chats
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3.16k
| meta
dict |
---|---|---|
[
[
"おまえは何のために火薬を買ったのだ",
"鳥を捕るためでございます",
"雀ぐらいを撃つ弾薬ならば幾らもいる筈はない。おまえは何で二、三十斤の火薬を買ったのだ",
"一度に買い込んで、貯えて置こうと思ったのでございます",
"おまえは火薬を買ってから、まだひと月にもならない。多く費したとしても、一斤か二斤に過ぎない筈だが、残りの薬はどこに貯えてある"
],
[
"あなたはどうしてあの男に眼を着けられたのですか",
"火薬を爆発させて雷と見せるには、どうしても数十斤を要する。殊に合薬として硫黄を用いなければならない。今は暑中で爆竹などを放つ時節でないから、硫黄のたぐいを買う人間は極めてすくない。わたしはひそかに人をやって、この町でたくさんの硫黄を買った者を調べさせると、その買い手はすぐに判った。更にその買い手を調べさせると、村民のなにがしに売ったという。それで彼が犯人であると判ったのだ",
"それにしても、当夜の雷がこしらえ物であるということがどうして判りました",
"雷が人を撃つ場合は、言うまでもなく上から下へ落ちる。家屋を撃ちこわす場合は、家根を打ち破るばかりで、地を傷めないのが普通である。然るに今度の落雷の現場を取調べると、草葺き家根が上にむかって飛んでいるばかりか、土間の地面が引きめくったように剥がれている。それが不審の第一である。又その現場は城を距ること僅か五、六里で、雷電もほぼ同じかるべき筈であるが、当夜の雷はかなり迅烈であったとはいえ、みな空中をとどろき渡っているばかりで、落雷した様子はなかった。それらを綜合して、わたしはそれを地上の偽雷と認めたのである"
],
[
"お前はどっちから来ました",
"西のお廊下から参りました",
"東の廊下から来た人を見ましたか",
"いいえ"
],
[
"きのうあの泥坊が来ることを占い知ったので、たわむれに小術を用いたのです",
"その術はなんですか",
"奇門の法です。他人が迂闊におぼえると、かえって禍いを招きます。あなたは謹直な人物である。もしお望みならば御伝授しましょうか"
]
] | 底本:「中国怪奇小説集」光文社文庫、光文社
1994(平成6)年4月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:九尾乃雪舟斎
2003年8月16日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "001303",
"作品名": "中国怪奇小説集",
"作品名読み": "ちゅうごくかいきしょうせつしゅう",
"ソート用読み": "ちゆうこくかいきしようせつしゆう",
"副題": "17 閲微草堂筆記(清)",
"副題読み": "17 えつびそうどうひっき(しん)",
"原題": "",
"初出": "",
"分類番号": "NDC 913 923",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2003-09-30T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-18T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/card1303.html",
"人物ID": "000082",
"姓": "岡本",
"名": "綺堂",
"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1872-11-15",
"没年月日": "1939-03-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "中国怪奇小説集",
"底本出版社名1": "光文社文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "1994(平成6)年4月20日",
"入力に使用した版1": "1994(平成6)年4月20日初版1刷",
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"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "tatsuki",
"校正者": "九尾乃雪舟斎",
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} |
[
[
"不思議なこと……。どうしたんだ。",
"稲荷さまの縁の下から大きな蛇が出たんだ。"
],
[
"君も知っているだろう。僕の庭の隅に、大きい欅が二本立っていて、その周りにはいろいろの雑木が藪のように生い茂っている。その欅の下に小さい稲荷の社がある。",
"むむ、知っている。よほど古い。もう半分ほど毀れかかっている社だろう。あの縁の下から蛇が出たのか。",
"三尺ぐらいの灰色のような蛇だ。"
]
] | 底本:「影を踏まれた女」光文社文庫、光文社
1988(昭和63)年10月20日初版1刷発行
2001(平成13)年9月5日3刷
初出:「写真報知」
1924(大正13)年10月
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:hongming
2006年1月13日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "045488",
"作品名": "月の夜がたり",
"作品名読み": "つきのよがたり",
"ソート用読み": "つきのよかたり",
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"原題": "",
"初出": "「写真報知」1924(大正13)年10月",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2006-02-14T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-18T00:00:00",
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"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
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"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1872-11-15",
"没年月日": "1939-03-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "影を踏まれた女",
"底本出版社名1": "光文社文庫、光文社",
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"入力者": "小林繁雄、門田裕志",
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} |
[
[
"しかしあなたは物識りですから、何かめずらしいお話がありそうなもんですね。",
"おだてちゃあいけない。いくら物識りでも種のない手妻は使えない。だが、こうなると知らないというのも残念だ。若い人のおだてに乗って、まずこんな話でもするかな。"
],
[
"人殺し以上の大事件ですか。",
"むむ、その時代としては大事件だ。虎の子の観世物は十月から始まって、十二月になっても客は落ちない。女房に死なれても、商売の方が繁昌するので、友蔵もまあいい心持になっている。それで済ませて置けば無事であったが、おいおい正月も近づくので、ここでいっそう馬力をかけて宣伝しようという料簡から、この虎の子は御上覧になったものだと吹聴した。千里の藪で生捕りましたなぞは嘘でも本当でもかまわないが、御上覧というと事面倒になる。すなわち将軍が御覧になったというわけで、実に途方もない宣伝をしたものだ。それが町奉行所の耳にはいって、関係者一同は厳重に取調べられた。宣伝に事欠いて、両国の観世物に将軍御上覧の名を騙るなぞとは言語道断、重々の不埓とあって、友蔵と幸吉の兄弟は死罪に処せられるかという噂もあったが、幸いに一等を減じられて遠島を申渡された。他の関係者は追放に処せられた。",
"なるほど大事件でしたね。"
],
[
"いえ、結構です。ありがとうございました。",
"おや、もう帰るのか。君もずいぶん現金だね。はははは。"
]
] | 底本:「鎧櫃の血」光文社文庫、光文社
1988(昭和63)年5月20日初版1刷発行
1988(昭和63)年5月30日2刷
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:松永正敏
2006年6月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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| {
"作品ID": "045489",
"作品名": "虎",
"作品名読み": "とら",
"ソート用読み": "とら",
"副題": "",
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"原題": "",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2006-07-04T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-18T00:00:00",
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"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1872-11-15",
"没年月日": "1939-03-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "鎧櫃の血",
"底本出版社名1": "光文社文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "1988(昭和63)年5月20日",
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"入力者": "小林繁雄、門田裕志",
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} |
[
[
"染と申します",
"お染か。して、今夜の客の誰かに馴染みか"
],
[
"お前は勤めの身でないか。花代さえ滞りなく貰って行ったら、誰も不足をいう者はあるまい。まだほかにむずかしい掟でもあるか",
"主人に叱られます",
"判らぬな。主人がなぜ叱る",
"江戸のお客さまを粗末にしたとて……"
],
[
"そうでござります",
"よい。そんならおれがお前を相方にする。そうして、勝手に帰してやる。仲居を呼べ"
],
[
"仲居の雪でござります。なんぞ御用と仰しゃりますか",
"ほかでもない。この女をおれにぜひ買わせてくれ"
],
[
"兄をたずねて……",
"何ぞ用か"
],
[
"まあ、むずかしく詮議するな。行くと行かぬは別として、おれは兄の居どころを知っている。たずね出してやるから、おとなしく待っておれ",
"ふうむ。お身もか"
],
[
"では、頼む。兄によく意見して下され",
"承知した"
],
[
"また泣くか。初めて逢った夜にもお前はそんな泣き顔をしていたが、その時から見ると又やつれたぞ。煩わぬようにしろ",
"いっそ煩うて死にとうござります"
],
[
"今の若い身で死んでどうする。両親の悲しみ、妹の嘆き、それを思いやったら仮りにもそのようなことは言われまい。一日も早く勤めを引いて、親許へ帰って孝行せい",
"一日も早くというて、それが今年か来年のことか。ここの年季は丸六年、わたしのような孱弱い者は、いつ煩ろうていつ死ぬやら"
],
[
"さて市之助。遠慮なく頼みたいことがある",
"改まって何だ",
"半九郎は金が要る。二百両の金を貸してくれぬか。といっても、お身も旅先でそれだけの貯えもあるまい。お身は京の刀屋に知るべがあると聞いている。おれの刀は相州物だ。その刀屋に相談して、二百両に換えてはくれまいか"
],
[
"おれも鶯は大好きで、ゆく先ざきで鶯を聴いて歩く。鶯は美しい愛らしい小鳥だ。ことに京は鶯の名所であるから、おれも金に明かし、暇に明かして、思うさまに鳴かして見たが、所詮は一時の興に過ぎぬ。一羽の鳥になずんでは悪い。江戸へ帰ればまた江戸の鶯がある",
"勿論、おれもその鶯を江戸まで持って帰ろうとは思わぬが、鳴く音が余りに哀れに聞えるので、せめて籠から放してやりたいのだ。半九郎は人にも知られた意地張りだが、生まれつきから涙もろい男だ。ありあまる金を持った身でもなし、かつは旅先で工面するあてもない。察してくれ"
],
[
"して、半九郎。お身は全くその鶯に未練はないな",
"未練はない。くどくも言うようだが、あまりに哀れだから放してやりたい。ただそれだけのことだ",
"それならば猶更のこと。お身がその鶯にあくまでも未練が残って、買い取って我が物にしたいと言っても、おれは友達ずくで意見したい。ましてその鶯には未練も愛着もなく、ただ買い取って放してやるだけに、武士が大切の刀を売るとは、あまりに分別が至らぬように思わるるぞ。なさけも善根も銘々の力に能うかぎりで済ませればよし、程を過ぎたら却って身の禍いになる。この中のおれの行状から見たら、ひとに意見がましいことなど言われた義理ではないが、おれにはまたおれの料簡がある。鶯はただ鳴くだけのことで、藪にあろうが籠にあろうが頓着せぬ。花を眺め、鳥を聴くも、所詮は我れに一時の興があればよいので、その上のことまでを深く考えようとはせぬ。その上に考え詰めたら、心を痛むる、身を誤る。人間は息のあるうちに、ゆく先ざきで面白いことを仕尽くしたらそれでよい。どうだ、半九郎。もう一度よく思い直して見ろ",
"では、どうでも肯いてくれぬか",
"肯かれぬ。また、肯かぬのがお身のためだ"
],
[
"おお、半九郎来たか",
"お身はいつから来ている"
],
[
"うるさいな。あしたでもよかろうに……",
"でも、一度になっては混雑するから、今夜のうちに取りまとめて置けとのことでござります"
],
[
"お前さま。もうこれぎりでお戻りになりませぬかえ",
"いや、戻る。すぐまた戻って来る。待っておれ"
],
[
"旦那さま。降ってまいりました",
"降って来たか",
"昼から催しておりました。今のうちに降りましたら、お発ちの頃には小春日和がつづくかも知れませぬ"
],
[
"おお、源三郎か。何しにまいった",
"言わずとも知れたこと。お迎いにまいりました",
"出発の荷作りならよいように頼むぞ",
"わたくしには出来ませぬ"
],
[
"まあ、そのように手暴くせずと……。市さまはこの通りに酔うている。連れて帰ってもお役に立つまい。お前ひとりでよいように……",
"それがなるほどなら、かようなところへわざわざ押しかけてはまいらぬ。じゃらけた女どもがいらぬ差し出口。控えておれ"
],
[
"お前は市さまの弟御そうな。いつもいつも親の仇でも尋ねるような顔付きは、若いお人にはめずらしい。ちっと兄さまを見習うて、お前も粋にならしゃんせ。もう近いうちにお下りなら、江戸への土産によい女郎衆をお世話しよ。京の女郎と大仏餅とは、眺めたばかりでは旨味の知れぬものじゃ。噛みしめて味わう気があるなら、お前も若いお侍、一夜の附合いで登り詰める心中者がないとも限らぬ。兄嫁のわたしが意見じゃ。一座になって面白う遊ばんせ",
"ええ、つべこべとさえずる女め、おのれら売女の分際で、武士に向って仮りにも兄嫁呼ばわり、戯れとて容赦せぬぞ"
],
[
"はは、そのように怒るなよ。お身はまだ年が若いので、一途に人ばかり悪い者のように言うが、兄は兄、おれはおれだ。兄が遊ぶと、おれが遊ぶとは、同じ遊びでも心の入れ方が違うかも知れぬ。いや、それはそれとして、兄も今夜が京の遊び納めであろうから、それを無理に連れて帰ろうとするのは余りにむごい、気の毒だ。おれも今引っ返して荷作りをして来たが、兄の指図を受けずともお身と家来どもの手でどうにかなろう。まあ、今晩ひと晩だけは兄を助けてやれ",
"どうにかなる程なら、わざわざ呼びにはまいらぬ",
"理屈っぽい男だ。何にも言わずに帰れ、帰れ"
],
[
"半さまもあのように言うてござれば、まあ、まあ、お待ちなされませ",
"ええ、うるさい。退いておれ"
],
[
"はは、そのような嚇しを怖がる源三郎でない。夜昼となしに兄を誘い出して、あたら侍を腐らせた悪い友達に、何の科で詫びようか。江戸の侍の面汚しめ。そっちから詫びをせねば堪忍ならぬわ",
"なに、おのれはこの半九郎を江戸の侍の面汚しと言うたな。その子細を申せ",
"それを改めて問うことか。御用を怠って遊里に入りびたる奴、それが武士の手本になるか。武士の面汚しと申したに不思議があるか",
"武士の面汚し、相違ないな",
"おお、幾たびでも言って聞かせる。菊地半九郎は武士の面汚し、恥さらし、武士の風上には置かれぬ奴だ"
],
[
"おお、よく申した。おのれも武士に向ってそれほどのことを言うからは、相当の覚悟があろうな",
"念には及ばぬ。武士にはいつでも覚悟がある"
],
[
"問答無益だ。源三郎、河原へ来い",
"むむ"
],
[
"して、相手のお侍は……",
"この通りだ"
],
[
"かよわい女子が血を見たら、定めて怖ろしくも思うであろう。どうだ。もう落ち着いたか",
"は、はい。これで少しは落ち着きました"
],
[
"誰だ。はいれ",
"女はいぬか"
],
[
"推量の通りだ。半九郎は人を斬って来た",
"誰を斬った。お染を斬ったか",
"いや、女でない。源三郎を斬った"
],
[
"なぜ斬った。口論か",
"おれも短気、源三郎も短気、ゆるしてくれ"
],
[
"お身と源三郎とが河原へ駈け出したら、お染はなぜ早くおれに教えてくれなんだか。しかしそれを今更いっても返らぬ。そこで半九郎、お身はこれからどうする積りだ",
"仇と名乗って討たれに来た。殺してくれ"
]
] | 底本:「江戸情話集」光文社時代小説文庫、光文社
1993(平成5)年12月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:かとうかおり
2000年6月14日公開
2008年10月4日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "000481",
"作品名": "鳥辺山心中",
"作品名読み": "とりべやましんじゅう",
"ソート用読み": "とりへやましんしゆう",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2000-06-14T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/card481.html",
"人物ID": "000082",
"姓": "岡本",
"名": "綺堂",
"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1872-11-15",
"没年月日": "1939-03-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "江戸情話集",
"底本出版社名1": "光文社時代小説文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "1993(平成5)年12月20日",
"入力に使用した版1": "",
"校正に使用した版1": "",
"底本の親本名1": "",
"底本の親本出版社名1": "",
"底本の親本初版発行年1": "",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
"入力に使用した版2": "",
"校正に使用した版2": "",
"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "tatsuki",
"校正者": "かとうかおり",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/481_ruby_33081.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2008-10-04T00:00:00",
"テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"テキストファイル文字集合": "JIS X 0208",
"テキストファイル修正回数": "0",
"XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/481_33082.html",
"XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2008-10-04T00:00:00",
"XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"おたけはどうもお腹が大きいようですよ。",
"そうかしら。"
]
] | 底本:「岡本綺堂随筆集」岩波文庫、岩波書店
2007(平成19)年10月16日第1刷発行
2008(平成20)年5月23日第4刷発行
底本の親本:「五色筆」南人社
1917(大正6)年11月初版発行
初出:「木太刀」
1915(大正4)年3、7、8、9月、1916(大正5)年1、4月号
入力:川山隆
校正:noriko saito
2008年11月29日作成
2011年10月9日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "049538",
"作品名": "二階から",
"作品名読み": "にかいから",
"ソート用読み": "にかいから",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「木太刀」1915(大正4)年3、7、8、9月、1916(大正5)年1、4月号",
"分類番号": "NDC 914",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2008-12-29T00:00:00",
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"名読み": "きどう",
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"名ローマ字": "Kido",
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"生年月日": "1872-11-15",
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"校正に使用した版1": "2008(平成20)年5月23日第4刷",
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"底本の親本初版発行年2": "",
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"XHTML/HTMLファイル修正回数": "1"
} |
[
[
"そうだろう。今頃どこへ行っても売切れさ。いずこも同じ秋のゆうぐれで仕方がないね。",
"でも、まあ、念のために行ってみましょう。"
],
[
"あら、千生さん。",
"お邪魔じゃありませんか。",
"いいえ、どうぞお上がんなさい。"
],
[
"お前、あったかえ。",
"どこも売切れだというので、千生さんの家へ行って貰って来ました。",
"千生さんの家……。千鳥さんへ行って、お貰い申して来たの。あら、まあ、どうも済みません。"
],
[
"そりゃそうですが、世間では……。",
"世間がどういうんですよ。",
"今もお話し申した通り、おまえさんと肚をあわせて……。",
"なぜ肚を合せるんですよ。肚を合せて、ど、どうするというんですよ。"
],
[
"じゃあ、どうするんだ。",
"死ぬのさ。"
],
[
"まっぴらだよ。誰がお前なんぞと……。あたしは一人で死ぬから邪魔をしておくれでないよ。",
"駄々をこねずに、まあ帰れよ。おたがいに考え直して、いい相談をしようじゃあねえか。",
"ふん、なにがいい相談だ。あたしは三日前にここから身を投げるつもりのところを、お前のようなゲジゲジ虫に取っ捉まって……。",
"そのゲジゲジが留めなけりゃあ、おめえはドブンを極めたところだったじゃねえか。"
],
[
"なに、罪は作らねえ……。女のくせに人殺しまでして、罪を作らねえが聞いて呆れらあ。よく考えて物をいえ。",
"人殺しはお前じゃあないか。"
],
[
"おれはおめえを救ってやったのだ。",
"救ってくれたら、それでいいのさ。いつまで恩に着せることはないじゃないか。文句があるなら、千鳥へ行ってお言いよ。",
"べらぼうめ。うかうか千鳥なんぞへ面を出して、馬鹿息子と一緒に番屋へしょびかれて堪るものか。"
]
] | 底本:「蜘蛛の夢」光文社文庫、光文社
1990(平成2)年4月20日初版1刷発行
初出:「富士」
1936(昭和11)年7月
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:花田泰治郎
2006年5月7日作成
2007年5月29日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "045508",
"作品名": "廿九日の牡丹餅",
"作品名読み": "にじゅうくにちのぼたもち",
"ソート用読み": "にしゆうくにちのほたもち",
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"初出": "「富士」1936(昭和11)年7月",
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"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"名読み": "きどう",
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} |
[
[
"お察しの通り、帰りには奈良から京大阪を見物して来ました。こんな長い旅はめったに出来ないので、東海道、帰りには中仙道を廻ることにして、無事ここまで帰って来ました。",
"それではお宿へのおみやげ話もたくさん出来ましたろう。",
"風邪も引かず、水中りもせず、名所も見物し、名物も食べて、こうして帰って来られたのは、まったくお伊勢さまのお蔭でございます。"
],
[
"あの毛皮売のじいさんは何という男だね。",
"その奈良井の宿はずれに住んでいる男で、伊平と申します。",
"あの娘の名は。",
"お糸といいます。"
],
[
"なんでそんなことを言うのだ。",
"お国の言うには、お元さんのそばには小さい鼠がいる。始終は見えないが、時々にその姿を見ることがある。お元さんが縁側なぞを歩いていると、そのうしろからちょろちょろと付いて行く……。"
],
[
"まったく本当だそうで……。お国だって、まさかそんな出たらめを言やあしますまいと思いますが……。",
"それもそうだが……。若い女なぞというものは、飛んでもないことを言い出すからな。そんな鼠が付いているならばお国ばかりでなく、ほかにも誰か見た者がありそうなものだが……。"
],
[
"よく降りますね。叔父さんは……。",
"叔父さんは商売の用で、新宿のお屋敷まで……。",
"お元ッちゃんは……。"
],
[
"なんだ、何だ。",
"あの、鼠が……。"
],
[
"あい。起きています。なにか用かえ。",
"はいってもよろしゅうございますか。",
"おはいり。"
],
[
"おかみさん。ちょいとおいで下さいませんか。",
"どこへ行くの。",
"お元さんのお部屋へ……。"
],
[
"申訳がない……。お前は何か悪いことでもしたのか。",
"恐れ入りました。",
"恐れ入ったとは、どういうわけだ。"
],
[
"家の娘ではない……。どうしてそんなことを言うのだ。",
"わたくしは江戸の本所で生れまして、小さい時から両親と一緒に近在の祭や縁日をまわっておりました。お糸というのがやはり私の本名でございます。わたくし共の一座には蛇つかいもおりました。鶏娘という因果物もおりました。わたくしは鼠を使うのでございました。芝居でする金閣寺の雪姫、あの芝居の真似事をいたしまして、わたくしがお姫様の姿で桜の木にくくり付けられて、足の爪先で鼠をかきますと、たくさんの鼠がぞろぞろと出て来て、わたくしの縄を食い切るのでございます。芝居ならばそれだけですが、鼠を使うのが見世物の山ですから、その鼠がわたくしの頭へのぼったり、襟首へはいったり、ふところへ飛び込んだりして、見物にはらはらさせるのを芸当としていたのでございます。"
]
] | 底本:「鎧櫃の血」光文社文庫、光文社
1988(昭和63)年5月20日初版1刷発行
1988(昭和63)年5月30日2刷
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:松永正敏
2006年6月2日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "045490",
"作品名": "鼠",
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"副題読み": "",
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"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
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[
[
"やあ、須田君。君も来ていたんですか。",
"やあ、あなたも御参詣ですか。",
"まあ、御参詣と言うべきでしょうね。"
],
[
"須田君はお酒を飲まないんですね。",
"飲みません。",
"ちっともいけないんですか。",
"ちっとも飲めません。"
],
[
"でも、酒を飲まないと、伊佐子さんに嫌われると言ったじゃありませんか。",
"あははははは。"
],
[
"須田君、うなぎを食いませんか。",
"え。"
],
[
"甚だ突然で、君も驚いたかも知れないが、わたしもいよいよ諦めて帰ることにしました。どう考えても、弁護士という職業はわたしに縁がないらしい。",
"そんなことはないでしょう。",
"私もそんなことはないと思っていた。そんな筈はないと信じていた。幽霊がこの世にないと信じるのと同じように……。"
],
[
"私もまったく不思議に思っているんです。どういうわけでしょう。",
"そのわけは……。今も言う通り、わたしは幽霊に責められているんですよ。いや、実にばかばかしい。われながら馬鹿げ切っていると思うのだが、それが事実であるからどうにも仕様がない。今まで誰にも話したことはないが、わたしが初めて試験を受けに出て、一生懸命に答案を書いていると、一人の女のすがたが私の眼の前にぼんやりと現われたんです。場所が場所だから、女なぞが出て来るはずがない。それは痩形で背の高い、髪の毛の白い女で、着物は何を着ているかはっきりと判らないが、顔だけはよく見えるんです。髪の白いのを見ると、老人かと思われるが、その顔は色白の細おもてで、まだ三十を越したか越さないか位にも見える。そういう次第で、年ごろの鑑定は付かないが、髪の毛の真っ白であるだけは間違いない。その女がわたしの机の前に立って、わたしの書いている紙の上を覗き込むようにじっと眺めていると、不思議にわたしの筆の運びがにぶくなって、頭もなんだか茫として、何を書いているのか自分にも判らなくなって来る……。君はその女をなんだと思います。"
],
[
"何かとは……。どんな事です。",
"でも、この頃は山岸さんのお国からたびたび電報がくるんですよ。今月になっても、一週間ばかりのうちに三度も電報が来ました。そのあいだに郵便も来ました。"
],
[
"それには何か、事情があるんだろうと思われますが……。あなたはなんにもご承知ありませんか。",
"知りません。",
"山岸さんはゆうべなんにも話しませんでしたか。わたしの推量では、山岸さんはもうお国の方へ帰ってしまうんじゃないかと思うんですが……。そんな話はありませんでしたか。"
],
[
"あの、山岸さんという人は怖ろしい人ですね。",
"なにが怖ろしいんです。",
"ゆうべお土産だといって、うなぎの蒲焼をくれたでしょう。あれが怪しいんですよ。"
],
[
"なんだか気味が悪うござんすから、母とも相談して、残っていた鰻もみんな捨てさせてしまいました。熊手も毀して、唐の芋も捨ててしまいました。",
"しかし現在、その鰻を食ったわれわれは、こうして無事でいるんですが……。"
],
[
"ほかに理由がないでもありません。",
"どんな理由ですか。"
],
[
"猫の死んだのは本当ですけれど……。伊佐子はそれを妙に邪推しているので、わたしも困っているのです。",
"まったく伊佐子さんは邪推しているのです。積もってみても知れたことで、山岸さんがそんな馬鹿なことをするもんですか。"
],
[
"そりゃそうでしょう。あなたの仰しゃるのが本当ですよ。山岸さんが、なんでそんな怖ろしいことをするものですか。それはよく判っているのですけれど、伊佐子はふだんの気性にも似合わず、このごろは妙に疑い深くなって……。",
"ヒステリーの気味じゃあないんですか。"
]
] | 底本:「異妖の怪談集 岡本綺堂伝奇小説集 其ノ二」原書房
1999(平成11)年7月2日第1刷
初出:「文藝倶樂部」
1928(昭和3)年8月
※「啄《くち》」と「喙《くち》」、「古老」と「故老」の混在は底本の通りとしました。
入力:網迫、土屋隆
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年6月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "043576",
"作品名": "白髪鬼",
"作品名読み": "はくはつき",
"ソート用読み": "はくはつき",
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"初出": "「文藝倶樂部」1928(昭和3)年8月",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"姓": "岡本",
"名": "綺堂",
"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1872-11-15",
"没年月日": "1939-03-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "異妖の怪談集 岡本綺堂伝奇小説集 其ノ二",
"底本出版社名1": "原書房",
"底本初版発行年1": "1999(平成11)年7月2日",
"入力に使用した版1": "1999(平成11)年7月2日第1刷",
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"校正者": "小林繁雄、門田裕志",
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[
[
"いや、やってみよう。当ったらお礼をするぜ。",
"お礼というほどにも及ばないが、この放しうなぎの惣仕舞でもして貰うんだね。"
],
[
"だが、わたしは満足に字が書けないから、いずれ親方が帰って来てから預り証を書いてあげる。それでいいだろうね。",
"へえ、よろしゅうございます。"
],
[
"そりゃ結構だ。おめでたい、おめでたい。だが、日が暮れかかったので鰻はもう奥へ片付けてしまった。いっそあしたにしてくれないか。",
"ああ、いいとも……。代だけ渡しておいて、あしたまた来る。"
]
] | 底本:「蜘蛛の夢」光文社文庫、光文社
1990(平成2)年4月20日初版1刷発行
初出:「民衆講談」
1923(大正12)年11月
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:花田泰治郎
2006年5月7日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "045509",
"作品名": "放し鰻",
"作品名読み": "はなしうなぎ",
"ソート用読み": "はなしうなき",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「民衆講談」1923(大正12)年11月",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2006-06-23T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-18T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/card45509.html",
"人物ID": "000082",
"姓": "岡本",
"名": "綺堂",
"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1872-11-15",
"没年月日": "1939-03-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "蜘蛛の夢",
"底本出版社名1": "光文社文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "1990(平成2)年4月20日",
"入力に使用した版1": "1990(平成2)年4月20日初版1刷",
"校正に使用した版1": "1990(平成2)年4月20日初版1刷",
"底本の親本名1": "",
"底本の親本出版社名1": "",
"底本の親本初版発行年1": "",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
"入力に使用した版2": "",
"校正に使用した版2": "",
"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "小林繁雄、門田裕志",
"校正者": "花田泰治郎",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/45509_ruby_23143.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2006-05-07T00:00:00",
"テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"テキストファイル文字集合": "JIS X 0208",
"テキストファイル修正回数": "0",
"XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/45509_23155.html",
"XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2006-05-07T00:00:00",
"XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"しかし貴公、この事をすぐにみんなに吹聴するか。",
"それを俺も考えているのだが、むやみに吹聴して大勢がわやわや付いて来られては困る。いっそ貴公とおれと二人でそっと行くことにしようではないか。"
],
[
"水から出て来るのではない。水にはいるのだ。",
"どうも魚を捕るらしいぞ。",
"馬が魚を食うかな。",
"それが少しおかしい。"
],
[
"さようでござります。あばらの骨を幾枚も踏み折られてしまいました。",
"むごい事をしたな。"
],
[
"その鉄作はどうしている。",
"この頃はからだもすっかり癒りまして、自分でもお福を見殺しにして逃げたのを、なんだか気が咎めるのでございましょう。時どきに訪ねて来ていろいろの世話をしてくれますが、あんな男に相変らず出入りをされましては、なおなお世間に外聞が悪うござりますから、なるべく顔を見せてくれるなといって断っております。"
]
] | 底本:「蜘蛛の夢」光文社文庫、光文社
1990(平成2)年4月20日初版1刷発行
初出:「講談倶楽部」
1927(昭和2)年2月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:花田泰治郎
2006年5月7日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "045510",
"作品名": "馬妖記",
"作品名読み": "ばようき",
"ソート用読み": "はようき",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「講談倶楽部」1927(昭和2)年2月",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2006-06-28T00:00:00",
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"だいぶ降って来たな",
"おばさんは帰りに困るでしょう",
"なに、人力車を迎いにやったからいい"
],
[
"その幽霊というのは武家の召使らしい風をして、水だらけになっているんですね。早く云えば皿屋敷のお菊をどうかしたような形なんですね",
"まあ、そうらしい"
],
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"主人は嫌いだが、奥では読むらしい。じきこの近所の田島屋という貸本屋が出入りのようだ",
"あのお屋敷のお寺は……",
"下谷の浄円寺だ"
],
[
"なにか心当りがあるかね",
"小幡の奥様はお美しいんですか",
"まあ、いい女の方だろう。年は二十一だ"
],
[
"きょうは先ず何処へ行くんだね",
"貸本屋から先へ始めましょう"
],
[
"ありました。たしか二月頃にお貸し申したように覚えています",
"ちょいと見せてくれないか"
],
[
"して見ると、この草双紙の絵を見て、怖い怖いと思ったもんだから、とうとうそれを夢に見るようになったのかも知れない",
"いいえ、まだそればかりじゃありますまい。まあ、これから下谷へ行って御覧なさい"
],
[
"修行の浅い我々でござれば、果たして奇特の有る無しはお受け合い申されぬが、ともかくも一心を凝らして得脱の祈祷をつかまつると致しましょう",
"なにぶんお願い申す"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(一)」光文社文庫、光文社
1985(昭和60)年11月20日初版1刷発行
1997(平成9)年3月25日20刷発行
入力:A.Morimine
校正:原田頌子
2001年4月13日公開
2012年5月25日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"大分降つて來たな。",
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[
"その幽靈といふのは武家の召使らしい風をして、水だらけになつてゐるんですね。早く云へば皿屋敷のお菊を何うかしたやうな形なんですね。",
"まあ、さうらしい。"
],
[
"主人は嫌ひだが、奥では讀むらしい。直きこの近所の田島屋といふ貸本屋が出入りのやうだ。",
"あの御屋敷のお寺は……。",
"下谷の淨圓寺だ。"
],
[
"なにか心當りがあるかね。",
"小幡の奥様はお美しいんですか。",
"まあ、美い女の方だらう。年は二十一だ。"
],
[
"けふは先づ何處へ行くんだね。",
"貸本屋から先へ始めませう。"
],
[
"ありました。たしか二月頃にお貸し申したやうに覺えてゐます。",
"ちよいと見せて呉れないか。"
],
[
"して見ると、この草雙紙の繪を見て、怖い怖いと思つたもんだから、たうたうそれを夢に見るやうになつたのかも知れない。",
"いゝえ、まだそればかりぢやありますまい。まあ、これから下谷へ行つて御覽なさい。"
],
[
"修行の淺い我々でござれば、果して奇特の有る無しはお受合ひ申されぬが、兎も角も一心を凝らして得脱の祈祷をつかまつると致しませう。",
"なにぶんお願ひ申す。"
]
] | 底本:「定本・半七捕物帳 第1巻」同光社
1950(昭和25)年1月25日初版発行
入力:小山純一
校正:浜野智
1998年7月9日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "001005",
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"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
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"副題読み": "01 おふみのたましい",
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[
[
"かぜでも引きなすったかえ、顔色がひどく悪いようだが……",
"いえ、なに、別に"
],
[
"実はお菊さんのゆくえが知れないので……",
"お菊さんが……。一体どうしたんです",
"きのうのお午すぎに仲働きのお竹どんを連れて、浅草の観音様へお詣りに行ったんですが、途中でお菊さんにはぐれてしまって、お竹どんだけがぼんやり帰って来たんです"
],
[
"じゃあ、まあ試しに行って御覧なさい。わっしもせいぜい気をつけますから",
"なにぶん願います"
],
[
"あのね、半七さん。お菊さんがゆうべ帰って来たんですよ",
"帰って来た。そりゃあよかった",
"ところが、又すぐに何処へか姿を隠してしまったんですよ",
"そりゃあ変だね",
"変ですとも。……そうして、それきり又見えなくなってしまったんですもの",
"帰って来たのを誰も知らなかったのかね",
"いいえ、わたしも知っていますし、おかみさんも確かに見たんですけれども、それが又いつの間にか……"
],
[
"お菊さんは家を出るときには頭巾をかぶっていたのかね",
"ええ、藤色縮緬の……"
],
[
"いいえ",
"隠しちゃあいけねえ。おめえの顔にちゃんと書いてある。娘と番頭は前から打ち合わせがしてあって、奥山の茶屋か何かで逢ったろう。どうだ"
],
[
"おい。何かあったのかい",
"おかみさんが殺されて……"
],
[
"いずれ御用聞きが一緒に来たろうが、誰が来た",
"なんでも源太郎さんとかいう人だそうです",
"むむ、そうか。瀬戸物町か"
],
[
"ゆうべも娘は頭巾をかぶっていたんだね",
"ええ。やっぱりいつもの藤色でした"
],
[
"どうも御苦労様でございます。どうぞ直ぐにこちらへ……",
"飛んだこってしたね。お取り込みの中へずかずかはいるのも良くねえから、すぐに庭口へ廻ろうと思ったんですが、それじゃあ御免を蒙ります"
],
[
"いいえ、昔から誰も手を着けたことはありません。こんなに見事に苔が付いているから、滅多にさわっちゃいけないと、お内儀さんからもやかましく云われていますので……",
"そうですか"
],
[
"おい、姐さん。早速だが少し聞きてえことがあるんだ。あの小屋に出ている春風小柳という女の軽業師、あいつの亭主は何といったっけね",
"ほほほほほ。あの人はまだ亭主持ちじゃありませんわ",
"亭主でも情夫でも兄弟でも構わねえ。あの女に付いている男は誰だっけね"
],
[
"そう、そう。金次といったっけ。あいつの家は向う両国だね。小柳も一緒にいるんだろう",
"ほほ、どうですか",
"金次は相変らず遊んでいるだろう",
"なんでも元は大きい呉服屋に奉公していたんだそうですが、小柳さんのところへ反物を持って行ったのが縁になって……。小柳さんよりずっと年の若い、おとなしそうな人ですよ",
"ありがてえ。それだけ判りゃあ好いんだ"
],
[
"おい、金次。俺あ初めにおめえにあやまって置くことがあるんだ",
"なんですね、大哥。改まってそんなことを……",
"いや、そうでねえ。いくら俺が御用を勤める身の上でも、ひとの家へ留守に上がり込んで、奥を覗いたのは悪かった。どうかまあ、堪忍してくんねえ"
],
[
"大哥、なにもかも申し上げます",
"神妙によく云った。あの黄八丈は菊村の娘のだろうな。てめえ一体あの娘をどこから連れて来た"
],
[
"そりゃあ時々に紅や白粉を買いに行くからです。菊村は古い店ですからね。そこで私はすぐに駕籠を呼びに行きました。そのあいだ何と云って誘って来たのか知りませんが、とうとう其の娘を馬道の方へ引っ張り出して来たんです。駕籠は二挺で、小柳と娘が駕籠に乗って先へ行って、わたしは後からあるいて帰りました。帰ってみると、娘は泣いている。近所へきこえると面倒だから、猿轡を嵌めて戸棚のなかへ押し込んでおけと小柳が云うんです。あんまり可哀そうだとは思いましたが、ええ意気地のねえ、何をぐずぐずしているんだねと、あいつが無暗に剣突を食わせるもんですから、わたしも手伝って奥の戸棚へ押し込んでしまいました",
"小柳という奴は、よくねえ女だということは、おれも前から聞いていたが、まるで一つ家のばばあだな。それからどうした",
"その晩すぐ近所の山女衒を呼んで来て、潮来へ年一杯四十両ということに話がきまりました。安いもんだが仕方がないというんで、あくる朝、駕籠に乗せて女衒と一緒に出してやりましたが、その女衒の帰らないうちは一文もこっちの手にはいらない。なにしろもう十二月の声を聞いてからは、毎日のようにいろいろの鬼が押し寄せてくる。苦しまぎれに小柳は又こんなことを考え出したのです。娘を潮来へやるときに、売物には花とかいうんで、着ていた黄八丈を引っぱがして、小柳のよそ行きと着換えさせてやったもんですから、娘の着物はそっくりこっちに残っている",
"むむ。その黄八丈の着物と藤色の頭巾で、小柳が娘に化けて菊村へ忍び込んだな。やっぱり金を取るつもりか"
],
[
"それじゃあ始めからその積りだったんだろう",
"どうだか判りませんが、小柳は苦しまぎれによんどころなく斯んなことをするんだと云っていました。だが、おとといの晩は巧く行かないで、すごすご帰って来ました。今夜こそはきっと巧くやって来ると云って、ゆうべも夕方から出て行きましたが……。やっぱり手ぶらで帰って来て、『今夜もまたやり損じた。おまけに嬶が大きな声を出しゃあがったから、自棄になって土手っ腹をえぐって来た』と、こう云うんです。大哥の前ですが、わたしはふるえて、しばらくは口が利けませんでしたよ。袖に血が付いているのを見ると嘘じゃあない。飛んでもないことをしてくれたと思っていますと、それでも当人は澄ましたもので『なあに、大丈夫さ。この頭巾と着物が証拠で、世間じゃあ娘が殺したと思っているに相違ない』と云っているんです。そうして、着物の血を洗って、あすこへほして、きょうも相変らず小屋へ出て行きました"
],
[
"どうぞ御慈悲を願います。わたしは全く意気地のない人間なんで、ゆうべもおちおち寝られませんでした。大哥の顔を一と目見た時に、こりゃあもういけねえと往生してしまいました。あの女には義理が悪いようですけれども、私のような者はこうして何もかもすっかり白状してしまった方が、胸が軽くなって却って好うございますよ",
"じゃあ気の毒だが、すぐに神田の親分の所まで一緒に来てくれ。どの道、当分は娑婆は見られめえから、まあ、ゆっくり支度をして行くがいいや",
"ありがとうございます"
],
[
"親分が……。なんだか忌ですわねえ。なんの御用でしょう",
"あんまりおめえの評判が好いもんだから、親分も乙な気になったのかも知れねえ",
"あら、冗談は措いて、ほんとうに何でしょう。お前さん、大抵知っているんでしょう"
],
[
"だから、早く行きねえよ",
"なんの御用か存じませんが、もし直きに帰して頂けないと困りますから、家へちょいと寄らして下さるわけには参りますまいか"
],
[
"金次がそんなに恋しいか",
"あい",
"おめえのような女にも似合わねえな",
"察してください"
],
[
"もしあたしに悪いことでもあるとしたら、金さんはどうなるでしょうね",
"そりゃあ当人の云い取り次第さ"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(一)」光文社文庫、光文社
1985(昭和60)年11月20日初版1刷発行
1997(平成9)年3月25日20刷発行
※誤植の疑われる「薄団」は、「半七捕物帳 巻の一」筑摩書房、1998(平成10)年6月25日初版第1刷発行、1998(平成10)年10月15日初版第2刷発行、「半七捕物帳【続】」大衆文学館、講談社、1997(平成9)年3月20日第1刷発行がともに「蒲団」としていることを確認しました。
入力:砂場清隆
校正:大野晋
2002年5月15日作成
2012年6月11日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "004641",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
"ソート用読み": "はんしちとりものちよう",
"副題": "02 石灯籠",
"副題読み": "02 いしどうろう",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"公開日": "2002-05-23T00:00:00",
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"没年月日": "1939-03-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "時代推理小説 半七捕物帳(一)",
"底本出版社名1": "光文社文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "1985(昭和60)年11月20日",
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[
[
"実はこれから伺おうかと思ったんですが、歳の暮にお邪魔をしても悪いと思って……",
"なあに、わたくしはどうせ隠居の身分です。盆も暮も正月もあるもんですか。あなたの方さえ御用がなけりゃあ、ちょっと寄っていらっしゃい"
],
[
"なんです。しろうと芝居がどうしたんです",
"その時に一と騒動持ち上がりましてね。その時には私も少し頭を痛めましたよ。あれは確か安政午年の十二月、歳の暮にしては暖い晩でした。和泉屋というのは大きな鉄物屋で、店は具足町にありました。家中が芝居気ちがいでしてね、とうとう大変な騒ぎをおっ始めてしまったんです。え、その話をしろと云うんですか。じゃあ、又いつもの手柄話を始めますから、まあ聴いてください"
],
[
"これはおかみさんでございますか。わたくしは下谷に居ります文字清と申します者で、こちらの文字房さんには毎度お世話になって居ります",
"いいえ、どう致しまして。お粂こそ年が行きませんから、さぞ御厄介になりましょう"
],
[
"親分。どうぞ仇を取ってください",
"かたき……。誰の仇を……",
"わたくしの伜の仇を……"
],
[
"はい",
"ふうむ。そりゃあ初めて聞いた。じゃあ、あの若旦那は今のおかみさんの子じゃあないんだね",
"角太郎はわたくしの伜でございます。こう申したばかりではお判りになりますまいが、今から丁度二十年前のことでございます。わたくしが仲橋の近所でやはり常磐津の師匠をして居りますと、和泉屋の旦那が時々遊びに来まして、自然まあそのお世話になって居りますうちに、わたくしはその翌年に男の子を産みました。それが今度亡くなりました角太郎で……",
"じゃあ、その男の子を和泉屋で引き取ったんだね",
"左様でございます。和泉屋のおかみさんが其の事を聞きまして、丁度こっちに子供が無いから引き取って自分の子にしたいと……。わたくしも手放すのは忌でしたけれども、向うへ引き取られれば立派な店の跡取りにもなれる。つまり本人の出世にもなることだと思いまして、産れると間もなく和泉屋の方へ渡してしまいました。で、こういう親があると知れては、世間の手前もあり、当人の為にもならないというので、わたくしは相当の手当てを貰いまして、伜とは一生縁切りという約束をいたしました。それから下谷の方へ引っ越しまして、こんにちまで相変らずこの商売をいたして居りますが、やっぱり親子の人情で、一日でも生みの子のことを忘れたことはございません。伜がだんだん大きくなって立派な若旦那になったという噂を聴いて、わたくしも蔭ながら喜んで居りますと、飛んでもない今度の騒ぎで……。わたくしはもう気でも違いそうに……"
],
[
"はい、判って居ります。おかみさんが殺したに相違ございません",
"おかみさんが……。まあ落ち着いて訳を聞かしておくんなせえ。若旦那を殺すほどならば、最初から自分の方へ引き取りもしめえと思うが……"
],
[
"まことに失礼でございますが、お前さんは神田の親分さんじゃあございますまいか。わたくしは芝の露月町に鉄物渡世をいたして居ります大和屋十右衛門と申す者でございますが、只今あの鳶頭の家へ少し相談があって訪ねてまいりますと、鳶頭は留守で、おかみさんを相手に何かの話をして居ります所へ、お前さんがお出でになりまして……。おかみさんに訊くと、あれは神田の親分さんだというので、好い折柄と存じまして、すぐにおあとを追ってまいりましたのですが、いかがでございましょうか。御迷惑でもちょいとそこらまで御一緒においで下さるわけには……",
"ようございます。お伴いたしましょう"
],
[
"はい。見物して居りました",
"楽屋には大勢詰めていたんでしょうね",
"なにしろ楽屋が狭うございまして、八畳に十人ばかり、離れの四畳半に二人。役者になる者はそれだけでしたが、ほかに手伝いが大勢で、おまけに衣裳やら鬘やらがそこら一ぱいで、足の踏み立てられないような混雑でございました。しかしみんな町人ばかりでございますから、そこに大小などの置いてあろう筈はないのでございます。最初にめいめいの小道具類を渡されました時に、角太郎も一々調べて見ましたそうですから、その時には決して間違って居りませんので……。いよいよ舞台へ出るという間ぎわに多分取り違ったか、掏り替えられたか。一体誰がそんなことをしたのか、まるで見当が付きませんので困って居ります",
"なるほど"
],
[
"若旦那は八畳にいたんですか、四畳半の方ですか",
"四畳半の方におりました。庄八、長次郎、和吉という店の者と一緒に居りました。庄八は衣裳の手伝いをして、長次郎は湯や茶の世話をしていたようでした。和吉は役者でございまして、千崎弥五郎を勤めて居りました"
],
[
"そのお冬というのは幾つで、どこの者です",
"年は十七で、品川の者です",
"どうでしょう。そのお冬という女にちょいと逢わして貰うわけには参りますまいか",
"なにしろ年は若うございますし、角太郎が不意にあんなことになりましたので、まるで気抜けがしたようにぼんやりして居りますから、とても取り留めた御挨拶などは出来ますまいが、お望みならいつでもお逢わせ申します",
"なるたけ早いがようございますから、お差し支えがなければ、これからすぐに御案内を願えますまいか",
"承知いたしました"
],
[
"いや、有難う。折角寝ているところを飛んだ邪魔をして済まなかった。まあ、からだを大事にするが好いぜ。それから大和屋の旦那、お店の方へちょいと御案内を願えますまいか",
"はい、はい"
],
[
"へえ。大和屋の旦那はまだ奥にお話をしていらっしゃいますようで……",
"わたしがちょっとお目にかかりたいと、そう云ってくれませんか"
],
[
"酔った振りしてさんざん失礼なことを申し上げましたが、科人はお店の和吉ですよ",
"和吉が……"
],
[
"よろしゅうございます。親御さんや御親類の身になったら、逆磔刑にしても飽き足らねえと思召すでもございましょうが、どんなむごい仕置きをしたからと云って、死んだ若旦那が返るという訳でもございませんから、これも何かの因縁と思召して、和吉の後始末はまあ好いようにしてやって下さいまし",
"重ね重ねありがとうございます"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(一)」光文社文庫、光文社
1985(昭和60)年11月20日初版1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:湯地光弘
1999年5月10日公開
2012年6月11日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "000983",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
"ソート用読み": "はんしちとりものちよう",
"副題": "03 勘平の死",
"副題読み": "03 かんぺいのし",
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"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "1999-05-10T00:00:00",
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"名": "綺堂",
"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
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} |
[
[
"おめでとうございます",
"おめでとうございます。当年も相変りませず……"
],
[
"今晩は……",
"どうだい、熊。春になっておもしれえ話もねえかね"
],
[
"いや、実はそれで今夜上がったんですが……。親分、ちっと聞いてお貰い申してえことがあるんです",
"なんだ。又いつもの法螺熊じゃあねえか"
],
[
"ねえ、親分。それが武士なんです。変じゃありませんか",
"変でねえ、あたりまえだ"
],
[
"どうです。親分はそいつ等をなんだと思います",
"偽者かな"
],
[
"そんなことかも知れねえ。その二人はどんな奴らだ",
"どっちも若けえ奴で……。一人の野郎は二十二三で色の小白い、まんざらでもねえ男っ振りです。もう一人もおなじ年頃の、片方よりは背の高い、これもあんまり安っぽくねえ野郎です。相当に道楽もした奴らだとみえて、茶代の置きっ振りも悪く無し、女を相手に鰯や鯨の話をしているほどの国者でも無し、実はお吉なんぞはその色の小白い方に少しぽうと来ているらしいんで……。呆れるじゃありませんか。それですから奴らが二階でどんな相談をしているか、お吉に訊いてもどうも正直に云わねえようです。私がきょうそっと階子の中途まで昇って行って、奴らがどんな話をしているかと、耳を引っ立てていると、一人の奴が小さい声で、『無暗に斬ったりしてはいけない。素直に云うことを肯けばよし、ぐずぐず云ったら仕方がない、嚇かして取っ捉まえるのだ』と、こう云っているんです。ねえ、どうです。これだけ聞いても碌な相談でないことは判ろうじゃありませんか"
],
[
"親分、ちょうど好い処です。一人の野郎は来ています。なんでも湯にへえっているようです",
"そうか。それじゃあ俺も一ッ風呂泳いで来ようか"
],
[
"そうです、あの若けえ野郎です",
"あれは偽者じゃあねえ",
"ほんとうの武士でしょうか",
"足を見ろ"
],
[
"じゃあ、御家人でしょうか",
"髪の結いようが違う。やっぱり何処かの藩中だろう"
],
[
"そういえば、お吉は見えねえようだが、どうした",
"今時分は閑なもんだから、子供のように表へ獅子舞を見に行ったんですよ。ちょうど誰もいねえから一応あらためて置きましょう。又どんな手がかりが見付からねえとも限りませんから",
"そりゃあそうだ"
],
[
"親分。こりゃあ何でしょう",
"判らねえ。なにしろ、そっちの箱を明けてみろ"
],
[
"もう一人の奴というのはまだ来ねえんだね",
"きょうはどうしたか遅いようですよ",
"なにしろ気をつけてくれ、頼むぜ"
],
[
"お早うございます",
"神田の親分、お早うございます"
],
[
"何ですえ、それは……",
"こんなもので……"
],
[
"親分、きのうの若けえ野郎は先刻ちょいと来て、又すぐに出て行きましたよ",
"なにか抱えていやしなかったか",
"なんだか知らねえが、長っ細い風呂敷包みを持っていましたよ",
"そうか。おれは途中でそいつに逢った。そこでもう一人の方はどうした",
"背の高い奴はきょうも来ませんよ",
"じゃあ、熊。気の毒だがその伊勢屋とかいう質屋へ行って、金のほかに何を奪られたか、よく訊いて来てくれ"
],
[
"毎度ありがとうございます",
"時におふくろも兄貴も達者かえ"
],
[
"はい、おかげさまで、みんな達者でございます",
"兄貴はまだ若いから格別だが、阿母はもう好い年だそうだ。むかしから云う通り、孝行をしたい時には親は無しだ。今のうちに親孝行をたんとしておくがいいぜ"
],
[
"でも、去年から遊びにくる二人連れの武士の一人と、おめえが大変心安くすると云って、だいぶ評判が高けえようだぜ",
"まあ",
"何がまあだ。そこでお前に訊きてえのは他じゃねえ。あのお武士衆は一体どこのお屋敷だえ。西国の衆らしいね"
],
[
"親分。なんの御用でございます",
"あの二人の武士に就いてのことだが、それとも番屋まで足を運ばねえで、ここで何もかも云ってくれるかえ"
],
[
"親分。ちょいと顔を貸しておくんなせえ",
"なんだ。そうぞうしい"
],
[
"そうです。そうです。それですからどうも巧く行かねえんですよ。あいつ思うさま嚇かしてやりましょうか",
"いや、おれも好い加減おどかして置いたから、もうたくさんだ。あんまり嚇かすと却って碌なことはしねえもんだ。まあ、もう少し打っちゃって置け"
],
[
"ちげえねえ。すぐ尾けてみろ",
"よがす"
],
[
"なにか抱えていやしなかったか",
"さあ、知りましねえ"
],
[
"親分、いけねえ、途中で友達に出っくわして、ちょいと一と言話しているうちに、奴はどこかへか消えてしまやあがった",
"馬鹿野郎。御用の途中で友達と無駄話をしている奴があるか"
],
[
"親分、どうしましょう",
"まさか、いきなりにふん縛るわけにも行くめえ。まあ、ここへ上がって来たら、てめえがなんとか巧く云って連れの武士のことを訊いてみろ。その返事次第でまた工夫もあるだろう。なにしろ相手が武士だ。無暗に振りまわされるとあぶねえから、その大小はどこへか隠してしまえ",
"そうですね。誰か加勢に呼びましょうか"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(一)」光文社文庫、光文社
1985(昭和60)年11月20日初版1刷発行
※「「四ッ」と「四ツ」の混在は、底本通りにしました。
入力:tatsuki
校正:小林繁雄
2002年5月15日作成
2012年6月12日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "001295",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
"ソート用読み": "はんしちとりものちよう",
"副題": "04 湯屋の二階",
"副題読み": "04 ゆやのにかい",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
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"名": "綺堂",
"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
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"生年月日": "1872-11-15",
"没年月日": "1939-03-01",
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"底本名1": "時代推理小説 半七捕物帳(一)",
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"XHTML/HTMLファイル修正回数": "2"
} |
[
[
"親分、どこへ",
"観音様へ朝参りに行った",
"ちょうど好いとこでした。今ここに変なことが持ち上がってね"
],
[
"何だ。なにがあった",
"人が死んだんです。お化け師匠が死んだんです"
],
[
"ちょうど若い師匠の一周忌ですからね",
"きっとこんなことになるだろうと思っていましたよ。恐ろしいもんですね"
],
[
"蚊帳のなかを見ても宜しゅうございますか",
"どうぞお検めください"
],
[
"死んだ者の執念もかかっているか知れねえが、生きた者の執念もかかっているに相違ねえ。おれはこれからちっと心当りを突いて来るから、おめえも如才なくやってくれ。そこで、どうだろう。あの師匠はちっとは金を持っていたらしいか",
"あの慾張りですからね。小金を溜めていたでしょうよ",
"情夫でもあった様子はねえか",
"この頃は慾一方のようでしたね",
"そうか。じゃあ、なにしろ頼むよ"
],
[
"あれは町内の経師職の伜で、弥三郎というんです",
"師匠の家へ出這入りすることはねえか",
"去年までは毎晩稽古に行っていたんですが、若い師匠が死んでからちっとも足踏みをしねえようです。あいつばかりじゃあねえ。若い師匠がいなくなってから、大抵の男の弟子はみんな散ってしまったようですよ。現金なもんですね",
"師匠の寺はどこだ",
"広徳寺前の妙信寺です。去年の送葬のときに私も町内の附き合いで行ってやったから、よく知っています",
"むむ、妙信寺か"
],
[
"おや、いらっしゃい。御参詣でございますか。当年は残暑がきびしいので困ります",
"その樒を少し下さい。あの、踊りの師匠の歌女代さんのお墓はどこですね"
],
[
"そうでございますね。最初の頃はお弟子さんがちょいちょい見えましたけれど、この頃ではあんまり御参詣もないようです。毎月御命日に欠かさず拝みにお出でなさるのは、あの経師職の息子さんばかりで……",
"経師職の息子さんは毎月来るかね",
"はい、お若いのに御奇特なお方で……。きのうもお詣りに見えました"
],
[
"おい、松。いい所で見つけた。実はこれからおめえの家へ寄ろうかと思っていたんだ",
"なんです、なにか御用ですか",
"お前まだ知らねえのか、お化け師匠の死んだのを……"
],
[
"へえ、そうですかい。悪いことは出来ねえもんだね。お化け師匠とうとう憑殺されたんですよ",
"まあ、どうでもいいから俺の云うことをきいてくれ。お前はこれから手をまわして、この近所で池鯉鮒様の御符売りの泊っているところを探してくれ。馬喰町じゃああるめえ。万年町辺だろうと思うが、まあ急いで見つけて来てくれ。別にむずかしいことじゃああるめえ",
"ええ、どうにかこじつけて見ましょう",
"しっかり頼むぜ。如才はあるめえが、御符売りが幾人いて、それがどんな奴だか、よく洗って来なけりゃあいけねえぜ",
"ようがす、受け合いました"
],
[
"隠しちゃあいけねえ。大事な場合だ。え、ほんとうに出這入りをしなかったのか",
"それが実におかしいんです",
"どうおかしいんだ。まっすぐに云いねえ"
],
[
"親分の家へ今行ったら、ここの寺へ来ていると云うから、すぐに引っ返して来ました。きのうもあれから万年町の方をすっかり猟ってみたが、どこにもそんな御符売りらしい奴は泊っていねえんです。それからそれと探し歩いて、ようよう今朝になって本所の安泊りに一人いるのを見付けたんですが、どうしましょう",
"幾つぐらいの奴だ",
"さあ、二十七八でしょうかね。宿の亭主の話じゃあ、四、五日前から暑さにあたって、商売にも出ずにごろごろしているそうです"
],
[
"そいつ一人ぎりか、ほかに連れはねえのか",
"もう一人いるそうですが、そいつは今朝早くから山の手の方に商売に出たそうです。なんでもそいつは四十ぐらいで……"
],
[
"なに、泥坊……。飛んでもねえことを云うな。おれが何を盗んだ",
"しらばっくれるな。俺はちゃんとてめえの面を覚えているんだ。いけずうずうしい野郎だ。どうするか見やあがれ"
],
[
"はい。左様でございます",
"こいつと一緒に番屋まで来てくれ"
],
[
"煙にまかれて、みんなべらべら申し立てましたよ。そいつは元は上野の山内の坊主で、歌女寿よりも年下なんですけれども、女に巧くまるめ込まれて、とうとう寺を開いてしまって、十年ほど前から甲州の方へ行って還俗していたんですが、故郷忘じ難しで江戸が恋しくなって、今度久し振りで出て来て、早速歌女寿のところへ訪ねて行くと、女は薄情だから見向きもしない。おまけで経師職の生若え伜なんぞを引っ張って来たのを見たもんだから、坊主はむやみに口惜しくなって、なんとかして意趣返しをしてやろうと、そこらの安宿を転げあるきながら、足かけ二カ月越しも付け狙っているうちに、歌女寿の娘が去年死んで、それからお化け師匠の評判が立っているのを聞き込んで、根が坊主だけに、死霊の祟りなんていうことを考え付いて、とうとう師匠を絞め殺してしまったんですよ。蛇を種に遣ったところは巧く考えましたね",
"その蛇は御符売りのを盗んだんですか",
"本所の安宿に転がっていると、丁度そこへ池鯉鮒の御符売りが泊り合わせたもんだから、それからふと思い付いて、その蛇を一匹盗んだんです。そこで蛇を見なかったら、そんな知恵も出なかったかも知れませんが、師匠も坊主も、つまりおたがいの不運ですね。時候は盆前、娘の一周忌と、うまく道具が揃っているもんだから、夜ふけに水口からそっと忍び込んで、師匠を殺す、蛇をまき付ける。すべておあつらえの通りの怪談が出来あがったんです。わたくしは最初に女中のお村というのに眼をつけていたんですが、これはよく寝込んでいて全くなんにも知らなかったということが後で判りました",
"それにしても、あなたはどうして池鯉鮒の御符売りに手を着けようと考え付いたのです"
],
[
"なるほど、今どきの人にゃあ判らないかも知れませんね。むかしは毎年夏場になると、蝮よけ蛇除けの御符売りというものが何処からか出て来るんです。有名な池鯉鮒様のほかにいろいろの贋いものがあって、その符売りは蛇を入れた箱を頸にかけて、人の見る前でその御符で蛇の頭を撫でると、蛇は小さくなって首を縮めてしまうんです。ほんとうの池鯉鮒様はそんな事はありませんが、贋い者になるとふだんから蛇を馴らして置く。なんでも御符に針をさして置いて、蛇の頭をちょいちょい突くと、蛇は痛いから首を縮める。それが自然の癖になって、紙で撫でられるとすぐに首を引っ込めるようになる。その蛇を箱に入れて持ち歩いて、さあ御覧なさい、御符の奇特はこの通りでございますと、生きた蛇を証拠にして御符を売って歩くんだということです。わたくしがお化け師匠の頸に巻きついている蛇を見たときに、なんだかひどく弱っている様子がどうも普通の蛇らしくないので、ふっとその蛇除けの贋いものを思い出して、試しに懐紙でちょいと押えると、蛇はすぐに頸を縮めてしまいましたから、さてはいよいよ御符売りの持っている蛇に相違ないと見きわめを付けて、それからだんだんに手繰って行くうちに相手にうまくぶつかったんです。え、その坊主ですか。それは無論死罪になりました",
"御符売りはどうなりました",
"池鯉鮒様の名前を騙って、そんな贋物を売っているんですから、今なら相当の罰を受けるでしょうが、昔は別にどうということもありませんでした。つまり欺される方が悪いというような理窟なんですね。それでもやっぱり気が咎めると見えて、御符売りはわたくしに笠の内を覗かれて、なんだか落ち着かないようなふうで遠退いていたんでしょう。池鯉鮒様ばかりでなく、昔はこんな贋いものがたくさんありましたよ",
"一体その池鯉鮒様というのは何処にあるんです",
"東海道の三州です。今でも御信心の人がありましょう。おや、雨が止んだと見えて、表が急に賑やかになって来ました。どうです、折角お出でなすったもんですから、ともかくも一と廻りして、軒提灯に火のはいったところを見て来ようじゃありませんか。お祭りはどうしても夜のものですよ"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(一)」光文社文庫、光文社
1985(昭和60)年11月20日初版1刷発行
入力:tat_suki
校正:湯地光弘
1999年5月25日公開
2012年6月11日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "001003",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
"ソート用読み": "はんしちとりものちよう",
"副題": "05 お化け師匠",
"副題読み": "05 おばけししょう",
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"初出": "",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "1999-05-25T00:00:00",
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"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
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"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1872-11-15",
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} |
[
[
"お寒くなりました",
"おお、半七さんか。まあこっちへ"
],
[
"わたくしにもまだ見当が付きませんが、まあ何とか工夫して見ましょう。もっと早く出るとよかったんですが、ほかに急ぎの御用があったもんですから、つい遅くなりました。そこで先ずその半鐘というのを一度見せてお貰い申したいんですが、あがって見ても宜しゅうございますかえ",
"さあ、さあ、どうぞ"
],
[
"お察し申します。なに、もうちっとの御辛抱ですよ。あの鍛冶屋の鞴祭りが済んだらば、小僧をちょいと此処へ呼んで下さいませんか",
"やっぱりあの小僧がおかしゅうございますか",
"と云う訳でもありませんが、少し訊きたいことがありますから、あんまり嚇かさないでそっと連れて来てください"
],
[
"これからお祝いの酒が始まるんだ",
"それじゃあ差当りお前に用もあるめえ。きょうは蜜柑まきで、お前も蜜柑を貰ったか"
],
[
"お前には兄弟か、仲のよい友達があるか",
"別に仲の好いというほどの友達はねえが、兄貴はある",
"兄貴は幾つだ。どこにいる"
],
[
"お前もここへ掛けろよ。そこで、おめえの兄貴というのは家にいるのか",
"年は十七で、下駄屋に奉公しているんだ"
],
[
"おじさん、堪忍しておくれよう",
"悪いことをすりゃあ縛られるのはあたりめえだ",
"おいらは悪いことをしねえでも縛られた。それであんまり口惜しいから",
"口惜しいからどうした。ええ、隠すな。正直にいえ。おらあ十手を持っているんだぞ。てめえは口惜しまぎれに、兄貴になんか頼んだろう。さあ、白状しろ",
"頼みゃあしねえけれども、兄貴もあんまりひどいって口惜しがって……。なんにもしねえものを無暗にそんな目にあわせる法はねえと云った"
],
[
"すると、煙草屋のむすめと自身番の佐兵衛と番太の嚊と、この三人にいたずらをした奴は手前の兄貴だな",
"おじさん、堪忍しておくれよう"
],
[
"ここにも居ねえのかしら",
"静かにしろと云うのに……"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(一)」光文社文庫、光文社
1985(昭和60)年11月20日初版1刷発行
入力:tat_suki
校正:菅野朋子
1999年6月1日公開
2012年6月12日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "000965",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
"ソート用読み": "はんしちとりものちよう",
"副題": "06 半鐘の怪",
"副題読み": "06 はんしょうのかい",
"原題": "",
"初出": "",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "1999-06-01T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
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"人物ID": "000082",
"姓": "岡本",
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"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
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[
[
"親分。どうも御無沙汰をいたして居りました。いつも御機嫌よろしゅう、結構でございます",
"おお、お亀さんか。久しく見えなかったね。お蝶坊も好い新造になったろう。あの子もおとなしく稼ぐようだから阿母もまあ、安心だ",
"いえ、実はそのお蝶のことに就きまして、今晩お邪魔にあがりましたのでございますが、どうもわたくし共にも思案に余りましてね"
],
[
"いいえ、おまえさん。なかなかそんな訳じゃございませんので……。なに、情夫でもこしらえたとかいうような浮いたお話なら、おっしゃる通り、わたくしも大抵のことは大目に見て居りますけれども、どうもそれがまことに困りますので……。当人もふるえて泣いて居りますような訳で……",
"おかしな話だな。一体そりゃあどうしたというんだね",
"娘がときどき影を隠しますので……"
],
[
"娘はそれぎり帰らねえのかえ",
"いいえ。それから十日ほど経つと、夕方のうす暗い時分に真っ蒼な顔をして帰って来ました。わたくしもまあほっとして其の仔細を訊きますと、娘が最初に姿を隠しましたのも、やっぱり夕方のうす暗い時分で、わたくしが後に残って店を片付けておりまして、娘は一と足先へ帰りますと、浜町河岸の石置き場のかげから、二、三人の男が出て来まして、いきなりお蝶をつかまえて、猿轡をはめて、両手をしばって、眼隠しをして、そこにあった乗物のなかへ無理に押し込んで、どこへか担いで行ってしまったんだそうでございます。娘も夢中で揺られて行きますと、それから何処をどう行ったのか判りませんが、なんでも大きな御屋敷のようなところへ連れ込まれたんだそうで……。それも遠いか近いか、ちっとも覚えていなかったそうでございます"
],
[
"すると、先月の末から娘がまた見えなくなったんでございます。いつもわたくしの留守を狙って来て、否応なしに担いで行ってしまうんだそうで……。外へ出れば乗物が待っていて、眼かくしをして乗せて行くんですから、どこへ連れて行かれるのか見当が付きません",
"そこで今度も無事に帰って来たのかい"
],
[
"今さら御不承知と申されては、わたくしどもの役目が立ちませぬ。まげて御承知くださるように重ねておねがい申します",
"娘はゆうべ帰りまして、それからなんだか気分が悪いとか申して、きょうも一日臥って居りますので、まだ碌々に相談いたす暇もございませんで……"
],
[
"御約束の御手当ては二百両、封のままで唯今お渡し申します。さあ、どうぞ娘御をこれへ",
"は、はい",
"あくまでも御不承知か。お役目首尾よく相勤めませねば、わたくし此の場で自害でもいたさねば相成りませぬ"
],
[
"勿論、あなたの方にもいろいろの御都合もございましょうが、いくら音信不通のお約束でも、せめて御奉公の御屋敷様の御名前だけでも伺って置きたいと存じますのが、こりゃあ親の人情でございます。どうぞそれだけをお明かし下さいましたら……",
"折角でありますが、御屋敷の名はここでは申されません。ただ中国筋のある御大名と申すだけのことで……",
"あなた様のお勤めは……",
"表使を勤めて居ります"
],
[
"なぜ御不承知と云われます",
"失礼ながら御屋敷の御家風が少し気に入りませんから"
],
[
"どうやら御来客の御様子でござりますな",
"はい",
"では、重ねてまいりましょう"
],
[
"親分さん。どうも有難うございました。いずれお礼にうかがいます",
"礼なんぞに来なくても好いから、この後あんまり手数を掛けねえようにしてくれ",
"はい、はい"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(一)」光文社文庫、光文社
1985(昭和60)年11月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:湯地光弘
1999年6月4日公開
2012年6月12日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
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"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
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"副題読み": "07 おくじょちゅう",
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"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"姓読み": "おかもと",
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"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1872-11-15",
"没年月日": "1939-03-01",
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"校正に使用した版1": "1986(昭和61)年12月1日第5刷",
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} |
[
[
"屋敷は大久保式部という千石取りで、その隠居の下屋敷は雑司ヶ谷にあるそうです",
"じゃあ、なにしろその雑司ヶ谷というのへ行って見ようじゃあねえか。飛んでもねえものに突き当るかも知れねえ"
],
[
"屋敷の奴が殺ったんじゃあるめえな",
"そうでしょうか",
"これだけの広い屋敷だ。おまけに近所に遠い一軒家も同様だ。妾をやっつける気があるなら、屋敷の中でやっつけるか、帰る途中をやっつけるか、何もわざわざ当人の家まで押し掛けて行くには及ばねえ。誰が考えてもそうじゃねえか"
],
[
"親分、なかなか御参詣があるねえ",
"花どきだ。おれたちのような浮気参りもあるんだろう。折角来たもんだ。よく拝んでいけ"
],
[
"じゃあ、もう少し深入りして訊きてえことがあるんだが、師匠はどうせここへはいるつもりなんだろうから、おれ達も附き合ってもう一度引っ返そうじゃあねえか",
"でも、それじゃあんまりお気の毒ですから",
"なに、構わねえ。さあ、おれが案内者になるぜ"
],
[
"おい、師匠。野暮に堅くなっているじゃあねえか。さっきからの口ぶりで大抵判っているが、おめえは行く行くその古着屋の店へ坐り込んで、一緒に物尺をいじくる積りでいるんだろう。ねえ、年が若くって、男が悪くなくって、正直でよく稼ぐ男を、亭主にもって不足はねえ筈だ。まあ、そうじゃあねえか。おめえは芸人、相手は町人、なにも御家の御法度を破ったという訳でもねえから、そんなに怖がって隠すこともあるめえ。いよいよという時にゃあ、俺だって馴染み甲斐に魚っ子の一尾も持ってお祝いに行こうと思っているんだ。惚気がまじっても構わねえ、万事正直に云って貰おうじゃねえか。おらあ黙って聞き手になるから",
"どうも相済みません"
],
[
"どうもお構い申しませんで、済みません",
"なに、少しお前に訊きたいことがある。もとは市ヶ谷の質屋の番頭さんをしていた千ちゃんという人が、時々ここへ遊びに来やあしねえかね",
"はあ。お出でになります",
"月に二、三度は来るだろう",
