, processing, distribution, and consumption, as well as fostering public and international understanding of treated water. The letter highlights that it is important to ensure the effectiveness of thorough measures at each stage of production, processing, distribution, and consumption measures, and in particular, the sufficiency of communication among these sectors. In addition, we mentioned the necessity of information disclosure through explanations, monitoring, and collaboration with various international organizations regarding radionuclides other than tritium, as well as the appeal of foods from production sectors, in terms of fostering public and international understanding of the issue. \end{abstract} Key Words: Fukushima disaster, harmful rumors, treated water, food avoidance 福島第一原子力発電所からの多核種除去設備等処理水(以降,処理水)の処分に関して2021年 4月13日に政府の基本方針が提示され(廃炉・污染水 $\cdot$ 処理水対策関係閣僚等会議, 2021), 2023 年春頃には海洋放出される見达みとなっている。海洋放出が決定された経緯を簡単にまとめると,福島第一原子力発電所の敷地内にて継続的に発生する処理水を保管するタンクを長期保管することは困難であるとの背景から,復興と廃炉を両立するための対応策として, 多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会 (2020)で検討された 5 つの処分方法 (地層注入, 海洋放出, 水蒸気放出,水素放出,地下埋没)の中で,制度面や技術面において確実に実施可能な方策として採用された,と整理できる。この際,風評被害への備えが必要と指摘されており, 特に, 処理水についての国民・国際社会の理解醇成や生産 ・加工・流通消費対策が言及されている。本稿では,処理水の風評被害とその取り組みに関する現況と展望を述べる。なお,風評被害は,しばしば流言,スティグマ,偏見,いじめ,嫌がらせなどの意味にも用いられるが, 本稿では, 基本的に関谷による定義  (「ある事件・事故・環境污染・災害が大々的に報道され, 本来“安全”とされる食品・商品・土地を人々が危険視し,消費や観光を止めることによって引き起こされる経済的被害」(日本リスク研究学会, 2019))に沿って用いるものとする。 福島第一原子力発電所事故後の食品への風評被害は,単に放射線被ばくに関する高いリスク認知から食品購入に関する回避が起きたというだけはなく, 複合的な機序によって生じていることが明らかとなっている (五十嵐, 2019)。風評被害が発生する段階は, 消費者が商品を見るまでの段階と消費者が購入する段階に分けることができる。消費者が商品を見るまでの段階には,他の産地の食品にとって代わられて福島県産の食品が陳列されなかったり,一度別の産地に取って代わられることで販売機会を失うといった小売店での課題に加えて, 福島第一原子力発電所事故後に生じた卸売業者等の廃業による流通量の低下が挙げられる。さらには, 卸売業者や仲卸業者といった納入業者が小売店などの納入先や消費者の福島県産食品の回避意図を過大評価するといった, 流通業者間での取引姿勢や業者と消費者間での食品購入意図に関する認識の齟敬が流通量の低下を招く一因であることが指摘されている(農林水産省,2019)。現在に至っても特に落ち达みが顕著だといわれる贈答品に関して, 相手先の回避意向を過大評価するという意味において,これと類似した機序の帰結であるとも考えられる(五十嵐,2020)。こうした状況に打いて, 一部の水産関係の卸壳業者等には,いまだ 2010 年段階の $20 \%$ 程度にとどまる福島県産水産物の水揚げ量・流通量の少なさおよび供給の不安定さが, 量販店などへの販路拡大のボトルネックとなっているという声も大きい(農林水産省,2021)。 消費者が購入する段階においても,食品回避は多様な要因によって構成される。2012年に大学生を対象にした調査では, 放射線・原子力発電所不安が低いことだけでなく, 被災地支援感が高いことが福島県産の食品の購買意図の向上と関連することが報告されている(工藤,中谷内,2014)。 2017年 8 月に東京都民を対象に行われた調査では,福島県が復興しているとの認知を持っていないグループにおいて, 放射線による健康影響のリスク認知と独立して, 健康影響に関する医学的知識や食品中放射性物質の検査などに関する社会的知識が高い人のほうが福島県産の食品購入などを含む行動意図を持ちやすいことが示されている (Shirai et al., 2019)。また, 消費者における福島県産食品の回避意図は着実に低減している。消費者庁の風評被害に関する消費者意識の実態調査では,産地を気にするかどうか,産地を気にする理由,どの生産地かといった段階的な質問によって,放射性物質を含むために福島県産を回避するかどうかを評価しており,2013年2月には福島県産を回避する割合は全国平均で $19.4 \%$ だったのに対し,2022年2月には $6.5 \%$ まで低下して打り,特に $10.7 \%$ だった 2020 年 1 2 月からの減少幅が大きい (消費者庁食品と放射能に関する消費者理解増進チーム, 2022)。その一方で, 食品中の放射性物質の検査が行われていることを知らない人の割合は,2013年には $22.4 \%$ であったが, 2021 年 1 月には前年の $46.9 \%$ から $62.1 \%$ へ急上昇している(2022年2月には59.4\%)。この結果は,放射物質の安全に関する知識が高まったためというよりは,関心の低下によって福島県産の食品の回避が低減したことを示唆しており, 特に直近 2 年間の変化が大きいことは, 新型コロナウイルス感染症という,より急迫性の高いリスクによって, 原子力発電所事故に対する消費者の関心が上書きされた結果である可能性が示唆される。 以上のような食品回避の機序を考慮すると, 前述した基本方針にて提示された, 生産・加工・流通・消費の段階ごとの徹底した対策(具体的には, 水揚げ増加のため事業延長や施設整備支援,地元に打ける流通のボトルネックの解消のための整備導入や事業支援, 仲買 - 加工業者らへの支援,流通実態調查の結果を踏まえた対応など)の実効性を高め,それらを担保することは極めて重要であるといえよう。前述した納入業者と納品先での福島県産食品への取引姿勢に関する蔐噛は, 2018 年度から 2020 年度にかけて改善しており (農林水産省, 2021), 流通先での福島県産の取引姿勢の確認や, 適切な水揚げ量・流通量についての意見交換などを含めた,生産者および各段階の流通業者間での認識の共有は, 実効性のある風評被害対策として組み达むことが可能である。基本方針で示された処理水についての国民・国際社会の理解醸成については, 福島第一原子力発電所事故に関する国民の関心の低下と国際世論を踏まえた情報発信やリスクコミュニケーションが求められる。特に, 前述したように, 放射線による健康影響といった医学的知識(例えば, 海洋放 出した場合に追加的に受ける被ばく量は,自然から受ける被ばく量 $2.1 \mathrm{mSv} /$ 年の千分の 1 以下であること (多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会,2020))や放射性物質の測定や検査体制といった社会的知識に関する情報発信は必要不可欠である。 加えて,処理水に含まれるトリチウム以外の放射性核種についての適切なモニタリングと情報発信は,国際世論への備えという意味でも重要な役割を果たす。しばしば,原子力発電所事故によって発生した水は運転中の原子力発電所からの排出水とは性質が異なることや, 多核種除去設備等による処理後においてもトリチウム以外の放射性核種が含まれるといった懸念が表明されている (Normile,2021)。本点においては,トリチウム以外の放射性核種に関するきめ細やかな対応が必要であろう。処理水の基準値はトリチウム $1500 \mathrm{~Bq} / \mathrm{L}$未満とされているが, この基準値は, もともと原子力発電所の敷地から放出される排水中のトリチウム濃度をルーツとするもので, この値は, 敷地境界における放射性物質による被ばく量を $1 \mathrm{mSv} /$年未満にすること, 敷地内で受けるさまざまな被ばく起源のなかで排水からの寄与(毎日 $2 \mathrm{~L}$ 飲むという仮定)は $22 \%$ とすること,トリチウムとそれ以外の放射性核種も含めた合計被ばく量が想定した線量( $0.22 \mathrm{mSv} /$ 年未満)を満たすこと, といった要件から算出されたものである(東京電力ホールディングス株式会社,2016)。重要なのは,多核種除去設備等によって多くの放射性核種が除去されること,ならびに,残存する放射性核種についてもトリチウム濃度で $1500 \mathrm{~Bq} / \mathrm{L}$ 未満まで海水で希釈することによってそれらの濃度も低くなることである。このような処理に関する基本的な説明に加えて, 処理工程前後における処理水や環境水, 食品中の多様な放射性核種のモニタリングを行い,透明性のある情報公開に努めることが求められる。第三者機関として, 国際原子力機関 (IAEA) や経済協力開発機構 / 原子力機関 (OECD/ NEA)といった国際機関による協力はすでに基本方針内でも言及されているが,原子力分野以外の国際機関(例えば,国際連合食糧農業機関(FAO),国際連合環境計画(UNEP)など)との協働もまた国際的な理解醸成において欠かせない。もち万几, 処理水放出への国際的な支持を得るためには, こうした科学的な次元での冷静なコミュニケーションが可能になる前提として, 近隣国との関係改善への努力が必要不可欠であることはいうまでもない。 さらに, 食品の購買を高めるうえでは, 安全性に関する認知への配慮だけでは十分とはいえず,食品, 産地や生産者が持つ魅力の発信もまた同時並行的に進めることが期待される。2020年11 12月における加工業者・小売業者・外食業者を対象にした調査では, 福島県産の魚類は, 他産地よりも安全・安心の取り組みが好意的に評価されている一方で, ブランド力の高さ, 消費者ニーズの変化への対応, 供給量の安定性や多さ, 産地からの売り込みに関する評価は低かった(農林水産省, 2021)。食品の魅力に関するアピールは, 流通関連の業者や消費者のみならず,漁業における後継者の育成と持続的な産業の構築にも資するであろう。さまざまな立場のステークホルダーによって, 魅力のある食品と持続性のある漁業の構築に向けた協働を進めることで, 風評被害を解決し, 復興の先をつくり上げるはずである。 2021 年 4 月の放出決定に際して, 岸宏全国漁業協同組合連合会(全漁連)会長は「福島県だけでなく, 近隣県や全国の漁業者が安心して子々孫々まで漁業を継続できる方策を明確に示すこと」を求めた(NHK,2021)。後継者問題や魚価の低迷.資源管理など,全国的に課題が山積する漁業において, 次世代が希望を持てる将来像を処理水放出を機にまずは福島県で提示する,というような本質的で未来志向の構想力を政府と関係者に期待したい。 ## 参考文献 Consumer Affairs Agency: Team for enhancing consumer understanding of foods and radioactivity (2022) Report on the 15th survey of consumer awareness of harmful rumors, https://www.caa. go.jp/disaster/earthquake/understanding_food_and radiation/assets/consumer_safety_cms203_220308 02.pdf (Access: 2022, Mar, 23) (in Japanese) 消費者庁食品と放射能に関する消費者理解増進チーム (2022) 風評被害に関する消費者意識の実態調查(第15回)報告書, https://www.caa.go. jp/disaster/earthquake/understanding_food_and radiation/assets/consumer_safety_cms203_220308 02.pdf(アクセス日:2022 年3月 23 日) Igarashi, Y. 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# リスク学研究 32(2): 97-100 (2023) Japanese Journal of Risk Analysis doi: 10.11447/jjra.L-22-015 【特集:2022年度年次春季シンポジウムレター】 # 政策立案に役立つ解決志向リスク評価* ## Solution-Focused Risk Assessment as a Useful Approach for Policy Making \author{ 永井孝志** \\ Takashi NAGAI } \begin{abstract} This paper presents "solution-focused risk assessment (SFRA)" as a useful approach for policy making. The purpose of risk assessment is not just to alert, but rather to support the decision as to which risk management measures should be taken. SFRA is to show several risk management measures and evaluate their risk mitigation impact, costs, risk trade-offs, and so on. Recent examples of SFRA were shown, including measures against COVID-19 and maritime safety. In addition, the factors may limit the implementation of SFRA were discussed. One of the factors is that the governmental sides don't prefer the SFRA. Because they can transfer the responsibility to the experts for the explanation and results of the decision by explaining that "the decision was made by experts' opinions" or "the decision was made based on science". \end{abstract} Key Words: Risk management option, Decision making, COVID-19, Maritime safety ## 1.はじめに リスクに関する世間の話題は次から次へと変遷し, 最近でもコロナウイルスが危険, mRNAワクチンが危険,マスクで熱中症の危険,地震が危険,船は沈没するので危険,農薬やマイクロプラスチックで生き物が死ぬので危険,などなどたくさんの警笛が鳴らされている。それぞれの対象についてリスクを評価して管理するなどの対策がとられているが,リスク評価はある問題がどれだけ悪いものかを評価し,社会に警笛を鳴らす役割を持つものと考える人もいる。ところが,リスク評価は警笛を鳴らすことが目的ではなく,あくまで 「意思決定支援」であって,どのような管理対策をとるべきか,あるいはとらなくてもよいのか, の判断根拠を提示することが目的である。すなわち, リスクを評価し,その問題がどれだけ悪いものなのかがわかっても,どんな対策をとればよい のかという判断根拠としては不十分であることが問題となる。 実際に実行可能な管理対策の候補をいくつか列挙して,それぞれを実行した場合のリスク低減効果,コスト,リスクトレードオフなどを評価することにより,どの対策を選択したらよいかの判断根拠を提示するものが解決志向リスク評価である (Finkel,2011;永井,2013)。従来のリスク評価・管理(問題志向)が“How bad is the problem?”と問いかけるのに対し,解決志向リスク評価は “How good are the solutions we might apply?” と問いかける。すなわち, より政策立案に役立てようとするものである。また,解決志向リスク評価は 『客観的事実を扱う「評価」機能と価值選択を含む「管理」機能とを概念的にも手続き的にも明確に区別する』という近年のリスク評価・管理分離論(National Research Council, 1983)を改めようと * 2022 年 9 月 14 日受付, 2022 年 9 月 30 日受理 ** 農研機構 - 農業環境研究部門 (Institute for Agro-Environmental Sciences, NARO) する考え方でもある。 解決志向リスク評価の特徴は選択肢を与えることであるが,これはリスクコミュニケーションにおいてもメリットがある。従来であれば,選択肢が提示されることがないため,情報を一方的に与えて納得させるための活動につながってしまう。 この場合, 独立性や透明性を高めるためにリスク評価とリスク管理(意思決定)を分離したはずなのに,何かリスク評価が押しつけがましく,個人の意思決定にまで踏み込んでいる印象がしてしまう。 本稿では, 解決志向リスク評価の事例を紹介し, さらに解決志向リスク評価の実装を阻害する要因は何かについて論じる。 ## 2. 事例で考える解決志向リスク評価 永井(2013)において,いくつかの事例を紹介しながら解決志向リスク評価について解説した。取り上げた事例は,日本の食品中放射性物質のリスク管理や, 航空機の塗料剥離剤としてのジクロロメタンのリスク管理, 食品中アクリルアミドのリスク管理,魚介類中水銀のリスク管理,ミツバチに対するネオニコチノイド系殺虫剤のリスク管理である。本稿では最近の事例として新型コロナウイルス対策と船舶安全について取り上げる。 新型コロナウイルス対策においては初期段階において, 感染症の専門家から対策なしなら42万人が死亡するという計算結果が提示され,それに基づいて人と人との接触を 8 割減らすべきという対策が提示された。このような社会経済の制限の結果, 経済は大きく落ち込み税金からの補償が必要となった。政府側は経済との両立を望むが, 感染症の専門家は経済については専門外である。42 万人死亡 ・接触 8 割減という評価と対策は感染症のみの視点であるため,コロナ以外のリスクの考慮, 特に経済影響との比較ができない。通常はリスク評価の段階ではそのコスト(経済影響を含む)は考えず,その後管理対策を考える際に初女てコストや実行可能性が考慮される。また,「42 万人死亡」は実際には起こりえない「対策なしなら」という仮定の計算であり,社会に警笛を鳴らす意味が大きかった。さらに,「接触 8 割減」のメッセージとも強くつながっていたため, リスク評価が押しつけがましいという印象も与えた。このような問題を踏まえて新型コロナウイルス感染症対策専門家会議は 2020 年 6 月 24 日に「次なる波に備えた専門家助言組織のあり方について」と題した記者会見を行い, 以下のような反省点を述ベた。 ----以下引用 だが,こうした活動を通じて,専門家会議の役割に対して本来の役割以上の期待と疑義の両方が生じたものと思われる。すなわち, 一部の市民や地方公共団体などからは, さらに詳細かつ具体的な判断や提案を専門家会議が示すものという期待を高めてしまったのではないかと考えている。その反面, 専門家会議が人々の生活にまで踏み込んだと受け止め, 専門家会議への警戒感を高めた人もいた。また, 要請に応じて頻回に記者会見を開催した結果, 国の政策や感染症対策は専門家会議が決めているというイメージが作られ,あるいは作ってしまった側面もあった。 ---引用終わり 一方で解決志向リスク評価の考え方に立つと, 接触 8 割削減以外に, 6 割減や 7 割減などの対策オプションをいくつか用意し, それらを実行した場合の感染者数や死者数, 経済への影響などをモデルによって予測することになる。政府は,それぞれの対策のメリット・デメリットを比較しながら最終的にどの対策を実行するかを決定することになる。そして, 選択したプロセスに透明性を持たせ, 選択した根拠の説明責任を果たす。先の専門家会議による記者会見においても, 専門家助言組織のあり方として,専門家は提言を述べ政府はその提言の採否を決定しその責任を負う,という役割分担が提案された。 続いて,2022年4月 23 日に発生した知床観光船の沈没事故の事例を取り上げる。死者・行方不明者 26 人となり, 近年では類を見ない重大事故となった。これを受けて政府は「知床遊覧船事故対策検討委員会」を設置し, 小型船舶の安全対策を法的規制も含め検討し,2022年7月14日に中間とりまとめを公表した。これは基本的に再発防止を軸としたもので, 事故が起こった後の規制強化 (逆に言えば事故が起こるまではリスクが放置される)の典型例である。小型船舶について現状のリスクがどの程度であり,どのような対策をするとどのくらいリスクが下がるのか, という内容ではなかった。 一方で, Formal Safety Assessment (FSA)は船舶安全基準策定のための国際的に合意された手続きである(金湖,2007)。船舶の国際的な安全基準は大事故が発生するたびに改正が行われ, 事故直 後の状況を重視して不必要に過剩なものとなりがちであり,さらに政治的な要素が強いため合理的とは言えなかった。FSAはこのような問題意識から提案されたもので,事故が起こる前からリスク評価によって安全基準を策定するというものであり,具体的な手続きは以下の 5 つのステップから成り立つ。 1)ハザードの同定:事故に至る要因(ハザード) を特定し,発生頻度と発生した際の影響度から優先度の高いハザードを特定する 2)リスク評価:事故シナリオの解析を行い個々の事故シナリオにおけるリスクの大きさを求め, リスク許容基準 (ALARP, as low as reasonably practicableの略)と比較して判定する 3)リスクコントロールオプションの立案:複数の対策案を検討し,導入した場合のリスク低減効果を推定する 4)費用対効果の評価:費用対効果,費用便益分析から対策案の優先順位を決定 5)意思決定措置:どの対策を導入するかを選択これらのプロセスはまさに解決志向リスク評価の手法となっており,リスク評価とリスク管理を一体的に考えるものである。ただし,知床観光船沈没事故後の検討ではFSAの考元方は採用されていないようである。 ## 3. 解決志向リスク評価の実装を阻害する 要因は何か? 最後に解決志向リスク評価の実装を阻害する要因は何かを考えてみたい。このヒントになりそうなのが,2022年4月28日の朝日新聞記事『尾身氏「政府が納得しない」夜の緊急招集,憤る専門家「話が違う」』である。この記事の中で,政府の新型コロナウイルス対策分科会は 4 つの選択肢を政府に示し,政府がその選択肢から選んでその責任を負うという新たなやり方を求めようとしたが,政府側はそのやり方に納得せず,これまでどおり専門家の中で見解を一つにまとめて示すよう求めた,と書かれている。専門家は選択肢を示して,どれを選択するかは政府が決める,というまさに解決志向型の手法が示されている。しかし政府側は「専門家の意見を聞いて決めました」,「科学的に決めました」という説明をする方が説明責任や結果責任を専門家・科学側に移転できるため,解決志向型のやり方を好まないということが浮かび上がった。新型コロナウイルス対策分科会第 16 回(令和 4 年4月27日)の資料3では,社会経済活動の制限をする (A)かしない $(\mathrm{B})$ か, 感染者・濃厚接触者の隔離・行動制限をする(1))かしない (2) か,という2つの考え方の組み合わせで4通りの選択肢が提示された。たたし議事概要を見ると,数人の専門家から「Bの(2)移行すべき」などと意思決定まで踏み达んだ発言が出ていた。一方で,どの選択肢をとるかは価値観の側面が強いため専門家が判断すべきことではない,という意見もあった。解決志向型リスク評価は後者の考え方をとるべきである。 解決志向リスク評価を阻害する要因は, 選択肢とその判断根拠を提示される政府側が意思決定の説明責任と結果責任を受け入れられない,という点である。近年レギュラトリーサイエンスに係る意思決定に打いて「専門家の意見を聞いて決めました」や「科学的に決めました」ということが強調されすぎたのではないだろうか。実際にはりスク評価はファクトのみで構成されるものではなく,不確実性がある場合に安全側に判断するなどの価値判断や,連続的なリスクのどこで線引きするかなどの合意形成も含まれている。そのため,価値判断や合意形成も含むレギュラトリーサイエンスの中身をしっかり示していく必要もあるだろう。また,意思決定をする側が解決志向リスク評価を受け入れられるかどうかは組織文化やトップの意識のあり方の問題が大きく,これが変化するには時間がかかると考えられる。意識の醸成のためには専門家側が粘り強く訴えていく必要性もあるだろう。 一方で,多くの場面で解決志向リスク評価のような選択肢とその解析結果をもとに意思決定できるという前提は限界があるのでは,という考え方もある。実際に複数のシナリオからなるリスク評価の結果を示した際に,「結局どれが正しいのか」 という正解を求められることが多い。唯一の正解があるのではなく価值判断なのです,という説明をしてもなおかつ同様である。よって,例えば災害などの緊急事態においては「これが正解なのでこうしてください」と言い切ってしまうのも一つの考え方として必要という場面もある。 ただし,専門家以外はデー夕をもとにした判断ができない,ということではない。専門家以外の人であっても,日常的に様々な情報を考慮して (トレードオフなども含めて)総合的な意思決定 を行っている。例えば「今日何を食べようか」ということを考えても,何を食べたいという気持ち,価格,食品によるべネフィット,塩分やカロリーなどのリスク,などを総合的に考えて意思決定している。また,第三者に「これが正解なのでこれを食べろ」と決めてもらわずに自分で決めたいと考えているはずである。ただし,解決志向リスク評価を広げるための意識の醸成に時間がかかるということもあり,長期的な視点で訴え続けることが重要である。 ## 参考文献 Finkel, A. 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# Supplementary: Effect of $15 \mathrm{sec$ Exposure of Commercial Hand Sanitizers on Inactivation of Viruses } 増川 克典**, 白石 晶子**,***, 田中 紀行 ${ }^{* *, * * *}$, 藤井 健吉 ${ }^{* *, * * * *}$ Yoshinori MASUKAWA, Akiko SHIRAISHI, Noriyuki TANAKA and Kenkichi FUJII } \begin{abstract} An effect of commercial hand sanitizers containing ethanol (EtOH) combined with benzalkonium chloride (BC) on inactivation of Influenza A virus (IAV) and SARS-CoV-2 was investigated under conditions of exposure time $15 \mathrm{sec}$, to supplement our previous article reporting the testing results of the inactivation under exposure for $30 \mathrm{sec}$. All the results tested showed more than $4 \log _{10}$ reduction for IAV and SARS-CoV-2. The results demonstrated that, under conditions of the shorter exposure, close to the real rubbing usage, the commercial hand sanitizers containing low-concentrated EtOH (44-65 vol\%) combined with $0.05 \mathrm{w} / \mathrm{v} \% \mathrm{BC}$ are effective to inactivate IAV and SARS-CoV-2. \end{abstract} Key Words: hand sanitizer, ethanol, Benzalkonium chloride, Influenza A virus, SARS-CoV-2 手指消毒における感染リスク低減とQOL向上 を両立すべく,エタノール $(\mathrm{EtOH})$ と塩化ベンザ ルコニウム $(\mathrm{BC})$ を組合わせた手指消毒剤の $\mathrm{EtOH}$濃度低減の可能性についてEN14476試験手順に 従い 30 秒暴露で検討した内容を前報にて報告し た(増川ら,2022)。その補足として15秒暴露の 試験データを取得したので本レターにて追記す る。 COVID-19パンデミック宣言(WHO,2020) 以来,市中感染リスクを低減するための対策として手指消毒が重要となっている。高濃度(76.9-81.4 vol\%) EtOHを含む手指消毒剤はエンベロープウイルス 不活化に高い効果を有する一方,肌刺激や流通性 の点から QOLに課題を有する。生活者が日常生活の中で接触感染リスクを低減でき且つより良い QOLを実現するために,EtOHと BCを組み合せ た手指消毒剤を検討し,20-50 vol\%の低濃度 $\mathrm{EtOH}$ と $0.05 \mathrm{w} / \mathrm{v} \% \quad \mathrm{BC}$ を組合せた手指消毒剤に よってインフルエンザAウイルス (IAV)及び SARS-CoV-2を相乗的に安定的に不活化し得るこ とが分かった (増川ら, 2022)。その際の不活化試験は 30 秒暴露で実施した。欧州統一規格 EN14476 (CEN, 2019)では手指消毒剤のウイルス 不活化試験を 30 秒-120秒のいずれかの暴露時間 で行うことが明示されており,EN14476で設定さ れた最低暴露時間 30 秒が妥当と判断したからで あった。実際にEN14476に基づいたウイルス不活化試験の多くが 30 秒乃至 60 秒の暴露で実施さ れている(Ijaz et al., 2021; Leslie et al, 2021; Herdta et al., 2021)。一方WHOは10秒-15秒以上擦り込む こと(WHO, 2009), CDCは20秒程度擦り达むこと (CDC, 2022)を手指消毒の実践として推奨してい  る。Choi et al. (2021) は手指消毒剂使用者におけ る擦り达み時間の実態調查に基づき, COVID-19 発生によって手指消毒剂を用いた手指消毒行動の 頻度が上甼し, その擦り込み時間として 10 秒が 最も多く(最頻値),20 秒・30秒の使用者も見ら れると報告している。つまりEN14476のガイド ライン試験法では 30 秒以上の暴露が設定されて いるが,WHO/CDCは30秒を下回る擦り达みを 推奨しており,多くの生活者の実態もその推奖に ほぼ一致するものであった。そこで,今回 15 秒暴露でウイルス不活化試験を行い,前報の30秒暴露の結果(増川ら,2022)を補足すべきとの考 えに至った。実態により近い 15 秒暴露の試験結果が手指消毒の科学を深めるとともに,一般の生活者が感染リスクに晒される市中感染の対策とす るために有用な情報になると期待されたからで あった。 試料としては,前報(増川ら,2022)と同様に 以下の市販手指消毒剤(指定医薬部外品)を用い た。製剂 $\mathrm{A}$ (花王株式会社, 商品名: ビオレガー ド薬用泡で出る消毒液『, 薬事販売名: ビオレ ガード薬用消毒フォーム, 有効成分 $0.05 \mathrm{w} / \mathrm{v} \%$ $\mathrm{BC}, 44 \mathrm{vol} \% \mathrm{EtOH}$ ), 製剂 $\mathrm{B}$ (同社,商品名:ビオ レガード薬用消毒タオル ${ }^{\circledR}$, 薬事販売名:ビオレ ガード薬用消毒タオル,有効成分 $0.05 \mathrm{w} / \mathrm{v} \% \quad \mathrm{BC}$ , $54 \mathrm{vol} \% \mathrm{EtOH}$ 含有), 製剤 C(同社, 商品名:ビオ レガード薬用消毒シート ${ }^{\circledR}$, 薬事販売名:ビオレ ガード薬用消毒シート,有効成分 $0.05 \mathrm{w} / \mathrm{v} \% \quad \mathrm{BC}$ , $52 \mathrm{vol} \% \mathrm{EtOH}$ 含有), 製㓣 D(同社, 商品名:ビオ レ 藥用手指の消毒液 ${ }^{\circledR}$, 薬事販壳名:ビオレu 薬用手指の消毒液, 有効成分 $0.05 \mathrm{w} / \mathrm{v} \% \quad \mathrm{BC}$, $65 \mathrm{vol} \% \mathrm{EtOH}$ 含有), 製剤 $\mathrm{E}$ (同社, 商品名:ビ才 レガード薬用手指消毒スプレー『,薬事販売名: ビオレ ガード薬用手指の消毒液 $\mathrm{s}$, 有効成分 $0.05 \mathrm{w} / \mathrm{v} \% \mathrm{BC}, 65 \mathrm{vol} \% \mathrm{EtOH}$ 含有),製剂 $\mathrm{F}$ (同社,商品名:ビオレガード薬用手指消毒スプレー $\alpha^{\circledR}$,薬事販壳名:ビオレ ガード 薬用手指の消毒液,有効成分 $79.7 \mathrm{vol} \% \mathrm{EtOH})$ 。な扮製剂 B及び 製剤Cについては,前報(増川ら,2022)同様に 絞り液中の BC 及びEtOHが含浸前仕达久液と同一濃度であることを確認した上で絞り液を試験に用 いた。 ウイルス不活化効果試験は, EN14476:2013+ A2:2019の定量的懸濁試験手順 (CEN,2019)に基 づき, IAV (H1N1, A/Puerto Rico/8/34株, ATCC VR-1469)及びSARS-CoV-2(TY11-927)に対する殺ウイルス活性を暴露時間 15 秒で調べることに よって実施した。最小必須培地に懸濁したウイル ス液, $3 \mathrm{~g} / \mathrm{L}$ ウシ血清アルブミン (BSA)水溶液,試験溶液を $1: 1: 8(\mathrm{v} / \mathrm{v} / \mathrm{v})$ の比率にて $22^{\circ} \mathrm{C}$ で混合 し, 15 秒後に細胞培地溶液を 10 倍希釈して反応停止した。IAVでは反応溶液の3 倍希釈系列を MDCK 細胞(イヌ腎臟由来細胞,JCRB9029)に 添加し1時間吸着させた。SARS-CoV-2ではVero E6 細胞 (TMPRSS2 JCRB 1819) に添加し1 時間吸着させた。IAV, SARS-CoV-2ともに, 細胞培地で 洗浄し $5 \% \mathrm{CO}_{2}, 37^{\circ} \mathrm{C}$ で 4 日間培養した後, $50 \%$ 組織培養感染量 $\left(\mathrm{TCID}_{50}})$ 法でウイルス感染力価を測定した。いずれの試験においても繰り返し測定を 行い, 対照である滅菌蒸留水の試験結果との差分 を不活化量 $\left(\log _{10} \mathrm{TCID}_{50} / \mathrm{mL}})$ とした。な打本試験 と同倍に希釈した製剤が宿主細胞に対して細胞毒性を示さなかったことを付記しておく。 6 種市販消毒剤(製剂 A-F)で 15 秒暴露した際 のIAV 及びSARS-CoV-2の不活化試験結果をそれ ぞれTable 1 及びTable 2 に示す。いずれの製剂に おいても 15 秒暴露によって $4 \log _{10}$ 以上の不活化量を示した。この結果は, 指定医薬部外品の外皮消毒剤(MHLW, 1999) として認可され得る76.9$81.4 \mathrm{vol} \% \mathrm{EtOH}$ (有効成分) より低濃度の $\mathrm{EtOH}$ (製剂 A: 44 vol\%, 製剂 B: 54 vol\%, 製剂 C: 52 vol\%, 製剂D及び $\mathrm{E}: 65 \mathrm{vol} \%$ ) $0.05 \mathrm{w} / \mathrm{v} \% \mathrm{BC}$ (有効成分) と組み合わせることによって,30秒より短い 15 秒でもIAV及びSARS-CoV-2を $99.99 \%$ 以上不活化 することを意味する。多くの生活者が 30 秒に満 たない短い時間で手指消毒を行っていること (Choi et al., 2021)を照らし合わせれば,製剤 A-F は実使用に近い暴露時間でも十分にIAV及び SARS-CoV-2を不活化すると理解された。 前報(増川ら,2022)の30秒暴露及び今回の 15 秒暴露の試験結果の捉え方について述べる。 ウイルス不活化試験の国際ガイドライン EN14476 の基準に基づけば,手指消毒剤のウイルス不活化 に対する有効性は 30 秒-120秒の暴露において 4 $\log _{10}$ の不活化量を示すこととされており (CEN, 2019),30秒より短い 15 秒の暴露は EN14476の範囲外である。従って手指消毒剤の 15 秒暴露の試験結果はEN14476の基準に適合した 30 秒暴露の 試験結果(増川ら,2022)の参考データに位置づ けられる。もち万ん 15 秒暴露で $4 \log _{10}$ 以上を不活化するのであれば 30 秒暴露での $4 \log _{10}$ 以上の 不活化も容易に類推されるが,厳密にEN14476 Table 1 Inactivation of Influenza A virus (IAV) for exposure time $15 \mathrm{sec}$ by commercial hand sanitizers containing ethanol $(\mathrm{EtOH})$ and benzalkonium chloride $(\mathrm{BC})$ & & \\ 製剂 $\mathrm{B}(0.05 \mathrm{w} / \mathrm{v} \% \mathrm{BC} / 54 \mathrm{vol} \% \mathrm{EtOH})$ & 7.48 & 2.88 & 4.60 \\ 製剂 $\mathrm{C}(0.05 \mathrm{w} / \mathrm{v} \% \mathrm{BC} / 52 \mathrm{vol} \% \mathrm{EtOH})$ & 7.48 & 2.76 以下 & 4.71 以上 \\ 製剤 $\mathrm{D}(0.05 \mathrm{w} / \mathrm{v} \% \mathrm{BC} / 65 \mathrm{vol} \% \mathrm{EtOH})$ & 7.48 & 2.76 以下 & 4.71 以上 \\ 製剂 $\mathrm{E}(0.05 \mathrm{w} / \mathrm{v} \% \mathrm{BC} / 65 \mathrm{vol} \% \mathrm{EtOH})$ & 7.48 & 2.76 以下 & 4.71 以上 \\ 製剤 $\mathrm{F}(79.7 \mathrm{vol} \% \mathrm{EtOH})$ & 7.48 & 2.76 以下 & 4.71 以上 \\ ${ }^{a}$ 滅菌蒸留水を用いた同条件の試験結果 ${ }^{\mathrm{b}}$ 時間 15 秒, 温度 $22^{\circ} \mathrm{C}, 0.3 \%$ ウシ血清アルブミン負荷 c (株) 中部衛生検査センターによる試験 Table 2 Inactivation of SARS-CoV-2 for exposure time $15 \mathrm{sec}$ by commercial hand sanitizers containing ethanol (EtOH) and benzalkonium chloride ( $\mathrm{BC}$ ) & & \\ 製片 $\mathrm{B}(0.05 \mathrm{w} / \mathrm{v} \% \mathrm{BC} / 54 \mathrm{vol} \% \mathrm{EtOH})$ & 7.12 & 2.76 以下 & 4.36 以上 \\ 製片 $\mathrm{C}(0.05 \mathrm{w} / \mathrm{v} \% \mathrm{BC} / 52 \mathrm{vol} \% \mathrm{EtOH})$ & 7.12 & 2.76 以下 & 4.36 以上 \\ 製片 $\mathrm{D}(0.05 \mathrm{w} / \mathrm{v} \% \mathrm{BC} / 65 \mathrm{vol} \% \mathrm{EtOH})$ & 7.12 & 2.76 以下 & 4.36 以上 \\ 製片 $\mathrm{E}(0.05 \mathrm{w} / \mathrm{v} \% \mathrm{BC} / 65 \mathrm{vol} \% \mathrm{EtOH})$ & 7.12 & 2.76 以下 & 4.36 以上 \\ 製剤 $\mathrm{F}(79.7 \mathrm{vol} \% \mathrm{EtOH})$ & 8.07 & 3.24 & 4.83 a 滅菌蒸留水を用いた同条件の試験結果 ${ }^{\mathrm{b}}$ 時間 15 秒,温度 $22^{\circ} \mathrm{C}, 0.3 \%$ ウシ血清アルブミン負荷 c(株) 中部衛生検査センターによる試験 に従うかという点で判断すれば基準外と評価され る。COVID-19以降,未曽有の感染症によって世界が震撼し,市中感染対策の新たな社会リスクが 可視化され,一般生活の場面でも特に水が使えな いケースで市販手指消毒剤が頻繁に使われるよう になってきた。これは市中感染対策の 1 つとして 消毒の専門的な教育・訓練を受けていない一般の 生活者が日常生活で手指消毒剂を用いるように なってきたことを意味する。現状の 30 秒 -120 秒 より短い暴露時間(15秒暴露)が国際ガイドラ イン試験法EN14476に含まれれば,多くの生活者の手指消毒実態に近い試験条件となり,WHO 推奨の 10 秒 -15 秒以上 (WHO, 2009) や CDC 推奨の 20 秒程度 (CDC,2022) にも整合してくる。アフ ターコロナの季節性インフルエンザや将来懸念さ れるCOVID-19クラスの Disease-Xパンデミック 等の感染症リスクに備える社会制度として, 生活者の実使用に近い条件(15秒暴露)を国際ガイ ドライン基準へ追加すべきであろう。 低濃度 EtOHと BCを組合わせた市販手指消毒剂によって手指を介する接触感染リスクを低減し ながら QOL向上に貢献できるという前報の結論 (増川ら,2022)は変わらない。一般の生活者が 手指消毒剤を用いる実使用に近い 15 秒暴露条件 においても低濃度 EtOHと BCの組合わせによっ てIAV やSARS-CoV-2を $4 \log _{10}$ 以上不活化できる ことを追記した。前報(増川ら,2022)及び本レ ターの内容がCOVID-19パンデミックによって顕在化されたウイルス市中感染リスクの低減に対し て有効に活かされれば幸いである。 ## 謝辞 本論文の作成に当たり,IAV試験の条件設定に花王株式会社森卓也氏, 早瀬温子氏, 高田郁美氏,試験結果の解釈に関して花王株式会社山本哲司氏に,それぞれのご専門の視点から貴重なご助言をいただきました。(株)中部衛生検査センター のご協力のもとで本試験を実施しました。また,査読者の先生に有意義なご指摘を頂いた上で完成できました。ここに記して御礼申し上げます。 ## 参考文献 CDC (2022) How to Protect Yourself \& 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Society For Risk Analysis Japan
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# 【特集:東日本大震災 10 年原著論文】 ## 旧避難区域における山菜の自家消費による 長期的な内部被ばく線量の推定 $*$ \author{ Estimation of Long-term Internal Exposure Dose by Self-consumption \\ of Edible Wild Plants in Former Evacuation Zone } \author{ 高田モモ**,保高徹生 ** } Momo TAKADA and Tetsuo YASUTAKA \begin{abstract} Internal exposure doses from ${ }^{134} \mathrm{Cs}$ and ${ }^{137} \mathrm{Cs}$ by domestic consumption of edible wild plants in the former evacuation zone in 2022 and 2045 were estimated based on deposition data from airborne survey and aggregated transfer factors for 11 species. On the assumption that annual consumption of edible wild plants is about $6 \mathrm{~kg}$, the internal exposure doses in 2022 and 2045 are $0.3-139.0 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{y}$ and $0.1-78.7 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{y}$, respectively, which are less than $53 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{y}$ in more than $90 \%$ of the areas in 2022 and less than $30 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{y}$ in 2045. Even considering the different scenarios for the intake of Koshiabura (Chengiopanax sciadophylloides), which has a high radioactivity level, the exposure dose did not change significantly and was only a few percent of the upper limit of $1 \mathrm{mSv} / \mathrm{y}$ for the additional exposure dose from foods. \end{abstract} Key Words: Wild foods, rural area, traditional culture, Fukushima Dai-ichi nuclear power station, Satoyama ## 1. はじめに 原子力事故等による環境放射能污染は,農山村地域の住民のような自然と強く結びつく人々の伝統的な生活様式や食生活文化に対して長期的な影響を与え,結果的に人々の生活の質を下げることがある。污染された地域においては,放射線による影響を低減するだけでなく, 人々の生活の質を維持することが持続可能な復興において重要である(ICRP,2020)。例えば,1986年4月のチェル, ブイリ原子力発電所事故は, ノルウェーのトナカイ飼育とトナカイ肉食文化に大きな影響を与えた。当時ノルウェーにおける一般の食品基準は ${ }^{134} \mathrm{Cs}$ と ${ }^{137} \mathrm{Cs}$ の合計で $600 \mathrm{~Bq} / \mathrm{kg}$ であり, 事故直後は基準値を超過した大量のトナカイ肉が廃棄された。このため, 伝統的な生活を営むトナカイ遊牧民の文化と生活様式を保護する目的で,一般市民の消費量が少ないことを考慮した放射線防護評価により,1986年11月にトナカイ肉,狩猨肉,川魚等の放射性セシウム基準値を $600 \mathrm{~Bq} / \mathrm{kg}$ から $6000 \mathrm{~Bq} / \mathrm{kg}$ に引き上げた (のちに $3000 \mathrm{~Bq} / \mathrm{kg}$ に引き下げられた)(Skuterud and Thørring, 2012; Liland and Skuterud, 2013)。 日本の農山村地域においても,伝統的に野生の山菜やきのこの食文化が存在する。山菜やきのこに対する福島第一原子力発電所事故の影響を踏まえた食品の規制については,市場流通品と自家消費で方針が異なる。市場流通品に関しては, 2012 年 4 月から追加被ばく線量を $1 \mathrm{mSv} / \mathrm{y}$ に抑えるため, ${ }^{134} \mathrm{Cs}$ と ${ }^{137} \mathrm{Cs}$ の合計で $100 \mathrm{~Bq} / \mathrm{kg}$ 生を超える食品の出荷が制限されており, 市場流通する 10 数  種の山菜が, 2022 年現在も福島第一原発に近い一部地域で出荷制限の対象となっている(林野庁, 2022)。 一方で,山菜を含む野生食品の自家消費に関する指針はあまり明確ではない。野生の(栽培でない)山菜は,一般的に市場に流通するものより自家消費の割合が高い(松浦ら,2013)。しかしながら,山菜の自家消費に関しては人々に自主的な検査もしくは厚生労働省等による検査結果の確認を促す程度であり(福島県,2021),人々が山菜由来の被ばく線量を基にした自家消費の判断をすることは困難であるため, 結果として山菜を含む野生食品の摂取自体を控える傾向になる。例えば,2019年に実施された旧避難区域の農山村地域で帰還者を対象とした里山利用状況の調查では,多くの住民が事故以前と比べて山菜の自家消費を控えていることが確認されている(Takada et al., 2021)。この調查によると, 山菜摄取量の低下の主な理由として放射線の影響を懸念する回答が得られており, 原子力発電所事故が山菜食文化に影響を与えていることが示唆され,結果として福島の山菜食文化に不可逆的な負の影響がでている可能性がある。 原子力事故後,復興段階である現存被ばく状況に移行した段階では,放射線による被ばくを下げる努力は重要であるが,同時に人々の生活の質を向上させる取り組みが必要だろう。農山村地域の山菜食文化について言えば,先に述べたノルウェ一のトナカイ肉と同様に,一般市民の消費量を考慮した山菜由来の内部被ばくのリスク評価㧈よびリスク評価結果に基づくリスク管理指針が必要である。 福島原発事故後, 山菜等野生食品の放射能濃度の測定結果は自治体等により多くの情報があるが,実際に自家消費した場合の内部被ばく線量について公開された情報は多くない。Tsubokura et al. (2014)では, 2012-2013年に行われた福島県民のホールボディーカウンターの調查で ${ }^{137} \mathrm{Csが}$ $50 \mathrm{~Bq} / \mathrm{kg}$ を超えた住民の摂取食品を調査したところ, 摂取量と頻度はわからないものの未検査の山菜や野生キノコ,狩猟肉や川魚を食べていたことが分かり, ${ }^{134} \mathrm{Cs}$ 打よび ${ }^{137} \mathrm{Cs}$ による内部被ばく線量の最高値は $0.97 \mathrm{mSv} / \mathrm{y}$ であった。未検査の食品摂取を避ける食事指導により被ばく線量の低減が見られたため,この内部被ばくは山菜を含む野生食品揕取由来と推定された。Tsuchiya et al. (2017) の報告では, 福島県双葉郡川内村で2014年に山菜の放射能から推定した ${ }^{134} \mathrm{Cs}$ および ${ }^{137} \mathrm{Cs}$ にる内部被ばく線量は成人男性で $3.5 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{y}$ であった。 これらの情報は, 山菜由来の内部被ばく線量レべルについて大まかなイメージはつかめるが, 事故後数年以内の情報に限られており, 場所も限定的である。また山菜食は日本特有の文化であるため, チェルノブイリ事故後に主にヨーロッパで行われてきた野生食品由来の内部被ばくに関する研究では山菜は対象になって㧈らず,したがって,山菜由来の内部被ばく線量が污染地域全体で長期的にどのレべルで推移するかの情報は依然として不足している。 山菜自家消費による内部被ばく線量の長期的な推移を評価するには,まず山菜中の放射性セシウ么濃度の推定が必要であり, そのためには面的移行係数を用いる。これは, 山菜可食部の放射性セシウム濃度 $(\mathrm{Bq} / \mathrm{kg})$ を放射性セシウム沈着量 $(\mathrm{Bq} /$ $\mathrm{m}^{2}$ )で割ったものと定義される(IAEA, 2010)。事故後数年で植物中の放射能は速やかに減少するが,時間の経過とともに定常状態になり生態系内の循環に取り达まれる。面的移行係数の使用は定常状態の環境を想定されているが,セシウムを含む放射性物質の将来の大まかな濃度を予測することが可能であり,草原や森林を含む自然または半自然の生態系で収穫されたべリー類,キノコ類,狩猟肉などに適用される (IAEA, 2010)。本研究では, 福島周辺でよく食べられる山菜 11 種の ${ }^{134} \mathrm{Cs}$ および ${ }^{137} \mathrm{Cs}$ の面的移行係数と,航空機モニタリングによる沈着量情報から, 福島原発周辺地域での山菜放射能濃度と, 成人の内部被ばく線量について将来的な推移を推定した。放射能濃度と内部被ばく線量は, 事故から 11 年たった 2022 年現在と, 環境除染による除去土鎄等の県外最終処分が完了する 2045 年とし, 内部被ばく線量については事故直後からの減少を確認するため, 同様の推定方法で2014年の被ばく線量を過去にさかのぼって推定した。 ## 2. 方法 ## 2.1 対象地域と沈着量情報 本研究の対象地は, 福島県の田村市, 南相馬市, 川俣町, 楢葉町, 富岡町, 川内村, 大熊町,双葉町, 浪江町, 葛尾村, 飯舘村の 11 市町村のうち,2011年9月30日に警戒区域㧍よび計画的避難区域に指定され,2020年3月10日までに避 難指示が解除された範囲(以下,旧避難区域とする)とした(福島県, 2020)。山菜の採取は居住域近くで行われると想定し,旧避難区域のうち,土地利用区分を参考に建物用地, 農地, 交通用地と,それに隣接する森林を対象とした。土地利用情報は,国土交通省の土地利用細分メッシュ(平成 21 年度, $100 \mathrm{~m}$ メッシュ)を利用した(国土交通省,2022)。放射性セシウムの沈着量情報は,第 5 次航空機モニタリングの結果(放射能補正日 2012年6月 28 日, $250 \mathrm{~m}$ メッシュ)を利用した (JAEA, 2022)。 ## 2.2 山菜の放射性セシウム濃度の推定 山菜の面的移行係数は植物カテゴリーによる傾向があり,木本の山菜は草本やシダ植物より大きく, タケノコは木本と草本の中間程度である (Takada et al., 2022)。放射能濃度を推定した山菜種は,厚生労働省の食品モニタリングで20122019年の測定件数が多く(国立保健医療科学院, 2022), かつ植物カテゴリーが偏らないようにフキ (草本),ワラビ (シダ植物),夕ケノコ,夕ラノメ(木本)の 4 種,また放射能が高いことで知られているコシアブラ(木本)(清野,赤間, 2013; Sugiura et al., 2016)を含め計 5 種とした。 山菜の放射性セシウム濃度は,面的移行係数 (Table 1, Takada et al., 2022)を使用し, 以下の式で求めた。 $ \begin{aligned} & \text { 山菜種 } k \text { の放射能 }(\mathrm{Bq} / \mathrm{kg} \text {-生 }) \\ & \quad=\sum_{i}(\text { (山菜種 } \mathrm{k} \text { 移行係数 })_{i} \times(\text { 沈着量 })_{i} \end{aligned} $ (山菜種 $k$ の移行係数) $)_{i}$ : 核種 $i$ の土壌から山菜可食部への移行係数 $\left(\mathrm{m}^{2} / \mathrm{kg}\right.$-生 $)$ (沈着量) $)_{i}$ 核種 $i$ の沈着量 $\left(\mathrm{Bq} / \mathrm{m}^{2}\right)$ 対象核種は ${ }^{134} \mathrm{Cs}$ と ${ }^{137} \mathrm{Cs}$, 沈着量は本研究対象地域における範囲から347メッシュとし,放射能を 2022 年 1 月 1 日, 2045 年 1 月 1 日に減衰補正した值を使用した。草原や森林等,自然または半自然の生態系から得られる植物等の面的移行係数は,多くが対数正規分布を示す (IAEA,2010)。本研究では放射性セシウムの移行が高い山菜の存在を考慮するため, Table 1 に示す移行係数の幾何平均值と幾何標準偏差から山菜の放射能濃度の確率分布を推定した。各山菜の移行係数を,対数正規分布から 10000 回のモンテカルロシミュレーションによりランダムに抽出し, 放射能濃度の確率分布を算出した。計算は, Oracle Crystal Ball (ver. 11.1.2.4.9)を使用した。 ## 2.3 山菜摄取による内部被ばくの推定 対象地域の各メッシュで採取した山菜を摄取した場合の内部被ばく線量を,以下の式により算出した。 年間内部被ばく線量 $(\mathrm{Sv} / \mathrm{y})$ $=\sum_{i} \sum_{k}(\text { 実効線量係数 })_{i} \times(\text { 年間摂取量 })_{k}$ $\times$ (移行係数 $)_{i, k} \times$ (沈着量 ${ }_{i}$ (実効線量係数) $)_{i}$ : 核種 $i$ の実効線量係数 $(\mathrm{Sv} / \mathrm{Bq})$ $(\text { 年間摂取量 })_{k}:$ 山菜種 $k$ の年間摂取量 $(\mathrm{kg} / \mathrm{y})$ Table 1 Geometric means and geometric standard deviation of aggregated transfer factors for 11 species of edible wild plants \\ フキノトウ & Petasites japonicus & 落葉草本 & $1.7 \times 10^{-4}(2.2)$ \\ ウド & Aralia cordata & 落葉草本 & $1.1 \times 10^{-4}(4.0)$ \\ ウワバミソウ & Elatostema umbellatum & 落葉草本 & $3.6 \times 10^{-4}(2.1)$ \\ モミジガサ & Parasenecio delphiniifolius & 落葉草本 & $2.5 \times 10^{-4}(2.5)$ \\ タケノコ & Phyllostachys spp. & タケ & $3.9 \times 10^{-4}(2.5)$ \\ タラノメ & Aralia elata & 落葉木本 & $4.3 \times 10^{-4}(4.0)$ \\ コシアブラ & Chengiopanax sciadophylloides & 落葉木本 & $5.2 \times 10^{-3}(3.5)$ \\ ワラビ & シteridium aquilinum & シダ植物 & $1.9 \times 10^{-4}(3.3)$ \\ クサソテッ & Mattenccia struthiopteris & シダ植物 & $2.0 \times 10^{-4}(2.8)$ \\ ゼンマイ & Osmunda japonica & シダ植物 & $4.2 \times 10^{-4}(3.9)$ \\ " 山菜の面的移行係数とその幾何平均値は Takada et al. (2022)を引用した。 ${ }^{134} \mathrm{Cs}$ と ${ }^{137} \mathrm{Cs}$ の実効線量係数は, 本研究では 19 歳以上の成人による摂取を想定しICRP (1992) から $1.9 \times 10^{-8}$ および $1.3 \times 10^{-8} \mathrm{~Sv} / \mathrm{Bq}$ 引用した。山菜の総摂取量は五代儀ら(1996)から,1992年の青森県の農家 20 世帯の山菜摂取量, $5.84 \mathrm{~kg} / \mathrm{y}$引用した。山菜種は Takada et al. (2022)にある福島の主要な 11 種(フキ,フキノトウ, ウド, ウワバミソウ (ミズ), モミジガサ (シドケ), タケノコ, タラノメ, コシアブラ, ワラビ, クサソテツ(こごみ), ゼンマイ)とした。五代儀ら(1996) には山菜の総摂取量の情報はあるものの, 摂取した山菜種の内容が記録されておらず,またそれ以外にも山菜種ごとの摂取量を調査したデー夕が存在しないため, 本研究では上記の 11 種について等量 (各 $0.53 \mathrm{~kg} / \mathrm{y})$, 総量が $5.84 \mathrm{~kg} / \mathrm{y}$ にるように摂取すると仮定した。内部被ばく線量の推定は, 山菜の放射能濃度と同様に, 各山菜の面的移行係数を対数正規分布から 1000 回のモンテカルロシミュレーションによりランダムに抽出したのち, 内部被ばく線量の確率分布を算出した。沈着量は全研究対象地域の 23343 メッシュについて計算した。 Takada et al. (2022)によれば, 今回の 11 種のうち, コシアブラの面的移行係数が他の種に比べて 1-2桁高いため, 被ばく量がコシアブラの摂取量に大きく影響を受けることが予想される。したがって,摂取した山菜の内訳による被ばく線量の違いを評価するため, 11 種を等量摂取とするシナリオをベースとし,以下 3 通りのシナリオにおける被ばく線量の変化を検討した:コシアブラ以外の 10 種の摂取量はベースシナリオから変えず, (1)コシアブラは摂取しない, (2)コシアブラの摂取量を3倍 $(2.1 \mathrm{~kg} / \mathrm{y})$ ,(3)コシアブラの䬸取量を 50 倍 $(28.3 \mathrm{~kg} / \mathrm{y})$ 。 ## 3. 結果 ## 3.1 対象地域の沈着量 旧避難区域で山菜採取範囲と想定した本研究の対象地域は, 約 $1460 \mathrm{~km}^{2}$ (23343メッシュ) であった。2012年6月 28 日時点の第 5 次航空機モニタリングの結果から, 対象地域の放射性セシウム $\left({ }^{134} \mathrm{Cs}\right.$ と $\left.{ }^{137} \mathrm{Cs}\right)$ の沈着量は $10-4200 \mathrm{kBq} / \mathrm{m}^{2}$ で, 頻度分布はFigure 1 の通りとなった。対象地域の半分が $600 \mathrm{kBq} / \mathrm{m}^{2}$ 以下であり, 約 9 割が $1000 \mathrm{kBq} / \mathrm{m}^{2}$以下の範囲であった。 Figure 1 Frequency distribution of deposition $\left[\mathrm{kBq} / \mathrm{m}^{2}\right]$ in the study area. Radiocesium deposition is the sum of ${ }^{134} \mathrm{Cs}$ and ${ }^{137} \mathrm{Cs}$ as of June 28, 2012 Figure 2 Geometric mean of radiocesium concentration in the study area for each edible wild plants calculated from deposition. Vertical bars indicate the geometric standard deviations. Radiocesium concentration and deposition are the sum of ${ }^{134} \mathrm{Cs}$ and ${ }^{137} \mathrm{Cs}$. Deposition is the value as of June 28, 2012 ## 3.2 山菜中の放射性セシウム濃度 2022年 1 月 1 日と 2045 年 1 月 1 日の, 対象地域の沈着量と推定される放射能の関係を Figure 2 に示す。山菜の放射能濃度は, フキくワラビ<タケ ノコ,夕ラノメ<コシアブラの順で高い。最も低い放射能濃度の低いフキについて, 各沈着量で推定された放射能濃度分布の幾何平均値は, 2022 年に $0.3-128.4 \mathrm{~Bq} / \mathrm{kg}$, 最も高いコシアブラは 22 $11108 \mathrm{~Bq} / \mathrm{kg}$ の範囲であった。2045年は放射性セシウムの減衰により約半分にまで減少する。 食品中の暫定規制値である $100 \mathrm{~Bq} / \mathrm{kg}$ 基準にすると, $100 \mathrm{~Bq} / \mathrm{kg}$ 以下となるフキは沈着量で数千 $\mathrm{kBq} / \mathrm{m}^{2}$ 程度であり,対象地域の約 9 割が該当するが,コシアブラの場合数十 $\mathrm{kBq} / \mathrm{m}^{2}$ 程度であり,対象地域の 1 割が該当する。 内部被ばく $\left({ }^{134} \mathrm{Cs}+{ }^{137} \mathrm{CS}\right) \quad[\mu \mathrm{Sv} /$ year] Figure 3 Frequency distribution of median and 90th percentile of internal exposure doses $[\mu \mathrm{Sv} / \mathrm{y}]$ from ${ }^{134} \mathrm{Cs}$ and ${ }^{137} \mathrm{Cs}$ in the study area ## 3.3 山菜摄取による内部被ばく 2022 年 1 月 1 日と 2045 年 1 月 1 日,および 2014 年1月1日の対象地域の各メッシュで推定した, ベースシナリオに打る内部被ばく線量について, 中央値と, 安全側での評価として 90 パーセンタイル値の頻度分布を Figure 3 に示す。2022年では, 中央値で $0.3-139.0 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{y} の$ 範囲内で,9割を超える地域で中央值が $53 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{y}$ 以下,ほぼすべての地域で $100 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{y}$ 以下であった。90パーセンタイル値では 9 割の地域で $172 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{y}$ 以下となった。2045年の中央値の範囲は 0.1-78.7 $\mu \mathrm{Sv} / \mathrm{y} て ゙, ~$ 9割の地域で $30 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{y}$ 以下となった。 90 パーセンタイル值でも 8 割の地域で $80 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{y}$ 以下,ほぼ全域で $100 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{y}$ 以下となった。同じ手法による 2014 年の推定值は, 中央値の範囲が $0.6-261.3 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{y} て$ あり,9割の地域が $100 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{y}$ 以下であった。 Table 2 にベースシナリオによる被ばく線量を 1 としたときの,3シナリオにおける被ばく線量を示す。放射能の高いコシアブラを摂取しないシナリオでは, 内部被ばく線量は沈着量によらずベースシナリオの 0.35 倍となった。コシアブラの摂取量が 3 倍の時, 内部被ばく線量は 2.1 倍であり,コシアブラの摂取量を 50 倍にすると内部被ばく線量は 28.3 倍であり,1桁以上高くなった。 ## 4. 考察 ## 4.1 山菜の放射能濃度と被ばく線量 面的移行係数が示す通り, 同じ沈着量でも推定される山菜の放射能濃度は種によって数桁異なった。例えば,最も放射能濃度の低い(つまり面的移行係数が小さい) フキは,2022年でも旧避難区域のほぼ全域で出荷基準となる $100 \mathrm{~Bq} / \mathrm{kg}$ を下回るが,最も高いコシアブラは,2045年でもほとんどの地域で $100 \mathrm{~Bq} / \mathrm{kg}$ 超えている(Figure 2)。 2045 年の段階で, 約 $25 \%$ の地域 $\left(800 \mathrm{kBq} / \mathrm{m}^{2}\right.$ 以上の地域)で推定放射能濃度の幾何平均値が $100 \mathrm{~Bq} /$ $\mathrm{kg}$ を超えると判定された山菜は,コシアブラ,夕ラノメ, タケノコであり, Takada et al. (2022)で整 Table 2 Differences in internal exposure doses according to intake scenarios of edible wild plants *ベースシナリオによる被ばく線量を 1 とした 理された面的移行係数から推測するとこの3種に加えゼンマイも $100 \mathrm{~Bq} / \mathrm{kg}$ を超過する可能性が高い。これらの結果から,ノルウェーの事例のように山菜等の墸好品の暫定規制值を $100 \mathrm{~Bq} / \mathrm{kg}$ から引き揚げない限り、いくつかの山菜種は長期にわたって旧避難区域からの出荷は難しいことが予想される。 次に濃度ではなく,これらの山菜を自家消費する際の被ばく線量を見ていこう。まず,摄取量を震災前のレベルと考えられる五代儀ら(1996)の報告値に設定したベースシナリオでは, 旧避難区域における山菜からの内部被ばく線量は2022年, 2045 年どちらも 9 割の地域で数十 $\mu \mathrm{Sv} / \mathrm{y}$ 程度となった(Figure 3)。同様の方法で過去にさかのぼって推定した 2014 年の値では, 上限値の $10 \%$ となる $100 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{y}$ 超える地域が1割程度あったが, 2022 年以降そのような地域がほとんど確認できず,事故からの時間の経過とともに野生食品由来の内部被ばくは旧避難区域においても減少していることが確認された。コシアブラの揕取量を考慮したシナリオ別の被ばく線量推定值から,摂取をやめる(Table 2におけるシナリオ1)もしくはベースシナリオの3倍摂取する(Table 2 におけるシナリオ2)という現実的に取り得る範囲で摂取量を変化させると,推定值は半分一倍といった程度で変化し,コシアブラの放射能は高いものの,摄取量の違いが内部被ばく線量に与える影響は限定的であることが分かった。べースシナリオの 50 倍摂取という極端なケース(Table 2 におけるシナリオ3)では内部被ばく線量は 10 倍以上になり,多くの地域で上限値の 1 割となる $100 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{y}$ を大きく超える。しかしこのシナリオではコシアブラの摂取量が年間で $26.6 \mathrm{~kg}$ となり,これは 2019年の国民栄養調查で成人が 1 年間に摄取する野菜の約 $25 \%$ を占めることになる(厚生労働省, 2019)。そのような状況はあったとしてもきわめて稀であらう。 本研究による内部被ばく線量の推定値は, Tsubokura et al. (2014)による2012-2013年に記録された $0.97 \mathrm{mSv} / \mathrm{y} りりは$ 低いが, Tsuchiya et al. (2017)の推定による 2014 年川内村の $3.5 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{y}$ よりはやや高い值となった。Tsubokura et al. (2014) では, 2012-2013年という事故直後であることに加え, 山菜以外に川魚や狩猟肉の摂取が確認されていたこと, Tsuchiya et al. (2017)では調查地の沈着量が本研究対象地と比較すると低めであったこ とを考慮すると, 本結果はおおむね妥当な推定値と言える。 本研究の山菜経由の内部被ばく線量の推定値はベースシナリオでは 2022 年は $0.3-139.0 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{y}, 2045$年は $0.1-78.7 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{y}$ の範囲となり, 山菜等野生食品の自家消費を含まない市場流通食品による内部被ばく線量よりは高い値となった。2021年2-3月に実施されたマーケットバスケット調査では, 市場流通食品中の放射性セシウムから受ける内部被ばく線量の最大は, 福島県中通りで $0.9 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{y}$ あった (厚生労働省,2021b)。2012年9-10月の調査の最大值は, 福島県中通りで $3.8 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{y}$ であり (厚生労働省, 2013), 現在は, 一般の食品経由の内部被ばくも十分に低減されている状況である。今後旧避難区域で山菜の自家消費を再開すると, 市場流通食品のみの食生活に比べて内部被ばく線量は1-2桁程度大きくなることが推定されるが, 多くの地域では合計でも年間数十 $\mu \mathrm{Sv}$ 程度であり, 厚生労働省による食品由来の追加被ばく線量の上限値である $1 \mathrm{mSv} / \mathrm{y}$ と比較すれば小さな値と言えるだ万う。UNSCEAR(2000)によると,大気圈内核実験由来の世界的な ${ }^{137} \mathrm{Cs}$ による内部被ばく(ingestion exposure)線量は, 1960 年年代をピークにそれ以降は数 $\mu \mathrm{Sv} / \mathrm{y}-$ 数十 $\mu \mathrm{Sv} / \mathrm{y}$ の範囲で推移しており, 本研究による山菜由来の内部被げく線量推定値は, 大気圈内核実験が盛んな時期と同じレベルである。ノルウェー中部で伝統的な生活を営むトナカイ遊牧民については, 内部被ばくの低減対策の結果, 1996年の内部被ばく線量は, $0.3 \mathrm{mSv} / \mathrm{y}$ と報告された(Mehli et al., 2000)。これらの人々は, トナカイ肉に加えて狩猟肉, 淡水魚, キノコ類, ベリー類といった野生食品も摂取しており, 報告値はこれらによる内部被ばく線量も含まれた値であるが,海外での野生食品摂取による内部被ばく線量の状況と比べると, 日本における山菜揕取による内部被ばく線量は比較的低いレベルと言える。 ## 4.2 山菜摂取の自家消費による内部被ばくリス クの管理 本研究の2022年および2045年の内部被ばく線量の推定値は, 旧避難区域のほとんどの地域で数 $+\mu \mathrm{Sv} / \mathrm{y}$ 程度, 追加被ばく線量上限である $1 \mathrm{mSv} /$ $\mathrm{y}$ の数\%となった。この推定値は放射能の高いコシアブラの摂取も含まれており,2022年以降もほとんどの対象地域でコシアブラの推定放射能濃 度は市場への出荷基準の $100 \mathrm{~Bq} / \mathrm{kg}$ を超え,一部の地域ではその 10 倍以上となる数千 $\mathrm{Bq} / \mathrm{kg}$ の放射能濃度であった。出荷基準である $100 \mathrm{~Bq} / \mathrm{kg}$ は,国内産食品が流通食品の $50 \%$ とし, すべての国内産食品が基準値上限の放射性物質を含むとの仮定で食品由来 $1 \mathrm{mSv} / \mathrm{y}$ を上回らないように算出された基準値である (厚生労働省,2021a)。本研究で出荷基準の $100 \mathrm{~Bq} / \mathrm{kg}$ を超える山菜の摂取を仮定しても $1 \mathrm{mSv} / \mathrm{y}$ りはるかに低い推定値となったのは, 出荷基準の設定が保守的であることに加之,全食品摂取量に占める山菜摄取量の割合が小さいからであろう。このことから,上でみたノルウェーの事例と同様に, 現在では嗜好品としての摂取量が小さい山菜について旧避難区域で出荷基準を超えるレベルを自家消費しても,内部被ばく線量が深刻なレベルに達することはないと言える。 さらに, 食品中に含まれるセシウムは調理過程でセシウムが除去される場合があり, Tagami and Uchida (2012)によると山菜を含む野菜について,茹でたときに7-93\%,塩またはしょうゆ漬けで 62-87\%の除去率となる。本研究では, 山菜中の放射性セシウムがすべて口に入ると仮定したため, 調理法によっては被ばく線量が過大評価となっている。 野生食品摄取の文化的価値や農山村地域の人々の生活の質といった観点からは,一部の人々には山菜掑取は重要であること,さらに国や県が定める自家消費の指針は一般市民にとっては重要な判断基準になることから,自家消費の指針の再検討も含めて今後柔軟な対応が望まれる。もち万ん,食べる食べないの判断は当事者の意思にゆだねられるべきであるが,本研究による内部ひばく線量の推定値は,污染の影響が大きい旧避難区域においても山菜の自家消費の意思決定に有用な情報であろう。また本結果はあくまでも平均的(代表的,集団的)な推定値であり,個人の正確な被ばく線量を知る場合は,摂取する山菜の放射性セシウム濃度をその都度直接測する必要がある。また本推定結果は $1 \mathrm{mSv} / \mathrm{y}$ をきく下回る值となったものの,実際の摂取に当たっては掑取量の調整や調理法の工夫など様々な手段により, 被ばく線量をできるだけ下げる取り組みは必要である。加えて, 本評価は山菜のみに着目しており, 野生食品摄取全体に関する被ばくリスク評価ではないことに注意すべきである。野生キノコゃ狩猟肉といっ た他の野生食品も摂取する場合, 内部被ばく量が本結果より大幅に高い值になる可能性がある。現在, キノコや狩猟肉摄取による内部被ばく線量の推定値の情報が不足しているため, 今後は山菜以外の野生食品摂取による内部被ばく線量の評価が必須である。 ## 4.3 推定の不確実性 本研究では放射性セシウム $\left({ }^{134} \mathrm{Cs}\right.$ と $\left.{ }^{137} \mathrm{Cs}\right)$ のみを対象核種とした。事故直後は線量全体への寄与が大きいと考えられた放射性ヨウ素 (主に ${ }^{131} \mathrm{I}$ ) は, 半減期が8日であるため2022年以降は考慮する必要がないこと,またそれ以外のストロンチウム等の核種は, 放出量がセシウムと比べ極めて少ないことから被ばく線量の推定値に大きな影響はないと考えられる。また2045年の山菜の放射能濃度の推定値は,放射性セシウムの物理崩壊のみ考慮しており,土壌中でのセシウムの下方移動による山菜への移行量の変動可能性を考慮していない。本研究で引用した $5.84 \mathrm{~kg} / \mathrm{y}$ という山菜摄取量は,青森県の農家の 30 年前の記録である。現在の福島県での食生活では, 摂取量が異なる可能性があり,また年代や居住環境によって山菜を含む野生食品の摂取量は大きく異なることが予想される。さらに,摂取の内訳が分からないため本研究では 11 種の摂取量を等量と仮定したが,そもそも山菜は嗜好品であり食べる種類が人によって大きく偏り,結果的に内部被ばく線量も異なるはずである。しかし,最も被ばく線量に影響を与えるであろう面的移行係数の高いコシアブラの摂取量を変化させた結果 (Table 2) から考慮すると,山菜種の違いによる被ばく線量の違いはさほど大きくないと予想される。これらのような不確実性は,基本的に被ばく線量を保守的に推定すること (過大評価すること)につながるため, 山菜食文化の維持を目指した山菜由来の被ばくリスク評価という本研究の目的には影響しないと考えられる。 ## 5. まとめ 本研究は, 福島の農山村地域の生活の質の向上および山菜食文化の維持を目指し, 山菜の自家消費による内部被ばくのリスク評価とリスク評価結果に基づくリスク管理指針をつくるための基礎情報を得ることを目的とした。航空機モニタリングによる沈着量デー夕と, 山菜 11 種に関する面的 移行係数から推定した旧避難区域における山菜摂取による内部被ばく線量の推定値は, 2022 年, 2045 年で 9 割を超える地域で数十 $\mu \mathrm{Sv} / \mathrm{y}$ 程度となった。これらの推定には, 出荷基準上限となる $100 \mathrm{~Bq} / \mathrm{kg}$ 超える山菜摂取が想定されており,特に放射能が高いコシアブラでは数千 $\mathrm{Bq} / \mathrm{kg}$ を超えたが,そのような想定においても内部被ばく線量は食品由来の追加被ばく線量の上限 $1 \mathrm{mSv} / \mathrm{y} の$数\%程度であった。 このことから,摂取量が少ない山菜などの嗜好品については出荷基準を超えるレベルを自家消費しても,内部被ばくが深刻なレベルに達することはないと言える。むしろ,野生食品利用の文化的価値や農山村地域の人々の生活の質の向上といった観点からは,野生食品の自家消費の指針について今後柔軟な対応が望まれ, 本結果は污染の影響が大きい旧避難区域においても山菜の自家消費の意思決定に有用な情報である。 ## 謝辞 本研究はJSPS 科研費JP18H04141の助成を受けたものです。 ## 参考文献 Forestry Agency (2022) Kinoko ya sansai no shukkaseigen tou no joukyou (Fukushima Ken). 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risk
cc-by-4.0
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# 【資料論文】 ## 市販エタノール消毒剤のSARS-CoV-2を含む 複数の微生物に対する消毒効果 * ## Effect of Commercially Available Ethanol-based Hand Sanitizers on Disinfection against Multiple Microorganisms including SARS-CoV-2 \author{ 山本哲司 $* *, * * *$, 高田郁美**,****, 八城勢造**,*****, \\ 浅岡健太郎***, 早瀬温子**,****, 西尾正也**,***,******, \\ 森卓也**,****, 森本拓也**,*****, 増川克典**, \\ 永井智 $* *, * * * * * * *$, 藤井健吉**,****** \\ Tetsuji YAMAMOTO, Ikumi TAKADA, Seizou YASHIRO, \\ Kentarou ASAOKA, Atsuko HAYASE, Masaya NISHIO, \\ Takuya MORI, Takuya MORIMOTO, Yoshinori MASUKAWA, \\ Satoshi NAGAI and Kenkichi FUJII } \begin{abstract} Ethanol-based hand sanitizing is an effective preventive measure in COVID-19 pandemic. More than $60 \mathrm{vol} \%$ ethanol is effective against SARS-CoV-2. On the other hand, commercial ethanol-based hand sanitizers, commonly used in society, often contain not only ethanol but also various additives. As it is reported that some additives affect the disinfectant effect of ethanol, the effects of each formulation need to be evaluated for reducing the risk of infection in society. In this report, we demonstrate five commercial ethanol-based hand sanitizers are effective against multiple microorganisms including SARS-CoV-2. \end{abstract} Key Words: infection risk control, hand sanitizer, hand disinfectants, regulatory science, SARS-CoV-2 ## 1.はじめに COVID-19のパンデミック下において手指衛生 の重要性が高まっている。COVID-19の原因ウイ ルスであるSARS-CoV-2の主要な感染経路は一般的な呼吸器感染ウイルスと同様に飛沫感染経路および接触感染経路とされており,ウイルスを含む飛沫により污染された手指で口,眼,鼻などの粘膜に触れることによっても感染する。厚生労働省  山本ら:市販エタノール消毒剤のSARS-CoV-2を含む複数の微生物に対する消毒効果 Table 1 Ingredients of five commercial hand sanitizers \\ では COVID-19に関する手指上のウイルス対策として手指洗浄により洗い流すこと,および手指洗浄ができない状況においてはエタノールによる手指消毒が有効としており,頻回な手指衛生行動が求められるパンデミック下においてはエタノール消毒剤の果たす役割が大きいと考えられる(Yokohata et al., 2020)。 $60 \mathrm{vol} \%$ 以上の濃度のエタノール $(\mathrm{EtOH})$ は SARS-CoV-2を含むエンベロープウイルスや種々の細菌の消毒に有効であると言われている (CDC 2008; Nomura et al., 2021)。一方で生活者が手に取る市販のエタノール消毒剤にはエタノールに加えて他の殺菌剤や保湿剤, $\mathrm{pH}$ 調整剤などの様々な化合物が含有されている。最近になり4 級アンモニウム塩殺菌剂である塩化ベンザルコニウムとの併用により $20 \mathrm{vol} \%$ のエタノールでも高いエンべロープウイルス不活化効果を有していることが報告された(Masukawa et al., 2022)。また,一般的に保湿剤として使用されるグリセリンがエタノールの抗微生物作用を減弱させるとの報告もあることから (Mazzola et al., 2009),エタノール以外の添加剂が消毒効果に与える影響は無視できないと考えられる。つまり市販のエタノール消毒剂の効果はエタノール濃度のみで判断することはできず,製品を用いた個別の評価が生活者にとっての感染リスク低減には必要と考えられる。本研究では,5 種類の市販エタノール消毒剤についてSARS$\mathrm{CoV}-2$ を含む複数の微生物に対する消毒効果を評価した。 ## 2. 方法 市販のエタノール手指消毒剤には,製剤 $\mathrm{A}$ (ハンドスキッシュ EX, 65.0 vol $\% \mathrm{EtOH}$ 含有),製剤 B(ハンドスキッシュ, $79.2 \mathrm{vol} \% \mathrm{EtOH}$ 含有),製剂 $\mathrm{C}$ (ソフティハンドクリーン手指消毒液, 79.7 vol% EtOH含有),製剤D(ソフティハンドクリーン手指消毒ジェル, 79.7 vol\% $\quad$ EtOH含有),製剤 E(EX-CARE 手指消毒ジェル, 79.7 vol\% $\mathrm{EtOH}$ 含有),を用いた(いずれも花王プロフェッショナル・サービス社)。詳細な成分を Table 1 に示す。 ウイルス不活化試験は EN14476:2019 (CEN 2019) に準拠して実施した。SARS-CoV-2不活化試験にはJPN/TY/WK-521 株を用いた。最小必須培地で調整したウイルス液, $3 \mathrm{~g} / \mathrm{L} B S A$ 水溶液, 及び試験製剂を $1: 1: 8$ の割合で混合し室温で 30 秒静置した。この反応溶液に9 倍量のDMEMを添加し反応停止後, Vero E6/TMPRSS2 細胞(JCRB 1819) を幡種したウェルプレートに添加し感染させた。 $5 \% \mathrm{CO}_{2}, 37^{\circ} \mathrm{C}$ で 5 日間培養し, $\mathrm{TCID}_{50}$ 法でウイルス感染力価を測定した。インフルエンザウイルス不活化試験には H1N1, A/Puerto Rico/8/34 株(ATCC VR-1469)を用いた。最小必須培地で調整したウイルス液, $3 \mathrm{~g} / \mathrm{L}$ BSA水溶液,及び試験製剤を $1: 1: 8$ の割合で混合し室温で 30 秒静置した。この反応溶液に9倍量のSCDLPを添加し反応停止後, MDCK細胞(ATCC VR-1469)を幡種したウェルプレートに添加し感染させた。無血清培地で洗浄後, $5 \% \mathrm{CO}_{2}, 37^{\circ} \mathrm{C}$ で $18-22$ 時間培養し, 抗インフルエンザNP抗体を用いて発光法により感染細胞を染色し,感染力価 $(\mathrm{FFU} / \mathrm{mL})$ を算出した。殺菌試験はEN13727:2012 (CEN 2012)に準拠して実施した。Staphylococcus aureus (NCTC 8325), Escherichia coli (NBRC 3972), Pseudomonas aureginosa (ATCC 15692), Klebsiella pneumoniae (NBRC 13277)を用いた。PBSで調整した細菌液, $3 \mathrm{~g} / \mathrm{L} \mathrm{BSA}$ 水溶液, 及び試験製剤を $1: 1: 8$ の割合で混合し室温で 30 秒静置した。この反応溶液に Table 2 Virucidal activity of five commercial hand sanitizers against SARS-CoV-2 & & \\ 製片 $\mathrm{B}$ & 7.6 & $\leq 3.5$ & $\geq 4.1$ \\ 製片 $\mathrm{C}$ & 7.6 & $\leq 3.5$ & $\geq 4.1$ \\ 製片 D & 7.6 & $\leq 3.5$ & $\geq 4.1$ \\ 製剤 $\mathrm{E}$ & 7.6 & $\leq 3.5$ & $\geq 4.1$ \\ 室温, 30 秒作用, $0.03 \% \mathrm{BSA}$ 負荷 Table 3 Virucidal activity of five commercial hand sanitizers against influenza virus $A$ & & \\ 製剤 $\mathrm{B}$ & 5.9 & $\leq 0.3$ & $\geq 5.6$ \\ 製剤 $\mathrm{C}$ & 5.9 & $\leq 0.3$ & $\geq 5.6$ \\ 製剤 D & 5.9 & $\leq 1.3$ & $\geq 4.6$ \\ 製剤 E & 5.9 & $\leq 1.3$ & $\geq 4.6$ \\ 室温, 30 秒作用, $0.03 \% \mathrm{BSA}$ 負荷 9 倍量のSCDLPを添加し反応停止後,SCDLP 寒天培地に塗抹し, $37^{\circ} \mathrm{C}, 48$ 時間培養後にコロニー カウント法で生菌数を測定した。 ウイルス不活化試験においては蒸留水,殺菌試験においてはPBSを対照とし,対照との差分を消毒効果とした。測定は 3 回繰り返し試験の結果を平均値とした。ウイルス不活化試験において試験製剤の細胞毒性を試験溶液と対照の試験で生存細胞数を比較することにより確認し,細胞毒性を有さない希釈条件で不活化効果を算出した。 ## 3. 結果 5 種類の市販エタノール消毒剤のSARS-CoV-2, インフルエンザウイルスおよび 4 種の細菌に対しての消毒効果をそれぞれ Table 2,3,4 に示す。いずれの微生物に対しても 30 秒間の曝露において検出限界以下までの消毒効果(4 $\log _{10}$ 以上)を有することが明らかとなった。 ## 4. 考察 今回評価した 5 種類の市販エタノール消毒剤全てにおいて,SARS-CoV-2,インフルエンザウイルスおよび4種の細菌に対する高い消毒効果が確認された。いずれの製品も $60 \mathrm{vol} \%$ 以上のエタノー ルを含有しており,先行知見から驚くべき結果で Table 4 Bactericidal activity of five commercial hand sanitizers S. aureus & & \\ 製片 $\mathrm{B}$ & 6.5 & $\leq 1.0$ & $\geq 5.5$ \\ 製片 $\mathrm{C}$ & 6.5 & $\leq 1.0$ & $\geq 5.5$ \\ 製剤 $\mathrm{D}$ & 6.5 & $\leq 1.0$ & $\geq 5.5$ \\ 製片 $\mathrm{E}$ & 6.5 & $\leq 1.0$ & $\geq 5.5$ \\ P. aureginosa & & \\ 製片 $\mathrm{B}$ & 7.3 & $\leq 1.0$ & $\geq 6.3$ \\ 製剤 $\mathrm{C}$ & 7.3 & $\leq 1.0$ & $\geq 6.3$ \\ 製片 $\mathrm{D}$ & 7.3 & $\leq 1.0$ & $\geq 6.3$ \\ 製剤 $\mathrm{E}$ & 7.3 & $\leq 1.0$ & $\geq 6.3$ \\ E. coli & & \\ 製片 $\mathrm{B}$ & 6.6 & $\leq 1.0$ & $\geq 5.6$ \\ 製剤 $\mathrm{C}$ & 6.6 & $\leq 1.0$ & $\geq 5.6$ \\ 製剤 $\mathrm{D}$ & 6.6 & $\leq 1.0$ & $\geq 5.6$ \\ 製剤 $\mathrm{E}$ & 6.6 & $\leq 1.0$ & $\geq 5.6$ \\ & & \\ 製剤 $\mathrm{B}$ & 7.3 & $\leq 1.0$ & $\geq 6.3$ \\ 製剤 $\mathrm{C}$ & 7.3 & $\leq 1.0$ & $\geq 6.3$ \\ 製剂 $\mathrm{D}$ & 7.3 & $\leq 1.0$ & $\geq 6.3$ \\ 製剤 $\mathrm{E}$ & 7.3 & $\leq 1.0$ & $\geq 6.3$ 室温, 30 秒作用, $0.03 \%$ BSA負荷 はないが,エタノールに様々な化合物が添加された市販製品における消毒効果は製品毎の評価が必要であり, 本試験により初めて明らかとなった結果である。本試験結果は市販製品を使用する生活者にとって手指を介した感染リスク低減対策に寄与することが期待できる (Murakami et al., 2021, Jin et al., 2022)。本報告では目下の感染対策が必要な SARS-CoV-2に加え,インフルエンザウイルス, および細菌としてS. aureus, P. aureginosa, E. coli, K. pneumoniaeを対象とした。これらは感染者数 や緊急性の観点から重要な制御対象であるため優先して評価を実施したが,社会的問題である院内感染症の原因となる多剤耐性菌を含む病原性微生物や腸管感染症原因微生物など,エタノール消毒剂に求められている対象は広い。一般に殺菌剤は微生物間で効果の差が存在するが,エタノールに関しても同様であることが報告されており (Sauerbrei, 2020) さらに対象微生物を広げた検討を行う必要がある。 COVID-19や毎年流行するインフルエンザに対する的確な感染症対策の社会実装には,使用場面に応じた対策製品の選択が必要不可欠となる。どの製品が,どの用途で,どのくらいの曝露時間で,どのウイルスや病原菌の感染対策に有効なのか,の情報伝達は,根拠にもとづく感染症対策の社会的基盤となる。職業従事者が扱う業務品から,一般消費者が使用する日用品まで, ウイルス対策製品のエビデンスと適切な使用方法は広く情報開示されるべきである。特に消費者が扱う製品の場合, 効果の強すぎる製品の乱用は誤使用に伴う製品事故にもつながる。業務用途と家庭内用途で,目的に応じた感染制御にちょうど良い有効性と安全性が両立された日用品の設計思想が,あらためて問われている。今後の国内感染症対策手段の公知化には,市販製品の有効性評価に関する情報開示が重要である。アウトブレイクやパンデミック時の即応的対応には, 的確な感染症対策の手段について,専門家のみならず一般的な消費者にも情報がいきわたる仕組みが必要である。特に一般的な消費者がとりうる感染対策では,具体的に入手可能な製品を,どう使うと感染原因に対して有効な対策手段となるのかを,わかり易く情報伝達できるよう,社会制度の障壁を取り除くことも必要となる。本論文の製品有効性のエビデンス開示は,今後の感染症リスクに対応する強勒でレジリエントな現代社会を共創していくための,基盤的作法の一つになると期待される。 ## 5. 結論 市販のエタノール製剤にSARS-CoV-2を含む複数の微生物に対する消毒効果を確認した。他の製品や他の微生物に対する検討が進められることによって,感染症リスクに強い社会の実現に寄与できると期待される。 ## 6. 謝辞 本論文の作成に当たって,北里大学大村智記念研究所片山和彦教授,ならびに花王株式会社蓮見基充氏,菅野郁夫氏,宮木正廣氏,山本奈緒子氏,田中紀行氏,徳田一氏に,それぞれのご専門の視点から貴重なご助言・ご示唆をいただきました。花王プロフェッショナル・サービス株式会社の皆様に消毒剤製品の社会実装に関しご専門の視点から体系的なご示唆をいただきました。また,査読者の先生に有意義なご指摘をいただいた上で完成することができました。ここに記して深く御礼申し上げます。 ## 参考文献 CDC (2008) Chemical Disinfectants. Guideline for Disinfection and Sterilization in Healthcare Facilities. CEN (2012) EN 13727:2012+A2:2015, Chemical disinfectants and antiseptics. Quantitative suspension test for the evaluation of bactericidal activity in the medical area. CEN (2019) EN 14476:2013+A2:2019, Chemical disinfectants and antiseptics. Quantitative suspension test for the evaluation of virucidal activity in the medical area. Jin, T., Chenb, X., Nishio, M., Zhuanga, L., Shiomi, H., Tonosaki, Y., Yokohata, R., King, Min Kang, M.-F., Fujii, K., and Zhanga, N. (2022) Interventions to prevent surface transmission of an infectious virus based on real human touch behavior: A case study of the norovirus, International Journal of Infectious Disease, 122, 83-92. Masukawa, Y., Shiraishi, A., Takada, I., Hayase, A., Mori, T., Tanaka, N., and Fujii, K. 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# 【原著論文】 ## 道路交通騒音曝露と虚血性心疾患との関連一東京都葛飾区の高齢者を対象とした質問紙調査に基づく分析一* ## Road Traffic Noise Exposure and Ischemic Heart Disease: A Questionnaire Survey of Elderly Residents at Katsushika, Japan \author{ 岸川洋紀**, 堺温哉***, 小池博***, 伊藤晃佳***, 森川多津子***, \\ 伊藤剛***, 中井里史****, 内山巌雄***** \\ Hiroki KISHIKAWA, Haruya SAKAI, Hiroshi KOIKE, \\ Akiyoshi ITO, Tazuko MORIKAWA, \\ Tsuyoshi ITO, Satoshi NAKAI and Iwao UCHIYAMA } \begin{abstract} Many epidemiological studies have shown that noise exposure is a risk factor causing adverse health effects, for example cardiovascular diseases, coronary heart diseases. WHO/EU assessed levels of evidence for associations between noise exposure and health effects and confirmed a causal link between road traffic noise and ischemic heart disease (IHD). In Japan, however, there are few studies investigating the health effects due to traffic noise, although some studies conducted around a military airport exist. We carried out a questionnaire survey of 6,000 older residents at Katsushika Japan and verified whether road traffic noise induced IHD at Japanese dwelling environment. Data of 2,736 respondents were taken into multiple logistic regression analysis and following results were obtained. Road traffic noise level (measured by $L_{\mathrm{den}}$ ) was correlated with prevalence rate of IHD (65-70 dB: OR $=1.76(0.92-3.34), 70 \mathrm{~dB}-$ : OR $=1.95(1.01-3.75))$ and sleep disturbance had a relationship with IHD $(\mathrm{OR}=1.76(1.17-2.63))$. The relationship between noise exposure and health effects may arise since noise exposure causes a sleep disturbance and sleep disturbance leads adverse health effects. \end{abstract} Key Words: noise exposure, road traffic noise, ischemic heart disease, questionnaire survey, cross sectional study 1. はじめに ## 1.1 騒音曝露による健康影響 道路交通騒音などの環境騒音曝露は, うるささなどの心理影響,会話妨害などの生活妨害だけでなく,健康影響を引き起こす原因であることが様々な研究により明らかとなっている (Basner et al., 2015)。騒音曝露によって引き起こされる健康影響としては騒音性難聴が古くから知られているが, 近年の疫学調査により, 非聴覚的健康影響も発現することが示されている。非聴覚的健康影響  としては, 心血管疾患 (CVD) (Stansfeld and Crombie, 2011; Hahad et al., 2019; Cai et al., 2020), 冠状動脈性心疾患 (CHD) (Babisch, 2014; Héritier et al., 2019; Bai et al., 2020; Cole-Hunter et al., 2021)メンタルヘルスの悪化(Hegewald et al., 2020; Lan et al., 2020),糖尿病 (Clark et al., 2017) などが挙げられる。 騒音曝露により非聴覚的健康影響が発現するメカニズムについては明らかにはなっていないが,騒音曝露により睡眠妨害が発生することは周知の事実であり,不眠症(insomnia)が様々な健康影響を引き起こすことも明らかとなっており (Sofi et al. 2014; Bertisch et al. 2018),騒音曝露によって生じる睡眠妨害を介して健康影響が発現している可能性が高いと考えられる(田鎖,2019)。 交通量の多い道路周辺では,騒音曝露と同時に大気污染や振動などの曝露も生じることが一般的である。騒音と大気污染の複合影響については, それほど多くの研究は行われていないが,大気污染による影響を調整した上でも,騒音曝露によってCHDリスクの上昇(Gan et al., 2012)やIHDリスクの上昇(Héritier et al., 2019)が生じることが示されている。 騒音と振動の複合影響について検討した調査研究も多くはないが,被験者実験により鉄道騷音打よび振動により睡眠中の心拍数の増加や睡眠の質の低下が生じることが報告されており (Smith et al., 2013; Smith et al., 2017),騒音による影響と振動による影響は独立して生じることが述べられている (Smith et al., 2017)。日本国内の鉄道騒音の調查デー夕に基づく報告としては, 騒音によるアノイアンス (不快感) や睡眠影響を対象としたものがあり,アノイアンスや睡眠覚醒に騒音, 振動がともに影響することが示されている (Yokoshima et al., 2017; Morihara et al., 2021)。しかしながら,鉄道を対象とした研究が中心であり,道路騒音・振動を対象としたものはほとんど見受けられず,騒音曝露を対象とした多くの疫学調査において振動レベルの調整は行われていないのが現状である。 ## 1.2 騒音による健康影響の重大性 田鎖,松井(2021)は,日本国内において夜間騒音レベル $\left(L_{\text {night }}\right) 55 \mathrm{~dB}$ 以上の曝露を受ける住民は約 700 万人, $60 \mathrm{~dB}$ 以上の瀑露を受ける住民は約 400 万人と試算しており,騒音による影響を受ける住民は非常に多いと考えられる。そのため,騒音曝露による健康影響は他の環境要因と比べても重大なリスク因子である可能性が高い。Hänninen et al. (2014) は, 交通騒音曝露, 粒子状物質 (PM) などの9つの環境リスク因子の影響ついて欧州 6 か国でのDALY(障害調整生存年数)を算出し,騒音曝露によるDALY の損失は粒子状物質についで大きく,受動喫煙と同程度であることを示している。 田鎖, 松井(2021)は, 日本国内における道路交通騒音暴露によるリスク評価を行い,騒音が原因の虚血性心疾患 (IHD) による死亡者数は年間約 1,700 人(生涯死亡リスク $10^{-3}$ 相当)であり,幹線道路沿道で高レベルの騒音曝露を受ける住民においては生涯死亡リスクが $10^{-2}$ を超える非常に高い値であることを示している。 ## 1.3 WHOによる騒音ガイドライン 騒音曝露が健康影響を引き起こし,騒音により死亡リスクが高まるという研究知見が集まる中, WHO や WHO 欧州地域事務局(以下,WHO/EU) は騒音ガイドラインを公表している(WHO, 1999; WHO Regional Office for Europe, 2009; WHO Regional Office for Europe, 2018; 横島, 森長,2021)。2009 年の夜間騒音ガイドライン (Night Noise Guidelines for Europe)では, 騒音曝露によって心疾患などの健康影響が生じることが明示され, 屋外夜間騒音レベル $\left(L_{\text {night }}\right) 40 \mathrm{~dB}$ 以上で健康影響が認められることや, $L_{\text {night }} 55 \mathrm{~dB}$ 以上のレベルは公衆衛生上危険な状態(increasingly dangerous for public health) であり心疾患のリスクが増大することが述べられている。 2018年の環境騒音ガイドライン (Environmental Noise Guidelines for the European Region)では, 騒音曝露による重大な健康影響 (Critical health outcomes)として, 心血管疾患 (CVD), 高度の不快感 (アノイアンス), 睡眠妨害, 認知障害, 聴力損失が挙げられており, 重要な健康影響 (Important health outcomes)として, 出生への悪影響, QOL の低下やメンタルヘルスへの影響, 代謝系への影響が挙げられている。疫学調査のレビューから,これらの健康影響についてエビデンスレベルの評価が行われ,騒音曝露と騒音影響の量反応関係に基づきガイドライン値が示されている。なお, WHO/EUのガイドライン值には時間带補正等価騒音レベル $L_{\mathrm{den}}$ が用いられているが, $L_{\mathrm{den}}$ は騒音レベルのエネルギー平均である $\mathrm{A}$ 特性等価騒音レベル $L_{\text {Aeq }}$ に対して, 夕方 $(19 \sim 23$ 時 $)$ は $5 \mathrm{~dB}$, 夜間(23 7時)は $10 \mathrm{~dB}$ の重みづけを行い算出するものである。 道路交通騒音と心血管疾患との関連については, 虚血性心疾患はエビデンスレベルが高いと評価され,高血圧はエビデンスレベルが低いと評価されている。虚血性心疾患に関しては, $L_{\mathrm{den}} 53$ $\mathrm{dB}$ から影響が発現し, $L_{\mathrm{den}} 10 \mathrm{~dB}$ の増加で相対危険 (RR) が 1.08 倍(95\%CI: 1.01-1.15)増加するとされている。 $L_{\text {den }} 59.3 \mathrm{dBで}$ なることから, この值が虚血性心疾患に関するガイドラインレベルとされている。な押, 騒音曝露による高度の不快感 (エビデンスレベルは中程度) を訴える住民の割合が $L_{\mathrm{den}} 53.3 \mathrm{~dB}$ で $10 \%$ を超えることから,総合的に判断してガイドラインにおける道路交通騒音の勧告値は $L_{\mathrm{den}} 53 \mathrm{~dB}$ となっている。 ## 1.4 騒音に係る環境基準 我が国においては騒音に関して環境基準が設定されている(Ministry of Environment, Japan, 1998)。道路交通騒音の環境基準は地域の類型ごとに設定され,道路に面する地域については別途基準值が設定されている。幹線道路沿道においては $\mathrm{A}$ 特性等価騒音レベル $\left(L_{\mathrm{Aeq}}\right)$ で,昼間 $70 \mathrm{~dB}$ ,夜間 $65 \mathrm{~dB}$ という基準値が設定されている。この值は $L_{\mathrm{den}}$ 換算で約 $73 \mathrm{~dB}$ 相当であり, WHO/EUガイドラインに比べて明らかに高い値となっている。森長 (2021)は,WHO/EUガイドラインを受け欧州各国で環境基準についての議論が始まっていることを指摘し,「社会音響調查や疫学調查により科学的知見の更新を行うと同時に,現時点から,環境基準を見直す判断についての議論が行われることを期待する」と述べている。 WHO/EUの環境騒音ガイドラインの制定根拠となる疫学調査は欧州のものだけでなく, アメリカ,アジア、オーストラリアのものも含まれているため,ガイドライン値は他の地域にも適用可能であると明記されている(WHO Regional Office for Europe, 2018)。しかしながら,居住環境や生活環境が異なる日本にガイドラインを適用することには検討が必要であり,国内での疫学調査に基づいたエビデンスの必要性を指摘する意見もある(澤田,津金, 2021)。 国内における騒音に関する疫学研究の例は軍用空港周辺での調査例(松井ら,2003; Matsui et al., 2004)があるが,疫学調査の数は多いとは言え ず, 道路交通騒音と虚血性心疾患を対象とした例はほとんど見受けられない。日本国内において疫学調査を実施し, 騒音曝露と健康影響との関連についての検討を行うことは非常に重要な課題である。 ## 1.5 研究目的 本研究では,2014年4月に実施した東京都葛飾区在住の 65 歳以上の高齢者を対象とした断面調查の結果に基づき, 騒音曝露レベルと虚血性心疾患との関連や騒音曝露により生じる睡眠影響と虚血性心疾患との関連について検討を行い, 道路交通騒音曝露による健康影響について日本国内での調査に基づいた知見を提供することを目的とした。なお,断面調査は騒音曝露および大気污染による健康影響を検討する目的で実施したが, 本研究では大気に関する分析は行わず騒音のみに着目した分析を行った。 ## 2. 調査方法 ## 2.1 調査対象地域 東京都葛飾区内の幹線道路である環状七号線,国道 6 号線, 平和橋通り, 蔵前橋通りの沿道 $50 \mathrm{~m}$以内を沿道地域 (曝露群), 同区一般環境大気測定局の鎌倉局から半径約 $1.5 \mathrm{~km}$ 内の住宅地域を非沿道地域(対照群)として調査を行った。両地域とも鉄道沿線 $50 \mathrm{~m}$ 以内は調査対象から除外した。調查対象地域の住民の過半数が現住所に調查時点で 30 年以上居住しており, 居住歴の長い住民が多い地域である。調査は2014年4月に行った。 ## 2.2 調査対象者 2014年4月時点で 65 歳以上の男女を対象とし,住民基本台帳に基づき無作為抽出した沿道地域 3,000 名, 非沿道地域 3,000 名の計 6,000 名に留置法による質問紙調査を行った。質問紙調査の実施は一般社団法人中央調査社に委託して行った。 ## 2.3 アンケート質問項目 調査票では回答者の性別, 年齢, 身長体重, 喫煙歴, 飲酒歴, 居住歴, 家屋構造などについて尋ねた。 狭心症または心筋梗塞について現在治療中か否かを尋ね, 虚血性心疾患の有病率として健康影響の指標とした。ICD10の分類において,虚血性心 疾患はI20からI25に分類され,狭心症はI20,急性心筋梗塞がI21,I22,陳旧性心筋梗塞がI 25.2 に対応している。虚血性心疾患の患者数に占める狭心症および心筋梗塞の患者数の割合は約 $93 \%$ と高く(厚生労働省, 2017), 狭心症および心筋梗塞の有病率を虚血性心疾患の有病率とみなすことに大きな問題はないと考えられる。虚血性心疾患を治療中と回答した回答者には追加質問として,現住所での居住時に初めて医師に診断されたか,現住所へ居住する前に既に診断されたことがあるかを尋ねた。 騒音による睡眠妨害を受ける頻度を5 段階の選択肢(1.まったくない,2. あまりない,3. たまにある,4. 時々ある,5.いつもある)で尋ねた。主観的な回答に基づく睡眠妨害の頻度 (以下,睡眠妨害)を騷音による睡眠影響の指標とした。 ## 2.4 騒音曝露レベルの推計 本調査の実施に先立ち, 2011 年, 2012 年に調査対象地域での予備調査を実施している。予備調査の際に得られた騒音の距離减衰式を用い, 本研究で調査対象とした沿道地域居住者の住居における騒音曝露レベルの推計を行った。 予備調査では調査対象地域の幹線道路の官民境界および道路から $50 \mathrm{~m}$ 内の計 127 か所で騒音測定を実施した。官民境界上では精密騒音計 (NA-28), その他の場所では普通騒音計(NL21,22)を用い,マイクの高さは地上 $1.2 \mathrm{~m}$ として動特性Fastで1時間毎の測定を行い, その結果から $L_{\mathrm{Aeq}}, L_{\mathrm{den}}$ を算出した。騒音測定の実測値に基づいて, 幹線道路の見通し条件別に騒音の距離減衰式を作成した。距離減衰式は, 騒音測定地点における $L_{\mathrm{Aeq}}$ と基準点(官民境界)における $L_{\mathrm{Aeq}}$ の差を, 騒音測定地点から道路中心までの距離および基準点(官民境界)から道路中心までの距離の対数で線形回帰したものである。幹線道路の見通し条件は,「幹線道路をほとんど見通せる地点」,「幹線道路の一部を見通せる地点」、「幹線道路を見通せない地点」の3 条件とした。 本調査では,2013年11月27日から2014年1月 14 日に沿道地域 22 か所で 24 時間の騒音測定を行い, 幹線道路沿道での基準騒音レベルを測定した。測定条件は予備調査でのものと同じである。回答者の住所情報から求めた最寄り幹線道路までの距離と基準騒音レベルを距離減衰式に代入する ことで, 回答者の居住地での屋外騒音曝露レベルの推計を行った。距離減衰式の作成や推計の際には住居の高さ情報や音の回折による影響も考慮している。本研究では WHO/EUガイドラインと同じ $L_{\mathrm{den}}$ を屋外騒音曝露レベルの指標として用いた。な扮, 距離減衰式は $L_{\mathrm{Aeq}}$ の式であるが, $L_{\mathrm{den}}$ は $L_{\mathrm{Aeq}}$ に時間帯別の補正を加えたものであるので, $L_{\mathrm{den}}$ の推計に用いることも可能である。また, 非沿道地域 5 か所においても 24 時間の騒音測定を行った。 ## 2.5 分析方法 虚血性心疾患の治療歴を目的変数, 騒音曝露レベルおよび交絡要因を説明変数としたロジスティック回帰分析を行い, 騒音曝露と虚血性心疾患との関連について検証した。騒音曝露レベルは,沿道地域において推定された騒音レベル $\left(L_{\mathrm{den}}\right)$ を4区分し,対照地域とあわせた 5 カテゴリの変数とした。交絡要因は, 性別(2カテゴリ:男女), 年齢 (4カテゴリ:65-69歳, 70-74歳, 75-79歳, 80 歳以上), $\mathrm{BMI}(2$ カテゴリ : 25 未満, 25 以上), 喫煙歴(3カテゴリ:非喫煙, 吸っていたがやめた, 喫煙あり), 飲酒歴(2カテゴリ:日常的な飲酒なし, 飲酒あり), 家屋構造(2力テゴリ:木造,鉄筋)とした。 騒音曝露による影響を検討するにあたっては住居内での曝露情報が重要になるが, 住居内での住民の正確な曝露レベルの推定には,各住居の遮音性能, 部屋の間取りや用途などの情報が必要であり,現実的には推定は不可能である。そのため,騒音に関する調査では屋外での騒音レベルを曝露指標として用いることが一般的であり,本研究においても屋外騒音レベルを曝露指標として用い,住居間での違いについては交絡因子に家屋構造の情報を含めることで補正を試みた。 また,騒音曝露による健康影響は睡眠妨害を介して生じている可能性が示唆されていることから,睡眠妨害の有無を説明変数とした分析も行った。5 段階の選択肢のうち,睡眠妨害が「まったく/あまりない」と否定的に回答したものを「睡眠妨害なし」,「たまに/時々ルつもある」と肯定的に回答したものを「睡眠妨害あり」として,2 値変数として分析を行った。 統計ソフトはSPSSver22.0を用い, 有意水準については $5 \%$ とした。 ## 2.6 倫理的配慮 調査は日本疫学会倫理審査委員会の承認を得て実施した(承認番号 13001)。 ## 3. 結果 ## 3.1 調査票の回収結果と分析対象者 沿道地域 1,589名, 非沿道地域 1,599 名の計 3,188名から回答を得た(回答率 $53.1 \%$ )。 虚血性心疾患について現在治療中であると回答した回答者は 188 名(5.9\%)であった。188名中, 146名は現住所に居住した以降に初めて医師から虚血性心疾患の診断を受けた回答者で,38名は現住所に居住する以前に既に診断を受けたことがある回答者であった。残りの4名は初診断時の住所情報について未回答であった。調査対象地域に居住する以前の発症は調查対象地域での騒音曝露と無関係であるため,旧住所で発症した 38 名および初診断時の住所情報が不明の 4 名は分析から除外した。 性別,年齢,身長体重,飲酒歴,喫煙歷,家屋構造, 虚血性心疾患の治療歴の質問全てに回答のあった 2,736 名を分析対象とした(質問票配布者の 45.6\%)。分析対象とした回答者の平均年齢は 74.6歳であった。回答者の属性を Table 1 に示す。 ## 3.2 騒音曝露レベルの推計結果 予備調査での測定から得られた見通し条件別の距離減衰式は,以下の(1) (3) に示すとおりである。 幹線道路をほとんど見通せる地点: $ L_{\text {Aeq }}(r)=L_{\text {Aeq }}\left(r_{0}\right)-15.2 \log _{10}\left(r / r_{0}\right) $ 幹線道路の一部を見通せる地点: $ L_{\mathrm{Aeq}}(r)=L_{\mathrm{Aeq}}\left(r_{0}\right)+10.7-18.5 \log _{10}\left(\left(r-r_{0}\right) / r_{\mathrm{s}}\right) $ 幹線道路を見通せない地点: $ L_{\mathrm{Aeq}}(r)=L_{\mathrm{Aeq}}\left(r_{0}\right)+4.3-17.4 \log _{10}\left(\left(r-r_{0}\right) / r_{\mathrm{s}}\right) $ ここで $r$ : 道路中心からの距離 $[\mathrm{m}]$ $r_{0}$ : 道路中心から基準点までの距離 $[\mathrm{m}]$ $L_{\mathrm{Aeq}}(r)$ : 道路中心から距離 $r$ での騷音レベル $[\mathrm{dB}]$ $r_{\mathrm{s}}$ : 基準の距離 $(=1 \mathrm{~m})$ 予備調査での実測値と距離減衰式(1) (3)から推定された値の差の標準偏差は, それぞれ 0.9 $\mathrm{dB}, 2.6 \mathrm{~dB}, 2.8 \mathrm{~dB}$ であり, 相対的に騒音曝露レべルが高いと考えられる幹線道路をほとんど見通せる地点においては高い精度で距離減衰式が得られた。 距離減衰式と住所情報から, 回答者の住居の騒音レベルの推計を行い,推計された騒音レベルをもとに沿道地域の回答者を4カテゴリに分類した。曝露カテゴリ別の回答者数を Table 2 に示す。 $L_{\mathrm{den}} 70 \mathrm{~dB}$ 以上の高レベルの騒音曝露を受けている住民の $96.3 \%$ は幹線道路から $20 \mathrm{~m}$ 以内の幹線道路近接空間に居住していた。 非沿道地域 5 か所での騒音測定結果は平均 58.1 $\mathrm{dB}$ であり $(51.9,56.7,59.0,59.3,63.6 \mathrm{~dB})$, 沿道地域でのもっとも低曝露のカテゴリ $(60 \mathrm{~dB}$ 未満 $)$ と同程度であった。なお, 非沿道地域の 1 地点で $63.6 \mathrm{~dB}$ とやや高い値が観測されているが,これは非沿道地域の中で特に交通量が多い都道 60 号 沿いの測定点である。 Table 1 Demographic characteristics of respondents Table 2 Distribution of noise level $\left(L_{\text {den }}\right)$ Table 3 Adjusted odds ratios of IHD } & 非沿道 & 1393 & 1 & & 0.176 \\ ## $3.3 L_{\text {den }$ と虚血性心疾患の有病率} ロジスティック回帰分析により得られた調整済みオッズ比および $95 \%$ 信頼区間を Table 3 に示す。 また, Figure 1 に $L_{\mathrm{den}}$ の調整済みオッズ比を示す。分析の結果, 虚血性心疾患の有病率のオッズ比は $L_{\mathrm{den}}$ の上昇に伴い増加していることが確認された。 $L_{\mathrm{den}} \geq 70 \mathrm{~dB}$ の高曝露地域では, 統計的に有意なオッズ比の上昇が認められた $(\mathrm{OR}=1.95,95 \% \mathrm{CI}$ : 1.01-3.75, $p=0.045)$ 。交絡因子については, 性別,年齢, BMIが有病率との関連を示したほか, 家屋構造が鉄筋である場合にオッズ比が減少していた。 ## 3.4 居住年数との関連 沿道地域に長期間居住している場合, 居住歴が短い住民と比べ騒音曝露による影響をより強く受けていることが考えられる。そこで,沿道地域の住民を居住歴によって2 群に分割し, 対照群とあわせた 9 カテゴリを曝露変数としたロジスティック回帰分析を行った。回答者の4名は居住年数についての情報が得られなかったため分析から除外し,2,732名を分析対象とした。得られた調整済みオッズ比を Table 4 に示す。20 年以上在住の住 Figure 1 Adjusted odds ratios of IHD for $L_{\text {den }}$ 民において, $65 \mathrm{~dB}$ 以上の地域で 2.28 (95\%CI: 1.15-4.54, $p=0.019), 70 \mathrm{~dB}$ 以上の地域で2.37 (95\%CI: $1.15-4.86, p=0.019)$ とオッズ比の上昇がより顕著にあらわれた。一方で, 20 年未満の居住歴の住民ではオッズ比の上昇はみられなかった。 ## 3.5 睡眠妨害の有無と虚血性心疾患の有病率 睡眠妨害を受ける(「3.たまにある」以上)と回答した住民の割合と $L_{\mathrm{den}}$ との関連を調べたとこ Table 4 Adjusted odds ratios of IHD for $L_{\text {den }}$ and residence years Figure 2 Sleep disturbance rates and $95 \% \mathrm{Cls}$ for $L_{\text {den }}$ 万,道路交通騒音曝露による睡眠妨害が発生していることが確認された(Figure 2)。 騒音曝露による健康影響は睡眠妨害を介して生じている可能性が指摘されている。そこで,ロジスティック回帰分析の説明変数を物理的な騒音曝露量である $L_{\mathrm{den}}$ ではなく,騒音影響である睡眠妨害の有無(2値)とした分析を行った。調整した交絡要因はTable 3での分析と同じである。回答者の22名は睡眠妨害についての情報が得られなかったため分析から除外し,2,714名を分析対象とした。得られた調整済みオッズ比を Figure 3 に示す。睡眠妨害を受けている住民のオッズ比が $1.76(95 \%$ CI: $1.17-2.63, p=0.006)$ となり,睡眠妨害を受けている場合に虚血性心疾患の有病率が高まることが確認された。 ## $3.6 L_{\mathrm{den}$ と睡眠妨害と虚血性心疾患の有病率} 前節までの分析で,騒音曝露量 $\left(L_{\mathrm{den}}\right)$ と虚血性心疾患との間,睡眠妨害と虚血性心疾患との間に関連が認められた。3者の関連を検討するため,沿道地域を $L_{\mathrm{den}}$ で2カテゴリ $(65 \mathrm{~dB}$ 未満, $65 \mathrm{~dB}$以上),睡眠妨害の有無で2カテゴリの計 4 カテゴ Figure 3 Adjusted odds ratios of IHD for sleep disturbance リに分類し,対照群を加えた5カテゴリの変数を説明変数としたロジステイック回帰分析を行った (Table 5)。なお, $L_{\mathrm{den}}$ の分割を 4 カテゴリではなく 2カテゴリとした理由は,4カテゴリの分類とするとサンプルサイズが非常に小さい群が発生してしまうためである。分析の結果,高曝露地域で睡眠妨害を受けている住民において有意なオッズ比の上昇 $(\mathrm{OR}=2.79,95 \% \mathrm{CI}: 1.39-5.57, p=0.004)$ が検出された。他の群では統計的に有意なオッズ比の上昇はみられなかった。 ## 4. 考察 ## 4.1 騒音曝露と虚血性心疾患のリスク 本研究では 65 歳以上の男女 2,736 名を分析対象とした解析を行い, $L_{\mathrm{den}} 70 \mathrm{~dB}$ 以上の地域で統計的に有意に虚血性心疾患のリスクが高まることを示した(Figure 1, Table 3)。WHO/EU の式(WHO Regional Office for Europe, 2018)によると $L_{\mathrm{den}} 70 \mathrm{~dB}$ で虚血性心疾患の相対危険は $R R=1.14$ だが,本研究で得られたオッズ比は $\mathrm{OR}=1.95$ であり,かなり高い值となっている。ただし, 本研究での結果は信頼区間が広くなっているため, WHO/EUガイド Table 5 Adjusted odds ratios of IHD for $L_{\text {den }}$ and sleep disturbance ラインで取り上げられている研究が実施された地域(主に欧州)と比べ,日本では騒音曝露による健康影響のリスクが高いとは結論できない点には注意が必要である。また, 高齢者のみを対象とした調査である点や,比較的居住歴の長い住民が多い地域での調査結果である点などにも留意することが必要である。 同種の疫学調査を国内で行い量反応関係について知見を集め精査していくことが必要だが, 本研究で得られた結果は, 日本国内においても道路交通騒音曝露によって健康影響が生じていることを示すものである。 ## 4.2 睡眠妨害および居住年数との関連 睡眠妨害と虚血性心疾患との間に関連が確認され(Figure 3), 高曝露地域に在住し睡眠妨害を受けている住民で特にオッズ比の上昇が顕著であることが示された(Table 5)。不眠症は心血管疾患 (CVD)のリスクを増大させる要因であることが指摘されているが(Sofi et al., 2014; Bertisch et al., 2018), 本研究の結果においても道路交通騒音による睡眠妨害を介した健康影響が発現することが明らかとなった。 居住歴が長い住民において虚血性心疾患のリスクの増大が生じている一方で, 居住歴が比較的短い住民においては有病率の上昇はみられず,騒音曝露による健康影響の発現には居住年数が関連している可能性が示唆された (Table 4)。居住年数別に住民の平均年齢を比較すると, 20 年以上の住民で 75.0 歳, 20 年未満の住民で 73.9 歳と大きな差ではないが, 統計的に有意な差が認められた すると,20年以上の住民では木造住宅に居住している住民が $70.2 \%$ であるのに対し, 20 年未満の住民では $33.5 \%$ と明確な違いがみられた。 木造住宅に比べ鉄筋住宅は家屋の遮音性能が高く, 同じ屋外騒音曝露レベルであっても住居内で の騒音レベルを相対的に低く保つことが可能であり, Table 3 の分析においても家屋構造と虚血性心疾患の有病率との間に関連が示されている。そのため, 交絡要因として家屋構造の調整は行っているものの, 騒音曝露による健康影響と居住年数との関連は, 家屋構造の違いが影響したものである可能性も考えられる。また, 家屋構造が鉄筋である場合に比べ木造である場合に有病率が高くなる傾向については, 屋内外での騒音レベルの差以外にも, その他の住環境要因(温湿度や換気など)の違いや居住者の生活習慣や経済的要因の違いなどが原因として考えられる。生活習慣については, 鉄筋住宅居住者で木造住宅居住者と比べ, やや喫煙者と飲酒者が多い傾向がみられたが, 約 3\%の差であり大きな差ではなかった。しかしながら, 生活習慣や経済的要因と有病率との関連については本研究では検討できていない。また, 家屋構造と騒音曝露の交互作用などを考慮した上で量反応関係を検証することなども本研究では行えておらず,今後の課題である。 家屋構造による影響についてはさらなる検討は必要であるが, 居住年数に関する結果と睡眠妨害に関する結果をあわせて考えると, 騒音曝露地域に長期間居住し日常的に睡眠妨害を受けることが原因となり騒音曝露による健康影響が発現している可能性が考えられる。環境基準は「人の健康の保護及び生活環境の保全のうえで維持されることが望ましい基準」であるため, 騷音に係る環境基準について健康影響の視点から議論を行うにあたっては, 睡眠妨害を防止するという観点から夜間騒音の低減に特に着目することが重要であるといえる。 ## 4.3 本研究の限界と今後の課題 本研究は横断研究であり, 欧州で行われているようなコホート研究と比べるとエビデンスレベルは低い。また, 自己申告による有病率を用いてい る点や, 騷音曝露レベルを推定値としている点も課題である。 欧州では,地域のノイズマップを作成し,個人の騒音曝露量を把握する試みが進められている。 この取り組みにより,大規模コホート調査などに騒音曝露をリスクファクターとして組み达むことが可能となり,騒音曝露と健康影響に関する質の高い研究を行うことに貢献している(澤田,津金,2021)。日本国内においても,ノイズマップの作成を行い個人の騒音曝露量を詳細に把握し騒音調査に活かすことが検討されている(平栗ら, 2019)。しかしながら,現時点では利用可能なデータはなく, 本研究のように騒音レベルの実測および実測値からの推計と質問紙調査を組み合わせた横断研究を行うことが限界である。 道路交通騒音曝露レベルが高い地域は大気污染レベルも高い地域であることがほとんどであり,住民は大気污染と騒音曝露の複合影響を受けている。本研究での調査対象地域は交通量の多い幹線道路沿道であり,住民に大気污染物質による健康影響が生じている可能性が高いが,大気污染物質の影響についての調整は行っておらず,騒音曝露と健康影響との関連が大気污染物質の影響によって交絡されている可能性も考えられる。しかしながら, Héritier et al. (2019) は, 心筋梗塞の死亡リスクの増加について大気污染と騒音曝露の複合影響を検証し,大気污染物質による影響を調整した上でも騒音による死亡リスクの上昇が生じること,大気污染による健康影響は騒音による影響を調整すると低くなることを示しており,大気污染による影響を調整していないことが本研究で得られた結果に大きく影響を与える可能性は低いのではないかと考えられる。 また,振動による交絡の可能性も考えられるが, この点については本研究では考慮できていない。騒音と振動を同時にモデルに組み达むことは非常に困難であると予想されるが, 今後の疫学調査における課題である。 本研究は欧州で行われている疫学調査と比べると研究デザインの面でいくつかの課題があるが,日本国内において一定の規模で疫学調査を行い,騒音曝露による健康影響についての知見が得られた点で意義のあるものである。今後,これらの課題を改善した疫学研究を国内においても進め, 騒音曝露による健康影響に着目した調査研究を推進していくことや,日本においても健康影響を防ぐ という観点から騒音政策を議論していくことが重要であるといえる。 ## 謝辞 本研究は, 一般財団法人日本自動車研究所の提案型研究費によって実施した。また, 調査実施にご協力いただいた葛飾区の方々,質問紙調査に回答いただいた住民の万々に感謝申し上げます。 ## 参考文献 Babisch, W. (2014) Updated exposure-response relationship between road traffic noise and coronary heart diseases: A meta-analysis, Noise Health, 16(68), 1-9. doi: 10.4103/1463-1741.127847 Bai, L., Shin, S., Oiamo, T.H., Burnett, R.T., Weichenthal, S., Jerrett, M., Kwong, J.C., Copes, R., Kopp, A., and Chen, H. 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# 【特集:東日本大震災 10 年総説論文】 ## 除去土壌の最終処分のためのステークホルダー間の 協調の枠組み構築* \author{ The Establishment of a Framework for Coordination among Stakeholders \\ for the Final Disposal of Radiocesium-contaminated Soil } ## 上野 雄史** Takefumi UENO \begin{abstract} The purpose of this paper is to examine the current status and challenges to the final disposal of radiocesium-contaminated soil and to explore a theoretical framework for building shared knowledge and collaboration among a wide range of stakeholders. It is difficult to make effective solutions about the issues only by accountability from stakeholders. It is necessary to build common goals for cooperation among stakeholders. \end{abstract} Key Words: the final disposal, radiocesium-contaminated soil, coordination ## 1. はじめに 福島第一原子力発電所の事故(以下,原発事故)により発生した除去土壤は,中間貯蔵施設から30年以内に搬出し,県外で最終処分することが法律により定められている。最終処分に向けては除去土㙗の減容化,再生資材化に向けた実証実験などが進められている。一方で,県外処分の方向性については未だ見えていない。環境省は県外処分の方向性の検討を今後行うとしているものの,立地選定,合意,施設建設,輸送等を考えると残された時間は少ない。最終処分の方向性を決定するためには,保高(2019), 高畑ら (2021)が指摘するように,ステークホルダー間の合意と協調の枠組みを構築する必要がある。 本論では,最終処分に向けた現状と課題を検証するとともに,ステークホルダー間の協調のための理論的な朹組みを提示する。 また,原発事故では政府・東京電力ホールディングス(以下,東京電力 HD)の社会的責任とい う意味でのアカウンタビリティの欠如が指摘された。その反省から, 環境省は, 中間貯蔵施設情報サイトをWEB上で公開しており,施設の概要/進捗状況,除去土鎄等の輸送,安全対策/放射線等モニタリング,県外最終処分に向けた取組み/除去土壤の再生利用, 各種会議の検討状況と議事録,などの情報が提供されている。 こうした情報開示はアカウンタビリティを実効的にする一貫であり, プロセスの透明化という意味では一定の意義はある。しかしながら,それのみでは,ステークホルダー間の協調体制を構築することは困難である。そのことを本論では明らかにする。 ## 2. 研究背景・先行研究 原発事故で放出された放射性物質に関する環境回復のため除染が実施され, 大量の除去土壌が発生することとなった。除去土壌が仮置き場から中間貯蔵施設へと移動され,異物除去を実施した除  ** 静岡県立大学(University of Shizuoka) 去土壌の同施設への保管,合わせて除去土壤に対する減容技術,保管技術等の関連する実証実験が進められている。中間貯蔵・環境安全事業株式会社法(2014年11月17日成立)においては,除染等の措置に伴い生じた土壤等について,「中間貯蔵開始後 30 年以内に福島県外で最終処分を完了するために必要な措置を講ずる」ことが定められており,2045年3月12日までに同施設から全ての除去土壤を搬出し, 県外最終処分しなければならない。同事故で発生した除去土鎄の中間貯蔵施設への搬入は,帰還困難区域などを除き,2022 年3月末でほぼ終了した。現在では,除去土壤に対する減容技術の適用の検討が本格化し, 中間貯蔵施設内での分級処理の実用実験も進んでいる。 環境省 (2016)の中では, 除去土壤等の減容・再生利用技術開発戦略が今後の工程も含めて示されている。中間貯蔵施設から福島県外への最終処分までの流圠ついては,環境省(2014)の中で,次の8つのステップで進めていくことが示されている。ステップ1:国内外の研究・技術開発の動向の把握, ステップ2: 今後の研究・技術開発の方向性検討等, ステップ3: 研究・技術開発の推進等, ステップ 4 : 減容化・再生資源等の可能性を踏まえた最終処分の方向性の検討, そしてステップ5 以降で, 最終処分地に係る調査検討, 調査等, という形になっている。 環境省 (2016) は最終処分に向けた課題として, (1) 最終処分必要量を低減しつつ, (2) 中間貯蔵除去土壌等の減容・再生利用に関する技術開発を行い, (3) 県外への最終処分を受け入れ可能な理解醕成という 3 つ課題解決が必要になる, としている。 (1)と (2)については, 飯舘村長泥地区で農地造成に污染土を再生利用する実証事業が, 南相馬では東部仮置場内に保管されている市内小高区東部の除染で発生した土壤を用いた再生資材化実証試験及び試験盛土が, それぞれ施行されている。先行研究に扔いては, 技術的な観点での研究が進められ,その成果も明らかにされている。例えば,万福 (2019) は, 除去土鎄減容方法として考えられる熱処理がもたらす影響について検討しており,熱処理は多くの土壤タイプに適用が可能であり, 除染率 $90 \sim 99.9 \%$, 減容率 $1 \sim 10 \%$ と極めて効率が良く, クリアランスレベル以下を達成できる方法であるとしつつ, (1)コストの縮減, (2)浄化物の利用先の確保, (3)用途に応じた土木材料とし ての品質確保などの解決しなければならない課題を明らかにしている。 こうした実証実験等の進捗状況と結果についても中間貯蔵施設情報サイトに公開されている。また,(3)の県外への最終処分に向けた動きとしては, 現在, 再生利用や最終処分に対する全国的な理解を得ることを目的として, 関係各者間での情報共有, 相互理解を進めつつ, 普及啓発活動が行われている。 県外最終処分に向けては, 基盤技術開発を進めることが必要であり, 合わせて, 再生利用や最終処分を受け入れる地域の理解を得る取組みを行っていくことが欠かせない。しかしながら,受け入れに関する理解を得ることは容易ではないことも明らかになってきている。その課題について保高 (2019)は, 環境省のコミュニケーション推進チー ムの調査の一環として2018年に実施されたWEB アンケートの結果に基づき, その内容を紹介, 分析している。その結果に基づく私見として, 幅広いステークホルダーをパートナーとして迎え入れる, 事業の意義と価値観の多様性を理解する, 文書化を含めた手続きの公平性・公正性を確保するための仕組みの構築, ステークホルダー間の共有知の構築,ステークホルダー間で対話がしやすい環境を用意する,などの必要性を上げている。 また高畑ら (2021)は, 福島県は, 除染実施区域外で発生した放射性物質含有土に土壌洗浄工法を適用した試行的プロジェクトを実施し, 減容化が可能なことを示しているにも関わらず,放射性物質含有土を生活空間で取り扱うことについては様々な議論(異論)が生じていることを明らかにしている。放射性物質含有土の移動・集積は, その濃度に関係なく, 受入地域のリスク負担が大きく, その地域が享受できる便益が必要であり, 地域性を再生資材基準へ反映できる法制度上の裁量を地域に付与し, 処理主体を跨ぐ広域的な集約処理等も選択肢として検討する必要等が示されている。 これらの先行研究からは, 幅広いステークホルダーを参入させ,プロセスを明示化するとともに, 関係者間で有している知識を共有しつつ, 対話できる環境を整備し, 受け入れ可能な便益を明示する必要性が示唆されている。 最終処分に向けては, 除去土壤の減容・再生利用に関する技術開発は進んでいる。その一方で,最終処分の具体的な方向性について, 環境省 (2019)の中では,「最終処分の対象となる土壤等の性状, 放射能濃度, 処分量等について精緻化を進め,最終処分の方式に係る検討を行うとともに,最終処分場の構造や必要面積等に係る選択肢を検討する」としつつ,具体的な提案までには踏み达んでいない。 最終処分に向けては,社会受容性評価とステー クホルダー間で合意形成フレームワークの構築は進んでいないのが現状である。 政府が主導して行っている取組みに対しては,社会的責任という意味でのアカウンタビリティが問われることが多い。現に, 污染土壌の一連のプロセスにおいても情報開示が徹底されているのはその一環である。政府はアカウンタビリティを果たすべく各種情報開示を積極的に行っているものの,合意形成のフレームワークを形成するまでに至っていないのは何故であろうか。次節では除去土壌に関連するアカウンタビリティとステークホルダーの関係性について整理する。 ## 3. アカウンタビリティとステークホルダー まずはアカウンタビリティの基本的な概念について整理する。アカウンタビリティは日本語では会計, 説明責任とも訳されるが,何らかの責任を負っている事柄について説明, 開示, 履行の義務を負っていることを意味しており,説明責任という範疇には留まらない。一方,ステークホルダー は,特定の組織,事柄,活動に関して,直接,間接的な関わりを有するグループ,個人である。 中間貯蔵施設ならびに除去土壤の最終処分に関連するアカウンタビリティとステークホルダーを整理すると,直接的にこの事項に対して主体的に行う義務を負っているアクター(行為者)は政府および関連省庁,関係機関であり,求償に対する責任を負っているのは東京電力 HDである。 Figure 1 は中間貯蔵施設のアカウンタビリティの構造を示している。法律,方針を決定しているのが政府(国)であり,その方針に従う形で,環境省が中間貯蔵施設の実質的な方針の立案管理,運営, 情報発信を行い, JESCO(中間貯蔵・環境安全事業株式会社)が,国から委託を受ける形で中間貯蔵施設の整備や管理運営, 除去土壤等の輸送を行っている。なお, JESCO の監督官庁は環境省であり, 中間貯蔵・環境安全事業株式会社法に基づき, 中間貯蔵事業と, 旧日本環境安全事業株式会社の PCB(ポリ塩化ビフェニル)廃棄物処中間貯蔵施設の管理, 運営 Figure 1 Structure of Accountability about the Interim Storage Facility 理事業を行う国の全額出資により設立された特殊会社である。一方で, 原子力損害賠償 - 廃炉等支援機構は, 官民共同出資で設立された, 原子力損害賠償 - 廃炉等支援機構法(以下, 機構法)に基づいて設立した法人であり, 同法人が東京電力 HDの $50.11 \%$ の株式を保有している。中間貯蔵施設費用相当分については, 機構法第 68 条に基づく資金交付が行われ,財源はエネルギー施策の中で追加的・安定的に確保することとなっており, 電気料金に上乗せしている電源開発促進税(電促税)から 30 年間をメドに支払う。 また機構が保有する東京電力 HDの株式を, 将来的には株式価値を向上させた時点で売却を行い, その売却益で除染費用等に充てることとなっている。費用面でのアカウンタビリティについては東京電力 HDが負い, 中間貯蔵施設の管理運営, 除去土塎の運搬, 最終処分に向けての諸手続きについては国及び関連省庁が負う,という構造である。 一方で,除去土壌に関する中間貯蔵施設および最終処分に向けた直接的なステークホルダーとして想定されているのは, 地域住民や団体, 自治体等である。最終処分に向けて,地域を跨いだ除去土壤の移動が必要になれば,受け入れ地域ごとの合意形成を得ることが必要であり,そのためにも全国的な理解を得るための取組みが欠かせない。 しかしながら,国・関係省庁(特に環境省)が啓発活動を行っているものの, 同事業の理解度はいまだに低い。 環境省が実施した除去土壤の再生利用に関する現状の関心や認知度等に関するWEBアンケート (令和3年 2 月 2 日付公開,令和 2 年 10 月 1 日 18 日実施:以下,環境省調査2020)では,除去土の30年以内での県外での最終処分が法律で定められているということの認知度は福島県内 $50.3 \%$ であるのに対して,福島県以外では $19.2 \%$ と極めて差が大きい。さらに, 除去土壤の再生利用についての認知度は福島県においても $37.8 \%$ と低い (福島県以外ではさらに低く $13.5 \%$ 倍ある)。「除去土壌の再生利用は安全だと思いますか。」の回答に対しては,「そう思う,どちらかといえばそう思う」を合わせた回答は福島県で $20.7 \%$ ,福島県外 $12.5 \%$ とっている。さらに, 自身の地域での再生利用について,「良いと思う, どちらかといえば,良いと思う」は福島県内 $24.1 \%$ ,県外は 17.6\%となっている。再生利用を進めるための条件については,「安全性の担保」を第一に,「情報公開」「再生利用の必要性の十分な説明」を求める回答の割合が高くなっている。 県外での最終処分に向けては, 除去土壤の他の地域での受入れ,ならびに再生利用促進が必要になり,ステークホルダー(地域住民,地方自治体等)における合意形成が必要になるものの, 最終処分に関連する認知度そのものが高いとは言えず,また除去土壤の受入れ,再生利用に対して前向きな回答を得られているとは言い難い。次節では,情報発信,啓発活動を行っているにも関わらず,そもそもの理解度,認知度がなぜ深まらないのかについてアカウンタビリティの限界性の観点から明らかにしていく。 ## 4. アカウンタビリティの限界性 環境省は再生利用等に関する情報発信を随時積極的に行い, 現在進めている除去土壌の実証事業についても,モニタリングのデータを適時公開している。具体的には,除去土壌の再生利用等に関する活動等の情報を発信し除去土壤の再生利用実証事業等の成果を環境省ホームページや広報誌等で発信している。また飯舘村長泥地区の実証事業等の環境再生事業の現場の状況をウェブで確認できる「福島環境再生 $360^{\circ}$ バーチャルッアー」を作成し, 情報発信している。さらに「中間貯蔵除去土壤等の減容・再生利用技術開発戦略検討会」及び同検討会の下に設置された各ワーキンググループについては, オンラインでのライブ配信を行っている。そして, こうした再生利用の理解醇成活動の一環としてのシンポジウムの実施,マス コミを通じた情報発信,環境省(HP,広報資料,環境大臣ブログ)を通じた情報発信も行っている。 しかしながら, 環境省調査2020においても前回調査とほとんど傾向は変わっておらず,ステー クホルダー間での合意形成を行っていくためには情報発信のみでは限界があると考えられる。 アカウンタビリティ,つまり説明責任を果たすという意味合いにおいて環境省および関係各所は積極的に情報発信を行っているものの,ステークホルダーが,当事者意識が希薄で,関係すること (自分事) として捉えていない可能性がある。アカウンタビリティは必要であるものの, それだけではステークホルダーと問題意識を共有し, 合意形成に結び付けていくことは容易ではない。 除去土壤に限らず,原発事故に関連した情報については, 政府は情報提供, 透明性の確保がステークホルダーから求められている。そのことはアカウンタビリティの必要性からは正統化されうるものの, その要求は時にエスカレーションし,個人・組織に倫理的な問題が生じる。いわゆる Butler (2005)が言うところの倫理的暴力 (ethical violence)である。倫理的な暴力は, 過大に他者に正当性を要求することを通じて起こりうる。 Messer (2009)はアカウンタビリティが求められる個人・組織にとって倫理的に問題が生じる可能性があることを指摘している。Roberts (2009)は同じく「透明性の限界」について指摘し, アカウンタビリティの一環として求められる透明性の妥当性は,「自分にも他人にも完全に透明な自己という理想は不可能である」と指摘し, その限界性を認識すべきであると述べている。 またMessner(2009)は,「不可視-可視性」の関係性を明らかにしている。説明を要求する行為者は通常不可視(実態が見えない)のままであり,一方,説明をする行為者は可視化され,コントロールされていると感じられる。 このことを具体的なケースで明らかにしたのは Frey-Heger and Barrett (2021)である。Frey-Heger and Barrett (2021)は, ルワンダの難民危機のケー ススタディとヒアリング調査に基づき, アカウンタビリティがもたらす影響を検証している。アカウンタビリティは, 当初, 他者を正当な存在であり, 支援を受ける権利があると認識する方法を提示する。被支援者が援助者に対してアカウンタビリティを長期間求め続けると,依存関係が強ま り,従属・非従属関係に陥ることを指摘している。 特定の出来事や行動に対して誰かがアカウンタビリティを負うことは,その人物や組織を正当化し,責任を負うべきものであるという期待を抱かされることになる(Cooper and Owen, 2007)。除去土壌に関連するアカウンタビリティを政府が負っていることは言うまでもない。しかしながら,過大なアカウンタビリティはステークホルダー間との関係性構築においては,「やってもらって当たり前」という従属・非従属関係を生じさせる弊害もあることに留意する必要がある。 ## 5. 合意形成フレームワークの構築に向けて アカウンタビリティを果たしていくことは必要 であるものの,それのみでは周辺地域の将来デザ イン利用に向けた社会受容性評価とステークホル ダー間で合意形成フレームワークを構築すること は難しい。その課題については保高(2019)で明ら かにされたように,幅広いステークホルダー間で の共有知の構築,対話の環境の整備であろう。 解決不可能と思われる課題に対して,ステークホルダーで協同していくことの有用性を説いたのはDesai(2018)である。共通の目標を共有し,ステークホルダー間で緊密なコラボレーションをするためには, 問題解決に関連する情報を参加者と共有する機会が提供され,透明性の高い取り決め (ルール)によって,ステークホルダーが,その事柄を積極的に観察し,その実践の正当性や適切性を評価できることが必要であり,それにより,関連情報を共有するモチベーションが高まる。 Desai(2018)は,コミュニテイポリスの活用による犯罪率の低下を事例にそのことを示している。 ただし,一部の利害関係者が組織の不適切な行為に対する責任を追及できる権限を持っていた場合や, 以前から何らかの問題行為が発生している場合, 問題解決のためのコラボレーションの力は抑制される。このことは,ステークホルダー間で対等性・公正性を担保するための仕組みが必要なことを示唆しており,特定のステークホルダーが優位な立場にいることは問題解決に向けた協同を妨げることに繋がる。 最終処分に向けた取組みに打いて全国民的な理解醕成のために情報発信, 啓発活動を継続的に行っていくことは必要であるものの, それのみでステークホルダー間で合意形成フレームワークを構築することは難しい。まず,ステークホルダー 間を強く結びつけるための共通の目標を構築することが必要である。異なる世代,地域の中で,その共通の目標をどのような形で構築していくのかが問われている。 ## 謝辞 本研究はJSPS 科研費 $18 \mathrm{H} 04141$ の助成を受けたものです。 ## 参考文献 Butler, J. 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# リスク学研究 32(1): 5-10 (2022) Japanese Journal of Risk Analysis doi: 10.11447/jjra.S-22-003 【特集:東日本大震災 10 年総説論文】 # 除去土壌の県外最終処分に係る制度設計とリスク学的考察* Legal and Risk Perspective for the Final Disposal of Decontaminated Soil Outside of Fukushima Prefecture } 粟谷しのぶ*****,保高 徹生*** Shinobu AWAYA and Tetsuo YASUTAKA \begin{abstract} The 13 million square meters of removed soil generated after the accident of the Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant of Tokyo Electric Power Company (TEPCO) is being delivered to interim storage facilities. While progress is being made in reducing the volume and recycling the removed soil, the final disposal of the soil has only been decided to be outside of Fukushima Prefecture by 2045, and no consensus building process or final disposal site location has been decided. In this paper, the issues for the final disposal of removed soil outside of Fukushima Prefecture are re-examined from a legal perspective and from a risk study perspective. \end{abstract} Key Words: Decontamination, Final disposal of the decontaminated soil, legal perspective ## 1. はじめに 東京電力福島第一原子力発電所事故(以下「原発事故」という)の発生から2022年3月で11年が経過した。しかしながら,原発事故により発生した廃棄物や除去土壌の最終処分の方法及び最終処分地は未だ具体化されていない。 原発事故により環境中に放出された放射能に污染された物質については,2011年8月に「平成二十三年三月十一日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う原子力発電所の事故により放出された放射性物質による環境の污染への対処に関する特別措置法」(平成 23 年法律第 110 号, 以下「特措法」という)が施行され, 同法に基づく処理が行われてきた。特措法は,原発事故により原子力発電所から放出された放射性物質による環境污染が人の健康や生活環境に及ぼす影響を速やかに低減することを目的とし,放射能に污染された廃棄物 や土壌等の除染について国,自治体及び関係原子力事業者の責務を定めたものである。すなわち,特措法が第一に目指したものは,放射能に污染された生活環境の早期除染であり,他方,放射能に污染された廃棄物や除去土壤を最終的にどこでどのように処分するかについては今後の検討課題として残された。 2022年7月時点において指定廃棄物と除去土壤のいずれもその最終処分地は決まっていない。とりわけ除去土壤は, 中間貯蔵開始後 30 年以内に福島県外で最終処分を完了することが2012年に閣議決定されている(復興庁,2012)。2014年に改正された「中間貯蔵・環境安全事業株式会社法」(平成 15 年法律第 44 号, 以下「JESCO 法」 という)にも,中間貯蔵開始後 30 年以内に福島県外で最終処分を完了するために必要な措置を国が講ずることが明記されている (3 条2項)。福島  県内で発生した除去土壤の中間貯蔵施設での一時保管は2015年から始まっているため, 最終処分完了の期限は2045年ということになる。 除去土壤の総量は約 1,335 万 $\mathrm{m}^{3}$ に及ぶと言われており,まずは2045年までに福島県外で最終処分を完了することを政策目標として除去土壤の最終処分を議論していく必要がある。手続的公正のために除去土壌の最終処分への認知と合意形成が必要であることは言うまでもない(保高,2019)。他方で, 除去土壌には濃度基準がないという処分方法の課題もある。一般的な重金属等による土壤污染に対しては,土堙污染対策法や農用地の土壌の污染防止等に関する法律において濃度基準が定められており,基準以下であれば非污染の「土壤」として管理が不要となる。これに対し除去土壌は, 特措法 2 条 4 項の定義に該当する土壤であれば,法律上,その濃度によらずすべからく県外最終処分の対象となる。 本稿は, 除去土壌の県外最終処分について, 特措法その他の関連法令及びリスクの観点から整理し, 除去土壌の最終処分に係る議論の土台を提供することを目的とする。 ## 2. 除去土壌の法的位置づけ 特措法は,廃棄物と土壤を区別している。まず,廃棄物は「ごみ,粗大ごみ,燃え殼,污泥, ふん尿, 廃油, 廃酸, 廃アルカリ, 動物の死体その他の污物又は不要物であって, 固形状又は液状のもの(土壤を除く)」と定義されている(2条2 項)。この定義は有用性の観点から廃棄物概念をとらえるものであり, この点では廃棄物の処理及び清掃に関する法律(昭和 45 年法律第 137 号, 以下「廃掃法」という)における廃棄物の定義と同様である。有用性の判断について, 最高裁(1999) は「『不要物』とは, 自ら利用し又は他人に有償で譲渡することができないために事業者にとって不要になったものをいい,これに該当するか否かは, その物の性状, 排出の状況, 通常の取扱い形態, 取引価値の有無及び事業者の意思等を総合的に勘案して決する」と判示し, 占有者意思と客観的事情を総合考慮する基準を示している(田村, 2011)。この最高裁判所の判決を基礎として, 2000 年の厚生省通知では「社会通念上合理的に認定しうる占有者の意思を判断する」という指針が示されている (厚生省, 2000)。さらに,2000 年の循環型社会形成推進基本法(平成 12 年法律 110 号)制定以降は,環境負荷を低減するために再利用や再資源化を推進して最終処分すべき廃棄物を可能な限り削減するという施策が明確化され,物質循環の輪からはずれたものを廃棄物ととらえるようになっている(大塚,2013)。 他方, 特措法 2 条 2 項の廃棄物の定義から「土壤」は除外されている。特措法では, 除去特別地域や除染実施区域に係る土壤等の除染等の措置に伴い生じた土壌を「除去土滾」と定義し(2 条4 項),土壌のほか,草木,落葉,污泥といった自然物をその対象に含めている (2 条3 項)。 ## 3. 除去土壌の処分方法 除去土壌の処分について論ずる前に, 原発事故により発生した廃棄物の処理についてまず整理しておく。廃棄物の処理は, その放射能濃度によって処理方法が区別される。セシウム 134 及びセシウム 137 の放射能濃度が $8,000 \mathrm{~Bq} / \mathrm{kg}$ を超えるものは, 特措法に基づき環境大臣により特別な管理が必要な廃畗物として指定され (法17条, 18 条,同規則 14 条,いわゆる「指定廃棄物」),さらに $100,000 \mathrm{~Bq} / \mathrm{kg}$ 以下のものは管理型処分場での焼却処分, $100,000 \mathrm{~Bq} / \mathrm{kg}$ を超えるものは遮断型構造の処分場での埋立処分という処分方法が定められている (規則 25 条, 26 条)。また, 指定廃棄物は,国が処分義務を負うことが特措法上明確になっている (法19条)。最終処分については, 特措法7条に基づき 2015 年 11 月に閣議決定された基本方針により,指定廃棄物が排出された各都道府県内で最終処分することが決まっている(環境省, 2015)。 2022 年 3 月末時点での指定廃棄物は合計 397,015t となっており (環境省, 2022b), 福島県外で 2021 年 3 月末時点に現場保管又は仮置場保管されている廃棄物量は合計 $142,746 \mathrm{~m}^{3}$ である(環境省, 2021)。いずれの自治体においても最終処分場の選定は難航している(中村,倪,2016)。廃棄物の一時保管の長期化が問題となる中, 那須塩原市は 2021 年 12 月から指定廃棄物の暫定集約を開始し, 2022 年 1 月から $8,000 \mathrm{~Bq} / \mathrm{kg}$ 以下のものを指定解除して焼却処分する取組を始めている (下野新聞, 2021)。 他方, 除去土壤については, 特措法上, 除去土壤を収集, 運搬, 保管又は処分する者が, その収集, 運搬, 保管又は処分を行うこととなっている (法41 条)。除染後に発生した除去土壌は仮置場 や除染作業を行った現場に一時保管される(法 39 条)。除去土壤のうち, 福島県内で発生したものは,JESCO法に基づき,国が,中間貯蔵・環境安全事業株式会社(以下「JESCO」という)に中間貯蔵を委託し, JESCOが中間貯蔵施設に除去土壌を搬入して土壌貯蔵施設に保管する。福島県外のものは,除染を実施した都道府県や市町村の管理のもと, 最終処分場が決定するまで仮置場または現場に保管されることとなっている(法 39 条 5 項等)。このように, 除染によって発生した土壤は,除去土壤として国や自治体により保管されている全ての土壤が,法律上はその濃度によらず県外最終処分の対象となる。 環境省の公表データによれば,福島県内で発生した除去土鎄依 2022 年 3 月末日時点で約 $96 \%$ の輸送が完了し,帰還困難区域を除く約 1,193 万 $\mathrm{m}^{3}$ が中間貯蔵施設に搬入された(環境省,2022a)。他方,福島県外で発生した除去土壌は,2021年 3 月末時点で $311,572 \mathrm{~m}^{3}$ が現場保管, $17,794 \mathrm{~m}^{3}$ が仮置場保管となっている(環境省,2021)。 前述のとおり,国は,中間貯蔵施設への搬入開始後 30 年以内に福島県外で最終処分することを閣議決定している。2015 年2月 25 日に環境省,福島県,大熊町,双葉町の四者が締結した「中間貯蔵施設の周辺地域の安全確保等に関する協定書」にも,「中間貯蔵・環境安全事業株式会社法 3 条 2 項の規定に基づき, 中間貯蔵開始後 30 年以内に,福島県外で最終処分を完了するために必要な措置を講ずるものとする」と明記されている (福島県, 2016)。国は, 中間貯蔵施設の全体面積 (約 1,600 ha)のうちの約 $79 \%$ が民有地であり国による買取を選択せず,地上権の設定をした場合には,将来的にその民有地を地権者に返還しなければならないという合意がなされているものと考えられる(用地契約の正確な内容は国と地権者との契約書等を確認する必要がある)。特措法上,除去土壌の処分基準は,飛散防止措置等を講じ, 7 日に一回以上放射線量を測定,記録を管理することとなっているのみである(規則 58 条の2)。廃棄物と異なり,除去土壤の処分については,放射能濃度を区別した処分方法も決まっていない。 ## 4. 除去土壌のリスクと濃度基準 ここでは,除去土噥に対してリスク学的視点から論考を進める。まず,放射性物質について現時点で定められている濃度基準を見ていく(Table 1 参照)。核原料物質,核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律(昭和 32 年法律第 166 号)は,原子力発電所の運転等で発生する放射性廃棄物のうち,人の健康に対する影響を無視できるレべル (クリアランスレベル)を年間 0.01 ミリシーベルトとして,放射性セシウムの濃度基準を $100 \mathrm{~Bq} /$ $\mathrm{kg}$ に設定している。また,環境省は,2016年に 「再生資材化した除去土壌の安全な利用に係る基本的考え方について」を公表し,安全性評価に基づき除去土壌を用途ごとの再生資材として利用する場合には, 10~100 cm 以上の被覆等を施すことを前提として,4,000~8,000 Bq/kgの濃度基準の除去土壌を利用可能としている。これは,再生利用に係る周辺住民・施設利用者及び作業者の追 Table 1 Concentration Standards for Radioactive Cesium in Soil, etc & & 原子炉等規制法 \\ 加被ばく線量が年間 1 ミリシーベルトを超えないようにすること,さらに再生資材を使用した施設を供用する際にも周辺住民・施設利用者に対する追加的な被ばく線量が年間 0.01 ミリシーベルト以下になるように適切な遮へい厚を確保する等の措置を講じることで,用途ごとの再生資材として利用可能な放射能濃度を設定したものである(土壌中の放射性セシウムからの被ばくは,主に外部被ばくに起因するため,外部被ばくを低減する遮蔽が有効となる。)。 これらの濃度基準を整理すると,大きく分類して,人の健康に対する影響を無視することができ管理不要な濃度基準(クリアランスレベル)として $100 \mathrm{~Bq} / \mathrm{kg}$ が存在し, 追加被ばく線量を考慮して一定の管理下で再利用することが可能な濃度基準として $4,000 \sim 8,000 \mathrm{~Bq} / \mathrm{kg}$ が存在するといえる。 では, 現行濃度基準を前提として, 中間貯蔵施設等に保管された除去土壌のリスクと最終処分のあり方をいかに考えるべきか。中間貯蔵施設に保管される除去土壤中の放射性セシウム濃度は, 2018年 10 月末の時点において $3000 \mathrm{~Bq} / \mathrm{kg}$ 以下の割合が $50 \% を$ 超えていた(Table 2参照)。これらの土壤は 100 年 150 年後にはその半減期により $100 \mathrm{~Bq} / \mathrm{kg}$ 以下となり, 人の健康に対する影響を無視することのできる土塆と解することが可能となる。また,先に述べたととおり,現時点でも $8,000 \mathrm{~Bq} / \mathrm{kg}$ 以下の土壌は一定の被覆や遮へい厚の確保等の措置によって安全に利用可能であるとするのが環境省の基本的な考え方である。 ## 5. 除去土滾の最終処分に向けて 除去土壤を2045年までに県外に最終処分するという閣議決定を文字通りに実現するためには, Table 2 Radioactive cesium concentration in removed soil stored in intermediate storage facilities and its half-life (Ministry of the Environment, 2019) \\ 約 1,335 万 $\mathrm{m}^{3}$ に及ぶ除去土壌を搬入する土地を福島県外に確保することが必要となる。しかし, 前述のと打り, 指定廃棄物の最終処分地も選定されていない状況下にあって, 除去土壤の最終処分地選定の議論は未だ見通しが立っていない。 他方,特措法が定める除去土壌の処分基準は, その濃度にかかわらず飛散防止措置等を講じることしか規定がなく, 濃度に応じたリスク管理の観点が不足している。また, 実際に減容化等を適用した場合に浄化土壤がクリアランスレベル以下になったとしても,その対応が明記された文書はない。除去土壌の再生利用には, 土地利用等の用途,すなわちリスクに応じた濃度基準が設定されている。除去土壌自体の多くは100~190年後までにはクリアランスレベル以下になること,さらに土地利用に応じたリスク評価体系も確立していることも踏まえ, 最終処分と当該地の利活用を含めた新たな視点を持つことも重要だと考える。 2021 年 3 月 26 日に閣議決定された福島復興再生基本方針においても,その内容は最終処分量の減量を目的とした除去土壤の減容や再生利用に主軸が置かれている。しかし,いかに減容化を図っても,(濃度基準がないために)減らすことのできない除去土壌の最終処分をどうするのか, リスク学の視点と制度設計の視点から, 約 20 年後に来る除去土壤の最終処分という課題と正面から向き合うことが必要である。そのためには, 除去土壤が土壤であるということを認識し,污染による人の健康に係る被害を防止するという土対法の基本を参考にしつつ, 土地利用に応じたリスク評価に基づく濃度基準の概念, 放射性セシウムの濃度減衰を踏まえた合理的污染対策, そして最終処分地の利活用を含めた制度の再設計が必要であろう。 なお, 本稿では, 除去土壌を福島県外で最終処分するという政策を起点とし, その政策実現のための検討を制度設計とリスクの観点から行った。 しかしながら,その起点の源流を遡り,政策そのものの正当性を問うことも本来は必要である。県外最終処分の政策は,2011年10月に環境省が公表した「東京電力福島第一原子力発電所事故に伴う放射性物質による環境污染の対処において必要な中間貯蔵施設等の基本的考え方について」に既に現れていた。しかし,その政策決定に至るまでに比例原則 (目的及び手段の正当性 - 被侵害利益の比較考量)に則った考慮が適切になされたのか は明らかではない。2012年の第180回国会答弁でも, 当時の野田佳彦内閣総理大臣は,福島県住民への過重な負担を踏まえて総合的に判断した結果としか説明していない(衆議院,2012)。県外最終処分に対して最終処分候補地となる福島県外住民を含めた利害関係者への受容を求めるのであれば,その県外最終処分に関する政策の正当性や決定プロセスに関する説明も必要であろう。 ## 謝辞 本研究の一部は, (独)環境再生保全機構の環境研究総合推進費(JPMEERF22S20930) により実施した。 ## 参考文献 Fukushima Prefecture (2016) Agreement on the safety management of surrounding areas of the Interim Storage Facility. https://www.pref.fukushima.lg.jp/ site/portal/sankosiryo.html (Access: 2022, July, 20) (in Japanese) 福島県 (2016) 中間貯蔵施設の周辺地域の安全確保等に関する協定書, https://www.pref.fukushima. lg.jp/site/portal/sankosiryo.html(アクセス日:2022 年7月20日) Ministry of the Environment (2015) Act on Special Measures concerning the Handling of Environment Pollution by Radioactive Materials Discharged by the NPS Accident Associated with the Tohoku District-Off the Pacific Ocean Earthquake That Occurred on March 11, 2011, Basic Principles. http:// shiteihaiki.env.go.jp/radiological_contaminated waste/designated_waste/ (Access: 2022, March, 18) (in Japanese) 環境省 (2015) 平成二十三年三月十一日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う原子力発電所の事故により放出された放射性物質による環境の污染への対処に関する特別措置法基本方針, http://shiteihaiki.env.go.jp/radiological_contaminated waste/designated waste/(アクセス日:2022 年 3 月 18 日) Ministry of the Environment (2019) Interim Storage Facility for Removed Soil etc., http://josen.env. go.jp/material/pdf/dojyou_cyuukan.pdf (Access: 2022, March, 18) (in Japanese) 環境省 (2019) 除去土壤などの中間貯蔵施設につ ぃ $\tau$, http://josen.env.go.jp/material/pdf/dojyou cyuukan.pdf(アクセス日:2022年3月18日) Ministry of the Environment (2021) Number of storage sites and amount of stored removed soil etc. in the Intensive Contamination Survey Area (outside of Fukushima Prefecture) [as of end of March, 2021], http://josen.env.go.jp/zone/pdf/removing_ soil_storage_amount_r03_03.pdf (Access: 2022, July, 20) (in Japanese) 環境省 (2021) 污染状況重点調査地域(福島県外) における保管場所の箇所数及び除去土壌等の保管量[R3.3末現在]http://josen.env.go.jp/zone/ pdf/removing_soil_storage_amount_r03_03.pdf( $ア$ クセス日:2022年7月20日) Ministry of the Environment (2022a) Status of Delivery of Removed Soil, etc. (except from areas where returning is difficult) as of end of March, 2021, https://www.env.go.jp/press/110874.html (Access: 2022, July, 20) (in Japanese) 環境省 (2022a) 令和 3 年度末における除去土壌等 (帰還困難区域を除く)の輸送状況について, https://www.env.go.jp/press/110874.html(アクセス日:2022年7月20日) Ministry of the Environment (2022b) Total amount of designated waste [as of end of March, 2022], http:// shiteihaiki.env.go.jp/radiological_contaminated waste/designated_waste/ (Access: 2022, July, 20) (in Japanese) 環境省 (2022b) 指定廃棄物の数量(令和 4 年 3 月 31 日時点), http://shiteihaiki.env.go.jp/radiological contaminated_waste/designated_waste/(アクセス日:2022年7月20日) Ministry of Health and Welfare (2000) Appropriate disposal of used tires piled up in the field, Notification by Director, Environmental Improvement Division, Water Supply and Environment Department, Public Hygiene Bureau, Ministry of Health and Welfare, 2000, Eikan Vol. 65. 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# 【資料論文】 ## 福島県伊達市における空間線量率の観測データを用いた 長期被ばく線量の推定* \author{ Estimation of Long-Time Radiation Doses by Measuring Ambient \\ Dose Equivalent Rates in Date City, Fukushima Prefecture } \author{ 藤長愛一郎**, 村山留美子***, 岸川洋紀****, 内山巖雄***** \\ 菅野幸雄******,島田久也******,引地勲****** } ## Aiichiro FUJINAGA, Rumiko MURAYAMA, Hiroki KISHIKAWA, Iwao UCHIYAMA, Yukio SUGENO, Hisaya SHIMADA and Isao HIKICHI \begin{abstract} Date City in Fukushima prefecture has manually measured ambient dose equivalent rates after the Fukushima Nuclear Power Plant accident on March 11, 2011. The purpose of this study is to estimate long-time radiation doses by measuring ambient dose equivalent rates. In order to estimate the dose equivalent rates, mathematical models were used. The model consists of fast and slow weathering components (two-component), and radioactive decays of ${ }^{134} \mathrm{Cs}$ and ${ }^{137} \mathrm{Cs}$. And after the decontamination, the dose rate was calculated by a onecomponent model. As a result, the half-lives of component 1 and component 2 at the sites were $1.2 \times 10^{-2}-7.5 \times 10^{-2}$ years and 1.2-3.1 years, respectively. The values of component 2 were about two orders of magnitude larger than those of component 1. Furthermore, the half-lives of the one-component model after decontamination were 2.7-7.2 years, which were bigger than those of the component 1 . The extra radiation dose for 50 years was estimated as approximately $85 \mathrm{mSv}$ at the site of the maximum initial ambient dose equivalent rate and less than $40 \mathrm{mSv}$ at other 14 sites. More than $80 \%$ of the extra radiation doses were integrated within 10 years after the accident. \end{abstract} Key Words: Fukushima Prefecture, monitoring, ambient dose equivalent rate, mathematical model, long-time radiation dose ## 1.はじめに 2011 年 3 月 11 日に起こった福島第一原子力発電所(以下,「福島第一原発」という)の事故によって,放射性物質が広く拡散した。事故の時点 において,既に緊急時を含めた「環境放射線のモニタリング指針」が設定されていた(原子力安全委員会, 2008)。しかし, 現在設定されている様な広域での環境放射線モニタリング体制(原子力  規制庁,2014)は,整備されていなかった。そのような状況の中,福島県は3月17日より,県内の代表的な地点の空間線量率の測定を始めた(福島県,2011)。また,3月末には福島第一原発周辺 $30 \mathrm{~km}$ 圈外を対象とした, 研究者チームによる自動車を使った測定も行われた(今中ら,2011; Imanaka et al., 2012)。さらに4月に入ると, 文部科学省は福島県一帯の空間線量率の航空機による測定を開始した(鳥居ら,2012)。 一方で, 自分達の生活している場所を測定してほしいという要望が,住民の間に事故当初よりあった(藤長ら,2017)。しかし, 地方自治体においても測定器が入手できない状況であり, 事故直後は住民の居住地域周辺での測定が進まなかった。 今回の対象地域である福島県伊達市では, 原発事故約 2 週間後に可搬型サーベイメータを入手し, 公共的な場所, 数力所での測定を始めた。住居地区については,2011年7月16日から我々 NPO 法人環境ワーキンググループ伊達(以後,「環境WG伊達」という)が市から受託した測定を開始し,2012年5月より測定地点を 19 地点に増やして,2021年7月16日まで測定を実施した (伊達市,2020; 環境WG伊達, 2021)。また, 伊達市では2012年4月から, リアルタイムでの測定が可能なモニタリングポストなどが, 学校や公園に88台, その他の場所に 15 台設置された(伊達市, 2014)。 可搬型サーベイメータによる測定は,モニタリングポストによる測定に比べ,毎回,運搬して測定する必要があるが, 検出器周辺の污染や温度変化の影響を受けにくく, 測定条件が明確であることが利点として挙げられている(三枝ら,2017)。 また,可搬型サーベイメータで住民の住居地区を測定しているため, モニタリングポストが設置された後も可搬型サーベイメータによる測定は継続された。 今後は, 空間線量率の測定の継続に加えて, 得られたデータを利用して,長期的な放射線による健康影響を評価することが課題となると考えられる。そこで,この研究の目的は,空間線量率の変化を予測する数理モデルを作成し,将来や事故直後の空間線量率を予測して, 長期被ばく線量を推定することである。 数理モデルについては,Galeら(1964)による先行研究があり, ${ }^{137} \mathrm{Cs}$ を用いた空間線量率の変化は, ${ }^{137} \mathrm{Cs}$ の放射性減衰と風雨にさらされて起こるウェザリング (風化) が原因で, 低減速度が大きい成分と小さい成分の 2 こに分けられ, この 2 成分の指数関数を用いた式で表せるとされている。また, この数理モデルを用いて, チェルノブイリ原発事故後の空間線量率を解析した例が報告されている(Karlberg, 1987; Likhtarev et al., 2002)。 また, Smithら(2002)は, この数理モデルに ${ }^{137} \mathrm{Cs}$ の放射性減衰を表す指数関数を乗じた式を提示している。 福島第一原発事故後の空間線量率の変化については, ${ }^{134} \mathrm{Cs}$ と ${ }^{137} \mathrm{Cs}$ の放射性減衰の指数関数にウェザリングによる低減速度が大きい成分(成分1)と小さい成分(成分2)による減少を示す指数関数を乗じた式(以後,「2成分モデル」という)を用いて解析されている(Kinase et al., 2017;三枝ら,2017)。これらの2成分モデルを用いると, 空間線量率の初期の急激な減少とその後のゆるやかな減少の傾向を表すことができる。 2 成分モデルの未知のパラメータを正確に求めるには,事故直後から長期にわたる空間線量率の測定データを使用した最小二乗法を用いる必要がある。しかし, 事故後, 何力月も経って, 空間線量率の初期値がかなり低減してから測定を開始する場合は, 2 成分モデルの減少速度が大きい成分 1が主に減少していて, そのまま2成分モデルを使用することは適切でないと考えられる。 そこで,この研究では福島第一原発事故後から空間線量率を測定している地点の実測値を使用して, 2 成分モデルとウェザリングによる低減を 1 成分で表す数理モデル(以後,「1成分モデル」 という)を用いて, 空間線量率の経時変化を推定した。そして, その推定値と実測値との回帰式を求めて, これらの数理モデルが妥当であることを確認した。その後, 将来や事故直後の空間線量率を推定し,長期被ばく線量を試算した。 ## 2. 方法 ## 2.1 空間線量率測定 (1) 測定地点 福島県伊達市は, 福島県の中央北部に位置し,福島第一原発からは 50~70 km 離れている。しかし,事故直後には伊達市にも,避難指示の基準となる年間被ばく線量 $20 \mathrm{mSv}(3.8 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{h})$ (原子力災害対策本部, 2012)超過の場所が存在した。それで,2011年6月には特定避難勧奨地点に指定され た場所が存在したが,2012年 12 月には解除されている(原子力災害現地対策本部,2012)。 この研究では, 事故直後(2011年3月24日) から測定を続けている 5 地点(地点1~5),および約 4 カ月後の7月16日から測定を続けている 10 地点(地点6 15)の合計 15 地点を対象とした。 Figure 1 に今回対象とする 15 地点の位置図を示す。また, Table 1 に各地点の, 舗装の種類, 定点, および定点に近接する草地の除染情報を示す。Table 1 の地点番号は, Figure 1 中の番号に対応する。 15 地点の内, 定点も草地もどちらも除染をしていない地点は, 地点 $1,2,15$ の 3 地点である。 ## (2) 測定位置 環境WG伊達は, 舗装された定点(高さ $100 \mathrm{~cm}$ ) の測定を伊達市から委託されているが, 定点付近には草地が存在するため, 定点に隣接する草地についても高さ $5 \mathrm{~cm}$ と $100 \mathrm{~cm}$ で測定している。 各測定地点では以下の3つの位置で測定を行っている。 $\cdot$定点:アスファルトの駐車場や道路,インター ロッキングブロック, セメントコンクリートや敷砂利などで舗装された場所の地表面から $100 \mathrm{~cm}$ の高さ $\cdot$ 草地 $5 \mathrm{~cm}$ :定点に最も近い草地(土堙)があ Figure 1 Location map of 15 monitoring points in this research for ambient dose equivalent rates in Date City, Fukushima Prefecture (The map was made using the ambient dose equivalent rates distribution map on 29th April, 2011, which was provided by JAEA.) ## る場所の地表面から $5 \mathrm{~cm$ の高さ} - 草地 $100 \mathrm{~cm}$ : 草地 $5 \mathrm{~cm}$ と同じ地点の地表面か ら $100 \mathrm{~cm}$ の高さ また, 定点か草地の一方でも除染をした地点は, 地点3 14の 12 力所である。