chats
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---|---|---|
[
[
"わるさって、どんなわるさをするんです。",
"雲の上から、でっかい手が、ニューッとおりてきて、ニワトリや畑のものをつかんでいくんだって。牛や馬でも、つかみころされたことがあるくれえよ。",
"ねえさんは、その大きな手を、見たことがあるの?",
"いんや、わしは見ねえけんど、大ぜい見た人があるだよ。そのばけものの腕は、ふたかかえもあるマツの木のような、でっけえ腕だとよ。"
],
[
"もう一郎君の耳にはいったのかい。ばかばかしい怪談だよ。雲の上から巨人の手が出て、いろんなものをつかんでいくなんて、そんなことが、信じられるかい。きっと、どろぼうがいるんだよ。いろんなものをぬすんでおいて、そんな、巨人のうわさをいいふらし、自分のつみをのがれようとしているんだよ。",
"じゃ、おまわりさんが、しらべればいいんですね。この村にだって警察があるんでしょう。"
],
[
"きみたち、東京からきているんだね。わたしも東京だよ。この温泉は、しずかでいいね。きみたち、いつまでいるの。",
"四―五日いるつもりです。"
],
[
"雲の中から、巨人の腕が出てくるんだ。まだ人間はやられないが、動物は、ずいぶんやられているらしい。その大きな腕で、牛でもなんでも、つかんでいくんだって。",
"それ、ほんとうでしょうか。いなかの人は、迷信ぶかいから、つまらないことから、そんなうわさがひろがっているんじゃないでしょうか。"
],
[
"ぼくたちだけで、たいじしたんじゃない。ほんとうは明智先生なんです。おじさんたち、明智先生を知っているでしょう。",
"うん、新聞でね。きみたちは、あの名探偵の弟子なんだね。それで、こんどの巨人の腕の秘密を、とこうというわけか。",
"ええ、そうなんです。もし、ここに明智先生がおられたら、きっと、巨人の秘密を、とかれると思います。けっして、逃げだしたりなんかしないと思います。ですから、ぼくたち、もうすこしここにいて、やってみるんです。"
],
[
"ぼく、どうしても、わからないな。そんなでっかい巨人なんて、この世界にいるんだろうか。キングコングやゴジラなんて、みんな、つくり話でしょう。動物でさえ、そんな大きなのはいないんだから、人間の巨人なんて、いるはずがないんだがなあ。",
"ハハハ……、ノロちゃんは、おくびょうもののくせに、いいことをいうね。それじゃきみは、おばけがこわくないのかい。"
],
[
"ハハハ……、そこがばけものだよ。巨人は、腕ばっかりで、からだがないのかもしれない。それにノロちゃんは、おとといの晩、犬がつかみあげられるのを、その目で見たんだろう。こんなたしかなことは、ないじゃないか。",
"うん。でも、巨人の腕は、よく見えなかったよ。まっ黒な腕だから、見えなかったのかもしれないけど。"
],
[
"おい、井上君、ノロちゃん、なんだろう。ばかにやかましいね。",
"うん、へんだね。また、巨人の腕があらわれたんじゃないかしら。"
],
[
"下へいってみよう。",
"うん、そうしよう。"
],
[
"しかし、巨人の腕が、つかみとったとすれば、列車ぜんたいが、ひどくゆれただろうが、機関士も車掌も、それを感じていないのはへんだね。",
"そこが魔物だよ。人間の知恵では、考えられないことが、あのばけものには、ぞうさなくやれるのかもしれない。",
"だが、貨車を一つだけつかみあげたとすれば、七両めからあとの貨車は、連結が切れてしまうから、そこにとりのこされたはずじゃないか。"
],
[
"いや、おさっししますよ。日ごろは平和な村で、事件がなくてこまるほどだが、こんなとほうもない大事件がおこっては、あんたも、たいていじゃありませんな。",
"うん、いなかの分署長には、手におえませんわい。警視庁の名探偵でも、きてくれなくっちゃね。ハハハ……。"
],
[
"おじさん、わかりましたよ。ぼくらの団長の小林さんが発見したんです。幸ちゃんってこどもね、あの子はわるものに、お金をもらって、みんなをだましていたんです。いまここへつれてきますよ。",
"え、なんだって? 幸ちゃんが、うそをついていたんだって?"
],
[
"幸ちゃんは、うそつきの名人だそうですね。でも、こんどは、一晩、うちへ帰らなかったし、あんな高い木の上で泣いていたので、みんながほんとうだと思ったのです。だまされてしまったのです。ぼくは、井上君とノロちゃんが、白犬が空にのぼっていくのを見たときから、考えつづけていました。明智先生のやりかたをまねて、いっしょうけんめいに考えたのです。そして、巨人の腕の秘密を、といたのです。",
"なに、きみが、秘密をといたって?"
],
[
"さすがは、少年探偵団の団長だね。おじさんも感心したよ。それじゃ、ほかのことも、きみには、わかっているんだろうね。ニワトリが盗まれたことだとか、牛が足をおったことだとか、畑に、大きな穴があいていたことだとか、それから、きみたちのうちふたりが見た、白犬が、つかみあげられたことだとか……。",
"みんな、うそっぱちですよ。"
],
[
"犯人は変装していたと思います。ですから、幸ちゃんにもわからないのです。ぼくも、たしかなことはいえません。でも、あれではないかという、容疑者はあります。",
"なに容疑者まで、わかっとるのか。"
],
[
"まだいまのところ、うたがいだけです。ほんとうのしょうこはありません。でも、早くその容疑者をつかまえて、しらべてみる値打ちはあると思います。ですから、分署長さんだけに、お話します。もし、まちがっていたら、その人にもうしわけありませんからね。",
"いや、まいった、おとなもおよばぬ心づかいじゃ。小林君、わしは、年はきみの三倍もあるが、これからきみの弟子になりたいもんじゃね。うん、よしよし、廊下へ出て、そっと、きみの話を聞きましょう。"
],
[
"森の中です。ごぞんじのように、横目駅と、矢倉駅の間に、森野製材株式会社のためにひいた、専用の支線があります。材木をつみだすことは、月に五―六回しかありませんから、へいぜいは、つかわない線です。あの支線の通り道に、ちょっとした森がありますね。その森のまん中に、貨車がとめてあったのです。横目駅の駅員が、つい今しがた、それを発見したんです。",
"で、中の美術品は?",
"かさばるものは、そのまま、のこってますが、持ちはこびのできる目ぼしいものは、すっかりなくなっています。近くの農家から、聞きこんだのですが、あの晩、そのへんを、トラックの通る音がしたということです。犯人がトラックで、美術品をはこんだらしいのです。",
"やっぱり、そうだったか、小林君が明察したとおり、巨人の腕じゃなかった。やっぱり犯人は人間だったね、……よしっ、それじゃ、きみ、いそいで本署へかけつけてくれたまえ。容疑者の手配だっ。そいつの写真がここにある。……ご主人、ちょっと。"
],
[
"それじゃ、説明してごらん。いったい、どうしてあの貨車を、とりはずしたんだね。",
"ぼく、紙と鉛筆を持ってきます。絵を書かないとうまく話せませんから。"
],
[
"ええ『三人』だったということもあります。それから、白犬の事件のあった晩、三人の中のひとりが野天ぶろへはいってきて、巨人の腕の話をして、ぼくたちをこわがらせようとしたのです。そのときからぼくは、なんだかへんだなと、思っていました。それで、あの三人に、気をつけていると、いろいろあやしいことがあったのです。",
"うん、そうじゃろう。きみのような少年に、にらまれては、やつらも、運のつきじゃったのう。ワハハハ……。"
],
[
"おい、吉報だぞ、別荘のご主人から電話でね、きみたち三人をつれて、すぐにきてくれというんだ。百万円のお礼を、早くわたしたいからってね。……だが、小林君、百万円もらったら、きみはどうするつもりだね。",
"少年探偵団の基金にして、明智先生にあずけます。そうすれば、探偵七つ道具だって、団員みんなに買ってやることができますからね。"
]
] | 底本:「おれは二十面相だ/妖星人R」江戸川乱歩推理文庫、講談社
1988(昭和63)年9月8日第1刷発行
初出:「少年クラブ 増刊」講談社
1956(昭和31)年1月15日発行
入力:sogo
校正:大久保ゆう
2018年8月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "056687",
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"初出": "「少年クラブ 増刊」1956(昭和31)年1月15日",
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"公開日": "2018-09-15T00:00:00",
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[
[
"うん、そうだよ。東京タワーの鉄骨を、火星人とそっくりのやつが、はいおりているんだよ。",
"どれ、見せてごらん。"
],
[
"きさま、うつぞっ、ピストルがこわくないのか。",
"ワハハハハ……、ピストルなんか、こわくてどうする。うつなら、うってみろ。"
],
[
"きみは小林君だね。ぼくはデンジンMというもんだ。",
"え、どなたですか。",
"デンジンM。",
"デンジンって?",
"電気の電と、人物の人だ。電気の人間という意味だ。電人Mというのが、ぼくの名だ。"
],
[
"その電人Mが、ぼくになんの用があるのですか。",
"きみに会いたいのだ。",
"どんな、ご用ですか。",
"電話では言えない。会ってから話す。きょう午後四時きっかりに、日本橋のMビルの屋上へきてもらいたい。ぼくは屋上で待っているからね。"
],
[
"じゃあ、きみがロボットにばけていたんだね。",
"そうだよ、ロボットの衣しょうはこまかくおりたたんで、このかばんの中にいれてある。まさか、あんなに早くロボットが人間にかわるなんて、おもいもよらないものだから、おまわりさんたちも、すっかりだまされてしまったのさ。それを、きみだけが見やぶったのは、さすがに明智探偵の弟子だよ。"
],
[
"じゃあ、きみが、さっき電話をかけてきた電人Mなのかい。",
"いや、そうじゃない、電人Mというのは、おれたちのおかしらだ、おれはその部下なのさ、電人Mがどんなにおそろしいおかただか、いまに、きみにもわかるときがくるだろうよ。",
"それにしても、きみは、ぼくがつけてくるのをしりながら、なぜにげなかったの。ぼくをここへおびきよせたのは、なんのためなんだい。",
"それは、おもしろいものを見せてやろうとおもったからさ。つまり、宣伝のためだよ。",
"えっ、宣伝のためだって。",
"そうさ、宣伝さ。そのために、おれたちは電光ニュースや、広告塔にいたずらをしたり、印刷した紙をばらまいたり、火星人のような怪物をあらわしたり、ロボットを空へとばしたりしているんだ。",
"ロボットといえば、きょうのきみのロボットと、あの空へとんだロボットとは、つくりかたがちがうんだね。",
"そうだよ。空へとんだやつは、ビニールの風船だよ。ロボットのような形にして、色をぬってごまかしてあるのさ。水素がいっぱいつめてあるので、鉄の靴さえぬげば、とびあがるようになっているのだ。そのうえ、胸のところは、防弾チョッキのように、軽いじょうぶな金属がついているのさ。",
"じゃあ、あの中に人間がはいっていたの。",
"いや、人間なんかはいってやしない。はいっていたら、あんなにとべないよ。ただの風船さ。",
"それじゃ、どうして、ものを言ったんだい。",
"ロボットの胸に、無線電話のラウド・スピーカーが仕掛てあって、遠くから、おれたちの仲間がしゃべっていたんだよ。あそこのコンクリート塀の中からね。ロボットを歩かせるのも、重い靴をぬがせるのも、みんな無線操縦でやっていたのさ。",
"タコのような火星人は?",
"中に人間がはいっていたんだよ。あれもビニールでこしらえたものだが、じつにうまくできている。絵にかいた火星人そっくりだからね。六本の足のうち四本は人間の足と手がはいっているが、あとの二本は、ただブラン、ブランと、さがっているだけなのさ。"
],
[
"で、そんなことをやって、なにを宣伝しようとしたんだい。",
"わかってるじゃないか。月世界旅行へさそったのさ。",
"えっ、月世界旅行だって?",
"ハハハハ……、きみは、まだ気がつかないのかい。ほら、あそこを見てごらん。"
],
[
"あっ、あそこにも月がある。",
"あれは地球だよ。月世界から見た地球だよ。"
],
[
"あっ、あそこに日本が見える。あれだよ。あの小さい島だよ。",
"東京はどこだろう。",
"東京なんて、ここから見えるもんか。"
],
[
"先生、塀の外に、へんなやつがウロウロしてますよ。先生の発明をねらっているのじゃないでしょうか。",
"へんなやつって、どんなやつだ。",
"恐ろしくでっかいやつです。相撲取りみたいな、まっ黒なやつです。",
"まっ黒だって?",
"ええ、からだじゅう、まっ黒です。頭はぼくの三倍ほどもあって、まっ赤な目が光っているのです。",
"きみはどうかしたんだよ。そんな化け物が、町を歩いているはずはない。まぼろしでも見たんだ。"
],
[
"先生、その怪物は電気ロボットに、似ていますねえ。",
"え、ロボットというと。",
"ほら、月世界旅行の見世物が、前宣伝に使ったやつですよ。タコのような火星人と、ものすごい電気ロボットが、方ぼうにあらわれて、世間をさわがせたことがあるでしょう。",
"ああ、そうだ。治郎の見た怪物は、新聞にスケッチの出ていた、あの電気ロボットとそっくりですね。だが、その電気ロボットが、どうして、わたしの家へやってくるのでしょう。"
],
[
"おお、木村君、あいつはどうした。あのロボットはどうした。",
"え、ロボットですって。",
"じゃあ、きみは、あいつに出あわなかったんだな。それじゃ、まだ研究室にいるかもしれない。行ってみよう。"
],
[
"知らない。博士は、助手のぼくにも、その秘密を、打ち明けられないのだ。",
"ほんとうか。",
"ほんとうだ。ぼくは、助手といっても、雑用をしているだけで、かんじんなことは、みんな先生が、自分でなさるのだ。",
"それなら盗みだせ。博士の発明を書いた化学式を盗みだして、おれにくれたら、五十万円やる。どうだ。",
"だめだ。いろんな化学式を書いたノートは、たくさんあるけれども、発明のいちばん大事なところは、先生の頭の中にあるんだ。たとえ、一度はノートに書いても、だれにも見せないで、焼いてしまわれるのだ。",
"だが、おまえが、一生けんめい探りだそうとすれば、探りだせるだろう。それをやってくれ。ほうびは五十万円だ。",
"だめだ。ぼくにはできない。",
"よし、それなら、一月待ってやる。そのあいだに、探りだせ。もし一月のあいだに、探りださなかったら、おまえは、恐ろしい目にあわされるんだぞ。死ぬよりも恐ろしいことだ。わかったか。それじゃあ、きょうは、このまま帰れ。きっと約束したぞっ。"
],
[
"ぼくも、そのつもりです。しかし、相手はえたいのしれない、恐ろしいやつです。このうえ、どんな方法を考えだすかしれません。先生も油断をなさらないように。",
"うん、それは知っている。すぐに、このことを警察に知らせておこう。"
],
[
"あ、どうしたんだ。きみの顔は、まっさおだぞ。",
"ちょっと、ちょっと、はやく。"
],
[
"おかしいなあ。先生は、いましがた、治郎さんを研究室へ呼んでくれとおっしゃって、ぼくが治郎さんをつれていったばかりですよ。先生が研究室にいらっしゃらなかったとすると、あんな命令をしたのは、だれでしょう?",
"きみは、わしの顔を見たのかね。",
"いいえ、声を聞いたばかりです。ドアをちょっと開いて、中からぼくの部屋へ声をかけられたのです。ですから、先生の顔を見たわけじゃありません。",
"そりゃ、おかしい。すぐにいってみよう。わしは治郎を呼んでこいなどと言ったおぼえはないのだ。"
],
[
"いやだっ。きみなんかと、いっしょに行くのは、いやだっ。",
"なんといってもだめだぞ。おれはおまえをつれていくのだ。"
],
[
"この車は、あなたのですか。",
"そうです。六〇年のシボレーです。番号も合っています。すると、電人Mというロボットが、いつのまにか、わたしの車を盗みだして、使っていたのでしょうか。",
"そうとしか考えられませんね。あいつは、自動車のかぎも、このとびらのかぎも、あなたから盗むか、同じかぎをつくらせて、もっていたのでしょう。なにか心あたりはありませんか。",
"あっ、そういえば、一週間ほど前、その二つのかぎが、なくなったことがあります。しかし、二日ほどすると、ひょっこり、机の引出しから出てきたので、置き忘れたのだろうと思っていましたが、あのとき、盗みだして、型をとったのかもしれません。"
],
[
"思いません。",
"すると、そういうふしぎは、どうして起こったのだろうね。",
"電人Mのトリックです。",
"そのトリックの秘密は?",
"ぼくには、わかりません。先生、先生の力で、調べてください。ぼくには、とてもわからないのです。"
],
[
"それでは、これから、家の中を調べさせていただきましょう。ところで、助手の木村さんという方は、おいでになるでしょうね。",
"ええ、自分の部屋におります。その部屋は研究室のすぐ前にあるのです。",
"そうですか。では、あちらで、木村さんにもお会いしましょう。"
],
[
"おお、明智君、さっきの電話でやってきた。きみの指図のとおり、この家の表と裏に、三人ずつ見張りの刑事を立たせてある。ここにいるふたりも、ぼくの課の刑事だ。",
"うん、よくやってくれた。きみたちは、ここにいてくれたまえ。犯人はこの家の中にいるんだ。",
"えっ、この家の中に?",
"うん、いまにわかる。部屋にはいって、ドアのところに、がんばっていてくれたまえ。"
],
[
"そうです。このテープ・レコーダーに電人Mの声も治郎君に似せた声も吹きこんであって、それを、都合のよいときに、回転させたのです。これで密室のなぞが解けました。電人Mと治郎君が争う声がしていたとき、研究室にはだれもいなかったのです。スピーカーの声だけが聞こえていたのです。",
"それじゃ、そのとき治郎は、どこにいたのでしょう?",
"秘密の箱の中ですよ。",
"えっ、それじゃあ、この……。",
"そうです。このベッドに仕掛た、秘密の箱の中に、入れられていたのです。おそらく、さるぐつわをはめられたうえでね。",
"そうでしたか。そして、さわぎが静まったあとで、外に連れ出し、あの自動車に、乗せたのですね。しかし、まだわからないことが、いろいろあります。最初の晩、電人Mが階段からおりてきたとき、あいつは、たしかに研究室の方へ来たのです。この廊下は行き止まりの一本道です。どこも逃げるところはありません。それでいて、あいつは、廊下をもどってこなかった。きえてしまったのです。"
],
[
"あのとき、電人Mが研究室の方へ行って、しばらくすると、この助手部屋から、木村君が出てきたということですね。あなたがピストルを持って、待ちかまえているところに、電人Mではなくて木村君があらわれたのですね。",
"そうですよ。すると……。"
],
[
"あのとき、出てきたのはこの木村君でした。それじゃ、木村君が電人Mに化けていたのですか。",
"そうです。この男が電人Mなのです。こいつは、あなたの発明を盗もうとして、助手になって住みこんだのですが、あなたが、どうしても秘密をうちあけないので、治郎君をどこかにかくして、治郎君とひきかえに、あなたの発明の秘密を、手に入れようとしたのです。"
],
[
"しかし、おかしいですね。木村君は、いつかの晩、電人Mのために、神社の森の中に連れこまれて、おどかされたことがあるのです。木村君が電人Mだとすると、あの事件の説明ができないじゃありませんか。",
"その事件は、木村君が自分で話したのでしょう。あなたは見たわけではありません。だれも見たものはないのです。話だけなら、どんな作り話だってできますよ。",
"ふーん、そうだったのか。あの話はみんなうそだったのか。"
],
[
"木村君は貧乏ですよ。電人Mのあの金のかかる変装を、どうして作らせることができたのでしょう。",
"貧乏ではありません。こいつはたいへんな金持ですよ。",
"えっ、この木村君がですか。",
"そうです。見たところ、青年のような顔をしていますが、じつはもっと年とっているのです。この顔は、にせの顔です。"
],
[
"中村君、きみともしばらくだったねえ。元気で、けっこうだ。いや、心配しなくてもいい。おとなしく、きみに連れられて行くよ。さあ、手錠をかけたまえ。しかし、おれは、まだ、負けたんじゃないぞ。おれの知恵には、奥底がないからなあ。ハハハハ……。",
"負け惜しみを言うな。こんどこそは、うんと、あぶらをしぼってやるぞ。"
],
[
"それよりも、遠藤治郎君を助けださなければならない。治郎君はどこにいるんだ。",
"それは、あのガレージと関係がある。だから、おれをガレージに連れて行かなければ、治郎君を帰すことはできないよ。",
"それじゃあ、治郎君は、そのガレージのどこかに、かくしてあるのか。",
"それは、どうだかわからない。たぶん明智君が、よく知っているだろうよ。さあ、明智君、行ってみよう。"
],
[
"先生は消えてしまったんです。",
"ほんとうか。いったい、どうしたんだ。"
],
[
"いや、知るもんですか。わたしは、この家を前の持ち主から、ガレージつきで買ったのですよ。こんな仕掛をしたのは、前の持ち主でしょうか。",
"前の持ち主というのが、じつは二十面相か、かれの部下だったかもしれませんよ。そして、なにくわぬ顔で、あなたに売りつけ、いざというときに、このガレージをかくれ場所にするつもりだったのでしょう。"
],
[
"そうだよ。あいつは、方ぼうに、これを用意しておくのだ。いつでも使えるようにね。",
"それにしても、どうして、この鉄板の床をあげ下げするんだ。どっかに、スイッチでもあるのかね。",
"鉄板には鉄のびょうが打ってある。そのひとつが、スイッチがわりになっているのさ。たくさんのびょうの中から、そいつを捜すのに、ちょっと、骨がおれたがね。",
"ふうん、それで、さっき小林君が、すみっこにしゃがんで、なにかやっていたんだね。すると、きのう、電人Mのやつが治郎君をさらったときには……。",
"そうだよ。いちど自動車をさげて、治郎君といっしょに、この地下室にかくれ、からの自動車を上にあげて置いたのさ。いくら調べてもわからないので、みんなが帰ってしまう。それを見すまして、もう一度、床を下げたり、あげたりして、上にあがり、人通りのないときに、ガレージの戸を開けて、どっかへ逃げてしまったのさ。電人Mの姿では、人目につくので、変装衣装は、ここにぬぎすてていったというわけだよ。"
],
[
"二十面相君、どうだね、きみもそこから見ていてわかっただろう。ガレージの秘密は、すっかりばれてしまったよ。この勝負は、ぼくが勝ったようだね。",
"うん、さすがは明智先生だ。感心したよ。このガレージは、おれが、ずいぶん金をかけて、造っておいたものだ。それを桜井さんに買ってもらったが、ガレージの秘密までは、教えなかったというわけさ。",
"二十面相君のやりそうなことだ。きみは世間を驚かすためには、惜しげもなく金を使う男だからね。ところで、約束だよ。さあ、治郎君のいるところを、白状したまえ。"
],
[
"きみは、それがわからないのかね。ほんとうにわからないのかね。",
"残念ながら、わからないよ。"
],
[
"二十面相君、なぜ黙っているんだ。なにを考えているんだ。",
"奥の手だよ。"
],
[
"ヘリコプターだよ。",
"えっ、ヘリコプターだって?"
],
[
"いや、ぼくらが負けたわけじゃないよ。",
"えっ、それはどういう意味だね。",
"あいつに、奥の手があれば、ぼくの方にも、奥の手があるということさ。",
"えっ、このうえに、まだ奥の手があるのか。それは、いったい……。",
"まあ、ぼくにまかせておきたまえ。ぼくはきっと、あいつのすみかを、つきとめてみせる。そこへ行く道がわかったのだよ。それには、少年探偵団の、からだの小さい子どもがいい。小林君、ポケット小僧がいいよ。あの子なら、きっとやれる。",
"ええ、ポケット君なら、大丈夫です。かばんの中にかくれて、奇面城にのりこんだくらいですからね。"
],
[
"ポケット君、しっかりやってくれよ。こんどは、いままでにない大仕事だからね。",
"うん、大丈夫だよ。きっと、治郎さんを、捜しだしてみせるよ。",
"それじゃ、ぬかりなくね。",
"うん、わかったよ。小林さんは、もう上がってもいいよ。"
],
[
"そうです。ごらんのとおり、博物館の番人の制服を来てはいりこんだのです。そして、ほんとうの番人に麻酔薬をかがせて、物置の中に、ほうりこんでおいて、やすやすと、この掛け軸を手にいれました。ほかの番人は、わたしを仲間だと思っているので、逃げだすのもわけはありませんでした。",
"ありがとう。これで国宝が十二点になったよ。だが、まだまだだ。いずれは博物館の美術品を、全部ちょうだいするつもりだからね。"
],
[
"電人Mばんざーい。",
"電気の国ばんざーい。"
],
[
"おい、なにかいるよ。犬じゃないか。",
"いや、犬にしては、かみつきかたが小さいよ。ネズミだろう。",
"ネズミが人間にかみつくもんか。なにか、怪しい動物が、まぎれこんでいるんだ。",
"おい、懐中電灯をつけて、捜してみよう。"
],
[
"あっ、まっ黒なやつがいる。",
"人間だ! 人間の子どもだ。",
"よし、つかまえてしまえ。"
],
[
"あっ、そっちへ行ったぞっ。",
"さあ、つかまえたっ。……あらっ、すべり抜けちゃった。なんて、すばやいやつだ。",
"痛いっ、おれのお尻に、かみつきやがった。こん畜生。"
],
[
"おやっ、どこへ行ったんだ。",
"休憩室へ、逃げたらしいぞ。"
],
[
"明智さん、わたしは、思いきって、やってみようかと思うのです。",
"え、なにをですか。",
"わたしの発明を、使ってみるのです。",
"ああ、あなたの発明は、世界を滅ぼすほどの偉大な力だときいていますが……。",
"そうです、原水爆のように人を殺さないで、しかも世界を思うままにできるのです。",
"その力を、二十面相を滅ぼすために、使うのですか。"
],
[
"そうです。五日あればどんなことだってできるでしょう。ひとつの国の政府を変えてしまうことだって、わけはありません。",
"軍隊はもちろんですが、警察でも、その力を持っていたら、なんでもやれますね。",
"そうです。ですから、わたしの発明のことを、つたえきいて、いろいろな外国人が、買いとりにやってくるのです。しかし、わたしはけっして売りません。これを手にいれた国は、世界を思うままにできるからです。",
"さすがに二十面相のやつは、そこに目をつけたのですね。そしてあなたの助手になりすまして、発明を盗もうとした。"
],
[
"しかし、きみは二十面相たちに、顔を知られている。",
"変装しますよ。ぼくは、変装は得意なんです。"
],
[
"小林君なら大丈夫です。変装の名人ですよ。よく女の子に化けることがありますが、顔も声も女の子になりきってしまって、だれも気がつかないほどです。",
"そのことは、わたしも、聞いています。それに頭がよく働いて、勇気があるのだから、まず申し分ないでしょうね。それでは、小林君に、この大事な仕事を、頼むことにしましょう。",
"それはいつですか。",
"二十面相と部下が、この次にプラネタリウムに集まって、会議を開く日です。一週間に一度というのだから、このつぎの金曜日ですね。",
"で、その銀色の玉を、どこにおいてくるのですか。"
],
[
"遠藤さん、治郎君は大丈夫ですか。治郎君もあの地下室に閉じこめられているのですから、やっぱり、その力の作用を受けるのではありませんか。",
"受けます。しかし、死ぬわけでも傷つくわけでもありません。二十面相を滅ぼすためには、わたしの子どもが同じ力の作用を受けるぐらいは、しかたがないのです。わたしが、こういう決心をしたのも、自分の発明に自信があるからです。治郎はその作用を受けても、すこしも心配はありません。"
],
[
"決心した。しかし、治郎とひきかえだよ。間違いないだろうね。",
"大丈夫です。ぼくは約束にそむいたことはありません。あなたが、秘密をうちあけて、お帰りになるときには、治郎君といっしょです。治郎君は元気ですよ。",
"それさえ、間違いなければ、わたしのほうは、あすの晩がいい。",
"何時です。",
"九時としよう。あすの土曜日の午後九時。場所は、きみにまかせる。",
"むろんですよ。場所をあなたのほうできめたら、警官隊が待ち伏せしているにきまってますからね。",
"だから、きみの好きなところへ行くよ。",
"では、八時半に、おたくへ、自動車をむかえにやりましょう。あなたのお知合いからということにして、その車には、ぼくの部下が乗っていて、あなたに目かくしをし、さるぐつわをはめます。乱暴はしませんから、それだけはお許しください。目かくしは、ぼくのすみかをわからせないためです。",
"わかった、わかった。"
],
[
"爆発の力は、こっちのほうにも、作用しているのでしょうね。",
"そうです。治郎もやられているに、ちがいありません。あの銀色の玉には、上下左右、直径百五十メートルのなかにあるものは、みんなやられるような力が、仕掛てあったのですから、二十面相のすみかにも、むろん、作用しています。たとえ、部下のやつが、こっちのほうに、残っていたとしても、そいつらも、やられているのです。"
],
[
"明智先生、バンザーイ。",
"小林団長、バンザーイ。"
],
[
"二十面相が、この発明に目をつけたのは、いかにも、あいつらしいですね。あいつはヒトラーになりたいのです。あいつは、人を殺したり、傷つけたりして、血を見ることが、大嫌いですから、この発明は、あいつにはもってこいだったわけですね。",
"そうです。わたしとあいつとの考えは、その点では同じでした。あいつが、これを盗むために、あれほど一生けんめいになったのも、無理はありません。",
"で、あなたは、この発明をどうするつもりですか。"
],
[
"滅ぼします。",
"えっ、滅ぼすとは?"
]
] | 底本:「仮面の恐怖王/電人M」江戸川乱歩推理文庫、講談社
1988(昭和63)年8月8日第1刷発行
初出:「少年」光文社
1960(昭和35)年1月号~12月号
入力:sogo
校正:茅宮君子
2018年1月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "056689",
"作品名": "電人M",
"作品名読み": "でんじんエム",
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"原題": "",
"初出": "「少年」光文社、1960(昭和35)年1月号~12月号",
"分類番号": "NDC K913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
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[
[
"まあ、あなたがた、ゆうかんね。中学一年じゃ、まだはやいわ。それに、おとうさまやおかあさまが、おゆるしにならないでしょう?",
"いいえ、うちのおとうさまは、明智探偵のファンなのよ。その明智探偵の弟子のマユミさんの、またその弟子になるのですから、おとうさま、きっとゆるしてくださるわ。"
],
[
"アラッ! 人間だわ。どうして、あんな高いところへのぼったのでしょう。",
"でも、まっ黒な羽根のようなものが、ひらひらしてるわ。人間かしら? なんだか大きなこうもりみたいよ。"
],
[
"帰りましょう。",
"帰りましょう。"
],
[
"どうしたんだ。しっかりしなさい。",
"あそこに……。"
],
[
"淡谷庄二郎さんは、おいでになりますか。",
"わたしが淡谷庄二郎です。あなたは?",
"おじょうさんのスミ子ちゃんの、おしりあいのものです。こうもりのような男とおっしゃれば、スミ子ちゃんには分かりますよ。"
],
[
"わかった。きみは予告の盗賊というわけだね。だが、いったいきみはだれだ。予告するほどの勇気があるなら、名まえをいってもいいだろう。だいいち、名もなのらないというのは、礼儀ではなかろう。",
"ぼくの名が聞きたいのですか。",
"うん、聞きたい。",
"聞かなければよかったと、こうかいするかもしれませんよ。",
"なにをばかなことをいっているのだ。さあ、名のりたまえ。"
],
[
"アッ、きみは、あのときの小林君!",
"そうですよ。",
"どうしてここへやってきたんです。どうして、ぼくがここにいるとわかったのです?"
],
[
"それじゃ、まちがいなくおねがいします。ぼくはこれから、まだ一つ、やっておくことがあるのです。それをすませて、すぐに帰ります。",
"よろしい。ぼくも、いまうちあわせたとおりにやるよ。きみのおかげでたすかった。きみは、やっぱり名探偵だよ。ありがとう。"
],
[
"なにをいうんだ。そんなばかなことがあるもんか。われわれ三人が、ずっと見はりをつづけていたじゃないか。",
"三人がですか。"
],
[
"三人だよ。",
"ところが、そうじゃないのですよ。さっき小林君が食事にいったときは、あなたとぼくと、ふたりきりでした。そして、あなたは、ぼくをひとりぼっちにして、手あらいへいったじゃありませんか。"
],
[
"ええなにかあったのです。",
"なぜ、それを早くいわないのだ。いったい、なにがあったのだ。",
"金庫をあけてごらんなさい。わかりますよ。"
],
[
"ピストルをつきつけられたので、どうすることもできなかったのです。それに、あいつは金庫の暗号も知っていました。",
"あいつとはだれのことだ。",
"むろん、怪人四十面相です。こうもりのようなやつでしたよ。"
],
[
"どこにいるんだね?",
"そこに!",
"そことは?"
],
[
"きみだッ! きみが怪人四十面相だッ!",
"ワハハハハ……。なにをねぼけているんだ。ぼくは、ここのうちのむすこの一郎だよ。しっけいなことをいうなッ!"
],
[
"うん。四十面相という大泥坊だ。この塀の外へとびおりたんだよ。黒いシャツの上に黒マントをきた、こうもりみたいなやつだ。見なかったかね。",
"アッ、それじゃあ、いまのやつだ。そうですよ、マントをひらひらさせて走っていきましたよ。あっちです。あっちのほうへ、飛ぶように走っていきました。"
],
[
"ホヽヽヽ……、あたし、ほんとうの女なのよ。小林さんと相談して、男に変装して、ずっとまえから、この庭の中にかくれてたんです。あたし、明智探偵の助手の花崎マユミっていうんです。",
"エッ、なんだって?"
],
[
"まあ、すてき。わたし、明智先生は、まえからすきなのよ。そんけいしているわ。わたしも、お弟子になりたいわ。",
"じゃ、話してあげましょうか。マユミさんにおねがいすれば、きっと、いいっておっしゃるわ。ね、少女探偵のなかまにはいらない?",
"ええ、いれて。明智先生や、小林さんにあえるかと思うと、わたし、むねがどきどきするわ。"
],
[
"アラッ、ヨシ子ちゃん、ごらんなさい。あれ、なんでしょう? きみがわるいわ。",
"まあ、あんなところに、あれ、道化師よ。わたし、知らないわ。うちに、あんなものいないわ。"
],
[
"アラッ、あんなことして避雷針の先が、おなかにささってしまうわ。",
"きっと、おなかに鉄の帯をしめているのよ。その鉄にくぼみができていて、そこへ避雷針の先があたっているのよ。いつか、サーカスで、ああいうの見たことあるわ。"
],
[
"わたし、こわいわ。恐ろしいことのまえぶれかもしれないわ。おうちへ帰って、おとうさまに知らせて、しらべていただくわ。",
"ええ、それがいいわ。わたし、おおくりするわ。"
],
[
"あら、もう、いなくなったわ。どこへいったんでしょう。",
"おうちの中へしのびこんだのかもしれなくってよ。早くおとうさまに知らせるといいわ。もし、手だすけがいるようだったら、わたしのうちへ電話してくださいね。うちには、おとうさまも、おにいさまもいらっしゃるから。じゃ、わたし、帰るわ。さようなら。"
],
[
"へんだなあ、それじゃあ地下室じゃなかったのかな。",
"でも、たしかに、下のほうから聞こえたわ。しっ! ちょっとしずかにして、もう一度きいてみましょう。"
],
[
"おにいさま、もういきましょう。さっきのは、きっとわたしの聞きちがいだったのよ。風の音かなんかを、人間の声とまちがえたのかもしれないわ。",
"なあんだ、ヨシ子のあわてもの! ぼく、眠いのに起こされちゃったじゃないか。",
"でも、へんだわ。やっぱりあれは、女の子の叫び声にちがいなかったわ。もしかしたら、スミ子ちゃんじゃないかしら。スミ子ちゃんが、どっか遠いところで、いじめられているのが、ラジオのように、わたしの耳に聞こえてきたんじゃないかしら。",
"そうかもしれないね。そういうのテレパシーっていうんだよ。きみはスミ子ちゃんのこと、いっしょうけんめいに思ってたから、テレパシーがおこったのかもしれない。だが、テレパシーなら、いくらここをさがしたってだめだよ。スミ子ちゃんはずっと遠いところにいるんだろうからね。"
],
[
"淡谷庄二郎さんは、おいでになりますか。",
"淡谷庄二郎はわたしですが、あなたは?",
"おじょうさんのスミ子さんのことで、ちょっとお話したいのです。",
"エッ、スミ子? じゃあ、あの子のゆくえがわかったのですか。",
"わかったのです。",
"あ、ありがとう。で、スミ子はどこにいるのです。あなたはどなたです。",
"わたしが、おあずかりしています。しかし、その場所は、ちょっと、教えられませんよ。",
"エッ、なんですって? いったいあなたは、どなたなんです。",
"わかりませんか。ウフフフ……、わたしですよ。あなたの宝石ばこをぬすみそこなった、あわれな男ですよ。"
],
[
"き、きみは、四十面相だなッ。",
"そうですよ。"
],
[
"で、わたしに、なぜ電話をかけてきたのだ。スミ子のみのしろ金でも、ほしいというのか。",
"金はほしくない。宝石がほしいのだ。おれは、一度しくじったら、おなじものを二度とねらわないことにしているが、あの二十四の宝石だけは、あきらめられない。それで、宝石ばことひきかえるために、スミ子さんをあずかったのだ。けっしてひどいめにあわせたりはしない。ちゃんとごはんをたべさせて、あるところにかくまってある。きみのほうで、あの宝石ばこを持ってくれば、いつでもスミ子さんをかえしてやるよ。",
"どこへ持っていくのだ。",
"きみのうちから半キロほど南に、八幡神社の森がある。今夜十時に、あの神社のとりいのところで待っている。きみ自身が宝石ばこを持って、かっきり十時に、あすこへやってくるのだ。けっしてひきょうなまねはしない。きっと、約束をまもる。警察へとどけてもかまわないよ。しかし、きみはひとりでくるんだ。車に乗ってはいけない。歩いてくるのだ。だれかをつれてきたら、この約束はとりけしだ。スミ子さんは、永久に、きみのうちへ帰れなくなるかもしれない。",
"よろしい、わかった。では、十時に八幡神社のとりいのところへ、宝石を持っていく。そこで、スミ子をわたしてくれるのだろうね。",
"そこでではない。刑事なんかが、ものかげにかくれているかもしれないから、きみを、安全な場所へつれていくのだ。そこで、スミ子さんと宝石ばこを、ひきかえにする。",
"よろしい。約束した。",
"念のためにいっておくが、おれがどこから電話をかけたか、しらべてもむだだよ。これは公衆電話だからな。じゃあ、あばよ。"
],
[
"おい、ヨシ子。どうしたんだ。まっ青な顔をして……。",
"アッ、おにいさま、たいへんよ。時計塔に、道化師がいるわ。ほら、このあいだスミ子ちゃんをさらっていった、あの道化師とそっくりのやつよ。"
],
[
"ああ、あなた、ヨシ子ちゃんね。よかったわ。はやくよ……。",
"え、なにがはやくなの? あなただれ?"
],
[
"わたしよ。スミ子よ。たいへんだわ。あなたのおにいさんが、死にかけている。はやくよ。",
"エッ、死にかけているって? どこで?",
"時計塔よ。時計の文字ばんに、ふたつ穴があいているでしょう。その穴から首を出して、時計の針にはさまれているのよ。はやく、はやくしないと、首が切れちゃうわ。"
],
[
"ゆ、ゆうれいが出たのよ……。",
"エッ、幽霊だって?",
"ええ、目も口もない、まっ白な幽霊よ。",
"なあんだ、夢でも見たんだろう。幽霊なんているもんか。ヨシ子はばかだなあ。いまごろおこされて、ぼく、眠いじゃないか。",
"でも、あたし、こわくて、ひとりでは、寝られないわ。",
"よわむしだなあ。じゃ、しかたがないから、ぼくがヨシ子の部屋へいって本を読んでやるよ。そして、ヨシ子が眠るまで、いてやるよ。"
],
[
"わたしも、そうではないかと思う。だが、なぜヨシ子をおどかすのか、九月二十日がどういう日なのか、それがすこしもわからない。小林君は、これをどう考えますか。",
"それはぼくにもわかりません。しかし、園田さんのおうちには、なにか、四十面相のほしがるような美術品があるのじゃありませんか。あいつは美術品ばかりねらっているのですし、それをぬすみ出す日を予告するくせがありますからね。",
"いや、わたしのうちには、四十面相にねらわれるような、たいした美術品はありません。だからふしぎでしょうがないのですよ。"
],
[
"うん、そうだね。じゃあ、どこで見はりをしようか。",
"むろん、時計塔の五階の機械室だよ。あそこが、いちばんあやしい。さあ、すぐに機械室へいって、ぼくたちのかくれ場所をさがそう。"
],
[
"丈吉君、あれ、山本さんじゃないよ。きっと山本さんに変装した四十面相だよ。だって、十分ほどまえ、ぼくは下で山本さんにあったんだもの。そして、山本さんは、ぼくらがここにいることを知っているんだもの。",
"おどろいたなあ。あれが四十面相の変装かしら、山本さんとそっくりだったよ。",
"そりゃ、変装の名人だもの。だれにだって化けられるよ。あいつは、明智先生に化けたことだってあるんだからね。"
],
[
"こんどは、庭へ手紙を書いていったんだな。それにしても、四十面相はどこからはいってきたんだろう?",
"それは、こういうわけですよ。"
],
[
"ふうん、そうですか。だから、だれも気がつかなかったんだな。しかし、恐ろしいことというのは、いったい、なにをするつもりなんだろう。",
"ヨシ子ちゃんが、あぶないかもしれません。",
"エッ、ヨシ子が?"
],
[
"ぼくが、塔の上のかくし戸から、ぬけ穴にはいって、一時間しても帰ってこなかったら、警官に助けにきてくれるように、たのんでくれたまえ。そのころには、警視庁の中村警部が、大ぜいの警官をつれて、ここへやってきているはずだからね。",
"だいじょうぶかい。警官がくるまで待って、警官といっしょに、ぬけ穴にはいったほうがよくはないのかい?"
],
[
"ふうん、それがうまくいったら、すばらしいね。でも、だいじょうぶですか。",
"だいじょうぶですよ。ぼくはたびたび、そういうけいけんがあるんだから。"
],
[
"そのとおり。四十面相だよ。きみたちは、よくここまで、こられたねえ。秘密の入口を見つけたのは、小林君だね。",
"そうですよ。ぼくはなにもかも知っているんです。",
"ほう、なにもかもね。たとえば……。"
],
[
"たとえば、この地下室は、いつか淡谷庄二郎さんが、きみの自動車で、目かくしをして、つれられてきた、あの金ぴかの部屋とおなじ場所だということです。",
"ほう、そうかね。あのとき淡谷君は、三十分も自動車ではこばれたはずだよ。ところが、淡谷君のうちから、ここまでは、三百メートルぐらいしかないんだぜ。",
"それで、ごまかされたんです。自動車で三十分も走ってみせて、さも遠いところにあるように、見せかけたんです。ほんとうは、あの自動車は、どこかをぐるぐるまわって、またもとのところへ帰ってきたのでしょう。淡谷さんも、スミ子ちゃんも、目かくしをされていたので、それがわからなかったのです。その秘密が、いまやっとわかりました。あのとき、ぼくが自動車の下にさげておいたコールタールのかんを、きみが気づきさえしなければ、もっとはやく、この秘密がわかったんだけれど……。"
],
[
"きさま、なにものだッ。",
"四十面相君、ぼくの顔をわすれたのか。しばらくだったなあ。"
],
[
"ヤッ、きみは明智小五郎だなッ。",
"そうだよ。そして、この操縦席にいるのは、きみの部下でなくて、ぼくのなかまが変装しているのだ。きみの部下は、しばりあげて、さるぐつわをかませて、原っぱのすみに、ころがしてあるんだよ。",
"エッ、それじゃ、こいつも、にせものかッ。"
],
[
"明智先生ばんざい。",
"小林団長ばんざい。",
"少年探偵団とチンピラ隊ばんざい。"
]
] | 底本:「塔上の奇術師/鉄人Q」江戸川乱歩推理文庫、講談社
1988(昭和63)年7月8日第1刷発行
初出:「少女クラブ」講談社
1958(昭和33)年1月号~12月号
入力:sogo
校正:大久保ゆう
2017年1月12日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "057109",
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[
[
"ウン、きみが悪いね。博物館の仏像の部屋ね、あれみんな生きてるみたいだね。ぼく、いつか博物館へいったとき、こわくなっちゃった。でも、あの仏像は、たいてい国宝なんだね。",
"ねえ、きみ、あのまんなかにある黒いかねの仏像ね、インド人みたいな顔してるね。",
"仏像って、たいていインド人の顔だよ。仏教はインドからはじまったんだもの。"
],
[
"おじさんにも、わからないね。化けものだよ。いま東京じゅうをさわがせている、えたいのしれない怪物だよ。",
"えッ、東京じゅうをさわがせているって?",
"きみたちは、まだ知らないだろうね。だが、あいつは、東京のほうぼうにあらわれて、いたずらをしているんだよ。いや、いたずらばかりじゃない。大どろぼうをはたらいているんだよ。"
],
[
"あの化けもののことを、きみたちはまだ知らないだろうね。ぼくは新聞記者だから、よく知っているんだよ。ぼくは東洋新聞の記者なんだよ。このあいだから、あいつをつけているんだ。しかし、あいつは空気みたいに目に見えないやつだから、いつも、うまくにげられてしまうんだよ。",
"ふしぎだなあ、あいつ、空気みたいに、すきとおっているんだね。それで、やっぱり人間なの?",
"人間なんだよ。しかも、大どろぼうなんだよ。"
],
[
"もうだいじょうぶだ。入り口はここ一つしかないし、窓にはみんな、鉄ごうしがはまっている、あいつは袋のねずみだ。だれか、早く警察へ電話をかけてくれたまえ。",
"よし、ぼくが電話をかけてくる。逃がすんじゃないぜ。"
],
[
"いよいよ、へんだねえ。あいつは、きっと、きみのうちを、ねらっているんだよ。",
"ぼくを、ひどいめにあわせようというのかい。",
"いや、それなら、ぼくのほうを、さきにねらうよ。ぼくのおかげで、あいつ、デパートでひどいめにあったんだからね。そうじゃないよ。きみのうちには、きっと、あいつのほしいものがあるんだよ。",
"ウン、そう言えば、おとうさんも、なんだかそんなことを言ってたよ。しかし、ぼくには教えてくれないんだ。うちには、なんだか、あいつにねらわれるようなものがあるらしいんだけど。",
"それじゃ、きっと、そうなんだよ。ねえ、きみ、このことを黒川さんに知らせようじゃないか。東洋新聞の黒川さんさ。あの人なら、何かいいことを考えつくかもしれないぜ。",
"ああ、そうだ。それがいい。"
],
[
"すると、何か心あたりがあるんですか。",
"たった一つあるんです。わたしも、戦争後、いろいろなものを、なくしてしまいましたが、わたしのうちのたからと言ってもいいものが、一つだけ、たいせつに保存してあるのです。",
"フーン、あいつは、それをねらっていると、おっしゃるのですね。で、それは、いったい、どんなものです。",
"あなたは真珠塔というものを、ごぞんじですか。高さ二十センチぐらいの五重の塔で、それに真珠の玉がビッシリとはりつめてあるのです。何百ともしれぬ最上の真珠でできた、宝玉の塔なのです。この真珠塔は大正時代の大博覧会に、三重県の真珠王が出品したもので、なくなったわたしの父がそれを買いとったのです。そのころのねだんで十万円でした。今で言えば三千万円に近いものです。あの目に見えないやつは、宝石商から首飾りをぬすんだそうですが、あの首飾りの何十倍という、ねうちのあるものです。あいつは、それを知って、つけねらっているのじゃないかと思うのですよ。",
"その真珠塔はどこにおいてあるのですか。",
"だれも知らない場所にかくしてあります。わたしが真珠塔を持っていることは、世間でも知っているでしょうが、それがどこにあるかは、わたしと家内のほかは、だれも知りません。一郎も知らないのです。",
"このおうちの中ですか。",
"そうです。あなたには、いろいろ、お力をかりなければならないので、うちあけて、お話しますが、じつは、防空ごうを改造した地下室の中の金庫に入れてあるのです。",
"防空ごうですって? そんなところにおいては、あぶないじゃありませんか。"
],
[
"つい四―五日まえに、真珠塔がぶじにあるかどうか、しらべるために、地下室にはいりました。月に一度ぐらいは、金庫をひらいて、たしかめてみるのです。",
"フーン、その四―五日まえのときに、あいつが、もし、あなたのあとにくっついて、地下室にはいったとすれば……。",
"エッ、なんですって?"
],
[
"しらべてみましょう。あなたも、いっしょに来てください。一郎も来なさい。三人ではいれば、たとえあいつが、しのびこもうとしても、ふせぐのは、わけありません。",
"そうですね。一度、たしかめておくほうが、いいかもしれませんね。"
],
[
"これでは、あいつが、ねらうのも、むりはありませんね。しかし、もうだいじょうぶです。これからすぐに警察にもとどけ、できるだけのことをして、この宝物をまもりましょう。",
"そうです。警察に知らせなければなりません……。わたしもこれで安心しましたよ。"
],
[
"いや、あいつは魔物みたいなやつです。けっして、ゆだんはできません。いまに、われわれの見ている前で、金庫の戸が、ひとりでに、スーッとひらくようなことが、おこらないともかぎりません。",
"ハハハ……、それはだいじょうぶですよ。小林君がうまいことを、かんがえた。あいつには影がある。影さえ気をつけていればいいのです。この地下室には電灯がついている。もし、あいつが、はいってくれば、どこかに影がうつるはずですからね。",
"ところが、係長さん、あいつには影のないときもあるのですよ。いつか、あいつがクツみがきの少年をたすけたときには、ぼくはその場にいて、見たのですが、不良青年と、とっくみあっている、あいつの影は少しもうつらなかった。地面には不良青年が、ひとりで、もがいている影が、うつっていたばかりですよ。あいつは、だれかを、こわがらせたいときだけ、影をうつすという、魔法をこころえているのじゃないでしょうか。",
"ハハハ……、黒川君は、どうも、あいつを尊敬しているような、あんばいだね。"
],
[
"きみの見たなま首というのは、透明怪人の有名なろう仮面なんだよ。首なしで町をあるくわけにはいかないから、頭からスッポリかぶるろう仮面でごまかしているのだ。",
"それは、ここにいる子どもたちに、聞きました。ぼくは新聞を読まないので、今まで、透明怪人のことを、知らなかったのです。"
],
[
"ハア、あいつが、そういう悪いやつだとは、知らなかったので……。たとえ、知っていても、ぼくには、あんなきみの悪いやつを、おっかける勇気はありません。さけび声をたてなかったのが、やっとですよ。",
"バカだなあ。なぜ、さけばなかったんだ。きみがおしえてさえくれれば、こちらには、いくらも人がいたんだ。いま東京じゅうを、さわがせている、大怪物を、きみは、とらえようと思えば、とらえられたんだぜ。それを、まんまと、逃がしてしまうなんて……。",
"イヤ、ぼくは、勇気がなかったけれど、ひとり、あいつを、おっかけた人がありますよ。",
"エッ、なんだって、なぜ、それを早く言わないんだ。だれだ。だれが、あいつをおっかけたんだ。",
"子どもです。ここにいる、ぼくをつかまえた子どもたちと、おんなじような子どもです。"
],
[
"ぼくが、いけがきのところに、しゃがんでいると、ひとりの子どもが、懐中電灯を、ふり照らしながら通りかかりました。そして、ぼくを見つけると、何をしているのだと聞きました。ぼくはまだ、こわくて声もだせなかったのですが、あの首をひろった洋服紳士のすがたが、むこうのほうに見えていたので、それを指さしたのです。すると、その子どもは、なにか、ひとりで、がてんして、懐中電灯を消すと、そのまま、洋服紳士の怪物のあとを、こっそり、つけていきました。",
"うまい。小林君、それはきみたちの団員のひとりにちがいないぜ。だが、ひとりっきりでは、心ぼそいな。とっさに、れんらくをするひまがなかったので、ともかく、尾行したんだろうが、その子の身のうえがしんぱいだ。小林君、それはだれだろう。いそいで、しらべてごらん。"
],
[
"きみは、少年探偵団の副団長の大友君だね。わしはちゃんと知っているよ。自動車の屋根にのって、尾行するとは、なかなか勇敢な少年だ。その勇敢なところをみこんで、きみをわしの弟子にしてやろうと思うのだよ。ハハハ……、どうだ、うれしいかね。",
"おじさんは、だれですか。ぼくは、知らない人の弟子になることはできません。"
],
[
"どうだね、大友君、わしの弟子になりたくはないかね。そして、この大発明をたすける気にはならないかね。",
"それには、どうすればいいんですか。"
],
[
"ハハハ……、きみはこわがっているね。なあに、ちっとも、こわいことなんか、ありゃしないよ。そこの手術台で、ひと晩ねむればいいんだよ。はじめに、ねむり薬を注射するから、何も知らないで、グッスリ、ねむってしまうよ。そうして、目がさめると、きみはもう、透明人間になっているのだ。だれにも見られないで、どんなことだって、できるのだ。きみは、童話の魔法使いになったと同じなんだ。え、どうだね。夢のような話じゃないか。こんなおもしろいことが、ほかにあると思うかね。",
"いやです。ぼくの顔やからだが、なくなってしまうなんて、いやです。おとうさんや、おかあさんは、ぼくにあえなくなるし、友だちとも、わかれなければなりません。そんなことは、いやです。ぼく、魔法使いなんかに、なりたくありません。"
],
[
"やっぱり、そうだったよ。これB・Dバッジだよ。",
"ウン、そうだ。これとおなじだね。"
],
[
"へんだね。こんな広い原っぱへ来てしまったぜ。",
"きっと、この原っぱに、何か、ひみつがあるんだな。ごらん、あすこにもバッジがおちている。大友君のいるところは、もう遠くはないようだね。"
],
[
"大友君、どこにいるの。",
"ここだよ、きみたちのすぐ前にいるんだよ。ほら、この鉄ごうしの中にいるんだよ。"
],
[
"じゃ、それは一号から三号までの透明人間だよ。一号というのは、世間をさわがせた、あの透明怪人で、二号と三号は、まだ、そとへ出ることを、ゆるされていないんだ。その三人が、目に見えないのをさいわいに、この穴の中に、のこっているのかもしれないよ。",
"フーン、すると、きみをまぜて、四人も透明人間をつくったんだね。いったい、そんなにたくさん、目に見えない人間を、つくって、どうするつもりなんだろうね。"
],
[
"黒川君、しっかりしたまえ、どうしたんだ。",
"逃げた。あっちだ。透明怪人が、大友君をかかえて、ぼくをつきとばして、逃げたんだ。早く、おっかけてください。"
],
[
"はあ、異状ありません。",
"このほそびきは、すこしも動かなかったのだね。",
"はあ、動きませんでした。"
],
[
"中村さん、ぼくは、ふっと、いま思いついたんですが、ひょっとしたら、この入り口のほかに、もう一つ、ひみつの出入り口があるんじゃないでしょうか。用心ぶかい悪人が、一方口のふくろみたいな中に、安心して住んでいるはずがありません。きっと、もう一つ、ぬけ道があるんですよ。怪老人もそこから、逃げだしたとすれば、つじつまが、あうじゃありませんか。",
"ウン、そういうことも考えられるね。しかし、あれほど、さがしたんだからなあ、ぬけ道があれば、気がつくはずだが。",
"さがしかたが悪かったのですよ。この入り口から、逃げなかったとすれば、あいつは、まだ穴の中にいるか、それとも、べつの出入り口があるか、二つに一つです。いずれにしても、もう一度、さがしましょう。"
],
[
"そんなはずはない。きっと、そこにふたがあるんだよ。グッとおしあげてごらん。",
"あ、やっぱり、そうです。ひらきますよ。"
],
[
"中村さん、これは警視庁はじまっていらいの、大事件ですよ。日本じゅうの警察官が、力をあわせても、たりないほどの、おそろしい大敵ですよ。それにつけても、ぼくは、ある人物を思いだしますね。もし、その人物が警察をたすけて、はたらいてくれたら、ひょっとしたら、あいつを、やっつけることが、できるかもしれません。",
"それは、だれだね。",
"明智小五郎です。いよいよ明智先生の出る幕ですよ。小林君にきいたら、明智さんは、何か、ほかの事件にひっかかっていて、手がはなせないのだそうですが、いまはもう、そんなことを言っているばあいじゃありません。ほかの事件なんか、ほうっておいて、警察のてだすけをすべきです。中村さんは、明智探偵とは親友じゃありませんか、捜査本部に帰ったら、すぐ明智さんを、呼ぶんですね。",
"ウン、それは、ぼくもまえから考えていた。よしッ、それじゃあひとつ、明智君の知恵をかりることにするか。"
],
[
"明智事務所ですね。先生いるかね。",
"わたしが明智です。あなたは?",
"きみが、これからあいてにしようという男だよ。わかるだろうね。",
"オヤオヤ、すばやい挑戦ですね。きみは察するところ、洞窟の怪老人だね。",
"フン、さすがにわかりが早い。お察しのとおりだよ。ところで、きみは、いのちがおしくないのかね。",
"ハハハハハ、脅迫ですか。そいつは、ぼくにききめがありませんよ。",
"あくまで戦うというんだね。",
"戦うのではない。きみのひみつを、あばくのだよ。それも、あまり遠いことではない。",
"ハハハハハ、はないきがあらいね。だが、明智君、おれはおどかしで言っているんじゃない。ほんとうにやるんだぜ。きみはかたわものにされてしまうかもしれない。殺されるかもしれない。いや、もっとおそろしいめにあうかもしれない……。きみのような、すぐれた人物が、この世から消えてしまうのは、まったくおしいのでね、おれは忠告するんだよ。どうだ。明智君、しばらく手をひいて、ようすをみる気はないか。",
"ハハハハハ、そんなことを、いくら言ってみても、むだだよ。ぼくはいそがしいんだ。じゃあ、やがて、どこかでお目にかかることにしよう。"
],
[
"いよいよ、透明怪人の事件を、てがけることにしたよ。で、これから、ぼくは警視庁の中村君のところへいくのだが、出ようとしていると、透明怪人の首領から、電話がかかってきた。小林君が言っていた、れいの四角なメガネをかけた怪老人だよ。",
"まあ、それで、なんて言いますの。",
"手をひけ。でないと、いのちがあぶないぞ……。きまり文句さ。"
],
[
"でも、あいてには、目に見えない手下が、ついているんですから、ようじんなさらないと。",
"ウン、ぼくも今それを考えていたのさ。こんどのやつは、よほど手ごわいらしいからね。げんに、こうして話しているあいだにも、透明人間が、この部屋にしのびこんで、立ち聞きをしているかもしれない。目に見えないやつだから、すこしもゆだんができないのだよ。だから、きみとの話も、ふつうの声では、いけない。耳をおかし。"
],
[
"へんだな。きみのほかに、だれもいないじゃないか。きみは、この自転車が、走っているのを見なかったか。",
"見たよ。あっちから、見ていた。",
"じゃあ、自転車に乗っていたやつは、どこへ行ったんだ。むこうへ逃げたのか。",
"いんや。逃げないよ。はじめから、いなかったんだ。"
],
[
"いなかったって? それじゃどうして自転車が走れるんだ。",
"だれも人はのっていないけれど、自転車は、ひとりで、走っていた。へんなこともあるもんだと、おれもふしぎに思って見ていたんだ。"
],
[
"どうしたんだッ。",
"こ、こいつは、きものばかりです。"
],
[
"それが、ざんねんなことに、運転手は自分の自動車の修理に気をとられて、番号を見なかったと言うのです。",
"そうですか。とにかく、そのタクシーの色と型を、本庁へ知らせて、全管下に手配させます。"
],
[
"だれでもいい、文代さんがでれば、わかるんだ。早く文代さんをださないか。",
"きみの名を言わなければ、とりつぐわけにはいかんよ。名をなのりたまえ。",
"そう言うきみこそ、だれだ。明智事務所には、いま男はいないはずだが。",
"ぼくは警視庁の中村だ。さっき道化師のサンドイッチ・マンにもお目にかかった。おどかしの手紙もたしかに見たよ。",
"ウハハハ……、中村鬼係長か。透明怪人には、てこずっておるな。おれはその透明怪人のうみの親だよ。明智名探偵先生も、おれにかかっては、子どもみたいなもんじゃ。いま手術中だよ。あすはすっかり透明になるはずだ。ところで、おつぎのばんじゃが、わしは文代さんときめた。だんなだけ透明にしておくさんをひとりぽっちでのこしておいては、気のどくだからね。わかったかね。文代さんを、今晩のうちに、ちょうだいにゆく。鬼係長どのが、いくらがんばっても、こちらは目に見えない透明人間を使うのだからね。とても、太刀打ちはできやしないぜ。それじゃ、文代さんによろしく。あばよ。おっと、まってくれ。きみがあわててしらべないでもいいように、おしえておくが、この電話は渋谷の公衆電話だよ。おれのかくれがから、まるではんたいの方角まで、わざわざ電話をかけにやってきたのさ。それじゃ、鬼係長さん、あばよ。"
],
[
"ありがとうございます。これで、わたくしも、こころじょうぶですわ。でも、明智をたすけださなければなりません。自分のことより、そのほうがしんぱいなのです。",
"それもわかっています。捜査本部には、ぼくのほかにも、たくさんの係長がいます。名刑事がいます。それに東京じゅうの警察署が力をあわせているのです。きっと助けだしますよ。"
],
[
"おや、それじゃ、きさま、透明人間じゃなかったのか。",
"そんなもんじゃありません。チンドン屋の紅丸っていうものです。人ちがいです。わたしゃ、何も悪いことはしません。はなしてください……。"
],
[
"それじゃ、この夜ふけに、どうしてあんなところに立っていたんだ。",
"たのまれたんです。",
"たのまれた? だれに、何をたのまれたんだ。",
"だれかわかりません。三時間ほどまえ、道で行きあった紳士です。五千円札をくれました。そして、さっきのうちの、塀のそとに立っていろ。そこへおまわりさんが来るが、塀の中から人が出てきたら、いちもくさんに逃げだせというんです。それで五千円なら、うまい話だから、しょうちしたんです。"
],
[
"どうしたんです。なんだかさわがしいので、目をさまして、ここまで出てみたんだが。",
"ああ、黒川さんですか、こいつけしからんやつです。だれかにたのまれたと言って、そこのところに立っていたんですよ。夕がたの道化師のことを聞いているものだから、てっきり透明怪人だと思って、おっかけたんです。こいつ、ばかの足の早いやつで、大あせをかきましたよ。"
],
[
"やっぱり、一度、中村係長さんに、しらべていただきたいと思って、しょっぴいてきたのです。",
"ウン、中村さんは、よほどつかれていたとみえて、グッスリねこんでいる。だから、起こさないで、ぼくひとり出てきたんだが、それじゃ、中村さんを起こして、ここへ来てもらうことにしよう。"
],
[
"このへんは、ちっとも家がたたないね。",
"ウン、管内でも、いちばんいやな場所だな。ことに、あすこに見える焼けビルは、なんだか、えたいのしれない建物だ。たえず住みてがかわっている。このへんでは、化けもの屋敷という、うわさがたっているほどだよ。",
"フーン、化けもの屋敷か。そういう家にかぎって、悪人に利用されるもんだ。",
"そうだよ。だからぼくは、あの建物には、いつもとくべつに注意しているんだ……。オヤッ、なんだか動いているぜ。ごらん、あの焼けビルのかどを、黒いものが、だんだん下へ、おりてくるだろう。"
],
[
"もしや、明智先生ではありませんか。たしか本庁で、一度おあいしたことがあります。",
"そのとおりです。ぼくは明智小五郎です。",
"その明智先生が、いまごろ、どうしてこんなところに……。",
"いろいろわけがあるのです。ぼくが透明怪人の首領にさらわれたことは、もうきみの耳にもはいっているでしょう。じつはあのビルが悪人の巣窟なのです。",
"ああ、やっぱりそうでしたか。すると、あのビルの中には、透明怪人の一団がいるわけですね。",
"そうです。ぼくはやっとの思いで、窓からしのびだしたのですが、そのことがわかれば、やつらは逃げてしまいます。いそがなければなりません。しかし、あなたがたふたりだけでは、どうすることもできない。大いそぎで、警視庁の中村係長にれんらくしてくれませんか。係長にあったうえで、てはずをきめたいのです。",
"わかりました。それじゃ、ともかく、署までご同行ください。そこから、係長さんのお宅へ電話をかけましょう。わたしとしましては、署長にも報告しなければなりません。"
],
[
"よし、出かけよう。だが、きみはその焼けビルの中で、おくさんにあわなかっただろうね。",
"え、おくさんって、文代のことかい。"
],
[
"明智さんは、ずっと、ここにおられるじゃないか。きみは、いったい……。",
"いや、まっているのは明智さんじゃない。もうひとりの人をまっているのです。しかし、わしは明智さんよりほかには、けっして白状しません。だから、明智さんは、席を立たないでさいごまで、ここにいてほしいのです。もし、明智さんが立ちされば、わしは何も言わないつもりです。"
],
[
"午前中にぼくが一度、部屋を出たでしょう。そのとき、小林君の電話を聞いたのです。そして、小林君たちをたすけるように、部下のものに命じたのです。それが、うまくせいこうしたのです。",
"ワハハハ……、ゆかい、ゆかい。わしもおいぼれたもんだなあ。こんなチンピラに、してやられるなんて……。"
]
] | 底本:「虎の牙/透明怪人」江戸川乱歩推理文庫、講談社
987(昭和62)年12月8日第1刷発行
初出:「少年」光文社
1951(昭和26)年1月号~12月号
入力:sogo
校正:大久保ゆう
2017年3月11日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "057229",
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[
"ワハハハハハハハ、あのうちは、近所で化けもの屋敷という、うわさがたっていたそうだね。だが、化けものなんかより、魔法博士のほうがうわてだからね。化けものは逃げだしてしまったよ。へんなうわさがたってだれも借り手がないと聞いたので、わしが借りて、すっかり手をいれて、りっぱなうちにしてしまった。そのうち、きみたちを招待するからね、見にくるといい。",
"魔法の力で、空気の中から、いろいろなものを取りだして、かざりつけをしたのかい?"
],
[
"ぼくも。",
"ぼくも。"
],
[
"ぼく、そのふしぎの国っていうのが、見たくてしょうがないのですよ。",
"ウン、おとうさんも見たいね。奇術師のことだから、どうせ、うちの中に、いろんなしかけがしてあって、まるで童話の国へでも行ったような気がするにちがいない。"
],
[
"さっきなんだかおそろしい音がしたので、もしやと思って見に来たのよ。そうしたらこんな……。",
"人間のしわざじゃありませんね。"
],
[
"そうよ。人間なら、こんなむちゃくちゃなこわしかたはしないわね。ちゃんとひらき戸がついているんですもの。どこかの、のらイヌがはいってきたのかもしれない。",
"でも、おかあさん、どんな大きなイヌだって、このふとい柱をおったり、鉄の網をこんなにらんぼうに引きさいたりする力はありませんよ。",
"じゃあ、人間でもイヌでもないとすると、いったい、なんだろうね。"
],
[
"ねえ、おかあさん、これは、きちがいが、塀をのりこえて、はいって来たのかもしれませんよ。きちがいは、ばか力がありますからね。",
"まあ、きみのわるい。でも、そんなきちがいが、このへんにいるという、うわさも聞かないけれど……。"
],
[
"おお、キリン・チームの天野勇一君だね。ハハハハハハ、よく知っているだろう。きみの名まえは、あのとき、きみのお友だちから、ちゃんと聞いておいたんだよ。きみのうちも知っているよ。ほんとうのことを言うとね、わしは、これからきみのうちへ行って、おとうさんにお目にかかろうと思っているのさ。",
"えッ、ぼくのおとうさんに? おじさんは、おとうさんに、何かご用があるんですか。",
"いや、べつだん用というほどでもないがね、ほら、このあいだ、きみたちと約束しただろう。わしのうちの中にできている、ふしぎの国を見せてあげると言ったね。じつは、あすの日曜日に、このごろ知りあいになった少年諸君を、十二、三人、わしのうちへご招待しようというわけなのさ。それで、おとうさんや、おかあさんがたにも、いっしょにおいでくださるように、これから、みんなのうちへ、ごあいさつに行くところなんだよ。",
"わあ、すてき。ぼく、おじさんのうちの中が見たくてしようがなかったんですよ。だから、毎日学校の帰りに、この前を通るんだけれど、いつも門がピッタリしまっていて……。",
"ワハハハハハハハ、そりゃ、きのどくをしたね。あすは、じゅうぶんに見てもらうよ。魔法博士のふしぎの国は、じつにすばらしいからね。びっくりして、目をまわさないようにするんだね。",
"ヘエー、そんなに、おどろくようなものがあるの?",
"あるのないのって。ワハハハハハハ、いや、これは秘密、秘密。万事あすのおたのしみだよ。"
],
[
"おじさん、ぼく、お友だちをつれていっても、いいでしょうか。",
"えッ、お友だちって? 学校の友だちかね。",
"いいえ、ぼくのしんせきの人です。",
"ふーん、やっぱり、きみのような子どもなんだろうね。",
"ええ、子どもだけれど、ぼくより三つ大きいのです。小林芳雄っていうんです。",
"えッ、小林芳雄? はてな、聞いたような名だぞ。もしや、その人は、明智探偵の助手の小林少年じゃあないのかね。",
"ええ、そうです。おじさん、よく知ってるんですねえ。明智探偵にあったことがあるんですか?",
"いや、あったことはないがね。新聞や本でよく知っているのさ。あの小林少年なら、わしのほうでもぜひ来てもらいたいね。小林少年のしんせきだとすれば、きみは明智探偵も知っているんだろう。なんだったら、明智さんもおまねきしたいものだが。",
"明智先生は、いま病気で寝ているんです。",
"どこが悪いんだね。",
"ぼくもよく知らないけれど、もう二週間も寝ているんですって。そして、まだ熱がとれないんですって。",
"ふうん、それはいけないね。だが、小林少年が来てくれるとはゆかいだ。きみは、このごろあったのかね。",
"ええ、二、三日まえに。そして、おじさんのふしぎの国の話をしたらばね、小林さんは、ぜひ見たいって言うんです。もし、きみがさそわれたら、ぼくも呼んでくれって言っていました。ぼく、きっとそうするって、約束しちゃったんです。",
"そりゃあ、よかった。じゃあ、きみのおとうさんにも、そのことを話しておこうね。"
],
[
"先生がいないんですって? じゃあ、勇一君もですか。",
"ええ、ふたりとも見えないのです。"
],
[
"そうです、ぼくたちは、この白服の上から黒ビロウドの服を着て、黒ずきんをかぶり、黒い手ぶくろをはめて、助手をつとめていたのです。そうすれば、電気の光線のぐあいで、見物席からは、何も見えないのです。ぼくたちが、いくら舞台を歩きまわっても、すこしも見えないのです。",
"それでいて、博士がいなくなるのを、知らなかったのですか。",
"ぼくたちは、しょっちゅう舞台にいたわけではありません。ちょっと、楽屋へはいったあいだに、先生も、子どもさんも、見えなくなってしまったんです。じつにふしぎです。"
],
[
"勇一君を黒ビロウドでかくしてしまってから、どうしたのですか。舞台のゆかへおろしたのでしょうね。",
"そうです。この黒布をはったゆかへおきました。このへんですよ。"
],
[
"さっきは、たしかに生きていたのです。あすこの石の台の上からおりて、ここまで、はって来たのです。",
"フーン、この石がねえ。"
],
[
"まさか、きみが、コマイヌをここへ持って来たわけじゃなかろうね。",
"ぼくには、こんな重いもの、とても持てませんよ。",
"そうだろうね。すると、いったい、これはどういうことになるんだ。"
],
[
"イヤ、みょうな手紙が来たんだよ。どうも勇一は無事でいるらしい。",
"ヘエ、みょうな手紙ですって。だれから来たんです。",
"勇一からだよ。ここにあるから、きみたちも見てください。"
],
[
"おや、これ勇一君の写真ですね。みょうな服を着て、すましているじゃありませんか。",
"そうだよ。いま、どこかで、そんなふうをして、くらしているらしい。手紙のほうを読んでごらん。"
],
[
"たしかに勇一君の字ですね。へんだなあ、いったい、どこにいるんでしょうね。",
"封筒の消し印は新橋になっているが、そんなものはあてにならない。つまり、どっかへ、とじこめられているんだね。まあ、おいしいごちそうをたべているというから、心配はしないが、それにしても、だれが、なんのために、勇一をとじこめているのか、すこしもわけがわからない。",
"魔法博士のしわざでしょうね。",
"わたしも、そう思う。しかし、魔法博士がいったい、なんのために勇一をとじこめるのかね。わたしがお金持ちなら、身のしろ金をゆするためとも考えられるが、わたしは、ごらんのとおりの貧乏人だからね。ゆすられるようなものは、何も持っていない。そこが、じつにふしぎなんだよ。",
"警察へとどけないんですか。",
"ウン、これからこの手紙を見せに行こうと思っていたところだ。しかし、警察でも、これだけでは、何もわからないだろうね。",
"明智先生がご病気でなければ、きっとうまい知恵があるんだがなあ。先生は熱が高くて、勇一君の事件も、まだお話しすることができないでいるんですよ。しかしねえ、おじさん、ぼくたちの少年探偵団は、何かをさがすことが、なかなかうまいんですよ。まえにも、いくどもてがらをたてたことがあるんです。ぼくたち、やってみますよ。ねえ、花田君。",
"ええ、ぼくたちも、小林団長を助けて、はたらきますよ。石川君だって、田村君だって、からだは小さいけれど、みんなすばしっこいんだからなあ。"
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"それが、だめなんだよ。やぶれソフトの前を目の下までさげて、服のえりを立てて、まるで顔をかくしているんだ。服装をかえたら、とても、わかりっこないよ。",
"よし、それじゃあ、きょうは、みんなうちへ帰ろう。そして、こん晩は、勇一君をさがしだす方法を考えるんだ。そして、なにかいい知恵を出して、あす学校がひけたら、ぼくのところへ、来てくれたまえ。そのとき、よくそうだんしよう。"
],
[
"なあに、心配することはないよ。じき帰してあげる。だが、せっかくここまで来たんだから、あの子にあっていったほうがいいじゃないか。",
"あの子って、だれですか?",
"天野勇一っていう、かわいい子どもさ。",
"えッ、それじゃあ、勇一君が、このうちにいるんですか。",
"そうだよ。さあ、車をおりて。"
],
[
"きみ、天野勇一君ですね。ぼくは小林さんの少年探偵団の団員で、花田っていうのです。きみを助けに来たんです。",
"ありがとう。でも、とてもだめですよ。",
"きみからおとうさんに送った写真と手紙も見ました。あの手紙、ほんとうに、きみが書いたの?",
"エエ、ぼくが書いたんです。魔法博士の命令で書いたんですよ。だから、ぼくの思うとおり書けなかった。",
"魔法博士って、ここのうちにいるの?",
"いますとも、いまのおじいさんが魔法博士です。あいつは、何にだって化けるんです。だから、ゆだんしちゃだめですよ。",
"やっぱり、そうだったのか。それで、きみは、ひどいめにあわされたの?",
"いいえ、まだそんなことはありません。でも、逃げだそうとしたら、虎にくわせてしまうと言うんです。",
"エッ、虎にくわせる。"
],
[
"エッ、あれって、なんだね?",
"あれです、あのうちです。"
],
[
"たしかに、一階だったんだね。二階や地下室ではなかったのだね。",
"たしかに、一階でした。一度も階段をのぼらなかったのですもの。"
],
[
"先生、あいつは、ぼくたちみんなを、ねらっているんです。花田君だけじゃないんです。石川君と田村君と、それから、ぼくをねらっているんです。",
"うん、たぶん、そうだろうね。何かそんなまえぶれでもあったのかい。"
],
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"ええ、おそろしいことがあるんです。うちの裏庭の土のやわらかいところに、何か大きなけだものの足あとがついています。ゆうべ、そいつが塀の中へはいって来たしるしです。",
"大きなけだものというと?",
"虎です。ネコの足あとを十倍も大きくしたようなやつが、五つものこっています。キヨはそれを見て、けさからまっさおになって、ふるえあがっているんです。"
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[
"塀をのりこえたんだね。",
"そうです。あいつはどんなことだって、できるんです。魔法博士の虎にきまっています。先生、そればかりじゃありません。裏口のドアの横の柱に、おそろしいささくれの傷ができているんです。天野勇一君のうちのマツの木にのこっていたのとソックリです。八幡さまの社殿の柱にのこっていたのとソックリです。虎の歯がたです。",
"魔法博士の虎が、東京の町の中を、ノコノコ歩いて来たというわけだね。それを、だれも気づかなかったというわけだね。"
],
[
"先生、あいつは、ゆうべ、ここへ来ただけじゃありません。石川君のうちへも、田村君のうちへも、あらわれたのです。ふたりのうちにも、おなじような歯がたと足あとがのこっていたのです。つい、いましがた、ふたりがやって来て、それを知らせて行きました。先生、ぼくたちはどうすればいいのでしょう。",
"警視庁の中村係長は知っているだろうね。",
"電話で知らせておきました。田村君と石川君のうちへは、こんやから見はりをつけると言うことでした。でも、あいては魔法使いですから、見はりぐらいでは安心できません。",
"うん、魔法使いという点では、おどろくべきやつだ。こんなけたはずれな犯罪は、どこの国にも例がないだろうね。",
"先生、ぼくにも、あいつが舞台でやったブラック・マジックまではわかるのです。でも、そのあとのことは、何もかも、まるでわかりません。あの赤レンガの洋館から天野勇一君や、白くぬった広間や、サンタクロースのおじいさんや、それから、虎のはいった檻までも、たった一時間のあいだに、かき消すように、見えなくなってしまったなんて、まるで夢のような話です。先生、奇術の力で、こんなことができるのでしょうか。",
"それは、できないことはない。しかし、奇術には種がある。よくそんな種が、手にはいったものだと、ぼくはつくづく感心しているんだよ。",
"えッ、それじゃあ先生には、おわかりなんですか。勇一君なんかの消えた訳が、おわかりなんですか。",
"おおかた、想像がついているよ。いまにきみにもわかる。きっとわかる時がくる。それからね、きみは、まだすこしも気づいていないようだが、もっと大切なことがあるんだよ。"
],
[
"えッ、先生、それは、ほんとうですか。",
"うん、ぼくには、だいたいけんとうがついているんだ。しかし、これはいましばらく、だれにも言っちゃいけないよ。警察にも、少年探偵団のみんなにも、知らせてはいけない。ぼくと、きみとふたりだけの秘密にしておこう。"
],
[
"よし、よし、それできみは、こん夜よくねむれるだろう。さあ、ベッドにはいりなさい。",
"おじいさん、この部屋のドアは、かぎがかからないのですか。"
],
[
"ほら、あれが勇一君じゃ。ゆっくりあうがいい。",
"あッ、芳雄さん。"
],
[
"勇一君、きみは、毎日こんなごちそうをたべているのかい。",
"うん、いつもはこんなにたくさんじゃないけれどね。だからぼく、ちっともくるしいことはないけど、おとうさんやおかあさんが心配しているだろうと思って……。",
"しかし、もうだいじょうぶだよ。ぼくが来たんだからね。きっと、きみを助けだすよ。"
],
[
"きれいな服を着せて、おいしいごちそうをたべさせてあげようというのさ。そのかわり、きみたちはわしのけらいになるんだ。わしは魔法の国の王さまだから、きみたちは、魔法の国の人民というわけだよ。",
"そして、何か悪いことを、手つだわせようというのですか。",
"ウフフフフフ、なかなか手きびしいね。それはいまにわかるよ。ところで、わしのけらいはきみたちふたりだけじゃない。もっとえらいけらいがほしいからね。やがて、おとなもやって来るはずだよ。"
],
[
"いいかね、勇一君をここへつれて来たのは、小林君を引きよせるためだった。その小林君も、とうとうやって来た。するとこんどは、そのつぎだよ。小林君をえさにして、もっと大きなさかなをつりあげようというわけさ。わかるかね。",
"それは明智先生のことですか。"
],
[
"むろん、しらべました。しかし、だれもいないのです。まったくの空家です。あいつはねじろをかえてしまったのに、ちがいありません。",
"やっぱりそうですか。で、どこへかくれたのか、すこしも手がかりがないのですね。",
"そうです。いまのところ、なんの手がかりもありません。魔法博士というやつは、じつにふしぎな怪物です。"
],
[
"明智先生、ご病気中をおきのどくですが、じつは、おむかえにあがったのです。ひとつ、ごそくろうねがいたいのですが。",
"えッ、ぼくに、どこへ行けというのですか。",
"世田谷の怪屋です。先生にぜひ見ていただきたいものがあるのです。",
"さっき、あなたは、世田谷の洋館は、まったくからっぽだと言ったじゃありませんか。そんなところへ、ぼくが行ってもしかたがないでしょう。",
"いや、どうしてもおつれします。そのために、わたしは、わざわざやって来たのですから。",
"ぼくは行かない。行く必要がない。",
"先生、あなたがなんとおっしゃってもだめですよ。こちらは三人です。あなたはひとりで、そのうえ病人です。かないっこありませんよ。それに、おくさんと女中さんは、さっきふたりの部下が、奥へ行って、声をたてることも、身うごきすることもできないようにしてきたのです。あなたは、まったくのひとりぼっちですよ。"
],
[
"きみはだれだ。さっきの中村君の名刺は、にせものだな。",
"むろんですよ。あれがないと、きみが通してくれないだろうと思ってね。",
"ウーン、わかった。それじゃ、きさまは魔法博士だな。",
"ウフフフフフ、おさっしのとおり、魔法博士が、ご自身で、明智先生をおむかえに来たのさ。",
"で、ぼくが、いやだと言ったら?",
"こうするのさ!"
],
[
"もう一度、言ってみろ、きさま、どこにいるんだ。",
"どこでもない。きみの目の前にいるじゃないか。ハハハハ……、魔術にかけては、ぼくのほうが、すこしうわてのようだね。"
],
[
"きさま、とりこになんか、なっていないと言ったな。それじゃあ、ここへ出て来てみろ。いくら名探偵でも、そのげんじゅうな部屋をぬけだすことはできまい。",
"ウフフフ……、げんじゅうな部屋だって? 名探偵の前には、ドアなんか、ないも同然だということを知らないのかい。ここだよ、ここだよ。"
],
[
"ハハハ……、ぼくの魔術も、まんざらではないだろう。きみがあれほど、あいたがっていた明智だよ。さあ、きみの話を聞こうじゃないか。",
"うそを言え、きさま、何者だッ、ほんとうの明智はあすこにいる。あれを見ろ。"
],
[
"知っているよ。あすこにいるのも明智、ここにいるのも明智、明智がふたりになったのさ。ぼくのあみだした魔術の一つで、人間分身術というのだ。",
"ばかな、そんなことが、できてたまるものか。",
"ハハハ……、だめだよ。そのボタンをおしたって、だれも来やしない。きみの部下は、ぼくがひとりのこらず、しばりあげてしまったのだ。",
"うそだ。その手にのるものか。"
],
[
"フフン、さすがは明智先生、なかなか、あじをやるね。まさか、きみが、かえだまを用意していようとは知らなかったよ。鏡の向こうの部屋にいるのは、きみのかえだまだったんだね。",
"そのとおりだよ。ぼくには、ふたごのようによくにた弟子がある。その男を、ちょっと、かえだまに使ったのさ。"
],
[
"きみの病気そのものが、手品だった。どうだ、あたっただろう。",
"フン、さすがにきみだ。いちばんもとのことに気がついたね。それで?",
"きみは、ほんとうに病気をしたのだろう。しかし、それを利用して、起きられるようになっても、まだ病気がなおらないと言って、寝ていた。そして、いつのまにか、きみはかえだまと入れかわって、にせもののほうをベッドに寝かせておいた。ざんねんながら、おれは、その手にひっかかって、にせものをきみだと思いこんで、あの部屋にとじこめたのだ。",
"うまい。そのとおりだよ。ところで、このほんもののぼくは、どうして、ここへはいって来たんだろう。出入り口はきみの部下が見はっているから、なかなかはいれないはずだがね。",
"それも、いまになればハッキリわかるよ。ぼくはあのとき、ふたりの部下を警官に化けさせて、きみの寝室をおそった。そして、ぼくがきみと話しているあいだに、ふたりの部下は奥へふみこんで、きみのおくさんと女中を、じゃましないように、しばって来た。ぼくはそう思いこんでいた。ところが、まちがっていたのだ。きみが、どこかにかくれていて、ぼくのふたりの部下が、べつべつの部屋にいるとき、そのひとりのほうに飛びかかって、たぶんピストルでおどかしたんだろう、警官の服をぬがせ、それを、きみがその服の上から着こんだのだ。そして、まんまとぼくの部下になりすまして、にせの明智をここへはこんで来たのだ。",
"よくあてた。さすがは魔法博士だ。そして、にせの明智を、あの部屋へ寝かせておいて、ぼくは警官の服をぬぎすて、もとの明智になって、ここへはいって来たというわけさ。",
"そうか、いや明智君、よく来てくれた。どんなやりかたにもせよ、とにかく、きみが来てくれたのはうれしいよ。おれは大いに歓迎するよ。まあ、くつろいでくれ。"
],
[
"それから、神社のコマイヌだったね。きみはあの日、天野君をゆうかいするまえに、二つならんでいる一方のコマイヌを、あらかじめ社殿の中にはこび入れて、とびらをしめておいた。そして、塔から逃げだしたあとで、森の中にかくしてあった石のコマイヌとそっくりの衣装を、頭からかぶって、石の台の上にチョコンとすわっていた。あの大きな頭の部分も、はりこかなんかで、石のコマイヌとそっくりにこしらえておいたんだね。うすぐらい夕方の森の中だから、警官たちは、きみの前をとおりながら、すこしも気づかなかった。いつもそこにすわっているコマイヌの一方だけが、にせものだなんて、だれも考えないからね。",
"うまい。うまい。そのとおりだよ。きみは、まるで見ていたようだね。"
],
[
"先生。",
"おお、小林君か。"
],
[
"小林君は、ぼくが助けだした。そして、応援軍をよぶために、いま一走り、つかいに行って、帰ったところだ。四人の少年は、やがて、その応援軍が来て、助けだすはずだよ。",
"ワハハハ、……、敵はウンカのごとくおしよせるね。ゆかい、ゆかい。それでこそ、魔法博士も、はたらきがいがあるというもんだ。ところで、明智先生、おれは、もう一つ二つ魔法を使っておいたはずだが、きみはむろん、それも気づいているだろうね。"
],
[
"ぼくが入れられた牢屋のような部屋には、窓が一つしかなかったのです。はじめ、その窓から夕日がさしていました。ところが、ひと晩、そこで寝て、あの朝、目をさましてみると、おなじ窓から朝日がさしていました。それで、ぼくはすっかりわかってしまったんです。",
"ウーム、きみはえらいところに気がついたね。それで、きみはわかったのか。"
],
[
"そうだよ。あのとき、きみは紙しばいのじいさんに化けて、ぼくにねむり薬のはいったオレンジエードをのませただろう。そして、ぼくがすこしも気づかないうちに、べつのうちへ、はこんだんだろう。",
"べつのうちにしては、部屋のようすが、すっかり同じだったね。",
"でも、向きがちがっていた。はじめの部屋の窓は西向きで、あとの部屋の窓は東向きだった。まったく同じかっこうの建物が二つあるんだ、ねえ、先生、そうですね。"
],
[
"ウン、その答えは一つしかない。で、きみの答えは?",
"きみは、ぼくと小林と少年探偵団の三人の少年を、とりこにして、二度とこの建物から出られないようにするつもりだった。そして、ぼくたちを苦しめ、世間を、あざわらうつもりだった。",
"それは、なんのために?",
"復讐のためだ。しかも、そういう復讐をたくらむやつは、世界中にたったひとりしかない。"
],
[
"品川沖で一度死んだ男だ。いや、一度だけではない。二度も三度も死んだ男だ。死んだと見せかけて、生きていた男だ。",
"その生きていた男は?",
"きみだ、きみがその不死身の男だ。怪人二十面相だッ。"
],
[
"いや、何もありません。この穴の向こうがわにも、コンクリートのゆかがあるだけです。",
"すると、向こうにも部屋があるのですね。",
"いや、部屋ではなくて、たぶん廊下のようなところでしょう。さっきのトンネルの枝道が、この向こうがわへ、通じているのかもしれない。",
"まさか、その穴から、ぬけだしたわけじゃないでしょうね。",
"むろん、そんなことは、いくら魔術師だって、できっこありませんよ。",
"それじゃ、あなたが、そこをしらべておられたわけは、なんですか。何かなぞをとくかぎでも見つかったのですか。",
"ほこりですよ。この空気ぬきの穴の中にはほこりがつもっていた。そのほこりに、何かで強くこすったようなあとが、いちめんについているのです。ほこりがすっかり、かき取られてしまっている。この穴にいっぱいになるような、何か大きな、やわらかいものが、そとへ引きだされたあとです。",
"フーン、大きな、やわらかいもの? まさか二十面相が、そういうものに化けて、この小さな穴から、逃げだしたとおっしゃるのじゃありますまいね。",
"むろん、そういう意味ではありません。しかし、ぼくは、このほこりのあとを見て、密室のなぞがとけたように思うのですよ。",
"えッ、なぞがとけた? 明智さん、ほんとうですか。あいつは、いったい、どうしてこの部屋をぬけだしたのです。",
"待ってください。それは、いまにわかります。それよりも、あいつをつかまえるのがかんじんです。ぼくらがこの部屋にはいった時、あいつはまだ、この穴の向こうがわに、いたにちがいないのです。グズグズしていたら、とりかえしのつかないことになります。さあ、この向こうがわへ、行ってみましょう。それには、トンネルの枝道から、まわればいいのです。"
],
[
"猟銃なら、近くにわたしの知っている猟銃家がいますが、しかし、猟銃でなにをしようと言うのですか。",
"ともかく、大いそぎで、それを借りてください。たまもいっしょにですよ。けっして、あなたのごめいわくになるようなことは、しません。ぼくにまかせてください。"
],
[
"ぼくは、そこまで気がつかなかったが、塔の上の部屋の天井に秘密の戸があって、そこから屋根の上へ、出られるようになっているのでしょう。二十面相はこの人形を持って、そこから屋根の上にぬけだし、人形を避雷針にひもでくくっておいて、逃げだしたのです。ぼくのうった猟銃のたまで、そのひもが切れたので、こいつがおちてきたのですよ。",
"すると、あいつは……。",
"たぶん、屋根づたいに、逃げたのでしょう。あいつは、いつでも絹糸の縄ばしごを持っていますから、塔の屋根から本館の屋根へおりるくらい、わけはありません。本館の屋根から、どこかへかくれたのですよ。あいつはまだ、この屋敷の中にいるはずです。だが、見はりはだいじょうぶでしょうね。見はりの警官は、持ち場をはなれてはいないでしょうね。",
"だいじょうぶです。この建物のまわりには、すっかり見はりがついています。ここにいるのは、持ち場のない遊軍ばかりですよ……。それにしても、明智さん、あなたはこれが人形だということが、よくわかりましたね。ぼくたちは、ほんものの魔法博士だと思いこんでいたのですが。",
"人形でなければ、猟銃でうったりなんか、しませんよ。ぼくも、ここから見ただけでは、これが人形だということはわからなかった。見たのではなくて、頭で考えたのですよ。",
"推理ですね。それを聞かせてください。わたしには、さっぱりわからない。",
"見はりがついていれば、あいつをさがすのは、いそぐことはありません。では、てっとりばやく、それをここでお話しましょう。しかし、だいじょうぶでしょうね。自動車の車庫は。",
"ガソリンをからっぽにして、そのうえ車庫の前に見はりがついています。あいつは歩いて逃げるほかはないのです。しかも、まだなんの報告もないところをみると、あいつは建物の外へは、姿を見せないのですよ。中にいるのです。家の中のどっかにひそんでいるのです。"
],
[
"なるほど、すっかりわかりました。それで穴のうちがわのほこりに、あんなあとがついていたのですね。フーン、うまく考えたな。それにしても、ほこりのあとだけで、そこまで考えついたのは、さすがに明智さんですね。かぶとをぬぎますよ。しかし、そのグニャグニャになった人形を、塔の屋根にあげる時には、また空気を入れたのでしょうが、こんな大きな人形に、そんなにてばやく空気がはいりますかね。",
"それは、青銅の魔人の時とおなじですよ。やはり、この建物のどこかに、自動車のタイヤに空気を入れるエアー・コンプレッサーがあって、そこから、くだが引っぱってあるのです。塔の中にも、そのくだが来ているのでしょう。エアー・コンプレッサーなら、この人形をふくらますくらい、またたくうちですからね。",
"フーン、じつに、手数のかかるいたずらをやったものですね。こんどの事件は、さいしょから、そうだったが、あいつは魔術のうでまえを、見せびらかしたくて、しかたがないのですね。わたしは、こんなへんてこな犯人ははじめてですよ。",
"そうです。あいつは、こんどはほかになんの目的もなかったのです。ただ、ぼくをこまらせて、それ見ろと笑いたかったのですね。ところが、すっかりぼくにうらをかかれてしまった。この勝負もまた、あいつの負けですよ。ハハ……、考えてみると、なんだか、かわいそうですね。"
],
[
"ハア、あやしいやつは通りませんでした。",
"ここから出入りしたものは、ひとりもなかっただろうね。",
"ずっとまえに、明智さんの少年助手と、四人の子どもが出て行きました。それから、ついいましがた、明智さんがひとりで出て行かれました。",
"えッ、明智さんが? 明智さんはここにいらっしゃるが、この明智さんが、ここから出て行かれたのかね。",
"ハア、そうです。その明智さんです。ちょっと急用ができたからと言って、大いそぎで、門の外へ出て行かれました。"
],
[
"あなたではなかったのでしょうか。ほんとうに、そっくりだったのですが。",
"ぼくじゃない。怪人二十面相はぼくに化けるのが、とくいなんだよ。",
"えッ、それでは、あいつが……。"
],
[
"イヤ、まだぼくの負けじゃありませんよ。ぼくのほうには万々一の用意がしてある。あいつがぼくに化けて、逃げるかもしれないということは、ちゃんと考えに入れてあったのですよ。天野勇一君はまだ小さいので、横浜のぼくの友人のうちへひきあげさせたが、小林と三人の少年は、帰ったわけではありません。万一、怪人が逃げだした時、尾行するために、この門の外の立ち木のかげに、待機していたのです。",
"しかし、あいつが明智さんに化けたのでは、子どもたちも見のがしたかもしれませんね。",
"それはだいじょうぶです。小林は、そういうことになれています。それに、たとえぼくとそっくりのやつでも、ひとりで門を出る男があったら、かならず尾行するように命じておきました。イヤ、そればかりではありません。もっとおもしろい計画があるのです。見ていてごらんなさい。いまに少年たちが報告に来ますよ。"
],
[
"そうです。ぼくたち、あいつに見つからないように、うまく尾行しました。",
"大通りのほうへ出て行ったんだね。",
"そうです。そのほかに、逃げ道はありません。ぼくたち三人は、あいつの五十メートルほどあとから、電信柱や、ごみ箱や、いろんなもののかげに、かくれながら、尾行しました。",
"あいつは、すこしも気づかなかったかね。",
"ええ、ちっとも。ぼくたち、小林団長におそわって、いつも練習していますから。",
"ウン、感心、感心、それで、あいつは、うまく自動車に乗ったのかい。",
"ええ、うまくいきました。なんにも知らないで、自動車に乗ってしまいました。",
"行く先はわからなかっただろうね。",
"いいえ、ぼく、こっそり自動車に近づいて、耳をすましていました。",
"ホウ、えらいね。すると?",
"東京へ、と言う声が聞こえました。自動車は東京のほうへ走って行ったのです。",
"よし、それでいい。きみたち、ごくろうだったね。あとはわたしがうまくやるから、きみたちは夜が明けたら、警察のおじさんに、おくってもらって、天野君もつれて、東京に帰りたまえ。きみたちの慰労会は、あとでゆっくりやるよ。"
],
[
"じつは、ぼくのほうで、あいつがその自動車に乗るように、しむけたのですよ。運転台には小林が助手に化けて、乗りこんでいます。小林は変装もなかなかうまいですよ。小林はぼくの知っているガレージへ行って、しっかりした運転手の乗った車を一台借りだしたのです。そして、夜ふけの客をおくった帰り道のように見せかけて、この向こうの大通りに待っていたのです。もし二十面相が逃げだせば、車庫をおさえてあるのだから、歩くほかはない。その時、目の前にあき自動車がいたら、きっとそれに乗るにちがいないと考えたのですよ。",
"フーン、じつによく考えられたものですね。明智さんには、ほんとうに、かぶとをぬぎますよ。それにしても、その運転手と小林君だけで、だいじょうぶでしょうか。あいては、おくそこのしれない魔法使いですからね、どんな手があるかもしれませんぜ。",
"イヤ、それはもう、ぼくにはだいたいわかっているのです。あいつがひとりで逃げだしたとすれば、行く先は一ヵ所しかありません。あいつのさいごのとっておきの手をもちいるのです。それがどんな手だか、ぼくにはもうわかっています。大活劇ですな。いや、大魔術と言ったほうがいいかもしれません。こんどはぼくが魔術師になるのです。"
],
[
"アラ、先生ですか。",
"ウン、ゆうべはてつやだった。文代はまだ寝ているだろうね。",
"エエ、おくさまは、まだおやすみです。お起こししましょうか。",
"ウン、起こしてくれ。そして、あつい紅茶を二ついれて、ぼくの部屋へ持ってくるんだ。",
"ハイ。"
],
[
"お帰りなさい。おつかれでしょう。心配してましたわ。二十面相、また逃げましたの?",
"ウン、例によって、てごわいあいてだよ。それでね、ぼくたちは、いそいで、この事務所を、からっぽにしなければならないんだ。きみとぼくと、一日だけ、ちょっとべつの場所へ、避難するんだ。むろん、これは、あいつをつかまえる作戦なんだよ。",
"マア、どこへ行きますの?",
"たいして遠くじゃない。自動車も待たせてある。"
],
[
"オヤ、どうしたんだい。へんな顔をして。",
"オオ、にがい。にがい紅茶ね。どうしたのかしら。",
"気のせいだよ。サア、したくだ、外出のしたくだよ。"
],
[
"オイ、どうしてぼくの顔を、そんなに見つめるんだ。なにかへんなところでもあるのかい。",
"へんだわ。あなたの顔、へんよ。"
],
[
"ハハハハハハ、何を言っているんだ。きみはまだ、寝ぼけているんだろう。",
"いいえ、そうじゃありません。あなた、明智小五郎じゃないわね。だれなの。あなた、いったい、だれなの?"
],
[
"文代は婦人探偵なんだ。麻酔薬をのまされるようなボンクラじゃないよ。あの紅茶は、のむように見せて、すっかりハンカチにすわせてしまったんだ。文代のスカートのポケットには、グチャグチャになったハンカチが、はいっているはずだよ。",
"それじゃあ、この女は、おれが明智でないことを、はじめから、知っていたのか。",
"そうさ。ぼくの自動車は、京浜国道で、きみの自動車をぬいて、一足お先に、ここへついたのだからね。いまにきみがやって来るだろうと、うちじゅうで待ちかまえていたのさ。きみがここへ来ることは、ぼくにはちゃんとわかっていたのだよ。",
"ちくしょう。"
]
] | 底本:「虎の牙/透明怪人」江戸川乱歩推理文庫、講談社
1987(昭和62)年12月8日第1刷発行
初出:「少年」光文社
1950(昭和25)年1月号~12月号
入力:sogo
校正:大久保ゆう
2017年3月11日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "056672",
"作品名": "虎の牙",
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"初出": "「少年」光文社、1950(昭和25)年1月号~12月号",
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"見ませんでした。もう窓の外へ出てしまっていたのでしょう。窓の外は真暗ですから……",
"その外に何か変ったことはなかったですか。ほんの些細なことでも",
"エエ、別に、……アア、そうそう、つまらない事ですけれど、私がかけつけた時、書斎の中から猫が飛び出して来てびっくりしたのを覚えています。久松のやつが鉄砲玉の様に飛び出して来ました",
"久松って猫の名ですか",
"エエ、ここの家の猫です。志摩子さんの愛猫です"
],
[
"そうでしたか。それじゃピストルの音はお聞きなさらなかった訳ですね",
"エエ"
],
[
"ことによると、これは皆が考えているよりも、ずっと恐ろしい犯罪だよ",
"恐ろしいと云って、ただの泥棒ではないと云うのかね"
],
[
"イヤ、闇夜だったからこそ、あんな足跡になったのだ。君は少し見当違いをしているようだが、僕の云う意味はね、ただ通った道が違っていたということではないのだよ。二つの足跡が故意に(確に故意にだ)離してあったということはね、賊が自分の来た時の足跡を踏むまいとしたからではないかと、僕は思うのだ。それには、闇夜だから、用心深く余程離れた所を歩かなくてはならない。ね、そこに意味があるのだよ。念の為に波多野さんに、往き帰りの足跡の重なった所はなかったかと確めて見たが、無論一ヶ所もないということだった。あの闇夜に、同じ二点間を歩いた往き帰りの足跡が、一つも重なっていなかったなんて、偶然にしては少し変だとは思わないかね",
"成程、そう云えば少し変だね。併し何故賊が足跡を重ねまいと、そんな苦労をしなければならなかったのだね。凡そ意味がないじゃないか",
"イヤ、あるんだよ。が、まあその次を考えて見よう"
],
[
"第二の不思議は、盗難品が金製品に限られていた点だ。賊が何ぜ金銭に目をくれなかったかという点だ。それを聞いた時、僕はすぐ思い当った人物がある。この土地でも極く少数の人しか知らない秘密なんだ。現に波多野さんなんかも、その人物には気づかないでいるらしい",
"僕の知らない人かね",
"ウ※(小書き片仮名ン)、無論知らないだろう。僕の友達では甲田君が知っている丈けだ。いつか話したことがあるんでね",
"一体誰のことだい。そして、その人物が犯人だと云うのかい",
"イヤ、そうじゃないと思うのだ。だから、僕は波多野さんにも其人物のことを話さなんだ。君にもまるで知らない人のことを話したって仕方がない。一時一寸疑った丈けで、僕の思い違いなんだ。その人だとすると外の点がどうも一致しないからね"
],
[
"君、盗まれた金製品の内で一番大きいのは何だと思う。恐らくあの置時計だね。どの位の寸法だったかしら、縦が三寸、幅と奥行が二寸、大体そんなものだね。それから目方だ。三百匁、そんなものじゃなかろうか",
"僕はそれをよく見覚てはいないけれど、御父さんが話されたのを聞くと、丁度そんなものらしいね。だが、置時計の寸法や目方が、事件とどんな関係があるんだね。君も変なことを云い出すじゃないか"
],
[
"イヤ、それが一番大切な点だ。僕は今やっとそこへ気がついたのだが、盗難品の大きさなり目方なりが、非常に重大な意味を持っているのだよ",
"賊が持運び出来たかどうかを云っているの?"
],
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"皆が書斎へかけつけた時、常爺や丈けが窓際へ行って坐りこんでしまった。面白いね。君、分るかね。それには何か理由がなくてはならない。気違いではあるまいし、理由なしでそんな馬鹿な真似をする筈はないからね",
"無論理由はあったろうさ。だが、それが分らないから、妙に思うのだ"
],
[
"なんだね。君はちゃんと見ていたじゃないか。君はね、赤井さんのことばかり考えているものだから、そこへ気がつかぬのだよ。ホラ、君がさっき話したじゃないか。赤井さんが洋館の向側を覗いていたって",
"ウン、それもおかしいのだよ",
"イヤサ、君は別々に考えるからいけない。赤井さんが覗いていたのは、外のものではない、常爺やだったとは考えられないかね",
"アア、そうか"
],
[
"爺やは、花壇いじりをしていたんだね。だがあすこには今花なんてないし、種を蒔く時節でもない。花壇いじりじゃ変じゃないか。もっと別のことをしていたと考える方が自然だ",
"別のことと云うと?"
],
[
"それは行ってもいいがね。君はさっきただの泥棒の仕業ではなくて、悪魔の所業だと云ったね。それには、何か確な根拠があるのかい。もう一つ分らないのは、今の花瓶の一件だ。行く前にそいつを説明してくれないか",
"イヤ、凡て僕の想像に過ぎないのだ。それに迂闊に喋れない性質の事柄なんだ。今は聞かないでくれ給え。ただ、僕の想像が間違いでなかったら、この事件は表面に現われているよりも、ずっとずっと恐ろしい犯罪だということを頭に入れて置いてくれ給え。そうでなくて、病人の僕がこんなに騒いだりするものかね"
],
[
"やっぱりって、君はこれが埋めてあることを知っていたのかい。だが、女中に聞いて見ると、常さんの老眼鏡のサックだということだが、常さんが何故自分の持物を埋めなければならなかったのか、僕にはサッパリ分らないのだが",
"それは、爺やの持物には相違ないけれど、もっと別の意味があるんだよ。君はあれを知らなかったのかなあ",
"あれって云うと?",
"これでもう疑う余地はなくなった。恐ろしいことだ。……あいつがそんなことを。……"
],
[
"大分元気の様ですね",
"エエ、お蔭様で順調に行ってます"
],
[
"イヤ、秘密という訳ではないのだから、ではお話しますが。犯人が分ったのです。今日午後逮捕しました",
"エ、犯人が捕縛されましたか"
],
[
"して、それは何者です",
"結城さん。あなた琴野三右衛門というあの辺の地主を知っていますか"
],
[
"エエ、知ってます。では……",
"その息子に光雄っていう気違いがある。一間に檻禁して滅多に外出させないというから、多分御存知ないでしょう、私も今日やっと知った位です",
"イヤ、知ってます。それが犯人だとおっしゃるのですか",
"そうです。已に逮捕して、一応は取調べも済みました。何分気違いのことで、明瞭に自白はしていませんけれど。彼は珍しい気違いなんです。黄金狂とでも云いますかね。金色のものに非常な執着を持っている。私はその男の部屋を見て、びっくりしました。部屋中が仏壇みたいに金ピカなんです。鍍金であろうが、真鍮の粉や箔であろうが、金目には関係なく、兎も角も、金色をしたものなら、額縁から金紙から鑢屑に至るまで、滅多無性に蒐集しているのです",
"それも聞いています。で、そういう黄金狂だから、私の家の金製品ばかりを盗み出したとおっしゃるのでしょうね",
"無論そうです。紙幣入れをそのままにして、金製品ばかりを、しかも大した値打もない万年筆まで洩れなく集めて行くというのは、常識では判断の出来ないことです。私も最初から、この事件には何かしら気違いめいた匂がすると直覚していましたが、果して気違いでした。しかも黄金狂です。ピッタリと当てはまるじゃありませんか",
"で、盗難品は出て来たでしょうね"
],
[
"イヤ、それはまだです。一応は調べましたが、その男の部屋には無いのです。併し、気違いのことだから、どんな非常識な所へ隠しているか分りませんよ。なお充分調べさせる積りですが",
"それから、あの事件のあった夜、その気違いが部屋を抜け出したという点も確められたのでしょうね。家族のものは、それに気づかなんだのですか"
],
[
"何もそんなことを、あなたが御心配なさるには及びませんよ。それにはちゃんと警察なり裁判所なりの機関があるのですから",
"イヤ、御立腹なすっちゃ困りますが、僕は当の被害者なんだから、参考までに聞かせて下すってもいいじゃありませんか"
],
[
"馬鹿馬鹿しい。事件以来ずっとそこに寝ていた君に、どうして証拠の蒐集が出来ます。あなたはまだ身体が本当でないのだ。妄想ですよ。麻酔の夢ですよ",
"ハハハハハハ、あなたは怖いのですか。あなたの失策を確められるのが怖いのですか"
],
[
"ごらんなさい。さっき松村君にも話したことですが、この往きの足跡と帰りの足跡との間隔が、不自然に開き過ぎている。あなたは、犯罪者が大急ぎで歩く場合に、こんな廻り道をすると御考えですか。もう一つ、往復の足跡が一つも重なっていないのも、非常な不自然です。という僕の意味がお分りになりますか。この二つの不自然はある一つの事柄を語っているのです。つまり、犯人が故意に足跡を重ねまいと綿密な注意を払ったことを語っているのです。ね、闇の中で足跡を重ねない為には、犯人は用心深く、此位離れた所を歩かねばならなかったのですよ",
"成程、足跡の重なっていなかった点は、如何にも不自然ですね。或は御説の通り故意にそうしたのかも知れん。だが、それにどういう意味が含まれているのですかね"
],
[
"これが分らないなんて。あなたは救い難い心理的錯覚に陥っていらっしゃるのです。つまりね、歩幅の狭い方が来た跡、広い方が急いで逃げた跡という考、随って足跡は井戸に発し井戸に終ったという頑固な迷信です",
"オ、では君は、あの足跡は井戸から井戸へではなくて、反対に書斎から書斎へ帰った跡だと云うのですか",
"そうです。僕は最初からそう思っていたのです"
],
[
"闇夜? なにも闇夜だからって、井戸まで歩けたものが、それから道路までホンの僅かの距離を歩けなかったという理窟はありますまい",
"イヤ、そういう意味じゃないのです。犯人は井戸から向うは足跡をつける必要がないと誤解したのです。滑稽な心理的錯誤ですよ。あなたは御存知ありますまいが、あの事件の二三日前まで、一月余りの間、井戸から向うの空地に、古材木が一杯置き並べてあった。犯人はそれを見慣れていたものだから、つい誤解をしたのです。彼はそれの運び去られたのを知らず、あの晩もそこに材木がある、材木があれば犯人はその上を歩くから足跡はつかない、つけなくてもよい。と考えたのです。つまり闇夜故の飛んだ思い違いなんです。若しかしたら、犯人の足が井戸側の漆喰にぶつかって、それが材木だと思い込んでしまったのかも知れませんよ"
],
[
"分り切っているじゃありませんか。この僕を殺すのが、奴の目的だったのです",
"エ、あなたを殺す? それは一体誰です。何の理由によってです",
"マア、待って下さい。僕がなぜそんな風に考えるかと云いますとね、あの場合賊は僕に向って発砲する必要は少しもなかったのです。闇にまぎれて逃げてしまえば充分逃げられたのです。ピストル強盗だって、ピストルはおどかしに使うばかりで、滅多に発射するものではありません。それにたかが金製品位を盗んで、人を殺したり傷つけたりしちゃ、泥棒の方で引合いませんよ。窃盗罪と殺人罪とでは、刑罰が非常な違いですからね。と、考えて見ると、あの発砲は非常に不自然です。ね、そうじゃありませんか。僕の疑いはここから出発しているのですよ。泥棒の方は見せかけで、真の目的は殺人にあったのじゃないかという疑いはね"
],
[
"庭の唯一の足跡が贋物だとしたら、賊は廊下伝いに母屋の方へ逃げるしか道はありません。所がその廊下にはピストル発射の刹那に、甲田君が通りかかっていたのです。御承知の通り洋館の廊下は一方口だし、電燈もついている。甲田君の目を掠めて逃げることは全く不可能です。隣室の志摩子さんの部屋もすぐあなた方が検べたのですから、迚も隠れ場所にはならない。つまり、理論で押して行くと、この事件には犯人の存在する余地が全然ない訳です",
"無論私だってそこへ気のつかぬ筈はない。賊は母屋の方へ逃げることは出来なかった。従って犯人は外部からという結論になった訳ですよ"
],
[
"そうです。我々は錯覚に陥っていたのです。一人の人物が我々の盲点に隠れていたのです。彼は不思議な隠れ簑――被害者の親友で事件の最初の発見者という隠れ簑に隠れていたのです",
"じゃ君は、それを初めから知っていたのですか",
"イヤ、今日になって分ったのです。あの晩はただ黒い人影を見た丈けです"
],
[
"そう云えば、甲田君は内輪だったね",
"それも一つの証拠です。だが、もっと確な物があります"
],
[
"実はね、甲田君がとうとうアリバイを申立てたのですよ、僕はある事情で係りの予審判事と懇意でしてね、世間のまだ知らないことを知っているのです。甲田君はピストルの音を聞いた時、廊下にいたというのも、その前に玄関へ頬を冷しに出たというのも、皆嘘なんだそうです。なぜそんな嘘をついたかというと、あの時甲田君は、泥棒よりももっと恥しいことを――志摩子さんの日記帳を盗み読みしていたからなんです。この申立てはよく辻褄が合っています。ピストルの音で驚いて飛出したから日記帳がそのまま机の上に投り出してあったのです。そうでなければ、日記帳を盗み読んだとすれば、疑われない様に元の抽斗へしまって置くのが当然ですからね。とすると、甲田君がピストルの音に驚いたのも本当らしい。つまり彼がそれを発射したのではないことになります",
"何の為めに日記帳を読んでいたと云うのでしょう",
"オヤ、あなたは分りませんか。彼は恋人の志摩子さんの本当の心を判じ兼たのです。日記帳を見たら、若しやそれが分りはしないかと思ったのです。可哀相な甲田君が、どんなにイライラしていたかが分るではありませんか",
"で、予審判事はその申立を信じたのでしょうか",
"イヤ、信じなかったのです。あなたもおっしゃる通り、甲田君に不利な証拠が揃い過ぎていますからね",
"そうでしょうとも。そんな薄弱な申立てが何になるものですか",
"ところが、僕は、甲田君に不利な証拠が揃っている反面には、有利な証拠もいくらかある様な気がするのです。第一に、あなたを殺すのが目的なら、なぜ生死を確めもしないで人を呼んだかという点です。いくら慌てていたからと云って、一方では、前もって偽の足跡をつけて置いたりした周到さに比べて、あんまり辻褄が合わないじゃありませんか。第二には、偽の足跡をつける場合、往復の逆であることを看破されないために、足跡の重なることを避けた程綿密な彼が、自分の足癖をそのまま、内輪につけて置いたというのも信じ難いことです"
],
[
"結論を云って下さい。あなたは一体、誰が犯人だとおっしゃるのですか",
"それは、あなたです"
],
[
"あなた本気で云っているのですか。何を証拠に、何の理由で",
"ごく明白なことです。あなたの云い方を借りると、簡単な算術の問題に過ぎません。二から一引く一。二人の内の甲田君が犯人でなかったら、どんなに不自然に見え様とも、残るあなたが犯人です。あなた御自分の帯の結び目に手をやってごらんなさい。結び端がピョコンと縦になってますよ。あなたは子供の時分の間違った結び癖を大人になっても続けているのです。その点だけは珍しく不器用ですね。併し、帯はうしろで結ぶものですから例外かも知れないと思って、僕はさっきあなたにこの繃帯を結んで貰いました。ごらんなさい。やっぱり十字形の間違った結び方です。これも一つの有力な証拠にはなりませんかね"
]
] | 底本:「江戸川乱歩全集 第7巻 黄金仮面」光文社文庫、光文社
2003(平成15)年9月20日初版1刷発行
2013(平成25)年11月15日3刷発行
底本の親本:「江戸川乱歩全集 第三巻」平凡社
1932(昭和7)年1月
初出:「時事新報 夕刊」時事新報社
1929(昭和4)11月28日~12月29日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※底本巻末の平山雄一氏による註釈は省略しました。
入力:門田裕志
校正:入江幹夫
2020年6月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[
[
"君、この、僕の机の上に二銭銅貨をのせて置いたのは君だろう。あれは、どこから持って来たのだ",
"アア、俺だよ。さっき煙草を買ったおつりさ",
"どこの煙草屋だ",
"飯屋の隣の、あの婆さんのいる不景気なうちさ",
"フーム、そうか"
],
[
"君、その時、君が煙草を買った時だ、誰か外にお客はいなかったかい",
"確か、いなかった様だ。そうだ。いる筈がない。その時あの婆さんは居眠りをしていたんだ"
],
[
"だが、あの煙草屋には、あの婆さんの外に、どんな連中がいるんだろう。君は知らないかい",
"俺は、あの婆さんとは仲よしなんだ。あの不景気な仏頂面が、俺のアブノーマルな嗜好に適したという訳でね。だから、俺は相当あの煙草屋については詳しいんだ。あそこには婆さんの外に、婆さんよりはもっと不景気な爺さんがいる切りだ。併し君はそんなことを聞いてどうしようというのだ。どうかしたんじゃないかい",
"マアいい。一寸訳があるんだ。ところで君が詳しいというのなら、も少しあの煙草屋のことを話さないか",
"ウン、話してもいい。爺さんと婆さんとの間に一人の娘がある。俺は一度か二度その娘を見かけたが、そう悪くない容色だぜ。それがなんでも、監獄の差入屋とかへ嫁いているという話だ。その差入屋が相当に暮しているので、その仕送りで、あの不景気な煙草屋も、つぶれないで、どうかこうかやっているのだと、いつか婆さんが話していたっけ。……"
],
[
"サア、そんなものはないだろう。下のお上さんにでも聞いて見たらどうだ",
"ウン、そうだな"
],
[
"分った、分った。威張るのは抜きにして、どうしてその金を手に入れたか、その筋道を話して見ろ",
"マア急くな。俺は、そんなことよりも、五万円の使途について考えたいと思っているんだ。だが、君の好奇心を充す為に、一寸、簡単に苦心談をやるかな"
]
] | 底本:「江戸川乱歩全集 第1巻 屋根裏の散歩者」光文社文庫、光文社
2004(平成16)年7月20日初版1刷発行
底本の親本:「江戸川乱歩全集 第一巻」平凡社
1931(昭和6)年6月
初出:「新青年」博文館
1923(大正12)年4月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※暗号を解いた結果の表は、入力者が底本をもとに作成しました。
入力:砂場清隆
校正:湖山ルル
2016年1月1日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "056647",
"作品名": "二銭銅貨",
"作品名読み": "にせんどうか",
"ソート用読み": "にせんとうか",
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[
"妙なことには、人殺し騒ぎの後、忘れた様に一度も起らないのです。恐らく、その時余りひどい刺戟を受けた為だろうと医者は云っています",
"そのあなたのお友達だった方……木村さんとかおっしゃいましたね。……その方が最初あなたの発作を見たのですね。それから時計の事件と、それから、墓地の幽霊の事件と、……その外の場合はどんな風だったのでしょうか。御記憶だったら御話下さいませんか"
],
[
"そうですね。皆似たり寄ったりの出来事で、殺人事件をのけては、まあ墓地を彷徨った時のが一番変っていたでしょう。あとは大抵同宿者の部屋へ侵入したという様なことでした",
"で、いつも品物を持って来るとか、落して来るとかいうことから発見された訳ですね",
"そうです。でも、そうでない場合も度々あったかも知れません。ひょっとしたら、墓場どころではなく、もっともっと遠い所へ彷徨い出していたこともあったかも知れません",
"最初木村というお友達と議論をなすった時と、墓場で勤人の人に見られた時と、その外に誰かに見られたという様なことはないのですか",
"いや、まだ沢山あった様です。夜半に下宿屋の廊下を歩廻っている跫音を聞いた人もあれば、他人の部屋へ侵入する所を見たという人などもあった様です。併しあなたはどうしてそんなことを御尋ねになるのです。何だか私が調べられている様ではありませんか"
],
[
"なる程、私とても最初の発作の時にはそんな風に疑っても見ました。そして、これが間違であって呉れればいいと祈った程でした。でも、あんなにも長い間、絶間なく発作が起っては、もうそんな気安めも云っていられなくなるではありませんか",
"ところが、あなたは一つの大切な事柄に気附かないでいらっしゃる様に思われるのです。というのは、あなたの発作を目撃した人が少い。いや煎じつめればたった一人だったという点です"
],
[
"一人ですって、いや決してそんなことはありません。先程も御話した様に、私が他人の部屋へ入る後姿を見たり廊下の跫音を聞いたりした人はいくらもあるのです。それから墓場の場合などは、名前は忘れましたがある会社員が確に目撃して、私にそれを話した位です。そうでなくても、発作の起る度にきっと、他人の品物が私の部屋にあるか、私の持物がとんでもない遠方に落ちているかしたのですから、疑う余地がないじゃありませんか。品物が独で位置を換る筈もありませんからね",
"いや、そういう風に発作の度毎に証拠品が残っていたという点が、却て怪しいのです。考えて御覧なさい、それらの品物は、必ずしもあなた自身の手を煩わさなくても、誰か外の人がそっと位置を換て置くことも出来るのですからね。それから、目撃者が沢山あった様におっしゃいますが、墓場の場合にしても、その他の後姿を見たとか何とかいうのは、皆曖昧な所があります。あなたでない他の人を見ても、夢遊病者という先入主の為に、少し夜更けに怪しい人影でも見れば、すぐあなたにして了ったのかも知れません。そういう際に間違った噂を立てたからとて、少しも非難される憂いはありませんし、その上、一つでも新しい事実を報告するのを手柄の様に思うのが人情ですからね。さあ、こういう風に考えて見ますと、あなたの発作を目撃したという数人の人々も、沢山の証拠の品物も、皆ある一人の男の手品から生れたのだと云えないこともないではありませんか。それは如何にも上手な手品には相違ありません。でも、いくら上手でも手品は手品ですからね"
]
] | 底本:「江戸川乱歩全集 第1巻 屋根裏の散歩者」光文社文庫、光文社
2004(平成16)年7月20日初版1刷発行
2012(平成24)年8月15日7刷発行
底本の親本:「江戸川乱歩全集 第二巻」平凡社
1931(昭和6)年10月
初出:「新青年」博文館
1924(大正13)年6月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※底本巻末の平山雄一氏による註釈は省略しました。
入力:門田裕志
校正:江村秀之
2017年9月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "057191",
"作品名": "二癈人",
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"初出": "「新青年」博文館、1924(大正13)年6月",
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"名ローマ字": "Ranpo",
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"あれ初めての人?",
"ええ、そうよ。あんな人見たことないわ",
"失敬なやつ"
],
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"あんなやつ、気にするのよそうよ。君も向こうを見ないでいる方がいい、あいつどうかしているんだよ。あたり前の人間じゃないよ",
"ええ、じゃあ、もう見ないわ"
],
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"あの人がねえ、どうしてもあんたに来てほしいっていうのよ",
"いやよ、そんな失礼な。あたしは、芳っちゃんのお相手してるんじゃありませんか",
"ええ、そりゃわかってるわ。だから番が違うからってお断りしたんだけれど、聞かないのよ、酔っぱらっちゃって、乱暴しかねないのよ。ちょっとでいいから、顔を出してくんない?"