"よく御存じでございますね"
],
[
"はあ、たしかにそうでございましたよ",
"いや、ありがとう。姐さん、いずれまたお礼に来るぜ"
],
[
"御苦労さまでございます。なにか御用でございますか",
"この裏の娘の家には、その後なんにも変ったことはありませんかね",
"けさほども長五郎親分が見えましたので、ちょっとお話をいたして置きましたが……"
],
[
"親分も首をかしげていましたが、自滅じゃあどうも仕方がないと……",
"そうさ。自滅じゃあ詮議にもならねえ"
],
[
"妹はどうしたね",
"あの、きょうも御参詣にまいりました"
],
[
"ほんとうにそうでございますね。親分さんにお願い申して置けば、それでもう安心なんでございますけれど……",
"冗談じゃねえ。ほんとうにたよりが判ったんだ。それを教えてやろうと思って、わざわざ下町からのぼって来たんだぜ。師匠、だれもほかにいやあしめえね"
],
[
"ほんとうも嘘もねえ。真剣に死ぬ気だったんだろう。だが、女の死ぬのを見ると、男は薄情なものさ。急に気が変って逃げ出して、それから何処かに隠れてしまったんだ。死んだ女は好い面の皮で、さぞ怨んでいるだろうよ",
"二人が心中だという確かな証拠があるんでしょうか",
"女の書置が見付かったから間違いもあるめえ"
],
[
"その女と心中までする位じゃあ、つまり私は欺されていたんですね",
"師匠にゃあ気の毒だが、煎じつめると、まあそんな理窟にもなるようだね",
"あたしはなぜこんなに馬鹿なんでしょうね"
],
[
"それで、千さんの居どこが判ったらどうなるんでしょう",
"相手が死んだ以上は無事に済むわけのものでねえ",
"親分が見つけたら捉まえますか",
"いやな役だが仕方がねえ",
"じゃあ、すぐに捉まえてください"
],
[
"お前はあのおみよという女と心中したんだろう。女はおめえが絞めたのか",
"親分、それは違います。おみよはわたくしが殺したのじゃございません",
"嘘をつけ。女をだますのとは訳が違うぞ。天下の御用聞きの前で嘘八百をならべ立てると、飛んでもねえことになるぞ。人を見て物をいえ。現におみよの書置があるじゃあねえか"
],
[
"正直に申し上げます",
"むむ。早く申し立てろ"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(一)」光文社文庫、光文社
1985(昭和60)年11月20日初版1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:菅野朋子
1999年6月11日公開
2012年6月12日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "001004",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
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"副題読み": "08 おびとりのいけ",
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"公開日": "1999-06-11T00:00:00",
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"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
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"生年月日": "1872-11-15",
"没年月日": "1939-03-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "時代推理小説 半七捕物帳(一)",
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} |
[
[
"それじゃああたしが困るんだからさ。按摩さんはほかにも大勢あるけれども、花魁はお前さんが御贔屓で、ほかの人じゃあいけないと云うんだから、素直に来てくれないと、あたしが全く困るんだよ",
"御贔屓にして下さるのはまことにありがたいことで、いつもお礼を申しているのでございますが、きょうは何分にも前々からのお約束がありますので……",
"嘘をおつきよ、お前さんは此の頃毎日そんなことを云っているんだもの。花魁だってあたしだって本当に思うかね。ぐずぐず云ってないで早く来ておくれよ。焦れったい人だねえ",
"でも、いけませんよ。まったくきょうばかりは堪忍して下さい"
],
[
"おい、按摩さん。徳寿さん",
"はい、はい"
],
[
"徳寿さん。寒いね。べらぼうに降るじゃあねえか。おまえにゃあ廓で二、三度厄介になったことがあったっけ。それ、このあいだも近江屋の二階でよ",
"はあ、左様でございましたか。年を取りますと、だんだんに勘がわるくなりまして、御贔屓様に毎々失礼をいたして相済みません。旦那もこれから廓へお出かけでございますか。こういう晩にお通いもまたお楽しみなものでございます。わが物と思えば軽し傘の雪とか申しましてね。ははははは"
],
[
"なにしろ悪く寒いね",
"この二、三日は冴え返りました",
"これから田圃を突っ切るのは楽じゃあねえ。どうだい、あすこで蕎麦の一杯も啜り込んで威勢をつけて行こうじゃねえか。おまえも附き合わねえか。廓へはいるのはまだちっと早かろう",
"はい、はい、どうも御馳走さまでございます。わたくしは下戸でございますけれど、御酒を召しあがるお方は一杯あがらなければ、この田圃はちっと骨が折れます。はい、はい、ありがとうございます"
],
[
"徳寿さん。おまえが今あすこで立ち話をしていたのは何処の寮だえ",
"旦那はあの辺においでなさいましたか。ちっとも存じませんで。はははは。いえ、あすこは廓の辰伊勢という家の寮でございますよ",
"先方じゃあ頻りに呼び込もうとするのを、おまえは無暗に逃げていたじゃあねえか。廓の寮ならば好いお得意様だ",
"ところが、旦那。どうもあすこは工合が悪いんでしてね。いえ、別に代をくれないの何のという訳じゃないんですが、なんですかこう、気味の悪いような家でしてね"
],
[
"わたくしにも判りません。ただ何となしに襟もとから水を浴びせられたように、からだ中がぞっとするんです。眼が見えませんからなんにも判りませんけれど、なにかこう、おかしなものが傍にでも坐っているような工合で……。まったく変でございますよ",
"一体あの寮には誰が来ているんだね",
"誰袖さんという花魁でございます。二十一二の勤め盛りで、凄いような美い女だそうでございますが、去年の霜月頃から用事をつけて、あの寮へ出養生に来ているんでございますよ",
"暮から春へかけて店を引いているようじゃあ、よっぽど悪いんだろうね"
],
[
"それを調べてくれと云うんだ。実は少しおれの腑に落ちねえことがあるから……。つまりあの女には情夫でもあるか、なにか人から恨みでも受けているようなことでもあるか。それから如才もあるめえが、その辰伊勢という店の内幕も一と通りは調べあげてくれ",
"わかりました。二、三日中にはみんな調べあげてまいります"
],
[
"親分。申し訳がありません。実は小せえ餓鬼が麻疹をやったもんですから",
"そりゃあいけねえな。軽く済みそうか"
],
[
"おきんというんだそうです。親分も何かお考えがありますか",
"まだ確かなことは云えねえが、少し胸に浮かんだことがある。まあ無駄足だと思って、その金杉へ行ってみようよ。おまえも御苦労だが、一緒に来てくれ",
"ようがす"
],
[
"よいお天気になりまして結構でございます。旦那様、今日はどちらへ……",
"丁度いい所でおまえに逢った。お前もこの近所だそうだが、ここらにおきんという辻占売りの家はねえかしら",
"へえ。おきんはわたくしの近所におりましたが、昨年の暮から何処へか行ってしまいましたよ",
"本人はいなくっても、親か兄妹があるだろう。ひとり者じゃあるめえ"
],
[
"あの辰伊勢の寮にいる誰袖という女も、やっぱり金杉の近所の者だというじゃあねえか。お前、知らねえか",
"存じて居ります。誰袖さんの花魁も金杉の生まれで、やっぱりおきんの近所で育ったんだそうですが、両親ともにもう死に絶えてしまいまして、これも跡方はございませんよ"
],
[
"その文使いをする相手は誰だ",
"それは辰伊勢の若旦那でございます"
],
[
"あすこの店で此の頃に死んだ女でもあるかえ",
"そんな話は聞きません。大地震の時には大勢死んだそうですが、その後は一人も無いようです。なにしろ、先の旦那と違って、おかみさんも若旦那も善い人ですから、抱えの妓どもをいじめたという噂も無し、心中した妓もないようです",
"よし、判った。きょうのことは誰にも云っちゃあならねえぜ"
],
[
"なるほど、寅松という野郎は変ですね",
"むむ。どうしても野郎を引き挙げなけりゃあいけねえ。博奕を打つというから友達もあるだろう。おめえ、なんとか工夫してそいつの居どこを突き留めてくれ",
"ええ、なんとかなりましょう",
"頼んだぜ"
],
[
"路のわるいのに気の毒だが、このあいだのところまで来てくれねえか。おれが手を引いてやるから",
"なに、大丈夫でございます"
],
[
"お時という女の家はどこだえ",
"本所だとかいうことですが、わたくしもよく存じません",
"そうか。路の悪いのにわざわざ呼び出して済まなかった。これも御用だ。堪忍してくんねえ"
],
[
"おかみさん。今出て行った女は辰伊勢の寮のお時さんというんだろう",
"左様でございます",
"連れの男は誰だえ",
"あれは寅さんという人でございます"
],
[
"その誰袖という女は人殺しをしているんです。辻占売りのおきんという娘を殺したのは誰袖の仕業なんです。なぜそんなことをしたかと云うと、前にもお話し申した通り、誰袖は主人の伜の永太郎と深い仲になって、証文を踏み倒すの何のという魂胆でなく、男にほんとうに惚れ抜いていたんです。すると、どうしたはずみか、その永太郎が辻占売りの評判娘と関係が出来てしまったので、誰袖はそれを聞いてひどく口惜しがって……。ああいう商売の女のやきもちは人一倍で、そりゃあ実におそろしいもんですからね。ふだんから仲好しの仲働きに云い付けて、おきんが廓から夜遅く帰って来るところを、無理に寮のなかへ呼び込んで、さんざん怨みを云った上で、まあひどいことをするじゃありませんか。打ったり抓ったりした揚句に、自分の細紐でおきんをとうとう絞め殺してしまったんです。まさかにそんなことにはなるまいと思っていたので、仲働きのお時も一時はびっくりしたんですが、こいつがなかなかしっかり者で、しかもおきんの兄貴の寅松という遊び人と、とうから情交があったんです",
"不思議な因縁ですね",
"そういうわけで、おきんも前からお時を識っているので、ついうかうかと辰伊勢の寮へ引っ張り込まれて飛んだ災難に逢うことになったのでしょう。そこで、お時はすぐに兄貴の寅松を呼んで来て、なにもかも打ち明けて後の始末を相談すると、寅松もびっくりしたんですが、こいつも根が悪い奴ですから、自分の情婦の頼みといい、内分にすれば纒まった金がふところにはいると聞いて、妹のかたきを取ろうという料簡も無しに素直に承知してしまったんです。そして寮の床下を深く掘って、おきんの死骸をそっと埋めて、みんなが素知らん顔をしていたんです。何でもその口止めに差当り百両の金をお時の手から寅松に渡したということです"
],
[
"お時は素直に出て行かなかったんですか",
"そりゃあ素直に動きませんや。永太郎と誰袖の急所を掴んでいるんですもの、ここで少なくも二百と三百と纒まった金を貰わなければ、おとなしく出て行くわけにはゆかないと云って、しきりに二人をおどかしていたんですが、永太郎も部屋住みの身の上で、とてもそんな金が出来る筈はなし、誰袖もこれまでに度々お時に強請られているんですから、身の皮を剥いでも工面は付かず、二人ともに弱り抜いているうちに、なんにも知らない辰伊勢のおふくろが無暗に引き合いを怖がって、一日も早くお時に暇を出そうとする。お時は情夫の寅松を加勢に頼んで、自分たちの云い条を素直に肯いてくれなければ、おきん殺しの一条を恐れながらと訴え出ると、蔭へまわって永太郎と誰袖とを脅迫している。もうどうにもこうにもしようがなくなって、誰袖は永太郎と一緒に死のうと覚悟を決めた。それをお時が薄々感付いたので、二人を心中させては玉無しになるから、その前に寅松に意地をつけて、いよいよ辰伊勢の帳場へ坐り込ませようというところを、わたくしにみんな引き揚げられてしまったんです。誰袖は所詮助からない命ですから、いっそ心中した方がましだったかも知れませんが、永太郎はまさかに死罪にもなりますまいから、もう一と足のところで可哀そうなことをしました"
],
[
"すると、その徳寿とかいう按摩はなんにも知らなかったんですね",
"徳寿という奴は正直者で、誰袖の文使いをしたほかには、全くなんにも知らなかったようです",
"その徳寿が辰伊勢の寮へ行くことを、なぜそんなにいやがったんでしょう。誰袖のそばには何か坐っているなんて、めくらの癖にどうして感付いたんでしょう",
"さあ、それは判りませんね。そういうむずかしい理窟はあなた方のほうがよくご存じでしょう。辰伊勢の寮の床下にはおきんの死骸が埋まっていたんです"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(一)」光文社文庫、光文社
1985(昭和60)年11月20日初版1刷発行
入力:tat_suki
校正:おのしげひこ
1999年6月27日公開
2012年6月12日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "000966",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
"ソート用読み": "はんしちとりものちよう",
"副題": "09 春の雪解",
"副題読み": "09 はるのゆきどけ",
"原題": "",
"初出": "",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "1999-06-27T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
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"人物ID": "000082",
"姓": "岡本",
"名": "綺堂",
"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1872-11-15",
"没年月日": "1939-03-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "「時代推理小説 半七捕物帳(一)」",
"底本出版社名1": "光文社時代小説文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "1985(昭和60)年11月20日",
"入力に使用した版1": "",
"校正に使用した版1": "1986(昭和61)年12月1日第5刷",
"底本の親本名1": "",
"底本の親本出版社名1": "",
"底本の親本初版発行年1": "",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
"入力に使用した版2": "",
"校正に使用した版2": "",
"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "tatsuki",
"校正者": "おのしげひこ",
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"テキストファイル最終更新日": "2012-07-07T00:00:00",
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"テキストファイル修正回数": "3",
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"XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2012-07-07T00:00:00",
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"XHTML/HTMLファイル修正回数": "2"
} |
[
[
"やあ、これは……。お花見ですかい",
"別になんということもないので……、天気がいいから唯ぶらぶら出て来たんです",
"そうですか。わたくしは橋場までお寺まいりに……。毎月一遍ずつは顔を見せに行ってやらないと、土の下で婆さんが寂しがります。これでも生きているうちは随分仲がよかったんですからね。はははははは。ところで、あんたはお午飯は",
"もう済みました",
"それじゃあどうです。別に御用がなければ、これから向島の方角へぶらぶら出かけちゃあ……。わたくしは腹こなしにちっと歩こうかと思っているところなんですが……",
"結構です。お供しましょう"
],
[
"へえ、小山の旦那からもお話がございましたから、何とか一と働きいたしたいと存じて居りますが……。そこでその死骸というのは何処にございます。寺の方へでももうお預けになりましたか",
"いや、夕刻までは手前の長屋に置いてある、一応見てください"
],
[
"久しく砂村のお稲荷様へ参詣しねえから、ふいと思い立ったのよ。きょうは仕事も半ちくだから、急に御信心がきざしたんだ。迷惑でなければ一緒に来てくれ",
"ようがす。わっしもどうでひまな人足なんですから、どこへでもお供しますよ"
],
[
"まんざらないこともなかったが、あんまり雲を掴むような話で、おめえに笑われるのも業腹だから実は今まで黙っていたが、おめえをここまで引っ張り出したのは、もしやという心頼みがちっとはあったんだ",
"それにしても、こっちの方角とはどうして見当を付けなすった"
],
[
"ほんとうに河獺なんぞが出ては困りますね",
"あいつは全く悪いいたずらをしますからね"
],
[
"なに、この御近所までまいったものです",
"お宅は……",
"下谷でございます",
"傘をそんなに破かれてはお困りでしょう",
"吾妻橋を渡りましたら駕籠がありましょう。いや、これはどうもいろいろ御厄介になりました"
],
[
"一体ゆうべは何処へなにしに行きなすったんだ",
"中の郷元町の御旗本大月権太夫様のお屋敷へ伜の名代として罷り出まして、先ごろ納めましたるお道具の代金五十両を頂戴いたしてまいりました",
"元町へ行った帰りなら源森橋の方へかかりそうなもんだが、どこか路寄りでもしなすったか",
"はい。まことに面目もない次第でございますが、中の郷瓦町のお元と申す女のところへ立ち寄りましてございます",
"そのお元というのはお前さんが世話でもしていなさるのかえ",
"左様でございます"
],
[
"そのお元というのは幾歳ですね",
"十九になりまして、母と二人暮らしでございます",
"従弟の政吉というのは……",
"二十一二でございましょうか。お元の家へしげしげ出入りしているようでございますが、わたくしはゆうべ初めて逢いましたので、身許なぞもよく存じません"
],
[
"はい",
"よっぽど長くいましたか"
],
[
"家へあがらずに帰りましたかえ。いつもそうですか",
"いいえ",
"ゆうべは政吉さんという人が来ていましたが、あの人はおまえさんの従弟ですか"
],
[
"もう一度きくが、たしかになんにも知らねえか",
"存じません",
"よし、どこまでも隠し立てをするなら仕方がねえ、ここで調べられねえから一緒に来い"
],
[
"実はその政吉はわたくしの甥で、瓦職人をいたして居ります。この娘と行くゆくは一緒にするという約束もございましたが、いろいろの都合がありまして、娘も唯今では他人さまのお世話になって居りますような訳でございます。その政吉が昨晩たずねてまいりまして、娘やわたくしと火鉢の前で話して居りまして……。実のところ、下谷の旦那はなかなか吝っていらっしゃる方で、月々の極めた物のほかには一文も余計に下さらないもんですから、この寒空にむかってほんとうに困ってしまうと、娘やわたくしが愚痴をこぼして居りますところへ、丁度に旦那がおいでになりまして、外で其の話をお聴きになったのですか、それとも政吉がいたのを妙にお取りになったものですか、門口で少しばかり口を利いてすぐに出て行っておしまいなさいました。どの道、御機嫌が悪かったようでございましたから、もし万一これぎりになっては大変だと、わたくしがあとで心配して居りますと、政吉も共々に心配いたしまして、自分のことをおかしく思ってのお腹立ちならばまことに迷惑だから、無理にも旦那をよび戻して来て、よくその訳をお話し申すと云って、わたくしが止めるのを肯かずに、提灯を持って出てまいりました",
"むむ、よく判った。それからどうした"
],
[
"わたしはお前さんの店の者に聞いて知っているが、おまえさんは顔や首にはそれほどの怪我をしながら、家へ帰って来た時には血も大抵止まっていたというが、どこで血止めの手当てをして来なっすたえ",
"浅草へまいりましてから、駕籠屋にたのんで水を汲んで来て貰いました",
"駕籠屋にも頼んだかも知らねえが、荒物屋でも水を汲んで貰やあしませんでしたか"
],
[
"なぜそれを隠しなさる。それが私に判らねえ。あの近所で夜遅くまで起きているのは荒物屋だから、わたしはきのうあすこへ行って何か心当りのことはなかったかと訊くと、はじめはあいまいなことを云っていたが、しまいにはとうとう白状して、かみさんがお前さんに一朱もらったことまで話しましたよ。その一朱は財布に入れてあったんじゃありませんか",
"それは紙入れに入れてありましたのでございます。財布は紐をつけて頸にかけて居りました",
"そうですか。そこで今云う通り、なぜ荒物屋の夫婦に口止めをしなすったんだ",
"そんなことが世間にきこえましては外聞が悪いとも存じまして……。しかし財布まで紛失いたしましては、もう内分にも相成りませぬので、お上にお手数をかけて恐れ入ります"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(一)」光文社文庫、光文社
1985(昭和60)年11月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:菅野朋子
1999年6月21日公開
2012年6月12日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "000970",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
"ソート用読み": "はんしちとりものちよう",
"副題": "10 広重と河獺",
"副題読み": "10 ひろしげとかわうそ",
"原題": "",
"初出": "",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "1999-06-21T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
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"人物ID": "000082",
"姓": "岡本",
"名": "綺堂",
"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1872-11-15",
"没年月日": "1939-03-01",
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"底本名1": "時代推理小説 半七捕物帳(一)",
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"底本の親本初版発行年2": "",
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} |
[
[
"御子息様には御兄弟がございませんか",
"ひと粒だねの相続人、それゆえに主人は勿論、われわれ一同もなおなお心配いたして居る次第、お察しください"
],
[
"お前、この杉野様の部屋へも出入りをするんだろう",
"いいえ。あたし、あのお屋敷へは一度も行ったことはありませんよ"
],
[
"神隠しとでも云うんじゃございますまいか",
"さあ、そんなことが無いとも限らない",
"そういうことだと、とても手の着けようもありませんが、ほかにはなんにも心当りはないんでしょうか",
"なんにもありません"
],
[
"これからどちらへ……",
"どこという的もないが、ともかくも江戸じゅうを毎日歩いて、一日も早く探し出したいと思っているので……。お前さんにも何分たのみます",
"承知いたしました"
],
[
"まあまあ、堪忍してやるさ。そう云っちゃあ何だけれど、一年三両の給金取りが一両、二両の工面をすると云うのは大抵のことじゃあねえ。お前さんも可愛い男のことだ。そこを察してやらにゃあ邪慳だ",
"だって、又さんの話じゃあ、なんでも近いうちに纏まったお金がふところへはいると云うんですもの、こっちだって的にしようじゃありませんか。それとも嘘ですかしら",
"そう訊かれても返事に困るが、あの男のことだから丸っきりの嘘でもあるめえ。まあ、もう少し待ってやることさ"
],
[
"少しだが、これで蕎麦でも食ってくんねえ",
"おや、済みません。どうも有難うございます"
],
[
"山崎さん。たった二歩じゃあしょうがねえ。なんとか助けておくんなせえ",
"それが鐙踏ん張り精いっぱいというところだ。一体このあいだの五両はどうした",
"火消し屋敷へ行ってみんな取られてしまいましたよ",
"博奕は止せよ。路端の竹の子で、身の皮を剥かれるばかりだ。馬鹿野郎",
"いやもう、一言もありません。叱られながらこんなことを云っちゃあ何ですが、お前さんも御承知のお安の阿魔、あいつにこの間から春着をねだられているんで、わっしも男だ、なんとか工面してやらなけりゃあ"
],
[
"だから、その、なんとか片棒かついでお貰い申したいので……",
"ありがたい役だな。おれはまあ御免だ。おれだって知行取りじゃあねえ。物前に人の面倒を見ていられるもんか",
"お前さんにどうにかしてくれと云うんじゃあねえ。お前さんから奥様にお願い申して……",
"奥様にだってたびたび云われるものか、このあいだの一件は十両で仕切られているんだ。それを貴様と俺とが山分けにしたんだから、もう云い分はねえ筈だ"
],
[
"なに、屋敷の中にいる。それは又どういう訳だ",
"お屋敷の中小姓に山崎平助という人がございましょう。このあいだの朝、若殿様のお供をして行った人です。その人はお屋敷のお長屋に住まっている筈ですが……"
],
[
"なぜ又、若殿をそんなところに隠して置くんだろう。一体、誰がそんなことを考えたんだろう",
"それは奥様のお指図のように聞いています"
],
[
"山崎の方は無事に勤めていたんですか",
"それがね。なんでも一年ばかり経ってから、主人に手討ちにされたということです",
"神隠しの秘密が露顕したんですか"
],
[
"そうすると、朝顔は息子より阿母さんに祟った訳ですかね",
"そうかも知れません。その屋敷は維新後まで残っていましたが、いつの間にか取り毀されてしまって、今じゃ細かい貸家がたくさん建っています"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(一)」光文社文庫、光文社
1985(昭和60)年11月20日初版1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:曽我部真弓
1999年8月28日公開
2012年6月12日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "000959",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
"ソート用読み": "はんしちとりものちよう",
"副題": "11 朝顔屋敷",
"副題読み": "11 あさがおやしき",
"原題": "",
"初出": "",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "1999-08-28T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/card959.html",
"人物ID": "000082",
"姓": "岡本",
"名": "綺堂",
"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1872-11-15",
"没年月日": "1939-03-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "時代推理小説 半七捕物帳(一)",
"底本出版社名1": "光文社時代小説文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "1985(昭和60)年11月20日",
"入力に使用した版1": "",
"校正に使用した版1": "1986(昭和61)年12月1日第5刷",
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"底本の親本出版社名1": "",
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"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
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"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "tatsuki",
"校正者": "曽我部真弓",
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"XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/959_14988.html",
"XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2012-06-12T00:00:00",
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"XHTML/HTMLファイル修正回数": "1"
} |
[
[
"そうでしょうね。昔からいろいろの話は伝わっていますが、誰もほんとうに見たという者はないんでしょうね。けれども、わたしはたった一度、変なことに出っくわしましたよ。なに、これもわたしが直接に見たという訳じゃないんですけれど、どうも嘘じゃないらしいんです。なにしろ其の猫騒動のために人間が二人死んだんですからね。考えてみると、恐ろしいこってす",
"猫に啖い殺されたのですか",
"いや、啖い殺されたというわけでもないんです。それが実に変なお話でね、まあ、聴いてください"
],
[
"隣りの猫はいつの間にか帰って来たんですよ。夜なかに啼く声が聞えましたもの",
"ほんとうかしら"
],
[
"やあ、おまえさんもお見送りですか",
"御苦労さまです"
],
[
"親分、どうです。変じゃありませんかね",
"むむ、ちっと変だな。だが、てめえの挙げて来るのに碌なことはねえ。この正月にもてめえの家の二階へ来る客の一件で飛んでもねえ汗をかかせられたからな。うっかり油断はできねえ。まあ、もうちっと掘くってから俺のとこへ持って来い。猫婆だって生きている人間だ。いつ頓死をしねえとも限らねえ",
"ようがす、わっしも今度は真剣になって、この正月の埋め合わせをします",
"まあ、うまくやって見てくれ"
],
[
"実はゆうべの一件で来たんだが、なるほど考えてみるとちっとおかしいな",
"おかしいでしょう",
"そこで、おめえは何か睨んだことでもあるのか"
],
[
"猫婆がまったく病気で死んだのなら論はねえが、もしその脳天の傷に何か曰くがあるとすれば、おめえは誰がやったと思う",
"いずれ長屋の奴らでしょう"
],
[
"何分こっちへ越してまいりましたばかりで、御近所の大工さんにだれもお馴染みがないもんですから、熊さんに頼んでこちらへお願いに出ましたので……",
"左様でございましたか。お役には立ちますまいが、この後ともに何分よろしくお願い申します"
],
[
"息子が天秤棒でおふくろをなぐり殺したんだという噂で……",
"まあ"
],
[
"そうです。あの嬶、猫婆の話をしたら少し変な面をしていましたね",
"むむ、大抵判った。お前はもうこれで帰っていい。あとは俺が引き受けるから。なに、おれ一人で大丈夫だ"
],
[
"ふむう。猫婆が猫になった……。それも何か芝居の筋書きじゃあねえか",
"いいえ。これはほんとうで、嘘も詐りも申し上げません。ここの家のおまきさんはまったく猫になったんです。その時にはわたくしもぞっとしました"
],
[
"それがこういう訳なんです。おまきさんの家に猫がたくさん飼ってある時分には、その猫に喰べさせるんだと云って、七之助さんは商売物のお魚を毎日幾尾ずつか残して、家へ帰っていたんです。そのうちに猫はみんな芝浦の海へほうり込まれてしまって、家には一匹もいなくなったんですけれど、おふくろさんはやっぱり今まで通りに魚を持って帰れと云うんだそうです。七之助さんはおとなしいから何でも素直にあいあいと云っていたんですけれど、良人がそれを聞きまして、そんな馬鹿な話はない、家にいもしない猫に高価い魚をたくさん持って来るには及ばないから、もう止した方がいいと七之助さんに意見しました",
"おふくろはその魚をどうしたんだろう",
"それは七之助さんにも判らないんだそうです。なんでも台所の戸棚のなかへ入れて置くと、あしたの朝までにはみんな失なってしまうんだそうで……。どういうわけだか判らないと云って、七之助さんも不思議がっているので、良人が意地をつけて、物は試しだ、魚を持たずに一度帰ってみろ、おふくろがどうするかと……。七之助さんもとうとうその気になったと見えて、このあいだの夕方、神明様の御祭礼の済んだ明くる日の夕方に、わざと盤台を空にして帰って来たんです。わたくしも丁度そのときに買物に行って、帰りに路地の角で逢ったもんですから、七之助さんと一緒に路地へはいって来て、すぐに別れればよかったんですが、きょうは盤台が空になっているからおふくろさんがどうするかと思って、門口に立ってそっと覗いていると、七之助さんは土間にはいって盤台を卸しました。すると、おまきさんが奥から出て来て……。すぐに盤台の方をじろりと見て……おや、きょうはなんにも持って来なかったのかいと、こう云ったときに、おまきさんの顔が……。耳が押っ立って、眼が光って、口が裂けて……。まるで猫のようになってしまったんです"
],
[
"はて、変なことがあるもんだな。それからどうした",
"わたくしもびっくりしてはっと思っていますと、七之助さんはいきなり天秤棒を振りあげて、おふくろさんの脳天を一つ打ったんです。急所をひどく打ったと見えて、おまきさんは声も出さないで土間へ転げ落ちて、もうそれ限りになってしまったようですから、わたくしは又びっくりしました。七之助さんは怖い顔をしてしばらくおふくろさんの死骸を眺めているようでしたが、急にまたうろたえたような風で、台所から出刃庖丁を持ち出して、今度は自分の喉を突こうとするらしいんです。もう打捨っては置かれませんから、わたくしが駈け込んで止めました。そうして訳を訊きますと、七之助さんの眼にもやっぱりおふくろさんの顔が猫に見えたんだそうです。猫がいつの間にかおふくろさんを喰い殺して、おふくろさんに化けているんだろうと思って、親孝行の七之助さんは親のかたきを取るつもりで、夢中ですぐに撲ち殺してしまったんですが、殺して見るとやっぱりほんとうのおふくろさんで、尻尾も出さなければ毛も生えないんです。そうすると、どうしても親殺しですから、七之助さんも覚悟を決めたらしいんです"
],
[
"それでも其のうちに正体をあらわすかと思って、死骸をしばらく見つめていましたが、おまきさんの顔はやっぱり人間の顔で、いつまで経っても猫にならないんです。どうしてあの時に猫のような怖い顔になったのか、どう考えても判りません。死んだ猫の魂がおまきさんに乗憑ったんでしょうかしら。それにしても七之助さんを親殺しにするのはあんまり可哀そうですし、もともと良人が知恵をつけてこんなことになったんですから、わたくしも七之助さんを無理になだめて、あの人がふだんから仲良くしている隣り町の三吉さんのところへ一緒に相談に行ったんですが、隣りは空店ですし、路地を出這入りする時にも好い塩梅に誰にも見付からなかったんです。それから三吉さんがいろいろの知恵を貸してくれて、わたくしだけが一と足先へ帰って、初めて死骸を見つけたように騒ぎ出したんです",
"それでみんな判った。そこできょうおれ達が繋がって来たので、お前はなんだかおかしいぞと感づいて、さっき三吉のところへ相談に行ったんだな。そうして七之助の帰って来るのを待っていて、これも三吉のところへ相談にやったんだな。そうだろう。そこで其の相談はどう決まった。七之助をどこへか逃がすつもりか。いや、おまえに訊いているよりも、すぐに三吉の方へ行こう"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(一)」光文社文庫、光文社
1985(昭和60)年11月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:山本奈津恵
1999年7月24日公開
2012年6月12日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "001001",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
"ソート用読み": "はんしちとりものちよう",
"副題": "12 猫騒動",
"副題読み": "12 ねこそうどう",
"原題": "",
"初出": "",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "1999-07-24T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/card1001.html",
"人物ID": "000082",
"姓": "岡本",
"名": "綺堂",
"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1872-11-15",
"没年月日": "1939-03-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "時代推理小説 半七捕物帳(一)",
"底本出版社名1": "光文社時代小説文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "1985(昭和60)年11月20日",
"入力に使用した版1": "",
"校正に使用した版1": "1986(昭和61)年12月1日第5刷",
"底本の親本名1": "",
"底本の親本出版社名1": "",
"底本の親本初版発行年1": "",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
"入力に使用した版2": "",
"校正に使用した版2": "",
"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "tatsuki",
"校正者": "山本奈津恵",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/1001_ruby_2229.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2012-06-12T00:00:00",
"テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"テキストファイル文字集合": "JIS X 0208",
"テキストファイル修正回数": "5",
"XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/1001_14989.html",
"XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2012-06-12T00:00:00",
"XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
"XHTML/HTMLファイル修正回数": "1"
} |
[
[
"なに、構いませんよ。もともとお祭り見物で、一刻半刻をあらそう用じゃあないんですから、なんだか知らないが伺おうじゃありませんか。おまえさんも忙がしいからだで幾たびも出て来るのは迷惑でしょうから、遠慮なく話してください",
"お差し支えございますまいか"
],
[
"親分さん。手前はとかく口下手で困りますので……。まあ、お聴きください。手前自身のことではございませんので、実は主人の店に少々面倒なことが起りまして……",
"ふむ。お店でどうしました",
"御存じかどうか知りませんが、主人の店に徳次郎という小僧がございます。ことし十六で、近いうちに前髪を取ることになって居ります。それが何だか判らないような病気で、きのう亡くなりましたのでございます",
"やれ、やれ、可哀そうに……。どんな小僧さんだかよく覚えていないが、なにしろ十五や十六で死んじゃ気の毒だ。ところで、それがどうかしたんですかえ"
],
[
"徳次郎が病気になりましたのは、ちょうどお雛様の宵節句の晩からでございまして、ほかの奉公人の話によりますと、夕方から何だか口中が痛むとか申して、夜食も碌々にたべなかったそうでございます。それが夜あけ頃からいよいよ激しく痛み出して、あしたの朝には口中が腫れふさがってしまいました。口をきくことは勿論、湯も粥も薬もなんにも通らなくなりまして、しまいには顔一面が化け物のように赤く腫れあがってしまいました。したがって、熱が出る、唸る、苦しむというわけで、医者も手の着けようがないような始末になりましたので、主人は勿論、手前共もいろいろと心配いたしまして、とうとう宿の方へ下げることに致しましたのでございます。こんな病気になるについては、なにか自分で心あたりがないかと、病中にもたびたび聞きましたが、ただ唸っているばかりで、なんにも申しませんでした。それが宿へ帰ってから、どうしてそんなことを申したのか、少し不思議にも思われますが、なにしろお此さんが殺したなぞとは実に飛んでもないことで……。けさほど宿許から徳蔵がまいりまして、仏の遺言というのを楯に取って、どうも面倒なことを申します",
"その徳蔵というのは親父ですかえ",
"いえ、徳次郎の兄でございます。親父もおふくろもとうに歿しまして、只今では兄の徳蔵……たしか二十五だと聞いております。それが家の方をやっているのでございます。ふだんは正直でおとなしい男ですが、きょうは人間がまるで変ったようでございまして、いくら主人の娘でも無暗に奉公人を殺して済むかというような、ひどい権幕の掛け合いに、主人方でも持て余して居ります。唯今も申し上げる通り、手前の方に居ります時には、ちっとも口の利けなかった病人が、家へ帰ってからどうしてそんなことを云いましたか、どうもそこが胡乱なのでございますが、徳蔵は確かにそう云ったと申します。いわば水かけ論で、こちらではあくまでも知らないと突き放してしまえば、まあそれまでのようなものでございますが、なにぶんにも世間の外聞もございますので、手前共が気を痛めて居ります"
],
[
"番頭さん。一体あのお此さんという子は、なぜいつまでも独りでいるんですね。いい子だけれども、惜しいことにちっと薹が立ってしまいましたね",
"そうでございますよ"
],
[
"三度のたべものは店の方から運ばせますが、ほかに小女を一人やってございます。それはお熊と申しまして、まだ十五の山出しで、いっこうに役にも立ちません",
"隠居さんも、八十一とは随分長命ですね",
"はい。めでたい方でございます。しかし何分にも年でございますから、この頃は耳も眼もうとくなりまして、耳の方はつんぼう同様でございます",
"そうでしょうね"
],
[
"なにしろ困ったことだ。そのままにしても置かれますまいから、まあ何とかしてみましょう。そこで、娘は無論そのことを知っているんでしょうね",
"徳次郎の死んだことは知って居りますが、それについて兄が掛け合いにまいりましたことは、まだ当人の耳へは入れてございません。たとい嘘にもしろ、自分が殺したなぞと云われたことが当人に聞えましては、どうもよくあるまいと存じまして、まだ何も聞かさないように致して居ります",
"判りました。じゃあ、まあその積りでやってみましょう。だが、番頭さん。隠居所の方へは誰か気の利いた者をもう一人やっておく方がようござんすね",
"そうでございましょうか",
"その方が無事でしょうよ"
],
[
"つまりお此さんが確かに小僧を殺したか殺さないかが判ればいいんでしょう。それさえ判れば水かけ論じゃあねえ、こっちが立派に云い開きが出来るんですから、金のことなぞはどうとも話が付くでしょう",
"さようでございます。やっぱり御相談をねがいに出てよろしゅうございました。では、くれぐれもお願い申します"
],
[
"御亭主はお内ですか",
"やどは唯今出ましてございます"
],
[
"おなじみ甲斐にどうもありがとうございました。仏もさぞ喜ぶでございましょう",
"失礼ですが、おまえさんはこちらのおかみさんですかえ"
],
[
"まあ、静かにしろよ",
"だってさ。あんまり口惜しいじゃあないか。こうと知ったら、わたしが行けばよかった",
"まあいいよ。人にきこえる"
],
[
"そこで、つかんことを訊くようですが、お此さんは針仕事をしますかえ",
"はい。針仕事は上手でございまして、それになんにも用がないもんですから、隠居所の方で毎日なにか仕事をして居ります"
],
[
"わたしは知りませんが、裏の隠居所というのは広いんですかえ",
"いえ、それほど広くもございません。女中部屋ともで六間ばかりで、隠居はたいてい奥の四畳半の部屋に閉じ籠っております",
"娘は……針仕事をするんじゃあ明るいところにいるんでしょうね",
"南向きの横六畳で、まえが庭になっております。そこが日あたりがいいもんですから、いつもそこで仕事をしているようでございます",
"店の方から庭づたいに行けますか",
"木戸がありまして、そこから隠居所の庭へはいれるようになって居ります"
],
[
"親分も徳蔵の家を御存じなんですかえ",
"いや、兄貴は知らねえが、弟の方は山城屋さんにいる時から知っているので、きょうは見送りに来たのさ。なにしろ若けえのに可哀そうなことをしたよ"
],
[
"番頭さん。済みませんが、少しお話し申したいことがありますから、小僧さんだけを先に帰して、おまえさんはちょいと其処らまで一緒に来て下さいませんか",
"はい、はい"
],
[
"さっきも云う通り、徳次郎の一件はまあ百両で内済になって結構でしたよ",
"そうでございましょうか",
"後日に苦情のないという一札をこっちへ取って置いて、死骸は今夜火葬になってしまえば、もう何もいざこざは残りませんからね。まあ、おお出来と云っていいでしょう。旦那にもよくそう云ってください。そうして、くどいようだが、当分は隠居所の方へ気のきいた者をやって、娘のからだに間違いのないように気をつけるんですね"
],
[
"実は去年の冬でございました。隠居が風邪をひいて半月ばかり臥せっていたことがございます。その看病に手が足りないので、店の方から小僧を一人よこしてくれと云うことでしたから、あの音吉をやりましたところが、あれは横着でいけないというので一日で帰されまして、その代りに徳次郎をやりますと、今度は大層お此さんの気に入りまして、病人の起きるまで隠居所の方に詰め切りでございました。その後もなにか隠居所の方に用があると、いつでも徳次郎をよこせと云うことでしたが、前のことがありますので別に不思議にも思っていませんでした。正月の藪入りの時にも、お此さんから別にいくらか小遣いをやったようでした。それからこの二月の初め頃でございました。夜なかに庭口の雨戸を毎晩ゆすぶる者があるといって、小女のお熊が怖がりますので、店の方でも心配してお此さんに訊いてみますと、それはお熊がなにか寝ぼけたので、そんなことはちっとも無いと堅く云い切りましたから、こちらでも安心してその儘にいたしてしまいましたが、今となってそれやこれやを思いあわせますと、なるほどお前さんの御鑑定が間違いのないところでございましょう。まったく恐れ入りました。手前どもがそばに居りながら、商売にかまけて一向その辺のことに心づきませんで、まことに面目次第もないことでございます。そこで、親分さん。このことは主人にだけは内々で話して置く方がよろしゅうございましょうね",
"旦那にだけは打ち明けて置く方がいいでしょう。又あとのこともありますからね",
"大きに左様でございます。どうもいろいろありがとうございました"
],
[
"親分、知っていますかえ。いや、この体たらくじゃあ、まだ知んなさるめえ。ゆうべ本所で人殺しがありました",
"本所はどこだ。吉良の屋敷じゃあるめえ",
"わるく洒落ちゃあいけねえ。相生町の二丁目の魚屋だ",
"相生町の魚屋……。徳蔵か"
],
[
"むむ。きのう浅草のお祭りへ行って、よく拝んで来たので、三社様が夢枕に立ってお告げがあった。下手人はまだ判らねえか。嬶はどうしている",
"かかあは無事です。きのうの夕方、弟のとむれえを出して、家じゅうががっかりして寝込んでいるところへはいって来て、あつまっている香奠を引っさらって行こうとした奴を、徳蔵が眼をさまして取っ捉まえようとすると、そいつが店にある鰺切りで徳蔵の額と胸とを突いて逃てしまったんだそうです。嬶が泣き声をあげて近所の者を呼んだんですが、もう間にあわねえ。相手は逃げる、徳蔵は死ぬという始末で大騒ぎだから、ともかくも親分の耳に入れて置こうと思ってね",
"そうか。もう検視は済んだろうな。そこで、下手人の当りはあるのか"
],
[
"あいつを何か調べるんですかえ",
"ただその様子を何げなしに見て来りゃあいいんだ。まご付いて気取られるなよ",
"ようがす。すぐに行って来ます",
"しっかり頼むぜ"
],
[
"無論そうです。亭主をけしかけて三百両まき上げさせようとしたのを、徳蔵が百両で折り合って来たもんですから、ひどく口惜しがって毒づいたんですが、もう仕方がありません。まあ泣き寝入りで、いよいよ葬式を出すことになってしまったんです",
"じゃあ、亭主を殺して、その百両を持って伝介と夫婦になるつもりだったんですね"
],
[
"なるほど、それは少し案外でしたね",
"案外でしたよ。それならお留がなぜ亭主を殺したかというと、山城屋から受け取った百両の金が欲しかったからです。亭主のものは女房の物で、どっちがどうでもよさそうなものですが、そこがお留の変ったところで、どうしてもその金を自分の物にしたかったんです。それでも初めからさすがに亭主を殺す料簡はなく、亭主の寝息をうかがってそっと盗み出して、台所の床下へかくして置いて、よそから泥坊がはいったように誤魔化すつもりだったのを、徳蔵に見つけられてしまったんです。それでも女房がすぐにあやまれば、又なんとか無事に納まったんでしょうが、お留は一旦自分の手につかんだ金をどうしても放したくないので、いきなり店にある鰺切り庖丁を持ち出して、半分は夢中で亭主を二カ所も斬ってしまった。いや、実におそろしい奴で、こんな女に出逢ってはたまりません",
"それでもお留は素直に白状したんですね",
"自身番から帰って来たところをつかまえて詮議すると、初めは勿論しらを切っていましたが、蠑螺の殻と金包みとをつきつけられて、一も二もなく恐れ入りました。よそからはいった賊ならば、その金を持って逃げる筈。わざわざ貝殻なんぞへ押し込んで行くわけがありません。おまけに包み紙に残っている指のあとが、お留の指とぴったり合っているんですから、動きが取れません。亭主を殺したどたばた騒ぎで、隣りの足袋屋が起きて来たので、お留は手に持っているその金の隠し場に困って、店の貝殻へあわてて押し込んだのが運の尽きでした。当人の白状によると、徳蔵を殺したあとで一方の伝介と夫婦になる気でもなく、かねて貯えてある六、七両の金とその百両とを持って、故郷の名古屋へ帰って金貸しでもするつもりだったそうです。そうなると、色男の伝介も置き去りを食うわけで、命を取られないのが仕合わせだったかも知れませんよ。お留は無論重罪ですから、引き廻しの上、千住で磔刑にかけられました"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(一)」光文社文庫、光文社
1985(昭和60)年11月20日初版1刷発行
入力:tat_suki
校正:菅野朋子
1999年7月14日公開
2012年6月12日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[
[
"時に親分。わっしは先刻ここの風呂へ行く途中で変な奴に逢いましたよ",
"誰に逢った"
],
[
"親分。なんです",
"なんだか家じゅうがそうぞうしいようだ。火事か、どろぼうか、起きてみろ"
],
[
"ちげえねえ。小森さんの屋敷の七蔵か。てめえ、渡り者のようでもねえ、あんまり世間の義理を知らねえ野郎だ",
"だから今夜はあやまっている。大哥、拝むから助けてくんねえ",
"てめえに拝み倒されるおれじゃあねえ。嫌だ、嫌だ"
],
[
"どうすりゃあお前さんが助かるんだ",
"実は旦那が私を手討ちにして、自分も腹を切るというんで……",
"ふむう"
],
[
"それほど命が惜しけりゃあ仕方がねえ。おめえはこれから逃げてしまえ",
"逃げてもようがすかえ",
"おめえがいなければ旦那を助ける工夫もある。すぐに逃げなせえ。これは少しだが路用の足しだ"
],
[
"御短慮でございます。まずお待ちくださいまし。この七蔵は又引っ返して参ったのでございますか",
"切腹と覚悟いたしたれば、身を浄めようと存じて湯殿へ顔を洗いにまいって、戻ってみれば重々不埒な奴、わたしの寝床の下に手を入れて、胴巻をぬすみ出そうと致しておった。所詮助けられぬとすぐ手討ちにいたした"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(一)」光文社文庫、光文社
1985(昭和60)年11月20日初版1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tat_suki
校正:ごまごま
1999年7月2日公開
2012年6月12日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"姓ローマ字": "Okamoto",
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} |
[
[
"親分。八丁堀の旦那から急に来てくれということですぜ",
"そうか。すぐ帰る"
],
[
"おい、半七。早速だが、また一つ御用を勤めて貰いたいことがある。働いてくれ",
"かしこまりました。して、どんな筋でございますかえ",
"ちっとむずかしい。生き物だ"
],
[
"判らねえか",
"わかりませんね",
"はは、貴様にも似合わねえ。生き物は鷹だ。お鷹だよ"
],
[
"それが重々悪い。遊所場で取り逃がしたのだ",
"宿ですね",
"そうだ。品川の丸屋という女郎屋だ"
],
[
"まあ、なんとか工夫して見ましょう",
"工夫してくれ。光井金之助の叔父も涙をこぼして頼んで行ったのだからな",
"かしこまりました"
],
[
"名主様の家はこの堤をまっすぐに行って、それから右へ曲がって、大きい竹藪のある家ですよ",
"ありがとう。それから……姐さん達は、けさここらへ鷹の降りたという噂を聞かなかったかね"
],
[
"いらっしゃいまし。おあつらえは……",
"そうさなあ"
],
[
"おまえさんは千駄木ですか、それとも雑司ヶ谷ですかえ",
"千駄木の方ですよ"
],
[
"ここらの蕎麦は江戸の人の口には合いますまいよ。わたし達は御用ですからここらへも時々廻って来るので、仕方無しにこんなところへもはいりますが、それでも朝から駈けあるいて、腹が空いている時には、不思議に旨く食えますよ。ははははは",
"そうですね。江戸者は詰まらない贅沢を云っていけませんよ"
],
[
"おまえさんは千駄木だと仰しゃるが、御組ちゅうに光井さんという方がありますかえ",
"光井さんというのはあります。弥左衛門さんに金之助さん、どちらも無事に勤めていますよ。おまえさんは御存じかね"
],
[
"光井さんがどうかしましたか",
"これはここだけのお話ですが、光井さんはけさお鷹を逃がしたので……"
],
[
"それはどこで逃がしたのです",
"品川の丸屋という家の二階で……"
],
[
"はあ、時々あすこの家へ寄りますので、夫婦や娘とも心安くして居ります。娘はお杉といって、この間まで奉公に出ていたのでございますよ",
"もう二十歳ぐらいでしょうね",
"左様だそうです。当人はもう少し奉公していたいと云うのを無理に暇を取らせて、この春から家へ連れて来たのですが、やはり長し短しで良い婿がないそうで、いまだに一人でいるようでございます",
"どこに奉公していたんです",
"雑司ヶ谷の吉見仙三郎という御鷹匠の家にいたのだそうです。そんな訳で、わたしとは特別に心安くしているのですが……",
"その吉見というのは幾つぐらいの人ですね",
"二十三四にもなりましょうか",
"独り身ですかえ",
"組が違うのでよく知りませんが、もう御新造がある筈です。そうです、そうです。御新造様があると、あのお杉が話したことがありました。吉見さんには時々逢うこともありますが、色のあさ黒い、人柄のいい、なかなか如才ない人です。そのかわり随分道楽もするそうですが……"
],
[
"なんでも十七の年から奉公していたとかいうことです",
"雑司ヶ谷の組の人たちも目黒のほうへお鷹馴らしに出て来ますかえ"
],
[
"けさは遅く出て来たものですから、まだ一向に捕れません",
"むむ、三匹でもいいが、そうですね、もう二、三匹捕れませんかえ",
"今はここらにたくさん寄る時分ですから、二羽や三羽はすぐに捕れます",
"じゃあ、済みませんが、そこらへ行って二、三匹さして来てくれませんか。なるべく多い方がいい"
],
[
"なるべく多い方がいいんですね",
"と云って、二十匹も三十匹も要るわけじゃありません。まあ、五、六匹か、十匹もあればたくさんだろうと思うんです。そうすると、わたしはもう一度、あの蕎麦屋へ行っていますからね。雀が捕れ次第に引っ返して来てください"
],
[
"そう云って無理にお暇をいただいたのです",
"それでなぜ婿を取らねえ。気に入ったのがねえのか"
],
[
"え、ほんとうに来たろう。隠しちゃあいけねえ",
"いいえ",
"たしかに来ねえか"
],
[
"嘘をついちゃあいけねえぜ。嘘をつくと飛んだことになる。吉見さんは全く来ねえか",
"一度もおいでになりません"
],
[
"おかみさん。そこの蕎麦屋の娘は雑司ヶ谷に奉公していたんだね",
"よく御存じで……。そうでございますよ",
"わたしもあの辺の者だから知っているんだが、あの娘は御鷹匠の吉見さんの御屋敷に奉公していたんだろう"
],
[
"お杉さんの忌がるのを、親たちが無理に下げたのだということでございますよ",
"そうだろう。御新造は病気だし、旦那が暇をくれる筈はないんだから"
],
[
"あすこの家へ来るのかえ",
"いいえ、親たちは堅い人ですから、そんなことは出来ません。この先の辰さんの家で、ほほほほほ"
],
[
"ここで逃がさないように巧く洗えますかえ",
"そりゃ洗えないことはありませんよ",
"そうですか。だが、まあ、その儘にして出かけましょう",
"これから何処へまいります",
"すぐそこの料理屋へ行くんです"
],
[
"鳥の羽ですね",
"どうも鷹の羽らしい。もし、おまえさん。これは鷹でしょうね"
],
[
"さあ、辰蔵。正直に云え。貴様はけさあの銀杏に降りた鷹を捕ったろう",
"御冗談を……。そんなことは知りません",
"知らねえものか。もう一つ、貴様に調べることがある。貴様の家へゆうべ雑司ヶ谷の鷹匠が泊ったろう",
"そ、そんなことはありません"
],
[
"まだ強情を張るか。貴様も大抵知っているだろうが、鷹を取れば死罪だぞ。貴様の首が飛ぶんだぞ。しかしこっちにも訳があるから、素直にその鷹を出してわたせば、今度だけは内分に済ましてやる。それとも俺と一緒に郡代屋敷へ行くか、どっちでも貴様の好きな方にしろ",
"でも、親分。ここは一軒屋じゃありません。近所にも大勢の人が住んでいます。木の枝が折れていようと、鷹の羽が落ちていようと、何もわたくしと限ったことはございますまい。まったく私はなんにも知らないのでございます",
"理窟をいうな。貴様が手をくだして捕らねえでも、たしかに係り合いに相違ねえ。きょう中に金がきっとはいるというのは、その鷹をどこへか売るつもりだろう。さあ、云え。貴様が捕ったか、それとも吉見が捕ったか"
],
[
"まだ少し趣向がある。出る前にその雀の羽を洗ってくれませんかね",
"承知しました"
],
[
"きっと飛びます",
"これで支度が出来た。さあ、行きましょう"
],
[
"貴様はさっきその鷹を持って来たときに、主人に逢ったんだろうな",
"逢いました",
"その鷹はどうした",
"入れる籠がないとかいうので、ともかくも土蔵のなかへ入れて置くと云っていました",
"むむ、いずれ何処にか隠してあるに相違ねえ。ここの家に土蔵は幾つある",
"五戸前ある筈です"
],
[
"はい、おまえさんですから申し上げますが、実はわたくしには十八になる娘がございますので……",
"十八になる娘……。おまえさんの娘なら美しかろう。それだのに、光井さんは品川なんぞへ泊るから悪い。これもみんな娘の思いだと云ってやるがいいや。ははははは"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(二)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年3月20日初版1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:おのしげひこ
1999年7月19日公開
2004年2月29日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "001018",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
"ソート用読み": "はんしちとりものちよう",
"副題": "15 鷹のゆくえ",
"副題読み": "15 たかのゆくえ",
"原題": "",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "1999-07-19T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/card1018.html",
"人物ID": "000082",
"姓": "岡本",
"名": "綺堂",
"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1872-11-15",
"没年月日": "1939-03-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "時代推理小説 半七捕物帳(二)",
"底本出版社名1": "光文社時代小説文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "1986(昭和61)年3月20日",
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[
[
"あなたの御商売の畑にもずいぶん怪談がありましょうね",
"随分ありますが、わたくし共の方の怪談にはどうもほんとうの怪談が少なくって、しまいへ行くとだんだんに種の割れるのが多くって困りますよ。あなたにはまだ津の国屋のお話はしませんでしたっけね",
"いいえ、伺いません。怪談ですか"
],
[
"はい。赤坂の方へ……",
"赤坂はどこです",
"裏伝馬町というところへ……"
],
[
"おまえさんは裏伝馬町のなんという家を訪ねて行くの",
"津の国屋という酒屋へ……",
"そうして、おまえさんは何処から来たの",
"八王子の方から",
"そう"
],
[
"津の国屋に誰か知っている人でもあるの",
"はい。逢いにいく人があります",
"なんという人",
"お雪さんという娘に……"
],
[
"一度も逢ったことはないの",
"逢ったことはありません。姉さんには逢いましたけれど……"
],
[
"あ、棟梁",
"どうした。ひどく息を切って、何かいたずら者にでも出っ食わしたのかえ"
],
[
"そうさ。友達のところへ行って、将棋をさしていて遅くなっちまったのさ。師匠は一体どっちの方角へ行くんだ。",
"あたしも家へ帰るの。後生だから一緒に行ってくださいな"
],
[
"そうよ。よく判らなかったけれど、色の白い、ちょいといい娘のようでしたよ",
"なんで津の国屋へ行くんだろう",
"お雪さんに逢いに行くんだって……。お雪さんには初めて逢うんだけれど、死んだ姉さんには逢ったことがあるようなことを云っていました"
],
[
"じゃあ、棟梁。おまえさん、あの娘を知っているのかえ",
"むむ。可哀そうに、お雪さんも長いことはあるめえ"
],
[
"出入り場の噂をするようで良くねえが、師匠はおいらから見ると半分も年が違うんだから、なんにも知らねえ筈だ。その娘は自分の名をなんとか云ったかえ",
"いいえ。こっちで訊いても黙っているんです。おかしいじゃありませんか",
"むむ。おかしい。その娘の名はお安というんだろうと思う。八王子の方で死んだ筈だ"
],
[
"そうです、そうですよ。八王子の方から来たと云っていましたよ。じゃあ、あの娘は八王子の方で死んだんですか",
"なんでも井戸へ身を投げて死んだという噂だが、遠いところの事だから確かには判らねえ。身を投げたか首をくくったか、どっちにしても変死には違げえねえんだ"
],
[
"こんなことは津の国屋でも隠しているし、おいら達も知らねえ顔をしているんだが、おめえは今夜その道連れになって来たというから、まんざら係り合いのねえこともねえから",
"あら、棟梁、忌ですよ。あたしなんにも係り合いなんぞありゃしませんよ",
"まあさ。ともかくも其の娘と一緒に来たんだから、まんざら因縁のねえことはねえ。それだから内所でおめえにだけは話して聞かせる。だが、世間には沙汰無しだよ。おいらがこんな事をしゃべったなんていうことが津の国屋へ知れると、出入り場を一軒しくじるような事が出来るかも知れねえから。いいかえ"
],
[
"それだから困る。いっそ其のわけを云って、貰い娘は八王子の里へ戻してしまったらよさそうなものだったが、そうもゆかねえ訳があると見えて、その貰い娘のお安ちゃんが十七になった時に、とうとう追い出してしまった。勿論、ただ追い出すという訳にゃゆかねえ。店へ出入りの屋根屋の職人と情交があるというので、それを廉に追い返してしまったんだ",
"そんなことは嘘なんですか"
],
[
"どっちにしてもお安という娘は死ぬ、その相手だという竹の野郎もつづいて死ぬ。それでまあ市が栄えたいう訳なんだが、ここに一つ不思議なことは、忘れもしねえ今から丁度十年前……。これは師匠も知っているだろうが、津の国屋の実子のお清さんがぶらぶら病いで死んでしまった。そりゃあ老少不定で寿命ずくなら仕方もねえわけだが、その死んだのが丁度十七の年で、先のお安という娘と同い年だ。お安も十七で死んだ。お清も十七で死んだ。こうなるとちっとおかしい。表向きには誰もなんとも云わねえが、先の貰い娘の一件を知っているものは、蔭でいろいろのことを云っている。それにもう一つおかしいのは、あのお清さんの死ぬ前にちょうど今夜のようなことがあったんだ",
"棟梁"
],
[
"きのうの夕方もう六ツ過ぎでしたろう。阿母さんが二階へなにか取りに行くと、階子のうえから二段目のところで足を踏みはずして、まっさかさまに転げ落ちて……。それでもいい塩梅に頭を撲たなかったんですけれど、左の足を少し挫いたようで、すぐにお医者にかかってゆうべから寝ているんです",
"足を挫いたのですか",
"お医者はひどく挫いたんじゃないと云いますけれど、なんだか骨がずきずき痛むと云って、けさもやっぱり横になっているんです。いつもは女中をやるんですけれど、ゆうべに限って自分が二階へあがって行って、どうしたはずみか、そんな粗相をしてしまったんです",
"そりゃほんとうに飛んだ御災難でしたね。いずれお見舞にうかがいますから、どうぞ宜しく"
],
[
"坊主なんぞは兎角そんなことを云いたがるものだ。ここの家に怪我人がつづいたということを何処からか聞き込んで来て、こっちの弱味に付け込んでなにか嚇かして祈祷料でもせしめようとするのだ。今どきそんな古い手を食ってたまるものか。きっと見ろ。あした又やって来て同じようなことを云うから",
"そうですかねえ"
],
[
"ねえ、棟梁。どうかしようはないもんでしょうかね。お安さんの祟りで、津の国屋さんは今に潰れるかも知れませんよ",
"どうも困ったもんだ"
],
[
"へえ。そんなことを誰か云うものがあるんですか。まあ、けしからない。どういうわけでしょうかねえ",
"方々でそんなことを云うもんですから、お父っさんや阿母さんももう知っているんです。阿母さんは忌な顔をして、あたしのこの足ももう癒らないかも知れないと云っているんですよ"
],
[
"お父っさんは隠居するのも、坊さんになるのも、まあ一旦は思い止まったんですけれど、この頃になって又どうしても家には居られないと云い出して、ともかくも広徳寺前のお寺へ当分行っていることになったんです。阿母さんや番頭が今度もいろいろに止めたんですけれど、お父っさんはどうしても肯かないんだから仕方がありません",
"坊さんになるんじゃないんでしょう",
"坊さんになる訳じゃないんですけれど、なにしろ当分はお寺の御厄介になっていて、ほかの坊さん達が暇な時には、御経を教えて貰うことになるんですって。なんと云っても肯かないんだから、阿母さんももうあきらめているようです"
],
[
"はあ、津の国屋さんとは御懇意にしています",
"うけたまわりますと、あの店では女中さんが無くって困っているとか申すことですが……。わたくしは青山に居ります者で、どこへか御奉公に出たいと存じて居りますところへ、そんなお噂をうかがいましたもんですから、わたくしのような者で宜しければ、その津の国屋さんで使って頂きたいと存じまして……。けれども、桂庵の手にかかるのは忌でございますし、津の国屋さんへだしぬけに出ますのも何だか変でございますから、まことに御無理を願って相済みませんが、どうかお師匠さんのお口添えを願いたいと存じまして……",
"ああ、そうですか"
],
[
"だしぬけに出ましてこんなことを申すのですから、定めて胡乱な奴とおぼしめすかも知れませんが、いよいよお使いくださると決まりますれば、身許もくわしく申し上げます。決しておまえさんに御迷惑はかけませんから",
"じゃあ、少しここに待っていてください。ともかくも向うへ行って訊いて来ますから"
],
[
"あら、棟梁。なんぼあたしだって……。もうこのとおり、朝のお稽古を二人も片付けたんですよ。節季師走じゃありませんか",
"そんなに早起きをしているなら知っているのかえ。津の国屋の一件を……"
],
[
"おかみさんと番頭さんが土蔵のなかで首をくくったんだ",
"まあ……",
"全くびっくりするじゃねえか。何ということだ。呆れてしまった"
],
[
"まあ、そうらしい。別に書置らしいものも見当らねえようだが、男と女が一緒に死んでいりゃ先ずお定まりの心中だろうよ",
"だって、あんまり年が違うじゃありませんか",
"そこが思案のほかとでもいうんだろう。出入り場のことを悪く云いたかねえが、あのおかみさんも一体よくねえからね。いつかも話した通り、お安という貰い娘をむごく追い出したのも、おかみさんが旦那に吹っ込んだに相違ねえ。そんなことがやっぱり祟っているのかも知れねえよ。なにしろ津の国屋は大騒ぎさ。二人も一度に死んでいるんだから、内分にも何にもなることじゃあねえ。取りあえず主人を下谷から呼んでくるやら、御検視を受けるやら、家じゅうは引っくり返るような騒動だ。なんと云っても出入り場のことだから、おいらも今朝から手伝いに行ってはいるが、娘と奉公人ばかりじゃあどうすることも出来ねえので弱っている",
"そうでしょうねえ"
],
[
"それで御検視はもう済んだんですか",
"いや、御検視は今来たところだ。そんなところにうろついていると面倒だから、おいらはちょいとはずして来て、御検視の引き揚げた頃に又出かけようと思っているんだ",
"それじゃあ、あたしももう少し後に行きましょう。そんな訳じゃあお悔みというのも変だけれど、まんざら知らない顔も出来ませんからね",
"そりゃあそうさ。まして師匠はあすこの家まで幽霊を案内して来たんだもの"
],
[
"親分さん。お寒うございます",
"ひどく冷えるね。冷えるのも仕方がねえが、また困ったことが出来たぜ",
"そうですってね。もう御検視は済みましたか",
"旦那方は今引き揚げるところだ。就いては師匠、おめえにちっと訊きてえことがあるんだが、後に来るよ",
"はあ、どうぞ、お待ち申しております"
],
[
"さきほどは失礼。きたないところですが、どうぞこちらへ……",
"じゃあ、ちっと邪魔をするぜ"
],
[
"ところで、素人っぽいことを訊くようだが、今度の一件についてなんにも心当りはねえかね。おいらの考えじゃあ、おかみさんと番頭の心中はどうも呑み込めねえ。あれには何か込み入ったわけがあるだろうと思うんだが……。おいらは前から知っているが、あの金兵衛という番頭は白鼠で、そんな不埒を働く人間じゃあねえ。ましておかみさんとは母子ほども年が違っている。たとい一緒に死んだとしても、心中じゃあねえ。何かほかに仔細があるに相違ねえ。今の処じゃあ年の若けえ娘と奉公人ばかりで、何を調べても一向に手応えがねえので困っているんだが、師匠、決しておめえに迷惑はかけねえ。なにか気のついたことがあるんなら教えてくんねえか",
"そうですねえ。親分も御承知でしょう。なんだか津の国屋にいやな噂のあることは……"
],
[
"そうですよ。あたしはよく知りませんけれど、津の国屋にはお安さんとかいう娘の死霊が祟っているとかという噂ですが……",
"娘の死霊……。そりゃあおいらも初耳だ。そうして、その娘はどうしたんだ"
],
[
"いいえ、ほんの寒さしのぎにひと口、なんにもございませんけれど、あがってください",
"じゃあ、折角だから御馳走になろう"
],
[
"あの、お雪さんじゃありませんか",
"あら、お師匠さん。いいところへ……。早く来てください"
],
[
"店の長太郎と勇吉が……",
"長どんと勇どんが……。どうかしたんですか",
"出刃庖丁で……",
"まあ、喧嘩でもしたんですか"
],
[
"はい、見ていました。長太郎が刃物でお雪さんをおどかして、無理にどこへか連れて行こうとするのを見ましたから、空手じゃあいけないと思って、すぐに台所から出刃庖丁を持ち出して行きました。そうして溜池のところで追っ付いたんです",
"よし、判った。だが、まだ一つ判らねえことがある。おめえはそれを見つけたら、なぜほかの者に知らせねえ。自分一人で刃物を持ち出して行くというのはおかしいじゃねえか"
],
[
"どうも仇のように思われてなりませんので……",
"かたき……。むむ、おめえは津の国屋の番頭の親類だということだな",
"はい。金兵衛の縁で津の国屋へ奉公にまいりました"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(二)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年3月20日初版1刷発行
※「文字春はよいよい」を「文字春はいよいよ」に改めるにあたっては、「半七捕物帳 第二輯」新作社、1923(大正12)年7月20日発行、「定本 半七捕物帳 第二巻」早川書房、1956(昭和31)年1月25日発行、「半七捕物帳(一)」青蛙房、1966(昭和41)年3月20日発行を参照しました。
入力:tat_suki
校正:ごまごま
1999年8月2日公開
2007年11月17日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "001020",
"作品名": "半七捕物帳",
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"ソート用読み": "はんしちとりものちよう",
"副題": "16 津の国屋",
"副題読み": "16 つのくにや",
"原題": "",
"初出": "",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"公開日": "1999-08-02T00:00:00",
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"名": "綺堂",
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"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1872-11-15",
"没年月日": "1939-03-01",
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"底本名1": "時代推理小説 半七捕物帳(二)",
"底本出版社名1": "光文社時代小説文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "1986(昭和61)年3月20日",
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} |
[
[
"そうです。屋敷万歳はめいめいの出入り屋敷がきまっていて、ほかの屋敷や町家へは決して立ち入らないことになっていました。幾日か江戸に逗留して、自分の出入り屋敷だけをひと廻りして、そのままずっと帰ってしまうのです。町家を軒別にまわる町万歳は、乞食万歳などと悪口を云ったものでした。そういう訳ですから、万歳だけは山の手の方が上等でした。いや、その万歳について、こんな話を思い出しましたよ",
"どんなお話ですか",
"いや、坐り直してお聴きなさるほどの大事件でもないので……。あれは何年でしたか、文久三年か元治元年、なんでも十二月二十七日の寒い朝、神田橋の御門外、今の鎌倉河岸のところに一人の男が倒れていました。男は二十五六の田舎者らしい風俗で、ふところに女の赤ん坊を抱いていた。それが、このお話の発端です"
],
[
"さあ、手のひらの硬い工合がどうも才蔵じゃねえかと思いますが……",
"むう。おれもそう思わねえでもなかったが、香具師ならば理窟が付く。やあぽんぽんの才蔵じゃあ、どうも平仄が合わねえじゃあねえか"
],
[
"節季師走に気の毒だな。あんまりいい御歳暮でも無さそうだが、鮭の頭でも拾う気でやってくれ",
"かしこまりました"
],
[
"おい、豆腐屋。いいところで面を見た。おめえにすこし助けて貰いてえことがあるんだが……。おめえは鎌倉河岸の行き倒れを知っているか",
"知っています。今おまえさんの家へ行って、姐さんから詳しい話を聴きました。その行き倒れの抱えていた因果者というのが変じゃありませんか",
"それを少し洗って見てえんだ。才蔵が因果者をかかえて行き倒れになっている。どう考えても、変じゃねえか",
"変ですとも……。打っちゃって置くと、よその仲間に飛んだ鼻毛を抜かれますぜ",
"そんなことがねえとも云われねえ"
],
[
"まあ、そうでしょうね。香具師の仲間で猫の児をなくしたとか云って力を落している奴があるそうですが、猫の児じゃしようがありませんからね",
"そうよ、けさのは確かに人間の子だ。猫の児じゃあねえ"
],
[
"そりゃあまだ判らねえ。が、それがどうも気になる。御苦労だがもう一度行って、その猫の児をどうしてなくしたのか。その猫はどういう猫か詳しく訊いて来てくれ",
"ようごぜえます。善八の方からはなんにも云って来ませんかえ",
"あいつの方からは沙汰なしだ。だが、あいつの方はちっと面倒だからすぐには行くめえ。なにしろ頼むよ"
],
[
"親分。この男を連れて来ましたよ。わっしの又聞きで何か間違うといけねえから、その本人を引っ張って来ました",
"そうか。やあ、おまえさん。節季の忙がしいところを御苦労でした。まあ、どうぞ、こっちへはいってください",
"ごめん下さい"
],
[
"ただいま亀さんのお話をうかがいましたら、何かわたくしに御用がありますそうで……",
"なに、用というほどのむずかしいことじゃあねえので……。亀吉はどんなことを云って嚇かしたか知らねえが、実はほんの詰まらねえことで、わざわざ来て貰うほどのことでもなかった。ほかじゃあねえが、おまえさんは此の頃に猫の児をどうかしなすったかえ"
],
[
"そんなことは嘘かえ",
"なにかのお間違いで……。わたくしは一向に存じません"
],
[
"おい、おい。なにを云うんだ。おまえが大事の猫を逃がしたと云って、さんざん愚痴をこぼしていたということは、仲間の者から聞いて知っているんだ。隠しちゃあいけねえ。さもねえと、おれが親分に嘘をついたことになる。よく後先をかんがえて返事をしてくれ",
"でも、わたくしはなんにも知りませんのでございますから"
],
[
"ほんとうに堪忍しておくんなせえ。そのうちに何かで埋め合わせをするから",
"どう致しまして、恐れ入ります。じゃあ、これで御免を蒙ります"
],
[
"あの富さんの家に猫が飼ってありましたか",
"猫ですか。あの猫じゃあ……"
],
[
"どうも済みませんねえ。こんなものをいただいちゃあ……。おまえ、よくお辞儀をおしなさいよ",
"なに、お礼にゃあ及ばねえ。そこでおかみさん、しつこく訊くようだが、その猫がどうしたのかえ。その猫が逃げたんじゃあねえか"
],
[
"誰に殺された",
"それがおかしいんですよ。富さんのいない留守に化け猫と間違って殺されてしまったんですが、そりゃあ無理もありません。あの猫は踊るんですもの",
"それじゃあ商売物だね",
"まあ、そうです。これからだんだん仕込もうというところを、化け猫だと思って殺されてしまったんですよ。富さんも大変に怒りましてね"
],
[
"で、どうだい。隣りの富蔵とおかしいような様子はないかね",
"そりゃあ判りませんね。あの人のことですから"
],
[
"富の野郎はどうしましょう",
"さあ、今のところじゃあしようがねえ。まあ打っちゃって置け"
],
[
"大きに御苦労。その市丸のところへ近ごろ女がたずねて来たらしい様子はねえか",
"来ました、来ました。女中に聞いたら、なんでも小粋な二十五六の女が二、三度たずねて来たそうです。お前さんよく知っていますね"
],
[
"じゃあ、もうようがすかえ",
"もうよかろう"
],
[
"こういうわけだから私ひとりじゃいけねえ。お前さんも早く来ておくんなせえ",
"よし、すぐに行く。なにしろ飛んだことになったものだ"
],
[
"それが判らないんです。あの富さんが焼け死んで……。お津賀さんも……",
"そうですか"
],
[
"ようがすかえ。この稲荷に火をつけますぜ",
"お前さん。とんでもないことを……"
],
[
"なぜ富蔵を殺そうとした",
"わずかの金に差し支えましたのでございます"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(二)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年3月20日初版1刷発行
入力:tat_suki
校正:おのしげひこ
1999年9月11日公開
2004年2月29日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "000997",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
"ソート用読み": "はんしちとりものちよう",
"副題": "17 三河万歳",
"副題読み": "17 みかわまんざい",
"原題": "",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "1999-09-11T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/card997.html",
"人物ID": "000082",
"姓": "岡本",
"名": "綺堂",
"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1872-11-15",
"没年月日": "1939-03-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "時代推理小説 半七捕物帳(二)",
"底本出版社名1": "光文社時代小説文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "1986(昭和61)年3月20日",
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[
[
"まあ、気ちがいでしょうね。昔から髪切り顔切り帯切り、そんなたぐいはいろいろありました。そのなかでも名高いのは槍突きでしたよ",
"槍突き……。槍で人を突くんですか",
"そうです。むやみに突き殺すんです。御承知はありませんか",
"知りません"
],
[
"そうだ、お十夜だ。十手とお縄をあずかっている商売でも、年をとると後生気が出る。お宗旨じゃあねえが、今夜は浅草へでも御参詣に行こうかな",
"それが宜しゅうございます。御法要や御説法があるそうでございますから",
"老婢と話が合うようになっちゃあ、おれももうお仕舞いだな。はははははは"
],
[
"親分、禿岩がまいりました。すぐに通してやりますか",
"むむ。なにか用があるのかしら。まあ、通せ"
],
[
"お早うございます。なんだか急に冬らしくなりましたね",
"もうお十夜だ。冬らしくなる筈だ。寝坊の男が朝っぱらからどうしたんだ"
],
[
"それがおかしい。もし、親分。浅草の勘次と富松という駕籠屋が空駕籠をかついで柳原の堤を通ると、河岸の柳のかげから十七八の小綺麗な娘が出て来て、雷門までのせて行けと云う。こっちも戻りだからすぐに値ができて、その娘を乗せて蔵前の方へいそいで行くと、御厩河岸の渡し場の方から……。まあ、そうだろうと思うんだが、ばたばたと早足に駆け出して来た奴があって、暗やみからだしぬけに駕籠の垂簾へ突っ込んだ。駕籠屋二人はびっくりして駕籠を投げ出してわあっと逃げ出した。が、そのままにもして置かれねえので、半町ほども逃げてから、また立ち停まって、もとのところへ怖々帰って来てみると、駕籠はそのまま往来のまん中に置いてあるので、試しにそっと声をかけると、中じゃあなんにも返事をしねえ。いよいよやられたに相違ねえと、駕籠屋は気味わるそうに垂簾をあげて見ると、中には人間の姿が見えねえ。ねえ、おかしいじゃありませんか。それから提灯の火でよく見ると大きい黒猫が一匹……。胴っ腹を突きぬかれて死んでいるので……",
"黒猫が……。槍に突かれていたのか"
],
[
"すこし変だな。どうして猫と娘とが入れ換わったろう",
"そこが詮議物ですよ。駕籠屋の云うには、どうもその娘は真人間じゃあねえ、ひょっとすると猫が化けたんじゃねえかと……。成程このごろは物騒だというのに、夜鷹じゃあるめえし、若い娘が五ツ過ぎに柳原の堤をうろうろしているというのがおかしい。化け猫が娘の姿をして駕籠屋を一杯食わそうとしたところを、不意に槍突きを食ったもんだから、てめえが正体をあらわしてしまったのかも知れませんね"
],
[
"いいえ、頭巾をかぶっていたそうです",
"そうか。そうして、その娘は駕籠に乗り馴れているらしかったか",
"さあ、そこまでは聞きませんでした。なにしろ真人間じゃあねえらしいから。そこはなんとか巧く誤魔化していたでしょうよ",
"もう一遍きくが、その娘は十七八だと云ったな",
"そうです。そういう話です",
"いや、御苦労。おれもまあ考えてみようよ"
],
[
"勘次さんは毎日商売に出ていますかえ",
"なんだか知りませんけれども、この十日ばかりはちっとも商売に出ないで、おかみさんと毎日喧嘩ばかりしているようです",
"じゃあ、けさも家にいますね"
],
[
"親分。大変です。女がまた殺られています",
"どこだ",
"すぐそこです"
],
[
"わたくしと話しているうちに、もう遠くへ逃げてしまったから駄目だと云ってやめました",
"その猟師には博奕で幾らばかり取られた",
"わたしらの小博奕ですから多寡が四百か五百で、一貫と纏まったことはありません。それでもほかの者から幾らかずつ取っていますから、当人のふところには相当にはいっているかも知れません。不思議に上手なんですから",
"毎晩博奕をうつのか",
"わたしらは毎晩じゃありません。でも作さんは大抵毎晩どこかへ出て行くようです。山の手にも小さい賭場がたくさんあるそうですから、大方そこへ行くんでしょう",