それらの除染の効果として, 空間線量率の除染率 (Table 1 の注3)参照)は,定点で $10 \sim 49 \%$, 草地で $0 \sim 85 \%$ であった。これらの測定結果については, ウェブサイトや報告書で公表されている(伊達市,2020;環境WG伊達,2019)。 (3) 測定機器 - 測定回数 ン検出器(日立アロカメディカル, TCS-172B) を用いた。検出部位を福島第一原発のある南東方向に向け, 測定した。可搬型サーベイメータは半年に 1 回校正を受けて使用した。空間線量率の測定は1日1回,年間ほぼ毎日実施した。 検出器の時定数は, 空間線量率が $1 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{h}$ 付近なら 10 秒, $0.3 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{h}$ 以下なら 30 秒としたので, 1 地点あたりの測定は, 30 秒待ってから 10 秒間した(最小単位 $0.01 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{h}$ )。なお,実測値が 10 秒以内に 3 回以上変化する場合, 5 回の読み取りで同じ数値が 2 回以上出ない場合, または 5 回の読み取りの最大値と最小値の差が $20 \%$ 以上の場合は,測定をやり直した。 ## 2.2 解析方法 15 地点の定点の空間線量率を,数理モデルを用いて推定し,長期被ばく線量を算出した。 ## (1) 原発事故直後に測定を開始した 5 地点 原発事故直後(2011年 3 月 24 日)に空間線量率の測定を開始した地点1~ 5 については, 事故後初期からの実測値の利用が可能であることから,既往文献(Kinase et al., 2017; 三枝ら,2017) と同様に2成分モデルで将来の空間線量率を推定した。ただし,除染を実施した地点3~ 5 については, 除染後の推定には 1 成分モデルを使用した。 (2) 原発事故 4 カ月後に測定を開始した 10 地点原発事故の4カ月後(2011年7月16日)に測定を開始した地点6〜15については, 長期被ばく線量を求める際に,初期の値の大きい空間線量率が無視できないと考えられる。そこで,地点6~15 における2011年3月 24 日の空間線量率の初期値 $D_{3 / 24}$ は,地点 $1 \sim 5$ の 5 地点の $D_{3 / 24}$ と 2011 年 7 月 16 日の値 $D_{7 / 16}$ の単回帰の直線式を求めて推定し Table 1 Information of 15 monitoring sites about decontamination 注1)「舗装種類」の駐車場と道路はアスファルト舗装のことで,ブロックはインターロッキングブロックのことを指す。 注2)ここでいう「除染」とは,市が業者に委託して行う,土の入れ替えや全面的な洗浄などを指す。 注3)「除染率 $(\%) 」$ は, 除染月の 1 日の空間線量率(除染前)と翌月の 1 日の値(除染後)の差を, 除染月の 1 日の値(除染前) で除した。 定点の除染をしていなくても草地の除染をしていれば, 定点の除染率をカッコ書きで記した。な掉地の除染率については,地上 $5 \mathrm{~cm}$ での実測値を使用した。 た。そして,2成分モデルを用いて,将来の空間線量率を推定した。たたし,除染を実施した地点 6〜14については, 除染後の推定に 1 成分モデルを使用した。 ## (3) 除染後 福島県内の 15 カ所の空間線量率トレンド解析をした三枝ら(2017)は,2012年3月までは成分 1 の空間線量率変化への寄与が支配的であることを報告している。さらに, 空間線量率が $1 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{h}$ 以下と低い場合に,成分 1 と成分 2 とが区別できない地点があることも報告している。そこで, 本研究では, 除染した地点 $3 \sim 14$ における除染後の空間線量率は $1 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{h}$ 未満であったので, 除染後の空間線量率の推定には, 2 成分モデルを使用せず, 1 成分モデルを用いて,新たにパラメータを算出した。 ## 1) 2 成分モデル 2011 年 3 月 24 日から測定している 5 地点の定点の空間線量率は,当初大きく変動しながら急激に減少した。この現象は34カ月経つと変化し,減少速度が穏やかになった。この傾向を 2 成分モデル(式(1)(3))で解析した (IAEA, 2010; Kinase et al., 2017; 三枝ら, 2017)。成分 1 の環境半減期を $T_{1}$, 成分 2 の環境半減期を $T_{2}$ とした。そして, Microsoft Office Excelのソルバー機能を用い最小二乗法で, $D_{3 / 24}, f_{1}, T_{1}$, および $T_{2}$ を求めた(三枝 ら,2017)。なお,バックグラウンド値は,全ての地点において一定とした。 $ \begin{aligned} D(t)= & D_{3 / 24}\left(W_{134} \cdot e^{-\frac{\ln 2}{T_{134}} \cdot t}+W_{137} \cdot e^{-\frac{\ln 2}{T_{137}} \cdot t}\right) \\ & \times\left(f_{1} \cdot e^{-\frac{\ln 2}{T_{1}} \cdot t}+f_{2} \cdot e^{-\frac{\ln 2}{T_{2}} \cdot t}\right)+D_{B K G} \end{aligned} $ $W_{134}=\frac{a_{134} \cdot b_{134}}{a_{134} \cdot b_{134}+a_{137} \cdot b_{137}}$ $W_{137}=1-W_{134}$ ここで, $D(t) : 2$ 成分モデルによる日数 $t$ における定点の空間線量率 $(\mu \mathrm{Sv} / \mathrm{h})$ $t: 2011$ 年 3 月 24 日からの日数(d) $D_{3 / 24}$ : 空間線量率の初期値(2011年3月24日の值) $(\mu \mathrm{Sv} / \mathrm{h})$ $f_{1}, f_{2}$ : 減少速度が大きい成分 1 と小さい成分 2 の割合 $\left(f_{1}+f_{2}=1\right)$ $T_{1}, T_{2}$ : 成分 1 , 成分 2 の環境半減期 $(1 / \mathrm{d})$ $W_{134}, W_{137}:{ }^{134} \mathrm{Cs},{ }^{137} \mathrm{Cs}$ の寄与率 $a_{134}, a_{137}:{ }^{134} \mathrm{Cs},{ }^{137} \mathrm{Cs}$ の単位面積当たりの放射能 $\left(\mathrm{Bq} / \mathrm{m}^{2}\right)$ の比 $(2011$ 年 8 月 1 日の值が $1: 1$ とされている(原子力災害対策本部,2011)ことから, ${ }^{134} \mathrm{Cs}$ と ${ }^{137} \mathrm{Cs}$ の半減期を用いて, その日以前と以後の値を日ごとに計算した。 $b_{134}, b_{137}:{ }^{134} \mathrm{Cs},{ }^{137} \mathrm{Cs}$ の線量換算係数, $5.47 \times 10^{-9}$, $2.00 \times 10^{-9}(\mathrm{mSv} / \mathrm{h}) /\left(\mathrm{Bq} / \mathrm{m}^{2}\right)$ をそれぞれ使用した(原子力災害対策本部,2011)。 $T_{134}, T_{137}:{ }^{134} \mathrm{Cs},{ }^{137} \mathrm{Cs}$ の半減期 $(2.0648 \mathrm{y}, 30.1671 \mathrm{y}$ (日本アイソトープ協会,2011))より算出。 $D_{B K G}$ : バックグラウンド線量率, 事故前の 2010 年の福島県の実測値を参考に $0.05 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{h}$ と設定 (福島県,東京電力,2010; 三枝ら,2017) ## 2) 1 成分モデル 除染後の空間線量率の経時変化は, 環境半減期が1成分だけからなる 1 成分モデルを用いると,式(4)で表される。定点または草地の除染が実施された地点(12地点)については, 除染後はこの1成分モデルで解析した。このモデルでは, $D_{S 0}$ と $T_{\mathrm{S}}$ を Microsoft Office Excelのソルバー機能を用い最小二乗法で求めた。なお,バックグラウンド値は,2成分モデルと同様に全ての地点において一定とした。 $ \begin{aligned} & D(s)=D_{S 0}\left(W_{134} \cdot e^{-\left(\frac{\ln 2}{T_{134}}+\frac{\ln 2}{T_{S}}\right) \cdot s}+W_{137}\right. \\ &\left.\times e^{-\left(\frac{\ln 2}{T_{137}}+\frac{\ln 2}{T_{S}}\right) \cdot s}\right)+D_{B K G} \end{aligned} $ ここで, $D(s)$ : 除染後の定点の空間線量率 $(\mu \mathrm{Sv} / \mathrm{h})$ $s:$ 除染後からの日数 (d) $D_{S 0}$ : 除染後の定点の空間線量率の初期値 $(\mu \mathrm{Sv} / \mathrm{h})$ $W_{134}, W_{137}:{ }^{134} \mathrm{Cs},{ }^{137} \mathrm{Cs}$ の寄与率(2成分モデル, 式(1) と同様) $T_{S}:$ 除染後の環境半減期 (d) $D_{B K G}$ : バックグラウンド線量率(2成分モデルと同様, $0.05 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{h}$ と設定) ## 3)長期被ばく線量の算出 長期被ばく線量 (mSv) は,空間線量率を被ばく期間 50 年間(2011年 3 月 24 日 2061年 3 月 23 日) として積算した。これは, 原発事故当時からその場所に住んでいて,50年間同じ場所に住み続ける想定である。長期被げく線量にバックグラウンド值の $0.05 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{h}$ の分は加算せずに,余剰被ばく線量として算出した。除染を実施した地点では,除染までと除染後に分けて推定し,積算した。たたし,実測値のある場合には,そちらを優先して使用した。 なお, 1 日当たりの被ばく線量は, 屋内で 16 時間,野外で 8 時間過ごすと仮定し,屋内の遮蔽率を 0.4 (環境省,2011)として計算した換算係数 $A=1 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{h} \times 10^{-3} \mathrm{~m} / \mu \times(8 \mathrm{~h} / \mathrm{d}+0.4 \times 16 \mathrm{~h} / \mathrm{d})=1.4 \times 10^{-2}$ $(\mathrm{mSv} / \mathrm{d}) /(\mu \mathrm{Sv} / \mathrm{h})$ と 1 時間当たりの空間線量率 $(\mu \mathrm{Sv} / \mathrm{h})$ の積で計算した。 ## (1)原発事故直後から実測値がある場合 2011 年 3 月 24 日から測定した地点 1 ~ 5 については,2020年7月 10 日までは実測値を使用した。 それ以後は,除染が定点でも草地でも行われていない地点 1 および地点 2 では, 2 成分モデルを使用して空間線量率を推定した。除染を実施した地点3 5では, 除染後の推定に 1 成分モデルを使用した。 ## (2)原発事故直後からの実測値がない場合 2011 年 7 月 16 日から測定を開始した地点 6 15 の長期被ばく線量については, 2011 年 3 月 24 日〜7月 15 日は 2 成分モデルによる推定値, 7 月 16 日〜除染前までは実測値,除染以後~2020年 7 月 10 日までも実測値,それ以後は 1 成分モデルを用 いて推定した。除染が行われていない地点 15 は, 2成分モデルを用いて推定した。 ## (3)仮に除染をしなかった場合 仮に除染をしなかった場合の 50 年間の余剩被ばく線量の推定には, 初期値 $\left(D_{\mathrm{S} 0}\right)$ に除染前の実測値を使用し,環境半減期 $\left(T_{\mathrm{S}}\right)$ には除染をした場合と同じ 1 成分モデルで,除染後の空間線量率から求めた値を使用した。ここで 1 成分モデルを使用することについての是非については, 3.3 に記述する。 ## 3. 結果および考察 ## 3.1 草地の空間線量率と除染率 どの地点でも定点に隣接する草地の空間線量率は,草地を除染するまでは,定点よりも高かった (環境WG伊達, 2019)。また, 除染率も草地の方が,定点より高い地点が多かった(Table 1参照)。 これは,アスファルト舗装などの定点と比較して,草地では土や植物に付着した放射性物質が,草を含む表層の土を入れ替える除染で除去されるためと考えられる。 除染をした地点(15 地点中 12 地点, Table 1 参照)の空間線量率の変化の例として,地点 8 の定点 (地上 $100 \mathrm{~cm}$ ) と隣接草地 (地上 $5 \mathrm{~cm}$ と $100 \mathrm{~cm}$ ) の値を Figure 2 に示す。草地 $5 \mathrm{~cm}$ の値は定点の倍以上であり, 草地 $100 \mathrm{~cm}$ の値も定点より高かった。一方, 除染前後の空間線量率の変化については,定点, 草地 $5 \mathrm{~cm}$ と草地 $100 \mathrm{~cm}$ のとれも, 2013 年 6 月の除染前まで空間線量率の減少が続き, 除染後一挙に約 $0.5 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{h}$ に減少し, その後, 徐々に減少していて,他の地点もこの傾向は同じであった。なお,2012年1月から3月と2013年1月に值がそれぞれ 3 4 割減少しているのは積雪の影響 (環境WG伊達, 2017)で, 先行研究で報告され Figure 2 Variation of the ambient dose equivalent rates at monitoring point and grass field No. 8 (Tominari-sin-wakabayashi estate) ている現象と同様である(三枝ら,2017)。 ## 3.2 空間線量率の変化 ## (1) 原発事故直後の空間線量率の推定 まず,2011年3月 24 日から測定を開始した地点 $1 \sim 5$ の同日の初期值 $D_{3 / 24}$ (実測值のばらつきを抑えるための最小二乗法による推定値)と7月 16 日の $D_{716}$ (実測値) を用いて, 回帰式を求めたところ,$D_{3 / 24}=6.035 \quad D_{7 / 16}-0.988$ となった。Figure 3 に,横軸に $D_{7 / 16}$ を縦軸に $D_{3 / 24}$ をプロットしたグラフを示す。ここで,相関係数 $\mathrm{r}$ は +0.985 であり, 2011 年 3 月 24 日の空間線量率と約 4 力月後の空間線量率には,相関性があることが分かった。同年 7 月より測定を開始した地点6 15については, 2011 年 3 月 24 日の初期値 $D_{3 / 24}$ をこの式を用いて推定した。 ## (2) 数理モデルを用いた空間線量率の推定 次に空間線量率を定点も草地も除染していない地点 $1,2,15$ は式(1)を用いて,定点か草地かどちらかを除染した地点3~14は式(1)と除染後には式(4)を用いて推定した。地点 1 を地点 $1 , 2 , 15$ の代表として,地点8を地点3 14の代表として選び,実測値と推定値を Figure 4 の(A) と (B) に示す。 Figure 4(A) の地点 1 の空間線量率は, 原発事故後の数力月間,急激に減少し,その後,ゆるやかに減少した。他の 2 力所の地点も初期値は異なるが,変化の傾向は同様であった。一方,(B)の地点 8 の測定は 2011 年 7 月 16 日からであり,原発事故後の3力月で空間線量率が減少したことが予想されるが,7月16日からの推定値が実測値とよく Figure 3 Relation between the ambient dose equivalent rates on March 24, 2011 $\left(D_{3 / 24}\right)$, and the rates on July 16, $2011\left(D_{7 / 16}\right)$ of Monitoring point No. 1-5 Figure 4 Variation of the ambient dose equivalent rates and the calculated dose equivalent rates at monitoring point No. 1 (Date regional city office which was not decontaminated) (A) and No. 8 (Tominari-shin-wakabayashi estate) (B) 一致している。2013年6月の急な減少は, 同じ月に実施した定点掠よび草地の除染の効果で, 0.90 $\mu \mathrm{Sv} / \mathrm{h}$ から $0.56 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{h} に 0.44 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{h}$ 低減した。 Table 2 に本報で解析対象とした全地点(地点 1~15)の空間線量率の実測値と推定值の最小二乗法によって求めた各パラメータ, 回帰係数,および推定した 50 年間の余剩被ばく線量を示す。地点6 15 で推定した $D_{3 / 24}$ は, 全て原発事故後に避難の目安とされた年間 $20 \mathrm{mSv}$ (原子力災害対策本部,2012)を時間当たりに換算した $3.8 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{h}$ を超過しているが,2011年7月16日の実測値で $3.8 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{h}$ 超過したのは,地点 15 のみであった。 次に,2成分モデルの成分 1 の割合 $f_{1}$ は $0.66 \sim$ 0.83 であった。成分 1 と成分 2 の環境半減期 $T_{1}$ と $T_{2}$ は,それぞれ $1.20 \times 10^{-2} \sim 7.45 \times 10^{-2} \mathrm{y}$ と $1.24 \sim$ $3.06 \mathrm{y}$ であり, $T_{2}$ の方が 2 桁程大きくなった。さらに除染後の 1 成分モデルの環境半減期 $T_{S}$ は, 2.65〜7.24 yであり, $T_{2}$ より大きくなった。 ここで,空間線量率の推定値の実測値との適合性を確認するために,推定値と実測値の関係を検討した。Figure 5 に各地点(定点)における空間線量率の測定開始後から2020年7月 10 日までの実測値を x軸に,式(1)または式(1)と式(4)の両方 による推定値を $\mathrm{y}$ 軸にプロットしたグラフを示す。 Figure 5 の上段(A)に地点 1 を地点 $1 \sim 5$ の代表として,下段(B)に地点8を地点6 15の代表として, それらのデータを示す。Figure $5(\mathrm{~A})$ の地点 1 の実測値と推定値に線形関係が見て取れ, 回帰係数は 0.986, $95 \%$ 信頼区間の半値幅は 0.004 と求められた。空間線量率が $0 \sim 1 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{h} の$ 範囲にデータが多く, 1〜2.5 $\mu \mathrm{Sv} / \mathrm{h}$ の範囲にデータが少ないのは,事故直後に急激に空間線量率が減少して $1 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{h}$程度になり,その後は徐々に減少したことを示している。地点 1 以外の地点 $2 \sim 5$ を含めた回帰係数は,0.982 0.989 となり, どれも 1 に近い値となっている。 また, Figure 5 (B)の地点8についても, 線形関係が認められ, 2011 年7月16日の測定開始からの回帰係数は $0.994,95 \%$ 信頼区間の半値幅は 0.003 と求められた。空間線量率の $0.5 \sim 1.0 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{h} の$ 範囲にデータが見られないのは, 除染で空間線量率が $1.0 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{h} から ~ 0.5 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{h} に$ 急に低減したためである。地点 8 を含めた地点 $6 \sim 15$ の回帰係数は, 0.974 1.004であり,地点 $1 \sim 5$ と同様でどれも 1 に近い値となっている。 な扮, Figure 5(B)の推定値が 1.0 と $1.5 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{h}$ 付近については,実測値への当てはまりが悪いデー 夕が多くなっている。これは2012年 12 月および 2013年 1 月の積雪による影響が原因であると考えられる。 以上のことにより, 全地点において, 測定開始から2020年7月 10 日までの全期間の空間線量率の実測値と推定値の回帰係数は 1 に近く, 推定値が実測値とよく合っているといえる。 ## 3.3 長期被ばく線量の推定 Table 2 に示した 50 年間の余剩被ばく線量については, $100 \mathrm{mSv}$ 超過している地点はなく, 2011 年 3 月 24 日の空間線量率が約 $30 \mu \mathrm{Sv} / \mathrm{h}$ と最も大きく推定された地点 15 でも余剩被ばく線量は約 $85 \mathrm{mSv}$ であり, その他の地点は $40 \mathrm{mSv}$ 以下となった。Figure6に除染をしなかった地点1, 2, 15 の中から地点 1 と地点 15 の余剩被ばく線量を示す。地点 15 は今回対象の 15 地点の中で初期空間線量率が最大值の地点である。また,定点または草地を除染した地点3から 14 で, 2013年6月に定点除染した地点 8 と同じ月に草地除染した地点 5 の余剩被ばく線量も示す。この図を見ると, 原発事故数年から 10 年程度で余剩被ばく線量が落ち 藤長ら:福島県伊達市における空間線量率の観測データを用いた長期被ばく線量の推定 Table 2 Parameters of two component model from 2020/3/24 and one component model after decontamination, regression coefficients, and extra radiation doses for 50 years at 15 monitoring points } & \multicolumn{5}{|c|}{ 2成分モデル (2011/3/24~除染前 $)$} & \multicolumn{3}{|c|}{ 1成分モデル(除染後~2020/7/10) } & \multirow[b]{2}{*}{} & \multirow[b]{2}{*}{} \\ 注1) 地点 $1 \sim 5$ の $D_{3 / 24}$ と除染後の $D_{\mathrm{S} 0}$ は 1 日ごとのばらつきが大きいため, 最小二乗法で求めた。地点 $6 \sim 15$ の 2011/3/24の $D_{3 / 24}$ は,地点 $1 \sim 5$ の $D_{3 / 24}$ と $D_{7 / 16}$ の回帰係数より推定した。 注2)回帰係数を求めた期間は,測定開始日から2020/7/10までの全期間とし,除染が実施された月(1カ月間)は2成分モデルを使用した。 注3) 実測値を優先,実測値がない期間(地点6 15の2011/7/16以前,および全地点の2020/7/10 以後)は推定値を使用した。 注4) 除染率の解析開始日は,除染実施日の翌月の 1 日で統一しているが,2013年以降 $1 / 1 \sim 1 / 3$ は測定をしていないので,地点 14 の解析開始日は2013/1/1になるところを $1 / 4$ とする。 着き,それ以上あまり増加しなくなっているのが分かる。 50 年間の余剩被ばく線量の内訳を見ると, 最初の 10 年間での余剩被ばく線量の割合は, 15 地点の内,地点6が $83 \%$ でそれ以外は $90 \%$ 以上と高い割合を占めている。 次に Figure 7 に,定点除染をした地点 6 から 13 までの地点の 50 年間の余剩被ばく線量と仮に除染をしなかった場合の 50 年間の余剩被ばく線量の推定値を示す。除染を行った時期は,福島原発事故後 1 年半以上経過していて, 2 成分モデルの成分 1 の環境半減期 $\left(T_{1}\right)$ は $10^{-2} \mathrm{y}$ 程度 (Table 2 参照)であるため,成分 1 はほとんど残存していないと考えられる。よって, この時点からの空間線量率を表す式は, 1 成分モデルが適していると考えられる。 また,実測値からパラメータを推計した結果 (Table 2参照)を見ると,2成分モデルの成分 2 の環境半減期 $\left(T_{2}\right)$ が除染後の 1 成分モデルの環境半減期 $\left(T_{\mathrm{S}}\right)$ より小さくなる傾向がみられた。空間線量率が初期の急激な減少の後, 事故直後の空間線量率が高い時の環境半減期 $T_{2}$ の值を適用すると,線量を低く評価することになると考えられる。そのため,除染をしなかった場合も,事故から数年経って空間線量率が低くなった後の実測値がある場合は, $T_{2}$ ではなく $T_{\mathrm{S}}$ に基づいて計算する方が,実態に合っていると考えられる。 この結果より,除染をした場合の 50 年間の余剩被ばく線量の低減率は, 除染をしなかった場合の 1 割以下となった。除染率が数割から 5 割程度であることから考えると,この低減率は低い様に思える。この理由は, 対象地点の空間線量率は福島第一原発事故後, ウェザリングにより急速に低減したため, 除染の効果が相対的に表れにくくなっているためである。 ## 4. おわりに 福島第一原発の事故後の福島県伊達市の住居地区の空間線量率を,数理モデルを用いて将来の空 空間線量率の実測値 $(\mu \mathrm{Sv} / \mathrm{h})$ Figure 5 Relation between the measured ambient dose equivalent rates ( $X$ axis) and the calculated dose equivalent rates by the equation (1), or the equation (1) and (4) ( $\mathrm{Y}$ axis) at monitoring point No. 1 (A) and No. 8 (B) Figure 6 Variations of extra radiation doses at monitoring point No. 1, No. 5, No. 8, and No. 15 for 50 years from May 24, 2011 (The values of 50 years' extra radiation doses are shown in Table 2) 間線量率と長期被ばく線量を推定した。推定には ${ }^{134} \mathrm{Cs}$ と ${ }^{137} \mathrm{Cs}$ の放射性減衰以外に, ウェザリングによる減少として,減少速度が大きい成分 1 と小 Figure 7 Extra radiation doses for 50 years from May 24, 2011 with/without decontamination at monitoring points from No. 6 to No. 13 さい成分2を考慮する2成分モデルを用いた。 また, 除染後は空間線量率が低減しているため, 1 成分モデルを用いた。 成分 1 と成分 2 の環境半減期は,それぞれ $1.2 \times$ $10^{-2} \sim 7.5 \times 10^{-2}$ 年と $1.2 \sim 3.1$ 年であり,成分 2 の方が成分 1 の值より 2 桁程大きくなった。さらに除染後の1成分モデルの環境半減期は,2.7 7.2 年であり,成分 2 の値より大きい傾向があった。 そして,各地点における 50 年間の長期の余剰被ばく線量を推定した結果, 空間線量率が 15 地点で最大の地点で約 $85 \mathrm{mSv}$ で, その他の地点は $40 \mathrm{mSv}$ 以下となった。また, どの地点でも最初の 10 年間で 50 年間の余剩被ばく線量の 8 割以上を占める推定結果となった。これは原発事故後の最初の10年程度で, 空間線量率が急速に低下するためであるといえる。 ## 謝辞 伊達市役所元理事の半澤隆宏氏には, 2013 年から長年にわたり,調査だけでなく色々な面でお世話になった。そして,伊達市放射能対策課には様々な情報を提供して頂いた。また,データの統計的な取り扱いについては, 龍谷大学先端理工学部岸本直之教授にご教授頂いた。さらに,査読して下さった先生方には,非常に丁寧に見て頂き, ご指摘を多数頂いた。ここに厚くお礼申し上げます。 本研究は JSPS 科研費 JP15H02868 の助成を受けたものです。 ## 参考文献 Date City (2014) Higashinihon-daishinsai/Genpatsu- Jiko, Date city report since 2011.3.11. 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Society For Risk Analysis Japan
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# 下水処理場における水素エネルギーキャリアとしての アンモニアの合成プラント導入のリスク評価* Risk Assessment of the Introduction of a Synthesis Plant for Ammonia as a Hydrogen Energy Carrier in a Sewage Treatment Plant } 田中 健太**, 伊藤 理彩**, Leticia Sarmento dos Muchangos**, 東海 明宏** } Kenta TANAKA, Lisa ITO, Leticia Sarmento DOS MUCHANGOS and Akihiro TOKAI \begin{abstract} In order to reduce carbon dioxide emissions and use hydrogen on a large scale, it is essential to promote the use of hydrogen and convert it into a suitable form for storage and transportation, called energy carrier. Among them, ammonia, which is made by synthesizing hydrogen and nitrogen, is one of the most promising substances. In Japan, on the other hand, excess sludge generated in sewage treatment plants is attracting attention as feedstock for hydrogen production. However, few case studies have evaluated the risks of ammonia release from synthesizing ammonia from hydrogen made in sewage treatment plants. Therefore, we aimed to evaluate the impact of chemical spills from this process and identify the vulnerable part in the components where risk countermeasures are needed. In conclusion, it is crucial to take measures such as increasing the strength of compressors and joints and executing daily inspections. \end{abstract} Key Words: Hydrogen production, Ammonia, Risk assessment, Sewage treatment plants, Chemical release ## 1.はじめに 二酸化炭素を排出しない新たなエネルギーとして世界中で水素利用に対する注目が集まっている (Edwards et al., 2007; IEA 2019; Dawood et al., 2020)。日本でも令和 2 年 12 月に策定された 2050 年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略 (経済産業省,2020)において水素は14の重要分野のうちの1つに挙げられているほか, その他7 つの分野においても目標達成のためにその役割が期待されている。 日本国内でも水素製造の原料として下水処理場で污泥を処理する際に発生する消化ガスが注目されており,バイオマス資源を有効活用した水素製造方法であるとして国交省がガイドラインを示し ている(国土交通省,2018)。 下水污泥のエネルギー利用と水素製造については, Chen et al. (2012) が下水処理施設で発生する下水污泥の増加に伴って水素の製造を含めた下水污泥の減容化と有効活用をする必要があるとしているほか, Pridvizhkin et al. (2017) は下水や下水污泥からより効率的に水素を製造する技術について提案している。水素は常温常圧の気体の状態では体積が大きく貯蔵・輸送に不利であるため,エネルギーキャリアに変換して利用することが検討されているが (IEEI, 2019),このエネルギーキャリアのうちアンモニアは,水素エネルギー密度が大きいほか二酸化炭素を排出せずに直接燃焼利用することができ  ることなどから, 有力な水素エネルギーキャリアの1つであると考えられている (Klerke et al., 2008; Palys and Daoutidis, 2020)。 しかし, アンモニアは, 化学品のハザード分類の世界的な基準である Global Harmonized System of Classification and Labelling of Chemicals (GHS) において急性毒性, 皮膚腐食性, 呼吸器感作性などの様々な毒性に分類されているほか(UNECE, 2019), 特有の刺激臭を持つことでも知られ,十分な管理のもとに取り扱われる必要がある。アンモニアプラントにおける化学物質漏洩のリスク評価については,過去の事故事例の蓄積と分析がなされているほか (Ojha and Dhiman, 2010), アンモニア漏洩事故を想定したリスク評価も行われている (Anjana et al., 2018; Orozco et al., 2019)。 そこで,「水素生産(hydrogen production)」「アンモニア合成 (ammonia synthesis)」「リスクアセスメント(risk assessment)」というキーワードで Google Scholarを用いて文献を調査すると 74 件が該当した。しかし, 「下水処理場 (sewage treatment plant)」まで加えると該当する文献はなく,これらの結果からバイオマス資源を有効活用した水素製造方法が推奨されているにもかかわらず,未た下水処理場でのアンモニア合成におけるリスクについては検討が十分なされていないことが分かった。 よって本研究では,今後導入に向けて様々な検討が行われると考えられる水素エネルギーキャリアとしてのアンモニアの合成プラントと水素の地域的な製造拠点となりうる下水処理場について,新しいデータを用いた知見の更新を通じてアンモニア漏洩の発生する頻度と,そのアンモニアに曝露することによる健康影響のリスクを特定することで,導入検討に際して必要となるリスク対策の必要な箇所を明らかにすることを目的とした。 ## 2. 方法 ## 2.1 本研究の枠組み 本研究の枠組みを Figure 1 に示す。まず,ケー ススタディの対象地を選定し,対象地でのアンモニア製造量と製造プラントの設備及びその規模を設定した。次にこのモデルプラントにおける化学物質の漏洩事故を想定して漏洩ケースを設定した。そしてこの漏洩ケースをもとに, 構成機器ごとの漏洩頻度の推定とヒト健康影響評価を行った。 Figure 1 Research Framework Table 1 Amount of sludge at each plant ## 2.2 モデルプラントの選定 ケーススタディの対象地を選定するにあたって,地産地消型の水素サプライチェーン確立を目指して下水污泥を利用した水素製造について検討がなされ,水素エネルギーの利活用の拡大を図る 「H2Osaka(エイチツーオオサカ) ビジョン」(大阪府,2016)を掲げている大阪府を対象とした。大阪府内には14の流域下水処理場があり (Table 1),これらの中からi)污泥量が多く, ii)現在嫌気性消化による污泥処理を行っている処理場を解析対象として選定した。選定理由として,アンモニアの合成には,污泥の嫌気性消化のプロセスで発生する十分なバイオガスが必要とされ,その発生過程で嫌気性消化のプロセスを保有していない処理場を対象地にすると,その導入費用が高額となり,実現可能性が低くなることを考慮した。よって,既にこの嫌気性消化のプロセスを保有し,かつ污泥量が2番目に多い猪名川流域下水道原田処理場(以下,原田処理場)をケースス夕ディのモデルプラントとして選定した。 ## 2.3 アンモニア合成プロセスに関する設定条件 過去にアンモニア合成プロセスが構築された事例として,日揮ホールディングス株式会社(以下,日揮)が, $\mathrm{CO}_{2}$ フリー水素を利用した大規模 Table 2 Number of components in ammonia synthesis plant & & & \\ なアンモニア製造プロセス構築を目指した実証実験を行い, $20 \mathrm{~kg} /$ 日の規模でのアンモニア合成プロセスが構築された例(藤村,2018)が挙げられる。この事例では太陽光発電で得られた電力による水電解で水素を製造し,窒素は空気分解によって製造されている。また水電解で得られた常圧の水素を原料とするため, 昇圧のためのエネルギー が少なくて済む低温低圧のプラントを開発している。 本研究ではこの日揮のアンモニア合成プロセスを参考に,同様のプロセスを原田処理場への導入することを仮定した。本研究における水素は下水污泥を処理する際に発生する消化ガスを改質して製造され,窒素は空気分解によって製造される。 モデルプラントである原田処理場の消化ガスの発生量は, $5,324,200 \mathrm{Nm}^{3}$ /年と報告されているため (大阪府, 2018), 消化ガス量と水素製造量の関係式 (国立研究開発法人産業総合技術研究所, 2019)を用いて計算すると当該処理場で製造可能な水素の量は $935 \mathrm{~kg}$ /日と算出される。この水素が全量アンモニアに変換されると仮定すると,原田処理場で製造され得るアンモニアは約 $5,300 \mathrm{~kg} /$日となる。アンモニア合成プロセスの構成機器数の設定にあたっては,藤村(2018)の報告書に記載されているプラントのフロー図から $20 \mathrm{~kg}$ /日規模のプラントの構成機器数を数え上げた。そして本研究で取り扱う $5,300 \mathrm{~kg}$ /日規模のプロセスに規模を拡張する形でアンモニア合成プラント全体を参考に Table 2 に示すように想定した。 ## 3. 漏洩頻度の推定 ## 3.1 ベイズ推定の適用可能性の検討 酒井ら (2005) は,機器の寿命分布の推定をする際に,i)既存のデータもしくは今後の検査デー 夕が十分でない場合, ii)類似機器に共通するデータベースからであれば情報が得られる場合, iii)試験データなどをもとにした設計時の寿命分布データが存在する場合には,実際の検査データに基づいてべイズ推定を行うことが有効と考えられると述べている。一般的に得られたデータから寿命分布などを求める場合には,精度よく推定するために十分なデー夕数を必要とする。逆にデータ数が不足していると適切に推定を行えない。しかしながら本研究では実証プラントをもとにした仮想のアンモニア製造プラントにおける機器からの漏洩確率を推定することになる。仮想であるために実際のデー 夕は存在しない。一方で同様の化学物質を扱ったり,同様の高圧ガスプロセスを有したりしているなどの点で類似した施設とそのデータは蓄積されている。 これらの条件から, 本研究において漏洩確率の推定にベイズ推定を用いることは有効であると判断した。 ## 3.2 ベイズ推定 ベイズ推定は式(1)に示すベイズの定理に従って確率分布を新しく更新していくことができる。 $ \pi(\theta \mid x)=\frac{f(x \mid \theta) \pi(\theta)}{\int_{\theta} f(x \mid \theta) \pi(\theta) d \theta} $ 式(1)において $\theta$ は発生確率のパラメータである。左辺 $\pi(\theta \mid x)$ はデータ $x$ が得られたことで更新されるモデルの事後分布である。右辺分子の $f(x \mid \theta)$ は, $\theta$ がある値の分布をとるときにデータ $x$ が観測される尤度であり, $\pi(\theta)$ はパラメータ $\theta$ の既知情報の事前分布を示す。右辺分母 $\int_{\theta} f(x \mid \theta) \pi(\theta) d \theta$ は分子をパラメータの取り得る値の範囲で積分して得られた周辺尤度の値となる。 ベイズ推定では推定対象事象の発生確率を, 確率密度関数に従うばらつきを持つものとして扱い,新規情報 $x$ の事前分布 $\pi(\theta)$ を取り入れ,更新することで事後分布 $\pi(\theta \mid x)$ を得る。 したがって, 調査・観測データが得られるたびに更新を重ねていくことで,発生確率の推定精度をより高めていくことができる。本研究では,木原ら(2017)が新型水素ステーションの漏洩頻度推定に用いたべイズ推定モデルを参照した。木原ら (2017)は, Sandia研究所が示した米国国内の一般機器の漏洩頻度を事前分布とし (LaChance et al., 2009),事故事例データベース(高圧ガス保安協会,2020)に蓄積されている 1965 年から 2015 年までの圧縮天然ガス (CNG) スタンドおよび水素ステーションの事故データから求めた漏洩頻度を取り込んでベイズ更新を行った。本研究ではこの Figure 2 Number of Hydrogen Stations and CNG Stations 木原ら(2017)のベイズ推定の結果を事前分布として設定し,同施設の2016年から2019年までの事故データから求めた漏洩頻度を取り込んでベイズ更新を行った。 Figure 2 は水素ステーション数(石油産業活性化センター他,2011;環境省,2020)とCNGスタンド数(日本ガス協会,2013~2019)の経年変化を示している。2016年以降の水素ステーションの設置数は 2015 年以前と比べて急激な増加が見られる。よって,2016年以降の調査・観測デー 夕により,さらに更新を重ねていくことで, ベイズ推定の推定精度をより高めていくことが可能である。 ## 3.3 漏洩頻度推定モデル 漏洩頻度の推定については,木原ら(2017)が Sandia研究所の提案したSandia モデル (LaChance et al., 2009)をもとに設定した階層ベイズ推定モデルとギブズ・サンプリングの手法を適用した。 Sandia モデル (LaChance et al., 2009) では,構成機器からの漏洩がサイズごとに「Very Small」から「Rupture」の5段階にカテゴリ化されている。一方で本研究では, 3.4節で詳しく述べるように 「Very Small」を除く4段階の漏洩サイズからなるモデルを使用する (Table 3)。 このSandiaモデルでは以下のように漏洩頻度 (Leak Frequency; $L F$ ) の対数が正規分布に従い,さらにその正規分布の平均 $\mu$ が漏洩孔比(Fractional Leak Area;FLA)のべき関数として表されている (式 (3)) (Groth et al., 2012)。 $ \begin{gathered} \log (L F) \sim N\left(\mu_{L F}, \tau\right) \\ L F=A_{1} \times(F L A)_{2}^{A} \end{gathered} $ これをもとに木原ら(2017)が設定したモデルは Table 3 Leakage size category (LaChance et al., 2009) 以下の通りである。ここで漏洩頻度 $L F$ は, Table 3 で設定した漏洩サイズ $(I=1 \sim 4)$ における国内漏洩頻度を示している。 式(3)の両辺の対数を取ると次のように書ける。 $ \ln (L F)=A_{2} \cdot \ln (F L A)+\ln \left(A_{1}\right) $ 右辺について底の入れ替えを行って常用対数に変更し整理すると以下のようになる。 $ \ln (L F)=\alpha_{2} \cdot \log _{10}(F L A)+\alpha_{1} $ ここで式(4)の左辺を正規分布(2)のパラメータ $\mu_{L F}$ と設定することで式(6)のように直線の関係として整理できる。 $ \begin{gathered} \mu_{L F(I)}=\alpha_{2} \cdot \log _{10}\left(F L A_{I}\right)+\alpha_{1} \\ \ln (L F(I)) \sim N\left(\mu_{L F(I)}, \sigma_{L F(I)}^{2}\right) \\ \alpha_{1} \sim N\left(\mu_{\alpha 1}, \sigma_{\alpha 1}^{2}\right) \\ \alpha_{2} \sim N\left(\mu_{a 2}, \sigma_{a 2}^{2}\right) \\ \sigma_{L F(I)}^{2} \sim I G\left(a_{I}, b_{I}\right) \end{gathered} $ $L F(I)$ : Leak Frequency (漏洩頻度) $(I=1 \sim 4)$ FLA: Fractional Leak Area (漏洩孔比) (4) は漏洩頻度 $L F(I)$ の対数が平均 $\mu_{L F}$ と分散 $\sigma^{2}{ }_{L F}$ をパラメータに持つ正規分布に従うことを示している。この $\mu_{L F}$ は $\alpha_{1}$ おび $\alpha_{2}$ を変数とした直線で示される (6) (木原ら,2017)。また, $\alpha_{1}, \alpha_{2}$ および $\sigma_{L F}^{2}$ には, 自然共役分布が用いられ, $\alpha_{1}, \alpha_{2}$ には正規分布が $(8,9), \sigma_{L F}^{2}$ には逆ガンマ分布が設定され (10), Figure 3 に示すとおり階層構造を持っている (木原ら,2017)。本研究では木原ら (2017) 同様, マルコフ連鎖モンテカルロ法(Markov Chain Monte Carlo algorithm: MCMC法) を行うアルゴリズムの1つであるギブズ・サンプリングを適用し, パラメータの推定を行った (Figure 4)。本手法は, Figure 3 Structure of a Bayesian Estimation Model 事後分布の確率分布に従ってランダムに生成した値の分布から,乱数を発生させる過程を変数ごとに順に繰り返し,パラメータの値を推定するものである(日本製薬工業協会,2014)。これらの計算には WinBUGS Version1.4.3 (University of Cambridge, 2007)を用いた。サンプリング条件は,木原ら (2017) 同様, チェーン数 3 , バーンイン期間 1,000 , イタレーション回数 11,000 とした。 ## 3.4 国内漏洩頻度の推定 本研究では, 木原ら(2017)の推定結果を超事前分布として設定した(Figure 4)。次にモデルの分布 (1) の $L F(I)$ に国内の 2016 2019年のCNGスタンドの漏洩頻度データを代入し,MCMC法を用いてべイズ更新を実施し,事後分布を得た。さらにこの分布を超事前分布として, 2016 2019年の水素ステーションの機器の漏洩頻度のデータを取り込んで2 回目のべイズ更新を行い, 構成機器ごとの漏洩頻度を推定した。これらの推定結果に Table 2 で示した機器数を乗じることで, アンモニア合成モデルプラント全体での推定漏洩頻度を求めた。 なお, 高圧ガス保安法においてはCNGスタンドで取り扱われる圧縮天然ガス, 水素ステーションで取り扱われる水素, および本研究で対象となる高圧のアンモニアはいずれも高圧ガスに分類されるものである。また, 水素, 天然ガス(メ夕ン), アンモニアはいずれも Buoyant Gases と呼ばれる空気より軽い気体であり,空気を 1 としたときのガス比重はそれぞれ $0.07,0.55,0.51$ となっている。これらの気体はALOHAでも同じガウス拡散モデルの中で扱われている (NOAA,2013)。そしてこれらを扱うための機器の設置や構造, また取扱い方法やその教育などは同一の条文で規定されていることから, 本研究でも事前分布に用いるデータとしてCNGスタンド,水素ステーションの事故データを用いることとする。 ここで, 1 年間 1 機器あたりの機器の漏洩頻度は, 高圧ガス事故の漏洩事故件数(高圧ガス保安 Figure 4 Framework of Bayesian estimation 協会, 2020)を各施設の稼働年数, 施設数, 施設の機器数で除することで算出した (式(11))。高圧ガスの漏洩事故データベースは, 1965 年以降の国内の事故事例の報告が蓄積されており, 令和元年度版では2019年末までのデータが記載されている。 1年間1機器あたりの漏洩頻度 $ =\frac{\text { 漏洩事故件数 }}{\text { 稼働年数 } \times \text { 施設数 } \times \text { 機器数 }} $ 構成機器ごとの漏洩サイズのカテゴリ)別 ( $L F(I$ =1~5))の分類方法は次に示す通りである。 はじめに, 事故概要等に「破断」,「切断」,「破裂」など漏洩孔の面積が流体の断面積と等しいと考えられる記載があった事例を「Rupture」に分類した。続いて, 具体的な漏洩量の記載がなく 「微量」と記載されているものを「Very Small」に分類した。この2つに当てはまらない事例については,事故概要などに記載された漏洩孔の状況を表現したキーワードから漏洩サイズを分類することとした。たたし,キーワードから1つの漏洩サイズに特定するのは困難であり,染意的な結果に 田中ら:下水処理場における水素エネルギーキャリアとしてのアンモニアの合成プラント導入のリスク評価 Table 4 Number of incidents by leak size }} & パイプ & 4 & 3 & 0 & 0.3 & 0.3 & 0.3 \\ つながる可能性があるため, 本研究では 1 つの事例を複数の漏洩サイズに均等に配分するという方法(国立研究開発法人産業技術総合研究所, 2019)を適用した。例えば「Minor」と「Medium」 のどちらかであると思われるが,少なくとも 「Major」以上には該当しないと考えられる事例では,「Minor」と「Medium」の両者で等しい頻度で起こると仮定し, それぞれ 0.5 件ずつカウントするという方法である。さらに,キーワードによる分類が困難である事例に関しては「Minor」〜「Rupture」に均等分配した。こうして事故事例を機器ごと, 漏洩サイズごとに実際に分類した結果を Table 4 に示す。 ただし, 高圧ガス・石油コンビナート事故対応要領(経産省,2018)によると,CNGスタンドの事故事例においては,漏洩したガスが微量であることや人的被害がないことなどの一定の条件の下では,漏洩サイズ「Very Small」にあたる小規模の漏洩事故については報告不要とされている。 よってCNGスタンドの漏洩サイズ「Very Small」相当の事例は, 必ずしも全てが報告されてはいないことが考えられる。また, 水素の事故事例についても,2018年12月に条文が改正されてからは報告不要となっているため, CNGスタンドと同様に事故は起きたものの報告されていない事例が存在すると考えられる。従って 3.3 節のモデルの説明で述べたように本研究においては漏洩サイズ「Very Small」の事例は解析には用いないこととした。このサイズでの漏洩はヒトに健康影響を与える規模ではなく, この漏洩サイズを用いないことによる健康影響の評価への影響はない。 こうして求めた事故件数(Table 4)を用いて式 (11) から 1 年あたりの漏洩頻度 $L F(I)(I=1 \sim 4)$ を求めた。この値の対数をとって尤度とし, 木原ら (2017)の推定結果を超事前分布としてべイズ推定を行い,階層事前分布の $\mu_{L F(I)}$ 及び $\sigma_{L F(I)}$ を更新した。 ## 3.5 従来法とベイズ推定法の適用の比較 本研究で想定するプラントはベイズ推定を有効に用いることができる場合に該当すると判断してベイズ推定による漏洩確率の推定を行うが, 従来の統計手法を用いる場合との比較についても以下に言及する。 従来の一般的な確率推定であればアンモニア製造プラントのデータを用いて平均値や分散を求めて確率分布を推定することになる。本研究でこうした従来型の推定方法ではなくべイズ推定を採用した理由は,次の2つにまとめられる。 第 1 に, 本研究で検討したプラントは 2.3 節で述べた低温低圧の実証プラントをもとにしているため, 配管等の各機器の特性は一般的な大規模プラントのものとは異なっている。そのため現在稼働しているアンモニアプラントのみから得られた データが本研究で想定するプラントの特徴を反映 し,代表しているとは言い切れない。 第 2 に,アンモニアプラントのデータだけを用いる場合, Table 4で示すように水素ステーション,圧縮天然ガスのそれぞれと比較してもアンモニアの漏洩事故件数のデータは少なく, データ数は半分ほどしかない。さらにTable 4 に示されたとおり, 漏洩事故件数のデータ数が少ない場合には漏洩サイズごとの漏洩事故件数が 0 件である場合があり,このときべイズ推定ならば事前分布を踏まえて0件であることを加味した確率を算出するが, 従来の方法ではこうした事故の発生確率は $0 \%$ と算出される。 このように従来の統計手法を採る場合、デー夕の持つ代表性と利用可能なデータの数の 2 つ問題があることから本研究ではべイズ推定を用いることとする。 ## 4. ヒ卜健康影響評価 ## 4.1 健康影響評価方法 本研究では大気中へ拡散した化学物質の濃度を推定するため, Areal Locations of Hazardous Atmosphere (ALOHA) Version5.4.7 (EPA and NOAA, 2016)を用いた。ALOHAでは災害や事故などの突発的な流出による可然性物質の火災や爆発,有害物質の蒸気雲などが及ぶ危険域を評価できる。本研究においてもアンモニア合成プロセスにおけるアンモニアの漏洩事故を対象としていることから,このソフトウェアを用いて解析を行った。 ALOHAでは, 解析対象の気体が空気より重く重力の影響を受ける Heavy Gas Modelと, 重力の影響が考慮されないガウス拡散モデルの 2 種類のモデルが用意されている(NOAA,2013)。今回対象とするアンモニアは空気より軽いためガウス拡散モデルを用いて化学物質の大気拡散を計算したいる。またALOHAによるグラフの出力を正確に読み取るためにGraphcel Version 1.11 (T.KOBO, 2011) を用いた。 ALOHAの解析に用いる条件を Table 5 に示す。風向, 風速はモデルプラントの立地場所である大阪府豊中市の過去 20 年の 1 時間平均の値を集計し, 最も頻度が高かった風向とその風向における平均風速を用いた。(気象庁,2021)。気温は過去 20 年間の平均値とし, 風速を計測する高さは気象庁が推奨する地上 $10 \mathrm{~m}$ での観測とした(気象庁,2007)。地表面粗度について,ALOHAで Table 5 Conditions for ALOHA analysis Table 6 AEGL value of ammonia (ppm) は大気と接する表面の粗さを表すのに「open country」と「urban or forest」の2 種類を選択できるが (NOAA, 2004), 今回は住宅街や工業地帯, 森林など表面の起伏が大きい場合を想定し,後者を選択した。また, 本研究ではプロセスの配管中を高温・高圧で流れる気体の一部が任意の大きさの穴から流出するというシナリオを想定しており, パイプのほか, 残り3機器についても当該機器と接続する箇所のパイプからの流出を想定しているため 4 機器すべてについて「Pipeline(パイプラインからの流出)」の設定の下で解析を行った。 アンモニアの急性毒性を評価する指標として Acute Exposure Guideline Level (AEGL)を用いた (EPA, 2020)。AEGLは, 気体あるいは揮発性化学物質を対象としており,これらの有害物質の短期曝露によってヒト健康影響が発現する大気中濃度 $\left(\mathrm{ppm}\right.$ または $\left.\mathrm{mg} / \mathrm{m}^{3}\right)$ が3段階で表されている (Table 6)。AEGL-1は「不快レベル」とされ, 著しい不快感や可逆的な影響を増大させる濃度である。AEGL-2は「障害レベル」とされ, 避難能力の欠如や不可逆的あるいは重篤な長期影響を増大させる濃度である。AEGL-3は「致死レベル」と 田中ら:下水処理場における水素エネルギーキャリアとしてのアンモニアの合成プラント導入のリスク評価 され, 生命が脅かされる, すなわち死亡率が増加する濃度と表されている。 ## 4.2 感度解析 ALOHA の解析で設定した気象条件について,地表面粗度が「open country」の場合と「urban or forest」の場合のそれぞれで,風速,雲量,気温,大気安定度,湿度の5つのパラメータのうち1つのみ変化させ, 風下 $1 \mathrm{~m}$ 地点での最大濃度について感度解析を行った。 流出条件についてはパイプ表面が「smooth」の場合と「rough」場合のそれぞれで,直径,長さ, パイプ内圧力, パイプ内温度の 4 つのパラメータのうち1つのみを変化させ,どのパラメータの変化がより結果に影響を与えるかを検証した。 また, 風向については代表値として最頻値のみを用いてALOHAによる解析を行ったが実際には時間や時期によって幅を持っているため個別に感度解析を実施した。 ## 5. 結果と考察 ## 5.1. 漏洩頻度推定結果 アンモニア合成プロセスの漏洩頻度推定結果を Figure 5 に示す。プロットは 2 回目のベイズ推定で得られた $\mu_{L F(I)}$ の中央値,および推定結果の 5 パーセンタイル値と 95 パーセンタイル値を表している。 漏洩頻度の中央値を比べると,圧縮機が漏洩少イズ「Minor」から「Major」で最も高い結果となったほか,「Rupture」でも継手に次いで高い漏洩頻度になった。圧縮機は内部の温度や圧力の変化が大きい機器なので,機器の疲労やネジ等のゆるみ,部品のズレなどが起こりやすいと考えられ Figure 5 Results of Leakage frequency estimation る。漏洩サイズ間の差については「Minor」と 「Rupture」の間で最大 12 倍程度の差がみられ,漏洩サイズが小さいほど様々な原因から漏洩に至りやすい一方で管の破断といった大事故につながる 「Rupture」は,より起こりにくいことを表していると考えられる。 また,漏洩サイズが大きくなるほど不確実性の幅が大きくなっているが (Figure 5),これは漏洩サイズが大きくなるほど事故事例が少なく,さらには事例が存在しないケースが増えるためである。WinBUGSによるベイズ推定の際,欠損デー タをソフトが自動的に補完して推定を行うことが可能であるため, 本研究でも事故事例 0 件の場合は久損データとして扱っており,こうしたケースが増えるほど推定の過程でソフトによる自動補完が増え,実際にデータが与えられている場合に比べて不確実性が大きくなっている。 ## 5.2 ヒト健康影響評価結果 ALOHAを用いた解析に打いて, 漏洩サイズ 「Medium」から「Rupture」までの3つのカテゴリについては等しい出力結果が得られた (Figure 6, Figure 7, Table 7)。この理由として,「Medium」以上では漏洩サイズに係わらず初めの1分間までにパイプ内から流出したアンモニアの量が等しく全量が流出したために,以上の漏洩サイズ間では ALOHAの解析結果に差異が生じなかったと考えられる。 これらの漏洩サイズからアンモニアが流出した後の大気中濃度は,AEGL-2,3を超える範囲の面積が小さく(Figure 6), ALOHAでは十分な信頼性をもって描画できないとして,マップへの出力はされず,風下方向の拡散距離だけが出力された (Table 7)。AEGL-1を超える範囲は, 風下方向に $85 \mathrm{~m} にわたって$ 広がり,この範囲にいる処理場内の職員に対しては, AEGL-1 相当の軽微な影響があるといえる。また処理場外にも AEGL-1 の超過範囲が広がっているが, 道路のみで, 住宅や何らかの施設等はないため,ヒトに対して一定時間継続して曝露があるとは考えづらく,処理場外への影響はほとんどないと考えられる。一方, Figure 7から約 1 分という短時間ではあるが,漏洩箇所から風下 $1 \mathrm{~m}$ の地点において,アンモニア濃度は241,000 ppmに達し, AEGL-3(10分値)の値を大きく超過したことが分かった。吸入による累積曝露量でAEGLの基準値と比較すると, Figure 6 Distribution of released ammonia (Medium Rupture) ## 100,000 0 Figure 7 Concentration at $1 \mathrm{~m}$ downwind (Medium Rupture) Table 7 Area of released ammonia (Medium Rupture) AEGL-3の 10 分値の累積曝露量の 7.7 倍になることが分かった。このため「Medium」から 「Rupture」における累積曝露量では致死レベルでのアンモニア曝露が生じ得ると考えられる。したがって,保守点検の職員など漏洩箇所の近くで作 Figure 8 Distribution of released ammonia (Minor) Table 8 Area of released ammonia (Minor) 業をする職員などは致死レベルの影響を受ける可能性がある。 漏洩サイズ「Minor」のケースでは,AEGL-1 を超える範囲は風下方向に $67 \mathrm{~m}$ にわたって広がることが分かった (Figure 8, Table 8)。漏洩サイズが「Medium」から「Rupture」のケースは AEGL-1を超える範囲が 85 mであったことを考えると,影響範囲はより小さいが,本ケースでも処理場内の職員に対してAEGL-1 相当の軽微な影響があることがわかる。また風下 $1 \mathrm{~m}$ 地点では瞬間的に $153,000 \mathrm{ppm}$ に達するアンモニア濃度がみられるほか, $10^{3} \mathrm{ppm}$ を超過する濃度が3 4分間続く可能性があることが分かった (Figure 9)。4 分間にわたって曝露すればAEGL-3 の 10 分值の 8.2 倍の累積暴露量となる。よって, 漏洩サイズが 「Minor」の場合でも漏洩事故発生から4分ほどの間は漏洩箇所付近には近づかないようにするといった対策,および避難行動が必要となる。次に感度解析の結果を Figure 10 に示す。変化の幅が大きかったものから順に並べている。今回の感度解析において雲量, 気温, パイプ表面の条件の変化はアンモニア濃度に影響を与えなかったため,これらの項目は図中に表示していない。感度解析の結果,大気安定度が中立のDから最 Figure 9 Concentration at $1 \mathrm{~m}$ downwind (Minor) Figure 10 Results of sensitivity analysis (Downwind $1 \mathrm{~m}$ ) も不安定な F に変えた時が大気中濃度に与える影響が最大となり,地表面粗度が「urban or forest」 では,約 $716,000 \mathrm{ppm}$ ,すなわち3.4倍増加し,「open country」では約 $3,094,000$ ppmすなわち 8.7 倍増加することが分かった。 一方,気温の変化が結果に与える影響が最も小さく,「urban or forest」のときで最大 18,000 ppm 減少,「open country」のときで最大 26,000 ppm減少し,7〜9\%程度の変化にとどまった。 また,風速,直径の変化率は 1.22倍であり, パイプ内圧力, パイプ長さ, パイプ内温度ではいずれも $0.4 \sim 0.5$ 倍の変化率となった。 地表面粗度が「open country」の時には「urban or forest」のときよりすべてのパラメータにおい Figure 11 Relationship between wind speed and concentration て感度変化の割合が高くなった。 さらに風向,風速について個別に解析を行った。本研究の対象地である豊中市の風向は, 最頻值である北西からの風に続いて,北北西,南西の順に多く,それぞれの風向における平均風速は $2.63 \mathrm{~m} / \mathrm{s}, 3.96 \mathrm{~m} / \mathrm{s}, 3.30 \mathrm{~m} / \mathrm{s}$ であった。風速の変化と濃度の関係は Figure 11 の通りである。南西からの風が吹いた場合には, AEGL-1の超過範囲が事業所の外の公道に一部達する可能性があることが分かった。 ## 5.3 アンモニア合成プロセスのリスクと対策 漏洩頻度の推定とヒ卜健康影響評価から得られた,アンモニア合成プロセスにおけるリスクについてまとめる。 漏洩サイズ「Medium」から「Rupture」では,漏洩頻度に大きな差は見られず, 1 年間あたり $10^{-4}$ から $10^{-3}$ を超える程度の漏洩頻度と分かった。機器別では「Medium」の時に圧縮機の漏洩頻度が最も高く,「Major」と「Rupture」では圧縮機と継手がほとんど同じか,継手のほうが少し高かった。 以上の結果を踏まえると,これらの漏洩サイズで漏洩が起きた際には, 漏洩箇所から $1 \mathrm{~m}$ 以内では致死濃度の 5~7倍相当のアンモニアに曝露する危険性があることが示唆される。したがって,漏洩頻度が高く見積もられた圧縮機や継手には,常に強度が保証された最新の部材を使用するといった事故を防ぐための保守管理が必要である。 また,このような比較的漏洩サイズの大きな事故事例では,機器の故障や破損といった物理的要因以外にも,確認不足や操作手順の誤りが原因となったヒューマンエラーによるものも事故事例データベース(高圧ガス保安協会,2020)の中で 報告されている。したがって,日常の点検業務に打いても,漏洩頻度の高い圧縮機や継手については,特に点検項目や点検回数を増やすことや,夕゙ ブルチェックによる事故の前兆の見逃しを防ぐといった対策を行うことが推奖される。さらに,機器の運転時や操作を加えるときには, 複数人でのチェックを必要とすることや,マニュアルの参照を徹底するなど人為的な事故を防ぐ対策ことも,漏洩事故を未然に防ぐために有効であると考えられる (大阪府,2021)。 ## 6. 結論 本研究では, 今後水素のエネルギー利用が進む中で選択肢となりうる下水処理場を水素エネルギーの生産・貯蔵拠点として活用するというケー スを想定したリスク評価を実施し,アンモニア漏洩頻度の推定とヒト健康影響リスクの高い箇所の特定を行った。 その結果,継手と圧縮機の漏洩頻度が高く,パイプやバルブと比べて最大で 6 倍程度となることが分かった。 アンモニアの漏洩が発生した際には,漏洩サイズが「Minor」以上のケースでは,漏洩箇所に近い場所では数分間の曝露によって致死濃度を7 8 倍程度上回る濃度での曝露が生じ得ることが分かった。また感度解析によって大気安定度の変化がアンモニアの大気中濃度に与える影響が大きく, 地表面の状態によって3倍から9 倍程度変化することが分かった。 本研究ではベイズ推定の手法を用いて漏洩頻度の推定を行ったが,プラント導入以前のデータが存在しない段階に加えて導入後のデータが十分に蓄積されるまでの期間についても,事前評価にべイズ推定を使用することで同一のモデルを引き続き用いて類似デー夕と実際のデータのどちらも利用した漏洩頻度の推定を行える。一方で一般的な確率評価の方法では設備導入後に実際のデータが得られたとしても異なる種類のデータが混合した状態で評価することはできないため,十分にデー 夕が集まるのを待ったうえで評価をし直す必要があるほか,利用可能なデータが少ない場合に適切な確率推定を行えないことがある。このため本研究のように,リスク評価に用いるデータが存在しないものの今後技術の進展やデータの蓄積が期待される対象への事前のリスク評価において,少しずつ蓄積していくデータを随時反映させていくに はベイズ推定を用いて逐次的に評価を更新できるモデルを選択することが適切であると考えられる。これによって先行研究を踏襲しながらも,水素ステーション拡大の傾向という特徴を反映した新たなデータを用いることで先行研究からさらに新しい知見を付与しているほか, 確率の推定のみならずヒト健康影響評価までを一貫して行った。今後は本研究で明らかになったリスクの大きさに応じた対策の費用対効果を評価することや,アンモニア製造プロセス導入のコストなどを評価範囲に含めることで, 水素エネルギーキャリアの導入についてより現実的な検討を行うことが可能になると考えられる。 ## 謝辞 本研究は, (独)環境再生保全機構の環境研究総合推進 (JPMEERF18S11702) により実施した。 ## 参考文献 Anjana, N. 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# 【特集:東日本大震災 10 年 原著論文】 # 低濃度除去土壌県外処理問題を題材とした集団討議実験一共通善の観点を巡る議論と討議の質を可視化する指標の開発—* The Group Discussion Experiment on the Treatment of Removed Low Concentration Soil outside Fukushima Prefecture: Contemplation of Common Goods and the Development of the Index Visualizing the Discourse Qualities } 相馬ゆめ**,横山実紀**, ${ }^{*}$ ,中澤 高師***,辰巳智行****,大沼 進** Yume SOUMA, Miki YOKOYAMA, Takashi NAKAZAWA, Tomoyuki TATSUMI, and Susumu OHNUMA } \begin{abstract} An enormous amount of removed soils were produced by the decontaminated works derived from the Fukushima nuclear power plant accident. Public understanding and dialogues are required to realize the final disposal of the removed soils. This study contemplated the plural principles of common goods surrounding the removed soils. A group discussion experiment was conducted, setting three arguing points. Before the experiment, the Discourse Quality Index (DQI) was developed to visualize the discussion qualities by plural evaluators, which was confirmed the validity showing sufficient matching rates between the evaluators. Results of the experiment by the analysis of DQI score showed that statements from the points of Utilitarianism were observed the most, while the statements from maximin were fewer. However, many decisions of the groups gave priority to the inequity alleviation and the maximin principles. \end{abstract} Key Words: contaminated removed soils, common goods, group discussion experiment, discourse quality index (DQI), maximin principle 1. はじめに 福島第一原子力発電所事故の除染作業により,除去土壤が大量に発生した。この除去土壌は,現在福島県双葉町・大熊町にある中間貯蔵施設で管理・集積されている。この土壤は2045年までに 福島県外で最終処分することが法律に明記されて いるが,具体的な処理方針や処分地は決まってい ない。最終処分に向け国民的な理解と議論が不可欠で あるとして,国は様々な情報発信や活動支援を試 みている(環境省,2021a)。しかし,そもそもな ぜ福島県外での処分(以下,県外最終処分)なの かという点での理解醸成は容易ではない。さら に, どのような枠組みで議論をすべきかについて も慎重な準備が必要とされる。 そこで本研究では, 社会全体の望ましさとは何  かという共通善を巡る議論から出発し, 多元的な 価値の系からなる共通善を整理する。続いて,時間軸的に先に対処すべき問題である低濃度除去土壤の処理に絞り,議論に必要な論点を整理する。次に,幅広い一般市民がワークショップのような 場で,小集団で議論をする際に,どのような観点 から討議を評価すべきかを論ずる。これらの議論 をふまえ, 討議の質の評価指標を開発し, 集団討議実験を行った結果を報告する。 ## 1.1 除去土壌県外最終処分問題 中間貯蔵施設は, 福島県内の除染に伴い発生した土裹や廃棄物等を最終処分するまでの間, 安全に集中的に貯蔵する施設として, 双葉町・大熊町に整備されている。中間貯蔵・環境安全事業株式会社法(2014年施行)では,「中間貯蔵開始後 30 年以内に福島県外で最終処分を完了するために必要な措置を講ずる」ことが国の責務として明記されている(環境省,2019)。 中間貯蔵施設全体の敷地面積は約 $16 \mathrm{~km}^{2} て ゙$,渋谷区とほぼ同じ面積になる。事故以前は田んぼや梨畑, 神社などがあり, 起伏のある土地であった。 中間貯蔵施設に搬入されると見达まれる除去土壤の量は約 1,400 万 $\mathrm{m}^{3}$ で,全体の約 $24 \%$ が $8,000 \mathrm{~Bq} / \mathrm{kg}$超の高濃度土裹, 約 $76 \%$ が $8,000 \mathrm{~Bq} / \mathrm{kg}$ 以下の低濃度土裹である(環境省,2021b)。膨大な除去土壤を全量最終処分することは施設規模の確保などの観点から困難であり,県外最終処分の実現に向けて,最終処分必要量を低減することが鍵になる (環境省,2019)。そこで政府は近隣住民や作業者に対する放射線の安全性の確保を前提として,低濃度土壤を再生資材化し,管理主体や責任体制が明確になっているという条件の下で再生利用することを目指している(環境省,2016)。具体的には, 橋や堤防, 道路などの盛土材や, 農地での利用が検討されており, 福島県の南相馬市や飯館村では再生利用実証実験が行われている。 ## 1.2 共通善とは:3つの価値の系から 除去土壌の県外最終処分や再生利用は, どのような価値の系から正当化されるのだろうか。以下に論ずる3つの共通善の観点から整理する。 「社会全体の望ましさ」としてまず想起されるのは,「最大多数の最大幸福」に象徴される功利主義 (Bentham, 1789) である。功利主義は相互協力の重要性を説く。集団間葛藤を超えて社会全体の効用を高める観点から有用な考えである (Greene, 2013)。伝統的なリスク学では, リスク(ないし八ザード)を最小化し,コストやリスクとべネフィットのバランスを考慮することが合理的であると考えられてきた (c. f. Fischhoff, et al., 1978)。 この考えの前提には功利主義があると言える。除去土壤の問題でも,費用対効果を重視し,リスクを最小化し, 負担のかかる人々や地域は最小限にすべきという要請が第一にある。これも一種の功利主義的な考え方に基づくといえる。 だが, 功利主義は社会全体の効用の最大化のために一部の少数者が不利益を被る場合があるという不衡平・不平等の問題を内包する。不衡平・不平等は社会的に是認されがたい不公正 (injustice) の一つとされており, 功利主義とは異なる価値の系である。忌避施設立地 (NIMBY: Not In My Back Yard) 問題は, 社会全体の利益(功利主義)のために一部の地域に負担が集中するという不衡平の問題を構造的に孕んでいる(籠, 2009; Nakazawa, 2017)。除去土壌の問題でも,どこで再生利用や最終処分をしようとも, それらを引き受ける地域と引き受けない地域間の不衡平・不平等の問題がつきまとう。 広義には公正の問題だが, 不衡平・不平等とは異なる観点としてマキシミン原理がある。Rawls (1999)は, 複雑な利害が絡む問題では, 人は自己利益に拘泥されるため, 利害不明な状況を仮定して考えてみればよいと提案した。自分の利害が不明であるという無知のヴェール下に置かれると,最も不利な立場の人を最重要視した選択肢を選ぶはずだと論ずる(マキシミン原理)。ここから,社会政策において最不遇者への配慮を基軸とした分配が優先されるべきであるという論理が導かれる。単純化しすぎた議論は危険だが, 除去土壤の事例では, 現在中間貯蔵施設に土地を提供しており, かつ, 帰還を望んでいる人々を最不遇者と位置づけ, マキシミン原理的に優先されるべき存在と考えられる。マキシミン原理からは, 中間貯蔵施設となっている土地を彼らに返し, 彼らがこの土地で生活できるようにすることが優先されなければならないことになる。ここにきてはじめて最終処分や再生利用を県外で行うことを正当化する共通善の考え方が立ち現れる。 除去土滾を巡る問題では, リスクやコストの問題を含む功利主義が前提として必要なこと, 県外 最終処分を正当化できる理由がマキシミン原理にあること,その一方,どこで処理するにせよ負担配分の不衡平がつきまとうことから,この3つが特に重要と考えられる。以上, 共通善の価値の系として, 功利主義, 不衡平・不平等(以下では不衡平と括る)緩和,マキシミン原理,という3つを軸に対比していく。 ## 1.3 低濃度除去土壌処理方針を巡る論点 前項で挙げた $3 つの$ 共通善をめぐる規範概念は,現実の問題解決の場で,選択肢としての政策オプションが示された時に, 議論の内容や結果の中にどのように埋め込まれていくのだろうか。本項では,本研究の題材である低濃度除去土壌処理についての議論での様々な論点の中から, 特に政策上の大きな方針転換となり得ると考えられる以下の3つの論点について, 詳細と政策オプションを示す。 第一の論点は, 低濃度土壤の処理方針である。政策オプションは「再生利用をして有効活用する (以下,再生利用)」,「再生利用をせずに長期保管をする(以下,長期保管)」である。国の方針は公共事業における盛土材や農地などに再生利用として有効活用をする前者だが,これに対して慎重な意見もある。再生利用への理解が得られなければ,再生利用をしないという選択肢も,現実にはとらざるを得ない。ここでは再生利用しない場合はどこかに貯蔵し続けることを意味すると考え,長期保管と呼ぶ。なお,長期保管をする場合には,現在の中間貯蔵施設に残すのか,他の場所に移すのかという議論も付随する。 第二の論点は, 再生利用や長期保管の実施場所の候補地である。政策オプションは都道府県単位で「福島県以外」の地域,「福島県を含める」地域である。最終処分は福島県外と法律に明記されているが,再生利用については法律上の規定がない。最終処分と同様に考えれば, 再生利用も県外と考えられる。しかし, 実態として再生利用実証事業は福島県内で行われており,県外での実施の目処は今のところたっていない。現状では,福島県を含めるという選択肢もあり得る。 第三の論点は, 再生利用や長期保管の実施場所の数である。政策オプションは,「一か所」,「複数か所」となる。低濃度除去土壌の引き受け手がいない現状では,一つの自治体でも出てくれば, そこに負担が集中する可能性が高い。しかし,「複数か所」であれば,引き受け自治体の負担軽減につながり, スティグマ化を防ぎやすくなる (横山ら,2021)。ただし,「複数か所」にする場合,多数の場所にするのか,若干数にするのかということは議論の余地を残した。 以上の3つの論点は, 独立ではなく相互に絡み合っている。例えば, 再生利用であれば澎大な除去土壤の量を鑑みて, 複数か所にすることも合理的になり得るが,長期保管であれば施設のコストを抑えるために一か所とする方が合理的だと考えることもできる。 また各選択肢をセットとして考えると, 結論の解釈も異なる。同じ福島県を含めるという選択肢でも,「福島県を含める」「一か所」というセットではマキシミン原理的な配慮がなされず,負担の分散よりもコストの最小化を優先したと解釈できる。一方,「福島県を含める」「複数か所」のセットであればマキシミン原理的な配慮はなされず,負担を分け合うという意見が優勢であったと考えられる。同様に,「福島県以外」「一か所」ではマキシミン原理的な配慮はされたが,負担の衡平さは考慮されなかっただうう「福島県以外」「複数か所」ならば, マキシミン原理的な配慮と不衡平緩和が優先されただろうなどと解釈が可能である。 このように3つの論点は, 単独のものではなくセットとして議論される可能性があり, 結論を解釈する際もセットとして考える必要があるという点に留意が必要である。 ## 1.4 討議の質を評価する指標を巡る問題 本研究は,一般の国民が当該問題について小集団で討議する場面を念頭に置いている。例えば, ワークショップなどで, 数名ずつ着席したテーブルが複数あり, 参加者が水平的な立場で議論する状況である。このような議論の場において, 参加者は単に自らの意見を主張すればよいというわけではなく,「良い討議」が求められる。「良い討議」とは, Habermas(1988)によれば,お互いに耳を傾け,良いと思えば意見を変えることも厭わない態度で討議に臨むことである。また, 個人の利害を超えた共通善の観点からも議論がなされることが望ましい。この際, 共通善は複数の価値の系からなるため, 特定の価値の系に偏らず議論することが望まれる。付随的に, 良い討議であったかどうかは, 議論参加者がその決定を受け入れられるかに影響すると考えられる。リスク政策にお いて,決定に正統性を与え,社会全体で受け入れられやすくなるためにも,良い対話の場をいかにつくれるかは重要となる (McComas et al., 2010)。 そこで,討議の質を評価するモノサシが必要となる。討議の質評価指標として,Discourse Quality Index(以下,DQI)がある (Steenbergen et al., 2003)。 DQI は欧州での議会議論を比較研究するために開発された指標で,討議に参加していない第三者が評定する。Himmelroos (2017) は市民による討議の質を比較する際に,DQIの中の「意見の正当化」,「建設的な議論」,「尊重」,「内容の正当化」が特に重要であるとした。さらに Bächtiger et al. (2009) は,DQIが扱っていない情動的なレトリックなども討議の要素とすべきとしており,それを評価する新たな指標を加えた。 本研究は大朹では以上の議論に基づきながら DQIの追加・修正を行う。DQIを日本における一般市民が参加する議論の場に適用する際,以下の四つの問題点が挙げられ, これらの改善が必要となるためである。 一つ目は, DQIは参加者が明確な意見と理由を持つことを前提とし,その理由が意見を正当化できるかという観点で評価していることである。たが,討議に参加する市民には必ずしも強い意見があるとは限らず,意見を述べたとしても理由を明確に言えないこともあるため, その前提は適当でない。本研究で扱う除去土鎄を巡る議論では, 明確な理由とともに意見を述べることを,参加者に必ずしも求めない。むしろ, 参加者が意見を述べたか,そこに理由はあるかを評価する軸が必要である。 二つ目は, DQIは賛否二分法的な,対立意見のある議論を想定していることである。そのため,参加者が対立意見を認め, 乗り越えるかという点のみで建設的な議論であったかを評価している。 しかし, 論点は常に賛否二分法的ではなく, 両極の問題と捉えられないことも多い。本研究の除去土壤を巡る論点でも,便宜的に二分法的に整理しているが,厳密には二項対立構造になっていない。このような問題では, 対立意見への態度だけではなく,疑問や論点を話題にすることや,結論に向けて議論をまとめようとすることも建設的な議論の要素として評価項目に含めるべきである。 三つ目は,敬意を払う対象である。DQIでは討議において尊重されるべき対象を,「他者の主張」,「対立意見」、「特定の政策を通じて助けられ る集団」としている。ここで「特定の政策を通じて助けられる集団」とは, 議論参加者以外の決定によって影響を受ける全ての主体のことであるが,その主体は多様で置かれている状況が異なる。特定の政策により,常に全ての集団が恩恵を受けられるわけではないことは,不衡平などの問題として上述した通りである。とりわけ,除去土壤をめぐっては,既に除去土壤がある地域,これから除去土堙を引き受ける地域,そのどれでもない地域が明確に存在することになり,一括りに扱うことはできない。それにもかかわらずDQでは「特定の政策を通じて助けられる集団」として一括りにしている点が問題である。そこで, 議論には参加していないが配慮されるべき主体を明確化し, 議論参加者への敬意とは区別して評価に含めるべきである。 四つ目は, 社会全体の望ましさ, つまり共通善への関心を評価する「内容の正当化」の捉え方が一面的で直線的であることである。DQIでは,自集団の利益, 中立的な利益, 共通善への関心 (功利主義), 共通善への関心(功利主義以外)という段階で評価する。だが上述のように,共通善は功利主義以外にも不衡平緩和,マキシミン原理など複数の価値の系を持つため, 功利主義以外のものを一つにまとめることは適切でない。むしろ,複数の価値の系が両立困難なときにどのように優先性が決まるのか, 折り合いをつけるのかを評価することが討議の質の評価で求められる。特に本研究で扱う低濃度除去土壌処理問題や, その後の県外最終処分では,この点に注目すべきである。 そこで,共通善への関心の有無と,どの共通善の価値の系が重視されるかをより多面的に評価する必要がある。 ## 1.5 本研究の目的 本研究は,低濃度除去土壤を巡る複数の論点について集団で討議した際の帰結を観察し, 討議の質を共通善の観点から評価することを目的とする。 これに先立ち,討議の質の評価指標を開発する。 まず予備実験で,従来のDQIを修正し,新たな指標を開発する。開発した指標の妥当性を確認するため, 複数の評定者間で妥当な範囲で一致するかを検証する。 次に本実験で,1)除去土壌問題について集団で討議した際の帰結を観察し, 参加者がその結論を受容できたか,また,議論した論点に対する意 見がどのように変化したかを確認する,2)開発したDQIを用いて議論の内容を評価する。以上から,第三者による討議の質の評価 (DQI) と議論の帰結,その参加者による主観的な受け止め方との関係を考察する。 ## 2. 方法 ## 2.1 実験概要 実験室による小集団実験を行った。実験に際し著者の所属機関にて倫理審查を受けた(承認番号 02-19)。 実験参加者は事前に情報提供を受けておらず,実験室に来た際にはじめて情報提供を受けた。議論は1グループ4名ないし3名で,互いに初対面であった。参加者は全て大学生で, 実験参加システム登録者から集められたため,当該トピックへの関心や, 情報接触の有無とは一切無関係であった。 ## 2.1.1 資料作成 参加者が議論に際し参照する資料を作成した。 この資料は除去土壤を巡る経緯と,議論で求めら し, 異なる専門家 5 名(放射線医学, 土壌污染, リスクコミュニケーション等)に,資料に記載された情報が偏っていないかなどの中立性や妥当性を評価してもらった。具体的には,情報のバランス, 議論を恣意的に誘導していないか, 特定の立場に加担していないかを尋ねた。また,3つの論点設定の妥当性とともに,はじめて情報に接した者が読んだときに,内容が難しすぎたりやさしすぎたりしないか,情報量が多すぎたり少なすぎたりしないかという点での妥当性も尋ねた。5名の専門家全員から偏りがなく中立的で妥当であると評価されるまで修正を繰り返した。 ## 2.1.2 実験の流れ 参加者は実験に先立ち, 実験参加と録音・録画の承諾書に署名した。同意しない参加者はこの場で実験参加を辞退できる,もしくは撮影や録音を行わない旨が教示された。はじめに, 資料が配られ,議論の前のインストラクションを受けた(約 10 分)。その後, 参加者は各論点に対する意見を尋ねる事前質問紙に回答した。参加者が自分の考えをまとめる時間を 3 分間とった後,議論をはじめてもらった。ファシリテーターなどはおかず,議論開始後は参加者同士に進行を委ねた。 議論内容は福島県の中間貯蔵施設にある低濃度土壌に関して, グループで話し合い, 3 の論点について,それぞれ一つの結論を出すことであった。3つの論点は以下の通りである;1)低濃度土壤を有効活用するか, 長期保管するか。2)処分の候補地に福島県を含むか,含まないか。3)それを一か所にするか, 複数か所にするか。議論の時間は40分間であった。 議論終了後, 参加者は各論点に対する意見や議論の内容,帰結の評価に関する質問紙に回答した。 ## 2.2 予備実験:討議の質指標開発 ## 2.2.1 予備実験の実施 開発された DQIの妥当性を確認し, 必要に応じて修正するために,2つの予備実験を実施した。 予備実験1は開発した指標を用いた評定が,評定者間で一致するかを確認するために行った。参加者は4名で, 1 回実施した。 予備実験 1 の評定は, 実験者 1 名と評定者 4 名の計 5 名で実施した。2 名ずつの組み合わせを 10 組作り, 評定の一致度を確かめる単純カッパ係数を算出した。その結果,十分に一致していた組み合わせは 3 組であったため $(\kappa \mathrm{s} \geq .53)$, その指標には問題があると判断し, 各項目の内容を見直し修正した。修正した指標の内容の詳細は後述する。 予備実験2は修正した指標を用いた評定が評定者の間で一致するかを確認するために実施した。参加者は 8 名で, 2 回実施した。実験内容は予備実験 1 と同様であった。評定者は予備実験 1 に参加していない 1 名が加わり,計 5 名である。 2 回の実施のうち,一方の実験を予備実験 1 の評定者 2 名と予備実験 2 からの評定者の計 3 名が,他方を予備実験 1 の残りの評定者 2 名と予備実験 2 からの評定者の計 3 名で評定した。評定者間の一致度を各実験で 3 組の組み合わせを作り単純カッパ係数を算出したところ, 1名だけ他の評定者との一致度が低かったため, 実験者が指標の項目の内容を再度説明し, 正確に理解したかを確認した。 ## 2.2.2 開発したDQI項目の詳細 評定項目はTable 1 のとおりである。 評定は発言を単位とし, 項目ごとに該当すれば 1 , 該当しなければ 0 とし,この作業をコーディングと呼ぶ。ある参加者が話し始めてから他の参加者が話し出すまでを一つの発言とした。一つの発言で,複数項目に該当する重複を認める。 Table 1 Contents of developed DQI & 社会全体の望ましさをリスク(風評被害以外)・コスト・量の観点から考えている発言 \\ ここで,従来のDQI と開発したDQIの項目の対応関係を説明する。「意見の正当化」には,「発言者の意見」,「発言者の理由」が対応する。「尊重」には,「尊重なし/あり(他の参加者)」と 「慮りなし/あり (福島)」が対応する。「内容の正当化」には,「特定の地域・人々への言及」,「社会全体の良さ (リスク・コスト・量)」、「社会全体の良さ (分かち合い・負担軽減)」,「社会全体の良さ(福島の人々の気持ち)」が対応する。「建設的議論」には,「疑問$\cdot$論点」,「対案$\cdot$代替案」,「まとめようとする発言」,「妥協案・和解案」が対応する。 これらとは別に, 本研究で新しく追加した項目がある。まず,「発言者の体験」,「他人の体験」,「当事者性」,「発言者の感情」である。これらは一般市民が参加する議論に,理性的な発言以外の弁論や語りも認められるという考えから, 個人的な経験や具体的な場面での語りに着眼する「物語」という枠組み (Bächtiger et al., 2009) を評定するために採用した。 次に「リスク」,「コスト・量」,「風評被害・スティグマ」である。これらは社会全体の良さとの区別を明確化して,議論の中で出てきた話題を計測するために作成した。なお, これらの項目は議論テーマの除去土壌に依存するものである。 ## 2.3 本実験 本実験は 1 グループ 4 人が 8 組, 同 3 人が 2 組の 10 グループ38名で実施した。実験内容・手順は予備実験 1,2 と同様であった。本実験では, 開発したDQIの評定に加え,グループごとの議論の帰結, 参加者の受容度を分析対象とした。 ## 2.3.1DQIのコーディングとスコア算出 本実験では,5名の評定者がそれぞれ 4 回分の実験のコーディングを担当した。2名の評定者の組み合わせは固定していなかった。 実験当日,担当評定者のうち1名が実験室に同席し,議論のメモを取った。実験後にテープ起こしされたテキストを,実験室に同席した評定者がチェックして,完成版テキストを作成した。それを実験者が確認し,担当評定者2名が独立にコー ディング作業を行った。 評定者間の一致度を確かめるため, グループごとに単純カッパ係数を算出した。結果は, 全グ ループで単純カッパ係数の値は十分一致している と見なせる 0.6 よりも高かった $(\kappa \mathrm{s} \geqq .60)$ 。 集団ごとに,発言数に対して,各項目で1がついた回数の割合を「DQIスコア」として算出した。 「特定の地域・人々への言及」,「社会全体の良さ (リスク・コスト・量)」、「社会全体の良さ (分かち合い・負担軽減) 」,「社会全体の良さ(福島の人々の気持ち)」の4項目は,それぞれに該当した発言数の合計を基準とし, 各項目に該当する発言数の割合をスコアとした。そのほかの項目は,全ての発言からどの項目にも当てはまらなかった発言を除いた発言数を基準として, 各項目に該当した発言数の割合をスコアとした。 ## 2.3.2 質問紙 討議前と討議後に質問紙で,参加者へ各論点の政策オプションに対する意見を「1: 反対」から 「7:賛成」の7段階で尋ねた。事後質問紙では参加者が議論の帰結を総合的に受け入れられたかを評価するために,2つの項目について「1:そう思わない」から「7: そう思う」の7段階で尋ねた;「自分は, 話し合いの様子や決め方のプロセス,結論を総合的にみて,決定を受け入れられる」「自分は, 話し合いの様子や決め方のプロセス,結論を全体的にみて,決定に納得できる」。分析のために,2 項目の平均値を「受容」の尺度とし (標準化 $\alpha=.74 ) ,$ 各グループで尺度平均値を算出した。 ## 3. 結果 ## 3.1 議論の帰結と意見変化 ## 3.1.1 議論の帰結 各グループで至った帰結を Table 2 に示す。低濃度土壌の処理方法は, 全グループで「有効活用」が選択された。処分地は 10 グループ中 1 組で 「福島県を含める」,2組で「一か所」が選択された。 議論内容の詳細は以下の通りであった。 まず処分方法については,再生利用をする際のリスクや風評被害と,長期保管をする際の施設の建設費・管理費や,長年わたって保管するというコストを天科にかけて議論をするグループが複数みられた。コストやリスクを判断に用いたことから,功利主義的な観点が主な決定の理由だったことが読み取れる。また,議論開始時には長期保管派だった参加者が,農地以外で再生利用するならば有効活用でもよいと譲歩した議論もあり,再生 Table 2 Decision of each group and acceptance scores 利用の用途先を限定することで両者の意見に折り合いをつけていた。 次に処分地の候補について, 「福島県以外の複数か所」というセットが結論となったグループが 7 組あった。「福島県以外」という意見の理由は主に二つあった。一つは,「中間貯蔵施設のある双葉町・大熊町を含め帰還困難区域に住んでいた住民には,その土地に戻りたい人がいる」という住民の気持ちを考慮するものであった。もう一つは「県外最終処分が法律に明記されているから,福島県で除去土壤の処分を行うことは法律違反になる」として国の立場が悪くなることを懸念するもので,住民の気持ちに配慮したものではなかった。また,「複数か所」の理由として,負担を分散させる,再生利用であれげ低濃度除去土壌の量を考えると複数か所が現実的である,などが挙げられた。「福島県以外の複数か所」は一般的にマキシミン原理的な配慮と不衡平緩和を優先したものと解釈できるが,必ずしもそうではない議論もあった。 グループ 3 とグループ 5 では「福島県以外の一か所」という結論となった。グループ3では,処理にかかるコストの削減を追求し「一か所」, 自分の住む県に除去土壤が持ち込まれたらどう思うかを議論し, これまで中間貯蔵施設があった双葉町・大熊町を含めた福島県の住民の気持ちを配慮して「福島県以外」となった。グループ5では, コストを削減するために「一か所」という意見も聞かれたが,「複数に分けると除去土壤が危険なものだと思われる」という意見もあり,効率性を優先したわけではなかった。「福島県以外」については,先に「一か所」ということが決まったため、「福島県を含める」にすると福島県一か所に 押し付けられる可能性を考慮し,「福島県以外」 となった。まとめると, グループ3の「福島県以外の一か所」は功利主義的な合理性とマキシミン原理が優先されたと解釈できる。一方,グループ 5 は合理性を考慮したが,積極的なマキシミン原理的な配慮はなかったと読み取れる。 グループ8では「福島県を含める複数か所」という結論になった。このグループでは,復興を早く進めるために福島県で有効活用をしてコストを抑えるべき,福島県のインフラ整備に除去土壌を使用すれば一石二鳥であるという意見が聞かれた。また,「複数か所」の理由として, 除去土壌が多くの人の身近になり,処分地の心理的負担を軽減させ,福島県だけ風評被害を受けることを避けられるというものがあった。素朴に考えれば 「福島県を含める複数か所」はマキシミン原理的な配慮がなく, 不衡平緩和が優先されたと解釈できるが, グループ8ではマキシミン原理的な配慮が語られていた様子が読み取れる。 受容については, 全グループで平均值が 5 以上となり,参加者は結論を受け入れていた。 ## 3.1 .2 討議前後の意見変化 グループごとの,各論点の政策オプションに対する討議前後の意見変化を付録の Table 3 に示す。 ほとんどのグループで結論となった選択肢が討議後に支持される方向に変化し, 標準偏差も小さくなった。ただし,決まらなかった論点については必ずしも反対の方向に変化したわけではなかった。 ## 3.2 DQIスコア 全グループのDQIスコアをプールしたグラフを Figure 1およびFigure 2 に示す(グループ別のDQI スコアは付録の Table 4)。 共通善への関心以外のDQIスコアをみると,自明ではあるが「発言者の意見」と「発言者の理由」が多かった。また「尊重あり (他の参加者)」 も多く, 参加者間で意見を認めあいながら議論したことが反映された。一方,「尊重なし(他の参加者) 」と「慮りなし (福島) 」は0 近く, 参加者や福島の住民に対して敬意や配慮のない発言がなかったことを示している。「建設的議論」の項目の中では「疑問・論点」が多く,参加者が意見を互いに確かめる様子や,自主的に論点を整理し,ファシリテーターの役割を担う参加者もいたことを反映していた。話された話題は「コスト・ 言言重重りり問案と協言人事言スス評者者なあなあ・・め案者の者者ク下被ののしりしり論代よ・の体性の・害 のの島島参参加加者者 発 言 Figure 1 Average DQI scores except for common goods 注)縦軸は該当項目の発言数の割合。 Figure 2 Average DQI scores on common goods 注)縦軸は該当項目の発言数の割合。 量」が他の項目より多く,3つの論点で共通して低濃度土壤を処理する際のコストや,その量について議論されたことと対応していた。これらの傾向は全グループで共通して見られた。 共通善の関心のDQIスコアは,「社会全体の良さ(福島の人々の気持ち)」が他の 3 項目と比べて低かった。この傾向は全グループでほぼ共通して見られ,福島の人々への配慮という観点から共通善について議論することが少なかったことが示唆された。他の 3 項目についてはグループごとにスコアの分散が大きく, リスクやコストの最小化について中心的に話されたグループや,負担の分担に焦点を置いたグループがあった。 ## 3.3 参加者の受容とDQIスコアの関連 グループごとの受容と DQIスコアの特徴を見 た (Table 2 と付録 Table 4)。受容の平均值が最も高かったグループ9のDQIスコアは,「社会全体の良さ (分かち合い$\cdot$負担軽減)」と「風評被害$\cdot$ スティグマ」が他のグループより高かった。一方, 受容の平均值が最も低かったグループ4では,「社会全体の良さ(リスク・コスト・量)」,「リスク」,「コスト・量」のスコアが他のグルー プより高かった。両グループの結論は再生利用,福島県以外の全国,複数か所で同じだったが,議論された内容によって受容は異なる可能性が示唆された。 ## 4. 考察 ## 4.1 実験結果のまとめ 本研究では,低濃度除去土壤の処理方針を巡る 3つの論点を整理し, それらについて話し合う集団討議実験を行った。予備実験では,議論を評定する指標を開発し,その評定が評定者間で十分に一致しており,その指標の妥当性が確認された。本実験では,集団で討議した際の帰結と,開発したDQIを用いて議論の内容を評価した。その結果,全グループで低濃度土壌を再生資材として有効活用という㡞結になったことから,偏りのない情報提供と熟考・熟議の機会があれば,再生利用が支持される可能性を示唆している。また,低濃度土壤の処理を「福島県以外」の「複数か所」 で行うという組み合わせが最も多くみられたことから,負担の不衡平緩和とマキシミン原理的な配慮が優先されたと考えられる。ただし, 功利主義が軽視されていたわけではなく, リスクやコストについてはどのグループでも必ず話題にされていた。また, 参加者はグループで結論となった選択肢について,討議前後で意見を支持する方向にシフトさせ, グループ内での意見のばらつきも小さくなっていた。この結果だけからは,十分な討議により熟慮された結論になったのか,単なる集団極化(集団平均が討議前より極端な方向に変化し集団内分散が小さくなる)なのかを判断することはできないが,DQIスコアとの組み合わせにより解釈をする意義はあるだろう。 開発したDQIを用いた評定は,十分な一致度で,議論の内容と質を反映しており,具体的な可視化に成功したといえる。共通善への関心についてのDQIスコアの中では,「社会全体の良さ(福島の人々の気持ち)」が他の項目と比べて低く, マキシミン原理的な観点から共通善についての議論が少なかった。 ## 4.2 議論の帰結とDQIの総合的解釈 開発したDQI項目のなかで「コスト・量」の DQIスコアが高かったことから, 除去土壌の処理方法に関する「コスト・量」について多く言及された結果,コストの抑えられる「有効活用」が選択されたと推察される。また8組が「複数か所、 を選び,DQIスコアでも「社会全体の良さ(分かち合い・負担軽減)」が「社会全体の良さ(リスク・コスト・量)」と同等の発言量があった。このことから,リスクの最小化や費用対効果の面たけではなく, 負担の不衡平緩和についても議論がされ,帰結に反映されたと解釈できる。 ここで, 結論は「福島県以外」の全国で「複数か所」という,マキシミン原理的な配慮が読み取れるものが多かったにも関わらず,なぜDQI スコアではほとんどの実験で共通して「社会全体の良さ(福島の人々の気持ち)」が他の共通善に関係する項目と比較して低いのかという疑問がある。この一見整合しない結果については,二つの理由が考えられる。一つ目は,「福島県以外」という選択肢が議論の早いうちに参加者間で一致したため,話題にされることが少なかったということである。DQIスコアはその評定項目に該当する発言数を反映するため,そもそも福島を含めるかについての話題が少なければ,実際には福島県の人々を配慮していても,当該項目のDQIスコアが低くなると考えられる。二つ目は,単に県外最終処分という法律があることや,国の立場が悪くなることを理由に福島県以外にするべきだという意見を,「社会全体の良さ(福島の人々の気持ち)」 には該当しないと評定したことである。実際,「福島県以外」を主張する参加者の中で,県外最終処分の法律があるからという理由をあげる人が多かったが,そのほとんどは福島の住民の気持ちに寄り添打うとした発言とは考えにくかった。従って,福島県以外という結論は必ずしもマキシミン原理と結びついていなかったとも解积できる。 また,グループごとの $\mathrm{DQI} の$ 特徴と受容をみると, 同じ結論でも議論された内容によって参加者の受容は異なる可能性が示された。さらに議論の帰結に対する意見を,参加者は討議後に支持する方向に変化させており, これが参加者の受容が高かった理由であるとも考えられる。本研究の結果だけからは,「良い討議」と結論との関係を論 ずることはできない。しかし,「良い討議」は受容の必要条件と考えることもでき,また,集団としての結論の方向への意見変化は討議の結果であることから,これらが相互に関連する可能性について今後さらに検討を重ねる意義はあるだろう。 ## 4.3 本研究の課題と今後の展望 本研究は, 議論内容の評定を討議に参加していない第三者が行った。だが,参加者の観点からの議論内容の評価も社会的受容の関係を検討する上で重要だろう。今後は参加者に受容度だけでなく, 議論内容の質を主観的に評価してもらい,第三者の評定との異同を確認し, どの要素が決定の受容に関連するかを検討する必要がある。 また,多元的な共通善に基づく討議がなされる要件のさらなる検証が求められる。本研究では, マキシミン原理的な発言が,功利主義や不衡平緩和に比べて少なかった。人々はデフォルトでは不利な立場を配慮する発言をしないのかもしれない。そこで, 複数の共通善の価値の系を巡る問題について, 功利主義的価値や不衡平是正だけでなくマキシミン原理もより議論される条件を検討する必要があるだろう。 本研究では除去土壤問題に特化してDQIを開発したが,他の問題にも適用可能であろう。議論の場にいないが尊重すべき主体の存在する場面はしばしば見られる。また,賛成一反対という対立軸でなく, 複合的な共通善を念頭に議論の枠組みを設計すべき課題は多い。これらの点は, 例えば, 原子力発電所の再稼働や高レベル放射性廃棄物地層処分など多くの忌避施設問題に通底する。本研究で開発したDQIはトピック依存的な項目を整理すれば,様々な問題に汎用可能である。異なる問題の議論に応用する際は, その問題で議論されうる共通善を具体的な言葉に置き換え,それに関連して言及されると考えられる話題を整理することで,トピック依存の項目を作成することが可能である。 本研究では, 単純な賛否二分法ではなく, 複数の論点を同時に話し合うという議論の枠組みを設定した。過度に単純化した二分法ではなく, 複数選択肢の組み合わせにより多様な論点を提供することが,自己や集団の利害に拘泥しない多元的な共通善に基づく討議を導ける可能性は高い。このような議論の枠組みの設定とそれに対応させた DQI ,社会の分断をもたらし得る様々なトピッ クで取り入れる意義は大きいだろう。本集団討議実験では, 全グループで再生利用による有効活用が選択された。この結果は, 再生利用がなかなか進まない現状とは相容れないように見える。しかしこの相違は, 本研究では複数の選択肢について二項対立的でない枠組みで議論できる場を用意したが, 現実にはこのような議論の場を設定できていない点から解釈できる。現実の討議でも, 二項対立的な議論枠組みでは紛紏したが,よい提案を競い合ったり,対立する意見を認めながら共通の目標を見出す場とすることで合意形成に至ったという報告がなされている(大沼ら,2019)。また, 除去土壤再生利用問題を扱った横山ら(2021)の実験では,一か所よりも複数か所の方が不衡平の緩和につながるだけでなく,信頼が向上し, リスク認知やスティグマが低減することを示している。これらの知見をあわせると, 賛成か反対かという二分法ではない議論の枠組みを用意し, 不衡平緩和も含めた複数選択肢を組み合わせるという議論の場を設けたならば, 少なくとも候補地が絞り込まれる前の政策一般論として議論される場面では, 低濃度除去土壤の再生利用も理解が促進される可能性はあるだ万う。 ただし,本研究で想定している場面は,当該問題に対する政策一般の受容について, 侯補地が絞られていない段階で, 幅広い市民が議論する状況であった。しかし, 候補地が特定の地域に絞り込まれるにつれ,受け入れるか受け入れないかという二分法の議論にならざるを得なくなるだろう。 それ故に合意形成が難しくなる。さらに現実には, たとえ多数が受容しても一部の強硬な反対者によって決定が覆されることもある。また, 政策担当者には住民との対話に関する負担がかかり,地域内での分断に配慮した細心の進め方も求められる。本研究ではこれらについては扱えないため, 単純化された実験結果から楽観的すぎる見通しは慎むべきであろう。 本研究においては, 参加者がどの程度当事者性を感じていたかには不明である。むしろ, 当事者でないからこそ“客観的に”様々な価値から議論できたとも言える。もし参加者自身の居住地の近くに受け入れるという場面設定であったら,多元的な共通善について満遍なく議論するといったことは成立しなくなるかもしれない。また, 冷静な議論がなされたとしても, 自分の居住地では受容できないという結論になることもあり得る。すな わち,討議の質を評価するだけでは,政策的に望まれる方向の結論になるかどうかについて言及することはできない。この点については,当事者性を操作した実験により,討議の質の評価と結論評価,及び,実際の結論と受容を組み合わせた複合的な分析が不可欠である。この点についても検討の余地が大きい。 本研究は低濃度除去土壤処理を扱ったが,県外最終処分に向けた合意形成はより困難が予測される。しかし,このような合意形成が困難な問題でこそ議論のあり方が検討され続けるべきであろう。議論のあり方は手続き的公正に直結し,手続き的公正は社会的受容と強く結びついているためである(Hirose, 2007; Ohnuma et al., 2022)。討議の質を測定し評価することは議論のあり方を検討する一助になると考えられる。本研究は, その討議の質を測る評価指標を開発し,多元的な共通善に目を向け,建設的な議論ができる枠組みを提案した。 ## 謝辞 本研究はJST CREST JPMJCR20D1,環境総合推進費 JPMEERF22S20907,及び科研費 $22 \mathrm{H} 01072$ の助成を受けている。 ## 参考文献 Bächtiger, A., Shikano, S., Pedrini, S., and Ryser, M. 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risk
cc-by-4.0
Society For Risk Analysis Japan
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# 「風評被害」という言葉の罪と罰一「トリチウム水」強制放出をどう考える?一* ## Crime and Punishment of the Phrase, Reputational Damages: What Shall We Think about Forced Release of "Tritiated Water"? ## 関澤 純** ## Jun SEKIZAWA \begin{abstract} Recently attention is focused on the disposal of treated radioactively polluted water to the ocean from collapsed Fukushima nuclear power plant. Japanese government claiming safety of the treated water, is trying to mitigate "reputational damages" of Fukushima fishery people. However, there are real risks with the damaged plant, such as lowering of water level in the reactor vessel by a big earthquake early 2021. After the plant accident, Japanese government forced the Fukushima residents to leave their home towns by setting difficult-toreturn zones, etc. Besides, Japanese government set new strict rules on radioactive pollution of foods. These regulations have caused difficult situations in living conditions of Fukushima people through long time evacuation and superfluous testing of many foods etc. Consequently, based on these critical governmental regulations, not only "reputational damages", but real serious damages, are brought about to many people. Rules must be based on basic safe sciences and be reasonable in minimizing possible risks to people and the society. This paper is dedicated to the Ukrainian who suffer from unjustifiable war crime. \end{abstract} Key Words: Reputational damages, Tritiated water, Protection of life, Real damages investigation, Pesticide residues ## 1.はじめに 東京電力株式会社(東電:TEPCO)福島第一原子力発電所のメルトダウン炉内の核分裂生成物を含む泠却水を処理し沖合 $1 \mathrm{~km}$ の海底に排出する計画が 2023 年放出開始を目指して進められている。地元漁業関係者から強い反発の声があるが,政府と東電はこれに対し「風評被害」対策強化で対応すると強調している (TEPCO, 2021a)。ここで「風評被害」と言う言葉がもっともらしく使用されるが,そもそも污染水がなぜ発生し,なくすことができないのかを考えるならば,現実に存在する様々のリスク要因への適切かつ十分な対策を後回しにして「風評被害」への対応として表面的な対処をすべき課題ではないだろう。 本稿では,「風評被害」という言葉が,時により行政や一部専門家の言い分の押し付けに際して使われる状況を事実に基づいて検証し,この言葉の恣意的な使用の罪と罰を示す。 ここでは「トリチウム水」海洋放出強行の弁解 に「風評被害対策強化」が使われる例のほかに, より厳しい基準を設けれげ安全管理が進み国民の 賛同を得られるとの政治家と行政の思い込みを背  景にした放射性雑貨污染対策により, 強制的に多くの避難者が形成され長期にわたる避難の継続と,被災者間に過剩な恐怖を生じさせるという 「風評被害」現象を生じている例をとりあげた。 さらには前記のような思惑から強行された食品における放射性物質污染についての過度に厳しい基準値の設定と適用の結果,人々の不安を増長させ福島県産品が買いたたかれたり売れなくなった例, また食品中の農薬残留に打ける一律基準適用のように行政の作為から結果的にほぼまったく安全と言える食品の廃棄という無駅を導き,同時に残留農薬の安全性への消費者の誤解を形成している「風評被害」の例をとりあげる。 「風評被害」とされる事態がどのような原因で生じたか,背景を事実に基づき具体的に検討し適切な評価と管理の方向を示さないと「科学的評価」に名を借りた不適切な現実を招きかねない。 リスク対応は国民の健康を守るために科学的な評価に基礎をおかねばならないが広い意味で人々の生活と生き方を適切に保護するものでなくてはならない。 ## 2. 情報収集 原発事故拈よび食品安全などに関わる「風評被害」と呼ばれている諸事象と,その背景について信頼性の高いと思われる情報源(学術誌,公的な情報,当該地域の実状を報告する新聞など)から関連情報を收集し,その要因と背景を分析した。 ## 3. 結果と考察 ## 3.1 「風評被害」という言葉の前史 「風評被害」と言う用語は学問的なものではないが,わが国で「風評被害」と言う用語が使用されるようになった端緒として,関谷(2011)は 1954 年の第五福龍丸被ばく事件, 1974 年の原子力船「むつ」の放射線漏れ事故,99年の東海村 JCO 事故などを列記している。彼はこの用語についてとりあえず「ある社会問題が報道されることによって,本来安全とされるものを人々が危険視し,消費,観光,取引を止めることによって引き起こされる経済的被害」と定義している。 しかし実際には「風評被害」という言葉がなかった1923年の関東大震災発生当時に「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というデマが流布され戒厳令下に軍隊や自警団により朝鮮人や中国人が多数殺害される事件があった。巨大災害発生による人心の動摇につけ达む出所不明の悪質流言による人的な被害だった。性質は異なるが, 太平洋戦争時の情報統制下,軍部や政府に都合良い情報が一方的に流され国民の適切な判断を狂わせ重大な人的被害が生じた。 ## 3.2 本稿の対象課題について 「風評被害」に関連しては, 社会心理学分野では,リスク認知の社会的増幅メカニズム (Kasperson et al., 1988),一般市民のリスク認知における未知性や恐怖性の影響(Slovic, 1987), リスク情報の伝達におけるメディアや専門家の果たす役割(中谷内,2006)など論じられてきたが,ここでは社会心理的分析については触れない。前記のように「風評被害」という言葉が使われる状況は幾通りかあるが,主として非科学的なうわさによる経済的被害とされ, 科学的な理解に基づく矯正が必要とされる。「風評」は一般に,「うわさ,流言」とされるが,本稿では広範に社会に流通しているまやかしの「風評被害」対策発言の事例,あるいは公的な見解が一面では「科学的」 であっても,現実に照らし必ずしも適切と言い難い情報発信や規則が公表される場合を検討対象とした。また「被害」としては, 経済的被害に限らず,基本的人権の侵害,安定した生活や生業の継続阻害,心理的圧迫などの被害をもとりあげる。 ここで被害は,負の影響を及ぼす情報発信や意思決定,宣伝や規則により人々にもたらされる「現実的な被害」を対象とする。本稿では政府の最近の公的な情報発信の中で 「風評被害」と言う言葉が使われている状況とその背景の問題点を次の課題を取り上げ検討した。 (1) 原発事故廃炉作業に関わる污染処理水の海洋排出計画の発表と「風評被害」対策という発言 (2) 原発事故による帰還困難を含む強制的避難书よび除染万能指向の是非と実状 (3) 食品の放射性污染にかかわる基準の適用といわゆる「風評被害」 (4)マイナー作物に係る農薬残留基準の設定と食品の安全性に関わるいわゆる「風評被害」 ## 3.3 事故原発で発生する污染水の処理のあり方 と「風評被害」解消推進発言 福島原発事故炉内の核分裂反応で発生し続ける放射性物質で污染された水の処理の概要を Figure 1 に示す。ここで冷却水とはメルトダウンした核 Figure 1 Treatment of the cooling water in Fukushima collapsed nuclear reactor(杉本ら,2019を基に作成) 燃料の冷却のために注水される水だが,2013年に污染した泠却水処理の切り札として導入された ALPS(多核種除去設備)で処理された水も冷却水中の海水塩分や金属などにより処理用吸着材の性能はすぐに落ち,その結果,敷地境界外への放出基準(資源エネルギー庁,2019)を遥かに超えていた。またストロンチウムを含む沈殿物を滤過するフィルターパッキングの劣化でストロンチウム流出があるなどトラブルが相次ぎ,その結果現在タンクに溜められている水の 7 割は基準超えであり(藤波,2020), 最近は改善が進められているがこれらを再処理・希釈して海洋放出するとの計画である。基本的な問題としては, 廃炉作業の中長期プランで最も困難とされる燃料デブリ取り出しとその後の保管や最終処分方法が明確にされず 2032 年以降にずれ达志可能性がある (TEPCO, 2021b)。完全な廃炉実現について目標の明確化 (いつ, どのような状態を以て完了とし, 誰が判断するかなど)の不足と, 廃炉に向けた技術開発の遅れと長期化という根本問題を置き去りにして, ALPSで処理できない污染水中のトリチウムの放射線による発がんの可能性が無視できるとして,原発敷地内での保管に困るALPS 処理水の海洋放出計画が進められている。予想される水産業への被害の可能性や対話プロセスの不十分などの指摘に対し, 「風評被害」と称して問題にせず強行する態度が政府,および同見解を支持する政治家,メディア,一部専門家の間で見られる(小島,2021など)。実際には 2021 年 4 月に污染水の処理で生ずる高濃度污染廃棄物を専用容器に流し达む際の排気中放射性物質を吸着するフイルター の破損が見つかり,2年前にも全破損事故があつたが交換処理で済ませ,十分な原因究明や対策をせず運転を継続し,今回 25 箇所中 24 箇所での破損が再度見つかり,原子力規制委員会で管理体制 が批判されている (NHK, 2021a)。また原子力規制委員会は, 2021 年 9 月原子炉の格納容器の蓋表面付近で毎時 $10 \mathrm{~Sv}$ 超(1 時間傍に居れば死亡の危険)の高レベル放射線量を検出,原子炉や建屋の解体作業に大きな障害になると伝えられている (小野澤,福岡,2021)。 さらに2013年4月には防水性とされた地下貯水槽から污染水の漏出, 2015 年 2 月には原発 2 号機建屋排水路から降雨の度に高濃度污染水が海洋に流出していた事実を東電は把握していたにもかかわらず10ケ月間公表しなかったなどの不祥事があった。今回の海洋放出計画では「風評被害防止」を最優先するという繰り返しの主張に関し,適切なリスクコミュニケーションの基礎とされる信頼に基づく地元関係者との確かな対話ルートは構築できていない(API, 2021)。 政府や東電から技術資料(TEPCO, 2021a; 資源エネルギー庁,2021a,2021b)が公表され,デー 夕と処分方法を巡る見解に関し, 経済産業省が国際原子力機関(IAEA)に安全面の評価を依頼した以外に,行政が主催する技術的検討会を除き第三者によるチェックはこれまで十分になされているとは言い難い。一見,中立的と見なされている IAEAは国連保護下の自治組織だが原子力発電を推進しつつ途上国による濃縮核燃料の核兵器への転用を監視する役割を担い, 以前より福島原発事故処理におけるALPS 処理水の処分に関する日本政府の基本方針を評価している組織である(経済産業省,2021)。リスクコミュニケーションの基本を提言した報告書(NRC,1989)中には, 行政や関係者が政府を并護する立場でなす主張については,独立したレビュープロセスの手続きを経て初めて主張の妥当性が確認されるべきと記されている。 海洋における放射性污染物の動向に関連しては, 原発事故直後の放射性污染水の直接海洋漏洩時の調査, またビキニ核実験後のフォローアップ調査からは, 一般に信じられているように放射性物質は単純に拡散・混合するのではなく, 下方向の対流により沈降, 堆積物に吸着, あるいは海流に乗って塊状に沖合遠方に輸送される事実が報告されている(青山,2014)。 度重なる新たなりスク事象発見の報道などから見れば環境污染終息への障害が大きく存在する。近年も 2021 年初頭に福島県沖を震源とする地震があり,2021年には原因不明の格納容器の水位 低下が見られ,東電は「以前から配管などに損傷が見られ損傷箇所が拡大した可能性もある」との見方を示しているが,2022年3月には震度6の地震が福島県沖を震源として再度発生, 次に大地震が起きた際に作業中の廃炉から危険な放射性物質が大量かつ広範囲に漏洩する危険への疑念は消せない。 敷地内に污染水が溜まり続けて困るのは廃炉作業を的確に進められない東電と政府関係者で, 自らの努力不足の結果に対し, 自前処理が不能なトリチウムについて安全性を科学的に検討したと称して,海洋排出により溜まり続ける処理水保管の困難を回避することが企図されている。 ここで記したように現実に存在するいくつものリスクへの不安は福島で水産業を生業とする人々に限られず,福島県民全体また日本国民にとり当然のものである。廃炉作業のリスクへの十分で適切な対応の道筋を明確に示し, 適切な第三者によるその透明性ある監視とチェックの仕組みを確立することこそが急務であり,廃炉処理の不十分と遅れという基本的な問題に触れないまま「風評被害」の解消推進を主要な政策眼目とする主張は適切と言えない。 遡れば2013年に事故原発の地下貯水槽から污染水が漏出, 2015 年には建屋排水路から高濃度污染水が海洋に流出する中で, 2013 年のIOC 総会で安倍首相(当時)が東京へのオリンピック誘致のために行った福島原発事故について”Let me assure you, the situation is under control" と発言をして,国を代表する人物が公的に事故原発の実状について事実と異なる発言により,世界中に福島原発事故炉の安全確保について誤った判断を誘導したことこそ事実に基づかない不適切発言による 「風評被害」の最たるもののひとつといえないだろうか? ## 3.4 福島事故による帰還困難を含む強制避難の 判断の是非と実状 原発事故直後,政府は状況の悪化に応じて原発から半径 $3 \mathrm{~km}, 10 \mathrm{~km}, 20 \mathrm{~km}$ 圈に次々と避難指示範囲を拡大した(国会事故調,2012)。しかし東電と事故時の緊急情報提供の協定を結んでいた浪江町ほかに対して何の連絡もなく,住民たちは $\mathrm{TV}$ 情報などを基に自主判断で緊急避難を余儀なくさせられた。想定外の事態下の苦渋の住民の避難には,やむ得ない側面もあったかも知れない が, 避難の理由, 行先や期間も告げられず, 手ぶらに近い状態で強行され, 圧倒的な情報提供の不足, 移動困難な高齢者や要介護者の放置など対応のあり方に重大な問題があった。 後に公表された避難指示区域については, ICRP (国際放射線防護委員会) が污染地域の住民の放射線防護について「正当性」「最適化」,「線量限度」の原則 (ICRP, 2009) に基づき参考レベルとして示した値により,空間線量率による区域分けが基本的になされ, 空間線量率が $20 \mathrm{mSv}$ /年以下は避難指示解除準備区域, $20 \mathrm{mSv} /$ 年超で $50 \mathrm{mSv} /$ 年以下は居住制限区域, $50 \mathrm{mSv} /$ 年超は帰還困難区域とされた。年間積算線量が $20 \mathrm{mSv}$ 以下になり, 日常生活のインフラや生活関連サービスが復旧, 子どもの生活環境の除染作業が進捗すれば,避難指示解除の協議ができるとされる。しかし避難の長期化, 家族の離散, 生業の丧失, 病者の介護不安, 子どもの適切な教育機会の確保といった問題を含む広範・多岐・長期にわたる強制避難に関わる適切な見通しや対策がとられていたとは全くと言ってない。避難の実状については, 2022 年 4 月現在の県外避難者として,23,677人,県内避難者は 6,549 人, 避難先不明は 5 人を数元る(福島復興ステーション, 2022)。避難関連では政府関係加技術的資料 (原子力災害対策本部,2016; 環境省,2016ほか)が公表はされているが,たとえば後者は 230 頁以上もあり一般の人の目に触れ理解しうるものではないと思われる。 国連大学サステイナビリティー高等研究所職員として福島避難者の初期避難状況調査を担当した難民政策の専門家の Mosneaga氏は,已の意思に反して居住地を追われ生業を失った福島の人々を 「国内難民」と位置づけ, 彼らには居住地選択の自由を含む基本的人権が認められていないと指摘している (Mosneaga, 2015)。事故後すでに 11 年以上経過したが, 当初 16 万人を超えた避難者数は 2021 年末現在でも 3 万 4 千人を超えており,このように多数の人々を長期にわたり強制的に避難させることの判断の適否が問われる。わが国は海外からの難民の受け入れに冷たいが,国内においても政府の施策により多数の「国内難民」を作り出しているといえる。被災者の置かれた立場について従来, 放射線防護の観点からの検討 (放射線審議会, 2019)はあっても, せいぜい倫理的な問題, また被災者の心理についての考慮までしかなされず,より基本的な人権,生活と人生の強制的 Sr-90 および Cs-137 月間降下量 Figure 2 Trend of artificial radionuclide fall-out in Japan from open air nuclear tests(気象研, 2022) な変更の問題までは,全く考慮されず不適切な判断による「風評被害」を避難民は被っている。 加えて参考とすべき重要なデータとして,気象研究所による60年を超える長期の人工放射性降下物の測定データを挙げておきたい。1954年のビキニ環礁核実験等により日本全国を含む世界中が放射性物質で污染された。当時の放射性降下物の国内最大值は $18,500 \mathrm{~Bq} / \mathrm{L}$ (主として ${ }^{137} \mathrm{Cs}$ と ${ }^{90} \mathrm{Sr}$ ) とされる(気象研, 2007)。約 10 年経過後,污染は徐々に低下し30年後にはほぼ1000分の1 になった。福島原発事故直後には放射性降下物測定値は事故直前の $10^{6}$ 倍に跳ね上がったが 10 年後には約 $10^{4}$ 分の 1 にまで下がった(Figure 2, 気象研,2022)。放射性降下物と空間線量は同じでなく, 測定方法も異なるが測定対象は同じ ${ }^{137} \mathrm{Cs}$ で空間の放射性降下物量測定結果は空間線量率 $(\mathrm{Bq}$ から $\mathrm{Sv}$ の導出は容易)の推移の考察に有力な参考になる。 ここで言えることのひとつは約半世紀以上前に日本全国が福島原発事故直後に近い ${ }^{137} \mathrm{Cs}$ で長期間污染されていた事実と,その後のウエザリング (降雨や流失による減少) と, 放射性壊変により 10 年経過した後に相当程度(約千分の1)の減衰が見られたことである(気象研,2022)。気象研のほかには農業環境技術研究所や放射線医学研究所が土壤,作物,人体の污染などにつき,核実験の影響について詳しい測定結果を公表している (関澤,2013)。しかし事故の影響を丁寧に検証してきたこれらの結果は全く生かされず,政治的な配慮から莫大な予算を投下し「除染」の実施を打出の小槌のように振りかざし,避難した人々を 11年以上の長期にわたり故郷に戻れなくさせている。 さらに重要な事実として, 福島原発事故後一時的に放射性降下物の異常な上昇があったがその後急激に減少しており, 測定点 (つくば) 周辺で除染はなかったので除染によるものではなく, 多雨かつ比較的急峻な山々のある日本では除染に頼らずとも,環境に飛散した膨大な放射性物質は作物に吸収されることも少なく広大な地域から急速に消失する可能性を強く示唆している。 このような環境の放射性污染リスク対応を考える上で非常に貴重な参考となるはずの核実験などによる環境污染データには政府もメディアや関係学会も一貫して口をつぐんでいるように見える。 たとえば日本保健物理学会は, 公衆の防護に関し食品や環境などの污染について,放射線防護上の課題と提言をまとめているが,残念ながら日本で得られたこれら貴重なデータに触れずに済ませている(日本保健物理学会, 2014)。 これらデータを基に考えると, 比較的短期の空間線量率の値を中心に据えた長期の強制的な避難が本当に住民の健康と生活,生き甲斐までを考えて適切であるかということが問題となる。このことは, 史上最悪といわれ 11 年以上経過した現在も巨大なリスクを抱える廃炉作業を完了できない福島原発事故の被害を軽視することではなく,また決して許すべきでない核兵器の使用, 保有, 実験を容認することでもない。むしろ歴史的事実から謙虚に教訓を学び生かす必要性を強調するものである。Figure 2 から分かることは第一に, 日本全国が長期にわたる核実験の高濃度放射性物質の降下で広く污染されたが,喫煙による以外の原因 で発癌死の顕著な上昇が見られず,第二に厳格な 「除染」の実行が口実にされて住まいに帰れず,核実験当時からの環境と食品および内部被ばくデータを参照して健康影響の可能性を考慮すれば,必要性が疑わしいような低線量の除染による 「污染土」がふるさとに運び込まれ,畑や森が埋め立てられ「中間貯蔵施設」とされてゆくのを見る辛さは想像に余る。除染事業には膨大な予算 (5兆6000億円)が大手ゼネコン中心に流され,孫請けでは監督不十分でいい加減な作業が各所で見られるという (NHK,2021b)。事故後「自主的」 に県外に避難した方も相当数打られ,家族離散や生活の不安を抱えて苦しんでいる実情があるが, これらの方に対して自分本位の判断で「科学的な理解が不足」といった批判や蔭口,いじめまであるという。 ICRPの提示した参考レベルを「科学的基準」 として金科玉条のように扱い,それに従えない人には「風評被害」に惑わされていると決めつける態度は,科学を盾に取り強制的に「科学的風評?」による被害を負わせているともいえる。これら人々の失われた「時」,「人生の選択」,「人の繋がり」,「地域社会が負う負担と多様なリスク」 に対して, 科学的でかつ多角的・総合的に適切に判断した意思決定がなされていないという疑問がある。 地元生産者組織, 消費者組織と大学が連携して,福島の農業被害の調査を進めてきたグループは,被ばく防護の考え方を国民全体の防護戦略とは別に,事故 5 年後の被ばく現存状況にある被災地域について「生活の質や安心」という比較困難なものとあえて天科にかけ判断することが必要ではないかと指摘している(根本,2017)。 いかにも安全確保が十分なように発表されているが実際に大きなリスクを背負ったままの廃炉作業がある一方で,他方でこれまでの科学的事実から考えるならば,その必要性が疑われる長期の強制避難の事実があり,両者におけるリスク評価とリスク対応のあり方は事実を踏まえてはっきり区別 し,考察される必要がある。 ## 3.5 食品の放射性污染にかかる基準から生ずる 「風評被害」 原発事故後に食品の放射性污染に国民の多くが関心を寄せたが,事故発生当時既に設定されていた暫定基準(食品からの年間被ばく線量 $5 \mathrm{mSv}$ を Table 1 Radionuclide limits in foods* (内閣府, 2011) * As radioactive cesium, including radioactive strontium and plutonium 限度とし食品安全委員会が安全側に配慮した数字として認めていた)よりもさらに厳しい判断基準 (年間被ばく線量 $1 \mathrm{mSv}$ ) が, 科学的な検討結果を待たずに当時の厚生労働大臣より提示された。日本人は自然界からの約 $2.1 \mathrm{mSv}$ に加え, 医療被曝の $3.87 \mathrm{mSv}$ を合わせ年間平均約 $6 \mathrm{mSv}$ を浴びている(環境省,2013)が,国際的にみても極めて厳しい判断基準に急遽変更され, 全国自治体では高価な測定器を急遽買い揃え, 検査で飲食物残留基準(Table 1)に満たないものは販売停止となった。さらには国民の不安感を背景にこの厳しい基準の半分以下の残留値を販売中止の目安とする事業者や自治体も少なからず見られ, 福島県産食品は嫌われ買いたたかれる目にあった。地元生産者の努力, 食品安全委員会の解説や地方自治体の検査担当者の献身結果もあって,基準値 100\%の残留でも安全として決められた基準について, 実際には事故後 1 年の流通品の基準超過件数は, 肉類と緑黄色野菜で $0 \%$, その他の野菜 $0.1 \%$, 魚介類 $0.17 \%$ という極めて低いレべルだった(関澤, 2013)。前述の農業環境技術研究所が公表してきた核実験による多量の放射性降下物を長期にわたり被った時期の米, 小麦, 大豆などのデータと整合しており極めて低い基準値を設定し守らせることの意味が問われている。 さらに必ずしも広く知らされなかったが,私たちは事故以前から ${ }^{40} \mathrm{~K}{ }^{14} \mathrm{C}$ という天然の放射性元素を摂取しており, これらが体内で放射する放射線エネルギーの方が原発事故後に食品に含まれる ${ }^{137} \mathrm{Cs}$ と ${ }^{134} \mathrm{Cs}$ の放射線エネルギーよりずっと高いことが示されていた(関澤,2013)。さらに大気中核実験がなされていた当時の米や野菜の方が原発事故後より高い放射性物質污染状況にあり,国民全員がこれを毎日食べていたが,なぜか核実験にまつわるデータは学術文献や研究所年報以外の公的な文書では引用されなかった。政府や専門家がこれら事実を適切に説明することなく, 福島 県産品を入荷しない流通業者や消費者に対し「風評被害」に惑わされていると決めつけるのは不都合ではないだろうか? 福島県では,山林でとれるキノコや山菜が地元住民の食事の楽しみのひとつである。キノコには核実験由来の放射性物質の残留があるため, 従来から一部高めの検查值が確認されていたが,新基準の適用で厳しい出荷制限がなされるようになった (福島県, 2021)。しかし毎日食べる食品を $1.5 \mathrm{~kg}$ と仮定して,キノコの摂取量は $15 \mathrm{~g}$ 程度なので実際に掑取がありえない量の一律の $1 \mathrm{~kg}$ 当たり $100 \mathrm{~Bq}$ という一般食品と同じ基準を適用することは大きな矛盾がある。さらにキノコではセシウムと同時にカリウムが多く含まれているがキノコ $1 \mathrm{~kg}$ あたり事故以前より存在する放射性の ${ }^{40} \mathrm{~K}$ による放射線量 $92 \mathrm{~Bq}$ (関澤,2013)がセシウムの新基準に近くあり,従来何のこだわりもなく食べていたキノコが実状を無視した厳しい新規制値のために基準違反として出荷制限をし,食べることを憚るという不合理を招く結果になっている。 個々の食品について実際に揕食する量を考慮するというごく当然のことを基準值に反映できないだろうか?日本人の標準的な食品摄食量については, 国立健康・栄養研究所が毎年実施している国民健康栄養調査と言う貴重な情報がある(国立健康・栄養研究所, 2021)。すべての食品に詳細にわたる基準値を設定するのは無用だが,たとえば比較的大量に摂取する食品群 (一日 $100 \mathrm{~g}$ 以上),中程度に摂取する食品群 (一日30-100 g),少量しか摄取しない食品群一日 $30 \mathrm{~g}$ 以下にでも分類して基準値を適用すれば無用な混乱や誤解と無駄をなくすことができよう。 ## 3.6 マイナー作物に係る農薬の残留基準の設定 と食品の安全性 食品への農薬残留について, 健康に影響を及ぼすと考えられないごくわずかの基準超過のため, その地域で生産された当該作物の全量が廃棄される例がある。特に生産量や摂取量の少ないいわゆるマイナー作物については, 農薬メーカーが一定の使用基準に沿い実際に農薬を散布して得る費用と手間のかかる作物残留デー夕を提出しないため, これら作物について撖しい基準值が設定される場合がある。ここで専門外の方のご理解支援のために, 農薬の安全性評価に基づく残留基準設定プロセスの概要を Figure 3 に示した。毎日食する Figure 3 Illustration of procedure of setting agricultural chemicals residue limit in foods (関澤, 2010) 基準のある作物すべてについて基準值いっぱいに残留した(実際にはありえない状況)としても, それら作物中のすべての残留農薬の合計摄取量が安全性評価で得られた $\mathrm{ADI}$ (一日許容摄取量) の $80 \%$ 未満になるように残留基準を設定する。このため, 作物残留データのあるメジャー作物にまず残留基準を設定し, 作物残留データのないマイナー作物にはメジャー作物にADI 値の大半を適用した後,残りのわずかの配分を埋めるため極めて低い残留基準が設定される場合がある。 マイナー作物のひとつである德島県名産のスダチの基準違反事例では, 一部の収穫果実で残留基準が $0.5 \mathrm{ppm}$ と設定された殺菌剤プロシミドンに最大 $2.8 \mathrm{ppm}$ が検出された。このスダチを通常量摂取しても健康に影響あるとは認められない濃度だったが基準値の 5.6 倍と報道され, その年に収穫した在庫全量が廃棄となり農家は悲惨な思いをした。 また2003年の食品衛生法改正に伴い, 農薬残留基準のある農薬を基準を基に取り締まる従来のネガティブリスト方式では, 輸入農産物の場合,基準が決められていないので取り締まれなかった点を改め, 販売, 流通する食品中のすべての農薬に基準を設定し,基準がない農薬は販売,流通を不可とするポジティブリスト制度が導入された。国内で登録承認申請がなかった輸入食品に使用される農薬は,海外の基準を援用する,あるいは国際的に最も厳しいとされる基準を一律に適用する手法が採用された。この一律基準值は, 元来食品中にごく微量使用される香料の安全性評価において最も厳しい安全性データである食品中 $0.01 \mathrm{ppm}$ (作物 $100 \mathrm{~kg}$ あたり $1 \mathrm{mg}$ に相当)という極微量の值をそのまま農薬残留基準に適用して一律基準値とした。当該作物に対する散布がなくても近隣の 作物に使用された農薬の一部が風でドリフトしてごくわずか表面に付着して違反になる場合がありえ,その結果当該作物を基準違反としてすべて回収,廃棄することになる。当然ながら監督官庁は 「直ちに健康に有害な影響はない」とコメントするが,回収・廃棄という事実から人々は健康への危険性を危惧するという「風評被害」がおきることになる。 先に放射性污染の基準について述べたように健康影響の可能性への寄与について,摂取量を考慮に入れた柔軟な考え方を援用すれば厳しい基準值をわずかに超過することを理由にした廃棄など,無用な混乱・誤解をなくすことができ, 最近注目されている食品ロスの削減にも大きく貢献が可能と考える。 国際的な農薬残留基準の目安としてコーデックス(国際食品規格)の最大残留基準(Maximum Residue Limit: MRL)があるが,MRL設定では優良農業規範に沿った農薬使用における作物残留データが参考とされるがADI とは直接的な連携はなく, また残留基準いっぱいに農㩍が残留する作物ばかり一生食べ続けることはありえないため,そのような仮定は非現実的と記されている (Renwick, 2002)。 ## 4. 考察とまとめ 近年, 地震や新型コロナなど,様々なりスク事象が次々に生起し個々の備えが不十分なため, 適切な対応がとられていない。一例として新型コロナ禍への対応で感染リスクの抑制という面ばかり報道されるが,外出自粛や休業要請からおきた家庭内暴力や自殺の急増,経済的な影響と非常勤勤務者の解雇が見られた。大阪・東京で従来進められてきた保健所機能の縮小と福祉医療予算の節約による体制の不備,看護にあたる方の系統的養成の軽視と配慮の不足, 学校に行けず友人と交流できない学生や若者の経済的負担とメンタルヘルスケアの必要など多様な問題があり, 感染リスクの配慮だけでは不十分となっている(関澤,2020)。 わが国では行政や専門家がある事象について 「科学的な説明」を行って, 主張が市民に受け入れられればリスクコミュニケーションの成功とする傾向が強く, 受け入れられない場合に「風評被害」 と言う言い回しが使われる場合が見られる。リスクの考察において大切なはずの「人と社会の健全性の保持の考え方と,それを支える基礎として必要な枠組み」が十分確立されているといい難い。本稿では行政やメディア,一部専門家により 「風評被害」という言葉が一般市民の「科学的な理解の不足」として」頻繁に語られる現状に対し, 特定の「科学的」評価から実態に即さない厳しい基準を設定することが人々に誤解を招き, 重大で無用な負担を強いている可能性を指摘した。 「トリチウム水」の海洋放出強行に伴う「風評被害」防止発言では, 事故炉の重大な危険性に対する迅速で明白なりスク管理の道筋の提示とその監視という要素がすっぽり抜け落ちている。 また福島原発事故による長期避難対応では ICRP は放射線防護面について科学的であっても,人々の 11 年以上に及ぶ奪われた時間,住まいからの隔絶,家族の別離や葛藤までは考慮せず,放射性防護のみの見地から基準の「正当化」,「適正化」を主張する。ここで健康リスクだけに限らず,人々の人生の選択,誰にも与えられている貴重な時間,家族・友人とのつながりを考慮しリスクの適切な検討に基づく管理の判断と意思決定が必要である。 さらにいわゆる「風評被害」の背景には, 現実に存在するリスク要因への人々の当然の不安と同時に, 安全側に強く保険をかけた厳し過ぎる基準の適用から生じる必ずしも適切と言えないリスク対応結果という実状がある。本稿ではこれらを検討して,無用な「風評被害」をできるだけ少なくする可能性を示した。人々を規制するリスク管理では, その設定と実施につき第三者による透明性ある監視とチェックの仕組みを確立し実際に起きているリスクへの適切な対応の道筋を明確に示すことが必要である。このことが不十分な中で「風評被害の解消」推進が強調されることは決して適切と言えず,実状を具体的に分析し適切な検証を行い,広く分かりやすい説明を推進することこそが求められる。 本稿では, 原発事故に起因する処理污染水の海洋放出, 原子炉事故による長期強制避難と放射線による健康被害の可能性の関係打よび食の安全,食品中の残留農薬によるリスクの規制のあり方など, 多様なリスク事象への対応に際して, 時に用いられる「風評被害」という言葉の背景の分析を通して,適切なリスク対応のあり方を考察した。社会的事象について例えの適切さの懸念を承知で言うならばドストエフスキーの「罪と罰」中のラスコーリニコフのように一つの側面(ここでは限 られた特定の科学的評価)の判断たけから対応を図るのでなく, 事の性質に対して総合的・多角的に検討して柔軟性を持ち対応してゆくべきではないだろうか。 ## 付記 本稿の内容は著者個人の見解であり,所属組織と関係ない。 ## 参考文献 Agency for Natural Resources and Energy (2019) Control measures on radionuclide polluted water in Fukushima to be safe and secure 4. 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Society For Risk Analysis Japan
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# ビジネスパーソンのリスク研究への関心度合いと 日本リスク学会年次大会への参加に影響しうる要因に関する 基礎的検討” ## A Preliminary Study on Degree of the Interest of Businessperson in Certain Business Field to Risk Analysis and Possible Determinant of Participation in the SRA-Japan ## Annual Meeting ## 鈴木 寿一**, 井上 知也*** ## Hisaichi SUZUKI and Tomoya INOUE \begin{abstract} Majority of attendees of the Society for Risk Analysis Japan (SRAJ) annual meeting seems to academic researchers or researchers of governmental institute. On the other hand, researchers of private company seem to be rather minority. Many factors may have been influencing on the decision making of participation to the annual meeting, we may have any firm analysis on these factors so far. As a preliminary study, we investigated two subjects: a) interest in research paper of SRAJ, and b) possible determinant of participation to the annual meeting by using e-mail questionnaire and/or interview to selected subpopulation of private company. \end{abstract} Key Words: Annual Meeting of SRAJ, Businessperson, Interest in research paper, Determinant of participation ## 1. 背景 ・目的 日本リスク学会年次大会(以下「年次大会」という)の参加者は例年研究者が多くビジネスパー ソン(企業人)の参加者は相対的に限られているが(Table 1),恐らく研究者の誰しもが日々模索をしている「リスク研究のテーマ探索」や「成果の社会実装」にあたっては,それと同様に,自身の取り組む業務に関わる個別的で具体的なニーズと,その解決に関わる可能性のあるシーズとしてのリスク研究とを日常的に意識していることが多いビジネスパーソンのメンタルモデルが有用な示唆をもたらす可能性は決して低くないと考えら れ,ビジネスパーソンの年次大会への参加が活性化することは学会にとっても望ましいと思われるが,過去にこのような検討が学会内で行われたことは少なくとも学会誌では報告されていない。 ビジネスパーソンの年次大会への参加に影響する要因は種々考えられるが,ビジネスパーソンである筆者らが,身近な同僚,具体的には興味関心を持っていそうではあるが日本リスク学会の会員ではない方へ年次大会への参加を勧める際に, ・年次大会参加のメリット(年次大会への参加が自身の業務遂行に役立つ可能性) ・年次大会参加に伴うコスト(年次大会参加に要  Table 1 Number and composition ration by affiliation of Annual meeting and member of SRAJ & \\ その他 \\ 発表者 & $(9 \%)$ & $(69 \%)$ & $(18 \%)$ & $(1 \%)$ & $(3 \%)$ \\ 2017 年年次大会 & 6 & 51 & 7 & 3 & 6 \\ 発表者 & $(8 \%)$ & $(70 \%)$ & $(10 \%)$ & $(4 \%)$ & $(8 \%)$ \\ 会員構成 & 85 & 240 & 120 & 5 & 15 \\ (2018年7月末) & $(18 \%)$ & $(52 \%)$ & $(26 \%)$ & $(1 \%)$ & $(3 \%)$ \\ する時間,参加費・旅費等の支出に伴う会社との交涉や精算,休日開催の場合は振替休日の取得等) の2つのバランスが論点になることを経験している。前者がなければそもそも参加検討自体があり得ず,しかしこれを満たしたとしても実際の参加に至るにはさらに考慮すべき多数の要因(後者) があることは自明であろう。これらに着目し,一般的なマーケティング論の文脈に沿って, ・年次大会では自身の業務遂行に役立ちそうなリスク研究が種々報告される可能性が高い ・年次大会への参加の価値はコストを十分に上回るだろう ことを特定の対象に向けて訴求する,いわゆるターゲット・マーケテイング的な参加促進への取り組みは果たして有効なのかについては,本学会員の関心を呼ぶところではないか。 本稿では,年次大会へのビジネスパーソンの参加促進を念頭に置きつつ,上記の仮説に沿う形で以下 2 つ調査を実施した。 ・リスク研究への関心度合い調査:調査対象者のプロファイリングを行い,プロファイルに応じたリスク研究の論文概要を提示することでリスク研究に関心を惹く可能性を探る - 参加促進要因調查:参加のための時間や移動等のコスト要因が参加の意思決定にどう影響するかを探る 当該調査にあたり,ターゲット・マーケテイング的な考察を基に予備的に検証することを目的とし,筆者らの業務上のネットワークを通じてリクルートした,主に化学物質管理政策に関わる実務を担当しているビジネスパーソンの中から,特に年次大会への参加の可能性が高いと思われる方々を選定してアンケート/インタビュー調查を行つた。さらに,アンケート結果から得られた調查対象者らのリスク研究への期待も併せて紹介する。 なお,当該調査は2018年上期に実施した。 ## 2. 方法 2.1 アンケート/インタビュー調査の設計 2.1.1 アンケート/インタビュー対象の選定アンケート/インタビュー調査対象の選定は筆者らの業務経験で得た知見を活用して行った。 (a) E\&E:対象者は筆者が参加した業界団体における委員会活動の経験を通じて選定した。E\&E 業界団体において環境関連法政策動向情報の共有や,規制当局による法案の公表に合わせたパブリックコメント/パブリックコンサルテー ションへの意見表出を実施する常設の委員会に参加している業界各社の専門家を母集団とし,筆者が特に専門性,委員会活動への貢献度および活動度が高いと評価し,かつ筆者との関係性が良好な少数の方々をリクルートした。 (b) C\&T:対象者は筆者が通常業務で関わりのある自社内の方,業務で関わりのあった同業他社の方を母集団とし,日頃から学術論文にアンテナを立てていたり他学会の学会員となっている方のうち, Table 2のプロファイルやマインドセット/メンタルモデルに当てはまる方をリクルートした。なお,学会の会員となり日々情報収集している方は多いものの,年次大会や学会活動に積極的に参加している方は今回の対象者の中でも実際には限定的である。 これらの事情を踏まえ,今回選定したE\&E およびC\&T 調查対象者には共通して以下の特徴があると考える。 ・業界/職種の代表性は求め得ない集団:Table 2 において記載の想定プロフィールに記述したマインドセット/メンタルモデルなどは,上述の理由で選定した方々を記述した物であり,高度な業務知識と高い職業倫理とを持つ知的探究心に富む集団であるが,業界を代表している訳てはない。 ・ターゲットマーケティング的手法を適用するのに適した集団:アンケート/インタビューを行う筆者らは,対象者一人ひとりの名前と顔は勿論,メンタルモデル,嗜好を具体的に思い浮かベる事が可能であるため,ターゲットマーケティング的手法の適用対象として好適である。 - 調査機会の希少性:リスク研究に興味関心を持つ可能性があると推定される,特定業務に従事 Table 2 Configured profile of business responsibility and their mindset/mental model of surveyed personnel & & \\ するビジネスパーソンに個別にアポイントをとり,アンケート/インタビューする機会は容易には作り出し得ない。たとえばインターネットを利用した,プールされた回答者集団から対象を選定する学術調査システムなどでは今回リー チした回答者集団を用意する事は難しいであろう。 これらの特徴を反映し,今回の検討は業界/業種や担当業務による代表性を求めるには不向きではあるが,外部からは容易にリーチできないビジネスパーソンによる専門家集団を構成する個々人の顔を思い浮かべつつ,リスク研究への関心を呼び起こしつつ将来的に年次大会参加へと誘導するターゲットマーケティング的手法を検討する対象として,実際に参加して欲しいという点も含め好適な存在と考える。こうした背景を織り达んで企図したアンケート/インタビュー調査には,実施したこと自体にもユニークな意義があると考える。 ## 2.1.2 リスク研究への関心度合い調査 リスク研究への関心度合いを調査するため, アンケート/インタビュー対象者の関心を惹くと予想される年次大会講演論文集又は学会誌(以下「報文」という)のうち,過去 10 年以内のものから絞込み,読み手の興味関心を惹くように筆者らが200字程度で概要を書き下した説明文を作成・提示し,関心度を3段階で回答頂いた。併せて, これらの研究内容を事前に知っていたかどうか,専門家と議論したいトピックや現在興味・関心のある分野 (研究テーマ/研究者) はあるか等についても回答を得ることにした。報文の選定にあたっては,あらかじめアンケー ト /インタビュー対象者として Table 2 に示す 2 パターンのプロファイルやマインドセット/メンタルモデルを設定し, それに沿って報文の絞り込みを行った。具体的には, (1)電機・電子業界のビジネスパーソン (以下「E\&E」という), (2)環境法規制のコンサルタント・シンクタンク(以下「C\&T」という)を想定した。 想定プロファイルごとに報文を 5 報ずつ選定したところ,重複を除き合計 8 報となった。報文の絞迄み結果を Table 4に, それに対して筆者らが書き下ろした説明文を Table 3 に示す。報文の絞込みに当たり,仮説として設定した(1)E\&E・(2) $\mathrm{C} \& \mathrm{~T}$ の学会・研究への関心を左右する要因は以下の通りとした。 (1) $\mathrm{E} \& \mathrm{E}$ : 業務への関連性(国内外の化学物質関連法規制) (2) C\&T:業務への関連性(海外情報等の良質な情報収集,問題解決事例・アイデアの収集,研究者とのコネクションの確保), 知的関心 なお, 説明文は筆者らが分担して執筆し, 記載内容は互いにチェックした。 ## 2.1.3 年次大会参加促進要因調査 年次大会への参加促進要因を調査するため, 過去 5 年の年次大会の開催地, 開催日時, 参加費を提示し, 参加を想定した場合の都合を3段階で評価するように依頼した。併せて, 希望する開催地 /開催形式についても調査した。 ## 2.2 解析方法 2.1.2,2.1.3いずれの調査項目についても,言語 (質的)データの解析手法としてSCAT(Steps for Coding and Theorization)(大谷, 2008; 大谷, 2011) を参考に,キーワードの抽出,上位概念の整理及び年次大会参加促進に繋がるストーリーの構築を試みた。 詳細は参考文献に裏るが,SCATは言語デー夕の様な質的データを対象に a. 4 ステップのコーディング (1) データの中の着目すべき語句 (2)それを言いかえるためのデー夕外の語句 (3)それを説明するための語句 (4) そこから浮き上がるテーマ・構成概念 の順にコードを考え付していく b. コーデイングした(4)「テーマ・構成概念」を紡いでストーリーラインを記述し,そこから理論を記述する手続き という二段階の手続きから構成される分析手法で,比較的小規模の質的デー夕の分析にも有効とされており,今回我々が実施した自由記述回答を多く含む小規模なアンケート/インタビューの解析に適用可能と考え, 参考にした。 ## 3. 調査結果 ## 3.1 電機・電子業界のビジネスパーソン (E\&E) ## 3.1.1 回答者 Table 2 に示すプロファイルやマインドセット/ メンタルモデルを有すると筆者が判断した製品に関わる環境法規制(含有化学物質管理,省エネ,循環経済)対応業務を現在手がけている3 名,過去に手がけていた 4 名の合計 7 名(複数社から選定)に対してアンケート調査票を送付し,6名から回答を得た。なお6名共に本学会員ではない。 ## 3.1.2 リスク研究への関心度 E\&E向けに選定した論文 5 報(Table 3 の通し № $3,4,6,7,8$ ) に対する関心度については, 全ての回答者がほとんどの報文について関心ありと回答した。関心がない理由は「担当業務に関係がない」であった。関心を持つ理由の自由記述から上位概念を抽出したところ,「担当業務との関係性重視」という短期/直接的な関わりから,「ケー ススタディ」「法規制のフィージビリティー」「国際的化学物質管理政策」「将来の法規制動向予測」「望ましい化学物質管理政策フレームワーク」「化学物質リスク低減政策フレームワーク」「リスク トレードオフ」「レギュラトリーサイエンス」「政策における科学的根拠と社会受容」「リスク評価と意思決定」等といった中長期/間接的な関わりまで, 幅広い時間軸/関連性を通じての関心が示された。関心の高い報文を事前に知っていたのは,6名中2名に留まった。 ## 3.1.3 専門家と議論したいトピック 専門家と議論したいトピックとしては, 世界各国の法規制遵守に向けた効率的な手段(各国政策の統一的なデータベースの構築)や対策のあり方 (具体的なりスク低減方策), 望ましい化学物質管理政策フレームワークが挙げられた。 ## 3.1.4 現在興味・関心を持つ分野等 現在興味・関心があるものとしては, リスク研究の情報・成果のインベントリとしての整備・公開や, 社会的課題の解決に直結する学術研究が挙げられた。 ## 3.1.5 年次大会の開催地・開催日時 年次大会の開催地・開催日時については, 所属機関の所在地近辺であることが共通して好まれるが, 週末と平日いずれが望ましいかは意見が分かれた。また参加が業務として可能である場合は開催地・開催日時にこだわらない, 個人参加の場合は所在地近傍で週末開催が好ましいとの意見があり,参加に伴うコストと得られる便益との比較衡量が行われていることが示唆された。 ## 3.1.6 年次大会の参加費 参加費については概ね妥当との意見であった。 ## 3.1.7 開催形式 将来的な参加促進方策として, 演題/内容の事前共有を前提としたWeb会議形式での開催を希望する意見もあり, 従前の年次大会とは異なる参加形式の新設への期待が示唆された。 ## 3.1.8 その他 業務多忙を理由に学会自体への関心度が低いことを示唆する言及もあったため,業務が多忙な中でもそれを上回るようにリスク研究への関心を高めるための方策検討の必要性が示唆された。 なお,回答が得られなかった1名からは「現在の業務から考えるとアンケート対象者とは言い難く回答できない」とのコメントを得ており,ここでも担当する業務との関わりが関心を大きく左右することが示唆された。 Table 3 Selected articles and their appealingly summarized text for questionnaire on readers interest to the research on risk analysis } & \multicolumn{2}{|c|}{ 対象者 } & \multicolumn{2}{|l|}{ 文献情報 } & \multirow{2}{*}{ 書き下ろし説明文 } \\ ※下線部は,当該論文に対して関心が示されると想定して筆者らが論文から読み取り,書き下した箇所。 ## 3.2 環境法規制のコンサルタント・シンクタン ク (C\&T) ## 3.2.1 回答者 Table 2 に示すプロファイルやマインドセットノメンタルモデルを有すると筆者が判断した主に環境法規制のコンサルティング・シンクタンク業務等を手がけている8名(複数社から選定)に対してアンケート・ヒアリング調査を実施した。なお, そのうち2名は既に本学会員でありリスク研究に精通していたため, リスク研究への関心度は非会員6名から回答を得ることとした。 ## 3.2.2 リスク研究への関心度 C\&T向けに選定した論文 5 報(Table 3 の通し No 1, 2, 3, 5,8)に対する関心度については,興味ありとの回答が多かったものの,興味なしの回答も目立った。特徴的たっった点として,若手は日々の業務との関連性が薄い場合に「興味なし」を選択するのに対し,べテランは直接的な関連性が薄かったとしてもそれまでに得た経験と照らして,業務課題の解決のヒントとなりそうな周辺事例について強い関心を示した。また,若手は「限られた時間の中でいかに良質で幅広な情報をキャッチアップ可能か」に重きを置く傾向が強いが,報文 (書き下ろし説明文)の問題意識に共感した場合はその傾向を示さなかった。中長期/間接的な関わりでの関心を示した理由としては,「ケーススタディ」「体系的整理の美しさ」「リスクと社会経済のバランス」「リスクとべネフィット」「リスク比較」「普遍的になり得る知見」「レギュラトリー サイエンス」「国際的化学物質管理政策」等が示された。以上より, 報文への関心度は担当業務との直接/間接的関連性により決定されていること が示唆された。また,関心の高い報文を事前に知っていたのは, 6名中 3 名に留まった。 ## 3.2.3 専門家と議論したいトピック 専門家と議論したいトピックとしては, 複数領域・社会的に顕在化した課題に対処するためのリスク学的議論, グローバルリスクの包括的な評価・検討,リスク教育等を社会実装するためのフレーム検討,リスク学の国際潮流への考察等が挙げられた。 ## 3.2.4 現在興味・関心を持つ分野等 本調査では,業務に関連した分野・トピックに興味・関心が寄せられたが,逆に,業務に関連しない分野・トピックで興味・関心があるものとしては,「Risk Analysis等海外誌での議論の潮流と本学会の議論の比較・レビュー」「リスク研究の展望」「行政又は企業活動における財務面・法務面とリスク研究の関係性」「エネルギーミックスと安全性・経済性・心理的・持続可能性リスク」「ゼロリスク志向を改善するための市民のリスクリテラシーの醇成と社会実装」「マイクロプラスチック・海洋ゴミ・使い捨てプラスチック問題とリスク研究(紙代替に伴う環境負荷のトレードオフ等)」「企業のリスク削減に向けた自主的取組と ESG 投資」「廃棄物に対する解決志向型リスク評価・管理の導入」等が挙げられた。 ## 3.2 .5 年次大会の開催地・開催日時 年次大会の開催地・開催日時については, ある程度のアクセス性が確保されていれば遠方でも問題ないという回答が多かった。また,週末と平日いずれが望ましいかは意見が分かれたが,業務として参加するのであれば平日が好ましいという意見は共通していた。開催時期としては,C\&Tの Table 4 Counts of selected articles $* 1$ } & \multirow{2}{*}{ 総数 } \\ ※ 1:J-STAGEからカウント $※ 2$ : 口頭十ポスター $※ 3$ : 号別(巻頭言や書評等は除く) 繁忙期となる下期は好まれず,特に若手は上期を希望する声が多かった。 ## 3.2.6 年次大会の参加費 参加費については概ね妥当との意見であった。 ## 3.2.7 開催形式 C\&Tの集客力向上に向けて, 当該調査を通じて以下のような提案を受けた。 ・ネームバリューのある研究者(海外も含めて) の招聘・講演 $\cdot$研修の意味合いを持たせた企画(各社研修予算の利活用のため) $\cdot$SRA 等を始めとする国際的なリスク関連学会・会議への参加報告(各社の情報収集の名目を強くするため) ・企業の参加者のみをターゲットにしたセッションの開催 Table 5 Number of respondent on readers interest to the research on risk analysis } & \multicolumn{6}{|c|}{ 回答者別関心度(件数) } \\ Table 6 Number of respondent on readers preference to the conference venue, schedule and fee } & 好都合 & 0 & 1 \\ $\cdot$ 就職を考える学生向けに, 各企業のリスク研究への取組事例を紹介するセミナー(リクルー ト) また,特定の発表を講聴したい場合に,Web会議形式での参加が可能であれば, 忙しい中でも参加が可能になる可能性が高まるとの声もあった。 ## 3.2.8 その他 ノウハウの流出・秘密保持の観点から, 特に企業を顧客とするコンサルタントの学会への参加を促進するのは難しいのではないかとの指摘もあつた。他方,学会の場は普段聞けない話を聞ける良い機会であり,多少マニアックな内容であっても参加を積極的に考えたいとの意見もあった。 ## 3.3. 設問毎の回答選択 設問のうち回答毎に選択者の数が示される「報文に対する関心度合い」および「開催地, 日時,参加費の3段階評価」を Table 5 およびTable 6 にまとめた。アンケート/インタビュー対象の選定で触れた通り,業界/職種の代表性は求め得ない集団であるため,設問毎の回答の分布やE\&E およびC\&T間の比較に意味を求めることはしないが,ターゲットマーケティング的手法の有用性を示す考察(4.)の背景情報となっている。 ## 4. 考察 ## 4.1 リスク研究への関心度合い調査 E\&E及び $\mathrm{C}$ Tともに,プロファイリングを通じて想定した興味関心に沿って選定した報文に対し,関心を持つことが分かった。関心度合いは一般に報文で扱う主題が自身の担当業務に即時直接的に関わる場合に強くなる傾向が示唆された。また,C\&Tについては概念思考の参考になる発表や普遍的な事例に対しても関心を持つことが分かった。 年次大会への参加勧誘にはこれらを踏まえたターゲットマーケティングが有効と考えられた。現在の学会誌はアブストラクトが英文となっているが,ターゲットマーケティングにあたっては, アブストラクトではなく, 例えばTwitter等のマイクロブログ等で重宝されている読み手の関心を惹くような短文記事程度の長さで書き下ろした説明文 (日本語) で紹介する手法(今回は200文字) の有効性も併せて示唆されたと考える。一方, 本稿の作業を通じて,論文著者ではない第三者によるこうした広報活動(報文の選定,書き下ろし説 明文の作成等)には相応の作業が伴うことも併せて指摘しておきたい。 ## 4.2. 年次大会参加促進要因調査 開催場所に関して, E\&Eは所属機関の近辺での開催を好むのに対し, C\&Tはアクセスが整っていれば特に場所は選ばないとする傾向があった。業務において長距離の移動が日常的であるかどうかが,嗜好を左右する可能性があると考えられた。 平日開催と休日開催については, E\&E, C\&T共に『業務』としての参加であれば平日を好み, プライベートでの参加であれば土日でも良いという共通性が見られた。このことから,ビジネスパー ソンの年次大会への業務としての参加を促進するためには,現在は発表等が行われていない金曜日を活用することが有用であることが示唆された。 ただし,土日への連続参加を促すための方策も別途検討が必要であろう。 年次大会への参加理由の説明・報告の方法は所属機関・所属部署・役職等の立場によって様々であり,対応事例を積み重ね,新規参加者向けのべストプラクティスを蓄積し, 適宜還元していく必要があるだろう。 開催時期に関して, 特にC\&Tは業務繁忙期である下半期を避けて欲しいとの回答が特徴的であった。他方, E\&Eにおける繁忙期は, 世界いずれかの国・地域で大きな政策・法規制の導入が検討されることがトリガーとなるため, 季節要因はなく, 結果として特段の意見は見られなかったものと考えられる。 参加費については概ね妥当との回答が大半だつたため, 参加費は参加促進要因とはならないことが示唆された。 開催形式については, 近年海外でも導入され始めたWeb会議形式での参加の希望があったが, コロナ禍を通じてこの点については既に本学会を含めて多くの学会で実現されており,あとはこれが恒常的な施策とするべきかどうかが論点となるだろう。 その他,参加を促進する可能性のある方策としては, 全体セッション・企画セッションへの招聘講演者・取り上げるトピック(時事問題)の選定に係る工夫, 研修志向のセッションの企画, 海外学会への参加報告, 学生へのアピールの場の設置等が挙げられており,これにより業務としての参加の可能性が広がるとの声もあった。 このように,ターゲットに合わせた開催場所/形態/時期の選定が, 参加促進につながる可能性がある。 ## 5. 結語 本学会年次大会へのビジネスパーソンの参加促進を念頭に,ある特定業務分野に関わるビジネスパーソンを対象に,ターゲット・マーケティング的手法を適用したところ, ・リスク研究の広報の有用性:対象者のメンタルモデル/マインドセットを想定したプロファイリングに基づき選定したリスク研究の報文の概要情報を提示することでリスク研究への関心を惹起できる可能性があり, さらには年次大会への参加のきっかけとなりうること $\cdot$ 費用便益:興味関心をもつテーマに関する研究発表の有無や, 得られる知識と参加コストとのバランスなど, 費用便益に関わるいくつかの要因がビジネスパーソンの年次大会への参加を促進しうること が示唆され, リスク学的視点においてより多彩な背景を有するビジネスパーソンを年次大会への参加に誘導する筋道の一例を考察した。また, 限られた範囲ではあるものの, 非会員が本学会に期待することについて,具体的な示唆を得た。リスク学を扇の要として様々な学術領域の研究者が集う本学会の価值は, その恩恵を十二分に知采している既存会員にとって説明の要はないと思われるが, リスク研究のさらなる発展に必要な非会員に対する働きかけの一つとして, 本稿のような検討は参考になるはずである。 学会活動の活性化に関しては長年, 学会理事を中心として積極的な取り組みが見られる。例えば, 各種タスクグループによる組織的な研究活動の活性化や,過去に遡っての学会誌の電子化/ オープンアクセス化が実現されたことは記憶に新しい。また, COVID-19を奇貨として取り組まれた2020 2021年度の年次大会のオンライン開催は, 大会委員長/実行委員各位の尽力により円滑かつ成功裡に行われ, 本稿で例示した年次大会の参加コスト軽減の要望を既に一部叶えている。この流れを維持・発展したWeb会議形式での参加枠の継続設置や, 事前学習及び後刻の視聴も可能とするビデオライブラリ化にも, さほど距離はなさそうに思われる。 本稿が日本リスク学会定款第 4 条に定める目的「リスク研究の発展および知識の普及ならびに同研究の社会実装に資する取り組みに努めると共に,会員および関連する諸団体の相互の交流を図り, 海外の関係団体との国際交流を促進すること」の実現に,僅かながらでも寄与できれば幸いである。 ## 謝辞 本研究の企画およびアンケート/インタビュー 結果の取りまとめ手法に関して大阪大学の村上道夫先生に数多くの有益な示唆/助言をいただいた。本研究でのアンケート/インタビュー実施にあたっては電機・電子業界において化学物質管理法政策の調查・情報共有活動に携わっている/過去に携わっていた方々,および環境法規制のコンサルタント・シンクタンク業務に携わっている方々にご協力をいただいた。また第 31 回日本リスク研究学会年次大会ハイブリッドセッション参加の皆様とのディスカッションを通じて貴重な示唆をいただいた。ここに記して心より感謝の意を表する。 ## 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# 【総説論文】 ## 新型コロナウイルス感染症流行ならびにそのワクチンに 対する 2021 年 10 月までの市民の対応の変化* ## Changes in Response of the Japanese to COVID-19 and its Vaccine till October 2021 \author{ 土田昭司 ${ }^{* *}$ ,静間健人***, ${ }^{*}$ ,浦山郁**** } ## Shoji TSUCHIDA, Taketo SHIZUMA and Kaoru URAYAMA \begin{abstract} Response of the Japanese to COVID-19 and its vaccine was investigated with time-series questionnaire surveys conducted on December 2020 [N=2,500], February $2021[N=1,500]$, June $2021[N=$ 2,500], and October $2021[N=1,500]$. The results showed that on December 2020 less than half of the respondents wanted to receive COVID-19 vaccination and about one fifth of them refused it. High anxiety led intension of the vaccination. On October 2021 three fourth of people in Japan had received the vaccination, and the most of respondents perceived COVID-19 vaccine very safe and beneficial. However, about $10 \%$ of respondents seemed to stick refusing the vaccination through all the surveys, and COVID-19 brought diversity of life-styles. Suitable and sufficient risk communication would be needed. \end{abstract} Key Words: COVID-19, Vaccination, Time-series questionnaire surveys, Risk perception, New life -styles 日本における新型コロナウイルス感染症流行は, 2020 年から 2021 年10月までの時点で新規感染者数などの増減から 5 波にわたる感染のピークがあった。新型コロナウイルス感染症は発生当初には医科学的に十分に効果的な治療法がなかったために,多数の重症者,死者がでているにもかかわらず,社会としては公衆衛生としての対処をするしかなく,政策的にその徹底が人々に求められた。新型コロナウイルス感染症に対する公衆衛生的対処は手指衛生(手洗いなど), 飛沫防止(マスク・アクリル板など), 対人接触制限(三密回避・移動制限など)に分類される。このうち手指衛生と飛沫防止は少なくとも日本社会においては人々に深刻な影響をおよぼすほどの負担とはならなかったが,対人接触制限は,出社や登校の禁止とそれにともなう業務や勉学のオンライン化, 飲食店や行楽施設の閉鎖, 長距離移動の制限など,人々と社会経済に重大かつ深刻な影響をおよぼすこととなった。 医科学的に効果的な対処法として, 2020 年秋頃に新型コロナウイルスワクチンの目処がつき始めてから以降は,ワクチン接種がこの感染症流行を終息させる手段として世界的に期待されることとなり,日本においてもワクチン接種が進められることとなった。 土田,元吉,近藤らは,2020年 8 月に新型コロ  ナウイルス感染症流行に対する人々の対応を調べるために日本全国規模の質問紙調査 $[\mathrm{N}=6,000]$ を実施した(土田,2021a; 土田ら,2021a)。これに引き続き, 土田らは新型コロナウイルス感染症流行とそのワクチン接種に対する市民の対応の時系列変化を調べるために,2020年12月,2021年2 月,同年6月,同年 10 月に,2020年 8 月調查とも互いに比較検討可能な日本全国規模の質問紙調査を実施した(土田,2021b)。 土田らによる各調查時期における全国での感染者数の推移(厚生労働省,2022a)を Figure 1 に示した。2020年 12 月調查は, 第三波に差し掛かり始めた時期に実施され,新規感染数は調査実施期間前週の同じ曜日に比べて北海道では- $16.6 \%$,東北 6 県で $+105.9 \%$, 東京都で $+21.4 \%$ ,大阪府 $-0.3 \%$, 中国四国 9 県で+ $61.4 \%$ など,いくつかの地域によって感染者数が増加する傾向がみられる時期であった。2021年2月調查時点では第三波が落ち着きを見せた時期で, 感染者数は同様にして北海道 $-6.7 \%$, 東北 6 県で $-21.7 \%$, 東京都で $-28.8 \%$, 大阪府 $-20.2 \%$, 中国四国 9 県 $-44.4 \%$ となっており,いずれの地域でも減少傾向がみられた時期である。2021年6月調查は第四波と第五波の間の時期に実施され, 感染者数は同様に北海道 $-49.2 \%$, 東北 6 県で $-40.0 \%$, 東京都で $+4.2 \%$,大阪府 $-24.0 \%$, 中国四国 9 県で $-34.2 \%$, 沖縄県で $-38.9 \%$ と一時的に感染者数の減少がみられる時期であった。また, 2021 年 10 月調查は第五波が落ち着き, 感染数は東北 6 県で $+4.7 \%$, 東京都で $-58.7 \%$, 大阪府 $-37.9 \%$, 中国四国 9 県で $-44.0 \%$ とおおむね減少傾向にある時期であった。 本稿ではこれらの調査結果にもとづいて, 日本における新型コロナウイルス感染症流行に対する 2021 年 10 月までの市民の反応を,ワクチン接種を中心に経時的に検討する。 [sourse: Ministry of Health, Labour and Welfare, Japan, 2022a] Figure 1 Numbers of infected people till October 2021 and the times of the surveys ## 1. 経時的質問紙社会調査の概要 土田(2021b)は,2020年12月,2021年2月,6月, 10 月に実施した 4 回の経時的質問紙社会調査の概要を次のように報告している注1。 2020 年 12 月調査 調查時期:2020年 12 月 11 15 日。対象地域:北海道,東北6県,東京都,大阪府,中国四国 9 県。20 69歳の男女, 上記 5 地域(各 $N=500 )$ 毎に総務省による人口推定に比例して性・年齢 $(10$歳刻み)・都道府県別に割当(計 $\mathrm{N}=2,500 ) 。$ 2021 年 2 月調査 調查時期:2021年 2 月 22 26日。対象地域:北海道, 東北 6 県, 東京都, 大阪府, 中国四国 9 県。20 69歳の男女, 上記 5 地域(各 $N=300 )$ 毎に 2020 年 12 月調査と同様に割当(計 $\mathrm{N}=1,500 ) 。$ 2021 年 6 月調査 調查時期:2021年 6月 16 20日。対象地域:北海道,東北 6 県,東京都,大阪府,中国四国 9 県, 沖縄県。20 69歳の男女, 総務省による人口推定に比例して性・年齢 (10歳刻み) - 都道府県別に割当 $(\mathrm{N}=2,500)$ 。 2021 年 10 月調査 調查時期:2021年 10月9 11 日。対象地域:東北6県,東京都,大阪府,中国四国9県。20~ 69 歳の男女, 2021 年 6 月調査と同様に割当 $(\mathrm{N}=$ 1,500 )。 これら計4回の経時的質問紙社会調査は,すべてオンライン調査であった。実査は楽天インサイ卜(株)に委託し,回答者は同社に登録していたモニターであった。 なお, 2020 年 12 月調查, 2021 年 2 月調査, 同年6月調查では調查対象地域として北海道を, 2021 年 6 月調查では沖縄県を含めている。これはそれぞれの調查前の感染拡大期において北海道と沖縄県における感染が特に拡大していたことから分析対象に含めたことによる。以下で言及する研究は,土田ら (2021b)を除いて,上記のすべての調査結果を比較可能とするために, 東北 6 県, 東京都,大阪府,中国四国 9 県の回答者に限定した分析を行っている。 ## 2. 新型コロナウイルスワクチン接種に対 する市民の反応の推移 土田(2022), 土田ら (2021b, 2021c) は, 上記の 4 回の経時的社会調査結果にもとづいて, 日本における新型コロナウイルスワクチン接種に対する市 民の反応の推移を検討している。 ## 2.12020 年 12 月時点 2020 年 12 月時点で,日本では接種開始は翌年 2 月以降であろうと報道されていた (NHK,2020)が,具体的な接種方法などはまだ示されていなかった。新型コロナウイルスはこれまでに地球上で存在が確認されていなかった病原体であり,それに対するワクチンはメッセンジャーRNA (mRNA) を活用して遺伝子を操作するなど新たな方法で急遽開発が進められた。これは新奇性が高い人工物であることから,市民が実際以上に危険であると認知する蓋然性が高かった(Slovic,1987;土田, 2018)。日本では,乳幼览への予防接種はほぼ全員が受けているが(国立感染症研究所,2018),子宮頸がん (HPV) ワクチン接種については副反応に対する訴訟などを受けて政府が「積極的接種搉奖の中止」をして以降接種率は極めて低い(Hanley et al, 2015)。新型コロナウイルスワクチン接種についても接種率が低いままにとどまる可能性があった。 2020 年 12 月調査結果によれば,東日本-西日本, 大都市圈-地方圈の各地域において, 接種希望者は $46.4 \% \sim 48.6 \%$ ,接種非希望者人は $19.8 \% \sim$ 24.6\%であった(Table 1)。 土田ら(2021b)は,接種意志に地域差はみられなかったが, 30 歳代 40 歳代の接種意志が他の年齢層よりも低く,男性よりも女性の接種意志が低い有意差がみられたと報告している。 ワクチン接種意志は感染不安と関連がみられた (土田,2022)。どの地域においても新型コロナウイルスへの感染を強く不安に思っている人ほどワクチン接種意志が高かった(Figure 2)。なお,中国四国9県の「不安低」群において接種意志が特 に低い傾向がみられた。中国四国9県においては,不安をあまり感じてない人は「感染拡大は大都市圈における問題であり,居住地域に居る限りワクチン接種は必要ない」との考えがあったのではないかと推察される。 ワクチン接種意志を高める要因を探るための仮定の条件下での接種意志質問に対しては「法律での義務づけ」「世間でのワクチン接種の広まり」「無料であること」により接種意志が高まることが確認された。これに対して,法律での義務づけを含めて提示した種々の条件でも接種したくない人が 1 割以上程度いた (Table 2)。 ## 2.22021 年2月時点 2021 年2月 17 日から医療従事者を対象としてワクチン接種が開始された。接種はまだ限られた少数の人たちを対象とするものであったが,ワクチン接種が人々に現実の問題として認識され始めた時期であるといえる。 2021 年 2 月(22 26日)調査では,接種希望者 [sourse: Tsuchida, 2022] Figure 2 Intention of COVID-19 vaccination devided by infection anxiety on Dec. 2020 Table 1 Numbers of people who intended to receive COVID-19 vaccination on Dec. 2020 in 4 areas of 'East-Japan vs West-Japan'\& 'metoropolitan vs local' 接種したい:「接種したい」「どちらかといえば接種したい」を合算 接種したくない:「接種したくない」「どちらかといえば接種したくない」を合算 [sourse: Tsuchida et al, 2021a] Table 2 Intension to receive COVID-19 vaccination under some hypothetical conditions on Dec. 2020 } & \multirow{2}{*}{$\frac{\text { 接種意図 }}{\text { Yes }}$} & \multicolumn{2}{|c|}{ 東北6県 } & \multicolumn{2}{|c|}{ 東京都 } & \multicolumn{2}{|c|}{ 大阪府 } & \multicolumn{2}{|c|}{ 中四国9県 } \\ Yes:「接種したい」「どちらかといえば接種したい」; No :「接種したくない」「どちらかといえば接種したくない」 [sourse: Tsuchida et al, 2021a] が $56.4 \% \sim 63.9 \%$ であり,前年 12 月よりも 10〜15 ポイントほど増加していた。年齢別では, 60 歳代において接種希望者が7割から8 割近くに達しており,他の年齢層よりも特に接種の希望が高かった (土田, 2022)。 ## 2.32021 年 6 月時点 2021 年 4 月 12 日から 65 歳以上の高齢者を対象としたワクチンの接種が始まった。同年6月20日の時点で高齢者の $54.3 \%$ が 1 回目接種を, $17.6 \%$ が 2 回目接種を受けた。(政府CIOポータル,2021)。高齢者以外の人も対象として, 2021 年 5 月 24 日から東京と大阪で大規模接種会場での接種が始まった。同年6月20日の時点で全国のワクチン接種率は, 1 回目接種が $16.8 \%, 2$ 回目接種が $5.6 \%$ であった(政府 CIOポータル,2021)。 2021 年 6月(16 20日)調查では,未接種者 1,865 名(全体の $86.1 \%$ )のうち接種希望者は $69.5 \%$ ,接種非希望者は $16.8 \%$ であった。これを性,年齢別にみると,男性では 60 歳代と 50 歳代で特に接種希望者が多かったが,女性では統計的には明確な年齢差はみられなかった (土田,2022)。 未接種者に対して,ファイザー社製,モデルナ社製,アストラゼネカ社製,塩野義社製のワクチンを提示して,どのワクチンならば接種したいかをたずねた(Table 3)。どのワクチンでもよいから接種したいとした人は $23.6 \%$ にとどまっていたことから多くの人が希望するワクチンを選んで接種を受けようとしていたようである。最も選ばれたのがファイザー社製であり,アストラゼネカ社製を選んだ人はほとんどいなかった。塩野義社製を日本で開発されているワクチンの例として質問に Table 3 Preference of COVID-19 vaccine maker on Jun. 2021 ファイザー, モデルナ, アストラゼネカ, 塩野義については多重回答 [sourse: Tsuchida, 2022] 加えたが,モデルナ社製よりも選んだ人が多かつた。日本国産のワクチンに対する信頼度の高さがうかがえる(土田,2022)。 ## 2.42021 年 10 月時点 高齢者への 2 回目接種は 2021 年 8 月 1 日に $80 \%$ を超えた(政府CIOポータル,2021)。2021年 6 月21日から職域接種によるワクチン接種も本格的に始まった。ワクチン(ファイザー社製)接種対象は2021年6月から 12 歳以上となった。同年 10月11日の時点で全国のワクチン接種率は, 1 回目接種が $74.4 \%, 2$ 回目接種が $65.2 \%$ であった (Our World in Data, 2021)。 浦山,土田(2022),浦山ら(2021)は2021年 10 月 (911日)調査結果から, ワクチン接種の危険性と利益性は,他のリスク事象と比較した場合,自転車よりも有意に安全であり利益があると認知されていたことを明らかにしている(Figure 3)。市民の大多数はワクチン接種を受容したとみなせるであろう。 [sourse: Urayama \& Tsuchida, 2022] Figure 3 Risk perception map of COVID-19 vaccine, nuclear power station, food additive, alcoholic beverage, and bycicle on Oct. 2021 (All respondents $[\mathrm{N}=1490]$ ) [sourse: Tsuchida, 2022] Figure 4 Risk perception map of COVID-19 vaccine, nuclear power station, food additive, alcoholic beverage, and bycicle on Oct. 2021 (Respondents who refused vaccination $[\mathrm{N}=113]$ ) しかしながら,同調査では未接種者が $14.5 \%$ いた。未接種者の $52.8 \%$ は接種を拒否していた。これは,全回答者の $7.7 \%$ にあたる。未接種で接種を拒否する者のみでは,ワクチン接種は原子力発電所と同程度に危険であり,食品添加物よりも利益がないと認知されていた(Figure 4)。 ## 3. 新型コロナウイルス感染症に対する市民の思いの推移 浦山, 土田(2022), 浦山ら(2021)は, 2021 年 6 月調査と同年 10 月調査において,5波にわたる新型コロナウイルス感染症流行拡大期のそれぞれにおけるこの感染症に対する市民の思いの変化を 「新型コロナウイルスの感染拡大を経験して, この感染症に対するあなたの思いが変化したことがありましたか。」と質問により測定している (Figure 5)。 全般に,主観的な思いの変化は,第一波の時点 [sourse: Urayama \& Tsuchida, 2022] Figure 5 Percentage of people who responded that their image of COVID-19 changed (Oct. 2021 survey) で全体の半数近くが感じていた。その後いくつかの波を経験するにしたがって第四波まで変化の程度が緩やかに低減していたが,第五波で下げ止まった。第五波は高齢者のワクチン接種率が $80 \%$ を超え,全年代層へのワクチン接種が本格化した時期である。女性は男性よりも思いを変化させた人が多かった。 60 歳代では思いを変化させた人の割合は第一波から第五波まで比較的に一定していた。 調査ではさらに,具体的な変化した思いの内容について自由記述を求めた。その自由記述における頻出語を抽出したところ (Table 4), 2021 年 6 月調査と同年 10 月調査に共通してみられる特徴として, 「外出」,「感染」,「マスク」,「自粛」といった言葉が,全ての時期で頻出していた。外出の自粛やマスクの着用など基本的な感染症対策を講じることは全ての波において共通して意識にのぼっていたとみられる。また,それぞれの波ごとにみると,第一波では「怖い」,「恐怖」,「未知」 といったウイルスの「恐ろしさ・未知性」に関わる言葉が確認されるが,それ以降は頻出していな w。 その一方で,第二波以降は「慣れる」や「(人出や人流などが)増える」などの言葉が多く見られている。そして第四波以降,「ワクチン」や 「接種」といったワクチン接種関連の言葉が多く見られるようになった。 ## 4. コロナ禍において重視する生活領域と 対策行動 静間ら (2021)は, 2021 年 10 月調査の結果から, コロナ禍による行動制限で影響を受けたと考えら Table 4 Words discribing image of COVID-19 with high appearace frequencies (Oct. 2021 survey) & \multicolumn{2}{|c|}{$6,033(2,923)$} & \multicolumn{2}{|c|}{$5,122(2,460)$} & \multicolumn{2}{|c|}{$4,067(1,999)$} & \multicolumn{2}{|c|}{$3,881(1,915)$} & \multicolumn{2}{|c|}{$4,919(2,388)$} \\ [sourse: Urayama \& Tsuchida, 2022] れる生活領域である「家族・家庭」「職業・仕事」「余㗇・趣味」「防疫・医療」に対する重視度の認識によってクラスター分析 (Two-Stepクラスター 分析)した。その結果,7つの生活類型クラスターが抽出された(Table 5)。 各クラスターを主に構成している人の社会的属性を確認した(Table 6)。性別については,「防疫と家庭」と「家庭」のクラスターに女性が多く,「仕事」,「余暇」および「余㗇と家庭」のクラスターに男性が多かった。年代については,「余暇」 クラスターは 30 代までの人が,「防疫と家庭」クラスターは 50 代と 60 代が多かった。世帯年収については,「防疫と家庭」と「余暇」のクラスターは 300 万円未満が多かった。同居家族数については,「仕事」と「余暇」のクラスターは単身世帯が扔よそ半数を占めていた。また,「バランス」を除いた残りのクラスターは単身世帯が少なかった。 見田(1966)は人々が生活していく上での基本的な目標をとらえるために,人間にとっての中心的な価値を現在志向と未来志向, 自己本位と社会本位の 2 軸 4 次元「快(自己本位 - 現在志向), 利 (自己本位・未来志向), 愛 (社会本位・現在志向), 正 (社会本位・未来志向)」に類型化してい る。この生活目標の類型を基に, 自己本位, 社会本位, 現在中心, 未来中心のいずれが強いかを測定したところ,ほとんどのクラスターにおいてははぼ半数の人たちは現在中心で社会本位の生活目標を持っていたが,「余暇」クラスターでは7割以上の人たちが自己本位の生活目標を持っていた (Table 6)。 新型コロナウイルス感染症についての情報源として, 対人情報, テレビ情報, 文字情報のそれぞれへの接触頻度と信頼度を測定したが, これらを生活類型クラスターごとにみると,「余暇」クラスターがテレビから情報を求めず,対人情報と文字情報を信頼していないことが明らかになった (Table 7; Table 8)。 新型コロナウイルス感染症流行対策に対しては,感染症流行を抑えるために経済に影響があっても自肃をするべきか, 経済活動を優先するべきかの問いに対して,「余㗇」クラスターは経済活動を優先すべきとの意見が相対的に多かったが,「防疫と家庭」クラスターでは自肃を優先する意見が相対的に多かった(Figure 6)。また,外出の規制についても,「余㗇」クラスターは国民の判断に任せるべきだとの意見が相対的に多かったが「防疫と家庭」クラスターでは違反者に罰金 Table 5 Seven life-styles under COVID-19 (Oct. 2021 survey) & & & \\ [sourse: Shizuma et al, 2021] Table 6 Seven life-styles under COVID-19 and demographic factor (Oct. 2021 survey) [sourse: Shizuma et al, 2021] ## を支払わせるべきだとの意見が相対的に多かった (Figure 7)。 ## 5. 総合的考察 新型コロナウイルス感染症に対して, 2020 年秋頃には効果的に対処できるワクチンの開発に目処がつきはじめた。浦山,土田(2022),浦山ら Table 7 Seven life-styles under COVID-19 and information sourse of COVID-19(Oct. 2021 survey) } \\ ^{* * *} p<.001,{ }^{* *} p<.01,{ }^{*} p<.05$ [sourse: Shizuma et al, 2021] } (2021によれば,感染症への思いの変化として,第一波から第五波まで「自粛」や「マスク」などの公衆衛生的対処に関する語彙が使われていたが,第四波(2021年4 5月頃)以降にはワクチン接種に関する語彙が使われるようになった。日本では第四波の頃から,公衆衛生的対処を継続しつつも,ワクチン接種によって感染と重症化を防ぐことが市民の関心事になってきたと思われる。 日本では,乳幼坚への予防接種のようにほぼ全員が接種を受けているワクチン接種があるものの, 子宮頸がん(HPV)ワクチンのように副反応への恐れからほとんど接種されていないワクチンもあった。土田(2022),土田ら(2021b,2021c)によれば,新型コロナウイルスワクチンの場合は,第三波の期間である2020年12月に打ける接種希望者は半数以下であった。一般に女性は男性よりも危険を回避しようとする傾向が強いことが知られているが(Flynn et al, 1994), 新型コロナウイルスワクチン接種についても女性は接種により慎重であった。また, 感染への不安が低い人ほどワクチ ン接種を希望していなかった。 しかし, 高齢者への接種が開始された 2021 年 2 月には, 接種希望者が半数を超え, 特に 60 歳代では接種希望者が7割から8割近くに達していた。高齢者に重症化, 死亡に至る事例が多かったことと, 65 歳以上の高齢者から接種を実施する方針が示されたことにより,高齢者に特に接種希望が増えたと考えられる。第四波がおさまった 2021 年 6 月以降は, 大規模接種会場, 職域接種など高齢者以外の人たちへの接種も本格化していった。 これに伴って接種率は順調に増加していった。 2022年 1 月 31 日現在, 全人口に対する接種率は, 1 回目接種が $80.1 \%, 2$ 回目接種が $78.8 \%$ となっている(NHK, 2022)。 浦山,土田(2022),浦山ら(2021)によれば,リスク認知においても,2021年6月と同年10月には, 新型コロナウイルスワクチンは, 原子力発電, 食品添加物, アルコール飲料, 自転車のどれよりも危険は小さく, かつ, 利益は大きいと認知されていた。少なくとも 2 回目接種までは日本の Table 8 Seven life-styles under COVID-19 and relianceinformation sourse reliance of COVID-19(Oct. 2021 survey) ${ }^{* * *} p<.001,{ }^{* *} p<.01,{ }^{*} p<.05$ [sourse: Shizuma et al, 2021] [sourse: Shizuma et al, 2021] Figure 6 Preference of countermeasures to COVID-19, 'economy first' or 'activity restricton first' (Oct. 2021 survey) 多くの市民が新型コロナウイルスワクチン接種を受容したといえるであろう。 しかしながら,新型コロナウイルス感染症とそのワクチン接種に対する認識は社会において一様ではない。 例えば,感染者における20歳代以下の若年層 [sourse: Shizuma et al, 2021] Figure 7 Preference of countermeasures to COVID-19, 'self-restraint request' or 'legal regulation' (Oct. 2021 survey) の割合が増加している (NHK,2022)ことから,厚生労働省 (2022b) は東京ガールズコレクションの出演モデルが登場する啓発動画を2022年 3 月末日にSNS に公開するなどの啓発活動を行っている。 また,小览を含む未成年者への接種は本人の意志と共に保護者の意向が尊重される。これまで新 型コロナウイルスワクチン接種のリスクコミュニケーションは,主にインターネットとマスメディア, 行政広報紙, そして, 電話相談によって行われてきているが,特に子を持つ親にとっては自らへの接種以上に子への接種に対する懸念が強いと考えられることから,個別の不安を共有したり低減させる方略としても集団討議のような形式が有用と考えられる。未成年者の保護者へのリスクコミュニケーションとしてPTAなどを活用した集団討議形式を試みることも一つの方策ではないかと考えられる。 静間ら(2021)によれば,コロナ禍によっての生活様式が変化してきたなかで,2021年10月時点で人々の生活類型は7つのクラスターに分類された。生活類型のクラスターのなかで余㗇を重視する「余㗇」クラスターは自己本位の生活目標をもつ人たちであったが, この感染症への対応も特徴的であった。すなわち,「余暇」クラスターでは感染症についての情報をテレビから求めず,また,感染症について対人情報と文字情報を信頼していなかった。感染症対策については,「余暇」 クラスターでは「経済を優先すべき」であり,「外出の自肃は国民の判断によるべき」だとの意見が比較的に多かった。このことは,感染症に対する認識や判断が社会において一様ではないことを改めて示しているといえる。 さらに, 2020 年 12 月の時点で「法律で義務づけられても」接種したくないとする人たちが1割以上いた (土田, 2022; 土田ら, 2021b, 2021c)。頑なに接種を拒む人たちの存在が示唆された。2021 年 10 月の時点で,接種を受けておらず,かつ,接種を希望しない人たちが7.7\%いた。この人たちのリスク認知は, 大多数の人たちの認知とは正反対に, 新型コロナウイルスワクチンは危険で利益がないと認知していた(浦山,土田, 2022;浦山ら, 2021)。 世界的に新型コロナウイルスワクチンについての誤情報(デマ)が広く流布しておりいわゆる陰謀論を信じる人もいると報道されている(例えば,時事通信社,2021)。厚生労働省(2021)はネット上で, 「接種が原因で多くの人が亡くなつている」「接種することで不娃になる」「接種した人が変異株に感染すると重症化しやすい」などの誤情報を否定する広報をしている。これらの誤情報が社会に広まっていると厚生労働省が認識していることを示している。上記のように接種を希望 しない人はそれを正当化する認識をもつ傾向があり,そのため誤情報(デマ)や陰謀論を信じやすいと考えられる。 2021年 10 月時点で,新型コロナウイルスワクチン未接種でかつ接種を希望しない人は 1 割以下であり,2回目接種済みの人は集団免疫を得るために必要といわれていた7割を超えていたのであるから,接種を危険視する人たちに敢えて説得的なコミユニケーションを図る必要は低いとの考え方もあり得たであ万う。しかしながら,社会としては,接種を希望しない人たちを排除せず寄り添うことが肝要であろう。 それは新型コロナウイルス感染症流行が少なくとも当分の期間継続する可能性がある問題だからでもある。 2022 年 3 月末日の時点で, 新型コロナウイルス感染症流行は未だ終息して掠らず,かつ,ワクチン接種の有効性は比較的に短期間に低下することにより3回目の接種が進められており,4回目の接種も検討されている。感染症流行の第四波 (2021年 4 月以降)に自粛生活が長期に続いたことから人々のなかにいわゆる「自粛疲れ」が生じたと指摘された (内閣府, 2021)。ワクチン接種についても3回目以降も接種が続く事態となれば 「接種疲れ」ともいうべき現象が発生する可能性は否定できないであろう。今後, 「接種疲れ」に対応するリスクコミュニケーションが望まれる可能性についても考慮しておくべきであろう。 新型コロナウイルス感染症に対しては, 社会の多様性に留意してきめ細かな配慮をする必要があり, また, 社会のすべての層とのさらに適切で十分なコミュニケーションを抗こなうべきであろう。 ## 注 注1 付録に各調査におけるサンプル割当表を記載した。 ## 謝辞 本取組の一部は, 2021 年度関西大学教育研究高度化促進費に打いて, 課題「新型コロナウイル入感染症(COVID-19)の克服に向けた取組」として促進費を受け,その成果を公表するものである。 ## 参考文献 Cabinet Office, Japan (2021) Dai 3 kai ShingataKoronauirusu kansensho no eikyoka niokeru seikatuisiki-koudou no henka nikansuru chosa, https://www5.cao.go.jp/keizai2/wellbeing/covid/ pdf/result3_covid.pdf (Access: 2022, Apr, 4) (in Japanese) 内閣府 (2021)第 3 回新型コロナウイルス感染症の影響下における生活意識・行動の変化に関する 調査, https://www5.cao.go.jp/keizai2/wellbeing/ covid/pdf/result3_covid.pdf(アクセス日:2022年 4月 4 日) Flynn, J., Slovic. 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risk