],
[
"ええ、困りますね",
"ああ、僕を救ってください。僕は自制力を失いそうです。もし自制力を失ったら……"
],
[
"いや、僕は若い方の恩田さんに会いたいのです。いつか京橋のカフェでお眼にかかった神谷というものです",
"若い方というと、ハハア、倅のことですかな。倅なら今あいにく留守中じゃが"
],
[
"ほんとうにご存知ないのですか。いくらなんでも、同じ家の中に、よその娘が閉じこめられているのを、あなたが知らないはずはないでしょうが",
"え、え、なんとおっしゃる。娘が閉じこめられている? そりゃ何かの間違いでしょう。わしにせよ倅にせよ、そんな悪者ではありません。いったい何を証拠に、そんな言いがかりをなさるのじゃ"
],
[
"アハハハハハ、これを家から投げましたと? あんたは夢でも見たのじゃないか。この家には倅とわし二人きりで、その倅が外出しているのじゃから、今はわしがたった一人です。わしがこんなものを投げるはずもなし……",
"では、これをごらんなさい。あなたの息子さんが弘子さんという女給にやった指環です。これも見覚えがないとおっしゃるつもりですか"
],
[
"窓を閉めてあるのですか",
"さようじゃ。今窓をあけますから、少し待ってください"
],
[
"おや、火事じゃないか",
"ウン、そうだ。おい君、君が逃げ出す時に、シャツやなんかに火をつけてきたと言ったね。それが燃えひろがったんじゃないか"
],
[
"あなた、からかっていらっしゃるの。それとも、そんなに忘れっぽくなってしまったの。あたしちゃんと送っていただきましたわ。それはそうと、あなたはゆうべ、車の中で、どうしてあんなにだまっていらしったの。少しばかり変なぐあいだったわ",
"えっ、僕が君を送ったって? それ、ほんとうかい。おとといの思い違いじゃないのかい"
],
[
"君は、その男の顔を見なかったの? 顔も見ないで僕ときめてしまったの?",
"ええ、でも、あなただって、お別れする時まで、ずっとお面を取らないでいらっしゃることもあるんですもの……もし少しでも疑えば、その人のお面をとってみるんだったけれど、あたし、あなたとばかり思い込んでいたもんだから……"
],
[
"ええ、でも、どこへ寄るの?",
"ウン、じき近くだよ。ちょっと君を驚かせることがあるんだ。むろん、嬉しくって驚くことなんだよ",
"そう、なんでしょうか。思わせぶりね",
"ウン、ウン、思わせぶりさ。フフフフフ、君、きっと驚くぜ"
],
[
"あら、あなた、風引いたの。声が変よ",
"ウン、春の風だよ。陽気があんまりいいんで、風を引いちゃった",
"あなた、だあれ?……神谷さんなんでしょうね",
"ハハハハハ、何を変なこといってるんだ。きまってるじゃないか。それとも誰か、ほかにも迎えにくる人があったのかい",
"そのお面、取ってくださらない。気味がわるいわ、ニヤニヤ笑っていて",
"ウン、これを取るのかい。取ってもいいよ。だが、ちょっと待ちたまえ。君に見せるものがあるんだ。ほら、これ、君に上げるよ"
],
[
"ウン、そんなことどうだっていいよ。さあ、さっきの指環お出し、僕がはめて上げるから",
"ええ"
],
[
"あら、まだお面かぶっていらっしゃるの。お座敷の中でおかしいわ。取ったげましょうか",
"まあ、いいから、手をお出し、指環の方を先にしよう"
],
[
"いけない。放してください。あなた誰です……神谷さんじゃない……早く、早く、そのお面を取って、顔を見せてください",
"ハハハハハ、そんなにせき立てなくたって、いま見せてあげるよ。ほら、君とエンゲージした男っていうのは、つまり僕なのさ"
],
[
"だめだめ、その襖には錠前がついているんだ。鍵は僕が持っている。ほしければ鍵を上げないものでもないが、それには条件があるんだよ",
"じゃあ、あたし、ベルを押して、ここの女中さんを呼びますわ",
"呼んだって来やしないよ。君が少しぐらい大きな声を立てたって、誰もこないことになっているんだ"
],
[
"いけません。あたし、どうしても帰ります",
"だが、僕は帰さないのさ"
],
[
"アッ、いけねえ。お聞きなさい、あの足音を。人が来たんだ。一人や二人じゃねえ。早く逃げなくっちゃ",
"だが、どこへ? どこへ逃げればいいんだ",
"だめです。逃げ道なんかありゃしない。あの裏口のほかは、どっちへ行ったって人の山だ",
"じゃあ、君、頼む、上の配電盤室へ行って、電燈を消してくれたまえ。この建物を暗闇にしてくれたまえ。その間に、おれは見物席へまぎれ込むから。お礼は約束の三倍だ"
],
[
"おいらあ、どうも、あいつがまだ、この小屋ん中のどっかの隅っこに、隠れているような気がしてしようがねえんだがね",
"よせやい。おどかしっこなしだぜ。あれほど探していなかったんだもの、今頃まで隠れているはずはないよ。ねえ君"
],
[
"それはそうと、君、あいつがまだ小屋の中にいるとすると、蘭子はどうしたんだろう",
"むろん、一緒にいるだろうじゃねえか",
"生きてかい?"
],
[
"おい、あの声、蘭子じゃねえか",
"ウン、そうらしい。どこだろう"
],
[
"奈落のようだぜ",
"いや、舞台裏かもしれない",
"おい、みんな、行ってみよう"
],
[
"おい、やっぱりここだぜ",
"ウン、あっちの方から聞こえてきたようだね"
],
[
"こいつあ、どうもキテレツだわい。確かに、この辺から聞こえてきたんだがなあ",
"だまって。相手に聞かれちゃいけねえ。しばらくここで待ってみようじゃねえか"
],
[
"おや、今なんだかガサガサって音がしたじゃねえか",
"鼠だろう",
"鼠なもんか。どうやら、この辺が臭いぜ"
],
[
"オイ、見ろ、あの中が怪しいぜ",
"ウン、そうだ、用意はいいか",
"やっつけろ!"
],
[
"どこだ、どこだ",
"あ、あすこだ。あすこに掴み合っている"
],
[
"逃げたぞ、出入口を用心しろ",
"誰か警察へ電話をかけろ"
],
[
"ウン、この広い小屋の中を、これっぽっちの人数じゃ無理だよ。もう止そうぜ。あとはお巡りさんにお任せしちまおう",
"そうだな、じゃあ、おれたちは蘭子を向こうの部屋へ連れてってやろうじゃねえか。可哀そうに、気絶して、板の間にころがったまんまだぜ",
"ああ、それがよかろう"
],
[
"いや、そうじゃねえ。これは衣裳部屋にしまってあるんだからね。こんなところへ来ているのはおかしいよ",
"今夜の騒ぎで、誰かがウッカリ持ち出したんじゃないかい",
"ウン、そんなことかもしれない"
],
[
"隠しやしない。蘭子は、もうちゃんと自宅へ帰っているよ。どっさり護衛がついてね。君はその後の出来事をまだ聞いていないとみえるね。おれはしくじったのだよ。とうとう隠れ場所を発見されてね。蘭子を取り戻されてしまったのだよ。ハハハハハ。だが、なんでもないんだ。ちょっと失敗したというまでのことさ",
"それはほんとうか",
"ほんとうとも。ほんとうだからこそ、ちょっと君に警告するために、やってきたんだよ。なに、じき帰るから心配しないでもいい。ここで君を掴み殺すのはわけはないがね。それじゃ、あんまり惜しい気がするのだよ。いずれは君も生かしちゃおかないつもりだが、それは、もっともっと苦しめたあとのことだよ。ハハハハハ"
],
[
"ウフフフフ、大声を立てるんだって? 君はそんなことできやしないよ。家族の命が惜しいだろうからね。もしここへ誰かが飛び出してきたら、おれは容赦なく掴み殺してしまうぜ",
"いったい貴様は僕になんの用事があるんだ",
"おお、そうそう、すっかり忘れていたよ。蘭子のことさ。おれは一度失敗したくらいで、あの女を諦めやしない。諦めないということを、君に告げ知らせにきたんだ。どうせ君はあらゆる防禦手段を講じるだろう。そうして君がやっきとなればなるほど、おれにとっては思う壺だぜ。つまりだね、君が死にもの狂いに守っている愛人を奪い取って、君を思う存分苦しめてやりたいのさ。ハハハハハ、じゃあ、せいぜい用心したまえ"
],
[
"ちっとも気がつきませんでしたよ。でも、あれからずっと刑事さんが二人も、この部屋に詰めきっていらしったのですよ。そして、昼間は危ないこともあるまいとおっしゃって、つい今しがたお帰りなすったばかりなのです。いくらあいつでも、刑事さんがいるとわかっては、手出しができなかったのでございましょう",
"ああ、そうでしたか。それはいいぐあいでした。もし刑事がいなかろうもんなら、今度こそ取り返しのつかないことになっていたかもしれません。じゃあ、あいつ、雨戸のそとから立ち聞きしただけで、スゴスゴ引っ返したのですね"
],
[
"あの足跡をよくごらんなさい。縫いぐるみのこしらえもんだけれど、足跡の前うしろはちゃんとわかるようにできています。あの足跡、みんなこちらを向いているじゃありませんか。向こうむきのは一つもないじゃありませんか",
"おや、そうですわね。どうしたんでしょうか"
],
[
"つまり、あいつは、塀を乗り越して、縁側のところへやってきたきり、引っ返していないのです。来た足跡だけで、帰った足跡がないのです",
"まあ!"
],
[
"あたし怖いわ。神谷さん早く警察へそういってくださらない。あいつは、きっと、このうちのどっかに隠れているんだわ",
"慌てることはないよ。いざといえば隣近所があるんだからね、たとえ、あいつがここに潜んでいるにしたところで、昼間ノコノコ出てくる気遣いはありゃしない"
],
[
"聞こえるのよ。荒い息遣いが聞こえているのよ。きっとあいつは、あの天井板の上に潜んでいるんだわ。あたし、どうしましょう。ここの家にいるのは怖いわ。どっかへ行きましょうよ。あいつが、どうしても追っ駈けてこられないような、遠くの遠くの方へ逃げましょうよ",
"何をいってるんだ。それは君の気のせいだよ。天井裏から息遣いなんかが聞こえてたまるものか。なんにもいやしないよ。いるはずがないんだよ"
],
[
"まったくお誂え向きの話があるんです。実は僕の母がその本人から頼まれて、そういう田舎娘を探しているんですがね。なかなか思ったようなのがないのです。ちょっと風変りな奉公口なんですよ",
"まあ、あたしご奉公するの?",
"ええ、そうですよ。うまい考えでしょう。あんたがいま知り合いのところへ逃げたんじゃあ、結局、恩田に見つかってしまうにきまっていますよ。そこを裏をかいてですね、敵の思いも及ばない大飛躍をやるんです。田舎娘に化けて、まったく関係のない他人の家へ奉公しちゃうんです。ねえ、神谷さん、どうでしょうね、この考えは"
],
[
"そいつは面白いね。なんぼなんでも、蘭子ちゃんが、女中奉公をしようとは気がつくまいからね……しかし、女中さんとなると、使い歩きをさせられるだろうが、そいつがちっと心配だね",
"いや、ところが、塀のそとへは一歩も出なくていいんです。その先方の家というのが、またひどく変っていましてね、ちょうどお誂え向きなんですよ。家のまわりには高いコンクリート塀をめぐらし、その上にビール瓶のかけらが針の山のように植えつけてあろうという実に厳重な構えで、主人は年がら年中一と間にとじこもったまま、一歩もそとへ出ないのです。その主人づきのまあ話し相手、小間使いといった役目なんですよ",
"まあ、妙なご主人ね。年寄りのかたなの?"
],
[
"ところが若いのです。蘭子さんと同い年ぐらいでしょう。いや、ご心配には及びません。その主人というのは娘さんですよ。しかも片輪者なんです。顔に何か不具な箇所があるとかで、いつも黒い覆面をかぶっていて、誰にも素顔を見せたことがないという、極端に内気なお嬢さんです。そんな生活をしているものだから、話し相手がほしいのですね。もっとも老人の執事かなんかが一緒にいるんだそうですが、老人ではお話し相手になりませんからね",
"お金持ちなんだね",
"そうですよ。ご存じかもしれませんが、高梨という高利貸の一人娘ですが、二、三年前に両親に死なれてしまって、今では一人ぼっちの可哀そうな片輪者なんです。お嫁入りはおろか、人に顔を見られるのもいやだといって、そういう孤独な生活をしているんだそうです。今もいうように、お父さんの商売柄、泥棒の用心にかけては、実に厳重にできている家ですから、蘭子さんの隠れがには持ってこいですよ。いくら人間豹でも、あの大きな鉄の門を破ったり、針の山みたいな塀を乗り越すことはできないでしょうからね"
],
[
"すてき、すてき、それじゃ誰が見たって、わかりゃしない。さすがにメーク・アップはお手のもんだね",
"まあ、可愛いわねえ。神谷さん、蘭子さんのこういう姿も捨てたもんじゃないでしょう"
],
[
"あたし、なんだか心細いわ。大丈夫かしら",
"大丈夫だとも、僕は別の車で、先方の家の前まで、君について行くよ。そして、君が無事に奉公するのを見届けて帰るよ。それから、何か急な用事ができたら、僕のうちへ電話をかけるがいい。僕はすぐに飛んで行ってあげるよ"
],
[
"ええ、わたし構いませんです。わたしそとへなぞ出たくありませんから",
"おお、そうですかい。そと出嫌いかね。そいつは好都合じゃ。ところであんたの仕事というのは、ご承知の通りこのお嬢さまの小間使いなのじゃが、さっきも言う通り、お嬢さまはご病気なのだから、どんなことをおっしゃっても、お言葉を返してはいけませんぞ。万事おっしゃる通りにしてさし上げるのじゃ。わかったかね",
"あたし、わがままだから、そりゃ無理ばっかり言ってよ"
],
[
"それでは取りきめましても",
"ええ、いいわ。早く取りきめてちょうだい。お給金もどっさり上げてね",
"はなさん、お聞きの通りじゃ。親御さんの方へはいずれ詳しく手紙で申し送るとして、お前はきょうからここにいることにするがよろしい。別にさしつかえはないだろうね。ああ、そうか。よろしいよろしい。ところでお給金じゃが、お嬢さまのお言葉もあるので、これまでの例を破って、月百円ということにきめましょう。不服はないだろうね"
],
[
"あたし、お風呂にはいりたいと思うのだけれど、その子に先へ行って用意させてくれない?",
"はい、承知しました……はなさん、では私についておいで、湯殿を教えてあげるから。お湯はちゃんと焚きつけてあるから、お前は湯加減を見て、手拭などをきちんとしておけばよろしいのじゃ"
],
[
"誰です。あなたは誰です",
"誰でもない。君が会いたがっている男だよ"
],
[
"ああ君、ちょっと行先きを変えるよ。麻布の竜土町だ。竜土町のね、明智小五郎っていう家へ行くんだよ",
"承知しました。私立探偵ですね"
],
[
"おや、君はよく知っているね",
"有名ですからね。あたしゃ、早くあの先生が登場すればいいと、待ちかねているんですよ",
"どこへ登場するっていうんだい?",
"ご存じでしょう。ほら、例の大都劇場の一件でさあ。蘭子を狙っているけだものでさあ。早く明智さんが出て、あの人間と豹の混血児みたいなえてものを、やっつけてくれりゃいいと思っているんですよ。あたしゃ、江川蘭子は大のひいきですからね",
"ああ、そうかい。今にそんなことになるだろうよ"
],
[
"知っております。浅草の千束町に母親と二人で家を借りているんです",
"電話は利きませんか",
"確か近所から呼出しが利くと思いました。大都劇場の事務所へ聞き合わせたらわかるかもしれません……ですが、何か熊井にご用がおありなんですか"
],
[
"熊井君の呼出し電話をですか",
"ええ、そうですよ……僕はもしかしたら、熊井君親子は、もうどっかへ引越しをしてしまったんじゃないかというような気がするのですよ。もしいてくれれば幸いだが……"
],
[
"わかりましたか。では、そこへあなたから電話をかけて、熊井君なり熊井君の母親なりを呼出してみてください",
"ご用がおありなのですか",
"ええ、用事があるのです"
],
[
"モシモシ、熊井さんでございますか。あの柔道をなさる熊井さんですね。あのかたは、きょうお昼すぎ、急にお引越しなさいましたよ",
"えっ、引越したって? それ、ほんとうですか",
"ええ、うそなんか言いませんよ。なんだかひどく急なお話でしてね。箪笥だとか台所のものなんか、大抵古道具屋にお払いになった様子ですよ",
"で、国へ帰ったというのだね。あの人の国はどちらだったかしら",
"さあ、それはよく存じませんでしたが"
],
[
"国へ帰ったと言うのですか",
"ええ、そうです。しかし、先生はどうしてそれがおわかりになったのでしょう",
"詳しいことはあとでお話しします。僕はあなたのお話を伺って、あることを心配していたのです。それがいま一部だけ的中しました。この上は現場をしらべてみるほかありません。さあ、ご一緒に参りましょう。お話は自動車の中でもできますから"
],
[
"むろんです。君は恩田の一味の者に尾行されたのですよ。その尾行したやつが、僕の家へおはいりなすったのを見て、とっさにこんな脅し文句を書いたのです",
"ですが、この一大不幸というのは、一体なにを意味するのでしょうか"
],
[
"むろん高梨の家ですよ。おわかりですか。君は今、どこから僕の家へいらしったのです。築地の高梨家の前からではありませんか。その君に尾行してきた男があったとすれば……途中ですれ違いに見つけて跡をつけるというのは少しおかしいですからね……その男は高梨家から君をつけてきたと思わなければなりません。君は気づかれないつもりでいても、先方ではちゃんと君の挙動を監視していたかもしれませんよ",
"高梨家の人が、僕をですか"
],
[
"すると、あの高梨家に、恩田の手が廻っているとでも……",
"そうですよ。行ってみなければほんとうのことはわかりませんが、脅迫状といい、熊井君の引越しといい、僕にはなんとなくそんなふうに感じられるのです。熊井君は、その高梨のお嬢さんが、不具者で、いつも顔に覆面をしていると言ったのですね。あれを聞いたとき、僕はハッとしましたよ。僕の思いすごしかもしれません。どうかそうであってくれればいいと思います。しかしそういう手は、わる賢い犯罪者などがよく用いるものですからね。僕はかつてそれと同じ手口を見たことがあるのです",
"ああ、あなたはもしや、その覆面のお嬢さんが……",
"ええ、恩田の変装でなければいいがと思うのです",
"畜生め! そうだ。そうにきまっている。ああ、僕はなんという間抜けだったろう。苦心に苦心をして、蘭子ちゃんを、あのけだものの罠の中へ落としこむなんて……"
],
[
"どうしてですか。蘭子が高梨家へ行ってから、まだ二時間あまりしかたっていないのですよ……",
"いや、普通なれば心配することはないのですが、あなたを尾行したやつがありますからね。そいつは僕を恐れているのです。恐れているからこそ、あんな脅迫状を残して行ったのです。何を恐れるのか。僕の想像力をです。僕が高梨家というものを疑うかもしれない。それが怖いのです。すると、そいつは、僕らの先廻りして、高梨家に帰り、いつ襲撃されてもさしつかえないように用意をするかもしれません",
"用意っていいますと?",
"さあ、その用意を、僕は極度に恐れているのです。むろん先方へ行ってみなければ、わからないことです。杞憂であってくれればいいと思うのですが、わるくすると……",
"蘭子が……",
"ええ、そうですよ。相手は人間じゃないのですからね。前の例でもわかるように、肉食獣にもひとしいやつですからね"
],
[
"君は表に待っているんだ。腕時計はあるね。カッキリ十分間だよ、僕たちが高梨の家へはいってから十分間たっても出てこなかったら、近くの交番へ走るんだ。そしてその名刺を渡して、本署へ電話をかけてもらうんだ。そして、すぐさま僕たちを救い出す手配をしてくれるように頼むんだよ。わかったかい",
"はあ、わかりました",
"多分そんな事は起こりゃしないと思うけれどもね。ただ万一の用意なんだよ"
],
[
"そうです。敵に取って不足のない相手ですよ。だが、実に残念なことをしましたね。これほど智恵のまわるやつですから、いくら探したって、逃げた先を暗示するような手掛りが残っているはずはありません。われわれは一とまず引き上げるほかはないのです",
"ですが、蘭子はいったいどうしたのでしょうか。まさかだまって連れて行かれるはずはありませんが",
"それですよ。僕がさいぜんから心配しているのは。しかし、こういうことになっては、僕なんかの個人の力よりも、組織的な警察力にたよるほかはありません。僕たちは、すぐにあの車で警視庁を訪ねましょう。そして、捜査一課長に会いましょう。恒川課長は心やすいのですよ"
],
[
"それはおっしゃるまでもない。僕はけさからそのことでいろいろ活動していたのですよ。君から電話があったし、警視庁の知合いの者からも詳しく事情を知らせてくれたし、そればかりではない、殺人鬼みずから又しても僕に挑戦してきているので、自衛の意味からも、僕はじっとしていられないのですよ",
"え、すると、あいつは又挑戦状をよこしたのですか",
"そうですよ。ごらんなさい、これです"
],
[
"ですが、あいつは僕をこそ恨むべきではないでしょうか。あいつらの巣窟を焼き払ったのも、大切な豹を銃殺したのも、みんな僕のせいなんですからね。それに今度だって、先生に事件を依頼したのは僕じゃありませんか。僕をほうっておいて、先生に復讐を企てるなんて",
"それはむろん君も恨んでいるでしょうが、あいつらの悪事の第一の邪魔者は僕なのです。まずとりあえず邪魔者の方から始末をつけようというわけでしょう。それに僕のところには、あいつには見逃せない誘惑物があるのですからね"
],
[
"突きとめるまでもありません。先方からやってきますよ。僕はそれを待っているのです",
"いつですか",
"たぶん今夜。もうその辺をうろついているかもしれませんよ。ほら、お聞きなさい。僕のうちの犬がひどく吠えているじゃありませんか"
],
[
"間違いじゃありません。確かにあいつでした。まだその辺の路地かなんかに隠れているかもしれませんよ。すぐ警察へ電話をかけてはどうでしょうか",
"いや、それには及びません。いくらおまわりさんが来たって、捕まるやつじゃない。それは今までのたびたびの経験で、君もよく知っているでしょう。ここへ警察なんかが飛び出してきては、かえってぶちこわしですよ。まあ見ててごらんなさい。僕に少し考えがあるんだから"
],
[
"貴様、運転手だな",
"そうだよ。君をここまでお連れ申した運転手だよ"
],
[
"お前の兄弟分さ",
"ばか言え。ほんとうに誰だ?",
"当ててみたまえ"
],
[
"貴様、変装しているんだな。わかったぞ、わかったぞ、貴様明智だろう。明智小五郎だろう",
"ハハハハハ、やっとわかったか。お察しの通りだよ。君をこんな目にあわせる人間は、僕のほかにはありやしないよ。ところで、どうだね、僕の変装ぶりは? 誰が見たって、君とソックリだろう。この変装でもって、君のおやじさんの眼をあざむくことはできまいかしら。君はどう考えるね",
"なに、おれのおやじだって?",
"そう、君のお父さんだよ。君を捕縛しただけでは少し物足りないからね。ついでに親子もろとも引っくくって警察の方へ引き渡してやろうかと思うのだよ",
"君一人でかい"
],
[
"いや、必ずしも僕一人ではないがね",
"それじゃあ、貴様……その辺に仲間が待ち伏せしているんだな"
],
[
"ウン、間違いないよ。だが、おれのおやじは今どこにいるんだい、うちにいるのかい",
"うちだか、どこだか知らねえ。おれは芝浦で頼まれたんだよ"
],
[
"芝浦っていや、ずいぶん遠いじゃないか。歩いて来たのかい",
"そうよ。モチよ。だがおれの足は電車よか早いんだからな",
"だが、おれはそうはいかんよ。どうだ円タクを奮発しようか",
"おれあ円タクなんぞ嫌いだ。だが、お前が困るなら乗ってやってもいいよ"
],
[
"なんだか知らねえが、おれにちょいちょい小遣いをくれる親切な爺さんだよ。顔じゅう白いひげを生やして、眼のギョロッとした、痩せっぽちの小さな爺さんだよ",
"ウン、それなら間違いない。で、その人は芝浦でおれの行くのを待っているのかい",
"そうよ。鉄管長屋で待っているんだ",
"鉄管長屋って?",
"お前、知らねえのかい。爺さんはちょくちょく鉄管長屋へ遊びにくるんだぜ。ほら、あすこにウントコサころがっている水道の鉄管のことさ。おれなんかも、その鉄管長屋に古く住んでいるんだよ"
],
[
"オイ、こん中に人間豹が逃げ込んでいるんだってよ",
"人間豹てなんだい",
"おめえ知らねえのか。この頃、世間で騒いでいる大悪党だよ。江川蘭子を殺した恐ろしいけだものだよ"
],
[
"オーイ、みんな起きろよう。こん中へ人間豹が逃げ込んだってよう",
"人殺しがいるんだってよう"
],
[
"おい、確かにこっちへ逃げたぜ",
"構わねえ、まっすぐに行ってみろ"
],
[
"いやですわ、そんな恐ろしい姿で。早く顔をお洗いなさるといいわ",
"いや、それどころじゃない。ともかく部屋へはいりたまえ。君に話があるんだ"
],
[
"驚きましたでしょう",
"ウン、みじめな顔をしたぜ。それに、僕のピストルが狙いを定めているんで、やっこさん手も足も出ないのだ。そのまま合図をして、待ち伏せていた刑事たちに引き渡したんだがね",
"じゃ、今頃は警視庁の地下室でうめいていますわ",
"君はそう思うかい"
],
[
"でも、そうとしか――",
"ウフフフフフ……ところが、そうじゃないんだよ。君に話したいというのは、そのことなのよ。実はね、恩田は逃げたのだよ",
"まあ……"
],
[
"恩田はね、高手小手に縛られ、五人の刑事に守られて、あの自動車で警視庁へ、連れて行かれるところだったのさ。しかし、警官の捕縄は、少なくとも人間豹には、少し弱すぎたんだね。恩田が両腕に力をこめて、ウンとやると、プッツリ切れちまった。それは自動車が貯水池の横の淋しい場所にさしかかった時だったがね。刑事たち驚くまいことか、アッと言って飛びかかってきたが、自由になった人間豹に、五人だろうが六人だろうが、敵いっこはないからね。それにやっこさんたち、悲しいことに飛び道具を持っていなかった。そこで、刑事たちは散々な目にあって、一人残らず自動車からほうり出されてしまったんだよ",
"じゃ、恩田は、その自動車を操縦して逃げましたのね",
"そうだよ。実にいい心持で逃げ出したのだよ",
"でも、そのとき、あなたは、どこにいらっしゃいましたの?",
"僕? つまり明智小五郎だね。その僕は森の中で恩田を刑事たちに引き渡すと、今度は恩田の父親を探しに出掛けたというわけさ"
],
[
"まあ、それじゃあなたは……",
"僕はそのとき、このうちの前をぶらついていたんだよ。そうしていれば、きっと恩田の父親が探しにくると思ってね。僕は恩田に変装して、やつの身代りを勤めていたんだからね。ところが、おかしいじゃないか。恩田の方ではこの計略をちゃんと知っていたんだ。恩田を捕えた時、僕がつい口をすべらせたもんだからね",
"…………"
],
[
"猫の子一匹通りゃしねえ。ひどく陰気な町ですねえ。いくら夜中だといって、この淋しさはどうだ",
"おい、念のために、あのことを言っておこうじゃねえか"
],
[
"こいつ、またはじめやがった。お前の気のせいだっていうのに、臆病な野郎じゃねえか",
"おいおい、何をボソボソ言ってるんだ。何かあったのか"
],
[
"なんだか小さな影みたいなものが、トラックのまわりをウロウロしていやがった。まったく小っぽけなやつでね。小人島の影法師みてえな、なんだかこうゾーッとするような、いやな物でしたよ",
"親方、気にしちゃいけねえ。この野郎、今夜はどうかしているんだ。それよりも、早く荷物を運び出そうじゃありませんか"
],
[
"これだ、あまり手荒くしないように、貴重品だからね",
"おやおや、まるで棺桶みてえですね",
"人形箱だよ、大切な人形がはいっているんだ。さあ、早く運んでくれ"
],
[
"今も話す通り、電話ではあいつに大きな口をきいておいたけれど、僕は確実な信念があったわけではない。たった一つの空頼みなんだよ。ああ、あれがうまくやっていてさえくれたらなあ",
"あれって誰のことだい。伏兵を忍ばせておいたとでもいうのかね"
],
[
"ああ、三分間……いや二分間でもいい。せめて二分間あいつの息がつづいてくれたらなあ。ねえ、恒川君、人間の息が二分間以上つづくと思うかね",
"変なことを言い出したね。君の癖だぜ。二分間ぐらいつづく人間はいるさ。海女なんかその倍もつづくかもしれない。だが、普通の都会人にはとてもだめだね。三十秒だって怪しいもんだ",
"そこが僕のつけ目なんだよ。その都会人の中に二分間も息のつづくやつがいたらどうだろう。或る場合には大へん役に立つかもしれんじゃないか",
"君はそういう男を知っているのかい",
"ウン、知っているんだ。知っているんだ"
],
[
"明智君、僕にはまだ事情がよくわからんが、これは小林君の手柄なのかい。それにしても……",
"そうだよ。この少年探偵さんの大手柄だよ。つまり、小林が僕の日頃の言いつけを、忠実に守ってくれたわけなのだ",
"すると、小林君、君が恩田の隙をうかがって、一度箱に入れられた文代さんを、また元の人形と入れ換えておいたとでもいうわけかい",
"ええ、そうです。でも、先生が恩田のやつをあんなに長く電話口へ惹きつけておいてくださらなかったら、とてもできなかったのです。僕は機会がないかと一所懸命待っていました。すると、うまいぐあいに先生から電話がかかって、先生の智恵で僕に仕事をする隙を与えてくださったのです。僕はあの電話を聞いて、先生は暗に僕に命令をくだしていらっしゃるんだなと感じたのです"
],
[
"だが待ちたまえ。むろん君もあいつに麻酔剤を嗅がされたんだろう。でなければ、あいつがそんな油断をするはずはないからね",
"ええ、ですけど、僕、息が強いんです。一所懸命になれば、二分以上息をつめていても平気なんです。いつも先生に、それを利用することを忘れるなって教えられていたもんですから、ガーゼで鼻と口をふさがれても、じっと息をつめて、気を失ったまねをしてやったんです"
],
[
"へえ、君がねえ。驚いたもんだな……ハハア、これだね、明智君、さいぜん君が謎みたいなことを言っていたのは",
"そうだよ。僕の勝敗はただその一点にかかっていたのだよ……だが、小林君、君はもう一つのことを忘れやしなかっただろうね。ほら、昼間は白、夜は黒のアレを",
"ええ、うまく仕掛けました。むろん黒の方です。運転台にいた手下のやつが、なんだか怪しんでいたようですが、あの仕掛けには気づかなかったらしいです",
"恒川君、僕の発明品が役に立ったぜ",
"なんだか面白そうな話だね、いったいどんな発明なんだい。その昼間は白、夜は黒っていうのは"
],
[
"自動車尾行器とでもいうかね。自分で直接尾行できない場合、相手の行方をつきとめる仕掛けなんだ。車のナンバー・プレートなんてものは、替えようと思えばいつだって替えられるからね。それに番号はわかっていても、車の所在がなかなかつきとめられぬ場合がある。そこで僕の発明なんだが、それはね、クレオソートを一杯入れて大きなブリキ缶に、丈夫な取手をつけて、そいつを自動車の後尾の車体の下へちょっと、引っかけておきさえすればいいんだ。ブリキ缶の底には針で突いたほどの穴があいている。そこからポタリポタリと、大げさにいえば、細い糸のようになって、クレオソートが地面にしたたるという仕掛けなのだよ",
"そして、そのしたたったあとを、探偵犬につけさせようってわけだね。シャーロックの役目のほどがわかったよ。だが、白だの黒だのっていうのは?",
"昼間は色のないクレオソート、夜は光の反射をさけるために黒いクレオソート、つまりコールタールを使用するんだ。その二色の薬をつめたブリキ缶が、僕の家にはいつもちゃんと用意してあったのだよ。尾行というやつは余程手腕のいる仕事だからね。女子供にはむずかしい。そこで小林や文代などには、まさかの場合は危険は冒さないで、この道具を使うように言い含めてあるんだ。今夜の場合などは、殊に適切だったよ。小林の機転を褒めてやってもらいたいね",
"ウン、さすがに君のお弟子ほどのことはあるよ。敵が電話をかけている隙をうかがって、それだけの仕事をするなんて、見上げたもんだ……さあ、それじゃ小林君の手柄をむだにしないように、さっそく追跡をはじめようか",
"ウン、それには警察の自動車が一台要るね。僕らがそれに乗って、その前をシャーロックに走ってもらうんだ",
"もう僕の方の刑事たちがやってくる時分だよ、先生たちきっと自動車に乗ってくるだろう"
],
[
"それは大丈夫だ。電話でウンとおどかしてあるからね。今にも警官がくるかと思って、やっこさん泡を喰って逃げ出したほどだ。もう一度帰る元気はないよ。それに、いま念のために調べてみたんだが、クレオソートの黒い糸がちっとも停滞していない。もしやつが引き返したとすれば、車があともどりするか、少なくとも一度停車しなければならないのだが、そういう様子が少しもないのだよ",
"先生、諦めたんだね……よし、それじゃ前進だ"
],
[
"だが、もしそうだとすると、こいつは実に厄介だぜ。とてもこんな小人数の手に合うもんじゃない。管内の警官を総動員しても足りないくらいだ",
"だが、ともかくも調べてみよう。人の目立つ夜ふけのことだから、ひょっとして誰かがやつの姿を見ているかもしれない"
],
[
"ほんとうかい。間違いないだろうね",
"ウン、ほんとうだ。旦那とそっくりだった"
],
[
"今夜は引き上げるほかないよ。警察としてはできるだけの動員をして、浅草公園そのものを囲んでしまうんだね。そんなことをしても、この入り組んだジャングルの豹狩りは、おぼつかないと思うけれど。僕も民間探偵の力に及ぶだけはやってみるつもりだよ",
"ウン、さっそく手配をしよう。夜の明けるまでに何か君に報告できるかもしれんぜ。われわれの仲間には、このジャングルの秘密に通暁しているやつが、たくさんあるんだからね。だが、君のお蔭で犯人が浅草公園へはいったことがわかっただけでも、大した収穫だ"
],
[
"おい、恒川君、僕たちはいま公園の中で、あいつにすれ違ったのかもしれないぜ",
"えっ、あいつって、人間豹のことか",
"ウン、どうもそんな気がするんだ。ともかく、こんな明かりじゃだめだから、自動車まで帰ろう。そして一つこの封筒をよく調べてみよう"
],
[
"へええ、いざりの乞食ですって? 存じませんな。この辺には、そういう乞食を見かけたことがありませんよ",
"ところが、いま僕はそいつを見たんだよ。その筋のお尋ねものなんだ。ちょっとの隙に逃げられてしまった。もしやそんな乞食が、君の店の前を走り過ぎはしなかったかね",
"存じませんな。わしはつい今しがたまで客がありましてな。人相の方に夢中になっておりましたのでね",
"そうか。いや、ありがとう"
],
[
"だが、この変装も長いあいだつづけてきたが、今晩限りでよさなくちゃいけまいね。あのするどい男は、今の自動車が道の半分も行かぬうちに、きっとわしたちの秘密を気づいてしまうことだろうよ",
"ウフン、だがあとの祭さ"
],
[
"お父さんもきょうはずいぶん働いてくれたね",
"ウン、麻布から、芝浦、芝浦から浅草とね、なあに、なんでもありゃしない。世間を相手に戦うのが、わしには面白くてたまらんのだからね"
],
[
"ワア、すげえ。こいつの眼は、暗いところでもまっ青に光るんだってよ",
"牙があるぜ",
"ほんとだ。牙がありゃがる。犬でもなんでもモリモリ食っちまうってじゃねえか",
"違うよ、犬じゃねえ。人間の女を食うんだよ",
"いやなものを見ますね。こんなものがはいってきたんじゃ、公園もさびれますねえ",
"僕は、こいつを見たことがありますよ。ほら大都劇場の例の騒ぎのときですよ。この絵とそっくりです。いや、こんなおとなしい顔じゃなかった。こいつがね、レビューの舞台のまん中に立って、見物席を睨みつけて、この牙をむき出して、ウォーッと吠えたときには、実にどうも、なんといっていいか、生きたそらはなかったですよ",
"へええ、あなたは、あれをごらんなすった? 私も話は聞いてますが、江川蘭子が舞台の上で血みどろにされたっていうじゃありませんか",
"そんな古いことよりも、おいら、たったゆうべこいつにお眼にかかったんだぞ",
"どこで? どこで?",
"お堂の裏の大銀杏ですよ。おいら、あの下に寝ていると、誰だか頭を踏んづけやがった。びっくりして飛び起きると、あの大銀杏を、まっ黒なものが、スルスルッと、猫みてえに登ってくじゃあねえか。ヤイッてどなりつけてやると、そいつが木の上から、おいらを睨みつけやがった",
"こんな顔だったか",
"そうよ。まっ青な眼がお星さまみてえに光りゃあがるのさ。おいら、あとも見ねえで駈け出しちゃったよ",
"おまわりさんに言えばいいじゃないか",
"言ったよ。言ったんだけど、おまわりが大銀杏を探しに行ったときには、もうなんにもいやあしなかったよ"
],
[
"変だね、誰がこんないたずらしたんだろう。あっちのポスターにも同じのが貼りつけてあるよ",
"人間豹の代りに、今度はばかに色男じゃないか。どっかで見たような顔だね"
],
[
"敵って、誰だい?",
"わかってるじゃないか。明智小五郎さ。人間豹は明智のためにひどい目にあったっていうじゃないか",
"ウン、そういえば、明智さんだ。明智さんにそっくりだ"
],
[
"おい、こいつは滑稽だぜ。下の文句を読んでごらん。つまり明智小五郎がお尋ねものの殺人鬼ってことになるんだぜ。ひどいじゃないか。一体だれがこんなまねをしゃあがったんだろ",
"まさか警察じゃないやね",
"明智さんに恨みのあるやつの仕業かもしれない",
"恨みのあるやつっていえば、つまり、人間豹じゃないか"
],
[
"エヘヘヘヘヘ、わたしじゃござんせん。つい今しがた、見知らぬかたにこう頼まれたんですよ。あの路地に待っていると、これこれこういう風采の人が今に通りかかるから、その人に渡してくれって、鉛筆でもってビラの裏へ何か書きつけて行ったのですよ",
"そいつの風体は?"
],
[
"立派な旦那でしたよ。洋服を着た三十くらいの……",
"顔は? 顔は見覚えているだろうね",
"エヘヘヘヘヘ、そいつはどうもハッキリしませんね。その旦那は妙でしたよ。わたしに顔を見られたくないとみえて、面と向かうときには、必ずハンカチでもって鼻から下を押えてましたからね"
],
[
"チェッ、君は人間豹の噂を知らないと見えるね",
"えっ、人間豹ですって"
],
[
"そいつはどちらへ曲がって行ったのだい",
"こっちですよ"
],
[
"急いでいたんだね",
"ええ、走るようにして曲がって行きましたっけ。すると、あいつが噂の人間豹だったのですかねえ。ブルブルブル、ああ、おっかない",
"その辺に自動車が待たせてあったのかもしれない",
"ええ、そうかもしれませんね。そんなこってすね。ですが、自動車でなくったって、もう大分時がたっていますからね。この辺にグズグズしているわけはありませんよ。エヘヘヘヘヘ、じゃごめんなさい"
],
[
"医者って、かかりつけの医者はないのか。お前どこのもんだ",
"へえ、三河島のもんですが",
"三河島? フン、そうか。この辺に知合いもないんだな。テンカンなら心配したことはないだろう。しばらくほうっておけばなおるんだろう",
"でも、なんとか手当てがしてやりたいんで。わっしの身になっちゃ、ほうっておくわけにもいきませんからね"
],
[
"貴様、それじゃ早く殺されたいんだな。おれの方ではそれも望むところだよ。ちゃんと計画してあるんだ。思い切り奇妙な死刑の方法が考えてあるんだ。フフフフフ、文代さん、恐ろしくはないかね……それとも思い直しておれの大事なお客様になるか。え、その気になれないのかね",
"…………",
"ヘヘヘヘヘ、怖い顔をして睨みつけたね。だが、今にそいつが泣きっ面に変るんだ。その時になって後悔しないがいいぜ"
],
[
"それが変なのよ、あんた。まるで顔も姿も見せないんですもの。あたしの所から三度の御飯を運んで行くでしょう。それをね、だまって台所の障子をあけて、板の間へ置いて帰るのよ。そうしてくれっていう固い約束なのさ。しばらくしてお膳を取りに行くでしょう。すると綺麗に中身がなくなって、空のお櫃とお膳とが、ちゃんと元の場所に出してあるのよ",
"まあ、いやだわねえ。そして、お前さん、その人を見たことがあるのかい",
"それがないんだよ。最初引越してきた人は、まあ立派な紳士だったんだけれどもね。どうもその人じゃないらしいの",
"へええ、なんだか気味がわるいみたいな話だわね。でも、あんた、どうして人が違うってことわかって?",
"手を見たのよ。顔は見ないけど手だけを見たのよ",
"手がどうしたっていうの?",
"けさね、あいたお膳を取りに行って、障子をあけるとね、少しあたしの行き方が早かったのさ、ちょうど御飯がすんだところと見えて、茶の間とのあいだの障子が細目にあいて、そこから空のお膳を板の間へ出している二本の手が見えたんだよ。その手がね、あたしのあけた障子の音にびっくりして、サッと引っ込んだかと思うと、いきなりピシャッと茶の間の障子をしめて、ガタピシ二階へ逃げて行く足音がしたんだよ",
"まあ、よっぽど人眼を忍んでいるのねえ。でも、その手だけを見て人違いとわかったの?",
"ええ、あたしゃ、あんな気味のわるい手は見たことがないわ。薄黒くって毛むくじゃらで、いやに筋張っていて、指が長くって、指の先にはまっ黒になった爪が三分も伸びているのさ。最初あの家を借りた紳士は、決してそんな人柄じゃなかったのよ",
"いやねえ。じゃあその人、家にとじこもってて、そとへ出ないんだわね",
"ところが、時々はそとへ出るらしいのよ。それもこっそり出掛けるとみえて、ついぞ見かけたことはないんだけれど、でも、出掛けている証拠には、いつの間にか二人になっているんだものね。どっかから女でも引っ張り込んだらしいのよ。そして、おかしいじゃないか。おひるのお膳の上に手紙がのっかっているのさ。晩から二人分持ってきてくださいって",
"あんた、それをほうっておくつもり?"
],
[
"すると、このうちの借り主というのは君だったのかい。僕は恩田自身がここにいるんだと思ったが",
"そう見せかけたのよ。でなくっちゃあ、けだものは罠にかからないからね。おれがこのうちの主だよ。おれのほかには猫の子一匹いないのさ",
"ホウ、君一人か。それで怖くないのかい。いくら縛られていたって、僕は明智小五郎だよ",
"アハハハハ、おどかすない。おらあ一人じゃねえよ。ここにもう一人、ちっちゃいけれど、恐ろしく強い味方がいらあね。いくら名探偵だって、身動き一つさせるこっちゃあない……おらあ命しらずの権てえもんだよ"
],
[
"ホウ、夕方まで?",
"ウン、それまでは、人間豹の方で手の離せないことがあるんでね。喰うか喰われるかっていうやつだよ",
"喰うか喰われるかだって?"
],
[
"おいおい、から威張りはよせよ。いないつもりだって、おれの方でいさせておくんだからしようがないじゃないか",
"この縄かね?",
"ウン、それもあらあ、どんな縄抜けの名人だって、その縄だけは、ちょいと抜けられめえよ",
"それから、そのピストルかね",
"ウン、そうよ、そうよ。この小っちゃい仲間は、まことに気持のいいやつでね。貴様たち二人くらいの命を取るのはなんの造作もありやしないのさ",
"ブルブルブル、おお、怖い怖い。それじゃあ、まあおとなしくころがっているとしようかね"
],
[
"なんだ",
"君は煙草を持っていないかい。腹がくちくなると、今度は一服吸いたくってねえ。面倒ついでに、一つ煙草もくわえさせてくれないか",
"ウン、煙草か。感心だよ。さすがに度胸が据わっているねえ。お安いご用だ。だが、おあいにくと、切らしたよ。おれもさいぜんから一服やりたくってしようがねえんだが、君たちをほうっておいて買いに出るわけにもいかずねえ。気の毒だが我慢してくんな",
"やれやれ、そいつは残念だなあ……待てよ。おい、君、あるよあるよ。僕の内ポケットにシガレット・ケースがはいっているんだ。その中にまだ二、三本残っているはずだよ。君、すまんがこのポケットへ手を入れて、そいつを出してくれないか。むろん君にも一本進呈するよ。M・C・Cだぜ",
"ウン、M・C・Cとは、聞き捨てにならねえな。久しくお眼にかからねえよ。よしよし、いま出してやるよ"
],
[
"あれ、金口だぜ、今時流行らねえじゃねえか。それに、二本ぽっちだぜ",
"二本でもいいじゃないか。僕が一本、君が一本",
"ウン、まあ我慢して仲よく一本ずつ分けるか。二本とも没収しちゃってもいいんだが"
],
[
"知らないよ。そんな曲馬団なんて",
"そうかい。たぶん知ってるだろうと思ったがねえ"
],
[
"では、今の煙草に何か……",
"そうですよ。僕はいざという時の用意をおこたったことはありません。僕の内ポケットには、どんな時でも必らず二本のウェストミンスターかM・C・Cの、強い麻酔剤を仕込んだ巻煙草が、ちゃんとはいっているのですよ。僕はそれをちっとも吸い込みはしなかった。ところが、先生は煙草に餓えていて矢鱈に吸い込んだのですからね。たちまちこの有様です。もう踏んでも蹴っても眼をさますことじゃありませんよ",
"ああ、そうでしたか"
],
[
"そういえば、なんだか見たような顔ですね。しかし……",
"思い出せませんか。それじゃね、そのピンとはねた黒い将軍ひげを取って、その代りに白い口ひげと、それから、房々した白い顎ひげを想像してごらんなさい。そういう爺さんを見たことはありませんか",
"白い口ひげ、白い顎ひげ……おや、そうだ。あいつとそっくりだ"
],
[
"恩田の父親ですか",
"そうです。そうです。あいつに違いありません。だが、どうして……",
"たぶんそんなことだろうと思ったのです。僕は恩田の父親というものにはまだ対面したことがないので、君に尋ねてみたのですが、やっぱりそうだ。神谷君、こいつは、きのうチンドン屋に化けて浅草の映画館の横で僕たちを待ち受けていたのですよ。そして、こいつが僕を裏通りへ誘って、こんな挑戦状みたいなものを渡して暇取っているあいだに、息子の『人間豹』のやつが、僕の家内を引っさらって行ったのです",
"ああ、そんな事があったのですか。とうとう先生の奥さんまで……それじゃ早く救い出さなければ",
"僕もそれを考えているのです",
"どこへ連れて行ったのか、お心当たりは?",
"このZ曲馬団の中だと思うのです"
],
[
"エ、曲馬団の中ですって?",
"しかも、僕は今、ふと恐ろしいことを考えたのです。ハハハハハ、なあに、僕は少し神経衰弱になっているのかもしれません。だが、ひょっとしたら、ああ恐ろしい……"
],
[
"虎と熊とがどっちか死ぬまで戦うんだって",
"喰うか喰われるかだよ"
],
[
"速力の規定なんか無視しても構わん。僕は警察関係のものだ。決して面倒はかけない",
"だって、市内ではいくら飛ばそうたって、先がつかえてまさあ"
],
[
"よし、それじゃ、懸賞つきだ。前の自動車を一台抜くたびに十円だ",
"十円? 心得たっ。だが、旦那、何十台抜くかわかりませんぜ。あとで冗談だなんて言いっこなしだぜ"
],
[
"やれ、やれえ……",
"やっつけろい……",
"ワッショイ、ワッショイ、ワッショイ……"
],
[
"おい、どっかで女が泣いてるじゃねえか",
"ウン、そうよなあ、おれもさっきから不思議に思っていたんだよ"
],
[
"さっきから聞こう聞こうと思っていたのですが、いったい僕たちはどこへ行くんですか。間に合わないというのは何に間に合わないのですか",
"僕の家内の命の瀬戸ぎわです。殺されかけているんです。探偵のくせに女房一人救えないなんて……畜生、どんなことがあっても、救ってみせるぞ"
],
[
"これがお芝居なのかしら。お芝居にあれほど真に迫った恐怖の表情ができるものだろうか。第一いくら商売といっても、美しい肌に、あんなひどい傷をつけられて、平気でいるなんて、常識では考えられないことだ",
"ひょっとしたら、あの女は猛獣使いでもなんでもない、素人娘かもしれないぞ。すると、これはまあなんて恐ろしいことがはじまったものだろう。大群集の面前での人殺しじゃないか。しかも、猛獣の牙にかけて、一寸だめし五分だめしの、無残この上もない人殺しじゃないか"
],
[
"人間豹だ",
"人間豹があすこにいる",
"ああ、逃げ出した。人間豹は屋根の上へ逃げ出したぞ"
],
[
"だが、残念なことに、犯人の一人が自殺してしまった",
"ああ、そこに倒れている……するとあれが恩田のおやじだね",
"そうだよ。猛獣使いに化けていたんだ",
"で、息子の方は?",
"屋根の上へ逃げ出した。あれを見たまえ"
]
] | 底本:「屋根裏の散歩者」角川ホラー文庫、角川書店
1994(平成6)年4月10日改訂初版発行
2003(平成15)年8月25日改訂17版発行
初出:「講談倶楽部」大日本雄辯會講談社
1934(昭和9)年1~2月、5月~1935(昭和10)年5月
※「ありやしない」と「ありゃしない」、「あっし」と「わっし」、「喰《く》いつきゃしません」と「喰《く》いつきやしない」の混在は、底本通りです。
※表題は底本では、「人間豹《にんげんひょう》」となっています。
※誤植を疑った箇所を、「江戸川乱歩全集 第9巻 黒蜥蜴」光文社文庫、光文社、2003(平成15)年10月20日発行の表記にそって、あらためました。
入力:入江幹夫
校正:nami
2019年9月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"じつは、あの真珠塔の真珠が、ひとつぶだけきずになっているのです。出品をいそがれたので、ついそのまま出してしまいましたが、どうも気になってしかたがない。それで、こんど上京するのをさいわい、うでききの職人をつれてきました。これが松村という、わしの工場のだいじな職長です。これに、そのきずついた真珠を、とりかえさせようと思いましてね。……使いのものでも用はたりるが、わしがこないと、ご信用がないだろうと思ってね。じつは、わざわざ、出むいてきたわけです。",
"では、ここでおなおしくださるのですか。",
"そうです。この部屋で、あなたの目のまえで、なおさせます。ただ、真珠塔を、ここまで持ってくればよいのです。松村君、この支配人さんといっしょに、ちんれつ室へいって、塔をここへはこびなさい。"
],
[
"え、おじょうさんですって。あたし、女の子なんかつれていませんわ。ひとりできたのよ。",
"でも、さっきまで、おそばに、かわいいおじょうさんが、いらっしゃいましたが……。",
"ああ、そんな子が、いたようですね。でも、あれは、あたしがつれてきたのじゃない。まったく知らない子ですよ。"
],
[
"おい、このケースの中に、へんな紙きれがはいっているぜ。おや、なんだかえんぴつで書いてある。",
"まんびき少女が、手紙をのこしていったのかな。"
],
[
"それはご心配ですね。わたしも灰色の巨人という賊には、きょうみをもっているのです。くわしいようすをお聞きしたいものですね。",
"では、これからすぐ、おうかがいいたしましょうか。",
"いや、それよりも、わたしのほうから、お店へいきましょう。賊をふせぐためには、やはり現場を見ておくほうが、よいのですから。"
],
[
"店には十万円をこす品が、百以上ございます。それだけでも、五千万円のねうちがあるのです。で、そういう高価な品だけを、ケースから出して、ひとつにまとめて、どこかへ、かくしてしまうのです。そしてケースには、にせものを入れておくのです。ダイヤモンドはガラスのにせもの、真珠は安ものの人造真珠に、入れかえておくのです。そして、それをわざとぬすませるという考えです。十万円以下の品は、そのままにしておきましても、たいしたそんがいではありません。高価な品だけを、かくせばよいのです。この考えは、どうでございましょうか。",
"それで、どこへかくすのですか。",
"かくし場所については、また、ひとつの考えがあるのでございます。アラン=ポーの『盗まれた手紙』という小説の手で、ごくつまらないもののように見せかけて、ほうりだしておくのが、いちばん安全なかくしかただという、あの手でございますね。それで、十万円以上の宝石を、ケースから出して、ひとまとめにしますと、両手で持てるほどの、小さなかたまりになってしまいます。これを古新聞で、いくえにもつつみまして、物置きのがらくたの中へ、ほうりこんでおくのでございます。物置きには、こわれたいすや、荷づくり箱や、古い新聞などが、ごちゃごちゃはいっているのですから、けっしてめだつことはありません。まさか、そんながらくたの中に、五千万円の宝石が、ほうりこんであろうとは、だれだって、そうぞうもしませんでしょうからね。"
],
[
"あれは、ごく近ごろ、やといいれたものです。しかし、たしかな人のせわでいれたのですから、べつに心配はないと思いますが、あの子になにか……。",
"いや、いいのです。いいのです。"
],
[
"えっ、それじゃあ、あの話を……。",
"そうです。わたしが今いったとおりになされば、きっと、うまくいきます。むろん、わたしも、この小林君も、じゅうぶん注意して、お店を見はるつもりですからね。"
],
[
"そのわけが、知りたいのか。",
"ずうずうしいやつだ。早く、わけをいえ。",
"おまえたち、なぜ、戸をしめてから、店にうろうろしているんだ。",
"そんなことは、どうだっていい。",
"ケラ、ケラ、ケラ……かくしたって、知ってるぞ。灰色の巨人がこわいのだろう。今にも、やってくるかと、びくびくしているんだろう。",
"やっ、きさま、灰色の巨人のなかまなんだな。",
"ふふん、まあそんなところだね。"
],
[
"ぼくのおとうさんが、こんばん、にじの宝冠を、十人ほどのお友だちに、見せることになっているんだ。その宝冠は、戦争のときから今まで、ずっと、いなかに疎開してあったんだが、それをこんど、うちへ持ってかえったんだ。そして、きょうは、ちょうど、おとうさんの誕生日だもんだから、十人ばかりお客さまがくる。みんなおとうさんのお友だちだよ。そのお客さまに、宝冠を見せることになっているんだ。",
"にじの宝冠って、なんなの?"
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[
"ぼくが心配しているわけが、わかるだろう。ほら、灰色の巨人だよ。あいつは、宝石ばかり、ねらっているんだね。だから、こんや、あいつがやってきたら、たいへんだとおもうんだ。",
"だって、こんや、きみのうちで、宝冠を見せることは、お客さまのほかには、だれも、しらないんだろう?",
"しらないはずだけれど、でも、灰色の巨人は、魔法つかいみたいなやつだからね。かぎつけて、やってくるかもしれないとおもうんだ。いや、それよりもね、ぼくはきのうの夕がた、おそろしいものを見たんだよ。",
"え、おそろしいものって?"
],
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"こわかったよ。まっかな太陽が、坂の上の空にしずみかけていたんだよ。ぼくは坂の下からのぼっていった。するとね、その坂のてっぺんの、まっかな太陽のまえに、おっそろしく大きなやつと、赤んぼうみたいな小さなやつが、ならんで、立っていたんだ。ひとりは西郷さんの銅像みたいなやつだよ。そして、もうひとりは、ちっちゃなこびとなんだよ。顔だけ大きくって、からだがあかんぼうなんだ……。わかるかい。大きいやつは、きみが隅田川であった灰色の巨人かもしれない。小さいやつは、あの一寸法師かもしれない。そのふたりが手をつないで、坂のてっぺんに、黒い影のように、ニューッと立っていたんだよ。ぼくは、ぞっとしていきなり、はんたいのほうへかけ出しちゃった。",
"その坂って、どこなの?",
"ぼくのうちの、すぐそばだよ。ほら、キリスト教会のある、あの坂みちさ。",
"ふうん、それじゃ、あいつは、もうきみのうちを、ねらっているのかもしれないね。",
"ぼくも、それがこわいんだよ。だから、ぼく、おとうさんに、こんばん宝冠を見せるのはおよしなさいって、いったの。でも、だめなんだよ。みんなにあんないじょうを出して、こんや見せるといってあるんだから、よすことはできないんだって。",
"あぶないね。十人のお客さまのなかには、巨人の手下がだれかにばけて、まじっているかもしれないからね。",
"ぼくも、おとうさんに、そういったんだよ。でも、おとうさんは、お客さまは、みんなよくしっている人だから、ごまかされる心配はない、だいじょうぶだっていうんだ。おとうさんは、ちっともこわくないんだよ。ぼくを、おくびょうものだってしかるんだよ。",
"わかった。きみがぼくに相談しにきたわけがわかったよ。少年探偵団を集めればいいんだろう。そして、きみのうちをまもればいいんだろう。",
"うん、そうなんだよ。ぼくがおくびょうなのかもしれないけれど、心配だからね。",
"よし、それじゃあ、なるべく大きい強そうな団員を六―七人集めよう。"
],
[
"さあ、じゅんにまわして、ごらんください。宝石のかずを、かぞえるだけでもたいへんですよ。",
"まあ、なんてすばらしいんでしょう。ほんとうににじですわ。にじのように、五色にかがやいていますわ。"
],
[
"子どもがいます。小さな子どもが、あたしの手を……。",
"子ども? 子どもなんかいるはずがない。どこです、どこです。"
],
[
"たしかにいました。わたしの腰くらいしかない、小さな子どもでした。",
"あたしも、その子どもにさわられましたわ。どうしたんでしょうね。どこへいったんでしょうね。"
],
[
"そんな小さな子どもがいるはずはありません。わたしの子どもの正一は中学生です。そのほかに、うちには子どもはいないのです。いや、たとえ子どもがいたとしても、この部屋へは、はいれません。わたしは、用心のために、宝冠をお見せするまえに、ドアにカギをかけておきました。窓もちゃんと、しまりができております。どこにも出はいりするすきまはないのです。",
"それはたしかですか。では、宝冠はどこへいったのです。だれかが、持っていったとしか考えられないじゃありませんか。"
],
[
"こびとだよ。頭がでっかくて、子どもみたいに小さいやつだよ。神社のほうから、かけだしてこなかった?",
"ふうん、このへんに、そんなやつがいるのかい。見なかったよ。もうこんやは、おしまいだから、おもてに立っているお客もなかったので、見のがすはずはない。そんなやつ、ここへはこなかったよ。"
],
[
"まだわからない。あんなに、おしろいをぬってちゃあ、見わけられないよ。あとでおしろいをおとした顔を、見てやろう。ひょっとしたら、あいつかもしれないからね。",
"でも、むこうでも、小林さんに気づきやしないかしら?",
"気づくかもしれない。しかし、だいじょうぶだよ。まさかサーカスから、にげだしゃしないよ。もしにげだせば、すぐに、あいつと、わかってしまうからね。",
"それに一寸法師もいるんだぜ。巨人と一寸法師が、ちゃんとそろっているんだぜ。へんだな。ぼくなんだかきみがわるくなってきた。",
"うん、もし、悪人が、道化師にばけているとしたらね。でも、まだわからないよ。もうすこし、見ていよう。あやしいことがあれば、すぐに、明智先生に電話をかければいいんだからね。"
],
[
"あれって?",
"ほら、ふたりの肩の上にのっている女王さまの宝冠ね。ぬすまれた『にじの宝冠』と、そっくりなんだ。あんなによくにた宝冠が、ほかにあるはずないよ。",
"えっ、あれが『にじの宝冠』だって?",
"そうだよ。もう、まちがいない。ほら、あれだけがほんとうの金だよ。ほんとうの宝石だよ。ほかの宝冠とくらべて、まるで光りかたが、ちがっているでしょう。",
"うん、そういえば、あれだけ、よく光るね。園井君、きみの思いちがいじゃないだろうね。形が、そっくりなのかい?",
"うん、まちがいない。あれだよ。たしかに、あれだよ。"
],
[
"ねえ、小林さん、あの女の人、どこへかくれたんだろう。まるで魔法つかいみたいだね。",
"うん、ふしぎだねえ。しかし、きっとあの神社の中の、どこかにかくれているんだよ。明智先生ならさがしだせるんだがなあ。",
"先生はどこにいるんだろう。",
"サーカスの中だよ。",
"どうして神社へ、こなかったんだろう。",
"サーカスの中に犯人がいるからさ。",
"えっ、犯人が?",
"あの一寸法師と大男さ。ほんとうの犯人はあのふたりかもしれないよ。だから、先生は、ふたりのやつを見はっていらっしゃるのだよ。",
"ああ、そうか……。だが、ねえ、小林さん、ゾウはどうしたんだろうね。ぼく心配だよ。町の人が、はなでまきあげられたり、キバで、きずつけられたり、あの大きな足で、ふんづけられたりしているんじゃないかしら。",
"いまじぶんは、大さわぎをやってるよ。中村警部さんに聞いたらね、警察と消防署から、おおぜいの人が、ゾウをつかまえるために出動しているんだって、町の中のゾウ狩りだよ。",
"ピストルでうつのかしら。",
"いや、ころさないで、つかまえるんだって。そのために消防自動車が、何台も出ているんだって……正ちゃん、きみどうおもう? あのゾウは灰色だろう。だから、灰色の巨ゾウだね。……灰色の巨人……灰色の巨ゾウ。なんだか口調がにてるじゃないか。",
"ほんとだ。灰色の巨ゾウだね。へんだねえ。なにかわけがあるのかしら。",
"なんだか、あやしいよ。こんどの犯人は魔法つかいみたいなやつだからね。どこにどんないみが、かくされているかわからないよ。"
],
[
"まったく、ゆくえ不明なんだ。どこへいったのか、まるで、煙のように消えてしまった。",
"えっ、あのふたりも消えてしまったのか。宝冠の少女も消えてしまったし、こりゃいったいどうしたことだろう。",
"がくやをさがしてもいないので、見物人にまじって、にげ出しやしないかと、ぼくは、見物人がかえりかけてから、ずっと、木戸口で見はっていた。あんな大男とこびとだから、いくらごまかそうとしても、すぐわかるはずだが、それらしいやつは、見物人の中にはひとりもいなかった。",
"テントのすそをまくって、出入り口でないところから逃げだす手もあるが、それは、テントのまわりに、見はりの巡査をのこしておいたから、見のがすはずはないね。",
"そうだよ。その見はりの警官に、たずねてみたが、ぜったいに、逃げだしたはずはないというんだ。がくやのものも、ひとりひとり、しらべたが、だれも知らない。ゾウのさわぎのとき、がくやからとび出していった連中もあるが、その中には、大男も一寸法師もいなかったはずだね。",
"それはぼくの部下が見て、知っている。あの連中のなかには、そのふたりはまじっていなかった。これは、まちがいない。",
"すると、やっぱり、このテントのどこかに、かくれているのかもしれない。そして、宝冠の女も、まだ神社の中にかくれているのかもしれない。じつにおもしろくなってきた。ぼくはこういう犯罪がすきだよ。魔法つかいみたいなやつがね。それについて、ぼくは、ひとつ考えがある。その考えを、やってみるつもりだ。きっと三人とも発見してみせる。"
],
[
"でも、このサーカスには、クマは一ぴきしかいないはずです。",
"それが、二ひきになったかもしれないのだよ。ためしに、見にいってごらん。"
],
[
"きみたち、ずっと、ここにいたんだろうね。",
"うん、ここにいたよ。",
"そのクマは、一度も、おりを出なかったろうね。",
"もちろん、出るはずはないよ。",
"ふしぎだなあ。クマが二ひきになったんだよ。",
"えっ、二ひきに?",
"あっちに、冒険オートバイの大きなおけがあるだろう。あのおけのそこにも、一ぴきのクマがいるんだよ。足のくさりがちぎれてるから、おりから逃げたにちがいないんだ。"
],
[
"だいじょうぶです。明智先生の命令です。",
"よしっ、それじゃあ……。"
],
[
"いや、ぜんめつしたと考えるのは、まちがいです。ほんとうの犯人は、まだつかまっていないのです。",
"えっ、つかまっていない? じゃあ、あの大男はなんです。これこそ灰色の巨人じゃありませんか。",
"いや、それが、まちがいのもとですよ。みんな、あの大男を灰色の巨人だと思いこんでいるが、どうもそうではなさそうです、ほんとうの犯人は、かげにかくれて、あんな大男をつかって、われわれを、ごまかしていたのです。ぼくは、この少女はもちろん、一寸法師も、大男も、たいした悪人じゃないと思いますよ。"
],
[
"園井君……。",
"正ちゃあん……。"
],
[
"あいてのいうとおりにしてください。あなたが『にじの宝冠』を持って、その自動車に乗るのです。賊は正一君にうらみがあるわけではありませんから、宝冠さえやれば、正一君はきっと返してくれます。また、あなたの身にも、危険はないと思います。",
"それじゃあ、みすみす宝冠を取られてしまうのですか。"
],
[
"にじの宝冠のかわりに、そのにせものを、巨人にわたして、ごまかすのですか。しかし、あのぬけめのないやつが、そんなにせもので、ごまかせるでしょうか。",
"いや、にせものを、わたすのではありません。あなたが持っていかれるのは、やっぱりほんものの方です。そして、あれをあいてにわたすのです。このにせものをつかうのは、そのあとですよ。正一君を取りかえしてしまったあとで、ちょっと手品をやるのです。それには、箱もおなじでないと、ぐあいがわるいので、銀色の箱のかわりに、この黒ウルシぬりの箱に、ほんものの『にじの宝冠』をいれて、持っておいでください。この箱も、手品の種のひとつなのです。この手品が、まんいち失敗しても、まだほかに、もっとたしかな手も考えてあります。その二つの計略で、かならず『にじの宝冠』を、取りかえしてお目にかけます。"
],
[
"おとうさん!",
"正一、ぶじでよかったなあ。"
],
[
"やっぱりそうだ。黒い糸が切れたのと、賊の自動車がとまったのと、ほとんどどうじだったのですよ。すると、やっぱり、横浜から二十分ぐらいむこうの、森のように木のしげった、あの丘があやしい。どうやら、あそこに賊のほんきょがあるらしい。",
"しかし、そんな丘の上に、あんな大きな、コンクリートのたてものがあるのでしょうか。"
],
[
"ほんものです。きのう正一とひきかえに、賊にわたしてきた、ほんものの宝冠です。これをどうして明智さんが?",
"つい一時間ほどまえ、ぼくが賊のすみかにしのびこんで、そっと持ちだしてきたのです。かわりに、にせものの宝冠をおいてきましたよ。よくできているので、とうぶんは、賊も気がつかないでしょう。"
],
[
"えっ? では、あなたは、賊のすみかを、つきとめられたのですか。",
"そうです。小林がよくはたらいてくれたのですよ。それで、警視庁の中村警部や刑事諸君といっしょに、賊のすみかへ、のりこむことになっています。"
],
[
"たてものといって、いったい、それはどこにあるんだい?",
"ここだよ、すぐ目の前に、立っているんだよ。",
"どこに、どこに?"
],
[
"ほら、あれだよ。むこうの木の上に、ニューッと頭を出して、灰色の巨人が、そびえているじゃないか。",
"えっ、灰色の巨人だって?",
"あまり大きすぎて、目にはいらないのだろう。あれだよ。あの大観音だよ。"
],
[
"観音さまなら、さっきから、見えすぎるほど、見えている。だが、あれは家ではないよ。人がすめないじゃないか。",
"ところが、すめるんだよ。あのコンクリートの仏像の中は空洞になっているんだ。賊は地下道をほって、下からその空洞の中へ出はいりしているんだ。そして、そこにりっぱな部屋を、つくっているんだ。"
],
[
"うそつけ。子どもは、きのう、にじの宝冠とひきかえに、園井さんに返したじゃないか。",
"いや、園井正一じゃない。じつは、もうひとり子どもを、ぬすみだしたんだ。その子どもが、秘密の部屋にかくしてある。外からかぎがかけてあるから、おれたちがいなくなれば、子どもはうえ死にしてしまうのだ。",
"その秘密の部屋は、どこにあるのだ。",
"二階のてんじょうの上だ。そこは、おれでなければ、ひらけないのだ。ひらきかたに秘密があるんだ。だから、きみたちは、おれについてきて、見はっていればいいだろう。けっして逃げやしない。逃げようにも地下道のほかには、逃げ道がないじゃないか。",
"よし、それじゃ、二階へいくがいい。ぼくたちが、厳重にかんしする。"
],
[
"うん、それはざんねんだが、宝石まで持ってにげる、よゆうがなかった。なあに、あれぐらいの宝石は、またすぐに、ぬすんでみせるよ。なんにしても、明智のやつを、あっといわせたのが、ゆかいだ。あいつには、いつも、さいごに、やられているからね。ところが、こんどは、そうはいかなかった。あいつ、さぞくやしがっているところだろうて。",
"いいきみですね。ところで、首領、明智はどこにいましたかね。首領をとらえにやってきた人数のなかに、明智がいましたかね。",
"いや、いなかった。それが、ちょっと、ふしぎなんだ。やってきたのは、中村警部と五人の刑事だけだった。",
"へえ、そいつは、おかしいですね。すると、あの探偵さんは、いまごろ、どこにいるんでしょう? なんだか、うすきみがわるいですね。",
"うん、おれも、それが、なんとなく、気がかりなんだよ。"
],
[
"むろんだよ。宝石もほしかったが、明智をやっつけるのが、第一の目的だった。あいつは、おれのしょうがいの、かたきだからね。",
"へえ、そうですかい。しかしね、首領、明智のほうでは、負けたとは思っていないかもしれませんぜ。首領は、うまく逃げだしたと思っていても、明智は、首領をつかまえたと、考えているかもしれませんぜ。"
],
[
"なんどでもいいますよ。明智は、ちゃんと、首領を、つかまえているんです。",
"ワハハ……、ばかなことをいうな。おれはこうして、明智の手のとどかない、空の上にいるじゃないか。どうして、つかまえることができる?",
"ところが、手がとどくかもしれないのです。ハハハ、……おい、二十面相! それとも、四十面相といったほうが、お気にいるかね。もういいかげんに、そのしらがのカツラと、つけヒゲをとったらどうだね。そうすれば、ぼくも、素顔を見せてやるよ。"
]
] | 底本:「灰色の巨人/魔法博士」江戸川乱歩推理文庫、講談社
1988(昭和63)年3月8日第1刷発行
初出:「少年クラブ」大日本雄辯會講談社
1955(昭和30)年1月号~12月号
入力:sogo
校正:茅宮君子
2017年6月19日作成
2017年7月31日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "056676",
"作品名": "灰色の巨人",
"作品名読み": "はいいろのきょじん",
"ソート用読み": "はいいろのきよしん",
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"初出": "「少年クラブ」大日本雄辯會講談社、1955(昭和30)年1月号~12月号",
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"公開日": "2017-07-13T00:00:00",
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"名読み": "らんぽ",
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"姓ローマ字": "Edogawa",
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"没年月日": "1965-07-28",
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[
[
"他殺は疑う余地がないらしいね",
"警察ではそう云っている",
"証拠が残っていないという話だが、この部屋は十分調べたのかしら",
"そりゃ無論だよ",
"誰かの本で読んだことがあるが、証拠というものは、どんな場合にでも残らない筈はない相だ。ただそれが人間の目で発見出来るか出来ないかが問題なのだ。例えば一人の男がこの部屋へ入って、何一つ品物を動かさないで出て行ったとする。そんな場合にも、少くとも畳の上の埃には、何等かの変化が起こっている筈だ。だから、とその本の著者が云うのだよ、綿密なる科学的検査によれば、どの様な巧妙な犯罪をも発見することが出来るって",
"…………",
"それから又、こういうこともある。人間というものは、何かを探す場合、なるべく目につかない様な所、部屋の隅々とか、物の蔭とかに注意を奪われて、すぐ鼻の先に抛り出してある、大きな品物なぞを見逃すことがある。これは面白い心理だよ。だから、最も上手な隠し場所は、ある場合には最も人目につき易い所へ露出して置くことなんだよ",
"だからどうだって云うのだい。僕等にして見れば、そんな暢気らしい理窟を云っている場合ではないんだが"
],
[
"そんな物を調べた人はない様だね",
"そうだろう。火鉢の灰なんてことは、誰しも閑却し易いものだ。ところで君はさっき、兄さんが殺された時には、この火鉢のところに一面に灰がこぼれていたと云ったね、無論それはここにかけてあった鉄瓶が傾いて、灰神楽が立ったからだろう。問題は何がその鉄瓶を傾けたかという点だよ。実はね、僕はさっき、君がここへ来るまでに、変なものを発見したのだ。ソラ、これを見給え"
],
[
"変だね。どうしてそんな所へボールが入ったのだろう",
"変だろう。僕はさっきから一つの推理を組み立てて見たのだがね。兄さんの死んだ時、ここの障子はすっかり閉っていたかしら",
"いや、丁度この机の前の所が一枚開いてたよ",
"ではね、こういうことは云えないかしら、兄さんを殺した犯人――そんなものがあったと仮定すればだよ――その犯人の手が触れて鉄瓶の湯がこぼれたと見ることも出来るけれど、又もう一つは、そこの障子の外から何かが飛んで来て、この鉄瓶にぶっつかったと考えることも出来相だね。そして後の場合の方が何となく自然に見えやしないかい",
"じゃ、このボールが外から飛んで来たというのか",
"そうだよ。灰の中にボールが落ちていた以上、そう考える方が至当ではないだろうか。ところで、君はよく、この裏の広っぱで、鞠投げをやるね。その日はどうだったい。兄さんの死んだ日には"
],
[
"そうかい。塀を越したことがあるのかい。無論バットで打ったのだろうね。だが、その時下へ落ちたと思ったのは間違いで、実は杉の木をかすって、ここまで飛んで来たのではないだろうか。君は何か思い違いをしてやしないかい",
"そんなことはないよ。ちゃんと、そこの一番大きい杉の木の根元の所で、たまを拾ったんだもの。その外には一度だって塀を越したことなぞありゃしない",
"じゃ、そのボールに何か目印でもつけてあったのかい",
"いや、そんなものはないけれど、たまが塀を越して、探して見ると庭の中に落ちていたんだから、間違いっこないよ",
"併しこういう事も考え得るね。君が拾ったボールは、実はその時打った奴ではなくて、以前からそこに落ちていたボールであったということもね",
"そりゃ、そうだけれど、だっておかしいよ",
"でも、そうでも考える外に方法がないじゃないか。この火鉢の中にボールがある以上は。そして、丁度その時鉄瓶の覆ったという一致がある以上は。君は時々この庭の中へボールを打ち込みはしないかい。そして、ひょっとして、その時探しても、植込みが茂っていたりして、分らないままになって了った様なことはないだろうか",
"それは分らないけれど……",
"で、これが最も肝要な点なのだが、そのボールが塀を越したという時間だね、それが若しや兄さんの死んだ時と一致してやしないかい"
]
] | 底本:「江戸川乱歩全集 第3巻 陰獣」光文社文庫、光文社
2005(平成17)年11月20日初版1刷発行
底本の親本:「創作探偵小説集第四巻 湖畔亭事件」春陽堂
1926(大正15)年9月
初出:「大衆文藝」
1926(大正15)年3月
※底本巻末の平山雄一氏による註釈は省略しました。
入力:金城学院大学 電子書籍制作
校正:門田裕志
2018年3月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "057510",
"作品名": "灰神楽",
"作品名読み": "はいかぐら",
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"初出": "「大衆文藝」1926(大正15)年3月",
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"公開日": "2018-04-26T00:00:00",
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"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1894-10-21",
"没年月日": "1965-07-28",
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"底本名1": "江戸川乱歩全集 第3巻 陰獣",
"底本出版社名1": "光文社文庫、光文社",
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[
[
"殺す程愛していたのだ!",
"……悲しい哉、あの女は浮気者だった"
],
[
"……俺は今だと思った。この好もしい姿を永久に俺のものにして了うのは今だと思った",
"用意していた千枚通しを、あの女の匂やかな襟足へ、力まかせにたたき込んだ。笑顔の消えぬうちに、大きい糸切歯が脣から覗いたまんま……死んで了った"
],
[
"それでもう、女はほんとうに私のものになり切って了ったのです。ちっとも心配はいらないのです。キッスのしたい時にキッスが出来ます。抱き締めたい時には抱きしめることも出来ます。私はもう、これで本望ですよ",
"……だがね、用心しないと危い。私は人殺しなんだからね。いつ巡査に見つかるかしれない。そこで、俺はうまいことを考えてあったのだよ。隠し場所をね。……巡査だろうが刑事だろうが、こいつにはお気がつくまい。ホラ、君、見てごらん。その死骸はちゃんと俺の店先に飾ってあるのだよ"
]
] | 底本:「江戸川乱歩全集 第1巻 屋根裏の散歩者」光文社文庫、光文社
2004(平成16)年7月20日初版1刷発行
2012(平成24)年8月15日7刷発行
底本の親本:「江戸川乱歩全集 第五巻」平凡社
1931(昭和6)年7月
初出:「新青年」博文館
1925(大正14)年7月
※初出時の表題は「小品二篇 その一 白昼夢」です。
※底本巻末の編者による語注は省略しました。
入力:門田裕志
校正:A.K
2016年6月10日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "057192",
"作品名": "白昼夢",
"作品名読み": "はくちゅうむ",
"ソート用読み": "はくちゆうむ",
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"初出": "「新青年」博文館、1925(大正14)年7月号",
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"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"姓読み": "えどがわ",
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"名読みソート用": "らんほ",
"姓ローマ字": "Edogawa",
"名ローマ字": "Ranpo",
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"底本名1": "江戸川乱歩全集 第1巻 屋根裏の散歩者",
"底本出版社名1": "光文社文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "2004(平成16)年7月20日",
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"校正に使用した版1": "2004(平成16)年7月20日初版1刷",
"底本の親本名1": "江戸川乱歩全集 第五巻",
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[
[
"疑いといって、誰も疑う人がなければ仕方がないじゃないか",
"イヤ、世間には、我妻を疑って、嫉妬の余り、随分無駄な苦労をする奴もあるからさ",
"なんだって、嫉妬だって。だが君、嫉妬をしろと云っても、あの子供の様に無邪気な瑠璃子を、どう疑い様もないではないか"
],
[
"地獄岩から落ちて、おなくなりなすったのですよ。あなたは他国の方と見えますね。それとも新聞をごらんなさらないのですか。それは大変な騒ぎでしたよ",
"ヘエ、そうかね。で、そのなくなられたのは、いつのことだね",
"今日で五日になります。アア、ここにその日の新聞が取ってあります。これをごらんなされば、詳しく分りますよ"
],
[
"お前さんのお神さんがどうかしたのかね",
"家内ですか。家内は私がこの手で殺してしまったのです"
],
[
"大牟田が死んでしまったのは嬉しいけれど、でもね、義ちゃん、あなた当分の間遠のかなければいけないわ。召使達の口から世間に知れては拙いから。ホホホホ、あたしまだ、旦那様の喪中なんですものね",
"フン、それはそうだね。その点では、大牟田が生きている方が仕易かったよ。あいつは他人を追払う二人の番人も同然で、我々の仲を自分も疑わず、知らず知らず他人にも疑わせぬ役目を勤めてくれたのだからね",
"ホホホホホホ、生ている間は、あんなに嫌っていた癖に……",
"無論、あいつがいない方がいいのさ。でなくて、地獄岩に仕掛けなんかするものかね。僕はあいつが君の唇から、絶えず接吻を盗んでいるかと思うと、どんなにいやな気持がしたか知れやしない"
],
[
"この先の公園で、海賊が捕われたのです。大変な騒ぎです",
"ハハハハハ、賊が捕われるのは当り前の話だ。わしはそんなものに興味はない",
"イイエ、それが大変な賊なのです。旦那もご存知でしょう、ホラ例の有名な朱凌谿が捕まったのです"
],
[
"イヤ、ご承知ないのはご尤もです。瑠璃子さんといいますのは、なくなった子爵の夫人で、当地の社交界の女王といってもよい方です。若くて、非常に美しい方です",
"ホウ、そうですか、大牟田はそんな美しい奥さんを持っていたのですか。わしも是非一度御目にかかって、故人のことなどお話ししたいものですね",
"如何でしょう、一度子爵邸をご訪問なさることにしては? 僕ご案内致しますよ。瑠璃子夫人はどんなに喜ばれるでしょう",
"イヤ、それはわたしも願う所です。併し、まだ旅の疲れもあり、永年の異国住いで、貴婦人の前に出る用意も出来て居りませんから、訪問は二三日あとに致しましょう。併し、その前に、川村さん、あなたに一つご厄介を願い度いことがありますが、承知して下さるでしょうか",
"何なりとも……",
"イヤ、別に難しいことではありません。わたしは実は、あちらで買い溜めた少しばかりの宝石を、大牟田へ土産として持ち帰ったのですが、当人が死んだとあれば、それを、さし当り奥さんへのお土産にしたいのです。大牟田が生きていたところで、宝石などは、さしずめ奥さんの装身具となる訳ですからね。ところで、ご無心というのは、その宝石を、あなたから夫人に届けて頂き度いのですが、どんなものでしょうか",
"オオ、そんな御用なら、喜んでさせて頂きますよ。宝石好きな瑠璃子さんの笑顔を見る役目ですもの、誰だってこんなご用を辞退する者はありませんよ"
],
[
"この大きなダイヤモンドを、五つともみんなですか。みんな瑠璃子さんへの贈物ですか",
"そうです。智慧のない贈物で恐縮しているとお伝え下さい"
],
[
"では、あなたは、無報酬の主治医を勤めた訳ですか",
"どういたしまして、僕は主治医としての謝礼は決して辞退しなかったですよ。僕は奥さんを診察するというのに、奥さんの方で見せないのですから、仕方がないじゃありませんか。それに、川村画伯の事を分けてのお頼みもありましたしね"
],
[
"では貴様、何もかも白状するか",
"します。します"
],
[
"では尋ねるが、この土の中の白木の箱には何が入っているのか",
"それはアノ、……イイエ、わたくしがしたのじゃございません。わたくしはただ見ていたばかりでございます",
"そんなことはどうでもいい。ここに何が入っているかと尋ねるのだ",
"それは、それは……",
"云えないのか。ではわしが云ってやろう。この土の中の小さな棺桶には、生れたばかりの赤ん坊の死体が入っているのだ。しかも、その赤ん坊は実の父親と母親の為に、殺されたのだ。そして、ここへ埋られたのだ。母親というのは瑠璃子だ。父親は川村義雄だ。いいか、瑠璃子は不義の子を生みおとす為に、病気でもないのに、この別荘にとじこもって、人目を避けたのだ。わしが三月も病院住いをしている間に、宿った子だ。いくら悪党でも、それをわしの子と云いくるめることは出来なかったのだ。腫物なんて嘘の皮さ。ただ甘い亭主をだます悪がしこい手段に過ぎなかったのさ。オイ、お豊、わしの推察に少しでも間違った所があるか。あるなら云って見るがいい。それとも、この土の中の箱を掘出して、中を更めようか"
],
[
"それは残念ですね。併し、若しあなたが、瑠璃子さんを一目ごらんなすったら、いくらご老人でも、なぜこの様な婦人にもっと早く会わなかったかと、後悔なさるに違いありませんぜ。それに、いくらあなたの方で訪問を見合せても、あの調子だと夫人の方からやって来ます。あなたを驚かせにやって来ます",
"ホホウ、そんなに美しい人ですか"
],
[
"それは危い、そんな美しい未亡人が社交界なぞに顔出ししていては、実に危険千万ではありませんか",
"イヤ、その点はご安心下さい。及ばずながら、故子爵の親友の僕がついています。夫人の行動はすっかり僕が見守っています。貞節な夫人がそんな誘惑にまける筈はありません",
"成程成程、あなたの様な立派な保護者がついていれば安心です。イヤ保護者というよりも、あなたなれば、夫人の夫としても恥かしくはありますまい。ハハハハハハハ、イヤこれは失礼"
],
[
"不思議なこともあるものですよ。その赤ん坊はまるで生れたばかりの様に、少しも腐敗せず、死んだ時のままの姿で、箱の中に眠っていたではありませんか。執念ですよ。小さいものが生きよう生きようとする精気でしょうか。イヤ、それよりも、恐らくは、姦夫姦婦の為にあざむかれた男の恨みに燃える執念の為せる業ではありますまいか。恐ろしいことです",
"で、その子供は? その子供は?"
],
[
"マア、お墓でございますって?",
"エエ、お墓ですよ。併し、普通の墓ではありません。ありふれた石塔なんかじゃありません。煉瓦造りでね、小さい蔵を建てるのです",
"マア、蔵を? あんな不便な所へ",
"わしは、支那で手に入れた、黄金の秘仏を所持して居りますが、トランクの中へ詰込んで置くのは如何にも勿体ないので、どこか安置する場所はないかと考えていたのです。そこへ今度のことがあったので、丁度幸いです。あの赤ん坊の冥福を祈ってやる意味で、お墓の代りに、煉瓦のお堂を建て、そこへ秘仏を納めようと思い立った訳です",
"金むくの仏像でございますの?"
],
[
"アア、それは丁度好都合でした。実は僕、暫く大阪へ行くことになりましたので、帰る時分には、そのお堂が出来上っている訳ですね。楽しみにして居ります",
"マア、大阪へ? 何か急なご用でも出来ましたの?"
],
[
"色男なんて、僕は役不足だ。僕は男だよ。君が独占したいんだ。天下はれて僕のものにしたいのだ。それには結婚という形式をとる外はないじゃないか。いつまでも人目を忍ぶ関係を続けて行くのはいやになったのだ。……サア、約束してくれ給え。それとも、君は僕と同棲するのがいやなのか",
"そうじゃないわ。そうじゃないけれど、あたし達は何もそんな形式にこだわらないだって、ちゃんとこうして愛し合っていればいいじゃありませんか。あんたにも似合わない、人目を忍ぶ逢う瀬こそ、恋は面白いのよ"
],
[
"ハハハ、……君も自信のないことを云い出すではないか。ナニ大丈夫だよ。僕の見る所では瑠璃子さんは真から君を愛している。間違いなぞ起る筈はないよ",
"エエ、僕もそれは信じているのだけれど、やっぱり気掛りで仕様がないのです。ところで、僕、里見さんにお願いがあるのですが、聞いて下さいますか",
"親友の君の頼みだ、どんな事でも聞きますよ"
],
[
"併し、それがあなたとの婚資になるのではありませんか。川村君も大変喜んでいましたよ",
"マア"
],
[
"あの方は、なくなった主人が、兄弟の様に親しくしていた方でございましょう。あたしも本当に兄さんの様に思って、おつき合いしているばかりで、余り親しくなり過ぎて、そんな事考えるのもおかしい程ですわ。結婚なんて思いも寄らないことでございます",
"そうでしたか。あなたがそういうお気持なら、わしは安心しましたよ"
],
[
"違う、違う。そんなことがあるものか。何を証拠に俺の子だというのだ。俺は知らん。俺は知らん",
"知らぬとは云わさぬ。これは君が大牟田の目を盗んで、この別荘の奥座敷で、瑠璃子に生み落させた、あの不義の子だ。君はその手で、ホラその手だ。その手を使って、生れたばかりの赤ん坊をくびり殺したんじゃないか。くびり殺して、この庭へ埋めたんじゃないか。君はそれを忘れてしまったというのか"
],
[
"妻を盗まれた恨みがあるのだ",
"アア、貴様はさい前も、何かそんなことを云っていたね。だが、盗もうにも、君には妻なんてない筈じゃないか",
"妻を盗まれた上に、わしは君に殺された恨みがあるのだ",
"何だって? 何だって?",
"殺された上に、出るに出られぬ地底の墓穴に埋められた恨みがあるのだ。何ぜといって、わしはその地獄の暗闇で甦ったからだ",
"ウー、待て。貴様何を寝言を云っているのだ。それは何のことだ。アア、夢を見ているんだ。俺はうなされているんだ。止せ。分った。もういい"
],
[
"待ってくれ。やっぱり貴様そこにいるのか。顔を見せてくれ。サア、貴様の顔を見せてくれ。俺は気が違い相だ",
"わしの顔が見たければ、ここへ来るがいい。この覗き穴からよく見給え"
],
[
"違う。やっぱり俺は見覚がない。貴様がどうして、俺をこんな目に合わせるのか、少しも分らん",
"待ち給え。川村君。僕の声は、よもや忘れはしないだろうね"
],
[
"で、君はその窓から、ピストルでも向けるのかね。それとも、そこを閉め切って、俺を窒息させようて寸法かい。それとも、このままうっちゃって置いて、餓え死させるか。フフフフフフフ、だが、気の毒だけれど、俺はちっとも驚きやしないよ。すっかり覚悟を極めてしまったよ。お上の手で首吊り台にのぼされるよりか、君に殺された方がいくらましだか知れやしない。あの世では、又いとしい瑠璃子と一緒になれるんだからね",
"へらず口はよし給え。それとも君は恐ろしさに逆上してしまったのか。わしの復讐はそんな生やさしいもんじゃないんだ。君、少しも騒がないで死ぬ勇気があるかね。本当に大丈夫かね",
"大丈夫さ"
],
[
"フフフフフ、怖いのか",
"ウウン、怖いものか。だが、知り度いのだ。俺の運命が知り度いのだ",
"教えてやる。だが、後悔するな"
],
[
"ハイ、恐ろしいのです。あいつよりも私の方が死んでしまいたい位です",
"無理はない。君にまでこの上の苦痛を与えるには及ばぬ。よく勤めてくれた。では今日限り暇を上げる。これはお礼のしるしだ"
],
[
"それについてね、あたし、何だか気掛りなことがありますの",
"気掛りなこと? アア分った、お前は川村君のことを考えているんだね。あんなにお前を愛していた",
"エエ、それもよ。妙ですわね。あたし旅から帰って一度も川村さんにお目にかかりませんのよ。どうなすったのでしょう",
"お前の留守中に、あの男の歓迎会を開いたことは知っているね。それっ切りわしも逢わないのだよ。伯父さんの遺産相続で成金になったものだから、浮々と、方々遊び廻ってでもいるのだろう",
"そうでしょうか。本当を云うと、あたし昨日、通りがかりに一寸川村さんのお宅へ伺って見ましたのよ。しますとね、妙じゃありませんか、傭人も何もいなくなって、空家みたいに戸が締切ってあって、お隣で尋ねても、お引越しをなすったのかも知れませんなんて返事なんでしょう。何だか気掛りですわ",
"お前の仕打ちを恨んで、自殺でもしたんじゃないかと、心配しているんだね。安心おし、川村の居所は、実はわしがよく知っているよ。婚礼が済んだら、きっとあの男に逢わせて上げるよ",
"マア、ご存知ですの。どこにいらっしゃいますの。遠方ですの?",
"ウン、遠方と云えば遠方だけれど、ナニ逢おうと思えば訳はないのだよ。……だが、お前が気掛りだというのは、もっと別のことらしいね。云ってごらん。一体何をそんなに心配しているの?"
],
[
"それは、あの、あたし、見せて頂き度いものがありますの",
"ホウ、見たいものだって? アア分った。いつか話した黄金の仏像かい",
"イイエ",
"じゃ、わしの持っている沢山の宝石が見たいのかい",
"イイエ"
],
[
"ハテナ、その外にお前が見たいものなんて、一寸想像が出来ないね。云ってごらん。何も遠慮することなんかありゃしない",
"あのう……",
"ウンなに?",
"あなたのお顔が見たいのよ"
],
[
"エ、わしの顔? なにを云っているんだ。わしの顔はこうしてちゃんと見ているじゃないか",
"でも、……",
"でも?",
"あなたはいつも、そんな大きな色眼鏡をかけていらっしゃるのですもの",
"アア、そうか、お前はわしの目が見たいと云うのだね",
"エエ、一度その眼鏡をはずして、あなたのお目をよく見たいのよ。何だか変ですわ。妻が夫の目を見たことがないなんて"
],
[
"それじゃ、今おはずしなさってもいいじゃありませんか。今日はその婚礼の前日なんですもの",
"マア、お待ち。なにもそんなにせくことはないよ。いよいよ婚礼の儀式が済んだら、きっとこれをはずして見せて上げる。あすの晩、ね、あすの晩こそ、お前の見たがっているものを、何もかも見せて上げるよ。わしの目も、わしの莫大な財産や宝石類も、それから、お前の逢いたがっている川村君の居所も、すっかり見せて上げるよ。マア、それまで待ってお出で。あすの晩こそ、わし達にとっては、実にすばらしい夜なのだよ"
],
[
"お騒がせしてすみません、あたしどうしたのでしょう",
"婚礼の儀式がお前を昂奮させたのだよ。なにも気にすることはありゃしないよ",
"そうですわね。やっぱりあなたでしたわね。あたし、さっき、あなたが何だか、まるで別の人の様に見えましたのよ。声までも。そして、アア、この指環"
],
[
"お前眠くはない?",
"何だか妙ですわ。ちっとも眠くありませんのよ"
],
[
"じゃ、これから出掛けよう。今夜お前に見せるものがあったのだね",
"エ、どこへですの。何を見ますの",
"オヤ、もう忘れたのかえ。ホラ、婚礼がすんだらきっと見せて上げると約束したじゃないか。わしの財産、わしの宝石",
"マア、そうでしたわね。あたし見とうございますわ。どこですの。どこにしまってありますの"
],
[
"秘密の倉庫があるのだよ。少し淋しい場所だけれど、お前これから出掛ける勇気があるかね",
"エエ、あなたと一緒なら、どこへでも",
"よしよしそれじゃすぐ出掛けよう。実はその倉庫は昼間だと人目にかかる心配があるのだよ。わしは夜でなければ出入りしないことにしているのだよ"
],
[
"ナニ訳はないよ。五六丁歩けばいいのだ",
"でも、そちらにはもう町はないじゃありませんか。どこへ行きますの"
],
[
"黙ってついておいで、何も怖いことはありやしないよ",
"あなた、そこに何を持っていらっしゃいますの",
"蝋燭と鍵だよ",
"マア、蝋燭ですって、そんなものが要りますの",
"ウン、わしの倉庫には電燈がないのだよ"
],
[
"エエ、少しばかり。でも、こうしてあなたが手を握ってて下さるから、あたし心丈夫ですわ。それに、私達の宝物を見るんですもの",
"わしのすばらしい宝石を早く見せて上げ度いよ。お前どんなにびっくりするだろう",
"エエ、早く見たいわ。こんな淋しい恐ろしい場所に、宝物が隠してあるなんて、まるで何かの物語りみたいですわね",
"お待ち。今蝋燭をつけるから"
],
[
"ウン、わしのものだよ。そして、今日からは、わしの妻であるお前のものだよ。これがみんなお前の好き勝手に出来るのだよ",
"マア、嬉しい!"
],
[
"あなた、こちらの箱にも、やっぱり宝物が入っていますの?",
"ウン、又別の宝物が入っているのだ。お前その燭台を持ってこちらへ来てごらん。わしが蓋をあけて見せて上げるから"
],
[
"マア、死骸! 気味が悪い。早く蓋をして下さい。若しやそれは……",
"お前の先の旦那様ではないよ。ごらん、顔なんか生前のままだ。お前の旦那様の大牟田子爵の死骸なら、こんなに新しくはない筈だよ"
],
[
"あなたは誰です。こんなものを見せて、あたしをどうしようというのです",
"わしが誰だって? ハハハ……、お前はこの声を聞き覚えがないと見えるね。わしが誰だかということはね。サアごらん、この第三の棺桶を見れば分るのだよ。ホラ、蓋がこわれているだろう。そして中は空っぽじゃないか。この棺は一体誰を葬ったんだろうね。その死人は棺の中で生返ったかも知れないぜ。そして、もがきにもがいて棺を破り、この墓穴を抜け出したかも知れないぜ"
],
[
"恐ろしいお話ですわ。あたし、どうしてお詫びしていいか分りませんのよ。でも、あなたは誤解をしていらっしゃいますわ。それは川村さんとあれしたことは嘘だとは申しませんけれど、何ぼ何でも、あなたを殺すなんて、どうしてそんな恐ろしいことが出来ましょう。若し企らんだ事とすれば、それは川村さん一人で企らんだのです。あたしはちっとも知らなかったのです",
"だが、あとになって、お前はわしの変死を喜んでいた。わしはお前達が喜び合っている言葉を、この耳で聞いたのだ"
],
[
"では、あたしをどうしようとおっしゃいますの",
"わしが受けたのと同じ苦痛を与えるのだ。目には目を、歯には歯を。これがわしの動かし難い決心なのだ",
"では……"
]
] | 底本:「江戸川乱歩全集 第7巻 黄金仮面」光文社文庫、光文社
2003(平成15)年9月20日初版1刷発行
2013(平成25)年11月15日3刷発行
底本の親本:「江戸川乱歩全集 第十一巻」平凡社
1932(昭和7)年4月
初出:「冨士」大日本雄弁会講談社
1931(昭和6)年4月~1932(昭和7)年4月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「ガラス壜」と「ガラス瓶」、「甞め」と「嘗め」、「嘗つて」と「嘗て」、「復讐」と「復讎」、「這入る」と「は入る」、「突っ立った」と「突立った」、「義っちゃん」と「義ちゃん」、「一人ぼっち」と「一人ぽっち」、「ありゃしない」と「ありやしない」の混在は、底本通りです。
※「白髪」に対するルビの「はくはつ」と「しらが」の混在は、底本通りです。
※誤植を疑った箇所を、「亂歩傑作選集 第三卷」平凡社、1935(昭和10)年3月6日発行の表記にそって、あらためました。
※底本巻末の平山雄一氏による註釈は省略しましたが、「巖窟王」「上海」」のルビは註釈よりファイル作成時に追加しました。
入力:門田裕志
校正:nami
2021年9月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "057244",
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[
[
"時に、君はまだ知るまいが、つい二三日前に君の兄貴が死んだのだよ",
"なんだって?"
],
[
"ホラ、君はもう忘れたのかい。例の有名な君の片割だよ、双生児の片割だよ。菰田源三郎さ",
"アア、菰田か。あの大金持の菰田がかい。そいつは驚いたな。全体何の病気で死んだのだい",
"通信員から原稿を送って来たのだよ。それによると、先生持病の癲癇でやられたらしい。発作が起ったまま回復しなかったのだね。まだ四十の声も聞かないで、可哀相なことをしたよ"
],
[
"なんじゃ、あれ。狂人か",
"死人や、死人や",
"側へ行って、見たろ",
"見たろ、見たろ"
],
[
"なあに、思う程ではないのだよ。私が手を引いて上げるから、昇ってごらん、決して危くはないのだから",
"でも……"
],
[
"私達はこの森へ這入らねばなりませんの",
"オオ、そうだとも。何も心配することはない。この驢馬が安全に私達を案内して呉れるのだよ"
],
[
"私、今度こそ本当に、もう我慢が出来ませんわ。私は怖いのです。ごらんなさいな。こんなに身体が震えていますのよ。もうもうこんな恐しい島になんか、一時だって我慢が出来ませんわ",
"本当に震えているね。だが、お前は何がそんなに恐しいのだい",
"何がって、この島にある不気味な仕掛けが恐しいのです。それをお考えなすったあなたが恐しいのです",
"私がかい",
"ええ、そうですのよ。でも、お怒りなすっては厭ですわ。私にはこの世の中にあなたの外には何にもないのです。それでいて、この頃は、どうかしたはずみで、ふとあなたが恐しくなるのです。あなたが本当に私を愛して下さるかが疑わしくなって来るのです。こんな不気味な島の、暗闇の中で、ひょっとして、あなたが、実はお前を愛していないのだなんて、おっしゃりはしないかと思うと、私はもう恐くて怖くて……",
"妙なことを云い出したね。お前はそれを今云わない方がいいのだよ。お前の心持は私にもよく分っているのだ。こんな暗闇の中でどうしたもんだ",
"だって、今丁度そんな気がし出したのですもの、多分私、あんな色々なものを見て、興奮してますのね。そして、いつもよりは思ったことが云える様な気持なのですわ。でも、あなたお怒りなさらないでね。ね",
"お前が私を疑っていることは、よく知っているよ"
],
[
"離して下さい。帰して下さい",
"そうか、じゃあ、お前はやっぱり、俺を夫の讐だと思っているのだな。菰田家の仇と思っているのだな。千代子、よく聞くがいい。俺はお前がこの上もなく可愛い。一層お前と一緒に死んで了い度い程に思っているのだ。だが、俺にはまだ未練がある。人見廣介を殺し、菰田源三郎を蘇生させる為に、俺はどれ程の苦心をしたか。そしてこのパノラマ国を築くまでにどの様な犠牲を払ったか。それを思うと、今一月程で完成するこの島を見捨てて死ぬ気にはなれない。だから、千代子、俺はお前を殺す外に方法はないのだ"
],
[
"いやです、いやです。私には親があるのです。兄弟があるのです。助けて下さい、後生です。本当に木偶の坊の様に、あなたの云いなり次第になります。離して、離して",
"そら見ろ。お前は命が惜しいのだ。俺の犠牲になる気はないのだ。お前は俺を愛してはいないのだ。源三郎丈けを愛していたのだ。いや、仮令源三郎と同じ顔形の男を愛することが出来ても、悪人のこの俺丈けは、どうしても愛せないのだ。俺は今こそ分った。俺はどうあってもお前を殺す外はない"
],
[
"アア、そうだったか。そして、名前は何というのだ",
"北見小五郎とか申しました",
"北見小五郎、私は一向思い出せないが"
],
[
"イエ、それはきっと偶然でございましょう。御主人",
"偶然? 多分君の云う通りなのであろう。だが、君は今そこで何を考えていたのだね",
"昔読んだ小説のことを考えて居りました。非常に感銘の深い小説でした",
"ホウ、小説? なる程君は文学者だったね。して、それは誰の何という小説なのだね",
"御主人は多分御存じありますまい。無名作家の、しかも活字にならなかったものですから。人見廣介という人の『RAの話』という短篇小説なのです"
],
[
"人見廣介、知っているよ。お伽噺の様な小説を書く男であったが、あれは君、僕の学生時代の友達なのだよ。友達といっても、親しく話したこともないのだけれど。だが、『RAの話』というのは読まなかった。君はどうしてその原稿を手に入れたのだね",
"そうですか、では御主人のお友達だったのですか。不思議なこともあるものですね。『RAの話』は一九――年に書かれたのですが、その頃は御主人はもうT市の方へ御帰りなすっていたのでしょうね",
"帰っていた。その二年ばかり前に分れた切り、人見とはすっかり御無沙汰になっている。だから、彼が小説を書き出したことも、雑誌の広告で知った位なのだよ",
"では、学生時代にも余りお親しい方ではなかったのですか",
"まあそうだね。教室で顔を合せれば挨拶を交す程度の間柄だった",
"私はこちらへ来るまで、東京のK雑誌の編輯局にいたのです。その関係から人見さんとも知合いになり、未発表の原稿も読んでいる訳ですが、この『RAの話』というのは私などは実に傑作だと思っているのですけれど、編輯長が余りに濃艶な描写を気遣って、つい握りつぶしてしまったのです。それというのが、人見さんはまだ駈け出しの、名もない作者だったものですから",
"それはおしいことだったね。して、人見廣介はこの頃ではなにをしているかしら"
],
[
"ホウ、自殺を?",
"海へはまって死んだのです。遺書があったので自殺ということが分りました",
"何かあったのだね",
"多分そうでしょう。私には分りませんが。……それにしても、不思議なのは、御主人と人見さんと、まるで双児の様によく似ていることです。私は始めてこちらへ参った時、若しや人見さんがこんな所に隠れていたのではないかとびっくりした程でした。無論御主人もそのことは御気づきでしょうね",
"よくひやかされたものだよ。神様がとんだいたずらをなさるものだから"
],
[
"今の『RAの話』という小説がです。ですが、御主人は若しや、人見さんから、その小説の筋の様なものをお聞きなすったことはないのでしょうか",
"イヤ、そんなことはない。さっきも云う通り、人見とはただ学校が同じだったに過ぎない。つまり教室での知合いなのだから、一度だって深く話し合ったことなんかありゃしないのだよ",
"本当でしょうか",
"君は妙な男だね。僕が嘘を云う訳もないではないか",
"ですが、あなたはそんな風に云切っておしまいなすっていいのでしょうか。若しや後悔なさる様なことはありますまいか"
],
[
"ソラね、少しずつお分りでしょう。私という男が何の為にこの島へやって来たかが",
"分らない、君のいうことは少しも分らない。狂気めいた話は止しにしてくれ給え"
],
[
"ハハハハ……、君もつまらない苦労をする男だね。僕が人見廣介だって? ナニ人見廣介だって一向構いはしないが、どうも僕は菰田源三郎に相違ないのだから、致方がないね",
"イヤ、私の握っている証拠がそれ丈けだと思っては、大間違いですよ。私は何もかも知っている。知ってはいるのだけれど、あなた自身の口から白状させる為に、こんな廻りくどい方法を採ったのです。いきなり警察沙汰なんかにしたくない理由があったものですから。という訳は、私はあなたの芸術には心から敬服しているのです。いくら東小路伯爵夫人のお頼みだからといって、この偉大な天才を、むざむざ浮世の法律なんかに裁かせたくないからです",
"すると、君は東小路からの廻し者なんだね"
],
[
"そうです。私は東小路夫人の御依頼によって来ているものです。日頃お国の方とは殆ど御交際のない東小路夫人が、遠くからあなたの行動を監視なすっていたとは、あなたにしても意外でしょうね",
"イヤ、妹が僕にとんでもない疑いをかけているのが意外だよ。逢って話して見ればすぐ分ることなんだが",
"そんなことをおっしゃった所で、今更ら何の甲斐があるものですか。『RAの話』は私があなたを疑い始めたほんのきっかけに過ぎないので、本当の証拠は外にあるのですから",
"では、それを聞こうではないか",
"例えばですね",
"例えば?",
"例えば、このコンクリートの壁にくっついている一本の髪の毛ですよ"
],
[
"ハハハ……、イヤ、君はよくも調べ上げましたね。その通りです。寸分間違った所はありません。だが、実をいうと、君の様な名探偵を煩わすまでもなく、僕はもう破滅に瀕していたのですよ。遅いか早いかの違いがあるばかりです。一時は僕もハッとして、君に手向おうとまでしましたが、考え直して見ると、そんなことをした所で、僅か半月か一月今の歓楽を延すことが出来る丈けです。それが何でしょう。僕はもう作りたい丈けのものを作り、したいだけのことをしました。思い残す所はありません。いさぎよく元の人見廣介に返って、君の指図に従いましょう。打開けますと、さすがの菰田家の資産も、あとやっと一月この生活をささえる程しか残っていないのですよ。併し、君はさっき、僕みたいな男を、むざむざ浮世の法律に裁かせたくないとか云われた様でしたね。あれはどういう意味なんでしょうか",
"有難う。それを伺って私も本望です。……あの意味ですか、それは、警察なんかの手を借りないで、いさぎよく処決して頂き度いということです。これは東小路伯爵夫人のいいつけではありません。やはり、芸術につかえる一人の僕として、私一個人の願いなのですが",
"有難う。僕からも御礼を云わせて下さい。では、暫く僕を自由にさせて置いて下さるでしょうか。ほんの三十分ばかりでいいのですが",
"よろしいとも、島には数百人のあなたの召使がいますけれど、あなたを恐しい犯罪者と知ったなら、まさか味方をする訳もないでしょうし、又味方をかり集めて、私との約束を反故になさるあなたでもありますまい。では、私はどこにお待ちしていればよいのでしょうか",
"花園の湯の池の所で"
]
] | 底本:「江戸川乱歩全集 第2巻 パノラマ島綺譚」光文社文庫、光文社
2004(平成16)年8月20日初版1刷発行
底本の親本:「創作探偵小説集第七卷」春陽堂
1927(昭和2)年3月20日発行
初出:「新青年」博文館
1926(大正15)年10月~1927(昭和2)年4月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※初出時の表題は「パノラマ島奇譚」です。
※誤植を疑った箇所を、「創作探偵小説集第七卷」春陽堂、1927(昭和2)年3月20日発行の表記にそって、あらためました。
入力:砂場清隆
校正:まつもこ
2016年3月4日作成
2016年5月8日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "056651",
"作品名": "パノラマ島綺譚",
"作品名読み": "パノラマとうきだん",
"ソート用読み": "はのらまとうきたん",
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"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「新青年」博文館、1926(大正15)年10月~1927(昭和2)年4月",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2016-04-30T00:00:00",
"最終更新日": "2016-05-08T00:00:00",
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"姓": "江戸川",
"名": "乱歩",
"姓読み": "えどがわ",
"名読み": "らんぽ",
"姓読みソート用": "えとかわ",
"名読みソート用": "らんほ",
"姓ローマ字": "Edogawa",
"名ローマ字": "Ranpo",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1894-10-21",
"没年月日": "1965-07-28",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "江戸川乱歩全集 第2巻 パノラマ島綺譚",
"底本出版社名1": "光文社文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "2004(平成16)年8月20日",
"入力に使用した版1": "2004(平成16)年8月20日初版1刷",
"校正に使用した版1": "2015(平成27)年8月15日第6刷",
"底本の親本名1": "創作探偵小説集第七巻",
"底本の親本出版社名1": "春陽堂",
"底本の親本初版発行年1": "1927(昭和2)年3月20日",
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"校正者": "まつもこ",
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} |
[
[
"どろぼうです。盗んだんです",
"マアーっ"
],
[
"そして、その金を遣いはたしてしまったんです",
"じゃあ、せっぱつまってるのね。それで、そんな目をしているのね。あなた自殺しそうだわ。ね、ここじゃ駄目だから、あたしのうちへいらっしゃい。ゆっくり相談しましょう。いいでしょ。今のあなたは、どこへでもついて来る心境だわ。そうでしょう",
"ほかの人に会いたくないんです"
],
[
"ぼくは、親も兄弟もないんです。伯父の世話で大きくなったのですが、その伯父もひとりものなんです。伯母は早くなくなったのです。この伯父とぼくは全く気が合わないのです。ぼくは自転車の卸しをする店に勤めていたんですが、その店もゾッとするほど、いやなんです。それで、やけくそになったんです",
"それで、お金を盗んだの?",
"伯父のへそくりです。伯父の全財産です。伯父は紙袋を貼る機械を一台持っていて、やっと暮らしているのです。コツコツためた、伯父にとっては命よりもだいじな金です。ぼくは、伯父が隠していた銀行の通帳とハンコを探し出したのです。五万円ほどありました……",
"それを遣いはたしたのね。楽しかった?",
"いつも自殺する一歩前でした。そういう楽しさはありました",
"盗んでから、どのくらいになるの?",
"十日ほどです",
"よくつかまらなかったのね",
"伯父は警察にたのまなかったかも知れません。へそくりをとられて、伯父は病気になるほど驚いたでしょう。ほんとうに病気になって、今でも寝ているかも知れません。しかし、伯父はぼくを実子のように愛しているので、警察に云わないで我慢しているような気がします。あわれな伯父です",
"可哀相に思うの?",
"可哀相です。しかし、ぼくはあの人の顔を二度と見たくありません。ゾッとするほど嫌いなのです",
"かわってるのね。一等親しい人が、一等きらいなのね。……お友達は?",
"ありません。みんなぼくとは、ちがう人間です。ぼくの気持のわかるやつなんて、ひとりもいません。奥さん、あなただって、ぼくの気持、わかりっこありませんよ",
"まあ、奥さんだなんて。あたし、奥さんに見えて?",
"じゃあ、なんです",
"あなたと同じ、ひとりぼっちの女よ。まだ名前を云わなかったわね。あたし、相川スミエっていうの。親から譲られたお金で、勝手な暮らしをしているのよ。あなたのお友達になってあげるわ。あんまりひとりぼっちで、可哀相だもの"
],
[
"社長、今日はどちらへ? この間、愛子さんが恨んでいましたぜ。たまには…………",
"コラコラ、社長に向かって何を申すか、ひかえていろ"
],
[
"きょうはお早いのね。お待ちかねでしょう",
"ウン、七時までに来るはずだったね。おれ、腹がへってるんだ。へんなものはいらない。いつものサンドイッチがいい。それとスコッチ。早くしてくれ"
],
[
"ねえ、園田の親分、またちょっと苦しいのですよ。ね、お願い",
"ふん、もうかい。ちかごろヒンパンだな",
"親分も、ここをヒンパンにお使いになるでしょう",
"うん、わかった。サア、きょうはこれだけ"
],
[
"きょうも使うんですか",
"ここで人殺しはしないだよ。ちょっと見せびらかすだけさ。たまはちゃんとはいっているがね"
],
[
"河合さんが、こちらへ来るようにおっしゃいましたので、園田さんというお方は…………",
"おれだよ"
],
[
"それで、見のがし代は?",
"わたくし、お金が自由になりませんので、やっとこれだけ"
],
[
"金じゃあ駄目だよ",
"では、何をさしあげれば…………"
],
[
"因果なこったが、そうして、お前さんのような美しい女が、真青になってブルブルふるえ、おれを悪魔のように憎んでいるのを見ると、こたえられないんだ",
"じゃ、わたくし、どうすればいいんですの?"