"よし、判った。てめえもいろいろのことを教えてくれた。その御褒美に御慈悲をねがってやるぞ",
"ありがとうございます"
],
[
"親分。申し訳がありません。富の野郎が持病の疝気で、今夜はどうしても動けねえと云うんですが……",
"それでお前ひとりで出て来たのか。正直な男だな。実はこれから本所まで御用で行くんだから、今夜はお前に用はなさそうだが、まあそこまで一緒に附き合ってくれ、途中で又どんな掘出し物がねえとも云えねえ",
"あい。お供します"
],
[
"内田の若先生。あなたも槍突きの御詮議でございますかえ。とんだ御冗談をなさるので、世間じゃあみんな化け猫におびえていますよ",
"ほほほほほほ"
],
[
"御用聞きの七兵衛でございます",
"ははあ、それでは知っている筈だ。親父のところへも二、三度たずねて来たことがあるな",
"へえ。この槍突きの一件で、お父様にも少々おたずね申しに出たことがございました"
],
[
"家へ帰って自慢そうにその話をすると、父からひどく叱られて、なぜそんな悪戯をする、いたずらばかり心掛けているから肝腎の相手を取り逃がすようにもなる。本気になって相手をさがせと厳しく云われたので、その後も怠らずに毎晩出あるいているが、月夜のつづくせいか、この頃はちっとも出逢わないで困っている",
"それは御苦労さまでございます。しかしもう御心配には及びません。その相手という奴は大抵知れました",
"むむ、知れたか"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(二)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年3月20日初版1刷発行
入力:tat_suki
校正:菅野朋子
1999年7月27日公開
2004年2月29日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "001024",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
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"副題": "18 槍突き",
"副題読み": "18 やりつき",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
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[
[
"そら、向島で河童と蛇の捕物の話。あれをきょう是非うかがいたいんです",
"河童……。ああ、なるほど。あなたはどうも覚えがいい。あれはもう去年のことでしたろう。しかも去年の桜どき――とんだ保名の物狂いですね。なにしろ、そう強情におぼえていられちゃあ、とてもかなわない。こうなれば、はい、はい、申し上げます、申し上げます。これじゃあどうも、あなたの方が十手を持っているようですね。はははははは。いや、冗談はおいて話しましょう。御承知の通り、両国の川開きは毎年五月の二十八日ときまっていたんですが、慶応の元年の五月には花火の催しがありませんでした。つまり世の中がそうぞうしくなったせいで、もうその頃から江戸も末になりましたよ"
],
[
"なんにも知らねえ。おめえの家に何かあったのかえ",
"お父っさんがけさ殺されたんですよ"
],
[
"それにしても、姉さんはなぜ止められたんだ。云い取り方が拙かったんだね",
"そうでしょう。止められると聞いたら、姉さんは蒼い顔をして黙っていました",
"姉さんは一体どんなことを調べられた。おめえも一緒に行ったんだから、知っているだろう"
],
[
"情夫の一件かえ",
"いいえ、そうじゃないんです",
"だって、姉さんには米沢町の古着屋の二番息子が付いているんだろう",
"それはそうですけれど、喧嘩の基はそれじゃないんです。家のお父っさんが柳橋を引き払って、沼津とか駿府とか遠いところへ引っ越してしまおうというのを、姉さんが忌だと云って……"
],
[
"それは判らないんですが、ただ無闇にこの土地にいるのは面白くないと云って……。それで姉さんとたびたび喧嘩をしているんです。あたしも中へはいって困ったこともありますが、なぜ引っ越すんだか、その訳が判らないんですもの。良いとも悪いとも云いようがありません",
"おかしいな。すると、その矢先に親父が殺されたんで、姉さんが……。まさかに自分が手をくだしもしめえが、何かそれに係り合いがあるだろうと見込みを付けられたんだね。まあ、無理もねえところだ。おれにしても先ずそんなことを考える。そこで古着屋の二番息子はまだ呼ばれなかったかえ",
"呼びに行ったんでしょう。ですけれど、ゆうべから何処へか行って、まだ帰らないんだそうです",
"あの息子は何とか云ったっけね",
"定さんというんです",
"違げえねえ。定次郎というんだね。その定次郎はゆうべから帰らねえか"
],
[
"おめえのところの親父は刺青をしていたっけね",
"ええ。両方の腕に少しばかり",
"なにが彫ってある",
"若い時の道楽で、こんなものは見得にも自慢にもならないと、なるたけ隠すようにしていましたから、あたし達は能く見たこともないんですが、なんでも左の方は紅葉、右の方には桜が彫ってあったようです",
"背中にはなんにもねえか",
"背中は真っ白でした",
"ちゃんは幾つだっけね",
"たしか五十九だと思っています",
"姉さんは貰い児の筈だが、親父は江戸者じゃあるめえね",
"なんでも信州の方だとかいうことですが、姉さんもよく知らないようです。善光寺様の話を時々にしますから、信州の方にゃあ相違ないと思いますけれど……"
],
[
"親分。柳橋の一件がお耳にはいっていますかえ",
"やっと今聞いたんだ。申し訳がねえ。なにしろ、いい所へ面を持って来てくれた。これから柳橋のお照の家まで行ってくれ",
"ようがす"
],
[
"こりゃあなんだ",
"鍋墨のようですね",
"向う両国に河童は何軒ある"
],
[
"お化けの方はなぜ止したんだ",
"へえ、どうもあの楽屋は風儀が悪うござんして、御法度の慰み事が流行るもんですから……",
"爺さんもあんまり嫌いな方じゃあるめえ。時に、家の幸次郎は見えなかったかね",
"幸さんはお見えになりました。いや、それで楽屋の者も心配して居りますよ",
"河童を連れて行ったのか",
"へえ、すぐに帰すと仰しゃいましたけれど……。河童がなかなか素直に行きませんのを、無理にだまして連れておいでになりました",
"河童は幾つで、なんというんだえ",
"本名は長吉と申しまして、十五でございます",
"どこから拾って来たんだ。親はねえのか",
"なんでもこの一座が四、五年前に信州の善光寺へ乗り込んだ時に連れて来ましたので、お察しの通り両親はございません。おふくろに死なれて路頭に迷っているのを、まあ拾いあげて来ましたようなわけで……。いえ、わたくしは能くは存じませんが、なんでもそんな話でございます",
"親父もないんだね",
"へえ、親父は長吉が生まれると間もなく死にましたそうで"
],
[
"よく御存じで……。高い声では申されませんが、なんでも悪いことをしてお仕置になりましたそうで……",
"ふむう、そうか。そこで此の頃、河童のところへ誰かたずねて来た者はねえか"
],
[
"その六部は何処にいるのか知らねえか",
"なんでも下谷の方にいるということですが、宿の名は存じません"
],
[
"実はそのことで幸次郎さんに大変怒られまして……。なんとも申し訳がございません",
"どうしたんですね"
],
[
"相済みません。店でお化けの話を聴いていたもんですから、ついうっかりして居りました",
"へえ、お化けの話……。そりゃあおめえの親類の話じゃあねえか"
],
[
"御用でございますか",
"いや、ほかじゃあねえが、おまえさんはたった今、堤で何か変なものを見たそうだね。なんですえ",
"なんでございましょうか。わたくしもぞっとしました。相手がお武家ですから好うござんしたが、わたくし共のような臆病な者でしたら、すぐに眼を眩してしまったかも知れません"
],
[
"お武家は河童だろうと仰しゃいました。まあ、こうでございます。わたくしが業平の方までまいりまして、その帰りに水戸様前からもう少しこっちへまいりますと、堤の上は薄暗くなって居りました。わたくしの少し先を一人のお武家さんが歩いておいででございまして、その又すこし先に、十四五ぐらいかと思うような小僧が菅笠をかぶって歩いて居りました",
"その小僧は着物をきていましたかえ",
"暗いのでよく判りませんでしたが、黒っぽいような単衣を着ていたようです。それが雨あがりの路悪の上に着物の裳を引き摺って、跣足でびちょびちょ歩いているので、あとから行くお武家さんが声をかけて……お武家さんは少し酔っていらっしゃるようでした……おい、おい、小僧。なぜそんなだらしのない装をしているんだ。着物の裳をぐいとまくって、威勢よく歩けと、うしろから声をかけましたが、小僧には聞えなかったのか、やはり黙ってびちょびちょ歩いているので、お武家はちっと焦れったくなったと見えまして、三足ばかりつかつかと寄って、おい小僧、こうして歩くんだと云いながら、着物の裳をまくってやりますと……。その小僧のお尻の両方に銀のような二つの眼玉がぴかりと……。わたくしはぎょっとして立ちすくみますと、お武家はすぐにその小僧の襟首を引っ掴んで堤下へほうり出してしまいました。そうして、ははあ、河童だと笑いながらすたすたと行っておしまいなさいました。わたくしは急に怖くなって、急いで家へ逃げて帰ってまいりました"
],
[
"そうして、その化け物はどっちの堤下へ投げられたんですえ",
"川寄りの方でございます",
"なるほど不思議なことがあるもんですね"
],
[
"河童の白状で大抵見当が付きましたから、それからお照の家の近所に毎晩張り込んでいますと、新兵衛の初七日が済んだ明くる晩に、案の定その長平が短刀を呑んで押し込んで来て、どうする積りかお浪を嚇かしているところを、すぐに踏み込んで召捕りました。長平は無論に死罪でしたが、長吉の方はまだ子供でもあり、どこまでも親のかたきを討つつもりでやった仕事ですから、上にも御憐愍の沙汰があって、遠島ということで落着しました。これが作り話だと、娘や芸妓や其の情夫の定次郎の方にもいろいろの疑いがかかって、面白い探偵小説が出来上がるんでしょうが、実録ではそう巧く行きませんよ。ははははは。ただちっとばかりわたくしの味噌をあげれば、はじめから芸妓や情夫の色っぽい方には眼もくれないで、なんでも善人の親父の方に因縁があるらしいと、その方ばかり睨み詰めていたことですよ。腕に入墨がはいっているくらいですから、新兵衛はその前にも悪いことをたくさんやっていたんでしょうが、折角善人に生まれ変ったものを可哀そうなことをしました。河童をほうり出した武士ですか、それはどこの人だか判りません。その人は向島で河童を退治したなどと一生の手柄話にしていたかも知れませんよ。まったくその頃の向島は今とはまるで違っていて、いつかもお話し申した通り、狸も出れば狐も出る、河獺も出る、河童だって出そうな所でしたからね",
"蛇も出たんでしょう",
"蛇……。いや、謎をかけないでもいい。ついでにみんな話しますよ。しかしこの蛇の方の話は少しあいまいなところがあるんですね。まあ、そのつもりで聴いてください。場所は向島の寮で、当世の詞でいえば、その秘密の扉をわたくしが開いたというわけです"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(二)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年3月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:山本奈津恵
1999年8月17日公開
2004年2月29日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "001014",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
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"副題": "19 お照の父",
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"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
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[
[
"はあ、どんなことだか、まあ、伺って見ようじゃありませんか",
"御承知でもございましょうが、あのお徳という女は生麦の在の生まれでございまして、十七の年からわたくしの家へ奉公にまいりまして、足かけ五年無事に勤めて居ります。至って正直なので、家でも目をかけて使って居ります"
],
[
"お徳はさすがに江戸馴れて居りますので、あんまり話の旨いのを不安に思いまして、どうしようかと二の足を踏んで居りますと、妹の方は年が若いのと、この頃の田舎者はなかなか慾張って居りますので、三両の給金というのに眼が眩れて、前後のかんがえも無しに是非そこへやってくれと強請りますので、お徳もとうとう我を折って、当人の云うなり次第に奉公させることになりました。その奉公先は向島の奥のさびしい所だそうでございます。お徳が帰ってきて其の話をしましたので、家では少しおかしく思いましたが、向うが寂しいところで若い奉公人などは辛抱することが出来ないので、よんどころなしに高い給金を払うのだろう位にかんがえて、まずそのままになって居りますと、お通が目見得に行ったぎりで其の後なんの沙汰もないので、姉も心配して相模屋へ問い合わせに行きますと、目見得もとどこおりなく済んで、主人の方でも大変気に入って、すぐに証文をすることになったということで、妹の手紙をとどけてくれました。それは確かにお通の直筆で、目見得が済んで住みつく事になったから安心してくれ。奉公先はある大家の寮で、広い家に五十ぐらいの寮番の老爺とその内儀さんがいるぎりで、少し寂しいとは思うけれども、田舎にくらべれば何でもない。御主人が月に一度ぐらいずつ見廻ってくるから、その時に給仕でもすればいいということで、勤めもたいへんに楽だから自分も喜んでいるというようなことが書いてあったようでございます。お徳もまあそれで安心して、むこうの云う通り、三年以上長年するという証文を入れて帰って来ました",
"その時、妹には逢わなかったんですね",
"はい。本人に逢いませんけれども、たしかに本人の直筆に相違ございませんから、姉も安心して帰ったのでございます。それは正月の末のことで、それから小半年は別になんの沙汰もございませんでしたが、おととい見馴れない男がお徳をたずねてまいりまして、向島から来たと云って妹の手紙を渡して行きましたので、すぐに封を切って見ますと、あすこの家にはどうしても辛抱していられない、辛抱していたら命にかかわるかも知れない、詳しいことはとても手紙には書けないから是非一度逢いに来てくれというようなことが書いてございましたので、妹思いのお徳は半気違いのようになってすぐにも駈け出そうと致します。勿論それも本人の直筆でございますから、嘘はあるまいと存じましたけれど、なんだか不安にも思われますので、その日はもう日が暮れかかっているので止めさせまして、きのうの朝早く店の小僧の亀吉を一緒につけてやりました"
],
[
"まったくこういう時に、一人で出すのは不安心ですからね",
"左様でございます。それからもう八ツ(午後二時)を廻ったかと思う頃に、二人が、くたびれ切って帰ってまいりました。向島の奉公先というのがなかなか見付からなかったそうで、おまけに寮番の老爺というのがひどくむずかしい顔をして、そんな者はこっちに居ないとか云ったそうで……。まあ、いろいろ押し問答の挙げ句に、ようよう本人に会わせて貰ったのですが、お通は姉の顔をみるとわっと泣き出して、もうこんな恐ろしい家には一日も奉公していられないから、すぐに暇を取って連れて行ってくれと云います。そんなことがむやみに出来るもんでありませんから、だんだん宥めてその様子を訊きますと、なるほど変な家でございまして、お通でなくっても大抵のものは勤まりそうもない家だということが判りました"
],
[
"土蔵の中へ……",
"土蔵の中には大きな蛇が祀ってあるんだそうで……。それに三度の食物を供える。それには男の肌を知らない生娘でなければいけないというので、お通がその役を云い付けられたのでございます。あんまり心持のいい役ではありませんが、根が田舎育ちでございますから、わたくし共が考えるほどには蛇や蛙を怖がりもいたしません。それに神に祀られているほどだから、人に対して何も悪いことはしないと云い聞かされているもんですから、平気でその役を勤めることになりました。その土蔵というのは昼でも真っ暗なくらいで、中には何が棲んでいるかわかりません。扉の錠をはずして、入口へ食い物の膳を供えたら、あとを振り返らずにすぐに出て来いと云われているもんですから、はじめのうちは正直にその通りにしていました。三度三度その通りで、半刻も経って行ってみると、膳の物は綺麗にたべ尽してあるそうでございます。まあ、それで当分は何事もなかったのでございますが、四月の二十日のことだと申します。午の膳を運ぶのが例より少し遅くなりまして、急いで土蔵の扉をあけますと、その錠の音が奥へ響いたのでございましょう。土蔵の二階の梯子がみしりみしりと響いて、なにか降りて来るような様子でございます"
],
[
"それがきっと大きい蛇だろうとお通は思いまして、膳をそこに置いたままで慌てて引っ返そうとしましたが、怖いもの見たさに、扉のかげに隠れてそっと覗いていますと、梯子を降りて来たのは……。その日はいい天気で、しかも真っ昼間でございますから、土蔵のなかは薄明るく見えましたそうで……。今、みしりみしりと降りて来たのは、一人の若い女のようで、黙って膳に手をかけたかと思うと、こっちで覗いているのを早くも覚ったとみえまして、細い声でもしと呼んだそうでございます。お通はぞっとして黙って居りますと、その女は幽霊のような痩せた手をあげてお通を招いたそうで……。もう堪まらなくなって、あわてて土蔵の扉をしめ切って一目散に逃げて帰りました。大蛇が口をきく筈がありません。きっと幽霊に相違ないとお通は急におぞ毛だって、それからはもう土蔵へ行くのが忌になりましたが、自分の役目ですから仕方がございません。その後もこわごわ三度の膳を運んで居りました。しかしだんだん考えてみると、幽霊が飯を食う筈もありません。怖いもの見たさが又手伝って、天気のいい日に又そっと覗いてみますと、うす暗い隅の方から大きい蛇――およそ一丈もあろうかと思われる薄青いような蛇が、大きい眼をひからせて蜿くって来るようです。お通はぎょっとして立ちすくんでいますと、二階の梯子が又みしりみしりという音がして、なにか降りて来るようです。よく見ると、それはこのあいだの幽霊のような女で……。お通は堪まらなくなって又逃げ出してしまいました",
"だいぶ怪談が入り組んで来ましたね",
"それでもお通はまだ辛抱している積りであったようですが、この頃たびたび土蔵のなかを覗きに行くことが寮番の夫婦に知れまして、なんでも厳しく叱られて、おまえも縛って土蔵のなかへほうり込んでしまうとか嚇かされましたそうで……。それからいよいよ怖くなって、いっそ逃げ出そうかと思っても、夫婦が厳重に見張っていて一と足も外へは出しません。それでも隙をみて、短い手紙をかいて、店の方から来た人にたのんで、姉のところへ届けて貰ったのだそうでございます。お徳もその話を聞いてびっくりしましたが、すぐにどうするという訳にも行きませんので、まあ、もう少し辛抱しろとくれぐれも云い聞かせて、怱々に帰って来ましたようなわけで……。前にも申し上げました通り、ひどく妹思いの女だもんでございますから、どうしたらよかろうと云って顔の色を変えて心配して居ります。桂庵に掛け合って貰って暇を取るのが勿論順道でございますが、三年以上という証文がはいって居りますから、きっとなにか面倒なことを云うだろうと存じます。といって、このままに打っちゃって置くのも可哀そうでございますし、わたくし共にもいい知恵が浮かびませんので、お忙がしいところを御相談に出ましたのでございますが、まあ、これはどう致したものでございましょう"
],
[
"ようございます。なんとか致しましょう。わたしから桂庵の方へ掛け合ってあげてもいいが、ともかくも証文を反古にするというのは穏かでない行き方ですから、なんとかほかの段取りにしてみましょう。そのお通という娘のことばかりでなく、こりゃあ私の方でも少し調べて見にゃあならねえことですから、まあ、私に任せてください。桂庵は相模屋ですね",
"外神田の相模屋でございます",
"お徳には心配するなと云ってください。二、三日のうちに何とかしましょうから",
"なにぶんお願い申します"
],
[
"おい、ひょろ松。おめえ御苦労でも霊岸島へ行って、三島の様子をちょっと調べて来てくれ。あすこの家に年頃の娘はねえか",
"あすこの娘なら知っています。おきわと云って近所でも評判の小町娘で、もう十九か二十歳になるでしょう",
"その娘はどうした。家にいるか"
],
[
"駈け落ちの相手はなんという野郎だ",
"そりゃあ知りません",
"そいつを調べてくれ。そればかりでなく、三島の家の様子も調べて来るんだぜ。そのおきわという娘に弟妹があるかどうか。それをよく洗って来てくれ。いいか",
"ようがす"
],
[
"親分、ひと通りは調べて来ました。娘と駈け落ちした奴は良次郎といって、宿は浅草の今戸だそうです。年は二十二で小面ののっぺりした野郎で、後家さんのお気に入りだったそうです",
"で、どこへ行ったか、まったく判らねえのか",
"判らねえそうです。無論に浅草の宿にはいねえんですが、どこへ行っていますか",
"おきわには弟妹があるのか",
"ありません。一人娘だそうです",
"そうか"
],
[
"よし、もうそれで大抵わかった",
"ようがすかえ、それだけで",
"もういい、あとは俺が自分でやる"
],
[
"おかみさん、飛んでもねえことを……。ここの家で知らないで、誰が知っているもんですか",
"いいえ、そうは云わせません。店で良次郎をどこへか隠しているんです。わたしはちゃんと知っています。お嬢さんと駈け落ちをしたなんて、嘘です、嘘に相違ありません。良次郎は御主人の娘をそそのかして淫奔をするような、そんな不心得な人間じゃありません。ここにいるお山はほんとうの妹じゃありません。もう一、二年経つと彼と一緒にする筈になっているんです。そういう者がありながら、そんな不埒なことをするような良次郎じゃございません。第一あんな親孝行の良次郎が親を打っちゃって置いて、どこへか姿をかくす筈がありません。おまえさんの方で隠しているんです。さあ、どこにいるか教えてください"
],
[
"いや、もうなんと云われても私はあやまる。誰かほかの人に頼んで……",
"ほかの人に頼めるくらいなら、口をすぼめやあしねえ。今こそ堅気の寮番でくすぶっているが、これでも左の腕にゃあ忌な刺青のある六蔵だ。おれが一旦こう云い出したからにゃあ、忌も応も云わせねえ。おい、良さん、その積りで返事してくれ"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(二)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年3月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:菅野朋子
1999年8月3日公開
2009年9月15日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "000999",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
"ソート用読み": "はんしちとりものちよう",
"副題": "20 向島の寮",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
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"生年月日": "1872-11-15",
"没年月日": "1939-03-01",
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[
"東京でも曾てそんな噂を聴いたことがありましたね",
"雀合戦、蛙合戦、江戸時代にはよくあったものです。この頃そんな噂の絶えたのは、雀や蛙がだんだんに減って来たせいでしょう。あいつらも大勢いると、自然縄張り争いか何かで仲間喧嘩をするようになるのかも知れません。人間と同じことでしょうよ。ははははは"
],
[
"それじゃあすぐに呼んでください",
"かしこまりました"
],
[
"すると、そのお国とかいう女髪結がいじくったかも知れませんね",
"おめえはあの死骸を誰だと思う"
],
[
"あの死骸の手にも油の匂いがしている。梳き油や鬢付けの匂いだ。元結を始終あつかっていることは、その指をみても知れる。善昌は三十二三だというのに、あの肉や肌の具合が、どうも四十以上の女らしい。足の裏も随分堅いから、毎日出あるく女に相違ねえ",
"それじゃあお国の首を斬って、その胴に善昌の法衣を着せて置いたんでしょうか"
],
[
"ようがす。すぐに行って来ます",
"いや、待ってくれ。おれも一緒に行こう。こんなことは早く埒をあける方がいい"
],
[
"ここのお住持はなんという人だえ",
"覚光さんといいます",
"本所からお国さんという髪結さんが時々来るかえ"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(二)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年3月20日初版1刷発行
入力:tat_suki
校正:ごまごま
1999年8月29日公開
2005年12月7日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[
[
"どういう訳があるんです",
"そこには姉妹の娘がありましてね。姉はその頃十八で名はおまん、妹の方は十六でお年と云っていましたが、姉妹ともに色白の容貌好しで……。まあ、そういう看板がふたり坐っていれば、店は自然と繁昌するわけですが、まだ其のほかに秘伝があるので……。誰でもその店へ行って筆を買いますと、娘達がきっとその穂を舐めて、舌の先で毛を揃えて、鞘に入れて渡してくれるんです。白い毛の筆を買えば、口紅の痕までがほんのりと残っていようという訳ですから、若い人達はみんな嬉しがります。それが評判になって、近所のお寺の坊さんや本郷から下谷浅草界隈の屋敷者などが、わざわざこの東山堂までやって来て、美しい娘の舐めてくれた筆を買って行くという訳で、誰が云い出したとも無しに『舐め筆』という名を付けられてしまって、広徳寺前の一つの名物のようになっていたんです。その姉娘が急に死んだのですから、近所では大評判でしたよ"
],
[
"そこで、自分で毒を食ったのか、それとも人に毒を飼われたのか",
"親分はどう睨んだか知らねえが、わっしは自分でやったんじゃあるめえと思います。なにしろ其の日の夕方までは店できゃっきゃっとふざけていたそうですからね。それに近所の噂を聞いても、別に死ぬような仔細は無いらしいんです"
],
[
"それも理窟だ。じゃあ、ともかくもおめえは妹の方を念入りに調べ上げてくれ。おれは又、別の方角へ手を入れて見るから",
"ようごぜえます"
],
[
"親分、あやまりました。わっしはまるで見当違いをしていました。舐め筆の娘は、自分で毒を食ったんですよ",
"どうして判った",
"こういう訳です。あの店から、五、六軒先の法衣屋の筋向うに徳法寺という寺があります。そこの納所あがりに善周という若い坊主がいる。娘の死んだ明くる朝にやっぱり頓死したんだそうで……。それが同じように吐血して、なにか毒を食ったに相違ないということが今朝になって初めて判りました。その善周というのは色の小白い奴で、なんでもふだんから筆屋の娘たちと心安くして、毎日のように東山堂の店に腰をかけていたと云いますから、いつの間にか姉娘とおかしくなっていて、二人が云いあわせて毒を飲んだのだろうと思います。なにしろ相手が坊主じゃあ、とても一緒にはなれませんからね",
"すると、心中だな"
],
[
"そんな話は別に聞きませんでした。あとが面倒だと思って、なんにも書いて置かなかったんでしょう",
"そうかも知れねえ。それから妹の方には別に変った話はねえのか",
"妹は先月頃から嫁に行く相談があるんだそうです。馬道の上州屋という質屋の息子がひどく妹の方に惚れ込んでしまって、三百両の支度金でぜひ嫁に貰いたいと、しきりに云い込んで来ているんです。三百両の金もほしいが看板娘を連れて行かれるのも困る。痛し痒しというわけで、親達もまだ迷っているうちに、婿取りの姉の方がこんなことになってしまったから、妹をよそへやるという訳には行きますめえ。どうなりますかね"
],
[
"おふくろは……",
"御近所のかたと一緒に太郎様へ……",
"むむ、太郎様か。この頃は滅法界にはやり出したもんだ。おれもこのあいだ行って見てびっくりしたよ。まるで御開帳のような騒ぎだ",
"あたしもこのあいだ御参詣に行っておどろきました。神様もはやるとなると大変なもんですね",
"時にこんな物を加賀様のお手古の人に貰ったから、おふくろにやってくんねえ"
],
[
"兄さん。この頃は忙がしいんですか",
"むむ、たいしてむずかしい御用もねえが、広徳寺前にちょっとしたことがあるから、これからそっちへ行って見ようかと思っている",
"広徳寺前……。舐め筆の娘じゃないの",
"おまえ知っているのか",
"あの娘は姉妹とも三味線堀のそばにいる文字春さんという人のところへお稽古に行っていたんです。妹はまだ行っているかも知れません。その姉さんの方が頓死したというんで、あたしもびっくりしました。毒を飲んだというのはほんとうですか",
"そりゃあほんとうだが、自分で飲んだのか、人に飲まされたのか、そこのところがまだはっきりとおれの腑に落ちねえ。おまえ、その文字春という師匠を識っているなら、そこへ行って妹のことを少し訊いて来てくれねえか。妹はどんな女だか、なにか情夫でもあるらしい様子はねえか、東山堂の親達はどんな人間か、そんなことを判るだけ調べて来てくれ",
"よござんす。お午過ぎに行って訊いて来ましょう",
"如才もあるめえが、半七の妹だ。うまくやってくれ",
"ほほほほほ。あたしは商売違いですもの",
"そこを頼むんだ。うまく行ったら鰻ぐらい買うよ"
],
[
"いかがでございましょうか。その善周さんという人のお部屋を、ちょっと見せていただく訳にはまいりますまいか",
"はい。どうぞこちらへ"
],
[
"きのうの午すぎに検視を受けまして、暑気の折柄でござれば夜分に寺内へ埋葬いたしました",
"左様でございますか。いや、これはどうも御邪魔をいたしました"
],
[
"皆さんはお送葬からまだ帰りませんかえ",
"まだ帰りません",
"小僧さん。ちょいと表まで顔を貸してくださいな"
],
[
"ありました。おとといのお午過ぎに若い娘が取り換えに来ました",
"どこの子だか知らねえか",
"知りません。この筆を買って帰ってから、一晌ほど経って又引っ返して来て、穂の具合が悪いからほかのと取り換えてくれと云って、ほかのと取り換えて貰って行きました",
"ほかには取り換えに来た者はねえか",
"ほかにはありませんでした",
"その娘は幾つぐらいの子で、どんな装をしていた",
"十七八でしょう。島田髷に結って、あかい帯をしめて、白い浴衣を着ていました",
"どんな顔だ",
"色の白い可愛らしい顔をしていました。どこかの娘か小間使でしょう",
"その娘は今まで一度も買いに来たことはねえか",
"さあ、どうも見たことはないようです",
"いや、ありがとう"
],
[
"そうか。時に丁度いいところで逢った。おめえこれから浅草へ行って、庄太にも手を貸してもらって、上州屋にいる奉公人の身許をみんな洗って来てくれ。男も女も、みんな調べるんだぜ。いいか",
"判りました",
"じゃあ、おめえに預けて俺は帰るぜ。大丈夫だろうな",
"大丈夫です"
],
[
"行って来ましたよ",
"やあ、御苦労。そこでどうだ",
"文字春さんのところへ行って訊きましたが、舐め筆の娘には姉妹ともに悪い噂なんぞちっとも無いそうです。親達も悪い人じゃあ無いようです"
],
[
"どんなことだ",
"妹のお年ちゃんの方は今でも毎日文字春さんのところへ御稽古に来るんですが、なんでも先月頃から五、六度お年ちゃんが来て稽古をしているのを、窓のそとから首を伸ばして、じっと内を覗いている娘があるんですって"
],
[
"それは何処の娘だか判らねえのか",
"そりゃあ判らないんですけれど、ほかの人の時には決して立っていたことが無いんだそうです。なにか訳があるんでしょう"
],
[
"ほほ、随分なことを云う。なんぼあたしだって、撥の代りに十手を持っちゃあ、あんまり色消しじゃありませんか",
"ははは、堪忍しろ。それからどうだと云うんだ",
"もういやよ。あたしなんにも云いませんよ。ほほほほほほ。あたしもう姉さんの方へ行くわ"
],
[
"よし、判った。すぐにその女を引き挙げなければならねえ",
"へえ、そのお丸というのがおかしいんですかえ",
"むむ、お丸の仕業に相違ねえ。弟が薬種屋に奉公しているというなら猶のことだ。よく考えてみろ。舐め筆の娘の死んだ日にお丸そっくりの女が筆を買いに来て、一晌ばかり経って又その筆を取り換えに来た。そこが手妻だ。取り換えに来たときに、筆の穂へなにか毒薬を塗って来たに相違ねえ。そうして、ほかの筆と取り換えて、その筆を置いて行ったんだ。勿論、なめ筆の評判を知っての上で巧んだことに決まっている。娘はそれを知らねえで、その筆を売る時にいつもの通りに舐めてやった。買った奴は徳法寺の善周という坊主で、これも又その筆を舐めた。毒の廻り方が早かったので、娘はその晩に死んだ。坊主の方はあくる朝になって死んだ。心中でもなんでもねえ。一本の筆が廻り廻って二人の人間の命を取るようになったので、娘は勿論だが、坊主も飛んだ災難で、訳もわからずに死んでしまったんだ。可哀そうとも何とも云いようがねえ"
],
[
"嘘をつくと、てめえ、獄門になるぞ",
"嘘じゃありません"
],
[
"そりゃあ此の通りの山の中ですもの。それにきょうは霧が深かったから、あしたは降るかも知れない",
"山越しに降られちゃあ難儀だ。お天気になるように妙義様へ祈ってくれ"
],
[
"女が味方をしているらしいから、油断すると逃がしますぜ",
"それじゃあ俺は外へ出ている。おめえはいい頃に座敷へ踏ん込め"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(二)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年3月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:ごまごま
1999年8月29日公開
2004年2月29日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "000976",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
"ソート用読み": "はんしちとりものちよう",
"副題": "22 筆屋の娘",
"副題読み": "22 ふでやのむすめ",
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"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
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"生年月日": "1872-11-15",
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[
[
"なに、この頃はいつも早いのさ",
"そうでもあるめえ。朝顔の盛りは御存じねえ方だろう。だが、朝顔ももういけねえ、この通り蔓が伸びてしまった"
],
[
"どんな娘で、いくつになる",
"子供のような顔をしていたが、もう十九か二十歳でしょうよ。まあ、ちょいと渋皮の剥けたほうでね"
],
[
"そこで、その娘がどうした。殺されたか",
"殺されたには相違ねえんだが……。そいつが啖い殺されたんですよ"
],
[
"ところが、親分。その時わっしは表の足袋屋の店へ行って、縁台で将棋をさしていたんですよ。この騒ぎにおどろいて帰って来た時には、長屋の者が唯わあわあ云っているばかりで、ほかには誰もいませんでした。白地の浴衣を着た女なんぞは影も形も見えませんでした",
"あの露路は抜け裏か",
"以前は通りぬけが出来たんですが、もともと広い露路でもなし、第一無用心だというので、おととし頃から奥の出口へ垣根を結ってしまったんですが、もういい加減に古くなったのと、近所の子供がいたずらをするのとで、竹はばらばらに毀れていますから、通りぬけをすれば出来ますよ"
],
[
"いや、おれにもまだ見当はつかねえが、どうにも腑に落ちねえようだな。それにしても、その鬼娘というのは何者だろう",
"それも判りませんよ",
"わからねえじゃあ困る。おれも考えてみるから、おめえも考えてくれ"
],
[
"だが、なにしろ一度は行ってみよう。家にばかり涼んでいちゃあ埒があかねえ。重兵衛の縄張りをあらすようだが、おめえも土地に住んでいるんだ。おれが手伝って、おめえの顔を好くしてやろうか",
"ありがたい。何分ねがいます"
],
[
"どうも暑いな",
"ことしは残暑が強うござんすね。これで九月に袷が着られるでしょうか",
"ちげえねえ。九月に帷子を着てふるえているか"
],
[
"みんなお堂の方へ駈けて行くようですね。喧嘩か巾着切りでしょう",
"そんなことかも知れねえ。江戸は相変らず物見高けえな"
],
[
"もし、どうしたんですえ、その中間は",
"鶏をぬすんで絞めたんですよ。しかも真っ昼間、ずうずうしい奴です"
],
[
"そうでしょうか",
"一朱や二朱は惜しくねえ。これで大抵あたりも付いたようだ",
"あたりが付きましたかえ"
],
[
"そうでしょうか",
"人を啖うばかりじゃあねえ。そこらで鶏がたびたびなくなるという。勿論、鬼娘が見あたり次第に相手を取っ捉まえて、人間でも鳥でも構わずに、その生血を吸うのだと云えばいうものの、どうもそうとは思われねえ。ちょいと、これをみてくれ"
],
[
"こんなものをどこで見付けたんですえ",
"それは露路の奥の垣根に引っかかっていたのよ。勿論、あすこらのことだから何がくぐるめえものでもねえが、なにしろそれは獣物の毛に相違ねえ"
],
[
"なるほど、なるほど、いや、どうも恐れ入りました。きっとそれです、それに相違ありませんよ",
"ところで、それについて何か心あたりはねえかな"
],
[
"あります、あります",
"あるかえ",
"もし、親分。こういうお誂え向きのがありますぜ"
],
[
"そりゃあお手柄だ。やっぱりおれの鑑定通りだな",
"そうです、そうです"
],
[
"まったくだ。あとで世話を焼かされるのも困るからな。じゃあ、仕方がねえ。いよいよ一と汗かくかな",
"それほどのこともありますめえ"
],
[
"ええ、暗くなるにはまだ間がありますからね。腹ごしらえでもして、ゆっくり出かけましょう",
"ちげえねえ。戦場だからな",
"鰻でも取りますか",
"それがよかろう"
],
[
"まあ、うまくやりましょう",
"ここにいて藪蚊に責められているのも知恵がねえ。おまえさんが丁度来たから、もうそろそろ出かけるとしようか"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(二)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年3月20日初版1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:曽我部真弓
1999年9月17日公開
2004年2月29日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "001010",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
"ソート用読み": "はんしちとりものちよう",
"副題": "23 鬼娘",
"副題読み": "23 おにむすめ",
"原題": "",
"初出": "",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
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"生年月日": "1872-11-15",
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"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "時代推理小説 半七捕物帳(二)",
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[
[
"むむ。こっちが古狸で、相手が狐、一つ穴だからな",
"洒落ちゃあいけません。真剣ですよ。ともかくも古狸の狐狩というところで、常陸屋の働きをお目にかけようじゃありませんか。いずれ又伺いますが、御代官様にもよろしくお願い申します"
],
[
"十三夜といやあ、あの晩にゃあ飛んだことがあったそうだね。私もたった今、御代官所の宮坂さんから詳しいことを聞いて来たんだが、働き盛りの若けえのが五人も一度にいぶされちゃあ堪まらねえ。刈り入れを眼のまえにひかえて、どこでも困るだろう。五人の墓はみんなこの寺内にあるんだね",
"そうですよ。先祖代々の墓がみんなこの寺内にあるんだからね。ところが、どうも困ったことが出来てね"
],
[
"小女郎がやっぱり悪戯をするらしい。毎晩のようにやって来て、五人の墓の前に立っている新らしい塔婆を片っぱしから引っこ抜いてしまうんですよ。花筒の樒の葉は掻きむしってしまう。どうにもこうにも手に負えねえ。初七日を過ぎてまだ間もねえことだし、親類の人達だって誰が参詣に来ねえとも限らねえから、あまりこう散らかして置いてもよくねえと思って、毎朝わしが綺麗に直して置くと、毎晩根よく掻っ散らして行く。こっちも根負けがしてしまって、きのうも佐兵衛どんの兄貴が来た時にその訳をよく話して、もうそのままに打っちゃって置くつもりですよ。けさはまだ行って見ねえが、きっとやっているに相違ねえ。小女郎もあんまり執念ぶけえ。五人の命まで奪ったら、もういい加減に堪忍してやればいいのに……。生霊や死霊とは違って、あの小女郎ばかりは和尚様の回向でも供養でも追っ付かねえ。ほんとうに困ったもんですよ",
"村の者はみんな小女郎の仕業と決めているんだね"
],
[
"きのうの朝はみんな倒してあったんだね",
"塔婆も花筒もみんな打っ倒してあったのを、わしが一々立て直したんですよ"
],
[
"花がたくさん供えてあるじゃねえか。おこよというのは、このあいだ身を投げた娘だろう。違うかね",
"そうですよ。可哀そうなことをしましたよ"
],
[
"おこよの死んだのはいつだっけね",
"先月……ちょうど十五夜の晩でしたよ"
],
[
"川のふちへ芒を取りに行って滑り込んだというんだがね。世間じゃあいろいろのことを云いふらす者もあって、何がなんだか判らねえ",
"どんなことを云い触らすんだね"
],
[
"十九の厄年です",
"十九といえばもう子供じゃあねえ。お月さまの顔を拝んでから芒を取りに行くほどうっかりしてもいねえ筈だ。親孝行でも、おとなしくても、十九といえば娘盛りだ。おまけに評判の容貌好しというんだから、傍が打っちゃって置かねえだろう。あの娘が死んだのは、なんでもほかに訳があるんだと世間じゃあ専ら噂しているが、おかみさんは知らねえのかね"
],
[
"世間の口に戸は閉てられねえ。粗相で死んだのか、身を投げたのか、自然に人が知っているのさ。高巌寺でもそんなことを云っていたっけ",
"高巌寺で……。和尚様ですか、銀蔵さんですか"
],
[
"おかみさん。どうもいつまでもおしゃべりしてしまった。だが、まあ気をつけねえ。お前のような年増盛りは、いつ小女郎に魅こまれるかも知れねえ",
"ほほ、忌でございますよ。毎度ありがとうございました"
],
[
"わかりました、判りました。さあ、すぐにお出でなせえ",
"お前、どっかへ行くんじゃあねえか",
"寝酒を一合買いに行こうと思ったんだが、まあ止しだ",
"酒はおれが買う。遠慮なく行って来ねえ",
"だが、まあ止そうよ"
],
[
"姉の墓まいりに……",
"そんならなぜ垣をくぐって来た"
],
[
"おい、お竹。お前の手を出してみろ",
"はい"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(二)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年3月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:菅野朋子
1999年9月25日公開
2009年9月15日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"副題読み": "24 こじょろうぎつね",
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[
[
"時光寺でございます",
"むむ。時光寺か"
],
[
"じゃあ、このあいだ和尚さんの一件のあったお寺だな。そこで、その仏さまはお前さんが落したのかえ",
"今ここで見つけたのです",
"じゃあ、おまえさんのじゃあ無いんだね"
],
[
"和尚さんはここらの溝のなかに死んでいたんだそうだね",
"はい",
"そこにその仏像が落ちていて、しかもそれがお寺の物だという。そうすると、和尚さんの落ちた時に、それも一緒に落したのかね",
"そうかも知れません"
],
[
"昌典という人はまだ残っているらしいのです",
"よし。じゃあ、すぐに出かけよう。一日の違いなら何とかなるだろう。もう一日早ければ訳はなかったのだが、どうも仕方がねえ"
],
[
"おい、若い衆さん。この宿でどこかいい家へつけてくれ",
"はい、はい"
],
[
"ところで、大切の仏像というのはどうしたんです。やはりその住職が持っていたんですか",
"いつの代でも、なにかの問題で騒ぎ立てれば相当の運動費がいります。時光寺は本来小さい寺である上に、住職が本山反対運動に奔走しているので、その内証は余程苦しい。まして寺社奉行へでも持ち出すとすれば、また相当の費用もかかる。それらの運動費を調達するために、住職は大切の秘仏をそっと持ち出して、それを質に伊賀屋から幾らか借り出そうとして、仏事の晩にそれを厨子に納めて持ち込んだのですが、ほかに大勢の人がいたので云い出す機がなくって一旦は帰ったのです。しかしどうしても金の入用に迫っているので、途中から小坊主を帰して、自分ひとりで伊賀屋へまた引っ返す途中、運悪く本山派の罠にかかって、持っていた厨子は無論に取りあげられてしまったのですが、その時に住職が手早く仏像だけをぬき出して自分の袂へ隠したのを、相手の者は気がつかなかったと見えます",
"その落着はどうなりました"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(二)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年3月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:山本奈津恵
1999年9月22日公開
2004年2月29日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"副題読み": "25 きつねとそう",
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[
[
"勿論、念のために聞き合わせにやってある。その返事はまだ判らねえが、冷泉為清という公家はいねえという話だ。といったら、考えるまでもなく、それは偽者だというだろうが、なにぶんにも今の時節だ。ひょっとすると、ほんとうの公卿の娘が何かの都合でいい加減の名をいっているのかも知れねえからな。そこが詮議ものだ",
"ごもっともでございます"
],
[
"多吉。まあ、しっかりやってくれ。なにしろ其の行者という奴が一体どんなことをするのか、それを先ず詳しく詮議しなければなるめえ。なんとかして手繰り出してくれ",
"ようがす。一つ働きましょう"
],
[
"まあ、聴いておくんなせえ。その行者というのはまったく十七八ぐらいに見えるそうです。すてきに容貌のいい上品な女で、ことばも京なまりで、まあ誰がみてもお公家さまの娘という位取りはあるそうですよ。なんでも高い段のようなものを築いて、そこへ御幣や榊をたてて、座敷の四方には注連を張りまわして、自分も御幣を持っていて、それを振り立てながら何か祷りのようなことをするんだそうです",
"どんな祷りをするんだろう",
"やっぱり家運繁昌、病気平癒、失せもの尋ねもの、まあ早くいえば世間一統の行者の祈祷に、うらないの判断を搗きまぜたようなもので、それがひどく効目があるというので、ばかに信仰する奴らがあるようです。なんでも毎日五六十人ぐらいは詰めかけるといいますから、随分実入りがあることでしょう。祈祷料は思召しなんですけれど、ひとりで二歩三歩も納める奴があるそうですから、たいしたものです",
"それはまあそれとして、その行者は工面のよさそうな信心ものを奥へ連れ込んで、なにか秘密の祈祷をして多分の金を寄進させるというじゃあねえか。それはどうだ"
],
[
"わたくしの方でも取り立ててこうというほどの種は挙がりませんが、唯ひとつ、妙なことを聞き出しましたよ。葺屋町に炭団伊勢屋という大きい紙屋があります。何代か前の先祖は炭屋をしていたとかいうので、世間では今でも炭団伊勢屋といっているんですが、地所家作は持っていて、身上はなかなかいいという評判です。その伊勢屋の息子が此の頃すこし乱心したようになって……。息子は久次郎といって、ことし二十歳になるんですが、俳優の河原崎権十郎にそっくりだというので、権十郎息子というあだ名をつけられて、浮気な娘なんぞは息子の顔みたさに、わざわざ遠いところから半紙一帖ぐらいを伊勢屋まで買いに来るようなわけで、かたがた其の店も繁昌していたんですが、例の行者のところへ行って来てから、なんだか少し気が変になったというんです",
"その息子も祈祷をたのみに行ったのか",
"久次郎のおふくろというのが、その春の末頃から性の知れない病気でぶらぶらしているので、茅場町に上手な行者があるという噂をきいて、一度見て貰いに行ったのが病みつきになってしまったんです"
],
[
"わっしもそこが大切だと思って近所の者によく訊いてみたり、お由という女中が外へ出るところを捉まえて、それとなく探りを入れて見たんですが、まったく誰も出這入りをするらしい様子がないんです",
"夜になって祈祷をたのむ奴が幾人ぐらい来る",
"それがこの一と月ほどは一人も来ねえそうです。頼む奴が来ねえのじゃねえ、行者の方でなにか身体がわるいとかいうので、夜の祈祷はみんな断わっているんだそうです。だが、その中でたった一人かかさずに来る奴があります",
"紙屋の息子か"
],
[
"むむ、すぐに取りかかろう。相手はその行者と、式部とかいう奴と、藤江という女だ。まずそれだけだな。いや、かかり合わねえといっても、女中ふたりも逃がしちゃあいけねえ。まだほかにどんな奴が忍んでいるかも知れねえ。源次は表向き面出しをするわけにも行かねえんだから、多吉一人じゃあちっと手不足かも知れねえよ。善八でも呼んで来い",
"善八ひとりでたくさんですかえ",
"それでよかろう。なんといっても相手は女だ。そんなに大勢でどやどや押し掛けて行くのも見っともねえ"
],
[
"ふだんから何かの御持病でもござるか",
"別にこれということもございませんが、二、三年前から折りおりに癪に悩むことがございます",
"左様でござるか。では、これから御祈祷にかかられます"
],
[
"町人、これはなんでござる",
"御覧の通りでございます"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(二)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年3月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:おのしげひこ
1999年9月28日公開
2004年2月29日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"副題読み": "26 おんなぎょうじゃ",
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[
[
"今そこでお逢いなすった二人連れ、あれは久しい馴染なんですよ。年寄りの方は水原忠三郎という人で、わかい方は息子ですが、なにしろ横浜と東京とかけ離れているもんですから、始終逢うというわけにも行かないんです。それでも向うじゃあ忘れずに、一年に三度や四たびはきっとたずねてくれます。きょうもお歳暮ながら訪ねて来て、昼間からあかりのつくまで話して行きました",
"はあ、横浜の人達ですか。道理で、なかなかしゃれた装をしていると思いましたよ"
],
[
"かしこまりました。おそくも夕刻までに御挨拶をいたします",
"たのんだぞ"
],
[
"おまえさんが見たという幽霊はどんなものでしたえ",
"わたくしも怖いのが先に立って、たしかに見定めませんでしたが、提灯の火にぼんやり映ったところは、なんでも若い女のようでした",
"女はこっちを見て笑いでもしたのかえ",
"いいえ、別にそんなこともありませんでしたが、なにしろ怖いので忽々に逃げて来ました。もう四ツ(午後十時)に近い頃に、女がたった一人で、場所もあろうに、あの化け銀杏の下に平気で立っている筈がありません。あれはどうして唯者じゃあるまいと思われます"
],
[
"ごもっともでございます。主人も、もし間違った時に困ると心配して居りました",
"それだから、おまえさんが御用人を連れて行って、うまく話し込むんですね。このお方は書画が大変にお好きで、こちらに探幽の名作があるということを手前の主人から聞きまして、ぜひ一度拝見したいと申されるので、押し掛けながら御案内しましたとか何とか云えば、向うも大自慢だから喜んで見せるでしょう。もし又なんとか理窟を云って、飽くまでも見せるのを拒むようならばちっとおかしい。ねえ、そうじゃありませんか。そうなれば、また踏ん込んで表向きに詮議も出来ます。どっちにしても、御用人を連れて行って一度見て来てください",
"承知いたしました"
],
[
"親分。探幽の一件はまだ心当りが付きませんかえ",
"むむ。ちっとは心当りがねえでもないが、どうもまだしっかりと掴むわけにも行かねえので困っているよ"
],
[
"でも親分、それは贋物ですぜ",
"贋物でもいい。それを売った奴が判ったら、それからすぐにそいつの居どこを突きとめて来てくれ。なるたけ早いがいいぜ",
"承知しました"
],
[
"親分さん。まことに申し訳ございません。早速うかがいたいと存じて居りますのですが、なにぶんにも稲川様のお屋敷の方が埒が明きませんので……",
"御用人が一緒に行ってくれないんですかえ",
"年末は御用繁多で、とてもそんな所へ出向いてはいられないから、来春の十五日過ぎ頃まで待っていろと仰しゃるので……。それを無理にとも申し兼ねて、わたくしの方でも困って居ります",
"そりゃあまったく困りましたね。年末と云ったってまだ二十日前だから、そんなに忙がしいこともあるまいに……"
],
[
"親分、わかりました",
"判ったか",
"万助の奴をしらべて、すっかり判りました。贋物を売った古道具屋は御成道の横町で、亭主は左の小鬢に禿があるそうです"
],
[
"そりゃあお前さんの云う通りだ。万さんもなかなか慾張っているからね。ときどき生爪を剥がすことがあるのさ。そこで、あの掛地はどこの出物ですえ",
"さあ、生まれは何処だか知りませんが、ここへ持って来たのは、裏の大工の家のお豊さんですよ"
],
[
"そりゃあまったく気の毒だね。なぜ又そんなやくざな奴に娘をやったんだろう",
"なに、長作もはじめは堅い男だったんですが、ふいと魔が魅して此の頃はすっかり道楽者になってしまったんです",
"その長作の家はどこだね",
"すぐ向う裏です。露地をはいって二軒目です"
],
[
"長さんはお家ですかえ",
"今ちょいと出ましたが……。どちらから",
"わたしは松円寺の近所から来ましたが……"
],
[
"なぜです",
"なぜって……。おまえさんは藤代様の御屋敷へ行くんでしょう"
],
[
"お察しの通り、藤代の御屋敷へ行くんですが、まだ誰にも馴染がないもんですから、こちらの大哥に連れて行って貰わなければ……",
"いけませんよ。なんのかのと名をつけて誘い出しに来ちゃあ……。誰がなんと云っても、内の人はもうそんなところへはやりませんよ",
"長さんはほんとうに留守なんですかえ",
"嘘だと思うなら家じゅうをあらためて御覧なさい。きょうは用達しに出たんですよ"
],
[
"先月の二十四日の晩だろうね",
"左様でございます",
"もう斯うなったらしようがねえ。何もかもぶち撒けて云って貰おうじゃあねえか。長作はあの掛地と羽織を持って来て、なんと云ったえ",
"博奕に勝って、その質に取って来たと云いました。掛地や泥だらけの羽織はすこしおかしいと思いましたけれど、羽織の泥は干して揉み落して、そのままにしまっておきました",
"その羽織はまだあるかえ",
"いいえ、もう質に入れてしまいました",
"おめえのお父っさんも、その晩に森川宿の方へ行ったろう。なんの用で行ったんだ"
],
[
"それから長作はどうした",
"あくる朝は仕事に出ると云って家を出て、やっぱりいつもの博奕場へはいり込んだようでございました。それからはちっとも家に落ち着かないで……。それまではどんなに夜が更けても、きっと家へ帰って来たんですが、その後はどこを泊まりあるいているのですか、三日も四日もまるで帰らないことがあるもんですから、わたくしも心配でたまりません。といって、お父っさんの耳へ入れますと、また余計な苦労をかけなければなりませんから、わたくしがそっと藤代様のお屋敷に迎いに行きましたが、夜は御門が厳重に閉め切ってあるので、女なんぞは入れてくれません。どうしようかと思って、松円寺の塀の外に立っていて、いっそもうあの銀杏に首でも縊ってしまおうかと考えていますと、そこへ二人連れの男が通りかかったもんですから、あわてて其処を逃げてしまいました",
"長作はそれぎり帰らねえのか",
"それから二、三度帰りました",
"掛地や羽織のほかに金を見せたことはねえか",
"掛地や羽織を持って帰ったときに、博奕に勝ったと云って、わたくしに十両くれました。けれども、その後に又そっくり取られてしまったからと云って、その十両をみんな持ち出してしまいました。だんだんに押し詰まっては来ますし、家には炭団を買うお銭もなくなっていますし、お父っさんの方へもたびたび無心にも行かれませんし、よんどころなしにその羽織を質に入れたり、掛地を道具屋の小父さんに買って貰ったりして、どうにかこうにか繋いで居りますと、長作はけさ早くに何処からかぼんやり帰って来まして、一文無しで困るから幾らか貸してくれと云います。貸すどころか、こっちが借りたいくらいで、あの羽織も質に置き、掛地も売ってしまったと申しますと、長作は急に顔の色を悪くしまして、黙ってそれぎり出て行ってしまいました。出るときにたった一言、誰が来て訊いても掛地や羽織のことはなんにも云うなと申して行きました"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(二)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年3月20日初版1刷発行
※「糴《せり》」の「入」の部分を、底本は「ハ」のようにつくっているが、ここでは「糴」として入力した。
※事件の発端となる日付を、底本は「文久元年十二月二十四日の出来事である。」としているが、本作品中の後の記述に照らせば、事件は十一月の末に起こっていなければ辻褄が合わないと思われる。
入力:tatsuki
校正:山本奈津恵
1999年11月6日公開
2004年2月29日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "000960",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
"ソート用読み": "はんしちとりものちよう",
"副題": "27 化け銀杏",
"副題読み": "27 ばけいちょう",
"原題": "",
"初出": "",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "1999-11-06T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/card960.html",
"人物ID": "000082",
"姓": "岡本",
"名": "綺堂",
"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1872-11-15",
"没年月日": "1939-03-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "時代推理小説 半七捕物帳(二)",
"底本出版社名1": "光文社時代小説文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "1986(昭和61)年3月20日",
"入力に使用した版1": "",
"校正に使用した版1": "1997(平成9)年3月20日第11刷",
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"校正に使用した版2": "",
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"入力者": "tatsuki",
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"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"おお、半七、遅いな。貴様の縄張り内で飛んでもないことが始まったぞ",
"それを聞くと、わたくしもびっくりしました。で、もう大抵お調べも届きましたか",
"いや、ちっとも見当が付かない。死骸はここにある。よく見てくれ",
"ごめんください"
],
[
"まあ、せいぜい働いてみましょう",
"では、くれぐれも頼むぞ"
],
[
"ふだんから寡口な人で、わたくし共とも朝夕の挨拶をいたすほかには、なんにも口を利いたことがございませんので、どんな用のある人か一向に存じません",
"定宿かえ",
"去年九月頃にも十日ほど逗留していたことがございまして、今度は二度目でございます"
],
[
"はい。飲むと申しても毎晩一合ずつときまって居りまして、ひどく酔っているような様子を見かけたこともございませんでした",
"誰かたずねて来ることはあったかえ",
"さあ、誰もたずねて来た人はないようです。朝は大抵五ツ(午前八時)頃に起きまして、午飯を食うといつでも何処へか出て行くようでございました"
],
[
"大抵夕六ツ(六時)頃には一度帰って来まして、夜食をたべると又すぐに出て行きますが、それでも四ツ(午後十時)すぎにはきっと帰りました。なんでも近所の寄席でも聴きに行くような様子でしたが、確かなことは判りません",
"金は持っていたらしいかえ",
"宿へ初めて着きました時に、帳場に五両あずけまして、大晦日には其の中から取ってくれと申しました。その残金はわたくし共の方に確かにあずかってございますが、自分のふところにはどのくらい持っていましたか、それはどうも判り兼ねます",
"外から帰ってくる時には、いつも手ぶらで帰ったかえ",
"いいえ、いつも何か風呂敷包みを重そうに提げていました。村への土産をいろいろと買いあつめているらしいと女中どもは申していましたが、どんなものを買って来るのか、ついぞ訊いて見たこともございませんでした",
"そうか。じゃあ、おめえの家へ行ってその座敷をあらためて見よう"
],
[
"しかし去年の春頃からすっかり堅くなりまして、商売の方も身を入れますので、この頃はふところ都合もよろしいようで、十一月には品川のお政という女郎をうけ出して、仲よく暮らして居ります",
"いくら品川でも女ひとりを請け出すには纒まった金がいる。多寡が錺職人が半年や一年稼いでも、それだけの金が出来そうもねえ。なにか金主があるな",
"そうでございましょうか",
"金主はきっとこの甚右衛門だ。もう大抵判っている。しかしこのことは滅多に云っちゃあならねえぞ。この南京玉はおれが少し貰って行く"
],
[
"少し用がある。そこまで来てくれ",
"どこへ行くんでございます"
],
[
"強情だな。まあ素直に来いというのに……。ぐずぐずしていると為にならねえぞ",
"だって、親分。むやみにそんなことを云われちゃあ困ります。わたしはこれでも堅気の職人でございます。なるほど、以前は御禁制の手なぐさみなんぞをやったこともありますが、今じゃあ双六の賽ころだって、掴んだことはありません。まったく堅気になったんでございますから、どうかお目こぼしを願います",
"まあ、いいや、そんなことは出るところへ出て云うがいい。なにしろお前に用があるから呼びに来たんだ。おれが呼ぶんじゃねえ、これが呼ぶんだ"
],
[
"別に近付きというわけじゃありません。去年の暮に一度たずねて来て、なにか手文庫の錠前がこわれているから直してくれというので、宿屋に見に行きましたが、あいにく留守で、こっちも忙がしいのでそれぎり行きませんが、その甚右衛門がどうか致しましたか",
"白らばっくれるな。さっき南京玉を見たときに、てめえはどうして顔の色を変えた。さあ、有体に申し立てろ。手前なんで甚右衛門を殺した。ほかにも同類があるだろう、みんな云ってしまえ"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(三)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年5月20日初版1刷発行
1997(平成9)年5月15日11刷発行
※旺文社文庫版を元に入力し、光文社文庫版に合わせて校正した。この過程で確認した、両者の相違を示す。
・なんぼ土産にするといって[#旺文社文庫版「なんぼ土産にするとかって」]
入力:網迫
校正:おのしげひこ
2000年7月6日公開
2004年2月29日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"副題読み": "28 ゆきだるま",
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[
[
"松。気をつけろよ",
"親分。とてもいけませんぜ。伊豆屋まで行き着くのは命懸けだ。第一、これから行ったって間に合いませんぜ"
],
[
"親分。あぶのうがすぜ",
"てめえもしっかりしろ"
],
[
"さあ、たしかには判りませんが、なにしろ火の粉が一面にかぶって来たので、あわてて逃げ出してまいりました",
"熊に出っくわした娘は主人の娘かえ"
],
[
"お絹さんといって、備前屋のひとり娘でございます",
"備前屋は古い暖簾だ。そこのひとり娘が熊に傷られるところを助けて貰ったんだから、向うじゃあどんなに恩に被てもいいわけだ"
],
[
"いえ、勘蔵が怪我をしたということはわたくしも聞いて居ります。見舞にでも行ってやろうと思いながら、なにしろこちらも御覧の通りの始末だもんですから、まだ其の儘になっているようなわけでございます。そのことに就きまして、勘蔵がお前さんに何かお願い申したのでございますか",
"別に頼まれたわけじゃあねえが、あんまり可哀そうだから何とかしてやって貰いたいと思うんだが、番頭さん、どうですね"
],
[
"やあ、三河町。いいところへ来てくれた。実は少し御用ごとがあるんだが、なにしろこの始末で動きが取れねえ。といって、若けえ奴らにばかりまかせて置くのも不安心だと思っていたところだが、どうだろう。おれの代りに采配を振って、若けえ奴らを追い廻してくれめえか",
"そこで、その御用というのはどんな筋だね",
"田町の備前屋という生薬屋の娘が殺されたのだ"
],
[
"それは子分の彦の野郎が、何かの手がかりになるだろうというので、検視の来る前に死骸の手からそっと取って来たんだ。あいつはなかなか敏捷っこい奴よ。どうだい、三河町。なにかのお役に立ちそうなもんじゃあねえか",
"むむ、こりゃあ大手柄だ。これを手がかりに何とか工夫してみよう"
],
[
"六三郎といって、小博奕を打っているやくざな野郎ですよ",
"六三郎……粋な名前だな。その六三郎にお園が用があると云って牽引いて来てくれ。いや、冗談じゃねえ。御用だ"
],
[
"やい、六。てめえ、ふてえことをしやがったな。真っ直ぐに白状しろ",
"へえ、なんでございます",
"ええ、白らばっくれるな、てめえの襟っ首にぶらさがっているのはなんだ。千手観音の上這いじゃあるめえ。よく見ろ"
],
[
"ございます。店の者は車湯へまいりますが、奥では内風呂にはいります",
"この頃に風呂の傷んだことはありませんかえ"
],
[
"風呂が傷んでいる間は、奥の人たちも車湯へ行くんでしょうね",
"はい。よんどころなく町内の銭湯へまいります"
],
[
"おい、この間はありがとう。ときに少し用があるから、そこまで一緒に来てくれ",
"へえ。どちらへ……",
"どこでもいい。当分は帰られねえかも知れねえから、おかみさんに暇乞いでもして行け"
],
[
"あの娘には情夫でもあるかえ",
"存じません"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(三)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年5月20日初版1刷発行
1997(平成9)年5月15日11刷発行
※旺文社文庫版を元に入力し、光文社文庫版に合わせて校正した。この過程で確認した、両者の相違を示す。
・四郎兵衛おとなしく答えた。[#旺文社文庫版「四郎兵衛もおとなしく答えた。」]
・小博奕を打っているやくざな野郎[#旺文社文庫版「小博奕を打っているやくざ野郎」]
入力:網迫
校正:おのしげひこ
2000年7月6日公開
2004年2月29日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
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"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
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"副題読み": "29 くまのしがい",
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[
[
"今度の一件を貴様はどう思うか知らねえが、悪くすると磔刑のお仕置ものだぞ。その積りでしっかりやってくれ",
"クルスでございますかえ"
],
[
"おい、誰かそこにいるか",
"あい"
],
[
"そうして、その熊という女はどうした。それには別条ねえのか",
"その女中にはなんにも変ったことはないそうです。なんでも使いに行って帰ってくると、その途中から変な婆がつけて来て、薄っ気味悪くて堪まらねえので、一生懸命に逃げて来たんだということです",
"おめえはその女を見たのか",
"見ません。なんでも河内屋へ出入りの小間物屋の世話で住み込んだ女で、年は十九か二十歳ぐらいだが、台所働きにはちっと惜しいような代物だそうですよ"
],
[
"そうよ。又どんな用がねえとも限らねえ。一緒にあゆんでくれ",
"ようがす"
],
[
"もし、番頭さん。親分がすこし用があるんだ。ここじゃあいけねえから、表までちょいと顔を貸してくんねえ",
"はい、はい"
],
[
"さようでございます。利八と申して、河内屋に三十四年勤めて居ります。どうぞお見識り置きを……",
"そこで利八さん。早速だがお前さんにちっと訊きたいことがある。この間、こっちの裏口を変な婆さんが覗いていたとかいうじゃありませんか",
"はい。とんだ災難で、番頭ひとりと小僧一人が今にどっと寝付いて居ります"
],
[
"それからお前さんの家にお熊という女がいるそうですね",
"はい。西国生まれだそうで、年は明けて十九でございます。ちょうど去年の九月、今までの奉公人が急病で暇をとりまして、出代り時でもないもんですから、差し当りその代りの女に困って居りますところへ、てまえ方へ質を置きにまいります徳三郎という小間物屋さんが、時にこんな女があるから使ってくれないかと申しますので、ちょうど幸いと存じて雇い入れましたような訳でございますが、人柄も悪くなし、人間も正直でよく働きます。で、これはよい奉公人を置きあてたと申して、主人を始めわたくし共も喜んで居ります",
"こっちに親戚でもあるんですかえ"
],
[
"その後、そのお熊になにも変った様子はないんですね",
"別に変ったこともございませんが、一度その婆さんにあとを尾けられてから、表へ出るのをひどく忌がるので困ります。もっともそれは無理もありませんので、大抵の使いにはほかの小僧を出して居りますが、当人も別に病気というわけでもございませんから、家の内ではいつもの通りに働いて居ります。御用があるなら唯今呼んでまいりましょうか"
],
[
"親分、すまねえ。まずこれでほっとしやした。また移り換えもしねえうちから酷い目に逢いましたよ",
"いい塩梅に小降りになったようだ。早く飯を食ってしまえ"
],
[
"では、屋敷の名は申さんでも宜しゅうござるな",
"よろしゅうございます"
],
[
"はい",
"何がはいだ。はいや炭団じゃ判らねえ。しっかり物を云え。お慈悲につめてえ水を一杯のましてやるから、逆上せを下げた上でおちついて申し立てろ。いいか"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(三)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年5月20日初版1刷発行
1997(平成9)年5月15日11刷発行
入力:網迫
校正:おのしげひこ
2000年10月19日公開
2004年2月29日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "001042",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
"ソート用読み": "はんしちとりものちよう",
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"副題読み": "30 あまざけうり",
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"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1872-11-15",
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[
[
"そりゃあ誰でもそう思っているんだ。取り分けて上から御褒美まで頂戴している女だから、草を分けても其の下手人を捜し出さにゃあならねえ。ところで、素人染みたことを云うようだが、そっちにはなんにも心当りはないかえ",
"それで困っているんです。なんと云っても下総屋の番頭さんに目串をさされるんですが、あんな堅い人がよもやと思うんです。気でもちがえば格別、別にお駒さんを殺すようなわけもない筈ですから",
"そりゃあ傍からは判らねえ。一体その番頭というのはどんな奴だえ"
],
[
"そこで、ここの家でお駒と一番仲のいいのは誰だえ",
"お駒さんは誰とも美しく附き合っていたようですが、一番仲好くしていたのはお定という下新造のようでした。お定はちょうど去年の今頃からここへ来た女で、お駒さんとは姉妹のように仲好くしていたということです。それですからお定は今朝から飯も食わずにぼんやりしていますよ",
"じゃあ、そのお定をちょいと呼んでくれ"
],
[
"ありました。小さい玩具のようなもので、それは御内証にあずかってあります。お目にかけましょうか",
"むむ、見せて貰おう"
],
[
"お駒の草履は何足あるね",
"二足ある筈です",
"それはみんな揃っているかえ",
"揃っている筈です",
"そうか。いろいろ気の毒だが、今度は裏口へ案内してくれ"
],
[
"親分、又いろいろのことが出来しました",
"与七さんか。早朝からどうしたんだ。まあ、こっちへあがって話しなせえ"
],
[
"お浪というのはどんな女だ",
"お駒の次で、三枚目を張っている女です。ふだんから席争いでお駒とはあんまり折り合いがよくなかったようですが、お駒の方が柳に受けているので、別にこうという揉め捫著も起らなかったんです。そのお浪が急に姿をかくしたには何か訳があるんだろうから、とりあえず親分にお報らせ申せと主人が申しましたので……。それにもう一つおかしいことは、主人が確かにおあずかり申した筈の張子の虎、あれも何処へか行ってしまったんです。いや、張子の虎が自然にあるき出す筈はないんですが、誰が持ち出したものか、影も形もなくなってしまったんです",
"一体どこへしまって置いたんだろう",
"ほかの品と違って、まあ、早く云えばお駒の形見のようなものだというので、御仏壇に入れて置いたんだそうです"
],
[
"どうも確かな見当が付かないんですが、ふだんから少し病身の女で、勤めがいやだと口癖に云っていました。けれども時が時で、おまけに張子の虎がなくなっているもんですから、なんだかそこがおかしいので……",
"まったくおかしい、なにか訳がありそうだ。ほかにはなんにも紛失物はないんだね",
"ほかには何もないようです",
"よし、判った。それもなんとか手繰り出してやろうから、主人によくそう云ってくれ",
"なにぶん願います"
],
[
"まあ、待っていねえ。今にかたきを取ってやるから",
"どうぞおたのみ申します"
],
[
"親分、わたしが綰げてあげましょう",
"手をよごして気の毒だな"
],
[
"ありゃあ何処の人だ。馴染かえ",
"源助町の下総屋の番頭さんです"
],
[
"ふだんと違って今の身分だから、店をぬけ出すのは容易じゃない。これでも神明前から駕籠で来たのだ",
"でもどんなに待ったか知れやしない。あたしはきっと欺されたのかと思っていたのよ。だましたら料簡があると覚悟していたんだけれど……"
],
[
"それで、これからどうしようというのだ。どうしても斯うしちゃあいられないのか",
"随分いろいろに趣向もして見たけれど、向うに荒神様が付いているんでね。今夜という今夜はもうどうにもしようがないと見切りをつけて、おまえさんのところへ駈け付けた訳なんですから、その積りで度胸を据えてくださいよ"
],
[
"よしてくれ。聞いただけでも慄然とする。そりゃあ私だってこうなったら仕方がない。そうして、これからどこへ行く積りだ",
"駿府の在にちっとばかり識っている人があるから、ともかくもそこへ頼って行って、ほとぼりの冷めるまで麦飯で我慢しているのさ。お前さん、どうしても忌かえ",
"いやという訳じゃあないが、毒食わば皿で、そう度胸を据えるくらいならば、こっちにもまた路用や何かの都合もある。五両や十両の草鞋銭でうかうか踏み出すのはあぶないからね"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(三)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年5月20日初版1刷発行
1997(平成9)年5月15日11刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:網迫
校正:おのしげひこ
2000年10月19日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "001056",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
"ソート用読み": "はんしちとりものちよう",
"副題": "31 張子の虎",
"副題読み": "31 はりこのとら",
"原題": "",
"初出": "",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"公開日": "2000-10-19T00:00:00",
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"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
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"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1872-11-15",
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"底本名1": "時代推理小説 半七捕物帳(三)",
"底本出版社名1": "光文社時代小説文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "1986(昭和61)年5月20日",
"入力に使用した版1": "1997(平成9)年5月15日第11刷",
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"底本の親本出版社名1": "",
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"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"親分、大抵はわかりましたが、船頭仲間で訊いてみましたら、あの清次という野郎は今年二十一か二で、これまで別に悪い噂もなかったと云います",
"なんにも道楽はねえか",
"商売が商売だから、酒も少しは飲む、小博奕ぐらいは打つようだが、別に鼻をつままれるような忌なこともしねえそうですよ。品川の女に馴染があるそうだが、これも若い者のことでしようがありますめえ"
],
[
"その客というのもそれぎり来ねえか",
"それぎり顔をみせねえそうです"
],
[
"親分。起きましたかえ",
"いま起きたところだ。何かあったか"
],
[
"こっちは呆気にとられているから、なんでも相手の云うなり次第さ。船に持ち込んでいる酒と弁当を出してやると、息もつかずに飲んで食って、また海のなかへはいってしまったそうだ",
"まるで河童か海坊主のような奴ですね。そうすると、ゆうべの奴もやっぱりそれでしょうよ"
],
[
"ゆうべの奴は匕首のようなものを出したと云ったな",
"そうです。なんでも光るものを船頭の眼のさきへ突き付けたそうですよ",
"いよいよ変な奴だな。そんな奴を打っちゃって置くと、世間の為にならねえ。しまいには何を仕出来すか知れねえ。おれもよく考えて置こう。おめえも気をつけてくれ"
],
[
"親分さん。お早うございます",
"やあ、清公。どこへ行く"
],
[
"ちょいと見ると、二十七八ぐらいには化かすんだけれど、もう三十か、ひょっとすると一つや二つは面を出しているかも知れません。小股の切れあがった、垢ぬけのした女で、生まれは堅気じゃありませんね",
"判った。わかった。路の悪いのによく知らせに来てくれた。いずれお礼をするよ"
],
[
"知りません",
"名はなんというんだえ",
"知りません",
"時々に来るのかえ、始終来ているのかえ",
"知りません"
],
[
"それはね。上総無宿の海坊主万吉という奴でした",
"へえ、その生魚を食う奴が……"
],
[
"おそろしい奴ですね",
"まったく恐ろしい奴ですよ。ところで、房州沖で喜兵衛の船に泳ぎついて、そこで飯を食っているうちに不図かんがえ直して、故郷へうかうか帰るのは剣呑だ。いっそ此の船へ乗って江戸へ送って貰おうと……。それから先は喜兵衛の白状通りですが、こいつがなかなか図太い奴で、島破りのことなぞは勿論云いません。わざと気違いだか何だか得体のわからないような風をして、ずうずうしく江戸まで付いて来たんです。しかも蛇の道は蛇で、この船が唯の船でないことを万吉は早くも睨んだものですから、江戸へ着いてからも離れようとしない。離れたらすぐに路頭に迷うから、執念ぶかく食いついている方が得です。こっちにも弱味があるから、どうすることもできない。結局、品川の子分のところへ預けられて、鱈腹飲んで食って遊んでいる。さすがの海賊もこんな奴に逢ったのが因果です。そのうちにだんだん増長して喜兵衛の家へ押し掛けて行く。おとわの家へも行く。それも飲み倒しだけならいいが、しまいには手籠め同様にしておとわを手に入れてしまったんです。おとわも勿論素直に云うことを肯く筈はありませんが、旦那の喜兵衛も一目置いているような変な奴にみこまれて、怖いのが半分でまあ往生してしまったんでしょう。しかしそれを喜兵衛に打ち明けるわけにも行かないので、忌々ながら万吉のおもちゃになっているうちに、わたくし共がだんだんに手を入れ始めて、女中のお千代が魚虎へ引っ張られて行ったので、おとわもこれはあぶないと感付いたんでしょう。物置にかくしてある万吉をよび出して、早くここを逃げてくれと云うと、万吉はそんならおれと一緒に逃げろと云って、例の匕首をふりまわす。もう旦那と相談するひまも無しに、おとわは目ぼしい品物や有り金をかきあつめて、無理無体に万吉に引き摺られて、心にもない道行をきめたんです。昼のうちは近所の藪のなかに隠れていて、夜になってから千住の方へまわって、汐入堤あたりの堤の下に穴を掘って棲んでいましたが、それも人の目に着きそうになったので、又そこを這い出して今度は神奈川の方へ落ちて行く途中、おとわが隙をみて逃げようとしたのが喧嘩の始まりで、とうとう例の匕首で命を取られることになってしまったんです"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(三)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年5月20日初版1刷発行
1997(平成9)年5月15日11刷発行
※旺文社文庫版を元に入力し、光文社文庫版に合わせて校正した。この過程で確認した、両者の相違を示す。
・時々に陸《おか》や船に[#旺文社文庫版「時々に陸《おか》や船へ」]
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:網迫
校正:柳沢成雄
2000年9月23日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
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"作品名": "半七捕物帳",
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"副題読み": "32 うみぼうず",
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"名": "綺堂",
"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1872-11-15",
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[
[
"なるほど、ずいぶん難儀な役ですね",
"それですから、隠密に出された人たちは、その出先で、いろいろのおそろしいこともあり、おかしいこともあり、悲劇喜劇さまざまだそうですが、なにしろ命懸けで入り込むんですから、当人たちに取っては一生懸命の仕事です。いや、その隠密についてこんな話があります。これは今云った悲劇喜劇のなかでは余ほど毛色の変った方ですから、自分のことじゃありませんけれど、受け売りの昔話を一席弁じましょう。このお話は、その隠密の役目を間宮鉄次郎という人がうけたまわった時のことで、間宮さんはこの時二十五の厄年だったと云います。それから最初におことわり申しておくのは、このお話の舞台は主に奥州筋ですから、出る役者はみんな奥州弁でなければならないんですが、とんだ白石噺の揚屋のお茶番で、だだあやがあまを下手にやり損じると却ってお笑いぐさですから、やっぱり江戸弁でまっすぐにお話し申します"
],
[
"兄さんは……",
"兄も父と一緒に出ました"
],
[
"御用人の御子息はその後御催促には見えませんか",
"はい"
],
[
"いや、まだ起きて居ります。御主人ですか",
"はい。では、ごめんください"
],
[
"就きましては先生、一方の御仕事のまだ出来あがらないうちに、こんなことをお願い申すのは甚だ心苦しいようではござりますが、実は別に大急ぎで願いたいものがござりまして……",
"ははあ。それはどんなお仕事で……",
"御承知くださりますか"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(三)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年5月20日初版1刷発行