cc-by-4.0
Society For Risk Analysis Japan
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# 【原著論文】 # 女子大学生の再犯リスク認知に関する検討* ## Examination of Perceived Risk of Recidivism among Female University Students ## 高橋 哲** ## Masaru TAKAHASHI \begin{abstract} The purpose of this study is to examine the characteristics of perceived risk of recidivism in the general public in comparison with actual crime statistics. Participants were 280 female university students, and they were asked to estimate risks of reincarceration of released prison inmates within five years using a webbased self-report questionnaire. Results showed that the risks of recidivism were overestimated for sex offenders and drug offenders while they were underestimated for those who committed theft, assault, and arson compared to the actual statistical data shown in the White Paper on Crime. Future research recommendation and practical implications, especially on recidivism risk communication, were discussed. \end{abstract} Key Words: recidivism, offender, perceived risk, risk assessment, risk communication ## 1. はじめに 我が国では,近年,安全で安心して暮らせる社会のため, 一度犯罪を行った人たちの再犯をどのように防ぐかということが大きな課題となっている (法務省,2022)。犯罪者の社会への再統合を推進する際には,一般市民に犯罪者の再犯リスクを含めた実像を理解してもらい,その再犯防止打よび改善更生に向けた各種施策への協力を求めていくことが欠かせない。もち万ん,犯罪という不確実な事象に対して一般市民が正確なりスク認知を形成することは容易ではないものの,犯罪者の実像への誤った認識が,世論形成等を介して再犯率の低減に効果のない刑事政策の推進につながり得ることが指摘されている(Cullen et al., 2009)。一般市民を対象として,犯罪者の再犯に関するリスクコミュニケーションを行う際には,そもそも刑事司法の専門家でない人々が再犯リスクについてどのような認識を抱いているか,それらが実態と どのように異なるのかを明らかにする必要がある。我が国の犯罪リスクに関する先行研究では,これまで,自己もしくは身近な他者を対象にした犯罪被害に遭う主観的確率と被害の大きさの見積もりを示す犯罪被害リスクに焦点が当てられてきた。具体的には,被害リスク認知の規定構造をマクロな観点から検討したもの(阪口,2008; 阪口, 2013),被害に遭う主観的確率と犯罪不安との関連を検討したもの(小俣,2012;島田ら,2004;柴田,中谷内,2019)などがある。そのほか,犯罪発生件数の推定を警察官と大学生で比較検討し, リスク認知研究の文脈から検討を加えたものもある(中谷内・島田,2008)。しかしながら,一度犯罪を行った者が再び犯罪に及ぶであらう主観的確率に焦点を当て,公式統計データとの隔たりについて把握を試みた研究は見当たらない。 北米では,再犯リスクの推定に関する研究が幾つか実施されている。初期の研究では一般市民の  推定再犯率が実測値よりも過大となることが示されており(Roberts and White, 1986),その後もおおむね同様の傾向が認められている。Jung et al. (2014) は,大学生を対象に刑法・刑罰の知識に関する調査を実施し, 暴力犯罪や性犯罪の再犯可能性を過大に推定する傾向が認められたと報告している。 また,女性は男性よりも高い再犯の推定値を回答する一方, 回答者の刑事司法制度との接触の度合い(講義の受講経験, 自身の係属歴, 勤務歴)は再犯率の推定値とは関連が認められなかったとされる。Fortney et al. (2007)は, 性犯罪歴のない一般市民と性犯罪者自身を対象に「有罪判決を受けた性犯罪者のうちどの程度の者が再び性犯罪を犯すと思うか」と尋ねている。その結果,一般市民は,性犯罪者の約4分の3が新たな性犯罪に及ぶと回答しており,これは報告されている実際の再犯率と比べて遥かに高い推定であることが指摘されている。 このように, 北米の先行研究からは, 一般市民による推定再犯率は過大なものとなりやすい傾向がうかがわれる。ただし,これらの研究はいずれも再犯に至るまでの社会内での期間を限定して尋ねていないこと,再犯とみなされる事象について明確な定義が欠けていること,それゆえに比較対照となる厳密な基準を欠いていること, 対象罪名が限られていることといった課題が指摘できる。 こうした方法論上の課題に加え, そもそも日本と北米では刑事司法体系が異なり, 犯罪の構成要件も当然異なり,それらが人々のリスク認知に影響する可能性があることから, 我が国の公式統計データに即して検討を加えることが求められる。 以上を踏まえ, 本研究では,大学生を対象に罪名別の再犯リスク認知の実態把握を目的とし, 探索的な調査を実施する。こうした再犯リスク認知の特徴を明らかにすることは,犯罪者の再犯リスクを軽視したり,逆に,彼らを「モンスター」と捉えて必要以上に排除したりすることなく, 犯罪者の再犯防止, 改善更生, 社会への再統合に向けた各種施策について,専門家と一般市民とで共に検討していく上での基礎資料となることが期待される。 ## 2. 方法 ## 2.1 調査対象者 関東圈の 4 年制大学 2 校に通う女子大学生 280 名 (平均年齢 19.7 歳, $S D=1.19$, range=18-23)を対象 にした。 ## 2.2 手続 2021 年 10 月から同年 12 月上旬までの間, Web 上の回答フォームによってデータを収集した。具体的には,筆者が講義を担当する大学2校のオンライン授業の終了間際に, 受講者に調査目的に関する説明を口頭で行い協力を依頼した上で, Web 上の回答フォームのURLおよび QRコードを記したPDFファイルを配布・共有し, その場での回答を求めた。PDFファイルは, 司法・犯罪心理学の 2 回目, 全学部共通のリベラルアーツ科目の 10 回目に配布したが,前者では再犯に関する事項を講義で扱う前の段階, 後者ではそもそも犯罪をテー マとして扱わないため, 調査対象者が講義を通じて再犯に関する正確な予備知識を有していた可能性は低いと考えられる。 回答フォームの冒頭に, 研究目的や個人情報保護等に関する説明文を添え,目を通した上で回答してもらうよう依頼した。具体的には,「研究への参加は自由意思であり, 参加しなくても一切不利益は生じないこと」,「得られたデータは研究目的以外には使用しないこと」,「匿名性が担保され個人情報が保護されること」,「参加を途中で撤回して取りやめても差し支えないこと」,「回答にあたっては,他の資料を参照することなく,自身の思ったとおりに回答すること」,「回答の送信をもって調査協力への同意が得られたとみなすこと」を記した。回答に要する時間は5-10分程度が見込まれた。 なお,調査を実施した直前の時期において,本研究で取り上げる再犯率の推定に影響を与えるような出所受刑者の事件がマスメディアで大きく扱われたという事実は確認されなかった。 ## 2.3 再犯リスクの推定 調査対象者に主要な罪名を提示し, 各々の再犯率の推定を求めた。ここで,再犯という事象は,刑事司法の段階に応じて, 再逮捕, 再起訴, 再有罪判決, 再収容等のいずれかもしくはそれらを併用して検討されることが多い(高橋,2017)。我が国の刑事司法の統計では, 再逮捕, 再起訴または再有罪判決を基準とした再犯率の指標は見当たらず, 唯一, 出所受刑者の一定期間経過後の刑事施設への再収容を指標にした「再入率」という指標が,犯罪白書において近年公表されている。こ の指標は,再犯に関する過小見積もりを伴う可能性のある保守的な指標ではあるが,その一方で,日本全国の出所者データに基づく包括的な指標であり,調査対象者の推定との比較を行うための参照基準として採用した。 ここで,犯罪白書における出所受刑者の再入率は「各年の出所受刑者人員のうち, 出所後の犯罪により,受刑のため刑事施設に再入所した者の人員の比率をいう」と定義される(法務省法務総合研究所, 2020)。本研究では「5 年以内再入率」を採用したが,その定義は,ある年の出所受刑者人員のうち, 出所年を 1 年目として, 5 年目の年末までに再入所した者の人員の比率を指すことになる。ただし,犯罪白書の定義をそのまま示すのでは調査対象者にとって難解であるため,本研究では,犯罪白書の定義を損ねない範囲で筆者が書き下したものを使用した。具体的には,「刑務所を出所してから新たな犯罪により再び刑務所に収容されることを「再入所」と呼びます。必ずしも最初の犯罪と次の犯罪が同じ罪名とは限りません。以下のそれぞれの犯罪(未遂を含む)を行った人が 100 人いるとして,刑務所を出所してから 5 年以内に再入所する人は,何人くらいだと思いますか。0から 100 までのいずれかの数字 (整数)を記入してください。」と提示した後で,犯罪白書で再入率が公表されている8つの罪名である窃盗,覚醒剂取締法違反, 傷害または暴行, 強制性交等または強制わいせつ,殺人,詐欺,強盗,放火について,それぞれ推定を求めた。また,罪名を問わない全出所者の平均値についても推定を求めた。 ここで,再犯や再入所という用語は,時に同一罪名の反復によるものとの誤解を生じかねないことから,再犯は必ずしも同一罪名に限定されるものではないことを明示した。また,犯罪白書で扱われる犯罪データには特段の断りがない限り未遂も含まれ,再入率に係るデータにおいても事情は同じであることから,未遂を含めて回答するよう教示した。 犯罪に関する公式統計は未発覚または未申告の事案 (暗数) を捕捉できず,実際の再犯率を過小に見積もる側面があるが(Hanson and Bussiere, 1998),本研究では,一定期間における刑事施設への再入所という公式統計データと調查対象者の主観的な再入率の推定との比較を念頭に置いているため,暗数については特段考慮に入れない形式で尋ねている。 ## 2.4 倫理的配慮 本研究は調査の実施に先立ち, お茶の水女子大学人文社会科学研究の倫理審査委員会の承認を得た (受付番号:2021-124)。 ## 3. 結果 ## 3.1 推定再入率の特徵 Table 1 は,再入率の推定に関する結果を示したものである。 「本研究 $(\mathrm{A}) 」 の$ 欄は, 各罪名を行った出所受刑者について,調査対象者が推定した再入率の平均値,標準偏差,中央値を示している。一方,「白書(B)」の欄は,犯罪白書による公式統計デー夕を示したものである。ここで,再入率は基準とする年によって若干変動するが,研究時点で入手できた最新のデータである平成 27 年に全国の刑事施設を出所した23,523 名の罪名別再入率を採用した。また, 調査対象者の再入率の推定値の平均値 (A) から犯罪白書から求められた実測值 (B)を減じた結果をTable 1 の右端の欄 $(\mathrm{A}-\mathrm{B})$ に提示した。 Table 1 の最下段に示したとおり,全出所受刑者の平均については,犯罪白書の実測値が $37.5 \%$ $(23,523$ 人の出所受刑者のうち 8,812 人の再入者) であるのに対して,本調査の参加者は $33.0 \%$ と実際より若干低く見積もっていた。 罪名別にみると幾つかの特徵が認められる。調査対象者の再入率の推定値の平均値が公式統計データである実測値よりも上方にあるものは, Table 1 の(A-B)の値が正の値をとるものであり,具体的には, 覚醒剂取締法違反, 詐欺, 強制性交等または強制わいせつ,殺人,強盗であった。これらは,調査対象者の再犯リスク推定値のほうが実測値よりも高く,数値上からは過大な見積もり Table 1 Estimated risk of recidivism } & $\mathrm{A}-\mathrm{B}$ \\ \cline { 2 - 4 } & $M$ & $S D$ & $M e$ & & \\ 強制性交等または & 42.6 & 23.3 & 40 & 17.0 & 25.6 \\ 強制わいせつ & & & & & \\ 究盗 & 38.5 & 21.9 & 30 & 43.9 & -5.4 \\ 傷害または暴行 & 31.8 & 20.1 & 30 & 37.3 & -5.5 \\ 詐欺 & 27.9 & 18.7 & 20 & 24.7 & 3.2 \\ 強盗 & 21.5 & 17.9 & 20 & 18.0 & 3.5 \\ 放火 & 15.9 & 16.2 & 10 & 18.6 & -2.7 \\ 殺人 & 13.9 & 14.7 & 10 & 8.5 & 5.4 \\ 全出所者の平均 & 33.0 & 17.0 & 30 & 37.5 & -4.5 \\ Figure 1 Cluster mean plots が示唆される罪名群である。一方で, $(\mathrm{A}-\mathrm{B})$ の值が負の値を示したもの,つまり実測値よりも下方に見積もられた罪名としては,窃盗,傷害または暴行,放火が挙げられる。 正負の符号にかかわらず開差が大きいものとして,強制性交等または強制わいせつが25.6ポイン卜上方に見積もられていたほか,覚醒剤取締法違反が 9.1 ポイント上方に見積もられていた。一方,下方に見積もられたもののうちでは傷害または暴行が実測値との隔たりが最も大きかったが, 5.5 ポイントの差であり,前二者に比べるとその差は小さかった。実測値よりも上方の推定をした人員は,多い順に強制性交等または強制わいせつ $(85.4 \%)$,覚醒剂取締法違反 $(68.6 \%)$, 殺人 $(56.8 \%)$, 強盗 (51.8\%), 詐欺(47.5\%), 傷害または暴行 $(33.9 \%$ ),窃盗 $(38.6 \%)$, 放火 $(33.6 \%)$ であった。 なお,各回答の分布を示すために,Appendix として, 罪名別の回答のヒストグラムおよび確率密度関数の折れ線グラフを示した。 ## 3.2 クラスター分析 Table 1をみると標準偏差が大きく, 回答分布の偏りも認められたことから再犯リスク推定の個人差の大きさがうかがわれた。そこで, 調査対象者の類型化を目的に,全出所者平均を除く 8 つの罪名について階層的クラスター分析(Ward法・平方ユークリッド距離)を用いて類型化を行った。 デンドログラムと解釈可能性から3クラスター解を採用した。各クラスターにおける罪名別の推定再入率の平均値を標準化したものを Figure 1 に示した。順に,クラスター1 $(n=108,38.6 \%)$ は全ての平均値が低かったため「低群」, クラスター 2 Table 2 Mean estimated recidivism rates by cluster & & & 白書 \\ 強制性交等または & 21.4 & 49.0 & 68.6 & 17.0 \\ 強制わいせつ & & & & \\ 窃盗 & 23.3 & 39.4 & 64.2 & 43.9 \\ 傷害または暴行 & 18.7 & 31.9 & 55.2 & 37.3 \\ 詐欺 & 12.7 & 32.2 & 47.2 & 24.7 \\ 強盗 & 9.0 & 21.3 & 44.4 & 18.0 \\ 放火 & 6.8 & 13.9 & 35.8 & 18.6 \\ 殺人 & 5.1 & 12.4 & 32.5 & 8.5 \\ 全出所者の平均 & 19.3 & 34.4 & 55.0 & 37.5 \\ $(n=112,40.0 \%)$ は全ての平均値が中程度であったため「中群」, クラスター 3 は全ての平均值が高かったため「高群」 $(n=60,21.4 \%)$ と命名した。 各クラスターにおける全出所者の推定再入率の平均値と標準偏差は, 順に低群 $(M=19.7, S D=9.7)$, 中群 $(M=34.4, S D=10.6)$, 高群 $(M=55.0, S D=12.0)$ であった。類型間での推定再入率の差異を検討するために, クラスターを独立変数, 罪名を問わない全出所者の推定再入率を従属変数とした一元配置分散分析を行ったところ, 全ての条件間に有意な差が得られた $\left(F(2,277)=220.5, p<.001\right.$, partial $\left.\eta^{2}=0.61\right)$ 。 Table 2 は, クラスターごとに罪名別の平均推定再入率を示したものである。覚醒剤取締法違反,強制性交等または強制わいせつおよび殺人という例外はあるが,実測値に近い推定がなされた項目が最も多かったのは中群であった。ここで,強制性交等または強制わいせつのみは,低群であっても実測値よりも高い推定再入率が報告されていた。最後に, 罪名について上記と同様に階層的クラスター分析を行い,得られたデンドログラムを Figure 2 Cluster analysis by offense type Figure 2 に示した。デンドログラムと解釈可能性から,8つの罪名が3クラスターに分類されるものと判断した。第一群が, 殺人, 放火, 強盗であり,いわゆる凶悪犯として分類されるものに相当し, Table 1 に示すとおり推定再入率の平均值が低く,公式統計上の実際の再入率も相対的に低い一群である。第二群が, 詐欺, 傷害・暴行, 窃盗であり,財産犯罪と対人犯罪が混在している。推定再入率は中程度の高さであるが,窃盗のように実際の再入率が高いものも含まれている。第三群は,覚醒剂取締法違反と強制性交等・強制わいせつであり,推定再入率の平均値が最も高い二つである。前者は実際の再入率も高いが,後者は低く, 推定値と実測値の開差が最も著しい。 ## 4. 考察 ## 4.1 全般的な再犯リスク認知の特徵 本研究の結果から, 罪名によって再入率の推定に大きな幅があること,公式統計データとの比較の観点から再犯リスクの推定が比較的正確なものもあれば,かなり過大に推定されているものもあることが示された。一般に,リスク認知に関する先行研究においては,「恐ろしさ」と「未知性」 という二つの次元がリスクを過大評価することにつながり得るとの指摘がなされている(Slovic, 1987)。本研究では,再犯リスク認知を規定する可能性のある要因を研究設計に十分含めなかったため厳密には論じることができないが,罪名別に,犯罪者の行為が心身にもたらす影響の重大性という観点からの恐ろしさや,身近におらず想像がつかず得体の知れない者であるという未知性の程度が異なり,その点が罪名別の再犯リスク認知のばらつきに影響を与えている可能性を指摘で き,今後詳細な検討を要する。 回答分布を見ると,再犯リスク認知の個人差が大きいことも示された。クラスター分析の結果を踏まえると,実測値に近い推定がなされた項目が最も多かったのは約 4 割を占める中群であり, 当該群では一部の罪名を除けば実測値に比較的近い推定がなされていた。一方で,約2割を占める高群では全ての罪名において実測値よりも遥かに高い推定がなされていた。特に, 強制性交等または強制わいせつは, 最も控えめな推定を行う低群であっても実測値よりも高い推定再入率が報告されていたのが特徴的である。 なお,専門家による個別事例の再犯リスクアセスメントでは,様々なバイアスが推定に影響を与えることが示唆されている。たとえば, 再犯に関連がありそうに見えるが,実際は余り関連がない要因に着目して判断する (錯誤相関), 目につきやすく想起しやすい特定の要因を重視する(利用可能性ヒューリスティック), 少数の印象的な事例を典型的であると捉えて類似している事例について適用する(代表性ヒューリスティック),先入観と一致する特定の情報に注意を払い一致しない情報を無視する (選択的知覚, 確証バイアス), 再犯したか否かのフィードバックが得られにくく, 自らの判断の成否を確かめづらい環境であること,基準比率の無視などが指摘されている(Murray and Thomson, 2010; 高橋, 2015)。無論, 個別事例の再犯リスクアセスメントと一般市民の総体的なリスク評価では,そこで生じているメカニズムやバイアスが異なり, 精査が必要であるが, 幾つかは共通したものが見出せる可能性があろう。 以下,今回,再犯リスクについて上方への見積もりが大きかった性犯罪と薬物犯罪に焦点を当てて個別に検討する。 ## 4.2 性犯罪者に対する再犯リスク推定 本研究においては,性犯罪者の再犯リスクについて調査対象者が公式統計よりもかなり高い値を推定していた。この結果については, 嫌要感情が強く喚起される犯罪であること,他の犯罪類型の者と比較しても,身近におらず想像がつかないがゆえに得体が知れないと認知されやすい可能性があることのほか, マスメディア等で専門家を自称する者が「性犯罪者の再犯率は高い」と主張することを通じて形成されるステレオタイプといった要因が複合的に絡み合っていると推察される。 まず,罪名により喚起される感情に関しては,性犯罪は心身への侵襲性が高く, その被害は後年まで続くものであり,人々が恐怖心や嫌悪感を強く抱くことは当然である。感情ヒューリスティック(Slovic and Peters, 2006)の観点からは, 対象に付随する感情が判断と意思決定に影響するとされるところ, 様々な感情のうち恐怖感情は, 負の出来事を予測不能で統制下にないとみなすことに寄与し, リスクの高い見積もりにつながることが指摘されている(Lerner et al., 2015)。こうした恐怖感情が, 本研究で示された高い推定再入率に寄与している可能性が指摘できる。 そのほか, 本研究の調査対象者の属性が結果に影響を与えている可能性も指摘できる。日本では若い女性が犯罪被害のリスクを感じやすいことを示した研究もあり (阪口, 2008), 本研究の調查対象者が若年女性であったことが強制性交等または強制わいせつの推定再入率の高さに影響を与えた可能性がある。ただし, 性別や年齢の影響については, 男性も含む平均年齢 37 歳の一般市民の性犯罪者に対する認識を調べたLevenson et al. (2007) においても,推定再犯率が実際の統計データよりもかなり高い值を示していたことが報告されており,こうした過剰見積もりは性別や年齢にかかわらず一般的な傾向と捉えることもでき, 今後の詳細な検討を要する。 また,本研究では,(再入時の罪名を問わない)全ての再犯事象の推定を求めたが,一般に,性犯罪は同種の犯罪を反復する者が多いと信じられる傾向があるため高く見積もられた可能性も指摘できる。一般に受け入れられている考えに反して,大半の性犯罪者は性犯罪の再犯を行わないとの指摘がなされている(Harris and Hanson, 2004)。具体的には,性犯罪者の性犯罪再犯率は 3-6年の追跡期間で5-14\% (Hanson and Morton-Bourgon, 2005; Langan et al., 2003), 15 年間で $24 \%$ (Harris and Hanson,2004)であり,他の罪名と比較して突出して高い値を示しているわけではない。再犯を特集とした平成 28 年版犯罪白書によれば,同一罪名再入者(前回入所したときと同一罪名で再入所した者)の割合については,覚醒剂取締法違反 $(39.3 \%)$ が最も高く, 次いで, 窃盗 $(34.3 \%)$, 詐欺 (15.3\%), 傷害・暴行 $(7.2 \%)$ とされており, それに対して, 性犯罪は $4.6 \%$ であり, 北米と同様,他の罪名と比べて高いわけではないことが示されている(法務省法務総合研究所,2016)。性犯罪者の再入率が人々によって実際以上に高く見積もられやすいことは, 再犯防止に向けた施策の選択に影響を与える可能性がある。一概に性犯罪者といっても再犯リスクの高い者からそうでない者までいることを踏まえると,再犯リスクの高い者を特定し, 集中的に改善更生のための資源を投下することが新たな被害者を生み出すことを防ぐ上で有用である(高橋・西原,2017)が, 一律に再犯リスクが極めて高いと捉えられることは場合によっては再犯防止に効果的な施策を阻害するおそれもある。本研究は若年女性層を対象にしたため, ここで得られた結果のみから男性や他の年齢層においても同様の傾向が認められるかは分からず,今後の精査を要するが,専門家が性犯罪者に関する再犯リスクの情報を提供する際には,少なくとも若年女性層においては再犯リスク認知に上方推定が生じやすいことを踏まえた上で丁寧な説明を行う必要性が示唆される。 ## 4.3 薬物事犯者に対する再犯リスク推定 覚醒剤取締法違反に関しては,8つの罪名の中で最も高い值が推定されており, かつ, 公式統計データと比較して大きな上方推定が生じていた。覚醒剂取締法違反による出所受刑者は, 主たる罪名の中で最も再入率が高く, その点で, 他の罪名との比較における調査対象者の認識の方向性そのものは妥当であるといえる。それでも, 本研究の結果からは, 100 人のうち 55.4 人と唯一過半数の出所受刑者が 5 年以内に再入するとの推定がなされており,他を上回る高い率が推定されていたことは注目に值する。こうした再犯リスクの過剰見積もりは, 著名人の違法薬物使用による逮捕が煽情的に報道されることや, 教育現場における薬物乱用防止教育が薬物使用の危険性を強調し, 一度使用すると抜け出せないといった恐怖を伴う認識の形成をしてきたことが影響を与えている可能性が推察される。 ここで,一般市民を対象にした疫学調査においては, 日本の違法薬物の生涯使用経験率は西洋諸国の同種調査に比べると低いことが示されている (Peacock et al., 2018; Shimane et al., 2021)。このことは, 公衆衛生や公共安全の観点からは歓迎されるべきだが,他方,薬物問題が身近な社会問題としては認識されづらい点にもつながる。実際, 一般市民が薬物依存に関する情報に触れる機会は稀である。情報を得る媒体がマスメディアに限られが ちであること,その内容が著名人の逮捕・再逮捕情報であることが多いこと,逆に回復者のニュー スが取り上げられる機会は少ないことなどから,反復使用者を典型的な事例として捉えることが,再入率の過剩見積もりにつながっていると考えられる。こうした実際よりも高い見積もりは,薬物依存者に対するスティグマの付与につながりかねず,そのことが,薬物依存者の援助希求を躊躇させ,孤立させ,かえって違法薬物の再使用リスクを高め、結果として社会に損失をもたらすという悪循環につながっている可能性も指摘できる。一概に薬物依存者といっても多様であり,多方向の犯罪も反復するような反社会的な傾向の高い者もいれば,被虐待体験等の逆境体験への一種の対処行動として薬物使用により一時的な多幸感や酩酊感を味わうようになり深みにはまっていったと考えられる者もいる。薬物乱用防止教育を「ダメゼッタイ」で終わらせてしまうことの危険性については多くの専門家が指摘しているところ (嶋根, 2018), 本研究の結果は, 薬物依存者への支援に一般市民の理解と協力を求めていく際のコミュニケーションの在り方や,教育現場における薬物乱用防止教育の在り方を検討する上で有用であると考える。 ## 4.4 リスクコミュニケーションへの示唆 本研究の結果は, 再犯リスクコミュニケーションの在り方を考える上で示唆がある。まず,罪名によって再犯リスクの推定に差が生じ,上方に見積もられるものもあれば,下方に見積もられるものもあるということは,人々が各罪名の犯罪者に抱いている典型的なイメージやその他の要因により再犯リスクの推定が左右される可能性を示唆する。 そこで,心理学を専門としない一般市民に刑務所出所者等の再犯の実態を伝達する際には,専門家は本研究で得られたような一定の偏りを考慮に入れながら, 双方向的に議論することが, 支援対象である犯罪者や非行少年の実像に理解を促す上で有用であると考えられる。情報の受け取り手が特定の罪名の者に対して抱いているイメージを踏まえた上で情報共有を行えば,再犯リスク評価が誤って受け止められる懸念が減じられるであろう。 また,再犯リスクに関するコミュニケーションは,様々な文脈に打いて多様な関係者間で異なる目的で行われるが,本研究で得られた知見は,專門家から一般市民への伝達・共有の在り方を検討 する以外の場面においても示唆に富むと考える。 たとえば,専門家においても,対象集団の一定期間の追跡期間に打ける再犯や暴力事象の発生する基準比率を把握していなかったり無視したりすることが, 個別事例の再犯や暴力のリスク推定を誤ることにつながることが示されている (Murray and Thomson, 2010; Walters et al., 2014)。したがって,本研究の結果は, 臨床心理学の専門家から法学等の他領域の専門家や実務家への再犯リスク情報の伝達・共有,さらには,司法・犯罪領域における初心の心理職の再犯リスクアセスメントッールの使用に係る教育訓練の在り方を考える上でも参考になる可能性を有している。専門家と一般市民との間のコミュニケーションと,分野が異なる専門家間のコミュニケーションでは考慮すべき事項が異なることに留意しつつ, 研究を発展させていくことが望まれる。 ## 5. 本研究の限界と今後の課題 本研究は探索的な研究であり, 方法論上の限界を幾つか指摘できる。最後に,こうした限界点と併せて,今後の課題について論じる。 第一に, 本研究での調査対象者は女子大学生であり, 得られた知見の一般化可能性は自ずから限られる。評定者の年齢や性別が性犯罪者に対する態度に与える影響は, 先行研究でも必ずしも一貫していないと指摘されている(Harper et al., 2017)。評定者の年齢や性別が再犯リスク認知に与える影響は明らかではないが, 本研究の結果が広く一般市民の再犯リスク認知の実態を反映しているかは懸念される。今後, 男性や幅広い年齢層の調査対象者も加えた大規模調査を実施し, 再犯リスク認知に対するこれらの要因の影響について層別の検討を加えることで, 得られた知見の活用可能性が増すものと考える。 第二に, 本研究で提示した情報が罪名のみであったことも限界の一つとして指摘できる。同一の罪名であっても多様な犯行態様が含まれる(たとえば,詐欺の中には,いわゆる振り达め詐欺のような特殊詐欺から無銭飲食まで含まれる)ところ, 参照基準とした犯罪白書において犯行態様別の再入率データが示されていないため本研究では罪名のみを提示することとした。しかしながら,罪名のみの提示では具体的なイメージを抱きづらかったり,想起内容の違いが各罪名の再犯リスク認知に影響したりした可能性を否定できない。こ の点は本研究の限界として指摘でき, 研究実施上の工夫が望まれる。 第三に,本研究では再犯リスク認知の一面しか把握しておらず,また,その規定要因についての検討を行っていないことも限界の一つとして指摘できる。すなわち, 本研究が対象とした再犯リスク認知は, 再犯の主観的な生起確率のみであるが, 今後は, 再犯がもたらす被害の深刻度の見積もりも考慮に入れた検討が望まれる。加えて,再犯に係るリスクコミュニケーションを考える上では,デモグラフィック要因のほか,犯罪不安,刑事司法に対する信頼感,厳罰化を支持する態度等の幅広い要因も測定し,再犯リスク認知を規定する要因について検討することが求められる。 なお,本研究では,他の資料を参照することなくその場で直観での回答を求めたが, 調査対象者が犯罪白書の実測値を入手できた可能性は必ずしも否定できず,今後,時間や場所を厳密に制限しての調查方法も望まれる。 ## 利益相反 本論文に関して,開示すべき利益相反事項はない。 ## 謝辞 本研究はJSPS 科研費21K13705 の助成を受けたものです。 ## 参考文献 Cullen, F. 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risk
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Society For Risk Analysis Japan
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# 新型コロナワクチン接種行動および忌避行動の多様性一大学生を対象とした質問紙調査一* Variety of COVID-19 Vaccine Hesitancy and Acceptance: Results from a Questionnaire Survey on Workplace Vaccination at University ## 岸川 洋紀** Hiroki KISHIKAWA \begin{abstract} It is important for the decision making against COVID-19 to understand characteristics of vaccine hesitancy and acceptance. Many studies have shown that COVID-19 vaccine hesitancy was correlated with demographic characteristics such as age, gender, and incomes, but there has not been sufficient evidence whether COVID-19 fatigue affected public acceptance of vaccine. In addition, previous studies have discussed vaccine hesitancy without adequate consideration for the diversity of individual vaccination behaviors. Therefore, we conducted a questionnaire survey of university students to investigate factors causing vaccine hesitancy and acceptance and to examine individual differences. Answers of 191 respondents were collected. Perceived risk toward COVID-19 did not influence vaccine intention, while concerns about vaccine side effects and unreliability of vaccine efficacy contributed to hesitancy. Respondents who believed that they might be relieved of COVID-19 stress after vaccination tended to accept vaccine. Vaccine hesitant respondents were divided into subgroups by cluster analysis. Reasons for hesitancy vary greatly among subgroups. A factor of hesitancy for one group was not always a factor for another group. \end{abstract} Key Words: COVID-19, vaccine hesitancy, workplace vaccination, risk communication, cluster analysis ## 1.はじめに ## 1.1 日本国内におけるワクチン接種の状況 新型コロナワクチンの接種は日本国内でも進んでおり,2022年 8 月 5 日時点で全人口に対する接種者の割合は 3 回接種 $63.2 \%, 2$ 回接種 $81.0 \%$ となっている(首相官邸,2022)。高齢者層での2 回接種率は $90 \%$ を超える高い値となっているが, 20 代から 40 代での 1,2 回接種率は $80 \%$ 程度であり,若年層においては 5 人に 1 人が接種を行っていない状況である。 ## 1.2 ワクチン接種における社会的分断 ワクチン接種が急速に進む一方で,接種者と未接種者の意見の対立などの問題も国内外で起こつている。特に海外では,接種義務化や未接種者への社会活動の制限なども行われ(BBC,2021),裁判や抗議デモなども発生した (BBC,2022a;BBC, 2022b; BBC, 2022c)。 日本においては,新型コロナワクチン接種は 「努力義務」であり,これは一般的な意味での義務ではなく,「接種は強制ではなく,本人が納得した上で接種の判断を行うこと」とされている  (厚生労働省,2022a)。また,「接種を望まない者に接種を強制することはなく, 本人の同意なしに接種が行われることはない」ことも述べられており (厚生労働省,2022b),ワクチン未接種者への差別的な扱いに対する相談空口なども設けられている(法務省,2022)。 ワクチン接種に対する意見や考え方の相違については,「反対意見に耳を傾けて対話し,科学的事実に基づいた議論をすることが重要」とリスクコミュニケーションの必要性が説かれている (Nippon.com,2021)。しかしながら,日本においても接種者と未接種者の間での対立や誹謗中傷は存在し、インターネット上では未接種者に対して 「反ワクチン派」などの言葉も用いられている。 ## 1.3 ワクチン接種・忌避に関する先行研究 ワクチン忌避 (Vaccine Hesitancy) は公衆衛生上の重要な問題であり多くの研究が行われてきた。 WHOのワクチン接種に関するワーキンググルー プは,ワクチン忌避の要因は「複雑で,時間,場所,ワクチンの種類によって異なるもの」としている(MacDonald and SAGE WG,2015)。また, Confidence (信頼), Complacency (独りよがりの安心感), Convenience(利便性) といった要因がワクチン忌避に影響を与えるという $3 \mathrm{Cs}$ モデルを提唱している。 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関しても,世界的に感染が認知された2020年以降,多くの調查研究が行われている (Lazarus et al., 2021; Troiano and Nardi, 2021; Al-Jayyousi et al., 2021; Aw et al., 2021; Joshi et al., 2021; 森ら, 2022)。新型コロナワクチン忌避者の人口統計的特性としては, 若年層, 女性, 低学歷, 低収入であることなどが挙げられている。人口統計的特性以外の要因とワクチン忌避との関連についても研究が行われ, Murphy et al. (2021)はワクチン忌避者の心理的特性として, 陰謀論者, 権威主義, 反科学的姿勢などを挙げている。 日本人を対象とした調査に打いても,女性や若年層で己避が強いという海外での調査と共通する傾向が指摘されている。また, ワクチンの有効性に関する認識が接種を促進し,副作用への懸念がワクチン忌避を増加させる点については新型コロナワクチンについても多く報告がなされている (Nomura et al., 2021; Yoda and Katsuyama, 2021; Machida et al., 2021)。一方で, 新型コロナウイルス感染症へのリスク認知とワクチン接種・忌避行動との関連については統一的な見解が得られているとは言い難い。 Thunström et al. (2021)は感染確率や死亡リスクを変えた条件を提示した際のワクチン接種意向について実験調査を行い, 新型コロナウイルス感染症の死亡リスクは接種意向と関連せず,感染確率の認知が接種意向と関連することを示している。 Qiao et al. (2022) は大学生を対象とした調査結果から, 新型コロナウイルス感染症の重大度の認知 (インフルエンザとは違うという認識)が高いほど接種に積極的であること,重症化リスク(自身の疾患のためハイリスクであること)は接種意図と関係しないことを示している。Sherman et al. (2021)は新型コロナウイルス感染症の自身へのリスクではなく, 他者へのリスクの知覚が接種行動に関連していると指摘している。 また, 新型コロナウイルスの問題は感染症という健康問題の側面だけでなく, 社会や経済の問題としての側面も持っている。日本国内においても,感染対策として緊急事態宣言やまん延防止等重点措置がとられるなど,我々の社会生活へ大きな影響が生じている。コロナ禍での生活の変化とワクチン接種・忌避との関連について検討を行つた報告もいくつかみられ, 新型コロナウイルス感染症による生活への影響(Nomura et al., 2021),ワクチンによりコロナ前の生活に戻れるという考え (Yoda and Katsuyama, 2021)が接種意向と関連しており, 重度の気分の落ち达み(Okubo et al., 2021) が忌避と関連していることが報告されている。これらの結果から,自粛生活や感染対策のストレスを感じている人が,ワクチン接種によりストレスから解放されると判断し接種行動をとった可能性も考えられる。 ## 1.4 先行研究における課題 新型コロナワクチンに関する先行研究には $3 つ$ の課題がある。1つ目は, 多くの調査が接種意向や忌避意向を調査したものであり,ワクチン接種の実際の行動を調べた調査(Kecojevic et al., 2021; Harada and Watanabe, 2022)はまだ少ないという点である。 2つ目はワクチン接種意図や忌避に影響を与える要因について, 十分な結論が得られていない点である。ワクチンの有効性や副反応への懸念といったワクチンの信頼性(Confidence)に関しては おおむね接種意図や忌避との関連が認められていると言えるが,新型コロナウイルス感染症へのリスク認知との関連については明確な結論は得られていない。また,自粛生活のストレスとの関連などについては十分な検証が行われていない。新型コロナウイルス感染症の問題が健康リスクの問題だけでなく,社会生活へ大きな影響を与える問題となっている現状を考えると,この点は検証を行うべき重要な課題であるといえる。 3つ目は分析方法にある。これらの研究の分析では,ワクチン接種意向または忌避を目的変数とし, 回答者の属性, 心理的特性, ワクチンや新型コロナウイルス感染症への知覚を説明変数とした回帰モデルが用いられている。これらの分析では,忌避者には忌避でない人と比べてどのような属性や考え方が多いかが調べられ,例えば忌避者には学歷が低い回答者が多いなどの傾向が得られる。一方で,接種者内または忌避者内での相違は考慮されない。忌避者の学歷が低い傾向があるという結果は忌避者全員が低学歴であることは意味せず,中には高学歷の忌避者も含まれており,逆に忌避者でなくとも学歷が低いケースも存在する。忌避者の全体的な傾向のみに着目するたけでは,「未接種者は低学歴, 低収入, うつ傾向, 反科学の陰謀論者」などの偏見やレッテル貼りを助長し、ワクチン接種による社会的分断を増長させることにも繋がりかねない。Jarrett et al. (2015)はワクチン接種の推進とワクチン忌避の削減には,忌避者がどのような人々で,忌避理由は何であるか,固有の背景はあるのかなどについて注意を払うことが必要であるとしている。固有の事情に注意を払うためには,忌避者の属性や考え方が一様であると捉えるのではなく,忌避者内での意見の相違に着目することが重要である。しかしながら,新型コロナワクチン忌避に関する調査報告において,忌避者内あるいは接種意向者内での相違について着目したものは現時点ではほとんどみられない。 ## 1.5 研究目的 以上の背景をふまえ, 本研究では大学生を対象としたワクチン接種(職域接種)に関する質問紙調查を行った結果に基づき,1)接種意思ではなく実際の接種行動を対象とし,2)ワクチン接種や忌避へ影響を与える要因について検討を行い,3)ワクチン接種や忌避に影響を与える要因 は個人差やばらつきがあるものであり,接種者扮よび未接種者が一様の考え方を持っているわけではなく,考え方の相違が存在することを確認することを目的とした。 ## 2. 調査方法 ## 2.1 調査対象と調査時期 ワクチン忌避が特に強いとされる若年女性を対象とすることとし, 大学生 268 名を対象に Google Formsによる質問紙調査を実施した。 調査時期は 2021 年 7 月 26 日から 8 月 10 日である。調查対象大学では,7月上旬から職域接種の受付が始まり,調査開始時点では締め切られている状況であった。国内の感染状況としては、デル夕株の流行が広がったいわゆる第5波に入りつつある時期であり,感染者が増加傾向に転じた時期であるが,死亡者数の顕著な増加はまだ起こっていない時期である。また,東京オリンピックが開催されていた時期でもある。 ## 2.2 質問項目 新型コロナワクチンの接種状況と接種意向について尋ねる他(Table 1参照),以下の項目について質問した (Table 2参照)。これらの質問項目は先行研究においてワクチン接種や忌避と関連が示されているものを中心に,新型コロナウイルス感染症関連で行われた各種調查結果を参考に必要な項目を追加することで作成した。新型コロナウイルス感染症とワクチン接種のリスクのどちらが大きいと考えるか7段階の選択肢で尋ねた。 新型コロナウイルス感染症の危険性打よび影響に関して賛否を問う形で5段階の選択肢で尋ねた。健康全般への危険性を尋ねる他,リスクの構成要素である確率と結果の重大性に関して尋ねた。周囲の人への感染リスクの認知が接種行動へ関連しているとの報告があることや(Sherman et al., 2021; Machida et al., 2021), 調查対象者は若年層であり自身への感染リスクを比較的低く捉える一方で,同居の高齢者などへの感染リスクを心配している可能性が高いことが予想されたため,自身への感染リスクだけでなく身近な人への感染リスクもあわせて尋ねた。また,感染拡大による社会全体への影響と後遺症への不安についても尋ねた。 新型コロナワクチンの有効性や副反応への懸念 について5段階の選択肢で賛否を尋ねた。ワクチンの有効性について, 厚生労働省 $(2022 \mathrm{c})$ は, 「感染症の発症を予防する高い効果があり,感染や重症化を予防する効果も確認されている」と述べているため, 感染防止効果, 重症化予防効果を尋ねた。ワクチン接種開始当初は多くの人が接種することで集団免疫が獲得されることが期待されていたため, 周囲の人へ感染させるリスクの低減効果,集団免疫の形成効果も尋ねた。また,ワクチン接種の効果として,感染予防や重症化予防という健康面のメリットだけでなく, 自粛生活や感染対策が不要になるという生活面でのメリットを感じているか検証するため,接種により自由に行動できるようになると考えるかも有効性の質問へ加えた。ワクチンの副反応への懸念については多くの先行研究で忌避との関連が指摘されているが,接種直後の発熱や倦总感などといったの副反応への不安と, mRNA という新しい技術を導入したワクチンであることによる中長期的な副反応への不安は性質が異なるものである可能性が考えられるため,短期的副反応と長期的副反応について分けて尋ねた。 一方で,ワクチン接種についての民間調査会社の調査結果(中央調査社,2022)では,接種会場での感染の懸念, 自分は感染しないと思う自信 (Complacency),アレルギーがあるから,注射が嫌いなどの理由は回答率が低かったため, 質問項目に含めなかった。また,接種会場へのアクセスの問題 (Convenience) も普段通っている大学キャンパスでの職域接種を対象としているため含めていない。 コロナ禍の生活でのストレスについて検証するため,コロナ以前の生活からの変化および自肃生活や感染防止対策のストレスについて尋ねた。生活の変化については各種生活行動や機会の増減について 5 段階の選択肢で尋ね,ストレスについては自肃や感染対策に関連する行為に対するストレスを5段階の選択肢で尋ねた。これらの質問項目については,コロナ禍の生活でのストレスやコロナ後の生活での展望について調查した事例(中央調査社, 2022; PR TIMES, 2022など)から回答の多かったものを中心に選定した。 ## 2.3 倫理的配慮 調査は無記名で行い,個人が特定可能な情報の収集は行っていない。回答者が調査期間内の自由な時間に自由な環境でwebサイトにアクセスして回答を行う形式で調査を実施した。調查回答画面上で最初に, 調查協力 $\cdot$ 非協力による利益不利益は一切ないこと,調査の目的,統計的なデータの取り扱い, 研究目的について説明を行い, 調查参加への同意を得た者だけから回答を得た。 ワクチン接種状況を尋ねる質問においては「ワクチン接種は個人の自由意思による判断よるべきものであり,質問への回答によって何か強制されたりすることはない」ことを明確に示し回答を依頼した。 ## 2.4 分析方法 ワクチンの接種状況打よび接種意向から,既に接種を行っているか予約申し込みを行った回答者を「行動群」, 接種も申し达みも行っていないが接種意向のあるものを「様子見群」,接種意向のないものを「忌避群」とし回答者を 3 群に分類した。3群間での新型コロナウイルス感染症やワクチンに対する認識の相違について, MannWhitney U-testによる多重比較 (Bonferroni補正) で検討した。質問に対する回答はLikert尺度として得点化して扱った。 ワクチン接種に関するコミュニケーションを実施する上では,忌避理由についての固有の事情や背景について着目することが重要である (Jarrett et al., 2015)。本研究においても, 群間で何らかの項目に差があるということを示すことではなく,どの項目に差があるのかを探ることを重要視している。そのため,多変量分散分析などで質問をまとめて分析にかけるのではなく, 個別の質問を分析対象とした。群間での差異についても,群の違いが回答に何らかの影響を与えていることを示すことではなく, どの群とどの群との間に違いがあるか探ることを重要視しているため,一元配置分散分析などで群全体での効果を検証するのではなく,多重比較による検証を行った。 ワクチンの効果や副反応に関する質問への回答結果をもとに, k-means法によるクラスター分析で忌避群を分類した。分類された各群について,忌避でない回答者と比較した際の傾向を MannWhitney U-testによる多重比較 (Bonferroni 補正) で検討した。この分析結果から, 忌避者の特徵 (非忌避者との相違点)には複数のパターンがあることを示し,忌避者内での考え方の相違について検討を行った。同様の分析を行動群についても 行い,行動群を分類した上で積極的にワクチン接種を行った回答者と非接種者(様子見または忌避)との違い,および接種者内での考え方の相違について検討を行った。クラスター分析後の多重比較では, 全ての群間の比較は行わず,分割された各群と対照群との比較のみ行った。対照群としては,忌避群に対する分析では様子見群と行動群をあわせた群,行動群に対する分析では様子見群と忌避群をあわせた群を設定した。対照群の設定理由は,「忌避者がどのような特徴をもっているか」を考える際には, 忌避でない者と比較した傾向で論じられ,「接種者がどのような特徴をもっているか」を考える際には,接種していない者と比較した傾向で論じられるためである。 全ての統計解析はSPSS ver22で行い, 検定の際の有意水準は $5 \%$ とした(参考として分析結果の表には $10 \%$ 水準の結果も掲載している)。 ## 3. 結果 ## 3.1 回答者の属性とワクチン接種状況および各質問への回答結果 調査を依頼した268名のうち,191名から回答を得た(回答率 $71.2 \%$ )。回答者は全員が女性であり,平均年齢は 19.56 歳 $(\mathrm{SD}=1.06)$ である。回答者のワクチン接種状況をTable 1 に示す。なお,大学での職域接種時に実施した調査であるが,ワクチン接種が職域接種によるものであるかそうでないかは尋ねていない。調査時点では多くの自治体で若年層の接種は始まっておらず,職域接種以外での接種者はほぼいないものと考えられる。また, 以降の分析や考察において, 接種者が職域接種であるか否かは結果に影響しないと考えられる。 各質問への回答の平均点および標準偏差を Table 2 に示す。新型コロナウイルス感染症の危険性の質問やワクチンの副反応への懸念の質問に関しては, 平均点が非常に高くなっており天井効果が確認された。 ## 3.2 新型コロナウイルス感染症およびワクチン ヘのリスク認知と接種行動 新型コロナウイルス感染症とワクチンのどちらを相対的に危険と考えるか7段階で尋ねた回答の群ごとの平均値を Figure 1 に示す。ワクチン忌避群でワクチンの危険性の認知が相対的に高いことが確認された。 新型コロナウイルス感染症に対する質問結果, ワクチンに対する質問結果の群ごとの平均値を Table 3, 4 に示す。新型コロナウイルス感染症の危険性や影響に対する考えは 3 群間で有意差がみられなかったが,ワクチンの有効性の認識や副反応への懸念には大きく差があることが示された。 ただし,短期的副反応については有意差はみられなかった。 ## 3.3 自肅生活下でのストレスと接種行動 コロナ流行前の生活と比べて, 生活の様子がどのように変わったか調べた結果, 外出する機会や対面での友人との交流が大きく減少し, ネット時間が大きく増加し,睡眠時間や勉強時間,家族との交流やオンラインでの友人との交流が増加傾向にあることが確認された(Table 2参照)。しかしながら, 3 群間で, これらの変化に統計的に有意な差はみられなかった。 コロナ禍での自肃生活中のストレスについて尋ねた結果の 3 群間の比較を Table 5 に示す。行動群で外出できないことや 1 人でいることに強くストレスを感じている傾向がみられた。 ## 3.4 忌避者のワクチンへの認識 ワクチン忌避を示した回答者 42 名をk-meansク Table 1 Vaccination rate of respondents Table 2 Questionnaire items and mean scores ラスター分析により分類した。変数としてはワクチンの有効性や副反応への懸念に関する質問を用いた。なお, 副反応に関する質問は得点を反転させて分析を行った。結果の解釈可能性などを考慮し忌避群を 3 群に分類した。分類された 3 群の特徴を把握するため, 忌避群でない回答者(行動群 +様子見群)との平均点の差を Mann-Whitney Figure 1 Mean scores of perceived risks of COVID-19 and coronavirus vaccine and $95 \% \mathrm{Cls}$ among vaccination groups U-testによる多重比較(Bonferroni 補正)で調べた。結果を Table 6に示す。 分類された 3 群のうち, A群は行動群と様子見群とワクチンの有効性に対する認識は同程度であるが, 副反応や安全性への懸念が強い回答者であった。B群はワクチンの有効性に対する認識が低く, 短期的副反応への懸念が小さい回答者であった。C群はワクチンの重症化予防効果は認めているが, 感染防止には効果がないと考え, 長期的副反応の懸念が強い回答者であった。このようにワクチン忌避者の中にも, 副反応への懸念が忌避の原因となっているものもいれば,ワクチンに有効な効果がないと考えているものもおり, 考え方の多様性が明らかとなった。 ## 3.5 接種者のワクチンへの認識 行動群についても,3.4節と同様の分析を行い,結果の解釈可能性などを考慮し行動群を 4 群に分類した。接種行動をとっていない回答者(様子見群+忌避群)と比較することで, 各群の特徴を検討した。結果を Table 7 に示す。 分類された 4 群のうち, A群はワクチンの感染 Table 3 Scores of perceived risks of COVID-19 \\ 自分が感染する可能性がある & 4.32 & 4.36 & 4.19 & n.s. \\ 自分が感染した場合, 重い症状が出る & 3.17 & 3.14 & 3.19 & n.s. \\ 身近な人の健康に危険がある & 4.41 & 4.39 & 4.24 & n.s. \\ 身近な人が感染する可能性がある & 4.34 & 4.29 & 4.29 & n.s. \\ 身近な人が感染した場合, 重い症状が出る & 4.04 & 4.05 & 3.90 & n.s. \\ 後遺症が心配である & 4.16 & 4.14 & 4.33 & n.s. \\ 感染拡大は日本社会に樑刻な影響を与える & 4.62 & 4.69 & 4.52 & n.s. \\ 政府の対応には問題がある & 3.87 & 3.88 & 3.76 & n.s. \\ Table 4 Scores of perceived risks and efficacy of coronavirus vaccine \\ 自分が感染した際の重症化予防に効果がある & 3.86 & 4.00 & 3.48 & $\mathrm{a}>\mathrm{c} \dagger$, & $\mathrm{b}>\mathrm{c}^{* *}$ \\ 自分が接種することは家族や身近な人の感染リスクを下げる & 4.33 & 4.32 & 3.57 & $\mathrm{a}>\mathrm{c}^{* * *}$, & $\mathrm{b}>\mathrm{c}^{* * *}$ \\ 多くの人が接種することで集団免疫の効果が期待できる & 4.23 & 4.07 & 3.52 & $\mathrm{a}>\mathrm{c}^{* * *}$, & $\mathrm{b}>\mathrm{c}^{* *}$ \\ 接種することで, 今よりも自由に行動できるようになる & 3.57 & 2.98 & 2.86 & $\mathrm{a}>\mathrm{b}^{* * *}, \mathrm{a}>\mathrm{c}^{* * *}$ \\ 短期的な副反応(疲労$\cdot$発熱など)が心配 & 4.19 & 4.25 & 4.33 & n.s. \\ 長期的な副反応が心配 & 3.74 & 4.10 & 4.45 & $\mathrm{a}<\mathrm{c}^{* * *}$ \\ 安全性は十分に検証されている & 3.10 & 2.93 & 2.12 & $\mathrm{a}>\mathrm{c}^{* * *,} \mathrm{~b}>\mathrm{c}^{* * *}$ \\ ${ }^{* * *}: p<0.001,{ }^{* *}: p<0.01, \dagger: p<0.1$ **: $p<0.01, *: p<0.05, \dagger: p<0.1$ Table 6 Relative scores of perceived risks and efficacy of coronavirus vaccine among vaccine hesitancy groups } & \multicolumn{3}{|c|}{ 忌避群 } \\ Mann-Whitney U-test ${ }^{* * *}: p<0.001,{ }^{* *}: p<0.01,{ }^{*}: p<0.05$ Table 7 Relative scores of perceived risks and efficacy of coronavirus vaccine among vaccine acceptance groups } \\ Mann-Whitney U-test ${ }^{* * *}: p<0.001,{ }^{* *}: p<0.01,{ }^{*}: p<0.05, \dagger: p<0.1$ 予防効果を強く認識している回答者であった。B 群はワクチンの有効性はそれほど強く感じていないが,長期的副反応への懸念が弱い回答者であった。C群は、ワクチンの有効性については接種しなかったものと同程度の認識であるが, ワクチン接種によって自由に行動できるようになるとの認識が強く,副反応への懸念が非常に少ない群で あった。D群は、ワクチンの有効性をやや低く評価し, 副反応への懸念も弱い群であった。3.4節での結果と同様に,接種者においてもワクチンに対する考え方の多様性があることが確認された。 ## 4. 考察 ## 4.1 ワクチン接種・忌避行動と新型コロナウイ ルス感染症およびワクチンへの認識 本研究では大学生を対象としたワクチン接種行動に影響を与える要因について検証を行い,新型コロナウイルス感染症とワクチンの相対的なリスク評価との関連を明らかとしたが,新型コロナウイルス感染症の危険性の認識は接種行動と関連しておらず,ワクチンの有効性や副反応への懸念が関連しているという結果を得た。 新型コロナウイルス感染症へのリスク認知とワクチン接種意向执よ゙行動との関連については,関連を示唆する研究結果もあるが統一的な見解は得られていない。本研究での結果は,新型コロナウイルス感染症自体へのリスク認知は接種行動とは関連しないという結果であった。 ワクチンの安全性への認識が接種意図へ関連しているとの先行研究(Nomura et al., 2021; Machida et al., 2021; Harada and Watanabe, 2022) 同様, 接種行動について検討を行った本研究においても関連が示された。特に短期的な副反応への懸念ではなく, 長期的副反応への懸念が忌避行動と関連している点は今後のワクチン接種のコミュニケーションにおいて重要であると考えられる。 ## 4.2 ワクチン接種・忌避行動と自肅生活でのス トレス コロナ前の生活からの変化は回答者間で同じであったにもかかわらず,ワクチン接種者の中で外出が制限されることへのストレスが強く,ワクチンの有効性として「自由に行動できること」を期待している傾向がみられた。本研究の結果だけで明言はできないが,ワクチンによりコロナ禍の自粛生活からの解放がなされるとの期待によって接種行動が促進された可能性が考えられる。 ## 4.3 ワクチン接種・忌避行動の多様性 ワクチン忌避者の分類, 接種者の分類を行うことで,両者の中にもさらに考え方の違いが含まれていることが示された。これらの差異を無視した 「忌避者は, 副反応が心配で接種していない」,「ワクチンの有効性を認めていないから接種していない」などの決めつけ(いわゆる「レッテル貼り」)は,それぞれ副反応は心配していない忌避者, ワクチンの有効性を認めている忌避者の反感などにつながる可能性もある。ワクチン接種につ いての議論やコミュニケーションを行う際には, ワクチン接種者に対しても非接種者に対しても決めつけを行わず,まずは相手の話を聞きお互いの考え方を知ることが極めて重要であるといえる。 ## 4.4 本研究の課題 本研究での調査対象者は大学生に限定されており,全年齢層を対象としたものではない。また,国内の大学生全体からランダムサンプリングした標本集団ではない。そのため,今回の結果を一般化して考える際には注意が必要である。一方で,調査時点では自治体によってワクチン接種の実施時期や希望者の予約の取りやすさなどに大きな差が生じており,接種状況にも居住自治体の影響が生じることが考えられるが,職域接種が実施されていた大学での調査であるため, 居住地による接種行動への影響は排除できていると考えられる。 また,回答者の属性が限定されたデータであるが,人口統計的特性の影響をある程度排除した上で,ワクチン接種や忌避に対する考え方の差異が明瞭となっているため, より広範な集団ではさらに考え方の多様性が生じることが予想される。本研究ではワクチン接種行動へ影響を与える要因について検討を行ったが,検討を行っていない要因も多くある。ワクチン接種に影響を与える要因として,3Csモデルでは,Confidence(信頼), Complacency(独りよがりの安心感), Convenience (利便性)が挙げられているが,本研究では Complacency やConvenienceとの関連については検討できていない。また, Agranov et al. (2021)はアメリカ人 1,500 人を対象とした実験調査を行い, みなが行っているから有効だろうと考えるハー ディング効果(Herding)や,社会の構成員としてしなければならないという社会規範 (Social Norms)がワクチン接種意向に影響を与えることを示している。本研究での調査対象者においても,家族からの影響(Kecojevic et al., 2021)や友人からの影響などを受けている可能性は十分に考えられる。しかしながら,これらの点については検討できていない。 k-means法によるクラスター分析により接種者および忌避者を分類したが,この分析手法は探索的な手法であり,母集団の普遍的な特徴を予測し把握するものではない。そのため, クラスターの分割数を変えれば各群での傾向は変化するものである。今回の分析で得られた結果は接種者や忌避 者の中でも考え方の相違が認められるというものであり,その相違内容まで踏み达み,得られたクラスターへの分類や各クラスターの傾向を絶対的なものとして捉えることには注意が必要である。 また, 本研究で得られた接種者や忌避者の考え方の多様性は調査で尋ねた質問項目の範囲内での議論である点にも注意が必要である。本研究では忌避理由として少数意見であると予想された要因は質問項目に含めていないが,これらの少数意見について検討することができれば,さらに多様性は増すものと考えられる。 ## 5. 結論 本研究では,大学生191名を対象としたした質問紙調査の結果から以下の結論を得た。 ワクチンの接種行動について,新型コロナウイルス感染症のリスク認知は関連しておらず,ワクチンの有効性の認識や長期的副反応への懸念が関連していることがわかった。 ワクチン接種者は,接種によってコロナ前の生活のように自由に行動できるようになるとの考えが強く,外出ができないことによるストレスを強く感じており,自肃生活のストレスからの解放願望がワクチン接種行動を促した可能性が示された。 クラスター分析の結果から,ワクチン接種者打よび忌避者の中にも考え方の差異があることが示された。ワクチン忌避の理由として, 全員が一律に「ワクチンに有効性はなく副反応が心配」と考えているのではなく, 個人個人の様々な考え方があることが示され,忌避の理由を単純化して議論することの危険性が示唆された。 今後は対象を異なる年代に拡大した調査を行うことや,考え方の差異を生じさせる原因などについて検討を行っていくことが必要であるといえる。 ## 謝辞 本研究はJSPS 科研費20K12310の助成を受け行った。また, 論文の構成や記述について查読者の方から貴重なご意見をいただきましたので感謝申し上げます。 ## 参考文献 Agranov, M., Elliott, M., and Ortoleva, P. 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risk
cc-by-4.0
Society For Risk Analysis Japan
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# 【原著論文】 # 新型コロナウイルス感染症対策に 資する先端科学技術の社会的受容* ## Social Acceptance of Emerging Technologies for Combating COVID-19 \author{ 高木彩**,武田美亜***,今野将**** } Aya TAKAGI, Mia TAKEDA and Susumu KONNO \begin{abstract} In COVID-19, the use of science and technology is required to achieve a balance between infection control and the maintenance of socioeconomic activities. In doing so, people's understanding and acceptance of science and technology are indispensable. Therefore, in this study, we took up three new technologies that contribute to COVID-19 countermeasures: contact confirmation application (COCOA), health observation application, and sewage surveillance, measured the cognitive and affective factors toward each technology and the attitude toward social acceptance, and examined the psychological factors that prescribe the acceptance attitude. The results showed that trust in performance, perceived benefits, perceived risks, and negative emotions toward the technology were significant determinants for all the technologies. \end{abstract} Key Words: infectious diseases, technology acceptance, benefit perception, risk perception, affect ## 1. 問題 ## 1.1 背景 COVID-19対策と社会経済活動の維持のために科学技術の活用が求められており,新型コロナウイルス感染症対策分科会は科学とICT 活用を提言している(新型コロナウイルス感染症対策分科会, 2021a, 2021b)。提言の中では,その具体例としてICTを駆使した疫学情報の迅速な分析 (二次元バーコードを介した電子的名簿記録を用いて,集客施設の利用者が陽性となった場合に感染源の分析)下水サーベイランス(下水中のウイルス検查や監視をすることにより,地域や特定施設における感染症のまん延状況を把握する (内閣官房,2022)ことによる感染拡大の早期検知,二酸化炭素濃度測定器を利用した換気の微底,などが挙げられている。提言内で言及されている技術には,二次元バーコードのように国民にとってすでに聞きなじみのある技術もあれば,下水サーべイランスのように,そうではないものも含まれる。この他にも, COVID-19への迅速かつ効果的な対応のためには,新技術の導入と普及が鍵とされている。官民を挙げた取り組みが重要とされる技術の利用シーンは, 健康・医療といった感染症対策により直接的な関わりをもつものから,日々の生活,㖑楽・イベント,交通,職場・学校,など間接的なものまで多岐にわたる(内閣府, 2021)。 例えば,接触確認アプリ (COCOA) や健康観察  アプリのように,一般の人々が個々に所有する情報端末にインストールするような直接的な形で個人として技術を受容する作業を伴うものもあれば,下水サーベイランスのように,一般の人々は税金負担といった間接的な形で研究開発と社会実装への是認を通じて受容する技術もあるが,いずれにせよこれらを社会として受容するか否かにおいて, 一般の人々の理解と社会としての合意形成は久かせない。こうした危機対処時に先端科学技術の受容を市民がどう捉え受容/拒否に至るのかを解明することは,COVID-19収束後の新興感染症への備えにも有益な示唆を与えることが期待される。 ## 1.2 本研究の目的 そこで本論文では,COVID-19対策に資する先端科学技術として様々な技術の実装が期待される中でも,新型コロナウイルス感染症対策分科会が提言や記者会見時に言及する頻度が比較的多かったものから選出することとした。さらに受容形態 (技術の受容において個人が直接的に関与するか否か),技術のベネフィットの性質,一般の人々への知名度が異なる接触確認アプリ (COCOA),健康観察アプリ,下水サーベイランスの3つを取り上げ,それらの規定因に関して感情要因をはじめとする心理的要因との関連を明らかにする。受容形態に関しては, COCOAと健康観察アプリについては個人的受容が要求されるのに対して,下水サーベイランスは社会として受容するか否かの判断を求められる。また, その受容に伴うコストも前者の技術は適切に利用できるかという導入に関する技術的知識と手間を要するが,後者はそれらを必要としない。技術を受容した後のべネフィットも感染拡大の抑制につながる共通項はあるものの,技術によって, べネフィットが利用者個人により直接的か,あるいは間接的か(社会的なべネフィットを通じて個人にもべネフィットがある)が異なる技術もあれば,個人にもたらすべネフィットの内容面が異なる場合もある。本研究で取り上げる 3 つ技術について整理すると,健康観察アプリは個人に直接的ベネフィットをもつ面がより強く, COCOAは感染者と接触の可能性を利用者に通知し, 個人と社会の両者にべネフィットをもたらす性質があるだ万う。それに対して下水サーベイランスは政策担当者に向けて有効な指標を提供するため,主に社会的ベネフィッ トをもたらす技術として受容し,技術の受容から個人は間接的に恩恵を受けるのみとなる。 本研究で取り上げる先端科学技術のうち COCOAに関しては,その利用を規定する要因の検討が国内外で進んでおり (e.g., Walrave, et al., 2021), わが国における研究では, COCOAの利用者は当該技術の知識があり,ベネフィット認知が高く,使用を奨励する社会規範を認知し, 使用コストや個人情報の漏洩リスクを低く認知していることが報告されている(高木ら,2021)。 そのため, COCOAを題材とした先行研究で確認された受容に対する規定因は,他のCOVID-19 対策に資する先端科学技術の受容にも同様に規定因となるのか, 上述のような技術的差異がある残りの2つの技術に関しても, 同様の傾向が確認されるのか, その一般化可能性についても検討する。 なお,本論文で取り上げる下水サーベイランスや健康観察アプリは, COCOAよりも一般市民は対象技術の知識が少ないものと推測されるため,知識要因よりは感情要因の役割が大きくなることが想定される (Raue et al., 2019)。 そのため,技術の受容態度を主に規定することが想定される要因,すなわち対象技術のべネフィット認知, リスク認知, 性能への信頼感の他に, 対象技術への個別感情要因と, 感情経験に関わる個人差要因 (畏怖, 嫌悪, 穢孔忌避) に焦点をあてて検討する。 人は対象への知識が乏しい状況では, 感情と信頼感がリスク認知と密接に関連する (Tompkins, et al., 2018; Visscher and Siegrist, 2018)。そのうち,感情の影響に関しては, 単純にポジティブとネガティブの次元のみで捉えるのではなく, 個々の感情が持つ異なる影響力の解明も進んでいる。そのため, 本研究では対象技術への個別感情として,先行研究でもリスク関連要因との関係が検討されている, 畏怖, 嫌悪, 穢孔忌避(北村, 2021; Kitamura and Matsuo, 2021)の3つを取り上げる。 加えて, 本研究で取り上げるような社会的認知度が比較的低いと予想される先端科学技術の場合, 評価対象に対して抱く感情は, 日頃の感情経験に関する個人差を反映するものとなっている可能性もあるだ万う。具体的には,日頃様々なことに対して嫌悪感を抱きやすい人ほど,技術説明から初めて知る技術に対しても嫌悪感を抱きやすいかもしれない。このように同種 (本研究では, 畏 怖, 嫌悪, 欌れ忌避)の感情経験を日頃感じやすいかどうかという個人差要因も合わせて測定することにより,対象技術への個別感情に加えて感情要因の個人差要因の影響も検討することとした。 ## 2. 方法 ## 2.1 調査対象者と調査時期 全国の 20 代から 60 代までの成人男女 1,000 名 (男女各500名,性別と年齢による均等割り付けし,業種が「ソフトウェア・情報サービス業」「調査業・広告代理業」「医療業」に該当する者は調查対象から除外)を目標とし回答を求めた。調查対象者は調査会社が有する回答者パネルから協力を募り,2022年 1 月 19 21 日に回答を求めた。 なお, 調査は第一著者の所属先の倫理審査委員会の承認を得た(承認番号2021-04-06)。 ## 2.2 調査項目 調査の冒頭において,まずデモグラフィック変数 (性別, 年齢, 居住地域 (都道府県), 既婚/未婚, 子供の有無, 職業, 学生区分 (学生のみ)) に回答を求めた後, リード文として当該調査の趣旨説明をした。そのリード文の詳細は, Appendix 1の通りであるが,COVID-19対策に資する先端科学技術への意識を調査することを目的としており,以降で言及する技術には個人情報保護等の課題も抱えていることを説明した。その後, COVID-19対策に資する先端科学技術について情報を提示し,提示した対象技術の受容態度と対象技術への個別感情要因, 認知要因に関する調査項目に回答を求めることを 3 つの対象技術についてそれぞれ行った。その後, COVID-19関連要因の項目,感情経験に関わる個人差要因等に回答を求めた(Appendix 2)。 (1) 対象技術への個別感情要因:高木ら(2021)の 6項目について 5 件法で回答を求めた。 (2)対象技術に対する受容態度:「(対象技術名) を利用することに賛成である」の 1 項目に 5 件法で回答を求めた。 (3) 対象技術に対する認知要因:対象技術のべネフィット認知 2 項目, リスク認知 2 項目, 性能への信頼感 1 項目について, いずれも 5 件法で回答を求めた。 (4) COVID-19関連要因:COVID-19対策における厚労省の信頼感 (2 項目 7件法; 高木ら, 2021) と, COVID-19のリスク認知(高木ら(2021)の 4項目のうちの「自分自身」と「国民全体」 の2 項目に6件法で回答を求めた。 (5) 感情経験に関わる個人差要因:畏怖については畏怖尺度(6項目:Shiota, et al., (2006) と武藤(2016)を元にした項目で測定した。調査への回答協力者の回答負担に配慮し, 嫌悪については日本語版嫌覀尺度(岩佐ら,2018)の中核的嫌要に関する8項目を使用した。穢れ忌避については, 蔵れ忌避尺度 (北村・松尾, 2019)内の 12 項目を用いた。 ## 3. 結果 ## 3.1 分析対象者 不良回答検出用に設けた 2 項目の両方に正解した回答者を分析対象者とした。そのため, 収集した回答 1,108 名のうち 789 名を分析対象者とした (男性363名,女性426名,年齢 $M=46.11, S D=13.69 ) 。$ ## 3.2 技術の認知, 感情, 受容態度に関する技術間の比較 以下の全ての統計解析は, $\operatorname{HAD}$ (清水, 2016) で行った。主要な分析に先立ち, 対象技術への感情について測定した6項目について対象技術ごとに探索的因子分析を行ったところ,全ての技術に関して先行研究(高木ら,2021)と同様の2因子構造が確認された。そのため, 本研究においても 「ネガティブな感じ」,「ポジティブな感じ(逆転項目として処理)」,「嫌な感じ」の3 項目を「ネガティブ感情」 $(\alpha \mathrm{s}=.81 \sim .83)$, 残りの「優れた芸術を見たときのような圧倒された感じ」、「社会がけがされるような感じ」,「ばちがあたりそうな感じ」の3 項目を「敬遠感情」( $\alpha \mathrm{s}=.70 \sim 77)$ とに分け,因子ごとに項目評定値の平均を算出し,それを合成指標として以後分析した。 はじめに, 対象技術への感情と認知に扔いて本論文で取り上げた技術間にどのような差異が認められるのかを確認するために技術別平均値を算出し, 3 つの技術に関する 1 要因の分散分析を実施した(Table 1)。 いずれの変数においても,技術の主効果が $1 \%$水準で有意であったため, Holm法による多重比較を行った。 技術への受容態度については,下水サーベイランスが最も肯定的であり $(M=3.34)$, 次いで $\operatorname{COCOA}(M=3.25)$, 健康観察アプリ $(M=3.23)$ の順であった $(F(2,1576)=5.24, p<.01)$ 。 Table 1 Means of main variables by technology & & COCOA \\ 性能への信頼感 & $3.05 \mathrm{c}$ & $2.82 \mathrm{~b}$ & $2.64 \mathrm{a}$ \\ ベネフイット認知 & $3.14 \mathrm{a}$ & $3.25 \mathrm{~b}$ & $3.26 \mathrm{~b}$ \\ リスク認知 & $2.78 \mathrm{a}$ & $3.31 \mathrm{c}$ & $3.20 \mathrm{~b}$ \\ ネガティブ感情 & $2.73 \mathrm{a}$ & $2.88 \mathrm{~b}$ & $2.86 \mathrm{~b}$ \\ 敬遠感情 & $2.28 \mathrm{~b}$ & $2.20 \mathrm{a}$ & $2.20 \mathrm{a}$ \\ Note) Scores of all variables range from 1 to 5 . Means with different letter are significantly different (Holm method). Table 2 Descriptive statistics of variables 次に,各技術に対する認知要因(リスク認知, ベネフィット認知, 性能への信頼感)について同様に分散分析を行った。まずリスク認知に関しては,健康観察アプリが最も高く $(M=3.31)$, 次いでCOCOAが続き $(M=3.20)$, 下水サーベイランスが最も低かった $(M=2.78)(F(2,1576)=160.60, \quad p<.01)$ 。 ベネフィット認知に関しては, 下水サーベイランスが最も低く $(M=3.14)$, 残りの $\operatorname{COCOA}(M=3.26)$ と健康観察アプリ $(M=3.25)$ の平均値の差は有意ではなかった $(F(2,1576)=9.18, p<.01)$ 。技術の性能への信頼感に関しては,下水サーベイランスが最も高く $(M=3.05)$, 次いで健康観察アプリ $(M=$ 2.82), $\operatorname{COCOA}(M=2.64)$ の順であった $(F(2,1576)$ $=72.17, p<.01)$ 。したがって, 下水サーベイランスに対して回答者は他の 2 つの技術よりも受容的な態度を示し,そのリスクとべネフィット認知は低く, 性能への信頼感に関しては高く評価していた。 次に,対象技術への個別感情要因についても同様に分散分析を行った。ネガティブ感情に関しては,下水サーベイランスが低く $(M=2.73)$, 健康観察アプリ $(M=2.88)$ と $\operatorname{COCOA}(M=2.86)$ の差は有意ではなかった $(F(2,1576)=15.66, p<.01)$ 。敬遠感情については,3つとも回答選択肢の中点より低い傾向にあったが相対的に健康観察アプ リ $(M=2.20)$ と $\operatorname{COCOA}(M=2.20)$ が低めで下水サーベイランス $(M=2.28)$ が若干高めであった $(F(2,1576)=9.25, p<.01)$ 。 ## 3.3 受容態度の規定因に関する検討結果 各技術の受容態度を目的変数, 対象技術に対する認知要因, 対象技術への個別感情要因, COVID-19関連要因, 感情経験に関わる個人差要因を説明変数とした線形回帰モデルによる重回帰分析を実施した。説明変数として投入した変数の記述統計量は Table 2 の通りであった。 その結果,対象技術への認知要因に関しては,全技術においてべネフィット認知, 性能への信頼感が正の関連が有意であり (all $\beta \mathrm{s}>.19, p \mathrm{~s}<.01$ ), リスク認知は負の関連が有意であった (all $\beta \mathrm{s}<$ $-.05, p \mathrm{~s}<.05)($ Table 3)。対象技術への個別感情要因に関しては,全技術に対してネガティブ感情が負の関連が有意であったのに対し (all $\beta \mathrm{s}<-.28, p \mathrm{~s}$ <.01),敬遠感情の有意な関連は確認されなかった。COVID-19関連要因については, 健康観察アプリにおいてのみ,COVID-19のリスク認知の正の関連 $(\beta=.04, p<.10)$ と, 厚労省への信頼感の負の関連が有意傾向であった $(\beta=-.04, p<.10)$ 。感情経験に関わる個人差要因については, 下水サーベイランスでのみ畏怖の正の関連が有意であった $(\beta=.05, p<.05)$ 。 なお,上記で検討した変数同士の相関係数は, Appendix 3 に示した。 ## 4. 考察 ## 4.1 COVID-19対策に資する技術への受容態度 本研究では, COVID-19対策として活用が期待されている 3 つ技術を取り上げ,各技術への受容態度を規定する心理的要因の検討を行った。 その結果,まず人々のCOVID-19対策に資する技術への受容態度は,どの技術に関しても社会として受容することに対し, いくらか肯定的な態度をもっているという様子が伺える。有意性検定の結果からは, 本研究で扱った技術の中では下水サーベイランスが他の2つの技術に比べて受容的に評価されていた。これについては, 当該技術が他の 2 つ技術とは異なり,個人ではなく各地域や社会として導入するため, 個人情報の漏洩といったリスクが想像されにくく, ネガティブ感情を持ちにくく, 性能への不信感も感じにくい可能性があったのかもしれない。反面,本研究で扱っ Table 3 Predictors of attitude toward technologies for combating COVID-19 ${ }^{* *} p<.01,{ }^{*} p<.05,{ }^{\dagger} p<.10$ た先端科学技術のうち, 最も聞きなじみのない技術であったことから, ベネフィットもイメージしにくい技術であったことが推察される。以上のような傾向から,個人ではなく社会として受容するタイプの技術に関しては,一般市民が各々技術の導入を必要としないため,それほど説明文章を提示されても技術に対してリスクもべネフイットもイメージされにくく, 比較的ニュートラルな印象評価に落ち着く傾向にあるのかもしれない。 ## 4.2 受容態度を規定する心理的要因 本研究では,対象技術の受容態度を主に規定すると考えらえる対象技術への認知要因に加え,対象技術への個別感情要因と感情経験に関わる個人差要因に焦点を当てた説明変数を用意し,それらと受容態度との関連を探索的に検討した。その結果,3つの技術に関していずれも比較的高い説明率が確認され,個々の説明変数に関しても,技術間の差異は比較的少なく,概ね似通った結果パターンが認められた。したがって,これらの3つの技術の説明変数として取り上げた要因の認知の程度にはそれぞれ違いがあり,受容態度の差を生んだが,その心理的要因と受容態度の関連の仕方は同様であることが示唆された。 以下では,その心理的要因ごとに考察を行う。 まず対象技術への認知要因に関しては,リスク認知, ベネフィット認知, 性能への信頼感を扱つたが,いずれも全て有意であった。これらの3つの要因の中では,特にベネフィット認知および性能への信頼感は受容態度との間に相関が強く認められた $(r \mathrm{~s}=.57 \sim .66, p \mathrm{~s}<.01)$ 。この結果は,技術の受容態度に関する先行研究の知見 (Davis, 1989) も有益さの認知に着目しているのと同様に,新しい技術に関してどのようなべネフィットがもたらされるかという情報伝達が, その技術の受容を促す主要な要素となることを示唆している。他方でリスク認知に関しては,標準偏回帰係数の値も小さい上に, 受容態度との相関はベネフィット認知と受容との相関に比べると弱かった $(r \mathrm{~s}=-.31 \sim$ -.17, $p \mathrm{~s}<.01)$ 。したがって, サンプルサイズの大きさから統計的に有意にはなったものの, その関連は弱い可能性にも留意すべきである。次に特に本研究で詳細な検討を行った対象技術への個別感情要因についてであるが, 先行研究 (高木ら, 2021)と同様に, 対象技術への感情項目は,ポジティブ,ネガティブ,嫌悪感といったより基礎的な感情と,畏怖,欌れ忌避といったそれ以外の感情とに分類された。AIや自動運転といった比較的なじみがあり何かしらイメージがしやすい先端科学技術では,対象技術に対する畏怖と穢れ忌避は弁別されて認識されていることが示唆されたが, 本研究のような一般の人々にとってより新規性の高い技術に関しては弁別されていないように思われる。それゆえに,社会にその先端科学技術が導入された時のイメージがネガティブかあるいはポジティブかという基礎的な感情によって対象技術を受容するか否かを決めている部分が大きいことが確認された。それに対して,敬遠感情に関しては, ゼロ次の相関係数の値も弱めであったため $(r \mathrm{~s}=-.26 \sim-.16, p \mathrm{~s}<.01)$, 自然志向や信仰を尊重することが先端科学技術を敬遠させる要因となっている可能性は低いことが示唆された。 以上の他に,その対象技術への個別感情要因に関しては, 新しい先端科学技術であり, 回答者にとってはあまりよく知らない対象であるがゆえに,日頃当該感情を感じやすい程度に応じた強さで生じている可能性を,畏怖,嫌悪とも関連する欌れ忌避の3つを取り上げて検討した。その結果, 日頃畏怖を感じることが多い人ほど, 下水サーベイランスに対しては受容する態度を示す弱い関連が認められ,その他の嫌悪と蔵れ忌避につ いてはそのような関連は認められなかった。これについては,下水サーベイランスについては,健康観察アプリやCOCOAに比べて回答者にとっては未知な技術であったために,優れた芸術などに畏敬の念を持つ程度が,新規の技術(優れた人工物)への畏敬として肯定的に社会として受け入れることに前向きな姿勢へとつながったのかもしれない。加えて下水サーベイランスに関しては,他の2つの技術とは異なり,個人ではなく社会として受容し,ベネフィットも地域や社会レベルでの感染拡大抑制を通じてもたらされるといった個人との距離感が比較的離れた要素をもつ先端科学技術に対して,日頃の畏怖感情の経験の個人差が何かしらの関連をもつことを示唆しているとも解釈できるが,それについてはさらなる実証的検討のもとに議論する必要があるだろう。 ## 4.3 本研究の限界と今後の課題 まず,本研究で取り上げた技術に関する説明方法を変更した場合, 同様の結果が再現されるのかは今後確認が求められるたろう。調査冒頭の導入文において,各技術には導入のベネフィットに対して個人情報の漏洩等のリスクもあることが指摘されている旨を説明し,各技術の説明文章内では技術のリスクには触れずべネフィットにのみ言及しているため,技術説明の文章内に関しては一面的コミユニケーションとなっており,それゆえに受容態度に対してべネフィット認知や性能への信頼感は強い関連が認められたのかもしれない。そのため, 先端科学技術の説明時にリスク情報も並記するような両面的コミュニケーションを行った場合に,本研究と同様の傾向が再現されるのかの検証も久かせないだろう。 また, 本研究では受容形態やべネフィットの性質が異なる技術を取り上げ探索的に検討したが, これらの要因が技術の認知や受容に及ぼす厳密な検証には, 本研究のような調査研究ではなく実験的手法を用いた検討も必要である。 以上のような今後のさらなる検討を踏まえ,緊急時に危機対処に資する先端科学技術について,引き続きどのように市民にコミュニケーションを行い受容の要否に関し,社会として合意形成をしていくか,研究を進めることが望まれる。 ## 謝辞 本研究は, JSPS 科研費 JP21K02967 の助成を受 けたものです。調査項目の作成にあたっては高渕智行氏(千葉工業大学)の協力を得たことに記して感謝します。 ## 参考文献 Cabinet Office (2021) Singijyutu no katuyou niyoru aratana nichijyo no koutiku ni mukete. https:// www8.cao.go.jp/cstp/201009shingijutu.html (Access: 2022, July, 7) (in Japanese) 内閣府 (2021) 新技術の活用による新たな日常の構築に向けて, https://www8.cao.go.jp/cstp/201009 shingijutu.html(アクセス日:2022年7月7日) Cabinet Secretariat (2022) Gesui saveiransu https:// corona.go.jp/surveillance/\#: :text=\%E4\%B8\%8B\%E6 $\%$ B0\%B4\%Е4\%B8\%AD\%Е3\%81\%AB\%E3\%81\%A F\%E4\%BA\%BA\%E7\%94\%B1\%E6\%9D\%A5,\%E8 $\%$ A $1 \% 8 \mathrm{C} \% \mathrm{E} 3 \% 82 \% 8 F \% \mathrm{E} 3 \% 82 \% 8 \mathrm{C} \% \mathrm{E} 3 \% 81 \%$ A6 \%Е $3 \% 81 \% 84 \%$ Е $3 \% 81 \%$ В Е\%Е $3 \% 81 \% 99$ $\%$ E3\%80\%82 (Access: 2022, March, 30) (in Japanese)内閣官房 (2022) 下水サーベイランス https:// corona.go.jp/surveillance/\#: :text $=\% \mathrm{E} 4 \% \mathrm{~B} 8 \% 8 \mathrm{~B} \%$ Е6\%B0\%B4\%Е4\%B8\%AD\%Е3\%81\%AB\%E3\%8 1\%AF\%E4\%BA\%BA\%E7\%94\%B1\%E6\%9D\%A5 ,\%E8\%A1\%8C\%E3\%82\%8F\%E3\%82\%8C\%E3\%8 1\%A6\%Е3\%81\%84\%Е3\%81\%BE\%E3\%81\%99 $\% \mathrm{E} 3 \% 80 \% 82$ (アクセス日:2022 年3月 30 日) Davis, F. 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# 手指消毒による感染リスク低減とQOL 向上の両立一塩化ベンザルコニウムとエタノールの組合せによるウイルス不活化効果—* ## Compatibility of Infection Risk Mitigation with Better QOL in Hand Sanitization: Effect of Ethanol Combined with Benzalkonium Chloride on Inactivation of Virus \author{ 増川克典**, 白石晶子**,***, 高田郁美**,****, 早瀬温子******, \\ 森卓也**,****, 田中紀行 ${ }^{* *, * * *}$, 藤井健吉 } ## Yoshinori MASUKAWA, Akiko SHIRAISHI, Ikumi TAKADA, Atsuko HAYASE, Takuya MORI, Noriyuki TANAKA and Kenkichi FUJII \begin{abstract} Aiming at solving a social challenge for compatibility of infection risk mitigation with better QOL to prevent viral contact infection via hands, an effect of ethanol (EtOH) combined with benzalkonium chloride (BC) on inactivation of Influenza virus A (IVA) and SARS-CoV-2 was investigated under conditions of exposure time, $30 \mathrm{sec}$. Although either just $20-30 \mathrm{vol} \% \mathrm{EtOH}$ or just $0.05 \mathrm{w} / \mathrm{v} \% \mathrm{BC}$ were weak for the inactivation, the combination showed the synergic effects. It was also demonstrated that a commercial hand sanitizer containing both $44 \mathrm{vol} \% \mathrm{EtOH}$ and $0.05 \mathrm{w} / \mathrm{v} \% \mathrm{BC}$ is effective to highly inactivate IVA and SARS-CoV-2. The consideration on the practical usage of hand sanitizers suggests that $20-50 \mathrm{vol} \% \mathrm{EtOH}$ combined with $0.05 \mathrm{w} / \mathrm{v} \% \mathrm{BC}$ would be effective and beneficial. The COVID-19 pandemic has revealed the emerging importance of community infection control which is different from a long-term challenge on hospital infection management, and a new hand sanitizing-system using lower EtOH combined with $\mathrm{BC}$ is expected to be a measure of community infection control. \end{abstract} Key Words: Hand sanitizer, Ethanol, Benzalkonium chloride, Influenza virus A, SARS-CoV-2 ## 1. 緒言 中国の武漢市で最初に発見された新型コロナウイルス肺炎(Zhu et al., 2020)がCOVID-19,その病原ウイルスがSARS-CoV-2 と命名され,2020年 3 月 11 日にはWHOによるパンデミック宣言がなされた(WHO,2020a)。この時から世界各地で COVID-19との格闘が始まり,院内感染管理に加 え市中感染対策が社会問題として顕在化した。以来,感染制御専門家でない一般生活者も日常生活の中で感染リスク低減に向けて適切な対策行動を行うことが長期間求められ,様々な制限の中でより良いQOLの実現が重要な社会課題となってきた。 SARS-CoV-2の主要な感染経路はインフルエン  ザウイルス A(IVA)等の他の呼吸器ウイルス同様に飛沫及び接触を介するとされる(WHO,2020b; Yokohata et al., 2020)。COVID-19の感染リスク低減のためにマスク着用,手洗い,換気,清掃・環境消毒, 3密回避等の対策が推奨され(MHLW, 2022;TCMNID, 2020),ワクチン接種や検査が推奖されている (CDC,2022)。接触感染は喠液等の飛沫に含まれるウイルスが手を介して口・鼻・目へ伝播することによって発生するため, 手指洗浄剤や手指消毒剤を用いた手指消毒が接触感染リスク低減のために重要な役割を果たす(Yokohata et al., 2020)。手指消毒剤に関しては高濃度エタノー ル (EtOH) 消毒剤の擦り込み式が効果的と世界/日本の公的機関より推奨されている(WHO,2009; CDC,2008; MHLW,2020)。WHOは60-80 vol\% EtOHが効果的で様々な細菌の殺菌やIVA, ヘルペ入等のエンベロープウイルスの不活化に有効であるとしている(WHO,2009)。CDCは $60 \mathrm{vol} \%$ 以上の EtOHが細菌やウイルスの消毒に有用で, 全ての脂溶性ウイルス (IVA・ヘルペスウイルス等) に不活化効果を有するとしている (CDC,2008)。厚生労働省は品質・有効性・人体への安全性が確認された「医薬品・医薬部外品」70-95 vol\% $\mathrm{EtOH}$ 製剂を推奨する一方, $60 \mathrm{vol} \%$ 台の EtOHでも一定の効果があるとしていて,具体的な細菌やウイルスの種類は例示していない(MHLW, 2020)。 実際にEtOHではIVA (Noda et al., 1981; Joeng et al., 2010; Yamazaki and Nakata, 2014), SARS-CoV (Rabenaua et al., 2005; Shiddharta et al., 2017), MERS-CoV (Shiddharta et al., 2017) 等, 及びSARSCoV-2 (Totaka et al., 2020; Nomura et al., 2021; Leslie et al, 2021)に対する不活化効果が検証されている。EtOH はIVA やSARS-CoV-2への効果に優れ,独特の塗布感や匂いによって消毒効果への安心感を付与する一方, 高濃度EtOHが皮膚乾燥の原因となり肌荒れを引き起こす (CDC,2002)。皮膚炎やアレルギーを引き起こすこともあり(de Haan et al., 1996; Okazawa et al., 1998), 高頻度の使用は肌が弱い生活者に適するものでない。また 60 重量\%以上の EtOH 製剂は引火性が高いため消防法・UN危険物に該当し, 製造・輸送・保管の様々な制限故に一般の倉庫で大量保管できない。結果,消毒剂を短期・大量に必要とするパンデミック下での市中感染対策の使用が困難であり,実際COVID-19 パンデミック初期にその需給バランス悪化が大きな社会問題となった。指定医薬部外品の外皮消毒剂としては, EtOH 製剤(有効成分:EtOH 76.9-81.4 vol\%)以外にも,塩化ベンザルコニウム $(\mathrm{BC})$ 製剤(有効成分: $0.05 \mathrm{w} / \mathrm{v} \% \mathrm{BC}$ )がある(MHLW, 1999)。BCは低濃度でグラム陰性菌やグラム陽性菌等の一般細菌に殺菌効果を持つことに加えて, IVA (Abe et al., 2007) や SARS-CoV-2 (Totaka et al., 2020; Herdta et al, 2021)等のエンベロープウイルスに対する不活化効果を併せ持つ。 $\mathrm{BC}$ 製剤は添加剤として EtOH を含むことが多く, $\mathrm{BC}$ と EtOHの相加・相乗の不活化効果が期待されるが,具体的に検証した報告はない。 そこで全ての生活者が接触感染によるリスクを低減でき且つより良いQOLを実現するために, $\mathrm{BC}$ 含有手指消毒剂においてEtOH と組み合せることによる EtOH 濃度低減の可能性を検討した。 その結果, $\mathrm{BC}$ 共存下で $20-30 \mathrm{vol} \% \mathrm{EtOH}$ 添加が IVA 及びSARS-CoV-2を相乗的に不活化することを見出し,20-50 vol $\% \mathrm{EtOH}$ と $0.05 \mathrm{w} / \mathrm{v} \% \mathrm{BC}$ の組合せによって手指消毒剂製剤で安定的に不活化し得ることが示唆されたので,市販製剤の不活化効果と合わせて報告する。 ## 2. 試料と方法 試料:モデル水溶液には, $\mathrm{EtOH}($ 富士フィルム 王株式会社)を用い,それぞれ $\mathrm{vol} \%$ 及び $\mathrm{w} / \mathrm{v} \%$ で調製した。市販手指消毒剤(いずれも指定医薬部外品)には,製剤 $\mathrm{A}$ (花王株式会社ビオレガード薬用泡で出る消毒液 ${ }^{\circledR}$, 有効成分 $0.05 \mathrm{w} / \mathrm{v} \% \mathrm{BC}$, $44 \mathrm{vol} \% \mathrm{EtOH}$ 含有), 製剤 B (同社ビオレガード薬用消毒タオル $®$, 有効成分 $0.05 \mathrm{w} / \mathrm{v} \% \mathrm{BC}, 54 \mathrm{vol} \%$ $\mathrm{EtOH}$ 含有, 絞り液にて試験を実施), 製剤 C(同社ビオレガード薬用消毒シート $\mathbb{}$, 有効成分 $0.05 \mathrm{w} / \mathrm{v} \% \mathrm{BC}, 52 \mathrm{vol} \% \mathrm{EtOH}$ 含有, 絞り液にて試験を実施), 製剤 $\mathrm{D}$ (同社ビオレ $\mathrm{u}$ 薬用手指の消毒液®, 有効成分 $0.05 \mathrm{w} / \mathrm{v} \% \quad \mathrm{BC}, 65 \mathrm{vol} \% \quad \mathrm{EtOH}$ 含有),製剂 $\mathrm{E}$ (同社ビオレガード薬用手指消毒スプレー®, 有効成分 $0.05 \mathrm{w} / \mathrm{v} \% \quad \mathrm{BC}, 65 \mathrm{vol} \% \mathrm{EtOH}$含有),製剤 $\mathrm{F}$ (同社ビオレガード薬用手指消毒スプレー $\alpha ®$ ,有効成分 $79.7 \mathrm{vol} \% \mathrm{EtOH} ) を$ 用いた。 $\mathrm{EtOH}$ は, 分析誤差の範囲内で含浸前の仕达み液と同一の濃度であったことを付記しておく。 方法: 細菌を対象とする日本環境感染学会のガイドライン「生体消毒薬の有效性評価指針:手指 衛生 2011」(JSEI, 2011)は存在するものの, ウイルスは含まれていないため, ASTM国際ガイドラインの標準ASTM E1052-20「懸濁液中のウイルスに対する殺菌剤の活性を評価するための標準試験法」に記載された懸濁試験手順(ASTM International, 2020)もしくは欧州統一規格EN14476:2013+A2: 2019 に記載された定量的懸濁試験手順 (CEN, 2019) に基づき,ウイルス不活化試験を行った。WHO が10-15秒以上擦り込むこと(WHO, 2009), CDCが 20 秒程度擦り込むこと $(\mathrm{CDC}, 2022)$ を手指消毒の実践として推奨しており, 本研究では実用場面と大きく相違せず,且つ実験実行性の点から 30 秒を暴露時間と設定した。 モデル水溶液の不活化効果はASTM E1052-20 (ASTM International, 2020)に基づき, IVA(H1N1, A/Puerto Rico/8/34株, ATCC VR-1469)に対する殺ウイルス活性を調べることにより実施した。具体的には,最小必須培地に懸濁したウイルス液 $5 \mu \mathrm{L}$ に試験溶液 $45 \mu \mathrm{L}$ を $22^{\circ} \mathrm{C}$ で混合し, 30 秒後にSCDLP 溶液 $950 \mu \mathrm{L}$ を添加して停止した。この反応溶液の 10 倍希釈系列を調製した後,各 $500 \mu \mathrm{L}$ をコンフルエントにしたMDCK細胞(イヌ腎藏由来細胞, ATCC VR-1469)を幡種した12ウェルプレートに添加し 30 分間吸着させた。無血清培地で洗浄後, $5 \% \mathrm{CO} 2,37^{\circ} \mathrm{C}$ で $18-22$ 時間培養し,抗インフルエンザNP抗体(マウス,ハイブリドーマ上清)を用いて発光法により感染細胞を染色し, 感染力価 $(\mathrm{FFU} / \mathrm{mL})$ を算出した。 製剤のウイルス不活化効果試験は EN14476: 2013+A2:2019(CEN,2019)に基づき,IVA及び SARS-CoV-2 (JPN/TY/WK-521)に対する殺ウイルス活性を調べることにより実施した。IVAに関しては, 最小必須培地に懸濁したウイルス液 $5 \mu$ $\mathrm{L}, 3 \mathrm{~g} / \mathrm{L}$ ウシ血清アルブミン $(\mathrm{BSA})$ 水溶液 $5 \mu \mathrm{L}$ 及び試験溶液 $40 \mu \mathrm{L} ~ 22^{\circ} \mathrm{C}$ で混合して反応液とした。その他の条件及び操作はモデル水溶液と同様に行った。SARS-CoV-2については, 最小必須培地で調整したウイルス液 $100 \mu \mathrm{L}, 3 \mathrm{~g} / \mathrm{L}$ BSA水溶液 $100 \mu \mathrm{L}$, 及び試験溶液 $800 \mu \mathrm{L}$ を $25^{\circ} \mathrm{C}$ で混合し 30 秒静置した。この反応溶液 $100 \mu \mathrm{L}$ に, 事前検証で不活化を確認した $2 g / L$ ウシ胎児血清水溶液を含む最小必須培地で 10 倍希釈したSCDLP 溶液 $900 \mu \mathrm{L}$ を添加した。反応溶液の 10 倍希釈系列を調製し, Vero E6細胞(TMPRSS7 JCRB 1819)を幡種したウェルプレートに添加し 90 分間吸着させた。ウイルス感染力価 $(\mathrm{PFU} / \mathrm{mL})$ はプラーク測定法で求めた。 いずれの試験においても 3 回繰り返し測定の平均値を求め, 対照である蒸留水の試験結果との差分を不活化量とした。統計解析は対照試験結果に対する対応のない $t$ 検定によって行った。 ## 3. 結果 モデル水溶液でのIVAの不活化試験結果を Table 1 に示す。 $0.00 \mathrm{w} / \mathrm{v} \%$ BC 及び $30 \mathrm{vol} \% \mathrm{EtOH}$以下ではIVAに対する不活化量が $0.16 \quad \log _{10}$ 以下であったが, $40 \mathrm{vol} \%$ 以上の EtOHでは $4 \log _{10}$ 以上の不活化量を示した。 $0.05 \mathrm{w} / \mathrm{v} \% \quad \mathrm{BC}$ 共存系では 0 vol\% EtOH で $2.11 \quad \log _{10}$ の不活化量, 20 vol\% EtOH 以上で $3.78 \quad \log _{10}$ 以上の不活化量を示した。 Table 1 Inactivation of Influenza virus A (IVA) by model aqueous solutions containing ethanol (EtOH) and benzalkonium chloride (BC) & & \\  / \mathrm{t} \% \mathrm{BC} / 0 \mathrm{vol} \% \mathrm{EtOH})$ を用いた同条件の試験結果 $\mathrm{b}$ 対照試験結果に対する対応のない $\mathrm{t}$ 検定 : * $\mathrm{p}<0.05,{ }^{* *} \mathrm{p}<0.01,{ }^{* * *} \mathrm{p}<0.001$ c 時間 30 秒, 温度 $22^{\circ} \mathrm{C}$ } 予め中和したモデル水溶液を宿主細胞に添加し, プラーク法にて死細胞の有無を確認した結果,全試験で細胞毒性は認められなかった。 製剂A-FでのIVA及びSARS-CoV-2 の不活化試験結果をそれぞれ Table 2 及び Table 3 に示す。IVA 及びSARS-CoV-2に対しては, 全ての製剤で不活化量が $4 \log _{10}$ 以上であった。予め中和した製剤を宿主細胞に添加し,プラーク法にて死細胞の有無を確認した結果, 全試験で細胞毒性は認められなかった。 ## 4. 考察 高濃度 EtOH はIVA や SARS-Cov-2 等のウイルスに対して優れた不活化効果を有し,その独特の塗布感・匂いは感染リスク低減の確かな安心感を与える。一方EtOHは手指荒れを誘発し皮膚炎やアレルギーを引き起こすこともあり (de Haan et al., 1996; Okazawa et al., 1998; CDC, 2002), コロナ禍で手指消毒が高頻度使用される中, 特に生来の肌が弱い生活者にとっては苦痛を伴う行為となっている。また 60 重量\% $\operatorname{EtOH}(67.7$ vol\%) は消防法・UN危険物に該当し, 市中感染対策に支障をきたす懸念もある。つまり市中感染制御では高濃度 EtOH の手指消毒剤が感染リスク低減と安心感を付与しながら,必ずしも生活者にとってより良いQOLにつながっているわけではない。この課題解決の一案が手指消毒剤の $\mathrm{EtOH}$ 低濃度化であり, BC 共存による EtOH 濃度低減の可能性を調べた。 Table 1 に示すように,30秒間の暴露によって BC を共存しない 40-60 vol\% EtOHのモデル水溶液及び $\mathrm{BC}(0.05 \mathrm{w} / \mathrm{v} \%)$ を共存する $20-60 \mathrm{vol} \% \mathrm{EtOH} の$ モデル水溶液で高いIVA不活化効果が認められた。 この結果は, $20-30 \mathrm{vol} \%$ EtOHの単独系ではIVA 不活化効果を有さないものの, $\mathrm{BC}(0.05 \mathrm{w} / \mathrm{v} \%)$ との共存によって不活化効果が発現されることを意味し,BCを含む 20-30 vol\% EtOHで不活化効果が顕著に増幅されるもの(相乗効果)と解釈された。 Table 2 Inactivation of Influenza virus A (IVA) by commercial hand sanitizers containing ethanol (EtOH) and benzalkonium chloride ( $\mathrm{BC}$ ) & & \\ a 蒸留水を用いた同条件の試験結果 $\mathrm{b}$ 対照試験結果に対する対応のない $\mathrm{t}$ 検定 : ** $\mathrm{p}<0.01,{ }^{* * *} \mathrm{p}<0.001$ c 時間 30 秒, 温度 $22^{\circ} \mathrm{C}, 0.3 \%$ ウシ血清アルブミン負荷 Table 3 Inactivation of SARS-Cov-2 by commercial hand sanitizers containing ethanol (EtOH) and benzalkonium chloride (BC) & & \\ $ 対照試験結果に対する対応のない $\mathrm{t}$ 検定 : *** $\mathrm{p}<0.001$ c 時間 30 秒, 温度 $25^{\circ} \mathrm{C}, 0.3 \%$ ウシ血清アルブミン負荷 d 一般財団法人日本繊維製品品質技術センターによる試験 } $\mathrm{EtOH}$ のエンベロープウイルスに対する作用に関し, Noda et al.(1981)はIVAを 10 秒以上で不活化するには $60 \% \mathrm{EtOH}$ が必要で, $50 \% \mathrm{EtOH}$ では不活化に 1 分以上の暴露を要し, $40 \% \mathrm{EtOH}$ では 5 分間暴露でも不活化されないと報告している。Totaka et al. (2020)は同じエンベロープウイルスのSARSCoV-2に対し, 50 vol\% EtOHでは 1 分及び 10 分の暴露で不活化されるが, $40 \mathrm{vol} \% \mathrm{EtOH}$ では 1 分の暴露で不活化できないとしている。一方 Kratzel et al. (2020)は 30-40 vol\% EtOHにおいても SARSCoV-2を30秒間で不活化できると報告している。 これら報告と我々の結果を総じると,エンベロー プウイルスに対する不活化効果が急激に変化する領域が 30-50 vol\% EtOH付近にあって,調製方法やウイルス状態の違いによってその不活化効果が大きな影響を受けるものと推察された。従って相乗効果が実験的に観察された20-30 vol\% EtOH と $\mathrm{BC}$ の組合せのみならず,それを超える 30-50 vol\% $\mathrm{EtOH}$ と $\mathrm{BC}$ の組合せは多様な消毒条件下の実用場面にてIVA 及びSARS-CoV-2を安定的に不活化するのに有用と考察された。 20-30 vol\% EtOHと $0.05 \%$ w/v\% BCの組合せが IVA や SARS-CoV-2 の不活化に相乗効果を示す作用機構についてWatts et al. (2021)やAbe et al. (2007)の報告を基に考察する。Watts et al. (2021) は,エンベロープウイルスのサロゲートとして用いられるバクテリオファージPhi6を用いた物理化学的解析から, EtOHが外殼のエンベロープ脂質膜に侵入して膜構造を緩め,それが内殼のタンパクから脂質膜を分離させ, 膜破壊に至る機構を提案している。一方 $0.05 \mathrm{w} / \mathrm{v} \% \quad \mathrm{BC}$ 水溶液は,今回の我々の試験では 30 秒間の短時間暴露で約 2 $\log _{10}$ の弱い不活化効果しか示さなかった (Table 1) が,長時間暴露であれば強いIVA不活化効果を示す(Abe et al., 2007)。BCのみの水溶液では陽イオン界面活性剤である BCがエンベロープ脂質膜へゆっくり作用するのに対して, EtOH-BC共存系では EtOHがエンペロープ脂質膜の構造変化・分離・破壊を引き起こし,それが $\mathrm{BC}$ の膜への作用を劇的に加速し, 結果として短時間暴露で脂質膜を破壊するという機構を推察している。今後詳細な解析でこの仮説の精査が必要である。 市販手指消毒剤の製剂 A-F は全て $4 \log _{10}$ 以上の高い不活化効果を示した(Tables 2 and 3)。製剤 $\mathrm{B}-\mathrm{F}$ は $0.05 \mathrm{w} / \mathrm{v} \% \quad \mathrm{BC}$ と $50 \mathrm{vol} \%$ 以上の $\mathrm{EtOH} の$ 組合せもしくは約 80 vol% EtOHであり,既報にお けるIVA及びSARS-CoV-2 の不活化効果 (Noda et al., 1981; Rabenaua et al, 2005; Joeng et al, 2010; Yamazaki and Nakata, 2014; Shiddharta et al., 2017; Totaka et al., 2020; Nomura et al., 2021; Leslie et al., 2021)から想定内であった。注目すべきは製剤 $\mathrm{A}$ の $0.05 \mathrm{w} / \mathrm{v} \% \mathrm{BC}$ と $44 \mathrm{vol} \% \mathrm{EtOH} の$ 組合せであつた。少なくとも BC共存系であれば $44 \mathrm{vol} \%$ まで EtOH 濃度が低くともIVA及びSARS-CoV-2に対して強い不活化効果が得られることを製剤系で証明した。モデル溶液の結果(Table 1) から, 更に低い EtOH 濃度でも不活化効果が得られると想起されるが,製剤では実用場面も考慮されるべきである。つまり10-20秒程度の短時間の擦り込み (WHO, 2009;CDC, 2022)であっても,実用場面では体温や蒸気圧によって EtOHが水に先んじて蒸発し EtOH 濃度が減少すると想定されるので, 最小限の 20-30 vol\% $\quad$ EtOHより若干高い $44 \mathrm{vol} \%$ EtOHが実用的に妥当な濃度であろう。 本研究によって, エンベロープウイルスに属し消毒薬耐性が低いとされるIVA及びSARS-CoV-2 (CDC,2008;CDC,2022)に対して,20-50 vol\% $\mathrm{EtOH}$ を 0.05 w/v\% BC と組合せることが安定的な不活化の点で有用であることが分かった。より消毒薬耐性が高い病原性ウイルスに対する不活化効果は不明である。本組合せは,多様な病原性微生物に有効な広いスペクトル,消毒薬耐性が高い病原性微生物も対象とする院内感染管理には適していないかもしれない。しかしながら一般の生活者が感染リスクに晒される市中感染のケース,例えばCOVID-19パンデミックや季節性インフルエンザ等の特定エンベロープウイルス種に曝されるケースでは,消毒薬耐性はやや弱いながらも,特定のエンベロープウイルス種に安定した不活化効果を有する 20-50 vol $\% \mathrm{EtOH}$ と 0.05 w/v\% BCの組合せは,そのウイルス種による市中感染リスクの低減対策として期待できる。 COVID-19 以前は感染症と言えば院内感染管理であった。しかしながらこの未曽有の感染症によって世界が震撼し,市中感染対策という新たな社会的課題が顕在化した。飛沫や接触を主要な感染経路とする SARS-CoV-2 (WHO, 2020b; Yokohata et al., 2020) の感染防止のため, 確実な効果や安心感の付与と共により良いQOLに配慮した手指消毒システムが有用であり,アフターコロナの季節性インフルエンザ対策に,将来懸念される COVID-19クラスのDisease-Xパンデミック (WHO,2018)対策にもその活用が期待される。本研究の成果並びに更なる発展は, 感染症リスクに強勒でより良い社会を実現するための一助になるであろう。 ## 5. 結論 未曾有のCOVID-19パンデミックに遭遇する中, 市中感染対策のために日常生活の中での感染リスク低減と共に,より良いQOLの実現が重要な社会課題として浮上してきた。手指消毒は接触感染のリスクを低減する有効な手段である一方,高濃度 EtOH の使用はQOLの観点から改善の余地がある。そこで低濃度 EtOHの可能性を探るべく, 手指消毒の実用場面と想定し得る 30 秒間の暴露時間で,低濃度 $\mathrm{EtOH}$ と $0.05 \mathrm{w} / \mathrm{v} \% \mathrm{BC}$ の組合せによるIVA及びSARS-CoV-2 の不活化効果を検討した。その結果 $20-30 \mathrm{vol} \% \quad$ EtOH と $0.05 \mathrm{w} / \mathrm{v} \%$ $\mathrm{BC}$ の組合せによって不活化の相乗効果が得られることを見出した。安定的な不活化効果という点では 20-50 vol\% EtOH と 0.05 w/v\% BCの組合せが有用と示唆された。市販手指消毒剤を用いた不活化試験では, $44 \mathrm{vol} \%$ EtOHを 0.05 w/v\% BCと組合せることで,30秒間暴露により IVA及びSARSCoV-2を十分に不活化できることを証明した。このような低濃度 $\mathrm{EtOH}$ と $\mathrm{BC}$ の組合せによる手指消毒システムが, 院内感染管理を目的とする手指消毒とは異なる形で,感染リスクを低減しつつ, より良いQOLを実現するための市中感染対策に成り得ると期待される。 ## 謝辞 本論文の作成に当たって,試験結果の統計処理に関しては花王株式会社山中菜未氏, 同社山口亨氏,推敲に関しては同社山本哲司氏,同社西尾正也氏,同社徳田一氏に,それぞれのご専門の視点から貴重なご助言・ご示唆をいたたきました。一般財団法人日本繊維製品品質技術センターのご協力のもとでSARS-CoV-2 試験を実施しました。また,査読者の先生に有意義なご指摘をいただいた上で完成することができました。ここに記して深く御礼申し上げます。 ## 参考文献 Abe, M., Kaneko, K., Ueda, A., Otsuka, H., Shiosaki, K., Nozaki, C., and Goto, S. 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risk
cc-by-4.0
Society For Risk Analysis Japan
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# 【資料論文】 ## 学校の管理下における障害事故の発生状況分析一小学校休悡時間中の事故に対する計量的分析一* \author{ The Analysis of Occurrence Status of Disability Accident under School: \\ Quantitative Analysis to Accidents during Recess in Elementary School } \author{ 満下健太**, 鎌塚優子***, 村越真*** \\ Kenta MITSUSHITA, Yuko KAMAZUKA and Shin MURAKOSHI } \begin{abstract} The aim of this study is to analyze how accidents occur during recess under school management quantitatively with accidents data recorded by Japan Sports Council. In total, 823 accidents data in elementary school from 2005 to 2019 were analyzed by principal component analysis, which extracted five components for interpretation (destruction of glass, eye injury in ball game, being off balance, fall from a bar, and game of tag). Multiple regression analysis revealed the factors (age, sex, type of recess, and place of occurrence) that can affect the component scores on each dimension. Specifically, school grade affected scores of 1st and 2nd component score. Sex affected 2nd and 4th component score. Type of recess affected 1st and 5th component score. The place of occurrence affected each component score by some places. It is considered that this result represents how often each summarized situation occurs proportionately in each category with controlling confounders. From these analyses, some trends about how accidents under school management were indicated. It can be considered that quantitative analysis is one profitable method to analyze data of occurrence status and to understand the current situation about accidents under school management. \end{abstract} Key Words: accidents under school management, qualitative data, text mining ## 1. 諸言 ## 1.1 研究の背景 本邦の学校は必ずしも安全であるとは言えない。学校の管理下における療養費が5000円を超える程度の負傷事故・疾病は年間約 100 万件近く生じている実態がある(日本スポーツ振興センター,2020)。文部科学省(2017)の第2 次学校安全の推進における計画では,日常的活動の中での事故は依然として発生率が横ばいである現状が述べられ,学校には事故リスクが存在する状況が続 いていると言える(以下,単にリスクと述べた場 合事故リスクを指す)。 学校での事故は, その様相が概ね把握されてい る。日本スポーツ振興センターは, 学校を対象と した災害共済給付を行なっている。給付対象と なった事故は, 年度毎に報告書「学校の管理下の 災害」に概況がまとめられている。「学校の管理 下の災害」では, 例えば発生場所と負傷箇所のク ロス表など, 様々な視点からデータが公開されて いる。また, 死亡・障害事故に関しては, Web上  に「学校事故事例検索データベース」が公開され,発生した事故の概況が報告されている。同災害共済制度への加入率は, 義務教育では2019年度の時点で $99.9 \%$ であり(日本スポーツ振興センター,2020),報告書に記載されている事故は,被害が一定程度以上の学校の管理下での事故のほぽ全数であると考えることができる。 このように, ほぼ全数が記録されている学校管理下の事故を詳細に分析すれば,事故要因の把握や事故防止につながる知見が得られる可能性がある。そうした問題意識から,多様な分析視点による2次分析が行われてきた。例えば,満下ら (2021)は,小学校の事故を対象に,活動場面別にその事故発生率を算出してその動向を分析し,全体的な減少傾向や, 活動に特徵的な増加傾向などを報告した。他にも,同データに独自の視点から分析を加えた研究事例は数多くある (e.g., 長谷川ら, 2008; 春日, 森本, 2016)。 本研究が着目するのは, 「学校事故事例検索データベース」の中で,事故事例毎にそれがどのような状況・経緯で発生したのかが記述されている「発生状況」である。この項目は, 学校の管理下で生じた事故について, 主に各校の養護教諭が記載する(静岡県養護教諭研究会,林,2019)。例えば,2019年の事例の 1 件として,具体的な状況として「体育の授業中, 跳箱で台上前転の練習をしていた際,足から着地ができず,尻もちをつくような体勢でマットの上に着地して腰を打ちつけ, 胸椎, 腰椎を圧迫骨折した。」と記載されている(日本スポーツ振興センター, 2022)。発生状況を見ると, 事故発生時の状況がより具体的に理解できる。上記の事例では,カテゴリ化された項目で分かることは体育・跳び箱であり, それが体育館・屋内運動場で起こったことである。この記述だけでは現場で事故を防止する手がかりにはなりにくい。だが,上記の発生状況の記述を手がかりとすることで, 学校での事故発生の傾向をより詳細に分析できるものと考えられる。どのようなカテゴリでどのような状況が多いのかを知ることができれば,そのカテゴリでの事故の特徵を把握できるので, 安全教育やリスクマネジメントの観点から学校安全の向上に向けた知見が得られると考えられる。 本研究の目的は,「学校事故事例検索データベー ス」における事故の発生状況の記述データの分析から,事故発生の傾向を把握することにある。 ## 1.2 方法論的枠組 「学校事故事例検索データベース」では, 先述の発生状況の記述のほか, 死亡障害種・学校種被災学年・性別・場合 1 (各教科など) ・場合 2 (理科など,場合 1 の細目) ・競技種目・通学方法.発生場所 1 (学校内など) ・発生場所 2 (教室など,発生場所 1 の細目)・遊具などの状況がカテゴリ化されて報告されている。したがって,学年ごとの違いなど,外部変数による傾向を容易に分析することができる(e.g., 長谷川ら,2008)。例えば性別というカテゴリによって発生状況を比較することで,男子では「鬼ごっこ」という記述が多いといったように,カテゴリを外部変数として分析することで,事故の具体的な傾向が把握できると期待できる。 これまで発生状況を分析した先行研究もいくつかある (e.g., 大伴ら, 2020; 神谷ら,2015; 藤澤,渡邊, 2021)。しかし, 発生状況は膨大な記述データであり,分析方法には工夫が要ると考えられる。まず,重要な出現語を特定する必要がある。例えば,「児童」「生徒」は頻繁に出現する語であるが,これは主語として利用されているものであり,事故実態に直接関連しないと考えられる。重要な出現語を特定するために丁寧に事例を解釈していくアプローチも考えられるが,「学校事故事例検索データベース」のように, 非常に膨大なデータである場合は限界がある。 加えて, 交絡の問題がある。発生状況に差異が生じる要因は, 例えば性別・学年や発生場所の差異など様々に考えられる。しかし, これらの要因は互いに関連する可能性がある。例えば,性別と学年によって屋内・屋外遊びの好みが異なるという報告がある(藤原, 成田, 2014)。こうした知見から, 遊びの種類や場所は性別や学年と関連すると予想されるので, 仮に発生場所と発生状況に関連が見られても,実際には性別や学年といった異なる要因と関連している可能性を排除できない。 以上の点から, 本研究では, 樋口 (2017)の提案する計量テキスト分析の手法を参考に次のような計量的分析方法をとる。まず,テキストマイニングによって出現語の頻度を把握する。次に主成分分析を用いて, 出現語の共起を要約することで,同時に出現する語を主成分として, その出現傾向を主成分得点として要約する。出現語に付与された主成分負荷量から, 単一の事故事例に同時に出現する傾向にある語のまとまりを解釈することに よって, 主要な発生状況を探索的に明らかにする。次に,交絡の検証をした後,得られた主成分得点に対する重回帰分析から,解釈された発生状況の出現傾向が,「昼食時間休香中」ゃ「女子」 に多いのか,あるいは「階段」では少ないのかといった学年・性別・場合・場所に影響されるのかを検討することで,事故発生の傾向を把握する。本研究ではこのような学年・性別・場合・発生場所のそれぞれを「カテゴリ」と呼ぶことにする。 ## 2. 方法 ## 2.1 分析対象 本研究では分析対象を小学校の「休㽞時間」中の「障害事故」とした。「休悡時間」は,「課外指導」に次いで死亡・障害事故の件数が2 番目に多く, 校種を問わない全体の 1 割程度を占めていることから,事故が発生する活動場面の中でも相対的にリスクが高い。また,教科中などと異なり,教師の目が行き届きにくく活動内容も多様であると推測される場面である。したがって,発生状況の記述からその傾向を分析することには,学校安全上の意義があると考えられる。更に学校種別に見ると, 小学校 843 件 - 中学校 410 件 - 高校 138 件・特別支援学校 27 件 - 高等専門学校 3 件であったことから,最も事故が多く,全体の半分以上を占める小学校に限定した。 「学校事故事例検索データベース」に公開されているデータに打いて,分析時点での公開範囲であった平成 17 年度〜令和元年度の小学校の「休穆時間」の合計 843 件のうち, 各カテゴリでの度数が 5 以下であった「そしゃく機能障害(4)」「足指切断・機能障害(2)」「プール(1)」「ベランダ(2)」「屋上(1)」「公園・遊園地(1)」「講堂(3)」「水飲み場 (2)」「道路(2)」「排水溝(1)」「遊戯室(1)」での合計 20 件を除いた 823 件を分析対象とした。 Table 1 に各カテゴリでの内訳を示す。各カテゴリの表記は分析対象とした「学校事故事例検索データベース」の表記に準拠している。 ## 2.2 分析手続き 823 件の発生状況の記述に対して, KH Coder (樋口,2020)を利用してテキストマイニングを行い, 出現語を分析した。結果として2105語が抽出された。その後, 分析対象語を次の手続きで選定した。まずKH Coderに打いてデフォルトの分析対象となる 1851 語(総出現数 $=14330 )$ のう ち, 出現数の累積割合が $50 \%$ を超える語を選定した。つまり,出現数が 38 回以上である 83 語である。選定された語から,予測変数とする性別・被災学年 ・場合2(以下,単に場合) $\cdot$ 発生場所2 (以下,単に発生場所)と重複する語(具体的には, 時間・教室・休暞・廊下・トイレ・男子・運動・階段・校庭・昼休み $\cdot$ 終了・体育館・昇降) を除外した。これらの語は, 先述のようにカテゴリとして記録されているため, 記述中における分 Table 1 Descriptive statistics } & 休想時間中 & 361 \\ 本研究の分析対象は小学校の障害事故のみであるため,「死亡障害種」は「障害種」とし, 「運動場・校庭」および「教室」はそれぞれ(園庭)(保育室)の表記を削除した。以下本文も同様。 析対象語としては不適であると判断した。また,主語として用いられる「児童」の語を除外した。結果として全69語が分析対象語となった。 次に,KH Coderを用いて全69語の頻度デー夕を作成した。すなわち,823件の事故事例に対して,その発生状況の記述に69語のそれぞれが何回出現するかを算出した, 823 (件 $) \times 69$ (語) の頻度データが作成された。 そして,得られた頻度データに対して, $\mathrm{R}$ ver 4.1.0を用いて主成分分析を行なった。それぞれの主成分に高く負荷する語は,同一の事故事例内 に同時に出現する傾向があると言える。そのため,それらの語のまとまりを意味的に解釈することで,5つの要約された発生状況と,その傾向がどの程度あるかを主成分得点として把握できると考えられる。 最後に,被災学年,および性別・場合・発生場所に関して作成したダミー変数を予測変数,各主成分得点を応答変数とした重回帰分析を行なった。この手続きによって,記述の変動にはどのような変数が影響するのかを明らかにすることができる。重回帰分析に先立ち,予測変数間の交絡を Table 2 Principal Component Matrix 検証した。具体的には, それぞれの変数毎にクロス集計表を作成し, $\chi^{2}$ 検定によって変数間の関連を検討した。結果として, 性別X被災学年 $\left(\chi^{2}(5)\right.$ $=14.72, p<.05)$, 被災学年 $\times$ 発生場所 $\left(\chi^{2}(45)=\right.$ $91.50, p<.001)$, 場合 $\times$ 発生場所 $\left(\chi^{2}(27)=68.94\right.$, $p<.001 )$ において有意であった。つまり,これらの変数間は互いに交絡していると言え,それを統制するために重回帰分析を用いる必要があると言える。 ## 3. 結果 ## 3.1 主成分分析 分析に採用する成分数に関して,固有值の落ち达みの状況を見て, 5 主成分を分析対象とした。最初の主成分分析の結果から得られた主成分負荷行列に掠いて,共通性が. 16 以下であった 42 語を除外し, 全 27 語で再度分析を行った。プロマックス回転後の最終的な結果をTable 2 に示す。 また,解釈の参考にそれぞれで最も高い主成分得点を持つ事故事例の発生状況を加えて示した。なお,分析に使用した全語は付録に示した。 主成分の解釈について, 本稿では成分負荷量が. 40 を超える項目を解釈に用いた。各主成分を見ていくと,第 1 主成分は,「ガラス」「割れる」「空」「切る」が高く負荷している。したがって,第 1 主成分を「ガラス破損」と命名した。第 2 主成分は,「当たる」「眼」「ボール」「サッカー」「蹴る」「右」が正に高く負荷している。したがって,第2主成分を「球技中の眼負傷」と命名した。第3主成分は,「バランス」「崩す」が高い。よって, 第3主成分は「バランス崩し」と命名した。第 4 主成分は「地面」「落下」「鉄棒」「落ちる」 が高く負荷することから, 第4主成分を「鉄棒落下」と命名した。最後に第 5 主成分は,「鬼ごっこ」「逃げる」が高く負荷することから,第 5 主成分を「鬼ごっこ」と命名した。これら5つの主成分での累積寄与率は $36 \%$ であった。また,プロマックス回転を用いたため主成分間相関が生じているが, Table 2 に示されるように, どの成分も殆ど相関していなかった。 ## 3.2 重回帰分析 5 つの発生状況が被災学年・性別・場合・発生場所のカテゴリのそれぞれで出現しやすいのかを明らかにするために, 各主成分得点を応答変数,被災学年 $(1 \sim 6) \cdot$ 性別 $(0=$ 女子, $1=$ 男子), 場合(ダミー変数,参照カテゴリ $=\lceil$ 休熄時間中 $\rfloor)$.発生場所(ダミー変数,参照カテゴリ $=\lceil$ 教室」) を予測変数とした重回帰分析を行なった。本研究では各変数の影響を統制したい目的から强制投入法を用いた。 重回帰分析の結果を Table 3 に示す。結果とし Table 3 Multiple regression analysis & バランス崩し & 鉄棒落下 & 鬼ごっこ \\ *) $\left.\left.\left.p<.05,{ }^{* *}\right) p<.01,{ }^{* * *}\right) p<.001, A d j . R^{2}\right)$ 自由度調整済 $\left.R^{2}, F\right)$ モデルの $\mathrm{F}$ 值 て,それぞれの主成分得点に関して第3主成分を除き有意なモデルが得られた。また, 各主成分得点に影響を与える変数は異なっていた。まず第1 主成分「ガラス破損」では,「便所」「その他」が正の影響があった。この結果から, 性別・学年・場合などの変数を統制した上で,「便所」「その他」などの発生場所では,「ガラス破損」の主成分得点が平均的に高くなることがわかる。つまり,場所のカテゴリが「便所」「その他」である時,「ガラス破損」に関連する記述(「ガラス」「割れる」「窓」「切る」)の出現数が平均的に多いことを示している。反対に,「運動場・校庭」「階段」「体育館・屋内運動場」は負の影響を与えていた。すなわち,それらの場所において「ガラス破損」の状況が平均的に少ないと言える。同様に見ていくと,第2主成分「球技中の眼負傷」では,「被災学年」「性別」「運動場・校庭」が有意な正の影響を与え,「階段」が負の影響を与えていた。第 3 主成分「バランス崩し」では,モデル自体は有意ではないが,「階段」のみが正に影響していた。第4主成分「鉄棒落下」では,「運動場・校庭」「体育・遊戯施設」が正の影響を与え, 「性別」「廊下」が負の影響を与えていた。最後に第 5 主成分「鬼ごっこ」では,「運動場・校庭」「昇降口・玄関」「その他」が正の影響を与え, 反対に「始業前の特定時間中」「授業終了後の特定時間中」が負の影響を与えていた。 ## 4. 考察 本研究の目的は, 学校の休惒時間中の障害事故に関して,「学校事故事例検索データベース」の発生状況の自由記述に計量的分析を実施し,どのような場合でどのような状況の事故が生じているのかを把握することで,学校安全事故防止への示唆を得ることにあった。結果として,まず発生状況に記述された出現語に対する主成分分析によって出現語のまとまりを把握し,その解釈によって 「ガラス破損」「球技中の眼負傷」「バランス崩し」「鬼ごっこ」「鉄棒落下」の5つの状況が要約された。加えて, 重回帰分析の結果, 被災学年・性別・場合・発生場所のそれぞれが主成分得点に影響を及ぼしていた。 第 1 主成分は「ガラス破損」であり,主に割れたガラスで切創などが生じた状況であると解釈された。「ガラス破損」では,「被災学年」と,発生場所で「便所」「その他」が有意な正の影響を与 えていた。重回帰分析の結果は, 有意な影響を与えているそのカテゴリで主成分得点が高くなることを示すので, 要約された発生状況の出現する事故事例の割合が高まると解釈できる。逆に,影響が負である場合は低まると言えよう。したがって,例えば学年が高まるにつれて「ガラス破損」 の出現する頻度が増えると言える。「ガラス破損」 の事故は他の場所でも生じており,特に「廊下」 はガラスの関連する事故, すなわちガラスに関する記述が多いが,「廊下」では他にも多種多様な事故が生じる。そのため,「ガラス破損」が「廊下」の特徴的な事故であるかはわからない。更に, 発生場所と学年は交絡しているので, ガラスに関連する記述が増えるのは発生場所が要因なのか, それとも学年によるのかは不明膫である。重回帰分析は, そのような条件を統制した上で, どのカテゴリが「ガラス破損」の出現に影響するのかを明らかにしていると言える。このように,計量的方法を用いることで, 単純集計等の実数での分析からは見えない特徴を探索することができると考えられる。 同様に検討していくと, 第 2 主成分は「球技中の眼負傷」であり,ボールなどが眼に当たるような状況が想定された。第2主成分は,「被災学年」「性別」が有意な影響を与えていた。 $\chi^{2}$ 検定の結果よりこれら2つの要因は交絡していたので,それを統制した上で独立した影響があったと言える。つまり, 学年が上がるにつれて, または性別が男子であると「球技中の眼負傷」の状況が相対的に多く出現すると言える。学研教育総合研究所 (2019) が小学生を対象に行なった調査によると, どの学年に㧈いても男子はよくやるスポーツ・遊びとして「サッカー・フットサル」を挙げている。また,日本レクリエーション協会(2017)による小学生を対象とした休み時間の過ごし方に関する調査を参照すると,学年段階が上がるにつれて校内で楽しまれている遊びとしてゴール型競技を挙げる割合が上昇する傾向がある。こうした傾向が背景にあり, 学年・性別の両変数が同主成分に影響を及ぼしている可能性が考えられる。 第3主成分は「バランス崩し」であり,何らかの状態で体勢の均衡を保てなくなることによって生じる事故であると想定された。モデル自体は有意ではなかったものの,「階段」のみが正に影響していた。階段では, 高低差があり, 踏み外しなどバランスを崩しやすい。更に,友人との接触, 手すりに体を乗せる遊びや,飛び降りなど,バランスを崩す状況が多くあり,それが転落・落下などの事故につながるものと考えられる。 第 4 成分は「鉄棒落下」であり,鉄棒での運動中に落下した状況が想定される。「鉄棒落下」は 「球技中の眼負傷」と反対に,「性別」の負の影響が見られた。すなわち,女子では「鉄棒落下」の状況が生じやすいと言える。このように性別が影響する結果となったのは,性別による運動への選好の異なりが背景にある可能性がある。鉄棒は,好みに性差のある運動である。神奈川県立体育センター(2005)の調査では, 鉄棒は女子のほうが好きと回答する割合が高い。したがって,女子では休想時間に鉄棒運動が遊びとして選択されやすくなっていると推測され,「鉄棒落下」による事故のリスク増加に繋がっていると考えられる。 第5主成分は「鬼ごっこ」であり,鬼ごっこ遊び中で追いかけたり走ったりしている状況であると考えられる。鬼ごっこは,後ろを向きながら逃げると言った行動が予想される遊びである。こうした遊びの内容から,鬼ごっこはリスクが高い遊びであると言えよう。「鬼ごっこ」で特徴的なのは,「運動場・校庭」の他,「界降口・玄関」ゃ 「その他」が正の影響があった。「鬼ごっこ」の事故は「運動場・校庭」のように身体活動の活発な場所に限らず発生することがわかる。 以上のように,主成分分析によって発生状況の質的データを要約できたと共に,参照カテゴリとの比較上という制約はあるものの,それぞれのカテゴリでの事故の傾向が把握できた。こうした分析は,膨大な発生状況の記述デー夕について,交絡を回避した上でカテゴリに応じて平均的に出現が多い発生状況が特定できる。そのため,実数での比較では見えにくい特徴を探索でき,各カテゴリに打いて事故防止上注目すべき状況を検討する上で有効であると言える。こうした計量的分析の結果を指針として,質的アプローチを行う手立ても考えられるだろう。 ただし, 本研究で得られた結果はあくまで傾向であり,解釈の対象とした5つの状況の事故が重回帰分析で有意となったカテゴリのみで起きていることを示すわけではない。例えば,「球技中の眼負傷」の事故は低学年女子でも起きうる。このことは,得られた回帰モデルの説明力が十分に高くないことからもわかる。しかし, 分析対象とする場面や発生状況,カテゴリによっては,説明力 の高いモデルが得られる可能性がある。本研究の分析対象は小学校の休穆時間であったが,様々な場面で分析を行う価値はあると考えられる。 最後に, 本研究の課題を 2 点挙げる。第 1 に,語の選定の問題がある。本研究では出現数の多い語を抽出し, 主成分分析によってその成分構造を求めた。しかし, 除外した語の中には, 出現数はそれほどで無くとも意味的に重要な語が含まれている可能性もある。事故の発生状況はその環境や負傷部位などによって更に多様であり,本研究で取り扱った5つの状況以外にも多くの状況がある。したがって, 語の選定によってはより重要な主成分や重回帰分析の結果が得られることも考元られる。語の選定には別の基準もあり得るだろう。また, 本研究では発生状況を要約するために主成分分析を用いたが,他の出現語と関連しない単一語であっても,状況を把握するために重要な語がある可能性がある。そうした語は主成分分析において抽出されないと考えられるため,そうした語の特定は今後の課題点として挙げられる。 第 2 に,発生状況の記述データの分析上の限界である。「学校事故事例検索データベース」には事故の様相を知るための手がかりがあると考えられる一方,災害共済給付取得を目的に作成されているため,事故の発生要因が完全に記載されているとは限らない。つまり,データベースには収集されない要因や状況については探索できないという限界があり,本研究の結果はその制約下で得られたものである。他方で,同データベースの記述は多くの場合各校の養護教諭に委ねられているが,具体的な記述方法についての研修や作成の手引きなどがあるわけではない。そのため,表現の詳細さにばらつきがあり,記載されるべき内容や語句が記載されていなかったり,適切な表現でなかったりする場合もあると考えられる。結果として,注目すべき語が不明瞭になっている可能性もある。発生状況の特徴を精緻に把握するためには, シソーラスの作成や報告ガイドラインの作成など,その報告方法の統一化を図ることで,より精度の高い事故分析が可能となる。そうして得られた知見から,更に効果的なリスク管理のための教員研修プログラム開発にもつながることが考えられる。 ## 附記 本研究は公開データを用いて著者の責任に打い て行われたものであり,公開元である日本スポーツ振興センターは本論文の内容に責任を持たない。 ## 謝辞 本研究は JSPS 科研費 19K22027 および早稲田大学特定課題研究助成費 $2022 \mathrm{C}-403$ の助成を受けた。 ## 参考文献 Fujisawa, T., and Watanane, M. 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(in Japanese) 静岡県養護教諭研究会, 林典子 (2019) 養護教諭の活動の実際第3版. 東山書房. ## 付録 分析対象となった全語(品詞別頻度順) 友人, ガラス, ボール, 鬼ごっこ, 顔面, 前歯,地面,友達,バランス,部分,ドア,相手,鉄棒, 頭部, サッカー, 右手, コンクリート, 遊び, 負傷, 転倒, 強打, 落下, 衝突, 残存, 前,近く,遊ぶ,当たる,走る,滑る,打つ,切る,持つ, 入る, 崩す, 倒れる, 出る, 逃げる, 投げる, 歩く, 落ちる, 乗る, 負う, 戻る, 押す, 向かう, 転ぶ, 割れる, 行く, 蹴る, 追う, 強い,左, 右, 他, 眼, 手, 足, 下, 額, 床, 頬, 窓,角, 頭, 顔, 歯, 顎, 机
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# リスク学研究特集企画「東日本大震災 10 年」 一災害とリスク,残された課題そして備え一* ## Special Edition on Risk Studies "10 Years after the Great East Japan Earthquake": Disasters and Risks, Remaining Challenges and Preparedness ## 保高 徹生** Tetsuo YASUTAKA** ## 1. はじめに リスク学研究特集企画の「東日本大震災 10 年」 のゲストエディターを拝命した。筆者が東日本大震災に関連して,放射性物質に関連したリスク評価や費用便益分析,モニタリング技術の開発・標準化や環境動態評価、コミュニケーション等の研究や実務を国, 福島県, 市町村, 地元住民の方々と取り組んできたことから依頼が来たと思われる。東日本大震災から 11 年(本特集号の募集時点では 10 年であった)が経過し,東北地方以外では日常生活で震災に関する情報を得る機会も極端に減った。東北を旅すると,震災遺構以外では東日本大震災の爪痕を感じることも無くなり,関西以西の大学で授業をすると,東日本大震災に関しては, 教科書で習ったという記憶しかない学生も散見されるようになってきた。一方で,東京電力福島第一原子力発電所の事故に関連して残された課題も多い。本巻頭言では,東日本大震災から 10 年が経過した現状と残された課題, 特集企画の狙いと,本号に揭載された論文を紹介し,今後必要なことに関する私見を述べさせて頂く。 ## 2. 現状と残された課題 地震や津波, 東京電力福島第一原子力発電所 (以下, 福島第一原発) の事故により東北地方太平洋側を中心に甚大な被害をもたらした東日本大震妆烸ら 11 年以上が経過した。発災直後から,被災自治体や住民をはじめとして,産官学の多くの方々が, 復興や環境回復に取り組んできた。 2021 年までの復興予算総額は 38 兆円に達しているこの復興予算の財源の多くは2037年まで徴収される復興特別所得税が原資となっている)。復興予算を原資として住宅再建・復興まちづくり, 産業・生業の再生, 被災者支援, 原子力災害からの復興・再生の事業が実施されてきた。例えば, 福島第一原発事故の対応拠点となっていた福島県楢葉町・広野町に位置する $\mathrm{J}$ ヴィレッジも 2019年4月20日に全面再開しており,コンサー トやJリーグの試合が開催されるなど, 被害が大きかった宮城・岩手・福島の3 県においても多くの地域では日常を取り戻している。また復興が進んでいることは研究者のテーマの変遷からも伺える。例えば, 堀越ら (2019) は, 発表論文や研究費報告書のテキストマイニングを実施し,「環境中の放射能・放射線に関する取り組みが続けられていく中で,帰還や復興など社会生活に係る事項への関心が高まっていく」ことを示しており, 社会だけでなく研究者による研究対象も変化している  ことは,復興や環境回復が進んでいることの印であろう。 一方で, 残された課題もある。1つは避難指示区域の解除の課題である。福島第一原発の影響で福島県内では 13 市町村に避難指示が発出されていた。その後, 自然減衰や除染による放射線量の低減やライフラインの整備により解除が進んで打り, 現時点では, 飯舘村, 大熊町, 葛尾村, 富岡町, 浪江町, 双葉町, 南相馬市の一部に帰還困難区域が残されている。避難指示解除の要件としては, (1)空間線量率で推定された年間積算線量が 20 ミリシーベルト以下になることが確実であること,(2)インフラや生活関連サービスがお打むね復旧し, 子どもの生活環境を中心とする除染作業が十分に進捗すること, (3)県, 市町村, 住民との十分な協議, を求めることとしている。 現在, 特定復興再生拠点の整備が進められているが,全面的な避難指示区域の解除,そして当該地域の今後のあり方は残された大きな課題である。また,それ以外にも, ALPS 処理水の海洋放出や除染で発生し, 現在中間貯蔵施設に保管されている 1300 万 $\mathrm{m}^{3}$ 以上の除去土壤や除染廃棄物の福島県外最終処分など,大きな課題が残されている(この2つの詳細は後述する)。 ## 3. 特集企画の狙いと掲載論文の紹介 東日本大震災関連特集として, 本号以降に東日本大震災扔よび福島第一原発に関連した論文を揭載する。積極的に投稿を頂いた著者の皆様に感謝申し上げる。この特集企画は,この 11 年間で実施されてきた東日本大震災に関連するリスク課題解決に向けた調査研究の社会実装やリスクコミュニケーションの実践例について共有するとともに, 今後, リスク学として取り組むべき課題の整理を狙いとした。まず,本号に掲載された特集企画の 3 報の報文は, 東日本大震災から 10 年が経過した現在,残された課題に関するものである。 村上と五十嵐(2022)のレター「福島第一原子力発電所の処理水と風評被害に関する取り組みへの展望」は, 福島第一原子力発電所事故後に福島産の食品に対して生じたとされる風評被害の機序を整理した上で, 同原子力発電所からの多核種除去設備等処理水の海洋放出に伴う風評被害を防ぐために, 「生産・加工・流通・消費の段階ごとの徹底した対策」の担保,「放射線による健康影響といった医学的知識や放射性物質の測定や検查体制 といった社会的知識」に関する情報発信やリスクコミュニケーションの重要性を示唆する。その一方で,「科学的な次元での冷静なコミュニケー ションが可能になる前提として, 近隣国との関係改善への努力が必要不可欠」であり,また,「食品の購買を高めるうえで, 安全性に関する認知への配慮」だけではなく「食品, 産地や生産者が持つ魅力の発信」が必要であることにも言及している。 また, 粟谷と保高(2022)による総説論文「除去土壌の県外最終処分に係る制度設計とリスク学的考察」は, 福島第一原子力発電所事故による環境污染への対処として行われた除染によって除去された土壌がいかなるものかについて, 法的位置づけや処分方法を整理した上で, 「中間貯蔵施設に保管されている除去土壌の多くが,100~190年後までには,クリアランスレベル以下になること, さらに土地利用に応じたリスク評価体系も確立していることも踏まえ, 最終処分と当該地の利活用を含めた新たな視点を持つこと」が重要であるという見解を示す。一方で,既存の政策の正当性への疑問を呈し, 「最終処分候補地となる福島県外住民を含めた利害関係者への受容を求めるのであれば,その県外最終処分に関する政策の正当性や決定プロセスに関する説明も必要」であることも指摘している。 相馬ら(2022)による原著論文「低濃度除去土壌県外処理問題を題材とした集団討議実験:共通善の観点を巡る議論と討議の質を可視化する指標の開発」は, 低濃度除去土壤の県外最終処分や再生利用を対象とし,討論の質を評価する指標として, 従来の Discourse Quality Index (DQI)を修正したDQIを開発した。そして, 低濃度土壤に対し $\tau$, 3 つ論点(有効活用 /長期保管, 保管場所に福島県を含める/含めない,1 ヶ所/複数箇所) を設定した小規模集団での実験討論にDQIを適用した非常に興味深い研究である。10グループでの討論の結果, 判断として多かったのは, 有効活用, 福島県外で処分, 複数箇所での処分であり, 不公平の是正と最不利者の最大改善 (ここでは,福島への配慮を優先した決定)を優先するものが多いという結果が得られている。一方で, 実験討論に対するDQIスコアの分析からは, 功利主義的な観点からの発言が最も多く観察され, 最不利者の最大改善的な観点からの発言は少ないという結果が得られており, 論文中でこの相違の理 由を考察している。 ## 4. おわりに 本号に掲載された 3 つの報文からも分かる通り, 複雑化した環境・社会課題の解決においては, リスク評価やリスク管理だけではなく, 公正さを担保した制度設計や議論,ステークホルダー の参画,情報発信・コミユニケーションのあり方など, Transdisciplinary(トランスディシプリナリー;学際的)な取り組みが必要であることは論をまたない。 個人的には,この震災からの復興プロセスにおいて, われわれ専門家として構築する科学知と,日常の営みに根差した経験知の交差いわゆる Co-expertise processを旧避難区域である川俣町山木屋地区で経験し,新たな視座を得ることができた (例えば,Yasutaka et al. (2020))。ステークホルダーの参画から一歩踏み込んだ形での関係性の構築は, 目的によっては大きな意味を持つ。 また,OECD NEAは原子力災害からの復興に関して,「復興は極めて複雑で学際的なプロセスとなっている。そこで, 事故後の復興に向けた備えにおいて,公衆衛生,放射線モニタリング,リスクコミュニケーション, 除染, 環境污染除去,食品と飲料水の管理, 事業継続, 被災者とコミュニティの福利といった重要な側面を網羅する重要性が国際的にも認識されている」と述べており,学際的なアプローチによる事前の備えの重要性を説いている (OECD NEA (2020))。 本特集での分野横断的な報文が, 目前の課題解決だけではなく, 今後生じるであろう様々なリスク課題に対しての備えとしても有益であれば,ゲストエディターとして望外の幸せである。 最後に,筆者自身,東日本大震災までは東北地方を訪れたことは殆どなかったが,研究で訪れるようになり, 東北地方の魅力に気づき, ここ数年はプライベートで東北6県の様々な場所を旅するようになった。温泉, おいしい食べ物とお酒, ジ オパーク, スキー, 山登りなど魅力が満載である。また, 福島県浜通りには, 東日本大震災・原子力災害伝承館 (双葉町), 中間貯蔵施設工事情報センター (大熊町), 特定廃棄物埋立情報館リプルンふくしま(富岡町)など,現状を知るために見学が可能な場所が多数ある。ぜひ,東北に,福島にお越し頂きたい。 最後の最後に,論文を投稿頂いた皆様,査読をして頂いた皆様, 本原稿を確認して頂いた皆様に感謝申し上げる。 ## 参考文献 粟谷しのぶ, 保高徹生 (2022) 除去土壤の県外最終処分に係る制度設計とリスク学的考察リスク学研究, 32(1), 5-10. 堀越秀彦, 小野恭子, 内藤航 (2019) 福島原子力発電所事故後の放射線リスク低減とリスクコミュニケーションに関する実践的研究活動の分析,日本リスク研究学会誌, 29(2), 103-110. 村上道夫, 五十嵐泰正 (2022) 福島第一原子力発電所の処理水と風評被害に関する取り組みへの展望, リスク学研究, 32(1), 25-29. Nuclear Energy Agency (2021) Preparedness for postaccident recovery process: lessons from experience. Workshop Summary Report, Tokyo, Japan, 1819 February 2020, NEA/CRPPH/R (2020) 1. 相馬ゆめ, 横山実紀, 中澤高師, 辰巳智行, 大沼進 (2022) 低濃度除去土壤県外処理問題を題材とした集団討議実験:共通善の観点を巡る議論と討議の質を可視化する指標の開発,リスク学研究, 32(1), 11-23. Yasutaka, T., Kanai, Y., Kurihara, M., Kobayashi T., Kondoh, A., Takahashi, T., Kuroda,Y. (2020) Dialogue, radiation measurements and other collaborative practices by experts and residents in the former evacuation areas of Fukushima: A case study in Yamakiya District, Kawamata Town, Radioprotection, 55(3), 215-224.
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# リスク学研究 32(3): 201-203 (2023) Japanese Journal of Risk Analysis doi: 10.11447/jjra.SRA-E323 # 【卷頭言】 ## リスクは人の顔をしている* ## The Human Face of Risk ## 菅原 慎悦 $* *$ ## Shin-etsu SUGAWARA 私は夢見る,私の権威が消えることを。私は夢見る,私の権力が消えることを。 —ダムタイプ《S $\mathrm{S} / \mathrm{N} 》$ ## 1. 研究倫理と原子力安全 リスク研究をめぐる倫理が注目を集めている。集め続けている,という方が正確かもしれない。 2019 年の本学会年次大会では災害研究の倫理が話題に上り,2022年末には「対象者の協力を必要とする調査」に関するレターが公開された(村上ら, 2022)。 筆者は, 2020 年秋より, 所属学部の研究倫理委員会で委員長職を務めている。率直に言って,大変に骨の折れる仕事である。どの申請案件も一筋縄ではいかない。適切な倫理的配慮なしに侵襲性の強い研究が実施されれば,研究対象者の保護が疎かになってしまう。他方, 研究実施に対して過度にリスク警戒的な態度をとれば,脆弱な立場に置かれた人々についての重要な知見を生産する機会を,却って奪うおそれもある。研究倫理は, これを専門とする研究者が存在するほど奥深い領域である。我が国の研究倫理審査は,欧米のそれと比べると明確な強制力を有しているわけではないが,研究実施の可否を実質的に大きく左右しうる。当の委員長が素人であることを言い訳に質の低い審査を行うことは,それこそ倫理的とは言えない。というわけで,目下勉強中である。 米国では,医学研究をはじめ,人を対象とした研究に対する倫理審査が制度化されており, 研究対象者保護のための原則が連邦レベルでルール化されている。その一つ“minimal risk”原則を見たとき,筆者は強い既視感を覚えた。同原則は,「研究に伴い予想される害や不快の発生確率とその強さが,日常生活または健康診断や心理検査によるそれらよりも大きくないこと」(45 CFR 46 . 102(j), 筆者訳)と定義される。これは, 筆者の本業(?)である原子力分野の定性的安全目標—「原子力利用活動に伴って放射線の放射や放射性物質の放散により公衆の健康被害が発生する可能性は,公衆の日常生活に伴う健康リスクを有意には増加させない水準に抑制されるべきである」(原子力安全委員会安全目標専門部会, 2003)一と, ほぼ同型である。 研究倫理も原子力安全も,ともに「リスク」を鍵概念とし, 日常的に経験する負担や害を比較の目安としつつ,それらがもたらす負の程度を抑制しようとする構造が共通している。何を護るべきかを見定め,リスクを評価し,目安となるリスク水準と比べつつリスクを管理するという,本学会員にとってはお馴染みの考え方である(以下,これをひとまず「リスク計算の論理」と呼ぶ)。 ## 2. リスク計算の論理に対する批判 上述のようなリスク計算の論理に対しては, 批判も多い。その批判が向けられている点もまた,研究倫理と原子力安全で共通している。  制度化された倫理審査を人文・社会科学研究にも適用することに対しては, 国内外で強い批判がある (Kendra and Gregory, 2019; 長谷川, 2007)。特に, 人類学・社会学・人文地理学などからは,計画段階での事前審査を中心とする研究倫理のあり方と, フィールド・ワークでの出会いや予期せぬ相互作用を軸とした知識生産様式との,根源的な相容れなさを指摘する声が多い(Brun,2009; Khanlou and Peter, 2005)。このような批判的文脈において,倫理審査を貫くリスク計算の論理は,抵抗すべき対象として槍玉にあげられている。研究倫理の揭げる “minimal risk” や“favorable risk/benefit ratio”の原則は,功利主義的なりスク便益計算の狭隘さや, 定量化困難な事象を扱う社会科学分野に医学研究の倫理を教条主義的に適用することの横暴さの象徴と見られてきた(Macintyre,2014; Schrag, 2010)。 原子力の確率論的リスク評価(PRA)に対しても,同様の批判がある。PRAが䌂っているように見える「機械的客観性のイデア」(ideal of mechanical objectivity)に対する批判は,PRAの嚆矢である WASH-1400の時代から展開されてきたし, 福島原発事故後にも再燃している (Downer, 2014; Wellock, 2021)。原子力安全を扱ったエスノグラフィーでは,リスク計算の論理が,現場技術者のリアル夕イムなリスク感覚を覆い隠してしまうものとして批判的に描かれる(Perin, 2005)。 こうしてリスク計算の論理は,豊かで複雑な人間の営みを型に嵌め,そこから零れ落ちるものを切り捨てる冷徹な数の論理として表象される。このような, 研究倫理や安全問題を計算可能なもののみに還元しようとする論理に対し,リスク計算に組み入れられていない多様な価値を重視すべしという抵抗的言説を産みだすことに,人文・社会科学は努めてきたようにも見える(菅原,2022)。 ## 3. 等身大のリスク計算 しかし, リスク計算の論理とは, 果たしてそのように冷徹なものなのだろうか。筆者の限られた経験からは,そうは思えない。むしろ、「リスク」 ほど,それを土台として多様な価值について議論できる概念を,筆者は他に知らない。実際,リスクをめぐる価値や規範の問題は, 本学会でも陽に論じられてきた(村上ら,2020)。筆者の前職では,原子力のPRAに取り組む人々——errow (1999) が「シャーマン」と挪揄した専門家たち——と共 に働く機会を得たが,PRAは,機械的客観性を標榜する伶徹な数値の論理などではなかった。それどころかPRAは,その過程で否応なく様々な人や部署を巻き达み,多くの議論を誘発し,異なる専門知を統合するための一種の技法であると,筆者の目には映った(Sugawara, 2022)。 無論,筆者は,あらゆる価値を一つのリスク指標で表現できるとか,現状のPRAが万能であるなどとは決して思っていない。筆者が強調したいのは, リスク計算は公共的議論に終止符を打つものとしてではなく, そこに含められない要素や価値があることを常に想起させつつ, より良い議論と判断を紡ぎだすものとして扱われるべきだし, そのようなポテンシャルを持った営みだという点である。これは, 人間がその限定合理性, 存在の被拘束性のなかで, それでも善き生を求めようとする姿と深く呼応する。リスクは,そしてリスク計算は,人の顔をしているのだ。 にもかかわらず,なぜ,リスク計算の等身大の姿は,機械的客観性のイデアに容易に置換されてしまうのだろうか。なぜ, リスク専門家たちが日々悩みながら取り組んでいる, 絡み合った価値や規範や不確かさをめぐる議論は,社会や公衆との界面では悲しいほどに圧縮されてしまうのだろうか。社会の側に立てば,そのような議論が,限られた専門家たちのみに閉じられているように見えてしまうのは, 一体なぜだろうか。 もっとも,リスクやリスク計算が維ってしまっている権威や権力を剥ぎ取りさえすれば万事解決かといえば,そうではなか万う。私は,私の顔を直接見ることはできない。写真や鏡に映る私の顔は,「他者が見ている私の写像」(柄谷,2010)でしかない。両者の間には, 微妙な, しかし決定的なズレがある。リスクが人の顔をしているというメタファーは, そのズレを抱え达みながら, 常に別の可能性へと身体を——リク学の身体を——開くことの重要さを示唆しているかもしれない。 ## 謝辞 本稿は, 2021 年度関西大学若手研究者育成経費「災害研究における倫理的考慮の具体化に向けた研究」の助成による成果を含む。 ## 参考文献 Brun, C. (2009) A geographers' imperative? Research and action in the aftermath of disaster, The Geographical Journal, 175(3), 196-207 Downer, J. (2014) Disowning Fukushima: Managing the credibility of nuclear reliability assessment in the wake of disaster, Regulation \& Governance, 8(3), 287-309. 原子力安全委員会安全目標専門部会 (2003) 安全目標に関する調査審議状況の中間とりまとめ,平成 15 年 12 月. 長谷川公一 (2007) 社会調査と倫理:日本社会学会の対応と今後の課題, 先端社会研究, 6, 189-212. 柄谷行人(2010) トランスクリティーク:カントとマルクス,岩波現代文庫 Kendra, J. and Gregory, S. (2019) Ethics in disaster research: A new declaration. In: Kendra, J., Knowles, S. G. and Wachtendorf, T. (eds.), Disaster research and the second environmental crisis, Springer International Publishing, 492-528. Khanlou, N. and Peter, E. (2005) Participatory action research: Considerations for ethical review, Social Science \& Medicine, 60, 2333-2340 Macintyre, M. 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# リスク学研究 32(4): 251-252 (2023) Japanese Journal of Risk Analysis doi: 10.11447/jjra.SRA-E324 【巻頭言】 # エマージングテクノロジー界隈で リスク人材が求められている* Risk Analysis Talent are Needed in Emerging Technology Community 岸本 充生** Atsuo KISHIMOTO ## 1. はじめに ひと昔前は「バイオ人材」,少し前には「DX人材」や「AI人材」, さらには「量子人材」というふうに,必要とされる人材像は時々刻々と変わっていく。しかし, こうした新規科学技術, すなわちエマージングテクノロジーのイノベーションには当該技術に関する「○○人材」だけでなく,「リスク人材」こそ必要不可欠であると考えている。特に $\mathrm{AI}$ の社会実装におけるリスク人材の参入は喫緊の課題である。その理由を説明したい。 ## 2.「安全」に対する態度の転換 20 世紀初頭にガソリン自動車が社会実装された頃と, 自動運転車が社会実装されようとしている現在を比べてみよう。ガソリン自動車がその後社会にもたらすことになる交通事故,排気ガスによる大気污染,大きな道路によるコミュニティの分断などを予想したり,懸念したりした人は当初いなかった。しかし今, 自動運転技術は事故件数や死傷者数を大幅に削減できると予想されているにもかかわらず,事故が起こるとその原因が解明されるまで実証実験をストップさせるなど,非常に慎重に進められている。 このようにアプローチが対称的である背景には,20世紀後半あたりに安全に対する態度が 180 度転換したことが背景にある。すなわち, 図 1 のように,分からないものはひとまず「安全」と仮 図1「安全」に対する態度の転換 定して社会実装してみようという態度から,分からないものはひとまず「危険」とみなして,事前に安全性が説得力をもって示されたと社会が認識したものだけが社会実装に進むという態度に変わったのである。いま私たちが,エマージングテクノロジーと捉えている技術はすべて,後者の価值観のもとで社会実装される必要があることを認識しなければならない。 ## 3.「守りたいもの」のスコープの拡大安全に対する態度が転換したことに加えて,「安全」すなわち「私たちが守りたいもの」のス コープも拡大しているという事実も重要である。図 2 のように,人命や財産という狭い範囲から,人権や民主主義など,目に見えないものにも拡大 している。エマージングテクノロジーの「安全」 を検討する際には忘れてはいけない視点である。 EUで検討されている AIの規制案では,保護すべ き対象として,安全や健康に加えて,「基本的権利」が明記されている。  図2「守りたいもの」のスコープの拡大 ## 4. 安全を主張するにはリスク学が不可欠 それでは,スコープの拡大された「安全である」 ということを示すにはどうすればよいだろうか。 ISO/IEC(国際標準化機関/国際電気標準会議) のガ イド 51 には,安全とは「許容できないリスクが ないこと(freedom from risk which is not tolerable)」 と定義されている。すなわち,「安全である」こ とを示すためには,リスクの大きさを見積もり,対策等によってその大きさが許容できるレべル以下であることを示す必要がある。安全であること を示すためにはリスク評価とリスク管理,そして リスクコミュニケーションが必要なのである。エ マージングテクノロジーの安全性を事前に確認 し,社会に示すためには「リスク人材」が必要不可欠な理由である。 ## 5. 情報技術におけるリスク評価 日本の個人情報保護法への対応においてはこれまでは適法か否かを外形的に判断できることが多かった。しかし, 近年の改正によって, 「個人情報取扱事業者は,違法又は不当な行為を助長し,又は誘発するおそれがある方法により個人情報を利用してはならない」(第19条) という文言が入ったことから分かるように,違法か否かに加え,不当であるかどうかを判断しなけれげならなくなった。これは,グレーゾーンに線引きをする,すなわち個人データを利用する主体が事前に「安全であること」を示す必要が出てきたことを意味する。 情報技術に関するリスク評価は一般的に「プライバシー影響評価(PIA)」と呼ばれ, 米国, 英国, カナダ,オーストラリアなどですでに制度化されている。EUの一般データ保護規則 (GDPR)では個人データの高リスクな利用に対して「データ保護影響評価(DPIA)」の実施が求められている。人権への影響を中心に検討するリスク評価は「人権影響評価(HRIA)」と呼ばれることもある。 図3 情報技術分野のリスク評価の概念図 ## 6. AIの社会実装に必要なリスク人材 先にも触れた EUで提案された $\mathrm{AI}$ 規制案においても,「リスクに基づいたアプローチ(risk-based approach)」が採用された。この提案は二重の意味で「リスクに基づいた」ものとなっている。1 点目は,AIシステムをリスクレベルに基づき 4 種類に分類したことである。2 点目は,上から2番目の「高リスク」のAIシステムにはリスクマネジメントを中心とする適合性評価が義務付けられている点である。しかし少なくとも日本では 1 点目のみをもって「リスクに基づいたアプローチ」 と解釈されることが多く,より本質的な 2 点目が十分に理解されているとは言い難い。図3に示すように,PIAを含む情報技術に関するリスク評価は,工学的あるいは化学的なリスク評価と同様,事象の発生可能性と起きた場合の影響度の二軸で評価されるが,客観的・定量的な評価を行うことは困難であり,それぞれ3~5段階ずつの主観的$\cdot$定性的な評価として実施される。自らが,対策を行うことによって「安全なものとなった」ことを示すという目的に特化しているのである。今後, $\mathrm{AI}$ の社会実装が進むと, AI 分野での「リスク人材」へのニーズがますます高まるうえに,リスクトレードオフの評価,主観的リスクと客観的リスクのギャップ,リスクコミュニケーションのノウハウといったリスク学の様々な既存の知見が役に立つはずである。 ## 参考文献 岸本充生 (2021) 新興技術を社会実装するということ,国立国会図書館調査及び立法考査局,ゲノム編集の技術と影響(令和 2 年度科学技術に関する調査プロジェクト報告書),国立国会図書館, 101-121. 岸本充生 (2023) デジタル化に伴う ELSI とリスクコミュニケーション,奈良由美子(編著)リスクコミュニケーションの探求,放送大学,253-272.