]
] | 底本:「江戸川乱歩と13の宝石」光文社文庫、光文社
2007(平成19)年5月20日初版1刷発行
※〔 〕内の補足、( )内の注記は、編者による加筆です。
※底本のテキストは、著者自筆稿によります。
入力:宇間比利央
校正:持田和踏
2022年6月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "060174",
"作品名": "薔薇夫人",
"作品名読み": "ばらふじん",
"ソート用読み": "はらふしん",
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"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"公開日": "2022-07-28T00:00:00",
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"姓": "江戸川",
"名": "乱歩",
"姓読み": "えどがわ",
"名読み": "らんぽ",
"姓読みソート用": "えとかわ",
"名読みソート用": "らんほ",
"姓ローマ字": "Edogawa",
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"生年月日": "1894-10-21",
"没年月日": "1965-07-28",
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[
[
"林さんでございますか、弟様の方はどこかへお出ましになりましたが、兄様の方は裏の離れにお寝みでございます",
"昼寝かい",
"ハイ、毎日お昼から暫くお寝みでございますので。では離れへ御案内致しましょう"
],
[
"林がこの内部で寝ているのに間違いはないでしょうね",
"エエ、それはもう――何しろ内部から鍵もかかっていますし",
"合鍵は他にないですか",
"ございます。持って参りましょう",
"これ程叩いても起きないのは、ただ事でない様です。兎も角、合鍵で開けて中の様子を見てみましょう"
],
[
"被害者は昼食を食堂で済ましてから部屋に帰ったというのだな。ウン、それでお前は何か鉄砲の音のようなものを聞かなかったか",
"そういえば、お昼過ぎ、何だか大きな音がした様にも思いますが、何分直ぐ裏の山で始終鉄砲の音がしているものですから、別に気にも止めませんでした",
"この机の上の銃は――火繩銃のようだが、これはどうしたのだ。被害者の物か"
],
[
"フン、まだ煙硝の匂が残っている",
"アア、それでございますか、それはこの方の弟様ので――"
],
[
"弟?",
"ハイ、二郎様と仰有いまして、矢張り手前共にお泊りで、只今お留守でございますが、母屋の方にお部屋がございます",
"じゃ、あれは? あの銃は?"
],
[
"それは申上げられません。又申し上げる必要もないと思います",
"失礼ですが、あなた方は真実の御兄弟でしょうね"
],
[
"それじゃ、何の用で来たのです",
"あの時の模様を、もう一度詳しく聞き度いと思うのです"
],
[
"ナニッ? 調べる必要がないとは何です。僕は職権をもって調べに来たのだ",
"御調べになるのは御自由ですが、僕はその必要がないと思うのです",
"なぜ?",
"あなたはどうお考えか知りませんが、この事件は犯罪ではないのです。従って犯人もなく、犯行を調べる必要もないんです"
],
[
"イヤ、勿論自殺じゃありません",
"それじゃ過失死とでも言うのかね",
"そうでもないんです",
"アッハッハハハハハ、これは面白い。他殺でもなく自殺でもなく、又過失死でもないか。じゃあいったいあの男はどうして死んだのだね。真逆、君は――",
"イヤ、僕はただ犯罪でないと言ったまでです。他殺でないとは言いません",
"わからないね、僕には――"
],
[
"ここで今私が説明しても、あなたには得心出来ぬかも知れませんから、明日その証拠をお見せしましょう",
"証拠? ホウ、そんな珍らしい証拠があれば是非見せて頂き度いね。だが、明日とはどうしてなんだね",
"それには重大な意味があるのです。明日にならなければお見せする事が出来ないのです。兎も角明日一時にここへ来て下さい。屹度御得心のゆく証拠をお見せします",
"真逆冗談ではあるまいね。よろしい、明日一時だね",
"しかし、若し明日雨天か、少しでも曇っていたら駄目だと思って下さい",
"ヘエ、曇っていてはいけないのかね",
"そうです。今日の様に晴天でなければ証拠はお目にかけられないのです。アア、それから御出の時に必ずあの火繩銃を持って来て下さい",
"仲々難しい条件ですね。では、明日の日を楽しみにして、今日はこれで失礼しよう"
]
] | 底本:「江戸川乱歩全集 第8巻 目羅博士の不思議な犯罪」光文社文庫、光文社
2004(平成16)年6月20日初版1刷発行
初出:「江戸川乱歩全集 第十一巻」平凡社
1932(昭和7)年4月
※底本巻末の平山雄一氏による註釈は省略しました。
入力:金城学院大学 電子書籍制作
校正:A.K.
2019年2月22日作成
青空文庫作成ファイル:
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| {
"作品ID": "057520",
"作品名": "火縄銃",
"作品名読み": "ひなわじゅう",
"ソート用読み": "ひなわしゆう",
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"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「江戸川乱歩全集 第十一巻」平凡社、1932(昭和7)年4月",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2019-03-16T00:00:00",
"最終更新日": "2019-02-22T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/card57520.html",
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"名": "乱歩",
"姓読み": "えどがわ",
"名読み": "らんぽ",
"姓読みソート用": "えとかわ",
"名読みソート用": "らんほ",
"姓ローマ字": "Edogawa",
"名ローマ字": "Ranpo",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1894-10-21",
"没年月日": "1965-07-28",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "江戸川乱歩全集 第8巻 目羅博士の不思議な犯罪",
"底本出版社名1": "光文社文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "2004(平成16)年6月20日",
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} |
[
[
"あれとは?",
"ソラ、例の『人肉の面』の一件ですよ。百面相役者の"
]
] | 底本:「江戸川乱歩全集 第1巻 屋根裏の散歩者」光文社文庫、光文社
2004(平成16)年7月20日初版1刷発行
2012(平成24)年8月15日7刷発行
底本の親本:「江戸川乱歩全集 第二巻」平凡社
1931(昭和6)年10月
初出:「写真報知」報知新聞社
1925(大正14)年7月15日、25日
※「珍しい」と「珍らしい」、「ばば」と「ばばあ」の混在は、底本通りです。
※底本巻末の編者による語注は省略しました。
入力:門田裕志
校正:岡村和彦
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "057194",
"作品名": "百面相役者",
"作品名読み": "ひゃくめんそうやくしゃ",
"ソート用読み": "ひやくめんそうやくしや",
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"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「写真報知」報知新聞社、1925(大正14)年7月15日、25日",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2016-11-10T00:00:00",
"最終更新日": "2016-09-09T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/card57194.html",
"人物ID": "001779",
"姓": "江戸川",
"名": "乱歩",
"姓読み": "えどがわ",
"名読み": "らんぽ",
"姓読みソート用": "えとかわ",
"名読みソート用": "らんほ",
"姓ローマ字": "Edogawa",
"名ローマ字": "Ranpo",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1894-10-21",
"没年月日": "1965-07-28",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "江戸川乱歩全集 第1巻 屋根裏の散歩者",
"底本出版社名1": "光文社文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "2004(平成16)年7月20日",
"入力に使用した版1": "2012(平成24)年8月15日7刷",
"校正に使用した版1": "2004(平成16)年7月20日初版1刷",
"底本の親本名1": "江戸川乱歩全集 第二巻",
"底本の親本出版社名1": "平凡社",
"底本の親本初版発行年1": "1931(昭和6)年10月",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
"入力に使用した版2": "",
"校正に使用した版2": "",
"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "門田裕志",
"校正者": "岡村和彦",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/files/57194_ruby_60070.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2016-09-09T00:00:00",
"テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"テキストファイル文字集合": "JIS X 0208",
"テキストファイル修正回数": "0",
"XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/files/57194_60116.html",
"XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2016-09-09T00:00:00",
"XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"だが、昨夜の趣向は確に秀逸だったね。まさか、あの覆面の女が、てんでんの女房たあ気がつかないやね",
"あけてくやしき玉手箱か"
],
[
"井関さんから予め旨を含めてあったとはいえ、女房連、よくやって来たね。あれが自分の亭主だからいいようなものの、味を占めて外の男にあの調子でやられちゃ、たまらないね",
"危険を感じます、かね"
]
] | 底本:「江戸川乱歩全集 第3巻 陰獣」光文社文庫、光文社
2005(平成17)年11月20日初版1刷発行
底本の親本:「創作探偵小説集第四卷」春陽堂
1926(大正15)年9月26日発行
初出:「婦人の国」新潮社
1926(大正15)年1~2月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※底本巻末の平山雄一氏による註釈は省略しました。
入力:金城学院大学 電子書籍制作
校正:まつもこ
2018年7月27日作成
2018年9月22日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "057512",
"作品名": "覆面の舞踏者",
"作品名読み": "ふくめんのぶとうしゃ",
"ソート用読み": "ふくめんのふとうしや",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「婦人の国」新潮社、1926(大正15)年1~2月",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2018-08-29T00:00:00",
"最終更新日": "2018-09-22T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/card57512.html",
"人物ID": "001779",
"姓": "江戸川",
"名": "乱歩",
"姓読み": "えどがわ",
"名読み": "らんぽ",
"姓読みソート用": "えとかわ",
"名読みソート用": "らんほ",
"姓ローマ字": "Edogawa",
"名ローマ字": "Ranpo",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1894-10-21",
"没年月日": "1965-07-28",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "江戸川乱歩全集 第3巻 陰獣",
"底本出版社名1": "光文社文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "2005(平成17)年11月20日",
"入力に使用した版1": "2005(平成17)年11月20日初版1刷",
"校正に使用した版1": "2005(平成17)年11月20日初版1刷",
"底本の親本名1": "創作探偵小説集第四卷",
"底本の親本出版社名1": "春陽堂",
"底本の親本初版発行年1": "1926(大正15)年9月26日",
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"入力者": "金城学院大学 電子書籍制作",
"校正者": "まつもこ",
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} |
[
[
"あらあら、もうあんなに小さくなったわ",
"ほんとだ。もうからすぐらいの大きさだね。いまに、すずめぐらいになって、そして、みえなくなってしまうよ"
],
[
"ウォーッ、ウォーッ",
"ウォーッ、ウォーッ"
],
[
"えっ、なんだって。なんのよういができたというんだ",
"きみをつかまえるよういができたんだよ。ほら、この下を見たまえ"
],
[
"き、きみは、なにものだ",
"ははははは……。ぼくはあけちだよ。きみよりさきに、このしまにじょうりくして、きみのぶかにばけてまっていたのさ"
],
[
"こわかったよ。でも、おもしろかったね、きみちゃん。ヘリコプターに乗ったし、モーターボートに乗ったし……。モーターボートは、はやかったねえ。さあっと水を切って走るんだよ。あんまりはやいので、ぼく、もうすこしで、気が遠くなりそうだった",
"でも、わたし、おそろしかったわ。もうむちゅうで、なにがなんだか、わからなかったわ"
],
[
"あなた、どんな用でしたの。もしや、二十めんそうが……",
"うん、そうだよ。二十めんそうが、またなにかたくらんでいるらしいのだ。それについて、明智さんから、うちのほうせきを用心するようにと、いろいろ、細かい注意をされてきたのだ。いやなことだな。なんという、しゅうねん深いやつだろう"
],
[
"はい、なにかご用ですか",
"すぐに、明智たんていじむ所の人をよんでくれ。二十めんそうだ",
"えっ、二十めんそうが……",
"二十めんそうが、電話をかけてきたのだ。早くよんでくれ"
],
[
"そうです。あいつからかかってきたのです",
"どんなことをいってきたのですか",
"今夜、わたしのほうせきを取りに来るというのです",
"えっ、今夜、ほうせきを",
"そうです。わたしのほうせきは、ぜんぶ、ほうせきばこにおさめて、そこの金庫に入れてあります。それを、今夜の十時きっかりに、ぬすみ出してみせるというのです",
"そんなばかな。そんなことができるはずはありません。わたしたちがふたり、書生さんがふたり、うんてん手の栗田くん、それに、木村さんをくわえて六人です。六人が、このへやでがんばって見はっていれば、いくら、かいじん二十めんそうでも、ぬすみ出せるわけがありません",
"わたしも、電話で、そういってやったのです。すると、二十めんそうはせせらわらいました。そして、見はりが多ければ多いほど、おもしろい。いくら見はっていても、かならずぬすみ出してみせるといって、電話を切ってしまいました。まほう使いのようなやつですから、ゆだんできません"
],
[
"そうだ、家の中にかくれているんだ。門の外の町はずっと見通しなのに、どこにもいないんだから、外へにげたとは考えられない。きっと家の中だよ",
"それにしても、あの黒いお化けは、いったいなにものだろう",
"うん、そうだ。あいつのほうせきを取り返さなけりゃあ"
],
[
"それにしても、あいつ、いつの間にほうせきを取り出したのかなあ。ぼくたちは、ちゃんと見はっていたんだが……",
"あいつは、手品使いだよ。ほら、一度、金庫をあけて、ほうせきばこの中にほうせきのはいっているのを、たしかめただろう。あのときだよ。金庫の前にしゃがんで、ほうせきばこをもどすときに、すばやくほうせきだけをぬき取って、うちポケットに入れてしまったのさ"
],
[
"えっ、こうしゅう電話ですって",
"ええ、たしかに、あの中へはいりました",
"それじゃあ、外からドアをおさえてしまえばだいじょうぶだ。そして、こうしゅう電話をぐるぐるまきにすれば、おりにとじこめたようなものだ"
],
[
"かしら、うまくいきましたか",
"いや、しっぱいした。ちんぴらにじゃまをされた。そして、みんなに追っかけられたので、いろんなへんそうをして、うまくにげてきたのだ。だが、あのほうせきは、きっと手に入れてみせるよ。……ああ、くたびれた。今夜は、もう、ねることにしよう"
],
[
"はははは、わかったかね。そのとおり、きみのてきの明智小五郎だよ",
"どうして、ここがわかったのだ"
],
[
"だれだっ。名まえをいいたまえ",
"うふふふ……、まだわからないかね。おれは、二十めんそうだよ",
"えっ、二十めんそうだって"
],
[
"それから、もう一つわからないことがあるんです。二十めんそうは、どうして空をとぶんですか",
"それは、二十めんそうがフランスの発明家から買った、せなかへとりつけることのできる、すごく小さなヘリコプターなんだよ。二十めんそうは、木の上なんかにそのきかいをかくしておいて、さいごには、いつも、それでにげ出していたのだ"
]
] | 底本:「江戸川乱歩全集 第21巻 ふしぎな人」光文社文庫、光文社
2005(平成17)年3月20日初版1刷発行
底本の親本:「たのしい二年生」大日本雄弁会講談社
1958(昭和33)年8月~1959(昭和34)年3月
「たのしい三年生」講談社
1959(昭和34)年4月~12月
初出:「たのしい二年生」大日本雄弁会講談社
1958(昭和33)年8月~1959(昭和34)年3月
「たのしい三年生」講談社
1959(昭和34)年4月~12月
※「たのしい三年生」初出時の表題は「名たんていと二十めんそう」です。
※底本は、連載の回数を見出しとしています。
入力:sogo
校正:北川松生
2016年6月10日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "057230",
"作品名": "ふしぎな人",
"作品名読み": "ふしぎなひと",
"ソート用読み": "ふしきなひと",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「たのしい二年生」大日本雄弁会講談社/講談社、1958(昭和33)年8月~1959(昭和34)年3月<br>「たのしい三年生」講談社、1959(昭和34)年4月~12月",
"分類番号": "NDC K913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2016-07-16T00:00:00",
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"人物ID": "001779",
"姓": "江戸川",
"名": "乱歩",
"姓読み": "えどがわ",
"名読み": "らんぽ",
"姓読みソート用": "えとかわ",
"名読みソート用": "らんほ",
"姓ローマ字": "Edogawa",
"名ローマ字": "Ranpo",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1894-10-21",
"没年月日": "1965-07-28",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "江戸川乱歩全集 第21巻 ふしぎな人",
"底本出版社名1": "光文社文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "2005(平成17)年3月20日",
"入力に使用した版1": "2005(平成17)年3月20日初版1刷",
"校正に使用した版1": "2005(平成17)年3月20日初版1刷",
"底本の親本名1": "たのしい三年生",
"底本の親本出版社名1": "講談社",
"底本の親本初版発行年1": "1959(昭和34)年4月~12月",
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"底本の親本名2": "たのしい二年生",
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"底本の親本初版発行年2": "1958(昭和33)年8月~1959(昭和34)年3月",
"入力者": "sogo",
"校正者": "北川松生",
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} |
[
[
"それは、根もない夢の様なことかも知れませんわ。でも、わたくし小さい時分から、不思議に先々のことが分りますの。母は五年以前になくなりましたが、その母の死にますのが、わたくしには、半年も前からちゃんと分って居りましたのよ。それと同じ様に、今度のこの恐ろしい夢も、本当になって現われるのではないかと思いますと、もう怖くって、怖くって、一人で寝んでいる時など、ふとそれを考えますと、ゾーッと水をあびせられた様な、それはいやアないやアな気持になりますのよ",
"お姉さま、又そんな話をしちゃ、いやだ"
],
[
"何ですか魂のある黒雲みたいなものが、私達一家の上に、恐ろしい早さで覆いかぶさって来るのです。わたくし、もう二三ヶ月も前から、絶えまなくそれを感じていますの。恰度雉が大地震を予感します様に。……誰かが私達一家を呪ってでもいる様な。今にも私達一家のものが、何かの恐ろしい餌食になる様な。そんな気持ですのよ",
"では、何か、そんな疑いをお起しなさる様な理由でもあるのですか",
"それがちっともございませんの。ですから、なお怖いのですわ。どういう風の禍ですか、えたいが知れませんもの"
],
[
"大有りですよ。云い忘れましたが福田氏は妙子さんのお父さんの玉村善太郎氏の実弟なんです。つまり妙子さんにとっては叔父さんに当る訳です",
"アア、そうでしたか。妙子さんとはここに滞在中御心安くしていたのですが、あの人の叔父さんでしたか",
"そうですそうです。そんな御縁もあることだからという、福田氏の頼みなんですよ。どうです。何とか都合をして帰ってくれませんか"
],
[
"併し仮令魔術師にもせよですね。ただ紙切れが投込まれる丈けで、別に叔父さんに危害を加えようという訳ではないのだから、うっちゃって置くがいいじゃありませんか",
"ところが、必ずしもそうではないのだよ。この数字には何かしら恐ろしい謎が含まれている。見給え、最初来たのが、『十一月廿日』その次が『十四』、それから一日に一つずつ数が減って今朝は『九』になっている。順序正しく、非常に計画的だ。ところで、今日は何日だったかね",
"十一日でしょう。十一月十一日です",
"ホラ、見給え。十一日の十一に九を加えると幾つになる。二十だ。つまり『十一月廿日』になるのだ。ね、この毎日の数字は、あと十日しかないぞ、ホラ、もう九日になったぞという、気味の悪い通告書なんだよ"
],
[
"併し、通告状って、一体何の通告状なんです",
"サア、それが分らないから、一層気味が悪いのだよ。わしは別に人に恨みを受ける覚えもないが、人間どんな所に敵がいるか知れたものではない。若しかしたら、こうして怖がらせて置いて、わしに復讐でもしようというのではないかと思うのだが"
],
[
"復讐って云うと?",
"つまり、十一月廿日こそ、わしの殺される日だという……",
"ハハハハハ、馬鹿な、つまらない妄想はお止しなさい。今時そんな古風な復讐なんかやる奴があるもんですか。でも、叔父さんが、そんなに気になるなら、僕今夜徹夜をして、叔父さんの部屋の張番をして上げましょう。そして若し紙切れを持って来る奴があったら、とっ捕えて上げましょう"
],
[
"主人を起して見ましょうか",
"そうですね。念の為に"
],
[
"血、血です。……",
"エ、じゃ、叔父さんは……",
"多分もう息はありますまい。この戸を破りましょう"
],
[
"イイエ、御心配なさることはありませんわ。あなたの御危い所を御救い申した人の家とでも思っていて下さいまし。そしてあたしはその家の娘ですの",
"そうでしたか。僕は上野駅で変な自動車に押込まれたことは覚えていますが、すると今迄気を失っていたのでしょうか。それにしても、どうして僕を救って下すったのですか。御主人はどなたですか。そして、ここはやっぱり東京市内なんでしょうね",
"エエ、まあそうですの。でも、あなたまだ色々なこと御考えなさらない方がよござんすわ。それに、あたし、何にも喋ってはいけないって云いつけられているんですもの",
"ナアニ、もう大丈夫ですよ。どこも何ともありません。少し頭がフラフラしている位のものです"
],
[
"まだ駄目な様です。何だか僕には、この部屋がフワフワ宙に浮いてる様な気がするんです",
"ホラ、ごらんなさいまし。まだ無理をなすってはいけませんわ",
"でも気分は何ともないんです。どうか御主人に逢わせて下さい。御礼を云わなければなりません",
"イイエ、そんなこといいんですの。それに主人は今不在なのです"
],
[
"夜ですの。今八時を打った所ですわ",
"何日の?"
],
[
"やっつけたとは? 福田の親爺のことかね",
"ヤ、それじゃ、貴様、福田氏をどうかしたんだな",
"首と胴とを別々にした丈けさ。……だが、俺の仕事はそれで終った訳じゃない。俺には先祖から伝わった大使命があるんだ。その使命の為に、俺は生れ、教育を受け、四十余年の間苦しみに苦しんで来たんだ。それが、やっと目的を達しようという時になって、貴様という邪魔者が現われた。俺は世界全体を敵に廻しても恐れない。それ丈けの用意は出来ている。だが、君という怪物のことまで、勘定に入れて置かなかった。警察も裁判所も世間も怖くはないが、君はちと苦手なんだ。俺は君がどんな男だか知っている。君なれば俺の仕事の邪魔が出来るということを知っている。問題は権力や武器や人数ではない。智力だ。残念ながら君の智力が恐ろしいのだ。そこで、少々お気の毒だが、恨みも何もない君を、こうして監禁した次第さ。だが、俺は使命を果す外に、人の命をあやめ度くない。俺は殺人魔じゃない。だから君も、じっとおとなしくしていてさえ呉れれば、充分歓待はする積りだ。暫くの辛抱だ。頼みだ。じっとしていて呉れ"
],
[
"一ヶ月、長く見積って一ヶ月だ。どうかその間ここにじっとしていてくれ",
"なんだって。一ヶ月だって。じゃあ貴様は、福田氏の外にも……",
"そうなんだ。俺の相手はあの男一人ではないのだ。だから君に頼むのだ。どうか俺の使命を果たさせてくれ"
],
[
"それ程僕に手を引かせたければ、ここにたった一つの方法がある",
"それは何だ。それは何だ",
"つまり、君が大使命とやらを思い切るのさ",
"畜生ッ、その広言を忘れるな。望み通り今に息の根をとめてくれるから"
],
[
"こうして八八六十四書いて置くといいことがあるんだって",
"誰に教わったの",
"よその小父さんが、そう云ったよ"
],
[
"どこで!",
"今、そこで、門の所で",
"どんな人だったい",
"年寄の小父さんよ、洋服を着ていた"
],
[
"ナアニ、爺や",
"パチンコって云うのですよ。知ってますか",
"どうするの?",
"鳥でも何でも打てるのです。ホラ、見ていらっしゃいよ"
],
[
"マア、爺や何をするんです。びっくりするじゃありませんか",
"これはお嬢さま、何とも申訳ございません。坊ちゃんにお見せしようと思って、その屋根の雀に狙いをつけたのだが、ついはずれまして"
],
[
"ヘエ、誰がいたずらをしたんだか、困った奴等です",
"イヤ、そんなことどうだっていい。爺や思い出しておくれ。何という字が書いてあったのか。まさか数字じゃあるまいね",
"ヘエ、数字、アア、そうおっしゃれば、数字だったかも知れません。あたしゃ横文字は苦手でございましてね。よく読めませんが、エートあれは幾つという字だったか",
"そこへ指で形を書いてごらん",
"形は訳ございませんよ。この横の棒の下に、こう斜っかけに一本引張ってあったんで",
"それやお前、7という字じゃないか",
"アア、そうそう、七だ、七でございますね"
],
[
"お前、あいつのことを云っているのかい。充分用心しているじゃないか。雇人も増したし、わしの往復にはこうしてお前がついていてくれるし",
"駄目ですよ。僕の想像が間違いでなかったら、あいつは、もう僕等の家の中へ這入り込んでいるんですよ"
],
[
"馬鹿馬鹿しい。お前の気のせいだよ。いくらなんでもあの大勢の雇人の目をかすめて、家の中を歩き廻ったり出来るものかね。魔法使いじゃあるまいし",
"イヤ、それが油断です。あいつは魔法使なんだ。福田の叔父さんの時で分っているじゃありませんか"
],
[
"変な笛の音がしたもんですから、念の為に見廻ったのですが、お嬢さまの部屋が何だか妙でございますよ",
"そうか。よしッ。ドアをぶち破れ"
],
[
"でも、ちゃんとあなたの名前でお手紙が来ているのですもの",
"じゃ、どんなことが書いてあった? 僕は全く覚えがないんだ",
"それが分らないの。二郎さん、しらばくれているんでしょ。暗号の手紙なんか書いて置いて"
],
[
"まだ、あんなこと云っていらっしゃるわ。文句もなんにもなくて、ただ数字が書いてある切りなんですもの。暗号じゃなくって",
"エ、エ、数字だって? 数字だって?",
"エエ、五から始まって、一日に一つずつ減って行くの、四、三、二、一、という具合に"
],
[
"で、『一』という手紙はいつ受取ったの。若しや……",
"エエ昨日ですわ。そしてね、『一』と大きく書いた下に、急にお話したいことあり、明日必ず御出で下さい。とあなたの手で書いてありましたわ。で、妙子さんの御見舞を兼ねて、やって来たのじゃありませんか。おどかしちゃいやですわ",
"おどかすもんか。それは偽手紙なんだ。僕の手を真似て、あいつが書いたのだ。あいつは何だって出来ないことはないのだからね",
"彼奴って?",
"あいつさ。七尺以上の大男で、笛の巧い……"
],
[
"あれ誰?",
"シッ"
],
[
"近頃雇入れた、庭掃除の爺やで音吉というのだ",
"あの人、さっき門の所で逢いました。叮嚀におじぎしてましたわ",
"あいつ、僕達の話を立聞きしていたのかも知れない",
"でも、あの人に聞かれては、いけませんの?",
"イヤ、そういう訳でもないが"
],
[
"洋子さんは?",
"君の部屋へ行ったんじゃないかい",
"僕の部屋へ?"
],
[
"手を離せ。俺は君の主人の玉村二郎だ",
"エッ、あなた、二郎さんですか"
],
[
"どうして、こんな所へお出でなすったのです",
"君こそ、どうしてここにいるのだ。今の男をどうする積りだったのだ"
],
[
"離すものか",
"では、この爺をどうしようとおっしゃるのです",
"分り切っているじゃないか。警察へ引渡すのさ",
"警察ですって。……、あなた、なにか思い違いをしていらっしゃる",
"思い違いなもんか。俺はすっかり知っているぞ。貴様が犯人だ。福田の叔父さんを殺したのも、妙子や兄さんを傷つけたのも、洋子さんを誘拐したのも、みんな貴様の仕業だ。俺はそれをちゃんと知っているのだ",
"それが思い違いです。わたしは、あなたが疑っていらっしゃることは、薄々感づいていました。併し、こんな思いがけない邪魔をなさろうとは、まさか知らなかったです",
"邪魔だって。僕が何の邪魔をした。今の男を殺そうとする邪魔をしたとでもいうのか"
],
[
"そこに何があるのだ",
"はっきりしたことは分りません。併し、わたしの想像では……"
],
[
"君の想像では?",
"非常に恐ろしいものです"
],
[
"で、一体、これは誰の死骸なのだ",
"それを確めなければならないのです"
],
[
"と、おっしゃるのは?",
"やっぱり、貴様が犯人だと云うのだ。でなくて、庭掃除の爺やが、何の為に今時分、こんな所へ来ているのだ。殺人事件の度毎に、いつも現場附近をうろついていたのは、どうした訳だ。それから、それから、パチンコで妙子を狙ったり、玄関の戸の暗号通信を拭きとると見せかけて、僕の注意を惹いたのは一体誰だったのか"
],
[
"明智小五郎……",
"そうです"
],
[
"併し、私は信じることが出来ません。あなたはとっくに死んでしまった人です",
"現にこうして生きているではありませんか",
"でも、あの新聞記事は? 月島海岸にうち上げられたあなたの死体は? 波越さんのお宅での告別式は? そして、あの立派な葬式は?",
"みんな賊を欺く為の非常手段です。今度の賊は犯罪史上に前例もない程恐ろしい奴です。四十年の間考えに考え抜いて着手した一家鏖殺事業です。しかも僕を唯一の邪魔者と目ざし、犯罪に先だって僕を誘拐した用意周到さ、並大抵の手段では奴に対抗することは出来ない。非常の事件には非常の手段が必要です。僕は波越君と相談して、あの突飛な芝居をやった。新聞社を欺き世間を欺き、そして犯人を油断させたのです。僕は玉村さんの邸へ入り込んで、あなた方の身辺を守護する為には、どうしても、犯人に僕が死んだと見せかける必要があったのです"
],
[
"どうしてですか",
"僕はそんな普通の警察官のやり方を好まないのです。手遅れと分っている賊を今更追駈けて見た所で何の甲斐がありましょう。あの奸智に長けた賊のことだ、今夜の様なずば抜けた冒険の裏には、綿密細心な逃亡手段が準備されているに極っています。今頃あの小屋を包囲して見た所で、無論手遅れ、中はもぬけの空です",
"では、さしずめ採るべき手段は?",
"家へ帰ることです。そして寝てしまうのです。ただ明智が生きていたなんて、家族の方にも決して云っちゃいけませんよ。それが最も大切な点です。あとは何もやきもきなさることはありません。僕に任せて置いて下さい。もう音吉爺さんの変装も駄目になってしまったから、僕は全く別の第二の手段に……"
],
[
"奈落へ逃げた奴はないか",
"ありません。あっしはずっとここにいたんだから、見落す気遣いはありません"
],
[
"何を目当てに追跡するのです",
"マア、僕に任せて置いて下さい。十中八九諸君を失望させることはないと思います"
],
[
"紙テープと同じ様に、手品に使う、紙を刻んだ五色の雪です。それをほんの少しずつ、地面へ落して行った。これをたどって来れば賊の住家に達するという目印です。幸い今夜は風がないので、散りもしないで残っていたのでしょう",
"併し変ですね。あの賊がそんな目印を態々拵えて置くなんて。考え得ないことじゃありませんか",
"賊ではありません。あいつの娘の文代という女です",
"賊だって、賊の娘だって、同じ訳です。そんな馬鹿なことが"
],
[
"感づいたのでしょうか",
"我々とは知るまい。ただ、場合が場合だから用心しているのでしょう"
],
[
"大丈夫ですか。僕達がつけて来たことを感づいてやしませんか",
"まだ大丈夫です。奥には二人しかいません。お父さんと、森の中であなたに見つかった男です。外の座員達は思い思いの方角へ逃げました。奥では今お酒を呑んでいます。早く捕えて下さい。今度こそお父さんを逃がさないで下さい"
],
[
"どうして? 君はもう我々の味方じゃないか",
"でも縛って下さい。そうでなければ、あたしは大きな声を立てます。親を売った娘は縛られるのが当り前です"
],
[
"音吉爺さんですか。それとも明智小五郎君ですか。イヤ、そんなことは兎に角、折角の御訪問ですから、一つ私の商売の大魔術という奴をお目にかけましょうかね。何もおもてなしが出来ませんので、マア御馳走代りという訳ですよ",
"それでは、どうかこちらへ"
],
[
"ハハハハハハハ、お撃ちなさい。その女が死んだところで、わしは少しも痛痒を感じない。イヤ、却って御礼を申上げ度い位のものだ",
"だが、君は、僕がこれを撃てば、娘さんが傷つくばかりではない。その銃声で外にいる警官達が飛込んで来ることを、勘定に入れていますか"
],
[
"この家をとり巻いている警官達を忘れた様だね",
"その連中が這入って来るまでには、妙子が死んでしまう。この娘の命と引換えなら、悪くない取引きだよ",
"ハハハハハ、嘘を云っても駄目だ。ホラ、君の顔はそんなに青いじゃないか。妙子さん一人の為に、君は四十年も苦労したのかね。君の目的はもっと外にあった筈だ。それを棒に振って、絞首台に上る程、あきらめのいい男でもあるまい。ハハハハハハ、そんな取引きは、悪くないどころか、君の方が大損をする訳だぜ"
],
[
"君の自由か。……若しいやだと云ったら?",
"ズドンと一発、妙子と心中だ。この世がおしまいになるばかりだ",
"高い取引だ。だが、妙子さんの一命には換えられぬ。承知した。君は自由だ",
"卑怯な真似をするんじゃあるまいな",
"ハハハハハ、妙子さんを受取って置いて、君を捕縛させるというのか。安心し給え。仮令君の様な悪党に対してでも、そんなことをするのは、僕の潔癖が許さんよ。さあ、繩を解き給え",
"だが、外に待っている連中を、どうして説き伏せるのだ。警察の奴らが、まさかこの取引を承知する筈はないぜ",
"ハハハハハ、段々弱音を吹くね。だが、あの連中は僕に任せて置き給え。君等は裏口から逃げればいいのだ。警官達は僕が表口へ集めてしまう"
],
[
"如何です。玉村さん、一万円は買いかぶりではありますまいか",
"買いかぶりどころか、非常な掘出しものです。その倍以上の値打ちは確かに……"
],
[
"私は、この石を知っています。確かに見覚えがあります。あなたは何者から、これをお買いになりました",
"アメリカの商人です。今は本国へ帰っている男です",
"その人は、本国から持って来たのではありますまいね。日本で手に入れたものでしょうね",
"サア、本人は本国から持って来た様に云ってましたが",
"それは嘘です。裏に肉眼で見えない程の瑕があります。同じ瑕の石が二つある筈がありません。これは確かに盗んだものです",
"エ、なんですって? これが贓品だとおっしゃるのですか",
"そうです。その宝石には、殺人罪さえ伴っているのです",
"いつ、どこで、誰が盗まれたのです",
"昨年の十一月、私の弟が盗まれました",
"それじゃ、あの獄門舟の惨殺事件の折にですか"
],
[
"そうです。福田得二郎が、あの魔術師と呼ばれる兇賊の為に惨殺された時、ロゼット型のダイヤモンドが紛失したことは、当時の新聞にも出ました。その品は、私の店の番頭が、フランスの同業者から買って帰ったもので、それを弟の得二郎が懇望するので譲ってやったのでした。牛原さん。これは今度の犯人を探し出す為には、大変な手掛りです。その本国へ帰ったアメリカ人が、誰から譲り受けたかという事が、分らないものでしょうか",
"そうでしたか。これがあの時のダイヤでしたか。よろしい、探って見ましょう。本人は国へ帰りましたが、親しくしていた友人がいる筈です。明日、早速その男を訪ねて、訊して見ましょう"
],
[
"あなたは冗談やなんかでないことを、知り抜いておいでなさる。さっき、例のダイヤモンドをお見せした時から、あなたは心の隅で私を疑っていた。若しやこの男が、あの魔術師といわれる兇賊ではあるまいかとね。その通りですよ。私が得二郎氏を殺した本人であればこそ、あの宝石を持っていたのですよ。私は半生を復讐事業の為めに捧げました。ただ父の遺志を果す為に生きて来ました。そして、やっと、今晩、その目的を達したのです。玉村一家を亡ぼしてしまう時が来たのです。玉村さん。私の嬉しさが、あなたには分りますか。気違いになり相ですよ",
"少しも知らないことだ。わしの子供達は一層無関係だ。父親の仇を、その子と孫が受けなければならぬ道理はない。君は血迷っているのだ。気が違っているのだ。無関係なわし等を苦しめて、どうしようと云うのだ"
],
[
"駄目です。お父さん、僕達はとじこめられてしまいました",
"お父さま、兄さん、どこにいらっしゃるのです。あたし怖い!",
"しっかりするのだ。みんな気を落してはいけない。ナアニ、まだ助からぬと極った訳ではないよ"
],
[
"あたし、それを聞きましたのは、夕方の五時頃でしたが、父の部下の一人をだまして、戸をあけさせるのに、つい今しがたまでかかったのです。それは苦労を致しましたわ。で、もうこんなにおそくては、あとの祭りかと思いましたけれど、一番恐ろしいことは、まだ済んでいないかも知れぬと、それを頼みに先生のお力を拝借に伺ったのです。なんぼ父親のすることでも、四人もの命が奪われるのを、黙って見ている訳には行きません",
"一番恐ろしいことと云うのは?"
],
[
"お聞きの通りです。何だったら、あなたは、ここに待っていてはどうです",
"イイエ、構いません。あたし、その家の様子をよく知っていますから、ご案内致しますわ"
],
[
"オイ、一郎も二郎も妙子も、しっかりするのだ。わしらは、どうしてでも、この穴蔵を抜け出さなければならぬ。今も考えて見たのだが、それには、たった一つの方法がある。骸骨のとじこめられていた、洞穴の土を掘って、地面へ抜け出すのだ。大して深い筈はないのだから、皆が力を合わせたら、出られぬということはない",
"アア、僕も今それを考えていた所です。焼け残った椅子の脚で、土を掘ればいい"
],
[
"それにしても、どうして穴蔵から連れ出したのでしょう。特別の通路でもあるのですか",
"エエ、あたし、それも知って居ります。穴蔵の壁に小さな隠し戸がついていて、そこから、邸の外の原っぱへ抜けられるのです"
],
[
"やっぱりそうだ。もう今頃は、あいつの船へ連れ込まれている時分かも知れません。サア、船へ行きましょう。まさか、あなたを置去りにして出帆してしまうこともないでしょう。僕をその船へ案内して下さい",
"エエ、それはもう、あたし覚悟していますけれど、あなたお一人では……",
"ナニ、心配することはありません。グズグズしていては、手おくれになります。それに大勢で向うよりも、僕一人の方が却って仕事が仕易いのです。僕はもうちゃんと、その手だてを考えてあります"
],
[
"エエ、お前、三次さん?",
"そうだよ。もう親父さん帰っているぜ。文ちゃんはどこへ行ったと、えらく探していたぜ",
"お父さん、一人で帰ったの",
"インヤ、例のお嬢さんと二人連れさ"
],
[
"文ちゃん、荷物って、どこにあるんだい",
"ここよ",
"どれ、どこに"
],
[
"ヤ、貴様、一体誰だッ",
"ハハハハハハ、びっくりしなくてもいい。声さえ立てなければ、無闇に発砲する訳じゃないんだから"
],
[
"ここへ連れて来い。少し言い聞かせることがある。みんな、暫くの間別の部屋で飲んでいてくれ",
"かしら、文ちゃんを折檻するのはよしたらどうです。目出度い日だ。勘弁しておやりなさい"
],
[
"ちょっと、お化粧の道具を買いに……",
"嘘を云え。こんな夜更けに、どこの店が起きている。お前、明智の野郎と媾曳をしていたのだろう"
],
[
"マア、何を云っていらっしゃるの。そんなことが……",
"ア、やっぱりそうだな。そのうろたえ方を見ろ。とうとう尻尾を掴んだぞ。さあ白状しろ。いつか明智をこの船から、オオ、そうだ部屋も同じ此部屋だ。ここから逃がしてやったのは、さては貴様だったな"
],
[
"かしら、三次はどこへ行ってしまったのか、姿が見えません。機関室にも、荷庫にも、どこにもいません",
"ナニ、いない。そんなことがあるものか。ボートはあるのか",
"エエ、ボートは艫にもやってあります",
"まさかあいつが身投げをした訳ではあるまい。よし、貴様達がかばい立てするなら、俺が探しに行く。若しもあいつがいたなら、承知しないぞ"
],
[
"三次だって、オイ、こんな三次があるもんか。こいつ一体どこのどいつだ",
"成程、三次じゃねえ。ヤイ、貴様は誰だッ"
],
[
"オヤ、妙だね。カチンカチンと云ったばかりで、丸が飛出さぬ様だね。ハハハハハ、もう一度やってごらん",
"うぬ",
"畜生ッ"
],
[
"見ました。小さいけれど、何だか毒蛇みたいな、いやな恰好をしていました",
"どこで? どこで見たのです",
"アア、そうそう。さっき、この部屋から這い出して来るところを見たのですよ。だが、あなたは、なぜそんなにびっくりなさるのです",
"僕は幻を見たのだと思っていました。だが、あなたの目にも映ったとすると、幻ではない。一体そいつはどちらへ行ったのです"
],
[
"夢じゃありません。たしかにこのシーツの上にとぐろを巻いていたんです。あたし、何か重くなったものだから、目を覚したのですもの。……",
"とぐろをまいていたって?",
"エエ、あなた方、今廊下で、誰かにお逢いにならなかって? 大きな、角力取りみたいな人に"
],
[
"エエ、たった今、そのドアをくぐって、出て行ったばかりなのよ。あなた方の目につかなかった筈がありませんわ",
"お前が、叫び声を立ててからか",
"エエ、そうよ",
"それじゃ逃げ出す暇はない。わしらは、廊下の両側からかけつけたのだから、誰かが見なければならない筈だ。一郎、二郎、お前達そんなものを見はしなかっただろうね"
],
[
"イイエ、お兄さま、夢じゃないのよ。なんぼあたしでも、夢なんかでこんなに騒ぎやしませんわ",
"マアいい。それで、角力取りみたいな奴が、どうしたんだね。……君のシーツの上にとぐろでも巻いていたのかね"
],
[
"あたしが、びっくりして飛起きると、チョロチョロとベッドを伝い降りて、ドアの方へ走って行きました。そして、その入口の所で、鎌首をもたげて、まるで人間みたいに、じっとあたしの顔を見つめているのです。それから……",
"それから?",
"それから妙なことが起ったのです。又一郎兄さまに叱られるかも知れませんわ。余り変なのですもの。あすこの鼠色の壁から浮き出す様に、一人の天井につかえ相な、大男が現われて、ハッと思う内に、スーッと、外へ出て行ってしまったのです。そして、蛇も、その人がいなくなると見えぬ様になってしまいました",
"ハハハハハハ、まるで石川五右衛門の忍術だね。鼠の代りに蛇を使って"
],
[
"君、妙な笛の音を聞かなかった?",
"エエ、聞きました。僕も変だと思っているのです",
"どの辺から聞えて来た?",
"大旦那のお部屋です。確かに"
],
[
"どうしたんだ。二郎",
"お父さんが、お父さんが、……"
],
[
"何を考えていたのです。奥村源造の怨霊についてですか",
"イイエ、もっと人間らしいことです。美しい幻です。僕だって、犯罪以外のことを考えない訳ではありません",
"ホウ、美しい幻? 景色ですか。絵ですか。それとも歌ですか"
],
[
"もっと美しいものです。人の心です。純情です",
"純情? といいますと",
"奥村文代を、早く出獄させてやる訳には行かぬでしょうか",
"アア、賊の娘の文代ですか。成程成程、あの娘は可哀相です。あれは最初から、我々の味方だったのですからね。悪魔の様な父親との間にはさまって、どんなにか心を痛めたことでしょう。無論無罪放免ですよ。ただ時期の問題です",
"いつ頃でしょう",
"ハハハ……、あなたの美しい幻というのは、つまりその文代のことだったのですね。あの美しい文代が、あなたの為に、どれ程つくしたかということは、僕もよく知っていますよ。文代の恋がなかったら、玉村家の人は、とっくに死に絶えていたのですからね",
"僕はなぜか、あの娘のことが忘れられないのです。父親とは似てもつかぬ、身も心も美しいあれの幻が、目先にちらついて仕方がないのです"
],
[
"まさか冗談ではありますまいね。僕は真面目なのです",
"冗談ではありません",
"では、聞かせて下さい。その真犯人は何者です。どこにいるのです"
],
[
"エ、エ、なんですって、すると君は、その犯人を已に捉えているのですか。どこです。どこにいるのです",
"そんなに慌てることはありません。今、その場所を云いますから、よく覚えて下さい。そして、あなた一人で、かっきり十時に、そこへ来て下さい。多分犯人をお引渡し出来ると思います。場所は本郷区のK町です。電車で云えば肴町の停留所で下車して、団子坂の通りを右へ、三つ目の細い横町を左へ折れて、生垣に挟まれた道を一丁程行くと、石の門のある古い西洋館があります。まるで化物屋敷みたいな、あれ果てた空家同様の建物です。その石門を入って、建物の裏へ廻ると、三つ並んだ窓があります。その一番左の端の窓が開いていますから、そこから部屋の中へ入って下さい。電燈もない真暗闇ですが、その闇の中に僕がお待ちしている訳です。少しも危険はありません。必ず一人でお出で下さい"
],
[
"非常に意外な人物です。無論あなたもご存じの者です",
"誰です、誰です"
],
[
"あり得ないことです。いくらなんでも……何か確証があったのですか。それについて",
"詳しく云わなければ分りませんが、無論証拠もあるのです"
],
[
"お待ちしていました。兄さん達のお加減は如何ですか",
"エエ、有難う。まだ起きられませんけど、大分いい様ですの。本当に御心配をかけまして"
],
[
"外の用件がある筈はございませんわ。父を殺した犯人を探し出して頂き度いのです。そして、私達兄妹を安心させて頂き度いのです。あんな毒薬騒ぎが起る様では、怖くって、オチオチ邸にいることも出来やしませんわ。……その後何か手掛りがございまして? 安心の為に詳しくお話し下さいませんでしょうか",
"そんなに御心配なさらなくても、もう明日からは、決して何事も起りませんよ",
"マア、それでは何か判りましたのね。聞かせて下さいまし。どうか"
],
[
"犯人が分ったのです",
"マア、犯人が……"
],
[
"エエ、無論知りとうございますわ",
"あなた、勇気がおありですか"
],
[
"犯人は、ある空家にいるのです。そいつの顔を見る為には、淋しい空家に入らねばなりません",
"でも、そんな。あたし犯人を見たいとは思いませんわ。ただ、捕まえて下されば……",
"無論捕縛します。併し、あなたは犯人が憎くはありませんか、一目見てやり度いとは思いませんか",
"エエ、父の敵ですもの、憎くない筈はございません。でも、そんな怖い男に逢うのは……",
"イヤ、男ではないのです。犯人は女性なのです。しかもあなたのよく知っている人です。面と向ってあなたに危害を加え得る様な、強い女ではありません。その上相手に悟られぬ様に、こっそり隙見をする方法もあるのです",
"マア、あたしの知っている女の人でございますって? 誰でしょう。ちっとも心当りがないのですが",
"非常に意外な人物です",
"アア、若しや奥村源造の娘の文代ではありませんか",
"違います。文代はまだ未決監にいるのです。もっともっと意外な人物です。今夜十時になれば、そいつは捕縛されるに極っています。明朝は世間に知れ渡ってしまうのです。若し、それまで待ち切れなかったら、その空家へ行ってソッと隙見をなさいませんか。波越さんも僕も無論そこへ行くのです。あなたは多分犯人が逮捕される現場を見ることが出来ましょう",
"それは、一体どこの空家でございますの"
],
[
"でもあたし、何だか気味が悪うございますわ。あなたとご一緒に行けるといいのだけれど",
"それは駄目です。あるトリックによって、犯人をその部屋へおびき寄せるのが、僕の仕事なのです。そして、波越警部に引渡すまでは安心が出来ません",
"では、波越さんにお願いして、お伴出来ないでしょうか",
"それも駄目です。そんなことを頼めば、なぜ秘密を打開けたかと、僕が叱られますよ。あなたは一人でいらっしゃい。でなければ、酔狂な真似はおよしになった方がよいでしょう"
],
[
"犯人を見たのです。お父さんを殺した真犯人を見たのです",
"エッ、何んですって、ではやっぱりこの向うの部屋に、その真犯人がいるのですか。でも、この穴から見たのでは、部屋の中は、全く空っぽじゃありませんか"
],
[
"では、さっき、妹が犯人を見たとおっしやったのは?",
"妙子さんは確かに犯人を見たのです。併し、その部屋に犯人が隠れていた訳ではないのです"
],
[
"そうです",
"そいつはどこへ行きました",
"どこへも行きません。最初からいないのです",
"すると…………"
],
[
"びっくりしてはいけません。妙子は怪賊奥村源造の実の娘です",
"え、そんな馬鹿なことが。…………",
"イヤ、お疑いなさるのも無理はありません。併し、それは僕が調べ上げた間違いのない事実です。生れたばかりの赤ん坊が、病院で取り替えられたのです。しかも、その取替えは、奥村源造の深い企らみであったのです。彼はある看護婦を買収して、偶然同じ頃生れた、自分の娘と、あなた方の本当の妹さんとを、ひそかに取替えさせたのです",
"エ、エ、すると、若しや、あの文代という賊の娘が……",
"そうです。文代さんこそ、あなた方の血を分けた妹さんです。これには確かな証人があります。当時の看護婦が未だ達者でいるのです",
"併し、なぜそんな恐ろしい真似をしたのです。僕には理由が解りません"
],
[
"妙子が賊の娘であったとすれば、今までどうにも解釈の出来なかった、様々の不可思議がたちどころに氷解するではありませんか。犯人はいつも家の中にいたのです。いくら厳重に戸締りをし、見張りをつけても、実の娘が犯人なのだから、防ぎ様がないのです",
"分りました、では、僕達を妙子に会わせて下さい。直接あれの口から聞き度いのです。妙子は定めし波越さんの手で捉えられているのでしょうね"
],
[
"ホホホホホホ、まあ流石に見事な推理でございますわね。でも、卑怯ですわ。謎の解けない苦しまぎれに、あたしが玉村家の娘でないなんて。ホホホホホホ、あんまり馬鹿馬鹿しくて",
"お止しなさい。今更ら何とごまかしても、もう駄目です。僕はすっかり調べ上げたのです。れっきとした証人もあるのです"
],
[
"マア、証人ですって? それは一体誰ですの",
"K私立病院の看護婦です。あなたの生れる時お世話をした看護婦を発見したのです。その女が、奥村源造から莫大な礼金を貰って、殆ど同時に出産した文代さんと君とを取替えたことを、とうとう白状したのです",
"マア、古めかしいお話ですこと。二十年も前の昔話が、何の証拠になりましょう。どんな拵えごとだって仕組めますわ",
"ハハハハハハ、君はたかを括っているのですね。耄碌したお婆さんの証言なんか、どうだって云いくるめられると思っているのですね。だが、妙子さん、証人はその看護婦一人ではないのですよ",
"アラ、まだございますの? 随分お集めなさいましたのね"
],
[
"一郎君と二郎君を道づれにして、自殺をする積りだったでしょう。君はまだ執念を捨てないのですね",
"アア、あたしは自殺をすることも出来ないのですか。あんまりです、あんまりです"
]
] | 底本:「江戸川乱歩全集 第6巻 魔術師」光文社文庫、光文社
2004(平成16)年11月20日初版1刷発行
2013(平成25)年2月20日2刷発行
底本の親本:「江戸川乱歩全集 第八巻」平凡社
1931(昭和6)年5月
初出:「講談倶楽部」大日本雄弁会講談社
1930(昭和5)年7月~1931(昭和6)年5月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「一人ぽっち」と「一人ぼっち」、「格好」と「恰好」、「囁声」と「囁き声」、「魔法使い」と「魔法使」、「つぶて」と「礫《つぶて》」と「飛礫《つぶて》」、「輪廓」と「輪郭」の混在は、底本通りです。
※底本巻末の平山雄一氏による註釈は省略しました。
入力:門田裕志
校正:大久保ゆう
2022年6月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "056659",
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"初出": "「講談倶楽部」大日本雄弁会講談社、1930(昭和5)年7月~1931(昭和6)年5月",
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[
"甲野ルミっていうの。",
"おお、ルミちゃんだね。いい名だ。わたしは、青山にすんでいる黒沢というものですよ。坊や、このおねえちゃんはね、ルミちゃんだよ。",
"うん、ルミちゃんと、握手しよう。"
],
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"ハハハ……。やっと、わかったかね。この坊やは人形なんだよ。ジャックという名だよ。わたしのだいじなかわいい人形なのさ。",
"ああ、わかった。おじいさんは腹話術師なのね、坊やのかわりに、おじいさんが、口を動かさないで、子どもの声でしゃべっていたのでしょう。"
],
[
"そうだよ。よくわかったね。ふつうの腹話術の人形とちがって、これは、わたしがたんせいしてこしらえた、上等の人形だから、なかなか見わけがつかないのだがね。あんたは、りこうなおじょうさんだね。なんていう名?",
"宮本ミドリっていうの。それじゃあ、このお人形、おじいさんがつくったの?",
"うん。わたしは人形師なんだ。人形をつくるのが本職だよ。腹話術は、ちょっと、なぐさみにやっているだけさ。しかし、なかなかうまいだろう?",
"ええ。この坊やが、ほんとうにしゃべっているように聞こえたわ。",
"こうして、わたしの右手が、人形の服の下から背中へはいっているのだよ。人形の首にしかけがあって、指でそれをひっぱると、目が動いたり、口をぱくぱくやったりするのだ。ほら、ごらん! またしゃべりだすから……。"
],
[
"美しいおねえさまの人形もあるの?",
"うん、あるよ。ゆうぜんのふり袖を着て、きんらんの帯をしめた、うっとりするようなおねえさまがいるよ。そして、そのおねえさまが、やさしい声で歌をうたうんだよ。",
"まあ、歌をうたうの? 人形が?",
"うん。ぼくのおじいちゃんは名人だからね。機械じかけの人形をつくるんだよ。歌もうたうし、ものもいうし、歩くこともできる。おじいちゃんの人形は、みんな生きているんだよ。ぼくだって生きているだろう?"
],
[
"おじいさん、まだ遠いの?",
"なあに、もうすぐだよ。"
],
[
"ほほほほほ……。わたしのいいかたが悪かったわね。でも、半分生きているというのはほんとうなのよ。おじいさんがそばにいないのだから、わたしの声が、おじいさんの腹話術でないことはわかるでしょう。それから、わたしが歩くのも、からだを動かすのも、機械じかけではなくって、わたしがじぶんで動かしているのよ。",
"じゃあ、おねえさまは生きているのだわ。どうして、半分死んでいるなんていうの?",
"ではね、ルミちゃんによくわかるように、わたしの身のうえ話をしましょうか。",
"ええ。"
],
[
"あらまあ、お人形さんでしたの?",
"棺なんて書いてあるもんだから、すっかりだまされちゃった。",
"でも、この人形、なんてルミちゃんによくにているんでしょう。かわいいわね。"
],
[
"明智先生は事件で旅行中です。四―五日お帰りになりません。いそぎのご用ですか?",
"じつは、ひじょうに重大な、いそぎの用件なのですが、こまったな。",
"では、ぼくがおうかがいしましょうか。ぼく、先生からるす中のことをまかされている、小林というものです。",
"ああ、きみが、うわさにきいている小林君ですか。それじゃあ、すぐきてくれませんか。"
],
[
"ルミちゃんの人形は、運送屋がはこんできたのですね。おうちのかたで、その運送屋の名をおぼえている人はないでしょうか。",
"それは女中さんが知っているかもしれません。"
],
[
"だいじょうぶです。ぼく、なんどもやったことがあるんです。いつも、ばれたことはありません。ぼくのからだにあう女の子の洋服も和服も、いつでもつかえるように、事務所にちゃんと用意してあります。",
"それならいいが、いずれにしても、明智先生に電話で相談のうえでやってくださいよ。もし、あいてに気づかれたら、ルミがどんなことになるかわからないのだからね。わしのほうは、あすの晩までに、一千万円の現金を用意しておきます。金をわたすのは、すこしもおしいわけではない。ただ悪人をそのままほうっておくのが残念なのです。それで、ルミをとりかえしたあとで、そいつをつかまえてやりたいのですよ。",
"わかりました。ですから、ぼくは、甲野さんとはなんの関係もないものとして、探偵します。お金を取りにくるじゃまなどは、けっしてしません。ただ、あいての住みかをつきとめておいて、ルミちゃんが帰ってこられたあとで、警察に連絡するつもりです。そして、つかまえてもらいます。",
"では、やってみてください。くれぐれも、あいてにさとられないようにね。"
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"あの西洋館、赤堀鉄州という人の家でしょう?",
"ああ、そうだよ。このへんじゃあ、おばけやしきの、おひげさんといってるよ。気味のわるいじいさんだよ。",
"そのおじいさん、いま、家にいるでしょうか。",
"きのうからるすだよ。じいさんはひとりものだから、いま、あの家にはだあれもいやしないよ。おひげさんはかわりもので、ときどき、ふらふらっと、どこかへ出かけて、帰らないことがあるんだ。そのたんびに、牛乳をくさらせてしまう。ぼくの配達した牛乳が、きのうのままドアの外におきっぱなしになっているんだよ。"
],
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"そのおじいさん、人形を作るのでしょう? それから、腹話術もできるんでしょう?",
"腹話術はどうか知らないけれど、人形は作るよ。あの家には、気味のわるい人形が、ウジャウジャいるよ。きみ、おひげさんを知っているの? だが、あんな家に近よらないほうがいいよ。ひどいめにあうかもしれないよ。",
"ええ、あたし、いかないわ。お友だちにおじいさんのことをきいたものだから、ちょっとおたずねしただけよ。どうもありがとう。"
],
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"火をつけた? そんなばかなことが。……あっ、そうだ。おれは焼き殺されるところだった。おれはだれかにしばられて、ころがされていた。だが、どうして助かったのだろう。あっ、そうだ。だれかがおれの足をひっぱって、助けだしてくれたんだ。",
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"おい、しっかりしろ。なにをいっているんだ。だれを殺したというのだ。",
"女だ。かわいい女の子だ。おれのアトリエへしのびこんで、よろいびつの中にかくれていたので、上から釘をうって出られなくしてしまったのだ。そしておれは酒を飲んだ。ずいぶん飲んだ。なにがなんだかわからなくなってしまった。あの女の子は、よろいびつに閉じこめたままだ。おい、きみたち、火事場のあとに、人間の死体が見つからなかったか? ああ、おれはたいへんなことをしてしまった。え、きみ、どうだった? 死体はなかったか? それとも、あのよろいびつを、だれかはこびだしてくれたのか。きみ、そいつをしらべてくれ。ああ、たいへんなことになったぞ。"
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"なにをいっているのだ。この子は、どろぼうどころか、有名な私立探偵だよ。",
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"そうだよ。おれはおばけ人形をつくる名人だよ。",
"赤坂の甲野光雄という金持ちを、知っているだろう?",
"ふうん、聞いたような名だが、べつに知りあいではないね。",
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"さらった? おれがかね。",
"そうだよ。そして、ルミちゃんとそっくりの人形を木の箱に入れて、甲野さんの家へ、運送屋にとどけさせただろう。"
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"とんでもない、おれは、そんなこと、まるで知らないよ。",
"だが、こちらには、ちゃんと証人があるんだぜ。木の宮運送店の店員だ。その店員は、たしかに赤堀鉄州という人形師にたのまれて、木箱をはこんだといっている。",
"それじゃあ、その店員にあわせてもらいたいもんだね。顔を見れば、おれか、おれでないか、すぐにわかることだ。"
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"だが、赤堀鉄州という人形師は、この人だよ。きみの店へ配達をたのんだのも、赤堀鉄州だったね。",
"そうです。名まえはそうでしたが、そのときの人は、この人じゃありません。"
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"にいさんだって、探偵きちがいだわ。名探偵、明智小五郎の弟子だなんて、いばっているんですもの。明智探偵にあったこともないくせに!",
"なんだと? なまいきいうな。明智先生には二度もあってるよ。話をしたこともあるんだよ。ぼくは少年探偵団の団員だからね。団長の小林さんは、明智先生の弟子だから、団員のぼくらだって弟子なんだよ。ほら、このB・Dバッジを見ろ! これを持っているのが少年探偵団員の証拠じゃないか、ワーイ、ざまをみろ!"
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"ええ、そうよ。",
"あたし、ほしいわ。こんなすばらしい人形、見たことないわ。"
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"おかしいわね。あなた、ほんとうに夢を見たんじゃないの?",
"ぼくのおとうさんも、夢を見たんだろうというんだけれど、ぼくは、夢だとは思えないのです。たしかに、起きていたんです。",
"なにか秘密があるのね。その人形を売りにきた、西洋悪魔みたいな顔の人が、あやしいわ。きっと、なにかたくらんでいるんだわ。神山さん(進一君のこと)は、人形じいさんの事件、知ってるでしょう? 甲野ルミちゃんという子がさらわれた事件よ。その西洋悪魔みたいな男は、あの人形じいさんと、なにか関係があるんじゃないかしら。あたしには、なんだかそんなふうに思われるわ。",
"そうでしょうか。そうすると、妹のサナエがさらわれるんじゃないでしょうか?"
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"そうともきめられないわね。もっとほかに目的があるかもしれないわ。あなたのうちに、なにか、どろぼうにねらわれるようなものが、あるんじゃないの?",
"ああ、そういえば、西洋の女王さまの宝冠があるんです。おとうさんは、お金にかえられないたいせつな宝物だといって、うちの金庫にしまっているのです。",
"じゃあ、それをねらっているのかもしれないわね。でも、そんなとりこしぐろうばかりしていてもしかたがないわ。だれか少年探偵団の人を電話でよんで、相談してみましょう。"
],
[
"ああ、すっかりわすれていた。いまに、ふたりの団員が、ここへ遊びにくるのよ。井上一郎君と、ノロちゃんよ。ノロちゃんは、おくびょうものでたよりにならないけれど、井上君は、知恵も力もあって、たのもしいわ。井上君のくるのを待って、相談してみましょうよ。",
"井上君ならいいですね。ぼく、あの人すきですよ。それに、ノロちゃんだって、あいきょうものだし……。"
],
[
"へんだなあ。あれ、ユリ子人形だろうか?",
"だって、へいからとびおりたんだから、まちがいないよ。",
"じゃあ、あいつを、つかまえようか。",
"もちろんさ。"
],
[
"ワーッ、いてえ!",
"てめえ、悪者のなかまだなっ! 逃がすものかっ。"
],
[
"そうですよ。マユミさんを助けにきたのです。いまに、明智先生や中村警部もここへやってきますよ。",
"それじゃあ、あの西洋悪魔は。",
"あれをごらんなさい。ほら、あすこにいますよ。"
],
[
"おれたち、おまえの手下じゃないよ。おまえの手下は、むこうの部屋に、みんなしばりあげてあるのさ。",
"えっ、なんだって? それじゃあ、きさまたちはいったい何者だ。",
"少年探偵団と、チンピラ別働隊だよ。おらあ別働隊のほうさ。だが、団長もいるよ。ほらマユミさんのそばにいる、あの大きいサルが小林団長だよ。"
],
[
"あっ、ポケット小僧!",
"小林さん、よかったねえ、もうだいじょうぶだよ。明智先生も、いまにここへくるよ。"
],
[
"なに、おれの秘密だと。ワハハハハ……、きさまに、それがみんなわかってたまるものか。おれのほうには、奥の手があるんだぞっ。",
"その奥の手も、わかっている。もう運のつきだと思うがいい。"
],
[
"あれが二十面相だよ。明智先生は、とうとう、二十面相をつかまえてしまったんだよ。",
"ワーッ、すてき。明智先生ばんざーい!"
]
] | 底本:「魔法人形/サーカスの怪人」江戸川乱歩推理文庫、講談社
1988(昭和63)年5月6日第1刷発行
初出:「少女クラブ」講談社
1957(昭和32)年1月号~12月号
入力:sogo
校正:大久保ゆう
2018年5月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "056682",
"作品名": "魔法人形",
"作品名読み": "まほうにんぎょう",
"ソート用読み": "まほうにんきよう",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「少女クラブ」1957(昭和32)年1月号~12月号",
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"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2018-06-15T00:00:00",
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"名": "乱歩",
"姓読み": "えどがわ",
"名読み": "らんぽ",
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"姓ローマ字": "Edogawa",
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[
[
"あっ、わかった。映画だよ。自動車の中から映画をうつしているんだよ。",
"そうだ。西部劇だ。カウボーイが、馬にのって走っているよ。"
],
[
"移動映画館て、うまいことを考えたねえ。ぼく、こんなの、はじめて見たよ。",
"うん、ぼくも。それに、あの道化師のおじさん、説明がうまいじゃないか。"
],
[
"そうじゃないよ。道化師があんなへんなやつにばけたんだよ。自動車のなかには、ひとりしか人間がいないんだもの。あいつ、きっと変装の名人だよ。ねえ、なんだか、あやしいやつだね。もっと、あとをつけてみようか。",
"うん、そうしよう。"
],
[
"うん、ぼくたち、あとからついていくよ。でも、おじさんは、どこまでいくの?",
"ついそこだよ。もう十分もかかりゃしないよ。"
],
[
"うん、ポケットにあるよ。少年探偵団の規則だもん。いつでも、バッジを三十個ずつ、ポケットへいれておけって。",
"そうだよ。ぼくも、三十個もってるよ。"
],
[
"ノロちゃん。しっかりするんだ。ぼくたちは、少年探偵団員なんだからね。きっと、小林さんや、明智先生が、助けに来てくれるよ。",
"だって、せっかく、道にすてたB・Dバッジが、なんにもならなかったじゃないか。こんな遠くへ自動車でつれてこられたんだから。ぼくたちのいくさきは、だれにもわからないよ。",
"ぼくは、黒覆面につかまったとき、バッジののこりを、みんな、あの森の中へすててしまった。あそこには、バッジが、たくさん落ちているはずだ。それを、少年探偵団員のだれかが見つけてくれたら、あそこで、何かあったということがわかるよ。そして、バッジのうらには、ぼくたちの名まえが、ほりつけてあるんだから、井上と野呂のふたりが、森の中で、ひどいめにあったということが、わかるはずだ。それだけでも、あのバッジを落としたことは、むだじゃないよ。"
],
[
"どうしたんだ、不二夫。まっさおな顔をして。",
"おとうさん、たいへんです。黄金仮面が、あらわれたのです。顔ばかりじゃなくて、からだじゅう金色のやつです。"
],
[
"べつに熱があるわけでもないね。しかし、おとうさんには、信じられないね。もし、その金色のやつが、どろぼうだとすれば、グーテンベルクの聖書なんか盗んだって、なんにもならないのだよ。いくら高くても、売ることができないからだ。日本ではおとうさんのほかに、だれも持っていないのだから、売ろうとすれば、うちから盗みだしたということが、すぐにわかってしまう。売れないようなものを盗んだって、しかたがないじゃないか。",
"でも、おとうさん。あいつは、売らないで、じぶんで持っているつもりかもしれませんよ。宝物をあつめて喜んでいるどろぼうだってありますからね。"
],
[
"きみはいったい、だれだ? あんなものを盗んで、どうしようというのだ、売ろうとすれば、すぐにつかまってしまうぞ。",
"ウフフフ、おれは、金がほしいのじゃない。グーテンベルクの聖書そのものが、ほしいのだ。かならず、もらいにいくよ。"
],
[
"あれは、金庫の中にしまってある。わしのほかには、だれにも、あけられない金庫だ。魔法でもつかわなければ、盗みだせるものじゃない。",
"ところが、おれは、その魔法をつかうのだよ。ウフフフ……、まあ、せいぜい、用心するがいい。"
],
[
"あいつだ。ここのうちの子どものいったのは、ほんとうだった。あんな小さなこびとにばけてしのびこもうとしているんだ。",
"よし、ひっつかまえろ!"
],
[
"ぼくたちも、七つ道具は持っているよ。ノロちゃんも、ぼくも。",
"よし、それじゃ、いこう。"
],
[
"おれかね、おれはこの魔法の国の人民だよ。きみたちを、これから、この国の王さまのところへ案内しようというのさ。",
"王さまだって? いったい、それは、どこにいるんです?",
"ご殿にいるよ。魔法博士という、えらい人さ。",
"それは、黄金怪人のことじゃありませんか?",
"うん、よく知っているね。王さまは黄金のよろいをきているよ。そして、魔法つかいだからね、黄金怪人にちがいない。"
],
[
"ウフフフ……、さすがは、明智探偵の弟子だ。きみは、頭のはたらきが、すばやいね。わしは、数十人の部下に、東京じゅうを歩きまわらせて、このふたりをさがしだした。だが、いくら、にているといっても、ソックリとはいかない。それで、わしは、このふたりに、とくいの化粧をしてやった。つまり変装術だね。ちょっと見たのでは、わからないが、このふたりの顔には、わしの変装術が、ほどこしてある。そのおかげで、きみたちを、だますことができたんだよ。",
"じゃあ、ほんとうの井上君とノロちゃんは、ここに閉じこめられていたのですね。だから、イノウエとノロとほったB・Dバッジを、きみが持っていたんだ。そうでしょう?"
],
[
"きみには、わしの魔法の種が、すっかりわかったかね?",
"うん、わかっている。ぼくには、もう、なにもかも、わかっているよ。"
],
[
"ほう、えらいもんだ。それじゃ聞くがね。わしは、なぜ井上とノロを、つかまえたんだろうね。",
"それは、ふたりのかえだまを、つくるためさ。",
"なぜ、かえだまを、つくったんだね。",
"山下さんの蔵の中から、グーテンベルクの聖書を、盗むためさ。",
"かんしん、かんしん、きみは、そこまで気がついたのか。で、どうして、あの聖書を盗んだんだね。",
"あのとき、ぼくと、山下君のおとうさんと、山下君のほかに、四人の少年探偵団員が、がんばっていた。その四人の中に、にせものの井上君と、ノロちゃんが、まじっていたのだ。そして、たぶん、にせの井上君が、黄金怪人にばけたんだ。あの金色の衣装は、おりたためば、小さくなるにちがいない。にせの井上君は、それを、きたり、ぬいだりして、みんなをごまかしたんだ。",
"うん、そのとおりだ。あのときに、つかった金の仮面や、よろいは、ビニールに金のこなをぬったもので、蔵の中のうす暗い電灯だから、ごまかせたんだよ。にせの井上は、その金の衣装を、二くみ持っていた。子どもの大きさのと、おとなの大きさのとね。おとなの衣装には、足にタケウマのような棒がついていて、せいが高くなるんだ。それを、電灯の消えているまにきかえて、うす暗い蔵のすみに立って、みんなを、おどかしたんだよ。ぬいだときには小さくたたんで、本棚の大きな本のうしろにかくしておいたのだ。あのとき、だれも本のうしろなど、さがさなかったからね。黄金怪人は、煙のように消えうせてしまったとしか、考えられなかったのだよ。",
"蔵の電灯を、消したり、つけたりしたのは、にせのノロちゃんのほうだね。それから、電灯が消えているすきに、山下君のおとうさんの手から、聖書の桐の箱をうばいとったのも、にせのノロちゃんだったにちがいない。",
"そのとおり。だが、待ちたまえ。あのときの黄金怪人は、おとなになったり、子どもになったり、ネズミぐらいの小さな姿になったりしたね。あのときばかりじゃない。そのまえに、庭で山下少年の前にあらわれたときも、見ている前で、だんだん小さくなった。そして、ネズミぐらいになって、井戸側をのぼって、古井戸の中へ、かくれてしまった。あれは、どういうわけだね。"
],
[
"あの、山下君の庭に、あらわれたときは、もう、うす暗くなった、夕がただった。だから、やっぱり、うまく動かせたのだ。大きな木が、たくさん立ちならんでいた。あのときの怪物、あれは、むろん、きみだよ。きみばかりじゃない。子どもの助手がいた。それも、にせの井上とノロちゃんだったかもしれない。ふたりは、金色の衣装をつけて、大きな木のみきのかげにかくれていた。まず、おとなのきみが、山下君のそばをはなれて、一本の木のかげにかくれる。すると、にせの井上が、きみにかわって、山下君に見えるように歩きだし、はんたいがわの木のみきにかくれる。そこに、にせのノロちゃんが待っていて、いれかわって、姿をあらわす。ノロちゃんは、井上君にくらべると、ずっと、せいがひくいのだから、そこで、また黄金怪人が小さくなったように見えたのだ。",
"うん、よく、考えたね。そのとおりだ。しかし、ネズミのように、小さくなったのは、どうしたわけだろう。まさか、あんな小さな人間が、いるはずはないからね。",
"あれは、オモチャだ!"
],
[
"えっ、オモチャだって、オモチャが、どうして、井戸側をよじ登れるね。",
"目に見えないぐらい細い糸だ! たぶん、じょうぶな黒い絹糸だ。それを、古井戸の中に、きみの部下がかくれていて、ひっぱったのだ。それから、地面を歩いたのは、ゼンマイじかけだ。ゼンマイじかけのオモチャは、ひとりで歩けるからね。蔵の窓によじ登ったときも、中から、たぶん、にせの井上が、細い糸を、ひっぱっていたのだ。",
"うまいっ! きみは、じつに名探偵だよ。よく、そこまで、考えられたねえ。そのとおりだよ。きみのような、かしこい子どもは、このわしの部下にしたいくらいだ。いや、部下にするつもりだ。きみばかりじゃない。明智名探偵も、そのうち、わしの部下にするつもりだよ。",
"それはだめだ。ぼくは、けっして、きみの部下にならない。まして、明智先生が、きみの部下になんかなって、たまるもんか。いまに、ひどいめにあわされるから、見ているがいい。"
],
[
"ウヘヘヘ……、わしのとりこになった身のうえで、なにを大きなことをいっている。そっちこそ、いまに見ているがいい。明智先生が、この部屋に、とらえられてきたときに、べそをかくんじゃないぞ。",
"とらえられるもんか。ぼくが、じゃまをしてやる。けっして、先生は、きみなんかに、だまされやしないよ。"
],
[
"うん、そうだ。小林さんと、ぼくと、ノロちゃんの三人で、きみのじゃまをしてやるんだ……。負けるもんかっ。",
"ウヘヘヘ……、チンピラたち、なかなか、いせいがいいな。そんなにどなったって、わしは、ちっとも、おどろかない。かえって、きみたちが、かわいくなるくらいだよ。よし、よし、そう、さわぐんじゃない。いまに、おいしいものを、たべさせてやるからな。ウフフフ……。ところで、小林君、きみはまだ、いいわすれたことがあるはずだね。ほら、今日の夕がたのことさ、小さな黄金人形が、どこまでも歩きだしたじゃないか。そしてとちゅうで、たちまち、子どもぐらいの大きさになったじゃないか。あれは、どうしたわけだろうね。",
"うん、それも、わかっている。あのオモチャを売ってたじいさんは、きみだよ。きみがばけていたんだよ。",
"ウフフフ……、そうかもしれないね。"
],
[
"いや、それでは、まだ、考えがたりない。いいかね。あのときは、うす暗いといっても、まだ夕がただった。それに人どおりがないとはいえない。いくらポストのかげにかくれていても、金ピカの衣装をきているんだから、すぐ見つかってしまう。そうすれば、大さわぎになる。このわしが、そんな、あぶないことを、やるとおもうかね?",
"あっ、そうか。それじゃあ、あのポストは……。"
],
[
"あれは、インド奇術といって、有名な奇術ですね。世界じゅうで、あの奇術の秘密を知っている人は、だれもないんだって、明智先生に聞いたことがあります。でも、ここでやった、いまの奇術は、やさしいとおもいます。",
"やさしいって? それは、なぜだね。",
"ここは洞窟で、てんじょうがあるんですもの。ほんとうのインド奇術は、原っぱでやるんですよ。原っぱには、てんじょうがないから、なんのしかけもできません。",
"うん、それで?"
],
[
"ウフフフ……、心配かね? だが、あの子は、べつにひどいめにあうわけではない。ただね、遠い、遠いところへ、いくばかりなのだ。",
"えっ、遠いところですって? いったい、それは、どういうわけです。ノロちゃんは、たしかに、この部屋の中に、いるんですよ。",
"いや、いまごろは、もう、遠いところへ、いってしまったかもしれない。ドアをあけて、見せてやろうか。あの子が、どうなったか、わかるだろうからね。"
],
[
"なにをいってるんだ。この部屋は、いままで、からっぽだったじゃないか。きみはゾウといっしょに、どこかへ、消えてしまっていたんだよ。",
"へえ? おかしいな。そういえば、なんだか、スーッと、からだが、浮くような気持がしたけれども、この部屋からは、一度も、出なかったよ。"
],
[
"あらっ、きみ、たいへんだよ。これ、お金じゃなくて、B・Dバッジだよ。",
"えっ、B・Dバッジだって?"
],
[
"裏をごらん。裏に名まえがほってあるだろう?",
"うん、ほってある。コ、バ、ヤ、シ、あっ、小林団長のバッジだよ。",
"じゃ、小林さんがゆくさきを、知らせるために、すてていったんだね。きっと、井上君やノロちゃんも、いっしょだよ。",
"うん、そうだ。さがしてみよう。少年探偵団の規則にしたがって、二十歩にひとつずつ、落としてあるはずだ。きみ、あっちをさがしな。ぼくは、こっちを見るから。"
],
[
"あっ、これの裏には、イ、ノ、ウ、エ、と、ほってある。",
"こっちのは、ノロとほってあるよ。"
],
[
"それじゃあ、このうちが、あやしいんだね。",
"うん、そうだよ。こんなに、かたまって落としてあるのは、このうちへ、はいったというしるしだよ。",
"どうしよう。この門をよじ登って、しのびこんでみようか。",
"だめだよ。小林さんでさえ、とりこになったんだから、ぼくたちでは、どうすることもできやしないよ。はやく明智先生にしらせたほうがいい。そうすれば、先生がきっと三人を助けだしてくださるよ。",
"うん、そうだね。じゃあ、いまからすぐに、明智探偵事務所へ、かけつけよう。"
],
[
"ところが、わたしは、そうは思わないね。いいかね。小林君たちが、ゆくえ不明になったのは、五日まえだ。このピカピカ光るバッジが、五日のあいだ、だれも拾わないで、もとのままに落ちているというのは、へんだと思わないかね。",
"あっ、そうですね。それじゃあ……。",
"敵が、わたしを、おびきよせる計略だよ。そうとしか考えられない。だが、わたしは、その赤レンガの家へ、ひとりでいってみるつもりだ。そして、三人を救いだす。しかし、それには、すこし、準備がいる。いますぐというわけには、いかない。いくらいそいでも、四―五日はかかる。そのあいだ、きみたちは、このことをだれにも、いっちゃいけないよ。団員にも、秘密にしておくのだ。",
"でも、だいじょうぶでしょうか。四―五日も待っていたら、小林さんたちが、ひどいめにあうのじゃないでしょうか。"
],
[
"なんだか、へんなやつが、わたしの窓の外をうろうろしていたのです。追っかけましたが、つかまりません。どっかへ消えてしまいました。まっ黒なばけもののようなやつでした。",
"そうか。そういう怪物が、やってくるだろうと思っていた。きみ、そいつが、何者だか知っているかね。",
"わかりません。先生は、ごぞんじなんですか。"
],
[
"エヘヘヘ……、わたしは、人形だよ。きみの作ったロウ人形だよ。",
"うそをいえ! わしは、そんな、かってな口をきく人形を作ったおぼえはない。さては、きさまは……。"
],
[
"はやくしないか。人造人間の部屋をさがすのだ。女のロウ人形は一つしかない。あいつが、くせものだ。とっつかまえて、ここへひっぱってこい。",
"なぜですか。なぜ、ロウ人形が、くせものですか。",
"ただのロウ人形じゃない。中に、人間がかくれているんだ。",
"えっ、人間が?",
"うん、いきた人間が、あのロウ人形の中に、もぐりこんでいるんだ。",
"いったい、それは何者です?",
"明智だっ! 明智のやつは、ロウ人形の中にかくれていたんだ。そして、いま、わしをおどかしに来たんだ。はやく、はやくつかまえないと、またどっかへかくれてしまうぞ。"
],
[
"部下になってあげたいが、どうも、それはむずかしそうだね。",
"えっ? むずかしいって? それはどういういみだ?",
"ぼくは、けっして、きみのとりこになんかならないからさ。"
],
[
"ウヘヘヘヘ……、とりこにならないって? ウヘヘヘ……、きみは、そうして、ちゃんと、つかまえられているじゃないか。もうどうしても、逃げだすことが、できないじゃないか。",
"ところが、ぼくは、つかまえられていないんだよ。まったく自由なんだよ。",
"えっ? まったく自由だって? ウヘヘヘ……、やせがまんも、いいかげんにしろ。それとも、わしの部下の手をふりはなして、逃げだすとでもいうのか。",
"逃げだすなんて、ひきょうなまねはしないよ。逃げださなくても、自由なんだ。きみのとりこには、なっていないのだ。"
],
[
"えっ、逃げださなくても、自由の身だというのか。ウヘヘヘ……、からだは不自由だが、心だけは自由だというのだろう。",
"からだも自由だよ。ハハハ……、魔法つかいは、きみばかりじゃない。ぼくだって、こうみえても、魔法の名人だよ。"
],
[
"待てっ! きみはさいごの手段として、火薬の樽に火をつけて、地底の国を爆破するつもりだろう。だが、そんなものを見のがすぼくではない。あの火薬は水びたしにして、使えないようにしてある。むだなあがきはしないがいい。",
"うぬっ!"
]
] | 底本:「灰色の巨人/魔法博士」江戸川乱歩推理文庫、講談社
1988(昭和63)年3月8日第1刷発行
初出:「少年」光文社
1956(昭和31)年1月号~12月号
入力:sogo
校正:茅宮君子
2017年8月25日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "056679",
"作品名": "魔法博士",
"作品名読み": "まほうはかせ",
"ソート用読み": "まほうはかせ",
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"初出": "「少年」1956(昭和31)年1月号~12月号",
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"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2017-09-15T00:00:00",
"最終更新日": "2017-08-25T00:00:00",
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"姓ローマ字": "Edogawa",
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"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1894-10-21",
"没年月日": "1965-07-28",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "灰色の巨人/魔法博士",
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"底本初版発行年1": "1988(昭和63)年3月8日",
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[
[
"えっ、まほうはかせだって",
"そうさ。きみは、そんなせいようあくまにばけているけれども、ちゃんとわかっている。『おうごんのとら』のじけんで、ぼくたちしょうねんたんていだんに負けた、あのまほうはかせだ。こんどは、あのときのしかえしをしようとしたんだろう。だが、ぼくが来たら、もうだめだよ。ちょっと、そのまどから下をのぞいてごらん"
],
[
"きみが、井上くんたちをかえさなければ、あの中のひとりが、すぐ明智先生とけいさつへ知らせるのだよ",
"負けた。わしの負けだよ。きみのいうとおり、ちょっとしかえしをしてやろうと思ったのだが、きみにかかってはかなわない。B・Dバッジのつうしんとは、気がつかなかった。こんどもかぶとをぬいだよ"
]
] | 底本:「文庫の雑誌/ぼくらの推理冒険物語 少年探偵王 本格推理マガジン」光文社文庫、光文社
2002(平成14)年4月20日初版1刷発行
初出:「たのしい三年生」講談社
1957(昭和32)年1月号~3月号
※誤植を疑った箇所を、「江戸川乱歩の「少年探偵団」大研究 下巻」ポプラ社、2014年3月第1刷の表記にそって、あらためました。
入力:sogo
校正:みきた
2016年12月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "057165",
"作品名": "まほうやしき",
"作品名読み": "まほうやしき",
"ソート用読み": "まほうやしき",
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"初出": "「たのしい三年生」講談社、1957(昭和32)年1月号~3月号",
"分類番号": "NDC K913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2017-01-15T00:00:00",
"最終更新日": "2016-12-09T00:00:00",
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"人物ID": "001779",
"姓": "江戸川",
"名": "乱歩",
"姓読み": "えどがわ",
"名読み": "らんぽ",
"姓読みソート用": "えとかわ",
"名読みソート用": "らんほ",
"姓ローマ字": "Edogawa",
"名ローマ字": "Ranpo",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1894-10-21",
"没年月日": "1965-07-28",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "文庫の雑誌/ぼくらの推理冒険物語 少年探偵王 本格推理マガジン",
"底本出版社名1": "光文社文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "2002(平成14)年4月20日",
"入力に使用した版1": "2002(平成14)年4月20日初版1刷",
"校正に使用した版1": "2002(平成14)年4月20日初版1刷",
"底本の親本名1": "",
"底本の親本出版社名1": "",
"底本の親本初版発行年1": "",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
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"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "sogo",
"校正者": "みきた",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/files/57165_ruby_60437.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2016-12-09T00:00:00",
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"テキストファイル修正回数": "0",
"XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/files/57165_60481.html",
"XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2016-12-09T00:00:00",
"XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"柾木さん。僕の友達。いつか噂をしたことがあったでしょう。僕の小学校の同級生で、君を大変好きだった人なんです",
"マア、私、思い出しましたわ。覚えてますわ。やっぱり幼顔って、残っているものでございますわね。柾木さん、本当にお久しぶりでございました。わたくし、変りましたでしょう"
],
[
"エエ、通り合わせたので、お送りしようかと思って",
"マア、そうでしたの。では、お願い致しますわ。私丁度一度御目にかかりたくっていたのよ"
]
] | 底本:「江戸川乱歩全集 第5巻 押絵と旅する男」光文社文庫、光文社
2005(平成17)年1月20日初版1刷発行
2013(平成25)年5月5日3刷発行
底本の親本:「江戸川亂歩全集 第四卷」平凡社
1931(昭和6)年8月11日発行
初出:一~四「改造 第十一卷第六號 六月號」改造社
1929(昭和4)年6月1日発行
五~十二「改造 第十一卷第七號 七月號」改造社
1929(昭和4)年7月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「恥かしい」と「恥しい」、「気持」と「気持ち」、「思い出し」と「思出し」、「考《かんがえ》」と「考え」、「雑沓」と「雑踏」、「唇」と「脣」、「憶病」と「臆病」、「待ち構え」と「待構え」、「クション」と「クッション」、「タキシー」と「タクシー」、「媾曳」と「媾曳き」、「横たわって」と「横わって」、「二人ぼっち」と「二人ぽっち」の混在は、底本通りです。
※誤植を疑った「肉か」は親本も同じでしたが、生前発行された「江戸川乱歩全集 5」桃源社 1961(昭和36)年12月30日発行の表記にそって、あらためました。
入力:門田裕志
校正:きりんの手紙
2021年7月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "057245",
"作品名": "虫",
"作品名読み": "むし",
"ソート用読み": "むし",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "一~四「改造 第十一卷第六號 六月號」改造社、1929(昭和4)年6月1日<br>五~十二「改造 第十一卷第七號 七月號」改造社、1929(昭和4)年7月1日",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2021-08-03T00:00:00",
"最終更新日": "2021-07-27T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/card57245.html",
"人物ID": "001779",
"姓": "江戸川",
"名": "乱歩",
"姓読み": "えどがわ",
"名読み": "らんぽ",
"姓読みソート用": "えとかわ",
"名読みソート用": "らんほ",
"姓ローマ字": "Edogawa",
"名ローマ字": "Ranpo",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1894-10-21",
"没年月日": "1965-07-28",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "江戸川乱歩全集 第5巻 押絵と旅する男",
"底本出版社名1": "光文社文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "2005(平成17)年1月20日",
"入力に使用した版1": "2013(平成25)年5月5日3刷",
"校正に使用した版1": "2015(平成27)年6月25日4刷",
"底本の親本名1": "江戸川亂歩全集 第四卷",
"底本の親本出版社名1": "平凡社",
"底本の親本初版発行年1": "1931(昭和6)年8月11日",
"底本名2": "",
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"入力に使用した版2": "",
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"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "門田裕志",
"校正者": "きりんの手紙",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/files/57245_ruby_73825.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2021-07-27T00:00:00",
"テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"テキストファイル文字集合": "JIS X 0208",
"テキストファイル修正回数": "0",
"XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/files/57245_73861.html",
"XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2021-07-27T00:00:00",
"XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS",
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"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"ないことはあるまい。此間××さんが話して下すった口を、お前はなぜ断って了ったのだい。俺にはどうもお前のやることはさっぱり分らない",
"あれは住み込みだから、厭だと云ったじゃありませんか",
"住み込みが何故いけないのだ。通勤だって住み込みだって、別に変りはない筈だ",
"…………",
"そんな贅沢がいえた義理だと思うか。先のお店をしくじったのは何が為だ。みんなその我儘からだぞ。お前は自分ではなかなか一人前の積りかも知れないが、どうして、まだまだ何も分りゃしないのだ。人様が勧めて下さる所へハイハイと云って行けばいいのだ",
"そんなことを云ったって、もう断って了ったものを、今更ら仕様がないじゃありませんか",
"だから、だからお前は生意気だと云うのだ、一体あれを、俺に一言の相談もしないで、断ったのは誰だ。自分で断って置いて、今更ら仕様がないとは、何ということだ",
"じゃあ、どうすればいいのです。……そんなに僕がお邪魔になるのだったら、出て行けばいいのでしょう。エエ、明日からでも出て行きますよ",
"バ、馬鹿ッ。それが親に対する言草か"
]
] | 底本:「江戸川乱歩全集 第1巻 屋根裏の散歩者」光文社文庫、光文社
2004(平成16)年7月20日初版1刷発行
2012(平成24)年8月15日7刷発行
底本の親本:「江戸川乱歩全集 第一巻」平凡社
1931(昭和6)年6月
初出:「苦楽」プラトン社
1925(大正14)年7月
※初出時の表題は「夢遊病者彦太郎の死」です。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※底本巻末の平山雄一氏による註釈は省略しました。
入力:門田裕志
校正:江村秀之
2017年9月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "057195",
"作品名": "夢遊病者の死",
"作品名読み": "むゆうびょうしゃのし",
"ソート用読み": "むゆうひようしやのし",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「苦楽」プラトン社、1925(大正14)年7月",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2017-10-07T00:00:00",
"最終更新日": "2017-09-24T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/card57195.html",
"人物ID": "001779",
"姓": "江戸川",
"名": "乱歩",
"姓読み": "えどがわ",
"名読み": "らんぽ",
"姓読みソート用": "えとかわ",
"名読みソート用": "らんほ",
"姓ローマ字": "Edogawa",
"名ローマ字": "Ranpo",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1894-10-21",
"没年月日": "1965-07-28",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "江戸川乱歩全集 第1巻 屋根裏の散歩者",
"底本出版社名1": "光文社文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "2004(平成16)年7月20日",
"入力に使用した版1": "2012(平成24)年8月15日7刷",
"校正に使用した版1": "2007(平成19)年1月30日5刷",
"底本の親本名1": "江戸川乱歩全集 第一巻",
"底本の親本出版社名1": "平凡社",
"底本の親本初版発行年1": "1931(昭和6)年6月",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
"入力に使用した版2": "",
"校正に使用した版2": "",
"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "門田裕志",
"校正者": "江村秀之",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/files/57195_ruby_62758.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2017-09-24T00:00:00",
"テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"テキストファイル文字集合": "JIS X 0208",
"テキストファイル修正回数": "0",
"XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/files/57195_62845.html",
"XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2017-09-24T00:00:00",
"XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"一人が首を縊ると、同じ場所で、何人も何人も首を縊る。つまりそれが、模倣の本能の恐ろしさだということになるのですか",
"アア、それで、あなたは退屈なすったのですね。違います。違います。そんなつまらないお話ではないのです"
],
[
"魔の踏切りで、いつも人死があるという様な、あの種類の、ありふれたお話ではないのです",
"失敬しました。どうか先をお話し下さい"
],
[
"で、つまり、月光が、その人達を縊死させたとおっしゃるのですか",
"そうです。半ばは月光の罪でした。併し、月の光りが、直に人を自殺させる訳はありません。若しそうだとすれば、今、こうして満身に月の光をあびている私達は、もうそろそろ、首を溢らねばならぬ時分ではありますまいか"
]
] | 底本:「江戸川乱歩全集 第8巻 目羅博士の不思議な犯罪」光文社文庫、光文社
2004(平成16)年6月20日初版1刷発行
底本の親本:「江戸川乱歩全集 第五巻」平凡社
1931(昭和6)年7月
初出:「文藝倶楽部 探偵小説と滑稽小説号」博文館
1931(昭和6)年4月増刊
※底本巻末の平山雄一氏による註釈は省略しました。
入力:金城学院大学 電子書籍制作
校正:まつもこ
2019年10月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "057521",
"作品名": "目羅博士の不思議な犯罪",
"作品名読み": "めらはかせのふしぎなはんざい",
"ソート用読み": "めらはかせのふしきなはんさい",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「文藝倶楽部 探偵小説と滑稽小説号」博文館、1931(昭和6)年4月増刊",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2019-11-12T00:00:00",
"最終更新日": "2019-10-28T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/card57521.html",
"人物ID": "001779",
"姓": "江戸川",
"名": "乱歩",
"姓読み": "えどがわ",
"名読み": "らんぽ",
"姓読みソート用": "えとかわ",
"名読みソート用": "らんほ",
"姓ローマ字": "Edogawa",
"名ローマ字": "Ranpo",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1894-10-21",
"没年月日": "1965-07-28",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "江戸川乱歩全集 第8巻 目羅博士の不思議な犯罪",
"底本出版社名1": "光文社文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "2004(平成16)年6月20日",
"入力に使用した版1": "2004(平成16)年6月20日初版1刷",
"校正に使用した版1": "2004(平成16)年6月20日初版1刷",
"底本の親本名1": "江戸川乱歩全集 第五巻",
"底本の親本出版社名1": "平凡社",
"底本の親本初版発行年1": "1931(昭和6)年7月",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
"入力に使用した版2": "",
"校正に使用した版2": "",
"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "金城学院大学 電子書籍制作",
"校正者": "まつもこ",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/files/57521_ruby_69514.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2019-10-28T00:00:00",
"テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"テキストファイル文字集合": "JIS X 0208",
"テキストファイル修正回数": "0",
"XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/files/57521_69565.html",
"XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2019-10-28T00:00:00",
"XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"機械場のお父つぁん、一つ景気よく馬を廻しておくんなさい。俺あ一度こいつに乗って見たくなった。お冬坊、手がすいているなら、お前も乗んな、そっちのおばさん、いや失敬失敬、お梅さんも、乗んなさい。ヤア、楽隊屋さん。一つラッパ抜きで、やっつけて貰おうかね",
"馬鹿馬鹿しい。お止しよ。それよか、もう早く片づけて帰ることにしようじゃないか"
],
[
"イヤ、なに、今日はちっとばかり、心嬉しいことがあるんだよ。ヤア、皆さん、あとで一杯ずつおごりますよ。どうです。一つ廻してくれませんか",
"ヒヤヒヤ、よかろう。お父つぁん、一廻し廻してやんな。監督さん、合図の笛を願いますぜ"
]
] | 底本:「江戸川乱歩全集 第3巻 陰獣」光文社文庫、光文社
2005(平成17)年11月20日初版1刷発行
底本の親本:「創作探偵小説集第四卷」春陽堂
1926(大正15)年9月26日発行
初出:「探偵趣味」探偵趣味の会
1926(大正15)年10月号
※底本巻末の平山雄一氏による註釈は省略しました。
※「廻」に対するルビの「めぐ」と「まわ」の混在は、底本通りです。
入力:金城学院大学 電子書籍制作
校正:まつもこ
2018年7月27日作成
2018年9月22日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "057513",
"作品名": "木馬は廻る",
"作品名読み": "もくばはまわる",
"ソート用読み": "もくははまわる",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「探偵趣味」探偵趣味の会、1926(大正15)年10月号",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2018-08-29T00:00:00",
"最終更新日": "2018-09-22T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/card57513.html",
"人物ID": "001779",
"姓": "江戸川",
"名": "乱歩",
"姓読み": "えどがわ",
"名読み": "らんぽ",
"姓読みソート用": "えとかわ",
"名読みソート用": "らんほ",
"姓ローマ字": "Edogawa",
"名ローマ字": "Ranpo",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1894-10-21",
"没年月日": "1965-07-28",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "江戸川乱歩全集 第3巻 陰獣",
"底本出版社名1": "光文社文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "2005(平成17)年11月20日",
"入力に使用した版1": "2005(平成17)年11月20日初版1刷",
"校正に使用した版1": "2005(平成17)年11月20日初版1刷",
"底本の親本名1": "創作探偵小説集第四卷",
"底本の親本出版社名1": "春陽堂",
"底本の親本初版発行年1": "1926(大正15)年9月26日",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
"入力に使用した版2": "",
"校正に使用した版2": "",
"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "金城学院大学 電子書籍制作",
"校正者": "まつもこ",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/files/57513_ruby_65455.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2018-09-22T00:00:00",
"テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"テキストファイル文字集合": "JIS X 0208",
"テキストファイル修正回数": "1",
"XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/files/57513_65499.html",
"XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2018-09-22T00:00:00",
"XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
"XHTML/HTMLファイル修正回数": "1"
} |
[
[
"そうでしょう。やっぱりそうなんだ。しかも道で行違ったという様な、一寸顔を合せた位のとこじゃありませんよ、確に",
"そうかも知れませんね。あなたお国はどちらです",
"三重県です。最近始めてこちらへ出て来まして、今勤め口を探している様な訳です"
],
[
"私は東京の者なんだが、で、御上京なすったのはいつ頃なんです",
"まだ一月ばかりしかたちません",
"その間にどっかでお逢いしたのかも知れませんね",
"いえ、そんな昨日今日のことじゃないのですよ。確に数年前から、あなたのもっとお若い時分から知ってますよ",
"そう、私もそんな気がする。三重県と。私は一体旅行嫌いで、若い時分から東京を放れたことは殆どないのですが、殊に三重県なんて上方だということを知っている位で、はっきり地理も弁えない始末ですから、お国で逢った筈はなし、あなたも東京は始めてだと云いましたね",
"箱根からこっちは、本当に始めてなんです。大阪で教育を受けて、これまであちらで働いていたものですから",
"大阪ですか、大阪なら行ったことがある。でも、もう十年も前になるけれど",
"それじゃ大阪でもありませんよ。私は七年前まで、つまり中学を出るまで国にいたのですから"
]
] | 底本:「江戸川乱歩全集 第3巻 陰獣」光文社文庫、光文社
2005(平成17)年11月20日初版1刷発行
底本の親本:「創作探偵小説集第四巻 湖畔亭事件」春陽堂
1926(大正15)年9月
初出:「新小説」春陽堂
1926(大正15)年6月
※底本巻末の平山雄一氏による註釈は省略しました。
入力:金城学院大学 電子書籍制作
校正:門田裕志
2017年9月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "057514",
"作品名": "モノグラム",
"作品名読み": "モノグラム",
"ソート用読み": "ものくらむ",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「新小説」春陽堂、1926(大正15)年6月",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2017-10-28T00:00:00",
"最終更新日": "2017-09-24T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/card57514.html",
"人物ID": "001779",
"姓": "江戸川",
"名": "乱歩",
"姓読み": "えどがわ",
"名読み": "らんぽ",
"姓読みソート用": "えとかわ",
"名読みソート用": "らんほ",
"姓ローマ字": "Edogawa",
"名ローマ字": "Ranpo",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1894-10-21",
"没年月日": "1965-07-28",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "江戸川乱歩全集 第3巻 陰獣",
"底本出版社名1": "光文社文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "2005(平成17)年11月20日",
"入力に使用した版1": "2005(平成17)年11月20日初版1刷",
"校正に使用した版1": "2009(平成21)年7月20日2刷",
"底本の親本名1": "創作探偵小説集第四巻 湖畔亭事件",
"底本の親本出版社名1": "春陽堂",
"底本の親本初版発行年1": "1926(大正15)年9月",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
"入力に使用した版2": "",
"校正に使用した版2": "",
"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "金城学院大学 電子書籍制作",
"校正者": "門田裕志",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/files/57514_ruby_62789.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2017-09-24T00:00:00",
"テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"テキストファイル文字集合": "JIS X 0208",
"テキストファイル修正回数": "0",
"XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/files/57514_62876.html",
"XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2017-09-24T00:00:00",
"XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"ぼくのうちのそばの、やおやのおじさんが見たんだって。この森のまん中に、大きなシイの木があるんだよ。そのシイの木の下から、スウッと、青いひとだまが浮きあがってきたんだって。そして、シイの木のてっぺんまで、するするすると、まるで木のぼりをするように、あがっていって、それから、空へ飛んでいってしまったんだって。",
"それ、どのくらいの大きさなんだい?",
"直径三十センチぐらいだって。オタマジャクシみたいな長いしっぽがあって、それがふらふらと動いていたっていったよ。",
"わあ、すげえ! そいつが、こっちへ、とびついてきたら、たいへんだね。",
"おどかすなよ。ぼくが、これから、はいっていくんじゃないか。"
],
[
"へえ、銀色の首です。まっ赤なでっかい目をして、口から火を吹いて、板塀の上に、ちょこんと、のっかっていました。首ばかりの化けものです。",
"へ、へ、へ、へ、へ……。"
],
[
"アッ、常念さん。",
"うん、ぼくだよ。"
],
[
"うん、わしも、むかしは、柔道できたえたからだだ。あんな化けものに、負けるもんか。",
"よしッ、やっつけよう。じいやさんは、あっちがわから、ぼくはこっちがわから、あいつを、はさみうちにするんだ。",
"うん、わかった。さあ、行くぞッ。"
],
[
"先生は旅行中ですが、あなたはどなたですか。",
"世田谷の杉本というものです。夜光人間が、こんばん、わたしのうちへ、やってくるのです。それで、明智先生に、おいでをねがいたいと思いまして。",
"エッ、夜光人間が?"
],
[
"そうです。警察からもきてくれますが、明智先生にも、おいでをねがいたいのです。わたしの友人の花崎検事から、明智さんのことは、くわしく聞いています。こんなふしぎな事件は、明智さんの力を、かりるほかはないのです。",
"ざんねんですが、先生は、まだ二、三日はお帰りになりません。先生のかわりに、ぼくがおじゃましてもいいでしょうか。",
"あなたはどなたですか。なんだか子どものような声だが。"
],
[
"ぼく、明智先生の少年助手の小林です。",
"ああ、あの有名な小林君ですか。うん、きみのことも、花崎検事から聞いていますよ。きみも、なかなかの名探偵だといっていました。ええ、きてください。明智先生が帰られるまで、きみに、わたしの宝物をまもってもらいましょう。",
"えっ、宝物ですって。",
"わたしのだいじな宝物です。それを夜光怪人がねらっているのですよ。では、すぐにきてくださいね。"
],
[
"ぼく、いってもいいでしょう。",
"ええ、いいわ。すぐに自動車で、おいでなさい。わたし、るす番をしているから。ゆだんなくやってくださいね。"
],
[
"だが、昼間の北森という男は、ふつうの人間だった。べつに顔が光ってはいなかったが……。",
"昼間、明るいところでは光らないのかもしれません。この名刺だって、そうですもの。さっき、その男の顔は、黄色っぽかったと、おっしゃったでしょう。この名刺も、昼間は、黄色っぽかったんですよ。",
"あっそうか。じゃあ、あいつの顔も暗いところで光りだすんだな。きみに、そういわれてみると、やっぱり、あいつが夜光人間だったのかもしれないね。じつに、きみのわるい顔色をしていた。"
],
[
"うん、あすこに、五人まってるよ。みんな、のっぽで、力の強いやつらばかりだよ。",
"よし、行ってみよう。それはどこだい?",
"やしきの裏のほうだよ。さあ、はやくおいで。"
],
[
"さあ、みんな、もうけっして、手をはなすんじゃないよ。こいつを、このまま門のほうへ、ひっぱっていくんだ。そして、刑事さんたちに、引きわたすんだ。",
"うん、だいじょうぶだ。もうはなすもんか。"
],
[
"小林さんは、いま、どこにいるのでしょうか。",
"世田谷の杉本という金持ちのうちの庭にいますよ。"
],
[
"まあ、やっぱり、小林さんは、えらいわねえ。ちゃんと、チンピラ隊をつれていったのね。",
"そうですよ。あのチンピラ隊の子どもたちは、へいきで、おとなにむかってくるし、ネコのように、まっ暗なところでも、目が見えるのです。それに力もなかなか強いのです。",
"で、夜光人間は、あの子どもたちにつかまったのに、どうして、逃げることができたのですか。",
"ウフフフフフ……、おくの手があったのですよ。夜光人間には、いつも、おくの手があるのですよ。どんなおくの手だったと思いますね。ウフフフ……、夜光人間は四本の手を持っていたのですよ。",
"エッ、四本の手って?",
"二本は、ほんとうの、ほら、この手です。"
],
[
"この窓は、あなたが、部屋にいるときから、ひらいていたのですか。",
"いいえ、ちゃんと閉めてありました。カーテンもひいてありました。じゃあ、もしかしたら……。",
"いや、ここから、とびおりることは、むずかしいでしょう。また、つたっておりるような足がかりもない。それに、そとの大通りには、まだ人が通っているのだから。"
],
[
"美術室で、見はりをしていてくれるのです。先生も、あちらへ、おいでくださいませんか。",
"ええ、そうしましょう。小林にかわって、ぼくが、見はりをひきうけますよ。"
],
[
"ところで、赤森さん。その白玉の彫刻というのは、どこにしまってあるのですか。",
"あれです。あのガラス戸だなの上の段にならべてあります。わたしのもっている美術品のうちでは、いちばん値うちのあるものです。夜光怪人がこれをねらったのは、なかなか、目がたかいですよ。あいつは、めずらしい美術品が、どこにあるかということを、よく知っているらしいですね。"
],
[
"どうかよろしくねがいます。日本一の名探偵といわれる先生に、見はりをしていただければ、こんな心じょうぶなことはありません。では、わたしは、あちらの部屋におりますから、ご用があったら、いつでも、ベルをおしてください。",
"それでは、この部屋のドアのかぎをおかしください。中からかぎをかけて、だれもはいれないようにしておきたいのです。"
],
[
"明智先生は、やられているのかもしれないぞ。からだでぶつかって、ドアをやぶろうか。",
"いやまて、それよりも合いかぎのほうがはやい。ぼくがご主人を呼んでくるから待っててくれ。"
],
[
"明智先生、ほんとうに、あいつを、つかまえられたのですか。",
"うん、つかまえることは、つかまえたんだが、おそろしく力の強いやつで、取っくみあっているうちに、うしろむきにたおされ、そのとき、ひどく頭をうって、つい気をうしなってしまった。",
"それで、あいつは、光った首だけを、あらわしていたのですか。"
],
[
"ハハハハ……、ポケットから手を出したまえ。ピストルなら、ぼくも持っているんだからね。",
"うん、とび道具はよそう。話せばわかることだ。"
],
[
"夜光人間とは、うまく考えたねえ。あのきみのわるい顔でおどかしておいて、どろぼうをやるなんて、きみでなければ思いつかないことだよ。",
"それじゃ、きみは、おれの秘密を、なにもかも知っているというのか。"
],
[
"ふうん、そうか。さすがは名探偵だな。よろしい、きみの話を聞いてやろう。だが、この部屋はおちつかない。もっとおくの部屋へいこう。いごこちのいい部屋があるんだ。",
"どこへでもいく。もう、この建物は、おおぜいの警官隊に、かこまれているころだからね。小林が警視庁の中村警部にしらせて、その手配をしたのだ。だから、きみがぼくをごまかして、逃げだそうとしたって、逃げられるはずはない。どこへでもいく、さあ、案内したまえ。",
"ふうん、よく手がまわったな。よろしい、おれも、いまさら逃げかくれはしない。じゃあ、こちらへきたまえ。"
],
[
"夜光人間には、きみが化けることもあるし、きみの部下が化けることもある。夜光塗料をぬったビニールのシャツとズボンをはくのだ。顔や手には、じかに夜光塗料をぬる。目には赤ガラスのめがねをかけ、そのめがねに豆電球をつけて、まっ赤に光らせているのだろう。口の中にも豆電球をいれて、火をはくように見せているのだ。その電球は、ほそいコードで、ポケットに入れた乾電池につながっている。これはぼくの想像だが、たぶんまちがいないだろう。え、どうだね。",
"うん、まあそんなとこだ。で、夜光人間が、空へのぼるのは?",
"高い木のてっぺんから、綱をさげて、それをのぼるのだ。夜だから、綱は見えない。そして、てっぺんまでのぼって、黒いシャツとズボンをはき、顔は覆面でかくしてしまう。すると、なにも見えなくなる。てっぺんで、すがたが消えるので、空中へ飛びさったように見えるのだよ。",
"うん、そのとおりだ。では、どうして、仏像や白玉をぬすんだのか、それをいってみたまえ。"
],
[
"え、おれのものだって?",
"そうだよ。杉本さんと、きみとは、おなじ人間だったのさ。",
"え、なんだって?"