1997(平成9)年5月15日11刷発行
※旺文社文庫版を元に入力し、光文社文庫版に合わせて校正した。
入力:網迫
校正:柳沢成雄
2000年9月23日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "001105",
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"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
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"副題読み": "33 たびえし",
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"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
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} |
[
[
"天災といえば仕方もねえが、そう立てつづけて一軒の家に祟るのもおかしいな。その重吉というのはどんな男だ",
"主人の遠縁のもので、日光辺の生まれだそうです。年は二十一で、五、六年まえから尾張屋の厄介になってやっぱり店の仕事を手伝っているんですが、どっちかというと孱弱い方で、米屋のような力仕事には不向きなので、遊び半分にぶらぶらしているようでした"
],
[
"じゃあ、すぐにそれを調べてくれ",
"ようがす"
],
[
"尾張屋の女中を引きあげるのですかえ",
"むむ。あの女がどうも胡乱だ。年は幾つで、どんな女だ",
"おかんは二十三で、五年まえから奉公しているんだそうですが、ちっとも江戸の水にしみねえ女で、どうみても山出しですよ",
"おかんは日光、重吉は宇都宮、おなじ国者だな。女は二十三、男は二十一。よし、わかった。おれも一緒に行く。すぐにその女を番屋へ連れて来てくれ"
],
[
"六月二十三日の晩、尾張屋の娘が雷火にうたれた時、おまえが一番さきに見つけたのだな",
"はい",
"その時に、雷獣のかけ廻るのを確かに見たか",
"はい",
"女の癖に、どうして一番さきに駈け付けた",
"土蔵のまえが急にぱっと明るくなりまして、かみなり様がお下りになったようでしたから、なにか間違いでもないかと存じまして……",
"で、行ってみたらどうした",
"お朝さんと重吉さんが倒れていました",
"倒れているところに、なんにも落ちていなかったか",
"気がつきませんでした"
],
[
"五両ばかり溜めて居ります",
"五両じゃあ、国へ帰っても夫婦になれめえな"
],
[
"可哀そうも可哀そうですが、女というものは恐ろしいもんですね",
"まったく恐ろしい。あなたなんぞは若いから気をおつけなさい。いや、恐ろしいの何のと云っても、今のおかんという女なんぞは、そこに自然と憐れみも出ますけれど、なかには、まだ肩揚げもおりない癖に、ずいぶん生けっ太い奴がありますからね。まあ、お聴きなさい、こんな奴もありますよ"
],
[
"あれは江戸の夏のものですよ。固練りのいいのを貰ったのがあります。息つぎに一杯あっためさせますから、あなたもお附き合いなさい",
"久し振りで御馳走になりましょう"
],
[
"ええ、降りそこなってしまいましたから……。このあとはきっと蒸します。かないません",
"そこで、その女たちは何者です。まったく武家の娘なんですか"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(三)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年5月20日初版1刷発行
1997(平成9)年5月15日11刷発行
※旺文社文庫版を元に入力し、光文社文庫版に合わせて校正した。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:網迫
校正:藤田禎宏
2000年8月22日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "001089",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
"ソート用読み": "はんしちとりものちよう",
"副題": "34 雷獣と蛇",
"副題読み": "34 らいじゅうとへび",
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"初出": "",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2000-08-22T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/card1089.html",
"人物ID": "000082",
"姓": "岡本",
"名": "綺堂",
"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1872-11-15",
"没年月日": "1939-03-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "時代推理小説 半七捕物帳(三)",
"底本出版社名1": "光文社時代小説文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "1986(昭和61)年5月20日",
"入力に使用した版1": "",
"校正に使用した版1": "1997(平成9)年5月15日第11刷",
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} |
[
[
"兄さん。ちょいと降りて来てくださいよ。すこし話があるんだから",
"なんだ"
],
[
"あの、早速ですがね、おまえさんも知っているでしょう、甲州屋のなあちゃんを……",
"むむ、知っている"
],
[
"そりゃあ大丈夫。そんなことの無いのはあたしが受け合います",
"内輪になにも面倒はあるめえな",
"そんなことはない筈です"
],
[
"申してもよろしゅうございましょうか",
"なんでもいいから聴かせてもらおうじゃあねえか",
"では、これはただ内々で申し上げるのでございますが……"
],
[
"それで、そのお力という娘はどんな子だえ",
"やっぱり阿母さんや姉さんにそっくりで、なかなかお転婆の、強い子なんですよ。からだも大きくって、なあちゃんと同い年ですけれど二つぐらいも年上にみえます",
"そうか。それじゃあともかくもその倉田屋へ行ってみよう。もう寝たかも知れねえが、まあ其の家だけでも教えてもらおう"
],
[
"ええ、おかみさんもお紋さんもよそから帰って来て、もうすこし前に寝ましたが、起しましょうか",
"いいえ、それには及びません",
"ばあやさんはまだ探して歩いているんですかえ",
"なにしろ心配でなりませんからね。この方とごいっしょに、あてども無しにそこらを探してあるいているんです",
"それは御苦労さまですね。お察し申します",
"どうぞ皆さんによろしく"
],
[
"どうか、もうしばらくお見合わせが願いたいものですが……",
"承知しました"
],
[
"大層おそいじゃありませんか",
"六ツ半(午前七時)頃には立つ筈だったのですが、暁方から急に頭痛がすると云って、まだ二階に寝て居ります。たぶん寝冷えをしたのだろうというので、今朝ほどは立つのを止めました",
"そうですか、それはあいにくでしたね。お見舞ながら二階へちょいと通ってもよござんすかえ",
"はい、ちょいとお待ちください"
],
[
"はい。ともかくも念晴らしに一度は行って来たいと思って居ります",
"きっと出かけますかえ",
"はい",
"およしなせえ、くたびれ儲けだ。路用をつかうだけ無駄なことだ"
],
[
"いえ、決して仮病では……。唯今も申す通り、どうも寝冷えをいたしたとみえて、暁方から頭が痛みまして……",
"あたまの痛てえのはほかに訳があるだろう。倉田屋の姉娘を呼んで来て看病して貰っちゃあどうだね"
],
[
"いえ、御心配なさることはありません。わたしは甲州屋の藤さんに頼まれて来たんです。倉田屋のお紋さんと藤さんが始終ここの二階へ来ることもみんな知っています。御存じだかどうだか知りませんが、甲州屋のなあちゃんが昨日から家出をして今にゆくえが知れないので、家では大騒ぎをしているんです。藤さんが来る筈ですが、すこし加減が悪くって、けさから寝込んでいるので、わたしがその使をたのまれて来ました。なあちゃんは昨日から一度もここへ来ませんかしら",
"いいえ、一度もお見えになりませんよ"
],
[
"いいえ、あの団扇の隣りに懸かっているのは……。あれはなんですえ。お草紙のようですね",
"うちの子供のお草紙です",
"ちょいと持って来て、見せてくれませんか",
"お草紙をどうするんですよ"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(三)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年5月20日初版1刷発行
1997(平成9)年5月15日11刷発行
※旺文社文庫版を元に入力し、光文社文庫版に合わせて校正した。この過程で確認した、両者の相違を示す。
・たなばたに供えるらしい素麺[#旺文社文庫版「たなばたに供えるらしい麦麺」]
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:網迫
校正:藤田禎宏
2000年8月22日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "001118",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
"ソート用読み": "はんしちとりものちよう",
"副題": "35 半七先生",
"副題読み": "35 はんしちせんせい",
"原題": "",
"初出": "",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2000-08-22T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/card1118.html",
"人物ID": "000082",
"姓": "岡本",
"名": "綺堂",
"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1872-11-15",
"没年月日": "1939-03-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "時代推理小説 半七捕物帳(三)",
"底本出版社名1": "光文社時代小説文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "1986(昭和61)年5月20日",
"入力に使用した版1": "",
"校正に使用した版1": "1997(平成9)年5月15日第11刷",
"底本の親本名1": "",
"底本の親本出版社名1": "",
"底本の親本初版発行年1": "",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
"入力に使用した版2": "",
"校正に使用した版2": "",
"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "網迫",
"校正者": "藤田禎宏",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/1118_ruby_4479.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2004-03-01T00:00:00",
"テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"テキストファイル文字集合": "JIS X 0208",
"テキストファイル修正回数": "1",
"XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/1118_15012.html",
"XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2004-03-01T00:00:00",
"XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"惣八さんのお願いでは、また何か掘り出しものの売り込みかね。おまえさんの物はこのごろどうも筋が悪いといって、どこでも評判がよくないようだぜ",
"ところが、これは大丈夫、正銘まがいなしの折紙付きという代物です。宗匠、まあ御覧ください"
],
[
"ありがたい。是非一つお骨折りをねがいます。売り主も大事にしているんですから、その買い手がきまり次第、持って来てお目にかけます。このごろの相場として雌雄二匹で八両ならば廉いものです。十両から十四五両なんていうばかばかしい飛び値がありますからね。流行物というものは不思議ですよ",
"まったく不思議だね"
],
[
"長年しているのかえ",
"おととし頃から来ているように思います。ことしはたしか十八になりましょう。そんなことはお弟子のうちでも其蝶という人がよく知っている筈です"
],
[
"あの宗匠は都合がいいかえ",
"相当に名前も売れていて、点をたのみに来るものも随分あるようですから、困るようなことはありますまい。いい弟子や、いい出入り先もありますから、内職のほうでも又相当の収入があるようです",
"内職とはなんだえ。掛物や短冊の売り込みかえ"
],
[
"隠しちゃあいけねえ。正直に云ってくれ。ほんとうに何か持ち込んだのかよ",
"芭蕉と其角の短冊を持って行きました",
"それだけかえ。そうして、それはどうした"
],
[
"おい、惣八。おめえはなぜ隠す。短冊や色紙のほかに、あの宗匠のところへ何か持ち込んだものがあるだろう。正直に云わねえじゃあいけねえ",
"へえ",
"へえじゃあねえ。はっきり云いねえ。下手に唾を呑み込んでいると、いつまでも帰さねえよ"
],
[
"それからどうした",
"どうにもこうにもしようがありません。といって、あの宗匠の家の出入りを止められると、これからの商売にもちっと差しさわることもありますので、よんどころなしに御無理ごもっともと一旦は引きさがって来て、とりあえず売り主の元吉にその話をしますと、元吉も素直には承知しません。つまりお前さんが仰しゃったと同じような理窟を云っているので、わたくしも両方の仲に立って困ってしまいまして、実は今朝ほどもそのことで宗匠の家へ出かけて行くとあの一件で……。かさねがさね驚いているのでございます",
"一体その売り主の元吉というのは何者だえ"
],
[
"そこも自分の叔母の家で、その二階に厄介になっていて、まあこれといって決まった商売もないのですが、叔父が金魚屋で、その方の手から出たというのですから、今度の金魚もまあ間違いはないと思っているのです。当人も決していかさま物ではないと云うのですが、わたくしも何分その方は素人のことで、実のところはどっちがどうとも確かには判らないので困って居ります",
"元吉というのは幾つだ",
"二十三でございましょう",
"そうか。まあ、そのくらいでよかろう。じゃあ、また呼び出したらすぐに来てくれ",
"かしこまりました"
],
[
"親分、いま帰りました",
"やあ、御苦労、寒かったろう。まあ、火のそばへ来い"
],
[
"そうです。そうです。元吉というんです。親分はもう聞き込みましたかえ",
"道具屋の惣八から聴いた。そいつから惣八にたのんで、惣八から宗匠にたのんで、どこへか金魚を売り込んだことがあるそうだ"
],
[
"わかりやした。するとその元吉が宗匠を殺ったんでしょう",
"おめえはそう思うか"
],
[
"まあ、そうでしょうね。手引きをさせて宗匠を殺したものの、この女を生かして置くと露顕の基だと思って、なにか油断させて置いて、不意に池のなかへ突き落したのでしょう。違いますかえ",
"なるほどうまく筋道は立つな。じゃあ、おめえはその積りで元吉の方をしらべてくれ",
"すぐに引き挙げてようがすかえ"
],
[
"もうおかまいなさるな。時にここのお弟子さんの其蝶さんは見えていませんかえ",
"来ています。呼びましょうか",
"呼ばなくってもいい。どこにいるか教えて下さい",
"あれ、あすこに……"
],
[
"ここの家のことはお前さんが一番よく知っているということだが、宗匠は人に遺恨をうけるようなことでもありますかえ",
"そんな心当りはございません",
"このごろに何処へか金魚を売り込んだことがありますかえ"
],
[
"おまえさんは千住の元吉という男を識っていますかえ",
"知りません",
"その元吉が宗匠を殺したという噂だが……。おまえさん、まったく知りませんかえ",
"知りません"
],
[
"すると、その其蝶が殺したのじゃあないんですか",
"違いました",
"じゃあ元吉という男でしたか"
],
[
"まあ、お聴きなさい。そのお葉という女は小娘のときから色っ早い奴で、十六の春から千住の煙草屋に奉公しているうちに、そこの甥の元吉と出来合ったことが知れて、その年のくれに暇を出され、あくる年からお玉ヶ池の其月のとこへ奉公に出たのは、前にも云った通りですが、なにしろ主人は独り身、奉公人は色っ早い奴と来ているんですから、すぐに係り合いが付いてしまって、どうも唯の女中ではないらしいと近所でも噂されるようになったんです。そんな女ですから、前の男の元吉に未練もなく、元吉の方でもそのあとを追いまわすこともなく、その方はおたがいに忘れてしまって、なんにも面倒はなかったんですが、ただ面倒なのは今の主人の其月で、これがなかなか悋気ぶかい男。尤も自分はやがて五十に手のとどく年で、女の方はまだ十八、親子ほども年が違う上に、商売が宗匠ですから若い弟子たちも毎日出這入りする。お葉が浮わついた奴で誰にも彼にも色目をつかうのですから、どうもこれは円く行かないわけです。といって、お葉は暇を取って立ち去るでもなく、やはり其月の妾のような形で全二年も腰をすえているうちに、其月の焼餅がだんだん激しくなって来て、時によると随分手あらい折檻をすることもある。ひどい時には女を素っ裸にして、麻縄で手足を引っくくって、女中部屋に半日くらい転がして置いたこともあるそうです。しかし近所の手前もあるので、そんな折檻も至極静かにする。女の方もどんな目に逢っても、決して声をたてるようなことはなく、不思議に歯を食いしばって我慢をしていたそうです。それで主人の方でも逐い出さず、女の方でも逃げ出さず、不断はひどく睦まじく暮らしていたと云います。それは大抵の弟子たちも薄々知っていたのですが、そのなかで其蝶は一番親しく出入りをするだけに、とんだ折檻の場へ来あわせて、留め男の役をつとめたことも度々あるそうです",
"そんなに度々折檻されていたら、お葉のからだに疵あとでも残っていそうなものでしたが……"
],
[
"其蝶とお葉とが訳があると思ったのですか",
"そうです、そうです。これは二人がいつの間にか出来合っていて、女が師匠の家にいては思うように媾曳も出来ない。さりとて、自分から暇を取っては感付かれると思って、なんとかしてこっちから暇を出させ、それから自由に楽しもうという下心だろうと、悪くひがんで考えてしまって、なにしろ、その方のことになると、まるで半気違いのようになる人なんですから、唯むやみに悪い方にばかり考えてしまって、例のごとくお葉をいじめ始めたんです。ことに今度は其蝶の発句という証拠物があるのだから堪まりません。お葉はもう我慢が出来なくなったと見えて、其蝶にあてた長い手紙をかきました。こんなに主人から無体に虐められてはとても生きてはいられないから、いっそ主人を殺してしまって、お前さんのところへ駈け込んで行くというようなことを書いて、自分の小指を切った血を染めて、それをそっと其蝶にとどけたので、受け取った方ではおどろきましたが、まさか本気でそんなこともしまい、嚇しに書いてよこしたのだろう位に思って、四、五日はそのままに置いたのが手ぬかりでした。お葉が左の小指の疵はその時に切ったものとみえます。そこで、四、五日経ってから其蝶がお玉ヶ池へ出かけて行くと、それが丁度かの一件の晩で、まだ宵の五ツ(午後八時)頃だったそうです。いつものように門をあけてはいると、四畳半は一面の血だらけで、師匠は机のまえに倒れているので、あっと思って立ちすくんでしまうと、三畳の女部屋で其蝶さん其蝶さんと呼ぶ声がする。それがお葉だとは知りながら、其蝶はたましいが抜けたように唯ぼんやりしていると、やがて女部屋から、お葉が出て来た。旦那様はわたしが殺してしまったと平気で云うので、其蝶はいよいよおどろきました。まったくお葉は主人を殺すつもりで、其月が俳諧の点をしている油断を見すまして、うしろから不意に剃刀で斬り付けたんだそうです。まだ驚くことは、そうして主人を殺して置いて、血のついた手を台所で綺麗に洗って、爪まで取って、着物も別のものに着かえて、血のはねている着物は丁寧にたたんで葛籠の底にしまい込んで、それから髪をかきあげて外へ出る支度をしているところであったそうで、馬鹿というのか、大胆というのか、あんまり度胸がよすぎるので、其蝶も呆気に取られてしまったそうです"
],
[
"其蝶はなぜ早くそれを訴え出なかったんでしょうね",
"わたくしも一旦はそれを疑いましたが、其蝶の申し立ての嘘でないことは、お葉の血染めの手紙をみて判りました。それまでに来た附文はみんな裂いてしまったんですが、最後の手紙だけはそのまま机のひきだしに入れてあったので、其蝶のためには大変に都合のいい証拠品となりました。其蝶がなぜそれを訴えなかったかというと、それを表向きにすれば内輪のことを何もかもさらけ出さなければならない。それでは第一に師匠の恥、第二には自分も何かのまきぞえを受けるかも知れないと、それを気づかって黙っていたのです。師匠を殺した相手がわからなければ格別、本人のお葉はもう自滅しているのだから、素知らぬ顔をして有耶無耶に葬ってしまう積りであったらしいのです。知っていながら黙っていたというのは悪いことですが、事情を察してみれば可哀そうなところもあるので、其蝶はまあ叱るだけで免してやりました",
"そうすると、金魚の方はなんにも係り合いはないんですね"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(三)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年5月20日初版1刷発行
1997(平成9)年5月15日初版11刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:網迫
校正:ごまごま
2000年12月21日公開
2011年2月24日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "001297",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
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"副題": "36 冬の金魚",
"副題読み": "36 ふゆのきんぎょ",
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"姓ローマ字": "Okamoto",
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[
[
"いや、いいところへお出でなすった、実は葉書でも上げようかと考えていたところでした。なに、別にこれという用があるわけでも無いんですが、実はあしたはわたくしの誕生日で……。こんな老爺さんになって、なにも誕生祝いをすることも無いんですが、年来の習わしでほんの心ばかりのことを毎年やっているというわけです。勿論、あらたまって誰を招待するのでもなく、ただ内輪同士が四、五人あつまるだけで、あなたも御存じの三浦さんと、せがれ夫婦と孫が二人。それだけがこの狭い座敷に坐って、赤い御飯にお頭付きの一尾も食べるというくらいのことです。この前日に京都の松茸を頂いたのは有難い。おかげで明晩の御料理が一つ殖えました。そういう次第で、なんにも御馳走はありませんけれども、あなたも遊びに来て下さいませんか",
"ありがとうございます。是非うかがいます"
],
[
"お話の順序として最初に松茸献上のことをお耳に入れて置かないと、よくその筋道が呑み込めないことになるかも知れません。御承知の上州太田の呑竜様、あすこにある金山というところが昔は幕府へ松茸を献上する場所になっていました。それですから旧暦の八月八日からは、公儀のお止山ということになって、誰も金山へは登ることが出来なくなります。この山で採った松茸が将軍の口へはいるというのですから、その騒ぎは大変、太田の金山から江戸まで一昼夜でかつぎ込むのが例になっていて、山からおろして来ると、すぐに人足の肩にかけて次の宿へ送り込む。その宿の問屋場にも人足が待っていて、それを受け取ると又すぐに引っ担いで次の宿へ送る。こういう風にだんだん宿送りになって行くんですから、それが決してぐずぐずしていてはいけない。受け取るや否やすぐに駈け出すというんですから、宿々の問屋場は大騒ぎで、それ御松茸……決して松茸などと呼び捨てにはなりません……が見えるというと、問屋場の役人も人足も総立ちになって出迎いをする。いや、今日からかんがえると、まるで嘘のようです。松茸の籠は琉球の畳表につつんで、その上を紺の染麻で厳重に縛り、それに封印がしてあります。その荷物のまわりには手代りの人足が大勢付き添って、一番先に『御松茸御用』という木の札を押し立てて、わっしょいわっしょいと駈けて来る。まるで御神輿でも通るようでした。はははははは。いや、今だからこうして笑っていられますが、その時分には笑いごとじゃありません。一つ間違えばどんなことになるか判らないのですから、どうして、どうして、みんな血まなこの一生懸命だったのです。とにかくそれで松茸献上の筋道だけはお判りになりましたろうから、その本文は半七老人の方から聴いてください",
"では、いよいよ本文に取りかかりますかな"
],
[
"ねえ、姐さん。今時分そんなところにうろ付いていると、夜鷹か引っ張りと間違えられる。この寒いのにぼんやりしていねえで、早く家へ帰って温まった方がいいぜ。悪いことは云わねえ。早く帰んなせえ",
"はい"
],
[
"こうなりゃあ猶さらのことだ。まんざら識らねえ顔じゃあなし、いよいよ此のままで、はい、さようならと云うわけにゃあ行かねえ。それでお前の名はなんというんだっけね",
"鉄と申します",
"むむ。そのお鉄さんがなんで死のうとしたんだ。相手は誰だ。店の者かえ"
],
[
"おめえ、寒いのかえ",
"いいえ。別に……"
],
[
"おい、お鉄さん。どうだ、一杯つき合わねえか",
"わたくしはたくさんでございます",
"まあ、遠慮することはねえ。なにも附き合いというものだ。なにしろ、こう冷えちゃあ遣り切れねえ。まあいいから一杯手繰って行きねえ"
],
[
"おや、親分さんでございましたか。今晩はどちらへ……",
"おお、六助老爺さんか。べらぼうに寒いじゃねえか。今夜はよんどころなしに本所まで行って来たんだが、おめえも毎晩よく稼ぐね",
"へえ。わたくし共は今が書き入れ時でございます"
],
[
"今晩は……。相変らずお寒いことでございます",
"ほんとうに寒いね。押し詰まるといよいよ寒さが身にしみるようだ"
],
[
"おい、じいさん。お前にすこし聞きてえことがある。お前はあの加賀屋の女中を前から識っているのかえ",
"へえ、あすこのお店の近所へも商いにまいりますので……",
"そりゃあそうだろうが、唯それだけの馴染かえ。ほかにどうということもねえんだね"
],
[
"親分さん。なにかお調べの御用でもあるんでございますか",
"御用番というほどのことでもねえが、あの晩、おれと一緒にいたお鉄というおんなに情夫でもあるのかえ",
"情夫だかなんだか知りませんが、若い男が時々にたずねて来るようです"
],
[
"親分さん。どうぞ放してください。あいつ、畜生、どうしても殺さなければ……",
"まあ、あぶねえ。殺すほどの悪い奴があるなら、俺がつかまえてやる"
],
[
"やあ、お鉄。来ていたのか",
"先程からお邪魔をして居りました",
"そりゃあ、丁度いい。実はこれからお前を呼び出そうと思っていたところだ"
],
[
"早速だが、あの男は何者だえ",
"お召し捕りになりましてございましょうか"
],
[
"むむ。それでなけりゃあいけねえ。そこで一体あの男は何者だえ。やっぱりおめえとおなじ土地の者かえ",
"はい、隣り村の安吉という百姓でございます",
"いつ頃から江戸へ出ているんだ",
"なんでもこの八月の中頃だと申して居りました。わたくしが逢いましたのは八月の十五日、若いおかみさんのお供をして八幡様のお祭りを見物にまいりました時でございます",
"それから彼奴はどこに何をしていたんだ"
],
[
"その仇のわけを聞こうじゃねえか。仇なら殺しても構わねえ。一体それは親の仇か、主人の仇か、おめえの仇か",
"主人のかたきで、わたくしにも仇でございます"
],
[
"はい、若いおかみさんの生まれ年を知っていますので……",
"生まれ年……",
"親分さんの前ですから申し上げますが、おかみさんは生まれた年を隠しているのでございます"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(三)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年5月20日初版1刷発行
1997(平成9)年5月15日11刷発行
入力:網迫
校正:ごまごま
2000年12月21日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品名": "半七捕物帳",
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"副題読み": "37 まつたけ",
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[
[
"だからお薬をおのみなさいよ。初日前にどっと悪くなると大変だわ",
"悪くなれば休む分のことさ。今度の芝居はあまり気が進まないんだから、どうでもいい。いっそ休む方がいいかも知れない"
],
[
"おや、鳥影が……。誰か来るかしら",
"誰か来るといえば、芝居の方から誰も来なかったかしら"
],
[
"こみ合っているならこみ合っているように、気をつけて通れ、むやみに人を蹴飛ばす奴があるものか。楽屋に馬を飼って置きゃあしねえ",
"馬とはなんだ。手前こそ馬と鹿とがつるみ合っていることを知らねえか"
],
[
"ほんとうにして置くも置かないもない。おれが確かに見とどけたんだから",
"見とどけた。むむ、寝ぼけ眼でか"
],
[
"そりゃあ人間が上手に使えばこそだ。なんの、木偶の坊がひとりで動くものか",
"ええ、そういう貴様こそ木偶の坊だ"
],
[
"え、そうだろう。おまえに小遣いでもくれたことがあるだろう",
"ええ。白粉でも買えと云って、一朱くれたことが二度あります",
"紋作のところへ女でもたずねて来るようなことはねえか"
],
[
"十露盤絞りをかぶっていたのは若い野郎だな。どんな装をしていた",
"双子の半纏を着ていました"
],
[
"今来た男、あれがどうも十露盤絞りらしゅうござんすよ。顔にどこか見覚えがあります",
"そうか"
],
[
"あの男も見送りに行くのかえ",
"いや、ここで御焼香だけして帰ると云うていました"
],
[
"親分さん。この間はいろいろお世話になりました。今夜は仏の逮夜でござりますに因って、まあ型ばかりの仏事を営んでやろうかと存じて居ります",
"後々のことまでよく気をつけてやりなさる。御奇特のことだ、仏もさぞ喜んでいるだろう。さて其の仏のまえでお前さんに少し話したいことがある。ここの娘もつながる縁らしいから、おふくろと一緒にここへ呼んでもいいかね",
"はい。どうぞ"
],
[
"もう済んでしまったことで、今更どうにもしようがねえようなもんだが、紋作がどうして死んだか、冠蔵が誰に殺されたか、その仔細がわからねえじゃあ、おめえ達もいつまでも心持がよくあるめえと思う。そこできょうはそれを話しに来たんだから、そのつもりで聴いてくれ。ねえ、紋七さん。あの紋作は誰が殺したと思いなさる",
"そりゃあ判りまへん、ちっとも知りまへん",
"おれも最初は見当が付かなかったが、この頃になってようよう判った。紋作は誰に殺されたのでもねえ。自分で死んだのだ"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(三)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年5月20日初版1刷発行
1997(平成9)年5月15日11刷発行
入力:網迫
校正:藤田禎宏
2000年9月7日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "001082",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
"ソート用読み": "はんしちとりものちよう",
"副題": "38 人形使い",
"副題読み": "38 にんぎょうつかい",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
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"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "時代推理小説 半七捕物帳(三)",
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[
"どうしたんです。何があったんです",
"なにね、五つばかりの子供が自転車に轢かれたんですよ。この横町の煙草屋の娘で、可愛らしい子でしたっけが、どこかの会社の若い人の乗っている自転車に突きあたって……。いえ、死にゃあしませんでしたけれど、顔へ疵をこしらえて……。女の子ですから、あれがひどい引っ吊りにならなければようござんすがね。一体この頃のように下手な素人がむやみに自転車を乗りまわすのは、まったく不用心ですよ"
],
[
"それでも大人ならば、こっちの不注意ということもありますが、まったく子供は可哀そうですよ",
"子供は勿論ですが、大人だって困りますよ。こっちが避ければ、その避ける方へ向うが廻って来るんですもの。下手な奴に逢っちゃあ敵いませんよ"
],
[
"もし、みんな支度は出来ましたか。舞台の方はいつでもようござんすよ",
"はい。こっちもよろしゅうございます"
],
[
"ここの家の人達にもみんな配ったかえ",
"はあ。女中さん達にもみんな配りました",
"そうか。じゃあ、師匠、すこし頼みてえことがある。まさかに俺が行って一々調べるわけにも行かねえから、お前これから二階へ行って、おまえが手拭を配った覚えのあるおかみさん達を一巡訊いて来てくれ",
"なにを訊いて来るんです",
"手拭をお持ちですかと云って……。娘や子供には用はねえ。鉄漿をつけている人だけでいいんだ。もし手拭を持っていねえと云う人があったら、すぐに俺に知らせてくれ"
],
[
"尤も幽霊のように真っ蒼な顔をして、初めから様子が変だったのですが、調べられて意外にもすらすら白状しました。この女は以前両国辺のある町人の大家に奉公しているうちに、そこの主人の手が付いて、身重になって宿へ下がって、そこで女の子を生んだのです。すると、主人の家には子供がないので、本妻も承知のうえで其の子を引き取るということになったが、おはまは親子の情でどうしても其の子を先方へ渡したくない、どんなに苦労しても自分の手で育てたいと強情を張るのを、仲に立った人達がいろいろになだめて、子供は主人の方へ引き渡し、自分は相当の手当てを貰って一生の縁切りということに決められてしまったんです。けれども、おはまはどうしても我が子のことが思い切れないで、それから気病みのようになって二、三年ぶらぶらしているうちに、主人から貰った金も大抵遣ってしまって、まことに詰まらないことになりました。それでも身体は少し丈夫になったので、それから三、四ヵ所に奉公しましたが、子供のある家へいくとむやみに其の子をひどい目に逢わせるので一つ所に長くは勤まらず、自分も子供のある家は忌だというので、遠縁の親類にあたるこの田原屋へ手伝いに来ていたんです。これだけ申し上げたら大抵お判りでしょう。その日もおていが美しい繻子奴になったのを見て、ああ可愛らしい子だとつくづくと見惚れているうちに、ちょうど自分の子も同じ年頃だということを思い出すと、なんだか急にむらむらとなって、おていをそっと庭さきへ呼び出して、不意に絞め殺してしまったんです。昼間のことではあり、楽屋では大勢の人間がごたごたしていたんですが、どうして気がつかなかったもんですか。いや、誰か一人でも気がつけばこんな騒ぎにならなかったんですが、間違いの出来る時というものは不思議なものですよ",
"で、その手拭の問題はどうしたんです。手拭に何か証拠でもあったんですか",
"手拭には薄い歯のあとが残っていたんです。うすい鉄漿の痕が……。で、たぶん鉄漿をつけている女が袂から手拭を出したときに、ちょいと口に啣えたものと鑑定して、おはぐろの女ばかり詮議したわけです。おはまは其の日に鉄漿をつけたばかりで、まだよく乾いていなかったと見えます",
"それから其の女はどうなりました",
"無論に死罪の筈ですが、上でも幾分の憐れみがあったとみえて、吟味相済まずというので、二年も三年も牢内につながれていましたが、そのうちにとうとう牢死しました。大和屋も気の毒でしたが、おはまもまったく可哀そうでしたよ"
],
[
"そいつはなかなか素捷い奴で、山城屋の女房と女中が奉行所へ呼ばれたと聞くと、すぐに夜逃げをして、どこへ行ったか判らなくなったんです。そのうち例の瓦解で、江戸も東京となってしまいましたから、詮議もそれぎりで消えました。運のいい奴ですね",
"そうすると、その水出しのことはあなたの種出しなんですね",
"お通夜の晩に、紙屑屋の女房がふと水出しのことをしゃべったのが手がかりで、こんな大事件をほじくり出してしまいました。いつかあなたに『筆屋の娘』のお話をしたことがありましょう。あれはこの翌月のことで、世間に似たようなことは幾らもあるもんです"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(三)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年5月20日初版1刷発行
1997(平成9)年5月15日11刷発行
入力:網迫
校正:藤田禎宏
2000年9月7日公開
2008年10月5日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[
[
"末広町……。なんだ、ぼやか",
"冗談じゃあない。ぼやぐらいをわざわざ御注進に駈けつけて来るもんですか。じゃあ、やっぱり知らないのね。燈台下暗しとか云って自分の縄張り内のことを……"
],
[
"それを話す前に、実はね、兄さん。この二十一日に飛鳥山へお花見に行こうと思っているんです。なんだか世間がそうぞうしいから、いっそ今年はお見あわせにしようかと云っていたんですけれど、やっぱり若い衆たちが納まらないので、いつもの通り押し出すことになったんです。向島はこのごろ酔っ払いの浪人の素破抜きが多いというから、すこし遠くっても飛鳥山の方がよかろうというので、子供たちや何かで三十人ばかりは揃ったんですが、なるたけ一人でも多い方が景気がいいから、なんとか都合がつくなら姉さんにも……",
"なんだ、なんだ。お花見はいけねえと初めっから云っているじゃあねえか。それよりも、その末広町の一件というのは何だよ"
],
[
"よし、よし、そりゃあ種次第だ。ほんとうに種がよければ、十人でも二十人でも、五十人でも百人でもきっと狩り集めてやる。まず種あかしをしろ",
"きっとですね"
],
[
"それをおまえが又どうして知った",
"そりゃあ神田の半七の血を分けた妹ですもの",
"ふざけるな。まじめに云え。御用のことだ"
],
[
"むむ、すこし聞き込んだことがある。そこで、番頭さん。あいつらのきまり文句で、これを他言すると仕返しに来るの、火をつけて焼き払うのというが、そんな心配は決してねえから、何もかも正直に云ってくれねえじゃあ困る。なまじい隠し立てをして、あとで飛んだ引き合いを食うようなことがあると、却って店の為にもならねえ",
"はい、はい、ごもっともでございます"
],
[
"じゃあ、末広町にもそんなことがあったんですかえ",
"そっくり同じ筋書だ"
],
[
"まったくしようがねえ。そんなことをして方々を押し歩いていやあがる。だが、親分。生首を持って歩いているようじゃあ、そいつらは本物でしょうか",
"そうかも知れねえ"
],
[
"そうです。そうです、奴らが首を持ち出して拈くりまわしているうちに、一本か二本ぬけて落ちたのを誰も気がつかずにいて、けさになって小僧どもが掃き出してしまったんでしょう。どうです、何かのお役に立ちませんかね",
"いや、悪くねえ。いい見付け物だ。おめえにしちゃあ大出来だ。そこで、深川へ押し込んだのはゆうべの何どきだ",
"五ツ頃だそうですよ"
],
[
"ほかに御用はありませんかえ",
"そうだな、まずこの髪の毛をしらべて見なけりゃあならねえ。すべての段取りはそれからのことだ。あしたの午ごろに出直して来てくれ"
],
[
"まったくだ。これで御用がなけりゃあ猶更いいんだが、そうもいかねえ。まあ、浜見物をするつもりで出かけるんだな",
"そうですよ。わっしは是非一度行って見たいと思っていたんですよ"
],
[
"あればすぐに知れる筈ですが……",
"それじゃあ近い頃に病気で死んだ者があるか"
],
[
"実はわたしも手古摺っているんだ。親分、後生だからいい智恵を授けておくんなせえ",
"いい智恵と云ってもねえが、見込みをつけて江戸から乗り込んで来た以上、ただ手ぶらでも引き揚げられねえ。そこで、三五郎。近い頃にどこかの異人館で物をとられたことはねえか"
],
[
"ほかに異人館から何か訴えて来たようなことはねえか",
"別にこうというほどの事もありませんが、たしか先月だとおぼえています。イギリスのトムソンという商館から奉行所の方へこんなことを内々で頼んで来ましたよ。自分のところで使っているロイドという若い番頭が、去年の夏頃から港崎町の岩亀へむやみに遊びに行って、ずいぶん荒っぽい金を使うらしいが、商館の方で渡す給金だけじゃあとても足りる筈がない。といって、当人はほかにたくさんの金を持っているとも思えないから、その金の出所がどうも不審だ。なにか商館の方の帳面づらを誤魔化して、抜け商いでもしているんじゃないかと、主人の方でもいろいろに調べているが、いずれ日本人を相手の仕事に相違ないから、そっちの奉行所の方でも内々で調べてくれと、こう云うんです。そこでわたしも探索してみると、まったくそのロイドという奴は岩亀の夕顔という女に熱くなって、むやみに金をふり撒いているらしいんです",
"そのロイドというのはどんな奴だ",
"なんでもイギリスのロンドンの生まれで、年は二十七だそうですが、日本語もちょいと器用に出来て、遊びっぷりも悪くないので、岩亀では評判がいいそうですよ"
],
[
"その勝蔵という奴はそれからどうした。やっぱりここらにうろ付いているのか",
"さあ、どうですかね",
"それを早く調べてくれ。そいつにも誰か友達があるだろう。異人館をお払い箱になって、それからどうしたか。江戸へ帰ったか、こっちにいるか、よく突きとめて来てくれ。たいしてむずかしいこともあるめえ",
"あい。ようがす。なるたけ早く聞き出して来ましょう",
"しっかり頼むぜ"
],
[
"日本の人、嘘云うあります、わたくし堪忍しません",
"なにが嘘だ。さっきからあれほど云って聞かせるのが判らねえのか"
],
[
"あの品、わたくし大切です。すぐ返してください",
"返せと云っても、ここに持っていねえのは判り切っているじゃあねえか"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(三)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年5月20日初版1刷発行
1997(平成9)年5月15日11刷発行
入力:網迫
校正:藤田禎宏
2000年9月5日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[
[
"見せてくれぬか",
"はい、穢いところでございますが、どうぞおあがり下さい"
],
[
"あの辺はさびしいところではあり、路が暗い。屋敷をさがすのに難儀であろうから、おまえが行って案内してやれと殿様が仰しゃった。支度がよければすぐに来てください",
"それは御苦労でござります"
],
[
"親分。みんな同じ奴らですね",
"それに相違ねえ、方々のあき屋敷を仕事場にして、いろいろの悪さをしやがる。世話のやける奴らだ"
],
[
"酒の匂いはまだ新らしいようですね",
"むむ。おめえは鼻利きだ。酒の匂いは新らしい。第一、これは女中部屋だ。ここで酒をのむ者はあるめえ。このあいだの奴らがここに集まっていたに相違ねえ。まあ、引窓をあけてみろ"
],
[
"へえ。こんなものを……。こりゃあ按摩の笛じゃありませんかえ",
"むむ。台所の土間に米のあき俵が一つ転がっていた。その下から出たのよ。痩せても枯れても旗本の屋敷で、流しの按摩を呼び込みゃあしめえ。あんなところに、どうして按摩の笛が落ちていたのか。おめえ、考えてみろ",
"なるほどね"
],
[
"その按摩も同類なんですね",
"しかし今までは、相手を玄関に待たせて置いて、その品物を裏門から持ち逃げしたり、相手がなかなか油断しないとみると、奥へ通して腕ずくで脅迫したりしていたんですが、人間というものは奇体なもので、いくら悪党でも同じ手段をくりかえしていると、自然に飽きて来るとみえて、相談の上で更に新手をかんがえ出したのが怪談がかりの一件です。下駄屋の発案で、それにはこういう一つ目小僧の按摩がいるというと、それは妙だとみんなも喜んで、小按摩の周悦には下駄屋から巧く説得して、自分たちの味方にすることになったんですが、その周悦という奴は今では立派な不良少年になっているので、これも面白がってすぐ同意したというわけです。自体口が少し大きい奴なので、それから思いついて、絵の具で口を割ったり、象牙の箸を牙にこしらえたりしたんですが、周悦の家にはおふくろがあります。そのおふくろの手前、世間の手前、化け物のこしらえで家を出るわけには行きませんから、やはり商売に出るようなふうをして、杖をついて、笛をふいて、いつもの通りに家を出て、かの空屋敷の台所の六畳を楽屋にして、そこですっかり化けおおせた次第です。その時に周悦はふところに入れていた笛をおとしたのを、あとになって気がついたんですが、どこで落としたか判らないので、ついそのままにして置いたのを、運悪くわたくしに見つけられたんです。それからだんだん調べてみると、この小按摩は年に似合わず銭使いがあらい。近所の評判もよくない。そこで引き挙げて吟味すると、なんと云ってもそこは子供で、一つ責めると、みんな正直に白状してしまいました",
"そうすると、その下駄屋と御家人と、小按摩の周悦と……。まだほかにも仲間がありましたか"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(三)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年5月20日初版1刷発行
1997(平成9)年5月15日11刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:網迫
校正:藤田禎宏
2000年9月5日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "001062",
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"副題": "41 一つ目小僧",
"副題読み": "41 ひとつめこぞう",
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"姓読み": "おかもと",
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[
[
"旦那に逢いたいと云って、立派なお武家がみえました",
"どなただ",
"初めてのお方のようでございます",
"店へお上げ申して、お茶をあげて置け"
],
[
"早速だが、きのうまであすこにかかっていた生成の仮面、あれはどうしたな",
"あれはけさほど御約束が出来ました"
],
[
"ともかくもこれだけ預けて置いて、あとは明日持参いたすが、あの仮面は手前の方へ譲ってくれるな",
"足もとを見てお高いことを申し上げるわけにもまいりませぬ。けさほどのお客様には百五十両にねがいましたのでございますから、やはりそのお値段でお願い申しとう存じます",
"承知いたした。では、くれぐれも頼む"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(四)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年8月20日初版1刷発行
入力:tat_suki
校正:小林繁雄
1999年3月25日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "000996",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
"ソート用読み": "はんしちとりものちよう",
"副題": "42 仮面",
"副題読み": "42 めん",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
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"姓": "岡本",
"名": "綺堂",
"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1872-11-15",
"没年月日": "1939-03-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "時代推理小説 半七捕物帳(四)",
"底本出版社名1": "光文社時代小説文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "1986(昭和61)年8月20日",
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"校正に使用した版1": "",
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"底本出版社名2": "",
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"底本の親本出版社名2": "",
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[
[
"おい、男だぜ",
"まあ、いいから黙っていろ"
],
[
"おい、喜平さん。まったくそのままで済ませるのは詰まらねえ。今夜わたしが一緒に行こう",
"おまえが行ってくれるか",
"むむ、行こう。中途で引っ返して来ちゃあいけねえ。なんでも強情に正体を見とどけて来るんだ"
],
[
"じゃあ。勝さん。ほんとうに行くかえ",
"きっと行くよ。嘘は云わねえ"
],
[
"それじゃあ鼬かしら",
"それとも河岸の方から河獺でもまぎれ込んで来たんじゃないかな"
],
[
"ほかじゃあねえが、清水山の一件だ。おれは馬鹿にしてかかっていたので、旦那の方から声をかけられてしまった。もう打っちゃっては置かれねえ。ひと通り調べてきてくれ。だが、おれの指図するまでは現場の方へはむやみに手をつけるなよ",
"あい。ようがす"
],
[
"なにしろ大部屋の連中ですからね、大きな犬を一匹連れて来たんです。人を化かす古狐がこの山に棲んでいるに相違ないから、犬を入れて狐狩をするというわけで……",
"そこで狐が出たかえ",
"狐は出ませんが、妙なものが出ましたよ"
],
[
"それでも長さは小一尺ほどもある細長い箱で、はて何だろうとすぐに打ち毀してみると、なかには藁人形……。それはまあ有りそうなことですが、ねえ、親分、凄いじゃあありませんか。藁人形には小さい蛇をまきつけて、その蛇のからだを太い竹釘で人形に打ちつけてある。蛇はまだ死なねえとみえて、びくびく動いている。さすがの中間共もわあっと云って、おもわずその箱をほうり出したそうですよ。それでも気の強い奴があって、よくよくあらためて見ると、また驚いた。というのは、蛇ばかりでなく、人形の腹には壁虎が一匹やっぱり釘づけになって生きている。よっぽど執念ぶかい奴の仕業に相違ありませんね",
"それから、その箱をどうした",
"中間たちも薄気味悪くなったんでしょう。こんなものはしょうがねえというんで、川へほうり込んでしまったそうですよ"
],
[
"やっぱり張り込みましょうか",
"むむ。知恵のねえやり方だが、そうするかな"
],
[
"まあ、待ってくれ。その利助に藤次郎は幾つだね",
"どっちも同い年で十六でございます",
"どっちがおとなしいね",
"藤次郎の方が素直でおとなしゅうございます。利助の奴はいたずら者で、この夏にも一旦暇を出されたのですが、親元からあやまって来まして、また使っているようなわけでございます",
"それから大工の勝次郎というのはどんな奴だね。おまえさんと一緒に清水山へ出かける筈で、途中で臆病風に吹かれたとかいう話だが、そいつは博奕でも打つかね",
"小博奕ぐらいは打つようです。家は竜閑町の駄菓子屋の裏ですが、なんでも近所の師匠のむすめに熱くなって、毎晩のように張りに行くとかいうことです。そんな奴ですから、わたしの方でも初めから味方にしようとも思っていなかったんですが、向うから頻りに乗り気になって是非一緒に出かけようというもんだから、わたしもその積りで約束すると、やっぱりいざという時に寝がえりを打ってしまいました",
"意気地のない奴だな",
"まったく意気地のない奴ですよ"
],
[
"いいえ、来ていません。このごろは石町の油屋へ仕事に行っているそうです",
"そうか。じゃあ、その利助という小僧を呼んで貰おう。ただ黙って連れて来てくれ",
"はい、はい"
],
[
"まあ、銀蔵も喜平も別に係り合いはなさそうだ。それより大工の勝次郎という若い野郎を引き挙げてくれ。こいつは石町の油屋に仕事に行っているそうだから",
"ようがす。すぐに番屋へ引っ張って来ますかえ"
],
[
"実はさっきお話をしませんでしたが、池崎の屋敷の中間のほかに、こんなことがありましたよ。これはわたしだけが知っていることなんですがね。なんでも八月の中頃からでしょうか、変な男がときどき髪を束ねに来るんです。ひとりで来る時もあり、二人づれで来る時もありましたが、まあ大抵はひとりで来ました。年頃は三十五六でしょうか、色の黒い、骨太の、なんだか眼付きのよくない男で、めったに口をきいたこともなく、いつも黙って頭をいじらせて、黙って銭をおいて行くんです",
"それがどう変なのだ",
"どうということもありませんが……。わたしも客商売で、毎日いろいろの人に逢っていますが、どうもその男の様子がなんだか変でしたよ"
],
[
"いや、それがまたおかしいんです。九月のなかば過ぎ、山卯の若い衆が清水山へ見とどけに出かけてから二、三日あとのことでした。その男がいつもの通りふらりとはいって来て、わたしに髭を当らせていると、そこへまたほかの客がはいって来て、山卯の若い衆の噂をはじめると、その男は黙って聞いていたが、やがてにやりと忌な笑い顔をして、半分はひとり言のように、そんな詰まらないことをするものじゃあない。しまいには身を損ねるようなことが出来する……と。わたしはそれに相槌を打って、まったくそうですねと云いましたが、その男はなんにも返事をしませんでした。そうして、それっきり来なくなってしまったんです",
"それっきり来ねえか",
"それっきり一度も顔をみせません。ねえ。親分。なんだか変じゃありませんか。そいつは今も云う通り、色の黒い、骨太の、頑丈な奴でしたよ"
],
[
"いや、ありがとう。いいことを教えてくれた。うまく行けば一杯買うぜ",
"どうも恐れ入りました。こんな話が何かのお役に立てば結構です"
],
[
"そこで早速だが、お前は柳原の清水山へ何しに行くんだ",
"いいえ、行ったことはございません。山卯の喜平どんに誘われましたが、どうも気が進まないのでことわりました",
"気が進まないなら、なぜ初めに自分の方から行こうと云い出したんだ。いやなものなら黙っていたらよさそうなもんだ。一旦行こうとしながら、中途で寝返りを打つばかりか、山卯の小僧に百の銭をくれて、仕事場の丸太をなぜ倒さした。そのわけが訊きてえ。正直に云ってくれ",
"へえ"
],
[
"そのお勝とかいう女は、それっきりちっとも音沙汰がないんだな",
"その当時はなんどきまた押し掛けて来るかと、内々心配していましたが、もうひと月の余になりますけれども、それっきり影も形もみませんから、もう大丈夫だろうと安心しているのでございます"
],
[
"幸の奴は清水山に張り込ませることになっているから、おめえ御苦労でも誰かと手分けをして、あいつの仕事さきを一々洗って来てくれ",
"どんなことを洗ってくるんです"
],
[
"今夜も張り込みますかえ",
"まあ、それはもう少し考えてみよう"
],
[
"親分さん。大工の勝次郎がゆうべから帰らないそうです",
"勝次郎が……。ゆうべから……"
],
[
"それでも若い者のことだ。どこへ転げ込まねえとも限らねえ。まだ夜が明けたばかりだ。今にどこからか出て来るだろう",
"でも、親分。師匠のうちから半町ばかり離れたところに、勝次郎の煙草入れと草履が片足落ちていたそうです"
],
[
"おたずねの勝次郎のことに付きましては、わたくしも心配して、これから若い者どもを手分けして、心あたりを探させようと思っているところでございます。前夜の様子から考えると、なにか人と喧嘩でもしたのか。男のことですから、まさかに拐引に逢ったわけでもないだろうと思うんですが……。職人にしてはふだんからおとなしい奴ですから、人から恨みを受けるようなこともない筈ですし、どうもわかりません",
"きのう当人から聴いたのじゃあ、この六月から七月にかけて、日本橋に二軒、神田に一軒、深川に一軒、雑司ヶ谷に一軒、仕事に行ったそうですが、そのなかで顔に痣のある娘か女中のいる家はありませんでしたかえ"
],
[
"家号は桝屋ですが、苗字は庄司というんだそうで、土地の者はみんな庄司と云っています。土地では旧家だそうで、店の商売は穀屋ですが、田地をたくさん持っている大百姓で、店の右の方には大きい門があって、家の構えもなかなか手広いようです。店の方と畑の方とを合わせると、奉公人が四五十人も居るということです",
"奉公人のほかに家内は幾人いる"
],
[
"そうすると、親子二人ぎりだな。その庄司の家には何か悪い筋でもあるという噂は聞かねえか",
"さあ、そんな噂は聞きませんでした。主人は慈悲ぶかい人だそうで、土地では庄司の旦那様といえば、仏さまのように敬っているようです。なにを訊いてもいいことばかりで、悪い噂なんぞする者は一人もありませんよ。どれもこれも無駄らしゅうござんすね"
],
[
"だって、考えてみろ。それほどの大家でありながら、惣領息子を遠い奥州へ出してやるというのがわからねえ。次男も遠い中国へやる。惣領むすめも遠い北国へやる。大勢の子供をみんな遠国へ出してしまうというのは、なにか仔細がなければならねえ。その家には悪い病気の筋がある。おそらく癩病か何かの血筋を引いているのだろう。おやじは幸いに無事でいても、その子供たちは年頃になると悪い病いが出る。そこで、奥州へやったの、北国へやったのと云って、どこか知らねえ田舎に隠しているに相違ねえ。家にのこっているお早という娘が去年から悪いというのも、やっぱりそれだ。唯の病気ならば誰にも顔を見せねえという筋はねえ。人に見られねえように、どっかに隠れて養生しているんだろう。考えてみれば可哀そうなものだ",
"それにしても、そのお早という女が勝次郎に逢いに来たんでしょうか。それがまだわからねえ"
],
[
"じゃあ、すぐに繰り出しましょうか",
"これから出かけると、夜がふけて何かの都合が悪かろう。まあ、あしたにしようぜ。世間のうわさがあんまり騒々しくなったのと、勝次郎の奴がこの頃だんだんぐらつき出したので、向うでも引っかついで行ってしまったんだろうから、なにも命を取るようなこともあるめえ。種さえあがれば、そんなに慌てなくてもいい"
],
[
"なんだか忌な匂いがしますね",
"それでございます。神田の親分さん、どうぞこれを御覧くださいまし"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(四)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年8月20日初版1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:しず
1999年12月3日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[
[
"悪いことは出来ねえ。どうも飛んだことになった",
"だからさ、その飛んだ事というのは……。焦れったい人だねえ。早く、はっきりとお云いなさいよ",
"実は……。為さんが川へ引き込まれた"
],
[
"むむ。おれも何だかそんな気がする。ゆうべ釣って来たのは雄の鯉で、その雌が取り返しに来たんじゃあるめえかな",
"返してやったからいいようなものだが、なんだか気味が悪いね",
"どうも変だな"
],
[
"外では為さんがあんなことになる。内ではそんな女が押し掛けて来る。どう考えても、むらさきが俺たちに祟っているらしい。まったく悪いことは出来ねえ。もう、もう、これに懲りて釣りは止めだ",
"それにしても、越前屋の方はどうするの。まさかに知らん顔をしてもいられまいじゃないか",
"それをおれも考えているんだ。おれと一緒に行くことは、おかみさんも知っているんだからな",
"それだから知らん顔はしていられないと云うのさ。おまえさん、これから行って早く知らしておいでなさいよ"
],
[
"いいえ",
"来ていませんか"
],
[
"奥に寝ていますよ",
"旦那は……",
"旦那も寝ていますよ"
],
[
"では、紙屋の亭主はなんにも係り合わなかったのですか",
"まったくなんにも知らないんです。ふだんから藤吉と釣り仲間ではありましたが、鯉の一件には係り合いの無いことが判りました。御承知かも知れませんが、赤城下はその以前に隠し売女のあったところで、今もその名残で一種の曖昧茶屋のようなものがある。そこの白首に藤吉は馴染が出来て、余計な金が要る。御留川の夜釣りも畢竟はそういう金の要り途があるからで、女房の手前は毎晩夜釣りに行くように見せかけて、三度に二度はその女のところへ飛んだ夜釣りに出かけていたんです。そういう時には今夜はあぶれたと誤魔化していたんですが、それでも自分ひとりでは何だか疑われそうに思われるので、釣り仲間の為さんも一緒だなどといい加減なことを云っていたらしい。紙屋の亭主こそ実に迷惑で、それがために思いもよらない災難をうけて、一旦は召し捕られたり、その後もたびたび番所へ呼び出されたり、どうもひどい目に逢いましたが、右の事情が判って無事に済みました。川春の宇三郎は死罪、富蔵は吟味中に牢死、出前持ちふたりは追放だとおぼえています。宇三郎の白状で、鯉を食った者はみんな判っているんですが、身分のある人は迂濶に詮議も出来ず、大町人は金を使って内々に運動したのでしょう、その方の詮議はすべて有耶無耶になってしまいました。高山もお糸も無事でしたが、この一件から富蔵との秘密がばれたらしく、お糸は旦那の手が切れて何処へか立ち去ったようでした"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(四)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年8月20日初版1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:おのしげひこ
1999年12月27日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[
[
"誰ですえ",
"おれだ、おれだ。平公は来なかったか"
],
[
"庄さんはどうしました",
"もうさっき出ましたよ",
"はてね",
"逢いませんかえ"
],
[
"それが逢わねえ。不思議だな",
"平さんに逢いましたか",
"平公にも逢わねえ。あいつもどうしたのかな"
],
[
"いや、庄さんにも藤さんにも逢わねえ",
"さっきこの戸を叩いて、内の人を呼んだのはお前さんでしょう"
],
[
"いや、喧嘩の筋も大抵わかっている。これ、平七。貴様は三月二十一日の朝、鋳掛屋の庄五郎と一緒に川崎へ行く約束をしたそうだな",
"へえ",
"この藤次郎と三人で行く約束をしたのだそうだが、その朝は貴様が一番さきに行っていたな",
"いえ。出がけに庄五郎の家へ声をかけましたら、もう出て行ったということでございました"
],
[
"ひと通りは知っていますよ",
"露月町の鋳掛屋の平七、そいつが下手人として挙げられたようだが、白状したのか",
"強情な奴で、なかなか素直に口をあかねえそうですが、伊豆屋も旦那方もおなじ見込みで、もう大番屋へ送り込んだということです"
],
[
"だんだん調べると、それは藤次郎という奴の冗談だそうですよ",
"冗談だ……",
"ええ。三人のなかでは建具職の藤次郎という奴が一番あとから出て来たんです。そいつが冗談半分に庄五郎の声色を使って、鋳掛屋の門をたたくと、女房は寝入っていて小僧が返事をした。女房だったならば、何か戯うつもりだったかも知れねえが、小僧じゃ仕方がねえので、藤次郎もそのまま行ってしまったんだそうですよ。それは当人の白状だから間違いはありますめえ。こんなつまらねえ冗談をする奴があるので、ときどきに探索もこじれるんですね"
],
[
"いや、御苦労。おれはこれから少し用があるから、きょうはもう帰ってくれ。ひょっとすると、あしたはお前の家へ尋ねて行くかも知れねえから、家をあけねえで待っていてくれ",
"あい。ようがす"
],
[
"これから何処へ出かけるの",
"熊のところまで行ってくる。あしたと約束したのだが、思いついたら早い方がいい。このごろは日が長げえから"
],
[
"親分。早うござんしたね",
"むむ。急に思いついたことが出来たので、すぐに出て来た。これから田町へ案内してくれ"
],
[
"奥にいますよ。呼んできましょうか",
"呼んでくれ"
],
[
"藤次郎は外から、おかみさん、おかみさんと呼んだのかえ",
"はい",
"御亭主がいなくなってから、平七と藤次郎は大層親切に世話をしてくれるそうだね"
],
[
"伊豆屋は伊豆屋、おれは俺だ。三河町の半七は別に調べることがあるんだ。やい、藤次郎。貴様は三月二十一日の朝、なんでここの家の戸を叩いた",
"大木戸で待ちあわせる約束をいたしましたので、そこへ行ってみますと誰もまだ来て居りません。しばらく待って居りましたが、庄五郎も平七も見えませんので、どうしたのかと思って念のために引っ返してまいったのでございます",
"その時にここの家の戸は締まっていたな",
"はい。締まっているので叩きました",
"そうして、おかみさん、おかみさんと呼んだな",
"はい"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(四)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年8月20日初版1刷発行
入力:tat_suki
校正:小林繁雄
1999年3月25日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "000998",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
"ソート用読み": "はんしちとりものちよう",
"副題": "45 三つの声",
"副題読み": "45 みっつのこえ",
"原題": "",
"初出": "",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "1999-03-25T00:00:00",
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"名": "綺堂",
"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1872-11-15",
"没年月日": "1939-03-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "時代推理小説 半七捕物帳(四)",
"底本出版社名1": "光文社時代小説文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "1986(昭和61)年8月20日",
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[
[
"かたき討……",
"相手が虚無僧だけに、芝居や講釈から割り出して、かたき討なぞという噂も出るのだ。仇ふたりが出家に姿をかえて、あの古寺に忍んでいるところへ、虚無僧ふたりが尋ねて来て、親か兄弟のかたき討、いざ尋常に勝負勝負の果てが、双方相討ちになったのだろうというのだが……。それにしても、四人の死骸がどうして井戸から出て来たのか、その理窟が呑み込めねえ、第一、どの死骸にも疵のねえのが不思議だ",
"その寺には金でもありますかえ",
"ここらでも名代の貧乏寺さ。いくら近眼の泥坊だって、あの寺へ物取りにはいるような間抜けはあるめえ。万一物取りにはいったにしても、坊主も虚無僧もみんな屈竟の男揃いだ。たとい寝込みを狙われたにしても、揃いも揃ってぶち殺されて、片っ端から井戸へ抛り込まれてしまうというのは、ちっと受け取りかねる話じゃあねえか",
"その虚無僧は、前から寺に泊まっていたんですかえ",
"今までは住職と納所ばかりだ。そこへ何処からか虚無僧二人が舞い込んで来て、一緒に死んでいたんだから、何がどうしたのか判らねえ"
],
[
"若いときには品川辺に住んでいたそうですが、十五六年も前からここへ引っ込んで来て、小さい荒物屋をやっています。三年前に亭主が死んだ時、自分の寺は遠くて困るというので、あの竜濤寺に埋めて貰って、墓まいりに始終行っていたのですよ",
"婆さんは幾つだね",
"五十七八か、まあ六十ぐらいだろうね。子供はねえので、亭主に別れてからは、孀婦で暮らしていたのです",
"家はどこだね",
"徳住寺……。神明様のあるお寺だが……。その寺のすぐそばですよ"
],
[
"和尚の居間はどこだね",
"こっちですよ"
],
[
"親分はさすがに眼が利いているね",
"眼が利いているのじゃあねえ、耳が利いているのだ。あの木魚の音がどうも唯でねえと思った。それで、どうした"
],
[
"あい、ようがす。だが、お前さん一人ぼっちでこんな所にいて……。なにが出て来るか判りませんぜ",
"はは、大丈夫だ。いくら古寺でも、まっ昼間から化け猫が出ても来ねえだろう。出てくるのは鼠か藪っ蚊か。まあ、そんなものだろうよ",
"ちげえねえ。じゃあ、行って来ます"
],
[
"まったく直ぐに帰りましたので……。あとの事は知りません",
"こいつ、道楽者のくせにあっさりしねえ野郎だな。やい、元八。てめえはあのお鎌という婆さんから鼻薬を貰って、口を拭っているのだろう。くどくも云うようだが、緑屋の爺さんと此の半七とは相手が違うぞ。その積りで返事をしろ"
],
[
"親分の仰しゃる通り、実は三人のあとを尾けて……",
"寺のなかまではいり込んだな。それからどうした",
"三人は案内も無しに上がり込みました",
"坊主はいたのか",
"住職、納所もいました。三人は住職の居間へ通って……",
"この六畳だな",
"そうです。住職も納所も虚無僧も女も、みんな一緒に寄り集まって、ここで酒を飲み始めました",
"おめえはそれを何処で覗いていた",
"庭から廻って、あの大きい芭蕉の蔭で……。すると、だしぬけに袂を掴んで引っ張る奴があるので、驚いて振り返ると……"
],
[
"お鎌はわたしをむやみに引き摺って、表の玄関の方まで連れ出して、わたしの手に一歩の金を握らせて、さあ早く出て行け、ぐずぐずしているとお前の命が無いというので……。わたしも何だか気味がわるくなって、忽々に逃げて帰りました",
"おめえはお鎌と心安くしているのか",
"別に心安いというわけでもありませんが、あの婆さんは小金を持っているので、時々ちっとぐれえの小遣いを借りることもあるのです。いえ、なに、借り倒すなんていう事は出来ません。あの婆さん、なかなか厳重ですから……"
],
[
"ここの井戸から四人の死骸が揚がったという評判を聞いて、わたしもすぐに駈け着けてみると、お鎌も来ていました。なにしろ最初に死骸を見付けた本人ですから、名主さん達からいろいろのことを訊かれていましたが、わたしは何だか気が咎めるので、なるたけ後の方へ引きさがって、遠くから覗いていました。その時ぎりでお鎌に逢ったことはありません",
"死骸を見つけたのは、十五夜から四日目だというじゃあねえか。そのあいだに、一度もお鎌に逢わなかったのか",
"逢いませんでした"
],
[
"親分、お鎌はいませんよ",
"家にいねえのか",
"荒物屋の店は空明きで、何処へ出て行ったのか近所の者も知らねえと云うのです。なにしろ、こっちの方も気になるので、案内の男だけを見張りに残して置いて、わっしは一旦引っ返して来たのですが、どうしましょう"
],
[
"成程、似ているようですね",
"似ているじゃねえ。確かに同筆だ。この寺へはいろいろの奴らが寄り集まって来て、その置手紙を木魚の口へ投げ込んで置いて、なにかの打ち合わせをすることになっているらしい、そこまでは先ず判ったが、さてこの十五夜御用心……。誰に用心しろと云うのかな"
],
[
"おい、元八。おめえはその芭蕉のかげで立ち聴きをしていて、なんにも話し声は聞えなかったか",
"声が低いので、よく聴き取れませんでした。ただ一度、全真という納所坊主がこの縁側から月をながめて、ああいい月だ、諏訪神社の祭礼ももう直ぐだなと云うと、住職の全達が笑いながら、諏訪の祭りが見たければ直ぐ出て行け、十月までには間に合うだろうと云って、みんなが大きい声で笑っていました"
],
[
"元八は来ましたよ",
"寺へか。お前さん達のあとを尾けて……。はは、馬鹿野郎め、定めし嚇かされたろうな",
"嚇かしもしねえが、ちっとばかり口を取って置きましたよ。そこで、ちょいと伺いたいのですが、ここらに長崎者はいませんかね",
"長崎者……。そんな遠国の者は住んでいねえようだが……。いや、ある、ある。この近所で荒物屋をしているお鎌という女……。それ、さっきも話した通り、古井戸の死骸を最初に見つけ出した女だ。長崎だかどうだか確かには知らねえが、なんでも遠い九州の生まれだと聞いたようだ。それがどうかしたのかえ",
"いや、どうということもねえのですが、そのお鎌というのが影を隠したらしいので……。お前さんも知っていなさるか知らねえが、元八は十五夜の晩に、あの寺でお鎌から一歩貰ったそうですよ"
],
[
"親分。化け物はまだ来ねえかね",
"秋の夜は長げえ。化け物の来るのは丑満と決まっていらあ",
"まったく秋の夜は長げえ。ここらで一服吸ってもいいかね",
"いけねえ。燧石の火は禁物だ",
"いやに暗い晩だね",
"暗いから火は禁物だというのだ"
],
[
"女ですか。ひとりは捉まえたが、一人は逃がしてしまいましたよ",
"じゃあ二人ですか",
"ひとりは匕首を持っていた女……。そいつは刃物を振りまわして、私に斬ってかかって来ましたが、こっちも商売ですから、空手でどうにか捻じ伏せてしまいました。もう一人の女……例の古井戸の方へ忍んで来た奴は、松吉を突き退けて逃げたんです。なにしろ真っ暗闇ですからね",
"井戸へ飛び込んだのは誰なんです",
"飛び込んだのじゃあない、投げ込んだのですよ。男の死骸を……",
"男の死骸……",
"元八という奴の死骸です",
"元八も殺されたんですか",
"可哀そうに殺されました"
],
[
"お鎌は果たして長崎の人間でした。死んだ亭主の名は徳之助と云って、二十年ほども前から夫婦連れで国を出て、何かの縁を頼って、初めは江戸の品川に草鞋をぬぎ、それから山の手辺を流れ渡って最後にこの押上村におちついて、十五六年も無事に暮らしていたんです。生まれ故郷を遠く離れて、なぜ江戸三界へ出て来たのか、それはよく判らないんですが、なにか良くない事をして、江戸へ逃げて来たんだろうと思われます。こう云えば、まず大抵は想像が付くでしょうが、長崎の祭りを恋しがった全真という納所は、お鎌の夫婦に由縁のある者で、実はお鎌の甥にあたるんです。全真は子どもの時から長崎在の小さい寺へ小僧にやられていたんですが、これも何かのしくじりがあったんでしょう、五、六年前から国を飛び出して、叔母のお鎌をたずねて来る途中、東海道の三島の宿から全達と道連れになって、一緒に江戸へ出て来たんです。その道中のことはよく判りませんが、江戸へ着いた頃には二人とも、もう相当の悪者になっていたようです。この二人が竜濤寺の空寺に巣を作るようになったのも、お鎌に教えられたんでしょう。そのうちに、お鎌の亭主の徳之助が死んだので、死骸を竜濤寺へ葬って、その墓参りにかこつけてお鎌は始終出這入りをしていたんです。そんなわけですから、お鎌はみんなの悪事を承知しているどころか、そいつらが盗んで来た品物を択り分けて、賍品買や湯灌場買なぞに売り捌いていたんですが、近所の者は誰も気がつかなかったと見えます",
"虚無僧は何者です。やっぱり長崎の生まれですか",
"いや、これは長崎じゃありません。二人とも北国筋の浪人だと云っていたそうですが、本当の身許はわかりません。ひと通りの武芸は出来たようですから、ともかくも大小をさした人間の果てには相違ありますまい。二人は兄弟でもなく、叔父甥でもなく、ひとりは石田、ひとりは水野と云っていたそうですが、もちろん偽名でしょう。どこでどう知り合いになったのかも知りませんが、石田と水野も竜濤寺の仲間入りをして、前にも云ったように、大きい町人や旗本屋敷を荒らし廻っていたんです。そうして幾年のあいだは、うまく世間の眼を晦ましているうちに、ここに一つの捫著が起りました",
"おまんという女の一件ですか"
],
[
"木魚のポストは誰も明けなかったんですね",
"誰も明けなかったと見えます、御用心がなんの役にも立たないで、こんな騒ぎになってしまったので、おまんもお鎌ももう忘れていたんでしょう。私が乗り込んだ五日目まで、結び文はちゃんと残っていました"
],
[
"睡り薬の手違いで、こんなことになった以上、おまんもお鎌も思い切りよく別れてしまえばよかったんですが、二人にはまだ未練がある。四人がこれまでに盗んだ金や、右から左に処分することの出来ないような金目の品々が、寺の何処にか隠してあるに相違ないというので、二人は人目に付かないように忍び込んで、墓場や床下を掘ってみたり、須弥壇を掻き廻してみたり、心あたりの場所を一々探していたが、それがどうも見付からない。そこへ私たちが乗り込んで来たので、眼の捷いお鎌はすぐに自分の店をぬけ出して、事の成り行きをうかがっていると、元八がドジを組んで私たちに調べられることになった。一旦は無事に帰されたものの、油断していると元八のような奴は何をしゃべるか判らない。殊に十五夜の晩に、一歩の金をつかませたという秘密もあるので、お鎌はおまんと相談して、元八を何処へか呼び出して、例の睡り薬を一服盛ってしまったんです。大方おまんが色仕掛けか何かで、凄い腕を揮ったんでしょう。決して外へ出ちゃあならないと、私が元八に堅く云い聞かせて置いたのに、うっかり誘い出されたと見えます。その死骸を近所の川へでも投げ込んでしまえばいいのに、同じ寺の古井戸へ運んで来たのが二人の女の運の尽きで、忽ちわたし達の網に引っかかったんです。こいつらに限らず、犯罪者というものはとかく同じことを繰り返す癖があるので、それがいつでも露顕の端緒になる。まったく不思議なものです",
"元八の死骸は誰が運んで来たんです。女たちの手には負えないでしょう",
"元八は小柄の男で、お鎌は頑丈な女ですから、自分が負って行ったということになっているんですが、実際はどうでしょうかね。緑屋の甚右衛門は堅気になっていますが、昔の子分のうちには今でもぶらぶらしているやくざがいる。そんな奴が幾らかの鼻楽を貰って、お鎌に手を貸してたんじゃあないかとも思われますが、甚右衛門の顔に免じて、そこはまあ有耶無耶にしてしまいました",
"おまんはあなたに捉まって……。それから、お鎌はどうしました",
"一旦は逃げましたが、五、六日の後に深川の木賃宿で挙げられました。お鎌は竜濤寺に隠してある金に未練が残っていて、ほとぼりの冷めた頃に又さがしに行く積りであったそうです。悪党のくせに、よくよく思い切りの悪い奴で、そこがやっぱり女ですね",
"問題の睡り薬は、どっちの女が持っていたんです"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(四)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年8月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:湯地光弘
1999年12月30日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "000958",
"作品名": "半七捕物帳",
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[
[
"むむ、おかしいな。そこで、その死骸はどんな女だ",
"わっしは見ませんが、なんでも三十二三の小粋な女房で、その風呂敷包みのほかにはなんにも持っていなかったそうです。からだに疵は無し、水を嚥んでいる。たしかに身投げに相違ねえというのですが、さてその蝋燭がわからねえ。芯が金無垢でこしらえた蝋燭なんていう物が、この世の中にある筈がねえ。一体その女がどうしてそんな物を抱えていたのか、ひと詮議しなけりゃあなるめえと思うのですが、どうでしょう"
],
[
"どうも唯事じゃあ無さそうですね",
"なにしろ、いいことを嗅ぎ出して来てくれた。さあ、帯を絞め直して取りかかるかな"
],
[
"寒い時も困るが、おれ達の商売も暑くなると楽じゃあねえ。一体、両国橋の繕いというのは、いつ頃までに出来上がるのだ",
"五月の末……川開きまでにゃあ済むのでしょう。それでなけりゃあ土地の者が浮かばれませんよ",
"そうだろうな"
],
[
"やあ、御免だ",
"あんまりそうでもあるめえ"
],
[
"いえ、お前さん。あの女が散らし髪になって、恐ろしい顔をして、死んでも放すまいというように、風呂敷包みをしっかり抱えていたのを見ると、慾も得もありません。金の蝋燭でも、金の伸べ棒でも、あんな物を貰ったら、きっと執念が残って祟られますよ",
"三十二三で、小粋な女だそうだね",
"今は堅気のおかみさんでも、若い時にゃあ泥水を飲んだ女じゃあないかと思われました。木綿物じゃあありますが、小ざっぱりした装をして……。まあ、見たところ、困る人じゃあ無さそうでしたね"
],
[
"ふうむ。そんなことがあったのか。そこで、その男はどんな奴だ",
"もう四十近い、色の浅黒い、がっしりした男で、まんざら野暮な人でも無いようなふうをしていました。勿論、別に証拠があるわけじゃあありませんが、ひょっとすると死骸の女の亭主で……"
],
[
"いつでも柳橋の方から来るようですから、あの辺の人か、それとも神田か浅草でしょうね",
"いや、ありがとう。御用とはいいながら、飛んだ邪魔をした。おい、爺さん。こりゃあ少しだが、煙草でも買いねえ。放し鰻の代りだ"
],
[
"親分、女の亭主という奴はもう来ねえでしょうか",
"来ねえだろうな。困ったことには、人足どもが見付け出したのだから、方々へ行ってしゃべるだろう。そんな噂が立つと、奴らもきっと用心して証拠物を隠してしまうに相違ねえ。気の早い奴はどこへか飛んでしまうかも知れねえ。ぐずぐずしていると折角の魚に網を破られてしまう。何とか早く埒を明けてえものだな",
"橋番のおやじがもう少し気が利いていりゃあ何とかなるのだが……"
],
[
"おい、おめえはあの女を知っているかえ",
"冗談じゃあねえ。いくらわっしだって、江戸じゅうの女をみんな知っているものか"
],
[
"いや、知っています、知っています。あれは奥山のお光ですよ",
"むむ、宮戸川のお光か。道理で、見たような女だと思った。あいつ、いい亡者になって大道占いに絞られている。はは、色男でも出来たかな",
"色男でも出来たか、おふくろと喧嘩でもしたか。まあ、そんなところでしょうね"
],
[
"おや、幸さん。急にお暑くなったようでございますね。きょうはこちらで何かのお見張りですか",
"なに、見張りというわけでもねえ。あんまりからだが閑だから、野幇間とおなじように、ここらへ出て来て岡釣りよ。そういう俺よりも、お光ちゃんこそ忙がしいからだで、ここらへ何しに出て来たのだ。おめえも色男の岡釣りかえ",
"ほほ、御冗談でしょう。両国橋が御普請だというので、どんな様子か拝見に出て来たんですよ",
"と云うのは、世を忍ぶ仮の名で、占い者にお手の筋を見て貰って……。それから両国の川へ行ってお念仏を唱えて……。これから何処へかお寺参りにでも行くのかね。はは、お若けえのに御奇特なことだ"
],
[
"田町でございます",
"浅草の田町だな",
"はい。袖摺稲荷の近所で……",
"なんという男で、何商売をしている",
"宗兵衛と申しまして、金貸しを商売にして居ります。おもに吉原へ出入りをする人達に貸し付けているのだそうで……",
"じゃあ、小金を貸しているのだな、身上はいいのか",
"よくは知りませんが、不自由は無いようでございます",
"おめえは宗兵衛の女房を知っているのか"
],
[
"おめえの家はどこだ",
"馬道の露路の中でございます",
"女房が何しに来た。暴れ込んで来たのか",
"旦那を迎えに……。初めのうちは旦那も素直に帰ったんですが、しまいには喧嘩を始めて……。おっ母さんも、あたしも困ったことがあります。この二日の晩にも、旦那がよっぽど酔っているところへ、おかみさんが押し掛けて来て、とうとう大喧嘩になってしまって……。旦那はおかみさんを引き摺り倒して、乱暴に踏んだり蹴ったりするので、あたし達もみかねて仲へはいって、ともかくもおかみさんを宥めて表へ連れ出そうとすると、おかみさんはもう半気違いのようになっていて、鬼のような顔をして旦那を睨んで、この野郎め、おぼえていろ、あたしが死んでも、蝋燭が物を云うぞ……"
],
[
"そりゃあ何刻だ",
"弁天山の四ツがきこえる前でした",
"その後に宗兵衛はおめえの家へ顔を見せたか",
"一度も来ません",
"その仮橋から身を投げたのは宗兵衛の女房だということを、おめえはどうして知っているのだ",
"今も申す通り、あの晩おかみさんが出て行く時に、あたしが死んでも蝋燭が物を云う……。それが耳に残っているところへ、きのうこの川で揚がった女の死骸は、金の蝋燭をかかえていたという評判で、その年ごろも丁度おなじようですから、きっと旦那のおかみさんに相違ないと、おっ母さんは大変に心配しているんです。あたしも気になって堪まりませんから、その様子を聞きながらここへ来て、占い者に見て貰いますと、おまえさんには死霊が祟っていると云われたので、いよいよぞっとしてしまいました",
"宗兵衛は江戸者かえ",
"いいえ、なんでも東海道の方に長くいたそうで、大井川の話なんぞをした事があります。江戸へは一昨年の春頃から出て来たということです"
],
[
"二日の晩に初めて聞いたので……。それまでに誰もそんな話をしたことはありませんでした",
"そうか。じゃあ、きょうはまあこの位でよかろう。おっ母にもあんまり心配するなと云って置け",
"ありがとうございます",
"宗兵衛という旦那が来ても、きょうのことは決してしゃべっちゃあならねえ。詰まらねえおしゃべりをすると飛んだ係り合いになるぞ"
],
[
"なに、奥山の茶屋女が慾得ずくで世話になっている旦那だ。心から惚れているわけでもあるめえ。それにしても、宗兵衛という奴を早く引き挙げなけりゃあならねえ。野郎め、女房にひどい意趣返しをされたな",
"意趣返しだろうか"
],
[
"そんならむしろ訴えて出ればいいのに……",
"それにゃあ訳があるのだろう。訴えて出れば自分もお仕置にならなけりゃあならねえ。自分はひと思いに死んでしまって、あとに残った亭主を磔刑か獄門にでもしてやろうという料簡だろう。女に怨まれちゃあ助からねえ。おめえも用心しろよ",
"はは、わっしは大丈夫だ"
],
[
"宗兵衛さんはいないよ",
"どこへ行った",
"どこへ行ったか知らないが、ゆうべから帰らないと女中が云ったんだ",
"まあ、留守でもいいや。その家を教えてくれ"
],
[