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# 対象者の協力を必要とする調査に関する 注意事項と対応方法について* Notes and Responses Regarding Surveys that Need Cooperation from Participants 村上 道夫**, 大沼 進***,****, 柴田 侑秀****, 高田 モモ*****,小林 智之******,後藤 あや*******,保高徹生***** Michio MURAKAMI, Susumu OHNUMA, Yukihide SHIBATA, Momo TAKADA, Tomoyuki KOBAYASHI, Aya GOTO and Tetsuo YASUTAKA } \begin{abstract} The environment surrounding surveys requiring the cooperation of participants has been changing, with increasing awareness of the need to protect personal information and the use of online surveys. Issues such as how to respond to inquiries from participants, what should be communicated to relevant bodies in advance about the survey, and how to provide incentives and feedback to participants are important to ease tension and prevent conflicts between participants and researchers, or between researchers and relevant bodies, and to increase the public trust in researchers and the science. Based on the authors' experiences, this letter summarizes notes for conducting surveys that require participants' cooperation. As the social impact of research has been gaining increasing attention, it is expected that practical tips and views on conducting field surveys are widely shared. \end{abstract} Key Words: questionnaire survey, inquiry response, research ethics ## 1. はじめに 対象者の協力を必要とする調査は, 医学, 看護学, 心理学, 経済学, 社会学, 環境学など, 様々な分野で行われてきた。公衆衛生分野における研究デザインについては, 世界的に著名な Gordisに よる疫学の書籍が利用可能であり(英語の最新版は第6版(Celentano and Szklo, 2019), 日本語訳版では第4版(Gordis et al., 2010)が刊行済み), また, Rothmanの書籍も多く出版されている (Rothman, 2012)。社会学の分野では, 社会調査法入門(盛  山,2004)などにて, 調査の企画, 調査票の設計や構成方法,サンプリングや実施方法などが丁寧に記されている。さらに,2021年に4版が刊行された入門・社会調査法(薫ら,2021)のように, オンライン調查も含めた様々な調査方法の特徴,問い合わせ対応やフィードバック, お礼の仕方における基本的な考え方, 具体的な催促状の書き方まで記された書籍も出版されている。 その一方で, このような対象者の協力を必要とする調査において,例えば,対象者からの問い合わせに対して具体的にどのように対応するとよいのか,調査について事前に関係者に周知するべきことは何か,対象者にどのようにインセンティブやフィードバックを与えるかといった事柄は,対象者と研究者, あるいは研究者の関係者間での無用な対立を未然に防いだり,研究者や科学に対する対象者の信頼の喪失を回避したりするために重要であるのにもかかわらず(Kobayashi et al., 2020; Murakami and Tsubokura, 2021), 研究者やその研究室において暗黙知となりやすい。公衆衛生の実務家の活動に打いても,住民を対象とする調査を行う際の姿勢や倫理観といったことは, on the job training (OJT)を通じて「伝承」される部分が大きい。 2017年の個人情報保護法改正に伴って,「人を対象とする医学系研究に関する倫理指針」と「七トゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針」が統合される形で,2021年に「人を対象とする生命科学・医学系研究に関する倫理指針」として制定された他(さらに2022年に一部改正(文部科学省ら, 2022)), 昨今では, オンライン調查の汎用化など,対象者の協力を必要とする調査を取り巻く環境に変化が生じている。また, 近年, 災害リスクが増加する中で,災害後の研究者の倫理的行動規範の観点 (Gaillard and Peek, 2019) からも対象者の協力を必要とする調査における注意事項と対応方法について整理することは有用である。 そこで,本稿では,著者らの経験を踏まえて,対象者の協力を必要とし, 特に調査票を用いる調查について, 調查開始前の注意事項, 調查時における対応方法, 対象者へのインセンティブ及びフィードバックの観点からまとめる。 ## 2. 調査開始前の注意事項 ## 2.1 倫理審査 対象者の協力を必要とする調査のうち, 医学系研究に関しては, 上述の「人を対象とする生命科学・医学系研究に関する倫理指針」に従い, 一般に, 所属機関などの倫理委員会の審査を経てから研究を進める。人文社会系の研究でも, 個人情報を取り扱う調査などの場合は, リスク学研究も含め, 多くの学術雑誌で所属機関などの倫理委員会の承認を得ることを前提とする。所属機関によっては倫理委員会がないこともあるが,そのような場合には, 所属機関外の倫理委員会の審査を利用するのが一つの方法である。「学外倫理審査」 などと入力して検索すれば, 医学系研究に関しては, 学外研究者が実施する研究についての審査の委託を受け付けている倫理委員会を見つけることができる(ただし,研究内容によっては受け付けない場合もある)。 倫理審査の対象外となる研究もあり, (1)既に学術的な価値が定まり, 研究用として広く利用され, かつ, 一般に入手可能な試料 ・情報, (2)個人に関する情報に該当しない既存の情報, (3)既に作成されている匿名加工情報,は「人を対象とする生命科学・医学系研究に関する倫理指針」の適用外である(文部科学省ら,2022)。 ## 2.2 調査票などの作成上の注意 調査時には, 調査票だけではなく, 調査に関する説明文書も付けるなどして, 研究の意義, 研究対象者として選定された理由, 研究期間, 研究への参加が任意であり研究に同意しなくても不利益を被らないこと, 研究参加による利益と予測されるリスク, 調査の公表方法やフィードバック, 個人情報の扱い,研究資金源,問い合わせ先などを説明する。ただし,調査会社に委託して行うオンライン調查の場合には, 対象者と研究者が直接連絡することを避けるために, 問い合わせ先に研究者名やその連絡先を記載しない仕様となっている調査会社もある。注意すべきは, 調查を計画して実施する過程を通じて地域との信頼関係を構築し,地域の様子を深く知ることが求められる場合は,研究者の顔が見えるようにする方が好ましく, 調查をすること自体の目的を計画時から十分に吟味する必要があるという点である。 調査にあたっては, 対象者(場合によってはその代理人)の同意を得て実施する。調查票内にチェック欄を設けることで同意の意思確認をする他に,同意書に対象者が署名する方法もある。 調査票の質問項目は, 科学的合理性を持ちなが らも,対象者に不快感や負担をもたらさないように,内容と量をよく吟味する。質問項目によっては,設問文の作成者の許諾を得たり,購入してから使用したりする必要があるものもある。年収,学歴など, 機微に触れるような質問については,「答えたくない」といった選択肢を設けることも重要である。性別については,「ご自身の認識でお答えください」といった文言とともに,「その他」や「決めたくない」といった選択肢を設けたり,自由記述にすることも検討する。 質問項目は,対象者が回答しやすいような順番で構成するのが原則だが,質問項目の順番によって回答に影響が生じるようなこと (キャリーオー バー効果と呼ばれる)がないようにする必要がある。対象者の属性に応じてわかりやすい文章にする他,ユニバーサルデザインフォント(Wordなど使用可能なフォントの場合, UDと書かれたフォントが該当する)を用いるといった工夫も施す。 調査票の原案を作成したら, 対象者の属性に近い方々に事前に試しに回答してもらい,回答に要する時間やわかりにくい表現がないかを確認するとよい。調查の原案を作成して試す過程のやり方によっては, 研究事業への対象者の参加を推進することもできる。この点について,以下に詳しく述べる。 ## 2.3 協力機関・協力者との連携 調査によっては, 研究者の他に自治体や対象者と研究者をつなぐ媒介者と連携する場合もある。 これらの協力・連携関係は, 調査の内容を充実させ,調査への信頼性を高め,回答率を高めるとともに, 対象者の心理的な負担感を軽減する役割も持つ。上記の通り調査票の原案を作成する段階から対象者と対話すると,本人たちも知りたい内容を盛り达め,より現状に沿った調査内容となり, その結果を対象者に還元しやすくなる。共同で調查票を作成することまではできなくても,前述のように回答しやすさや不快感をもたらすような設問文がないかなどの確認をしてもらうとよい。また訪問調査を行う場合には,事前に媒介者と一緒に対象地域の自治会長などの集団を統括する長に趣旨説明を行うとともに,調查の対象地域にあった形の調査方法について助言をもらうことが有効である。事前に調查に関して回覧板を回してもらうという方法も協力を促す上で有効である。 ## 3. 調査方法と調査時の対応方法 3.1 対象者の選定方法と調査方法の種類 対象者の選定方法は, 住民基本台帳や選挙人名簿などを用いた無作為抽出法の他に,スノーボー ルサンプリング法(研究者の知り合いから対象者を選定し,そこからさらに対象者を紹介してもらうことで対象者を集める)などがある。また, 集合法(説明会や授業など特定の場所に集まった対象者に回答してもらう方法)は後述する調查方法の一つであるが,説明会や授業など特定の場所に参加した人が対象者であるという特性を持つため,実質的には対象者の選定方法の一つとみることもできよう。昨今では,オンライン調查会社に登録されたモニターを対象に行う調査もしばしば利用される。研究目的にもよるが, 調査票を用いた調査では,無作為抽出法や集合法を中心とする一方,質的データを収集するインタビューではスノーボールサンプリング法を用いることもある。調査票を用いた調查の後で,回答者の一部にインタビューで訪ねることもある。また,オンライン調査会社のモニターにインタビューを行うことも可能である。本稿の主眼は調查票を用いた調查であるが,本節の末尾にインタビューを用いた方法についても簡単に言及する。 調査票を用いた調査方法には, (1)個別面接法 (調査員が対象者の自宅などを訪ねて質問することで, 直接回答を得る方法), (2)電話法 (電話帳に記載されている番号やコンピュータによってランダムに生成した番号に調査員が電話をかけて調查を行う方法), (3)留置法 (調査員が戸別訪問し,調查票への記入依頼を行って, 一定期間後に調查票を回収する方法), (4)郵送法(調査票の配布から回収までを郵送で行う方法),(5)集合法,(6)才ンライン調查法,などがある(轟ら,2021)。才ンライン調査法は, 回答の媒体として紙の調査票ではなく,オンライン上の調査票に回答するもので,他の調查方法と組み合わせて行うこともある (例えば,郵送法の際に,紙媒体への回答の代わりにオンライン上での回答も可能とし,URLや QRコードを通知する,など)。 オンライン調查法には, 回答の利便性が高まる,データ入力の手間が省けるといった他に,矛盾回答や欠損回答に対してエラー表示を示すことでデータの質を高めたり,回答時間までの判定などの情報を得たりすることも可能といった利点がある。一方で,上述のように,オンライン調査会 社に登録されたモニターを対象に行う調査も多く行われるようになり, しばしば, 対象者の偏り及び不適切な回答者(注意不足な回答やいい加減な回答を行う回答者)の排除の必要性といった課題がある。とはいえ, 郵送法などの方法と比べて, オンライン調査会社に登録されたモニターを対象に行う調査の方が,必ずしも対象者の偏りが大きいとも限らない。郵送法などの調査方法では, 調査内容に関心の高い人が回答しやすかったり, 回答者と無回答者で特性が異なったりする場合がある(例えば,回答者は無回答者よりも,良好な精神健康を示す傾向にある (Horikoshi et al., 2017), など)が,登録されたモニターを対象に行われたオンライン調査では, 回答者にポイントを付与することが一般的に行われるため, 調査内容に関心がなくても調査に参加するといった利点を持つ。 オンライン調査法と他の調査方法の回答結果の違いを評価したり(岸川ら,2018),その補正方法を検討する調査事例もある(星野,2009)。 不適切回答者の排除については,調査会社に登録された年齢や性別と調査票における回答が一致しなかった場合に排除する方法, 回答時間が際立って短い回答者を排除する方法,設問文に指定した選択肢を選ばなかった回答者を排除する方法 (Oppenheimer et al., 2009; 三浦,小林,2015),ある設問文を反転した設問も尋ねることで矛盾回答を特定する方法, 合理的にあり得ない選択肢(例えば,新聞を毎日すべてのページを隅々まで読む,など)を選んだ回答者を排除する方法, 同じリッカートスケール(多段階の選択肢によって,提示された質問や文章に対する合意の度合いなどを回答する尺度)で構成された一連の設問において全て同じ選択肢を選んだ回答者を排除する方法 (このように同じ選択肢を選ぶ傾向を黙従反応傾向といい, 傾向を得点化する方法もある (Soto and John, 2017)), などがある。調査会社によっては,不適切回答者の特定を試みる設問は, 対象者への信頼を損ねる可能性もあるため, 敬遠されることもある。 インタビューでは, 個別面接法, 集団面接法 (複数の参加者を対象に準備された質問を行い,回答を得る)とフォーカスグループ(複数の参加者を対象にインタビューを行い,対象者間のディスカッションなどを介して,集団ダイナミクスによって意見を抽出する方法)がある。これらの方法の利点, 特徵は既報を参照されたい(千年, 阿部, 2000; 安梅, 2019)。 ## 3.2 対象者からの問い合わせ対応 調査によっては, 対象者から問い合わせが寄せられることもある。特に,郵送法などの場合は,対象者から直接研究者に電話で問い合わせがあることも想定されるため, 事前に対応する担当者を決めておき, 対応マニュアルを作成する。調査が始まったら,いつでも対応できるように,説明文書に記載した問い合わせ先として記載された場所に研究者がいるようにする。問い合わせの中には, 調査に対して否定的であったり, 調査票の送付に対して強い怒りを示されたりする場合もあるため, 対応マニュアルを熟読しておき, 心身を整えて臨むとよい。個別面接法や留置法など, 調査員が対象者に接触する場合には, 研究者と調査員間で事前に問い合わせ対応の仕方を共有する必要がある。また, 昨今では, 個人情報保護への意識の高まりもあり, 調査票やその説明文書に記載された問い合わせ先ではなく, 研究者の所属機関の本部や調査の協力機関(市区町村など)へと問い合わせをする対象者もいる。また, そもそも調査票を開けずに問い合わせる対象者もいる。対象者からの問い合わせが想定されるような関係部署には, 事前に調査開始時期と対応方法について情報共有することが肝要である。 対象者からの問い合わせの代表的な例は, なぜ自身が対象者に選ばれたのか, どこで住所情報を入手したのか, といったものである。これらの説明は同封する説明文書に記載されていても, 口頭でも丁寧に説明できるよう, 事前に回答例を作成し, 練習を積むことが推奖される。例えば,「ご心配をおかけしたことをお詫び申し上げます。この調査票は市区町村の許諾の下で, 調査会社を通じて無作為に選ばれ, 住民基本台帳を用いてお送りしたものです。大学や私たち研究者は対象者の住所やお名前は持ち合わせておりません。」といった回答案を準備しているだけで,ずいぶんと対応がしやすくなる。 しばしば,対象者から調査そのものへの意見が寄せられることもある。このような場合, 研究者側の意見を対象者に伝えると, 対象者の回答結果に影響を及ぼしかねない。また今後の調査や研究に有用な意見であることもあるので,「そのようなご意見はぜひアンケートの自由記述欄にお書きください。」と返答することが一つの例である。 また,対象者から,調査内容に関する研究者の見解について質問が寄せられることもある(例えば,原子力発電所設置に賛成か反対か,など)。 このような場合には,単に回答できないと答えるよりは,研究者の立場を説明することで理解が得られることもある。「私の立場は賛成の方からも反対の方からも,幅広く様々な意見を集めることにあります。い万いろな立場の方からご意見をいたたくという趣旨から,個人的な見解は申し上げることができません。」と述べるのが一つの例である。 問い合わせ対応を経て,対象者の方が調査内容に理解を示し,調查に協力する,といった前向きな意見が寄せられることも決して少なくない。問い合わせ対応を丁寧に行うことは,研究の質を高めるためにも,対象者からの信頼を得るためにも大切な要素である。 ## 3.3 回答の催促とお礼 郵送法などの場合, 回収率向上のために, 催促状を送付することが有用である。一度部屋の隅に置かれた調査用紙が催促状なしに再び思い出される可能性は極めて低い (Damgaard and Gravert, 2018)。匿名性で行われた調査の場合は, 回答者と未回答者の区別ができないため,調査へのお礼と催促を兼ねた文書を送付することになる。 ただし,催促状は,対象者に心理的な負担や,物理的な手間・注意をかけるため,嫌われる (Damgaard and Gravert, 2018)。そのため, 調查への不快感や不信感を招くこともあり, 長期的な調查の場合, 催促状は一時的な回収率を上げつつも, 結果的に調査の送付拒否の増加につながることもあり得る。催促状は必ずしも何度も送ればよいとも限らなく, せいぜい 1-2回の催促が常識の範囲であろう。あるいは,研究機関の情報誌などを配布するなどして,間接的に調查を思い出してもらうなどの工夫が必要である。 ## 4. 対象者へのインセンティブとフィード バック 郵送法などの調査において,対象者の調査協力のインセンティブを生むための一つの方法は, ボールペンを調査票などとともに同封することである (Sharp et al., 2006)。ボールペンの付与は回答の利便性を高め, 回答率上昇につながるものと期待できる。例えば,大学などの所属機関のボール ペンがあるときにはそれを使用することが一つの案である。 この他に,調查に協力した対象者に,謝金や謝礼, 商品に交換可能なポイントの付与を行うことは,調查協力へのインセンテイブを生む。ただし,研究費の種類や研究機関によっては, 謝礼などを受けた方の個人情報の提示を求められることもあり,想定している調査設計を考慮したうえで,謝礼などを提供可能かを事前に確認する必要がある。自治体と共同で実施する調査においては,その地域の住民の生活を支援する立場である自治体の意向を確認して尊重することが望ましい。 また,対象者へのフィードバックとして,サー ビス向上や施策に反映されることが理想的である。そこまで行うことが難しくとも,調査結果をまとめて配布したり,所属機関の自身の研究室のウェブサイトに揭載したり,報告会を開催したりするといった方法もある。とくに,長期的な調査への協力を依頼する場合や,対象地域やコミュニティを絞って実践的な活動を行っている際には, これらのフィードバックは極めて重要な役割を果たす。東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故後には, 災害に関連した調査では, 被災者に対して多数の調査が行われたが,このようなフィー ドバックが対象者から研究者への信頼を高め, 以降の地域での実践活動が円滑に行われることも報告されている(村上,2019)。 ## 5. おわりに 本稿では,対象者の協力を必要とする調査について, 調查開始前の注意事項, 調査方法と調査時の対応方法, 対象者へのインセンティブとフィー ドバックを中心に,著者らの経験も踏まえて言及した。調査を実施すること自体が対象者との協働を生み出し,介入効果を生み出すことも可能である。また, 調査が事業推進の原動力になることもある。そのため, 研究者やその研究室において暗黙知となりやすいようなことについても,具体的に記述することを意識して記述した。一つひとつの技術の実践や作法の積み重ねは, 研究や地域活動の質を高めたり, 研究者と対象者や関係者の間での無用な対立や誤解を回避できたり, 研究者や科学全般への信頼感を高めるために重要であろう。対象地域での実践活動など研究成果の社会実装が進められる中で, 今後も,このような知見や見解の蓄積を広く共有していくことが期待される。 ## 謝辞 本研究は, 環境省・(独)環境再生保全機構の環境研究総合推進費(JPMEERF22S20930)により実施した。本原稿作成にあたり, 大阪大学感染症総合教育研究拠点中谷伸二氏から有益なコメントを頂戴した。ここに謝意を示す。 ## 参考文献 Anme, T. 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# リスク学研究 32(2): 193-195 (2023) Japanese Journal of Risk Analysis doi: 10.11447/jjra.SRA-L322 【レター】 # リスク学研究 31 巻 2 号p. 103-111 の新規性および 修正箇所に関する補足説明* Supplementary Description on Novelty and Modifications of Japanese Journal of Risk Analysis, 31(2), 103-111 ## 平山 奈央子** ## Naoko HIRAYAMA 著者が執筆した2本の論文について, リスク学研究 31 巻 2 号に掲載された平山 (2021a)(以下,本誌論文) が他誌の平山 (2021b)(以下,既報)と同一内容ではないか,とのご指摘をいただいたため本誌論文の新規性と修正箇所を説明する。 既報は, 新型コロナウイルス感染拡大防止が急務な状況下であった当時, 感染拡大状況が異なる地域における個人の感染予防対策の実施状況について,一般市民や政策担当者向けに速報的に紹介することを意図して執筆したものである。また,既報では,共分散構造分析を用いた試行的な分析の途中経過を報告した。 ## 1. 本誌論文の新規性と既報との相違点に ついて 既報において, アンケート調査の地域別の単純集計結果を報告するとともに,共分散構造分析を用いた試行的な分析を実施し,規範意識と行政への信頼, リスク認知の3つの要素が感染症対策に与える影響を確認した。しかしながら,これら 3 つの要素以外, 例えば, 感染症に関する情報源,健康状態, 生活困窮度, 未知リスクへの不安などの基盤的要因が感染症対策の実施に影響を与えていることが考えられ,その点について既報では明らかにされていない。 本誌論文では, 感染予防行動に至る基盤的要因 を含めた意識構造の全容について明らかにすることを目的としている。なお,本誌論文の分析の核となる共分散構造分析の仮説モデルは, 先行研究による知見から仮説モデルを設定し,基盤的要因として行政情報, 行政への信頼, 知識, 健康への自信,生活困窮度,未知性への不安を最下層に加えた3階層のモデルとなっている(本誌論文, Figure 1)。本誌論文では, Figure 1の最も左にある「基盤的要因」の6つの構成要素がどのような経路をたどって対策実施頻度と外出頻度に影響を与えるのかを明らかにした点に,特に新規性がある。なお, 共分散構造分析においては, 階層や構成要素の追加によるモデル構造の変更があった場合, 全ての分析プロセスを再度行う必要があるため,既報の結果を利用することはできない。分析の結果,本誌論文で新たに明らかにすることができた重要な結論は次の2点である。 ・行政情報を確認する,行政を信頼している人ほど規範意識が高く, それらの人は外出を控える傾向にある ・行政情報を確認する, 知識点数が高い, 健康に不安がある, 生活困窮度が高い,新型コロナウイルスの未知性に対する不安が大きい人ほど感染リスクを高く評価し,それらの人は手洗いや換気などの感染症対策を実施する傾向にある 特に, 既報では「規範意識」と「リスク認知」  が感染予防行動に影響を与えることを確認したが,本誌論文ではそれら2つに影響を与える要因を明らかにしたことに新規性がある。 また,共分散構造分析では仮説モデルの設定根拠が重要である。本誌論文では新型コロナウイルス感染症だけではなく一般的な感染症のリスク認知に関する先行研究もレビューの上で仮説モデルを設定し,「2.1仮説モデルの設定」にその根拠を示している。本仮説モデルの特徴は 2.1 の最終段落に示す通り,リスク認知や感染症リスクに関する先行研究の知見が新型コロナウイルスに適用できるのかを確認すること,また,影響を与える可能性のある「全ての」構成要素間において直接的・間接的な関係を確認したことである。この点についても,本誌論文が既報と明らかに異なる重要な点である。 以上の点から,本誌論文は既報とは異なる新規性を有する論文である。 ## 2. 修正箇所の説明 本誌論文と既報では, 一部, 同一のアンケートデータを分析に使用しているが,本誌論文の初稿投稿時点において既報は未公表であったため, データに関する記述の重複や引用に不十分な点があった。また, 本誌論文と既報との相違点を明確にするため,下記の修正を行う。具体的な加筆・修正箇所を.......... 内に下線で示す。 ## 2.1 既報による知見の加筆 既報による知見を「2.1 仮説モデルの設定」 に記載する。また, 地域の感染拡大状況によって規範意識やリスク認知が異なる可能性について既報を参考文献として追加する。 ## 〈p.104右段下から7行目に加筆〉 …規範意識などがドライバーの速度規制遵守意識に,平山(2021)は新型コロナの感染非拡大地域では規範意識が外出頻度に影響を与えることを明らかにした。 〈p.104右段下から2 行目に加筆〉 一影響を与えることを,平山(2021)はリスク 認知が新型コロナの予防対策の実施頻度に影響 を与えることを明らかにした。 〈p.105左段下から 2 行目に加筆〉 …想定される (平山,2021)。 ## 2.2 本誌論文と既報の相違点に関する加筆 $「 2.1$ 仮説モデルの設定」の第4段落において,既報で未解明の内容について記載するとともに,先行研究の知見から設定した基盤的要因の影響を確認することを記載する。 〈p.105左段 35 41 行目の修正〉 ‥を明らかにした。异らに,平山(2021)は新型コロナについて,知識が[リスク認知]を介して予防対策の実施頻度に影響を与えるとしたが,知識以外の要因が[リスク認知]に与える影響については明らかにしていない。以上の通 $り$, 感染症対策に与える直接的执よび間接的要因は十分に明らかにされていない。本研究では,前述した[行政情報][行政への信頼]を含め [知識 $]$ [健康への自信 $]$ [生活困窮度 $]$ [未知性の不安] 基盤的要因として,それらがリスク回避行動に直接的に,‥ また,「2.1仮説モデルの設定」の最終段落の冒頭で既報のモデル構造を紹介した上で本誌論文の仮説モデルの特徴を記載する。 $ \begin{aligned} & \langle p .105 \text { 右段 } 2 \text { ~行目の修正〉 } \\ & \text { 平山 (2021) では規範意識と行政への信頼, } \end{aligned} $ リスク認知の3つの要素が感染症対策に与える影響を確認した。これに対して,本研究では一般的なリスク認知や感染症リスクに関する先行研究の知見からリスク回避行動に影響を与える基盤的要因として [行政情報] [行政への信頼] [知識][健康への自信][生活困窮度][未知性の不安]を設定した。本研究の仮説モデルの特徵は,それら基盤的要因が新型コロナに適用できるのかを確認すること, ‥ ## 2.3 分析使用データに関する修正 分析に使用したデータについて,既報を引用する。また,地域別の集計結果を示していたFigure 2 と Figure 3を全デー夕の集計結果に修正し,それに伴い「3.1 感染症対策の実施や外出自粛に関する結果」のグラフの説明文を修正する。 Figure 2 Frequency of preventive measures for infection 【毎日曰ほとんど毎日ロ週の半分以上ロ2,3日日1日のみ【全〈外出しなかった Figure 3 Frequency of self-imposed isolation 〈p.105右段 11 行目に加筆〉 本研究では平山 (2021)のアンケート調査から 得られたデータを使用した。ただし,同論文と はモデル構造が異なるため,分析に利用する項 目が一部異なる。調查概要として,新型コロナ感染拡大下における… 〈p. 1063.1 第1 段落の修正〉 感染症対策として, マスクの着用など 4 種類の対策実施頻度に関する集計結果を Figure 2 に示す。図より,マスクの着用と石壑での手洗いは約 70\%の回答者がいつも実施しているのに対し,換気と消毒の実施頻度は比較的低いことが分かる。また, 3 月中旬から半月ごとの 1 週間における外出頻度を Figure 3 に示す。前述した通り,調査対象期間中は日毎に感染者数が増加していたこともあり,期を経るにつれて外出頻度が低くなる傾向が見られた。なお, これらの対策実施状況は地域の感染拡大状況によって異なっていた (平山,2021)。 $\langle$ p. 109 左段 $22 \sim 23$ 行目の修正〉 (中谷内ら,2021)。平山 (2021)の報告の通り, なお,本誌論文の Table 1 は分析に必要な全回答データの平均値および標準偏差を掲載しており,共分散構造分析の前段階の分析過程を示すために必要な情報である。既報の表 1 では地域別の単純集計結果を示しており記載内容は重複しない。 ## 2.4 参考文献の追加 参考文献に既報を追加する。 Hirayama, N. (2021) Factors affecting preventive measures against COVID-19 infection depending on outbreak situation, Review of Environmental Economics and Policy Studies, 14(1), 43-46. (in Japanese) 平山奈央子 (2021)新型コロナウイルス感染拡大時期における感染予防対策の実施に影響を与える要因,環境経済$\cdot$政策研究,14(1), 43-46. ## 参考文献 Hirayama, N. (2021a) Factors Affecting Preventive Behaviors against COVID-19 Infection, Japanese Journal of Risk Analysis, 31(2), 103-111. (in Japanese) 平山奈央子 (2021a) 新型コロナウイルス感染症拡大防止のための感染予防行動に影響を与える要因, リスク学研究, 31(2), 103-111. Hirayama, N. (2021b) Factors affecting preventive measures against COVID-19 infection depending on outbreak situation, Review of Environmental Economics and Policy Studies, 14(1), 43-46. (in Japanese) 平山奈央子 (2021b) 新型コロナウイルス感染拡大時期における感染予防対策の実施に影響を与える要因,環境経済・政策研究,14(1), 43-46.
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# 【情報】 ## 第23回福島ダイアログ ## 「処理水をめぐる課題を福島で考える 世界と考える」報告* ## Report of the $23^{\text {rd }$ Fukushima Dialogue "Sharing about the issues of the ALPS-treated water at Fukushima Daiichi NPP"} ## 安東 量子** Ryoko ANDO \begin{abstract} The 23rd Fukushima Dialogue, a stakeholder meeting to discuss treated water from TEPCO's Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant, was held in Naraha-machi, Futaba-gun, Fukushima Prefecture, in November 2021. Stakeholders from local communities and experts participated in the dialogue, as well as participants from overseas via an online connection. What emerged from the discussions were the issues regarding the decision-making process. This report provides a summary of the Fukushima Dialogue. \end{abstract} Key Words: Stakeholder involvement, Fukushima nuclear accident, Risk Communication, Fukushima Dialogue ## 1. はじめに 2021 年 11 月 28 日福島県双葉郡楢葉町「ならは CANvas」を会場として,第23回福島ダイアログが開催された。福島ダイアログは, 2011 年の東京電力福島第一原子力発電所事故を受けて,国際放射線防護委員会(以下,ICRP)が2011年 11 月から継続的に開催してきたICRPダイアログを前身とし,2019年よりNPO福島ダイアログが開催を引き継いだステークホルダー会議である。 ICRP 主催時代から, 開催数は 22 回を数え, 今回で23回目の開催となった。(Lochardら, 2019) NPO 福島ダイアログは, ICRPダイアログ時代から運営に携わっていた地元のメンバーが中心となり,2019年に設立された。メンバーは,会員・賛助会員含めて 25 名(2021年 11 月現在), 福島夕゙ イアログの開催とICRP時代を含めたダイアログの記録整理や公開,広報などを行っている。 ダイアログは, ICRP時代から原発事故後の被災地域の生活回復に焦点をあて,短い期間で大きく変動する被災地のその時々の状況にあわせたテーマを選定し,地元のみならず国内外のステー クホルダーが状況を共有し, 話し合う場として開催されてきた。時には,帰還をめぐっての議論など難しいテーマも取り上げてきたが,今回は, 2021 年 4 月 13 日に政府が海洋放出を決定した東京電力福島第一原子力発電所の処理水をテーマとした。NPO内部では, 政府決定以前から処理水をテーマとしたダイアログを開催する予定で,コロナウィルス感染の状況を見計らっていたのたが,政府決定の方が先となった。本来であれば,政府決定前に開催することが望ましかったが, 決定後であっても開く意義は高いと判断し, 開催することとした。  ## 2. ダイアログの構成と方法論 ダイアログは, これまでは連続する二日間の日程で行われてきた。2015年までは, 午前中は情報提供と状況共有のための 20 分の発表が平均 8 本程度行われ,午後は参加者による構造化された話し合いである「ダイアログ」(以下,会議名称のダイアログと区別するため「ダイアログ」と表記)が2日連続で行われた。2016年以降は,1日目に現地視察を加え, 2 日目のみ会場で上記構成で会議を行う形式も取り入れた。これは,当初は避難指示が出ていなかった地域の生活再建をテー マとすることが多かったが, 時間が経過し,避難指示対象となった地域を取り上げることが增えてきたためだ。避難指示が出た地域は,そうでなかった地域と比べると, 状況の変化が著しく, 話し合うにしても現実の状況を共有しなければ実情に即した話し合いができないと判断したことが理由だった。 会場開催日に行われる「ダイアログ」参加者は平均して15名ほどで, 多くとも 20 名までとした。 この話し合いの方法論は,当初から採用していたもので,IDPAメソッドとの名称で呼ばれる。欧州委員会では, チェルノブイリ原発事故後に, 原子力災害時の非常事態対応と放射能影響地域の長期的な回復を戦略的かつ方法論的に開発することを目的としてEURANOSプロジェクト(20042009)を立ち上げられた。そのなかで構造化された議論の方法論として開発, 実践されたのが IDPAメソッドになる。(Dubreuil ら,2010)この開発にあたって,それ以前の欧州委員会等のプロジェクトでチェルノブイリの被災地支援を行った現地経験も踏まえられている。IDPAという名称は, 「Identification」「Diagnostic of the action taken 「Prospective」「(Proposals for) Actions」という 4 つのステップの頭文字をとったものである。すべてのステップを十分に行う場合は, 1 週間に及ぶ話し合いが行われることになるが,それぞれのステップは簡略化することも可能で, 当初からダイアログで採用されたのは, 前半の 2 つのの簡略化されたステップになる。 「ダイアログ」では, 1 人のファシリテーター が参加者全員にひとつの共通の質問を行う。参加者は, 同じ割り当てられた時間だけ順に質問に回答していく。途中で議論は行われず,また発言中に話を遮ることは認められていない。ほかの参加者との議論も行われない。全員が一巡したあとに ファシリテーターが話をまとめ,さらに同じように質問を出す。こうした形式を何巡か繰り返していくのが「ダイアログ」の進め方である。 今回は,コロナウィルス感染が続いていることから,オンラインと現地会場を併用した。参加者のうち会場に来られる人だけ現地会場に来てもらい, 一部参加者及び海外加のの参加者, そして視聴者はオンラインを利用した。また, 開催日程も 1日のみとした。同時通訳をまじえ,海外からの発表と試聴も可能とし, オンラインで配信された内容は録画し,後日NPO福島ダイアログのサイトにて公開した(NPO福島ダイアログ,2021)。 ## 3. 第23回ダイアログの概要 前半は 20 分ずつ 8 本の発表が行われた。まず福島大学の小山良太氏から処理水問題のこれまでの経緯について説明をしてもらい, 全体の状況を共有した。ついで, 地元の漁業者, 海沿いの観光業者, 農業関係者からの発表をそれぞれ行ってもらった。これらの産業は, 処理水を海洋放出するにあたってもっとも影響を受けることになることが想定されるため,重要なステークホルダーとして参加を依頼した。 準備の過程では,地元の小売業や仲卸業などにも参加依頼をしたが,公開の場で処理水について発言することの社会的反響を懸念し, 辞退されることも複数件あった。だが,主張したいことがないというわけではなく,言いたいことはあるが,以前に発言した際に, 周囲から心無い批判を浴びせられ,商売への影響も危惧される状況になった経験があり,断念せざるを得ない,との返答もあった。安全に語ることができる場を確保することの重要性を痛感することとなった。 発表の後半は, 海外の事例紹介と専門家の取り組みとして日本保健物理学会からの活動紹介があった。海外からは, 処理水放出について特に反応が大きく伝えられている韓国の放射線防護の専門家から, 韓国での福島事故の伝えられ方と国民の受け止め, 原発への賛否をめぐって情報が大きく誇張される状況について発表があったほか,カナダのウラン污染水の処理をめぐって福島第一原発の処理水同様, 住民と事業者・行政との間で係争が起きたこと,その際に実施された対応策とその裏付けとなっている原則について報告があった。また, フランスでは, 原子力立地域周辺では地域情報委員会 (CLI)の設立が義務付けられてお り,その全国協議会 (ANCLI)からの報告があった。1977年に起源とするCLIは,2000年代を通じて組織整備が続けられており,2015年に法制化されている。 後半の「ダイアログ」は,参加者8名によって行われた。前半の発表者のうち3 名が抜け,「ダイアログ」のみの参加者 3 名が加わった。福島県内加の参加者 5 名, 専門家 2 名, 海外 1 名の構成で,処理水の処分が長期にわたることを鑑み,参加者の世代を 40 代をボリュームゾーンとして上下となるように選定した。また,賛否をあらかじめ表明してしまうと立場論に膠着した議論となることが予想されるため, 処理水の海洋放出の賛否を議論するものではないことを周知した。事前に地元の関係者からのヒアリングも行ったが,その際にも,多くの人から聞かれたのは,「放出決定よりも前に話すことがあったんじゃないだろうか」といった結論を出す以前の議論が欠けていることを示唆するものであったため,この方針を採用することとした。 ファシリテーターからの最初の質問は,「処理水について現在どのような点が問題であると思うか, またその理由について話して下さい」とした。 回答は多岐に渡ったが,大きく見ると意思決定プロセスの問題への指摘と現実的な対処に関する課題とに大別された。政府・東電が主張する安全性や, 廃炉の過程で処理水を処分する必要性について,疑問は出たものの強く否定する声は聞かれなかった。一方, これまでに政府や東電が地元の意見を踏まえた意思決定を行ってこなかったなかで, 自分達の意見はいずれにしても聞いてもらえないといった諦めの声もあった。とはいえ,必ずしもそれが無力感につながるのではなく, 自分達の生活は自分達で守らなくてはならないからできることはしていく,という対処への意志も同時に示された。またこれまでの賠償のあり方が本当に適切なのか,もっと産業が活性化していくあり方にすべきではないかといった具体的な指摘もあった。海洋放出にともなって危惧されている風評に対しては, 県内よりも県外の認識が問題であること,これまでの対策の積み重ねができていないことなども指摘された。県内外で温度差も情報差もあるが,それのみならず,県内でも沿岸部とそれ以外の地域では同様であることも語られた。また,そもそも政府と東電に信頼がないことが,繰り返し表明された。海外からは, 自分達の過去の経験から信頼の構築プロセスには非常に長く時間がかかること,原発事故に対する疲れがあるのではないかとの指摘があった。 この議論を受けて,ファシリテーターからは,「質問 2 ; 政府, 東電, そして県外の人に望むこと」を2番目の質問として問うた。当初用意していた質問は,「他の方の意見を聞いて,現状をどのように改善していくのがいいと思いますか。またそのようにするにはどうすればいいと思いますか」というものであったが, 一巡目の議論のなかですでに質問2の回答を多くの人が述べていたため,一巡目が終えたあとの判断で質問を変えることにした。 二巡目の議論のなかでは,意思決定プロセスについてさらに議論が深められた。意思決定を行うにあたって,住民と意思決定者では役割が異なることからどうしても距離感が生まれてしまう一方,それぞれが果たすべき役割があるという指摘,意思決定の正当性を支えるのはそのプロセスであること,またこうした課題は処理水や廃炉にかかわるだけではなく, 社会問題では広く起こりうることなので,福島から意思決定のモデルケー スとして哲学を打ち出していければいいのではないかとの意見もあった。さらに具体的に, 一度放出が決定しても, 不備が見つかれば止めるなどの対応を用意することも必要ではないかとの指摘もあった。海外からは, こうした問題は一筋縄ではいかず,長期的な取り組みが必要とされるとの経験を踏まえた意見も寄せられた。補助金のありかたが,被災事業者の再建に適した形になっているのかという現実的な指摘に加え,こうした社会的な係争が起きているのは福島だけに限らない, もっと広い視野で考えていくことの必要性もあるのではとの指摘もあった。 ## 4. 感想 処理水放出については, メディアで既に繰り返し伝えられていたが, ダイアログで共有された意見は,それまでメディア上ではほとんど伝えられることがなかったものであったことが, 強く印象に残った。これは,ひとつにはステークホルダー が重視しているのは, 処理水の海洋放出に対する賛否の結論のみでなく, 自分達の生業や生活のさまざまな側面に及ぶ影響であるからだと考えられる。一方,メディアはあらかじめ「賛成」「反対」 の結論を立て,それに沿った伝え方をしていくた め,それ以外の意見は自然と伝えられないことになる。そして,このことは,処理水処分に関して公に取り上げられている課題と,実際上の課題が大きく乘離していることを示唆しているように思われた。つまり,対応すべき課題設定であるフレーミング設定にそもそもの齯龆があることを窨わせる。この背景には,污染水処分についての意思決定のプロセスにステークホルダーが加えられることなく,専門家委員会や政府の一方的な決定によって進められてきたことに原因があると思われる。ステークホルダーの意見を波み取る機会が用意されなかったがために,対応すべき課題設定そのものが現実に即したものとなっておらず,そのことが余計に住民と政府・東電との意思踈通を困難とさせ, 問題を難しくしていっているのではないかと感じさせるものだった。ステークホルダーの意見は,自分自身の生活実態や直面する現実に即しているがゆえにその範囲においてはきわめて理性的であり,しばしば深い洞察に富んでいる。もっと早くにステークホルダーの意見を組み入れる機会があれば,経過は大きく異なったのではないかと思わずにはいられない。 ## 謝辞 第 23 回福島ダイアログは, 日本保健物理学会,日本リスク学会, フランス放射線防護評価研究所 (CEPN), フランス放射線防護・原子力安全研究所(IRSN)の協賛を得て開催された。また運営にあたって多大なご協力をいただいた佐々木道也氏,河野恭彦氏には心から御礼申し上げる。 ## 参考文献 Lochard, J., Schneider, T., Ando, R., Niwa, O., Clement, C., Lecomte, J. F., and Tada, J. I. (2019) An overview of the dialogue meetings initiated by ICRP in Japan after the Fukushima accident, Radioprotection, 54(2), 87-101. DOI:10.1051/ radiopro/2019021 Dubreuil, G. H., Baudé, S., Lochard, J., Ollagnon, H., and Liland, A. (2010) The EURANOS cooperative framework for preparedness and management strategies of the long-term consequences of a radiological event, Radioprotection, 45(5), 199213. DOI:10.1051/radiopro/2010026 NPO Fukushima Dialogue (2021) 28 Nov.,2021, Record of Fukushima Dialogue. http:/fukushimadialogue.jp/bk/202111_dialogue_record.html (Access: 2022, July, 17) (in Japanese) NPO 福島ダイアログ (2021) 2021 年 11 月 28 日福島ダイアログ記録, http://fukushima-dialogue. jp/bk/202111_dialogue_record.html(アクセス日: 2022年7月17日)
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# 【特集:2022年度年次春季シンポジウム 情報】 ## 気候変動に関する地球規模でのリスク評価* ## Assessment of Global-Scale Risks of Climate Change ## 高倉 潤也** Jun'ya TAKAKURA \begin{abstract} Climate change poses various risks to nature and society on a global scale. Nations have agreed to keep the increase in the global mean temperature well below 2 degrees Celsius by achieving net-zero greenhouse gas (GHG) emissions. While achieving net-zero GHG emissions is inevitable to minimize the risks caused by climate change, it is not the only way to reduce the risks, and it does not cancel all of the risks related to climate change. Moreover, attempts to reduce GHG emissions can also pose non-negligible risks. Considering its spatially and temporally broad impacts on multiple domains, integrated assessments of the risks, including value judgement, is necessary when we tackle the issues related to climate change. \end{abstract} Key Words: Climate Change, Mitigation, Adaptation, Trade-off, Synergy ## 1. はじめに 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)による第6次評価報告書が2021年から2022年にかけて公表された。2013年から2014年にかけて公表された第 5 次評価報告書では「地球温暖化の主な原因は人間活動である可能性がきわめて高い」という表現であった (IPCC, 2013)が,第6次評価報告書では「人間の影響が気候システムを温暖化させてきたのは疑う余地がない」とより断定的な表現となった(IPCC, 2021)。気候変動(本稿では,人為起源の気候変動・地球温暖化のことを指す) によるリスクは既に顕在化してきており,更に将来のリスクも存在する。また, 気候変動は地球規模で起きる現象であり世界全体が影響を受けること,数十年から数百年にわたる長期間の影響であること,という特徴があるため,それに応じたリスク評価と対処が必要となる。 気候変動への対策と言われれば,二酸化炭素な どに代表される温室効果ガスの排出削減により気候変動を食い止めることであると理解している方も多いと思われる。この理解は決して間違ってはおらず,これは気候変動に対する対策のうち「緩和策」と呼ばれるものに相当する。2016年の COP21で採択されたパリ協定においても, "Holding the increase in the global average temperature to well below $2^{\circ} \mathrm{C}$ above pre-industrial levels and pursuing efforts to limit the temperature increase to $1.5^{\circ} \mathrm{C}$ above pre-industrial levels, recognizing that this would significantly reduce the risks and impacts of climate change;(世界全体の平均気温の上昇を工業化以前よりも摂氏二度高い水準を十分に下回るものに抑えること並びに世界全体の平均気温の上昇を工業化以前よりも摂氏一。五度高い水準までのものに制限するための努力を、この努力が気候変動のリスク及び影響を著しく減少させることとなるものであることを認識し  つつ、継続すること。)”という文言 (UNFCCC, 2015,日本語は外務省訳に基づく)があるように気候変動による気温の上昇を産業革命前と比べて $2^{\circ} \mathrm{C}$ 未満, できれば $1.5^{\circ} \mathrm{C}$ 未満に抑えようというのが国際的にも合意されている目標である。そして,この目標を達成するためには 21 世紀の中盤までに人為起源の温室効果ガスの排出実質ゼロ (ネットゼロ排出)を達成することが必要とされている。日本政府も2050年までにネットゼロ排出を実現するという目標を揭げた。 ネットゼロ排出の達成は重要な目標であるが,一方で注意が必要なのは, ネットゼロ排出の達成はあくまで気候変動によるリスクを低減するための手段の一つであり目的ではないということである。また,ネットゼロ排出が達成されさえすれば,それだけで気候変動に関するリスクが全て解決するわけではなく,ネットゼロ排出を達成することに伴うリスクも存在するという点にも留意が必要である。本稿では, これらの点について簡単に解説したい。 ## 2. 緩和策と適応策 温室効果ガスの排出を削減することによる気候変動対策を緩和策と呼ぶことは説明した通りだが,緩和策以外に「適応策」と呼ばれる対策がある。緩和策は気候変動の進行を食い止めることにより,気候変動によるリスクを低減することを目指すが,適応策は起こってしまった気候変動に対して対策を講じることでリスクの低減を目指す。 $1.5^{\circ} \mathrm{C}$ 目標・ $2^{\circ} \mathrm{C}$ 目標の話題と比較すると注目されることは少ないが,パリ協定の中にも“Parties hereby establish the global goal on adaptation of enhancing adaptive capacity, strengthening resilience and reducing vulnerability to climate change, with a view to contributing to sustainable development and ensuring an adequate adaptation response in the context of the temperature goal referred to in Article 2. (締約国は、第二条に定める気温に関する目標の文脈において、持続可能な開発に貢献し、及び適応に関する適当な対応を確保するため、この協定により、気候変動への適応に関する能力の向上並びに気候変動に対する強勒性の強化及びぜい弱性の減少という適応に関する世界全体の目標を定める。”のように適応策の重要性は明示されている (UNFCCC, 2015, 日本語は外務省訳に基づく)。日本においても,平成 30 年に「気候変動適応法」 が施行された。 では,具体的に気候変動に対する適応策とは何を指すのであろうか。身近な例を挙げれば,暑い日にはエアコンを使用する,ということも気候変動による熱中症等の健康リスクを低減するための立派な適応策である。ほかにも,農業であれば, より高温に強い農作物への転換や品種改良等が適応策となるし,防災であれば治水の強化や警報システムの整備なども適応策となる。気候変動そのものを解決するわけではないので, いわば対症療法とも言えるものではあるが,気候変動が既に起こってしまった, そしてこれからもその進行を避けることができない世界で我々人類が生き続けていくためには久かすことができない対策である。緩和策であればAという国が実施した緩和策の効果は,A国以外の全ての国が恩恵を受けることになる。そういう意味では,ある国単体で見たときには費用対効果が必ずしも良いとは言えない場合もある。一方で, 適応策であれば, $\mathrm{A}$ 国が実施した適応策の恩恵はもっぱら A 国が享受することができるので,A国単体で考えたときには緩和策に比べて費用対効果が良い対策であると言うこともできる。そして,気候変動への対策に投じることができる資源は有限である以上,緩和策には一切投資せずに適応策のみに投資するということも,自国の利益のみを優先するのであれば,選択肢としてはあり得る。もちろん, これは非常に極端な考え方であり,緩和策と適応策の両方にバランス良く取り組むことが必要であるが,重要なのは気候変動によるリスクを低減させる方法は緩和策だけではないということである。 ## 3. 緩和策の後にも残るリスク Figure 1 は21世紀中の温室効果ガスの排出量についてのいくつかのシナリオ(排出経路)である。そして, Figure 2はこれらの排出経路を仮定したときの全球平均気温の上昇量の気候モデルによるシミュレーション結果である。 この2つのグラフの曲線, 特にSSP1-1.9 や SSP1-2.6の曲線を見て不思議に思う方もいるかもしれない。二酸化炭素の排出量はゼロどころかマイナスになっているにも関わらず,気温が下がっていないではないか?と。温室効果ガスによる気温の上昇量を左右する放射強制力は,その年の温室効果ガスの排出量によって決まるわけではなく,その年までに累積的に排出されて大気中に Figure $1 \quad \mathrm{CO}_{2}$ emission scenarios. SSP1-1.9 and SSP1-2.6 correspond to 1.5- and 2-degree targets respectively. Re-drawing by the author based on IPCC (2021), Rogelj et al. (2021) 留まっている温室効果ガスの総量(濃度)によって決まる。これから先,人類が追加的な温室効果ガスの排出をゼロ(あるいはマイナス)にしたとしても,人類がこれまでに排出した温室効果ガスが大気中に留まっている間は気温はほとんど下がることはない。 $1.5^{\circ} \mathrm{C}$ 目標や $2^{\circ} \mathrm{C}$ 目標は,言葉の文字通り,気候変動による気温の上昇を産業革命前と比べて $2^{\circ} \mathrm{C}$ 未満、できれば $1.5^{\circ} \mathrm{C}$ 未満に抑えようという目標である。裏を返せげ, $1.5^{\circ} \mathrm{C}$ や $2^{\circ} \mathrm{C}$ 未満の気温上昇は受け入れるということでもある。現時点 (本項執筆の2022年)で,既に全球平均気温は産業革命前と比較して約 $1^{\circ} \mathrm{C}$ 上甼している。そし よる影響やリスクが既に顕在化している。ここから更に $0.5^{\circ} \mathrm{C}$ あるい $1{ }^{\circ} \mathrm{C}$ の気温上昇は,更なるリスクをもたらすこととなる。 つまり,緩和策が成功し $2^{\circ} \mathrm{C}$ 目標や $1.5^{\circ} \mathrm{C}$ 目標が達成されたとしても, それによって気候変動によるリスクが無くなるわけではない(もち万ん,緩和策を全く取らない場合と比較すればリスクを小さくすることはできる)。 ## 4. 緩和策に伴うリスク 気候変動による熱波・豪雨・干ばつ等の発生は気候変動が生じたことよるリスクであるが,緩和策を実施することによるリスクも存在する。前者を「物理リスク」,後者を「移行リスク」という呼び方をすることもある。緩和策を実施するためには,例えばエネルギー源を化石然料に依存している社会から,他のエネルギー源を用いる社会へと移行することが必要となる。それ自体は新しい産業の起爆剤となる一方で,化石燃料に依存している産業は業態の転換を迫られることとなる。化石燃料産業や内燃機関自動車産業は移行リスクに曝される代表といえる。 一方でこのような緩和策を実施することによるリスクに曝されるのは,これまでに温室効果ガスを大量に排出し気候変動の原因となってきた産業だけではない。以下,その一例を紹介する。 再びFigure 1 に戻るが,Figure 1のSSP1-1.9や SSP1-2.6の曲線を見て,そもそも何故二酸化炭素の排出量がマイナスの値を取っているのか?と不思議に思われている方もいるかもしれない。これは, $1.5^{\circ} \mathrm{C}$ 目標や $2^{\circ} \mathrm{C}$ 目標を達成しようとする場合,大気中から二酸化炭素を回収することも必要とされているためである。 大規模に大気中から二酸化炭素を回収するための方法として有望視されているもののひとつが Bio-Energy with Carbon Capture and Storage (BECCS) と呼ばれる技術である。植物等を原料につくられる燃料をバイオ燃料と呼ぶ。バイオ燃料も燃焼させると二酸化炭素が発生するが,その二酸化炭素は植物の光合成によってもともと大気中にあったものが取り达まれたものであるので,燃焼させても大気中の二酸化炭素を増やすことにはならない (すなわち,カーボンニュートラルである)。 BECCSでは,ここから更に一歩進んでバイオ燃料を燃焼させた際に出る二酸化炭素が大気中に放出される前に回収(Capture) し,地中などに貯留する(Storage)。このようにすれば,バイオ燃料を生産して使えば使うほど,大気中の二酸化炭素の濃度を減らすことができる。 これだけを聞くと,夢のような技術のように思えるかもしれないが,当然ながら副作用が存在する。大規模な BECCSを導入しようとすれば,バイオ燃料の原料となる植物を生産するために広大な土地が必要となるが,その土地は食料を生産するための農地と競合することになり,国際市場での食料価格の高騰をもたらしうる (Hasegawa et al. 2018)。そして,この食料価格高騰の影響を受けやすいのは,これまで温室効果ガスを大量に排出し気候変動の原因となってきた先進諸国の富裕層ではなく,開発途上国の貧しい人々である。 Figure 2 Simulated global mean temperature based on the emission scenarios (average of multiple model results). Error bars on the right represent uncertainty ranges. Re-drawing by the author based on IPCC(2021), Fyfe et al. (2021) ## 5. トレードオフ/シナジーと価値判断 気候変動に関するリスクを低減しようとすると,様々なトレードオフに直面することになる。 そして,世界で低減しなければいけないリスクは気候変動に関連するものだけではない。パリ協定が採択される前年の2015年には,国連持続可能な開発サミットで「持続可能な開発のための 2030 アジェンダ」が採択され,その中でSustainable Development Goals (SDGs)が目標として定められた。SDGsでは17個の目標が置かれており (Figure 3), その目標の中には13番目の “CLIMATE ACTION”も含まれているが,あくまで17個の目標の中の1つである。先に説明した大規模な BECCS の導入が食料価格高騰をもたらすことは,SDGsの2番目の目標である“ZERO HUNGER”とのトレードオフとなる例である。一方で,気候変動への対策は必ずしも相互作用として悪い方向に作用するものだけではなく,良い方向に作用するもの (シナジー) も存在する。 例えば,エネルギー源を石炭等から別のエネルギー源へと転換することは,二酸化炭素のような温室効果ガスだけでなく, 呼吸器系疾患等の直接的な健康影響をもたらす大気污染物質の排出を低減させることにも寄与する。これは,気候変動対策にはSDGsの3番目の目標である“GOOD HEALTH AND WELL-BEING”に対してシナジー 効果があることを意味する。また,例えばSDGs Figure 3 Seventeen targets in the Sustainable Development Goals (SDGs). Repro- duced under the guidelines for the use of the SDG logo の4番目の目標である “QUALITY EDUCATION” によって,1番目の目標である“NO POVERTY”が達成されれば,それまでエアコンを購入できなかった人々がエアコンを購入できるようになるかもしれない。これは, 気候変動による健康影響を低減することにつながる。すなわち, 適応策としてはシナジー効果があることになる。一方で,エアコンを稼䡃させるための電力エネルギー需要を増大させるので,緩和策の面からみるとトレードオフとなり得る。 「風が吹けば桶屋が儲かる」ではないが, 気候変動に関する問題・リスクはそれ単体で考えることはできず(Yokohata et al. 2019), 統合的なリスク評価が必要である。IPCC 第6次評価報告書の中でも,気候変動対策とSDGsのシナジー・トレー ドオフの問題は取り上げられている(IPCC 2022)。 冒頭でも述べたが,ネットゼロ排出は気候変動に関するリスクを低減することが目的であって, ネットゼロ排出を達成すること自体が目的ではない。更に言えば,気候変動に関するリスクを低減するということも最終的な目的ではなく, 気候変動に関するリスクを低減するということは, よりよい世界を実現するための手段の一つに過ぎない。 一方で,このように問題を捉えたときには,誰にとってのリスクであるのか?誰にとっての「よい」世界であるのかを考えることが必要になる。 A国が排出した温室効果ガスは,A国だけでなく地球の反対側の B 国の気候にも影響を与える。 $\mathrm{B}$ 国で生じた気候変動による影響は,サプライチェーンを通じて地球の反対側の A 国にも影響を与える。2022年に排出された温室効果ガスは, その後も大気中に留まり続け, 2100 年に生きている人々にも影響を与える。 これらを考慮して,全ての人々に対するリスク を最小とする解,あるいは,全ての人々にとって 「よい」世界を実現する解を示すことは困難である。 したがって,何らかの価値判断の下で解を選ぶことが必要になる。リスクそのものの評価を行うだけでなく, どのように価値判断や意志決定を行うかということも,気候変動に関する地球規模のリスク評価を実施する上では重要な課題である。 ## 謝辞 本稿の執筆の一部は,環境省・(独) 環境再生保全機構の環境研究総合推進費 (JPMEERF20202002 及びJPMEERF20221002)により実施した。 ## 参考文献 Fyfe, J., Fox-Kemper, B., Kopp,R., and Garner, G., (2021) Summary for Policymakers of the Working Group I Contribution to the IPCC Sixth Assessment Report-data for Figure SPM. 8 (v20210809). NERC EDS Centre for Environmental Data Analysis, 09 August 2021 DOI:10.5285/98af2184e13e4b91893ab72 f301790db (Access: 2022, September, 22) Hasegawa, T., Fujimori, S., Havlík, P.,Valin, H., Bodirsky, B. L., Doelman, J. C., Fellmann, T., Kyle, P., Koopman, J. F. L., Lotze-Campen, H., MasonD’Croz, D., Ochi, Y., Domínguez, I. P., Stehfest, E., Sulser, T. B., Tabeau, A., Takahashi, K., Takakura, J., van Meijl, H., van Zeist, W. J., Wiebe,K., and Witzke, P. (2018) Risk of increased food insecurity under stringent global climate change mitigation policy. Nature Climate Change, 8(8), 699-703. IPCC (2013) Summary for Policymakers. In: Climate Change 2013-The Physical Science Basis. Contribution of Working Group I to the Fifth Assessment Report of the Intergovernmental Panel on Climate Change, Cambridge: Cambridge University Press. IPCC (2021) Summary for Policymakers. In: Climate Change 2021: The Physical Science Basis. Contribution of Working Group I to the Sixth Assessment Report of the Intergovernmental Panel on Climate Change, Cambridge: Cambridge University Press. IPCC (2022) Summary for Policymakers. In: Climate Change 2022: Mitigation of Climate Change. Contribution of Working Group III to the Sixth Assessment Report of the Intergovernmental Panel on Climate Change, Cambridge: Cambridge University Press. Rogelj, J., Smith, C., Plattner, G. K. Meinshausen, M., Szopa, S., Milinski, S., and Marotzke, J. (2021) Summary for Policymakers of the Working Group I Contribution to the IPCC Sixth Assessment Report data for Figure SPM. 4 (v20210809). NERC EDS Centre for Environmental Data Analysis, 09 August 2021 DOI:10.5285/bd65331b1d344 ccca44852e495 d3a049 (Access: 2022, September, 22) UNFCCC (2015) Adoption of the Paris Agreement, 21st Conference of the Parties, Paris: United Nations. Yokohata, T., Tanaka, K., Nishina, K., Takahashi, K., Emori, S., Kiguchi, M., Iseri, Y., Honda,Y., Okada, M., Masaki, Y., Yamamoto, A., Shigemitsu, M., Yoshimori, M., Sueyoshi, T., Iwase, K., Hanasaki, N., Ito, A., Sakurai, G., Iizumi, T., Nishimori, M., Lim, W.H., Miyazaki, C., Okamoto, A., Kanae, S., and Oki, T. (2019) Visualizing the interconnections among climate risks. Earth's Future, 7(2), 85-100.
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# 【特集:日本リスク学会第35回年次大会情報】 ## 企画セッション開催報告 \\ 除去土壌や除染廃棄物の県外最終処分に向けた課題と 新たな取組み* \author{ Issues and New Approaches for Final Disposal of Removed Soil and \\ Decontaminated Waste Outside the Prefecture } \author{ 保高徹生**, 村上道夫***, 高田モモ**, 大沼進****, \\ 柴田侑秀****, 万福裕造 } ## Tetsuo YASUTAKA, Michio MURAKAMI, Momo TAKADA, Susumu OHNUMA, Yukihide SHIBATA and Yuuzou MAMPUKU \begin{abstract} More than 11 years have passed since the Great East Japan Earthquake that caused extensive damage mainly in the Tohoku region. While reconstruction is progressing in many areas, issues remain concerning the final disposal of more than 13 million $\mathrm{m}^{3}$ of removed soil and decontaminated waste currently stored in interim storage facilities. This session focused on the social acceptability and multidimensional fairness of out-ofprefecture final disposal of removed soil generated by decontamination in Fukushima Prefecture. Although technical studies on the final disposal, such as volume reduction and storage, have made progress, discussions on the social acceptability of various options in the site selection process and the consensus building process have not progressed much. In this session, based on the latest research results on the consensus, we discussed selection process and social acceptability assessment for out-of-prefecture final disposal of removed soil, and future directions. \end{abstract} Key Words: out-of-prefecture final disposal, removed soil generated by decontamination in Fukushima prefecture, social acceptability, multidimensional fairness ## 1. 企画セッションの趣旨 東北地方を中心に甚大な被害をもたらした東日本大震災から 11 年以上が経過した。多くの地域で復興が進む一方,福島県では,原子力災害の復興に取り組む中で避難指示区域の解除, ALPS 処理水の海洋放出,現在中間貯蔵施設に保管されている 1300 万 $\mathrm{m}^{3}$ 以上の除去土壤や除染廃棄物の福島県外最終処分など,課題が残されている。  2011 年の東京電力福島第一原子力発電所(以下,福島第一原発)事故は放射性物質による広範な環境污染を生じさせたため,国や市町村が「人の健康又は生活環境に及ぼす影響を,速やかに低減することを目的とした(環境省,2022c)」除染を実施し,その過程で除去された土壤(以下「除去土壌」という)打よびその他の除染廃棄物は,当初仮置き場等で一時的に保管されていたが, 2015年から中間貯蔵施設への搬入が開始された。 2022 年 11 月時点で累積搬入量約 1336 万 $\mathrm{m}^{3}$ (環境省,2022a)の除去土壌等は, 中間貯蔵開始後 30 年以内に,福島県外で最終処分を完了することが法律で定められている(衆議院,2014)。一方で,除去土壤抆よびその他の廃棄物(以下「除去土壤等」という。)については閣議決定により, 減容化を図るとともに,減容化の結果分離された污染の程度が低い除去土壌を再生利用する方針も定められた(環境省,2022b)。 本企画セッションでは, 除去土壌等の県外最終処分について, 特に社会受容性や多元的公正に焦点をあてて議論を進めた。除去土壤等の県外最終処分に関しては, 減容化や保管等の技術的な検討は進んでいるが,立地選定のプロセスや合意形成プロセスにおける各種選択肢の社会受容性等に関する議論はあまり進んでいない。そこで,本セッションでは, 除去土壤等の県外最終処分の合意形成プロセスや社会受容性評価に関する最新の研究成果に基づき,今後の方向性,必要なことについて議論を展開した。 ## 2. 福島第一原子力発電所事故による除去土壌等最終処分の社会受容性の調査 (高田モモ) 除去土壌等の県外最終処分場の選択に打けるいくつかの要因の相対的重要性を調べるために, ウェブアンケートとコンジョイント分析を実施した研究例を紹介する(Takada et al., 2022)。アンケー トは,処分場と回答者の居住地との距離,手続き的公正さ(処分場設置の決定プロセス),分配的公公正さ(複数か所への設置場所による不公平感の直接的緩和),処分される物質の量と放射能 (減容化の有無)という4 属性・12 階層を対象とした。回答は,福島県民を除く全国4000名から得た。その結果, Figure 1 に示す通り, 除去土壤,焼却灰どちらに関しても回答者は居住地から遠い処分場に加え,2種類の公正さ,特に分配的公正 Figure 1 Coefficient estimates of preference by attribute type for removed soil and incinerator ash(Takada et al., 2022) 4 属性について, トップダウン型の受け入れ決定, 処分物は大量・中濃度, 処分場が地域内に立地, 処分場は全国1か所に設置を参考値とし, で示す。○は参考値と比べて統計的に有意な差があり,メは有意な差がないことを示している。 さを高く評価することがわかった。処分される物質の量と放射能については,回答者の好みは示されなかった。 このことは, 国民が最終処分場の立地選定についての公正さを重視し, 身近な場所に最終処分場が計画されることに抵抗感を持つことを示している。県外最終処分の合意形成に向けては,手続き的公正さに加えて分配的公正さの考慮が必要である。 ## 3. 多元的公正からみた除去土壌問題(大沼 進) 除去土壤の県外最終処分と再生利用を巡っては,多元的な共通善についての理解を深めつつ, その基準を参照しながら手続き的に公正な決め方をデザインしていく必要性がある。 社会全体にとっての望ましさを考慮するに際 L, 功利主義, 不公正改善, マキシミン原理が挙げられるが(Kameda et al., 2016; 龟田,2022), 本問題においては大熊町・双葉町の住民を慮ったマキシミン原理がより重み付けられるべきである。県外最終処分が法律によって規定されているが, そのことを正当化する根拠はマキシミン原理によると解釈できる。その根拠は, 彼らは中間貯蔵施設のために移住や土地を差し出すことを余儀なくされていることによる。このことから,どのような議論枠組みや情報提供がなされれば彼らを慮つた話し合いがなされるかが検討されるべき課題と なる。 福島県外で除去土壤の再生利用や最終処分を進めるには,新たに負担を引き受ける地域への不衡平の緩和も求められる。しかし, 単純な補償たけでは住民の受容に繋がらないどころか逆効果にすらなりかねない (Fray et al., 1996; 飯野ら,2019)。除去土滾は比較的リスクが小さく管理もさほど困難ではないため複数地域により分散させることも理に適っており,実際,複数箇所にすることが不衡平感の低減や社会的受容に繋がることが実験的に示されている(Takada, et al., 2022; 横山ら, 2021)。 これらの知見をふまえた国民的議論と県外再生利用・最終処分の決定プロセスが今後の検討課題である。 だが,県外再生利用・最終処分の候補地選定プロセスについては決まっておらず,いきなりある地域に提案しても同意は得られない。そもそも多くの国民にこの問題があまり知られていない。そこで,様々な位相での市民参加や住民参加のプロセスデザインが求められる。環境省は国民的な理解醇成に向け, 対話フォーラムを実施している。 このような活動と並行して,候補地を決めていく方針についても市民による議論の場が提供されるべきである。その際, どの段階でどのようなステークホルダーや市民が関与すべきか,また,建設的な議論がなされる要件を明らかにしていく必要がある。そして,対話や参加の場でどのような意見や質問,提案がなされるのかを社会実験を通じて整理していく必要がある。 ## 4. 除去土塎県外処分をめぐる模擬市民参加ワークショップの試み (柴田侑秀) 本格的な市民参加ワークショップ(WS)の実施に先立って,除去土墥問題に馴染みのない市民が,情報を提供された際にどのような議論を行うかを明らかにすることを目的に研究を実施した。参加者がどのような観点から意見を述べ,どのような疑問を抱くのかを整理し,建設的な議論がなされる要件を検討した(北海道大学社会科学実験研究センター倫理審査R4-05)。 WSは2022年9月に実施された。参加者はこれまでに当該問題と特にかかわったことがない学生 7 名(男性 3 名,女性 4 名)の1グループであった。 このほか, 情報共有や質疑応答を行う専門家 3 名と,WSの進行を務めるファシリテーター1名が参加者とやり取りを行った。 WSでは,最初に,参加者は専門家から除去土壤問題に関する基礎的な知識や経緯を資料とともに解説された。その後,質疑応答を行い疑問点に対し専門家が回答した。対話では,まず,Zoom のチャット機能を用い, 参加者は議論の論点ごとに自分の意見を投稿した。その後,順番に自分の意見をまとめて述べた。対話の論点は除去土壤の最終処分のあり方と再生利用の評価や良い/良くないと思う点などについてであった。最後に, 参加者は事後質問紙に回答した。 対話の中で専門家に対し多くなされた質問では,最終処分や再生利用が本当に安全なのか, 再生利用できる土壌の放射能濃度や中間貯蔵開始から 30 年以内に県外最終処分を行うという期限がどのように決まったのか, 政府がこれまでどの程度周知や説明を行い,どこまで計画が進んでいるのかなどが尋ねられた。 除去土壌の最終処分や再生利用の肯定的な側面としては,広く再生利用を行うことで問題を福島県内で完結させない点などが指摘された。情報提供の際に大熊町や双葉町についてその苦境を具体的に伝えることはしなかったが,意見を述べる際に一定の考慮がなされたことがうかがえた。 一方, 否定的な側面として, 中間貯蔵から県外最終処分までの期限の短さ, 風評被害や差別への懸念が指摘された。また,参加者自身は反対しないが,ほかの市民が最終処分や再生利用を受け入れないのではという懸念も指摘された。 事後に行った質問紙調査では,今後も同様の WSがあれば参加したい,自分も問題の当事者の一人であると感じたという回答が多かった。また,WSで提供した情報や議題の設定が適切なものだったと評価した人が多かった。 今後は, より広い年代や属性の参加者を集め,参加者同士の交流により意見がどのように議論がなされるかを検討していく必要があるだろう。 ## 5. 環境再生実証事業等における合意形成 プロセス(事例紹介)(万福裕造) 環境省は,「中間貯蔵除去土壌等の減容・再生利用技術開発戦略検討会」を開催し, 専門分野ごとのワーキンググループによる検討結果を参考に,「再生資材化した除去土墥の安全な利用に係る基本的考え方について」取りまとめた。再生利用は,クリアランス制度の枠組みから除外することなく, 特別措置法の基準等に従い,適切な管理 Table 1 History regarding recycling of removed soils in the Nagadoro region 2017年 11月11日飯舘村長泥行政区臨時総会において環境再生事業を了解 11 月 13 日長泥行政区から飯舘村村長に対し臨時 11月14日総会での賛成決議を文書で報告 11 月 20 日飯舘村議会・全員協議会において環境再生事業を了承 11 月 22 日飯舘村から環境省に対し環境再生事業実施の要望書を提出 ## 2018 年 1月28日飯舘村, 長泥行政区及び環境省で環境再生事業実施について確認 3 月 25 日長泥行政区臨時総会において事業説明 4月20日長泥行政区総会において事業説明 6 月 3 日特定復興再生拠点区域復興再生計画認定長泥地区を対象とした事業説明会 ※この他に地区役員会説明,組説明,懇談会,全員区長会など個別の意見交換を実施している。 下で実施することを想定している。除去土壌の化学処理や熱処理等後の生成物や,焼却灰等の廃棄物は,処理前後の性状や再生資材としての品質$\cdot$用途が必ずしも明らかになっていないことから,対象とはしていない。 長泥地区は飯舘村の中で唯一,帰還困難区域に指定された。2017年に整備された改正福島特措法により,地区内の一部で特定復興拠点整備が進められ,並行して環境再生実証事業(除染で発生した土壤を再生資材として造成工事の基盤に使用)を国,自治体,住民が一体となり,Table 1 に示すような丁寧に繰り返した協働(協議)により実施している。 一方で,再生資材を用いた実証事業は,長泥行政区の住民がさまざまな方向性の中から苦渋の選択をしたことに違いはない。事業が進捗する今でも長泥住民と,環境再生実証事業の結果について意見交換することも多い。実証事業には住民も参加し,放射性セシウムの動態を自ら実感することで,再生資材への安心感が強くなりつつある。現在では,今後の地域振興に強く意識が向いている。 ## 6. 議論 建設的な合意形成に向けては,最終処分場を複数個所に設置するといった分配的な公平性を高めることや,最終処分地が福島県外でなされること に関して,これまで負担を強いられてきた地域の情報や状況を共有することが重要であることが示された。これらの知見は, 今後の最終処分地選定の方向性とともに,最終処分に向けた情報提供の在り方に示唆を与え得る。 また, 情報共有や合意形成に関しては, 質疑応答における「根回し(事前の情報共有や説明)」 という言葉をきっかけに, 対話による情報の共有について議論された。すなわち,情報の内容だけではなく, どのタイミングで誰に, どのような方法で情報を共有し,対話をするかという,プロセスの重要性である。自由な意見交換ができ,かつ少人数で議論・意見交換を実施する場は, 開かれた大人数の説明会や意見公開と同様に, 問題を理解し, 双方向のコミュニケーションを実施する上で不可欠である。県外最終処分の合意形成においても,様々な形での対話の場を持つことが求められよう。 さらに,最終処分および再生利用認知度の低さが根本的な問題として会場からも提起されたことに対して,環境省が各地で開催する対話フォーラムや,オーガナイザが実施している大学生を対象とした講義などが紹介された。 ## 7. おわりに 以上, 本セッションでは, 社会受容性や多元的公正に注目して, 活発な質疑応答により, 複数の報告を貫く議論を展開することができた。上述の認知度の向上に関しては, セッション紹介された地道な取り組みの一方で,本稿執筆中に関東に打ける除去土壌の再生利用計画が発表された。本セッションの議論を踏まえた研究の展開により,今後加速するであろう県外最終処分・再生利用に関する議論・方法論の検討に貢献したい。 ## 謝辞 本企画セッションの研究の一部は,環境省$\cdot$ (独) 環境再生保全機構の環境研究総合推進費 (JPMEERF22S20930)により実施した。 ## 参考文献 Fray, B. S., Oberholzer-Gee, F., and Eichenberger, R. (1996) The old lady visits your backyard: A tale of morals and Markets, Journal of Political Economy 104, 1297-1313. Iino, M., Ohnuma, S., Hirose, Y., Osawa H., and Ohtomo S. (2019) The framing effects of compensation and Taboo trade-offs on acceptance of NIMBY facility: A scenario experiment of high level radioactive waste geological repository, Japanese Journal of Risk Analysis, 29(2), 95-102. (in Japanese) 飯野麻里, 大沼進, 広瀬幸雄, 大澤英昭, 大友章司 (2019) NIMBY 施設の受容に対する補償の交換フレームの効果と Taboo trade-offs:高レべル放射性廃棄物地層処分場のシナリオ実験,日本リスク研究学会誌, 29(2), 95-102. Kameda, T. (2022). The experimental social science toward solidarity: Empathy, distribution and social order, Iwanami-shoten. (in Japanese) 亀田達也(2022) 連帯のための実験社会科学 - 共感 $\cdot$ 分配 $\cdot$ 秩序 - , 岩波書店. Kameda, T., Inukai, K., Higuchi, S., Ogawa, A., Kim, H., Matsuda, T., and Sakagami, M. 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# 【情報】 ## 第24回福島ダイアログ「次世代と考える福島のこれから」報告* ## Report of the 24th Fukushima Dialogue "The Future of Fukushima Created Together with The Next Generation" \author{ 安東量子**, 小林智之***, 児山洋平**** \\ Ryoko ANDO, Tomoyuki KOBAYASHI and Yohei KOYAMA } \begin{abstract} The 24th Fukushima Dialogue, a stakeholder meeting to discuss the future of the recovery phase in Fukushima among the younger generation, was held in Naraha-machi, Futaba-gun, Fukushima Prefecture, in November 2022. Ten participants aged 18 to 35 discussed the current situation and what is needed to improve the situation. It was revealed that the younger generation is eager to engage in the decision-making process directly in the recovery phase. \end{abstract} Key Words: stakeholder involvement, Fukushima nuclear accident, Fukushima Dialogue, decision-making process ## 1. はじめに 原発事故後の生活環境の回復について話し合うことを目的として開催されてきたステークホルダー会議,第 24 回福島ダイアログは,「次世代と考える福島のこれから」をテーマとして, 2022 年11月6日福島県双葉郡棝葉町「ならはCANvas」 で開催された(主催:NPO法人福島ダイアログ,協賛:日本保健物理学会, 日本リスク学会)。 今回のダイアログは, ICRP(国際放射線防護委員会)が主催していた時期を含めて,初めてダイアログの参加者を 18 35 歳までに限る年齢制限を設けた。今回のテーマ設定には,前回の第 23 回ダイアログの 20 代の参加者から,「若い世代は, そもそも平日の昼間に開かれる自治体の説明会に参加することができないし,意見を聞いてもらえる場所がない」との声があったことが背景にある (NPO福島ダイアログ,2021)。 原発事故のあと,避難区域となった地域では,若い世代が帰還しないことによって,高齢化が急速に進んでいる。高齢化への対策の必要性を指摘する声は多くあったが,振り返ってみた時に,若い世代の意見を聞き,その声を生かそうとしてきたといえるかは疑問であるように感じられた。 今回のダイアログについては,まず若い世代に集まってもらい,現状についてどのように考えているかを聞く場として開催することとした。 (安東量子) ## 2. ダイアログの構成 午前中は,福島の被災地にかかわっている 20 代の男女1名ずつに20 分の発表をしてもらった。秋元菜々美氏は富岡町出身で, 現在富岡町に戻  り,震災の伝承活動などを行っている。もう1名の佐々木大記氏は筑波大学大学院修士課程に在学中で,学部生時代から山木屋地区にかかわっている。 両名の発表のほかに,チェルノブイリ事故後のベラルーシでEUの朹組みで行われた支援プロジェクト CORE プログラムで若い世代のかかわつた復興活動についてCEPNのティエリー・シュナイダー氏の録画による発表があった。また,事故から 12 年が経過し, 若い世代へ原発事故後の経緯も伝えていく必要があるとの観点から, 福島夕゙ イアログのこれまでの活動を振り返りながら,原発事故後になにが課題となってきたかを,NPO 福島ダイアログのジャック・ロシャール氏から, オンラインでフランスから発表をしてもらった。 午後のダイアログの参加者は 10 名だった。内訳は, 福島県内の浜通り出身 5 名(避難区域 4 名)県外出身 5 名, 男女別では,男性 4 名,女性 6名だった。参加者選定にあたっては, 主催から復興にかかわっている複数の知人に推薦を依頼し, 参加依頼のコンタクトを各人にとったほか, ソーシャルメディアを通じた一般公募も行った。 1名は一般公募からの応募だった (NPO 福島ダイアログ, 2022)。 また,今回の開催費用にかんしては,NPOの自己資金を用いたほか,個人からの協賛金をウェブ経由で募った。 (安東量子) ## 3. 第24回ダイアログの内容概要 1) 午前中の発表 午前中の発表は,まず秋元菜々美氏から,中学生の時に被災し,その後の避難生活を経て,富岡での生活を再開する経緯を語ってもらった。現在, 震災の経験伝承を行っており, 地域の歷史や地理などをより深く知ることを通し,街の将来を考えていきたいことが語られた。復興とはなにかよくわからないとの言及と同時に,一人ひとりが幸せに暮らせることの大切さが指摘された。 ジャック・ロシャール氏の発表では, ICRP時代からの福島ダイアログの経緯と, ダイアログの経験から得られた教訓が述べられた。原子力被災地では特に,住民が生活の自律性を失ったと強く感じる状況に陥り,そのことはそこに暮らす人びとの尊厳の問題に直結する。それらを回復するためには,ICRPが推奨する co-expertise プロセスなどを通して,人々が暮らしのコントロールを取り戻せるようにしていくことが重要であることが語られた (ICRP Publication 146, 2020)。 ティエリー・シュナイダー氏のCOREプログラムの説明では,チェルノブイリ事故後の被災地でも福島の避難区域と同様に若年世代の流出が進んだこと,一方で 90 年代の都市部での経済混乱によって農村での暮らしが見直されたことを背景に, 若い世代の移住もあったこと, 若い世代の好奇心を刺激して活動に巻き込みながら,放射線防護にとどまらない地域の活性化の動きにつながる複数の取り組みが行われた事例が紹介された。 佐々木氏は, 山木屋にかかわることになった経緯と,他の地域からやってきて山村地域にかかわるときに地域とどのように距離を取るのか, 人間関係を中心に語られた。人口が減少している一方, 山村地域での人間関係は濃厚であるがゆえの難しさがあり,どのように距離を取るのかが,支援活動でかかわる上での大きな要素となる。また, 行政の進めるインフラ整備などの「大文字の復興」と個々人が進める多様な小規模な取り組みの「小文字の復興」が噛み合っておらず,交流もなされていないとの指摘がなされ,「小文字の復興」に力を入れていきたいと語られた。 2) ダイアログ前半 午後のダイアログは, まず参加者の自己紹介から始まった。参加者は, 大熊町や富岡町といった避難区域出身者と, 大学や大学院の進学、授業やサークル活動をきっかけに福島に在住あるいは通いでかかわるようになった人, 移住して新規に農業を始めた人,支援者として住んでいる人,いわき出身で現在は会津で仕事をしている人で構成された。司会からのひとつめの質問は,「現在の福島の状況のよいところ, 悪いところを, 自分の立場から話してください」だった。 よい点として多く挙げられたのは, 人の交流が広く行われるようになっている点だった。そのことが, 震災前にはなかった地域の風通しの良さや刺激となっている。それは外から被災地にかかわる人にとっても,地域からの受け入れられやすさとして実感されていた。また,インフラ整備などの眼に見える復興は,想像以上に早く進んでいること, 避難区域の解除が着実に進んでいることも喜げしいこととして指摘された。インフラ整備と並行して予算が多く投入され,それによってそれまでの浜通りではなかった様々なイベントなどの動きが起きたことも指摘された。 ただここうし良い点として指摘されたことは, 同時に悪い点, ないしは改善が必要とされる点としても認識されていた。 人の交流が広く行われることは,被災地の内と外の人間関係が複雑化していることも同時に意味することになった。外から福島に関心を持ってくる人たちは,福島が特別な場所であることに惹かれてやってくることが多い。一方, 元から住んでいた人にしてみれば, 特別ではない, 暮らすことにもっとも意味がある場所た。外からの視線が優勢になった結果, 被災地出身の参加者からは,「なにか特別なすごいことをする人でなければ戻ってはいけないのではないか」と気後れしていたことが複数語られた。また「普通に暮らしたい」「普通に暮らせる場所にしたい」といった被災地での暮らしを特別なものでなくしたいとの思いは,多くの参加者に共有されていた。 一方で,特別扱いだからこそ取られている現在の様々な支援措置が打ち切られれば,地域が立ち行かなくなることも理解されており, 県外から福島にやってきた参加者からは, 少しずつ普通に戻してあげることが復興の次の段階に必要なことであり,支援に入る人間のするべきことなのではないか, とも語られた。 こうした支援措置によって,県内でも会津のような原発事故の影響がほとんどない地域との格差が開いていることも指摘された。浜通りの被災地域に多く注がれた支援は, 福島県内における格差を広げる結果にもなっている。浜通りから離れた場所では, 事故時の認識のまま情報がアップデー トされず,取り残された人たちが多くいる。 特別視されることは,地域だけではなく,被災地出身の人間に対しても行われてきた。このことは, 一方では「差別」としてあらわれ, 実際にそうした経験を福島県外に限らず,県内においても受けたという証言もあった。もう一方で,被災地出身の若者ということで,特別扱いされることの別の影響も語られた。現在 20 代前半の参加者は,事故時には小学生から高校生の世代になる。故郷の復興にかかわりたいとの思いを持ち, 学生時代から復興に関係する様々な場に参加するなか, 特別扱いが当たり前のことになっており, 特別扱いされることや復興のあり方に違和感を感じ, 距離を取りたいと思いつつも, 被災地出身者であることが自意識のなかに深く刷り込まれ, 距離を取ることが難しいとの葛藤も語られた。 インフラ整備が進んだ反面, 被災地の環境は大きく姿を変えることになった。このことに対して、「心がついていかない」との指摘もあった。故郷に戻りたいとの思いを持ち続けたのは, 元の大熊に戻りたいからなのに, との落胆の声や, 戻らないのはしかたないにせよ, その地の歴史を顧みない再開発的手法のあり方がいいのか, との声もあった。そもそも「復興」の定義が人によってバラバラであり, 復興について話しながらも前提が共有できていないがゆえに, 方向性が見えてこないとの指摘もあった。 ただ,事故前の状況を知らない新規の移住者にしてみれば, 被災地は他の地域ではできないことができる「開拓地」のような存在となっている。事故前の元に戻ったのでは意味がない, との声もあがった。 午前中の発表のなかにあった「尊厳」の重要性と絡めて, 現在の地域のあり方について指摘する声もあった。廃炉政策がそのまま地域の将来に直結しているのに, 廃炉への意思決定へ住民がほぼかかわることのできない状況が続いている。それで,地域のことを住民が決められているといえるのか。自分の生活をコントロールできていない状況は, 自分たちの尊厳が損なわれているといえるのではないかと問題提起された。同様に, 政府の決める復興政策などに地域の人たちがどれだけかかわっていけるかが重要だとの指摘があった。 事故のことを忘れてはいけない,との声があると同時に,忘れたいとの声もあった。 ひとつめの質問への回答が特徴的であったのは,ひとつの事象に対してよいところと悪いところの双方の側面が, 全体として指摘されていたことだった。ひとりの参加者が双方を指摘する場合もあれば,他の参加者が補足するような形で別の側面を指摘することもあった。 3) ダイアログ後半 ふたつめの質問は, 他の参加者のこれまでの意見などを聞いて,今後自分がなにをしていきたいか, 尋ねた。 午前中の佐々木氏の発表にあった行政の主導する「大文字の復興」と地域の人たちの主体的な小さな取り組みである「小文字の復興」という言葉に呼応するように, 自分自身での取り組みである 「小文字の復興」については, 明確で具体的な回答が多かったのが印象的たった。それとは対照的に, 復興の行く末という「大文字の復興」の話題 になると,逡巡する回答がほとんどとなった。 何人もの口から出てきたのが,「言っていいのか,悪いのか」という言葉だった。事故から 12 年が経過した現在でも,地域のなか,あるいは帰還した人,しない人などの立場の違いによって,触れることに躊躇う話題が多くあり, 被災地出身であってもなくても,しばしば話す相手によって 「言っていいのか, 悪いのか」と感じることがある。そうした状況を解消していくためにも,対話が重要であるとの認識は共有されていたが,被災地において「対話」は既に繰り返し行われてきている。そうした「対話」の場は,ややもすれば,話すことが自己目的化されており,「被災地の若者に話を聞きました」との宣伝に使われているたけといったことも珍しくない。それに対して,対話は,地域をどうしていくか,簡単には一致できない事柄について,苦しみながら共に考えて答えを見出していく, 産みの苦しみのプロセスなのではないか, との指摘がなされた。 地域の方向性を決めることに,対話が現実には寄与していない状況は, 地域の将来を自分たちで決められていないというフラストレーションを与えている。たた,歴史的に振り返ってみたときに,双葉郡は, 地理的に文化の周縁に位置し, その時どきの外部の大きな権力によって左右されることを繰り返してきた。日本の近代化以降は, 首都圏への電力供給地として開発された経緯があり, 事故前から,地域のことを自分たちで決められてきたのか,との声があった。自分たちで自分たちのことを決められないがゆえに,外部の力によって一時的に発展し, その後ふたたび荒地になる歴史を繰り返してきた。こうした歴史を繰り返さないためにも,そこに暮らす人たち自身が,土壤を作っていく必要があるのではとの意見もあった。 また浜通りのかかえる少子高齢化や人口減少などの問題は,日本社会の課題でもある。こうした社会課題に関心を持つ人にとってみれば, 被災地は自己実現と社会課題を同時に考え,取り組む場ともなっている。その一方で, 社会課題とはなにかを考えるばかりではなく,ただ普通になんでもない話をする場を作りたい,との声もあった。 (安東量子) ## 4. よりよい復興に必要な街の再定義 事故を契機として,避難指示を受けた市町村は被災地になった。事故前に存在した町に戻ること はない。風景は変わり続け, 当時の住民は別の土地で新しい生活を送り帰還しない人も多い。避難先で出身地を話せば,他人は憐れみと同情を向けて,優しくしてくれる。しかし,その優しさが自身の出身地の異質性を際立たせ,当時の住民に何とも言えない悲しみを感じさせる。復興には, 町の新しい定義が必要である。昔あった町としてでもなく, 被焱地としてでもない, どのような町にするのか, 住民たちが幸せに感じられるような定義が必要である。 しかし, ダイアログの語りからは, 若い世代の間で, 町の新しい定義について考えることの3つの葛藤の可能性が浮かび上がった。 ひとつは, 町の風景が大きく変化していったことである。事故の後, 政府は復興事業のひとつとしてハード面のインフラ整備を推し進めてきた。新しい道が作られ,交通はどんどん便利になった。被災地のインフラ整備は, 復興過程が目に見えてわかりやすい。しかし,それは人々に被災からの復興を実感させる利点がある一方で, 住民の故郷に対する心象風景を侵食することにもなる。 この点についてダイアログで印象的たったのは,原子力発電所の廃炉に対して複雑な心境を持っているという語りであった。町で育った若者にとつて,原子力発電所は故郷の風景のひとつである。 そのため, 原子力発電所のリスクや廃炉の必要性について理解していたとしても, 廃炉によって故郷の風景が大きく変化することには変わりなく,悲しみは避けられないのである。町の再定義には故郷の風景の変化を受け入れる必要があると考えられるが,それは容易なことではないだう。 次に,国の復興支援に取り残されることへの葛藤である。福島第一原発事故に対する政府の復興支援には,多くの予算が割り当てられている。そのため, 前述のインフラ整備も含め, これまで多くの復興事業が次々と取り組まれてきていた。多くの復興事業が取り組まれることは望ましいのだが,ダイアログにおいてはその速すぎる復興に戸惑いがあることが指摘された。問題として, 住民は復興を成し遂げた先にある町の姿, すなわち町の新しい定義をまだ想定できていないことが考えられる。町の再定義は探索的な作業である。住民が町について他の住民と話し合い, 自分の中で整理しながら進めていくものであり,多くの時間を要するものである。住民にとって,復興過程はこの再定義の作業と共に進展していくべきで, 再定 義の作業が置いていかれたまま復興が進められても,そうして出来上がった町は自分たちが思い描く町にはならないだろうという懸念が残る。それでも国の復興事業が次々に進んでいくため,住民は自分たちの意見は聞き入れられないといった認識を抱いてしまう。つまり,町の再定義の歩みを無視した国の復興支援により,住民たちは町の再定義への動機づけを阻害されている可能性が考えられる。 最後に, 町外の人との認識のギャップによる葛藤が存在している可能性がある。町には原発事故の被災地というレッテルが貼られ,住民は被姼者としてのフィルターを通して見られる。ダイアログでは,自分たちの町がもう住めないところだと言われた経験や,被災者としてかわいそうだと言われた経験が語られた。被災者であることは自身にとってそれほど好ましいアイデンティティではないが,周囲からはそのように見られることが多いため, 当人らは自分と他者から見た自己像のズレに苦しめられることが考えられる。また,ダイアログでは,東京電力の社員らが自己紹介の挨拶をするときに社名の後に謝罪を加えることに辛さを覚えたことも語られた。事故を契機に東京電力への批判が相次いだが,原子力発電所が町の一部であると認識している住民がいる可能性を考えると, その批判の気持ちは町内外や住民間でも異なるのかもしれない。町の再定義を行う上では,周囲からの認識は重要な要因のひとつになると考元られる。そのため, このような町内外の認識のズレは住民が幸せに感じられるような町の再定義を阻害するかもしれない。 ダイアログで語られたことを町の若い世代あるいは住民全体の意見とすることには慎重にならなければならない。しかし, 町の風景が変わり, 新しい人間関係が築かれていくという状況から,住民らが町の場所は同じままに大きな文化変容の問題に直面していることは十分に考えられる。どのような街にするのかを定義づけるためには,その過程で生じる葛藤について理解し, その対策を考えていくことが,よりよい復興には必要なのではないかと考えられる。 (小林智之) ## 5. 若い世代の(子どもとして経験した)原発事故 災害が起きるとき,私たちは子どもたちを守りたいと思うがゆえに,彼らを受け身の被炎者にし てしまうことがある(Lloyd Williams et al., 2017)。経済, テクノロジー, 科学の近代化によって引き起こされる新しいリスクについて論じたウルリッヒ・ベックの「リスク社会」においては,「子ともの健康を心配する母親たち」がエンパワーメントの対象とされており, 彼女たちの社会の意思決定プロセスへの積極的な関与が重要とされているが,子どもたちの主体性については触れられていない。つまり,べックが提唱する再帰的な(または自己反省的な)近代化においても,子どもたちはあくまで保護の対象である (Beck, 1992)。 一方で,近年のイギリスの洪水によって被災した子どもたちに関する研究など,子どもたちを災害の主体者として認識し,復興プロセスにおける彼らの役割をエンパワーメントする活動もある (Lloyd Williams et al., 2017; Mort et al., 2018)。具体的には,演劇というアートの表現手法を使って,子どもたちの意見を表出させ,それらを復興のブロセスに反映させるという試みである。これは,子どもの主体性をめぐる問題を提起するだけでなく, 地域社会における彼らの可能性を示唆するものである。 このような問いをめぐっては,すでに2014年の第 9 回ダイアログ「福島事故後の生活環境の復興一福島で子どもを育む一」(ETHOS IN FUKUSHIMA, 2014)において, 伊達市立富成小学校の元校長の勝見五月が一つの答えを提示している。勝見の「小学校の子どもたちにどう教えるか, 子どもたちはどう学ぶか」(Ethos Fukushima, 2022) との発表で, 2012年の伊達市と横浜市の小学生の交流イベントの際に, 初めての震災についての子ども同士の会話を聞いたというエピソードがあった。伊達の子どもが横浜の子どもに向かって, 「ここで使っている電気は, 福島の原発で作っていたんだよ」と言った際,横浜の子どもは,「わかってるよ。じゃあ, どうして欲しいの?」と返事をしたそうだ。勝見は険覀な雾囲気になることを懸念したが, 伊達の子どもが素直に 「わからない」と答えたのを聞いたとき,彼が子どもなりに課題に向き合うことができたことを感じたという。ここで提起されているのは, 課題に対する答えを見つけるのではなく,答えを見つけようとする姿勢や向き合い方が大切であるということのように思える。子どもたちが,自分たちは決して常に慰められる立場にいるのではなく, いろいろな考えを持って,他の人と話し合えるとい う自信を持つことが大切なのではないだろうか。 そのような意味で,子ども同士が震災について,本音で話し合うことができたのは意味があったと振り返っている。 原発事故から 12 年が過ぎ,当時の小学生の大部分は大学生や社会人となった。上の世代が「若い人に戻ってきて欲しい」と言う言葉をよく耳にするが,私たちはどれたけ次世代の声を聞いてきただろうか。第24回福島ダイアログ「次世代と考える福島のこれから」は,その問いに答える試みでもあったのではないだううか。原発事故の経験を演劇にする人。廃炉について興味を持ち,大学で廃炉技術について学ぶ人。避難生活を経て帰つてきた人。迷い,葛藤する人。原発事故がきっかけで地域保健の専門家になった人。そして,原発事故がきっかけで福島にやって来た人たち。彼らが自分の経験を語り,考えを話し合った。彼らは何を経験したのか。彼らは何を感じ,どうしたいと考えているのか。避難や学校での放射線教育など,語られなかった経験とは何であったか。(これまでにも語る場は用意されてきたかもしれない。だが,どこまで本音で語ることができたのだ万うか。)ダイアログを通して,私たちは彼らの生の声に耳を傾けることができた。それは, 復興や地域社会づくりにたったひとつの正解はないことを示唆するものでもある。そして「ダイアログ」 は,その答えなき問いと対峙することの重要性を示しているのではないだろうか。 (児山洋平) ## 6. 総括 本ダイアログで興味深かったのは, べラルーシのチェルノブイリ原発事故後の若い世代の状況と, 福島の現在の若い世代の状況が重なり合っているようにも感じられたことだ。被災地になんらかの魅力を感じてやってくる若い世代がいること,被災地に暮らす若い世代にとって放射能問題の優先順位は高くなく, 暮らしを改善することや新しい取り組みに興味を持つこと,また自分自身の力で平穏な暮らしを送りたいと望んでいるということなどだ。 これまでの経緯や人間関係に判断を左右されやすい年長者に比べ,しがらみの比較的少ない若い世代は,現在の復興の状況を鋭敏に感受し,なにが問題であるかを,明膫に理解している。現在の復興プロセスに打ける原子力被災地域の抱える葛藤が明暸に見える議論となった。復興政策,廃炉計画を筆頭に,一地方が抱えるにはあまりに大きな問題が日々の暮らしに直結する中で,自分たち自身の暮らしの実感を取り戻すことは容易ではない。未来を作り上げることへの情熱と意思の一方で,地域の意思決定に十分に加われていないことへの強いフラストレーションを抱えている様子も明らかになった。 原発事故の避難区域となった地域は,事故前のアイデンティティを失った。そのことは,土地に帰属意識を持つ個々人のセルフ・アイデンティティにも強く影響をもたらしている。明確にそう言語化されたわけではないが,自分たちが何者であるか,ありたいのか,というアイデンティティをめぐる問いが背景には大きく存在するように感じられた。 本ダイアログで語られたように,「産みの苦しみ」のプロセ久を経て,自分自身で暮らしを取り戻していくことを通して,新しい地域のアイデンティティを獲得していくことが必要とされているのではないだろうか。 (安東量子) ## 謝辞 第 24 回福島ダイアログは, 日本保健物理学会,日本リスク学会の協賛で行われた。開催にあたつて寄付をいただいた皆様,ご参加いただいた皆様に心から感謝申し上げる。本文内容ご確認の労を払っていただいた,発表者の秋元菜々美,佐々木大記,ティエリー・シュナイダー,ジャック・ロシャール各氏にも御礼申し上げたい。 ## 参考文献 Beck, U. (1992) Risk society: Towards a new modernity, Sage. ETHOS IN FUKUSHIMA (2014) ICRP Dialogue. http://ethos-fukushima.blogspot.com/p/icrp-dialogue. html\#9th (Access: 2023, January, 15)(in Japanese) ## ETHOS IN FUKUSHIMA (2014) ICRP Dialogue. http://ethos-fukushima.blogspot.com/p/icrp-dialogue. html\#9th(アクセス日:2023年1月15日) Ethos Fukushima (2022) "20140831Dialogue Session3g" Online video. YouTube. https://youtu.be/ XrrCKeUAtzI (Access: 2023, January, 15)(in Japanese) Ethos Fukushima (2022) "20140831Dialogue Session3g" Online video. YouTube. https://youtu.be/ XrrCKeUAtzI(アクセス日:2023 年 1 月 15 日) ICRP Publication 146 (2020) Radiological protection of people and the environment in the event of a large nuclear accident: update of ICRP Publications 109 and 111, Ann. ICRP 49(4). doi:10.1177/014664 5320952659 Lloyd Williams, A. S., Bingley, A. F., Walker, M. P., Mort, M. M. E., and Howells, V. (2017) That's where I first saw the water... : Mobilizing children's voices in UK flood risk management, Transfers, 7 (3), 76-93. doi: 10.3167/TRANS.2017.070307 Mort, M. M. E., Walker, M. P., Lloyd Williams, A. S., and Bingley, A. F. (2018) From victims to actors: The role of children and young people in flood recovery and resilience, Environment and Planning C: Government and Policy, 36(3), 423-442. doi: 10.1177/2399654417717987 NPO Fukushima Dialogue (2021) 28 Nov., 2021, Record of Fukushima Dialogue. http:/fukushimadialogue.jp/bk/202111_dialogue_record.html (Access: 2023, January, 15) (in Japanese) NPO 福島ダイアログ (2021) 2021 年 11 月 28 日福島ダイアログ記録. http://fukushima-dialogue.jp/ bk/202111_dialogue_record.html(アクセス日:2023 年1月 15 日) NPO Fukushima Dialogue (2022) 6 Nov., 2022, Record of Fukushima Dialogue. http://fukushimadialogue.jp/bk/202211_dialogue_record.html (Access: 2023, January, 15) (in Japanese) NPO 福島ダイアログ (2022) 2022年 11 月 6 日福島ダイアログ記録. http://fukushima-dialogue.jp/ bk/202211_dialogue_record.html(アクセス日:2023 年1月 15 日)
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# 【特集:日本リスク学会第35回年次大会情報】 ## 企画セッション開催報告 SNS 時代のクライシス時の科学的情報発信のあり方を考える* \author{ Considering the State of Scientific Information Dissemination \\ during Crises in the Age of Social Networking } \author{ 村上道夫**,坪倉正治***,鳥居寛之****,Yuliya Lyamzina*****, \\ 林岳彦******,宇野賀津子***** \\ Michio MURAKAMI, Masaharu TSUBOKURA, Hiroyuki A. TORII, \\ Yuliya LYAMZINA, Takehiko I. HAYASHI and Kazuko UNO } \begin{abstract} Social networking services (SNS) such as Twitter play an important role in the collective knowledge, consensus of citizens and decision making regarding various countermeasures. In particular, since SNS have great power to communicate information in the context of disasters and pandemics, scientists and administrators are required to understand how people's collective knowledge and trust are formed through SNS and how to communicate risk and scientific information using SNS. Therefore, a special session entitled "Considering the state of scientific information dissemination during crises in the age of social networking" was held at the 35th Annual Meeting of the Society for Risk Analysis Japan. Risk and scientific information dissemination using SNS regarding the Fukushima disaster was discussed: characteristics related to information diffusion on Twitter, the evaluation and fact check of information that influenced the evacuation behavior in Fukushima, and recommendations for scientific information dissemination in the age of SNS derived from these research findings. This paper introduces the contents of the presentations and discussions at the session. \end{abstract} Key Words: Fukushima disaster, Scientific information dissemination, Social networking services, Twitter ## 1. 企画セッションの趣旨 リスク事象について,市民が持つ集合知や合意,諸対策に関する意思決定において,Twitterなどの social networking service (SNS)が持つ役割は大きい。とりわけ,災害やパンデミック禍におい てSNSが持つ情報伝達力は大きく, 科学者や行政は, 人々の集合知や信頼はSNSを介してどのように形成されるのか, SNSを用いてどのようにリスク情報や科学情報を伝達するとよいのかを理解することが求められている。そこで,日本リス  ク学会第 35 回年次大会にて企画セッション「SNS 時代のクライシス時の科学的情報発信のあり方を考える」を開催し,福島災害などに関するSNS を用いたリスクや科学的情報発信について, Twitterでの情報拡散に関する特性, 福島の避難行動に影響を与えた情報とそのファクトチェック, これらの研究成果から導き出されるSNS 時代の科学的情報発信に関する提言に関する研究成果を紹介した。本稿では, その企画セッションでの発表内容およびコメンテーターからの議論について紹介する。 ## 2. 福島第一原子力発電所(原発)事故と ツイッター:その長期的変遷と対処事例からの教訓(坪倉正治,鳥居寛之,宇野賀津子) チェルノブイリ(現地ウクライナ語ではチョルノービリ)原発事故と福島原発事故との大きな違いの一つは,インターネットおよびSNS の台頭である。SNS として使用されるアプリケーションや媒体は国ごと年代ごとに異なるが,以前のように政府や新聞社など,ある特定の主体のみが情報の発信者になるわけではなく, 個人が情報を発信し, その情報が繰り返し拡散され, 短時間で多くの住民の目に触れる状況となる。そのため,誤った情報や恐怖・感情を伴う情報は以前にも増して拡散され,住民間に共有されやすい。この状況は放射線災害に特異的なものではなく,例えば選挙や何らかの不祥事, 戦争, 他の妆害であっても同様である。このようなSNSの台頭による住民のリスク認知や理解に対する影響は甚大である。 福島原発事故後のSNSの影響については様々な報告がなされているが,その多くは事故後ごく短期の情報の流通や,炎上といった観点から解析されている。発表者らは,以前にTwitterによる放射線情報の拡散について解析を行い,1)ごく少数の影響力の強いアカウント(インフルエンサー)による発信が,流通する情報の大部分を占めること,2)放射線に関する情報はその内容によって分断され,情報を目にする住民は一方的な情報に晒されやすいことを示した(Tsubokura et al., 2018)。更に,その後数年間における Twitterの状況について更なる解析を行うと,二つの興味深い事象が明らかになった。一つは, 福島原発事故後の放射線に関するツイートは一部のインフルエンサーによって占有されたが,インフルエンサー が誰なのかは時間経過とともに変化したことである。この状況は,まるで音楽の売り上げランキングが時間経過にあわせて変化する状況と類似する。もう一つは, 事故初期に流通したフェイクニュースや,科学的に不確かな情報が,インター ネットの世界に残存し続け,長期的に何度も参照されたことである。一度発信された情報や,記載されたブログ内容は,サイトが削除されたり閉鎖されない限り永遠に残り続ける。そのため, 数年以上の経過後であっても明らかに事実と異なる内容が情報ソースとして参照され続ける事態が生じていた。偏った情報を住民が得ていたとしても,自身がそれを正しいと認知しやすく,そのような世界の中に自身がいることを気づきにくい。 このようにSNSは科学的な情報発信の上では多くの問題を持つものの,早期に適切に対処すれば,その炎上や誤った情報の拡散を止め,逆に必要な情報を早く伝えられる可能性もある。南相馬市でレセプト情報を意図的に解釈し,疾患が増加しているかのごとく情報発信を行った問題や,福島原発事故後の甲状腺に関して,5人の元首相が欧州委員会の委員長に対して誤解を生みかねない情報を伝えた問題などに対して,これらに早期に対処することで,適切に情報を伝達できたという事例もある。このような事例を参考にしながら,今後の科学的な情報の伝達とSNSの関係について議論したい。 ## 3. 福島の避難行動に影響を与えた情報と そのファクトチェック(宇野賀津子, Yuliya Lyamzina, 鳥居寛之) 福島県のHPに掲載されている県外避難者数は 2011 年 6 月には 45,242 人, 8 月末には 55,793 人 (避難区域から県外避難が約 4.2 万人,避難区域外からの県外避難が 1.4 万人)と増加した。県外避難者数は2011年秋以降も増加し,2012年3月には 62,831 人と最高となった(宇野, 2016)。 宇野は福島各地で講演する中で, 多くの方が低線量放射線の後年影響・次世代影響を心配されていること, 3.11 以降飛び交ったチェルノブイリ原発事故の健康影響の情報, 即ち書籍内容・ネット情報・テレビ番組に不安をもっておられるのを確認している。 そこで, Twitter上で福島原発事故後以降に飛び交った, チェルノブイリ関連の放射線の健康影響について,科学的検証を行い,もし根拠の希薄な 情報が不安要因になっているとすれば,問題点を明らかにすることで,福島の人々の不安を払拭できないかと考えた。 Twitterを通じてどのような情報が拡散したのかを明らかにし,これらの情報がどのように福島内外の人々に影響したか解析するために,2011年 1 月 1 日から 2017 年 8 月 30 日の間の放射線関連ツイッターデータ 2800 万件(全体の $8 \%$ に相当)の放射線関連データベースから,“チェルノブイリ orウクライナ orベラルーシ” and “健康 or 病気”という検索式によって抽出された20,819件のツイー トの中から,リツイート数上位 100 位までのツイートを抽出した。重複した内容をチェックし,結果的に 92 件を確認, 精査した。 単独のツイートとして,一番リツイートの多かったのが東京の線量とチェルノブイリの線量が同程度とするものであり,明らかな事実誤認とするものであった。 2番目,3番目にリツイートが多かったツイー 卜は,2013年10月に立ち上げられたウクライナ政府報告書 bot (事前に設定された処理を実行するプログラムのこと。人間に変わって作業を行うコンピュータープログラムの総称)によるもので, それぞれ, 事故処理作業者の感覚神経・器官の病気などが線量に依存して増加することや,チェルノブイリから避難したあるいは污染地域に居住する子どもの両方で健康な子どもの減少したというものであった。これらは, National Report of Ukraine(2011)に基づくもので,健康影響に関連する第 3 章と第 4 章は先行して $N P O$ 法人市民科学研究室が 2013 年に翻訳・報告した内容である。 上位 100 件のうち事故作業者の健康影響については3件であったが, 子供への中長期的健康影響については,約6割を占めていた。92件中,宇野が正確・ほぼ正確と判定した内容は7件, 他はミスリード・不正確な内容と判定した。 宇野は, 2011 年に出版された原発・放射能関連の本から 322 冊をリストアップし,内容を検討した(宇野,2016)。この時期に出された本には, ニューヨーク科学アカデミーの英語版(Yablokov et al., 2009)に基づいて子供への中長期的健康影響が記載されていた。2011年に広がったチェルノブイリ地域の放射線の長期的影響や次世代影響の懸念は, 結局のところYablokovらの報告書や 2011 年 National Report of Ukraineに書かれている内容に由来すると推察された。一方で, 2012 年度放射線対策委託事業で, 長崎大学名誉教授の長瀧重信を委員長とし,ロシア・ベラルーシ・ウクライナの現地の医療・研究機関で行われた現地調査によれば(日本エ又。 ユー・エス株式会社, 2013), 被ばくした親を持つ健康な子供及び慢性疾患のある子供の割合については,放射線の影響とは説明されていない。放射線だけではなく, 避難や移動のストレスなど社会心理的な影響, 旧ソ連の崩壊も考えられた。ところが,Twitterや一部の本では,全ては放射線の影響とされており,ミスリードの要因となっていた。更にその後2015年に出された論文(McMahon et al., 2015)では, 食糧の供給が1995-96年に減少したことが,へモグロビン值にも影響したことが記されていた。このように, 関連論文の検証も重要と考えられた。 したがって,福島原発事故後の放射線影響について検討する時, ウクライナから発信されたチェルノブイリ地域の健康影響のデータそのものの科学的検証がより重要と考えられた。 ## 4. SNS 時代の科学情報発信に関する提言 (鳥居寛之, 宇野賀津子) 福島原発事故後には放射線のリスクに関して様々な意見が対立し,特にTwitterをはじめとするSNSにおいては科学的事実に基づいて発信したグループと,事実よりもむしろ感情的な発言を発信したグループとの分断が顕著たっった。事故から 10年以上を経て今後ますます重要度を増す SNS の活用を軸に,科学者が一般に向けて正しい情報を効果的に発信するに当たって考慮すべき点を環境省への提言としてまとめたので,ここに紹介する。提言にあたっては,我々の研究で実施した情報伝播のネットワークシミュレーションやインフルエンサーへの直接インタビュー,チェルノブイリ事故に関するファクトチェックなどの研究成果に加えて, 福島事故後に班員の一部が参画した保健物理学会有志によるホームページ「暮らしの放射線 $\mathrm{Q} \& \mathrm{~A}\rfloor$ での情報発信の経験を踏まえてまとめた。 まず確認すべきことは,正しいことが世の中に伝わるわけではないことである。科学者は得てしてそう考えがちだが,実際に伝わるのは面白いこと, 興味あることであって, 論理的に説明すれば分かってもらえるはずという幻想は捨てなければならない。また,統一見解は信用されないという ことも認識すべきである。市民の不安は, 政府が統一見解を重視するあまり偏った(と市民がとらえる)情報ばかりを提供したからであって,専門家の意見をユニークボイスとして統一するのではなく,意見に幅があっても様々な考えを見える化して提示したほうが人々は安心する。政治と科学が役割分担しつつ協働して社会の課題解決にあたるべきということは,コロナ禍においても議論され,実践的に模索が続いているところである。英国のように政府に助言できる科学顧問の役割は重要であろう。 情報発信は戦略的である必要がある。堅苦しい内容では届かないので, 広報やメディアのプロに学び,あるいは活用する。文字よりも動画などの方が特に若い世代にアピールしやすい。SNSは重要な媒体だが, 例えばTwitterは速報性と頻度良く投稿するには適しているが,文字数が限られ,达み入った内容を伝えるのには不向きである。 Webページや動画配信と組み合わせ,またテレビや新聞といった従来のマスメディアも含めた様々な媒体で総合的に伝え, 頻度よく繰り返すことも重要である。 情報ネットワークには情報拡散のキーとなるインフルエンサーの影響力が大きい。そうした発信者からの科学的情報の拡散を手伝うサポート体制や, 発信者同志の連携が決定的に重要であることが,我々のシミュレーションから明らかになった。また, 目立つ発信者には誹謗中傷や脅迫も届くことがインタビューで生々しく語られた。発信者を守る体制作りが求められる。 科学的に間違った情報を打ち消し, ファクトチェックをして公表することも欠かせない。迅速な情報発信が何より重要である。 科学者コミュニティーや学会としては, クライシス時に向けた平時からの準備が大切で,普段から幅広い分野の科学者の連携体制を構築するとともに,社会に発信する科学者を増やすことに取り組まなくてはならない。 ## 5. 議論 企画セッションでは, 坪倉, 宇野, 鳥居の 3 人からの発表を受け,林岳彦から以下の 3 点のコメントが寄せられた。 第一に,全体的に科学者性善説によっている点である。科学者と一般に分けた議論がなされたが,実際には“科学者”の専門性の程度も様々で あり,的外れな意見を提示する科学者も多いのではないか,また,その中で科学者同士が連携するのは難しいのではないかという指摘であった。第二は,統一見解ではなく様々な考えを見える化して提示することに対して,提示された意見がチェリーピッキングされる(都合のよい知見や証拠たけ抜き取って利用されてしまう)危険性があるのではないかとの指摘であった。一方で,意見の見える化は具体的にできる可能性もあり, 期待が寄せられた。第三は, 戦略に関する事柄である。 SNS 等では,一般にやらせや利害関係が敬遠される。したがって, 科学者が情報発信を戦略的に行う上で,事前に準備したり,仕込んだりすることそのものが敬遠される恐れがあるとの指摘であつた。 ## 6. おわりに 本企画セッションでは,福島原発事故を事例に特にSNSに関連した科学的情報発信のあり方について議論した。セッションを通じて議論されたのは,例えば,科学者がどのように社会と接するべきなのか, どのように科学者間で連携をするのがよいのか, 科学の枠組みの外にある事柄とどのように向き合うのか, といった科学と社会に関する根源的な疑問へと立ち戻るものであった。無論, それは科学の枠組みを超えたものであり, 科学者の役割ではないという立場もあろう。とはいえ, これまでの知見が示すのは,科学的情報の迅速性と多様さ(あるいは豊富さ)が重要な意義を持つことである。このことは, 科学的情報発信が持つ役割と倫理的あるいは行動規範的観点から整理が必要であろう。SNSがどのような役割を果たすのかといった認識科学的なアプローチのみならず, どのような科学(者)の体制を目指すべきなのかといった設計科学的なアプローチからも議論を深めることの重要性が確認された。 ## 謝辞 本研究は,環境省委託事業「放射線健康管理 $\cdot$健康不安対策事業(放射線の健康影響に係る研究調査事業)」において実施したものです。 ## 参考文献 JANUS (2013) Chernobyl ziko no kenkou eikyou ni kansuru tyousa houkokusyo, JANUS. (in Japanese)日本エヌ・ユー・エス株式会社 (2013) チェルノ ブイリ事故の健康影響に関する調査報告書, 日本エヌ・ユー・エス。 McMahon, D.M., Vdovenko, V.Y., Stepanova, Y.I., Karmaus, W., Zhang, H., Irving, E., and Svendsen, E.R. (2015) Dietary supplementation with radionuclide free food improves children's health following community exposure to ${ }^{137}$ Cesium: A prospective study. Environmental Health, 14, 94. National Report of Ukraine (2011) Twenty-five years after chernobyl accident: Safety for the future. Tsubokura, M., Onoue, Y., Torii, H.A., Suda, S., Mori, K. Nishikawa, Y., Ozaki, A., and Uno, K. (2018) Twitter use in scientific communication revealed by visualization of information spreading by influencers within half a year after the Fukushima Daiichi nuclear power plant accident. PloS one, 13(9): e0203594. Uno, K. (2016) Analyzing the contents of books published about Fukushma Daiichi nuclear incident to ascertain their influence on reader perception of radiation and its health effects, Pasken Journal, 2629, 53-61. (in Japanese) 宇野賀津子 (2016) 2011 年福島第 1 原発事故の書籍動向からの考察:放射線影響はどのように伝えられたか, Pasken Journal, 26-29, 53-61. Yablokov, A.V., Nesterenko, V.B. and Nesterenko, A.V. (2009) Chelnobyl: Consequence of the catastrophe for people and the environment, New York Academy of Sciences.
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# リスク学研究 32(4): 265-270 (2023) Japanese Journal of Risk Analysis doi: 10.11447/jjra.T-22-028 【特集:日本リスク学会第 35 回年次大会 情報】 # 企画セッション開催報告 「環境基準等の設定に関する資料集」の レギュラトリーサイエンス的価値を考える* ## Discussion on the Value of "Compendium of Reference Materials on the Grounds for the Establishment of Environmental Quality Standards" \\ from the Perspective of Regulatory Science 大野浩一**, 井上知也***, 早水輝好**** Koichi OHNO, Tomoya INOUE and Teruyoshi HAYAMIZU \begin{abstract} In the session of the 35th Annual Meeting of the Society for Risk Analysis Japan, the authors shared the significance of the Compendium of Reference Materials on the Grounds for the Establishment of the Environmental Quality Standards (EQSs), practical difficulties in publishing the compendium and measures to solve them, as well as the nature and role of EQSs. Commentators and participants of the session noted the points including 1) there is a need for information dissemination so that the general public can easily understand the meaning of exceeding the threshold such as a standard value, 2) different standards other than EQSs are expected to be included in the contents. \end{abstract} Key Words: Environmental Quality Standards, Target values, Pollution Control, Regulatory Science ## 1. 企画セッションの趣旨 2022 年 3 月末に国立環境研究所が「環境基準等の設定に関する資料集」(以下,資料集という。) をホームページに公表し(早水ら,2022),環境省と共にプレスリリースを行った(環境省, 2022;国立環境研究所,2022)。資料集は,環境基準やそれに準ずる指針値(以下,環境基準等という。)がどのような根拠に基づいて定められたのかに関する資料を一元的に集約したものである。1969年2月にいおう酸化物に係る大気の環境基準が定められて以降, 設定・改定が行われてき た大気・水質・土壤・騒音の環境基準等の設定に係る経緯や根拠を一次資料等と共にまとめた初めての資料集と考えられる。 環境污染を防止するための施策の目標として設定されている環境基準等がどのような科学的根拠でどのように定められたのかを一元的に集約・整理することは, 今後のリスク学と政策決定とのあり方を考えていく上で重要であり,本資料集がその一翼を担っていくことが期待される。 本企画セッションでは, 当該資料集の作成に関わった3名を演者とし, 本資料集作成の経緯と意  義を説明した上で,環境基準の性格と役割について概観し, 最後に本資料集の企画から公開に至るまでの実務的な苦労話を紹介した。また,上記を踏まえて, 資料集が今後果たすべき役割や充実が期待されるコンテンツ,さらには環境基準のあり方等が議論された。第 35 回年次大会の 2 日目朝一番のセッションにも関わらず,現地・Web共に多数の方に参加いただいた。 ## 2.「環境基準等の設定に関する資料集」作成の経緯と意義(大野浩一) ## 2.1 資料集の構成と特徵 資料集の構成としては,最初にトップページがあり,資料集の趣旨,環境基準の位置づけと性格等の環境基準に関する基本的な説明を行っている。その後,第 1 章から 4 章において,大気,水質, 土壤, 騒音に係る環境基準等の詳細と設定根拠を示している。特徴として, 各章のはじめに総説として概要と設定経緯がまとめられていること,また各項目に設定根拠に関する環境省の一次資料が収録されていることがある。さらに再配布許可が得られた場合には, 環境省以外の参考資料や解説文献も収録されている。資料集の概要説明と環境基準設定の概要を抜粋した解説は大野 (2022にに詳しく,参考にしていただければ幸いである。 ## 2.2 資料集作成の経緯 以前より,環境基準等の値,特にその値を守ることだけに焦点が当てられ,基準の根拠が注目されていないこと,また,いざ根拠を探ろうとしたときになかなか情報収集ができないことを残念に感じていた。資料集作成の構想を抱いていたところ,環境省在職時に環境基準関連業務を担当していた早水が国環研に着任(2019年4月~2021 年3月に在籍)したことで,構想が実現できた。 ## 2.3 資料集作成の意義について 資料集の意義の一つに「環境基準等の設定根拠」というキーワードのもと, 各項目に関する解説とともに関連する一次資料を収集できたことがある。 それぞれの環境媒体の環境基準等に対するガイドブックは数あるものの(例えば,日本水環境学会(2009)), 一次資料まで揭載しているものはないであろう。加えて,環境基準を構成している全 ての媒体(大気,水,土壌,音)に関する情報が集まっており,それぞれの特徴について比較できることも意義が大きい。今後, 環境基準等の改定や新規設定の場合には,環境省水・大気環境局の協力も得て情報を更新する予定である。これらについて,書籍ではなくインターネット上で情報提供をしている意義も大きい。 環境基準等の設定に限らず,リスク評価においては, 評価に必要な科学的知見が全てそろうことはほとんどない。その時点で利用可能な知見を限界として,不確実性に対して仮定を置きながらリスク評価や管理を行うことになる。本資料集は環境基準等の設定時における不確実性等に関する情報も明らかにし,今後の環境リスク評価・管理に関する研究の方向性を探るための一助になるのではないかと期待している。 ## 3. 環境基準の性格と役割(早水輝好) 3.1 資料集作成の手順 まずは各基準の答申・告示日の整理から開始した。どの項目・值がどの答申・告示で設定・変更されたのかを全て洗い出す作業が最初の難関だった。環境基準等の設定根拠としては, 審議会の答申・報告を中心に,必要な場合には検討会等の報告や審議会での配付資料も含めて整理したが, 行政文書リストを利用しつつ, 関係課室に協力を依頼したり,国立環境研究所の図書館等も探索して収集した。 本資料集の作成にあたっては, できる限り客観的な資料にすることを心がけた。具体的には,原典を忠実に収録すること(要約ではなく抜粋),総説・総論も既存の答申や解説資料があれば活用して記載することとした。 なお, 作業が発散しないよう, 以下の情報は整理の対象外とした: $\cdot$ 排出側の基準に関する資料(環境基準に影響するケースを除く) $\cdot$ 最終決定に至る議論の経緯 ・根拠になった知見に係る論文そのもの ## 3.2 環境基準の性格について(設定方法を含む) 環境基準は1967年制定の公害対策基本法の第9 条に盛り达まれた。同条第 1 項で環境基準は「人の健康を保護し, 及び生活環境を保全する上で維持されることが望ましい基準」と規定され, 同条第 4 項で「政府は,公害の防止に関する施策を総 合的かつ有効適切に講ずることにより,環境基準が確保されるよう努めなければならない」と規定されており,環境基準が公害の防止に関する施策を進める上での行政上の目標であることが明示されている。この規定はそのまま1993年制定の環境基本法第16条に引き継がれている。 当初は「維持すべき基準」が原案だったが, 議論の結果,「維持されることが望ましい基準」になったという裏話をどこかで読んだことがある。一見後退したように見えるが,「維持されることが望ましい基準」としたことで,かえって高い理想を揭げてそれを目標に施策を進めるという意識が明確になり,その解釈・運用も柔軟性を持つことができてよかったとの指摘が併せて示されていた。 まさしく環境基準の性格を言い得ていると思う。 「リスク評価は科学的に行うが,リスク管理は社会的合意のもとに行う」と言われる。環境基準はその性格上,本来は科学的なリスク評価のみにより設定されるべきものだが,行政目標であるので,実際には対策をある程度考慮しながら設定されることが多い。ただ,過度に対策を「忖度」して,基準の設定を見送ったり科学的でない注文をつけたりするようなことがあってはならない。 ## 3.3 環境基準の役割について(検討課題を含む) 環境基準の設定は, 有害物質については, 科学的知見により有害性が懸念されるレベルで曝露の可能性があるときに,生活環境関連の項目については,一定の悪影響について段階的に目標を設定した方がよいと考えられるときに行われる。このため,悪影響がありそうな中で対策の目標として設定されるだけでなく,悪影響が起きる前に未然防止の観点からも設定される。環境基準を全国に適用することで,それまでの「後追い行政」から 「未然防止」(予防的な取組)に政策が転換され, それを徹底させるのに重要な役割を果たしてきたと言うことができよう。 他方,そのために,環境基準は「要対策基準」 として重みを持つことになり,環境基準が設定されれば,多くの場合,排出側の基準も作って規制をしようということになる。このため,基準を設定しようとする項目は比較的少数であり,その設定もかなり慎重かつ精緻に行われている。環境基準は,単に人の健康や生態系への影響が見込まれる物質・項目であれば何でも設定するような性質のものではなく, 環境基本法に打ける位置づけを見れば,その設定により当該物質・項目に関する問題の解決や(総合的な)対策・政策の進展を図ることが見込まれるものについて設定すべきものだからである。 これに対し,米国の Water Quality Criteriaは,多くの物質を対象に策定されている。まず目標となる基準を作って,必要なものがあれば対策を検討するということになる。「対策基準」の性格は弱まるが,科学的な基準設定は徹底できそうである。 ## 3.4 今後の議論 これまでの環境基準の検討の中で, その予備軍として「要監視項目」や「指針値」という柔軟な仕組みが導入される一方で,過去の污染が残留している POPsのように環境基準の必要性の議論がなお残っているものもある。「環境基準の性格と役割」も, 未来永劫不変ではなく, 污染の状況や政策の変遷によって変わりうるものかもしれない。 資料集の公表を契機として,環境基準のあり方についての若い方々の議論を期待したい。 ## 4. 「環境基準等の設定に関する資料集」の 編纂体験記(井上知也) ## 4.1 はじめに 今後,基準値の根拠を整理・公開しようとする同様の取り組みの参考にしていただくため, 本資料集作成に参加してから公開までの 1 年半を振り返ることとした。 ## 4.2 本資料集の価値 まず,本資料集の価値は資料集自体以外にも, そこに紐づく様々な根拠資料にもあると考えている。本資料集で取り扱った文献数は,大気(90),水質(190), 土壤(20), 騒音(40)である。そのうち, 環境省内等において紙媒体で保管されていた文献として, 大気(12), 水質(34), 土壤(6), 騒音(8)(内訳はTable 1 参照) を公開することができた。まずはこれに大きな価値があると考えている。諮問・報告・答申といった現代では当たり前のように公開される資料も,昭和や平成1ケ夕台のものは,基準値の根拠であるにも関わらず,紙媒体であることがネックとなり公開されていなかったことには驚いた。これを考えると,他の分野でも,古くに設定されたため根拠資料の入手が困難なものは多数あると思われる。 Table 1 Number of documents originally stored only in paper form and made publicly available in the Compendium & \\ ## 4.3 編纂労力がかかった箇所について 編纂を体験した者として, 労力がかかった箇所について以下の6点を挙げたい。同様の取組みの参考にしていただければ幸いである。 1)紙文献の文字起こし 紙文献は文字起こしが必要となるが,文字起こしにおけるパンチミス(ヒューマンエラー)は必ず発生する。そのため, 指差し確認によるダブルチェック・トリプルチェックが必要である。 Adobe Acrobat等のOCRソフトは近年格段に精度が高まっているが,特に古い書類は印刷状態が悪いことが多く, 最終的には手作業での確認が必要だった。 ## 2) 文献管理 本資料集では,章(大気/水質/),節(健康項目/生活環境項目/・) ごとに文献を整理し,「資料集本文」「文献管理表」「文献ファイル」を文字列で常に紐付けることで同期をとったが,文献ファイルの追加や文献名称の変更等により,この 3つを更新・管理するのはなかなか大変な作業だった。 ## 3)書きぶり修正の波及 今回の資料集が対象とした環境基準・指針値は, 資料集の節項目でカウントすると,大気 (23), 水質 (100), 土滾(11), 騒音(5)あり, 1 力所の書きぶりを修正すると,その他の物質,その他の環境媒体にまで確認・修正の対象が波及した。 そのため, 作業自体はWord 以外(例えばExcel) で行い,最終的にWordに出力するようにしたり,直接 HTMLを作るような作業手順の方が良いかもしれない。 4)改訂箇所の書き分け方法基準値は時代と共に改定されるものだが, 当初記載されていた周辺情報 (例: 用途 - 生産量, 環境中での検出状況等)については,更新が入るものと入らないもの(正確には記載がなくなるもの)が出てくる。そのため, 編纂時にはその情報の出典をこまめに残しておくことで効率的な作業が可能となった。 5)告示・通知の確認 環境基準の場合, 測定法も「告示」や「通知」 で規定されている (一部, マニュアルのものもある)。告示は官報で調べられるが,通知は官報に載らないため, 所管官庁のホームページを検索し,掲載されていなければ所管官庁に問い合わせが必要となるが, 問い合わせるには「告示名」や 「通知番号」「通知日時」を特定する必要がある。 このように,原典を辿るところで苦労があった。 6)転載許諾・再配布許諾の依頼 本資料集では, 21 団体に対して計 52 文献の転載許諾と再配布許諾を依頼した。個別送付も時間がかかるが, 転載・引用の仕方によって依頼状の微妙な変更が必要となった。 ## 4.4 本資料集編纂の成功要因について 本資料集編纂の成功要因として, 以下の 3 点が大きかったと考えている。 1)目的やバウンダリの設定 資料を集めれば集めただけ,貴重な情報は出てくる。それを収載しようとして「構成を一つ変える」と「全体的に見直しが必要」という負のルー プにはまるため,今回のように成果物(資料集) の目的やバウンダリを設定し,「必要な情報」「不要な情報」の採用可否を目的に立ち返って論理 立って判断することが重要だった。 2)国立環境研究所が主体となって作成したこと 国立環境研究所が主体となって作成することで,大気,水質,土寋,騒音といった多分野の情報収集や整理を主導することができた。また, 環境省水・大気環境局の全面的な協力を受けたことで,スムーズな資料提供や内容確認依頼ができた。 3)行政担当経験者が参画したこと 環境基準に通じている人が陣頭指揮を執ることで,基準値の全体感を常に意識して作業が可能であった。また, 大気, 水質, 土壤, 騒音の章ごとに,読者の参考になる「総説」を作成できた。 ## 4.5 本資料集に対する今後の期待 最後に,いち利用者として本資料集に対する今後の期待は以下の通りである。 1)データベース的な使い方を想定した機能追加 「物質 \& 基準値 \& 根拠情報」の一括出力機能や,物質名称へのCASRN $の$ 付与を行うことにより,他のデータベースとのスムーズな連携を行えるようにしてはどうか。 2)意思決定のログ情報(議事録)の収集 意思決定の過程でどのような議論がなされ,どのようなファクターが考慮されていたのかについてログを残しておけるとさらに良いのではないか。 ## 5. 議論 報告の後に岸本充生 (大阪大学), 村上道夫 (大阪大学), 永井孝志 (農業・食品産業技術総合研究機構), 小野恭子 (産業技術総合研究所)の 4 氏が本セッションに対してコメントし, その後, ディスカッション及び質疑を行った。 まず,岸本氏からは自身の体験を踏まえてのコメントがあった。審議会の場等で行政官に対して基準値の根拠を確認すると,大抵の場合は該当する法令の条文を回答される場合が多く,その背景まで理解されていることは一般的には稀である。 しかし, 基準值の根拠が分からなければ, どの程度厳密な対応を取れば良いのかが分からないはずであり,仮に対策を打ったとしても十分すぎる対策にも不十分な対策にもなり得るとした。したがって,今回の資料集を足掛かりにして,その他の種々の基準值がどのように策定されたのかを明らかにすること, そして理解することが情報の出し手にとっても受け手にとっても重要とした。 村上氏からは,本資料集の意義等についてコメ ントがあった。具体的には, (1)ウェブサイトで公表されていること, (2)それが国立環境研究所のホームページの下にあること, (3)大半の一次資料が閲覧可能になっていること, (4)化学物質だけてなく騒音の基準までを対象にしていること, (5)基準値の見直しが検討され最終的には変更がされなかったとしても,その経緯が追えるようになっていること, (6)紙資料が徹底して文字起こしされており誤字脱字のチェックも体系立てて行われていること, (7)環境基準值に関する総説が用意されていること,(8)基準値の策定に関わる専門家からレビューを受けて質を担保していること,が挙げられた。また,本資料集への今後の期待として, $\cdot$ 環境省水・大気環境局のホームページからリンクが張られていると良い ・日本リスク学会だけでなく, 大気環境学会や日本水環境学会等の関連学会でもアピールしていただくと良い ・海外においても,このように基準值の根拠を一元的にまとめた資料集があるとありがたい。本資料集の存在を海外にも紹介してはどうか といった点が示された。 最後に,「自然探勝」という概念から「美しい水」とは何かについての議論を期待するという指摘がなされた。これに対しては, 早水より,「沿岸透明度」の基準の導入が検討された際にある程度の議論がなされ,全国一律での設定は難しいため最終的には各地域で設定する「地域環境目標」 としたと回答した。永井氏は,「基準値の○倍を超過した」との報道によって一般市民が混乱してしまう原因は基準値の根拠が情報の出し手 ・受け手で認識できていないことを指摘し,それに対して本資料集が果たす役割についての期待を述べた。例えば, $1 \mathrm{mg} / \mathrm{L}$ という亜鉛濃度が報道された際に,それを「排水基準の 2 分の $1 」$ と表現するか「環境基準の 30 倍」 と表現するのかによって, 情報の受け手は全く異なる受け取り方をするため, 基準値の超過が一体何を意味するのかを理解しておく必要があるとした。また,基準値超過の報道のあり方として,(1)市民と目線をそろえる,(2)基準値の意味(根拠) を伝える,(3)リスク評価の結果を伝える,(4)他のリスクと比較する,(5)とるべき行動が書かれていること等が必要であるとした。資料集の今後の期待としては, 環境基準だけでなく, その周辺の基準値(例えば水質の基準値であれば,排水基準, 水道水質基準,農業用水基準等)までを含めた横断的な整理について提案がなされた。 小野氏からは,本資料集の最も大きな特徴とし て冒頭に「環境基準の位置づけと性格」という解説が記載されていることが挙げられた。環境基準とはより積極的な行政上の目標で,維持されていることが望ましい基準であり,排出基準とは性格が異なり罰則がないことを知っている事業者は実はそう多くはなく, 環境基準を少しでも超過することに気を使っている事業者の認識を少しでも変えていくことを期待するとした。資料集の今後の期待としては,基準值には様々な性格のものがあることが一般市民に対して分かりやすく示されていると良いとの指摘があった。 会場からは, 以下のような質問やコメントがあった: ・基準値や有害性評価値の設定において, 法律によってヒト疫学データと動物試験データの扱い方が異なることについて,基準値を横並びにすると不整合が気になる $\cdot$ 分析手法やそれによる検出下限値等について一覧化できると良い $\cdot$ 環境法政策学会等の環境法学系の研究者ともディスカッションできると良い ・環境基準値の黎明期(1970年代)における専門家らの議論の内容を整理・公開できると良い ## 6. おわりに 本企画セッションは,「「環境基準等の設定に関する資料集」のレギュラトリーサイエンス的価値を考える」と題して, 環境基準等の設定に関する根拠情報を一元的に集約・公開することの意義について, 広く「基準値のあり方」を含めて議論した。全体として, 基準値の根拠を利用しやすい形で整理・公開するに至った今回の資料集の意義を確認・共有することができた。また, 基準値超過の意味を一般の方々が容易に理解できるような情報発信の必要性が指摘された。さらに, 環境基準以外の基準値を含めた横断的な整理などについての期待が示された。 今回の企画セッションを踏まえ,資料集をより充実させたものとするべく検討を進めていきたい。また, 環境基準のあり方についての議論が発展することを期待したい。 ## 参考文献 Hayamizu, T., Inoue, T., Imaizumi, Y., Suzuki, N., and Ohno, K. (2022) Compendium of reference materials on the grounds for the establishment of environmental quality standards. https://www.nies. go.jp/eqsbasis/ (Access: 2023, January, 9) (in Japanese) 早水輝好, 井上知也, 今泉圭隆, 鈴木規之, 大野浩一 (2022) 環境基準等の設定に関する資料集. https://www.nies.go.jp/eqsbasis/(アクセス日:2023 年1月9日) Japan Society on Water Environment (2009) Water Environment Administration in Japan, Gyosei. (in Japanese) 日本水環境学会 (2009) 日本の水環境行政, ぎょうせい. Ministry of the Environment, Government of Japan (2022) Press release of "Compendium of reference materials on the grounds for the establishment of environmental quality standards". https://www.env. go.jp/press/110926.html (Access: 2023, January 9) (in Japanese) 環境省 (2022)「環境基準等の設定に関する資料集」 の公開について. https://www.env.go.jp/press/ 110926.html (アクセス日:2023年1月9日) National Institute for Environmental Studies, Japan (2022) Press release of "Compendium of reference materials on the grounds for the establishment of environmental quality standards". https://www.nies. go.jp/whatsnew/20220418/20220418.html (Access: 2023, January 9) (in Japanese) 国立環境研究所 (2022)「環境基準等の設定に関する資料集」の公開について. https://www.nies. go.jp/whatsnew/20220418/20220418.html(アクセス日:2023年1月9日) Ohno, K. (2022) Introduction to the "Compendium of reference materials on the grounds for the establishment of environmental quality standards", Environment and Measurement Technology, 49(9), 3-10. (in Japanese) 大野浩一 (2022)「環境基準等の設定に関する資料集」について,環境と測定技術,49(9), 3-10.