],
[
"で、おれが四十面相なら、どうしようというのだ。",
"警察にひきわたすのだ。さっきもいったとおり、このうちは警官隊にとりかこまれている。きみはもう、ぜったいに逃げることはできないのだ。",
"ふふん、いよいよ、ふくろのネズミというわけか。だがね、明智君、おれはたびたび、こういうめにあっている。そのたびに、おくの手が用意してあるかもしれないぜ。"
],
[
"部屋の外へ出るのさ。もう、きみの顔も見あきたからね。",
"エッ、なんだって? そのドアの外には、警官隊がつめかけているんだぜ。きみは、そこへ出て、はやくつかまりたいというのか。",
"うん、おれはつかまりたいんだよ。だが残念ながら、つかまりっこないね。おれは魔法をこころえているんだからね。じゃあ、あばよ。"
],
[
"ああ、きみにはまだ、いっていなかったね。ぼくに化けて、白玉をぬすみだしたやつは、じつは怪人四十面相なのだ。四十面相でなくては、あんなにうまく化けられるはずはない。",
"エッ、それじゃあ、こんども四十面相のしわざだったのか。ちくしょう、また世間をさわがせる気だなッ。それで、きみは、あいつをつかまえたのか。",
"いや、残念ながら逃げられてしまった。あいつは奥の手があるといったが、まさか、こんな大じかけな奥の手とは、夢にも思わなかったのでね。",
"じゃあ、逃げたんだな。どこへ逃げたんだ。すぐに、追っかけなけりゃあ。",
"いや、もう追っかけても、まにあわない。それに、ぼくのほうにも、もうひとつ奥の手があるんだ。そこから知らせがあるまでは、さわいでもしかたがない。それよりも、ぼくたちが、どうしてこの部屋から消えたのか、その秘密をお目にかけよう。"
],
[
"わからないね。いったい、これはどうしたわけなんだい?",
"四十面相でなくてはできない大奇術さ。そのいみはね……。"
],
[
"警官隊がいるのは、この建物の塀の中だろう。ところが地下室の出入り口は、塀のそとの、ずっと遠いところにあるかもしれないからね。",
"エッ、それじゃ、地下道が、やしきのそとへ通じているというのか。"
],
[
"ほら、あすこを見たまえ、さしわたし二センチほどのまるい穴がある。夜光人間はあそこからとびだしてきて、また、あそこからもどっていったのだよ。",
"エッ、なんだってあんな小さな穴から、人間が出入りできるというのか。"
],
[
"明智先生はおいでになりますか。",
"おでかけになっています。きょうは、お帰りがおそいかもしれません。",
"ああ、そうですか。で、あなたは、どなたです?",
"ぼく、助手の小林です。",
"おお、小林君ですか。わたしは上山というものですが、至急、ご相談したいことがあるのです。明智先生がおいでにならなければ、あなた、きてくれませんか。あなたのてがら話は、ずいぶん聞かされていますよ。あなたなら信用します。ぜひ、きてください。",
"いったい、どんなご用件なのですか。",
"夜光怪人です!"
],
[
"そうです。あいつが、わたしのうちにあらわれたのです。わたしのもっている美術品を、ねらっているにちがいありません。",
"では、すぐにまいります。住所をおしえてください。"
],
[
"チンピラ隊のポケット小僧というのが有名ですね。あの子もいっしょに、つれてきてくださると、ありがたいのですがね。わたしは、あの子にも、いちどあいたいと思っていたのですよ。",
"ああ、ポケット君ですか。しょうちしました。つれていきますよ。あの子は、ぼくのかたうでですからね。"
],
[
"ここだよ。石をくんだトンネルのようなものができている。いつのまに、こんなよこ穴ができたのか、わたしは、すこしも知らなかった。あいつは、このおくへ逃げこんでいった。追いつめて、ひっとらえてやろう。なあに、わたしはピストルを持っているから、だいじょうぶだよ。きみたちも、あとから、ついてきたまえ。",
"ええ、ぼくと、ポケット小僧だけついていきます。それから、ぼくたちふたりとも、万年筆型の懐中電灯を持っているのですよ。これをおかししますから、照らしながら進んでください。"
],
[
"アッ、やっぱり上山さんだ。ふしぎだなあ。この穴の底にたおれている人は、上山さんとそっくりの顔をしているのですよ。まるで、ふたごの兄弟みたいだ。",
"ウフフフフ……、ふたごはよかったねえ。……おいッ、小林、そこのポケット小僧も、よく聞くんだ。上山にはふたごの兄弟なんてないよ。ウフフフフ……、どちらかが、にせものさ。いったいどっちが、にせものだと思うね……、では、ひとつ、その証拠を見せてやるかな。"
],
[
"その明智探偵は、もう、ここへきているかもしれないぜ。",
"エッ、なんだって? もういちどいってみろ。明智探偵がどうしたというのだ。"
],
[
"なんだ、おまえは、おれの部下じゃないか。なにをいってるんだッ。",
"きみの部下は、あそこにいるよ。"
],
[
"頭から黒い覆面をかぶせておいたから、夜光の顔は見えないけれど、あれがきみの部下だよ。さるぐつわがはめてあるので、声をだすこともできないのだ。きみが、おとし穴の三人が苦しんでいるのを見ているあいだに、ぼくは、夜光人間に化けて、ここへはいってきたのだ。そして、きみの部下をしばりあげて、部下のかわりをつとめたというわけだよ。",
"それじゃあ。きさま、明智小五郎だな。",
"そのとおり。",
"どうして、ここがわかった?"
],
[
"で、きみは、おれをつかまえるというのか。",
"もちろんだ。きみはもう、つかまっているのだよ。",
"エッ、つかまっている? だれに?",
"あれをみたまえ。"
]
] | 底本:「奇面城の秘密/夜光人間」江戸川乱歩推理文庫、講談社
1988(昭和63)年6月8日第1刷発行
初出:「少年」光文社
1958(昭和33)年1月号~12月号
入力:sogo
校正:大久保ゆう
2018年6月29日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[
"ヤア",
"御無沙汰"
],
[
"その朝、目覚しが鳴ったことは間違いないでしょうね",
"エエ、それは間違いありません",
"あなたは、そのことを、警察の人に仰有いませんでしたか",
"イイエ、……でも、なぜそんなことをお聞きなさるのです",
"なぜって、妙じゃありませんか。その晩に自殺しようと決心した者が、明日の朝の目覚しを捲いて置くというのは",
"なる程、そう云えば変ですね"
],
[
"おかしいね。すっかり忘れていたんだよ。それに、君がそうして吸っていても、ちっとも欲しくならないんだ",
"いつから?",
"考えて見ると、もう二三日吸わない様だ。そうだ、ここにある敷島を買ったのが、たしか日曜日だったから、もうまる三日の間、一本も吸わない訳だよ。一体どうしたんだろう",
"じゃ、丁度遠藤君が死んだ日からだね"
]
] | 底本:「江戸川乱歩全集 第1巻 屋根裏の散歩者」光文社文庫、光文社
2004(平成16)年7月20日初版1刷発行
底本の親本:「江戸川乱歩全集 第二巻」平凡社
1931(昭和6)年10月
初出:「新青年」博文館
1925(大正14)年8月増刊
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「耐《たま》らない」と「堪《たま》らない」の混在は、底本通りです。
※底本巻末の編者による語注は省略しました。
入力:砂場清隆
校正:岡村和彦
2016年6月10日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"姓ローマ字": "Edogawa",
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"生年月日": "1894-10-21",
"没年月日": "1965-07-28",
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[
[
"ゴメイサツノトオリ一サイジハクシタホンニンノシヨチサシズコウ",
"これは東京の僕の友人から来たのですが、この一サイジハクシタというのは、辻堂の幽霊、いや幽霊ではない生きた辻堂が自白したことですよ"
],
[
"ナアニ、実に簡単なからくりなんです。それが一寸分らなかったのは余り手段が簡単すぎた為かも知れませんよ。でも、あのまことしやかな葬式には、あなたでなくともごまかされそうですね。飜訳物の探偵小説ではあるまいし、まさか東京の真中でそんなお芝居が演じられようとは、一寸想像出来ませんからね。それから辻堂が辛抱強く息子との往来を絶っていたこと、これが非常に重大な点です。他の犯罪の場合でもそうですが、相手をごまかす秘訣は、自分の感情を押し殺して、世間普通の人情とはまるで反対のやり方をすることです。人間という奴は兎角我身に引較べて人の心を推しはかるもので、その結果一度誤った判断を下すと仲々間違いに気がつかぬものですよ。又幽霊を現す手順もうまく行っていました。先日あなたもおっしゃった通り、ああしてこちらの行先、行先へついて来られては、誰だって気味が悪くなりますよ。そこへ持って来て、戸籍謄本です、一寸道具立てが揃っていたじゃありませんか",
"それです。若し辻堂が生きているとすれば、どうしても腑に落ちないのは、第一はあの変な写真ですが、併しこれはまあ私の見誤りだったとしても、今おっしゃった行先を知っていること、それから戸籍謄本です。まさか戸籍謄本に間違いがあろうとも考えられないではありませんか"
],
[
"僕もおもにその三つの点を考えたのですよ。これらの不合理らしく見える事実を合理化する方法がないものかということをね。そして、結局、このまるで違った三つの事柄にある共通点のあることを発見しました。ナアニ下らないことですがね。でもこの事件を解決する上には非常に大切なんです。それは、どれも皆郵便物に関係があるということでした。写真は郵送して来たのでしょう。戸籍謄本も同じことです。そして、あなたの外出なさる先は、これもやっぱり日々の御文通に関係があるではありませんか。ハハハハ、お解りになった様ですね。辻堂はあなたの御近所の郵便局の配達夫を勤めていたのですよ。無論変装はしていたでしょうが。よく今まで分らないでいたものです。お邸へ来る郵便物もお邸から出る郵便物も、すっかり彼は見ていたに相違ありません。訳はないのです。封じ目を蒸気に当てれば、少しもあとの残らない様に開封出来るのですから、写真や謄本はこういう風にして彼が細工したものですよ。あなたの行先とても色々な手紙を見ていれば自然分る訳ですから、郵便局の非番の日なり、口実を構えて欠勤してなり、あなたの行先へ先廻りして幽霊を勤めていたのでしょう",
"併し、写真の方は少し苦心をすればまあ出来ぬこともありますまいが、戸籍謄本なんかがそんなに急に偽造出来るでしょうか",
"偽造ではないのです。ただ一寸戸籍吏の筆蹟を真似て書き加えさえすればいいのですよ。謄本の紙では書いてある奴を消しとることは難しいでしょうけれど、書き加えるのは訳はありません。万遺漏のないお役所の書類にもちょいちょい抜目があるものですね。変な云い方ですが、戸籍謄本には人が生きていることを証明する力はないのです。戸主では駄目ですがその他の者だったら、ただ名前の上に朱を引き上欄に死亡届を受附けたことを記入さえすれば、生きているものでも死んだことになるのですからね。誰にしたって、御役所の書類といえば、もうめくら滅法に信用して了う癖がついていますから、一寸気がつきませんよ。僕はあの日にあなたから伺った辻堂の本籍地へもう一通戸籍謄本を送って呉れる様に手紙を出しました、そして送って来たのを見ますと僕の思った通りでした。これですよ"
]
] | 底本:「江戸川乱歩全集 第1巻 屋根裏の散歩者」光文社文庫、光文社
2004(平成16)年7月20日初版1刷発行
2012(平成24)年8月15日7刷発行
底本の親本:「江戸川乱歩全集 第一巻」平凡社
1931(昭和6)年6月
初出:「新青年」博文館
1925(大正14)年5月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※初出時の表題は「連続短篇探偵小説(四)」です。
※底本巻末の編者による語注は省略しました。
入力:門田裕志
校正:岡村和彦
2016年6月10日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "057196",
"作品名": "幽霊",
"作品名読み": "ゆうれい",
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"初出": "「新青年」博文館、1925(大正14)年5月",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2016-08-28T00:00:00",
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"姓ローマ字": "Edogawa",
"名ローマ字": "Ranpo",
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"生年月日": "1894-10-21",
"没年月日": "1965-07-28",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "江戸川乱歩全集 第1巻 屋根裏の散歩者",
"底本出版社名1": "光文社文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "2004(平成16)年7月20日",
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"校正に使用した版1": "2004(平成16)年7月20日初版1刷",
"底本の親本名1": "江戸川乱歩全集 第一巻",
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[
[
"あ、君が世話をしてくれたのか。ありがとう……酔っぱらってね、暗い通りで、誰かわからないやつにやられた……右手だね。指は大丈夫だろうか",
"大丈夫だよ。腕をちょっとやられたが、なに、じきに治るよ"
],
[
"指もかい。指も元の通り動くかい",
"大丈夫だよ"
]
] | 底本:「江戸川乱歩全集 第22巻 ぺてん師と空気男」光文社文庫、光文社
2005(平成17)年9月20日初版1刷発行
底本の親本:「江戸川乱歩全集 第三巻」桃源社
1961(昭和36)年11月
初出:「ヒッチコック マガジン」宝石社
1960(昭和35)年1月
※底本巻末の平山雄一氏による註釈は省略しました。
入力:nami
校正:きゅうり
2018年5月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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| {
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[
[
"おじさん、そのあやしい乞食じいさんは、まだ、この家の中のどこかにかくれているんですよ。きっと泥棒です。早くさがしてください。",
"ハハハ……、あのじいさんのことなら、心配せんでもいい。ちゃんとこの部屋の中にいるのじゃ。",
"エッ、この部屋に?"
],
[
"ハハハ……、わしの名が知りたいのか。わしは蛭田博士、医学博士じゃ。さっきもいうとおり、この家の主人じゃよ。",
"では、なぜ、あんなじいさんに変装して、窓からしのびこんだりなんかしたんです。主人が、自分の家へ、窓からはいるなんて、へんじゃありませんか。",
"へんかもしれないがね。それには、わけがあるのだよ。じつをいうと、だれにも知られないように、きみをここまで呼びよせたかったんじゃ。わかったかね。",
"ぼくを呼びよせるんですって。それならば、あんなまねをしないでも、ぼくの家へそういってくださればよかったじゃありませんか。",
"それが、そうはできないわけがあるんじゃ。今にわかる。今にわかる。ハハハ……、きみはなかなか用心ぶかい、かしこい子どもじゃからね。うかつに手出しをしてはあぶないからじゃよ。計略でおびきよせなければ。",
"じゃあ、じいさんが地面に書いたしるしも、ぼくをここへ来させるためだったんですか。",
"そうとも、そうとも。きみは少年探偵じゃからね。ああすれば、だれにもいわないで、ソッとついてくるにちがいないと思ったのさ。うかつなことをして、泣いたりわめいたりされるよりは、少し手数がかかっても、ああいう方法をとったほうが、てっとり早くて、安全だからね。"
],
[
"おもしろいものですって?",
"ウン、そうだよ。",
"そんなもの見たくありません、ぼく、帰ります。",
"ハハハ……、帰るといっても、わしがゆるさんよ。"
],
[
"いいえ、痛むんじゃありません。ぼく、心配でたまらないのです。",
"ですからさ、いったい何がそんなに心配なの?",
"それが口ではいえないのです。はっきりわからないのです。でも、ぼく、今になんだかおそろしいことをしそうでしかたがないのです。ぼくの心の中へ別の人の心がはいってきて、おそろしいことを命令しているような気がしてしかたがないのです。"
],
[
"まあ、おかしいことをいうのね。お願いだなんて。どんなこと? 早くいってごらんなさいな。おかあさん、泰ちゃんのことなら、なんでも聞いてあげてよ。",
"へんなことだけれど、おかあさん、びっくりしちゃいけませんよ。あのー、ぼくをね、身動きできないように、細引きでしばってほしいんです。"
],
[
"ねえ、おかあさん、お願いです。",
"何をいっているんです。泰ちゃん、それじょうだんなんでしょう。そんなことをいって、おかあさんをびっくりさせて、あとで笑おうと思っているんでしょう。",
"いいえ、じょうだんなんかじゃありません。ぼく、真剣なんです。ほんとうにしばってくださらないと安心ができないのです。",
"まあ、本気でそんなことをいっているの? じゃあ、わけを話してごらんなさい。おかあさんがおまえをしばったりなんかできると思って?",
"わけは、ぼくにもよくわからないのです。でも、どうしてもそうしなければ、安心できないのです。ねえおかあさん、しばってください。お願いです。でないと、ぼく、気がくるいそうなんです。"
],
[
"拾ったんですよ。",
"エッ、拾ったって? どこで?",
"このへんじゃありません。ずっと遠いところです。だから、きみたちが落としたのを拾ったわけではないのですよ。",
"遠いところって?",
"麻布ですがね、ぼくも町の名ははっきり知らない。行けばわかるんだけど。",
"じゃ、今でも、これの落ちていたところを、ちゃんとおぼえているんですね。",
"ええ、おぼえてますとも、みょうな赤れんがの洋館の前でしたよ。"
],
[
"そうかい、いってみるかい。ぼくもね、なんだかそんな気がするんだよ。あの洋館に相川の坊ちゃんがいるんじゃないかってね。",
"ええ、だから、ぼくたちもいってみようと思うんです。おじさんお願いです。早くそこへ連れていってください。",
"ああ、いいとも。それじゃ、ぼくの車に乗せていってあげよう。ついその横町においてあるんだよ。"
],
[
"おじさん、ここ、なんだかあき家みたいだね。",
"そうだね。ほんとうにあき家かもしれない。見たまえ表札も何も出ていないじゃないか。ひょっとしたら相川の坊ちゃんは、このあき家の中へおしこめられたんじゃあるまいか。"
],
[
"ハハハ……、かわいいことをいっている。おいおい、きみたちは少年探偵じゃないか。まさか変装ということを知らないわけでもなかろう。おれはほんものの運転手じゃない。きみたちを、ここへおびきよせるために、こんな姿に化けたまでさ。",
"じゃあ、じゃあ、きみは、いったいだれなんです。"
],
[
"なんだって? きみは手がかりをまだ少しもつかんでいないといったばかりじゃないか。それに五日間なんて、でたらめもいいかげんにするがいい。",
"でたらめじゃあない、手がかりをさがして犯人をつきとめ書類と子どもたちを取りもどす。これだけの仕事には五日でも多すぎるというのさ。ぼくは捜索の期限を約束して、これまで一度だって違約したことはない。"
],
[
"お約束のとおり、とうとう賊の本拠をつきとめました。明智小五郎はまだやってこないでしょうな。それごらんなさい。この勝負はわしのかちじゃ。では、あんたもいっしょに来てくださらんか。途中で警視庁へ寄って、係りの刑事たちを同道して、それからいよいよ賊の本拠へ乗りこみますのじゃ。",
"おお、そうでしたか。ありがとう。もししゅびよく書類を取りもどし、子どもをさがしだすことができたら、こんなうれしいことはありません。で、その賊の本拠というのは、いったいどこにあるのですか。"
],
[
"しかし、だれもいないじゃありませんか。きみはまださがしかたがたりないとでもいうのですか。",
"待ってください。これには秘密がある。わしは四人の子どもたちが、すぐ目の前にいるような気がするのです。しかも、それを見つけだすことができないのです。"
],
[
"やあ、新聞記者諸君か。よく来てくれた。さあ、かまわんからはいりたまえ。中村さん、この連中は、わしがここへ来るまえに電話で知らせておいたのですよ。二時間ほど後に、この犯罪事件の真相を発表するからといってね。",
"そんなことをしてくださってはこまりますね。まだわれわれは犯人もとらえていないのだから……。"
],
[
"いかにもきみの腕まえを拝見に来たのだよ。きみの推理はすばらしいねえ。だが、弟子入りしようなどとは思わない。なぜといって、ぼくもきみの知っているだけのことは、ちゃんと知っているからさ。ただきみがどんなにお芝居げたっぷりに、それをさがしだしてみせるかと、わざと姿をかくして拝見していたのだよ。きみのお芝居はすてきだったぜ。",
"フフン、負けおしみもたいがいにするがいい、あとからノコノコやってきて、そんなほらを吹いたって、だれがまにうけるもんか。わしの知っていたことは、きみもすっかり知りぬいていたんだって? フフフ……虫のいい言いぐさもあったもんじゃ。",
"ところが、ぼくはそれ以上のことを知っているのさ。なんなら、ひとつ、そのしょうこをお目にかけてもいいが……。",
"いよいよ負けおしみの強いお方じゃ。おもしろい。それではひとつ、そのしょうことやらを見せてもらいましょうかな。",
"見たいというんだね。"
],
[
"見たいもんじゃね。",
"それではまず聞くが、きみはいったい、この事件の犯人を、とらえてみせるという約束はどうしたんだね。なるほど四人の少年と機密文書は取りもどしたが、かんじんの犯人を逃がしてしまったじゃないか。それで、約束をはたしたなんて大きな口をきくのは、少しおかしくはないかね。",
"フフン、そうらおいでなすった。どうせそんなことだろうと思ったよ。明智君、それは無理難題というものじゃ。きみにしてからが、犯人をとらえるのはおろか、この賊のかくれがさえ見当がつかなかったのではないか。それに、これほどの手がらをたてたわしを、ただ犯人をとらえないからといって、せめるのは、むりというものじゃ。そんなにいわれるからには、きみ自身は、さだめし犯人のありかをごぞんじじゃろうね。それとも、もう犯人をとらえたとでもおっしゃるのかな。ウフフフ……。"
],
[
"いかにも、ぼくは犯人のありかを知っている。いや、そればかりじゃない。もうちゃんととらえてあるのだ。",
"エッ、なんじゃと? 犯人がとらえてある。ハハハ……、これはおもしろい。それでは、その犯人というのを見せてもらおうじゃないか。それとも、ここへは連れてこられないとでもいうのかね。",
"見せてほしいか。",
"ウン、見せられるものなら見せてほしいね。",
"犯人はここにいる。この部屋の中にいるのだ。"
],
[
"でたらめだ、気ちがいの妄想だ。それとも、しょうこがあるか。何をしょうこに、そんないいがかりをつけるのだ。",
"しょうこがほしいのか。",
"あるまい。このわしが犯人だなんて、そんなでたらめなしょうこがあってたまるものか。"
],
[
"しょうこが見たいというのかね。",
"ウン、あれば見せてもらいたいもんだね。",
"それじゃあ見せてあげよう。きみちょっと、頭の上を見てごらん。いや、そんなところじゃない。あの天井のすみだよ。"
],
[
"ああ、そうだ、それじゃあ六人ですね。",
"かぞえてみてください。たしかにきみたちは六人ですか。"
],
[
"おや、どこへ行ったのだ。たしかにここをまがったはずだが。",
"おかしいね。両がわは高い塀で、かくれるところなんかありはしない。"
],
[
"で、きみたちは犯人を追っかけているあいだに、通行人にはひとりも出あわなかったのですが。",
"はあ、どの町にも、まったく人通りはありませんでした。"
],
[
"ええ、ひとりも出あいません……。しかし、ああ、そうそう、出あったといえば、ひとり出あった者がありました。夜番のじいさんです。われわれは、そのじいさんに犯人の逃げた方角をたずねたのですが、なんのかいもなかったのです。",
"え、夜番のじいさん? そいつは犯人の逃げた方角から歩いてきたのですか。",
"いいえ、夜番小屋の中にいたのです。われわれが外へよびだしてたずねたのです。",
"では、きみたちは、その夜番小屋の中へは、はいらなかったのですね。",
"ええ、むろんはいりゃしません。一秒でもおしいときですからね。",
"小屋の中をのぞいても見なかったのですか。"
],
[
"では、あのじいさんがにせ者だったと……。",
"これは、ぼくの想像にすぎません。しかし、あいつならば、そういうきわどい芸当もやりかねないと思うのです。ともかく、急いでその夜番小屋へ行ってみましょう。"
],
[
"ところが、その奥に、もうひとりのおそろしいやつがかくれているのです。殿村や蛭田博士なれば、逃がしたとても、さしてくやむことはありません。誘かいされた子どもたちも、機密文書も、取りかえしたのですからね。しかし、殿村というのも、蛭田博士というのも、あいつのかりの姿にすぎないのです。あいつはそんななまやさしい悪者ではないのです。",
"エッ、なんですって? それじゃあ、あいつは、まだほかにも何か大罪を犯していると、おっしゃるのですか。"
],
[
"ぼくたちにです。ぼくと少年探偵団にです。",
"エッ、少年探偵団に。",
"そうです。少年探偵団のことは、あなたもむろんごぞんじでしょうが、考えてごらんなさい。蛭田博士に誘かいされた四人の少年は、残らず少年探偵団の有力な団員ではありませんか。",
"ああ、そうでした。それはぼくも知らぬではなかったのですが、しかし……。",
"あいつはもうちゃんと目的をはたしてしまったのです。目的をはたしたからこそ、少年たちは、われわれの手に返す気になったのです。その目的とはなんであったかといえば、あの子どもたちを思うぞんぶん苦しめることでした。あいつは蛭田博士という、うすきみの悪い怪人物に化けて、子どもたちをとりこにし、さんざんこわがらせ、いじめぬいたのです。それであいつのふくしゅうの目的は、じゅうぶん達したわけなのです。",
"しかし、あの機密文書は?",
"あれも少年探偵団をこらしめる手段にすぎません。団員の少年だけでなく、その一家を苦しめて、ざまをみろと言いたかったのです。ちょうど相川泰二君の家に、技師長のおとうさんには命にもかえがたい重要文書が保管されていたので、得たりかしこしと、それをぬすみださせて、相川一家を不幸のどん底におとしいれたのです。もしほかの少年たちの家にも、あれほどたいせつな品物があったら、きっとぬすみだしていたことでしょうが、さいわいにそんな重大な品物がなかったのです。",
"すると、あの機密文書は、スパイに売りわたすためにぬすんだのではなかったのですか。",
"そうですよ。もし金にかえるのが目的だったら、何を苦しんで、自分自身でそのかくし場所をあばいたりするでしょう。あいつは新聞などで、おそるべきスパイだとか、国賊だとかいわれていましたが、それだけは無実の罪です。",
"すると、犯人はただ少年探偵団員をいじめたいばっかりに、あんなことをしたとおっしゃるのですね。しかし、それなれば、なにも危険をおかして探偵に化けたりして、子どものかくし場所をあばいたりする必要はないじゃありませんか。あのままほうっておけば、子どもたちはもっと苦しむわけですからね。",
"ところが、そうしていられない事情がおこったのです。",
"といいますと?"
],
[
"おお、それじゃ、あなたは……。",
"そうですよ。ぼくはあの怪盗二十面相のことをいっているのです。"
],
[
"いや、見おぼえがあったのではありません。あいつは二十のちがった顔を持つといわれる怪物です。さっきの青年の顔もほんとうの素顔ではないかもしれません。あいつの素顔なんて、だれも知らないのです。",
"じゃあ、あなたは、何をしょうこに?",
"ざんねんながらしょうこはありません。しかし、あらゆる事情が、ぼくの考えを裏書きしているのです。二十面相でなくて、あれほど、とっぴな、ずばぬけた芸当のできるやつが、ほかにあろうとは思われません。ぼくは、確信しているのです。ぼくの長い探偵生活の経験が、それをはっきりぼくに教えてくれたのです。"
],
[
"明智はぼくだが。",
"ああ、あなたですか。これをわたしてくれってたのまれたのです。"
],
[
"ああ、まい子なんだね。きみひとりでこんなところへ来たの? だれかといっしょに来たの?",
"おじちゃんがいなくなったの。",
"ああ、おじさんといっしょに来て、どっかではぐれてしまったんだね。こまったなあ。きみんちいったいどこなの。遠いの?"
],
[
"ハハハ……、きみはそこを出るつもりでいるのかい。ハハハ……、ところが、わしはけっしてこのドアをひらかないのだよ。",
"エッ、なぜです。なぜ、ぼくをこんなひどいめにあわせるのです。おじさんはいったいだれです。",
"ウフフフ……、だれだと思うね。ひとつあててごらん。きみは少年探偵団の団員だったね。その探偵の知恵をしぼって、ひとつ考えてごらん。わしがだれだか、なぜきみをおそろしい機械部屋の中へとじこめたか。",
"え、おじさんは、ぼくが少年探偵団員だということを知っているのですか。",
"知っているとも、知っていればこそ、あの少女をおとりに使って、ここへおびきよせたのだよ。かわいそうだが、チンピラ探偵さん、まんまといっぱい食ったねえ。ハハハ……。",
"エッ、それじゃきみは二十面相……。"
],
[
"ヘヘヘ……、なあに、そんなこみいった話でもございませんよ。じつはお宅のお坊ちゃまのことにつきまして……。",
"エッ、信雄のことだって? 信雄がどうかしたのですか。"
],
[
"エヘヘヘ……、そうらごらんなさい。わしの話を聞かずにはいられますまいがな。信雄さんは、学校からお帰りになりましたか、え、今お宅においでですか。",
"いや、さいぜんわしが家を出るまで、まだ帰っていなかった。どうしたのかと心配しているのです。きみは何か信雄のことを知っているのかね。",
"知っているどころか、わしはつい今しがたまで、あの子どもと話をしていたのですよ。",
"エッ、話を? で、信雄は今どこにいるのですか。",
"エヘヘヘ……、それはちょっと申しあげられませんが、わしはその場所もよく知っております。だんなのお心しだいで、いつでもお宅に帰るようにいたしますよ。"
],
[
"小泉さん、お引きうけしました。こんどこそあいつの鼻をあかしてお目にかけます。信雄君を取りもどすのはもちろん、雪舟の掛け軸もわたさず、そのうえあいつを引っとらえてごらんにいれます。じつをいうと、ぼくはこういうことのおこるのを待ちかまえていたのですよ。二十面相には、かさなるうらみがありますからね。こんどの事件は、ぼくにとって願ってもない機会です。それに信雄君は少年探偵団に加わっていたため、こんなめにあったのですから、ぼくにもじゅうぶん責任があるわけです。かならずぶじに取りもどしてお目にかけますよ。",
"ありがとう。それをうかがってわたしも安心しました。しかし、いったいどうして信雄を取りもどすのです。あなたには、二十面相のかくれががおわかりになっているのですか。",
"いや、それはぼくにもまったくわかりません。",
"では、どうして……? わたしには、あなたのお考えがさっぱり見当もつきません。",
"あいつは雪舟の掛け軸と引きかえに、信雄君を返すというのでしょう。",
"そうですよ。それですから、あの絵をわたさないかぎりは、信雄を取りもどす手段がないように思われますが。",
"ですから、その掛け軸をわたしてやるのです。",
"エッ、なんですって? それじゃあ家宝をあきらめろとおっしゃるのですか。",
"いや、雪舟の掛け軸をわたすわけではありません。それと似たべつの掛け軸でいいのです。お宅には賊にやっても、たいしておしくないような掛け軸がおありでしょう。その中から雪舟の掛け軸によく似たやつをえらんで、替え玉に使うのです。",
"なるほど、それはうまい考えですが、あいつがそんな手に乗るでしょうかね。中身をあらためないで受けとるようなへまをやるでしょうか。",
"ハハハ……、ただあたりまえにわたしたのでは、むろんばれてしまいますよ。ちょっと手品を使うのです。二十面相もなかなかの手品使いですが、ぼくもあいつに引けは取らぬつもりです。まあ、おまかせください。",
"しかし、手品を使うといって、その掛け軸はわたし自身で持っていかなければならないのですが。わたしにそんな手品が使えましょうかね。",
"ハハハ……、いや、あなたでは、失礼ながらだめですよ。その芸当はぼくでなくてはできないのです。",
"でも、あなたに代理をお願いするわけにはいかぬのですよ、わたし自身で持っていかねば、けっして信雄を返さないというのです。",
"それにはまた工夫があります。ぼくはこういうこともあろうかと、ちゃんと用意してきています。ここにその道具がはいっているのですよ。"
],
[
"エッ、化粧室を? いったい何をなさるのです。",
"いや、今にわかりますよ。それから奥さんにお願いしたいこともありますから、ひとつご紹介くださいませんか。"
],
[
"ああ、そうでしたか。これはおどろいた。わたしは自分の頭がへんになったのかと、びっくりしたほどですよ。じつによくできています。まるで鏡を見ているような気がします。",
"ハハハ……、さいぜんお話を聞いているあいだに、あなたのお顔の特徴を、よく心にきざみつけておいたのですよ。そして用意してきたつけひげをはったり、モジャモジャの頭をうまくなでつけたり、ふくみ綿をしたり、顔に変装用の化粧をしたり、そのほかいろいろの秘術をつくしたのです。この着物とじゅばんは奥さんにお願いして、あなたのを出していただいたのですよ。どうです、これなら替え玉がつとまるでしょう。",
"おや、声までまねましたね。じつにおどろきました。あなたにこれほどの変装の腕まえがあろうとは、思いもよりませんでしたよ。大じょうぶです。それなら、どんな相手だって、見やぶることはできますまい。",
"ハハハ……、あなたがうけあってくだされば、これほどたしかなことはない。それじゃあ、この風体であなたの替え玉になって、二十面相のやつをおどろかせてやりますかな。ところでこんどは掛け軸のほうの替え玉ですが、ひとつその雪舟の名画というのを拝見したいものですね。そのうえで、なるべく相手に気づかれぬような替え玉をえらぶことにしましょう。"
],
[
"なにしろ七代まえの先祖から伝わっている、由緒正しい品ですからね。わたしも、この家宝をわたさずにすめば、こんなありがたいことはないのです。もし首尾よくいきました節は、じゅうぶんお礼するつもりでおります。",
"いや、そんなことはご心配くださいませんように。こんどの事件は、あなたのためというよりは、ぼく自身のふくしゅうのために、ぜがひでもあいつをやっつけなければ、がまんができないのです。では、この軸と同じ寸法の、なるべく外見の似た替え玉をさがしていただきましょうか。"
],
[
"ぼく、そんな人に会いません。おかしいな。",
"それじゃ、おまえはどうして、逃げだしてくることができたのだい。むろんおまえは、今まで二十面相のところにとりこになっていたんだろう。",
"ええ、そうなんです。おとうさん。ぼくの書いた手紙ごらんになりましたか。あれ、二十面相に脅迫されて、むりに書かされたんです。でも、書いてあることは、うそじゃないのです。ぼくは思いだしても、ゾッとするような、おそろしいめにあわされたんです。"
],
[
"フーン。明智さんのところへ電話をかけろって? それはいったいどういうわけだろうね。あいつがでたらめを言ったんじゃあるまいね。",
"そうじゃありません。同じことを二度も三度も、ぼくが玄関を出るまで、うしろからどなっていたんですもの。これはたいせつなことだから、わすれるんじゃないって。",
"そうか。それじゃあ、ともかく電話をかけてみよう。明智さんのことも心配だからね。たぶんまだ帰っていないだろうが、今ごろまで何も報告してこないのはおかしいよ。"
],
[
"信雄は今帰りました。どうもお骨折りありがとう。わたしは、あなたがこちらへお立ちよりくださることとばかり思っていましたが……。",
"え、なんですって? おっしゃることがよくわかりませんが、なにかのおまちがいじゃありませんか。"
],
[
"いいえ、あなたのおかげで子どもがぶじに帰ったと申しあげているのですよ。",
"それがわからないのです。わたしはある用件で外出して今帰ったところですが、あなたの子どもさんのことなど、少しもぞんじませんよ。ああ、そうそう、夕方あなたから、何か重大な相談があるからって、お電話がありましたね。しかし、すぐそのあとから、あなたご自身で、もう来るにはおよばないって、また電話だったものですから、わたしはほかの用件で外出したのですよ。",
"エッ、わたしが二度お電話しましたって。",
"そうですよ。おわすれになったのですか。",
"それはへんです。わたしは一度お電話したばかりです。いや、そんなことよりも、あなたは、ちゃんとああして、わたしのお宅へおいでくださったじゃありませんか。そして、このわたしに変装なすって、例の掛け軸を……。",
"もしもし、どうもぼくにはふにおちないことばかりです。これには何かしさいがあるのかもしれません。いったい何があったのですか。お子さんがどうかなすったのですか。"
],
[
"それじゃあ、あなたは、わたしの宅へは、一度もいらっしゃらなかったというのですか。",
"そうです。一度もおうかがいしません。ところがあなたのほうでは、わたしがおうかがいしたとおっしゃるのですね。おかしいですね……。もしや、これは例の二十面相に関係のあることではありませんか。",
"そうです。二十面相が、子どもを監禁したのです。しかし、その子どもは今、別状なく帰宅しましたがね。それにしても、どうもふにおちぬことがあるのですが。"
],
[
"待ってください。こんなことを電話でお話しするのもなんですから、おそくてもおかまいなければ、わたし、今からおじゃましたいと思いますが。",
"そうですか。そうしてくだされば、わたしのほうもたいへんありがたいのですが。ではお待ちしますから、すぐいらしってください。"
],
[
"おお、そういえば、じつにふしぎです。その男は、たった十分か二十分の間に、こんどはわたしとそっくりの姿に化けてしまったのです。あいつはまるで化けものです。自由自在に顔形がかえられる怪物です。",
"そうですよ。この東京にたったひとり、そういうふしぎな芸当のできる男がいるのです。たしかにあいつは二十のちがった顔を持っている怪物ですよ。"
],
[
"エッ、わたしがだまされたといいますと……。",
"ほんものの雪舟の掛け軸は、どこにおしまいになってあるのですか。",
"蔵の中ですが、蔵の中に金庫がすえてあって、その中にげんじゅうに入れてあるのです。",
"それじゃあ、その金庫をひとつしらべてくださいませんか。おそらく雪舟の掛け軸は、もうなくなっていると思います。",
"エッ、なんですって、あなたは、どうしてそんなことが……。"
],
[
"ワッ、おどろいた。なんだかぼくの足のそばからとびだしていったよ。",
"ワッ、ウサギだ。ほら、あすこ、あすこ、ああ、もう見えなくなった。",
"ほんとうかい。",
"うそなもんか。ネズミ色の耳の長いやつが、ピョンピョンとんでいったんだよ。このへんにはウサギの穴があるのかもしれないねえ。",
"ウサギならいいけど、クマが出やしないかなあ。",
"大じょうぶだよ。こんなところへクマなんか出るもんか。"
],
[
"ハハハ……、そんなもんで商売にゃならねえよ。あれを見な。ほらあすこに鉄砲がかけてある。あれがおらの本職だ。おらは猟師だよ。",
"ああ、猟師なの。何をとるんですか。クマですか。イノシシですか。",
"ハハハ……、そんなものは、もっと奥へ行かなきゃあ、このへんにはいねえ。だが、今年の正月にゃ、この奥山で、でっけえクマを一ぴきとったぞ。おめえたちに見せてやりたかったなあ。",
"ヘェー、ほんとうですか。おじいさんは名人なんだね。",
"ウン、四十年前から猟師をやっているんだからね……。おめえ方、弁当持ってるだか。ウン、そんなら穴へはいるまえに、腹をこしらえておくがいい。穴の中はずいぶん深えだから、弁当がすんだら、おらが案内してやるだ。",
"じゃあ、おじいさんは、鍾乳洞の案内人もやっているんですか。",
"ウン、春秋にゃ、それがおらの内職だよ。"
],
[
"アッ、ここに小さな穴がある。これが第一の枝道だよ。",
"おやッ、なんだか水の流れているような音がするじゃないか。",
"ウン、この鍾乳洞の中には、小さな地底の川が流れているんだって。この枝道を行くと、きっと、そこへ出るんだよ。",
"アッ、見たまえ、鍾乳石だ。あの天井から白い氷柱みたいなものが、たくさんさがっている。"
],
[
"だれだッ。どうしたんだ。",
"びっくりするじゃないか。",
"ぼくだよ、ぼくだよ。",
"斎藤君じゃないか。どうしたんだい。",
"なんだか氷のようにつめたいものが、首のところへあたった。ああ、きみがわるい。"
],
[
"ああ、ずいぶん枝道があったね。いくつだかおぼえているか。",
"五つだよ。",
"ウン、五つだったね。もう道しるべのひもがなけりゃあ、とてももとの出口へ帰れないよ。ひもは大じょうぶだろうね。",
"大じょうぶ。でも、玉が小さくなっちゃったよ。もう二十メートルぐらいしか残っていないよ。ぼくたちは入り口から八十メートルほど歩いたんだね。"
],
[
"大じょうぶかい。けがはなかった?",
"ウン、けがはしないけれど……。",
"え、けがはしないけど?",
"なんだかへんだよ。",
"へんって、何がへんなの?",
"ぼく、とんでもないことしてしまったらしいのだよ。",
"エッ、とんでもないことって?"
],
[
"ひもが切れたんだって? ほんとうかい。",
"チェッ、しょうがないなあ。じゃあ、ぼくたちもう帰れやしないじゃないか。",
"篠崎君、きみがぼんやりしているからだよ。そのひもは、ぼくたちの命の綱じゃないか。"
],
[
"だって、おかしいなあ。いったいだれがひもを切ったんだろう。この鍾乳洞の中には、ぼくたちのほかに、だれもいないじゃないか。",
"だから、ぼくはふしぎでしようがないんだよ。なぜだろう。なぜひもを切ったんだろう。",
"だれかがこれを切ったとすれば、ぼくらを道にまよわせて、こまらせるつもりにちがいないね。",
"そうだよ。だが、そんなひどいいたずらをするやつがあるはずはないよ。ふしぎだね……。ああ、もしかしたら……。",
"エッ、もしかしたらって?"
],
[
"いや、見物じゃないのです。あんたは鍾乳洞の案内人ですか。",
"はい、そうでがすよ。"
],
[
"はい、大ぜい来ましただ。それがどうかしたですか。",
"その子どもたちは、鍾乳洞の中へはいったのだろうね。",
"はいりましたとも。案内人はいらねえといって元気ではいっていきましただ。",
"で、あんたはその子どもたちが鍾乳洞から出てくるのを見たかね。",
"いンや、それは見ねえでがす。ふもとに用があって、山をくだっていたでね。だが、見ねえでも、あの少年たちが帰ったのは、まちがいねえですよ。まさか、鍾乳洞の中で寝泊まりもしますめえ。ワハハハ……。",
"ところが、あの子どもたちが、けさになっても、東京へ帰らないのだよ。ここへ来る道でも、駅員や自動車の運転手などにもたずねてみたが、だれも子どもたちが帰るのを、見かけなかったというのだ。だから、ひょっとすると、鍾乳洞の中で、道にまよって出られなくなっているのじゃないかと心配しているのだが……。"
],
[
"じゃあ、深くはいれば道にまようかもしれないというのだな。",
"そうです。わしが案内したって、奥の奥まで行くわけじゃねえし、ましてひとりではいる見物は、おっかながって、ホンの入り口で引きかえしちまうだからね。ほんとうのことをいえば、だれもこの穴の奥を見とどけたものはねえでがす。",
"そうすると、子どもたちは奥深くはいりすぎたのかもしれない。ともかく一度ぼく自身で鍾乳洞の中をしらべてみたいと思うが、案内してくれるだろうね。こうして懐中電灯も用意してきているんだよ。"
],
[
"じゃあ、おまえさんは帰るつもりだったのかね。",
"わかりきった話じゃないか。きみは、いったい何を考えているんだ。",
"エヘヘヘ……、ここは地獄の一丁目といってね。一度わたったら二度と帰れねえところさ。",
"エッ、なんだって。おい、じいさん、きみは気でもちがったのじゃないか。",
"ウフフフ……、明智先生、きょうは少しさとりがにぶいようですね。まだわかりませんかね。"
],
[
"エッ、入り口からだって? ば、ばかな。そんなことがあるもんか。おれは、きさまを一生涯出られない場所へ、とじこめておいたはずだ。",
"とじこめられているのは、ほかのだれかだろうよ。ぼくは今ここへはいってきたばかりなんだからね。"
],
[
"明智先生、ばんざあーい。",
"小林団長、ばんざあーい。"
]
] | 底本:「妖怪博士/青銅の魔人」江戸川乱歩推理文庫、講談社
1987(昭和62)年11月6日第1刷発行
初出:「少年倶楽部」大日本雄辯會講談社
1938(昭和13)年1月号~12月号
※「誘かい」と「誘拐」、「風さい」と「風采」の混在は、底本通りです。
入力:sogo
校正:岡村和彦
2016年6月29日作成
青空文庫作成ファイル:
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"なんだか、いいにくそうね。わたしが説明するわ。明智先生は、わたしのおじさまなのよ。ですから、わたし、小さいときから探偵がすきだったのです。それで、こんど高等学校を卒業したので、大学へはいるのをやめて、先生の助手にしていただいたの。おとうさまやおかあさまも賛成してくださったわ。そういうわけで、わたし、小林君のおねえさまみたいになったの。みなさんもよろしくね。",
"じゃあ、ぼくたちにも、おねえさまだねえ!"
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"わたしは、探偵のすきなことでは、あなたがたに負けないつもりよ。わたしのおとうさまは花崎俊夫という検事なの。ですから、わたし、いろいろおとうさまからおそわっているし、おとうさまのお友だちの法医学の先生とも仲よしで、法医学のことも、すこしぐらい知っているわ。大きくなったら、女探偵になるつもりよ。おとうさまは、なまいきだとおっしゃるけれど、わたし、そう決心しているの。ですから、みなさん、仲よくしましょうね。そして、わたしも、少年探偵団の客員ぐらいにしていただきたいわ。",
"客員じゃなくって、ぼくらの女王さまだよ。女王さま、ばんざあい!"
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[
"おとうさん、あのたおれた人、ぼく見おぼえがあります。つまずいて、たおれそうになったとき、わかったのです。マユミさんです。おねえさまです。",
"えっ、おねえさまってだれのことだね。",
"ほら、このあいだ話したでしょう。明智先生の助手のマユミさんです。ぼくらの少年探偵団の顧問になってくれた、おねえさまです。",
"ああ、そうだったのか。それじゃ、あそこへいってみよう。"
],
[
"けがはないのですか?",
"ええ、べつに、けがはしていません。でも、わたし、夢を見たのでしょうか。恐ろしいものが、あの壁に……。",
"夢ではありません。ぼくたちも見たんです。大きな顔のかげでしょう。もう消えてしまいましたよ。",
"ええ、あれを見たひょうしに、つまずいてたおれたのですが、そのまま、なにかにおさえつけられているような気がして、起きられなかったのです。恐ろしい夢に、うなされているような気持でした。わたし、いくじがないのねえ。はずかしいわ。"
],
[
"それにしても、空に巨人の顔があらわれたり、池の中から、巨人の顔が、浮きあがったりしたのは、いったい、どういうしかけでしょうね。あなたは、あれも、人間のしわざとお考えですか。",
"むろん、そうですよ。ぼくには、手品の種もおおかたは、わかっています。",
"え、おわかりですって? ほう、そいつは、すばらしい。ひとつ、ぼくに聞かせてもらいたいものですね。",
"いや、それは、もうすこし待ってください。いつか、あなたに、くわしくお話しするときがあるでしょうから。"
],
[
"きみは明智先生かね。",
"そうです。あなたはどなたですか。",
"いまの音を聞かなかったかね。あの音で、さっしがつかないかね。"
],
[
"人見さん、あなたのおっしゃるとおりでしたよ。やつは、挑戦してきました。",
"えっ、あの怪物がですか。",
"そうです。今月の十五日に、マユミを消してみせるというのです。",
"えっ、消してみせる?",
"つまり、誘拐するというのでしょうね。予告の犯罪というやつですよ。"
],
[
"そうすると、あの巨人は、やっぱり、ふつうの人間だったのですね。しかし、だいじょうぶですか。あいては魔法つかいみたいな怪物ですからね。",
"あいてが魔法つかいなら、こっちも魔法を使うばかりですよ。まあ、見ていてください。"
],
[
"あなただから、うちあけますがね。じつは、やられたのです。マユミが消えてしまったのです。",
"えっ、マユミさんが? いつ? どこで?",
"密閉された寝室の中から、消えうせてしまったのです。ドアには中からかぎがかけてありました。窓は地面から十五メートルもあるので、窓から出はいりすることはできません。そのうえ、ぼくは、一日寝室のドアの見えるところにいたのです。つまり完全な密室です。マユミは、その密室から、煙のように消えうせたのです。",
"すると、あの怪物は、ちゃんと、約束をまもったわけですね。",
"残念ながら、そのとおりです。",
"で、てがかりは?",
"なにもありません。しかたがないので、警察の手をかりることにしました。警察はけさから東京付近に、非常線をはって、あの怪人物をさがしています。しかし、おそらく急には、つかまらないでしょう。あいては魔法つかいのようなやつですからね。"
],
[
"そりゃ、ご心配ですね。それにしても、明智先生、あなたは、あの怪物を、みくびりすぎましたよ。ちゃんと電話で、予告しているんですからね。すくなくとも、きょうは、昼も夜も、マユミさんのそばに、つききりにしているほうが、よかったですね。ぼくが旅行をしなければ、なにかお手つだいをしたいのですが、残念です。……小林君はどうしました。このさい、先生と小林君とで、うんと活動していただかなければなりませんからね。",
"小林も、すっかり、しょげていますよ。……小林君、ちょっと、ここへきたまえ。"
],
[
"人見さん、お呼びになった運転手がきました。お荷物はどこですか。",
"ああ、そうか、いまいくよ。……明智先生、どうか元気をだして、がんばってください。ではいってきます。"
],
[
"わたし、顔をあげちゃいけないと思って、ずいぶん、がまんしましたわ。でも、うまく、あの人を、だませましたわね。",
"あの先生、トランクの中に、きみのかわりに小林君がはいっているとも知らず、とくいになって運んでいったね。いまにびっくりしても、おっつかないようなことがおこるよ。",
"でも、先生、小林さん、だいじょうぶでしょうか。わたし、なんだか心配ですわ。"
],
[
"悪者が、この撮影所の中に、ぼくの友だちをかくしたのです。花崎俊一というのです。手足をしばって、さるぐつわをはめて、自動車でここへつれてきて、裏のいけがきのやぶれめから、しのびこんだのです。",
"ほんとかい? きみ。そんなことをいってごまかして、撮影を見にはいるんじゃないのかい?",
"そうじゃありません。ほんとうです。ふたりのおとなが、ぼくぐらいの子どもをつれて、この中へはいりませんでしたか?",
"そんなもの、はいらないよ。きょうは、子どもは、ひとりもはいらなかった。どっか、ほかを探してごらん。"
],
[
"あっ、野上さん、きてごらん。むこうに、へんなものがあるよ。",
"へんなものって?",
"いろんなものが、ごちゃごちゃおいてある。ひょっとしたら、俊一さんは、あそこに、いれられたのかもしれないよ。",
"よしっ、いってみよう。",
"野上さん、懐中電灯、持ってるの?",
"うん、ちゃんと、ここに持ってるよ。探偵七つ道具の一つだからね。"
],
[
"俊一君、ぼくだよ。野上だよ。ここにいるのは、少年探偵団のチンピラ別働隊の子どもたちだ。だいじょうぶかい? けがはしなかったかい?",
"うん、だいじょうぶだよ。きみたちみんなで、助けてくれたんだね。ありがとう。"
],
[
"こんなもの持ってきて、どうするつもりだい。",
"わからないのかい? 頭がわるいなあ。俊一さんのかわりに、この人形を、ライオンの中にいれておくのさ。やっぱり、手足をしばって、さるぐつわをはめておくほうがいいや。そうすれば、こんど、悪者がのぞきにきたとき、ほんとの俊一さんだと思って安心するよ。でも、よくみると、人形なので、おったまげるというわけさ。ウフフフフ……、なんと、うまいかんがえじゃないか。ねえ!"
],
[
"みんな、うまくやったね。子どもを、とりもどしたのかい?",
"だれだっ?"
],
[
"おれだよ。おまえたちを自動車に乗せてやった運転手だよ。",
"ああ、そうか、だれかと思って、びっくりした。俊一君は、石膏のライオンの中にいれられていたんだよ。それを、ぼくたちが助けだしたのさ。",
"そりゃ、よかったな。さあ、もう一度、おれの自動車に乗りな。どこへでも送ってやるよ。"
],
[
"へんだね。べつに、あらしがあったわけでもないのに、こんなところに、ブイがあるなんて。",
"うん、それもそうだがね。もっと、おかしいことがあるよ。このブイは、いやに動くね。まるで生きているようだ。"
],
[
"へんだなあ、ブイがこんなところへ流れてくるなんて。きっと、おきのほうにつないであったのが、くさりがきれて、流れてきたんだね。",
"だが、あのブイは、波もないのに、いやに動くじゃないか。大きな魚が、下からひっぱっているのかもしれないぜ。"
],
[
"おやっ、へんな音が聞こえるぜ。どっかで、コンコンと、なにかたたいているような音が。",
"そうだな。まだ工場は仕事をはじめていないのに、いったい、なにをたたいているんだろう?",
"おい、この音は、あのブイの中から聞こえてくるようだぜ。見たまえ、ブイがヒョコヒョコ動くのと、あの音と、調子があっているじゃないか。",
"いやだぜ、ブイの中に、なにか動物でもはいっているのかな。",
"ばかをいっちゃいけない。ブイの中に動物なんか、はいれるわけがないじゃないか。",
"おやっ! ますますへんだぞ。かすかに人間の声が聞こえてくる。遠くのほうで、子どもが泣いているような声だ。",
"いまごろ、このへんに、子どもなんか、いやしない。やっぱりブイの中かな?",
"だが、ブイの中に、人間がはいっているなんて、聞いたこともないね。"
],
[
"おい、やっぱりそうだぜ。あのブイの中から、みょうな音が聞こえてくる。荷あげ場までおりて、ようすを見ようじゃないか。",
"うん、それじゃ、そばへいって、よくしらべてみよう。"
],
[
"やっぱりそうらしい。鉄板でかこまれているので、よく聞こえないが、たしかに人間がはいっている。どうすればいいだろう?",
"道具がなくちゃあ、どうにもできない、工場までいって、だれか、よんでこようか。",
"うん、それがいいな。じゃあ、おまえ、いってくれるか。",
"よし、ひとっぱしり、いってくる。ここに待っててくれよ。"
],
[
"この人が、ブイのひらきかたを知っているというんだ。",
"そうか、それはよかった。すぐにあけてみてください。どうも、中に人間がはいっているらしいんです。"
],
[
"あっ、顔が血だらけだ。殺されたんだろうか。",
"こりゃおかしいぞ。女の服をきているが、頭は男のようだ。それに、これは、まだ子どもらしいぜ。むごたらしいことをしたもんだな。",
"いや、まて、まだ死んじゃいない。脈がある。この血も、どうやら鼻血らしいぜ。"
],
[
"ぼく、明智探偵の助手の小林です。",
"えっ、明智探偵の? それじゃあ、きみは、あの小林少年か?"
],
[
"それじゃあ、だれかにブイの中へ、とじこめられたんだね。あいてはだれだ?",
"妖人ゴングです。",
"えっ、妖人ゴングだって?"
],
[
"きみは、だれだっ?",
"ワハハハハ……、そういうきみは、だれだね。花崎検事かね?",
"ぼくは、明智小五郎だっ!",
"あっ、明智が、そこにいたのか。いや、ちょうどいい。それでは、きみと話そう。……おれがだれだか、むろん、わかっているだろうね。"
],
[
"べつに聞きたいこともないね。ぼくは、なにもかも知っている。",
"フフン、日本一の名探偵だからね。……それじゃ、こっちから聞いてやろう。きみたちは、隅田川の底を捜索したが、おれのすみかが見つからなかった。しかし、おれは、ちゃんと、隅田川の水の底に住んでいたんだよ。ウフフフ……。このなぞが、わかるかね。"
],
[
"むろん、ぼくには、わかっているよ。",
"ワハハハハハ……、自信のない声だな。やせがまんはよして、どうか教えてくださいといいたまえ。おれは、その種あかしをするために、電話をかけているんだからね。"
],
[
"ウフフフ……、あくまで、やせがまんをはる気だな。よろしい。それなら、おれが水の底のどこに住んでいたか、いってみたまえ。潜水夫をいれて、あれほどさがしても見つからなかったじゃないか。",
"それは、あのときには、きみは、隅田川の底に住んでいた。しかし、いまは、もう、同じところに住んでいないからさ。"
],
[
"フフン、それは、むろんのことだ。おれはいま、陸上にいるよ。だが、水の底に住んでいたとすれば、そのあとがあるはずじゃないか。水の底の家が、そうやすやすと、こわせるものじゃないからね。",
"こわさなかった。しかし、もとの場所にはないのだ。"
],
[
"ウフフフ……やせがまんはよして、かぶとをぬぎたまえ。おれが教えてやろうといっているんだからね。",
"ぼくには、ちゃんと、わかっている。",
"フン、そうか。じゃあ、いってみたまえ。さあ、はやく、いつまでも、電話をかけているわけには、いかないからね。",
"潜航艇だよ。"
],
[
"え? なんだって?",
"きみのすみかは、潜航艇だったというのさ。",
"へえ? 潜航艇が、隅田川にはいれるかね。",
"どんなあさいところでもこられる、小型潜水艇だよ。ずっと前に、ある犯罪者が小型潜航艇で、隅田川をあらしまわったことがある。ちゃんと、前例があるのだ。ハハハ……どうだね。あたったらしいね。",
"あたった。ウフフフ……、さすがは、明智先生だね。まさに、そのとおりだよ。"
],
[
"こいつは、魔法つかいの妖人みたいに見せかけていますが、むろん、われわれとおなじ人間です。おそらく、あなたに、深いうらみをもっているやつです。マユミさんや、俊一君をいじめるのも、あなたに、気がちがうほど心配させるためです。なにか、そういう、うらみをうける、お心あたりはありませんか。",
"わたしは、いちじは、鬼検事というあだなをつけられていたほどで、悪いやつには、ようしゃなく、びしびしやるほうでしたから、犯罪者には、ずいぶん、うらまれているわけです。しかし、それはみんなむこうが悪いからで、こんな復讐をうけるおぼえはないのですが……。",
"でも、犯罪者というやつは、じぶんの悪いのは棚にあげておいて、検事さんを、うらむことがよくあるものです。なにか、重い罪をおかしたもので、このごろ、刑務所を出たものとか、または、脱獄したものとか、そういう、お心あたりはありませんか。",
"それなら、たいして多くはありません。まあこんな連中ですね。"
],
[
"えっ? そいつが、あのゴングですって?",
"そうです。こいつでなければ、妖人ゴングにばけることはできません。こいつならば、じつに恐ろしいあいてです。"
],
[
"わしは、この隣村のものじゃが、アサガオが、あんまりみごとなもんで、つい、声をかけただよ。",
"そうかね。おまえさんも、アサガオがすきかね。まあ、いいから、こっちへはいって見てください。"
],
[
"ハハハ……、よっぽど、だいじなものがはいっているとみえますね。なかなか、重いじゃありませんか。",
"いや、いや、くだらないもんです。お金だといいんだが、ハハハ……。"
],
[
"なにいってるだね。わしは、ただちょっと……。",
"ハハハ……、ただちょっと、かやの中のふたりを、たしかめにいったのだろう? じつは、もうくるか、もうくるかと、わしは、きみを待ちかまえていたのだよ。うまく、わなにかかったねえ。"
],
[
"きさま、これが、こわくないのか。命がおしくないのか。",
"命はおしいよ。だが、そんなピストルは、こわくもなんともないよ。さっき、拾ったというのはうそで、きみのふところからぬきとって、たまをみんな出しておいたのだよ。"
],
[
"それじゃ、あんたは、わしがだれだか、知っているのかね……。",
"むろん、知っているよ。……きみは、ゴングという怪物だっ!"
],
[
"やっぱりそうだったな。そのふたりは、マユミと俊一だな。こんなところへかくしたつもりでも、おれのほうでは、なにもかも見とおしだ。明智先生、きみも、ぞんがい知恵のない男だねえ。",
"ウフフフフ……、知恵があるかないか、いまにわかるよ。きみは、たったひとりで乗りこんできた。こっちは三人だよ。三対一では、まず、きみの負けだねえ。"
],
[
"じゃあ、なぜ、おとうさんだなんて、うそをいったの?",
"いや、あれは、ちょっといたずらをしたんだ。なんでもないよ。さあ、いこう。"
],
[
"そうよ。それに、けさ、おかあさまに聞いたわ。ゆうべ、家の空に、ゴングの顔があらわれたんですって、あれは、ゴングがやってくる前ぶれよ。",
"そうだ。きみは、そのゴングか、ゴングの手下だろう。え、そうだろう。ぼくたちを、つれだしにきたんだろう?"
],
[
"あっ、池の水が、あんなに、へっちゃったよ。もう防空壕が、いっぱいになったかもしれないよ。",
"うん、はやく助けてやらないと、あいつ死んじゃうかもしれないね。"
],
[
"小林さん、だいじょうぶなの? あいつ魔法つかいだから、とっくに、防空壕の中からぬけだしてしまったんじゃないかしら?",
"だいじょうぶだよ。あいつは、魔法つかいじゃない。ただの人間だよ。悪知恵をはたらかせて、魔法をつかうように見せかけているだけだよ。いくらゴングだって、この厳重な防空壕から逃げだせるもんか。"
],
[
"ああ、あそこへ穴を掘って、ゴングを助けだすんだね。",
"助けだすんじゃない。つかまえるのだよ。とうとう、ゴングも、明智先生の計略にかかってしまったねえ。これでもう花崎君たちは安心だよ。"
],
[
"ゴングは、だいじょうぶか?",
"だいじょうぶ。もう水はとめさせたから、これいじょう、ふえることはないよ。それにしても、ゴングの顔は血だらけになっている。どうしたんだろう。",
"コンクリートのかけらが、ぶっつかったのかな?",
"いや、わかった。そうじゃないよ。見たまえ。あいつの頭には、ネズミがウジャウジャかたまっている、ネズミにかじられたんだよ。かわいそうなことをしたな。"
],
[
"おい、そこにいるのは明智だな。そして、もうひとりは、中村警部か?",
"そうだよ。ひどいめにあわせてすまなかったね。だが、きみをとらえるのには、こんな手を考えだすほかはなかったのだよ。きみは、魔法つかいだからね。それにしても、きみの魔法はどうしたんだ。こんなときには、役にたたないとみえるね。"
],
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"きさまなんかに、おれの魔法がわかってたまるもんか。いまに、どんなことが起こるか、見ているがいい。こんどこそ、もう、きさまを生かしちゃおかないぞっ!",
"ハハハ……、からいばりは、よしたまえ。きみは、ぜったい人ごろしはしないはずだったじゃないか。それに、きみはもう、魔法なんかつかえはしないよ。あれは魔法でも、なんでもないんだからね。",
"フフン、で、きさま、おれの魔法の秘密を知っているというのか。",
"すっかり知っているよ。だから、いくらきみがおどかしたって、ちっともこわくないのさ。",
"それじゃ、いってみろ。",
"なにも、いまいうことはないじゃないか。きみは、そのつめたい水の中に、まだがまんしているつもりか?",
"おれに、縄がかけたいのだろう。おれのほうでは、ちっともいそぐことはないよ。ここで聞いてやろう。さあ、いってみろ!",
"ごうじょうなやつだな。それじゃ、水の中で泳ぎながら、聞いていたまえ。きみの魔法といっても、たいていは、これまでに種がわれている。わからなかったのは、ゴングの顔が、空にあらわれる秘密と、ここの池の底から、大きなゴングの顔が浮きあがってきた秘密と、それから、れいのウワン、ウワンという音と、この三つぐらいのものだね。",
"うん、その秘密がわかるか。",
"子どもだましだよ。ウワン、ウワンという音は、テープレコーダーと、拡声器があれば、だれにだってだせるよ。拡声器の大きなやつをつかえば、何百メートルもむこうまで、ひびくからね。",
"ふふん、きさまの考えは、まあ、そんなところだろう。だが、あとの二つの秘密は、むずかしいぜ。きさまに、とけるかね?"
],
[
"なんでもないよ。二つとも、やっぱり、子どもだましさ。きみのやることは、いつでも子どもだましだよ。ただ、ちょっと、人の思いつかないような、きばつな子どもだましなので、世間がだまされるのだ。きみのくせを知ってしまえば、その秘密をとくのは、ぞうさもないことだよ。",
"で、とけたか?",
"むろん、とけたさ。"
],
[
"うそをいうな。おれはきみのアパートを、いくどもしらべたが、あすこにはだれもいなかった。",
"ところが、いたのさ。ぼくのアパートには、いろいろのしかけがある。だれにもわからないかくれ場所も、ちゃんと作ってあるのだ。いくらきみが探しても、あのかくれ場所はわかるはずはないのだよ。"
],
[
"明智さん、小林君、それから少年探偵団のみなさん、ほんとうにありがとう。わたしは、こんなうれしいことはありません。",
"こんやの殊勲者は、このチンピラ隊の安公ですよ。"
],
[
"少年探偵団ばんざあい……。",
"チンピラ別働隊ばんざあい……。"
]
] | 底本:「黄金豹/妖人ゴング」江戸川乱歩推理文庫、講談社
1988(昭和63)年4月8日第1刷発行
初出:「少年」光文社
1957(昭和32)年1月号~12月号
入力:sogo
校正:大久保ゆう
2017年12月10日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品名読み": "ようじんゴング",
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"初出": "「少年」光文社、1957(昭和32)年1月号~12月号",
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[
[
"そうです。日本です。",
"トウキョウデスカ。",
"ちがいます。東京は、ずっととおくです。"
],
[
"まってください。あなたは、いったい、なにものですか。",
"ナニモノ?"
],
[
"どこからきたのですか。",
"アソコカラキマシタ。"
],
[
"Rすい星には、あなたのような生きものが、たくさんすんでいるのですか。",
"タクサンイマス。シカシ、アレハスイセイデハナイ。ウチュウノ、ノリモノデス。トオイトオイ、ホシカラキタノデス。ワタシ、ニホンヘオリタ。イギリス、アメリカ、ソビエトヘオリタノモアル。"
],
[
"ニホンハ、ビジュツノクニトワカッテイル。ワタシ、ニホンノビジュツヒン、アツメテ、モッテイク。ニンゲンモ、モッテイクダロウ。",
"えっ、だまってもっていくのですか。日本には警察というものがあって、そんなことゆるしませんよ。",
"ケイサツ、シッテイマス。ダマッテ、モッテイク、ドロボウデスネ。ワタシ、ドロボウシマス。ケイサツ、コワクナイ。ワタシ百バイノチエアル。"
],
[
"パパ、これ英語のRという字じゃない?",
"うん、そういえばRだね。だが、この二つのまるは、なんだろう。",
"目だよ。",
"えっ、目だって?",
"カニ怪人の目だよ。そして、あいての名はRっていうんだ。Rすい星からきたやつだからね。",
"おまえは、なにをいうんだ。まさか……。",
"だって、新聞にそう書いてあったでしょう。カニ怪人は、じぶんのことをRとよんでくれといって、地面にRの字を書いてみせたって。そのRがカニ怪人の形とよくにていたと書いてあったでしょう。きっと、あいつだよ。",
"おまえは、少年探偵団だから、そんなふうに考えるんだよ。こんないたずら書きをするのには、その怪物が、うちへしのびこまなければならない。そんなことができるものじゃないよ。だれかが、いたずらをしたんだ。カニ怪人なんかじゃない。ひょっとしたら、おまえの友だちがやったんじゃないかい。さっき、二―三人、あそびにきてたじゃないか。",
"ぼくの友だちは、こんないたずらしませんよ。ねえ、パパ、あいつは、あの推古仏をねらってるんじゃないのかしら。書庫の中においてあるんでしょう。だいじょうぶなの。"
],
[
"どうしたんだ、忠雄。",
"あいつだ。カニ怪人が、土の中から……。"
],
[
"えっ、カニ怪人だって。ほんとか。",
"モグラみたいに、土の中からでてきたんだ。いまに、こっちへやってくる。"
],
[
"あいつは、この書庫の中にいるんだな。",
"うん、いまはいったばかりだ。大戸は中からしめたまま、一度もひらかなかった。中にいるにちがいない。",
"よしっ、ふみこもう。",
"だいじょうぶか。あいてはおそろしいやつだぞ。",
"こっちは四人だ。ピストルももっている。"
],
[
"さあ、いいか、ひらくぞっ。",
"よしっ、一、二、三っ。"
],
[
"きえてしまった。",
"きみ、あいつがはいったことは、まちがいないだろうね。",
"まちがいない。それにぼくは、ずっと大戸を見つづけていた。一度もひらかなかった。"
],
[
"えっ、それはどこにあったのです。",
"あの棚のあいているところです。あそこにおいてあったのです。",
"じゃあ、怪物は宝物といっしょにきえてしまったのですね。"
],
[
"完全な密室だな。",
"うん、だが、地球の人間には密室だが、星の怪物には密室でないかもしれない。われわれの知恵ではわからない、ぬけだしかたがあるのかもしれない。",
"もしそうだとすれば、こいつはてごわいぞ。おばけか幽霊をあいてにしているようなもんだからな。"
],
[
"ネジネジのしっぽをもったすい星が、あらわれたのは、だれもうたがうことのできない事実だ。これは天文学者にまかせておけばいい。だが、カニ怪人とかいうやつが、ロケットみたいなものにのって、地球へおりてきたということは、ぼくは信じない。怪すい星とカニ怪人とは、なんのかんけいもない、べつのできごとだとおもう。",
"それは、どういういみですか。"
],
[
"やーい、カニじじい……。",
"おまえの顔、カニとそっくりだぞう……。",
"カニ怪人だ、カニ怪人だ……。",
"ワーイ、ワーイ。"
],
[
"Rすい星にのってさ。",
"えっ、Rすい星だって?"
],
[
"だって、Rすい星まで、どうしていけばいいんだい?",
"カニ怪人といっしょにいけばいいのさ。ちゃんとのりものが、海の底にまっている。それにのりこんで、ピューッと、空へとびだしていくのさ。"
],
[
"じゃあ、おじいさんは、カニ怪人をしっているのかい?",
"しっているとも、いや、しっているどころじゃない。いま、そのしょうこをみせてやるぞ。"
],
[
"やあ、おじいさんは、あそこにいるよ。",
"おじいさん、さっきのカニ、どうした。"
],
[
"なにかに、ぶっつかったんだよ。",
"ぶっつかるものなんて、なんにもないじゃないか。つまずくものもないよ。",
"空気にぶっつかったんだよ。"
],
[
"ここだよ。ぼくが、手をふりまわしたら、なにかにぶっつかったんだよ。かたいものだ。しかし、なんにもありやしない。空気ばかりだよ。",
"このへんかい。"
],
[
"きっと、きみの気のせいだよ。空気にぶっつかるはずはないもの。",
"ほら、なんともないよ。なんにもぶっつからないよ。"
],
[
"だれだい、いまわらったのは?",
"だれも、わらわないよ。",
"でも、わらい声がきこえたじゃないか。",
"うん、きこえた。おじいさんじゃないだろうね。",
"おじいさんの声じゃない。子どもの声だったよ。",
"そうだな。へんだねえ。"
],
[
"R怪人があらわれました。",
"えっ、いつ、どこへです。",
"つい、いましがたです。しかし、もういなくなってしまいました。電話ではなんですから、岩谷美術館まで、おでかけくださいませんか。ねんのため、部下のかたをおつれくださるほうがいいとおもいます。",
"しょうちしました。すぐ車でいきます。"
],
[
"電話では、くわしいお話ができませんでしたが、実に奇怪なことがおこったのです。わたしはこの目で見たし、ここにいる館員たちも見ているので、まちがいはありませんが、それをお話ししただけでは、信用していただけないかもしれません。",
"カニ怪人があらわれたのですか。",
"そうです。しかも、ひとりではありません。全部で十人に近いでしょう。ほうぼうにあらわれたのです。そして、そのあらわれかたが、じつにふしぎせんばん。ありえないことがおこったのです。",
"といいますと?",
"地の中から、わきだしたのです。",
"それならこのあいだ、先生のお宅でも、地の中からあらわれたではありませんか。",
"いや、あれとはちがうのです。あのときは地面に穴があいていました。ところが、今夜は穴がないのです。地面にはなんの異状もなくて、しかも、そこからカニ怪人が幽霊のようにわいてきたのです。そして、また、そこから地面の下へ消えてしまって、地面には、なんのあとものこらないのです。",
"さいしょ、それを見たのは、わたしです。"
],
[
"すると、今夜は、いくにんものカニ怪人があらわれて、あなたがたを、おどかしただけなんですね。",
"そうです。いままでのところは、そうです。五日のうちに、美術品を、ねこそぎ、ぬすみだすぞと、予告をするためにやってきたのです。",
"ふせがなければなりません。",
"そうです。ふせがなければなりません。",
"しかし、おそろしいあいてだ。",
"そうです。ふせげないかもしれません。あいつは、地面でも、コンクリートでも、自由に、もぐってくることができるのです。そうして、地面の下をくぐって、美術品をはこびだすかもしれません。",
"しかし、警察は、あらゆる知恵をしぼって、これをふせがなければなりません。われわれは戦うのです。地球の名誉にかけて、あいつをとらえなければなりません。"
],
[
"あてになりませんね。五日間なんていっておいて、その五日がたってしまって、われわれがゆだんしたときに、やってくるのではありませんか。だから、この見はりは、とうぶん、とくわけにはいきませんね。",
"いや、あいつは、約束をまもるでしょう。中村さんは、あいつにであったことがないので、おわかりにならないでしょうが、わたしは、この目で、いろいろなふしぎを見ているのです。二十人ぐらいの警官では、じつは心ぼそいのですよ。きっと、やってくるとおもいます。"
],
[
"ぼくも、いままで、ねむっていたのですよ。どうもへんですね。ふたりが、そろって、いねむりをするなんて。",
"あなたもねむっていたのですか。すると、われわれだけじゃないかもしれませんよ、ねむらされたのは……。",
"えっ、ねむらされたって。",
"そうです。ともかく、しらべてみましょう。ひょっとすると、たいへんなことが、おこっているかもしれない。"
],
[
"みんなをねむらしておいて、そのまに、美術品をもちだしたのですね。しかし、小使ひとりの力では、どうにもできないはずだが……。",
"そうです。あの美術品を、ぜんぶはこぶのには、すくなくとも、大型トラック三台は、いります。むろん小使ひとりの、しわざではありません。",
"じゃあ、あのカニ怪人たちが……。"
],
[
"あっ、あなたは日本人ですね。",
"うん、日本人だ。きみも日本人の少年だね。カニのばけもののなかまではなさそうだね。"
],
[
"ふうん、きみは消されちゃったのかい。これには、なにか、わけがありそうだね。ぼくには、こうして、ちゃんと、きみの姿が見えるんだからね。",
"でも、子どもたちには、ぜんぜん見えなかったんだがなあ。ぼくにぶっつかって、ころんで、ないた子があったくらいだよ。ぼくは、かくれみのをきたようで、ほんとうにおもしろかった。",
"うん、きっと、わけがあるんだ。それから、地下室にとじこめられている人のこと、カニ怪人の衣装の下から日本人があらわれたこと、みんな明智先生の考えとあうのだよ。やっぱり先生はえらいなあ。",
"じゃ、どういうことになるんだい? カニ怪人は、いったい、何者なんだい?",
"ぼくには、まだわからない。そんなことを、ここで議論しているよりも、はやく、このことを、明智先生にしらせたい。なににしても、ふたりで、ここを、ぬけださなくっちゃあ。いや、ふたりじゃない。できれば地下室の人も、いっしょに、つれだしたいね。"
],
[
"へんだな。あの車、さっきから、ずっと、つけてくるよ。おやっ、パトカーじゃないか。ほかに車はいないから、きっとこの車を、おっかけてくるんだよ。",
"ぼくたちの、へんな姿を見て、あやしんだのかもしれないね。かまわないよ。おっかけさせておくさ。"
],
[
"ぼく、明智探偵の助手の小林です。",
"あっ、小林君か。"
],
[
"どうして、そんなへんなふうをしているんだ。カニ怪人の仮装なんて、ぶっそうじゃないか。",
"これには、わけがあるんです。まずさいしょに明智先生、それから警視庁の中村警部にはなさなければなりません。それまでは、くわしいことはいえないのです。ここはみのがしてください。けっして、ごめいわくはかけません。では、いそぎますから……。"
],
[
"それは、わたしでした。わたしは、あのとき、母屋にいたので、庭にいた刑事さんたちより、ちょっと、おくれたのですよ。",
"ところが、あのとき、あなたが、母屋にいたかどうか、だれも見ていたものはありません。カニのよろいをきて、庭の土をほって、半分ほどからだをうずめ、そこから、はいだしたように見せかけて、書庫にはいり、てばやく、カニのよろいをぬいで、かくしてしまえば、それでよかったのです。",
"ハハハハ……、これはおかしい。きみはなにをいいだすのです。あのぬすまれた推古仏は、わたしの美術館のものですよ。自分のものを、自分でぬすむなんて、そんなばかなことが、ハハハ……。"
],
[
"それで、きみはいまでも、自分が消されたとおもっているのかね。",
"いいえ、ぼくは、いっぱいくわされたらしいのです。ぼくが見えなかったのは、子どもたちばかりで、そのあとであった人には、ぼくの姿は、よく見えたのですから。しかし、どうして子どもたちに見えなかったのか、ふしぎでしかたありません。",
"まず、森の中でカニ怪人が、消えてみせた。そして、姿を消す力をもっていることを、きみに信じこませた。そのとき、怪人は、ほんとうに消えたのだとおもうかね。",
"わかりません。しかし、消えたように見えました。"
],
[
"なるほど、そんなことがあったんだね。しかし、もっとふしぎなことがある。これは、どうにも、ときようがない。カニ怪人の出入りをした地面に、穴もなにもなかった。コンクリートの床や壁から、自由にあらわれたり、また、そこへ消えたりした。それは、この美術館の庭と地下室でおこったことだ。カニ怪人が地球の人間だとすると、このなぞが、どうしても、とけないことになる。",
"それはなんでもないことだ。わけなくとけるのだよ。"
],
[
"正面から考えると、わけがわからないのだよ。しかし、きみは、それを自分の目で見たかね。",
"見たわけではない。古山博士からきいたのだ。しかし、博士とその話をしているときに、窓の外からカニ怪人がのぞいていたので、みんなで、おっかけたのだが、怪人は、庭のヒマラヤスギのねもとで消えてしまった。そして、地面には、なんのあとものこっていなかった。",
"それは、さっきはなしたように、なかまが木の上にいて、車にまいたナイロンのひもで、ひきあげたんだよ。夜のことだから、よくわからなかった。それに博士から、地面にすいこまれるように消えるという話を、きいていたので、つい、そう信じてしまったのだよ。",
"すると、博士は、つくり話をしていたのか。",
"そうとしか考えられないね。"
],
[
"ほんとうにしりたいのですか。",
"もちろんです。",
"では、いいましょう。その犯人は……。",
"その犯人は……。"
],
[
"こことは?",
"この部屋です。古山博士、犯人はあなたです。"
],
[
"ワハハハ……、こいつはおかしい。またしても、わたしは、わたしのものを、ぬすんだのですね。自分が館長をつとめている美術館の品物を、ぬすんだといわれるのですか。",
"あなたは、岩谷美術館の館長ではありません。",
"え、え、なんといわれる?",
"きみは、古山博士ではないというのだ。"
],
[
"このわたしが、古山ではないといわれるのか。いったい、なにをしょうこに……。",
"小林君、そのしょうこをつれてきたまえ。"
],
[
"そうです。わたしは、カニ怪人というばけものにつれさられて、いままで地下室にとじこめられていたのです。",
"ここにいる人も、古山博士となのっています。古山博士がふたりになりました。よくにていますね。いったい、どちらがほんもので、どちらがにせものでしょう。"
],
[
"こいつがにせものです。きけば、美術館の品物が、ねこそぎぬすまれたそうですが、そのぬすみをやるために、わたしを地下室にとじこめておいて、わたしにばけたのです。館長がどろぼうとは、だれも考えない。そこが、こいつのつけめだったのです。",
"ふうん、そうだったのか。"
],
[
"どこの馬の骨かわからない、こんな男をつれてきて、わたしをにせものだなんて、とんでもない、いいがかりだ。わたしが古山であることは、妻や子どもが証明してくれるよ。",
"いかにも、きみはこの半月ばかり、奥さんや子どもまでだました。それほど、きみの変装は手にいっているのだ。そういう変装の名人は、日本じゅうに、たったひとりしかいない。わかるかね。ぼくは二十のちがった顔をもつ男のことを、いっているんだよ。"
],
[
"おやっ、いつのまに、こんな電話が……。いいえ、いま見るのがはじめてです。こんな物置小屋に電話をひくはずがありませんよ。",
"やっぱりそうだ。これは二十面相の部下がひいたのだよ。"
],
[
"あっ、そうだ。あれがあやしい。中村君、いま二十面相をのせていった護送車は、ほんとうに警視庁からきたのかね。",
"なんだって? きみは、あれがにせものだったというのか。",
"うん、そうなんだ。もう一度警視庁へ電話をかけて、たしかめてくれたまえ。"
],
[
"もしもし、ぼくだよ。明智だよ。",
"あっ、物置小屋からだね。すると……。"
],
[
"そうなんだ、ここにかくれていた二十面相の部下のやつが、警視庁だといって、きみと話をしたんだ。そして、護送車を送ることをひきうけて、電話をきったのだから、警視庁はなにもしらない。あの護送車は警視庁からきたのじゃない。",
"じゃあ、どこからきたのだ。",
"二十面相のどこかのかくれがからきたのさ。二十面相は、まんいちの場合にそなえて、にせの護送車をつくっておいたのだ。そして、それにのりこんで、にげだしたというわけだよ。",
"しかし、部下がふたり、のりこんでいる。"
],
[
"カニのようだね。",
"うん、カニだよ。カニといえば、このあいだ、小包でカニをおくってきたばかりだから、あいつのことをおもいだすね。",
"あいつって?",
"怪人二十面相さ。カニをおくってきたのは二十面相にきまっているよ。あいつ、ぼくたちに挑戦してきたのさ。明智先生もそうだろうって、いっていたよ。",
"じゃ、この石にチョークで、カニの絵をかいたのも、二十面相か、あいつの部下かもしれないね。",
"うん、気をつけて、地面を見ていこう。まだほかにも、かいてあるかもしれない。"
],
[
"井上君、ここが終点かもしれないぜ。",
"うん、そうらしいね。このうちへ、はいってみようか。"
],
[
"むこうの石の門に鉄の戸のしまっている家ね、あそこには、どういう人が住んでいるのですか。",
"あの家かね。"
],
[
"あそこには、だれも住んでいないよ。",
"じゃあ、空家ですか。"
],
[
"あの家には、あやしいことがあるのさ。なんだかおそろしいものが、住んでいるということだよ。",
"おそろしいものって?",
"わしは見たことはない。人のうわさだ。しかし、いつまでたっても、住みてがないところをみると、まんざら、うわさばかりではなさそうだね。",
"おじいさんは、あのうちの門の柱にチョークでカニの絵がかいてあるのをしっていますか。ここへくる道にも、たくさんのカニの絵がかいてあって、ぼくたちは、その絵にみちびかれて、ここまで、やってきたのですよ。"
],
[
"はいってみようか。",
"うん、そうしよう。"
],
[
"なんだかへんだね。夜みたいに電灯がついていて。",
"おばけがでるのかもしれないよ。"
],
[
"そうだよ。きみたちは、あのカニの目じるしに、みちびかれて、ここへやってきたんだろう。え、小林君。そちらは、たしか井上君だったね。",
"あっ、ぼくたちの名まえもしっているんですか。",
"そうとも、きみたちには、いろいろ、おせわになったから、お礼をしなくちゃならないとおもっているんだよ。",
"あなたは、だれです。もしや……。"
],
[
"おもしろいものって、なんです。",
"アハハハハ……、いままで、きみたちの一度も見たことのないものさ。ひじょうにめずらしいものだ。さすがのきみたちも、あっとおったまげて、腰をぬかすような、ふしぎなものだ。",
"それは、どこにあるのです。",
"ここにあるんだよ。いいかい。ほらあれだ。"
],
[
"たいへんです。Rすい星から、円盤がとんでくるのです。",
"そう、それを、きみたちに見せたかったのだよ。井上君も、かわって、のぞいてごらん。"
],
[
"ワーッ、小林団長っ。",
"ワーッ、井上君。"
],
[
"そのたるの中をよく見たまえ。火薬は水びたしになっているじゃないか。たいまつをほうりこんだって、シュッと音がするばかりだよ。",
"なにっ、水びたしだと?"
],
[
"やっ、さては、きさまが、水をかけたんだな。",
"そうだよ。きみが少年たちに催眠術をかけているあいだに、ぼくは、このうちを、ねこそぎしらべた。そして、あぶない火薬には水をかけておいたのさ。",
"ちくしょう!"
],
[
"二十面相と、明智先生とが、木のぼり競争をやったのです。庭のシイの木です。そうすると、シイの木のてっぺんから、プロペラのまわるような音が、きこえてきたのです。ほらね、あれです。きこえるでしょう。",
"うん、きこえる。あいつのおとくいの、背中にくっつけるプロペラじゃないのか。",
"ぼくも、そうおもうんです。",
"よしっ、それじゃあ、サーチライトをもってきて、てらしてみよう。"
],
[
"いや、いつもながら、きみのうでまえには、一言もない。あやうく、にがすところだった二十面相を、またつかまえることができたのは、まったくきみのおかげだ。",
"いや、それには、小林君が、この家をみつけたこと、用心ぶかく、ぼくに電話をかけてくれたこと、これをわすれてはいけない。",
"うん、小林君や、少年探偵団の諸君にもお礼をいうよ。"
]
] | 底本:「おれは二十面相だ/妖星人R」江戸川乱歩推理文庫、講談社
1988(昭和63)年9月8日第1刷発行
初出:「少年」光文社
1961(昭和36)年1月~3月、5月~12月
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校正:大久保ゆう
2019年6月28日作成
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[
[
"ボチノキタガワ",
"レンガベイノアキヤノナカデ"
],
[
"そうでしょうか。でもおかしいわ。あれが小説の筋でないとすると……",
"あれって何です。何が小説の筋なんです"
],
[
"エエ、そうなのです。私はそれをすっかり聞いたのです",
"聞いたのですって? あの遠方の囁き声を、それに、外の人達がこんなにやかましく云っているのに。いくら先生の耳がいいからと云って、そんな馬鹿な……"
],
[
"エエ、そうなのです。私に丈け聞えた、イヤ見えたのです。私は声は聞えなくても、唇の動き方だけで、言葉が分るのです。読唇術、リップ・リーディング、あれを私知っていますのよ",
"マア、読唇術ですって?",
"エ、リップ・リーディング?"
],
[
"ですから、私、小説の筋でも話し合っていたのではないかと思ったのです。こんな所で、あんまり恐ろしい話ですもの",
"僕も大方そんな事だとは思うけれど、併し小説の筋にしては少しおかしい所もあるし、それに、こんな大勢人のいる食堂などが、却ってそういう秘密の相談には安全だとも云えるのです。若しあの二人が、そこへ気がついて、本当に人殺しの相談の場所としてここを選んだとすると、実に抜け目のない恐ろしい悪党ですよ"
],
[
"その家は長く空いているのですか",
"エエ、もうずっと。私共がここへ引越して来る以前から、草茫々の空家なんですよ。何だか存じませんけど、変な噂が立っている位なのでございますよ",
"変な噂って、化物屋敷とでもいう様な?",
"エエ、まあね。ホホホホホホホ"
],
[
"思う存分見てやるがいい。こいつはお前の敵なんだから",
"ウン、見ているよ。だが、そんなに坐っていたんじゃ面白くないね。突転ばしてやりなよ",
"又お株を始めやがったな。ヨイショ、これでいいか"
],
[
"ウフフフフフフフフ。気味がいいね。又歌おうか、あれを",
"歌うがいいよ"
],
[
"逃げてしまったかな",
"ウン、そうかも知れん。戸を破って踏ん込んで見よう"
],
[
"妙だね、なんにも居ないじゃないか",
"別に血のあともないし"
],
[
"オイ、君、どうも妙だね。人殺しがあるというから飛んで来たんだが、これじゃそんな形跡は少しもないじゃないか。君の頭がどうかしていたんじゃないのかい。ここは有名な化物屋敷だからね",
"大方夢でも見たんだろう"
],
[
"イヤ、決して夢やなんかじゃありません。確かに人殺しです。それも並々の犯罪事件ではなさそうなんです。この床の間に木箱があって、その中から妙な歌が聞えて……",
"どうも君の話は変梃だぜ。箱なんて何もないじゃないか。それに箱の中で歌を歌ったなんて、人殺しの最中にそんな馬鹿馬鹿しい真似をする奴があるもんか",
"常識では判断出来ないかも知れません。併しこれには何か訳があるのです。常識的でない丈けに、恐ろしく……ア、併し、あれは一体なんでしょう"
],
[
"だが、死体をどう始末したんだろう。これ程証拠を残して置いて、死体丈け隠して見たところで仕方がないからね",
"ウン、もう一度探して見よう"
],
[
"ひどい荒れかたですね。東京の真中に、こんな化物屋敷があるなんて、嘘みたいですね",
"不思議に買手がつかないらしいんだね。何でも自殺者があって、そいつの怨霊が現われるって云うんだが。こんな物をこのままにして置いちゃ、碌なことは起りゃしない。犯罪には持って来いの場所だからね"
],
[
"見つかった? どこだ?",
"向うの台所の側の井戸の中です。懐中電燈で覗いて見ると、水面に白いものが浮いていたのです。黒い髪の毛がハッキリ見える位ですから、人間の死体に違いありません。ちょっと来て見て下さい"
],
[
"僕の妹を知っているのか",
"ウン、よく知っている。東京の女学生という女学生の内で第一等の美人の珠子という娘を、俺はとっくから知っているんだ",
"どうしようというのだ",
"餌食にしようというのさ。ウフフフ",
"ウヌ"
],
[
"イイエ、誰も、ここを通ったものなんかございません。わたくし、さっきから、ずっと戸口の方ばかり向いていたのですけれど",
"おかしいな。ではここから覗いたんじゃなかったのかしら"
],
[
"ハイ、すぐにでございます",
"誰もいなかったんだね",
"ハイ",
"この塀をのり越した奴を、お前気づかなかったんじゃあるまいね",
"イイエ、そんなこと決してありません。いくら暗くっても、塀をのり越すのが分らない筈はございませんわ"
],
[
"そうです。こうなったら、もうお父さんも不賛成ではないでしょう。あの人を依頼する外に手はないと思います",
"お前はその人を知っているのか",
"会ったことはありませんけれど、手柄話は色々聞いてます。日本のシャーロック・ホームズと云われている人です。警察の手におえない事件を、片っぱしから、この人が解決していると云ってもいい程です。ただ、非常な変り者で、余程気に入った事件でないと引受けない相ですが、蠍の怪物なら相手に取って不足はないでしょう",
"若い人かね",
"ところが余り若くないのです。寧ろ老人といった方がいい位です。写真で見ると、モジャモジャと顎髭なぞ生やした、痩せっぽちのお爺さんです",
"殿村さん、どうでしょう、そういう私立探偵を頼むことは"
],
[
"どうでしょうか、先生。枉げて御承知願いたいのですが",
"君は、それを僕に頼みたいと云うのかね"
],
[
"無論、先生とです。先生に犯罪事件を御依頼しているのです",
"先生て、誰だね",
"三笠龍介先生です"
],
[
"僕は三笠先生をお訪ねしたのです",
"ホウ、そうかね",
"じゃ、あなたは、この家の御主人じゃなかったのですか",
"マア、主人みたいなもんだ"
],
[
"それなら、三笠先生でしょう",
"そう見えるかね",
"エ、何ですって?",
"そう見えるかと聞いたのさ。俺も変装がうまくなったものだなあ。ハハハハハハ……"
],
[
"いたずら? フフフ、いたずらよりゃ少し気の利いたことだよ。酔狂にこんな下らない変装なんぞするものか",
"じゃ、なぜだ。なぜそんなことをして僕をだましたのだ",
"君を虜にする為にさ。君は三笠の親爺の次に、俺達には邪魔っけな人間だからね",
"俺達だって? すると貴様は……",
"ハハハ……、やっと分ったね。云ってごらん、その次を",
"赤い蠍",
"ウン、その通り。君はなかなか頭がいいよ。ハハハ……"
],
[
"で、僕をどうしようというのだ",
"殺しはしない。安心し給え。ただちょっとの間、窮屈な思いをして貰おうというのさ。この家は、実にお誂向きのカラクリ仕掛けになっているのでね"
],
[
"ハハハ……、わしも君と同じ目に合ったのだよ。わしの作った陥穽へわし自身がつき落されたのだよ",
"本当ですか。先生まで、あいつの為に、……"
],
[
"わしが外出から帰ると、助手のトムが、相川さんから電話があって、十時頃に息子さんの守という人が来られると云うので、例の妖虫事件だなと、わしは君に会うのを楽しみに思っていたのです。そして、君を待受ける為に書斎へ入って見ると、部屋の隅に、もう一人のわしが、つまりわしに変装した奴が隠れていて、不意に陥穽の釦を押して、このわしを罠にかけたという次第じゃ。ハハハ……、そういう訳で、わしは君の用件をまだ少しも聞いていないのだが、察するに、君が態々わしを訪ねて来たのは、妖虫事件の引続きに違いあるまい。今度は君の妹さんが毒虫に狙われているのではないかね",
"エ、先生は僕の妹を御存知ですか",
"ウン、噂を聞いていないでもない。君の妹さんのミス・トウキョウは、若い者の間では、なかなか有名だからね。君が訪ねて来ると聞いた時、わしはすぐ蠍を思い出し、その次には、君に有名な美人の妹さんがあることを思い浮べた。そして、君の用件が何だかということも、大方は推察していたのだよ。春川月子はミス・ニッポン、相川嬢はミス・トウキョウ。妖虫の奴、なかなか虚栄心が強いと見えるね"
],
[
"マア、仲よく話して居給え。君達は、僕の方の仕事が済むまで、そこから出られっこはないんだから。……それとも、その深い穴蔵から這い出す隙でもあるというのかい",
"ハハハ……、心配しなくってもいい。抜け道なんぞありゃしない。君もよく知っている通り、その上げ蓋を明けて、繩梯子でも卸してくれる外には、梯子段も何もないんだから。人間業では出られやしない。わしはこの罠で、命知らずの悪人を何度も痛い目に遭わせたが、そいつらが一人だって、ここから抜け出したためしはないのだ。安心したまえ",
"フフ……、罠にかかった猟師だね、君は。散々人を苦しめた報いだ。あきらめるがいい。じゃ、二三日我慢してくれ給え。饑じいだろうが餓死する様なことはありやしない。あばよ"
],
[
"じゃ、僕達はこのままじっとして、奴等の為すに任せて置くのですか。それはいけません。先生、何とか工夫して下さい。妹の命にかかわることです",
"イヤ、そんなに急き立てることはない。カラクリ仕掛けなんぞないけれど、わしはここを出るのだ。ホラ見給え、これが探偵の七つ道具だ。わしはどんな時でも、これ丈けは肌身離さず持ち歩いているのだよ。こんな穴蔵の中に、どうして懐中電燈があったか。君は不思議に思わなかったかね。わしの七つ道具の中には、懐中電燈もちゃんと揃っているのだよ"
],
[
"家中のものが見張っている目の前で、いたずらをして行くのです。しかも、曲者は煙の様に全く姿を現わさないのです。捉えようにも防ごうにも、まるで方法がないではありませんか",
"ウム、狂人か、でなければ、天才的犯罪者ですわい。犯罪を予告するなんて真似は、並々の者に出来る芸当ではありません。併し、お話では、事態は可成切迫している様ですな。この際は、犯人を探し出すよりも、先ずお嬢さんを守ることが第一でしょうて。お嬢さんに会わせて下さらんか。わしが一刻も離れず側につき添っていたら、先ず大丈夫です。又、そうしていれば、態々探し廻るまでもなく、犯人の方から近づいて来ますよ。わしの張っておる網の中へ、先方から飛び込んで来ますよ"
],
[
"イイエ、守はまだ帰りません。本当にあなたより先に出たのですか",
"そうですよ。待たせてある車で帰ると云って、非常に急いでおられたのだが、ハテナ"
],
[
"ほかに寄り道をする筈はないし、車に故障が起ったとしても、こんなに遅れることはない。おかしいですね",
"御主人、これはただ事ではありませんぞ。守君は、なかなかしっかりした敏捷な方だ。それに犯罪に深い興味を持っておられる程だから、仮令どんな故障が起ろうとも、女子供ではあるまいし、今まで音沙汰がないというのは実に妙ですて。電話もかからないとすると。若しや……",
"若しや、どうだとおっしゃるのです",
"お気の毒ですが、犯人の手が伸びたと考える外ありません。一種の復讐ですね。犯罪の邪魔立てをする小癪な奴という訳でしょうて。殊に守君は珠子さんの兄さんじゃからね。又、春川月子の場合、警察に告げ知らせたのも守君じゃ。犯人の復讐ですよ、これは"
],
[
"若しや、それはダイナマイトじゃないのですか",
"アハハハ――、爆薬なんか使ったら、わし達が木端微塵じゃ。マアよく考えて見給え。ここを抜け出す唯一の手段は、わし達が落ちて来たあの天井の陥穽の蓋を開くことじゃ。その蓋を内部から開く唯一の方法は、ホラ、あすこに見えている留め金を、グッと四十五度丈け廻すことじゃ。すると支えがなくなって、蝶番になった板が、自然に下って、あとに出入口の穴があくという訳だよ。分ったかね",
"ですが、あの高い天井の留金をどうして廻すのです。その銀色の道具を投げつけるのですか",
"わしは石投げの名人じゃない。よし命中しても、そんなことで留金は廻らんて",
"じゃ、どうするのです"
],
[
"オヤッ、すると、さっきの奴は、先生の変装をしていたのですか。畜生め、それで読めた。あいついやに不機嫌で、僕の方を見ない様にばかりしていたが、変装を見破られるのが怖かったのだな",
"今更何をグズグズ云っているのだ。それにしても、お前はこの方を案内したって云うじゃないか。お客さんを置いてけぼりにして、主人が外出すると思うのか"
],
[
"イヤ、謀られたわい。偽物の奴が、出がけに、お客さまはさっきお帰りになった。なんて、嘘をつきやがったものですから、つい……",
"済んだことはいい。わし達はすぐ出かけるから、今度は十分注意して留守番するんだぞ。いいか"
],
[
"如何ですな、わしの好みは",
"イヤ、実に結構です。騒ぎにまぎれて、ずっと煙草を吸わないでいたものですから、又格別の味いです"
],
[
"なぜです。お父さまはなぜ起きないのです。あなたがどうかなすったのですか",
"お父つぁん、余り葉巻を召し上ったもんだから、こんなになっちまったのさ。ハハハ……"
],
[
"それじゃ、あの葉巻は……",
"ちゃんと、眠り薬が仕込んであったのだよ。お嬢さん、おとなにしていらっしゃい、もうあんた一人ぽっちになってしまったんだからね。ハハハ……",
"誰です。あなたは一体誰です"
],
[
"だって親方、お指図通りの廻り道をして、もう三河島へ来てしまったんだぜ。もう五六町で目当ての場所だ",
"ウン、そうか。もう来たのか。じゃ仕方がねえ。早くあの幽霊屋敷へつけてくんな"
],
[
"だがね、用心には用心をするがいいぜ。どんなところに手抜りがあるまいものでもねえ。早い話がこの俺がだよ。鳥打や背広だけお前達の仲間で、中身は存外敵かも知れないからね",
"オヤ、こいつ乙にからんだことをぬかしやがるな"
],
[
"ヤイ、そこの小っぽけな奴、帽子と襟巻を取って顔を見せろ。貴様は一体何者だ",
"ハハハ……、やっと気がついたと見えるね。エ、赤蠍の大将。じゃ手を挙げて貰おうか。二人とも手を挙げるんだ。手を挙げろッ。身動きでもするとぶっぱなすぞ"
],
[
"アッ、貴様、あの老いぼれ探偵だな",
"イヤ感心感心、わしの声を覚えていたと見える。如何にもわしはその老いぼれ探偵だよ。ホーラ見るがいい。どうだい。本物の方が、そこな偽物よりも、ちっとばかしいい男だろうが"
],
[
"ウン、おしまいだよ。わしの御託が終ると、さてお前さんに繩をかける順番だね",
"繩を? ヘエ、その老いぼれ一人でかね。お爺さん、こっちあ大の男が二人だぜ。繩なんかかけている隙に、こっちはそのピストルを叩き落して、あべこべに、お爺さんを縛っちまうぜ。年寄りの冷水は止しにした方がよくはないかね。向う見ずなお爺さんだ",
"ワハハハ……、そいつはちっと自惚が強過ぎる。向う見ずか見ずでないか、よくあたりを見廻してから物を云って貰いたいね。わしがさい前から、長話を続けていたのは、なぜだと思うね。自慢がしたい年ではない。本当の目的はもっと外にあったのさ。わしはお前達を話で釣って、待っていたのだよ。ホラ、うしろをごらん。そこへ来た人達を待っていたのだよ"
],
[
"逃がすなッ",
"誰か入口へ廻れッ",
"電燈のスイッチはどこだ"
],
[
"どうしたんでしょう。まさかああして煙突掃除をしている訳でもありますまい。煙突掃除屋の足にしちゃ、あんまり綺麗すぎらあ",
"そうですよ。それに、さっきから見ているのに、ちっとも動かないのが変ですよ。あんなことをして、煙突の中へ首を突込んでいちゃ、下では火を焚いているんだから、さぞ熱いでしょうにね",
"イヤ、熱かあないんですよ。あれは死骸ですよ。ああして自殺をしたんですよ"
],
[
"オイ、ちょっと見てくんな。俺の目がどうかしているのかも知れない。変なものがいるんだ、こん中に",
"なにがよ",
"なにがって、マア覗いて見な。とてもシャンだからよ",
"シャンだって? お前夢でも見ているんじゃないか。下水だぜ、ここは"
],
[
"オイ、こりゃ人殺しかも知れないぜ。殺した死骸を、こうしてマン・ホールから投込んで置いたのかも知れないぜ",
"ウン、何しろお巡りにそう云って来よう"
],
[
"僕はね、このショウ・ウィンドウの知合の人形が、消えてなくなったことと、今日この附近に起った妙な事件とを結びつけて考えて見たのですよ。分りますか。僕がどんなに怖がっているか。あなたは平気ですね。今に平気でいられなくなりますよ",
"今日この附近に起った事件というのは?"
],
[
"きっと旭湯の煙突の事件だぜ",
"それからマン・ホールの事件も"
],
[
"どうしたんです。やっぱり気に入らないことがあるのですか",
"イイエ、そうじゃないのですけれど、……守さん、あたし、いやなものに魅入られているのではないかと思いますの"
],
[
"あいつが、また現われ始めたのですよ。あたしが桜井様のお嬢さんと二人きりで、さし向いでお話していました時、ヒョイと気がつくと、マア、ゾッとするじゃありませんか。お嬢さんの着物の肩の所に、……アレが、エエ、アレよ。赤い蠍! いつかの珠子さんの時とおんなじ奴が、お嬢さんの肩にとまっていたじゃありませんか。……",
"殿村さん、それ本当ですか"
],
[
"お嬢さんをビックリさせてはいけないと思って、黙っていたのですけれど、あたしの怖がっている目つきで、お嬢さんにもそれが通じたと見えて、サッと青くおなりなすって、思わず立上って身震いなさると、あの赤い虫の死骸が、ポトリと床へ落ちたのです",
"ウン、それで?",
"お嬢さんは、余程怖かったのでしょう、叫び声を立てて、いきなりあたしにすがりついてお出でなさる。あたしもつい年甲斐もなく、大きな声を出してしまったものですから、それからお邸中の大騒ぎになったのです",
"で、何時その蠍が、品子さんの肩にくッついたのか、分りましたか"
],
[
"それが分りませんの。気味が悪いではありませんか。お嬢さんは、着換えをしてから、一度も外出もなさらず、又外からのお客さまに会ってもいないとおっしゃるのです。アア、又目に見えない幽霊がうろつき始めました。その蠍が何所をどうしてお嬢さんの側へ近づいたのか、いくら考えて見ても、まるで見当もつきませんの",
"じゃ、あなたが品子さんに最初会った時はどうでした",
"無論最初からあの虫はくッついていたのですわ。それを迂濶にも、あたし暫く気附かないでいたのです。そうとしか考えられません。でなければ、あたしが見ている前で、誰かがお嬢さんの側へ近づいたことになりますが、いくら何でも、それを見逃す筈はありませんもの",
"じゃ、あの畜生め、今度は品子さんを餌食にしようっていうのだな。アア、どうすればいいんだ。で、警察へは届けましたか",
"エエ、あちらの御主人がお電話をかけていらしったようでした。あたし、それから直きお暇したものですから、……ねえ、守さん、あの悪魔は、あたしに魅入っているとしか思えませんわ。あたしの行く先々へつき纒って、そこのお嬢さんを恐ろしい目に合わせるのだとしか思えませんわ",
"では、あなたは、品子さんが、あいつの為に殺されると思うのですね",
"エエ、恐ろしいことだけれど、そうとしか……"
],
[
"まだ急に退院出来相もないということです。実は今日あたり、一度訪ねて見ようと思っていたところですよ。何でしたら、あなたも一緒にいらっしゃいませんか",
"エエ、でも、今日は少し差支がありますから、……あなたから、よく今度のことをお話し下さいませんか。あたし、三笠さんには、いずれゆっくりお目にかかって、よく御礼申し上げたいと思っているのですけれど……"
],
[
"じゃひどく悪いのですか",
"エエ、今朝から病勢が悪化しているのです。それに、少し事情がありますので……",
"いずれにしても、一度取次いでくれませんか。どうしても面会出来ない様なら帰りますから"
],
[
"いつの事です、それは",
"今朝程でございます",
"その品物っていうのは、郵便で来たのですか。そして、差出人は誰だか見当はつかないのですか",
"エエ、それが、何ですか、……"
],
[
"若しや、例の『赤い蠍』じゃありませんか。それなら僕も少しかかり合いの者なんだが",
"エエ、実は、三笠先生もそうおっしゃるのでございます"
],
[
"そうでしたか、僕はどうなることかと、実に心配しましたよ",
"イヤ、失敬失敬、敵をあざむくには、先ず味方からという訳でね、つい驚かせて済まんかった。君には、もう大体分ったじゃろうが、赤蠍の奴、今度はわしを狙い始めたのでね。危くて仕方がない。傷の方もすっかり治っているのだけれど、敵をあざむく為に、懇意な院長に頼んで、いつまでもここに置いてもらっている訳さ。フフフ……"
],
[
"では、さい前、あんなに苦悶されたのも、……",
"ウン、ウン、あれが実は今晩のお芝居のクライマックスでね。君は丁度よい所へ来合せたというものじゃ。イヤ、失敬失敬。ところで、君はさっき、わしが大騒ぎをやっている最中、あの窓の外を見なかったかね"
],
[
"エエ、見ました。誰かが覗いていたのでしょう。あいつの正体を御存知なのですか",
"ウン。知っている",
"若しや……",
"その通り、赤蠍じゃ。恐らく青眼鏡の部下の奴じゃ",
"どうしてこの庭へ入って来たのでしょう",
"そんなこと、あいつらには朝めし前の仕事じゃろう。塀をのり越すなり、図々しく表門から入り込んで、裏手へ潜入するなり",
"そうまで分っていたら、なぜあいつを捉えなかったのです。僕もお手伝いしましたのに",
"肝腎の張本を逃がしてしまうからさ。やッつける時には、一網打尽じゃ。今はまず、奴等の罠にはまったと見せかけ、油断をさせておけばいいのじゃ。あいつ、このわしが余程邪魔になると見えて、毒殺しようとしおった。わしはその毒にやられた体に見せかけて、瀕死の病人を装っているのだよ。あいつ、今晩あたりきっとわしの様子を見に来ると思ったので、それを待ち構えて、さっきの大げさなお芝居を演じて見せたという訳なのじゃ",
"じゃ、何か毒のある品物を送って来たというのは本当なのですね",
"ウン、本当だ。わしはすんでのことに、やられる所じゃった",
"アア、それで思い出しましたが、僕も実は、新しく起った事件を御知らせに来たのですよ"
],
[
"そうです、併し、あなたはどうしてそれを、……",
"桜井のお嬢さんじゃろうが"
],
[
"ハハハ……、それを知らん様では、探偵とは云われん。驚くことはないよ。四五日前から、わしは毎晩この病院を抜け出して、東京中をうろつき廻っていたんだからね。赤蠍の奴が次に何を企らむか位は、ちゃんと目星がついているのさ",
"今度は未然に防げましょうか",
"ハハ……、気掛りと見えるね。君はあのお嬢さんとは仲よしだったね。大丈夫、今度こそわしが引受けた。この白髪首を賭けてもいいよ。わしは生れてからこの方、同じ失敗を二度繰返さないという、固い信念を持っているのじゃ。妹さんのことは、何とも申訳がないと、胆に銘じている。それなればこそ、こんな偽病人の苦労までしているのじゃ。今度しくじる様なことがあったら、無論、この白髪首、胴にはつけて置かん決心じゃよ",
"それを伺って、僕も気持が軽くなりました。ですが、探偵という仕事もつらいですね。賊に傷つけられて入院なすったそのことを、すぐに又探偵の手段に逆用しなければならないなんて",
"ハハハ……、君にはつらい様に見えるかね。わしは愉快なんじゃよ。軍人以外の職業で、探偵程戦闘的なものはありやしない。命がけの戦いだ。智恵という智恵を絞りつくし、力という力を出しつくしての闘争じゃ。世の中にこんな面白い仕事があるもんか",
"ワー、おじさんの元気には、僕顔まけしますよ。ハハハ……"
],
[
"失敬失敬、ちょっと実験をして見たのだよ。成程、この奇抜な注射法は百発百中だわい。秘密函を開けようと熱中すると、自然に顔が函の上へのしかかる。そこへパッと蓋が開くものだから、蠍のとげは必ずその人の顔面へ命中するっていう訳じゃ。うまく考えよったわい",
"じゃ、このとげには、毒が……",
"ハハ……、そんな危いものを、大切な君になぶらするものかね。安心したまえ。毒は院長が完全に洗い取ってくれたのだよ",
"おじさん、人が悪いや。すっかり驚かされてしまった",
"だがね守君、よく考えて見ると、この小函は、ただ毒薬注射器という以外に、何かしら犯人の思想を象徴している様な気がして仕方がないのだよ。ホラ、君が最初谷中で隙見したという、あの変な木箱ね。その中にはどうやら人間が入っていたらしく、そいつが妙な流行歌を歌ったのだね。それから、この間の三河島だ。あれは張ぼての岩だったけれど、何かを包み隠している点で、やっぱり一種の箱と云ってもいい。その箱の中から、短剣が飛出したのじゃ。丁度今この秘密函から蠍が飛出した様にね。どうだね。こう考えて来ると、今度の犯人には、箱というものが、不思議につき纒っているじゃないか。これは一体何を暗示していると思うね"
],
[
"なる程、おっしゃれば、そうですね。そう聞くと、何だかひどく不気味な気がしますけれど、僕にはその意味がよく分りません",
"イヤ、わしにもハッキリ分っている訳ではない。じゃが、その箱に包み隠されているものが、どうやら、この犯罪の根本原因を為している様に思われてならぬのじゃ。若し、わしの想像が当っているとすると、これは実に容易ならぬ事件だよ。前代未聞と云ってもいい。だが、それ程の邪悪の魂が、果してこの世に存在するものだろうか。想像も出来ない。アア、何という気違いだ。何という悪魔だ"
],
[
"よく見給え。あれは蠍という毒虫の形をしているじゃないか",
"エッ、蠍ですって? アア、そうだ。真赤な蠍だ"
],
[
"病人だぜ。早く医者へつれて行かなきゃ",
"それよりもお巡りさんに引渡した方がいいぜ"
],
[
"相川守っていうんです。……赤蠍にやられたんです",
"エッ? じゃあんたは、あの相川操一さんの、……",
"そうです。……珠子の兄です"
],
[
"先生、一寸失礼しますわ",
"エエ、どうか御ゆっくり、わたくし階下でお母さまとお話していますから"
],
[
"イヤ、この外に娘の家庭教師と女中がいるのですが、二人は今娘の寝室に附添っていますので",
"アア、そうですか。よろしい、こちらから出向いて訊ねる事にしましょう。どうせお嬢さんからも伺い度いことがあるのですから"
],
[
"ナアニ、そんな取越苦労をして見たって始まらんよ。用心さえすればいいのだ。これからは三人の書生を夜昼絶え間なく品子の側へつけて置くことにしよう",
"あたし達もあの子の側で寝ることに致しましょう",
"ウン、それもいいだろう。……じゃ、一つ品子を見に行ってやろうじゃないか。警察のお蔭で、肝腎の病人の方がお留守になってしまった"
],
[
"どうだ。さっきの人達はまだいたか",
"どこを探してもいないんです。第一あの自動車が見えません。警視庁へ帰ったのじゃありませんか",
"そうか。仕方がない。君、お隣の電話を借りてね、(家の電話は故障らしいんだ)この事を警視庁へそう云ってくれ給え。早くし給え"
],
[
"アア、モシモシ、あなた桜井栄之丞さんですね。なんだか話が喰い違っているようですが。私からだと云って誰かがそちらへ行ったんですか",
"何を云ってるんだ。今から三十分程前に、君に電話をかけたじゃないか。その結果君が四人の警官をよこしてくれたんじゃないか",
"待って下さい。それゃ変ですね。私はあなたから電話を頂いた覚えはありませんよ。一寸待って下さい。尋ねて見ますから。……アア、モシモシ、今尋ねて見ましたがね、捜査課からは誰もあなたの方へ出張したものはありませんよ。確かに警察のものだったのですか",
"そうですよ。制服が二人に私服が二人だった。中に警部補がいてね、斎藤という名刺をくれましたよ",
"エ、斎藤? 斎藤ですか。桜井さん、こりゃ困ったことになりましたね。僕の方には斎藤なんて警部補は一人もいないんですよ。その警官というのが賊の変装だったかも知れん。兎も角大急ぎでお邪魔します。詳しいことは、そちらで伺いましょう"
],
[
"そうだよ。僕には全く不可能にしか見えんのだが",
"この電話のトリックを考えついた奴と、同じ程度の頭になって、観察しなければなりません。僕もさい前からそれをいろいろ考えて見たのですが、やっと分った様な気がするんですよ",
"ヘエ、分ったって? じゃ一つ説明して貰いたいもんだね"
],
[
"で、品子は、娘は生きていましたか?",
"イヤ、そうではないのです。賊の乗り捨てた空っぽの自動車が見つかったばかりです。奴等はこの区内のKというガレージから、タクシーを借り出して使用していたのです。運転手も賊の仲間で、ちゃんと免許証を用意していて、それをガレージの主人に見せて、車を借り出したと云うことです",
"その空車は、どこにありました",
"渋谷の向うの三軒家の淋しい傍道に乗り捨ててあったのです。ただ自動車だけなれば、こんなに早く知れる筈はないのですが、赤蠍の奴、又例のいたずらをやっているのです。その空自動車の客席には、あの真赤な大蠍が、螯を振り立てて、傲然と腰かけていたっていうんですからね",
"品子を隠して連れ出したあの鎧みたいな大蠍が?",
"そうです。だもんだから、忽ち附近のいたずら小僧共に見つかってしまったのです。自動車の中にえたいの知れない真赤な動物がいるというんで、大変な騒ぎになったのだそうです。間もなく警察にもその事が知れて、我々の方へも電話の通知があったものだから、課の者が行って見ると、やっぱりあの大蠍だったのです",
"で、その中には、大蠍の中には?",
"空っぽでした。そして、外には全く手掛りがないのです。無論捜査は引続いて行われています。捜査課の全員が、東京中を走り廻っていると云ってもいい位です。僕はこの事を御報告旁、もう一度お宅の人達に、色々お尋ねして見たいと思って、やって来たのですが",
"併しもう手遅れではあるまいか。品子は今まで安全でいるだろうか"
],
[
"こいつは、三笠氏の心酔者でしてね。一にも二にも、三笠龍介なんだが、珠子の場合でも分る通り、流石の老探偵も、赤蠍には参っている様です。僕なども最初はあの老人を信頼して万事を任せていたのですが、今となって考えると、少し買被っていたのですね。何か奇人らしい珍妙な手段を考えては、賊の裏をかこうとするのだが、その度毎に賊の為に又その裏をかかれて、失敗を繰返しているといった調子でね",
"でも、今度こそは、白髪首をかけても、賊を捕えて見せると、大変な意気込みでしたが、……"
],
[
"当てにはならないよ。珠子の折もその調子だった。そして、まんまとしくじったではないか",
"わたくしも、あの方はお恨みに思って居ります"
],
[
"ちっとも知りません。僕が最初腰かける時には、確かにそんなものは落ちて居なかったのですが",
"例によって賊の魔術じゃ。今まで何もなかった椅子の上に、忽然として一枚の紙片を現わしてお目にかけまアす。ウフフフ……、けちな手品使だて"
],
[
"八卦見じゃあるまいし、こんなことがどうして分るのです。それとも、あんた自身が、丁度この時間に、賊を逮捕して見せるとでもおっしゃるのですか",
"そうですよ。つまり、そういう結果になるのですわい"
],
[
"マア、今すぐにでございますって? ホホホ……、では、あの赤蠍の賊が、この部屋にいるとでもおっしゃいますの?",
"そうです。憎むべき怪物は、今、この部屋におるのです"
]
] | 底本:「江戸川乱歩全集 第8巻 目羅博士の不思議な犯罪」光文社文庫、光文社
2004(平成16)年6月20日初版1刷発行
底本の親本:「黒蜥蜴・妖虫」新潮社
1934(昭和9)年12月24日
初出:「キング」大日本雄弁会講談社
1933(昭和8)年12月~1934(昭和9)年10月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「ありやしない」と「ありゃしない」、「啣《くわ》え」と「銜《くわ》え」、「真剣」と「真劒」、「一人ぼっち」と「一人ぽっち」の混在は、底本通りです。
※底本巻末の平山雄一氏による註釈は省略しました。
入力:金城学院大学 電子書籍制作
校正:入江幹夫
2021年9月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "057522",
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"作品名読み": "ようちゅう",
"ソート用読み": "ようちゆう",
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"初出": "「キング」大日本雄弁会講談社、1933(昭和8)年12月~1934(昭和9)年10月",
"分類番号": "NDC 913",
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"公開日": "2021-10-21T00:00:00",
"最終更新日": "2021-09-27T00:00:00",
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"姓ローマ字": "Edogawa",
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"生年月日": "1894-10-21",
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"底本名1": "江戸川乱歩全集 第8巻 目羅博士の不思議な犯罪",
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[
[
"怪紳士、フン、探偵劇だね。それがどうかしたのかね",
"マア見れば分るよ。予備知識なしに見てくれる方がいい。その方が正確な判断が出来る。来てくれるだろうね。こういうことの相談相手は君の外にはないのだから"
],
[
"イヤ、ある人に教わって、久し振りで見たんだ。君はよく実際の出来事はつまらないと云っているが、こいつばかりは君も驚くに相違ない。事実は小説よりも奇なりって云う、僕の持論を裏書きする様な事件だよ",
"活動写真の筋がかね"
],
[
"しかも、丁度二十三日に僕と逢っているのだよ。日記帳をくって見て、それが分った。僕達はあの日帝国ホテルのグリルで飯を食った。君が僕をあすこの演芸場へ引ぱって行ったのだ",
"そうそう。そんなことがあったっけ。セロの演奏を聴いたのだろう"
],
[
"そう、その時分だった",
"それから夕食を一緒にやったんだから、君と別れたのは日暮れだった",
"ウン、日が暮れていただろう"
],
[
"どうしても君としか見えなかったものだから、実を云うと、僕は君を疑っていたのだよ。内々スリを働いているんじゃないかとね。ハハハハハ滑稽だね、それで遠慮をして、その後逢った時にも、態とそのことを話さなんだのさ",
"ヘエ、そんなことがあったのかい。すると愈々、もう一人の僕がいる訳だね"
],
[
"双生児かも知れないぜ。君は知らなくても、君には赤ん坊の時分に分れた双生児があるのじゃないかい",
"イヤ、そんなことはあり得ないよ。僕の家庭はそんな秘密的なんじゃない。双生児があればとっくに分っている筈だ。それに双生児だって、あんなソックリのがあるだろうか",
"双生児でないとすると、全くの他人で、双生児以上によく似た二人の人間が、この世に存在し得るかどうかという問題になるね",
"だが、僕にはそんなことは信じられん。同じ指紋が二つないと同様、同じ人間が二人ある筈がない"
],
[
"大学の近くの若竹亭ね(寄席の)学生時代僕はあすこへちょいちょい行ったものだが、行く度に必ず見かける一人の紳士があった。いつも極った隅っこの方にキチンと坐って聴いている。連れはなく独りぽっちだ。その紳士の顔なり姿なりが、…………、………………………………写真にソックリなんだ。髪の刈り方から、口髭の具合、いくらか頬のこけたところまで、全く生写しなんだ。で、僕はよく思ったことだがね、…………生活なんて、まるで我々の窺い知ることの出来ないものだが、案外日本でもスチブンソンの『自殺倶楽部』やマークトウエンの『乞食王子』みたいなことがないとも限らぬ。あの紳士はひょっとしたら真実その……忍び姿じゃあるまいかとね。そして、僕は高座よりは、その紳士の動作にばかり目をつけていたものだ。これは無論僕の妄想で、よく似た別人に極っているが、そんな……に生写しの人さえいるんだから、世の中に全く同じ顔の人間がいないとは、断言出来ぬと思うよ",
"そう云えばね、僕も実は経験がないでもないのだよ"
],
[
"もう三年にもなるかな、大阪の道頓堀でね、人にもまれて歩いていると、うしろから肩を叩く奴があるんだ。そして、ヤア何々さんじゃありませんか、暫くでしたね、というんだ。無論僕の名前じゃないのだよ。で、人違いでしょうと云っても中々承知しない。そして、ホラ、何々会社で机を並べていたじゃありませんかなんて、僕に思い出させようとするんだが、僕はその何々会社なんて、名も知らないのだ。結局不得要領で分れたが、それがやっぱりこの世のどこかにいる、もう一人の僕のことだったかも知れないね",
"ホウ、そんなことがあったの。若しそうだとすれば、その男はきっと僕が九段で味ったと同じ、変てこな気持がしたに相違ないね"
],
[
"君、今度若しそいつに出っくわす様なことがあったら、尾行して住所をつきとめてくれ給えね。僕も無論心掛る積りだけれど",
"いいとも、君の為でなくて、僕自身の好奇心丈けでもそれはきっとやるよ"
],
[
"居心地の悪くない家ですね",
"でしょう、僕はここが非常に気に入っているんですよ"
],
[
"承知しました。ところで、固い様ですが部屋代は前金で御願いします。これは決してあなたをお疑い申す訳ではなく、刑事などがうまくばけて探りを入れるのを避ける為です。部屋代前金と云えば、刑事さんのポケットマネーじゃ。ちと骨でしょうからね",
"成程成程、念には念を入れる訳ですね"
],
[
"お客様、お出になってもよろしいんでございますよ。本当に何とも申訳がございません。つい、それかと心配したのですけれど、何でもない人でございました。どうか御安心下さい",
"何のことだ。馬鹿馬鹿しい。それではさっきの咳払いは、単に縄梯子をおろせとの合図に過ぎなかったのか"
],
[
"イヤ、秘密に関係はないのです。実はね、あの隠し戸の外の暗闇でお金儲をしようという考えなんです。誤解しちゃいけませんよ。僕はこの妙案をさずけたからって、一銭だって割前は貰おうなんて云わないのだから",
"ヘエ、暗闇でお金儲けですって",
"分りませんか。あの密室の中に二人、外の暗闇に一人、一時に三人のお客様です。というのは、あすこの板壁に目につかぬ程の節穴があるからですよ。ね、お分りでしょう"
],
[
"でも、中の方々が気づくと大変ですわ",
"大丈夫、あの節穴は極く小さいのです。少し不便だけれど、大きくしては危険だからあのままでよろしい。まあやってごらんなさい。最初のお客様には僕がなります。イヤ笑いごとじゃありませんよ。でね、僕が先ずやって見て工合が悪い様だったら、僕限りでよしてしまえばいいでしょう。冗談でない証拠に暗室代を御払いします。これで一晩。悪くはないでしょう"
],
[
"雑誌を止す気じゃあるまいか。親爺この頃ひどく熱がないね",
"氏はまるで雑誌のことなんか考えていないよ。何かしら氏の心を奪っているものがある。女かも知れない"
],
[
"十五日と云えば、先週の土曜日だね。どこで寝たって、どこで寝る筈がないじゃないか、東京にいれば家で寝るに極っている",
"確かだね。変な場所へ泊りやしまいね",
"確かとも。だが、どうしてそんなことを聞くのだい",
"じゃね、昨夜だ。昨夜君はどこにいた。十一時から十二時頃までの間さ",
"十一時には、自分の居間の蒲団の中にいたよ。それから今朝までずっと"
],
[
"逢ったのだよ。しかも非常に変な逢い方なのだ",
"話してくれ給え。そいつは一体どこの何と云う奴だ、そこで何をしていたのだ"
],
[
"お神を説きふせると、その晩から、僕は赤い部屋の外側の暗闇の密室のお客様になった。そして、今日までに都合五組。それがどちらも商売人でない紳士と淑女の初対面なのだから、何とも云えぬ凄い感じなのだ。彼等が最初の間、どんなに気拙くはにかみ合うか。そして、最後には、どんなに無恥に大胆になるか。その人間の気持の推移を見るのは、どんなえぐった小説を読むよりも、もっと恐ろしいものだよ。僕はその意味丈けでも、数十金の価は充分あると思うのだ",
"それで、あいつがその赤い部屋へ現われたのは?"