"旦那はお留守ですかえ",
"ゆうべから帰りませんよ",
"馬道のお光さんのところへ泊まり込みかね"
],
[
"おかみさんは……",
"おかみさんも留守ですよ",
"二日の晩から居ないのかえ"
],
[
"おかみさんは駕籠に乗って、本所のどこへ行ったか知らねえか",
"本所と聞いたばかりで、どこへ行ったか存じません",
"本所に親類か知人でもあるのか",
"本所からは増さんという人が時々に見えますが、家はどこにあるのか存じません",
"おかみさんの駕籠は辻倉だね",
"そうでございます"
],
[
"おい、本所から来る増さんというのは、錺屋かえ",
"はい。錺屋さんだそうでございます",
"なんの用で来るのか知らねえか",
"やっぱりお金を借りに来るようです"
],
[
"わたくしは増蔵でございますが、なんぞ御用でございますか",
"おれは三河町の半七だが、内の者はまだ誰も来ねえかね"
],
[
"まことに恐れ入りました。実はきのう両国の仮橋の下から女の死骸が揚がって、それが金の蝋燭をかかえていたという噂を聞きまして、すぐに訊きに行きますと、確かに見おぼえのある人でしたから、そこで正直にお係りのお方に申し上げようかと思ったのですが、なんだか気が咎めて其のままそっと帰って来てしまいました。それがためにいろいろお手数をかけまして相済みません",
"おめえは以前から田町の宗兵衛を識っているのか",
"いえ、去年の九月頃からでございます。実は去年の正月に女房をなくしまして、それからちっとばかり道楽を始めたので、ふところがだんだん苦しくなりまして……。そのうちに、吉原の若い者の喜助という者と懇意になりまして、その喜助が袖摺稲荷の近所にいる宗兵衛という金貸しを識っているというので、喜助の世話でそこから小金を借りることになって、それからまあ足を近く出這入りをするようになりました",
"宗兵衛からよっぽど借りたか",
"一度にたんと借りたことはございません。せいぜい二歩か三歩でしたが、それでもだんだんに元利が溜まってしまいまして、今では七、八両になって居ります",
"七、八両……。職人にしては大金だ。それを宗兵衛は催促しねえのか",
"ちっとも催促しないで、いつもいい顔をして貸してくれました。あとで考えると、それには少し思惑のあることで……。先月のはじめに田町の家へたずねて参りますと、宗兵衛は一本の大きい蝋燭を出して見せまして、おまえは商売だから金銀細工の地金屋を知っているだろう。これを一度に持って行くとおかしく思われるから、幾つかに分けて方々の地金屋へ持って行って、相当の相場で売って来てくれ。その働き賃には今までの借金を帳消しにするばかりでなく、相場によっては又幾らかの手数料をやるというのです。わたくしも慾が手伝って、無分別に請け合って、一本の蝋燭をあずかって帰って、念のために蝋燭の横っ腹へ小さい穴をあけて見ると、なるほど金がはいっているのです。金無垢の伸べ棒を芯にした蝋燭……不思議な物もあるものだと思うに付けて、わたくしは又急に気味が悪くなりました。宗兵衛という人はどうしてこんな物を持っているのだろうと、翌日また出直して仔細を訊きに行きました",
"宗兵衛はなんと云った",
"おまえは知るまいが、京大阪の金持は泥坊の用心に、こういう物をこしらえて置く。どんな泥坊が徒党を組んで押し込んで来ても、蝋燭なんぞには眼をかけないから、こうして隠して置くのが一番確かだ。もう一つには、それが通用の小判であると、自分もとかくに手を付けて使い勝だから、地金のままで仕舞って置くのが無事だということになっている。町屋ばかりでなく、諸大名の屋敷でも軍用金はこうして貯えて置くのだと、そう云うのです"
],
[
"それでまあ不審は晴れたのですが、わたくしのような貧乏人が金のかたまりを持ち歩いても、どこでも滅多に取り合ってくれそうもありませんから、どうしたものかと考えているうちに、つい花どきだものですから田町へ行って又一両借りてしまいました。そんなわけで、いよいよ退引ならない羽目になって、わたくしも困っているところへ、この二日の晩に宗兵衛のおかみさんが駕籠で乗り付けて来て、ここの家にあずけてある蝋燭をかえしてくれというのです。その様子が何だかおかしい。おかみさんは散らし髪で眼の色が変っていて、どうも唯事ではないらしく、夫婦喧嘩でもして来たらしいので、大事の品をうっかり渡していいかどうだかと、わたくしは又困っていると、おかみさんは凄いような顔をして是非渡せと云う。そうなると、猶さら不安になって来て、旦那が来なければ渡されないと云う。いや、渡せと云う。しまいには喧嘩腰になって争っているところへ、いい塩梅に宗兵衛も駕籠に乗って来てくれました。その顔をみても、おかみさんは黙っていて口を利きません。それを宗兵衛が無理に二階へ連れて行って、どういう風になだめたか知りませんが、まあ仲直りをしたような様子で、夫婦は無事に二階を降りて来ました。もう四ツ時分だから駕籠を呼ばせようかと云いましたが、そこらへ出て辻駕籠を拾うからと云って、二人は細雨のふる中を出て行きました",
"その蝋燭はどうした",
"女房がやかましいから一旦返してくれと宗兵衛が云うので、わたくしも厄介払いをしたような心持で、すぐに返してやりました。その時におかみさんは、まだ何本かの蝋燭を重そうに抱えているようでした",
"それからどうした",
"それから先のことはなんにも知りません。夫婦は無事に田町へ婦ったものだと思っていると、実に案外の始末でびっくりしました。たぶん帰り路で二度の喧嘩をはじめて、おかみさんは両国の仮橋から飛び込んだのだろうと思います。宗兵衛はどうしたのか、田町へ様子を見に行こうと思いながら、うっかり出て行って飛んだ係り合いになっても詰まらない。といって、知らん顔をしているのも義理が悪いようで、なんだか心持が好くないもんですから、昼間から湯にはいって一杯飲んで、二階で横になっていたところです"
],
[
"その男の云った通りにしたならば、夫婦も余計な罪を作らずに済んだのかも知れませんが、折角くれた蝋燭を今すぐに使ってはいけないと云う。それが何だかおかしいばかりでなく、その蝋燭があんまり重いので、夫婦が不思議がって眺めているうちに、どっちの粗相だか土間に落として、そこにある石にかちりとあたると、蝋は砕けて芯が出た。それが金色に光ったので、夫婦は又おどろきました。それが即ち金の蝋燭の由来……",
"その旅の男というのは何者ですか"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(四)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年8月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:しず
1999年12月13日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "000988",
"作品名": "半七捕物帳",
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"ソート用読み": "はんしちとりものちよう",
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"副題読み": "47 きんのろうそく",
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"先生。わたくし共もお供いたします",
"むむ、誰でも勝手に来い"
],
[
"そうだ、そうだ。先生はどうした",
"先生は……。途中で失れてしまった",
"先生にはぐれた……",
"どこを探しても見えないのだ"
],
[
"貴様たちに正体を見とどけられるような俺だと思うか。おれはここらに年経る白狐だぞ",
"畜生、よく名乗った。この古狐め"
],
[
"おい。じいさんはいるかえ",
"やあ、親分……。唯今まいります"
],
[
"ここらに悪い狐が棲んでいるのかえ",
"今までそんな噂を聞いたこともありませんが、このあいだの晩、自分から名乗ったそうで……。おれはここらに年経る狐だとか云ったそうで、それは確かに聞いた人が二人もあるのですから、まあ本当でしょう"
],
[
"あい、ようがす",
"おれは白山前から指ヶ谷町へまわって来る",
"どこで逢いますね",
"白山町に笹屋という小料理屋がある。そこで待ち合わせることにしよう"
],
[
"旦那はお内ですかえ",
"いえ、こちらは女あるじで……",
"じゃあ、岡崎屋と同じことだね"
],
[
"息子さんは無いのかね",
"息子はございますが、まだ肩揚げが取れませんので……",
"娘さんは幾人いるね",
"二人でございます"
],
[
"すると、伊太郎が師匠を殺ったのかね",
"そうだろうな。だが、伊太郎一人の仕業じゃああるめえ。その晩一緒に出て行ったという池田の次男……喜平次という奴も手伝ったのだろう",
"そいつも伊太郎に抱き込まれたのかね",
"池田の屋敷はひどく逼迫していると云うじゃあねえか。おまけに厄介者の次男坊だ。二十四や五になるまで実家の冷飯を食っているようじゃあ、小遣いだって楽じゃあねえ。おそらく慾に眼が眩んで師匠殺しの手伝いをしたのだろうな"
],
[
"人殺しもいろいろあるが、親殺しは勿論、主殺しや師匠殺しと来ちゃあ重罪だ。だんだんに事が大きくなって来た。それにしても、ズウフラの一件はどういうのかな",
"ズウフラで師匠を誘い出したのじゃあねえかね"
],
[
"ズウフラの方はまあ別として、ともかくもこれだけのことを寺社の方へ届けて、岡崎屋の伊太郎を引き挙げてしまおうじゃありませんか",
"だが、まだ確かな証拠はねえ。ほかの事と違って重罪だ。むやみなことが出来るものか。まあ、もうちっと考えよう"
],
[
"今夜は殺された師匠の逮夜で、岩下の道場は昼間からごたごたしていたようだ。弟子たちも相当に集まるだろう。あの辺へ行って網を張っていたら、なにか引っかかる鴨があるかも知れねえ",
"そうしましょう"
],
[
"おい、亀。おれもだんだん考えたが、あのズウフラというものは筒にどんな仕掛けがあるか知らねえが、遠くの人を呼ぶ以上、相当に大きな声を出さなけりゃあならねえ筈だ。いくら人通りの少ねえ畑や田圃路だといって、道のまん中に突っ立って呶鳴っていちゃあ、すぐに種が知れてしまうから、少し距れた所から低い声で呼ぶに相違ねえ。つまり其の人のすぐうしろにいねえと云うだけのことで、そんなに遠いところから呼ぶのじゃああるめえと思う。こっちが気を鎮めて窺っていれば、大抵の見当は付く筈だのに、みんなびくびくして慌てるからいけねえのだ",
"まったくお前さんの云う通り、そんなに遠いところから呼ぶのじゃああるめえ。今夜ひとつ張り込んで見ましょうか",
"むむ。道場の模様次第で、張り込んでみてもいいな"
],
[
"なんだろう",
"どこだろう"
],
[
"それは近所の質屋のせがれで辰次郎という奴です。年は十九ですが、一人前には通用しない薄馬鹿で……。こいつがどうしてズウフラなんぞを持っていたかと云うと、自分の店で質に取った品です。御承知でもありましょうが、江戸時代にはオランダ人が五年に一度ずつ参府して、将軍にお目通りを許される事になっていました。大抵二月の二十五日ごろに江戸に着いて、三月上旬に登城するのが習いで、オランダ人は日本橋石町三丁目の長崎屋源右衛門方に宿を取ることに決まっていました。その時には将軍家に種々の献上物をするのは勿論ですが、係りの諸役人にもそれぞれに土産物をくれます。かのズウフラも通辞役の人にくれたのを、その人が何かの都合で質に入れたというわけです。質物は預かり物ですから、庫にしまって大切にして置くべきですが、物が珍らしいので薄馬鹿の辰公がそっと持ち出した。いや、辰公ばかりでなく、それをおだてた奴がほかにあるんです。それは吉祥寺裏の植木屋の若い者の長助という奴で、こいつ白らばっくれていながら、実は辰公をおだてて悪いたずらをさせていたんですよ",
"じゃあ、その辰公はおもしろ半分にやっていたんですね"
],
[
"喜平次も伊太郎もお常も、みんな挙げられたんですね",
"岡崎屋は白山前町にあるので、寺社の方へもことわって伊太郎を召し捕りました。お常も召し捕られました。お常は伊太郎との不義を白状しただけで、闇討ちのことは知らないと強情を張っていましたが、相手の伊太郎がべらべらしゃべってしまったので、どちらも引き廻しの上で磔刑という重い仕置を受けました。喜平次はゆくえが知れません。何でもこの一件が親兄弟にも知れたので、表沙汰にならない先に、屋敷内で詰腹を切らされたという噂です。気の毒なのは通辞役の深沢さんという人で、ズウフラを質入れした事が露顕して、別に表向きの咎めはありませんでしたが、世間に対して頗る面目を失ったということです。辰公の親たちは不取締りのために質物を馬鹿息子に持ち出され、それからこんな騒動をひき起したというので、きびしいお咎めを受けました。馬鹿息子が質物を持ち出して毎晩あるき廻っているのを、親たちも店の者も気がつかなかったというのは、あんまり迂濶な話ですから、どんなお咎めを蒙っても仕方がありません。片輪の子ほど可愛いとかいって、親たちが甘やかし過ぎたのが悪かったんです。辰公も吟味中、町内預けになっていたんですが、いつか抜け出して行って、富士裏の森で首を縊って死んでしまいました。そうなると、又その幽霊が出るとかいうのでひと騒ぎ、世の中に怪談の種は尽きないものです"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(四)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年8月20日初版1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:しず
2000年1月4日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"大阪屋花鳥……。聞いたような名ですね。そう、そう、柳亭燕枝の話にありました",
"そうです。燕枝の人情話で、名題は『島千鳥沖津白浪』といった筈です。燕枝も高座でたびたび話し、芝居にも仕組まれました。花鳥の一件は天保年中のことです。天保年中には吉原に大火が二度ありまして、一度は天保六年の正月二十四日で廓内全焼、次は天保八年の十月十九日で、これも廓内全焼でした。花鳥の放火を二度目の時のように云いますが、花鳥は自分の勤めている大阪屋を焼いただけで、そんな大火を起したのじゃあありません。梅津長門という浪人者を逃がすために、自分の部屋へ火を付けたとかいう噂もありますが、それはまあ一種の小説でしょう。花鳥はどうも手癖が悪くって、客の枕探しをする。その上に我儘者で、抱え主と折り合いがよくない。容貌も好し、見かけは立派な女なんですが、枕さがしの噂などがある為に、だんだんに客は落ちる、借金は殖える、抱え主にも睨まれる、朋輩には嫌われるというようなわけで、つまりは自棄半分で自分の部屋に火をつけ、どさくさまぎれに駈け落ちをきめて、一旦は廓を抜け出したんですが、やがて召し捕られました。それは天保十年のことで、本来ならば放火は火烙りですが、花鳥はなかなか弁の好い女で、抱え主の虐待に堪えられないので放火したという風に巧く云い取りをしたと見えて、こんにちでいえば情状酌量、罪一等を減じられて八丈島へ流されることになりました。それを有難いと思っていればいいんですが、女のくせに大胆な奴で、二年目の天保十一年に島抜けをして、こっそりと江戸へ逃げ帰ったんです。こんな奴が江戸へ帰って来て、碌なことをする筈はありません。いよいよ罪に罪を重ねることになりました",
"どんな悪いことをしたんですか",
"まあ、すぐに手帳を出さないで下さい。これはわたくしの若い時分のことで、後にわたくしの養父となった神田の吉五郎が指図をして、わたくしは唯その手伝いに駈け廻っただけの事なんですから、いちいち手に取るようにおしゃべりは出来ません。まあ、考え出しながら、ぽつぽつお話をしましょう"
],
[
"その晩に着ていた物だね",
"そうでございまいます。四入り青梅の片袖で、潮水にぬれては居りますが、色合いも縞柄も確かに相違ございません。おかみさんもそれに相違ないと申しまして、品川の人には相当の礼を致して、その片袖をこちらへ受け取りました",
"その礼は幾らやりましたね",
"このことは内分にしてくれと申しまして、金十両をつつんで差し出しますと、その人は辞退して容易に受け取りません。それではこちらの気も済まず、仏の心にも背くわけですから、無理に頼んで持たせて帰しました"
],
[
"それは往来に落ちているのを拾いまして、検視のお役人にもお目にかけましたが、そんな物を家へ置くことも出来ませんので、お寺へ持参して何処へか埋めていただきました",
"その剃刀は若いおかみさんがふだん使っていたのですかえ",
"いえ、あとで調べてみますと、ふだん使っていた剃刀は鏡台のひきだしにはいって居りました",
"この騒動のおこる前に、なにか変った事はありませんか",
"その朝から若いおかみさんの様子がすこし変でしたが……",
"それは私も聴いているが、ほかに何かありませんでしたか"
],
[
"どのくらい取られましたえ",
"一度は二百両、二度目は百八十両……。御承知の通り、ひる間は土蔵の扉があけてありますので、店が取り込んでいる隙をみて、何者かが忍び込んだものと見えます"
],
[
"主人もおかみさんも不思議だと申して居りますが、どうも心当りございません",
"その晩に失せ物はありませんでしたかえ",
"無いようでございます。主人の手箱に幾らかの金が入れてあったかとも思いますが、奉公人のわたくし共にも確かに判りません。ほかに目立った品がなくなった様子もございませんので、まあ紛失物は無いということになって居ります",
"じゃあ、まあ、それはそれとして、家のなかを少し見せて貰いましょう"
],
[
"いらっしゃい",
"いや、わたしは履き物を買いに来たのじゃあねえ。神田三河町の徳次兄いに頼まれて来たのだが……。おまえさんは半介さんかえ"
],
[
"二、三度お目にかかった事があります。そこで兄いの御用というのは何んでございますね",
"少しおめえに訊きてえことがある。……おめえはおとといの晩、北新堀の鍋久へ何しに行ったのだね"
],
[
"それにしても、その死骸が鍋久の嫁だということがどうして判ったね",
"そりゃあ確かには判らねえ。そこは推量さ",
"向うへ行って、もし間違っていたら引っ込みが付くめえ"
],
[
"きょうは八日だ。鍋久へ行ったのはおとといの夕方だから、その前の晩といえば五日だな。おめえは何処から舟を借りて出た",
"銭もねえのに釣り舟なんぞ借りるもんですか。品川の浪打ちぎわへ行って釣ったのさ",
"その釣り道具を見せてくれ"
],
[
"おまえの名はなんというのだ",
"宇吉といいます",
"むむ、宇吉か。お前はなかなか景気がいいな。お店者の小僧のくせに、蕎麦屋へ来て天ぷらに霰とは、ばかに贅沢をきめるじゃあねえか。その銭はだれに貰った。それとも盗んだのか、くすねたのか。はっきり云え"
],
[
"新どんとは誰だ",
"店の若い衆で、新次郎というんです",
"新次郎……。このあいだの晩、若いおかみさんを捉まえようとして、剃刀をぶつけられた奴だな。お前はふだんから新次郎に銭を貰うのか"
],
[
"きょうも手紙を届けに行ったのか",
"新どんの手紙を持って行ったんです",
"向うから返事をくれたか",
"返事は無いというので、そのまま帰って来ました"
],
[
"半七。おめえの調べはまだ足りねえぜ。おれは鍋久の小僧を調べて、こんな事を聞き出した。鍋久の女中のお直という女は、きのう出しぬけに暇を出されたそうだ。もっとも今月は八月で、半季の出代り月じゃああるが、晦日にもならねえうちに暇を出されるのはちっと可怪しい。これにゃあ何か訳がありそうだ。お直の宿は下谷の稲荷町だというから、ともかくも尋ねて行ってみろよ",
"してみると、お直という奴も何か係り合いがありそうですね。今夜すぐに行きましょうか",
"相手は女だ。まあ、あしたでも好かろう"
],
[
"お直。おまえは幾つだ",
"二十歳でございます",
"鍋久には何年奉公している",
"三年でございます",
"新次郎と出来合っているのだな。そうだろう、正直に云え"
],
[
"今夜は小左衛門の家へ何しに行ったのだ",
"若いおかみさんが居るか居ないか、訊きに行ったのでございます",
"生きていたらどうするのだ"
],
[
"おまえはどうして鍋久から暇を出されたのだ",
"やっぱりその事からでございます。若いおかみさんは生きているかも知れないと、わたくしがふいと口をすべらせたのが、おかみさんや番頭さんの耳にはいって、飛んでもないことを云う奴だと、さんざん叱られました。それがもとで、とうとうお暇が出たのでございます",
"新次郎。おまえは今夜どうして出て来た",
"昼間のうちに小僧を使によこしましたが、それがいつまでも帰って参りませんので、なんだか不安心になりまして……",
"小僧に持たせてよこした手紙には、どんなことが書いてあるのだ"
],
[
"手をおろしたのはお前でなくっても、あの浪人とぐるになって、わたしを殺そうとした。そうだ、そうだ、それに相違ない。わたしを誤魔化して追い返そうとしても、わたしがどうしても動かないので、浪人が両手でわたしの咽喉を絞めようとした……。その時お前さんはわたしを助けようともしないで、平気で眺めていたじゃあないか",
"いや、助ける間がなかったのだ",
"いいえ、嘘だ、嘘だ",
"嘘じゃあない",
"さんざん人を欺して置いて、邪魔になったら殺そうとする……。おまえは鬼のような人だ"
],
[
"いいえ、それが大変で……。わたくし共はみんな一つところに入れられて居りましたが、牢名主は大阪屋花鳥という人で……",
"大阪屋……。島破りの花鳥か",
"そうでございます"
],
[
"そうすると、花鳥の夜伽をした者には、そのあしたきっと鰻めしを食わせてくれるのだね",
"御牢内で鰻めしなんか食べるには、たいそうお金がかかるのだそうですが、毎日きっと誰かに食べさせてくれました",
"むむ、まったくたいそうな金持だな。それで若い女の子をおもちゃにしていりゃあ、娑婆にいるよりも楽だろう",
"本人はどうで重いお仕置になるのだと思って、したい三昧の事をしているのでしょうが、ほかの者が助かりません。この世の地獄とは本当にこの事です"
],
[
"おい、半七。花鳥という奴はひどい女だな",
"色気違いでしょうか",
"色気違いばかりじゃあねえ、なんでも酷たらしいことをして楽しんでいるのだろう。そこで、今の鰻の一件だが、娑婆で六百文くれえの鰻飯だって、それが牢内へはいるとなりゃあ、牢番たちによろしく頼まなけりゃあならねえから、べらぼうに高けえ物になって、まず一杯が一両ぐれえの相場だろう。女義太夫は百日以上も入牢していたのだから、毎日うなぎ飯を一杯ずつ食わせても百両だ。島破りの女が一年ぐれえの間に、何を稼いだか知らねえが、そんなに大きいツルを持っているというのは不思議だな。江戸へ帰って来てから、どうで善い事をしていやあしめえと思っていたが、あいつも相当の仕事をしていたに相違ねえ",
"そうでしょうね"
],
[
"そうです、そうです。花鳥がお節の替玉になって、久兵衛を殺したんですよ",
"その二人はどういう関係があるんですか"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(四)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年8月20日初版1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:しず
2000年1月17日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "001013",
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"副題読み": "49 おおさかやかちょう",
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"名ローマ字": "Kido",
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"没年月日": "1939-03-01",
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"あの正雪の絵馬はどうなりましたかね",
"正雪の絵馬……。どこにあるんですか"
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"今晩は……",
"ひどく鳴ったな……",
"時候はずれでちっと嚇かされました"
],
[
"実はよんどころない人に頼まれて案内して来たんですが、親分、逢ってくれますかえ",
"ここまで連れ込んでしまった以上は、逢うも逢わねえも云っちゃあいられねえ。まあ、通してみろ"
],
[
"主人は幾つだ",
"主人は多左衛門といって、ことし四十六だそうです"
],
[
"成程こりゃあ亀吉の云う通り、なかなか面倒な仕事らしい。お城坊主の伜という悪い者が引っからんでいるので、いよいよ面倒だ。しかしまあ折角のお頼みだから、なんとか考えてみましょう。おかみさんにもあんまり心配しねえように云って置くが好うござんすよ",
"なにぶんお願い申します"
],
[
"塩町の大津屋だそうです",
"一体その絵馬を掏り換えて来たのは誰だ。丸多の主人が自分でやったのか",
"それがよく判らねえのですが……。おそらく自分が手を下したのじゃあありますめえ。ほかに頼まれた奴があるのだろうと思われますがね",
"むむ。いくら道楽が強くっても、大家の主人が自分で手を出しゃあしめえ。絵馬屋の奴らが頼まれたのか、それともほかに手伝いがあるのか、それもよく詮議しなけりゃあならねえ。神社の絵馬をどうしたの、こうしたのというのは、寺社の支配内のことで、おれたちの係り合いじゃあねえ。殊に堀ノ内の先だと云うのだから、江戸の町方の出る幕じゃあねえ。おれ達は頼まれただけの仕事をして、丸多の主人の居所さえ突き当てりゃあいいようなものだが、唯それだけじゃあ納まるめえ。仏作って魂入れずになるのも残念だから、引き受けた以上はひと通りの事をしてやりてえと思うのだが……。なにしろその現場を見なけりゃあどうにもならねえ。この分じゃあ明日は天気だろう。ともかくも一緒に和田へ踏み出してみようじゃあねえか。朝の五ツ半(午前九時)までに大木戸へ行って待ち合わせていてくれ",
"承知しました"
],
[
"なあ、亀。おれは途中で考えながら来たのだが、ここの絵馬は無事だろうと思うぜ",
"そうでしょうか",
"おそらく無事だろうと思う。偽物をこしらえて掏り換えたというが、それは丸多の亭主が欺されているので、実は自分が偽物を掴まされているのだろう",
"成程ね",
"そうなりゃあ論はねえ。丸多の亭主は誰にかだまされて、偽物を高く買い込んだというだけのことだ。おれはどうもそうらしく思う。念のためによく調べてみよう"
],
[
"むむ。どうで偽物をこしらえるのだから、絵かきも味方に入れなけりゃあならねえ。男というのは絵馬屋の亭主で、女は出入りの絵かきだろう。これから帰ったら、その女を探ってみろ",
"ようがす。女の絵かきで、年ごろも人相も判っているのだから、すぐに知れましょう。そこで、大津屋はどうします。もう少し打っちゃって置きますか",
"どうで一度は挙げる奴らしいが、まあ、もう少し助けて置け。いよいよおれの鑑定通り、ここの絵馬が無事であるとすれば、大津屋の亭主は丸多をだまして、偽物を押し付けたに相違ねえ。それを知らずに偽物を後生大事にかかえて、丸多の亭主は何処をうろ付いているのだろう。考えてみると可哀そうでもある。なんとかして早くそのありかを探し出してやりてえものだ",
"帰りに堀ノ内へ廻りますかえ",
"ついでと云っちゃあ済まねえが、ここらまでは滅多に来られねえ。午飯を食ってお詣りをして行こう"
],
[
"まあ、そういうわけだから、絵馬の一件は心配するほどの事はありません。だまされた人間もよくねえが、欺した奴はなお悪いという事になる。そこで、お城坊主の伜というのは、その後に尋ねて来ませんかえ",
"おとといの晩、怒って帰ったきりで、きのうも今日も見えません",
"又来て嚇し文句をならべても、肝腎の絵馬は無事なのだから、別に恐れることはありません。まあいい加減にあしらって置くがようござんすよ"
],
[
"いつ頃帰るか、判らないかね",
"この頃はちょいちょい出るので、いつ帰るか判りませんが……。なにか御用ですか",
"むむ、奉納の大きい物を頼みてえのだが、親方が留守じゃあ仕方がねえ。また出直して来よう。おかみさんもいねえかね",
"おかみさんは……。四、五年前になくなりました",
"じゃあ、親方は一人かえ。子供は……",
"娘があります",
"娘は幾つだ",
"十八です",
"いい女かえ。おめえは様子がいいから、もう出来ているのじゃあねえか"
],
[
"娘はどんな女だ",
"きのう親分がいい女かと云ったら、職人が笑っていたでしょう。まったく笑うはずで、わっしもきょう初めて覗いてみたが、いやもう、ふた目と見られねえ位で、近所のお岩さまの株を取りそうな女ですよ。可哀そうに、よっぽど重い疱瘡に祟られたらしい。それでもまあ年頃だから、万次郎と出来合った……。と云っても、おそらく万次郎の方じゃあ次男坊の厄介者だから、大津屋の婿にでもはいり込むつもりで、まあ我慢して係り合っているのでしょうよ"
],
[
"追分の高札場のそばの土手下で……",
"それじゃあ近所ですね",
"はい。店から遠くない所でございます",
"どうして死んでいたのです",
"松の木に首をくくって",
"例の絵馬は……",
"死骸のそばには見あたりませんでした。御承知の通り、あすこには玉川の上水が流れて居りまして、土手のむこうは天竜寺でございます。その土手下に一本の古い松の木がありますが、主人は自分の帯を大きい枝にかけて……。死骸のそばに紙入れ、煙草入れ、鼻紙なぞは一つに纏めてありましたが、絵馬は見あたらなかったと申します。あの辺は往来の少ない所でございますので、通りがかりの人がそれを見付けましたのは、けさの六ツ半頃だそうでございますが、近所とは申しながら丸多の店とは少し距れて居りますので、すぐにそれとは判りかねたと見えまして、御検視なども済みまして、その身許もようようはっきりして、わたくし共へお呼び出しの参りましたのは、やがて七ツ頃(午後四時)でございます。それに驚いて駈け付けまして、だんだんお調べを受けまして、ひと先ず死骸を引き取ってまいりましたのは、日が暮れてからの事で……。早速おしらせに出る筈でございましたが、何しろごたごた致して居りましたので……"
],
[
"そこで、御検視はどういうことで済みました",
"乱心と申すことで……。人に殺されたというわけでも無し、自分で首を縊ったのでございますから、検視のお役人方も別にむずかしい御詮議もなさいませんでした",
"御検視が無事に済めば結構、わたし達が差し出るにゃあ及びませんが、ともかくもお悔みながらお店まで参りましょう。おい、亀も松も一緒に行ってくれ"
],
[
"別に御不審はございませんか",
"少し御相談がありますから、大番頭さんを呼んでください"
],
[
"何事がおこったんです",
"まあ、お聴きください。毎度お話をする通り、嘉永六年の黒船渡来から、世の中はだんだんに騒がしくなって、幕府でも海防ということに注意する。なんどき外国と戦争を始めるかも知れないというので、江戸近在の目黒、淀橋、板橋、そのほか数カ所に火薬製造所をこしらえて、盛んに大筒小筒の鉄砲玉を製造したんです。それには水車が要るということで、大抵は大きい水車のある所を択んだようですが、今から考えれば火薬の取り扱い方に馴れていなかったんでしょう、それが時々に爆発して大騒ぎをする事がありました",
"あなたもその爆発に出逢ったんですか",
"そうですよ。わたくしの出逢ったのは淀橋でした。御承知の通り、ここは青梅街道の入口で、新宿の追分から角筈、柏木、成子、淀橋という道順になるんですが、昔もなかなか賑やかな土地で、近在の江戸と云われた位でした。淀橋は長さ十間ほどの橋で、橋のそばに大きい穀物問屋がありまして、主人は代々久兵衛と名乗っていたそうですが、その久兵衛の店に精米用の大きい水車が仕掛けてありました。この水車を山城の淀川の水車にたとえて、淀橋という名が出来たのだという説もありますが、嘘か本当か存じません。ともかくも大きい水車があるために、ここの家も火薬製造所に宛てられていました処が、このお話の安政元年、六月十一日の明け六ツ過ぎに突然爆発しました。炎天つづきで焔硝が乾き過ぎたせいだとも云い、何かの粗相で火薬に火が移ったのだとも云い、その原因ははっきり判りませんでしたが、なにしろ凄まじい音をさせて、三度もつづいて爆発したんです。さながら天地震動という勢いで、久兵衛の家は勿論、その近所二丁四方は家屋も土蔵も物置も、みんな吹き飛ばされて滅茶滅茶になってしまいましたが、全体では四丁四方の損害でした。いくら賑やかだと云っても、それは表通りだけのことで、裏へまわれば田や畑が多いんですから、その割合いに人家の被害は少なかったんですが、死人や怪我人は随分ありました。それが為に虫をおこして死んだ子供や、流産した女もあったそうです。いや、実に大変な騒ぎで……。誰だって不意をくらったんですが、わたくし共は捕物の最中というのだから猶更おどろきましたよ",
"なんの捕物に出ていたんですか"
],
[
"いや、まあ、捕物の前にこの一件の種明かしをしてしまいましょう。それで無いと、お話がどうも捗取りませんから……。大抵はもうお判りでしょうが、丸多の主人多左衛門が絵馬道楽で、半気ちがいになっているのを付け込んで、大津屋の重兵衛は正雪の絵馬の偽物をこしらえました。そうして、本物と掏り換える役目まで引き受けたんですが、掏り換えたというのは嘘で、実は偽物をそのまま丸多へ渡したんです。鷹の絵は女絵かきの孤芳にかかせましたが、その絵といい、絵馬の木地といい、よっぽど上手に出来ていたと見えて、丸多も見ごとに一杯食わされてしまったんです。早くいえば、骨董好きの金持が書画屋や道具屋に偽物を売り付けられたようなわけで、それで済んでいればまあ無事なんですが、重兵衛はその骨折り賃に三十両という金を取っていながら、まだ其の上に大きい慾をかいて、謀叛人の絵馬をぬすみ出したとか、謀叛人の絵馬を大事にしているとかいうのを種に、丸多を嚇かして何千両をゆすり取ろうという大望をおこして、その手先に万次郎を使うことになりました",
"万次郎は大津屋の娘と本当に関係があったんですか",
"確かに関係がありました。いわゆる悪女の深なさけで、女の方はもう夢中になっていたんです。親父の重兵衛も勿論承知で、ゆくゆくは夫婦にすると云っていたくらいですから、万次郎も今度の役を引き受けなければなりませんでした。万次郎は年も若いし、腹のしっかりした悪党というのでもありませんが、つまりは慾に引っかかって、重兵衛の指尺通りに働くことになったんです。そこで、丸多の主人をうまく嚇し付けて、最初に百両ずつ二度も引き出したんですが、重兵衛はそのくらいの事で満足するのじゃあない、どうしても何千両の夢が醒めないので、いろいろに万次郎をけしかけて、ますます丸多いじめにかかっていると、相手の多左衛門は絵馬をかかえて家出をしてしまったので、この計画は腰折れの形になりました。それでも丸多の女房や番頭を嚇かせば、まだ幾らかになると思っているうちに、重兵衛は心にもない人殺しをする事になったんです",
"重兵衛が丸多の主人を殺したんですね"
],
[
"そうすると、その風呂敷から露顕したんですか",
"まあ、お聴きなさい。だんだんにお話し申します"
],
[
"わたくしは運よく無事でしたが、二人は怪我をしましたよ。何か飛んで来て撃たれたんですね。亀吉は軽い疵でしたが、幸次郎は右の肩を強く撃たれて、それからひと月あまり寝込みました。ほかにも死人や怪我人がたくさんあったんですから、まあ命拾いをしたと云ってもいいでしょう。孤芳の家も三度目の爆発で吹き倒されました",
"孤芳は無事でしたか",
"さあ、それが不思議で……。孤芳は無事に逃げたのか、どこへか吹き飛ばされたのか、ゆくえが知れなくなりました。万次郎の死骸は川のなかで発見されました。それも重兵衛に突き落とされたのか、夜が明けてぼんやり帰って来たところを吹き飛ばされたのか、確かなことは判りません。ほかにも死骸が浮いていましたから、あるいは爆発のために吹き落とされたのかも知れません。お絹の死骸は床下に埋めてありました。まあ、お話は大抵ここらで切り上げましょう。いや、どうも御退屈で……"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(四)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年8月20日初版1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:Tomoko.I
2000年3月10日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
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[
[
"今夜は久しぶりで夜の湯へ行きました。日が暮れてから帰って来たもんですから……",
"どこへお出かけになりました",
"川崎へ……。きょうは初大師の御縁日で",
"正月二十一日……。成程きょうは初大師でしたね",
"わたくしのような昔者は少ないかと思ったら、いや、どう致しまして……。昔よりも何層倍という人出で、その賑やかいには驚きました。尤も江戸時代と違って、今日では汽車の便利がありますからね。昔は江戸から川崎の大師河原まで五里半とかいうので、日帰りにすれば十里以上、女は勿論、足の弱い人たちは途中を幾らか駕籠に助けて貰わなければなりません。足の達者な人間でも随分くたびれましたよ",
"それでも相当に繁昌したんでしょうね"
],
[
"おい、庄太。あの女はなんだか見たような顔だな",
"わっしもそう思っているのだが、どうも思い出せねえ。堅気じゃありませんね",
"今はどうだか知れねえが、前から堅気で通して来た女じゃあねえらしい",
"小股の切れ上がった粋な女ですね"
],
[
"はい。昨年の五月頃だと覚えて居ります。十羽ほどの鶏を籠に入れて、売りに来た者がありまして、雌鶏と雄鶏のひと番いを買いましたが、雌鶏の方は夏の末に斃ちてしまいまして、雄の方だけが残りました。それでもほかの鶏と仲良く遊んで居りまして、ふだんは喧嘩なぞをした事もありませんでしたが、不意に気でも違ったように暴れ出して、人にこそよれ、女のお客さまに飛びかかって、あんな怪我をさせまして……。なんとも申し訳がございません",
"その鶏を売りに来た男というのは、始終ここらへ廻って来るのかね",
"時々に参ります。なんでも百姓の片手間に鶏を買ったり売ったりしているのだそうで……",
"名はなんといって、どこから来るのだね",
"名は……八さんといっていますが、八蔵か八助か判りません。なんでも矢口の方から来るのだそうで……"
],
[
"奥の怪我人には挨拶をせずに帰るから、あとで宜しく云っておくんなさい",
"かしこまりました"
],
[
"まあ、そんなことかも知れねえ。なにしろ、あの女は堅気の人間じゃあなさそうだ。どうも何処かで見たことがあるように思われるのだが……。きょうは仕方がねえから此のまま引き揚げることにして、おめえ御苦労でもあしたか明後日、もう一度出直して来て、あの女はそれからどうしたかと訊きただしてくれ。もちろんどっと倒れてしまうほどの怪我じゃあねえから、医者にひと通りの手当てをして貰って、駕籠で江戸へ帰るに相違あるめえ。ああして厄介になった以上、自分の家は本所だとか浅草だとか話して行くだろうから、それもよく調べて来てくれ。恨みや因縁にもいろいろある。あの女があの鶏をひどい目に逢わせて、それを鳥屋へ売り飛ばしたのが、測らずここでめぐり合って、鶏がむかしの恨みを返したというような事ででもあれば、飛んだ猿蟹合戦か舌切り雀で、どうにも仕様のねえことだが、何かもう少し入り組んだ仔細がありそうにも思われる。まあ、無駄と思って洗ってみようぜ",
"承知しました",
"それから、あの女房は鶏を絞めると云っていたが、もしまだ無事でいるようだったら、もう少し助けて置くように云ってくれ"
],
[
"じゃあ、お前さんも聴いておいでなすったのですか",
"柘榴口のなかで聴いていましたよ。一体その軍鶏屋は何処ですえ",
"以前は浅草の吾妻橋ぎわにあったのですが、亭主が死んだので店を仕舞って、おかみさんは品川の方へ引っ込んで、もう小一年も逢わなかったのですが、きのう思いがけなく川崎で逢いました",
"おかみさんはお六というのだね。亭主は……",
"安蔵といいました。御承知の通り、わたくしは釣り道楽で、鳥亀の亭主とはおなじ釣り師仲間で、ふだんから懇意にしていたのですが、どうも可哀そうな事をしまして……"
],
[
"釣りに行って死んだ時には、誰も一緒じゃあなかったのだね",
"その時はあいにく安さん一人で出かけたので、どうして死んだのか、よく判らないのです。渡し場の船頭の話では、そんな釣り師の姿を見かけなかったということですから、行くと間もなくすべり落ちたのかも知れません。ほんとうに夜が明け切らないので足もとが暗かったのでしょう。なにしろまだ三十五か六で、可哀そうな事をしました。おかみさんは三十二三の小粋な女ですが、まだ独り者で暮らしているそうです"
],
[
"むむ。雪駄の皮のような軍鶏を食わせた家だ。そこで、きのうはどうした。大森へ出かけたか",
"行きましたよ。相変らず道が悪くって……。あの茶屋へ行って訊いてみると、あれから医者が来て手当てをして、女は駕籠に乗って帰ったそうです。駕籠屋の話を聞くと、送り着けた先は品川の南番場で、海保寺という寺の門前……。それから帰りに覗いて見ましたら、女の家は桂庵で、主にあの辺の女郎屋や引手茶屋や料理屋の女の奉公人を出したり入れたりしているようです。女は去年の三月頃から引っ越して来て、二十五六の番頭と二人暮らしだが、その番頭というのが亭主か情夫だろうという近所の評判ですよ。そこで、番頭というのはどんな奴だか、面をあらためてやろうと思ったが、あいにく留守で首実検は出来ませんでした。それからね、親分。鶏は助からねえ。その日の夕方に絞められてしまったそうですよ",
"鳥亀の亭主というのは、矢切の渡し場の近所へ釣りに行って、沈んでしまったというじゃあねえか"
],
[
"ようござんす。浅草の方は引き受けました",
"毎日の遠出でくたびれただろうが、これも御用で仕方がねえ。早く家へ帰って、かみさんを相手に寝酒の一杯も飲め"
],
[
"鈴ヶ森の仕置き場のそばで死骸が見付かりました",
"男か、女か",
"二十一二の若い男で、色白の小綺麗な、旗本屋敷の若侍とでも云いそうな風体で、匕首か何かで突かれたらしい疵が四カ所……。首に手拭が巻き付けてあるのを見ると、初めに咽喉を絞めようとして、それを仕損じて今度は刃物でやったらしいのです。大小は誰か持って行ったらしく、本人は丸腰で、そこらにも落ちていませんでした。死骸は海へでも投げ込むつもりで、浪打ちぎわまで引き摺って行ったらしいが、人が来たのでそのままにして逃げたと見えます。懐中物はなんにも無いので、ちっとも手がかりになりそうな物はありません",
"その死骸はけさ見つけたのか",
"そうです。多分ゆうべのうちにやったのでしょうね。検視の済むのを見とどけて、わっしは急いで帰って来たのですが、どうしましょう"
],
[
"なんでも湯島か池の端あたりに中間奉公をしていたらしいのですが、どこの屋敷かまだ突き留められません。なにしろあの辺には屋敷が多いので……。まあ、そのうちに何とかしますから、もう少し待って下さい",
"鈴ヶ森の人殺しは、ひょっとすると鳥亀の一件にからんでいるかも知れねえな"
],
[
"なぜと訊かれちゃあ返事に困るが、多年この商売をしていると、自然に胸に浮かぶことがある。まあ、虫が知らせるとでもいうのかも知れねえが、それが又、奇妙にあたることがあるものだ。今度の一件も何だかそんな気がしてならねえ",
"もしそうならば、いよいよ事が大きくなりますね。なにしろ鈴ヶ森の方を調べてみましょう。案外の手がかりがあるかも知れません"
],
[
"番頭さんは……",
"番頭さん……。勇さんですか",
"ええ、勇さんです",
"勇さんは二、三日留守ですよ",
"どこへ行ったのです",
"さあ、わたしもよく知りませんが、金さんのところへでも行っているのじゃありませんか",
"金さんの家はどこでしたね",
"金さんの家は……。なんでも鮫洲を出はずれて右の方へはいった畑のなかに、古い家が二軒ある。一軒は空家で、その隣りが金さんの家だそうですよ",
"いや、ありがとう。おかみさんをお大事に……"
],
[
"その勇二は二、三日前から帰らねえと云うじゃあねえか",
"二十六日の晩から家へ帰らねえそうです",
"鮫洲の金造という奴の家へ行っているという話だから、これからともかくも行ってみようと思っているのだ",
"鮫洲の金造……。あいつならわっしも知っています。現にきのうも品川で逢いましたよ。生薬屋の店で何か買っていました",
"金造はどんな奴だ",
"なに、けちな野郎ですよ"
],
[
"おい、松。御苦労だが、品川へ引っ返して、その生薬屋で金造が何を買ったか調べて来てくれ。風薬の葛根湯ぐらいならいいが、疵薬でも買やあしねえか",
"ようがす。すぐに調べて来ます",
"往来に立ってもいられねえ。そこの団子茶屋に休んでいるぜ"
],
[
"その女は湯島の化物稲荷……と云っても、この頃の人にはお判りにならないでしょうが、今の天神町の一丁目、その頃は松平采女という武家屋敷の向う角で、そこに化物稲荷というのがありました。なぜ化け物と云ったのか知りませんが、江戸時代には化物稲荷という名になっていて、江戸の絵図にも化物稲荷と出ている位ですから、嘘じゃありません。その稲荷さまの近所に屋敷を持っている塚田弥之助という六百石の旗本の奥さまで、お千恵さんという人でした",
"そんな身分の人がどうして鮫洲の金造という奴の家に来ていたんですか",
"それには仔細があります。その塚田弥之助というのは、今年二十二の若い人で、正月いっぱいに江戸を引き払って甲府勤番ということになりました。仕様のない道楽者であるために、いわゆる山流しで甲州へ追いやられたんです。就いては自分の屋敷を他人に譲り、そのほかの家財なども売り払って百両ほどの金をこしらえ、いよいよ二十八日には江戸を立つという間際になって、奥様のお千恵さんはお名残りに湯島の天神さまへ御参詣して来ると云って、二十五日のひる過ぎに屋敷を出て、途中で女中を撒いてしまって、ゆくえ知れずになりました。奥様も奥様だが、殿様も殿様で、これも江戸のお名残りだというので吉原へ昼遊びに行っている。その留守中に奥様は家出というのですから、屋敷は乱脈でお話になりません。お千恵さんというのは十六の秋にこの屋敷へ縁付いて来て、あしかけ四年目の十九で、夫婦のあいだには子供はない。亭主は道楽者で、内を外に遊び歩くためでもありましょうが、お千恵さんはいつか自分の屋敷の若侍の安達文次郎という者と密通していて、今度の甲府詰めを機会にかの百両をぬすみ出して、二人は駈け落ちをするという相談を決めたんです。そこへ現われて来たのが品川のむさし屋の勇二という奴で……",
"勇二は塚田の屋敷に何か関係があったんですか"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(四)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年8月20日初版1刷発行
1997(平成9)年3月25日9刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:はやしだかずこ
2000年1月27日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "001012",
"作品名": "半七捕物帳",
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"副題": "51 大森の鶏",
"副題読み": "51 おおもりのにわとり",
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"名ローマ字": "Kido",
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[
"あら、巳之さんじゃないの",
"え、誰だ、誰だ",
"やつぱり巳之さんだ。あたしよ"
],
[
"おや、お糸か。どうしてこんな処にぼんやりしているのだ",
"まあ、御迷惑でも一緒に連れて行って下さいよ。あるきながら話しますから……"
],
[
"だから、あやまっているじゃあないか。巳之さん、まあ訳を訊いておくれというのに……",
"知らねえ、知らねえ。そんな狐にいつまで化かされているものか"
],
[
"おい、半七、聞いたか。鈴ヶ森に狐が出るとよ",
"そんな噂です",
"一度行って化かされて来ねえか。品川の白い狐に化かされたと云うなら、話は判っているが、鈴ヶ森の狐はちっと判らねえな"
],
[
"いずれ郡代の方からなんとか云って来るだろうから、今のうちに手廻しをして置く方がいいな。噂を聞くと、狐はいろいろの物に化けるらしい。今に忠信や葛の葉にも化けるだろう。どうも人騒がせでいけねえ。それも辺鄙な田舎なら、狐が化けようが狸が腹鼓を打とうがいっさいお構いなしだが、東海道の入口でそんな噂が立つのはおだやかでねえ。早く狐狩りをしてしまった方がよかろう",
"かしこまりました"
],
[
"その狐よ。熊谷の旦那から声がかかった以上は、笑ってもいられねえ。なんとか正体を見届けなけりゃあなるめえが、おめえ達に心あたりはねえか",
"今のところ、心あたりもありませんが、早速やって見ましょう"
],
[
"だって、巳之助と口を利いたのですよ。口をきいて一緒にあるいて……",
"いや、それでも人違いだ。女は若狭屋のお糸じゃあねえ"
],
[
"いくら臆病でも、大の男が三人揃って、みんな提灯を持っていたというんですから、仮面をかぶっていたらさすがに気がつく筈ですが……",
"理窟はそうだが、世の中には理窟に合わねえことが幾らもあるからな。まあ、おれも一度踏み出してみよう。あしたの朝、一緒に行ってくれ"
],
[
"成程、こりゃあ親分の云う通りだ。そうすると、異人の奴らがあがって来て、悪戯をするのかね",
"そうかも知れねえ"
],
[
"論より証拠、そのお糸という女は無事に若狭屋に勤めていると云うじゃあねえか",
"そりゃあそうですが……"
],
[
"品川にかかっている黒船から、マドロスがここらへあがって来ることがあるかえ",
"ええ、時々に二、三人連れでここらを見物して歩いていることがあります",
"ここらの家へ飲みに来るかえ"
],
[
"お糸さん……。居りましたよ",
"もういねえかえ",
"ええ、先月の末から見えなくなって……。どっかへ駈け落ちでもしたような噂ですが……"
],
[
"泊めやあしません。坂井屋は宿屋じゃありませんから……。それに異人は船へ帰る刻限がやかましいので、その刻限になるとみんな早々に帰ってしまうそうで……。どんなに酔っていても、感心にさっさと引き揚げて行くそうです",
"そんなに金放れがよくっちゃあ、今も云う慾の世の中だ。その異人に係り合いでも出来た女があるかえ"
],
[
"成程、親分の眼は高けえ。人ちがいの相手は坂井屋のお糸ですね",
"まあ、そうだろう。そのお糸が黒船のマドロスと出来合って逃げたらしいな",
"それを自分の馴染の女と間違えるというのは、巳之助という奴もよっぽどそそっかしい野郎だ",
"野郎もそそっかしいが、女も女だ。まあ、待て。それには何か訳があるだろう"
],
[
"おい、姐さん。駈け落ちをしたお糸には、なにか色男でもあったのかえ",
"それはよく知りませんが、近所の伊之さんと……",
"伊之さん……。伊之助というのか",
"そうです。建具屋の息子で……。その伊之さんと可怪しいような噂もありましたが、伊之さんは相変らず自分の家で仕事をしていますから、一緒に逃げたわけでも無いでしょう",
"お糸の宿はどこだ",
"知りません"
],
[
"それが又不思議なことには、その女が男をひき摺り倒すときに、なんでも頸筋のあたりの脈所を強く掴んだらしいので、男は痛くって口が利けない。おまけに脾腹へ当て身を食わされて、気が遠くなってしまったのだそうです。それがなかなかの早業で、見ている人たちも気が付かなかったと云いますから、女も唯者ではあるまいとみんなが噂をしていましたよ",
"そうですか。そんな女に出逢っちゃあ、大抵の男は敵いませんね"
],
[
"それがきょうの女とおなじ奴かえ",
"さあ、それがよく判りませんので……。前に来たときは夕方で、断わるとすぐに帰ってしまったもんですから、その顔をよく見覚えて居りません。きょうの女は三十七八で、色のあさ黒い、眼の強い女でした。どこか似ているようにも思うのですが、確かな証拠もございませんので、なんとも申し上げかねます",
"おなじ店へ二度とは来めえと思うが、その女がもし立ちまわったらば、すぐに自身番へ届けてくれ"
],
[
"そこで、親分。なにか御用ですか",
"お此はこのごろどうしている",
"お此……。入墨者ですか",
"そうだ。片門前に巣を食っていた奴だ",
"女のくせに草鞋をはきゃあがって、甲府から郡内の方をうろ付いて、それから相州の厚木の方へ流れ込んで、去年の秋頃から江戸辺へ舞い戻っていますよ",
"馬鹿にくわしいな。例の法螺熊じゃあねえか",
"いや、大丈夫ですよ。わっしだって商売だから、入墨者の出入りぐれえは心得ています。あいつ、又なにかやりましたか",
"どうもお此らしい。実はきょう午前に、田町の両替屋で悪さをしやあがった"
],
[
"そこまでは突き留めていませんが……。なに、そりゃあすぐに判りますよ",
"出し抜くも出し抜かねえもねえ。松はもう鮫洲へ出張っているのだ",
"そりゃあいけねえ。下手に荒らされると、こっちの仕事が仕難くなる。じゃあ御免なせえ。わっしもすぐに出かけます"
],
[
"そうかも知れません。ともかくもお此を挙げてしまいましょうか",
"熊谷の旦那からもお指図があったのだ。女ひとりに大勢が出張るほどの事もあるめえが、もし仕損じて高飛びでもされると、旦那のお目玉だ。おれも一緒に行くとしよう"
],
[
"お糸は坂井屋へ遊びに来る異人に馴染でもあった様子か",
"坂井屋へは異人が大勢来ますが、お糸に馴染があるかどうだか、それは存じません",
"おめえは異人に自分の女を取られたのじゃあねえか"
],
[
"おめえは坂井屋へ手伝いに来るお此という女を知っているだろうな",
"知っています"
],
[
"あの女も異人を知っているのだろうな",
"さあ、それはどうですか",
"お此はお糸と心安くしていたか",
"どうですか",
"お糸はお此が誘い出したのじゃあねえか",
"そんな事はあるまいと思いますが……",
"おい、伊之。顔を見せろ",
"え",
"まあ、明るいところで正面を向いて見せろよ。おれが人相を見てやるから……"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(四)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年8月20日初版1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:菅野朋子
2000年2月9日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "000483",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
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"副題読み": "52 ようこでん",
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[
[
"木挽町はなかなか景気がようござんしたよ。御承知でしょうが、中幕は光秀の馬盥から愛宕までで、団十郎の光秀はいつもの渋いところを抜きにして大芝居でした。愛宕の幕切れに三宝を踏み砕いて、網襦袢の肌脱ぎになって、刀をかついで大見得を切った時には、小屋いっぱいの見物がわっと唸りました。取り分けてわたくしなぞは昔者ですから、ああいう芝居を見せられると、総身がぞくぞくして来て、思わず成田屋ァと呶鳴りましたよ。あはははは",
"まったく評判がいいようですね",
"あれで評判が悪くちゃあ仕方がありません。今度の光秀だけは是非一度見て置くことですよ"
],
[
"今度の木挽町には訥升が出ますよ。助高屋高助のせがれで以前は源平と云っていましたが、大阪から帰って来て、光秀の妹と矢口渡のお舟を勤めています。三、四年見ないうちに、すっかり大人びて、矢口のお舟なぞはなかなかよくしていました。いや、矢口と云えば、あの神霊矢口渡という芝居にあるようなことは勿論嘘でしょうが、矢口渡の船頭が足利方にたのまれて、渡し舟の底をくり抜いて、新田義興の主従を川へ沈めたというのは本当なんでしょうね",
"そりゃあ本当でしょう。太平記にも出ていますから……",
"子供の話にある、カチカチ山の狸の土舟というわけですね。その矢口渡に似たような事件があるんですが……。恐らく太平記か芝居から思い付いたんじゃないでしょうか",
"矢口渡に似たような事件……。それにはあなたもお係り合いになったんですか",
"かかり合いましたよ"
],
[
"今でも華族の家庭の事なぞは調べにくいのですから、昔は猶更そうでしたろうね",
"見す見す武家の屋敷内に大きい賭場が開けているのを知っていても、町方の者が踏み込むことの出来ない時代ですから、大きい旗本屋敷に関係の事件なぞは、自由に手も足も出ません。それでも何とかしなけりゃあならないから、出来るだけは働きましたよ。まあ、お聴き下さい"
],
[
"そりゃあ逢ってくれるに相違ねえ。だが、浅井の屋敷へは迂濶に顔を見せるなよ。その屋敷内に係り合いの奴があって、おれ達が探索していることを覚られると拙いからな",
"そうです。まあ、遠廻しにそろそろやりましょう"
],
[
"その船はお調べになりましたか",
"おれが立ち合ったのじゃあねえが、同役の井上が調べに行って、船は三河屋の前の河岸に繋がせてある筈だ。大事の証拠物だから、この一件の落着するまでは、めったに手を着けさせることは出来ねえ。どうせ縁起の悪い船だ。まさかに手入れをして使うわけにも行くめえから、片が付いたら焼き捨ててしまうのだろうが、まあ、それまでは大事に囲って置かなければならねえ",
"じゃあ、まあ、三河屋へ行って、その船を見てまいりましょう。又なにかいい知恵が出るかも知れません"
],
[
"まったく飛んだ時化を食いました。あの日はわっしの出番でしたが、千太がおれに代らせてくれと云って、自分が出て行くと、あの始末。お蔭でわっしは災難を逃がれましたが、千太を身代りにしたようで何だか気が済みませんよ",
"それじゃあ、おめえの出番を千太が買って出たのか。そうして千太のゆくえは知れねえのか",
"あいつは泳ぎますから、無事に揚がって来て、一旦は家に帰ったのですが、あとが面倒だと思ったのでしょう、いつの間にか姿をかくしてしまったので、親方も困っていますよ",
"千太の家はどこだ",
"深川の大島町、石置場の近所ですが、おやじが去年死んだので、世帯を畳んでしまいました",
"浅井の屋敷で死んだ者は、殿さまと……",
"いいえ、殿さまは……",
"まあ隠すな。おれはみんな知っている。お妾とお嬢さまと女中三人、そのなかでお嬢さまと女中ひとりが揚がらねえのだね",
"そうです。お嬢さまとお信という女中が見付かりません。もうあげ汐という時刻だのに、やっぱり沖の方へ持って行かれたと見えます。そのお信というのは家の親方の姪ですから、家でも気をつけて探しているのですが……"
],
[
"そりゃあ気の毒だな。そこで、お信はなぜ暇を取るのを忌だと云うのだ",
"よくは知りませんが、屋敷の奥さまが大そう眼をかけて下さるそうで、あんないいお屋敷は無いと始終云っていましたから、そんなことで暇を取る気になれなかったのでしょう。まったくあの屋敷の方々はみんないい人で、若殿さまは優しいかたですし、お嬢さまもおとなしいかたですからね",
"そんなにいい人揃いか",
"みんないい人ですよ。それに若殿さまはここらでも評判の綺麗なかたで、去年元服をなさいましたが、前髪の時分にゃあ忠臣蔵の力弥か二十四孝の勝頼を見るようで、ここから船にお乗りなさる時は、往来の女が立ちどまって眺めているくらいでした"
],
[
"どんな仕事をしたのだ",
"誰かが抉ったのですよ。醤油樽の呑口のようにはなっていねえが、船底の少し腐れかかっている所を、むしったように毀して置いて、いい加減に埋め木でもして置いたのでしょう",
"そんなことは素人に出来る筈がねえ。千太の野郎がやったのかな。浅井の人たちを砂村へ送りつけて、その帰るのを待っているあいだに、千太が何か仕事をしたのだろう。それで野郎、逃亡たのだな"
],
[
"親分。傘を持って行きませんか。なんだかぼろ付いてきましたぜ",
"おめえのうちの傘には印が付いているだろうから、何かの邪魔だ。まあ、たいしたこともあるめえ。このまま行こう"
],
[
"とうとう降り出しました",
"ことしはどうも降り年らしい。きょうも降られて、中途で帰って来た",
"どこへ行きました",
"築地へ廻った"
],
[
"親分。その一件なら、わっしも少し聞き込んだことがあります。御承知の通り、あの辺には屋敷が多いので、わっしも大部屋の奴らを相当に知っていますが、この間からいろいろの噂を聞いていますが、噂という奴はどうも取り留めのないもので……。だが、親分。ここに一つ面白いことがあります。こりゃあ聞き捨てにならねえと思うのですが……",
"聞き捨てにならねえ……。どんなことだ",
"あの一件の当日、主人の因幡という人は陸を帰る筈だったそうです。こういうことになるせいか、因幡という人は船が嫌いで、いつも砂村へ行く時には、片道は船、片道は陸と決まっているので、当日も船で行って、陸を帰るという筈だったのを、どういう都合か、帰りも船ということになって、あんな災難に出逢った……。運が悪いと云えば、まあそれ迄のことですが、何か又そこに理窟がないとも云えませんね。陸を帰れば無事に済んだものを、その日にかぎって船に乗って、その日に限って船が沈む……",
"むむ。運が悪いというほかに、なにかの仔細が無いとも云えねえな"
],
[
"まあ、そんなことらしいようですね。お早というのも評判の悪くない女ですが、なんと云っても本妻と妾、そこには人の知らない角突き合いもあろうと云うものです。奥さまが半気違いのようになって自分の屋敷に瑕が付いても構わないから、本当のことを調べあげてくれなぞと云うのも、自分のうしろ暗いのを隠そうとする為かも知れませんからね",
"心にもない亭主殺し……。それはまあそれとして、娘殺しはどうする。いくら妾が憎いと云っても、我が生みの娘まで道連れにさせることはあるめえ。なんとかして妾ひとりを殺す法もあろうじゃあねえか",
"いや、そこには又相当の理窟があります。お嬢さまのお春というのはお人形のように可愛らしい娘で、気立ても大変おとなしいのですが、どういうわけか子供のときから妾のお早によく狎いて、お早も我が子のように可愛がっていたと云うことです。ねえ、親分。これはわっしの推量だが、奥さまの眼から見たら、お早は自分に子供が無いので、お春を手なずけて我が子のようにして、奥さまに張り合おうという料簡だろうと思われるじゃあありませんか。そうなると、我が子でもお春は可愛くない。いっそお早と一緒に沈めてしまえと、むごい料簡にならないとも限りますまい"
],
[
"それは女中のお信でしょう",
"むむ、船宿の姪か。そうするとお信は生きているな",
"船宿にいて、小田原町の河岸に育った女ですから、ちっとは水ごころがあるのでしょう。陸へ這いあがって、どっかに隠れているのだろうと思います",
"そんなことが無いとも云えねえ"
],
[
"こうなると、どうしてもお信と千太のゆくえを探し出さなけりゃあならねえ。おめえ一人じゃあ手が廻るめえから、亀か庄太に手伝って貰え。おれは妾の宿へ行ってみようと思うが、お早はどこの生まれだ",
"浅井の屋敷へ出入りの植木屋の娘だとかいうことですが、宿はどこだか知りません。なに、そりゃあすぐに判りますから、あしたにでも調べて来ます"
],
[
"どうも遅くなって済みません。近所の屋敷の奴を二、三人たずねたのですが、あいにくどいつも留守で手間取りました。だが、すっかり判りました。浅井の妾の親許は小梅の植木屋の長五郎、家は業平橋の少し先だそうです",
"よし、判った。それじゃあ俺はすぐに小梅へ行って来る。ゆうべも云う通り、おめえは誰かの加勢を頼んで、お信と千太のゆくえを探してくれ。ひょっとすると、築地の三河屋へ忍んで来ねえとも限らねえから、あすこへも眼を放すな"
],
[
"やっぱりそんなことを云って居りますか",
"お部屋さまを沈めようとした……"
],
[
"いや、奥さまに限ったわけじゃあありませんが、お屋敷には大勢の男もいる、女もいる。その大勢のうちには自然こちらの娘さんと仲の悪い者も無いとは云えません。何かのことで娘さんを恨んでいる者も無いとは限りませんから……",
"そりゃあ恨まれているかも知れませんが……"
],
[
"いや、おめえの云ったことをすぐに証拠にするわけじゃあねえ。ただ心得のために聞いて置くだけのことだ。おめえの娘は此の頃ここへ訪ねて来たかえ",
"去年の暮れにまいりました",
"ひとりで来たのか",
"お信という女中を連れて来ました",
"お信はどんな女だ",
"容貌の悪くない、なかなかしっかり者のようです"
],
[
"自分の供に連れて来るようじゃあ、おめえの娘の気に入りなんだね",
"別に気に入りというわけでもございません。お屋敷内では話すことの出来ない内証話があるので、きょうの供に連れて来たのだと申しまして、奥で暫く差し向かいで話して居りました",
"どんな話をしていたか判らなかったかね",
"わたくし共はあちらへ遠慮して居りましたので、二人とも小さな声でひそひそと話し合って居りましたので、どんな話をしていたのか一向に判りませんでした",
"帰る時はどんな様子だった",
"二人とも顔色がよくないようで……。取り分けてお信は真蒼な顔をして居りました",
"娘はそれっきり来ねえのだね"
],
[
"今もおかみさんと話していたところだが、今度の一件について何か入り組んだ訳がありそうだが……",
"それに就きまして、親分さん。もう斯うなれば正直に申し上げますが……"
],
[
"はい",
"いつまでも焦らしていちゃあいけねえ。おれだって洒落や冗談に訊いているのじゃあねえから、そのつもりで返事をしてくれ"
],
[
"お早うございます。早速ですが、ゆうべちっと変なことがありましてね",
"なんだ。馬鹿に早えな"
],
[
"実は庄太と手分けをして、わっしは築地の三河屋の近所に張り込んでいると、ゆうべのかれこれ四ツ(午後十時)頃でしたろう。あの船宿から頬かむりをして出て行く奴がある。小半町ばかり尾けて行って、本願寺橋の袂でだしぬけに『おい、兄い』と声をかけると、そいつはびっくりしたように振り返る。よく見ると、まんざら知らねえ奴でもねえ、深川の寅という野郎で……",
"深川の寅……。どんな奴だ",
"やっぱり船頭で、大島町の石置場の傍にいる寅吉という奴です。船頭といっても、博奕が半商売で、一つ間違えば伝馬町へくらい込むような奴で……。そいつが三河屋から出て来たから、こりゃあ詮議物だと思って、いろいろに膏を絞ってみたのですが、友達の千太をたずねて来たと云うばかりで、ほかにはなんにも云わねえのです。千太は居たかと訊くと、このあいだから姿を隠しているので、三河屋でも探していると云うのです。なんの用で千太をたずねて来たと云うと、例の一件以来、大島町の方へも顔も見せねえので、どうしているのかと案じて来たと云うのです。いつまで押し問答をしていても果てしがねえから、一旦はそのまま放してやりましたが、あとでよくよく考えると、千太をたずねて来たと云うのは嘘で、実は千太の使に来たのじゃあねえかとも思うのですが……",
"そうすると、寅という奴は千太の居所を知っているわけだな",
"そうです。いっそ挙げてしまいましょうか"
],
[
"それに浅井の屋敷もよくねえ。今じゃあ家督を相続している小太郎という人が、二、三日前から家出しているのを黙っていることはねえ。八丁堀の旦那衆の方へ内々で沙汰をして置いてくれりゃあ、なんとか用心の仕様もあったものを……。そうは云うものの、それからそれへと悪い事つづきで、屋敷の方でも面目ねえから、旦那方へは沙汰無しで、内々そのゆくえを探していたのだろうが……。もうこの上は仕方がねえ。三千石の屋敷も潰れる",
"潰れるでしょうね"
],
[
"近頃こんなドジを組んだことはありません。そこで、親分。これからどうします",
"まだこれで幕にゃあならねえ。お信が生きていた以上は、千太もどこから這い出して来るか判らねえ",
"それじゃあ、やっぱり深川を見張っていますか",
"まあ、そうだ。寅吉の家の近所を見張っているほかはあるめえ"
],
[
"へえ",
"その夢を話して聞かそうか",
"へえ"
],
[
"親分、恐れ入りました。ひとりの姪が可愛いばっかりに……。お察しください",
"それはおれも察している。おめえが悪い人間でねえことは世間の評判で知っている。それにしても、仕事があんまり暴っぽいぜ。いくらおめえ達の商売でも、カチカチ山の狸の土舟のようなことをして、殿さまを始め大勢の人を沈めて……",
"仰しゃられるまでも無く、わたくしも今では後悔して居ります。どうしてあんな大胆なことをしたかと、我れながら恐ろしい位でございます。たった一人の姪が泣いて頼みますので……。ふいと魔がさして飛んでもない心得違いを致しまして……。なんとも申し訳がございません"
],
[
"まだ判らないことがたくさんありますよ。これまでのお話によると、そのお信という女が自分の恋の邪魔になるお早という妾を殺そうとして、叔父の清吉を口説いて船底に機関を仕掛けたというわけですね。かたきの片割れだから、お嬢さまも一緒に沈めてしまう……",
"殿さまを殺す気はなかったが、あいにく其の日に限って、殿さまも船で帰ったので、云わば傍杖の災難に出逢ったのですよ。運の悪いときは仕方のないものです",
"お信は大阪屋花鳥の二代目ですね",
"そうです。子供のときから築地の河岸に育ったので、相当に水心があったと見えます。こんにちでは海水浴が流行って、綺麗な女がみんなぼちゃぼちゃやりますが、江戸時代には漁師の娘ならば知らず、普通の女で泳ぎの出来るのは少なかったのです。花鳥もお信も泳ぎを知らなかったら、悪いことを思い付かなかったかも知れません",
"そこで千太という船頭はどうしました"
],
[
"そうして、どこに隠れていたんです",
"友達の寅吉の家へ逃げ込んで、戸棚のなかに隠れていたそうです。寅吉も悪い奴で、万事を承知で千太をかくまい、千太の使だと云って時々に三河屋へ無心に出かけていたんですが、この寅吉を斬った者がよく判りません。寅吉の出入りを尾けていた幸次郎の話によると、寅吉が山本町の橋の袂へ来かかった時に覆面の侍が足早に追って来て、一刀に斬り倒したのだそうで、恐らく菅野の屋敷の者だろうと云うんです。菅野は前にも申した通り、浅井の奥さまの里方で深川の浄心寺わきに屋敷を持っている。そこへ今度の一件を種にして、寅吉は何か強請がましい事でも云いに行ったらしい。屋敷の方でも面倒だと思って、一旦は幾らか握らせて帰して、あとから尾けて行ってばっさり……。わたくしは門前払いを喰っただけでしたが、寅吉は命を取られてしまいました。なにしろ寅吉が殺られてしまったので、千太はどうすることも出来ない。よんどころなく其処を逃げ出して、それからそれへと友達のところを転げ歩いていたんですが、どこでも係り合いを恐れて長くは泊めてくれない。そのうちに親方の清吉がわたくしの手に挙げられたという噂を聞いて、もう逃げ負せられないと覚悟したのでしょう。自分で尋常に名乗って出ましたが、吟味中に牢死しました",
"お信は清吉の女房の里に隠れていたんですか"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(五)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年10月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:小林繁雄
1999年4月11日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "000979",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
"ソート用読み": "はんしちとりものちよう",
"副題": "53 新カチカチ山",
"副題読み": "53 しんカチカチやま",
"原題": "",
"初出": "",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "1999-04-11T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
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"姓": "岡本",
"名": "綺堂",
"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1872-11-15",
"没年月日": "1939-03-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "時代推理小説 半七捕物帳(五)",
"底本出版社名1": "光文社時代小説文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "1986(昭和61)年10月20日",
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"入力者": "tatsuki",
"校正者": "小林繁雄",
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} |
[
[
"又お邪魔に出ようと思いまして……",
"さあ、いらっしゃい"
],
[
"じゃあ、和国橋の髪結い藤次の芝居に出る唐人市兵衛、あのたぐいでしょう",
"そうです、そうです。更紗でこしらえた唐人服を着て、鳥毛の付いた唐人笠をかぶって、沓をはいて、鉦をたたいて来るのもある、チャルメラを吹いて来るのもある。子供が飴を買うと、お愛嬌に何か訳のわからない唄を歌って、カンカンノウといったような節廻しで、変な手付きで踊って見せる。まったく子供だましに相違ないのですが、なにしろ形が変っているのと、変な踊りを見せるのとで、子供たちのあいだには人気がありました。いや、その唐人飴のなかにもいろいろの奴がありまして……"
],
[
"あいつはいよいよ泥坊で、お武家の物でも剥ぎ取ろうとして斬られたのだ",
"いや、泥坊には相違ないが、仲間同士の喧嘩で腕を斬られたのだ"
],
[
"師匠はまあそれとして、さてその腕の一件だが……。その唐人飴屋というのは何奴かな。家はどこだ",
"四谷の法善寺門前の虎吉という奴だと聞きましたから、実は帰り路に四谷へまわって、北町の法善寺門前を軒別に洗ってみましたが、虎も熊も居やあしません。野郎、きっと出たらめですよ",
"そうかも知れねえ。だが、この広い江戸にも唐人飴が五十人も百人もいる筈はねえ。それからそれへと仲間を洗って行ったら、大抵わかるだろう",
"じゃあ、すぐに取りかかりますか"
],
[
"ようがす。親分はあした青山へ出かけますかえ",
"日暮れにさしかかって場末へ踏み出しても埓が明くめえ。あしたゆっくり出かける事にしよう",
"それじゃあ、その積りでやります"
],
[
"どうでお江戸の方々の御覧になるような物じゃあござんすまいが、相当によくすると皆さんが云っておいでですよ。あれでも此処らじゃあなかなかの評判です",
"そうだろうな。錦祥女をしている小三津というのは綺麗だね",
"ええ、小三津は年も若いし、容貌もいいので、人気者ですよ"
],
[
"博奕でも打つかな",
"まあ、そんなことかも知れません。その連中には女でも手慰みをする者がありますからね。地道なことで無くしたのなら、師匠もそんなに叱る筈はありません。なにか悪いことをしたのでしょうね"
],
[
"今見たら、木戸前に小三津の新しい幟が立っている。呉れた人は常磐津文字吉とある。小三津は文字吉に何か係り合いがあるのかね",
"文字吉は実相寺門前の師匠ですが、小三津をたいへん贔屓にして、楽屋へ遣い物をしたり幟をやったり、近くの料理屋へ呼んだりしたので、小三津の方でも喜んで、このごろでは師匠の家へもちょいちょい出這入りをしているようです",
"それで叱られたわけでもあるめえ"
],
[
"世間の噂じゃあ、お師匠さんはきのうの朝、熊野さまの近所で、往来に落ちている片腕を見付けたそうで……。それから熱でも出たのですかえ",
"そんなことは知りませんよ"
],
[
"そりゃあ役者だから、自然にからだの格好が付いて、真剣らしく見えるのでしょう",
"いや、そうでねえ。舞台の芸とは違っている。あいつは本気で一生懸命に祈っているのだ。あいつは浅川の芝居の役者だというが、どうもそうで無いらしい。さっき見た小三の芝居にあんな奴が出ていた。第一、おれの腑に落ちねえのは、小三の芝居は女役者だ。その一座に男がまじっているという法はねえ。宮地の芝居だから、大目に見ているのかも知れねえが、男と女と入りまじりの芝居は御法度だ。恐らく虎になる役者に困って、男芝居の役者を内証で借りて来たのだろうと思うが、その役者が眼の色を変えて仁王さまを拝んでいる……。それがどうも判らねえ。なにか仔細がありそうだ",
"そこで、わっしはどうしましょう"
],
[
"むむ、逢った。善光寺前にうろ付いている筈だ。あいつと打ち合わせて宜しく頼むぜ",
"ようがす"
],
[
"やっぱり唐人の筒袖のままです。なんぼ羅生門横町でも、三日と経たねえうちに二度も腕を斬られたのだから、近所は大騒ぎ、わっしも面くらいましたよ",
"腕は前のと同じようか",
"違います。前のは生っ白い腕でしたが、今度のは色の黒い、頑丈な腕です。前のは若い奴でしたが、今度のはどうしても三十以上、四十ぐらいの奴じゃあねえかと思われます。なにしろ泊まり込みで網を張っていながら、こんな事になってしまって、なんと叱られても一言もありません。庄太が一生の不覚、あやまりました"
],
[
"下手人はあたりが付いていますか",
"大抵は判っている。やっぱり眼のさきにいる奴だ。浅川の芝居にいる市川照之助だろう。あいつは力を授かるために仁王さまを拝んでいたらしい。どうもあいつの眼の色が唯でねえと、おれはきのうから睨んでいたのだ",
"でも、唐人飴とどういう係り合いがあるのでしょう。斬られた腕は二度とも唐人飴の筒袖を着ていたのですが……",
"おめえは知るめえが、鳳閣寺の女芝居で国姓爺の狂言をしている。十六文の宮芝居だから、衣裳なんぞは惨めなほどにお粗末な代物で、虎狩や楼門に出る唐人共も満足な衣裳を着ちゃあいねえ。みんな安更紗の染め物で、唐人飴とそっくりの拵えだ。それを見ると、今度の腕斬りの一件は、この女芝居の楽屋に係り合いがあるらしいと思っていたが、いよいよそれに相違ねえ。照之助という奴が誰かの腕を斬って、それに唐人の衣裳の袖をまき付けて、わざと羅生門横町へ捨てて置いたのだろう。その訳も大抵察しているが、それを云っていると長くなる。これだけのことを肚に入れて、おめえは早く青山へ行け"
],
[
"小三津は師匠の小三の家にいるのです。小三の家は善光寺門前です",
"照之助の家は……",
"照之助は兄きの岩蔵と一緒に、若松町の裏店に住んでいます。兄きも役者で市川岩蔵というのですが、芝居が半分、博奕が半分のごろつき肌で、近所の評判はよくねえ奴です。おふくろはお金といって、常磐津の師匠の文字吉の家へ雇い婆さんのように手伝いに行っていますが、こいつもなかなかしっかり者のようです。実は照之助の家を覗きに行ったのですが、兄きも弟も留守で、家は空ッぽでした",
"岩蔵はどこの小屋に出ているのだ",
"弟と一緒に、ここの芝居へ出ていたのですが、それに就いて何か面倒が起こって、この二、三日は休んでいるようです"
],
[
"浅川の芝居に出ている岩蔵は、弥兵衛の子分かえ",
"岩蔵さんは役者ですから、子分というわけでもないでしょうが、あの人もちっと悪い道楽があるので、弥兵衛さんのところへも出這入りをしているようです"
],
[
"シラを切っても、いけないいけない。あたしはちゃんと証拠を握っているのだ。ここの師匠は化けもんだ、女のくせに女をだまして、金も着物もみんな捲きあげて、仕舞いには本人の体まで隠して……。並大抵のことじゃあ埓があかないから、きょうは芝居を休んで掛け合いに来たのだ。もうこうなりゃあ出るところへ出て、拐引の訴えをするから、そう思うがいい",
"どうとも勝手にするがいいのさ。白い黒いはお上で決めて下さるだろう",
"知れたことさ。そのときに泣きっ面をしないがいい。さあ、もう行こうよ"
],
[
"まだ半分で、なにも判りませんよ",
"判りませんか",
"判りませんよ。一体それからどうなったんです",
"小三は自分の弟子を隠された口惜しまぎれに、何もかも話しました。それを聞くと、常磐津文字吉という師匠は不思議な女で、酒屋の亭主を旦那にしているが、ほかに男の弟子は取らないで、女の弟子ばかり取る、それには訳のあることで、本人は女のくせに女をだますのが上手。ただ口先でだますのでは無く、相手の女に関係をつけて本当の情婦にしてしまうのです。こんにちではなんと云うか知りませんが、昔はそういう女を『男女』とか『男女さん』とか云っていました。もちろん、滅多にあるものじゃあありませんが、たまにはそういう変り者があって、時々に問題を起こすことがあります。文字吉は浄瑠璃が上手というのでも無いのに、女の弟子ばかり来る。殊に囲い者や後家さん達がわざわざ遠方から来るというのを聞いて、わたくしは少し変に思って、もしやと疑っていたら案の通りでした。つまりは色と慾との二筋道で、女が女を蕩して金を絞り取る。これだから油断がなりませんよ",
"そうすると、小三津という女役者もそれに引っ懸かったんですね"
],
[
"鳳閣寺の芝居ですね",
"さっきもお話し申した通り、ここの芝居は女役者の一座ですから、男と女と入りまじりの芝居は出来ない。そこで、今度の国姓爺を上演するに就いては、虎狩の虎を勤める役者に困ったので、浅川町の男芝居から市川岩蔵と照之助の兄弟を引っこ抜いて来ました。岩蔵はごろつきのような奴ですから、金にさえなれば何でも引き受けるというわけで、弟の照之助にすすめて虎を勤めさせ、自分も一緒に出て唐人の役を勤めることになりました。芝居の方じゃあ岩蔵に用はないが、照之助を借りる都合上、兄きも一緒に買ったのです",
"浅川の芝居では黙って承知したんですか"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(五)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年10月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:小林繁雄
1999年4月24日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[
[
"わたしの識っている人で、鋸山の羅漢さまへお参りに行ったのもありましたが、蛇の話は聴きませんでした。別にどうするということも無いでしょうが、それでも気味がよくありませんね。蛇と云えば、いつぞやお化け師匠のお話をしたことがあるでしょう。師匠を絞め殺して、その頸に蛇をまき付けて置いた一件です。あれとは又違って、わたくしの方に蛇のお話がありますが、蛇にはもう懲りましたか",
"かまいません。聴かせて下さい"
],
[
"おどろいたねえ",
"人は見かけに因らねえものだ",
"年公もちっとは道楽をするが、まさかにそんな恐ろしい事をしようとは思わなかった"
],
[
"お由さんはコロリが怖くないのかしら",
"なに、大さんと一緒に行きたいんだよ"
],
[
"悪い人の殺されるのは仕方がないが、善い人も殺されるから困るよ",
"わっしらの商売から云うと、悪い人の殺されるのも困る。折角お尋ね者を追いつめて、さあという時に相手がコロリと参ってしまわれちゃあ、洒落にもならねえ。現にこのあいだの湯島の一件……。ようやく突きとめて小石川まで出張って行くと、大工の奴はコロリ。実にがっかりしてしまいますよ"
],
[
"もし、親分。今の小石川ですがね。そこで又すこし変な噂を聞き込みました",
"変な噂とはなんだ"
],
[
"いや、コロリじゃあねえ、まあ、頓死のようなわけで……。関口屋でもすぐに医者を呼んだが、もう間に合わなかったそうです。その死に方がなんだか可怪しいというのですが、関口屋じゃあ店の者や女中に口留めをして、なんにも云わせねえ。それだけに猶更いろいろの噂が立つわけです。世間でかれこれ云うばかりでなく、お由の親許でも不承知で、娘の死骸を素直に引き取らない。コロリの流行る時節に、死骸をいつまでも転がして置くわけには行かねえので、名主や五人組が仲へはいって、ともかく死骸だけは引き取らせることにしたが、その後始末が付かねえで、いまだにごたごたしているそうですよ",
"お由という女の親許では、なぜ不承知をいうのだ。死骸に何か怪しいことでもあるのか",
"どうもそうらしい。それが又、変な話で……。近所の噂じゃあ、氷川の明神山のかむろ蛇に祟られたのだそうで……。そんな事が本当にありますかね"
],
[
"関口屋で殺したとでも云うのか",
"まさかに殺したとも云いませんが、寝床で蝮に咬まれたなんぞと云うのは、どうもまじめに聞かれねえ。ましてかむろ蛇なんぞは作り話だか何だか判らねえ。大事の娘が死んだ以上、どうして死んだのか確かに判らねえでは、迂濶に死骸を引き取ることは出来ねえと、こう云うのだそうで……。関口屋でも相当の弔い金は出す気でいるのだが、親の方じゃあ五百両か千両も取るつもりでいるらしいので……"
],
[
"唯の奉公人じゃあねえのか",
"主人の兄きの娘です。兄きは次右衛門といって、本来ならば総領の跡取りですが、若い時から道楽者で、先代の主人に勘当されてしまって、弟の次兵衛が関口屋の家督を相続することになったのです。先代が死ぬときに勘当の詫びをする者もあったが、先代はどうしても承知しないで、あんな奴は決して関口屋の暖簾をくぐらせてはならないと遺言したそうです。それは二十年も昔のことですが、それがために次右衛門は今でも表向きに関口屋の店へ顔出しは出来ない。裏口からそっとはいって来ると云うわけです",
"次右衛門は何をしているのだ",
"下谷の坂本で小さい煙草屋をしているそうです。表向きは勘当でも、関口屋の総領で、今の主人の兄きには相違ないのですから、関口屋でもいくらか面倒を見てやって、商売物の煙草なぞも廻してやっているようです。その娘がお由で、これも表向きに親類というわけには行かないので、まあ奉公人同様に引き取られて、関口屋の厄介になっていたのです。詳しいことは判りませんが、関口屋へお由を引き取るに就いては、行くゆくは相当の婿を見付けて、それに幾らかの元手でも分けてやって、兄きの家を相続させると云うような約束になっていたらしい。そのお由がだしぬけに死んでしまったので、一番困るのは兄きの次右衛門です",
"その兄きは堅気になっているのか",
"次右衛門はもう五十で、今は堅気になっているようですが、昔の道楽者の肌は抜けない。自分に落度があるにしても、関口屋の身代を弟に取られたのだから、内心は面白くない。その上に、世話をするという約束で引き取られた娘が得体の知れない死に方をする。こうなると、何とか因縁を付けたくなるのが人情で、死骸を引き取るとか、引き取らねえとか、駄々を捏ねているのでしょう。次右衛門に云わせると、表向きはともかくも、肉親の姪を預かって置きながら、なんだか訳の判らない死に方をさせて、死んだものは仕方が無いというような顔をしているのは、あんまり不人情だ、不都合だ……。それも畢竟お由の死に方がはっきりしねえからの事で、確かに蝮に咬まれたのかどうだか、医者にもよく見立てが付かねえようですよ"
],
[
"いや、喧嘩にならねえとも限らねえ。そのお由というのはどんな女だ",
"お由は十九で、家の娘とは一つ違いです。家の娘はお袖と云って、ことし十八。表向きは主人と奉公人のようになっていますが、つまり従妹同士で、どっちも容貌は良くも無し、悪くも無し、まあ十人並というところでしょうが、お由の方が年上だけにませていて、男好きのする風でした",
"関口屋の裏の四軒長屋には誰と誰が巣を食っている……",
"コロリで死んだ大工の年造、それから煙草屋の大吉、そのほかに仕立屋職人の甚蔵、笊屋の六兵衛……。甚蔵と六兵衛には女房子があります",
"大吉というのは年造の隣りにいる奴だな。そりゃあどんな奴だ",
"二十三四の、色の生っ白い、華奢な奴です。生まれは上方で、以前は湯島の茶屋にいたとか云うことですよ",
"湯島の茶屋にいた……。男娼のあがりか",
"そんな噂です",
"そうか"
],
[
"関口屋の蛇が長屋へ這い込んだのだ",
"いや、年さんの幽霊が出たのだ"
],
[
"そうでしょうか",
"なにしろ此の一件には大吉が係り合っているに相違ねえ。おれにはもう大抵見当がついた。早く大吉を挙げてしまえ。人間はずうずうしくっても、男娼あがりのひょろひょろした野郎だ。おめえ一人でたくさんだろう。いや、待て。下手に逃がして何処かの寺へでも逃げ込まれると面倒だ。おれも一緒に行こう"
],
[
"年造の寺はどこだね",
"改代町の万養寺です",
"年造の菩提所かえ",
"いいえ。年さんのお寺は無いとかいうことで、大さんが自分の知っているお寺へ納めて貰ったのです",
"いや、ありがとう。わたし達が訊きに来たことは、誰にも内証にして置いてくんねえ"
],
[
"鋤を持って出た男は何者です",