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# 【原著論文】 # NIMBY の文脈における 当事者の優位化を促す信頼と道徳基盤の影響 一カナダでの地層処分地選定をめぐる 公的機関・先住民族・地元住民の正当性一* ## Effects of Trust and Moral Foundations Associated with Superiorization of Concerned Parties in the Context of NIMBY: Legitimacy of Public Organizations, Indigenous People, and Residents in Selecting the Geological Disposal Site in Canada 野波寬**, 大沼進***, 青木俊明****, 大友章司***** Hiroshi NONAMI, Susumu OHNUMA, Toshiaki AOKI and Shoji OHTOMO \begin{abstract} When the focus is on the location of abhorred facilities involving the context of NIMBY (not in my backyard), residents, as the most concerned party, tend to be superiorly ensured legitimate decision-making rights. Such a tendency of judgment is considered a trade-off that benefits for the entire society. We hypothesized that intuitive moral judgments influence this evaluation process. We conducted a survey to compare the legitimacy and trustworthiness among the public organizations, indigenous people, and residents, and to investigate the associations of these factors about the site selection of geological disposal in Ontario, Canada. The results showed that the legitimacy of indigenous people and residents were evaluated higher than that of public organization and their trustworthiness enhanced each legitimacy. Structural equation modeling results revealed negative paths from individualization and positive paths from binding in moral foundations toward sincerity/capability and similarity as determinants of trustworthiness. For indigenous people, this study observed no significant path from moral foundations to legitimacy and trustworthiness. We discussed the effects of moral foundations on the legitimacy and trustworthiness of indigenous people and residents. \end{abstract} Key Words: legitimacy, trustworthiness, abhorred facility, moral foundations, site selection of geological disposal ## 1. 本研究の目的 NIMBY (not in my backyard)の構造を持つ公共施設は, 社会全体での公益達成に必要とされる反面,立地地域の人々にネガティヴな外部効果が集中するため, 忌避施設と呼称される。忌避施設の立地をめぐる場面では, 当事者とされる地元住民へ優先的に決定権を与えることが自明視されやすい。このような当事者の優位化は忌避施設の立地を阻害し,社会的なリスクを高める可能性も孕む。当事者が優位化されやすい背景には, 道徳価  值の影響が考えられる。本研究ではこれを検討するため,放射性廃棄物の地層処分場をとりあげ,地層処分政策の先進事例であるカナダで調査を行った。 ## 1.1 カナダにおける地層処分政策の経緯と現状 地層処分とは, 原子力発電所で生じた核廃棄物を大深度地下に埋設して人間社会から隔離する処分法である。核廃棄物を処分する上で技術的に最も適した方法とされ,原発を稼働させる各国で地層処分場の立地は不可避の課題となる。 本研究で地層処分政策の事例として取り上げるカナダのオンタリオ州は,カナダ国内で稼働中の商業原子炉 19 基(2018 年時点)のうち 18 基が集中する(Vestergaard, 2018)。日本と異なりカナダでは,使用済核燃料を再処理せずそのまま核廃棄物としており,カナダ国内におけるその貯蔵量は 2016年時点で約 54,000 トン(ウラン換算)とされる(原子力環境整備促進・資金管理センター, 2018)。使用済核燃料が原発敷地内で一時保管されることは日本と同様たが,前述のように原発のほとんどがオンタリオ州にあるため, 使用済核燃料もその多くが同州内に置かれた状態である。 カナダにおける核廃棄物の処理政策は,以下の経緯・現状である(Vestergaard, 2018)。2002年に連邦政府が「核廃棄物法」を策定し, これにもとづき原子力事業者らが,核廃棄物の処分にあたる事業主体としてNWMO (Nuclear Waste Management Organization)を設立した。NWMOはカナダ連邦政府に核廃棄物の長期管理アプローチを提案する権限と義務を持ち,核廃棄物の所有者とカナダ国民, さらに先住民族と協働しつつ処分政策を進める。先住民族が重視される背景には,多文化主義をとるカナダ特有の政治的事情として,先住民族の権利を憲法上に明記するなど制度的保証をはかってきたことがあると考えられる(古谷,2005)。 2005 年にNWMO はカナダ連邦政府に「適応性のある段階的管理」(Adaptive Phased Management; APM) を提起した。これは, 核廃棄物の処分として「最終的には地層処分を行うが,当面約 60 年間はサイト貯蔵を実施」というものである。政府は2007年にAPMをカナダにおける核廃棄物の長期管理の手順として採用し,2010年にNWMOが地層処分場のサイト選定を開始する。21の自治体が立候補し, NWMOはこの中から2020年1月までにオンタリオ州南部と北西部にある 2 地域を選出した(原子力新聞オンライン版, 2020 年 1 月 28 日付)。なおこの選出経緯では, 候補地の地質学的な特性とともに立地に向けた地元住民や自治体の積極性も重視され, 候補地のみならず周辺地域の住民も含む自発的な取り組み(自治体や住民による説明会の開催やPRなど)が勘案された (Ramana, 2013)。以上より, カナダにおける地層処分場サイトの決定経緯に関与の大きいアクター としては, NWMO ・先住民族 - 地元住民の 3 種が挙げられる。 ## 1.2 忌避施設をめぐる当事者の優位的正当化 空港や廃棄物処理場などの公共施設は, 社会の多数者に公益をもたらす一方,立地地域の住民に健康被害や安全の低下といったネガティヴな外部効果を及ぼす(O'Hare, 1977; Sakai, 2012)。地層処分場も,既述のように原発を稼働する各国で不可欠である反面,立地地域の人々に経済的損害や風評被害などの私的な損失を生じさせる。日本国内における地層処分候補地選定を例とすれば,現時点(2023 年)で文献調査 ${ }^{\text {注 } 1}$ が進行する自治体の一つである北海道神恵内村では, 町内の水産加工業者が風評被害への懸念を訴え,また住民の間に分断が生じている(静岡新聞オンライン版, 2022 年4月 13 日付)。これらは, 忌避施設の立地をめぐる外部効果の一例である。したがって地層処分場はNIMBYの構造を持つ忌避施設の一種と言える。 忌避施設の立地には立地地域の住民と不特定多数の市民, 政府・行政など, 利害や価値観の異なる多様なアクターが関与する。これらのアクター 間で立地に向けた合意をつくる上では,「どのような決定をすべきか」の合意とともに,「誰が決定を行うべきか」という決定権に対する評価の共有も重要になる。誰(何者)が決定権を持つべきか, その権利を承認する根拠は何かといった評価がアクター間で異なる場合,いずれかのアクターによる決定を他のアクターが受容せず,忌避施設のみならずさまざまな公的決定や政策の施行上で必要な合意形成が困難となるからである(野波,2017)。 Zelditch (2001) や Johnson (2004) は, 多様な人々の利害に影響を及ぼす公的決定を行う社会システムに対する人々の承認を, 正当性(legitimacy) と呼んだ。これに対して野波ら(野波, 2017; 野波ら, 2019)は,公的決定場面における自他の決定権に対する個人にとっての承認可能性(自身を含む何 者かが公的決定を行う権利への主観的な承認)を正当性と定義し,法規性(決定者の権利が法的な制度や多数者間で共有された規範に依拠する可能性の評価)と信頼性(決定者の能力や誠実さにもとづいて望ましい決定が期待される可能性の評価)が規定因になると報告した。たとえば,能力や誠実さにもとづく信頼性は不十分だが,法規性の面で権利が保障されるアクターを正当な決定者と承認しなければならない(または逆に,信頼性は高いが法規性が不十分ゆえに正当性を承認できない)場合,人々には怒りや不満といった否定的な情動が生じる (Feather,2008)。個々人があるアクターの信頼性を評価することは,その正当性の評価を促す要因となり得るが,両者は別個の概念なのである。 忌避施設の問題に直面した人々には,地元住民のように私的負担が集中するアクターを当事者と見なした上で,その正当性を他のアクター(不特定多数の市民,政府・行政など)よりも優位と見なす傾向が生じやすい(野波, 2017; 野波ら,2019)。 この傾向は,当事者の優位的正当化と呼称される (Nonami et al., 2021; 野波ら,2022)。たとえば地層処分場の立地をめぐって,日本や欧米では個人の認知のみならず社会制度上でも,地元住民の決定権を最も優先する仕組みである (平成 12 年第 147 回国会衆議院商工委員会議録第 16 号,2000; Forrest, 2015; Lehtonen, 2015)。すなわち, 忌避施設をめぐり当事者の正当性をその信頼性とは別個に優位化することは,個人の価値観上でも社会的な制度上でも「自明の理」とされやすい。 ## 1.3 当事者の優位的正当化を促す道徳基盤 忌避施設をめぐり人々が地元住民の正当性を自明視的に優位化すれば,地元住民による拒否の連鎖が生じて施設そのものが立地不可となり,公益達成が阻害される可能性が高まる。すなわち地元住民の優位的正当化は,社会的なりスクを高める可能性もある。社会全体にとっての便益を阻害する可能性を含むにもかかわらず地元住民の優位化が自明視される背景には,道德判断の影響が示唆される(Nonami et al. 2021; 野波ら,2022)。 忌避施設の問題は, 個々人が自己の最大損失を回避するため近隣での立地を拒否した結果として公益が阻害される社会的ジレンマの構造をもつ。 さらに,施設の立地で公益を獲得する不特定多数者と私的負担が集中する立地地域の住民の間に不衡平が生じるコンフリクト構造も併存する (Smith and Desvousges, 1986)。このため忌避施設の問題は, 「少数者(多数者)と引き替えに多数者(少数者)を救うべきか」の判断が問われる道徳ジレンマの側面も併世持つと言える。よって, この問題に直面した人々の判断には,道徳的価値やそれにもとづく道德判断が影響を及ぼす可能性が指摘できる。 道徳基盤理論(Haidt, 2012)によれば,人間には 5 種の道徳価值が生得的に具備される(他者に同情や保護を与える危害/ケア,互酬性を尊重する公正/互酬, 集団内での義務遂行を美徳とする内集団/忠誠, 秩序と権威への敬意を重んじる権威敬意, 身体的・精神的な清潔と貞節を重視する神聖/清浄)。このうち, 前者 2 つ(ケアと公正) は個人間での相互の尊重を促す個人志向,後者 3 つ (忠誠・権威・神聖)は役割や義務を通じて個人と集団を結びつける連带志向の道德基盤となり, いずれも個人に直観的な判断を促す (Graham et al., 2011)。 地層処分場の立地をめぐる場面では,地元住民の正当性とその規定因である信頼性に, 個人志向の影響が認められる (Nonami et al., 2021; 野波ら, 2022)。この報告は, 個人志向の道徳基盤が当事者の優位的正当化を促すことを示唆するものであり,また換言すれば,当事者を優位化する判断が自明視されやすいのは, その背景に直観的な道德判断があるためとの仮説を導く結果と言える。 ## 1.4 信頼性とその規定因への道徳基盤の影響 地層処分場をはじめ原子力関連施設に対する受容には,信頼の影響が大きいとされる(Visschers and Siegrist, 2013; 大澤ら,2019; 大友ら,2019)。大澤ら (2019) 掠よび大友ら (2019) は,決定者である行政への信頼が原子力関連施設の受容を促すこと, 信頼は評価者自身と行政との意見や考えの類似性である価值類似性 (Cvetkovich and Nakayachi, 2007; Nonami et al., 2015) から規定されることを明らかにした。信頼の規定要因には価値類似性のほか,決定者の誠実さ(誠意)や能力が挙げられる (Hovland et al., 1953; Barber, 1983)。決定者の価値類似性ならびに誠意・能力には, それらを評価する個人の個人志向・連帯志向という道徳基盤が影響を及ぼすとされる(Nonami et al., 2021; 野波ら,2022)。野波ら(2022)では, 地層処分場の場面で地元住民を優位化する判断の過程 で,個人志向の道徳基盤が地元住民の信頼性を促す効果が確認された。これらの知見からは, 地層処分場をめぐる地元住民の正当性を規定する信頼性と,その信頼性の規定因となる誠意・能力ならびに価値類似性の評価に対し, 個人志向の道徳基盤が影響を及ぼすとの仮説が成り立つ。 ## 1.5 本研究の仮説 以上の論考を踏まえ, 本研究ではカナダのオンタリオ州における地層処分場の立地を忌避施設の事例として取り上げ,これに関わる公的機関 (NWMO) ・先住民族・地元住民というアクター 3 種の正当性に焦点をあて,以下の仮説を検証する。 仮説 1:オンタリオ州の事例でも当事者の優位的正当化が発生し,先住民族および地元住民の正当性が,NWMOよりも高く評価されるだろう。 仮説 2 : NWMO - 先住民族・地元住民の正当性は,各アクターの信頼性によって規定され,また信頼性に対しては誠意・能力および価値類似性が規定因となるだろう。 仮説 3 : 先住民族および地元住民の信頼性とその規定因である誠意・能力さらに類似性の評価に対し, 個人志向の道徳基盤が連帯志向よりも強い影響を及ぼすだろう。 仮説 2 と 3 の検証にあたり, 本研究では Figure 1 の仮説モデルを提起する。このモデルは野波ら (2022)をもに,正当性の規定因である信頼性に焦点をあて,信頼性に対する誠意・能力および類似性の影響を組みこみ,それらに対する道徳基盤の効果を検討するものである。本研究では上記の仮説とあわせ,この仮説モデルの検証も試みる。 ## 2. 方法 ## 2.1 調査対象者 2021 年9月にカナダのオンタリオ州全域でWEB Figure 1 A hypothetical model accounting moral foundations via trustworthiness toward legitimacy judgement調査を実施した。日本国内の調査会社を介して同州在住のモニター登録者より回答を募った。有効回答数 $n=1250$ (男性 $455 \cdot$ 女性 788 ・不明 11 , すべてオンタリオ州在住者), 年齢層は 18 67歳 $(M=$ 39.5, $S D=13.5)$ であった。原子力関連産業の従事者はあらかじめ除外した。右派・左派 - 中立で訊ねたイデオロギー傾向に関しては, 右派 248 名 $(19.8 \%)$, 左派 324 名 $(25.9 \%)$, 中立 504 名 $(40.3 \%)$,未回答 174 名(13.9\%)であった。 ## 2.2 測定尺度 回答に同意した対象者へ, WEB上でまず道徳基盤尺度(Haidt,2012)への回答を求めた。次に, カナダ国内における核廃棄物の現状と地層処分事業の経緯を説明した文章(本論冒頭1.1の概要)を示し, 読了を求めた。なお説明後にはその内容に関する設問 3 つが付随し,すべて正解するまで対象者は説明画面から先に進むことができなかった。対象者にはこの後, オンタリオ州で地層処分事業を進めることの危険性や必要性に関する項目への回答を求めた。さらに,本研究でカナダにおける地層処分地の決定に関わるアクターとして取り上げたNWMO・先住民族・地元住民それぞれの正当性その他を評価する項目にも,回答を求めた。本研究で設定した主要な測定尺度を以下に示す。道徳基盤 Haidt $の$ HP より, 道徳基盤尺度の短縮版 (総数 20 項目)を採用した。これは, 既述の道徳基盤 5 種それぞれが個人の判断に結びつく道徳的な関連度を測定する前半 10 項目と, 各基盤に関連する具体的な意見に対する個人の同意を測定する後半 10 項目から成る。前半は「まったく関連しない (1 点) 」-「非常に関連する (6点)」, 後半は「まったく同意しない(1点)」-「非常に同意する (6点)」の6段階尺度である。 正当性 $\mathrm{NWMO} \cdot$ 先住民族 - 地元住民の正当 民族・地元住民)の人々が地層処分場の決定者になることを,承認しようと思う」と「オンタリオ州で地層処分場の是非を決める人々をNWMOの人々(先住民族・地元住民)とすることを,私は承諾できる」の2 項目, 計6項目で測定した $(2$項目の一貫性は3アクターいずれも $r \mathrm{~s}>.77$ )。 信頼性 NWMO ・先住民族・地元住民の信頼性に関して, アクターごとに「オンタリオ州で地層処分場を立地するか否かを決定する上で, NWMO(および先住民族・地元住民)の人々は信頼できる」と「オンタリオ州に地層処分場を立地するか否かを決める上で,NWMOの人々(先住民族・地元住民)は頼りになる」の2 項目,計6 項目で訊ねた(3アクターいずれも $r \mathrm{~s}>.76 ) 。$ 誠意・能力・類似性アクター3種それぞれの誠意と能力に対する評価を測定するため,「オンタリオ州における地層処分場の問題で,NWMO (および先住民族・地元住民)の人々は州の人々を大切に考えて取り組んでいる」と「NWMO(先住民族・地元住民)の人々には,地層処分場の立地に関する判断を,適切に行う能力があるだろう」という計6項目を設定した(3アクターいずれも $r \mathrm{~s}>.61$ )。また価値類似性は,「地層処分場の立地について,NWMO(先住民族・地元住民)の人々の考え方や意見は私と似ているだ万う」という計 3 項目で測定した。誠意と能力はアクターごとに2項目の平均値を算出し,類似性は単項目で得点を算出した。 その他,対象者が地層処分場を忌避施設ととらえたことを確認するチェック項目を設定した。また,核廃棄物に対する危機認知を,「核廃棄物は, オンタリオ州にとって危険なものだと「オンタリオ州において核廃棄物を地層処分することは,危険な問題だと思う」の2 項目で測定した $(r=.74)$ 。 道德基盤尺度は英文の原版を採用したが,それ以外の説明文や項目は,野波ら (Nonami et al., 2021;野波ら,2022)とCvetkovich and Nakayachi (2007) をもとに日本語で作成し, 調查会社委託で英訳の上,筆者らが最終確認を行った(道德基盤を除き,「まったく同意しない(1 点)」-「非常に同意する (5 点)」の5 段階尺度)。 ## 3. 結果 ## 3.1 忌避施設としての理解と危機認知 地層処分場の必要性を訊ねた「オンタリオ州の将来を考えると,この州のどこかに地層処分場は必要たと思う」に対する回答は $M=3.50(S D=1.07)$ で,フラット值(3.0)より有意に高かった(1サンプル $t$ 検定, $t_{(1249)}=16.53, p=.001$, Hedges' $\left.g=.47\right) 。$一方で「自分の住む近くに地層処分場はないほうがいい」への回答は, $M=4.02(S D=1.07)$ に達した $\left(1\right.$ サンプル $t$ 検定, $\left.t_{(1249)}=33.60, p=.001, g=.95\right)$ 。 つまり対象者は,地層処分場が必要と評価する一方, 近隣での立地には強い忌避を示した。よって彼らは, 地層処分場を忌避施設と理解していた。 また, 核廃棄物への危機認知(2 項目の平均値)は $M=3.76(S D=0.90)$ であり,フラット值 $(3.0)$ より有意に高かった $\left(1\right.$ サンプル $t$ 検定, $t_{(1249)}=29.89$, $p=.001, g=.85$ )。 ## 3.2 各アクターの正当性と信頼性 NWMO $\cdot$ 先住民族 ・地元住民に対する正当性・信頼性について, 各々 2 項目の平均値を算出した。Figure 2 は, 各アクターの正当性である。評価対象アクター(NWMO ・先住民族・地元住民) を独立変数とし,イデオロギー傾向を共変量とする 1 要因の共分散分析(参加者内)を行った結果, アクターの主効果が有意であった $\left(F_{(2,2496)}=25.25\right.$, $p=.001, \eta^{2}=.02$ ), 多重比較 (Bonferroni法, 以下同様) では地元住民 $(M=3.29, S D=0.97)$ と先住民 $(M=3.28, S D=1.04)$ の正当性がNWMO( $M=3.09$, $S D=1.00)$ よりも高いことが示された(すべて $p<$ $.001)_{\text {。 }}$ Figure 3 は信頼性の分析結果である。上記と同様な 1 要因の共分散分析で, アクターの主効果が有意と確認された $\left(F_{(2,2496)}=28.15, p=.001, \eta^{2}=.01\right)$ 。多重比較では, 先住民族の信頼性 $(M=3.42, S D=$ Figure 2 Legitimacy of each actor $\left({ }^{* * *} p<.001\right.$, error bars reflect within-subjects SEM) Figure 3 Trustworthiness of each actor $\left({ }^{* * *} p<.001\right.$ error bars reflect within-subjects SEM) $0.95)$ がNWMO $(M=3.25, S D=0.93)$ と地元住民 $(M$ $=3.31, S D=0.91 )$ より高かった(すべて $p<.001 ) 。$ 誠意・能力にも, 1 要因の共分散分析でアクター の主効果が認められた $\left(F_{(2,2496)}=15.37, p=.001, \eta^{2}=\right.$ .01)。多重比較では,正当性と同様に先住民族 $(M=3.48, S D=0.91)$ と地元住民 $(M=3.47, S D=0.87)$ の誠意・能力がNWMO $(M=3.38, S D=0.85)$ より高く評価された (すべて $p<.01$ )。また類似性でもアクターの主効果が有意となり $\left(F_{(2,2496)}=60.38, \quad p=\right.$ $\left..001, \eta^{2}=.05\right)$, 多重比較でも先住民族 $(M=3.46, S D=$ 0.99)は他のアクター2種より有意に高く, NWMO $(M=3.05, S D=0.95)$ は他の2つより低く評価された (すべて $p<.05)^{\text {注 } 2}$ 。 ## 3.3 道德基盤の構成とモデル検証 個人志向と連帯志向の変数を構成するため, 道徳基盤 5 種それぞれの道徳的関連度と個人の同意を測定した 20 項目を投入し,探索的因子分析(最尤法, プロマックス回転, 以下同様)を行った。 しかしこの分析では個人志向の因子に忠誠の項目が混入するなど妥当な因子構造が得られなかったため, Hadarics and Kende (2018)および野波ら (2022) に沿って, 道徳的関連度の 10 項目のみ投入した探索的因子分析を実施した。その結果, Table 1 に示す因子構造が得られた。ガットマン基準にもとづき,忠誠・権威・神聖の6項目による連帯志向 $(\alpha=.87)$ と, ケア・公正に関する 4 項目から成る個人志向 $(\alpha=.85)$ の 2 因子が抽出された。この 10 項目を投入した確証的因子分析の 2 因子モデルは,適合度も高かった $\chi_{(22)}^{2}=89.640, \mathrm{CFI}=.989, \mathrm{GFI}=$ $.986, \mathrm{RMSEA}=.050, \mathrm{AIC}=155.640)$ 。WEB 上での大規模調査(データ数 3 万以上)を通じて道徳基盤尺度の妥当性を検証したGraham et al. (2011)でも,道徳的関連度と個人の同意それぞれで, 探索的因子分析の結果より個人志向と連帯志向に相当する 2 因子が示された。またカナダ人を含む英語圈の多国籍データを用いたSmith et al. (2014, study 1a および1b)も,個人志向と連帯志向の 2 因子による分析を進めている。したがって本研究で得られた道徳的関連度での 2 因子構造には,一般的なモデルとして一定の妥当性があると言える。以上より, 本研究ではこの2因子モデルを採用し, 個人志向と連帯志向の尺度を構成した。 Figure 4 (a)(b)(c)は, それぞれ NWMO・先住民族 - 地元住民の潜在変数 (正当性, 信頼性, 誠意・能力,類似性)と個人志向および連帯志向との因果関係を, 仮説モデル(Figure 1)に沿って共分散構造分析で検討した結果である。アクター 3 種すべてのモデルで, 信頼性は正当性と強く関連していた。またいずれのモデルでも, 誠意・能力と類似性が両者とも信頼性に対する強い規定因と認められた。 道徳基盤の影響には, アクター間で差異が見出された。NWMOに対するモデルでは, 連帯志向から誠意・能力への)有意なパスが見られた $(\beta=.22$, Figure 4[a])。また先住民族に対するモデルでは,道徳基盤から信頼性およびその規定因に対する有意なパスが見られなかった。地元住民に対するモデルでは,誠意・能力に対して個人志向から負のパス $(\beta=-.23)$ および連帯志向から正のパス $(\beta=$ .37), 類似性にも同様に個人志向からの負のパス $(\beta=-.24)$ と連帯志向からの正のパス $(\beta=.40)$ が見 Table 1 Results of exploratory factor analysis on Moral Foundation Questionnaires (10 items on moral relevance) (maximum likelehood, promax rotation) Figure 4 Models for (a) NWMO, (b) indigenous people, and (c) residents, including paths of moral foundations via trustworthiness toward legitimacy Note: Values indicate standardized coefficients $\beta$, ${ }^{*} p<.05,{ }^{* *} p<.01,{ }^{* * *} p<.001$ られた(すべて Figure $4[\mathrm{c}]$ )。 道德基盤から信頼性への直接的なパスは, アクター3種いずれでも有意ではなかった。また正当性に対する直接的なパスに関しても,先住民族のモデルで個人志向から有意な影響が認められたが係数としては低く $(\beta=-12$, Figure $4[b])$, 実質的な影響は小さいと言える。 ## 4. 考察 オンタリオ州に扔ける地層処分場の立地をめぐり,その是非を決定する権利の正当性は,NWMO よりも地元住民が高く評価された。野波ら(野波ら, 2019; Nonami et al., 2021; 野波ら,2022)が日本国内で確認した当事者の優位的正当化がカナダの事例でも再確認され,当初の仮説1が支持された。 正当性の判断過程を検討したモデル分析の結果 では,NWMO・先住民族・地元住民すべての正当性に信頼性からの強いパスが認められ,また信頼性に対しては誠意・能力と価值類似性がいずれも有意な規定因となった。この結果は,正当性が信頼性と法規性から規定されるという知見(野波, 2017; 野波ら,2019)なびに信頼の規定因に関する従来の知見 (Cvetkovich and Nakayachi, 2007; Hovland et al., 1953) と一致し, 本研究の仮説 2 を明確に支持するものである。 さらにこのモデル分析では, 連帯志向からNWMO の誠意・能力に対して正のパスが見られた。これは,内集団の強化を志向する道德基盤が公的機関への信頼を促すことを示す結果であり,野波ら (Nonami et al., 2021; 野波ら,2022)と一致する。一方で地元住民の誠意・能力と類似性には個人志向からの負のパス,および連帯志向からの正のパスが認められた。野波ら (Nonami et al., 2021; 野波ら,2022)では,地層処分場をめぐって地元住民の信頼性に個人志向から正のパスが見られ,個人の権利や相互の公平性への志向が当事者の信頼性に対する評価を高める経緯となった。しかし本研究の結果はこれと対立的で,カナダの対象者は個人の権利や相互の公平性への志向が低いほど, また社会・集団の強化に対する志向が高いほど,地元住民の誠意・能力と価値類似性を高く見なすことが示唆された。これは, 本研究における仮説 3を棄却に導く結果である。 上記の結果の背景として,一般的信頼の影響が提起できる。一般的信頼とは,人間は善良で他者を裏切る行動はしないだろうといった,特定の他者ではなく人間一般の信頼性に対する期待であり (Yamagishi and Yamagishi, 1994), カナダ人は日本人より一般的信頼が高いとされる (Zheng et al., 2020)。一般的信頼の高い人々は,人間が他者全般の利益に配慮して行動するとの期待を高く維持するが, この傾向は忌避施設の場面において, 他者は一般的に公共の利益を重んじて行動するだろうとの期待を導く。本研究の場合, カナダ国内で高い一般的信頼を背景とした対象者が,地層処分場をめぐる地元住民に公益への配慮に対する期待を高め,このことが地元住民の誠意・能力および価値類似性と連带志向との関連を強めたと考えられる。実際に,日本では地層処分場のサイト選定手続きを定めた法律(「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」,2000年公布)の施行以来, 20 年にわたり自治体の立候補がほとんどなかっ た反面,カナダではNWMOがサイト選定を開始した2010年から 10 年余で 21 の自治体が立候補しており,この経緯にはカナダにおける一般的信頼の高さから,人々が他者全般に対して公益の重視を期待する傾向が高いことが反映されている可能性がある。ただし,日本やカナダをはじめ多様な文化的背景の中での一般的信頼と道徳基盤との関連については,今後より詳細な検討が必要である。 本研究のモデル分析では,先住民族に対するモデルで,道徳基盤の影響が検出されなかった。忌避施設をめぐって人々が自他の信頼性・正当性を判断する根拠となり得る要因には,Haidtらが提起する道徳基盤のほかに,土地や資源の所有・利用に関する歴史や慣習が提起できる。ある土地や資源を長年にわたり特定のアクターが持続的に利用してきた歴史やその経緯で形成された慣習が, その土地・資源の所有権や利用権を裏づける根拠となる場合がある。たとえばカナダでは,先住民族のひとつであるニスガ族が,1998年にカナダ連邦政府および州政府と土地返還協定を締結した。 これは,土地に対する先住民族の所有権が欧州移民による北米大陸の植民地化以前から存在し,かつ,その権利が現在まで継続することをカナダ国内で認めた協定のひとつである (Blackburn, 2007)。植民地化以前の歴史や慣習にもとづく土地の所有と利用の権利が,植民地化後に導入された欧米的な法制度や価値観による所有権と対立した例は,東アフリカやソロモン諸島,および日本でも報告される(宮内,2001; 松田,2005; 菅,2006)。 これらの事例のように,土地や資源の所有 ・利用をめぐる権利の正当性は,欧米的な制度ないし価値観に依拠する場合と,それらが導入される以前の歴史や慣習にもとづく場合がある。この2つはときに対立することからも明らかなように,正当性を根拠づける基盤としては互いに異質で独立した要因である。本研究の地元住民は, Haidtらが提起する 5 種の道徳基盤に依拠して,信頼性・正当性が判断された。しかし先住民族に対するモデルの分析結果は,道徳基盤ではとらえることのできない要因から信頼性・正当性を判断されるアクターやケースの存在を示唆するものとなった。 Haidtらが述べる 5 種の道徳基盤は人間社会で汎文化的に観察される価值観であり,必ずしも欧米特有のものではない。しかしながら, 自他の権利の承認・否認という人間に普遍的な行動場面で, すべてのアクターの信頼性・正当性を判断する基準となり得るものでもない。忌避施設にかかわるすべてのアクターの正当性を,近代的な法制度や普遍的な道徳的価値観のみで判断することは,それらの範疇に入らない歴史や慣習にもとづく正当性を持つ人々の排除につながる。忌避施設の立地をめぐり,多様な基盤に依拠した正当性をもつ人々による討議を保証する上では,法制度や普遍的な価値観のみならず,地域社会やアクターごとに固有の背景を探査する手続きが必要と言える。本研究の限界として,対象地であるオンタリオ州の実態(都市部とそれ以外の地域との人口格差,人種の分布など)に即した層別サンプリングを行わなかったことが挙げられる。また調査項目数の制約上, satisficer(不誠実回答者)を検出する DQS (Directed Questions Scale; Maniaci and Rogge, 2014)や,特定の変数に関する項目が設置できなかった。たとえば誠意と能力について,中谷内ら (2014)ではそれぞれ内的妥当性の高い複数項目で測定して変数の分離と独立性を担保したが, 本研究ではいずれも単項目であったため,分析上はこの2つを同一変数として扱わざるを得なかった。本研究で誠意と能力を測定した項目間の相関は比較的高く $(r \mathrm{~s}>.61)$, この2つを合成することに統計上での問題はなかったと言えるが,理論上で独立の概念を同一変数としたことで,モデル分析結果の解釈において一定の制約が生じた。たとえば,本研究で地元住民の誠意・能力に対して示された道徳基盤の影響は,誠意と能力いずれに対する影響なのか,厳密には特定できない。また野波ら (2022)では正当性の評価にもとづく受容意図を最終的な目的変数としたが, これも本研究では項目数の制約から受容意図を測定できなかった。これらの点で, 本研究のデータの信頼性や先行研究との対応には疑義が呈される。本研究の知見の妥当性には,慎重な再検討が求められる。本研究ではカナダの地層処分政策を事例として,忌避施設をめぐり地元住民の優位化が生じること,ただしその判断の基盤となる道徳的価値は日本と逆であること,先住民族のように普遍的な道徳的価值観のみでは信頼性・正当性が判断されないアクターが存在することが示された。特に最後の知見は, 日本でも現在 (2023年), 北海道の 2 地点で地層処分場のサイト選定手続きが進む経緯において,考慮されるべき重点であろう。忌避施設をめぐり,法制度や普遍的価値観のみによっ て当事者を定義づけるのではなく, 個々の地域やアクターに固有の歴史・慣習をすくい取る手続きのあり方を探ることが,今後の重要課題である。 ## 謝辞 本研究は, 原子力発電環境整備機構委託事業「2020 年度・2021 年度地層処分事業に係る社会的側面に関する研究支援事業 II」による。なお本研究の実施にあたっては, 関西学院大学「人を対象とする行動学系研究倫理委員会」の承認を受けた (承認番号:2021-32)。 ## 参考文献 Atomic Industry Newspaper Online (2020) (2020, January, 28) Canada no tisou-syobun keikaku: Saisyu kouho 2 titen no 1 titen to tyosa no medo de goi. https://www.jaif.or.jp/journal/oversea/1718.html (Access: 2022, September, 25) (in Japanese) 原子力産業新聞オンライン版(2020)(2020年1月 28 日付)カナダの深地層処分計画:最終候補 2 地点の 1 地点と調査のめの立入で合意. https:// www.jaif.or.jp/journal/oversea/1718.html(アクセス日:2022年9月25日) Barber, B. 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risk
cc-by-4.0
Society For Risk Analysis Japan
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# 【原著論文】 ## 学校危機管理におけるリスクコミュニケーションに関する研究 \\ 一シックスクール症候群(SSS)・化学物質過敏症(MCS) 事案発生時の 対応に着目して一* \author{ Risk Communication in School Risk Management: \\ Focus on Responses to the Incident of Sick School Syndrome (SSS) \\ and Multiple Chemical Sensitivity (MCS) } ## 中川 彩美** ## Ami NAKAGAWA \begin{abstract} Even though the outbreak of sick school syndrome (SSS) and multiple chemical sensitivity (MCS) in schools has recently been recognized as an issue, no sufficient countermeasures have yet been developed to deal with the health hazards as risk management. This study aim is to clarify the issues found in the model of risk management applied by the MEXT and in risk communication, which is the mainstay of risk management to ensure the safety of children, based on a case study of a school that suffered from chemical sensitivity, and to make suggestions for the improvement of the risk management guidelines in the future. \end{abstract} Key Words: Multiple chemical sensitivity, Risk communication, School risk management ## 1. はじめに 本研究の目的は, 化学物質過敏症(MCS)が発生した学校の事例から,文部科学省の学校危機管理モデル課題を明らかにし,危機管理ガイドラインの改善に向けた提言を行うことである。 学校が子ども達にとって安全な学びの場であるためには日頃から危機管理に対する組織的な取り組みが欠かせない。そのため, 文部科学省は,「学校の危機管理マニュアル作成の手引」(2018,以降,「手引」)を出しているが,ミサイル発射やテロ行為といった新たなりスクについて項目ごとの記述があるにもかかわらず,校内での MCS の発生に関しては記述がみられない。 ## 1.1 学校経営における危機管理体制 文部科学省が作成した「『生きる力』をはぐくむ学校での安全教育」(2019)では,危機管理を効果的に進めるためには学校内に組織的な体制を構築し, 教職員への研修や家庭・地域との密接な連携など学校の安全に関する組織的な活動を円滑に進めることが極めて重要であると示されている。 しかし近年の危機は, 原因の複雑性・不明確性,危機期間の不明確性, 危機そのものの不明確性等の特徴があり,従来と同様の危機管理ではカバー できない事態が生じている(鈴木,松下,2022)。特に校内でのシックスクール症候群 (SSS) や $\operatorname{MCS}$ の発生事案については近年課題視されているにもかかわらず(杉田ら,2007;原ら,2007;  永吉ら,2013;溝内ら,2014;魚見ら,2017),健康被害に対する危機管理としての対応策が未だ十分に練られていない。 「手引」では危機管理の流れを事前・発生時・事後の3段階で表していることからCoombs (2012) の3段階モデルと共通していることが伺える。しかし危機管理分野全般でよく用いられているのは Mitroff (1988)の 5 段階モデルである。この 5 段階モデルは, (1)前兆の発見, (2)準備/防止, (3)封じ迄め/被害抑制, (4)回復, (5)学習の5 段階に分けられたものであり, 循環的に危機管理を行うという構成が特徴である。(1)と(2)の段階がCoombs (2012)のモデルにおける事前段階であり, ここで適切な対応が取られれば危機を未然に防ぐことができる。もし危機が発生しても(3)で危機を封じ込め, 被害を最小化するための対策が取られれば危機の拡大を食い止めることができる。その後, (4) と(5)の事後段階で危機からの回復を図り, 学習によって教訓を得ることで(1)の前兆の発見につながるようになっている。しかしながら学校教育においては学校管理上, そもそも学校に危機が存在してはならないはずだという規範的信念が重視されるきらいがあることから,5段階モデルの(1前兆の発見や(5)学習に対して消極的になる傾向がある (福本, 2018)。 ## 1.2 化学物質過敏症とは 化学物質過敏症 (MCS) とは, 洗剤, ガソリン, カーペット,殺虫剤,一部の合成および天然香料などに含まれる化学物質に曝露することによって発症するものである。症状としては, 頭痛, 吐き気, 鼻水, 疲労感, 集中力の欠如, 記憶障害などが見られる。具体的な解決策はなく, 原因となる化学物質がある環境を回避することで, 症状を防止・緩和させることが主な対応策である。MCS を引き起こす要因やプロセスについては各分野で議論が続いており, 様々な呼び名がある。特に,学校施設内で発生するものはシックスクール症候群(SSS) と呼ばれる(Zucco and Doty, 2022)。 MCS に関する先行研究では, 家族や地域, 職場環境との関係や時間の使い方といった日常活動に与える影響や個々人が抱える症状の管理法, またMCSによるスティグマの存在が明らかとなっている (Briones-Vozmediano and Espinar-Ruiz, 2021; Driesen et al., 2020)。また, MCS の有症率, 子どもにおける MCS 発症率の高さ (Karvala et al., 2018; Azuma et al., 2015), そして学力低下との関連性も諸外国で明らかにされている(Mendell and Heath, 2005)。先進国におけるMCS の有病率は約 10\% 30\%と言われており, 日本においても約 10\%であることが確認されている。しかし, 日本では MCS の認知度が低いため, この割合は実態よりも低く見積もられているのではないかといわれており (Azuma et al., 2015), MCS の正確な人数を把握することは現状非常に困難である。たたし, $\operatorname{MCS}$ の学校危機管理に関する先行研究は, 管見の限り見当たらない。したがって, MCSは先にも述べた鈴木, 松下 (2022)が示すような近年の危機の特徵に合致しており,このことからも, MCSに対する危機管理の整備は契緊の課題であるといえよう。 ## 2. 研究方法 本研究では SSS・MCSが発生した学校を事例に,危機管理プロセスの課題を明確にするため Mitroff (1988)の5 段階モデルから「手引」の危機管理モデルと共通しているCoombs (2012)の3 段階モデルを検討する。たたし Mitroff (1988)の 5 段階モデルについても循環的なモデルではあるものの, (5)学習から次の(1)前兆の発見にかけて, 健康被害を被った者への対応は不明瞭で,完治が難しく症状に個人差もある MCSのような危機を想定しきれているとはいえない。そのため危機管理プロセスの危機管理基準として坚童教職員の健康がいかに用いられているかという視点を重視し議論を行う。 また,MCSは発症メカニズム等未だ明らかになっていない点があることから (Glas and Claeson, 2021), 危機の不明確性を解消した状態で合意形成を行うためにも関係者間でリスクコミュニケー ションを行う必要がある。にもかかわらず, 危機管理におけるリスクコミュニケーションは「手引」において明確に示されていない。リスクコミュニケーションとは,「社会の各層が対話・共考・協働を通じて, リスクと便益, それらのガバナンスのあり方に関する多様な情報及び見方の共有ならびに信頼の醸成を図る活動」(平川, 奈良, 2015:14頁)である。したがって, 危機発生時の合意形成に向けたリスクコミュニケーションにおいて何が議論の主題とされており, 個人や集団がどのように MCSのリスクを認識・判断し, 行動を起こすのか, それにはどのような特徴と課題 があるのかを明らかにする。最後に以上の結果を踏まえて, ガイドラインの改善案を提言する。 ## 2.1 調査対象 本研究で取り上げる事案は, 日本の $\mathrm{M}$ 市 $\mathrm{K}$ 小学校で発生した化学物質過敏症の事案 (以降, SSS 事案)である。本研究では関連会議資料と新聞記事を分析に用いる。各分析資料はSSS 事案関係者から入手し,個人が特定される情報を明かさない条件で本研究への活用の同意を得た。なお,本研究は広島大学の研究倫理審査委員会の承認を受けたものである。また,プライバシー保護のため資料の出典の明記は控える。分析に用いる会議資料は,学校・保護者・市教委・地域間のシックスクール問題協議の場として組織された委員会において, 市教委によって作成された会議資料と議事録,また,事案発生後に校舎内の空気質測定を実施した専門家によるSSS 及びMCSに関する説明資料, PTA と学校間での会議資料である。新聞記事は,SSS 事案に言及した地方紙 2 社,県内紙 1 社,全国紙1社の計4社の記事である。ただし, そのほとんどが地方紙による記事である。SSS 事案発生から約 2 か月後から 10 年後まで, 地方紙で 55 回, 県内紙で 10 回,全国紙で 1 回,計 66 回報道された。 シックスクール症候群の報告例としては, 本事例の他にも,2000年の新築大学校舎,2002年の九州の小学校, 2007 年の新築大学校舎で健康被害が報告されている(Kamijima et al., 2002; 上島ら, 2005; 原ら, 2007; 森ら, 2011)。これらの事例の共通点は, 学校環境衛生基準によって規制されている物質ではなく未规制の物質が高濃度であった点であり,健康被害の原因が不明とされてしまうという問題が指摘されている。由えに,このような事例は危機管理の際,原因の不明確性が一段と課題になるものである。特に本研究で扱う事例は全校生徒数のうち症状を訴えた生徒数が半数を超え,校舎の利用自体を長期停止し,また校舎の利用再開に向けて学校の全構成員間での議論が必要とされた点で危機管理体制におけるリスクコミュニケーションの議論に適した事例である。 以下,当資料を参考にSSS 事案の概要を説明する。 本事案は校舎の老朽化により新築された校舎の建材により, 児童の半数以上, 教職員の 3 分の 1 がMCS(またはそれに準じた)症状を訴えたもの である。当時児童・教職員が MCS に似た症状を訴えているとの報告が児童教職員からK校を介して市教委になされたことにより,SSSに対する委員会が設置された。委員会の目的は, (1)览童及び教職員の健康回復, (2)新校舎での坚童及び教職員全員による早期学校生活の再開, (3)児童及び教職員の健康被害や新校舎の空気環境污染等の原因究明, (4)経過的措置としての仮校舎の利用, (5)専門家の意見聴取と意見交換であった。この委員会は, 市教委 5 名(教育委員長 1 名, 学務課 2 名, 施設課 2 名), 教職員 8 名, 保護者 19 名, 地域住民 11名で組織された。役員は, 委員会の代表が教育委員長, 保護者の代表・窓口をPTA 会長, 学校の代表を学校長, 窓口は教頭, 市教委の代表を学務課部長, 空口を学務課というかたちであった。 委員会は初回の会議後,SSS 事案の原因となった化学物質を推定し, 当該物質濃度の低減に努めた。その結果,当該物質濃度は低濃度となり,また室内の総化学物質濃度が目標指針値を下回り,新校舎での授業再開を本格的に検討する流れとなった。新校舎での授業再開の決め手として,多くの览童・教職員に症状改善・完治がみられたという経緯もあるが, 症状の改善・完治がみられなかった児童・教職員も存在した。残念ながら, 彼らに対しては個別の要求に応えるという対処にとどまり, 症状があるにもかかわらず新校舎での授業の参加を余儀なくされた。その後, 委員会は有症者への対応を目的とした健康対策懇談会へと改組され, 健康被害を被った人々と市教委職員のみが参加する組織形態となった。 ## 2.2 分析手法 本研究ではNvivo Windows Release 1.7によるコーディング分析をおこなった。コードの内容は Table 1 の通りである。まずコードの作成は本研究の分析枠組みである Mitroff (1988)の 5 段階モデル, 分析対象であるK校が危機の対処に用いた文部科学省のガイドラインと共通している Coombs (2012)の3 段階モデルを参考とした。またコードとして, 文部科学省の「手引」の項目を取り入れた。さらに本研究の批判的視点から, 児童の健康回復・安全確保とそれに対するリスクコミュニケーションに焦点を当てたコードを独自に作成し追加している。分析資料の総単語数は, 会議資料が60705 語, 新聞記事が 39110 語である。 ## 3. 結果 会議資料及び新聞記事はいずれも危機発生後からのものであるため,危機管理プロセスの事前を除き,危機発生時(Mitroff (1988) 5 段階モデルの (3)封じ迄め/被害抑制) 及び事後(同 5 段階モデルの(4)回復, (5)学習) の危機管理対応について検討する。 ## 3.1 危機管理の特徵と課題 ## 3.1.1 (3)封じ込め/被害抑制 この段階は本来, 危機によって発生した被害を最小限にし,影響を受けていない者が巻き达まれないよう対応を行う段階であるが,本事案では委員会という組織の在り様と,そこでの役割分担に課題がみられた。これは, コードの「役割分担と対応」であり,全新聞記事68件のうち 30 件 54 箇所,全会議資料 52 件のうち 9 件 12 箇所が該当した。SSS 事案発生後,危機管理のために設置された委員会の目的は, (1) 肾童及び教職員の健康回復, (2)新校舎での览童及び教職員全員による早期学校生活の再開, (3)览童及び教職員の健康被害や新校舎の空気環境污染等の原因究明, (4)経過的措置としての仮校舎の利用, (5)専門家の意見聴取と意見交換であった。この委員会は,市教委,教職員, 保護者, 地域住民の4者で構成され, 役員に関しては委員会の代表は市教育委員長が担っていた。しかしながら主な委員会の取り組みは, 医療機関への受診,校舎の換気,空気質の測定,仮校舎の選定で,そのどれもが専門家からの指示を仰ぐ必要があった。市教委が一括で各専門家との連絡をとっていたことから, 市教委からの情報や意見をお万す場としての機能が強まっていった。このことから,委員会という組織と,市教委という組織, どちらがこのSSS 事案に対してイニシアチブをとるのか不明膫のまま,委員会の取り組みが進行していったことが伺える。 また, 委員会の構成員の位置づけについても課題があった。当時委員会は市教委, 学校, 保護者, 地域の4者で構成され,それぞれに代表者が置かれた。しかしながら, 委員会内での議論を進めていくなかでは, 委員会参加者を上述のグルー プで分割することは有意義ではなく, 同グループ内でも健康被害を受けたか否かで以下のように意見が分かれていた。 ## 健康被害を受けなかった児童保護者 $「 ・$ 段階的な話し合いを経て,3月中旬から4月に は戻れるよう流れを作って欲しい。 ・わが子はここ(仮校舎)にいることが苦痛となっているようだ。有志による定期的な新校舎清掃を行なう等で,確実に戻る手立てを。」(新校舎空気質問題についての保護者間・学校との話し合い会議資料) ## 健康被害を受けた児童保護者 「・戻るのは, 早くて4月入学式。理想はもう少し暖かくなってからだと思うが,PTAの総意に従う。 $\cdot$(仮設の校舎としてのプレハブ) ハウスを活用した学習計画を立て行なって欲しい。中学校とも話し合いをしたい。 ・明確な原因究明とその対処がないので, …戻ることも今は考えてはいない。このまま新校舎に戻るようであれば転校を考えている。(同上) このように, 健康被害を受けなかった児童保護者は「3月中旬から4月には戻れるように」「(仮校舎)…苦痛」「確実に戻る手立てを」と新校舎へとにかく早く確実に戻ることを主張し, 症状があった児童保護者は「早くて4月入学式」「ハウスを活用」「明確な原因究明とその対処がない」「新校舎に戻るようであれば転校」というように,新校舎に早急に戻ることに強い反対を示している。このことから,MCSの危機管理時のリスクコミュニケーションのグループは, 健康被害を受けたか否かで分けて意見表明ができるようにする必要があった。 加えて,健康被害を受けた児童保護者の発言には,「PTAの総意に従う」,「転校を考えている」 という言葉がみられる。新校舎での授業開始の決定については, 自身の意思よりPTAの総意の方が重要であることを自ら示しており,また最終手段として「転校」という手段で危機の回避を図る意思を示しており,子どものために学校をいかに安全にするかという議論を行わず,自分の子どものみの問題解決を図ろうとする様子も伺える。また,この「転校」発言は, 非常に重大な課題であるにもかかわらず,委員会内で学校や保護者から正式に議題として挙がることはなく, 学校とPTA 役員, 転校を検討する保護者間で議論が行われた。このような議論形態となった要因は, 学校・ PTA 役員が保護者の転校という判断に対して次のように難色を示したためである。「児童の校区外転校を認めることは混乱をまねくことになる(学校)」,「転校した場合次年度は, 事務職の未配置,教諭の 1 減もしくは教頭の未配置となり, 十分な Table 1 Analysis Codes 学校体制の維持が難しくなることを承知してほしい (学校) 」,「転校を考えるのならば,今後わが子にシックハウスの症状が出ても, その保障は無いのだという覚悟をもってもらいたい(PTA 役員)」などである。つまり,坚童の転校には非常に消極的であり,児童の健康ではなく,学校組織の維持を重視している。児童の転校に関する議論は委員会の活動目的の一つである児童の健康回復と学校生活の再開に関連する内容であるといえるが, 本事案では, 本来委員会内で議題に挙がるべき内容が,挙がることのないまま対処されていた。これは,構成員一人ひとりの意思を公の場で主張する機会を設けられないまま,染意的にまとめられた「総意」で, 委員会内での危機管理・リスクコミュニケーションが行われていたことを示している。 これらの記述から言えることは, まず健康被害を被った児童保護者自身が被害の責任追及や授業再開への意思を表する権利があるにもかかわらず最終的な決定権を他者に委ねている点や, 責任を追及せず個人の危機の回避のみに注力したという点で, 健康被害を被った児童保護者は委員会の構成員そしてリスクコミュニケーションの参加者と して意識的・積極的に議論に参加していなかったといえる。また本来委員会内で扱われるべき議題を委員会外で行ったことによって,委員会という危機管理組織で挙がった意見や, それに基づいた委員会としての意思決定の正当性を欠くことにつながるといえる。自身の意思を他者に委ねること,そして他者の意思を恣意的に封じ込めるような行動は,構成員間の信頼の醸成を図るというリスクコミュニケーションの意図に反する結果に寄与するということを意識する必要があった。 ## 3.1.2 (4)回復 回復期は本来, 発生した危機によって失われたものを回復させる段階であるが, 本事案では校舎の安全性を示す指標の不適当さ, SSS 事案に対する市教委の責任回避, 児童保護者の不安感を無視し, 安全性が保障できていない校舎の安全性を強くアピールする対策委と市教委の対応という特徴と課題がみられた。全新聞記事 68 件のうち 53 件 220 箇所, 全会議資料 52 件のうち 17 件 50 箇所が回復段階に言及していた。 SSS 事案の原因究明をしていく中で, 委員会は原因とみられる校舎内の $\operatorname{TVOC}($ 総揮発性有機化合物)総量が厚生労働省の暫定目標値を下回るこ とを校舎の利用再開の目安とした。校舎の利用再開は,コードのカテゴリーでいうと「教育活動の継続」に該当し,3段階モデルでいうと「事後」, 5段階モデルでいうと「回復」にあたる。この目標値は国内の一般住宅の目安で,新築後 1 年以内の住宅を抽出して, 合理的に達成可能な範囲の数値を設定したものである。ただし,この値以下であれば空気質が快適で安全ということでは決してなく, 個々の化学物質の指針値と併せて扱うべきものであるとされている(厚生労働省,2019)。 MCS は,大量の化学物質に一度に接触し急性中毒症状が出現した後,または長期にわたり接触した場合,次の接触の機会にごく少量の同じ,または同系統の化学物質に接触した場合にみられる症状群であり,一度罹患するとその後は極めて微量な化学物質にも反応を示すようになる (Cullen, 1987)。したがって, 空気質の安全性を十分に保障できない指針を校舎利用再開の大きな目安として用いること自体,一度症状が出てしまった児童らへの対応としては不適切であるといえる。当時委員会内でもこの議論は行われており,地方紙の記事では,委員会内にて父母や地元住民から,「空気中の濃度が下がっても, 原因が特定されていない以上,不安は残る。原因の特定を急いでほしい。使用再開にあたっては一番被害を受けた人の状態を基準点にして考えるべき」と被害者の声を基準に危機管理をすべきという主張がなされた。しかし最終的には, 空気中の化学物質濃度を基準とした新校舎での授業再開という方針を変更することはなく, 委員会としては, 「新校舎への復帰に当たっては, 児童及び保護者の意向に従い行うことになるが,仮使用など慎重を期する」という結論にとどまっている。市教委も同様に,「有害物質の測定結果などは伝えるが『大丈夫たから行きなさい』とは言わない。最終的には子どもたちや保護者の判断になる」という立場を示している。この結論からは, 校舎の利用再開の意思決定権が児童及び保護者に帰されるという示唆がみられる。つまり児童保護者に選択権を委ねることで安全を保障する責任,全校児童にとって安全な環境で授業を再開する責任を持つことを回避している。また校舎での授業再開に関連して,もう 1 点見逃せない点がある。会議資料と新聞記事には,以下のように「児童保護者の不安を取り除く」という意味合いの内容がみられる。 「市教委は, ○(都道府県名)立衛生研究所が行った検査の結果, 新校舎の空気中に含まれている化学物質が減少していたことを踏まえ, 三学期から一部授業の再開を図る考えを提示。児童の新校舎に対する不安を取り除くための「お試し利用」として, ○○日に開かれた委員会の席上, ○○日に新校舎で一時間ほどの催しを実施する考えを提案した。 しかし, 保護者からは『本当にそのようなやり方で大丈夫か』などと一部利用を不安視する声が続出。委員会後の保護者会議の結果,○○日の授業後に希望する览童だけが数分程度,新校舎に入ることとした。(地方紙:M市・K小シックハウ又問題「新校舎の一部利用再開」市教委提案保護者には不安も) 「新校舎『扮試し利用』 ・児童の新校舎に対する不安感を徐々に取り除くため, 12 月修了式前に新校舎を利用してゲーム等の催しを実施」(委員会第4回全体会議資料)「臭気への対応 …保護者が新校舎視察。一部保護者の中で体育館の臭いがまだ気になるとの意見から消臭効果のある木炭設置を検討。ただし,览童の不安をあおらないためにも,目に触れないキャットウォーク部分に設置」(同上) このことから委員会は, 校舎が安全でないにもかかわらず安全性を強くアピールすることで不安をなくすという,的外れな「心のケア」に注力していたということが伺える。児童の不安を無視し, 安全性については空気質の安全性を保障するものではないTVOCの指標をそのアピールに用いて校舎の利用を制めていた。このような対応は児童を大きなりスク下に置くだけでなく, 関係者間でのリスクや安全性に関して, 現状どの程度安全性を担保できるかに係るコミュニケーションの努力を急っていたと言わざるを得ない。 ## 3.1.3 (5)学習 学習期は本来, 今回の危機管理で用いた知識や学習が適当であったか等を組織内で検討し, 教訓を得ることで次の危機管理につなげる段階であるが, 全新聞記事 68 件のうち 24 件 52 箇所, 全会議資料 52 件のうち 1 件 9 箇所が学習段階に言及していた。本事例では,K校で実施する再発防止策に関する議論がないという特徴と課題がみられた。本事案後, 市教委は国の関係省庁へ健康被害経過報告を提出し, 再発防止として以下の点を報告書内に挙げている。 「当事者である $\mathrm{M}$ 市としても,今後,この2物 質(のち3物質に修正)における使用の実態調査や他自治体の被害状況について追跡調查を実施するよう,また,物質について徹底した分析調查や臨床試験による物質の安全性を再検証し,今後の取り扱いについて万全を期すよう○○(都道府県名)都市教育委員会連絡協議会などを通じ国の関係省庁に要請していきたい」 「い新校舎が完成した後,すぐに旧校舎を解体処分することなく温暖な時期を待って引越し・解体が可能とするなど,地域事情を考慮した○○ (都道府県名)特例措置を設けるなど補助事業の制度内容の見直しについても併せて要望していきたい」 当報告書の内容は委員会へ諮られ,了承を得たものである。しかしながら,ここには $\mathrm{K}$ 校内で行う再発防止策については一切言及されていない。 さらに委員会が健康対策㤰談会へと改組した際の設置目的と構成員の変化から,K校での危機。健康管理の継続が視野に入っていないことが伺える。委員会の目的は, 児童・教職員の健康回復,新校舎での学校生活の再開,健康被害や空気環境污染等の原因究明, 経過的措置としての仮校舎の利用,専門家への意見聴取と意見交換であったが,健康対策㱝談会はSSS 事案により健康被害を受けた児童教職員の諸課題について協議するため設置された。また,委員会の構成員は,市教委,教職員,保護者,地域住民で組織されていたのに対し,健康対策银談会は,被害坚童の保護者,被害教職員, 市教委で構成され, 座長は市教委教育部長が行うこととされた。根談会設置にあたり, SSS 事案発生当時にK校に在籍又は所属していた全ての坚童の保護者及び教職員に対しても㤰談会への参加の意向を確認し,意向がある者を以て構成するという但し書きはあるものの,結果として被害览童教職員以外で参加したのは校長と養護教諭の2 名のみであった。健康対策㗽談会の協議内容が(1) 被害児童及び被害教職員の健康状態の把握について,(2)被害児童及び被害教職員の健康上の不安や悩みの解消など今後の支援の方法についての2 点であったことからも,当組織は被害者のみに焦点が当てられており,本事案の教訓を後世に残すというような,次の危機管理につなげる機能は備わっていない。したがって,たとえK校の構成員であっても本事案後に入学した児童であれば,事案の内容だけでなくMCSに関しても学ぶ場が設けられてはいなかった。 ## 4. まとめと今後の課題 本研究ではSSS・MCSが発生した学校の事例から, 文部科学省の危機管理モデルと共通する危機管理の3段階モデルと, 児童の安全確保を行う危機管理における合意形成の要であるりスクコミュニケーションにおいてみられる課題を明らかにした。 まず危機管理モデルの課題については,(3)封じ迄め/被害抑制から(5)学習にかけて徐々に当事案の形式的な収束に注力していくプロセスが明らかとなり,福本(2018)が指摘するように,(5)学習に対して学校教育が消極的になる傾向があるという点が本研究でも明らかとなった。委員会の設立目的等を鑑みると,当初は児童の健康を守るための危機管理であったにもかかわらず,徐々に形式上危機以前の学校生活に戻る対応としての「危機管理」へと変化していったことが伺える。それは時に児童保護者のリスク認知としての不安を無視し,積極的に彼らをリスク下に置くような行動も含まれていた。本事案における危機管理において表面的な危機の収束・解決を急ぎ,問題を矮小化させる動きは,学校に危機が存在してはならないという規範的信念と密接につながっているのではないだ万うか。学校教育では,上述のような規範的信念があることによって, リスクが存在することを前提とした対策や合意形成を行うことが特に難しい。そのためリスクコミュニケーションを行うための明確な枠組みやガイドラインを作成することが肝要であるが,本事例ではリスクコミュニケーションにおいてみられる課題として6点がみとめられた。(1)委員会内での構成員の位置づけが不明膫であること,(2)自身の意思決定を他者に委ねる,または他者の意思を恣意的に封じ込めようとする姿勢がみられること,(3)校舎の安全性を示す指標の不適当さ,(4)校舎での授業再開の決定権を览童保護者に委ねることで,安全性に対する責任の回避を図る市教委の態度, (5)児童保護者の不安感を無視し,安全性が保障できていない校舎の安全性を強くアピールする対応,(6) K校で行う再発防止策に関する議論がないことである。またこのことから,本事例は合意形成が決裂した事例であるといえよう。 学校の外部連携・協働に関する議論は以前からなされており(岩永ら, 2002: 荊木,淵上, 2012:早坂,2017),大きな課題としては(1)子どもの教育に関与する主体間の共通理解を基盤とした学校内外の体制づくり,(2)主体間の人間関係づくりと 学校における教員文化の変革があげられている (芹澤, 芝山, 2021)。したがって, 本研究で明らかとなった課題の構造は学校運営全般と同様であるといえる。しかしながら先行研究では, 学校運営にかかわる主体として, 学校, 保護者, 地域という主体間における議論はなされているものの,各主体内での認識の相違に関しては十分に議論がなされているとはいえない。本研究においては,学校, 保護者, 地域という主体間における議論に加え,各主体内でのリスクに対する認識の違いへの配慮の欠如も同様の課題を孕んでいるということが明らかとなった。 以上より,今後の危機管理ガイドラインの改善に向けて次の 5 点を提言したい。(1)本事例では SSS・MCS やそれによる健康影響に関する情報提供依頼のため市教委が一括で各専門家との連絡をとっていたという背景があるが, 単純な情報提供という役割だけでなく, 危機管理の対応を行う組織全体に一括で等しくSSS・MCSやそれによる健康影響に関する専門的な知識が行き渡るよう専門家を構成員として会議に同席させ,専門家とコミュニケーションを取る場を設けること,(2)本事例では,健康被害を受けたか否かでSSS・MCSへの意見が分かれていたことから,構成員は児童・保護者・教職員というような分類ではなく被害を受けたか否かによって分類を行う,(3)形式的な事態の収束ではなく, 坚童の健康回復・安全確保が最低限, 最重要であることを共通認識として, 構成員一同が何度も確認を取りながら最善策に向けた合意形成に注力すること,(4)自身が危機管理に取り組む参加者でいることを確かに意識したうえで,組織の活動が形式的な事態の収束に向かないよう,構成員間で互いに危機管理の責任と組織の活動目的の問い直しを行うこと, (5) SSS 事案が発生した際は二度と起こらない危機として捉えるのではなく危機を循環的なものとして捉え, 得た教訓をもとに次のSSS 事案のリスクへの備えを児童含めた学校構成員全員で意識的に行うことである。 学校危機管理のガイドラインへの提言としては以上の点を挙げたが, リスクコミュニケーションによって合意形成を行うためには危機管理に参加する構成員個人の健康リスクに対する認知や行動も重要な要素である(Glanz et al., 2015)。したがって今後の研究においては本研究での提言を踏まえた学校危機管理ガイドラインを用いていかに合意形成を達成できるかに関し, 個人の健康リスク認知や行動の変容に焦点を当てた議論が必要とされる。また, 本研究は資料調查にとどまるものであり,分析した資料はいずれも危機発生後からのものであるため,事前段階の対応についての課題を明らかにできていない。そのため本事例関係者らに対する調査や危機管理の事前段階の対応を加味した検証を通して更なる緻密化を行う。 ## 謝辞 本研究は, JST 次世代研究者挑戦的研究プログラムJPMJSP2132の支援を受けたものである。 ## 参考文献 Azuma, K., Uchiyama, I., Katoh, T., Ogata, H., Arashidani, K., and Kunugita, N. 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risk
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Society For Risk Analysis Japan
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# 【資料論文】 ## 薬剤耐性菌を含む微生物 27 種 104 株に対する 市販エタノール消毒剤の消毒効果* \author{ Effect of Commercially Available Ethanol-based Hand Sanitizers on Disinfection \\ against 104 Strains of 27 Microorganisms including Antimicrobial Resistant Bacteria } \author{ 伊藤淑貴**, 秋冨名子***, 浅岡健太郎***, 山本哲司***, 矢野剛久** \\ Yoshitaka ITO, Meiko AKITOMI, Kentarou ASAOKA, \\ Tetsuji YAMAMOTO and Takehisa YANO } \begin{abstract} Disinfection of hands and environmental surfaces is considered to be one of the most effective means to reduce the risk of contact infection of drug-resistant microorganisms. Commercial ethanol-based hand disinfectants often contain not only ethanol but also various additives, and the effects of these additives on the disinfection efficacy against drug-resistant microorganisms are not fully understood. In this report, we demonstrate that five commercially available ethanol-based hand sanitizers are effective against various strains for standard test methods, antimicrobial-resistant ESKAPE (Enterococcus faecium, Staphylococcus aureus, $\underline{K l}$ lebsiella pneumoniae, Acinetobacter baumannii, $\underline{P}$ seudomonas aeruginosa, and Enterobacter species) strains, and their sensitive strains. These results suggest the use of the hand sanitizers would reduce the risk of infection of drug-resistant microorganisms. \end{abstract} Key Words: antimicrobial resistance (AMR), hand sanitizer, hand disinfectants ## 1. はじめに 薬剤耐性菌は,人類が直面する世界的な公衆衛生上の脅威の一つである。2019年の薬剂耐性菌に起因する死亡者数は世界で約127万人 (Murray et al., 2022) で, この数はAIDS 関連の約69万人 (UNAIDS, 2020),マラリアの約41万人(WHO,2020)を上回っている。国内においてもメチシリン耐性黄色ブドウ球菌及びフルオロキノロン耐性大腸菌による死者数は 2017 年で年間約 8,000 人とされている等 (Tsuzuki et al., 2020), 大きな社会的課題となっている。薬剤耐性菌には様々な感染経路が考えられるが,特に保菌者からの直接的な接触感染や,保菌者から環境中に伝播し, 環境中で生残した微生物による間接的な接触感染は重要である。このような経路を介した感染リスクを低下させる手段の一つとして,手指や環境表面の消毒が有効だと考えられる。 $60 \mathrm{vol} \%$ 以上の濃度のエタノール $(\mathrm{EtOH})$ はこうした微生物の消毒に有効であると言われている (CDC, 2008)。一方で生活者が手に取る市販の $\mathrm{EtOH}$ 消毒剤には EtOHに加えて他の殺菌剤や保湿剂, $\mathrm{pH}$ 調整剂などの様々な化合物が含有されている。例えば4級アンモニウムである塩化ベンザルコニウムや塩化ベンゼトニウムは $60 \mathrm{vol} \%$  EtOHに配合すると,EtOHを単独で作用させたときに比べてより生残菌数を減少させるとの報告がある (Shintre et al., 2006)。一方で保湿剤として使用されるグリセリンはEtOHの最小発育阻止濃度を上昇させる,即ち抗菌作用を低下させるとの報告がある (Mazzola et al., 2009)。また, 微生物は様々な機序で薬剤耐性を発現するのに対し,市販の $\mathrm{EtOH}$ 消毒剂の多くは一部の微生物でしかその消毒効果が確認されていない。加えて, 微生物の消毒剤への耐性化や,その耐性菌の抗菌薬耐性との交叉耐性に関する文献が散見されており(Kim et al., 2018), 微生物との接触時間が極端に短い手指消毒剤のような EtOH 消毒剤が様々な菌に有効かどうか不明である。以上を踏まえると, EtOH 消毒剤を薬剤耐性菌に適用するにあたり,幅広い薬剤耐性菌並びにその感受性菌を対象に, EtOH 以外に様々な成分を含有する各製品を個別評価し,その消毒効果を把握することが肝要である。 そこで本研究では, これまで主にウイルスを対象に同様の試験を行った(山本ら,2023)5 種類の市販 EtOH 消毒剤について, 特にその制御の重要性が指摘されている薬剤耐性菌並びにその感受性菌,そしてFDA-TFM(FDA,1994)にて医療用消毒剤の試験菌として挙げられている菌株を対象に消毒効果を評価した。即ち, 参考試験基準の範囲内において,それぞれの菌株に最適な実験条件を逐一検討し, 妥当性を確認した上で殺菌性試験を実施した。 ## 2. 方法 市販 EtOH 消毒剤には,製剤 $\mathrm{A}$ (ハンドスキッシュ $\mathrm{EX})$ ,製剤 $\mathrm{B}$ (ハンドスキッシュ),製剤 $\mathrm{C}(ソ$ フティハンドクリーン手指消毒液),製剤 $\mathrm{D}$ (ソフティハンドクリーン手指消毒ジェル), 製剤 $\mathrm{E}$ (EX-CARE手指消毒ジェル)を用いた(いずれも花王プロフェッショナル・サービス)。詳細な成分を Table 1 に示す。 殺菌試験は医療分野での消毒剂製品の殺菌活性を評価する為の試験である BS EN 13727:2012 + A2:2015 (BSI, 2015)を参考に実施した。試験菌株は薬剤耐性菌株並びにその感受性菌株,BS EN 13727 に記載の試験菌株, FDA-TFMにて医療用消毒剤の試験菌として挙げられている菌株 (FDA, 1994) について, Table 2 に示す細菌 25 種 102 株, 真菌 2 種 2株を用いた。このうち薬剂耐性菌株はATCC (American Type Culture Collection) が定める Multidrug Resistant Panel より, Vancomycin Resistant Enterococci Microbial Panel (ATCC MP-1 ${ }^{\mathrm{TM}}$ ) 19 株, SCCmec Type MRSA Panel (ATCC MP-2 ${ }^{\mathrm{TM}}$ ) 7 株, Pulsed-Field Type MRSA Panel (ATCC MP- $3^{\text {TM }}$ ) 10 株, NDM-1 Panel (ATCC MP-18 ${ }^{\mathrm{TM}}$ ) 6株, KPC Strains Panel (ATCC MP-24 ${ }^{\mathrm{TM}}$ ) 4 株, Drug-Resistant Pseudomonas aeruginosa Panel (ATCC MP-23 ${ }^{\mathrm{TM}}$ ) 中 ATCC-BAA-2112を除く6株, ATCCの薬剤耐性菌カタログ(ATCC,2022)に記載の Acinetobacter baumannii 13 株, 岐阜大学微生物遺伝資源保存センターより分譲された多剂耐性緑膿菌 4 株の計 69 株を用いた。 Table 1 Ingredients of five commercial hand sanitizers \\ 各菌株の懸濁液は寒天培地(Streptococcus pneumoniae, Str. pyrogenes, Bacteroides fragilis は羊血液寒天培地(日水製薬), Escherichia coli NBRC 11229, Klebsiella oxytoca, Proteus mirabilis は Nutrient寒天培地 (Solabia Biokar Diagnostics), Haemophilus influenzaeは3.6\% GC 基礎培地,1\% Bovine Hemoglobin, 1\% IsoVitaleX (以上, Becton, Dickinson and Company) 含有寒天培地, Candida albicans, C. glabrata $\mathrm{YM}$ 寒天培地 (Becton, Dickinson and Company), Enterococcus faecalis NBRC 100482 は MRS 寒天培地(Solabia Biokar Diagnostics), En. faecium NBRC 113009 は 4\% Tryptic soy agar (Merck Millipore), 0.3\% Yeast extract (MP Biomedicals) 含有寒天培地, 他は全て $\mathrm{SCD}$ 寒天培地(日水製薬))にて 18~24 時間培養して得られたコロニーから調製した。即ち,コロニーを $\varphi=4 \mathrm{~mm}$ ガラスビーズと $0.1 \%$ トリプトン含有生理食塩水(以下,希鄱液と記載)で懸濁して得られた懸濁液を,遠沈管にてキュートミキサー(EYELA,CM-1000)を用いて $1,800 \mathrm{rpm}$ 3〜5分攪汼した。得られた菌懸濁液は $1.5 \times 10^{8}$ $\mathrm{cfu} / \mathrm{mL}$ 以上になるよう,希釈液を用いて ODを調整した。 殺菌作用については,菌の懸濁液に消毒製剂を暴露後,培養液で希釈して消毒製剤の作用を弱め (不活化), 生残した菌を所定の培養時間経過後に各培地上に斑点状に形成されるコロニー数を数えて評価した。具体的には,ODを調整した菌懸濁液と $0.3 \%$ BSA fraction V (富士フイルム和光純薬)水溶液,各試験製剤(全て混合直前まで $20^{\circ} \mathrm{C}$ に静置)を $1: 1: 8$ の割合で混合し室温で 10 秒ボルテックスした。この際, Enterococcus属細菌を対象とした場合は菌体同士の凝集を示唆する報告 (池,2017; Hällgren et al., 2009)を考慮し, 試験製剂と菌体との均一な混和を目的に菌懸濁液と BSA を混合した後, 再度 5 秒ボルテックスして菌体を十分に分散させた直後,各試験製剤を添加して 10 秒ボルテックスした。次に,手指消毒操作にて試験製剂と手指とが接触する時間を考慮し,試験製剂と接触後 15 秒経過時に合わせて, この混合液を9倍量のSCDLP培地(塩谷エムエス)に添加して反応停止後,各菌株の培養時に用いたものと同様の寒天培地に $100 \mu \mathrm{L}$ 塗抹し, C. albicansは $24^{\circ} \mathrm{C}$, C. glabrata, Micrococcus luteus, Staphylococcus aureus NBRC 13276, Sta. epidermidis, Sta. saprophyticus, Acinetobacter haemolyticus, Serratia marcescens, Pseudomonas aeruginosa NBRC 13736 は $30^{\circ} \mathrm{C}$, その他は $37^{\circ} \mathrm{C}$ の温度条件で, $20 \sim 48$ 時間培養後にコロニー数を測定した。M. luteusをハンドスキッシュ EXと接触させた場合のみ,反応停止剤としてSCDLP培地の代わりにSCD 培地, $2 \%$ 大豆由来レシチン, $14 \%$ ポリソルベート $80,1 \%$ スラミンナトリウム(以上,富士フイルム和光純薬)の混合液を用いた。 本試験の対照群は菌の懸濁液を消毒製剂へ暴露させず培養液で希釈し,所定の培養時間経過後にコロニーが多数形成されることを観察して,消毒製剤の効力と培養自体が成功していることを確認することを目的に行った。具体的には,調製した菌懸濁液を希釈液で $10^{6}$ 倍希釈し $100 \mu \mathrm{L}$ を各寒天培地へ 2 枚ずつ塗抹し, $20 \sim 48$ 時間培養して得られたコロニー数の平均値から対照生菌数を算出した。殺菌活性値は対照生菌数と各試験製剂処理時に得られたコロニー数の $\log$ 値の差とした。各試験製剤処理時に生残菌数が少なくコロニーが得られなかった際は, 本試験系の検出下限値である $3 \log (\mathrm{cfu} / \mathrm{mL})$ として殺菌活性値を算出した。試験は全て $\mathrm{N}=3$ で実施し,その平均值を示した。消毒製剤を培養液で希釈後に菌の懸濁液へ暴露させ, 所定の培養時間経過後にコロニーが相当数形成されることを観察して,消毒製剤の作用は希釈により減弱または喪失(不活化)することを確認する試験, 即ち不活化試験は全試験菌株を対象に実施した。混合直前まで $20^{\circ} \mathrm{C}$ に静置した希釈液, $0.3 \%$ BSA水溶液, 各試験製剤を $1: 1: 8$ の割合で混合し, 8 倍量のSCDLP培地を添加して $20^{\circ} \mathrm{C} て ゙ 5$ 分静置した。この混合液に, 各菌懸濁液を希釈液で $10^{5}$ 倍希釈したものを $1 / 9$ 倍量添加し, $20^{\circ} \mathrm{C}$ で $30 \sim 60$ 分静置後, 各菌株の培養時に用いたものと同様の寒天培地に塗抹し, $37^{\circ} \mathrm{C}, 24 \sim 48$ 時間培養後にコロニー数を測定した。BS EN 13727 の判定基準に基づき,コロニー数が対照と比較して $1 / 2$ 以上であれば各試験製剤が不活化できたとした。尚,M. luteusをハンドスキッシュ EXと接触させた場合のみ, 各試験製剂処理時と同様の反応停止剤を用いて実施した。 ## 3. 結果 5 種類の市販 EtOH 消毒剤の各菌株に対する消毒効果を Table 2 に示す。いずれの菌株に関しても消毒剤との混合前に $8 \log (\mathrm{cfu} / \mathrm{mL})$ 以上の菌数があった一方, 15 秒間の暴露において生残菌数 伊藤ら:薬剤耐性菌を含吉微生物 27 種 104 株に対する市販エタノール消毒剤の消毒効果 Table 2 Antibacterial and antifungal activity of five commercial hand sanitizers } & \multicolumn{5}{|c|}{ b殺菌活性値 } \\ Table 2 Continued } & \multicolumn{5}{|c|}{$\mathrm{b}$ 殺菌活性値 } \\ a) TS: Type Strain(基準株),薬剤感受性菌株として使用。ARB: Antimicrobial Resistance Bacteria(薬剤耐性菌), EN: EN13727に記載の試験菌株,FDA: FDA-TFMにて医療用消毒剤の試験菌として挙げられている菌株 b) 単位 : $\log (\mathrm{cfu} / \mathrm{mL})$ が検出下限以下となった。また, 各試験製剤の不活化試験の結果,不活化後の製剤と接触した後のコロニー数は,調製した菌液のコロニー数と比較して,全ての菌株において $1 / 2$ 以上たっった(data not shown)。 ## 4. 考察 微生物を消毒する手法の一つとして日常的に使用される EtOH 消毒剤は,薬剤耐性菌並びにその感受性菌に対して幅広く適用できることが望ましい。そこで本研究では, EtOH 消毒剤の適用範囲について, EtOH 以外に様々な成分を含有した消毒剤を用いて検証した。その結果,評価した 5 種類の市販 EtOH 消毒剤全てにおいて, 試験した薬剂耐性菌株とその感受性菌株, BS EN 13727 の試験菌株, FDA-TFM $の$ 医療用消毒剤の試験菌株全てに対し, BS EN 13727 が抗菌効果の有無を判断する基準として定める $5 \log (\mathrm{cfu} / \mathrm{mL})$ 以上の菌数減少が見られたことから, 試験に供した EtOH 製剂は薬剂耐性菌, 感受性菌に関わらず試験に供した全ての菌株で消毒効果があると考えられ,本消毒剤を利用すれば懸念すべきリスクレベル未満に管理できる可能性が考えられた。我々が知る限りこれほど多菌種に対して消毒効果を検証した例はなく, EtOH消毒剤を用いた消毒の適用範囲が様々な菌種で示唆された本報告の意義は大きい。加えて, 本研究では EtOHそのものではなく, 実際の病院や介護施設で使用される製剤を対象に評価した。こうした製剂は,EtOH 消毒剤の頻回使用により懸念される肌荒れを保護する保湿成分等が含まれていることから,消毒動作の徹底に繋がり,ひいては感染リスクの低減に繋がると考えられる。 院内感染を引き起こす主要な薬剂耐性菌として提起された”ESKAPE”と呼称される菌種 (Rice, 2008) について, 本研究では EtOH 消毒剤の有効性を確認できた。ESKAPEはWHOが定めた priority pathogens list (WHO, 2017) において, 最も優先して取り組むべき “Critical”のリストを網羅し,一部はその次に取り組むべき“High”のリストに該当することからも制御対象として非常に重要であると言える。一方,例えばクラリスロマイシン耐性 Helicobacter pylori, フルオロキノロン耐性 Campylobacter属細菌などはこのリストにおいて “High”に該当し, 他にも人類の健康上の脅威とされる菌種がある。更に薬剤耐性菌は細菌だけでな く真菌も注視する必要がある。即ち, 本報告では Candida 属真菌 (C. albicans, C. glabrata) を対象とした消毒効果を確認しており, 真菌への EtOH 消毒剤の有効性が示唆されたものの, この2菌種の薬剤耐性菌株への消毒効果は試験できていない。 こうした多様な薬剤耐性菌に対して, 引き続き緻密にデータを蓄積しEtOH 消毒剤の消毒効果を検証する取り組みは, 薬剤耐性菌の感染リスク低減効果を精緻に理解する上で重要だと考えられる。 COVID-19のパンデミック以降, EtOH 消毒剤は病院や介護施設のみならず, 飲食店, 一般小売店, 各種レジャー施設など様々な場面において広く使用されるようになった。本報告では一般消費者が日常で使用する場面を想定して反応時間を 15 秒に設定したが,実際にはより短い時間で処理されている可能性も考えられる。また, 手指の細かい凹凸構造に関する物理的要因や, 汗や皮脂などの分泌物,加えて様々な物と接触することによる付着物などに関する化学的要因が消毒効果に与える影響は不明な点が多い。今後このような実使用場面を想定しながら EtOH 消毒剤の適用範囲を確認していくこともまた, EtOH 消毒剤の適切な運用を通した感染リスク低減に向けた重要な取り組みだと考えられる。 ## 謝辞 本論文の作成にあたり, 査読者の先生から大変丁寧にご高覧頂き,有意義なご指摘を頂戴いたしました。お陰様で本論文を完成するに至りました事を心より御礼申し上げます。 ## 参考文献 ATCC (2022) Multidrug-resistant and antimicrobial testing reference strains, https://www.summitpharma. co.jp/japanese/service/atcc multidrug-resistant and antimicrobial_testing_reference_materials.pdf (Access: 2023, March, 8) BSI (2015) BS EN 13727:2012+A2:2015 Chemical disinfectants and antiseptics. 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risk
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Society For Risk Analysis Japan
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# 【原著論文】 # PRTRすそ切り以下事業所における自然災害時の化学物質の 流出事故を想定した潜在的流出規模の推計* Estimation of Storage Amount in Factories and Workplaces } Below-threshold-condition under the PRTR System in Japan 豊田 真弘**, 伊藤 理彩**, 石田 剛久**, 小島 直也**, 中久保豊彦***,多田 悠人**,東海明宏** Masahiro TOYODA, Lisa ITO, Takehisa ISHIDA, Naoya KOJIMA, Toyohiko NAKAKUBO, Yuto TADA and Akihiro TOKAI } \begin{abstract} Public sectors have promoted countermeasures of factories and workplaces against chemical release accidents triggered by natural disasters. In this study, we estimated the storage amount of toluene in factories and workplaces below-threshold-condition under the Pollutant Release and Transfer Register (PRTR) system in Japan. The storage in factories and workplaces operating certain industries within the manufacturing sector located in 17 cities and wards in Kyoto was discussed. As a result, it was found that there were approximately 148.9 factories and workplaces with an estimated total of approximately $13,700 \mathrm{~kg}$ of toluene stored. Also, it was suggested that factories and workplaces handling more than a ton of toluene annually could be located in the 11 cities and wards. Therefore, even factories and workplaces below-threshold-condition under the PRTR in Japan have the potential to cause significant damage in the event of chemical release accidents triggered by natural disasters. \end{abstract} Key Words: PRTR, natural disaster, chemical release accident, chemical storage ## 1. 序論 自然災害に起因する産業事故は,Natural hazard triggered technological accidents (Natech) と呼ばれ,化学物質の流出事故等が含まれる (OECD, 2022)。過去,東日本大震焱では,消防法に基づく「危険物施設」において,地震や津波による化学物質の流出事故が193件報告された(総務省,2011)。被災した施設では,タンクが傾くまたはスロッシングにより中身が流出した被害の他,配管の破損 による流出, ドラム缶や容器がラックから落下 し,破損することにより中身が流出した被害等が報告された。東日本大震焱後, 国土強勒化基本計画が閣議決定され, 起きてはならない最悪の事態の一つに化学物質の大規模拡散・流出が位置づけられ,関係府省庁と地方公共団体が連携して対応していく必要性が示された(内閣官房,2018)。近年では,台風や集中豪雨といった水害時においても化学物質の流出事故が報告されており, 地方  公共団体では消防部局や環境部局等の関連部局と連携し,今後起こり得る自然災害に備えた対策を充実させていくことが求められている(環境省, 2022a)。 対策の充実のために必要な情報の一つに,地域における化学物質の貯蔵量とその分布が挙げられる。しかし,貯蔵量に関しては公開統計などがないため,推計による把握が有効と考えられ,いくつかの先行研究において推計が実施されてきた。 藤木ら (2009) は, 我が国の Pollutant Release and Transfer Register (PRTR) 制度 (経済産業省, 環境省, 2019; 環境省,2022b; Figure 1)に打いて排出.移動量の届出が義務づけられている「届出事業所」を対象とし,鉛及びその化合物,ヒ素及びその化合物, 六価クロム化合物, フェノール類, シアン化物イオン及び塩化シアン, トルエンが河川に流出することによる浄水場での水道水給水停止までを射程にいれた研究朹組みを立案した。当研究は, PRTRの届出排出量から年間の取扱量を推計し, 京都府下水道局によるべンゼン, フェノー ル、シアンを取り扱う工場・事業所を対象としたヒアリング調查結果から,2週間分の取扱量を貯 & & \\ Figure 1 Emission sources according to Japanese PRTR ※「届出事業所」とは, (1)PRTR対象業種を営む事業所, (2)常時使用する従業員数が 21 人以上の事業者が有する事業所,(3)何孔かの第一種指定化学物質の年間取扱量が $1 \mathrm{t}$ (特定第一種指定化学物質の場合は $0.5 \mathrm{t}$ ) 以上の事業所または,他法令で定める特定の施設に該当する事業所,3つの要件全てに該当する事業所を指す。 ※従業員数または年間取扱量が届出要件外のため排出移動量の届出が不要である事業所は「すそ切り以下事業所」と呼ばれており, その届出外排出量推計値が公表されているが, 個別事業所レベルでの排出・移動量の情報については公表されておらず,PRTRデータとして実態の把握はできない。 ※環境省 WebサイトPRTRインフォメーション広場より閲覧可能な, 令和 2 年度PRTR届出外排出量の推計手法等の概要に記載の図を加工して作成した。蔵量として推計した。また, 直下型地震の発生により淀川上流部,つまり京都府内の事業所で,貯蔵していた化学物質の流出事故が起こり, 下流部の大阪府まで被害が拡大するシナリオを想定した影響評価も行われた。中久保ら (2016) は, 藤木ら (2009)の研究枠組みを基に対象物質をPRTRで管理対象とされている462物質に拡大した上で, 貯蔵量が全量流出した場合に浄水場での被害が大きくなり得る物質のスクリーニングと, 事業所における流出事故対策の有無でケース分けをした影響評価と対策効果分析を行った。PRTRによる個別事業所の排出・移動量の届出が義務付けられない 「すそ切り以下事業所」での貯蔵量の推計とリスク評価を行った研究としては, Hamamoto et al. (2021) が, 大阪府のすそ切り以下事業所に着目し, 南海トラフ地震による淀川での津波遡上を想定したへキサメチレンテトラミン, ホルムアルデヒドの流出事故に伴うリスク評価までを行った。中村ら (2021a), 中村ら (2021b) は, 貯蔵量推計に的を絞った研究である。中村ら (2021a) はPRTRパイロット事業のデータより取扱量と貯蔵量の比を算定することで届出事業所を対象とした推計手法を検討した。中村ら (2021b) は, 中村ら (2021a)を基にその他先行研究の手法も組み合わせることで, 全国市区町村に㧈けるすそ切り以下事業所での貯蔵量を推計し, 届出事業所との比較を行った。 ただし, これらの先行研究では, 事業所1件当たりの貯蔵量および年間取扱量の観点では届出事業所との比較が行われていない。また, 前述のとおり,大阪府においては南海トラフ地震だけでなく, 直下型地震の懸念もある。トラフ型地震の場合は震源地が海底のプレート境界であるため, 津波の遡上により下流域が影響を受けやすいのに対し, 直下型地震の場合は, 震源地が内陸部となるため, 震源地に近い河川上流部が影響を受けやすく, Hamamoto et al. (2021)のリスク評価の結果をそのまま適用することが困難である。以上を踏まえて本研究では, 淀川上流部を震源とする直下型地震に着目し, 事業所での化学物質の流出事故を想定した潜在的流出規模について, 届出事業所とすそ切り以下事業所で比較することを目的とし,事業所数と貯蔵量の推計を試みた。 ## 2. 解析の対象範囲と枠組み 本研究では流出事故の原因となる自然災害として, 京都府地域防災計画に打いて人的被害, 建物 被害共に京都府最大と予測されている花折断層帯 (京都府防災会議,2020)を起震断層とする地震を想定した。本研究の解析手順をFigure 2 に示す。事業所数推計, 貯蔵量推計の手法は先行研究等での手法を組み合わせることで構築し,解析は公表データのみを用いて行った。 解析の対象物質は, 取扱量等のデータ数が多く解析のしやすいPRTRの第一種指定化学物質であるトルエンを選んた。また,対象業種は,業種別市区別の事業所数データが得られた化学工業,プラスチック製品製造業,金属製品製造業の3 業種を試行的に選定した。対象地域は,前述の地震において震度 6 強以上が予想されている, 京都市北区,上京区,左京区,中京区,東山区,山科区,下京区,南区,右京区,西京区,伏見区,宇治市,城陽市,向日市,長岡京市,八幡市,京田辺市の 17 市区とした。解析に平成 28 年経済センサス-活動調査結果のうち製造業に関する集計(市区町村編)の結果を用いたため,データ年はこの調査の製造品出荷額等のデータと同じ平成 27 年を基本としたが,その他のデータで同年値を得られない場合はなるべく直近の値を用いた。解析に使用したPRTR関連データ(PRTRの個別事業所データ「PRTRデータ」や届出外排出量のデー夕等)は環境省の WebサイトPRTRインフォメー ション広場(環境省)より確認,入手した。 ## 3. 解析手法 ## 3.1 事業所数推計 事業所数の推計手法は, 平成 23 年度のPRTR届出外排出量推計方法の詳細(対象業種を営むすそ切り以下事業者からの排出量のうち, 平均取扱量等に基づく排出量推計方法)の手法を参考に,業種 $k$ ・市区 $c$ の組み合わせに対するトルエンを取り扱う全ての事業所の件数 $\left(A L_{k, c} \times C R_{k}\right)$ からトルエンを取り扱う届出事業所数 $N L_{k, c}$ [件] を引いた差分をそのすそ切り以下事業所数 $B L_{k, c}$ [件] として推計した(式1)。 $ B L_{k, c}=A L_{k, c} \times C R_{k}-N L_{k, c} $ ここで, $A L_{k, c}$ は平成 28 年経済センサス-活動調査結果のうち,「産業別集計」の製造業に関する公表結果による業種・市区別の事業所数 [件] (総務省,2018)を用いた。CR $R_{k}$ はこの事業所数に対するトルエンを取り扱う事業所数の比率「化学物質取扱比率」を表すものとして,トルエンの Figure 2 Estimation procedure 取り扱いが報告された事業所数を工場, 作業場等の数で除することで業種別に算定した。これらのデータについては, 平成 23 年度のPRTR届出外排出量推計手法の詳細において $C R_{k}$ 算出のため採用されたPRTR対象物質の取扱い等に関する調查での報告データのうち, Web 上で入手可能な直近の平成 18 年度報告書(製品評価技術基盤機構, 2008)を引用し,従業員数 21 人以上の事業者を対象とした調查の結果を用いた。 $N L_{k, c}$ は, 平成 27 年度の PRTRデータを集計して得た。ここでの事業所とは,一般に工場,製作所,製造所あるいは加工所などと呼ばれているような,一区画を占めて主として製造または加工を行っているところであり, 届出事業所, すそ切り以下事業所の両方が含まれる。 なお, ここでの $A L_{k, c}$ には, 平成 28 年経済センサス_活動調査結果の製造業に関する集計の対象外である国・地方自治体の事業所または従業員数が 4 人未満の事業所の数は含まれておらず,その分 $A L_{k, c}$ が過小評価となっている。また, $C R_{k}$ については従業員数 21 人以上の事業者を対象とした値から算定されたものであり,21 人未满の事業者も含めた業種全体の値にはなっておらず,推計誤差の要因となっている可能性がある。以上の方法より推計した業種・市区別のすそ切り以下事業所 $B L_{k, c}$ は, 現実の事業所数とは異なり一般には小数点以下の端数が含まれるが, 事業所数の期待値とみなし, 後述する 3.2 項の貯蔵量推計においてもそのままの値を採用した。 ## 3.2 貯蔵量推計 貯蔵量推計では, まず平成 27 年度PRTR届出外排出量推計方法の詳細(対象業種を営むすそ切り以下事業者からの排出量) で報告された, トルエンの業種別年間排出量(全国値)(届出年間排出量 $N E_{k}+$ すそ切り以下年間排出量 $B E_{k}$ ) を排出量と取扱量の比「排出係数」EF${ }_{k}$ で除することで,全国での業種別年間取扱量 $A H_{k}$ を推計した (式2)。 $ A H_{k}=\frac{\left(N E_{k}+B E_{k}\right)}{E F_{k}} $ $E F_{k}$ は中久保ら (2016) の算定手法を参考に,事業所 1 件当たりの年間排出量平均値を年間取扱量平均值で除し, 業種別に算定した。ここでは年間排出量と年間取扱量が両方把握できる比較的新し いデータとして,埼玉県のデータを用いた。年間排出量は平成 28 年度の PRTRデー夕 (化学工業の) データ数は 90 , プラスチック製品製造業が 37 ,金属製品製造業が35), 年間取扱量は埼玉県 (2022) の平成 28 年度取扱量集計結果 (化学工業のデータ数は 99 , プラスチック製品製造業が 41 ,金属製品製造業が39)を引用した。前者のデー夕は平成 27 年度のデータを入手することが可能であったが,排出係数の算定に用いるデータ間で年度をそろえることを優先し, 後者にあわせて平成 28 年度データを用いた。排出量の内訳は, 大気への排出,公共用水域への排出,土壌への排出である。埋立処分による排出については, 対象業種のトルエン排出量が 0 であることを確認した。また, 下水道への移動, 廃枽物の移動といった移動量は存在したが, $E F_{k}$ で除する対象の $N E_{k}+B E_{k}$ が移動量を含まない排出量のみの值であるため, 非計上とした。 なお,ここでの $N E_{k}+B E_{k}$ は, いくつかの排出源別に推計された排出量を業種別に集計した値である。化学工業では接着剂等と化学品原料等, プラスチック製品製造業では,塗料,接着剂等,粘着剤等, 印刷インキおよび洗浄用シンナー, 金属製品製造業では, 塗料, 接着剤等および洗浄用シンナーによるトルエンの排出量が推計対象である。つまりここで, $N E_{k}+B E_{k}$ は業種ごとで考えられる全ての排出源からの合計值になっていない一方で,排出源の情報が含まれていないPRTR データや取扱量集計結果より算定した $E F_{k}$ は全ての排出源からの合計值になっており,それぞれカバーする排出源が異なるため, その分 $A H_{k}$ が過小評価になっている可能性が否定できない。また, $E F_{k}$ の算定に用いた埼玉県の取扱量集計結果は年間取扱量が $0.5 \mathrm{t}$ 以上の事業所が対象であり, $E F_{k}$ は年間取扱量が $0.5 \mathrm{t}$ 未満のすそ切り以下事業所を含めた業種全体の值にはなっていない。そのため,一般的に知られた傾向を前提とすれば,排出係数 $E F_{k}$ は当該業種全体の排出係数と比べ過小評価になっている可能性がある。 次に, $A H_{k}$ を対象地域の市区 $c$ に分配し, 業種・市区別年間取扱量 $A H_{k, c}$ を推計した(式3)。 $ A H_{k, c}=A H_{k} \times \frac{M_{k, c}}{M_{k}} $ 分配する際の振り分け指標は, 本研究の対象業種を製造業としたことから, 石川ら (2012) の手法 を参考に,業種・市区別の製造品出荷額等 $M_{k, c}$ [円] とすることで, 同一業種内での産業特性の地域差を推計結果に反映させた。 $M_{k, c}$ の値は平成 28 年経済センサス-活動調査の「産業別集計」として集計された製造業のデータ(総務省,2018)より得たが,この集計での対象外となっており該当する数字がない, 個人経営の事業所のみの業種・市区,または秘匿情報となっている業種・市区については, $M_{k}$ から該当箇所を除いた公表値の合計を差し引き,従業員数(平成 28 年経済センサス一活動調査「産業別推計」の製造業のデータより入手)を振り分け指標に代替した。 続いて, 以上で推計した $A H_{k, c}$ から届出年間取扱量 $N H_{k, c}$ を差し引くことで,すそ切り以下年間取扱量 $B H_{k, c}$ を推計した(式4)。 $ B H_{k, c}=A H_{k, c}-N H_{k, c} $ $N H_{k, c}$ は, 平成 27 年度 PRTRデータより得た届出年間排出量を業種・市区ごとに集計することで算出した $N E_{k, c}$ を, $E F_{k}$ で除して推計した(式5)。 $ N H_{k, c}=\frac{N E_{k, c}}{E F_{k}} $ 最後に, 中村ら (2021b) の方法を参考に, 平成 13 年度 PRTRパイロット事業のデータより業種別の年間取扱量と貯蔵量(期首在庫と期末在庫の平均)の比「貯蔵率」 $S_{k}$ を算定し, 届出事業所, すそ切り以下事業所それぞれの年間取扱量に乗じることで届出貯蔵量 $N S_{k, c}$, すそ切り以下貯蔵量 $B S_{k, c}$ を推計した(式6,7)。ここでの貯蔵量とは, 原材料・資材等の貯蔵量である。 $ \begin{gathered} N S_{k, c}=N H_{k, c} \times S_{k} \\ B S_{k, c}=B H_{k, c} \times S_{k} \end{gathered} $ ここまでの推計の結果, $N H_{k, c}$ を $N L_{k, c}$ で除して得られる事業所 1 件当たりの届出年間取扱量平均がPRTR届出要件である年間取扱量 $1 \mathrm{t}$ 未満となった業種・市区については,それぞれ $1 \mathrm{t}$ とるよう $\mathrm{NH}_{k, c}$ の值を補正した。この補正による取扱量の増分は,同業種内の市区別届出年間排出量で配分比率を設定し, 補正の対象となった業種・市区以外の地域から差し引いた。また, $B H_{k, c}$ の値がマイナスとなった業種・市区については, それぞれ $B H_{k, c}$ が 0 となるよう補正を行った。この補正による差分は製造品出荷額等を振り分け指標とし て補正対象の業種・市区以外の地域へ配分した。 $B H_{k, c}$ が 0 の業種・市区のうち $B L_{k, c}$ が 0 でないものも,それぞれ 0 となるよう製造品出荷額等より補正した。 $B L_{k, c}$ がマイナスの業種・市区についても $B H_{k, c}$ と合わせて両方 0 に補正した。 ## 3.3 事業所 1 件当たりの貯蔵量および年間取扱量の確認 貯蔵量および年間取扱量をそれぞれ事業所数で除して, 事業所 1 件当たりの平均値を推計した。 ここで,本研究で解析対象としたトルエンは, PRTR の届出対象である他, 消防法において危険物第 4 類第 1 石油類(非水溶性液体)に該当し, その指定数量 $200 \mathrm{~L}$ 以上を貯蔵または取り扱う場合は, その施設が危険物施設として技術基準に適合しているか等について, 市町村長等の許可が必要であり, 施設の区分によっては漏洩物の貯留,検知のための設備, 流出を防止するための防油堤といった対策が必要である。このことから, トルエンの比重 0.8661 (経済産業省,環境省,2019) による指定数量 $200 \mathrm{~L} \sigma$ 換算値 $173.2 \mathrm{~kg}$ を, 事業所規模のメルクマークの一つとして用い, 事業所 1 件当たりの貯蔵量平均をこれと比較した。 事業所 1 件当たりのすそ切り以下年間取扱量平均については, PRTRの届出要件 $1 \mathrm{t}$ 以上に相当する規模となった業種・市区の確認,および製品評価技術基盤機構(2008)より報告された従業員数 21 人未満の事業者を対象とした取扱量等の調査結果との比較を行った。この調査結果には「不明」の回答が多く, その集計結果も事業所単位ではなく 1 事業者当たりの値として報告されていることなどから, 本研究の推計結果と単純に比較はできないものの, 值の相場感の参考として用い,推計結果に大きな不整合が生じていないかどうか確認した。 ## 4. 解析結果と考察 \\ 4.1 事業所数の推計結果 京都府17市区における届出事業所とすそ切り以下事業所の事業所数と貯蔵量の関係を Table 1 に示す。推計の結果, すそ切り以下事業所数が 1 件未満となった業種・市区については,現実の事業所として存在し得る 1 件に満たず,事業所が存在する期待值が他地域と比べて低いものと考え,結果集計の対象外とした。 化学工業を営む事業所について, 届出事業所で 豊田ら:PRTRすそ切り以下事業所における自然災害時の化学物質の流出事故を想定した潜在的流出規模の推計 Table 1 Estimated results: Storage amount in factories and workplaces handling toluene & 届出事業所 & & 届出事業所 & \\ ※推計結果の値は,届出事業所数(整数)を除き,全て端数を四捨五入の上,有効数字2桁で表示した。 ※ハイフン (一) は,数値が0であったことを表す。 ※括弧内の数値は,補正前の結果である(ただし,補正前後で数值に変化がなかった場合は非表示)。 ※グレーハッチは, 補正後の事業所 1 件当たりの年間取扱量平均值が $1 \mathrm{t}$ 以上, 太字は 1 件当たりの貯蔵量平均値が $200 \mathrm{~L}$以上であったことを示す(ただし,事業所数がマイナスも含めた 1 件未満の場合を除く)。 ※業種 $k$ に算定した化学物質取扱比率 $C R_{k}$ の値は, 化学工業, プラスチック製品製造業,金属製品製造業それぞれで, $4.7 \times 10^{-1}, 4.4 \times 10^{-1}, 4.4 \times 10^{-1}$ であった。また,排出係数 $E F_{k}$ の値はそれぞれ $1.0 \times 10^{-2}, 5.0 \times 10^{-1}, 2.3 \times 10^{-1}$, 貯藏率 $S_{k}$ はそれぞれ $, 8.0 \times 10^{-3}, 6.1 \times 10^{-2}, 2.0 \times 10^{-2}$ であった。 は京都市南区の3 件他,伏見区,山科区等7市区も含めた 8 市区で合計 11 件であったのに対し,すそ切り以下事業所では宇治市の 4.2 件他, 京都市伏見区,下京区等も含めた 8 市区で18.6件と推計された。プラスチック製品製造業では, 届出事業所では京都市南区,城陽市の 2 件他,京都市伏見区等も含めた 5 市区で7件であったのに対し,すそ切り以下事業所では宇治市の 11 件他,京都市城陽市,京都市右京区等も含めた 10 市区で 34.9 件と推計された。金属製品製造業においては, 届出事業所では京都市伏見区の3 件他, 南区,右京区も含めた3市区で6件であったのに対し, すそ切り以下事業所では京都市南区の28件他,宇治市,八幡市等も含めた 15 市区で 95.4 件と推計された。 ## 4.2 貯蔵量推計結果 Table 1 より, 化学工業を営む事業所では, 届出事業所において京都市南区の貯蔵量推計値 $18,000 \mathrm{~kg}$ の他,山科区,向日市等7市区も含めた 8 市区で合計 $19,000 \mathrm{~kg}$ であったのに対し,すそ切り以下事業所では京都市伏見区の $3,700 \mathrm{~kg}$ 他,宇治市,右京区等も含めた 8 市区で $8,100 \mathrm{~kg}$ であった。プラスチック製品製造業では, 届出事業所の京都市南区の貯蔵量推計値 $3,600 \mathrm{~kg}$ の他, 伏見区,宇治市等も含めた 5 市区で $5,300 \mathrm{~kg}$ であったのに対し,すそ切り以下事業所では宇治市の $1,400 \mathrm{~kg}$ 他,右京区,城陽市等も含めた 10 市区で $3,400 \mathrm{~kg}$ であった。金属製品製造業では,届出事業所の貯蔵量推計値は京都市伏見区の $570 \mathrm{~kg}$ の他,南区,右京区と合わせた3市区で $1,200 \mathrm{~kg}$ であったのに対し,すそ切り以下事業所では京都市南区の $460 \mathrm{~kg}$ 他,右京区,山科区等も含めた 15 市区で2,200 kgであった。 ## 4.3 事業所 1 件当たりの貯蔵量および年間取扱量 化学工業での事業所 1 件当たりの貯蔵量平均については,届出事業所では京都市南区の $6,000 \mathrm{~kg}$他,山科区,向日市も含めた3市区,すそ切り以下事業所では京都市伏見区の $900 \mathrm{~kg}$ 他,右京区,宇治市,八幡市も含めた4市区で,消防法での指定数量 $200 \mathrm{~L}$ 以上と推計された。事業所 1 件当たりの年間取扱量平均の推計値について,すそ切り以下事業所では,京都市伏見区の $110,000 \mathrm{~kg}$ 他,右京区,宇治市等も含めた8市区において推計值がPRTR届出要件である $1 \mathrm{t}$ 以上と推計された。こ れらの値については, 製品評価技術基盤機構(2008) の従業員数 21 人未満の事業者を対象とした取扱量等の調査で64事業者から報告された1事業者当たりの平均取扱量 $38,703 \mathrm{~kg}$, 最大値 $1,257,375 \mathrm{~kg}$ と比べて大きな不整合は生じていないと考えられた。 プラスチック製品製造業での事業所 1 件当たりの貯蔵量平均について, 届出事業所では京都市南区の $1,800 \mathrm{~kg}$ 他,伏見区と合わせた2市区,すそ切り以下事業所では京都市右京区 $(270 \mathrm{~kg})$ のみで,消防法での指定数量 $200 \mathrm{~L}$ 以上と推計された。事業所 1 件当たりの年間取扱量平均の推計値について,すそ切り以下事業所では,京都市右京区の $4,500 \mathrm{~kg}$ 他,宇治市,向日市等も含めた 4 市区において推計値がPRTR届出要件である $1 \mathrm{t}$ 以上と推計された。これらの値については,取扱量等の調査で38事業者から報告された 1 事業者当たりの平均取扱量 $2,069 \mathrm{~kg}$, 最大値 $23,678 \mathrm{~kg}$ と比べて大きな不整合は生じていないと考えられた。 金属製品製造業での事業所 1 件当たりの貯蔵量平均について, 届出事業所では京都市南区の $230 \mathrm{~kg}$ 他,伏見区と合わせた 2 市区で,消防法での指定数量 $200 \mathrm{~L}$ 以上と推計された。すそ切り以下事業所ではこれに相当する市区の推計値は確認されなかった。事業所 1 件当たりの年間取扱量平均の推計值について, すそ切り以下事業所では,京都市右京区の $3,800 \mathrm{~kg}$ 他,長岡京市,山科区,八幡市,京都市中央区等も含めた 5 市区において推計値がPRTR届出要件である $1 \mathrm{t}$ 以上と推計された。これらの値については,取扱量等の調查で 54 事業者から報告された 1 事業者当たりの平均取扱量 $759 \mathrm{~kg}$, 最大値 $8,500 \mathrm{~kg}$ と比べて大きな不整合は生じていないと考えられた。 ## 4.4 すそ切り以下事業所での流出事故を想定し た潜在的流出規模の考察 すそ切り以下事業所は,届出事業所と比べ,事業所 1 件当たりで化学物質を取り扱う量は少ないものの, 業種や市区によってはその件数が届出事業所より多く,地域内で取り扱う総量で比較すると同程度またはそれ以上である可能性も考えられた。すそ切り以下事業所は立地する市区も多い傾向にあることから,自然災害時における同時多発的な流出事故により流出地点が広範囲となると,災害対応が一層困難になる可能性が考えられる。 また,従業員数が 20 人以下で年間取扱量 $1 \mathrm{t}$ 以上かつ,貯蔵量が 200 L未満に事業所については PRTR 消防法による届出,許可申請の情報からその貯蔵量規模を把握することができない。化学工業では, 京都市中京区, 北区, 城陽市, 京都市下京区で, プラスチック製品製造業では宇治市,城陽市, 向日市で, 金属製品製造業では京都市右京区,長岡京市,京都市山科区,八幡市,京都市中京区でこれに相当する貯蔵量規模の事業所が立地する可能性が示唆された。 以上より,すそ切り以下事業所のみでの流出事故被害を想定した場合にも, その潜在的流出規模は, 届出事業所と比べて小さいとは言い切れず,消防法上の指定数量以上または未满に関わらず, その両方を対象に今後起こり得る自然災害への備えや事故時の対応を検討する必要がある。今後は, 貯蔵形態や流出率に関するシナリオ設定に基づく解析や事業所周辺施設の情報等を踏まえた検討を行うことで,より多角的な視点で各地域における潜在的な危険性を把握することができるものと考える。 ## 5. 結論 本研究では, 淀川上流部を震源とする直下型地震に着目し,PRTRすそ切り以下事業所での化学物質の流出事故を想定した潜在的流出規模を届出事業所と比較することを目的とし,対象地域を京都府17市区,対象業種を化学工業,プラスチック製品製造業,金属製品製造業,対象物質をトルエンとした上で事業所数と貯蔵量の推計を試みた。 推計の結果, 17市区全体での届出, すそ切り以下事業所の件数は 3 業種合計でそれぞれ 24 件と 148.9 件 (期待值として小数点で表示), 貯蔵量は $25,500 \mathrm{~kg}$ と $13,700 \mathrm{~kg}$ と推計された。すそ切り以下事業所は届出事業所と比べ, 事業所 1 件当たりでは化学物質を取り扱う量が少ない。しかし, 例として化学工業では京都市伏見区で届出事業所が 2 件で合計 $16 \mathrm{~kg}$, すそ切り以下事業所が 4.1 件で $3,700 \mathrm{~kg}$, プラスチック製品製造業では宇治市で届出事業所が 1 件で $140 \mathrm{~kg}$, すそ切り以下事業所が 11 件で $1,400 \mathrm{~kg}$ ,金属製品製造業では京都市南区で届出事業所が2件で $450 \mathrm{~kg}$, すそ切り以下事業所が 28 件で $460 \mathrm{~kg}$ と推計されるなど, 業種や市区によってはその件数が届出事業所より多く,地域内で取り扱う総量で比較すると同程度またはそれ以上である可能性が示唆された。すそ切り以下事業所は立地する市区も多い傾向にあることから, 自然災害時における同時多発的な流出事故に より流出地点が広範囲となると, 災害対応が一層困難になる可能性が考えられる。 また,見方を変えて,すそ切り以下事業所の中には, 従業員数が 20 人以下のためPRTRの届出対象外であるが,年間取扱量がPRTR届出要件である $1 \mathrm{t}$ 以上に相当する事業所が含まれる場合があり, 推計の結果, 11 市区でこれに相当する事業所が立地する可能性が示唆された。これらの事業所のうち貯蔵量が 200 L未満の事業所については PRTR の届出情報だけでなく消防法による許可申請の情報からもその貯蔵量規模を把握することができないが, 取り扱う量の観点からは潜在的な危険性を有しているものと考えられる。推計の結果,化学工業では京都市中京区で1件当たりの年間取扱量平均と 1 件当たりの貯蔵量平均がそれぞれ $16,000 \mathrm{~kg}$ と $130 \mathrm{~kg}$ ,プラスチック製品製造業では宇治市で $130 \mathrm{~kg}$ と $2,100 \mathrm{~kg}$, 金属製品製造業では京都市右京区で $80 \mathrm{~kg}$ と $3,800 \mathrm{~kg}$ など, 3 業種,10市区でこれに相当する事業所が立地する可能性が示唆された。 以上より, すそ切り以下事業所のみでの流出事故被害を想定した場合にも, その潜在的流出規模は, 届出事業所と比べて小さいとは言い切れず,消防法上の指定数量以上または未満に関わらず, その両方を対象に今後起こり得る自然災害への備えや事故時の対応を検討する必要がある。 ## 謝辞 本研究は, (独) 環境再生保全機構の環境研究総合推進費 (JPMEERF18S11702; JPMEERF20231M03) により実施した。 ## 参考文献 Cabinet Secretariat (2018) Kokudo kyojinka kihon keikaku. https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/kokudo_ kyoujinka/kihon.html (Access: 2022, August 29) (in Japanese) 内閣官房 (2018) 国土強勒化基本計画 - 強くて, しなやかなニッポンへ - . https://www.cas.go.jp/jp/ seisaku/kokudo_kyoujinka/kihon.html(アクセス日:2022年 8 月 29 日) Fujiki, O., Nakayama, Y., and Nakai, H. 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Society For Risk Analysis Japan
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# 【原著論文】 # 南海トラフ巨大地震の津波を起因とした 化学物質流出の防止対策と仮想流出時のリスク評価* ## Risk Assessment of Virtual Chemical Release due to the Tsunami Triggered by the Nankai Megathrust Earthquake and Measures to Prevent Accidents \author{ 小林諒真 ${ }^{* *}$, 伊藤理彩**, 東海明宏** } Ryoma KOBAYASHI, Lisa ITO and Akihiro TOKAI \begin{abstract} In case the Nankai megathrust earthquake occurs, there is a risk that a tsunami has the tanks move or buckle on the premises of chemical factories on the Pacific Ocean side, resulting in the chemical release. This study aims to evaluate the measures to prevent chemical release by the tsunami caused by the Nankai megathrust earthquake and to assess the human health effects caused by this chemical accident. For the former, we used the method of release probability to evaluate two measures: keeping the storage rate of the tank high and raising the storage floor of the tank. For the latter, we assumed seven release cases with different storage rates and different raised heights of floor, and calculated atmospheric concentration after the accident. The results showed that the combined risk of release probability and human health effects is smallest when storage rate is $60 \%$ and raised height is $1.5 \mathrm{~m}$. \end{abstract} Key Words: Chemical release, Nankai megathrust earthquake, Tsunami, Countermeasure, Risk assessment ## 1.はじめに 自然災害が発端となって起こる産業事故は Natural-hazard triggered technological accidents (Natech) と呼ばれ,多くの研究が進められている。地震や津波,洪水といった自然災害によって,化学物質が流出する事故も Natechの一種である。2011年3月 11 日 14 時 46分に発生したマグニチュード 9.0 の東北地方太平洋沖地震やその余震においても,地震動により球形タンクから LPGが漏洩・拡散し, さらに着火したために火災・爆発が起こるという事故が発生した(濱田, 2017)。また,同地震の津波により,太平洋岸に位置していた屋外タンク貯蔵所において, 石油夕ンク本体および配管の浮上り, 移動に伴う破損,基礎・地盤の洗掘, 防油堤の損傷などの被害が認められた (座間,2014)。このように,自然災害のリスクには菼害そのものだけでなく,地震や津波, 洪水によって有害化学物質が環境中に流出するという2次贸害も含まれている。 今後起こると予想されている自然災害のひとつに南海トラフ巨大地震がある。南海トラフでマグニチュード $8 \sim 9$ クラスの地震が 30 年以内に発生する確率は 70~80\%(2020 年1月 24 日時点)とされている(国土交通省,2020)。さらに, 政府の地震調查委員会は,2022年 1 月 13 日に,南海卜ラフで今後 40 年以内にマグニチュード $8 \sim 9$ クスの地震が発生する確率を,前年の「80〜90\%」から「90\%程度」に引き上げた(読売新聞, 2022)。  このように,南海トラフ巨大地震の発生確率は年々増加傾向にあり, より一層対策が求められる。 南海トラフ巨大地震が発生すれば, 関東地方から九州地方まで太平洋側の広範囲で $10 \mathrm{~m}$ 超える大津波の襲来が予想されている(国土交通省, 2020)。津波の襲来が予想され,化学物質を取り扱う事業所においては, 津波によりタンクが移動・座屈し, 化学物質が流出するというリスクが潜在している。すでに, 想定される津波の高さは公表され(内閣府政策統括官,2019),大阪べイエリアNatech防災研究が開始され現象を精度よく解明するための数値シミュレーションについての視点がまとめられている(青木,2019)。本論文では, 立地事業者が前述の研究成果を生かし,事業所として可能な対策の事前評価を, 比較的入手しやすいデータを活用した評価方法として提案し,ケーススタディを通じて,本手法の適用性を検討することを目的とした。したがって,現象の解明よりも,対策に関するシナリオを与えて,事前に対策に関する効果等を明らかにすることに重点を置いたものである。 このような目的のもとで, 津波によって屋外夕ンクから化学物質が流出するという事故を想定し, 流出防止対策の評価と流出時のヒト健康影響評価を行う。そして, 流出の発生確率と流出時のヒト健康影響の両方を踏まえた定量的なリスク評価の方法論を構築する。 ## 2. 対象地域 本研究では, 国内都市の人口集積領域の中で,次の2つの条件を満たす領域を選んだ。1つ目は,沿岸部に位置し, 南海トラフ巨大地震が発生した際に津波の被害が大きいことである。2つ目は化学物質の貯蔵量が多いことである。前者については内閣府が公表している都府県別市町村別最大津波高一覧表(内閣府政策統括官,2019)を用いて調べ, 後者については Pollutant Release and Transfer Register (PRTR) 制度によって収集・公開された情報を用いて調べた。 まず前者について,「四国沖」に「大すべり域 +超大すべり域」を設定したケースでの津波による浸水面積を調べたところ,大阪府において $2 \mathrm{~m}$以上の浸水が想定される面積が最も大きいのは大阪市此花区で 30 haであった。また, 大阪府此花区は $1 \mathrm{~m}$ 以上の浸水が想定される面積が 50 haを超えている(内閣府政策統括官,2019)。 次に後者について, PRTRに登録されている全ての化学物質の排出量・移動量を調べたところ, 2019年度の大阪府において, 全化学物質の移動・排出の合計量が4番目に多いのは大阪市此花区で 1,122,708 kgであった(経済産業省,2021)。 さらに, 最大高の津波が押し寄せた場合, 福島区や北区でも 1 2 m の津波が予想され (内閣府, 2012), 此花区で流出した化学物質が津波に流され, 福島区や北区に運ばれることも考えられる。 つまり, 此花区で化学物質が流出すれば被害が大きくなる可能性が高いと言える。 以上の理由から, 対象地域は大阪市此花区とした。 ## 3. 対象化学物質 対象化学物質の選定に関しては, 取扱量と有害性の2つに注目した。取扱量について, PRTRに登録されている化学物質のうち, 2019年度の大阪市此花区において, 移動・排出合計量が2番目に多いのはトルエンで $176,969 \mathrm{~kg}$ であった(経済産業省, 2021)。トルエンは揮発性を持ち,また揮発した蒸気は比重が空気より重く, 低高度に滞留するという特徴を有する。さらに, 液体の比重が1より小さく, 水より軽く, 難水溶性である。 そのため,流出した場合は水の表面に薄く広がるため, その液表面積が大きくなり,揮発が早まることが考えられる(危険物保安技術協会,2011)。 以上の理由から, 対象化学物質はトルエンとした。 ## 4. 方法 ## 4.1 研究の枠組みと曝露シナリオ ## 4.1.1 研究の枠組み 本研究の枠組みを Figure 1 に示す。 化学物質のタンクからの流出確率の評価と流出時のヒト健康影響評価を行った。いずれも後述する4.1.2で示すシナリオに沿って解析した。 流出確率の評価については, 6つのパラメータからモデル (Yang et al., 2020)を用いて, 流出確率を算出した。そして, 流出防止対策の効果について検討した。 流出時のヒト健康影響評価については, 大阪府内の化学物質届出情報(大阪府,2021)を基に,流出源となる対象事業所の選定を行い, 同じく大阪府内の化学物質届出情報(大阪府, 2021)より, Figure 1 Research framework 対象事業所における化学物質の貯蔵量を算出した。 そして, タンクの直径と高さ, 化学物質の貯蔵率,津波による破損箇所の位置と大きさを設定し, Areal Locations of Hazardous Atmospheres (ALOHA) Version 5.4.7 (US EPA, 2016) により化学物質の流出量, 水面上で形成されるプールの直径, プール状態から揮発した化学物質の大気中濃度を算出した。ここで, ALOHAは揮発性や可然性のある化学物質の短期的な放出に伴う危険の空間的範囲を推定するソフトであり,一般の事業者でも利用できるように入力データを最小限に作られている (Jones et al., 2013)。ALOHAを用いた先行研究として,森口ら(2022)は土砂災害による化学物質の大気中への拡散をシミュレーションしており,田中ら(2023)は, 下水処理場のアンモニア合成プラントからの化学物質の流出をシミュレーションしている。本研究でもALOHAを使用することで,事業者が事前にリスク評価することのできる汎用性の高いモデルになることが期待できる。 最後に急性毒性影響指標である Acute Exposure Guideline Level (AEGL) (US EPA, 2020) を用いて, AEGL-1, AEGL-2, AEGL-3への曝露人数を算出した。ここで, AEGL-1は「不快レベル」で, 公衆に対し不快感を与える濃度とされ, AEGL-2は 「障害レベル」で, 公衆に対し避難能力の欠如や重篤な影響を与える濃度とされ,AEGL-3 は「致 Figure 2 Chemical exposure scenario 死レベル」で, 公衆の生命が脅かされる健康影響を与える濃度とされる (国立医薬品食品衛生研究所, 2020)。 流出確率の評価において算出した流出確率の值と流出時のヒト健康影響評価において算出した AEGL-1, AEGL-2, AEGL-3の暴露人数の值を掛け合わせることで, 曝露人数の期待值を算出した。 最後に, 曝露人数の期待値から, 事業所での対策について考察を行った。 ## 4.1.2 曝露シナリオ 南海トラフ巨大地震が発生し, その津波により化学物質がタンクから流出し, 人が曝露するシナリオを Figure 2 に示す。 本研究では, このシナリオに基づき解析を行った。化学物質が流出するまでのシナリオは大阪府で最も津波が大きくなる最悪のケースを想定した。 南海トラフ巨大地震において, 大阪府沿岸に最大クラスの津波をもたらすのは, マグニチュード 9.1であり, 四国沖に大すべり域と超大すべり域ができる場合だと考えられている(大阪府, 2014)。また, 潮位については大阪府の高潮計画における台風期の朔望平均満潮位である「T.P.+ $0.90 \mathrm{~m}\rfloor$ とした (大阪府, 2014 )。さらに, 最悪のケースを想定するため,地震動によって水門と堤防が破壊されるとした。 化学物質を貯蔵した屋外タンクが津波により移動・座屈し,一部分が破損するとした。そして,破損した穴から化学物質が流出すると考えた。こ こで,化学物質がタンクに貯蔵されているとした理由は,対象地とした此花区が臨海部の工業地帯であり,屋外に大型タンクが多くみられるからである。 そして,化学物質の流出時には,津波が収まり,辺り一带には静止した水面が広がっていると仮定した。流出した液体状の化学物質は静止した水面上で拡散し,プールを形成するとした。プー ル状態の化学物質は揮発し, 大気拡散すると考え,最終的には人が吸入曝露するとした。ここで,津波収束後に化学物質が流出すると仮定した理由は, 曝露人数が最大になるようなシナリオを考えるためとALOHAの設定を適用するためである。前者について, 津波の流れが速い時に流出した場合は化学物質が引き波によって海域へ流されプールを形成すると考えられるが,津波収束後に流出した場合は事業所周辺にプールを形成すると考えられ, 揮発後の拡散範囲が都市部に近くなり, 曝露人数がより多くなると推定される。後者について,ALOHAは多くの事業者が利用できるように,入力する情報を最小限に抑えているため, 静止した水面上からの揮発を想定したモデルになっている (Jones et al., 2013)。 ## 4.2 流出確率の評価 本研究では, 化学物質の貯蔵率の維持とタンクのかさ上げに注目し, これらの流出防止対策はどの程度効果があるのかを評価した。 事業所では日々化学物質を使用しており,一定の頻度でタンクへ化学物質を補充している。タンクには物理的に入れられない容量と物理的にポンプで引けない容量があり,それらを踏まえると,貯蔵率は抒掠よそ $10 \%$ 以上 $90 \%$ 以下で変動していると考えられる(大阪ガス株式会社,2018)。貯蔵率がどの程度の時に災害が発生するかは不確実であるが,事業所ができる対策として,化学物質を補充する頻度を多くすることで,一定以上の貯蔵率を維持できる。よって, 貯蔵率を対策オプションとした。 タンクのかさ上げについては, 経済産業省 (2014)の資料において,津波への対応の基本的な考え方の中で敷地高さがまとめられていることを根拠として,対策オプションとした。 対策の有効性を評価するための指標としては,流出確率を用いた。 ## 4.2.1 流出確率のモデル 氾監流によって化学物質がタンクから流出する確率を求めるモデルが先行研究にて構築されている (Yang et al., 2020)。この研究では, タンクへの力のかかり方によって,「横滑りや浮き上がり等の移動による流出」と「座屈による流出」の2 ゚゚ ターンに分けて考えている。流出確率 $P(x)$ はいずれのパターンにおいても,ロジスティック回帰を用いて, 式(1)にて求められる (Yang et al., 2020)。 $ P(x)=\frac{1}{1+e^{-\Phi(x)}} $ $\Phi(\mathrm{x})$ は6つのパラメータで表されるロジット関数であり,「横滑りや浮き上がり等の移動による流出」の場合は式(2)にて,「座屈による流出」の場合は式(3)にて表すことができる (Yang et al., 2020)。 $ \begin{aligned} & \Phi\left(D, H, \varphi, \rho_{l}, h, v\right)_{\text {Displacement }} \\ & \quad= 0.7895 H-0.05644 D+0.2072 v+4.803 h+1.429 \varphi \\ &-0.0009406 \rho_{l}+0.001802 D h-4.33 H \varphi \\ &-0.001084 H \rho_{l}+0.6349 v h-0.001602 \varphi \rho_{l} \\ &-5.925 \times 10^{-5} D^{2} H+0.0003153 D^{2} h \\ &-0.001349 D^{2} \varphi-7.899 \times 10^{-5} \mathrm{D}^{2} \rho_{l}+0.001512 D^{2} \\ &+0.0003177 D v-0.00878 D v h+1.269 \end{aligned} $ $ \begin{aligned} & \Phi\left(D, H, \varphi, \rho_{l}, h, v\right)_{\text {Buckling }} \\ & \quad=0.009675 D+0.3826 H+1.57 v+3.456 h+0.6819 \\ & \quad-0.003678 \rho_{l}-2.611 H \varphi-0.0005206 H \rho_{l} \\ & \quad-0.003489 \varphi \rho_{l}+0.4639 \end{aligned} $ ここで, $D$ : 貯蔵容器の直径 $[\mathrm{m}], H$ : 貯蔵容器の高さ $[\mathrm{m}], \varphi$ : 貯蔵容器内の液体の充足率 $[0$ $\sim 1$ の値 $], \rho_{l}$ : 貯蔵液体の密度 $\left[\mathrm{kg} / \mathrm{m}^{3}\right], h:$ 浸水深さ $[\mathrm{m}], v$ : 氾濫流の流速 $[\mathrm{m} / \mathrm{s}]$ である。 本研究では津波を対象としているため, 氾濫流の流速を津波の流速とした。 $\left.H, \varphi, \rho_{l}, h, v\right)_{\text {Displacement }} \Phi\left(D, H, \varphi, \rho_{l}, h, v\right)_{\text {Buckling }}$ をれぞれ求め, 式(1)に代入することで横滑りや浮き上がり等の移動による流出確率 $P_{\text {Displacement }}$ と座屈による流出確率 $P_{\text {Buckling }}$ を算出した。そして, これらの 2 パターンが同時に起こる場合といずれか片方が起こる場合を合わせた流出確率 $P_{\text {System }}$ を式(4)で算出した (Yang et al., 2020)。 $ P_{\text {System }}=1-\left(1-P_{\text {Displacement }}\right)\left(1-P_{\text {Buckling }}\right) $ Table 1 Parameters required for release probability estimation and values ## 4.2.2 パラメータの設定 4.2.1より, 流出確率を求めるために必要なパラメータはTable 1 に示した6つである。 タンクの直径と高さ, トルエンの密度, 津波の浸水深さと流速の5つのパラメータについては, Table 1 の值で固定した。 タンクの形状については,大阪市此花区内の沿岸部に位置する屋外タンクを参考にした。Google Mapの縮尺を用いてタンクの直径を求めた。また,高さについては Google Mapのストリートビューにて目測した。4.3.2に貯蔵量の算出方法を記載しているが,事業所内のトルエンがすべて一つのタンクに貯蔵されていると仮定するならば, ここで設定したタンクの $72 \%$ が満たされることになり,タンクの形状は妥当であると考えた。 トルエンの密度は丸善石油化学株式会社 (2023) から引用した。 津波の浸水深さと流速は4.1.2で設定したシナリオにおける值を用いた。浸水深さについては,此花区における最大浸水深さが $2 \sim 5 \mathrm{~m}$ であるので (内閣府,2012),最も深い $5 \mathrm{~m}$ とした。流速については,大阪港で想定される最大流速の $7.2 \mathrm{~m} / \mathrm{s}$ を用いた (大阪市,2022a)。 貯蔵率については,流出防止効果を評価するために,0.1から 0.9 まで 0.1 間隔で値を変化させた。 かさ上げの高さについては, $0 \mathrm{~m}$ から $3 \mathrm{~m}$ まで $0.5 \mathrm{~m}$ 間隔で変化させ,津波の浸水深さをかさ上げした分だけ小さくすることにした。 Yang et al. (2020)では, Table 1 に示したパラメー タについて,ランダムな值の組み合わせでモデルの適用が可能だとされている。また, Yang et al. (2020)では氾監流によるタンクの移動・座屈を考 えているが,氾濫流と津波では水の流れの向きに違いはあるものの,タンクに対する力のかかり方には共通性があるため,本研究では津波による夕ンクの移動・座屈に Yang et al. (2020)のモデルを適用した。 ## 4.3 流出時のヒト健康影響評価 ## 4.3.1 対象事業所の選定 本研究のシナリオでは,大阪府内の化学物質届出情報(大阪府,2021)において,2019年度に此花区でトルエンの取扱量が最も多い事業所Aからトルエンが流出したと考えた。本デー夕は府条例により収集されたもので,大阪府環境農林水産部環境管理室に問い合わせることにより開示された。2019年度の此花区における化学物質届出情報(大阪府,2021)によると,此花区内でトルエンを取り扱っている事業所は 11 か所であり,事業所Aは此花区全体の取扱量の $61 \% を$ 占めていた。 ## 4.3.2 貯蔵量 大阪府内の化学物質届出情報(大阪府,2021) より,2019年度の事業所Aのトルエンの取扱量を算出した。本研究では, 「2週間分の取扱量」 した(藤木ら,2009;中村ら,2021)。1年間は約 52 週間であるため, 「2 週間分の取扱量」は事業所 $\mathrm{A} における 2019$ 年度 1 年間のトルエンの取扱量を26で除することによって求めた。 ## 4.3.3 水面上での拡散 タンクに貯蔵されているトルエンはすべて液体と考え,タンクの破損部分から流出した後,津波の水面上で拡散すると考えた。タンクから流出するタイミングによっては,トルエンが津波によって移流する可能性もあるが,今回の解析では,津波が収まり事業所周辺に静止した水面が広がっている状態でトルエンが流出すると考えた。よって,静止した水面上でトルエンが拡散し,プールを形成する現象を考えた。 ALOHAにおいて, 流出した液体状の化学物質はプールを形成し,蒸発または燃焼すると考えられている (Jones et al., 2013)。本研究では, 燃焼は起こらず,プールからの蒸発のみが生じるとした。蒸発や燃焼は, プールの質量を減らすように作用し, 質量減少はおよそプールの面積に比例すると考えられている (Jones et al., 2013)。液体状の化学物質が流出する速さが,計算された蒸発する Table 2 Chemical release cases } & \multicolumn{7}{|c|}{0.5} \\ Figure 3 Example of height of release hole 速さを上回った場合, プールは円状に広がっていく(Jones et al., 2013)。化学物質のプールからの蒸発に伴い,プールの面積が縮小されることは許されず, プールの深さが減少することが許されている (Jones et al., 2013)。プールの広がりはBriscoeと Shawが提案した方法 (Briscoe and Shaw, 1980)を用いて, 以下の式(5)で表される (Jones et al., 2013)。 $ \frac{d r_{p}}{d t}=\sqrt{2 g d_{p}} $ ここで, $r_{p}$ : プールの半径 $[\mathrm{m}], d_{p}:$ プールの深さ $[\mathrm{m}], g$ : 重力加速度 $\left[\mathrm{m} / \mathrm{s}^{2}\right]$ である。 また, プールの深さは一様であるとし,プールの深さが $5 \mathrm{~mm}$ まで小さくなれば,プールはそれ以上広がらないとされている (Jones et al., 2013)。 本研究では,このALOHAの考えに従って,流出したトルエンが水面上で拡散し, 揮発するとした。ALOHAでは, プールの直径や面積の上限值を設定することもできるが,本研究では設定しなかった。 ## 4.3.4 解析ソフトと流出ケース トルエンの大気拡散については, ALOHAを用いた。 ALOHAはDirect(直接流出), Puddle(プール状態からの揮発), Tank (タンクからの流出), Pipeline (パイプラインからの流出)の4種類の流出モデルを設定することができる(Jones et al., 2013)。本研究では破損したタンクから流出したトルエンが水面上でプールを形成し,大気中へ揮発するというシナリオを想定しているため, 流出モデルは Tank(タンクからの流出)を使用した。 流出ケースは, 貯蔵率とかさ上げの高さを変化させたTable 2 の (i) (vii)とした。流出孔の高さは地面から $3 \mathrm{~m}$ の高さで統一し, $3 \mathrm{~m}$ からかさ上げの高さを引くことにより, 流出孔のタンクの底からの高さを算出した。津波の高さが $5 \mathrm{~m}$ の時, かさ上げをしていないタンクと $1 \mathrm{~m}$ かさ上げをしたタンクの例を Figure 3 に示す。 ## 4.3.5 解析条件 次に, ALOHAの解析条件を Table 3 に示す。 Table 3 Analysis conditions in ALOHA 風速,天候,大気安定度,気温,海水温の条件においては,最悪のケースを想定し,値を設定した。 風速については,大阪における平均風速の月平均値を参照し,2015年以降で最も大きかった 2022 年 4 月の値とした (気象庁, 2022a)。風速が速いほど,トルエンが遠くまで大気拡散され被害が大きくなると考えたからである。 風向については,西で解析を行った。西に設定した理由は偏西風である。日本では年間通じて偏西風の影響を受けている。 天候については,最も揮発しやすいと考えられる晴れを選択した。 地表面粗度と流出する地表面については, 「Open Water」を選んだ。タンクからトルエンが流出するとき, 事業所周辺は津波で浸水していることが予想されるので,「Open Water」を選んだ。 大気安定度については, 風速・天候の条件から,ALOHAにより中立または安定が候補にあげられた。大気安定度が不安定なほど,大気中の化学物質は広範囲に拡散しやすいと考えたので,中立を選んだ。逆転層については,ないと考えた。 気温については,大阪における最高気温の月平均值を参照し,2015年以降で最も大きかった 2020 年 8 月の値とした(ただし,小数点以下は切り捨てた) (気象庁, 2022b)。気温が高いほど, トルエンが揮発しやすいと考えたからである。 湿度については,平均的な值である $50 \%$ に設定した。 評価高度については,ヒト健康影響を評価するにあたり,人間の顔の高さを評価高度に設定するのが最も適当だと考え, $2 \mathrm{~m}$ とした。 海水温については,高いほどトルエンが揮発しやすいと考えられるため,大阪湾周辺の日別海面 Table 4 AEGL value of toluene ( $60 \mathrm{~min}$ ) 水温を参照し, 2021 年に7月および8月の中で最も高かった温度とした (気象庁, 2022c)。 ## 4.3.6 急性毒性影響指標 本研究では,急性曝露の影響を評価するために AEGLを用いた。AEGLは,気体あるいは揮発性物質を主体とした急性毒性物質を対象とし,5つの曝露時間 (10分, 30 分, 60 分, 4 時間, 8 時間) のそれぞれに対し想定される健康被害を 3 段階のレベル(低濃度から AEGL-1,AEGL-2,AEGL-3) に分類し, 空気中濃度 ( $\mathrm{ppm}$ または $\mathrm{mg} / \mathrm{m}^{3}$ ) で表している (US EPA, 2020)。 本研究では,曝露時間をALOHAのデフォルト值である 60 分とした。トルエンの曝露時間 60 分の AEGL値 (国立医薬品食品衛生研究所, 2002) を Table 4 に示す。 ## 4.3.7 流出時のヒト健康影響の評価 ヒト健康影響の評価方法として, AEGL-1, AEGL-2,AEGL-3 の濃度に曝露する人数を算出することで評価した。最大濃度がAEGL-1, AEGL-2, AEGL-3の濃度を超過する領域を, その濃度に曝露する領域とした (Jones et al., 2013)。曝露人数は,その領域の面積に人口密度を乗じることで算出した。例えば, Table 2 の流出ケース (ii) において, 流出源から風下方向に $650 \mathrm{~m}$ 離れた地点における濃度の時間変化を Figure 4に, AEGL-1, AEGL-2, AEGL-3の濃度に曝露する領域を Figure 5 に示す。 大阪市の昼間人口は $3,543,449$ 人であり,夜間人口は2,691,185 人であったが (大阪市, 2018), 本研究では最悪のケースを想定するため, より曝露人数が大きくなると考えられる昼間人口を用いて人口密度を算出した。大阪市の面積は 225,330,000 m²であるため (大阪市,2022b),昼間人口を面積で除することで,人口密度は 0.0157256 人 $/ \mathrm{m}^{2}$ と算出された。 ## 4.3.8 曝露人数の期待値 4.3.7によって算出した流出時のAEGL-1, AEGL-2, AEGL-3 の曝露人数に4.2.1の方法によって算出した流出確率を掛けることで, AEGL-1, AEGL-2,AEGL-3の曝露人数の期待値を算出し Figure 4 Time change of toluene concentration at a distance of $650 \mathrm{~m}$ [ Release case (ii) ] Figure 5 The area of exposure to AEGL-1, AEGL-2, AEGL-3 [ Release case (ii) ] た。ここで,流出確率の算出に用いたタンクの直径と高さ, 貯蔵率, かさ上げの高さ, 津波の流速と浸水深さ,トルエンの密度はTable 2 に示した流出ケースごとの値とした。 ## 4.3.9 タンクの形状と津波に関する感度解析 曝露人数の期待値の不確実性に影響を与える要因について検討するために,タンクの直径と高さ, 津波の流速と浸水深さについて, 感度解析を実施した。 貯蔵タンクについては, 様々な形状が考えられるため, タンクの直径は $5 \mathrm{~m}$ から $25 \mathrm{~m}$ まで $5 \mathrm{~m}$ 間隔で解析し, タンクの高さは $6 \mathrm{~m}$ から $15 \mathrm{~m}$ まで $3 \mathrm{~m}$ 間隔で解析を行った。 津波の流速と浸水染さについては, Table 2で示した値が最悪のシナリオであるため, この値よりも被害が小さかった場合を考え,津波の流速は $2 \mathrm{~m} / \mathrm{s}$ を下限値として $2 \mathrm{~m} / \mathrm{s}$ ごとに解析した。内閣府 (2012) によると, 本研究の対象事業所では, $2 \mathrm{~m}$ 以上 $5 \mathrm{~m}$ 以下の浸水深さが想定されているため, 浸水染さの下限值は $2 \mathrm{~m}$ として, $1 \mathrm{~m}$ ごとに解析した。 変化させるパラメータ以外は, Table 2 の流出ケース(ii)と同じ值を用いて, 流出確率と流出時の曝露人数を算出した。また, ALOHAの解析条 Table 5 Range of weather conditions for sensitivity analysis 件はTable 3 に示した数値や条件と同じとした。結果は AEGL-3 の曝露人数の期待値で比較した。 ## 4.3.10 ALOHAの気象条件に関する感度解析 曝露人数の期待値の不確実性に影響を与える要因について検討するために, 風速, 水温, 気温について感度解析を実施した (Table 5)。 風速の上限値は 2020 年度の大阪府の最大風速である $10.2 \mathrm{~m} / \mathrm{s}$ とし (気象庁, 2022d), 下限値は ALOHAの解析条件の下限値である $1.0 \mathrm{~m} / \mathrm{s}$ とした。 水温の下限値は大阪湾周辺の日別海面水温を参照し, 2021 年 12 月から 2022 年 2 月の中で最も低かった温度とした (気象庁, 2022c)。 気温の下限値は大阪における最低気温の月平均値を参照し,2015年以降で最も低かった2018年 1 月の值とした(ただし,小数点以下は切り捨てた) (気象庁, 2022e)。 流出確率と流出時の曝露人数の算出については, Table 2 の流出ケース(ii)で行い, 結果は AEGL-3 の曝露人数の期待値で比較した。 ## 5. 結果と考察 ## 5.1 流出確率の評価 ## 5.1.1 流出確率の結果 化学物質の貯蔵率とタンクのかさ上げの高さを変化させたとき,横滑りや浮き上がり等の移動による流出と座屈による流出が同時に起こる場合といずれか片方が起こる場合を合わせた流出確率 $P_{\text {System }}$ を Figure 6に示す。 横軸はかさ上げの高さを, 縦軸は貯蔵率 $\varphi$ を表している。そして, バブルの大きさは流出確率 $P_{\text {Sistem }}$ の大きさを表しており, バブルの中または上に書かれている数値は流出確率 $P_{\text {System }}$ を百分率で表した値である。 ## 5.1.2 流出防止対策 流出確率を下げるためには, 化学物質の貯蔵率を高い值に保つこととタンクをかさ上げを行うことの両方を同時に行うことが必要である。 例えば,流出確率を $10 \%$ 以下にするためには, Figure 6 Release probability when storage rate and raised height are changed 以下の4つの方法が考えられる (Figure 6)。 (a) かさ上げをしないで貯蔵率を 0.9 に保つ (b) $0.5 \mathrm{~m}$ のかさ上げをして貯蔵率を 0.8 に保つ (c) $1.5 \mathrm{~m}$ のかさ上げをして貯蔵率を 0.7 に保つ (d) $2.5 \mathrm{~m}$ のかさ上げをして貯蔵率を 0.6 に保つ 事業所によって,実施可能な対策には制限がある。例えば,地盤を $0.5 \mathrm{~m}$ しかかさ上げできない事業所においては, (b)の方法により流出確率を下げる必要があり,地盤を $2.5 \mathrm{~m}$ までかさ上げできる場合には(d)の方法で流出確率を下げることが可能となる。実際に流出確率を下げる方法を検討するうえでは,費用面の考察が不可欠であるものの,そのことは本論文の範囲外である。以上の解析結果に基づくと,一定のかさ上げを行った上で,貯蔵率を高位に保つことがリスク管理の向上にむけた目安になると考えられる。 ## 5.2 流出時のヒト健康影響評価 ## 5.2 .1 貯蔵量 2019年度の事業所Aのトルエンの取扱量は $34,000,000 \mathrm{~kg}$ であった。2 週間分を仮定している は $1,307,692 \mathrm{~kg}$ と推定された。 ## 5.2 .2 流出時のヒト健康影響 各流出ケースにおけるトルエンの流出量とプー ルの直径, 流出時の AEGL-1, AEGL-2, AEGL-3の曝露人数の結果を Table 6 に示す。 貯蔵率が $60 \%$ 以上の場合は,流出量およびプールの直径に変化が見られないが,これはタンクの破損筒所から流出するトルエンの量には上限 Figure 7 Relation between variables and their qualitative dependencies があり、トルエンの貯蔵率がある值以上になれば,流出量は一定になるからだと考えられる。 貯蔵率が $72 \%$ の場合, 貯蔵率が $60 \%$ の場合,貯蔵率が $40 \%$ でかさげの高さが $3 \mathrm{~m} の$ 場合では,流出量に $1 \mathrm{~kg}$ 以内の差しかないが,流出時の曝露人数は最大で 73 人の差があった。これは ALOHAでの拡散シミュレーションにおける誤差である。 かさ上げをしていない時,貯蔵率を $40 \%$ から $60 \%$ に増加させれば,流出量と流出時の曝露人数はともに大きくなり, $3 \mathrm{~m}$ かさ上げをしている時,貯蔵率を $20 \%$ から $40 \%$ に増加させれば,流出量と流出時の曝露人数はともに大きくなった。 これらは, タンク全体のトルエンの貯蔵量が増えたため,流出孔より上に貯蔵されているトルエン,つまり流出する可能性のあるトルエンの量が増加したからだと考えられる (Figure 7)。 貯蔵率が $40 \%$ の時, かさ上げをしていない状態から $3 \mathrm{~m}$ のかさ上げをすれげ,流出量と流出時の曝露人数はともに大きくなった。これは, タンク全体のトルエンの貯蔵量は同じたが,かさ上げによって流出孔がタンクの底に近づくため, 流出孔より上に貯蔵されているトルエン,つまり流出する可能性のあるトルエンの量が増加したからたと考えられる (Figure 7)。 ## 5.2.3 曝露人数の期待値 AEGL-1, AEGL-2, AEGL-3 の曝露人数の期待值を Table 6 に示す。 流出ケース (iv)の場合, 曝露人数の期待値が最も小さくなった。つまり流出の発生確率と流出時 Table 6 Human health effects during release and expected number of exposed people } & I AEGL-3 & 14,868 & 14,868 & 14,936 & 14,868 & 9,011 & 14,863 & 11,564 \\ のヒト健康影響の両方を考慮した時のリスクが最も小さくなった。貯蔵率が高く, かさ上げの高さが高いほど流出確率は低くなるが,流出時のヒト健康影響は大きくなる (Figure 7)。そこで, 流出ケース(iv)で設定した貯蔵率 $60 \% ,$ かさ上げの高さ $1.5 \mathrm{~m}$ の時に流出確率と流出時のヒト健康影響の積が最も小さくなると考えられる。 貯蔵率が $72 \%$ の時と $60 \%$ の時は,かさ上げをしていない方が曝露人数の期待値は大きくなったが,貯蔵率が $40 \%$ の時は, $3 \mathrm{~m}$ のかさ上げをしている方が曝露人数の期待値は大きくなった。かき上げが高いほど流出孔はタンクの底に近くなるが (Figure 7), 貯蔵率が $72 \%$ または $60 \%$ の時はかさ上げの高さによってトルエンの流出量は変化しない。一方で, 貯蔵率が $40 \%$ の時は, かさ上げが高くなり, 流出孔がタンクの底に近づくと, 流出量が増加する (Figure 7)。つまり,貯蔵率が $72 \%$ または $60 \%$ の時は, かさ上げの高さにより流出量が変化せず,ヒ卜健康影響の大きさに差がないため, かさ上げの高さが大きいほど流出確率が低くなり,暴露人数の期待値は減少する (Figure 7)。一方で, 貯蔵率が $40 \%$ の時は, かさ上げすることによる流出量の増加が流出確率の減少を上回り,かさ上げすると曝露人数の期待值は増加すると考えられる。 ## 5.2.4 タンクの形状と津波の感度解析の結果 タンクの形状と津波に関する感度解析の結果を Figure 8, Figure 9, Figure 10,Figure 11 にそれぞれ示す。 タンクの直径について, $10 \mathrm{~m}$ の場合に曝露人数の期待值が最大となった。 $5 \mathrm{~m}$ 場合は, 流出量が減少したことにより曝露人数の期待値は減少し, $15 \mathrm{~m}$ 以上の場合は, 流出確率が減少したことにより,曝露人数の期待値は減少した (Figure 8)。 タンクの高さについて, $9 \mathrm{~m}$ 場合に曝露人数の期待值が最大となった。 $6 \mathrm{~m}$ の場合は, 流出量が減少したことにより曝露人数の期待値は減少し, $12 \mathrm{~m}$ 以上の場合は, 流出確率が減少したことにより,曝露人数の期待值は減少した (Figure 9)。津波の流速について, $2 \mathrm{~m} / \mathrm{s}$ の時, 曝露人数の期待値は 2.0 人となり, $7.2 \mathrm{~m} / \mathrm{s}$ と $6 \mathrm{~m} / \mathrm{s}$ では約 5.9 倍, $6 \mathrm{~m} / \mathrm{s}$ と $4 \mathrm{~m} / \mathrm{s}$ では約 34 倍, $4 \mathrm{~m} / \mathrm{s}$ と $2 \mathrm{~m} / \mathrm{s}$ では約 26 倍, それそれ前者の方が曝露人数の期待値は大きくなった。津波の流速は流出確率の算出に関わっており,流出確率は津波の流速に対して感度が大きい (Figure 10)。 津波の浸水深さについて, $2 \mathrm{~m}$ の時, 曝露人数の期待値は 0.21 人となり, $5 \mathrm{~m}$ と $4 \mathrm{~m}$ では約 47 倍, $4 \mathrm{~m}$ と $3 \mathrm{~m}$ では約 32 倍, $3 \mathrm{~m}$ と $2 \mathrm{~m}$ では約 32 倍, それそれ前者の方が曝露人数の期待値は大きくなった。津波の浸水深さは流出確率の算出に関わっており,流出確率は津波の浸水深さに対して感度が大きい (Figure 11)。 ## 5.2.5 ALOHAの気象条件の感度解析の結果 ALOHAの気象条件に関する感度解析の結果を Figure 12 に示す。解析方法から考えて, 気象条 Figure 8 Sensitivity analysis results of the expected number of exposed people to AEGL-3 (tank diameter) Figure 9 Sensitivity analysis results of the expected number of exposed people to AEGL-3 (tank height) 件は流出確率とは無関係であるため,ここでの AEGL-3 の曝露人数の期待値は, 流出時のヒト健康影響によって変化すると考えられる。 風速が $9.2 \mathrm{~m} / \mathrm{s} ,$ 水温が $12^{\circ} \mathrm{C}$ ,気温が $33^{\circ} \mathrm{C}$ 変化すれば,AEGL-3の曝露人数の期待值にそれぞれ約 69 倍, 約 1.1 倍, 約 2.3 倍の差が出た。風速は水温と気温に比べて, AEGL-3の曝露人数の期待值に大きな影響を及ぼすことが分かった。風速が小さいほど,揮発した化学物質は拡散しにくく,事業所周辺の大気中濃度が高くなり,流出時の七卜健康影響が大きくなったと考えられる。 また,水温と気温では,気温の方がAEGL-3の曝露人数の期待値に大きな影響を与えていることが分かった。つまり,揮発した後の気象条件の方が流出時のヒト健康影響に大きな影響を与えていると考えられる。 ## 5.3 事業所における対策 5.1.2で述べたように, 流出確率を減少させるためには,貯蔵量を高く維持することとかさ上げを行うことの両方を同時に行う必要がある。しかし, Figure 7から分かる通り,貯蔵量を高くすることとかさ上げすることは, 流出時のヒト健康影響を大きくする可能性がある。一方で, Table 6 から,貯蔵率がある一定以上になれば,貯蔵率を Figure 10 Sensitivity analysis results of the expected number of exposed people to AEGL-3 (tsunami velocity) Figure 11 Sensitivity analysis results of the expected number of exposed people to AEGL-3 (tsunami depth) Figure 12 Sensitivity analysis results of the expected number of exposed people to AEGL-3 (weather conditions) 大きくしてもかさ上げを高くしても流出時のヒト健康影響の大きさに変化はないことも分かる。事業所としては,流出確率を下げること優先すべきか, 流出時のヒ卜健康影響を小さくすることを優先すべきか,難しい判断であるが,本研究で示した「曝露人数の期待値」を算出することによって, 流出確率と流出時のヒト健康影響の両方を考慮した総合的なりスクを知ることができる。 ## 5.4 モデルの不確実性についての考察 ALOHAは複雑な事象を簡便に評価できることが特色である一方,現象の単純化の過程で実際との乘離を生む可能性がある。このような長所と短 所を踏まえても,被害の大きさについての類推をするうえでは有用な方法であるといえる。 実事象とそれに対するALOHAでの対応の限界を以下に整理しておく。第一に,流出防止対策の検討においては, タンクの形状を1つに固定した。このような, タンクの形状やサイズへの対応や,設置場所が屋内か屋外かといったことは, 直接的に, 流出確率の推定結果に影響を与えることが推定できる。 第二に,流出時のリスク評価については,事業所Aに貯蔵しているトルエンが1つのタンクに入っていると考えた。しかし,現実には複数個のタンクに小分けして貯蔵されていたり, 倉庫内のドラム缶に貯蔵されていたりすることもあり,その場合には流出量が異なる可能性もある。 第三に,流出したトルエンは静止した水面上で拡散するとして, プールの直径を算出した。しかし,津波の勢いがある中で流出した場合には,液体状のトルエンが津波に流され, 本研究で算出したプールの直径よりも広範囲にトルエンが拡散すると考えられる。 第四に,ヒト健康影響の評価においては,大阪市の昼間人口を面積で割った人口密度を用いて,曝露人数を求めた。これは大阪市内の人口に偏りがなく,均等になっていると仮定している。しかし,実際には,地域によって人口に偏りがある上, 昼と夜でも該当地域の人口は変化する。よって, 実際の曝露人数は事故が起きるタイミングによっても異なる可能性がある。 ## 5.5 モデルの汎用性と適用限界についての考察 本研究で構築したリスク評価モデルに必要なパラメータは以下の3つに分けることができる。 (i) 津波の浸水深さと流速 (ii) 気象条件 (iii) タンクの形状と貯蔵方法 (i)と (ii)に関しては,地域に依存するパラメータのため, 本研究で対象とした地域以外でも, その地域で予想されている津波の浸水深さと流速,過去に観測された気象条件を当てはめれば,適用可能である。Figure 10 より,津波の流速が $2 \mathrm{~m} / \mathrm{s}$ 変化すればAEGL-3への曝露人数の期待値は 34 倍異なり, Figure 11 より,津波の浸水深さが $1 \mathrm{~m}$ 変化すればAEGL-3への曝露人数の期待値は47倍異なり, Figure 12 より, 風速が $9.2 \mathrm{~m} / \mathrm{s}$ 変化すればAEGL-3 への瀑露人数の期待值は 69 倍異なる。このように, パラメータの値による結果の違いが大きいため,不確実性の高いパラメータに関しては最悪のシナリオにおける値を代入することが望まれる。 (iii)に関しては,事業所で実際に利用しているタンクの形状,貯蔵率やかさ上げの高さといった貯蔵方法を適用することが望まれる。(i)と (ii)に関する情報が分かっていれば,複数のタンクの形状で曝露人数の期待值を算出することで,最もりスクが低くなるようなタンクの形状を推定することが可能である。また,事業所ごとにTable 1で示したパラメータが分かれば,津波による化学物質の流出を防止するために必要な貯蔵率とかさ上げの高さを推定することもできる。 本研究でのモデルは,パラメータの值を変えることで,臨海部に位置する他の事業所でも適用可能であるが,Figure 2 で示したシナリオを前提としているため, 適用できるのは液体で貯蔵されていて揮発性のある物質に限られ,屋外に設置されたタンクから静止した津波の水面上に流出するという事故に限定される。今後の課題として, 適用できる物質の拡大と津波を起因として起こりうる流出の事故シナリオの検討が挙げられる。 ## 6. 結論 本研究では, 南海トラフ巨大地震の津波により, タンクが移動・座屈することで, 化学物質が流出するという事故を想定し, 流出確率の評価と流出時のヒト健康影響の評価を行った。トルエンを対象として, 流出確率と流出時のヒト健康影響の両方を推計し,「曝露人数の期待値」を算出した。流出確率の評価では, 化学物質の貯蔵率とタンクのかさ上げの高さを組み合わせた検討を行った。両者は, 流出確率に影響を与えることが分かったが, 貯蔵率を高い值に保つことでより効果的に流出確率を抑制できることが分かった。今後の課題としては,タンクを小分けにするといった対策についても評価することがあげられる。流出時のヒ卜健康影響評価では, 対象事業所に貯蔵している化学物質がタンク1つに入っていると仮定し,貯蔵率とかさ上げの高さを変えた7つのケースを想定し,ALOHAのTankモデルで解析を行った。その結果,貯蔵率を高くすることとかさ上げを高くすることは流出確率を減少させる一方で, 流出時のヒ卜健康影響を増大させる可能性があることが分かった。そこで, 流出確率とヒト健康影響を同時に評価した「曝露人数の期待値」 を算出したところ,貯蔵率が $60 \%$ でかさ上げの高さが $1.5 \mathrm{~m}$ の時に最も値が小さくなることが分かった。 本研究では, トルエンのように常温では液体であるが揮発性のある化学物質がタンクから流出するリスク評価の方法論を示した。主要なパラメー 夕の感度解析より, タンクの形状や津波の条件,気象条件によって,「曝露人数の期待値」に幅が出てくるため, こうした応答特性を把握したうえで本研究でのモデルを適用することが望まれる。 ## 謝辞 本研究は, (独)環境再生保全機構の環境研究総合推進費(JPMEERF18S11702; JPMEERF20231M03) により実施しました。 ## 参考文献 Aoki, S. 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# 学会誌「リスク学研究」の規程改正と査読期間について* Revision of Submission Rules and Peer Review Period of Japanese Journal of Risk Analysis } 村上 道夫** Michio MURAKAMI 日本リスク学会の学会誌「リスク学研究」の投稿規程などが2023年 5 月 17 日に改定された。こ れ以前に行われた学会誌名の変更,オープン アクセス化,国際化に向けた改定については既報 (米田, 2020)で紹介されたとおりである。また, 2022 年 3 月 31 日にはJSTのプレプリントサーバー (Jxiv)に掲載された原稿の投稿を可能とする改定 が行われたが,今回の改定では,プレプリントの 扱いに加えて著者覆面に関する査読体制の変更な ども行われた。本稿では, 本改定の主要な点と経緯について述べ, その後, リスク学研究の査読期間について紹介する。 今回の主な改定内容は, (1)著者名匿名化による 査読から原稿内に著者名を明示して投稿する形に 変更(あわせて原稿 templateの変更),(2)投稿時 における著者チェックリストの提出, (3)プレプリ ントなどの扱いについての記載, である。この他 にも,(4)倫理委員会承認などに関する文章表現の 変更, (5)担当編集委員, 査読委員と原稿に関する 利益相反の記載, 6非会員に対しても査読を依頼可能であること,ならびに,3名以上に同時に査読依頼可能であることの明記, (7)表記上の摇れの 修正 (論文, 原稿, 記事, 審査委員, 査読委員,規程などの表現の統一),についても改定を行っ ている。本改定にあたり, 編集委員である平井祐介氏,清水右郷氏に多大なご協力をいただいた。両氏には心から感謝の意を示す。今回の改定は, 前述のJxivに掲載された原稿の 扱いに関する議論がきつかけとなった。当時, 編集委員会内でワーキンググループをたちあげ, Jxiv も含め, 様々なプレプリントの扱いについて の議論を重ねた。結果として出版権の侵害と二重投稿の観点から投稿規程などを整理するべきとい う意見でまとまり, 今回の改定にて, 「著者が運営するウエブサイトで公開されているもの」「著者が所属する又は所属していた組織が設置するウ エブサイトで公開されているもの, かつ当該組織 が紀要などとして出版していないもの」「コミュ ニティで認知されたプレプリントサーバーに投稿 された原稿」「その他のプレプリントサーバーに 投稿された原稿などで, 編集委員会が承認した原稿」は未発表として扱い, リスク学研究への投稿 を可とした(詳細は, リスク学研究の倫理規程を 参照のこと)。その一方で, 二重投稿の防止を丁寧に確認するべきとの観点から, 未発表の原稿で あるかどうかなどを尋ねる著者チェックリストを 設けた。2023年 5 月 17 日以降, リスク学研究へ の投稿時には, 著者名と所属名を明記した原稿 templateを用いること,ならびに,著者チェック リストの提出が必須となった。 また, プレプリントの扱いに伴って, 査読にお ける二重覆面体制(查読過程において,著者も査読委員も匿名であること)についての議論があっ た。プレプリントサーバーに掲載された原稿には  図1 リスク学研究における投稿から最初の判定までの日数 全体:原著論文, 資料論文, 総説論文, 情報, レター, 書評。論文:原著論文, 資料論文, 総説論文。 著者名が示されているため, リスク学研究として 投稿された原稿の査読において著者名が覆面であ ることと齯䶣があるようにも見受けられたからで ある。著者が匿名であることのメリット,デメ リットを編集委員会内で議論した結果,以下のよ うにまとまった。著者が匿名であることのメリッ トとして挙げられたのは,査読委員が著者名で原稿の内容を判断することが防げる,ということで あった。著者が匿名であることのデメリットとし て提示されたのは次の三点であった。第一に,著者自身が発表した既存論文を引用する際,場合に よっては引用論文と同じ著者であることがわから ないようにするといった工夫を施したり, 引用論文を覆面化したりする必要があったため, 引用し た内容の詳細がわからない, といった問題があっ た。第二に,匿名箇所を一つひとつ投稿のたびに 毎回査読委員長が確認する必要があったため,相応の負担と査読の遅延が生じていた。第三に,す でに年次大会で発表された原稿など,実質的に著者が完全な匿名となっていないことがあった。以上から,著者が匿名であることのデメリットが大 きいと判断し,編集委員会と理事会での承認を経 て, 今回の改定へと踏み切った。より適正な査読 と良質な原稿の掲載へとつながればと願っている。投稿規程などの改定とともに, リスク学研究の 刊行を進めるにあたって,編集委員長として関心 を持っていたのが査読期間の明示である。昨今で は,多くの国際誌などにおいて投稿してから最初 の査読結果の判定までの日数などが示されてい る。2022年の日本リスク学会年次大会では, 理事会セッションにて, リスク学研究の査読期間を 紹介した。リスク学研究の投稿を検討する著者に とって重要な情報だ考え,最新のデータも含め て本巻頭言で紹介する。 図 1 にリスク学研究に投稿されてから最初の査読判定までの日数を示す。2019年に投稿された 原稿全体(原著論文, 資料論文, 総説論文, 情報, レター,書評)では,投稿から最初の判定までの 日数は算術平均値で 96 日(中央値:77日)であっ たのに対し, 2020 年には短縮され, 2022 年では 53 日(同44日)であった。論文(原著論文, 資料論文, 総説論文)の場合は, 2019年では108日(同 96日)であったのに対し,2022年では73日(同 75 日)であった。もち万ん, 査読は適正であるこ とが重要であって, 查読期間が短いことに第一の 意義があるとは考えていない。とはいえ,迅速に 知見を公表したいと考える著者の方も少なくない であろう。査読の質を維持しながらも, 査読期間 の短縮化につながったのは,先任の編集委員長,査読委員長のご尽力, 並びに著者, 査読委員, 担当編集委員によるご協力のたまものである。改め てここに感謝の意を示したい。 リスク学研究は, 年に 4 回刊行される学会誌で あり, かつ, 誰もが無料で閲覧できる。希望すれ ば早期公開も 8,000 円(税別)で可能である。また,投稿者が非会員の場合は投稿料として 8,000 円 (税迄)かかるが, 会員の場合は無料である。掲載費も,規程のページ数までならば無料である。 オープンアクセス化が進み,掲載費が跳ね上がる 雑誌が増える中で,著者と読者にとって魅力的な 学会誌でありたいと願っている。 現在は, MIP(Most Influential Papers)プロジェ クトとして, リスク学における「最も影響力のあ る論文群」に関するレビュー原稿企画も進んでい る 。本企画に関しても,多くの投稿をお待ちしている。 ## 参考文献 米田稔 (2020) 学会誌「リスク学研究」の変革について, リスク学研究, 30(1), 1-3.
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# リスク学研究 33(2): 65-66 (2023) Japanese Journal of Risk Analysis doi: 10.11447/jjra.SRA-E332 # 【巻頭言】 ## 学際的リスク評価の実学的側面* ## Objective Risk Analysis for Policy Making ## 藤井 健吉** ## Kenkichi FUJII 此の道を行けばどうなるものかと危ぶむなかれ危ぶめば道はなし ふみ出せばその一足が道となるその一足が道である わからなくても歩いて行け行けばわかるよ (清沢,1966) リスク評価やリスク管理に従事する職業人の経験則として,あるリスク事象を見極める際に,1つの評価指標にとらわれず,より包括的にリスク事象を捉えたい,という習性があると思います。守りたい価値,つまりリスク評価の指標が常に 1 つである場合は,話は単純化できるかもしれませんが, 現実の社会のリスク課題は常に,その課題の様相も多様でかつ階層性があるためです。安全性,環境, 持続可能性, 経済, 文化的尊重, 個人の価値観など, 1 つとつのリスク評価指標は,守りたい価値の一つの評価に対応しています(岸本, 2019a,2019b)。1つの指標だけでリスク課題を評価することは,他の守りたい価値を取り上げ損ねることになるかもしれない。そのため,昨今はリスク課題の意思決定をワンイシュー化せず,多角的に多指標のリスク評価から総合評価して意思決定をする事が増えています。リスク評価者の負荷は増えましたが,リスク課題に対する意思決定の質は自然と上がっていると思います。リスク評価機関と意思決定機関の連携がうまくいっている結果だと思います。例えば,直近のCOVID-19パンデミックのなかでは,公衆衛生の観点から感染制御のリスク評価法に注力しました。しかし,その他の社会的側面からのリスク評価を取り入れることは,容易ではありませんでした。対策・政策の社会経済影響評価など,リスク管理の便益を表現する技術には, さらなる向上が必要と痛感しています。どのような評価軸であれば,リスクの正負の側面をいかに表現できるか, 古今東西でリスクアセスメント技法の技術革新は続きます。 さて, 企業においては, 経営判断, 事業判断,製造におけるリスク管理,製品安全設計,誤使用への未然防止,廃棄を含めたライフサイクル設計など,様々なリスク課題を定性的・定量的に評価し,妥当な判断をすることが日常的に行われています。社会を構成するステークホルダーの一員として,企業は持続可能な循環社会を実現するドライビングフォースという側面があり,多くの場合,社会の関心事になる前から, そのようなリスク課題をファインディングし,あるべき対応策をリスクアセスメントに基づき検討し,解決志向性のリスク管理プランを複数用意しています。このように,産業界の現場を構成する企業は,その現代社会への責任から,特に根拠に基づく合理的な判断,将来のありたい社会の姿に向けて合目的な選択をする傾向があります。その性質から,リスクを的確に見極めたいというニーズがあり,意思決定における課題毎の高度なリスクアセスメントが日々  活用されています。大航海時代から,企業活動とはリスクを恐れるだけの消極的な経営と,積極的にリスクを見極めビジネスや将来の循環社会へとつなげるように検討してくという,本来の意味でリスクを管理した経営姿勢の両面があるのです (藤井ら,2017)。そして, 現代においては地球全体の持続可能性を見据えて, 日本国内の企業も ESG経営に舵を切る潮流が本流になりました。組織の経営の根幹にかかわる科学・法規・環境や持続可能性といったリスクの本質を見極め,評価し対話できる陶治されたリスクマネージャーの機能は,企業のリスクガバナンスと課題毎のグロー バルな方針策定に重要なものになっています(永井ら,2016)。意思決定問題であるため,規制戦略・事業計画そして経営判断のために, 多角的なリスクアセスメントレポートを答申できる統括リスク管理者の役割があります。これは,従来から行政や組織の機能として位置づけられてきた Advisory board for Policy Makerのことです。行政機関の科学アドバイザー, 経営会議の事務局機能,など色々な機能部局として意思決定に近いところで機能できればよい,という形です。このような場では,課題毎に多彩なりスク評価書が精緻にハイスピードで作成され,時事折々の経営判断や政策決定の判断材料として活かされています。実践的リスク学と意思決定, という本稿のタイトルは、これに由来します。 最後に,リスクのバランスを議論するなかでは,科学的な根拠だけでなく, 法規制や国際潮流, 社会的・文化的な側面を考慮することが大切です。意思決定や事業判断をする上で, 環境やヒト健康といった従来からのリスク評価指標だけでなく,多角的なリスクに関するレポートが望まれるため, リスクアセッサーには,1つのリスク課題に対して複数の多角的なりスクアセスメントレポートを総説的にまとめる能力が要求されます。企業や国家にとって,「知らなかった」では済まされない中で, 網羅的で鳥瞰的なリスクアセスメントを構築するため, 戦略的リスクアセスメント部局の体制は,多様な人財のマトリックスチーム化する必要があります。循環経済や地球温暖化など,一企業のリスク判断はグローバルリスク政策と連動し なければなりません(藤井, 2019)。プロアクティブなリスク対応のために, Science for Policyを機能的に具体化していくと, Regulatory Scienceのプロフェッショナル,という仕事が見えてくるように思います。広視野で骨太なりスクアセスメントが, そのリスク課題に対する解決志向性のアプローチへの意思決定に繋がり,グローバルな課題解決に至る一助となることを,想いとして大切にしています。国家や企業,あらゆる組織が,合理的な意思決定とは何か?を考えプロセスを組み立てると,リスクアセスメント,リスクマネジメント, リスクコミュニケーションをどのように機能部局化するとよいか,を更に考えてみたいと思う次第です。巻頭言ということで,わたしと周囲の職業経験を振り返りつつ, リスク学の実学的側面として記しておく次第です。不一。 ## 参考文献 藤井健吉, 河野真貴子, 井上知也, 平井祐介, 永井孝志, 小野恭子, 岸本充生, 村上道夫 (2017) レギュラトリーサイエンス (RS) のもつ解決志向性とリスク学の親和性 - 薬事分野・食品安全分野. 化学物質管理分野の事例分析からの示唆-, 日本リスク研究学会誌, 27(1), 11-22. DOI:10.11447/sraj.27.11 藤井健吉 (2019) 1-10 SDGs 持続可能な開発目標)とESG投資,日本リスク研究学会(編) リスク学事典, 丸善出版, 40-41. 岸本充生 (2019a) 1-1 リスク学とは何か,日本リスク研究学会 (編) リスク学事典, 丸善出版, 4-5. 岸本充生 (2019b) 1-2 リスク概念の展開と多様化, 日本リスク研究学会 (編) リスク学事典,丸善出版, 6-9. 清沢哲夫 (1966) 無常断章, 法蔵館. 永井孝志, 藤井健吉, 平井祐介, 村上道夫, 小野恭子, 保高徹生, 河野真貴子, 井上知也, 岸本充生 (2016) 化学物質のリスクを中心としたレギュラトリーサイエンスの事例解析 - レギュラトリーサイエンスタスクグループ活動報告 - ,日本リスク研究学会誌, 26(1), 13-21. DOI: $10.11447 /$ sraj. 26.13
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# 【資料論文】 ## 地域対話の実態を把握するための公開記録の活用について* ## Utilization of Public Records to Grasp the Actual Situation of Regional Dialogue ## 竹田 宜人** \author{ Yoshihito TAKEDA } \begin{abstract} This paper first defines the community dialogues that are held under the name of resident briefings, etc., and sorts out their characteristics. In addition, the current state of the records and related information released by the organizers etc. is described, and the possibility of analyzing the structure of regional dialogue using them is examined. Although there are restrictions on the information that can be made public due to ethical issues, we were able to read the explanations and the diverse opinions of the participants from the content that was made public. This indicates the possibility of developing common knowledge, such as restructuring the venue and examining more appropriate ways of proceeding, through examination of public materials. \end{abstract} Key Words: Regional dialogues, Risk Communication, Ethical issues ## 1. はじめに わが国では,地域に係る課題対応における住民参加の一形態として「住民説明会」や「地域対話」「対話の場」等の名称で,地域住民と行政や事業者等との対話(以下,総称として「地域対話」という)が数多く行われており,社会のリスク管理の枠組みの一つとして機能している。それらの活動のより適切な運用には, 社会の経験知としてのノウハウの蓄積や共有を目的とした実態把握が必要であるが,具体的な地域の課題を扱い, プライバシーに係わる情報等も含むため,その調查には多くの配慮や工夫が必要と考えられる。本稿は,地域対話の実態把握を目的とした公開記録の活用を提案し,その理由と配慮すべき課題について,試行的に論ずるものである。 ## 2. 地域対話の現状 本章では,本論で扱う地域対話について,その現状について論ずる。 ## 2.1 定義 地域対話の企画や運営の主体は行政や事業者であり,住民の生活に何らかのリスクが考えられる,あるいは影響が認められた場合で,公的に住民に向けて説明が必要となる際に行われている。 そのうち,「住民説明会」は実施主体を“行政側” として「何らかの事業や施策に対して,住民に直接説明をし,また住民からの意見を受ける会議」 と定義づけられている(財団法人地方自治研究機構,2013)。記述から双方向性であることが伺え,地域対話も同じ機能を持つと考えられることから,本稿では,実施主体を限らず地域対話の定義として位置づけることとする。 地域対話は,定義から明らかなように,意思決定の権限が付与されることはなく,合意形成を目的とすることが明示される,あるいは,そこでの  議論が行政施策や意思決定(議会の議決や首長の判断)への反映が約束されているわけではなく, あくまでも住民から意見を受ける場である。また,住民とは,課題によっては利害関係のない市民や国民への拡大が議論されることもあるが,直接影響を受ける地域の居住者や勤務者と解釈することが妥当である。 ## 2.2 地域対話実施の根拠 なぜ地域対話は行われるのか? 本節ではその実施根拠について述べる。地域対話にはその実施が法や制度に定められている事例がある。 例えば,環境影響評価法の方法書等の説明や新規開発, 建築時の紛争の予防を目的とした条例などに基づき「住民説明会」の名称で義務付けられているものや化学物質管理促進法における化学物質管理指針のように条文を根拠とした下位規定において定められているもの,土壌污染対策法における「事業者が行う土壌污染リスクコミュニケー ションのためのガイドライン(公益財団法人日本環境協会, 2017)」のように行政が作成したガイドラインでその実施が推奨されているものなどである。 一方で, 北海道新幹線工事や原発再稼働のような公共的な事業や日本化学工業協会 (JRCC)のレスポンシブルケア活動において事業者が自主的に行う,法や制度に基づかない地域対話もある。これは,人々の価値観の多様性等を背景に,その対象も含め, 拡大, 一般化する傾向がある。 これらの活動は,関連する法制度や事業によって, 様々な名称(住民説明会, 環境コミユニケー ション, リスクコミュニケーション, 対話の場,地域対話, オープンハウス, 勉強会等)で呼ばれているが,コミュニケーション,対話といった言葉を含む場合, 主催者が双方向性を目的に含む時に使用されることが多い。例えば,前述のレスポンシブルケア地域対話では, 事業者が近隣の自治会を対象に, 自らの環境対策に関する情報提供と質疑応答に加元,懇親的な対話の時間を含めている(川崎市役所, 2021)。なお,実施根拠や扱うテーマが類似している事例として,行政が施策を立案する際に公開で意見を求めるパブリックコメントや政策提言を目的としたミニ・パブリックス,コンセンサス会議,市民討論会,熟議民主主義を背景にした討論型世論調査や住民協議会, 科学技術に関する知識の理解醇成を目的とした科学技術コミュニケーション等があるが, これらは,後述するようにステークホルダーの範囲が広く,具体的な地域や事業へのかかわり方が浅いゆえに生ずる参加動機の違いから, 本論においては地域対話に含めないこととする。 ## 2.3 地域対話が扱う課題 地域対話が扱う課題は, NIMBY (Not In My Backyard(我が家の裏庭には置かないで))施設と呼ばれる原子力関連施設や廃棄物処理施設, 軍事基地, 工場, 事業所などの立地や稼働, 福島第一原子力発電所の事故に伴う ALPS 処理水の放流などの事故対応, 大規模な公共工事(道路や鉄道等)など,それらの活動に伴い地域社会に何らかのリスクが想定される問題である。本節では, 地域対話の対象の拡大と一般化の理由について, 環境問題と東日本大震災に着目して論ずる。 明治維新以降, 産業振興や開発は行政や事業者の主導で行われ, 経済優先の手法は各地で様々な公害を引き起こした(宇井, 2006)。1970年代になり, 公害対策が法制度化されると地域的かつ激甚な健康影響を伴う公害は減少していくが, 2000 年前後から, 環境問題として, 将来のリスクが想定される迷惑施設(例えば, ダイオキシン問題を端緒とした廃棄物処分施設)の立地や大型土木工事に対する反対運動が活発化する(例えば,西日本新聞, 2019)。これらの社会現象は人々の価値観の多様化とステークホルダーの拡張, メディアの多様化を背景として複雑化が進んでいくが, 近年は, リスク管理における対話の重要性への理解も進んでいる。例えば,土壌污染対策における GR (Green remediation:グリーンレメディエー ション) やSR(Sustainable remediation:サスティナブルレメディエーション)のように,環境面と社会や経済的側面への配慮に加えて関係者間のコミュニケーションを当初から組み达んだ対策の提案などである。(例えば,東京都庁,2022)さらに, 持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals:SDGs)においては,地域コミュニティとの係わりを記述した目標が含まれ,事業活動を行うものにとって, 地域社会への配慮や対話は不可欠なものになっている(環境省,2020)。 加えて, 2011 年の東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故では, 数多くの対話が, 原因者が明確な放射能污染による強制的な避難と住 民の健康影響への不安や懸念といった構造に加之,日々の営みが突然奪われることの理不尽さ,原子力行政を含む政府への不信など,様々な人々の思いの中で開催された(例えば,双葉町役場, 2015)。多くの行政担当者や研究者がその活動に係り,新たな試みが数多く行われ,対話活動の重要性が改めて気づかされることになったが,その活動を評価し,次に繋げていく活動は未だ十分とは言えない状況である。そのような中でも,住民の健康や環境影響などへの関心の拡大と相まって対象となる事業は拡大し, 北海道新幹線やリニア新幹線工事のように,公共性の高い事業であっても意見の対立によって計画の変更や工事の遅延に発展する事例も見られるようになった(例えば,日経クロステック,2022;静岡新聞,2019)。加えて, 従来その機能から迷惑施設と扱われることが少なかった学校などの教育施設や公園, 病院, 福祉施設などもその対象に含まれるようになっている(例えば,福祉新聞,2020)。 このような地域対話の多様化と一般化に対して, リスクガバナンスの視点からの適切な振り返りとフィードバックの重要性は増大しており, 先に述べた通り,より民主的な地域対話の実践には, 社会の経験知としてのノウハウの蓄積や共有を目的とした実態把握が必要である。次章においては, 研究対象としての実際の場の取り扱い方やそこから得られる社会が必要とする知見とは何か, 適切な知見の共有と実践への応用とは何か, まず,研究者が取り組むべき課題について,地域対話の実態を把握する際の公開記録の活用に着目して,事例を取り上げて論ずる。 ## 3. 地域対話の公開記録活用の提案 3.1 公開記録活用の理由 地域対話では,場の開催そのものへの否定的な参加者の存在や運用ルールの合意が得られていないような状況下で行われること(例えば,北海道新聞,2021a)や人権上の配慮のため匿名性や非公開性の確保が求められることもある。そのため, 研究者が実験的に行う取り組みと比較して,倫理上の配慮が不可欠であり,研究者の介入や公開, 撮影, 録画, 録音, アンケートやインタビュー の実施には制約がある。よって,企画者や参加者の合意のもとデータが収集された場合(例えば,井元,2014)を除き,地域対話を研究の対象にすることにおいては様々な配慮が必要になり,学術研究で求められるクオリティを確保した記録や調査は困難であることも多い。そのため,地域対話における経験は公的な議事録や関係者の記憶にとどまり,そのノウハウが対外的に共有されることも少なかったものと考えられる。結果として, 地域対話の適切な準備や運営方法, 場で提供されるべき情報等の関係者における共有は十分とは言えない状況である。 しかし, 昨今の意思決定における手続きの透明性への要求から, 情報公開への工夫が見られる事例も増えつつある。 最も公開性の高いものとして, YouTubeなどの動画配信サイトを使用した動画公開や対話を逐一文字起こしした議事録(例えば,原子力規制委員会,2019)がある。公開に制約があったとしても, 当日の作業記録 (付せんや模造紙), Figure 1 に示す第三者が対話のやり取りを絵で表現したグラフィックレコード(例えば,環境省,2022)などの公開も一般化している。また, それらの情報を䌂めてのサイトの公開も行われている(例えば,札幌市役所, 2021 ; 原子力発電環境整備機構, 2023)。 今後の地域対話の研究においては,これらの主催者が作成し公開している対話そのものの情報を利用し実践的な手法による地域対話の検討とより良い方法の提案が求められるのではないだろうか。 Figure 1 Graphic record (Ministry of the Environment Government of Japan, 2022) ## 3.2 公開されている記録から読み解けるもの 本節では,一例として,北海道新幹線工事に係る発生土処分場立地に関する地域対話の公開記録を取り上げ,その内容から読み解けるものについて述べる。 北海道新幹線の新青森〜新函館北斗間は, 2016 (平成28)年3月26日に開業しており,新函館北斗〜札幌間については, 2030 (令和12)年度末の完成を目指している。しかし,トンネル工事等に伴い発生する, 自然由来の重金属が環境基準を超える対策土の受入地の確保の難航等の要因から,予定から 2 年半ほど工事に遅れがあると言われている(日経クロステック,2022)。対策土の受入地の選定については,札幌市が市有地など市内 3 か所を受入候補地として選定し, 令和元年 7 月以降, 候補地周辺の住民向けに説明会やオープンハウスを開催している。説明会は教室形式で住民限定,オープンハウスは一般公開で参加者がそれぞれの展示パネルの説明者と対話する形式で行われている。(朝日新聞, 2021; 北海道新聞, 2021b) 対話の記録として,住民説明会の質疑応答及びオープンハウス(第 1 回(令和 2 年 11 月), 第 2 回 (令和 2 年 12 月))の会場で参加者が付せんに記載した意見や質問とそれに対する回答, 配布資料,説明パネルがウェブページで公開されている(札幌市役所,2021)。 オープンハウスの付せん記録は,意見が9項目 (北海道新幹線事業, 計画ルート, トンネル発生土, 対策土の受入候補, 対策方法, 粉じん, 工事後の管理, 跡地利用, オープンハウス・住民説明会)に分類されており,詳細な記録から,参加した住民の多様な関心事を知ることが可能で,議論の構造を推定するうえで貴重な情報といえる。 Figure 2 は9項目のうち,5.対策方法についてと, 6. 粉じんについての抜粋である。 Figure 2 Opinions and answers ## 4. まとめ 本稿は,地域対話の現状を整理したうえで,実態把握のための公開記録の活用を提案し, その理由と注意すべき課題について, 整理したものである。地域対話はその運営形態や参加者の人権及び倫理的な配慮の必要性等の理由により, 進め方やその記録において研究者の介在には制限がある。 しかし,3章で示したように詳細な関連資料や記録が公開されており, それらを組み合わせることで場を再構築し, より適切な進め方に必要な知見の検討及び共有の可能性がある。 一方で, ステークホルダー合意のもと, 主催者側が公開しているコンテンツの多くは, 学術的に適切とされるインタビューや質問紙の設計に基づいたアウトプットではなく, 作成目的の観点から扱いに注意が必要なもの(例えば, Figure 1 に示したグラフィックレコードは概要を伝えることが目的であり, 正確性において議事録としての利用を想定されていない。)もあり, その利用には多くの実践的な検討が必要である。 よって,今後はこれらのコンテンツ(議事録,質疑応答の記録, 動画, 写真, 付せん, 模造紙, グラフィックレコード等)を活用した地域対話の構造の再構築などの事例解析の方法の検討を積み重ね、よりよい対話構築のための課題抽出や汎用的に応用可能な知見の導出を行っていく予定である。これらの地域対話はリスクに係わる課題を扱うため,そのノウハウはリスクコミュニケーションの実践に生かすことができるものと考えている。 ## 参考文献 Asahi Shinbun (2021) Hokkaidōshinkansen no tonneru zando de fuan Sapporo-shi de jūmin setsumeikai, 2021.3.28. 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# 【情報】 ## 第36回日本リスク学会春季シンポジウム開催報告福島から今を話し合う ーリスクガバナンスの教訓と展望の全景—* Discussing the Present from Fukushima: A Panoramic View of the Lessons and Perspectives for Risk Governance \author{ 村上道夫**, 甲斐倫明***, 坪倉正治****, 保高徹生 ${ }^{* * * * *}$, \\ 神田玲子******, 清水右郷*******, \\ 安東量子********,米田稔********** } ## Michio MURAKAMI, Michiaki KAI, Masaharu TSUBOKURA, Tetsuo YASUTAKA, Reiko KANDA, Ukyo SHIMIZU, Ryoko ANDO and Minoru YONEDA \begin{abstract} Twelve years have passed since the Great East Japan Earthquake and Fukushima Daiichi Nuclear Power Station accident (Fukushima nuclear accident) occurred in March 2011. In addition to direct deaths from the disaster itself, various risk issues have arisen, including disaster-related deaths, radiation exposure, secondary physical and psychological health effects due to evacuation and lifestyle changes, and economic impact. It also highlighted the importance of a multifaceted and integrated approach to risk assessment, management, and communication. The diverse and intertwined risk challenges and approaches to resolving them presented lessons and perspectives on risk governance. This manuscript reports on the 2023 spring symposium titled "Discussing the present from Fukushima: A panoramic view of the lessons and perspectives for risk governance." We discussed topics related to the International Commission on Radiological Protection recommendations for radiological protection in the accident and its challenges, a summary of secondary health effects after the Fukushima nuclear accident, efforts toward sustainable management and disposal of removed soil and other materials, and the involvement of various stakeholders. \end{abstract} Key Words: Fukushima disaster, Radiological protection, Removed soils, Secondary health effect, Stakeholder involvement  ## 1. シンポジウムの趣旨 2011 年 3 月に東日本大震災と福島第一原子力発電所事故(福島原発事故)が起きてから 12 年が経過した。その間,震災そのものによる死亡に加えて,災害関連死,放射線被ばく,避難や生活の変化に伴う心身への二次的な健康影響, 経済影響等, 多様なリスク課題が生じた(Tsubokura, 2018;村上,2019)。これらのリスク課題とその解決に向け, リスク評価, 管理, コミュニケーションといった多角的かつ一体的なアプローチの重要性が再認識された。また, 二次的健康影響, 除去土壤の最終処分等, 依然として残された課題もある。 そのような背景から, 2023 年6月9日に第36回日本リスク学会春季シンポジウム「福島から今を話し合う:リスクガバナンスの教訓と展望の全景」 が開催された。本稿では, そのシンポジウムにおける発表内容とコメンテーターを交えた議論について紹介する。 ## 2. 事故の放射線防護に対する International Commission on Radiological Protection (ICRP) 勧告とその課題(甲斐倫明) 福島原発事故直後に,既存の勧告等に基づいて ICRPは放射線防護に関する声明を提示したが,社会の反応から見えてきた課題があった。 第一に,放射線防護分野の専門家と社会の間で,防護の考え方と安全基準の考え方に関するギャップがあった。ICRP2007年搉告 (ICRP, 2007) では,3つの被ばく状況(緊急時被ばく状況,現存被ばく状況, 計画被ばく状況)に応じて, それぞれ 20-100 mSv/年, $1-20 \mathrm{mSv}$ /年, $1 \mathrm{mSv}$ /年の放射線量を上限値とする参考レベルに設定し,放射線防護を進めるという考え方をとっている。段階的に複数の参考レベルで対応するいう放射線防護の考え方は, ゼロリスクを仮定しない下での状況を見据えたリスク低減の方法である。そのために,しばしば,安全基準は一つの線量で区分されるべきであるとみなす考えとは認識のギャップが生じた。 第二に,安全という用語とリスクの関連についての学術分野の合意及び社会への浸透が必要であった。低線量放射線がもたらす影響に対して,保守的な防護策としての判断に資するよう, ICRP ではしきい值無し直線仮説を採用してきた(ICRP, 1959) し,他に合理的で慎重なモデルはないと勧告してきた(ICRP,2007)。放射線量がどの程度の リスクなのか, どのレベルを社会が安全とみなすのかについて,放射線防護分野のみならず,様々な学術分野での議論を深めることが求められた。 また,安全やリスクの概念の社会的浸透も課題に挙げられた。 第三に, 原子力災害下においては, 放射線被ばく以外の健康リスクも生じ,とりわけ避難は小さくないリスクを伴うことから, どのような対策が正当化されるのか, 最適なのかといった議論がなされた。放射線防護とその他の分野でのリスク比較, とりわけ, ウェルビーイングに与える全てのリスク因子を考慮した対応が必要であった。そのためには,どのような方法論でリスク評価やリスク比較を行うべきか,事前の方法論を定めておく必要がある。第四に,これらの放射線リスク及びそれ以外のリスクに対する対応として,ステークホルダーの参加型の管理の浸透が必要不可欠であった。被災した住民からは, 被ばく低減に関する裁量が当事者である住民にないことが問題の背景にあるとの指摘もなされた。上述のように,社会とのギャップ, 安全やリスクレベルについての合意, 多様なリスクへの対応について,リスク情報を共有し,住民を交えた様々な立場から管理方策を判断することが求められた。 ## 3. 福島原発事故後における二次的健康影響の総括(坪倉正治) 福島原発事故後には,放射線被ばくに伴うものに加えて, 急性期には外傷, けが, 老人ホーム等の避難, 慢性期には, 精神的な影響, 生活習慣病, 受験新受診率の低下, 偏見, 孤立等, 様々な二次的健康影響に関する問題が生じた。これらの健康問題を個人の意思や行動の帰結としてとらえるのではなく, 社会や周辺環境によって規定されると考えることが重要である。 一例として, 老人ホームから避難を挙げる。原発事故後の老人ホームからの避難後に, 居住者の死亡相対リスクが2.68倍になったとの事例がある (Nomura et al., 2013)。職員が減少した,外部からの医療資源の提供が途絶えた等, 医療機能の維持が困難な状況にあり,これらの地域にとどまった場合, 死亡リスクが高まる可能性もあった(Shimada et al., 2018)。職員が滞在できない理由としては,放射線よりも学校や会社の閉鎖による日常生活への影響が挙げられている(Hirohara et al., 2019)。 この他にも,慢性期に生じた二次的健康影響には,家庭環境の変化,病院の診療圈の変化,介護需要の変化に伴うもの等, 多様な社会的要因によってもたらされる。 このような多様な健康影響に対し,損失余命を用いることで,放射線被ばくよりも老人施設からの避難や糖尿病のリスクが大きいことが報告されている(Murakami et al., 2015; Murakami et al., 2017)。 これは, 避難をするべきではなかったという意味ではない。最適化には, 原発事故後の各時期の健康問題の変化と常にバランスをとる必要がある。様々な健康問題のうち, 存在する資源の中で, 対応可能な選択肢が何か, また, その効果がどの程度かといった評価を見达むことが重要である。 ## 4. 除去土㙥等のサステイナブルな管理・処分に向けた取組み〜環境, 経済, 社会の視点から〜 (保高徹生) 福島原発事故後に進められた除染によって発生した除去土塎等は, 現在, 中間貯蔵施設に置かれているが,2045年までに福島県外で最終処分を完了することが定められている。これらの除去土壞等は,再生利用をするか,県外最終処分を行う必要がある。再生利用と県外最終処分のいずれにおいても社会受容性や合意形成プロセスの課題が残る。 これらの除去土壌等のサステイナブルな再生利用・最終処分を進めるには,環境,経済,社会的側面を考慮した上で複数の選択肢を準備し,ステークホルダーの参画とともに意思決定を行うことが重要である。環境側面には,外部被ばくや地下水への影響といった環境安全性の確保や外部環境負荷, 経済的側面には, 直接及び間接的な費用,風評被害の可能性, 直接及び間接的な便益を含めた評価が求められる。一方, 社会的側面には, 社会受容性、ステークホルダーの参画,地域社会の対立や分断への影響,国や自治体への信頼,地域の未来像への影響, 手続き的公正や分配的公正,工事や車両進行の影響等, 関連する要因は多様である。 ステークホルダーの参画を推進するうえで,注目されるアプローチが地域住民とのco-expertise process である (Lochard et al., 2020)。飯舘村長泥地区における再生利用の実証事業では, 農地としての再生利用の実証が開始したが, 特徴的なのは,地元住民・有識者・副村長といったステークホル ダーが参画し, 地元住民と協同的に栽培実証試験が実施された(環境省,2023)。このようなプロ七スを経ることで, 関与した地元住民から, 当事者意識とともに地域再生に向けた認識の高まりが報告されている。 県外最終処分の社会受容性についての調査は端を発したところであるが,調査票を用いたコンジョイント分析の既存研究 (Takada et al., 2022)では, 市民にとっては, 処分される放射性物質の濃度や量よりも,トップダウン型か意見反映型かといった受け入れの決定経緯(手続き的公正)や,設置される処分場の数(分配的公正)の方が重要視されることが確認されている。 このように, サステイナブルな再生利用・最終処分においては, 社会的側面からの評価も必要不可欠である。前述したように社会的側面には関連する要因は多様にある。今後は, 污染浄化や処分に関する課題のみならず,土地利用や地域の将来像を含めて検討することも求められる。 ## 5. 様々なステークホルダーの関与(神田玲子) 原発事故後に関わるステークホルダーには, 市民, メディア, 事業者, 専門家, 行政等, 多様である。また, 市民にも, 被災地の住民, 主催者としての市民, 市民団体といった立場がある。福島原発事故後において福島県外の市民からも体調の変化や強い健康不安の訴えがあったように, 行政区を超えて「被災地の住民」が存在することにも注意が必要である。福島第一原発事故では,これらのステークホルダーがリスク管理に関する意思決定やそれに向けた情報共有等に関与した事例がいくつかあった。 市民の関与の例として, 食品の新基準値の設定が挙げられる。2011年3月17日以降に採用された飲食物中の放射性物質に対して暫定規制値は, 2012年4月1日には,新基準値として値が強化された。より低い介入レベルが採用された一因として, 市民との対話を介して, より厳しい基準値が望まれたことが背景にあった。 メディアは,専門家や行政から受け取った情報発信のみならず,相互に相談しあった。特徴的なのは,メディアドクター指標(利用可能性, 新規性, 代替性, あおり・病気づくり, 科学的根拠,効果の定量化, 弊害, コスト, 情報源と利益相反,見出しの適切性から成る 10 項目(メデイアドクター 研究会,2023))を用いて報道記事の評価と改善を努めたことであった。マスメディアによる情報発信をネットメディアが批判的に吟味する例もあった。しばしば,科学的知見に対する両論併記が行われてきたが,その弊害も認識されつつある。 専門家からの科学的根拠の提示や情報発信においては, United Nations Scientific Committee on the Effects of Atomic Radiationによる健康影響の評価とそれに基づく情報発信が進められた一方(United Nations Scientific Committee on the Effects of Atomic Radiation, 2021), 国内外の研究者間で健康影響評価への見解の違いが大きかった。ステークホルダー内や間での意見の対立や分断を招く一因として,受け取っている情報の差がある。このギャップを埋めるには。評価のプロセスを丁寧に説明することが必要である。 ## 6. 議論 4 人からの話題提供を受け, 米田稔, 安東量子, 清水右郷からコメントが寄せられた。その主要なコメントは以下のとおりである。 米田からは,放射線防護分野とそれ以外のリスクを平時と非常時で比較することの重要性が指摘された。原発事故後の多様な対策において, どれが最善であったかという事後評価は可能であるかという質問が寄せられ, 坪倉から事故発生時点のみならず, 現段階でも必ずしも情報が十分ではないとの見解が示された。 安東からは, リスク認知の低下よりも公正感覚の方が,リスク管理に向けた意思決定へ影響を強く及ぼすのではないかとの指摘があった。保高からは,市民を交えたステークホルダー参画の事例を通じて専門家も行政機関において公正な行政措置の重要性が認識されつつあり,事例を蓄積することで展望が開けるとの見解が示された。 清水からは, (1)そもそもなぜICRP勧告を重要視すべきなのか, ICRPと民主的社会の関係はどのようなものなのかという問題提起があった。甲斐からは, ICRPが, X線の発見以後, 医療領域の防護の指針を勧告してきた実績があり,戦後の放射線利用の拡大した領域においても各国や国際機関と協調しながら放射線防護の勧告を行なってきたという歴史的経緯が述べられた。(2)次に,限られた時間ではウェルビーイングに影響する全ての要因を考慮することはできないので,どの場面でどのリスクに注目すべきかの教訓が実践的に重要ではないか, との指摘が寄せられた。甲斐からは, ICRPは当初放射線に特化した防護問題を扱っていたが, 近年, リスク低減において放射線以外のリスク問題も配慮する必要が生じており,今後の実際的な課題であるとの認識が示された。 (3)また, リスクガバナンスのアクターそれぞれに異なる役割や価值観があり (Renn, 2008), 誰にとつて,なぜ,学ぶべき教訓なのかを詳しく検討すべきとの指摘があった。神田からは, 統一の見解にまとめるだけではなく, 多様な意見を整理し, 議論することに意義があるとの補足が述べられた。 以上の議論全体から,対立を助長させず,また,分断に至らないようにするためには, 共通の目的を持ち, 法, 権威や文化で支持され, 対等な立場を持ったうえでの協力的な議論の場(集団間接触 (Allport, 1954))を持つことの重要性が再確認された。 ## 7. おわりに 本シンポジウムを通じて, 福島原発事故がもたらしたリスクの多様さを概観した。話題提供及び議論を通じて, (1)多様なリスク課題にいかに向き合うのか (事前の評価の可能性, 普遍性の有無,評価尺度等), (2)正義や公正といった観点からのリスクガバナンスの重要性 (市民の権利, 健康格差, 市民参画等), (3)異なる意見や立場の専門家やアクターの議論のあり方(統一見解, 意見の多様化, 評価に関するのプロセスの透明化, 集団間接触等)が寄せられた。また, 新型コロナウイルス感染症禍との類似性(専門家とメディアの関わりや二次的健康影響の存在等)も指摘された。 日本リスク学会では, これまでに, 本シンポジウム以前に, 2011 年春季シンポジウム, 2013 年次大会, 2018 年次大会, 多数の関連の学会発表や企画セッション, 特集企画「東日本大震災 10 年」等を介して知見と議論を重ねてきた。本シンポジウムは, 日本リスク学会が福島原発事故をめぐる議論を続けてきたという蓄積の上に立ったものでもあった。今後も, 福島原発事故後の課題解決に資するリスク学の観点から知見の共有と議論を行う予定である。 ## 謝辞 本研究の一部は, 環境省・(独)環境再生保全機構の環境研究総合推進費(JPMEERF22S20906)により実施した。 ## 参考文献 Allport, G.W. (1954) The nature of prejudice, AddisonWesley Pub. Co., Cambridge, Mass. Hirohara, M., Ozaki, A., and Tsubokura, M. (2019) Determinants and supporting factors for rebuilding nursing workforce in a post-disaster setting, BMC Health Serv. Res., 19(1), 917. ICRP (1959) Recommendations of the International Commission on Radiological Protection, ICRP Publication 1. ICRP (2007) The 2007 recommendations of the international commission on radiological protection. ICRP Publication 103, Ann. ICRP, 37(2-4) Lochard, J., Ando, R., Takagi, H., Endo, S., Momma, M., Miyazaki, M., Kuroda, Y., Kusumoto, T., Endo, M., Endo, S., and Koyama, Y. (2020) The post-nuclear accident co-expertise experience of the Suetsugi community in Fukushima Prefecture, Radioprotection, 55(3), 225-235. Media Doctor Researcher (2023) about Media Doctor Researcher, http://www.mediadoctor.jp/menu/about. html (Access: 2023, June, 12) (in Japanese) メディアドクター研究会 (2023) aboutメディアドクター研究会, http://www.mediadoctor.jp/menu/ about.html. pdf(アクセス日:2023 年6月 12 日) Ministory of the Environment (2023) Iitate mura nagadoro chiku niokeru saisei riyou jisshou jigyou, http://josen.env.go.jp/chukanchozou/facility/recycling/ project_iitate/ (Access: 2023, June, 12) (in Japanese)環境省 (2023) 飯舘村長泥地区における再生利用実証事業, http://josen.env.go.jp/chukanchozou/facility/ recycling/project_iitate/(アクセス日:2023年6月 12日) Murakami, M. (2019) Current status and issues of health risks among residents affected by the Fukushima nuclear accident, Jpn. J. Risk Anal., 28(2), 63-66. (in Japanese) 村上道夫 (2019) 福島原発事故によってもたらされた住民の健康リスクの現状と課題,日本リスク研究学会誌, 28(2), 63-66. Murakami, M., Ono, K., Tsubokura, M., Nomura, S., Oikawa, T., Oka, T., Kami, M., and Oki, T. (2015) Was the risk from nursing-home evacuation after the Fukushima accident higher than the radiation risk?, PLOS ONE, 10(9), e0137906. Murakami, M., Tsubokura, M., Ono, K., Nomura, S., and Oikawa, T. (2017) Additional risk of diabetes exceeds the increased risk of cancer caused by radiation exposure after the Fukushima disaster, PLOS ONE, 12(9), e0185259. Nomura, S., Gilmour, S., Tsubokura, M., Yoneoka, D., Sugimoto, A., Oikawa, T., Kami, M., and Shibu, K. (2013) Mortality risk amongst nursing home residents evacuated after the Fukushima nuclear accident: A retrospective cohort study, PLOS ONE, 8(3), e60192. Renn, O. (2008) Risk governance: Coping with uncertainty in a complex world, Earthscan. Shimada, Y., Nomura, S., Ozaki, A., Higuchi, A., Hori, A., Sonoda, Y., Yamamoto, K., Yoshida, I., and Tsubokura, M. (2018) Balancing the risk of the evacuation and sheltering-in-place options: A survival study following Japan's 2011 Fukushima nuclear incident, BMJ Open, 8(7), e021482. Takada, M., Shirai, K., Murakami, M., Ohnuma, S., Nakatani, J., Yamada, K., Osako, M., and Yasutaka, T. (2022) Important factors for public acceptance of the final disposal of contaminated soil and wastes resulting from the Fukushima Daiichi nuclear power station accident, PLOS ONE, 17(6), e0269702. Tsubokura, M. (2018) Secondary health issues associated with the Fukushima Daiichi nuclear accident, based on the experiences of Soma and Minamisoma Cities, J. National Inst. Public He, 67(1), 71-83. United Nations Scientific Committee on the Effects of Atomic Radiation (2021) Sources, effects and risks of ionizing radiation: UNSCEAR 2020 Report. Scientific Annex B: Levels and effects of radiation exposure due to the accident at the Fukushima Daiichi Nuclear Power Station: Implications of information published since the UNSCEAR 2013 Report, United Nations.