],
[
"昨夜なのさ。僕の隙見の第五夜だ。丸くぼかした視野の中に、君の、その顔が、ヒョッコリ現われた時には、僕はもう少しで叫声を立てる所だった",
"そして、あいつが、やっぱり外の連中と同じことをやったのだね"
],
[
"追駈けるんだ。速力は大丈夫か",
"大丈夫でさあ。あんなボロ車。こっちは新型の六気筒ですからね"
],
[
"ここはどこだね",
"赤坂山王下です。止めますか",
"止めてくれ給え、止めてくれ給え"
],
[
"変だね。まるで魔法使いみたいだね",
"変装すると云ったって、あんなに顔が変るものじゃないし。……服装はどうだね。赤い部屋で着ていた服はあれだったかい",
"それがハッキリしないんだ。赤い光りの下で、しかも小さな節穴から見たんだからね。似ている様にも思うけれど、オーバーコートの色合なんて、同じのがいくらだってあるからね"
],
[
"あたし、家に帰るのが、何だか怖くって。……",
"あの人にすまんと云うのでしょう。又始まった。大丈夫ですよ。決して感づきゃしませんよ。先生僕が名古屋へ来ているなんて、まるで知らないのですからね。それに今夜は帰りが遅い筈じゃありませんか。サ、早く御帰りなさい。あの人より先に帰っていないと悪いですよ"
],
[
"君は誰ですか。人違いじゃありませんか",
"僕? 僕は君の友達の青木だよ。しっかりしたまえ",
"一体あなたは僕を誰だと思っていらっしゃるのですか",
"知れたこと、品川四郎だと思っているよ"
],
[
"そうじゃないんだが。女中達もう寝てしまった?",
"エエ、つい今し方",
"君、今夜どっかへ出掛けたの",
"イイエ、どっこも"
],
[
"マア、品川さんね。S博士の通訳をなさるのね",
"それはいいんだが、うしろの方から覗いている、この顔をごらん"
],
[
"この器械は?",
"エピディアスコープと云って、不透明なものが大きく映る幻燈器械だ。これで、この写真のもう一人の奴を拡大して見ようと思ってね"
],
[
"あいつ、俺の影みたいに、いつもつき纏っていやあがるんだね。エ、そうとしか考えられないじゃないか",
"初めは遠くから、少しずつ少しずつ、じりじりと近寄って来る感じだね"
],
[
"広告って?",
"この写真をのせてだね。こんな風に私と全く同じ人間がいる。私はこの第二の自分の存在について非常な危険を感じている。どうか名乗って出て欲しい。又この人物を知っている人は知らせて貰いたい。という文句を大きく書くのだ。そうして置けばいくらか予防になると思うのだ",
"君の雑誌には打ってつけの読物にもなるね。だが、君の心配する危険は已に始っているかも知れないぜ。というのは………"
],
[
"この手紙だね",
"…………",
"オイ、どうしたというのだ。アア、君は、筆蹟を見ているのかい",
"似ている。僕は悲しいことに、この恋という字の風変りなくずし方を覚えていたのだよ",
"君の細君のかい。……だが君、女の筆蹟なんて、大抵似た様なものじゃないか。……女学校の御手本通りなんだからね",
"そうだ。今度に限ってあいつが東京へ一緒に行くと云い出した訳が分った。あいつはこちらで、君と……イヤもう一人の男と、存分逢う積りなんだ、その下心だったのだ"
],
[
"ハハハハハ、何を云ってるんだ。冗談はよし給え",
"アア、そうだった。君は品川君だね。もう一人の男じゃなかったのだね"
],
[
"なになさるの。お手紙?",
"マアいいから持って来て"
],
[
"ホホホホホホ、おかしいわ。あなたどうかなさったの",
"マア、兎も角書いてごらん",
"ホホホホホホホ、先生の前でお習字をする様ね"
],
[
"どうなすったの、苦しそうだったわ",
"いやな夢を見た。……君が、胸の上にこの手をのせていたからだよ"
],
[
"冬中、地の底で、何にも食わないで眠っていられるんだ",
"何にも食わないでかね",
"ウン、蛇の身体は、そんな風に出来ているんだ"
],
[
"若しや品川君だったら、僕は頼む。僕は決してさっき見たことも、絶対に他言はしない。ただ君と僕の妻との関係丈けは、本当のことを打明けてくれ給え。ね、品川君、頼みだ",
"ハハハハハハ、とうとう品川君にしてしまいましたね。だが、お気の毒だが、僕は品川じゃありませんよ。奥さんのことですか。サア、それは御想像に委せましょう。君、知ってるんでしょう"
],
[
"さては、貴様。このピストルは空だな",
"ハハハハ、よく気の廻るお人だ。空じゃありません。ちゃんと丸がこめてありますよ。だがあなたピストルを打ったことがありますか。打ち方を御存知ですか。それに、ホラ、あなたの手は中気病みの様にブルブル震えているじゃありませんか。ハハハハ、ピストルなんて、持手によっては、そんなに怖しいもんじゃありませんよ",
"そこをのき給え。のかないと、本当に打つよ"
],
[
"本当か。あくまで外出しなかったと云い張る積りか",
"あなたどうかなすったのじゃありません? あたし、嘘なんか云いませんわ"
],
[
"一杯飲ませてくれ給え",
"もう店を締めますから"
],
[
"お相手しましょうか",
"ウウ、やり給え。僕はね、今日は非常に嬉しいことがあるんだよ。ネ、君、歌おうか"
],
[
"君は、僕が人殺しの罪人だとでも思っている様子だね",
"エエ、そう思ってます。人でも殺さなければ、あなたみたいな、そんな恐ろしい顔つきになるもんじゃありませんからね。でも、ビクビクなさらなくってもいいんです。僕はあなたの味方です。どうです。本当のことを僕に打開けて下さいませんか"
],
[
"話してくれ給え。一万円で何を買うのか",
"奇蹟です。想像も出来ない奇蹟です。それ以上説明は出来ません。僕を不信用だと御思いなさるのでしたら、これでお別れです"
],
[
"一万円かっきりでいいのです",
"サア、一万円。だが、明日の朝でなければ現金に変らない。それまでに、僕の犯罪が発覚するかも知れぬが"
],
[
"マア、品川さん",
"どちらへ",
"御宅へ御伺いしようと思って。実は青木が変な様子で外出したまんま、帰りませんものですから、若しやお宅にでもと思いまして",
"アア、そうでしたか。イヤ、御心配なさることはありませんよ。実は麻雀の手合わせがありましてね、池袋のある家に居続けなんです。僕も昨夜はそこで泊ったのですが、今日も仕事をすませて、これからそこへ行く所なんです。で、あなたを御誘いしようと思いましてね。皆な御存知の連中です。いらっしゃいませんか。青木君も歓迎するに極ってますよ",
"マア、そうでしたの。じゃ、あたし、どうせ出かけたのですから、このまま御ともしますわ"
],
[
"青木? 青木と申しますと",
"マア……"
],
[
"本当? 死んでるの?",
"分らない。まだ動いていた",
"じゃ、早く助けてやろう。みんな、手伝って助けてやろうよ"
],
[
"××科学雑誌社長、品川四郎、ホオ、妙な人が尋ねて来たな。話でも聞かせろというのかな",
"裏に用件が書いてございます"
],
[
"大滝にて発見された婦人片腕事件につき是非是非御話し申上げ度。フン、例の片腕事件だ。何かあるかも知れんね。明智さん",
"その人、知っているの?",
"ウン、面識はある。親しい程ではないんだが。一度逢って見よう",
"じゃ、僕は遠慮しようか",
"イヤ、イヤ、却っていてくれる方がいいよ。又、君の智慧を借りることがないとも限らぬ。ハハハハ"
],
[
"あるのです。実はそれも御話しする積りで伺ったのですが、余り変なことなので、私の言葉を信じて頂けるかどうかをあやぶむのです",
"兎も角伺いましょう。無論犯人についてでしょうね",
"そうです。突然申上げると、こいつ気でも違ったのか、夢でも見ているのかと、御疑いなさるか存じませんが、この事件の裏には、恐らく私と寸分違わない、誰が見ても私と同じな、もう一人の私が糸を操っていると信ずべき理由があるのです",
"何ですって、おっしゃる意味がよく分りませんが"
],
[
"イヤ、御分りがないのは御尤もです。私だって、最初は自分の頭がどうかしたのかと疑った程です。併し、私はもう半年もの間、その、私と寸分違わない怪物の為に悩まされているのです。私だけではありません。今申上げた青木君もこのことはよく知っているのです。実を云いますと、もう長い間、私は、こんなことが起りゃしないか、起りゃしないかと、ビクビクものでいました。その私と同じ顔の男が、ひどい悪党であることがよく分っているものですから。今度の事件だって、そいつの深い企らみです。殺されたのは私の友人の細君、イヤ細君ばかりじゃない、青木君自身だって、今頃は生きているか死んでいるか分ったものではありません。両人共私と関係の深い人です。その下手人が私と寸分違わない男だとすると、どういう事になりましょう。さしずめ疑われるのはこの私です。ね、この私です。私はそれが恐ろしいのです。で、よく事情をお話して、悪人の先を越して、私自身はこの事件に何の関係もないということを、ハッキリ申上げて置く為に、急いで伺った様な訳なのです",
"伺いましょう。出来るだけ詳しく話して見て下さい。ここにいるのは、御承知かも知れませんが有名な民間探偵の明智小五郎氏です。御話の様な事件には、明智君もきっと興味を持たれることと思いますから"
],
[
"面白いには面白いが",
"イヤ、僕の云うのは、君の意味とは違うのだよ。今の男は少くとも手品にかけては、玄人も及ばぬ手腕を持っているということだ",
"な、何だって"
],
[
"いつの間に?",
"あの男を戸口へ見送りに立つ時さ。あいつ、まさかここにもう一人手品使いがいるとは知らなかったろう",
"アア、又君の酔狂か。それはいいが、肝腎のあいつを逃がしてしまったじゃないか。指環よりも、あいつの方が大切だ、証拠湮滅にやって来るからは、あいつこそ犯人かも知れない",
"僕はそうは思わぬ。指環のなくなったことはすぐ知れるのだ。それを顔をさらして盗みに来る奴が真犯人だろうか。まさかそんな無茶をする奴はあるまい。多分部下のものだよ。今騒ぎ立てたら、大物が逃げてしまう。マア、慌てなくてもいい。こいつはひどく面白そうだから、僕も一肌脱ぐよ。イヤ、あいつを追っかけるのは止し給え。この位の犯人になると、黙っていても向うから接近して来るものだよ。現に今の仕草だって、見方によれば我々に対する挑戦じゃないか"
],
[
"今の男じゃないか",
"そうの様です",
"そうの様ですって、顔を見れば分るじゃないか",
"エエ、併し……"
],
[
"この途方もない石垣の下の、溝の中に、菰を被って寝ている乞食婆さんという図はどうだい",
"フフン、こんなとこに乞食がいるもんか。それよりは、この高い塀を乗り越えている泥棒でも想像した方が、よっぽどいい景色だぜ"
],
[
"相手は三人だ。騒いじゃ危いぜ",
"だが、残念だなあ。ここの家へ知らせてやる間はないかしら",
"駄目駄目。門まで一丁もある"
],
[
"上首尾だったね",
"ウン、だが、べら棒に重かったぜ",
"そりゃ重いさ。慾と栄養過多でふくれ上っているんだからね"
],
[
"追っ駈けようか",
"止せ止せ、ちゃんと現場写真を撮ってしまったのだ。慌てることはない。それよりも、このことをここの家へ知らせてやろうじゃないか"
],
[
"オイ、奴さん達、何だか落して行ったぜ",
"ウン、走って行く奴の身体から、何か落ちた様だね。ハンカチかも知れない",
"そうじゃない。紙切れの様だ。兎も角拾って置こう"
],
[
"こりゃ何だ。馬鹿馬鹿しい。高名者番附けじゃないか。つまらないいたずら書きをしたもんだ。元老、内閣諸公を初め、えらい人は洩らさず並べてある。だが、この人選は一寸うまく出来ているね",
"うまい、実にうまい。俺が考えたって、これ以上には選べないね。ピッタリ的にあたっている。それにしても明智小五郎は変だね。先生盗まれる様なものを持っているのだろうか",
"ハハハハ、お笑い草だ。じゃ早くこの家へ知らせてやろうよ"
],
[
"待て、その中に宮崎常右衛門の名前があるじゃないか。しかも下に(1)と番号が打ってある。オイ、ここはその宮崎の邸だぜ",
"何だって、それじゃ、この人名は泥棒の日程表か。して見ると、明日の晩は、(2)の番号の打ってある明智小五郎、あさっては(3)の警視総監の所へ這入ろうって訳かね。オイオイ、冗談じゃないぜ"
],
[
"ウ※(小書き片仮名ン)、例の有名な幽霊男とか云う奴だね",
"そうです。あれ以来まるで消えてしまった様な怪物です",
"して、君はこのもう一人の男も見覚えているということだが",
"ハア、私ばかりじゃありません。高等係のものは誰でも知っています。有名な危険人物です"
],
[
"それが、党員とハッキリ分らない丈けに、始末が悪いのです。非常にはしっこい奴で、どうしても尻尾を出さないのです。表面では、K無産党に籍を置いて居ります",
"ハハハハ、幽霊男と共産党の握手か。イヤハヤ、奴等もすばらしい武器を手に入れたものだ。ハハハハ"
],
[
"イヤ、実際恐ろしい武器です。私、長年この職に従って居りますが、こんな馬鹿馬鹿しい事件は想像したこともありません。考えれば考える程、頭が混乱するばかりです",
"で、こいつらの逮捕は",
"まだです。無論手配は致しましたが、奴等の巣はとっくに空っぽでした。併し、仮令逮捕したところが、どうにも仕様がありませんよ。家宅侵入罪の外は何の罪もないのですから",
"フン、するとやっぱり、何一品盗まれたものはないと云うのだな"
],
[
"そうです。私、今朝程、宮崎さん御本人に御逢いして、充分聞訊して来たのですが、宮崎家には塵程の紛失物もないということでした",
"だが、この荷物の恰好は、どうも品物の様には見えぬが",
"それです。私も無論それに気づきました。この写真ばかりではありません。A新聞の記者は賊共が『そりゃ重いさ、慾と栄養過多でふくれ上っているのだからね』と云っているのを耳にしたのです。その言葉から考えますと、どうしても人間としか考えられません。でその方も入念に検べたのですが、宮崎家の家族や召使でいなくなったものは一人もいないのです",
"その上に、この連名帳か。ワハハハハ、僕もやがて槍玉に上る訳だね"
],
[
"波越君、僕は警察のことにかけちゃ素人だ。だが、時には素人の考えが、君達よりも却って、正しく物を見る場合がないとも限らんよ",
"とおっしゃいますと"
],
[
"この事件についてだね。全然別の見方をすることは出来ないかと云うのだ。……分らんかね、例えばだ、その品川という人物と幽霊男とが、全く同一人だと考えたらどうかね",
"エ、しますと、最初から一切が作り話だったという……",
"そう、僕の考えは常識的に過ぎるかも知らんが、そんな寸分違わぬ人間が、この世に二人いようとは思われぬのだ、僕の五十余年の生涯の経験にかけて、そんな馬鹿馬鹿しい話を真に受けることは出来ん",
"併し、併し……",
"君は通俗科学雑誌の編輯者なんてものが、どんな心理状態にあるかを知っているかね。彼等は真面目な学者ではないのだ。謂わば小説家だ、珍奇な好奇的なことを集めて、それを読者に誇示して喜んでいる手合だ。この世間をアッと云わせようという心理、それが嵩じると、狂的な企てをもやり兼ねない。よく知らんけれど、外国の有名な犯罪者に、ちょいちょい何々博士という学者がいる……、彼等もつまりはアッと云わせたい方の学者なんだ。ね、そうは思わんかね",
"併し確かな証拠が、現に品川と幽霊男とは二三尺の間近で対面さえしているのです。それも品川自身の申立てばかりでなく、青木愛之助の日記帳に明記してあります",
"その日記帳は僕も見た。見たからこそ幽霊男の存在を信じなくなったとも云えるのだ。というのはあの対面のし方が非常に不自然だ。品川は節穴から覗いた。その時もう一人の男、青木だったね、その青木は同時に節穴を覗くことが出来なんだ",
"でも、……",
"まあ聞き給え。青木は前に一度節穴から品川の姿を覗いている。だから、その晩は、ただそこへ来た男の身体の一部分を見た丈けで、服装が同じな為に、例の第二の品川と信じてしまったのかも知れない。僕は当時日記を読んで、すぐそれに気附いたが、まだ確信に至らなかった。ところが今度の事件だ、番附みたいな連名帳だ。盗難品のない盗難だ。つまり、科学雑誌社長の創り出した奇抜な探偵小説だとは思わんかね。共産党員というのも、君達の神経過敏で、品川に傭われたつまらん男達かも知れん。奴がそんな危険人物として名前を売って居れば、お芝居が一層本当らしくなる訳だからね"
],
[
"すると、あの三浦の屋根裏部屋での対面は、替え玉を使って、品川が青木に幽霊男を信じさせたお芝居だとおっしゃるのですか。又、昨夜の事件も、品川がA新聞の写真部員が来るのを予め知っていてやったとおっしゃるのですか",
"無論僕等には、そんな持って廻った狂言をやって喜ぶ男の心持は分らん。併し、全然見分けのつかぬ程似通った二人の人間を想像するよりは、まだ幾分可能なことに思われる",
"併し、活動写真に映った顔は? 夕刊新聞の写真版は?",
"そう、そんなものもあったね、だが、君、新聞社の写真部に懇意な者があれば、写真の群集の中へ一人の男の顔を、手際よくはめ込んで貰う位造作はないことだよ。群集の中に誰がいた所で、新聞価値に影響はないからね。活動写真の方は、なあに、監督の男と申合わせて、嘘の日附を書いた手紙を送って貰ったとすれば、忽ち謎がとける"
],
[
"エ、何とおっしゃいます",
"明智小五郎さ。ハハハハ、あの男がね、数日前、こんな理論を組立てて見せてくれたのさ。それを少し修正して用いたまでだ"
],
[
"イヤ、信じてはいない。信ずべき確証は何もないのだ。ただ、そんな風に裏から見ることも出来ると報告してくれた丈けさ",
"それで?",
"それで、明智君自身で、品川四郎の身辺につき纏って監視するというのだ。そして、この次幽霊男が姿を現わした時、本物の品川に怪しい点がなかったら、愈々この現代の怪談を信じなければなるまいというのだ。僕はあの男の論理が気に入ったし、こんな迷宮事件は玄人がジタバタするよりも、一先ず信用の出来る局外者へ任せて置いた方が、好都合だと思ったものだから、彼の申出でを承認した訳だ",
"明智君は、どうして私に話してくれなかったのでしょう"
],
[
"山田君、この方の前で正直に答えてくれ給え。君昨夜寝たのは何時頃だったね",
"ブリッジで夜更かしをして、もう東の方が少し明るくなってましたから、四時近かったかも知れません",
"ブリッジの相手は?"
],
[
"ブリッジを始めたのは何時頃だったかしら?",
"サア、九頃でしょう",
"それから夜明けまで、僕は座をはずした様なことはなかったね",
"エエ。便所へ立たれた外は"
],
[
"エ、警視庁に何か御用がおありですか",
"ハア、その高名者番附とかを一度拝見したいと思いましてね"
],
[
"君は誰です",
"分りませんか"
],
[
"ウン、まだ入社して半月にもならない。だが、紹介者がいいので、社長すっかり信用してしまって、僕が宿に困っている体を装うと、当分家へ来て居給えという事になったのさ",
"で、愈々君も疑いがはれた訳だね",
"ウン、この目で見ていたんだからね。だが実に不思議だ。どうして、そんな同じ顔の人間が出来たのだろう。古今東西に例のないことだ。君にしたって、僕が品川の一人二役を疑ったのを無理だと思うまい",
"思わないとも。実はさっき、そのことを総監から伺って、君の明察に感じ入った程だ"
],
[
"幽霊男と共産党の握手か。と云って総監に笑われたが、君この点をどう思うね",
"僕はまともに考える。彼奴の大陰謀の一つの現われではないかと思う。宮崎常右衛門氏の紡績会社は、確か争議中だったね",
"アア、君の考えもそこへ来たね。争議中だ。男女工一団となって、まるで非常識な要求を持出している。だが、その意味で宮崎家を襲ったとすると、家人に少しの危害も加えず、何一品持出していないのが不思議だね",
"それが、重大な点だ。奴等は何かしら運び出した。併し邸内には紛失したものがない。この不気味な矛盾。……恐ろしいことだ",
"で、君はあの番附みたいな連名帳を信じるかね。第二に襲われるのは君自身だという"
],
[
"エ、何だって、じゃ連名帳に僕の名があるのか。それが二番になっているのか",
"そうだよ。そして、君の次が赤松警視総監だ"
],
[
"サア、青山じゃございませんかしら",
"青山なら、書斎の方へ持って行く筈だ。それにたった一通というのはおかしい"
],
[
"いや、御無理はないのです。こういう事に慣れている私でも、今度丈けは何だか変な気持です。私はいくらかあいつの遣り口を知っているからです。……併し、あいつだって人間です。いくらなんでも、この防備をくぐり抜ける力はありますまい。不可能事です",
"果して、不可能事でしょうかね",
"超自然の力でも持たぬ限りは",
"その超自然力を、賊は持っていると広言しておる",
"虚勢です。考えられぬことです"
],
[
"心配することはない、こうしてわしがついているではないか。それに、この部屋のまわりは、刑事や書生で取巻いているといってもよい程だ。現に、賊は裏門を這入らぬ内に、捕まってしまったじゃないか。ハハハハハハ、ナアニ、少しも心配することはないのだよ",
"でも、私、なんだか。……お父さま!"
],
[
"誰でもない。お前のお父さんだよ",
"違います。違います。……お父さまじゃない。……アア、怖い"
],
[
"君、宮崎さんはどこに行かれたのだ",
"洗面所です",
"今か",
"エエ、つい今しがたです。アア、帰って来られました"
],
[
"その間、この部屋へ誰も這入ったものはあるまいね",
"エエ、決して"
],
[
"アア、明智さん、賊は捕まった様ですね",
"エエ、併し……"
],
[
"お嬢さんは大丈夫ですか",
"御安心下さい。雪江の方は別状ありません。ごらんなさい。あの通り元気ですよ"
],
[
"明智さん。可哀想に余程疲れたと見えて、居眠りをしています",
"居眠りですって。あなたは、あれを居眠りだとおっしゃるのですか"
],
[
"この部屋へ誰も這入らなかったことは確かだろうな",
"ハア、ドアの方に向って廊下に立っていたのですから、見逃す筈はありません。決して間違いはございません"
],
[
"愚直な程です。同郷人で、永年目をかけている男です",
"お嬢さんに何か、つまり、一種の感情を抱いていたという様な……",
"イヤ、そんなことは決してない。あれは婚約の恋人を持っている。その娘は国にいるのですが絶えず手紙の往復をして、非常にむつまじいのです",
"すると、全く不可能なことが、有り得ないことが行われたのです",
"だが、不可能なことが、どうして行われ得るでしょうか。賊は我々の気づかぬ出入口を持っていたかも知れない",
"そういう出入口はこのたった一つのドアの外には全然有り得ないのです。私は予めここを充分検べて置きました。窓は鉄格子がはまっている。壁にも戸棚にも何の仕掛けもない。ドアさえ守れば大丈夫だということを見極めて、御嬢さんを守る為に、この部屋を選んだ訳です"
],
[
"そうです。……併し、若し、そういうお答えでは満足出来ないとおっしゃるならば……",
"エ、すると何か……"
],
[
"恐ろしいことです。いや、寧ろ滑稽なことです。併し、同時に算術の問題の様に、簡単明瞭な事実です。唯一にして避くべからざる論理的帰結です",
"それは?"
],
[
"云ってごらんなさい",
"私の留守中、娘さんに近づき得た人物は、天にも地にもたった一人であったと申上げるのです",
"たった一人? それは、つまり、わしのことでしょう",
"そうです。あなたです"
],
[
"すると君は、娘を殺した犯人は、娘の実の父親であるわしだとおっしゃるのか",
"不幸にして、僕はそれを信じることが出来ません。併し、あらゆる事情、あらゆる論理が、その唯一の人を指しています",
"君は、本気で云っているのですか",
"本気です。軽蔑して下さい。僕はこの明々白々な理論を肯定する勇気がないのです。そこには、人間力の及ばない不思議な力がある。この力が何物であるかをつきとめ得ない以上は、僕は無力です"
],
[
"明智先生をですか",
"そうだ。この人は気が狂ったのだ。わしが娘の下手人だなんて、途方もない暴言を吐くのだ。一刻も邸内へ置く訳には行かぬ"
],
[
"アア、やっぱりあなたでしたね。お分りでしょう。明智小五郎です。僕は大変な失策をやったのです、あなたを例の幽霊男だと誤解してしまって。……しかし、さっき電話口へ出たのはあなたではなかったのですか",
"ヘエ、電話ですって。それは何かの間違いでしょう。僕に電話はかかった覚えはありませんよ"
],
[
"では、君はどうして、籠抜けなぞをして、僕を撒こうとしたのです",
"私は近頃臆病になっているのです。それに老人の変装で、あなたということが、ちっとも分らなかったものですから、又白蝙蝠一味のものが、何か悪企みを始めたのかと誤解したのです。本当に僕が幽霊男なら、こんな所へ来る筈がありません。外にいくらも逃げ場所はある筈です"
],
[
"ア、貴様は",
"ハハハハハハ、一杯喰ったね。イヤ、動いては為にならぬぜ。ほら、これを見給え"
],
[
"非常に重大な証拠物件だ。あとで話すよ。だが、とりあえず、赤松総監に御目にかかり度いのだ。いらっしゃるかい",
"ウン、今僕は総監室で話をして出て来たばかりだ。刑事部長さんもいたよ",
"じゃ、一つ巡査君に、このトランクを運ぶ手伝いを頼んでくれ給え。総監室へ持込んで貰い度いのだ"
],
[
"例の白蝙蝠事件が、一向にはかどらないのでね。だが、妙な物を持込んで来たじゃないか。そのトランクは何だね",
"何か御用談中ではなかったのですか"
],
[
"イヤ、我々の話は今すんだ所だ",
"それでは、甚だ恐れ入りますが、総監お一人にお話し致したいことがありますので、暫く……",
"オイオイ、明智君、ここにいるのは、君も知っている刑事部長さんだよ。失礼なことを云っては困るね",
"ですが、実は非常に重大な事柄だものですから、総監にお話し申上げるさえ、躊躇する程なんです。失礼ですけれど、暫くお人払いを……"
],
[
"このトランクの中の品物を、ごらん願い度いのです",
"ひどくかさばったものだね。開けて見給え"
],
[
"明智君、これは一体どうしたことだ。君はいつの間に僕の敵になったのだ",
"ハハハハハハハ、私が明智小五郎に見えますかね。もっと目をあけてごらんなさい。ほらね"
],
[
"君、誰かに手伝わせてね、このトランクを表まで運び出すんだ。そして、アア、明智君、車が待たせてあるのかね",
"ハア、人力車が待たせてあります",
"では、その人力車に積んで上げるのだ。分ったかね"
],
[
"お腹がすいているのでしょう。で、誰か身寄りのものはありませんの。お父さんとかお母さんとか",
"なんにもありません。みなし子です。そして、お腹の方はおっしゃる通りペコペコですわ",
"じゃ、人に知れるといけませんから、この窓から這入っていらっしゃい。今あたしが、何かたべるものを探して来て上げますわ",
"誰も来やしませんか",
"大丈夫、この家には、今あたし一人で、あとは召使のものばかりですから"
],
[
"どう見たって、分らないわね。私がお前で、お前が私だって云うことは",
"マア、勿体ない。私はもう死んでも本望でございますわ。一度でも大臣様のお嬢様になれたかと思うと",
"お前、そんなに嬉しいかえ"
],
[
"お前美禰子だね。美禰子に違いないね",
"マア、何をおっしゃってますの、お父さま"
],
[
"どうかなさいましたか、閣下、御気分が悪いのですか",
"お父さま。お父さま"
],
[
"犯罪者? 泥棒かね。そんなものを捕えるのに、総監自身御出馬というのは変な話だね。オイ、オイ伯爵、もうちっと自重してくれないと、化の皮がはげるぜ",
"泥棒なんかで君を呼びはしない。国事犯だ。イヤ、国事犯と云った丈けでは足らぬ。共産党よりも、革命よりも、もっと恐ろしい犯罪だ",
"オイ、伯爵、おどかしっこなしだぜ。いたずらもいい加減にし給え。態々呼びつけて置いて"
],
[
"イヤ、冗談を云っているのではない。兎も角、君の引連れて来た部下をこの部屋へ呼び集めてくれ給え",
"本当かね。オイ"
],
[
"本当だよ。僕達で少し相談した事があるんだ。やっぱり団の仕事の内なのだ。マア、警官達を呼ぶがいい",
"それじゃ、書生に命じてくれ給え"
],
[
"で犯人がこの官邸に潜伏しているとおっしゃるのですね。それは一体どこです",
"ここです。この部屋です"
],
[
"誰をですか",
"斧村錠一と青木愛之助の両名をです"
],
[
"私も野村君と同意見です。警官諸君、大河原の命令じゃ。この二人のものを捕縛しなさい",
"待て、待って下さい。この私が赤松でないとおっしゃるのか。これは面白い。どうして私が赤松でないか、その理由を明かにして下さい",
"君は斧村錠一だからだ"
],
[
"オイ斧村、君は僕を誰だと思っているのだね",
"僕は斧村じゃない。だが、君は野村君に極っているじゃないか",
"本当の野村秘書官に、君達の陰謀が看破出来ると思うかね"
],
[
"信じ得ない。それは神の許さぬことだ。奴等も君と同じ様な一種の変装術を用いているのではないか",
"決して。彼等は真から容貌が変っているのです。例えば青木夫妻の如き人間が、どうして私の変装術を真似ることが出来ましょう。私は少くも十年間の絶え間なき研究と練習を積んで、やっと随意に顔の皺まで変える術を会得したのです。素人の彼等に出来ることではないのです。彼等のは私の様に変通自在ではありません。決定的のものです。一度容貌を変えたなら、そのまま永久に続くのです",
"夢だ。私も君も夢を見ているのだ"
],
[
"馬鹿を云い給え。お嬢さんをなぐるものか。この乞食娘だ。こいつがお嬢さんに失礼を働いていたからだ",
"君がお嬢さんというのは、あいつのことかね"
],
[
"あいつって、あれがお嬢さんでないと云うのか",
"君は、白蝙蝠団の魔術を忘れたのかね。あれは君、青木愛之助の細君の芳江という女だよ。……ホラ、逃げ出した。何よりの証拠だ"
],
[
"ここにいるのです",
"ここというと?",
"この部屋にです",
"オイ、冗談を云っている場合ではないぜ。この部屋には、君と僕の外に誰もいないじゃないか。それとも、あの人形共の中に、そいつがいるとでも"
],
[
"オイオイ、お前方は何者だ。無闇に這入って来てはいかん。大切な仕事の邪魔になるのを知らんか",
"イヤ、大川博士、邪魔をしに来たのではありません。私達は先生の驚くべき御事業を、参観に参った者です。御高説を拝聴に参ったものです"
],
[
"ウン、左様か。それならば別段叱りはせぬが、お前達はわしの学説を聞きに来たというが、多少でも医学を心得ておるのか",
"イヤ、医学者ではありません。この方々は警視庁のお役人です。つまり役目柄、先生の御発明がどんなものであるかを、一応伺って置きたいと申しますので",
"アア、役人か。役人がわしの仕事を見に来るのは当り前だ。なぜやって来ぬかと、不思議に思っていた位だ。よろしい。素人にも一通り分る様に説明して上げよう"
],
[
"顔の繃帯を取って見てもよろしいでしょうか",
"イヤ、そいつはいけない。今繃帯をとっては、元の木阿弥だ。薬剤の効力がなくなってしまう。とってはいけない"
],
[
"あんた、生れ変りたいのだね",
"エッ、生れ変るといいますと?"
],
[
"生れ変ることが出来たら、誰だって生れ変りたいでしょうね。しかし、あなたのおっしゃる意味はどういう事でしょうか",
"つまり、あんたという人間がこの世から無くなってしまうんだ。死ぬのだね。そして、全く別の一人の人間がこの世に生れて来るのだ。その代価が一万円。どうです、廉いものじゃろう",
"そんなことが、本当に出来るのですか",
"ウン、出来る。厄介じゃが一つ説明するかな。ここへ来る客人は皆、わしの説明を聞くまでは手術を承知しないからね。あんたもそうじゃろう"
],
[
"それで分りましたよ。だから品川四郎が二人いたのですね。第二の品川四郎を作り出したのはあなただったのですね",
"イヤ、名前は禁物じゃ。わしはあんたの名前も聞こうとは思わぬ。名前も身分も何も聞かないで御依頼に応ずるというのがわしの営業方針でね。品川四郎なんて無論わしは知りませんよ"
],
[
"ウ、猟奇の果だって?",
"そうさ。これが猟奇の行きつまりというわけさ。どうだい、堪能したかい",
"堪能だって?",
"君の持病の退屈が救われたかというのさ",
"退屈だって?",
"フフフフフフ、君は退屈を忘れていたね。退屈病患者の君が退屈を忘れていた。これは一大奇蹟だぜ。その奇蹟料が一万円は廉かろう",
"エ、一万円?",
"さっきのポンピキ青年に君が渡した一万円さ。人間改造術なんて嘘っぱちだよ。あんなお能の面のような顔の青年を傭って、怪老人の改造術をまことしやかに見せかけたというわけだよ",
"ウウ、そうか。すると君も…………",
"ウン、正真正銘の品川四郎、科学雑誌社長の品川四郎兼スリの品川四郎、君の奥さんをたぶらかした品川四郎、生首接吻の品川四郎、ハハハハハハハ、どうだね、正に一万円は廉いものだぜ"
]
] | 底本:「江戸川乱歩全集 第4巻 孤島の鬼」光文社文庫、光文社
2003(平成15)年8月20日初版1刷発行
底本の親本:前篇 猟奇の果、後篇 白蝙蝠「江戸川乱歩全集 第七巻」平凡社
1931(昭和6)年12月
「猟奇の果」もうひとつの結末「猟奇の果」日正書房
1946(昭和21)年12月
初出:前篇 猟奇の果、後篇 白蝙蝠「文藝倶楽部」博文館
1930(昭和5)年1月~12月
「猟奇の果」もうひとつの結末「猟奇の果」日正書房
1946(昭和21)年12月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「マーダラア」と「マアダラア」、「いやぁがる」と「いやあがる」、「麻睡」と「麻醉」、「ハッと」と「はッと」の混在は、底本通りです。
※「白布」に対するルビの「しろぬの」と「はくふ」、「追駈」に対するルビの「おっか」と「おいか」、「俯伏」に対するルビの「うつぶ」と「うつぷ」と「うつぶし」の混在は、底本通りです。
※底本巻末の平山雄一氏による註釈は省略しました。
※誤植を疑った箇所を、「江戸川乱歩全集 第4巻 孤島の鬼」光文社文庫、光文社、2009(平成21)年6月30日3刷発行の表記にそって、あらためました。
※「案の定うせおったな」は「案の定来おったな」のような意味合いの方が妥当とおもわれるためママ注記をつけました。
入力:nami
校正:入江幹夫
2021年6月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "058467",
"作品名": "猟奇の果",
"作品名読み": "りょうきのはて",
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"初出": "前篇 猟奇の果、後篇 白蝙蝠「文藝倶楽部」博文館、1930(昭和5)年1月~12月<br>「猟奇の果」もうひとつの結末「猟奇の果」日正書房、1946(昭和21)年12月",
"分類番号": "NDC 913",
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[
[
"ええ、羽田へ行って来ました",
"ああ、弁天様へ御参詣で"
],
[
"好い景色では無いか",
"左様で御座います。第一、海から来る風の涼しさと云ったら"
],
[
"宗匠は、なんでも委しいが、チト当社の通でも並べて聞かしたら如何かの。その間には市助も、なにか肴を見附けて参るであろうで……",
"ええ、そもそも羽田の浦を、扇ヶ浜と申しまするで、それで、それ、此地を要島、これは見立で御座いますな。相州江の島の弁財天と同体にして、弘法大師の作とあります。別当は真言宗にして、金生山龍王密院と号し、宝永八年四月、海誉法印の霊夢に由り……",
"宗匠、手帳を出して棒読みは恐れ入る。縁起を記した額面を写し立のホヤホヤでは無いかね",
"実は、その通り"
],
[
"お暑う御座いますが、お暑い時には、かえってお熱いお茶を召上った方が、かえってお暑う御座いませんで……",
"酷くお暑い尽しの台詞だな。しかし全くその通りだ。熱い茶を暑中に出すなんか、一口に羽田と馬鹿にも出来ないね",
"能く江戸からお客様が入らッしゃいますで、余まりトンチキの真似も出来ませんよ",
"それは好いけれど、何かこう、茶菓子になる物は無いかえ。川上になるが、川崎の万年屋の鶴と亀との米饅頭くらい取寄せて置いても好い筈だが",
"お客様、御冗談ばかり、あの米饅頭は、おほほほほ。物が違いますよ",
"ははは。羽田なら船饅頭だッけなア"
],
[
"海鯽ですよ。一枚切りですが、滅法威勢が好いので……それから石鰈が二枚に、舌平目の小さなのが一枚。車鰕が二匹、お負けで、二百五十文だてぇますから、三百置いて来たら、喫驚しておりましたよ",
"じゃア丸で只の様なもんだ"
],
[
"あれまア、二百で沢山だよ、百文余計で御座いますよ",
"一貫でも、二貫でも、江戸じゃア高いと云われないよ。何しろこのピンピンしているところを、お嬶さんどうにかして貰えないだろうか",
"一寸家まで行って、煮て来ましょうで",
"お前の家まで煮に帰ったのじゃア面白く無い。ここで直ぐ料理に掛けるのが即吟で、点になるのだ。波の花が有るなら石鰈と舌平目は、塩焼にして、海鯽と鰕を洗いというところだが、水が悪いからブツブツ切りにして、刺身で行くとして、紫は有るまいねえ",
"別当さんのところへ御無心に行って参りましょう",
"そうして貰おう。御前、愚庵の板前をまア御覧下さい"
],
[
"お客様、お酒のお相手にはなりませんが、これから川崎まで船をお仕立てなさいますと、その娘がお供致しますよ",
"女船頭か",
"左様ですよ、大師様へお参りなさるなら、森下まで行きます。それから又川崎の渡し場まで入らッしゃるのなら、お待ち申しておりますよ。八町畷を砂ッ塵でお徒歩になりますより、矢張船を待たして置いてお乗りになれば、この風ですから、帆も利きます、訳無く行って了いますよ",
"成程なア、それは妙だ",
"川崎の本街道へお出ましになれば、馬でも、駕でも御自由で……"
],
[
"いよ、それに限る。それで弁天様よりも美しい娘なんだな",
"左様で御座いますよ。色は少し黒う御座いますがね",
"それはどうも仕方が無い。御前、如何です、そう致そうじゃア御座いませんか",
"美人はともかく、船で川崎まで溯るのは思いつきだ。早速、その用意をして貰おう"
],
[
"あなた方、前以てお断りして置きますが、あれで色気と云ったら些ともありません。冗戯が執拗いと直き腹を立てまして、なんでも、江戸の鳶の衆を、船から二三人櫂で以て叩き落したと云いますからね。あなた方にそんな事も御座いますまいが、どうかそのおツモリで",
"そいつは大変だ",
"それで気は優しくッて、名代の親孝行で御座います"
],
[
"宗匠、後ばかり見ねえで、まア先手の川上をお見なせえ。羽田の漁師町も川の方から見ると綺麗だ。それに餓鬼どもが飛込んで泳いでるのが面白い",
"先の方を見ると、大師様の御堂の御屋根が見えるくらいで、何んの変哲もないが、後の方をこうして振向いていると、弁天様の松林が、段々沈んで行くのが見えて嬉しい",
"なに、生きた弁天様のお顔が拝みたいのでしょう",
"実は金星、大当りだ。はははは"
],
[
"姐さん……",
"はい……",
"お前の名は何んと申すか",
"……玉と申しますよ",
"お玉だね……玉川の川尻でお玉とは好い名だね。大層お前は親孝行だそうだね",
"いいえ……嘘で御座いますよ",
"両親は揃っているのかい",
"いいえ、母親ばかりで御座います",
"それは心細いね。大事にするが好い",
"まア出来るだけ、楽をさしたいと思いますが……餌掘りや海苔拾い、貝を取るのは季節が御座いますでね、稼ぎは知れたもので御座います",
"でも、こうして船を頼む人が多かろうから……",
"いいえ、偶にで御座いますよ。日に一度宛お供が出来ますと好いのですが、月の内には数える程しか御座いませんよ",
"それでは困るねえ、早く婿でも取らなくッちゃア……",
"あら、婿なんて……",
"だッて、一生独身で暮らされもしなかろう",
"それはそうで御座いますが、私、江戸へ出て、奉公でもしたいと思っております",
"奉公は好いな。どうだな、武家奉公をする気は無いかな",
"私の様な者、とても御武家様へはねえ……こちらで置いて頂きたくッても、先方様でねえ",
"いいや、そうで無いよ。お前の様な美顔で、心立の好い者は、どのくらい武家の方で満足に思うか分らない",
"おほほほは、お客様、お弄りなさいますな",
"いや、本統だよ、奉公どころか、嫁に欲しいと望む人も出て来るよ",
"おほほほは、私、羽田の漁師を亭主に持とうとも思いませんが、御武家様へ縁附こうなんて、第一身分が違いますでねえ",
"身分なんて、どうにでもなるもんだよ。仮親さえ拵えればね"
],
[
"いや、そんな事はどうにでもなるんだよ。とにかく、どうだね、身が屋敷へ腰元奉公に来る気は無いか",
"えッ、御前の御屋敷へ?"
],
[
"いや、大した事でも無い。少しの間、休息致しておれば、じき平癒致そうで……どうか身に構わず行って下さい",
"でも、御前がお出でが無いのに、我々で参詣しても一向興が御座いませんから……",
"いや、遊びの心で参詣ではあるまい。大師信心……どうか拙者の代参として、二人で行って貰いたい"
],
[
"いや、それ程でも無い。少しここで休んでいたら、納まりそうだが、帆を下して了ったので、日避けが無くなった。どこか日蔭へ船を廻して貰いたいな",
"それでは、中洲の蘆の間が好う御座います。洲の中には船路が掘込んで御座いますから、ズッと中まで入れますで",
"だと、人も船も蘆の間に隠れて了うのだね",
"左様で御座いますよ",
"それは好い隠家だ。早速そこへ船を廻して貰いたいな"
],
[
"よもや、鳶の者の二の舞はなされまい。何しろ御旗本でも御裕福な六浦琴之丞様。先殿の御役目が好かッたので、八万騎の中でも大パリパリ……だが、これが悪縁になってくれなければ好いが、少々心配だて",
"宗匠、大層、月並の事を仰有いますね",
"何が月並だよ",
"だって、吉かれ凶しかれ事件さえ起れば、あなたの懐中へお宝は流れ込むんで",
"金星、大当りだ。はははは"
],
[
"おや、今の夕立で船が沈んだか。それとも雷鳴が落ちて、微塵になったか",
"そんな事はありませんや。どこかへ交しているんでしょう。なにしろ呼んで見ましょう",
"なんと云って呼ぶかね。羽田の弁天娘のお玉の船やアーい、か"
],
[
"宗匠、いよいよ遣られましたぜ。鳶の者が櫂で叩落されたと同じ様に、御前も川へドブンですぜ。肱鉄砲だけなら好いが、水鉄砲まで食わされては溜りませんな",
"そんな事かも知れない。若殿の姿が見えないのだからな",
"こうなると主人の敵だから、打棄っては置かれない。宗匠も助太刀に出て下さい",
"女ながらも強そうだ。返り討は下さらないね"
],
[
"娘の髪が余りキチンとしていますぜ。些とも乱れていませんが、能く蘆の間で引懸らなかッたもので",
"巻直したのだろう",
"濡れていませんぜ",
"当前さ、帆で屋根が張ってあるから大丈夫だ",
"おやおや、帆屋根の下に屍骸がある。若殿が殺されていますぜ",
"なに、寝ていらッしゃるんだろう"
],
[
"や、お嬶さん、今日は一人で来たけれど、お茶代はズッと張込むよ。小判一枚、投げ出すよ",
"へへへへ、どうか沢山お置き下さいまし",
"いや、冗談じゃア無い、真剣なんだ。その代り悉皆こっちの味方になって、大働きに働いて貰わなければならないんだがね",
"へえ、お宝になる事なら、どんなにでも働きます",
"実は、例の羽田の弁天娘、女船頭のお玉に就いてな",
"分りましたよ。どうもそんな事だろうとこの間内から察しておりましたよ。お玉坊がブラブラ病。時々それでも私のところへだけは出て来ましてね。この間の御武家様は、未だ入らッしゃらないかッて、私を責めるんですから困って了います",
"お玉坊がブラブラ病とは不思議だね。実はこちらでも若殿がブラブラ病。ブラとブラとの鉢合せでは提灯屋の店へ颶風が吹込んだ様なものだ",
"なんですか知りませんが、あれは本物で御座いますよ。初めて男の優しさを知ったので御座いますからね。でもお玉が惚れるのも道理で御座いますよ。あんな立派な殿様は、羽田の漁師町にはありませんからね",
"それは無いに極っている",
"似合の二人、どうにかして夫婦にして遣りたいと思いますが、何分にも身分が身分ですからね",
"それなんだ。そこがどうにも行悩みだが、御隠居奥様も大層物のお分りになった方だし、御親類内にも捌けた方が多いので、そんな訳なら、とにかく、屋敷へ呼寄せたい。母親の生活は又どうにでもしてやると、親元には相当の人を立て、そこから改めて嫁入り……と、まア、そこまで行かない分が、二千八百石御旗本の御側女になら、今日が今日にでも成られるので、支度料の二百両、重いけれど愚庵は、これ、ここに入れて来ているのだがね",
"それはどうも有難う御座います",
"待ってくれ、礼には早い",
"左様ですか",
"若い同士二人でモヤモヤしている間は、顔が美しくッて、気立が優しくッて、他に浮気もせず、殿を大事にさえしておれば、好いに相違無いが、いずれは二人の間に、子宝が出来ると考えなければならない",
"それはそうで御座いますよ。あの娘は、六人や七人は大丈夫産みますね",
"その時にだ、能くある奴、元の身分を洗って見ると、一件だッてね",
"一件?",
"一件で無いにしたところで、癩病の筋なんか全く困る",
"それはそうで御座いますねえ",
"どうも世継の若様が眉毛が無くッては、二千八百石は譲られない"
],
[
"そこで、念には念を入れて、身元を洗って来てくれ。これは金銭に換えられぬ家の一大事だからと、御隠居奥様から、入用として別に頂いて来ているので、それを残らずお前に上げては、愚庵も困る。そこで、お嬶さん、何もかも打明けての話なんだ。お前を味方と抱き込んでの話なんだ",
"へえへえ、いくらでも抱き込まれますよ",
"そんなに傍へ寄って来なくッても好い。そこでお嬶さん、愚庵の立前を引いて、お前さんに、小判で十両上げよう",
"小判十両! 結構で御座います",
"まアお待ちよ。この十両はだね、この十両は巧く話が纏まったら、御礼として上げるのだよ",
"だと、話が纏まらない時は、頂け無いのですか",
"そこだよ。愚庵も江戸ッ子だ。話がバレたとしても十両上げるよ",
"だと、お玉坊の本統の身元を申上げて、それが為にバレになりましても、十両……",
"その代り、話が纏まっても十両、どっちへ転んでも十両で、お前に損は無いのだから、本統の事さえ教えて貰えば好いのだよ。嘘偽りを教えられたのでは後日になって、愚庵が申分けが無い。申分けが無いとなると、切腹するより他には無いのだが、同じ死ぬのならお前のドテッ腹へ風穴を穿けて、屍骸が痩せるまで血を流さした上で、覚悟をする",
"いえ、正直のところを申しますよ。決して嘘偽りは申しません。本統の事を申しますよ"
],
[
"そこでどうだい、一件の家筋、非人の家筋という心配は無いかね",
"そんな事は御座いませんよ。一件でも非人でも、そんな気は些ともありませんから、その方は請合ます",
"やれ、それで一安心。そこで、肝腎の血の筋だ。癩病の方はどうだね",
"その方は大丈夫です。あの家には昔から悪い病のあったという事を聞きません。あの家に限らず羽田には、そんな血筋は無い様で……私だッて大丈夫で",
"分った分った、それならもう心配する事は無い",
"それがね、ただ一ツ御座いましてね。いえ、隠しても直ぐ分る事で御座いますから、あの娘に取ってはまことに気の毒ですが、余り知れ切った話ですからね、申しますがね",
"ふむ、なんだい、どんな曰くが有るんだね",
"あの娘の父親は、名代の海賊で御座いました",
"えッ、海賊?",
"竜神松五郎と云って、遠州灘から相模灘、江戸の海へも乗り廻して、大きな仕事をしていましたよ",
"おう、竜神松五郎と云ったら、和蘭船の帆の張り方を知って、どんな逆の風でも船を走らして、出没自在の海賊の棟梁、なんでも八丈島沖の無人島で、黒船と取引もしていたッてえ、あ、あ、あの松五郎の娘……あの松五郎の娘が、お玉だッたか",
"それで御座いますよ。その松五郎も運の尽きで、二百十日の夜に浦賀の船番所の前を乗切る時、莨の火を見られて、船が通ると感附かれて、木更津沖で追詰められて、到頭子分達は召捕りになりましたが、松五郎ばかりは五十貫もある異国の大錨を身に巻附けて、海へ飛込んで死んで了いましたので、未だその他に同累も御座いましたのですが、それはお調べにならないで了ったそうで……",
"竜神松五郎の娘。嗚呼、あのお玉が海賊の娘かい……どうもこれは飛んでも無い事が出来て了った",
"ねえ、先生、それはそうで御座いますが、どうにかそこがならない者で御座いましょうか。父親は海賊でも、母親は善人で御座いましてね、それにあの通り娘は出来が好いので御座いますから、これは私の慾得を離れて、どうにか纏めて遣りたいもので御座いますが……",
"それがどうもそう行かない。や、行かない訳が有るんだ。なるべくなら愚庵も纏めて遺りたい。又六浦家の方でも、ナニ海賊なら大仕掛で、同じ泥棒でも好いよと、マサカ仰有りもしないが、そう仰有ったところで、娘の方で承知出来ない",
"へえ、それはどういう訳で御座いますか",
"その海賊竜神松五郎を退治た浦賀奉行は、六浦の御先代、和泉守友純様だ",
"えッ",
"琴之丞様の父上が御指揮で、海賊船を木更津沖まで追詰めて、竜神松五郎に自滅をおさせなさったので、それが為に五百石の御加増まで頂いていらッしゃるので、お玉の父の敵は琴之丞様の御父上、敵同士の悪縁だから、纏まりッこは無い",
"なる程、それじゃア夫婦にはなれませんや"
],
[
"お嬶さん、今度は私が調べに来たんだ。礼はウンと出すよ。宗匠は何程出したか知らねえが、この市助はケチな上前なんか跳ねやアしねえ。五十両出すよ、五十両",
"それがねえ、五十両が百両お出しになりましても、いけないので御座いますよ",
"いけねえのは分っているが、そこを活かすのが市助の智謀なんだ。お前にしろ、宗匠にしろ、正直だからいけねえのだ。俺に法を書かせるとこういう筋にするんだ。好いかい、先ず羽田で一番慾張りで年を取った者を味方に附けるんだ。その年寄にお玉の素姓を問合せて見たところが、その年寄の云うのには、あれは松五郎の実の娘では御座いません。これには一条の物語が御座いますと云わせるんだ",
"ああそんな役廻りなら、宅の隠居をお遣い下さいまし。慾張りでは羽田一番ですから",
"そこで、その一条の物語というのを書卸すのだがね。竜神松五郎が房州沖で、江戸へ行く客船を脅かして、乗組残らず叩殺したが、中に未だ産れ立の赤ン坊がいた。松五郎の様な悪人でも、ちょうど自分の女房が産をする頃なので、まア、それに引かされて連れて帰って見ると、自分の子は死んで産れたところで……これこそ虫が知らせたので、ちょうど好い。産婦に血を上らしてはいけねえと、連れて来た赤ン坊を今産れたと偽る様に産婆と腹を合せてその場を繕ったのが今のお玉。実のお母親の気でいても全くは他人、この魂胆を知っているのは松五郎の生前に聴いた俺ばかりだ……とお前のところの隠居に云わせるのだ",
"お前さんは実に偉い。智慧者だねえ。そうすればお玉さんは松五郎の子で無いのだから、敵同士の悪縁という方は消えて了うね",
"そうだよ。それで双方申分が立つてえものだ。なアにどっちからも惚れ合っているのだから、こいつは少々怪しいと思っても、筋さえ立っている分には、それで通して了おうじゃアねえか。人間このくらいな細工をするのは仕方がねえよ。嘘も方便で、仏様でも神様でも、大目に見て下さろうじゃアねえか",
"では早速そういう事に取掛るに就ては、内の老爺をここへ呼んで来ますよ",
"その序でにお玉坊のところへも一寸立寄って、悪い様にはしねえ。近い内に好い便りを聴かせるから、楽しみにして待っていねえと、そう云って喜ばして置くが好いぜ",
"ああそうしましょう",
"留守の間に店の菓子を片っ端から食べるが好いかい",
"好いどころじゃア無い、前祝いに一升提げて来ますよ",
"有難い。魚は海鯽も結構だッたが、子持の蟹が有ったら二三バイ頼むぜ",
"好う御座んす。探して来ましょう"
],
[
"どうしたい",
"大変です",
"何が大変だ",
"死にましたよ",
"お前の老爺が死んだのか",
"なアに、家の老爺はピンピンしていますが、大事なお玉さんが血を吐いて死にましたよ",
"えッお玉坊が死んだ?"
]
] | 底本:「怪奇・伝奇時代小説選集5 北斎と幽霊 他9編」春陽文庫、春陽堂書店
2000(平成12)年2月20日第1刷発行
底本の親本:「現代大衆文學全集2」平凡社
1928(昭和3)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:岡山勝美
校正:門田裕志
2006年9月22日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"ぜひどうか敵討に出掛けて貰いたい。去年の今夜でござる。その節もお願いして置いた。この敵を討ってくれる人は貴殿よりほかにはござらぬと申したので。や、その節快く御承諾下されたので、我々共は今日の参るのを指折り数えて待っておった次第で",
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"御失念では痛み入る。それ、武州は府中、六所明神暗闇祭の夜、我等の仲間が大恥辱を取ったことについて",
"ああ、あの事でござるか"
],
[
"肴は何があるな。甲州街道へ来て新らしい魚類を所望する程野暮ではない。何か野菜物か、それとも若鮎でもあれば魚田が好いな",
"ところがお侍様、お祭中はいきの好い魚が仕入れてございます。鰈の煮付、鯒ならば洗いにでも出来まする。そのほか海鰻の蒲焼に黒鯛の塩焼、鰕の鬼殻焼",
"まるで品川へ行ったようだな",
"はい、みな品川から夜通しで廻りますので。御案内でもござりましょうが、お祭前になりますると、神主様達が揃って品川へお出でになり、海で水祓をなさいまして、それから当日まで斎にお籠りで、そういう縁故から品川の漁師達も、取立ての魚を神前へお供えに持って参りまするが、同じ持って行くのならたくさん持って行って売った方が好いなんて、いつの間にやら商売気を出してくれたのが、私達の仕合せで、多摩の山奥から来た参詣人などは、初めていきの好い魚を食べられるなんて、大喜びでございます",
"そう講釈を聴くと江戸では珍らしくないが、一つ海鰻を焼いて貰って、それから鯒は洗いが好いな。まあその辺で一升つけてくれ",
"一升でございますか",
"いずれ又後もつけて貰う。白鳥で大釜へつけて持って来い",
"へえへえ"
],
[
"いや余計もやらぬが、貧乏世帯の食事道具呑位のものじゃ",
"へえ、貧乏世帯の食事道具呑……聴いたことがございませんな。それはどういう呑み方でございますか",
"金持の道具では敵わぬが、貧乏人の台所なら高が知れておる。それに一通り酒を注いで片っ端から呑み乾すのだ",
"へえ、それでは、まあ茶碗に皿、小鉢、丼鉢、椀があるとして、親子三人暮しに積ったところで、大概知れたもんでございますな。手前でもそれなら頂けそうでございます",
"ところが、拙者は茶碗や皿などは数には入れておらん。いくら貧乏世帯でも鍋釜はあるはず。それまで一杯注いで置いて呑む",
"こいつあ恐れ入りました"
],
[
"や、それは私として、初耳でございますが、私の聴きましたのは、ちっと違いますので",
"どんな話か、肴に聴きたいもんだな"
],
[
"まだほかに何があったか知れませんが、それはただ私達の耳に入らねえだけのことだと思います。今夜もきっと何かあるだろうと思われますよ。何しろ諸方から大勢人が入込んで居りますから……それに、昨年は、信州のある大名のお部屋様が、本町宿の本陣旅籠にお泊りで、そこにもなんだか変な事があったそうで、それについては私は能く存じませんがね",
"大名のお部屋が泊っていても、矢張神輿渡御の刻限には火を消さずばなるまいな",
"それはもうどちら様がお泊りでも、火を点けることはできますまい"
],
[
"旦那は、能くこの暗いのに、私ということが分りましたね",
"お前は又拙者が忍んで近寄ったのに、能く分ったの"
],
[
"へえ、私は、昼間より、夜分の方が眼が能く見えますんで",
"なに、その方も夜目が利くのか。拙者も実は夜目が利くのだ",
"おや、旦那も夜目がねぇ、へえ、そうでございますかい。じゃあ矢張、お稼ぎになるんですね",
"稼ぐとは何を",
"へへへへ",
"何を稼ぐと申すのか",
"なに、ちょっと、その",
"拙者を白浪仲間とでも感違いを致したのか",
"まあ、その、ちょっとね。へへへへ、夜目が利くと仰有いましたので……どうも相済みません",
"するとその方は、確かに泥棒だな",
"御免なすって下さいまし。隠しゃぁ致しません。全く私は花婿仲間でございます",
"花婿仲間とはなんだ",
"夜目取りで。へへへ、嫁取りに文字ったので",
"江戸の者は泥棒まで洒落っ気があるな。面白い。そこでその方は、毎年暗闇祭には稼ぎに来るんだな",
"実は旦那、稼ぐというのは二の次で、遊び半分、まあ毎年来て居ります。私ばかりじゃぁございません。仲間の者がみな腕試しやら眼試しのために",
"腕試しというのはあるが、眼試しとはなんだ",
"この泥棒稼業に一番大事なのは眼でございます。暗闇で物を見るようにならなければ、好い稼ぎができません。それで泥棒、と云っても、それぞれ筋があるのでございますが、私達の仲間の古老からみな教わったのでございますが、食忌みをして、ある秘薬を三年の間服みつづけまして、それから又暗闇の中で眼を光らかす修業を二三年致します。泥棒になるんだって本統になろうと思うと、修業に骨が折れて楽ではございません。もちろんこれは昔のすっぱの家から伝わった法が土台になっておるそうで……そこで、まあ私もその修業の法は早く済ましてしまいまして、闇夜でも手紙が読めるくらいまでには行っております。異名を五郎助七三郎と申しますが、七三郎が本名で五郎助は梟の啼き声から取ったのでございますがね",
"それで今、お前の仲間は",
"仲間は日本国中にどのくらいあるか知れませんが、関東だけでざっと五百二十人ばかり、でも本統に夜目の利く奴は、僅かなもので、ようやく五人でございました。今から六年前のちょうど今月今日召捕られまして、八月十九日に小塚っ原でお仕置を受けました鼠小僧次郎吉なんか、その五人の中には入って居りません。あんな野郎はまだ駆出しで",
"その五人というのは……",
"そう申しては口幅っとうございますが、先ずこう申す五郎助七三郎が筆頭で、それから夜泣きの半次、逆ずり金蔵、煙の与兵衛、節穴の長四郎。それだけでございます",
"変な名だな。それがみな、暗闇祭へ来たのか",
"揃って来たこともありましたが、近在の百姓衆の財袋を抜いたところで高が知れております。しかし、まあ、悪戯をするのが面白いんで、たとえば神様のいらっしゃる境内をも憚らず、暗闇を幸いに、男女が密談などしているのを見付けては、知らない間に二人の髷をちょん切って置いたりなんかして、脅かしてやりまして、以後そんな不謹慎な事をしないように誡めてやりますので",
"去年も五人揃って参ったか",
"それが旦那、それからがお話でございます。夜泣きの半次は御用になりまして、まだ御牢内に居ります。煙の与兵衛は上方へ行って居りまして、一昨年には節穴の長四郎と、逆ずり金蔵と、私と、三人連れで参りましたがね。その時に、えらい目に遭いましてねえ"
],
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"あんなのを天狗とでも云いましょうか。夜目の利く私達よりも、もっと夜目の利く山伏風の大男がね。三人で、ちょうどこの裏山で、抜き取った品物を出し合って勘定をしていたところへ、不意に現われて、金剛杖のような物で滅茶滅茶です。三人もじっとして打たれるようなのじゃあありません。懐中に呑んでいた匕首で、魂限り立ち向ったんですが、とても敵いませんでしてね。三人とも半殺しの目に遭わされました。それが原因で逆ずり金蔵は二月ばかり患って死んでしまいました。節穴の長四郎と私は湯治に行くてえような有様で……そこで去年、その敵討というので、すっかり準備をして、長四郎と二人でね、暗闇祭に来ましたがね",
"どんな準備をして",
"目つぶしです。目つぶしを仕入れて、それを叩きつけてから斬付ける手筈でしたが、矢張いけませんでした。長四郎があべこべに眼を潰されて了いました",
"向うから目潰しを投げたのか",
"いいえ、指を眼の中へ突込みやあがったので",
"酷い事をするな",
"とうとう私一人になってしまいました。今年は口惜しいから、どうしても私一人で敵を討つ了簡で、実は種ヶ島を忍ばせているんでございます",
"去年も矢張山伏姿か",
"左様でございました",
"そいつではないか。去年、武家の顔面を傷つけたのは……",
"さあそうかも知れません",
"臀肉を切ったというのは、その者ではあるまいか",
"多分そうかも知れませんな",
"七三郎とやら、お前、拙者に隠してはいかんぞ。お前と長四郎とで、旗本六人の鼻の頭を斬ったのじゃあないか",
"いや隠しません。隠すくらいなら初めからなんにも云いません。や、白状ついでだから一つは云いますが、本陣へ忍び込んで、大名のお部屋様の小指を切って逃げたのは私です。その女は私の稚友達だったのですから",
"じゃあ全く、その方、旗本の鼻や、女の臀を切ったのではないのだな",
"前には男女の髪は切りましたが、昨年は、お部屋様のほかにはなんにも致しませんでございました"
],
[
"ぐずぐず云わずとここへ降りて来い",
"降りても好い。だが、貴様達がそこにいては降りられない",
"こわくって降りられんのか",
"いや、そうじゃあない。俺は一足飛びにそこへ飛んで降りるのだが、ちょうど足場の好い所へ二人並んでいやあがる。邪魔だ",
"馬鹿を云うな。二人の前でも、後でも、右でも、左でも、空地はある。どちらへでも勝手に飛降りろ",
"だから貴様等の夜目は役に立たないんだ。まだ暗闇が見えるというところまでに達して居らない。貴様達の後には犬の糞がある。それが貴様達には見えないだろう。前には山芋を掘った穴がある。能く貴様等は落ちなんだものだ。右には木の根が張っている。左には石や瓦のかけが散っている。みな飛降りるのに都合が悪い。ちょうど貴様達二人のいる所が、草の生え具合から土の柔かみで、足場が持って来いだ。それをこの二丈五六尺から高い樹の上から、暗闇の中にちゃんと見分けることのできる俺だのに、貴様達にはそれができぬ。夜目について威張った口を利くのは止せっ"
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"もう止せ。とても俺には敵うまい。ぐずぐずしていると貴様の命はなくなるぞ。や、それでは少し借しい。それに貴様達は考え違いをしておる。俺は旗本六人の鼻も切らねば、十数名の女の臀部も切らぬ",
"えっ",
"それについて実は俺も不思議に思っているところなんだ。さあ勝敗止めて話し合って見ようじゃあないか"
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"うーむ",
"唸らなくっても好い。まあ木の根にでも腰を掛けろ。おっとそこの木の根には毛虫が這ってる。貴様には見えまいが、俺には見える",
"何、毛虫がいたって構わん"
],
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"それがどうして一昨年と昨年と、二年つづきで七三郎の仲間を、半殺しの目に遭わされたか",
"当り前じゃあないか。神祭の際に悪事を働くなんど怪しからん奴等だから、懲らしめのために二年つづきで遣付けてやった。今年で根絶しに致すところなんだ",
"それでは、旗本六人の鼻は",
"や、それは本統に知らん。俺は全くそんな事はしらない。女の臀部を切ったのも全で知らん。ほかにあるに違いない。俺は暗闇を幸に悪事をする奴を懲らしめるために、毎年下山して来ておるが、どうも去年のだけは見当がつかぬ",
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"ところがこの娘が今夜も遣ったんで、去年のも多分そうでしょう",
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"お前さん達は男ばかり目を付けて廻ったから逃がしたんで、あっしは女に目を付けたんで奴と分った。当身で気絶さして、引担いで来たんです。御覧なさい、着物に血が着いている。手にも着いてるでしょう。帯の間に血塗れの剃刀が手拭に巻いて捻込んであります",
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"いや約束だ。酒は私が奢る。これも約束だ。見付けた者が威張れるだけ威張って、後の二人が地面に手を仕いてお辞儀と極ってるんだ。そこで私は、相談だ。山伏の奴は俺の友達の敵なんだから、拳骨で頭をこつんというのを、小机さんの分と一緒にして、二つ殴らせて貰いてえね。それは逆ずり金蔵と、節穴長四郎との二人の敵討に当ててえので。それさえ済んだら後は笑って、機嫌よく飲んで別れようではありませんか",
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]
] | 底本:「怪奇・伝奇時代小説選集8 百物語 他11編」春陽文庫、春陽堂書店
2000(平成12)年5月20日第1刷発行
底本の親本:「現代大衆文學全集 江見水蔭集」平凡社
1928(昭和3)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:岡山勝美
校正:門田裕志
2006年9月22日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "046491",
"作品名": "怪異暗闇祭",
"作品名読み": "かいいくらやみまつり",
"ソート用読み": "かいいくらやみまつり",
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"分類番号": "NDC 913",
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"人物ID": "000448",
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"名": "水蔭",
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"名読み": "すいいん",
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[
[
"おぬしの身の皮を残らず剥ぐ。丸裸にして調べるのじゃ",
"それは又何故に",
"ええ、未だ空惚けおるか。おぬしは拙者の腰の印籠を盗みおった。勿論油断して岩を枕に午睡したのがこちらの不覚。併し懐中無一文の武者修業、行先々の道場荒し。いずれ貧乏と見縊って、腰の印籠に眼を付けたのが憎らしい。印籠は僅かに二重、出来合の安塗、朱に黒く釘貫の紋、取ったとて何んとなろう。中の薬とても小田原の外郎、天下どこにもある品を、何んでおぬしは抜き取った",
"いえいえ、全く覚えの無い事",
"ええ、未だ隠すか。これ、この懐中のふくらみ、よもやその方女子にして、乳房の高まりでも有るまいが"
],
[
"御免なされませ。まことは私、盗みました。それも母親の大病、医師に見せるも、薬を買うも、心に委せぬ貧乏ぐらしに",
"なんじゃ、母親の大病、ふむ、盗みをする、孝行からとは、こりゃ近頃の感服話。なれども、待て、人の物に手を掛けたからには、罪は既に犯したもの。このままには許し置かれぬ。拙者は拙者だけの成敗、為るだけの事は為る。廻国中の話の種。黒姫山の裾野にて、若衆の叩き払い致して遣わすぞ"
],
[
"思い切って片付けました",
"油断をしたのが敵の運の尽きじゃ",
"先生、早速差上げます。印籠はこれで八十六で御座りまする。後十四で百に揃いまする"
],
[
"百の数が揃いましたら、その代り霧隠れ雲隠れの秘薬の製法、御伝授下さりましょうなァ",
"や、人まで殺した執心に感じて、百までには及ばぬ。八十六でもう好い",
"でも、百の印籠から取出した薬の数々を練り合せ、それに先生御秘蔵の薬草を混ぜたのが、霧隠れ雲隠れの秘薬とやら",
"それには又それで秘事口伝が有る。や、今夜拙老の隠宅へ来なさい、何事も残らず打明けて語り聴かそう。それよりもこの屍骸じゃ。人目に触れぬ間に、埋め隠くさねば相成らぬ。林の中には薬草の根元まで掘下げた穴が幾つも有るで、その中の大きなのを少し拡げるまでじゃ。拙老が手伝うて遣わすぞ",
"何から何まで御親切な"
],
[
"それを探して掘り出そう為に、薬草採りと表面を偽り、今日までは相成ったが……",
"一ヶ所にても見付かりましたか",
"それが未だじゃ",
"浪人が好い加減の事を申したのでは御座りませぬか",
"いやいや、極めて確かな話じゃ。それは斯様な筋合じゃ"
],
[
"およそ古今武将の中で、徳川家康という古狸位、銭勘定の高い奴は無いとじゃった。欲ばかり突張っていたその為に、天下も金で取ったようなもの。その金好きを見抜いて喰入ったのが、元甲州は武田家の能楽役者、大蔵十兵衛と申した奴。伊豆に金山の有る事を申上げてから、トントン拍子。それから又佐渡の金山を開いて大当りをして、後には大久保の苗字を賜わり、大久保石見守長安とまで出世したのじゃが、それ程の才物ゆえ、邪智にも長けていて、私かに佐渡吹きの黄金を隠し置き、御役御免になっても老後の栄華、子孫の繁盛という事を考えて、江戸へ運び出す途中に於て、腹心の者と申し合せ、幾度にも切って人を替え、時を変え、黒姫山麓に埋蔵したという筋道じゃ。それも頗る巧みなる遣り口でのう。腹心にはことごとく武田家の浪人筋を用い、軍用金として佐渡の黄金を溜めて置き、時機を見て、武田家再興の大陰謀を企てるのじゃで、随分忠勤を励まれよと言い含め、一方公儀に向っては、信州黒姫山の麓には、金脈有り気に見えまするで、佐渡へ上下の折々に試掘致しとう御座りまする。但し人目に触れぬように内密に立廻り致しますると、ウマイ事を言上して置き、腹心の者にあちらこちらと掘り散らさせ、その後へ又他の腹心を遣わして、密かに佐渡の金を埋め隠したのじゃ",
"佐渡の金山奉行、大久保石見守という方の噂は、能く聞いておりました",
"黄金一箱、十二貫目入り、合せて百箱を五十駄積の船に載せ、毎年五隻から十隻と、今町津まで積み出された。その中を巧く抜き取ったのじゃ。拙老が三増峠で介抱した老人も、石見守が腹心の一人じゃった。そこで隠した場所は、一々石見守が地図に書き入れ、目じるしの岩石、或は立木、谷川、道筋、神社、道標、それより何歩、どの方角にと、そういう風に委しく記したのを、正副二枚だけ拵え上げ、腹心の皆々立会の上、正の地図を石見守が取り、副の地図を人数だけに切放し、銘々その一片宛に所持する事にして、万一石見守不慮の死を遂げた場合に、その切図を皆々持寄り、元の如く継ぎ合せて、隠し場所を見出すという仕掛けじゃ。一人一人、自分の隠した処を知っていても、他の者の処は知らぬので、左様に取極めたのは石見守の智慧じゃ。そうして切図は薄い油紙に包み、銘々印籠の二重底に隠し置くという、これもその時の申合せじゃ。そうして置いて陰険な石見守は、腹心の者を一人ずつ、毒殺、或は暗殺など致して退けた。三増峠の老人は、中途で、それを覚ったので、慌だしく九州路に逃げ延びて、命だけは取留めていたという",
"その石見守は疾くに死去なされました筈",
"おう、慶長十八年四月に頓死したが、本多上野介正純が石見守に陰謀が有ったと睨んで、直ちに闕所に致し置き、妾を詮議して白状させ、その寝所の下を調べさしたところが、二重の石の唐櫃が出て、その中に又黒塗の箱が有り、それには武田家の定紋染めたる旗一旒に一味徒党の連判状、異国の王への往復書類などが出たとある。これは又、上野介が小細工という説も有るが、勿論地図も出たろうなれど、それには露骨に黄金埋蔵とは書いてなかったので、単に金山脈の書入れとでも見たものか、何の沙汰にも及ばなんだ。そうして子息藤十郎以下七人は、同年七月二十日、礫刑に処せられ、召使の者等も死罪やら遠流やら……",
"そう承わると、黄金埋蔵は、本当に相違御座りませぬな",
"三増峠の老人よりは、勿論印籠を譲られたので、二重底を探って切図は得た。さァそれでおぬしにも、印籠集めを頼んだのじゃ",
"では、百種の薬を百の印籠から集めて、それで霧隠れ雲隠れの秘薬を製造とは、偽りで御座りましたか",
"偽りは偽りながら、霧隠れ雲隠れの秘薬、その他には眠り薬、痺れ薬、毒薬、解毒薬、長命不死の薬、笑い薬、泣き薬、未だ色々の秘薬の製法は、一通り心得おる。おぬしが高田の松平家に対して、父兄の仇を報じるという、それには少からず誠意を寄せる拙老じゃ。印籠集めの熱心さに、百まで集まらずとも教えはする",
"それで、今までの印籠の中に、切図を隠したのが御座りましたか",
"八十五箇の中に漸く一枚見出された。それと前に老人より授けられたる切図とを合せて見たが、残念ながら中が一枚抜けていて、どうしても繋がれずにいたところ、今日おぬしが武道者を殺して取ったる中から、又一枚を見出した。きゃつめ、二重底の秘事は知る由もない。諸国遍歴中に偶然手に入れたものであろうが",
"すりゃ、今日の印籠から",
"しかも、前の二枚の中に入れて見れば初めて合しる三枚続き",
"おう!",
"僅かに黒姫山麓のホンの一部に過ぎぬなれど、一箱十二貫目入りの分三箇だけの隠し場所が、今日漸く分ったのじゃ",
"三十六貫目の黄金! 小判に直せば、大層な値!",
"それは皆おぬしに遣る、未だその上におぬし引つぎ、印籠集めて他の場所のも探せ。その代りには拙老、頼みがある。おぬしを見込んで申すのじゃ",
"何んなりとも承りましょう、妙高山の硫黄の沸える中へでも、地震の滝壺の渦巻く底へでも、飛込めとならきっと飛び込んでみせまする",
"さらば語ろう"
],
[
"必らず先生のお志を継ぎ、蔭で機密に仕事をして、徳川家を呪いましょう",
"おう、それで拙老も安心じゃ"
],
[
"や、や、あの山神の祠の台座、後面の石垣のまん中の丸石を抜き取ると、その下が抜穴、そこに佐渡の金箱が隠して有るので御座りまするか",
"おう、その通りじゃ、あそことは実は気が着かなんだよ",
"早速、今夜にも参りまして",
"おう、取出して多年苦心の拙老に早く安堵をさしてくれ",
"かしこまって御座りまする"
],
[
"御心確かにお持ちなされませ",
"おー"
],
[
"砂が目に入ったので御座ろう",
"いや、虫の群をなしたのが、あの風に巻込まれて、運悪くも眼の中に",
"それならば未だ宜しいが、曲者有って、一時に目潰しでも投げたのでは御座るまいか、ヒリヒリ致してどうも成り申さぬ"
]
] | 底本:「怪奇・伝奇時代小説選集4 怪異黒姫おろし 他12編」春陽文庫、春陽堂書店
2000(平成12)年1月20日第1刷発行
底本の親本:「現代大衆文學全集2」平凡社
1928(昭和3)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:岡山勝美
校正:門田裕志
2006年9月22日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[
[
"三面の仙境には、江戸にいる頃から憧憬れておりました。そこをぜひ画道修業の為に、視ておきとう御座りまする",
"それは御熱心な事で御座る。幸い当方に於いても、三面の奇景は申すに及ばず、異なりたる風俗なんど、絵に書き取りて、わが君初め、御隠居様にも御目に掛けたいと存じたる折柄。では御同行仕ろう"
],
[
"この間に近所の見取絵を作りとう御座りまする。暫時失礼致しまする",
"ああ、それは宜しかろう"
],
[
"それでは、この土地へ入婿に来たいものじゃ",
"それも駄目で御座りまする。他土地の者は、決して入れませぬ",
"ああ、それでは、どうする事も出来ぬのかなァ"
],
[
"何ゆえ人に毒蛇を投げた。次第に依っては用捨はないぞ",
"おゆるされえ"
],
[
"毒蛇を投げたのは貴郎を殺したい為で御座んした",
"えッ"
],
[
"おう、そこには大江戸もある。八百八町の繁昌は、人の口ではとても語り切れぬ。何とそこへは行かれぬか。大江戸にてはこの土地のように、他郷の者に河中の髪洗いを見られたとて、不吉な事のあるなんど、その様ないい伝えは御座らぬ。その土地へそなたが行けば、立派に縁談が纏まるのじゃ。さてその良人には、拙者が進んで成り申そう",
"えッ、お前さまが、わたしを……",
"まことに打明ければ、拙者はかの髪洗いを一目見て、命も入らぬとまで、そなたに思いを懸けた。されば、拙者ゆるされたら、この土地の者と成ってもよい。が、それよりも、そなたが、拙者と一緒に、この土地をひそかに逃げ出しては下さらぬか",
"まァ何という出し抜けの縁談であろう",
"それがいやとなら、是非もない、改めて拙者は、そなたの手にて、毒蛇の為に咬まれよう。おう、殺されよう。死ぬ方が増しじゃ。遂げ得ぬ恋に長く苦しむよりは",
"それ程まで不恙な私をば"
],
[
"大炊殿、もしここで物争いでもして一人が逃げたとする。それを追うたとすれば、どちらへ向ったもので御座ろうな。足順と申そうか。まァ、それはその時の様子と、人の気の向きでは御座るけれど",
"左様に御座りまする。この境内から西南へ掛けてが、土地では熊取路と申しまして、路と申す程の路では御座りませぬが、人の行くようには成っておりまする。が、何分にも難所で御座りまするが、まァそちらへ向くのが足順のように思われまする",
"その先は何処かの里へ出られまするか",
"とても人里へは"
]
] | 底本:「怪奇・伝奇時代小説選集4 怪異黒姫おろし 他12編」春陽文庫、春陽堂書店
2000(平成12)年1月20日第1刷発行
底本の親本:「現代大衆文学全集2」平凡社
1928(昭和3)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:岡山勝美
校正:門田裕志
2006年9月22日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "046481",
"作品名": "壁の眼の怪",
"作品名読み": "かべのめのかい",
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"底本出版社名1": "春陽文庫、春陽堂書店",
"底本初版発行年1": "2000(平成12)年1月20日",
"入力に使用した版1": "2000(平成12)年1月20日第1刷",
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[
[
"先生、大丈夫です。あちらは後部にあったもんですから、それほどの損害はありません。",
"そうか。それは何より難有い。"
],
[
"しかしこうしている中にもこの中の空気が飛散すると大変だから、至急に入口を塞がなければならない。",
"僕らが道具を持って来ましょう。"
],
[
"それじゃ僕だけここに留守しているから、皆んなで支度をして来玉え。",
"では頼むよ。"
],
[
"桂田さんはどうしたんでしょうねえ。",
"さよう。きっと最先に一人で探検に出かけているのだろうと思う。",
"そうでしょうかしら。僕は何だかこの月世界の中にほかの人類か動物が生存していて、桂田さんは、それに見付かって捕われたんじゃないかと思うんです。"
],
[
"何もむつかしい事はありゃしない。この飛行器を皆で担いで行くんだ。",
"飛行器を? 五人や六人で出来るもんですか。日本だって人夫が二十人以上も要ったのでしょう。"
],
[
"それにしても博士を探しちゃどうでしょう。僕らが迎いに行って来ましょうかしら。",
"さようさ。今に皆で出かけよう。"
],
[
"だって海といっても水は一滴もありゃしないじゃありませんか。",
"昔はこの凹所に水が溜っていて海だったのだが、永い年月の間に全然乾き切って終ったんだ。しかし一度は海だったのだから、天文学者は矢張今でも海とか山とかいうように名称をつけて図を作っているのだ。"
],
[
"さああの後に蹤いて一同も飛び降りるんだ。",
"え? ここから"
],
[
"貴方何も心配なさる事はありません。空気のない処じゃ羽根のようなもんです。いくら高い処から飛んだって平気なんです。",
"さあ一緒に降りましょう。"
],
[
"何でしょう。怪物じゃないかしら、",
"鉄砲を忘れて来ちゃった。どうしよう。"
],
[
"何でもありゃしない。鉄砲を発った処が、こんな処じゃ一寸も利目はありゃしない。あれは多分桂田博士だろう。",
"博士でしょうかしら。"
],
[
"どうだ大分元気がいいじゃないか。",
"僕らは愉快で愉快で堪らないんです。"
],
[
"君が不意に居なくなったものだから、どうしたのかしらと思って大変心配したさ。それで今探しに来た処なんだ。",
"そうかそれは済まなかった。"
],
[
"君らの来るのを待っている中にあの山に昇って見ようと思って、頂上に行くと石の恰好のいい奴があったものだから、ナイフで紀念碑を彫んで、それから後ろに行くと谷から落ちたんだ。",
"そうか、あの紀念碑を見たから君が無事だった事を知って安心したのだ。それから僕らもあの後ろの崖から飛んで下に降りたのだ。"
],
[
"よし。これなら大丈夫だ。初めよりはよくなったくらいだ。これで探検隊さえ帰って来ればいつでも出発出来る。",
"何日くらいで帰れるでしょう。",
"まず一週間だね。",
"じゃもう十日ほどで又日本へ帰れるんですね。",
"どうだ。もう弱ったか。",
"何弱るもんですか。"
],
[
"やあ帰って来ました。帰ってきました。",
"そうか。"
],
[
"貴方の方はどうです。",
"僕の方も先刻出来上った。",
"そうですか、それは何より目出度い。いよいよそれでは明日にでも出発しますかな。",
"さよう。それでは一つ祝杯を挙げようじゃないか。もう空気などありたけ吸う気であの空気孔で大に胸襟を開いて飲もう。",
"賛成※(感嘆符三つ)"
]
] | 底本:「懐かしい未来――甦る明治・大正・昭和の未来小説」中央公論新社
2001(平成13)年6月10日初版発行
初出:「探検世界 秋季臨時増刊 月世界」成功雑誌社
1907(明治40)年10月号
入力:川山隆
校正:伊藤時也
2006年10月18日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "046417",
"作品名": "月世界跋渉記",
"作品名読み": "げっせかいばっしょうき",
"ソート用読み": "けつせかいはつしようき",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「探検世界 秋季臨時増刊 月世界」成功雑誌社、1907(明治40)年10月号",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2006-11-30T00:00:00",
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"姓": "江見",
"名": "水蔭",
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"名読み": "すいいん",
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"底本出版社名1": "中央公論新社",
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} |
[
[
"姉御、どうか許して呉れ。如何しても一度江戸へ行って来ねば相成らぬで",
"草深い田舎に飽いてで御座んすか。いや、私という者に愛想が尽きて、お逃げ出しで御座んすかよ",
"決して左様な訳ではない。行って見て、安心したら直ぐ帰る。実は毎夜の夢見、どうも心配で心配で耐え難いで",
"夢見?",
"夢は五臓のつかれとやら。そう云って了えばそれ迄だが、余りに一つ夢を何度も何度も繰返すので気に懸って相成らぬ。それは恩師秋岡陣風斎先生が瀕死の重態。されば先生には誰一人身寄りが無い。看病する者が居らぬ筈。孤独の御生活、殊に偏屈という御性癖で、弟子というても斯くいう竜次郎より他には持たれぬのだ。それが一師一弟の特別の稽古、その八方巻雲の秘伝をお授け下さるという事は、いつぞや姉御にも話して置いた",
"それは確かに聴きました",
"万一先生、御他界の間に合わぬ時は、折角の秘伝は消滅して、残念ながら此世には遺り申さぬ。それが如何にも惜しゅうて成らぬ。や、それは又それとしても、義理人情の薄う成り過ぎた此頃、恩師を唯一人のたれ死も同然にさせたと有っては、磯貝竜次郎の一分が立たぬ。師弟の間柄が宛如商売取引のように成ったのを、悉く不満に存じ居る折柄、是非先生の御看病を……",
"先生は本統に御病気なのですかえ",
"それは分らぬ。併し毎夜の如く続けて夢に見る。如何も気に成って耐え難い。どうか姉御、一度江戸へ遣って貰いたい。いや江戸へ帰らして呉れとは云わぬ。行かして呉れ。先生御無事ならば、直様此方へ帰って来る。もし正夢で御病気ならば、御看病申上げて、其後は屹と帰る。金打致して誓い申す"
],
[
"何、私は、話さえ分れば後はさっぱりです。何んとも思いはしませんが、併し先生、本当に帰って来て下さいましょうね",
"必ず帰る",
"此間の夜も。しみじみ云いました通り、私が以前に水戸の藤田先生の御存命中に承わった処では、今に世の中がどんでん返しをして、吃驚する程変ってくる。だから武家も、別して旗本衆などは、余程考えていなければ成らないので、大概なら剣道とか槍術とか、そんな方は見切りをつけて、砲術を学んだ方が為に成る。それには一度毛唐人の国へ行って来た方が好いとのお話……私は、実は貴郎に、米利堅へでも、和蘭陀へでも渡航して頂きたい位に考えて居りますのです。失礼ながら金は祖父の代から溜め込んで有るんですからね。二千や三千の金なら、何時でも耳が揃えられるんです",
"外国渡航に就ては、国禁も有り、吉田松陰の失敗もあり、併し追々は渡行出来ようで、是非一度は外国に渡り、見聞を弘くし、又砲術なども授って参りたいで、是非姉御の力を借らねば成らぬ故、必ず此方へ戻って来る",
"それに最一つ私は念を押して置きますよ。久々で江戸へ帰ったとて、女という女は、どんな女とでも、仲好くすると承知しませんよ"
],
[
"途中でも女と道連れになんか成らないようにして下さいよ。よござんすか。私の乾漢は何処にでもいますからね。ちゃんと見ていますよ",
"大丈夫だ。今は唯師の身の上を思うばかり……それに次いでは御身の事を"
],
[
"あら左様ですか。私も大病人がありますので、夜通しで行こうと思って居りました",
"女の身で夜道をする覚悟だと",
"ええ、仕方が有りませんから……旦那様が夜道を成さるのは私に取って何よりも心丈夫で御座います。お邪魔に成らないように、お後から附いて参ります",
"それはお前の随意だ"
],
[
"大師匠が大病……という夢ばかり見つづけましたので、耐らなく成って私だけ、斯うして飛出して来ましたんですよ",
"えっ、大師匠が病気の夢……"
],
[
"ほう、竹割り一座というのは聞いていた",
"虎太夫は中気で、本所石原の火の見横町に長らく寝ていますが、私は此大師匠に拾われました捨児で、真の親という者を知りませんのです。私には大師匠夫婦が生の親も同然。お神さんの方は先年死亡なりまして、今では大師匠一人なんですが、今の師匠の虎松は、実子で有りながら、どうも邪慳で、ちっとも大師匠の面倒を見ませんので、私は猶更気の毒で成りません。夢見の悪さがつづくので、江戸へ見舞に帰るとしても、そんな事で私を手放すような虎松では御座いませんから、私は密と抜け出して来たので御座います。江戸崎の興行先からでは、此方へ廻っては道が損かも知れませんが、行方を晦ますのに都合が好いものですから"
],
[
"や、拙者も同じく剣道の師匠の身の上を案じてだ。兎に角互いに急ごう。秋の日は釣瓶落しとやら。暮れるに早いで、責めて布川から布佐への本利根の渡しだけは、明るい間に越して置きたい",
"此辺は水場で、沼とか、川とか、堀割とか、どちらへ行っても水地ばかり、本利根へ掛る前に、未だ新利根の渡しも御座います",
"おう、新利根の渡しは、もう直きだなあ"
],
[
"えっ、船を取りに向河岸へ行く",
"私は女軽業師、幸い斯うして、彼方から此方へ、藤蔓が引渡して御座いますから、それを伝って行けば何んでも無い事で御座います",
"成程なあ"
],
[
"皆此身の不覚からだ。此分では江戸へ帰ったとて、よしや師が健在でも、面目無さに顔が合されぬ。思案を之れは仕替えねば相成らぬで、さあ如何か小虎。お前は拙者に構わず、先へ行きやれ",
"そんな事が出来ますものか"
]
] | 底本:「怪奇・伝奇時代小説選集1 水鬼 他9編」春陽文庫、春陽堂書店
1999(平成11)年10月20日第1刷発行
底本の親本:「講談倶楽部」
1925(大正14)年11月
初出:「講談倶楽部」
1925(大正14)年11月
※表題は底本では、「死剣《しけん》と生縄《いきなわ》」となっています。
入力:岡山勝美
校正:門田裕志
2006年9月22日作成
2016年7月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "046449",
"作品名": "死剣と生縄",
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"初出": "「講談倶楽部」1925(大正14)年11月",
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"公開日": "2006-11-19T00:00:00",
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"姓ローマ字": "Emi",
"名ローマ字": "Suiin",
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"生年月日": "1869-09-17",
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"底本名1": "怪奇・伝奇時代小説選集1 水鬼 他9編",
"底本出版社名1": "春陽文庫、春陽堂書店",
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[
[
"はい、先月この境内に掛りました",
"この別庵の尾上小紋三と申す者の肩書に、七化役者としてあるのは珍らしいな。どういう事を致すのか"
]
] | 底本:「怪奇・伝奇時代小説選集11 妖艶の谷 他11編」春陽文庫、春陽堂書店
2000(平成12)年8月20日第1刷発行
底本の親本:「現代大衆文學全集2」平凡社
1928(昭和3)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:岡山勝美
校正:門田裕志
2006年9月22日作成
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "046496",
"作品名": "丹那山の怪",
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"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"姓": "江見",
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"姓読み": "えみ",
"名読み": "すいいん",
"姓読みソート用": "えみ",
"名読みソート用": "すいいん",
"姓ローマ字": "Emi",
"名ローマ字": "Suiin",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1869-09-17",
"没年月日": "1934-11-03",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "怪奇・伝奇時代小説選集11 妖艶の谷 他11編",
"底本出版社名1": "春陽文庫、春陽堂書店",
"底本初版発行年1": "2000(平成12)年8月20日",
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[
[
"へえ、手前、当家の主人、半田屋九兵衛。本日はお早いお着き様で御座りました",
"早い訳じゃ。今朝、西大寺を出立したばかりで",
"へえへえ、左様で御座りまするか",
"我等三人。チト長逗留を致すかも知れぬが。好いか",
"有難う御座りまする",
"いやそう早く礼を云ってくれては困る。この後を聴いたらキッとその方、前言を取消すと存ずるが",
"いえ、どう仕りまして",
"実は我等懐中甚だ欠乏で",
"へえーン",
"三人で二月三月、事に依ったら半歳か一年、それだけ厄介に相成るとして、その間に宿代の催促されてはちょっと困る。それが承知ならこのままに腰を据えるが、さもなくば他の宿屋へ早速転泊致す。それで好いか、どうじゃの"
],
[
"へへへへ",
"いや、ただ笑っていては困る。これは本気で掛合致すのじゃから、チャンと胆を据えて掛ってくれねば、こちらにもいろいろと都合のある事じゃで",
"いや本気で仰有るとなら、実に近頃お見上げ申した御方様で。どうもこの文無しで宿を取る人間に限って、大きな顔をして威張り散らして、散々大尽風をお吹かせの上、いざ御勘定となると、実は、とお出でなさいます。一番これが性質が悪いので、それを最初から懐中欠乏。それで長逗留との御触れ出しは、半田屋九兵衛、失礼ながら気に入りました",
"それでは機嫌よく泊めてくれるか",
"ところがその何分にもはなはだ以て、その、恐縮の次第で御座りまするが、どうかハヤ御勘弁を……いえこれは御客人が物の道理の好くお了解の方と存じまして、ひたすら御憐憫を願う次第で御座りまするが、実は手前方、こうして大きく店張りは致し居りますれど、内実は火の車。借金取が毎日詰掛けますので……",
"いや、よろしいよろしい。話は皆まで聴かずとも相分った。つまり我等を泊めては迷惑致すというのであろうな。それはもっともの次第であるので、早速他に転宿致そう。ではあるが、半田屋の主人、後日に至って、アアあの時にお断り申さなんだら好かッたと後悔する事が出来ると思うが。それでも好いか",
"いや、もう、決して後悔などは致しませぬ",
"好し。しからば気の毒ながら我等は他に転宿……当家は遠からず欠所と相成り、一家城外へ追放……そのくらいで済めば、まァ好い方であろう。少し間違うとその方は打首。二本松へ晒されるかな",
"へえ――、それはどういう訳で",
"いや、長く我等を世話してくれたら、過分の御褒美は勿論の事、次第に依ってはその方を士分にお取立てがあるかも知れぬが……や、緑なき衆生は度し灘し。どうも致し方の無い事じゃ。さァ御両所御支度なされえ。東中島の児島屋勘八という店が好さそうに御座る。あそこの主人は物の分る男らしい顔つきで御座るで、あれへ参ろう"
],
[
"まァまァお待ち下さりませ。何やら御様子ありげの今のお言葉、とにかくその仔細を、御差支無い限りは、手前どもにお聴かしの程願いまする",
"それは次第に依っては申し聴かせぬものでもない。しかし、これは一大事である。我等に取っても一大事なら、当岡山城、池田の御家に取っても容易ならぬ一大事で",
"えッ",
"他聞を憚る事じゃから、そのつもりで"
],
[
"半田屋九兵衛、宿屋稼業は致して居りますれど、他聞を憚る一儀ならば、決して口外致しませぬ",
"好し。それでは申し聴かせるが……他に立聞き致す者は居るまいな",
"御覧の如く、未だどの部屋も空いて居ります。泊りの御客は夕方からで御座りまするで……",
"しからばここにて一大事を申し聴かすであろうが、先ず第一に、その方に預けて置く品がある。さァ、駒越氏、例のをこれへ"
],
[
"へえ――。こんなにお持合せで……",
"いや、未だ他に二三百両は所持致す。けれども、なかなかこの先の物入が大変と存ずるので……ま、とにかくその百両だけは預かって置け",
"へえ――",
"まだ他に一品…………さァ金三郎様、ちょっと拝見の儀を……"
],
[
"恐れ多い儀で御座りまする",
"遠慮とあればそのままで好いが、中身は当国長船の住人初代長光の作じゃ",
"へえ――",
"これを御所蔵のこの御方は、仮に小笠原の苗字を名乗らせ給えど、実は新太郎少将光政公の御胤、金三郎様と申上げるのじゃ。改めてその方に御目通りゆるされるぞ",
"うへえ――"
],
[
"いや、そんなに恐れ入るのはまだ早い。その様に仔細も承わらず恐れ入っては、この先の御用にも差支える。一応事情は申し述べる。その上にて、その方、金三郎様の御宿を致すのが迷惑と存ずるなら、遠慮なく申出でよ。早速我等は他に転宿致す。東中島の児島屋勘八、あの店の方が居心が好いように思われるで",
"どう致しまして、まず、まず"
],
[
"他聞は憚る一大事じゃが、しかし女房は一心同体。おぬしにだけなら話しても好かろう。これ、びっくりしてはならぬぞ。隠居所の御客人はアレこそ当国の太守、少将様の御落胤、奥方様御付きの御腰元鶴江というのに御手が付いて、どうやら妊娠と心づき、目立たぬ間にと御暇を賜わった。そこで鶴江殿は産れ故郷の播州姫路に立帰り、そのまま縁付いたのが本多家の御家来小笠原兵右衛門。この人は余程お人好しと見えて、何も知らずに鶴江殿を嫁に貰ったのか、但しは万事心得ていて、それを知らぬ顔でいたのかそこまでは聴かなんだが、何しろそこで産声を挙げられたのが金三郎様じゃ。その後小笠原兵右衛門さんは仔細あって浪人。その伜で届けてある金三郎様も御浪人。大阪表へ出て手習並びに謡曲の師匠。その間に兵右衛門さまは御病死、後は金三郎様が矢張謡曲と手習の師匠、阿母様の鶴江様が琴曲の師匠。その鶴江様が又御病死の前に、重い枕下へ金三郎様をお呼び寄せの上、実はこれこれの次第と箪笥の抽斗深く納ってあった新太郎少将様の御守脇差を取出させて、渡されて、しかし決して名乗り出ては相成ならぬ。君の御迷惑を考えねばならぬと堅く留められていられたのを、旅医者の俊良殿がチョロリと耳に入れて、なんというても御親子は御親子であるで、御記念の脇差を証拠に名乗り出で、御当家に御召抱えあるようにと、その御願いの為にお出向きなされたので、猶まだ動きの取れぬ証拠としては、御墨付同様の書類もあるとやら。素よりこの儀造り事ならば、御殿様の御心に御覚えのあろう筈がないで、直ぐ様騙り者と召捕られて、磔にもなるは必定。そんな危い瀬を渡る為にわざわざ三人で来られる気遣いはなく、まぎれもない正物とは、わしにさえ鑑定が出来るのじゃ",
"やれ、嬉しや、福の神じゃ"
],
[
"そこで、それ、今の内に、娘のお綾をな",
"合点で御座んす"
],
[
"したがこの事は、娘の耳にも入れて置いた方が宜しかろう",
"それもそうじゃの"
],
[
"おう、お綾。蚊帳を今から吊られては暑苦しゅうてどうもならぬ。まァまァそれよりも話して行ったが好い。今宵は又しても風が少しも無い。眠うなるまではここにいて、相手してくれやらぬか",
"はい"
],
[
"まァ、何をその様に遠慮しているのじゃ。拙者は近く御当家に御召抱えと相成る身。さすれば早速又家内を迎えねば相成らぬで、それには誰彼と云おうより、お前に来て貰いたい真実の心",
"あれ、勿体ない。宿屋風情の娘が、御身分の御方様に……",
"いやいや、それは仮親を立てる法もある。まァその様な事を申さずと、嫁入り支度に就て、もっとも打解けて語り合おうではないか。さァ、さァ近く……はて、恐しい蚊の群じゃ"
],
[
"御免なされませ",
"はて、まだ好いではないか。もう少し話相手していてほしい"
],
[
"これはこれは。どなた様かと存じましたら、あなたは小笠原金三郎様では御座りませぬか。変った土地でお目に掛りまする",
"おう、智栄尼で御座ったか",
"不思議な御対面で御座りまするな",
"左、左様で御座る"
],
[
"まァ密かに。荒立ては万事が破滅、密かに……頼む……これ、後生じゃ、頼む",
"いや頼まれぬ。破滅しても構わぬ。いや、破滅の方が却って拙尼には幸いじゃ。この悪性男。拙尼が虎の子の様にしている貯えの金三百両引出して、これが支度金で出世が出来ると備前の太守の御落胤を売物にして、三人での旅立。それは確かな証拠もある事ゆえに、それに相違はなかろうけれど、出世したところでこの家の娘を嫁に引取る料簡では、拙尼の方が丸潰れじゃ。御取立に預った上は、必らず後から呼び迎えるという、あれ程堅く約束をして置きながら、浮気するとは何事ぞい。こうした事もあろうかと、拙尼も天王寺の庵室にジッとしてはいられず、後から尾けて来て見れば、推諒通りこの始末じゃ。もう三百両の金無駄にされても好い。お前が又出世せずとも宜しい。元の通りに拙尼と、人知れず……",
"まァまァ智栄殿。ここが大事のところじゃ。どうか拙者を出世さして下さりませ。今のはホンの出来心",
"その出来心が気に入らぬ",
"いや、もう決して再び、他の女に"
],
[
"俊良様、御掛り合で、重々御迷惑とは存じまするが。それ、な、決して、その、毒死ではない、物中の為め頓死で御座りましょうで、御手数ながらその御見立を一札どうぞ",
"や、心得て御座る。決してこれは毒死では御座らぬ。これは医師の立場からして、拙老がどこまでも保証仕るで、御心配には及ばぬ事じゃ"
],
[
"御伺い致しましたところ、御覚えの程シカと御心には御留めあらせられぬとの御仰せ。しかし、御傍御用の日記取調べましたるところにては、初代長光の御脇差。こしらえは朱磯草研出しの蝋色鞘。山坂吉兵衛の小透し鍔に、鮫皮萌黄糸の大菱巻の欛。目貫には銀の輪蝶の御定紋。ちゃんと記録が御座りまする",
"ふむ、それに符合致す脇差を、浪人が所持するに相違無いな",
"左様に御座りまする",
"その金三郎と申す浪人の面体は",
"恐れ多い事ながら、御上に克似の箇所も御座りまする",
"ふむ――"
],
[
"それで御上にはなんと仰せあそばされた。御脇差を御直々に、侍女鶴江に御遣わしの御覚え、あらせられるか、あらせられぬか、何んと仰せあそばされた",
"どうも覚えは無い……との御言葉",
"ふむ、その御言葉は、濁っていたか。澄んでいたか",
"何ともそこは、拙者には……",
"いや、大事なところじゃ、構わず御身の見たままを云って見なされえ",
"憚りなく申上げますれば、平時の御上の御言葉とは少し御違いあるかに承わりました",
"それで、この事件を他の者には聴かさずと、この出羽に先ず相談せよと、こう御上は仰せられたのか",
"左様に御座りまする"
],
[
"や、御苦労御苦労。しからばそれに就てこちらにも考えが御座る。御身早速、半田屋九兵衛を呼出し、内密に申し聞かされえ",
"はッ",
"右の次第は"
],
[
"や、九兵衛。今日は一大事の密議じゃで。遠慮は入らぬ。近う",
"へえ",
"その方の宿泊人に、小笠原金三郎等の一行があろう",
"へえ、三人お泊りに御座りまする",
"恐れ多くも、御当主の御落胤と申立て、証拠の脇差を持って、御召抱の願いに魂胆致し居るとか。実際であろうな",
"能く御存じで、実は出羽様の天城屋敷御入りの為、差控え、御帰りを待って内々その運びにという事で……それを能くあなた様には御存じで",
"いや、拙者ばかりではない。既に出羽殿にも御承知",
"へえ――、えらいお早耳で",
"出羽殿より早速これを御上の御耳にも入れたところ、以ての他の事。しかしながら、浪人とあるからには家中同様の刑罰も加えられまい。見す見す騙り者と知れながらも、手の下し様もない事故。願いのままに一応は召抱え、その上にて、即座に切腹仰付けられるという、こうした御内意に定ったのじゃ",
"うへ――",
"不届なる浪人どもは、それにて始末は着くであろうが、その騙り者の宿を致したる咎に依って、その方半田屋は欠所。主人は所払い",
"うへッ",
"いかにもそれは気の毒と存じるので、内々その方の耳に入れて置く。そこまでに立至らぬ前に、何とか好きように致したらどうじゃ。これは拙者がホンの好意からの注意",
"や、有難う御座りました。なる程御召抱えの上なら切腹申付けられても否み様は御座りませぬな。宜しゅう御座りまする。左様当人にも申聞けまして、や、これは、実に、大変な事になりました"
]
] | 底本:「捕物時代小説選集6 大岡越前守 他7編」春陽文庫、春陽堂書店
2000(平成12)年10月20日第1刷発行
底本の親本:「現代大衆文學全集」平凡社
1928(昭和3)年
入力:岡山勝美
校正:noriko saito
2009年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "046489",
"作品名": "備前天一坊",
"作品名読み": "びぜんてんいちぼう",
"ソート用読み": "ひせんてんいちほう",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「現代大衆文学全集」平凡社、1928(昭和3)年",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2009-10-25T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-21T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000448/card46489.html",
"人物ID": "000448",
"姓": "江見",
"名": "水蔭",
"姓読み": "えみ",
"名読み": "すいいん",
"姓読みソート用": "えみ",
"名読みソート用": "すいいん",
"姓ローマ字": "Emi",
"名ローマ字": "Suiin",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1869-09-17",
"没年月日": "1934-11-03",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "捕物時代小説選集6 大岡越前守他7編",
"底本出版社名1": "春陽文庫、春陽堂書店",
"底本初版発行年1": "2000(平成12)年10月20日",
"入力に使用した版1": "2000(平成12)年10月20日第1刷",
"校正に使用した版1": "2000(平成12)年10月20日第1刷",
"底本の親本名1": "現代大衆文學全集",
"底本の親本出版社名1": "平凡社",
"底本の親本初版発行年1": "1928(昭和3)年",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
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"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "岡山勝美",
"校正者": "noriko saito",
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"テキストファイル最終更新日": "2009-09-09T00:00:00",
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"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"――ヲバサンコレヲアシタノアサ下島サンニワタシテ下サイ、",
"――先生ガキタトキ僕ガマダネテヰルカモ知レナイガ、ネテヰタラ、僕ヲオコサズニオイテソノママ、マダネテヰルカラトイツテワタシテオイテ下サイ――、"
],
[
"かういふことを言つていいものだらうか、",
"人にかういふことを言ふべきものではない。が、言つていいだらうか。"
],
[
"君に言つていいだらうか、",
"かういふことは友達にも言ふべきことではない、が、友達として君は聞いてくれるか、"
],
[
"小穴君はどうするのだらう、",
"どうしてゐるのだらう、"
],
[
"宇野の机の上に見覺えのある筆蹟の手紙があつたので、僕はそれを未だに恥づかしいことに思つてゐるのだが、そつとその手紙を開けてみたら、案にたがはず、○○○子(□夫人)の書いたものなので○○○子と宇野との間のことを、始めて自分はその時知つて非常に驚いた。君、○○○子はそのやうな女なんだ。",
"諏訪にゆめ子といふ(宇野の小説のヒロインとなつた人、)藝者がゐるが、これは宇野の女だが、君、その頼むから諏訪に行つて、君がそれをなんとか横取りしてくれまいか、金は僕がいくらでも出すよ。"
],
[
"あなたは芥川龍之介にどうかされたとでもいふのか、",
"一體、そんな支那梅毒でまごまごしてゐるやうな芥川龍之介とでも思つてゐるのか。あの男がそんな馬鹿かどうかは考へてもわかることではないのか、",
"支那旅行後も、ああやつて子供も生れ、その子供に梅毒の症状もみられないではないか、"
],
[
"――ああ、うるさいから電報で返事をしておいた。どうせ西の方だ。",
"――それまでにおれはもうあの世にいつてゐるから、"
],
[
"いままで度々死に遲れてゐたが、今度この十二月の九日、夏目先生の命日には、いくらどんなに君がついてゐてもきつと俺は死んでしまふよ、",
"その間一寸君は帝國ホテルに泊つてゐないかねえ、",
"いやかねえ、"
],
[
"まあ、",
"まあ、",
"いまお宅にあがらうと思つてゐたのですが、",
"わたしもいまお宅にあがらうと思つてゐたところなんです、"
],
[
"歸れといふなら歸りますよ、",
"そんなら、なぜまた自分がこんな人騷がせをするんです、"
],
[
"もつと早くホテルに來て早く死んでしまふつもりであつたが、家を出るとき堀辰雄がきて、いま東京中を自動車で乘廻す小説を書いてゐるのだが、金がなくて車を乘りまはせないと言つてゐたから、ついでだからいつしよに東京中乘りまはしてゐて遲くなつた。",
"眠れないなら藥をやらうか、"
],
[
"死にたがつていらつしやるのですつてね。",
"ええ。――いえ、死にたがつてゐるよりも生きることに飽きてゐるのです。"
],
[
"プラトニック・スウイサイドですね。",
"ダブル・プラトニック・スウイサイド。"
],
[
"口止料みたいな金は俺はいらないや、",
"死ぬんなら死ぬで俺はいいよ、"
],
[
"ちよつとでいいから觸らせておくれよ、",
"たのむから僕にその足を撫でさせておくれよ、"
],
[
"死ぬといふことは君はどう思つてゐるのかねえ、",
"腹の中のほんたうのことを言つてくれないか、",
"生きてゐてたのしい事もなからうし、いつしよに死んでしまつたらどうかねえ、"
],
[
"ああ! それはほんたうの事だ、生きてることが、死ぬことよりも恥である場合は――ほんたうだ。",
"ほんたうだ、ほんたうだ、確かに君の言ふそれはほんたうだよ。"
],
[
"ほんたうにやつたのか、",
"どうもさうらしいのです、"
],
[
"どうしたものでせう、",
"どちらでもよろしいやうに私はします。"
],
[
"繪具をつけるの?",
"つけないの?"