"それは万養寺の寺男で、名は忠兵衛……梅川と道行でもしそうな名前ですが、年は五十ばかりで、なかなか頑丈な奴でした。生まれは上方で、大吉の親父です。こいつも昔は道楽者で、せがれの大吉が小綺麗に生まれたのを幸いに、子どもの時から陰間茶屋へ売りました。江戸の陰間茶屋は天保度の改革で一旦廃止になったのですが、その後も給仕男という名義で営業していました。男娼のことは余談にわたりますから、詳しくは申し上げませんが、なにしろ女と違って、子供時代が売り物ですから、十七八にもなればもうお仕舞いです。男娼の揚がりは馴染の客……多くはお寺さんですが、それに幾らかの元手を出して貰って小商いでも始めるか、寺侍の株でも買ってもらうか、又は小間物や煙草の行商になる。お寺にむかし馴染があるので、煙草を売って歩くのが多かったようです。大吉もその一人で、関口屋の長屋に住んで煙草屋になっていたんです。万養寺の住職も大吉のむかしの馴染で、その関係から親父の忠兵衛を引き取って、自分の寺男に使っていたと云うわけです",
"そこで、問題のかむろ蛇の一件ですが、それは大吉や次右衛門の狂言ですか",
"そうです、そうです。御承知の通り、次右衛門は総領でありながら、関口屋の身代を弟の次兵衛に取られてしまったので、内心甚だ面白くない。しかし次兵衛は元来いい人ですから、兄きはこれに娘を預けて置いて、万事よろしく頼んでいればいいのですが、それではどうも気が済まない。又その娘のお由というのが気の勝った女で、関口屋の娘とは従妹同士でありながら、表向きは奉公人同様に働かされているのが口惜しくてならない。そんなわけで、関口屋の方ではやがて相当の婿をさがして、行く末の面倒を見てやろうと思っているのに、次右衛門親子は内心修羅を燃やして、なにか事あれかしと狙っているという始末、それでは無事に納まる筈がありません。どうしてもひと捫著おこるのは知れています。そこへかの大吉が煙草を仕入れるために、関口屋へ毎日出入りをする。男娼あがりで、男振りも優しく、口前もいいので、お由はいつか大吉と出来合ってしまったんです。うわべは柔らかでも肚のよくない大吉、これが次右衛門親子と共謀して、ひと芝居打つことになったんです",
"その芝居の筋立ては……"
],
[
"蝮ですか",
"蝮です。お由は夜なかにそれを持ち出して、お袖の蚊帳の中に放そうとしたんですが、やっぱり悪いことは出来ないもので、その蝮をとり出すときに誤って自分が咬まれてしまって……。どこを咬まれたのか知りませんが、忽ちに毒がまわって死んだという訳です。人を呪わば穴二つとか云うのは、まったくこの事でしょう。思いもよらない仕損じに、大吉も次右衛門もびっくりしたが、今更どうにもならない。そこで今度は法を変えて、怪しい死に方をした娘の死骸は引き取れないと、親の次右衛門から因縁をつけて、とうとう関口屋から六百両をまき上げました",
"その六百両のために、次右衛門は殺されることになったんですね"
],
[
"四百両のゆくえは知れないんですか",
"次右衛門の店の床下に埋めてありました。その金はどう処分されたか確かには知りませんが、都合よく関口屋の手へ渡ったように聞いています。関口屋の娘のお袖は、かむろ蛇の正体が判ったので、急に気が強くなったのでしょう、やがて全快して元のからだになりました。この娘が大吉らに狙われた御本尊でありながら、とうとう無事に助かりました。人間の運は判りません",
"八つ手の葉にお袖死ぬと書いたのは、お由の仕業ですか",
"お由の小細工です。わたくしはその実物を見ませんが、なにかの焼き薬か腐れ薬で虫蝕いのように書いたんでしょう。気をつけて見たらば、お由の筆蹟だと云うことも判ったんでしょうが、そこが素人の不注意で仕方がありません。いや、わたくし共の商売人でも時々に飛んだ不注意の失敗をやりますから、素人を咎めるわけには行きませんよ。八丁堀の役人だって、岡っ引だって、みんな神様じゃあない。時には案外の見込み違いをして、あとで大笑いになることがありました"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(五)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年10月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:小林繁雄
1999年4月25日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[
[
"お店には大旦那夫婦がありましたね",
"はい、大主人は半右衛門、五十三歳。おかみさんはおとせ、五十歳でございます",
"若主人夫婦は……",
"若主人は金兵衛、三十歳。若いおかみさんはお雛、二十六歳。若いおかみさんの里は、岩井町の田原という材木屋でございます",
"お乳母さんは"
],
[
"乳母に出るのだから、一旦は亭主を持ったのだろうが、その亭主とは死に別れですかえ",
"なんでも浅草の方へ縁付きましたのですが、その亭主が道楽者で……。生まれた子が死んだのを幸いに、縁切りということに致しまして、乳母奉公に出たのだそうでございますが、まことに実体な忠義者で、主人の子どもを大切に致してくれますので、内外の評判も宜しゅうございます"
],
[
"どうも御無沙汰をして、申し訳がありません",
"何をぶらぶら遊んでいるのだ。おい、鮓屋。早速だが、用がある。ここへ来い"
],
[
"こりゃあ人攫いや神隠しじゃあねえ。なにかの仔細があって、玉太郎を隠した奴があるのだ。菊園に恨みのある奴か、それとも菊園を嚇かして金にする料簡か、二つに一つだろう。おめえはこれから根岸へ行って、乳母のお福の宿をしらべて来てくれ。お福の先の亭主は道楽者で、浅草に住んでいると云うから、これもついでに洗って来てくれ",
"乳母が怪しいのですかえ",
"怪しいどころか、番頭の話じゃあ正直な忠義者だそうだが、この頃の忠義者は当てにならねえ。ともかくもひと通りは手を着けて置くことだ",
"ようがす。すぐに行って来ます",
"浅草の方は庄太の手を借りてもいい。なるべく早くやってくれ"
],
[
"やあ、親分。どこへ……",
"橋場の寺まで行って来た",
"弔えですか",
"むむ。弥助は来たか",
"まだ来ません。何かあったのですか",
"すこし頼んだことがあるのだが……。あいつは気が長げえから埓が明かねえ",
"まあ、おはいんなせえ。だが、きょうはあいにくの日で、大変ですよ。隣りの長屋二軒が根継ぎをするという騒ぎで、露路のなかはほこりだらけ……。わっしも家にいられねえから、表へ逃げ出して来たような始末で……"
],
[
"おい、庄太。あれを拾って来てくれ",
"なんです",
"あの橙よ"
],
[
"わっしのことを気が長げえと云うが、その代りに仕事は念入りだ。まあ、聴いておくんなせえ",
"一軒家じゃあねえ、大きな声をするな"
],
[
"調べました。ところが、亭主の次郎吉という奴は、女房に逃げられるような道楽者だけに、玩具屋の店は三年ほど前に潰してしまって、今じゃあ田町を立ち退いて、聖天下の裏店にもぐり込んで、風車や蝶々売りをやっているそうです。年は二十九で、見かけは色の小白い、痩形の、小粋な野郎だということですが、わっしがたずねて行った時にゃあ、商売に出ていて留守でした",
"その後に女房は持たねえのか"
],
[
"そうでしょうね",
"そこで、その次郎吉という奴だが……。近所の評判はどうだ",
"褒められてもいねえが、悪くも云われねえ。まあ中途半端のところらしいようですね",
"中途半端じゃあ困るな。白雲堂にでもうらなって貰わねえじゃあ判らねえ"
],
[
"今ここにいたのは菊園のお乳母さんかえ",
"そうです",
"菊園の子供はさらわれたと云うじゃあねえか"
],
[
"ええ。それだけに余計お気の毒で……。いまだに帰って来ないのを見ると、大かた攫われたのでしょうね。玉ちゃんは色の白い、女の子のような綺麗な子ですから、悪い奴に魅こまれたのかも知れません",
"それで、ちっとも手がかりは無いのかね"
],
[
"お乳母さんにそれを話したのかえ……",
"話しました。それでもお乳母さんはまだ疑うような顔をして、首をかしげていました。家の玉ちゃんは識らない大道商人のあとへ付いて行くような筈は無いと云うのです。そう云っても、子供のことですからねえ"
],
[
"毎度お邪魔をいたして相済みませんが、実は親分さんのお耳に入れて置きたい事がございまして……",
"なにか又、出来しましたかえ",
"乳母のお福がゆうべから戻りません。日暮れから姿が見えなくなりまして、どこへ行ったか判りませんので……",
"これまでに家を明けたことはありますかえ",
"いえ、あしかけ七年のあいだに、唯の一度も夜泊まりなどを致したことはございません。時が時でございますから、主人も心配いたしまして、もしや申し訳が無いなどと短気を起こしたのではあるまいかと……。お福ひとりではなく、若いおかみさんや近所の人達も一緒にいたのですから、たとい子供が見えなくなりましても、自分ばかりの落度というのでも無いのですが、当人はひどく苦に病んで、きのうは碌々に飯も食わないような始末でしたから、もしや思い詰めて何かの間違いでも……。実は若いおかみさんも少し取りのぼせたような気味で、お福に万一の事があれば、お福ひとりは殺さない、自分も申し訳のために一緒に死ぬなどと申して居りますので、いよいよ心配が重なりまして……。何分お察しを願います"
],
[
"生みの親よりも乳母を慕って居ります。お福の方でも我が子のように可愛がって居りました。それがこんな事になりましたので、お福もやっぱり取りのぼせたのかと思われます",
"根岸の宿へも聞き合わせましたか",
"夜が明けないうちに使を出しましたが、ゆうべから根岸へは一度も姿をみせないと申しますので、なおさら心配いたして居りますような訳でございます"
],
[
"いや、大抵はわかりました。お乳母さんの事もまあ心配することは無いでしょう。それからもう一つ訊きたいのは、そのお福は占いに見て貰うとか、お神籤を頂くとか、そんな事をしますかえ",
"はい。子どもには死に別れ、亭主には生き別れ、とかくに運の悪い女でございますので、自然と占いやお神籤を信仰するようになりましたようで、時々にそんな話をして居ります"
],
[
"ひどい風ですね",
"どうも仕様がねえ"
],
[
"ともかくも魚八へ行ってみよう",
"魚八には誰もいませんよ。親父も伜も出払って、店にいるのは女房ばかりです",
"女房はどんな女だ",
"お政という四十五六の女で、見たところは悪気のなさそうな人間です。親父も伜も近所の評判は悪くないようです"
],
[
"もし、誰かいねえかね",
"はい、はい"
],
[
"じゃあ、仕方がない。また出直して来ましょう",
"御苦労さまでございます"
],
[
"はい。太鼓の皮に張りますので……",
"ここの息子も太鼓を売りに出るのかえ",
"はい。店の方が思わしくございませんので、まあ小遣い取りに出て居ります",
"菊園の子供は河豚の太鼓を売る奴にさらわれたという噂だが……"
],
[
"これからどうします",
"浅草へ行こう"
],
[
"親分。ひと騒動始まりましたよ",
"どうした。なにが始まった",
"白雲堂が死にました",
"どうして死んだ",
"河豚を食って",
"河豚……"
],
[
"どんな女が来た……",
"頭巾をかぶって居りましたので……"
],
[
"それから、その女はどうした",
"さあ、なにぶん気をつけて居りませんので、確かには申し上げられませんが、小さい声で何か暫く話して居りまして、それから帰ったようでございました",
"どっちの方角へ帰った……",
"それはどうも判りませんので……",
"白雲堂はどうした",
"幸斎さんはそれから間もなく出たようでしたが、それっきり帰って参りません。そのうちに四ツ(午後十時)になりましたので、わたくしの店では戸を閉めましたが、それから少し経って帰って来たようで、戸をあける音がきこえました。わたくし共でもみんな寝てしまいましたので、それから先のことは一向に存じません",
"その女と一緒に帰って来た様子はねえか",
"さあ、それも判りませんので……"
],
[
"お家主に伺いますが、検視のお役人衆は二階をあらためましたか",
"いえ、別に……"
],
[
"これが初めにお話し申した疱瘡の一件ですよ",
"疱瘡……。植疱瘡ですか"
],
[
"お福と次郎吉とは無関係なんですか",
"相変らず縁が繋がっているように思ったのは、わたくしの見込み違いで、お福とお京とを間違っていたんです。こういう勘違いでやり損じることがしばしばありますから、早呑み込みは出来ません。しかしこの一件に次郎吉が絡んでいたというのも、自然の因縁でしょう。いや、自然といえば、白雲堂の屋根で猫が啼かなければ、二階を見上げない。二階を見なければ、あがって見る気にもならない。勿論、猫になんの料簡があったわけでも無いでしょうが、そういうことから自然に手がかりを得る例もたびたびあります。探索も自分の頭の働きばかりでなく、自然に何かに導かれて、思いもよらない掘り出し物をしないとも限りません。考えると、不思議なものですよ",
"お福はどうなりました"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(五)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年10月20日初版1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tat_suki
校正:小林繁雄
1999年5月11日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "000977",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
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"名": "綺堂",
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"姓ローマ字": "Okamoto",
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[
[
"いいえ、相変らず木戸をあけています。まあ、なんとか宜しく頼んだのでしょう。世の中はまた不思議なもので、幽霊におどろいて死んだ者があったなんて云ったら、客の足がばったり止まるかと思いのほか、却ってそれが評判になって毎日大繁昌、なにが仕合わせになるか判りませんね",
"そこで、長助という奴はどんな話をした",
"ちっとはお負けも付いているかも知れませんが、まあ、こんな事でした"
],
[
"その女隠居はどんな女か知らねえが、観音まいりに出かけたのじゃあ、幾らも金を持っていやあしめえな",
"そうでしょうね。女ひとりで参詣に出たのじゃあ、いくらも巾着銭を持っていやあしますめえ",
"女ひとりと云えば、その隠居は女のくせに、たった一人で左の方へ行ったのは、どういう訳だろう。まさかに景物が欲しかったのでもあるめえが、よっぽど気の強い女とみえるな",
"もちろん大家の隠居だから、景物が欲しかったわけじゃあありますめえ。小屋のなかは暗いのと、怖い怖いで度を失ったのとで、右と左を間違えて、あべこべに歩いて行ったのだろうという噂です。怖い物見たさではいったら、案外に怖いので気が遠くなったのかも知れません"
],
[
"親分、すっかり洗って来ました",
"やあ、御苦労。早速だが、その女隠居は幾つで、どんな女だ",
"名はお半と云って、四十五です。八年前に亭主に死に別れて、三年前から杉の森新道に隠居して、お嶋という女中と二人暮らしですが、店の方から相当の仕送りがあるので、なかなか贅沢に暮らしていたようです。四十を越してもまだ水々しい大柄の女で、ふだんから小綺麗にしていたと云います",
"駿河屋の養子はなんというのだ",
"信次郎といって、ことし二十一です。先代の主人の妹のせがれで、先代夫婦の甥にあたるわけです。先代には子供がないので、十一の年から養子に貰われて来て、十三のときに先代が死んだ。何分にも年が行かねえので、当分は義母のお半が後見をしていて、信次郎が十八の秋に店を譲ったのです。十八でもまだ若けえが、店には吉兵衛という番頭がいるので、それが半分は後見のような形で、商売の方は差支え無しにやっているそうです。若主人の信次郎は色白のおとなしい男で、近所の若けえ女なんぞには評判がいいそうです",
"信次郎はまだ独り身か",
"そんなわけで、男はよし、身上はよし、年頃ではあり、これまでに二、三度も縁談の申し込みがあったそうですが、やっぱり縁遠いというのか、いつも中途で毀れてしまって、いまだに独り身です。と云って、別に道楽をするという噂も無いようです",
"お半は四十を越しても水々しい女だというが、それにも浮いた噂はねえのか"
],
[
"そうです、そうです",
"お半の前にはどんな奴がはいったのだ",
"さあ。それは長助も知らねえようでしたが……。調べましょうか",
"お半のあと先にはいった奴をみんな調べてくれ。如才もあるめえが、年頃から人相風俗、なるたけ詳しい方がいいぜ",
"承知しました。木戸番の奴らを少し嚇かしゃあ、みんなべらべらしゃべりますよ"
],
[
"おお、いいところへ来た。おめえにも少し用がある",
"今そこで松に逢いましたら、これから浅草のお化けへ出かけるそうで……",
"そうだ。お化けの方は松に頼んだが、おめえは照降町へまわってくれ"
],
[
"怪我をしているようだな。喧嘩でもしたのかえ",
"へえ、詰まらねえことで友達と……"
],
[
"その男はどこの奴だ",
"葺屋町の裏に住んでいる音造という奴で、小博奕なんぞを打って、ごろ付いているけちな野郎ですよ"
],
[
"そんな奴が出這入りをしちゃあ、すぐに近所の眼に付くから、深川の八幡前の音造の叔母というのが小さい荒物屋をしている。そこの二階を出逢い所としていたようです。音造は二十七八で、いやにぎすぎすした気障な野郎ですよ。あんまり相手が掛け離れているので、わっしも最初はおかしく思ったのですが、だんだん調べてみると、どうも本当らしいのです",
"駿河屋の若主人はまったく色気なしか",
"いや、これにも女の係り合いがあるようです。両国の列び茶屋にいるお米という女、これがおかしいという噂で、時々に駿河屋の店をのぞきに来たりするそうです。わっしも念のために両国へまわって、飲みたくもねえ茶を飲んで来ましたが、そのお米という女は若粧りにしているが、もう二十三四でしょう。たしか若主人よりも年上ですよ。ねえ、親分。照降町の駿河屋といえば、世間に名の通っている店だのに、その隠居の相手はごろつき、主人の相手は列び茶屋の女、揃いも揃って相手が悪いじゃあありませんか"
],
[
"じゃあ、いよいよ仕事に取りかからなければならねえが、松は木戸番に顔を識られているから拙い。善八、おめえは亀を誘って浅草へ行って、観世物小屋の裏手へ廻って、右と左の出口を見張っていてくれ。おれは客の振りをして、素知らぬ顔で表からはいる。あとは臨機応変だ。あしたの午頃までに間違いなく行ってくれ",
"承知しました"
],
[
"連れの女はどうした",
"連れの女はあとの方から眺めているだけで、これも黙って立ち去りました"
],
[
"親分、どうでした",
"もういい。これから八丁堀へ行って、きょうの顛末を旦那に話して、それぞれに手配りをしなけりゃあならねえ"
],
[
"そうじゃあねえらしい。年頃は四十ぐれえで、堅気らしい風体だったと云うから、お米の兄きとか叔父とかいう奴じゃあねえかと思う。なにしろ其奴が手をおろした本人だから、下手なことをやって、そいつを逃がしてしまうと物にならねえ。信次郎やお米はいつでも挙げられる。まず其の下手人を突き留めにゃあならねえ",
"じゃあ、すぐに洗って見ましょう",
"むむ。お米の親類か何かに大工のような商売の者はねえか、気をつけてくれ。下谷の長助も大工だが、あいつじゃねえ"
],
[
"相手は誰だ。音造という奴か",
"そうです。突いてすぐに逃げかかると、連れの清五郎が追っかけて押さえようとする。相手は一生懸命で匕首をふり廻す。そのはずみに清五郎は右の手を少し切られた。それでも大きい声で人殺し人殺しと呶鳴ったので、近所の者も駈けつけて来て、音造はとうとう押さえられてしまいました。信次郎は駿河屋へ送り込まれて、医者の手当てを受けているのですが、急所を深くやられたので、多分むずかしいだろうという噂です",
"連れの清五郎というのは何者だ",
"向う両国の大工だそうです。本人が番屋で申し立てたのじゃあ、駿河屋で何か建て増しをするので、その相談ながら両国辺でいっしょに飲んで、駿河屋の主人を照降町まで送って帰る途中だということです"
],
[
"やれやれ、飛んだ番狂わせをさせやあがる。その清五郎はまだ番屋にいるのか",
"清五郎の疵はたいした事でもねえので、そこで手当てをした上で、まだ番屋に残っています。なにしろ人殺しというのですから、八丁堀の旦那も出て来る筈です。住吉町の親分も来ていました"
],
[
"つまりはお定まりの色と慾です。お半と信次郎とは叔母甥とはいいながら、しょせんは他人、殊に三十代で亭主に別れたお半は、信次郎が十七八の頃から、おかしい仲になってしまったんです。そこで、一つ家にいては人目がうるさいので、お半は信次郎に店を譲って杉の森新道に隠居することにして、信次郎が時々にたずねて行ったり、誘い合わせて何処へか一緒に出かけたりしていた。それで済んでいればまだ無事だったんですが、そのうちにお半には音造、信次郎にはお米という別別の相手が出来た。それがこの一件の原因です",
"お半はどうしてそんなごろ付きのような男に関係したんですか"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(五)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年10月20日初版1刷発行
入力:tat_suki
校正:小林繁雄
1999年5月6日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "001027",
"作品名": "半七捕物帳",
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"副題": "57 幽霊の観世物",
"副題読み": "57 ゆうれいのみせもの",
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"名": "綺堂",
"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
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[
[
"今の話で大抵わかりました。その女は蟹のお角と云って、両腕に蟹を一匹ずつ彫っている奴ですよ",
"そいつの巣はどこだ",
"どこと云って、巣を決めちゃあいねえようですが、お角と判れば調べようもあります"
],
[
"神さまは判っているが、なんの神様だ",
"知りません",
"毎日拝みに来るのかえ",
"あの祠を拝みに行けというお告げがあったので、毎日拝みに来ます",
"おめえの家はどこだ",
"谷中です",
"谷中はどの辺だ",
"三崎です",
"おめえは市子さんかえ",
"そうです"
],
[
"ここらへも始終来るのかえ",
"この頃は毎日のようにここへ来て、あの祠を拝んでいるので、ここらの者は気味悪がっています",
"あの空地の祠はなんだね"
],
[
"市子の名は何というのだね",
"おころさんと云うそうです",
"おころ……。めずらしい名だな"
],
[
"五人の馬はそこの空地につないであったのかえ",
"そうです。そのうちの二匹がなくなったというのですが、どうしたのでしょうかね"
],
[
"おれも何だかそんな気がしねえでもねえ。勿論、最初から企らんだことでもあるめえが、どさくさまぎれの出来ごころで馬を引っ張り出したかも知れねえ。しかし女ひとりで二匹の馬を牽き出すのは、ちっと手際がよ過ぎるようだ。相棒の巾着切りが手伝ったのだろう",
"そうでしょうね。なに、お角のありかが判れば、その相棒も自然に知れましょう"
],
[
"よくは知りませんが、おころさんには息子があって、どこかの屋敷奉公をしているそうです",
"その息子は時々たずねて来ますかえ",
"めったに来たことはありませんが、一年に二、三度くらいはたずねて来るようです",
"屋敷奉公といっても侍じゃああるめえ。足軽か中間だろうね",
"まあ、そうでしょうね"
],
[
"ここへ頼みに来る人は少ないようです。大抵は自分の方から出て行くのです",
"それじゃあ狐を連れて行くのだね",
"そうかも知れません"
],
[
"駄菓子屋の婆さんの話じゃあ、色男だか相摺りだか知らねえが、いろいろの男が四、五人たずねて来るそうで……。時によると、その狭い三畳で賽ころを振ったりするので、婆さんもひどく弱っているようでしたよ。来る奴らの居どころも名前も、婆さんはよく知らねえのですが、そのなかで一番近しく出入りをするのは、長さんと平さん……。平さんというのがお角の男らしいと云うのですが……",
"そいつの居どころもわからねえのか",
"確かにはわからねえが、その平公は何でも本郷片町辺の屋敷にいる奴だそうで……",
"本郷の屋敷にいる……"
],
[
"如才もあるめえが、そいつの帰るときに尾けて行って、なんという屋敷の何者だか突き留めるのだぜ",
"承知しました"
],
[
"半七、早えな。又ここで変なことが始まったよ。この草ッ原はどうも鬼門だ",
"まったく困りました"
],
[
"名は何といって、いつから江戸へ来ているのだ",
"お千といいます。江戸へはこの六月に出て来ました",
"それまで国にいたのか",
"いいえ。江戸へ一度出て来まして、それから出羽奥州、東海道、中仙道、京、大坂、伊勢路から北国筋をまわって、十一年目に江戸へ来ました",
"なんでそんなに諸国を廻っていたのだ",
"尋ねる人がありまして……",
"たずねる人というのは……。市子のおころか",
"はい"
],
[
"今夜はここへ何しに来た",
"狐を取りに来ました"
],
[
"おまえも狐を使うのか",
"使います。おころはわたくしの狐をぬすんで逃げたのです"
],
[
"そこで、今夜は何しにここへ来たのだ",
"おころを殺しましたが、狐のありかは判りません。やっぱりここに隠してあるのかと思って、念の為にもう一度さがしに来たのです"
],
[
"五、六日の後に幸次郎が平吉という奴を挙げて来ました。それが即ち平さんというので、本郷片町の神原内蔵之助という三千石取りの旗本屋敷の馬丁でした。こいつはちょっと苦み走った小粋な男で、どこかの賭場でお角と懇意になって、それから関係が出来てしまったんです。お角のところへたずねて来たのを、張り込んでいる幸次郎に見付けられて、あとを尾けられたのが運の尽きです。それからだんだん探ってみると、異人の馬は神原の屋敷の厩につないであることが判りました",
"じゃあ、主人も承知なんですか"
],
[
"主人はどうなりました",
"本来ならば主人にも何かの咎めもある筈ですが、もともと悪気でした事でも無し、殊に幕末多事の際で、幕府も譜代の旗本を大事にする折柄ですから、馬を取り返されただけのことで、そのまま無事に済んでしまいました。神原内蔵之助という人は、維新の際に用人堀河十兵衛と一緒に函館へ脱走して、五稜郭で戦死したそうですから、本人としては馬泥坊の罪を償ったと思っていたでしょう",
"平吉はおころという女の息子ですか",
"おころのせがれでした。しかし馬の一件と、狐の一件とは、別になんの係り合いも無かったのです",
"狐に馬を乗せたというわけですね",
"はは、しゃれちゃいけない。いや、その馬を取り返すのが面白い。神原の屋敷から表向きに牽き出しては、事が面倒です。そこで、夕がたの薄暗い時分に、本郷の屋敷の裏門からそっと牽き出して、かの団子坂の空地に放して置くと、町方の者が待っていて牽いて帰る。つまりは、馬が何処からか戻って来て、元の空地に迷っているのを取り押さえたということにして、外国側へ引き渡したのです。気の毒なのは別手組の侍で、この人の馬はもう皮を剥がれてしまったので、どうにも取り返しが付きませんでした",
"お角はどうなりました",
"蟹のお角、これに就いてはまだいろいろのお話がありますが、この一件だけを申せば、幸次郎が平吉を召し捕ると同時に、善八が茅町の駄菓子屋へむかった処、お角は早くも風をくらって、どこへか姿を隠しました"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(五)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年10月20日初版1刷発行
入力:tat_suki
校正:小林繁雄
1999年5月22日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "000987",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
"ソート用読み": "はんしちとりものちよう",
"副題": "58 菊人形の昔",
"副題読み": "58 きくにんぎょうのむかし",
"原題": "",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "1999-05-22T00:00:00",
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"人物ID": "000082",
"姓": "岡本",
"名": "綺堂",
"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1872-11-15",
"没年月日": "1939-03-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "時代推理小説 半七捕物帳(五)",
"底本出版社名1": "光文社時代小説文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "1986(昭和61)年10月20日",
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"まったく悪いものがはやるので、世間が不景気でいけねえ。横浜はどうだ",
"横浜でもちっとははやるそうですが、まあ大した事もないようですよ"
],
[
"横浜に何かあったのか",
"わっしらだけじゃ纒まりそうもねえ事が出来したので……"
],
[
"事によっちゃあ踏み出してもいいが、一体どんな筋だ",
"居留地の異人館の一件ですがね、去年の九月、男異人ふたりと女異人ひとりが江戸見物に出て来て、団子坂で殴られたり石をぶつけられたり、ひどい目に逢った事があるそうですね",
"むむ。おれもそれに係り合ったのだ。その異人がどうかしたのか"
],
[
"アグネスとかいう女房も殺されたのだな",
"そうです。だが、こいつは少しおかしい。なにかの獣に喉と足を啖われたらしい。最初に右の足を咬まれて倒れたところへ、また飛びついて喉を咬んだらしいと云うのですが……",
"おめえは、その死骸を見たのか",
"見ません。異人らは死骸を見せるのを嫌がって、誰にも見せねえ。ただ口の先で訴えるだけだから、どうも始末が悪い。ハリソンは近所に商館の店を持っていて、自分の家には女房のアグネスと富太郎というコックと、お歌という雇い女と、上下あわせて四人暮らしです。富太郎は江戸の本所生まれで、ことし二十六、お歌は程ヶ谷生まれで、ことし二十一、それだから誰の考えも同じことで、富太郎とお歌が予て出来合っていて、主人夫婦を殺して金を取ろうとしたのだろうと云うことになるのですが……",
"二人は駈け落ちでもしたのか",
"いいえ、ただ呆気に取られてまごまごしている処を、すぐに引き挙げられてしまいました。二人が果たして出来合っていたことは白状しましたが、そのほかの事はいっさい知らないと云い張っていて、いくら責められても落ちねえので、役人たちもこの二人には見切りを付けて、ほかを探ってみる事になったのです。そこで、わっしの考えるにゃあ、ハリソン夫婦を殺した奴はどうも異人仲間じゃあねえかと思うのですが、どんなものでしょう"
],
[
"そうすると、亭主は人に殺されて、女房は犬に殺されたと云うことになるのだが、その犬はどうした",
"どこへ行ったか、その晩から犬のゆくえは知れねえそうです。そこで又、こんなことを云う者もあるのです。なにかの仔細があって、女房が亭主を殺して庭さきへ逃げ出すと、飼犬が主人の仇とばかりに飛びかかってその女房を啖い殺したのかも知れないと……。成程それもひと理窟あるようですが、それならばその洋犬がそこらにうろついていそうなものだが、どこへ行ったか姿を見せないのはおかしい。わっしの鑑定じゃあ、女房を啖い殺したのはハリソンの家の洋犬じゃあなく、恐らくほかの犬だろうと思うのです。ハリソンの飼い犬は邪魔になるので、仕事にかかる前に毒でも喰わせるか、ぶち殺すか、なんとかして押し片付けてしまって、ほかの犬を連れ込んだのじゃあねえかと……。それにしても判らねえのは、亭主を刃物で殺すくれえなら、女房も同じ刃物で殺してしまいそうなものだのに、なぜ犬なんぞを使って啖い殺させたのか、それとも自然にそうなったのか。そこらの謎が解けねえので、どうも確かなところを掴むことが出来ませんよ"
],
[
"知り合いの異人たちが立ち会って調べたそうですが、これぞという紛失物もないようだと云うことです",
"亭主を殺した刃物はなんだ",
"多分、大きいナイフ……西洋の小刀だろうと云うのですが、現場にはそんなものは残っていなかったそうです",
"ハリソンはいつから渡って来たのだ",
"去年の二月です。店の方にゃあ二人の異人と三人の日本人を使っています。日本人は徳助、大助、義兵衛といって、みんな若けえ奴らです。商売は異人館ですから、やっぱり糸と茶を主に仕入れているようですが、異人仲間の噂じゃあ相当に金を持っているらしいと云うことです。そこで、親分、いよいよ踏み出してくれますかえ",
"行って見てもいいが、おれの一存で返事は出来ねえ。たとい七里の道中でも、横浜となれば旅だ。八丁堀の旦那に相談して、そのお許しを受けにゃあならねえ。あしたの午過ぎに、もう一度来てくれ",
"ようがす、久しぶりで江戸へ帰って来たついでに、四、五軒顔出しをする所がありますから、あした又出直してまいります"
],
[
"いくらの貸しだ",
"三歩さ"
],
[
"そいつは何とか早く埓を明けてやらなけりゃあいけますめえ。日本の役人ペケありますなんて、毛唐人どもに笑われちゃあ癪ですからねえ",
"大きく云やあ、そんなものだ。あした八丁堀へ行って相談したら、旦那がたも多分承知して下さるだろう。ところで、例の大川の一件だが……。三五郎の話を聞いているうちに、ふいと胸に浮かんだことがある。というのは、大川へほうり込まれた死骸のひたいには、犬という字が書いてあったとか云うのだが、横浜で死んだ女異人は洋犬に啖い殺されたのだそうだ。江戸と横浜じゃあちっと懸け離れ過ぎているようだが、世の中の事は何処にどういう糸を引いていねえとも限らねえ。どっちも犬に縁があるのを考えると、そこに何かの係り合いがあるのじゃああるめえか"
],
[
"三五郎は別として、ほかに誰か連れて行きますかえ",
"松吉を連れて行こう。あいつは去年も一緒に行って、少しは土地の勝手を知っている筈だ。もっとも横浜も去年の十月にだいぶ焼けたと云うから、また様子が変っているかも知れねえ",
"横浜は焼けましたかえ",
"十月の九日から十日の昼にかけて、町屋はずいぶん焼けたそうだ。異人館は無事だったと云うから、ハリソンの家なんぞは元のままだろう。火事を逃がれても、夫婦が殺されちゃあなんにもならねえ",
"浪士が斬り込んだのじゃあありますめえね",
"おれも一旦はそう思ったが、侍ならば刀でばっさりやるだろう。小刀のようなもので喉を突いたり犬を使ったり、そんな小面倒なことをしやあしめえ",
"そうでしょうね。じゃあ、あした又、様子を聞きに来ます"
],
[
"シマダさん……。長崎の人あります",
"年は幾つですか",
"年、知りません。わかい人です。二十七……二十八……三十……"
],
[
"知りませんね",
"多吉を連れて来ればよかったな"
],
[
"わかりました。最初に大泉という奴をたずねると、こいつは近ごろ来た人間で、島田のことはよく知らねえと云うのです。それから橋本という奴のところへ行くと、これは大抵のことを知っていました。橋本の話によると、島田は長崎の生まれで、年頃は二十八九、江戸にも二、三年いたことがあるそうですが、おととし頃から横浜へ来て写真を始めたのです。去年の火事に焼けてから神奈川の本宿へ引っ込んで、西の町に住んでいるそうですが、女房子のない独り者で、吾八という若けえ弟子と二人っきりで男世帯を張っていると云うことです",
"島田の名はなんというのだ",
"庄吉です。酒はすこし飲むが、別に道楽もない様子で、世間の評判も悪くないそうです。写真の修業のためにハリソンの家へ出入りをしていることは、仲間内でもみんな知っていて、本人もおれは西洋人について修業しているのだなどと自慢していると云うことです。そこで、親分、どうします。あしたは早々に神奈川へ行ってみますか",
"むむ。コックと雇い女を調べてえのだが、引き挙げられていちゃあちっと面倒だ。ともかくもあしたは神奈川へ行ってみよう。本人は留守でも弟子が残っているだろう",
"じゃあ、あした又出直してまいります"
],
[
"先生は留守です",
"どちらへお出かけですか",
"江戸へ……"
],
[
"先生は江戸へ何しに行ったのですね",
"商売のことで時々江戸へまいります。今度も大方そうだろうと思います",
"ここの家へお角さんという人が来ますかえ"
],
[
"はい",
"先生の親類ですかえ"
],
[
"お角は始終ここの家に寝泊まりしているのですか",
"いいえ、時によると半月ぐらい泊まっていることもありますが……",
"先生は異人館のハリソンのところへ、始終出這入りをしているそうですね",
"はい。毎月五、六度ぐらいは参ります",
"お角もハリソンの家に行ったことがありますかえ"
],
[
"お角は今どこにいるね",
"知りません",
"先生と一緒に江戸へ行ったのじゃあねえかね",
"知りません",
"おまえさんは先生が江戸で殺されたのを知っているかえ"
],
[
"お角です。きっとお角に相違ありません",
"おれもそうだろうと思っていた。こうなったら何もかも正直に云ってくれねえじゃあ困る。一体、先生とお角とはどうして心安くなったのだ。前からの知り合いかえ"
],
[
"先生は金儲けのためにお角を連れて行ったのか",
"さあ、それはどうだか判りませんが、その後お角はひとりで、ハリソンさんの家へ行ったこともあります。ハリソンさんと二人づれで、神奈川の台の料理茶屋へ遊びに行ったこともあるそうです"
],
[
"お角はほかに情夫でもあるのか",
"そんな疑いがある様子で、先生とお角とは仲がいいように見えながら、また時々には喧嘩なぞをする事もありました。お角は六月の十日過ぎに家を出て、二十日頃まで姿を見せませんでしたが、又ふらりと帰って来て、別に変ったこともなしに暮らしていましたが、その晦日の朝です。先生とお角は二人連れで出かけましたから、多分ハリソンの家へ行ったのだろうと思っていますと、やはり夕がたに帰って来ましたが、その時にはわたくしも驚きました",
"何をおどろいたのだ",
"先生もすこし蒼い顔をしていましたが、お角は真っ蒼な顔をして、眼は血走って、髪をふり乱して、まるで、絵にかいた鬼女のような顔をして、黙ってはいって来たかと思うと、だしぬけに台所へかけ込んで、出刃庖丁を持ち出して来て、先生に切ってかかりました。先生は庭から表へ飛び出して、畑の方へ逃げて行くと、お角もつづいて追っかけて行きました。何がなんだか判りませんが、わたくしも驚いて駈け出しました。御承知の通り、近所に人家もなく、もう日暮れがたで往来もありません。わたくしは一生懸命に追い着いて、うしろからお角を抱きとめると、先生も引っ返して、ようようのことで刃物をうばい取って、無理に家へ連れ込むと、お角は先生のふところから紙入れを引き摺り出して、それを持ったままで何処へか出て行ってしまいました。お角は始めから仕舞いまでひと言も口を利かないで、ただ先生を睨んでいるばかりでした。お角が出て行ったあとでも、先生はなんにも云いません。これも黙っているばかりですから、お角がなんで腹を立てたのか、どうして先生を殺そうとしたのか、その仔細はちっとも判りません。わたくしは煙に巻かれてただぼんやりしていました"
],
[
"さっき江戸へ行ったと云ったのは嘘だね。確かな事じゃあねえのだね",
"恐れ入りました"
],
[
"無論、召し捕りましたよ。お角は本所一つ目のお留という女髪結の二階に隠れていました。早桶をかつぎ出したのは、お留のせがれの国蔵と相長屋の甚八という奴で、国蔵はお角と関係があったのです。前にお話し申した通り、お角は神原の屋敷の馬丁と出来合っていたのですが、その馬丁の平吉が挙げられると、すぐに国蔵という後釜をこしらえる。そのほかに写真屋の島田と関係する。外国人のハリソンにもお膳を据える。いやもう乱脈でお話になりません。国蔵は小博奕なぞを打つ奴で、甚八もおなじ仲間です。この二人がお角に頼まれて、島田の死骸を入れた早桶をかついで、押上辺の寺へ送り込むつもりで、日の暮れがたに出て行くと、あいにくに横網の河岸で多吉に出逢った。多吉の方じゃあよくも覚えていなかったんですが、国蔵の方じゃあ多吉の顔を識っていて、ここで手先に見咎められちゃあ大変だと思って……。根がそれほどの悪党じゃあありませんから、慌てて早桶を大川へほうり込んで逃げだした。そんな事をすれば猶さら怪しまれるのですが、度胸のない奴がうろたえると、とかくにそんな仕損じをするものです。どっちも気の小さい奴ですから、多吉に睨まれたと思うと、なんだか気味が悪くって自分の家へは寄り付かれず、その後は深川辺の友達のところを泊まり歩いていましたが、お角は女でもずうずうしい奴、平気でお留の二階にころがっている処を、とうとう多吉に探し出されました",
"お角はおとなしく召し捕られましたか",
"いや、それが面白い。その捕物には多吉と松吉がむかったのですが、女でも油断がならねえから不意撃ちを食わせろと云うので、時刻は灯ともし頃、お角が裏の空地で行水を使っているところへ飛び込んで御用……。いくらお角でも裸で逃げ出すわけには行きません。お手向いは致しませんから御猶予をねがいますと云って、からだを拭いて、浴衣を着て、素直に牽かれて来ましたが、お角は奉行所の白洲へ出た時にそれを云いまして、いかにお上の御用でも、女が裸でいるところへ踏み込むのは無法だと訴えました。すると、吟味与力の藤沼という人が、おまえはそれほど女の恥を知っているならば、素っ裸の写真を異人になぜ撮らせた。これを見ろと云って、例の写真を投げてやると、お角もさすがに赤面して一言もなかったそうです",
"そこで、人殺しを白状しましたか",
"白状しました。ハリソン夫婦を殺したのも、島田を殺したのも、みんな自分の仕業だと白状しました。島田のことはともかくも、異人殺しの方は確かな証拠がないのですから、飽くまでも知らないと強情を張り通せないことも無いのですが、お角が挙げられると、あとから続いて国蔵も甚八も挙げられる。こいつらがべらべら喋ってしまいましたから、島田の死骸を捨てさせた事はもう隠しおおせません。こうなれば、一寸斬られるも二寸斬られるも同じことで、しょせん人殺しの罪科は逃がれないのですから、当人も覚悟を決めたのでしょう。もう一つには、わたくしの工夫で、一つの責め道具を見せてやりました",
"どんな責め道具です",
"島田の弟子の吾八に云いつけて、川から引き揚げた犬の死骸を写真に撮らせて、お角の眼の前に突き付けさせました。この洋犬をむごたらしく殺したのはお前の仕業だろう。お前がなぜこの洋犬を殺したか、上ではもう調べ済みになっているぞと云いますと、お角はその写真をひと目見て、いよいよ赤面して恐れ入ったそうです。そんな責め道具をどうして思い付いたかと云いますと、わたくしが神奈川の料理茶屋を出て写真屋へ帰る途中、往来のまん中で二匹の犬がふざけているのを見たのが始まりで、それからふっと考え付いたのです",
"どんなことを考え付いたのです"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(五)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年10月20日初版1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tat_suki
校正:小林繁雄
1999年5月30日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[
"新富は佐倉宗吾でしたね",
"そうです、そうです。九蔵の宗吾が評判がいいので見に行きましたよ。九蔵の宗吾と光然、訥子の甚兵衛と幻長吉、みんな好うござんしたよ。芝鶴が加役で宗吾の女房を勤めていましたが、これも案外の出来で、なるほど達者な役者だと思いました。中幕に嵯峨や御室の浄瑠璃がありましたが、九蔵の光国はほんのお附き合いという料簡で出ている。多賀之丞の滝夜叉は不出来、これは散散でしたよ。なにしろ光国が肝腎の物語りをしないで、喜猿の鷲沼太郎とかいうのが名代を勤めるという始末ですから、まじめに見てはいられません"
],
[
"斬る方は何と声をかけたね",
"おのれ盗賊、見付けたぞと、大きい声で云いました",
"斬られた方はどんな返事をしたね",
"それがはっきり聞こえなかったのです。なんでも野口とか舌口とか云ったようでしたが……"
],
[
"おまえさん達は馬喰町の下総屋に泊まっている佐倉の人達じゃあねえかね",
"そうでございますよ"
],
[
"米屋の茂兵衛はいつ頃から江戸へ出て来たのだね",
"十年ほど前に江戸へ出まして、最初は深川で米屋をして居りました。それから唯今の千駄ヶ谷へ引っ越したのでございます",
"茂兵衛の女房はおととしの暮れに死んだそうだが、名はなんと云うね",
"お稲と申しました",
"子供は無いのだね",
"無いように聞いております",
"金右衛門は八年ほど前に江戸へ出たことがあるそうだね",
"はい。茂兵衛がまだ深川にいる時でございまして",
"金右衛門は茂兵衛に金の貸しでもあるかえ",
"そんなことは一向に聞いて居りません"
],
[
"親分。またひと騒ぎだ",
"なんだ。なにが出来した",
"米屋に逗留している娘が見えなくなった",
"為吉の妹か",
"そうです。お種という女です。きのうの夕方、と云ってもまだ七ツ半(午後五時)頃、近所の銭湯へ行ったが、その帰りに姿が見えなくなったと云うのです。湯屋は一町ほど距れている山の湯という家で、番台のかみさんの話では確かに帰って行ったと云うのですが、それぎり米屋へは帰らない。そこで又、大騒ぎになっているのです"
],
[
"お前さんは感付きましたかえ",
"少し胸に浮かんだことがある。このあいだ米屋へ行った時に、おれの眼についたのは藤助という奴だ。越後か信州者だろうが、米搗きにしちゃあ垢抜けのした野郎だ。あいつの身許や行状を洗ってみろ",
"あいつが曲者ですか",
"曲者とも決まらないが、なんだか気に喰わねえ野郎だ。あいつは道楽者に違げえねえ。まあ、調べてみろ",
"かしこまりました",
"もう一人、あの米屋の若い者に銀八という奴がいる。あいつも変だから気をつけろ。それから如才もあるめえが、亀吉とでも相談して、新宿あたりの山女衒をあさってみろ。このごろ宿場の玉を売り込みに行った奴があるかも知れねえ",
"成程、わかりました"
],
[
"いらっしゃいまし。朝晩は急に冬らしくなりました",
"もう店を片付けるのじゃあねえか",
"いえ、まだでございます。どうぞ御ゆっくりお休み下さい"
],
[
"本当でございます。なんだか忌な噂ばかり続くので、気味が悪くってなりません。ゆうべも化け物屋敷に何かありましたそうで……",
"化け物屋敷……。そりゃあ何処だね",
"すぐそこのあき屋敷でございます",
"化け物でも出るのかえ"
],
[
"ゆうべの何どきだね",
"まだ五ツ(午後八時)を少し過ぎた頃だそうですが、ここらは何分にも寂しゅうございますので……"
],
[
"もう三年ぐらいになりましょう",
"屋敷のなかは荒れているだろう",
"ええ、もう、荒れ放題で、家は毀れる。庭には草が蓬々と生えている。あんな無気味な屋敷は早く立ち腐れになってしまえばいいと、近所でもうわさをして居ります",
"そうだ。幽霊に貸して置いたのじゃあ店賃も取れず、早く毀れてしまった方がいいな"
],
[
"むむ。おれも行こう。悪くすると、為吉を誘い出して殺らすのかも知れねえ",
"そりゃあ油断が出来ねえ"
],
[
"まあ、こっちは何とかする。なにしろ此の二人を無事に帰さなけりゃあならねえ",
"ようがす。じゃあ、行って来ます。さあ、親分がああ仰しゃるのだから、二人共ぐずぐず云わねえで早く来ねえ。世話を焼かせると縛っちまうぞ"
],
[
"どうするものか。さあ、白状しろ",
"わたしはなんにも知りません"
],
[
"飛んでもねえことを……。わたしはただ、旦那の指図でこの為さんをここまで案内して来たのです",
"なんのために案内して来た",
"この大きい木の下に待っている人があるから、その人に逢わせてやれと云うのです",
"待っている人と云うのは誰だ",
"知りません。逢えば判ると云いました",
"子供のようなことを云うな。狐にでも化かされやしめえし、大の男二人が鼻をそろえて、訳もわからずに野原のまん中へうろうろ出て来る奴があるものか。出たらめもいい加減にしろ"
],
[
"親分。わたしは全くなんにも知らないのです。御承知かも知れませんが、この為さんの妹がゆうべ見えなくなってしまいました。家の旦那も心配して、けさから方々を探し歩いていましたが、午過ぎになって帰って来まして、お種さんの居どころは知れたと云うのです。だが、相手が悪い奴で唯では渡さない。拐引で訴えれば、一文もいらずに取り戻すことが出来るかも知れないが、そんなことに暇取っているうちに、お種さんのからだに何かの間違いがあっては取り返しが付かない。これも災難と諦めて、いくらかのお金を渡して無事に取り戻した方がよかろう。そこで向うでは十両出せと云う。わたしは五両に負けてくれと云う。押し問答の末に六両に負けさせて来たから、それを持って早く取り戻して来たら好かろうと云うことでした。そこで、為さんは金右衛門さんと相談して、ともかくもお種さんを取り戻しに行くことになりましたが、二人の路銀をあわせても六両の金がありません。胴巻の金まで振るい出しても、四両二分ばかりしか無いので、不足の一両二分は旦那が足してやることにして、今夜ここへ出て来たのです",
"主人がなぜ一緒に来ねえのだ",
"主人が一緒に来る筈でしたが、夕方から持病の疝癪の差し込みがおこって、身動きが出来なくなりました。朝早くから出歩いて、冷えたのだろうと云うのです。そこで、主人の代りにわたしが出て来ることになりました。権田原のまん中に大きい榛の木がある。そこへ行けば、相手がお種さんを連れて来ているから、六両の金と引っ換えに、お種さんを受け取って来いと云われたので、為さんを案内して出て来ると、途中でこんな騒ぎが出来したのです",
"それにしても、無じるしの提灯をなぜ持って来た",
"旦那の云うには、こんなことが世間へ知れると、おたがいに迷惑する。下総屋のしるしのない提灯を持って行けと云うので……",
"むむ。まあ、大抵は判った。じゃあ、おれに手伝って、この怪我人を運んで行け"
],
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"そいつはいったい何者です",
"こいつが六道の辻で仇討をした奴ですよ。かたき討をした時に、水野家の辻番へ行って、自分は備中松山五万石板倉周防守の藩中と名乗りましたが、それは出たらめで、実はその近所の一万石ばかりの小さい大名の家来です。自分は伊沢千右衛門、かたきは山路郡蔵、この姓名も出たらめで、本人は野口武助、相手は森山郡兵衛というのが実名でした",
"じゃあ、かたき討も嘘ですか"
],
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"そうです、そうです。金右衛門を斬って、娘のおさんをかどわかしたのは、下総屋の茂兵衛の仕業です。この茂兵衛という奴はなかなかの悪党で、店の若い者銀八というのを手先に使って、方々で盗みを働いていたのですが、商売は手堅く、うわべは飽くまでもまじめに取り澄ましていたので、近所は勿論、家内の者にも覚られなかったと云いますから、よっぽど抜け目なく立ち廻っていたに相違ありません。いつぞやお話をした唐人飴の一件、あの唐人飴屋が泥坊のぬれぎぬを着せられたのですが、あの辺を荒らした賊の正体を洗ってみると、実はこの茂兵衛の仕業だということが判って、青山辺ではみんな案外に思ったそうです。人は見掛けに因らないと云いますが、この米屋の奴らなぞは頗る上手にごまかしていたと見えます",
"金右衛門を斬ったのは、娘をかどわかす為ですか",
"こんな奴らですから、慾心も無論に手伝っていたでしょうが、これこそ本当のかたき討ちのつもりなんですよ"
],
[
"あなたには判りませんかな。権田原で取り押さえたのが野口武助だと云ったじゃあありませんか。武助だって酔狂に抜き身を振り廻したのじゃあない。下総屋の茂兵衛と糸を引いているのですよ",
"そうすると、この二人は前から懇意なんですね",
"茂兵衛も女房に死に別れて、当時は独り身ですから、新宿なぞへ遊びに行く。しかし多くは昼遊びで、決して家を明けたことが無いので、誰も気がつかなかったそうです。その遊び先で武助と知り合いになって、悪い奴同士が仲好くなってしまったのです。茂兵衛の方が役者は一枚上なので総大将格、内では若い者の銀八、外では浪人の武助、この二人を両手のように働かせて、いろいろの悪事を重ねていたので、その兇状がだんだん明白になるに付けて、近所の者はいよいよ驚いたそうです",
"為吉の妹をかどわかしたのは誰です"
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"ひどい奴ですよ。茂兵衛や銀八の肚では、こうして生け捕って置いて、二人の女を宿場女郎に売り飛ばす目算でしたが、金右衛門と為吉がいては何かの邪魔になる。殊に為吉は血気ざかりの若い者で、自分の女房と思っているおさんが行方不明になったので、気が気でない。たとい金右衛門の傷どころが癒っても、おさんやお種のゆくえの知れないうちは決して国へ帰らないなどと云っているので、これも何とか押し片付けてしまわなければならない。そこで、茂兵衛と銀八は相談して、為吉を権田原へ誘い出すことになったのです。こう云えば大抵お察しが付くでしょうが、榛の木の下に待っていたのはかの野口武助で、ここで為吉をばっさりという段取りでした",
"案内者の藤助は全くなんにも知らなかったんですか"
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"おさんとお種が銀八に引き摺られて、例の化け物屋敷へ封じ込められたのは、御承知の通りです。もちろん手足をくくって押入れに投げ込んで置いたのですが、今度は二人になったので、その翌日の夕方、ひとりの縄の結び目をほかの一人が噛んで解いて、どうにか斯うにか二人とも自由のからだになって、そこを抜け出しました。時刻を測ると、わたくしが踏ん込んだ少し前のようです。ひと足ちがいで残念でした",
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"この方はなんと云っても芝居がかりの粋事です。男も女も借金と云ったところで知れたものですから、わたくしが口を利いて、甲州屋の方は親許身請けと云うことにして、お若のからだを抜いてやりましたよ",
"めでたく徳次郎と夫婦になったのですね。そこで、その親許身請けの金は……",
"乗りかかった船で仕方がありません。半七の腹切りです。しかし、わたくしの顔を立てて、甲州屋でも思い切って負けてくれましたから、さしたる痛みでもありませんでした。そりゃあ貴方、わたくしだって、人を縛るばかりが能じゃあない。時にはこういう立役にもなりますよ。はははははは"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(五)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年10月20日初版1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tat_suki
校正:大野晋
1999年4月26日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "000475",
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"なんの御祝儀ですか",
"煤掃きですよ"
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"わたくしなぞは昔者ですから、新暦になっても煤掃きは十三日、それが江戸以来の習わしでしてね",
"江戸時代の煤掃きは十三日と決まっていたんですか",
"まあ、そうでしたね。たまには例外もありましたが、大抵の家では十三日に煤掃きをする事になっていました。それと云うのが、江戸城の煤掃きは十二月十三日、それに習って江戸の者は其の日に煤掃きをする。したがって、十二日、十三日には、煤掃き用の笹竹を売りに来る。赤穂義士の芝居や講談でおなじみの大高源吾の笹売りが即ちそれです。そのほかに荒神さまの絵馬を売りに来ました。それは台所の煤を払って、旧い絵馬を新らしい絵馬にかえるのです。笹売りと絵馬売り、どっちも節季らしい気分を誘い出すものでしたが、明治以来すっかり絶えてしまいました。どうも文明開化にはかないませんよ。はははははは。そんなわけですから、わたくしのような旧弊人はやはり昔の例を追って、十三日には煤掃きをして家内じゅう、と云ったところで婆やと二人ぎりですが、めでたく蕎麦を祝うことにしています。いや、年寄りの話はとかく長くなっていけません。さあ、伸びないうちに喰べてください",
"では、お祝い申します"
],
[
"どなたも御承知の通り、義士の持ち物は泉岳寺の宝物になって残っています。そのほかにも大石をはじめ、他の人々の手紙や短冊のたぐい、世間にいろいろ伝わっているようですが、どれもみんな仇討をした方の物ばかりで、討たれた方の形見は見当たらないようです。上杉家には何か残っているかも知れませんが、世間に伝わっているという噂を聞きません。ところが、江戸に唯一軒、こういう家がありました。今も相変らず繁昌かどうか知りませんが、日本橋の伊勢町に河辺昌伯という医者がありまして、先祖以来ここに六代とか七代とか住んでいるという高名の家でしたが、その何代目ですか、元禄時代の河辺という人は外科が大そう上手であったそうで、かの赤穂の一党が討ち入りの時に吉良上野の屋敷から早駕籠で迎えが来まして、手負いの療治をしました。勿論、主人の上野は首を取られたのですから、療治も手当てもなかったでしょうが、吉良の息子や家来たちの疵を縫ったのでしょう。そのときにどういうわけか、吉良上野が着用の小袖というのを貰って帰って、代々持ち伝えていました。小袖は二枚で、一枚は白綾、一枚は八端、それに血のあとが残っていると云いますから、恐らく吉良が最期のときに身につけていたものでしょう。何分にも吉良の形見では人気が付かないのですが、河辺の家では吉良の形見というよりも先祖の形見という意味で大切に保存していたそうで、これは擬い無しの本物だと云うことでした",
"たとい吉良にしても、元禄時代のそういう物が残っているのは珍らしいことですね",
"まったく珍らしいという噂でした。わたくしは縁が無くて、その河辺さんの小袖は見ませんでしたが、別のところで吉良の脇指というのを見たことがありました",
"いろいろの物が残っているものですね",
"それが又おもしろい。吉良の脇指がかたき討ちに使われたんですからね。物事はさかさまになるもので、かたきを討たれた吉良の脇指が、今度はかたき討ちのお役に立つ。どうも不思議の因縁ですね。しかしこのかたき討ちは、いつぞやお話し申した『青山の仇討』一件のような、怪しげなものじゃあありません"
],
[
"先祖伝来はともかくも、好んでそんな物をさすと云うのは、よっぽどの物好きだね",
"物好きといえば物好きです。吉良の脇指というので、代々の殿さまは差したこともなく、土蔵のなかに仕舞い込んであったのを、先年虫ぼしの節に、今の殿さまが御覧になって、どこが気に入ったのか、自分の指料にすると仰しゃいました。そんな物はお止めになったが好かろうと云った者もありましたが、殿さまはお肯きになりません。それは刀が悪いのではなく、差し手が悪いのだ。吉良が悪いから討たれたのだ。おれは吉良のような悪い事はしない、吉良の良い所にあやかって四位の少将にでも昇進するのだなぞと仰しゃって、とうとうその脇指を自分の指料になさいました。それから四、五年のあいだは何事もなかったのですが、図らずも今度のようなことが出来しまして、殿さまも姉もその脇指で殺されました。姉はふだんから其の脇指のことを気にしていまして、吉良の脇指なんぞは縁起が悪いと云っていましたが、やっぱり虫が知らせたのかも知れません"
],
[
"なんですね",
"かたき討ちの助太刀と云ったような筋だ"
],
[
"成程、こりゃあいよいよお芝居だ。そこで、先ずどこから手を着けますね",
"この一件は四谷の常陸屋の係りだ。如才なく、ひと通りの探索はしているだろうが、こっちはこっちで新規に手を伸ばさなけりゃあならねえ。直七と鶴吉の話によると、その伝蔵という奴は秩父の生まれだそうだが、一文無しで故郷へ帰ることも出来めえ。といって、江戸にいるのもあぶねえと云うので、どっかへ草鞋を穿いたかも知れねえ。なにしろ三月も前のことだから、その足あとを尾けるのがちっと面倒だ",
"伝蔵と係り合いの女はどこにいるでしょう",
"それはお熊という女で、年は十九、宿は堀江だそうだ",
"堀江とは何処ですね",
"下総の分だが、東葛飾だから江戸からは遠くねえ。まあ、行徳の近所だと思えばいいのだ。そこに浦安という村がある。その村のうちに堀江や猫実……",
"判りました。堀江、猫実……。江戸から遠出の釣りや、汐干狩に行く人があります",
"そうだ、そうだ。つまり江戸川の末の方で、片っ方は海にむかっている所だ。むかしは堀江千軒と云われてたいそう繁昌した土地だそうだが、今は行徳や船橋に繁昌を取られて、よっぽど寂れたということだ。漁師町だが、百姓も住んでいる。お熊はその宇兵衛という百姓の妹だそうだ。そこで、おれの鑑定じゃあ、お熊が八月に屋敷を出された時、いずれ伝蔵がたずねて行くという約束でもあって、伝蔵は主人の金をぬすんで逃げ出そうとしたのだろう",
"そうすると、伝蔵はお熊の宿に隠れているのでしょうか"
],
[
"堀江まで踏み出しても無駄でしょうか",
"無駄かも知れねえ。だが、無駄と知りつつ無駄をするのも、商売の一つの道だ。さしあたって急用もねえから、念晴らしに明後日あたり踏み出してみるかな",
"おまえさんも行きなさるかえ",
"道連れのある方が、おめえもさびしくなくて好かろう。行くなれば、深川から行徳まで船で行くほうが便利だ。ちっと寒いが仕方がねえ。朝は七ツ起きだ",
"じゃあ、そうしましょう"
],
[
"なに、そんな道楽じゃあありません。これでも信心参りで……。五、六人の連れがありましたので、成田へ参詣して来ました",
"それにしても、途中から連れに別れて、ひとりでここへ来なすったのか",
"まあ、そんなわけで。へへへへへ"
],
[
"あいつ、成田から帰る途中、ひとりでここへ廻って来たのは、なにか堀り出し物のあてがあるんですぜ",
"まあ、そうだろう。あいつも商売にゃあ抜け目がねえからな"
],
[
"宇兵衛は私ですが、おまえさん方はお江戸から来なすったのかね",
"ええ、今もおかみさんに云った通り、成田さまへ御参詣に行った帰り道に、ちょいとおたずね申しました。以前番町のお屋敷に御奉公していたお辰さんに頼まれまして……"
],
[
"若けえ者だから仕方がないようなものだが、それからいろいろのことが出来したらしいね",
"わたしも実にびっくりしました。九月のはじめにお熊が戻って来まして、始めは隠していましたが、どうも様子がおかしいので、だんだん詮議いたしますと、実はこうこう云うわけでお暇になったと白状いたしました。相手はどんな人か知らないが、お中間なんぞと係り合ったところで行く末の見込みは無いと、女房からも私からもよくよく意見を致しましたら、当人も眼が醒めた様子で、その男のことは思い切ると申していました。しかし田舎に帰っていても仕様がないから、もう一度お江戸へ奉公に出してくれと云いますので、わたし達はなんだか不安心に思いましたが、当人がしきりに頼みますので、とうとう又出してやることになりました。お熊はまったく思い切ったようで、万一その伝蔵という男がたずねて来ても、わたしの行く先を教えてくれるなと頼んで出ました",
"今度は江戸へ出て、どこへ奉公しているのだね",
"下谷の遠州屋という道具屋さんで……"
],
[
"そこで、どうしたね",
"伝蔵はもう近所で探って来たと見えまして、お熊のいない事を知っていました。どこへ行ったと頻りに訊きましたが、わたし達は知らないと云い切ってしまいました。お熊は断わりなしに家出をして、今どこにいるか判らないと、飽くまでも強情を張り通しました。それでは今夜だけ泊めてくれと云いまして、ここの家にひと晩泊まりまして、あくる朝出るときに路用の金を貸してくれと云いましたが、わたし達の家に金なぞのある筈はありません。それでも幾らか貸せとゆすりますので、銭三百をかき集めてやりました",
"それで、おとなしく立ち去ったのか",
"お尋ねの身の上だから、うかうかしてはいられないと、自分でも云っていました"
],
[
"伝蔵はどこへ行くとも云わなかったかえ",
"別に何とも云いませんでした。度胸がいいのか、その晩は高鼾で寝ていました"
],
[
"誰かお客があるようだ。わたしはこれでお暇としましょう",
"どうもお構い申しませんで……。お辰さんに宜しく仰しゃって下さい"
],
[
"何しに来たのでしょう",
"お熊は遠州屋に奉公していると云うから、まんざら縁のねえ事もねえが、なんでわざわざ寄り道をしやあがったかな"
],
[
"遠州屋は四十ぐらいだろうな",
"そうでしょう。四十面をさげて、女房もあり、娘もあるくせに詰まらねえ女なんぞに引っかかって、たびたびぼろを出すという評判ですよ。あいつ、お熊にも手を出しているのじゃありませんかね",
"むむ、笹川の息子の話じゃあ、お熊というのは汐風に吹かれて育ったにも似合わねえ、色の小白い、眼鼻立ちの満足な女だそうだ"
],
[
"だが、羊羹を持っているところを見ると、成田へは行ったのだろう",
"そう云わなけりゃあ家を出られねえから、柄にもねえ信心参りなぞに出かけたに違げえねえ。あの狢野郎、途中で連れに別れたなんて云うのは嘘の皮で、始めから自分ひとりですよ",
"まあ、そう妬くなよ",
"妬くわけじゃあねえが、あいつは方々の屋敷へいい加減ないか物をかつぎ込んで、あこぎな銭もうけをするという噂で、道具屋仲間でも泥棒のように云われている奴ですからね"
],
[
"相変らず道具屋に勤めています",
"それじゃあ何処からか嗅ぎつけて、伝蔵は遠州屋へたずねて来るかも知れねえ。善八と相談して、その近所を見張っていろ。だが、伝蔵を召し捕っても、すぐに番屋へ引き摺って行っちゃあいけねえ。おれに一応知らせてくれ",
"承知しました"
],
[
"伝蔵はなんと云った",
"おれと一緒に逃げろと云いました",
"どこへ逃げるのだ",
"それは申しません。これから一緒に逃げるから、自分の金や着物を持ち出して来いと云っただけでございます",
"おまえは何という返事をした",
"いやだと断わりました。お前のような恐ろしい人と一緒には行かれないと申しました",
"それで伝蔵は承知したか",
"その恐ろしい事をしたのもお前の為だ。どうしても肯かなければ、主人もお前も唯は置かないぞと、怖い顔をして嚇かしました",
"なぜ主人を恨むのだ"
],
[
"昔のことは構わないから、ここの家に勤めていろと主人が申しました",
"そう云うには訳があるだろう。おれはみんな知っている。ここの主人は去年の暮れ、なんで堀江まで出かけたのだ"
],
[
"旦那は商売のことで……",
"商売の事とは何だ",
"雁の羽を取りに……",
"雁の羽……"
],
[
"雁の羽をどうするのだ",
"三つ羽箒にいたします"
],
[
"なにしろ宵の口で、人通りの多い往来ですから、詳しい話は出来ません。わたくしは飽くまでも忌だと云って、振り切って逃げて来ました",
"伝蔵は追っかけて来なかったか",
"今も申す通り、往来の絶え間がないので、それっきり付いても来ませんでした",
"そのことを主人に話したか",
"きまりが悪いので黙っていました"
],
[
"おい、お仙、すこし小遣いを出してくれ",
"あいよ"
],
[
"このくらいでいいかえ",
"むむ。よかろう。お台場が大分まじっているな",
"お台場は性が悪いと云うから、なるたけ取らない事にしているのだけれど……",
"おれ達の家の金は、きょう有って明日ねえのだ。性が良くっても悪くっても構うものか"
],
[
"早速だが、善八。これからすぐにお台場へ行って、人入れの人足部屋を洗ってくれ。おれも今まで気がつかなかったが、例の伝蔵の奴め、お台場人足のなかにまぎれ込んでいるかも知れねえ。どうで長げえ命はねえ奴だ。このごろ流行る唄じゃあねえが、死ぬにゃ優しだよ土かつぎと度胸を据えて、命がけで荒れえ銭を取って、うめえ酒の一杯も飲んでいるような事がねえとも云えねえ",
"成程そんなことかも知れません。じゃあ、早速行って来ます"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(五)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年10月20日初版1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tat_suki
校正:大野晋
1999年4月27日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"きょうも八幡様の市へ来たので、その足ついでに寄ったのですが……。あなたは何処へ……",
"わたしも市を観に来たんですが……"
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[
"今日ではザンギリになっても坊主になっても問題はありませんが、昔は髪を切るというのは大変なことで、髪を切って謝るといえば大抵のことは勘弁してくれたものです。それだけに又、なにかの腹癒せに、あいつの髪を切ってやろうなぞと云って、女や男の髷を切ることもある。つまりは顔でも切る代りに髷を切るのだから、大難が小難で済むようなものですが、昔の人間はそうは思わない。髷を切られるのを首を切られるほどに恐れたものです",
"女の髪切りなぞということが流行った事があるそうですね",
"髪切りは時々に流行りました。あれは何かのいたずらか、こんにちの言葉でいえば一種の色情狂でしょうね。そういうたぐいの髪切りは、暗いときに往来で切られるので、被害は先ず女に決まっていましたが、それとは違って、家のなかで自然に切られる事がある。寝ているうちに切られる事がある。これは別に流行ということも無いので、誰の仕業だか判りません。なにかの魔物の仕業だろうと云うことになっていました",
"これも女が多いんですか",
"やっぱり女が多かったようです。若い女が眼をさまして見ると、島田髷が枕元にころりと落ちている。これは泣き出すのが当たりまえでしょう。しかし女には限りません。男だって切られることがありました。歩兵屯所の一件なぞがそうです。なにしろ十一人も次から次へと切られたのですからね"
],
[
"その一万人はどこに屯していたんです",
"四組に分かれて屯していたのですが、髪切りの一件がおこったのは神田小川町の屯所で、第三番隊というのでした。なにしろ一個所に二千人以上の歩兵が屯しているのですから、幾棟もの大きい長屋が続いていまして、そこにみんな寝起きをしている。その中に広い練兵所があって、毎日調練の稽古をするという仕組みです。今から考えれば外国風の軍隊組織で、四十人が一小隊、三小隊が一中隊、五中隊が一大隊ということになっていたように聞いています。そんなわけですから、一小隊ごとに長屋を区別して別々に住んでいました。その小隊四十人のうちで、十一人も髪切りに出逢ったので大騒ぎになりました",
"寝ているところを切られたんですか",
"それがいろいろで、起きてみると髷が落ちているのもある。歩いているうちに髷が飛ばされるのもある。ひと晩に十一人が切られたのではなく、二十日ばかりの間に切られたのですから、まあ二日に一度ぐらいの割合いですが、それにしても大騒ぎ、幕府の歩兵たるものが何者にか髷っ節をぽんぽん切られたとあっては、寝首を掻かれたも同然、歩兵隊の面目にもかかわるという騒ぎです",
"そりゃあ騒いだでしょう",
"騒ぐのも無理はありません。そこで、切られた人たちの話を聞きますと、二度目に切られた鮎川丈次郎というのは、夜なかに起きて便所へ行くと、その帰り道の暗い廊下で何か不意に飛びついた者がある。おどろいて払いのけると、その手ざわりで天鵞絨か獣の毛のように思われたそうで、部屋へ帰ってみると髷が無い。五度目に切られた増田太平というのは、外から帰って来て長屋へはいろうとすると、暗いなかに何かうずくまっているような物がある。犬でもはいったのかと思って、足のさきで軽く蹴ると、それが飛び起きて増田に突きあたった。その勢いに増田はよろけて倒れそうになったが、そのまま内へはいってみると、これも髷が飛んでしまったと云うわけです。増田に突き当たったのも鮎川と同様、天鵞絨か毛皮のような肌ざわりで、暗いなかで確とは判らなかったが、犬よりも大きい物らしかったと云うのです。ほかの九人は寝ているうちに切られたのもあり、いつ切られたか知らないのもあり、ともかくも心あたりのあるのは鮎川と増田の二人だけで、その話も大抵一致しているのでした",
"じゃあ、獣らしいんですね"
],
[
"旧冬、冬木でお話をした歩兵の髪切りの一件……。そのあとをお話し申しましょうかね",
"どうぞお願いします"
],
[
"おめえは今そこの番人となんの内証ばなしをしていたのだ。お馴染かえ",
"ええ、少し用があって……。これで三度も足を運ぶんですけれど……"
],
[
"帳場へ行っておかみさんに話すと、おまえ大丈夫かえと云うんです。ええ大丈夫でしょうと、あたしが云ったので、おかみさんも承知して貸すことになったんです。それが今まで埓が明かないので、おかみさんはあたしを叱って、おまえが請け合ったんだから、催促して取って来いと云う。そこで、このあいだから催促に来るんですけれど、今は調練の最中だから面会は出来ないの、きょうはドンタクで外出したのと云って、いつでも逢わせてくれないんです",
"そりゃあ困るな"
],
[
"第二小隊……。その四人はなんという人だえ",
"鮎川さん、三沢さん、野村さん、伊丹さんです",
"鮎川さん……。丈次郎というのか",
"ええ、丈次郎というのです"
],
[
"親分。早速ですが、いい話を聴いて来ました",
"いい話……。金でも降ったというのか",
"まぜっ返しちゃあいけねえ。実はゆうべ、浅草の代地河岸のお園という女の家へ押込みがはいって、おふくろと女中の物には眼もくれず、お園の着物をいっさい担ぎ出してしまいました。それだけなら珍らしくもねえが、出ぎわにお園の髷を根元からふっつりと切って、持って行ったそうです",
"お園というのは何者だ",
"以前は深川で芸者をしていたのを、ある旦那に引かされて、おふくろと女中の三人暮らしで、代地に囲われているのです。年は二十三で、ちょいと蹈める女です。商売あがりの女だから、昔の色のいきさつで髷を切られる位のことはありそうですが、それにしちゃあ着物をみんな担ぎ出すのは暴っぽい。といって、唯の押込みなら髷まで持って行くにゃあ及ぶめえ。その押込みは二人連れだと云うことです"
],
[
"お園の旦那は誰だ",
"内証にしているので判らねえが、なにしろ町人じゃあありません。近所の噂じゃあ、旗本の殿さまか、大名屋敷の留守居か、そんな人らしいと云うのですが……",
"旦那は屋敷者か",
"着物なんぞを取られたのは仕方もないが、髷を切られちゃあ旦那に申し訳がないと云って、お園は半気ちがいのように泣いて騒いで、あぶなく代地の河岸から飛び込みそうになったのを、おふくろと女中が泣いて留める。近所の者も留めに出る。いや、もう、大騒ぎだったそうですよ",
"旦那が屋敷者となると、この髪切りも人真似とばかり云っていられねえ。その旦那は何者だか、突き留める工夫はねえか",
"そりゃあ訳はありません。おふくろや女中にカマを掛けて訊いても判ります。その旦那は近所の小岩という駕籠屋から乗って帰ることもあるそうですから、駕籠屋に訊いても、屋敷の見当は大抵付くというものです。すぐに調べて来ましょう"
],
[
"ひどい風、ひどい砂、眼を明いちゃあ歩かれません",
"やあ、御苦労。ひどい風だな",
"御注文の一件は調べて来ました。藤屋のかみさんに訊いてみると、お房の云ったことは少し嘘がまじっています。成程この正月には歩兵の四人連れが来て、借りて行ったには相違ねえが、その勘定はもう済んでいるそうです。お房はやっぱり鮎川という歩兵と訳があって、なんとか彼とか名をつけて、屯所へ呼び出しに行くらしい。そこをお前さんに見付けられたので、いい加減のことを云って誤魔化したのです。お房はことし二十歳ですが、その兄貴の米吉というのは商売無しの遊び人で、大名屋敷や旗本屋敷の大部屋へはいり込んで日を暮らしている。勿論、妹のところへも無心に来る。お定まりの厄介兄貴だそうです",
"お房の相手の鮎川というのは、どんな奴だ",
"こりゃあ江戸者じゃあありません。武州大宮在の百姓の次男で、実家もまあ相当にやっている。本人は江戸へ出て若党奉公でもしたいと望んでいるところへ、江戸で歩兵を募集する事になったので、早速に願い出て、三番隊の第二小隊にはいることになったそうです。年は二十三で、色の白い、おとなしやかな男で、茶袋の仲間じゃあ花形だという評判です",
"江戸に親類はねえのか",
"さあ、そこまでは判りませんが……",
"そりゃあ亀の方の受持ちだから、なんとか判るだろう。今夜はまあこれで帰って、あした又早く来てくれ"
],
[
"ゆうべの四ツ(午後十時)過ぎです。その高崎屋へ二人組の押込みがはいって、五十両ばかり取って行きました。番頭はなかなか落ち着いた男で、黙ってじっと見ていると、ゆうべも陽気がぽかぽかしたので、ひとりの奴が黒の覆面をぬいで、額の汗を拭いたり、頭を掻いたりした。すると、そいつの頭には髷が無かったと、こう云うのです",
"髷がなかった……",
"自分で切ったか、人に切られたか知らねえが、ともかくも髷が無かったと云うのです。髪切りのはやる時期でも、髪を切った押込みはめずらしい。それを眼じるしに御詮議を願いますと、番頭は訴えたそうです",
"実は午過ぎに幸次郎が来て、ゆうべ浅草の代地のお園という囲い者の家へ、二人組の押込みがはいって、そいつらはお園の髷を切って行ったというのだ"
],
[
"ちっとこんぐらかって来ましたね",
"そこで、おめえの受持ちはどうした",
"ひと通りは洗って来ました"
],
[
"きょうは増田君も一緒に来てくれると好かったのだが……",
"増田君は二、三人づれで吉原へ昼遊びに行ったようです",
"はは、みんな遊ぶのが好きだな"
],
[
"米吉が不安心なら、今度は手前から直々にお渡し申しても宜しい",
"はあ"
],
[
"米吉が不安心なら、直々に渡してもいいと云っていたな",
"米吉というのはお房の兄貴ですよ",
"そうだ",
"もう少し歩兵を尾けてみましょうか",
"まず昼間で工合が悪いが、もう少し追ってみろ"
],
[
"やあ、ここに人が死んでいる",
"死んでいるんじゃあない。寝ているんだ"
],
[
"めずらしい職人だな。そんな頭で出入り場の仕事に行くのか",
"喧嘩のもつれで、髷を切ったのだ。毛の伸びるまでは、仕事にも出られねえので、よんどころなしにぶらぶらしているのよ"
],
[
"して、それがどうかしたのか",
"子分の幸次郎に調べさせましたら、お園の旦那は箕輪の殿様だということがわかりました。お園は二人組の押込みに髪を切られたのでございます。"
],
[
"そうだろうと思います",
"その髪切りは歩兵の一件と何か係り合いがあるのだろうか"
],
[
"では髪切りは……。屯所内の者の仕業だな",
"鮎川丈次郎、増田太平の二人だろうと思います"
],
[
"いえ、これもあなたが御存知のない者で……。湯島天神の藤屋という小料理屋に女中奉公をしているお房という女がございます。その兄の米吉というならず者でございます",
"では、この二人は屯所に関係はないな",
"左様でございます"
],
[
"むむ。鮎川と増田を詮議すれば判る筈だ",
"それで今朝うかがいましたのでございます"
],
[
"あれから鮎川のあとを追って行くと、竹屋の渡しを渡って今戸へ越して、それから花川戸の方角へぶらぶらやって来ると、むこうから米吉の野郎が来て、両方がばったりと出逢いました。こりゃあ面白くなったと思うと、往来のまん中で立ち話、これにゃあどうも困りました。真っ昼間の往来だから近寄ることが出来ねえ。ただ遠くから様子を窺っているだけのことでしたが、二人の様子が唯でねえ。なにか捫著でもしているらしい風に見えましたが、なにしろ人通りの多い所だから、二人もいつまで捫著してもいられねえので、まあいい加減に別れてしまったようです。鮎川はそれから天神下へ行って、例の藤屋へはいり込みました",
"その鮎川はゆうべから屯所へ帰らねえそうだ"
],
[
"親分。藤屋のお房はゆうべから帰らねえそうです",
"鮎川と一緒か",
"そうです。明るいうちから鮎川は飲みに来ていて、日が暮れて屯所へ帰る。お房はそれを送りながら一緒に出て行って、それっきり帰らねえそうですよ",
"困ったな"
],
[
"知れません。幸次郎をやって、鮎川の故郷の大宮在を探索させましたが、そこへも立ち廻った形跡がありません。勿論、江戸市中や近在には姿をみせず、そのうちに御一新の大騒ぎですから、そんな詮議をしてもいられません。明治になったのは二人の仕合わせで、どこにか天下晴れて暮らしているでしょう。世の中が変ると、思いも寄らない得をするものも出来ます",
"増田の方は捉まったんですな",
"これは前に申した通りで、髪切りは全く鮎川と自分の仕業に相違ないと白状しました。代地河岸のお園の家へ押込んだのも、二人の仕業でした。ところが、これも困ったことには吟味中に押込み所を破って逃げてしまいました。歩兵隊も重々不取締りで致し方がありません",
"一体、誰に頼まれたんですか",
"それが肝腎の問題ですが、増田は鮎川と米吉に誘い込まれて、最初に十五両、二度目に十両貰っただけで、その頼み手は知らないと強情を張っていました。何分にも一方の鮎川が見付からないので、詮議も思うように捗取らない。そのうちに増田は逃亡してしまって、これもゆくえ不明ですから、詮議の手蔓も切れたわけで……。こんにちの言葉で申せば五里霧中です",
"しかし、まだほかに米吉がいる筈ですが……",
"その米吉が又いけないのです",
"どうしました",
"王子辺の川のなかで浮いていました",
"殺されたんですか",
"豹に啖われて……",
"本当に啖われたんですか"
],
[
"観世物の豹は本当に逃げたんですか",
"逃げたというのは例の噂で、上州から野州の方を持ち廻っていたのだそうです。しかし、米吉の死んだのは本当です"
],
[
"米吉というのは随分悪い奴ですね",
"元来は大した悪党でもないのですが、急に悪度胸が据わったと見えて、鮎川や増田をあやつって旨い汁を吸っていながら、一方には自分も良住と一緒に押込みを働く。何やかやでかなりにふところを肥やした筈ですが、悪運尽きて忽ち滅亡、殺した者は大部屋の仲間でもなく、ごろつき仲間でもなく、ひょっとすると例の屋敷の連中が秘密露顕の口を塞ぐために、急所の当身でも喰わせたかも知れません。まあ、大体のお話はこんなことで、その以上はわたくしにも判り兼ねます",
"結局、その陰謀の策源地は判然しないのですね",
"薩州だろうの、長州だろうのと云っても、所詮は当て推量で、確かな証拠もないのですから、表向きの掛け合いも出来ず、この一件はうやむやに済んでしまいました。三田の薩摩屋敷には大勢の浪人が潜伏していて、とかくに市中を鬧がすので、とうとう市中取締りの酒井侯の討手がむかって、薩摩屋敷砲撃と相成ったのは、どなたも御存じのことでしょう。あの砲撃のために、芝の金杉、本芝、田町の辺はみんな焼けました",
"良住という坊主は、本当になんにも知らないんでしょうか",
"万華寺の関係から考えると、良住は鮎川の秘密を知っていそうに思われるのですが、本人はどうしても知らないと云い張っていました。これも吟味中に牢死という始末で、何もかもうやむや……。こんな事件もめずらしいのです"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(五)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年10月20日初版1刷発行
入力:tat_suki
校正:小林繁雄
1999年6月5日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "000972",
"作品名": "半七捕物帳",
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[
[
"いや、この川越に就いては一つのお話があります。あなた方はむかし一書き物を調べておいでになるから、定めて御承知でしょうが、江戸城大玄関先きの一件……。川越次郎兵衛の騒ぎです。あれもいろいろの評判になったものでした",
"川越次郎兵衛……何者です",
"御承知ありませんか。普通は次郎兵衛と云い伝えていましが、ほんとうは粂次郎という人間で……"
],
[
"それじゃあ何ですかえ。町内の番太郎は川越の者で、弟は次郎兵衛というのですかえ",
"実はその次郎兵衛が江戸へ奉公したいと云って、川越から三月の節句に出て来ましたそうで……。それが五日の日から行方が知れなくなりました",
"番太郎の兄貴の家にいたのですね",
"そうでございます。兄を頼って来ましたので、要作から手前どもに話がありまして、こちらのお店で使ってくれないかという事でしたから、ともかくも主人に相談してみようと返事をして置きますと、その本人がすぐに姿を隠してしまいましたので、兄の要作もひどく心配して居ります"
],
[
"表向きに名乗り合いは致しませんが、番太郎の店にいるのをちらりと見たことがございます。年は十九だそうですが、色のあさ黒い、眼鼻立ちのきりりとした、田舎者らしくない男で、あれなら役に立ちそうだと思って居りましたが……",
"国へ帰ったという知らせも無いのですか",
"知らせも無いそうです。尤も要作夫婦も忙がしい体ですから、ただ心配するばかりで、別に聞き合わせてやると云うこともしないようですが……"
],
[
"御用だ。正直に云ってくれ",
"要作は三十一で、女房のお霜はたしか二十八だと思います。川越の者に相違ございません",
"要作には次郎兵衛という弟があるそうだね"
],
[
"番太の夫婦も心あたりがないと云っています。なにしろ八年も逢わずにいた者が不意に出て来て、また不意に消えてしまったのですから、まったく天狗にでも攫われたようなもんで、なにが何だか判らないそうです。成程そうかも知れません",
"十九といえば、もう立派な若けえ者だ。いくら江戸馴れねえからと云って、まさかに迷子になりもしめえ。たとい迷子になっても、今まで帰らねえという理窟はねえ。なにか姉夫婦と喧嘩でもして、飛び出したのじゃあねえか",
"いや、それですよ。要作は隠していますが、女房がちょいと話したところでは、次郎兵衛は義理の兄とすこし折りが合わない事があったようです。本人は江戸へ出て、武家奉公でもするつもりであったらしいのを、要作が承知しない。おまえ達が武家に奉公すると云えば先ず中間だが、あんな折助の仲間にはいってどうする。奉公をするならば、堅気の商人の店へはいって辛抱しろと云う。それが又、次郎兵衛の気に入らないので、そこに何かの捫著があったようですから、若い者の向う見ずに何処へか立ち去ってしまったのかも知れません。しかし江戸にはこれぞという知りびとも無し、本人も初めて出て来たのですから、ほかに頼って行くさきも無い筈だと云います。そのうちにお城の一件が知れたので、要作夫婦は蒼くなって、どうぞ自分たちに難儀のかからないようにと、神信心や仏参りをして、可哀そうなくらいに心配しています。あの夫婦はこの町内に八年も勤め通して、何ひとつ不始末を働いたこともないのに、飛んだ弟がだしぬけに出て来て、まかり間違えばどんな巻き添えを受けないとも限らないので、わたし達も共々心配しているのですが……"
],
[
"はい。帰るには帰りましたが、帰りぎわに何だか怖いことを云って行きました",
"どんなことを云った",
"あの人にそう云ってくれ。あたしは決しておまえを唯では置かない。それが怖ければ浅草へたずねて来いと……",
"その女は江戸者だな",
"着物から口の利き方まで確かに下町の人で、なにか水商売でもしている人じゃあないかと思います。初めて江戸へ出て来た弟がどうしてあんな人を識っているのかと、まったく不思議でなりません"
],
[
"云いませんでした。次郎兵衛は知っているのでございましょう",
"それから、また別に若けえ女が来たと云うじゃあねえか。それはどうした"
],
[
"それにしても、おめえも識っている女だろう。名はなんというのだ",
"お磯と申しまして、おなじ村の者ではございますが、家が離れて居りますのと、わたくしどもは久しい以前に村を出ましたのでよくは存じません。親の名を云われて、初めて気がついたくらいでございます。これも江戸へ奉公に出て来て、浅草の方にいるとばかりで、くわしいことを申しませんでした",