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# 【情報】 ## リスク指標とリスク比較について \\ 一リスク管理,放射線防護およびリスクコミュニケーションの視点から一* ## Risk Index and Its Risk Comparison: \\ Perspectives from Risk Management, Radiological Protection and Risk Communication ## 甲斐 倫明**,岸本 充生 ${ ^{* * *}$ ,村上 道夫***,野村 周平*****,****** \\ Michiaki KAI, Atsuo KISHIMOTO, Michio MURAKAMI and Shuhei NOMURA} \begin{abstract} In risk assessment, risk indices such as lifetime expectancy are estimated to be used for risk comparison as a guide to control the measures in risk management. In recent years, disability-adjusted life years (DALYs), which were proposed by the World Bank and the World Health Organization, are attracting attention in public health and environmental risk assessment. In the meeting organized by ICRP Liaison Committee of Radiation Effects Association, there were four lectures and discussions; the role of risk comparison in risk studies, risk comparison in terms of risk analysis, DALY evaluation and its utility in public health, and radiation detriment as a risk index used for radiological protection. The meeting discussed the possibilities and challenges of unified risk indices and also whether they are useful in terms of risk assessment, risk management and risk communication. While the usefulness of risk indices and their comparisons was emphasized, the difference in the nature of risk indices applicable to individuals and common society were discussed. Several points indicated importance of how to use risk indices and of the characteristic that allows us to see the whole picture of risk. This article summarized the outlines of the lectures and discussions. \end{abstract} Key Words: Risk index, Risk comparison, DALYs, Radiation detriment 令和 4 年 12 月 13 日に(公財)放射線影響協会が主催する表記の講演と意見交換会が行われた。本稿は,その会議の概要をまとめたものである。意見交換会の趣旨は次の通りである。「リスク評価で生涯死亡確率などのリスク指標が評価され, リスク管理でその指標を用いたリスク比較が行われその指標が管理方策の目安として利用されている。その事例として大気中のベンゼン環境基準の策定や放射線防護における線量限度の設定などがある。近年,公衆衛生分野から生まれ,世界銀行と WHOが提唱するDALY(障害調整生存年数)を用いたリスク評価やリスク比較が行われている。公衆衛生政策として有害物質のリスク評価,リスク管理で統一的なリスク指標が有用なのか,リスクのコミュニケーションの視点も入れて,その可能性と課題について各分野の専門家を交えて意見  交換を行う。」 ## 1. 講演 1 : 岸本充生「リスク学におけるリ スク比較の役割」 「主観的リスクと客観的リスク」という,リスク学の中では古典的な課題について, 歴史的な観点から含めて少し整理して, 話題提供する。リスクという概念自体は, 大航海時代, 保険という考え方を含めて, 不確実な状況を計算に組み达んで,自らの運命を合理的にコントロールできるという考え方に伴って誕生した。これが20世紀後半に学問分野として発展していった。原子力発電という技術がリスク学をリードしていって, 化学物質のリスク評価も原子力分野のリスク評価に強く影響を受けて発展した。また,リスク学の様々な有用な概念の生みの親が原子力, 放射線だった (岸本, 2019)。我々の問題意識としては, 21 世紀はリスク学の実践というフェーズに入っている。今日の議論はリスク学の実践というコンテキストの中で行われていると思っている。 Starr (1969)は,リスクの大きさだけに着目するのではなくて,そのべネフィットの大きさに注目した。つまり,人々が自発的に取ったリスクと非自発的なリスクとで受容性のレベルが, 1000 倍違うという論文を1969年に『Science』誌に発表した。 Wilson (1979)は, 一般の人たちがマスメディア等の影響で小さいリスクを非常に大きくとらえて, それに社会のリソースが注ぎ达まれて浪費しているとして,客観的なリスク評価とそれによるリスク比較によって個人でも社会でも合理的な判断ができるという考え方を示した。他方, Weinberg (1972)は「科学によって問うことができるが,科学によって答えることができない問題群」というものの存在を指摘し, トランスサイエンスと名付けた。その1つの事例として, どの科学に優先的に予算を付けるかという課題を挙げた。 1970年代に, 科学の民主化に伴って, 非専門家である市民の様々な意見が政策に強く影響していく中で, 先に挙げたWilsonは客観的リスクを提示し, リスク比較することで合理的な意思決定を促そうとしたのに対して, 心理学者の Slovic (1987) は, 間違ったものだとして切り捨てられていた一般人の感情に対して, 必ずしも全てを間違いと切り捨てるべきでなく, 一部は一定の合理性を持つということを主張した。 ポイントは, 専門家は量だけで判断しがちなの に対して,非専門家はリスクの「質」も考慮し, それらの中にはリスク管理において考慮するに値するものも含まれているということである。しかし, どの部分が考慮に値し, どの部分がそうでないかというところに関しては,コンセンサスを得ることは容易ではない。しかし, 一般の人々の反応を理解・予期することは重要だし, リスクコミュニケーションを改善するためにも,こういった「質」に関する知識は必須である。 リスク認知の調査では, 専門家は, ほぼ年間死亡率の統計データや推計値と相関した回答をしているのに対して,一般の人たちは主観的なリスクを答えている。その主観的なリスクはハザードの性質と関係しているだ万うと考え, Slovicらは研究を重ね, 大きく分けて, 恐ろしさ (Dread) と未知性 (Unknown)という2つの軸を見出した。この恐万しさの中には, 例えば自分で制御できるかどうかといった要素や, 一度の事故でたくさんの人が死ぬかどうかといった様々な要素が入っている。未知性には影響の遅延性や観察できないことが含まれる。 ここからは私の暫定的な意見になるが, 主観的リスクは当然時代によって変化する。自然災害やパンデミックなどが起きるとそれらに関する主観的なリスク認知は当然高まる。しかし, 客観的リスクの方も変化している。なぜ変化するかというと,私たちが何を守りたいかが歴史的にどんどん変わってきているからである。 人命とか財産というのは, 昔から「守りたいもの」だった。しかしそのうち人だけじゃなくて,希少種を守らなけれげならない。そこから種だけじゃなくて, 生態系全体を守らなければならないというふうに変化した。そのため,化学物質のリスク評価においてもその対象が人だけではなくて生態系への影響も含まれるようになった。 また, 人命よりも余命年数が大事だろう, 生活の質 (QOL)を加味する必要があるだ万うという考えが認められるようになった。さらには,目に見えるものだけではなくて,無形なもの,いわゆる無形資産, これは知財, 心理的安全性, そして人としての尊厳・自律性,人権・自由・民主主義といったような価値にも広がってきている。 17項目のSDGsはわれわれが何を守りたいかを集約したものであると捉えることができるだろう。このように,「客観的」リスクも「何を守りたいか」の変化とともに変化しうるのである。 ここでの結論は「私たちが最も大事だと考えているものは何かを,日頃から考えておく必要があるだ万う」ということになる。今まで使ってきた指標を機械的に受け入れるのではなくて,何を守りたいかという観点から,どの指標が適切だろうかということを常に考えてアップデートしていくことが必要だろう。 ## 2. 講演 2 : 村上道夫「リスクアナリシスの 点からみたリスク比較」 危害の重篤さだけではなく,その確率も含むとするリスクの定義は, 1662年の「ポール・ロワイヤル論理学」に登場するのが初めてであろう (Arnauld and Nicole, 1662)。確率に関する概念ができた後に,数年というかなり短い時間のうちにリスク概念が誕生した。また,同時期のエポックメイキングな知見として,英国の死亡事例を統計的に抽出して,死因ごとにその数をまとめたGraunt (1662)の書籍がある。Graunt はハザードという用語を用いているが,いわゆるリスク比較に近い概念を示した他, 余命や生命表という概念も生み出した。興味深いのは, この「ポール・ロワイヤル論理学」もGraunt の書籍も,合理的に考えるとは何かというところからスタートしている点である。何らかの異常な恐怖に対して,合理的に考えるための手段として,リスク概念やリスク比較が提案されている。逆に言えば,そのような方法論でなければ,異常な恐怖に対抗する手段がなかった, あるいは,リスクをとらえることができなかった, と考えていいだうう。 今回の話題提供では, 化学物質や食品安全の分野などで使われている概念として「リスクアナリシス」という言葉を用いる。リスクアナリシスは, リスクアセスメント,リスクマネジメント,リスクコミュニケーションというコンポーネントから構成される。本話題提供では, リスクアセスメント,リスクマネジメント,リスクコミュニケー ションの観点から,リスク比較はどういう位置つけになるのかについて述べる。 リスク比較の意義は,リスクを比べることで, リスクの大きさを理解したり,優先順位の高い課題を明らかにしたり,トレードオフを評価したりするということにある。そして,種類の違うリスクを比べるためには,共通のものさしが必要となる。この共通のものさしのことをリスク指標と言う。リスク指標には様々あり,生涯死亡率や年齢別死亡率, 生涯発がん率, 損失余命(余命の平均的な短縮時間), DALY, QALYがある。また, 私自身は損失幸福余命(幸せな気分で過ごす生涯の長さの平均的な短縮時間)という概念を提案している(Murakami et al., 2018)。 同一のリスク指標を用いて複数のリスクを評価した事例として,環境中の化学物質のリスクランキングがある (Gamo et al., 2003)。このような比較を行うことで,例えば喫煙のリスクが飛び抜けて高いことやディーゼル粒子のリスクが比較的高いことなど,リスクの大きさを概観することが可能となる。 リスクマネジメントの観点から行われたリスク比較の古典的な事例としては, 水道水の消毒がある(中西,2010)。塩素消毒を行うことによって,発がん性のある副生成物はできるが,感染症のリスクを顕著に軽減できるため,合計のリスクが下がり,リスク管理の観点からは塩素消毒の有効性が認められる,といったものである。仮に過小。過大という不確実な部分があっても,リスク評価の仮定を丁寧に抑えることで,どちらが高いかといった議論が可能となるということも, 重要なポイントとなる。 リスクコミュニケーションに関連した事柄としては,複数のリスクを比べたときよりも,1個のリスクだけを示すとリスクを過大に見積もる,といった事例が知られる (Slovic, 2000)。また,自分が報酬を受ける際に,功利主義的に(平均値が高くなるように)選択するだけではなく,マキシミン原則的な(ワーストケースの時に高くなるような)考えにも基づいて判断することが示されている(Kameda et al., 2016)。このように,人々のリスクのとらえ方やそれにまつわる意思決定は,リスクの情報の提示方法による影響を受けるため,リスクコミュニケーションの観点からはリスク比較の在り方についての議論が 1970 年代ごろから行われてきた。その中での著名な知見の一つに, Covello et al. (1988)のガイドラインがある。リスク比較は,そのリスクの大きさを伝えるためにしばしば使われるが, この提示の仕方には人々が受け入れやすいものと反発してしまうものがあると指摘した。例えば,当該リスクと無関係なリスク (契煙リスクなど)を比べると,そのリスク情報は受け入れがたいものになる, といったことが述べられている。ただし,数は少ないながらも,この検証を行った研究の事例があり,喫煙のような リスク情報の提示が反発を招くとは限らず,リスク理解を促すといういった利点もあることも指摘されている(Murakami et al., 2016)。必ずしもリスク比較の情報提示がリスクコミュニケーションの際に不適切であるといったような,単純なことではないということである。 福島災害の後にも,損失余命や損失幸福余命を用いたリスク比較を行ってきたが(Murakami et al., 2015; Murakami et al., 2017; Murakami et al., 2018), どのような指標を用いるかという判断は難しい。 それぞれの指標に利点と欠点があり,最終的には私たちの社会が何を目指すのかという価值判断に直結する問題である(村上,2019)。私たちの社会は何を目指すべきなのかということを考えながら、リスク比較の指標を検討することが大事だろうと考えている。 また,リスク比較に伴う判断には,用いる指標だけではなく, どのような主義に依拠するのかといった観点も重要である。功利主義, 平等主義, マキシミン原則のいずれに依拠するかによって,最適な対策が異なることもある。このように,どの指標を使うかという観点と, どの主義に基づくのかという観点を踏まえたうえで,社会的価値が反映されたリスク比較を社会実装していく必要がある。 ## 3. 講演 3 : 野村周平「公衆衛生における DALYの評価とその効用」 世界の疾病負荷研究 (Global Burden of Disease: GBD)の概観と,最新の評価に関するランキングの結果に焦点を当てた話である。公衆衛生の文脈でどのような取り組みが行われているのかを紹介した後, 日本の政策としてのGBDの活用についても触れる。 30 年以上前,世界銀行と世界保健機関 (WHO) は世界の疾病負荷研究の取り組みを開始した。その目的は, 疾病や傷害を国・地域・世界レベルで包括的に評価し,それを基に優先順位を決定し, その全体像を明らかにすることであった。例えば日本の 15-49歳の死亡率を疾病別にデータを視覚化すると,若年層における死亡の主要な原因が自殺であることが直感的に分かる。このような全体像を示すことは,GBDの主要な目的である。 近年, ワシントン大学の保健指標評価研究所 (IHME)がこのGBDの主導をとるようになった。 それに伴い,『ランセット』誌での特集として推定結果が定期的に発表されている。なぜ疾病負荷を評価する必要があるのかというと, DALYという指標が死亡と障害の両方を考慮するため, 高齢化の進む社会において, 健康を一つの指標で表現する際に非常に有効である。過去には, 健康に関する主な指標として死亡率が用いられていた。しかし, 現代に打いては高齢化が進行し, また非致死性の疾患への罹患も増えてきた。このため, 死亡率だけでなく, DALYのような包括的な健康指標が求められている。 最新の $\mathrm{GBD}$ は 300 以上の疾病と 87 近くのリスク因子を包括的に比較する。この評価のメリットは,異なる疾患やリスクに対しても比較が可能であることだ。これにより, 地域や国, 性別, 年齢別の健康格差の評価が行える。政策の活用としては,日本をはじめ,イギリスやインド,ボッワナなどが GBDのデータを用いて有益な取り組みを行っている。例えば, ボッワナではアルコールの過度な摂取が健康リスクとして認識され, それに基づく政策が実施されている。コロンビアでも,暴力のリスクが高いことを背景に,データをもとにした対策が進められている。 GBDの最大の利点は, 多様な国や地域のデー 夕を提供することで,各国の政策立案を支援することである。国際機関としてのWHOや世界銀行, さらにはゲイツ財団なども, GBDのデータを基にした活動を行っている。 人は一生を通じて常に健康であることは困難である。生涯に何度か怪我や病気を経験する。YLDs (Years Lived with Disability) は,障害や疾病を持ちながら過ごした期間を示している。生まれた時の平均寿命よりも短い期間での死亡の場合, YLLs (Years of Life Lost) は平均寿命と死亡時の年齢の差を示しており,これが失われた生存期間と考えられる。DALYsはYLDs とYLLsの合計であり,つまり死亡と障害を総合的に考慮した指標となる。 GBDから提供されるデータは全てダウンロー ド可能で,さらに視覚化も行われている。たとえば, 2009 年から 2013 年までの東京都の 15 歳以上の心血管疾患の死亡率など, 特定のデータも取得できる。1990年から 2010 年の 20 年間とその後の 10 年を比較すると, 感染症の年間変化率は全体的に改善されているのに対し, 非感染症は増加傾向にあることなどが確認できる (Nomura et al., 2017)。非感染症のリスク要因としては, GBDが複数の要因を評価している。これには慢性疾患やメ夕 ボリックリスク, 血圧, 血糖, 肥満, アルコール摂取,運動不足,食事関連のリスク(高塩分食,野菜不足,フルーツ不足)などが含まれる (GBD 2019 Risk Factors Collaborators, 2020)。さらに,環境因子としてラドン被ばく, 大気污染, 異常気象なども考慮される。これらを総合的に評価すると,今ではメタボリックリスクやタバコ摂取,不健康な食事は主要なリスク要因として挙げられる。 日本の状況を見ると,夕バコは高血圧よりもリスクが高い。食事のリスク要因の中で最も危険とされるのは,高塩分摂取である(Nomura, et al., 2022)。WHOは2035年までに食塩摂取量を減少させる目標を設定しており,英国の世界栄養報告 (Global Nutrition Report: GNR)はこの目標達成の進捗を評価しているが, この目標を達成している国は一つも存在しないと結論づけている (Independent Expert Group of the Global Nutrition Report, 2021) 日本におけるDALYsを紹介する。例えば科学研究の予算配分をDALYと比較すると, がんには比較的多くの研究資金が割り当てられている一方,心血管疾患や筋骨格系の疾患には限られた資金しか投じられていないことがわかっている (Nomura et al., 2020a)。さらに, 減塩政策が日本で推進されると,DALYsにどれだけの影響があるのかの研究も行われている。仮に日本がWHOの目標を達成した場合, 特に男性の若年層の胃がんのDALY が減少するという結果が示された (Nomura et al., 2020b)。 最後に,重要な点だが,DALYはあくまで一つの指標であり, どの指標が最も適切であるかの絶対的な答えは存在しない。複数の指標を用いて総合的に評価することが重要である。 ## 4. 講演 4 : 甲斐倫明「放射線分野のリスク 指標 : デトリメント」 放射線分野ではない専門家にはデトリメント (デトリメントは日本語で「損害」と訳されている)という言葉は聞きなれない言葉である。このことが 1 の問題点である。自然放射線から受けている個人線量は, 世界平均で年 $2.4 \mathrm{mSv}$ と教科書で出てくる数值である。日本では年 $2.2 \mathrm{mSv}$ と報告されている(Omori et al., 2020)。これらの数値には実はリスク指標が入り达んでいる。1977年の国連科学委員会報告での自然放射線の被ばくの評価では, 放射線源と臓器ごとに表になっていて, ひとつの数字で示されていない。線量の数値は部位や放射線源によって, それぞれ表現されていた。しかし, 1977 年以降, 実効線量という概念が生まれ, 臟器ごとの線量を加重することで藏器のリスクを加重した線量が定義された。それ以来, リスクの指標が入った線量となっている。そのリスク指標とはデトリメントである。放射線分野では,デトリメントだけをリスク指標として使っているわけではないことに留意する必要はあるが,放射線リスク独自のデトリメントとは何かを紹介する。 $\operatorname{ICRP}$ (国際放射線防護委員会) はNGO 組織で 1928 年に作られた国際委員会である。1959年,戦後, 原爆影響または放射線の医療利用が進む中で放射線に関する健康影響の知見が増えていくが,低線量におけるしきい線量を評価するだけの情報が十分でない。被ばくする累積線量に比例することを想定することは最も慎重な対応であるとして,この仮定をもってリスクの概念を最初に提案した(ICRP, 1959)。 1973年には, リスクを害の数学的な期待値で定義し,それを実際の数值として評価したのが 1977年である (ICRP,1977)。低線量・低線量率の放射線のリスクをデトリメントという言葉に置き換えて,定量的評価を行なったのが出発点となっている。デトリメントは, 放射線に関連する疾病の起きる確率とその重篤度を加味した数学的期待値として定義したが, その後, 徐々に放射線の疫学データなどの知見が増えていくことによって,少しずつこのデトリメントの評価法が改善されていった。 1977 年の Publication 26 の中で初めてデトリメントが定義されたが,その同じ年に,Publication 27 で非致死的ながん,つまり死亡だけではなくて,死に至らないがん,正確には致死率の低いがんについても考慮していく必要があると, 初めて余命の損失年数の考え方が取り达まれた。Publication 45 においても致死的でないものの扱い方などの変遷を経て,現在の Publication103に至っている (ICRP,2007)。2007年のデトリメントというものは複数の因子からなる多次元の概念である。つまり単なる確率とアウトカムの積たけけではなく, 致死がんと非致死がんを分け,非致死がんは加重された寄与確率として扱う。さらには放射線の場合, 遺伝性影響というものが人では観察されていないが,動物実験等でエビデンスがあるというこ とから,慎重な対応として遺伝性影響のリスクが評価されてきた。遺伝性影響の寄与確率, それからがんが発生した場合の寿命短縮年数,これらを多次元的の因子を取り达んだ一元的な指標としてデトリメントは定義された。致死がんと非致死がんの評価をさらに後押しするようになった背景には, 原爆被爆者の疫学調査からがんの罹患率を評価できるようになったことがある。2000年以降,原爆被爆者で罹患率を指標としたリスク評価が進むようになり,致死率が低いがん,致死率が高いがん,その致死割合を導入することでリスクをデトリメントとして定義した。しかし, ここで非致死がんと致死がんの加重をどうするのかは,ある程度主観的なものになる。非致死がんでは, 健康寿命を失った結果,QOLを失うという観点から, QOLの低下の調整関数を考慮した評価になっている。この考え方は, DALYと似ていて, 単に死亡だけではなく, 余命損失および健康損失も含めて, 多次元的な概念を取り达んだ指標としてデトリメントが定義されてきたことに注目してほしい。 実際のデトリメントの評価は,特定集団のレトロスペクティブなリスク評価を行うのではなく,将来的に,ある仮想的な集団を対象として計算する。作業者あるいは一般公衆を想定して,年齢構成や人種の構成を考えて,アジア人,欧米人のがんのべースラインの違いを加味した世界の平均值である名目的なりスク係数を推定している。ここで使っている生涯罹患確率は, 欧米人とアジア人で異なるので,世界の平均的なものにするためにどのように加重するのがいいのかが課題となる。 がんの相対余命損失は,特に放射線誘発の白血病の潜伏期が比較的短いということが分かっているので,潜伏期の短いものと潜伏期が長いものをリスク評価で加味して,相対的な余命損失として補正している。 こういった計算が可能な背景には,放射線分野が化学物質分野と違って, 比較的大きな集団, つまり原爆被爆者 10 万人近くの大きな集団を長い期間にわたって追跡調査した疫学データの存在がある。 生涯リスクを計算する上での基本になっているのは,原爆被爆者の疫学データである。推定に使用する式の詳細な説明は省略するが,放射線の量だけではなくて,被ばく時年齢やそのがんに罹患する年齢の関数であり,がんベースラインの罹患率に比例する形の式になっている。このとき, 放射線の影響がベースラインの罹患率に足し算で働くか,掛け算で働くかといった,幾つかのリスクモデルを仮定して評価が行われている。 このベースラインとの積で求めるリスクモデルの場合, ベースラインが異なる集団, 例えば日本とアメリカでは乳がんなどはべースラインが大きく異なるので,これによって原爆被爆者のデータをアメリカ人に適用する場合には,放射線リスクの大きさは違ってくることになる。 デトリメントの計算結果は, デトリメントの值を1としたときの臟器ごとの相対值に変換され,講演の最初に説明した実効線量を計算するときの係数 (組織加重係数) として使われている。このように放射線防護ではリスク指標が線量の定義の中に組み迄まれてきた。 デトリメントについて課題を整理すると,デトリメントはあくまでも放射線防護の目的で評価されたものであって, 特定の集団における健康影響を予測するためのものではない。この点は明確に強調しておかなければならない。デトリメントは放射線防護の目的に, 防護基準と測定線量とを比較するために評価したり,線量を最適化するときの指標として使用されることに限定されていることに留意する必要がある。 デトリメントは相対値として意味をもつ指標であり,仮想的な集団のリスクを測る物差しとなっている。世界の仮想的な平均的な集団を考えて標準化するために計算をしていることに特徴がある。この数値は単一で非常に便利な数値であり, そのおかげで実効線量のような一次元の数値を使用することができて, 自然放射線からの被ばくが我が国では年 $2.2 \mathrm{mSv}$ と表現できる。しかし, 特定の個人のリスクを考える場合には,個人の特性を反映したリスクの多元的な側面に注目する必要があるということは強調されてきている。集団と個人を扱うときの区別が必要である。今後, 集団と個人とでどのようなリスク指標を考えていくのがいいのか,まだまだ十分な議論にはなっていないのが現状である。 ## 5. 討論の概要 甲斐:健康リスクの基になる原因が異なるものについてどう比較するのか,比較することに合理性があるかについてどのように考えるか? 岸本: 福島第一原発事故以降のリスク比較のまず かったところは,その意図が見えるというところで,要するに事故のリスクが小さいということを言うがためのリスク比較たった点である。客観的なリスクの比較というものが,そういう事故が起こる前から用意されていれば,多分すごくフラットに受け止められた可能性はある。 村上:性質が違うリスクを比べるということには限界がある一方で,その方法にもまた意義がある。課題と良さがあるので, その両点を抑えて議論することが肝要である。リスク比較に意図性を持たせないという点では,たとえば,「リスクのモノサシ(中谷内,2006)」において,レベルの違う 5 種類の大きさを目安として提示することが提案されている。 野村:全体像が見えるというのが非常に大きな役割である。飛行機 1 回フライトからの宇宙線被ばくのように,自分の経験と照らし合わせて,何か腑に落ちるようなものと比較がそこに入ってくると, その全体像がパッと分かる。人によっては不安になるかもしれないが,安心につながるかもしれない。DALYしかり, mortalityしかり, 命を比べることに対する忌避感がある。例えばコロナの死亡だと,よくインフルエンザとの死亡が比較対象に挙げられるけれども,比較に挙げることは確かにいいが,何か自分の中だとこれを比べていいものなのかどうかという感じもある。ランキング化してしまう, 比較してしまうと, 要はマイナー なリスクに対する社会的なモメンタムが下がる恐れというのは1つある。シンプルにDALY, 死亡率が高いからこそ, 社会で全力を上げて取り組むべきだというのは大事だがそれだけではないと思っている。マイナーな疾患にこそ, 顧みられない万々もいるので,リスクを比較するということは,全体的な directionを見つめるというのももちろん大事だけれども,そこのマイナーになってしまった疾患に対してしっかりサポートするという,そういった心持ちというのも非常に重要になってくる。 吉田:DALYでは, 疾患の重篤度というのはどこに反映されるのか? 野村:YLDsの部分である。Years Lived with Disabilityの部分において, Disability Weight として0から1の間に数字を振っている。世界中でインターネット調査とフェイスッーフェイスインタビューにおいて主観的な判断における疾患の重みというのを考慮している。小笹:DALYとか, あるいはQALYにおいて, 疾病状態, 障害の位置付けがどの辺にあるのか, 恐らく個人によって全然違う。ここに出てくる数值というのはみんなそれが平均化されている。評価が違う個人においてどう受容されるのか, というのがこういう指標の難しいところである。グロー バルヘルスの政策決定のような場合には非常に重要な指標になるが, 個人の行動決定とか, あるいはもっと特定の小さな地域の行動決定になってくると, その平均が適切かどうか。 岸本:QALYとDALYはよく似ている指標ではあるが, 全然違うところから出てきている。DALY の障害ウェイトは, 最初は専門家が勝手に決めていた。それへの批判があって,アンケートをして補完していった。QALYは最初から患者あるいは医者にアンケートを取って,スタンダード・ギャンブルやパーソン・トレードオフといった手法を使って, ウェイトを出した。QALYが患者の意思決定といった割とミクロな意思決定に使われるのに対して,DALYがグローバルやリージョナルといった大きなマクロな評価に使われるという違いがあった。また, QALYはプラスの話で,それに対してDALYは, 理想的な寿命からQALYを差し引いたものという関係になっている。近年両者の位置づけがやや似てきたというところもある。たた,DALYを個人レベルの意思決定に使うという文脈はあまり聞いたことがない。 野村:DALYは基本的にポピュレーションレベルの議論のための指標として活用されているのがほとんどである。計算上も Prevalence×人口みたいなもので扱っているので, やはり個人向けの指標ではない。もちろん個人単位でも計算は可能で利用もできる。全体像を示す上で, DALYというのは1つ有効である。議論の组上に上げる, テーブルに上げるためにDALY というのは良い。政策立案や社会課題の解決のための指標としての良さがある。最近, AMR (Antimicrobial Resistance), すなわち薬剤耐性が公衆衛生界隈でかなり議論になっており, 薬剤耐性に関連した死亡は年間 500 万人近く, 循環器や脳卒中と同じぐらいの人が亡くなっている。薬剂の適正使用に関して議論が進む, ガイドラインが進む, アジェンダのテーブルに載せるという意味で, 薬剤耐性の健康リスクに DALYの指標は向いている。 甲斐 : 個人のためのリスク比較というのはかなり複雑で, どのような指標であれ,ほとんどのもの がポピュレーションレベル,あるいはサブポピュレーションレベルのものの大きさを見ることによって, リスクの大きさを全体像で把握するというように使われるのが基本である。自分自身の行動には,もっとかなりスペシフィックなレベルで各事例というのが使われる。社会の平均值から抜けているのは, 様々な例えば年齢, 性別, 生活習慣, できるだけ個人の持っている特性をどこまで反映できるのかと,そういったことが1つ課題である。個人のリスクのとらえ方は多様で, 個人のリスクに対する考え方はサイエンスでは整理しきれない部分がある。一般の方々にこのような深い議論までをすぐに伝えることは難しいので,メディアの役割の中でリスクの整理の仕方とか伝え方というのがポイントとなる。 島田:最終的には客観リスクと主観リスクが一致すればいい。そういう一致をさせるためのアプローチというのはあるのか, 客観的リスク, 主観的リスクというのはどのように調和できるのか, それともそれぞれの役割は何か? 岸本:近づけるというのが非常に重要な目標であるが,私は一致させることが可能かどうかは疑問に思っている。ただ,客観リスクとされているものも,有識者が勝手に決めるものでなく,われわれ社会全体としてどう認識しているかという方向に向かう必要があり, 主観リスクも情報提供や教育などによって更新されていくという意味で, 両者がすり寄ってくるというのが理想的な状況である。ある特定のリスクをどう認識するかは,われわれが普段からどういうリスクに直面しているかを知っているのと知っていないとでは, 随分違ってくるだろう。例えば,お米の中に放射性物質が含まれているという情報を聞いた際に,真っ白なお米に黒い放射性セシウムが入ったというイメー ジとして捉えられがちであるが,普段からどういうリスクに直面しているかをよく知っている人からしたら, お米には元々ヒ素とか力ドミウムなど,様々な物質が微量に入っているものに放射性セシウムが加わったというふうに認識されるたろろう。われわれ自身のリスクのポートフォリオとして,どんなリスクに直面しているかを普段から知っていると,その後のコミユニケーションにおいて違いが出てくるので, やはり平時にどんなリスクに囲まれているかをきちんとコミュニケートしておくことが必要である。 甲斐:リスクの表現のほうに話を少し移していき たいが,リスク情報をどのような物差しで提供していく必要があるのかについて考えを紹介してほしい。 村上:リスクコミュニケーションの際にしばしば用いられるリスク比較の情報提示として, 基準值との比較, 過去の事例との比較, 異なる地域との比較など, 様々な方法がある。リスク比較なしではリスクの大きさをとらえることが困難である一方で, 提示側の意図とは違う受け止め方がされることもある。また, 功利主義, 平等主義, マキシミン原則について述べたが,誰に対してのリスクの大きさなのか, どの状態を良いとするのかという判断は単純ではない。リスク比較の数字があったとしても,どの状態を良いとするかというのも,それもまた社会的な価値判断になる。甲斐:リスク情報は社会的な価値観を伴うし,リスクを受け止める側もそういったものを避けられない。様々なハザードに対して, DALYを指標に計算して,かなり多くの分野でDALYが使われる傾向にあるが,その利用の限界と課題みたいなものをどう考えているか。 野村:DALYというのは, 人の幸福みたいなものは全く考慮できていないし, 比較的客観的に人の病気, 死亡というのを数量評価しているという点はまず重要なポイントである。DALYが便利な指標として一本立ちしてしまうのは活用方法としては適切ではない。リスクマネジメント・コミュニケーションにおいて, 複数のインディケーターを同時に見るというのは, 重要だと常々思っている。例えばコロナの例で言えば, 様々な指標として, 感染者数, 感染率, 死亡者数, 死亡率, 致死率などである。オミクロン株はデルタ株よりも致死率が低い,ということをよく耳にする。シンプルに致死率だけ, あるいは死亡者数だけ見てしまうと, 理解しにくいけれども, 感染者数を見てみれば, 圧倒的にオミクロン株が大きい, 感染者数が非常に多いことを分かる。たとえ致死率が低かったとしても, 掛け算すると死亡者数はこんなに増えてしまう,といった説明が大切である。何かしらのインディケーター1つ 2 つでは, ミスリードにつながる可能性もあるので, リスク指標というのは複数同時に見ながら考えるというのが重要だ。 甲斐:複数のリスク指標でリスクを見ていくということが大切であり, DALYはその中の1つに過ぎないことを強調された。情報があっても不確か さの面が多い場合がある。そういう情報の限界と不確かさという点からリスクの表現をどのように考えていけばいいか。例えば,化学物質と放射線というのを比較するべきかどうかという議論があるが,放射線は人の疫学データがある。一方,化学物質の多くは疫学データがない(ベンゼンのように疫学のデータがあるものもある)。そのため,動物データからモデルを使って推定するということが行われている。このあたりの不確かさや限界を考えると,両者のリスク比較のあり方に影響はしないのか? 村上:リスク評価の不確実性のレベルは対象によってかなり異なってくる。場合によっては,不確実性のレベルを加味して議論することも必要となる。 岸本 : 不確実性のレベルという話と切り分けたほうがいい話としては,リスク評価の目的に応じた仮定の話である。例えば化学物質の場合, リスク比較をそもそも目的としていないリスク評価も多い。詳細なリスク評価を行う物質を決めるためのスクリーニングのためのリスク評価では,推計過程をとにかく安全側に置いてリスクを算出する。 その結果は, 実際の曝露量とか環境中の濃度の期待值に比べて,随分高いものとなる。目的が違うリスク評価の結果をリスク比較に使ってしまうと非常にミスリードな結論が得られてしまう。例えば動物実験の結果から人へ外挿された化学物質のリスクとヒト疫学から出てきたリスクを直接比較していいのかについては慎重に考える必要がある。 島田:放射線だったら線量,化学物質だったら用量・濃度,そういう与える物質の量についての議論は少なかったが,どのようなリスク比較をする時に, doseという単語はどのような文脈で使われると一番効果的たと考えるか。 岸本:例えば交通事故のリスクを検討する際に,距離当たりなのか, 時間当たりなのかとか, そういう基本的なところが定まっていない場合もある。 野村:GBDでは theoretically minimum risk exposure というのをべースラインにして,どれだけ吸ったら relative riskがどれだけ上がるかといったことを使って計算している。夕バコでは, theoretically minimum というのはタバコを吸わない,ということになる。BMI (Body Mass Index)に関してもこの辺りの一番リスクが低い。あるいは,例えばべ ジタブルに関してはこの辺り, temperatureに関しては,何度ぐらいが最もリスクが低いというのを系統的レビューで定めた上で,それ以上 expose している人たちに関しては, mortality riskがどれだけ上がるので,その疾病負荷の何パーセントが,人口レベルだとこれぐらいがタバコによる寄与しているものだというような計算を行う。個人の問題と社会の問題の話にまた戻ってしまうが,今日,例えばラーメンを食べたので,私のBMI増加のリスクはどのくらいかと言われても,あいにくGBDあるいはDALYがこういうのには答えられないという限界がある。 甲斐:放射線に限ると, 線量というのは非常に重要な一種のリスクの指標になっている。通常基準となるのが自然の放射線被ばくとして広く知られている。自然放射線被ばくに近いところだと, その線量と比較をするということで,一種のリスク比較になる一方で,自然放射線の 10 倍,100倍となれば単純に比較できない。10倍, 100 倍の線量がどういうリスクなのかということになると, やはり他の健康リスク,リスクという指標で物を見ていかなければならない。すなわちリスクという指標が必要な場面, 線量である程度比較をすることでリスク比較ができる場面とがある。線量だけでは放射線の世界だけで閉じるので, 福島原発事故のような場合には線量の議論だけでは難しい。一般的にどのくらいの確率で起きる影響なのかということを他のリスクと比較することで,リスクを理解することが可能になる。そのため, リスクを比較するためには,リスクの物差しが必要になってくる。そういう物差しが普段から整備されていることが必要である。普段からリスクの物差しというのを, 放射線分野だけで通じるような物差しではなくて, 広く公衆衛生分野でも使われている,またはいろんなほかの分野,環境分野でも使われているような物差しがあれば, 最も望ましい。有力な候補がDALYかもしれない。たた, DALYが唯一の指標ではないということは確かであり,様々なリスクの側面を表現するリスクの複数の指標も必要だろう。様々な場面によってリスク指標が使い分けられるというのは実際ある。リスク指標の持つべき条件というのをあらかじめ整理しておくことができるといい。 岸本:リスク比較ができたとして,その結果をリスクマネジメントに使う際にはもうワンクッション必要となる。先ほど野村先生から予算配分の話 があったが,リスク規制を検討する際には,リスクの大きさに加えて,それを達成するためのコス卜,あるいは分配面,つまり,全体ではリスクが小さくても,リスクが一部の人に偏っているケー スなど,考慮すべきパラメータがたくさん追加される必要がある。リスク比較の結果からダイレクトに規制やリスク管理の優先順位が出るという議論には気を付けたほうがいい。それではどういう要素を考慮すべきかとなるが, 先に挙げたコストとか分配の話以外にもあるので, そのような要素をあらかじめリストアップしておくということが大事だと思う。 村上:リスク指標には,どのような価値判断からその指標及びその比較の正当性が支えられているのかを踏まえる必要がある。リスク比較で示された数字の他に, 規範的な議論を丁寧に行う必要がある。これは,コミユニケーションにおいて, どのような目的で行われたものなのか, 何を重視して判断するのかといった議論の共有が重要であるということでもある。 野村:倫理的配慮というのが, 健康に関連するリスク指標を使う際の非常に重要なアスペクトなのだと考えている。例えばコロナの後遺症の話をした時に, コロナの後遺症, コロナの重症化リスクとは真逆で,若者に多い。また女性に多い。一方でこのように説明すると,高齢者の後遺症は重大ではないと受け止められ易く, それもまた適切ではない。何かを比較することで,優先順位が下げられてしまうということに対して,一方でその優先順位が下がってしまった疾患,あるいはリスクを患っている方がいるという気持ちは大事であるし,コミュニケーションする上で配慮すべきである。話し方やそのトーンなど,相手を気にかけるというのは重要なことた。 吉田:リスクを伝えることの背景に,リスクに関する值や指標がどのような目的で, どのように算出されたか, といったことを共有することの難しさがある。実際の場面では,そのことを理解するためのプロセスにかける時間が十分に取れなかったり,信頼関係がないといったことがあり,議論の土台の共有を進めること自体が困難な場合がある。 ## 6. まとめ これまで,本テーマでの討論が行われてこなかったこともあり, 異なるリスク分野からの講演と討論は有益な内容となった。放射線分野だけで通じるようなリスク指標ではなく, 広く公衆衛生分野でも他の環境分野でも使われる物差しがあれば最も望ましく, その有力な候補がDALYといえるかもしれない。 リスク指標を使ったリスク比較が行われるには,リスク情報が広く普及していることが基本である。事故や災害時にリスク情報が求められるが, 平常時からリスク指標を確立しておく必要がある。リスクコミュニケーションの上では分かりやすさが重要な点ではあるが, 一方で分かりやすさというのはシンプル化するということにもなってしまい, リスク評価の問題点が隠れてしまうという面がある。今まで使ってきた指標を機械的に受け入れるのではなく, 何を守りたいかという観点から, どの指標が適切だろうかということを常に考えてアップデートしていくことが必要だろう。 様々な課題もあることも合わせて伝えていくことが肝要であり, どう利用するかという点には十分なコンセンサスを必要とする。リスク指標とその比較の有用性が強調される一方で, 個人と社会に適用するリスク指標のもつべき性格の違いは課題である。リスク指標やリスク比較は, リスクの全体像が見えるような物差しを必要としている。 ## 謝辞 公益社団法人放射線影響協会の主催で行なった意見交換会であり, 企画立案から運営までのすべてでお世話になりました。酒井理事長をはじめとするスタッフの方々に感謝申し上げます。討論に参加していただた, ICRP委員の小笹先生, 島田先生, 細野先生, 吉田先生に感謝いたします。 ## 参考文献 Arnauld, A., and Nicole, P. 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risk
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Society For Risk Analysis Japan
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# 熱電研究のための第一原理計算入門 第 2 回 バンド計算から得られる情報 桂 ゆかり (東京大学) ## 1.はじめに 前回は,第一原理バンド計算の計算原理に続いて,波のように自由な電子が,元素の個性のない一様な周期的ポテンシャルに置かれたときに,エネルギーの波数依存性( $E-k$ 曲線)がどのような形をとるか考察した。しかしこの自由電子モデル(放物線バンドモデル)では,遷移金属など複雑な電子構造の元素を含み,複雑な結晶構造をとる物質の電子構造の表現は困難である。それらの電子構造を単純なモデルによって説明しようと試みれば,炎の物質の個性を消してしまうことにつながる。 そこで今回は,第一原理計算から得られる結果を読むことで,物質の特徴や個性を調べる方法について解説する. 計算の手順を追いながら,第一原理計算によって得ることのできる数々の情報のうち, 比較的簡単に計算でき,熱電材料の研究に役立つ可能性の高いものについて大まかに紹介する.結晶構造最適化から始まり,現在筆者が行っている最低熱伝導率の解析について紹介しつつ, $E-k$ 曲線や状態密度曲線,フェルミ面の基本的な読み方について,熱電特性との関連を示しながら解説する.筆者が使用している計算コードが WIEN2k ${ }^{11}$ であるため,得られる情報やそれらの計算方法が WIEN2kのものに偏っていることを予め打詫びしておく.本講座執筆に当たり,教科書 ${ }^{2,3)}$ およびウェブサイト ${ }^{4,5)}$ を参考にさせて頂いたが,筆者の理解不足による間違った解釈などが含まれていたらお詫びしたい。 ## 2. スピン偏極・ $+U \cdot$ スピン軌道相互作用 第一原理計算と言っても,計算すればただ一つの解を導くわけではなく, 計算者が考慮した相互作用によって, いろいろな解が得られる。 その代表的なものとして,ここではスピン偏極, $+U$, スピン軌道相互作用について解説する。 最も基本的な第一原理バンド計算はスピン無偏極計算であり, 1 つの電子状態に電子が 2 個入る.これに対し, スピン偏極計算を行うと,1つの電子状態に入る電子は 1 個だけとなり,アップスピンとダウンスピンのバンド が独立にふるまうようになる.結晶構造を定義する際に, アップスピンの原子,ダウンスピンの原子をそれぞれ指定することで,強磁性体や反强磁性体など,さまざまな磁気構造の計算が可能となる. もし非磁性(常磁性 - 反磁性)の物質であれば,スピン偏極計算を行っても,2 つのバンドは同一のバンドに収束する. ところで,密度汎関数法に基づく第一原理計算では,交換相互作用の計算があまり正確ではなく,クーロン反発などによって電子が局在している強相関電子系を,金属とみなしてしまうことがある。少こで,これを実際の電子状態に近づけるために,ある軌道(例: $3 d$ 軌道) のエネルギーが,計算値よりも $U(\mathrm{eV})$ だけ低いと仮定して計算を行うのが, $\mathrm{LDA}+U, \mathrm{GGA}+U$ などとして知られる手法である。通常 $U$ の值は計算者が任意に設定するため,Uを入れると「第一原理計算」ではなくなってしまう点に注意が必要である. スピン軌道相互作用とは, 電子の速度が光速に近づくことに起因する,バンド構造の変化である. ディラック方程式のハミルトニアンにおいて相対論項を考慮することによって,第一原理的に計算できる。 スピン軌道相互作用は, 軌道角運動量 $\mathrm{L}$ とスピン角運動量 $\mathrm{S}$ の合成現象である。たとえば,軌道角運動量 $L_{z}=1,-1$ の電子状態が縮退していて,そこにスピン角運動量 $S_{z}=1 / 2$ をもつ電子が収容されると, 総角運動量 $J_{z}=L_{z}+S_{z}=-1 / 2$ の状態と, $J_{z}=3 / 2$ の状態の 2 つに分裂する. このとき, $\mathrm{L}$ と $\mathrm{S}$ が反対方向を向いている $J_{z}=$ $-1 / 2$ 状態の方がエネルギーは低くなる. スピン軌道相互作用によるエネルギー分裂が現れるのは,2つ以上のバンドが縮退している箇所である。また,重元素になるほど電子が高速で原子核を回るため分裂幅も大きく, $5 d, 6 p$ 軌道では約 $0.5 \mathrm{eV}$ に達することもある. なお,スピン偏極計算においてスピン軌道相互作用を計算するには,各原子に打ける磁化べクトルの方向を定義する必要がある.これはスピン無偏極計算では必要ない. ## 3. 結晶構造の最適化 第一原理計算を行う際には, まず, 目的の物質の結晶 構造データを入手する必要がある.最低限,格子定数と原子座標,できれば空間群もわかると良い。これらは以下の手順によって最適化が可能であるため,必ずしも正確なデータである必要はない. まず,格子定数の最適化法を紹介する.格子定数を少しずつ (例:1\%ずつ) 変化させて第一原理計算を行うと, その物質の全エネルギー $E_{\text {total }}$ が最低になる格子定数を探すことができる。(図 1 に例を示す.)そうして得られた格子定数の計算値が実験値とよく一致すれば,その計算が現実の電子状態をよく反映しているとみなせる. もし,実際の物質では重要な相互作用が計算で無視されていた場合は,格子定数が実験值から大きくずれた値に収束する。その相互作用が,原子間に反発力を生むような相互作用であった場合(例 : 強磁性など)には,計算は格子定数を過小評価する.反対に,原子間の結合を強くするような相互作用が無視されていた場合 (例: ファンデルワールス力など)は,計算は格子定数を過大評価する傾向がある. また,現実には存在しない構造や,高圧相であった場合も,格子定数が大きくなる傾向がある。交換相関ポテンシャルの種類によっても格子定数の予測値は変化し, LDA では過小評価,GGA では過大評価する傾向があることが知られている ${ }^{6)}$. 実験値とは多少異なる值でも,計算で得られた格子定数を使った方が,正しい電子構造を反映すると考えられている。 原子座標の最適化は,すべての原子が対称位置にあれば必要ないのだが,原子座標が単純な分数ではない原子 図 1 格子体積 $V$ を $1 \%$ ずつ変化させて計算した,岩塩型構造化合物 $\mathrm{PbTe}, \mathrm{MgS}, \mathrm{NaCl} の E_{\text {total }}$ と,そこから計算された $B$ の值. $V$ はもとの格子体積によって規格化した.規格化すると,構成イオンの価数が等しい $\mathrm{PbTe}$ と $\mathrm{MgS}$ はほぼ同一の曲線を描く。 がある場合には重要となる. X 線回折実験から得た結晶構造では,軽元素の原子座標が不正確になる傾向があるため,最適化が有効である.各原子が周りの電子や原子から受ける力を計算し, この力の大きさに応じて少しずつ原子を移動させていき,原子の周りで力がつりあえば, そこが平衡座標である。 格子定数や原子座標の最適化には,多数の SCF サイクルを回す必要があるため,粗い $k$ メッシュで計算を行うのが効率的である。そして得られた結晶構造データを用い,細かい $k$ メッシュを用いて再度第一原理計算を行うことで,精度の高い電子構造が得られる。 ## 4. 構造安定性・生成エンタルピー 結晶構造の安定性は, $E_{\text {total }}$ を比較することで議論できる. すなわち $ E_{\text {total }}(\text { 構造 } 2)<E_{\text {total }}(\text { 構造 } 1) $ ならば,構造 2 の方が安定であると言える。この関係を応用し, さまざまな結晶構造や磁気構造などを自分で設定して $E_{\text {total }}$ を比較することにより,どれが最も安定な構造なのかを議論することができる. これは,生成エンタルピー $\Delta H_{\mathrm{f}}$ の計算にも利用できる.化合物 $A_{m} B_{n}$ の $\Delta H_{\mathrm{f}}$ は, $A, B$ 単体の第一原理計算も行うことにより, $ \Delta H_{\mathrm{f}}\left(A_{m} B_{n}\right)=E_{\text {total }}\left(A_{m} B_{n}\right)-m E_{\text {total }}(A)-n E_{\text {total }}(B) $ と計算できる。これらの計算は,計算条件(WIEN2k ならマフィンティン半径など)を完全に揃えて行う必要がある. $\Delta H_{\mathrm{f}}$ が正なら吸熱反応,負なら発熱反応である. ただしこの計算からは,反応に必要な活性化エネルギー まではわからない,固相反応においては,合成温度における $k_{\mathrm{B}} T$ が活性化エネルギーを超えられるようなオー ダーであれば, $\Delta H_{\mathrm{f}}$ の低い化合物が優先して生成する。 このように計算された $\Delta H_{\mathrm{f}}$ は体積変化 $d V$ を無視した定積エンタルピーであり, 内部エネルギー変化 $d U$ しか表していない点に注意が必要である。実際のエンタルピー変化は $d H=d U+p d V$ で定義され, 特に気相が関係する反応に打いて,圧力 $p$ は大きな影響をもつ。 ## 5. 体積弾性率 格子定数最適化の際に得られた,全エネルギーの格子体積依存性から,体積弾性率 $B$ (Bulk modulus)を計算することもできる. フィッティングに用いられる式としては, Murnaghan $の$ 式 ${ }^{7)}$ $ \begin{gathered} E=E_{0}+\frac{1}{14703.6}\left[\frac{B V}{B_{P}}\left(\frac{\left(\frac{V_{0}}{V}\right)^{B_{P}}}{\left(B_{P}-1\right)}+1\right)-\frac{B V_{0}}{\left(B_{P}-1\right)}\right] \\ B_{P} \equiv \frac{d B}{d P} \end{gathered} $ などが知られている. $V_{0}$ は平衡体積, $E_{0}$ は $V_{0}$ における全エネルギーである.このフィッティングは WIEN $2 \mathrm{k}$ などの第一原理計算ソフトにはすでに組み込まれているため,Bの算出は容易である. ## 6. 最低熱伝導率 第一原理計算から得られた $B$ を用いると,最低熱伝導率 $\kappa_{\min }$ の計算も可能になる. $\kappa_{\min }$ とは,フォノン平均自由行程が最低になったときに,その物質が取りうる熱伝導率の下限値である. フォノン熱伝導率 $\kappa_{\mathrm{ph}}$ の低い熱電材料を開発するために,現在広く行われているアプローチは,純粋な状態での $\kappa_{\mathrm{ph}}$ が低い物質に,不純物やナノ構造などのフォノン散乱因子を導入してさらに $\kappa_{\mathrm{ph}}$ を下げるという方法であらう。いわば,上限値から攻めていく方法である. しかし,フォノン散乱の果てに得られる $\kappa_{\mathrm{ph}}$ には,物質によって異なる下限値が存在する。たとえ純粋物質の $\kappa_{\mathrm{ph}}$ がそれなりに低かったとしても, $\kappa_{\text {min }}$ の高い物質であれば,いくら頑張ったところで低い $\kappa_{\mathrm{ph}}$ は実現できない.気体分子運動論より, $\kappa_{\mathrm{ph}}$ は一般的に,格子比熱を $C_{v}^{\mathrm{ph}}$ ,音速を $v$, フォノン平均自由行程を $l_{\mathrm{ph}}$ とおくと $ \kappa_{\mathrm{ph}}=\frac{1}{3} C_{V}^{\mathrm{ph}} v l_{\mathrm{ph}} $ と表される ${ }^{8)}$. 格子比熱は $V_{\text {cell }}$ を単位格子の体積, $N_{\text {atom }}$ を単位格子内の原子数とおくと,高温極限で $ C_{V}^{\mathrm{ph}}=\frac{k_{\mathrm{B}} N_{\mathrm{atom}}}{V_{\text {cell }}}=k_{\mathrm{B}} n_{\text {atom }}=\frac{k_{\mathrm{B}}}{V_{\text {atom }}} $ と表される. (Dulong-Petit の法則).ここで $n_{\text {atom }}$ は原子濃度, $V_{\text {atom }}$ は 1 原子当たりの体積を表す. 音速 $v$ は, $x, y, z$ 方向の音速の和である. 等方的な物質では, $v_{1}$ を縦波の音速, $v_{\mathrm{t}}$ を横波の音速として, $ v=v_{x}+v_{y}+v_{z}=v_{l}+2 v_{t} $ と表すことができる. $B$ を第一原理計算から求めれば,結晶の密度 $D$ を用いて, $ v_{l}=\sqrt{\frac{B}{D}} $ が計算できる ${ }^{8)} . v_{t}$ はこの式において,Bをせん断弾性率に置き換えることで計算できるが,せん断弾性率の計算は $B$ の計算よりも複雑である. $l_{\mathrm{ph}}$ の值は化合物の種類と,測定温度によって大きく変化する. $\kappa_{\min }$ の計算式 ${ }^{9)}$ として, $ \kappa_{\text {min }}=\frac{1}{2}\left(\frac{\pi}{6}\right)^{\frac{1}{3}} k_{\mathrm{B}} V_{\text {atom }}-\frac{2}{3}\left(v_{1}+2 v_{\mathrm{t}}\right) $ を採用し, 少し乱暴に $v_{\mathrm{s}}=0.87 v_{1}$ とおいてしまえば ${ }^{10)}$, $ \kappa_{\text {min }} \sim 1.04 k_{\mathrm{B}} \bar{M}^{-\frac{1}{2}} B^{\frac{1}{2}} V^{-\frac{1}{6}} \text { atom } $ と計算できる. $\bar{M}$ は原子の平均質量である. よって,低い $\kappa_{\text {min }}$ の実現には,まず大きな $V_{\text {atom }}$ ,大きな $\bar{M}$ ,小さな $B$ をもつ物質を選択したうえで,大量のフォノン散乱因子を導入する必要がある. 格子振動の非調和性が大きな物質を採用すれば,特別なフォノン散乱因子を導入せずとも,短い $l_{\mathrm{ph}}$ が実現できるかもしれない. 筆者が計算した, 代表的な熱電材料の $\kappa_{\text {min }}$ の值を図 2 に示す. ただし, この $\kappa_{\min }$ は過小評価されている可能性もある。 過小評価につながる要素もある. $v_{1}$ の遅い物質や格子定数の大きな物質ではデバイ温度も低いため, 光学フォノンも多数励起されている. 1 つ 1 の光学フォノンは遅いため, 熱伝導への寄与は小さいものの, 数が多いために, $v$ の上昇も考えられる. 正確な計算には,フォノン分散打よびフォノン寿命の解析が必要となる. 7. $E-k$ 曲線 / エネルギーバンド図 $E-k$ 曲線とは図 3 のように,電子のエネルギー $E$ の 図 2 WIEN2kによって計算した $B$ から推定した, 代表的な熱電変換材料における $v_{1}$ と $\kappa_{\text {min }} .1 \cdot 2$ 元系立方晶について計算した $v_{1}, \kappa_{\min }$ とともに示した. 波数べクトル依存性を表した図であり,エネルギーバンド図やバンド構造とも呼ばれる。少し複雑な物質になるだけで理解が困難な図になることから,“spaghetti diagram”とも呼ばれている. バンド計算では,第 1 ブリルアンゾーン(B.Z.)の内部にメッシュ状に定義した $\mathbf{k}$ ベクトル(波数ベクトル) の電子それぞれについて,エネルギー $E(\mathbf{k})$ を計算する。 3 次元の結晶構造の $\mathbf{k}$ ベクトルは 3 次元で定義される. それらすべてのエネルギーを 1 つのグラフに表そうとしたら,4 次元空間が必要になってしまう。 このため,逆格子空間の「対称点」をつなぐように,第 1 B.Z. から 1 次元の $\mathbf{k}$ の集合を切り出し,これらの $E$ だけをプロットしたのが,論文で目にする $E-k$ 曲線である. 対称点の記号はわかりにくいが,表 1 にそれぞれの Si-5 atom 0 size 0.20 図 3 WIEN2kによって計算した $\mathrm{Si} の E-k$ 曲線. 実験值に近い $E_{g}$ を得るため,交換相関ポテンシャルとして TB- $\mathrm{mBJ}^{11)}$ を使用している.指数の名づけられ方を整理した,Г-Xなど,各区間の内部は還元ゾーン形式で書かれている. $E-k$ 曲線においてまず着目すべきなのは,フェルミエネルギー $E_{\mathrm{F}}$ (=フェルミ準位) の位置である。図 4 (a) のように, $E_{\mathrm{F}}$ が何らかのバンドを横切っていれば金属である.(b)のように, $E_{\mathrm{F}}$ がバンドギャップ $E_{g}$ の淵にあれば半導体もしくは絶縁体である。 このとき, $E_{\mathrm{F}}$ 直下の電子が詰まったバンドを価電子帯(Valence Band), $E_{\mathrm{F}}$ 直上の空のバンドを伝導帯(Conduction Band)と呼ぶ. 現実の半導体では $E_{\mathrm{F}}$ は $E_{\mathrm{g}}$ 内部のどこかに存在するのだが,バンド計算では $E_{\mathrm{F}}$ は価電子帯の上端に定義される. 半導体と絶縁体の明確な区別はないが,抵抗率が 1 $\mathrm{M} \Omega \mathrm{cm}$ 以下になるようなキャリアドープが可能ならば半導体である。室温でも十分なキャリア $\left(\sim 10^{19} \mathrm{~cm}^{-3}\right.$程度)の熱励起が可能なほど $E_{g}$ が小さければ(真性)半導体である. 価電子帯の上端と伝導帯の下端が同じ波数 $\mathrm{k}$ にあれば, $h v=E_{g}$ ( $h$ : プランク定数, $\mathrm{v}$ : 周波数)の光によってキャリアの励起が可能な「直接遷移半導体」,違う $\mathbf{k}$ にれば $h v \sim E_{g}$ の励起にフォノン等の関与が必要な「間接遷移半導体」となる. 遷移様式の違いは熱電特性には直接影響しないが,バンド端が原点 $\Gamma$ からずれている方が,高いゼーベック係数 $S$ と高い電気伝導率 $\sigma$ の両立が容易である. これは,結晶の対称性によって第 1 B.Z. 内に多くのバンド端が複製されるためである. このような電子構造はマルチバレー構造,またはマルチポケット構造と呼ばれる. 半金属とは図 4 (c) のように,価電子帯と伝導帯のエネルギー領域が一部重なっており,そこに $E_{\mathrm{F}}$ がある物質である. $E_{g}$ は負の値で定義される. 半金属では, ホー 表 1 ブラベー格子 14 種類における対称点の名称の例. Bilbao Crystallographic Server ${ }^{13)}$ における,代表的な空間群のデータを元に編集した. 各対称点の指数は $\left(\frac{\pi}{a}, \frac{\pi}{b}, \frac{\pi}{c}\right)$ 単位で書かれており,指数 “100”は波長 $2 a$ の平面波,すなわち $\left(\frac{1}{2} 00\right.$ ) 面の周期性に対応する. Conventional cell と primitive cell の大きさが異なる結晶形については, conventional cell の指数を表示した。 底心格子は $C$ 底心とし,単斜晶は 2nd setting $\left(\gamma \neq 90^{\circ}\right)$ によって表示した. & & & & & & & & & & & & & & & & & & & & \\ ル的なキャリアと電子的なキャリアが共存しながら,自由電子的に振る舞うという特徵がある。 高い熱電特性を得るためには,熱励起が無視できるほど広い $E_{g}$ が空いていることを確認できるとよい.詳細は次回解説するが, ホールと電子が共存すると, ゼーべック係数 $S$ の相殺と,電子熱伝導率の増大により $Z T$ が低減する. これを防ぐために必要な $E_{\mathrm{g}}$ は, $4 \sim 10 k_{\mathrm{B}} T^{12)}$ といわれている. $1 k_{\mathrm{B}} T$ は $300 \mathrm{~K}$ にいて約 $0.025 \mathrm{eV}$ である. ただし,第一原理計算で求めた $E_{\mathrm{g}}$ は非常に不正確である点に注意が必要である. もし計算上の $E_{\mathrm{g}}$ が狭かったり,半金属となってしまっていたりしても,実際には十分に広い $E_{\mathrm{g}}$ が空いていて問題ないこともよくある. $E-k$ 曲線の形状のみを見て,それが何の元素の何軌道に由来するバンドなのかを推測することは困難である.通常は第一原理計算ソフト内で,着目した原子軌道への射影を取り,その軌道の寄与 (character) が大きい部分を太く表示することによって調査する。このようなプロットは band character plot と呼ばれるが,これが掲載されている論文は多くはなく,本文中にその character が解説されているのみである. ところで,周期的ポテンシャル中における自由電子の $E-k$ 曲線は,前回紹介したように $ E=\frac{\hbar^{2} k^{2}}{2 m_{e}} $ という放物線で表される。ここで, $\hbar=h / 2 \pi, m_{e}$ は電子の質量である. この式を $k$ について 2 階微分すると, $k$ が消えて 図 $4 E-k$ 曲線における (a) 金属 (b) 半導体 (c) 半金属の区別.黒丸は占有された電子状態,白丸は空の電子状態を指す. $ \frac{d^{2} E}{d k^{2}}=\frac{\hbar^{2}}{m_{e}} $ が得られる. 2 階微分は $E-k$ 曲線の曲率に対応する. 実は, これらのような単純な近似でバンド構造が説明できるのは, 厳密にはアルカリ金属や銅など, $s$ 電子が伝導を担う典型金属のみである。そのほかの物質では, この式で計算すると大きな誤差が生じてしまう.そこで, これらの式が成り立たない物質については, この $m$ が違うせい,すなわち電子が有効質量 $ \frac{1}{m^{*}}=\frac{1}{\hbar^{2}} \frac{d^{2} E}{d k^{2}} $ を持っているせいで誤差が生じたとして近似してしまうのが, 自由電子近似である. 3 次元空間では, 有効質量は $ \left(\frac{1}{m^{*}}\right)_{i j}=\frac{1}{\hbar^{2}} \frac{\partial^{2} E}{\partial k_{i} \partial k_{j}} $ $(i, j=x, y, z)$ を成分とする 3 行 3 列のテンソルとして定義される。 $E-k$ 曲線の曲率が大きい(~鋭角に近い)ほど, $m^{*}$ が小さくなり,電子が動きやすいことを意味する。また, $E-k$ 曲線がほぼ平坦なときは, $m^{*}$ が非常に大きく, 電子が局在していると理解できる. 半導体のバンド端の $E-k$ 曲線は, 曲率さえ合わせれば放物線バンドでよく近似できるため,自由電子近似がきわめて有効な系である. 続いて,熱電特性と $m^{*}$ の関係を論じる. 結晶が一様な電場におかれて十分な時間が経過すると,電場による電子の加速と結晶による電子の散乱が釣り合い,定常状態に達する.このときの電気伝導率は $ \sigma=n e \mu=n e\left(\frac{e \tau}{m^{*}}\right) $ ( $n$ : キャリア濃度, $e$ : 電子の電荷, $\mu$ : 移動度, $\tau$ : 平均散乱時間)と, $m^{*}$ の逆数に比例する. $\tau$ は第一原理計算によって求めることは困難である. $\tau$ の温度依存性も電子の散乱機構によって異なり, 散乱機構にもさまざまなものがあるため,一概に予測することが困難である.物質に普遍的な散乱機構として, 音響的変形ポテンシャル散乱が挙げられる。その $\tau$ は $T^{-1}$ に比例するため,高温における $\sigma$ の低下に関与する. 不純物元素による散乱のうち,イオン化不純物散乱では, $\tau$ は $T^{\frac{3}{2}}$ に比例する. よってこの散乱は,低温においてより顕著である。 $S$ は自由電子近似においては, $S=\frac{2 k_{\mathrm{B}}{ }^{2}}{3 e \hbar^{2}}\left(\frac{\pi}{3 n}\right)^{2} m^{*} T$ と計算される. $S$ が $m^{*}, \sigma$ が $1 / m^{*}$ に比例するため, 出力因子も $m^{*}$ に比例する. よって,熱電変換材料としては $m^{*}$ の大きい材料の方が有利であると予想できる. ところで, $E-k$ 曲線を他の物質の $E-k$ 曲線と目で見て比較し,その曲率から $m^{*}$ の大小などを推測する際には注意が必要である. 横軸には通常,対称点の記号しか書かれていない.このため, 各対称点の指数に格子定数 $a, b$, $c$ を自分で代入し, $k$ の絶対値とエネルギースケールをそ弓えてから比較しなければならない。 図 5 に,共通の軸に対してプロットした, $\mathrm{Na}, \mathrm{Si}$ とグラフェンの $E-k$ 曲線を示す. $\mathrm{Na}$ は自由電子モデルでよく近似でき, $E-E_{\mathrm{F}}=-3.3 \sim+0.5 \mathrm{eV}$ の範囲で理想的な放物線を示している。しかし,価電子の数がさらに多くなると,ブラッグ反射によるバンドの折り返しにより,放物線では近似できなくなってしまう。 もちろん,折り返しを無視して拡張ゾーン形式で表せば,B.Z.の境界近傍を除いて,放物線で表現できるエネルギー範囲はぐんと広がる。 その場合は放物線の底は, すべての構成元素の $s$ 電子が形成した結合性バンドの下端に位置することになる。ただし,準位が上がるにしたがって, $\pi$ 結合の形成,配位子場によるバンド構造の変化,バンド交点における新たなギャップの形成など,さまざまな現象が起こる。この結果,上の準位に行くほどゆるやかなバンドが増えてきて,自由電子的な $E-k$ 曲線の傾きが得られる場所はほとんどなくなってくる。 しかし半導体のバンドギャップ近傍は,そ扎とは別に定義される,新しい放物線バンドによって近似できる。 $\mathrm{Si}$ の価電子帯の上部は,上下が逆さになった放物線バ 図 5 WIEN2kによって計算した $\mathrm{Na}$ (白丸), $\mathrm{Si}$ (黒丸) とグラフェン (線) の $E$ - $k$ 曲線. 横軸の単位を共通にして比較してある. $\mathrm{k}$ ベクトルの経路は, $\mathrm{Si}$ と Naでは N-Г-N,グラフェンでは $\Gamma-\mathrm{K}-\Gamma$ に対応する. 価電子体上部における自由なキャリアが,電子ではなくホールであるためである. 2 つのバンドのうち,曲率の大きな方が「軽い」ホールであり,その $m$ *はそれぞれ自由電子の 0.18 倍, 0.26 倍(100 方向)と小さい ${ }^{14)}$. グラフェンでは, $E_{\mathrm{F}}$ で 2 つ直線が交わるような特徵的な $E-k$ 曲線が見られる。これは実際には円錐の断面である。一般に, $E-k$ 曲線が放物線に合わない場合は, $E=E_{\mathrm{F}}$ において $E-k$ 曲線に接する放物線が,その自由電子近似に対応する。グラフェンの $E-k$ 曲線では, $E_{\mathrm{F}}$ を境に上下 2 つのバンドに分解してみると, $E \rightarrow E_{\mathrm{F}}$ で放物線の曲率が無限大に発散する。その結果, $E_{\mathrm{F}}$ における $m^{*}$ はほとんど 0 となり,これに由来した非常に高い電気伝導率が観測される。 ## 8. 状態密度曲線 $\mathbf{k}$ メッシュ内のすべての電子のエネルギー $E(\mathbf{k})$ が求まると,第 1 B.Z. 内に,あるエネルギー $E$ をもつ電子がいくつ存在するのか, 数えることができる. この数は,図 9 のように, $E$ から $E+d E$ の範囲内に含まれる電子が多いほど多くなる,今ここで「電子」と呼んだが,電子に占有されていない電子状態についても, $E(\mathbf{k})$ は計算可能である. そこで,電子ではなく「状態」という語を使い, 単位エネルギー $d E$ 当たりの状態数を「状態密度」 “Density of States: DOS” と定義する. 平坦なバンドが多いエネルギー領域では状態密度は高くなり, 急峻なバンドが多い所では低くなる. 状態密度 $D(E)$ は, $E-k$ 曲線を $E$ で微分することで求められる. $E-k$ 曲線の縱軸と横軸を入れ替えた, $k-E$ 曲線の傾きと考えると理解しやすい. あるエネルギー $E$ まで電子が詰まった時に占有される状態数 $N(E)$ が計算できるとき,状態密度 $D(E)$ は $ D(E)=\frac{d N}{d E} $ で与えられる. 図 61 次元と 2 次元の放物線バンドにおける, 状態密度 $D(E)$ の数え方のイメージ。 逆に $N(E)$ が計算できなくとも,第一原理計算から得られた $D(E)$ を $E$ で積分すれば,その $E$ までの総価電子数 $N$ が求められる。 よって $E$ の低い所から順に,状態密度曲線の内側の面積が $N$ になるまで塗りつぶしていくことで, $E_{\mathrm{F}}$ が求められる. $E_{\mathrm{F}}$ に打ける $D(E)$ が有限なら金属,0であれば半導体か絶縁体である,金属の場合は,図 7 のように $D\left(E_{\mathrm{F}}\right)$ の勾配によって $S$ の符号が決定する。 電気伝導に関与できるのは $E=E_{\mathrm{F}}$ 士数 $k_{\mathrm{B}} T$ のごく狭いエネルギー範囲の電子である. $n$ はこの領域に含まれる電子数に対応するため,大雑把には $n \propto D\left(E_{\mathrm{F}}\right)$ が成り立つ. $\sigma$ は $n, S$ は $n^{-2}$ に比例するため, $P$ は $n^{-3}$ に比例する. よって, $D\left(E_{\mathrm{F}}\right)$ は低い方が熱電材料として有利と考えられる. 半導体のバンド端付近の電子構造についてさらに考察するため,ここからは,3 次元の自由電子モデルを仮定して議論を進める。電子に占有されている状態数 $N(E)$ は,フェルミ波数 $k_{\mathrm{F}}=\sqrt{\frac{2 m^{*} E_{\mathrm{F}}}{\hbar^{2}}}$ を半径とする球の体積を, 1 状態が占める体積 $(2 \pi / L)^{3}$ で割ることで求められる. これを $E$ で微分することにより, $ D(E)=\frac{L^{3}}{2 \pi^{2}}\left(\frac{2 m^{*}}{\hbar}\right)^{\frac{3}{2}} \sqrt{E} $ が得られる. よって,自由電子近似がよく成り立つエネルギー領域では, 状態密度曲線が $\sqrt{E}$ に比例するように見える。半導体のバンド端において $D(E)$ がほぼ垂直に立ち上がっているのは,この形状を反映しているためである.いくつかのバンドが共存するマルチバンド構造の場合は,すべてのバンドの和をとる必要が出る.また, マルチバレー構造の半導体では, $D(E)$ は第 1 B.Z. 内のポケット数 $N_{\text {valley }}$ で定数倍される。 また, $D(E)$ のエネルギー勾配は $\left(m^{*}\right)^{\frac{3}{2}}$ に比例するので, バンド端付近の勾配が急峻なほど,優れた熱電特性を示すとも解釈できる. hole-like metal ( $S>0$ ) electron-like metal $(S<0)$図 7 金属の状態密度曲線の模式図. ただし,単位格子の大きさが異なる物質の状態密度曲線の勾配を比較するには, $D(E)$ をそれぞれの格子体積で割って規格化しなければならない。論文に書かれている状態密度曲線には,単位 states $/ \mathrm{eV}(\mathrm{Ry})$ の後ろに “/unit cell” が省略されている。格子体積は conventional cell の体積ではなく, primitive cell (reduced cell) の体積であることも多く, 確認が必要である。もし “/formula unit (F.U.)" と書かれていたら,1 化学式あたりの体積を算出すれば規格化できる。 ## 9. フェルミ面 3 次元逆格子空間において, $E(\mathbf{k})=E_{\mathrm{F}}$ となるような $\mathbf{k}$ の集合をフェルミ面と呼ぶ.フェルミ面は,金属,もしくは大量のキャリアがドープされた縮退半導体に存在する. 図8(a)のフェルミ面は第1 B.Z. 内に収まっているが, もし高次の B.Z. まで電子がはみ出していれば,逆格子空間の並進対称性によって,はみ出した分が第 1 B.Z.に還元されて元のフェルミ面と重なり, 2 枚・ 3 枚のフェルミ面があるように見える。 還元されたフェルミ面に打いて,フェルミ面に囲まれている部分に電子が詰まっていれば「電子のフェルミ面 $,$ フェミ面の外側に電子が詰まっていれば「ホー ルのフェルミ面」と呼ばれる. フェルミ面が囲んでいる領域がなければ,連続的なフェルミ面と呼ばれる。 フェルミ面が B.Z.の境界を横切る際には,B.Z.の境界に吸い付くように, わずかに変形する. これは, B.Z. 境界ではバンドギャップの存在により,$E-k$ 曲線の傾きが 0 になることに起因している. フェルミ面の形状からは,電気伝導の異方性を知ることができる.電気伝導は,結晶に電場を与えたときに, フェルミ面が電場の方向にわずかにずれることによって起こる。 $\hbar \mathbf{k}$ は電子の運動量に対応するため,フェルミ面全体がずれると,電子の総運動量も変化する。 図 8 (a) のように等方的なフェルミ面なら, $x, y, z$ どの方向に電場をかけても,電子の総運動量に変化が現 (a) $3 \mathrm{D}$ (b) $2 \mathrm{D}$ (c) $1 \mathrm{D}$図 8 (a) 3 次元的 (b) 2 次元的(c) 1 次元的なフェルミ面の例. $z$ 方向に電場をかけたときのフェルミ面の移動先を点線で示している. れる。よって,その物質はいずれの方向にも電気をよく流す. しかし, 図8(b)のような円筒状のフェルミ面に,円筒に平行な $z$ 方向の電場をかけても,総運動量に変化は現れない.よってその物質は,ある 1 方向には電気を流さない,2 次元的な伝導性をもつ物質だと解釈できる。 また, 図 8 (c) のようにフェルミ面が平面状であった場合は,平面と垂直に電場をかけた場合のみ総運動量が変化し, 平行にかけた場合には変化しない. よって, この物質は 1 次元的な電気伝導性をもつと理解できる. 逆格子空間に打いて 1 次元的な形状が「2 次元のフェルミ面」, 2 次元的な形状が $\lceil 1$ 次元のフェルミ面」と呼ばれるので少々紛らわしいが,この見方に慣れれば電気特性の理解に大いに役立つ. 10. 終わりに 誌面の都合で割愛させていただいたが,第一原理計算からはこの他にも,電荷密度分布など実にさまざまな情報を得ることができる。それは難しい数式のイメージとは裏腹に,物質の個性と chemistry が反映された,彩りあふれる世界である。 筆者はこれまで,固体電子論で取り扱われる自由電子的な電子構造と,実際に論文に掲載される電子構造の間に大きな隔たりがあり,それが理解を阻んでいるように感じてきた。数式がつながったことでは理解した気持ちになれない筆者のような方々にとって,わかりにくいと思われる箇所を解説してみたので,少しでも理解の助けとなれば幸いである。 次回は,第一原理計算から熱電特性を直接計算する方法として,筆者が現在取り組んでいる,Boltzmann 輸送方程式による解析と $Z T$ の予測方法について紹介した $い$. 参考文献 1) Blaha P. et al.: WIEN2k. An augmented plane wave plus local orbitals program for calculating crystal properties, Vienna University of Technology, Austria (2001). 2) 岡崎誠, 固体物理学一工学のために一, 裳華房 (2002). 3)和光システム研究所 : 「WIEN2k 入門」追加版改訂固体の中の電子バンド計算の基礎と応用,和光システム研究所 (2006). 4)第一原理計算入門,http://www5.hp-ez.com/hp/ calculations/page1/ 5) 中山将伸のホームページ, http://mmnakayama.jimdo. com/study/ 6) Haas P. et al., Phys. Rev. B 79, 085104 (2009). 7) Murnaghan, F. D. Proc. Nat. Acad. Sci. 30, 244 (1944) 8) Toberer E. S. et al., J. Mater. Chem., 21, 15843 (2011). 9) Cahill D. G. et al., Phys. Rev. B, 46, 6131 (1992). 10) Clarke D. R., Surf. Coat. Technol., 163-164, 67 (2003). 11) Tran F. et al.: Phys. Rev. Lett. 102, 226401 (2009). 12) Mahan G. D., J. Appl. Phys. 65, 1578 (1989). 13) Bilbao Crystallographic Server, http://www.cryst.ehu.es/ 14) L. E. Ramos et al., Phys. Rev. B 63165210 (2001). 著者連絡先 東京大学大学院理学系研究科物理学専攻高木研究室特任研究員 桂ゆかり:E-mail [email protected] TEL 03-5841-4157 FAX $03-5841-4619$
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# 計算科学基礎講座 : 熱電研究のための第一原理計算入門 第 3 回 Boltzmann 輸送方程式を用いた熱電特性計算 桂 ゆかり (東京大学) ## 1.はじめに 熱電材料の開発研究はいつも,「あちらを立てればこちらが立たず」の連続である。このため,全体像が見えない状態を膨大な実験で突破することにより,多数のパラメータを同時に最適化して特性を改善することを強いられる。 そのような中,第一原理計算による熱電特性予測は,暗い森の中から, ゴールまでの一本道を照らし出す一縷の光のように感じられる. $Z T$ の値を決定するゼーベック係数 $S$, 電気伝導率 $\sigma$, 電子熱伝導率 $\kappa_{\mathrm{el}}$ は, すべて電子構造とキャリア濃度に依存して決定するパラメータであり,Boltzmann 輸送方程式によって描写できる。フォノン熱伝導率 $\kappa_{\mathrm{ph}}$ の第一原理計算も順調に研究が進んでいる.このため,第一原理計算によって,各熱電材料の $Z T$ の予測や,既存材料より高い $Z T$ を示す物質の発見ができるのではないかと期待させられる. ところが,第一原理計算による熱電特性の予測には, その過程で多くの簡略化と不確定性が入り込む.結晶構造を定義する段階で為される簡略化もあれば,現在の第一原理計算手法に内在する不確定性もある. さらに, Boltzmann 輸送方程式から得られる情報量にも限界がある.このため現在の計算技術では, 第一原理計算を $Z T$值の予測までつなげることは,困難である。 連載の最終回にしていきなり冒頭から期待を打ち砕くのもどうかと思う.だがこの認識があってこそ,第一原理計算の熱電材料研究への活用が可能になると考えている. 第一原理計算から得られる情報は, 結晶構造から得られる情報である.ゴールまでの一本道は見えなくとも,辺りを明るく照らし出すだけの光量は持っているはずである。 本稿では, Boltzmann 輸送方程式を解いて得られる情報と,それらの分析法について説明する。各熱電特性のキャリアドープ量 $n$, 温度 $T$, 電子構造依存性について,実在物質を計算例として解説を行う。また計算結果から未知変数をできるだけ括り出すことで,その物質の熱電特性の特徴を概観する方法を説明する.さらに,実験値と計算值の比較から,電子散乱に関する情報をつかむ手段を紹介する.論文ではなく解説記事であるという特徴を生かして,WIEN2k ${ }^{11}$ などの第一原理計算ソフトから熱電特性を計算できる,BoltzTraP2) というフリーウェアについて,具体的に説明する。ただしこの情報は, 現在公開されているバージョン(1.2.5)に基づいており,今後変更される可能性もある。これにより,できるだけ多くの実験系研究者に第一原理計算を活用していただき, 熱電研究のさらなる発展に貢献できれば幸いである. 2. 熱電材料の第一原理計算に打ける不確定性 2. 1. 結晶構造の不確定性 多くの熱電材料は,純䊀な物質を測定しても非常に低い $Z T$ しか得られないことが多い. 何も考えずに合成しても,自然に形成する格子欠陥などにより,たまたま最適な $n$ の試料が得られる物質も存在する。しかし多くの場合,キャリアドープや $\kappa_{\mathrm{ph}}$ の低減を目的として,さまざまな元素や格子欠陥が高濃度で導入されて初めて,高い $Z T$ が達成できる。 ところがそれらの高 $Z T$ 試料を呼ふ際に,組成を全て言うのは煩雑なので,つい関連する母物質の名前で呼んでしまう。例えば, 我々が $\left[p\right.$ 型の $\left.\mathrm{Bi}_{2} \mathrm{Te}_{3}\right.\rfloor$ と呼ぶ物質には, Bi サイトの $75 \%$ \% Sbで置換した試料も含まれる。 その電子構造は純桲な $\mathrm{Bi}_{2} \mathrm{Te}_{3}$ の電子構造とは異なると考えられる. また,キャリアドープを目的に添加された元素は,電気伝導に関与する最も重要なエネルギー領域(フェルミエネルギー $\epsilon_{\mathrm{F}}$ 近傍の電子状態)に新たなバンドをつくる. 半導体デバイスのような希薄ドープなら無視できても,熱電材料のような大量ドープでは無視できない. よって,より実像に近い電子構造を得るには, 図 1 (a) の母物質ではなく,(c)のように置換元素のランダム分布まで再現する結晶構造で計算する必要がある. しかしこれには多大な計算負荷が必要な上, バンド構造の解釈も困難になる。このため多くの場合,(b)のような単純な結晶構造を定義して計算される。しかしこれでは, 置換元素が空間内に規則的に整列していることになってしまう。 (a) parent compound (b) simple supercell (c) more complex supercell図 1 固溶体の結晶構造の定義法. このほか,高 $Z T$ 材料にはさまざまな格子欠陷や析出物,粒界などが含まれる。これらを全て織り込んだ結晶構造を定義することは,非常に困難であると言えよう. ## 2. 2. 電子構造の不確定性 いくら現実に近い結晶構造を定義したとしても,第一原理計算の過程で生じる誤差もある。 その最たるものは,半導体のバンドギャップ $\epsilon_{\mathrm{g}}$ の詋評価である。これは,現在の密度汎関数理論(DFT)による第一原理計算の弱点である. LDA P $\mathrm{GGA}^{3}$ ) など,計算速度が速く, よく用いられる交換相関ポテンシャルでは, $\epsilon_{\mathrm{g}}$ は過小評価される傾向がある. $\epsilon_{\mathrm{g}}$ が $2 / 3$ 程度に減少してしまう半導体もあれば, $\epsilon_{\mathrm{g}}=0$ の金属(半金属) と判定されてしまう半導体もある. 熱電材料の多くがナローギャップ半導体であることを考慮すると,この誤差は深刻である ただし,より高精度の $\epsilon_{\mathrm{g}}$ が得られる交換相関ポテンシャルを利用すれば, $\epsilon_{\mathrm{g}}$ の計算値は改善する. 計算量は膨大だが, GW 法4) や,HSE 法5) などがよく知られており,WIEN2kでは比較的計算の軽い, TB-mBJ $\left.{ }^{6}\right)$ もよく用いられている. ただし,いずれも歴史がまだ浅いため, 有効質量など他の計算値も正確になるのか, 研究動向の見極めが重要である. LDA+Uなど,電子を各原子に局在させるようなクー ロンポテンシャル $U$ を導入して $\epsilon_{\mathrm{g}}$ を調整する手法では,物質にもよるが有効質量を過大評価する傾向がある。それよりも,LDA や GGA で計算した電子構造の伝導帯の $\epsilon$ を単純にシフトし, $\epsilon_{\mathrm{g}}$ を人為的に実験值に合わせた方が,有効質量も正確になる傾向がある。この方法は $\epsilon_{\mathrm{g}}$ の計算值が 0 では使えないものの, BoltzTraP 内で簡単に実行できる,最も時間のかからない方法と言える。 このほか,第一原理計算の過程で起こりうる問題として,その物質に本来存在すべき相互作用を無視して計算してしまった場合が考えられる。磁性のある物質をスピン偏極なしで計算してしまった場合や,重元素からなる物質をスピンー軌道相互作用(SO)なしで計算してしまった場合などが該当する。 格子定数や原子座標の最適化が十分でないと,異なる電子構造になる。ただし, 構造最適化の際, van der Waals 結合をもつ物質では,結合距離が間違った値に収束しやすい.格子定数は温度によっても変化する。 十分に細かい $k$ 点メッシュの使用が望ましい. ただし,半導体では, 金属の計算ほど多くの $k$ 点が必要なわけではない. $k$ メッシュを少しずつ細かくしながら計算していき, 全エネルギーや目的の計算値に変化やノイズが現 ## 3 . 熱電材料の状態密度曲線 状態密度曲線 (DOS) は, 多くの論文に掲載されるデー タであるため,それを読むことでその化合物の熱電材料としての有望性を推定できれば便利である. 図 2 単位体積当たりの值に規格化した, 熱電材料の状態密度曲線の例. 縦軸の 1 目盛が 1 に相当する. (a) $s p$ 半導体 (b) $3 d$ 遷移金属半導体 (c) 酸化物. 例として,WIEN2k によって計算したさまざまな熱電変換材料の状態密度(DOS)を図 2 に示す. 化合物間で DOS の勾配を比較するため,格子体積で割って規格化している. $\epsilon_{\mathrm{g}}$ の計算値は選択した交換相関ポテンシャルによって大きく異なる.WIEN2k のデフォルトであり,他の計算コードでも広く利用されているGGAで計算した $\epsilon_{g}$ は,実験値を大きく下回った。一方,TB-mBJ を利用した場合は,収束までにより長時間を要するが,実験値と近い值が得られた。 $\mathrm{Bi}_{2} \mathrm{Te}_{3}, \mathrm{PbTe}$ などの重元素化合物では,スピン軌道相互作用(SO)の有無によって計算結果が大きく変わる. TB-mBJ で SO を入れた場合よりも, GGAでSO を入れた場合の方が実験値に近い $\epsilon_{\mathrm{g}}$ が得られているが,どの計算がより正しい電子構造を反映しているのかは不明である. DOS の勾配を化合物間で比較する際は,単位体積当たりの DOS として規格化する必要がある. $\mathrm{Si}, \mathrm{Mg}_{2} \mathrm{Si}$ などの $s p$ 半導体は,バンド端の DOS の勾配がゆるやかである。一方,遷移金属化合物では,DOS の勾配は非常に急峻になる.特に,局在性の強い $3 d$ 遷移金属の場合に顕著である。また,酸化物では,価電子帯( $\mathrm{p}$ 型側) の DOS の勾配が大きくなる傾向がある.これは, $\mathrm{O}^{2-}$ イオンの電子がほぼ局在しているうえに,同じ電子状態に置かれた O の数が非常に多く,バンドが縮退しているためである. DOS で着目すべき点は 2 点である. 1 つは,バンドギャップ $\epsilon_{\mathrm{g}}$ の有無とその幅. もう 1 つは,フェルミエネルギー $\epsilon_{\mathrm{F}}$ における状態密度(DOS)の勾配. この 2 点が熱電特性を左右する. ## 4. Boltzmann 輸送方程式による熱電特性の計算 ここでは,第一原理計算から得られた結果を使って,熱電特性にかかわる各パラメータを計算する原理について紹介する. BoltzTraPではテンソルを用いて各パラメー タが計算されているため,はじめにテンソル計算の基礎について解説する. 次に,熱電現象を記述する,電流と熱流の方程式を紹介する。そして,Boltzmann 輸送方程式の線形解として得られる $\sigma, \mathrm{S}, \boldsymbol{\kappa}_{\mathrm{el}}$ の計算式を紹介する. 4. 1. テンソル 物質の異方性を取り込んで計算を行うには,テンソルを利用する.たとえば,電気伝導率テンソル $\sigma$ は以下のように 3 行 3 列の行列で表される. $ \boldsymbol{\sigma}=\left(\begin{array}{lll} \sigma_{x x} & \sigma_{x y} & \sigma_{x z} \\ \sigma_{y x} & \sigma_{y y} & \sigma_{y z} \\ \sigma_{z x} & \sigma_{z y} & \sigma_{z z} \end{array}\right) $ ここで,添字の 1 つ目は出力方向,すなわち発生する電流の方向を示す. 2 つ目は入力方向,すなわち電界がかけられる方向を示す. 電界ベクトル $\mathbf{E}=\left(E_{x}, E_{y}, E_{z}\right)$ をかけた時に発生する電流密度べクトル $\mathrm{j}_{\mathrm{el}}$ は, 以下のような掛け算で計算される. $ \mathbf{j}_{\mathrm{el}}=\sigma \mathbf{E}=\left(\begin{array}{ccc} \sigma_{x x} & \sigma_{x y} & \sigma_{x z} \\ \sigma_{y x} & \sigma_{y y} & \sigma_{y z} \\ \sigma_{z x} & \sigma_{z y} & \sigma_{z z} \end{array}\right)\left(\begin{array}{l} E_{x} \\ E_{y} \\ E_{z} \end{array}\right) $ ただし $\sigma$ の場合, 対角項以外はほぼ 0 である. よって $ \mathbf{j}_{\mathrm{el}}=\left(\begin{array}{c} j_{x} \\ j_{y} \\ j_{z} \end{array}\right) \sim\left(\begin{array}{c} \sigma_{x x} E_{x} \\ \sigma_{y y} E_{y} \\ \sigma_{z z} E_{z} \end{array}\right) $ と表してもほぼ同じである. 電場と磁場が共存する場合の $\sigma$ は, 出力である電流方向に加えて,入力として電場と磁場の方向が必要となるため,各成分が添字 3 つを持った $3 \times 3 \times 3$ のテンソルとなる.この場合, 電流と電場が平行な成分 $\left(\sigma_{x x x}, \sigma_{x x y}\right.$ など)以外に, 添字が全て異なる成分 $\left(\sigma_{z x y}\right.$ など $)$ も有意な値を持ち,これらは Hall 効果による誘導電流を表現する。 得られたテンソルからスカラーの代表値を得る最も単純な方法は,その物性を表す有意な項の平均を取ることである. BoltzTraPの case.trace ファイルに出力されるのはこの平均値である.平均を取った時点で,異方性に関するデータは失われている。 4.2. 電流と熱流の方程式) 電流 $\mathbf{j}_{\mathrm{el}}$ が流れ,磁場がなく,温度勾配 $\nabla T$ が存在する試料内に発生する電界べクトル $\mathrm{E}$ は,以下のように表せる. $ \mathbf{E}=\sigma^{-1} \mathbf{j}_{\mathrm{el}}+\mathbf{S} \nabla T $ $ \mathrm{j}_{\mathrm{el}}=\sigma \mathrm{E}-\sigma \mathrm{S} \nabla T $ このとき,電子の群速度は $ v=\sigma \mathrm{S} $ である. また,Peltier 係数を $\mathrm{S} T$ ,電子の拡散による熱伝導率を $\boldsymbol{\kappa}_{0}$ とおくと,以下の熱流の方程式が得られる。 $ \mathbf{j}_{Q}=\mathbf{S} T \mathbf{j}_{\mathrm{el}}+\boldsymbol{\kappa}_{0} \nabla T $ ここに(5)式を代入すると, $ \mathbf{j}_{Q}=\mathrm{S} \sigma T \mathrm{E}+\left(\boldsymbol{\kappa}_{0}-\mathrm{S} \sigma \mathrm{S} T\right) \nabla T $ が得られ, ここから, 電子熱伝導率 $ \boldsymbol{\kappa}_{\mathrm{el}}=\boldsymbol{\kappa}_{0}-\mathbf{S} \boldsymbol{\sigma} \mathbf{S} T=\boldsymbol{\kappa}_{0}-\mathbf{S} \boldsymbol{\nu} T $ が導かれる.これは, 試料内の電場が 0 で, 温度勾配のみが存在するときに電子が運ぶ熱を表す. 第 1 項は,熱拡散した電子が運ぶ熱を表す。しかし,高温側の電子が低温側に拡散する過程は, 低温側への「電流」である.試料内の電場が 0 のときに,試料内に流れている電流は,(5)式より $-\sigma \mathrm{S} \nabla T$ である. よって,この電流と Peltier 係数 $\mathrm{S} T$ の積が,熱拡散による Peltier 効果であり,その熱伝導率は $-\mathrm{S} \sigma \mathrm{S} T$ と表せる. すなわち,拡散した電子が自己 Peltier 効果によって,高温端の温度を高く,低温端の温度を低くする方向に温度差を作り出し,熱の移動量が減少しているのである。ただし熱力学第 2 法則により, $\kappa_{\mathrm{el}}$ が負になることはない. 金属では第 2 項は無視できるほど小さいが,パワー ファクター $P=S^{2} \sigma$ が十分に大きな半導体や熱電材料では第 2 項も大きいと考えられる. $\kappa_{\mathrm{el}}$ が 0 になるのは $\sigma(\epsilon)$ がデルタ関数であるときであると示されている 8 . この第 2 項なしでは多くの $Z T>1$ の熱電材料の存在が説明できないことについて,後程紹介する。 ## 5. Boltzmann 輸送方程式の線形解 ある電子の有効質量を $m^{*}$ とおくと,運動量は $p=m^{*} \nu=$ $\hbar k$ ,運動エネルギーは $ \epsilon=\frac{p^{2}}{2 m^{*}}=\frac{\hbar^{2} k^{2}}{2 m^{*}} $ と表される.よって,これを $k$ で微分することにより, $ \nu=\frac{1}{\hbar} \frac{d \epsilon}{d k} $ が得られる. これより, $\nu$ は $\epsilon-k$ 曲線の傾きに対応するということがわかる. $v$ はその電子が属するバンド番号 $i$ と,波数 $\mathrm{k}$ によって異なる.第一原理計算によって求められた電子( $i, \mathbf{k})$ のエネルギーを $\varepsilon(i, \mathbf{k})$ とおくと,その速度べクトルは $\boldsymbol{V}_{x}(i, \mathbf{k})=\left(\begin{array}{c}\nu_{x}(i, \mathbf{k}) \\ \nu_{y}(i, \mathbf{k}) \\ \nu_{z}(i, \mathbf{k})\end{array}\right)=\frac{1}{\hbar}\left(\begin{array}{c}\frac{\partial \epsilon(i, \mathbf{k})}{\partial k_{x}} \\ \frac{\partial \epsilon(i, \mathbf{k})}{\partial k_{y}} \\ \frac{\partial \epsilon(i, \mathbf{k})}{\partial k_{z}}\end{array}\right)$ として求められる. ところで,試料内を一定の電流が流れる状態では,電場による電子の加速が散乱によって完全に打ち消されて,vが時間変化しない.このとき,電子が散乱を受ける平均時間間隔を緩和時間 $\tau_{\mathrm{el}}$ と定義すると, $\sigma$ の各成分は $ \sigma_{x y}(i, \mathbf{k})=e^{2} \tau_{\mathrm{el}} v_{x}(i, \mathbf{k}) v_{y}(i, \mathbf{k}) $ などと計算できる。ただし, 実際に有意な値をもつのは, $ \sigma_{x x}(i, \mathbf{k})=e^{2} \tau_{\mathrm{el}}\left(v_{x}(i, \mathbf{k})\right)^{2}=\frac{e^{2} \tau_{\mathrm{el}}}{\hbar^{2}}\left(\frac{\partial \varepsilon(i, \mathbf{k})}{\partial k_{x}}\right)^{2} $ などの対角項のみである. $\tau_{\mathrm{el}}$ の値は実際には $i, \mathrm{k}$ に依存すると考えられるが, ここでは定数 $\tau_{\mathrm{el}}$ であると仮定している(緩和時間近似)。 ところで,電子ドープは $\epsilon_{\mathrm{F}}$ の上昇,ホールドープは $\epsilon_{\mathrm{F}}$ の低下として表される. そこで, $\sigma$ の式を $\epsilon_{\mathrm{F}}$ の関数に書き換えるため, エネルギー $\epsilon_{\mathrm{F}}$ から $\epsilon_{\mathrm{F}}+\Delta \epsilon$ の間に含まれている状態 $(i, \mathbf{k})$ を全て検出し, それらの $\sigma_{x x}(i, \mathbf{k})$ の和をとる. 上記の $\Delta \epsilon$ の範囲に $\epsilon(i, \mathbf{k})$ が含まれていた時に 1 を返し,しなかった場合には 0 を返すデルタ関数 $\delta\left(\epsilon_{\mathrm{F}}-\epsilon(i, \mathbf{k})\right)$ を用いると, $ \sigma_{x x}\left(\epsilon_{\mathrm{F}}\right)=\frac{\tau_{\mathrm{el}}}{N_{\mathrm{k}} \Delta \epsilon} \sum_{i, \mathrm{k}} \sigma_{x x}(i, \mathbf{k}) \delta\left(\epsilon_{\mathrm{F}}-\epsilon(i, \mathbf{k})\right) $ と表される.この $\boldsymbol{\sigma}\left(\epsilon_{\mathrm{F}}\right)$ は輸送分布関数と呼ばれる. ま 図 3 複数のバンドが存在する系における,(a)DOS: $N\left(\epsilon_{\mathrm{F}}\right)$ (b) スペクトル伝導度 : $\sigma_{x x}\left(\epsilon_{\mathrm{F}}\right)$ の計算法. DOS は,微小エネルギー領域 $d \epsilon$ に含まれる状態の数そのものを数えたものである. $\sigma\left(\epsilon_{\mathrm{F}}\right)$ はこれらの状態における $\epsilon-k$ 曲線の勾配の自乗の和から計算される. このため, $\sigma_{x x}\left(\epsilon_{\mathrm{F}}\right)$ では勾配の急峻なバンド(band 1)の寄与が大きくなる. た,エネルギーの関数として表した物理量は「スペクトル」であるため,スペクトル伝導度とも呼ばれる。 $\sigma\left(\epsilon_{\mathrm{F}}\right)$ の計算精度は $k$ 点数 $N_{\mathrm{k}}$ が多いほど上がる.これは, $\Delta \epsilon$ 内に検出される点の数が増えるからである. このため Boltzmann 輸送方程式の解析には通常非常に細かい $k$ メッシュを用いる.ただし,BoltzTraPではバンドエネルギーを Fourier 展開によって補間し, $k$ 点数を 5 倍など(case.intransにおける lpfac で指定した值)に増やしているため, 多少粗い $k$ メッシュでも精度の良い $\sigma\left(\epsilon_{\mathrm{F}}\right)$ が得られる. ところでここまでの結果は, $T=0$ の場合である.有限温度では,Fermi-Dirac 分布関数 $ f\left(\epsilon_{\mathrm{F}}, T\right)=\left(e^{\frac{\epsilon-\epsilon_{\mathrm{F}}}{k_{\mathrm{B}} T}}+1\right)^{-1} $ を用いて $ \sigma\left(\epsilon_{\mathrm{F}}, T\right)=\int_{0}^{\infty} \sigma(\epsilon) f\left(\epsilon_{\mathrm{F}}, T\right) d \epsilon $ と表される。 この積分値の計算には, $\epsilon=\epsilon-\epsilon_{\mathrm{F}}$ における Taylor 展開 $ \left.\sigma(\epsilon, T)\right|_{\epsilon=\epsilon_{F}}=\sum_{n} \frac{1}{n !} \int_{0}^{\infty}\left(\epsilon-\epsilon_{\mathrm{F}}\right)^{n} \sigma\left(\epsilon_{\mathrm{F}}\right)\left(-\frac{\partial f_{\epsilon_{\mathrm{F}}}(\epsilon, T)}{\partial \epsilon}\right) d \epsilon $ が用いられる. $\sigma\left(\epsilon_{\mathrm{F}}, T\right)$ はこの 0 次の項から, $ \left.\sigma(\epsilon, T)\right|_{\epsilon=\epsilon_{F}}=\int_{-\infty}^{\infty} \sigma(\epsilon)\left(-\frac{\partial f_{\epsilon_{\mathrm{F}}}(\epsilon, T)}{\partial \epsilon}\right) d \varepsilon $ と計算される. 以降の導出過程は複雑なので省略するが, $ \begin{aligned} \left.\boldsymbol{v}(\epsilon, T)\right|_{\epsilon=\epsilon_{F}}= & \frac{1}{e T} \int_{-\infty}^{\infty}\left(\epsilon-\epsilon_{\mathrm{F}}\right) \boldsymbol{\sigma}(\epsilon)\left(-\frac{\partial f_{\epsilon_{\mathrm{F}}}(\epsilon, T)}{\partial \epsilon}\right) d \varepsilon, \\ \left.\mathrm{S}(\epsilon, T)\right|_{\epsilon=\epsilon_{F}}= & \left.\int_{-\infty}^{\infty} \sigma^{-1}(\epsilon, T) \boldsymbol{v}(\epsilon, T) d \epsilon\right|_{\epsilon=\epsilon_{F}}, \\ \left.\boldsymbol{\kappa}_{\mathrm{el}}(\epsilon, T)\right|_{\epsilon=\epsilon_{F}}= & \frac{1}{e^{2} T} \int_{-\infty}^{\infty}\left(\epsilon-\epsilon_{\mathrm{F}}\right)^{2} \boldsymbol{\sigma}(\epsilon)\left(-\frac{\partial f_{\epsilon_{\mathrm{F}}}(\epsilon, T)}{\partial \epsilon}\right) d \varepsilon \\ & -\left.T \int_{-\infty}^{\infty} \mathrm{S}(\epsilon, T) \boldsymbol{v}(\epsilon, T) d \epsilon\right|_{\epsilon=\epsilon_{F}} \end{aligned} $ が得られる. これらの式を構成する各関数の挙動につい (15) 式からわかるように, $\sigma(\epsilon)$ には未知定数 $\tau_{\mathrm{el}}$ が含まれている. このため, $\sigma(\epsilon)$ から計算される $\sigma\left(\epsilon_{\mathrm{F}}, T\right)$, $\boldsymbol{v}\left(\epsilon_{\mathrm{F}}, T\right), \boldsymbol{\kappa}_{\mathrm{el}}\left(\epsilon_{\mathrm{F}}, T\right)$ も全て $\tau_{\mathrm{el}}$ を含んでいる. ただし,緩和時間近似が有効であれば,計算過程において $\tau_{\text {el }}$ が相殺できるため, $\mathrm{S}\left(\epsilon_{\mathrm{F}}, T\right)$ は値として得ることができる. ただし,これらの計算ではマルチバンド効果を十分考慮できていない,これは,(15)式の時点で,バンド番号 $i$ の情報が失われているからである. 6. BoltzTraP の出力データの意味 6. 1 . $\epsilon_{\mathrm{F}}$ バンド計算では,絶対零度において伝導電子に占有された上端のエネルギーをフェルミエネルギーと呼ぶ.これは, $T=0 \mathrm{~K}$ を仮定して計算される。一方, $T>0 \mathrm{~K} に$ おける Fermi-Dirac 分布関数の中心 (状態の占有率が 0.5 になるエネルギー) は化学ポテンシャルと呼ばれる.フェルミ準位は化学ポテンシャルに対応するが,人によって定義が異なることもある. フェルミエネルギーと化学ポテンシャルは金属ではほぼ一致する. しかし半導体では, フェルミエネルギーは価電子帯の上端, 化学ポテンシャルはバンドギャップ内のどこかとなり,異なる値をとる. case.trace に打ける 1 コラム目の $\epsilon_{\mathrm{F}}$ は化学ポテンシャルに対応する任意変数である. 単位は Rydberg(1 Ry= 1/2 Hartree $=13.605698066 \mathrm{eV}$ )である. 半導体や不純物ドープを行った金属では, $\epsilon_{\mathrm{F}}$ を第一原理的に求める手段がない. このため他のカラムのデー タ $\left(n, S, R_{\mathrm{H}}\right.$ など)を見ながら,最も実験データを再現する $\epsilon_{\mathrm{F}}$ を選択しなければならず,ここに計算結果の解釈の任意性が生じる. ## 6. 2 . $T$ 仮想的な温度 $[\mathrm{K}]$ であり, Fermi-Dirac 分布関数の変化を再現する.格子定数の温度依存性は考慮されていない. $\epsilon_{\mathrm{F}}$ の温度依存性を無視できるならば, $\epsilon_{\mathrm{F}}$ が等しく, Tのみが異なる 1 ブロックをそのまま使えばよい。このような近似は金属や縮退半導体など, $n$ の大きな系には有効である.1 温度についての計算を行うには, case. intrans ファイルの 8 行目で $T_{\max }$ と temperature grid を同じ值に設定する. ## 6. 3 . $N$ 単位格子(reduced cell)に入っている過剩な電荷の数を示す. キャリアドープを目的として不純物ドープを行った場合に,組成比と対応させやすい值である. 単位体積当たりのキャリア濃度 $n\left[\mathrm{~cm}^{-3}\right]$ に換算するには, reduced cell の体積 $V_{\text {red }}$ で割ればよい. $V_{\text {red }}$ は case.outputtrans に bohr ${ }^{3}\left(\right.$ a.u. $\left.{ }^{3}\right)$ 単位で書かれており, 1 bohr $=0.52917721092$ Åである. ホールの濃度を $n_{\mathrm{h}}$, 電子の濃度を $n_{\mathrm{e}}$ とすると, $n=n_{\mathrm{h}}-n_{\mathrm{e}}$ である. この $n$ は, Hall 測定から得られるキャリア濃度とは異なり, $n_{\mathrm{h}}=n_{\mathrm{e}}$ であれば 0 となる. $n_{\mathrm{H}}$ がキャリアの熱励起の影響を受けやすいのに対し, $n$ の温度依存性は小さいと考えられる. ## 6. 4. DOS 単位格子あたりの状態密度で, 単位は (states /Ry) である. BoltzTraPでは, $\epsilon_{\mathrm{F}}$ 近傍のエネルギー範井に存在するバンドのみを抽出している。 ## 6. 5 . $S$ Seebeck 係数の計算值であり,単位は V/Kである.図 4 に, $\epsilon_{\mathrm{F}}$ を変えた $n$ 型 $\mathrm{Si}$ の $S-T$ 曲線を示すが,多くの熱電材料において, ドーパント添加量を変化させたときに得られる $S-T$ 曲線とよく似た挙動が見られる。 $\epsilon_{\mathrm{F}}$ が伝導帯の下端にある場合はほぼ平坦となり, $\epsilon_{\mathrm{F}}$ が伝導帯内にある場合には, $S$ が低温で小さくなるという金属的挙動を示した. $\epsilon_{\mathrm{F}}$ をバンドギャップ内に置いた場合は, $S$ が低温で発散するという半導体的挙動が見られた。 ただし,この場合は $\epsilon_{\mathrm{F}}$ に大きな温度依存性があるため, これらの $S-T$ 曲線は実験とは一致しないと考えられる. 図 5 は異なる $T$ について計算した $p$ 型 $\mathrm{Si}$ の $S-n$ 曲線である. $300 \mathrm{~K}$ の $S$ は,低 $n$ 側で非常に大きく,nの上昇とともに減少した. 同じ $n$ では, $T$ の上昇に伴い $S も$大きくなった.これらの傾向は,自由電子モデルに打ける $S$ の式 $ S=\frac{2 k_{\mathrm{B}}{ }^{2}}{3 \mathrm{e} \hbar^{2}}\left(\frac{\pi}{3 n}\right)^{2} m^{*} T $ から予測される傾向と一致している. 高温では,低 $n$ 領域から $S$ が低下し, $S-n$ 曲線にピー クが現れた.これはキャリアの熱励起により, 電子とホー ルのぺアが大量に生成し,系が金属的になった効果である.これは両極性拡散効果 (bipolar conduction) と呼ばれ,高温になるほど高 $n$ 領域の $S$ まで影響が及ぶことがわ 図 $4 n$ 型 $\mathrm{Si}$ について計算した,さまざまな $\epsilon_{\mathrm{F}}$ に対する $S$ の温度依存性. 図中の数字は, 伝導帯のバンド端からのエネルギーを $\mathrm{eV}$ 単位で示したものである. かる. 6. 6. $\sigma / \tau_{\text {el }}\left[\Omega^{-1} \mathrm{~m}^{-1} \mathrm{~s}^{-1}=\mathrm{Sm}^{-1} \mathrm{~s}^{-1}\right]$ 電気伝導率の計算值であり,未知変数 $\tau_{\mathrm{el}}$ を含む. 図 6 (a) のように,両極性拡散効果が出る領域を除いて,温度依存性はほとんどない。ただし当然ながら, $\sigma$ 自体には温度依存性がある。これは, $\tau_{\text {el }}$ に温度依存性があるためである. $\sigma$ の概算值を得るには $\tau_{\mathrm{el}}=10^{-14} \mathrm{~s}$ を代入すればよいという記述をしばしば見かけるが, これは純粋な $\mathrm{Si}$ 結晶 いてそれほど長い值を得ることは難しい。また,同じ $\mathrm{Si}$ 結晶でも $T$ が違えば $\tau_{\mathrm{el}}$ も異なることを考慮しなければならない. $\tau_{\mathrm{el}}$ の温度依存性は散乱機構によって異なる. 純粋物質において支配的な「音響的変形ポテンシャル散乱」, すなわち音響フォノンによる電子散乱では, $\tau_{\text {el }}$ は $T^{-1}$ に比例する。 また, 不純物散乱のうち, 「イオン化不純物散乱」では, $\tau_{\mathrm{el}}$ は $T^{3 / 2}$ に比例する. その他, 粒界散乱など多くの散乱機構が関与していると考えられるが,温度依存性がここまで顕著ではないためか,議論されることは少ない. 複数の散乱が支配的な系の $\tau_{\text {el }}$ は, Matthiesen 則を仮定すると, $ \frac{1}{\tau_{e l}}=\sum_{s} \frac{1}{\tau_{\mathrm{el}}(s)} \propto \frac{1}{T^{r}} $ と計算される. 指数 $r$ は通常 -1 から $3 / 2$ の間の值をとる. $\tau_{\mathrm{el}}$ を実験的に測定するには,ARPES スペクトルのバンド幅を測定する方法などがある。 6. 7 . $R_{\mathrm{H}}$ Hall 係数の計算值である. 計算過程で $\tau_{\mathrm{el}}$ がキャンセ キャリアドープ量依存性.交換相関ポテンシャルは TB-mBJ を用い,実験值とほぼ一致する $\epsilon_{\mathrm{g}}=$ $1.169 \mathrm{eV}$ を得ている. $n=10^{20} \mathrm{~cm}^{-3}$ 前後のプロットは, Vining らによる $p$ 型 $\mathrm{Si}_{0.8} \mathrm{Ge}_{0.2}$ 試料の $300 \mathrm{~K}$ での実験值 ${ }^{16)}$ である. なお,格子体積の温度依存性は考慮していない。 ルするので,実験值との直接比較が可能である.ホールと電子が共存する場合, Hall 測定から求めたキャリア濃度 $n_{\mathrm{H}}=e /\left|R_{\mathrm{H}}\right|$ は $n=n_{\mathrm{h}}-n_{\mathrm{e}}$ よりも, $n_{\mathrm{p}}+n_{\mathrm{e}}$ に近い值をとる傾向がある.正確には, $ R_{H}=\frac{1}{|\mathrm{e}|}\left(\frac{\mu_{p}^{2} n_{p}-\mu_{n}^{2} n_{e}}{\left(\mu_{p} n_{p}+\mu_{e} n_{e}\right)^{2}}\right) $ と表される. $\mu_{p}, \mu_{n}$ はホールと電子の移動度である. よって,ホールと電子が共存する系において,実験と対応する $\epsilon_{\mathrm{F}}$ を探すには, $n_{\mathrm{H}}$ の実験値と $n$ が一致する $\epsilon_{\mathrm{F}}$ を探すのではなく, $R_{\mathrm{H}}$ の実験值が計算値と一致する $\epsilon_{\mathrm{F}}$ を探した方が正確である。 6. 8. $\kappa_{0} / \tau_{\text {el }}\left[\mathrm{Wm}^{-1} \mathrm{~K}^{-1} \mathrm{~s}^{-1}\right]$ $\kappa_{\mathrm{el}} / \tau_{\mathrm{el}}$ の計算値であり,未知変数 $\tau_{\mathrm{el}}$ を含む. 現在の BoltzTraP から計算される值は, $\kappa_{\mathrm{el}}$ の第 1 項のみであるため,第 2 項も含めて計算させるようにするには, BoltzTraPのソースファイルから fermiintgrals.f を開き, thermal $(1: 3,1: 3)=\operatorname{kappa}(1: 3,1: 3)$ と書かれている行の後に,次のループを挿入してコンパイルすればよい. $ \mathrm{DO} \mathrm{i}=1,3 $ DO $\mathrm{j}=1,3$ DO ialp $=1,3$ thermal $(\mathrm{i}, \mathrm{j})=\operatorname{thermal}(\mathrm{i}, \mathrm{j})+\operatorname{seebeck}($ ialp, $\mathrm{i}) *$ nu(ialp, $\mathrm{j}) *$ temp ENDDO ENDDO ENDDO 図 6 (b) のように, $n>10^{21} \mathrm{~cm}^{-3}$ の金属的領域では,第 2 項を入れない場合も入れた場合も, $\kappa_{\mathrm{el}} / \tau_{\mathrm{el}}$ の計算値は一致する。しかし半導体領域では,2つの計算值は大きく異なる. これより,「 $\kappa_{\mathrm{el}}$ の第 2 項は無視できる」という近似は半導体には適用できないことがわかる.熱励起の影響が出てくる高温・低 $n$ 領域においては再び両者は一致する。 7. BoltzTraP の出力データから計算できるパラメータ 7. 1. 有効 Lorenz 数 $L_{\text {eff }}$ Wiedemann-Franz 則は, $ \kappa_{\mathrm{el}}=L \sigma T $ で表される関係式で,固体物性理論の根幹をなす方程式のひとつである。この $L$ としては,自由電子モデルの理論値 $ L_{0}=\frac{\pi^{2} k_{\mathrm{B}}^{2}}{3 e^{2}} \sim 2.45 \times 10^{-8} \mathrm{~V}^{2} \mathrm{~K}^{-2} $ が用いられることが多い。半導体でも,值こそ若干異なるものの ( $L_{0}$ の $80 \%$ 程度 $), L$ はほぼ一定となることが知られている.また, $\epsilon_{\mathrm{g}}$ を超える熱励起があると,熱励起されたキャリアが $\epsilon_{g}$ に相当する追加エネルギーを高温端から低温端に運ぶことになり, $\kappa_{\mathrm{el}}$ が増大することが知られている。 そこで,BoltzTraP の計算結果を用い,以下のように計算した有効 Lorenz 数 $L_{\text {eff }}$ を図 6 (c) に示す. $ L_{\mathrm{eff}}=\frac{\kappa_{\mathrm{el}} / \tau_{e l}}{\left(\sigma / \tau_{e l}\right) T} $ すると, $\boldsymbol{\kappa}_{\mathrm{el}}$ の第 2 項を入れた場合も入れない場合も, $n>10^{21} \mathrm{~cm}^{-3}$ の金属的極限ならば, $L_{\text {eff }}$ は $L_{0}$ と一致したしかしそれ以下の $n$ では,第 2 項を入れない場合には, $L_{\text {eff }}$ は大きな温度依存性をもって上昇した. だが第 2 項を入れた場合は, $L_{\text {eff }}$ は $L_{0}$ を若干下回りつつもほぼ一定值を示し, 熱励起が起こる領域になって急激に増大した。 よって,だが第 2 項を含めて計算した $\kappa_{\mathrm{el}}$ は,最もよく半導体の物性を再現していると解釈できる。 $L_{\text {eff }}$ として $L_{0}$ を使う近似も,熱励起による効果が無視できるならば,悪くはない 7. 2 . $Z_{\mathrm{e}} T$ $Z T$ との比較が可能な物理量として, $ Z_{\mathrm{e}} T \equiv \frac{S^{2} \sigma T}{\kappa_{\mathrm{el}}}=\frac{S^{2}\left(\sigma / \tau_{e l}\right) T}{\left(\kappa_{\mathrm{el}} / \tau_{e l}\right)}=\frac{S^{2}}{L_{\mathrm{eff}}} $ が挙げられる.ここでは $Z_{\mathrm{e}} T^{10)}$ と記すが, $A$-factor ${ }^{11)}$ と 図 $6 p$ 型 $\mathrm{Si}$ について計算した,(a) $\sigma / \tau_{\mathrm{el}} , ( \mathrm{~b} ) \kappa_{\mathrm{el}} / \tau_{\mathrm{el}}$, (c) $L_{\text {eff }}=\kappa_{\mathrm{el}} / \sigma T$ (d) $Z_{\mathrm{e}} T$ のキャリアドープ量依存性. $\kappa_{0}$ は $\kappa_{\mathrm{el}}$ の第 1 項, $\kappa_{\mathrm{P}}$ は第 2 項 (Peltier 項) を示す. $L_{0}$ は自由電子モデルから計算される理論的な Lorenz 数である. 同一である. この計算過程で $\tau_{\mathrm{el}}$ が相殺できる. $Z T$ の式が $ Z T \equiv \frac{S^{2} \sigma T}{\kappa_{\mathrm{el}}+\kappa_{\mathrm{ph}}}=\frac{S^{2}\left(\sigma / \tau_{e l}\right) T}{\left(\kappa_{\mathrm{el}} / \tau_{e l}\right)+\left(\kappa_{\mathrm{ph}} / \tau_{e l}\right)} $ と書けることから考えると,これは, $\kappa_{\mathrm{ph}} \ll \kappa_{\mathrm{el}}$ とみなした極限,もしくは $\left(\kappa_{\mathrm{ph}} / \tau_{\mathrm{el}}\right) \rightarrow 0$ とみなした極限における $Z T$ であることがわかる.この近似は,半導体においてはかなり無理がある.低 $n$ 側では, $\kappa_{\mathrm{ph}}$ が無視できるという状況にはなりえず,高 $n$ の金属的極限においてのみ無視できる. $Z_{\mathrm{e}} T$ は「理論的上限値」という性質上, 実際に達成することは不可能な $Z T$ 值である. よって,この值がいくら大きくても,特に意味はないことを初めに理解する必要がある.たとえこの值が「100」など異常に高い值を示していても,そこに過剩な希望を抱いてはいけないのである. $Z_{\mathrm{e}} T$ はむしろ,その値が低かった場合に役に立つ情報である。電子構造と熱電特性計算が妥当であるにもかかわらず, $Z_{\mathrm{e}} T$ が低い(例:1を超えない)場合には,その物質ではそれ以上の $Z T$ の達成が困難だということを意味している. 計算の妥当性の判断は難しいので一概には言えないが,熱電材料候補物質として,このようなフィルタリングに耐えた物質のみを扱うことは,より効率的な新規熱電材料探索につながると期待できる. 図 6 (d)に $p$ 型 $\mathrm{Si}$ について計算した $Z_{\mathrm{e}} T-n$ 曲線を示す. $\kappa_{\mathrm{el}}$ の第 1 項のみを用いて計算した場合には, $Z_{\mathrm{e}} T$ が 1 を超えないという奇妙な挙動が見られる. 他の多くの半導体に関しても同様となる. $Z_{\mathrm{e}} T$ は $Z T$ の上限値であるから,もしこれが正しければ, $Z T>1$ が得られるのはよほど特殊な電子構造をもつ物質しかないことになってしまう. けれども, $\kappa_{\mathrm{el}}$ の第 2 項(Peltier 項 $\kappa_{\mathrm{P}}$ )も含めて計算すれば, $Z_{\mathrm{e}} T$ は軽々と 1 を超える. これより, 少なくとも $Z_{\mathrm{e}} T$ の観点からは,普通の半導体でも $Z T>1$ を得ることは否定されない. $Z_{\mathrm{e}} T=S^{2} / L_{0}$ と打いて計算しても, $\kappa_{\mathrm{el}}$ の第 2 項を考慮した場合と近い值が得られる。ただし,熱励起が顕著な領域においては $Z_{\mathrm{e}} T$ の値に大きな差が出る. $n \rightarrow 0$ では, $\epsilon_{\mathrm{F}}$ がバンドギャップ中央付近の深い位置にあり,励起されたごく少数のキャリアがバンド端の狭いエネルギー範囲に集中し,ほぼ等しい $\epsilon$ を持っている.このような状況では,(19)~(22) 式の $\left(\epsilon-\epsilon_{\mathrm{F}}\right)$ は $\epsilon_{\mathrm{g}} / 2$ 程度の定数とみなすことができ,積分の外にくく りだせる. すると, $ \begin{aligned} & \kappa_{0}=-\kappa_{\mathrm{P}}=S^{2} \sigma T \\ & =k_{\mathrm{B}}{ }^{2} T\left(\frac{\epsilon_{g}}{2}\right)^{2} \int \sigma(\epsilon)\left(-\frac{\partial f_{\varepsilon \mathrm{F}}(\epsilon, T)}{\partial \epsilon}\right) d \varepsilon \end{aligned} $ と, $\kappa_{0},-\kappa_{\mathrm{P}}, S^{2} \sigma T$ が全て等しくなる. $Z_{\mathrm{e}} T=S^{2} \sigma$ $T /\left(\kappa_{0}+\kappa_{\mathrm{P}}\right)$ であることから, $\kappa_{\mathrm{P}}$ を無視した場合は $Z_{\mathrm{e}} T \rightarrow 1$ となり, 無視しなかった場合は分母が 0 となって, $Z_{\mathrm{e}} T \rightarrow \infty$ となることがわかる. 8. 熱電特性の $\left(\kappa_{\mathrm{ph}} / \tau_{\mathrm{el}}\right)$, 電子構造依存性 8. 1. $\left(\kappa_{\mathrm{ph}} / \tau_{\mathrm{el}}\right)$ の影響 $\left(\kappa_{\mathrm{ph}} / \tau_{\mathrm{el}}\right)$ の値を導入し, $Z T$ を計算した図を図 7 に示す. $\left(\kappa_{\mathrm{ph}} / \tau_{\mathrm{el}}\right)$ が大きいほど, $Z T$ は $Z_{\mathrm{e}} T$ の值から大幅に低下していく,低下幅は低 $n$ 側, 低温側ほど顕著である。例えば $\kappa_{\mathrm{ph}}=1 \mathrm{~W} \mathrm{~m}^{-1} \mathrm{~K}^{-1}, \tau_{\mathrm{el}}=10^{-14} \mathrm{~s}$ ならば $\left(\kappa_{\mathrm{ph}} / \tau_{\mathrm{el}}\right)$ は $1 \times 10^{14} \mathrm{~W} \mathrm{~m}^{-1} \mathrm{~K}^{-1} \mathrm{~s}^{-1}$ と計算される. 実際の $\mathrm{Si}$ では $\kappa_{\mathrm{ph}}$ が大きいので, $\left(\kappa_{\mathrm{ph}} / \tau_{\mathrm{el}}\right)$ はさらに大きな值となると予想される. よって, 高い $Z T$ の達成には, できるだけ $\left(\kappa_{\mathrm{ph}} / \tau_{\mathrm{el}}\right)$ の小さい材料が良い. Slackによって提唱された, PGEC (Phonon-Glass Electron-Crystal) ${ }^{12)}$ 材料が理想的である. また $\left(\kappa_{\mathrm{ph}} / \tau_{\mathrm{el}}\right)$ の影響を受けにくい,高 $n$ 側で使うことも有効である. このためには,高 $n$ まで高い $Z_{\mathrm{e}} T$ を保つ物質を選択し, 高 $n$ までのキャリアドープを実現することが有効である. $\mathrm{Na}_{x} \mathrm{CoO}_{2}$ のような高 $S$, 高 $n$ 材 図 $7\left(\kappa_{\mathrm{ph}} / \tau_{\mathrm{el}}\right)$ として任意の値を代入して計算した, 300, $900 \mathrm{~K}$ に打ける $p$ 型 $\mathrm{Si}, n$ 型 $\mathrm{SrTiO}_{3}$ の $Z T$ のキャリアドープ量依存性. 数字は, $\left(\kappa_{\mathrm{ph}} / \tau_{\mathrm{el}}\right)$ $\left[\mathrm{Wm}^{-1} \mathrm{~K}^{-1} \mathrm{~s}^{-1}\right]$ の值を示す. 料はこのような物質であると考えられる。 ## 8. 2 . DOS の勾配と $\epsilon_{\mathrm{g}$ 依存性} 電子構造の違いが熱電特性に与える影響の解明は,本講座の目的そのものである。しかし,数値に確証の持てない状態において,各熱電材料の計算結果を数値として紹介することは,避けなければならない。 そこで本節では,実在熱電材料の電子構造から架空の電子構造をつくって説明する. これには $n$ 型の $\mathrm{ZnO}$ と $n$ 型の $\mathrm{FeSi}_{2}$ を利用する. 図 2 からわかるように,バンド端の DOS の勾配は $\mathrm{ZnO}$ の伝導帯では非常にゆるやかで, $\mathrm{FeSi}_{2}$ の伝導帯では急峻である. これらの $\epsilon_{\mathrm{g}}$ を任意の値に調整することで, $\epsilon_{\mathrm{g}}$ と電子構造が $S, \sigma / \tau_{\mathrm{el}}, L_{\mathrm{eff}}$, $Z_{\mathrm{e}} T$ の $n$ 依存性へ及ぼす影響を紹介する. る $n$ 型 $\mathrm{ZnO}$ の $S-n$ 曲線を示す。 $\epsilon_{\mathrm{g}}$ が十分に広ければ, $S$ は低 $n$ ほど大きくなる. しかし $\epsilon_{\mathrm{g}}$ が狭くなると,低 $n$側の $S$ が低下していき, $S-n$ 曲線にピークができる。ピー クの位置は $\epsilon_{\mathrm{g}}$ が狭くなるほど高 $n$ 側に移動していき, $\epsilon_{\mathrm{g}}=0$ になると,かなり低い $S$ しか得られなくなる. 同様の傾向は,図 9 (a) の $\mathrm{FeSi}_{2}$ についても言える。物質にもよるが, $\epsilon_{\mathrm{g}}<10 k_{\mathrm{B}} T(900 \mathrm{~K}$ で $0.75 \mathrm{eV}$ 程度)になると,熱励起の影響が $n \sim 10^{19} \mathrm{~cm}^{-3}$ 前後まで及ぶ. 熱励起は図 8 (b) - (d) に示すように $\sigma / \tau_{\text {el }}$ と $L_{\text {eff }}$ を増大させ, $Z_{\mathrm{e}} T$ を低下させる. この点から,キャリアの熱励起は,ZT の上昇には有害であることがわかる。これより, $\epsilon_{\mathrm{g}} \sim 0$ の擬ギャップ金属よりも,十分に広い $\epsilon_{\mathrm{g}}$ 図 $8 n$ 型 $\mathrm{ZnO}$ について, $\epsilon_{\mathrm{g}}[\mathrm{eV}]$ を変えて計算した, $900 \mathrm{~K}$ に打ける (a) $S$, (b) $\sigma / \tau_{\text {el }}$, (c) $L_{\text {eff }}, \quad$ (d) $Z_{\mathrm{e}} T$ のキャリアドープ量依存性. $\mathrm{ZnO}$ の $\epsilon_{\mathrm{g}}$ の実験値は $3.362 \mathrm{eVである}{ }^{13)}$. $\left(\sim 10 k_{\mathrm{B}} T\right)$ が開いた半導体が熱電材料として有利と考えられる。 熱電材料の $\epsilon_{\mathrm{g}}$ は $10 k_{\mathrm{B}} T$ が最適であるという仮説は過去に Mahanによって提唱され ${ }^{15)}$ , “ $10 k_{\mathrm{B}} T$-rule”として知られている.広すぎる $\epsilon_{\mathrm{g}}$ が良くない理由は, バンド端近傍に不純物バンドが形成する確率が低くなり,キャリアドープが難しくなるためとされる. しかし,もしバンド端に不純物バンドを形成できる元素が見つかるならば, $10 k_{\mathrm{B}} T$ 以上の $\epsilon_{\mathrm{g}}$ を持つ半導体でもいいはずだと考えられる。 図 8 と図 9 を比較すると,バンド端における DOS 勾配が急峻な $\mathrm{FeSi}_{2}$ の方が,全体的に高い $S$ と $Z_{\mathrm{e}} T$ を出していることがわかる. ただし, DOS 勾配と $\sigma(\epsilon)$ の勾配は図 3 で説明した通り, 単純な比例関係にあるのではない.また, $\sigma(\epsilon)$ の勾配に $S$ が直接比例するのは, $\sigma(\epsilon)$ が $\epsilon_{F}$ 数 $k_{\mathrm{B}} T$ の範囲で 1 次関数で表される場合のみである.高温の半導体などでは,この範囲がバンド端の $\boldsymbol{\sigma}(\epsilon)$ の立ち上がりや谷間をまたぐため, 1 次関数では表せない. ## 9. 実験値を用いた未知パラメータの算出 $\tau_{\mathrm{el}}$ の情報が得られると, 実験結果の解釈に大きく役立つ. たとえば,不純物ドープやナノ構造の導入が電子散乱に与える影響を, $n$ が変動する場合についても知ることができる. また $\tau_{\mathrm{el}}$ の温度依存性から,その材料における支配的な電子散乱機構もわかるようになる. さま 図 $9 n$ 型 $\mathrm{FeSi}_{2}$ について, $\epsilon_{\mathrm{g}}[\mathrm{eV}]$ を変えて計算した, $900 \mathrm{~K}$ における(a) $S ,$ (b) $\sigma / \tau_{\text {el }}$ ,(c) $L_{\text {eff }} ,(d)$ $Z_{\mathrm{e}} T$ のキャリアドープ量依存性. $\mathrm{FeSi}_{2}$ の $\epsilon_{\mathrm{g}}$ の実験值は $0.72 \mathrm{eV}^{14)}$ である. ざまな熱電材料について $\tau_{\text {el }}$ を計算・比較すれば,「長い $\tau_{\text {el }}$ が得られやすい物質」を見つけられる可能性もある.熱電特性の実験値 $\left(S_{\exp }(T), \sigma_{\exp }(T) , \kappa_{\exp }(T)\right)$ のデー タが存在し, 正確な熱電特性計算が行われていれば,未知パラメータ $\tau_{\mathrm{el}}(T)$ の算出は可能である。これまで Wiedemann-Franz 則から概算されていた $\kappa_{\mathrm{ph}}$ も,より正確に評価できると期待できる. ## 9. 1. 解析方法 具体的な解析手段としては,各 $T$ に関して,以下の手順を実行すればよい. (1) $\epsilon_{\mathrm{F}}$ の選択 Hall 測定のデータがある場合は, $R_{\mathrm{H}}(T)$ の計算值と実験值が一致する $\epsilon_{\mathrm{F}}$ を探す. なければ, $S(T)$ の計算値と実験值が一致する $\epsilon_{\mathrm{F}}$ を探す。もし計算が実際の試料の電子構造を正しく反映していれば, どちらで判定しても,同じ $\epsilon_{\mathrm{F}}$ に行き着くと考えられる。一致する $\epsilon_{\mathrm{F}}$ が複数見つかる場合は,単の中から,nの值が最も自然なものを選択する。 こうして選択された一行のデータを,計算から得られたデータセット $\left.\{\epsilon_{\mathrm{F}}, n, S_{\text {calc }},\left(\sigma / \tau_{\mathrm{el}}\right)_{\text {calc }},\left(\kappa_{\mathrm{e}} / \tau_{\mathrm{e}}\right)_{\text {calc }}\right.\}$ と解釈し,以降これを用いて計算を進める。 (2)以下の式に従い, $\tau_{\text {el }}$ を算出する. 図 10 Vining らによるボールミル十ホットプレス $\mathrm{Si}_{0.8} \mathrm{Ge}_{0.2}$ 多結晶体 ( $n, p$ 型: “BM+ $\mathrm{HP}$ ”) と, Dismukes らによる Zone-levelling 法で作製した $\mathrm{Si}_{0.8} \mathrm{Ge}_{0.2}$ 多結晶体 ( $n$ 型: “ZL”) について, $\mathrm{Si}$ の電子構造と $S_{\text {exp }}, \quad \sigma_{\text {exp }}, \kappa_{\exp }$ を用いて計算した (a) $\Delta \epsilon_{\mathrm{F}}$, (b) $n$, (c) $\tau_{\mathrm{el}}$, (d) $\tau_{\mathrm{el}}{ }^{-1}$, (e) $\kappa_{\mathrm{ph}}$, (f) $Z T$ の温度依存性. $\Delta \epsilon_{\mathrm{F}}$ はバンド端からの $\epsilon_{\mathrm{F}}$ のずれを示す. $ \tau_{\mathrm{el}}=\frac{\sigma_{\exp }}{\left(\sigma / \tau_{\mathrm{el}}\right)_{\text {calc }}} $ (3)以下の式に従い, $\kappa_{\mathrm{ph}}$ を算出する. $ \kappa_{\mathrm{ph}}=\kappa_{\mathrm{exp}}-\tau_{\mathrm{el}}\left(\kappa_{\mathrm{el}} / \tau_{\mathrm{el}}\right)_{\mathrm{calc}} $ ## 9.2. 解析例: $\mathrm{Si_{0.8} \mathrm{Ge}_{0.2}$ 多結晶体} このようにして計算した, 3 種類の $\mathrm{Si}_{0.8} \mathrm{Ge}_{0.2}$ 多結晶体の $\epsilon_{\mathrm{F}}, n , \tau_{\mathrm{el}}, \kappa_{\mathrm{ph}}, Z T$ の温度依存性を図 10 に示す. Vining らの試料は, 溶融法で作成後, ボールミルで粉砕してホットプレスで作製した $p / n$ 型の試料で,微細な粒子から構成される ${ }^{16}$. $n$ 型の試料のみ,粉砕後の酸化を防ぐ特別な処置を行ってあるなど, 若干の製法の違いがある. Dismukesらの $n$ 型の試料は, Zone levelling 法によって作成した試料で, 結晶成長方向に長い結晶からなっている ${ }^{17)}$ 、データは全て, 文献 16 の Fig. 4 から取得した. $\epsilon_{\mathrm{F}}$ は $S(T)$ との対応から調べた. 電子構造として,純粋な $\mathrm{Si}$ の電子構造を使った. よって, 以下の計算結果の解釈は参考程度であることを予め述べておく。 $\epsilon_{\mathrm{F}}$ の温度依存性を図 10 (a) に示す. $T$ の上昇に伴いバンド端へと近づく振る舞いが見られる. $n$ の温度依存性を図 10 (b) に示す. $n$ 型の試料の $n$ はゆっくりと上昇し, $p$ 型の試料はいったん低下した後再び上昇に転じているが, $300 \mathrm{~K}$ の Hall 測定から得た $n$ とは多少のずれがある. $\tau_{\text {el }}$ の温度依存性を図 10 (c) (d) に示す. いずれの試料でも $\tau_{\mathrm{el}}$ は $10^{15} \mathrm{~s}$ 台となったが, $\mathrm{ZL}$ 試料は粒界が少ないためか, 長い $\tau_{\mathrm{el}}$ が得られた. $n$ 型の 2 試料では, $\tau_{\mathrm{el}}^{-1}$ が原点を通る直線でフィッティングできたことから,音響フォノンによる電子散乱が支配的であると示唆される。 $p$ 型の試料ではこのようにはならず,計算誤差または別の散乱機構の存在が示唆される. $\kappa_{\mathrm{ph}}$ の温度依存性を図 10 (e) に示す. Vining の試料の $\kappa_{\mathrm{ph}}$ がともに低いのは,結晶粒の微細化の効果であると考えられる. 高温でキャリアの熱励起が顕著になった状態でも, $\kappa_{\mathrm{ph}}$ の増加が低く抑えられているのは, Wiedemann-Franz 則に頼らずに $\kappa_{\mathrm{el}}=\kappa_{0}+\kappa_{\mathrm{P}}$ として計算した効果である. 得られた $\left(\kappa_{\mathrm{ph}} / \tau_{\mathrm{el}}\right)$ を用いて計算した $Z T$ の温度依存性を図 10 (f) に示す. $Z_{\mathrm{e}} T$ は, 実験值の 5 倍程度の值となつている. $Z T$ の計算値は,実験值に比べて若干過大評価されている.もし $S$ の計算值が実験値を上回っていた場合, $Z_{\mathrm{e}} T$ は過大評価され, $Z T$ の過大評価につながる. だが同時に, $n$ の過大評価によって $\tau_{\text {el }}$ が過小評価され, $Z T$ の過小評価につながる. よって, この $Z T$ の過大評 価の原因については一概には言えないものの,正確な電子構造計算が行われていれば,このような誤差は出ないものと考えられる。 10.まとめ 全 3 回の講座の最終回となる本稿では, Boltzmann 輸送方程式を利用して,電子構造か $\zeta S, \sigma / \tau_{\mathrm{el}}, \kappa_{\mathrm{el}} / \tau_{\mathrm{el}}$, $L_{\text {eff }}$ と, $Z T$ の理論的な最大値となる $Z_{\mathrm{e}} T$ を計算する方法について解説した。実在する物質の電子構造をべースに, $\log n$ に対する各熱電特性の変化を紹介した. $\kappa_{\mathrm{e}} / \tau_{\mathrm{el}}$ の計算における第 2 項は, $Z_{\mathrm{e}} T$ の計算に不可欠であることがわかった。また,バンド端のDOS の勾配が大きいほど高 $n$ まで $Z_{\mathrm{e}} T$ が大きくなること, 狭い $\epsilon_{\mathrm{g}}<10 k_{\mathrm{B}} T$ や大きな $\left(\kappa_{\mathrm{ph}} / \tau_{\mathrm{el}}\right)$ が, $Z_{\mathrm{e}} T(Z T)$ を低 $n$ 側から低下させていくことを示した。さらに,実験值 $(S, \sigma, \kappa)$ を合わせた解析から, $\epsilon_{\mathrm{F}}, n, \tau_{\mathrm{el}}, \kappa_{\mathrm{ph}}, Z T$ が概算できることを示した。 ただしこれらの計算結果には,多数の不確定性が含まれている. 不純物元素など結晶構造の定義における不確定性, $\epsilon_{\mathrm{g}}$ の値など電子構造計算における不確定性,異方性やマルチバンド効果など熱電特性計算における不確定性, $\tau_{\mathrm{el}}$ などの未知定数の存在が挙げられる. このデータ選択の任意性を利用して,「実験とよく合致する」計算結果を得ることは容易である。その一方,第一原理計算によって正確に熱電特性を予測することは非常に難しい,それでも,第一原理計算によって我々の情報量は明らかに増える。よって, 計算を正しく使えば, より合理的で有望な新規熱電材料設計や,既存材料の特性改善指針を得ることにつながると期待できる。 ## 11. あとがき 熱電研究の複雑性に立ち向かうべく,第一原理計算というツールを身に着けて挑んだものの,結局最後は歯が立たず,余計に複雑にしてしまったような気がするのは熱電研究の宿命であらうか. しかし,そんな複雑性には慣れているのが,熱電研究に携わる皆様だと思う。第一原理計算にどれだけの情報とどれだけの不確定性があるのか,きっとご理解いただけると信じている. 計算をした人が決して取ってはならないのは,「実験なんてしなくても,計算すればすべてわかるのです」という態度である.確かにそれは計算を頑張るモチべー ションであり,計算の目的を簡潔に人に伝える手段でもある。しかし,それは現実的に未達成である。 実は計算を行った人は多くの場合,計算が完璧ではな いことを理解している。しかし,成果を強調しなければならない論文という場ではそれが伝わりにくい.誤差の範井が単純なエラーバーで示せればいいのだが,そうもいかない. 実験家の側も,誤差要因の指摘によって,計算全体を否定することは避けなければならない。第一原理計算に完璧を求め,完璧でないことを理由にすべてを否定しては,得られるべき情報も得られなくなるからである。 計算と実験は,互いに競争するのではなく,得意分野を生かして協力するのがべストだと考えられる. 計算は,物事の構成要素を减らして,本質を明らかにすることに向いている. このため,傾向を調べるのは得意だが,実際の数值の予測には向いていない. 逆に実験は,多数の相互作用が絡み合って得られる結果や,考慮されていなかった要素のあぶり出しに向いている. 理論家の使うシンプルなモデルと, 実在物質の結晶構造,そして現実の熱電特性をつなぐためのリンクとなるように,本講座を執筆させていただいた。ここで紹介した解析方法を,ぜひ応用・改良していただき,皆様の熱電材料の理解に役立てていただければ幸いである. ## 12. 謝辞 本記事の内容について有意義なご意見をくださりました,豊田工業大学の竹内恒博先生に深く感謝申し上げます. 13. 参考文献 1) Blaha P. et al.: WIEN2k. An augmented plane wave plus local orbitals program for calculating crystal properties, Vienna University of Technology, Austria (2001). 2) Madsen G.K.H. et al.: Comp. Phys. Comm. 175, 67 (2006). 3) Perdew J.P. et al.: Phys. Rev. Lett. 77, 3865-3868 4) Aryasetiawan F. et al.: Rep. Prog. Phys. 61, 237 (1998). BIC 5) Heyd J. et al.: J. Chem. Phys. 118, 8207 (2003). 6) Tran F. et al.: Phys. Rev. Lett. 102, 226401 (2009). 7) Ashcroft N.W. et al.: Introduction to Solid State Physics, Saunders, Philadelphia (1976). 8) Mahan G.D. et al.: Proc. Natl. Acad. Sci. 93, 7436 (1996). 9) 竹内恒博,日本熱電学会誌 $8,1,17$ (2011). 10) Stiewe C. et al.: J. Appl. Phys. 97, 4, 044317 (2005). 11) Takeuchi T., Mater. Trans. 50, 2359 (2009). 12) Slack G. A., CRC Handbook of Thermoelectrics, 407 (1995). 13) Reynolds D.C. et al.: Solid State Comm. 99873 (1996). 14) Olk C.H. et al.: Phys. Rev. B 52, 1692 (1995). 15) Mahan J. E. et al.: Phys. Rev. B 54, 16965 (1996). 16) Vining C.B. et al.: J. Appl. Phys. 69, 4333 (1991). 17) Dismukes J. P. et al.: J. Appl. Phys. 10, 2899 (1976).著者連絡先 東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻 押山研究室特任研究員 桂ゆかり:[email protected]
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# Scドープ $\beta$-菱面体晶ボロンにおける熱電特性の組成依存性 中島 諒 $1^{*}$ ,高際 良樹 ${ }^{2}$, 金沢 育三 ${ }^{1}$, 木村 薫 ${ }^{3}$ ${ }^{1}$ 東京学芸大学 大学院教育学研究科, $\bar{\top}$ 184-0015, 東京都小金井市貫井北町 4-1-1 ${ }^{2}$ 国立研究開発法人 物質・材料研究機構, $\bar{\top} 305-0047$, 茨城県つくば市千現 1-2-1 }^{3}$ 東京大学 大学院新領域創成科学研究科, $₹ 277-8561$, 千葉県柏市柏の葉 5-1-5 The Journal of the Thermoelectrics Society of Japan Vol. 14, No. 3 (2018), pp. 132-135 (C) 2018 The Thermoelectrics Society of Japan ## Composition Dependence of Thermoelectric Properties of Sc-doped $\beta$-Rhombohedral Boron Makoto Nakajima $^{1^{*}}$, Yoshiki Takagiwa ${ }^{2}$, Ikuzo Kanazawa ${ }^{1}$ and Kaoru Kimura ${ }^{3}$ ${ }^{1}$ Department of Education, Tokyo Gakugei University, 4-1-1 Nukuikitamachi, Koganei, Tokyo 184-0015, Japan ${ }^{2}$ National Institute for Materials Science, 1-2-1 Sengen, Tsukuba, Ibaraki 305-0047, Japan ${ }^{3}$ Department of Advanced Materials Science, The University of Tokyo, 5-1-5 Kashiwaoha, Kashiwa, Chiba 277-8561, Japan Thermoelectric properties of Sc-doped $\beta$-rhombohedral boron were examined in the temperature range of 373 K to 973 K. The electrical conductivity increased drastically by Sc doping. Positive Seebeck coefficient decreased because of an increase in the carrier concentration. In addition, the power factor enhanced from $0.013 \mu \mathrm{Wm}^{-1} \mathrm{~K}^{-2}$ to $10 \mu \mathrm{Wm}^{-1} \mathrm{~K}^{-2}$ at $673 \mathrm{~K}$. The thermal conductivity reached the theoretical minimum lattice thermal conductivity of $2.3 \mathrm{Wm}^{-1} \mathrm{~K}^{-1}$ at $473 \mathrm{~K}$ by $\mathrm{Sc}$ doping. The maximum $\mathrm{ZT}$ value enhanced from 0.006 to 0.020 at $973 \mathrm{~K} \mathrm{for}^{-10.0} \mathrm{~B}_{105}$ as a p-type thermoelectric material. (Received November 28, 2017; Accepted January 31, 2018; Published April 20, 2018) Keywords: boron; borides; thermoelectric properties; chemical doping ## 1.はじめに 経済産業省資源エネルギー庁が公表している「エネルギー 白書 2017」では,世界の電力消費量は一貫して増加していることが報告されている ${ }^{1)}$. しかし, 火力発電や原子力発電など現行の発電方法では,エネルギー全体の約 6 割が廃熱として捨てられている. その熱エネルギーを再利用する方法の 1 つとして, ゼーベック効果を用いる熱電発電が期待されている.熱電発電とは,熱電変換素子の両端に温度差を生じさせることによって,熱エネルギーを電気エネルギーに変換する技術である。 熱電変換材料の性能を評価するには,次式で表される無次元熱電性能指数 ZT が用いられる²). $Z T=S^{2} \sigma T / \kappa$ $S$ はゼーベック係数, $\sigma$ は電気伝導率, $\kappa$ は全熱伝導率, $T$ は絶対温度を意味する。性能指数を大きくするためには, $S$ 夕は全てキャリア濃度の関数であり,それぞれを独立に制御することは困難である。また実用化目標の一つとして,モ  ジュールの変換効率 $10 \%$ におよそ相当する ZT=1.0を越える $\mathrm{p}$ 型及び $\mathrm{n}$ 型の材料創製が求められる. 著者らの研究グループでは半導体元素であるボロンに着目した研究を遂行してきた ${ }^{3-5}$. $\beta$-菱面体晶ボロン $\left(\beta-\mathrm{B}, \mathrm{B}_{105}\right)$ は,結晶の並進対称性と相容れない 5 回回転対称性を持つ 20 面体クラスターを基本構造としている。そのため複雑かつ巨大単位胞結晶であることに起因して,軽元素でありながら,熱伝導率は高温で一桁程度と低い. 加えて正 20 面体クラスター 間は強固な共有結合によって結合しており,ボロンの単体は非常に硬く,融点も非常に高い $\left(2075{ }^{\circ} \mathrm{C}\right)$. したがって, ボロン系固体は一般の熱電材料と比較して高温域での使用が可能である点に期待されている ${ }^{6}$.また, $\beta$-B の結晶構造は, Fig. 1 に示すように, $A_{1}, D, E, F, H$ サイトといった侵入型のドープサイトを多数有し, ドーパントにより占有サイトに選択性があることが明らかになっている. このことから,様々なドーパントによる熱電物性への影響と性能向上がなされてきた。本研究で着目しているScは主にEサイトを占有することが明らかとなっている, 7,8 . さら Kにおいて Pure-Bよりも大きな值をとることが報告されている9).しかし電気伝導率などの熱電性能の評価はされていない. $\beta$-B の電気伝導率は $700 \mathrm{~K}$ でおよそ $10^{-1} \Omega^{-1} \mathrm{~cm}^{-1}$ の オーダーであり ${ }^{4)}$ ,熱電材料として利用するためには電気伝導率の向上は必要不可欠である。近年では, $\mathrm{p}$ 型ドーパントとして $\mathrm{Sr}^{5)}, \mathrm{W}^{5)}, \mathrm{Zr}^{3,5,7,10)}, \mathrm{Si}^{6)}, \mathrm{Cr}^{3)}, \mathrm{Fe}^{3,5,12)}, \mathrm{Co}^{5)}$, $\mathrm{Cu}^{7,11}$ などが実験的に調べられてきた。特に $\mathrm{Cu}$ ドープにより $\beta$-B の熱電性能指数 ZTが向上するという報告がなされているが, 焼結密度が 70~75\% 程度と低く, 試料作製プロセスの最適化による電気伝導率向上の余地は残されている ${ }^{10)}$. 以上のことから, $\beta-\mathrm{B}$ はドーピングによるキャリア濃度調節並びに物性制御が可能であること, 複雑な結晶構造に起因する低い熱伝導率を示す特徵から, 熱電変換材料としての応用が有望であると考えられる。 本研究では, $\beta$-B にドープ可能であり,熱電物性向上の余地がある Scをドーパントとして選択し, キャリア濃度の調整による熱電性能の向上を目指した. 特に, 試料作製プロセスの改善により, かさ密度を向上させ ${ }^{13)}$, 外因的な要因を排除した熱電物性評価を行うことを目的とした。 ## 2. 実験方法 まず,原材料として粉末のボロンを作製する.原料の塊状のままアーク溶解を行うと, 試料が飛散してしまい作製が困難になるからである. 原料であるボロン(純度 $99.9 \%$, 小塊, フルウチ化学)を超硬合金スタンプミルによって粗粉砕し,ステンレス製のボールと容器を用いて微粉末化を行った. 粉砕時に混入したステンレスは塩酸エッチングにより除去して高純度ボロン粉末を得た。 粉末化したボロンと Sc(純度 99.9\%,チップ,レアメタリック)をそれぞれの仕达み組成で総量 $0.7 \mathrm{~g}$ になるように電子天秤で秤量し,冷間プレス機を用いてペレットを作製した。 その後,アーク溶解炉(日新技研, NEV-ACD-05)内を 3.5 $\times 10^{-5}$ Torr 以下まで真空引きし, Ar 雾囲気下で 30 分間, アー ク溶解を実施した,得られた母合金は粉末ボロンを得た方法と同様に,超硬合金スタンプミルで $1 \mathrm{~mm}$ 程度に粉砕し,ステンレス容器中でボールミルを 45 分間実施した. 混入したステンレスは塩酸エッチングで除去した. 得られた粉末を内側の壁に BN を塗布したカーボンダイスの中に充填し, 放電プラズマ焼結法(SPS)により $1800 \mathrm{~K}$ で 10 分間, 従来プロセスよりも高圧の $115 \mathrm{MPa}$ で焼結した。 作製した試料粉末は X 線回折装置(リガク,SmartLab) で粉末 $\mathrm{X}$ 線回折による相同定を実施し, 単相性及び格子定数を評価した。 焼結体試料の熱伝導率 $\kappa$ は TC-7000(アドバンス理工)でレーザーフラッシュ法により $373 \mathrm{~K}$ から 973 K での温度範囲で測定した. ゼーベック係数 $S$ 及び電気伝導率 $\sigma$ はZEM-1(アドバンス理工)で直流四端子法により $373 \mathrm{~K}$ から $973 \mathrm{~K}$ での温度範囲で測定し,ZTを算出した。 ## 3. 試 料評価 Fig. 2 に示すように, Scドープ $\beta$-ボロン $\left(\mathrm{Sc}_{x} \mathrm{~B}_{105}\right)$ の粉末 $\mathrm{X}$ 線回折測定結果から, ドーパント $\mathrm{Sc}$ 由来のピークは確認できず, $x=2,3$ の試料において単相性が高いことが明らかになった (Fig. 2). Fig. 3 では, $\mathrm{Sc}_{x} \mathrm{~B}_{105}(x=1,2,3)$ の $a$ 軸と $c$ 軸の伸び率 $\Delta a / a$ Fig. 1. Crystal structure and doping sites of $\beta$-boron. Fig. 2. Power X-ray diffraction patterns for $\mathrm{Sc}_{x} \mathrm{~B}_{105}(x=0,2,3)$, together with calculated peak positions of $x=0$. Fig. 3. Rate of lattice parameter change for $\mathrm{Sc}_{\mathrm{x}} \mathrm{B}_{105}(\mathrm{x}=1 \sim 3)$. 及び $\Delta c / c$ を示す. 3 at.\%の Sc ドープにより, $a$ 軸では約 $0.4 \%$, $c$ 軸では約 $1.0 \%$ の伸長が確認された.Sc ドープ量の増加に伴って $a$ 軸, $c$ 軸が伸びており,Sc ドーピングの成功を示唆している. 次に,SPS 条件による,かさ密度向上の結果を述べる。従来の加圧条件は $45 \mathrm{MPa}$ で,かさ密度が $75 \%$ 以下であった。 しかし, さらに高圧の $115 \mathrm{MPa}$ を印加することにより,かさ密度は最大で $93 \%$ にまで向上した. かさ密度の増加によって、電気物性がどのように改善されたのかは次の項で述べる。 ## 4. 熱電物 性 Fig. 4 に $\mathrm{Sc}_{x} \mathrm{~B}_{105} \quad(x=0,2,3)$ の電気伝導率, Fig. 5 には Seebeck 係数の温度依存性を示す. かさ密度を向上させた試料 Fig. 4. The Electrical conductivity, $\sigma$, as functions of temperature for $\mathrm{Sc}_{x} \mathrm{~B}_{105}(x=0,2,3)$, together with previous research data ${ }^{3)}$. Fig. 5. Seebeck coefficient, $S$, as a function of temperature for $\mathrm{Sc}_{x} \mathrm{~B}_{105}(\mathrm{x}=0,2,3)$, together with previous research data ${ }^{3}$. Fig. 6. Power factor, $S^{2} \sigma$, as a function of temperature for $\mathrm{Sc}_{x} \mathrm{~B}_{105}(x$ $=0,2,3)$, together with previous research data ${ }^{3}$. においては, $373 \mathrm{~K}$ において電気伝導率が $1.2 \times 10^{-4} \Omega^{-1} \mathrm{~cm}^{-1}$ $(\mathrm{x}=0)$ から $1.7 \times 10^{-3} \Omega^{-1} \mathrm{~cm}^{-1}(x=0)$ に一桁増加した. したがって,かさ密度を向上させることは電気伝導率を向上させることに有効であると理解できる。一方で、Seebeck 係数には大きな変化を与えなかった。Scドープ量が増大するにつれて, $373 \mathrm{~K}$ での電気伝導率は $1.2 \times 10^{-4} \Omega^{-1} \mathrm{~cm}^{-1}$ $(\mathrm{x}=0)$ から $1.3 \times 10^{-1} \Omega^{-1} \mathrm{~cm}^{-1}(x=3)$ に 1000 倍程度増加した。その一方で, Seebeck 係数は Sc ドープ量の増大につれて, $373 \mathrm{~K} において ~ 871 \mu \mathrm{VK}^{-1}(x=0)$ から $249 \mu \mathrm{VK}^{-1}(x$ =3)に減少した。これらは $\mathrm{Sc}$ ドーピングすることでキャリア濃度が増加したことにより解釈することができ,状態密度の増加と対応している. Fig. 6 にはパワーファクタの温度依存性を示す. $673 \mathrm{~K} ま$ でのパワーファクタは $0.013 \mu \mathrm{Wm}^{-1} \mathrm{~K}^{-2}(x=0)$ から 10 $\mu \mathrm{Wm}^{-1} \mathrm{~K}^{-2}(x=3)$ まで, $\mathrm{Sc}$ ドープ量の増加に対して増加しているが,それより高温では $x=3$ の試料が $x=2$ の試料の值を下回った。これは $x=2$ の電気伝導率の増加勾配が $x=3$ を上回っていることに起因している. Fig. 7 には熱伝導率の温度依存性を示す. $\mathrm{Sc}_{x} \mathrm{~B}_{105}(x=0,2$, 3)の電気伝導率は小さいことから, Wiedemann-Franz 則から予想される熱伝導率の電子成分は小さく,そのほとんどが格子成分である, $x=0$ の試料では,かさ密度が大きくなったことに起因して熱伝導率の値は上昇した. また $x=3$ の試料では, $x=0$ の $14.0 \mathrm{Wm}^{-1} \mathrm{~K}^{-1}(373 \mathrm{~K})$ や $13.1 \mathrm{Wm}^{-1} \mathrm{~K}^{-1}(473$ K)を下回り, 全温域で約 $2 \mathrm{Wm}^{-1} \mathrm{~K}^{-1}$ という低い值であった. Fig. 7. Thermal conductivity, $\kappa_{\text {total }}$, as a function of temperature for $\mathrm{Sc}_{x} \mathrm{~B}_{105}(x=0,2,3)$, together with previous research data ${ }^{3}$. Fig. 8. Dimensionless figure of merit, $Z T$, as a function of temperature for $\mathrm{Sc}_{x} \mathrm{~B}_{105}(x=0,2,3)$, together with previous research data ${ }^{3}$. これは $\beta$-ボロンの最小格子熱伝導率に匹敵する值である ${ }^{4,5)}$. 以上から無次元熱電性能指数 ZT の温度依存性を算出したものを Fig. 8 に示す. Sc ドープにより ZT は向上し, $x=2$ の試料で 0.020 ( $973 \mathrm{~K})$ という値を示した. $\mathrm{Cu}$ ドープによる ZT $(973 \mathrm{~K} て ゙ 0.038)^{11)}$ には及゙ないものの, V ドープによる $Z T=0.008^{5}$ を大きく上回り, $\mathrm{B}_{4} \mathrm{C}$ の $Z T \sim 0.01$ を越える値である. ## 5. ま と め $\beta-\mathrm{B} における , S c$ ドープによるキャリア濃度調整及び試料作製プロセスの改善により,かさ密度を向上させ,外因的な要因を排除する焼結プロセスの改善を行い, 既存のボロン化合物である $\mathrm{B}_{4} \mathrm{C}$ を回る無次元熱電性能指数 $\mathrm{ZT}$ を得た。 Sc ドープによるキャリア濃度調整及び熱伝導率軽減により, $\mathrm{Sc}_{2.0} \mathrm{~B}_{105}$ で $\left.\mathrm{ZT}=0.020 ( 973 \mathrm{~K}\right)$ を示した. 1)経済産業相エネルギー庁,「エネルギー白書 2015」(2017) 2) Snyder G.J., Toberer E.S., Nature Mater. 7, 105 (2008). 3) Nakayama T., Shimizu J., Kimura K., J. Solid State Chem. 154, 13 (2000). 4) Kim H.K., Nakayama T., Shimizu J., Kimura K., Mater. Trans. 49, 593 (2008) 5) Kim H.K., Kimura K., Mater. Trans. 52, 41 (2011). 6) Mori T., JOM, 68, 2673-2679 (2016) 7) Slack G.A., Rosolowski J.H., Hejna C., Garbauskas M., Kasper J.S., Proc. 9th Int. Symp. on Boron, Borides, and Related Compounds, ed. by Werheit H., (1987) p. 132. 8) Slack G.A., Hejna C.I., Garbauskas M.F., Kasper J.S., J. Solid State Chem. 76, 52 (1988). 9) Albert B. ISBB 2011 17th International Symposium on Boron, Borides and Related Materials. 274 (2011). 10) Sologub O., Salamakha L., Stöger B., Michiue Y., Mori T., Acta Mater., 122, 378-385 (2017) 11) Takagiwa Y., Kuroda N., Imai E., Kanazawa I., Hyodo H., Soga K., Kimura K., Mater. Trans. 57, 1066 (2016). 12) Werheit H., Schmechel R., Kueffel V., Lundstroem T., J. Alloys Comp. 262-263 372-380(1997) 13) Mori T., Nishimura T., Yamamura K., Takayama E., J. Appl. Phys., 101, 093714 (2007)
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# 大気中での熱電モジュール評価装置の開発と検証 池内賢朗 $1^{*}$ ,石川 淳一',島田 賢次 ${ }^{1}$, 舟橋 良次 ${ }^{2}$ 1アドバンス理工株式会社, 〒 224-0053, 神奈川県横浜市都筑区池辺町 4388 港北住倉ビルディング 2 国立研究開発法人 産業技術総合研究所, 〒̄ 563-8577, 大阪府池田市緑丘 1-8-31 } The Journal of the Thermoelectrics Society of Japan Vol. 15, No. 2 (2018), pp. 85-88 (C) 2018 The Thermoelectrics Society of Japan ## Development and Verification of Evaluation Instrument of Thermoelectric Module in Air Satoaki Ikeuchi $\mathbf{1}^{* *}$, Junichi Ishikawa ${ }^{1}$, Kenji Shimada ${ }^{1}$ and Ryoji Funahashi ${ }^{2}$ ${ }^{1}$ ADVANCE RIKO Inc., 4388 Ikonobecho, Tsuzuki-ku, Yokohama, Kanagawa 224-0053, Japan ${ }^{2}$ National Institute of Advanced Industrial Science and Technology (AIST), 1-8-31 Midorigaoka, Ikeda, Osaka, 563-8577, Japan The module performance is evaluated by the open circuit voltage, the power generation, the heat flow from high temperature side to low temperature side, the power generation efficiency, and so on. ADVANCE RIKO developed the evaluation instrument of the thermoelectric module in vacuum or inert gas (PEM-2) and small thermoelectric module in vacuum (Mini-PEM). To get the information of the chance at long time of thermoelectric module, the time dependence of the module performance, we developed the evaluation instrument of the thermoelectric module in air (F-PEM). In this purpose, to verify the instrument performance of F-PEM, we measured the open circuit voltage, the power generation, the heat flow from high temperature side to low temperature side, and the power generation efficiency in peltier module by F-PEM and PEM-2. The open circuit voltage and the maximum power generation agreed well with F-PEM and PEM-2. The heat flow from high temperature side to low temperature side by F-PEM is about $10 \%$ larger than that by PEM-2. The power generation efficiency by F-PEM is below 5\% smaller than that by PEM-2. The measurement result by F-PEM is enough reliable. (Received: May 22, 2018; Accepted: July 9, 2018; Published online: December 21, 2018) Keywords: thermoelectric module; power generation; heat flow; power generating efficiency; flow calorimeter ## 1.はじめに 熱電発電は熱から電気へ動力なしで直接変換できるため,未利用熱を再利用するという点で期待されている。工場排熱や自動車排熱の場合, 数 $100 \mathrm{degC}$ の温度に達している熱源を大気中で利用することが必須である.より実用条件に近い形での評価が求められる. 実際には,複数の熱電材料から構成されている熱電モジュールが用いられている. Fig. 1.に,熱電モジュールを用いた熱電発電の模式図を示す. 熱電変換効率 $\eta$ は以下の式で表すことができる. $ \eta=\frac{P}{Q_{\mathrm{h}}}=\frac{P}{Q_{\mathrm{c}}+P} $ ここで, $P[\mathrm{~W}]$ は負荷で生じる発電量, $Q_{\mathrm{h}}[\mathrm{W}]$ は高温側の熱流量, $Q_{c}[\mathrm{~W}]$ は低温側の熱流量を示している。発電量と熱流量の測定を行うことができれば,変換効率の評価を行うことができる. 舟橋ら ${ }^{11}$ は,大気中で大きな温度差をつけて熱電モジュー  ルの発電量を評価できる装置を開発した。一方,弊社では,不活性ガス雾囲気中もしくは真空中で $20 \mathrm{~mm}$ 角 $\sim 40 \mathrm{~mm}$ 角の熱電モジュールの発電量と変換効率を評価できる装置 (PEM-2) の製品開発 ${ }^{2}$ と,真空中で $10 \mathrm{~mm}$ 角以下の熱電モジュールの発電量と変換効率を評価できる装置(Mini-PEM) の製品開発 ${ }^{3}$ を行った。 熱電モジュールをシステムに組み込む上で,実環境下に近い条件での測定が求められる。例えば,高温側の温度を長時間保持した状態で試験を行うことや,高温側の温度を高温と低温にサイクルさせて試験を行うことである。これらの試験 Fig. 1. Schematic image of thermoelectric generation で得られる発電量や熱流量から, 熱電モジュールの経時変化の情報を得ることができる。長時間の試験を簡便に行うために,大気中で熱電モジュールの発電量と熱流量を測定できる装置(F-PEM)を開発している。本研究では, 新開発の装置(F-PEM)の性能を検証するために,今までに製品化した装置(PEM-2)と比較実験を行った。本論文では, 装置および測定原理について説明するだけでなく. 市販のペルチエモジュールを PEM-2 の試料系と F-PEM の試料系で測定した結果を比較する。 ## 2. 装置 ## 2.1. 測 定 原 理 変換効率を評価するためには, 発電量と熱流量を同時に計測して, 式 (1) で計算して求める必要がある. 発電量を得るためには Fig. 1.の負荷の抵抗を変えて負荷に流れる電流を計測することで電気計測を行うことが理想である. F-PEM,PEM-2,Mini-PEM では,試料に加える負荷電流 $I[\mathrm{~A}]$ を変えて試料の電圧 $V(I)[\mathrm{V}]$ を測定することで発電量を計測している. 発電量 $P(I)[\mathrm{W}]$ の電流依存性は以下の式で示すことができる. $ P(I)=V(I) I=(V(0)-R I) I $ ここで, $V(0)[\mathrm{V}]$ は試料の開放電圧, $R[\Omega]$ は試料の抵抗を示している. 最大発電量 $P_{\max }$ [W] は, 以下の式で示される. $ P_{\max }=\frac{V(0)^{2}}{4 R} $ 一方,負荷電流 $I$ を加えている時の低温側の熱流量 $Q_{c}(I)$ [W] は以下の式で表される. $ Q_{\mathrm{c}}(I)=Q_{\mathrm{c}}(0)+\frac{T_{\mathrm{c}}}{T_{\mathrm{h}}-T_{\mathrm{c}}} V(0) I+\frac{1}{2} R I^{2} $ ここで, $Q_{c}(0)[\mathrm{W}]$ は電流 $0[\mathrm{~A}]$ の時の熱流量, $T_{\mathrm{h}}[\mathrm{K}]$ は試料の高温側の温度, $T_{\mathrm{c}}[\mathrm{K}]$ は試料の低温側の温度を示している. 式 (1),(2),(4)を用いると, 変換効率 $\eta(I)$ は以下の式で表される。 $ \eta(I)=\frac{V(0) I-R I^{2}}{Q_{c}(0)+\frac{T_{\mathrm{h}}}{T_{\mathrm{h}}-T_{\mathrm{c}}} V(0) I-\frac{1}{2} R I^{2}} $ 最大変換効率は $T_{\mathrm{h}}$ と $T_{\mathrm{c}}$ の間で試料の性能指数 $z\left[\mathrm{~K}^{-1}\right]$ が変わらないと仮定すると以下のように表される。 $ \eta_{\max }=\frac{T_{\mathrm{h}}-T_{\mathrm{c}}}{T_{\mathrm{h}}} \frac{\sqrt{1+\frac{1}{2}\left(T_{\mathrm{h}}+T_{\mathrm{c}}\right) z}-1}{\sqrt{1+\frac{1}{2}\left(T_{\mathrm{h}}+T_{\mathrm{c}}\right) z}+\frac{T_{\mathrm{c}}}{T_{\mathrm{h}}}} $ 式(6)は熱から電気に変換されるエネルギーはカルノー効率を上回ることができないことを示しており, 熱力学第 2 法則に矛盾していない. 実際の測定では, $T_{\mathrm{h}}$ と $T_{\mathrm{c}}$ が温度安定になっていることを確認した上で,負荷電流を変えて開放電圧・発電量・変換効率の測定を行っている.最大発電量と最大変換効率については,発電量の電流依存性および変換効率の電流依存性から多項式フィッテイングによって求めている. ## 2.2. 新装置の概要 大きな温度差をつけて熱電モジュールを測定する装置は,加熱ブロック・高温部熱流量計測ブロック・低温部熱流量計測ブロック・冷却ブロックから成り立っている. PEM-2 と F-PEM の模式図を Fig. 2 に示す. F-PEM の加熱ブロックについては,長時間加熱を行うことを想定して以下の対策を行った。試料との接触面以外は輻射板を入れることにより側面への熱放射のロスを減らすことにした。また,大気中で測定を行うため, $500 \mathrm{degC}$ 程度では酸素と反応しにくい材料を加熱ブロックに使用した。高温側に熱流量計測ブロックはない。これは,高温時には輻射の影響で熱流量の評価が難しいことと, 熱流量計測ブロックをつけることにより試料の高温側の温度が加熱ブロックの温度よりも過剰に低くなり加熱ブロックの温度を必要以上に高くする必要があるからである。 低温側は冷却するだけでなく温度安定させる必要がある。一定温度に制御された水を使うことで対応している.F-PEM と PEM-2 では, $\pm 0.05 \mathrm{degC}$ 未満に温度制御可能な循環器を用いて測定を行っている。今回の一連の実験では循環器の設定温度は $20 \mathrm{deg}$ で゙行った。低温側の熱流量計測ブロックは, F-PEMでは冷却ブロックと兼用している。この場合 a) b) Fig. 2. Schematic image of sample system of a) PEM-2 (Production type), b) F-PEM の利点は, 試料の低温側の温度がより冷却温度に近づくためである. PEM-2 では,熱流計測用ブロックの温度を複数点計測しフーリエの法則に基づいて熱流量を計算する温度傾斜法を用いている2). しかし, F-PEMでは, 冷却水が冷却ブロックに入る時の温度 $T_{\mathrm{in}}[\mathrm{K}]$ と出るときの温度 $T_{\text {out }}[\mathrm{K}]$ を計測し,水の体積比熱容量 $C\left[\mathrm{~J} \mathrm{~K}^{-1} \mathrm{~m}^{-3}\right]$ と流速 $v\left[\mathrm{~m}^{3} \mathrm{~s}^{-1}\right]$ を用いて熱流量 $Q_{\mathfrak{c}}(I)[\mathrm{W}]$ を評価するフローカロリメータを用いている. 熱流量の計算式を以下に示す. $ Q_{\mathrm{c}}(I)=C v\left(T_{\text {out }}-T_{\text {in }}\right) $ フローカロリーメータを用いた熱流量評価は $10 \mathrm{~mm}$ 角以下の試料サイズを測定可能な Mini-PEMでも行っている ${ }^{3,4)}$. F-PEM では, $40 \mathrm{~mm}$ 角以上の試料サイズをターゲットとしており,Mini-PEM と比べて 10 倍以上の熱流量を評価する必要がある. したがって,冷却水の流速 $v$ も 10 倍以上にする必要がある. F-PEM では, $30 \mathrm{ml} \mathrm{s}^{-1}$ で実験を行った. ## 2.3. 測 定 条 件 試料の高温側温度は加熱ブロックの試料近傍で測定した熱電対温度を用い,試料の低温側温度は低温側の熱接合シートの中央部にカプトンテープで止めた熱電対温度を使用した。 この低温側の温度の測定位置は製品化されている PEM-2 とは異なるが,F-PEM との比較実験を同一条件で行うためにこのようにした。 試料の高温側と加熱ブロックの間の接合シートと試料の低温側と低温側熱流計測ブロックとの間の接合シートは, $0.5 \mathrm{~mm}$ 厚の Manion50 $\alpha$ (積水ポリマテック製) を使用した。 ペルチエモジュールは, 72008-199-100(フェローテック製) を使用した。モジュールのセラミック基板のサイズが $40 \mathrm{~mm}$角であるので,PEM-2 では $40 \mathrm{~mm}$ 角用の熱流量計測ブロックを用いて測定を行った。試料高温側の設定温度は最大 125 Fig. 3. The dependence of the cold side temperature $T_{\mathrm{c}}$ on the hot side temperature $T_{\mathrm{h}}$ in thermoelectric module.実験を行い,PEM-2 では,真空中および窒素ガス雾囲気下。荷重 500N で実験を行った。 ## 3. 測定結果と考察 試料低温側温度 $T_{\mathrm{c}}$ の試料高温側温度 $T_{\mathrm{h}}$ 依存性を Fig. 3 に示す. F-PEM の試料低温側温度は PEM-2 と比べて明らかに低い。これは, F-PEM では冷却ブロックと熱流量計測ブロックが一体になっているため, 低温側の温度が低いことに対応している. 試料の開放電圧 $V(0)$ の試料の温度差 $\left(T_{\mathrm{h}}-T_{\mathrm{c}}\right)$ 依存性を Fig. $4 \mathrm{a}$ に示し, 試料の最大発電量 $P_{\max }$ の試料の温度差 $\left(T_{\mathrm{h}}-T_{\mathrm{c}}\right)$ 依存性を Fig. $4 \mathrm{~b}$ に示す. 開放電圧も最大発電量も F-PEM の方が PEM-2 よりも大きい.これらは, F-PEM では低温側では温度が低いため, 結果的に試料内の温度差が大きくなっていることと相関が取れている. Fig. 4a および Fig. $4 \mathrm{~b}$ のように, 試料内の温度差依存性を考慮すると, 開放電圧は同一直線上にあるように見え, 最大発電量も同一曲線状 a) b) Fig. 4. The dependence of a) open circuit voltage $V(0)$ and b) maximum power generation $P_{\max }$ in thermoelectric module on the temperature difference $\left(T_{\mathrm{h}}-T_{\mathrm{c}}\right)$ にあるように見える。 また,PEM-2において真空中の結果と減圧の窒素ガス雾囲気下で開放電圧と最大発電量は一致している。これは, 加熱ブロックと試料の高温部の接触及び熱流計計測ブロックと試料の低温部の接触が雾囲気に関わらずに一定であることを示している. F-PEMの大気中の結果も同様の結果を示しているので, $0.5 \mathrm{~mm}$ 厚の Manion50 $\alpha$ を接合シートとして用いる場合, $40 \mathrm{~mm}$ 角のセラミック基板が使われているモジュー ルに約 $500 \mathrm{~N}$ の荷重をかけて実験を行えば,電気的特性について再現している. 試料の電流 $0 \mathrm{~A}$ の時の熱流量 $Q_{\mathrm{c}}(0)$ の試料の温度差 $\left(T_{\mathrm{h}}-\right.$ $T_{\mathrm{c}}$ )依存性を Fig. 5a に示し, 試料の最大変換効率 $\eta_{\text {max }}$ の試料の温度差 $\left(T_{\mathrm{h}}-T_{\mathrm{c}}\right)$ 依存性を Fig. $5 \mathrm{~b}$ に示す. F-PEM の熱流量は PEM-2 の熱流量に比べて大きく, F-PEM の最大変換 a) b) Fig. 5. The dependence of a) heat flow of cold side $Q_{c}(0)$ and b) maximum power generation efficiency $\eta_{\max }$ in thermoelectric module on the temperature difference $\left(T_{h}-\right.$ $\left.T_{\mathrm{c}}\right)$効率は,PEM-2 の最大変換効率に比べて小さい.試料の温度差を F-PEM と PEM-2 で同じであると仮定すると,F-PEM の熱流量は $10 \%$ 程度大きく, 最大変換効率は $5 \%$ 程度小さい。熱流量に比べて最大変換効率の差が小さくなっているのは,温度差が大きくなるにつれて熱流量は直線的に大きくなっているが,最大発電量は急激に大きくなっていることに対応している PEM-2 では, Fig. 2aのように加熱ブロックの試料との接触面の大きさや熱流量計測ブロックの試料との接触面の大きさと試料の接触面が同じになるようにして測定を行うことを理想としている。したがって,加熱ブロックから輻射によって熱が伝わりにくい状況である。また,が,PEM-2の雾囲気依存に関する熱流量の違いはほとんど見られないことから, 加熱ブロックから気体伝熱によって試料に伝わる熱量も少ない. 一方, F-PEM では, Fig. 2bのように加熱ブロックの試料との接触面の大きさや熱流量計測ブロックの試料との接触面の大きさは試料の接触面よりも大きい。したがって輻射熱が熱流量計測ブロックに入ることが予想される.F-PEMの熱流量は過剩評価されている可能性がある. Wang らによって行われたペルチエモジュールのラウンドロビンテストでは,測定手法の異なる装置間で熱流量が $50 \%$ 以上異なっていることがICT2017 で報告されだ ${ }^{5)}$. 今回の F-PEM と PEM-2における熱流量の違いは十分に比較評価可能な範囲に入っていると考えられる. 今後, この違いについてシミュレーションなどを通して検討していく必要がある. ## 4. おわりに 大気中での熱電モジュール評価装置(F-PEM)を開発し,市販のペルチエモジュールを用いて, 既存の装置(PEM-2) で測定した結果と比較して装置の妥当性を検証した。開放電圧と最大発電量については,装置間で差異はほとんど見られなかったが,熱流量に関しては $10 \%$ 程度の差が見られ,最大変換効率は $5 \%$ 程度の差が見られた。この結果は, 過去に報告されているラウンドロビンテストの結果 ${ }^{5)}$ よりもさい. 今後,高温側の温度を高くした場合の性能確認を進めていくとともに, 再現性の高い結果が出るための測定条件を詰めていく必要がある。 それに伴い, 長時間のサイクル試験や保持試験に耐えうる装置構成・標準試料についても検討することが必須である. ## 参考文献 1) Funahashi R. et al.: J. Mater. Res. 30, 2544 (2015). 2) 石川淳一ら: 第 4 回日本熱電学会学術講演会予稿集, P-15 (2007). 3)池内賢朗ら: 第 8 回日本熱電学会学術講演会予稿集, PS-1 (2014). 4) Hu X. et al.: J. Electron. Mater. 44, 1785 (2015). 5) Wang. H. et al.,: ICT 2017 abstracts 399 (2017).