],
[
"君。大觀は、僕に繪かきになれといふんだ。さうすれば、自分が引きうけて、三年間みつちり仕込むで必ず者にしてみせる、といふんだ。",
"大觀は、墨を使へる者が、いま、一人もゐないといふんだ。もつともさういふ自分もまだだといつてたがね、",
"君。大觀といふ男は、實に無法な男だよ、藝術は、われら藝術家に於いては、とかいつて話をしてゐるから、なんのことかと思つてると、畫や繪かきのことだけをいつてゐるので、小説のことは、はつきり、小説とか、小説道では、といふんだ。"
]
] | 底本:「二つの繪 芥川龍之介の囘想」中央公論社
1956(昭和31)年1月30日発行
初出:二つの繪「中央公論」
1932(昭和7)年12月号、1933(昭和8)年1月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「スパアニッシュ・フライ」と「スパァニッシュ・フライ」、「壜」と「罎」、「眞劍」と「眞剣」、「廻」と「※[#「廴+囘」、第4水準2-12-11]」、「游心帳」と「游心帖」の混在は、底本通りです。
※「二つの繪」の初出時の表題は「二つの絵――芥川龍之介自殺の真相」です。
入力:富田晶子
校正:雪森
2017年6月23日作成
2019年2月26日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "058142",
"作品名": "二つの絵",
"作品名読み": "ふたつのえ",
"ソート用読み": "ふたつのえ",
"副題": "芥川竜之介の回想",
"副題読み": "あくたがわりゅうのすけのかいそう",
"原題": "",
"初出": "二つの繪「中央公論」1932(昭和7)年12月号、1933(昭和8)年1月号",
"分類番号": "NDC 910",
"文字遣い種別": "旧字旧仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2017-07-24T00:00:00",
"最終更新日": "2019-02-26T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001908/card58142.html",
"人物ID": "001908",
"姓": "小穴",
"名": "隆一",
"姓読み": "おあな",
"名読み": "りゅういち",
"姓読みソート用": "おあな",
"名読みソート用": "りゆういち",
"姓ローマ字": "Oana",
"名ローマ字": "Ryuichi",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1894-11-28",
"没年月日": "1966-04-24",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "二つの絵 芥川龍之介の囘想",
"底本出版社名1": "中央公論社",
"底本初版発行年1": "1956(昭和31)年1月30日",
"入力に使用した版1": "1956(昭和31)年1月30日",
"校正に使用した版1": "1956(昭和31)年1月30日",
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"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "富田晶子",
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"XHTML/HTMLファイル修正回数": "1"
} |
[
[
"お互に六発ずつ打つ事にしましょうね。あなたがお先へお打ちなさい。",
"ようございます。"
],
[
"先日おいでになった時、大層御尊信なすっておいでの様子で、お話になった、あのイエス・クリストのお名に掛けて、お願致します。どうぞ二度とお尋下さいますな。わたくしの申す事を御信用下さい。わたくしの考ではもしイエスがまだ生きておいでなされたなら、あなたがわたくしの所へおいでなさるのを、お遮りなさる事でしょう。昔天国の門に立たせて置かれた、あの天使のように、イエスは燃える抜身を手にお持になって、わたくしのいる檻房へ這入ろうとする人をお留なさると存じます。わたくしはこの檻房から、わたくしの逃げ出して来た、元の天国へ帰りたくありません。よしや天使が薔薇の綱をわたくしの体に巻いて引き入れようとしたとて、わたくしは帰ろうとは思いません。なぜと申しますのに、わたくしがそこで流した血は、決闘でわたくしの殺した、あの女学生の創から流れて出た血のようにもう元へは帰らぬのでございます。わたくしはもう人の妻でもなければ人の母でもありません。もうそんなものには決してなられません。永遠になられません。ほんにこの永遠という、たっぷり涙を含んだ二字を、あなた方どなたでも理解して尊敬して下されば好いと存じます。",
"わたくしはあの陰気な中庭に入り込んで、生れてから初めて、拳銃というものを打って見ました時、自分が死ぬる覚悟で致しまして、それと同時に自分の狙っている的は、即ち自分の心の臓だという事が分かりました。それから一発一発と打つたびに、わたくしは自分で自分を引き裂くような愉快を味わいました。この心の臓は、元は夫と子供の側で、セコンドのように打っていて、時を過ごして来たものでございます。それが今は数知れぬ弾丸に打ち抜かれています。こんなになった心の臓を、どうして元の場所へ持って行かれましょう。よしやあなたが主、御自身であっても、わたくしを元へお帰しなさる事はお出来になりますまい。神様でも、鳥よ虫になれとは仰しゃる事が出来ますまい。先へその鳥の命をお断ちになってからでも、そう仰しゃる事は出来ますまい。わたくしを生きながら元の道へお帰らせなさる事のお出来にならないのも、同じ道理でございます。幾らあなたでも人間のお詞で、そんな事を出来そうとは思召しますまい。",
"わたくしは、あなたの教で禁じてある程、自分の意志のままに進んで参って、跡を振り返っても見ませんでした。それはわたくし好く存じています。しかしどなただって、わたくしに、お前の愛しようは違うから、別な愛しようをしろと仰しゃる事は出来ますまい。あなたの心の臓はわたくしの胸には嵌まりますまい。またわたくしのはあなたのお胸には嵌まりますまい。あなたはわたくしを、謙遜を知らぬ、我慾の強いものだと仰しゃるかも知れませんが、それと同じ権利で、わたくしはあなたを、気の狭い卑屈な方だと申す事も出来ましょう。あなたの尺度でわたくしをお測りになって、その尺度が足らぬからと言って、わたくしを度はずれだと仰しゃる訳には行きますまい。あなたとわたくしとの間には、対等の決闘は成り立ちません。お互に手に持っている武器が違います。どうぞもうわたくしの所へおいで下さいますな。切にお願申します。",
"わたくしのためには自分の恋愛が、丁度自分の身を包んでいる皮のようなものでございました。もしその皮の上に一寸した染が出来るとか、一寸した創が付くとかしますと、わたくしはどんなにしてでも、それを癒やしてしまわずには置かれませんでした。わたくしはその恋愛が非常に傷けられたと存じました時、そのために、長煩いで腐って行くように死なずに、意識して、真っ直ぐに立ったままで死のうと思いました。わたくしは相手の女学生の手で殺して貰おうと思いました。そうしてわたくしの恋愛を潔く、公然と相手に奪われてしまおうと存じました。",
"それが反対になって、わたくしが勝ってしまいました時、わたくしはただ名誉を救っただけで、恋愛を救う事が出来なかったのに気が付きました。総ての不治の創の通りに、恋愛の創も死ななくては癒えません。それはどの恋愛でも傷けられると、恋愛の神が侮辱せられて、その報いに犠牲を求めるからでございます。決闘の結果は予期とは相違していましたが、兎に角わたくしは自分の恋愛を相手に渡すのに、身を屈めて、余儀なくせられて渡すのではなく、名誉を以て渡そうとしたのだというだけの誇を持っています。",
"どうぞ聖者の毫光を御尊敬なさると同じお心持で、勝利を得たものの額の月桂冠を御尊敬なすって下さいまし。",
"どうぞわたくしの心の臓をお労わりなすって下さいまし。あなたの御尊信なさる神様と同じように、わたくしを大胆に、偉大に死なせて下さいまし。わたくしは自分の致した事を、一人で神様の前へ持って参ろうと存じます。名誉ある人妻として持って参ろうと存じます。わたくしは十字架に釘付けにせられたように、自分の恋愛に釘付けにせられて、数多の創から血を流しています。こんな恋愛がこの世界で、この世界にいる人妻のために、正当な恋愛でありましたか、どうでしたか、それはこれから先の第三期の生活に入ったなら、分かるだろうと存じます。わたくしが、この世に生れる前と、生れてからとで経験しました、第一期、第二期の生活では、それが教えられずにしまいました。"
]
] | 底本:「於母影 冬の王 森鴎外全集12」ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年3月21日第1刷発行
入力:門田裕志
校正:米田
2010年8月10日作成
2019年5月14日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "050915",
"作品名": "女の決闘",
"作品名読み": "おんなのけっとう",
"ソート用読み": "おんなのけつとう",
"副題": "",
"副題読み": "",
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"初出": "",
"分類番号": "NDC 943",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2010-09-16T00:00:00",
"最終更新日": "2019-05-14T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001193/card50915.html",
"人物ID": "001193",
"姓": "オイレンベルク",
"名": "ヘルベルト",
"姓読み": "オイレンベルク",
"名読み": "ヘルベルト",
"姓読みソート用": "おいれんへるく",
"名読みソート用": "へるへると",
"姓ローマ字": "Eulenberg",
"名ローマ字": "Herbert",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1876-01-25",
"没年月日": "1949-09-04",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "於母影 冬の王 森鴎外全集12",
"底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房",
"底本初版発行年1": "1996(平成8)年3月21日",
"入力に使用した版1": "1996(平成8)年3月21日第1刷",
"校正に使用した版1": "1996(平成8)年3月21日第1刷",
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"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "門田裕志",
"校正者": "米田",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001193/files/50915_ruby_39238.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2019-05-14T00:00:00",
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"テキストファイル文字集合": "JIS X 0208",
"テキストファイル修正回数": "2",
"XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001193/files/50915_40186.html",
"XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2019-05-14T00:00:00",
"XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
"XHTML/HTMLファイル修正回数": "2"
} |
[
[
"頭はあるが、――顔が見えないな",
"男か、女か、――断髪だ",
"ウム、素敵な美人らしいぞ!",
"開けて見ようじゃないか"
],
[
"妹がほんのちょいとの間、あの人と同棲していたことがあるんです。それも無理やりに――、強制的に同棲させられたんですが――",
"ご亭主だッたのか?",
"おお、いやだ、ご亭主じゃありません",
"君の妹は何しているんだ? やはり、女給さんかね?"
],
[
"女優ですわ",
"女優? 何んて名だ?",
"江川百合子"
],
[
"吉川と百合子とはどこで知合ったんだ?",
"私と一緒に横浜で女給をしていた時です。吉川さんは妹を大変贔屓にしてくれました。その頃、あの人はまだ学生さんでしたが、いろんな嘘を吐いてはお父さんからお金をせびり取り、そのお金を湯水のように使って妹の歓心を買っていましたが、遂々それがお父さんに知れ、学資を断れてしまいました。吉川さんはすっかり悲観して、少時姿を見せませんでしたが、軈て学校も止めてしまい、運転手になったと云って、また来はじめました",
"すると二人は恋仲だったんだな",
"ご冗談でしょう。まさか――、あんな醜男、妹が好くわけないじゃありませんか",
"しかし、同棲までしていたんだからね",
"それや拠ない事情があったから――、ほんの申訳ばかりに、一緒の家で暮らしていたというだけのことですわ",
"どういう事情?"
],
[
"十時頃だったと思います。百合ちゃんとの仲を割いたのは初ちゃんお前だねッて、恨めしそうな顔をするんですのよ。それでなくってさえあの人の顔、気味が悪いのに――、私、ゾッとして、お店の方へ逃げて行きました。そしたら、吉川さんプンプン憤って帰ったそうですのよ",
"それから吉川がまた引返して来たんだろう?",
"否え、それっきりお店へは来ませんでした",
"じゃ、アパートへやって来たのか?",
"いいえ、そんなことはありません。私は昨夜お店にいて夜を明かし、今朝アパートへ帰って来たんですから――"
],
[
"川口譲さん",
"川口譲? ウム、あの有名な川口博士の息子か",
"ええ、そうですわ。お父さんは昨年お亡くなりになりましたが、大変なお金持ちで、譲さんはそこの一人息子ですわ。商船学校を今年卒業し、就職口も定りかけているんですの。柔道四段の強い人のようでもなく可愛いい顔をしていて、とてもモダンですわ。スマートな服装で、立派な自家用を自分で運転して時々ドラゴンへ来るんです。女給さん達は皆大騒ぎします、百合子を羨しがらない人はありません。その幸福も吉川さんのためにめちゃめちゃにされてしまうのかと思うと、百合子が可哀想でなりません。あんな人に附き纏われちゃあお終いですからね、とても執念深くって――"
],
[
"今、カフェー・ドラゴンの美佐子という女給に会ったら、昨夜十時頃、吉川がドラゴンの前から百合子と一緒に自動車に乗って、どこへか行くのを見たと云うんですが、二人とも死んでしまっているから分らないけれど――、まさか、初子が二人を殺したとは思われません、杉村さんは疑っていられるようですが――",
"犯人が挙らないうちは、僕は誰れにでも疑いの眼を向けているよ",
"美佐子は何か知っているらしいんですが、僕には遠慮して話しません、憖い隠しだてされるとやり難いんですが――、それはきっと初子に取って不利な事なんでしょう、しかし、僕の主義として徹底的に調べたいんです。少しでも不審の点があればたとえ妻であっても容赦しません、が、僕はまだ初子を信じていますから――",
"美佐子の証言から、彼女の犯行だと決定しても?",
"必ず真犯人を挙げて、その証言を覆えして見せます"
],
[
"じゃ美佐子を召喚して、直ぐ調べよう",
"そう仰しゃるだろうと思って伴れて来ました。階下に待たせてありますから、喚んで来ます"
],
[
"ええ、いましたわ、暁方まで――",
"吉川と初子とは、――どんな関係だったんだ?",
"ゴリラとは別に何もなかったんでしょう",
"じゃ、川口とは?",
"川口さんは最初、姉の初子さんに夢中だったんですの。あの方利口者だから好い加減に待遇って搾っていたんですが、私立探偵の山本さんッていうパトロンがある事が分ったもんだから、川口さん怒って、欺されたって一時大騒ぎをやってましたが、そのうちにどういう風になったんだか、妹の百合ちゃんと仲好くなったんです。無論初子さんが紹介したんですがね、百合ちゃんは姉さんのように手腕はないけれど、温和しいものだから、川口さんすっかり気に入っちゃって、初子さんの事は断念めたんですの。ところが、最近、百合ちゃんに吉川さんッて旦那様のあることが川口さんに知れ、またごたごたしているんです",
"川口は百合子を責めるそうだが、紹介者の初子には何にも言わないのかね?",
"言わないどころか、大変ですわ。この間もお店へ来て酔っぱらい、初子をのしちまうんだって暴れたんですよ。彼女は毒婦だ、悪党だって――",
"初子はどうしていた?",
"かくれていましたわ。初子さん、なかなか腕が凄いんですからね、また直きにうまく丸めッちまうでしょう",
"吉川も怒っているって云うじゃないか?",
"ええ、迚も怒っていますわ。昨夜も大喧嘩をして――",
"何? 大喧嘩をした? どこで?",
"お店でですわ"
],
[
"そっちになくったって、こっちにゃあるんだ",
"執拗い男だわね、用があるなら台所口へ廻って頂戴、表に立っていられちゃ縁起が悪るくって仕様がない!"
],
[
"百合子をどこへかくした?",
"知らないわよ、そんなこと――",
"白状しろ、百合子はどこにいるんだ?",
"知らないもの、白状もくそもあるもんか",
"なにッ",
"嚇したって驚きやしないよ。吉川さんが余りうるさく附き纏うから、百合子は厭がって、逃げッちまったんでしょ",
"そうじゃない。君がかくしたんだ、君が――"
],
[
"どうするか、覚えていろ!",
"忘れるわよ"
],
[
"うるさいね、どこまでいやがられるように出来ているんだろう、帰ってくれッて言ったら、――さっさと帰れ、お前さんなんかの来るところじゃないんだよ、このゴリラ",
"こん畜生!"
],
[
"百合ちゃん、君に話したいことがあるんだ。ちょっと、一緒にそこまでつきあってくれ",
"じゃ、ちょいと、姉さんのところへ行って来て、それからでいいでしょう?",
"いけない、いけない。こっちは急ぐんだから"
],
[
"刑事さん、私の知っているのはそれだけです",
"それぎり百合子は姉さんのところへ来なかったか?",
"来ませんでした。初子さんは大変待っていましたけれど――。私は叱られるのが恐かったので、百合ちゃんが吉川さんに連れて行かれたことは黙っていましたの"
],
[
"何にッ? 謎が解けた? 犯人が分ったと云うのか?",
"分りました。百合子を殺したのは吉川です",
"吉川を殺したのは?",
"彼自身、即ち彼は他殺でなく、自殺です",
"死体を包んだのだけが、初子の仕業か?",
"否え、それも彼自身のやったことでした",
"しかし、自分を包んで、外から縛るという事が出来るかな?",
"出来ます。あれは水兵結びですから、少しその道に心得のあるものなら誰にだって出来る。たった今、彼が水兵だったことが分ったので、この謎がすっかり解けたわけなんです。僕の想像を話しますから聞いて下さい。吉川はドラゴンを出ると、偶然百合子に遇い、彼女を無理やりに自動車に連れ込み、頻りに復縁を迫ったが拒絶された。いろいろ言葉を尽して頼んでみたがやはり駄目、手厳しく刎付けられたのにカッとなり、嫉妬と怨恨とに燃えていた全身の血は、一時に頭に昇ったと思うと、夢中で彼女に飛びかかり、力をこめて細い首を絞めつけました。ハッと我に返った時には百合子はもうぐったりとなって、彼の腕の中に倒れていたんです。その死顔をぼんやり見守りながら、今こそ、彼女は完全に自分のものだ、と思うと、何とも知れぬ嬉しさに胸が一杯になるのでした。吉川はその場で直ぐ後を追う積りだった、が、こういう結果になるのもみんな初子が悪いからだ。憎いのは彼女だ。復讐してやる、それから死ぬことだ、と思った。自惚れというものは恐しい、あれほど嫌われていたのが分らなかったのだからな。彼のためには幸であるかも知れないが、――そこで彼は考えぬいた末、彼女の部屋で自殺して、それを他殺らしく装い、嫌疑をかけてやろうと思いつき、そのために桃色のリボンまで握って死んだんです"
],
[
"吉川は風呂敷の中で、心臓を突き、自殺したのです",
"しかし、姉への復讐ならむしろ妹と情死したように見せた方がいいんじゃないか。それに――、好きな女を自動車の中に棄てて、一人で初子の部屋へ行ったのも少し変じゃないか"
],
[
"杉村さん、川口さんは今朝未明に入院したのだそうですよ",
"えッ、何だって?"
],
[
"一口に云えば、川口氏は盲腸炎だと偽って、嘘の容態を云い、医者を欺いて手術をさせたんです。彼は病院へ馳けつける前に、已に多量のカルモチンを嚥んでいた。それを知らずに、医者は手術のための麻酔剤をかけた、それだけだって危険だのに、腹まで割いたんだから堪りませんよ。つまり、川口氏は病院を死場所に選んで、自殺したんです",
"何故自殺したんだ?",
"その理由は川口氏が院長へ残した遺書によって明白となりました。彼は死場所に病院を使うことを非常にすまないと思った。幼い頃から可愛がってくれた院長や、その人の病院を傷つけることは実に忍びなかったが、彼としては他に方法がなかったのでしょう、それで自分の秘密を院長へだけ打ち明けて謝罪したのです。院長は川口氏の希望通り、遺書を焼き捨てたいのだが、世間へ知れないように、警察の方々だけで秘密に葬って下さるならばお見せしたいと云っています。私は読みましたから、ざっとお話し致しましょう"
],
[
"両人は間が悪るかったと見え、頻りに一緒にドライヴしようと誘ったが、気が進まないので、僕が奢ってやるから何か食べようじゃないか、とレストランへ入り、食事をし、ビールを飲んだ。心中面白くない二人の男はやたらに飲んだのでかなり酔払っていた。そこを出ると百合子がまたすすめるので、遂々三人一緒に自動車に乗ったが、運転台にいる吉川が自棄にハンドルをきり、無茶苦茶にスピードを出すので、車体は烈しく動揺し、危険だったので、乱暴な真似は止せ、そんな運転のしかたがあるか。と川口が罵ったのが機会となり、二人は口論を始め、遂いに恐しい格闘になりました。吉川は短刀をぬいて向って来たが、力の強い柔道四段の彼には迚も敵いません。忽ち短刀はもぎ取られ、それで心臓を突き刺されたのです。吉川は苦しまぎれに川口に噛みつき、小指の先を喰いちぎった、それは解剖した時、吉川の口中から出ました",
"確かに、それは川口の指先かね?"
]
] | 底本:「大倉※[#「火+華」、第3水準1-87-62]子探偵小説選」論創社
2011(平成23)年4月20日初版第1刷発行
底本の親本:「キング 一三巻四号」
1937(昭和12)年4月号
初出:「キング 一三巻四号」
1937(昭和12)年4月号
入力:kompass
校正:門田裕志
2012年11月1日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "054460",
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"作品名読み": "あおいふろしきづつみ",
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[
[
"うむ。だが、――長い間の責任をすましたので、肩の荷を下したように楽々した",
"そうでしょう? 今日の弁論、とても素晴らしかったんですってね。私、傍聴したかった。霜山弁護士さんが先刻おいでになって、褒めていらしたわ、あんな熱のこもった弁論を聴くのは全く珍らしい事だ、あれじゃたとえ被告が死刑の判決を下されたって、満足して、尾形君に感謝を捧げながら冥土へ行くだろうって、仰しゃっていらしたわ",
"霜山君はお世辞がいいからなアハ……。しかし、少しでも被告の罪が軽くなってくれればねえ、僕はそればっかり祈っている",
"あなたに救われた被告は今日までに随分おおぜいあるんでしょうねえ。刑事弁護士なんて云うと恐い人のように世間では思うらしいけれど、ほんとは人を助ける仕事で、仏様のようなものなんですからね"
],
[
"随分変られましたな、すっかりお見それしてしまった、川島さんだなどと仰しゃるもんだから、なおわからなかったんです",
"でも、私、川島へ再婚したんですの",
"秋田さんなら、何も御紹介状をお持ちになる必要もなかった",
"だって、もうお忘れになったろうと思って、――先生と御交際させて頂いていたのはもう二十年も音の事ですもの"
],
[
"いくら健忘症の僕でも、あの頃のことだけは忘れませんよ",
"じゃあ、いまでも怒っていらっしゃる? 私が結婚したことを――"
],
[
"いいや。決して、――あなたは僕のような貧乏書生と結婚しては幸福になれないからいやだとはっきり云ってくれたから、僕は反って思い切れたんですよ。間もなく浪子さんが金持の後妻になったと聞いた時、その方があなたのためには幸福なんだろうと思って、祝福していた位ですもの、そのかたとは?",
"死別しました。先妻の息子が相続人だったので、私は離婚して川島と再婚しました"
],
[
"見ましたが?",
"あの、――ある青年が、あやまって赤ン坊を殺した記事をお読みになったでしょう?"
],
[
"無意識のうちに殺したという、あの事件ですか?",
"私、その事で先生にお縋りに上ったんですの",
"すると、あの青年は?",
"私の従弟ですの",
"なるほど、あなたの旧姓と同じですね、秋田弘とか云いましたね",
"父の弟の息子です。秀才だったのですが、大学を出る一年前に応召して、戦争に行ってからすっかり人間が変ってしまいました。終戦と同時に帰還しましたが、もう大学へかえる気持ちもなく、それかと云って就職もせず、働く気もないという風で、前途に希望を全く失ってしまい、毎日ただぶらぶらと遊んでその日その日を送っているというようなので、親も段々愛想をつかし、最近では小遣銭にも不自由しておりましてね、度々私のところへ無心を云いに来るようになりました",
"ちょいと待って下さい"
],
[
"殺人はあなたの家で行われたんですか?",
"そうなんです",
"ふうむ"
],
[
"して、その赤ン坊は?",
"私の子なんですの",
"えッ? あなたのお子さんが殺されたんだと仰しゃるんですか?"
],
[
"さあ",
"もしも、弘さんが死刑にでもなるようでしたら、――私は生きていられませんの。あんまり可哀想で、――どうぞ、お願いです、助けてやって――"
],
[
"と、いって、僕がどうしようもないじゃありませんか。犯行がこうはっきりしていて、あなたの家を訪問し、あなたの赤ン坊を殺した、それをあなたは目撃していたが、どうにもとめようがなかった、というのでしょう?",
"新聞に書いてあるのはそれだけです、が、それにはいろいろとわけがありまして――",
"そのわけというのをすっかり話してみて下さい。その上で、僕の力に及ぶことなら何んとでもして上げますから"
],
[
"よろしい。その代り何もかもありのままを云って下さい。少しでもかくしたりしてはいけませんよ。嘘が交じると困ることになりますからね",
"決して、誓って嘘は申しません、かくしだてもいたしません、すっかり洗いざらいお話しいたしてしまいますわ"
],
[
"金持ちを撰んだあなただったじゃありませんか?",
"若かったんですわ。考えが浅かったんです。夫は道楽者で、私と結婚する前から一人の女がありました、その女はカフェのマダムだったんだそうですが、夫は会社の近くに家を持たせ、会社への往復には必ず立ちよるという風で、その事を知らなかったのは私ばかり、会社の人達をはじめ誰一人知らない者はありませんでした。みんなは私よりもその妾の方へおべっかをつかい、奥様々々と云っていました",
"とかくそんなものですよ。金持ちというものは、――実際には正妻より妾の方が勢力があるものと定っていますからね",
"私はまるで床の間の置物で、世間へ体裁をつくるための妻だったのです。私は面白くない月日を送るようになりました。恰度昨年の今頃ですわ、ふとした機会から妾が姙娠したことを聞き込みました",
"あなたのお子さんは?",
"私には子どもはありません。妾に姙娠までされてはもう私は手も足も出ない、どうしたものか、一層身を退いて夫と別れようかとも思いましたが、考えてみるとそれは妾に負けたことになり、損をするのは私ばかり、私がいなくなれば、もっけの幸いと家へ乗り込み正妻になおるのは火を見るより明らかです。厭でもここは頑張らなくつちゃ、妾なんか家へ入れてたまるものか、と私は思い返しましたのですが――",
"それが当然ですよ",
"やはり夫の愛が私から去っているのを感じないわけにはゆきません。彼の外泊は近頃ではあたりまえの事のようになってしまいました。夫は最初私に妾のある事をひしがくしにしていたものです、私が利口者か、世間を知っている者かだったら、ひしがくしにしているのをほじくりもしなかったでしょうし、素知らぬ顔で見て見ぬふりもしていたでしょうが、私は嫉妬にかられて何の考えもなく、何もかも知っているぞ、と、云って、夫が閉口しているのを見て痛快がっていたものです",
"一時は胸がせいせいして愉快だったでしょうが、結果はよくなかったでしょう?",
"悪るかったことを後に知りました。濡れぬうちこそ露をもいとえで、男は知れたとなると開き直る者だということを私は知りませんでした。夫はもう平気で私の前で妾ののろけも云うし、私と比較して妾の事を褒めたりするのです、私はひどく侮辱されたような気がして、その度に夫と喧嘩をし、口論の絶え間がなかったんです。そのうちに玉のような女の子が生れたとききました。気に入っている女に出来た自分の子です、彼はもう殆ど家へは帰らず、妾の処に入り浸ってしまいました"
],
[
"赤ン坊が生れてから間もなくの事でしたが私に取っては偶然に湧いた幸運、夫にとっては悲運とでも申しましょうか、妾に若い男があるという噂がたったのです。夫が詰問したところ事実であることがわかり、それが原因でふたりの仲が気拙くなり、夫の熱もだんだん冷めてゆくように見えました。ある日夫は云い辛そうに、赤ン坊を引き取ってくれるならば妾と手を切ると申しました。この機会を逃がしては、と、私は早速承知いたしました。すると、妾はただ引取ってもらうだけでは困る、入籍して相続人にしてほしいと申出たのです",
"なかなかのしっかり者ですね。勿論それもあなたは承知されたのでしょう?",
"はい。そして妾と手を切らせました。どうせ道楽者の事ですから、妻一人を守るというわけにはまいりませんが、私としてはその妾と別れてくれるということが嬉しかったんです。妾の方は手切金をたんまり貰えば、という位のところだったんでしょうが、夫の方はとても未練があったのです。しかし、二度と夫に会わないということと、赤ン坊に会わないという条件で話が纏まりました。吉日を撰んで赤ン坊を私が引き取りにまいったのです",
"その赤ン坊ですね? 殺されたのは?",
"そうですの。私の子ではありませんが、十ヶ月も育てたのですから、実子と変りはありません、とても可愛かったのですよ",
"御主人の方は?",
"眼の中へ入れても痛くないというほどの可愛がり方なのです。愛子と名づけまして、夫は愛子のあるために女道楽も大分下火になりましたので、私も安心して、いい事をしたと喜んでおりましたが、夫は別れた妾がよほど気に入っていたものと見えて、何とかしてよりが戻したいらしかったのです。実は妾の心をいつまでも惹きつけておく手段に愛子を手許に引き取ったのだという事が、私にも段々わかるようになりました。会わない約束の妾とも時々内緒で会っているらしい様子もあります",
"それじゃまんまとあなたは一杯喰った、欺されたようなものではありませんか",
"うまく相続人の地位にまで据えたりして、と、思うと腸が煮えくりかえるほど腹が立ちました。赤ン坊一人育てるということは、先生、容易ならぬ苦労でございます。その苦労を私一人に背負わせて、――ほんとに口惜しくなります",
"そして将来妾が公然と現われて来たとしても、自分の生んだ子が相続人になっているんですから強いですよ"
],
[
"弘さんの事を少し申上げなければなりません、新聞にもあります通り精神異常者なのでしょう。幼さい時から頭もよく学校の成績もよくって利口者だったので、両親に非常に可愛がられ気儘に育ちましたが、ひどい疳癪持ちで、自分の思うことが通らないと気狂いのように暴れ狂うという癖がありましたの",
"我儘なんですね",
"弘さんが怒ったとなると、みんな逃げ出したものです。怒るとまるで人が変ったようになり、眼を釣り上げ、顔は蒼白というよりはむしろはくぼくでも塗ったように白っちゃけてしまうのです。烈しい一時の発作のようなもので、発作中にやったことは後で何を訊いてみても覚えていません。ある時のこと弘さんがひどく怒りまして、庭に遊んでいた鶏の首をひねって殺したんですが、意識を取り戻してから鶏の死んでいるのを見て、誰が殺したんだと云って大変悲しがりました、犬の子を絞め殺したこともありました。一時の発作ですから、気が鎮まるとけろりとして、平常と少しも違わぬ優しい弘さんになるんですの",
"恥しいから、記憶がないように云っているのではありませんか?",
"いいえ、発作中の事は全く知らないらしゅうございます。二重人格とも違いますし、ジキルとハイドのようなのとも違います。余り変なので私の懇意な精神科の医者にその話をしましたら、それは意識喪失症状で、精神病の一種なのだと申されました。そう申せば弘さんの母方の親類には発狂して座敷牢で死んだ婦人もありますし、彼の母親もひどいヒステリーで、いく度も自殺しかけたことがありました",
"精神病の血統なんですな",
"弘さんは戦争に行ってからは一層気が荒くなり、発作を起す数も多くなりました。将来に希望もなく、何も信じる事の出来なくなった弘さんが、毎日遊び暮らしているのですから忽ちお金に窮してしまい、私へ無心を云いに来るようになりました。私は自分の愚痴を聞いてもらえるし、同情してもくれるので、主人には内緒で小遣を与えておりました。が、段々無心が烈しくなり、額も多くなるので私も少し困り始めました",
"働けるのに働かない、という人が一番困りますよ",
"主人に云えばなまけ者に小遣なんかやるナと申されます。私が与えなければどこからもお金の出どころがないのを知っていますから仕方なく、お金の代りに衣類を渡して、これを売りなさい、と申すような事も度々ありました。弘さんはその度に浪子姉さんにすまない、と云って、眼に涙を浮べるのです。心はほんとにやさしい人なのですが、何かひどいショックを受けたり、激怒したりすると発作を起してしまうのです。何という可哀想な情けない病気を持っているのでしょうか、これだけお話ししたら、弘さんの性格もほぼ御想像がつくことと存じます"
],
[
"愛子は日一日と可愛くなります。夫は家へ帰るのは赤ン坊を見るためで、愛子をあやしたり、抱いたりしています。愛子を中心としての話ばかりで、赤ン坊を離しては私達の夫婦関係というものは全く水のような冷めたいものになってしまうのです。それもまた私にとっては淋しい、つまらないものだったのです",
"しかし、赤ン坊がいるからまだいいのですよ",
"そうかも知れませんが、ある日、夫は縁側に出て愛子をあやしていましたが、突然ぎゅっと抱きしめ、頬ずりしながら、妾の名をよんだのです。私はハッとして、眼がくらくらとしました。ああ、夫は赤ン坊を通して彼女を愛撫している、と思うとむらむらとして、いきなり愛子を引ったくってしまいました。夫は不機嫌な顔をしてむうっと黙り込んでいました",
"気まりが悪かったんでしょうよ",
"私はそういう雰囲気にいるのが辛く、何とかして夫の心を和げようと思い、この子のおかげで毎日が楽しい、子どものない夫婦なんてつまらないでしょうねえ、と申すと、ふふん、子どものない妻なんか他人と同じだ、と、ぷつんと云って外へ出てしまいました。私はその言葉が頭にこびりついて離れませんでした。何年連れ添っても子どものない私は彼から見たら他人なのだ、そこへゆくと妾の方は別れても他人ではないのだろう、と口惜しくって、胸が燃えるようでした",
"男という者は勝手な事を云いますからね"
],
[
"無理もないな",
"で、私は突っかかるような調子で、またお金を貰いに来たの? と云うと、弘さんは恥しそうに顔をぱっと赤くしました。今日は駄目よ。そういつもいつも柳の下に泥鰌はいないわよ、ちっと河岸を変えたらどう? ときめつけてやりました"
],
[
"弘さんは何か口の中でぶつぶつ云っていましたが、丁寧に頭を下げて、すみませんが、今日は退っぴきならない事で金が要るのです。その金がないと僕は詐欺になるんです、どうぞもう一度だけ助けて下さい。拝みます。としおれ返って頼むのです。私は威丈高になって、何の真似? 拝んだりして乞食みたいだわ。あんたが詐欺になろうと烏になろうと私の知った事っちゃない。同情してやればつけ上って、来る度にお金々々なんだから、ほんとにいやんなっちまう。帰って頂戴よ。と呶鳴りつけてやりました",
"驚いたでしょう? あなたの権幕に――"
],
[
"弘さんの顔はまるでお面を被ぶったように無表情になっているのを見ると、思わず私は愛子を抱いて身を退きました。同時に自分の云い過ぎを後悔したのです。弘さん、私が悪るかった、堪忍して頂戴、お金を上げるから、と云いました、が、金という言葉が一層彼の憤りの火に油をそそいだ結果になりました。金が欲しさに戻ったと思うのか、と云うや、いきなりそこにあった人形を叩きつけ、力を込めて手足をばらばらに引きちぎりました。その凄まじい権幕に私は夢中で庭へ飛び降りて逃げ出しました",
"愛子さんをどうしました",
"残して来た事に気がついて、引返したのです、が、ああ、先生、その時の私の驚きと恐怖はとても御想像がつきますまい。私は縁側に両手を突いたまま、釘づけになったように身動きも出来なかったのです。弘さんは赤ン坊の首を両手でしめつけていたんです、それから人形と同じように手足をちぎろうとしているのを見て、私は狂気のように彼に武者振りつき愛子を奪い近しましたが、その時はもう赤ン坊はぐったりとなって、死んでいました。その物音に馳け込んで来た女中は直ぐに派出所へ走ったのです。そして、先生、弘さんは殺人犯としてその場からひかれて行ったのです"
],
[
"え? 何を仰しゃるの? 先生、これが嘘偽わりのないほんとの話なんですわ",
"あなたは何故抱いていた赤ン坊を残して、一人で庭へ逃げたんでしょう?",
"?",
"正直な話を聞かないと、助けたいと思っても助けられなくなる場合が沢山あるんです"
],
[
"引返して来て、あなたは赤ン坊を奪ったと仰しゃる。そんな馬鹿なことはあり得ませんよ。あなたは弘さんの狂暴になるのを承知している、故意に赤ン坊を残して逃げたと云われても文句ありませんね",
"飛んでもない。私はあんまり恐しかったので、気が転倒してしまって――",
"僕から云わせると、あなたは赤ン坊の顔が妾にそっくりで、それを見ていると憎くなると仰しゃった、その時已にあなたは手こそ下さないが、心には充分殺意を生じていたのだ、と、私は見ているんです",
"ああ恐しい、そんなこと、――先生、もう何も仰しゃらないで下さい。私はそんな悪い女じゃありません"
]
] | 底本:「大倉※[#「火+華」、第3水準1-87-62]子探偵小説選」論創社
2011(平成23)年4月20日初版第1刷発行
底本の親本:「ロック 三巻六号」
1948(昭和23)年10月号
初出:「ロック 三巻六号」
1948(昭和23)年10月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:kompass
校正:門田裕志
2012年11月1日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "054461",
"作品名": "あの顔",
"作品名読み": "あのかお",
"ソート用読み": "あのかお",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「ロック 三巻六号」1948(昭和23)年10月",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2012-12-10T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-16T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001669/card54461.html",
"人物ID": "001669",
"姓": "大倉",
"名": "燁子",
"姓読み": "おおくら",
"名読み": "てるこ",
"姓読みソート用": "おおくら",
"名読みソート用": "てるこ",
"姓ローマ字": "Okura",
"名ローマ字": "Teruko",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1886-04-12",
"没年月日": "1960-07-18",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "大倉燁子探偵小説選",
"底本出版社名1": "論創社",
"底本初版発行年1": "2011(平成23)年4月30日",
"入力に使用した版1": "2011(平成23)年4月30日初版第1刷",
"校正に使用した版1": "2011(平成23)年4月30日初版第1刷",
"底本の親本名1": "ロック 三巻六号",
"底本の親本出版社名1": " ",
"底本の親本初版発行年1": "1948(昭和23)年10月",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
"入力に使用した版2": "",
"校正に使用した版2": "",
"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "kompass",
"校正者": "門田裕志",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001669/files/54461_ruby_48841.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2012-11-01T00:00:00",
"テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"テキストファイル文字集合": "JIS X 0208",
"テキストファイル修正回数": "0",
"XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001669/files/54461_49432.html",
"XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2012-11-23T00:00:00",
"XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"あなたは美人で有名だった小宮山麗子という霊媒女がある大家へ招ばれて行って、その帰りに煙のように消えてしまった不思議な事件を覚えていらっしゃいましょう?",
"はあ覚えております。もうあれから十年近くもなりはしません? あの当時は大した評判でございましたわね。でも、あれは到頭判らずじまいになったんではございませんか?",
"ええ、あれっきりなんです。でも美人だったし、心霊研究者達からは宝物のように大切にかけられてた女ですから、今でもその人達の間では時々話に出るようですね",
"そうでしょうね。霊媒者なんていうと、私達にはちょっと魔法使いか何んぞのように聞えて、まあ巫女とでもいった風に考えられますわ。それが突然消えてしまうなんて、昔なら神隠しに逢ったとでもいうんでしょうけど、実際はどうしたんでございましょうね?",
"実は、そのお話をしようと思うんですの。それも今日が、あの女が行方不明になってから恰度何年目かの同じ日なんですの。亡くなられた六条松子夫人の命日に、夫人を崇拝している人達が集って、追悼会を開いたんです。その席上にあの小宮山麗子が招かれて、夫人の招霊をやり、すっかり松子夫人生き写しになって、和歌などを詠んで人達を感動させ、六条伯爵家を上首尾で辞し去ったまでは判っています。話はそれからなんですが、あの晩は霧が深くて街燈がぼうッと霞み、往来はまるで海のようだったそうです。六条さんの御門を出ると、忽ち小宮山麗子の姿は霧の中に吸い込まれたように見えなくなり、それ限り消息が絶えてしまったんです"
],
[
"このお方は何て仰しゃる方?",
"勝田男爵の弟さん",
"まあ、大阪の? あの有名な勝田男爵?",
"そうよ、勝田銀行を御存じでしょう? でも、弟さんは東京にお住居になっていましたの"
]
] | 底本:「大倉※[#「火+華」、第3水準1-87-62]子探偵小説選」論創社
2011(平成23)年4月20日初版第1刷発行
底本の親本:「オール讀物 四巻一一号」
1934(昭和9)年11月号
初出:「オール讀物 四巻一一号」
1934(昭和9)年11月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※表題は底本では、「消えた霊媒女《ミヂアム》」となっています。
入力:kompass
校正:門田裕志
2012年11月23日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "054485",
"作品名": "消えた霊媒女",
"作品名読み": "きえたミジアム",
"ソート用読み": "きえたみしあむ",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「オール讀物 四巻一一号」文芸春秋、1934(昭和9)年11月号",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2012-12-28T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-16T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001669/card54485.html",
"人物ID": "001669",
"姓": "大倉",
"名": "燁子",
"姓読み": "おおくら",
"名読み": "てるこ",
"姓読みソート用": "おおくら",
"名読みソート用": "てるこ",
"姓ローマ字": "Okura",
"名ローマ字": "Teruko",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1886-04-12",
"没年月日": "1960-07-18",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "大倉燁子探偵小説選",
"底本出版社名1": "論創社",
"底本初版発行年1": "2011(平成23)年4月30日",
"入力に使用した版1": "2011(平成23)年4月30日初版第1刷",
"校正に使用した版1": "2011(平成23)年4月30日初版第1刷",
"底本の親本名1": "オール讀物 四巻一一号",
"底本の親本出版社名1": "文芸春秋",
"底本の親本初版発行年1": "1934(昭和9)年11月",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
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} |
[
[
"こういう音信を受け取る度に、いろいろと慰めの返事を出して居りました。そのうちに便りがふッつりと途絶えてしまい、一ヶ月ばかり過ぎますと突然直ぐ来てくれという電報を貰ったんですの",
"覚えて居りますわ、でもせっかくあんなにお骨折りになったのに肝心の夫人はお亡くなりになってしまって――、やっぱり自殺だったのでございますか?",
"さあ、それをこれからお話しようと思うんですの、もうあれから二ヶ年も経ちましたから、お話してもいいだろうと思いますのよ"
]
] | 底本:「大倉※[#「火+華」、第3水準1-87-62]子探偵小説選」論創社
2011(平成23)年4月20日初版第1刷発行
底本の親本:「踊る影絵」柳香書院
1935(昭和10)年2月
初出:「踊る影絵」柳香書院
1935(昭和10)年2月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:kompass
校正:門田裕志
2012年11月1日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "054484",
"作品名": "機密の魅惑",
"作品名読み": "きみつのみわく",
"ソート用読み": "きみつのみわく",
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"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「踊る影絵」柳香書院、1935(昭和10)年2月",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2012-12-28T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-16T00:00:00",
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"名": "燁子",
"姓読み": "おおくら",
"名読み": "てるこ",
"姓読みソート用": "おおくら",
"名読みソート用": "てるこ",
"姓ローマ字": "Okura",
"名ローマ字": "Teruko",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1886-04-12",
"没年月日": "1960-07-18",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "大倉燁子探偵小説選",
"底本出版社名1": "論創社",
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"入力に使用した版1": "2011(平成23)年4月30日初版第1刷",
"校正に使用した版1": "2011(平成23)年4月30日初版第1刷",
"底本の親本名1": "踊る影絵",
"底本の親本出版社名1": "柳香書院",
"底本の親本初版発行年1": "1935(昭和10)年2月",
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} |
[
[
"やかましい! これからもう一寝入りしようと思ってるんだ。用があるなら待たしておけ",
"だって、先生、大至急お目にかかりたいって仰しゃるんですよ",
"何んて人だ?",
"お名前は仰しゃいませんが、お目にかかればわかるって、立派な方、凄いような美人で――、お若い方なんですよ"
],
[
"すっかりお話ししなければお分りにならないでしょうが、主人が昨年の春シベリアから帰還したことは御存じでしたわね",
"麻布の御本邸で、一二度お目にかかりました",
"松岡の父が只今重態で、昨今、危篤状態であることも知っていらっしゃいましょう?",
"新聞で知っています",
"そのため、麻布の本邸は今、ひっくりかえるような騒ぎをしておりますの。その最中に――、実は主人の一雄が、行方不明になってしまったんでございますの",
"いつからです?",
"今日で、一週間になります"
],
[
"御承知でしょうが、松岡家には一雄と弟の薫と二人しか子供はございません。薫は画家でおとなしい人なので、両親のお覚えもよく、また実によく気がついて、かゆいところに手が届くように父の看護をするので、両親には大変に気に入られておるのですが、一雄の方は到って無口で、ぶっきら棒で、お世辞も云えないので、とかく薄情者だの、親不孝だのと申されて評判がよくないところへ、一週間近くも父の前に顔も出さず、看護もしないので、病人は行方不明になっているとも知らずに、ひどく私へ当てこすったり、悪口を云ったりしているので、間に入って私は身を切られるように辛いんですの",
"一雄さんが行方不明になられたことは、伯爵は御存じないんですか?",
"秘してあるんですの。母だけは存じておりますが――",
"何故、秘していられるのです?",
"云ったら大変ですわ。重病人の親を捨てて姿を晦ますような不埒な奴にはこの家の相続はさせられない、と、いうことになりますもの。それでなくっても、次男の薫さんに相続させたいという考えが、何かにつけて見えますんでねえ。たまらないんですの。姑が間に入って取りなしてくれております間に、どうしても一雄を探し出して、最後の看護をさせませんと、松岡家は薫さんにとられてしまいますネ。昨夜も親族会議でそういうように決議したらしいのでございます。ですから、どうあっても一雄を探し出して頂きたいんで――、ほんとに、先生、私一生のお願いでございますから、探して下さいましね",
"捜査願いは出されましたのですか?",
"ええ。出しましたが、次ぎ次ぎに大きな事件が出てくる昨今のことですから、家出位は大した問題にもされないとみえて、まだ何の手がかりもないのでございます。それで、私はもうそういう方面に実は見切りをつけまして、誰にも相談せずに、先生のところへ飛び込んで、お願いにまいったんでございます",
"私に御相談をされましたことは、当分の間、どなたにも秘密にしておいた方がいいだろうと思います",
"探し出されて、やっと父の危篤に間に合ったというよりも、自分から看護に帰って来たという風にした方がよろしいでしょうね。それでないと一雄がつまらぬ誤解を受けて可哀想だと思いますのよ。いつも一雄と比較されては褒め者になっている弟はこのところ、二日も三日、徹夜で附ききっておりますの。兄さまと二人分お父様のお世話をするんだと私には申しておられますが、それだけに総領の一雄の不行届きが目に立ってね、六日も、七日も、まあ、どこをうろついていることでしょうか、父の重態は新聞にも出ているので、知っていそうなものですのに、情けなくなってしまいますわ",
"あなたにはお心あたりがありませんか?",
"こんどというこんどは全くわかりませんの",
"と、仰しゃると、前にも家を開けられたことがあるんですか?",
"幾晩もつづけて開けるということはありませんが、時々行く先も云わずに、ふらりと夕方から出かけて、翌朝ぼんやりと帰って来るようなことが一二度ありました",
"帰って来られてからも、どこへ行かれたのかお話しにならないのですか?",
"主人は至って無口で、それが帰還してからは一層口数が少なくなりましてね、何か訊いてもろくに答えないようなことが度々ございますの。詳しいことは宅へいらしてから申上げますが――",
"御主人のお部屋は家出なすった時のまんまになっているのでしょうね?",
"ええ。捜査願いを出しました時、手をつけるなと仰しゃったので、そのまんまにしてありますの。別に私が見ては変ったところはありませんが、とにかく、先生にいらして頂いて一度部屋中を御らん願おうと存じておりますの"
],
[
"私はお庭を一応検べてから、あとでまいりますから",
"ではお茶のお支度でもしておきますから先生、お調べがすんだら、直ぐいらして下さいね"
],
[
"先生、一雄が帰還してからのこと、すっかりお話しいたしますから聞いて下さいね、そして御判断をして頂きますわ、先生も主人は殺されてしまったと思っていらっしゃるんでしょう?",
"まだそんなに御心配なさることはないと思います。屍体が発見されたというわけではなし、ただ行方不明になっているというだけのことですから、どこかに無事でいられるかも知れません。まあ、何もかも秘さずに話して下さい。御主人のお部屋を見せて頂きましょうか"
],
[
"一足違いでした。御病人は父君の御臨終に間に合わなければ、と、仰しゃって、飛んでおいでになりました",
"何んだと?"
]
] | 底本:「大倉※[#「火+華」、第3水準1-87-62]子探偵小説選」論創社
2011(平成23)年4月30日初版第1刷発行
底本の親本:「オール読切 二巻五号」
1950(昭和25)年5月号
初出:「オール読切 二巻五号」
1950(昭和25)年5月号
※表題は底本では、「恐怖の幻《まぼろし》兵団員」となっています。
入力:kompass
校正:門田裕志
2013年1月14日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "054483",
"作品名": "恐怖の幻兵団員",
"作品名読み": "きょうふのまぼろしへいだんいん",
"ソート用読み": "きようふのまほろしへいたんいん",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「オール読切 二巻五号」1950(昭和25)年5月号",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2013-02-06T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-16T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001669/card54483.html",
"人物ID": "001669",
"姓": "大倉",
"名": "燁子",
"姓読み": "おおくら",
"名読み": "てるこ",
"姓読みソート用": "おおくら",
"名読みソート用": "てるこ",
"姓ローマ字": "Okura",
"名ローマ字": "Teruko",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1886-04-12",
"没年月日": "1960-07-18",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "大倉燁子探偵小説選",
"底本出版社名1": "論創社",
"底本初版発行年1": "2011(平成23)年4月30日",
"入力に使用した版1": "2011(平成23)年4月30日初版第1刷",
"校正に使用した版1": "2011(平成23)年4月30日初版第1刷",
"底本の親本名1": "オール読切 二巻五号",
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"底本の親本初版発行年1": "1950(昭和25)年5月",
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[
[
"誰でもいい。そんな事は後で話す",
"患者は男か? 女か? 俺や、夜中に叩き起されることを思うと、医者になるのを止めッちゃいたくなるよ"
],
[
"後で委しい事は云うよ。まあ、早く来て診てくれ。こうやっているうちにも、――手遅れになって、死んじまってるかも知れないんだ",
"君は非常に興奮してるね、――俺やちッとも知らなかったよ。君にそんな女があるたあ",
"俺の女じゃない",
"人の女を夜中に引張り込むのは怪しからんな",
"止せ。そんなくだらない事ッちゃないんだ。人一人の生命だ。冗談じゃない"
],
[
"畜生! ご覧の通り逃げちゃった!",
"一体これやどうしたッてんだ? 泥棒が入ったんじゃないか? 金があるもんだから。――"
],
[
"大丈夫だ。盗まれるようなものは何もありゃしないんだから、放っといてくれ。面倒だから、――だがな、こうめちゃめちゃに掻き廻されちゃ、後片附が大変だなあ",
"引越しだと思いやいいやな。ところで、――と、もう俺の用事はなくなったって訳だね。じゃ、帰るよ"
],
[
"十三子さんも知っていられるのですね?",
"よく知っています。トミーはダンス・ホールで懇意になって――",
"あら、お兄さん。そんな余計な事は云わないだっていいじゃないの"
],
[
"スウィッチも、――電線も、――切断されてる!",
"逃すな!――女を。――"
],
[
"だって、例の一件だなんて云うから。――",
"賭場の一件さ。あの弱味につけ込まれたんだよ",
"ああそうか、なあんだ",
"あれを種に脅迫しやがったんだ。アパートに最初やって来てね"
],
[
"佳い女だぜ。俺が金は持ち合せていないッて云ったら、銀行の金庫にあるわよッて、あの女ピストルを突きつけやがった。好い度胸だぜ。自動車に乗せて俺を銀行に連れて行ったが、手配中の宮岡警部が来てくれたんで助かった",
"君はトミーを知ってたんだろう?"
]
] | 底本:「大倉※[#「火+華」、第3水準1-87-62]子探偵小説選」論創社
2011(平成23)年4月20日初版第1刷発行
底本の親本:「キング 一二巻一号」
1936(昭和11)年1月号
初出:「キング 一二巻一号」
1936(昭和11)年1月号
※表題 は底本では、「黒猫|十三《とみ》」となっています。
入力:kompass
校正:門田裕志
2012年11月1日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "054482",
"作品名": "黒猫十三",
"作品名読み": "くろねことみ",
"ソート用読み": "くろねことみ",
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"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「キング 一二巻一号」1936(昭和11)年1月号",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2012-12-28T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-16T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001669/card54482.html",
"人物ID": "001669",
"姓": "大倉",
"名": "燁子",
"姓読み": "おおくら",
"名読み": "てるこ",
"姓読みソート用": "おおくら",
"名読みソート用": "てるこ",
"姓ローマ字": "Okura",
"名ローマ字": "Teruko",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1886-04-12",
"没年月日": "1960-07-18",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "大倉燁子探偵小説選",
"底本出版社名1": "論創社",
"底本初版発行年1": "2011(平成23)年4月30日",
"入力に使用した版1": "2011(平成23)年4月30日初版第1刷",
"校正に使用した版1": "2011(平成23)年4月30日初版第1刷",
"底本の親本名1": "キング 一二巻一号",
"底本の親本出版社名1": " ",
"底本の親本初版発行年1": "1936(昭和11)年1月",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
"入力に使用した版2": "",
"校正に使用した版2": "",
"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "kompass",
"校正者": "門田裕志",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001669/files/54482_ruby_48989.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2012-11-01T00:00:00",
"テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"テキストファイル文字集合": "JIS X 0208",
"テキストファイル修正回数": "0",
"XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001669/files/54482_49249.html",
"XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2012-11-01T00:00:00",
"XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"やあ素敵! モダンだな。お婿さんの候補者かい? 素晴らしい美男子じゃないか",
"知らない"
],
[
"大審院判事の子息で弁護士か、姉さんが大学教授法学博士に嫁すとあるから家には小姑はなしか、両親はいないし気楽だなあ、その上に財産がある。五十万円――、こいつあ結婚した方が得だぜ",
"いやだわ。光村博士までそんなこと云って、憎らしい! 私は舞踊と結婚して一生舞踊を旦那様だと思って暮すんだわよ",
"おや、それじゃ約束が違うじゃないか"
],
[
"誰も彼もみんな癪にさわる人ばかりだ、まゆみちゃんなんか殺してしまいたい、大事な私の光村博士を横取りして、涼しい顔をしているんだもの",
"横取り? ウフウフ。君を光らせるために、まゆみが死ぬほど好きな舞踊を封じてやってるんじゃないか、ちったあ僕に感謝してもいいはずだよ",
"私だって自分の恋人をまゆみちゃんに捧げてるじゃないの。恋を犠牲にしてまでもやりとげようとしている私の芸術も――"
],
[
"天分のないものは仕方がないわねえ、ああまゆみちゃんが羨しい、あれだけ才のある人は見たことがないって家元さん口癖のように云ってらっしゃるわ",
"お世辞さ",
"羨しいより憎らしいわ。私は努力でのびて行くより仕方がないんだもの、光村博士がいくら封じた積りでも、まゆみちゃんいつ気がかわって舞踊家になろうと思うまいもんでもない、この頃少し結婚生活に退屈しているようだもの。あのひとが生きている限り安心が出来ないわ、一層殺しちゃいたい"
],
[
"何んて美しい女だろう。光村博士はあの人好きなんじゃないの? 利口そうなあのぱっちりした眼、油断がならない、何か感付いたんじゃないか知ら?",
"感付いたって構うもんか、あんな奴、追い出しちまえばそれきりだよ。それよりかね、百合ちゃんの名披露何日にするの? 切符をウンと引き受けるぜ"
],
[
"だって、うまく出来ないんですもの",
"名取りの癖に何んですって?"
],
[
"あんたにさ、まゆみちゃんみたいに上手に踊れって云ったら、これや私の注文が無理というもんでしょう。だけど人並みのこと位は出来そうなものね。無理に名をとった手前に対しても――、意地にもですよ",
"よく分っています。家元さん",
"分っているなら何故もっと勉強しないんです?",
"勉強していますわ、それでも――、どうしても――",
"出来ないっていうの? こんなに教えてやって出来ない人が、芸で立とうなんて余り虫が好すぎるよ、あんたはお金持ちのお嬢様だもの、出来もしない芸で苦労するより、お嫁に行ったらいいじゃありませんか。まゆみちゃんのような人なら芸を捨てて勿体ないと思うけれど、あんた位なら別に惜しいこともないからね"
],
[
"わかりましたわ。私、一生懸命にやります。きっと、うまく踊りますから堪忍して下さい",
"名取りにならなけりゃよかったなんて大きな口をきいたんだからね、うまく出来なかったら札を返してもらいますよ",
"はい",
"まゆみちゃんところへ行って、よく教わって来るといいよ",
"はい",
"あの人の鷺娘、実によかったからねえ"
],
[
"どうしたのよ、そんな青い顔をして――、泣かないで話してごらんよ",
"ああ、私、口惜しいわ!"
],
[
"家元さんはほんとにひどい人よ",
"あんた、叱られたの?"
],
[
"まゆみちゃん、私の云うこと、絶対に他言しないって誓って頂戴",
"誓うわ。だけれど何なの?",
"きっと秘密をまもってくれる?",
"大丈夫",
"饒舌ったら承知しないことよ、生かしておかない、殺しちまうわよ",
"殺すんだって?"
],
[
"竹村さん、草むしり、今でなくっていいわよ",
"はい"
],
[
"まゆみちゃん、私の代りになって、――鷺娘踊って下さらない?",
"えっ⁈",
"私になりすまして、踊って頂戴な"
],
[
"いやならいやとはっきり云いなさいよ",
"いやってわけじゃないけれど――",
"そんなら引き受けると云って、私を安心させて頂戴",
"でも――、何んだか恐いわ",
"意気地なし! そんなら頼まないわよ。私はもう決心してるんだから、あんたに断わられたら生きていない、死ぬわ、まゆみちゃんを恨んで死んでやる。たったいま、ここで。この部屋で――、嘘だと思うんなら見ていらっしゃい、お薬はちゃんと薬局から盗んでこの通り持っているわよ"
],
[
"馬鹿なことをするもんじゃないっ",
"じゃ、引き受けてくれる?"
],
[
"だけれど、そんなこと出来るものか知ら?",
"出来ますとも、まゆみちゃんと私はそっくりだから、顔をつくってしまえば、絶対に分りっこありゃしないわよ",
"うまく替玉になれるか知ら? そして、あんたはどうするの?",
"楽屋の隅にでも隠れているわ"
],
[
"まあ! 素晴らしい出来だわね",
"大した芸ねえ。家元さん以上よ"
],
[
"送って行こうか?",
"大丈夫、ひとりで帰れる"
],
[
"舞台で百合子が踊っている真最中に楽屋で百合子を見たという女の子があります。女の子はあの晩から発熱して『お化物が鷺娘を踊っている』と囈言を云いつづけているそうです。家元は家元であの時の踊りが到底百合子の芸ではなかった、とあとで気がついて薄気味悪るく思っていると、まゆみが死んだ、それを聞いて益々怖気づいているという話なんです",
"百合子を調べた結果は?",
"何を訊いてもただ泣くばかりで駄目なんですが、その代り薬剤師の竹村春枝という婦人から参考になる話を大分聞きました。百合子とまゆみは表面非常に仲が好く見えたが、実はお互いに憎しみ合い、嫉妬に燃えていたそうです",
"嫉妬?",
"そうです。光村博士をまゆみに紹介したのは百合子です。女にかけてはなかなか手腕のある博士はうまく百合子を説きつけ、美人のまゆみと結婚しました。その代り競走者であるまゆみの芸を永久に封じるという約束をしたのです、その約束が非常な魅力で、百合子は直ぐ二人の結婚を承知したといいます",
"それを百合子が白状したのか?",
"どうして、あの勝気な、虚栄心の強い女が自分の弱点を曝露するもんですか。彼女は鷺娘を踊ることになっていたが急に気分が悪るくなり、止めると云えば家元に叱られるので已むなくまゆみに代理をつとめてもらったとだけは白状しました。まゆみが踏抜きをしたのは舞台でだそうです。それ以上は何も云いません。勿論博士との関係についても絶対にそんな事はないと云い張っています",
"竹村春枝という婦人はどうして微細な関係を知っていたのだろう?",
"さあ",
"まゆみの芸を封じたなどとは想像とも思えない、現にあれだけ好きだった踊りだからな、それを禁じられていたればこそやらなかったのだろう。しかし、そんな事まで知っているのが妙じゃないか",
"竹村は頻りに博士と百合子との関係を云って、一週間ほど前にも博士がまゆみを応接室に追いやって、百合子と巫山戯散らしていたのを見たと云っています。それから名披露の前日百合子が何かまゆみを脅迫でもしているらしく烈しく云い争っているのを庭先にいて聞いたとも云っています。その時まゆみが百合子の手から奪い取って庭へ投げ捨てた紙包を拾ってみたら毒薬が入っていた、変だなと思っていたら果してこの度の事件だ、これはたしかに計画的に行われた殺人で、まゆみを殺す目的で鷺娘を踊らせたに違いない、と云って非常に憤慨しています"
],
[
"薬剤師がどういう理で奥座敷の話を立聞きしていたのか?",
"立聞きしていたのではございません。博士のお仕事をしている時お隣りのお部屋の話声を聞いたのでございます。奥様は何も御存じないんですが、百合子さんはほんとに悪い方だと日頃癪にさわっていたものですから、遂いお話を聞いていたのです",
"まゆみの芸を封じる約束をしたという事は誰から聞いたのか?"
],
[
"出鱈目か!",
"いいえ、それはいつか博士が御酒に酔ぱらっていらした時仰しゃいましたんです",
"君はこの犯人を知っているんだな"
],
[
"証拠は?",
"百合子さんは奥様を殺して、御自分が博士夫人になるお積りだったのです。釘に毒を塗ってわざと踏むような場所に投げて置いたに違いございません。私は数日前薬局で薬が紛失した時からあの方を怪しいと思い、奥様のお身をよそながら保護して上げる積りで、あの晩も舞台間近かの客席におりましたのです",
"切符をどうして手に入れた?",
"博士から頂きました",
"毒を塗って釘を投げたのまで知っていながら何故黙っていたんだね?"
]
] | 底本:「大倉※[#「火+華」、第3水準1-87-62]子探偵小説選」論創社
2011(平成23)年4月30日初版第1刷発行
底本の親本:「宝石 一巻四号」
1946(昭和21)年7月号
初出:「宝石 一巻四号」
1946(昭和21)年7月号
入力:kompass
校正:門田裕志
2013年1月14日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "054479",
"作品名": "鷺娘",
"作品名読み": "さぎむすめ",
"ソート用読み": "さきむすめ",
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"原題": "",
"初出": "「宝石 一巻四号」1946(昭和21)年7月号",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2013-02-06T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-16T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001669/card54479.html",
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"姓": "大倉",
"名": "燁子",
"姓読み": "おおくら",
"名読み": "てるこ",
"姓読みソート用": "おおくら",
"名読みソート用": "てるこ",
"姓ローマ字": "Okura",
"名ローマ字": "Teruko",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1886-04-12",
"没年月日": "1960-07-18",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "大倉燁子探偵小説選",
"底本出版社名1": "論創社",
"底本初版発行年1": "2011(平成23)年4月30日",
"入力に使用した版1": "2011(平成23)年4月30日初版第1刷",
"校正に使用した版1": "2011(平成23)年4月30日初版第1刷",
"底本の親本名1": "宝石 一巻四号 ",
"底本の親本出版社名1": " ",
"底本の親本初版発行年1": "1946(昭和21)年7月",
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} |
[
[
"まあ! お美しい方! 御結婚のお写真でございますね、何方さんでございます?",
"麻布の御木井男爵ですの。御木井合名会社の社長さん御夫妻ですよ",
"若い社長さんですこと!",
"ああいう大富豪になるとなかなか面倒なものと見えて、代々総家の相続人が社長の椅子に座ることに定っているらしいんですの。その新聞には昭和七年と書いてありますから、その時多分新郎の御木井武雄さんが二十七歳、新婦の綾子さんが二十二歳だったんですわね",
"新夫人はどちらから?",
"政友会の山科さんのお嬢さんです。山科さんは以前南洋方面にも大分目をつけていた関係上、私の夫とも相当親しくしていらしたので、夫が亡くなりますと間もなく、山科さんから招かれて、私は綾子さんの家庭教師になり、一年ばかり山科家の家族達と一緒に暮したことがございました。それは綾子さんと武雄さんとが結婚されるずっと以前のことなのです。さあそろそろお話の本筋に入りましょうかね"
],
[
"ええそうですの、当日は披露をかねた園遊会を麻布の御木井邸で開かれたんですが、私も招待されて参りましたからよく記憶して居ります。随分盛大なものでございましたよ。恰度その午後三時頃、混雑の真最中を見計って、来賓に化けてまざれ込み、突然文夫さんの前に現われたんだそうです。文夫さんは取り敢えず叔父様を自分の書斎に連れて行きました。ごたごたしていたので文夫さんの姿の見えないのを、誰一人として気がつくものはありませんでした。書斎は広い建物の外れに作ってありまして、別棟のようになって居りますからまことに静かで、殊にその日はひっそりとして近くに誰も居ませんでした",
"何故また文夫さんはそんな淋しいお書斎へ叔父様をお通しなすったのでしょうか知ら?",
"そこですわ。皆さんも不思議に思うんですけれど、私が考えますのに、叔父様は南洋をながい間うろつき廻っていた人ですから、どこやら容子も違っていたでしょうし、第一あの顔の疵は人相を随分悪く見せますからね。文夫さんは最初暴力団か何かと間違えたのじゃないかと思うんですの、それでなるべくお客さん達の目につかないように、自分で始末をつける積りで、故意と人のいない書斎を撰んだものだろうと思いますのよ",
"文夫さんは叔父様のお顔もご存じなかったのでございますか?",
"忘れてしまってたんでしょう。だから叔父様は例の写真を持参して、それを証拠に、自分は、先代御木井男爵の弟で、落魄している叔父だということを告げて、若干の合力を頼んだのだそうです。それ以上の考えは断じてなかったと強弁していますよ",
"ではどうして殺す気になったんでしょう?",
"最初はそんな気もなかったんでしょうが――何しろ叔父様という人は執念深くって、御木井家の事なら何事によらず、一から十まで探って知っていたのです。無論武雄さんの失恋したのも聞き知っていました。文夫さんの方ではまた何も知らないで、ほんとの叔父様だと思うものですから、気をゆるしていろいろ打ち解けて話していたそうですの、そのうちにふと叔父様の頭に、二十何年前の自分と同じ境遇に泣いているだろう処の武雄さんの姿が浮びましたんですって、その日も今日のように盛んな披露会が、しかもこの同じ邸内で行われたんだそうですの。喜びに満ちたあの晴れやかな、恋の勝利に輝く兄の顔は今だに忘れようとしても忘れられない。それに引き換えて自分の惨めさはどうだったろう。ああ武雄は可哀想だ! と思うと眼の前の文夫さんが急に憎くなり出して、遂いに殺意を生じたのだといいますが、それは少し怪しいと思います、文夫さんの方では叔父様の心が変ったのも知らずに、懐そうに写真に見入って、『叔父様もこの頃はお若かったんですね、そのお写真は言葉にお甘えして頂いておきます』と云いながら、大切そうに書簡紙の間に挟んだ刹那、叔父様は秘かに携えて来た黒蛇を放したのだと申します。黒蛇は文夫さんの首筋を巻きかけたんですって、驚いて――、夢中で黒蛇を手に握って起ち上った時、手首を噛まれ、文夫さんはばったり倒れてしまったんです。モヒ中毒にかかっていた叔父様は、自分用の注射器とアンプレを残して立ち去ったのだそうですの"
]
] | 底本:「大倉※[#「火+華」、第3水準1-87-62]子探偵小説選」論創社
2011(平成23)年4月20日初版第1刷発行
底本の親本:「踊る影絵」柳香書院
1935(昭和10)年2月
初出:「踊る影絵」柳香書院
1935(昭和10)年2月
入力:kompass
校正:門田裕志
2012年11月1日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "054476",
"作品名": "蛇性の執念",
"作品名読み": "じゃせいのしゅうねん",
"ソート用読み": "しやせいのしゆうねん",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「踊る影絵」柳香書院、1935(昭和10)年2月",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2012-12-19T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-16T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001669/card54476.html",
"人物ID": "001669",
"姓": "大倉",
"名": "燁子",
"姓読み": "おおくら",
"名読み": "てるこ",
"姓読みソート用": "おおくら",
"名読みソート用": "てるこ",
"姓ローマ字": "Okura",
"名ローマ字": "Teruko",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1886-04-12",
"没年月日": "1960-07-18",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "大倉燁子探偵小説選",
"底本出版社名1": "論創社",
"底本初版発行年1": "2011(平成23)年4月30日",
"入力に使用した版1": "2011(平成23)年4月30日初版第1刷",
"校正に使用した版1": "2011(平成23)年4月30日初版第1刷",
"底本の親本名1": "踊る影絵",
"底本の親本出版社名1": "柳香書院",
"底本の親本初版発行年1": "1935(昭和10)年2月",
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"底本出版社名2": "",
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"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "kompass",
"校正者": "門田裕志",
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} |
[
[
"あすこは任地から云っても重要な処ですからね。小田切さんとしてはほんとに働き栄のする、腕のふるいどころでしょう。外交官としては面白い檜舞台。そこへ撰ばれてやられたんですから、あの人としては今が最も華やかな時代だと云っても差支ありますまい。その得意な時に、ただ奥さんが恋しい位の理由で自殺するなんて、そんな馬鹿々々しいこと考えられないけれどね――",
"じゃ他殺だとお思いになりまして?"
],
[
"他殺と断定するわけでは無論ないんだけど、しかし自殺とすれば何かそこにもっと深い原因があるわけでしょう。一時的発狂とも考えられないことはないけれど、小田切さんはそんな人じゃないでしょう、冷静な、落ちついた人だという評判だから",
"でも、また半面には熱情家でもあったんですの。だからこそ宮本夫人ともああした関係に陥ちたんではございますまいか?",
"それはそうかも知れないんだけど、自殺とすれば他にもっと重大な問題が必ずあると思いますね。例えば外交上の失敗だとか、秘密書類をどうかしたとか、また本省の意見なり命令なりに無理がある場合、それを承知で横車を押さなければならない場合もあるでしょう。そんな時いつも貧乏籤をひくのは外交官ですわね。日本と外国との間に板挟みになって、散々非道い目にあって悶え苦しんだ揚句が神経衰弱。心ない人からは無能呼ばわりをされる。さもなければ質の悪い婦人関係か、とにかく外交官には秘密が多いから、そうそう単純に片附けてしまうわけにはゆきませんよ。他殺だったら興味があるから新聞にもいろいろ書き立てられるでしょうが――",
"自殺となると地味ですから、余り新聞でも騒がないと仰しゃるんでしょう?"
],
[
"それはまた、どういうわけなんですの?",
"お耻しいお話ですが、兄はあの通りの無頓着な人だったものですから、まだ墓地がなかったんでございます。昨年嫂が外国で死くなりました時は、取敢えずお骨を嫂の実家の墓地へ同居させてもらっておきましたが、この度兄と一緒に葬ることにいたしましたので、小田切家の墓所を新たにつくることになりまして、かろうとを造しらえます間、一時、遺骨をお預けしておいたのでございます"
],
[
"じゃ、その御夫婦のどっちかが、お兄様のお遺骨をすりかえたらしい、と仰有るのでございますか?",
"どうもそう思うより他には心当りがございませんものですから、でもまるで雲を掴むような話で、何人かの悪戯かとも思うのでございますが――、でも万一ほんとにすりかえられたものとしましたら、どんな事をしても取り返さなければ兄へ対して申訳がございません。知らない他人様のお遺骨を葬って、肝心の兄のは行方不明では大変でございますものね"
],
[
"遺骨をすりかえるなんて常識じゃ考えられませんわ。誰かの悪戯じゃございますまいか?",
"悪戯としたらちょっとうまい思いつきよ、どうも女の考えらしい。盗んだと云えば第一遺骨が紛失するので、直ぐ知れてしまうんだけど、すりかえたと云うんだと内容だけが変ってる事になるから、お骨には何の証拠もないし小田切さんの妹さんだって迷うわね",
"管理人に突撥ねられたから云うわけじゃございませんが、すりかえるなんてそんなこと、なかなか出来やしませんわ"
],
[
"あなたの知ってらっしゃる宮本夫人というのはどういう人で、今はどうしていられるの?",
"それは美しい人でございますよ。しかし顔に似合わず大胆で押しが強くって、負けず嫌いで、性質はいい方じゃございません。悪くいう人はあれや毒婦だなんて申しましたからね。でも今はどうしていますか、御主人が亡くなってから、幾度も結婚したという噂を聞きました。小田切さんもあの人には随分悩まされたろうと蔭では皆同情していましたの。何しろ評判のよくない人でしたから",
"小田切さんの妹さんは宮本夫人とお兄様との関係を知らないんでしょうか?",
"知っておりましょう。でも利口者だから。黙っているんじゃございませんか",
"居所判ってるか知ら?",
"さあ、いかがでしょう。名前も変っておりましょうし、何でも落魄して満洲に行き、支那ゴロと同棲してるなんて話も聞きましたから。しかしそれも、もう大分前のことでございますわ。今はどこにどうしていますか、無論内地ではないでしょう。でもあの勝気な女のことでございますから、小田切さん御夫婦の仲のいい評判なんかが耳に入ったら、それこそ凝としてはおりませんはずですのに、一向表面にあらわれて来ない処をみると、事によったらもう死んじまっているかも知れません、とにかく小田切さんとはあれっきり全然交渉はなかったんだろうと私は思って居ります",
"じゃ宮本さんのいた会社に問合せても無駄でしょうかね?",
"人事課でも最早分らないかも知れません。何しろ姓が幾度も変っておるのでしょうし、それにあの会社とは今は何の関係もございませんでしょうから――。それよりは、むしろ久子さんに直接あたって訊いてみた方がかえって何かの糸口がつかめるかも知れませんわ。あんなに仲のよかった兄妹なんですから、お兄さんのことは何でも知っていましょうと思いますが"
],
[
"宮本さんは兄が亡くなりました時でさえも、まるっきりお姿をお見せになりませんでしたし、お噂もとんとお聞きいたしませんから、私は何も存じませんの",
"では、他に何か御婦人のお心あたりはございませんでしょうか?",
"それが一向ございませんので――。兄は以前はともかくも、嫂と結婚いたしまして後は、ほんとうに真面目だったんでございます。嫂の死後は一層身を謹みまして、只管嫂の冥福を祈って居りましたのですから、たとえ人様が何と仰しゃいましても、兄には婦人関係などなかったと存じますの"
],
[
"秘書官? と仰しゃるとやはり外務省の方でございますね?",
"いいえ。兄個人のですから外務省とは全然関係ございません",
"ではお兄様個人の秘書?",
"はい。そうなんですの。吉岡さんは面白い方で、個人の秘書ではねうちがないからって、御自分の事を秘書官、秘書官って仰しゃいますのよ。吉岡秘書官がなどとね、無論御冗談にですが、それで私達もつい口癖になってしまいましてあの方のことを秘書官と申しますの",
"じゃあお役人さまではありませんのね?",
"はい。それに今度あちらから帰朝いたしました時、初めて連れてまいった人でございます",
"その方、只今でも時々見えられますか?",
"いいえ、兄が亡くなったものですから、自然用事もなくなり、それに伯母がやかましくって――",
"伯母様が?",
"はい。吉岡さんはお美しい方だものですから、ああいう方がいつまでもいらっしゃると目立つからなどと申しましてね"
],
[
"吉岡さんはお兄様のお気に入りでしたか?",
"はい。大変気に入って居りました。テキパキした方だものですから。それに頭がよくって、語学が達者なので調法だと申して居りました",
"じゃ何かお考えがあって、特に目をかけていらしたというようなことはございませんか、譬えばあなたとご結婚でもおさせしようとか――"
],
[
"いいえ。そんな事は決してございません。兄は吉岡さんと私とが接近するのさえ余り好みません位でしたから",
"吉岡さんはどこに住んでいらしたんです?",
"宅の離室をお貸して上げていました。こんどの兄の滞在は余り長くない予定でございましたので――",
"お兄様が日光でお亡くなりになりましたのはたしか午前二時だったと思いますが、その当日やはり吉岡さんはお兄様とご一緒に日光においでになったのではありませんか?",
"いいえ一緒ではございませんでした。そしてあの方が外出先から帰っていらしたのは夜分の十一時頃だったと思いますの。忘れもしませんが、あの晩吉岡さんは非道い胃痙攣を起して大騒ぎいたしました。それからずッとお体が悪るくって、兄の告別式にさえお出になられませんでしたの",
"只今でもお音信がございますか?",
"もうさっぱり――",
"いつ頃あちらへ帰られました?",
"兄の告別式がすんだ翌日でございます。もともとあちらから連れて来た人なんですから",
"でもあちらがお故郷というわけでもないでしょうにね?",
"何ですか吉岡さんは男には惜しい、余り美し過ぎるといつぞや伯母と私が噂していましたら、兄がそれを聞いて、支那人の混血児にはどうかするとああいうタイプの美男子があると申していましたから、もしかすると混血児なのかも知れません"
],
[
"吉岡五郎さんは支那へ帰ったんじゃございませんの?",
"いいえ、東京にいるんですよ",
"もうやって来たんですの?",
"ずうっといるんです。支那へ帰ったなんて嘘ですよ"
],
[
"小田切さんの妹さんの処で日記を見たでしょう? それから吉岡って人怪しいと思ったんですよ。あの日記で読むと大使は死ぬ日の夕方吉岡さんを連れて中禅寺湖から日光へ歩いたんです。二人で山越しをしながら云々という処があったんですもの――",
"でも、どうして今までそれが問題にならなかったのでしょう? 日記があったなんて事はどの新聞にも書いてございませんでしたがね",
"日記は持ち去った人があったのでしょう。よしんばその場に日記があったとしても他人には解らないでしょう。特殊の文字が使ってありますから、つまり暗号なのですが私は幸いそれを知っていましたからね、まあ吉岡さんに会ったら、何かもっと新らしい発見があるだろうと思うんです"
],
[
"慥かに宮本夫人だったでしょう?",
"はあ、それは慥かにそうですけれど――、でも。まあ、どうしてあすこに小田切大使までがいらしたんでしょう?",
"オホホホホホホ。気がつかなかったの? あれや人形ですよ",
"えッ。人形?"
],
[
"あの似顔なかなかよく出来ていましたね",
"じゃ宮本夫人が持っていたあのほの白い棒、あれや何でございますの?",
"さあね、まあ云うのは止しましょう。どうせいまに分るでしょうから"
]
] | 底本:「大倉※[#「火+華」、第3水準1-87-62]子探偵小説選」論創社
2011(平成23)年4月20日初版第1刷発行
底本の親本:「踊る影絵」柳香書院
1935(昭和10)年2月
初出:「踊る影絵」柳香書院
1935(昭和10)年2月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:kompass
校正:門田裕志
2012年11月1日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "054475",
"作品名": "情鬼",
"作品名読み": "じょうき",
"ソート用読み": "しようき",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「踊る影絵」柳香書院、1935(昭和10)年2月",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2012-12-28T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-16T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001669/card54475.html",
"人物ID": "001669",
"姓": "大倉",
"名": "燁子",
"姓読み": "おおくら",
"名読み": "てるこ",
"姓読みソート用": "おおくら",
"名読みソート用": "てるこ",
"姓ローマ字": "Okura",
"名ローマ字": "Teruko",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1886-04-12",
"没年月日": "1960-07-18",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "大倉燁子探偵小説選",
"底本出版社名1": "論創社",
"底本初版発行年1": "2011(平成23)年4月30日",
"入力に使用した版1": "2011(平成23)年4月30日初版第1刷",
"校正に使用した版1": "2011(平成23)年4月30日初版第1刷",
"底本の親本名1": "踊る影絵",
"底本の親本出版社名1": "柳香書院",
"底本の親本初版発行年1": "1935(昭和10)年2月",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
"入力に使用した版2": "",
"校正に使用した版2": "",
"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "kompass",
"校正者": "門田裕志",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001669/files/54475_ruby_48986.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2012-11-01T00:00:00",
"テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"テキストファイル文字集合": "JIS X 0208",
"テキストファイル修正回数": "0",
"XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001669/files/54475_49246.html",
"XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2012-11-01T00:00:00",
"XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"どうしたんだ? 何があったんだ?",
"轢かれたのか?"
],
[
"怪しからんじゃないか。お客がやったのかね?",
"それを調べておるんですが、――どうも、分らないで困っているんです",
"弄戯っておいて、逃げたんじゃないか?",
"否え、そんな事はありません。お客さんはお一人もお降りになりませんから。――ちゃんとこの通り一々行先を記してあります。いらっしゃらなくなれば直ぐ分りますが、お一人も欠けていないんですから――"
],
[
"停車場でもないところへ汽車が停るのは、何だか無気味なもんですわねえ。一体、誰が非常ベルを押したんでしょう?",
"うっかりと間違えたんじゃないか。――何しろ、あの有名な義賊尾越千造が脱獄したというので、その筋じゃすっかり神経を尖らしてるからな。見給え、この列車にも多勢刑事が張り込んでるぞ",
"まあ、いやだ!――じゃこの列車に怪しい人が乗っているんでしょうか?",
"と、でも――、睨んでいるんだろうな",
"気味が悪いわねえ。そんな事仰しゃると、皆さんのお顔が恐しく見えますわ",
"冗談じゃない。尾越は女のような優男だ。顔ばかりでなく、悪人だがどこか優しいところがあるとみえて一仕事やるとね、早速ニュースに出た哀れな家庭へ現われて、ほどこして行くんだ。だからみんな彼を庇護って、故意と違った人相を云ったりするもんだから、捕えるには随分骨が祈れたそうだよ。もう一つ、尾越が普通の強盗と異っていた点は、押入る家が、必ず不正な事をやって金をこしらえた富豪連中と定っていたことだ",
"どうして、貴方はそんなに委しく知っていらっしゃるの? 新聞にはまだ何も出ていませんわねえ",
"あの当時、僕は司法官だったからね、裁判所に始終出入りしていたので知っているんだよ",
"同じ強盗でも、どうして尾越だけはあんなに人気があるのかと不思議に思っていましたが、やはり異ったところがあるからですわねえ"
],
[
"どうなさいました? お父様の御病気でもお悪いのですか?",
"いいえ。父が――、あの父が――",
"お父様が?",
"あの――、亡くなりましたの",
"えッ? いつ?"
],
[
"父は机の前に俯伏せになって――、死んで居りました。四辺は一面の血――",
"咯血なすったの?",
"いいえ。たぶん泥棒に――、心臓に短刀が刺っていました。――私は夢中でその短刀を抜き取りましたの、すると急に血が吹き出して、私の手も、腕も、袖も、血だらけになってしまい――"
],
[
"警察へお知らせになりましたか?",
"いいえ、まだ――、だって、誰も居りませんの。私一人きりで――、どうしたらいいかと途方に暮れているとベルが鳴ったので、竦んでしまいました。泥棒がまた来たのかと思ったもんですから、恐くって――、とてもお玄関へ出られませんでしたの。――でも、ほんとに嬉しゅうございました、先生がいらして下すって、私は助かりましたわ",
"お女中さんは?",
"町へ買物に参りました。もう帰るだろうと思いますけれど――"
],
[
"人をよばないで下さい。どうぞ騒がないで――私はお宅へ泥棒に来たのではありません。先生にお目にかかりたくって参ったのですから――",
"それなら、何故、玄関から案内を乞うておいでにならないのですか?",
"表玄関から――、上られる身ではございませんので――"
],
[
"私はある死刑囚から世にも気の毒な物語を聞いたのです。独房にいるはずのその囚人から、同じく囚人である私が、どうして話を聞いたかという事は、どうぞ、お訊ね下さいますな。ただその物語りを先生に聞いて頂きさえすればよいのですから、――それで私の義務は終るのです。余計な事は一切省くことにいたしましょう",
"なに、要点だけを承わればよろしいんですよ"
],
[
"友人というものを始めて持った譲治は実に有頂天でした。何でもかでも親友に打ち開けて相談する、という風でした。何年か経つうちに宣教師は亡くなり、その遺言によって、莫大な遺産が彼の懐中に転がり込みました",
"西洋人にはよくそういうことがありますのねえ",
"宣教師が亡くなってみると、大きな家に一人でいるのも淋しいからと云って、親友は知り合いのある未亡人の家を紹介してくれました。譲治は家族同様の待遇という約束でその家に移ることになったのです。そこから通学を始め、親友は始終訪ねて来て何かと世話をやいてくれました。末亡人には冬子という大変美しい娘があって、譲治はその娘に熱烈な恋をささやくようになりました。親友はそれを聞いて苦い顔をし、度々忠告したものです。冬子は不良だから断念めろ、将来ある君の妻にあんな女は相応しくないよ、第一貧乏人の娘じゃないか、などと云って、ひどくけなしていました。しかし、彼はどうしても思い切れないので、親友のとめるのもきかないで求婚しました。未亡人は非常に喜んだが、肝心の相手ははっきりとした返事をしなかったのです。が、遂に二人は結婚しました。冬子はともかくも、譲治は幸福でした。翌年には可愛女児も生れた、親友はまるで家族の一人であるように入り浸っていたものです。が、どういうものか、冬子は彼を好まなかったようで、それだけがいつも譲治の心を暗くさせていました。夫の親友なら、妻も親しんでくれればよいが、と、思っていたのです",
"よほど純情な男なのですね",
"夢のように七八年過ぎました。冬子は従兄に仙ちゃんという若い船員があって、航海から帰る度に土産物などを持って訪ねて来る。二人は幼少の頃同じ家で育ったとかで、まるで兄と妹のような睦じさです。従兄同志というものの親しさを、譲治は美しい眼で見て喜んでいましたが、親友は早くも二人の間に疑いを抱き、しばしば警告を与えるのです。妻の心を少しも疑っていない彼も、まのあたり見るような話を余り度々聞かされるので、あるいは? という気がしはじめたのです",
"無二の親友の言葉だけに、一層信じるでしょう"
],
[
"するとクラス会の夜、出席している譲治のところへ慌しく親友が迎えに来ました。一緒に家へ帰ってみるとなるほど、奥の離室の方から賑かな楽しそうな笑声が聞えています。従兄の仙ちゃんが来ているんです。親友の思いつきで、次の間の戸棚の中にかくれて様子を見ていることになりました",
"女の子はその時どこにいたのです?",
"仙ちゃんの膝に腰かけて、チョコレートを食べていました。三味線を聞かせてよ、と仙ちゃんが云います。冬子は戸棚から三味線を出して調子を合せ、今日は何をやりましょう。と云う。思いなしか仙ちゃんは熱っぽい声で袈裟御前が首を落されるあれ、何とか云ったなと云うと、鳥羽の恋塚よ、と冬子は朗らに笑いました。妻は幼少の頃から長唄を習い、相当自信があるようでしたが、譲治はオルガンは好きだが、三味線は嫌いだったので決して弾くな、と言い渡してあったのです。その代りにグランドピアノの立派なものを買ってやったのです"
],
[
"譲治は短刀を振り廻わして、無茶苦茶に暴れ廻ったが、さっぱり手答えがない、血迷っているので、柱に打つかったり、襖を突破ったりしているうちに突然、妻が悲鳴を上げたので、一層物狂おしくなりました。アッ。あなた、助けて――、あれッ、と叫ぶ冬子の声に混って、やったな! と恐しい声、それと共にどたりと倒れる重そうな響きを聞きました。譲治は気狂いのようになって、やたらに短刀を振り廻した。助けて――あなた、武さんを押えてよ――。と声を限りに救いを求める妻の声も、混乱している譲治には何も分らなかったのです。やがて彼はへとへとに疲れて、その場に倒れてしまいました。誰が急報したものか、ドカドカと警官が入って来て、難なく譲治は捕えられたのです。仙ちゃんも冬子も、もうその時には息が絶えていました",
"女の子は助かったのですね?",
"女の子は夢中で――、大切なものと思ってそのレコードを抱え、奥へ逃げてしまったのです"
],
[
"譲治は段々気が落ちついて来ると、余りにも恐しい罪に戦きました。咄嗟の間に人間を二人も殺し、しかも、一人は命にも代え難い愛妻なのです。親友はあのごたごたの始まる前に逃げ帰ったと見えて、警官が来た頃には姿は見えませんでした。血の海の中に彼は一人ぽかんと、失神したように短刀を握っていたのです",
"短刀を渡したのはその親友ではなかったのですか?",
"あるいは?――と考えないではなかったのですが、短刀は自分のものだし、何の証拠もないことだし、――どうすることも出来ませんでした。それに、その後の親友は実に至れりつくせりの親切ぶりを示してくれましたので――。弁護士を頼むことから、減刑運動から、女の子を手許に引取って立派な令嬢に仕上げてやるという約束までしてくれました。兄弟だって、これほどまでにつくしてはくれまいと思うほどだったのです。譲治は涙を流して感謝し、一時にもせよ、彼を疑ったことを後悔し、全財産の監理から、女の子の将来まで一任したそうです",
"よほど、善良な方なんですわねえ",
"ですが、段々日を経るに従って、彼の頭にいろいろな疑いが起りました。やたらむしょうに突いたが、肉体を突刺したような手応えは一度もなかった。それだのに、冬子は背中から肺臓を突貫かれ、仙ちゃんは心臓を突かれている。どうもそれが分らないのでした。記憶が次第に整って来るにつれ、妻が死際に、あなた武さんを押えてよ、と、云った言葉も、また刺そうとしているのが夫だったとしたら、その夫へ救いを求めていたのも変です。暗闇に紛れて、何者かがやったのではないか、と考え始めるようになりました。その何者とは一体誰でしょう? その場に居合せたとしたら、それは親友一人しかありません、しかし、その人は何一つ証拠を残していないばかりか、警官が飛んで来た時には、もう現場にいなかったのですから――",
"誰が警察へ知らせに行ったのです?",
"公衆電話だったそうです。無論誰だか分りませんでした。――で、譲治も一時はもしかしたら? と疑ってみたのですが、仮りに親友が殺したにしても、その後の仕打ちが余りにも親切なので、恨む気にもなれなかった。どんな事であろうと、罪は一人で背負おうと決心したそうです。が、また冷静に考えると馬鹿々々しくなって、自分に覚えがないのだから、これは飽くまで争わなければならない、という気も起るのです。そこで、なおよく記憶を辿ってみると嘗て妻の母が、冬子を譲治が知る以前に、親友が彼女へ求婚したことがあったと話したこと、親友が余りにも仙ちゃんに敵意を持っていたこと、妻がひどく彼を嫌って避けていたこと、等を思い合せてみた時、彼は思わずハッとして唇を噛みました",
"譲治さんは始めて、親友の奸計にまんまとのったことを、お知りになったのですね?",
"そうです。愛する妻は殺され、自分は罪なくして死刑に処せられる、しかもその敵のような男に、恩人から譲られた財産まで自由にする権利を与えてしまったのか、と思うと彼の憤りは極点に達しました。それから間もなく発狂して、自殺したのです",
"親友はどうしました?",
"譲治の金で相場をやり、今は大金持ちになっています",
"女の子は?"
],
[
"しかし、証拠は何一つないのでしょう?",
"証拠はレコードに残っています",
"そのレコードは――、もうないのでしょう?",
"それが不思議な事で私の手に入ったのです。それで急に彼の約束を果す日が来たと思い、脱獄したわけなんです。――私の仲間がある屋敷に強盗に入り、偶然盗んだ着物の間から一枚のレコードが出た、家へ帰ってかけてみたら迚も物凄かったので、毀すのも薄気味が悪いから、納める積りでお寺の縁の下へかくしておいた、という話を聞いたのです",
"強盗に入った屋敷というのはどこです?",
"沼津の有松武雄の家なんです"
],
[
"有松を殺害したのは私です。実はこの前脱獄した時、彼を訪問して譲治の話をしてやりました。有松は両人を殺害したのは自分だと白状しましたから、潔く自首しろと薦めました。彼も必ず自首すると誓ったにかかわらず今日まで実行しませんでした。多分、私が間もなく捕えられて刑務所へ入ったと聞いて、安心してしまったのでしょう。ところが今度の脱獄をニュースで知ってから、すっかり脅えてしまい、私を捕えるようにお願いする積りで、先生へ長距離電話なんかかけたのでしょう",
"汽車を飛び降りた二つの影は?",
"一つは私で、一つは仲間の奴、そのレコードを盗んだ男です",
"何故、通路であんな話をなすったんです? 人に聞かれたら危険だとは思いませんか?",
"先生にだけ聞かせる積りだったんです。非常ベルで驚いているところだから、先生が怪しい話声を聞いたと仰有って下されば騒ぎは一層大きくなりましょう?",
"どういうわけでそんな事をしたんです?",
"停車を長びかせたかったのです。仕事最中に先生に訪問されては、都合が悪いと思ったから。しかし、私も有松を殺す気はなかったのですが、先方でいきなりピストルを向けたもんですから、つい――",
"では、今度はあなたに自首して頂かなければなりませんね。それでないと、可哀想に美和子さんに嫌疑がかかっていますから――",
"無論、自首いたします。この事さえお引受け下されば、私の用事は終るのですから、しゃばにぐずぐずしていることはありません"
],
[
"先生、では、どうぞ、お願いいたします。私は死刑囚の依頼をやっと今日果し得たかと思うと、胸がすくようです。――脱獄をやったからにはまた罪が重くなりましょう。が、私の心の荷は軽くなりました。どうぞ、美和子さんの将来もお願いいたします",
"承知いたしました"
]
] | 底本:「大倉※[#「火+華」、第3水準1-87-62]子探偵小説選」論創社
2011(平成23)年4月30日初版第1刷発行
底本の親本:「モダン日本 九巻一三号」
1938(昭和13)年12月号
初出:「モダン日本 九巻一三号」
1938(昭和13)年12月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:kompass
校正:門田裕志
2013年1月14日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"その公高って少年は非常な利口者で、稀れにみる美貌の持主だったそうですね、尤もあのお母さんの子だから綺麗なのも当然だが、――僕は公高は見ないから知らないが、母夫人の方は二度見ましたよ。一度は乗馬倶楽部で、飾り気のないさっぱりとした乗馬服を着て栗毛の馬に乗っている颯爽とした姿、もう一度は肌の透いて見えるような薄い夜会服の上に毛皮の外套を引っかけて自動車に乗ろうとしているところ、実にぞっとするような美婦人だった。僕は体がかたくなって、しばらく見惚れたまま動けなかったのを覚えている。世の中にはこんな美しい女もあるものかとすっかり感心しちゃって、美人の噂が出ると僕は定って藤原夫人の名を云ったものだった",
"夫人はどこから嫁に来たんだね?",
"それがさ。所謂氏なくして玉の輿に乗った人で、日本橋辺の旧い薬種屋の娘で女医学校を卒業し就職を求めにある医学博士を訪問している時、偶然そこへ乗合わせていた先代侯爵が見染めて、親類中の大反対を押し切って妻に迎えたんだそうだ。薬種屋の両親は娘の出世、貴族と縁組みするのは家の名誉だと有頂天になっていたし、娘の方は映画なんかで見る外国の貴婦人の華やかな生活を連想して旧い習慣にとらわれている日本の貴族の生活というものを研究してもみなかった。だから結婚後の家庭生活はあんまり幸福でなかったらしい。彼女の亡くなった時、お通夜に行ったものから聞いたが、姑だの、母を異にした――、つまり妾腹だな、そういう小姑が多数いる間に挟まって小さくなり、平民の娘、平民の娘と蔑視まれつづけて、針の蓆にいるような辛い思いをしていたという。ああいう社会で氏のないということが、どんなに肩身が狭く、またどんなに賤しまれるかということを彼女は全く知らなかったんだね",
"不幸な人だなあ",
"美人薄命という言葉がぴったりくるね。唯一の希望である我が子は行方不明になる、その心痛から病弱になり、生きて行く力を失ったと云って床に就く日が多かったというからその頃から心臓の方も悪るくなっていたんだろう、突然麻痺を起してあっけなく死んでしまったのが、公高の三回忌を行った夜だったというのが何かの因縁だとでも云うんじゃないかな",
"とにかく局長、是非、出席して話を聞いてきて下さいよ"
],
[
"このお胴の中でお昼寝位出来そうですわ",
"でも、中はがらん洞ではないでしょう。金だか、銀だか、銅だか知らないけれど、いずれむくでしょうから",
"金や銀なら今頃まで残っていませんわよ。供出させられてますから、オホホホホホ"
]
] | 底本:「大倉※[#「火+華」、第3水準1-87-62]子探偵小説選」論創社
2011(平成23)年4月30日初版第1刷発行
底本の親本:「宝石 二巻一〇号」
1947(昭和22)年11月、12月合併号
初出:「宝石 二巻一〇号」
1947(昭和22)年11月、12月合併号
入力:kompass
校正:門田裕志
2013年1月14日作成
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "054474",
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[
"面白そうじゃないの。南洋踊り、鉄の処女、ほら人喰人種もいますよ",
"鉄の処女って何の事でございますの?",
"昔死刑に用いられたものですよ。大きな箱のようなものの内側に剱の歯がいっぱい突き出ていて、囚人をその中に入れ、扉を閉めると同時に体中に剱が突き刺るという仕掛けなんですよ",
"面白そうでございますわね。じゃ入ってみましょうか",
"人間は誰だって残虐性をもってるのね――"
],
[
"あの狒々の野郎うまくやってやがらあ",
"真物かな",
"さあ?",
"奴さん、なかなか味をやるじゃねえか",
"しかし――。巧いぞ、男かね、女かね",
"女だったらどうする?",
"別嬪なら取って喰うか",
"馬鹿野郎、別嬪が何もわざわざ狒々の皮を被るかよ",
"女にしたところでどうせ醜婦さ。見やがれ。二度びっくりだ"
],
[
"でも根気よく探していれば、どこかで見つかるわ。それに女は独身者じゃないんだから",
"亭主がございますの?",
"亭主と共謀でよくないことをやってるんです"
],
[
"また嫉いてるんだよ",
"可哀想に! 殴らないだっていいわ",
"団長だって気がもめるさ"
],
[
"私が探しているあの女ね",
"サーカスにいるって女でございましょう?",
"その女の事について、伯爵夫人から秘密の相談を受けていたんですよ",
"秘密の相談? あの奥様にも何か秘密がおありになったんですの?",
"奥様の秘密というよりは、御主人の方の秘密ですの。重要会議で伯爵が巴里に滞在中の出来事なんですが、どこの土地でも、どこそこ通と名のつく道楽者が一人や二人はいますわね。その一人で長年パンションにころがっている独身者の画家があったんですって、それが伯爵の学生時代からの友人でしてね、その人の案内で、あるいかがわしいダンスホールにお忍びで出掛けたというわけなんです。そこでその女と知り合いになり、大分深入りしてしまってから、後になって始めてその女に亭主のあることも、サーカスに出ている女だという事も分って、伯爵は急に厭気がさしたんだそうです。それでうまく別れようとしたんですが、先方にしてみればせっかく引っかかったいい鴨なんですから、なかなか逃しやしません、何のかのと附き纏って離れない。そして遂々日本まで従いて来てしまったんです。で、その身元調査を奥様から私がお引きうけしたわけなんですの。その当時調査した処では、サーカスの奇術に出ている一座の花形で、亭主はあるにはあるがお金で何とでも解決のつく女だったんです。ところがその女が図々しくも奥様を訪問してね、かなりまとまったお金を取ったんです。勿論日本を去るという条件でね、そしてシンガポールへ行ったということになっているんですが、それは表面で、実際は内地にうろついているらしいので、奥様は私に監視していてくれと云われるのですが、どのサーカスにいるのか分らないんでね"
],
[
"じゃこっちは知ってるんですね?",
"知っていますとも、可哀想なことをいたしました",
"どうして御存じでしたの?",
"どうして?"
],
[
"では貴方は、東伯爵のお足さんだとでも仰しゃるんですか?",
"兄なんです。南洋で虎に喰われて死んだという事になっている兄は私なんです。しかし実際はご覧の通り生きています。弟にとってはたった一人しかない兄弟、血を分けた兄なんですよ"
],
[
"では、この死亡となっているのが貴方なのですか?",
"はい。明治十七年生で、明治四十一年に死亡したことになっているはずです"
],
[
"やっと探している、あの女の居所を見付けましたよ",
"サーカスの女でございますか? どうしてお分りになりましたんですの?",
"貴女に話してなかったけれど、私、実は伯爵家の運転手を買収しておいたんですよ"
],
[
"その運転手が一々伯爵の行動を報告してくれていました。伯爵が足繁げく行く家が麹町辺にある事、五番町附近で自動車を乗り捨て、徒歩で出かけるが、ある時は四五時間も待たされる。帰りには必ず『どうも狭い横町に住む奴の気が知れんな』とか『訪問者泣せだよ』とか云い訳らしく愚痴をこぼす。少し変でしょう? どうもその家が怪しいと思って探らせてみたら何の事でしょう、馬鹿々々しいそこに私の探しているあの女が囲ってあったんですよ",
"どんな女でして?",
"妖婦型のあくどいような女でした。道楽をしつくした男でも、その女にかかッたら離れられないそうですから、女遊びを知らない伯爵が夢中になるのも無理はないでしょう。シンガポールに出発したように奥様の手前をつくって、実は目と鼻の処へ家を持たせ、豪奢な生活をさせているんです",
"伯爵も隅に置けませんわね",
"しかもその女には支那人の情人があるんです。同じサーカスで奇術に出ていた優男なんですが、今上海で興業しているんです。伯爵は無論そんな男のあることは知らないし。女の方でも秘密にしているということが分ったから、私は今日その男の友人だと云って訪問したんです。女は喜んで直ぐ会いましたよ"
],
[
"化の皮がはがれやしませんでしたの?",
"そこは都合がいいんです。支那語と日本語をまぜっこぜにして、饒舌ってやったもんだから、奴さん、すっかり真物の支那人だと思い込んじゃったんです。それから突然私は威嚇してやったの、伯爵夫人を殺したなア貴様だなッ――て",
"えッ? その女が殺したんでございますか?"
],
[
"すると女は青くなって弁解するんです。殺したのは私じゃない、憎い憎いと思ってたけれど、私は何もしませんっていうんです。私はぐんぐん取ッちめてやると女もなかなかの強者で、策略家ですよ。咄嗟に考えたんでしょうが、金庫からお金を出して私の懐中に押し込み、殺したのは伯爵ですよ。と耳もとへ口を寄せて囁きました",
"まア! 伯爵だったんですの? なるほどそうかも知れませんわ。きっと奥様が邪魔になり出したんでしょう、それでなくてさえ財産をお兄さんに返してくれとやかましくせめていたし、伯爵は慾があって返す気はない、しかしこの儘捨てておいたら、あの奥様が承知するはずがありません。女中なんかの噂には、この頃は始終御夫婦で何事か云い争いをしているといいますから、伯爵は奥様を持てあましてらしたんじゃありませんか、そこで密かに毒殺して、その罪を蔭の男、即ちお兄さんに塗りつけ、こんどは殺人罪で永久にこの世から葬り去ろうという計画だったのでございましょう。恐しい人ですわね"
],
[
"伯爵、もう好い加減な処で幕に致たそうではございませんか",
"――",
"あなたのお兄様はこの通り自殺しておしまいになりました"
]
] | 底本:「大倉※[#「火+華」、第3水準1-87-62]子探偵小説選」論創社
2011(平成23)年4月30日初版第1刷発行
底本の親本:「踊る影絵」柳香書院
1935(昭和10)年2月
初出:「踊る影絵」柳香書院
1935(昭和10)年2月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:kompass
校正:門田裕志
2013年1月14日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "054466",
"作品名": "鉄の処女",
"作品名読み": "てつのしょじょ",
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"初出": "「踊る影絵」柳香書院、1935(昭和10)年2月",
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"姓読み": "おおくら",
"名読み": "てるこ",
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"名ローマ字": "Teruko",
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} |
[
[
"何とか、――何とかお助け願えないでしょうか?",
"全力を挙げています",
"鳩を飛行機で追いかけたら、どうでしょう?",
"海か沙漠ならいざ知らず、東京及びその近郊では絶対不可能です。犯人はこの弱点を巧におさえている強か者、いかにすれば犯人を誘き出せるかが問題です"
],
[
"その佐伯田博士というのはどんな人だった?",
"痩せた背の高い、がっちりした人です。鼻眼鏡をかけていて、ちょっと西洋人みたいな顔をしていました"
],
[
"次ぎの船になすったらいかがです? この際外出は一番危険です、当分家の中にいて様子をごらんになったが安全だと思いますがね",
"まさか途中で殺されることもあるまい。それに赤星さんがついていて下さるから、心配はないよ"
],
[
"タイヤだ、タイヤをやられた!",
"やられた?"
],
[
"射ちやがったんだ、後から――、穴があいている、穴が――",
"えッ! 穴があいてる?"
],
[
"犯人は自動車で吾々の後を尾けていたんだ。皆の体が邪魔をして杉山氏を射つのは難しいと知るや、車をぬきながらまずタイヤをピストルで撃ってその方に心を奪わせ、今度は悠然と後戻りして来た。刑事が車から降りたので杉山氏の体は完全に射撃の的になったわけだが、まんまと敵の罠に掛ったのが残念でたまらんです",
"白い手だけしか見なかったのか?",
"見えなかった",
"円タクか、自家用か、運転手の姿も見ないのか?",
"杉山氏が起ち上ったので、体の蔭になってよく見えなかったのですが、四角ながっちりした肩つきだけは目に残っている。何しろ咄嗟の事で――",
"自動車番号は?"
],
[
"犯人を見た人があるそうで、私ホッといたしました。どうぞ赤星さん、一日も早く逮捕して下さいませ。先刻天華堂さんとも話し合ったのですが、こんな事が度々あると私共の商売はあがったりですわ、ほんとに困ってしまいますのよ",
"よく分っています"
],
[
"杉山氏についてのお話をうかがいましょうか",
"天華堂さんから聞いたのですが、杉山さんは外務省でも評判のいい方だそうですの、美男子で、手腕家で、お家柄もいいというので――、奥様になりたい人が沢山あるそうですの、だから外国人との結婚に不満を懐いている者の仕業ではないかというんです",
"そういう人の心当りでもあるんですか?",
"いいえ、別に――、ただ御参考までにお話しするんですのよ。思いつめた若い人は何でもやりますからね。――さもなければダイヤ狂の仕事だろうと思います。殊によるとこの犯人は高価な品を奪ってお金に替えようというのではないかも知れませんね",
"何故ですか?",
"だって、――奪ったダイヤはどこからも出て来ないっていうじゃありませんか"
],
[
"貴女は今でも宝石がお好きですか?",
"いいえ、嫌いになりました。何故と言って、お金を宝石に替えて持っていましたが、いざ売ろうとすれば、やれ旧式だの疵があるの、色が悪いのとケチをつけて踏み倒されてしまいました。私はダイヤを買っておいたばかりに全財産を失い、こんなに貧乏してしまいましたのよ。だからあんなものを持つものではありません、いまでは見てもぞっとします、買う人の気が知れませんよ"
],
[
"僕の留守中に誰か訪ねて来なかった?",
"珍らしく幾人も来た、中には本田さんのお部屋はどこですか、なんて訊いて帰った人もあった。大層有名になったもんだ、だが、ほんとに犯人の顔を見たのかね、どんな奴だった?",
"それや言えないさ。絶対秘密だからな、警察から堅く口止めされているんだ。それから小父さん、今夜はひとつ夜中起きていてもらいたいんだがなア、犯人が掴まると直ぐ警察から呼出しが来ると思うから――",
"冗談じゃない、そんなに早く掴ってたまるもんか、顔を見られたと知りゃ犯人だって油断をしまいからね",
"警察じゃ直ぐ非常線を張るって言ってたぜ、目星がついたらしいんだ",
"へえ、ほんとに?――じゃ起きてるとも、家に泊っている人の口から犯人逮捕の端緒を得たなんていうと名誉だからね。また新聞に出るよ"
],
[
"よほど長い間気を失っていたんですか?",
"さア、主人は午前四時頃警察から来たと言って叩き起され、門を開けようとすると、いきなり棍棒で殴られたんだそうだが――君はその前にやられたんじゃないかな",
"それじゃ僕を二人がかりで殺そうとしたんだ。一人は門から入り、一人は屋根伝いに窓から入って――"
],
[
"鼻から耳へかけての切疵、――唖、――海軍ナイフ、――唖の権だよ。やはり彼奴等の仕業だったのか",
"彼奴はほんとの唖かね?",
"偽唖さ。始末にならない野郎なんだ"
],
[
"居所が分ってますか?",
"分ってる。が、恐らく彼奴は鳩つかいの手先だろう。あるいは君を殺す仕事だけを請負っているのかも知れない。とにかく彼奴を捕えて泥を吐かせたら何か得るところがあるだろう"
],
[
"小父さんはどんな奴に殴られたんだ?",
"アッという間だったから、よく見る暇も何もありやしない、大きな顔で、眼の下に痣があったのだけは覚えている",
"眼の下の痣――杉山氏へ鳩を届けた男も眼の下に痣があった。――とにかく唖の権を捕えることだね、僕は早くこの頭の痛みを癒して、これから大学の研究室に行かなけりゃならない",
"無理をしちゃいかん。医者は絶対安静を申渡して帰ったんだ",
"ですが、今日行く約束なんだから",
"事情を話して代理をやり給え",
"イヤ、行って来る。鳩の研究を頼んであるんだから、代理じゃ駄目ですよ"
],
[
"吾々が生命を賭して戦っているのを、世間はちっとも汲んでくれないんだ",
"仕方がないよ。――時に、今、杉山氏を見舞って来た。鳩は何日頃放したらいいか君に訊いておいてくれ、と云っていたよ。君、ダイヤをつけてやっても大丈夫かね。どういう戦術が君にはあるんだか知らないが――"
],
[
"唖の権の居所は分りましたか?",
"居所は分ってる。お茶の水の橋の下だが、昨夜出たぎり帰らないんだ"
],
[
"僕はやっとの事であの鳩がどの辺からやって来たか、略々見当がついたのでこれから調査に出かけるんだ。それで鳩を放す日は僕に定めさせてくれませんか。当日数名の刑事と共にそこへ先廻りしてはり込んでいようと思うんです",
"どうして鳩舎のある場所が分ったんだ?",
"まだはっきりとは分っていないんだが、松本農学博士に調べて頂いた結果、大凡の見当はつきました。あの三つの鳥籠は鳩が来た時にはきれいだが、一日、二日と経つと不思議なことに隅の方に真黒い灰のような煤のような軽いものが溜って籠の中は段々薄黒くなる。その黒いごみを掻き集めておき、それから鳩の脚だの指の間だのにこびり付いていた土を落し、一緒に博士の処へ持って行って調べてもらいました。ところがそれは灰でも煤でもなく土だった、黒土、――土地の者はボカ土と云っているが、東京附近のある処一帯はこのボカ土なんだ。風の吹く日はそれが空中に舞い上って、四辺は真暗くなる事さえある。鳩の翼の間にもぐり込んでいたものが自然に落ちたり、羽ばたきする度に落ちたりして、それが籠の中に溜るんだね。それから最初に来た鳩の胃袋から出た軍配虫、それ等から想像して見当がついたが、どこに鳩舎があるかという事はこれから探さなければならないんだ。確定した時杉山氏に鳩を放して頂きましょう"
],
[
"伝書鳩を飼育している家は沢山ないからな。だが、僕は最初犯人自身が鳩舎を持っているものとばかり思い込んでいて、まさか他人の鳩を盗んで使っていようとは気がつかなかった。――ある金持の若夫婦が道楽に十数羽飼っているが少し飽きたので、地所続きの『中洲の森』という淋しい森の中に鳩舎を移したところが、最近頻りに盗まれる、もう五羽もいなくなった、という噂を聞き込み早速その家を訪問して主人に面会を求め、盗まれた鳩の年齢、特殊の習慣、羽色等について委しく訊いてみるとぴったり符合していたんだ",
"頭のいい鳩つかいだね、それじゃ丸儲けだ",
"盗んだ鳩を使っていられちゃ捜査は一層困難だからね",
"だが、君、杉山氏は夕方鳩を放すんだろう? もう鳩舎に帰っていやしないかなあ、一分間に七町位飛ぶそうだから――、吾々が先方へ着いた頃には、已に犯人はダイヤを握って立ち去った後だったなんて事になりやしないかな",
"大丈夫さ。伝書鳩なら鳩舎に帰るだろうが、杉山氏の放すのは土鳩だよ。僕が買った鳩だから帰るとしたら鳥屋の店だ。いつまで待ったって『中洲の森』には帰りっこないから安心さ。今頃犯人はまだかまだかと首を延ばして待ってるだろうよ",
"君、鳩をすりかえておいたのか?",
"そうさ。この捕物は日が暮れてからでないと駄目だし、鳥は夜放すわけにもゆかないからね"
],
[
"待ってるんだな",
"鳩の帰るのを――"
],
[
"親方なもんか、これや青痣の吉公ッて奴だ。親方は別にあらア",
"親方は何んて奴だ?",
"知らねえよ",
"どこにいるんだ? 白状しろ!"