"これも浅草か",
"これもやはり弟に逢わせてくれと申しまして、なかなか素直に帰りませんのを、わたくしが叱って追い帰しました"
],
[
"お磯の親はなんというのだ",
"駒八と申します"
],
[
"おい。御苦労だが、二、三日の旅だ。船に乗ってくれ",
"船へ乗って何処へ行きます",
"花川戸から乗るのだ"
],
[
"ようがす。そんな事なら訳はありません。わっし一人で行って来ましょう",
"二人で道行をするほどの事でもあるめえ。よろしく頼むぜ"
],
[
"どうも困ったものです。きのうもお前さんにあれほど云い聞かされたのに、番太の女房はゆうべも夫婦喧嘩をはじめて、女房はどこへか出て行ってしまったそうで……",
"きょうになっても帰らねえのか",
"帰りません。亭主の要作も心配して、もしや身でも投げたのじゃあ無いかと、町内の用を打っちゃって置いて、朝から探して歩いているのです"
],
[
"二月の晦日に船に乗ったら、明くる日の午頃には着く筈だ。ところが、次郎兵衛は三日に姉のところへ尋ねて来たと云う。そのあいだに二日の狂いがある。その二日のあいだに、どこで何をしていたかな。それからお磯の方はどうだ",
"お磯の家は相当の百姓だったそうですが、親父の駒八の代になってから、だんだんに左前になって総領娘のお熊に婿を取ると、乳呑児ひとりを残して、その婿が死ぬ。重ねがさねの不仕合わせで、とうとう妹娘のお磯を吉原へ売ることになったそうです"
],
[
"そうじゃあねえと云う者もあり、そうらしいと云う者もあり、そこははっきりしねえのですが、なにしろ仲好く附き合っていて、次郎兵衛が江戸へ出るときは、お磯も河岸まで送って来て、何かじめじめしていたと云いますから、恐らく訳があったのでしょうね",
"川越辺では今度の一件を知っているのか",
"城下では知っている者もありましたが、在方の者は知りません。どっちにしても、お城にこんな事があったそうだ位の噂で、川越の次郎兵衛ということは誰も知らないようです。本人の親や兄貴もまだ知らないと見えて、みんな平気でいました。近いようでも田舎ですね",
"お磯の勤め先は吉原のどこだ"
],
[
"その女衒はなんという奴だ",
"戸沢長屋のお葉です",
"女か",
"亭主は化け地蔵の松五郎といって、女衒仲間でも幅を利かしていた奴ですが、二、三年前から中気で身動きが出来なくなりました。女房のお葉は品川の勤めあがりで、なかなかしっかりした奴、こいつが表向きは亭主の名前で、自分が商売をしているのですが、女の方が却って話がうまく運ぶと見えて、いい玉を掘り出して来るという噂です。年は三十五で、垢抜けのした女ですよ",
"番太郎へ次郎兵衛をたずねて来たのは、そのお葉だな",
"それに相違ありません。あしたすぐに行ってみましょう",
"むむ。今度はおれも一緒に行こう"
],
[
"戸沢長屋のお葉……。あいつなら好く識っています。雨の降るのに大勢がつながって出かけることはねえ。わっしが行って調べて来ますよ",
"だが、折角踏み出して来たものだ。どんなところに巣を食っているか、見てやろう"
],
[
"馬鹿に長げえなあ。雨のふる中にいつまで立たせて置くのだ。親分、どうしましょう",
"まあ、待ってやれ。なにか大事の用があるのだろう"
],
[
"お葉はおまえさんの店ばかりで、ほかのお友達の家へは行きませんか",
"さあ、どうでございましょうか",
"若旦那はどんな遊び方をします",
"それはよく存じませんが、なんでも太鼓持や落語家の芸人なぞを取巻きに連れて、吉原そのほかを遊び歩いているように聞いて居りますが……"
],
[
"その酒も飲み足りねえだろうが、まあ我慢しろ。これでお城の一件もどうにか当たりが付きそうに思うのだが……",
"そうですかねえ",
"まだ判らねえか",
"判りませんねえ",
"じゃあ、まあ、ぶらぶら歩きながら話そうか"
],
[
"実は今、あの番頭の話を聴いているうちに、おれはふいと胸に泛かんだことがある。おめえ達が聴いたら、あんまり夢のような当て推量だと思うかも知れねえが、その当て推量が見事にぽんと当たる例がたびたびあるから面白い",
"そこで、今度の当て推量は……"
],
[
"親分、夢じゃあねえ、確かにそれですよ。安のような職人とは違って、みんな大店の若旦那だから、さすがに自分が出て行くと云う者はねえ。取巻きの太鼓持か落語家のうちで、褒美の金に眼が眩れて、その役を買って出た奴があるに相違ねえ。洒落にしろ、悪戯にしろ、飛んだ人騒がせをしやあがるな",
"だが、その太鼓持か落語家は、相当に度胸がなけりゃあ出来ねえ芸だ。まじめじゃあ助からねえと思って、気ちがいの振りをしたのだろうが、川越の屋敷から町奉行所へ引き渡される途中で縄抜けをしている。これが又、誰にでも出来る芸じゃあねえから、なにかの素姓のある奴に相違ねえ。庄太に調べさせたら、大抵わかるだろう",
"お葉も係り合いがあるのでしょうね",
"川越次郎兵衛の笠がある以上、お葉もなにかの係り合いがありそうだ。ともかくもお葉はその一件を知っていて、増村の息子を嚇かしているのだろう。それが、表向きになりゃあ、唯じゃあ済まねえ。本人は勿論、親たちだって飛んだ巻き添えを食うのは知れたことだ。息子も今じゃあ後悔して、蒼くなっているに相違ねえ。そこへ附け込んで、お葉は口留め料をゆすっている。それも相手を見て、大きく吹っかけているのだろう。よくねえ奴だ"
],
[
"いいえ、そんな",
"下に来ているのは子分の亀吉という奴で、実はきのう川越から帰って来たのだ。おれの方でもひと通りは調べてある。おめえはおれに隠しているが、弟のゆくえを知っているのだろうな。きょうは花川戸のお葉のところへも廻って来て、その帰り道で丁度におめえに逢ったのだ。さあ、正直に云ってくれ。おれの方から云って聞かせてもいいが、それじゃあおめえの為にならねえ。おめえの口から正直に種を明かして、このあいだ嘘をついた罪ほろぼしをした方がよかろうぜ。それとも何処までも強情を張って、嘘を云い通すのか"
],
[
"恐れ入りましてございます",
"次郎兵衛はその後におめえの家へ立ち廻ったな",
"はい。二十七日の宵に忍んで参りました",
"そうして、どこへ行った",
"どうしても江戸にはいられない。といって、村へ帰ることも出来ない。相州大磯の在に知り人があるから、一時そこに身を隠していると申しますので、亭主には内証で少々の路用を持たせてやりました"
],
[
"そうです。悪戯というよりも、こんな悪い洒落をして喜んでいたのですね。さっきもちょっと申し上げました田舎源氏の一件というのは、堀田原の池田屋の主人が友達や芸者太鼓持を連れて、柳亭種彦の田舎源氏のこしらえで向島へ乗り出したのです。田舎源氏は大奥のことを書いたとかいうので、非常に事が面倒になって、作者の種彦は切腹したという噂もあるくらいです。それを平気で、みんな真似をしたのですから、無事に済む筈はありません。関係者二十六人はみんなお咎めに逢いました。それでも懲りないで、とかくに変った事をやって見たがる。江戸の人気がそんなふうになったのも、つまりは江戸のほろびる前兆かも知れません。増村の息子たちもやはりそのお仲間で、向島の大七という料理屋で飲んでいる時に、お城の玄関に立って天下を渡せと云う者があれば、五十両の褒美をやると冗談半分に云い出したのが始まりで、それを引き受けるという者があらわれたのです",
"それは何者です。太鼓持か落語家ですか",
"堀の太鼓持、つまり山谷堀の太鼓持で、三八という奴です。なにしろ縄抜けをするくらいですから、唯の芸人じゃあないと睨んで、庄太にだんだん調べさせると、この三八というのは以前は上州の長脇指、国定忠治の子分であったが、親分の忠治が嘉永三年にお仕置になったので、江戸へ出て来て太鼓持になったという奴。これも向島の大七に集まった一人であることが知れましたから、恐らくこいつだろうと見込みを付けて、引き挙げてみると案の通りでした。こいつは不断からお葉の家へ出這入りしているので、次郎兵衛の笠を見つけて、これ幸い、詮議の眼をくらますのに丁度いいと思って、そっと持ち出したというわけで、次郎兵衛こそ飛んだ災難でした",
"じゃあ、その三八が野州の粂次郎なんですね",
"三八というのは芸名、生まれは野州宇都宮在で、粂蔵のせがれ粂次郎。こんな奴でもやはり昔の人間で、臍緒書はちゃんと持っていたのです。もちろん太鼓持の姿で入り込んでは、すぐに正体があらわれますから、田舎者に化けてお城へ乗り込み、いざというときには偽気違いで誤魔化す計略。その芝居が万事とどこおりなく運んで、みんなからも大出来と褒められて、約束の五十両を貰って、三八はいい心持で引き退ったのですが、ここに又一つの面倒が起こりました。と云うのは彼のお葉、こいつなかなか食えない奴で、この一件を知ったから黙っていない。相手は大店の若旦那株だから、嚇かせば金になると思って啖い付きました",
"その相摺りは三八ですか",
"三八は五十両でおとなしく黙っていたのですが、お葉の亭主の松五郎には銀六という子分がある。そいつを連れて、お葉は増村へ嚇かしに行く。それも二十両や三十両なら、増村の息子も器用に出すでしょうが、お葉は三百両くれろと大きく吹っかける。いくら大店でも、その時代の三百両は大金で、部屋住みの息子の自由にはならない。といって、例の一件を親や番頭にも打ち明けられないので、自業自得とはいいながら、増村の息子は弱り切っていたのです。ほかに同じ遊び友達があるのに、お葉がなぜ増村ばかりを責めていたのかと云うと、増村の身代が一番大きいのと、最初にお城の一件を云い出したのは増村の息子だというので、専らここばかりへ押して行って、口留め金をくれなければ其の秘密を訴えると云う。これは強請の紋切形ですが、ゆすられる身になると、それが世間へ知れては大変、わが身ばかりか店の暖簾にもかかわる大事ですから、今さら後悔しても追っ付かない。その最中に事が露れて、まあ大難が小難で済みました",
"三八は高見の見物ですか"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(六)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年12月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:菅野朋子
2000年1月12日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "000985",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
"ソート用読み": "はんしちとりものちよう",
"副題": "63 川越次郎兵衛",
"副題読み": "63 かわごえのじろべえ",
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"分類番号": "NDC 913",
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[
[
"おかみさんも忙がしいだろうに、朝から何か急用でも出来しましたかえ",
"早朝からお邪魔に出ましたのは、ほかでもございません。親分も定めて御承知でございましょうが、先月の二十三日に伝馬町の牢抜けがございましたそうで……。それに付きまして、少々お知恵を拝借に出ましたのでございますが……",
"牢抜けは知っていますが、それがどうかしましたかえ"
],
[
"それにしても、おまえさんの家にまで仕返しに来ることはあるめえ。金蔵は行き合い捕りになっているのだから、お前さんの家に係り合いはねえ筈だ",
"わたくしの家へは来ないかもしれませんが、もしや三甚さんの方へでも来るようなことがあると大変だと申して、娘は泣いて騒いで居りますので……"
],
[
"三甚のお父さんには世話になった事もありますからねえ",
"むむ、三甚の先代にゃあ世話になったこともある。ただ笑って見物してばかりもいられねえが、そうかといって無闇に差し出たことも出来ねえ。まったく困ったものだ"
],
[
"大木戸の方はどうなりました",
"どうも眼鼻が付かねえで困っている。そこで、どうだ、こっちの一件は……",
"伝馬町の牢抜けは二人挙げられました",
"誰と誰だ",
"二本松の惣吉と川下村の松之助です"
],
[
"ほかの奴らのゆくえは知れねえのか",
"二人の申し立てによると、六人は牢屋敷の外へ出ると、すぐにばらばらになってしまったので、誰がどっちへ行ったか知らねえと云うのです。惣吉と松之助だけがひと組になって、本郷から板橋の方向へ行ったのだそうで……。旦那方もずいぶん厳重に調べたようですが、二人はまったく知らねえらしいのです"
],
[
"藤吉も一緒でしょうか",
"それは判らねえが、ひょっとすると藤吉に助太刀をたのんで、何をするか判らねえ。三甚も如才なく用心しているだろうが、飛んだ奴に魅こまれたものだ"
],
[
"三河町さんでございますか。まあ、どうぞこちらへ",
"親分は内かえ"
],
[
"留守かえ",
"へえ",
"どこへ出かけた。御用かえ",
"いいえ"
],
[
"成程ここは法華だね。身延まいりは御信心だ。そうして、いつ立ったのだね",
"きのうの朝、立ちました",
"それじゃあすぐには帰るめえ",
"帰りは富士川下りだと云っていました"
],
[
"金蔵というのはどんな奴だ",
"三十二、三で色のあさ黒い、痩せぎすな奴です。屋根の上の商売をしていただけに、身の軽い奴だそうで、番屋に連れて行かれた時にも、おれは酔っていたから手めえ達につかまったのだ。屋根の上へ一度飛びあがりゃあ、それからそれへと屋根づたいに江戸じゅうを逃げて見せるなんて、大きなことを云っていました"
],
[
"おめえは千次さんじゃあねえか",
"ひとの名を訊く前に、自分の名を云え。それが礼儀だ",
"礼儀咎めをされちゃあ名乗らねえわけにも行かねえ。わっしは三河町の半七だ"
],
[
"やあ、三河町の親分でしたか。お見それ申して、飛んだ失礼をいたしました。わっしは神明の千次でごぜえます",
"そうらしいと思った。まあ、こっちへ来てくれ"
],
[
"親分、いけねえ。番屋へ連れて行って、どうするのです",
"どうするものか。都合によっちゃあ帰さねえかも知れねえ",
"わっしは悪い事をしやあしません。これでもお上の御用を勤めたこともあるので……"
],
[
"恐れ入りました",
"恐れ入ったら、もう一度ここで正直に云え。さもなけりゃ番屋へ連れて行って云わせるぞ"
],
[
"なぜ隠れているのだ",
"親分の前ですが、二代目の三甚は気の弱い方ですから、金蔵が出て来たのを聞いて、まあ差しあたりは姿を隠したのだろうと思います。さつきの女房がひどく気を揉んでいたそうですから、その入れ知恵でどっかに隠れたのでしょう。その証拠には、さつきの娘も此の頃は家にいねえと云うことです"
],
[
"娘も一緒かえ",
"はい"
],
[
"おかみさんはいるかえ",
"おかみさんは鬼子母神さまへお詣りに行きました"
],
[
"こっちにさつきの娘のお浜さんが来ているだろうね",
"いいえ",
"芝口の三甚の若親分が来ているだろうね",
"いいえ",
"隠しちゃあいけねえ。神明前のお力さんから頼まれて、確かにここの家にあずかってある筈だが……。隠さねえで、教えておくんなせえ",
"おまえさんのお名前は……",
"わたしは神田三河町の半七という者だ",
"折角でございますが、手前方には誰も預かって居りませんので",
"ここは白井屋だろう",
"左様でございます",
"さつきの親類だろう",
"左様でございます",
"娘も三甚もここへは来ていねえと云うのだね",
"はい"
],
[
"首のねえ奴……。一体おれを誰だと思っているのだ",
"知れたことだ。石町無宿の金蔵よ"
],
[
"この野郎共がのぼせるのも、まんざら理窟がねえ訳でもねえので……。石町の金蔵はどうもこの辺に立ち廻っているらしい。と云うのは、ここらに遊んでいる本助という奴が早稲田の下馬地蔵の前を通りかかると、摺れ違った男がある。むこうは顔をそむけて怱々に行き過ぎてしまったが、確かに金蔵に相違ねえと云う。なにぶん聞き捨てにもならねえので、きのうから手配りをしていると、その最中にお前さんが出て来たので、飛んでもねえ大しくじりをやったわけだが……。金蔵の奴、なんでここらをうろ付いているのか、それが判らねえ。今まで調べたところじゃあ、ここらに身寄りもねえらしい",
"成程、わからねえな"
],
[
"ごめんなさい",
"はい、はい"
],
[
"わたくしは穴八幡からすぐに戸塚の市蔵のところへ行って、植新へ立ち廻った奴は金蔵に相違ないと知らせると、それと云うので市蔵をはじめ、子分総出で探索にかかったのですが、金蔵のゆくえはどうしても知れないので、みんなむなしく引き揚げました。わたくしも係り合いですから、その晩は市蔵の家の厄介になって明くる朝ふたたび植新へたずねて行くと、三甚もお浜ももう居ないのです",
"どこへ行ったんです",
"一旦は白井屋から植新へ預けられたのですが、そこへ金蔵が押し掛けて行ったので、植新でも驚く、白井屋でも心配する、お浜は泣いて騒ぐ。そこで又、三甚とお浜を四つ家町の伊丹屋という酒屋へ預けることになりました。ここも白井屋の親類だそうです。三甚も気が弱いに相違ありませんが、なにしろお浜が心配して、気違いのように騒ぐので、それに引き摺られて逃げ廻ることにもなったのです。わたくしも忙がしい体で、三甚のあとを追い廻してばかりもいられませんから、もう思い切って神田へ帰りましたが、あとで聞くと、いや、どうも大変で……",
"なにが大変で……"
],
[
"いや、それに就いては三甚ばかりを笑ってもいられません。わたくしもお笑いぐさのお仲間入りで……。今もお話し申す通り、植新へ押し掛けて行った奴を一途に金蔵と思い込んで、わたくしは一生懸命に追っかけましたが、実はそれも人違いでした",
"金蔵じゃあ無かったんですか"
],
[
"三甚はその後どうしました",
"こうなっちゃあ旦那方の信用をうしない、仲間の者に顔向けも出来ず、とうとう二代目の株を捨てて、さつきの婿のようになってしまいました。可哀そうに三甚だって、そんなにひどい意気地なしでも無いのですが、そばに女が付いていて、これがむやみに心配して騒ぐので、とうとうこんな事になったのです。女に惚れられるのは恐ろしい。あなた方も気をおつけなさい。あははは",
"そうすると、五人だけは挙げられたわけですが、もう一人はどうしました"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(六)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年12月20日初版1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tat_suki
校正:おのしげひこ
1999年11月19日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "000994",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
"ソート用読み": "はんしちとりものちよう",
"副題": "64 廻り灯籠",
"副題読み": "64 まわりどうろう",
"原題": "",
"初出": "",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "1999-11-19T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
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"姓": "岡本",
"名": "綺堂",
"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1872-11-15",
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} |
[
[
"見ましたよ。奉納場に飾ってあるのだから、手を着けてみる訳にゃあいかねえが、なにしろなかなか念入りの細工で……。江戸にあんな職人はありますめえ",
"おれは此の頃出不精になったのと、年寄りのくせに後生気が薄いので、まだお開帳へ参詣をしなかったが、それほど念入りに出来ている兜から小判五枚を引っぺがすのは容易じゃあねえ。恐らく素人の芸じゃああるめえ。金銀細工をする奴らだろう。かねてから付け狙っているうちに、きのう寺社方からのお指図で、急にその小判を取り外すことになったので、奴らも慌ててゆうべのうちに引っぺがしに来たのだろう。こっちの油断は勿論だが、奴らもなかなか抜け目がねえ。だが、勘太。こりゃあ案外早く知れるぜ",
"そうでしょうか",
"今も云う通り、寺社方からのお指図が出て、三日の猶予で落着したのはきのうの夕方だと云うじゃあねえか。世間ではまだ知る筈がねえ。それをすぐに覚って仕事に来た以上、なにか内輪に係り合いのある奴に相違ねえ。そのつもりで探りを入れたら、手がかりが付きそうなものだと思うが……"
],
[
"奉納物のなかで、銭の兜というのが評判だそうだが……",
"ええ。あの兜はほんとうに好く出来ていると云って、どなたも感心しておいでです",
"毎日飾ってあるのかえ",
"どういう訳だか知りませんが、それがきょうは飾ってなかったそうで……。わざわざお出でになって、力を落としてお帰りになった方もございます"
],
[
"おまえさん、何か探していたのかえ",
"夜叉神さまのお面をいただきに参りました",
"でも、なんだか箱のなかを引っかき廻していたじゃあねえか",
"同じお面を頂きますにしても、あんまり古くないのを頂きたいと思いまして……",
"おまえの家はどこだえ",
"麻布六本木でございます",
"商売は",
"明石という鮨屋で……",
"じゃあ、おまえは鮨屋のおかみさんだね",
"はい"
],
[
"盗んだ小判をなぜすぐに持って帰らなかったのだ",
"小判と二朱銀を袂に忍ばせて、奉納小屋を出ますと、まだ誰も起きていないので、あたりはひっそりしていました。わたくしは安心して夜叉神堂の前まで来まして、かぶっている鬼の面を取ろうとしますと、この頃の生暖かい陽気で顔も首筋も汗びっしょりになっています。その汗が張子の面に滲んで、わたくしの顔にべったりと貼り着いたようになって、容易に取れないのでございます。わたくしは昔の肉付き面を思い出して、俄かにぞっとしました。嫁を嚇かしてさえも、面が離れない例もある。まして仏前の奉納物を毀して金銀を奪い取っては、神仏の咎めも恐ろしい。あるいは夜叉神のお怒りで、この鬼の面がとれなくなるのでは無いかと思うと、わたくしはいよいよ総身にひや汗が流れました"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(六)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年12月20日初版1刷発行
入力:tat_suki
校正:小林繁雄
1999年4月30日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "001025",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
"ソート用読み": "はんしちとりものちよう",
"副題": "65 夜叉神堂",
"副題読み": "65 やしゃじんどう",
"原題": "",
"初出": "",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "1999-04-30T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/card1025.html",
"人物ID": "000082",
"姓": "岡本",
"名": "綺堂",
"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1872-11-15",
"没年月日": "1939-03-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "時代推理小説 半七捕物帳(六)",
"底本出版社名1": "光文社時代小説文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "1986(昭和61)年12月20日",
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"入力者": "tatsuki",
"校正者": "小林繁雄",
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} |
[
[
"そうですか。実はこのあいだ或る所へ行きましたら、そこへ書画屋が来ていて、几董の短冊というのを見せていました。わたくしは俳諧の事なぞはぼんくらで、いっさい判らないのですが、その短冊の句だけは覚えています",
"なんという句でした",
"ええと……、誰が願ぞ地蔵縛りし藤の花……。そんな句がありますかえ",
"あります。たしかに几董の句で、井華集にも出ています。おもしろい句ですね"
],
[
"どの地蔵さまを縛ってもいいんですか",
"いや、そうは行かない。むやみに地蔵さまを縛ったりしては罰があたる。縛られる地蔵さまは『縛られ地蔵』に限っているのです。縛られ地蔵は諸国にあるようですが、江戸にも二、三カ所ありました。中でも、世間に知られていたのは小石川茗荷谷の林泉寺で、林泉寺、深光寺、良念寺、徳雲寺と四軒の寺々が門をならべて小高い丘の上にありましたが、その林泉寺の門の外に地蔵堂がある。それを茗荷谷の縛られ地蔵といって、江戸時代には随分信仰する者がありました。地蔵さまの尊像は高さ三尺ばかりで、三間四方ぐらいのお堂のなかに納まっていましたから、雨かぜに晒されるようなことは無かったのですが、荒縄で年中ぐいぐいと引っくくられるせいでしょう、石像も自然に摺れ損じて、江戸末期の頃には地蔵さまのお顔もはっきりとは拝めないくらいに磨滅していました。林泉寺には門前町もあって、ここらではちょっと繁昌の所でしたが……"
],
[
"地蔵が踊る……",
"笑っちゃいけない。そこが古今の人情の相違です。地蔵が踊るといえば、あなたはすぐに笑うけれども、昔の人はまじめに不思議がったものです。たとい昔でも、料簡のある人達はあなたと同様に笑ったでしょうが、世間一般の町人職人はまじめに不思議がって、その噂がそれからそれへと広がりました。もとより石の地蔵さまですから、普通の人間のように、コリャコリャと手を叩いて踊り出すのじゃあない。右へ寄ったり、左へ寄ったり、前へ屈んだり、後へ反ったり、前後左右にがたがた揺れるのが、踊っているように見えると云うわけです。昼間から踊るのではなく、日が暮れる頃から踊りはじめる。いくら七月でも、地蔵さままでが盆踊りじゃああるまいと思っていると、誰が云い出したのか、又こんな噂が立ちました。この踊りを見たものは、今年のコロリに執り着かれないと云うのです"
],
[
"縛られ地蔵に女が縛られている……。面白いですね",
"面白いどころじゃない。女はもう死んでいるらしいので、武助もおどろきました。しかし自分は先きを急ぐので、そんな事にかかり合ってはいられない。丁度に表の戸を明けかかった近所の酒屋の若い者にそれを教えて、自分はそこを立ち去りました。さあ大騒ぎになって、近所の人達が駈けあつまると、女は十九か二十歳ぐらい、色白の小綺麗な娘ですが、見るからに野暮な田舎娘のこしらえで、引っ詰めに結った銀杏返しがむごたらしく頽れかかっていました。まったくあなたの云う通り、縛られ地蔵に女が縛られていて、しかもそれが死んでいると云うのですから、普通の変死以上にみんなが騒ぎ立てるのも無理はありませんでした"
],
[
"うむ。寺社がそもそも手ぬるいからよ。地蔵が踊るなんてばかばかしい。早く差し止めてしまえばいいのだ",
"わたしは見ませんが、子分の亀吉は話の種に、地蔵の踊るのを見に行ったそうですから、あいつと相談して何とか致しましょう"
],
[
"そうだろうな",
"あの寺はね、林泉寺の向うを張って、縛られ地蔵を流行らせたが、長いことは続かねえ。そこで今度はその地蔵を踊らせて、それを拝んだ者はコロリに執り着かれねえなんて、いい加減なことを云い触らして、つまりはお賽銭かせぎの山仕事ですよ。なにしろ寺でやる仕事で、町方が迂闊に立ち入るわけにも行かねえから、わっしも指をくわえて見物していましたが、今に何事か出来するだろうと内々睨んでいると、案の通り、こんな事になりました。こうなったら遠慮はねえ、山師坊主を片っぱしから引き挙げて泥を吐かせましょうか"
],
[
"山師坊主め、それを種にして又なにか云い触らすつもりじゃあありませんかね",
"そんな事がねえとも云えず、あるとも云えねえ。ともかくも念のために、小石川へ踏み出してみよう。現場を見届けてからの分別だ"
],
[
"おい、亀、手を貸してくれ",
"あい、あい"
],
[
"その後に誰か死骸をたずねに来たかえ",
"いいえ",
"死骸は奥に置いてあるのかえ"
],
[
"実はこれからお寺へ行こうと思っているのですが、今朝このお堂で死んでいた女は、まだ其のままですかえ",
"いや、それに就いて唯今お訴えに参るところで……。女の死骸が見えなくなりました"
],
[
"寺男の源右衛門というのは幾つで、どこの生まれですか",
"源右衛門は二十五歳、秩父の大宮在の生まれでござります",
"これも若いのですね",
"源右衛門は門内の花屋定吉の甥で、叔父をたよって出府いたした者でござりますが、そのころ丁度寺男に不自由して居りましたので、定吉の口入れで一昨年から勤めさせて居りました",
"その源右衛門は無事に勤めて居りますか"
],
[
"駈け落ちをしたのですか",
"御承知の通り、十二、十三の両日は強い風雨で、十四日は境内の掃除がなかなか忙がしゅうござりました。花屋の定吉、納所の了哲も手伝いまして、朝から掃除にかかって居りましたが、その日の夕方、ちょっとそこまで行って来ると云って出ましたままで、再び姿を見せません。叔父の定吉も心配して、心あたりを探して居りますが、いまだに在所が知れないそうで……。本人所持の品々はみな残って居りまして、着がえ一枚持ち出した様子もないのを見ますと、駈け落ちとも思われず、また駈け落ちをするような仔細も無し、いずれも不思議がって居るのでござります",
"御門前の地蔵さまが踊ったと云うのは、ほんとうでございますか",
"踊ったと云うのかどうか知りませんが、地蔵尊の動いたのは本当で、わたくしも眼のあたりに拝みました",
"それを拝めばコロリよけのお呪いになると云うことでしたね",
"いや、それは世間の人が勝手に云い触らしたことで、仏の御心はわかりません。果たしてコロリ除けのお呪いになるかどうか、わたくし共にも判りません"
],
[
"坊主共が殺ったのかね",
"手をおろした訳でもあるめえが、どうも生きちゃあいねえらしい。そこで、亀。おれはこれから真っ直ぐに帰るから、おめえは門前町をうろ付いて、あの寺の奴らについて何か聞き込みはねえかどうだか探ってくれ。それから、小坊主、智心とか云ったな。あいつの事を調べてくれ",
"小坊主……。初めから仕舞いまで黙って突っ立っていた奴でしょう",
"そうだ。どうもあいつの眼つきが気に入らねえ。黙ってぼんやり突っ立っているように見せかけて、あいつの眼はなかなか働いていた。あいつ、まだ十六、七らしいが、唯者じゃあねえ。そのつもりで、あいつの身許や行状を洗ってくれ"
],
[
"小坊主はどうだ",
"小坊主は十六で年の割には体も大きく、見かけは頑丈そうですが、ふだんから薄ぼんやりした奴で、別にこうと云うほどのこともないそうです。それから了哲という納所坊主、こいつも少し足りねえ奴で、悪いこともしねえが酒を飲む。まあ、こんな事ですね",
"花屋の親子は……",
"花屋の定吉、これも近所で評判の正直者ですが、可哀そうにひどい吃で、満足に口が利けねえ位だそうです。娘のお住はなかなか親孝行で、人間も馬鹿じゃあねえと云います"
],
[
"そこで、寺男はどうだ",
"源右衛門ですか。こいつは善いか悪いか、どんな人間だか能くわからねえ。なにしろ恐ろしい偏人で、あしかけ三年、丸二年もあの寺の飯を食っていながら、近所の者と碌々に口を利いた事がねえという位で……"
],
[
"同じ人間だろう。いや、同じ人間に相違ねえ",
"そうでしょうか。かみさんの話じゃあ、お住は薄あばたこそあれ、容貌は悪くねえ。連れの娘はあばたも無し、容貌もいい、顔立ちが肖ているので、ちょいと見た時には姉妹かと思った……"
],
[
"出かけますかえ",
"むむ。一緒に来てくれ"
],
[
"けさの雨で、ここらの土が窪みましたので……",
"ははあ、土が窪んだので、埋めていなさるのか"
],
[
"その延光という役僧はどうしました",
"あるいは仏罰でもござりましょうか。昨年の二月、延光は流行かぜから傷寒になりまして、三日ばかりで世を去りました。延光が歿しましたので、唯今の俊乗がそのあとを継いで役僧を勤め居ります",
"縛られ地蔵もだんだんに流行らなくなったので、今度は地蔵を踊らせる事にしたのですね。それはお前さんの工夫ですかえ",
"いえ、わたくしではありません",
"俊乗ですか",
"俊乗でもありません。石屋の松蔵……松兵衛のせがれでござります。松兵衛は悪い者ではありませんが、伜の松蔵は博奕に耽って、いわばごろつき風の良くない人間でござります。それが縛られ地蔵の噂を聞き込みまして、当寺へ強請がましい事を云いかけて参りました。あの地蔵は自分の家で新らしく作ったもので、墓地の土中から掘り出したなどというのは拵え事である。自分の口からその秘密を洩らせば、世間の信仰が一時にすたるばかりか、当寺でも定めし迷惑するであろうと云うのでござります。飛んだ奴に頼んだと今さら後悔しても致し方がありません。何分こちらにも弱味がありますので、延光の取り計らいで幾らかずつの金をやって居りました。松蔵のような悪い奴に魅こまれましたのも、やはり仏罰であろうかと思われます"
],
[
"お歌は松蔵とも係り合いがあったのでしょうね",
"さあ、本人は唯の知り合いだと申して居りましたが、あんな人間同士のことですから、どういう因縁になっているか判りません",
"松蔵は相変らず出入りをしているのですか",
"はい、時々に参ります"
],
[
"お歌を殺したのはいつの事です",
"二十三日の晩でござります。お歌が俊乗を裏山へ誘い出して行く。その様子がいつもと違っているので、智心もそっと後を尾けて行きますと、お歌は俊乗を森のなかへ連れ込みまして、お前がこの寺にいては思うように逢うことが出来ないから、いっそ還俗するつもりで私と一緒に逃げてくれと云う。勿論、俊乗は得心いたしません。かれこれと云い争っているうちに、お歌はだんだんに言葉があらくなりまして、お前がどうしても云うことを肯かなければ、わたしにも料簡がある。縛られ地蔵の一件を口外すれば、おまえ達は死罪か遠島だなどと云って嚇かすのでござります。毎度のことながら、この嚇かしには俊乗も困って居りますと、お歌はいよいよ図に乗って、これからすぐに訴えにでも行くような気色を見せます。それを先刻から窺っていた智心はもう我慢が出来なくなって、不意に飛びかかって、お歌の喉を絞めました。智心は年の割に力のある奴、それが一生懸命に両手で絞め付けたので、お歌はそのままがっくり倒れてしまいました",
"成程、そんなわけでしたか"
],
[
"俊乗はお歌に迫られて、余儀なく関係をつづけて居ったので……。現に今夜もお歌に苦しめられて居ったのですが、元来は気の弱い、心の優しい人間ですから、眼の前にお歌が倒れたのを見ますと、急に悲しくなって泣き出しました。といって、医者を呼ぶわけにも行きません。俊乗は女の死骸をかかえて、暫くは泣いていました。智心は唯ぼんやりと眺めていました。やがて俊乗は叱るように智心にむかって、お前はなぜこんな事をしたのだ、この女を殺してはならない、これから私と一緒に地蔵堂へ運んで行けと云ったそうです",
"それはどういう訳ですね",
"あとで俊乗自身の申すところによりますと、その時は少しくのぼせていたのかも知れません。地蔵を縛って祈っても、自分の願が叶うのであるから、まして本人を縛って祈れば、きっと叶うに相違ないと、こう一途に思いつめて、智心と二人でお歌の死骸を門前の地蔵堂へ運び込んで、地蔵尊にしっかりと縛り付けて、どうぞ再び蘇生するようにと、ふた晌あまりも一心不乱に祈っていたと申します"
],
[
"お歌はそれからどうしました",
"日が暮れてから気分も快くなったと申しますので、裏山づたいに帰してやりました。本人は素直に帰ろうと申しませんでしたが、わたくしからいろいろに説得しまして、今度は俊乗にも自由に逢わせてやると約束して、無理になだめてともかくも帰しましたが、所詮このままに済もうとは思われません。また出直して何かの面倒を云い込んで来ることと覚悟して居りました。そこへお前さん方が再びお乗り込みになりましたので万事の破滅と、わたくしもいよいよ覚悟を決めました。智心がお手向いを致しましたのは、お歌を殺した一件で、我が身にうしろ暗いところがある為でござりましょう。しかしお歌は確かに生きて居ります"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(六)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年12月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:瀬戸さえ子
2001年3月30日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "001296",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
"ソート用読み": "はんしちとりものちよう",
"副題": "66 地蔵は踊る",
"副題読み": "66 じぞうはおどる",
"原題": "",
"初出": "",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2001-03-30T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/card1296.html",
"人物ID": "000082",
"姓": "岡本",
"名": "綺堂",
"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1872-11-15",
"没年月日": "1939-03-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "時代推理小説 半七捕物帳(六)",
"底本出版社名1": "光文社時代小説文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "1986(昭和61)年12月20日",
"入力に使用した版1": "",
"校正に使用した版1": "1997(平成9)年3月20日第7刷",
"底本の親本名1": "",
"底本の親本出版社名1": "",
"底本の親本初版発行年1": "",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
"入力に使用した版2": "",
"校正に使用した版2": "",
"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "tatsuki",
"校正者": "瀬戸さえ子",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/1296_ruby_1736.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2004-03-01T00:00:00",
"テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"テキストファイル文字集合": "JIS X 0208",
"テキストファイル修正回数": "3",
"XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/1296_15043.html",
"XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2004-03-01T00:00:00",
"XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"そうです、そうです。豊住町というのは明治以後に出来た町名で、江戸時代には御切手町と云ったのですが、普通には下谷坂本と呼んでいました。本当の名は金光山大覚寺というのですが、宗対馬守の息女養玉院の法名を取って養玉院と云うことになりました。この寺に高尾の碁盤と将棋盤が残っているのを御存じですか",
"知りません",
"吉原の三浦屋はこの寺の檀家であったそうで、その縁故で高尾の碁盤と将棋盤を納めたと云うことになっています。高尾は初代といい、二代目といい、確かなことは判りませんが、ともかくも古い物で、わたくしも一度見たことがあります。今でも寺の什器になっている筈ですから、あなたなぞは一度御覧になってもいいと思います。いや、その碁盤で思い出しましたが、ここに又、薄雲の碁盤というのがありました",
"それも養玉院にあるんですか"
],
[
"むかしは武家に首はめでたいと云ったそうですが……",
"ふるい云い伝えに、元禄十四年の正月元旦、永代橋ぎわの大河内という屋敷の玄関に女の生首を置いて行った者がある。屋敷じゅうの者はみんなびっくりすると、主人はおどろかず、たとい女にせよ、歳の始めに人の首を得たと云うのは、武家の吉兆であると祝って、その首の祠を建てたという話があります。昔の武家はそんなことを云ったかも知れませんが、後世になってはそうはいきません。縁もない人間の首なぞを押し付けられては、ただただ迷惑に思うばかりです。わたくしもそれを察していたので、自分の縄張り内ではありませんが、なんとかしてやることになりました"
],
[
"一体この一件は、まったく小栗の屋敷に係り合いがないんでしょうか",
"用人はなんにも心当たりがないと云っている。首になっている女の顔も曾て見たことが無いという。しかしそれが本当だかどうだか判らねえ。そこで此の一件は、まず第一に小栗の屋敷に係り合いがあるか無いかを突き留める事と、もう一つは、なぜあんな碁盤に首を乗せて置いたかと云うことを詮索しなけりゃあならねえ",
"小栗の主人は碁を打つのでしょうか",
"おれもそれを考えたが、用人の話を聞いても、住職の話を聞いても、小栗の主人は碁も将棋も嫌いで、そんな勝負をした例は無いと云うのだ"
],
[
"だしぬけに変なことを訊くようだが、お俊は相変らず達者かえ",
"あら、御存じないんですか。お俊ちゃんはこの六月に引きましたよ",
"ちっとも知らなかった。誰に引かされて、どこへ行った",
"深川の柘榴伊勢屋の旦那に引かされて、相生町一丁目に家を持っていますよ",
"相生町一丁目……。回向院の近所だね",
"そうです",
"お俊は薄あばたがあったかね",
"いいえ"
],
[
"だしぬけにばたばた片付けに来たので、近所隣りでもよく判らねえのですが、どうもお俊の姿は見えなかったらしいと云うことです。ここらで例の首を見た者はないかと、念のために訊いてみると、その噂を聞いて五、六人駈け着けたが、気味が悪いので誰もはっきりとは見とどけずに帰って来た。なにしろ薄あばたがあると云うのじゃあ、お俊とは違っていると云うのです",
"近所へ挨拶はしねえでも、家主には断わって行ったろう。家主はどこだ",
"二丁目の角屋という酒屋だそうですから、そこへ行って訊きましょう"
],
[
"お俊さんの旦那は深川の柘榴伊勢屋だそうで、店請はその番頭の金兵衛という人でした",
"お俊さんというのはどんな女でした",
"商売人揚がりだけに、誰にも愛嬌をふりまいて、近所の評判も悪くなかったようです。わたし共の店へ寄って、時々に話して行くこともありましたが、ひどく鼠が嫌いな人で、あの家には悪い鼠が出て困るなぞと云っていました"
],
[
"だが、親分。例の首はお俊じゃあ無さそうですぜ。誰に聞いても、お俊にあばたはねえと云いますから",
"そりゃあそうだが、まあ、もう少しおれに附き合ってくれ"
],
[
"ありますよ。万力甚五郎で……",
"万力甚五郎……。二段目だな。たいそう力があるそうだが……"
],
[
"伊勢屋のほかに抱え屋敷はねえのか",
"十万石の抱え屋敷があったのですが、可哀そうにお出入りを止められてしまって、今じゃあ伊勢屋が第一の旦那場です。万力が抱え屋敷をしくじったのも、まあ伊勢屋の為ですから、伊勢屋も猶さら万力の世話をしてやらなけりゃあならない義理もあると云うわけで……"
],
[
"ひとりは本所の御旅所の近所に屋敷を持っている平井善九郎というお旗本ですが、連れの一人は判りません。刀を引ったくったのは平井さんでなく、連れのお武家の方でしたが、年頃は二十一、二で小粋な人柄でした。まあ、次三男の道楽者でしょうね",
"お俊はその平井という侍とも馴染なのか",
"別に深い馴染というでもありませんが、まんざら知らないお客でも無いそうです。なにしろ、そんな船に乗り合わせていたお俊も災難で、本人のした事じゃあありませんが、自然に伊勢屋の旦那の御機嫌を損じるような破目になって、その当座はちっと縺れたようでしたが、芸者をさせて置けばこそこんな事にもなるのだと云うので、この六月、急にお俊を引かせる話になりました。お俊としてみれば、災難が却って仕合わせになったかも知れません。今じゃあ川向うの一つ目に囲われて気楽に暮らしているようです",
"お俊に薄あばたは無かったかね"
],
[
"碁盤はお俊の家にあったのでしょうか",
"まあ、そうだろうね。伊勢屋は旧い質屋だから、流れ物か何かで、好い品を持っていて、それをお俊の家へ持ち込んでいたのだろう。寒いのに御苦労だが、これから六間堀へ行って、伊勢屋の様子を探って来てくれ",
"ようがす"
],
[
"そんなら銀之助も一緒に殺らしそうなものですがね",
"殺らすつもりであったのを仕損じたのか、何かほかに仔細があったのか、どっちにしても万力の仕業に相違あるめえ。しかし相手は天下の力士だ。確かな証拠を挙げた上でなけりゃあ、むやみに御用の声は掛けられねえ。おめえはもう一つ働いて、銀之助の方を調べてくれ。万力の脇差を取ったのは確かに銀之助か、又その銀之助がお俊の家へ出這入りしていたかどうだか、それをよく洗い上げるのだ",
"わかりました。じゃあすぐに行って来ます"
],
[
"そうです",
"伊勢屋は始終来るのかえ",
"ちょいちょい見えるようでした",
"旦那のほかに誰か来やあしねえか。若い男でも……"
],
[
"ええ、時々に若い男の人が……。お武家さんのようでした",
"泊まって行くような事もあったかえ",
"泊まることは無かったようですが、いつも一人で来て、四ツ過ぎまで遊んでいたようです。女中の話では、なんでも深川の方の人だと云うことでした",
"女中はなんと云うのだね",
"女中はお直さんと云って、十七、八のおとなしい人でした。家はやっぱり深川で、大島町だとか云っていました",
"きのう引っ越しをする時に、お直もいたかえ",
"お直さんは見えなかったようです。あとで聞くと、もう前の日あたりに暇を取って、出て行ってしまったらしいと云うことでした",
"そうすると、おとといの晩はお俊ひとりで寝ていたわけだね",
"そうかも知れません。日の暮れる頃にどこへか出て行って、夜の更けた頃に帰って来たようです。わたくしはもう寝ていましたから、よくは存じませんが、格子をあける音がしましたから、その時に帰って来たのだろうと思っていました",
"格子をあけて帰って来て、また出て行ったような様子はなかったかね"
],
[
"相撲取りで出這入りをする者はなかったかね",
"伊勢屋の旦那がたいそう御贔屓だそうで、万力というお相撲さんが来ることがありました",
"万力はひとりで来る事もあったかえ",
"ひとりで来たことは無いようです。大抵は旦那と一緒のようでした",
"いや、有難う。判らねえことがあったら、また訊きに来るとして、きょうはこれで帰るとしよう。御用とは云いながら、稽古所へ来て邪魔をして済まなかった。こりゃあ少しだが、白粉でも買ってくんねえ"
],
[
"親分、お寒うございます",
"冬場所はたいそう景気が好かったそうだね",
"世間がそうぞうしいのでどうだかと案じていましたが、お蔭でまあ繁昌でした",
"いいところでおめえに逢った。少し訊きてえことがある"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(六)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年12月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:山本奈津恵
2000年2月3日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品名": "半七捕物帳",
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[
"降りさえしなければ出かけようかと思っています",
"どちらへ……",
"小金井です",
"はあ、小金井……。汽車はずいぶん込むそうですね",
"殊にあしたは日曜ですから、思いやられます",
"それでも当節は汽車の便利があるから、楽に日帰りが出来ます。むかしは新宿から淀橋、中野、高円寺、馬橋、荻窪、遅野井、ぼくや横町、石橋、吉祥寺、関前……これが江戸から小金井へゆく近道ということになっていましたが、歩いてみるとなかなか遠い。ここで一日ゆっくりお花見をすると、どうしても一泊しなければならない。小金井橋のあたりに二、三軒の料理屋があって、それが旅籠を兼業ですから、大抵はそこに泊めてもらうことになるのですが、料理屋といっても田舎茶屋で、江戸から行った者にはずいぶん難儀でした",
"あなたもお出でになった事があるんですね"
],
[
"いいえ、小金井には学校時代に一度遠足に行った事があるだけで、府中は知りません",
"それでは少し説明をして置かなければならない。と云うのは、社の入口から随身門までおよそ一丁半、路の左右は松と杉の森で、四抱えも五抱えもあるような大木が天を凌いで生い茂っています。その森の梢にはたくさんの鷺や鵜が棲んでいるが、寒三十日のあいだは皆んな何処へか立ち去って、寒が明けると又帰って来る。それが年々一日も違わないので、ここでは七不思議の一つと云われています。そこで、その鷺や鵜は品川の海や多摩川のあたりまで飛んで行って、いろいろの魚をくわえて来るが、時にはあやまって其の魚を木の上から落とすことがある。土地の女子供はそれを見つけて拾って来る。ここらは海の遠い所ですが、鳥のおかげで、案外に海魚の新らしいのを拾うことが出来ると云うのは、何が仕合わせになるか判りません。早く云えば天から魚が降って来るようなわけで……",
"おもしろい話ですね。今でもそうでしょうか"
],
[
"いや、喜多屋に係り合いはないのですが、友蔵の家に出るという噂があるのです",
"なにが出るんですね",
"友蔵は宿のはずれに、小さな世帯を持っているが、家を明けっ放して毎日遊びあるいている。そこへ女と男の幽霊がでるという噂で……。女は調布の女郎屋に売られた娘のお国、男は江戸の若い男だというのです",
"二人は心中でもしたんですか",
"そうです。二人が心中をして、その幽霊が友蔵の家へ現われる。夜は勿論、雨のふる暗い日なぞには昼間でも出ると云うのだから恐ろしい。しかし友蔵は平気でいるところをみると、本当に出るのか出ないのか、それとも友蔵の度胸がいいのか、そこは好く判らないが、ともかくも其の家にお化けが出ると云うのは宿じゅうの評判で、誰でも知らない者はないと、宿屋の女中たちはまじめになって話しました",
"化けて出ると云うからには、その男と娘が何か友蔵を恨む訳があるんですね",
"恨むというのは……。まあ、こういう訳です"
],
[
"むむ、売り物だよ",
"幾らですね",
"三歩だよ",
"高けえね",
"なに、高けえことがあるものか"
],
[
"親分、天気がまた怪しくなって来ましたね",
"むむ。どうも長持ちがしねえので困ったものだ。また泣き出しそうになって来た"
],
[
"はあ、そうですか。そこで、その一件というのは何か面倒なことですかえ",
"実はこの五日のことでございますが、御承知の通り、府中の六所明神の御祭礼、その名物の闇祭りを一度見物いたしたいと申しまして、おかみさんと総領息子、それにわたくしと若い者の孫太郎と、都合四人づれで六ツ半(午前七時)頃から店を出ました。勿論おかみさんだけは駕籠で、男共は歩いて参りました。日の長い時節ではございますが、途中で休み休み参りましたので、府中の宿へ着きました頃には、もう薄暗くなって居りました。さてこのお祭りには初めて参ったのでございますが、噂に聞いたよりも大層な繁昌で、土地馴れない者はまごつく位、それでもどうやら釜屋という宿屋に泊めて貰うことになりましたが、その宿屋がまた大変な混雑で、これでは困ると思ったのですが、どこの宿屋も今夜はみんなこの通りだと聞かされて、まあ我慢することになりました"
],
[
"大有りだ。早速だが、そのおかみさんというのは幾つで、どんな人ですね",
"おかみさんはお八重と申しまして、十八の年に伊豆屋へ縁付いてまいりまして、翌年に総領息子の長三郎を生みました。その長三郎が当年二十歳になりますから、おかみさんは三十八で、容貌も悪くなく、年よりも若く見える方でございます"
],
[
"和泉屋さんは存じて居ります。別に親類というのではございませんが、先代からお附き合いをいたして居ります",
"和泉屋の息子は飛んだ事でしたね",
"まったく飛んだ事で……。あの一件につきましては、和泉屋さんでも、息子の死骸を引き取るやら何やかやで、随分の物入りであったそうで、なんとも申しようがございません。そんな一件がありますので、今度の府中行きも、主人は少し考えて居りました。わたくしも何だか気が進まなかったのでございますが、おかみさんが是非一度見物したいと申しますので、とうとう思い切って出かける事になりますと、又ぞろこんな事が起こりまして……。やっぱり止せばよかったと、今さら後悔して居りますような訳でございます"
],
[
"幾次郎は幾つでしたね",
"たしか、二十三かと思います。唯今も申す通り、堅気の呉服屋の手代にはちっと不似合いの道楽者で、近所の常盤津の師匠のところへ稽古に行くなぞという噂もございます",
"その幾次郎はお店へも来ることがありますか",
"ときどきには参ります"
],
[
"友蔵の奴が又なにかやったかね",
"おれもそんな事をかんがえたが、若い娘ならばともかくも、やがて四十に手のとどく女房をかどわかすということもあるめえ。いくら暗闇だって、まわりに大勢の人がいるのだから、きゃあとか何とか声を立てるぐらいのことは出来そうなものだ。まさかに友蔵に引っ担いで行かれたのでもあるめえ。おれももう少し考えるから、おめえは善ぱと手分けをして、伊豆屋と和泉屋の内幕を探ってくれ",
"こうなると此の春、府中へ行って来て好うござんしたね",
"むむ。なにが仕合わせになるか判らねえ。だしぬけにこんな事を持ち込まれたのじゃあ見当が付かねえ"
],
[
"清七は養子か",
"本来はおとなしい、手堅い人間だったそうですが、府中へ行った帰りに一と晩遊んだのが病み付きで、飛んだ事になったものだと、近所でも気の毒がっています。それから手代の幾次郎ですが、主人の遠縁の者だという事になっているが、実は番頭の息子だそうです。それにはちっと訳があるので……"
],
[
"そんな女だから何か不埒を働いていやあしねえかと思って、わっしもいろいろ探ってみましたが、そんな噂もねえようです。よっぽど上手にやっているんでしょうか",
"和泉屋の手代の幾次郎とおかしいと云う噂は聞かねえか",
"聞きませんね。よそでそんな噂があるんですか",
"そうでもねえが、まあ訊いてみたのだ"
],
[
"しん吉のおふくろは何を泣いているのだ",
"それがね。なんだか取り留めのない話のようだけれども、おっかさんは一生懸命に泣いて騒いでいる。と云うのは、しん吉は先月から甲州街道の方角へ稼ぎに行って、月ずえには江戸へ帰る筈のところが、今月になっても便りがない。おっかさんも毎日心配していると、おとといの晩、おっかさんが変な夢を見たんだとさ",
"どんな夢を見た……",
"おっかさんが火鉢のまえに坐っていると、しん吉が外からぼんやりはいって来て、だまって手をついている。おや、お帰りかえと声をかけても返事をしない。なぜ黙って俯向いているんだよと云うと、しん吉は小さな声で、顔を見せると阿母さんがびっくりするからと云う。おまえの顔を見てびっくりする奴があるものか、旅から帰って来たら先ず無事な顔を親に見せるものだ、早く顔をお見せよと云うと、しん吉がひょいと顔をあげた……"
],
[
"どこへ行くの",
"しん吉のおふくろに逢って来る"
],
[
"この宿に釜屋という同商売があるね",
"はい。手前共から五、六軒さきでございます",
"すこし訊きたいことがあるから、釜屋の亭主を呼んで来てくれ",
"はい、はい"
],
[
"手前は釜屋文右衛門でございます。なにか御用でございましょうか",
"早速だが、この五日の闇祭りの晩に、おめえの店の女客が一人消えてなくなったそうだね。きょうでもう五日になる。まだなんにも手がかりはねえのかね"
],
[
"伊豆屋の若い者はどうしたね",
"きのうまで手前共に逗留でしたが、いつまでも手がかりが無いので、いったん江戸へ帰ると云って、今朝ほどお立ちになりました",
"それじゃ行き違いになったか"
],
[
"おめえは友蔵の家を知っているだろう。あいつは今夜、家にいるかどうだか、そっと覗いて来てくれ",
"ようがす"
],
[
"友蔵は家で酒を喰らっていますよ",
"友達でも来ているのか",
"それがね。髪も形も取り乱しているが、ちょいと踏めるような中年増に酌をさせて、上機嫌に何か歌っていましたよ"
],
[
"しんさん、お待ちよ",
"知らねえ。知らねえ"
],
[
"なに、鵜を買いに来た……",
"あの鵜を百両に買いに来たのだ",
"冗談云うな"
],
[
"お大は家出をして、府中へ行ったんですか",
"そうです。わたくしは最初から和泉屋の手代の幾次郎という奴を、なんだか怪しいと睨んでいたのですが、やっぱりこいつが曲者でした。前にも申す通り、おやじの勇蔵が主人の罪をかぶって牢死した。その忠義に免じて、和泉屋でも眼をかけて使っていた。和泉屋には子がないので、行くゆくは養子にしてくれるかと内々楽しみにしていると、主人の親類から清七という養子が来てしまったので、幾次郎は的がはずれた。それが、そもそもの始まりで、自棄も手伝って道楽をする。それでも主人が大目に見ているので、だんだんに増長して和泉屋乗っ取りを企てる事になりました。その場合、あなたならどうします",
"さあ、まず養子の清七を遠ざけるんですね"
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"なるほど幾次郎とおなじような手ですね",
"そうです、そうです。さては置き去りを喰ったのかと、お八重も初めて気が付いたが、どうする事も出来ない。巾着に残っている小遣い銭で、どうにか宿屋の払いをして出たが、今さら江戸へも帰られず、男にだまされたくやしさと、身の振り方に困った悲しさとで、いっそ死のうと思い詰めたのでしょう。それから二、三日は何処をうろついていたか知りませんが、その死骸が、調布の河原へ流れ着きました",
"身を投げたんですね"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(六)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年12月20日初版1刷発行
1997(平成9)年3月25日8刷発行
※この作品には、幡随院長兵衛の法事に関する記述がある。幡随院長兵衛の没年は1650年(1657年説もあり)。事件の起こった嘉永二年は、1849年であることから、「三百回忌の法事」は「二百回忌の法事」が相当と思われる。
入力:A.Morimine
校正:松永正敏
2001年2月13日公開
2011年2月24日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "001294",
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"白い蝶々が飛んでいるので……",
"白い蝶々……。ご覧になりましたか"
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"だが、蝶々が何処から飛んで来て、どこへ行ってしまうか、誰も見とどけた者は無い。第一、あの蝶々はどうも本物ではないらしいよ",
"生きているんじゃ無いのか",
"飛んでいるところを見ると、生きているようにも思われるが……。わたしの考えでは、あの蝶々は紙でこしらえてあるらしいね。どうも本物とは思われないよ"
],
[
"いいえ、別に……",
"顔の色が悪いよ",
"そうですか"
],
[
"あなた、ゆうべの事を誰かに話しましたか",
"いいえ。まだ誰にも……"
],
[
"お母さまも見たのですか",
"自分は見ないけれども、その話は聞いているのだそうです。お父さまに話したらば、そんな馬鹿なことを云うなと叱られたので、それぎり誰にも云わなかったのだそうです"
],
[
"おまえとは違って、お勝さんはどうも容態がよくないようで、丁度お医者を呼んで来たところさ。お医者は質の悪い風邪だと云ったそうだけれど、小父さんはよっぽど心配しているようだったよ",
"小父さんは何と云っているのです",
"黒沼の小父さんはまだ本当にはしていないらしいのだがね。それでも自分の娘が悪くなったし、お前も確かにその蝶々を見たと云うのだから、少し不思議そうに考えているようだったが……。黒沼の小父さんの話では、それがもう町方の耳にもはいって、内々で探索をしていると云うことだから、嘘か本当かは自然に判るだろうけれど……。まあ当分は日が暮れてから外へ出ないに限りますよ。姉さんばかりじゃない、お年も気をおつけなさい"
],
[
"姉はもう好くなりまして、きょう一日も寝ていたらば起きられるでしょう",
"それは仕合わせでしたな。家の娘はまだこの通りで……",
"御心配ですね"
],
[
"若い者の手前、まことに面目のないことだが、ゆうべは少し失策をやったよ",
"どんなことですか"
],
[
"むむ。お前ならばきっと承知するだろうと思った。では、今夜の五ツ頃(午後八時)から出かける事にしよう。だが親父やおふくろが承知するかな",
"夜学に行くことにして出ます"
],
[
"仕方がねえ。叱られるのを承知で、また御用人を口説くかな",
"いけねえ、いけねえ。うちの用人と来た日にゃあとてもお話にならねえ。それよりもお近に頼んだ方がいい。たんとの事は出来ねえが、一朱や二朱ぐれえの事はどうにかしてくれらあ",
"お近に……。おめえ、あの女に借りたことがあるのか",
"ほかの者にゃあどうだか知らねえが、おれには貸してくれるよ",
"まさか情夫になった訳じゃあるめえな",
"情婦になってくれりゃあいいが、まだそこまでは運びが付かねえ",
"それにしても、不思議だな。あの女がおめえに金を貸してくれると云うのは……。どうして貸してくれるんだよ",
"はは、それは云えねえ。なにしろ、おれには貸してくれるよ。おれが口説けば、お近さんは貸してくれるんだ",
"それじゃあ、おれも頼んでみようかな",
"馬鹿をいえ。おめえなんぞが頼んだって、四文も貸してくれるもんか。はははははは"
],
[
"あんまり御機嫌でもねえ。無けなしの銭でちっとばかりの酒を飲んで、これから帰ると門番に文句を云われて、御用人に叱られて、どうで碌なことじゃあねえのさ",
"そう云っても、こいつにはお近さんと云ういい年増が付いているのだから仕合わせだよ",
"ええ、つまらねえことを云うな"
],
[
"毎晩ここらへ出るのでしょうか",
"それは判らない。だが、まあ、ここらに網を張っているよりほかはあるまい。風を避けるために、この門の下にはいっていろ",
"なに、構いません。わたしはそこらへ行って見て来ましょうか",
"むむ、犬もあるけば棒にあたると云うこともある。ただ突っ立っているよりも、少し歩いてみるかな",
"小父さんはここに待ち合わせていて下さい。わたしがそこらを見廻って来ます"
],
[
"その蝶々をさがして、どうなさるんです",
"どうと云うことも無いが、その蝶々が何だかおかしいから、つかまえて見ようと思うのだ",
"つかまえて……どうなさるんです"
],
[
"坂下の門前に待っているのだ",
"はあ、そうですか"
],
[
"それじゃあ井戸の水を汲んで来てくれ",
"水を飲ませたぐらいで、生き返るでしょうか"
],
[
"そんなことは知らない",
"お若いかたですか",
"知らない、知らない"
],
[
"もう寝ているのを叩き起こしました。あとから参ります",
"じゃあ。頼むよ"
],
[
"殺されたかも知れないぞ",
"それならば、どこからか死骸が出そうなものですが……",
"それもそうだな……。といって、仔細もなしに姿を隠す筈もあるまい。係り合いを恐れたかな"
],
[
"では、行って見て来い。やはり帰っていないようであったら、近所の者にも訊いてみろ。だが、よく気をつけてこちらの秘密を覚られるなよ",
"承知しました"
],
[
"その娘も心配しているだろうね",
"もちろん心配して、お神籤を引いたり、占いに見て貰ったりしているんですが、どうもはっきりした事は判らないようです"
],
[
"いや、わたしももう帰る。忙がしいところを気の毒だったな",
"いえ、なに……。わたくし共の店も此の頃は閑ですから、毎日ぶらぶら遊んでいます。忙がしいのは暮の内で、正月になると仕事はありません",
"そうだろうな"
],
[
"そこで、御新造は……",
"まだ臥せって居ります"
],
[
"え、ほんとうに出ましたか、白い蝶が……",
"護国寺前……東青柳町に野上佐太夫というお旗本がありますそうで……。わたくしは昨今こちらへ参りましたのでよくは存じませんが、三百石取りのお屋敷だとか承わりました。昨夜の五ツ過ぎに、大塚仲町辺の町家の者が二人連れで、その御門前を通りかかりますと、例の白い蝶に出逢いましたそうで……",
"ふうむ"
],
[
"留じゃあねえか。まあ、あがれ",
"お早ようございます"
],
[
"佐藤孫四郎……。小ッ旗本だろうな",
"と云っても、四百石取りで……。三年ばかり長崎へお役に出ていて、去年の秋に帰って来たんです。お亀のお近はそのあとから付いて来て、その屋敷へはいり込んだと云うことです",
"だれから訊いた"
],
[
"幸之助の実家はどこだ",
"白魚河岸の吉田という御納屋の次男です"
],
[
"帰って来ません。こいつは確かに蝶々に係り合いがあると睨んでいるんですが……。なにしろ忌にこぐらかっているんでね",
"どうで探索物はこぐらかっているに決まっているから、まあ落ちついて考えて見なけりゃあいけねえ"
],
[
"だが、幸之助はともかくも侍だ。火の番の親爺とは身分が違うのだから、姿を隠したままで済む訳のものじゃあねえ。そんな事をすれば家断絶だ。黒沼という家でも飛んだ婿を貰ったものだな。ひょっとすると、白魚河岸の実家に忍んでいるんじゃあねえか",
"わっしもそう思ったので、けさも出がけにそっと覗いて来たんですが、どうもそんな様子も見えないようでしたが……。しかしまあ、よく気を付けましょう",
"しっかり頼むぞ",
"ようがす",
"手が足りなければ、誰か貸してやろうか"
],
[
"途中でこんなことをお尋ね申すのも失礼でございますが、あなたは吉田の旦那と御懇意でございましたね",
"吉田……。白魚河岸か",
"左様でございます。それで少々伺いたいのでございますが、この吉田さんは音羽の佐藤さんという旗本を御存じでございましょうか",
"音羽の佐藤……",
"昨年の秋ごろ、長崎からお帰りになりましたかたで……",
"むむ。佐藤孫四郎どのか。わたしもちょっと識っているが、吉田はよほど懇意にしているらしい。吉田の家内はなんでも佐藤の親類だとか云うことだから……",
"はあ、御親類でございますか。それでは御懇意の筈で……"
],
[
"次男の方だろう。あれは御賄組の黒沼という家へ急養子に行ったそうだから……",
"わたくしもそんなお噂を伺いました。いや、どうもお急ぎのところをお引き留め申しまして相済みませんでした。では、これで御免ください"
],
[
"親分、出かけるんですかえ",
"むむ。今夜はおれが音羽へ出かけて、張り込んでみようと思うのだ"
],
[
"黒沼の家の娘が死んだそうで……",
"家付き娘だな",
"そうです。お勝といって、ことし十八になります。親父が死んで、幸之助を急養子にしたんですが、お勝は病気で寝ているので、祝言も延びのびになっているうちに、幸之助は家出をして帰らない。それがもとで、お勝は自害したそうです"
],
[
"幸之助が家出をする。女房になる筈のお勝という女が自害する。又その隣りの娘が家出をする。それからそれへと悪くごたつくな。それで、その女たちは、なぜ自害したのか、なぜ家出をしたのか。その訳はわからねえのか",
"なにぶん武家の組屋敷のなかで出来た騒動だから、くわしい事はとても判らねえ。これだけのことを探り出すのでも容易じゃあありませんでしたよ"
],
[
"忌な晩ですな",
"忌な空だな。降られるかも知れねえ"
],
[
"黒沼伝兵衛という侍が死んでいたと云うのは、どの辺だ",
"そこの寺の前ですよ"
],
[
"あ、蝶々だ",
"むむ。蝶々だ"
],
[
"親分。どうしましょう",
"仕方がねえ。又どっかで見付かるだろう",
"これからどうします"
],
[
"むむ。てめえか。このあいだからどうもおかしい奴だと思っていたのだ",
"おめえはその女を識っているのか",
"こいつは火の番の藤助のむすめで、お冬というんですよ"
],
[
"自身番へ連れて行きましょうか",
"いや、自身番なんぞへ連れて行くと、人の目に立っていけねえ。ここでおれが調べるから、おめえは提灯を持って往来を見張っていろ"
],
[
"その人がどうかしたのですか",
"そこで転んで怪我をしたらしいんです。済みませんが、燈火を拝借したいので……"
],
[
"実はここの火の番の藤助という者の行くえを探して居りますと、今夜こちらの御門前でその姿を見付けましたので、取り押さえて一旦は縄をかけたのですが、又どこへか逃がしてしまいましたので、それを探しにお墓場の方へまいります途中、なにぶんにも暗いので、足許に倒れている石塔につまずきまして……",
"左様でござりましたか。火の番の藤助はわたくしも識って居りますが、あなた方のお縄にかかりながら又それを抜けて逃げるとは、見掛けによらない大胆者でござるな。して、藤助に何か御詮議の筋があるのでござりますか",
"藤助は先月以来、行くえが知れないのでございます",
"それはわたくしも聴いて居りますが……。では、藤助は何かうしろ暗いことでもあって、すがたを隠しているのでござりますな"
],
[
"今も申す通り、なにぶん暗いので確かなことは判りませんが、もしやと思いまして……",
"では、確かにこの寺内へ逃げ込んだというお見込みが付いたわけでも無いのですな"
],
[
"甚だ勝手でござりますが、実は二、三日前から風邪で引き籠って居りますので、わたくしはこれで御免を蒙ります。どうぞゆるゆると御休息を……",
"御病ちゅう御迷惑をかけて恐れ入ります、御遠慮なくお休みください"
],
[
"親分、あの和尚は怪しゅうござんすね",
"おめえも見たか",
"さっきから寝ころびながら、あいつの顔色をうかがっていたんですが、あの和尚、なにか因縁がありそうですぜ"
],
[
"見付からない",
"教えてあげましょうか",
"おまえは知っているのか",
"知っています"
],
[
"あなたの探している人は……。御近所にかくれています",
"近所とは……。どこだ"
],
[
"黒沼幸之助だけは確かに佐藤の屋敷に忍んでいるな",
"はい"
],
[
"わたしの姉のお北は一緒にいないのか",
"おあねえさんは御一緒じゃありません",
"姉の居どころをおまえは知らないか"
],
[
"これ、正直に教えてくれ。頼む",
"お頼みですか"
],
[
"わたしは音羽の御賄屋敷にいる瓜生長三郎……",
"はあ、瓜生さんの御子息でございましたか"
],
[
"知っています",
"そこで、くどくおたずね申すようですが、今ここでどんなお話をなすったんでしょう。いや、こんなことを申し上げてはたいへん失礼でございますが、これも御用とおぼしめして御勘弁をねがいます。実は先刻あの女を取り押さえて、少々取り調べて居ります処へ、思いもよらない邪魔がはいりまして……"
],
[
"なにを見たかと云うのだ",
"あの蝶々の飛んで行くときに、何か御覧になりませんでしたか",
"いや、別に……"
],
[
"おまえは姉のありかを知っているのか",
"それは存じません。しかし探索の糸を手繰って行けば、自然に判ることだと思います。もし知れましたらば早速におしらせ申します。自分の手柄をするばかりが能じゃあありません。お屋敷の御迷惑にならないようにきっと取り計らいますから、御安心ください。もうおいおいに夜が更けます。今晩はこれでお別れ申しましょう"
],
[
"お痛み所はいかがですな",
"おかげさまで、よほど楽になりました",
"それは結構でござる。まあ、ご大切になさい。昨夜も申し上げた通り、わたしも風邪で引き籠って居りましたが、今朝はよんどころない法用で唯今から外出いたします。吉五郎どのが見えましたらば、宜しくお伝えください"
],
[
"はは、これだ、これだ。実はこの菅糸をおれも見たよ",
"どこで見ました",
"江戸川橋の上で……。ゆうべおめえに別れてから、風の吹くなかを帰って行くと、橋の上で火の番の娘を見つけたんだ",
"お冬があんな所をうろついていましたか",
"一旦ここを逃げてから、どこをどう迂路ついていたのか知らねえが、橋の上で若い侍と話していて、おれの足音を聞きつけると直ぐにまた逃げてしまった",
"その侍は何者です",
"その侍は御賄組の瓜生長三郎……。このごろ家出をしたお北という娘の弟だ。いや、それはまあ後のことにして、おれがその侍と話しているうちに、一つの白い蝶々がひらひらと舞いあがった"
],
[
"その蝶々はどうしました",
"つかまえようと思ううちに、風の吹きまわしで川のなかへ落ちてしまったが、蝶々も生き物じゃあねえ、薄い紙か絹のような物で上手に拵えたんだろうと思う。暗いなかで光るのは、羽に何かの薬が塗ってあるんだな。早く云えばお化けのような物だ"
],
[
"お冬という奴だろう",
"なぜそんな事をするんでしょう。唯の悪戯でもあるめえが……"
],
[
"そうのようにも思われる。そうでねえようにも思われる。おれもそれを考えているんだが……",
"でも、その菅糸が落ちていたんですよ"
],
[
"もし、面白いことがありそうですよ",
"むむ、どんなことだ"
],
[
"実は昨晩、高田の四家町まで参りまして、その帰り途に目白坂の下まで参りますと、寺の生垣の前に男と女が立ち話をして居りましたが、わたくしの提灯の火を見ると、二人ともに慌てて寺のなかへ隠れてしまいました。夜目遠目で確かなことは申されませんが、男は火の番の藤助で、女はむすめのお冬のように思われたのでございます。お冬はともあれ、このあいだから行くえ知れずになっている藤助がこの辺にうろ付いていて、往来なかで娘と立ち話をしているのは何だか変だと思いましたが、その時はそれぎりにして帰ってまいりました。そこで、念のために今朝ほどお冬の家へ行ってみますと、お冬は留守でございました。もちろん、藤助のすがたも見えず、家はがら明きになって居りました",
"それは宵のことかえ",
"左様でございます。まだ五ツ(午後八時)にはならない頃でございました"
],
[
"夜なかに犬の吠えるのは珍らしくもございませんが、あんまり烈しく啼きますので、わたくしも何だか気味が悪くなりまして、そっと起きて店へ出まして、雨戸の節穴から覗いてみますと、表は真っ暗でなんにも見えませんでしたが、犬の吠えているのは隣りの店のまえで、その犬の声にまじって人の声が聞こえるのでございます。低い声ですからよく判りませんが、ふたりで話しているらしいので……",
"男の声かえ、女の声かえ",
"どっちも男の声のようで……",
"その男が何を話していたえ",
"それがはっきりと判りませんでしたが……。ひとりがなぜ寺へ埋めないのだと云っていたようでございました",
"その声に聞き覚えはなかったかね",
"何分はっきりとは聞き取れませんので……",
"それから其の二人はどうしたね",
"やがて何処へか行ってしまったようで、犬の声もだんだんに遠くなりました",
"どっちの方へ遠くなったえ",
"橋の方へ……",
"もうほかに話してくれることは無いかね",
"へえ",
"いや、大きに御苦労。この後も何か気のついたことがあったら教えてくんねえ",
"かしこまりました"
],
[
"へえ、そんなことがあったんですか。夜なかに寺の庭さきで男と女がむしり合いをして……。じゃあ、その女が息を止められたんでしょうね",
"まあ、そうだろうな",
"女は誰でしょう。お冬でしょうか",
"さあ、それが判らねえ。この一件にはお冬と、御賄屋敷を家出したお北という女と、佐藤の屋敷に隠れているお近という女と、都合三人の女が引っからんでいるらしいので、どれだかはっきりとは判らねえが、まずこの三人のうちだろう。みんな殺されそうな女だからな",
"それにしても、まあ誰でしょう"
],
[
"なるほど、そういう理窟になりますね。それで、これからどうしましょう",
"佐藤の屋敷へ踏み込むか、祐道という坊主を締め上げるか、それが一番早手廻しだが、なにぶん一方は旗本屋敷、一方は寺社の係りだから、おれ達が迂闊に手を入れるわけにも行かねえので困る。まあ、気長に手繰って行くよりほかはあるめえ、第一に突き留めなけりゃあならねえのは、その死骸の始末だが、寺で殺して置きながら墓場へ埋めてしまわねえのは、後日の証拠になるのを恐れたのだろう。川へ流したか、それとも人の知らねえような所へ埋めてしまったか。源蔵の話じゃあ、二人の男が橋の方へ行ったらしいと云うから、ひょっとすると何かの重しでも付けて、江戸川の深いところへ沈めたかも知れねえ。日が経って浮き上がったにしても、死骸がもう腐ってしまえば人相は判らねえからな",
"そうですね。殺した奴は誰でしょう"
],
[
"今はお近といっているそうだが、以前はお亀といって、深川の羽織をしていたんだ",
"むむ。芸者あがりかえ"
],
[
"隠居を殺して逃げたのか。凄い女だな",
"いくら隠居でも、妾に殺されたと云うことが世間にきこえちゃあ、屋敷の外聞にもかかわるから、表向きは急病頓死と披露して、それはまあ無事に済んだのだが、当主の身になると現在の親を殺されてそのままにゃあ済まされねえ。そこで、八丁堀の旦那のところへ内々で頼んで来て、お亀のゆくえを穿索して貰いたいと云うのだ。おれ達も旦那方の内意をうけて当分はいろいろに手を廻してみたが、お亀のありかは判らねえ。なかなか悧巧な女らしいから、素早く草鞋は穿いてしまって、もう江戸の飯を食っちゃあいねえらしい",
"なんで隠居を殺したんだろう",
"隠居には随分可愛がられて、いう目が出ている身の上だから、三十両ぐらいの金が欲しさに、主殺しをする筈のねえのは判り切っている。三十両は行きがけの駄賃に持って行っただけのことで、ほかに仔細があるに相違ねえ。下屋敷は小人数だから、どうもよく判らねえのだが、女中たちの話によると、なんでも五、六日前に隠居と妾とが喧嘩をした事があるそうだ。その時は隠居もかなり激しく怒った様子で、お亀も蒼い顔をしていたというから、その喧嘩がもとでこんな事になったらしいが、どんな喧嘩をしたのか誰も知らねえから見当が付かねえ。なにしろちっとも手がかりがねえので、おれ達ももう諦めてしまった頃へ、この頃になってふと聞き込んだのは、お亀によく肖た女を音羽辺で見かけた者があると云うのだ。そこで、留に云いつけて、この音羽から雑司ヶ谷の辺を探索させると、あいつもさすがに馬鹿じゃあねえ、それからそれへと手をのばして、とうとう其の佐藤の屋敷に忍んでいることを突き留めたのだが、さっきも云う通り、旗本屋敷に巣を食っているので、迂闊に手入れをすることが出来ねえ。しかし斯うなりゃあ生洲の魚だ。遅かれ早かれ、こっちの物よ"
],
[
"若い女だそうです。何でも十八、九の……",
"十八、九か",
"なにしろ直ぐに行って来ましょう",
"むむ。おれも後から行く"
],
[
"十八、九というじゃあねえか",
"ええ。なんでもここらの人らしいという噂で……",
"ここらの人だ……。お武家かえ、町の人かえ",
"お武家さんらしいとか申しますが……",
"そうかえ。わたしたちは少し急用が出来たから、酒も飯もいらねえ。直ぐに勘定をしてくんねえ",
"はい、はい"
],
[
"御賄屋敷の娘さんと云うじゃありませんか",
"瓜生さんのお嬢さんだそうですよ",
"なんでも二、三日前から家出をしていたんだと云うことですがね",
"身投げでしょうか、殺されたんでしょうか"
],
[
"家から云い付けられて来たんだろうが、さすがはお武家の女たちだな",
"ちっとも取り乱した様子を見せないぜ"
],
[
"留が少し怪我をしたので、おれが代りに来たんだ。野暮を云わねえで、そこまで一緒に来てくんねえ",
"むむ、そうか"
],
[
"川へ揚がった死骸は、御賄屋敷の瓜生さんの娘だろうね",
"むむ",
"どうして死んだんだね",
"おらあ知らねえ"
],
[
"そうじゃあねえ",
"それじゃあ、お近さんの識っている寺かえ",
"おらあ知らねえ"
],
[
"なぜだ",
"白魚河岸の吉田幸之助というのは、おめえの主人とは縁つづきで、ふだんから出入りをしているうちに、お近さんと仲好くなった。それが又、不思議な廻り合わせで、近所の御賄屋敷へ養子に来るようになった。女房になる筈のお勝という娘は病気で、直ぐには婚礼も出来ねえそのうちに、隣りの娘と出来合ってしまった。それがお近さんに知れたので、やきもち喧嘩で大騒ぎだ。まあ、それまではいいとしても、それが為に幸之助は身を隠す、お勝という娘は自害する、お北という娘は身を投げる、お近さんは殺される。これほどの騒動が出来しちゃあ、唯済むわけのものじゃあねえ。積もってみても知れたことだ。お気の毒だが、おめえの主人も係り合いで、なにかの迷惑は逃がれめえと思う。そんな屋敷に長居をすりゃあ、おめえ達もどんな巻き添えを喰わねえとも限らねえ。まあそうじゃあねえか"
],
[
"おれは別に覚悟するほどの悪いことをしやあしねえ",
"これだけ云っても、おめえに判らなけりゃあ、もういいや。そんな野暮な話は止めにして、まあゆっくりと飲むとしようぜ"
],
[
"きっと知らねえか。知らなけりゃあ訊かねえまでのことだ。おれも黙っているから、おめえも黙っていろ",
"もう黙っちゃあいられねえ",
"それじゃあ云うか"
],
[
"嘘をつくなよ",
"嘘はつかねえ。みんな云うよ",
"まあ、待て"
],
[
"おれがべらべらしゃべってしまった後で、おめえは俺をどうするんだ",
"どうもしねえ、助けてやるよ",
"助けてくれるか"
],
[
"どこへ行かれる。御墓参かな",
"いえ。綾瀬村まで……親類かたへ参ります"
],
[
"無駄らしいな",
"では、あなたは姉の居どころを御存じなのですか"
],
[
"若旦那。又ここでお目にかかりました",
"どうしてこんな所に来ている",
"もう自分の家へも帰れませんから、ゆうべから方々をうろ付いていました",
"お前はゆうべ、わたしを姉さんのところへ連れて行ってやると云ったが、本当か"
],
[
"連れて行くと云ったのは嘘ですけれど……。お姉さんの居る所は知っています",
"知っているなら教えてくれ"
],
[
"もし自分のからだが危くなったら向島へ行けと、お父さんに云い聞かされているので……",
"向島の……なんという所へ行くのだ",
"五兵衛という植木屋の家です",
"そこに姉さんも幸之助もいるのか"
],
[
"そうして、その五兵衛の家は知れたのか",
"ここらへは滅多に来たことが無いので、路に迷って四つ木の方へ行ってしまって、お午頃にここまで引っ返して来ましたが、くたびれたのと眠いのとで、さっきから此の小屋へはいって寝ていました"
],
[
"今ここの家へ武家がはいったろうな",
"いいえ",
"このあいだから若い男と女が来ているだろうな",
"いいえ",
"誰も来ていないか"
],
[
"姉はいない",
"きっと居ませんか",
"居ない。帰れ、帰れ",
"帰りません。姉を渡して下さい",
"姉はいないと云うのに……。強情な奴だな"
],
[
"さては今井氏、貴公がこの長三郎を案内して来たのだな",
"いや、違う、長三郎は勝手に来たのだ",
"いや、そうでない。貴公らが申し合わせて、この幸之助を罠に掛けようとするのだ。その手は喰わないぞ"
]
] | 底本:「時代推理小説 半七捕物帳(六)」光文社文庫、光文社
1986(昭和61)年12月20日初版1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:おのしげひこ
2000年2月10日公開
2004年3月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "000964",
"作品名": "半七捕物帳",
"作品名読み": "はんしちとりものちょう",
"ソート用読み": "はんしちとりものちよう",
"副題": "69 白蝶怪",
"副題読み": "69 はくちょうかい",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2000-02-10T00:00:00",
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[
"やあ、こいつ無礼な奴。何で我等の前に茶をぶちまけた",
"こう見たところが疎匆でない。おのれ等、喧嘩を売ろうとするか"
],
[
"売ろうが売るめえがこっちの勝手だ。買いたくなけりゃあ買わねえまでだ",
"一文奴の出しゃばる幕じゃあねえ。引っ込んでいろ。こっちはてめえ達を相手にするんじゃあねえ",
"然らば身どもを相手と申すか"
],
[
"やい、やい、こいつ等。素町人の分際で、歴々の御旗本衆に楯突こうとは身のほど知らぬ蚊とんぼめ。それほど喧嘩が売りたくば、殿様におねだり申すまでもなく、いい値で俺たちが買ってやるわ",
"幸い今日は主親の命日というでもなし、殺生をするには誂え向きじゃ。下町からのたくって来た上り鰻を山の手奴が引っ掴んで、片っ端から溜池の泥に埋めてやるからそう思え"
],
[
"おお、小石川の伯母上、どうしてここへ……",
"赤坂の菩提所へ仏参の帰り途によい所へ来合せました。天下の御旗本ともあるべき者が町人どもを相手にして達引とか達入とか、毎日々々の喧嘩沙汰はまこと見上げた心掛けじゃ。普段からあれほどいうて聞かしている伯母の意見も、そなたという暴れ馬の耳には念仏そうな、主が主なら家来までが見習うて、権次、権六、そち達も悪あがきが過ぎましょうぞ"
],
[
"殿様も御繁昌でござります。きょうも青山の御縁者へまいられまして、唯今お戻りなされました。そのお召替えをいたしているところへ、丁度お前が見えたので、逢いに来るのが遅くなりました",
"きょうは喧嘩もなされなんだか",
"奴殿の話では、きょうも山王下で町奴と何かの競り合があったとやらで、殿様お羽織の袖が少し切裂かれておりました"
],
[
"世間では何というているか知りませぬが、殿様はお心の直なお方、おなさけ深いお方、御家来衆や召仕にも眼をかけてお使いくださる。こんな結構な御主人は又とあるまい。わたしは、この御屋敷に長年させて頂きたいと思うていますれば、御不自由でもお前ひとりで当分辛抱していて下さりませ",
"不自由には馴れているので、それは何とも思わぬが、わたしよりもお前の身の上が案じらるる。喧嘩好きの衆がしげしげ出這入りする御屋敷なら、内でもなん時どんな騒動が起らぬとも限るまい。そこらにうろうろと立廻って、そのそば杖を受けようかと……"
],
[
"よいか。お菊もよく見て置いて、後刻、殿様にお礼をいえ",
"ありがとうござります"
],
[
"あの、小石川の伯母様かえ",
"それじゃ、それじゃ。あの伯母御は渡辺の屋敷へ腕を取返しに来た鬼の伯母よりも怖ろしい。面を見せたらきっと叱らるる。ましておとといの今日じゃ。お叱言の種は沢山ある。所詮お帰りまでは面出し無用じゃ"
],
[
"のう、播磨。この頃の不行跡、一々にやかましゅうはいうまい。きっと改むるに相違ないか",
"は"
],
[
"折角でござりますが、飯田町の大久保殿は大身、所詮われわれ共の屋敷へは……",
"いや、その遠慮は要らぬことじゃ。大久保殿はあの通りの御仁、家柄の高下などを念に置かるる筈はない。殊にお身のこともよく知っておらるる。この伯母が頼みますとひと言いうたらきっと合点、それはわたしが受合います。どうじゃな"
],
[
"お言葉はよく判りましたが、余の儀とも違いまして、これは一生に一度のこと。喧嘩の相手ならば誰彼れを択びませぬが、縁談とあっては私も相当の分別をせねばなりませぬ",
"それも道理じゃ。今すぐにともいわれまい。よく分別した上で、あらためて返事を聞かしてくりゃれ。よいか",
"は"
],
[
"侍の女房……この菊が侍の女房になれましょうか",
"いうまでもない。青山播磨も侍の端くれではないか。その妻ならば……",
"でも、小石川の伯母様が……"
],
[
"おれには判らぬ。いつものお叱言か、それとも奥方でも呼ばれる御相談か。大方そんなことであろうよ",
"奥様をお呼びなされましょうか",
"殿様ももう二十五、そんなことがないともいわれぬ",
"殿様がじかにそう仰せられましたか",
"いや、何にも聞かぬ"
],
[
"貴公の家には稀代の高麗皿があるとか承る。あすの夜には是非一度拝見いたしたい",
"承知いたした"
],
[
"何、大切の皿を損じた……",