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# 水冷式冷蔵庫における熱電発電 ## 鈴木 亮輔1* ${ }^{1}$ 北海道大学大学院工学研究院, $\overline{\mathrm{T}}$ 060-8628 北海道札幌市北区北 13 条西 8 丁目 The Journal of the Thermoelectrics Society of Japan Vol. 16, No. 3 (2020), pp. 131-138 (C) 2020 The Thermoelectrics Society of Japan ## Thermoelectric power generation in water-cooled refrigerator Ryosuke O. Suzuki ${ }^{1^{*}}$ ${ }^{1}$ Faculty of Engineering, Hokkaido University, Kita-13, Nishi-8, Kita-Ku, Sapporo, Hokkaido 060-8628 Japan Considering heat recovery at the family-type water-cooled refrigerator, the temperature change between the exhaust heat and coolant can generate thermoelectric power using double cylinder module. Maximization of thermoelectric power was evaluated under several technical requirements by designing the optimum dimensions. Heat balance and thermal transfer via metallic electrodes and tubes between inner hot water and outer cold water were mathematically estimated under parallel flow. Heat transfer at the outer tube affects more critically than that at the inner on the electric power. The thinner thermoelectric module with the larger surface area can generate more power under some certain limitations on tube size (minimum length and practical thickness) and mass flow rate of thermal fluids (limited heat from the refrigerator). An example of optimal dimensions is proposed by taking higher flow rate of coolant, where a larger amount of hot water can be stored in the tube to supply to the kitchen and bathroom. (Received: August 7, 2019; Accepted: November 19, 2019; Published online: November 20, 2019) Keywords: thermoelectric power generation; water-cooled refrigerator; exhaust heat; hot water supply ## 1.はじめに 冷蔵庫は一年中稼働しているために家庭内の電力消費の 14-16\%を占め,わが国では一台当たり平均 $300 \mathrm{kWh} /$ 年を背面パネルから熱として捨てている1). 本研究ではこの廃熱を熱エネルギーとして水道水に回収して保熱性の良い温水タンクに貯留することを提案する。通例, 業務用大型冷蔵庫は水冷式であるが,温水の利用のためにはヒーターやガスバー ナーによる加熱を利用するのが一般的である. 本研究では現在はあまり普及していない家庭用水冷式冷蔵庫で温水を得ることを想定して, 冷蔵庫の廃熱と冷水の間で生じる温度差に対し熱電素子を用いた熱電発電を行う場合を想定した. 熱電素子は電気回路を逆転するだけで発電と冷却を切り替えることができるから,廃熱による発電以外にも利用出来る場所が多々あり, 例えば, 冷蔵庫内温度の最適温度へ微調整するための温熱源とすることもできるし, 逆にいわゆる電子冷却の機能を用いて冷熱源とすることも想定される。このような利用を想定したいわゆる「電子式冷蔵庫・温熱庫」の販売例は多く存在するが, 冷蔵庫の廃熱を温水として家庭内で利用しようとした例はない。これは冷蔵庫外部の空気との温度差がそもそも小さく,また空気への熱伝達が小さいため温  度差を保つことが難しいためであった。本研究では Fig. 1 に示すような冷蔵庫の廃熱を冷水で脱熱する水冷式家庭用冷蔵庫を提案する。高温水は冷め,冷水は脱熱により温水に変わるので,ともに蓄熱タンク(もしくは配管内)に保存して温水として利用を考える。 熱電発電で生じる直流電力は一般に小さいので,電力消費の小さい冷蔵庫内の LED 照明電力や, 各部分の測温センサー の駆動電力,温度情報などをインターネット発信するための直流小電力機器に利用しようと考える。冷蔵庫の遠隔操作のための各種情報交換機能いわわる IoT 送受信の電源等として利用することを提案したい。熱媒体の駆動に関わる動力源の電源に利用したいのは言うまでもない. Fig. 1 Concept of family-type refrigerator with thermoelectric power generator. 市販の標準的な省エネ型一般家庭用冷蔵庫を購入して調査したところ, 室温 $18^{\circ} \mathrm{C}$, 庫内温度 $8^{\circ} \mathrm{C}$ の時, フロンガス循環器周辺温度は最高 $70^{\circ} \mathrm{C}$, 裏面の熱交換機周辺における廃熱温度は平均 $50^{\circ} \mathrm{C}$ であった。代替フロンガスを用いた泠媒の循環量は不明であるが, 急速冷蔵時以外には, 最新型の冷蔵庫は省エネのために真空断熱材などの他に、冷媒の循環を抑制したインバータ運転を行っている。従って常に廃熱温度は であると仮定する。 このような泠蔵庫の廃熱を熱電発電と温水製造に利用すると仮定して水冷式冷蔵庫の検討を行った。冷蔵庫背面に蓄熱タンクを設置するとき,蓄熱タンク内の温水温度を高温に設定すると, 熱交換器を介して冷蔵側の負担が大きい。水冷式冷蔵庫の家庭内利用を考えるとき, 冷蔵庫が設置されている家庭内の場所と言えばキッチンであり,そこで最も多用される $42^{\circ} \mathrm{C}$ 程度の湯として蓄熱・供給するのが用途に合致する。 のが賢明であろう。水回りの設備の充実しているキッチンは水冷式冷蔵庫設置に好適である。またキッチンで温水の需要がある。またキッチンの隣室に浴室があって大量の温水を要求する日本式浴槽が設置される家庭が多い. このように Fig. 1 に示したように, 水冷式冷蔵庫で主となる冷媒の廃熱を取り去り, 温水として短時間蓄熱して温水を供給することは,最近の日本式住宅の要求に合致するものと考える。 蓄熱された湯の温度調節にあたり,温水の温度が不足する場合には, Fig. 1 に示したように瞬間湯沸かし器等で,ガスバーナーを主として加熱するが,適温で供給するための微妙な温度制御には,熱電発電電力を用いて電気抵抗加熱と熱電素子による加熱を行うことも可能である。一方,蓄熱過多の場合は廃熱の逃げ場を失い,冷蔵能力の低下を招くから,水冷された熱電素子を用いて発電し余分な熱を熱交換によって発散させる.このときの熱電発電出力は蓄電池に電力貯蔵して, 例えば冷蔵庫の照明や温度調節機用の小電力に供給する.このように代替フロンガス冷媒を用いた家庭用冷蔵庫の冷蔵・冷凍機能に対し, 小さな熱電素子を用いて, 局所的な冷却補完や「冷やしすぎない泠凍」に熱電変換を利用する. 本研究では, このような高機能性を有する水冷式冷蔵庫のアイデアの下に, 最も主力となる一連の熱交換サイクルは従来の代替フロンガス冷媒式とし, これに熱電変換素子を組み込んだ場合に得られる電力について検討する。冷蔵庫排熱の様な低品位熱源の利用にあたっては,かなりの大型の熱電変換モジュールが必要であると予想される2) 。実機の作製に先立ち, 解析解の検討で熱電変換の諸条件について本研究は大まかに最適化を行って,最大電力を試算した。 個々の熱電モジュール内の詳細な温度分布や最適な素子の形状などについては三次元数値計算が効果的である ${ }^{3-7)}$. 著者らも幾つかの熱電素子モデルに対し, 有限要素法と熱電方程式を組み迄んだ数値計算で熱電モジュールの出力計算を例示してきた ${ }^{8-17)}$ が,現状では計算機の容量と速度の問題で, $10 \mathrm{~mm}$ 程度の小さなモジュールに適用するのがせいぜいであり,数十メートル以上にも及ぶ大型のモジュールの計算には不適当である。本研究では,幾つかの妥当な近似を導入することで, 3 次元素子モジュールの連立微分方程式の数値解ではなく,かねて数学的に厳密に導出している解析解 ${ }^{15-18)}$ を参照して, ここでは実現可能な各種実験条件を定め,最大出力を計算により求めた. 水冷式冷蔵庫に熱電変換機能を付与する可否の判断に寄与したいと考える ## 2. 熱電発電出力の評価式 冷蔵庫の廃熱量(実測例では約 50~200W)と等しい熱を熱流体が運び出すと見なすと, $50^{\circ} \mathrm{C}$ の廃熱が高温熱源として熱電モジュールに対して熱を供給する。一方,熱電モジュー ルの低温側熱源を家庭用上水道から供給される $15^{\circ} \mathrm{C}$ の冷水と考える。この温度差を利用するために本研究では Fig. 2 のような二重円筒管の試作例を検討した。 従来研究例が蓄積されている立方体形状の pn 素子対を用いる平板上のモジュールではなく,流体の効率的流れを重視して二重円筒からなる熱交換モジュール ${ }^{12-14,16)}$ 想定した。冷蔵庫から発生する高温熱源は温度も熱量も流量も限定的であるので,貴重な高温液体として二重管の最内側に流す。一般に,小さな温度差を有効に利用するためには,熱交換表面積が大きいことが必要である ${ }^{15-18)}$ から,本検討条件では圧損を少なくし,Fig. 2 のような二重円管の中間に熱電素子を入れ込むモデル ${ }^{16)}$ が最適である。 Fig. 3 には 1 次元で図の奥行き方向に流れる並流に対し,二次元の円筒管のモデルを示した.Fig. 2 に示したような二つの流体の流れる方向が逆である向流の方が, 出力を最大化した場合に, Fig. 3 に示したような並流より大きな出力が得られることが報告されている ${ }^{16)}$ が, ここでは最大出力時 Fig. 2 Double cylinder type thermoelectric generator. Fluid 2 (b) Fig. 3 Cross-sectional view of thermoelectric module consisting of p-n pairs ${ }^{16}$. (a) Practical design, (b) analyzed model under parallel flows of thermal fluids. にシステムの全長が数十\%も短くて済む並流条件を採用し $た^{15-18)}$ 。また, Fig. 3 (a) のように内側の高温流体側, 外側の低温流体側に共にフィンを付けて熱伝達の向上を図り, $\mathrm{pn}$ 対に対して金属電極が直列に交互に接続されているべきであるが, 解析に当たっては Fig. 3(b)のように単純化し, 全素子が電気的に直列に接続されているとして立式した $^{12-18)}$.フィンの効果の補正は表面の熱伝達係数で考慮する。 Fig. 3 (b)のように, 滑らかな熱電素子の両表面に, 内面は熱の良導体である銅,外面は耐食性のあるステンレス鋼からなる電極を取り付けることを想定した.電極には電気と熱の良導体である金属を用い,その熱抵抗は考慮するが,電気抵抗は熱電素子に比べ小さいと見なして無視する近似を用いた. 解析解にあたっては電極部の電気抵抗の考慮は取り込みがたく ${ }^{15-18)}$, 数值解によって検討されるべき事項であった. しかしながら, 厳密に解いた数值解に依れば, 電極が適度に厚ければ電気抵抗は無視できる ${ }^{12-14)}$. 熱電素子の内側半径 $r_{2}$, 外側半径 $r_{3}, 1$ 周の素子分割数 $n_{\varphi}$奥行き方向に単位長さあたりの素子数 $n_{x}$, とするとき, $\mathrm{p}$ 型と $\mathrm{n}$ 型の熱電半導体素子の占める角度 $\varphi_{p}$ および $\varphi_{n}$ は, 素子一つの内部抵抗 $r_{p}$ および $r_{n}$ が発電量最大になるように定める.このような熱移動と電荷移動に関して, 二種類の素子の占める断面積の最適化は, 熱電発電モジュール設計において通常第一に行われる最適化である ${ }^{3-18)}$. 円筒形モジュールでは田中らが次のように報告している ${ }^{16)}$. 二種類の素子の占める角度が $ \varphi_{n}=\frac{2 \pi \sqrt{\lambda_{p} \cdot \rho_{n}}}{n_{\varphi} \cdot\left(\sqrt{\lambda_{n} \cdot \rho_{p}}+\sqrt{\lambda_{p} \cdot \rho_{n}}\right)} $ かつ $ \varphi_{p}=\frac{2 \pi \sqrt{\lambda_{n} \cdot \rho_{p}}}{n_{\varphi} \cdot\left(\sqrt{\lambda_{n} \cdot \rho_{p}}+\sqrt{\lambda_{p} \cdot \rho_{n}}\right)} $ のとき,熱電発電出力は最大となる。ここで $\lambda$ おび $\mathrm{Q}$ は, $\mathrm{p}$ と $\mathrm{n}$ 型の素子材料におけるそれぞれの熱伝導率および比抵抗である. さて, 内側半径 $r_{1}$, 外側半径 $r_{2}$ の銅電極と, 内側半径 $r_{3}$, 外側半径 $r_{4}$ のステンレス鋼製電極で囲まれた熱電素子群の総括伝熱係数 $K$ は, 熱抵抗が直列となる状況では次式で表される ${ }^{19)}$. $ K=\frac{2 \pi}{\left(\frac{1}{h_{h} r_{1}}+\frac{\ln \left(r_{2} / r_{1}\right)}{\lambda_{\mathrm{Cu}}}+\frac{\ln \left(r_{3} / r_{2}\right)}{\lambda_{\mathrm{TE}}}+\frac{\ln \left(r_{4} / r_{3}\right)}{\lambda_{\text {Stainless }}}+\frac{1}{h_{\mathrm{C}} r_{4}}\right)} $ ここで, $h_{c}, h_{h}$ はそれぞれ低温側, 高温側の表面における熱伝達係数であり,これらは速さvである流体の物性値である動粘性係数 $v$ ,液体の熱伝導率 $\lambda_{\mathrm{w}}$ を用い,無次元数レイノルズ数 $\operatorname{Re}(=v r / v)$ と, 動粘度と温度拡散率の比である無次元数プランドル数 $\operatorname{Pr}$ とから, 無次元数ヌッセルト数 $\mathrm{Nu}(=$ $\left.h r / \lambda_{w}\right)$ を最も標準的なコルバーンの式 $ \mathrm{Nu}=0.023 \operatorname{Re}^{4 / 5} \mathrm{Pr}^{1 / 3} $ で算出し求める ${ }^{19)}$. また熱電素子の熱伝導率 $\lambda_{\mathrm{TE}}$ は最適な角度 $\varphi_{\mathrm{p}}$ および $\varphi_{\mathrm{n}}$ を用いて算出する ${ }^{16)}$. ここで, 異種物質間の熱接触抵抗は極めて小さいと仮定し無視した。電極の熱抵抗 は先の報告 ${ }^{16)}$ では無視して解析していたが,実際は電極の厚さが大きい場合,電気抵抗は無視できるが,熱抵抗は無視できないほど大きい ${ }^{12-14)}$.よって, 本研究ではこれを考慮して式(3)を用いた。 このとき,熱収支と熱電方程式を組み合わせた連立微分方程式が立式され,並流の場合の熱電発電出力の解析解が求められている ${ }^{16)}$. 入り口での高温および低温の熱流体温度をそれぞれ $T_{h}^{\text {in }}$ おび $T_{c}^{\text {in }}$ とする熱電変換モジュールにおいて, ゼーベック効果により発電される発電量は,外部抵抗をモジュール内の全素子を直列接続したときの内部抵抗と同値にしつつ, 発電量 $P$ をモジュール全長 $x$ に対して最大化することによって, 次のように最大時の発電量 $P_{\mathrm{T} I \mathrm{P}}$ が求められている ${ }^{16)}$. $ \begin{aligned} P_{\mathrm{T} 1 \mathrm{P}}=\frac{n_{\Phi} n_{x}\left.\{M_{1} M_{2} C_{p, 1} C_{p, 1} \Delta \alpha\left(T_{h}^{i n}-T_{c}^{i n}\right) K_{a}\right.\}^{2}}{16\left(r_{n}+r_{p}\right) x\left(M_{1} C_{P, 1}+M_{2} C_{P, 2}\right)^{2}} . \\ \left.\{e^{\left(-1 / M_{1} C_{p, 1}-1 / M_{2} C_{p, 2}\right) K x}-1\right.\}^{2} \end{aligned} $ ここで,高温側および低温側の流体の質量流量を $M_{1}$ および $M_{2}$ とし,またそれぞれの比熱を $C_{p, 1}$ および $C_{p, 2}$ とし,流体の入り口温度をそれぞれ $T_{h}^{\text {in }}$ および $T_{c}^{\text {in }}$ とし, ゼーベック係数差を $\Delta \alpha$ とした. $K_{a}$ は $K$ の導式と同様の手順で求められる熱電素子部のみに関する総括伝熱係数である ${ }^{16)}$. $ K_{a}=\frac{1}{\pi \lambda_{\mathrm{TE}}} \ln \left(\frac{r_{3}}{r_{2}}\right) $ 式(1)~(6)を用いて熱電発電素子で構成される二重円筒管の全長を $x$ として長さに対する発電量 $P_{\mathrm{TIP}}$ を計算した. 既報の論文 ${ }^{16)}$ では内外の高温流体と低温流体の物性値, 質量流量を同値として簡略化し, 一般論として熱電モジュールが長くなるほど出力が高くなることを解析解として示している。それによれば,あまり長くなると内部抵抗が大きくなることと,内外の熱流体の温度差がなくなること,のために,出力は低下することが示されている。これは熱流体を用いる発電装置に共通する特性で有り,流路の形を変えた $り^{7,9-18,20-23)}$, 熱電素子の形状を変えても 9 9-18,20,21 熱電モジュー ルの全長に対して熱電出力はただ一つの最大値をとる現象には変わりはない. 本研究では, 内外の高温流体と低温流体の質量流量が異なる場合に, 出力最大値を大きくするための対策を探索するもので,このような流量差がある場合に積極的に対策を議論している例はない. 本研究の目的は, 水冷式冷蔵庫に特有の装置定数が指定されたときに取り得る熱電発電量 $P_{\mathrm{TIP}}$ の大きさを見積もることであるので,式(5)を用いて評価する。また前報 ${ }^{16)}$ の解析解では熱伝達係数 $h$ は一定と仮定して解析したが, 熱流体の流速に $h$ は敏感に依存する ${ }^{19)}$ ことから,ここではコルバー ンの式で熱流体の流速依存性を加味して検討する.前報 ${ }^{16)}$ では検討のなかった点である。 $P_{\mathrm{T} 1 \mathrm{P}}$ の算出に当たり, 本研究で用いる熱電素子材料として室温付近で特性の良いBiTe 系を用いることとし, その代表的な特性値を用いた. Table 1 に示すように既報の論 Table 1. Properties of thermoelectric materials ${ }^{15}$. & Resistivity & & \\ & $\alpha(\mu \mathrm{V} / \mathrm{K})$ & $\rho(\mu \Omega \mathrm{m})$ & $\lambda(\mathrm{W} / \mathrm{Km})$ & $Z(1 / \mathrm{K})$ \\ $\% \mathrm{Te}(\mathrm{p})$ & & & & \\ Bi-64.5at & -240 & 10.1 & 2.02 & \\ $\% \mathrm{Te}(\mathrm{n})$ & & & & \\ 文 $7-18,20,21)$ と同値を採用した,現在まで材料特性の向上を目指した研究例は多く, その特性の報告值は広い範囲でばらついているが,BiTe 系を用いた市販モジュールの諸特性を参照すると, Table 1 亿示す値 ${ }^{15}$ は $400 \mathrm{~K}$ で性能指数 $Z T=1.04$ と今なお最良の部類に属する特性值である。なお,本研究の狭い温度範囲ではこれら特性值の温度依存性はないと仮定した. ## 3. 結果および考察 ## 3.1. 熱電モジュールの最適長さ 水冷式冷蔵庫としての制約を主として考元、まずは現在の技術で工業的に大きな問題なく製造できるであらう寸法を考えて最大発電量を試算した 冷蔵庫からの廃熱を考えると, 微量の高温熱媒体しか利用出来ない. よって, 現在の技術で熱電モジュールに構成可能な最小の寸法として熱流体の通路は内径 $0.4 \mathrm{~mm}$ で, 熱の良導体である銅パイプと想定した. Fig. 4 に模式的に熱電モジュールの断面を示した. 厚み $0.05 \mathrm{~mm}$ の銅製の電極を隔てて,高温熱流体は熱電モジュールの高温端(内側)を加熱する。熱電素子の高さは加工の容易さと高出力を意識してやや長めの $1.65 \mathrm{~mm}$, 奥行き方向の熱電素子の幅は $2.0 \mathrm{~mm}$, と考え, モジュール径の対象によらず常に円周方向に 10 対の熱電素子を並べる,と仮定した。すなわち, 内径 $0.5 \mathrm{~mm}$ 外径 $3.8 \mathrm{~mm}$ の熱電素子の外側は, 内径 $3.8 \mathrm{~mm}$, 外径 $4 \mathrm{~mm}$ で厚さ $0.1 \mathrm{~mm}$ のステンレス電極で覆われるとし, さらにその外側に存在する隙間 $1.0 \mathrm{~mm}$ の流路に冷却水が流れると仮定した。機械的強度を保つため, 冷却水外側の断熱材のパイプは内径 $6 \mathrm{~mm}$ 外径 7 $\mathrm{mm}$ とした。このパイプ外側に熱が漏れ出たり,逆に入熱したりしないと仮定する。 以上の仮定を図示すると, Fig. 4 に示したように, 内径は小さいが,現状の工業技術を少し改善すれば,製作可能なサイズとして考えることの出来るモデルである. なお, 高温熱流体には本来は冷蔵庫の主たる熱交換剤である代替フロンの特性値を使用すべきであるが,熱伝達係数が未知であったので,簡易的に高温熱流体も水と仮定した。高温水の温度を $50^{\circ} \mathrm{C}$, 低温水の温度を $15^{\circ} \mathrm{C}$, とし, 物性値は温度に依存しないと仮定して, 水の比熱を $4186 \mathrm{~J} \mathrm{~kg}^{-1}$, 水 Fig. 4 A cross-sectional view of the design for evaluation as shown in Fig. 5. の密度を $1000 \mathrm{~kg} \mathrm{~m}^{-3}$, 粘性係数を $0.00089 \mathrm{kgs} \mathrm{m}^{-2}$, プラントル数を 7.0, 熱伝導率を $0.6 \mathrm{~W} \mathrm{~K}^{-1} \mathrm{~m}^{-1}$, とした ${ }^{19)}$ ,銅とステンレス鋼の熱伝導率はそれぞれ, $403 \mathrm{~W} \mathrm{~K}^{-1} \mathrm{~m}^{-1}$, および $84 \mathrm{~W} \mathrm{~K}^{-1} \mathrm{~m}^{-1}$, とした24). 水量は冷蔵庫の運転状況に大きく依存するが,定常値として毎分コップー杯程度の水が利用されると仮定した。このような水冷式冷蔵庫が家庭用冷蔵庫として比較的実現性が高いと考えて,熱電モジュールからの電気出力を見積もることにした. Fig. 5 はこのような二重円筒管の細い内部に $5 \times 10^{-6} \mathrm{~m}^{3} \mathrm{~s}^{-1}$ (毎分 $300 \mathrm{~mL}$ )の水量を流して熱交換させることを想定し, BiTe系の素子の内側が加熱され,外側が伶却される場合を想定した。,循環させる水量は一定と仮定したので,上記で仮定した条件では,熱水側の線流速は $9.9 \mathrm{~m} \mathrm{~s}^{-1}$ になる。このとき, 式(4)によって熱伝達係数 $h_{h}$ は $22.0 \mathrm{~W} \mathrm{~m}^{-2} \mathrm{~K}^{-1}$ となるが, 冷水側の線流速は $0.08 \mathrm{~m} \mathrm{~s}^{-1}$ に留まるので, 熱伝達係数 $h_{c}$ は $1.67 \mathrm{~W} \mathrm{~m}^{-2} \mathrm{~K}^{-1}$ と小さい値となる. 式 (5) によれば,熱電モジュールを構成する二重円筒管の全長 $x$ が $1340 \mathrm{~m}$ に達するまで,配管が長い方が発電量が増えるという結果を得た. 素子の表面積が大きくなるほど熱交換量が増えるため発電量は大きくなるが,あまりに長いと熱交換によって高温流体は冷却され,低温流体は加熱されるので,熱電素子にかかる温度差が小さくなってしまい, 発電量が小さくなる。また,二重円筒管があまりに長くなると内部抵抗の増大を招くので, モジュールとしての発電量は減少する。この兼ね合いとして, 発電モジュールのある適切な全長によって最大発電量が存在することとなる。 Fig. 5 に示したように, $1340 \mathrm{~m}$ の熱電パイプを利用できるとき, 最大発電量 $8.67 \mathrm{~W}$ が得られる. 冷藏庫の廃熱量数百 $\mathrm{W}$ に対して数\%の発電量である. しかしながら,高温側のパイプの内面に凹凸を付けたり, フィンを設置したり等の工夫をすると,一般に,熱伝達係数 $h_{h}$ を 10 倍, 場合によって 100 倍にも増加させることが可能である。 $0.4 \mathrm{~mm}$ の内径にこのような工夫を凝らすことは技術的に容易ではないが,この場合の計算結果を Fig. 5 に併せて示した。熱伝達係数 $h_{h}$ を $2200 \mathrm{~W} \mathrm{~m}^{-2} \mathrm{~K}^{-1}$ とほぼ理想的に大きくできたとしても, パイプの最適全長は $870 \mathrm{~m}$ でその Fig. 5 Analyzed results for a model shown in Fig. 4. Heat transfer at the hot side is enhanced by giving 10 times and 100 times larger values. 時の最大発電量 $P$ は,高々 $15.0 \mathrm{~W}$ に過ぎない。これはパイプ内径をあまりに小さく設定したために,熱電素子の断面積自体が小さくて,熱電モジュールの内部の電気抵抗が大きいことが原因である。すなわち,熱流体の通るパイプ部の内径が小さいので断面積が扇形になり,熱電素子の内側での内部抵抗がとりわけ大きい。このため, 全長 $870 \mathrm{~m}$ の素子では熱電モジュール全体の内部抵抗が大きくなるので出力が小さくなった. また熱電素子の高温側表面積が小さいために受熱量が小さく,熱電素子の高温部分の温度が十分には高くならず,発電量も小さくなったと考えた。この考え方を証明するものとして,熱電素子の外側,すなわち冷却水側を改善する場合を計算した。Fig. 6 は,低温側のパイプの内面に凹凸を付けたり, フィンを設置したり等の工夫を施し, 低温側の熱伝達俰数 $h_{c}$ を 10 倍, 100 倍と大きくなることを仮想したものである. わずか 10 倍程度の冷却能増強によりモジュール全長を 1350 $\mathrm{m}$ から $780 \mathrm{~m}$ と約 6 割に短縮でき, かつ出力を 6 倍以上の $53.4 \mathrm{~W}$ に高めることができる. 従って,本設定条件の下で装置面からは冷媒とする冷水側の熱伝達を向上する策を取ることが望ましい,Fig. 4 に示したように,低温側の接水面は半径 $4 \mathrm{~mm}$ を想定しているから, 高温側の半径 $0.5 \mathrm{~mm}$ に比べて 64 倍広く熱伝達が容易である. これは, 面として広いので工学的にフィンなどを取り付けやすいから出力改善の効果が得やすい. な押, 送水量を増やして冷水側の熱伝達を向上させること, すなわち, 熱電素子の冷却端を十分冷却することが, 出力向上と発電モジュールの全長の短縮につながることは明らかである.しかし, これは温水を得たいという本研究の意図とは異なる設計であり, また水冷冷蔵庫の送水量を増やすことは冷蔵庫の運転費用の増大につながるから, 水道水では適用は難しい. 谷川の水や井水などによる冷蔵庫の泠却能力向上のための利用が有力視される。 以上,標準的に入手可能な材料と素子特性と寸法を用いるとき, 低温側表面における熱移動の遅れが大きな抵抗となり, システム全体としての出力が抑制されていることがわかつた.このように,動作条件が固定されるときシステムの設計 Fig. 6 Analyzed results for a model shown in Fig. 4. Heat transfer at the cold side is enhanced by giving 10 times and 100 times larger values. によって熱電出力が大きく左右されるため,熱電発電システ么設計は注意深く行わねばならない. ## 3.2. 熱電素子の最適高さ 各部の熱抵抗がシステムの出力に与える影響は一様でなく, 一要因を改善しようとしても外部からの条件のため他要因と関連して出力が定まるため,全体として出力を向上させるよう設計することが肝要である。 二重円筒管の熱電モジュールでは内側の管径はやや大きい方が発電量が増えて好ましいので,本項では,次のような改良を加えた。電極厚みも加えて厚さ $0.2 \mathrm{~mm}$ の銅細管に熱電素子を貼り付けたモジュールを想定する,先の 3.1 節での例では, 外径 $7 \mathrm{~mm}$ の断熱円管に外径 $3.8 \mathrm{~mm}$ の熱電モジュー ルを納めたが,先述のように発電量は熱電モジュールの形状に依存する。ここでは,特に熱電素子の脚高さの効果を調べるため,断熱円筒の外径をやや太くして $13 \mathrm{~mm}$ ,内径を 12 $\mathrm{mm}$ として試算する。素子を高くすると,その両端にかかる温度差を大きくできるから起電力が大きくなり,発電量が増加すると期待する。また大型の素子は内部抵抗が小さくなり発電した電力の損失も小さくなる. 本研究では電極との接合部における電気抵抗を無視しているが,あまりに小さな素子を用いる場合,接触抵抗の寄与が大きくなるので,適度な大きさの素子が望ましいはずである. そこで,熱流体の通路は現実的な最小の寸法として,先の 3.1 節での例よりやや太い内径 $0.5 \mathrm{~mm}$ 以上で厚み $0.2 \mathrm{~mm}$ 一定の銅パイプと仮定し,電極もその厚みの一部と考える。更に,熱電円筒の太さ,すなわち,熱電素子の素子高さ $L(=$ $\left.r_{3}-r_{2}\right)$ を $0.5 \mathrm{~mm}$ から $5.0 \mathrm{~mm}$ まで 10 倍に変化させたときの熱電発電出力を試算する. 3.1 節での例と同じ材料を用い,同様の仮定を用いた。すなわち, 熱電モジュール径によらず,奥行き方向の熱電素子の幅は $2.0 \mathrm{~mm}$, 円周方向に 10 対の熱電素子を並べる,熱電素子の低温端の外側は,どの素子高さであっても電極を含め厚さ $0.25 \mathrm{~mm}$ のステンレス電極で覆うとし,その外側の流路に冷却水が流扎ると仮定した。したがって,熱電素子の素子高さ $L$ を定とするとき,高温水の流れる内側の銅パイプの径を大きくすると,ステンレスパ イプと断熱円筒間の低温水の流れる隙間が小さくなる.また,熱電素子の素子高さ Lを大きくすると, 冷却水路も高温水路も狭くなる。一般に,狭い水路に多量の流体を流すと圧損は大きいが,熱伝達俰数が大きくなるため大きな熱伝達を誘起できる. 3.1 節で示したように,大きな熱伝達係数は発電量の増加とコンパクトな発電システムの実現に望ましい. 以上のような条件で熱電モジュールの出力を式(5)により算出した。ここで, 高温水温打よび低温水温, 比熱, 密度, 粘性係数等の物性値, プラントル数, 水および銅とステンレス鋼の熱伝導率,は全て 3.1 節での例と同じとした。水量も同様に毎分コップー杯の水 $(300 \mathrm{~mL})$ を利用するとして, モジュール内の空隙の大きさから水当量, すなわち流速を求め, 熱伝達係数 $h_{h}$ および $h_{c}$ をコルバーンの式(4) で算出した。送水量は一定と仮定したので,二重配管の隙間を狭くすることは,線流速を早くすることになり,熱交換促進となる。 Fig. 7 および Fig. 8 には熱電素子の高さ Lがそれぞれ 3 $\mathrm{mm}$ および $1 \mathrm{~mm}$ の場合に, 熱電モジュールの出力を, 二重円筒管の全長 $x$ の関数として式(5)により算出した結果を示した. 3.1 節で示したと同様に, 出力 $P$ は全長 $x$ に対して一つの最大値を示した。 高さ $L$ が $3 \mathrm{~mm}$ のとき,熱電モジュールに高温を与える高温流体の銅管内径 $2 r_{1}$ が最小内径とした $0.5 \mathrm{~mm}$ のとき, Fig. 7 Analyzed results for the model where the leg length is $3 \mathrm{~mm}$. The inner tube diameter, $2 r_{1}$, is varied from $0.5 \mathrm{~mm}$ to $5 \mathrm{~mm}$. Fig. 8 Analyzed results for the model where the leg length is $1 \mathrm{~mm}$. The inner tube diameter, $2 r_{1}$, is varied from $0.5 \mathrm{~mm}$ to $9 \mathrm{~mm}$. $x_{\text {max }}=1593 \mathrm{~m}$ で $P_{\text {max }}=29.57 \mathrm{~W}$ となった. これは 3.1 節での議論と通じるところがあり,高温流体の流れる銅管の内径 2 $r_{1}$ が小さくなると断面積が小さくなって高温流体の流速が上るので,銅管内側への熱伝達が向上して熱電モジュールの高温端温度が上昇すると共に,単位長さ当たりの流体の温度低下が少なくなるので, 長距離に渡って熱電モジュール内側が比較的高温に保たれる効果があることを示している。 内径 $2 r_{1}$ を大きくすると,Fig. 7 に示したように $x_{\text {max }}$ を小さくできる点で好ましい. $2 r_{1}$ が最大径である $5 \mathrm{~mm}$ まで拡大すると, $x_{\text {max }}$ は半減し $814 \mathrm{~m}$ で出力は最大となる. ただしその出力値 $P_{\max }=13.23 \mathrm{~W}$ と小さい値となった. しかしながら, この傾向は熱電素子の高さ $L$ が $1 \mathrm{~mm} の$場合には逆となる。すなわち, Fig. 8 に示したように, 熱電モジュールの長さ $x$ が $500 \mathrm{~m}$ のように短いとき, 銅管内径 2 $r_{1}$ が大きくなると共に発電量 $P$ は増加した。これは, 半径の増大と共に高温流体の流速が急速に低下して熱伝達係数が激減する一方, 低温流体側では流路幅の減少により流速は増加するので低温側の熱伝達が向上してステンレス管からの脱熱が大きくなる。また,単位長さ当たりの高温流体の温度低下が少ないが流体の移動量も少ないので,熱電モジュールが短い範囲でのみ熱電素子に高温を与え,熱電発電に寄与する。 その最大発電値 $P_{\text {max }}$ とその場合の $x_{\text {max }}$ の関係について調べてみると,熱電モジュールを加熱する高温流体の銅管内径 $=17.80 \mathrm{~W}$ となった. $2 r_{1}$ を大きくすると $x_{\text {max }}$ は短くなり, $x_{\text {max }}=1369 \mathrm{~m}$ まで小さくできるが,このとき $P_{\text {max }}=13.98 \mathrm{~W}$ と小さい値となった。さらに銅管内径 $2 r_{1}$ を大きくし,最大径である $9 \mathrm{~mm}$ とすると, $x_{\max }$ は更に $751 \mathrm{~m}$ と短くなる一方,最大值 $P_{\text {max }}=24.78 \mathrm{~W}$ とむしろ大きい值となった. このように出力が最大となる組み合わせ,その最大値 $P_{\max }$ とその場合の全長 $x_{\text {max }}$ について, 点 $\left(x_{\max } P_{\max }\right)$ が銅管内径 $2 r_{1}$ によって変化する様子を Fig. 7 および Fig. 8 に破線で示した. Fig. 7 では破線は $x_{\max }$ と共に単調に増加しているが, Fig. 8 では一旦減少した後,増加する挙動となった。 Fig. 9 には多種の $2 r_{1}$ について, 熱電モジュールの最大出 Fig. 9 Relationship between $x_{\max }$ and $P_{\max }$. $L$ is the leg length of thermoelectric elements. Due to the practical limitations, the smallest inner diameter $2 r_{1}$ is $0.5 \mathrm{~mm}$ and the smallest gap width for coolant flow is set $0.1 \mathrm{~mm}$. 力 $P_{\max }$ を与える $x_{\max }$ の値を計算して示した. 参考のために, Fig. 9 で黒丸は Fig. 7 に示した $P_{\max }$ と $x_{\max }$ の関係,白丸は Fig. 8 に示した $P_{\max }$ と $x_{\max }$ の関係を示す. 素子高さ $L$ が例えば $0.5 \mathrm{~mm}$ のように低いとき,銅管の内径 $2 r_{1}$ は最小とした $0.5 \mathrm{~mm}$ から, 熱電モジュール低温端のステンレスパイプ外径が断熱材の内径に近い $11.9 \mathrm{~mm}$ (冷却水のための隙間はわずか $0.05 \mathrm{~mm}$ ) となる $2 r_{1}=9.0 \mathrm{~mm}$ まで,広い範囲を取り得る。 さて $L=0.5 \mathrm{~mm}$ のとき, $A$ 点で示した最大値 $(742 \mathrm{~m}, 45.77 \mathrm{~W})$ から $\left(x_{\max }, P_{\max }\right)$ の関係は単調に減少している。一方,素子の高さ $L$ を $5.0 \mathrm{~mm}$ と高くすると $2 r_{1}$ の可変域は限られてしまうが, Fig. 9 内の B 点で示したように, 例えば $2 r_{1}=0.5 \mathrm{~mm}$ の時に, 最大値 $(1433 \mathrm{~m}$, $33.44 \mathrm{W)をとる.}$ 以上 $P_{\max }$ が更に最大となる場合を, 熱電モジュールのパイプ全長に対し検討した結果を断面積で検討すると, Fig. 10 に模式的に示したようになる. すなわち case A として示した, Fig. 9 の点 A に相当する熱電素子高さ $L=0.5 \mathrm{~mm}$ の場合は,太さを一定とした断熱体の内径 $12.0 \mathrm{~mm}$ に極めて近い $11.9 \mathrm{~mm}$ という外径でモジュール内に熱電素子を組み込むことになる.ステンレスパイプと銅管の有限の厚みを考慮すると, 一般的な固体内の熱伝達の考え方とは異なり, 熱電素子の両端にかかる温度差は $L$ が小さいときに大きくなるという興味深い結果となった。これは, 薄い冷却部に一定流量の熱媒体を流すことになるので流速が上がり,熱伝達係数 $h_{c}$ が大きくなって強制的に大きな温度差を生じている。この理由により case A は大きな $P_{\text {max }}$ を実現している 一方, case B として示した Fig. 9 の点 B に相当する熱電素子高さ $L=5.0 \mathrm{~mm}$ の場合は, 一定としている断熱体の内径 $12.0 \mathrm{~mm}$ に極めて近い $11.9 \mathrm{~mm}$ という外径でモジュール内に熱電素子を組み込む.これは Case A と同様である. さらに,高温流体の通過する銅管の内径 $2 r_{1}$ を $0.5 \mathrm{~mm}$ まで細くすることによって, 高温熱流体の流速を上げて大きな熱伝達係数 $h_{h}$ を確保している. Case A と Case B を比べると, Fig. 9 に示したようにCase $\mathrm{A}$ ではより短いモジュール全長 $x_{\max }$ で, より大きな $P_{\max }$ を得ることができる。一方, Case B では同一断面でもCase A より多くの素子材料を必要とする上に,モジュール長 $x_{\max }$ がより長い時に $P_{\max }$ は最大値となるから, より多量の材料 Fig. 10 Cross-section of two models. Case A and B are optimized at leg length $=0.5$ and $5.0 \mathrm{~mm}$, respectively, to obtain the maximum $P_{\max }$. が必要である。結局, 素子材料の効率化の面からも Case A が望ましい Case A では冷却側の流速が $0.67 \mathrm{~m} / \mathrm{s}$ と早いのに比べ,高温熱流体の流速は $0.016 \mathrm{~m} / \mathrm{s}$ と穏やかな流れとなっている.従って Case A ではステンレス管外壁から大きな熱伝達が達成されるのに比べ、高温熱流体の温度低下はモジュールの全長に対して比較的緩慢である。水冷式冷蔵庫に戻って考えると,高温廃熱側で大量の高温熱媒体 $(188.8 \mathrm{~kg})$ が熱電モジュール内に保持されていることになる。これは,Fig. 1 に想定したような別途に熱浴を用意することなく,熱電モジュール内のこの高温廃熱を直接給湯に使うことが可能であるから,接地面積を少なくしたい場合に有利に働く。ちなみに Case B での貯水量は $1.125 \mathrm{~kg}$ に留まるので別に温水槽を設ける必要がある。 ## 3.3. 水冷式冷蔵庫に熱電素子を適用する場合の課題 (1)温水の温度を一定に保持するためには,温水タンク内の自然対流を加味して平板状の熱電変換素子により温度調節を行うような用途があり得る。このとき,熱伝達の微分方程式と熱電方程式を三次元で連立して解いて,温度保持に必要な電力を見積もることが必要である.現状では,3 次元の自然対流の解析のためには解析解は解を得ることが出来ないので,数値解に頼ることになる。しかし,有限要素法を適用すると三次元のメッシュ点が多数になるので,パソコンのレべルでは計算の容量が不足する (2)当初,配管や配線を工夫すれば,二重円筒管の熱電モジュールの自作実験も可能と考えていたが,冷蔵庫組み込みモデルで推奨した Case A はあまりに薄い素子の多数の直列接合となるため容易ではなかった.特に,薄い 3 次元的円弧の形状を持つ熱電素子が有望であるとの結果に対して,技術的障害は高い.例えば銀ロウを用いたロウ接技術の適用が課題である. (3)空冷型の熱電変換を利用した冷蔵庫はレジャー用として実用化されているが,非フロン型ガス熱源を用いた水冷式熱電変換の検討例がない. 液体と気体で熱伝達率の相違は大きく,気体と液体間の温度差で熱交換しながら発電する解析となる。円筒型熱電モジュールの外部に多量の温風を吹き付ける解析例は存在する ${ }^{25}$ が、本研究は二重円管のような熱流体の量を限定した解析の第一歩として世界でも珍しい解析例となった。冷蔵庫や冷凍庫内の局所的な熱電素子による温度調節は特許出願はあっても, 明確な研究報告例, 技術的解析報告は見つけられなかった。その中にあって,我が国の家庭用では, 野菜室と冷凍室を冷蔵室から分離している冷蔵庫が主流であるが,更なる省エネを考えると,冷蔵庫内でも肉や野菜など素材に応じた最適の温度調節があって良い。このような小さな温度差を平板の熱電変換で生じさせ制御することは有効な利用法で有り,「局所的によく冷えている場所とあまり冷えていない場所がある冷蔵庫」は貴重な付加価值となる。 ## 4. 結 本研究では家庭用冷蔵庫の廃熱を取り上げ,これを熱エネルギーとして水に回収し保熱性の良い温水タンクに貯留する水冷式家庭用冷蔵庫, 兼, 温水貯蔵機を提案した。高温廃熱水は家庭内利用で最も需要のある $42^{\circ} \mathrm{C}$ 程度の湯として蓄熱温水として貯蔵し, 台所や浴室の温水として利用する。この水冷と廃熱の温度差から熱電変換により得られる直流電力は冷蔵庫内の温度制御や冷蔵庫外への情報発振回路, 温水の送出動力,などに利用する。 このために理論的な発電量を, 二重円筒形熱交換器を基に熱電モジュールを組み込む考えを取り入れた. 熱伝達と熱電発電式を連立させて解析的に解いた前報 ${ }^{16)}$ を用い, 熱抵抗の要因になる高温側と低温側の電極の効果を加味して並流条件での解を示した。二つの熱流体の流量と特性が同じでない場合を指定して諸元を設定して数値を定め解析を行った. 熱電素子の内側にある高温流体用の銅管が細いとき,熱伝達係数が大きくなり, 大きな発電量が得られる. 低温側への熱伝達係数も重要で低温流体の隙間を細くして線流速を上げ,熱伝達係数を大きくすると,発電量が増加する,両者の効果は相反するが, 低温側の熱伝達を優先し, 薄い熱電素子を用いた設計の時に, 短いモジュール全長で大きな最大発電量が得られることが分かった。 発電量の増加のためには冷却水量を増加させることも肝要であるが, これは高温流体として廃熱を再利用する趣旨と反することになる。実験を行って, 本提案に対する各種条件設定の良否を検討するところまでは至らなかったが,冷蔵庫廃熱の熱電変換による温水と電力の両者の利用を提言した. ## 5. 謝辞 本研究の一部はパロマ環境技術開発財団の研究助成を頂きました。記して謝意を表します。 ## 参考文献 1)経済産業省資源エネルギー庁:省エネ性能カタログ,株式会社ピーツーカンパニー, 東京, 32 , (2013). 2) Ono K. and Suzuki R.O.: JOM: The Member J. 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O., and Ono K.: IEEE Transactions on Energy Conversion, 18 (2) 330 (2003).
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the Thermoelectrics Society of Japan
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# Al-Ir 系近似結晶の高圧合成を用いた原子欠損制御による 熱電特性向上 岩㟝 祐昂 ${ }^{1 *}$, 北原 功一 ${ }^{1,2}$, 木村 薫 ${ }^{1,2}$ ${ }^{1}$ 東京大学 大学院新領域創成科学研究科, 〒 277-8561 千葉県柏市柏の葉 5-1-5 2 産総研・東大先端オペランド計測技術オープンイノベーションラボラトリ,〒 277-0871 千葉県柏市若柴 178-4 } The Journal of the Thermoelectrics Society of Japan Vol. 16, No. 3 (2020), pp. 139-143 (C) 2020 The Thermoelectrics Society of Japan ## Vacancy Control and Enhancement of Thermoelectric Properties of the Al-Ir Cubic Quasicrystalline Approximant via High-Pressure Synthesis \author{ Yutaka Iwasaki $\mathbf{1}^{1^{*}}$, Koichi Kitahara ${ }^{1,2}$ and Kaoru Kimura ${ }^{1,2}$ \\ ${ }^{1}$ Graduate School of Frontier Sciences, The University of Tokyo, 5-1-5 Kashiwanoha, Kashiwa, Chiba 277-8561, Japan \\ ${ }^{2}$ AIST-UTokyo, Advanced Operando-Measurement Technology Open Innovation Laboratory (OPERANDO-OIL), National Institute of \\ Advanced Industrial Science and Technology (AIST), 178-4, Wakashiba, Kashiwa, Chiba 277-0871, Japan } \begin{abstract} Although the binary Al-Ir cubic quasicrystalline approximant (QCA) has been expected to be a narrow gap semiconductor, it does not realize due to large amount of aluminum sites vacancies leading to excess hole doping. We suggest that a high-pressure synthesis (HPS) is effective to reduce vacancies. In this work, effects of HPS on structural and thermoelectric properties were investigated for an Al-Ir QCA. We found that the Seebeck coefficient of a sample made by HPS has a larger value compared to that sintered by using conventional spark plasma sintering (SPS). Further, the lattice constant and the analyzed aluminum composition increased as high pressure applied due to increasing the number of $\mathrm{Al}$ atoms in the Ir-12 icosahedral cluster. These results indicate that HPS suppressed vacancies in the cluster leading to a 2 times higher value of $z T$. \end{abstract} (Received: August 30, 2019; Accepted: November 14, 2019; Published online: December 10, 2019) Keywords: thermoelectric material; quasicrystal; quasicrystalline approximant; high-pressure synthesis; atomic vacancy ## 1.はじめに 熱電材料の性能は, 無次元性能指数 $z T=S^{2} \sigma T\left(\kappa_{\mathrm{el}}+\kappa_{\mathrm{lat}}\right)^{-1}$ で評価される。ここで, $S, \sigma, T, \kappa_{\mathrm{el}}, \kappa_{\mathrm{lat}}$ はそれぞれゼーベック係数, 電気伝導率, 絶対温度, 電子熱伝導率, 格子熱伝導率を表す. 高い $z T$ を得るには高い出力因子 $S^{2} \sigma$ と低い $\kappa_{\text {lat }}$ を持つ材料が求められる。 アルミニウム-遷移金属(Al-TM)系準結晶$\cdot$近似結晶は,状態密度の深い擬ギャップと, 複雑な結晶構造から, 比較的高い $S^{2} \sigma と 1 \mathrm{~W} \mathrm{~m}^{-1} \mathrm{~K}^{-1}$ 程度の低い $\kappa_{\text {lat }}$ を示すため熱電材料への応用が考えられてきだれた準結晶・近似結晶における $z T$ の最高値は, Al-Ga-Pd$\mathrm{Mn}$ 系準結晶の $z T=0.26$ であり ${ }^{3}$, 実用化されている $\mathrm{Bi}_{2} \mathrm{Te}_{3}$系材料と比べて $1 / 4$ 程度にとどまっている. 準結晶と実用材料を比較したときの問題点は,Sが高々 $100 \mu \mathrm{V} \mathrm{K} \mathrm{K}^{-1}$ であり実用材料の半分程度に小さい点である。 そのため,大きな $S$ を得るためには, 電子構造に $6 k_{\mathrm{B}} T\left(k_{\mathrm{B}}\right.$ はボルッマン定数)以上のバンドギャップ8) を持った準結晶半導体が必須で  ある。しかし,これまでに準結晶半導体は見つかっておらず,周期性を持たない準結晶に対して,従来の第一原理計算を適用するのは困難であるため,その探索指針すら確立されていない. 我々はこれまでに,準結晶と同じクラスターを持ち,それが周期的に配列した構造を有する近似結晶に対して第一原理計算を適用することで,近似結晶半導体の探索を試みてきた $^{7,9-11)}$. 本研究の対象物質である Al-Ir 系近似結晶は, Ir の正 20 面体クラスターの内部に, $\mathrm{Al}$ を 9-10 個程度を含む構造を有する(Fig. 1 ; 描画には VESTA $3^{12)}$ を用いた)。近年, Mihalkovič らの理論計算により, Al-Ir 系近似結晶がクラスター内部に 10 個の $\mathrm{Al}$ を満たしたときに $40 \mathrm{meV}$ 程度のバンドギャップを有する半導体となる可能性が指摘された ${ }^{13)}$.しかし,実験的に試料を作製し,熱電物性を測定したところ,半導体的ではなく金属的な物性を示し, 高い熱電性能が得られないことが分かった ${ }^{10)}$. 金属的な物性を示す原因として, クラスター内部の $\mathrm{Al}$ の欠損によって作製した試料がキャリア(正孔)過剩な状態になっていることが実験と計算から示唆された。よって, Al-Ir 系近似結晶の半導体化にはクラスター内部の $\mathrm{Al}$ の欠損抑制が必須である。我々はこれに鑑み,仕込み組成の $\mathrm{Al}$ を増やし $\mathrm{Al}_{73.5} \mathrm{Ir}_{23.5}$ の組成で試料を作製した Fig. 1. Crystal structure of Al-Ir quasicrystalline approximant visualized using VESTA 3. Fig. 2. Powder XRD patterns of (a) $\mathrm{Al}_{73.3} \mathrm{Ir}_{26.7}$ and (b) $\mathrm{Al}_{73.5} \mathrm{Ir}_{26.5}$. Gray arrows stand for the peak of $\mathrm{Al}_{3}$ Ir phase. が,Al-rich 側の隣接相である $\mathrm{Al}_{3}$ Ir が生成されてしまい,仕达み組成の調整による $\mathrm{Al}$ 久損の制御ができないことが粉末 $\mathrm{X}$ 線回折(XRD)測定から示唆された(Fig.2). 本研究では, クラスター内部の $\mathrm{Al}$ の久損を抑制させた Al-Ir 系近似結晶の試料を高圧下で合成し,その熱電物性を明らかにすることを目的とした。一般に物質は高圧下で維密な結晶構造をとる傾向がある。例えば,充填スクッテルダイ卜化合物 $\mathrm{A}_{x} \mathrm{~B}_{4} \mathrm{X}_{12}$ (A: アルカリ土類金属元素, 希土類元素等, $B: 7,8$ 族遷移金属元素, $X$ : ニクトゲン元素)は, $X_{12}$ 二十面体クラスターの内部にゲスト原子 $\mathrm{A}$ が充填された包摂化合物であり,その作製には高圧下での合成がしばしば用いられている ${ }^{14-16)}$.よって, 充填スクッテルダイトと同様にクラスター構造を有する Al-Ir 系近似結晶においても,高圧下での合成によって $\operatorname{Ir}_{12}$ 正二十面体クラスターの内部により多くの $\mathrm{Al}$ を充填させることができる可能性が考えられる。 ## 2. 実験 - 計算手法 高圧合成(HPS)試料と通電焼結(SPS)試料の母合金を作製した. 原料粉末の $\mathrm{Al}$ ( $4 \mathrm{~N}$, 株式会社高純度化学研究所) と Ir (3N , 田中貴金属工業株式会社)をいずれの試料も同じ仕込み組成 $\mathrm{Al}_{73.3} \mathrm{Ir}_{26.7}$ で秤量・圧粉し,アーク溶解炉にて溶融した後,母合金を $1273 \mathrm{~K}$ で $72 \mathrm{~h}$ 熱処理を行い均質化を行った. SPSにはSPS 装置(SPS-515S, 住友石炭鉱業株式会社) を用いた。焼結条件は同一物質における我々の先行研究10) では $50 \mathrm{MPa}$ の一軸圧力条件で十分な相対密度が得られなかった (95(2)\%)ことを考えて,より高圧の $80 \mathrm{MPa}, 1273 \mathrm{~K}$ で 20 min 焼結した. HPS 実験は若柣型キュービックプレス (700トンプレス,株式会社東芝)を用いて実施した。試料はSPS と同様の方法で粉末化した。その粉末を円筒状の BN 製の試料セル(内径 $\varphi 5 \mathrm{~mm} \times$ 高さ $6 \mathrm{~mm}$ ) に維密に充填し, $\mathrm{BN}$ 製の円盤(直径 $\varphi 5 \mathrm{~mm} \times$ 高さ $1 \mathrm{~mm}$ ) で蓋をした. 次に,試料セルをグラファイト製のヒーター(内径 $\varphi 6 \mathrm{~mm} \times$ 高さ $8 \mathrm{~mm}$ )の内部に挿入し,両側からグラファイト製の円盤(直径 $\varphi 7 \mathrm{~mm} \times$ 高さ $1 \mathrm{~mm}$ ) で蓋をした. 次に, 一辺 $20.5 \mathrm{~mm}$ の立方体状のパイロフェライト製圧媒体にヒーターの外径と高さに合わせて貫通させた穴を通し,内部に試料セルの入ったヒーターを挿入した,ヒーターの両端をモリブデン製の電極及びパイロフェライトで蓋をして立方体状の圧媒体セルを作製した。ここで,HPS 用のパーツの寸法は全て誤差 50 $\mu \mathrm{m}$ 以内に抑えることで,均等に圧力が加えられるようにした. 作製した圧媒体セルを若杬型キュービックプレスにセットし, 油圧で $4 \mathrm{GPa}$ の圧力を $1 \mathrm{~h}$ かけて印加した,关の後,電流によりヒーターにジュール熱を加えることで加熱し, 1273 Kで $30 \mathrm{~min}$ 程度保持し熱処理した。 このとき, 温度制御は電流と電圧から電気抵抗を逐次計算し, 温度一抵抗校正表を用いて確認した。熱処理後, ヒーター電流を切り, 1 時間程度放置して冷却した。その後, 1 時間かけて減圧し, 圧媒体セル内の試料セルから円柱状試料を取り出した. 作製した試料はXRD 測定装置(SmartLab,株式会社リガク, $\mathrm{CuK}-\mathrm{L}_{2,3}$ 線を使用),エネルギー分散型 $\mathrm{X}$ 線分光装置付属走査型電子顕微鏡(SEM-EDX; JSM-6010LA,株式会社 JEOL)を用いて相同定を行った。また,試料の格子定数 $a$ の精密化, 及び組成分析は我々の先行研究7, 10) と同様の方法で解析した。また, 試料の真密度をへリウム置換法により乾式密度計 (AccuPyc1330, Micrometrics)を用いて測定した. 測定装置(TC-7000,アドバンス理工株式会社)を用いて測定した。試料の $\sigma, S$ はそれぞれ直流四端子法と定常温度差法により熱電特性評価装置(ZEM-1,アドバンス理工株式会社)を用いて測定した。ただし,HPSに関しては,直径が小さく $の$ の測定が困難であったので,HPS 試料とSPS 試料の $\kappa_{\text {lat }}$ が同じ値であると仮定し,第一原理計算から決定した有効ローレンツ数 $L_{\mathrm{eff}}$ を用いて $\kappa=L_{\mathrm{eff}} \sigma T+\kappa_{\mathrm{lat}}$ より評価した. 第一原理計算による $S$ の計算は, Mihalkovičらの提案したクラスターの内部に 10 個の $\mathrm{Al}$ 含むモデル (10-phase) $)^{13}$ を用いて先行研究 ${ }^{10}$ と同様の手法で行った. S のキャリア密度依存性を, バンド構造がキャリア密度に依存しないとするリジッドバンド近似のもとで計算し, 実験で得られた各試料の $S$ との比較を行った。ここで,キャリア密度は All 個あたり 3 個の電子を供給するものとして,クラスターの内部の $\mathrm{Al}$ の数に換算して考察した。 ## 3. 結果と考察 熱処理後 (as annealed), SPS 後, HPS 後の粉末 XRD パター ンを先行研究 ${ }^{10}$ のそれとともに Fig. 3 に示した. いずれの試料も第 2 相は確認されず, HPS 後も単相を維持していることが分かる。また, HPS 後の XRD パターンの最強ピークの半值幅は, 熱処理後のそれと比べて 3 倍程度ブロードになっており,HPSによって結晶子に歪みが生じている可能性が示唆される. 次に, as annealed 試料、SPS 試料と HPS 試料の SEM-EDX で得られた分析組成と Le Bail 解析によって精密化された格子定数を Table 1 に示す. as annealed 試料や SPS 試料よりも HPS 試料のほうが Al-rich で大きな格子定数を示しており,これは HPSによって $\operatorname{Ir}_{12}$ 正 20 面体クラスター により多くの $\mathrm{Al}$ が内包されることで,格子定数が膨張したものと考えられる. 分析組成に関しても同様に, クラスター 内部の $\mathrm{Al}$ 数の増加により HPS 試料において as annealed 試料やSPS 試料よりもAl-rich な組成が得られたと考えられる.いずれの試料も仕达み組成が同じであるにもかかわらず HPS が Al-rich となっている理由は明らかではないが,例えば近似結晶相よりも Al-rich 側の化合物である $\mathrm{Al}_{3} \mathrm{Ir}$ が XRD やSEMでは検出できない量存在しており, これがHPS によって近似結晶相へ変化したためである等が考えられる。 相対密度は両試料で $100 \%$ (SPS 試料: 99.7 (6) \%, HPS 試料: 98.7 (3) \%) に近い值が得られており, $1913 \mathrm{~K}$ の高い融点を持つ ${ }^{17)} \mathrm{Al}-\mathrm{Ir}$ 系近似結晶の高密度焼結体を SPS で $1273 \mathrm{~K}$ で作製するためには, $80 \mathrm{MPa}$ 程度の一軸圧力で焼結する必要があることが分かった. 各試料における $\sigma$ を Fig. 4 に示す. $\sigma$ は両試料ともに金属 を示し, 我々が先行研究 ${ }^{10)}$ で作製した Al-Ir 系近似結晶における $3700 \mathrm{~S} \mathrm{~cm}^{-1}$ の 1.6 倍の値である. この差異は, 今回作製した SPS 試料において焼結時の一軸圧力を $80 \mathrm{MPa}$ にしたことで, $100 \%$ 近い相対密度が得られたことに起因すると考えられる。一方で, HPS 試料におけるはSPS 試料よりも低い値を示しており,SPS 試料よりも HPS 試料の温度依存性が小さいことが分かる。この結果から, HPS 試料はSPS 試料よりもキャリア密度が低いだけでなく, 不純物散乱のような温度依存性のないような散乱機構によって電子の緩和時間が短くなっていることが示唆される。この原因として, HPS 後のXRD で示唆された格子の歪みによって, キャリアが散乱されている可能性がある. 各試料における $S$ の温度依存性を Fig. 5 に示した. 両試料ともに $S$ は温度上昇に伴って単調増加する金属的な物性を示した。また,Sの最大値は $850 \mathrm{~K}$ において SPS 試料で $40 \mu \mathrm{V}$ $\mathrm{K}^{-1}$ を示し, HPS 試料では $60 \mu \mathrm{V} \mathrm{K} \mathrm{K}^{-1}$ とPS 試料よりも 1.5 倍大きな値を示し, 各試料における $\sigma$ の値と大小関係が逆となっていることが分かる。この結果から, HPSにより $\mathrm{Al}$原子の欠損が抑制されて, キャリア(正孔)密度が減少することで $\sigma(S)$ が減少 (増大) したと考えられる. 10-phaseの電子構造で $S$ を計算すると, 第一殼クラスターの $\mathrm{Al}$ 数が 9.5 個と 9.75 個相当のキャリア密度のときに,それぞれ SPS 試 Fig. 3. Powder XRD patterns of (a) $\mathrm{Al}_{73.3} \mathrm{Ir}_{26.7}$ ref. [10] (b) as annealed ingot, (c) SPS and (d) HPS sample. Table 1. Analytical composition of $\mathrm{Al}$ and $\mathrm{Ir}$ and lattice constant a for as annealed, SPS and HPS sample. Fig. 4. Temperature dependence of electrical conductivity $\sigma$ for SPS (filled circle), HPS (square) sample and the sample of ref. 10) (open circle), respectively. 料と HPS 試料における $S$ の値を再現できることが分かった. 各試料における $\kappa$ の温度依存性を Fig. 6 に示した. SPS 試料の $\kappa は$ 温度に依らず $6 \mathrm{~W} \mathrm{~m}^{-1} \mathrm{~K}^{-1}$ 程度の値をとっていることが分かる. また, 上述の $S$ の計算値と同じキャリア密度を仮定した $L_{\text {eff }}$ の計算値は Fig. 7 のように SPS, HPS 試料ともに, Wiedemann-Franz 則のローレンツ数よりも低い値となり, 先行研究》) と同様の傾向を示した。 $\kappa_{\text {lat }}=\kappa-\kappa_{\mathrm{el}}$ により Fig. 5. Temperature dependence of Seebeck coefficient S for SPS (filled circle), HPS (square) sample and the sample of ref. 10), respectively. Calculated $S$ with $9.5 \mathrm{Al}$ per cluster (solid line) and 9.75 Al per cluster (dashed line) are also shown. Fig. 6. Temperature dependence of total and lattice thermal conductivity $\kappa$ and $\kappa_{\text {lat }}$ for SPS (circle) and HPS (square), respectively. 計算したSPS 試料の $\kappa_{\text {lat }}$ は, 全温度域において $1 \mathrm{~W} \mathrm{~m}^{-1} \mathrm{~K}^{-1}$程度の低い値を示し, 近似結晶の複雑な結晶構造によってフォノンが効果的に散乱されていることが示唆された.HPS ている.これは, キャリア(正孔)密度が減少し $\kappa_{\mathrm{el}}$ が低下したためである. 各試料における $z T$ の温度依存性を Fig. 8 に示した通り, 温度上昇に伴い単調増加し $z T$ の最大値は $850 \mathrm{~K}$ において, SPS 試料と HPS 試料でそれぞれ 0.07 と 0.14 を示した. HPSによって $\mathrm{Al}$ の欠損が抑制され,従来の 2 倍の性能を得ることができた。しかし,未だに半導体化には至っておらず, $\mathrm{Al} の$ 久損抑制が不十分であると考えられる. 今後, 印加圧力や仕込み組成,熱処理温度を最適化することで,更に欠損を抑制した試料を作製し, 半導体化させることが今後の課題である. Fig.7. Temperature dependence of effective Lorenz number $L_{\text {eff }}$ for SPS (filled circle) and HPS sample (square), respectively. Fig. 8. Temperature dependence of $z T$ for SPS (circle) and HPS (square), respectively. ## 4. まとめと結論 本研究では, 半導体化の可能性があるものの, クラスター 内部の $\mathrm{Al}$ の久損により金属的な物性を示す $\mathrm{Al}-\mathrm{Ir}$ 系近似結晶に対して, HPSにより $\mathrm{Al}$ の欠損を抑制した試料を作製し, その熱電物性を明らかにした. HPSによって作製した試料は, 従来の SPS によって作製した試料よりも Al-rich な組成を示し, (SPS: $\left.\mathrm{Al}_{73.2(3)} \mathrm{Ir}_{26.8(3)}, \mathrm{HPS}: \mathrm{Al}_{73.8(3)} \mathrm{Ir}_{26.2(3)}\right) \mathrm{Al}$ の欠損が抑制されていることが示唆された。また HPS 試料はSPS 試料よりも大きな $S$ を示し, $z T$ は $850 \mathrm{~K}$ で 0.14 と SPS 試料の 2 倍に向上させることに成功した。一般に HPS が原子欠損の抑制に有効であるかは定かではないが, クラスター状の結晶構造を有する他の熱電材料に対しても有効である可能性がある。 ## 5. 謝辞 本研究は科学研究費補助金(JP16H04489)の支援を受けて実施された。また, 本研究で使用した高圧合成装置の利用に際してご助言頂いた, 東京大学物性研究所の後藤弘匡氏,東京大学新領域創成科学研究科の飛田一樹氏に, 感謝を申し上げる。 ## 参考文献 1) K. Kirihara and K. Kimura, J. Appl. Phys. 92, 979 (2002). 2) J.T. Okada, T. Hamamatsu, S. Hosoi, T. Nagata, K. Kimura, and K. Kirihara, J. Appl. Phys. 101, 103702 (2007). 3) Y. Takagiwa, T. Kamimura, S. Hosoi, J.T. Okada, and K. Kimura, J. Appl. Phys. 104, 073721 (2008). 4) Y. Takagiwa, T. Kamimura, S. Hosoi, J.T. Okada, and K. Kimura, Zeitschrift Für Krist. - Cryst. Mater. 224, 79 (2009). 5) Y. Takagiwa, T. Kamimura, J.T. Okada, and K. Kimura, Mater. Trans. 55, 1226 (2014). 6) Y. Takagiwa and K. Kimura, Sci. Technol. Adv. Mater. 15, (2014). 7) K. Kitahara, Y. Takagiwa, and K. Kimura, 日本金属学会誌 82, 188 (2018). 8) J.O. Sofo and G.D. Mahan, Phys. Rev. B 49, 4565 (1994). 9) K. Kitahara, Y. Takagiwa, and K. Kimura, J. Phys. Soc. Japan 84, 014703 (2015) 10) Y. Iwasaki, K. Kitahara, and K. Kimura, J. Alloys Compd. 763, 78 (2018). 11) Y. Iwasaki, K. Kitahara, and K. Kimura, Phys. Rev. Mater. 3, 061601 (2019). 12) K. Momma and F. Izumi, J. Appl. Crystallogr. 44, 1272 (2011). 13) M. Mihalkovič and C.L. Henley, Phys. Rev. B 88, 064201 (2013). 14) H. Takizawa, K. Miura, M. Ito, T. Suzuki, and T. Endo, J. Alloys Compd. 282, 79 (1999). 15) C. Sekine, T. Uchiumi, I. Shirotani, K. Matsuhira, T. Sakakibara, T. Goto, and T. Yagi, Phys. Rev. B 62, 11581 (2000). 16) K. Kihou, I. Shirotani, Y. Shimaya, C. Sekine, and T. Yagi, Mater. Res. Bull. 39, 317 (2004). 17) M. Ode, T. Abe, H. Murakami, Y. Yamabe-Mitarai, T. Hara, K. Nagashio, C. Kocer, and H. Onodera, Intermetallics 16, 1171 (2008).
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# # # 1.はじめに 本講座では,「有機打よびハイブリッド熱電変換」に ついて,有機材料には馴染みの薄い読者を想定して,基礎的な事項から最新情報までを, 3 回の予定で解説する. 今さら本誌の読者に言うまでもないが,熱電変換は, エネルギーの最終形態である「熱」を,利用に便利な「電気」に,直接変換するという,重要な技術を提供するも のである.人類はまだ多くのエネルギーを化石燃料から 得ているが, 火力発電では, 元来化石燃料の持つエネル ギーの約 3 分の 2 を利用せずに熱として放出している. さらに一般に,排熱の約 3 分の 2 が $150^{\circ} \mathrm{C}$ 以下の低品位 のものである ${ }^{1)}$. 低品位熱は,ほとんど利用されず,逆に熱の廃棄に伴 う環境への負荷を低減するために,常温に近い温度にな るまで薄めて排出されている.従って,この熱を少しで も電気に変えることが出来れば,環境負荷を低減するこ とができる.さらに,自然熱を含め,低品位熱の存在す るところであればどこでも,熱電変換により,電線や電池なしで,たとえばセンサーを動かし,得られたデータ を送信することもできる。この目的のためには,有機お よびハイブリッド熱電材料を用いた熱電変換が有用であ る. 以下具体的に,その実例を紹介しよう。 ## 2. 有機熱電変換の利点と特徴 2. 1. 有機材料を用いる利点 従来の無機半導体を用いた熱電変換に比べ,有機およびハイブリッド熱電材料を用いた熱電変換の利点は,その安い価格にある。まず,素材が安価である。それは,金属や半導体に比べ,プラスチックが安価であることからも容易に類推できるだろう。もちろん有機物でも医薬品に見られるように高価なものもあるが,工夫をすれば類似のものを安価に作ることが出来るのが有機合成技術の特徴である。また,無機物と組み合わせたハイブリッドが作り易い。従って,有機物は安価で高機能の材料を作るのに適していると言える. もう一つの利点が,加工性の良さである.有機物は大面積のフィルムなどいろいろな形に容易に加工できる. さらに重要なことは,有機材料を用いると,無機材料に比べて,熱電デバイスを構築するのが極めて容易な点である。実は無機材料の場合には,デバイス製造に $\mathrm{p}$ 型と $\mathrm{n}$ 型の素材を小さく加工し,それを順次接続していかねばならず,どうしても人手が必要である. ところが有機材料なら,両素材と導電接続剤(たとえば銀ぺースト) とを基板上に塗布し乾燥することで,容易にデバイスを構築できる. 熱電材料の性能は, 材料の導電率 $\sigma$, ゼーベック係数 $S$, 熱伝導率 $\kappa$, 扎よび絶対温度 $T$ を用いて, 式(1)で表される熱電性能指数 $Z T$ によって評価される. $ Z T=\left(\sigma S^{2} / \kappa\right) T $ 従来,有機材料では,この $Z T$ 值を大きく出来ないとされていたが, 最近この值の大きな材料が発見され, 有機熱電材料が注目されるようになった.有機熱電に関する代表的な総説をあげておく ${ }^{2-7)}$. ## 2. 2. 有機熱電材料の特徴 有機熱電材料の性能上の特徵を, 物理学, 化学, 生物学, および工学の 4 つの視点から考えることができる. 読者の皆様も考えてみてください. 簡単にまとめたものを表 1 に示す ${ }^{8)}$. ## 3. 有機\&ハイブリッド熱電変換材料 有機物および有機物を含む材料の代表はプラスチックである.プラスチックは絶縁材料として広く用いられている.しかし,熱電変換に用いて,廃熱から電気を得るためには,電気を流す材料,すなわち導電性の,少なく 表 1 有機熱電材料の特徵 とも半導性の材料である必要がある.以下そのような性質をもつ有機およびハイブリッド材料を分類して列挙する. ## 3. 1 . 導電性高分子 有機高分子でも共役した $\pi$ 電子をもつものは,ドープすることにより,導電性を示すことを白川らが発見し ${ }^{9)}$ ,有機電子材料の研究が始まったと言って過言ではない.代表的な共役導電性高分子の構造と名称(略称)を図 1 に示す. 半導性のものを含めるとさらにいろいろな構造の分子が知られている。尘れら精巧な構造の分子を高分子化した $\mathrm{n}$ 型の導電性あるいは半導性のものの例を図 2 に示す。低分子では十分な性能を示さなくても,高分子化で材料としての使用が可能になる. 3 . 2 .導電性低分子化合物 低分子有機化合物でも,たとえば,電子を多く含む電子供与体と逆に電子の少ない電子受容体を組み合わせる 図 1 代表的な導電性高分子の化学式:PA(ポリアセチレン), PANi (ポリアニリン), PPy(ポリピロー ル), PTh (ポリチオフェン), PPP (ポリパラフェニレン), PPV (ポリフェニレンビニレン), PAc (ポリアセン), PPyd (ポリピリジニジイル), PITN (ポリイソチアナフタレン), PEDOT (ポリエチレンジオキシチオフェン) <smiles>[Y4]C1([Y])CC12C=C1SC(SC(C)C)=C1S2</smiles> $\mathrm{P}\left[\mathrm{K}_{\mathrm{x}}(\mathrm{Ni}\right.$-ett $\left.)\right]$ 図 2 より精巧な構造の $\mathrm{n}$ 型導電性高分子の例 と,分子間に電荷移動が起こり,電荷移動錯体が生成する. 最初の発見はペリレンと臭素で, これも日本人の発見である ${ }^{10)}$. 有機低分子と組み合わせる相手は, 無機物でも有機物でも構わない. 有機化合物のみで構成され高導電率の電荷移動錯体の代表例にテトラシアノキノジメタン (TCNQ) とテトラチアフルバレン (TTF) よりなる TTF・TCNQ 錯体がある。 ## 3. 3 . 炭素化合物 フラーレン, グラフェン, カーボンナノチューブ (CNT)など,炭素のみよりなる炭素化合物は,導電性にも優れ,熱電変換材料としても注目されている. 古くには無機材料として知られた無定形炭素や,ダイヤモンドライクカーボンなども,有機材料としてこの分類に入れることができる. ## 3 . 4 . ハイブリッド材料 有機物と無機物など異なる複数の素材より成る複合材料で,分子レベルで強い相互作用することにより複合化しているものをハイブリッド材料と呼ぶ. 分子レベルで相互作用をするためには,ナノマテリアルを用いるのが好都合である。従って,無機材料で室温付近でも高い熱電性能を有するテルル化ビスマス $\left(\mathrm{Bi}_{2} \mathrm{Te}_{3}\right)$ 系化合物のナノ粒子やその他の比較的熱電性能の大きな無機材料のナノ粒子,それに合成の容易な金属ナノ粒子などが,八イブリッド化の素材としてしばしば用いられている。 八イブリッド化で,上記のようなナノ物質の相手になる素材は,高分子系のものが多い,高分子だと,一つ一つの相互作用力は弱くても,多点で相互作用ができ,全体として,強い相互作用力を生み出せるためである. ## 4. 有機\&ハイブリッド熱電材料の作成 有機系では熱電材料の作成は,図 3 に示すように,原料を溶剤に溶解(分散)し,作った分散液をガラスやポリイミドフィルムよりなる基板上にドロップ・キャストして乾燥すれば,簡単に完成する。 無機材料では, 切削加工や,スパッタ技術を用いなければならず,手間がかかり, 特殊な装置も必要であるのに対して, 極めて簡単である.しかし,新しい素材を用いると,分散に適した溶剤の選択や,分散をよくするための分散技術の選択が 図 3 有機\&ハイブリッド熱電材料の作成 問題になる。分散が困難な場合には,溶剂を変えたり,分散剤を添加したり,さらに種々の機械的分散技術を駆使することになる。超音波洗浄機や超音波ホモジナイザー,ジェットミルなどを用いるいろいろな方法が提案されている。 分散液からの湿式成膜には,キャスト法以外に,単純な塗布法,薄膜を得るスピン・コート法などがある。均一なフィルムを得るためには,溶剤除去にも工夫を要する。さらに,フィルムとして得られた材料には,後述のように,熱電性能に異方性がみられることが多く,注意を要する。 ハイブリッド材料の場合は,2 種以上の素材を一緒に分散させる。導電性高分子は,ナノ粒子の分散に分散剤として作用する場合もしばしばある。導電性高分子が,導電性の向上とナノ材料の分散の 2 つの機能を併せ持つことになる。 ## 5 . 導電性高分子材料の熱電性能 ここからは,導電性高分子に限って話しを進めたい。図 1 に代表的な導電性高分子を示したが,これらを熱電材料として使用するためには,単の熱電特性を正しく評価し,高い熱電性能を示すように改良を加える必要がある. 熱電性能は前述の式(1)で表される。この $Z T$ 值 ことが求められる。これらの各要素について話を進める。 5. 1. 導電性高分子の熱伝導率 $\kappa$ 熱伝導率ヶは,熱拡散率 $\alpha$, 比熱 $C_{\mathrm{p}}$, 打よび密度 $\rho$ を用いて,式(2)により算出できる. $ \kappa=\alpha C_{\mathrm{p}} \rho $ 有機材料の特徴としてぇが低いことを上げた。ポリエチレンなどの高分子材料が低い熱伝導率を持つことはよく知られている。低い $\kappa$ 値をもたらしているのは,低い $\alpha$ 値である。導電性高分子では導電率が高いと熱伝導率も高くなるとの予想があった。しかし,実際にポリアニリン膜で種々のドーパントを用いることで導電率を変えて,膜に垂直な方向の熱伝導率を測定すると,図 4 に示すように,ほぼ $0.1 \sim 0.2 \mathrm{~W} \mathrm{~m}^{-1} \mathrm{~K}^{-1}$ の間にあり,無機材料と比べて小さいものであった ${ }^{11}$. ここで導電性高分子ゆえに注意しておかなければならないことがある。㶢れは,膜面に垂直な(面直)方向と平行な(面内)方向で熱伝導率に大きな差があることである。無機材料では異方性がないものが多いが,導電 図 4 ポリアニリン膜の $300 \mathrm{~K}$ における熱伝導率 $\kappa^{11)}$ 性高分子では異方性が大きい, 20~700 $\mu \mathrm{m}$ の厚さのポリアニリン膜の例では $2 \sim 3$ 倍程度面内の方が大きい, PEDOT-PSS 膜では 5 数十倍の異方性が報告されている.しかも面内方向の熱伝導率の測定は技術的にも難しいので,最近は熱電性能を $Z T$ 值ではなく,式(3)で表される Power Factor (出力因子) で評価することが多い. $ P F=\sigma S^{2} $ ## 5. 2. 導電性高分子の導電率 $\sigma$ 筆者らが有機熱電材料の可能性を研究し始めたのは, 1996 年のことである. その時,最初に取り上げたのは,導電性高分子のポリアニリン $(\mathrm{PANi})$ であった. PANi は,比較的取り扱い易く,安価で,実用にも用いられていたからである. 代表的な PANi 膜の熱電特性を表 2 に示す.導電性高分子の導電率を決める要素には,1)高分子の化学構造,2)ドーパント,3)高分子の配列がある. 表 2 種々のポリアニリン膜の熱電特性 & & & & & \\ ${ }^{* 2}$ phosphoric acid-doped PANi film, \\ ${ }^{* 3}( \pm)$-10-camphorsulfonic acid-doped PANi film, \\ ${ }^{* 4}$ Layered film of CAS-doped and undoped PANis ${ }^{13)}$, \\ ${ }^{* 5} 180 \%$-expanded CAS-doped PANi film ${ }^{14)}$. PANi はアニリンを縮重合したものであるが,図 1 に示したような構造が続いているとは限らない。 パラ位で縮合が続けばよいが,時にオルト位での反応も起こる。従って,規則正しい重合を起こさせるために低温で反応するなどの工夫が必要である. PANi そのままでは,電子供与性の中性分子である。 そこでドーパントを加え, キャリヤーを作る必要がある.表 2 には, 3 種の異なるドーパントを用いた例を示してある。CASをドーパントとし, $m$ - クレゾールを溶剤として用いた時に最も導電率が高くなる。さらに,多層膜化 ${ }^{13)}$ ,延伸 ${ }^{14)}$ などの手法により高分子の配列性を高めることで高導電率・高ゼーベック係数の膜にすることに成功している. 導電率 $\sigma$ は,キャリヤー濃度 $n$ とキャリヤー移動度 $\mu$ に比例し,式(4)で表すことができる. ここで,qは電荷である. $ \sigma=n q \mu $ 化学構造を制御し分子を配列することでキャリヤー移動度を高くし,ドーパントを選ぶことでキャリヤー濃度を制御していると理解できる。 PANi では更なる改善が難しいと判断して,筆者らが次に選んだ導電性高分子はポリフェニレンビニレン (PPV)であった。エトキシ誘導体との共重合体を用いてフィルムを作成し, $310 \%$ 延伸を施し,ヨウ素でドー プすることにより, $\sigma$ が $350 \mathrm{~S} / \mathrm{cm}$ となり,ZT 值 0.1 を実現できた ${ }^{15)}$.この $Z T=0.1$ という報告が,世界の熱電研究者をして有機熱電材料の可能性に目覚めさせた. このころ更に高い導電率を持つ導電性高分子である, PEDOT-PSS が市販され始めた。PEDOT (図 1 参照)に, ドーパントとして PSS(ポリスチレンスルフォネート) を過剩に用い, 水溶液 (水分散液) として供給される。 スピン・コート法などにより作成した薄膜を,DMSO (Dimethyl sulfoxide) などの溶媒で処理すると, $\sigma=900$ $\mathrm{S} \mathrm{cm}^{-1}$ 程度の導電性膜ができる。溶媒処理が PEDOT 分子の配列を促進すると考えられている。 5.3.導電性高分子のゼーベック係数(熱電能) $S$ ゼーベック係数 $S$ は, 式(5)で表すことができる. ここで,A B Boltzmann 定数, Coulomb 定数と Planck 定数を含む物質係数, $m^{*}$ はキャリヤーの有効質量である。 $ S=A m^{*} T / n^{2 / 3} $ 式(1)で示したように,熱電性能を上げるためには $\sigma$ と $S$ の両方を高めなければならない. ところが, 前述の式(4)によると,導電率 $\sigma$ をきくするためには $n$ を増やすのが良いのだが,式(5)では,ゼーベック係数 $S$ はキャリヤー濃度 $n$ の 2 分の 3 乗に反比例している.言い換えれば, $n$ を増すと $\sigma$ は大きくなるが, $S$ は小さくなる. $n$ に関して,$\sigma$ と $S$ は相反する性質をもつ. Crispinのグループは, PEDOT をトシラート (Tos) でドープした PEDOT-Tos の膜を, 強力な還元剤 TDAE (tetrakis (dimethylamino) ethylene) で処理することにより,膜の酸化レベルを制御した。この方法で $Z T$ 值を極大にする酸化レベルに調整することで, $\sigma \sim 74 \mathrm{~S} \mathrm{~cm}^{-1}$ で $S \sim 210 \mu \mathrm{V} \mathrm{K}^{-1}$ という高いゼーベック係数の導電性薄膜の調製に成功した ${ }^{16)}$. この膜で, $Z T=0.25$ という当時有機材料では最高の値を実現した。 ## 5 . 4 .導電性高分子の熱電性能指数 $Z T$ 材料の熱電性能指数 $Z T$ は,絶対温度 $T$ に比例する. すなわち,高温ほど高性能である。無機物なら高温でも使用可能な材料もあるが,有機物を用いるのであれば,高温は使えない.実際排熱の多くが $150^{\circ} \mathrm{C}$ 以下であることを考えると,常温付近で高い $Z T$ 值が必要である. 実際,常温付近で実用化されている無機材料のテルル化ビスマス系材料は常温付近の $Z T$ 值が 1 付近である. 従って,有機でも $Z T=1$ が目標の一つであった。 $Z T$ は,式(1)で表されるので, $Z T$ 値を高めるため リヤー密度 $n$ に関してトレードオフの関係,すなわち相容れない二律背反の関係にある. さらに, $\sigma$ 値の上昇 表 3 種々の導電性高分子の熱電特性 と $\kappa$ 値の減少も二律背反の関係にある. それは, $\kappa$ が式 (6) で表されるように,キャリヤー熱伝導率 $\kappa_{\mathrm{car}}$ と格子熱伝導率 $\kappa_{\mathrm{ph}}$ の和で表され,さらに,キャリヤー熱伝導率 $\kappa_{\text {car }}$ は, Wiedemann-Franz 則に従って, 式(7)のように,導電率 $\sigma$ と Lorentz 数 $L$ の積で表されるからである. $ \begin{aligned} & \kappa=\kappa_{\mathrm{car}}+\kappa_{\mathrm{ph}} \\ & \kappa_{\mathrm{car}}=L \sigma T \end{aligned} $ 材料では, $\sigma$ の増加と共に $\kappa_{\mathrm{car}}$ が増加し,それに伴い $\kappa$ も増加するので,結果として $\sigma$ 増加にもかかわらず, $Z T$ 值が増加しないこととなる. おわりに 有機導電性高分子を用いた熱電変換材料について,研究開発の背景,有機物利用の利点 - 特徴,導電性高分子の構造,熱電材料の作成法,実際の導電性高分子の熱電特性などを,その開発の歴史に沿って概観した。導電性高分子の熱電特性が調べられ始めてから 20 年,熱電材料と認識されるようになってからまだ十余年である. ここ $2 , 3$ 年には多くの総説も発表されている.参考文献には,情報が古くなる書籍よりも,その時々の動向が分かる総説の方が良いと考え,代表的な総説を上げた. 5.4 項の熱電性能指数のところでも触れたが,基本となる物性の間に相容れないところもあるので,実験的に $Z T$ 值を上げるのは並大抵の努力ではない。それでもいろいろな方法が開発され,導電性高分子のみを用いて $Z T=0.4$ 付近まで改良されてきた ${ }^{17)}$.また,詳しく解説しなかったが, 有機半導体を用いた安定な $\mathrm{n}$ 型(ゼーベック係数 $S$ が負) の材料も開発されている ${ }^{18,19)}$.これらのデータを表 3 にまとめる。ここでBDPPV は,Benzodifurandione(BD)を基盤とする PPV 誘導体( $\left.\mathrm{R}_{2}=\mathrm{H}\right)$, N-DMBI はドーパントの (4-(1,3-dimethyl-2,3-dihydro-1 $H$ benzoimidazol-2-yl)phenyl)dimethylamine である.次回と次々回に,それぞれ,無機材料とのハイブリッド材料,扎よびカーボンナノチューブ(CNT)のような炭素材料を利用した熱電材料とそのモジュール化について紹介する。 ## 参考文献 1)新藤尊彦: 応用物理 79, $810(2010)$. 2) Toshima N.: Macromol. Symp. 186, 81 (2002); 235, 1 (2006). 3) Bubnova O., Crispin X.: Energy Environ. Sci. 5, 9345 (2012). 4) Zhang Q., Sun Y., Xu W., Zhu D.: Adv. Mater. 26, 6829 (2014). 5) Toshima N.: Synth. Metals 225, 3 (2017). 6) Wang H., Yu C.: Joule 3, 53 (2019). 7) Lindorf M., Mazzio K. A., Pflaum J., Nielsch K., Brütting W., Albrecht M.: J. Mater. Chem. A 8, 7495 (2020). 8) 戸嶋直樹 : 現代化学 532,42(2015). 9) Shirakawa H., Louis E., MacDiarmid A. G., Ching C. K., Heeger A. J.: J. Chem. Soc., Chem. Comm. 1977, 578 (1977). 10) Akamatsu H., Inokuchi H., Matsunaga Y.: Nature 173, 168A (1954). 11) Yan H., Sada N., Toshima N.: J. Therm. Anal. Calorim. 69, 881 (2002). 12) Mateeva N., Niculescu H., Schlenoff J., Testardi L. R.: J. Appl. Phys. 83, 3111 (1998). 13) Yan H., Toshima N.: Chem. Lett. 1999, 127 (1999). 14) Yan H., Ohta T., Toshimas N.: Macromol. Mater. Eng. 286, 139 (2001). 15) Hiroshige Y., Ookawa M., Toshima N.: Synth. Metals 156, 1341, (2006); 157, 467 (2007). 16) Bubnova O., Khan Z. 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the Thermoelectrics Society of Japan
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# $\mathrm{Ge_{2} \mathrm{Sb}_{2} \mathrm{Te}_{5}$ バルク体の結晶構造と熱電特性に与える Bi 置換の影響 } 籠本 祐基 $^{1}$, 山田 幾也 ${ }^{2}$, 久保田 佳基 ${ }^{1}$, 小菅 厚子 ${ }^{1,3^{*}}$ } ${ }^{1}$ 大阪府立大学大学院理学系研究科, 〒̄ 599-8531 大阪府堺市中区学園町 1-1 ${ }^{2}$ 大阪府立大学大学院工学研究科, 〒 599-8531 大阪府堺市中区学園町 1-1 ${ }^{3}$ JST さきがけ,〒 332-0012 埼玉県川口市本町 4-1-8 The Journal of the Thermoelectrics Society of Japan Vol. 17, No. 1 (2020), pp. 7-13 (C) 2020 The Thermoelectrics Society of Japan ## Effects of Bi-substitution on the crystal structure and thermoelectric properties of $\mathrm{Ge_{2} \mathrm{Sb}_{2} \mathrm{Te}_{5}$ bulk materials} \author{ Yuki Kagomoto ${ }^{1}$, Ikuya Yamada ${ }^{2}$, Yoshiki Kubota ${ }^{1}$ and Atsuko Kosuga ${ }^{1,3^{*}}$ \\ ${ }^{1}$ Graduate School of Science, Osaka Prefecture University, 1-1 Gakuencho, Nakaku, Sakai, Osaka 599-8531, Japan \\ ${ }^{2}$ Graduate School of Engineering, Osaka Prefecture University, 1-1 Gakuencho, Nakaku, Sakai, Osaka 599-8531, Japan \\ ${ }^{3}$ JST-PRESTO, 4-1-8 Honmachi, Kawaguchi, Saitama 322-0012, Japan } We evaluated Bi-substitution effects of $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Sb}_{2-x} \mathrm{Bi}_{x} \mathrm{Te}_{5}(x=0,0.1,0.3,0.5)$ bulk materials on the crystal structures and low-temperature thermoelectric properties in the temperature range of 100-300 K. When the substitution amount of $\mathrm{Bi}$ increased from $x=0$ to 0.5 , the ratio of cubic to hexagonal structure changed from 79: 21 to 67:33 in $\mathrm{wt} \%$, resulting in increase in the ratio of hexagonal structure in the sample. With increasing $x$, Seebeck coefficient $S$ would be mainly influenced by the increase in the phase fraction of the hexagonal structure, and electrical resistivity $\rho$ and thermal conductivity $\kappa$ would be affected by the alloy scattering. As a result, the maximum dimensionless figure of merit $z T$ at $300 \mathrm{~K}$ decreased from $0.07(x=0)$ to $0.02(x=0.5)$ because decrease in $S^{2} \rho^{-1}$ exceeded decrease in $\kappa$. (Received: March 25, 2020; Accepted: July 7, 2020; Published online: July 10, 2020) Keywords: thermoelectric; crystal structure; substitution effect ## 1. はじめに 熱を電気に変換する事ができる熱電変換材料の性能は無次元性能指数 $z T=\left(S^{2} \sigma / \kappa\right) T$ で表される. ここで, $S$ はゼーベック係数, $\sigma$ は電気伝導率 $\left(=\rho^{-1}\right.$ : 電気抵抗率の逆数 $), \kappa$ は熱伝導率, $T$ は絶対温度である,zT が大きい程, 材料の熱電特性は良い。これまで報告されているバルク材料における $z T$ の最大値は 1.5 2 程度であり ${ }^{1,2)}$, 温度差にもよるが熱電変換効率として 10~20\%程度に相当する。 近年, GeTe 系材料が注目されている。電子構造を変化させて特性を最適化するバンドエンジニアリングを $\mathrm{PbTe}$ 系材料に適用する事で,パワーファクタ $S^{2} \sigma\left(=S^{2} \rho^{-1}\right)$ の飛躍的な向上に成功した報告 ${ }^{3}$ を皮切りに, $\mathrm{Pb}$ と同族元素である $\mathrm{Ge}$ を含む GeTe 系材料にも研究が拡がったためである.実際に, $S^{2} \sigma$ たけけでなく $と$ 同時制御する試みにより $z T>2$ を  達成した報告も複数ある ${ }^{4)}$. 一方, 著者等は, $(\mathrm{GeTe})_{m}\left(\mathrm{Sb}_{2} \mathrm{Te}_{3}\right)_{\mathrm{n}}$ ( $m$ と $n$ は整数)の結晶構造と熱電特性の関係に着目して研究を行ってきだ ${ }^{5,6}$. 特に, この材料系は GeTe-rich 側組成でみられる組成や温度変化に伴う結晶構造や微細組織の変化により,熱電特性を最適化できる可能性を持つとされてい $る^{7,8)}$. このような背景の下, 我々は $(\mathrm{GeTe})_{m}\left(\mathrm{Sb}_{2} \mathrm{Te}_{3}\right)_{n}$ で, $m=2$, $n=1$ に相当する組成の $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Sb}_{2} \mathrm{Te}_{5}$ に着目した. $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Sb}_{2} \mathrm{Te}_{5}$ は, 方晶構造(空間群 : $P \overline{3} m 1$ )を持つ(Fig.1)。三方晶は空間格子としては六方格子で表すことが多い。また, $(\mathrm{GeTe})_{m}\left(\mathrm{Sb}_{2} \mathrm{Te}_{3}\right)_{n}$ をはじめとする化合物群には空間群 $R 3 m$ や $R-3 m$ の六方晶構造も多く存在し, 過去の文献では, $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Sb}_{2} \mathrm{Te}_{5}$ 三方晶を含む $(\mathrm{GeTe})_{m}\left(\mathrm{Sb}_{2} \mathrm{Te}_{3}\right)_{n}$ の一連の化合物の安定相を六方晶と表記している事が多いため ${ }^{9,10)}$ ,それらとの整合性を保つため以降この論文でも安定相を六方晶と表記する。立方晶構造は,岩塩型構造を有しており,4aサイトを Teが占有し, $4 b$ サイトを $\mathrm{Ge}$ と $\mathrm{Sb}$ と空孔が $\mathrm{Ge}: \mathrm{Sb}$ : 空孔 $=2: 2: 1$ の割合でラ ンダムに占有する ${ }^{11}$ 。それに対し六方晶構造は, ホモロガス構造を有しており, Petrov 等 ${ }^{12)}$, Kooi 等 ${ }^{13)}$, 松永等 ${ }^{11}$ によって複数のモデルが提唱されている。これらの違いは,c 軸方向への原子層の積層順の違いによる. Kooi モデルは, $\mathrm{Te} 1(1 a)-\mathrm{Ge}(2 d)-\mathrm{Te} 2(2 d)-\mathrm{Sb}(2 c)-\mathrm{Te} 3(2 d)$ の周期で単一原子層が $c$ 軸方向に積層するとされており, Petrov モデルは, Kooi モデルの Ge と Sb 層が入れ替わったモデルである. さらに, $\mathrm{Ge}$ と $\mathrm{Sb}$ の単一原子層が, $\mathrm{Ge} / \mathrm{Sb}$ の混合原子層となった松永モデルも, より精度の高いモデルとして提案されている(尚, Fig.1b K Kooi モデルで描画している). a) $\mathrm{Ge}_{0.4} \mathrm{Sb}_{0.4} \mathrm{Vc}_{0.2}(4 b)$ ## b) Fig. 1. Crystal structure of a) cubic and b) Kooi's ${ }^{13}$ ) hexagonal $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Sb}_{2} \mathrm{Te}_{5}$ drawn with VESTA ${ }^{14}$. 立方晶構造は,スパッタ法などの非熱平衡反応で作製したアモルファス薄膜を $150^{\circ} \mathrm{C}$ 付近でアニールする事で得られる準安定相である事から ${ }^{15)}$, これまでバルク体での報告はなかった. Table1にこれまで報告されている各構造の熱電特性に関わる物性の一例を示す ${ }^{16-18)}$ 。尚, 表中の $\kappa_{\text {lat }}$ は格子熱伝導率を表す。 Table 1. Reported room-temperature S, $\rho, \kappa, \kappa_{\text {lat }}$ of cubic and hexagonal $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Sb}_{2} \mathrm{Te}_{5}$. & & & \\ *We estimated $\kappa$ at by subtracting the electronic contribution, obtained by using Wiedemann-Franz law, from $\kappa$. Table 1 より, 立方晶の方が高い $S$ を示すが, これは立方晶がナロウギャップの半導体的なバンド構造を持つのに対し,六方晶が半金属的である事とも対応している ${ }^{19)}$. また, 第一原理計算によるSun 等の報告から,立方晶構造の $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Sb}_{2} \mathrm{Te}_{5}$ は $200 \mathrm{~K}$ 程度の低温で高い熱電特性を示す事が予測されてい $る^{20)}$. そこで著者等は, 液体急冷凝固法と室温高圧プレスを組みあわせる事で, 立方晶構造を有する $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Sb}_{2} \mathrm{Te}_{5}$ バルク体を作製し,100-300 K の熱電特性を評価した ${ }^{21)}$ 。 その結果, Sun 等の論文通り高い $S$ と低い $\kappa を$ 再現する事ができたが,残念ながら $\rho$ が高く, $z T$ は $300 \mathrm{~K}$ で 0.1 程度にとどまった.今後, 性能向上のために, 元素置換で物性を最適化する事を考えているが, 元素置換を行う事によりこれらの結晶構造や熱電特性がどのような影響を受けるかはわかっていない. そこで本研究では, $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Sb}_{2} \mathrm{Te}_{5}$ の $\mathrm{Sb}$ サイトを $\mathrm{Bi}$ に置換した $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Sb}_{2-x} \mathrm{Bi}_{x} \mathrm{Te}_{5}$ バルク体を作製し, $\mathrm{Bi}$ 置換が結晶構造と熱電特性に与える影響について評価した。 ## 2. 実験方法 $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Sb}_{2-x} \mathrm{Bi}_{x} \mathrm{Te}_{5}(x=0,0.1,0.3,0.5)$ インゴットを作製するため, チャンク状の $\mathrm{Ge}, \mathrm{Sb}, \mathrm{Bi}, \mathrm{Te}$ を化学量論比で混合し,石英管に真空封入し溶融した。準安定相である立方晶構造を得るために,上記で得たインゴットを液体急冷凝固装置内で溶融し, 回転速度 $39 \mathrm{~ms}^{-1}$ で回転している銅のロール板に噴射する事で急冷し, 薄片状の試料を得た. その後, Kawai 式マルチアンビルセルを用いて室温下 $5 \mathrm{GPa}$ の圧力で等方静水加圧を行う事によりバルク体を作製した. 作製したバルク体を粉末化し, 放射光粉末 X線回折 (SXRD) パターンをSPring-8 の BL02B2で取得し, RIETAN-FP ${ }^{22)}$ により構造解析を行った. また, 100-300 Kでの $S, \rho, \kappa, T を$物理特性測定システム(Quantum Design 社製 PPMS)で測定し, $z T$ を評価した。 室温でのキャリア濃度 $n$ と易動度 $\mu$ をホール効果測定装置(東陽テクニカ製 ResiTest8300)により測定する事で, 室温での $S$ と $\rho$ の変化を考察した. ## 3. 結果と考察 $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Sb}_{2-x} \mathrm{Bi}_{x} \mathrm{Te}_{5}(x=0,0.1,0.3,0.5)$ 全ての試料の SXRD パターンが, 立方晶と六方晶の二つの構造で指数付けできた事から,いずれの試料もこれらの二相から成るとし Rietveld 解析を行った. 立方晶と六方晶の構造モデルは, Fig. 1 のモデルを用いた. 六方晶の構造モデルとしては, 松永モデルが最も確からしいが, Sb サイトの Bi 置換により, 構造解析が複雑になるため, 単一原子層モデルでかつ形成エネルギーが Petrov モデルより低いとされている Kooi モデルを使用し ${ }^{23)}$, $2 c$ サイトが $\mathrm{Sb}: \mathrm{Bi}=1-0.5 x: 0.5 x$ の割合で占有されると仮定した. Fig. 2 に $x=0-0.5$ 全ての試料の SXRD パターンと Rietveld 解析の結果を, 最後のページの Appendix に精密化した構造パラメータを示す. 全ての試料で比較的良いフィットが得られているが, $x$ の増加に従い六方晶のピーク形状が上手く再現できておらず信頼性因子 $\left(R_{\mathrm{wp}}, R_{\mathrm{p}}\right)$ も高くなる傾向にある事がわかる. Fig. 3 に例として, $x=0$ と 0.5 の試料の $9.50^{\circ}$ 付近の SXRD パターンを拡大するが, 立方晶のピー ク (図中西) は両試料で良いフィットを示しているのに対し, d) Fig. 2. Room-temperature SXRD patterns of $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Sb}_{2-x} \mathrm{Bi}_{x} \mathrm{Te}_{5}$ a) $x=0$, b) $x=0.1$, c) $x=0.3$, and d) $x=0.5$. 六方晶のピーク(図中 $\mathrm{X}$ ) は $x=0.5$ の試料では上手くフィットできていない. この原因は, $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Sb}_{2} \mathrm{Te}_{5}$ 六方晶構造と $a b$ 平面に関しては類似構造を持っているが, $c$ 軸方向の積層周期が異なる構造が形成されている事によるものと考えられる。 その根拠については昇温SXRD の結果のところで後述する。 Appendix より, $x$ の増加に従い立方晶の割合は減少, すなわち六方晶の割合は増加する傾向を示した $(x=0$ のとき 21 $\mathrm{wt} \%$ が六方晶であるが $x=0.5$ で $33 \mathrm{wt} \%$ に増加).また $x$ の増加( $0 \leq x \leq 0.5 )$ に従い立方晶の格子定数 $a_{\mathrm{cub}}$ と六方晶の格子定数 $a_{\mathrm{hex}}$ は増大した (Fig.4). 一方, 六方晶の格子定数 $c_{\text {hex }}$ は減少しており, $a_{\text {cub }}, a_{\text {hex }}$ とは逆の挙動を示す. Bi のイオン半径 $(1.03 \AA)^{25)}$ が $\mathrm{Sb}$ のイオン半径 $(0.76 \AA)^{25)}$ より大きい事から考えると, $x$ の増加に従い格子は膨張する事が予測 b) Fig. 3. Enlarged image of Fig.2a and 2d at around 9.50 . $\boldsymbol{\nabla}$ is cubic 200 and $\times$ is hexagonal 103 reflection, respectively. Fig. 4. $x$ in $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Sb}_{2-x} \mathrm{Bi}_{x} \mathrm{Te}_{5}$ dependence of a) cubic lattice parameter $a_{\text {cub }}$ and b) hexagonal lattice parameters $a_{\text {hex }}$ and $c_{\text {hex }}$. The bold lines are eye guides for the experimental data and have no physical meaning. The dashed lines are lattice constants predicted by Vegard's law using the literature values of thin film $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Sb}_{2} \mathrm{Te}_{5}{ }^{11)}$ and $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Bi}_{2} \mathrm{Te}_{5}{ }^{24)}$. a) Fig. 5. High-temperature SXRD patterns of $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Sb}_{2-x} \mathrm{Bi}_{x} \mathrm{Te}_{5}$ a) $x=0$ and b) $x=0.5$. The underlined $300 \mathrm{~K}$ are patterns of a sample that was heated to $600 \mathrm{~K}$ and then cooled. $\boldsymbol{\nabla}$ is cubic 200 and $\times$ is hexagonal 103 reflection, respectively. されるため $c_{\mathrm{hex}}$ の挙動のみ上手く説明でない.これは前述したように,解析に含めていない六方晶構造が存在する事で, $c_{\text {hex }}$ に寄与するピークが精度よく解析できていないためであると考えられる。 次に, $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Sb}_{2-x} \mathrm{Bi}_{x} \mathrm{Te}_{5}(x=0,0.5)$ の 100-600 Kにおける昇温 SXRD パターンの回折角 $2 \theta=8.0^{\circ}$ 付近の拡大図を Fig. 5 に示す. 100-400 K の昇温過程では, 両試料共に $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Sb}_{2} \mathrm{Te}_{5}$ の立方晶を主相及び六方晶を副相とした二相混相状態であり, そのピーク強度比も大きく変化しない事から, 相分率もほとんど変化がないと考えられる。一方, 400-500 Kの間で,立方晶から六方晶の構造相転移が起きている事がわかる。また, 過去の報告によると, $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Sb}_{2} \mathrm{Te}_{5}$ 薄膜の立方晶から六方晶の構造相転移は $473 \mathrm{~K}$ 程度であるとされている ${ }^{15)}$. 本研究の $x=0,0.5$ の試料でも同様の温度で構造相転移している事から, この範囲の Bi 置換量は, 構造相転移に大きな影響を与えない事が考えられる。 すなわち, 全ての試料について,本研究の熱電特性の測定温度範囲 (100-300 K) においては, 温した後, 再び $300 \mathrm{~K} に$ 戻した $x=0$ の試料のパターンでは,六方晶のピーク(図中 $\times$ )の低角度側に新しいピークがみえている. 測定時間を長くして統計精度を上げたデータを取得・解析したところ, このピークは $\mathrm{GeSb}_{2} \mathrm{Te}_{4}{ }^{26)}$ のものである事がわかった. $x=0.5$ の試料のパターンでは, このピークに加えて $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Sb}_{2} \mathrm{Te}_{5}$ 六方晶のピーク(図中 $\times$ )の高角度側にもなんらかのピークが観察される事から, $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Sb}_{2} \mathrm{Te}_{5}$ と $a b$ 平面に関しては類似構造を持っているが, $c$ 軸方向の積層周期が異なる $\mathrm{GeSb}_{2} \mathrm{Te}_{4}$ と同様の構造が形成されている事が示唆される.このピークは, 100-300 Kでは強度が小さいため明らかには観測できないが, このピークの存在により, Fig. 3 で述べたような $x$ の増加に伴う六方晶構造のフィット精度が悪くなる現象が生じていると考えられる。 $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Sb}_{2-x} \mathrm{Bi}_{x} \mathrm{Te}_{5}(x=0,0.1,0.3,0.5)$ バルク体の相対密度は, それぞれ 93,93,96,90\%であり,全ての試料において相対密度が $90 \%$ を超える緻密なバルク体が作製できた。尚,相対密度を算出する際は, 各相の相分率と理論密度を考慮して算出した. Fig. 6 に, $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Sb}_{2-x} \mathrm{Bi}_{x} \mathrm{Te}_{5}(x=0,0.1,0.3,0.5)$ の $S$, $\rho$ のそれぞれの温度依存性を示す. Fig. 6aより, 全ての試料は正の $S$ の値を示し $\mathrm{p}$ 型であった. さらに, 温度上昇とともに $S$ が増加する縮退半導体的挙動を示した。また, $x$ の増加とともに $S$ は減少する傾向を示した。 二相混合状態の $S$ の值は,有効媒質理論(EMT: effective medium theory)やそれにパーコレーション理論を組み込んだものなど様々な式が提案されている27-29) 。文献で報告されている立方晶及び六方晶 $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Sb}_{2} \mathrm{Te}_{5}$ の $S \kappa$ の値を用い, 金属や縮退半導体に有効である最も単純な EMT 理論をあてはめて考えると, 混合相の $S$ の值は, 六方晶の増加とともに減少する. 定性的には,我々の試料でも同じ事が成り立つはずであるので, $x$ の増加とともに $S$ が減少したのは, 立方晶と比較すると $S$ の小い六方晶の増加の影響によるものと推測される。また, 自由電子近似によると $S$ は以下の式で表す事ができる'1). $ \mathrm{S}=\frac{8 \pi^{2} k_{B}^{2}}{3 e h^{2}} m^{*} T\left(\frac{\pi}{3 n}\right)^{2 / 3} $ ここで, $k_{\mathrm{B}}$ はボルツマン定数, $e$ は電荷素量, $h$ はプランク定数, $m^{*}$ は有効質量, $T$ は絶対温度, $n$ はキャリア濃度である。ここで,二相混合状態の試料の $S$ の変化が,一相目と二相目の上式の右辺パラメータの変化の和によるものと仮定し, 以下議論する。 $x=0,0.5$ の試料の $n$ はそれぞれ 4.5 $\times 10^{20}, 3.1 \times 10^{20} \mathrm{~cm}^{-3}$ である事から, $x$ の増加に伴う $S$ の減少は, $n$ の減少では説明できない. これは, $x$ の増加に伴う六方晶構造の相分率の増加により, 半金属的なバンド構造の特徴が試料全体のバンド構造に反映される事で, $m^{*}$ が小さくなっている可能性が考えられる. Fig. $6 \mathrm{~b}$ より, $\rho$ は, $x=0$ , 0.1 の試料ではほぼ温度依存性がなく金属的挙動を示しているが, $x=0.3,0.5$ の試料では温度上昇とともに減少する挙動を示した。これは, 置換量の多いこれらの試料では低温で顕著なイオン化不純物散乱の影響がみえているのではないかと推測している。また, $x$ の増加とともに $\rho$ は増加した. $x=0.5$ の試料 $\left(n=3.1 \times 10^{20} \mathrm{~cm}^{-3}, \mu=0.9 \mathrm{~cm}^{2} \mathrm{~V}^{-1} \mathrm{~s}^{-1}\right)$ は $x=0$ の試料 $\left(n=4.5 \times 10^{20} \mathrm{~cm}^{-3}, \mu=1.9 \mathrm{~cm}^{2} \mathrm{~V}^{-1} \mathrm{~s}^{-1}\right)$ に比べて, 低い $n$ と $\mu$ を有する事から, $x$ の増加に伴う $\rho$ の増加は $n$ と $\mu$ の低下によるものと説明できる。本研究においては, $\mu$ に影響を与えるものとして, バルク体の相対密度, 立方晶と六方晶の相分率, $\mathrm{Ge} / \mathrm{Sb} / \mathrm{Bi}$ サイト (立方晶) と $\mathrm{Sb} / \mathrm{Bi}$ サイト(六方晶)での合金散乱が考えられる。相対密度は $x$ の值によりバラツキがあるが, 密度補正 ${ }^{30}$ しても $\rho$ の大小関係は変わらない事から相対密度の影響は小さいと考えられる。六方晶の相分率は $x$ の増加に伴い増加しているが, 立方晶より六方晶の方が $\rho$ は小さい事が報告されている事から, $x$ の増加に伴い $\rho$ は小さくなることが予測される. しかし実験結果は異なる。したがって,相分率の影響も小さいと考えられる。これらの結果より, Sb サイトの Bi 置換により生じた合金散乱の影響が大きく, $\rho$ が増加している事と推測できる。これまでに測定した $S$ と $\rho$ の值から算出した $S^{2} \rho^{-1}$ より, $x$ 増加に 伴い $S^{2} \rho^{-1}$ は減少し, $300 \mathrm{~K}$ での最大 $S^{2} \rho^{-1}$ は $0.15 \mathrm{~mW} \mathrm{~m}^{-1}$ $\mathrm{K}^{-2}(x=0)$ から, $0.02 \mathrm{~mW} \mathrm{~m}^{-1} \mathrm{~K}^{-2}(x=0.5)$ に大きく低下した. Fig. 7 に, $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Sb}_{2-x} \mathrm{Bi}_{x} \mathrm{Te}_{5}(x=0,0.1,0.3,0.5)$ の $\kappa$, $z T$ のそれぞれの温度依存性を示す。 Fig. 7aより, $x$ の増加に伴い $\kappa$ は減少した. Wiedemann- は 300Kでも 0.03-0.06 $\mathrm{W} \mathrm{m}^{-1} \mathrm{~K}^{-1}$ 程度であり, 全ての試料の $の 90 \%$ 以上は,格子の寄与であると見積もられた。 の格子の寄与に影響を与えるものとして, $\mu$ と同様, バルク体の相対密度, 立方晶と六方晶の相分率, $\mathrm{Ge} / \mathrm{Sb} / \mathrm{Bi}$ サイト(立方晶)と $\mathrm{Sb} / \mathrm{Bi}$ サイト (六方晶) での合金散乱が考えられる。 関係は変わらない事から相対密度の影響は小さいと考えら る.したがって, $\mu$ と同様, $\mathrm{Sb}$ サイトの Bi 置換により生じた合金散乱の影響が大きく, 火が減少している事と推測できる. Fig.7bより, $x$ の増加に伴い $z T$ は減少し, $300 \mathrm{~K}$ での最大 $z T$ は $0.07(x=0)$ から, $0.02(x=0.5)$ に低下した。本研究では, $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Sb}_{2} \mathrm{Te}_{5}$ の $\mathrm{Sb}$ サイトを $\mathrm{Bi}$ で置換する事で, $\mathrm{Bi}$置換が熱電特性に直接影響を与えるたけけでなく, 試料を構成する立方晶と六方晶の相分率にも影響を与え, この相分率の変化も, 間接的に熱電特性に影響を与えたと考えられる。本 Fig. 6. Temperature dependence of a) $S$ and b) $\rho$ of $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Sb}_{2-x} \mathrm{Bi}_{x} \mathrm{Te}_{5}(x$ $=0,0.1,0.3$, and 0.5 ).研究で行った Bi 置換では,六方晶の割合が増加したが,今後は熱電材料として期待される立方晶をより多く含むような置換元素を選択する必要がある。それでは,どのような元素で置換すれば,立方晶構造がより安定になるであろうか。立方晶 $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Sb}_{2} \mathrm{Te}_{5}$ は, 格子点あたり 3 つの $\mathrm{p}$ 電子を持ち, 結晶の立体的な原子配列は, 互いに直交する 3 方向の $\mathrm{p}$ 電子が非局在化する事で共鳴結合を形成している ${ }^{32}$. この時の基本単位格子は, $\mathrm{Ge} / \mathrm{Sb}$ カチオンサイトを中心とし, $\mathrm{Te}$ を頂点とした菱面体構造 $\left(\alpha=60^{\circ}\right)$ になる. しかし元素置換等により,イオン結合性が強くなり菱面体構造 $\left(\alpha<60^{\circ}\right)$ に歪が生じると六方晶構造になると考えられる。この時のイオン性の見積り指標を Littlewood 等 ${ }^{33)}$ が提案した $r_{\sigma}{ }^{\prime}$ で評価すると, イオン性が増加する事から, Bi 置換により六方晶割合が増えた本実験結果を上手く説明できる. 同じように考えると,例えば Ge を同族元素の As で置換した場合は, $r_{\sigma}^{\prime}$ は小さくなることから,Asの置換では六方晶の割合は増えないと考えられる。しかしながら $r_{\sigma}^{\prime}$ の指標は,同族元素での置換を行い電子数が変化しない場合でのみ適用可能なため, キャリア濃度調整を行うような目的の場合は, 分子動力学計算を用いて薄膜のスパッタの条件をシミュレーションする事で形成される構造を予測する研究等 ${ }^{34}$ を参考にし, 液体急冷凝固の条件をシミュレーションする事で六方晶と立方晶のどちらが Fig. 7. Temperature dependence of a) $\kappa$ and b) $z T$ of $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Sb}_{2-x} \mathrm{Bi}_{x} \mathrm{Te}_{5}$ $(x=0,0.1,0.3$, and 0.5$)$. 安定に形成されるかを予測する事が有効と考えられる。 ## 4. ま と め 液体急冷凝固法と室温高圧プレスにより $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Sb}_{2-x} \mathrm{Bi}_{x} \mathrm{Te}_{5}$ $(x=0,0.1,0.3,0.5)$ バルク体を作製し, Bi 置換が試料の結晶構造と熱電特性に与える影響について評価した. Bi 置換によ $り$, 試料を構成する立方晶と六方晶の割合が, 79:21 wt\%( $x=$ 0)から $67: 33 \mathrm{wt} \%(x=0.5 )$ に変化し, 六方晶の割合が増加した. この相構成は, 熱電特性の測定範囲である 100-300 Kにおいては変化しない事が低温 SXRD 測定により確認された。Bi 置換により形成相の相分率が変化する事から,Bi 置換が熱電特性に直接影響を与えるだけでなく, 試料を構成する立方晶と六方晶の相分率にも影響を与え, この変化も間接的な意味で熱電特性に影響を与えると考えられる. $x$ 増加に伴い $S$ は六方晶構造の相分率の増加の影響を, $\rho$ と $\kappa$ 合金散乱の影響を大きく受けたと推測される結果を得た。結 $300 \mathrm{~K}$ での最大 $z T$ は $0.07(x=0)$ から, $0.02(x=0.5)$ に低下した. ## 5. 謝辞 本研究は, JST さきがけ(課題番号:JPMJPR17R4), 科学研究費補助金 - 挑戦的萌芽研究 (課題番号:16K14425),熱.電気エネルギー技術財団より多大なご支援を頂いた。また,放射光実験は SPring-8 の BL02B2 ラインにて行った(課題番号:2016B1462,2017A1464)。ここに謝意を表す. ## 参考文献 1) Snyder G.J., Toberer E.S.: Nat. 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Phys. 106, 113509 (2009). ## Appendix Table A1. Crystal structure parameters of $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Sb}_{2-x} \mathrm{Bi}_{x} \mathrm{Te}_{5}(x=0,0.1,0.3,0.5)$ ${ }^{a}$ Atomic positions of the cubic structure referencing those of reported cubic $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Sb}_{2} \mathrm{Te}_{5}{ }^{11)}$ : $\mathrm{Te} 4 a(0,0,0) ; \mathrm{Ge} / \mathrm{Sb} / \mathrm{Te} 4 d(1 / 2,1 / 2,1 / 2)$. ${ }^{b} g$ was fixed at unity, ${ }^{c}$ Constraints used for $B$ of the cubic $\mathrm{Ge} / \mathrm{Sb} / \mathrm{Bi}(4 a)$ sites: $B(\mathrm{Ge})=B(\mathrm{Sb})=B(\mathrm{Bi})$; the hexagonal $\mathrm{Te} 1(1 a)$, $\mathrm{Te} 2(2 d)$, and $\mathrm{Te} 3(2 d)$ sites: $B(\mathrm{Te} 1)=B(\mathrm{Te} 2)=B(\mathrm{Te} 3)$; the hexagonal $\mathrm{Ge}(2 d), \mathrm{Sb} / \mathrm{Bi}(2 c)$ sites: $B(\mathrm{Ge})=B(\mathrm{Sb})=B(\mathrm{Bi})$ ${ }^{d}$ Atomic positions of the hexagonal structure were fixed at those of reported hexagonal $\mathrm{Ge}_{2} \mathrm{Sb}_{2} \mathrm{Te}_{5}{ }^{11)}$ : Te1 $1 a(0,0,0) ; \mathrm{Ge} 2 d(2 / 3,1 / 3$, $0.1061 ;$ Te2 $2 d(1 / 3,2 / 3,0.2065) ; \operatorname{Sb} / \mathrm{Bi} 2 c(0,0,0.3265) ;$ Te $32 d(2 / 3,1 / 3,0.4173)$.