],
[
"いや、御苦労さま。君達も疲れたろうが、僕もこの事件には全く手古摺ったよ、というのは、弁護士の佐伯田博士の処へまた鳩が来たんだ",
"えッ! またですか?"
],
[
"すまんが、刑事を二三人連れて、東京駅の乗車口まで大至急来て下さい、佐伯田博士の処へ鳩が来たそうだから――、早くしないとまた失敗する。――委しい事は後で話す",
"ヨシ、じゃ直ぐ行く"
],
[
"それや一体誰なんだ?",
"保険会社の岩城文子",
"えッ! 岩城文子?",
"あの女は職業上宝石商の間に出入し、誰が何を買ったかよく知っている。真価も知っている。この頃は宝石に保険を附ける人が多くなったからね",
"しかし、どうしてあの女が――",
"あんな優しい顔をしているがなかなか凄い女なんだ。この間病院で出遇った時僕に出鱈目の話をして恋敵が杉山氏に鳩を送ったんだろうと云ったり、自分はダイヤが嫌いだと云い、嫌いになった理由まで物語った。僕はこれは臭いナと気がついた。それとなく注意をすると細そりした奇麗な指には微かだが指輪の跡が残っている。ハテナと思い、始めて疑いを懐き彼女を洗ってみる気になった。一時は相当な生活をした宝石狂であった夫に死なれ、段々貧しくなったので、一つ一つ宝石を売って生活していた、指にさす一つの指輪もなくなった時、彼女は嘗て読んだ外国のある小説を思い出し、その本からヒントを得て鳩つかいを考えたんだよ",
"そこまで分っているのに何故早く捕まえなかったんだ?――高飛びしたらどうする?",
"逃げやしない。利口な女だから逃げりゃ自分に疑がかかる位は承知している。――僕の話は半分想像だからね、確証が掴みたかったんだ",
"じゃ、どうして天華堂を疑って電話なんかかけたんだね?",
"彼女と共謀じゃないかと思った"
]
] | 底本:「大倉※[#「火+華」、第3水準1-87-62]子探偵小説選」論創社
2011(平成23)年4月20日初版第1刷発行
底本の親本:「Gメン別巻 二巻五号」
1948(昭和23)年4月5日発行
初出:「富士 九巻八号」
1936(昭和11)年7月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:kompass
校正:門田裕志
2012年11月1日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "054473",
"作品名": "鳩つかひ",
"作品名読み": "はとつかい",
"ソート用読み": "はとつかい",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「富士 九巻八号」1936(昭和11)年7月号",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2012-12-14T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-16T00:00:00",
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"名": "燁子",
"姓読み": "おおくら",
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"姓ローマ字": "Okura",
"名ローマ字": "Teruko",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1886-04-12",
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"底本名1": "大倉燁子探偵小説選",
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"入力に使用した版1": "2011(平成23)年4月30日初版第1刷",
"校正に使用した版1": "2011(平成23)年4月30日初版第1刷",
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[
[
"お母様、鷹狩見に行ってもいい?",
"どこへ行くの?",
"横町の空地。――お母様も一緒に行って頂戴、僕も鷹狩やってみたいなあ"
],
[
"危ないもんか、――迚も愉快なんだ",
"そう? じゃお母様にも見せて頂戴",
"皆がやるんだよ、お母様、鷹を放して雀や鳩を捕らせるの、迚も面白いんだ、まるで昔の武士になったような気持がするッて、武田君が云ってたよ"
],
[
"達ちゃん、もう帰りましょうよ",
"お母様、僕、まだ帰るのいやだよ"
],
[
"小母さん、鷹の爪に引掛けられたんですよ",
"今日は鷹の御機嫌が悪るかったんだ"
],
[
"岩下ハナ、二十七歳、前科があります。窃盗犯で、出所したばかりです",
"連れの男は亭主か?",
"いいえ、父親です。正式の結婚は一度もしていませんが、私生児が一人ありました",
"男か? 女か?",
"男の子です、が、死亡しました。――以前には相当にやっていた小鳥商だったそうですが、その店もたたみ、この数年はひどく困っていたらしいんですが、最近子供相手のああいう商売を始めたのです。自分では先祖に鷹匠があったので、それを縁に始めたのだと云っていたそうです",
"鷹狩で相当の収入を得ていたのか?",
"大分あったらしいんですが、借金があってその方に引かれてしまうので、稼ぐ張り合いがないと近所の者にこぼしていたそうです。何でも子供が大病して、その時出来た借金に苦しめられていたらしいです",
"子供は何歳で死んだんだ?",
"九歳",
"フウム"
],
[
"殺す気ですッて?",
"ウム",
"飛んでもない。どうして――、私が、そんな恐しいことを――",
"やらないと云うのか? しかし、松波博士の令息はあの暁方亡くなられたんだぞ",
"えッ⁈"
],
[
"旦那、そ、それは――、ほんとですか?",
"鷹の爪の毒、イヤ、爪に塗った毒薬で殺されたんだ。お前は故意と爪を引かけたんだろう? どういう理由があってそんな事をしたんだ。わけを話せ。正直に白状しないと、お前ばかりじゃない、お前の父親にも恐しい共犯の嫌疑がかかるんだぞ",
"旦那、御冗談仰しゃっちゃ困ります。私は毒薬なんか塗った覚えはございません。ああ、――でも、どうしたらいいだろう、――あの若様はほんとにお亡くなりになったんでございますか、それは――、ああ、それは、ほんとの事でございましょうかねえ",
"ほんとともさ。今日は告別式だ"
],
[
"旦那、申訳ございません。白状いたします。若様を殺したのは――、たしかに私です",
"何故殺したんだ?",
"私は以前あのお屋敷に御奉公していた者でございます。その時出来た子供があの若様と同年の九ツで、先頃亡くなりました。自分の児が死んだ。しかも、貧乏のためろくな手当も出来ず、みすみす助かる命を死なしてしまいました。同じ時に生れたあの若様はお幸福で、あんなにお立派に育っていらっしゃるのに、私の息子は――、と思うと羨しいやら、嫉ましいやら――、それでも私は自分の死んだ児が見たくなるとあのお屋敷の附近をぶらついて、若様のお姿を見て居りました。鷹狩の商売を始めてからはあの空地で毎日若様を見ることが出来、時にはお話する事さえありました。どんなにそれは嬉しい事でございましたでしょう。私はまるで若様一人を待つために、あすこで鷹狩をやっていたようなものでした。若様は面白がって毎日来て下さいました、私はほんとに死んだ息子に会うような喜びで、あの空地へいそいそと出向いたものでございます。自分の児も、もし若様のように立派なお屋敷に生れ、立派な父君を持っていたら――と、思うと、不憫で不憫で堪らなくなりました。その思いが段々こうじて、果ては若様が憎くさえなってきたのです。それは嫉妬なのでございましょうか、私はある日、若様がお母様と御一緒に見に来て下すった時、何という事なくむらむらと腹が立って、気狂いのように鷹をけしかけたのを父に叱られました。私は若様が憎いというより、奥様の態度が癪に触ったのでした。私が若様に近寄って革の手袋をはめて上げながら、余りのお可愛さに思わずちょっとお頭を撫でました。すると奥様は眉をしかめ、さもさも汚ないと云うように私の手を払い退けて御自分で手袋をはめて上げ、若様のお体に私のような者の指一本も触れさせまいとなさいました、その御様子に私はカッとなり、若様を殺してお母様に私と同じ悲しみを味わせて上げようと思ったのでした",
"お前は一度も正式の結婚をしていないが、子供の父親は誰なんだ?"
]
] | 底本:「大倉※[#「火+華」、第3水準1-87-62]子探偵小説選」論創社
2011(平成23)年4月20日初版第1刷発行
底本の親本:「婦人倶楽部 一八巻九号」
1937(昭和12年)7月増刊号
初出:「婦人倶楽部 一八巻九号」
1937(昭和12年)7月増刊号
※表題は底本では、「美人|鷹匠《たかじょう》」となっています。
入力:kompass
校正:門田裕志
2012年11月1日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "054472",
"作品名": "美人鷹匠",
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"ソート用読み": "ひしんたかしよう",
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"名ローマ字": "Teruko",
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"底本名1": "大倉燁子探偵小説選",
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[
[
"米国観光団の大舞踏会があるそうでございますね。ご出席なさいますんでしょう?",
"ええ、招待状が来ているから、行く積りよ",
"そのために――、皆さん、大変ご苦労をなさいます。これは内々のお話でございますが、――私共の上等品は大部分当日のために出払ってしまいました"
],
[
"どうせ買えないから、と思って断念めたんだけれど、――お兄さん、私、これから三越へ行くわ。あそこは月末払いだから、――その時はその時の事で、どうにかなるわ。ほんとにうまいところに気がついた。三越へ行って、――ダイヤを見て来る。定めた!",
"馬鹿! 止せッて云ったら――、小ッぽけなダイヤなんかみっともないぞ――"
],
[
"まだ若いが、なかなかの敏腕家だよ。庁内きっての美男子で、女のような優しい顔をしている、スリ仲間じゃ、鬼山梨で通っているそうだ",
"そんな奇麗な人を、鬼だなんて可哀想ねえ"
],
[
"何? ご婦人の方だって? お名前は?",
"仰しゃいませんが、お学校のお友達だから、お目にかかれば分りますって――",
"どんな方?",
"モダンな、お背のお高い、大きなお眼のお美しい方でございます。薄墨色のご洋装が、迚もよくお似合いで――"
],
[
"あら、まだお分りになりませんの? 昨日、お預けしておいたものを――、頂戴に上ったんですのよ",
"?",
"オホホホ。とぼけていらっしゃるの? 奥様、お人が悪いのねえ。あのダイヤの指輪、――ポケットの中へ入れておいた――"
],
[
"大変ですよ。お兄さん。あの薄墨色の女はスリです",
"えッ、だって、主催者のリスイーヴング・ラインに立っていたじゃないか。人違いだろう、うっかりスリだなんて云うと大変だぞ",
"でも――、昨日は失礼と云いましたよ。確かに間違いではありませんわ"
],
[
"どこかに、落したんじゃないでしょうか",
"いいえ。盗まれたんですのよ。あの方、米国の大金持なんですってねえ"
],
[
"お一人でこんな処にいらしたの? いつホールを脱け出しておしまいになったか、私、ちっとも知らなかった。ご一緒に飲むお約束をなすったくせに、おいてきぼりするなんて、酷い方ねえ",
"くたびれちゃったから――、少し休んでまた行く積りだった。酒でも飲んで、元気をつけてね、――さア、どう? もう一度僕と踊らない?"
],
[
"だが――。あの話は少し変だね。僕は妹から聞いて、直ぐ三越に電話で問い合せてみたが、ダイヤは一つも紛失して居りませんッて云ってたぜ",
"それや不思議はないわよ。三越のダイヤなんかに手をつけやしませんもの。ありゃ私が持っていた偽物ですわ。それを使ったのよ",
"用意周到だなア。しかし、偽物を返してもらったって、儲からないじゃあないか",
"あの場合は目的が別にあったから、儲けなくってもよかったんですわ",
"どんな目的?",
"あなたにお会いしたかったからよ。お妹さんに御紹介して頂こうと思ったの、そのためにあんな苦労して、狂言まで書いたんですわ"
],
[
"生意気な真似をしやがる、だが、これは俺のものじゃないんだ",
"じゃ、誰のものなの?",
"妹のさ。陽子の奴、俺が止せって、あれほど云うのもきかないで、こんな安物を首にぶら下げて来たもんだから、ホールの入口まで来ると恥しくなって、とってしまい、俺に預けたんだ"
],
[
"だが――、忌々しいなあ、俺は今まで人にやられた事は一度もなかったんだのに――",
"それや仕方がないわ。相手が私だもの",
"何だって?",
"世界的のスリの名人を向へ廻しちゃ、いくら平松の若様だッて、敵いッこありゃしない",
"フム、やっぱり君だったのか。多分、そんな事ちゃないかと思っていた。しかし、観光団で豪いスリがやって来たって事は大分評判らしいぜ。余り警察を甘く見ていると取っ掴るぞ",
"大丈夫だわよ。警察で躍起となって捕えようとしていても、私はこの通り、平然と、大東京の真中を大手を振って歩き、ダンスをやって遊んでいるじゃないの。私の好きな蛇のように、捕えようとしても、するすると辷べり出て逃げっちまうんですからね。警察の網の目は私には少々大き過ぎるんですよ"
],
[
"君の手腕には全く感心した。世界的の名人と云れるだけある、実際スゴイもんだ。が、俺だって、そんなに馬鹿にしたもんじゃないぞ。俺には親分もなければ、仲間もない。誰に教わったのでもないんだが――",
"それやそうでしょう。私の仲間中で、平松子爵の若様ッて云ったら、知らない者は一人もありませんからね。どの程度の腕だかは知らないけれど、相当なもんだッて事は分ってるわ。でも――、現場を見ないんだからねえ",
"じゃ、見せてやろうか",
"オホホホ。そんなに己惚れると失敗するわよ。耻を掻かせるといけないから、今日はおあずけにして、またこの次ぎ見せて頂きましょう",
"そんなことを云うなよ。是非、一つ見てもらいたいんだ"
],
[
"現行犯だ!",
"エッ!"
]
] | 底本:「大倉※[#「火+華」、第3水準1-87-62]子探偵小説選」論創社
2011(平成23)年4月20日初版第1刷発行
底本の親本:「キング 一三巻三号」
1937(昭和12)年3月号
初出:「キング 一三巻三号」
1937(昭和12)年3月号
※表題は底本では、「梟《ふくろう》の眼」となっています。
入力:kompass
校正:門田裕志
2012年11月1日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "054470",
"作品名": "梟の眼",
"作品名読み": "ふくろうのめ",
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"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「キング 一三巻三号」1937(昭和12)年3月号",
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[
[
"あんた、このおやしき?",
"うん。素晴らしいだろう? 会社への往きかえりに毎日前を通っていてね、いい家だなあと想っていたんだ。今朝、出がけに寄って、部屋を見せてもらった。離室の茶席、とても素的だぜ。没落した華族さんの内職にやっている御旅館兼お休息所さ。ここなら会社の人なんかに絶対知れっこないからね",
"だって、私――"
],
[
"あなたのお宅といくらも離れていないんでしょう? そんなお膝もとで――、会社の人よりも奥様に感付かれたらどうするのよ",
"燈台もと暗しさ。遠征すると反ってばれる。これなら、奥様だって、仏様だって御存じあるまいさ"
],
[
"まさか、奥様、あなたと私とのこと、御存じないんでしょう?",
"多分ねえ。君が僕の病気見舞いに来た時、あとでいやに褒めてたから――、どうだかなあ",
"知れたら困る?"
],
[
"困るなあ。だが仕方がない。君とはどうしたって別れられないもの",
"だって、奥様は絶対にやかない人でしょう?",
"うむ。だが――、嫉妬れる方がいいな。黙ってただじいと眺めていられるのは辛い"
],
[
"私はあなたが好きなんだから、奥様が怒っても、あなたに捨てられない限り絶対に別れないわよ",
"僕の奥さんだって、君と僕との関係までは嗅ぎつけちゃいないさ。だが、彼奴は黙っていて常に僕の一挙一動を監視しているんだ。そして、僕の事なら一から十まで知りつくそうとしている。知らなきゃ満足出来ないんだ。いい事でも、悪いことでも。つまり、変態なんだろう",
"きっと、奥様、あなたをよっぽど愛しているんだわねえ。私なんか敵わないかも知れない。そういう愛情の前には、私、頭が下がるわ",
"僕はいやだよ。つくづくいやだ。まあ考えてもみたまえ。何んでも、かんでも知っていて、知らん顔していようっていうんだからね。いやだよ"
],
[
"ほんとに愛していれば、相手の全部を知りつくそうとするのは、当然だわ。でも、私には離れている間のあなたが何をしているか分らないわよ。勿論分りたいけれど――",
"訊けばいいじゃないか",
"訊いたって、かくされればそれまででしょう? あなたにしたって、私に云いたくない事もあるでしょうからね。それが嫉妬心をそそるもとになるということも知ってるけれど、あなたの奥様のように、何もかも見透せたら、決して、嫉妬は起さないだろうと思うわ",
"そうかなあ",
"たとえばさ。あなたとこうしていても私にはあなたの愛情がどれほど深いものかってことは分らない。あなたの言葉や態度で想像するだけのものでしょう。ところが奥様はあなたの心の奥の奥まで見透せるんだから、自分が優越な立ち場にある間は心配はないでしょう。あなたに女が出来たって、平気でいられるかも知れない。つまり、自分の方が勝っているからよ。愛されているという確信があるから――",
"愛情をわけられるのは不愉快だろう、全部自分のものにしたいと思わないか知ら?",
"私はあなたの肉体も精神も独占している積りでいるんだけれど、ほんとはどうなのか知ら? 奥様が嫉妬しない処を見ると、怪しいもんだわ",
"うちの奥さんはね。僕をくさりでつないでおいて、適当に遊ばしてくれるんだよ。飼犬のつもりでいやがる。いやな奴さ"
],
[
"だって、御新婚当時は随分、奥様が役に立ったって云うじゃないの?",
"それや役に立ったさ。彼奴の持っている第七感の神秘なんだよ。そのおかげで危険も救われたし、上役のお覚えも目出度くどんどん出世もするしさ。重宝だったが、今じゃ、そのかんがうるさくなった。何んでも知ってやがるのは、つまりその第七感が発達しすぎるからだ。そして近頃はますます鋭どくなりやがった。このまま進んだら僕は苦しくって一緒にはいられない。気狂いになってしまうぜ",
"あなたを気狂いにさせるほどの情熱、私は羨しいわ。あなたの奥様が――",
"何云ってるんだ。君がいなかったら僕は生きちゃいられない。奥さんぎりだったら僕はとうに自殺してしまってらあ",
"私には第七感どころか第六感も働かない、平々凡々で何にもわからないから、そこがあなたには肩が凝らないし、気楽でいいんでしょう?",
"君とこうしている時だけが、僕には天国なんだよ"
],
[
"いい加減にしろよ。修業、修業って、どうするつもりなんだ。これ以上かんが発達されちゃやりきれない",
"だって、私には立派な霊能があるんですもの。修業して、磨かなくっちゃ損です。そして、あなたがもしか失業でもなすったら、私霊媒になって、うんとお金儲けて、あなたを左団扇で遊ばしておいて上げるわ",
"馬鹿ッ。縁起でもない。三十二の僕が今から失業してたまるかい。これからじゃないか",
"はい、はい。すみません。お疲れのところを余計なこと云って、お気にさわったらごめんなさい。では私はお先へ寝みますから、御宴会のつづきでも考えて、思い出しながらお飲みになって下さい"
],
[
"気まりが悪るいんでしょう? 何もかも知られちゃって? オホホホホでも、あなたが外で何をなさろうと、私はちっとも怒りゃしないのよ。あなたの傍には、あなたの眼には見えないけれど、いつでも私の霊が附き添って見ているんですから、私、何んでも知ってるわ。そして、どんな女が出来ても、結局は私が一番好きで私の腕の中へ帰っていらっしゃるってことがわかっているから嫉妬も起らないのよ。オホホホホ可愛いいから、あなたの道楽を大目に見て上げてるんだわ",
"余計なお世話だ。僕の体は僕のものだ。君の許しを得なくたって、勝手に自由にする、一々ああだ、こうだと邪推されちゃやりきれない、第一不愉快だ、君は自分のでたらめな想像を信じているが、実際に僕が外でどんなことをやっているか常識で考えたって、分るはずはないじゃないか、いいかげんな創作日記を書くなんて人を侮辱するにもほどがある。実に怪しからんよ。第一その量見が僕には気に喰わないんだ。一人の男を全部自由にしようなんて自惚れも大概にするがいい。とにかく、そこに書いてある日記は全部嘘と出鱈目で、でっち上げた僕の悪評なんだ、僕をそんな人間だと思って軽蔑している奴とこの上一緒に暮らすのは真平だ",
"また別れようって云うんですの?",
"当り前じゃないか。僕は人間は好きだが、君のような化け者は嫌いだ",
"ひどいことを仰しゃる。あなたと別れるようなことになったら、私は死にますよ。死んだら、私の霊魂は直ぐあなたの肉体に入り、あなたの霊と合致して、永遠に離れませんからね"
],
[
"そんなに私が嫌いになったんですか? もう直きに取り次ぎ電話が酒屋さんからかかってきますから、辛棒していらっしゃいよ。そして気晴らしに桃子さんに会って、機嫌よく帰っていらっしゃいね",
"何云ってやがるんだ。桃子なんて女、僕は知らない",
"お忘れになった? 御病気の時お見舞いに来てくれたタイピストさんよ"
],
[
"それがどうして、君にわかったの?",
"奥様から今朝お迎えが来たのよ。そしてお目にかかりました",
"どこで?",
"心霊研究所とやらの応接室で、私、とても気味がわるかったわ。眼をすえて廊下を歩いている女の人や、私の顔を射るような凄い眼で見ている人達が、うようよいて、私、体がかたくなってしまったのよ。奥様もお宅でお会いした時は優しいお顔をしていらしたけれど、今朝は深刻な表情で、私の心を突き刺すようなお眼をなすってね。本庄を迷わすようなことをなさると私はゆるしても私の守護の霊がゆるしません。あなたの身に禍いがふりかかるから再び昨夜のような過失をしてはなりませんよ。早く手をきって、あなたは人の夫などを盗まず、正統な結婚をおしなさい。と、仰しゃるの",
"余計なおせっかいだ。そんな言葉で、二人の仲を割かれてたまるもんか",
"でもねえ、私、考えちゃったの",
"どう考えたの?"
],
[
"私、奥様のあの恐い眼が、この障子の穴からでも覗いてやしないかと思うと、落ちついていられないのよ",
"あり得ないことだよ。君が、そんな非科学的な事を信じるとは思わなかった。みんな心の迷いだよ。安子のかんは鋭いが、出鱈目だ、それがたまたま当ったので、不審に思うのだが、僕だって、想像を逞しゅうすれば、ある程度までは当るからね",
"そんな気休めだけでは私安心出来ないの。奥様は迚もあなたを愛していらしゃるのね。情炎に燃えた、火のようなあのお眼を見ても、あなたの心をやきつくさないではおかないのだと思えてよ。恐ろしい執念だわ",
"だから、別れる",
"ほんと?",
"ほんとも嘘もない。別れるより生きる道はないもの。絶えざる凝視に僕は苦しくなった。まあ、考えてもみたまえ。いつでも、いつでも、どこからか凝っと見ていられる、すべてを知られてしまう、それが妻だとあっては僕は休息することが出来ない。僕は疲れてしまったよ"
],
[
"誰だってある時間は自分ひとりの世界が欲しい、またそれが必要なんだ。自分だけしか知らない天地が要るんだよ。それがなくては生きては行かれない。それが心なんだ。心に思うことは口に出さない限り、何人にもわからないだろう? 僕はその心を大切にしていたのに、その心の中にまで忍び入って、僕一人で思っていることを盗み知ろうとする者があっては堪ったものではない。四六時中休息なしに公衆の眼の前で踊らされている者より辛い。僕は気狂いになりそうだよ。妻に別れることは一つしかない僕への救いの道だ",
"お別れになったら、それでもういいのかしら?",
"その上に何がある。僕は家屋敷も、財産も全部彼女に与えて、僕は裸一貰になって安子から離れるんだ。僕がいなくなっても、あれだけの屋敷と財産があれば一生食うには困るまい。食えないようにして捨てたと云われては困るから、何もかも洗いざらいくれてやる。そしたら文句はあるまい",
"でも奥様は、あなたの全財産なんかより、あなたという人が欲しいんじゃないか知ら?",
"なら、どうすればいいって云うんだ?"
],
[
"どうすればって、私には分らないけれど、きっと離婚を承知されまいと思うのよ",
"どこまでも従いて来ようって云うんなら――、そして、いつまでも、この僕を金しばりにして苦しめようって云うんなら――"
],
[
"どうしても離れないって云ったら、永久に僕から離れて、二度と附き纏えないようにしてやる",
"と、仰しゃると? どうなさるの?"
],
[
"何が?",
"何がって、オホホホホ桃子さんとのことが"
],
[
"ねえ、あなたも飲んでよ",
"いやだ"
],
[
"いやなはずね、もういい加減まわっているんですもの。桃子さんのお酌でなくっちゃおいしくない?",
"何を云う?",
"ただ訊いてるのよ。私の愛情がうるさいんだって? 罰あたりねえ、あなたって人は――、誰のおかげで、若いあなたが、特別にこんなに出世して、いい地位を得たのか、忘れたの?"
],
[
"その恩があると思えばこそ、今日まで出来ない我慢をしつづけてきたんだ。が、もう辛棒が出来なくなった、君のうるさい深情けは僕を気狂いにさせる。痒いところに手の届くような献身的なつとめぶりは全く有難迷惑で胸がむかむかする。君と一緒にいると僕は頭が変になって、どうかなっちゃいそうな気がする。君の毒針で刺すような凝視にはもう堪えられない。僕は君から完全に解放されて、自由の天地に大きな呼吸を吐きたいんだ。眼に見えない君の云う霊とかに縛られて、自由を失っているようないまの生活がつくづくいやになった。別れよう。それよりほかに僕の生きる道はないんだ",
"あなたと別れては、私は生きていかれないわ",
"生きてゆかれるだけの物を君にやる",
"全財産でしょう? オホホホホそんなもの、私はあなたが欲しいのよ。あなたの体も、心も、全部を私に頂きたい"
],
[
"いい加減にしろ",
"私の希望をのべているのよ"
],
[
"そんなに嫌がられているのに、私の方じゃ好きで好きで堪らないとは何という情けない事でしょう。でも、逃げられるものなら逃げてごらんなさい。私の霊は私の肉体を離れて、あなたの後を追い、どこまでだってついて行きますからね",
"ついて来るなら、来てみろ",
"行きますとも、ほら、あなたの心の中に、私の霊が入って行く――"
],
[
"あなたに殺されることは、もうちゃんと前からわかっていたのよ。だけれど、ああ嬉しい。あれあれ私の霊はあなたの魂の中に溶け込んでゆくのが見えますよ。あなたの魂と私の魂は完全に、あなたの肉体の中で合致しました。永遠に離れない。私は死んでも私の魂はあなたの心の中に生きています",
"何を云いやがるんだ"
]
] | 底本:「大倉※[#「火+華」、第3水準1-87-62]子探偵小説選」論創社
2011(平成23)年4月30日初版第1刷発行
底本の親本:「マスコット 一巻七号」
1949(昭和24)年9月号
初出:「マスコット 一巻七号」
1949(昭和24)年9月号
入力:kompass
校正:門田裕志
2013年1月14日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
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[
"平凡でなく、奇抜なところをどうぞ――",
"息づまるようなお話がうかがいたいのよ",
"偽りのない、ありのままのがいいのね"
]
] | 底本:「大倉※[#「火+華」、第3水準1-87-62]子探偵小説選」論創社
2011(平成23)年4月30日初版第1刷発行
底本の親本:「踊る影絵」柳香書院
1935(昭和10)年2月
初出:「踊る影絵」柳香書院
1935(昭和10)年2月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※入口の黒板に書かれた、罫囲みの注意書きの行間には、底本では、破線が書き込まれています。
入力:kompass
校正:門田裕志
2013年1月14日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "054469",
"作品名": "耳香水",
"作品名読み": "みみこうすい",
"ソート用読み": "みみこうすい",
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"初出": "「踊る影絵」柳香書院、1935(昭和10)年2月",
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"名読みソート用": "てるこ",
"姓ローマ字": "Okura",
"名ローマ字": "Teruko",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1886-04-12",
"没年月日": "1960-07-18",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "大倉燁子探偵小説選",
"底本出版社名1": "論創社",
"底本初版発行年1": "2011(平成23)年4月30日",
"入力に使用した版1": "2011(平成23)年4月30日初版第1刷",
"校正に使用した版1": "2011(平成23)年4月30日初版第1刷",
"底本の親本名1": "踊る影絵",
"底本の親本出版社名1": "柳香書院",
"底本の親本初版発行年1": "1935(昭和10)年2月",
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} |
[
[
"お住寺さんを死なしたのは天光教だ",
"天光教なんかに足を踏み入れなければ、こんな不名誉な事にはならなかったろうに――",
"否え、踏み入れたんじゃない。引き摺り込まれたのさ",
"魔術を使うんだって話だから、本当は自殺だか何だか、まあ謎でしょう"
],
[
"いいえ。亡夫の伯父なのでございます",
"突然のことで――、嘸ぞ吃驚なすったでしょうな",
"平常余り音信もいたして居ませんでしたので――",
"しかし、新生寺さんは東京の親類が親類がと、よくご主人やあなたの噂をしていられましたよ"
],
[
"病気で亡くなったのでしたら仕方もございませんが――。殊にああした死方をしましたものですから、世間様へも申訳ないし、と申して親類の者達も困って居ます。何分にも一山を預かる身で――",
"自殺してはならぬと教えるはずの人が自殺したんですから、ちと困りますね",
"そういう血統はないはずなんですけれど――。やはり一時的発狂――、まあそうなんだろうと、皆も申して居ますが――",
"左様――、そうしておいた方がいいでしょう。殺されたなんて云うとうるさいですからな",
"え? 殺されたんですって?",
"殺されたと云えば、殺されたとも云えましょう――"
],
[
"人間じゃありません",
"人間じゃない。と仰しゃいますと、一体、それは何でございますの?"
],
[
"形があるものじゃありません。つまり見えざる影、――いや、幻とでも云いますかな",
"へえ、幻に――"
],
[
"あなたは新生寺さんの事については何も御存じないんですね。――表面に現われていること以外は",
"はい、余りよく存じませんが――。ただ伯父が若い頃に株で失敗して、親譲りの財産をすっかり潰ってしまい、その上親類中に大迷惑をかけ、長い間行方を晦ましていましたが、何十年目かで再び皆の前に姿を見せました時は、園部の新生寺住職となっていたという話だけは聞いて居ます。昔の事は知りませんが、私が始めて逢いました時は、そんな山気のある人のようでもなく、至って柔和な、人の好さそうな和尚さんでしたわ。でも、どういう理由か存じませんが、主人は伯父を好まなかったので、音信もせず、噂も余りいたしませんでしたの",
"表面に現われているのは、あなたのご存じの事だけです。それ以外は恐らく何人も知りますまい。しかし、私は新生寺さんから直接打ち開け話も聞いていたし、いろいろ相談も受けていた、殊に彼の身を亡した原因とも想像し得る、ある深い悩み、それについては絶えず私に訴えていられたので、――何とかして救って上げたい、と心配していたんです。お助けする事も出来ないうちに、遂々こんな事になってしまって――、実に残念で堪らないんです",
"どうして株なんかに、また手を出したものでしょうか。一度ああいうものに手を出すとそれが病み付きとなって、止められなくなるもんなんでしょうね。伯父も終いには命まで投げ出さなければならないようになって――",
"しかし、あの方のはそればかりじゃないんですよ"
],
[
"話して下さいませんか? 何かご存じのことがあるなら――、私共は自殺の原因を借財のためとばかり思い込んでいるんですから。もしも他に原因があるとすれば、是非承っておき度いと存じます",
"ですが―――、新生寺さんはその秘密が人の耳に入る事を非常に恐れていたと思うんですから、どうぞ他にお漏しにならないようにして頂きたいのです"
],
[
"その若い男の六部というのは――?",
"新生寺さんの前身でしょう",
"では――、伯父が――、その女を殺したと仰しゃるんですか?",
"それは分りません",
"でも、――まさか、――あの伯父が殺人罪まで犯して、平気で坊さんなんかなっているとは思われないけれど――、して、その百足はどうして臨終の時に、出て来たものでしょう?",
"山の中ですもの、座敷の中に百足が入って来る位の事は珍らしくはありませんよ。殊に雨の前なんかには壁にはりついたようになっていることなんか、しじゅうありますよ",
"じゃ、全く偶然ですわね",
"そうです。――しかし、新生寺さんはどういう訳か百足を大変嫌っていましたよ",
"誰だって、先生、あんなもの好きな人はありませんよ。――ですがどうして、死際にそんな変な様子をしたんでしょう? 女の真似なんかして、――笑いながら死んで行くなんて――。やはり発狂したんでしょうねえ?",
"さあ。そこですよ。私達が興味を有って研究しているのは――",
"興味を有ってですって?",
"そうです。誰がその女を殺したのか分らないとしても、新生寺さんが女の霊に殺されたという事だけは確実でしょう!"
]
] | 底本:「大倉※[#「火+華」、第3水準1-87-62]子探偵小説選」論創社
2011(平成23)年4月30日初版第1刷発行
底本の親本:「殺人流線型」柳香書院
1935(昭和10)年
初出:「殺人流線型」柳香書院
1935(昭和10)年
入力:kompass
校正:門田裕志
2013年1月14日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "054468",
"作品名": "むかでの跫音",
"作品名読み": "むかでのあしおと",
"ソート用読み": "むかてのあしおと",
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"初出": "「殺人流線型」柳香書院、1935(昭和10)年",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2013-02-06T00:00:00",
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"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001669/card54468.html",
"人物ID": "001669",
"姓": "大倉",
"名": "燁子",
"姓読み": "おおくら",
"名読み": "てるこ",
"姓読みソート用": "おおくら",
"名読みソート用": "てるこ",
"姓ローマ字": "Okura",
"名ローマ字": "Teruko",
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"入力に使用した版1": "2011(平成23)年4月30日初版第1刷",
"校正に使用した版1": "2011(平成23)年4月30日初版第1刷",
"底本の親本名1": "殺人流線型",
"底本の親本出版社名1": "柳香書院",
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"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"お暇があったら読んでみて頂戴な。あの従兄が書いたんですの",
"文学でもなさる方ですの?",
"否え、商売人なんです。最初の目的は別の方面にあったのですが、若い時はちょっとした心の弛みから、飛んでもない過失をやる事がありますからねえ。気の毒に従兄も失職して長い間遊んでいましたが、やっと先頃ある会社へ入りましたんですよ"
],
[
"お嬢さんが御病気で故国へ帰られるんだそうです",
"どういう御身分の方なんでしょうか?",
"高貴の出なんですが――、今は何もしていられないそうです。支那の大金持なんですよ",
"そうらしいですな。日本にもよほどながくいられたと見えて、まるで日本人ですね",
"そうです。言葉もうまいしね。しかしまあお気の毒ですよ。お嬢さんがあんなに体が弱っているので、お父さんがお守りをしながら、気候の好いところ、気候の好いところと世界中を遊んで歩いていられるんだそうです",
"結構な御身分ですな",
"何しろ金があるから"
],
[
"今晩は。いやに蒸しますね",
"まだ起きていらしたんですか?"
],
[
"少し涼もうと思って出て来たんですが",
"ここはなかなか風がよく入りますよ",
"でも、お邪魔ではないでしょうか?"
],
[
"どこがお悪いんですか?",
"医者は心臓が悪いのだとか、肝臓だとか、いろんな事を申しますが、結局どこが悪いんだかよく分らないらしいんです。まあ故国へでも帰って、暫時保養したらまた気も変ってよかろうかと思いましてね。しかし私は病気じゃないと独りで定めているんです。つまり、その、まあ神経ですな。神経から来たものと考えているのです。何にしても厄介なことで、全く閉口してしまいます"
],
[
"ああ。貴方は何んでしょう? 私が何か物を取ろうとする時に変な手付きをやるもんだから、それを仰しゃってらしたんでしょう? しかしあれは神経痙攣じゃありません。ある恐しい感動の結果ああなったんです",
"恐しい感動? どんなことなんでしょう?"
]
] | 底本:「大倉※[#「火+華」、第3水準1-87-62]子探偵小説選」論創社
2011(平成23)年4月20日初版第1刷発行
底本の親本:「オール読物」文芸春秋
1934(昭和11)年9月号
初出:「オール読物」文芸春秋
1934(昭和11)年9月号
入力:kompass
校正:小林繁雄
2012年5月31日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "054463",
"作品名": "妖影",
"作品名読み": "ようえい",
"ソート用読み": "ようえい",
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"副題読み": "",
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"初出": "「オール読物」文芸春秋、1934(昭和11)年9月号",
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"姓読み": "おおくら",
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"姓ローマ字": "Okura",
"名ローマ字": "Teruko",
"役割フラグ": "著者",
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"底本出版社名1": "論創社",
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[
[
"どんな御用?",
"重大事件なんだって、至急、御相談したいから、日名子さんがお帰りになったら、直ぐお出で下さるようにって"
],
[
"度々かけたがお話中ばかりで通じなかったって云ってたよ。東山さん待っていられるだろうから、日名さん、あんた行って上げたらどう?",
"そうね。あの性急な東山さんの事だから、さぞ、焦り焦りして家の人達を叱り飛ばしていることでしょう。仕方がないわ、じゃこれからちょっと行って来ます"
],
[
"日名子さん、実は極秘裡に、至急、何とか始末をつけなければならない事件が出来たんです。どうでしょう? あなた、絶対に他言しないと誓ってくれますか?",
"それはもう私の職業柄、他人の秘密をしゃべるような事はありませんよ"
],
[
"そうでしょうな。医者が患者の秘密を語らないようにね。それに僕と日名子さんとは友達でもあるからね。特に便宜をはかっても下さるだろうし、と、まあ、自惚れてお願いするんですが――、あなた僕の妻、勿論正妻ではありませんが、美耶子にお会いになったことがありますか?",
"ええ、二度ばかりお目にかかりましたわ。大層お美しい方ですのね"
],
[
"へえ、奥様が?",
"そうです、妻がです",
"浚われたということがどうしてお分かりになりますの",
"美耶子はあなた、重病で寝たっきりだったんですよ。独り歩きも出来ない大病人が消えて失くなったんですから、浚われたとしか考えられないじゃありませんか"
],
[
"浚った人から何とか云って来ましたか? お金をよこせとか何んとか",
"まだ何とも云って来ませんよ",
"では何を目的で御病人を連れ出したりしたんでしょう?"
],
[
"それに対して、何とお答えになりまして?",
"捨てておきましたよ、無論",
"最後に来たのはいつですか?",
"数日前です。僕は放っておきました。すると、昨夜、美耶子がいなくなったんです",
"美耶子さんはどのお部屋にねていられたのですか? 重体と云われるからには看護婦もついていたんでしょうね?",
"看護婦もあれの我ままに呆れて、三日といる者はないんです。余り度々かわるので近所の手前みっともないのでやめました",
"どなたかお世話していらしたんですの?",
"さあ、別段、誰と定めてはいませんでした。手のあいている者が気をつけることにしていたんですが、庭の離れの茶席を病室にあてておきました。昨夜は来客があって、夜が更けたのにあの大雨でしょう? 美耶子はもう眠っているだろうから、明朝早く行ったらよかろうということで、誰も行かなかったんです。美耶子は昨夜はじめて茶席にひとりでいたことになるのです",
"美耶子さんの失踪は今朝発見されたんですね。お客様でごたごたしていらしったとすると、宵の口やら、夜中やら、失踪された時間ははっきりしないわけでしょう?",
"そう、しかし、あの体で自分で失踪するわけはないから、手紙の男が連れ出しに来たことだけは確実です。素人の僕達がかけあってみたところで、おいそれと返してよこすような奴ではありますまい。どうせ目的は分っていますよ。見ていらっしゃい。いまに莫大な身代金請求をよこすから――警察の手にかければ直ちに解決されましょうが、それでは世間に知れる恐れがある、新聞にでも出ると困りますからね。そこであなたは女性でもあるし、私立探偵という職業を持っているからお願いするわけなんです。世間へ知れないように、上手に彼の手から奪い返して下さい。が、奴もなかなか凄いですからね、よくよく注意なさらないとしてやられますよ。アドレスはここに書いてあります"
],
[
"東山さんの御好意は感謝いたしますが、御返しすることだけは、もう少時待って頂きたいんです。結局はお返しすることにはなりますが――",
"それが困るんです。つまり東山さんのほうは世間の口にのぼることを極度に怖れているんです。今のうちなら誰にも知らさず、また誰にも疵がつかずにすむ。が、これが長びくと自然世間へもれる、親類もうるさい、そうなると穏やかにとばかりは云っていられないから、徹底的にやらなければならない。警察の手で取り返すような事になれば、そこに自然罪人も出ようというもの、事を荒立てるのを好まない東山さんとしてはそれは死ぬよりも辛いから、そこをよく理解して頂きたいと申されるんですよ"
],
[
"あなたから御らんになったら、さぞ勝手な奴とお思いになるでしょうし、また人の夫人を浚うなんて非常識な大馬鹿者に思われるでしょうが、これには一つの物語があるのです。どうぞお聞きになって下さい。いや、その前に、美耶子さんが無事であることを御目にかけて、御安心を願わなければなりませんでしたね",
"是非お目にかからせて下さい",
"ではどうぞ僕と一緒にいらして下さい。お会いになって失望なさるといけないから、あらかじめ申上げておきますが、彼女はもう自分自身を失っています。時には魂の戻ることもあるのですが――、彼女は自分を東山夫人とも、美耶子とも思っていないんです",
"と、仰しゃると?",
"あのひとは夢を見ているんです。自分をほんとの椿姫だと思い込んで――"
]
] | 底本:「大倉※[#「火+華」、第3水準1-87-62]子探偵小説選」論創社
2011(平成23)年4月30日初版第1刷発行
底本の親本:「仮面 三巻三号」
1948(昭和23)年5月号
初出:「仮面 三巻三号」
1948(昭和23)年5月号
入力:kompass
校正:門田裕志
2013年1月14日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "054467",
"作品名": "和製椿姫",
"作品名読み": "わせいつばきひめ",
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"初出": "「仮面 三巻三号」1948(昭和23)年5月号",
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"文字遣い種別": "新字新仮名",
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[
[
"また何か起ったんですか?",
"いや、なんでもありませんが、一寸貴方に訊き度い事があるんです。済みませんが、一寸そこまで"
],
[
"じゃあもう、真犯人が判ったんですか?",
"勿論さ。昨晩君の話を聞いた時から、もう僕には大体判っていた。……なにも驚くことはないよ。ね、君。事情は大変簡単じゃあないか。……つまり、あの一本道で、君と郵便屋が、こちらから二人の犯人を追って行く。差配人が向うから来る。ところが犯人がいない。そこで、たったひとつの抜道である秋森家の勝手口を覗きこむ。すると、犯人の足跡がある。ところがだ。その足跡が、犯行よりずっと後からつけられたものであった、としたなら、一体どうなるかね?……",
"……犯人が、その時、勝手口から這入らなかったことになりますが……",
"そうだよ。そして、塀の外には、君達三人の男がいたんだ。……判るだろう?",
"……判るようで……判りません……",
"じれったいね……その塀の外に、犯人がいたんだよ……つまり、君達三人の中に、犯人がいたんだ!"
],
[
"君達三人の中で、犯行後チンドン屋が勝手口へビラを投げ込んで通りかかった時から、そのチンドン屋の知らせで蜂須賀巡査が馳けつけて足跡を発見するまでの間に、勝手口から邸内へ這入った男があったろう?……そいつが犯人だ",
"じゃあ、戸川差配人が犯人?",
"そうだ。ところで、戸川は何分位邸内にいたかね?",
"約五分? 位です。でも、差配人は、カバンを置きがてら急を知らせに……",
"そのカバンだよ。今日僕が、蜂須賀君と一緒に調べたのは。その中に、白い浴衣と黒い兵児帯が一人前這入っていたんだ!……つまり戸川は、皆んな午睡の最中に、電話で自分の女房を呼び出すと、君達証人の前で予め双生児の指紋をつけて置いた兇器で刺殺し、君達の目の届かない曲角の向うで、洋服の上へ着ていた浴衣を脱いでカバンへ突込むと、そ奴を邸内へ置きにいった序に、大急ぎで庭下駄の詭計を弄し、女中達を叩き起したと云う寸法だ。……なんの事はない。秋森家の双生児と殺された女との醜関係から、警察が双生児に持たせた犯罪の痴情的動機を、僕は逆にそうして極めて自然に、女の夫である戸川弥市に持たせたまでさ",
"じゃあいったい、もう一人の共犯者は?",
"共犯? 共犯なんて始めからないよ",
"待って下さい。貴方は、僕の視力を無視するんですか? 僕はハッキリこの眼で、二人の犯人を……",
"いや、君がムキになるのも尤もだ。君の云うその共犯者はあの石塀の奇蹟と非常に深い関係があるんだ。そしてその奇蹟を発見けた犯人が、そ奴を利用して故意に君達証人、特に郵便屋のように一定の時刻にきっとあの辺を通る男の面前で、巧妙な犯罪を計画したんだよ。あ、どうしたんだ。君。頭が痛むのかね? いや、尤もだ。あの石塀の奇蹟に就いては、確かに不可解なことがあったんだ。もう、大体の見当はついてるんだが、一寸説明した位では迚も信じられまい。もう二三日待って呉れ給え。兎に角僕は、これから一寸警察へ行かなくちゃあならん――"
]
] | 底本:「とむらい機関車」創元推理文庫、東京創元社
2001(平成13)年10月26日初版
底本の親本:「死の快走船」ぷろふいる社
1936(昭和11)年
初出:「新青年」
1935(昭和10)年7月号
入力:土屋隆
校正:大阪のたねまろ
2007年7月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "043800",
"作品名": "石塀幽霊",
"作品名読み": "いしべいゆうれい",
"ソート用読み": "いしへいゆうれい",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「新青年」1935(昭和10)年7月号",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2007-08-31T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-21T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000236/card43800.html",
"人物ID": "000236",
"姓": "大阪",
"名": "圭吉",
"姓読み": "おおさか",
"名読み": "けいきち",
"姓読みソート用": "おおさか",
"名読みソート用": "けいきち",
"姓ローマ字": "Osaka",
"名ローマ字": "Keikichi",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1912-03-20",
"没年月日": "1945-07-02",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "とむらい機関車",
"底本出版社名1": "創元推理文庫、東京創元社",
"底本初版発行年1": "2001(平成13)年10月26日",
"入力に使用した版1": "2001(平成13)年10月26日初版",
"校正に使用した版1": "2001(平成13)年10月26日初版",
"底本の親本名1": "死の快走船",
"底本の親本出版社名1": "ぷろふいる社",
"底本の親本初版発行年1": "1936(昭和11)年",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
"入力に使用した版2": "",
"校正に使用した版2": "",
"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "土屋隆",
"校正者": "大阪のたねまろ",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000236/files/43800_ruby_27445.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2007-07-26T00:00:00",
"テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"テキストファイル文字集合": "JIS X 0208",
"テキストファイル修正回数": "0",
"XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000236/files/43800_27757.html",
"XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2007-07-26T00:00:00",
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"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
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} |
[
[
"人間なんて、あてになるもんじゃないよ……ね、そうじゃない? 丸辰のとっつあん……",
"みんな、鯨の祟りだよ"
],
[
"鯨の祟りだよ。仔鯨を撃つから、いけないんだ",
"とっつあん。また、ノルウェー人かい?"
],
[
"じゃア、生残っていたんか",
"助かって、今頃帰って来たんかな"
],
[
"時坊は、大きくなったろうな?",
"そりゃお前さん……だが、いったい誰に狙われてるんだよ"
],
[
"昨夜の、水上署の大縮尻を、見ていたかい。沖でグルグルどうどうめぐりよ。見てるほうで気が揉めたくらいだった。……いやしかし、どうもこいつア、思ったよりも大きな事件になるらしいぜ",
"いったい、どうなったんかね?"
],
[
"まんまと釧路丸に逃げられて、今度は、各地の監視船へ電信を打ったんだ。つまり、みつけ次第釧路丸をひっつかまえるように、頼んだわけさ",
"ほウ、水上署から、水産局の監視船へ、事件が移牒されたってわけだね?"
],
[
"うン、まアそんなこったろ……だが、なんしろ海は広いんだから、まだみつからない……ところが、一方そうして監視船に海のほうを頼んだ警察は、それから直ぐに、岩倉さんの事務所を叩き起したんだ。ところが、宿直の若僧が寝呆けていてサッパリはかが行かないと、業を煮やして、今度は署長が自身乗り出して、社長邸へ乗り込んで、岩倉さんにジカに面会を申込んだわけさ……ここまでは、まずいい。ところがここから先が、面倒なことになったんだ。と云うのは、なんでも岩倉の大将、ことが面倒だとでも察したのか、頭が痛むとかなんとか云って、逃げたがったんだそうだ。が、まアしかし、結局行会って、署長から、これこれ云々と一部始終を聞き終ると、どうしたことかサッと顔色を変えて、なんだか妙にうろたえながら、『そいつはなんかの間違いだ。釧路丸は、いまは根室附近になぞおりません』と云うようなことを、答えたんだそうだよ",
"ふム、成る程。あの大将、なかなかの剛腹者だからな……それで、いったい釧路丸は、どっちの方面へ出漁ているって云ったんかね?",
"うんそれが、なんでも朝鮮沖の、欝陵島の根拠地へ出張ってるんだそうだ。成る程あそこは、ナガス鯨の本場だからな",
"ヘエー? だがそれにしても、欝陵島とは、大分方角が違っとるね"
],
[
"いよいよ怪しいな",
"うン、怪しいのはそれだけじゃアない。問題はその釧路丸が、事件のあった昨晩、海霧の深い根室の港へやって来て、それも人目を忍ぶようにしてこっそり沖合にとまっていたと云うんだから、こいつア変テコだろう。おまけに、その釧路丸の調査について、署長の訪問を受けた岩倉の大将が、サッと顔色を変えて、妙にうろたえはじめたってんだから、いよいよ以ってケッタイさ。つまり岩倉の大将も、釧路丸は日本海にいるなんて云って、根室へこっそり帰って来たことは、出来るだけ隠したい気持なんだ。こいつが、警察の見込みを、すっかり悪くしてしまった"
],
[
"いや、それだよ……実は、白状するが、今夜から俺は、監視船に乗って、釧路丸を捜す探偵の仲間入りをするんだ",
"なんだって? お前が監視船に……"
],
[
"へえー? そりゃ又、えらい出世をしたもんだな",
"うん。しかし、あの東屋って人に、果して釧路丸をつかませても、鯨の祟りが判るかどうかはアテにならんよ。俺も、監視船に乗込むんだから、この仕事には、大いに張合があるわけさ……そうだ、もうそろそろ、乗込みの仕度をしとかんならん。親爺、酒だ。酒を持って来てくれ!"
],
[
"昨晩お訊ねしたあの釧路丸の最高速度ですね。あれは、確かに十二節ですね?",
"間違いありません"
],
[
"欝陵島から根室まで、最短距離をとって、八百浬もありますか?",
"そうですね。もっとあるでしょう。八百……五、六十浬も、ありますかな? しかしそれは、文字通りの最短距離で、実際上の航路としては、それより長くはなっても、短いことはありませんよ",
"ああ、そうですか"
],
[
"どうも、仕方がないですな。しかし、違犯行為はありませんか?",
"まア見てやって下さい。間違いないようですよ"
],
[
"釧路丸は、日本海におりますよ",
"え⁉"
],
[
"じゃア、いったい、この船は?",
"この船は、去年の秋に、日本海溝附近で沈んだ筈の、北海丸ですよ",
"……"
]
] | 底本:「とむらい機関車」国書刊行会
1992(平成4)年5月25日初版第1刷発行
底本の親本:「新青年」博文館
1936(昭和11)年10月号
初出:「新青年」博文館
1936(昭和11)年10月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:大野晋
校正:noriko saito
2008年10月23日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "001270",
"作品名": "動かぬ鯨群",
"作品名読み": "うごかぬげいぐん",
"ソート用読み": "うこかぬけいくん",
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"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「新青年」博文館、1936(昭和11)年10月号",
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"姓読み": "おおさか",
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} |
[
[
"いったいあなたは、どう云う風にお考えになりますか?",
"どう云う風に、と云いますと?"
],
[
"そうですね。確かに妙ですよ。しかし妙だと云えば、この事件は、始めっから妙なことばかりですよ",
"ほう、それはまた……",
"あなたは、あの部屋に散らばっている玩具やお菓子を、始めから、つまりこんな出来事の起らない先から、あの部屋にあったものと思っていますか?",
"さあ、やはり前からあの部屋にあって、食べたり遊んだりしていたものでしょうな"
],
[
"あれはもう、用はありませんよ。私は、もう一つの条痕を探してるんです",
"もう一つの条痕ですって?"
],
[
"それが、大違いなんですよ。成る程、その考え方も、一応もっともですね。私も、最初あの窓の下の条痕が一つだけなのを見た時に、そんな風にも考えて見ました。しかし、あとであなたから、あの条痕が消えてしまったことを伺った時に、それが間違っている事に気づきました。問題は、あの途中で消えてしまった足跡にあるんです",
"と云われると……?",
"じゃアやっぱり、雪が積ったんですか?",
"そうですよ",
"じゃア何故、その雪は、あんな斑な、不公平な降りかたをしたんです"
],
[
"さア、そいつは。……なんしろあわてていましたので……",
"じゃア仕方がありません。ひとつ面倒でも、この沢山の跡の中から、片杖を突いた跡を探しましょう"
]
] | 底本:「とむらい機関車」国書刊行会
1992(平成4)年5月25日初版第1刷発行
底本の親本:「新青年」
1936(昭和11)年12月号
初出:「新青年」
1936(昭和11)年12月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:大野晋
校正:小林繁雄
2006年9月20日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "001271",
"作品名": "寒の夜晴れ",
"作品名読み": "かんのよばれ",
"ソート用読み": "かんのよはれ",
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"最終更新日": "2014-09-18T00:00:00",
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"姓読み": "おおさか",
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} |
[
[
"白い粉みたいなものが少しばかり着いていますね。何でしょう? 砂ですか?",
"そうです。普通地面のありふれた砂ですよ。多分兇器に附着していたものでしょう"
],
[
"列車――と言うと、一寸門外の方には変に思われるかも知れませんが、恰度その時刻には、H機関庫からN駅の操車場へ、作業のために臨時運転をされた長距離単行機関車がこの線路を通過しております。入換用のタンク機関車で、番号は、確か2400形式・73号――だったと思います。御承知の通り、臨時の単行機関車などには勿論表定速度はありませんので、閉塞装置に依る停車命令のない限り、言い換えれば、予め運転区間の線路上に於ける安全が保障されている以上、多少の時刻の緩和は認められております。で、そんな訳で、その73号のタンク機関車が本屋のホームを通過した時刻を、今ここで厳密に申上げる事は出来ないですが、何でもそれは、三時三十分を五分以上外れる様な事はなかったと思います。尚、機関車が下り一番線を通ったのは、恰度その時、下り本線に貨物列車が停車していたためです。――",
"すると、勿論そのタンク機関車は、本屋のホームを通過してしまってから、現場で、一度停車したんでしょうな?"
],
[
"有りましたよ。いや。仲々沢山に有りましたよ。――先ず、多量の玻璃質に包まれて、アルカリ長石、雲母角閃石、輝石等々の微片、それから極めて少量の石英と、橄欖岩に準長石――",
"何ですって。橄欖岩に準長石?……ふむ。それに、石英は?",
"極く少量です"
],
[
"此処から三哩程東方の、発電所の近くに切通がありますが、その山の切口から珍らしく粗面岩が出ていますので、その部分の線路だけ、僅かですが、道床に粗面岩の砕石を使用しております",
"ははあ。するとその地点の線路は、勿論当駅の保線区に属しているでしょうな?"
],
[
"では、最近その地点の道床に、搗固工事を施しませんでしたか?",
"施しました。昨日と一昨日の二日間、当駅保線区の工夫が、五名程出ております"
],
[
"しかし、もしもその機関車の操縦室の床に溜った血の量が、全体に少くなって来たのだとしたなら、雫の大きさは同じでも、落される間隔は、あたかも機関車の速度が急変したかのように、長くなるのじゃないかね?",
"ふむ。仲々君も、近頃は悧巧になったね。だが、もしも君の言う通り、そんなに早く機関車の方の血が少くなって来たのだとしたなら、この調子では、もう間もなく血の雫は終ってしまうよ。――其処まで行って見よう。果して君の説が正しいか、それとも、僕の恐ろしい予想に軍配が挙がるか――"
],
[
"これはどう言う穴ですか?",
"さあ――⁉",
"当駅の撥形鶴嘴で、柄の端にこんな穴の開いた奴があったのですか?",
"そんな筈は、ないんですが――",
"ふむ。判りました。その通りでしょう。第一この穴は、こんなに新しいんですからね……"
],
[
"――飛んだ事でした。被害者は確かに73号の機関助手で土屋良平と云う男です",
"いや、どうも。ところで、機関手の名前は?",
"機関手――ですか? ええ。井上順三と言いますが",
"ふむ。そいつも殺されておりますぞ!"
],
[
"73号のタンク機関車が、H機関庫を出発したのは何時ですか?",
"午前二時四十分です",
"ははあ。で、当駅を通過したのが三時半と――。じゃあ、無論途中停車はしなかったですね?",
"ええ、そうですとも。当駅で炭水補給の停車以外には、N操車場まで六十哩の直行運転です",
"ふむ。ところで、乗務員は何名でしたか?",
"二名です",
"二名――? 三名じゃあなかったですか?",
"そ、そんな筈はありません。第一、原則的に、機関手と助手の二名だけ――"
],
[
"ええ、そりゃあ、仕別線路の方には二輛程来ていますがね。……一体何ですか?",
"実地検証です。是非、一輛貸して頂きたいです。この一番線へ当時の73号と同じ方向に寄越して下さい"
],
[
"これは何ですか?",
"あ、それは、いま貴下の前に、タンクの開弁装置へ続く長い鎖が下っているでしょう。その鎖の支棒として以前用いられたものです",
"成程。ところで、序にひとつ、その撥形鶴嘴を取ってくれませんか"
],
[
"じゃあ一体、貴方のお説に従うと、犯人は何処から来たのです。道がないじゃあないですか?",
"ありますとも",
"ど、どこです?"
],
[
"当駅の関係者で、左手の無い片腕の男があるでしょう?",
"ええッ!――片腕の男⁉"
],
[
"手遅れです。駅長は短刀で自殺しました!",
"自殺⁉――失敗った"
],
[
"73号は、此処の亙り線を経て、下り一番線から下り本線へ移行する筈だったんですか?",
"そうですとも。そして、勿論そうしたに違いないです"
],
[
"ところが73号は、この亙り線を経て本線へ移ってはいないのです!――この屍体の位置を御覧なさい。もしも73号が、この亙り線へ移ったのであったならば、遠心力の法則が覆えされない限り、屍体はカーブの内側、即ちこの転轍器の西方へ振落される事は絶対にないのです。そして、何よりも先ず、こちらの一番線の延長線上を見て下さい。ほら、亙り線と違って、雪が積っていないじゃあないですか!――とにかく駅長の仕事です。転轍器の聯動装置ぐらい楽に胡魔化せますよ。ところで、この先の線路は、何になっていますか?",
"車止めのある避難側線です。――もっとも途中の転轍器に依って、三哩先の廃港へ続く臨港線に結ばれていますが",
"ふむ。とにかく、出掛けて見ましょう"
],
[
"これで、大体この事件もケリがつきました。で、最後にひとつお尋ねしますが、駅長が片腕になられたのは、いつ頃の事でしたか?",
"半年程前の事です。――何でもあれは、入換作業を監督している際に、誤って機関車に喰われたのです",
"ふむ。では、その機関車の番号を、覚えておりますか?"
]
] | 底本:「とむらい機関車」国書刊行会
1992(平成4)年5月25日初版第1刷発行
底本の親本:「死の快走船」ぷろふいる社
1936(昭和11)年初版発行
初出:「新青年」博文館
1934(昭和9)年1月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:大野晋
校正:川山隆
2008年11月12日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "001263",
"作品名": "気狂い機関車",
"作品名読み": "きちがいきかんしゃ",
"ソート用読み": "きちかいきかんしや",
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"初出": "「新青年」博文館、1934(昭和9)年1月号",
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"姓読み": "おおさか",
"名読み": "けいきち",
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"名ローマ字": "Keikichi",
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"底本の親本名1": "死の快走船",
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[
[
"大変だ!",
"人殺しだ!"
],
[
"いいえ、もうその時には、お母さんはいませんでした",
"それで驚いて階下へ降りた時に、お母さんがいないのを見ても、別に不審は起らなかったのか?",
"……お母さんは、時どき夜晩くから、小父さんと一緒にお酒を飲みに行かれますので、また今夜も、そんな事かと思って……",
"小父さん? 小父さんと云ったね? 誰れの事だ?"
],
[
"……今夜小父さんは、お母さんよりも先に、まだ私が店番をしている時に出て行きました……でも、裏口はあけてありますので、途中で一度帰って来たかも知れませんが、私は眠っていたので少しも知りませんでした",
"いったい何処へ、飲みに行くのかね?",
"知りません"
],
[
"じゃア君は、もう澄子を殺した犯人を、知ってると云うんだね?",
"ええ大体……",
"誰なんだね? 君は現場を見ていたのかね?",
"いいえ、見ていたわけではありませんが……あの時には、もう房枝さんは殺されていたんですから、あとには二人しかいないわけでして……",
"じゃア君子が殺したとでも云うんかね?"
],
[
"なに澄子?",
"そうです。澄子が澄子を殺したんです",
"じゃア自殺だって云うんか?"
],
[
"しかし君。電燈は消えたんだぜ",
"ええそうですよ。あの部屋の中の普通の電燈が消えたからこそ、一層私の意見が正しく現れたんです",
"じゃア、青い電燈が、その時いつの間についたんかね?",
"え? そいつア始めっからついてたですよ。その時にパッとついたんでしたなら、誰にだって気がつきますよ。つまり、その時に青い電燈が始めてついたんではなくて、向うの部屋の普通の電燈が消えた時に、始めていままでついていた青い電燈が、ハッキリ働きかけたんです。だから、この窓にいた人たちは、少しも気づかなかったんですよ",
"いったいその、青い電燈はどこについてたんです",
"いやもう、皆さんご承知の筈じゃアありませんか!"
]
] | 底本:「とむらい機関車」国書刊行会
1992(平成4)年5月25日初版第1刷発行
底本の親本:「新青年」博文館
1936(昭和11)年10月号
初出:「新青年」博文館
1936(昭和11)年10月号
入力:大野晋
校正:川山隆
2007年9月1日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "001269",
"作品名": "銀座幽霊",
"作品名読み": "ぎんざゆうれい",
"ソート用読み": "きんさゆうれい",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「新青年」博文館、1936(昭和11)年10月号",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2007-11-09T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-21T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000236/card1269.html",
"人物ID": "000236",
"姓": "大阪",
"名": "圭吉",
"姓読み": "おおさか",
"名読み": "けいきち",
"姓読みソート用": "おおさか",
"名読みソート用": "けいきち",
"姓ローマ字": "Osaka",
"名ローマ字": "Keikichi",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1912-03-20",
"没年月日": "1945-07-02",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "とむらい機関車",
"底本出版社名1": "国書刊行会",
"底本初版発行年1": "1992(平成4)年5月25日",
"入力に使用した版1": "1992(平成4)年5月25日初版第1刷",
"校正に使用した版1": "1992(平成4)年5月25日初版第1刷",
"底本の親本名1": "新青年",
"底本の親本出版社名1": "博文館",
"底本の親本初版発行年1": "1936(昭和11)年10月",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
"入力に使用した版2": "",
"校正に使用した版2": "",
"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "大野晋",
"校正者": "川山隆",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000236/files/1269_ruby_28145.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2007-09-01T00:00:00",
"テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"テキストファイル文字集合": "JIS X 0208",
"テキストファイル修正回数": "0",
"XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000236/files/1269_28162.html",
"XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2007-09-01T00:00:00",
"XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"この発火事件ですよ……一人の坑夫が、逃げ遅くれてこの発火坑へとじこめられたんです。気の毒ですが、むろん助けるわけにはいきません。ところが、その塗込作業に率先して働いたのが丸山技師です。その丸山技師がこの通り殺されたと云うんですから、目星もつくわけでしょう。いやハッキリ目星がつかなくたって、大体嫌疑の範囲が限定されて来る",
"そうだ。それに違いない"
],
[
"そいつの両親と、生き残った女を、事務所へ引張って来て置いてくれ。ああ、まだ女の兄と云うのがあったな? そいつも連れて来て置け",
"とにかく、峯吉の身内を全部調べるんだ"
],
[
"これで峯吉の身内は全部だな",
"はい。あとはアカの他人ばかりで"
],
[
"お前は、さっきあれから、妹を抱えて何処へ行った",
"……",
"何処へ行ったか?"
],
[
"安全燈から発火したんだろうな?",
"……",
"火元は安全燈だろう?"
],
[
"お前の安全燈か、亭主の安全燈か、どちらだ?",
"わたくしのほうです",
"じゃアいったい、どうして発火したのか。その時の様子を詳しく云ってみろ"
],
[
"この二人でございますね? ハイ、確かに、十時二十分頃から十時半までの間に、ケージから坑外へ出て行きました",
"なに、十時半より前に出て行った?",
"ハイ、それはもう確かで、そんな時分に坑夫で坑外に出たのは、この二人だけでござんすから、よく覚えとります",
"そうか。では、それから今しがたここへ連れ込まれるまでに、一度も坑内へ降りはしなかったな?",
"ハイ、それは間違いございません。ほかの番人も、よく知っとります",
"そうか。よし"
],
[
"こいつは臭いですよ。なんしろ私は、片盤坑の入口で、気の狂った女房と一緒にうろうろしてるのを捕えて、ここへ連れて来たんですからね。救護室を出てから、いままで何処でなにをしていたか……",
"いや、あんたは勘違いしとるよ"
],
[
"君がアンペラを取りに行く頃までは起てなかったんだね。それで、君はそのアンペラを丸山技師の屍体へかぶせるつもりで取りに行ったんだろう?",
"そうです"
],
[
"水呑場で、安全燈を一つ拾いました",
"なに、安全燈を拾った?"
],
[
"何番だ?",
"はの百二十一です",
"はの百二十一?"
],
[
"いったい、何処で拾ったんだ",
"水呑場の直ぐ横に、置き忘れたように転っていました"
],
[
"はの百二十一は、死んだ峯吉の……",
"なに?",
"ハイ、その峯吉ッつァんの安全燈だそうです",
"なんだって? 峯吉の安全燈……"
],
[
"浅川さんは、どうしました?",
"浅川君か?……"
],
[
"一時間この片盤坑の出入りを禁止したら、どれ位出炭が遅滞しますか?",
"なんだって、片盤を止める?"
],
[
"そうです",
"冗談じゃアないよ。仕事を罷めるなんて……"
],
[
"では、もう一度大事なことを訊くが、お前が発火坑から逃げ出して、監督や技師や工手たちが駈けつけて防火扉を締め切ったその時には、確かにその場に峯吉は出ていなかったのだな?",
"ハイ、それに間違いありません"
],
[
"菊池君。どうも困った事になった",
"どうしたんです",
"それがその、全く変テコなんだ。実は、この片盤には犯人がいないんだ。坑道はむろんのこと、どの採炭場にも、広場にも、穴倉にも、探して見たがいないんだ"
],
[
"いやそれですよ。あなたはさっきから犯人犯人と云われたが、いったい誰のことを云われるんです?",
"なんだって?"
],
[
"坑夫の峯吉にきまってるじゃアないか",
"峯吉?"
],
[
"私の掴んだ具体は、どうやら、あなたの掴んだ具体よりも、正しいらしい。――係長。どうもあなたは、この事件に就いて全体に大きな勘違いをしてるらしいですよ。あなたは事件の表面に表われた幾つかの事実と、それらの事実の合成による或るひとつのもっともらしい形にとらわれ過ぎて、論理を無視しています。――一人の坑夫が塗り込められ、その塗込めに従事した人びとが次々に殺害される。ところが嫌疑を掛けた坑夫の遺族の中には犯人はいない。そしてその代り塗込められて死んだ筈の坑夫の安全燈が、発火坑以外の或る箇所で発見され、発火坑を調べてみるとその坑夫の屍体はおろか骨さえない――とこれだけの事実の組合せから、あなたはその塗込められた坑夫自身が何等かの方法で生き返って坑外へ抜け出し、自分を塗込めた男達へ復讐しはじめた、と云う至極もっともらしい疑惑を抱いたわけでしょう。しかしそのもっともらしさは論理ではなくて、事実への単なる解釈であるに過ぎませんよ。その解釈が如何にもっともらしい暗示に富んでいても、そのために、絶対に抜け出ることの出来ない坑内から抜け出した、と云う飛んでもない矛盾をそのまま受け入れてしまうことは出来ません",
"それで君は、どう考えたんだ"
],
[
"手ッ取り早く云いましょう。私はあの発火坑で、坑夫の骨さえ見当らなかった時に、その時から新しく考えはじめたんです。――まず坑内には骨さえないのですから、峯吉はどこからか外へ出たに違いない。ところが、いちいち探すまでもなく、防火扉を締めたら間もなく鎮火したと云うのですから、これは消甕みたいなもので、防火扉のところよりほかにあの坑内には絶対抜け穴はない。それでは峯吉は防火扉のところから出たに違いない。ところが、防火扉の閂は外側にあるし、隙間に塗込めた粘土は塗られたままに乾燥していて開けられた跡はなかった。つまり防火扉は締められてから私達がさっき開けた時までには絶対に開放されていないことになります。すると峯吉は、どうです、そもそも防火扉の締められる前に抜け出ていた、ということになるではありませんか……ところで、ここまで進んだ新らしい目で、ほかの事実を調べてみます。――この可哀相な女は、あの時、男の跫音を後ろに聞きながら発火坑を飛び出したのでしたね。そして飛び出してホッとなって後ろを振返った時には、もう爆音を聞いて駈けつけた浅川監督が、防火扉を締めかけていた。そして締めてしまった。続いて技師が来、工手が駈けつけて、塗込めがはじまる……ここが肝心なところですよ。いいですか、峯吉は防火扉の締められる前に出ていなければならないのですから、その時女のあとから飛び出して来て、そして浅川監督が防火扉を締めるまえに飛び出したことになるのです。つまり飛び出してホッとして振返った女と、防火扉を締めかけた浅川監督との間のなにもなかった空間に、峯吉がいたわけです……",
"待て待て、君の云うことは、どうも判るようで、判らん"
],
[
"お前は、峯吉がいつもそこの闇の中で、抱いてくれると云ったろう。闇の中でそうしてその時お前を抱いた男は、確かに峯吉に相違なかったか?",
"……はい……",
"それではもうひとつ聞くが、その時峯吉は安全燈を持っていたか?",
"持ってはいませんでした",
"お前の安全燈はどうしていた?",
"炭車の尻につけていました",
"するとその安全燈の光りは、枠に遮切られて前のほうを照らさずに、炭車の尻の地面ばかりを照らしていたわけだな……お前は、走っている炭車をそのまま投げ出して峯吉へ飛びついたと云ったが、それではその峯吉の前へ炭車が行くまで、安全燈の光りは峯吉の顔を照らさなかったわけだし、峯吉の前を炭車が走り去って炭車の尻につけた安全燈の光りが始めて峯吉に当った時には、峯吉の体は光りを背に受けて影になって浮上るではないか。どうしてお前はそれが峯吉だったと見ることが出来たのだ?",
"……"
],
[
"そうです。峯吉は外にも中にもいなかったのですから、いやでもそう云うことになるではありませんか",
"じゃア、いったいその男は誰なんだ",
"女のあとから飛び出して、しかも坑内には残されなかったのですから、その時女のうしろにいて、防火扉のまえにいた男です"
],
[
"成る程。じゃアなんだな。峯吉は全々発火に関係していなかった。つまり決して塗込めに関係していなかったんだな。それでは、何故その塗込められもしない峯吉が、塗込めに関係した恨みもない人々を次々に殺害したのだ",
"どうもあなたは、まだ誤った先入主にとらわれていますね"
],
[
"私がいままで考え進めて来た範囲では、まだ犯人が誰であるかと云う点には、少しも触れていなかった筈ですよ。ところで、ここでもう一つほかの事実を調べて見ましょう。それはこの殺人に就いてなんですが、三つの殺人には、考えて見るとそれぞれバラバラに殺害されているようで、その実面白い幾つかの連絡がみられます。まず兇器ですが、三人が三人とも炭塊で叩き殺されております。炭塊で殺されていると云うことは、なんでもないことのようですが事実は決してそうでない。係長。あなたは統計に現われた坑夫仲間の殺傷事件について、兇器は何が一番多いかご存じでしょう。鉄槌に鶴嘴ですよ。全くこれくらい坑夫にとって、手近で屈強な武器はありませんからね。しかも坑夫たちは安全燈と同じように、大事な仕事道具として必らず一つずつは持っております。ところがこの事件で犯人は、珍らしくもそれぞれの被害者へ対して凡て炭塊を使っております。この事実を、事件全体のなんとなく陰険な遣口なぞと考え合せて、炭塊以外に手頃な兇器の手に入らない人、つまり坑夫でない人の咄嗟にしでかして行った犯行でないか、とまあ考えたわけなんです。ところであなたは、この事件の被害者達が、何故同じように殺されて行ったかという共通した理由を、塗込められた男の恨みによるものと、解釈されたでしょう。ところが、事実は塗込められた男なぞないんですから、その考えは、自から間違ったものになって来ます。むろん三人は、峯吉が塗込められたと勘違いしている、遺族からは、共通な恨みを買っているでしょう。ところが遺族の中には犯人はいないのでしょうからこれも又問題になりません。それではほかに被害者達の殺害される共通の理由はなかったかと云うと、いやそれがあるんです……私は、暫く前からそのことには気づいていましたが、被害者達は、皆一様に少しも早く発火坑を開放するための鎮火や瓦斯の排出工合を検査している時に、殺されております。これを別様に考えると、仕事の邪魔をされたわけであり、あなたが発火坑を開放して少しも早く発火真相の調査にかかりたいという、そのあなたの意志の動きを阻害されたわけなんです。もっとハッキリ云えば、犯人は、ある時期まで、あなたに発火坑の内部を見られたくなかったのです。それで少しでも発火坑の開放を遅くらそうとしたのです",
"待ち給え"
],
[
"いったいその犯人は、なにをそんなにわしに見られたくなかったのだ。さっき君と二人で、あの発火坑を調べた時には、この殺人事件と関係のあるようなものは、なかったではないか",
"ありましたとも。係長。しっかりして下さいよ。我々はあの発火坑で重大な発見をしたではありませんか。密閉された筈の峯吉がいないという大発見を、いやそんなことではない。もっと大きな発見、あの天盤の亀裂と塩水です!"
],
[
"じゃア一番あとから殺された峯吉は、それまで何をしていたんだ",
"峯吉は一番さきにやられたんです",
"一番さき?",
"そうです。恐らくあの水呑場で屠られたんでしょう。そして峯吉の屍体を、ひとまず側の穴倉へでも投げ込んだ監督は、それから、あの採炭場へ火をつけたんです",
"なんだって、火をつけた?"
],
[
"そうですよ。あなたは、あれがただの過失だなんて思ったら大間違いです。レールの上へ峯吉の鶴嘴を転がして置いて、闇の中で女を抱きとめ、夫婦の習慣と女の安全燈を利用して、炭塵に点火したんです。あれは実際陰険きわまるやり口ですよ。ああして置けば、あとで監督局の調査があった時にも、発火の責任は、自分のところへは来ませんからね",
"しかし、何故また、あの採炭場に火をつけたりしたんだ"
],
[
"君はさっき、その監督が人に見られまいとしたものは、あの天盤の亀裂と海水の浸入だと云ったね。しかしこれは、やっぱりこの殺人事件とは全然別の事変だし、おまけにあの採炭場に火がつけられた時には、まだ天盤に異動はなかったんではないか?",
"冗談じゃあない。海水の浸入とこの殺人事件とは、密接な関係がありますよ。そして係長。あの天盤の異動は、むろん発火によって一層促進されはしたでしょうが、実はもう発火前から動いていたんですよ。多分地殻が予想外に弱かったんだ。それに、この事は係長。もうあの時注意したではないですか。よく思い出して下さい。ほら、あの亀裂は、内側まで焼け爛れていたではありませんか。つまり焼けてから裂けたんではなくて、裂けてから焼けたんです。そうだ。監督は誰よりも先に、あの亀裂と、滴り落る塩水を、みつけていたんですよ",
"成る程。しかし何故監督はこんな危険をそんなに早くから知っていながら、何故我々にまで隠そうとしたんだ。そして又、君の云う、その或る時期までとは何のことだ",
"それが、この事件の動機なんです。監督は、海水浸入の事実を最初に発見すると、そいつを某方面へ報告したんです。そしてこの恐ろしい事実の外に洩れるのを、或る時期まで喰い止めることによって、かなりの報酬にありつけることになってたんでしょう。或る時期とは、ほら、あなたも知ってるでしょう。私が此処へ着いた時に、札幌から監督へ電話が掛って来たでしょう。あれですよ。あれに違いないんです。この考えには、間違いはありませんよ。私は自分の疑惑を確かめるために、さっき思い切って、小樽の取引所へ電話を掛けて見たんです。するとどうです。中越炭坑株が、今日の午前の十一時頃から、かなり大きく動き出しているんです。十一時頃からですよ。係長。現場の我々よりも会社の重役のほうが、数時間前に滝口坑の運命を知っていたんです"
]
] | 底本:「とむらい機関車」国書刊行会
1992(平成4)年5月25日初版第1刷発行
底本の親本:「改造」改造社
1937(昭和12)年5月号
初出:「改造」改造社
1937(昭和12)年5月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:A子
校正:川山隆
2007年9月1日作成
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"作品名": "坑鬼",
"作品名読み": "こうき",
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"初出": "「改造」1937(昭和12)年5月号",
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"名": "圭吉",
"姓読み": "おおさか",
"名読み": "けいきち",
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"姓ローマ字": "Osaka",
"名ローマ字": "Keikichi",
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[
[
"だって、いただきたくないんですもの。もし、おなかがすいたら、大船でサンドウィッチを買いますわ。あすこのサンドウィッチ、とてもおいしいんですもの",
"まア、あきれたおしゃまさんね。どこからそんなこと聞き噛ったの?",
"あーラいやだ。だって、去年の夏、鎌倉の帰りに、お母さんが買って下さったじゃないの‥‥"
],
[
"そうですの? じゃ、折角ですから、あたしの使ってしまった、あの香水を買っていただきましょうか? だってあたし、あの品を、従姉の信子さんに、お贈りするつもりだったんですもの",
"おやおや、お嬢さん。私共は、もっと沢山のお礼を差上げたいのですよ。それはそれとして、さ、なんでも外にお望みの品を、もうひとつおっしゃって下さい"
]
] | 底本:「少女の友」實業之日本社
1940(昭和15)年5月号
初出:「少女の友」實業之日本社
1940(昭和15)年5月号
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
入力:金光寛峯
校正:群竹
2002年1月22日公開
2011年2月24日修正
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "004300",
"作品名": "香水紳士",
"作品名読み": "こうすいしんし",
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"初出": "「少女の友」實業之日本社、1940(昭和15)年5月号",
"分類番号": "NDC K913",
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"姓読み": "おおさか",
"名読み": "けいきち",
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"姓ローマ字": "Osaka",
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[
[
"先生はどうしました。先生は?",
"向うの寝室に……早く起して下さい",
"向うの寝室には見えません",
"いらっしゃらない?",
"とにかく、患者が皆逃げちまいました",
"空室には?",
"全部いません",
"先生を起して……",
"その先生が見えません"
],
[
"とにかく犯行の動機は明瞭です。問題は、三人の気狂いの共犯か、それとも三人の内の誰かがやって、あとは扉が開いてるを幸いそれぞれバラバラに飛び出してしまったか、の二つです。ところで、犯人の逮捕に、警官は何名向けてありますか?",
"取りあえず五名向かわしました"
],
[
"まだです",
"そうでしょう。五名じゃアとても手不足だ。だいたい逃げ出した気狂いは三人でしょう。それも隠れとるかも判らないし……"
],
[
"実はそのことで、早速ですがお願いに上りました",
"まだ、三人とも捕まらないんですか?"
],
[
"さァ……捕まらないところを見ると、隠れてるんでしょうね",
"では、どんな風に隠れてるんでしょうか?……何ぶん危険な代物で、急ぎますので……"
],
[
"……共犯だと、一寸困るんです",
"と云いますと?"
],
[
"つまり一人の犯行だった場合に、その犯人だけが一寸無事に出て来にくいと同じ理由で、三人の安否が気遣われるんですよ",
"……判りませんが……どう云うわけで?……"
],
[
"それです。それが動機なんです",
"待って下さい。……それで、私の一、二度耳にした限りでは、確か『脳味噌をつめ替えろ』で、『脳味噌をとれ』ではなかったと思います。いいですか、『つめ替えろ』と『とれ』とでは、大分違いますよ",
"……ハァ……"
],
[
"ね。馬鹿は馬鹿なりに、それ相応の理解力があるんですよ。『脳味噌をつめ替えろ』と云われて、利巧な人の脳味噌を抜きとった男が、それから、いったいなにをすると思います?……",
"……"
],
[
"で、その気狂いは、着物かどこかに血をつけていなかったか?",
"ハア、少しも着けていません。ただ、どこかへ寝転んでいたと見えて、頭の繃帯へ藁屑みたいなものを沢山つけていました"
],
[
"よし。じゃアその気狂いを、赤沢脳病院まで送り届けてくれ。穏やかに扱うんだぞ",
"ハァ"
],
[
"そうだ、やっぱり待って下さい。……貴方はいま、結末、と云われましたね?……いやどうも、私は、飛んでもない思い違いをしたらしい……主任さん。どうやらまだ、結末ではなさそうですよ",
"な、なんですって?"
]
] | 底本:「とむらい機関車」国書刊行会
1992(平成4)年5月25日初版第1刷発行
1992(平成4)年5月25日初版第1刷発行
底本の親本:「新青年」博文館
1936(昭和11)年7月号
初出:「新青年」博文館
1936(昭和11)年7月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:大野晋
校正:川山隆
2009年1月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "001266",
"作品名": "三狂人",
"作品名読み": "さんきょうじん",
"ソート用読み": "さんきようしん",
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"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"公開日": "2009-03-19T00:00:00",
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"名": "圭吉",
"姓読み": "おおさか",
"名読み": "けいきち",
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"名読みソート用": "けいきち",
"姓ローマ字": "Osaka",
"名ローマ字": "Keikichi",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1912-03-20",
"没年月日": "1945-07-02",
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"底本名1": "とむらい機関車",
"底本出版社名1": "国書刊行会",
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[
[
"実は、お察しの通りですよ。私は、三の字旅行会というのに使われている、ま、一種の案内人といったような者ですがね。なんしろ雇人ですから、深いことは知りませんが、お察しの通り私のお客様には、その三の字旅行会という会との間に、一風変った因縁咄があるんですよ",
"ほほう。そいつア是非とも、お差支なかったら、伺いたいものですね"
],
[
"伝さん。お前さんは赤帽の親分だから、知ってるかも知れないが、毎日三時の汽車で一人ずつやって来て、いつも同じ男に出迎えられて行く女のお客さん達があるようだが、知ってるかい?",
"ええ、知ってます",
"どうだい、何かおかしなところがあるとは思わないかね?"
],
[
"じゃア伝さん。君この荷物を、あのお客さんに上げて呉れ",
"いやいや、これは私の役目じゃから、私が持って行かねばならん",
"伝さん。早くしてくれ。この方には一寸用があるんだから、荷物は君からお客さんに上げて呉れ!"
]
] | 底本:「日本探偵小説全集12 名作集2」創元推理文庫、東京創元社
1989(平成元)年2月3日初版
1999(平成11)年11月19日3版
底本の親本:「新青年」
1939(昭和14)年1月号
初出「新青年」
1939(昭和14)年1月号
入力:大野晋
校正:小林繁雄
2006年9月20日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "001272",
"作品名": "三の字旅行会",
"作品名読み": "さんのじりょこうかい",
"ソート用読み": "さんのしりよこうかい",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「新青年」1939(昭和14)年1月号",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2006-11-06T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-18T00:00:00",
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"人物ID": "000236",
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"名": "圭吉",
"姓読み": "おおさか",
"名読み": "けいきち",
"姓読みソート用": "おおさか",
"名読みソート用": "けいきち",
"姓ローマ字": "Osaka",
"名ローマ字": "Keikichi",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1912-03-20",
"没年月日": "1945-07-02",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "日本探偵小説全集12 名作集2",
"底本出版社名1": "創元推理文庫、東京創元社",
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"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"いいえ、船尾の浮袋へ、差通されたように引っかかって、ロープで船に引かれるように水びたしになっておりました",
"ヨットは最初誰が見つけましたか?"
],
[
"下男の早川でございます。あれは、白鮫号を見つけますと、すぐに泳いで、連れて来てくれました。でも先生、なぜでございます",
"奥さん、これは、大変重大な事件でございます。――御主人は、昨晩何時頃にお出掛けになりましたか?"
],
[
"はい……でも、時々家人を誘いますので、そのような時には、下男に供をさせることにいたしておりました。でも――",
"昨晩は?",
"昨晩は一人でございましたが――"
],
[
"失礼ですが、只今こちらの御家族は?",
"家族、と申してはなんですが、只いまのところ、この方達も加えまして、女中のおきみと下男の早川と、妾達夫婦の六人でございます"
],
[
"……こんなことにでもならなければ、と思っていたのですが……実は、あの……昨晩から、主人の様子が、いつもと変っていたのでございます",
"と被仰ると?"
],
[
"失礼ですが、その頃に御来客はなかったですか?",
"ございませんでしたが"
],
[
"只今の黒塚さんと被仰る方は?",
"あの方のお出になったのは、九時頃でございます",
"ああ左様ですか。ではその前、つまり御主人がそのようになられる前に、御主人と話をされたような御来客はなかったですな?",
"ええ、お客様はおろか、昨日は郵便物もございませんでした。もっとも、いつだって、此処を訪ねて下さる方は、滅多にございませんが――"
],
[
"……でも確かに、なにかひどく心配なことが起きたに違いございません。それは心配、なぞと云いますよりも、いっそ恐怖とでも申しましょうか……こう、ひどく困った風であちらの別館の方の船室の書斎へ籠りまして、暫く悶えてでもいたようでございましたが、恰度心配してこっそり様子を見に参りました私は、そこで主人の、物に怯えるような独言を聞いたのでございます",
"どんなことです?"
],
[
"御主人の屍体はこの浮嚢へ通されて船尾に結びつけてあったんですね?",
"ええ、そうです"
],
[
"きっと、鱶に片附けさすつもりだったんだな……ところで貴方は、昨夜御主人のお供をしなかったのですね?",
"はい、いつでもキャプテンのお召しがない限り、お供はしないことになっております"
],
[
"いったいキャプテンは、何にしに夜中になぞ、ヨットへ乗るんですか?",
"ただ帆走り廻られるだけです。あれが、キャプテンの御趣味なんです",
"結構な御趣味ですね"
],
[
"この邸には、勿論海流瓶なぞいくつもあったでしょうな?",
"はい。やはりキャプテンの御趣味でして"
],
[
"まずこれで、兇器も現場も確かめられたわけだ、時に貴方が、今朝この船に泳ぎ着かれた時に、この他に何か船中に残っていませんでしたか?",
"別に、ございませんでしたが……食卓用の、ソフト・チョコレートのチューブが一つ落ちていました",
"それはどうしました?",
"空でしたから、海の中へ捨ててしまいました",
"捨てた?"
],
[
"この白鮫号は、今朝水から上げたなり、まだ一度も降ろさないですね?",
"ええそうです"
],
[
"つまり昨晩深谷氏の乗ったこの白鮫号は、一度何処か粘土質の岸に繋がれた訳だね。そして、この重心板が船底から余分に突出しているために、船底のどの部分よりも一番早く、一番激しく、粘土質の海底と接触する……",
"ふむ",
"そしてその海底には、ほら、その舵板の蝶番に喰っ附いている海草が、それは長海松と云うんだが、そいつが、一面に繁茂しているに違いない。その種の海草は、水際の浅いところに多く繁殖するからね"
],
[
"ああなるほど、君は底に粘土質の泥と長海松の生えている海岸の水面に、この茶褐色の泡が浮いていた、と云うんだね?",
"うむ、だが僕は、もっと素晴らしい事実に気がついたんだ"
],
[
"この辺は、波は静かでしょうね?",
"ええ、ま大体……",
"昨夜は?",
"海霧があったほどですから、無論凪でしたでしょう",
"よし、ともかく船を出そう"
],
[
"君、何貫ある?",
"何貫って、目方かね?",
"そうだ",
"よく覚えていないが、五十瓩内外だね",
"ふむ。よし"
],
[
"君は?",
"私もよく覚えていませんが、六十瓩以上は充分ありましょう",
"成る程。――僕が約五十六瓩と……一寸君達、そのままでいてくれ給え"
],
[
"よし。これで恰度よい――。ところで、先程僕が面白い発見をしたと云ったのは、これなんだよ。つまり、僕と君とそれから下男と、そしてこの大小二つの石と、合計しただけの重量が、一層正確に云えばいまこの白鮫号に乗っかっているだけの重量と同じだけの重量が、そうだ、人間なら大人三人位の重量が、昨夜この泡のある海面に浮いていた同じ白鮫号の中に乗っかっていたのだ。つまり深谷氏は、昨夜一人だけでヨットへ乗っていたのではない。誰かと一緒に乗っていたのだ",
"成る程",
"そしてだ。その重量は、泡のある海面で、この白鮫号の上から、消えてなくなったのだよ",
"どうして?"
],
[
"だって、もしもそうでなかったなら、いま僕は、こうしてこんな発見をすることは出来ないよ。その泡の海から、波にびたつかれながら白鮫号がここまで漂って来る間に、柔かな泡は、すっかり波に洗われちまってる筈だからね",
"うむ。全くだ。判った、判った。つまり深谷氏の屍体が、その泡の浮いているところで水中に投げ込まれ、船尾へロープで繋がれたんだな",
"そうだ。だがそれだけじゃあない。ただ深谷氏の屍体が船外に投げ出されただけではなく、深谷氏よりももっと重かった筈の彼以外の重量――人間なら二人の大人だ。そうだ。深谷氏の親愛なる二人の同乗者――それも、恰度その個所で船から降りてしまったのだ。つまり白鮫号はすっかり空になったわけさ。ね、いいかい、深谷氏の体重が一つ減った位では、とても白鮫号はそんなに軽く浮かないからね。試みに――"
],
[
"あります。自動台秤の大型な奴が、別館の物置の方に",
"結構、結構。――さあ、もうこれで、いまこの白鮫号へ乗った全部の重量と、深谷氏の体重を計りさえすれば、二人の同乗者の目方も判ると云うわけだ。極く簡単な引算でいい",
"こりゃあ面白くなって来た"
],
[
"こちらの御主人は、いつも夜中に海へ出て、いったい何をされるんですか?",
"さあ……"
],
[
"でも、夜中にヨットへお乗りになるのは、キャプテンの御趣味なんですもの……",
"随分変った趣味ですね……貴女も、お供をしたことがありますか?",
"ええ、暫く以前のことですが、一度ございます……綺麗な、お月夜でございました",
"ただこう、海の上を帆走り廻るだけですか?",
"ええ。でも素晴らしい帆走ですわ",
"お月様でも出ていればね"
],
[
"夕方ですか? ええございませんでした",
"黒塚さんは?",
"あの方は九時過ぎでした",
"電話は?",
"電話? ええ、掛りません。あの電話は、殆んど飾りでございますわ",
"昨夜御主人は、なにを心配して見えたんですか?",
"え?……さあ、少しも存じません。なんでも大変、お顔の色は悪うございましたが――"
],
[
"では昨夜は、誰れと一緒にヨットへ乗られたんですか?",
"いいえ、キャプテンお独りだけでございました",
"何時頃出られたんです"
],
[
"さあ、存じませんが……早川さんと私は、それぞれお先へ寝まして戴きましたので――",
"ではどうして、キャプテン独りで出られたのが判ったのです?"
],
[
"キャプテンは、随分変った方でしたね?",
"ええ。風変りでいらっしゃいました。……そして、なんでも『これは儂の趣味じゃ』と被仰るのが口癖でございました"
],
[
"もう少し、私と話をして下さい",
"はい"
],
[
"御年配は?",
"さあ、四十位? と思いますが……まだお独身で、快活なお方ですから、キャプテンよりもむしろ奥様や洋吉様とお親しい様子で……",
"ああその洋吉さんと云う方は、奥さんの御舎弟ですってね",
"ええそうです。チョコレートのお好きな、随分モダーンな方で、この春大学を御卒業なさってから、ずっとこちらにいらっしゃいますわ",
"チョコレートが好き?"
],
[
"これが、キャプテンの書斎ですね?",
"ええそうです。船室、船室と呼んでいる特別の室でございます。やはりキャプテンの御趣味に従って七、八年前に建てられたものでして、お許しがなくては誰でも這入れないことになっております",
"成る程、じゃあもう、永久に這入れないわけですね"
],
[
"あの柱は、何になさるのですか?",
"あああれは、汽船の気分――を出すためとか申しまして"
],
[
"尖端の方に妙な万力が吊るしてありますな?",
"ええ、そう云えば、時にはあの尖端に燈火を点けることもございました……年に一度か二度のことですが、なんでも、いつもより少し遠く、沖合まで帆走する時の、目標にするとか申しまして……",
"ははあ"
],
[
"いや、随分いい眺望ですなあ",
"お気に召しましたか?"
],
[
"ははあ、ではその御散歩中、ひょっと怪しげな人間に逢いませんでしたか?",
"逢いませんでしたよ"
],
[
"よろしいですとも……だが、なにをなさると被仰るんです?",
"あの物置の、秤に懸って戴きたいです",
"と被仰ると……いったい又なんのためにそんな事をなさるんですか?",
"ええその、この事件に就いて、少しく愚案が浮びましたので……",
"はて? 少しも合点がいきませんな……我々の体を天秤へ乗っける――?",
"つまりですな……犯行当時の白鮫号に、人間が合計三人以上、正確に云えば、一九〇瓩強の重量が乗っかっていた、と云う私の推定に対する実験のためにです",
"ど、どうしてそんな事が断定出来たのですか?",
"先程拝見しました白鮫号の白い舷側の吃水線から、一様に五吋程の上のところに、水平な線に沿って、茶褐色の泡の跡が残っております。でこの五吋の開きは、正確な計算によりますと、約一九〇・九二〇瓩の積載重量の抵抗、白鮫号の浮力に対する抵抗を証明しているのです"
],
[
"大変有力なお説です。だがここでひとつ、私の素人臭い反駁をさして貰いましょう。でその前にもう一度申上げて置きますが、あの泡の吃水線は、白鮫号の船体の周囲、舷側全体に亘って同じ高さを持っているのです。つまり泡の吃水線は船首も船尾もどの部分も一様に水平であって、少しの高低もないのです。――で、私の考えとしましては、只今被仰ったローリングの作用には、原則として必ず中心となる軸、と云いますか、まあこの場合白鮫号の船首と船尾を結ぶ線、首尾線とか竜骨線とか云う奴ですね、とにかくその軸がある筈です。でもし、貴方の被仰ったように、あの泡の吃水線が積載された一九〇瓩強の重量の抵抗によって出来たものではなく、ローリングによって標準吃水線以上の位置に出来たものであるとすれば、そのローリングの軸である船首と船尾の吃水線は、左右の舷側の吃水線に較べて、必ず低くなければならない筈です。逆に云えば、両舷側の泡の吃水線は、軸の両端の船首と船尾を遠去かるに従って高くなる訳です。ところが、再三申上げた通り、白鮫号の吃水線はどの部分にも高低がなく、一様に水平を保って着いているのです。なんでしたなら、これからひとつ実地検分を願っても好いです。で、この論点からして、失礼ですが、あの泡の跡がローリングによって出来たものであると云うお考えを否定しなければなりません。もっとも私は、白鮫号が決してローリングしなかったとは思いません。現在残っている泡の線を壊さぬ程度の横揺はあったでしょう。しかし、比較的波の多いこちらの海へ漂流して来る間に、ローリングをして尚且つ泡の線が殆んど全体に亘って無事でいられたのは、その吹き溜りで白鮫号が、すっかり空になり、急に軽くなって、吃水が浅くなったからです",
"……ふん、理窟ですな"
],
[
"深谷氏のですか? ええ、是非ひとつ",
"恰度いいですよ。姉の『家庭日記』に、一月毎の記録がある筈ですから"
],
[
"ええと、これは先月……これこれ、恰度三日前のが記入してあります",
"ははあ、五三・三四〇瓩ですね……あ、この三八・二二〇瓩と云うのは? ああ奥さんのですな。いやどうも、有難うございました"
],
[
"如何ですか黒塚さん。白鮫号の泡の跡を御検分なさいますか?",
"もう、それにも及びますまい",
"そうですか。では、警察官が着くまで、暫く白鮫号を、私達にお貸し下さいませんか?",
"どうぞ御自由に"
],
[
"昨晩、キャプテン深谷氏を殺した男達の足跡だよ。それを、いま密林へ逃げ込んで行った男が消したわけさ",
"追っ駈けて捕えよう"
],
[
"もう駄目だよ。こんな勝手の知れない山の中では、僕等の負けにきまってる",
"ふん……じゃあ怪しい奴は、まだうろうろしてたんだな"
],
[
"……どうも僕は、いままで大変な感違いをしていたらしい",
"と云うと?"
],
[
"判りました",
"犯人は誰です?",
"犯人は……"
],
[
"君は、判ったかい?",
"うん、いまその、計算中だよ"
],
[
"判ったよ",
"なに判った?"
],
[
"よく考えて見ましたか?",
"馬鹿にし給うなよ",
"じゃあ云ってご覧",
"犯人は黒塚だ!",
"違う!"
],
[
"君こそ計算違いだ",
"どうして?",
"だって、いいかい……一九〇・九二〇瓩から、深谷氏とこの荷物の重量を引けば、六六・一〇〇瓩じゃないか。そしてこれこそは、まさに黒塚氏の体重だ。しかも、ピッタリと合う……",
"だから違うんだよ"
],
[
"つまり、ピッタリ合うから、違うんだ。判るだろう?……成る程、君の算術には間違いはない。が、君は、算術と現実とをゴッチャにしてしまった。だからいけないんだ。ね、考えて見給え。僕達は、昨夜犯行当時の白鮫号の中味を、そっくりそのまま秤に懸けたわけじゃあないんだ。今日になってから、しかもあっちこっちバラバラの寄せ集め式計算だ。おまけに、浮力の実験に際しても、厳密に云えば必ず多少の不正確さは免れなかった筈だし、搭乗者の服装やその他の細かな変化も、多少とも見逃しているのだ。だから一九〇・九二〇瓩と云う数字は、いや、深谷氏の数字もこの荷物の数字も、凡て犯人推定の引算のために、なくてはならぬ大事な数字には違いないが、それはあくまで大体の数字であって、その大体の数字に依る計算の現実の結果が、ピッタリ合う筈はない!……だから、いま、引算の結果が黒塚氏の体重にピッタリ合った時には、僕は全くびっくりした。実に見事な偶然だよ。余りに見事過ぎて、君は罠に引っ掛かったのだ",
"じゃあいったい、犯人は誰です"
],
[
"下男?――失敗った。そいつは私達の着く前に、町の郵便局まで出掛けたそうです",
"郵便局?"
],
[
"――すると御主人は、十年前に日本商船をお退きになると、直ぐにこちらへお移りになったんですね",
"左様でございます"
],
[
"で、下男の早川は何年前にお雇いになりましたか?",
"恰度その頃からでございます",
"お宅でお雇いになる以前に、早川は何処にいたかご存じですか?",
"あの男の雇入れに関しては、全部主人の独断でございましたので、私は少しも存じませんが――"
],
[
"ところで、あの船室の前の白い柱の尖端へ、御主人が燈火をお吊るしになったのは、度々のことではないですね?",
"ええ、それはもうほんの、年に一度か二度のことでございます",
"ではもうひとつ、これは、妙なことですが、昨晩お宅では、ニュースの時間に、ラジオを掛けてお置きになりましたか?",
"ええ、あれはいつでも掛っております",
"有難うございました"
],
[
"どなたか、鳥羽へお電話をお掛けになりましたか?",
"ああ僕です。有難う"
]
] | 底本:「とむらい機関車」国書刊行会
1992(平成4)年5月25日初版第1刷発行
底本の親本:「死の快走船」ぷろふいる社
1936(昭和11)年
初出:「新青年」博文館
1933(昭和8)年7月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※初出時の表題は「白鮫号の殺人事件」で、「死の快走船」ぷろふいる社(1936(昭和11)年)収録時「死の快走船」と改題、かつ大幅な加筆訂正が加えられた。また、探偵役も「青山喬介」から「東屋三郎」に変わった。
入力:大野晋
校正:川山隆
2009年1月27日作成
2021年1月5日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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"作品ID": "001262",
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"初出": "「新青年」博文館、1933(昭和8)年7月号",
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"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
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[
[
"奥さん。もう一度伺いますが、あなたが南室で荷物の整理をしていられた時に、御主人は、あなたと同じ南室で、絵を描いていられなかったですか?",
"主人は南室などにいませんでした。そんな筈はありません",
"では、廊下へ通じる南室の扉は開いていましたか?",
"開いていました",
"廊下に御主人はいませんでしたか?",
"いませんでした",
"御主人以外の誰れか",
"誰れもいません",
"ははア"
],
[
"……どうかこのことは、死んだ者にとっても、生きている者にとっても、大変不名誉なことですから、是非とも此処だけの話にして置いて下さい。……川口と金剛とは、二人とも十年程前から私が世話をしていますので、私共と二人の家庭とは、大変親しくしていましたが、……これは最近、私の家内が、知ったのですが……川口の細君の不二さんと、金剛とは、どうも……どうも、ま、手ッ取早く云えば、面白くない関係にある、らしいんです。で大変私共も気を揉んだのですが、当の川口は、あの通りの非常な勉強家でして、仕事にばかり没頭していて、サッパリ気がつかないのです。それにあの男は、大変神経質で気の小さな男ですから、うっかり注意してやっても、却て悪い結果を齎してはと思いまして、それとなく機会を覗っていたのです。ところが、つい四、五日前に、二人で岳陰荘を使いたいからと申込まれましたので、早速貸してやりました。けれども、昨日東京を出発の際、私共夫婦で見送りに出たんですが、てっきり二人だけと思っていたのに、川口の細君も同行するのだと云ってついて来ているので、少からず驚いた次第でした。何も知らない川口は川口で、当分滞在するのだなどと、すっかり無邪気に躁いでいますし、私共は大変心配しました。……で、こちらへ移って、三人だけの生活がどんなになるかと思うと、うっかり私も堪らない気持になりまして、発車間際の一寸の隙をとらえて、ついそれとなく川口に『あちらへ行ったら、不二さんに注意しなさい』と言ってやりました。……後で、後悔したのですが、やっぱりこれが悪かったのです",
"と被仰ると?"
],
[
"いや、判りました……つまり、富士山は、不二さん、に通ず……なんですね",
"いいえ、そう云うわけでは",
"ああいや、よく判りました……こりゃ、すっかり考え直しだ"
],
[
"……妙だ……",
"……妙だ……"
],
[
"おい君、変なことを訊くがね……二階の東室の窓から、三十間程向うに、一寸した木立が見えるだろう?",
"はい"
],
[
"ふうム……妙だ",
"ど、どうかいたしましたか? 木でもなくなったんですか?",
"違う……いや確かに妙だ。……時に金剛さんは何処にいる?",
"只今、お風呂でございます",
"そうか"
],
[
"あなたはまだ、川口が殴り殺されたのだと思っていられますね",
"な、なんですって?……立派な証拠が",
"勿論、その証拠に狂いはないでしょう。川口の致命傷は、確かにあの絵具箱の隅でつけられたものに違いありますまい。けれども川口は、あの絵具箱で殴り殺されたのではないのですよ",
"と云うと?",
"独りで転んだ時に、絵具箱の隅に触れたんです",
"飛んでもない? 川口は立派な遺言を残して……",
"ありゃあそんな遺言じゃ有りません。もっと外に意味があります",
"と云うと?",
"それが非常に妙なことで、とにかくあの事件の起きた日の日没時に、この東室の窓に、実に意外な奴が現れたんです。そいつは、私達にとっても、確かに一驚に値する奴なんだが。特に川口にとってはいけなかったんです。で、吃驚した川口は、思わずよろよろと立上った途端に、左手に持ったままの調色板の油壺から零れ落ちた油を、うっかり踏み滑って、後にあった絵具箱へ、後頭部をいやと云う程打ちつけたのです。これが、川口亜太郎の、疑うべきもない直接の死因です",
"一寸待って下さい。……あなたは先刻から、何か盛に話していられるようだが、私にはさっぱり判りません。先日、私が川口不二を容疑者として連行した時に、あなたは、私が物的証拠を掴んでいないのを責められた。で、恰度あの場合と同様に、いま、あなたの云われる話について、なにか正確な証拠を見せて頂きたい"
],
[
"まだですか?",
"ええ",
"まだ、出ないんですか?",
"ええ、もう少し待って下さい"
],
[
"いったい、その怪しげな奴とやらは、確かに出て来るんですか?",
"ええ、確かに出て来ますとも",
"いったい、そ奴は何者です?",
"いや、もう間もなく出て来ます。もう少し待って下さい",
"……"
],
[
"こ、こりゃあ、どうしたことだ!",
"……"
],
[
"成る程……判りました。いや、よく判りました。つまり川口は、あの時、この景色を描いていたんですね",
"そうです",
"じゃあ、それからどうなったんです?"
],
[
"成る程",
"けれども、勿論これは、入日のために箱根地方の霧に写った影富士ですから、当然間もなく消えてしまいます。そこで、ふとカンバスから視線を離した川口氏は、一寸の間に富士が消えてしまったのに気づいて、始めから本物だと思い込んでいただけに、この奇蹟的な現象に直面して、ひどく吃驚したに違いありません。するとその瞬間、川口氏の頭の中にその朝東京を出るときに白亭氏から与えられた妙な注意の言葉が、ふと浮びます。あれは、確か……あちらへいったら、ふじさんにきをつけなさい……と云うような言葉でしたね?……",
"むウ、素晴しい。……つまり、やっぱり私が、最初から睨んでいた通り、不二さんは、富士山に、通ずる……ですな……ふム、確かにいい。実に、完全無欠だ!"
]
] | 底本:「とむらい機関車」国書刊行会
1992(平成4)年5月25日初版第1刷発行
1992(平成4)年5月25日初版第1刷発行
底本の親本:「ぷろふいる」ぷろふいる社
1936(昭和11)年1月号
初出:「ぷろふいる」ぷろふいる社
1936(昭和11)年1月号
入力:大野晋
校正:川山隆
2009年1月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[
[
"六、七時間を経ていますね",
"すると、昨晩の十時から十一時までの間に殺された訳ですね。そしていつ頃に投げ墜されたものでしょう?",
"路上に残された血痕、又は頭部の血痕の凝結状態から見てどうしても午前三時より前の事です。それから、少くとも十二時頃まではあの露地にも通行人がありますから、結局時間の範囲は零時から三時頃までの間に限定されますね",
"私もそう思います。それから被害者が寝巻を着ているのは何故でしょうか? 被害者は宿直員ではないのでしょう?"
],
[
"君は今朝何時に此処へ来たかね?",
"ええ、実は昨晩少し天候が悪かったものですから責任上心配して、今朝は何日もより少し早く六時半に出勤しました"
],
[
"すると君は、六時半にこのバルコニーへ出た訳だね?",
"いいえ違います。六時半と言うのは店へ着いた時間でして、それからあの事件の噂を聞いたり屍体を見たりしていたものですから、此処へ上った時はもう七時でした",
"その時、このバルコニーの上で何にか変った処はなかったかね?",
"別に気附きませんでしたが、ただ、瓦斯のホースが乱雑に投げ出されてあり、バルーンは非常に浮力が減って、フニャフニャになりながら、今にも墜ちそうに低い処で漂っていました。が、これは天候の荒れた後によくあることです",
"バルーンは夜中にも揚げて置くのですか?",
"ええ、下に降ろして繋留して置くのが普通ですが、天候を油断してそのままにして置く時もあるのです",
"バルーンの浮力が減ったと言うのは?",
"気嚢に穴が明いていたのです。もっともその穴は、一月程前に一度修繕した事のある穴ですが――",
"ははあ、それで君は先程気嚢の修繕をしていたのだね。ところで、このバルーンの浮力はどれ位あるかね?",
"標準気圧の元では600瓩は充分あります",
"600瓩と言うと随分な重量だねえ。いや、有難う"
],
[
"君は今朝グローブを嵌めずに此処へ触れたね?",
"ええ、最初バルーンを降ろす時には、修繕するために急いでいましたので――"
],
[
"御覧なさい。この人の指紋ではないでしょう?",
"ふーむ。確かに被害者野口達市の指紋だ"
]
] | 底本:「本格推理展覧会 第三巻 凶器の蒐集家」青樹社文庫、青樹社
1996(平成8)年3月10日第1版発行
入力:大野晋
校正:はやしだかずこ
2000年12月14日公開
2005年12月13日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "001261",
"作品名": "デパートの絞刑吏",
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[
[
"とうとう、出ましただ",
"なに、出た?"
],
[
"全くそのとおりです。わたしも風間さんとおなじように気味の悪い音を聞きました。そしてこの下の入口のところへ来たときに、この塔の頂上のほうから、低いながらも身の毛のよだつような呻き声を聞きました……友田さんのでしょう……そしてその呻き声がやむかやまぬに、今度はなんとも名状しがたい幽霊の声を聞いたのです",
"幽霊の声?"
],
[
"ええ幽霊の声ですとも。あれが人間の声であるものですか!……それは、笑うようでもあれば、泣くようでもあり……そうそう、まるで玩具の風船笛みたいでした",
"渡り鳥の中にも、あれに似た声を出すのがあったが"
],
[
"いや、似ていますが、あれとはまた全然違います。むしろさかり時の猫の声のほうが、余程似ています",
"ああそうそう、そうだったな"
],
[
"こいつア大の男が二人かかっても、この塔の上まではちょっと運べませんね……まして、外の海のほうから、三十メートルの高さのこのガラス窓を破って投げ込むなんて、正に妖怪の仕業ですよ",
"で、あなたの見た幽霊というのは?"
],
[
"……先ほど申しましたように、わたしはこの室へ入った瞬間に、その割れた玻璃窓の外のデッキから、それは恐ろしいやつが、海のほうへ飛び込んだのです……それは、なんでも、ひどく大きな茹蛸みたいに、ねッとりと水にぬれた、グニャグニャの赤いやつでした……",
"蛸?"
],
[
"とにかくあなたは、この惨劇をみつけてから、どうされたんです",
"わたしはびっくりして、下へ降りて行き途中で、登って来る三田村君に逢いました",
"無電が通じなかったからです"
],
[
"これアきみ、傷口の血のかたまり工合から見ても、この傷のほうが、先に加えられたほんとうの致命傷らしいね……すると、あの石の飛び込んだときには、もう友田看守は死んでいたんだ……だが、そうすると、あの石の飛び込んだ音の後から聞いたという呻き声は、死人のものなどではないことになる……これアだいぶん事情が違ってきた",
"じゃあやっぱりあれも、幽霊の唸り声?"
],
[
"この綱は灯台のでしょう?",
"そうです。倉庫にいくらも入れてあるやつです。おや、こんな紐のついたのは……はて、どこから拾ってこられたんですか?"
],
[
"……綱も紐も、両方とも二十六メートルずつあります",
"なに二十六メートル?……待アてよ?"