"腰元の菊めがあやまちで、真っ二つに打割りました",
"菊を呼べ"
],
[
"いや、いや、心配いたすな。たとい先祖伝来とは申せ、武具馬具のたぐいとは違うて、所詮は皿小鉢じゃ。わしはさのみに惜しいとは思わぬ。しかし、昔かたぎの親類縁者どもに聞かせると面倒だ。表向きはやはり十枚揃うてあることに致して置け。よいか",
"重ね重ねありがたい御意、委細承知仕りました。菊、あらためてお礼申せ"
],
[
"はて、くどくど申すな。一度詫びたらそれでよい。まことをいえば家重代の宝、家来があやまって砕く時は、手討にもするが家の掟だが、余人は知らず、そちを手討になると思うか。砕けた皿は人の目に立たぬように、その井戸の底へ沈めてしまえ",
"はい"
],
[
"実はさっき水野殿に行き逢うたら、腰元の菊はまだ無事に勤めているかと訊ねられたぞ",
"左様でござりましたか"
],
[
"これ、菊。そちは何と心得て、わざと大切の皿を割った。家の掟で、その皿を割れば手討になる。それを知りつつ自分の手でわざと打割ったには仔細があろう。つつまずいえ",
"この上は何をお隠し申しましょう。由ないわたくしの疑いから……",
"疑い……とは何の疑いだ",
"殿様のお心を疑いまして……"
],
[
"この間もお耳に入れました通り、小石川の伯母御様の御なこうどで、飯田町の御屋敷から奥様がお輿入れになりそうな。明けても暮れてもそればっかりが胸につかえて……。恐れながら殿様のお心を試そうとて……",
"うむ。さてはこの播磨がそちを唯いっ時の花と眺めておるか。但しはいつまでも見捨てぬ心か。その本心を探ろうために、わざと家の宝を打割って、宝が大事か、そちが大事か、播磨が性根をたしかに見届けようと致したか。菊、しかと左様か",
"はい"
],
[
"播磨が皿を惜しむのでないことは、これでおのれ等にも合点がまいったであろう。菊を成敗するのはほかに仔細があって、おのれ等の知らぬことだ。しかし菊には覚悟のある筈。未練なしに庭へ出い",
"はい"
],
[
"わしがその皿を見たいといった為に、女子一人を殺したか",
"殺しても仔細ござらぬ。罪のある者が殺さるるは人間の掟でござるよ"
],
[
"何、命が惜しいとは……",
"惜しければこそ日本堤から逃げたのではあるまいか。いや、そこを逃げただけならば、まだしも言訳は立つ。万一その場で斬り死して、兜きる首を町人どもに踏みにじらるるも無念と……。のう、お身が一緒に逃げたのもそうであろう。が、さてその後じゃ。町人どもに追いまくられ、朋輩を傷つけられ、家来を殺され、哀れ散々の不覚を取りながらのめのめと生きている水野殿の心が判らぬ。屋敷へ戻ってすぐに切腹……。それがまことの武士ではないか。それを今まで生きていて、揚句の果に上から切腹を申渡され、忌が応でも命を取らるる。ほんに浅ましい身の果じゃ"
]
] | 底本:「怪奇・伝奇時代小説選集13 四谷怪談 他8編」春陽文庫、春陽堂書店
2000(平成12)年10月20日第1刷発行
底本の親本:「綺堂読物選集11」東京ライフ社
1957(昭和32)年
入力:Hiroshi_O
校正:門田裕志
2012年5月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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[
[
"例の……。",
"𤢖ですよ。",
"むむ、山𤢖か。ははははは。ここらでは未そんなことを云ってるのか。"
],
[
"確に出ますよ。幾らも見た者があるんだから争われねえ。",
"そこで、昨夜も彌作の許で鶏を盗られたんだね。",
"何でも夜半のことだと聞きましたが、裏の鶏舎で羽搏の音が烈しく聞えたので、彌作が窃と出て見ると、暗い中に例の𤢖が立っている。彌作も魂消て息を殺していると、𤢖は鶏舎の中から一羽を握み出して、ぎゅうと頸を捻って、引抱えて何処へか行って了ったと云いますよ。"
],
[
"奴なんぞと云うじゃアねえ。何処に立聞をしていて、何んな祟をするか知れねえ。幾らお前様が理屈を云ったって、𤢖に逢ったが最後、何んな人間だって敵うものじゃねえから……。",
"じゃア、奴というのは先ず取消にして、兎にかく其の𤢖とかいう者に一度逢って見たいもんだね。",
"馬鹿云わっしゃい。"
],
[
"時に忠一さんから何か消息があったか。",
"何でも来月初旬には帰郷するということでしたが……。"
],
[
"でも、一月や二月を争うこともありますまい。",
"むむ。阿母さんはまア何うでも可いとしても、冬子さんが嘸ぞ待っているだろう。"
],
[
"阿父さん。あなたに伺ったら判るでしょうが、昨夜彌作の家で鶏を奪られたそうですね。",
"むむ。七兵衛がそんなことを云ったよ。",
"私も七兵衛から聞いたんですが、山𤢖が奪ったとか云うことです。一体、𤢖なんて云うものが実際居るんですかね。",
"さあ、居るとも云い、居ないとも云うが、俺にも確然とは判らないね。",
"けれども、彌作は確に視たと云いますが……。どうも不思議ですよ。"
],
[
"そうです。恐く猿か何かでしょうな。",
"猿でも猩々でも、そんなものには構わずに置くが可い。先年駐在所の巡査が𤢖を追って山の奥へ入ったら、其留守に駐在所から火事が始って、到頭全焼になって了ったことが有る。加之も駐在所が一軒焼で、近所には何の事も無かった。其の巡査も後に病気になったそうだよ。"
],
[
"あなたも𤢖が怖いんですか。",
"怖いとも思わないが、好んで其んなものに関係う必要も無いじゃアないか。"
],
[
"祖父さんは𤢖を見たそうですね。",
"誰から聞いた。",
"死んだ阿母さんから聞いたことがあります。"
],
[
"え、祖父さんは𤢖に……。何うして殺されたんです。",
"そんな話は止そうよ。"
],
[
"顔は判らなかったが、暫時は此方を睨んで居たらしかった。が、何分にも此方は長い刃物を振翳していたので、対手も流石に気怯れがしたと見えて、抱えていた赤児を其処へ投り出して、直驀地に逃げて了った。",
"何地の方へ……。"
],
[
"其の小児は何うしました。",
"まあ、漸々に話す。其の小児の事よりも、先ず祖父さんの方を話さなければならない。祖父さんは強い人であったから、別に何とも意にも介めずにいた処が、対手の方では執念深く怨んでいて、三日の後に残酷な復讐を為たよ。"
],
[
"警察でも構わないんですか。",
"昔は女や小児を攫ったと云うことだが、今は滅多にそんな噂を聞かない。で、人でも殺せば格別だが、小泥坊をする位のことでは、警察でもまあ大目に見逃して置くらしい。先刻も云った通り、巡査が一度追掛けたことも有ったが、到頭捉らなかった。何しろ、猿と同じように樹にも登る、山坂を平気で駈る、到底人間の足では追い付かないよ。併し近所に銀山も拓けて、漸々ここらも賑かになるから、𤢖も山奥へ隠れて了って、余り出なくなるかも知れない。",
"そうですねえ。ここらも昔に比べると余ほど開けて来ましたから……。"
],
[
"好い天気だな。何うだ。運動ながら吉岡の家へ一所に行かないか。吉岡の阿母さんに逢って、お前の婚礼を延すことを一応断って置こうと思うから……。",
"はあ、お伴しましょう。"
],
[
"いえ、知ってると云う程でも無いんですが、この夏、吉岡の忠一君が帰省した時に、一所にあの家へ飲みに行ったことが有るんです。何、唯った一度ですよ。",
"そうか。併し狭い土地だから、お前が角川の息子だと云うことは、先方でも知ってるだろう。あんな許へ余り出入するなよ。世間の口が煩さい。"
],
[
"たしかお葉と云いました。",
"お葉か。忠一が今度帰ったら冷評て与ろうよ。",
"詰らない。お止しなさいよ。あれでも表面は真面目なんですから……。",
"それだから戯って与るんだ。"
],
[
"この犬は良い犬ですね。",
"無闇に吠えて困るんです。",
"でも、温良いわ。妾、此犬が大好よ。"
],
[
"じゃア、おばさん、私が何か不都合な事でも為ていると被仰るんですか。",
"別に不都合ということは無いのですけれど、他の噂を聞くと、市郎さんは此頃柳屋とか云う家にお馴染が出来たそうで……。皆なが然う云っていますよ。"
],
[
"今朝お前に話した通り、祖父さんが五十年ほど昔に、山𤢖に攫われた小児を助けたことが有る。",
"けれども、それは男の児でしょう。",
"まあ、黙って聞くが可い。それには又種々の可怪な話が絡んでいるのだ。"
],
[
"重太郎。お前に少し話して置きたい事があるのだ。",
"阿母さん、何だ。",
"妾は既う十日の中に死ぬかも知れない。死んだら必然仇を取ってお呉れよ。",
"可いとも……。どんな奴でも、俺ア必然仇を取って与る。唯は置くものか。"
],
[
"阿母さん、あれは何だい。",
"何でも可い。いざと云う時に持ち出して他に売れば、お前は金持になれるのだ。"
],
[
"何だえ。",
"お前は十日の中に死ぬと云ったね。俺ア先刻も約束した通り、必然其仇を取る。其代りお前にも頼んで置くことが有るんだ。お前が居なくっても、俺が困らない様に……。",
"だから、宝の在所を教えて置いたじゃアないか。あれさえ有れば些とも困ることは無いよ。"
],
[
"それだから気を注けなければ不可い。世間では針ほどの事を棒のように吹聴するのだから……。併し真実にお前は彼のお葉とか云う女に関係はあるまいな。",
"大丈夫です。決して無いです。"
],
[
"市郎、衣類が汚れるぞ。",
"けれども、ここへ残して置くのは何だか不安心ですから……。"
],
[
"ほんとうに鉱山の人は忌ね。お酒を飲むと、無闇に悪巫山戯をして……。それでも鉱山が出来たお庇で、ここらも漸々に賑かになったんだと云うから、仕方がないけれど……。",
"芋掘も忌だが、鉱掘も忌だねえ。どうせ楽は能きないのさ。こんな商売になっちゃア仕様がないよ。好なお酒でも飲んで紛らしているのさ。",
"お前さん此頃は何だか欝いでばかり居るね。平生から陽気な人でも、矢張り苦労があると見えるんだね。"
],
[
"察してお呉れな。角川の若旦那を……。お前も知ってるじゃアないか。",
"何故、あれ限り来ないんだろう。",
"究竟妾達が意に適らないからさ。けれども、妾ア必然呼んで見せる。昨日も丁度ここで逢ったから、腕を掴んで引摺上げて与ろうと思ったんだけれど、生憎阿父さんが一所だったから、まあ堪忍して置いて与ったのさ。嫌うなら嫌うが可い、妾ア必然祟って与るから……。"
],
[
"痛いよ。だッて、お前さん。角川の若旦那には判然とお嫁さんが決ってると云うじゃアないか。",
"決っていても可いよ。そんな悪魔は妾が追ッ攘って了うから……。"
],
[
"でも、若旦那の方が強かったので、𤢖は逃げて了ったとさ。",
"ほんとうかい。担ぐと肯かないよ。",
"何でも犬は殺されたとさ。",
"あ、あの犬が……。可哀想にねえ。お前、ほんとうかい。",
"この人は疑り深いね。ここらじゃア今朝から大評判だわ。それを知らない様じゃア、お前さんは馬鹿だよ、素人だよ。",
"他真似をお為でないよ。馬鹿……。",
"馬鹿……。"
],
[
"あの、若旦那は昨夜𤢖にお逢いなすったッて、真実ですか。",
"はあ、酷い目に逢いましたよ。",
"怪我でも為すって……。",
"何、若旦那は何うも為ねえが、大事の洋犬を殺られたので、力を落していなさる様だよ。"
],
[
"大きにお世話よ。後生だから若旦那をここまで呼んで来て頂戴。",
"そんなこと云わねえで、帰らッせえと云うのに……。",
"どうしても呼んで呉れないの。",
"不可ねえと云ったら……。"
],
[
"どこへ行くのだ。",
"若旦那に逢わして下さいよ。",
"馬鹿云うものでねえ。"
],
[
"老爺さん、まあ其んな乱暴なことを為ないで……。一体、どうしたの。",
"何、この淫売婦が家の若旦那を呼び出しに来たから、追っ攘って了う所で……。"
],
[
"這奴等ア毎日毎晩、酒ばかり食っているのが商売だからね。お前様も用心しなせえ。こんな阿魔が蛇のように若旦那を狙っているんだから……。",
"何しろ、何うか為なくっちゃア不可まい。兎も角も起して与って……。",
"さあ、さあ、寝た振なんぞ為ねえで、起きろ、起きろ、横着な阿魔だ。"
],
[
"可、可。それだから最う堪忍して与って呉れ。頼むから……。",
"必然ですね。",
"むむ、必然だ。間違はない。"
],
[
"いや、不可い、不可い。それは嘘だ。",
"え。嘘だ……。"
],
[
"ええ、貴様の知ったことじゃアない。余計な口を出すな。彼方へ行け。",
"はは、妾はお前に云っているのじゃアない。このお葉さんに教えて与っているのだ。お前さん、意をお注けよ。幾ら何うしたって、この男と娘とは離れるんじゃアないからね。"
],
[
"喧しい、煩さい。もう彼方へ行け。",
"ははははは。"
],
[
"可ござんす。じゃア、先刻の約束は忘れませんね。",
"忘れない、必然忘れない。"
],
[
"お前さん、少し話があるから一所に来てお呉れでないか。",
"あい、行きますよ。"
],
[
"お前さん、どこへ行くんだよ。",
"可いよ、うるさい人だねえ。"
],
[
"知りません、一向知りません。",
"知らない筈は無いでしょう。"
],
[
"ああ、判った。あなたは僕を疑っているんですね。それは冤罪です、全く冤罪です。昨日も云う通り、僕は唯った一度彼家へ行った限りで、あの女と何等の関係も無いんです。先方では何う思っているか知らんが、此方は清浄潔白です。",
"それならば何故あんな乱暴を為たのだろう。可怪いな。"
],
[
"そんなことをすると、お葉さんに嫌われるよ。ねえ、お前さん。ここまで一所に来る位だから、肯いて呉れるのだろうね。",
"妾はそんな意で来たんじゃありません。",
"それじゃア何しに来た。",
"お前さんが呼んだから……。",
"呼ばれて来るからには、承知だろう。"
],
[
"判らない人だねえ。何でも可いから妾の云うことを肯いて、素直にここの人にお成りよ。お前が惚れている市郎も、今にここへ連れて来て上げるから……。可いだろう。",
"若旦那がここへ……。",
"ああ、妾が必然連れて来て見せるから、温順くして待ってお在。え、それでも忌かえ。ねえ、お葉さん、確乎返事をお為よ。"
],
[
"可いかえ。はいと返事をお為。",
"はい。",
"重太郎のお嫁になるかい。",
"はい。"
],
[
"もう日が暮れるのに間もあるまい。今夜はお前達に大事の仕事があるんだよ。",
"阿母さん、何だ。",
"角川の市郎はお前の仇だ。彼奴が無事に生きて居ては、お葉は何日までも未練が残って、長くお前に附いて居まいよ。"
],
[
"それから彼奴は妾にも仇だ。先刻妾を突き倒して、半殺しの目に逢わした奴だ。お前達は其の復讐をしてお呉れ。頼んだよ。",
"可、大丈夫だ。"
],
[
"大旦那様は戻ったかね。",
"まだ帰らない。お前は親父と一所じゃアないのか。",
"一所だったが……途中で失れて……一体どうしただろう。"
],
[
"顔の皮を剥いだのは、犯跡を晦ます為でしょうか。",
"そんなことかも知れませんな。"
],
[
"違います。違います。成程、これは親父じゃアありません。",
"そうでしょう。"
],
[
"や、小旦那……。朝飯も食わねえで何処へ……。駐在所かね。",
"いや、虎ヶ窟へ……。私は一足先へ行くから、皆なが起きたら直に後から来るように然う云って呉れ。",
"虎ヶ窟へ……。"
],
[
"村の者の話に拠ると、親父は山の方へ登ったとも云うんだ。若し然うならば、万一此地の方へでも迷い込んで来やアしないかと思って……。",
"いいえ、お見掛申しませんね。"
],
[
"判りました。あなたは妾を疑っているんでしょう。妾はこんな姿をして、乞食同様の生活をしていますが、人を攫ったり、殺したりした記憶はありません。山𤢖とは違いますからね。",
"それは僕も知っているが、まあ念晴しだ。検めても可いだろう。"
],
[
"可いだろう、鳥渡検めても……。",
"何うとも勝手にお為なさい。だが、倅の帰らない中に早く願いますよ。",
"倅は何処へ行った。",
"そこらへ木実を拾いに行きました。",
"そうか。"
],
[
"何か松明か蝋燭のようなものは無いかね。暗くって仕様がない。",
"松明もあります、蝋燭もあります。",
"何方でも可いから貸して呉れないか。"
],
[
"あなた、どうぞお早く願いますよ。ここへ倅が帰って来ると不可ませんから……。彼児は正直者ですから、他から嫌疑を受けて家捜しをされたなどと聞くと、必然憤るに相違ありませんから……。",
"可、可。判った。"
],
[
"この先にも路があるかね。",
"ありますから、まあ入って御覧なさい。石の下から潜って行くんですよ。"
],
[
"どうも僕が悪かったよ。",
"じゃア、もう可いんですか。",
"むむ。ここまで詮議すれば心残りは無い。もう帰ろうよ。"
],
[
"お前さんは此穴に棲んでいるのか。",
"そうじゃアありませんが、大抵勝手は心得ていますよ。",
"底までは未だ余ほど遠いかね。",
"何、もう直です。御覧なせえまし、唯た三四間の所でさあ。"
],
[
"さあ、僕も知らない。僕は唯この窟を探険に来たのだ。",
"じゃア、書生さんだね。",
"まあ、然うさ。"
],
[
"じゃア、行って来ましょう。旦那のお宅は何方です。",
"この山を降りて樅の林を抜けると、町は直に見える。僕の家は角川と云うんだから、町で訊けば直に判る。"
],
[
"あなたは角川の若旦那ですかい。",
"むむ。僕は角川の倅だ。"
],
[
"いいえ、お目にかかったことは有りませんが……。何しろ、それじゃア直に行って来ましょうよ。",
"何分頼むよ。",
"よろしい。待ってお在なせえまし。"
],
[
"旦那、この綱は大丈夫ですかい。",
"むむ、上の岩に緊乎結び付けてある。"
],
[
"阿母さん、寝ていたのか。",
"例の通り、眼を瞑って神様に祈っていたのさ。",
"そんなら判りそうなものだ。お葉は居ない、お葉は逃げた。"
],
[
"何日連れて来て呉れる。",
"明日でも、明後日でも……。"
],
[
"否だ、否だ。今夜中に連れて来て呉れ。",
"でも、今夜は不可い。妾は他に用が有る。明日までお待ちよ。"
],
[
"だって、昨夕約束したじゃアないか。",
"知らないよ。昨夕は昨夕、今日は今日さ。昨夕は雨が降っても、今日はお天気になるじゃアないか。",
"じゃア、俺の女房にはならないのか。",
"知れたことさ。"
],
[
"じゃア、嫁になって呉れるかい。",
"それが不可いから謝るんだよ。妾は何うしてもお前さんのお嫁にゃアなれないんだから……。"
],
[
"お葉さん。どうしても帰るのか。",
"今も云ったような訳だから……。"
],
[
"お前は誰だ。",
"誰でも可いよ。煩せえ。"
],
[
"惜いことを為たな。今お医師が来て、角川の小旦那は蘇生ったぞ。",
"蘇生ったか。",
"大丈夫だとお医師が受合った。何しろ、早く上って来い。",
"おお。"
],
[
"一体、これは何者だろう。",
"これも𤢖に殺されたのか知ら。"
],
[
"はあ、お庇様で大分快い方で……。何、大丈夫だとお医者も云って居ますが……。何しろ、一時は胆を潰しましたよ。",
"そうだろう。まあ、早く行って逢おうよ。𤢖に殺され損なうなんて、馬鹿な話だ。言語同断だよ。"
],
[
"まあ、無理をしずに寝て居たまえ。阿父さんは何うも飛んだ事だったね。そこで、君の痛所は何うだ。もう快いのか。",
"いや、まだ悉皆快いという訳には行かないよ。何でも三週間ぐらいは懸るだろうと思うが……。併しまあ、生命に別条の無いのが幸福さ。"
],
[
"人間だよ、確に人間だよ。ねえ、市郎君、この夏も君と𤢖に就て種々と研究した事があったじゃないか。",
"むむ。僕も委しく研究したいと思って、参考の為に親父にも種々訊いている中に、今度の騒動さ。親父はあんな気象にも似合わず、因襲的に𤢖を恐れていたらしかったが、到頭こんな事になって了った。そこで、君はいよいよ𤢖を人間と見極めたのか。",
"𤢖や山男のたぐいは皆人間だよ。僕も従来は之に就て多くの注意を払っていなかったが、此夏君と話し合ってから、俄に𤢖研究を思い立って、東京へ帰ると直に人類学の書物を種々猟って見た。諸先輩の説も聴いた。何分研究の日が猶浅いのだから、僕も余り詳細の説明は能ないが、兎にかく我々と同一の人類であると云うことだけは明白に云えるよ。尠くも僕は然う信じているよ。"
],
[
"実際、勤勉だよ。殊に今度の事件に関しては、殆ど寝食を忘れて奔走しているんだ。今日来たのも、何か犯人捜索上に就て僕に聞合せにでも来たんだろう。",
"あの巡査は𤢖と格闘したと云うじゃアないか。職務とは云え、流石に偉いよ。"
],
[
"いや、急ぎと云うでも無いですが、今日は虎ヶ窟を検査に行くと、不思議なものを発見したのです。",
"ははあ、何んなものを……。",
"岩穴の壁に沢山の字が書いてあるのです。恐く字だろうと思うのですが、我々には到底読めないので……。"
],
[
"今日は既う遅いですから。明日御案内を為ましょう。",
"どうか願います。若し果して其れが文字であるとすれば、𤢖に対する僕の意見が愈よ確実になる訳ですから……。",
"何か𤢖に就て御意見があるですか。"
],
[
"まあ、待ち給え。君の議論も一通りは解ったよ。けれども、長い年月の中には、何うか云う機会で𤢖を生捕る事もありそうなものだ。若し生捕って調べたらば、総ての疑問は疾うに解決されている筈だ。日本にも昔から種々の冒険者もあれば、勇士もある。誰か其の𤢖を生捕るとか退治するとか云う人もありそうなものだったが……。",
"そんなことも無いでは無かったが、惜むらくは之を研究するほどの熱心家も無し、学者も無かったらしい。現に今から百余年前、天明年間に日向国の山中で、猟人が獣を捕る為に張って置いた菟道弓というものに、人か獣か判らぬような怪物が懸った。全身が女の形で色が白く、赤裸で黒い髪を長く垂れていた。猟人等は驚いて、之は恐く山の神であろうと、後の祟を恐れて捨てて置いたら、自然に腐って骨に化って了ったと、橘南谿の西遊記に書いてある。これなども山𤢖の女性であったに相違ないが、徒爾に腐らして了ったのは惜い事であった。同じく西遊記に山𤢖の事も記してあったと記憶している。昔から諸国に其んな例も沢山あったのだろうが、唯其の一地方の夜話に残るだけで、識者が研究の材料には上らなかったのだ。いや、然ういう例に就て、もっと面白い話が有る。これは日本の出来事じゃアないが、現に英国で其の𤢖を取押えた人の実話だ。まあ、聞き給え。"
],
[
"むむ、それから……。",
"それから講師が現場を調べて見ると、そこには賊の刃物が落ちていた。能く能く研究すると、これは古代の羅馬人が持っていた短い剣の類であった。而巳ならず、其附近にはローマンケーヴと昔から呼ばれている岩穴が有る。それや是やを綜合して考えると、賊はピキシーと云う怪物でも何でも無い、恐く古代の羅馬人であろうと鑑定した。が、土地の者は容易に之を信じないで、矢はりピキシーの仕業だと云っていたので、講師は更に斯う云う説明を加えた。"
],
[
"であるから、この虎ヶ窟に棲む山𤢖なる者の正体は、大抵想像するに難からずで、矢はり前に云ったような種類に相違ないんです。それにしても、文字が彫ってあると云うのは頗る面白い問題で、若し其の文字の解釈が能たら、𤢖の正体は愈よ確実に判りましょう。",
"然うです、然うです。明日は是非御案内を為ましょう。今日は丁度好い処へ来合せまして、種々有益なお話を伺いました。岐阜や高山から出張している同僚の者にも、参考の為に能く云い聞かせましょう。"
],
[
"それで何うした。",
"何うも仕方が無いさ。相変らず柳屋へ帰って、唄なんぞ謳っているそうだ。"
],
[
"何だろう。",
"兎も角も行って見ましょうか。"
],
[
"不思議ですね。",
"何うも不思議ですね。"
],
[
"それから例の不思議な文字というのは、何処にあるんですか。",
"あの岩穴の中です。"
],
[
"何うしたんですか。",
"今あの岩の蔭に重太郎の隠れているのを見付けましたから、直に追掛けて行ったのですが、彼奴中々足が捷いので、忽ち見えなくなって了いました。残念なことを為たです。"
],
[
"そうだろう。併しあの以来、𤢖の噂も消えた様だよ。まあ、好塩梅だ。何しろ、金の兜は掘出物だったよ。",
"あれが真実の掘出物と云うのだろう。僕も県史や飛騨誌などを調査した結果、飛騨判官朝高という人物の伝記も大抵判った。𤢖は愈よ元の蒙古に疑い無しだ。",
"そうかねえ。"
],
[
"燐寸が欲いの。そんなものは幾許でも上げるけれども、一体どうして今頃こんな所へ来たのさ。",
"仇を討ちに行ったんだ。",
"何処へ……。",
"角川の家へ……。"
],
[
"角川の息子を殺して与ろうと思って行ったんだけれども、見付かったんで無効だった。それから大勢に追掛けられて、やッと此処まで逃げて来たんだ。",
"じゃア、今の騒はお前さんだね。だが、角川の若旦那を何故殺そうとしたの。",
"阿母さんの仇だ。",
"どうして……。",
"先刻、お前が然う云ったのを聞いていた。俺が表に立っていると、お前が人に話していたんだ。"
],
[
"お燗が熱過ぎているかも知れないが、一杯お飲みよ。温暖になるから……。",
"こりゃア何だ。",
"お酒だよ。飲んで御覧。妾のお酌ですよ。"
],
[
"お前さん、これから何うするの。",
"宝物を持出して何処かへ行くんだ。",
"宝物ッて、金の兜じゃア無いの。",
"むむ、何でも其んなものだ。",
"そりゃア既う駄目。警察の方で引揚げて了ったと云うことよ。",
"そうかい。"
],
[
"やあ。",
"やあ。"
]
] | 底本:「飛騨の怪談 新編 綺堂怪奇名作選」メディアファクトリー
2008(平成20)年3月5日初版第1刷発行
2008(平成20)年3月5日初版第1刷発行
初出:「やまと新聞」
1912(大正元)年11月13日~1913(大正2)年1月21日
※「市郎君」と「市朗君」の混在は、底本通りです。
入力:川山隆
校正:江村秀之
2013年8月11日作成
2013年9月18日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "049682",
"作品名": "飛騨の怪談",
"作品名読み": "ひだのかいだん",
"ソート用読み": "ひたのかいたん",
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"初出": "「やまと新聞」1912(大正元)年11月13日~1913(大正2)年1月21日",
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"姓ローマ字": "Okamoto",
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} |
[
[
"むかしから世に化け物があるといい、無いという。その議論まちまちで確かに判らない。今夜のような晩は丁度あつらえ向きであるから、これからかの百物語というのを催して、妖怪が出るか出ないか試してみようではないか。",
"それは面白いことでござる。"
]
] | 底本:「異妖の怪談集 岡本綺堂伝奇小説集 其ノ二」原書房
1999(平成11)年7月2日第1刷
入力:網迫、土屋隆
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年6月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "043577",
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} |
[
[
"そうして、その蛇はどうしました。",
"駅へ着く前に窓から捨てました。"
],
[
"あの娘さんはよっぽど蛇が嫌いらしい。あなたに蛇の話を聞かされて、真っ蒼になってしまいましたね。なんでも兄さんを無理に勧めて、急に降りることになったようです。",
"それで降りたんでしょうか。",
"この箱には蛇が乗っていたというので、急に忌になったのでしょう。嫌いな人はそんなものですよ。"
],
[
"どうもさっきは驚かされたね、汽車のなかでにょろにょろ這い出されちゃ堪まらないよ。",
"まったく困ります。しかし考えると、少し不思議でもありますよ。",
"なにが不思議で……。"
],
[
"はは、これは玩具だ。拵え物だ。",
"ほんとうの蛇じゃありませんか。"
],
[
"けしからんことですな。それで多代子さんは寝ているんですか。",
"なんだか気分が悪いといって、二、三日前から学校を休んでいるのです。"
],
[
"多代子さんには蛇が祟っているようですな。",
"なぜです。"
],
[
"まあ、そんな事があったのですか。なにかの心得になるかも知れませんから、良人にも一と通り話して置いて下さいよ。",
"いや、先生に話すと笑われます。"
],
[
"桐沢さんのところへ呼ばれて行ったのです。",
"桐沢さん……。",
"あなたも御存じでしょう。"
],
[
"なんだか変なことですね。",
"どういう事です。何か事件が出来したんですか。"
],
[
"また蛇でもぶつけられたんですか。",
"いいえ、そうじゃないのですが……。学校もやがて夏休みになるので、兄さんの透さんも帰省する。多代子さんも毎年一緒に帰るのですが、この夏に限って帰らないと言い出して、熱海か房州か、どこかの海岸へ行きたいと言うのです。郷里でも両親が待っているから、まあ帰れと兄さんが勧めるのですけれど、本人はどうしても忌だと言うのです。",
"なぜでしょう。"
],
[
"多代子さんはどうしているんです。",
"やはり下の八畳に……。娘と一緒に机を列べているのです。",
"別に変った様子も見えませんか。",
"ほかには別に変ったことも……。"
],
[
"奥さん。妹はあしたの朝の汽車で連れて帰ります。",
"あしたの朝……。多代子さんも承知したのですか。"
],
[
"あなたにはお目にかかった事がありますよ。山陽線の汽車の中で……。",
"山陽線の汽車の中で……。",
"蛇の騒ぎがあった時に……。"
],
[
"いえ、まだ二、三日はこっちに居りますから、また出直して伺います。",
"では、是非もう一度……。"
],
[
"そうです。なにか御用ですか。",
"もう少し前に、若い男が一人はいって行きましたろう。"
],
[
"そうです。",
"江波博士とどういう関係があるのでしょう。"
],
[
"それが三好透だと言われるのですね。",
"どうもそうらしいのですが……。しかし、あなたの言われた通り、他人は格別、実の妹にもそんな悪戯をするのは……。ちっとおかしいように思われますね。"
],
[
"あなたが帰ってから三十分ほどして、良人は帰って来ました。",
"透君はそれまで待っていたんですか。"
],
[
"三好透……。あの多代子さんの兄さんでしょう。あの人がどうかしたんですか。",
"大学を卒業してから、台湾へ赴任したのですが、去年の六月、急に亡くなりました。",
"マラリアにでも罹かったんですか。",
"いいえ。毒蛇のハブに咬まれて……。",
"ハブに咬まれて……。"
],
[
"多代子さんばかりでなく、ほかの婦人にも投げ付けたというじゃありませんか。",
"それも透さんの仕業だかどうだか、確かな証拠も挙がらないので、警察でも手を着けることが出来なかったらしいのです。そんなわけで、無事に学校を出たのですけれど、台湾へ行くと直ぐにそんな事になってしまって……。まるで、台湾へ死にに行ったようなものでした。"
],
[
"ほかの事とは違いますから、あなたの気に済まないような事があるならば、遠慮なくお言いなさいよ。",
"いいえ、皆さんが好いと思召すなら、わたしも参りたいと思います。"
]
] | 底本:「鷲」光文社文庫、光文社
1990(平成2)年8月20日初版1刷発行
底本の親本:「怪獣―綺堂読物集第七巻」春陽堂
1936(昭和11)年11月
初出:「日曜報知」
1930(昭和5)年10月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※表題は底本では、「深見夫人《ふかみふじん》の死《し》」となっています。
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:松永正敏
2006年10月31日作成
2020年1月20日修正
青空文庫作成ファイル:
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| {
"作品ID": "045491",
"作品名": "深見夫人の死",
"作品名読み": "ふかみふじんのし",
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"副題読み": "",
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"初出": "「日曜報知」1930(昭和5)年10月",
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"名読み": "きどう",
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"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
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"底本出版社名1": "光文社文庫、光文社",
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"底本の親本名1": "怪獣—綺堂読物集第七巻",
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} |
[
[
"死んだのですか。",
"まあ、そうでしょうね。いや、確かなことは誰にも判らないんですが、まあ死んだというのが本当でしょうね。御承知の通り、あの芝居はマレー俳優の一座で、一年に三、四回ぐらいはここへ廻ってくるんです。その一座の中にアントワーリース――原住民の名は言いにくいから、簡単にアンといっておきます。――そのアンというのはまだ十九か二十歳で、原住民には珍らしい色白の綺麗な俳優で、なんでも本当の原住民ではない、原住民とイタリアとの混血児だとかいう噂でしたが、なにしろ声もいい、顔も美しいというので、それが一座の花形で、原住民はもちろん、外国人のあいだにも非常に評判がよかったのです。ところが今度の興行にはアンの姿が舞台に見えないので、失望する者もあり、不思議に思う者もあって、いろいろ詮議してみると、アンは行くえ不明になってしまったということが確かめられたんです。では、どうして行くえ不明になったかというと、それにはまた不思議な話があるんです。"
],
[
"女はそれからどうしました。",
"どうしたかよく判りません。なんでもシンガポールを立去って、ホンコンの方へ行ったとかいうことでした。なにしろアンは可哀そうなことをしました。彼も恋に囚われなければ、今夜もこの舞台に美しい声を聞かせることが出来たんでしょうに……。"
]
] | 底本:「鷲」光文社文庫、光文社
1990(平成2)年8月20日初版1刷発行
初出:「近代異妖編」春陽堂
1926(大正15)年10月
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:松永正敏
2006年10月31日作成
2009年7月31日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "045495",
"作品名": "マレー俳優の死",
"作品名読み": "マレーはいゆうのし",
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"初出": "「近代異妖編」春陽堂、1926(大正15)年10月",
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"作品著作権フラグ": "なし",
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"姓": "岡本",
"名": "綺堂",
"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
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"生年月日": "1872-11-15",
"没年月日": "1939-03-01",
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"底本名1": "鷲",
"底本出版社名1": "光文社文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "1990(平成2)年8月20日",
"入力に使用した版1": "1990(平成2)年8月20日初版1刷",
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} |
[
[
"おい、おい。このなかで清元喜路太夫というのは聞かねえ名だな。どんな太夫だろう。",
"むゝ。おれも聞いたことがねえ。下手か上手か、一つ這入って聴いて遣ろうじゃねえか。"
],
[
"じゃあ、丁度いゝ。わっし等にも聴かせておくんなせえ。",
"皆さんはどちらの方でございます。",
"わっし等はみんな土地の者さ。",
"どちらのお弟子さんで……。",
"どこの弟子でもねえ。たゞ通りかゝったから聴きに這入ったのよ。"
],
[
"折角でございますが、今晩は通りがかりのお方をお入れ申すわけにはまいりません。どうぞ悪しからず……。",
"わからねえ奴だな。おれ達は土地の者だ。今こゝのまえを通ると清元の浚いの立看板がある。ほかの太夫はみんなお馴染だが、そのなかに唯った一人、喜路太夫というのが判らねえ。どんな太夫だか一段聴いて、上手ならば贔屓にしてやるんだ。そのつもりで通してくれ。"
],
[
"いけません、いけません。いくら土地の方でも今晩は御免を蒙ります。",
"どうしても通さねえか。そんならその喜路太夫をこゝへ呼んで来い。どんな野郎だか、面をあらためて遣る。"
],
[
"殿様、土地の者が酔っ払って来て、何かぐず〳〵云っているのでございます。あなたはお構い下さらない方がよろしゅうございます。",
"むゝ。土地の者がぐずりに来たのか。"
],
[
"やい、やい。人を馬鹿にしやあがるな。おれたちは銭貰いに来たんじゃあねえ。喜路太夫をこゝへ出せというんだ。",
"その喜路太夫はわたしです。",
"むゝ。喜路太夫は手前か。怪しからねえ野郎だ。ひとを乞食あつかいにしやあがって……。"
],
[
"そうですか。なにしろ足場の悪いところですから、無理にお引留め申すわけにも行かない。では、又御ゆっくりおいで下さい。こんなお話でよろしければ、なにか又思い出して置きますから。",
"はあ。是非またお邪魔にあがります。"
],
[
"むゝ、こちらは随分足が早かったからな。",
"はい。こちら様のお荷物はなか〳〵重いと云っておりましたから、だん〳〵に後れてしまったのでございましょう。"
],
[
"勇作。貴様は駕脇についていながら、荷物のおくれるのになぜ気がつかない。あんな奴等は何をするか判ったものでない。すぐに引返して探して来い。源吉だけこゝに残って、半蔵も勘次も行け。あいつ等がぐず〳〵云ったら引っくゝって引摺って来い。",
"かしこまりました。"
],
[
"半蔵。",
"へえ。"
],
[
"そんなことが無いとも云えないな。",
"そうでござりましょうか。",
"どうもありそうに思われる。"
],
[
"どなたです。すぐに庭の方へおまわりください。",
"では、御めん下さい。"
],
[
"きょうはばあやはいないんですか。",
"ばあやは出ましたよ。下町にいるわたくしの娘が孫たちをつれて躑躅を見にくるとこのあいだから云っていたのですが、それが今日の日曜にどや〳〵押掛けて来たもんですから、ばあやが案内役で連れ出して行きましたよ。近所でいながら燈台下暗しで、わたくしは一向不案内ですが、今年も躑躅はなか〳〵繁昌するそうですね。あなたもこゝへ来がけに御覧になりましたか。"
],
[
"そんなものが何うして這入ったのかな。掃溜へでも持って行って捨てゝしまえ。",
"はい。"
],
[
"お幾。早く医者をよんで来てくれ。",
"蝮に咬まれたら早く手当をしなければなりません。お医者のくるまで打っちゃって置いては手おくれになります。"
],
[
"まったくいないか。",
"なんにも居りません。"
],
[
"兄さん。どうした。",
"いや、ひどい目に逢ったよ。"
],
[
"おまえは誰だ。",
"幾でございます。",
"嘘をつけ、正体をあらわせ。",
"御冗談を……。",
"なにが冗談だ。武士に祟ろうとは怪しからぬ奴だ。"
],
[
"手前は法螺をふく。",
"馬鹿。"
],
[
"小身の御家人たちは内職ですが、御家人も上等の部に属する人や、または旗本衆になると、大抵は無月謝です。旗本の屋敷で月謝を取ったのは無いようです。武芸ならば道場が要る、手習学問ならば稽古場が要る。したがって炭や茶もいる、第一に畳が切れる。まだそのほかに、正月の稽古はじめには余興の福引などをやる。歌がるたの会をやる。初午には強飯を食わせる。三月の節句には白酒をのませる。五月には柏餅を食わせる。手習の師匠であれば、たなばた祭もする。煤はらいには甘酒をのませる、餅搗きには餅を食わせるというのですから、師匠は相当の物入りがあります。それで無月謝、せい〴〵が盆正月の礼に半紙か扇子か砂糖袋を持って来るぐらいのことですから、慾得づくでは出来ない仕事です。ことに手習子でも寄せるとなると、主人ばかりではない、女中や奥様までが手伝って世話を焼かなければならないようにもなる。毎日随分うるさいことです。",
"そういうのは道楽なんでしょうか。",
"道楽もありましょうし、人に教えてやりたいという奇特の心掛けの人もありましょうし、上のお覚えをめでたくして自分の出世の蔓にしようと考えている人もありましょうし、それは其人によって違っているのですから、一概にどうと云うわけにも行きますまい。又そのなかには、自分の屋敷を道場や稽古場にしていると云うのを口実に、知行所から余分のものを取立てるのもある。むかしの人間は正直ですから、おれの殿様は剣術や手習を教えて、大勢の世話をしていらっしゃるのだから、定めてお物入りも多かろうと、知行所の者共も大抵のことは我慢して納めるようにもなる。こういうのは、弟子から月謝を取らないで、知行所の方から月謝を取るようなわけですが、それでも知行所の者は不服を云わない。江戸のお屋敷では何十人の弟子を取っていらっしゃるそうだなどと、却って自慢をしている位で、これだけでも今とむかしとは人気が違いますよ。いや、その無月謝のお師匠様について、こんなお話があります。"
],
[
"えゝ、撲ろうが殺そうが俺の勝手だ。この阿魔はおれの女房だ。",
"洒落たことをお云いでない。おまえさんは誰を媒妁人に頼んで、いつの幾日に家のお金を女房に貰ったんだ。神明様の手洗い水で顔でも洗っておいでよ。ほんとうに馬鹿々々しい。"
],
[
"味淋の気があっても不可ませんか。",
"不可ません。すこしでも酔っているような気があると、墨はみんな散ってしまいます。"
],
[
"はゝあ、それは不思議な御縁でしたね。むかしから雨宿りなぞというものは色々の縁をひくものですよ。人情本なんぞにもよくそんな筋があるじゃありませんか。",
"それでもこんなお婆さんではねえ。"
],
[
"困りましたね。まったく詰まらないお話なんですから。",
"詰まらなくてもようござんすから。"
],
[
"存じないことはない。探してくれ。",
"でも、存じませんもの。あなた、お屋敷へお忘れになったのじゃありませんか。",
"馬鹿をいえ。侍が丸腰で屋敷を出られるか。たしかに何処かにあるに相違ない。早く出してくれ。"
],
[
"では、どうしても返してくれないか。",
"でも、無いものを無理じゃありませんか。",
"無理でもいゝから返してくれ。",
"まあ、ゆっくりしていらっしゃいよ。そのうちには又どっかから出て来ないとも限りませんから。",
"それ、みろ。おまえが隠したのじゃないか。",
"だって、あなたがあんまり強情だからさ。あなたがわたしの云うことを肯いてくれなければ、わたしの方でもあなたの云うことを肯きませんよ。そこが、それ、魚心に水心とか云うんじゃありませんか。",
"だから、また出直してくる。きょうは堪忍してくれ。もう七つを過ぎている。おれは急いで行かなければならない。",
"七つ過ぎには行かねばならぬ――へん、きまり文句ですね。"
],
[
"これ、どうしても返さないか。",
"返しません。あなたが云うことを肯かなければ……。"
],
[
"町や、お前は浅草に知合いの者が多かろう。踊の師匠も識っていますね。",
"はい、存じて居ります。"
],
[
"お前はよく識らないでも、その師匠は照之助をよく識っていましょうね。",
"それは勿論のことでございます。"
],
[
"これ、貴様たちは何をするのだ。",
"なにをするものか。さあ、こゝの店の矢がすりを何処へ隠した。正直にいえ。",
"矢飛白をかくした……。それはどういうわけだ。",
"えゝ、白ばっくれるな。正直に云わねえと、侍でも料簡しねえぞ。早く云え、白状しろ。",
"白状しろとは何だ。武士にむかって無礼なことを申すな。",
"なにが無礼だ。かどわかし野郎め。ぐず〳〵していると袋叩きにして自身番へ引渡すぞ。"
],
[
"あいつが矢飛白をかどわかしたのだそうだ。見かけによらねえ侍じゃあねえか。",
"おとなしそうな面をしていて、呆れたものだ。"
]
] | 底本:「大衆文学大系7 岡本綺堂 菊池寛 久米正雄 集」講談社
1971(昭和46)年10月20日第1刷
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:林田清明
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年6月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "001304",
"作品名": "三浦老人昔話",
"作品名読み": "みうらろうじんむかしばなし",
"ソート用読み": "みうらろうしんむかしはなし",
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"原題": "",
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"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2005-08-11T00:00:00",
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"名": "綺堂",
"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
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"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
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"没年月日": "1939-03-01",
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"底本名1": "大衆文学大系7 岡本綺堂 菊池寛 久米正雄 集",
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} |
[
[
"たいへん暖かくなったね。もうこんなに梅が咲いたんだもの、じきに初午が来る",
"よし原の初午は賑やかだってね",
"むむ、そんな話だ"
],
[
"お前、あたしと一緒に行くのはいやなの",
"いやじゃないけれども詰まらない。初午ならば向島へ行って、三囲りさまへでも一緒にお詣りをした方がいいよ"
],
[
"十さん、吉原は嫌いだね",
"むむ"
],
[
"番町のお屋敷へ行ったの",
"むむ。もう帰るだろう"
],
[
"おや、お米坊も一緒に留守番をしていておくれだったの",
"おばさん、又あした来ますよ"
],
[
"これ、駕籠を戻せ",
"へえ、どちらへ……"
],
[
"綾衣さんの花魁がもう見えます",
"そうかえ"
],
[
"花魁。なんざいますね",
"お湯を一杯おくんなんし",
"あい、あい"
],
[
"いや、おれは別にどうでもない。お前こそこの頃は顔の色がよくないようだが、また血の道でも起ったのか",
"いいえ"
],
[
"おや、そんなら何どきそのむごい目に逢わんすかも知れんすまいに、おまえ、その時はどうしなんす",
"それは当分沙汰止みになったらしい、市ヶ谷の叔父が不承知で……。叔父はずいぶん口喧ましいのでうるさいが、又やさしい人情もある。もう少し仕置きを延ばして、当人の成り行きを見届けるというような意見で、ほかの親類共もまず見合せたらしい。こんなことはみんなおれに隠しているが、角助めがどこからか聞き出して来る。なかなか抜け目のない奴だ"
],
[
"甲府勝手とは何でありんすえ",
"遠い甲州へ追いやられるのだ。つまり山流しの格だ"
],
[
"よろしゅうござります。綾衣さまは確かにお預かり申しました。しかし殿様はお屋敷へお帰り下さりませ。お判りになりましたか",
"むむ。おれまでが厄介になろうとは思わない。女だけをなにぶん頼むぞ",
"かしこまりました"
],
[
"いかにご自分の御知行所でも、さだめのほかに無体の御用金などけしからぬ儀でござります",
"では、蔵の中から不用の鎧兜太刀などを持ち出して、売り払ってはどうだ",
"鎧兜太刀などは武士の表道具、まして御先祖伝来の大切な品々、お前さまの御自由には相成りませぬ"
],
[
"わたくしはこのごろ暫く盤にむかいませんので、とても叔父さまのお相手にはなれませぬ。どうかきょうは御免を……",
"見れば顔色もよくないようだが、気分でもすぐれぬのか",
"いえ、別に病気という訳でもござりませぬが……",
"病気でなくば一局まいれ。かえって暑さを忘れるものだ"
],
[
"お前さまのこの石はもう死んでおります",
"馬鹿を申すな。なんでこれが死ぬものか"
],
[
"気の毒だがいつもの通り、なにか酒と肴を見つくろって来てくれ",
"はい、はい。この辺には碌なものもござりませんから、田町までひと走り行ってまいります"
],
[
"もし、いつか仲の町の草市で摺れちがった時の刀というのは、やっぱりこれでありんしたかえ",
"むむ、そうだ。お前の袖に引っかかった刀はこれだ。鍛えは国俊、家重代。先祖はこれで武名をあげたと、年寄りどもからたびたび聞かされたものだ",
"その刀は二人のためには結ぶの神とでも言うのでおざんしょう。わたしにもよく見せておくんなんし"
],
[
"今だから打ち明けて話しんすが、わたしには剣難の相があると上手な占い者さんが言いんした。そんなことがあるかも知れえせんね",
"そんなことがあるかも知れない"
],
[
"へえ、花魁のお迎いにまいりました",
"花魁とは誰だ"
],
[
"へへ、子供の使いじゃございません。じゃあ、殿様、どうしても綾衣さんの花魁を渡しちゃあ下さいませんか",
"知れたことだ。帰れ、帰れ",
"へえ、さようでございますか"
]
] | 底本:「江戸情話集」光文社時代小説文庫、光文社
1993(平成5)年12月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:かとうかおり
2000年6月15日公開
2008年10月4日修正
青空文庫作成ファイル:
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"姓ローマ字": "Okamoto",
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[
[
"あれは守田さ。",
"守田……。勘弥ですか。",
"むむ。今度からここの相談役になったそうだ。あの男もひどく年をとったな。"
]
] | 底本:「明治劇談 ランプの下にて」岩波文庫、岩波書店
1993(平成5)年9月16日第1刷発行
2008(平成20)年2月15日第3刷発行
底本の親本:「明治劇談 ランプの下にて」青蛙房
1965(昭和40)年6月刊
初出:「明治劇談 ランプの下にて」岡倉書房
1935(昭和10)年3月
※表題は底本では、「[#割り注]明治劇談[#割り注終わり]ランプの下《もと》にて」となっています。
※底本の奥付では、「明治劇談 ランプの下《もと》にて」となっています。
※カッコを付して小文字で示した注記、各章末尾に掲げた注記は、解説者岡本経一光氏によるものにより削除しました。
入力:川山隆
校正:仙酔ゑびす
2011年2月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "049526",
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"作品名読み": "めいじげきだん ランプのもとにて",
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} |
[
[
"宿屋は勿論あるまいよ。だが、どこかの家で泊めてくれるだろう。どんな穢い家でも今夜は我慢するよ。この先の村へはいったら訊いて見てくれ。",
"よろしい、判りました。"
],
[
"じゃ、どうしたんだ。",
"雪の姑娘、来るかも知れません。",
"なんだ、雪の姑娘というのは……。"
],
[
"娘を取る……。その化け物が……。おかしいな。ほんとうかい。",
"嘘ありません。"
],
[
"だって、その雪女はここの家ばかり狙うわけじゃあるまい。近所にも若い娘はたくさんいるだろう。",
"しかし美しい娘、たくさんありません。ここの家の娘、たいそう美しい。わたくし今、見て来ました。",
"そうすると、美しい娘ばかり狙うのか。",
"美しい娘、雪の姑娘に妬まれます。"
],
[
"それ以上のことは判らないんだね。で、その影のようなものは、戸が閉めてあっても、すうとはいって来るのか。",
"はいって来るときには、怖ろしい音がして戸がこわれます。戸を閉めて防ぐこと出来ません。"
],
[
"あなた、嘘あります。",
"嘘じゃない、早く起きてくれ。"
]
] | 底本:「鷲」光文社文庫、光文社
1990(平成2)年8月20日初版1刷発行
底本の親本:「今古探偵十話―綺堂読物集第五巻」春陽堂
1928(昭和3)年8月
初出:「子供役者の死」隆文館
1921(大正10)年3月
※表題は底本では、「雪女《ゆきおんな》」となっています。
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:松永正敏
2006年10月31日作成
2022年1月23日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "045492",
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"作品名読み": "ゆきおんな",
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"初出": "「子供役者の死」隆文館、1921(大正10)年3月",
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"公開日": "2006-12-06T00:00:00",
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"姓読みソート用": "おかもと",
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"底本初版発行年1": "1990(平成2)年8月20日",
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[
[
"旦那、徳がとうとう死にましたよ。",
"徳さん……。左官屋の徳さんが。",
"ええ、けさ死んだそうで、今あの書生さんから聞きましたから、これからすぐに行ってやろうと思っているんです。なにしろ、別に親類というようなものも無いんですから、みんなが寄りあつまって何とか始末してやらなけりゃあなりますまいよ。運のわるい男でしてね。"
],
[
"ええ、けさ七時ごろに……。",
"あなたのところの先生に療治してもらっていたんですか。",
"そうです。慢性の腎臓炎でした。わたしのところへ診察を受けに来たのは先月からでしたが、なんでもよっぽど前から悪かったらしいんですね。先生も最初からむずかしいと言っていたんですが、おととい頃から急に悪くなりました。",
"そうですか。気の毒でしたね。",
"なにしろ、気の毒でしたよ。"
],
[
"うまいねえ。",
"上手だねえ。",
"そりゃほんとの役者だもの。"
],
[
"ええ、気ちがいが又あばれ出したんですよ。急に暑くなったんで逆上せたんでしょう。",
"お玉さんですか。",
"もう五、六年まえからおかしいんですよ。"
],
[
"お玉は病院へ行ってから、からだはますます丈夫になって、まるで大道臼のように肥ってしまいましたよ。",
"病気の方はどうなんです。"
]
] | 底本:「岡本綺堂読物選集3 巷談編」青蛙房
1969(昭和44)年9月5日発行
底本の親本:「十番随筆」新作社
1924(大正13)年4月刊
入力:『鳩よ!』編集部
校正:『鳩よ!』編集部、富田倫生
2000年2月16日公開
2009年2月27日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "000484",
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"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
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"生年月日": "1872-11-15",
"没年月日": "1939-03-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "岡本綺堂読物選集3 巷談編",
"底本出版社名1": "青蛙房",
"底本初版発行年1": "1969(昭和44)年9月5日",
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[
[
"まったく大変です。実にやり切れません。",
"あなたは震災後、はじめてお乗りになったんですか。",
"そうです。"
],
[
"あなたは東京ですか。",
"本所です。"
],
[
"それは困りましたね。汽車のなかでぶっ倒れでもしては大変だから、いっそ降りた方がいいでしょう。わたしも御一緒に降りましょう。",
"いえ、決してそれには……。"
],
[
"どうです。気分はようござんすか。",
"はあ。"
],
[
"なに、お互いさまですよ。",
"それでも、あなたはお急ぎのところを……。"
],
[
"しかしもう遅いでしょう。",
"なに、まだ十時前ですよ。風呂があるかないか、ちょいと行って聞いて来てあげましょう。"
],
[
"これは風呂場で拾ったんですか。",
"そうです。",
"どうも不思議だ、これはわたしの総領娘の物です。"
],
[
"これはあなたのお蔭、もう一つには娘のたましいが私たちをここへ呼んだのかも知れません。",
"そうかも知れません。"
]
] | 底本:「異妖の怪談集 岡本綺堂伝奇小説集 其ノ二」原書房
1999(平成11)年7月2日第1刷
初出:「講談倶樂部」
1925(大正14)年8月
入力:網迫、土屋隆
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年6月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "043547",
"作品名": "指輪一つ",
"作品名読み": "ゆびわひとつ",
"ソート用読み": "ゆひわひとつ",
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"初出": "「講談倶樂部」1925(大正14)年8月",
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"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
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} |
[
[
"午飯を食いに行こう。",
"雁鍋へ行こう。"
],
[
"詮議がきびしいか。",
"さきほども五、六人、お見廻りにお出でになりました。",
"そうか。"
],
[
"では、ほかへ行ってみよう。",
"どうぞお願い申します。"
]
] | 底本:「鎧櫃の血」光文社文庫、光文社
1988(昭和63)年5月20日初版1刷発行
1988(昭和63)年5月30日2刷
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:松永正敏
2006年6月2日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "045493",
"作品名": "夢のお七",
"作品名読み": "ゆめのおしち",
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"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
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"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
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} |
[
[
"貴公は鬼ばばで何か見なかったか。",
"あの横町に婆が坐っていた。",
"それからどうした。"
],
[
"石川さんが御門前に坐っているそうでございます。",
"石川が坐っている……。どうした、どうした。"
],
[
"まあ、待てよ。どうせ同じ道じゃないか。一緒に帰るからもう少し話して行けよ。",
"いや、帰る。なんだか、風邪でも引いたようでぞくぞくするから。"
]
] | 底本:「異妖の怪談集 岡本綺堂伝奇小説集 其ノ二」原書房
1999(平成11)年7月2日第1刷
初出:「文藝倶樂部」
1928(昭和3)年4月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「啄《くち》」と「喙《くち》」、「古老」と「故老」の混在は底本の通りとしました。
入力:網迫、土屋隆
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年6月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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| {
"作品ID": "043578",
"作品名": "妖婆",
"作品名読み": "ようば",
"ソート用読み": "ようは",
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"初出": "「文藝倶樂部」1928(昭和3)年4月",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
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"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1872-11-15",
"没年月日": "1939-03-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "異妖の怪談集 岡本綺堂伝奇小説集 其ノ二",
"底本出版社名1": "原書房",
"底本初版発行年1": "1999(平成11)年7月2日",
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} |
[
[
"でも、御門の前をあるいておいでなすったのは、確かにお嬢さんでございましたが……。",
"お前になにか口をきいたか。",
"いいえ。どちらへいらっしゃいますと申しましたら、返事もなさらずに行っておしまいになりました。"
],
[
"その娘はどっちの方へ行った。",
"御門の前を右の方へ……。"
],
[
"妹は今ここを通りゃあしなかったかね。",
"挨拶はしなかったが、今ここを通ったのはお福さんらしかったよ。",
"どっちへ行った。",
"あっちへ行ったようだ。"
],
[
"離魂病……。そんなものがある筈がない。それだからどうも判らないのだ。",
"まあ、詰まらないことを気にしない方がいいよ。"
]
] | 底本:「異妖の怪談集 岡本綺堂伝奇小説集 其ノ二」原書房
1999(平成11)年7月2日第1刷
初出:「新小説」
1925(大正14)年7月
入力:網迫、土屋隆
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年6月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "043548",
"作品名": "離魂病",
"作品名読み": "りこんびょう",
"ソート用読み": "りこんひよう",
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"初出": "「新小説」1925(大正14)年7月",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2005-08-13T00:00:00",
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"名": "綺堂",
"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1872-11-15",
"没年月日": "1939-03-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "異妖の怪談集 岡本綺堂伝奇小説集 其ノ二",
"底本出版社名1": "原書房",
"底本初版発行年1": "1999(平成11)年7月2日",
"入力に使用した版1": "1999(平成11)年7月2日第1刷",
"校正に使用した版1": "1999(平成11)年7月2日第1刷",
"底本の親本名1": "",
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"底本出版社名2": "",
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"校正に使用した版2": "",
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"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "網迫、土屋隆",
"校正者": "小林繁雄、門田裕志",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/43548_ruby_18794.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2005-06-26T00:00:00",
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"XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"暑いせいか、木戸も閑なようですね",
"あたりまえさ。この暑さじゃあ、大抵の者はうだってしまわあね。どうでこんな時に口をあいて見ているのは、田舎者か、勤番者か陸尺ぐらいの者さ"
],
[
"おばさん。きょうは三味線がのろかったぜ。もう少し早間にね。いいかい",
"はい、はい"
],
[
"だが、無理じゃあねえ。向柳原が近来の仕向け方というのも、ちっと宜しくねえからね",
"まったく豊さんの言う通りさ。けれども、姐さんもずいぶん無理をいってあの人をいじめるんだからね。いくら相手がおとなしくっても、あれじゃあ我慢がつづくまいよ"
],
[
"姐さんより年下だろう",
"ふたつ違いだから二十歳さ"
],
[
"世間に惚れ手もたくさんあらあね。姐さんばかりが女でもあるまい",
"悟ったもんだね",
"悟らなくって、こんな稼業ができるもんかね。姐さんはまだ悟りが開けないんだよ",
"そうかしら。だって、蛇は執念深いというぜ",
"蛇と人間と一緒にされて堪まるもんかね"
],
[
"癇が昂ぶって焦れ切っているんだもの。あれじゃあからだにも障るだろうよ。あんなにも男が恋しいものかね",
"浮気者にゃあ判らねえことさ"
],
[
"君ちゃん。戸をお閉めよ。もうすぐに寝ようじゃないか",
"はい"
],
[
"どうしたい。顔の色が悪いじゃないか",
"きょうは舞台で倒れたの",
"そりゃあいけない。どうしたんだ",
"なに、すぐに癒ったの。やっぱり暑気あたりだってお医者がそう言って……",
"なにしろ、大事にするがいいぜ。悪いようならば無理をしないで、二、三日休んで養生した方がいいだろう",
"いいえ、それほどでもなかろうと思っているの。いっそひと思いに死んだ方がいいかも知れない"
],
[
"だけど、お前さん。歴々のお旗本の御用人さまが両国の橋向うの蛇つかいを御新造にする。そんなことが出来ると思っているの",
"表向きは無論できねえ理屈さ。だが、一旦綺麗に足を洗って置いて、それから担当の仮親を拵えりゃあ又どうにか故事つけられるというものだ。又それが小面倒だとすれば、今も言う通りどこへか囲っておく。つまり二人が末長く添い通せりゃあ、それで別に理屈はねえ筈だ"
],
[
"まあ、からだを大事にするがいい。又近いうちに来るから",
"列び茶屋へばかり行かないでね、ちっとこっちへも来てくださいよ"
],
[
"列び茶屋へ行く……。誰が",
"お前さんがさ。みんな知っているよ"
],
[
"もうお前、お寝よ。あしたの朝、眠いから",
"あたし、今夜は起きていますわ",
"あたしはもういいんだよ",
"でも、こんなに癇がたっていて、どんなことがあるかも知れませんもの。姐さん、ほんとうにからだを大事にしてくださいよ"
],
[
"やあ、今晩は。里ちゃんの家はこっちへ行くの",
"ええ、外神田で……"
],
[
"ほんとうにいい月だ。あしたのお月見はどこも賑やかいだろう。里ちゃんも船か高台か、いずれお約束があるだろうね",
"いいえ、家がやかましゅうござんすから"
],
[
"いつも一人で帰るの",
"いいえ"
],
[
"はい。まいります",
"不二屋へも行くだろう",
"はい"
],
[
"おまえさん、あの不二屋の里ちゃんという子を知っているだろう",
"おとなしい姐さんでございますね",
"あの子に、このごろ情人が出来たってね"
],
[
"は、はい",
"向柳原といえば大抵判っているだろう。あたしのとこの林さんのことさ。あの人がこの頃むやみに不二屋へ行く。きのうもおとといも、さきおとといも、はいり込んでいたというが本当かえ。そうして、あのお里という子とおかしいというのも本当だろうね"
],
[
"当ててみようか。浅草の五二屋さん。どうだい、お手の筋だろう",
"楽屋番さんにして置くのは惜しいね"
],
[
"姐さんもちっとは浮気をするがいいのさ",
"などと傍から水を向けるんだからおそろしい。悪党に逢っちゃあ敵わねえな",
"人聞きの悪いことをお言いでないよ"
],
[
"門限をご存じないか",
"それでも急用なんですよ。早く明けてください。後生ですから"
],
[
"急用でも夜はいけない。あしたまた出直して来さっしゃい",
"焦れったい人だね。用があるというのに……"
],
[
"林之助の女房ですよ",
"林之助の女房……",
"だから、早く逢わしてください",
"では、待たっしゃい"
],
[
"おい、おい。この女はだいぶ酔っているようだ。気をつけて送ってくれ。お絹、いずれあした逢って詳しい話を聞くから、今夜はおとなしく帰ってくれ",
"あい",
"それとも何か急に用でも出来たのか"
],
[
"おまえさん、今夜出られないの",
"どこへ行くんだ",
"あたしの家へ……"
],
[
"林さん。あたし、これからは何でもお前さんのいうことを素直に聞きますからね。不二屋へ行っちゃあいやよ。え、よくって",
"承知、承知"
],
[
"あたしの引っ込んで来るまでに、よく沸かして置いて頂戴よ。からだを拭くんだから",
"あい、あい"
],
[
"お前さん。きのうなぜ来てくれなかったの",
"きのうは御用で牛込へ行った"
],
[
"下手な捕人のように、ふた口目には御用、御用……。屋敷者はほんとうに都合がいいね",
"屋敷者も楽じゃあねえ"
],
[
"一体どこが悪いんだ。飲み過ぎたんだというじゃあねえか",
"両国の方へ寄ったの。お花に逢って……",
"むむ。みんなに逢った"
],
[
"降るのに気の毒だね",
"なに、隣りの子に頼みますから"
],
[
"困ったね",
"あなたもいずれお見舞いでしょうが、まあ、いたわっておあげなせえましよ。お絹さんも可哀そうですよ。そう言っちゃ何ですけれども、楽屋の者なんてみんな不人情ですからね。本気になって世話をしているのは、あのちっぽけなお君という子だけでさあね"
],
[
"飛ぶ鳥はあとを濁すなということもある。屋敷にいるあいだは几帳面に勤めて置かなければいけねえ",
"それもそうかも知れない"
],
[
"悪くなるばかり",
"困ったもんだ。医者もあぶないと言っているかね",
"はっきりとは言わねえが、もう匙を投げているらしいんですよ。なにしろ咳が出て、胸から肋骨が痛んで熱が出て……。どうもこの秋は越せまいと思うんです。わたくしも長らくお世話になった姐さんですが……"
],
[
"君ちゃん、君ちゃん。いないの",
"はい"
]
] | 底本:「江戸情話集」光文社時代小説文庫、光文社
1993(平成5)年12月20日初版1刷発行
入力:tatsuki
校正:かとうかおり
2000年6月16日公開
2008年10月4日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "000478",
"作品名": "両国の秋",
"作品名読み": "りょうごくのあき",
"ソート用読み": "りようこくのあき",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2000-06-16T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/card478.html",
"人物ID": "000082",
"姓": "岡本",
"名": "綺堂",
"姓読み": "おかもと",
"名読み": "きどう",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "きとう",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1872-11-15",
"没年月日": "1939-03-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "江戸情話集",
"底本出版社名1": "光文社時代小説文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "1993(平成5)年12月20日",
"入力に使用した版1": "1993(平成5)年12月20日初版1刷",
"校正に使用した版1": "",
"底本の親本名1": "",
"底本の親本出版社名1": "",
"底本の親本初版発行年1": "",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
"入力に使用した版2": "",
"校正に使用した版2": "",
"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "tatsuki",
"校正者": "かとうかおり",
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"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"これからだ。おめえ達はもう済んだのか。",
"はい。",
"では、ここに少し待っていておくれでないか。わたし達は御参詣を済ませて来ますから。"
],
[
"なんぼ私らのような田舎者でも、浅草の観音さまぐらいは知っていますのさ。",
"そんなら観音堂の額を見たろう。あのなかに源三位頼政の鵺退治がある。頼政が鵺を射て落すと、家来の猪早太が刀をぬいて刺し透すのだ。な、判ったか。旦那さまが頼政で、この久助が猪早太という役廻りだ。鷲撃ちの時にゃあ、おれもこんな犬おどしの木刀を差しちゃあ行かねえ。本身の脇指をぶっ込んで出かけるんだから、そう思ってくれ。あははははは。"
],
[
"若旦那さま、どうぞお気をお付け遊ばして……。",
"むむ。留守をたのむぞ。"
],
[
"浜におります漁師の角蔵でござります。",
"むむ、角蔵か。",
"女房と二人づれで参りました。"
],
[
"むむ。先年来たときよりも寒いようだ。このあいだはお母さまと久助が川崎でお豊に逢ったそうだな。",
"はい、はい。丁度に御新造さまにお目にかかりまして、いろいろ御馳走さまになりました。"
],
[
"いや、親切にありがとう。お父さまは勿論、わたしたちも随分気をつけることにしよう。",
"どうぞくれぐれもお気をおつけ遊ばして……。"
],
[
"いずれ又うかがいます。旦那さまにもよろしく……。",
"むむ。逗留中は又来てくれ。"
],
[
"どうした、鷲は……。",
"いけねえ。いけません。三羽ながらみんな逃げてしまいました。"
],
[
"お蝶か。お前の親父もおふくろも、たった今わたしの宿へたずねてきた。",
"そうでございましたか。"
],
[
"あなたのお父さまはわたしのかたきです。",
"かたき……。"
],
[
"わたしの親はあなたのお父さまに殺されるのです。",
"おまえの親……。角蔵夫婦じゃあないか。",
"いいえ、違います。今のふた親は仮りの親です。わたしの親はほかにあります。どうぞその親を殺さないで下さい。殺せばきっと祟ります。執り殺します。"
],
[
"わかった、判った。おまえの親はあの方角から来るのだな。よし、判った。わたしからお父さまに頼んで、きっと殺さないようにしてやる。安心していろ。",
"きっと頼んでくれますか。",
"むむ、頼んでやる。して、おまえの親の名はなんというのだ。",
"世間では尾白といいます。"
],
[
"もう五つ(午前八時)だろうな。",
"そうでございましょう。"
],
[
"では、ここでお別れ申します。",
"まあ、宿へ帰って休息していろ。今も言う通り、どうせ昼のうちは休みだ。"
],
[
"お蝶はどうした。",
"さっきお宿へ出ました留守のあいだに、どこへか出まして帰りません。"
],
[
"はい。おかげさまで達者でございます。",
"別に変ったこともないか。",
"はい。"
],
[
"かしこまりました。",
"忙がしいところを、邪魔をしたな。"
],
[
"おい、焦らさないで正直に言ってくれ。おまえは狐で、おれを化かすのか。それとも本当のお島か。",
"島でございます。",
"お島か。",
"はい。",
"それで安心した。宿へ帰っては親父が面倒だ。おまえの家には病人がある。お前は土地の生れだから、いいところを知っているだろう。どこへでも連れて行ってくれ。"
],
[
"な、なんでございます。",
"鷲の羽音がきこえる。支度をしろ。"
],
[
"はは、かたきは殺された。ははははは。",
"なに、かたきが殺された……。久助、見て来い。"
],
[
"旦那さま……。若旦那が……。",
"又次郎がどうした。",
"は、はやくお出でください。"
]
] | 底本:「鷲」光文社文庫、光文社
1990(平成2)年8月20日初版1刷発行
底本の親本:「異妖新篇―綺堂読物集第六巻」春陽堂
1933(昭和8)年2月
初出:「婦人公論」
1932(昭和7)年7月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※表題は底本では、「鷲《わし》」となっています。
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:松永正敏
2006年10月31日作成
2020年1月20日修正
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"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kido",
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"底本出版社名1": "光文社文庫、光文社",
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"底本の親本名1": "異妖新篇—綺堂読物集第六巻",
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} |
[
[
"からだを、だいじにな。",
"がんばれやなあ。"
],
[
"まさか。",
"ばかだねえ、よしむらは。"
],
[
"そりゃそうだろう、波の作品だよ。",
"こんな石をけずるなんて、人間にできるものか。いくらよしむらのように気が長くても。"
],
[
"ほら、いつも、いってるように、ぼくは働いているんだ。働きながら学校へいってるんだ。ところが、そのために、学校へ出席する日数がたりなくて、ことしは、試験をうける資格を、とうとうなくしちゃったんさ。",
"へへえっ。"
],
[
"うん、あれだ、あの三つ星。",
"知っていますよ。あれは、ぼくが、山をおりて駅へきたとき、ちょうど、駅のま上に光っていた星ですもの。",
"あれは、なんという星なのか、いってみろ。",
"いや、名はしりません。"
]
] | 底本:「信州・こども文学館 第5巻 語り残したおくり物 あしたへの橋」郷土出版社
2002(平成14)年7月15日初版発行
底本の親本:「岡本良雄童話文学全集 第二巻」講談社
1964(昭和39)年
初出:「銀河 3巻2号」新潮社
1948(昭和23)年2月
入力:sogo
校正:持田和踏
2023年4月17日作成
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"作品名読み": "ラクダイよこちょう",
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"初出": "「銀河 3巻2号」新潮社、1948(昭和23)年2月",
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"姓読み": "おかもと",
"名読み": "よしお",
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"名読みソート用": "よしお",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Yoshio",
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"生年月日": "1913-06-10",
"没年月日": "1963-02-06",
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"底本名1": "信州・こども文学館 第5巻 語り残したおくり物 あしたへの橋",
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[
[
"もう、きつねが渡ったよ。",
"きつねが渡ったから、乗ったっていいだろう。"
],
[
"なぜですか、お母さん?",
"おしずが、おまえを呼ぶのです。"
]
] | 底本:「定本小川未明童話全集 7」講談社
1977(昭和52)年5月10日第1刷発行
1982(昭和57)年9月10日第6刷発行
底本の親本:「未明童話集5」丸善
1931(昭和6)年7月10日発行
※表題は底本では、「愛《あい》は不思議《ふしぎ》なもの」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:館野浩美
2019年3月29日作成
2020年11月1日修正
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[
[
"どんなものと?",
"万年筆と……。",
"いつかのかい、あんなものはいやだ。だってプラチナがなくなって、そのうえ、こわれているんじゃないか? あんなもの、字なんか書けやしないもの。",
"じゃ、僕の持っているもので、なんでも、君の好きなものと換えてくれないか。"
],
[
"万年筆だといいのだがなあ……。君、万年筆では、だめかい?",
"あんな、君んちの、姉さんの持っていた、お古なんかいやだ。"
]
] | 底本:「定本小川未明童話全集 8」講談社
1977(昭和52)年6月10日第1刷発行
1982(昭和57)年9月10日第6刷発行
底本の親本:「青空の下の原っぱ」六文館
1932(昭和7)年3月
初出:「婦人倶楽部」
1932(昭和7)年1月
※表題は底本では、「青《あお》い石《いし》とメダル」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:藤井南
2015年12月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "052533",
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"作品名読み": "あおいいしとメダル",
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[
"まったくふしぎなふえじゃないか。",
"なんにしてもありがたいことだ。"
]
] | 底本:「定本小川未明童話全集 14」講談社
1977(昭和52)年12月10日第1刷発行
1983(昭和58)年1月19日第5刷発行
底本の親本:「たのしい三年生」
1957(昭和32)年1月
初出:「たのしい三年生」
1957(昭和32)年1月
※表題は底本では、「青《あお》い玉《たま》と銀色《ぎんいろ》のふえ」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:酒井裕二
2017年11月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "051496",
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"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2017-12-25T00:00:00",
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"名読み": "みめい",
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"名読みソート用": "みめい",
"姓ローマ字": "Ogawa",
"名ローマ字": "Mimei",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1882-04-07",
"没年月日": "1961-05-11",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "定本小川未明童話全集 14",
"底本出版社名1": "講談社",
"底本初版発行年1": "1977(昭和52)年12月10日",
"入力に使用した版1": "1983(昭和58)年1月19日第5刷",
"校正に使用した版1": "1977(昭和52)年12月10日第1刷",
"底本の親本名1": "たのしい三年生",
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"底本の親本初版発行年1": "1957(昭和32)年1月",
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"入力者": "特定非営利活動法人はるかぜ",
"校正者": "酒井裕二",
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"テキストファイル文字集合": "JIS X 0208",
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