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# Bi-Sb における磁場中熱電物性の同一試料測定と 試料形状の影響 村田 正行 ${ }^{*}$, 鈴木 真理 ${ }^{,}$, 青山 佳代 ${ }^{1}$, 長瀬 和夫 ${ }^{1}$, 大島 博典 ${ }^{1}$, 山本 淳 $^{1}$, 長谷川 靖洋 ${ }^{2}$, 小峰 啓史 ${ }^{3}$ } 1 産業技術総合研究所 省エネルギー研究部門, 〒 305-8568, 茨城県つくば市梅園 1-1-1 つくば中央第 2 ${ }^{2}$ 埼玉大学 大学院理工学研究科, 〒 338-8570, 埼玉県さいたま市桜区下大久保 255 3 茨城大学 大学院理工学研究科, $\bar{\top} 316-8511$, 茨城県日立市中成沢町 4-12-1 The Journal of the Thermoelectrics Society of Japan Vol. 20, No. 2 (2023), pp. 67-74 (C) 2023 The Thermoelectrics Society of Japan ## Measurements of thermoelectric properties of identical Bi-Sb sample in magnetic fields and influence of sample geometry Masayuki Murata ${ }^{1 *}$, Mari Suzuki ${ }^{1}$, Kayo Aoyama', Kazuo Nagase', Hironori Ohshima', Atsushi Yamamoto ${ }^{1}$, Yasuhiro Hasegawa ${ }^{2}$, Takashi Komine ${ }^{3}$ 1-1-1 Umezono, Tsukuba, Ibaraki, 305-8568, Japan, iECO, National Institute of Advanced Industrial Science and Technology (AIST) 2255 Shimo-Okubo, Sakura, Saitama 338-8570, Japan, Graduate School of Science and Engineering, Saitama University ${ }^{3}$ 4-12-1 Nakanarusawa, Hitachi, Ibaraki 316-8511, Japan, Graduate School of Science and Engineering, Ibaraki University The influence of sample geometry on measured physical properties (the magneto-Seebeck effect, Nernst effect, magnetoresistance effect, Hall effect, and thermal conductivity) in a magnetic field was investigated for a polycrystalline $\mathrm{Bi}$ - $\mathrm{Sb}$ sample. The polycrystalline $\mathrm{Bi}_{88} \mathrm{Sb}_{12}$ bulk sample was prepared using the spark plasma sintering method and annealing, and the physical properties obtained via measurements in magnetic fields of $5 \mathrm{~T}$ were compared with the simulated values obtained by the finite element method with considering various sample geometries. The appropriate shape required for the precise measurement of less than $2 \%$ error was found to be different for each physical property: the required aspect ratio of length $l$ to width $w$ is $l / w>0.57$ for the magnetoresistance effect, $l / w>2.9$ for the Hall effect, $l / w>4.2$ for the two-wire magneto-Seebeck effect, $l / w>1.2$ for the four-wire magneto-Seebeck effect, and $l / w>3.1$ for the Nernst effect. We also found that a small error of less than $2 \%$ in the thermal conductivity measurement requires $K_{s} / K_{w}>27$, where $K_{s}$ and $K_{w}$ represent the thermal conductance of sample and that of lead wire, respectively. (Received: June 2, 2023; Accepted: October 5, 2023; Published online: October 6, 2023) Keywords thermomagnetic effect; galvanomagnetic effect; thermal conductivity; figure of merit; geometry effect ## 1. はじめに $B i-S b$ 合金は室温以下で高い無次元性能指数 $z T$ を持つことで知られる。中でも $\mathrm{Bi}_{88} \mathrm{Sb}_{12}$ は,無磁場では $120 \mathrm{~K}$ のときに最大値 $z T=0.55$ を示すが,外部磁場を印加することにより $z T$ が上昇し, $1 \mathrm{~T}$ の磁場中では $220 \mathrm{~K}$ で $z T=1.28$ という値が報告されている ${ }^{1)}$ 。磁場中では $300 \mathrm{~K} て ゙ も ~ z T=0.84$ に達しており, 室温近傍でも高い性能を示す. Bi-Sb 合金に外部磁場を印加することで, Seebeck 係数 S, 電気抵抗率 $\rho$ ,熱伝導率 $\kappa$ の 3 つの物性值に変化が生じ $z T$ が向上する. Seebeck 係数が磁場中で変化する現象は磁気 Seebeck 効果と呼ばれる。一方, $\mathrm{Bi}-\mathrm{Sb}$ 合金は磁場中の熱電効果の一つであ  る Nernst 効果も強く表れる ${ }^{2)}$. Nernst 効果は, 磁場中で温度勾配と磁場に直交した熱起電力が誘起される現象であり,温度差に対して横方向に電圧が得られることから, デバイス構造の簡易化が可能である ${ }^{3}$. 特に,磁性体で発現する異常 Nernst 効果を用いたデバイスは,外部磁場無しで動作することから量産に向いているため ${ }^{4)}$ ,近年,熱流センサー等への応用を目指した研究開発が行われている ${ }^{5)}$. これまで,我々の研究グループでは Bi-Sb 合金における磁場中の熱電効果に着目し, 高性能化に向けた材料開発とデバイス化,特性評価技術の確立を行ってきた ${ }^{6-8)}$. 磁場中で各物性值を測定する際,無磁場での測定とは異なり測定される值が試料の形状に強く依存する ${ }^{9-21)}$ 。一般的に, 磁気 Seebeck 効果や Nernst 効果, 磁気抵抗効果, Hall 効果を測定する場合, 試料の長さ $l$ と幅 $w$ のアスペクト比 $l / w$ が大きい棒状の形状が望ましい。これは,磁場中では温度勾配(電 流)に対して横方向の電位差が Nernst 効果(Hall 効果)によって生じるが,試料端部の金属電極において短絡されることで端部付近で等電位面が端面に平行となる影響を低減させるためである。一般的に Nernst 効果や Hall 効果を正しく評価するためには, $l / w$ は 3 から 4 以上が望ましい ${ }^{12,20) 。 一 ~}$方,熱伝導率の測定では試料外への熱流出を最小限に抑えるために, 断面積の大きい平板状の試料が望ましく ${ }^{22)}$, 磁気 Seebeck 効果や Nernst 効果等の測定に求められる試料形状とは異なる。これまで本研究グループでは,バルク試料を用いて磁場中の物性 (磁気 Seebeck 効果, Nernst 効果, 磁気抵抗効果, Hall 効果, 熱伝導率)を同一試料で測定する場合, アスペクト比が 4 程度あり,断面積を確保でき,焼結体として作製し易い試料形状として, $3 \times 3 \times 12 \mathrm{~mm}^{3}$ を標準的に採用してきた 6,7 . 本研究では, 同一試料を用いて無次元性能指数を求めるために,磁場中の Seebeck 効果と Nernst 効果による熱電能,対角抵抗率, Hall 抵抗率, 熱伝導率を測定する上で望ましい試料形状の条件を検討する。放電プラズマ焼結(SPS)法により作製した Bi-Sb 合金を用いて磁場中の各物性値を測定し, 得られた物性值を用いて試料形状を変化させた場合に測定される値を有限要素法によりシミュレーションする. ## 2. 実験方法 ## 2.1. 試料準備 シミュレーションで使用する物性値を測定する材料として, 磁気 Seebeck 効果による大きな $z T$ が報告されている $\mathrm{Bi}_{88} \mathrm{Sb}_{12}$ を採用した. $\mathrm{Bi}-\mathrm{Sb}$ 合金の単結晶は物性値の強い異方性を示すが,シミュレーションでは異方性を無視して単純化するため, 測定される異方性の小さい焼結体を作製した ${ }^{6}$. $\mathrm{Bi}$ と $\mathrm{Sb}$ のショット(5N グレード,フルウチ化学)を別々にメノウ製の乳鉢と乳棒を用いて粉砕し,粉末を目的の原子組成比になるように混ぜた後, SPS 法 (SPS-515S, 富士電波工機) により, $220^{\circ} \mathrm{C}, 50 \mathrm{MPa}$ で 10 分間焼結し, 直径 15 $\mathrm{mm}$, 厚さ $3 \mathrm{~mm}$ 程度のデイスク状のインゴットを作製した. その後,固相反応による合金化を促進するため,作製したインゴットを石英アンプルに真空封入し, 電気炉を用いて $250^{\circ} \mathrm{C}$ で 1 週間アニール処理を行った. 作製したインゴットはワイヤーソーと研磨により $2.909 \times 3.405 \times 11.074 \mathrm{~mm}^{3}$ に整形した。 ## 2.2. 測定試料セットアップ Fig. 1 に,作製した $\mathrm{Bi}_{88} \mathrm{Sb}_{12}$ を用いた測定用試料のセットアップの概略図(a)と写真(b)を示す.温度差を直方体試料の長手方向に印加するために, 試料の両端に低温側と高温側の熱浴として厚さ約 $0.4 \mathrm{~mm}$ の銅板を導電性の銀エポキシ (H 9683,ナミックス)を利用して接着した。上下の銅板には,電流磁気効果測定では電流印加用として, 熱磁気効果測定では起電力測定用として使用するために, 直径 $25 \mu \mathrm{m}$ の銅線を 1 本ずつ銀エポキシを用いて取り付けた。サンプルの側面には各効果において電圧測定として使用するための直径 25 $\mu \mathrm{m}$ 銅線を,片側に 3 本,反対側に 1 本,銀エポキシを用い て取り付けた,側面の 3 本の銅線は,試料の長さに対して各電極間距離が $1: 1: 1: 1$ の比となる位置を目安に取り付けられた。金属細線は手作業で設置することから実際の位置はこの比と異なり, Fig. 1 (a)に,マイクロスコープを用いて測定した各電極間の距離を示す。金属細線を試料へ接続する際,接点径を小さくすることで測定誤差を小さくすることができる.例えば対角抵抗の場合,測定に用いる電極間の距離が $6 \mathrm{~mm}$ 程度であることから,1\%以内の誤差にするためには接点の直径は $0.06 \mathrm{~mm}$ 以下にすることが望ましい. しかしながら,手作業で銀エポキシを用いて金属細線を接続する場合,接点径を小さくすることが難しく,実験で用いた試料では接点径が 0.3 から $0.4 \mathrm{~mm}$ 程度であることから,電極の接点径に由来する誤差は最大で $7 \%$ 程度含む可能性がある。上部の銅板には,Seebeck 効果と Nernst 効果の熱電能,熱伝導率の測定時に温度差を付けるために,微小の $120 \mu$ ヒー ター(SGD-1.5/120-LY11,オメガエンジニアリング)をシリコーン接着剤(1225B,スリーボンド)を用いて取り付けた。 ヒーターからの熱流出を抑えるために,熱伝導率の小さいマンガニン線(直径 $25 \mu \mathrm{m}$ )を正負の導線に対して 2 本ずつ配線した,温度差を測定するために直径 $25 \mu \mathrm{m}$ の $\mathrm{T}$ 型差動熱電対を,試料と閉回路を作らないように低温側接点をシリコーン接着剂で絶縁し,低温側は銀エポキシ,高温側はシリコーン接着剂を用いて両銅板と熱的に接触させた。配線した測定用試料は,試料ホルダーの AlN 基板上にシリコーン接着剂を用いて固定された。 Fig. 1. (a) Schematic and (b) photograph of set-up for measurements of diagonal and Hall resistivity, Seebeck and Nernst thermopower, and thermal conductivity for $\mathrm{Bi}_{88} \mathrm{Sb}_{12}$ bulk. ## 2.3. 測定方法 試料ホルダーには低温側の絶対温度を測定するために温度センサー(Cernox, Lakeshore)が埋め込まれている。試料ホルダーは GM 冷凍機式のクライオスタットに設置され,冷凍機と試料ホルダーの間の適切な箇所に FRP シートを挟み,ヒーターにより制御することで ${ }^{22,23)}$ ,試料ホルダーにおける温度振動は $\mathrm{mK}$ オーダーに抑えられている. $10^{-3} \mathrm{~Pa} 未$満の真空雾囲気中で, $300 \mathrm{~K}$ における磁場中の対角 ・ Hall 抵抗率,Seebeck・Nernst 熱電能,熱伝導率の測定を行った。 対角・Hall 抵抗(電流磁気効果)は, Fig. 2 (a) に示すように電流源(6221,Keithley)を用いて $1.0 \mathrm{~mA}$ で 1.234 $\mathrm{Hz}$ の交流電流を印加し, 2 台のロックインアンプ(SR860, Stanford Research Systems)を用いて同時に磁場依存性を計測した. Seebeck$\cdot$Nernst 熱電能 (熱磁気効果) と熱伝導率は, Fig. 2 (b) に示すように定常法により同時に測定した。まず,測定温度において 4 端子法により上部ヒーターの抵抗を求めておく,温度差を付ける際には,マンガニン線における発熱を抑えるために 2 本並列に電流源(6221, Keithley)を用いて電流を印加した. 試料を通過する熱量は, 予め測定したヒー ター抵抗と印加電流から決定した。ここで,並列のマンガニン細線 2 本分の抵抗はヒーター抵抗に対して約 $8 \%$ でることから, ヒーター発熱の約 4\%(マンガニン細線における発熱の半分)が試料へ熱流入する可能性がある。試料の温度差は, ナノボルトメータ(2182A, Keithley)により測定した差動熱電対の電位差と低温側の絶対温度から求めた. 測定におけるオフセット電圧を除去するために,2つの温度差(例えば $0 \mathrm{~T}$ のとに $0.2 \mathrm{~K}$ と $1.0 \mathrm{~K})$ で各電極の電圧をマルチメー ## (a) Galvanomagnetic effect (b) Thermomagnetic effect and thermal conductivity Fig. 2. Schematics of measurements for (a) galvanomagnetic effect and (b) thermomagnetic effect and thermal conductivity. タ(2002, Keithley)により測定した,外部磁場は超電導コイル (Cryogen Free Magnet System, Cryogenic)を利用して,試料の長手方向に直交するように印加し, $\pm 5 \mathrm{~T}$ の間を 0.17 $\mathrm{T} \min ^{-1}$ で掃引した. ## 3. 測定結果 ## 3.1. 電流磁気効果 電流磁気効果では,対角抵抗率と Hall 抵抗率を評価するために, 試料の長手方向 $V_{1}$ と横方向 $V_{\mathrm{t}}$ の 2 つ電圧を測定した.得られた $V_{1}$ と $V_{\mathrm{t}}$, 印加電流 $I$ から, 試料形状と電極間距離を考慮し, 2 つの抵抗率 $\rho_{1}$ と $\rho_{\mathrm{t}}$ を以下の通り求める. $ \begin{gathered} \rho_{\mathrm{l}}=\frac{V_{\mathrm{l}}}{I} \frac{w d}{g} \\ \rho_{\mathrm{t}}=\frac{V_{\mathrm{t}}}{I} d \end{gathered} $ ここで, $w, d, g$ はそれぞれ試料の幅,奥行き,電極間距離を示す。これらの抵抗率は,電極位置のずれに起因して対角抵抗率 $\rho_{\mathrm{d}}$ と Hall 抵抗率 $\rho_{\mathrm{H}}$ が混在したものを測定している.対角抵抗率 $\rho_{\mathrm{d}}$ は磁場に対して偶関数であることを考慮して $\rho_{1}$ をもとに, Hall 抵抗率 $\rho_{\mathrm{H}}$ は磁場 $B$ に対して奇関数であることを考慮して $\rho_{\mathrm{t}}$ をとに,以下の通り求められる。 $ \begin{aligned} & \rho_{\mathrm{d}}=\frac{\rho_{\mathrm{l}}(B)+\rho_{\mathrm{l}}(-B)}{2} \\ & \rho_{\mathrm{H}}=\frac{\rho_{\mathrm{t}}(B)-\rho_{\mathrm{t}}(-B)}{2} \end{aligned} $ Fig. 3aに, $300 \mathrm{~K}$ で測定された $\rho_{\mathrm{d}}$ と $\rho_{\mathrm{H}}$ の $5 \mathrm{~T}$ までの磁場依存性を示す。無磁場で $\rho_{\mathrm{d}}$ は $3.48 \mu \Omega \mathrm{m}$ であるが, 磁気抵抗効果によって $5 \mathrm{~T}$ で $8.58 \mu \Omega \mathrm{m}$ まで上昇し, $\rho_{\mathrm{H}}$ は $5 \mathrm{~T}$ で $-2.60 \mu \Omega \mathrm{m}$ となった. ## 3.2. 熱磁気効果 熱磁気効果では, 磁気 Seebeck 熱電能と Nernst 熱電能を評価するために,試料の長手方向 $\Delta V_{1}$ と横方向 $\Delta V_{\mathrm{t}}$ の 2 つ電位差を測定した。得られた $\Delta V_{1}$ と $\Delta V_{\mathrm{t}}$ から,試料形状を考慮し, 2 点の温度差 $\Delta T_{1}, \Delta T_{2}$ で測定した各電位差をもに, 2 つの熱電能 $\alpha_{1}$ と $\alpha_{\mathrm{t}}$ は以下の通り求められる. $ \begin{gathered} \alpha_{1}=\frac{\Delta V_{\mathrm{l}, 2}-\Delta V_{\mathrm{l}, 1}}{\Delta T_{2}-\Delta T_{1}} \\ \alpha_{\mathrm{t}}=\frac{\Delta V_{\mathrm{t}, 2}-\Delta V_{\mathrm{t}, 1}}{\Delta T_{2}-\Delta T_{1}} \frac{l}{w} \end{gathered} $ ここで、1は試料の長さを示す。これらの熱電能は,電極位置のずれに起因して Seebeck 効果と Nernst 効果の成分が混在したものを測定している。そこで電流磁気効果の場合と同様に, 磁気 Seebeck 熱電能 $S_{\mathrm{m}}$ は磁場に対して偶関数であることを考慮して $\alpha_{1}$ をとに, Nernst 熱電能NBは磁場に対して奇関数であることを考慮して $\alpha_{\mathrm{t}}$ をとに,以下の通り求められる。 $ \begin{aligned} & S_{\mathrm{m}}=\frac{\alpha_{\mathrm{l}}(B)+\alpha_{\mathrm{l}}(-B)}{2} \\ & N B=\frac{\alpha_{\mathrm{t}}(B)-\alpha_{\mathrm{t}}(-B)}{2} \end{aligned} $ なお, 磁気 Seebeck 効果は単結晶の場合に Umkehr 効果によって磁場に対する非対称性を示すが ${ }^{24)}$, 今回は焼結体であり異方性が小さいことから無視した ${ }^{6)}$. Fig. 3 (b) に, $300 \mathrm{~K}$ で測定された $S_{\mathrm{m}}$ と NBの $5 \mathrm{~T}$ までの磁場依存性を示す.無磁場で $S_{\mathrm{m}}$ は-80.1 $\mu \mathrm{V} \mathrm{K} \mathrm{K}^{-1}$ であるが, 磁気 Seebeck 効果によって $5 \mathrm{~T} て ゙-118 \mu \mathrm{V} \mathrm{K} \mathrm{K}^{-1}$ まで上昇し, NB $5 \mathrm{~T}$ で 63.2 $\mu \mathrm{VK}^{-1}$ となった. ## 3.3. 熱伝導率 熱伝導率の磁場依存性は,ヒーターに投入した熱量 $Q$ と試料形状を考慮して以下の通り求められる。 $ \kappa_{1}=\frac{Q_{2}-Q_{1}}{\Delta T_{2}-\Delta T_{1}} \frac{l}{w d} $ 熱伝導率 $\kappa_{\mathrm{d}}$ は磁場に対して偶関数であることを考慮して $\kappa_{1}$ をもとに,以下の通り求められる。 $ \kappa_{\mathrm{d}}=\frac{\kappa_{\mathrm{l}}(B)+\kappa_{\mathrm{l}}(-B)}{2} $ Fig. $3 \mathrm{c}$ に $300 \mathrm{~K}$ で測定された $\kappa_{\mathrm{d}}$ の $5 \mathrm{~T}$ までの磁場依存性を示す. 無磁場で $\kappa_{\mathrm{d}}$ は $3.96 \mathrm{~W} \mathrm{~m}^{-1} \mathrm{~K}^{-1}$ であるが, $5 \mathrm{~T} て ゙ 3.25$ $\mathrm{W} \mathrm{m}{ }^{-1} \mathrm{~K}^{-1}$ まで低下した。 ## 3.4. 無次元性能指数 物性値の異方性を無視すると, Seebeck 効果と Nernst 効果に由来する無次元性能指数 $z_{\mathrm{S}} T$ と $z_{\mathrm{N}} T$ は, それぞれ以下のように表される。 $ z_{\mathrm{S}} T=\frac{S_{\mathrm{m}}^{2}}{\rho_{\mathrm{d}} \kappa_{\mathrm{d}}} T $ Fig. 3. Measured magnetic field dependences of (a) diagonal and Hall resistivity, (b) Seebeck and Nernst thermopowers, (c) thermal conductivity, and (d) dimensionless figure-of-merit for Seebeck and Nernst effects $ z_{\mathrm{N}} T=\frac{(N B)^{2}}{\rho_{\mathrm{d}} \kappa_{\mathrm{d}}} T $ ここで, $T$ は試料の絶対温度である.Fig. 3 (d) に, 300 Kにおいて測定された各物性值から算出した $z_{\mathrm{S}} T$ と $z_{\mathrm{N}} T$ の磁場依存性を示す. $z_{S} T$ は無磁場で 0.14 であるが, 磁場の印加によって $1.5 \mathrm{~T}$ 付近で 0.16 まで上昇し, その後 $5 \mathrm{~T}$ まで徐々に低下した。一方, $z_{\mathrm{N}} T$ は磁場の印加により単調に増加し, $5 \mathrm{~T}$ で 0.043 となった. ## 3.5. 測定値と物性値の関係 磁場中の熱電効果は, 電気伝導度 $\sigma$, Seebeck 係数 $S$, Hall 係数 $R$, Nernst 係数 $N$, 熱伝導率 $\kappa$, Righi-Leduc 係数 $L$ と電界 $\mathbf{E}$, 電流密度 $\mathbf{j}$, エネルギー流速密度 $\mathbf{q}$, 電気化学ポテンシャル $\varphi$ を用いて以下の通り表される ${ }^{25)}$. $ \begin{gathered} \mathbf{E}=\frac{1}{\sigma} \mathbf{j}+S \nabla T+R \mathbf{B} \times \mathbf{j}+N \mathbf{B} \times \nabla T \equiv \underline{\boldsymbol{\rho}} \mathbf{j}+\underline{\boldsymbol{\alpha}} \nabla T \\ \mathbf{q}-\phi \mathbf{j}=S T \mathbf{j}-\kappa \nabla T+N \mathbf{B} \times \mathbf{j}+L \mathbf{B} \times \nabla T \equiv \underline{\boldsymbol{\alpha}} T \mathbf{j}-\underline{\mathbf{K}} \nabla T \end{gathered} $ ここで, $(13,14)$ 式の最後の式では磁場中の効果を 2 階テンソルで表現した電気抵抗率テンソル $\underline{\underline{o}}$, 熱電能テンソル $\boldsymbol{\alpha}$,熱伝導率テンソル $\mathbf{K}$ を導入した,等温条件 $(\partial T / \partial y=0 )$ において,磁場を[001],電流を[100]方向に印加した時の $\rho_{x x}$ が (等温) 対角抵抗率, $\rho_{y x}$ が(等温)Hall 抵抗率, 磁場を[001],温度勾配を[100]方向に印加した時の $\alpha_{x x}$ が(等温) Seebeck 熱電能, $\alpha_{y x}$ が(等温) Nernst 熱電能である.今回の実験で測定された対角抵抗率 $\rho_{\mathrm{d}}$ と Hall 抵抗率 $\rho_{\mathrm{H}}$ は交流法を用いていることから等温的であり ${ }^{26)}$ ,それぞれ $\rho_{x x}$ と $\rho_{y x}$ に相当する。一方, 測定された磁気 Seebeck 熱電能 $S_{\mathrm{m}}$ と Nernst 熱電能NB は定常法を用いており, 試料側面が断熱されていることから,それぞれ(断熱) Seebeck 効果と(断熱) Nernst 効果に由来する ${ }^{26)}$. 測定される $S_{\mathrm{m}}$ と $N B$ は等温条件の $\alpha_{x x}$ と $\alpha_{y x}$ を用いて以下の通り表される ${ }^{27)}$. $ \begin{aligned} & S_{\mathrm{m}}=\alpha_{x x}+\alpha_{y x} \frac{\nabla_{y} T}{\nabla_{x} T} \\ & N B=\alpha_{y x}+\alpha_{x x} \frac{\nabla_{y} T}{\nabla_{x} T} \end{aligned} $ ここで, 測定値と等温条件の熱電能の差は, 温度勾配と磁場に直交した熱流が生じる Righi-Leduc 効果 $\nabla_{y} T=$ $\left(K_{y x} / K_{x x}\right) \nabla_{x} T$ に起因する ${ }^{26)}$.なお, 一般的に Bi-Sb 合金において $K_{y x} / K_{x x}$ は小さいことから無視される ${ }^{28)}$. ## 4. 考察 ## 4.1. 試料形状の影響 測定される電流磁気効果と熱磁気効果は, 試料形状に強く依存することが報告されている ${ }^{9-21)}$. 特に端部に金属電極を付けることで,端部付近で等電位面が端面と平行になることから, Hall 効果や Nernst 効果等の横方向効果は影響を受け 極の影響が横効果を測定する試料の中心部にも表れるため,横効果を測定する場合には一般的に $l / w$ が大きいことが望ま しい. さらに,2 端子法で磁気 Seebeck 効果を測定する場合には, Fig. 4 に示すように端部電極付近において, Nernst 効果による短絡電流が誘起され ${ }^{20}$, それに伴い Hall 効果が発生することで測定値に影響を及ぼす。一方,熱伝導率の測定では, 配線や輻射等による熱流出の影響を低減させるために,熱流の通過する断面積の大きい平板状の試料が望ましく21),電流磁気効果や熱磁気効果の試料形状に求められる条件とは異なる。しかし,材料の性能指数を評価するためには同一試料で全ての物性値を測定することが望ましく, それぞれの物性値を最小限の誤差で評価するために適切な試料形状の条件が存在する。そこで,COMSOL Multiphysics 4.4 を用いて有限要素法によるシミュレーションを行うことで, 試料形状が各物性の測定値に与える影響を検討した。シミュレー ションに使用する物性値は, $\mathrm{Bi}_{88} \mathrm{Sb}_{12}$ 焼結体を用いて得られた 300 K, 5 T の測定結果を使用した. 電流磁気効果・熱磁気効果と熱伝導率は,検討する形状依存性が異なるため,別々にシミュレーションを行った。 ## 4.2. 電流磁気効果と熱磁気効果 電流磁気効果(磁気抵抗効果と Hall 効果)と熱磁気効果 (磁気 Seebeck 効果と Nernst 効果) において測定される値のアスペクト比依存性を調べるために,試料の断面積を $3 \times$ $3 \mathrm{~mm}^{2}$ で固定して長さを $1 \mathrm{~mm}$ から $20 \mathrm{~mm}$ まで変化させて測定值をシミュレーションした. Fig. 5 に, 例として試料長さを $12 \mathrm{~mm}$ とした場合のシミュレーション構造を示す. 直方体の Bi-Sb バルク試料の両端部に同じ断面積で厚さが 0.4 $\mathrm{mm}$ の銅を直接取り付けた構造を想定した. なお,シミュレー ションにおける構造の簡易化のために,実際の試料に取り付けている測定用の導線等は含まれていない。電圧のプローブ位置を, 試料の片方の側面に 3 か所, 間隔が試料の長さに対して 1:1:1:1になるように設定し, 反対側の側面には中心部に 1 か所設定した. 電流磁気効果のシミュレーションでは,上部銅板の上面から下部銅板の下面に $1 \mathrm{~mA}$ の電流を印加し,実験と同様に各プローブで得られる電圧と試料形状,磁場に対する対称性から $\rho_{\mathrm{d}}$ と $\rho_{\mathrm{H}}$ を求めた。一方, 熱磁気効果のシミュレーションでは,上部銅板の上面を $301 \mathrm{~K}$ ,下部銅板の下面を $300 \mathrm{~K}$ に設定し, 実験と同様に各プローブで得 Fig. 4. Influence of electrodes on measured magneto-Seebeck thermopower using two-wire method. られる電圧と試料形状,磁場に対する対称性から $S_{\mathrm{m}}$ と $N B$ を求めた.実験では Seebeck 熱電能を 2 端子法により測定しているが,シミュレーションでは銅板における電圧から求める 2 端子法に加えて, 側面のプローブ位置での温度と電圧も取得することで,4 端子法による Seebeck 熱電能も求めた. シミュレーションにより得られた電流磁気効果と熱磁気効果の測定值の試料長さ依存性と,入力した物性值を Fig. 6 の左軸に,得られた値の入力値に対する誤差を右軸に示す。なお, 各点は 3 次スプライン補間した. Fig. 6 (a) に示す $\rho_{\mathrm{d}}$ は,試料長さが $1 \mathrm{~mm}(l / w=0.33)$ のときに $8.82 \mu \Omega \mathrm{m}$ であり,入力値 $8.58 \mu \Omega \mathrm{m}$ に対して $2.8 \%$ 大きい値になった. これはアスペクト比が小さいときに,電流線の歪みが大きくなることで生じる ${ }^{11,14)}$. アスペクト比が大きくなるにつれて, 試料 Fig. 5. Configuration of FEM simulation for galvano- and thermomagnetic effects (e.g., $12 \mathrm{~mm}$ length). Fig. 6. Sample length dependences of simulated measurement values of galvano- and thermo-magnetic effects. 長手方向に平行な電流が流れる領域が増えることから, 測定値は入力値に収束する。入力値に対して形状由来誤差を $2 \%$以内に收めるためには長さ $1.6 \mathrm{~mm}(l / w=0.53)$ 以上, $1 \%$以内では長さ $2.9 \mathrm{~mm}(l / w=0.97)$ 以上が求められる. 一方, Fig. 6 (b) に示す $\rho_{\mathrm{H}}$ は, 試料長さが $1 \mathrm{~mm}(l / w=0.33)$ のときに $-0.489 \mu \Omega \mathrm{m}$ であり, 入力値 $-2.60 \mu \Omega \mathrm{m}$ に対して 81 \%絶対值が小さくなった. これは, Hall 効果により横方向に電位差が生じるが, 端部電極において短絡することで等電位面が端面に平行となり, 試料の中心部でも横方向の電位差を減少させるためである。アスペクト比が大きくなるにつれて中心部で端部電極の影響が小さくなり, 入力值に収束する. 入力值に対して形状由来誤差を $2 \%$ 以内に収めるためには長さ $8.6 \mathrm{~mm}(l / w=2.9)$ 以上, $1 \%$ 以内では長さ $10 \mathrm{~mm}$ $(l / w=3.3)$ 以上が求められる. Fig. 6 (c) に示す $S_{\mathrm{m}}$ は, 2 端子法では試料長さが $1 \mathrm{~mm}(l$ $w=0.33 )$ のときに $-133 \mu \mathrm{V} \mathrm{K}^{-1}$ であり, 入力値 $-118 \mu \mathrm{V}$ $\mathrm{K}^{-1}$ に対して 12 \%絶対値が大きくなった。これは主に,アスペクト比が小さいときに Fig. 4 亿示す端部電極おける短絡電流の効果が大きく表れるためである。仮に Hall 傒数の入力値の符号を反転させると, 2 端子法による Seebeck 熱電能の入力値より絶対値が小さくなることからも, 大きな絶対値の上昇は Hall 効果に起因したものであることがわかる。アスペクト比が大きくなるにつれて中心部で端部電極の影響が小さくなり入力值に収束するが, 入力值に対して形状由来誤差を $2 \%$ 以内に収めるためには長さ $13.5 \mathrm{~mm}(l / w=4.5)$ 以上が必要であり,長さ $20 \mathrm{~mm}$ でも $1 \%$ 以内には収まらない.一方, 4 端子法では端部電極の影響が小さくなることから,試料長さが $1 \mathrm{~mm}(l / w=0.33)$ のときに $-124 \mu \mathrm{V} \mathrm{K} K^{-1}$ であり入力值に対して形状由来誤差は $4.3 \%$ となり, アスペクト比が大きくなるにつれて長さ $2.67 \mathrm{~mm}(l / w=0.89)$ 以上で $2 \%$ 以内, 長さ $3.40 \mathrm{~mm}(l / w=1.13)$ 以上で $1 \%$ 以内に収まる.一方, Fig. 6 (d) に示す $N B$ は,試料長さが $1 \mathrm{~mm}(l / w=0.33)$ のときに $11.5 \mu \mathrm{V} \mathrm{K}^{-1}$ であり, 入力值 $63.2 \mu \mathrm{V} \mathrm{K}^{-1}$ に対して 82 \%小さい值になった。これは, Nernst 効果により横方向に電位差が生じるが, 端部電極において短絡することで等電位面が端面に平行となり, 試料の中心部でも横方向の電位差を減少させるためである。アスペクト比が大きくなるにつれて, 端部電極の影響が小さくなることから入力值に収束する.入力値に対して形状由来誤差を $2 \%$ 以内に収めるためには長さ $9.5 \mathrm{~mm}(l / w=3.1)$ 以上, $1 \%$ 以内では長さ $11.9 \mathrm{~mm}(l / w$ =4.0)以上が求められる. ## 4.3. 熱伝導率 熱伝導率のシミュレーションでは, 電流磁気効果と熱磁気効果の場合とは異なり,接続されている金属細線からの熱流出を考慮に含めるために,Fig. 7 に示すように実験に使用した細線を接続した構造を想定した。試料側面に接続する直径 $25 \mu \mathrm{m}$ の銅線は, 片方の側面に 3 本, 間隔が試料の長さに対して $1: 1: 1: 1$ になるように設定し, 反対側の側面には中心部に 1 本を設定した。高温側熱浴には実験と同様に, 直径 $25 \mu \mathrm{m}$ の銅線 2 本とコンスタンタン線 1 本,マンガニン線 4 本を設定した。各線の長さは, 最短距離で低温側温度に接続 する場合を仮定した,実際には輻射による熱流出も存在するが,実験の輻射率を正確に取り入れることが難しく,今回のシミュレーションでは考慮しない,金属細線からの熱伝導による熱流出のみを想定するため,試料の長さと金属細線の長さは比例することから熱流出の比は一定となり,測定される熱伝導率は試料長さに強く依存しない。少のため, 熱伝導率のシミュレーションでは試料長さを $12 \mathrm{~mm}$ に固定し, 試料断面積を $1 \times 1 \mathrm{~mm}^{2}$ から $5 \times 5 \mathrm{~mm}^{2}$ まで変化させることで, アスペクト比依存性を求めた。上部銅板の上面を $301 \mathrm{~K}$ ,下部銅板の下面を $300 \mathrm{~K}$ ,各金属細線の端部温度を $300 \mathrm{~K}$ に固定したときに,上部銅板上面から流入する熱量と試料形状から熱伝導率を算出した。また, シミュレーションの簡易化のために,磁場中の対角抵抗率とSeebeck 熱電能,熱伝導率たけを考慮し, Hall 効果と Nernst 効果,Righi-Leduc 効果については考慮しない. シミュレーションにより得られた熱伝導率の測定値の形状依存性と入力値を Fig. 8 の左軸に,入力値に対する誤差を右軸に示す. 試料断面積が $1 \mathrm{~mm}^{2}$ (試料幅が $1 \mathrm{~mm}$ )のときに 3.98 $\mathrm{W} \mathrm{m}{ }^{-1} \mathrm{~K}^{-1}$ であり,入力値 $3.25 \mathrm{~W} \mathrm{~m}^{-1} \mathrm{~K}^{-1}$ に対して $22 \%$ \% Fig. 7. Configuration of FEM simulation for thermal conductivity (e.g., $3 \mathrm{~mm} \times 3 \mathrm{~mm}$ cross-sectional area). Fig. 8. Sample geometry dependences of simulated measurement values of thermal conductivity. きい值になった.これは試料断面積が小さいときに,試料を通過する熱流に対して金属細線からの熱流出の割合が大きくなるためである。試料断面積が大きくなるにつれて, 金属細線からの熱流出の影響が小さくなることから入力値に収束する. 入力値に対して, 導線からの熱流出に由来する誤差を $2 \%$以内に収めるためには断面積 $10.8 \mathrm{~mm}^{2}$ (試料幅が $3.28 \mathrm{~mm}$ )以上, 1 \%以内では断面積 $22.1 \mathrm{~mm}^{2}$ (試料幅が $4.70 \mathrm{~mm}$ )以上が求められる。 ## 4.4. 無次元性能指数 材料の無次元性能指数 $z T$ を評価するにあたり, 各々の物性値を別の試料で測定できる場合, 電流磁気効果と熱磁気効果の測定であればアスペクト比が大きいほど良く, 熱伝導率では断面積が大きいほど良いため, 測定に合わせた試料形状を選択することで誤差を小さくできる。しかし,異なる試料を用いて測定した各々の物性値から $z T$ を決定する場合, 試料間の物性値のばらつきや異方性がある可能性もあり注意が必要である。そのため, 同一試料で全ての物性値を測定することが望ましいものの, 前述の通り各物性値を小さい誤差で測定するためには試料形状が限られる. Fig. 9 に, 今回のシミュレーションで求めた, 2 端子法による磁気 Seebeck 効果と Nernst 効果における無次元性能指数を求める上で, 各物性値で形状に由来する誤差を $1,2,3,5,10 \%$ 以内にする範囲をそれぞれ示す. 試料形状の影響を無次元化して考慮するために, 横軸として試料の熱コンダクタンス $K_{s}$ と全導線の熱コンダクタンス $K_{\mathrm{w}}$ の比 $K_{\mathrm{s}} / K_{\mathrm{w}}$ をとり, 縦軸を試料形状のアスペクト比で示し, 今回の測定で用いた $\mathrm{Bi}_{88} \mathrm{Sb}_{12}$ の位置を星印で記した。 磁気 Seebeck 効果と Nernst 効果の場合で範囲は異なり,2 端子法による磁気 Seebeck 効果測定では, Nernst 効果の場合よりも大きなアスペクト比が求められる.今回の測定で使用した $\mathrm{Bi}_{88} \mathrm{Sb}_{12}$ の試料形状では, $N B$ は $2 \%$ 以 Fig. 9. Range of sample geometry and thermal conductance conditions, with each measured error of property value $<1$, $2,3,5$, and $10 \%$.内の誤差であるものの, $S_{\mathrm{m}}$ は $3 \%$ 以内の誤差が含まれる可能性がある。一方, $k_{\mathrm{d}}$ は全導線からの熱流出に由来する $3 \%$以内の誤差が含まれる可能性がある。 このように,磁場中で各物性値を小さい誤差で測定するためには,試料形状に条件が課せられる一方,作製できる材料の大きさや測定装置の試料設置スペースにも制約があり,必ずしも常に最適な試料形状が選択できるわけでは無い。今回使用した $\mathrm{Bi}_{88} \mathrm{Sb}_{12}$ 焼結体の物性值の場合は, $3 \times 3 \times 12 \mathrm{~mm}^{3}$ を標準的な試料形状とすることで,各物性值において形状に由来する誤差を $2 \sim 3 \%$ 以内に抑えられることが分かった。一方,実際の測定では, $\rho_{\mathrm{d}}$ において電極の接点径に由来して最大で $7 \%$ 程度の誤差, $\kappa_{\mathrm{d}}$ においてマンガニン細線部の発熱による熱流入に由来する $4 \%$ 程度の誤差と,熱輻射による熱流出に由来する誤差が含まれる可能性がある. ## 5. ま め 本研究では, 磁場中の物性 (磁気 Seebeck 効果, Nernst 効果, 磁気抵抗効果, Hall 効果, 熱伝導率)を同一試料で測定する際,試料形状が測定される各物性値へ与える影響を調べた. SPS 法とアニール処理により $\mathrm{Bi}_{88} \mathrm{Sb}_{12}$ バルク試料を作製し, 磁場中の測定で得られた各物性値を用いて, 様々な試料形状を想定した場合に測定される値を有限要素法によりシミュレーションした。 その結果, 各々の物性値の測定で適切な試料形状は異なり, 形状由来誤差を $2 \%$ 未満にするための条件として,磁気抵抗効果では $l / w>0.57$, Hall 効果では $l / w>2.9$, 磁気 Seebeck 効果では 2 端子法の場合 $l / w>4.2$, 4 端子法の場合 $l / w>1.2$, Nernst 効果では $l / w>3.1$ が必要であることが分かった。一方,熱伝導率は金属細線からの熱流出のみを考慮した場合, $K_{\mathrm{s}} / K_{\mathrm{w}}>27$ が必要であることが分かった。以上の通り, $\mathrm{Bi}_{88} \mathrm{Sb}_{12}$ の焼結体において同一試料で磁場中の熱電効果の無次元性能指数を評価する際に,各物性値の測定誤差を小さくするために適切な試料形状を明らかにした. ## 6. 謝 辞 本研究の成果は, 国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の委託業務「エネルギー・環境新技術先導研究プログラム/未踏チャレンジ 2050」の結果得られたものである。また, 本研究の一部は日本学術振興会の科学研究費若手研究 (19K15297), 基盤研究 (C) (22K04232),国際共同研究強化 (B) (18KK0132), 科学技術振興機構 (JST) の戦略的創造研究推進事業 ACT-X (JPMJAX21KI),および未来社会創造事業(JPMJMI19A1)の支援を受けて実施された. ## 参考文献 1) R. Wolfe and G.E. Smith, Appl. Phys. Lett. 1, 5 (1962) 2) T.C. Harman, J.M. Honig, S. Fischler, and A.E. Paladino, SolidState Electron. 7, 505 (1964). 3) M.H. Norwood, J. Appl. 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Sawada, Proc. $17^{\text {th }}$ Int. Conf. Thermoelectr. (ICT98), Nagoya, Japan (1998) 89. 16) J. P. Heremans, C. M. Thrush, and D. T. Morelli, Phys. Rev. Lett. 86, 2098 (2001) 17) Y. Hasegawa, H. Nakano, H. Morita, A. Kurokouchi, K. Wada, T. Komine, and H. Nakamura, J. Appl. Phys. 101, 033704 (2007). 18) Y. Hasegawa, H. Nakano, H. Morita, T. Komine, H. Okumura, and H. Nakamura, J. Appl. Phys. 102, 073701 (2007). 19) M. Murata, A. Yamamoto, Y. Hasegawa, and T. Komine, Nano Lett. 17, 110-119 (2017). 20) R. Ando and T. Komine, AIP Adv. 8, 056326 (2018). 21) G.S. Nolas, J. Sharp, and H.J. Goldsmid, Thermoelectrics: Basic Principles and New Materials Developments, (Springer-Verlag, Berlin, 2001). 22) Y. Hasegawa, D. Nakamura, M. Murata, H. Yamamoto, and T. Komine, Rev. Sci. Ins. 81, 094901 (2010). 23) D. Nakamura, Y. Hasegawa, M. Murata, H. Yamamoto, F. Tsunemi, and T. Komine, Rev. Sci. Ins. 82, 044903 (2011). 24) B. S. Farag and S. Tanuma, ISSP Technical Report, Ser. 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the Thermoelectrics Society of Japan
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# Sb 置換された TiNiSn ハーフ・ホイスラー合金の 熱電特性と電子構造 山㟝 航佑 ${ }^{1}$, 中津川 博 ${ }^{*}$, 岡本 庸一 ${ }^{2}$ ${ }^{1}$ 横浜国立大学 理工学府, 〒 240-8501 神奈川県横浜市保土ヶ谷区常盤台 79-5 2 防衛大学校機能材料工学科, 〒 239-8686 神奈川県横須賀市走水 1-10-20 } The Journal of the Thermoelectrics Society of Japan Vol. 20, No. 2 (2023), pp. 75-81 (C) 2023 The Thermoelectrics Society of Japan ## Thermoelectric properties and electric structure of $\mathrm{Sb$ substituted TiNiSn half-Heusler alloys} \author{ Kosuke Yamazaki ${ }^{1}$, Hiroshi Nakatsugawa ${ }^{{ }^{1 *}}$, Yoichi Okamoto ${ }^{2}$ \\ ${ }^{1}$ 79-5 Tokiwadai, Hodogaya, Yokohama, Kanagawa 240-8501, Japan, Graduate School of Engineering Science, Yokohama National University \\ ${ }^{2}$ 1-10-20 Hashirimizu, Yokosuka, Kanagawa 239-8686, Japan, Dept. of Materials Science and Engineering, National Defense Academy } The thermoelectric properties of $\mathrm{TiNiSn}_{1-x} \mathrm{Sb}_{x}(0 \leq x \leq 0.05)$ prepared by arc melting are measured up to $800 \mathrm{~K}$ to obtain ZT. Hall effect measurements and ab initio calculation using AkaiKKR are performed to confirm the Sb substitution effect. The density of states before and after substitution show that $\mathrm{Sb}$ acts as a donor. Thermoelectric properties show that the absolute values of the electrical resistivity and Seebeck coefficient decreased with increasing $x$ while the thermal conductivity increased. This is consistent with the carrier density-dependent trends when the carrier density increases. Hall effect measurements at room temperature also show that the carrier density increases with increasing $x$. Thus, the sample with the maximum $\mathrm{ZT}$ is $\operatorname{TiNiSn}_{0.99} \mathrm{Sb}_{0.01}$, with a value of $\mathrm{ZT}=0.42$ at $750 \mathrm{~K}$. It can be said that $\mathrm{Sb}$ substitution for TiNiSn results in carrier doping and, at the optimum amount of substitution, improves the thermoelectric performance. (Received: June 2, 2023; Accepted: October 26, 2023; Published online: October 30, 2023) Keywords thermoelectric; half-heusler; tinisn; akaikkr; arc melting ## 1. 研 究 背景 熱電発電は,熱エネルギーを直接電気エネルギーに変換することができ, 排熱や身の回りに存在する熱源から電力を得ることができる。熱電発電は,電極を挟んで接合した $\mathrm{p}$ 型と $\mathrm{n}$ 型の熱電素子を多数繋いで作られたП型の熱電変換モジュールを使用する ${ }^{1,2}$. モジュールに使用される熱電素子は, 高い出力因子を持った熱電材料であること, また, 環境負荷の小さな元素で構成されていることが望ましい。それらを満たす熱電材料の一つに,ハーフ・ホイスラー合金 TiNiSn がある. TiNiSn は, $\mathrm{Bi}_{2} \mathrm{Te}_{3}$ や PbTe といった従来の熱電材料 ${ }^{3}$ よりも環境負荷が小さな元素で構成され, 地殼埋蔵量の豊富な元素を主成分としていることから,既存熱電材料の代替候補として 2000 年代より精力的に研究が行われている ${ }^{4)}$. TiNiSn は, $E_{\mathrm{g}} \approx 0.5 \mathrm{eV}$ と狭いエネルギーギャップを有する半導体バンド構造を持つことが第一原理計算によって明らかにされて  いる ${ }^{5-7)}$. そのため, 金属よりも高いゼーベック係数 $S\left[\mathrm{VK}^{-1}\right]$ を示し, 電気伝導性が良いことから電気抵抗率 $\rho[\Omega \mathrm{m}]$ が低く, 出力因子 $S^{2} \rho^{-1}\left[\mathrm{Wm}^{-1} \mathrm{~K}^{-2}\right]$ が大きい ${ }^{8)}$. 本論文内では, ゼーベック係数 $S$ は以下の式で定義する. $ S=-\frac{d V}{d T} $ $\mathrm{dV} / \mathrm{dT}>0$ の時 $\mathrm{n}$ 型であり, $\mathrm{dV} / \mathrm{dT}<0$ の時は $\mathrm{p}$ 型である. 先行研究 ${ }^{9-11)}$ より, TiNiSn は $800 \mathrm{~K}$ 付近で無次元数性能指数 ZT がピークを持つことが示されており, ゼーベック係数が負の值を示すことから,中温域(800 K)で使用可能な $\mathrm{n}$ 型熱電材料であると言える。熱電材料の性能を評価する指標である ZTを向上させるには, ゼーベック係数,電気抵抗率, そして熱伝導率を最適化する必要がある。いずれもキャ 最大を示す最適なキャリア密度が存在することが理論的に証明されている,キャリア密度を変化させるには,価電子数の異なる元素を置換する万法が有効である ${ }^{11)}$ .Sn サイトに Sb 置換を行った Bhattacharya 等 ${ }^{11-13)}$ の報告によると, 置換後の TiNiSn は出力因子が向上している。これは, Snよりも価電子数の大きな $\mathrm{Sb}$ の置換によりキャリア密度が増大したた めとされている. しかしながら, 具体的なキャリア密度の値は報告されておらず,ZTの値も明らかにされていない。本研究の目的は, キャリア密度の増大によって, TiNiSnの ZT を増大させ,值を明らかにすることである,そこで, $\mathrm{Sb}$ 置換によるキャリア密度の変化を明らかにするため, 室温でのホール効果測定を行った。また, $\mathrm{Sb}$ 置換後の電子状態を明らかにする為, Coherent Potential Approximation (CPA)法を組み达んた第一原理計算パッケージ AkaiKKR ${ }^{13-15)}$ を用いて状態密度を計算した。熱電特性の測定は ZT がピークを持つとされる $800 \mathrm{~K}$ まで測定し, $\mathrm{TiNiSn}_{1-x} \mathrm{Sb}_{x}(0 \leq x \leq 0.05)$ の ZT を算出した。 ## 2. 実 験 方法 試料はアーク溶解法によって作製した。原料は Ti(99.9\% up, 高純度化学研究所), Ni (99\%, 高純度化学研究所), Sn (99.9\%up, 高純度化学研究所), 及び, Sb $(99.999 \%$, 高純度化学研究所)を用いた。秤量は,アーク溶解時の蒸発量を考慮し, 化学量論組成比よりも, Sn は $2 \mathrm{wt} \%, \mathrm{Sb}$ は $1 \mathrm{wt} \%$過剰になり, 全量で $20 \mathrm{~g}$ の試料になるようにした. 秤量後の原料は, 複数回 $\mathrm{Ar}$ ガス置換を行った後, $5 \mathrm{kPa}$ の高純度 Arガスを導入した真空アーク溶解炉 (NEV-ACD05, 日新技研)で融解した. この際, 原料が混ざりあうように, 凝固した試料を金属棒で反転させた後に再度融解し, 同様の操作を 3 回行った. 最後の融解後, 試料をワイヤ放電加工機 (EC-3025, Makino)によって測定可能な寸法に切り出した.切り出した試料は石英管に真空封入し, 均質化のため 1073 $K \cdot 168$ 時間の熱処理を行った. 測定は結晶構造解析, 熱電特性の測定, 及び室温でのホール効果測定を行った. 結晶構造解析は粉末 X 線回折測定 (SmartLab, Rigaku:X 線管球 $\mathrm{Cu} \mathrm{K} \alpha, \lambda=1.5418 \AA$ ) より得られた回折結果と, リートベルト解析用ソフト (RIETAN- $\mathrm{FP}^{16)}$ ) を用いて結晶構造の同定を行った. 電気抵抗率とゼーベック係数の測定は, 温度を 300〜395 K(ResiTest8300, 東陽テクニカ)と 395 K〜800 K (自作装置) に分けて測定した。熱伝導率の測定は熱電特性評価装置(PEM-2, アルバック理工)を用いて 300 600 K の範囲で測定した. ホール効果測定は, ホール効果測定装置 (ResiTest8300, 東陽テクニカ)を用いて室温で行った. AkaiKKR を用いた第一原理計算では, Sn サイトと Sb サイトの占有率を変更して,それぞれのフェルミ準位付近の状態密度を求めた. ここで, 結晶構造パラメータはICSD (Inorganic Crystal Structure Database)を参照し, Table 1 の値を用いた。交換相関項には一般化勾配近似(gga91)を用いた. 理想的な TiNiSn は非磁性であり, 実験的には常磁性を示す. ${ }^{17)}$ どちらの場合でも TiNiSn の状態密度は磁気異方性が確認されないため第一原理計算は非磁性の条件で行った. 収束条件は電荷密度の二乗平均平方根誤差 (root-meansquare error)が 100 万分の 1 になるよう設定した. 格子定数は,後述するリートベルト解析より得られた値を用いた。 ## 3. 結果と考察 Fig. 1 は粉末 X 線回折の結果を示している. 全ての試料でハーフ・ホイスラー構造に由来するブラッグの反射ピークを確認できた。リートベルト解析より得られた結晶構造パラメータの結果を Table 2 に示す. i 番目の原子の平均二乗変位を $<\mathrm{u}_{\mathrm{i}}^{2}>$ とすると,その原子変位パラメータは, $8 \pi^{2}<\mathrm{u}_{\mathrm{i}}^{2}>$ に等しいので,原子変位パラメータが $0.5 \AA^{2}$ は約 $0.08 \AA$ の変位に相当する.金属原子の標準的な原子変位パラメータは $0.4 \sim 0.7 \AA^{2}$ であり, 軽元素は $1 \AA^{2}$ 程度の值を取る傾向がある. 従って,全ての金属元素の原子変位パラメータは $0.5 \AA^{2}$ で固定してリートベルト解析を実施した。 解析の結果, いずれの試料も信頼性因子 $R_{\mathrm{wp}}$ が $10 \%$ 以下になり,結晶構造パラメータの精密化が良好であることを示した. また, 占有率 $g$ についても仕込み組成と概ね一致している。格子定数は $x=0.03$ で最大を示しているが, これは不純物相の影響であると考えられる. Sn と Sb は原子半径が $1.405 \AA$ と $1.45 \AA$ でほとんど同一であり,置換による格子定数の変化は無視できるほど小さい,全試料に作製方法の違いはないため, $x=0.03$ のみ不純物相が増大した理由は構成元素の偏析など, 試料間の違いによるものと考察している.回折スペクトルより,不純物相である $\mathrm{Sn}$ 相のピークが見られた. これは, 融点 $1941 \mathrm{~K} の \mathrm{Ti}$, 融点 $1728 \mathrm{~K} の \mathrm{Ni}$, 及び融点 $505 \mathrm{~K}$ の Snを含むため, 不純物相として Sn 相が生成されやすいことが原因 ${ }^{18)}$ である. Gürth 等 ${ }^{19)}$ の報告でも, Table 1. Input parameters used for AkaiKKR. } & $\mathrm{Ti}$ & \\ Fig. 1. XRD patterns of $\mathrm{TiNiSn}_{1-x} \mathrm{Sb}_{x}(0 \leq x \leq 0.05)$ at room temperature, where the indexed peaks represent the TiNiSnphase and $\boldsymbol{\nabla}$ represents Sn-phase. TiNiSn 相が包晶反応により生成されるため, 不純物相ができやすいことが報告されている。また,我々の作製方法と同様に,TiNiSn をアーク溶解法で作製した先行研究 ${ }^{20}$ でも Sn 相などの不純物相が確認されている. Sn 相などの金属的な電気的特性を持つ不純物相は,ゼーベック係数の値を低下させるため, $Z T$ 向上の障害となる。今回作製した試料に含まれる Sn 相は TiNiSn 相に比べわずかなピークであり,不純物相の存在が ZTに与える影響は少ないことが示された. Table 3 に示す通り, SEM-EDS で組成分析を行った。定量分析は試料内の均質な箇所を数点測定し, その平均值を試料の組成とした. Table 3 は作製した試料の原子組成分率を示す. 少量の Sb は, 測定結果から定性的にその存在を確認することができた。また, 試料内には構成元素の偏析が見られた. 例えば, Fig. 2 は $x=0.05$ の観察結果を示している. $\mathrm{Sn}$ 元素が強く検出されている箇所があり, 粉末 $\mathrm{X}$ 線回折の結果より,Sn 相であることが示されている。 熱電特性の測定結果を Fig. 3 に示す. 電気抵抗率 $\rho$ は, $x$ $=0$ では半導体的な挙動が見られるが, $\mathrm{Sb}$ 置換を行うことで, 金属的な挙動への変化が見られた。これは Sb 置換によってキャリアがドープされた為と考えられ,同様の手法を行った先行研究 ${ }^{20)}$ とも一致する. $\rho$ と ZTの関係は反比例の関係にあるので, $\mathrm{Sb}$ 置換による $\rho$ の低下は熱電特性の向上に好ましい。ゼーベック係数は,いずれの試料も負の値を示すことから $\mathrm{n}$ 型の熱電特性を示す.また, $x \neq 0$ では $x$ の増加に Table 3. Atomic-percent forTiNiSn ${ }_{1-x} \mathrm{Sb}_{x}(0 \leq x \leq 0.05)$ at room temperature which is determined by quantitative analysis using SEM-EDS. Table 2. Crystal structure parameters for $\operatorname{TiNiSn}_{1-x} \mathrm{Sb}_{x}(0 \leq x \leq 0.05)$ at room temperature, where the precision of Rietveld analysis is evaluated by reliability factors such as $R_{w p}$ : Reliability(R)-weighted pattern, $R_{p}$ : R-pattern, $R_{e}$ : R-expected, $R_{B}$ : R-Bragg, $R_{F}$ : R-structure factor, and $S$ : goodness-of-fit indicator $\left(R_{W P} / R_{e}\right)$. 伴いゼーベック係数の絶対値は減少する。ここで,フェルミ準位付近の状態密度が一次関数として近似できる金属や縮退半導体では, ゼーベック係数の絶対値は以下の式で表される $^{21-23)}$. $ |S| \approx \frac{k_{B}^{2}}{3|e|} T \frac{m^{*}}{\hbar^{2}}\left(\frac{\pi}{3 n}\right)^{\frac{2}{3}} $ $k_{\mathrm{B}}$ はボルツマン定数, $e$ は電気素量, $\hbar$ はプランク定数, $n$ はキャリア密度, そして $m^{*}$ はキャリアの有効質量である. (2) 式より, ゼーベック係数の絶対値は,キャリア密度と反比例の関係にある。 従って, $x$ の増加に伴うゼーベック係数の絶対値の減少は, キャリア密度の増加によるものであると考えられる. 出力因子 $S^{2} \rho^{-1}$ は $x$ の増加に伴い増大した. これは電気抵抗率の低減効果がゼーベック係数の絶対値減少効果を上回ったと言える. 従って, $680 \mathrm{~K}$ までは $x=0.02$ が最大の出力因子を示し, $680 \mathrm{~K}$ 以降では $x=0.01$ が最大の出力因子を示した. $\mathrm{Sb}$置換によるキャリア密度の増加を確かめるため, 室温でホー ル効果測定を行った. ホール効果測定によってキャリア密度 $n\left[\mathrm{~cm}^{-3}\right]$ と移動度 $\mu\left[\mathrm{cm}^{2} \mathrm{~V}^{-1} \mathrm{~s}^{-1}\right]$ を得ることができる. Table 4 は測定によって得られたホール係数の值とキャリアの判定結果を示している。すべての試料でキャリアが電子である $\mathrm{n}$ 型を示した. Fig. 4 に示す通り, $x$ の増加に伴って, キャリア密度が増加している。移動度は $x=0$ から 0.01 で増加し $x \geqq 0.01$ ではほぼ一定値を示している。通常,不純物を添加すると, 室温付近ではイオン化不純物散乱により移動度が低下する。 ${ }^{24)}$ しかしながら, 作製した $x \neq 0$ の試料は $\mathrm{Sb}$ 置換によって移動度が増大した。この原因を明らかにするため, (2) 式より, ゼーベック係数とキャリア密度のプロットから有効質量 $m^{*}$ の Sb 置換量依存性を求めた. Fig. 5 はその結果を示す. $\mathrm{Sb}$ 置換によって有効質量は増大を示した. 移動度と有効質量は反比例の関係にあるため, 通常, 有効質量の増 Fig. 2. (a) Secondary electron SEM image obtained from $\mathrm{TiNiSn}_{0.95} \mathrm{Sb}_{0.05}$. (b) SEM-EDS distribution image for Titanium. (c) SEM-EDS distribution image for Nickel. (d) SEM-EDS distribution image for Tin. (e) SEM-EDS distribution image for Antimony. Fig. 3. Temperature dependence of thermoelectric properties (electric conductivity $(\rho), S$ and power factor $\left(S^{2} \rho^{-1}\right)$ ) for $\mathrm{TiNiSn}_{1-x} \mathrm{Sb}_{x}(0 \leq x \leq 0.05)$. Table 4. Hall coefficient $\left(R_{H}\right)$ for $\operatorname{TiNiSn}_{1-x} \mathrm{Sb}_{x}(0 \leq x \leq 0.05)$ at room temperature. Fig. 4. Carrier concentration $\left(n_{e}\right)$ and mobility $\left(m_{e}\right)$ for $\operatorname{TiNiSn}_{1-x} \mathrm{Sb}_{x}(0$ $\leq x \leq 0.05)$ at room temperature. 大は移動度の減少につながる。しかしながら, $x=0$ から 0.01 での移動度の増大は有効質量で説明することはできない。これは, 緩和時間の増加, 即ち, 散乱回数の減少が移動度の増大に寄与していることを示唆しており, 散乱回数が減少した仮説として Sn サイトの Sb 置換によって音響フォノン,あるいは, 光学フォノン散乱が抑制された可能性を考察している. 一方, 有効質量はゼーベック係数の絶対値と比例関係にあるが,作製した試料では有効質量の増加に従ってゼーベック係数の絶対値は減少している. これは, キャリア密度の増加が支配的であることを示している. Fig. 6 は熱伝導率 $\kappa\left[\mathrm{Wm}^{-1} \mathrm{~K}^{-1}\right]$ の温度依存性を示している. 熱伝導率の測定は定常法を用いて $300 \mathrm{~K} \leq T \leq 600 \mathrm{~K}$ で $50 \mathrm{~K}$ ごとに測定し, $T>600 \mathrm{~K}$ では最小二乗法を用いた 2 次の近似曲線を外挿した。 $\mathrm{Sb}$ 置換後は全温度範囲にわたり熱伝導率の増大が見られた. また, 高温側では熱伝導率が上昇する傾向が見られた. これは熱励起による両極性拡散効果が熱輸送に寄与しているためと考えられる。 ${ }^{25)}$ 両極性拡散効果がない単一キャリアの場合は $\mathrm{Kim}$ 等 ${ }^{26}$ によって求められた計算式より,測定したゼーベック係数から厳密なローレンツ数の温度依存性を表すことができる. しかしながら, キャリアを複数持つ場合には,厳密に表すことができない。ここで, 両極性拡散効果を考慮したローレンツ数は次のように示される ${ }^{27,28)}$. $ L=\frac{k_{B}^{2}}{e^{2}}\left(r+\frac{5}{2}\right)+\frac{k_{B}^{2}}{e^{2}} \frac{\sigma_{e} \sigma_{h}}{\sigma^{2}}\left[2\left(r+\frac{5}{2}\right)+\frac{E_{g}}{k_{B} T}\right]^{2} $ (3)式において, $k_{\mathrm{B}}$ はボルツマン定数, $e$ は電気素量, $r$ は散乱因子, $\sigma_{\mathrm{e}}, \sigma_{\mathrm{h}}$ はそれぞれ, 電子, 正孔成分の電気伝導度を示す。第一原理計算ソフト WIEN $2 \mathrm{k}^{29)}$ と,ボルッマン輸送方程式により輸送係数を求め, 熱電特性を計算できるプログラム BoltZTraP $\mathrm{P}^{30}$ を用いて,両極性拡散効果を考慮した TiNiSn の有効ローレンツ数 $\left(L_{\text {eff }}\right)$ を求めた。 ${ }^{31}$ ここで, $k$点数は WIEN2kでは 1000 , BoltZTraPでは 10000 として計 Fig. 5. Seebeck coefficient( $|S|)$ vs carrier concentration $\left(n_{e}\right)$ for $\mathrm{TiNiSn}_{1-x} \mathrm{Sb}_{x}(0 \leq x \leq 0.05)$ at room temperature.算した。また,格子定数は実験値を用い,結晶構造に関するデータは ICSD に基づいて入力した. Fig. 7 のローレンツ数の温度依存性が示す通り, TiNiSn は高温でローレンツ数の値が一定ではないことが分かる。これは TiNiSn が伝導に電子と正孔が寄与するマルチバンド構造を有する系であることを示している ${ }^{32,33)}$ 。一般的な金属で用いられる $L=2.44 \times 10^{-8} \mathrm{~V}^{2} \mathrm{~K}^{-2}$ よりもローレンツ数の値が小さくなった理由について, ボルツマン方程式より導かれる輸送係数より,ローレンツ数は以下の式で表される。 $ L \approx \frac{\pi^{2}}{3}\left(\frac{k_{B}}{q}\right)^{2}\left[1-\frac{\pi^{2}}{3}\left.\{\left[\frac{\partial \log \sigma(E)}{\partial E}\right]_{E=E_{F}}\right.\}^{2}\right] $ 金属はフェルミエネルギーが $k_{\mathrm{B}} T$ よりも十分大きいので,第 2 項は無視でき, ローレンツ数は定数で表すことができる. この值よりも小さくなったTiNiSn は金属のようなバンド構造ではなく, 不純物半導体もしくは真性半導体のようなバン Fig. 6. Temperature dependence of total thermal conductivity $\left(\kappa=\kappa_{\mathrm{L}}+\right.$ $\kappa_{\mathrm{e}}$ ) for $\mathrm{TiNiSn}_{1-x} \mathrm{Sb}_{x}(0 \leq x \leq 0.05)$, where $\kappa_{\mathrm{e}}=L \rho^{-1} T$ calculated by Wiedemann-Franz law is plotted in the inset. Fig. 7. Temperature dependence of effective Lorentz number $\left(L_{\text {eff }}\right)$ for TiNiSn, where BoltzTraP calculates $L_{\text {eff }}$ and $L_{0}$ is calculated by the Drude model. Fig. 8. Temperature dependence of $\mathrm{ZT}$ for $\mathrm{TiNiSn}_{1-x} \mathrm{Sb}_{x}(0 \leq x \leq 0.05)$. Table 5. $\mathrm{ZT}$ values of previous studies for $\mathrm{TiNiSn}, \mathrm{TiNiCu}_{0.05} \mathrm{Sn}$, and $\mathrm{Ti}_{0.98} \mathrm{Nb}_{0.02} \mathrm{NiSn}$, and that of our research for $\mathrm{TiNiSn}_{0.99} \mathrm{Sb}_{0.01}$. ド構造であることを意味している。また,高温側でのローレンッ数の増大は, ゼーベック係数の絶対値の減少と一致している。これらは両極性拡散効果による少数キャリアの影響が大きくなっていることを示している. $L=L_{\text {eff }}$ を用いてウィーデマン・フランツ則により,キャリア熱伝導率 $\kappa_{\mathrm{e}}=L \rho^{-1} T$ を Fig. 6 中に示した. Fig. 6 中の $\kappa_{\mathrm{e}}$ より $x$ の増加による熱伝導率の増大はキャリアの熱輸送によるものが大きいことが示された. したがって, $\mathrm{Sb}$ の熱伝導率の増大はキャリアの増加が原因である. Fig. 8 は ZT の温度依存性を示している. ZT は $750 \mathrm{~K}$ の時, 出力因子が最大の $x=0.01$ で, $Z T=0.42$ と最大を示した. $x=$ 0.02 以上は ZT が低下したことから, 過剩な置換は ZT の増大をもたらさないことが分かった. ZTが低下した理由はゼー ベック係数の絶対値の低下と熱伝導率の増加である. Table 5 に TiNiSn 系の先行研究の値をまとめた. 置換されていない TiNiSnの ZT よりも TiNiSn ${ }_{0.99} \mathrm{Sb}_{0.01}$ の ZT が大きいことから, $\mathrm{Sb}$ 置換による $\mathrm{ZT}$ の増大を確認した。一方で, $\mathrm{Cu}$ や $\mathrm{Nb}$ どで置換した他の先行研究の ZT と比較すると, ZTの上昇率はあまり大きくないことが示された. 作製方法や測定方法によって同じ組成でも ZT の値は異なるが, TiNiSnのサイト選択性(どのサイトに置換することで最大の効果が見られるか) に ZT 最適化の可能性が示唆されている. Fig. 9 は AkaiKKR を用いた $\mathrm{TiNiSn}_{1-x} \mathrm{Sb}_{x}(0 \leq x \leq 0.05)$ のフェルミ準位付近の状態密度を示している. 中央の点線はフェルミ準位を示しており, Sb 置換量の増大で高エネルギー 側ヘシフトしていることが示された。フェルミ準位のシフトはキャリアの供給によって生じており, $\mathrm{Sb}$ がドナー準位を Fig. 9. DOS calculated by AkaiKKR for $\operatorname{TiNiSn}_{1-x} \mathrm{Sb}_{x}(0 \leq x \leq 0.05)$ near the Fermi level. 形成していることが示唆される。これは, $\mathrm{Ti}$ サイトに $\mathrm{V}$ 置換した計算とも一致しており,V と同様に Sb がドナー不純物として作用していることが言える ${ }^{35)}$ 。また, 構成元素ごとの状態密度より,TiNiSn が高い熱電能を有するための特徵的なバンド構造は, $\mathrm{Ti}$ と $\mathrm{Ni}$ の状態密度が大きく関わっているので, $\mathrm{Sn}$ サイトへの Sb 置換はそのバンド構造を大きく損なうことなく価電子を供給できる置換であると考えることができる。従って,Sb 置換は TiNiSn を $\mathrm{n}$ 型熱電材料として性能を向上させるには有効な元素である. ## 4. 結論 本研究では, ハーフ・ホイスラー合金 TiNiSn の ZT を向上させるため, キャリア密度を変化させるべく, Sn サイトに $\mathrm{Sb}$ 置換を行ったところ, $x=0.01$ までは $Z T$ の向上が見られた。ホール効果測定より, Sb 置換は TiNiSn のキャリア密度を増加させていることが示され, 少量の置換で電気抵抗率が大きく低下することから ZT を向上させることができることが示された.また,第一原理計算によって示された状態密度より,xの増大に伴い,フェルミ準位は伝導帯側へ遷移する傾向が見られ, $\mathrm{Sb}$ 置換が TiNiSn に対しフェルミ準位の上 昇に作用していることが示唆された。 ## 5. 謝辞 XRD 及び SEM-EDS の測定は, 横浜国立大学機器分析センターにおいて実施された。また, 熱伝導率の測定は防衛大 電特性の測定に協力して頂いた熊谷爽氏には謝意を表明する. ## 6. 参考文献 1) Rowe D. M. \& Min G.: J. Power Sources 73, 193 (1998). 2) Rowe D. M. \& Min G.: J. 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# [32] 歌舞伎台帳『魁源平躈躅』とコミュニティアーカ イブ ○村涼 1) 1) 岐阜女子大学, 〒501-2592 岐阜市太郎丸 80 E-mail: [email protected] ## Kabuki script "Sakigake Genpei Tsutsuzi" and community archive KIMURA Ryo ${ }^{1)}$ ${ }^{1)}$ Gifu Women's University ,80 Taromaru,Gifu, 501-2592 Japan ## 【発表概要】 天保 12 年(1841)閏正月 19 日から, 江戸中村座にて,「魁源平躑躅」(さきがけげんぺいつつじ)が上演された。この芝居には, 江戸歌舞伎を代表する役者, 五代目市川海老蔵(=七代目市川團十郎)が出演しており,その時の歌舞伎台帳(一般財団法人宮本記念財団所蔵)が,60 年後の明治 34 年(1901)年 10 月 17 日には山梨地域にて書き写されていたことが確認された。台帳に記されている内容から, 山梨地域の俳優である市川壽三郎が, この台帳を用いて「魁源平䠛躅」を上演していたことがうかがえる。本報告では, 同じ芝居が, 江戸での上演の 60 年後に山梨地域の俳優によって上演されたことを踏まえて, 江戸歌舞伎の芝居台帳が, 山梨地域へわたった過程について言及し, 当台帳からうかがえるコミュニティ(地域)アーカイブの有効性について検討していく。 ## 1. はじめに 天保 12 年閏正月 19 日より, 江戸中村座にて㚞彻の芝居として「魁源平躑躅」が上演された[1]。この芝居に, 本来ならこの年は, 河原崎座に出勤していたはずの五代目市川海老蔵(=七代目市川團十郎)が「スケ」として出演し,熊谷次郎直実を勤めた。「スケ」とは,実力と地位が認められていた役者が補助・助演などの形で, 他座へ特別出演することを示す文言である[2]。 五代目海老蔵は, お家芸の荒事をはじめ,時代物, 世話物, 和事, 所作事など, どんな役柄でも舞台上で抜群の存在感を示した役者である。 正月の河原崎座「恋相撲和和合鲁哦」に出演していた海老蔵は, 極楽寺門番五郎吉と梶原源太景季を勤めながら, 閏正月 19 日より幕を開けた中村座の芝居にも出演したのである。 「魁源平躑躅」にて, 当たり役の熊谷次郎直実を勤めた海老蔵が,観客・負屓に絶賛されるなど, 芝居は大好評であった。しかし,閏正月 7 日に徳川 11 代将軍家斉が没したこともあって, 江尸三座の芝居興行は「永の御停止」となり, いったん休止となった。海老蔵 が出演していた「魁源平躑躅」も上演日数わずかにして閉幕を迎えることとなった[3]。 この「魁源平躑躅」の台帳が, 江戸から伝播し, 山梨地域の俳優によって使用されたであろうことが判明した。 本報告では, この芝居台帳の形状や性格を確認した上で, 江戸歌舞伎にて上演された芝居台帳が, 山梨地域へもたらされ, 地元の俳優によって用いられた過程を踏まえ,コミュニティ(地域)アーカイブの有効性について検討する [4]。 ## 2. 歌舞伎台帳『魁源平躑躅』の形状 2.1 体裁について 体裁は竪帳で, 法量は, 竪 27.0 糎 $\times$ 横 15.5 粴である。全丁数に関しては,表紙,表紙裏, 1 丁目表から 54 丁目表,裏表紙である。ただ,表紙裏, 54 丁目表には何の記載もない。 ## 2.2 表紙の情報 表紙には,「当ル辛丑の出来秋狂言紙員五十五枚魁浾源平躑践扇屋の場」とある。 この「辛丑」という干支であるが,天保 12 年と明治 34 年の干支は共に「辛丑」である。 どちらを示すのかは, 表紙だけでは確定でき ない。 次に「出来秋」であるが,これは稲の良く実った秋の頃を指す。太陽太陰暦を用いた旧暦の江戸時代は 7 月から 9 月を秋としたが,明治 34 年はすでに太陽暦を用いているので,現在と同じ 9 月から 11 月を秋とする。 以上のことから,この芝居は秋に上演されたと思われる。当台帳の配役は江戸中村座のものであるが, 時期的に見ても, 天保 12 年に中村座で上演された時の台帳ではない。山梨地域で江戸の台帳を基に,表紙・裏表紙に手を加え, 書き写された台帳であると推察される。 なお,演目名称は「さきがけげんぺいつつじ」であるにも関わらず,当台帳には,わざわざ「さきがけさきわけつつじ」とルビが振られている。 役者名は二段に記され,上段には「栄三郎,冠十郎, 常世, 冨之助, 菊寿」と 5 人の役者が記され,下段には,「海老蔵,霍蔵,霍作,廣五郎, 岩五郎, 村蔵, 鶏蔵」と 7 人の役者が記されている。 ここに記された役者及び配役について上段から見ていくと, 三代目尾上栄三郎(後の四代目尾上菊五郎)の扇折小萩実八無官の太夫敦盛, 嵐冠十郎の扇屋上総, 四代目小佐川常世の上総女房お此, 1 人とばして, 瀬川菊寿の扇折人おきく, である。 とばした箇所には冨之助と記され, 当台帳の内容をみると冨之助は, 上総娘桂子を勤めている。 しかし, 江戸での天保 12 年閏正月 19 日からの「魁源平躑躅」の舞台において, 冨之助という役者はいない。冨之助にあたる役者は,中山登美三であり, その登美三(冨三)が上総娘桂子を勤めている。 続いて下段は, 海老蔵の熊谷次郎直実, 中村霍蔵(後の三代目中村仲蔵)の姉輪平次,中村霍作の堤軍次,市川廣五郎の扇折人お末,尾上岩五郎の木鼠忠太, 1 人とばして, 中村鶏蔵の百姓音作である。 とばした箇所には村蔵と記され, 当台帳の記載内容から, 村蔵は庄屋を勤めている。 しかし, 冨之助同様, 江戸の芝居にては,村蔵という役者はいない。村蔵にあたる役者は, 中村峯蔵であり, 峯蔵が庄屋圭郎兵衛を勤めている。 2 人の役者及び配役が, 江戸の芝居と異なっているのは, 当台帳を書き写した人物が単に役者名を間違えたのか, 元々, 天保 12 年閏正月 19 日の芝居台帳に冨之助や村蔵と記してあったのか,判断できる根拠は見当たらない。 ## 2. 3 台帳本文の形式 台帳本文の形式をみるために,最初の 1 丁目表を取り上げる。 1 丁目表は, 場面の情景や大道具の配置の仕方などを指示する舞台書きに始まり,続いて役者の台詞が記されている。江戸の台帳は,台詞も全て役者の名で書かれるのが定式である[5]。 ところが,当台帳の 46 丁目裏から,台詞が役者名ではなく, 熊谷次郎直実ならば「熊」,堤軍次ならば「軍次」という様に役名で書かかれている。これもどういう理由があって, 1 冊の台帳の中でこのような変化が生じたのかは不明である。 ## 2. 4 裏表紙の情報 裏表紙には,「明治参拾四年十月十七日深山筆記ス」とあり, 次の行に「芦沢花枝占借本筆記」とある。さらにその左部に「山梨俳優【三升の中に壽の紋】市川壽三郎」と記されている。 これらの記載から当台帳は, 芦沢花枝なる者が所持しており, それを深山という人物が借り受け書写した。そして, この台帳を使用したのが,山梨俳優の市川壽三郎を中心とする一座であった可能性が高いと言える。 ## 3. 江戸から山梨へ伝播した経緯 それでは,なぜ,天保 12 年閏正月 19 日より中村座にて開催された「魁源平躑躅」の台帳が, 山梨地域の俳優である市川壽三郎の手にわたったのかについて考えてみたい。 残念ながら, 市川壽三郎, 芦沢花枝や深山なる人物の具体的な素性については, 現段階において不明である。市川壽三郎については,【三升の中に壽の紋】を用いていることから, あきらかに市川團十郎家の定紋である「三升」 を意識していると思われる。 さて, 海老蔵は, 中村座にて自身の勤めた熊谷次郎直実の役を, 凡そ半年後の天保 12 年 6 月 18 日から 7 月 5 日まで, 甲州地域を代表 する芝居小屋, 亀屋座(現山梨県甲府市)にて披露している。なお,この時の演目名称は 「源平咲分つし扇屋之段」であり, 配役は海老蔵の熊谷次郎直実以外, 中村座での配役とは異なるものであった[6]。 7 月 5 日に龟屋座興行が終了すると, 海老蔵一行は, 同月 21 日に信州へ入り, 海老蔵一行を招待した川路村(現長野県飯田市)の庄屋関島記一の元に同月 24 日に到着する。そして, 川路村にて芝居興行を翌 8 月 2 日より 13 日間開催した。この芝居興行でも「魁源平躑躅五條坂扇屋の場」が上演された[7]。川路興行の配役も海老蔵の熊谷次郎直実以外は中村座や亀屋座とは異なっていた。この状況をみると,同一の役者が一座を組んで,地方を廻っていた訳ではなかった。川路興行における「魁源平躑躅」の芝居台帳は, 関島家によって書き写され, 現在は, 早稲田大学坪内博士記念演劇博物館に寄贈されている[8]。 天保 12 年には「魁源平躑躅」が少なくとも江戸,甲州,信州と 3 回上演されている。その 3 回に出演し, 同じ役柄を勤めている役者は唯一海老蔵のみである。 このような状況,背景から考えると,江戸で使われた「魁源平躑躅」の歌舞伎台帳は,海老蔵が甲州亀屋座へ出演した時, 何らかの事情によって甲州地域の人の手に渡った可能性があると考えられる。しかも,当台帳は,中村座の配役のものである。ということは,海老蔵が,甲州亀屋座興行を開催するにあたり, 配役は異なるが, 中村座で使用した時の台帳を持参したと考えられる。当台帳は,海老蔵 (亀屋座) $\rightarrow$ 芦沢花枝 $\rightarrow$ 深山 $\rightarrow$ 市川壽三郎へと渡り継がれていたことを示している。 山梨は, 明治期に劇場が 20 近く濫立していることからも知れるように芝居の盛んな地域である[9]。しかし, 甲州龟屋座は, 明治 16年 (1883)に名称を若松座と変更しているので,市川壽三郎等が芝居を上演した劇場は, 山梨地域と言っても亀屋座でないことは年代からみても明白である。ただ,裏表紙の「明治参拾四年十月十七日」と表紙の「出来秋狂言」 という記述からは,明治 34 年 10 月 17 日とい う日が,深山が台帳を筆記した日なのか,あるいは,芝居が開催された日なのか判断できない。 いずれにしても,天保 12 年閏正月 19 日,江戸中村座にて上演された「魁源平躑躅」の歌舞伎台帳は, 60 年の時を経て, 山梨俳優市川壽三郎の手に渡り, 山梨地域の芝居興行に活用された状況が示されている。 1 冊の歌舞伎台帳が,コミュニティアーカイブとしての価値を十分に発揮していた事例である。 ## 4. おわりに 本報告は, 天保 12 年閏正月 19 日より江戸の中村座にて幕を開けた「魁源平躑躅」の歌舞伎台帳を検討し,コミュニティ(地域)ア一カイブの有効性について考察した。 歌舞伎台帳の形状と内容を確認した上で,五代目海老蔵一座の甲州亀屋座出演を根拠として, 江戸から山梨地域の芝居へと当台帳が伝播した経緯について言及した。 しかし,これはあくまでも残された台帳から捉えているので, 推測の域をでない箇所があり, 解明しなければならない課題も浮上している。 まず,芦沢花枝,深山なる人物, 市川壽三郎という「山梨俳優」について具体的な人物像を明らかにしなければならない。また, 芝居を上演した山梨地域の場所あるいは芝居小屋(劇場)についても, 具体的に絞り込む必要がある。 ただ,江戸の芝居が,江戸時代から明治時代にかけて,山梨地域に伝播してきた事実を鑑みると,当台帳がコミュニティ(地域)ア一カイブとして十分な機能を果たし, 山梨の芝居や俳優, 観客, 地域社会に貢献している のは間違いない。このように,江戸の台帳が様々な経緯を経て, 現在まで残されているような例は,他地域においても少なからずあると思われる。したがって, これらを丹念に掘り起こし,コミュニティアーカイブの有効性を検討していくことが,デジタルアーカイブ研究の一層の進展のためにより求められているのではないだろうか。 ## 参考文献 [1] 天保 12 年閏正月中村座「魁源平躑躅」. 絵本番付 (演劇博物館所蔵口 23-1-689). [2] 富澤慶秀. 藤田洋監修. 最新歌舞伎大事典. 柏書房. 2012,7 [3] 早稲田大学坪内博士記念演劇博物館編. 江戸芝居番付朱筆書入孔集成. 早稲田大学出版部. 1990,2,p.16-17. [4] 岐阜女子大学デジタルアーカイブ研究所編. 地域文化とデジタルアーカイブ. 樹村房. 2017,11 [5] 古井戸秀夫.鶴屋南北未完作作品集第一巻.白水社. 2021,6 [6] 木村涼。七代目市川團十郎と甲州亀屋座興行. 演劇博物館グローバル $\mathrm{COE}$ 紀要演劇映像学 2010 第 4 集. 早稲田大学坪内博士記念演劇博物館. 2011,3,p.105-140. [7] 菊池明. 林京平. 信州川路と市川海老蔵.演劇研究第 6 号. 早稲田大学坪内博士記念演劇博物館. 1973,4,p.1-33. [8] 木村涼. 五代目市川海老蔵の信濃国川路興行関連資料のデジタルアーカイブについて.岐阜女子大学デジタルアーカイブ研究所テクニカルレポート 2017 Vo2. No.2.岐阜女子大学. 2017,3,p.12-13. [9] 山梨県. 山梨県史資料編 19 近現代 6 .山梨県. 2002,5,p.464-466. この記事の著作権は著者に属します。この記事は Creative Commons 4.0 に基づきライセンスされます(http://creativecommons.org/licenses/by/4.0/)。出典を表示することを主な条件とし, 複製, 改変はもちろん, 営利目的での二次利用も許可されています。
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# [31]電子展示「南方熊楠菌類図譜 その整然と混沌 」 の作成と公開 : アーカイブの電子展示化への取り組み ○細矢剛 1),中島徹 2),倉島治 2) 1) 国立科学博物館植物研究部, 〒305-0005 茨城県つくば市天久保 4-1-1 2) 国立科学博物館科学系博物館イノベーションセンター, 〒110-8718 東京都台東区上野公園 720 E-mail: [email protected] ## Electric exhibition "Minakata Kumagusu's Color Atlas of Mushrooms": An attempt to transform archive to digital exhibition HOSOYA Tsuyoshi1), NAKAJIMA Toru ${ }^{2}$, KURASHIMA Osamu ${ }^{2}$ 1) Department of Botany, National Museum of Nature and Science, 4-1-1 Amakubo, Tsukuba, Ibaraki 305-0005 Japan 2)Innovation Center for Nature and Science Museums, National Museum of Nature and Science, 7-20 Uenokoen, Taito-ku, Tokyo 110-8718, Japan ## 【発表概要】 南方熊楠(1867~1941)は、自然史や民俗学など幅広い分野で資料を収集した人物で、日本における環境保護運動のきっかけをつくり、「エコロジー」という言葉を広めた人物でもある。熊楠は海外渡航から帰国した 1901 年以降、多数のきのこ標本を採集し、その標本で数千点の 「南方熊楠菌類彩色図譜 (以下菌類図譜)」を作成した。菌類図譜は、熊楠の半生における行動や指向を知る上で貴重な資料であり、日記や他の資料と相互参照・利用するためにも国立科学博物館においてデジタルアーカイブ化が進められている。このデジタルアーカイブ化を推進し、成果を公表する目的で、電子展示の作成に取り組んだ。本発表では、図譜の概要を紹介するとともに、このデジタルアーカイブ化にあたっての課題、電子展示化の意図などを紹介する。 ## 1. はじめに 南方熊楠(1867〜1941)(以下、熊楠)は、自然史や民俗学など幅広い分野で資料を収集した人物で、日本における環境保護運動のきっかけをつくり、「エコロジー」という言葉を広めた人物でもある。一般には変形菌の研究でよく知られているが、実はその一方で非常に多数のきのこ標本を残した人物でもある。 このきのこ標本は、熊楠は海外渡航から帰国した 1901 年以降、精力的に作成されたもので、数千点の「南方熊楠菌類彩色図譜 (以下菌類図譜)」として知られている。 菌類図譜は、採集された材料を、その特徴とともに $\mathrm{A} 4$ 程度の厚紙に描画・記載したものである。資料の識別のため F (Fungi 菌類の頭文字と思われる)を付した番号が与えられており、典型的には次の 4 つの要素を含んでいる。(1)きのこ自体の乾燥標本(多くはスラ イスされたきのこの実物)を貼り付けたもの、 (2) 彩色図(きのこの水彩画。乾燥してしまうと生物学的特徴が失われるので、これを水彩画によってとどめたもの)、(3)胞子(雲母板に胞子を落下させたものを紙で包んだもの)、(4)記載(英文で試料の菌学的性状を記したもの。 いつ、どこで、だれが採集した、何なのか、 どんな形態、色調、匂いなのかなど、生物学的特徴が記されている)。しかし、これらの 4 つが必ずあるとは限らず、一部の要素が欠けているもの、1枚のシートにおさまらず、複数のシートにまたがっているもの、おそらく紙資源の節約のため、複数の $\mathrm{F}$ 番号が 1 枚のシートに集められたもの、などがあり、その管理を難しくしている。 ## 2. 図譜のデジタル化とデータベース化 2. 1 図譜のデジタル化 現在までに知られている図譜は、 2 つの大きなまとまりに分けられる。1995 年までに国立科学博物館にすでに保管されていた約 4500 枚のシート(これを第 1 集という)に加光、 2014 年までに見いだされ、国立科学博物館に保管された約 750 枚のシート(これを第 2 集という)である。これらをまとめてデジタル化することを試みた。第 1 集については、この作業は、すでに 2002 2004 年に行われていたので、第 2 集については新たに 2015〜 2016 年に作業を実施した。その結果、現在までに第一集は 3473 、第二集は 753 のイメージを得た。 ## 2.2. 図譜のデータベース化 次に各シートの文字情報のデジタル化に取り組んだ。幸い第一集に関してはすでに記載の翻刻がなされていた。記載にはほぼ一定の内容が書かれているとはいえ、書かれている位置が図譜中でバラバラであったり、挿入や削除があったりとわかりづらく、しかもかなり文字にも癖があるため、読み解くのは容易ではない。しかし、第 1 集については、すでに読み解いた資料 (翻刻) があり、そのデジタル情報化も多くについて行われていたため、新たに第 2 集の翻刻資料のデジタル情報化を行った。以上によって、各シートのデジタル情報が画像情報と参照できるようになり、現在、そのオフラインデータベースの作成を目指している (Microsoft Access を使用)。このデータベースは、まだ作成途上であり、管理項目についても試行錯誤しながら、研究コミユニティで共有できるものとして完成をめざしている。 図譜の情報に関しては、できるだけオープンにすることを目指し、可能な限り二次利用可能とすること、相互利用性を確保するため、 IIIF の規格に従うことを目指している(表 1)。 一方、データベース化された情報を公開し、利用してもらうことを目標に、一部を先行公開する形で、下記のデジタル展示を企画した。 ## 3. デジタル展示 ## 3.1. 本展示の企画意図 本デジタル展示では、南方熊楠の人物像、菌類の多様性(特に日本における多様性)を紹介して予備知識とし、その後に図譜を紹介し、理解してもらうことを意図した構成とした。また、図譜の紹介が羅列的になり過ぎになってしまうことを避けるため、図譜の全要素が比較的揃っており、図も比較的丁寧に描かれているもの(「整然」と表現)と、番号の重複や、字の乱れ、図の描画も十分丁寧とは 表 1. 図譜画像のメタデータ項目 \\ いえないもの(「混沌」と表現)に分け、第 1 集、第 2 集から代表的なものを取り上げ、各画像あるいは画像のセットにコメントを記しながら紹介した。 これらの展示を通じて、熊楠が常に異常な情熱を注いで図譜を完成させたものであるかのような誤解を与えず、手抜きや自身が混乱していた部分もあり、人間的な面があるのを紹介することを意図した。 ## 3.2. デジタル展示の概要 本デジタル展示は以下のように構成されている。それぞれの趣旨は下記の通りである。 第 1 章南方熊楠の生涯: 本章では、南方熊楠の生涯を年表形式で紹介する。 第 2 章日本の菌類の多様性: 本デジタル展示では、南方熊楠の収集した「きのこ」の位置づけを明らかにするため、日本の菌類 (きのこ・カビ・酵母)の多様性を様々な写真をもとに紹介する。 第 3 章菌類図譜とは: 菌類図譜の紹介である。図譜の 1 枚を提示し、その要素について解説を加える。 第 4 章および第 5 章菌類図譜: その整然と混沌: 第 4 章および第 5 章では、代表的な図譜を提示し、解説を加えて紹介する。熊楠の図譜の中には、前述の 4 つ要素と、標本番号・採集地・採集者・採集年月日・同定結果などの標本としての不可欠な要素を含み、 さほどの修正跡もなく記載が残されているのがある。これらを第 4 章で、いずれかの要素に問題があったり、混乱が見られるような例を第 5 章で扱うことによって、両者の特徴を対比できるようにした。また、高精細な画像を提供し、図を自由に拡大して詳細を検討したり、 $843 \times 527 \mathrm{pxm} 1000 \times 742 \mathrm{px}, 4685 \times$ $3477 \mathrm{px}$ のいずれかで JPG 形式でダウンロー ドできるようにした。 第 6 章むすび:熊楠にとっての菌類図譜の位置づけや、今後の研究の展開への期待を議論する。 多くの人には菌類図譜はすべて美しく、きのこの情報がまとめられた図集であるかのように誤解されている傾向がある。しかし、そ の一方で、熊楠自身の戸惑いや混乱があったことをこの展示では明らかにしている。 ## 4. おわりに 熊楠は、帰国後、隠花植物の採集に精を出した。アメリカ、イギリスでの採集経験から、日本が欧米にまさる多様性を持っていることに熊楠はすぐ気づき、今更ながらに驚いたことであろう。しかし、肝心の生物の名前を知るためには、先人の研究成果が必要である。熊楠は世界の専門家と連絡をとり、日本産の生物の名前を調べようとしたものと思われる。 その中には、変形菌類のように、リスター父娘との共同研究でうまく成果があがった例もあったが、きのこに関しては、そのようには進まなかった。かといって、日本にも専門家がいるわけでもない。熊楠は、次々に採集されてくる多様なきのこを記憶しやすいように、 とりあえず名前をつけ、自分の頭の中にきのこのデータベースを構築しようとしたのではないかと思われる。図譜の中で新種と解釈しているものが多いのはそのためと思われる。 萩原(2017)は、「ロンドン抜書」、「田辺抜書」のように、菌類図譜を「自然界からの抜書」と解釈した [1]が、演者もこの考えに賛成である。自分の頭の中に入れた多数のデ一タをいつでも引き出せるようにするため、熊楠は、記憶に残りやすい五感〜味覚・触覚・視覚・嗅覚・聴覚〜(きのこは鳴かないので、聴覚だけは使えないかもしれないが) と、誰がいつどこで採集したのか、という情報を執拗に記録し、それぞれのきのこに付随する「物語」を記憶しようとしたものと考えている。また、互いのきのこの情報が参照できるように、「参照せよ」の情報を充実させ、情報を互いに関連させ、堅固なものにしようとしたのではないかと考えている。 日本の菌類の多様性は、帰国した熊楠が当初予想したものを遥かに超えていたと思う。 データベースのような便利な道具がなかった時代に、果てしない多様性もった情報源と対峙し、試行錯誤しながらそれをものにしようとする挑戦、それが熊楠にとっての菌類図譜 だったのではないだろうか。 ## 参考文献 は自然の「抜書」だった. BIOCITY ビオシティ 2017 年 70 号 [1] 萩原博光. 萩原博光. 2017. 菌類彩色図譜 この記事の著作権は著者に属します。この記事は Creative Commons 4.0 に基づきライセンスされます(http://creativecommons.org/licenses/by/4.0/)。出典を表示することを主な条件とし、複製、改変はもちろん、営利目的での二次利用も許可されています。
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# [26] 私立学校におけるデジタルアーカイブ構築の実践例: ## 「自由学園 100 年+」の構想から開設まで ○菅原然子 1),村上民 1) 1)自由学園資料室, 〒203-8521 東京都東久留米市学園町 1-8-15 E-mail: [email protected] ## Design of Digital Archive "Jiyu Gakuen 100 Years +": An Attempt at Utilizing Archives in Private School SUGAWARA Noriko1), MURAKAMI Tami ${ }^{1)}$ ${ }^{1)}$ Jiyu Gakuen Archives, 1-8-15,Gakuen-cho,Higashikurume-shi,Tokyo,203-8521 Japan ## 【発表概要】 学校法人自由学園は創立 100 周年を迎えた 2021 年、デジタルアーカイブ「自由学園 100 年+」 (https://archives.jiyu.ac.jp/)を開設した。歴史資料のデジタルアーカイブでの公開は、資料目録のデジタル化とその検索ツールの提供が主だが、今回はそれだけでなく、当学園の特徵を分かりやすく伝えられるよう、一般的に親しみやすい年表、地図、「学園新聞」、写真を切り口に、多くの方に利活用を促すような機能を入れて構築したことに特色がある。特に年表と地図は、年表の事項を繋ぎ役として、両者をシームレスに行き来できる構成とし、学園の歴史を時間と空間の両方からとらえられる工夫をしている。現在、私立・国公立を問わず教育機関の建学の理念、およびその歴史的展開に関するアカウンタビリティが重視されているが、特に私立学校においてはそれらを学内外に公開し、広く共有していく意味は大きい。本発表ではその一つの実践例として、 デジタルアーカイブによる発信方法について企画から構築、公開までの流圠中心に報告する。 ## 1. はじめに 自由学園は 1921 年、ジャーナリストであった羽仁もと子・吉一夫妻によって設立された私立学校である。当時の高等女学校令によらず、各種学校として女子中等教育をスタートし、キリスト教を土台に生活そのものから学ぶことを重視するカリキュラムを作った。 1927 年に小学校 (現・初等部)、35 年に男子部 (中等教育)、39 年に幼児生活団 (現 - 幼児生活団幼稚園)、49 年に最高学部(大学部) を設立し、一貫教育を実践してきた。戦後、女子部、男子部は新学制に則って中等科高等科を設置した[1]。 2021 年に創立 100 周年を迎えた学園は、その約 20 年前より実施していた学園資料の整理 - 保存の集大成として、書籍『自由学園一 $\bigcirc$ 年史』(自由学園出版局 2021 年)を発刊し、ほぼ同時に web 上にデジタルアーカイブ (DA)「自由学園 100 年十」を開設した。 いずれの媒体も、資料室で蓄積してきた自校資料を典拠とし、自己検証と社会発信を目的に編纂・構築を試みた。本発表では主に、 DA「自由学園 100 年+」の企画から構築・公開までについて報告する。 ## 2.「自由学園 100 年十」とは 2. $1 \mathrm{DA 「$ 自由学園 100 年+」の概要} DA「自由学園 100 年+」は自由学園資料室で 20 年以上をかけて整備してきた収蔵資料デ ータベースをリソースとし、諸機能を構築している(次頁図 1)。学園は直接の戦災を免れ、戦前期からの資料が残されていることが特徴である(資料整理については 2.2 参照)。 一般的に学校資料室の DA 公開というと、目録公開とその検索ツールの提供が主だが、今回の「自由学園 100 年+」では、そうした収蔵データベースを「年表から見る」をはじめとして、一般の閲覧者がより学園に興味を持てるような構成で提示したこと、また書籍『自由学園一○○年史』の資料篇をデジタル公開していることが主な特徴である。 図 1. 各ページとデータベースの関係 メインメニューは、自由学園の歴史を「年表から見る」「地図から見る」「学園新聞から見る」「写真から見る」から眺められるようにした。他に書籍『自由学園一○○年史』の資料篇である「『自由学園一○○年史』デジタル資料篇」、デジタル化した主要資料 1000 点余を検索・閲覧できる「自由学園資料室収蔵資料データベース」へのリンクを配置している (図2)。 図 2.「自由学園 100 年十」トップページ 「年表から見る」は TIMEMAP 。TIMEMAP は、デジタル地図を自由に拡大・縮小して眺められるように、年表項目を俯瞰したり、各事項単位で細かく見られるインターフェイスを提供している。詳細年表の各事項に、その出来事が起こった場所の位置情報を付与しており、年表事項を選択すると表示されるポップアップ画面から「地図から見る」の該当地点へ飛べるようになっている。 図 3.「年表から見る」 「地図から見る」では、地図とともに下部に年表が表示されるので、年表から興味のある箇所をクリックすればその事項が行われた場所を地図上で確認できる(図 4)。当学園は 図4.「地図から見る」 小規模学校ながら、海外も含め幅広い地域で教育活動や社会活動を行っており、そうした広がりをこの地図コンテンツで表すことが可能となった。 「学園新聞から見る」では、1924年〜1958 年(途中中断あり)に発行された定期刊行物 図 5.「学園新聞から見る」 「学園新聞」等の紙面がすべて閲覧可能である(図 5)。当新聞の作成には各時代の生徒や学生も関わっており、当時の学園の様子を知るための貴重な資料となっている。見出し、 タグ、概要に対するキーワード検索も可能である。 「写真から見る」では、学園所蔵の主要な写真約 590 枚の写真が閲覧可能となっている (図 6)。各写真にはキャプションとタグ付けをし、14 のカテゴリーで分けて表示することもできる。 図 6.「写真から見る」 「『自由学園一○○年史』デジタル資料篇」 は、書籍版 100 年史の資料篇を、書籍の末尾への収録や別冊での扱いとするのではなく、 デジタルで公開したものである。この方法をとることで、紙幅に制限されず、関連する資料や本文中で掲載できなかった図表なども余すことなく提示できた。ぺージには書籍の目次を配置し(図 7)、それぞれの項に関連する資料を web 上で公開した。ここで公開されて 図 7.「『自由学園一○○年史』デジタル資料篇」 いる資料は、自由学園資料室収蔵資料データベース(早稲田システムのクラウド型収蔵品管理システム「I.B.MUSEUM SaaS」使用) にリンクをはっているもの(図 1 のd)と、特に二次資料(図表など)については PDF 化したものへ直接リンクをはっているものの 2 種類がある(図1のc)。 収蔵資料全般から検索をしたい利用者のためには「自由学園資料室収蔵資料データベー ス」へのリンクを配置した(図1のa)。これは、直接前出の SaaS の一般公開トップ画面へアクセスできるようになっており(図 8)、初回は登録資料 2 万点中 1000 点を公開、キー ワード検索ができるようにした。 図 8 「自由学園資料室収蔵資料データベース」 ## 2.2 資料整理・調査から DA 構築へ これらすべてのコンテンツのベースとなっている資料は、学園資料室で室員や資料ボランティア(元教職員、卒業生等)が収集・調査・整理してきたものである。年表事項については、元資料室員が 20 年以上にわたって関連資料から事項を集め(図 1 の b)、出典と共に記述した約 4000 項目が基となっている。各事項について別の室員が典拠にあたって場所を確定し、位置情報を付与した。「学園新聞」 については、資料ボランティアや最高学部学生が全号の紙面をスキャンし、PDF 化した (図 1 の $\mathrm{f}$ )。紙面の保存状態がよくないものや、複雑なレイアウトの紙面があることから、 OCR を用いた自動文字認識は行わず、人手にて各ページから見出しとキーワードを抽出した。写真については、撮影年、事項を確定したものから SaaS に登録しているが、その中からより学園の教育等を表していると思われるものを選別し、公開した。 ## 2. 3 企画から公開まで 自由学園資料室は、学園が 2001 年に発刊した『自由学園 80 年小史』(自由学園出版局) の編集後、2002 年に発足した。それまでも図書館員、および学生が記録資料の収集・整理を行っていたが、より体系的に収集し、活用範囲を広げることも目的に資料室が開設された。開設当初から、機関アーカイブズ、収集アーカイブズ双方の整備が目指された [2]。 2010 年、 11 年後の 100 周年を見据えて「一 ○年史準備委員会」が組織され、まず学園資料のデータベース化を検討し、前述の SaaS が導入された。当初、一○○年史準備委員会では資料のデジタル公開を軸に周年事業の計画を立てていたが、2018 年、外部識者のアドバイスも受けて、書籍の年史発刊と資料のデジタル公開の二つをセットで行うことを決定した。HUMI コンサルティングヘコンサルテイングを依頼し、特に DA については、学内の希望(地図で教育の広がりを表したい等) と共に、学園の資料を「どのように見せる」 ことが効果的かを検討した。 各コンテンツのシステム構築には HUMI コンサルティングのコーディネートにより、国立情報学研究所高野明彦研究室の協力を得、 TIMEMAP の利用、地図コンテンツの構築、「学園新聞」PDF 表示ツール等の作成を担当いただいた。 ## 3. これからの 100 年へ 当 DA は今後も、継続的な内容充実と活用促進を考えている。内容については、毎年の年表、位置情報の更新作業中である。「写真から見る」に揭載中の写真については、すべて SaaS に登録済のものなので、この 6 月に SaaS にリンクをはり、写真をクリックすることでより詳しい解題も閲覧可能にした。活用促進については、自校史教育等、学内 での生徒学生、教職員の利用を目指している。 そのためにも、授業での利用の具体的提案だけにとどまらず、たとえば生徒学生と一緒に DA 構築を授業内で実施し、この「自由学園 100 年十」を充実させていく試みも実現できればと考えている。 今後、自由学園は創立者を同じくする、婦人之友社 (出版)、友の会 (『婦人之友』読者組織)とのいっそうの連携を図り、資料 DB の構築や活用の面での協同、共有なども視野に入れている。特に創立者存命期においては、三団体が一体的に活動していたため、各団体が所蔵する資料には緊密なつながりがある。 それらのデータの共有により、羽仁夫妻の事業がより俯瞰しやすくなると考えられる。 学外者へ向けては、特に SaaS での一般公開可の資料登録を充実させていく。コロナ禍により、学外者の資料閲覧の為の受け入れに制限があり、せっかく本校の教育に興味を持っていただいても資料へのアクセスに時間がかかる。「学園新聞」の公開は進んでいるが、 それ以外の資料についても登録・公開作業を順次進める予定である。 私立学校の収蔵資料は、創立者の理念や実践形態により内容に特徴があるが、DA によってそうした資料の強みを生かした表し方を採用することで、資料の利活用の促進や、学校の教育を内外へ周知するためのツールとしての役割を果たせると考えられる。 ## 参考文献 [1] 自由学園 100 年史編纂委員会. 自由学園一 $\bigcirc$ 年史. 自由学園出版局, $2021,761 \mathrm{p}$. [2] 菅原然子. 私立学校におけるアーキビストの役割に関する一考察:自由学園資料室の親組織への資料活用活動から. 生活大学研究. 2021, 6(1) , p.44-55.
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# [24] ジャパンサーチの LOD : デジタルアーカイブが「つながる」ために ○町屋大地 1 1),伊藤実 1 1), 高橋美知子 1) 1) 国立国会図書館電子情報部, 〒 100-8924 千代田区永田町 1-10-1 E-mail: [email protected] ## Linked Open Data of Japan Search: ## Making the Digital Archives Linked MACHIYA Daichi ${ }^{1)}$, ITO Minoru ${ }^{11}$, TAKAHASHI Michiko ${ }^{1)}$ 1) National Diet Library, 1-10-1 Nagata-cho, Chiyoda-ku, Tokyo, 100-8924 Japan ## 【発表概要】 ジャパンサーチでは、提供を受けた多様な分野のデジタルアーカイブのメタデータを、利活用に適した形にマッピングしリンクトオープンデータ(LOD)として提供している。ジャパンサ一チの LOD は、項目の URI としての正規化、ジャパンサーチ外部の RDF の活用、LOD ハブへの協力といった取り組みを行うことで利活用の促進を目指している。 本発表では、ジャパンサーチでの LOD 提供について、利活用を促進するための取組みに重点を置いて報告する。 ## 1. はじめに ジャパンサーチは、我が国の幅広い分野のデジタルアーカイブと連携し、多様なコンテンツのメタデータをまとめて検索・閲覧・活用できるプラットフォームであり、2020 年 8 月に正式公開された。ジャパンサーチは内閣府知的財産戦略推進事務局が事務局を務める 「デジタルアーカイブジャパン推進委員会及び実務者検討委員会」が運営主体となり、この委員会で決定される方針の下、国立国会図書館がシステムの開発・運用を担っている。 ジャパンサーチはデータベース提供機関の作業・調整の負荷を減らし、迅速な連携を実現するため、連携開始にあたっては提供機関が個々のデータベースのデータ項目とデータをそのまま登録し、その中から限定的に定められた共通項目を指定することで網羅的な検索・表示を実現している。一方で、連携開始後に順次、ジャパンサーチ側で個々のデータベースに応じた詳細なマッピングを実施し、付加価値をもたらす二次利用の促進を目指してリンクトオープンデータ(LOD) へ変換して提供している。 ## 2. ジャパンサーチでの LOD の提供 ## 2. $1 \mathrm{LOD$ 提供の概要} LOD とはウェブ上に存在する他のデータと「リンク」されているデータ(リンクトデー タ)であることと「オープン」なライセンスで公開されたデータ(オープンデータ)であることを兼ね備えたデータを指す。これによって関連するデータを相互にリンクでつなぎ、複数のデータベース上のデータを統合した一つの知識べースとして利用できるようになることが期待されている。 ジャパンサーチでは、2022 年 4 月末現在、 171 のデータベースに由来する 2,500 万件以上のメタデータを検索可能である。 このうち、データ提供元が API での提供を認めているデータベースについて Resource Description Framework(RDF)に基づく LOD一の変換を行っている。ジャパンサーチの LOD はRDF を問い合わせるための言語である SPARQL を使用して、RDF ストアのインターフェースである SPARQL エンドポイントから検索・入手することが可能である。 2022 年 4 月末現在、 142 のデータベースに由来する約 2,200 万件のメタデータを LOD として提供している。 ## 2. 2 ジャパンサーチでの正規化 ジャパンサーチで提供しているLODは、利活用に適した共通の形式に変換しており、こ の形式を「ジャパンサーチ利活用スキーマ」 と呼んでいる。[1][2] ジャパンサーチ利活用スキーマの特徴の一つは、メタデータ中の時間・場所・人・組織の情報を URI として正規化している点である。 これらの情報は、メタデータの検索において重要であるが、多くのデータベースでは文字列として記述されている。 例えば、浮世絵師の葛飾北斎は多くの号を用いたことで有名であるが、データベースにおいても多様な形で記載されており、「北斎」 や「葛飾北斎筆」のような表記のほか「前北斎為一筆」や「葛飾前北斎為一老人画」のような記載も見られる。 表記の摇れや「筆」といった役割表示の付記などの問題でそのままでは網羅的な検索が困難であるが、実体をURI として正規化することによってこれを可能にしている。例えば、葛飾北斎という実体を<https://jpsearch.go.j p/entity/chname/葛飾北斎> という URI で表しており、これによって元のデータベースでの記載に依らず検索することが可能になっている。 例えば、次のようなクエリを SPARQL エンドポイントに送信することで葛飾北斎が制作したアイテムを検索することができる。なお、実際のリクエスト時は、名前空間を宣言する PREFIX 句が必要である。本稿のクエリで使用する名前空間は表 1 に示した。 ## SELECT ?s ?label WHERE \{ ?s rdfs:label ?label . ?s jps:agential[ jps:relationType/skos:broader* role:制作 ; jps:value chname:葛飾北斎 ] 。 ## \ LIMIT 200} また、正規化した URI はジャパンサーチ外の LOD ハブ、すなわち Web NDL Authorities、 DBpedia、Wikidata、バーチャル国際典拠フアイル(VIAF)といったウェブ上で他のデー タからリンクされているURI と同定を行い、関連付けている。 このことにより、外部 URI を検索条件として検索を行うことが可能である。また、 SPARQL の統合クエリによってジャパンサー チ上のデータと LOD ハブや LOD ハブを介してリンクする外部のリンクトデータとを統合的に検索することも可能となる。例えば、 DBpedia はウィキペディアの記事を LOD 化したものであるが、Europeana においても一部の人物情報は DBpedia の URI を用いて正規化されているため、ジャパンサーチと Europeana のメタデータを横断的に検索することが可能となる。[3] また、Wikidata はウィキメディア財団が提供するユーザーの共同編集によるデータベー スである。Wikidata は他の識別子との関係性が集約されたハブとしての機能を有している。 [4] ジャパンサーチの RDF ストアで保持していない識別子についても保持していることから、Wikidata との統合クエリによって幅広い外部識別子を用いた検索が可能となることも利点である。また、Wikidata は多言語対応がなされていることから、多様な言語を母語とするユーザーにとってもジャパンサーチ上のメタデータを検索しやすくなることが期待できる。 ## 2. 3 外部 RDF の取り込みと活用 ジャパンサーチの RDF ストアに、ジャパンサーチで連携対象としていないRDFデータを取り込むことで効果的な検索が可能となっている。 国内における主要な図書分類法である日本十進分類法(NDC)は、日本図書館協会と国立国会図書館の共同研究の成果として、新訂 表 1. 名前空間の一覧 8 版と新訂 9 版の RDF 形式のオープンデータ (NDC-LD)が公開されている。[5] NDC-LD では SPARQL エンドポイントが提供されていないため利活用のハードルが高かったが、ジャパンサーチの RDF ストアへ取り込み、メタデータ中の NDC と関連付けることで検索における利便性を向上させることができるようになった。 他の活用事例として2021年に公開された学習指導要領 LOD の例が挙げられる。学習指導要領 LOD は文部科学省がオープンデータとして公開している学習指導要領コードや関連情報を LOD 化したものである。[6] これをジャパンサーチのRDFストアに取り込み、前述の正規化した URI と紐づけることで、学習指導要領に対応した人物・事物に関連するデータを検索することが可能になっている。 ## 3. ジャパンサーチを「つなげる」ため の取り組み 2022 年、ジャパンサーチで正規化した URI の Wikidataへの登録を開始した。 Wikidata は識別子のハブとして機能すると同時に、分野を問わない大規模な知識データベースであることから、Wikidata からジャパンサーチへの「リンク」を設けることによってデジタルアーカイブの更なる活用が期待される。 例えば、Wikidata 上の出生地や性別の情報をもとに次のような統合クエリをジャパンサ一チの SPARQL エンドポイントに送信することで、青森県出身の女性が制作した作品を検索することが可能である。 ## SELECT * WHERE \{ ?cho schema:creator ?chname; rdfs:label ?label . \{ SELECT ?chname WHERE \{ SERVICE <https://query.wikidata.or $\mathrm{g} /$ sparql> \{ ?creator wdt:P31 wd:Q5 ; wdt:P19/wdt:P131* wd:Q71699 ; wdt:P21 wd:Q6581072 ; wdt:P6698 ?chnameID . BIND (IRI (CONCAT ("https://jps earch.go.jp/entity/chname/", ?chna meID) ) AS ?chname) \} \} ORDER BY ?chname LIMIT 20 \} \} こうしたクエリを活用することによって、 ある地域に関連する人物の作品や記録を、所蔵する機関の距離を意識せずに横断的に探すといった活用が考えられる。 ## 4. おわりに ジャパンサーチでは、ジャパンサーチ戦略方針 2021-2025 において「新しい情報技術とアーカイブ連携を通じて、日本の文化的・学術的コンテンツの発見可能性を高め、それらを活用しやすい基盤を提供する」ことをミッションとして掲げている。[7] メタデータの LOD としての提供はこのミッションを達成するための重要な手段のひとつであり、提供する LOD の拡大とともにユーザーのフィードバックを受けた改善を続けていきたい。 ## 参考文献 [1] 神崎正英. ジャパンサーチ利活用スキーマの設計と応用. デジタルアーカイブ学会誌. 2 020, 4(4), p.342-347. https://doi.org/10.24506/jsda.4.4_342 (参照 2 022-05-10). [2] ジャパンサーチ利活用スキーマ概説. https://jpsearch.go.jp/api/introduction/ (参照 2022-05-10). [3] 神崎正英. RDF と SPARQL による多様なデータの活用. 情報の科学と技術. 2020 , vol. 70, no.8, pp.399-405. https://doi.org/10.18919/jkg.70.8_399 (参照 2022-05-10). [4] 大向一輝. 識別子としての Wikidata. 情報の科学と技術. 2020 , vol.70, no.11, pp. 55 9-562. https://doi.org/10.18919/jkg.70.11_559 (参照 2022-05-10). [5] 日本図書館協会. “NDC データ (NDC8 版および 9 版).” https://www.jla.or.jp/committees/bunrui/tabi d/789/Default.aspx (参照 2022-05-10). [6] 教育データプラス研究会. 学習指導要領 LOD. https://w3id.org/jp-cos/ (参照 2022-05-10). [7] ジャパンサーチ戦略方針 2021-2025. https://jpsearch.go.jp/about/strategy2021-2025 (参 照 2022-05-10). この記事の著作権は著者に属します。この記事は Creative Commons 4.0 に基づきライセンスされます(http://creativecommons.org/licenses/by/4.0/)。出典を表示することを主な条件とし、複製、改変はもちろん、営利目的での二次利用も許可されています。
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# 長尾真前会長追悼座談会:長尾先生と私たち Dr. Nagao and Us - a Roundtable Discussion in Memory of Dr. Makoto Nagao, the former president of JSDA 日時:2021 年 7 月 23 日(金)16:00 18:00 方法 : オンライン 出席者 : 岡本真 (アカデミック・リソース・ガイド $($ 株 $)$代表取締役)、黒橋禎夫(京都大学教授)、土佐尚子 (京都大学特定教授) 、柳与志夫(東京大学特任教授) 司会 : 吉見俊哉 (東京大学教授) ○吉見(司会) 今日は、長尾真先生の御逝去を悼み、先生の思い出を語る座談会を、デジタルアーカイブ学会として催させていたたきました。ここに長尾先生と ゆかりの深い、私を含めて 5 人の方々にお集まりいた だいています。最初に、それぞれの先生と長尾先生と のお付き合いといいますか、記憶に残っていらっしゃ る思い出をお話をいただきたいと思います。長尾先生 の直下でずっと長くご研究をされてこられた黒橋先生 からお話くたさい。 黒橋 私は長尾先生の研究室の出身であり、最後の スタッフでした。研究室に入ったのは 1988 年で、大学4年生のときでした。当時は人工知能ブームでして、長尾先生の研究室に入るか、もう一つは宇宙関係で松本紘先生の研究室があり、どちらに行こうかなとすご く迷ったんです。しかし、 $2 \cdot 30$ 年して自分が働いて いるときに、人工知能は結構できそうだけど、宇宙に ばんばん行くのは難しいかなと思って、長尾先生の研究室に入りました。 研究室は、当時はまだ古き良き時代で、くじ引きで 選ぶという感じで、うまく長尾研に滑り达めました。私が入ったときはもう本当にスタッフも充実してい て、辻井潤一先生も助教授でおられましたけれども、 その後どんどん先生方は転出されて、誰もいなくて長尾先生だけという状況になり、私を助手にしていたた きました。助手の 1 年目にペンシルベニア大学に留学 させていただいたように、研究室というよりは、ス タッフがいろんなところで活躍するのをサポートして いただい感じでした。長尾先生はその頃から大学の 附属図書館長、それから工学部長をされ、私が助手の ときに総長に選ばれたというような状況です。 その後、情報科学でもなく、情報工学でもなく、情報学たということで、情報学研究科の設立にご尽力さ れまして、ちょうど総長になられたその次の 4 月から 情報学研究科がスタートしました。私はそのタイミン グで講師になりました。 それから私は東大に移りましたが、情報通信研究機構の理事長になられたときに、これからは情報の信頼性に関することが非常に重要になっていくから、その プロジェクトをやるんだということで、自然言語処理 の立場からもそういうことをきちんと研究したいから 手伝ってほしいと言っていただいて、プロジェクト リーダーをさせていただきました。 さらに長尾先生は自動翻訳の研究を世界に先駆けて 日本で主導的にやられて、その日英翻訳というのが非常にインパクトがあったわけですが、旧科学技術庁で 長尾先生のカウンターパートをされていた沖村憲樹さ んが科学技術振興事業団(JST)の理事長になられて、 これからは中国だ、中国の情報を取ってこないことに は何ともならない、長尾先生、中国語と日本語の翻訳 プロジェクトをやってくれということで強い働きかけ がありました。そのプロジェクトでも私は日中翻訳の 研究をやらせていただきました。最初はなかなか中国語の翻訳、実用は難しいなという感じだったんですが、 ニューラル翻訳の勢いもあって、使えるものになりま した。 以上、私は本当に長尾先生に一から十までお世話に なったということです。 ○吉見 長尾研究室の独特の雾囲気、長尾先生の個人的な魅力、そういう話が随分出てきましたね。 ○黒橋 そういう意味ではもう私は、長尾研究室の一番ぎらぎらした時代ではなかったと思うんですね。そ れは多分それより 15 年ぐらい前、辻井潤一先生が助教授になられた頃は本当に世界を制引する、今でいえ ば人工知能研究室ということでやられていたんだと思 います。 長尾先生の研究室がどういう感じだったか。私は本当に孫みたいな感じでした。今でも覚えているのは、 コーリング(COLING)という国際会議に初めて行っ て、当時マンチェスター大に行かれていた辻井先生と フランスで食事をしていたんです。そうしたら長尾先生が向こうからふらふらっと歩いてこられて、私は学生で座ったままだったんですが、辻井先生がばっと立 たれて直立不動で挨拶をされていたのを見て、大分偉 い方なんだと思ったというぐらいが当時の小さな工 ピソードでしょうか。 ○吉見 その辺の長尾先生の雾囲気も含めて、次に土佐先生からお話しいただけないでしょうか。 ○土佐 私は 1995 年から 2001 年の間、国際電気通信基礎技術研究所(ATR)におりまして、よくい万んな シンポジウムとか、ATRのオープンハウスとかで長尾先生と打会いしていました。その後私は京都大学に 着任したんですが、最初の所属先が学術情報メディア センター、その後情報環境機構に移るんですけど、 2006 年に、京都大学の博物館で「コンピューターに感覚を」展というのをやるので、ぜひ作品を出してく ださいと言われて、ZENetic Computer、禅を人間に教 える作品をつくりました。こういうのは何かめちゃく ちゃに見えるんですけれども、人の精神をコンピュー ティングする未来が来るだ万うという位置づけで出し たのですが、長尾先生に人の禅を学ぶという性質をコ ンピューターで教えるというのはなかなか面白いと褒 められて、乗せられました。そのとき、私もここで やっていけるかなとか、京大特有のマイノリティーを 大切にするというか、自由な雾囲気と環境を感じまし た。コンピューターに目ができる。画像を読み取れる ようにする、もっと人の感情だとか、精神とか、そう いったこともコンピューティングしていくだろうとい う展覧会でした。 その後、本当にここでやっていけるだ万うかと思っ たときに、いつも背中を押してくださった恩人が長尾先生です。アートのことも、奥様がピアニストという こともあったので音楽、メディアアートも、あと最近 では神経美学とか、そういったいろい万なことにすご く関心を持たれていました。長尾先生が要らないから と言われて、コンピューター音楽とかコンピューター アートの本を会うたびに頂いていました。そういう関係もあって、私が文化をコンピューティングするとい う本を NTT 出版で書いたときに、長尾先生に前書き を書いていただいたんですが、すごい前書きで、それ だけ読めばもう私の本が全部わかる要約集みたいなも のでした。 その後、大きな仕事を一緒にさせていただいたのは、 2015 年です。ちょうど琳派 400 年の記念でして、こ の京都府事業としてプロジェクションマッピングをす るという事業を立ち上げたときに、その委員長に長尾先生になっていただきました。その後、その図録を出 しまして、序文を書いていただきました。情報学とい うものが、ただコンピューターに何かさせるだけでは ないということを、この文章を読んで思いました。 その後、お世話になったのは、建仁寺の件ですね、京都五山の禅寺のトップクラス建仁寺に作品を奉納し たときに、間を取り持っていただきました。というの は、実は長尾先生は長年、建仁寺の管長に書を習って いらっしゃったんですね。その関係で、長尾先生を通 して作品を奉納させていただきました。これが 2016 年です。 2018 年には、共同研究プロジェクトを一緒にさせ ていただきました。長尾先生の夢だったそうなんです けど、洛中洛外図舟木本をデジタル化して、様々なメ タデータをつけて、この人たちが何をしているかを解 明したいと言われていたんですね。それで長尾先生に 委員長になってもらってそれを実現しまして、2019 年に京都で行われました世界博物館会議(ICOM)の 世界大会に出しました。 やったことは、その洛中洛外図をレイヤーにして、 この人物の髪とか、着ているものとか、これは何をし ているのか、人が任意のところを指すと、その指した ところの情報が出てくるというような対話型にしました。 そして、これも重要なことなんですが、昔の京都の 洛中洛外図、これ実は地図じゃないんですよね。当時 の観光スポットを集めて、つながっていないところ、例えば三条から五条、四条とは金の雲でつないでいる んです。名所図をつないだものなので、現代と組み合 わせたら面白いということで、長尾先生のご依頼で京都精華大学の当時の学長の漫画家の竹宮惠子さんを口説いて、葵祭と祇園祭と時代祭り、この3つを漫画で つくって、任意のインタラクションをすると合成され るようにしました。元の洛中洛外図ではまったく違う ところでやっているんですが、その差異も見られると いうことで、アートを利用しているんですが、結局知的なものになるというパターンが長尾先生と一緒に仕事をすると多かったなという印象です。 ○吉見 長尾先生とアートや文化との関係は後でもお 話をもう少し深めていきたいと思います。 一つだけ、黑橋先生と土佐先生の両方に関わると思 うのですが、長尾先生の中でやはり京都というのは大 きかったと思うのです。もともと滋賀ですか、高校時代までは。大津という琵琶湖の近くにいらっしゃって、 しかも打父様は橿原神宮の宮司という神職のトップみ たいな方ですから、京都、奈良との関わりはものすご く深いと思うのですが、京都という場所あるいは土地 との関係で、もう一言付け加えられることはありますか。 ○土佐洛中洛外図のときに、それは一番感じましたね。 ○吉見もち万ん国会図書館長もされていたから江戸 との関わりも多少はあるけれども、江戸っ子じゃない ですよね。江戸の人じゃなくて、長尾先生はやっぱり 京都の人ですよね。 ○黒橋 長尾先生の学生当時はまだ汽車で、トンネル で真っ黒になって京大に来られていたところからス タートして、京都大学で研究を続けられた。京都をい ろいろ散策もされていたんですけれども、ガイドブッ クに載っているようなところじゃなくて、もっと深い 散策をされているようでした。東京に対する対抗意識 というか、そうではないんだというようなところはよ くおっしゃっていたように思います。 ○吉見 土佐さんの言う知的な感覚と京都人というア イデンティティー、それが合わさった何か京都的なも のがいい意味でとてもあったというふうに感じます。 ○黒橋 ちょっと思考のスパンが長いというか、全体的に見る文脈が大きいというか、そういう面はあった ようにも感じます。 ○吉見 近代だとか政権だとかは所詮部分にすぎない ので、もうちょっとスケールが大きい感じがするんで すね。 そういう京都のお二人の打話を聞いた後で、長尾先生は京都大学総長を辞められて、国立国会図書館長に なられる。国会図書館長時代からあとを一番よくご存 じなのは柳さんだと思いますので、柳さんと長尾先生 のお付き合いについてお話しください。 ○柳 私が長尾先生にお会いしたのは実はかなり前で す。私が国会図書館の図書館研究所課長補佐をしてい て、関西館に研究開発機能を設けようと準備していま した。研究所を設けるなら、その主要テーマはデジタ ルライブラリー、当時は電子図書館という言い方が一般的だったと思いますが、その関係で京大の知識工学 の先生にお会いしに行って、お話をしていたら、気を 利かせていただいて、当時の長尾総長に会わせてくだ さったんです。そこでのご発言がいまたに忘れられな い、非常に印象的なことがありまして、それは後で言 うつもりです。打会いしたのはそれっきりで、あとは 国会図書館長になられてからということになります。 しかし、私は長尾先生とある意味出会ったのは、も うちょっと思想的というか、まさに電子図書館の部分 で、日本の電子図書館のパイロットプロジェクトであ る「アリアドネ (Ariadne)」の開発を長尾先生が主導 された。私も当時から電子図書館には非常に関心が あって、国会図書館の中で勉強会的な活動をしていま した。「アリアドネ」は日本のパイオニアということ で注目を最初から受けていたし、私も「アリアドネ」 の関係論文を読んで、そこで長尾先生に出会ったとい う感じですね。 ですから、実際に知已を得る前に思想的にといいま すか、考え方のところで出会ったというところが、長尾先生の本質的な部分に通じているような気がしま す。長尾先生を貫いている、ユニバーサリズムという か、ユニバーサルなロジック、ユニバーサルなノレッ ジとか、そういう部分への信頼、あるいはそれを構築 していこう、その本質を見極めようという、それの表 れ方が情報工学だったり、哲学だったり、アートだっ たりするような気がしています。それを典型的に表し ているのが電子図書館の実現かなと思いました。 そういう意味で長尾先生には昔から関心がありまし たが、国会図書館での出会いという意味では、長尾先生が館長になられたときは、私は千代田区に出向して、文化財行政と図書館行政の担当をしていたんです。 ちょうど千代田図書館をこれまでの公共図書館のアン チテーゼみたいな新しいコンセプトでリニューアル オープンするということで、千代田区に呼ばれたと思 うんですが、それで新しい図書館を作って、それに長尾館長が関心を持ってくださり、見学に見えた、そこ からなんですね。国会図書館にはその 1 年半後ぐらい に戻ったように思いますが、電子図書館関係の仕事は ほかの方がやっていて、長尾館長が国会図書館長でい らっしゃる間は電子図書館という仕事ではご一緒した ことがないんです。じゃ、何で使っていただいていた かというと、本業外のあまり図書館の人がやりたがら ない新しいこと、長尾先生は従来の国会図書館の業務 たけけでは物足りないということで、い万んなことに関心を持たれたんです。例えば、文化関係資料、これは 脚本だったり、レコードだったり、いわゆる書籍以外 の文化資源というものがこのまま放っておくと埋没す る、あるいは本当に劣化してしまうという危機感を、当時、民主党政権の中川正春副大臣が持ってくださっ て、これは何とかしなきゃいけないということで、副大臣主宰の勉強会をやるということになりました。そ れで長尾先生に呼ばれて、そこの委員をやれと言われ たのが、実は長尾館長の下で働いた最初です。 その勉強会ってすごく不思議な勉強会で、座長は中川副大臣で、あと委員が二人だけ、私と吉見さんだっ たんです。それはその後、国会図書館と文化庁の協力協定という形で一応物になったと思いますし、今の脚本アーカイブスにもつながっています。 その後、国会図書館のルーティンには落とせないよ うな仕事があると呼んでくださる。あるいは私のほう から逆に提案をして、それを担当させてくださるとい うことで、出版界の電子出版権の問題とか、その他い ろいろやらせていただきました。 あと職務外の活動でもお世話になりました。広い意味での文化資源の保存・活用をもっと何とかしなきゃ いけない、もち万んその中にデジタル活用もあるんで すが、そういうことで文化資源戦略会議というのを産官学の有志でつくったときに、長尾先生に顧問的な役割を果たしていただきました。その後、同会議主催で アーカイブサミットというのを 4 回連続でやることに なるんですが、そのときにそのアーカイブサミットの 実行委員会の委員長に長尾先生になっていただきまし た。その看板は大きくて、いろんな分野のいろんな方 が参加していただき、それなりに展開することができ ました。 ○吉見 その流れの中でデジタルアーカイブ学会が生 まれてくるわけですね。この学会は、長尾先生が初代学会長として統合の柱になっていただけなかったら、 あり得なかったと思います。 ○柳 はい。デジタルアーカイブ学会、もち万ん長尾先生がいたからこそできたという部分はあるんです が、これ意外と思われるかもしれませんが、私、長尾先生の口からデジタルアーカイブという言葉は、実は 聞いたことがあまりないんです。デジタルアーカイブ 学会だか、やむなくデジタルアーカイブとおつ しゃっていましたが、長尾先生の本質はデジタルライ ブラリー、その延長線上としてのデジタルアーカイブ なのかなと思っています。 デジタルライブラリーは、長尾先生の生涯を貫く一 つの線というか、つまり知識というものは普遍的で、 それをオーガナイズして、そしてそれを効果的に出力 していく、みんなの生活を豊かにするために使ってい く。そのためにできることをいろいろやっていく。長尾先生にとって、その象徴がデジタルライブラリー、 そしてデジタルアーカイブだということなんじゃない かなと思うんです。 ですからその思想にのっとって、すんなりデジタル アーカイブというところにも乗ってくださったし、そ れはデジタルライブラリーの延長線上で、ミュージア ムもまさに、土佐先生がさっきおっしゃっていたよう な、単にブックだけじゃなくてアートも含めて、それ から音楽をお好きですよね。音楽も含めて、そういっ たものが全部乗っかってくるものとしてのデジタル アーカイブという考え方に、これはやはり基本的に長尾先生の本質的な部分に乗っかった話だったのかなと いうふうに私は思うので、そういう意味では本当にデ ジタルアーカイブ学会の初代会長に長尾先生になって いただけたというのは最大の幸せです。 ○吉見 最後に、比較的最近長尾先生と深くお付き合 いされた立場から、また長尾先生の大学外での活動で、一緒にやられたご経験について、岡本さんからお話を いただきます。 ○岡本 私、実は長尾先生は国会図書館に着任される 前から一応知り合いで、国会図書館長に就任されたと いう報道が出た、たしかその日だったと思いますけど、日本語コーパスのシンポジウムが東銀座であり、私そ の運営側にいて、何となく流れで帰りに私が先生を駅 までお送りすることになりました。タクシーって言っ たんですけど、先生、歩かれるとおっしゃって、私が 先生について東銀座から東京駅まで歩いたんです。そ のときにした会話をよく覚えていて、先生、今日の報道を見ました、「これから関西館に书勤めになるんで すか」ということを聞いてみたら、さっきの京都の話 に関わるんですが、「非常に考えたんだけど、やっぱ り東京に住もうかと思うんだ」っておっしゃったこと を、そのときはすごく衝撃的に聞きました。先生が京都を離れるということは、私は想定外だったんです ね。 先生に最後にお目にかかったのは、一昨年 (2019年) になります。東京で文化勲章受章記念の祝賀会をしま した。情報学系は京都で黑橋先生が中心になってやら れるということだったので、東京では出版、図書館関係者でやるべきだろうという話になって、私どもが事務局をやらせていただきました。先生からある日突然、大量のファイルが送られてきて、記念にこれを本にし たいんだけどやってくれますかという依頼があって、 その情報学の本 (『情報学は哲学の最前線』アカデミッ ク・リソース・ガイド)を作ったんです。そのときに、先生から、これ皆さんにお配りしたいのと、あと一つ、 お土産を打配りしたいということで送られてきたのは 京都の有名なお菓子屋さんのお菓子でした。 ○土佐 老松かな。老松の打菓子を先生は大好きです けど。 ○岡本 そうです、老松。それをすごく先生は気にさ れて、数が絶対に行き渡らなければ申し訳ないし、と いうことをすごく最後の最後まで人数も含めて気にさ れていて、当日もあれは数が大丈夫でしたかって、最後帰りがけに聞かれたことをよく覚えています。「こ れはとてもおいしいお菓子なんですよ、だから皆さん に召し上がっていただきたいと思ったんです」という ことをおっしゃっていたのがすごく印象的で、それは さっきの京都という話からすると、先生にとっての ホームグラウンド感が搞りなんだなということを感 じました。 アーカイブの関わりでいうと、先生が国会図書館に 着任され、私が 2009 年にヤフーを辞めたタイミング あたりですね。長尾先生が登壇されたイベントで、そ のまま楽屋に招き入れられ、長尾先生がちょっと岡本 さん、話があると言って、そのときにいわゆる長尾構想という大規模デジタル化の話を、もう既に世に出て はいましたけど、これをもっと世の中に広めていきた い、それをどのようにしていけばいいかというご相談 をいただいたんです。それまで私は先生との思い出は 断片的で、そこまで先生が私をちゃんと認識している ということはちょっと驚きではありました。私が外側 からの別動隊として、出版業界や古書業界に対して長尾構想の与えるインパクトが大きいと言われていたの で、神保町の出版・古書業界の方々との対話の機会を つくったりということを、 10 年間で 2、30 回ぐらい 組んでいたんじゃないかと思います。 図書館業界の中でインパクトがあったのは、2009 年にアンダーフォーティー(U40)という、40歳以下 の中堅の図書館の現場で頑張っている職員をもう少し 励まそうということでイベントを行なったんですが、 その会場にわざわざお越しになられた。普通に考えた ら、そこらの市町村の図書館職員が国会図書館長と同 じ席で、しかもアイリッシュパブでやったんですけど、 そこで親しくお話をするなど考えにくいことたっったん ですが、先生はそこにふらりと来て、皆さんと楽しく 歓談してくださったということがありました。そうい う意味ではとにかくオールラウンド、あらゆる分野に 対して出かけていって、ご自身の構想をとにかく熱を 达めて語られる。かつ、私もそれをいろいろコーディ ネートしたので、都度都度、投影するスライド資料、印刷するための資料を頂いていたんですけど、毎回 ちゃんと手が加わっているんですよ、微妙に。でも必 ず変わっていて、長尾先生クラスだったら、別に使い 回しても誰も文句を言わないのに、何とまめだなとい うことは非常に感じました。 アーカイブ周りでいうと、国会図書館が震災アーカ イブの事業を始められ、長尾先生はそれに弾みをつけ ていくことに熱意を持たれたと思います。国会図書館 の中でも立法府が行うべきことなのかという逆風もあ り、それはそれで一種の正論でもあったと思いますし、先生もかなり苦慮されながら進められたと思うんで す。まだその事業が動き出す前ですね、私は結構震災支援に関わっていて、2011 年の多分 6 月か 7 月ぐら いだと思いますが、別に進めていた、震災を記録する デジタルアーカイブを作っていこうという事業が助成金の獲得に失敗して頓挫してしまったことがありまし た。私はその助成金申請を書く側にいたんですけれど、 これもたしか館長室だったか、そのときに我々が作っ た提案書を少しお見せして、先生はそれを受け取られ て、こういうことは大事ですよねと扔しゃっていた ことを強く思い出します。その後、国会図書館が震災 アーカイブ構想をどんどん実現していくわけですが、 そういうところで非常に広く情報を集めていき、多様 な観点を手に入れて、そこからより正しい判断をされ ようとしていたということは、私の中でこのアーカイ ブという話の中で忘れ難いことです。こんなに偉い人 が平気で教えを乞うてしまうということに、こっちの 身がますます引き締まってしまうということは非常に 強く感じました。 退任された後、これもあるとき突然なんですけど、奈良県の図書館の記念シンポジウムで話をしなきゃい けないことになって、図書館のことを最近私はよくわ からないので、教えてくれないかとおっしゃって、先生がわざわざ横浜のうちのオフイスまでいらっしゃっ て、3、4時間話しましたかね。でも正直それは別に 情報収集ではなかったと思うんです。どちらかという と後進の者に対する励ましであったのかなと思いま す。その日は一緒に晚御飯を食べに行って、また例の ようにさっとお代を済ませていただいて、さっときれ いに帰られたと覚えています。 あともう一つだけ付け加えさせてください。2 年前 になりますが、うちの会社が創立 10 周年になりまし た。そのときに、先生に来ていただいて 10 周年記念 パーティーのご講話をいただくお願いをしていたんで す。結局、その翌々日に国際会議に行かなくてはいけ ない。関空を出る時間が早くて、その日は早めに帰ら せていただきたいと先生はおっしゃられて、さすがに 心配して、我々のために無理をしていただく必要はな いので、当日会場に無理して先生来られなくてもとい うことになったんです。まさに先ほどのの土佐先生の お話に通じますが、メッセージというにはもう長大な、私どもに対する褒め言葉と励ましのエッセイを頂戴し て、それを会場で代読させていただいたんです。それ は私のような自分たちで会社をやっている者にとって は、ものすごい宝ですね。そのメッセージの中で、ど こまでもこういう事業の志を失ってはいけないとか、世の中はビジネスだけではないんだということと、同時に情報を学問とすることに対する強い熱意を説かれ ていたことが印象的でした。どこかできちんと公開し て、先生はこういう小さき者、小さき世界にもどれだ け目を配っていらっしゃったのかということ、特に私 のようなアカデミアではない側の人間に対して、ここ まで心を砕いてくださったことも、ぜひアーカイブし ていきたいなと思っています。 そういう意味では、この前のオンラインのしのぶ会 に際して清田陽司先生が結構頑張って、追悼メッセー ジのウェブサイトとか作られていましたけれど、長尾真という人物をきちんと記録して伝えるようなアーカ イブを作っていくのは、結構大事な宿題だなと感じて います。 ○吉見 みなさま、長尾先生の人となりをビビッドに お話しくださいました。 先に進む前に、私自身が長尾先生とどういう関わり をさせていただいたかも、少しお話しさせていただき ます。 直接お話をさせていただくようになったのは 2006 年以降なんですが、その前に、東京大学の中に情報、 メディアを軸にした学際的な研究教育組織、大学院が できることになりました。このプロジェクトが実現し て、新しい情報学環ができたのが 2000 年で、その創立記念シンポジウムに長尾先生は基調講演をされてい ます。そこで先生は、この組織は一種の熱帯雨林。熱帯雨林で多様性の場なんだと。だからいらんな違うも のが、がちゃがちゃしながら一緒にいる状況をつくり 出すこと自体がクリエイティビティーというか、知的創造性の元気の元なんだということを打話しされてい たように思います。 その後、2006 年に私が学環長になったときに、情報学環は大変小さい、学際的ではあるけれども東大の 中での基盤がとても弱い組織なので、外の力もいろい ろお借りしたいということで顧問会議をつくり、角川歴彦さん、福武總一郎さん、青柳正規先生、伊藤滋先生などそうそうたるメンバーに集まっていただきなが ら、全体のまとめ役を長尾先生にお願いしました。こ れはやっぱり長尾先生でないとまとめられないし、そ れから情報学環という組織が一体何をやろうとしてい たのかを、一番打わかりいただけるのは長尾先生以外 にないとみんなが思っていたからです。私はまだ部局長としては一番若く、経験が浅かったので、顧問会議 の中で長尾先生に随分助けられたと思います。 その後、これは学環長を終えた後だと思いますが、脚本家の市川森一さんたちから、脚本アーカイブスに ついてご相談を受けたとき、やっぱり永続的に保存・管理できるのは国会図書館しかないので、市川さんた ちが集めた膨大な脚本群を国会図書館で受け入れても らえないかというお願いをしに長尾先生のいらっ しゃった館長室にまいりました。 そこから先は、先ほど柳さんが括しいただいたと おりで、脚本アーカイブスは、市川森一さんも山田太一さんも脚本家として超ビッグネームですけれども、 それだけでは国会図書館は受け入れてくれないわけ で、国立国会図書館が脚本群を受け入れることになる 態勢を整えてくださったのは長尾先生だからこそでし た。その後の国会図書館の動き具合を見ても、長尾先生だったからこそ強行突破してくださったのだと思い ます。 デジタルアーカイブ学会にとっても長尾先生の存在 は名実ともに出発の時点から圧倒的に大きわけで、先生の存在を背景に私たちは他分野の連携の輪を広げて きました。柳さんと私の連携も、長尾館長時代にお会 いしたからこそ基礎ができたのだと思います。 ○柳 そうです、それからです。やっぱり長尾先生 あっての連携でした。 ## 長尾先生でつながる人と知一長尾山脈 ○吉見やっぱり長尾山脈というか、長尾先生を中心にいろんな人、活動がつながっていて、その広範なつながりがこうやって皆さんとのお話を通じて見えてくるように思うのですね。 しかも、そのつながりは大学の中だけじゃなくて、 それを超えて広がっている。これは何かものすごい力だと思いますね。なぜそんなことが長尾先生に可能だったのか。これはもうちょっと話し合っておきたいことです。 それから、先ほどの岡本さんや柳さんの話しに関わりますが、長尾先生が目指していたデジタル化構想、電子図書館構想とか、ユニバーサルノレッジへのビジョンですね。これは一体何なのかということ、これも後半で話していきたいと思います。 それではまず、これまでの土佐さんや岡本さんの話を受けて、少し黒橋さんのほうからも括しいただけないですか。 ○黒橋はい。長尾先生がどういう感じでお付き合いをしていらしたかということですね。 付き合い方という意味では、私も大学 4 年生から長尾先生に教えていただいて、その後も最後のスタッフでずっといろいろいあって、それから情報通信研究機構のときもプロジェクトなんかもやっていただいたので、私自身の考え方の基本が多分そうなっているんですね。だからいろんなエピソードはまったくそうだと思うんですが、長尾先生だったらきっとそうだ万うなと思うことなので、そういう意味ではかなり自然で、 それ以上何を抽出すればいいかなというのも逆にあるんです。 ちょっと今日こんな機会があったらお話ししたいなと思ったのは、長尾先生、こんな感じだったということを少しだけお話しさせていただきたいんです。これは当たり前なんですけれども、極めてクリアなんですね、頭が。 我々の世代だとエディターとかを使いながら、考えを整理するということもあると思うんですが、長尾先生はただもう一筆書きなんですね。有名なエピソードはいっぱいありまして、京阪電車で通学しながら本を書いていたとか、本の執筆は全部、鉛筆一筆書きなんです。秘書さんがそれを打って、ちょっとだけ校正されたら、もうそれが本になる。そういうのはやっぱり基本的に頭の中がクリアだと思うんです。極めてクリアで、多分その出てくる言葉がそのまま頭にあるのかなという、そういうのが一つです。 もう一つは、突き詰めて深く考えておられるというか、これもだからああいうアウトプットなんだということだと思うのですが、我々学生に研究室でよくおっしゃっていたのは、作文といいますか、筋道の通った話をする、文章を書くということで、このトレーニングの重要性を非常におっしゃっていました。日本の国語の教育を、感想文的で、そういうことをまったくやっていないんだみたいなこともよく打しゃっていました。ですので、作文を徹底的に直す、卒業論文でも修士論文でも。それを若い頃は相当やられていたと思いますし、私の頃も助手の先生にやっていただいて、 そのおかげで私としてはクリアに考えることができるようになった気がしています。それは長尾研の中で引き継がれていることじゃないかと思います。 最後、3つ目はさっきの京都の話で既に申し上げたことなんです。やっぱり広い文脈を捉えるというか、全体を考えるということを常に教えていただいた感じがします。い万んな言語処理の基本的な技術についてもそうですし、あるいはもっと広い視野でということもそうだと思います。それが結局、晚年におっしゃっていた宽容の精神であるとか、世界に対する考え方とつながる。それから総長時代には、人類社会と言ったら怒られるというか、人類だけじゃない、地球だということをおっしゃっていて、地球社会の調和ある共存ということを京都大学として打ち出されたわけですが、広くものごとを捉えるということが常に先生の中にあったのかなと思っています。 ○吉見今おっしゃっていただいた明晰さや緻密さに加えもう一つ、私の印象ですけれども、やっぱり自由さもあるんじゃないでしょうか。長尾先生は打仕事の大きさに比して意外にお若かったんですよね。つまり、私の中では長尾先生がされてきたお仕事の大きさから、90 歳近い重みをもたれている印象がありました。 しかし、亡くなられたのは 80 代半げですね。お生まれが1936年。これは、私の自説ですけれど、1930 年代半ばに生まれた人は根本的にすごく自由で、知的な世界の探求を貫く人が多い。その前の世代よりも、また後の世代よりはるかに自由な共通感覚を持っている。これはたぶん、1940 年代半ばに大日本帝国が崩壊したときに青年期を送っているので、権力とか権威とか制度が本当に壊れるとき、一体どんな世界が広がるのかを実体験している世代だと思うのです。根本が、徹底して自由なんです。 長尾先生も、私の社会学の師である栗原彬先生や見田宗介先生も大体同じ世代ですが、分野は違っても共通性がある。それはつまり自由さですね。この自由さが、い万んな人の広がりをつないできたんじゃないかなと思うのですが、土佐さん、いかがでしょう。 ○土佐そうですね。「カルチュラル・コンピューティングシンポジウム」をやったことがあって、そのときに「時代というのは知・情・意のこの3つをぐるぐる回っているんた」という先生のお話で、20世紀は知の時代、21世紀は情の時代になるとよく言われていたことを思い出しますね。自由という言葉がちょっと引き金になって思い出したんです。 それで面白いのは、例えば論理が通っても納得いかないことがある。例えば何か誰か怒っている人がいて、謝罪をしたから終わったじゃないかと言ったとしても、頭を下げてもらわなきゃ納得いかないというのは情だと。そういうものがやっぱり人として大事なんじゃないかということを言われていたのを覚えています。ちょっと天衣無縫な知性を持っている人だなと思いましたね。 ○吉見天衣無縫な知性、いい言葉ですね。 ○土佐そう。だからわりと情報、コンピューティング系の人ってかちかちっとしているじゃないですか。黒橋先生は別です (笑)。かちかちっていうと、割り切れる、合理主義というか、そういう考え方を私もするんです。私も結構あるんですが、切り離しているんですよね、アートするときとその考えを結構入替えしているんですけど、そういうところが長尾先生はすごい越境するんですよ。そこが賢いなと思う。 情報というとデジタルと思う人が多いんですよね。 でもきっと情報ってデジタルじゃないんですよ。だって人間がやっていることだし。その割り切れないとこ万をどういうふうにして情報学として扱っていくかということを多分考えていらしたんじゃないかなと思います。 ○柳多分そのお考えを最後に本にされたのが「情報学は哲学の最前線」だったんじゃないでしょうか。たから、従来の情報科学の域を超えた新しい情報学というのを構想された。私も一応現代哲学出身なのであれを読んでびっくりしたんですよ。現代の日常言語学派とか論理実証主義とかまで視野に入れて、古典ギリシャ時代から全部説いているという、それを情報学というところで包み达んでいく、だからそういう視野が最初からおありになったというのが、長尾先生が人を引きつけていける、人と人を結びつけられる幅の広さだったんだと思います。 あと今のお話の関係で、最初にお話しした長尾先生に京大総長時代にお会いしたときの印象がずっと残っているんです。総長室に呼ばれて、私本当に役所の一介の課長補佐たっったんですけど、長尾先生が見えて、関西館のお話をされたんです。どんなふうに進んでいるのかとか、そのときに「ところで、おたくの副館長、 あの人おとなし過ぎて駄目だね」といきなり言うんですよ。それで、私も役人の端くれだったので、本当は 「そうですね」と言いたかったんですが、さすがに言えなくてもごもごしていたんですけど。すごくそれが印象的で、2つのことを感じました。つまりひとつは率直さなんですよね。相手によって態度や言うことをそんなに変えないというか。その率直さが誰に対しても変わらない感じというのが一つ。 もう一つはやっぱり人の評価というのが厳しく、ぶれないというふうに思いました。長尾先生の評価基準に合っているからそうした人たちを結びつけることができる、こういう人とこういう人が集まってくるみたいな、やっぱり長尾先生、しっかり人は見ているなというのはその後もずっと感じているところです。その 2つが総長室のこの一言でわかりました。その印象が消えないままでしたね。 ## デジタルライブラリー ○吉見岡本さんの話をお聞きすると、長尾先生は岡本さんたちがやろうとしたこと、国会図書館だとか、大学だとか、そういう制度よりももっと野に出てやろうとしてきたことをすごく評価され、コミットしてくださった感じがしますけど、岡本さん、いかがでしょう。 ○岡本最近私はデンマークとかの社会変容を生み出す「クワトロ・ヘリックス」という、産官学民のらせん的融合というのに注目しているんですけど、今思うと、結構先生はかなりそこを先取りされてきた気がします。この産官学民連携で、私もずっとヤフーで長いこと、そのうちの産学連携をしてきたんですけど、産業とアカデミアだけ、ビジネスとアカデミアの結合たけで果たして世の中は変わるかというのがあり、そこに官公庁、まさに長尾先生は国会図書館長としてそこにいらしたわけですが、さらに注目されているのは、人間中心の設計であるといったことを考えたときに、 やっぱり市民を中核に据えて、市民のコミットメントを引き出していかなきゃいけないんじゃないかというのがあるんですね。 長尾先生はそういうところを、さっき言ったように本当に幅広い市民対話を好まれたことも含めて、皆で力を合わせてつくり上げていくというところがやっぱ り強かったという気はします。「これが専門です」という区切りは一切なかったことが大きいんじゃないかなという気はするんです。ひと頃は国会図書館近くに行けば、ふらっと顔を出すぐらいの知己があったんですが、秘書の方がちょっと困るぐらい、先生は話が止まらなかった。そうなんですかというような形で、例えば小さな町の図書館の現状みたいなことを知ったりとか、物が作られていく原動力に対する非常に強い見通した目というか、認識があったんじゃないのかなと今強く感じました。 猪谷千香さんというジャーナリストに頼まれて、3 年ほど前ですかね、取材をさせていただいたんですが、 その中で、私と猪谷さんが聞きたかった核心は、大規模デジタル化の事業に対して先生はどう評価されているのかということでした。これはいい加減に誰か聞いたほうがいいだ万うという、かなり直球な質問をして、 これまたさっきの話のとおりで、直球で答えられるわけです。はっきり言えば駄目ですねぐらいの勢いで、 これはすごいよなと、ある意味、関係者が傷つくような気もし、先生の下で奮闘した人たちの立場もあるよなと思いつつ、でもそこがやっぱり学者なんだな、そこにおためごかしは要らなくて、まだ何もできていない、情報がより小さく断片化していくことによって新しい知識発見がなされていくような可能性がある。そして、この大規模なデジタル化を進めていき、かつインデキシングして、横につながって様々な串刺しができるようになることの価値というのを説かれたと思っているんですけれど、本来たどり着くべきゴールはもっと先にあるという強い意志を感じました。民間の仕事としてやっていると、ついそこに人の気持ちを配慮してしまう。配慮していると言えば格好いいですが、 それは社会の進展に対してプラスとは言えない。そこにある厳しさというものは明確だったと思います。 ○吉見長尾先生が国立国会図書館の大規模デジタル化に対して、わりとクリティカルな評価をされていた。 これはどうしてだったんでしょうか。一言、岡本さんにお答えいただき、その後、柳さんからも補足してお答えいただきたいと思います。そこから長尾先生が考えられていた電子図書館とは一体どういうものであったかという話をしましょう。 ○岡本長尾構想ってどれぐらい実現できたと思いますか、という問いに対して先生は、ほとんど実現できていないんじゃないかと、インタビュアーの我々からすると、ええ口、我々が考えたシナリオからいきなりずれたんですけどぐらいの勢いでお答えになり、やっぱり肝腎要なのはデジタル、ボーンデジタルなもので、 そういったものまで到底及んでいないということを、強い問題意識としておっしゃられたことに、私と同席した猪谷さんは衝撃を受けました。我々が見ていたのは、アナログ資料がデジタライズされてきている、随分なことじゃないかと思っていましたが、ウェブ学会でのご発表の資料なんかを見ると、やはりウェブ情報も含めてどう扱っていくかということをかなり強くおっしゃっているので、そこに関してできていること、特に国会図書館として、あるいは日本のこういう仕組みとしてできていないことに対する課題意識は強くお持ちだったんだなというのを、当時のインタビュー記録を見ても感じます。 ○吉見柳さん、少し補足していただけませんか。 ○柳実践面と理論面と両方あると思います。実践面でいえば、要するに国会図書館長としてどこまで理想のデジタルライブラリーを実現の方向に行けたかということですが、その点では相当やはり未達成感っておありになったんじゃないかなという気がします。最初の大規模デジタル化も結局、PDF版をいっぱい作ったというところで、本来のデジタル化とはちょっと違っていましたし、それから例えばその推進役としてつくろうとした電子情報部も、もう何回も構想して、 お辞めになるぎりぎりでやっとできたみたいなところがあります。それからいわゆる図書館の中でこじんまりデジタルライブラリーが完結するんじゃなくて、書類、出版物自体がもうボーンデジタルになっているわけですから、ボーンデジタルの発生源と図書館が結びついてやっていくんだというのが長尾構想の根幹だと思うんですが、それが全然進まないということですね。 そういう意味では、い万い万お考えになっていたことを試したけれども、少なくとも在任中はなかなか進まなかったと思います。ただ一方で、その後の展開を見ていると、電子情報部ができて、今のジャパンサー チなんかを見ていると、それなりに努力しているなと思います。それから、デジタル保存なんかも地道に研究も実務もやっているし、それから何より、これは最初に長尾先生が種をまいたからということですけど、震災アーカイブ、これがやっぱり一つ大きな弾みなっていると思うんですね。震焱アーカイブがなぜ大きな弾みになっているかというと、震災アーカイブの対象を、デジタル資料というものを大きな柱に入れたということなんです。 だからそ、長尾館長が震災アーカイブ構築を言い出した時に館内では大反発を受けた。要するに図書館の人というのは紙の資料が好きだし、それから何かよく分からないような資料、つまり誰かがどこかで話し たこととか、スマホで撮った写真とか、もう何でもありのデジタルの世界というのが嫌で、本になったきれいな世界が好きなんです。大抵抗したんだけれども、長尾館長がそれを国会図書館が今やるんだということで、デジタルコンテンツを中心にしたデジタルアーカイブとしての震災アーカイブを立ち上げたということは大きいです。 それからもう一つ大きいことは、どこまで国会図書館員がその意味をわかっていたのか知りませんが、それまでの図書館というのはコレクション、それからデジタルになったときのデジタルコレクションも、実は自己完結型だったんですね。A 図書館のデジタルコレクション、国会図書館のデジタルコレクション、B博物館のデジタルコレクションは別のコレクションです。ところが、これは本質的な問題ですけれども、デジタルライブラリーとかデジタルアーカイブというのは、ネットワークが前提、つまりA 図書館のデジタルコレクションとか、B博物館のデジタルコレクションなんて、実は分けてどういう意味があるんだという。 それが一緒にネットワークとして使えるというところを当然ながら長尾先生は考えていたと思うんです。震災アーカイブというのは国会図書館が集めた資料のデジタルアーカイブじゃないんですね。それぞれのとこ万で集めた、それは図書館だったり、市役所だったり、 NPO だったりするんですが、それをばあーっと網をかけて国会図書館がコントロールしましょうと。これはこれまでの国会図書館にとって初めてのことと言っていい。考えとしてはいろい万言った人はいるんですけど、実務として入れ达んだ、それが長尾先生がいる間はなかなか進まなかったんですが、その後着実にある程度はやっているということで、そういう意味では、在任中はなかなかこれが成果だということは華々しく生まれなかったけれども、その後着実にやっぱり長尾先生がいなければ進まなかったというのを改めて思います。 それから、理論面については、私も長尾先生のデジタルライブラリー論をちゃんと論じないといけないなと思って、この間出した著書の中で、丸々 1 章、長尾デジタルライブラリー論を論じたんです (『デジタルアーカイブの理論と政策』勁草書房、第 6 章)。今さらながら、長尾先生の電子図書館論を読み直したんですが、そこでデジタルライブラリーの柱になる機能を 5つ挙げていらっしゃるんですね。それを見て、やっぱりすごいと思いましたが、ある程度実現している部分もあるけど、まだまだ我々が取り組まなきゃいけないことをやはり見据えていらした。簡単にその 5 つの柱を紹介すると、1番目は、大容量・高速のデータ通信を可能にする情報インフラストラクチャーの整備が挙げられています。長尾先生が 「アリアドネ」をやったときに、デジタルアーカイブで想定される技術要素は程度の差はあれ、もう全部入っているんです、だからやっぱりすごいと思っていて、その路線の中で結局日本のデジタルライブラリー は進んでいるんですが、ただ、あいにくあのときは、通信回線の容量とかコンピューターの能力が不十分で、本当に部分的にしか本来の機能を発揮できなかったんです。そういう意味で、これは結構今実現しています。 それから 2 番目、マルチメディア性というのをやはり非常に重視された。これはデジタルライブラリーの中でまだまだできていないですね。ほとんどまだ文字が中心。一方でデジタルミュージアムのほうのコレクションの画像があるんだけど、これもまだまだ名品主義から抜け出していなくて、普通のまさにオーディオビジュアルのデータとか、いろんなものが、それも一緒に使えるという、そういうのはまだまだ普通のデジタルライブラリーあるいはデジタルアーカイブでは自由になっていないと思います。 3 番目、これは長尾デジタルライブラリー論の本質だと思いますけど、やはりマイクロコンテンツが使えなければ駅目だということです。電子書籍が典型ですけど、本という単位でしか使えない。せっかくデジタルデータなんだから、極端なことを言えばセンテンス単位で、かつ単にマイクロコンテンツを切れ切れに使うというよりは、マイクロコンテンツを素材にしてい万んなものを組み合わせた新しいものを創っていくというのが、マイクロコンテンツの本質だと思うのです。 その点では、まだやっと本や論文をデジタルで入れました、入れたものが出せますというぐらいになっていて、デジタルライブラリーの中でいろんな編集作業ができてこそのデジタルだし、マイクロコンテンツかなということですね。 それから、4番目に挙げていたのが、新しい読書ということなんです。ハイパーテキスト論とか、い万んな議論や試みがかつてあったんですけど、これもあまり進んでいなくて、従来どおり文章をリニアに読んでいくという形の読書、これはデジタル化しても、電子ジャーナルを読むにしてもそのままです。そうじゃなくて、部分的にはリンクだとかいろんな形ではできていますけど、著者と読者のインタラクティブ性や複数のテクストの交差性などを通じて読む側も変わっていくような、新しいハイパーテキストと読書の関係性を つくっていくということです。 5 番目が、先ほど申し上げたようにネットワーク化ですね。これはある部分実現しているけど、まだシー ムレスに使えるようにはなっていないと思うんです。 それとやはり重視されていたのがネットワークを前提とするデジタル保存の問題で、これはもうまだほとんど手がついていないというか、フォーマットなんかも含めて、まだまだこれからの課題だと思います。 そういうことで、今言った5つぐらいを、長尾先生は課題として考えていて、そこは理論的にまだまだ僕らはやらないといけないし、その先を見せてくれているというふうに思いました。 ○吉見全体の構図がよく見えてきました。黒橋先生、今の話からしても、長尾先生は「図書館」の概念自体をかなり変えていた、しかも、その概念をどういう方向に変えなくてはいけないかも見通されていた気がします。 京大総長以前に図書館長もやられていて、しかも先ほどの学術情報メディアセンターとか、京大の情報図書系は、長尾先生がオーガナイズされていった部分が、 かなりありましたね。京大文書館なども長尾先生が全国の大学に先駆けて充実していかれた。当初から、長尾デジタルライブラリー構想のようなことがあったのでしょうか。 ○黒橋はい、そうですね。実は「アリアドネ」の頃というのは総長になられるちょっと前ぐらいで、私もその研究会に、大学院生たっったか、ちょっと参加させていたたいていて、そのあたりも非常によく覚えております。おっしゃっていたのはやっぱり情報技術というのは大分マチュアになってきて、よく比喻でおっしゃっていたのは、医学部に附属病院があって、そこで最先端の研究をして、実際に臨床に応用してというように、情報学も大学での情報学研究だけではなくて、 それが図書館とか博物館とか、情報基盤センター系ですとか、そういうところと一体になって、実際に図書館的なこともありますし、社会への適用も含めて、実問題と併せて考えていかないといけない。そういうことはその当時よくおっしゃっていました。 そういう意味でいろい万新しい組織もつくられて、 また「アリアドネ」のような活動をされていたわけですので、当時からそういう構想を持たれていたと思います。京都大学としても、それに十分にまだ対応はできていないということかと思いますけれども。今、柳先生のおっしゃったことに関して言いますと、 ちょっと手前みそですけれども、マルチメディアの問題もありますが、知識というか、計算機による言葉の編集みたいなことが、解釈とか意味の理解とか、そういうことがもう一歩進んだら本当にそういう世界になるんじゃないかという気がしておりまして、それは残された宿題かなと思っています。 長尾先生は、常に先見性があり、1980 年代に大きな機械翻訳のプロジェクトをされて、それが 30 年たって、今や皆さん、本当に翻訳を使えるなという時代になったと思うんです。「アリアドネ」の方は 95 年ぐらいでしょうか、ですから 2025 年ぐらいには、もうちょっと自然言語処理のレベルを上げて、情報の編集とかがきちんとできて、今おっしゃったような目次に基づく検索とか、あるいは分解するマイクロコンテンツのことをおっしゃっているかと思うんですけれども、そういうことが本当にできるようになっていく。 そういうことに私も努力したいなと思いました。 そのときにやっぱり長尾先生がさらに先見性があるのは、情報信頼性の問題をきちんとおっしゃっていて、今の柳先生のお話では、図書館の人たちが二の足を踏まれるようなばらばらのコンテンツでも、しかし非常に重要なものがあるはずで、それをうまく持ってくるためには、今度は情報の信頼性をある程度解釈できないといけない。そういう世界をこれからつくっていく必要があるかなと思います。 ## 洞察の深さそして広がり ○吉見それからもう一つ、長尾先生は非常に早くから人工知能の可能性を見通されていた方ですけれども、しかし、その先にやっぱり哲学があるというか、思想があるというか、神学すらあるような気がします。哲学と倫理と神学がある。 単に AI なり、コンピューター・テクノロジーの延長線上に何か未来があるというよりも、その先に美学とか、哲学とか、思想があるんですね、長尾先生の場合には。だら哲学的 $A I$ 社会というか、神学的 AI 社会というか、宗教とか哲学とか思想がある AI 社会。先生はそういうイメージだと思うのです。 ○土佐いつ言おうかと思っていたんですけど、長尾先生がもう少し生きておられたら、多分、三浦梅園とかライプニッツみたいな世界に到達したんじゃないかと。 アートサイエンスユニットというのを京都大学の中でつくったときに、先生が地図をつくられたんですよ、 アートサイエンスの領域の地図。世界地図みたいな、 すごい地図だったんです、手描きの。だから本当、最後は哲学のほうに行ってらしたという気がします。三浦梅園がいろいろ、陰と陽を加えた地図とかを作ったじゃないですか、世界の構造の成り立ちとか。西洋で いえばライプニッツ。 ○吉見ライプニッツですよね。確かに。 ○土佐ああいうふうに多分なると思いました。これは私の予測ですけどね。でも皆さんも何となく感じるでしょう。 ○柳いやまさにライプニッツだと思います。 ○土佐たからコンピューターを待たないで自分でつくる、その概念図を。多分、コンピューターがその後を追いついてきて、いろいろやっていくみたいな、そういうことを何かやってしまいそうな人でしたよね。 ○吉見コンピューターサイエンスの世界、それどこ万か工学全体でも、そんな方はめったにいらっしゃいませんよね。本当に稀有です。 ○柳やっぱり最終的には知識と論理に対する信頼というのが根本にあるんじゃないかなと思うんです。ただコンピューターサイエンスだけだと、論理のほうに走っちゃうんだけど、一方で知識というのは別にすべてが論理によるわけじゃないんです。その両方をきちんと併せていこうという。その思想があったように思うんです。 だから、ライプニッツがああいうユニバーサルな知識結合法(アルス・コンビナトリア)を考える一方で、世界中にアカデミーをつくって、世界中の知識を集めて、それを体系化していこうとしていたという、まさにそういうことだったように思います。 ○吉見だら図書館が必要。アーカイブが必要。 ○柳そうです。まさにそこが本質的なところではないかと思います。 ○吉見論理だけでは済まない世界として、知識があるということですね。 かなり長尾先生がつくり出そうとしていた世界の姿が見えてきたような気がしますが、長尾哲学というか、長尾思想みたいな、そういうところでそれぞれの方に一言ずつ、それぞれのお立場からお話をいたたいて、最後に締めたいと思います。今の話からいうと、柳さん、土佐さん、黒橋さん、岡本さん、それで私がまとめることにします。 ○柳やっぱり思うのは、いろんな人が長尾先生の周りにいて、そしてそれがうまくつながっていくという、 その要因として、繰り返しになりますけど、一種の普遍主義があると思うんですね。たた、そこの部分でも柔軟で、原理主義的な普遍主義じゃなくて、人間の考えることとか知識とか、そういうことには普遍性があるんだという、そういうことへの信頼があったと思うんです。私素人だから、黒橋先生に修正してもらう必要があるかもしれないですけど、言語分析について、哲学のほうでいうと、ユニバーサルグラマーって、きちっと普遍的な文法や語彙要素、チョムスキーが代表ですけど、それを組み合わせていくとどんな言語でも生み出していけるんだ、じゃ、そこの根本的なグラマーを見つけようという、ある種原理主義ですよね。 それをずっとやってきたんたと思うし、長尾先生的にはそういうことを信じつつ、でも実際には、17 世紀に理想の人工言語をつくる普遍言語運動とかいうのもあったし、現代ではヴァネヴァー・ブッシュの構想も、 ザナドゥ計画もあるし、でもなかなかうまくいかなかった。特に自然言語処理のところは、そうじゃなくて言語使用の用例をいっぱい集めて、そこから帰納的に文章を組み立てる方向で開発を進めていって、今の自然言語処理の成果に結びついているというところは、やっぱり原理だけでいくんじゃなくて、極めて実際的・実践的な部分がおありになった。ただ実際的なだけだと何かその場で終わるけれども、そこに普遍性を見つけようとする、でもその原理で全部済ましてしまわない。その両方を兼ねていたというのが、何かすごくあるように思います。 ○黒橋今のお話を受けると、確かにいわゆるビッグデータの考え方の先駆けなんだと思うんですよ。おっしゃったように、ルール的なもので、機械翻訳が良い例だと思いますが、ずっとプロジェクトをされていた一方で、当時から特に翻訳という世界には文化の差みたいなものも入ってくるわけで、それはルールみたいなものでは扱えない。そこに個別性、データで説明する。先生の一番受賞などにつながっている仕事は、「アナロジーに基づく翻訳」ということなので、データでもあり、またそこにアナロジーという人間的な言葉が入っているのも面白いなと感じるんです。そういうデータによって説明していく、実際的といいますか、知識的なアプローチといいますか、それが先生の大きな業績でもあり、考え方の根本でもあったのかと思います。 やっぱり人に対する興味をずっと持っておられたんです。文学部に行こうか、工学部に行こうか、どう思っておられたかわからないですが、少なくとも人に関する研究をずっとされてきた。その信念というか、自由さというか、そういうものが本当に大きかったんだろうなと改めて感じています。 ○土佐私が見た長尾先生は、やはり「美」とは何かということを追求しておられたと思います。アートというのが接点だったんですが、「美」とは何かというのは別にアートだけではなくて、知の美だと思います。 ですから、そういった中で美しいものが大変好きな方 で、その美とは何かというのを言語化したい方だったと思います。だからこそライプニッッのような概念地図をよく作られたと思いますし、言葉にかなり執着度が高かったと思います。 もち万んマルチメディアということにも興味があったと思いますが、やっぱり言葉というのはまだまだイメージ豊かなんですね。詩人とか、もち万んそうですが、例えば「黒い太陽」と言うと、千差万別でイメー ジするじゃないですか。それは言葉だからこそできるわけでしょう。そこと、先ほど黒橋先生が言われた、長尾先生の研究でアナロジーの翻訳とつながるなと、私さっき思ったんですよね。だからこそ柔らかい頭でもって、様々なものを結びっけられる能力がすごく高い方だったんじゃないかなと思います。 ○岡本そういう意味で先生は扬気持ちの中では非常に複雑な心情があったと思うんです。いつぞや聞いたんですけど、ご家庭の事情がある中で、工学部に進むというのが現実的な選択肢であったと語られていますけれど、自分は本来は文学青年であるという思い、それが晚年はより強まっていらっしゃったと思うんです。文学者でありかつ工学者であり、そしてそれが最後、情報であり、哲学でありというところに行くあたりに、実は長尾真という人物の面白さも感じるんですよね。結局人間というのはいかに複雑なものであるのかと。最後にやはりある種の信仰論のお話なんかを書かれたことも、これは一方で学者長尾真を理解する上では、ちょっとどう受け止めるのがいいんたろうかと少し悩む、あるいは戸惑う部分もあるんですが、実は最後の最後まで人間というのはそんなに簡単なものではないということを、学問的な面も、同時に極めて人間的なヒューマンな部分も見せられたというところが、私は先生が最後にパスされたバトンと感じますね。私は上く先生に講演を打願いしていたんですが、ここ数年、先生は講演を受けられるときに、「生きていれば、その日生きていれば行きます」というメールをいつも返してこられて、ちょっと返しに困りました。 でもそれが私たちは年齢にかかわらず、持ったほうがいい覚悟だなということも同時に最近やっぱり思いますね。本当に私たちはいつまでも元気なわけではないわけで、先生もまさかここでというような思いもおありだったかもしれません。だからこそ先延ばしにしないで、先生から課されたたくさんの宿題にアグレッシ ブにチャレンジをしていくことは、今とても大事だなと感じています。先生が自伝の中で書かれている、あるときを境に比較的、飲食も非常に意識されて、人生をより大事に生きていくことを意識されたと書かれていますが、それを私もきちんと受け止めなきゃなということを、最近とみに感じる次第です。 最後に、さっき触れたように、ぜひ長尾真アーカイブのようなものをきちんと形づくっていけたらいいのかなと思っています。先生が出されてきた様々なコンテンツをきちんとデジタルアーカイブ化して、それが出す情報が断片化され編集され、機械翻訳され、新しいディスカッションをつくっていくような仕組みをつくっていくことが、我々としては一番大事なことです。 そうやって長尾真という人がこの先も、まさに真の人工知能的なものかもしれませんが、メッセージを発していけるような、常に新しい議論を喚起していけるようなものに、私たちは挑んでいく必要があると思っています。 ○吉見皆さんの打話で尽きていると思いますが、最後にデジタルアーカイブ学会として受けておくと、本学会が立ち上がったときに、長尾先生がデジタルアー カイブ学会の使命としてお話しされたことの中に、日本各地に歴史、文化、芸術、その他貴重な有形無形の文化財がたくさん眠っている。それらは書かれた資料の形態だけではなく、写真、映像、音楽、音声、記録されたもの、三次元の彫刻のようなものもある。そのい万い万な表現形式のものをデジタル技術で記録し、所在をカバーし、生かす仕組みが必要だということをおっしゃっています。 この日本全国に多様にあるものが、長尾先生にとっては一つ一つ、知識だったのだ万うと思います。この知識をデジタル化すること、デジタルな言葉にしていくことが、私たち自身の学びを豊かにする。長尾先生はご自身でいろいろやってこられたわけですが、私たち一人一人が教科書に書いてあることを学ぶ以上に、一つ一つの場所とか地方とか、いろいろな文化から学ぶことをとても大切にされていた。それがデジタルアーカイブ学会の使命だとも括しされていたわけで、我々もこの長尾先生の志をしっかり引き継いでいきたいと思います。 (文責:柳与志夫)
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# [23] 薬学分野におけるデジタルアーカイブに関する基礎調査 $\bigcirc$ 三宅茜巳 ${ }^{1)}$ ,寺町ひとみ ${ }^{21}$ ,舘知也 ${ }^{2)}$ ,横山隆光 1),木幡智子 1) 1) 岐阜女子大学,T501-2592 岐阜市太郎丸 80 2) 岐阜薬科大学 E-mail: [email protected] ## Basic Survey on Digital Archiving in The Field of Pharmacy MIYAKE Akemi ${ }^{1}$, TERAMACHI Hitomi2), TACHI Tomoya ${ }^{2)}$, YOKOYAMA Takamitsu ${ }^{1 \text {, }}$, KOWATA Satoko ${ }^{1)}$ ${ }^{1)}$ Gifu Women's University, 80 Taromaru, Gifu, 501-2592 Japan 2) Gifu Pharmaceutical University ## 【発表概要】 薬学分野におけるデジタルアーカイブについて、聞き取り調查、WEB 調査を行った。聞き取り調査のインフォーマントは合計 15 名、内訳は岐阜薬科大学及び岐阜女子大学教授、薬剤師・薬局店主、管理栄養士、薬博物館学芸員、医師、メディア関係者、デジタルアーカイブ学会理事などである。結果、学術情報については十分なデータベースが既に存在するため、デジタルアーカイブの必要性はないという意見であった。 WEB 調査の結果、薬学分野のデジタルアーカイブについては、文献資料、製薬会社の企業博物館、薬草、薬データベースなどが散見されるが、全体として整理されておらず横断検索などはできないことがわかった。またこうした資料やデータへのアクセスは医療従事者や関係者に制限されており、一般人はアクセスができない。 上記より、薬草・個人の薬歴・医療データのアーカイブ化とその利用、及び海外の事例調査など、今後の課題が明らかになった。 ## 1. はじめに 筆者は 2000 年頃からデジタルアーカイブの開発研究及び人材育成に携わっている。これまで研究対象として主に文化、文化財、教育資料などを取り扱ってきた。そんな中、「多様な研究者と拓く岐阜の未来プロジェクト(ダイバーシティ研究環境実現イニシアティブ (連携型) 後継事業)」の枠組みの中で、岐阜薬科大学と連携し、今まで筆者が取り扱ったことのない分野として、薬学分野におけるデジタルアーカイブについて基礎的な調査をすることを思い立った。事前に学会関係者や上級デジタルアーキビスト資格保持者に薬学分野に関するデジタルアーカイブの現状を聞き取り調査したところ、あまり有益な情報は得られなかったため、調査する価値があると判断した。 ## 2. 課題 今回の調査を始めるにあたっての疑問は、薬学分野において現状どのようなデジタルア一カイブが存在するかである。調査方法については、ウエブ調査と聞き取り調査を行った。 調査前の考察としては、薬学分野におけるデジタルアーカイブはあまりないと仮定した。 そして、もしあまりないとすれば、その理由はなんなのかを考察することとした ## 3. 先行研究 国立情報学研究所の学術情報ナビゲータ (CiNii) により先行研究の調査を行った。 (2022 年 3 月 15 日)検索キーワードは、「薬学デジタルアーカイブ」、「薬デジタルア一カイブ」、「医療デジタルアーカイブ」、「薬学アーカイブ」、「薬アーカイブ」、「医療アーカイブ」、薬学データベース」、「薬データベース」、「医療データベース」、「薬剤師データベース」の 10 テーマである。 ヒットした論文数は以下の通りである。 「薬学デジタルアーカイブ」 11 件、「薬デジタルアーカイブ」 14 件、「医療デジタルアーカイブ」 7 件、「薬学アーカイブ」 24 件、「薬アーカイブ」54 件、「医療アーカ イブ」 71 件、「薬学データベース」 1189 件、「薬データベース」2803 件、「医療デー タベース」3283 件、「薬剤師データベース」 234 件。 以上より検索語に「データベース」を含んだ論文数と「デジタルアーカイブ」あるいは 「アーカイブ」を含んだ論文数には大きな差があることが分かった。例えば「薬デジタルアーカイブ」 14 件に対して「薬データベ一ス」は 2803 件でおよそ 200 倍である。医療に関しては「医療デジタルアーカイブ」7 件に対し「医療データベース」は 3283 件で 469 倍である。 なお、検索語「薬学あるいは薬、及びデジタルアーカイブ」を含んだ論文中本研究に関係するのは、「国家戦略化するデジタルアーカイブ」[1]、「産学官連携と人文科学:デジタルアーカイブの新展開」[2]、「讃岐歴史素材に学ぶ理科教育-平賀源内とエレキテルのディジタルコンテンツ作成-」[3]、「中野康章と大同薬室文庫現在の利用状況と今後のデジタルアーカイブ化について」[4]である。 「デジタルアーカイブ」を含んだ論文に比べ、検索語「アーカイブ」を含んだ論文数が多いことがわかる。論文のタイトルを概観したところ、精神医療やハンセン病関連の歴史資料の整備が進んできたことがその一因と推察できる。 なおこれらの先行研究についての詳しい調査は今後の課題とする。 ## 4. 調査方法 WEB 調査と並行して聞き取り調査を行った。聞き取り調査のインタビュアは三宅、インフオーマントは以下の通りである。 (1)寺町ひとみ岐阜薬科大学教授病院薬学医療コミュニケーション、医薬品適正使用医療経済 (2)井上透岐阜女子大学教授上級デジタルアーキビスト (3)永澤秀子岐阜薬科大学教授創薬化学有機化学ケミカルバイオロジー (4)時実象一東京大学大学院情報学環高等客員研究員 (5)酒井英二岐阜薬科大学教授薬草園 (6)松丸直樹岐阜薬科大学講師グローバルレギュラトリーサイエンス (7)中村光浩岐阜薬科大学教授医薬品情報学 (8)大山雅義岐阜薬科大学教授生薬学 (9)稲垣裕美内藤記念くすり博物館学芸員 (10)児玉智永子株式会社好古堂代表取締役 (11)大塚陽子管理栄養士 (12)林知代岐阜女子大学講師上級デジタルアーキビスト (13)桑原克全岐阜新聞社プロモーション推進室長 (14)松久卓独立行政法人国立病院機構長良医療センター院長脳外科 (15)高橋一浩同臨床研究部長小照科部長岐阜大学大学院連合創薬医療情報研究科客員教授 ## 5. 結果と考察 \\ 5.1 聞き取り調査 学術情報に関しては、CAS SciFinder、 PubMed など世界的データベースが存在し、論文の検索・利用に関してはこれらのデータベースで十分に対応できるため、デジタルア一カイブの必要性はないという意見であった。 文献資料に関しては東京大学薬学図書館など大学図書館が所蔵する文献がネット上に公開されており、検索することはできるが、機関を横断した検索には対応していないことが分かった。全体は整理されていない印象である。 薬草、漢方、生薬に関しては暗黙知の部分や企業秘密があり、データ化やデジタルアー カイブとして公開することが必ずしも容易でないことが分かった。 個人の薬歴(処方薬・OTC)については、各診療機関や薬局にデータが分散しており、 まとめたデータが個人にも知らされないことが分かった。 ## 5. $2 \mathrm{WEB$ 調査} 主に企業博物館、個人コレクション、薬草、漢方薬について調査した。WEB調査の結果、薬学分野のデジタルアーカイブについては、文献資料、製薬会社の企業博物館、薬草、薬データベースなどが散見されるが、全体として整理されておらず横断検索などはできないことがわかった。またこうした資料やデータへのアクセスは医療従事者や関係者に制限されており、一般人はアクセスができない。 ## 6. 課題と今後の展望 今後の課題と展望は以下の通りである。 (1)既存の各機関が持つ文献資料のデータベー スを統合する。関連資料、動画資料、静止画資料、音声資料、 $3 \mathrm{D}$ データなどを含むデジタルアーカイブを構築し、横断検索ができるようにする。あるいはジャパンサーチに登録することにより、全国的なデジタルアーカイブに参加する。 (2)薬草、漢方、生薬関連資料をデジタルアー カイブ化し、岐阜県の特色ある資料群とする。 そしてそのデータを活用して薬草を用いたアロマの開発など地域活性化につなげる。 (3)個人の薬歴(病歴、処方薬、OTC を含む) のデータベース化を進める。 (4)医者のデータベース化を進め、かかりつけ医選択の資料とする。 (5)海外事例の調査を進める。 (6)上記を含め医療情報のデジタルアーカイブ化とその活用方法及び課題(個人情報含む) に関する研究を行う。 ## 7. おわりに 共同研究者である寺町ひとみ教授はもとより、研究に協力いただきました岐阜薬科大学の先生に感謝申し上げます。研究を進める上での反省点としては、製薬会社や医師、薬剤師などへの聞き取り調査数を進めることである。 岐阜県には多くの薬草が存在する。また、岐阜薬科大学も薬草園を持っている。岐阜県の特色を生かし、伊吹山などにある薬草をデ一タベース化、デジタルアーカイブ化し、これらを用いた商品開発を産官学が協力し進めることで、地域経済の活性化につなげたい。 薬学情報も含めた医療情報のデジタルデー タの活用の必要性を強く感じた。現在は患者本人にも使用した薬の情報、医療情報が十分に開示されていない。秘匿すべき個人情報の課題をクリヤーし医療情報の開示が望まれる。 *本研究は 2021 年度「多様な研究者と拓く岐阜の未来プロジェクト(ダイバーシティ研究環境実現イニシアティブ (連携型) 後継事業)」連携型共同研究プロジェクトの支援を受けて行った「薬学分野におけるデジタルアー カイブに関する基礎研究」に加筆訂正したものです。 ## 参考文献 [1] 国家戦略化するデジタルアーカイブ. 清水宏一電子情報通信学会技術研究報告. IE, 画像工学 104 (70), 29-34, 2004-05-13. [2]産学官連携と人文科学 : デジタルアーカイブの新展開 清水宏一情報処理学会研究報告. CH, [人文科学とコンピュータ] 59, 39-46, 2003-07-25. [3]讃岐歴史素材に学ぶ理科教育-平賀源内と工レキテルのディジタルコンテンツ作成-. 山崎敏範香川大学 2005-2006 (科研費) [4] 中野康章と大同薬室文庫現在の利用状況と今後のデジタルアーカイブ化について. 野尻佳与子, 青木允夫日本医史学雑誌 50 (1), 132-133, 2004-03-20 [5] 小曽戸洋, 新版漢方の歴史, 大修館書店, 2014
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# [22] メタバース内のワールド検索用メタデータスキー マの提案: $\mathrm{VR}$ 閲覧環境のアーカイビングシステム構築に向けて ○廣瀬陸 1),柊和佑 1 1),柳谷啓子 1 ),王昊凡 1),坂本董 1) 1)中部大学 国際人間学研究科, 〒 487-8501 愛知県春日井市松本町 1200 [email protected] ## Proposal of metadata schema for searching worlds in metaverse: \\ Toward the construction of an archiving system for VR environment HIROSE Riku(1), HIIRAGI Wasuke ${ }^{1)}$, YANAGIYA Keikon ${ }^{1)}$, WANG Haofan1), SAKAMOTO Sumire ${ }^{1)}$ 1) Graduate School of Global Humanics, Chubu University, 1200 Matumoto-cho, Kasugai City, Aichi Prefecture, 487-8501 Japan [email protected] ## 【発表概要】 現在、計算機の発達を背景に、3D の仮想空間をインフラとして利用する「メタバース」が試みられている。しかし、仮想空間のコンテンツを将来にわたって再利用するための、アーカイビングシステムは存在していない。そのため、将来的にメタバースが普及した際、仮想空間で提供されている情報を、早い段階から収集・組織化・蓄積・提供しなければ、現実環境や従来の Web 情報資源のように、そこに発生した文化資源が散逸する可能性が高い。実際に、実験的なメタバ一スを活用して仮想空間と現実空間の素材を混合し、エンターテインメントコンテンツを作成する例が散見される。情報資源の散逸を繰り返さないために、今後の利活用方法を検討・予測し、 アーカイビングシステムを整備しなければならない。 本稿は、仮想空間アーカイビングシステムのうち、ワールドに付与するメタデータとその検索手法について提案と解説を行う。 ## 1. いわゆるメタバースの概念における 仮想空間について 国内で行われている現在、「メタバース」 と呼ばれる概念が国によって定義化されつつある。文化庁[1]によると、メタバースとは、 インターネット上で多人数が参加出来る三次元空間であり、ユーザーはアバターという自身の分身を操作し、空間内を移動、他の参加者と交流をすることが出来るといった定義がされている。このような空間は国内外でも多く存在し、国内でも表現、創作ストックが存在している。昨今では、プレイヤー数の増加や活動事例の多様化により、投資家や産業界でも注目を浴びるようになったと書かれている[2]。 これらの話と計算機普及の発達の背景からすると、メタバースが普及するだろうという予測が建てられる。また、普及が進むにつれて、メタバースにおけるコンテンツを自分で作成し始める、新規ユーザーが増加することが予想される。 しかし、インターネット上で多人数が参加出来る三次元空間、ワールドを蓄積し、検索、利活用まで出来るアーカイビングするシステムが現状存在していないのが現状である。ワ ールドをアーカイビングするシステムがないままメタバースが普及した際、これらの世界が乱立し、収拾がつかなくなることが予想されるだろう。しかし、現存するワールドは、個人で制作されているものが多く、現存するワ一ルドにおいての規格化は、技術的にも、創作物としても困難である。 また、ワールドを検索する対象が普段からメタバースに触れている既存ユーザーのみで なく、新規ユーザーも増えてきた為[3]、メタバース的な語彙に詳しくないユーザーに対して、より感覚的な検索項目も必要となった。 ## 2. アーカイビングシステムとワールド 検索 ## 2. 1 アーカイビングシステムと利活用 アーカイビングシステムの目標としては、個人が作ったメタバースにおけるワールドを環境とコンテンツとして蓄積し、検索、利活用が出来るシステムを目標としている。現状では、メタバースにおけるワールドは環境込みで作らなくてはならないという問題点がある。環境とは、ワールド内にあるコンテンツを設置するための土台環境のことを指している。環境を作成するには、ワールドの構成における専門知識が必要なため、ワールド作成におけるハードルが高くなってしまっているのが現状である。そのため、ワールドをアー カイビングする際に、環境とコンテンツを分けること、また、分けた環境やコンテンツの検索、利活用出来るシステムを目標としている。これにより、ユーザーは既存の環境を元に、ワールドの核となるコンテンツのみを制作することで、ワールドを作成出来るといった利点が生まれる。また、環境と中身のコンテンツが分けて作れるので、環境を簡単に切り替えることも可能となる。 ## 2. 2 ワールド検索 利活用を目的としたアーカイビングシステムであるため、ワールドを検索することが前提となるが、ワールドに関連する言葉による検索項目を全て出すことは困難である。ワー ルドは、現存する全ての言葉が検索項目の対象になりうるものであるからだ。また、ワー ルドの検索項目の中で、明確な分け方が出来るジャンルにおいても、幅が広く、ジャンルのみでは検索として成り立たないのが現状である。これらを踏まえ、ワールド検索では、 2 つの検索手法を提案する。 ## 3. 検索方法とメタデータスキーマ 3. 1 エンタメ検索 エンタメ検索とは、蓄積されたそれぞれの ワールドに対して、世界観が近い漫画やアニメ、映画等の現存する創作物の名前を検索項目に設定し、ユーザーが求めているワールドを直感的に検索出来る手法である。大きな利点としては、ユーザーがワールドの細かい分類が分からなくても検索が出来ることである。 ワールドは、多種多様な要素が含まれているものが多く、新規ユーザーがこれらの要素を細かく分類するのは困難である。新規ユー ザーが利用するのを踏まえると、求めている要素の割合が多い既存の創作物から検索が出来るシステムを求められると考えている。 ## 3.2 詳細検索 詳細検索では、ワールドの要素を分類出来る既存ユーザーに向けての検索手法である。 ワールド検索でも述べたように、あらゆる言葉が検索項目になり得るため、ここでは 5 つの項目に絞った検索手法を提案している。現時点で検索項目は以下のとおりである。 現時点で検索項目は以下のとおりである。 - 元となる空間 : 統制語彙 (森、海、草原、平野、山、砂漠、宇宙、部屋の中、建物内、街、無)を利用している。 元となる空間とは、ワールドにおける三次元空間の原型を指している。また、原型が 2 つ以上存在する空間もある為、複数選択が出来る形式が必要である。 - テクスチャのヒストグラム: RGB の各パラメータ(図 1)を数値で利用している。 ワールド内に存在するオブジェクトのテクスチャにおけるRGBを参照し、写実的か抽象的かといった仕分けを考えている。例えば、神社の鳥居の形をした同一のオブジェクトであっても、赤単色のみの鳥居は抽象的な印象を、実在する鳥居の写真をそのままテクスチヤとして張り付けた鳥居では写実的な印象があるといった例が存在するからである。そのため、ヒストグラムを参考に、写実的か抽象的かのどちらかを選ぶ形式の他、直接ヒストグラムの各値を指定してワールドを検索する ことも検討している。 図 1 は、テクスチャを使ってデータを作る前のワールドのイメージ画像のヒストグラムを取り出したものである。今後は、テクスチヤで実際に判定するほか、より適した画像の選定方法を検討する必要がある。なお、左は 『メイドインアビス闇を目指した連星』であり、アニメ的な演出を多用するゲームであり、右は『ダークソウル』であり、ダークファンタジー的な要素を持つ。これらはゲームである。これら既存のゲームは、本研究で対象とするワールドには類似する要素が多く、前段階の検討として十分であると考えている。 - ジャンル : 統制語彙 (SF、ホラー、アクション、コメディ、児童映画、探偵、スポーツ)を利用している。 ジャンルは、ワールドの重要な要素のため、検索項目としている。ジャンルには略語もあるため、項目として用意しておくことを予定している。また、ワールドの要素におけるジヤンルは一つとは限らないため、複数選べる形式が必要である。 - 時代 : 統制語彙(過去、現代、未来)を使用している。 時代がどれだけ経過しているかによってワ ールドの要素が変化するため、検索項目としている。過去、現代、未来の 3 つの要素として分ける事が出来るが、過去と未来における幅が広い点と、未来を題材としたワールド検索の際には、そのワールドがいつの時代から何年後を想定しているかといった検討が必要である。今後、検討が必要な検索項目である。 - 音響 : 選択肢(BGM(ステレオ、モノラル)、効果音(ステレオ、モノラル)、ボイス(距離による変化有り、無し))を利用している。 音響は、ワールドにおいて臨場感を出すために使われることが多く、検索項目の一つとして検討している。特に、ステレオとモノラルの要素が大きな役割を持っており、BGM、効果音の有無に加兑、一つの項目に対してステレオであるか、モノラルであるかといった項目が必要である。 図 1 ワールド内に存在するイメージのヒストグラム ## - 機能検索 : 選択肢(三次元空間内の移動方法、コミュニケーション機能 (チャットの種類))を利用している。 ワールドにおける重要な要素であるため、検索項目としている。移動方法については、歩く、無重力移動の二つを検討している。コミュニケーション機能は、ボイスチャット、 チャットの有無を検討している。また、ボイスチャットは音響でも述べたステレオ、モノラルのほか、距離による変化有無の項目が必要である。 これらを踏まえて、元となる空間においては、複数選択可能な空間名称でのチェックボックスによる検索項目とする。テクスチャのヒストグラムにおいては、テクスチャの RGB を参照した上で、システム内に蓄積されたワ一ルドに写実的であるか抽象的であるかを割り振り、検索時には写実的であるか、抽象的であるかというチェックボックスによる二択とする。ジャンルにおいては、複数選択可能なジャンル名称でのチェックボックスとする。 時間においては、過去、現代、未来の 3 つの選択肢の中から三択とする。その上で、過去を選んだ場合は、紀元前、西暦を頭とする数字入力による検索項目を、未来を選んだ場合は、紀元前、西暦を頭とする数字入力の時代から何年後かという数字入力による検索項目とする。 音響においては、BGM、効果音それぞれに有無の選択肢をつけ、その上で有るのであれば、ステレオ、モノラルの選択肢を求めるものとする。機能検索においては、移動方法には重力の有無の二択を、コミュニケーション機能においてはチャット、ボイスチャットの有無の選択肢をつけ、ボイスチャットのみ、有る場合ステレオ、モノラルの選択肢を求め るものとする。これらを踏まえることで、既存ユーザーがより正確なワールド検索をすることが出来る。 ## 4. おわりに 現在、仮想サーバに CentOS をインストー ルして、実験的に Webを用いた検索システムを構築している。データベースには BaseXを使い、XMLでメタデータを試作している。今後の課題点として、テクスチャのヒストグラムを用いた分別において、どの値から実写的か、抽象的か、といった基準を検討する必要がある。また、ジャンルに対しては、現存する全てのジャンルが対象になるため、より見やすい表示方法を検討する必要がある。NFT や身体的ストレス対策などの規格化が進むことで[4]、より進歩していくだろう。 ## 参考文献 [1]文化庁.文化審議会文化経済部会基盤 - 制度ワーキンググループ報告書.2022-3-29. https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashin gikai/bunka_keizai/seido_working/pdf/93687 501_01.pdf (参照 2022-05-15). [2] 文化庁.文化審議会文化経済部会基盤.制度ワーキンググループ参考資料. 2022-329. https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashin gikai/bunka_keizai/seido_working/pdf/93687 501_03.pdf (参照 2022-05-15). [3] バーチャル美少女ねむ。メタバース進化論. 2022-03-16.技術評論社. [4] All One Needs to Know about Metaverse: A Complete Survey on Technological Singularity, Virtual Ecosystem, and Research Agenda.2021-11-3. https://arxiv.org/abs/2110.05352v3 (参照 2022-05-15). この記事の著作権は著者に属します。この記事は Creative Commons 4.0 に基づきライセンスされます(http://creativecommons.org/licenses/by/4.0/)。出典を表示することを主な条件とし、複製、改変はもちろん、営利目的での二次利用も許可されています。
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# [21] COVID-19 感染拡大下における、現地開催型イベント の感染防止策の変遷: 2020 年から 2022 年まで開催された国内の特撮$\cdot$アニメイベントを対象に 0 二重作昌満 1 ) 1) 東海大学, 〒 $259-1292$ 神奈川県平塚市北金目 4-1-1 E-mail: [email protected] ## Transition of infection control measures for on-site event under the coronavirus disease 2019 pandemic: For Tokusatsu and Anime events held in Japan from 2020 to 2022 FUTAESAKU Masamitsu1) 1) Tokai University, 4-1-1 Kitakaname Hiratsuka, Kanagawa, 259-1292, Japan ## 【発表概要】 本研究では、特撮作品を誘致資源化した観光現象である「特撮ツーリズム」及び、アニメ作品を誘致資源化した「アニメツーリズム」に焦点を当て、事象としての観光史を明らかにする歴史学的な観点から、2020 年から 2022 年現在までにかけて、特撮・アニメ作品を題材としたイベン卜会場が、どのような感染拡大防止策を実施しながら催事を再開させてきたのか、時系列的な変遷を緹めた。その結果、現地開催型イベントに代わるオンラインイベントの導入等、催事を再開させるために試行錯誤した時代であった「試行錯誤期(2020 年)」2020 年のイベント開催において構築された感染防止策のノウハウを活用し、多人数を集客する夏季恒例催事を再開した「夏季催事再開期(2021 年)」、前述した約 2 年間で構築された感染防止策に加えて、握手会等の身体的な接触を伴うプログラムの再開等、新たな試みが実践するようになった「発展期(2022 年)」 の 3 つの時代に類型化が可能であった。 ## 1. はじめに 2019 年に中国・武漢で確認された新型コロナウイルス(COVID-19)は、その後世界的に拡大した。我が国にも 2020 年 2 月より当ウイルスの脅威に次第にさらされていくようになり、数多くの商業施設も閉鎖される事態となった。1971 年から半世紀に渡り、東映株式会社(以降、東映)制作の特撮ヒーロー番組『スーパー戦隊シリーズ(1975)』等のヒー ローショーを継続してきた「東京ドームシテイアトラクションズ)」も同年 3 月から 7 月まで、園内専用劇場「THEATRE G-ROSSO」 [1]でのショー公演を中止する事態となり、商業施設においても、株式会社円谷プロダクシヨン(以降、円谷プロ)制作の特撮ヒーロー 番組『ウルトラマン(1966)』シリーズを題材とした展覧会であり、池袋サンシャインシティにて約 30 年に渡り開催されてきた夏季恒例催事「ウルトラマンフェスティバル」も 2020 年度の開催は見送られた[2]。 これ以降、各映像制作会社はいかに自社の作品を題材としたイベントを再開するかについて試行錯誤を実施していくようになり、来場者に在宅を促す形でのオンラインイベントの開催や、消毒の徹底や社会的距離の確保等、新ルールを備えた形でイベントを復活させ、 2022 年にかけてイベント開催を継続してきた。 つまり今回の COVID-19 の感染拡大は、イベント開催形態の変化をより加速させる事態を促し、これらの歴史はひとつの時代の転換点として、将来的に訪れるコロナ禍後の時代、即ちアフターコロナ時代に向けて記録していく必要があると考えた。そこで本研究では、筆者がこれまで包括的な研究を実施してきた、特撮作品を誘致資源化した観光現象である 「特撮ツーリズム」[3]及び、アニメ作品を誘致資源化した観光現象である「アニメツーリズム」[4] に焦点を当て、事象としての観光史を明らかにする歴史学的な観点から、国内で初めて COVID-19 が確認された 2020 年から 2022 年現在までにかけて、特撮・アニメ作品を誘致資源化したイベント会場では、感染拡大に伴う施設の閉鎖から再開、現在に至るまでどのような感染拡大防止策を実施してきたのかを時系列的に䌂める研究を実施した。 ## 2. 研究の目的 ・対象 - 方法 本研究の目的は、映像作品を観光資源化したコンテンツツーリズム研究の一環として、 「特撮ツーリズム」及び「アニメツーリズム」 に焦点を当てながら、2020 年から 2022 年までの約 3 年間、COVID-19 の感染拡大によって、特撮・アニメ作品を誘致資源化したイべント会場は、閉鎖から再開、そして各会場が実施してきた感染防止策について時系列的な記録を実施することにある。当記録を行なうことで COVID-19 感染拡大時の対応策の変遷を明確化でき、万が一アフターコロナ時代以降に新たな感染症が発生した際にその対応策を継承できる点に研究の学術的意義がある。 本研究の調査方法は「(1)現地調査」、「(2)才ンライン調査」、「(3)資料調査」の 3 種の調査を実施した。まず「(1)現地調査」では、2020 年 8 月 1 日から 2022 年 5 月 1 日にかけて全 40 のイベント(表 1)に赴き、現地巡検という形でのフィールドワークを実施した。 続いて「(2)オンライン調査」であるが、 2020 年 2 月 1 日から 2022 年 4 月 30 日にかけて国内で開催された、Web サイト上での特撮及びアニメ作品の全 48 のオンラインイベントを対象に、上記のイベントに参加しながら催事内容の記録を実施した。 最後に「(3)資料調査」では、文献や Web サイト等を資料として活用し、現地調査にて来訪したイベントを記録した資料と共に、現地調査での参加が叶わなかったイベントの資料収集も併せて実施した。当研究にて収集した資料は、「(1)文献」、「(2)Web サイト」、「(3)映像ソフト」の 3 種類に大別可能である。 「(1)文献」は、現地・オンライン開催されたイベントの様子を詳細に記録した文献である。続いて「(2)Web サイト」は催事内容や商品情報を発信する公式サイトである。最後に「(3映像ソフト」は、DVD 等の映像ソフトの中に、現地もしくはオンラインで開催された催事内容を記録したものを指す。 ## 3. 結果 我が国の特撮ツーリズム及びアニメツーリズムは、COVID-19 の初確認から現在までの約 3 年間、催事の休止から段階的にイベントを再開させてきたことが明らかになった。そこでこれら 3 年間を、COVID-19 の対策の変遷についてより明確化できるように、 1 年ごとに 3 つの時代に呼称(「試行錯誤期」「夏季恒例催事再開期」、「発展期」)をつけて類型化し、各時代の動向について緹めた。 ## 3.1 試行錯誤期 (2020 年) この時代は、2020 年初頭より我が国で COVID-19 が急速に拡大し、 3 密の回避や緊急事態宣言の発令等に伴い、大型商業施設の閉鎖やイベントの中止が次々に発表された。 しかしイベントの開催側である映像制作会社らは、予定されていた現地開催型イベントの代替として、オンラインイベントの考案の他、マスク着用や消毒の徹底、発生の禁止等、新ルールを来場者に呼びかける形でのイベントの再開へ次第に動き出していくようになった。つまり、2020 年は COVID-19 の影響を受けながらも、中止されたイベントをどのような形で再開できるのか試行錯誤的に実施していた時代であった。そこで本研究では、この 2020 年を「試行錯誤期」と呼称して䌂めた。 例えば、2020 年 3 月から 7 月にかけて公演を休止していた「シアターG ロッソ」は、同年 8 月 1 日からスーパー戦隊シリーズのショ一公演を再開した(表 1 の 1)。来場者に対するマスク着用の推進や手指の消毒等の新ルー ルを導入した形で再開されたことに加え、感染拡大防止のために一部サービスが変更になつた。つまり、「シアターG ロッソで僕と握手!」のフレーズで定番化した劇場入場前のレッドとの握手会や、公演終了後の握手・撮影会が休止された。さらに飛沫感染防止のためにショーの演出も変更され、子ども達へヒ一ローに対する「がんばれ」等の声援も自肃 される代わりに拍手の推奨や、会場内で販売されているぺンライトを振る形での応援が呼びかけられた。以降、G ロッソは演出の一部変更や新ルールを備えた形で公演が継続されるようになった。 また 2020 年は現地開催型イベントに加えてライブ配信によるオンラインイベントも急速に台頭するようになった時代でもあり、イベント開催形態のあり方も大きく多様化するようになった時代ともい兑る。 ## 3.2 夏季催事再開期 (2021 年) この時代に入ると、COVID-19 の感染拡大を受け、前年は開催が中止された夏季恒例催事が、上述した新ルールを備えた形で次々に再開されるようになった。この背景には、各映像制作会社が前年より現地開催型イベントを再開させながら、ウィズコロナを念頭に置 いていかに催事を行なえば感染を防ぐことができるかについて、次第にノウハウが構築されてきたことが挙げられる。そこで本研究では、この時代を「夏季催事再開期」と呼称した。一概に特撮・アニメ作品の夏季恒例催事は多種多様であるため、本稿では、池袋サンシャインシティにて開催された、 2 つの特撮・アニメ作品のイベントに着目して概説する。 17)は、観客が一定の周遊プロセスを踏んでイベントを楽しむことができるシステムが導入され、展示エリアの周遊からステージエリアでのショー観賞の 2 段階で構成された。 観覧者はまず、展示エリアを約 1 時間楽しんだ後、ステージエリアへと移動し、約 30 分のショーを楽しむ。本公演も声援の自肅が要 表 1. 現地調查対象イベントリスト(2020 年 8 月 1 日 2022 年 5 月 1 日) 請され、発生できない代わりにウルトラマン達を応援する動作である「ウルトラチャージ」 が推奨された。ショー終了後は当会場を退出し、戻ることができない仕組みとなっていた。 さらに「トキメク思い出メイクッアー」 (表 1 の 18)も展示エリアからステージエリアまでの段階的プロセスを踏みながら、イべントを楽しむ仕組みが導入された。つまり、入場指定時間に来場した観覧者は、まず展示エリアをまわった後、ショーエリアにてショ一を観賞し、終演後は展示エリアに戻ることなく、ショーエリア出口の物販にて買い物を行なった後に、会場を後にする形であった。 上述してきた 2 つのイベントに共通しているのが、来場者の行動を順序化していることである。つまりイベントを楽しむプロセスが設定され、逆走できない仕組みが導入されているため、来場者が延々と同じスペースに留まることができないようになっている。両イベントの著作元は異なっているものの、イベントを開催する上での共通したルールや手順が、各社にて構築されるようになってきたことが、この時代の特徴であった。 ## 3.3 発展期 (2022 年) 2022 年から現在にかけて、常設施設及びほぼ全ての恒例開催型イベントが再開されつつある。同年 1 月 21 日から 3 月 21 日まで 18 道府県を対象に「まん延防止等重点措置」が適用されたものの、特撮・アニメ作品の現地開催型イベントの開催は、感染対策を講じながら現在まで継続されている。この時代の特筆すべき点は、国内での COVID-19 の感染拡大以降確認できなかった、着ぐるみキャラクタ一との握手会が再開されたことが挙げられる。 つまりイベントを再開させることに加え、これまで中止されてきた催事内容の一部も再開させる兆候が確認できるようになった。そこで、2022 年から現在にかけての当時代を暫定的に「発展期」と呼称した。 2022 年 2 月 19 日・20日に開催された舞台「トロピカル〜ジュ! プリキュア感謝祭」は (表 1 の 35)、着ぐるみによる実演ショーや出演声優・主題歌歌手によるライブ及び朗読会等の催事内容で実施された。当イベント最大の特徵は既存の感染対策に加充、着ぐるみのキャラクターとの握手会を再開したことである。握手会は、『感謝祭』上演終了後に、参加券付きグッズを購入した観覧者のみが会場内に列をつくり、配布されたビニール製の手袋を着用して、本公演に登場した 5 人のプリキュアと順に握手をしていくという内容であった。我が国での感染拡大以降、身体を接触させるような直接的ふれあいを伴うキャラクターとの握手会は避けられ、社会的距離を確保した上での撮影会が主流であったが、当イベントでは再開された。つまり、今後の COVID-19 に対する社会的動向によっては、更なる催事内容に対する緩和や、体験できるプログラムの増加等が期待される。 ## 4. 考察 2022 年現在、COVID-19 の完全な終息は未だ不透明な現状にある。そこで、現地開催型イベントは今後どう変化していくかについて考察を行なった。上述してきたように、特撮・アニメ作品を題材とした現地開催型イベントは、COVID-19 による催事の中止から、段階的に感染拡大前の催事内容に戻していこうとする動きが確認できる。しかし、単に現地開催型イベントの全面的な再開を目指すのではなく、COVID-19 の感染拡大を契機に急速に発展を遂げたオンラインイベントも、並走する形で今後成長していくことが考えられる。そこで、ステイホームの推奖や観光のオンライン化が急進した昨今の情勢を考慮するならば、今後ますます体全体を使って催事を楽しむ、即ち「五感」を体験価値とした現地開催型イベントが、将来的なニーズとしてより求められていくことが考察できた。 ## 5. おわりに 本研究では、2020 年から 2022 年までの約 3 年間を対象に、COVID-19 感染拡大下での我が国の特撮・アニメ作品の現地開催型イベントの対応策の変遷を時代の類型化によって䌟めた。その結果、中止された催事を再開さ せるために試行錯誤した時代であった「試行錯誤期(2020 年)」、感染防止策を伴いながら多人数を集客する夏季恒例催事を再開した 「夏季催事再開期(2021 年)」、約 2 年間で構築された感染防止策に加え、新たな試みが確認できるようになった「発展期(2022 年)」 の 3 つの時代に類型化した。今後の研究の課題として、特撮やアニメ以外の他の映像ジャンルを誘致資源化した催事の感染対策についても視野を広げ、アフターコロナ時代を見据えた記録も実施していく必要がある。 ## 参考文献 [1] “機界戦隊ゼンカイジャーショー”. Tokyo Dome City. https://at-raku.com/hero/ (参照 2022-03-16). [2] “「ウルトラマンフェスティバル 2020」開催中止のお知らせ”.ULTRAMAN FESTIVAL 2019. https://ulfes.com/2019/ (参照 2022-0310). [3] 二重作昌満,田中伸彦.「特撮ツーリズム」 の発展と多様化に関する歴史的研究.レジャ一・レクリエーション研究.2017, vol.82, p.2130. [4] 二重作昌満,田中伸彦.アニメツーリズムに対する定義の広域化についての調查検証:東映アニメーション製作『ヒーリングっどのプリキュア(2020)』を事例に.レジャー・レクリエ ーション研究.2021, vol.95, p.96-99. この記事の著作権は著者に属します。この記事は Creative Commons 4.0 に基づきライセンスされます(http://creativecommons.org/licenses/by/4.0/)。出典を表示することを主な条件とし、複製、改変はもちろん、営利目的での二次利用も許可されています。
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# 吉見 俊哉 YOSHIMI Shunya \\ デジタルアーカイブ学会 会長 昨年5月、私たちが長尾真先生の訃報に接してから、 すでに半年以上の日々が過ぎました。この冊子を手に するすべての人にとって、長尾先生は心から敬愛する デジタルアーカイブ学の大先達であり、もち万ん先生 なくしては本学会の誕生もあり得ませんでした。本特集は、その長尾先生への本学会員全員の感謝の気持ち と共に、先生の足跡をデジタルアーカイブの視座から たどり直すものです。 まず確認したいのは、長尾先生が 1990 年代初頭か らデジタルアーカイブの未来を明確に見据えていらし たことです。先生が唱導された「電子図書館 Ariadne」 の構想では、はっきりと将来の電子図書館は従来の図書館の電子化ではなく、図書館概念の根本からの刷新 となるとされていました。図書館に収蔵されるのは、従来のような図書だけでなく、学術会合の記録や委員会等からの報告書、各種の知的コンテンツが含まれ、 それらはハイパーテキスト形式で相互につながり、図書館自体も無数の館がつながる分散ネットワークと なっていくと書かれています。 当時、デジタル化の波が全世界に押し寄せるなかで、 21 世紀の情報社会の姿が見え始めていました。アメ リカでは、アルバート・ゴア副大統領によって情報通信ハイウエイ構想が主導され、ヨーロッパでも、後の 「ヨーロピアーナ」につながる電子図書館や電子ミュー ジアムが構想されていました。日本でも、月尾嘉男先生が「有形・無形の文化資産をデジタル情報の形で記録し、その情報をデータベース化して保管し、随時閲覧・鑑賞、情報ネットワークを利用して情報発信」す る仕組みを「デジタルアーカイブ」と呼び、各地の自治体の地域情報化政策の中核に、電子図書館やデジ夕 ルミュージアムの推進が位置づけられていきました。 ですから、90 年代の電子図書館構想やデジタルアー カイブ構想は、同時代の世界のデジタル化の最先端に 並んでいたのです。ところが日本のデジタル化は、 2000 年代に失速します。先達が未来の情報社会の姿 を見通していたにもかかわらず、国も産業界も大学も、 そうした方向に社会全体を導くことに失敗します。こ の時代、日本は「政治主導」「構造改革」「郵政民営化」 などの勇ましい言葉に踊り、技術変化を先取りする社会変化を起こせませんでした。その間に、韓国や台湾、中国ではデジタル化への取り組みが急展開し、日本を 追い越していきました。 このような困難な時代にも、長尾先生は動ずること なく未来を見据え続けています。京都大学総長として 多大なご貢献をされた後、国立国会図書館長としてデ ジタル化への取り組みを進め、同館を未来の電子図書館に向けて変革されました。90 年代の電子図書館構想から国会図書館長として主導されていくことまでに ブレがありません。過去 30 年間、日本の政治も経済 も迷走を重ねましたが、長尾先生が未来の知的資産に 向けて進められたことは、まったくブレていないのです。 そうした長尾先生に、私たちはきわめて強い心の芯 と思考の明晰さ、人々を摇るぎない方向に導いていく すがすがしいリーダーシップを感じてきました。 国立国会図書館長として長尾先生が達成された偉業 である「大規模デジタル化事業」については、本特集 でも様々に言及されるでしょうが、同じ頃、先生は国 がデジタル文化資産計画を進めるべきとの提言もされ ています。これまでの文化財の範疇を超え、日本各地 に写真、映像、音声記録など多様な文化資産が散在し、 それらを今日のデジタル技術で保存し、再現することが できる。そうした資産計画がわが国の文化の価値を世界に認識させていくのに役立つと述べられていました。 長尾先生の根底には、21 世紀は科学技術中心の時代ではなく、文化の時代、心の時代になるべきとのお 考えがございました。テクノロジーは、その文化と心 の時代に奉仕する役割を担う。たとえば、これまで日本人の持っていた自然に対する考え方をそれぞれの地域から世界に発信する基盤として、デジタル技術を 使っていくべきと先生は述べられています。この先生 の打考えのなかにすでに、私たちデジタルアーカイブ 学会が進むべき道も示されていると、私は思います。
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