],
[
"ね、三田村さん。あの回転ランプの重量は、どれぐらいあります?",
"さあ、一トンはあるでしょう",
"一トン……一トンというと二百六十六貫強ですね。じゃああのランプをグルグル廻しながら、三十六メートルの円筒内を下って来る、あの原動力の重錘というか分銅は、随分重いでしょうね?",
"そうですね、八十貫は充分ありましょう……大きな石臼みたいですよ……そいつがジリジリ下まで降り切ってしまうと、また捲き上げるんです",
"なるほど、最近捲き上げたのはいつですか?",
"昨日の午後です",
"じゃあ今夜は、分銅はまだ塔の上のほうにあったわけですね?",
"そうです",
"いやどうも有難う。あ、それから、この無電室でちょっと一服やらしてもらいますよ"
],
[
"まず、化け物にせよ人間にせよ、とにかくあの不敵な狼藉者が、この太い綱の一方の端をあの塔の頂きのランプ室から、玻璃窓の下の小さな通風孔をとおして、外の高い岩の上へたれておく。それから下へ降りて来て岩の上で例の岩片をたれている太い綱の端でしばっておいてふたたび塔上へ登る。そしてランプ室においてあるほうの綱の端を、旋回機の蓋をあけて、円筒内の頂きへほとんど一杯に上っている分銅の把手へ、かたわな結びというかひっとき結びというか、とにかくそれで縛りつけ、そのちょっと引っ張ると解けるひっとき結びの短い一端へ、この細紐をこのとおりに結びつけて、さて旋回機のウィンチに捲きついているロープを、そうだ、あの手斧で叩ッ切る。すると……",
"ああつまり釣瓶みたいだ"
],
[
"一方その怪人物は、解けた綱を手繰り上げると、友田看守の腹の上に坐った岩片のほうも解いて、階段から降りると物音に驚いて登って来る人に見られるから、ランプ室の外のデッキの手すりへおなじように綱をひっとき結びにして、それをつたって下の高い岩の上へ降りる。塔の根元よりは五、六メートルも高い岩だ。そしてひっとき結びを解いて、不要になった綱を海中へ投げ込む……",
"なるほど、素晴しい"
],
[
"なにてのひら……うん、小使にも細君にも、胼胝などは出来ていなかったよ",
"じゃあ、やっぱり妖怪の……",
"いや、まあ待ちたまえ……ぼくはそれから、そのお隣の風間さんの官舎へ、ちょっと失礼して上らしてもらったんだ、もちろん娘さんに逢うつもりでね……そしてそこで、大発見をした!",
"大発見? じゃあ、寝ている娘のミドリさんのてのひらに胼胝でもあったんですか?",
"いいや、違う。それどころじゃあない",
"すると娘さんの身に、何か異変でも?",
"冗談じゃあないよ。ぼくはてんから娘さんなど見はしない。彼女は、どこの部屋にもいやしなかった",
"ミドリさんがいなかったですって⁉"
],
[
"ところで三田村さん。あなたは事件のあった直後にここへ登って来られたとき、階段の途中で風間さんに逢われたのでしたね。風間さんは、何か手に持っていませんでしたか?",
"……そういえば、洋服の上着を脱いで、こう、右手に持っていられました",
"なるほど。有難う。じゃあもう一つ訊かせて下さい。あの娘さんは、何歳ですか?",
"ええと、多分、二十八です",
"品行はどうですか?",
"えッ、品行?……ええ、いや、なんでも、大変利口な、いい娘だったそうですが……",
"いや、ここだけの話ですから、遠慮なく聞かせて下さい"
],
[
"……ちょうど去年の今ごろのことでしたが、当時風間さんの宅に、しばらく厄介になっていた或る貨物船の機関士と、いい仲になって、家を飛び出したのがそもそもよくなかったんです……なんでもその後、横浜あたりでどうにかやっていたそうですが、なんしろ相手がよくない船乗りのことで、定石どおり、子供は孕む、情夫には捨てられたということになって、半年ほど前に、すごすご帰って来たんです",
"ふむ、それで……",
"……それで、大変朗かな娘さんでしたが、それからはガラッと人間が変ったようになりました……そんなふうですから、自然と父親の風間さんからも、なにかにつけて、いつも白い眼で見られていたようです。……全く、考えてみれば、気の毒です……"
],
[
"……ぼくは、あの暴れ石のからくりを弄したものが、なんだかわかりかけてきたようだ",
"いったいそれはだれです! 娘さんですか、それとも……",
"もちろんそれは、娘のミドリさんだよ"
],
[
"……これは、どうも少し、臆測に過ぎるかもしれない……けれども、どうしてもぼくの想像は、こんなふうにばかり傾いてくるんだ。それに、どうもロマンスというやつは、畑違いでぼくには苦手だが、ま、……ここに一人の、純心な灯台守の娘があったとする。あるとき難波船から救い上げた一人の船員と、彼女は恋に陥る。ところが父親は非常に厳格な人で、娘のそのような気持を受け容れない。当然若い二人は、相携えて甘い夢を追い求める……けれども、やがて彼女の身に愛の実の稔るころには、おとこの心は船に乗って、遠い国へ旅立つ……そしてひとすじの心を偽られた彼女は、堪え難い憎しみを抱いて、故郷へ帰る……けれども父親の冷たいもてなしは、彼女の心を狂おしいまでに掻き立て、そして夜ごと日ごとに沖合をとおる夢のような船の姿は、彼女の心に憎しみの極印を焼きつける。おとこへの憎しみは船乗りへの憎しみとなり、船乗りへの憎しみは船への憎しみとなり、船という船を沈めつくさんとしてか、とうとうきびしい掟を犯して船乗りの命の綱の灯台へ、ガスの深い夜ごとに、看守の居眠り時を利用して沙汰限りの悪戯をしかける……けれども、ある夜とうとう看守にみつけられた彼女は、驚きのあまりそばにありあわせた手斧を振るって看守の頭へ打ち下ろす。そして自分の犯した恐ろしい罪に戸惑いながらも、犯跡を晦ますために暴れ石のからくりを弄する……そうだ、これはまた、前から組み立てていた灯台破壊の計画と見てもいい……",
"じゃあ、いったい、あの恐ろしい化け物はどうなるんです"
],
[
"そんなものはなかったよ",
"だって、あなた自身",
"まあ待ちたまえ。話をぶちこわさないでくれたまえ……あの親爺さんは、大変厳格で正直で責任感が強く、ただでさえ白い眼で見ていた娘の、こんなにも大それた罪を許そうはずはない。けれども、それにもかかわらず、物音を聞いてここへかけ登って来た瞬間から、老人の気持はガラッと変って、生涯に一度の大嘘をついて化け物を捏造し、娘の罪を隠し始めたのだった",
"だってそうすると、この化け物の狼藉の跡は、いったいどうなるんです。この怪しげな水や、三田村さんもたしかに聞いたというあの呻き声や、変な鳴き声は?",
"まあ聞きたまえ……ね、あのとき、蝋燭をともして恐怖にわななきながら、その階段を登って来た老看守は、このランプ室でいったいなにを見たと思う?……破れた玻璃窓でもない。こわれた機械でもない。友田看守の死体でもない。いいかい。二人の生きた人間を見たのだよ!……恐ろしい罪を犯し、それをまたきびしい父親にみつけられて、半狂乱で玻璃窓の外から、真逆様に海中へ飛び込んだ救うべくもない不幸な娘と、それから、もう一人……蛸のようにツルツルでグニャグニャの、赤い、柔らかな……そうだ、精神的なショックや、過労の刺戟のために、月満たずして早産れおちたすこやかな彼の初孫なんだ!……"
]
] | 底本:「新青年傑作選 爬虫館事件」角川ホラー文庫、角川書店
1998(平成10)年8月10日初版発行
入力:大野晋
校正:はやしだかずこ
2000年12月14日公開
2005年12月14日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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[
"四遍共調査なさった結果、そうして盗まれたと言う事が判ったんですね?",
"そうです。四人の被害者の陳述は、大体そう言う風に一致しておりますからな"
],
[
"……会社、と言ってもH銀行の支店ですが、町役場、信用組合事務所、農蚕学校、小学校、まあ日曜日に休むのはそんなものです。製糸工場は、確か一日と十五日。床屋は七のつく日で月に二回、銭湯は五のつく日でやはり月に二回、それだけが公休で毎週ではありません……ええと、それから繭市はまだ出ませんが、卵市なら五日置きにあります……まあ、その他には……そうそう、農蚕学校で毎週土曜日の午後に農科の一寸したバザーがある位のものです",
"ははあ、その農蚕学校のバザーでは何を売るんですか?"
],
[
"勿論処置は取ってあります。しかしどうも、手不足でしてな",
"いや、何分お願いします。でも、却って余り騒がない方がいいと思います。じゃあ、もうこれ位で……"
],
[
"とうとう又殺っちゃいましたよ",
"なに又殺った⁉"
]
] | 底本:「とむらい機関車」国書刊行会
1992(平成4)年5月25日初版第1刷発行
底本の親本:「死の快走船」ぷろふいる社
1936(昭和11)年初版発行
初出:「ぷろふいる」ぷろふいる社
1934(昭和9)年9月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:大野晋
校正:川山隆
2008年11月12日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "001264",
"作品名": "とむらい機関車",
"作品名読み": "とむらいきかんしゃ",
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"初出": "「ぷろふいる」ぷろふいる社、1934(昭和9)年9月号",
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[
[
"有料道路はまだかね?",
"もう直です"
],
[
"追馳けてみようか?",
"駄目ですよ。先刻からやってるんですが……自動車が違うんです"
],
[
"さあ出よう。大急ぎだ。箱根までは、医者はないだろう?",
"ありません"
],
[
"どんな男でした? 乗ってたのは……",
"見えませんでした",
"見えなかった? だって切符を買いに来たでしょう?",
"いえ、来ません。あれは大将の自動車です"
],
[
"なに、堀見?……ははア、あの岳南鉄道の少壮重役だな。じゃあ、クーペの操縦者は、堀見氏だったんだね?",
"さあ、それが……",
"二人乗ってたでしょう?",
"いいえ、違います。一人です。それは間違いありません"
],
[
"僕の自動車へ収容して来た",
"大丈夫ですか?",
"それが、とてもひどい……恐らく、箱根まで持つまい"
],
[
"ふうむ、とにかく僕は、これから直ぐに箱根へ行くのだが――おッと、ここには電話があるだろう?",
"あります",
"よし。箱根の警察へ掛けてくれ給え。いま行ったクーペを直ぐにひっ捕えるように。いいかね。よしんば重役でも、社長でも、構わん",
"そんなら、とてもいい方法がありますよ。向うの箱根峠口の、有料道路の停車場へ電話して、遮断機を絶対に上げさせないんです",
"そいつア名案だ。だが、いまの調子で、遮断機をぶち破って行ってしまいはせんかな?",
"大丈夫です。遮断機には鉄の芯がはいっていますから、私みたいに上げさえしなければ絶対に通れません",
"そうか。いや、そいつア面白い。つまり関所止め、と云う寸法だね。まだクーペは、向うへは着かないだろうね?",
"半分も行かないでしょう",
"よし。じゃあ直ぐ電話してくれ給え。絶対に遮断機を上げないようにね"
],
[
"いいえ、新聞の写真で見ただけです。でも、あの人の熱海の別荘は知ってます。山の手にあります",
"いま熱海にいるのかね? 堀見氏は",
"さア、そいつは存じませんが……とにかく、車庫つきの別荘ですよ"
],
[
"電話が掛ったろう?",
"掛りました",
"それに、何故通したのだ!",
"えッ?",
"何故自動車を通したと云うんだ!",
"……?"
],
[
"――僕は、刑事弁護士の大月というものだが、たとえあのクーペが有名な実業家の自動車であろうと、いやしくも人間一人を轢逃げにするからは、断じて見逃さん。君達は、自分の良心に恥じるがいい",
"ちょ、ちょっと待って下さい"
],
[
"時に、あんたは、歳はいくつだ? もう五十は越したな?",
"いいえ、まだ、わたし恰度でございます。恰度五十で……",
"ふむ。では、あんたの娘さんは?",
"敏やでございますか? あれは十八になりますが……",
"じゃア、エヴァンスさんは?",
"あの方はもう、六十をとっくにお越しです",
"富子さんは?",
"お嬢様は、今年十七でいらっしゃいます"
],
[
"はい",
"むろんお嬢さんも?",
"はア、多分……"
],
[
"もう別荘のほうは、済みましたか?",
"済むも済まぬもないですよ。なんしろ犯人は此処へ逃げ込んだって云うんですから、大急ぎでやって来たわけです……が、まア、だいたい目星はつきましたよ",
"もう判ったんですか? 誰です、いったい、犯人は?",
"いや、誰れ彼れと云うよりも、まだその、問題の自動車はみつからないんですか?"
],
[
"いや、それですがね。どうもこれは、谷底へでも墜落したとより他にとりようがないんです",
"私もそう思いますよ。探しましょう",
"いや、その探すのが問題なんですよ。私もいま、こちらへ来ながら道の片側だけは見て来ましたが……この闇夜で、しかも……この有料道路の長さが六哩近くもあるんですから、それに沿った谷の長さもなかなかあるんですよ。おまけに路面が乾燥していて、車の跡もなにもありゃアしないんだから、大体の墜落位置の見当もつきませんよ",
"しかし愚図愚図してるわけにもいきませんよ",
"そうですね。じゃア、とにかく残った片側を探して見ましょう。……だが、いったい犯人は誰なんです?",
"犯人?……堀見氏の令嬢ですよ"
],
[
"いや判りかけたんです。真相が判りかけたんです。いまに出ますよ",
"何が出て来るんです?",
"直ぐですから待って下さい"
],
[
"何も見えませんよ",
"いや。直ぐ出ます。……そら! 出たでしょう。いや、自動車の外じゃあない。直ぐ眼の前の硝子窓です",
"ああ!"
],
[
"夏山さん……生れて、二つになって、第一回の誕生日が来る。三つになって、第二回の誕生日が来る……そうだ、今年十七の人なら、十六回の誕生日ですよ",
"えッ、なに?"
],
[
"誰です、それは?",
"女中の敏やです!"
],
[
"あなたは、この日附が見えなかったんですか? まさか盲じゃアあるまいし……ね、二月二十九日に誕生日をする人は二月二十九日に生れたんでしょう。ところが二月二十九日は閏年にあるんで……だからこの人の誕生日は四年に一度しか来ないわけで。その人が十七回の誕生日を迎える時には、幾つになると思います。……六十過ぎですよ",
"判った"
]
] | 底本:「とむらい機関車」国書刊行会
1992(平成4)年5月25日初版第1刷発行
1992(平成4)年5月25日初版第1刷発行
底本の親本:「新青年」博文館
1936(昭和11)年8月号
初出:「新青年」博文館
1936(昭和11)年8月号
※誤植の確認に際しては、初出誌を参照しました。
入力:大野晋
校正:川山隆
2009年1月27日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "001267",
"作品名": "白妖",
"作品名読み": "はくよう",
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"初出": "「新青年」博文館、1936(昭和11)年8月号",
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"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2009-03-12T00:00:00",
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"姓読み": "おおさか",
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} |
[
[
"すると、その百姓の男と言うのは?",
"つまり奥さんと同じ様に、兇行の目撃者なんですがな。――いや、それに就いて若し貴方がなんでしたなら、その男を呼んであげましょう。……もう、一応の取調べはすんだのだから、直ぐ近くの畑で仕事をしているに違いない"
],
[
"――左様で御座居ます。手前共が家内と二人でそれを見ましたのは、何でも朝の十時頃で御座居ました。尤も見たと言いましても始めからずうと見ていたのではなく、始めと終りと、つまり二度に見たわけで御座居ます。始め見たのは殺された男の方が水色の洋服を着たやや小柄な細っそりとした男と二人で梟山の方へ歩いて行ったのを見たんで御座居ますが、何分手前共の仕事をしていました畑は其処から大分離れとりますし、それに第一あんな事になろうとは思ってませんので容貌やその他の細な事は判らなかったで御座居ます",
"一寸、待って下さい"
],
[
"御主人が御病気でこの海岸へ転地されてからも、勿論別荘へは訪問者が御座居ましたでしょうな?",
"ええ、それは、度々に御座居ました。でも、殆ど今度出来ました新しい劇団の関係者ばかりで御座居ます",
"ははあ。瑪瑙座の――ですな。で、最近は如何でしたか?",
"ええ。三人程来られました。やはり劇団の方達です",
"その人達に就いて、もう少し伺えないでしょうか?",
"申上げます。――三人の内一人は瑪瑙座の総務部長で脚本家の上杉逸二さんですが、この方は確か三日前東京からおいでになり、今日迄ずっと町の旅館に滞在していられました。別荘へは昨日、一昨日と、都合二度程来られましたが二度共劇団に関するお話を主人となさった様です。後の二人は女優さんで、中野藤枝さんに堀江時子さんと申されるモダーンな美しい方達ですが、劇団がまだ職業的なものになっていませんのでそれぞれ職業なり地位なりをお持ちでしょうが、それ等の詳しい事情は妾は存じないので御座居ます。この方達は、昨日、やはり町の旅館の方へお泊りになって、別荘へも昨晩一度御挨拶に来られましたが、今日、上杉さんと御一緒に帰京されたそうで御座居ます。二人とも上杉さんとはお識合の様に聞いております",
"すると、その三人の客人達は、今日の何時頃に銚子を発れたのですか?"
],
[
"さあ、――この付近に林檎の皮など落ちている位いは珍しい事じゃないですから、旦那方は知らずに見落したんじゃなかろうかと思いますが。何でも旦那方はそこいら中細に調べられて、あの雑木林の入口に散っていた沢山の紙切れなんども丁寧に拾って行かれた位いで御座居ます",
"紙切れを――?",
"へえ。何か書いた物をビリビリ引裂いたらしく、一寸見付からない様な雑木林の根っこへ一面に踏ン付ける様にして捨ててあったものです。手前が拾いました奴は、恰度その書物の書始めらしく、何でも――花束の虫……確かにそんな字がポツリと並んでおりました",
"ほほう。……ふうむ……"
],
[
"ははあ。成程。――して、内容は?",
"さあ。それは、一向に存じないんですけれど……何でもそれが、今度瑪瑙座の創立記念公演に於ける上演脚本のひとつであると言う事だけは、昨晩主人から聞かされておりました。昨日上杉さんが別荘をお訪ね下さった時に、主人にその脚本をお渡しになったので、そんな事だけは知っているので御座居ます",
"ああ左様ですか。すると御主人は、まだ今日迄その脚本をお読みになってはいなかったんですね?",
"さあ。それは――",
"いや、よく判りました。御主人が今朝の散歩にそれを持って梟山へお出掛けになっている以上、まだお読みになってはいなかったんでしょう……"
],
[
"一体、どうしたと言うんですか?",
"別に、どうもしやしないさ。が、まあ、兎に角、これからひとつ説明しよう"
],
[
"これ何んだか、勿論判るだろう? よく見て呉れ給え",
"……何んですか。――ああ。レコードの缺片じゃありませんか。これが、一体どうしたと言うんですか?",
"まあ待ち給え。その隅の方に、金文字で、少しばかり字が見えるね",
"ええ。判ります。…… arcelona ――として、Victor・20113――とあります。それから、……チ・フォックストロット――",
"そうだ。その字の抜けているのは、勿論、あの、踊りのバルセロナの事だ。そして、もうひとつの方は、マーチ・フォックストロットだ――ところで、君は、時々ダンスを嗜まれる様だが、その踊り方を知ってるかね? その、マーチ・フォックストロットと言奴をだね"
],
[
"二三度名前だけは聞いた事がありますが、僕はまだ習い始めですから、全然踊り方は知らないです",
"ふむ、そうだろう。――実は、僕も知らなかった。が、いま帰って行かれたあの若いお客さんから得た知識に依ると、何でもこのダンスは、四五年前に日本へ伝ったもので、普通に、シックス・エイトって言われているそうだ。欧州では、スパニッシュ・ワンステップと呼ばれているものだよ。そしてその名称の示す様に、このダンスのフィギュアーと言うか、つまりステップの型だね。それは非常に強調な、人を激励する様な、ワンステップ風のものなんだ。――ところで、これを君は、何だと思う"
],
[
"――ウッフッフッフッフッフッ……まあ、そうも言える。が、そうも言えない",
"と言うと――"
],
[
"つまり、スパニッシュ・ワンステップの足取りであると同時にだね。いいかい。もうひとつ別の……何かなんだよ",
"別の――⁉",
"他でもない。屏風浦の断崖の上の、あの素晴しい格闘の足跡なんだ!"
]
] | 底本:「幻の探偵雑誌1 「ぷろふいる」傑作選」光文社文庫、光文社
2000(平成12)年3月20日初版1刷発行
初出:「ぷろふいる」ぷろふいる社
1934(昭和9)年4月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:網迫、土屋隆
校正:大野 晋
2004年9月26日作成
2016年2月20日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "043419",
"作品名": "花束の虫",
"作品名読み": "はなたばのむし",
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"初出": "「ぷろふいる」ぷろふいる社、1934(昭和9)年4月号",
"分類番号": "NDC 913",
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"姓": "大阪",
"名": "圭吉",
"姓読み": "おおさか",
"名読み": "けいきち",
"姓読みソート用": "おおさか",
"名読みソート用": "けいきち",
"姓ローマ字": "Osaka",
"名ローマ字": "Keikichi",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1912-03-20",
"没年月日": "1945-07-02",
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"底本名1": "幻の探偵雑誌1 「ぷろふいる」傑作選",
"底本出版社名1": "光文社文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "2000(平成12)年3月20日",
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} |
[
[
"鉱山はどの辺にあるのだろう?",
"さあ、ここからは見えないだろう。いずれ向うの尾根の裏側にあたるだろうから"
],
[
"そのとき市岡の奴がね。発車間際になって、小野さんに宜しく頼んどいてくれって頻りにそういうんだ。僕はたいがい鉱区の事だろうとのみ込んで、うんうんと空返事をして別れたが、あとで中野君にきくと、この年末の数日を、釧路くんだり迄ただ山の中を引張り廻されに行ったようなものだ。全く市岡にはひどい目に会ったとこぼしていた。――それはこういう話なんだ。夏のころ市岡が大阪の中野君の事務所へ訪ねて来たことがあって、これこれの硫化の鉱山があるから是非どこかへはめ込んでくれという事だった。その後、中野君も何とかしてやろうと思いながら忘れていたが、ちょうど硫化の鉱山を欲しいという人が出てきたので、市岡を思い出して問い合せると、案内するから見に来いといって来た。中野君も市岡の人間を知っていたし、出発にあたって不安な予感がしたから、本当に自分で調査した鉱山か、と電報で念を押してやった。市岡からは折り返し自分自身で調査したという返電だった。だが、それでもなお不安だったので、本当にだいじょうぶかともう一度電報を打つと、だいじょうぶ安心して来いという返電だ。それならばというので、買手を連れ、何万円かという現金まで用意してやって来た。ところが、いよいよ釧路へ行ってみると、何処が鉱区で何処に露頭があるのか、市岡にはまるっきり現場の案内ができない始末だったそうだ",
"いったい、市岡というのはどういう男なんだい?"
],
[
"たぶん五六年後輩だろうから、君は知らないかもしれないな。そら、例のあの男だよ。ついこないだ東京の新聞にも小さくでていた……",
"なにが出ていたんだ?",
"読まなかったかね。自宅で対談中にピストルでやられたという記事。僕のところへ北海道タイムスを送って来たが、これにはかなり大きく扱ってあった",
"原因はなんだい。やはり鉱山のいきさつか。今どきちょっと珍しい出入りだね",
"なんでも支笏湖の近くの金鉱区という事だが、最近その取引がついたらしいんだね。ところが前にその鉱区の共願者だった男が来て、鉱区が売れたのなら分け前よこせというんで、そいつも相当なもんだ、三日間ねばった。市岡はむろん例の調子だから突っぱね通したろうさ。その日も押問答の末、相手は堪忍しきれなくなって、突然ピストルを出して引金をひいたというんだ。男は自首して出たとかで、その談話記事が新聞に載っていた",
"つまらない事をしたもんだ"
],
[
"佐々木なんか、輸血までしたんだからね",
"そうかい、輸血したのかい?"
],
[
"ひと汽車遅らして、札幌で見送ってやるとよかったが、そうするとおれ達は名寄かどこかで泊ることになってしまうのでね。ゆうべ土田が、代表して送るといってたから頼んどいた。それでいいとしようや",
"そりゃ、土田が見送ってくれれば……",
"市岡の持っていた鉱山が五つ六つある筈なんだよ。そんなもの、細君や弟が何処かへ売り込もうとしたって、どうせブローカー仲間にいいように騙されてしまうにきまっている。おれもどんな鉱山か全く知らないが、まとめて不見転で買いとってやろうかと思っている。細君や弟の意向をきいとくように、佐々木に頼んで置いたが……",
"それなら、まとまってかねが入るわけだから、遺族の人達も助かるだろう"
],
[
"いよいよ徳川家康の山例だ",
"うむ、たとい名城の下たりとも、鍎うち有之に於いては掘採苦しからず候、か"
]
] | 底本:「北海道文学全集 第12巻」立風書房
1980(昭和55)年12月10日初版第1刷発行
初出:「中央公論」
1939(昭和14)年4月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:林 幸雄
校正:岩澤秀紀
2012年3月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "050924",
"作品名": "金山揷話",
"作品名読み": "きんざんそうわ",
"ソート用読み": "きんさんそうわ",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「中央公論」1939(昭和14)年4月",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2012-04-20T00:00:00",
"最終更新日": "2022-12-29T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001476/card50924.html",
"人物ID": "001476",
"姓": "大鹿",
"名": "卓",
"姓読み": "おおしか",
"名読み": "たく",
"姓読みソート用": "おおしか",
"名読みソート用": "たく",
"姓ローマ字": "Oshika",
"名ローマ字": "Taku",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1898-08-25",
"没年月日": "1959-02-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "北海道文学全集 第12巻",
"底本出版社名1": "立風書房",
"底本初版発行年1": "1980(昭和55)年12月10日",
"入力に使用した版1": "1980(昭和55)年12月10日初版第1刷",
"校正に使用した版1": "1980(昭和55)年12月10日初版第1刷",
"底本の親本名1": "",
"底本の親本出版社名1": "",
"底本の親本初版発行年1": "",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
"入力に使用した版2": "",
"校正に使用した版2": "",
"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "林幸雄",
"校正者": "岩澤秀紀",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001476/files/50924_ruby_47129.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2012-03-28T00:00:00",
"テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"テキストファイル文字集合": "JIS X 0208",
"テキストファイル修正回数": "0",
"XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001476/files/50924_47287.html",
"XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2012-03-28T00:00:00",
"XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"その報告をいただけば、それぞれ地方の有志に見せなくてはなりません。先生は報告の責任を負われることになりますが",
"もちろん、分析を引受ける以上はその覚悟である"
],
[
"あなたも今夜こそ早くやすまなくては……、ゆうべも一睡もしなかったのだし……",
"明日は議会がある。……総理大臣の施政方針の演説がある日だ。それで早く起きて東京へ帰らねばならん"
],
[
"それなら猶のこと、今夜はもう寝なくてはいけませんでしょう",
"いや、わしは一晩や二晩寝ないでも平気だ。そんなことは毎々のことだ"
],
[
"定助さんも必要なだけ遠慮なくいってくれ、再三そういってくれましたがお断りしました。またおりん様からも御心付の内談がありましたが、先年お母さんの亡くなられたとき御厄介になっていますから、今度は余分だけはお断りしました",
"では、いったい……"
],
[
"十一年前お父さんが病気になられた頃から、内証で私が心がけていたのです。毎年米六斗ずつ水車場の栄吉さんに預けたのが、十年積んで六石。この代が一石七八円平均ですから、ざっと四十五六円。それに利が加わって六十円余になったのです",
"ふーん",
"そういっては何ですけど、家計が年々逼迫する一方ですし、お父さんは何時どういうことになるかわからないし、あなたのお留守中にもしものことがあって、世間に恥を曝すようでは申訳ない。そう思って私は……"
],
[
"江刺獄中の三年有半は、私に嘗てない勉強の時間を与えてくれました。私は毎日毎夜のように、人間の生存の理由、人間の価値、人間の使命というようなことに就いて考えたのでした。そうして自分の命を自分のものと思うのは不遜なことだと気がつきました。人間に生れた尊さ有難さに思い到って、慄然と身ぶるいしました。自分の生れたのは父母のお蔭であり、国のお蔭であり、天地のお蔭である。人間の生存はこれに報いるためである。そう考えてくると人生の価値は絶対無限だとわかって、獄中でいてもたってもいられぬ思いを味いました。自分が自由のからだになったら、良知良能の教えるところに依って、身と魂の限りを尽して働こうと、そう心に契ったのでした。ですが、やはり獄中で偶〻ウエリントンという偉人の伝記を読んで、その人が戦々兢々負債を恐れるという一節に、私はひどく胸を打たれました。自分はたとえ嫌疑の獄を免れ得ても、身はなお義務の獄中にある。この獄中にあるあいだは自分は到底志を伸ばすことはできない。そう覚ったものですから、この数年はこの義務の獄を免れるために努力しました。そうして、やっと不覇独立の身になったと思ったので、こんなお願いもするわけです。決して昨日今日の決心ではありません",
"だが人間の心は弱いものだ。自分が正当に理解されない場合には誰しも不平が起きやすい。どんなに自分が世間のために尽しても、世間が冷然とそっぽをむいているばかりか馬鹿にされるようなことになれば、必ず不平が起きる"
],
[
"なるほど二十七年になるか……この長い年月つれ添って来られたのも、みんなお前が諦めて辛棒してくれたお蔭だと思っているが……まったく、お前もわしに見込まれたのが最後というわけだったな。あのときは、お前が上石塚から裁縫に通う途中をそのまま家へ連れてきてしまった。……羞しがるお前を無理やりに負籠に入れて背負ってきたが、橋を渡ってこちらの橋詰へ来て、わしは急に婚礼の支度をせねばならぬことに気がついた。そこで籠を外へおいてあそこの雑貨屋へ走りこんで、婚礼にはどんな品物が入るのか知らんが、すぐ必要だから大いそぎで一揃えとりそろえてくれ。そういっても、雑貨屋のおやじは本気にしない。誰が嫁をもらうのか、嫁さんは何処の誰だといらぬ穿鑿するばかりでニヤニヤしている。誰でもない、わしの婚礼だ、嫁さんはあの籠のなかに待たしてあるというと、さすがにおやじもびっくり仰天していた。ハハハ……",
"嫌らしい、なんの話かと思ったら、つまらないこと……私はもう本当にさきへやすませて貰います"
],
[
"ひどいそうですね、今年の被害は。舟津川辺などは稲がほとんど一粒ものぼらなかったとか",
"実際その通りだ。鉱毒は沿岸一帯にひろがってしまった。去年の洪水以来大島村に滞在して調査してもらっている左部彦次郎さんの話では、あの辺も今年はやっと騒ぎだして、よりより除害の方法に頭をひねっているそうだ。だが、この毒はなかなか人民の手で容易に取り除けられる毒ではない。毒を流す根本をやめさせなければ駄目だ。それでこの際どうしても鉱業停止の請願書に大勢の連署をとって、村長たちから農商務省へ願い出る。わしはまたそれに呼応して国会へ質問書を出す。そういう手筈になっている",
"一昨日ですか、衆議院の門の前であなたに会わせろといって暴れた壮士がいたそうですね"
],
[
"去年は県会が建議案を出したが、県会のうちには足尾銅山のお蔭で利益を得ている地方の議員もいるし、問題を闇に葬ろうと策動している者もいるから駄目だ。一方、被害民が県庁へ請願してもこれも埒があかない。こんなことでは、この火急を要する事態が何時解決されるかまことに覚束ない。事実、一栃木県下の地方問題ではなし、どうしてもこれは国会を通じて広く世間にも訴えねばならん。またこれこそわしの責任というものだ",
"政治むきのことは私によくわかりませんが、農家を思えば本当に気の毒です。あなたがその決心なら、思い通りに存分にやって御覧なさい。お父さんは見送ったし、あなたにすればもう後に気に懸ることはないのですから……お位牌は私の息のあるあいだは大切に御守り申します",
"うむ、それだけはお前に頼みますぞ"
],
[
"そうか。わしはまた蔭で改進党の誰かを誹謗したのかと思った。天下国家を憂うるものが婦女子の言動をすると思ったから腹が立った",
"やっぱり聾の早耳の部類だよ。そんなことを聞けば誰も黙って放ってはおかない"
],
[
"いや、いや、自分ではまだまだいい足りない、不十分だったと思っています。なにしろ時間の余裕がなかったので……解散になるのだったら、もっと存分にやるんでした。……いや、いや、あなたは例によってもっと忌憚ない批評をしてもらわねば",
"私の方の記者も感心して明日の議事余聞に書いたといっておりましたよ"
],
[
"……今度のことは前の失敗の雪辱といえば雪辱だが、どうも私などには手ぬるく思われてもの足りない",
"うん、それはそうだ、予め敵に果し状をつきつけて正々堂々と相見えるというのでなくて、いわば奇策だ、自由党の策だからな",
"松方総理が演説でいった。日本の国務大臣はこんな妄漠たる事実で軽々しく進退するものでないと。実際ただ将来を戒めるというだけのあんな決議じゃ、政府にとって痛くも痒くもないわけだ",
"わしもそうは思ったが、しかし上奏案になると穏かならぬ点があることにわしも気がついた。上奏して聖徳をおどろかし奉るというのは、まことにおそれ多い。それでなくても陛下は開会以来日々の議事について御軫念になっていられるということだ。その日その日の議会の模様を宿直の侍従から奏上させるにあるということだ。政府の責任はどこまでも糾弾すべし、しかしそれには立憲的な方法がある"
],
[
"いったい、議会の開ける前は、収賄のことなどは誰しもみなこれを恥とした。それが今や誰も珍ともしなくなった。政府の不正も、もはや世人の耳に慣れっこになってしまったのだ",
"世のなかが文明になって、かえって堕落して来たのでしょうかね",
"例えば病気がふえたのと同じことです。医学の進歩によって病原を発見するのか、病原が増したか、どちらか知らんが、しかし病気の種類が多くなったからといって、病人を捨てておくわけにはゆかない"
],
[
"あなたの議会の演説に、北海道は盗賊の棲家だという言葉があったが、まだ病人なら医者にかければ癒しもできるが、盗賊が増えたのでは始末がわるい",
"私のしばしばの鉱毒の質問も泥田に棒を打つ如しだ。泥田にいくら棒を打っても跡かたないのと同じで、すこしも明瞭にならず判然ともしない。これこそ本当の泥棒だ。どこもかしこも泥棒の世の中だ"
],
[
"鉱毒といえば、横尾君らの仲裁会のことは御存じですか",
"こんどこちらへ帰ってはじめて知った"
],
[
"そうですか、相談も挨拶もなしですか。もっともなが年の同志を裏切るのに連中がいくら厚顔でも相談はできなかったのかもしれない",
"心の底まで鉱毒がまわって、銅臭芬々たる奴らのことはどうでもいい。だが、放っておいては被害地の人民が可哀そうだ。彼等は無知で愚昧なために、いいように籠絡されてしまいそうだ。いや、もうだいぶ瞞されてしまった様子だ。その証拠に、村々の知り合いの家を訪ねても私に対する態度がすっかり変ってしまった。隠しだてしている様子がありあり顔色に見える。私の顔をまともに見られない。突込んで聞こうとすると用事にかこつけて逃げ隠れてしまう。ろこつに私を邪魔もの扱いにするのもいる",
"まことに、あてにならぬのは人間の心です",
"銅山党の奴らの陰謀はたくみにたくらんだものだ。然し今度は図にあたるかも知れない。まず被害民たちに鉱毒を云々しないように目くされ金で猿ぐつわをはめ、やがて彼等の口から私の誹謗を放たせ、私にも猿ぐつわをはめようとかかるにちがいない"
],
[
"おや、もう帰京されたのですか、飛脚ですね",
"まったく、その飛脚の旅だった。なにしろ今日は尋常一様の場合でないから、われわれはわれわれなりに尽すことを尽さなければならない"
],
[
"いや、わしは諸君たちのような若い人たちがしっかりやって、これからの日本を改良し進歩させてくれるかと思うて頼母しくて仕方なく、失礼だが諸君の顔を眺めていたところだ",
"先生、そう僕らをおだてても今夜の御馳走はもうこれっきりです",
"いや冗談ではない。今後の日本は五六年前のように偽英雄とか小才子とかが世の中を掻廻した時代とはちがう。だいたい今の歳とった人たちは、なるほど経験はあるけれど、たとえば政治の方面にしても明治政府以来の新規にこしらえた政体というものの運営については、ごくいけない古臭い影ばかり残っている。政府のものにもこの弊が沢山あるし、在野のわれわれの頭もそれである",
"だが、僕たちはこれから勉強して世の中に立とうという書生ッポです",
"だからその勉強についても、ただ知識を取り入れるというだけでなく、しっかりした志をたててもらいたい。この志さえしっかり立ててかかれば、その専門とする学問はなに学でもよい。人間わずかな寿命のうちに専門学がいくらも修るものでない。今の学者といわれる連中だって、なにもそんなに沢山いろいろの学問を修得しているわけでない。一つでも一生懸命に修めてこれを仕上げさえすれば、社会改良の、また公徳の基礎となる。ところが日本の従来の風はなんでも十能六芸そろわなければ人間らしくないように思う。まず衆議院議員を見なさい。なんの種目にも口を出す。だから無責任になる。公徳をおおいに欠いている。世の中のことはテーブル論だけではいけない。よろしく実についてどこまでも格物致知の法をもって研究に研究して仕上げなければならぬ"
],
[
"日本はいま連戦連勝、この勢で押しすすめば、敵に城下のちかいを立てさせることもできます。日本の前途は洋々たるものだと思いますが……",
"君のいう通りで戦場からの快報で国民は有頂天だ。しかし、だからこそわしは戦勝って凱歌を奏すあかつきのことを心配するのだ。現在こそ国民の心が外敵にむいて一致しているが、また形の上では国に力がついて来ているが、精神の上立憲では昨日までのめちゃくちゃ主義のために蠱まれているから、これを反省せずに凱歌をあげた結果は上も下も高慢になり不遜になって、かえって国の維持が覚束ないことになると憂えるのだ。公徳欠乏の悪い結果はこの戦争の最中にも現れてくる。満州のような寒い所で、これからいよいよ寒気が厳しくなり兵隊が凍え死ぬばかりになって辛苦するという場合なのに、内地の将校のなかには腐った奴もいる、御用商人も腐っている、奴等が臭い、蔭でどんな悪事がたくまれているか、悪い予言はしたくないが、わしには目に見える気がする"
],
[
"いつものことで気の毒だが、また少々金を拝借したい。わしは今すかんぴんだ",
"長い旅ですものそれはそうでしょう。だが御用立はしますから、その話は後にしてまず一風呂あびていらっしゃい"
],
[
"わしは今度の旅行中も日本の兵がなぜ強いかということを考えてみたが、決して偶然でないことがわかった。それは新教育、小学校教育の力だという点だ。明治七年に教育令が敷かれて以来、だから、この新規の教育が成立ってまだ日が浅い。しかし今の兵隊の年齢は丁度、この小学課程を履んだ年齢である。即ち日本は丁年以上のものと丁年未満のものでは、ほとんど人種を異にし、国を異にするごとき有様で、しきりに新陳代謝がつづいているところである。もちろんこればかりでない、ほかにも重大な原因がある。古来から伝わる日本魂、すなわち国家思想、鎖国思想と勤皇と、これが深く志気を鼓舞している。また小が大に当るのであるから決するところがある、真剣である。これに反し敵は大をもって小に当るので心に侮がある。そのうえ彼の国を見ると国家思想に乏しくてただ封建的に君主を尊重するにすぎないから、君主その人が賢であるときは国が強いが、一旦君主が凡傭だとなれば士気はふるわない。日本のように上御一人に対して善悪みなこれを敬愛するのとは天壌の差だ。まして今日の支那は人心腐敗して大堕落のときに当り、従って兵式も不備だ。丁度こういうときに、わが長をもって彼の短を討つのだから、その結果は明らかだ",
"まったくそうです。今日ほど一人々々が国家の存亡を考えたことはなかったでしょう。みんな真剣です。それだけに敵愾心もたいへんなものです。この足利などでも無学な連中は実も蓋もなく支那が憎いので、孔子の廟まで祭らぬと騒いでいます",
"戦争の影響は実に思わぬところへ現れてくる。政治家というものは、この下情に注意しなければならぬのだが……支那は大堕落している、結果として敗けるだろう。だが、日本が凱歌を奏したあかつき支離滅裂になったらどういうことになる。しかもその杞憂は十分にある"
],
[
"この頃は御病気の方はどうですか、例のリウマチス、旅行中に起きませんでしたか",
"なに格別のことはなかった。この五月の議会の頃は、順天堂に入院していて議会に通ったが、やっと一二時間椅子にもたれているのがやっとだった。あそこは小中の篠崎医師がもと勤めていたところで、そんな関係で院長はじめ皆がよくしてくれる。病というやつは損は損だが、わしはかえって病を楽しみとする点がある。一年三百六十五日無病ですごすのも結構は結構だが、こころが外にのみ走って自ら顧る心がうすくなる。わしのような無学者は殊にその弊が多い。たまたま病があって床に就くと、閑日明月を得てこころが大いに広くなる。だからわしは体の病はそれほどでなくても、心の病を癒すために入院することもある。それに病院は都合のよい場合がある。入院しておれば会いたくない人間には会わずにすむ。この五月のときは、小金ヶ原開墾地の紛擾事件で農民諸君がボロをまとい蒼い顔して病院へ訴えに来た。こういう人たちにはよろこんで会う。開墾すれば土地はお前らにやるからといって、明治初年から開墾させたものを、全部とりあげてある会社へくれてしまった。話を聞くと実に気の毒で黙ってはおれないから、議会にでて例の北海道炭鉱鉄道の件とともにこれを質問した",
"こんどの広島の議会ではなにか……"
],
[
"示談の成った地方じゃ、村長だとか総代だとかが、仲裁会の委員に感謝まで送ったというじゃありませんか。昨年の夏も秋も、伯父さんは被害地の村々を廻って警告して歩いても、自分の苦言に耳を傾けるものがないといってみえたでしょう",
"そうだ、姑息な示談などで泣寝入りしては破滅だと、わしが熱心に説けば説くほど疎ぜられたり嫌われたりした"
],
[
"それもそのはずです。実はいうに堪えぬような中傷がいいふらされていますよ。わざわざ私に教えに来てくれた人があります。田中はなかなかの狸だ。陽に陸奥や古河を攻撃しつつ、蔭に廻って党員の地方有力者に市兵衛から十万円の金をひきださせ、被害民にも与えたが、自分もまたあたたまった。それで地方政党の拡張を助け、それで選挙民の歓心を買った。田中は実に狸だ……",
"そのことならわしも聞いた。そういう風聞の立つのもわしの不徳で、田中はそれだけの男だから仕方がないが、被害民に対する攻撃はもっとひどい。鉱毒の被害などといって騒ぐが実は大したことではない。仰々しくいうのは要するに農民自身が金をせしめんためだ。農民は正直だというが、農民ほどこすっからいものはない。――こうだ。愚直な彼等が欺かれて金をとって、祖先伝来の田畑を荒亡されて、この汚名だ"
],
[
"今年の正月のいく日だったか、なんでも暮の三十日に解散があって間もなくのことだ。選挙の準備といってもまるきり運動費のあてがない、ひどい貧窮で帰郷しようにもうごくことができない。川上保太郎と膝をつき合せてどうしたものだろうと思案なげ首でいると、そこへわしにといって一対の金包を届けた奴がある。川上が玄関からそれを持って来てどうしましょうというから、わしは断然突ッ返させた。あとで川上が残念そうに、なぜ受取らなかったかと追求するから、不潔な金は受取れぬじゃないか、檜山を訪ねれば金の出所もわかるだろうといっておいたが",
"檜山六三郎から届けてきたのですか",
"川上が檜山に会ったら、田中さんは軍費を調達されたはずだといっとったそうだ。古河の細工はそんな工合だ",
"それで中傷の根拠がわかりました。買収に失敗したので逆に流言を放ったのですね"
],
[
"源八さん、川床が非常に高くなったようだが……",
"そうさね、年々の洪水で高くなるばかりだ。この間、前庭の地面を掘ってみたら二三寸の厚さに何段にも層になっていた。洪水の度ごとにそれだけずつおいていったわけです。そんな工合だから川床の方は一度の洪水で五寸も一尺も高くなるにきまっている",
"ふん、ふん、それにちがいない。古河の奴、七千町歩という山林を濫伐しておきながら、またこの戦争のどさくさにまぎれて銅山の周囲の山々の盗伐をやっておるということだ。そのうえ銅山製煉所の煙害というものが近隣一帯の山林を枯らす。あの山辺へ登って見ると、数里の間は西も東も目に見える限りが禿山になっている。いかに悪事でも噂だけで人は責められんから、わしは人を調べにやった。実地を見てきたものの報告がその通りだ。煙の中に一種の灰が混っていて、この灰が触れると忽ち葉が枯れる。木ばかりではない、笹も草も苔まで枯れてしまった。それでは山の土石が崩れるにきまっている。山林が密生しておって、木の根が棕梠の皮のように絡んでいるからこそ、土砂岩石の崩れようとするものも固く支えているわけだが"
],
[
"暗い晩で、顔はわからなかったそうですが、隣りの者が巡査を呼びにいって、巡査が立会って傷の模様はよく調べて行ったそうです",
"それならば、警察でどう処置をつけてくれるか、ウヤムヤにならぬようによく監視していなければならぬ。あんた方も他所事と思わず、兄弟のことだと思って助けてやって下さい。そうして、そんな乱暴が跡をたたぬようなら、事情を細かく書面に認めて県庁へ訴え出るようにしなさい。県庁で駄目なようなら直接内務省へ送り届けなさい"
],
[
"確かに水勢が速くなりました。昔は足尾、庚申、古峰ヶ原といった山々に大雨があってから、この辺に洪水の寄せてくるのは一昼夜かかったといいますが、この頃は六時間で来るようです。水源地方と途中の両岸の草木が枯れて障るものがなくなったのと、土砂で川床が埋ったせいだと思います",
"なるほど、堤防が切れるわけだ。川下で水防の準備もできないうちに水が一時にやってくる。コップの水でも、一時にぐッと飲めば咽せるのと同じ理窟だ"
],
[
"そういえば、それにちがいないが、しかし……",
"わしは議員として務をしているときは国会議員だが、こうして村にいれば、村人と変りない。諸君たちもまたわしと何等異るところはないはずだ"
],
[
"あの手紙に、お父さんの許可を得たと書いてあったが、お父さんは快く承知して下さったのかね",
"はい、はじめは貴様のような青二才がいくら地団駄をふんで見たところが、どうすることができるもんか。そういって取り合ってくれませんでしたが、私が熱心に頼みましたもので、それほどに思い詰めたもんならやって見ろと、許してくれました",
"そうか、君はいいお父さんを持った。それならもう心おきなく活動ができるわけだ"
],
[
"たいした気勢だ、すこし煽動しようものなら、蓆旗を押したてそうな勢じゃないか",
"そうさ、あの熱と気合になら、衆人も動く"
],
[
"それまでここで野宿しろというのか",
"残してきた妻子が餓死する。そんなのんきなことがしていられるか",
"みんな腹が減っているんだ。役所から昼飯を出してもらってくれ",
"このまま帰ったところでどうせ餓死だ。どこで餓死するも同じことだ。大臣に会うまで一足もここを退くな"
],
[
"築地の本願寺を借りて一泊させることになったから、すぐそちらへ行くがいい。もちろんお前たちの総代とも相談した結果だ",
"いや、いや。そんな言葉に偽されるな。総代の帰ってくるまでは断じてここを動くな"
],
[
"われわれの行動が非立憲的だぐらいのことは、お話をきくまでもなくよく承知しています。御言葉のように、われわれは書面でも何度請願したか知れないのです",
"この問題はあなたが何も知らずにおっしゃるような、そんな生やさしい問題ではありません。立憲的でないのは郡役所です。県庁です。農商務省です",
"大勢が一度には大臣に面会できない。それも判っています。面会のことは総代を選んで委せることになるでしょう。だが、その結果を見届けないうちは、誰一人として帰国するものなどおりません"
],
[
"なるほど人数は五十六人で多いようでありますが、鉱毒の範囲はすこぶる広くて村々で被害の有様も違っております。ぜひとも一人々々に陳情させていただかなければ、被害地の実情を十分に御了解願えないのでございます",
"では、ともかくも前の方から順に申上げてみるがよろしかろう"
],
[
"ともかく、前に申したように目下除害方法の攻究中であるのだから、中止処分ということも速答はしかねる。しかし、私がこうして現下の情況をきいた上は、決して等閑には致さない。出来るだけ速かに相当の処分をすることに致します。諸君は政府を信頼されたい。なお諸君に於かれても、今後は何度でも当省に出頭して督促されるがよい。それはいっこうに差支えない。私もできるだけ何度でも諸君と面会するようにするつもりである",
"閣下はさきほど被害の大なることは認めていると申されましたが、鉱業中止の御決断がつかぬのは、失礼ながらまだ被害地の実地を御らんにならぬからだと思います。ともかくも塗炭の苦しみをしている人民が十万もあるのに、大臣が御巡視もなさらぬのは不親切としか思われません"
],
[
"なアに、私は御承知の通りの無学で、べつに学問やなにかで錬りあげた考えがあるわけでなし、名などはつけるに及ばない。わしのはいわば郷党一千余年の歴史が自然に作りあげた気風人情そのままで、思想などとしかつめらしくいうほどのものではありません",
"価値の問題はともかくとして、あなたの言行の規準であると同時に、人格的表現として他の者に多くの影響を与えている。だとすれば、あなた自身には用はなくともやはり名をつけておいて無用でない"
],
[
"社会という文字をつけるのはいかん。なにか社会主義の一種かと混同されるおそれがある",
"いや、なにも社会という文字は社会主義にのみ用いるものとは限らない。社会主義と社会政策とはちがうのだし、まして勤皇といっているのに危険思想と混同するやつもあるまい"
],
[
"二十六日の質問演説は、速記録を読んで私もその熱心に感じ入りました。決して疎略にしているのではない。内務省と交渉中であるから、多分明日頃答弁の運びになるだろうと思います",
"いや明日、いや明後日、などと延期してはいけない。明日なら明日、明後日なら明後日と正しくしておきたい。その時にはやはり大臣も出て来るのがよろしい。ただ速記録を見ればよろしいというものではない。速記録は翌日でなければ見ることができない。どうも三十五番の留守を付けこんでやりそうな風があるから、これをつきとめておくのである"
],
[
"こら、こういう所で政談演説などしてはいかん",
"なぜ、こういう場所ではいけないんです?",
"届出がしてないだろう",
"馬鹿なことをいい給うな。政談演説などとは君のこじつけだ"
],
[
"さすがに早いものだ。もうそんな報告があったのか",
"群馬県からの報告によると、津田仙等が谷干城の偽物をつれて来て被害民を煽動したので、ために被害民は不穏の形勢を呈せりとある。私は多年の交友で津田君の人と為りはよく知っている。この報告は、無論なにかの間違いだと思ったが……"
],
[
"明朝、貴族院で谷さんと落ち合って、それから同道でお訪ねしよう",
"それでは午前九時に、貴族院の大臣室でお待ちしている。他の大臣たちが来ない前の方がよいと思う"
],
[
"いや、決して逃げ隠れはしません。この場ですぐ繩にかかりましょう",
"逃げないという貴方を縛る必要もないが、これも掟だからやむを得ない"
],
[
"その方は、高瀬仁之助という人を知っているか",
"存じません",
"知らぬ人が差入れをするはずがあるか、よく考えて見ろ"
],
[
"そんなその場のがれは承知できぬ。われわれは即答がききたい",
"あとで返事のできるものなら、この場でできぬはずはない"
],
[
"のんきな顔をしている場合じゃない。十万人の人民が餓死しかけているんだ",
"解決の道は簡単だ。鉱業停止、嫌だといってもそれ以外に方法はない"
],
[
"諸君、いま警官が二三十人で駆けてくる",
"よし、このくらい言えば多少は胆に銘じただろう"
],
[
"大隈閣下が君等などに面会するはずがない",
"議論は無用だ。とにかく、外務省までついてこい"
],
[
"いつだったか大隈伯が鉱毒に不熱心だといって、田中君が鉱毒の土を新聞紙につつんできて、庭の盆栽にぶちまけたので、さすがの大隈伯も弱ったという話をきいたが",
"そうそう、あの盆栽はやはり枯れてしまったそうだ"
],
[
"先刻も申し上げたように、命令書に被害民の損害賠償について一言も触れていないのはどうしたことです? その方法については、われわれも意見を建議しようと考えているのですが",
"それは司法上のことであるから、民法その他の規定に従って賠償せしめるよりほかはない。政府が賠償金の命令まで下すわけにはいかんよ",
"では、被害民の衛生を保護することについては、どういう処置を採られるお考えですか",
"その点は、内務省や地方庁の方で十分することと思うから心配せんでよかろう。もっとも当局を督励するのは諸君の権利だから、遠慮なくやってもらってかまわん"
],
[
"なぜなら、われわれの運動中にも予防工事の効果があらわれて、鉱毒の害がなくなれば、もちろんこれに越したことはない。われわれは最初からそれが目的なのだから、そのときは潔く運動をやめればよい。これに反し、ここでこの運動を中止してしまえばどうか。予防工事の効果がなかったからといっても、今日これだけ国民の共鳴を得た運動は、もう二度と起せるものでない。鉄は赤いうちに鍛えよ。冷えてしまったらどうにもならん。そのときにいたっていかに騒いでみても、被害民は、鉱毒の国土とともに、憤死し滅亡するよりほかはないだろう。それ故、われわれはこのまま燃えつづけねばならない。どこまでもこの運動を継続し、幸に予防工事の効果があらわれたら、わしはあまんじて、野心家、騒擾を好む者、先見の明のない愚物、なんとでも世の謗を受けよう",
"はア……"
],
[
"一銭一厘でも金をとれば、結局古河の横暴に屈服しなければならぬ。先年末被害地で行われた例の示談契約の轍をまた踏むことになる。金をとることは大悪道地獄におちることですぞ。しかも被害民を現実の地獄におとし入れる",
"それはよくわかっています",
"それに、ただ賠償金だけでは、決して真の救済にはならない。例えば今度政府が減免租の処置をとることになったのは、甚だ当然。が、これで土地が回復すると思ったら大間違い。いつも申すように、普通の無毒の土砂が侵入した土地なら、高くなったところは林なり畑なりにすることができます。一朝にして湖になったところも、それはそれなりに魚の繁殖池となるわけです。ところが毒土の混入した所は、これを全部取り除かねば、いつになっても復旧はしない。被害民はこの毒土の中に住居しています。毒水をのまされ、毒飯を食わされているから、最近の状態は体にこの害を非常に受けて来ています。それで過日も被害地復旧の請願を出したのですが、この請願には、当然衛生保護を請願する意味も含まれている。然しいくら毒土を政府の力で取り除いてくれても、また銅山から流して寄こせば同じことだ。われわれはさんざん瞞されて来た。予防工事といったところが、効力があるかないかしれたものでない。効果があれば勿論、それに越したことはないし、そのときは、私もよろこんでその日からでも運動を止めます。だが、現在では私は、其の救済は鉱業停止以外にないと思っている"
],
[
"まア、先生もずいぶんです",
"いや、いや、わしのことだよ。少々の病気にへこたれているようでは、全くしおれ花だ"
],
[
"声立てよ、鳴呼関東は不幸なり",
"国民は法律師の奴隷たるべからず。被害民は被害地を指して、我は此の国土の所有主たることを忘るべからず"
],
[
"私たちが早川田を出発するときには一万千余人という人数でした。それが途中警官に嚇かされて追い帰されたり、渡し舟を隠されたりして、やっと利根川を渡れたのが半分です。その半分のうちからも途々の虐待に堪えかねて止むなく帰村した者が多く、残った私たちは仕方なく道を変えて、昨夜は越ヶ谷付近で野宿したのです",
"いや本当に御苦労だった。見れば誰も彼も疲れきっているようだ。どんなにか辛かったことだろう"
],
[
"それや委員の罪でないぞ。政府が冷淡だからだ",
"そうだ、政府の態度はこの鉱毒地といっしょに死ねというようなものだ",
"どうせ死ぬならどこで死ぬも同じだ。もう一度農商務省へ迫って農商務省の門前で死ぬべし"
],
[
"そうだとも、事実だから乱暴を訴えているのだ",
"誰が有りもしないことをいうものか"
],
[
"先生は一歩まちがったら、被害民に首を取られますよ",
"いや、まちがいない"
],
[
"でも万一やりそこねたら……",
"いや、そこねぬ"
],
[
"そうです。そうです。一つ私たちで探索してみます",
"本当なら、そんなことは政府で取締らねばならんのだが、こっちでやるより仕方がない。このあいだも勝安房翁のところで話したことだが、むかしは人民を取締るのは政府だった。ところが、今は人民が政府を取締るのさ。だから今の政治は気楽なものだ。人民に取締らせて安閑としている",
"さしずめ先生など警視総監というところですね"
],
[
"いや、わかった。わかった",
"そんなふうにすべて解釈を誤られるので困る。それも要するに本当の事情を御存じないからだ。どんなに鉱毒の被害が惨憺たるもので、どんなに被害民が困窮しているか、ひとつ実地を見てやってもらいたい。べつに五十里も七百里もへだたった遠方というのではない。日帰りでも行って来られるところです。どうも私が不思議千万に思うのは、南の方へはヤレ鎌倉、ヤレ大磯、ヤレ小田原と大臣諸君もよく足がむくようだが、いっこうに人民被害のために足をむける者がない"
],
[
"発言を許しませぬ",
"議長は政府委員に許している。どちらが嘘を吐くか、速記録について質問を出すのだ。席におらないときにいい加減のことをいう、乱暴狼藉の話だ",
"田中正造君に退場を命じます。田中君に退場を命じます",
"退場、よろしい。至極結構でございます。退場します"
],
[
"われわれ議員を悪漢同様にいう。議長はなぜこんな無礼を咎めないのだ",
"席へお帰りなさい",
"なぜ無礼を咎めない。なぜ無礼を……"
],
[
"はやく引きずりだせ",
"議員に対し、引きずりだせとは何事だ"
],
[
"いや、言責はどこまでも重んじなければならぬ。まして神聖な議場で政府の不正をただしたあの言葉には、重大な責任がある。無論反対する以上はその覚悟だから、それはいい。ただ、わしはこれがために再び議員として立つことができなくなるかもしれぬ",
"そんなことがあるものですか、郷党の人たちは、どこまでも先生を支持するにちがいありません",
"人心というものはそうでない。必ず人はわしを馬鹿と呼び、わしを離れてゆく。わしが窮境に陥ることは目に見えている。人はわしが二千円を捨てたことだけを見て、国家に警告を与えたことが、国家の歳出に直接どれだけ節約になるか、その辺のことは解しないだろう。そのうえ人心の腐敗をいくぶんでも矯正することなど、その利挙げて数うべからざるほどだが、恐らくは気がつくまい"
],
[
"お前には、もう今日かぎり手紙は書かせんぞ",
"なぜですか。どうしていけないのですか"
],
[
"それは担当さん、あなたの目からは気楽な手紙と見えるかも知れませんが、私にとっては、実に事件の成行より大事な、一生懸命の手紙です",
"じゃ貴様は、罪が三年になろうが五年になろうが、かまわんというのか"
],
[
"公判廷でそんな振舞はつつしまねばいかん。傍聴人は静粛謹慎にしておらねばならぬくらいのことは心得ているだろう",
"はい、はい"
],
[
"それはよろしくない。そんなことをしていたら、酒のためにからだを毀してしまう。あなたはいま、この事件について大勢の利害を一身に背負っている中心人物ではないか。その根幹たるあなたが、自分の慾望に勝てないようなことでは仕方がない。酒は断然おやめなさい",
"いや、からだは問題ではないです。いま私は、脳が悪くて困るとか、寝られないで困るとかいったが、それはただ私事で、自分のからだなどもとより憎むところでない"
],
[
"それはつまり同じことだ。事業は人がなす。本当の事業というものは人間と仕事が表裏一体をなす。故に事業に同情するのは、同時にその人に同情するのである。……まア、そんな議論はとにかく、酒はおやめなさい",
"正造に同情してもらったところで、そんな同情はうれしくもなんともない"
],
[
"神を信じて組織せる国なり",
"北清に我が軍分捕せぬは、陛下の御徳を表すべし。国民の気質を表するに足る。上と下とは忠実なり。家にあっても外にあっても忠実なり。行政官は国費を濫用し、及び分捕す。外に分捕せぬは、未だ勢力の至らざるものか。否、軍人の正直なるがためなり。内を見よ。人を殺すもの従五位となる。国土を守る忠義は獄にあり。請願者を獄に下し、請願の事件は放棄し、被害人は獄に下し、加害人は跋扈せしめ、而も請願事項は其の儘放棄せり"
],
[
"憲法なきときは、帝は敬すること神の如し。今憲法できてより、尊厳を失うことあらば奈何。憲法は古来以前の尊崇を保たんためなり。人民は以前にもなき難有権利と義務との区別を判明にしたり。中央の政府は権限を守るに過ぎざるに、今や然らず、上下を掠めて、中央独り権威を専らにせり",
"被害民等、金がなければ、裁判を受けることもできぬ",
"司法は腐敗せざるも、行政が事件の根本を製造するものなれば、行政は加害者の贈与せる悪金のために働き、悪人のために動き、其の結果裁判沙汰となる。司法の独立危し",
"維新の創業は陛下の御名にあり。今や奸臣道に横わりて御名を濫用し、御名を以て国家を亡滅するに用ゆ。終に多くの国費を乱用するに至る"
],
[
"なんの、なんの、みんな三期の毒野です",
"三期と申しますと?",
"いま申した穀物の収穫のあった時代を一期とすれば、収穫がなくなって畑には桑を、田には柳を植えた時代が二期、その桑も柳も枯れてしまうので葭原にしたのが即ち三期です。葭なら水陸ともに育つ、屋根や簾の材料に売れるからと思って植えたのですが、育つは育っても性が弱いから、今では焚付けにするより仕方がない。若い者は田畑の値を知らぬという憐れなありさまです。いや、渡良瀬沿岸何十里が、放っておけばもう十年で全部こうなってしまうのです"
],
[
"息子さんはどうしました? また嫁さんは……",
"伜は、家で食べられないものですから、北郷へ日雇取りに参りまして、初めのうちは月々四五十銭ぐらいは送って来ましたが、この三四カ月はちっとも送ってよこしません。嫁は古河の里へ預けてあります"
],
[
"年齢身分職業住所等は、さきに臨検地において申し立てたと同一であるか",
"そうです",
"野口春蔵外四十九名とその後親族雇人同居等の関係を発生しなかったか",
"何等関係を生じません",
"しからば、本件について提出してある鑑定書中不明の点を説明させるから、公平且つ誠実に申し立てねばならぬ",
"はい"
],
[
"農業経済上毒土を蒙りいる以上は収支償わずというのは、どうして認定したのか",
"まず毒土を除去しなければなりません。これを除去するには非常の労力と莫大な費用とを要し、且つ多量に肥料を施して栽培するのでは、到底利益のないことは明らかです。我が国今日の経済上より打算したのです",
"臨検地の収穫が減少するに至った原因は、怠農の結果と認めることはできないか",
"認めることはできません。悪質土はどんなに手入をなしても栽培の力がありません。故に臨検地においては土全体を変更しなければ、原状に恢復することは難しいのです",
"それならば収穫の減少は、まったく銅の毒なりと断言することができるか",
"おもに銅の毒であると信じます",
"世間には染色の毒だというものがあるが、足利、桐生等の染色が有害なことを発見しなかったか",
"さようなことはありません。現に京都西陣などは水藍を灌漑して使用しておりますが、まだ嘗て害のあることを聞きません",
"鑑定書の結論によると、毒土を他に搬出しなければ、倒底その地力を恢復し得ないようだが、さようか",
"そうです"
],
[
"いいえ、……なにもいいません。なにか御用事かと思って来たんですが遠方ですし、私もう帰らしてもらいますわ",
"まだそう遅くない。まだいいだろう。もう少しいなさい"
],
[
"御無事でなによりでございました",
"ほんとうにどうなることかと思いました"
]
] | 底本:「渡良瀬川」新泉社
1972(昭和47)年7月1日第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「簑笠」と「蓑笠」、「雲龍寺」と「雲竜寺」、「汎濫」と「氾濫」、「我我」と「我々」、「頓着」と「頓著」の混在は底本通りです。
※誤植を疑った箇所を、「渡良瀬川」講談社、1970(昭和45)年12月20日第1刷発行の表記にそって、あらためました。
入力:林 幸雄
校正:富田晶子
ファイル作成:
2016年7月19日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "051155",
"作品名": "渡良瀬川",
"作品名読み": "わたらせがわ",
"ソート用読み": "わたらせかわ",
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"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2016-08-25T00:00:00",
"最終更新日": "2016-07-27T00:00:00",
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"人物ID": "001476",
"姓": "大鹿",
"名": "卓",
"姓読み": "おおしか",
"名読み": "たく",
"姓読みソート用": "おおしか",
"名読みソート用": "たく",
"姓ローマ字": "Oshika",
"名ローマ字": "Taku",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1898-08-25",
"没年月日": "1959-02-01",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "渡良瀬川",
"底本出版社名1": "新泉社",
"底本初版発行年1": "1972(昭和47)年7月1日",
"入力に使用した版1": "1972(昭和47)年7月1日第1刷",
"校正に使用した版1": "1972(昭和47)年7月1日第1刷",
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"入力者": "林幸雄",
"校正者": "富田晶子",
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"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"私は、女より金魚の方が美しいと思うんですよ。あなたは庭で老人と立話しをしたつていいましたね。その時金魚は、どんな恰好してました?",
"さア、とくに注意して見たわけじやありませんからね。しかし美しい金魚だとは思いましたよ。ひらひら游いでいましてね",
"そうでしような。私もそれは見たかつたですよ"
],
[
"あなたは五月五日の夜夕方から十二時頃まで、どこにいましたか",
"べつにどこへも行きませんわ。ちやんと自分のうち、青流亭のお帳場にいましたよ",
"ちがうでしよう。女中から板前まで調べてある。夕方出かけて、十二時ごろ、タクシーで帰つたことがわかつている",
"おやおや、たいそうくわしいんですこと。――じや、申しますわ。あたしは女手一つで、青流亭を切廻していますからね、人には言えぬ苦労もあるんですよ。ハッキリいうと、パトロンがあります。その、パトロンのところへ行つていたんですわ",
"パトロンというのが、殺された刈谷音吉じやないですか。こちらはあなたがあの老人のところへ、月に一回か二回、夜になつてから行くということをちやんと確かめてあるのですが",
"いやらしいこと、おつしやらないで下さい。刈谷さんは知つています。昔からの知合です。でも、あんなケチンボでへんくつな男に、どうして世話になんかなるものですか",
"すると刈谷老人のところへ月に一回か二回行く、その用件は何ですか",
"用件は……それは申せませんわ。ぜつたいにあたし、申しませんから"
],
[
"工場でやるメッキは、どんな種類のものですか",
"なんでもやります。小さなものでも大きなものでも",
"技術はとくに優秀だそうですね。むろん、電気メッキもやるのでしような",
"やりますよ",
"メッキの薬品は、どんなものを使いますか",
"いろいろですね。金銀、ニッケルやコバルトなどの化合物、そして酸やアルカリです",
"真鍮もやるのでしよう",
"ええ、もちろん……",
"その真鍮と銀のメッキではとくにどんな薬品を使いますか"
],
[
"刈谷老人が殺されたことは知つているね",
"知つてますよ。いい気味でさ",
"おどろいたな。よつぽど憎んでいたと見えるね",
"そりや私は、ひどい目にあつているんですから――あのおやじくらい、ごうつくばりでケチンボで、人情なしの野郎はないですよ。あいつは税金がかかるから、表向きの金貸しをやめたが、相変らずもぐりの金貸しでした。多分、一億や二億の金はためていたと思うですが、これをまた、銀行にも預けず、株券にもせず、どこかにかくして持つていやがつたにちがいないです。殺されたあとで、家の中から、札束の山が出たんでしようね",
"ちがうよ。何も出ない。その点はこつちでも不思議に思つているくらいだ。何か知つていることはないのかい",
"さア、財産をどう処分していやがつたか、そいつは私にやわかりませんや。が、ともかくたいへんなおやじでした。こないだ、ひよつくりきましてね。私の利息がたまつている。利息の一部としてなるつたけ上等の金魚をもつてこいつて、いやがるんです。私は、癪だから、三匹でせいぜい五千円というランチュウを、三万円だとふつかけて持つて行つたんですが……",
"老人は金魚が好きだつたのかね",
"どうですかね。あんまり好きでもなかつたでしよう。しかし、行つてみると、尺五寸ほどの瀬戸の鉢が、庭の土にいけてあつて、その鉢は、からつぽだけれど、水だけはつてあるし、ぐるりに、白い砂をきれいにまいてあつて、かなり大切にして金魚を飼うつもりだつてことはわかりました。なんでも、生き物というものは、一度もまだ飼つたことがない、この金魚がはじめて飼う生き物だなんていいましてね。私は、これじやいけない。雨水がはいらないようにしたり、日よけも作り、猫の用心で、金網もあつた方がいいつてこと、注意しておいてやつたんですが、どうしました、あの金魚は、まだ元気ですか",
"元気じやないよ。老人といつしよに死んでしまつた。老人が口から吐きだした青酸加里で死んだのさ",
"あんれま、もつてえねえことしましたね。それじや、あの金魚は私が持つて行つてから、まる一日とたたねえうちに、死んでしまつたことになりますね",
"まる一日……というと、金魚をもつて行つたのはいつのことだね",
"五月五日の朝のうちですよ。金魚をよこせといつてきたのが、その前の日の夕方でしてね。どうしてだか、ひどくいそいでもつてこいつていうんでした。あいにくと、私のところには、利息代りになるほど金魚がいねえ。同業のところへ行つて、そこから持つていかなくちやならねえから、二日ばかり待つてくれといつたんですが、どうでも、いそいでもつてこいつていうんです。五月五日は、お節句で子供の日でしよう。ちよつとしたあてこみの日で、私は公園の方へ商売に行くつもりだつたんですが、しかたがない、方角ちがいのおやじのところへ、あのランチュウを持つて行つたというわけでさ"
],
[
"どうだつた? 何か掴んだかね",
"はァ、ちよつとした筋でして……",
"ふーん、どんなこと?",
"刈谷音吉は、最近のことだが、だいぶたくさんに金塊を買いこんでいたそうですよ。古い小判などもあるそうで、これは地金屋からの聞込みですが",
"そうかい。そいつは初耳だな。よしきた。その件もなお念入りに洗つてみろ。それから君には、金魚屋とパチンコ屋のことを調べてきてもらいたいんだがね"
],
[
"ばかだな。死ぬ前に、生きていたのはあたりまえだろう",
"ええ……そうですね。それはたしかに、あたりまえですが……その生きていた時には、元気にひらひら游いでいたといいましたから……",
"ちよッ! なにいつてるんだ。ものが金魚だろう。生きていたら、ひらひら游ぐのだつてあたりまえだぞ。それともランチュウつてやつは、游がずに、しやつちよこ立ちでもしているのかな",
"あッ、そうか、それも……そうでした。ランチュウは頭が重いせいか、游ぎながらでも、しやつちよこ立ちになることが多いんですよ。――ええと、しかし、へんですねえ",
"どうも困つた男だな。いつたい何がどうしたというんだね",
"そうでした。すみません。わけをハッキリと話さなくちやいけなかつたんです。実は、この事件の発見者は、島本守という若いお医者さんでしたね",
"そうだよ。そのとおりだよ",
"ところが、その島本が、私に、金魚はひらひらしていて美しかつたといつたんですよ。――いや、そんなふうにいつたのじや、わかりませんね。事件現場での話です。私は、金魚のことばかり気にしていました。それから島本に、生きていた時の金魚はどんなだかつて聞いたんです。島本は、ぼたんの鉢を老人のところへ持つてきて、庭で老人と立話をしたというのですから、その時に、金魚を見たはずだと思つたからです。果して島本は、とくに注意はしなかつたけれど、金魚を見たつていいました。そして、ひらひらしていて美しかつた、といつたんです",
"わかつたよ。わかつたが、それがどうしたんだね"
],
[
"でしよう? かんちがい、ということもあります。しかし全然いなかつたものを見たというのは……",
"大至急あのお医者さんを洗おうじやないか。何か出るよ。すぐとなりに住んでいるのだ。しかも医者だ。毒物の知識もあるはずだし、青酸加里だつて入手できるのだろう。……よし! やれ! パチンコ屋なんか、あとまわしでいい!"
],
[
"あとでよくわかつたんだが、私もおどろきましたね",
"ふーん、何をだね",
"この私にまで嫌疑をかけていたんじやねえですかい。とんでもねえことですよ。私はあのおやじを憎んでいたにや憎んでいた。しかし、殺すのだつたら、青酸加里なんてやさしい殺し方はしませんよ。てんびん棒かなんかで、殴り殺しにでもしなきや、腹の虫がいえねえんですからね――。が、まア、殺されやがつて、天罰というところでしよう。ありがてえと思います。旦那にも、お礼を言いてえと思いましてね",
"冗談じやないぜ。それじやまるで、ぼくが刈谷を、殺してやつたというふうに聞えるじやないか",
"ああ、そうか。こいつは私の言いそこないだ。が、ともかく、お礼のつもりで、いいものを持つてきましたよ。旦那は金魚が好きだそうですね。ランチュウの子がありまして、こいつは、うまく育てりや、大したものになるでしよう。いえ値段はいいです。さしあげるんですよ。餌は、当分のうち、卵の黄身にしてください。青酸加里だけは、禁物ということにしましてね"
]
] | 底本:「宝石九月号」岩谷書店
1954(昭和29)年9月1日発行
初出:「宝石九月号」岩谷書店
1954(昭和29)年9月1日発行
※底本は新字新仮名づかいです。なお平仮名の拗音、促音が並につくられているのは、底本通りです。
入力:sogo
校正:大野裕
2017年6月25日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "057901",
"作品名": "金魚は死んでいた",
"作品名読み": "きんぎょはしんでいた",
"ソート用読み": "きんきよはしんていた",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「宝石九月号」岩谷書店、1954(昭和29)年9月1日",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2017-08-11T00:00:00",
"最終更新日": "2017-07-17T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001872/card57901.html",
"人物ID": "001872",
"姓": "大下",
"名": "宇陀児",
"姓読み": "おおした",
"名読み": "うだる",
"姓読みソート用": "おおした",
"名読みソート用": "うたる",
"姓ローマ字": "Oshita",
"名ローマ字": "Udaru",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1896-11-15",
"没年月日": "1966-08-11",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "宝石九月号",
"底本出版社名1": "岩谷書店",
"底本初版発行年1": "1954(昭和29)年9月1日",
"入力に使用した版1": "1954(昭和29)年9月1日",
"校正に使用した版1": "1954(昭和29)年9月1日",
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"底本の親本初版発行年2": "",
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"テキストファイル最終更新日": "2017-06-25T00:00:00",
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"XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2017-06-25T00:00:00",
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"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"それは山へなんか登ろうって奴の当然出っくわす運命さ。",
"うん、そうか、それじぁ山へ登ろうって奴はみんなその運命にいつかは出っくわすんだね。",
"そうじぁないよ。みんなとはかぎりゃしないさ。運のいい奴はそれにであわなくってすんじまうよ。それから山へ登る奴だって、そんな運命なんかに全然逢着ないように登ってる奴もあるもの。",
"じぁその逢着ような奴っていうのはどんな奴さ。"
]
] | 底本:「山の旅 大正・昭和篇」岩波文庫、岩波書店
2003(平成15)年11月14日第1刷発行
2007(平成19)年8月6日第5刷発行
底本の親本:「登高行 第五年」
1924(大正13)年12月
初出:「登高行 第五年」
1924(大正13)年12月
入力:川山隆
校正:門田裕志
2009年6月21日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "049595",
"作品名": "涸沢の岩小屋のある夜のこと",
"作品名読み": "からさわのいわごやのあるよのこと",
"ソート用読み": "からさわのいわこやのあるよのこと",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「登高行 第五年」1924(大正13)年12月",
"分類番号": "NDC 786",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2009-07-27T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-21T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000863/card49595.html",
"人物ID": "000863",
"姓": "大島",
"名": "亮吉",
"姓読み": "おおしま",
"名読み": "りょうきち",
"姓読みソート用": "おおしま",
"名読みソート用": "りようきち",
"姓ローマ字": "Oshima",
"名ローマ字": "Ryokichi",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1899-09-04",
"没年月日": "1928-03-25",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "山の旅 大正・昭和篇",
"底本出版社名1": "岩波文庫、岩波書店",
"底本初版発行年1": "2003(平成15)年11月14日",
"入力に使用した版1": "2007(平成19)年8月6日第5刷",
"校正に使用した版1": "2007(平成19)年8月6日第5刷",
"底本の親本名1": "登高行 第五年",
"底本の親本出版社名1": " ",
"底本の親本初版発行年1": "1924(大正13)年12月",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
"入力に使用した版2": "",
"校正に使用した版2": "",
"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "川山隆",
"校正者": "門田裕志",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000863/files/49595_ruby_35238.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2009-06-21T00:00:00",
"テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"テキストファイル文字集合": "JIS X 0208",
"テキストファイル修正回数": "0",
"XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000863/files/49595_35558.html",
"XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2009-06-21T00:00:00",
"XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"主人の数は少ない。俺達の数は多い。多勢に無勢だ。俺達がみんな一緒になって行けば、一撃の下に、あの鍵を奪い返すことができる。",
"しかし正義と平和とを主張する俺達は、暴力は慎まなければならぬ。平和の手段で行かなければならぬ。しかもそれで容易くやれる方法があるんだ。",
"俺達は毎年一度、俺達の代表者を主人のところへ出して、俺達の生活の万事万端をきめている。今でこそ、あの会議に列なる奴等はみんな主人側の代表者だが、これからは俺達の方の本当の代表者を出すことに勉めて、あの会議の多数党となって、そうして俺達の思うままに議決をすればいいんだ。",
"みんなは黙って鎖を造っていればいい。鎖をまきつけていればいい。そしてただ、数年日に来る代表者改選の時に、俺達の方の代表者に投票をすればいいんだ。",
"俺達の代表者は、だんだん俺達の鎖をゆるめてくれると同時に、最後に、俺達の胃の腑の鍵を主人の手から奪い取ってしまう。そして俺達は、この鎖を俺達の代表者の手にあずけたまま、俺達の理想する新しい組織、新しい制度の工場にはいるんだ。"
]
] | 底本:「全集・現代文学の発見 第一巻 最初の衝撃」學藝書林
1968(昭和43)年9月10日第1刷発行
入力:山根鋭二
校正:浜野 智
1998年8月20日公開
2005年11月28日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "001007",
"作品名": "鎖工場",
"作品名読み": "くさりこうじょう",
"ソート用読み": "くさりこうしよう",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "1998-08-20T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000169/card1007.html",
"人物ID": "000169",
"姓": "大杉",
"名": "栄",
"姓読み": "おおすぎ",
"名読み": "さかえ",
"姓読みソート用": "おおすき",
"名読みソート用": "さかえ",
"姓ローマ字": "Osugi",
"名ローマ字": "Sakae",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1885-01-17",
"没年月日": "1923-09-16",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "全集・現代文学の発見 第一巻 最初の衝撃",
"底本出版社名1": "學藝書林",
"底本初版発行年1": "1968(昭和43)年9月10日",
"入力に使用した版1": "",
"校正に使用した版1": "",
"底本の親本名1": "",
"底本の親本出版社名1": "",
"底本の親本初版発行年1": "",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
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"校正に使用した版2": "",
"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "山根鋭二",
"校正者": "浜野智",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000169/files/1007_ruby_20609.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2005-11-29T00:00:00",
"テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"テキストファイル文字集合": "JIS X 0208",
"テキストファイル修正回数": "1",
"XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000169/files/1007_20610.html",
"XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2005-11-29T00:00:00",
"XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"それからもう一度どこかへはいったな。",
"へえ。"
],
[
"どこだ?",
"千葉でございます。"
],
[
"社会主義か、よし、それじゃ拘引する。一緒に来い。",
"それや面白い。どこへでも行こう。"
],
[
"私は何でもないんですがね。ただお隣りから言いつかって来たんですよ。みんなが、あなたの来るのを毎日待っていたんですって、そいで、今新入りがあったもんですから、きっとあなただろうというんで、ちょっと聞いてくれって頼まれたんですよ。",
"君のお隣りの人って誰?"
],
[
"○○さんという焼打事件の人なんですがね。その人と山口さんが向い同士で、毎日お湯や運動で一緒になるもんですから、あなたのことを山口さんに頼まれていたんです。",
"その山口とはちょっと話ができないかね。",
"え、少し待って下さい。お隣りへ話して見ますから。今ちょうど看守が休憩で出て行ったところなんですから。"
],
[
"やあ、来たな。堺さんはどうした? 無事か?",
"無事だ。きのうちょっと警視庁へ呼ばれたが、何でもなかったようだ。",
"それや、よかった。ほかには、君のほかに誰か来たか。",
"いや、僕だけだ。"
],
[
"ほかのものはみんなどこにいるんだ、西川(光二郎)は?",
"シッ、シッ。"
],
[
"僕のは新聞のことなんだが、君こそどうして来たんだ。",
"いや、実に面目次第もない。君はいよいよ本物になったのだろうけど。"
],
[
"なぜ坐らんか。",
"いやだから坐らない。",
"何がいやだ。",
"立っていたって話ができるじゃないか。",
"理窟は言わんでもいいから坐れ。",
"君も坐るんなら僕も坐ろう。"
]
] | 底本:「大杉栄全集 第13巻」現代思潮社
1965(昭和40)年1月31日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:kompass
校正:小林繁雄
2001年11月8日公開
2005年11月29日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "002583",
"作品名": "獄中記",
"作品名読み": "ごくちゅうき",
"ソート用読み": "こくちゆうき",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "",
"分類番号": "NDC 289 916",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2001-11-08T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000169/card2583.html",
"人物ID": "000169",
"姓": "大杉",
"名": "栄",
"姓読み": "おおすぎ",
"名読み": "さかえ",
"姓読みソート用": "おおすき",
"名読みソート用": "さかえ",
"姓ローマ字": "Osugi",
"名ローマ字": "Sakae",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1885-01-17",
"没年月日": "1923-09-16",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "大杉栄全集 第13巻",
"底本出版社名1": "現代思潮社",
"底本初版発行年1": "1965(昭和40)年1月31日",
"入力に使用した版1": "1965(昭和40)年1月31日",
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} |
[
[
"怪しからん、どこへ逃げた。",
"引きずって来い。",
"来なけれやこれで打ち殺してやる。"
],
[
"ええ、確かに見覚えはあるんですけれど、どなたでしたかな。",
"もうちょうど二十になるんだからね。分らんのも無理はあるまいが……",
"いや、そのお声で思い出しました。これやほんとうにしばらくめですよ。"
],
[
"そのズボンというのはどのズボンか。",
"今はいているこのズボンです。"
],
[
"それでは何だ?",
"上弦でありません。",
"だから何だと言うんだ?",
"上弦でありません。",
"だから何だ?",
"上弦でありません。",
"何?",
"上弦でありません。"
],
[
"どうした。一緒に連れて来なかったのか。",
"うん。ちょっと都合があるんで、少しのばして、親子一緒にやることにした。"
],
[
"どうして、おばさん、気が変などころじゃあるもんですか。わたし、しょっちゅう遊びに行ってお話ししているんですけれど、そんなところはこれっぱかしでも見えませんわ。そして、これからが本当の勉強だと言って、一生懸命になって勉強していらっしゃるんですもの。",
"そうかね。わたしはまた、夜いつ目をさまして見ても、きっと離れの方で本の紙をめくる音がして、はばかりへ行って見ても離れでかんかんあかりが点っているので、何だか気味がわるかったくらいよ。",
"ええそうして毎晩遅くまで勉強していらっしゃるんだわ。そして近いうちに東京へいらっしゃりたいですって。これからの方針も何もかも、もう自分一人でちゃんときめていらっしゃるんだわ。ね、おばさん、本当にしっかりしていらっしゃるんだから、わたし栄さんに代っておばさんやおじさんにお願いしますわ、早く栄さんのお望み通りに東京へ出しておやんなさるといいわ。",
"まあ、そんなに勉強しているんですかね。わたしはまた、うちで少し気が変だなんて言うから、どんなに心配していたか知れないの。そして黙って見ているんだけれど、べつにこれといって変なところもなしね。かえって変に思っていたくらいですわ。礼ちゃん、本当にありがとうよ。わたし、それですっかり安心したわ。"
],
[
"それ、あの桑野の息子がやったようなものさ。",
"あの、大学を卒業して、何にもしないで遊んでいる、あの方?",
"うん、あれだ。あんなんじゃ困るからな。",
"そうね。"
],
[
"それじゃあなたは新潟へはいらっしゃらなかったんですか。",
"え、行きません、母は新潟にいるんですか。",
"ああ、それじゃあなたは何にも知らないんですね。まあ……"
],
[
"母はもう死んだんですか。",
"ええ、きのう新潟病院でおなくなりになりました。そして、きょう、もうすぐみなさんでこちらへお帰りの筈です。"
],
[
"どうして?",
"おしゅうとさんがそれやひどいのよ。お母さんの方はまだそうでもないんですが、お父さんがそれやむずかしい方でね。本当に箸のあげ下ろしにもお小言なんだけれど、そんなことはまだ何でもないわ。私がちょっとうちを留守にすると、その間に私のお針箱から何やかまで引掻き廻して何か探すんですもの。私もうそれが何よりもつらいわ。",
"へえ、そんなことをするんかね。"
],
[
"いいえ、どこまでも辛棒して見るつもりです。今私は隅田の郷里に帰って、世間とのいっさいの交渉を断って、ただ一人の子供を育てあげることと、隅田の位牌を守って行くこととの、本当の尼さんのような生活をするように、毎日みなさんから責められています。しかしそれも辛棒して見るつもりです。どこまでそれで辛棒できるか知りませんが、とにかくできるだけどこまでも辛棒して行きます。",
"けれどもその辛棒ができなくなる恐れがあるんでしょう。その時にはどうするつもりなんです。",
"え、それが心配なんですの、恐ろしいんですの。けれど、やっぱり、どこまででも辛棒しますわ。",
"で、あなたの方のお父さんやお母さんはどう言っているんです。",
"私には可哀相だ可哀相だと言っていますが、やはりいったん隅田家へやった以上は、隅田家の言う通りにしなければならんと言っています。",
"あなたがそうまで決心しているんなら、それでもいいでしょう。しかし、できるだけやはり辛棒はしない方がいいです。辛棒はしても、もうとてもできないと思う以上のことは決して辛棒しちゃいけません。それが堕落の一番悪い原因なんです。",
"でも、それでも辛棒しなきゃならん時にはどうしましょう。",
"いや、辛棒しなきゃならん理窟はちっともないんです。そんな場合には、もういっさいをなげうって、飛び出すんです。すぐ東京へ逃げていらっしゃい。僕がいる以上は、どんなことがあっても、あなたを勝たして見せます。",
"ええ、ありがとうございます。私本当にあなたをたった一人の兄さんと思っていますわ。けれど私、どうしても辛棒します。どこまでも辛棒します。ただね、本当に栄さん、私あなたをたった一人の兄さんと思っていますから、どうぞそれだけ忘れないで下さいね。"
],
[
"また出たの?",
"うん。"
],
[
"なあに、こんないい天気じゃ、とても仕事なぞできないね。それより、大崩れの方へでも遊びに行って見ようよ。",
"ほんとにそうなさいましな。せっかくいらっしたんですもの。そんなにすぐお帰りじゃつまりませんわ。"
],
[
"その時になって卑怯なまねはしないようにね。",
"ええ、ええ、一息にさえ殺していただければね。"
],
[
"してもいい。が、愚痴はごめんだ。",
"愚痴なんか言いやしないわ、だけど……",
"そのだけどが僕はいやなんだ。",
"そう、それじゃそれも止すわ。",
"それよりも、この一、二日以来のお互いの気持でも話そうじゃないか。僕はもう、こんな醜い、こんないやなことは飽き飽きだ。ね、お互いにもう、いい加減打ちきり時だぜ。",
"ええ、私ももう幾度もそう思っているの、だけど……",
"まただけどだね。そのだけどでいつも駄目になるんだ。こんどこそはもうそれを止しにしようじゃないか。",
"だけど、もっと話したいわ。",
"話はいくらでもするがいいさ。しかし、もう、お互いにこんないやな思いばかり続けていたって、仕方がないからね。本当にもう止しにしようよ。",
"ええ……"
],
[
"ね、本当にもう駄目?",
"駄目と言ったら駄目だ。",
"そう、私今何を考えているのか、あなた分る?",
"そんなことは分らんね。",
"そう、私今ね、あなたがお金のない時のことと、ある時のこととを考えているの。",
"というと、どういう意味だい?",
"野枝さんが綺麗な着物を着ていたわね。",
"そうか、そういう意味か。金のことなら、君にかりた分はあした全部お返しします。"
],
[
"え、その話もしましょう。が、今日は僕の方で別に話を持って来ているのです。そしてその方が僕には急なのだから、今日はまずその話だけにしましょう。",
"そうですか。するとそのお話というのは?",
"実は金が少々欲しいんです。で、それを、もし戴ければ戴きたいと思って来たのです。",
"ああ金のことですか。そんなことならどうにでもなりますよ。それよりも一つ、さっきのお話を聞こうじゃありませんか。",
"いや、僕の方は今日はこの金の方が重大問題なんです。どうでしょう。僕今非常に生活に困っているんです。少々の無心を聞いて貰えるでしょうか。",
"あなたは実にいい頭を持ってそしていい腕を持っているという話ですがね。どうしてそんなに困るんです。",
"政府が僕等の職業を邪魔するからです。",
"が、特に私のところへ無心に来た訳は。",
"政府が僕等を困らせるんだから、政府へ無心に来るのは当然だと思ったのです。そしてあなたならそんな話は分ろうと思って来たんです。",
"そうですか、分りました。で、いくら欲しいんです。",
"今急のところ三、四百円あればいいんです。",
"ようごわす、差しあげましょう。が、これはお互いのことなんだが、ごく内々にして戴きたいですな。同志の方にもですな。",
"承知しました。"
],
[
"いけません、僕はもうあなたとは他人です。",
"でも、私悪かったのだから、あやまるわ、ね、話して下さいね。ね、いいでしょう。",
"いけません。僕はそういうのが大きらいなんです。さっきはあんなに言い合って置いて、その話がつきもしない間に、そのざまは何ていうことです。"
]
] | 底本:「大杉栄全集第十二巻」現代思潮社
1964(昭和39)年12月25日
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:kompass
校正:小林繁雄
2002年1月18日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "001273",
"作品名": "自叙伝",
"作品名読み": "じじょでん",
"ソート用読み": "ししよてん",
"副題": "",
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"原題": "",
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"分類番号": "NDC 914",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"姓": "大杉",
"名": "栄",
"姓読み": "おおすぎ",
"名読み": "さかえ",
"姓読みソート用": "おおすき",
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"姓ローマ字": "Osugi",
"名ローマ字": "Sakae",
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"生年月日": "1885-01-17",
"没年月日": "1923-09-16",
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[
[
"おい、何で来たんだい?",
"お前さんは?",
"泥棒さ。",
"じゃ頼もしいわね。わたしはどうろぼうよ。いくら食ったの?",
"たった半年だ。君は?",
"わたしの方は二週間よ、すぐだわ。こんど出たら本当に堅気になろうと思ってるの。お前さん出たらやって来ない? うちはどこ?"
],
[
"大ぶお安くないな。だが、あのどうろぼうというのは何だい?",
"さあ、僕にもよく分らないがね。"
],
[
"何だい、あの向いの奴は?",
"うん、何でもないんだよ。今まで向うの雑房にいたんだがね。首をつって仕方がないんで、とうとうこっちへ移されちゃったんだ。それで、夜じゅう、ああして手錠をはめられて、からだが利かないようにされてるんだよ。"
],
[
"うん、やってくれたともさ。しかも大いに殊勝とでも思ったんだろう。ずいぶん長いのをやってくれたよ。",
"それや、よかった。"
]
] | 底本:「大杉栄全集 第13巻」現代思潮社
1965(昭和40)年1月31日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「縄」と「繩」の混在は底本通りにしました。
入力:kompass
校正:小林繁雄
2001年11月8日公開
2005年11月29日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "002584",
"作品名": "続獄中記",
"作品名読み": "ぞくごくちゅうき",
"ソート用読み": "そくこくちゆうき",
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"分類番号": "NDC 289 916",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"公開日": "2001-11-08T00:00:00",
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"姓": "大杉",
"名": "栄",
"姓読み": "おおすぎ",
"名読み": "さかえ",
"姓読みソート用": "おおすき",
"名読みソート用": "さかえ",
"姓ローマ字": "Osugi",
"名ローマ字": "Sakae",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1885-01-17",
"没年月日": "1923-09-16",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "大杉栄全集 第13巻",
"底本出版社名1": "現代思潮社",
"底本初版発行年1": "1965(昭和40)年1月31日",
"入力に使用した版1": "1965(昭和40)年1月31日",
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"入力者": "kompass",
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} |
[
[
"僕もそうは思っているんだがね。問題はまず何よりも金なんだ。",
"どのくらい要るんです。",
"さあ、ちょっと見当はつかないがね。最低のところで千円あれば、とにかく向うへ行って、まだ二、三カ月の滞在費は残ろうと思うんだ。",
"そのくらいなら何とかなるでしょう。あとはまたあとのことにして。",
"僕もそうきめているんだ。で、あした一日金策に廻って見て、その上ではっきりきめようと思うんだ。",
"旅行券は?",
"そんなものは要らないよ。もう、とうの昔に、うまく胡麻化して行く方法をちゃんと研究してあるんだから。ただその方法を講ずるのにちょっとひまがかかるから、あしたじゅうにきめないと、大会に間に合いそうもないんだ。"
],
[
"しかしずいぶん日本語がうまいですね。",
"いや、ちっともうまくないです。"
],
[
"日本のメーデーはまだその歴史が浅い。それに参加する労働者の数もまだ少ない。しかし日本の労働者はメーデーの何たるかはよく知っている。",
"日本のメーデーは郊外では行われない。市の中心で行われる。それもホールの中でではない。雄弁でではない。公園や広場や街頭での示威運動でだ。",
"日本のメーデーはお祭り日ではない。(五字削除)。(二十八字削除)。",
"(八字削除)飛ぶ。(七字削除)光る。"
],
[
"お前はいつ幾日か、にせの旅券とにせの名前でフランスにはいったに相違ないな。",
"そうです。",
"それについて別に何か言うことはないか。",
"何にもありません。",
"それじゃその事実を全部認めるんだな。",
"そうです。"
],
[
"僕はセン・ドニでやられたんだが、コンバの方はどうでした?",
"それや、ずいぶん盛んでしたよ。演説なんぞはいい加減にして、すぐ僕等が先登になってそとへ駈けだしましてね。電車を二、三台ぶち毀して、とうとうその交通をとめてしまいましたよ。"
],
[
"いや、まだです。",
"それじゃ、君は追放じゃないんです。すぐ自由になるんですよ。"
],
[
"結構です。しかし、スペインへ行くにしても、勿論日本の官憲の旅行免状が要るんでしょう。それはどうするんです。",
"それはこっちで大使館とかけ合って貰ってやる。それじゃ向うで待っているがいい。"
],
[
"さあ、それはよその国のことだから、僕には分らない。",
"それじゃ、もしスペインで僕を入れなければ、僕はどうなるんだろう。",
"僕の知っているのはただ、君がそれでまたフランスの国境内にはいって来れば、すぐつかまえて牢に入れるということだけだね。"
]
] | 底本:「大杉栄全集 第十三巻」現代思潮社
1965(昭和40)年1月31日発行
※本作品の冒頭部分は、山根鋭二さん入力、浜野智さん校正ですでに公開してきた。ただしこれは抄録であるため、「パリの便所」以降を、kompassさんに入れていただいた。既登録部分も、kompassさんが入力底本とされた「大杉栄全集」と対照し、あらためて校正した。
入力:山根鋭二、kompass
校正:浜野智、小林繁雄
2001年11月27日公開
2011年1月15日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "002582",
"作品名": "日本脱出記",
"作品名読み": "にほんだっしゅつき",
"ソート用読み": "にほんたつしゆつき",
"副題": "",
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"分類番号": "NDC 289 915",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2001-11-27T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000169/card2582.html",
"人物ID": "000169",
"姓": "大杉",
"名": "栄",
"姓読み": "おおすぎ",
"名読み": "さかえ",
"姓読みソート用": "おおすき",
"名読みソート用": "さかえ",
"姓ローマ字": "Osugi",
"名ローマ字": "Sakae",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1885-01-17",
"没年月日": "1923-09-16",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "大杉栄全集 第十三巻",
"底本出版社名1": "現代思潮社",
"底本初版発行年1": "1965(昭和40)年1月31日",
"入力に使用した版1": "1965(昭和40)年1月31日",
"校正に使用した版1": "1965(昭和40)年1月31日",
"底本の親本名1": "",
"底本の親本出版社名1": "",
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"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "山根鋭二、kompass",
"校正者": "小林繁雄、浜野智",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000169/files/2582_ruby_20704.zip",
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[
[
"整形外科へいらつしやるのはもつと先きになるんですか",
"何度も行つておねがいしたんですけど、私の順番は半年ものちなんですのよ。それだけたくさんいます"
]
] | 底本:「屍の街」冬芽書房
1950(昭和25)年5月30日発行
※底本は旧字新仮名づかいです。なお平仮名の拗音、促音が並につくられているのは、底本通りです。
入力:かな とよみ
校正:竹井真
2022年11月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "061155",
"作品名": "いまだ癒えぬ傷あと",
"作品名読み": "いまだいえぬきずあと",
"ソート用読み": "いまたいえぬきすあと",
"副題": "――放射線火傷で右手をうしなつた木挽きの妻と河原にうつ伏せて死んでいた幼女に――",
"副題読み": "――ほうしゃせんやけどでみぎてをうしなったこびきのつまとかわらにうつぶせてしんでいたようじょに――",
"原題": "",
"初出": "",
"分類番号": "",
"文字遣い種別": "旧字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2022-12-10T00:00:00",
"最終更新日": "2022-11-26T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001757/card61155.html",
"人物ID": "001757",
"姓": "大田",
"名": "洋子",
"姓読み": "おおた",
"名読み": "ようこ",
"姓読みソート用": "おおた",
"名読みソート用": "ようこ",
"姓ローマ字": "Ota",
"名ローマ字": "Yoko",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1906-11-18",
"没年月日": "1963-12-10",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "屍の街",
"底本出版社名1": "冬芽書房",
"底本初版発行年1": "1950(昭和25)年5月30日",
"入力に使用した版1": "1950(昭和25)年5月30日",
"校正に使用した版1": "1950(昭和25)年5月30日",
"底本の親本名1": "",
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"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "かな とよみ",
"校正者": "竹井真",
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"テキストファイル最終更新日": "2022-11-26T00:00:00",
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"XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2022-11-26T00:00:00",
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"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"探偵小説がお好きのようですね?",
"そう。商売になってしまって",
"お書きになるんですか?",
"どうやら人の真似事を……"
],
[
"スキー場じゃありませんか",
"近頃はそれで名が通ってしまいましたが、もともと避暑地なんですから。今頃は花が一時に咲き乱れて何とも云えない良い季節ですよ。それなのに都会の人はまだ来ないし、土地の者は田植で忙しい。だから静かに勉強するには申し分ありませんね",
"なるほど"
],
[
"どうやら環境が良すぎて、人殺しを考えるには刺戟が無さそうだな",
"ところが、どうしてどうして事件勃発です。それも浴場密室事件だったらどうです?",
"やれやれ。いよいよハイライト式になってきた",
"この正月にK湯へ天皇一家の或る方がスキーの練習に来られたんですが",
"新聞で見て知ってます",
"このとき、新聞に出ない事件が闇から闇へ葬られているので……",
"ふーん"
],
[
"面白かった。だけどねえ、僕ならそのままを殺人事件にしてしまうな",
"それは少し無理ではないかしら",
"そんな事はない。僕に云わせれば、窓に締りがしてなかったり、若い女がすぐ脳貧血をおこしたり、こんな偶然が二つ重なる方が妙ですよ。総てを理詰めに解釈する方が簡単なんだから",
"と云うと?"
],
[
"そのあとは、また浴室を抜けて、今度は自分のドテラを着て逃出すんですか",
"その男を決定するには条件がある。宿の事情に詳しい男、その日は宿に残っていた男、鍵を自由に扱える男、最後に褌ひとつで飛出した男だ!"
]
] | 底本:「悪夢の最終列車 鉄道ミステリー傑作選」光文社文庫、光文社
1997(平成9)年12月20日初版1刷発行
初出:「小説の泉」
1950(昭和25)年8月
※表題は底本では、「浴槽《よくそう》」となっています。
入力:sogo
校正:大久保ゆう
2016年1月1日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "057067",
"作品名": "浴槽",
"作品名読み": "よくそう",
"ソート用読み": "よくそう",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「小説の泉」1950(昭和25)年8月",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2016-01-01T00:00:00",
"最終更新日": "2016-01-01T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001824/card57067.html",
"人物ID": "001824",
"姓": "大坪",
"名": "砂男",
"姓読み": "おおつぼ",
"名読み": "すなお",
"姓読みソート用": "おおつほ",
"名読みソート用": "すなお",
"姓ローマ字": "Otsubo",
"名ローマ字": "Sunao",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1904-02-01",
"没年月日": "1965-01-12",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "悪夢の最終列車 鉄道ミステリー傑作選",
"底本出版社名1": "光文社文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "1997(平成9)年12月20日",
"入力に使用した版1": "1997(平成9)年12月20日初版1刷",
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} |
[
[
"よう!",
"よう!"
],
[
"では君達は飛行中一度も客室には顔を出さなかったと言うのか? 君達の席から全く離れはしなかったと言うのか?",
"不幸にして私は客室を覗く機会を持たなかったのです。私はかえってそれを遺憾に思っている位です"
],
[
"そうだ、アリバイだ。先ず考えて見給え。事件は空の上で行われた。そしてそこには数百万の人間の中から選ばれた四人しかいなかったのだ。絶対に――。そして誰れも機上の情況を見ていた者はなかったのだ",
"でも私は神に誓って座席から一寸も離れはしなかったのです"
],
[
"…………",
"君と秀岡氏とは如何なる関係にあるのか?"
],
[
"私の一家と、秀岡とは姻戚関係にあるのですが、それにも不拘私の一家は秀岡の悪辣な手にかかって破産せられ、非常にみじめな目に陥入れられたのです",
"秀岡氏と君との間に今朝以来行われたいきさつを話し給え。勿論、飛行中君が便所に行ったとは嘘で、秀岡氏と面談する為めに行ったのだろう"
],
[
"ハンマアで撲り殺すぞと言ったのか?",
"違います。――其麼あく迄我々に対して悪魔のような態度をとるなら、こちらも悪魔になってやる。幸い貴方は血圧が高いし、心臓が弱いから、機を四千米ばかりに上げて、貴方を高空病にかからせて命を取ってやる、と脅かしたのです。そこへ便所から綿井氏が出て来たので、私は操縦席へ帰ったのです"
],
[
"――今、容疑者は二名います。然し実際の所は三枝は犯人ではないのですが、彼には不孝にしてアリバイがないので証明出来ないでいます。けれど、これを別の方面から推しすすめてみると、或いは自然とそれが証明される結果になるかも知れないと思います。ではどう考えたらいいか? 即ち綿井氏はどうして死んだかと言う事です。署内では第一に自殺説、第二に他殺説となっているようですが、実際に於て綿井氏は自殺する心算で飛行機に乗っていたのですし、又金を盗んだとしてはそれが屍体から発見されないのですから、第一の説も考えられない事もありますまい。然し一体自殺するのに落下傘を持ってする人があるでしょうか?",
"なに、第三者が其の男のすぐ後から落下傘を故あって投げたと言えば言えない事はなかろう。その意味から第二の他殺説も有力になるのだ。即ち突き落しておいて、すぐ後から落下傘を落して置くと言う事も、十分考えられ得るからね"
],
[
"すると綿井氏は自殺でも他殺でもないと言う事になるではないか?",
"そうなのです。私は考えるのですが、綿井氏は自殺する心算でいた事は確実で、飛行中もその飛び降りるべく心を砕いていた、が急な精神上の転化から自殺を思い止まり、その前にゆくりなくも発見していた落下傘を利用し、一狂言演じようとして失敗したのであろうと思います",
"すると君は、秀岡氏殺害犯は綿井氏だと言うあの説なのだね"
],
[
"いや、綿井氏は絶対に秀岡氏の死より先に機から飛び降りたのではないと考えます。綿井氏の精神を自殺から他へ転向させたのは、勿論、秀岡氏の所持する金が自分の手に握れる立場になった故に違いありません。他に理由のつけようがありませんから――。然し理由もなくどうして秀岡氏が、そんな大金を甘んじて綿井氏に提供するでしょう……",
"では矢張り秀岡氏殺害犯人は……"
]
] | 底本:「「探偵」傑作選 幻の探偵雑誌9」光文社文庫、光文社
2002(平成14)年1月20日初版1刷発行
初出:「探偵」駿南社
1931(昭和6)年11月号
入力:川山隆
校正:伊藤時也
2008年11月11日作成
青空文庫作成ファイル:
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"作品ID": "047767",
"作品名": "旅客機事件",
"作品名読み": "りょかくきじけん",
"ソート用読み": "りよかくきしけん",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「探偵」駿南社、1931(昭和6)年11月号",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2008-12-11T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-21T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/001316/card47767.html",
"人物ID": "001316",
"姓": "大庭",
"名": "武年",
"姓読み": "おおば",
"名読み": "たけとし",
"姓読みソート用": "おおは",
"名読みソート用": "たけとし",
"姓ローマ字": "Oba",
"名ローマ字": "Taketoshi",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1904",
"没年月日": "1945",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "「探偵」傑作選 幻の探偵雑誌9",
"底本出版社名1": "光文社文庫、光文社",
"底本初版発行年1": "2002(平成14)年1月20日",
"入力に使用した版1": "2002(平成14)年1月20日初版1刷",
"校正に使用した版1": "2002(平成14)年1月20日初版1刷",
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} |
[
[
"モシモシ――あなたは尾形亀之助さんですか",
"いいえ ちがひます"
]
] | 底本:「尾形亀之助詩集」現代詩文庫、思潮社
1975(昭和50)年6月10日初版第1刷
1980(昭和55)年10月1日第3刷
入力:高柳典子
校正:泉井小太郎
2001年10月10日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "003213",
"作品名": "色ガラスの街",
"作品名読み": "いろガラスのまち",
"ソート用読み": "いろからすのまち",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "",
"分類番号": "NDC 911",
"文字遣い種別": "新字旧仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2001-10-10T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000874/card3213.html",
"人物ID": "000874",
"姓": "尾形",
"名": "亀之助",
"姓読み": "おがた",
"名読み": "かめのすけ",
"姓読みソート用": "おかた",
"名読みソート用": "かめのすけ",
"姓ローマ字": "Ogata",
"名ローマ字": "Kamenosuke",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1900-12-12",
"没年月日": "1942-12-02",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "尾形亀之助詩集",
"底本出版社名1": "現代詩文庫、思潮社",
"底本初版発行年1": "1975(昭和50)年6月10日",
"入力に使用した版1": "1980(昭和55)年10月1日第3刷",
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"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "高柳典子",
"校正者": "泉井小太郎",
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"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
"XHTML/HTMLファイル修正回数": "0"
} |
[
[
"堂島さんが社を辞めたってね",
"ああそうか、道理で今日来なかったんだな。前々から辞める辞めると言ってたよ。どこか品川の方にいい電気会社の口があるってね"
],
[
"ええ、本当かい。うまいことをしたなあ。あいつは頭がよくって、何でもはっきり割り切ろうとしていたからなあ",
"そうだ、ここのように純粋の軍需品会社でもなく、平和になればまた早速に不況になる惧れのあるような会社は見込みがないって言ってたよ"
],
[
"おや、堂島の住所が知りたいのかい。こりゃ一杯、おごりものだぞ",
"いえ、そんなことじゃないのよ。あんたあの人と親友じゃないの"
],
[
"親友じゃないが、銀座へ一緒に飲みに行ってね、夜遅くまで騒いで歩いたことは以前あったよ",
"それなら新しい移転先き知ってるでしょう",
"移転先って。いよいよあやしいな、一体どうしたって言うんだい"
],
[
"山岸さんは堂島さんがこの社を辞めた後もあの人と親しくするつもり。それを聞いた上でないと言えないのよ",
"いやに念を押すね。ただ飲んで廻ったというだけの間柄さ。社を辞めたら一緒に出かけることも出来ないじゃないか。もっとも銀座で逢えば口ぐらいは利くだろうがね",
"それじゃ話すけれど、実は昨日私たちの帰りに堂島が廊下に待ち受けていて私の顔を撲ったのよ。私、眼が眩むほど撲られたんです"
],
[
"そんなことはまだるいや。堂島の家へ押しかけてやろうじゃないか",
"だから私、あの人の移転先が知りたいのよ。課長さんが見せて呉れた退社届に目下移転中としてあるからね"
],
[
"そうお、では私、ちょいちょい銀座へ行ってみますわ。あんた告げ口なんかしては駄目よ",
"おい、そんなに僕を侮辱しないで呉れよ。君がその気なら憚りながら一臂の力を貸す決心でいるんだからね"
],
[
"私このごろ眼がまわるのよ。始終雑沓する人の顔を一々覗いて歩くでしょう。しまいには頭がぼーっとしてしまって、家へ帰って寝るとき天井が傾いて見えたりして吐気がするときもある",
"済みませんわね",
"いえ、そのうちに慣れると思ってる"
],
[
"私、撲られた当座、随分口惜しかったけれど、今では段々薄れて来て、毎夜のように無駄に身体を疲らして銀座を歩くことなんか何だか莫迦らしくなって来たの。殊に事変下でね……。それで往く人をして往かしめよって気持ちで、すれ違う人を見ないようにするのよ。するとその人が堂島じゃなかったかという気がかりになって振り返らないではいられないのよ。何という因業な事でしょう",
"あら、あんたがそんなジレンマに陥っては駄目ね",
"でも頬一つ叩いたぐらい大したことでないかも知れないし、こんなことの復讐なんか女にふさわしくないような気がして",
"まあ、それあんたの本心",
"いいえ、そうも考えたり、いろいろよ。社ではまだかまだかと訊くしね",
"それじゃ私が一番お莫迦さんになるわけじゃないの"
],
[
"まあまあそれもいいねえ。裾模様にビフテキは少しあわないけれど",
"ほほほほ"
]
] | 底本:「岡本かの子全集5」ちくま文庫、筑摩書房
1993(平成5)年8月24日第1刷発行
底本の親本:「老妓抄」中央公論社
1939(昭和14)年3月18日発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2010年2月6日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "050617",
"作品名": "越年",
"作品名読み": "えつねん",
"ソート用読み": "えつねん",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2010-03-23T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-21T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000076/card50617.html",
"人物ID": "000076",
"姓": "岡本",
"名": "かの子",
"姓読み": "おかもと",
"名読み": "かのこ",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "かのこ",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kanoko",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1889-03-01",
"没年月日": "1939-02-18",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "岡本かの子全集5",
"底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房",
"底本初版発行年1": "1993(平成5)年8月24日",
"入力に使用した版1": "1993(平成5)年8月24日第1刷",
"校正に使用した版1": "1993(平成5)年8月24日第1刷",
"底本の親本名1": "老妓抄",
"底本の親本出版社名1": "中央公論社",
"底本の親本初版発行年1": "1939(昭和14)年3月",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
"入力に使用した版2": "",
"校正に使用した版2": "",
"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "門田裕志",
"校正者": "noriko saito",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000076/files/50617_ruby_37414.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2010-02-06T00:00:00",
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} |
[
[
"今度こそ二人とも事実正銘の孤児になりましたのね",
"うん、なった。――だが"
],
[
"お雛妓だ",
"そうねえ"
],
[
"任せるわ。じゃ、いいようにしてよ",
"それがいい。お前は今夜ただ、気持を取直す工夫だけをしなさい"
],
[
"お手拭きなら、ここよ",
"なんて、ませたやつだ"
],
[
"奥さまのかの子さーん",
"お雛妓さんのかの子さーん"
],
[
"かの子さーん",
"かの子さーん"
],
[
"かの子さーん",
"かの子さーん"
],
[
"奥さまのかの子さーん",
"お雛妓さんのかの子さーん",
"かの子さーん",
"かの子さーん"
],
[
"かの子さーん",
"かの子さーん"
],
[
"かの子さーん",
"かの子さーん"
]
] | 底本:「昭和文学全集 第5巻」小学館
1986(昭和61)年12月1日初版第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集 第五卷」冬樹社
1974(昭和49)年12月10日初版第1刷発行
初出:「日本評論」
1939(昭和14)年5月号
※「お雛妓《しゃく》」と「雛妓《おしゃく》」の混在は、底本通りです。
入力:阿部良子
校正:松永正敏
2001年4月3日公開
2013年10月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "001285",
"作品名": "雛妓",
"作品名読み": "おしゃく",
"ソート用読み": "おしやく",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「日本評論」1939(昭和14)年5月号",
"分類番号": "NDC 914",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2001-04-03T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-17T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000076/card1285.html",
"人物ID": "000076",
"姓": "岡本",
"名": "かの子",
"姓読み": "おかもと",
"名読み": "かのこ",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "かのこ",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kanoko",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1889-03-01",
"没年月日": "1939-02-18",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "昭和文学全集 第5巻",
"底本出版社名1": "小学館",
"底本初版発行年1": "1986(昭和61)年12月1日",
"入力に使用した版1": "",
"校正に使用した版1": "",
"底本の親本名1": "岡本かの子全集 第五卷",
"底本の親本出版社名1": "冬樹社",
"底本の親本初版発行年1": "1974(昭和49)年12月10日",
"底本名2": "",
"底本出版社名2": "",
"底本初版発行年2": "",
"入力に使用した版2": "",
"校正に使用した版2": "",
"底本の親本名2": "",
"底本の親本出版社名2": "",
"底本の親本初版発行年2": "",
"入力者": "阿部良子",
"校正者": "松永正敏",
"テキストファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000076/files/1285_ruby_1814.zip",
"テキストファイル最終更新日": "2013-10-01T00:00:00",
"テキストファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"テキストファイル文字集合": "JIS X 0208",
"テキストファイル修正回数": "2",
"XHTML/HTMLファイルURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000076/files/1285_48142.html",
"XHTML/HTMLファイル最終更新日": "2013-10-01T00:00:00",
"XHTML/HTMLファイル符号化方式": "ShiftJIS",
"XHTML/HTMLファイル文字集合": "JIS X 0208",
"XHTML/HTMLファイル修正回数": "2"
} |
[
[
"お気の毒ですわね、横浜の国枝さんのお姑さんのお家の方ででもおありでしょうにね",
"ええ私はその横浜の国枝さんの姑の家の者なのですが"
]
] | 底本:「岡本かの子全集2」ちくま文庫、筑摩書房
1994(平成6)年2月24日第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集 第十四卷」冬樹社
1977(昭和52)年5月15日初版第1刷
初出:「週刊朝日」
1934(昭和9)年4月1日
入力:門田裕志
校正:オサムラヒロ
2008年10月15日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
"作品ID": "046921",
"作品名": "おせっかい夫人",
"作品名読み": "おせっかいふじん",
"ソート用読み": "おせつかいふしん",
"副題": "",
"副題読み": "",
"原題": "",
"初出": "「週刊朝日」1934(昭和9)年4月1日",
"分類番号": "NDC 913",
"文字遣い種別": "新字新仮名",
"作品著作権フラグ": "なし",
"公開日": "2008-11-05T00:00:00",
"最終更新日": "2014-09-21T00:00:00",
"図書カードURL": "https://www.aozora.gr.jp/cards/000076/card46921.html",
"人物ID": "000076",
"姓": "岡本",
"名": "かの子",
"姓読み": "おかもと",
"名読み": "かのこ",
"姓読みソート用": "おかもと",
"名読みソート用": "かのこ",
"姓ローマ字": "Okamoto",
"名ローマ字": "Kanoko",
"役割フラグ": "著者",
"生年月日": "1889-03-01",
"没年月日": "1939-02-18",
"人物著作権フラグ": "なし",
"底本名1": "岡本かの子全集2",
"底本出版社名1": "ちくま文庫、筑摩書房",
"底本初版発行年1": "1994(平成6)年2月24日",
"入力に使用した版1": "1994(平成6)年2月24日第1刷",
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"底本の親本名1": "岡本かの子全集 第十四卷",
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"入力者": "門田裕志",
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} |
[
[
"ベルリンから来年の春日本へかえるんだけれど太郎さんはやっぱり残る?",
"おや、またその事?"
]
] | 底本:「岡本かの子全集1」ちくま文庫、筑摩書房
1994(平成6)年1月24日第1刷発行
底本の親本:「かの子抄」不二屋書房
1934(昭和9)年9月24日発行
初出:「婦人サロン」
1932(昭和7)年5月号
※「こども」と「子ども」の混在は、底本通りです。
入力:門田裕志
校正:いとうおちゃ
2021年2月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
| {
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"作品名": "オペラの辻",
"作品名読み": "オペラのつじ",
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"初出": "「婦人サロン」1932(昭和7)年5月号",
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"文字遣い種別": "新字新仮名",
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"最終更新日": "2021-02-26T00:00:00",
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